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2008年10月22日水曜日

これまでのブログを振り返って

 実は人知れず、このブログの投稿記事数は既に400件を越えております。また当初目標としていた一年間の継続についても、ブログを始めたのは去年の十二月なので、残すところ実質一ヶ月半となりこっちの目標も達成しそうです。

 ただそれ以上に自分で驚いているのは、まさかこの時点で毎日一本ずつ記事を書いたとすると一年間で365件となる記事数をすでに越えているという事実です。我ながらよくここまで書けるなということと、本当に自分は文章を書くのが好きなんだと思えます。
 記事の履歴を見てみると、やっぱり記事にコメントがつくようになった六月ごろから猛烈な勢いで投稿記事数が増え始めています。読んでいる側にすればどうとも思わないかもしれませんが、書いてる側にするとコメントがつくとやっぱりうれしいものです。またこの辺が通り一遍等の新聞やテレビには真似できない、敢えて言うとしたらブログジャーナリズムの利点であり、私の記事でもブログでのコメントや質問を基にした記事が非常にいい内容の記事にまとまっていたりします。

 もっとも、今言った双方向コミュニケーションによるブログジャーナリズムですが、それを本職としている方々は商業上、ほとんど崩れ去っているようです。

「Web2.0」ビジネスって結局、ぜんぜん儲からないの?(YAHOOニュース)

 リンクに貼ったのは今日出たニュース記事ですが、一時は「WEB2.0」が流行語ともなり、新しいビジネスモデルだと持て囃されたにもかかわらず、この分野のサービスを行っている企業、代表的なのはニコニコ動画とかミクシですが、一定の人気があるにもかかわらず儲かっていないという内容が紹介されています。
 もともとこのWEB2.0の定義を私の解釈で説明すると、2ちゃんねるの「電車男」のようにネット上で皆であれこれ言い合ったり、交流しあったりすることによって自動的に客を呼び込むコンテンツをできあがっては何もせずに儲かる、といったような概念で、事業者側はそうやって交流する人間を呼び込むステージ、2ちゃんねるなら掲示板でゲーム会社ならネットゲームを作ることが大事だという経済話だったのですが、なんか聞くところによる我が家の宿敵である電通も、ネット上で擬似生活を体験する「セカンドライフ」とか言うのを作ったらしいですが、見事にこけたそうです。

 私に言わせるとWEB2.0が成り立つにはやっぱり、最低でも中心に一人は広く人をひきつける人間が必要だと思います。電車男なら主人公みたいに。私は別にこのブログで金儲けしようとは考えていませんが、双方向コンテンツで儲けようというのはやっぱり並大抵のものではないと思います。

 ここで話は変わりますが、本店の「ブロガー」の方はともかく、出張所の「FC2ブログ」の方では記事ごとに「拍手」といって、内容を評価した読者が押すボタンがあります。アクセスカウンターを見るとこのところは毎日30人弱の人が見に来てくれているようでそれだけでも非常にありがたいのですが、それとともに増えてきたこの拍手ボタンの履歴も見るのが毎日の楽しみになってきています。

 それで履歴をみてみるとやはり拍手がよく集まる記事というものはあり、ここ一ヶ月で見るなら「文化大革命とは~その六、紅衛兵~」が6拍手と、同じ連載の他の記事と比べても不思議なくらいに拍手数が集まっています。確かにこの記事は私自身も力を入れて書いた記事なので、それが評価してもらえてると思うととても光栄に思えます。ただ欲を言えば、この連載で一番苦労したのは「文化大革命とは~その五、毛沢東思想~」で、本音を言えばこっちの方をもっと評価してもらいたかったなぁという気持ちがあります。だって、こんだけ毛沢東思想について噛み砕いた説明ってあんまりないと思うし。

2008年10月21日火曜日

極寒、信楽サイクリングツアー

 またちょっと気軽に構えられる記事でも書こうと思います。

 数年前のある日、親父の単身赴任先である名古屋に遊びに行っていた私はそのまま親父の運転する車で名古屋から当時住んでいた京都府の下宿へと帰っていました。当時は連休があればちょくちょく名古屋に遊びに行っており京都へ帰るルートも親父とあれこれ研究していて、一回は直線距離を試してみようということでその日は滋賀県の信楽を通って京都へ入るルートを走っていました。
 すると意外にもこのルートは途中の道路はよく整備されており、また他の乗用車が少なくこれまでのどのルートより早く京都に帰ることが出来ました。ですがその帰路の際に私が着目したのはそんな時間の短さより、
「自転車でもこれそうだ」
 という一点でした。

 途中に坂とかがありますが基本的に一本道ですし、道路も舗装されているので恐らくその時の京都の下宿から自転車で行って当日中に往復することが可能だろうという見切りをつけました。サイクリングが趣味の私としてはいける範囲ならどこまでも、なおかつあまり試したことのない、他の人が行きそうにない場所を好んで当時は行きたがっていましたので、下宿に帰宅するや早速京都府の地図を開いて改めてルートを確認し、来るべき挑戦日となる週末を待ちました。
 しかし行くとしても毎回一人というのはなんです。連れがいればもっと楽しいでしょうが、こんな強行軍についてこれる奴は周りにいるのかと考えてみました。来る奴がいるなら連れてってみたいと思いながら決行日の前日を迎えたところ、うまい具合にいい獲物が自らやってきました。

「やっほー、花園君おる?」

 そういって私の部屋を訪ねてきたのは私と同じ下宿に住む、四国の田舎からやってきたやけに背の高い友人でした。確かその時は貸してた本か何かを返しに私の部屋に来たと思うのですが、いつもどおりに部屋に上がらせてお茶を飲ませて、明日サイクリングに行くが一緒に来るかと誘ったところ、「どうせ暇やし、ええよ」というので、パートナーも無事見つかり予定通りに作戦を決行するに至りました。

 その日の朝早く、私と友人はお互いの自転車に乗り込むと颯爽と下宿を出発しました。ちなみにその際に私が使用した自転車は通常の二万円で買ったシティサイクルでギアも三段変形という、装備については至ってノーマルな自転車でした。それでもよく走ったし、多分総走行距離は1000キロは越えてたと思う。
 スタート当初、友人の自転車のサドルがちょっと低いように思ったので途中で停めて上げてやったのですが、私は基本的に自転車のサドルは高ければ高いほどいい派で、停車時に地面に足がつく範囲で可能な限り上げています。それを友人の自転車にも施したところ、確かによく走るようにはなったらしいですがサドルを上げた分ケツが痛くなったと後に友人は述べています。

 さてそんなもんでスタートから約5キロくらい走るとだんだんと歩道がなくなって山道へと入っていきちょうど滋賀県と京都府の県境のあたりですから道路は舗装されているとはいえ、長い上り坂の山越えをするような道になって行きました。私自身はこういった道に慣れていたのですが友人はどうなのだろうという心配があり尋ねたところ、「いや、高知のばあちゃん家に行くのって大体こんなもんやから平気やで」と言うので安心しました。グッジョブ、田舎人。

 とはいえ、やっぱり県をまたぐ際はお互いに苦労しました。延々と上り坂が続いた上に歩道はなく、事実上車道の上で自動車に接近されながらギコギコちょっとずつ漕いで行くような感じです。トラックなんかもよく後ろから来て、当たりはしないだろうと思いながらも、邪魔にならないように端に寄せて上り坂を登るのは少し大変でした。

 そうして何とか県境を越えて滋賀県に入った頃になると、今度は道路幅が極端に狭くなりはしたものの通る自動車の数が減って走行上は非常に楽になりました。ただ道路脇に設置されていた温度計の表示を見ると、気温は一度と表示されていました。
 時節も一月で非常に寒い日で、その日は分厚い雲がどんよりと覆っていて日光も一切差していませんでした。普通なら相当寒い日になるのでしょうが、逆に自転車乗りとしては走っているとどんどんと体温が上がる一方なので、冷えやすい手を覆う手袋さえしていればこれくらいの気温の方が全然走りやすいものです。案の定私たちも、途中で「暑い」という理由から上着を脱いで走ってました。

 そうして滋賀県を走っているとさらに山の中へと入っていき、いつしか周りには何もなく、ただ木々が生い茂る深い山の中、妙に整備の行き届いている道路を二人で延々と自転車をこぎ続けました。そうしてこいでいると、
「おわっ、雪や!」
 空からちらほらと、寒いとは思っていたものの雪が降り始めてきました。それほどの降雪量ではなかったのでスリップ等の心配はなかったのですが、えらい日にサイクリングしているなとひとりでに笑えてきました。

 ルート全体で見ると県境の山が一番勾配がきつかったのですが、ちょうど信楽に入る前当たりからそこそこの坂を上ったり降りたりする道になっていったので、無駄な体力を使わないように上り坂では二人とも自転車を降りてゆっくりと手押しで行く作戦に出るようになりました。結果的に言うとこれが大当たりして、確かに自転車を降りる分速度は遅くなるのですが、その分をすぐに下り坂で取り返せる上に降りて歩いている間は休むことが出来るので後半は体力的にも余裕を持て余して走ることが出来、そうこうしているうちについに信楽へと到着しました。

 確か到着したのは11時過ぎくらいで、現地の焼肉屋に入っていつもはそんなに贅沢しないのに確か1500円の焼肉ランチをお互いに頼んで食べました。当時の私は一切外食はせずに一食あたりの平均が200円くらいケチった生活をしていたのですが、信楽までこれたという達成感と友人がいることからこの日は奮発しました。なお、この時の走行距離は片道で大体30キロ強です。

 昼食を食べ終え、しばらく信楽の焼き物狸を観賞した後に私たちは帰還へと入りました。往路と違って復路だと一回はルートを通っていることもあり、また往路同様に上り坂を手押しで行ったので非常にスムーズに帰ることが出来ました。また帰る途中、往路に苦しんだ県境の坂を今度は逆に下りでものすごいスピード(多分時速40キロは出てた)で駆け下り、ちょうど降りた先にお茶屋さんがあったので休憩を兼ねて寄って行きました。

 よく車と違って自転車はお金のかからない乗り物だと言われますが、金がかからない分、短距離ならまだしも長距離の運転だと途中から滅茶苦茶おなかが減る乗り物です。実際に長距離を乗り終えた後に私はバナナを一房丸ごと食べて、その上でお菓子とかパンをがっついたこともあり、そういった食事量を考えると思われているほど安くはないと思います。
 なもんだから、馬鹿なので私はこの時にお茶屋さんでまた贅沢して抹茶パフェなんて頼んじゃいました。なおこの時もまだ外では雪が降り続けてます。

 最初は笑って友人(彼は確かぜんざいを食べてた)と談笑していたものの、食べ終えた辺りから店内にいながらも猛烈に寒くなってきて、そのため店員のおばさんに無料の熱いお茶を何度ももらっては体を温めているとそのおばさんから、
「今日は寒いですからね。バイクで来られたんですか?」
「いいえ、自転車です」
「えっ!? それじゃあ寒いわねぇ」
 と言われました。実際、往路ほど坂を上らないので復路は滅茶苦茶寒かったです。そんなこんなして大体昼の三時くらいに、無事下宿に帰ることが出来ました。

 時間的にも走行的にも予定通りにほぼパーフェクトで、なおかつ景観のいい渓谷を通ってきたもんだから、下宿についた後もしばらくテンションが高いまんまでした。なのでそのまま同じ下宿のまた別の友人の家に行って、「信楽行ってきたぜ!」って妙な自慢までしました。その友人はというと、急に来られたのですごいびっくりしたと言ってました。

 その後は一緒に行った友人と別れて、ゆったりとした日曜の夕方を下宿で過ごしました。
 ちょうどこの時期はいろいろいけるもんだから私は自転車であちこちを回り、一つのベンチマークとして自転車での琵琶湖一周も一日で行ったりしていますが、一番楽しいサイクリングといったらやっぱりこの信楽の例を絶対に挙げています。また機会があればやってみたいものですが、ついてくる友人とかいるかなぁ。

 自分で書いてて、自分の体験は読み返してみても面白い話が多いのですが、以前に独自に書いた中国での一年間の留学体験記や高校生時代の夏休み日記などくくりがあるものは自分でまとめているのですが、こういう単発の話はそれだけではまとめづらいので、きっとブログとかじゃないと私も多分一生書かないだろうと思います。今後も、折に触れてこういう話を書いていきたいものです。

2008年10月20日月曜日

プラトンのイデア論

 うあー……藤川が打たれた。もうこりゃ中日の勝ちかなぁ。
 と、阪神対中日の九回の表を見ながらこの記事を書いてます。ぶっちゃけ、かなりテンション落ちたけど。
 本店の方のコメント欄で、脳の中で認識する世界と、万物にとって平等な外界世界についてのコメントがあったので、ちょっと今日はそれに関係するかもしれない話を紹介します。

 さて、早速ですがプラトンという哲学者は皆さんご存知でしょうか。あのアリストテレスの師匠で、ソクラテスの弟子でもあるギリシャ哲学の三巨頭の一人ですが、ただ日本では割とアリストテレスが好まれ、その後でソクラテス続くので私が見ている限りこのプラトンはちょっと影が薄い気がします。
 しかし私の留学時代の相部屋のパートナーだったルーマニア人はこのプラトンが大好きで、自らもプラトンの主張したイデア主義者だと自称してやみませんでした。

 それで彼が主張したこのイデア主義ですが、これは間の意識に関する考え方の一つのモデルです。まずはたとえ話からはじめます。
 ある日Aという人がBという人に、昨日食べたりんごがとてもおいしかったと話をしました。この時Aの頭の中には昨日食べたりんごが浮かんでいるのですが、話を聞くBはもちろんその実物のりんごを見たことがあるわけありません。しかし話を聞くBの頭の中には全くりんごが浮かんでいないわけではなく、Bの中にも別のりんごのイメージが出てきます。そのりんごのイメージは明らかにAが食べたりんごとは間違いなく一致しないはずです。ですがそんなイメージでもBは、「すっぱいりんごだったの?」と言い返しては、会話を成り立たせることが出来ます。

 何故、このように実物を目の前にしていないにもかかわらず、両者の意識の中では概念的に同じりんごが浮かび、またそのイメージがお互いの「りんご」という情報に一致するのでしょうか。ものの捉え方や見方というのは人それぞれですが会話の中に出てくる今回のりんごはもとより、今こうして私がスコップと言えば読者の方にはスコップのイメージが現れると思いますが、何故皆そんなあやふやな共通するイメージで互いの情報を一致させたり、認識を合わせることが出来るのでしょうか。

 この疑問についてプラトンは先ほどのりんごの例だと、まず前提として「完全な形のりんご」があるに違いないとおきました。人間はその「完全な形のりんご」、つまり「Ideal apple」を誰もが一度は見ているため、誰がりんごといってもみな即時に認知を同じくすることが出来るのだと説明しました。
 それではその完全な形を人はどこで見たのかと言うとプラトンは、人間がこの世に肉体を受けて生まれる前の魂の状態はちょうど一つの洞窟にみんなで入っているような状態だとして、そこではあらゆる情報が共通化されており、そこで完全な形を見てから洞窟を出るような具合でこの世に生を受けるという風に主張しました。

 この考えはちょっと応用するなら心理学者のユングが、人間には生物として共通した心理があるため、世界のあらゆる文化の神話がどことなく似たような話になるのは自然なことだとして、そんな心理を「始的心理」と呼んだ話に近いような気もします。また生まれる前の人間の魂が一箇所に集まる集合意識の海のような場所があり、生まれる人間の魂だけがそこからひょいと引き抜かれるというインド哲学のなんかの話にも通じています。
 どちらにしろこの説は人間の意識にはそれぞれ独立した「魂」が、攻殻機動隊でいうなら「ゴースト」あることが前提なので、私はあまりこの説に沿う考えをしていません。私なんて人間には魂がないという、人間の意識はすべて脳の電気信号反応だという説の大の主張者でもありますし。

 ただもし本当に「ゴースト」があるというのなら、生まれる前の魂はどこにあるかというと、この「集合意識の海」という言葉にすごい惹かれます。具体的な理由がないまま惹かれるので、これまたあっちの言葉を使うなら「私のゴーストが囁くのよ!」といったところでしょうか。でもって、阪神はやっぱり負けちゃいました。

2008年10月19日日曜日

公明党、矢野絢也問題について

 テレビなどではよく取り上げられていますが、あまり細かい解説がないのでちょっと引用という形でこの矢野絢也氏の問題を解説します。

 このところの国会政局に絡む解説番組でよく、「公明党としては元公明党委員長の矢野絢也氏を国会に参考人招致したくないため、解散の時期などで自民党と衝突している」という解説がなされるようになりました。この矢野絢也氏が何故参考人招致が取り沙汰されるようになったのかと言うと、単純に言って矢野氏と公明党、ひいてはその支持母体の創価学会の関係がここ数年で一挙にこじれたためにあります。

 私がこの問題のあらましを知ったは数ヶ月前の文芸春秋での矢野氏の独白からですが、その記事によると矢野氏は政界を引退した後、政治評論家として幾度かテレビ番組などに出演をしていたようです。まぁこういう活動は別段珍しいわけではなく、本人も何か特別なことをしていたつもりはないそうで、その時事問題ごとに発言をしていたようです。

 ところがある日に公明党の事務所に矢野氏が呼ばれるや、突然テレビ出演などの活動をやめるようにと言われたそうです。公明党側が言うには、過去に出た番組内の発言が公明党を貶めるものと受け取られ、それについて創価学会の青年部の人間が激怒しているとのことです。これに対して矢野氏はこれまで公明党や創価学会についてそのような発言をしたことはないという弁論をするのですが、その後青年部の人間たちの前につれてこられると、その場で激しく罵倒された挙句、議員時代から使っていた様々なメモのある手帳を取り上げられたそうです。

 現在、この取り上げられた手帳を返却するようにと矢野氏が請求しており、公明党側は自発的にこちらに譲られたものだと対立し、この点を争うために裁判が行われています。これに目をつけたのが民主党で、一連の矢野氏に対する公明党の行為は言論封殺に当たるとして、矢野氏を国会に参考人招致することによって攻撃材料にしようと画策しているのが、この問題の大まかなあらましです。
 もっとも、飯島勲氏によるとこの民主党の考えは政策論的な問題ではなく、あくまで政局の材料としてだけこの問題を使おうとしているとして、あまり評価をしておりません。

 私が見ているとどうもこの参考人招致問題自体はよく取り上げられますが、問題の中身についてはテレビ番組などでは解説に歯切れが悪くなっているように見えます。まぁ相手が相手というのもわかりますが、ちょっと解説が足りないと思ったのでこの場で私がやってみることにしました。

 ついでにまた紹介しておくと、公明党は国民新党の亀井議員に対して、もしこの矢野氏の参考人招致に賛成しないというのなら次の選挙時に、創価学会を使って国民新党の選挙応援をするとまで言ってきたそうです。こんな話をばらす亀井静香もなぁ……。

技術大国日本は何故出来たか

 久々にオリジナルで、かつ質の高いレア情報を書きます。今回の話は昨日の記事にも通じる内容です。

 日本は70年代から技術大国と言われて久しく、自動車業界から精密機械に至るまで幅広い産業において世界的にも高い技術を持っていると言われております。しかしその一方で高校生の物理選択者は減る一方で、また大学の理系学部も教育の質や志望者の低下に歯止めがかからず、国としても「ものつくり大国日本」という標語を打ち出しなんとか技術面での復権を画策していますが、なかなかうまく行っていないのが現状です。しかも状況はなおまずいことに、長い間技術を蓄積していた技術者たちがここ数年で定年による大量退職をし始め、技術の継承が現役世代になかなか行われず、このままではいたずらに育て上げた技術が失われていく一方だという危惧もされています。

 では何故かつての日本は技術大国と呼ばれるまでに技術者の質が向上したのでしょうか。一つ今の日本の問題の解決法を探る上で、ちょっとここで一つ歴史の話を紹介します。
 現在、日本が誇る技術産業とくれば誰の目にも自動車産業が筆頭だと言われていますが、何故日本で、更に先の話をするとドイツでも自動車産業が戦後に急成長をしたのかですが、現在言われている中で最も強い説は軍需産業からの転換があったからだと言われています。

 戦前の日本ははっきり言ってアメリカとの戦争のためだけに国が機能し、技術者もそのために数多く育成されて兵器となる航空機の生産も国を挙げて行っていました。ですが日本が敗戦した後、二度と軍事国家化させまいというのと航空機産業で独占をもくろんでいたアメリカの指導の下で、日本は航空機の製造、開発を大幅に制限されることとなりました。その際、それまで航空機を製造していた技術者はどうなったのかと言うとここまで言えばわかると思いますが、その大半は自動車産業へと移り、そこで自動車の製造、開発を行うようになっていったそうなのです。

 これはドイツでもほぼ同じ状況が起こっており、その結果現在の日独は航空機の開発自体はアメリカに遠く及ばないまでも、自動車産業の技術においては世界でもトップ二強という地位を確立するに至ったのです。また自動車産業に限らずとも、現在日本が世界に誇る新幹線の開発においても戦前の航空機技術者が数多く参加しており、広範囲にわたって戦前に育成された技術者が生きたと言われています。

 このように技術立国日本が出来た背景には戦争目的とはいえ、非常に高度な技術者の育成があったことが大きな理由と言われており、私自身もその説を支持します。では教育を充実させればまた技術大国の座を維持できるのかと言うのかですが、私は現状の日本政府の方針はそれほど効果は出さないと考えています。その理由というのも、戦前の育成と比べると現在の教育には大きな差があるように思えるからです。そういう風に思うのも、実は私自身が直接に戦前に育成された元技術者の方に話を聞く機会があったからです。

 その元技術者のプロフィールを簡単に紹介すると、私がアルバイトしていた喫茶店のマスターです。御年八十歳を越える方で今もなお健在しております。
 このマスターは戦前、高校を卒業すると同時に現在の日立に就職し、そこで偵察航空機の設計に関わっていたそうです。この時の話を詳しく伺うと、なんでも高校時代にも相当な勉強を強制され(その学校では成績順に席順が決まるほどだったようです)、高校を卒業してようやく勉強から開放されたかと思ったら就職先でもまた勉強、しかも航空機の設計に関わる内容をものすごい詰め込みで行ったそうです。この辺は詳しく聞いてはいないのですが、どうも成績で上位でなければひどい仕事場に回されそうだったとのことで、必死で設計に入れるようにこの時勉強したそうです。この時の勉強時間は文字通り昼も夜もないほどで、夜には宿舎の明かりは強制的に消灯されるのでしょうがないからトイレの明かりで勉強しようと向かったら、そこには既に先客がいて勉強をしており、「この時はさすがに参った」と思ったそうです。

 しかしその甲斐あってマスターは航空機の設計に関わる部門に配置されました。ところがそこでも万事が万事大変で、設計して航空機を作ろうにもまず材料がほとんどない。この辺についてはマスターの話を直接引用することにします。

「とにかく、ありあわせの材料で製造するのだからそれで実際に飛ぶだけでも相当凄いことなんだよ。しかし、やはり十機に一機は飛行中に空中分解を起こしてしまい、その際には搭乗しているパイロットに申し訳ない気持ちでいっぱいだった……」

 この話を聞いた際に私は、戦前は高校卒業したての若者が、文系の私からすると及びもつかないほど難しいと思えるような航空機の設計、製造に関わっていたという事実にまず驚きました。そして同時にこれほどの技術者が第一線ではなく、私のいた喫茶店のような場所にもいたということに、戦前から戦後にかけての技術者の人材量に言葉をなくしました。

 このように、技術大国日本の背景にはそれこそ現在からは考えつかないほどの広範囲かつ質の高い教育が行われていたのです。この事実に比べるなら、現在の教育などそれこそ玉石に比べて路傍の石程度しかないと言っても過言ではなく、今の教育では焼け石に水なのではというのが私の意見です。
 更に言うなら、戦前に行われた技術者の育成と現在の教育において最大の差異とも言えるのが、試作にある気がします。先ほどのマスターの例だと高校を出たての若者が、恐らく他のスタッフも関わっているとはいえ飛行機の設計から実際の製造にまで着手しています。果たして、今の日本で航空機とまでは言わないまでも自動車の設計から製造にまで二十代の大卒の若者が関われるかと言ったら、恐らく全くと言っていいほどないでしょう。もし本当に技術者を育てようと言うのなら、やはりこういった実際に作る試作をどんどんと行わせるべきでしょうし、国も下手なところに金を使うくらいならこういった所へ補助をするべきではないでしょうか。

 最後に、話を聞いた後に私がマスターに聞いた質問とそのやり取りを紹介します。

「マスターは戦後、そのまま技術者としてやっていこうとは思わなかったのですか。誘いはなかったのですか」
「誘いは確かに受けたけど、僕はやっぱり子供の頃から商売人になることが夢だったからね。こうして喫茶店をやっていて後悔はないよ」

2008年10月18日土曜日

大学教育の価値とは、およびその改革法 その二

 ちょっと夜中に自転車を走らせて頭をすっきりさせてきました。そんじゃ気合入れてまた続きを書きます。
 前回の記事では「無駄な大学教育コスト」を社会が負担させないようにする友人の提案を中心に解説しましたが、この記事ではそれを踏まえて私個人の考えを中心にして解説していきます。

 まず、いきなり数字データですが2007年の世代別四年制大学進学率は47.2%です。率直に言って、私はこの数字を25%位まで下げたいのが本音です。
 何故大学進学率を25%まで下げたいのかと言うと、前回の記事でも触れていますが、やはりあまり勉強をする気もないくせに大学に進学する大学生があまりにも多いからです。恐らくそういった方々からすれば、私大なら自分のお金で来ているから自分の買ってじゃないかと思うかもしれませんが、大学には国から助成金が出ており、私大であろうとそういった方々へも日本の税金が使われております。

 はっきり言って、私も学生の頃も周りは何のために大学に来ているのかわからないような人でいっぱいでした。授業には来ないし、出てきても授業中に雑談するわ漫画を読むわで、まだ寝ているだけならともかく雑談の場合は講師の話が聞き取りづらくなるので、それだったら来るなと何度も心中に念じたことがありました。
 中には、大学生活の四年間を過ごすことこそが人間の幅を広げるので何もさせずにほうっておくのが良いと言う方もいると思いますが、何もしないよりはやっぱり勉強するには越したことはないと思います。第一、何もせずに過ごす事が大事ならわざわざ大学に来る必要はないはずです。

 もし大学であまり勉強する気がないというのならば、私はやっぱり就職して一旦社会に出てみることのほうがその方にとって進学するよりずっと価値が高いと思います。というのも就職することによって現場で職業訓練が行えるだけでなく、外から大学での教育についても見ることが出来、大学で勉強する意味というものがよくわかるようになると思うからです。こういうのも、実際に大学を卒業して就職をした方から卒業してからいろいろ大学で勉強してみたくなったと言う人が非常に多く、私自身こういう人を実際に数多く見ています。
 もし就職しても大学で勉強する気が起きないと言うのなら、それはそれでそのままその仕事を続けた方が前回にも書いたように労働力的にも、また職業への自己研鑽という意味でも当人にとって良いように思えます。無理にやりたくない勉強をするくらいなら、今行っている仕事に精通することの方が将来的にも可能性が広がると考えるからです。

 ただこういう話をすると、やはり一番ネックになるのは大卒でないと最初の就職に厳しくなるのはおろか、将来の収入も大卒者と比較して高卒者では低くなってしまうという事実です。ですがこうした状況がある限り、日本は「無駄な教育コスト」を社会が支払い続けてしまうので、前回に友人が打ち出した「職種別採用」を行い、一部の職種を「高卒限定」と枠をくくることで住み分けを行うべきだと思います。

 実は友人からのメールには、前回に書いた職種別採用の項目は、「一般職は高卒採用にする」とだけしか書かれていなかったのですが、敢えて私は「高卒限定」と、限定の二文字を入れました。こうすることによって高卒者に一定の就職枠を確保することが友人の主張に沿うことになると思うのと、ある現実の事実に適合すると考えたからです。その事実というのも、地方公務員の高卒採用です。

 現在、どこの地方も公務員の採用枠には雇用保全の目的で高卒枠というのが設けられています。これは高校卒業者限定で大卒者は受けることが出来ず、大体18歳から22歳の方しか採用試験に受験できない枠のことです。やはり高卒だと就職でいろいろハンデがあることから地方自治体に設けられた枠なのですが、大卒を含む通常の公務員試験より倍率や敷居が低いことから、以前には本当は大卒であるのにその履歴を黙って受験するものが後を絶たず、大阪では100人以上もそういう人が調べたら出てきたことがありました。

 しかしこの高卒枠というのは考えとしては非常に面白く、また18歳から採用するにしても22歳になる頃には四年のキャリアが詰まれるので、下手な22歳で入ってくる大卒より業務において同じ年であってもずっと熟練しているはずです。実際、公務員の仕事なんて大学で何を学んだかよりは仕事をした年数の方が能率や作業内容にずっと影響するはずでしょうから、この際地方公務員には大卒は一人も入れなくても良いんじゃないかとすら思います。

 という具合で、将来の収入についてはまだこれからいくらでも改革ができるため、まずは高卒での採用枠を確保することが重要だと私は考えます。こうすることによって就職のためだけと考え無駄にやってくる大学生を減らせて、無駄な助成金も本来必要なところに回して、労働力的にも全部が全部プラスになると私は考えます。それがために、最初に言ったように私は日本の大学進学率を25%くらいにまで下げるべきだと考えるのです。

 本来、大学は学びを志すもののためにあるものです。しかし私の高校時代にも平然と、「大学で遊びたいから進学する」と言ってのける人間もいるように、今の状況はふざけた人を食わすために真面目な人が損をしているような状況だと思います。こうした状況を打破するために、友人の言う改革やそれに準じたものが今必要なのではないかと私も思います。

 なんか、この記事の文章はえらく脈絡のない文章になってて我ながらびっくりです。まるで自分の文章に思えないほどで、疲れてるのかもしれません(;゚Д゚)

大学教育の価値とは、およびその改革法 その一

 昨日友人から面白い提言があったので、今日はその点についてあれこれ煮詰めてみようと思います。久々に力のいる記事になりそうです。

 まずその友人の主張している内容を大まかに言うと、日本の大学教育はほとんど「訓練」という効果を果たしておらず、実態的にも経済的にも無駄な損失となっており、それならば就職枠に「高卒採用」に限定する枠を設けてどんどん社会現場で実質的な教育と労働を行う方が社会全体に良いという意見です。

 まず大学教育が効果を果たしていない点についてその友人は、教育の真の目的とは大別すると、学問に通ずるものと一般理論的な道徳の二つの知識を身につけることですが、大学全入時代と言われる日本ではほとんどの大学生は勉強を行っていないのが実体で、大学内でこういった知識は全く習得されずにいると指摘しています。
 ところがこんな勉強しない大学生に対して、日本社会とその両親は受験のための予備校費用から入学後の高い学費に至るまで何百万、人によっては一千万円を越えるお金をかけて大学へ通わせます。ですがそうして大きな金額をかけたにもかかわらず、日本の大学生はそれだけの投資に見合う働きを社会人となった後にその働きで発揮しているかと言えば非常に疑問です。

 たとえば今では非常に高卒の採用枠が減らされて、スーパーの店員などに代表される一般職も一応大卒でなければなかなか得辛くなっていますが、そういった一般職はわざわざ大卒者でなければ出来ない仕事ではありません。これがもし高卒の段階で採用されるというのならば、その人間が大学でかかる費用は丸々浮いてその分を別のものへの消費へと回すことが出来、また労働力と言う面でも大卒時採用の場合と比べて四年も多く働くことが出来、同様に職業訓練も四年も早まるということになります。
 このように本来社会全体の価値を高めるはずの大学教育が、逆に社会全体に対して無駄遣いを行わせていると友人は主張しています。

 こうした友人の意見に対して私はと言うと、実は同じような考えを以前からずっと持っていました。
 私自身周りにあまりにも勉強しない学生が多くいるということに以前よりずっと腹立たしく思ってましたし、よく産官連携教育とは言いますが、実質的に大学の教育は企業現場では全く役に立たない知識が多いのは昔からです。またそうして教育を受けて得た知識に適合する職種に必ずつけるかと言ったら、今の世の中ではまず持って簡単には行かないでしょう。

 もちろん大学はそのような即戦力的な知識だけを教える場ではなく、思想を広げ思考力をつけるような、友人の言を借りるなら「一般理論的な道徳」を身につける場所でもあってそういった教育を疎かにするべきではないのは当然ですが、それにしても今の大学の状況ではこういった教育すらもほとんど行われておらず、また学生の側も率先してこういった勉強を行っているとは言えないと、これについては私から断言しておきます。

 こうした状況だと、友人は社会に大きな弊害があると指摘しています。その弊害というのも、企業が社員の採用において実際にどんな知識を持っているかや思考力をどれだけ持っているかを問わない上に、大卒の肩書きがなければほとんど採用を行わないために日本人は大学に行かなければならず、子供を持つ両親としても家計を圧迫するような多大な学費を払わねばならなくなります。しかしそれで大学にいく子供はというと大学ではほとんど勉強しないため、実質その学費は無駄に消えていくことになる、というような弊害です。

 こういった弊害を減らすために、友人は以下の五段階の提案策も用意してくれました。

①職種の分別化
 これはイギリスの制度を参考にしているらしく、職業を大まかに職種別に分別する方法です。
 たとえば「管理職」、「自営業社長」、「ホワイトカラー技術系」、「ホワイトカラー事務系」、「ブルーカラー技術系」、「販売員」「掃除のおっさん」などというように職種別に分類します。なんでも、実際にイギリスは国が職業にランクをつけているそうです。

②職種別採用の実施
 ①で分けた職種ごとに、企業は独立した採用を行います。
 例えば大企業製造業であれば、理系研究職と開発職に当たる上記の「ホワイトカラー技術系」には専門的な大学教育を受けてきた者だけを採用し、その他の設計や設置といった作業を行う「ブルーカラー技術系」には高専などの出身者に採用を限定します。また現在の日本の「文系総合職」、上記の「ホワイトカラー事務系」と「販売員」に当たるくくりの採用には採用者の半分を高卒採用に限定し、さらに一般職に至ってはすべて高卒採用に限定するようにします。

 こうすることによって大半の職種の就職において大卒の肩書きが必要なくなるので、特に勉強したいからというわけではなく将来の就職のためにしょうがないから大学に行くというような無駄な教育を受ける者が減り、敢えてここで名づけるなら「無駄な教育コスト」を社会全体で大幅に削減できることになります。友人に言わせるなら、「販売員とかそういうランクの低い職に大卒を求めてはいけない」ということで、まぁいいたこともやりたいことも大体理解できる話です。

③大学の統廃合の実施
 大学生自体を減らさなくてはならないので、高い教育効果の望めない大学を数的には今の半分ほどになるまで片っ端から潰していき、その大学に与えられていた国からの助成金を残った大学へと分配します。

④初等教育の充実化
 予備校などの費用が大きくかかるようになった現状を踏まえ、教育業界に頼らなくても自ら勉学に励む意志があれば勉強できる環境を整え、真に勉学の志の高い人間が大学にこれるように促します。

⑤学問を学べる場所として、非選抜制の大学の設置
 やる気と志がある人間に対してその意思に答える形で教育を行えるよう、恐らく欧米の社会人大学のような場所を意識しているのだと思います。こうした場所には、まずそこでの教育が社会的にも認められるもので、また個人の学問的追及の場としての機能が優先される場所であることが条件です。

 と、いうのが友人の大体の考えです。それにしても、他人の考えを文章にまとめなおすのって結構手間がかかるなぁ。

 最後に友人は、「学歴社会の観点から、貧乏でも学校行けるようにする」と述べており、そうした観点から今回の話を考えたのだと思います。私としてもやる気のない人間が大学に来ているというのは見ているだけでも腹立たしかったですし、病気や学費の面でなかなか大学に行きたくとも通えない人間を何人か見ているので、こうした改革をそのままやらないとしても、何かしら行わねばならないと思います。
 細かい解説については予想以上にこの記事が長くなっているので、次回にまた行います。

2008年10月17日金曜日

夕方のアニメがなくなったことについて

 私が子供の頃、月曜から金曜の五時半からはフジテレビなどでアニメが放送されていました。そのアニメというのはどれも新たに作られたものではな、基本的には再放送が順次流れ、私が覚えているのでよく見たのは「ドラゴンボール」、「シティーハンター」、「キテレツ大百科」、「ちびまるこ」、今はリニュアール版が放映されている「ヤッターマン」などでした。
 そのため友達と遊んでいても、こっちのアニメの方が気になるから大体五時半くらいで解散して、アニメを見るためにいちいち家に戻っていました。しかし現在ではこの時間帯のアニメはおろか、再放送すらほとんど行われていません。私が子供だった頃は火曜の夜にもサザエさんが放映していたのですが。

 こういったアニメの再放送がなくなったのは、あくまで私の予想ですが、恐らくDVDの売り上げを見込むために意図的に放送されなくなったのが事実でしょう。たとえばさっきに挙げた「ドラゴンボール」、今でこそDVDはありますが昔はもちろんありませんでした。そのため一度放送したっきりにするよりかは再放送をして、新たに視聴者となる子供を増やした方がテレビ局や集英社にとっておもちゃの販売収入が増えるため、今だと大盤振る舞いとも思えるくらいにガンガンと再放送が行われました。
 ですが今だとDVDの売り上げの方が大きくなっているので、下手に再放送するくらいなら「見たい人はDVDを買ってね!」としたほうが儲けが大きくなります。逆に言うと、再放送するとそういった潜在的な購買者がDVDを買わずに再放送を見るので、売り上げが落ち込んでしまいます。恐らく、こんな感じの理由で再放送というカテゴリーは、日本の放送業界からなくなってしまったのだと思います。

 これは何もアニメだけに限るわけではありません。一般のお笑い番組から過去のドラマに至るまで、今ではDVDの販売収入を当て込むために一切再放送は行われません。もし行うとしたら「踊る大走査線」のように新作映画が公開される直前に、俄かファンを獲得するために深夜などでどばっと放送するくらいでしょう。テレビ局側としたら、ただでさえ先細っている放送収入の中から少しでも収入を増やそうとする工夫のつもりなのかもしれません。

 もちろんこういったテレビ局の考え方も非常に理解できます。売り上げを伸ばすためにダイヤモンドも世界で生産調整がなされて、わざと少ない量を流通させて価格を維持していると言いますし、再放送をしないといってテレビ局が悪いと言うつもりはありません。
 しかし私は再放送がなくなったことについて、DVDの販売収入以上に別の損失がテレビ局にかかっているのではないかと個人的に思います。というのも最初のアニメの例だと、過去の番組の再放送をしないことによって世代の隔絶が起こり、別の見方をするとその作品に新たなファンが生まれなくなってしまいます。ファンが多ければグッズの販売収入はもとより、再放送されるが出来ればいつでも見られるようにしたいとわざわざDVDを買う人間も増える可能性があります。そして何より、その作品の続編や関連作品が出た場合は、そうして増やしてきた過去のファンの数が売り上げに大きく影響してきます。

 こうしたファン数の増加に歯止めがかかるだけでなく、再放送は番組制作費の節約にもつながります。よく考えてみてください。過去の番組の再放送が本来される時間に再放送がなくなると、その時間にテレビはなにを報道するのでしょうか。言うまでもなく、新たな番組を作って放送しなくてはなりません。
 現在夕方などにはこうした時間帯をニュース番組で潰していますが、明らかにどうでもいい情報の垂れ流しで、こんなのやるくらいなら昔の面白い番組を流した方が見るのにとすら思うような内容です。実際、昔は番組の制作が全時間の放送に追いつかないために再放送が活用されていました。

 うちのお袋などは、昔は夕方にアニメが放映されると子供はテレビに釘付けになるので、夕食の準備をする親の側からすると子供の相手をしなくて済むので非常に助かってたと言っています。また私個人の意見としても、自分たちの子供の頃はそうやって毎日夕方にアニメが見れて非常に楽しい思いをしたのに、今の子供たちはそういったものもなく、また再放送という楽しみすらなくなったことに深く同情します。まぁこう思うのも、自分が年をとってきた証なのかもしれません。

2008年10月16日木曜日

民主党とマルチ商法連盟の癒着について

 なんか今日も日経平均の株価が1000円以上も下がりましたね。前の記事で、「もう一回は大幅な下落がある」と言ったのが少なくとも嘘にならなくてほっとしています。これだから予想屋はやめられない。

 それで本題ですが、本日午後にマルチ商法を業種とする会社の組合、「ネットワークビジネス連盟」に所属する企業、それも法律違反を犯したところから献金を受けていた民主党の前田議員が民主党を離党、そして次の選挙での不出馬宣言と、事実上の政界引退を発表しました。当初はちょっと不適切だったかもと言って献金された金額を返して議員活動を続けると主張してたがの一転、一挙に表舞台から去るまでになり、この背景にあるのはまず間違いなく選挙前ということで、民主党としてもイメージを回復するために小沢党首直々に切ったというのが事実でしょう。まぁマルチ商法の企業はほぼ間違いなく犯罪集団だし、早々に処分を下したのは民主党として悪い判断ではないのですが、先月の失言で自認した中山元国交大臣と比べると、ちょっと潔くなかったなぁと個人的に思います。

 さてこれで問題が片付けば民主党にとっては願ったり叶ったりでしょうが、どうも事態はこれだけで片付くようにはならなくなってきました。昨日のニュース23にてこの問題が取り上げられた際、なかなか面白いVTRが流れてきました。
 なんと民主党の国会対策委員長、非常に力のあるポストですがこのポストにいる山岡賢次議員がこのネットワークビジネス連盟の主催する会にて講演をしていたのです。しかもまずいことに、その公園の様子がビデオに残されてちゃってて、昨日のニュース23で放送までされてしまいました。

 そのVTRの中で山岡議員は、この業種は非常に未来のある業種だからなどと言ってはその有用性を訴えており、TBSがこの件で何故こんな会で講演したのかという質問に対し、「こうした業界の企業だと知らなかった」と返していますが、普通に公演中に業態のことも説明しているシーンもあるので、それは明らかな嘘でしょう。それにしてもこの山岡議員、そのVTRの中で言ってるんですがあの歴史作家の山岡荘八氏の養子だったんですね。こんな姿見たら山岡荘八先生もどう思うんだろう。

 正直に言って、前田議員も山岡議員も小沢党首の側近中の側近です。従来の民主党勢力と言うよりは元自由党勢力で、小沢氏の近辺でこうも事件が明るみになると民主党内でも結構問題が大きくなっていくと思います。特に山岡議員に至っては国対委員長という、自民党とも国会運営の折衝を重ねる非常に重要なポストにいるために、今日の民放のニュースではあまり取り上げられていませんでしたが、もし報道に火がついたら民主党にとって相当な大打撃になるでしょう。また前田議員のように次のの選挙で辞職を、というように仕向けることも出来ない大物ゆえに、問題が長引くことが予想されます。
 ひとまず、この山岡議員の講演動画まであったので、せっかくだからリンクをつけておきます。

民主党山岡賢次衆議院議員のマルチ商法講演会1(You Tube)

 動画まであるってのにちょっと驚きました。最初はニュース記事くらいでいいかと思ってたら、記事では直接に昨日のニュース23の報道に追いかけたものがなくて逆に驚いちゃいましたけど。
 それにしてもこの民主党とマルチ商法連盟の癒着ですが、前田議員の問題が明るみに出た頃から火元はどこなのかと思ってましたが、これだとやっぱりTBSなんでしょうかね。もしTBSが独自にすっぱ抜いたスクープだったら大したものですけど、やっぱり一番疑わしいのは自民党からのタレコミだと思う……と言いたいのですが、今日になってこれは確かテレビ朝日かな、夕方のニュースでまた面白いのを放映してきました。

野田聖子消費者相もマルチ商法擁護質問(日刊スポーツ)

 さすがにないかなと思ったら、もう速報が出ていました。
 このリンクに貼った記事のように、なんと自民党の野田聖子消費者行政担当大臣が夕方に突然、「昔にマルチ商法を擁護する発言をやっちゃってました」って自分から言い出してきました。
 この野田聖子の発言には率直に言って非常に疑問を感じます。まずこの事実は今日になって突然野田聖子自らが明かしてきましたが、野党からの質問が及んで発言するならともかく、何故言われるまで黙っていなかったのかが疑問なのですが、これは突っ込まれる前に機先を制したつもりなのかもしれません。

 しかしこの野田聖子の発言は恐らく明日の朝のニュースからじわじわと大きく報道され、選挙への影響も軽くは済まないでしょう。なにせマルチ商法に関して消費者保護センターに寄せられる相談で毎年二万件を越すほどで、そんな連中を本来消費者を守るべき担当大臣が「昔、関わってました」と言い出すんですから、どれだけ世の中間違っているんだという話になります。

 それにしてもこのマルチ商法ですが、サラ金と一緒で政治活動は非常に熱心だったのだと呆れさせます。今後この問題がどこまで発展するのか、またどこで終止符が打たれるのか、暇なときにでもゆっくりと観察していこうと思います。

2008年10月15日水曜日

付き合う人間による視野の差

 よくいろんなところで、交流の幅が広いと人間の幅も広がるから良い、どんどんと人と知り合いになれと日本社会は強く勧めますが、ひねくれ者の私はというとこの意見には真っ向から反対です。というのも、やはり社会の中にはどうしようもない人間も数多くおり、そういった人間と付き合うことによって返って自分の視野を狭めてしまうことも少なくないと思うからです。友人の数が多くとも、その友人すべてが均質な価値観を持っていた場合は結局のところ均質な価値観にしか触れることが出来ず、その価値観とは違った価値観や見方というのは徐々に淘汰されていくようにも思えます。
 こんなことを言うのも、実は私の実体験からです。

 現在都市部の学校ではクラス児童の約四割強が行うらしいのですが、当時としては珍しく、私は小学生の頃に中学受験を行って中高一貫の私立中学に進学しました。中高一貫のために言うまでもなく、中学校から高校まで基本的に人間関係は変わらず、ほぼ六年間同じ人間とばかり学校生活をしてきました。それでこの青春時代ですが、はっきり言って今でもあまり思い出したくないほどつまらない時代でした。学校の外では相当むちゃくちゃなことをやって楽しかったのは楽しかったのですが、

 まず人間関係が変わらないということから、社会学的に解釈すると固定的な価値観が徐々に強化されていったように思えます。たとえばうちの学校では月初めの全校朝礼の校歌斉唱の時には皆面倒だから校歌を一切歌わず、ただ前で指揮する音楽の先生一人が頑張って声を張り上げているのが常でした。さすがに中学一年生はまだ歌おうとするのですが、上級生が一切歌わないのを見て大体二学期ごろからは歌わなくなってきます。
 そんなもんだから高校の段階で新たに募集して入ってくる公立中学校から来た外部生なんかは最初、すごい驚いたと皆言ってました。しかし内部生の私たちからするとそれが当然で、他の公立中学校では斉唱がきちんと行われていると言われると逆にびっくりします。

 まぁこの程度なら学校のスクールカラーということで笑って過ごせますが、結構致命的なところまで固定的な価値観が根付いた例もありました。その最大のものが、進学への価値観です。
 基本、中学校から私立中学に入る時点で両親、さらにはその生徒にとっても大学進学をして当たり前という価値観を持っています。そのため大学に入って何をするのか、何を学びたいのか、果てには大学を卒業して何になりたいのかということを無自覚なまでに全く考えようとしません。ただ考えるのは偏差値の高い大学に入り、そこで将来を決めるという漠然な価値観しかありませんでした。

 なので私が意地悪く、「日本の四年制大学進学率はいくらだと思う?」と聞いたりすると、まず間違いなく「八割は越えているでしょ」という回答が帰ってきていました。ちなみに当時の進学率は大体43%くらいで、この数字を挙げると、「日本人は希望すれば誰でも大学にいけると思ってた」とか、「残りの半分の人は大学にも行かないでどうするの?」と言い出す奴までいました。彼らの価値観からすると、行こうと思えば行けるのに大学に行かない人間は怠け者だ、というような価値観を直接的とまでは言いませんがあいまいな形で持っていたように思えます。実際には学費の問題や家庭の事情によって大学にいけない、行き辛いという方もたくさんいるのですが。
 そのため、何かしら専門職を目指して大学に行かずに専門学校や、その道の訓練を受けようという考え方ともなると一切持ち合わせていませんでした。この時点で、青年期の選択という視野が極端に狭くなっていると言えます。

 で、そんな連中が大学に行ったとします。そしたら大学でも似たような境遇のものどうした集められてくるのでまた同じような価値観が共有されてしまい、私の場合ですと、まぁ私は自分で満足できるレベルの大学に進学し、そこで非常に賢い友人らとも巡り会う事が出来たのですが、その友人たちはというと大抵その大学より上位の大学の落第者たちで、こんなしょうもない大学に進学してどうするんだよ俺……ってな具合で、大体入学から半年くらいはみんな劣等感にさいなまされていました。
 現実的な比較だと、私のいた大学は全国でもそこそこ上位の大学にいると思えるのですが、彼らの価値観からすると下位に分類され、私の大学より下位の大学ともなると「行くだけ無駄」と、全国的には中位の大学でも地方の弱小私大と同じ扱いしかしませんでした。

 まぁ私が面倒を見切れる範囲なら「お前の価値観は間違っている!」とばかりにこういった価値観を矯正していったのですが、それでも周囲は常にこういった固定的な価値観というか、「上しか見ない」人ばかりに囲まれていました。上を目指す上昇志向は悪いわけではないのですが、こうした価値観だとどうしても視野が狭くなりがちで、話す意見もどこか浮世離れしたものばかりになっていくように私は思えます。

 私としては大学ではあまりその必要はなかったのですが、中学高校時代はこのままじゃまずいと感じ、ある日を境に必要最低限の人間としか交流しないようにして、その他の人間とはなるべく接触を持たないように一人鎖国をするようになりました。何故この一人鎖国が大学では必要なかったかというと、大学と違って中学高校ではクラスが分けられるので、その狭い範囲で嫌が応にも相手側から接触されるということが多かったからです。逆に大学ではクラスも何もないので、初めから自分が選んだ人間とだけ付き合うことが出来ます。

 しかしそうは言いながらも、私も結局のところ似たような価値観の人間同士で生活していないかという不安が常にありました。もしそうであれば知らず知らずのうちに自分の視野は狭くなる、ならばどうする?
 そうして悩んだ末に行ったのが、人材の捜索と確保です。私の場合は比較的に上ばかり見てる人が最初からいたので、大学内で狙いをつけたのは下から這い上がってきた人間でした。まず最初にとっ捕まえたのは四国の田舎から二浪をして這い上がってきた友人です。この友人なんかだと高校卒業当初は全然私たちのいた大学など狙えるレベルではなかったと自ら言うだけあり、学力の上位と下位の差をよく理解していました。また田舎から来ているので地方格差の問題にも関心が強く、よくこの点でお互いに実のある議論が出来ました。

 またもう一人、これはそれこそ去年に知り合った友人ですが、彼の話に至っては何もかもがエキセントリックでした。彼も一浪して大学に進学してきているだけあって上下両方の事情に精通しており、貧乏トークで有名な芸人コンビ「麒麟」の田村の話に及ぶと、
「でも俺の子供の頃の友人で、ようパン盗んどるやつおりましたよ」
 と、今思い出しても面白い話をよく聞かせてくれました。

 このように人間の幅を広げようというのなら数多くの友人と付き合うよりも、自分とタイプや境遇の違う人間を選んで付き合う方がずっと効果的だというのが私の主張したい意見です。逆に似たような価値観、それも偏狭な固定観念に固まった人間と数多く付き合うのはまずもって視野狭窄に至らせるので、きわどい意見ですがそういった人間とはなるべく関わらないことを私はお勧めします。
 私自身の経験から言うと、どうも私と同じ私立の中高一貫校の出身者ほど固定観念が強く、視野が極端に狭い人間が多い気がします。またそういう人間に限って性格の悪い奴が多くて、同族嫌悪かもしれませんが、私は非常に苦手としています。

2008年10月14日火曜日

次の選挙の議席予測について

 最近政治系の記事がめっきり少なくなっているので、久々にちょっと気合の入った予測記事を書いてみようと思います。その予測もずばり、次の総選挙の獲得議員議席についてです。

 昨日辺りからぼつぼつと内閣支持率の調査結果が各メディアから発表されていますが、読売、NHKともに麻生内閣への支持率は40%を超えるものの微減横ばいという結果、特に不支持が多少増えたのが問題という解説を得ています。しかし先月にあれだけ中山前国土交通大臣の失言が続いたのを考えれば、思ったよりダメージは少なかったと麻生内閣側としては喜んでいい結果だとは私は思います。

 とはいえ、ここ数代の内閣総理大臣は発足時の支持率がその内閣の歴代最大の支持率となることが多いため、今回の麻生内閣でも、今後どうあがいたところで40%台を越えての過半数支持は得られないというのは恐らく間違いないでしょう。果たしてそんな支持率で解散総選挙に望んでも選挙に勝てるのか、それだったら発足即解散の方がよかったのではないか……という意見すらあります。

 私自身の見方としては確かに発足当初に解散に打って出ていた方がよかったかもしれません。麻生首相としては世界経済が混乱している今だからこそ補正予算が必要で、そのためには解散に打って出ることが出来なかったという考えですが、日本政府が経済政策に手を突っ込んでうまくいったことより余計に滅茶苦茶になることの方がこれまで多かったですし、また当初の補正予算の最大の課題だった原油高への保障については今回の株安の余波で原油価格は刻々と下がっており(ある日本の航空会社だけは燃油サーチャージ代をまだ上げているけど)、もう少し早くにやるならともかく、言うほど緊急性が高かったとは私は思いません。まぁこれは結果論だから、麻生首相が悪いわけじゃないですけどね。

 恐らく麻生首相の狙いとしては、
・補正予算案を出す→民主党が反対する→「民主は政局のために国民生活を犠牲にする」
 という言質が選挙前に欲しかったのだと思います。しかしさすがに民主党もそこまで馬鹿じゃありませんでした。今度の補正予算案については見ている私もびっくりなくらいに素直に承諾し、衆議院も参議院も賛成ですぐに通しました。政党戦略としては、まず正しい選択です。麻生首相の挑発作戦は完全に失敗したといっていいでしょう。

 同じく麻生首相のもう一つの挑発作戦が、
「民主党は児童手当や社会福祉を充実させると言っているが、その財源を明らかにしろ。ありもしないバラ撒き政策なんて出すな」
 という内容の発言を就任当初から繰り返しています。もしこれが二年位前なら相当な威力を持った言葉になったとは思いますが、先日のテレビ朝日でやっている「テレビタックル」という番組を見ていると、何人かの評論家の方々や元官僚の江田憲治議員が、

「自民党はこれ以上無駄を省けないといって増税を主張するが、民主党はまだまだ官僚の無駄は多いと主張しており、その無駄を省くことによって自分たちのバラ撒き政策は実現できると主張している。このところの社会保険庁や農水省の無作為を考えると、実現できるかどうかは別として、もう切れないといっている自民党より官僚の無駄を切ると言っている民主党に一回は任せてみたい思いはある」

 という内容の発言が続き、基本的に私もこの意見に同感です。実際、民主党が主張している何でもアリな政策は実現できるとは思いませんが、少なくとも官僚殺しのプロである長妻昭氏が控える民主党の方が、今の政策の混乱の最大原因である官僚の襟を正す力があるのではないかと思えます。株安ですっかり影に潜んでしまいましたが、自民党が各省庁に対して、野党への質問の回答は事前に自民党本部に提出(検閲を通す)するようにと通達したことを考えるとなおさらです。

 このような価値観が、少なからず一般大衆の中にも徐々に芽生えてきている気がします。官僚の問題が次々と明らかになっており、それならば民主党にという意見が日に日に強まっている気がします。そのため先の麻生首相の挑発も、以前ほどの威力が感じられないのだと思います。

 こういった背景から考慮して、次の選挙での自民、民主の獲得議席ですが恐らく相撃ち、双方どちらも単独過半数を獲得できないのではと思います。実際には民主党が衆議院で単独過半数を取る可能性は現時点では高いのですが、たとえ民主党は衆議院で単独過半数を取ったとしても、しばらく選挙のない参議院では民主党は現在単独過半数を持ち合わせておらず、他の野党と合同して自民党に対して参議院での主導権を用いています。
 逆に自民党としてはもし単独過半数を取ったとしても、まず間違いなく現在の衆議院議席の三分の二を占める議席は失うこととなるでしょう。そうなると衆議院で通した法案が参議院で否決されても、これまでのように三分の二の賛成可決によって強引に通す方法が使えなくなってしまいます。まぁそれでも、確か30日経てば衆議院の議決が優先されるのですが、自民党としては国会運営が非常に困難を極めることとなるでしょう。

 このように、自民と民主のどちらが勝ったとしてもねじれ国会が続くというのが私の意見で、そのため次の総選挙は相撃ちに終わるという結論になります。まぁ公明党が民主党につくならかなり情勢は変わるのですが、それ以上に起こる可能性が高そうなのが、平沼新党です。

 郵政選挙で自民党から追い出され未だ一人で頑張っている平沼赳夫氏ですが、選挙後に国会が停滞した場合に政界再編が起こり、自民、民主の若手議員がこの人に集まってくるのではないかと、希望的な観測ですが持っています。本来ならその役は小泉前首相が最有力候補だったのですが、今回引退を決めてしまいましたし、じゃあ他にかわりはというのならやっぱり平沼氏なんじゃないかと思います。そしたら多分、小池百合子氏は真っ先に走るだろうなぁ。

今日の株価の急反発について

 なんか最近こんな記事ばっか書いてて、そろそろやめようと思っているので今日はやや長期的な予想を書こうと思います。

 まず、本日の世界株式市場は先週の全面安とは対照的に世界各地で過去最高の全面高が起こりました。この結果については、先週末に行われたG7、先進国七カ国財務大臣会議において各国揃って公的資金の注入と積極財政を取るということが約束されたからだ……と、どこの評論でも言っており、今そこでやっているNHKの9時のニュースでも同じことが言われていると思います。

 私の意見はというと、まぁG7会議の決議がきっかけとなったのは間違いないでしょうが、それ以上に先週の下がり幅が異常だったというのが最大の理由だと思います。週末なんかにネットの意見やテレビの評論解説などを見ていると、今の株安の状態は逆の目から見ると配当金を目当てに長期に株を保有したい人にとっては今が買い時だという意見がいくらか見え、なんだかんだいって底が見えたと判断したトレーダーが結構いたのではないかと思います。なので今回急反発したからといって、これで世界経済が落ち着くという意味ではないと思います。今回の急反発も、あくまで一時の跳ね返りに過ぎないというのが私の意見です。

 この私の意見の根拠として、株価は戻ったものの今回株価が急激に下がるきっかけとなった大型金融機関の破綻と、その金融機関が持っていた不良債権の損失が未だはっきりしないからです。恐らく再来週辺りから「CDS」、「クレジット・デフォルト・スワップ」という言葉が急激に流行すると思いますが、これは元本を一定額まで保証する社債のことで、企業が潰れても安心安全ということで売れに売れていたようです、今回公的資金を注入されるまで追い詰められたAIGから。
 なもんだからAIGが一挙にピンチに陥り、とてもこのCDS債の保証が出来ない状態になり、名目上は元本保証といっておきながら、実質不良債権となるといわれている債権です。これが今どこにどれだけあるのかわからない状態で、恐らく今年末から来年初頭に至る間にぼつぼつ損失が明らかになっていくと思います。

 なにもこのCDS債に限らず、サブプライムローンの損失も未だ全体像が把握されておらず、ニュースではアメリカばかり取り上げられていますが、私の見ているところアジアの金融機関も相当辛い状態で、一つ潰れたらドミノ倒しになっていくんじゃないかと思います。なのでちょっと長めの予想をここで明かすと、正直この程度の根拠では明らかに物足りず過分に私の直感も含まれていますが、恐らくもう一発急激に株価が下がる事態が起こるのかと思います。それが底値になるかどうかまではわかりませんが、少なくとも今後株価がしばらくは安定的に維持、もしくは緩やかに上昇するということはありえないと思います。

 我ながら直感に頼るというのも恥ずかしい話ですが、佐藤優氏も情報屋として最後に物を言うのは玄人的な直感だと言っているので、私も見習うわけじゃないですが、何も言わずに黙っているよりかはいいと思うので披露することにしました。

2008年10月13日月曜日

今年のプロ野球について

 昨日セリーグの最終日程が終わり、まだプレーオフが残っていますがひとまず今シーズンのプロ野球は終わりました。結論から言うと、今年は非常に面白い一年だったと思います。

 というのもまず、セリーグにもプレーオフの導入によって中日と広島の三位争いが非常にもつれ、シーズン終盤まで目が離せませんでした。パリーグも同様で、これまで下位の順位でさまよっていたオリックスが終盤で恐ろしい追い上げを見せて二位に浮上したり、一時はソフトバンク、日ハム、ロッテで争った三位の順位も非常に楽しませてもらいました。

 そして、これは私としては多少不本意ですが、まさかまさかの13ゲーム差をひっくり返しての巨人のシーズン優勝。まぁ明らかに阪神の自滅ですが、星野監督は新井を故障させて李スンヨプを復活させるなど、オリンピックで余計なことしかしなかったなぁ。

 こうしたチームの順位だけでも楽しめたのですが、それ以上に面白かったのは個人成績です。まず五位のチームでありながら楽天の岩隈投手が最多勝を含めて投手三冠王。実際の投球を見ても直球も変化球も非常によく、これまでのシーズンが嘘のようなすばらしいピッチングだった一年でした。その岩隈投手に防御率でわずかに及ばなかったダルビッシュ投手ですが、このまえのオリックスとのプレーオフの試合ではやばいぐらい良いピッチングでした。ほんと、この人化け物だな。

 ただこうしたパリーグの個人成績の一方、右打者でありながら首位打者を獲得した横浜の内川選手の活躍にも舌を巻きました。これまで全然無名の選手でありながらの突然の成長に、同じく横浜で昨日の一本でラミレスを出し抜いたホームラン王、村田選手という強力な打線を擁しておきながら、ありえないくらいに負け越した横浜の今シーズンの成績には閉口します。なんせ五月に大相撲で琴欧州が13連勝した頃、ようやく横浜は13勝目を挙げた体たらくでした。
 一部でニュースにもなっていますが、今年の成績の責任を取って横浜のコーチは何人か辞職するらしいですが、今年の成績は間違いなく監督の大矢氏にあるでしょう。一番重要な人間をやめさせないというのは、別に横浜ファンではないですがちょっと……ねぇ。

 同じくセリーグタイトルではこっちも下位の順位ながら孤軍奮闘して、昨日に広島のルイスを出し抜いた最優秀防御率投手、石川投手のいるヤクルトは、昨日は見ているだけで涙が出そうな最終試合でした。
 今でこそ阪神、広島贔屓の私ですが、小学生の頃はヤクルトファンでよく神宮にも見に行っていました。どうでもいいけど、当時の神宮のトイレはすごい汚かったなぁ。楽天の仙台の球場なんかは昨日の朝日新聞の中での楽天球団社長のインタビューによると、客を呼び込むためにトイレはすごいキレイにしてあるらしいですが、今の神宮はどうなってるんだろう。あと楽天球団は今年も黒字だそうです。

 それでヤクルトの昨日の試合の話ですが、かつてのヤクルト黄金期を支えた真中選手がとうとう引退、継いでという訳ではありませんが度会、河端、小野選手も引退で、小野選手に至っては最終打席にて決勝のホームランを放ち、非常に感動的な引退試合でした。
 去年に古田選手がいなくなり、これで事実上、90年代野村ヤクルト黄金期の選手はほとんどといっていいほどいなくなってしまいました。この時代の選手としてはブンブン丸の愛称だった池山選手が一番好きで、この人がいなくなった時点で私のヤクルトファン時代は終焉を告げたのですが、今回の真中選手の引退はその時くらいにショックを受けています。古田選手はそんなに好きじゃなかったけど。

北野たけし氏のドラマ出演について

たけしTBSドラマで東条英機首相役(YAHOOニュース)

 リンクに貼った記事によると、今度北野たけし氏が東条英機役でドラマに出演するそうです。それにしても、「たけし」という言葉の変換ってやけに多いな。あと「ひできやく」で変換したら「英機訳」ってのが一番上に出てきて、あと同じような変換が続いていきます。この「英機訳」ってなんだ?

 実はこの三日間は非常に体調悪くてほぼ全日布団に入ってフロントミッションをやっていたせいか、微妙に文章も妙な感じになっています。まぁブログなんだから本来ならこういう形でいいんですけど、本当に今日も調子悪いな。

 さて北野氏のこのドラマ出演のニュースを見て最初に私が思ったのは、そんだけ「オフィス北野」は金に困っているのか、でした。というのもこのところテレビをつけていると北野氏自らが出演するテレビCMが急増しており、以前にベネチア映画祭の舞台挨拶にて、「山本モナのおかげで火の車だよ」と言っていましたが、このところの北野氏の出演量の多さを見ているとあながち冗談にも思えなくなってきました。

 もっとも北野氏ほど好感度の高い芸能人であれば、「出る」といえばすぐにオファーは殺到するので、指し当たって事務所がこれからやばくなるということはないでしょう。ただ業界関係者たちの話によると、やはり報道番組でレギュラー出演していた山本モナが例の巨人の二岡(広島の人に聞くとすぐに、「あいつは非県民だ」と言われます)との騒動で降板を余儀なくされた件で、相当な額の違約金をオフィス北野は支出することとなったと言われており、もしこれが本当だとすると、大将自らでなくてはならないほどの損失だったということになります。まぁほんとのところは、映画の撮影資金がそろそろ減ってきたというのが真実でしょう。

 ここで話は北野氏からその北野氏の演じる東条英機に変わりますが、歴史上、日本で「カミソリ」と呼ばれた人物は二人おり、坂本龍馬の組織した海援隊の元隊員で外務大臣として不平等条約改正を行った陸奥宗光と、この東条英機です。
 カミソリ、と言うと鋭く切れるから二人とも相当に頭が賢かったと、周りで誰かが話題に挙げる度にそういう風に聞こえますが、確かに陸奥宗光は非常に頭の切れがよかったそうですが、その一方で別の意味でもキレやすい人物だったそうです。なんでも、坂本龍馬が暗殺された後に新撰組の隊員が下手人だと誤解して襲撃をかけたり、そのほかちょっとのことですぐ人と殴りあったりしたらしくて、そのためにカミソリという異名がついたそうです。

 それで東条英機ですが、まぁ普通の人と比べれば賢い人だったとは思います。ただ私が見ている限り、どうも世の中の人は東条の知力について過大評価しているような気がします。
 これはうちの親父の話ですが、東条は「カミソリ東条」と呼ばれるくらい賢くて陸大でも首席で卒業した……と信じ込んでいたのですが、これは真っ赤な嘘です。東条と陸大同期の中で首席で卒業したのはかつて私も「猛将列伝~聖将、今村均~」の記事の中で取り上げ、私個人非常に尊敬してやまない今村均氏です。また東条は陸大の受験を一発で受からずに三回目にてようやく合格した人物で、試験の成績的に見るならば決して「切れ者」ではないということがわかります。

 では何故カミソリの異名がついたのかですが、こっからは私の想像になるのですが、何でもかんでもテキスト通りにやっていたらではないかと考えています。
 何でも、軍隊の閲兵訓練にて東条は一から十までかつての行進、動作方法を徹底して行っていたそうです。このようになんでもテキスト通りに強制し、また自身もテキスト通りの発言しかせず、そんでもってテキストの内容をなんでもメモするメモ魔だったことから、切れ者という意味ではなく「こまめな奴」という意味でカミソリだったんじゃないかと思います。

 それに対して満州事変の張本人である石原莞爾はというと、先ほどの閲兵訓練において自部隊に対し、「いつも通りやれ」の一言で片付けたそうです。こんな風に正反対なのだから、この二人の関係は非常に悪かったそうです。
 ただ石原、東条の二人についた元部下という方の証言によると、その方が陸大を受験すると話したら石原は勉強する時間もないほどその方へ仕事を押し付けるようにして、東条は逆にいろいろなところで勉強時間など便宜を図ってくれたそうで、上司としては東条の方が暖かかったと述べています。この件は石原莞爾に言わせると、陸大に行って幹部となるならこれくらいの仕事量をこなせなくてはいけないという意味での仕置きだったそうですが、いろいろな人の証言だと、東条は身近な人間に対しては非常に優しかった一方で、疎遠な人間には扱いが厳しかったというのは一致しています。

 そんなもんだから東条と距離の短かった人は彼に対して温情的な弁護を行っており、その甲斐あってか私の見ている限りだとこのところは東条に対して、「東京裁判の被害者」というような認識が増えている気がします。
 しかしここで、そういったものをすべてひっくり返すある証言を紹介します。これは今年八月十二日に日経新聞がスクープした国立公文書館にあった資料で、昭和二十年八月十日から八月十四日までの東条の手記に書かれている内容なのですが、

「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者および国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」

 私はこの東条の手記をちょっとまえの文芸春秋にて見つけ、今月号にもまた紹介されていたのでこうして記事にしているのですが、昭和史家の保坂正康氏の解説によると、終戦の間際にもなって、敗戦となったのは国民がしっかりしなかったからだ、こんな国民を率いて指導していた自分はたまったものじゃなかったなどと、自分の責任を国民に擦り付けている無責任きわまりない価値観だと述べています。

 私自身は東条英機に対して、やはり良い感情を持つことが出来ません。東京裁判は確かに間違った裁判であったということは明らかですが、先ほどの保坂氏も言う通り、東京裁判がなくとも当時の日本の法体系下では東条はまず間違いなく処罰されるべき法律違反を悉く犯しており、出来ることならこの東条への同情論だけはあまり盛り上がってもらいたくないものです。

2008年10月12日日曜日

毎日新聞、猥褻ネット記事問題の自社検証について

毎日新聞、猥褻ネット記事問題の自社検証のページ

 忘れた頃に後日談を掘り返すというのが、私のブログの一つの趣旨にもなっております。掘り返される側にはたまったものじゃないでしょうが、問題発生後に期間を置いて再検証を行うことこそが問題解決において非常に重要だと考えているため、人に嫌がられようがどんどんと取り上げていくつもりです。
 そんなわけで、今回取り上げるのは以前に私も「毎日新聞の今後」の記事の中で取り上げたことがある、毎日新聞の英文サイトコラム「WaiWai」の猥褻記事問題です。それにしても、前回の記事は我ながら硬派な記事を書いてますね。

 こうしてみると問題発覚から実に三ヶ月も過ぎております。光陰矢のごとしとは言いますが、あの頃時事問題として取り上げた記事を再検証にて再び使うことになろうとは三ヶ月前には思いもよりませんでした。
 今回、こうして取り上げる気になったのは一番最初にリンクに貼った様に、毎日新聞社のホームページ「毎日jp」にてこの問題の検証記事が一通り出揃ったのが理由です。毎日は問題発覚当初に自社内調査を進めると公表していましたが、それがここにきてひとまず完成したと見て、改めて毎日がこの問題に対してどれだけ反省をしているのか、また再発防止策を用意できたのかということが検証する舞台が整ったと受け止めて、前からやろうと温めていたネタです。

 それでは早速、この毎日の自社検証について私が気になった点を上げていくことにします。
 まず第一に、なんというかこの一連の記事の文章がとてつもなく稚拙です。文章の終わりはほぼすべて「~でした」で終わるという、初心者が陥りやすい「た止め」です。さらに記事ごとに露骨に表現方法が違っているから恐らく複数の人が書いているのだと思いますけど、執筆記者名も書いていないし、毎日新聞社名義で記事出していますが本当にチェックとかしているのか、文体の一致を行っているのか一ブロガーの立場からすると非常に疑問です。

 特に一番へんてこりんな記事は「役員・記者ら処分 英文サイトに不適切コラム」の中の文章で、まぁ内容が事実報告というのはよくわかるのですが、それにしても文章が一連の記事の中でこれだけ「敬体」ではなく「常体」で、ちょっと気にしすぎかもしれませんがなんとなく上から目線でえらそうな感じがします。何を以ってこの記事だけ常体で行こうとしたのか、また文体の一致くらい編集部で行わなかったのか、素人の記事なら何も言いませんが一応プロの記事なので厳しくここで追求しておきます。 

 第二に、反省点として毎日新聞自らが上げている、「女性の視点の欠如」ですが、私個人の意見だとこんなのを反省点として挙げてる時点で正気の沙汰じゃないと思います。毎日はこの反省点について、女性に対して配慮の欠ける猥褻な記事を載せていた事から、二度とそういうことのないように女性の目線からチェックするため新たな編集部にも女性を入れたと言っていますが、別に女性の視点でなくとも、男の私から見ても異常な記事ばっかりだったので、なにもわざわざここで女性を持ち上げて言うべきことじゃないと思います。
 敢えてこの反省点を私なりに言うなら、
「常識的な視点の欠如があったため、新たな編集部には常識的な目線からチェックするために常識人を入れた」
 と、言いますね。皮肉っぽい言い方ですが別に間違ったことを言っているわけでなく、実際に当時のWaiWaiの編集部には常識人がいなかったと私は受け取っていますよ。

 そして第三に、一番重要な編集部のチェックの不備です。
 この点については「英文サイト問題検証(2) 読者受けを意識 過激に」の中で言い訳が述べられていますが、つまるところ「編集長が忙しくてチェックできなかった」というのが理由として挙げられていますが、プロの編集者がこんな理由を挙げること自体異常です。いくら英文だからといっても、記事内容のトピックスだけでも日本語でチェックするだけで問題がわかるほどの猥褻記事だというのに、それすらももチェックしなかったというのは職務放棄と言われてもしょうがないでしょう。それにもしこの「忙しい」を理由に挙げるのなら、一応は検証記事なので当時のタイムスケジュールくらいは提出するのが普通でしょう。それでもし本当に激務に激務を重ねていたのであればまぁ納得しないまでも同情はしてあげられます。その場合、編集チェックに必要な人員を割かなかった人事の責任になるのですが。

 でもって第四。これは一番批判の多い、外部からの問題の指摘に何故対応しなかったのかという点です。
 このことについては「英文サイト問題検証(3) 外部の指摘 生かせず」の中で書かれていますが、この中で外部から問題の内容に対して批判するメールが二通来ていたと書かれていますが、二通って、発覚のかなり以前より問題になっていたことを考えると非常に少ない量に思えます。しかもそのうちの一通は「米国在住の大学勤務の日本女性」と、わけのわからない肩書きを取り付けて無駄に権威付けを行おうとしていますし、本気で反省しているのかとちょっと疑いたくなります。
 私が見ている限り、恐らく批判するメールは実際にはこれよりずっと多いだろうし、また問題性を指摘するネットの情報もかなり溢れていたことから、まず間違いなく編集部はこういった外部の声を意識的に黙殺していたと予想します。根拠は外部から来た批判メール数を二通としている点と、そのうちの一通を権威ある人間からとしている点です。何故黙殺したのかが書かれていないので、非常に私は不満です。

 現在もこの「毎日jp」は、確認したところ二社ほど他社からの広告が入っていましたが、それでも広告欄が大きく空けられたままという異様な状態が続いています。
 こうして私が気になる点が四つも挙げられること自体、毎日新聞は本当に反省しているのか非常に疑わしく思えます。猥褻記事を書いていた外国人記者も懲戒停職三ヶ月という、私の目からしたら何故解雇ではないのかというくらい甘い処分ですし、事の重大さがまだわかっていないんじゃないかと思います。

 これまではまだ同情する気持ちもありましたが、こうして検証記事を読み返すにつれ、この際だから潰れてしまえとまで思うようになりました。私の言いたいことは以上です。

日本の二重国籍禁止制度について

ノーベル賞余波 二重国籍禁止を撤廃 自民法務部会 国籍法改正検討(YAHOOニュース)

 リンクに貼った記事は、この度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏が米国籍を取得していたために、原則二重国籍を禁止している日本としては手続き次第では南部氏が日本国籍からはずれる可能性があったということから、これからそういった事態や優秀な人間の海外流出を防ぐために二重国籍を認めようかということを国が審議し始めたという記事です。

 実はタイムリーに朝日新聞が先週の初めごろに、この二重国籍禁止の現状について記事を書いていました。その記事によると、他の先進国では当たり前となっている二重国籍の許可が未だに日本だけ禁止していると、優秀な人材の流出を招くだけでなく、グローバル企業に勤める社員の生活などにもいろいろ弊害が起こり、企業が日本を敬遠するようになって日本にとっても国益を損なうのではと書かれていましたが、タイムリーにもその同じ週に今回のような米国籍取得者のノーベル賞受賞があったわけです。朝日も運がいい。

 私としても基本的に朝日の主張と同様で、こんだけグローバル化した中で二重国籍を禁止しているというのは馬鹿げているとしか思えません。第一それを言ったら日本の戸籍制度自体も非常にややこしいだけで実用に乏しく、この際だから根本から改めるべきだと思います。

 まず国籍についてですが、日本はドイツと同じく血統主義を採用しており、両親、特に父親が日本人であればほぼ例外なく日本国籍が取得できます。しかしアメリカなどでは出生地主義を採用しており、両親がどこの国籍であれアメリカで生まれた方は米国籍が与えられます。そのため、恐らく一部にだけでしょうが、2000年ごろにちょっとだけ流行ったのが「ハワイ出産」でした。
 ハワイはいうまでもなく米国領土で、そこで出産すれば日本人であれ米国籍を取得できます。このハワイ出産を取り上げた報道番組で出産を行った両親のインタビューでは、将来子供の可能性を広げるために行ったと言っていましたが、米国では臨時徴兵制度などがあるから場合によって日本人なのに戦地へかり出される可能性もあるのに、そこら辺は考慮しているのか疑問でした。

 なおこの場合、ハワイで生まれた子供は日本では22歳まで二重国籍が認められます。しかし22歳までにどちらかの国籍を選択して一本に絞らなければなりません。これは約一ヶ月前にみた記事ですが、このケースに該当する方がたまたま国籍の選択を知ってか知らずか申請しておらず、法務省が一方的に日本国籍を剥奪したという事件がありました。こういう余計な仕事をするときだけは公務員って手際がいいんだから。

 もしこの二重国籍を認めるというのならば、まぁ子供の場合は専門家の議論に任せるとして、少なくとも仕事や研究などで海外に住む期間が長い成人の場合はとっとと認めるべきだというのが私の意見です。それでも心配なら犯罪歴などを審理するという条件付にすればいいんだし。

 更に言うと、私は日本の戸籍制度も早く改正するべきだと思います。現在進行で未だ問題となっている、離婚後90日以内に生まれた子供は以前の夫の子供と規定したために起こった「戸籍のない子供たち」はもとより、私のように現住所と戸籍地が遠く離れている人間はちょっとの手続きでも、以前ほどではないにしろいろいろと面倒なことが多いです。あんまりわかってないくせに適当なことを言うのもなんですが、いっそ住民票と戸籍をセットにして扱うほうが手続きから何から何まで便利になると思うのですが。年金じゃないですけど、保険制度などとも一元化してしまって。

 なんというか、こういった日本の制度というのは改正が昔から全然行われず、いつまでも旧態依然となっているのが不思議でしょうがありません。先ほどの「戸籍のない子供たち」も、父親が誰かなんて今じゃDNA鑑定でスパッと出るのに、未だ離婚後90日というあいまいな規定を持ち続けるというのは愚の骨頂でしょう。制度は守るべきものではなく、実体に合ったものを作るべきです。リンクに貼った記事でも書かれていますが、現在の制度は正直者が馬鹿を見る制度です。早急な改正を願います。

2008年10月11日土曜日

花粉症と農林水産省の作為

 毎年四月は憂鬱だと、花粉症の方はみな口をそろえて言います。私自身は四月生まれということもあって、もし実際に花粉症だったらこの四月に対していろいろ複雑な気持ちを抱えたでしょうが、幸いにも今のところは花粉症を一度も発症しておりません。しかし周りには症状のひどい人も数多くおり、そうした方たちを見ていると、やはり花粉症の方にとってシーズンの時期に外にいるのはそれだけでも相当苦痛だということはよくわかります。

 近年は若干の平均気温の上昇とともに飛散花粉量が増加しているため、花粉症にかかる人もこれまでより増加しているといい、うちの親父もここ二、三年で軽度とはいえ症状を見せるようになりました。その甲斐あってか、この花粉症対策業界というのは消費が冷え込む国内にあって珍しく毎年成長を見せております。
 一般的な花粉症対策グッズはやはりマスクですが、これも改良に改良を加えられ、価格も相応に高くとも新商品が出たら飛ぶように売れ、また鼻炎止めの薬で製薬会社も大きな収入を得ているそうです。これは裏を返すと、花粉症の方がどれだけお金をかけても花粉症をどうにかしたいという心の表れでしょう。

 さてこの花粉症ですが、確かに自然現象といえば自然現象なので一人で怒ってもしょうがないのですが、災害としてみるならばこれは明らかに人災に当たります。というのも、戦前から戦後にかけて農林水産省が日本各地の国有地において、花粉症患者の最大の原因となっている杉の木を片っ端から闇雲に植えていったという歴史があるからです。

 何故農林水産省は杉を片っ端から国有地に植えていったかですが、まず第一には緑地の確保のためです。植樹は土砂災害を予防し、またその土地の保水力を高めたりもします。使用する当てのない土地であれば、荒地などにしておくよりは森林にしておくほうが明らかに好都合です。
 そして第二に、植樹した木を育てて後に建築資材として使うためです。当時は戦後のドタバタ期で、各地で住宅不足のために建築資材もどこも不足し、それを早急に解消するためだったといわれています。また建築材不足が解消された後もそのまま木材として販売し、なんだったら海外に輸出すればお金にもなる。そのため、植樹する木には建築材として適している杉などの針葉樹が中心となっていったわけです。

 しかし、この計算には誤算があったのです。まぁそれを言ったら官僚の予測で当たった試しはほとんどないんですが。
 まず時間の経過とともに、成長し切った木を伐採する費用の方が伐採した木を木材として販売する価格を上回るようになってしまったのです。この背景には日本国内の人件費の高騰と、森林伐採業者の減少、そして何より海外から木材を輸入するほうが安くなってしまったのが原因としてあります。その結果、植樹された森林は本来必要な間伐すら行われずに放置されたままで、適正な伐採も行われないために今のように無尽蔵とも言える花粉を放出するようになってしまったのです。
 更に、この政策は思わぬところで二次災害を生みました。その災害というのも、熊の下山です。

 先日、人里へ降りてきた野生の熊が人を襲い、その後猟師の方に駆除されたというニュースがありましたが、そのニュースの中で駆除された熊の体重が72キロしかなく、非常に痩せた状態であったと報道されていました。
 実は現在、日本の山は先ほども言ったように農林水産省によって杉を筆頭とした針葉樹ばかり植えられてしまい、熊やその他の野生動物の食べ物を生み出す栗やブナといった木がほとんどなくなり、山の生態系が大いに狂っているそうなのです。近年になって熊が人里へ降りてくる回数が増えたのも、そうした山中での一種の飢饉が大いに影響していると言われております。

 このように、日本の山は確かに中国ほどはげ山になってはいないものの、大いに問題のある現状を見せております。そしてそれを改善しようと思っても、木を切り倒すのに費用がかかってしまうために予算が必要で、結局放置され続けております。
 ここで私から一つ提案させてもらうと、花粉症対策には非常に費用がかかるといわれ、また二次健康被害などを起こして医療費もかかるのなら、いっそ花粉症をどうにかしてもらいたい、熊をどうにかしたいと思う人たちで基金を集め、山地の針葉樹の伐採と代わりの広葉樹の植樹事業を行ってみてはどうでしょうか。無理やり経済ベースに乗せなくとも、費用をかけてでも山の生態系を理想的なものに変えるという選択肢があっても私は良いと思います。

 今ちょっと調べてみたところによると、このような森林事業への基金は結構あるそうですので、私もまとまったお金がたまれば寄付してみようかと思います。
 また花粉症患者の数は全国で1500万人以上いるというので、この方たち全員が仮に100円寄付することによって、総合的には15億円もの寄付が集まることになります。こんだけあれば、ある程度対策はうてると思うのですが、いかがなものでしょう。一年ごとに対策グッズにお金使うより、根本的な対策になると思うんですが。

 最後に、この植樹にまつわる一つのエピソードを紹介します。
 恐らくこういった事態までは予想していなかったまでも、農林水産省の植樹に対して、唯一苦言を呈した人がいました。その人は農林水産省の役人が胸を張って、「国有林は順調に増えております」と報告されるに当たり、「しかしこれでは針葉樹ばかりで、広葉樹の植樹はどうするのだ?」と尋ねたところ、その役人は何も答えられなくなったと言われます。こう返したのは他でもなく、昭和天皇です。
 昭和天皇は生物学を大学で専攻しており、こういった問題に造詣が深かったためにこうした切り返しが出来たのだと思います。昭和天皇がただの天皇ではなかったと思わせるエピソードです。

2008年10月10日金曜日

「~の神」というニックネームについて

 昔に読んだ、確か95年ごろに出たニックネームについての本で、「このところの日本は良いニックネームがつけられることが少ない。特に近年は「大魔神佐々木」くらいしかない」という批評がありましたが、実際そうだと思います。昔のニックネームは意匠が凝っており、「ピストル堤」とか、「強盗後藤」などとみているだけでいろいろ楽しいものがありました。

 しかしそういった数あるニックネームの中で、やはり私が特別だと思うのは「~の神」というような「神」という文字がつくニックネームだと思います。こういったニックネームは結構多そうかなと思いを巡らすのですが、意外に神がつくニックネームというのは思い浮かばず、逆に「王」のつくニックネームばかり浮かびます。

 そうしていくつか浮かんだ「神」がつくニックネームの対象者を改めてその経歴を分析しますと、どうも「王」がつくニックネームの対象者と、畏敬がこめられているのは一緒ですが、いくらか扱いが違うように思えてきました。まず「王」というと「発明王エジソン」とか、「破壊王橋本」とか、果てには「ミナミの帝王」などと、周囲を圧倒するような強さを持つ人間に与えられますが、「神」の場合だと、「漫画の神様、手塚治」、「経営の神様、松下幸之助」などと、確かにその分野の強さが圧倒的なのはもとより、彼らの技術などがその後、一種のスタンダードとなっているように思えます。

 手塚治氏の場合は、彼の作った漫画の手法が現在の主流となっているのは周知の事で、後者の松下幸之助氏も「日本的経営」の礎を築いたとされ評価されています。このように、神という名がつく人は強さだけでなく、後に彼らの手法を模倣する人間が出てくる人に与えられるものなのだと私は考えます。逆に王はその手法が天才的過ぎるゆえに、他の誰もが真似できない人に与えられるものなのかもしれません。
 なわけで、以下に神というニックネームがつく人を上げていきます。そのどれもが、新たな革新的な技術を生み出した人たちばかりです。

・ボクシング界の神、モハメド・アリ
・打撃の神様、川上哲治
・戦国の軍神、上杉謙信
・神算鬼謀、諸葛亮孔明
・広島カープの神、前田智徳

 前田は来年も現役続行が決まったようです。それが非常によかったということが書きたかっただけで、こんな記事を書いちゃいましたフゥー (゚Д゚)y-~~

銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 後編

 畜生、巨人の優勝かよ。まぁ後半の阪神の打線の悪さは阪神贔屓の私も呆れるほどなので順当といえば順当でしょうし、ファッキンな中日が優勝するよりは何倍もマシかと思えば……。

 そんな阿部がタイムリーの後に退場したような話題は置いといて、昨日の今日で株価がまたも大幅に下落しました。さすがに私も、株価の急激な下落が続けば年末に八千円台はあるかも……と予想はしていましたが、まさかこんなに早くここまで下がるとは思いませんでした。昨日批判したばっかなので、逆に私も「こんなことも予想できなかったのかよ」と言われても何も言い返せません。まぁ言い訳をすると、公に十月中に株価が八千円台になると予想していた人はいないと思いますが……。

 それでは昨日の続きです。昨日は本来株価が下がった今だからこそその仕事が期待されるにも関わらず、日本の銀行は資金をためるだけで真っ当に仕事せず、どうすればこの銀行のケツを叩けるかということについて日銀の政策方法と絡めて問題提起しました。今日は具体的にその方法を私なりに提案します。
 まず最初に言うと、恐らくここで私の主張するやり方は経済学のセオリーから言えば全く逆の方法になります。自分はこういった問題に素人であるということは重々承知ですが、それでも意見を出すならというならばでこの方法を紹介することにします。

 現在、日本の民間銀行は前年に過去最高利益を上げるなど非常に経営がうまく回っているにもかかわらず、企業への貸付、とくに中小企業への貸付が大幅に減っています。その理由はサブプライムローン問題によってどこがどれほどの損失や不良債権を抱えているのがわかりづらくなり、うかつに倒産して資金が回収できなくなる事態を敬遠しているためと言われていますが、私はこれに疑問を感じます。

 というのも以前に書いた記事でも述べましたが、今銀行の金利はどこも非常に低く抑えられ、どこも1%にも達していないところばかりです。なので個人からいくら預金が集まろうとも、それを運用せずに貯め置いたところで銀行が個人へ支払う利子の金額というのはたかが知れています。私からみるとどうも銀行はそこにつけ込んで、貯め置くリスクがないために確実に資金が回収できる大企業にばかり貸し付けて、少しでもリスクのある中小へはちょっとでも危ない橋を渡らないとばかりに、わざと貸し付けていないのではと思います。まぁ大企業でも貸してくれないところは結構あるけど。

 もしこれが原因だとすると、銀行に多方面へと貸付を行わせる方法というのはやはり、日銀の公定歩合を引き上げることだと思います。通常、公定歩合は引き下げられれば貸付額が増え、引き上げられれば逆に貸付額が減るものなのですが、私はどうもこのところの経済の流れを見ていると、状況によっては必ずしもそうでないのではないかと疑っています。第一、今も日本で絶賛継続中の0金利政策自体が世界初の金融政策なので、何が起こっても、それこそ基本の理論と逆のことが起きてもおかしくはないんじゃないかと思います。
 公定歩合を引き上げることによって必然的に民間銀行もそれに合わせて個人への利率も上げざるを得なくなります。それによって銀行は経費が増えることから、企業への貸付で経費分の利益を確保せざるを得なくなるように追い込む、というのが私の考えです。ほんと、素人くさいけど。

 しかし今こんだけ世界中で株価が下落して大混乱になっている中、日本が公定歩合を引き上げたら恐らく他国からは、「何をこんな時期に緊縮させようとしているのだ!」って怒られちゃいますので、まず実際には実行不可能でしょう。それにここまで下がってしまうと、私ですら引き上げるのに二の足を踏んでしまいます。せめて去年のうちにでも公定歩合を1%にまで上げておけば……。

 じゃあこのまま黙ってみているのかということになりますが、私の案ではようは銀行に利益を稼がせなければならないほど経費を発生させればいいのです。もう一つ、金利を上げずに銀行の経費を上げさせるいい方法があります。その方法というのも、単純に課税です。
 恐らく今もそうでしょうが、日本のほとんどの銀行からは税金が一切国へ支払われていません。なぜかというと、連中はこれまで注入された公的資金を国へ返済してきたということで、その分を繰り上げ納税として計上されているため、今も銀行は税金を免除されているのです。そうやって税金も払わず、企業へも貸し付けず、真っ当な仕事も出来ずにいるくせに、「今年は過去最高利益だ」などと胸張って主張する銀行幹部の気が知れません。ついでに言うと、何も勉強せずにそういった言葉にほいほい乗って銀行に就職活動を行っていた学生たちにも、君たちに正義心はあるのかと小一時間問い詰めたいものです。

 過去最高利益を上げるくらいなら、国に税金を払えるだけの余裕があるはずだろう。なのでこの際銀行へ死なない程度に課税して、経費を増やさせ企業への貸付を増やさせるというのが、私が現状で考えうる最良の方法です。なんなら、企業への貸付をしっかり行っている銀行にはこれまでどおり税金を免除してやるというのもいいかもしれません。どちらにしろ、株価が下がっている今だからこそ、民間銀行は自分らが死なない程度に身を切って仕事をするのが求められています。

2008年10月9日木曜日

銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 前編

 まずは昨日の情報の続きです。

危機的状況のアイスランド(YAHOOニュース)

 リンクに張った記事によると、私の予想通りにアメリカの新自由主義路線に乗って金融が強かったアイスランドにて、国家破綻すらも懸念されるほどに経済が混乱しているようです。

 そんな続報は置いといて、前回の記事にて私は今の日本の課題は株価の下落以上に銀行の貸し渋り問題だと指摘しました。というのももともと株式というのは何故あるかと言うと、単純に言って自前で運営に必要な資金を集めるためです。逆に銀行がきちんと会社に対して運営資金を提供してくれると言うのなら、株式をわざわざ公開する必要などないのです。まぁその代わりに銀行の言うことに逆らえなくなるけど。

 実は日本はここ数年で株式市場にて資金を集める企業が急速に増えていきました。その理由というのも、バブル崩壊以後の長い不況の中で銀行が一切企業に資金を提供してくれず、主だった企業はそれならばとばかりに自分で資金を集める手段に出たからです。アメリカの策謀もあるけど。
 その結果どの業界にもブイブイ言わせていた銀行の力が弱まったのは良かったのですが、その分外的要因、今回のような世界同時株安などの影響を受けやすくなったと言えます。バブル崩壊時なんて株価は大きく下がったものの、まだ企業同士の株式の持合が多かったから目に見えて資金運営に苦しむ企業は今ほどなかったと思います。

 そんなんで私が今の状況で何が言いたいのかというと、株価が下がっている今だからこそ、代わりに資金を安定的に提供する銀行の存在が必要不可欠だというのに、今の日本の銀行というのは一切資金を提供しないどころか、前にも書きましたが利益を出しているのに運転資金が足らず不渡りを出してしまい倒産する、黒字倒産がここしばらくで急増しています。
 昨日も経済解説ニュースで銀行の話題が取り上げられていましたが、企業への貸付が減ったばかりか、何でも銀行同士の短期融資すらほとんど行われていないそうです。この短期融資というのは文字通り短い期間にお金を貸しあうことで、急な大口預金者の引き出しや融資に対応するために銀行同士で行う貸し借りのことを指しますが、これがお互いにいつ潰れるか疑い合ってなかなか行われず、地方銀行なんてこれで結構困っているそうです。

 なもんで、銀行がお金を貯め始めると普通は社会全体で資金の流通が硬直し、あまりよくない影響が出てきます。では端的に言って、銀行に貯めている資金を吐き出させてまともな企業を救うにはどうすればいいかですが、通常こういったときに行われるのは中央銀行の利率引下げです。今同時株安のために世界中のどの国でもこの利率引下げが行われていますがこれがどういった効果を表すのかと言うと、ちょっと専門外なので間違っているかもしれませんが、基本的にお金は中央銀行、日本では日銀が発行しています。そのお金は民間の銀行が日銀から借りるという行為を経て、それから一般の市場へと出回ります。なので一般人が銀行からお金を借りると利息を払わねばならぬのと同じように、民間銀行も中央銀行へと利息を払わねばなりません。その際の中央銀行の利率のことを公定歩合といい、これが経済政策の舵取りとも言えるものです。

 話だすと長くなるので、要するに中央銀行の利率が低ければ低いほど民間銀行は中央銀行からお金を借り、それを市場にどんどん流して儲け、逆に高ければ払う利息が大きくなるので控えめに抑えていきます。景気の悪い時などは利率を下げることによって市場にお金が流れ、バンバンと皆物を買うようになって景気を刺激し、逆に過熱し過ぎの場合は逆の方法で景気を押さえつけます、もっとも、後者の政策は日本で行われたことがあるかどうかは知りませんが。基本的に能天気だから、景気がよければめでたしめでたしとしか考えないし。

 で、今の日本の公定歩合は0.5%、なんと1%すらも切っています。私の考える普通の利率は3%くらいで、日銀だからといってこれは特別なものでなく、世界的にみても異常な数字です。何でこんなに利率が低いのかというと、長引く不況の中でどんどんお金を流せという、「0金利政策」が日本で行われたせいです。これは世界でも例がない日本発の政策で、結果的に言うとそこそこの成功は収めました。
 しかし、これは竹中平蔵氏が口をすっぱくして言ってましたが、0金利政策は既にその役目を終えていたと私は思います。これだけ低いといざ今みたいに景気が悪くなっても利率を下げて景気を刺激しようにももはや下げようのない、壁を背につけるような状態だからです。竹中氏同様にせっかく株価が落ち着いてきた2006年の段階で次代の景気変動に備え、一歩でも二歩でもこの公定歩合を上げていれば、今のよな事態に対してまだ対応する選択肢は多かったでしょう。

 そこでここが肝心なところなのですが、この公定歩合というのはそのまま一般預金者に対する民間銀行の利率に直結してきます。何故なら銀行は中央銀行からお金を借りて、それを一般人や企業に貸し付けて利益を取るからです。仮に100万円を利率10%で民間銀行が借りるとしたら、一般預金者にはそれ以上の利率、10%以上でこの100万円を外へ貸し出さないと損します。ですがこの利率が3%なら、3%以上あればそれが十分になり、また少ない金利でも民間銀行の儲けは大きくなります。この動きはそのまま一般人の預金金利にも援用され、公定歩合によって預金金利も基本的に変わってきます。なので、今は公定歩合がありえないくらいに低いので銀行の預金利率もありえないほど低いのです。

 通常、金利は低ければ低いほど銀行は儲けるので、貸し出す資金量が増えるはずです。しかし、日本では一向に増えないどころか、逆に貸し渋りすら起きています。これは一体なぜかということですが、思ってた以上に中央銀行政策に時間をとられたので、続きはまた明日に。結構説明飛ばしているけど、読んでいる人はついてこれているのかなぁ。

2008年10月8日水曜日

世界同時株安と日経平均一万円割れについて

 昨日、一昨日と文化大革命の連載が終わった反動からくだけた記事が続きましたが、またぞろ固い記事を復活させてこうと思います。

 本日、日本の株価指標とされている日経平均株価の終値が、確か四年ぶりに一万円を割りました。つい二ヶ月前と比べるなら2000円以上も下がっており、資産価値の下落だけでみるならば、確かに大きな景気後退とみるべき事件でしょう。もちろんそんなもんだから、今日はどこのニュースでも日本人のノーベル賞の受賞ニュースより先に報道して、本当に大変なことになったとばかりに大騒ぎしています。

 しかしここで言わせてもらいますが、先月のリーマンブラザーズ社が破綻した時点で日経平均が一万円を割ることは誰がどう見たって確実なことだったと思います。なぜなら今の日本の株式市場の大口取引先はどこもアメリカの投資会社たちで、本体のアメリカの景気が悪化すれば当然日本の株価も下がることは必定です。なのでどうせ年内にはまず確実に一万円を割ることは間違いないとみていたので、私としてはそれほど大騒ぎするような話だと思えないのが正直な感想です。逆にもし経済人や評論家でありながらこうなることがわかっていなかったら、廃業しろとまでは言いませんが未熟な価値観を改めるべきでしょう。

 問題はこの後です。株価の下落とともに進んだ為替価格の変動は確かに日本にとって大きな影響をこれから与えてきます。今日は一時的にとはいえ1ドル価格が100円を割りましたし、この為替価格は輸出産業がメインの企業(主にメーカー)にとって為替価格の1円の変動は100メートル走における一秒の差並みに大きな意味を持ってくる数字です。さっきNHKがやってましたけど、トヨタ自動車では為替が1円円高するごとに400億円、ソニーは40億円の売り上げ低下になるそうです。じゃあイチローの給料はどれくらい変わるんだろう。

 これだけをみるのならば確かにこの世界同時株安は日本にとって大きな損失を与えているかのように見えますが、私がこの一週間のニュースを見ていて非常に残念なのは、世界同時株安と言いながらも日本とアメリカの情報しか発信されていない点です。世界同時株安なんだったら日本とアメリカ以外の国も相当打撃を被っているはずなのに、どの国がどれほど影響を受けているかと言う情報は全く持って皆無です。私自身がこのところペルソナ3とフロントミッションで忙しいのもあってあまり調べていないのもありますが、もっとマスメディアは大事なことなんだから自主的に情報を配信してもらいたいものです。

 個人的に一番気になっているのは欧州、それもイギリスです。何故ならイギリスが世界で最もアメリカに追従して金融市場主義とも取れる新自由主義経済の路線を敷いていたからです。そのため本家のアメリカがこうも崩れたのならイギリスはどれほどダメージを受けたのか、やっぱり破綻しているのかというのが気になります。
 同様にEU諸国もです。EUはEUでアメリカの路線とは対決するように独自の経済体制を模索していましたが、なんだかんだいってどこもこの世界同時株安で大打撃を被っているという情報ばかり聞こえてきます。特にドイツではあまりの影響ぶりに、政府が個人の預金を金融機関が破綻した場合でも全額保障するとまで発表していますし、もっと詳しい情報が知りたいです。

 なお、一昨日にちらっとだけ見たどっかのネットの記事によると、意外と日本はリーマンショック以降の株価の下落率は低い方でした。その記事によると一番下落率が大きいのは、これなんてほかのどこも報道していないけどインドだと紹介していましたが、どうも裏を取ってみると本当っぽいです。新興国ってのはどこも財政的な力に欠けるところが多いので、この事実にも素直にうなずけます。
 あと先ほどのイギリスと同様に、ひたすら株価至上主義で戦ってきたお隣韓国もえらいことになっているようです。これまで国際的に貸しの多い債権国だったのがいつの間にか借金している債務国に転落しているし、雇用問題も置き去りで結構大変そうです。

 で、同じくアジアを見てみると中国の話もこのところあまり聞きません。なのでせっかくだから自分で「新京報」という北京の新聞サイトを除いてみると、今日の記事ではアメリカの大幅な株安を伝え中国でもA株というくくりの証券市場が価格を下げていると言いながらも、まだ大きな影響はなく未だ中国は世界市場の中で「オアシス」のようなもんだと、まるで他人事のように楽観視しています。まぁ、主要銘柄は皆共産党などの特権階級が握っているから、あんまり下がらないってのもわかるけどね。

 恐らく、今回の株安で一番危険なのは日本を除くアジア市場だと思います。タイでは今でも政治的混乱が続いており、インド、韓国は上記のように大きなダメージを受け、でもって欧州みたいに複数ヶ国で連携して何か対応するということがありえない点から、かつての「アジア通貨危機」みたいなことになってくるのではないかと心配しております。杞憂で済めばいいのですが。
 世間では株価が下がっていることから、その分現物市場がこれから値上がりするなどと言っては金塊を買っとけなどあれこれ意見が出ていますが、現状ではまだ不透明なので私はお勧めできません。実際に原油価格は下落の一途を辿っており、そもそも回す資金自体が世界市場から突然いなくなったのだから、掘った土が横に盛られるわけでもないので上がらないのが普通なんじゃないでしょうか。

 と、素人ながらあれこれ意見を書いてみました。結論を言うと、日本は損害を受けつつも他国よりはまだいくらかマシな状況にあるのではというのが私の意見です。しかし唯一の懸念は、前にちょこっと匂わせた銀行の貸し渋り問題です。こっちは結構表面化しており情報も集まってくるので、また明日にでも解説します。

2008年10月7日火曜日

パワプロのサクセスで私が作った選手

 今日もなんかおなかの調子がよくないので、簡単に流せるゲームの話です。今日は今でもやっているパワプロです。

 さてこのパワプロときたらサクセスというほど、このゲームはスポーツゲームなのに育成ゲームのように多方面でプレイされています。やっぱりいい選手を作ろうとしたらなかなかうまくいかず、かといって能力だけ優秀なだけだと個性がなくてつまらない選手が出来てしまいます。
 私もかれこれ長い間このゲームをやってきていますが、やっぱり馬鹿な子ほどかわいいと言いますか、欠点のある選手は贔屓して使うようになってきます。そこで今日は、過去に私が作った選手の能力の組み合わせを紹介しようと思います。

1、肩力E+レーザービーム
 この組み合わせに意味があるのか、しかもポジション内野だし。友人に使えないと一蹴されました。

2、短気+ポーカーフェイス+ムラッ気
 普通に、こんな奴が近くにいたらすごい嫌な気がします。怒りっぽいのにポーカーフェイスで、なんというか長州小力みたいに「きれてないっすよ」って言うのかな。

3、最速155km+アンダースローの投手
 私以外でも作られていると思いますが、友人にも言われましたがまず肩がいかれるでしょう。

4、持ち球が「カーブ」と「Dカーブ」の投手「洗濯機」
 最初作っていた時は「洗濯機」という名前で「スクリュー」が決め球の投手にしようと思ってたのですが、途中でオリジナル変化球作成イベントが起こったので、「スクリュー」を無駄に「カーブ」に変えて、左右にカーブを投げる中途半端な投手になりました。

5、「威圧感」を持つ投手「ハンニバル」
 別にねらってたわけじゃなかったけど、「ハンニバル」という名前で投手を作ってたら自然と「威圧感」を取得しました。名は体を現すのだと実感しました。

6、「タタ木寸」
 みてもらえばわかると思いますが、ソフトバンクの多村選手の名前を横に拡大したように見える、読みが「たたきすん」という選手です。ほんと、これだけのために作るのもなぁ。

7、「**」(友人の名前)
 友人の名前を使って昔はよく選手を作ってたのですが、よく学校の授業をサボる奴だっただけにスタート時に「サボり癖」がつくことが非常に多かったです。こちらも名が体を現していました。

 といったようなところです。逆に成功した例だと「大笠原」といって、巨人の小笠原選手にあやかった選手を作ったら「アベレージヒッター」と「パワーヒッター」の二つを取得でき、非常に強い選手になりました。その一方で「下原」や「上柳」といった選手は、あやかる選手のようにならず全然駄目でしたね。

2008年10月6日月曜日

スーパーロボット大戦シリーズについて

 ぶっちゃけ今疲労中なのと、長い文化大革命の連載が終わったので気晴らしに軽い記事で今日は乗り切ろうと思います。まぁそんなら何も書かなければいいだけなのですが。

 そんな今日お話しするのはバンプレストから出ているスーパーロボット大戦シリーズというゲームについてです。このシリーズは昔からやっていますが、なんと言うか中途半端にぽつぽとやっています。私がプレイしたシリーズを挙げていくと、

・~EX ・第四次~ ・新~ ・~F ・~F完結編 ・~α ・~α外伝 ・第二次~α ・第三次~α

 といったところでしょうか。時期的には90年代後半から2000年代前半くらいです。
 このシリーズはまぁそこそこはまったのですが、最初にやったのが第四次でこれはなかなか面白かったです。全体的なゲームバランスもよく、きちんと戦略に則って戦え、でもっておまけユニットがそこそこ通にはたまらないもの(サーバインとかSガンダム)でした。ただ私の場合、最終面より難しいといわれる後半の「オルドナ・ポセイダル」という面の難しいバージョンに迷い込んでしまい、ここで一時ゲームが詰んでしまいました。最終的には一回の行動のたびにセーブするという、まるで詰め将棋のような戦いで越しましたが、あれは今でも夢に出てきます。

 その後EX、新を経てからFをセガサターンでプレイしたのですが、個人的な感想を述べるとこのFとF完結編は非常に出来の悪い作品でした。まず一回一回の戦闘でBGMが変わるためにロード時間が膨大になり、その上味方ユニットは中途半端に弱いまんまなのに後半にはHPが一万を越えるドーベンウルフがザコキャラのようにうじゃうじゃ出てきて、普通に敵と戦う際にスーパーロボットとリアルロボットの区別が意味ありませんでした。
 でもってなかなか勝てないもんだから結局ビルバイン一人に負担がのしかかってきちゃうか、イデオンで反則な勝ち方をするかしか選択肢がなくなるという無節操さ。これでゲームと呼べるのか。

 更に言うと、これまた私の特技炸裂ですが今のウィキペディアの「スーパーロボット大戦F」のページにはすでに消されていますが、以前のこのページでは本来一つの作品となるはずが「F」と「F完結編」に分かれたことについて、

「製作側のバンプレストによると脚本の担当者が急病になったためと、容量が一枚のゲームに収まらなくなったことを分割の理由に挙げていたが、ネット上の有志の調査によると、FとF完結編のデータを合わせてもギリギリ一枚のディスクに収まることが指摘されている」

 私的な意見ですが、恐らくデータは一枚でも十分に入ったと思います。何故ならゲームの大部分のデータはBGMやロボットユニットのアニメーションデータで、これはFとF完結編のどちらにもその大体が共通しており、分けるデータといったらシナリオと一部のボイスデータくらいだからです。それにもし一枚に収まりきらなかったとしても、それならそれで単純にゲームを二枚組にして出せば良かっただけの話です。

 私なんかこのゲームが出た当時は中学生くらいだったから、なけなしの小遣い使ってわざわざ新品を買ったのに製作サイドのくだらない理由で二本も買わされた(合計金額13,600円)上に、ゲーム自体がシミュレーションとして戦術性もなにもなく、シナリオも前作にいなかったライディーンがなかったことにされるわ、一話だけ出てきたランバ・ラルがその後一度も出てこないまま空気とされるわ、ガンダムWのキャラクターたちが途中でパーティからいなくなった後、ポセイダルルートを行かずにDCルートを通るとそのまま一切出てこなくなるなど憤懣やるかたない代物でした。にしても、我ながらよく憶えているな。

 このあまりの体たらくにもう二度とスパロボは新品で買わないと新月に誓った15の夜、別に15歳じゃなかったけど。そんな過程もあり次のαは中古で買いましたが、これは逆に非常に面白かったです。シナリオもテンポ良くさくさく進むし、何よりこれまでのシリーズよりオリジナルキャラの主人公がきちんとシナリオに絡んでくるというのが好感を持てました。何気に最初に選んだのは今もレギュラーのクスハでしたが。

 またシナリオだけでなく戦闘アニメーションもようやくGジェネレーションのようにONとOFFが切り替えられるようになり、また少ないカットでロボットの挙動をきちんと再現していたのには感動しました。この次の次にやった第二次αからは戦闘アニメーションが3Dになったのですが、かえって元の原作アニメのセル画カットの動きから離れてしまい、むしろ悪くなった印象があります。戦闘アニメだけで言うなら、このαと次のα外伝が最もすばらしい出来でしょう。

 それで次のα外伝ですが、シリーズ中、実はこれが一番好きです。確かに難易度は結構高めなのですがシナリオの進め方で難易度は調整されますし、また使用アイテムや今作から入った支援コマンドを活用することでFとは違って戦術次第でどうとでも挽回できます。また前作α同様に戦闘アニメーションもカットインを使うことで臨場感が出ており、個人的にはガンダムXのサテライトキャノンとターンエーガンダムの月光蝶が一番気に入っています。

 さぁそれで最後の第二次α。まぁつまらなくはないのですが、明らかに前作のが面白かったのが致命的です。今作から導入された小隊システムには賛否両論ありますが、私はいろんなユニットがつかえるという意味では良かったと思っています。で、一応は上に挙げた第三次ですが、これは途中でやめました。私以外の人も同じようなことを言っていますが、本来なら第二次で地球圏の戦闘は終わって第三次で宇宙人と最終決戦して完結……という流れだったらしいのですが、人気だったということで無理やり「ガンダムSEED」をシナリオに挟み込んだせいでまた地球圏の戦闘が始まり、やっててシナリオに疲れました。こんなの長い間ゲームしてて初めてですよ、別にガンダムSEEDは嫌いでもないのに。

 というわけで、息抜きのつもりだったのにえらく力の入った記事になりました。水野晴夫の笑顔も三度までと言いますが、本当、文章書くのっていいですね。

2008年10月5日日曜日

文化大革命とは~結び、文革は何故起きたか~

 ちょっと試しに前回までのこの連載の文字数を数えてみたら、三万字弱ほどありました。原稿用紙に換算すると七十五枚で、よくもまぁこんなに書いたもんだと我ながら呆れました。
 そんなもんでこの連載も今回が最終回です。もう書くことは大体書いており、最後の今回では文化大革命の総論的なことをちゃちゃっと書いて行きます。

 まず文化大革命は中国にその後どんな影響を与えたかですが、結論から言って中国はこの文化大革命によって発展が三十年は遅れたとまで言われております。中でも最大の損失ともいえるのが知識人で、この連載の最初の記事でも書きましたが、ちょうど日本での団塊の世代に当たる年齢に、中国の大学では教授などの人間がすっぽり抜けてほとんど存在しません。これはこの世代ががまさに文革で排斥される対象となった世代で、文革期に殺されるか、社会的に抹殺されたかのどちらかで存在していません。

 前回のカンボジアの大虐殺でも触れましたが、文革期には中国でも知識人が文字通り根絶される勢いで摘み取られていきました。ここでちょっと想像してほしいのですが、たとえば今、当たり前のようにいる設計士、技術者、熟練工といった人たちがこの社会から突然いなくなってしまうとしたら。もちろんそうなればあらゆる工事から工場の作業、開発製造といった行為がすべてストップしてしまいます。しかも、いざそういった人材をまた育てようと思っても、技術や知識を一から教えてくれる教員すらいない状況であればなおさら悲惨です。

 70年代の中国はまさにこうでした。一度は育てたあらゆる人材がいなくなり、技術や知識の継承をまた一からやり直す羽目となったのです。ただ中国はこれを奇貨として文革後に優秀な学生を選抜して、一気に東大など海外の大学へ留学させて建て直しをはかったりしています。今、中国の経済界ではそのような留学帰りの人たちが大きな力を持っているらしいです。

 中国が文革から受けた損失はなにもこの人材だけではありません。連載中にも書いていますけど何の計画もない土地開発のために自然環境は徹底的に破壊され、また歴史的遺物も「過去の残滓」として数多く破壊されています。
 そして元紅衛兵だったたくさんの若者たちも地方に下放されたまま、故郷へ戻ることすら叶わなくなりました。

 こうしてみると、何故これほどの悲劇が繰り広げられたのか、誰も止めることが出来なかったのかと疑問に思えてきます。敢えて私の分析を披露すると、この文化大革命は毛沢東の手によって引き起こされたものの、中期以降は一般民衆もむしろ率先してこの混乱を加速させ、いうなれば集団パニック、もしくは集団ヒステリーのような現象だったと思います。日本も戦前は教育上は軍部が国民を扇動させたことになっていますが、実際にはかなりの部分で国民も戦争へ突入するのを応援していました。何でも、朝日新聞が当時に反戦の記事を書いたら部数が一気に5%にまで落ちて、慌てて戦争賛美へと論調を変えたほど民衆も戦争一色だったらしいです。

 よく集団ヒステリーというと、大体二、三十人くらいの小集団で起こるもの、大きさにすると学校のクラス単位くらいなものと思いがちですが、歴史的に見ると日本を始めとした国家単位でも起こっていますが、さすがに中国という巨大人口国でも起こるというのはなかなかに驚きです。まぁ実際、集団ヒステリーに人数は関係ないのかもしれませんけど。

 では何故、そこまで混乱が発展したのでしょうか。いくつか理由があり、恐らくは複合原因によるものだと思いますが、その中で挙げられる原因を出すとしたらやはり、文革発生以前に中国人の愛国心が異常に高かったせいだと思います。戦前の日本、そして今の韓国もそうですが、なんだかんだいって愛国心というのは非常に扱いの難しい感情だと思います。低すぎても駄目ですし、高すぎても駄目です。では高すぎると何故駄目なのかですが、ちょっと前に書いた記事の被害者意識のように、国のためになることだったら何をしてもいいんだという風に思う輩が出てくるからです。

 今の中国でも「愛国無罪」という言葉が出るくらいに、国のための行為なら犯罪行為すら許されると主張する人間がおり、日本への批判、外交施設への投石も認めるべきだと過激なことをやる人がいます。恐らく、文革以前は今以上にこういった愛国心が強かったと予想されます。というのも当時の中国はまだできた手の国家で、政府も「皆で国を支えよう」と強く檄を飛ばしていました。そうして高められたまま毛沢東の扇動がおき、国のためならばと紅衛兵が立ち上がって法律を無視し、私的なリンチや密告合戦が起こっていったのだと思います。

 被害者意識の「被害者なら加害者に対してどんな抵抗をしても許される」とか、愛国心の「国のための行為なら何をしても許される」という意識の背景で最も大きいのは、個人の責任というのが乖離されることです。両方とも行為の責任主体を自らに置かず社会に対して置き、この行為は相手に迷惑(被害)をかけるが、自分は本当はやりたくはないのだけれど社会がそう要求する、というような具合で、心の一部で確かに悪いことをやっている気はするものの、なんとはなしにそれを許容するように自己弁護をやってしまうということです。

 戦前の日本でも軍隊内などで、「天皇の意思に背く」という理由でリンチや略奪行為などが許容されたことがありましたが、そもそも天皇がいちいち軍隊内でのビンタなどに意思を持つかどうか、しかもそれが各部隊長が判断できるのかというのは疑問です。一部の評論家たちも言っていますが、当時の軍隊は天皇という言葉を私的に利用しては自分たちの行為に正当性を無理やり持たせていたのでしょう。こんな感じで、「国のため」という言葉が自己を正当化するに至るまで愛国心が中国全体で高かったのが、この文革が起きた大きな理由だと私は感じます。

 最後にこの文化大革命について個人的な感想を述べると、他山の石のように思えないということに尽きます。ドイツでもそうですが、ユダヤ人虐殺などの戦争犯罪はナチスという狂った集団が行ったのだと自分たちと切り分け、我々日本人でも、太平洋戦争という無謀な戦争に至ったのは軍部(主に陸軍の)が国民を欺いたためと、こちらでも一般民衆は加害者ではなく被害者として切り分けています。
 しかし、私はいつもこう思います。

「虐殺もなにもかも、行ったのは自分と同じ人間だ。ちょっと間違えれば、今の自分もこういったことに加担するかもしれない」

 文化大革命も同様で、自分には関係ない、自分なら絶対こういう馬鹿なことはしないと切り分けることが出来ません。もちろんこんな悲劇は起こしてはならないので、常に注意しつつ、可能な限り周囲にこの事実を周りへと広げ歴史への反省を促していきたいと思います。

2008年10月4日土曜日

文化大革命とは~その十三、毛沢東思想の伝播~

 これから書くことは内容が内容だけに、すこし手が震えます。書くことの重大さもさることながら、そのあまりの内容からだと思います。

 さてこの連載の中の「その五、毛沢東思想」の中で、通称マオイズムと呼ばれる毛沢東の思想について、非常にお粗末ながら解説させていただきました。この毛沢東思想ですが、よく勘違いされがちですが伝播した範囲というのは中国国内に限定されておらず、なんだかんだいって欧米でも研究者が出るなど世界的に大きく広がりを見せ、現在でも大まかな範囲で否定されつつも、共産主義と農民主義を合体させたことなど限定的な面で評価されています。
 ここで更に注意してもらいたいのは、この毛沢東思想は決して過去の遺物ではなく、現在もなお影響を持ち続けている思想であるということです。その影響が未だに続いている場所というのは他でもなく、東南アジアに位置するカンボジアです。

 注意してみている人だけかもしれませんが、よく海外政治ニュースなどでカンボジアの情勢が伝えられる際、「毛派」という言葉が出てきます。この毛派というのは文字通り、毛沢東主義を第一に掲げている政治集団のことを指しており、その勢力が大きく衰えたとはいえ現在もなお活動している団体です。もちろん、その活動は非合法なテロなどが多いのですが。

 話は毛沢東が生きていた時代、そしてベトナム戦争が行われていた時代です。当時のカンボジアはシアヌーク国王による王政国家だったのですが、国王が外国に出ている隙に親米派のロン・ノルがクーデターを起こして政権をとりました。当時はベトナム戦争真っ只中ということもあり、ロン・ノルは国内にいるベトナム人や共産主義勢力に弾圧を加えた(カンボジアとベトナムは国境を接している)のですが、それに対して反動が大きくなり、最終的にはポル・ポト率いる共産主義勢力であるクメール・ルージュがゲリラ戦を展開して内戦を起こし、逆にロン・ノルを国外へ追い出すことに成功しました。

 まぁなんていうか、ここで話が終わればそれなりによかったのですが、皮肉なことにこの結果が後にカンボジア、ひいては20世紀の一つの悲劇を生むことになります。
 この時政権を奪取したクメール・ルージュですが、これはフランス語で「カンボジアの真紅」という意味で、カンボジア共産党ともいう意味です。この時の指導者はフランスへの留学帰りが多く、それから名づけられた名前です。
 ついでに余談ですが、中国で私と相部屋であったルーマニア人はフランスのことを、「あそこは共産主義国だから」と評していました。まぁそれとなくそんな感じはするけど。

 それでこのクメール・ルージュですが、内戦時に主に支援を受けていたのは中国からでした。中国としては共産圏を広がることでこの地域への発言力を強めようという意図があったのだと思いますが、この時に中国に影響を受けたことからクメール・ルージュの掲げる思想というのは毛沢東思想に準拠したものになりました。そしてそんな集団がカンボジア首都、プノンペンを占領すると、早速その思想を実行に移します。

 出来れば先にリンクにあげた過去の記事を読み返してもらいたいのですが、毛沢東思想の最も代表的な特徴というのは、「知識人は搾取階級であり悪である」ということです。そのため、この思想を掲げるクメール・ルージュが真っ先に行ったのは知識人の一方的な殺戮でした。聞くところによると、英語をほんのすこし話すだけでも、仏教を修行していただけでも知識人とみなされ一方的に殺戮されたそうです。またそうでなくとも、途方もなく極端な政策が無理やり実行されて強制労働が各所で行われ、文字通り死ぬまで人を酷使した上で逃げ出そうものなら容赦なく射殺していったようです。

 そうして知識人を社会からはじくかわりに持ち上げられたのが、まだ年端もいかない子供たちでした。毛沢東思想の反復になりますが、まだ何の教育にも染まっていない子供たちこそ新たな時代が切り開けるという考えの下でクメール・ルージュは子供に銃を持たせ、政策への不満を漏らしていないかスパイ活動を行わせ、挙句に大人たちの処刑を行わせたのです。このあたりは中国の文化大革命時の紅衛兵を想像してもらえばいいでしょう。まぁさすがに毛沢東も紅衛兵に銃は持たせませんでしたが。

 その結果、このクメール・ルージュ政権時に虐殺された人数は200万人から300万人とも言われ、当時のカンボジア全体の人口の実に四分の一もの人間が殺害されたと言われています。これは一つの政権による虐殺としては過去最大で、あのナチスドイツのユダヤ人虐殺の人数をも越えます。
 にもかかわらず、こちらは日本でユダヤ人虐殺ほどあまり取り上げられません。その理由は恐らく、ユダヤ人には政治家や金持ちが多くいるために世界的に発言力が大きく、それに対してカンボジア人はそれほど発言力がないからと、同じ共産主義国といってもソ連の支援を受けていたベトナムに対する防波堤としてこのクメール・ルージュを中国同様に間接的にアメリカが支援したということが影響していると思います。

 最終的にこのクメール・ルージュは対立していたベトナムと戦争状態になり、実力に優れるベトナム軍にコテンパンにやられ国外から追放され、この虐殺の責任を追及されないことを条件にベトナムに従うという政府関係者によって新たに政権が作られることにより虐殺が終わりました。このことが後々に問題となってくるのですが、こちらはちょっと範囲外なので取り扱いません。

 このカンボジアの虐殺については「不思議館~ポル・ポトの大虐殺~」に非常に詳しく書かれているので、勝手ながらリンクを貼らせていただきます。このページでも冒頭に書かれていますが、この虐殺について詳しく知りたいのなら最もよいのは「キリング・フィールド」という、実話を基に作られた映画を見ることをお勧めします。これはアメリカ人記者とそのカンボジア人通訳の人の話で、作中後者の通訳の方が英語を使える事を悟られまいと必死で隠す姿と、その彼に対して12~3歳くらいの少年が無機質な顔で銃を向ける映像が印象に深く残っています。

 結論を言うと、文化大革命は中国だけでなくカンボジアでも行われたということです。そして両国ともおびただしい犠牲者を生み出し、毛沢東思想というのは事実的にも悲劇の歴史を複数も生んでしまったということです。思想という言葉について最近あまり私が本を買わなくなった佐藤優氏によると、「普段何気なく、当たり前だとみんなが思っていること」と言い、日本人が意識しなくとも仏壇で手を合わせるような事が思想だと説明していますが、この毛沢東思想の例を考えるにつけ、集団を方向付ける非常に大きな要素なのだと思うようになりました。よく教育議論などで思想思想とあれこれ議論になりますが、そんな簡単に扱っていいものか、そんなあいまいな議論でいいものかなどと、軽々しくそれを口にするものに対して強く不快に私は思います。

暗記のススメ その二

 本店の方のコメント欄で何か私特別の暗記法があるのかという質問を受けたので、いい機会なのでいくつかお勧めの記憶術を紹介させてもらいます。

1、自己との連関化
 これは「バカの壁」の中で作者の養老猛氏が紹介している話なのですが、女性の出産のビデオを学生に見せたところ男子からは感想が拙い物ばかりだったものの、女子からはいろいろと面白い返事が返ってきたそうです。養老氏によると、男子はともかく女子は将来自分も経験するであろう対象であるために、興味が多い分対象に対しての集中、観察が強化されたのだろうと述べ、人間の脳への入力は以下のような数式になると書いています。

  記憶量=情報×係数 ※係数=対象への興味

 私も基本的にこの養老氏の意見に同感で、やはり自分の興味が強い対象であればあるほど物事は頭に入りやすいと思います。たとえばテストにでる科学反応式なんかはなかなか覚えないくせにゲームの攻略情報や呪文の名称なんかは大抵一発覚えられます。まぁ誰でもそうでしょうが。
 そこで私がこの人間の脳の特性ともいえる部分を利用している点ですが、基本的にどんな情報でも自分と関連付けるようにしてます。普段はどんなにくだらない情報でも将来それとどんな風に関わるかわからない、今のうちに覚えておかねばという具合で覚える動機づけを毎回やっております。
 私の実体験だと中学時代にミリタリーマニアの友人がいたのでそういったものにそれまで全く興味はなかったものの、「こういうことを憶えれば、軍事関係の話とか理解しやすくなる」と自ら動機づけを行い、彼の話す銃器の種類から部品名などをよく聞いて今じゃある程度ミリタリー情報は暗記している自信があります。余談ですが、形状的に一番好きな銃は「グロック17」です。

2、心構え
 先ほどの興味や連関と被る話ですが、やっぱり覚えようようという志しが一番大事だと思います。私の場合はそれがちょっと極端で、先ほどにも書いたように今は全く関係ないけど将来その情報が必要になってくるかもしれないので、予防線を張るような動機で情報を暗記しようとします。
 ただそれ以上に、自分で書くのもなんですが、私は基本的に他人が自分の知らないことを知っているのを非常に悔しいと思ってしまう性格をしています。なんというか自分が負けているような気がして、他の分野で勝ってても一つでもある分野の情報量に負けていると何とかせねばと考えてしまいます。こんなんだから無闇に範囲だけ広くて、器用貧乏なタイプになってったんだろうな。このブログの記事も統一感ないし。

3、情報の出力能力の強化
 これは以前に書いた、「情報の入出力に必要な能力」という記事でほんの少しだけ触れていますが、私の聞くところ他の人が一切言っていない私スペシャルの記憶術がこれです。一般的な記憶術や暗記法は情報の入力、つまり暗記する部分にばかり解説されており、肝心の運用方法には触れられていません。私はこの情報の運用、つまり出力に着目しています。

 まず、一般に暗記した情報というのはどういう時に使うかを考えました。まぁ研究論文などを書く場合などは普通は資料と対峙するので、恐らく暗記情報を一番使うのは会話時、それも討論の場合であったらなおさらです。その場合、手元に資料を持たずにどのように人と議論を重ねるのか。議論を重ねる情報材料はどこから出すのか、それは最初から頭の中に用意されているのか。

 自分でもちょっとわけのわからないことを言い始めましたが、簡単に言うと、会話全体で使う話題というのは会話を始めた当初から頭の中に「相手にはこういうことを言おう」と用意してあるわけでなく、その大体が相手の言う言葉に反応して、会話中に記憶から取り出されているということです。会話で使う暗記情報というのはメモ書きのように頭の中に常に張り出されているわけじゃなく、普通は相手からの返答、反応といった刺激に対して、「あっ、そういえばこの情報にはこういう話もあったな」っていう具合で引き出されるものが大半です。だから「空が青いね」と相手がいえば、天気の話題→気候→秋→秋空→「天高く馬肥ゆる秋だね」というような返答のプロセスが築かれます。くどいようですが、返答の内容は相手の発言があるまで頭の中に入っていません。

 私は人間というのは、思われている以上に何でもかんでも憶えられるものだと思っています。ですが記憶した情報というのは外部からの刺激がくるまでは大抵頭の中で眠りについたままです。その外部からの刺激も、強弱によって引き出せるかどうかが変わります。たとえば、歴史のテストなどの人物名を問う問題で直接答えさせる記述問題に対し、あらかじめテスト用紙に書かれた人名から四択で選ばせる選択問題とでは解答率が大幅に変わってきます。これは記述より選択問題のほうが正解の人名が書かれている分、外部からの刺激が強いために記憶が想起しやすいということです。

 これがどう記憶術に関わってくるかというと、私の場合は普段から会話などで情報に触れる際、なるべく多くの関連情報を想起するようにしており、その上何か新たな情報を取り込む際に、「この情報はこれとあれとに関連する。これとあれの情報が出てきたら必ずこの情報を思い出すように」と、見る人が見たらばかばかしいでしょうが、常にこうして情報同士の関連付けを整理しながら憶えています。こうした普段からのなんともいえない訓練の成果で、なにか一つの情報に対して記憶から引き出す関連情報の量は他人を遙かに凌駕しており、出力速度にも自信があります。結論を言うと、情報を引き出すために必要な刺激量を可能な限り少なくさせているのです。

 こういう風に考えたのは、記憶量を増やすよりも記憶情報の運用法を考えることのほうが思考にはずっとプラスではないかと考えたのがきっかけです。結果的に言うと情報同士の関連付けが以前よりずっと強化され、またしょっちゅう思い出すので情報の記憶への定着も良くなりました。ただ弊害として、一人での思考が際限なく続くことが増え、前なんかパソコンの中で新規フォルダを作って名前を入れる際に、フォルダ→情報(データ)を入れる→データの収集→伝承が収集されたのがギリシャ神話→オデュッセイア→作者はホメロス→「ほめろ」と書いたところでどうでもいいと思って結局フォルダ名は「誉めろ」になったことがあります。この間約一秒。

4、確認の実行
 予想以上に3が長くなってしまいましたが、最後に紹介するのは確認の実行です。たとえばちょっと気になったものとか、思い出せそうで思い出せないものがあったらすぐに調べるということです。今なんかウィキペディアもあるのですぐに確認が取れますが、やはり頭に出かかっているものを最後まで取り出さなければ、最終的にその情報は失われてしまうと思います。なので、「あの歴史上の人物は誰だったっけ」と思ったらすぐに関連情報から調べ、確認を取っております。こういう地道な積み重ねによる記憶の定着作業が、最終的に記憶量につながっていくと思います。

2008年10月3日金曜日

暗記のススメ

 昔私が中学生だった頃、十字軍を舞台にした小説を書こうと思い立って学校の図書館から中世世界史の本を数冊借りてきて、うちにある歴史資料集と合わせて大体四冊くらいの本を並べてあれこれ事実関係の確認などを行いました。さすがに四冊もあると各資料の中で足りない部分が相互に補われて大体の内容を掴むことができたのですが、ふとこの時に思うことがありました。

 たとえば「十字軍」という調べものに対してはこうして資料を並び立てることができるけど、毎回資料や記事がこう並びたてられる保障はないし、下手をしたら一回テレビかなんかで報道されてそれっきりという情報もある。そんな場合、今みたいに調査、研究するときにはどうすればいいのだろうか。

 こうして考えた末に出た結論と言うのが、どんな情報でも一回触れた時点で暗記するしかないという境地でした。
 基本的に情報を分析、研究するには、一つの情報を鵜呑みにせずに関連する情報同士を比較することが絶対条件です。しかし関連する情報というのは必ずしも先ほどの十字軍のようにそのテーマごとに本にまとめられていたり、ネット上でデータベース化されているわけでもありません。そのため比較する際には基本的に収集という作業が必要になるのですが、これも時間がとられるし、そもそも収集できる資料すらないということもあります。また資料があるとしても、大まかな目星なしに見つけるというのも難しいというものです。

 ではどうすればいいか。その解決方法として唯一浮かんだのが、私の場合暗記でした。どんな情報、たとえどれだけ些細なものといえども一回見聞きして暗記すればいざ分析が必要になったり、後で関連する事件が起きて重要度が増した際に一発で脳内で引き出すことができます。また研究対象に関する大量の資料が実際にあるとしても、数学みたいに数式を作って比較検討(データ化しての比較はあるけど)できるわけでなく、一旦自分の頭に入れて租借しないと、新しい理論や考え方などは浮かぶはずがありません。

 こういう風に考えるに至り、それ以降私は本当にどんなことでも暗記しようと心がけてきました。もちろん全部が全部暗記できるというわけではありませんが、それでも知人らからよく私の記憶力(知識力)が評価されるのは、こうした日頃の心がけの賜物だと思います。
 こう改めて説明した上で私の他の記事を読み返してもらえばわかると思いますが、基本的に私の得意とする解説は一つの情報に対して別の関連する情報をさらに紹介し、両者を複合させて私の考え(新たな情報)を紹介するという形式が非常に多いです。私なんて変なプライド持っているもんですから、一つの事実をただ単に紹介するだけなら伝書鳩でもできると思って、最低限関連する情報を紹介するようにしております。ちなみに、こういった作業を私は私的に「情報を加工する」と呼んでいます。

 なのでこれは他の人に言いたいことですが、よく丸暗記は官僚的で応用の利かない思考になってしまうなどと批判する人もいますが、私は最低限の知識を暗記して土台を作らねばそもそも人間は思考することができないと考えています。その土台は大きければ大きいほどもちろんよく、むしろ官僚的と呼ばれる方々のほうこそ暗記している知識が少ないのではないかと疑っています。
 私の友人の中でも自分に興味のない話題となると一応会話はするもののあまり深く聞かずに相槌だけ打つ人間もいますが、どれだけ自分に関係なさそうな情報でも、私は暗記するに越したことはないと思います。人間の記憶力はパソコンみたいに容量が決まっているわけじゃなく、鍛えようと思えば鍛えられるものなのですから、一語一句暗記する勢いくらいが思考にとっても返ってよいのです。

  おまけ
 昔読んだ話で、ある日本人が外人が円周率を小数点第千位まで暗記して見せたというニュースを聞き、じゃあ私は一万位までやろうと思い立って本当に実行してしまいました。この人は二十歳を過ぎた頃に記憶力の減退を感じ、それ以降ずっと鍛えていたそうで、確かその暗記をやってのけた頃には四十歳を過ぎていたと思います。
 よく年齢が重なると身体的に記憶力が落ちるといいますが、私はそれは嘘で、それまでより記憶する量が減るために起こることだと思います。なお、先ほどの円周率暗記の世界チャンピオンは確か去年か一昨年に事故の世界記録を塗り替えるために五万位までの暗記をやろうとしましたが、たしかこっちは途中で棄権していたと思います。

2008年10月2日木曜日

文化大革命とは~その十二、浅間山荘と紅衛兵~

 この連載の中の「その六、紅衛兵」の中で、紅衛兵たちが大人やかつての権力者たちに対して、「自分の思想、価値観が間違っていたことをここで認めろ」と、反省大会を繰り返して根拠なき暴力を繰り返していた話を私は紹介しました。見る人が見たら、「だから中国は……」と思うかもしれませんが、ちょうどこの時期、海を隔てた日本でも全く同じような光景が各所で行われていました。その最も代表的な例といえるのが、日本の浅間山荘事件です。

 もう私くらいの年代だとこの事件の詳細について知らない人間も数多くいると思うので、できればウィキペディアのページをみてもらいたいのですが私なりに簡単に説明します。
 この事件は山中にて、左翼過激派に属す若者たちが内ゲバの果てに仲間を集団でリンチして殺害し、その後に浅間山荘に逃げ込んで人質を取って篭城した事件です。この事件が当時に与えた衝撃というのは後者の篭城事件よりも前者の集団リンチの方で、もともとこの左翼過激派は日本を共産主義社会にするために来るべき暴力革命に備えて軍事訓練を行っていました。その訓練過程で、この事件を象徴する言葉となる「総括」が行われたのです。

 この「総括」、内容は文字通りこれまでの自分の人生を総括、反省を行ってこれまでの自分と決別することで革命戦士として自らを完成させることを言い、それを周りの援助を以って行うことを差します。この周りの援助、というか補助ですが、ここまで言ってればわかると思いますが罵倒と暴力です。
 この総括を指揮したのは実質的に森恒夫と永田洋子の二人で、二人はこの事件が起こる以前にあらかじめ自分たちは総括を終えて革命戦士として完成しているために、まだ完成していないものを指導する義務(権利)があるとして、一方的に総括対象者を選んでは私的なリンチを繰り返しました。

 今ウィキペディアで見ると、この総括については「山岳ベース事件」の項目の中で解説されていますが、総括の対象者に選ばれる人間の根拠というのは妬みとか、接吻といった不純な行為、また伝え聞くところでは女性が指輪をしていただけでも覚悟が足りないといって殺されています。

 少し長くなりましたがこの総括の内容が恐らく、共産主義者同士とはいえそれほど交流のなかったはずの中国で紅衛兵が行った行為と不思議なくらいに酷似しております。
 基本的なやり方は逆らえないように批判対象者を集団で囲み、その対象者に対して周りが一方的に批判します。紅衛兵なら「お前の報告書の出し方が毛首席の指導と違う」、総括なら「髪を伸ばして革命戦士としての心構えがない」などなど、何を言っても批判するネタになります。それに対して対象者は否定しようが肯定しようが、基本的に暴行されます。まず、「その通りだ、すまなかった」と言えば「反省が足りない!」と殴られ、「いや、そのつもりはなかった」と言えば、「まだわからないのか」と言われ蹴られます。

 両者に共通するのは、何をどうすれば自己批判、反省が達成されるかという基準がないということです。紅衛兵もなにが最も理想的な毛沢東主義者で、何が毛沢東主義に反しているかは毎回変わり、総括でも既に完成したという森と永田の二人の私的な感情が満たされるかどうかで、言ってしまえば批判対象者が何をどう言っても無駄だったと言うことです。
 暴行を加える側の理論からすると、自分たちは連中に真に反省を促すために愛の鞭を振るっている(恐らく、そういう気は一切なかっただろうが)という理屈を持っており、よくこの手の史料を見ていると「お前のためを思ってやっているんだぞ」という脅し文句が見受けられます。

 紅衛兵も総括も殴打による内臓破裂や失血によって批判対象者は次々と殺されましたが、一体何故交流のなかったこの二つの集団でこれほど酷似した暴行が行われたのか、個人的には興味が尽きません。まぁその答えというのは簡単で、単にこの暴力行為を行った集団が共産主義集団だったことに尽きます。

 共産主義の集団というのは基本的に教条主義で、既に理論は完成されているのだから余計な疑問、異論を持つな、持つ人間がいれば集団の統率が崩れるからそいつは叩き潰せ……という、比喩としては中世のキリスト教組織のような価値観を持っております。そのため組織は疑問を徹底して話し合う民主主義とは真逆の体制となり、異論派は徹底的に叩き潰されていきます。細かくまでは言いませんが、共産主義組織はこのように破綻した構造を持っており、スターリン時代のソ連や北朝鮮の例を持ち出すまでもなく権力の暴走を必然的に招きます。またその暴走は基本的に暴力を伴っており、人権というのは徹底的に無視されることが過去の歴史から言って確実です。

 この際だから徹底的に私から批判させてもらいますが、最近「蟹工船」ブームで共産党の入党者が若者の間で増えていると言いますが、今時の若者は本当に馬鹿揃いだと毎日せせら笑っています。何を期待して入るかまでは知りませんが、恐らく共産党は彼らの考えている組織から最も遠い組織、福祉や人権に対して一切無視する組織であることに間違いありません。今の委員長の志位和夫も、かつての委員長に対して反旗を翻そうとした東大内の下部組織の行動を防いだ事から出世して今の地位についていますし、組織として完璧にいかれています。

 敢えて厳しくも優しい言葉を共産党に変なの期待して入党した方に言うとすれば、この格差社会で大変だということも、誰かに何とかしてもらいたいという気持ちはよくわかります。しかし「誰か」に依存している限り、自分自身でこの社会をどうにかしようと行動しない限り、きっと何も変わらないと思います。共産党に入って世直しをしようと思うくらいなら、自分たちで集団を作ってデモなり意見交換なり行動するほうがずっと変革への近道です。私も三山木会で何かしようと思って、ずっと放っているけど。

犯罪の地域性

 昨日、警察は振り込み詐欺の犯人と思しき男性二名の顔写真を全国に公開しました。その報道によると、振り込め詐欺は一時は停滞したもののこのところ復活しているらしく、なんでも被害額でも過去最高のペースで推移しているそうです。それとこれは別の報道ですが、この振込み詐欺の形態の犯罪がなんでも他のアジア諸国にまで波及しているそうです。韓国や中国でも似たような犯罪が横行し、文字通り犯罪までも日本は輸出してしまい、日本人として恥ずかしい限りです。

 それで顔写真の話ですが、やっぱり以前と比べるとこういう写真公開での捜査の効果というのは薄れているそうです。昔、確か関西でやっている「たかじんのそこまで言って委員会」で言われていた話だったと思いますが、昔の人は毎日銭湯に来ていて、そこにでも顔写真を貼っていたら皆が見て犯人もすぐ捕まったが
、今はそのように一箇所に集まるような施設もないからあまり効果がないのではという話になり、それだったら誰もが見るテレビのニュースの時間枠に、「では、今日の指名手配の時間です」とばかりに放送するべきではないかという意見がありました。まぁ至極その通りですが。

 私なんかが勧めたいのは、ずばりYAHOOなどのポータルサイトのトップページなんか相当効果があると思います。確かに毎回犯人の顔を拝まなければならないというのは気分的にアレですが、それで治安がよくなるというのなら、指名手配になっている人間のうちランダムで毎回一人の顔が映し出されるトップページにするというのは結構いいんじゃないかと思います。

 ここで話は全く変わるのですが、この振込み詐欺は当初、朴訥な人柄で有名な静岡県が最も被害が大きかったそうで、それに対して大阪府はあれこれ相手に対して詳しく聞いたりするので、逆に被害額が最も小さかったらしいです。恐らくこの傾向はまだそれほど変わってはいないと思いますが、昨日うちのおふくろから面白い話を聞きました。その話というのも、大阪は確かに振り込め詐欺の被害は小さいらしいですが、「料金を取りすぎたので20万振り込めば50万返す」などと言っては振り込ませる「還付金詐欺」は逆に被害額が最も大きいらしいです。なんというか、大阪人らしいというか。犯罪にも、地域性ってあるんだなと感じました。

2008年10月1日水曜日

今日の党首討論について

 早くも今日三本目の記事です。我ながらよく書くものだ。

 さすがに疲れてきたのでちゃっちゃと書きますが、本日国会にて麻生首相と小沢民主党党首の党首討論が行われました。NHKのニュースを見ているとあまりうまい突込みがなされていなかったので、一つ私がかわりにやっておこうと思います。

 まず麻生首相は民主党が訴えている、政権をとった暁に行うといっている育児手当などのばら撒きの
財源はどうするつもりだと聞きましたが、小沢党首はいろんなところから節約すればいいと言い張り、その上で二代も続けて首相が政権を放り投げるなら、野党に政権を渡せと主張しましたが、お前が言うな、と私は思いました。
 というのも、そういう小沢党首だってちょうど一年前の大連立騒動の際に民主党内で了解を得られなくて、
「そもそも民主党には政権を担当する能力がないので、私は党首を降りる」
 って言ってました。野党に政権を渡せったって、あんた自分で民主党にはその能力がないと言ってたし、自分もちゃっかり党首をやるという責任を放り投げてんじゃん、と私は思いました。

 私は小沢氏は地方周りと党内運営が上手なんだから、はっきり言って党首より幹事長のほうがずっと能力に合っている気が前からします。このところニュースの政治解説で、民主党は党への支持率は自民党と変わらないほど高いものの、首相は誰がいいという調査では麻生首相に対して小沢党首は大きく水を空けられているという調査結果が取り挙げられていますが、この結果から民主党は政権をとった場合に小沢党首が首相をやらないといえば、より支持が集まるのではないかと私は思っています。

 自民党には任せられないけど小沢じゃねぇ……という声は何も今に始まったものじゃないし、実際に自民党はよくないが小沢党首が首相をやるくらいなら自民党を応援するという人もたくさんいると思います。なので民主党はここで、政権奪取の暁に小沢党首以外の誰を首相にするかと明言するのが賢い選択だと思います。差し当たって適任なのは真面目なだけが取り得の岡田氏でしょう。鳩山、菅の両氏はなんか軽そうですし。

 話は戻って党首討論ですが、その後の討論で麻生首相は補正予算案とインド洋派遣法案に民主党はどう対応するのかと再三問いましたが、結局小沢氏はこの質問には最後まで答えませんでした。別に麻生首相の肩を持つわけではありませんが、今回の討論では麻生首相の方が誠意ある態度を取ったと思います。

ダイハツ「ストーリア」から思うこと

 唐突ですが、私が一番見ていて好きな車というのはダイハツがかつて出していた「ストーリア」、OEM供給でトヨタからでは「デュエット」という名前で出ていた車です。ダイハツらしくシンプルなデザインのコンパクトカーなのですが、何故この車が好きなのかというと以前私が住んでいた京都の住所の近くにあった町屋に、いつもこのストーリアが止まっていたからです。

 色はエンジ色で、傍目にも町屋の風景とも非常に合っていました。ちょうどよく通る道だったので、文字通り毎日見ているうちにだんだんと好きになったというのが実情です。
 ただ、この車を見ているうちに思ったことがあります。今ではいろんな会社からいろんな車種の車が出ており、その中には人気のあるものもあればデザインの意匠性がよいと言われている車もあり千差万別ですが、結局のところ運動性能とかを度外視するなら、自分や自分が住んでいる地域にあった車を選んで乗るのが最良なのだろうと思うようになりました。そういいつつ、街中で乗るには多分非常に危険なランエボⅩとかも好きなんだけど。

 先ほどのストーリアの場合、色とそのシンプルなデザインが京都という一番景観を選ぶ場所に適合していたと思います。さてこのストーリア、車種としてはコンパクトカーという部類に属しますが、私はこのコンパクトカーこそが最も日本に合った車だと思います。

 というのも、日本というのはもともと狭いところに密集して住んでいたために基本的に道路幅短いです。そんな小さい道路に大きい車ではやはり旋回や隘路を通行するときには不便で、小回りが効いて小柄な車の方が便利であります。
 そういった環境の中から、日本の自動車会社は世界的にも珍しい「軽自動車」という車種を作り、燃費もよいことから現在のような不況下でも割と売れております。また政府もこの軽自動車に対しては税制面で優遇しており、他の車種を買うより保持するのにかかるコストが絶大なほどに安く抑えられていることも人気の要因です。

 しかし、この軽自動車の税制について異議を呈す者がいます。何を隠そう、世界のトヨタ……と呼ぶのは癪だから、愛知のトヨタです。愛知のトヨタが言うには、燃費面ではコンパクトカーと軽自動車は全く変わらないのだから、軽自動車を環境保全の目的の元に税金を安くするならそれをコンパクトカーにも適用しろっというわけです。結論から言って、私もこのトヨタの意見に賛同します。

 一見すると車重が軽い軽自動車の方が燃費がよさそうに見えますが、軽自動車はエンジンの排気量が660cc以下、馬力にすると大体60馬力以下の車に適用されるのですが、これだとエンジンの力が少なすぎて高速度では必ずしも効率よく走らせることができません。それに対してコンパクトカーは大体1000ccから1500ccの、税区分では普通乗用車に適用される車のことを指しますが、これだとそこそこエンジンの力があるので、中~高速度では軽自動車より効率よく走らせることができます。
 実際に雑誌「ベストカー」の検証実験だと、高速道路を時速80キロで一定時間走った場合の燃費を計算した場合、コンパクトカーの方が軽自動車よりわずかに優れておりました。

 恐らく時速60キロ程度では軽自動車の方がわずかに勝ると思いますが、軽自動車では構造上内装の広さが限られてくるため、載せられる人数や運べる荷物の量などを考えると、コンパクトカーぐらいが一番日本の道路事情に適しているのだと思います。今のコンパクトカーだと、セダンなんかより明らかに内装が広いし。
 それでも、コンパクトカーは税区分では普通乗用車扱いです。これだと軽自動車と比べて払う税金額にものすごい差があります。燃費だけでもコンパクトカーは軽自動車と同等なので、この際税金額を軽自動車と一緒にするほうが全体的な効率にもよいとトヨタ同様私も思います。

 逆に、ワゴンやSUV、ミニバンといった大型車は燃費が悪いだけでなく日本の道路事情に明らかに合っていない車なので、もっと税金を上げてもいいとすら思います。ちなみに、うちの家ではホンダのフィットというコンパクトカーに乗っています。自動車会社でホンダはかなり嫌いな部類なんだけど、私はコンパクトカーに乗るならストーリアか三菱のコルトにしたいものです。

近況

 今日から十月ですが、先月は合計で51本の記事を書いており、八月の53本という記録を再更新するには至りませんでした。
 しかし記事の内容を読み返すと、文化大革命の解説連載から経済関係の時事評論と、非常に長文で中身の濃い記事が目立ちます。先月も竹中平蔵氏の記事や太陽電池の連載をやりましたが、正直言って文化大革命の連載は記事を一本書くたびにものすごい疲労するほど一本あたりの記事が重いです。その分結構いいものを書いている自信もあり、内容的なものを見るならば先月は先々月より書いていると思います。

 さてそれで私の近況、というか今日思ったことなのですが、今日電車に乗っていると内定式帰りらしいスーツをまだ着こなせていない若者が多く見えました。十月一日なので恐らく間違いないでしょうが、私も記事にしたリーマン・ブラザーズ社の日本法人に内定していた学生なんかはどうなったのか個人的に気になります。一応野村證券がアジア部門を買収することを発表していますから、野村證券に就職することになるのでしょうかね。
 ネット上でもあれこれ書かれていましたが、リーマンブラザーズに内定をもらった時点では勝ち組だったのが見事に敗者へと成り下がるという、このあまりのギャップに所詮は他人事なので笑いがこみ上げてきます。

 それに証券会社というのはもともと人を騙して儲ける商売みたいなもので、その上外国法人と来たもんです。私なんて見た目は結構おとなしく見られるそうですが、実際には結構過激な性格をしているので、今でも公然と外国法人の証券会社やキャノンに勤めている人間に対して「売国奴めっ!」と罵ってやみません。真っ当な外国法人(アップルとか)はもちろん除きますよ。
 なので先ほどの内定者たちにも厳しいようですが、自業自得だという気がしてなりません。ゴールドマンサックスとかもこれから景気が悪くなってきますし、あんだけ人殺してきたつけがまわったのだと、そこで働いている日本国籍者ともどもざまぁみろという気がします。

 まぁ日本もこれから調子悪くなる、特に自動車産業なんて目も当てられなくなることが予想されます。というのも日本の自動車会社は日本国内ではどこも赤字で、絶好調だったアメリカの販売でありえないくらいの利益を出していました。特にトヨタなんてそうでしたが、これからアメリカの販売は劇的に低下することが予想され、また中国市場もそろそろ頭を打ち始めるでしょうから、手広く商売したのがかえって足かせになってくると思います。

 その気はなかったのですが、またも経済系な記事と化してしまいました。

2008年9月30日火曜日

文化大革命とは~その十一、現在の中国の評価~

 前回までで文化大革命の通史の解説は終わりです。今回からは文革の影響や周辺事項など抽象的な話を中心にまだしばらくやってこうと思います。まずやるのはほかならぬ当該者である中国の、現在の文革への評価です。

 結論から言って、現中国共産党および中国人はこの文化大革命を明らかな失敗、悲劇の時代だったと認めています。餃子に毒が入っていようが遊園地にドラえもんがいようが決して自分たちが悪いとは言わず、下手したらガチャピンの中に人は絶対入っていないとまで言い出しそうな頭の固い中国共産党にとって、こうはっきりと失敗を認めるというのはとてつもなく異例です。

 前回の記事でも最後の方に書きましたが、毛沢東の死後に華国鋒などはまだ失敗だったと認めようとはしませんでしたが、鄧小平ははっきりとこれを失敗と認めました。これは政治的な駆け引きでもあるのですが、鄧小平としては最低限の市場経済的要素を必ず中国にも導入せねばならないと考えており、そのためには国内、ひいては共産党のこれまでの価値観を変える必要がありました。
 そこで、最も共産党らしく平等主義が謳われた中で行われたこの文化大革命をはっきりと失敗、悪い政治の見本として置く事によって、この文化大革命と真逆の政策である、彼の言によると、「共産主義にも、市場経済があってもいいじゃないか。ないなら我々で新しく社会主義市場経済を作ろうじゃないか」と訴えることによって、自らの正当性を中国全土にアピールしました。

 この鄧小平の目論見は見事に当たり、恐らく文革の混乱に国民が疲れきっていたというのもあるでしょうが、中国全土で鄧小平への支持が集まるようになりました。
 とはいっても、鄧小平個人で見るなら学者たちの見方としてはやはり彼は生粋の共産主義者であったという声が非常に強いです。というのも鄧小平は急激な市場経済への傾倒は中国で大混乱を引き起こし、ひいては国を滅ぼすと考えており、市場経済を完璧に認める「経済特区」を当初は中央から遠く離れた、香港と接するシンセンから行い、あくまで限定的に徐々に徐々に市場経済へと移行してきました。そしてこの際一挙に市場経済の波に乗って政治も民主化すべきだと立ち上がった学生たちに対しては、第二次天安門事件で容赦なく叩き伏せ、鎮圧しています。これもいつか解説しないといけませんが、この事件の際に鄧小平は天安門に戦車を繰り出し、学生たちを情けなく踏み潰しています。これに対して「ワイルドスワン」の作者のユン・チアンは、あの地獄の時代を終わらせてくれた鄧小平がこんな残酷なことをするなんてとても信じられなかったと述べています。

 話は戻りますが中国のように広い国ではスローガンというか大きな政策目標くらいしか全国へ回らないために、こうした言葉が非常に政権維持にとって重要になってきます。第二回でも確か少し触れていますが、鄧小平は日本の小泉元首相のように文革=悪、市場経済=善と二項対立を国民に謳って、彼の政策を推し進めていきました。まぁ結果論から言えば、文革は明らかに悪でそれ以外だったらなんだって善になりそうなんだけどね。
 今の胡錦濤政権も基本的にこの路線を引き継いでおり、「市場主義は守っていくべき。でも共産党が政治を見ることも中国にとって大事」という風にやっています。私が最初に文化大革命を否定することで現在の共産党政権の存在意義が成り立っていると言ったのは、こういうことです。

 ついでに書くと中国研究家の高島俊夫氏などは著書にて、中世に長い間政権を保った明は建国者の朱元璋(農民出身で毛沢東は大好きだった)の後に帝位継承争いが起こり、見事勝利して即位した次の永楽帝は首都を南京から北京に移したり、政策も根本からすべて改めたことを例に取り、現在の中国も毛沢東が国を興して次の鄧小平がすべてひっくり返したから意外と長期政権となるのではと言っていますが、なかなか含蓄のある意見です。

 次にこの政府の見方に対し、中国国民は文革をどう見ているのかですが、基本的には政府と同じで悲劇の時代だったと総括しているようです。ただ少し気になる点として、私が以前に知り合った中国人の方が毛沢東についてこんな風に言っていました。

「彼は最後の方は腹心に騙されて変なこと(文化大革命)をしてしまったけど、やっぱり偉大な人物であることに間違いないわ。私の両親も今でも大好きよ」

 もしこれが対話だったら今の会話文のどこに気になる点があるか相手に答えさせて、それで相手の洞察力や知力を測るのですが、まぁここでやってもねぇ。友人からはもうこういう風に相手を値踏みするなと毎回怒られているのですが……。

 それで今の会話ですが、重要な部分というのは「最後の方は腹心に騙されて」のところです。これははっきりと断言はできないのですが、恐らく中国共産党としてはこの文革の責任を毛沢東に負わせずに、彼の周りの腹心、彼の妻である江青を含む「四人組」と呼ばれた人間が彼をそそのかして起こしたのだと国民に教えているのだと思います。つまり毛沢東自身は率先して文革を行わず、毛沢東の威を借りた狐である四人組が起こしたのだとして、毛沢東の権威を現在も保持、利用し続けているのではないかと私は思います。

 実際に地方などでは今でも毛沢東の支持者は非常に多く、彼らを取り込むために毛沢東の権威を守る必要があったのは想像に難くありません。前回でも言ったように鄧小平も「七割が功績、三割が失政」と言って、徹底的に毛沢東を否定することはありませんでした。
 しかし歴史的に見るのなら文化大革命はやはり毛沢東が明確な意図を持って推し進めた混乱で、その責任も毛沢東が最も大きいと私は断言できます。しかし現共産党幹部の苦労も知っているので、彼らがこのような姿勢をとるということにはしょうがないと強く理解できます。

 幸いというか、現在ではかつてほど毛沢東の強い神格化や崇拝の強制は行われなくなり、現代の中国の若者は文化大革命について知らない人間が増える一方、上の世代ほど毛沢東へ強い意識を持たなくなったと言われています。恐らく中国共産党としては、第二次天安門事件同様に早く全部忘れてもらいたいというのが本音だと思います。

早稲田大学のつくば市風車裁判の判決

 多分普通の人は全く気にしていない事件でしょうが、問題が起きた当初から私はこの裁判を一人で延々と続報を追っていました。

つくばの風車損賠訴訟:早大に賠償命令(毎日jp)

 内容はリンクに貼った先のページを見てもらえばわかると思いますが、以前つくば市がクリーンエネルギーの導入の一環として早稲田大学に事業を委託し、三億円をかけて小学校などに風車を設置しました。しかしいざ実際に風車を回してみると電気を発電するどころか全然回らず、早稲田側が主張していた発電量に全然遠く及ばなかったためにつくば市が金を返せと主張して裁判にとなりました。

 結論から言うとこの裁判では早稲田側が敗訴して、二億円を越える賠償金額をつくば市に払うように言い渡されました。この判決に対する私の意見はというと、非常に良い判決だったのではないかと思います。
 というのも、この風車が回らない事態が起こった当初の早稲田の言い分があまりにあれでしたからです。

「試算された発電量は、作られた風車の三倍の大きさのものだ」

 なら言えよ、というのが私の感想です。早稲田側は作られる風車が計画より小さくて発電量が少ないということを市側も知っていたと主張していますが、それだったら何故作っている最中に自分たちで計画を止めなかったのかとか、知っておきながらちゃっかり三億円ももらっているという点がはなはだ疑問です。第一、できた風車だって直径5メートルもある代物なのですから三倍といったら15メートルです。そんなむちゃくちゃでかい風車でそもそも試算するというのはちょっと現実離れし過ぎです。

 恐らく、早稲田としては回らなかったのは本当に予想外の事態だったんでしょう。裁判中に和解を申し出てますし、適当に言い訳するために三倍とかいう数字を出してきたのだと思います。往生際が悪いというかなんというか。

2008年9月29日月曜日

アメリカの金融不安と日本のメガバンクについて

 本日友人からリクエストをもらったので、この前のリーマンブラザーズ社破綻以降続いている世界的な金融不安とそれに対する日本のメガバンクについて手持ちの情報と解説をやろうと思います。

 先ほどのNHKのニュースによると、何でもベルギーの銀行が信用不安から取り付け騒ぎに生じかねないとのことでベルギー政府が公的資金の注入を発表したようなのですが、このベルギーの信用不安も明らかにアメリカの金融不安が原因です。このアメリカの金融不安についてアメリカ嫌いの経済学者などは去年辺りからいつかボロが出るなどと警鐘を鳴らし続けていましたが、連中は今のようになったらかつての大恐慌のような世界的経済混乱が起こると予想していましたが、結論から言って現時点でもその可能性は非常に高いと思います。

 なぜならアメリカの通貨がドルだからです。基本的に貿易の世界ではドル決済といって、商品の売買はドルでお互いに支払った後に自国通貨に換えます。何故これがドルなのかというと、それはやはり安定しているのが理由です。たとえば昨日まで1ゴールド=100円だったのが次の日には1ゴールド=500円になったりすると、日本人で前日に500ゴールドで商品を買うと約束していた人は5000円で済む支払いが25000円にまで膨れ上がってしまいます。貿易というのは輸送や送金に時間がかかるためこうしたリスクを常に計算しなければなりませんが、この変動が小さければ小さいほど貿易の人間にとっては取引が安全ということで、これまで決済通貨にドルが使われてきました。

 その結果、ドルは世界中でばら撒かれ基軸通貨としての地位を得ましたが、今回のこの金融不安で急激に変動が起きた場合、たとえば銀行のローンだと毎年1000ドル返済する予定がドルの価値がその国の通貨で三分の二に落ちてしまった場合、単純に収入も三分の二に落ち込んでしまいます。このようなことが今後世界中で起こることが予想されるので、まぁ確かにかつての大恐慌のようなことになるというのもうなずけます。

 それに対して我らが日本の銀行はどうなのでしょうか。実を言うと、今の状況は日本の銀行にとっては願ったり叶ったりの状況であると私は考えています。
 というのも日本は私も以前にくどいくらい「竹中平蔵の功罪」の記事の中で解説しましたが、竹中平蔵氏が指揮した小泉改革の中で徹底的に不良債権を洗い出して自己資本比率、要するに自由に使える銀行自身の手持ちのお金を可能な限り貯めさせたのもあって、恐らく他国と比べて今回の金融不安で受ける損失は著しく低いと考えられます。また自己資本比率が多いということは、今回の混乱で他国の銀行が損失の補填やら運転資金やらに回すのに手持ち金が不足するような事態に陥っているのに対して新たな投資を行えるくらい余裕があるということを表しています。

 その結果の証拠というか、先週末に経済紙の一面を騒がせましたが三井住友銀行の米証券会社一のゴールドマンサックスへの出資と、野村証券のリーマンブラザーズのアジア部門買収がありました。これは運転資金にすら困る連中に対して、いかに邦銀が資金に余裕があるのを見せ付けた事件でした。
 かつて日本が不況だった折には散々公的資金を投入して立ち直らせた新生銀行があっさりとアメリカの投資家たちに買われていったのときれいに逆転し、今度は日本の銀行がアメリカの会社を買うようになったなんて、不謹慎ですがすこし小気味よく感じます。たとえるなら、散々四番バッターを奪っていった阪神に広島がありえないくらい勝ち越すような気分です。

 かといって、日本の銀行を私は手放しで賞賛するつもりはありません。なぜなら彼らがそれだけの資金を持っているのにはやはり悪いことをしているからです。その悪いことというのも、ずばり金利です。
 通常、個人が銀行に預金をしているとその額に対して利子がついて増えていきます。しかし日本はかつての不況以来延々と0金利政策を日本銀行が取っているため、普通の銀行である民間銀行も延々と金利を据え置いて、確か利率1%をまだ切っているんじゃなかったでしたっけ。

 本来、銀行は個人から預かるお金に応じて利子を払わねばならないので、その分企業などにお金を貸して自分らで利子を取ってお金を増やすという資金運転をしなければなりません。しかし今の0金利政策下だと人からお金を借りても払う利子が極端に少ないので、別に無理して企業にお金を貸す必要もありません。

 その結果起きたのが、私の見たところあまり経済誌なども取り上げておらず、唯一私と私の親父だけが道頓堀に飛び込まんばかりに怒っている銀行の貸し渋りです。かつての貸し渋りは資金の余裕のなさから起こったものですが、今は資金に余裕があるばかりか、どの銀行も過去最高利益を更新し続けるほど儲けているのに企業への資金の貸付を顕著に減らしています。これは支払う利子が少ないために資金を溜め込むリスクが少ないため、確実に利息が返ってくる優良企業にのみ商売をやって、中小企業を相手にしなくなったというのが問題の構造でしょう。その結果何が起きたかというと、うちの親父曰くアーバンコーポレーションや創建といった、そこそこ名のある企業の破綻です。特にアーバンなんて経営上うまくいっているのに運転資金が足りずの破綻、つまり黒字破綻です。

 本当に皮肉な話ですが、今日本で最も資金の流通を妨げているのは間違いなく銀行でしょう。新規の産業には一切金を出さないどころか、個人への利子も全く払おうとしません。確か去年の記事ですが、この銀行の不作為によって日本人が失った本来受け取るべき利子は数兆円にも上ると分析されています。

 今、邦銀はそのようにして貯めたお金を使って弱っているアメリカの金融機関などの買収に乗り出していますが、別に買収が悪いことだと言うつもりはありませんが、それより先にもっとやるべきこと、金利の引き上げと企業への貸付の増加があると私は思います。

2008年9月28日日曜日

文化大革命とは~その十、毛沢東の死と文革の終わり~

 いよいよ文化大革命の通史の大詰めです。この後は文革についてその後の影響や思想について書くので連載はまだ続きますが、ひとまず今回で大まかな話は終わります。

 さて前回では周恩来が死んだ時期について解説しましたが、よく周恩来と毛沢東はセットで語られることが多いのですが、彼ら二人が建国以後文字通り二人三脚で中国を背負っていたということはもちろん、こうして同じ年に死んだこともそのように語られている原因だと思います。

 1976年、周恩来の死から八ヵ月後についに毛沢東も病気で死亡します。その臨終の様については諸説入り乱れており、中には「日本の三木首相の選挙のことを心配していた」とかいうとんでもない話まであり、どれが本当かはまだ研究する時間を待たねばなりません。しかし約半世紀にわたって中国を引っ張り続けた彼の死はそれはもう大きな影響を後に残しました。

 毛沢東は死の間際、数年前から中央指導部に引っ張り側近に取り立てた華国鋒を次の後継者として指名していました。何故この華国鋒が毛沢東によって突然の抜擢を受けたかというと、それも今のところよくわかっていません。ただ中央指導部に抜擢されたのは派閥人事のなかでバランスを取るためだといわれており、事実この人はどうにもキャラが薄く、これというはっきりした政策案とか色を持っていなかったようです。

 それがために死後に混乱を恐れた毛沢東が、どこにも派閥に属していないという理由だけで華国鋒を取り上げたのかもしれませんが、毛沢東の死後、残った華国鋒はたまったもんじゃなかったと思います。というのも権謀術数渦巻く中央政界において何の後ろ盾も持たない自分だけが形だけの最高権力者として放り込まれ、案の定毛沢東の側近として文革を推し進めた「四人組」がより大きな権力を求め(四人組の中の一人である毛沢東の妻の江青は国家主席の地位をねらってたと言われている)、華国鋒の追放を画策し始めてきました。

 そんな状況下で、華国鋒には恐らく二つ選択肢があったと思います。一つは四人組に従い、国家主席の地位を投げ出すか、四人組に唯一対抗できる「猛虎」を自分の下へ引っ張り込むかという選択肢です。結果から言うと、彼は後者の選択肢を選び、第一次天安門事件にて再び追放された鄧小平を招聘するに至るのです。

 ちょっとややこしいことを先に書いちゃいましたが、時系列的には華国鋒は先に四人組を軍隊の幹部である葉剣英と組んで毛沢東の死から一ヵ月後に電撃的に逮捕、死刑宣告を行って一掃し、その後に鄧小平を中央指導部へ招聘しています。恐らく彼は鄧小平の力を借りながら自らの地位を守っていこうと考えたのだと思いますが、虎はやはり虎で、案の定自ら招聘した鄧小平によって失脚させられます。

 事の次第はこうです。四人組の逮捕後、恐らく鄧小平への牽制として華国鋒は自分の新たなスローガン、その名も「二つのすべて」を発表します。これは単純に言って、「毛沢東の言ったこと、やったことは何一つ間違いがない」という内容で、要するに毛沢東の目指した路線を守っていこうという政治信条で、これを発表することによって毛沢東の支持層を取り込もうと考えたのだと思います。しかしこれに対して毛沢東がいなくなって怖いものがなくなった鄧小平は猛然と真っ向から否定し、こう言いました。

「毛沢東の言ったことにも、中には間違いもある」

 華国鋒はあくまで毛沢東路線を引き継ごうとしたのに対し、鄧小平ははっきりと毛沢東の後年に行った文化大革命などの一連の政策は間違いだったと主張したのです。しかしここが鄧小平のうまいところで、彼はそれに加えて、「毛首席は確かに間違ったことをした。しかしそれでも功績七割、失政三割で、やはり彼は偉大な指導者であった」と毛沢東を全否定せずに文革のみを否定し、毛沢東の支持層を含めて民衆を大きく取り込んだのです。

 この論争は民衆の感覚をどう捉えていたかの両者の違いがはっきり出ています。華国鋒も鄧小平も文革の混乱をどうにかせねばと考えていたのは間違いありませんが、民衆がどれだけ毛沢東に傾倒しているか、文化大革命にどれだけ憎悪を燃やしているかを華国鋒よりも鄧小平の方がしっかりと計算できていたようです。「ワイルドスワン」のユン・チアンもこの鄧小平の打ち出した路線を知った時に、地獄に仏のように思ったとつづり、だからこそ後年の第二次天安門事件で虐殺を行ったとは信じられなかったと述べています。

 その後、華国鋒は鄧小平の批判を受けて次第に権力がなくなり、最終的に指導部からかなり早くに追い出されることになりました。しかし文革期のように集団リンチを受けたり強制労働をされるわけでもなく、一定の地位と収入をもらって余生を過ごしていたようです。その一つの証拠として、この華国鋒は87歳で、つい先月の八月二十日に天寿を全うして亡くなっています。

 実はこの連載を始めるきっかけというのが、この華国鋒の死でした。これによって文化大革命中の中心人物はほぼすべて世を去ったことになり、当事者たちがいなくなったことによって、これから恐らくこの時代についての様々な史料が公開されることだろうと思いますが、その前に中国の今の若者にとってもそうですが、隣国でこれほどの大事件が起きていたことを知らない日本の若者が多いということを改めて痛感し、私自身もまだ未熟な理解ではありますが中国を理解するうえで決して外せないだけに、何かしら役に立てないかと思って連載を書くことにしました。

 長くはなるだろうとは思っていましたが、十回を越えてまだなお書く記事があるというのは我ながら予想だにしませんでした。もっと簡潔に書くべきだったかもとは思いますが、第二回に既に概要は書いてあるので、むしろここまで細かく書いておいたほうがよいのかもしれません。今までのどの回も呆れるくらいに長い記事となっていますが、きちんと読んでいる方がおられれば、この場を借りて深くお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。

文化大革命とは~その九、周恩来の死~

 前回の林彪事件の記事は私自身あまり詳しくないのもあって、どうも後から読んでみるとやっぱり文章のリズムがよくありませんでした。まぁ今回の周恩来はいろいろあるからそんなことはないと思うけど。

 さてこの周恩来、日本からすると田中角栄との日中共同声明に調印した人物として有名ですが、何気に戦前には台湾の李登輝元大統領と同じように京都大学に留学に来ており、帰国の際に嵐山に立ちよって詩を詠んだ事から現地に記念碑ができており、京都にくる中国人の観光スポットとしてそこが有名になっています。
 実は中国人からすると、この周恩来は今でも非常に人気のある人物です。毛沢東に対しては畏敬の対象として恐れ多いもの、なんと言うか天皇に対する右翼の態度みたいなものですが、周恩来へは日本人の萩元欽一氏への態度みたいに誰からにでも好かれています。私の友人の中国人(♀)なんて日本人だと玉木宏、中国人だと周恩来が一番好きだといって豪語してやみません。

 その周恩来、数々の建国時の元勲までもが追放された文革期において一度として毛沢東から迫害を受けませんでした。周恩来は建国以後ずっと政務院総理(現在の国務院総理)という行政の長、日本で言う内閣総理大臣の職に位置しました。何故彼だけが毛沢東に目をつけられなかったかというと、この職位が関係しているといわれています。
 どういう意味かというと、毛沢東自身も恐らくは大躍進政策の失敗から行政政策を執り行う能力が自分にないということを自認していた節があります。なので、どうしても外すことのできないこの職に限っては専門家、つまり行政手腕に長けた人材を囲っておかねばならないという必要性から、周恩来を追放しなかったのだと言われています。

 では、同じように行政手腕に長けた劉少奇と鄧小平ではなく、何故周恩来だったのかというと、それは恐らく先の二人に比べて毛沢東の意のままに従う人物であったからだと私は思います。もともと毛沢東が抗日戦争の最中に党内部で権力を掌握するに至った遵義会議にてこれまでの幹部を裏切り毛沢東についたという経緯があり、また文革初期に至っても先の国家主席の劉少奇に対してスパイ容疑を出して、迫害に至る決定的な一打をぶつけています。その後も文革期は一貫として毛沢東の指示に従い続けました。

 しかし、こうした彼の行動については追放された鄧小平自身も理解を示しています。鄧小平に言わせると、あの時代は毛沢東に逆らえばどうしようもなかった時代で、敢えて毛沢東に従いながら文化大革命の被害を最低限に抑えようと実務面で周恩来は努力したのだと評価しています。実際に、あの文革期に国内の政務を一手に取り仕切っていたというのは実務家として大した手腕だと私も評価しており、取り仕切れるのが自分しかいないと自覚していたが故の行動だったのではないかと、好意的にみております。

 その周恩来ですが、とうとう1976年に死去することになります。ちょっと前に発売した「毛沢東秘録」という本によると、毛沢東は病気となった周恩来に対してわざと医者に診させないように手配して、暗に周恩来を死なせようと仕向けたと書かれています。それが本当かどうかはわかりませんが、この周恩来の死は当時の中国人も大いに悲しみ、その悲しみが第一次天安門事件につながることとなりました。

 日本人は「天安門事件」というと1989年に起きた民主化デモを中国政府が軍隊を使って押しつぶした「六四天安門事件」、私は「第二次天安門事件」と呼んでいますが、こっちの方しか思い浮かばないと思いますが、実は天安門事件は二つあって、一般に知られているほうが後で、最初のはこの周恩来の死の直後に起きています。

 その第一次天安門事件ですが、これは天安門広場前に民衆が死去した周恩来へ向けて花輪を捧げたところ、北京市当局によって即撤去されたことから起きた事件です。それ以前から文革を主導してきた毛沢東の腹心四人、通称「四人組」への批判が高まっており、周恩来の死によってますます彼らの専横が広がると考えた民衆らが花輪事件を契機に政府に対して四人組を批判するデモを大々的に行ったところ、これを危険視した政府によってその後の天安門事件同様に軍隊を使って強圧的に運動を押さえつけられました。

 その後、この事件の責任が問われ、林彪事件失脚後に復帰していた鄧小平がまたも失脚することになります。なお「ワイルドスワン」の作者のユン・チアンによると、毛沢東が劉少奇を殺して鄧小平は追放はしても殺しまではしなかったのは、最低限周恩来の代わりになる政治実務の担当者を用意しておく必要があったからだと分析しており、私もこの説に同意します。まぁ皮肉なことにいざ必要になったところでまた追放されちゃったんだけど。

 しかし、この鄧小平の追放は今度のは比較的短期に終わりました。何故かというとそれから八ヵ月後、彼を追放した張本人がいなくなったからです。もはや隠すまでもありません、文化大革命の主人公、毛沢東がこの世を去ったからです。

面白いゲームの条件

 前々から書こうと思っていたネタですが、私がコンピューターゲームの数ある条件の中で何がそのゲームを面白くさせるのかと思う最大の条件とは、ずばり「成長する要素」だと思います。

 さてこの成長する要素、RPGなどは至って簡単でレベルが上がるということでキャラクターは成長していきます。これがどう面白さにつながるのかというと、やっぱりやっていてゲームをやっている、積み上げているという実感が湧いて来ます。またキャラクターが成長することによってこれまで進めなかった場所にまでゲームを進められるようになったり、倒せなかった強敵が倒せるようになったりすると非常に爽快感がこみ上げてきます。
 私などはRPGゲーム全盛期の90年代中盤の育ちですから特にその傾向が強いのかもしれません。ちなみにその頃は、「RPGにあらずばゲームにあらず」と言わんくらいにこのジャンルが流行り、多分その頃からもそうでしたが一番多いゲームのジャンルというのは今は「アクションゲーム」なのですが、このアクションに対するRPGの割合は当時はずっと高かったと思います。

 私がこの成長する要素に初めて着目したのはレースゲームの「グランツーリスモ4」でした。このゲームで開始当初は所持金が少なくてしょぼい車しか(何気にAE86、「ハチロク」を最初に買った)買えなかったものの、下位のレースで勝ち続けて賞金を集め、集めた賞金で新しい車を買ったり今もっている車を改造することによってより上位のレースに挑戦できるようになるのが当初、非常に面白かったものです。またこのゲームだとクラスのレースをすべて勝つことによってプレゼントカーというものが無条件でもらえ、その車がまたいい車だとこれまたうれしく、わざわざその車を使って次のレースに挑んだりということもして遊んでいました。
 もっとも、このゲームは最初に「AE86」なんか買わずに「R32スカイラインGTR」を買えば序盤からかなり余裕で勝てるんだけどね。反則なくらいに速い車だし……。

 このように、「挑戦できなかったものに挑戦できるようになる」、「自分の技術、ゲーム内のキャラクターの実力が成長する」という要素こそ、ゲームの面白味を引き出す最大の条件なのではないかと思うようになってきました。今流行っている「モンスターハンターシリーズ」も、様々な武器防具を集めてきた材料で作り出すことによって手に入れ、それを装備することによってより上位のクエストに挑戦できるようになるという要素がここまでの人気を生んでいるのだと思います。格闘ゲームなどもそうで、自分の技術が上達するというのが目に見えれば見えるほどのめりこんでいったように思えますし、システムが複雑になって成長が逆に見えづらくなった90年代末期の格闘ゲームが衰退したのは自明な気がします。

 このようにゲームにおける「成長」という要素が、その面白さを左右する最大の条件だと私は思っています。考えてみると子供の成長から勉強まで、成長や上達が目に見えれば見えるほど人間というのは喜びや興味を感じるように思えます。これなんかは昔に私があれこれ考えていた話ですが、基本的に人間は適度な変化が目に見えなければ不安に陥りやすく、また急激な変化が起こるとこれまた不安に陥ると考え、「徐々に変化する」というのが目に見える「成長」というのが一番具合がいいのかもしれません。

 だからもし私でゲームを作り出すというのなら、アドベンチャーゲームではどれもついていますけど「達成度」という指標を必ず入れると思います。「現在の所持ポケモン数/150」とかいうような感じで。
 個人的にこういった要素を入れて一番やってみたいゲームというのがガンダムのゲームです。たとえば最初はジムしか使えず簡単なミッションしかできないのが、徐々にガンキャノン、ガンダム、Zガンダムとか選べるようになって難しいミッションもできるようになるというのが理想的です。一応、「機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles」というPS2のゲームがまさにこれなんですけど、残念なことに機体がファーストのものだけで、また数も少し少ないというのが残念でした。それでも100時間以上は遊んでいると思いますけど。私以外の人も言っていますが、余計な要素はいらないからこの作品の続編を、機体数だけ増やして出してほしいと私も願っています。できればZが舞台の奴で、そしたら私は愛するマラサイでカミーユを撃墜してやりますよ。あの甲殻類を思わせるフォルムが一番好きです(n‘∀‘)η

ゲーム会社のアトラスについて思うこと

 前回、「ゲーム「ペルソナシリーズ」についておもうこと」にてペルソナ3について簡単にレビューをしましたが、その後しばらくゲームを続けていて、なんというか「またか」というような感情を覚えてきました。というのもこのゲーム、RPGの癖に主人公が戦闘で死亡すると即ゲームオーバーになってしまうのです。もちろんザコ敵との戦闘でもです。

 このシリーズのほかのゲームではそんなことはないのですが、この3では何故だかそんな仕様になっているもんだから本来余裕のはずの相手にすらいきなり即ゲームオーバーにされる確率が非常に高くなっています。しかもこのゲーム、アホだから即死魔法がやけに多くて、こっちが使っても10%くらいしか効果がないのに敵が使うとなんだか50%くらいで食らいます。なわけで先ほどもザコ的の戦闘でいきなり即死魔法をパーティ全体に使われて、HP満タンの主人公一人だけが食らってゲームオーバーになりました。このシステム作った奴、首でも吊れってんだ。死亡状態から回復する魔法もあるけど、存在価値あるのかよ。

 おまけにこのゲーム、AIがこの時期のゲームにしては非常に稚拙です。戦闘時にいくらか仲間に大まかな戦略を指示することができますが、基本的に仲間キャラの行動は操作ができないのでAI任せになるのですが、何も気絶している相手を毎回叩き起こす必要はないのでは、もっと優先して叩く敵がいるのにと毎回思わずにはいられません。先ほども行った戦闘指示ですが、これなんかも一回の戦闘ごとにいちいちコマンドしなくてはならず、明らかにこのゲームの欠陥と言えると思います。

 実は最近、このアトラスが運営しているゲームセンターで大負けこいたのでイライラも手伝ってこの際文句をあれこれ続けさせてもらいます。それにしても、ゲームセンターのスロットで16連続でリーチが外れるってありえないだろ……。ゲーム台に殴りかかった私も悪いけどさ。

 このアトラスという会社は一般にはプリント倶楽部、通称プリクラを作った会社として認知されていますが、かなり昔からゲームを作っており今に至る女神転生から様々な種類のゲームを世に出しています。しかし、この会社が何故RPGの本舗ことスクウェアエニックス社の後塵を拝したかというと、私に言わせるとどのゲームも作り込みが甘いことが原因だと思います。なんというかユーザーのことを考えていないというか、ほんの少し改善するだけでぐっとやりやすくなるところに限ってこの会社は放置し、また難易度についても、これは昔からのユーザーにとってすれば今のゲームがぬるいだけと言われるかもしれませんが、なんというか致命的なところを調節しておかないために、ゲーム全体のバランスを毎回のように崩しているところがあると思います。

 一つ例を挙げると、「女神異聞録ペルソナ」ではいろんなペルソナ、ていうかスタンドを装備して戦闘しますが、ペルソナの中で入手も簡単なある種類のペルソナを装備していると敵キャラの魔法をほぼすべて反射してしまうために、魔法攻撃しかしてこないラスボスなんかだと余裕でノーダメージで勝てたりします。かと思えば十分にレベルを上げて余裕でザコ敵もなぎ倒せるくらいで次のステージに進んだら、いきなりわけのわからないくらいに強い敵が続出してなかなか前に進めなくなる、って言うのも結構ざらでした。個人的にこれが一番ひどいと思ったのは「真女神転生2」かな。

 もうすこしこういったところ直して一般ユーザーももっと遊びやすいように設計していれば、プレイしているユーザーは皆コアなファンになっていることから、DQやFFと並ぶ三大RPGの座に並べたと思います。ちなみに過去の三大RPGはDQこと「ドラゴンクエスト」、FFこと「ファイナルファンタジー」と「ロマンシングサガ」の三シリーズです。このうちロマサガは最近続編がほとんど出ていないからもう除外されていると考えると、今じゃその位置に「テイルズシリーズ」が来るのかな。

 今回のペルソナ3は一般ユーザー向けにこれまでのシリーズから非常に難易度を下げていますが、最初に言った主人公一人戦闘で死んだら問答無用でゲームオーバーというシステムは常軌を逸しているとしか思えません。ようやくまともなゲームになったかと思った矢先にこれですから、今後もアトラスにはあまり期待が持てなくなりました。

2008年9月27日土曜日

文化大革命とは~その八、林彪事件~

 前回までは文化大革命に翻弄される国民目線の解説でしたが、今回から指導者たちの権力争いについての解説になります。文革期の後半に至ると、なにもこの文化大革命のみならず建国時からの元勲たちが次々と世を去っていくことになりました。

 文化大革命初期に、これら元勲メンバーの中でいち早く毛沢東支持を表明したのが林彪でした。彼は抗日戦争の頃から活躍した将軍でしたが、年が他の元勲より若いということもあってこの時期には軍隊内で元帥とは言っても最高権力者にはなれずにいました。そんな時、毛沢東が文化大革命を引き起こし、それに乗ずる形で毛沢東に接近し、彼の威光を使うことによってライバルたちを次々と引きずりおろして軍隊内での地位を固めていきました。
 毛沢東が何故文化大革命を引き起こせたのか、その最大の要因となったのは軍隊、この林彪が毛沢東の行動を支持、協力したのが大きいといわれています。そのせいか毛沢東の林彪への信任は厚く、生前にははっきりと自分の後継者だと明言しております。

 そんな林彪が、文革末期の1971年に突然亡くなります。しかも、暗殺でです。事の起こりはこうです。この年のある日、中国とソ連の国境付近で飛行機が墜落しました。墜落現場をソ連の調査団が調べたところ、現場にある焼死体のうちの一つが林彪のものだと確認されたのです。
 この事件が発覚した際は各所で大きく事件が取り上げられました。何故毛沢東の後継者とまで呼ばれている林彪が墜落死したのか。しかも墜落したのが中ソの国境付近ということから林彪ががソ連への亡命を行おうとしていたことがわかります。

 この事件の最大の謎は、毛沢東の後継者として思われていた林彪が何故ソ連へと亡命を謀ったのかです。それについては諸説あり、まず一つが毛沢東の暗殺を謀ったためという説が今現在で最も強いです。毛沢東との関係は非常に深かったものの、猜疑心の強い毛沢東に次第に疑われこのままでは遅かれ早かれ他の幹部のように殺されると考えた林彪が、逆に相手を討ち取れとばかりに暗殺計画を練ったのが毛沢東にばれ、亡命を図ったもののその途中で毛沢東の追っ手によって飛行機が打ち落とされたというのがこの説です。また林彪自身は暗殺を計画しなかったまでも、息子の林立果が計画し、それが漏れたという説もあります。

 この説に対する対論として、暗殺を謀ったのが林彪ではなく毛沢東だったという説があります。なぜなら林彪は既に毛沢東の後継者として指名されてあるので、遅かれ早かれ何もしなければ最高権力者につけるはずなので、毛沢東の暗殺を謀るのは矛盾しているという説に立ち、一方的に猜疑心の強い毛沢東が林彪に対して暗殺を謀り、それから逃亡しようとしたところを結局打ち落とされてしまった、という説です。

 この事件については現状でもまだまだ明らかになっていない事実が多く、真相が明らかになるにはまだまだ時間がかかると思います。ただ一つ明らかなのは、この事件がきっかけで毛沢東はその後急速に方針を転換するに至っています。
 残っている記録によるとこの事件は毛沢東にとっても相当ショックだったようです。真偽はどうだかわかりませんが林彪機墜落の報を受けて毛沢東は、「逃げなければ殺さなかったものの」とつぶやいたという話があります。
 恐らく、毛沢東としては文化大革命の初期からの自分の支持者だった林彪の、少なくとも亡命にまで至る裏切りは相当堪えたようです。またこれまでの自分の採ってきた政策にも疑問を持ったのか、一度は自らの手で追放した実務派の鄧小平をわざわざ復権させて政務を取らせるようになっています。

 私の考えを述べさせてもらえば、その後の毛沢東の慌てぶりを見ると彼が率先して林彪を殺害しようとしたとは思いづらいです。とはいえ林彪を廃した後、毛沢東は急速にアメリカ、ひいては日本と急接近するなど外交路線でも大きな転換をしており、この事件が彼の政策を転換するに至る象徴的な事件であることは間違いありません。
 文化大革命全体を通しても、この事件が果たした役割は非常に大きいといわれております。しかしながら先ほどにも述べたようにこの事件にはまだまだ明らかになっていな事実が数多いため、具体的な分析に至れないのが現状というところでしょう。

2008年9月26日金曜日

文化大革命とは~その七、下放~

 前回、自分の権力奪還のために散々若者を煽り、あまりに運動に熱を帯びて毛沢東も危機感を感じ始めたところまで解説しました。聞くところによると田中角栄が日中共同声明のために北京に来た際、会見場には厳戒警備をしいていたそうらしいです。あれほど崇拝された毛沢東ですら、この時期にあまりにも熱を持ってしまった若者を自分の権勢だけで押さえつけられる自信はなく、散々若者に敵視させた日本の首相と会う際には慎重にならざるを得なかったそうです。
 そんな具合で紅衛兵に代表される若者が邪魔になってきた毛沢東は、ある政策でこの問題に片をつけようとしました。その政策というのも「上山下郷運動」、通称「下放」です。

 ある日、毛沢東はこんな声明を発表しました。
「若者は直に地方の農村で働き、農民の生活を直接学び革命に役立てるべきである」
 もともと毛沢東は自分の権力の基盤を常に農民においており、日本の安藤昌益のように「万人直耕」みたいなことを昔から言っていました。何もこの文革の前から農村で学び、考えることの重要性を訴えていたので政策自体は突然ぱっと出したものではないと私は思っています。

 しかし、この下放には明らかに別の意図がありました。この時代ごろから今の中国にとっても最大の懸案である人口問題が起こり出し、都市部の人口密度が桁外れなものにまで膨れ上がってきていました。こうした人口を外に分散させるとともに、手を焼かせる若者を一挙に片付ける一石二鳥の策としてこの下放が実行されたのです。若者も、毛沢東の言葉と新たな大地を自分が拓くのだという強い意欲とともに、この下放政策を受け入れ率先して地方へと下って行ったようです。

 さて農村で働くといって、日本の田園風景の中でのどかな生活を送る、みたいなのは想像してはいけません。日本でも最近になって問題化してきましたが、基本的に日本の農家は世界的にも裕福な方です。中国や韓国の農村は日本とは比べ物にならないほど貧困が激しく、以前の時代ならばなおさらのことです。なのでこの下放もイメージ的にはシベリア抑留みたいなものの方が近いと思います。都市部の近くの農村に行けた者は幸運だったらしく、大半は西南の密林地域や、東北の極寒地域に放り込まれていったそうです。

 資料に使っている「私の紅衛兵時代」の作者である陳凱歌は雲南省の密林地帯へと十六歳の頃に行き、そこで七年も過ごしたそうです。行った先にはもちろん電気などなく、鍬と鉈と毛沢東選集だけを現地の事務所で受け取り、掘っ立て小屋にて他の下放者と一緒に暮らし、毎日延々と密林の木を切り倒していたそうです。
 この本によると、下放者の中には過酷な労働で病気になる者も多く、作業中に木に潰されて亡くなった者も数多くおり、そして発狂する者までもいたそうです。
 下放されたのは何も男子だけでなく、たくさんの女子も同じように下放されています。資料ではある女子の発狂するに至る過程が描かれていますが、あまりの生々しさにここでは紹介することを遠慮させてもらいます。

 陳氏はこの下放を振り返り、何が一番印象的だったかというと木を切り倒したことだと述べています。結局、自分たちは大いなる自然に対して一方的に攻撃を加えていただけなのではと、成人後に現地へ赴いた際に強く思ったそうです。なにも木を切り倒すだけでなく焼き畑も数多く行い、あれだけあった密林もほとんどなくなってしまったことに強い後悔の念を抱いております。

 もう一つの資料の「ワイルドスワン」に至っては、この下放についてより生々しく描かれています。作者のユン・チアンも南方の密林地域に下放されたのですが、現地の農民とは言葉が全く違っていて何も会話することができず、これまで農作業など全くやってきていないのに突然農村へ放り込まれ、慣れない作業に体を何度も壊したり、病気になる過程が事細かに書かれています。
 その上でユン氏は、資本主義の国ではブルジョアとプロレタリアートの間で格差が広がり地獄のような世界が広がっていると教えられてきたが、果たしてそれは本当なのか。それよりも、この国の現状以上の地獄があるのだろうかなどと、これまで教えられてきたことや自分が紅衛兵として行ってきた事に対して疑問を持ち始めたと述べています。しかしそれでも、ユン氏も強調していますがそれまでの教育の成果というべきか、とうとうこの時代には毛沢東を疑うことはなかったそうです。

 前回の記事で、この下放こそが文化大革命の最大の悲劇と私は評しましたが、実はこの下放問題は現在進行で未だに続いている問題なのです。どういうことかというと、この後に文革は終了するのですが、下放された若者たちは下放された時点で都市戸籍から農村戸籍へと変更されてしまい、故郷へ帰ろうと思っても帰ることができなかくなった者が続出したのです。

 ちょっと簡単に説明すると、中国では「都市戸籍」と「農村戸籍」と分けられ、都市の人口をむやみに増やさないためにも農村戸籍の人間は都市に引っ越すことができないようになっています。つまり先ほどの下放された若者らは、事実上この時期に都市から追い出されて二度と故郷に住むことができなくなったのです(短期滞在は可能)。

 先ほどの両氏によると、無事故郷に戻ることができた人間は非常に幸運だったそうです。下放された者の中には現地で死亡した者も多く、また下放者同士で子供を作ってしまった者はそれがネックになって帰郷が許されなかったり、それがために子供を現地に置いて帰郷するものもいたりなどと。
 現在でも、この時期に下放された人の多くが地方に取り残されたままでいるそうです。
 陳氏などは軍隊に入ることで帰郷が叶ったそうですが、彼の友人などは東北部で凍死したなどと書かれています。それがため、この時代に若者だった中国人の大半は世にも凄惨な歴史に翻弄されて今に至ります。

 これほど多くの被害者が出た文化大革命ですが、その後半には急転直下とも言える政治事件が続発し、大きく情勢が動くことになります。今までの解説は国民目線のが多かったのですが、次回からは政治の中枢にいた、いわゆる文革の役者たちの解説になります。そういうわけで次回は、二十世紀中国史最大の謎と言われる、「林彪事件」を解説します。

2008年9月25日木曜日

麻生新内閣について

 本来ならこのブログで真っ先に取り上げないといけないネタだと思うのですが、どうにも総裁選の途中から見ていて面白みがなくなってきて、この種の政界ネタがこのところは少なくなってきていました。与謝野が受かるという予想も外れたし……。
 さすがに閣僚も決まったので何かしらコメントしなければと思っていたので、多分他のメディアがあまり突っ込まない点に対していくつか私の意見を述べさせてもらおうと思います。

 まず今回の内閣を見る上で一番重要なポイントは、もし解散総選挙に打って出て勝利したとしても、この内閣で政権運営を続けていくかどうかです。このところの内閣は選挙が終わるたびに内閣改造を行っており、選挙後の改造が半ば慣行化しているところもあります。しかし今度の選挙では自民党は本気で民主党に議席で負けるのではと噂されるほど劣勢に立たされており、今回の麻生内閣の顔ぶれは小渕優子がマスコット大臣とはいえ最年少で入閣させるなど、選挙で優位に立つための布陣を敷いているのは明らかです。この小渕優子に限らず同じく総裁選で戦った与謝野氏を残留させたのも、党内の対立を抑えかつ自民党が一丸であるということを外に見せるためでしょう。

 まぁ国会議員なんてものは選挙に勝ってなんぼなのですから、この内閣の布陣が悪いというわけではありません。もし噂されているように年内に解散するというのなら誰がなっても同じことなので、この際大臣に資質を求めるつもりもありません。しかし、この一度作った内閣で選挙に勝った場合、選挙をにらんで作ったこの布陣でそれ以降の政局もやり続けていけるかどうかとなると、先ほど求めないといった大臣の資質は無条件ではといかなくなります。

 私が気にしているのは与謝野氏が経済財政大臣に入っていることです。はっきり言って麻生首相と与謝野氏の経済政策の考え方は真逆といっていいほど違います。そこへ麻生氏に近い中川昭一氏が財務、金融大臣でいるのですから、果たして今の布陣で大臣同士一致した政策をやっていけるのかと思うとすこし不安です。まぁいざとなればかつての田中眞紀子みたいにどっちかを切るだけってのもありなんだけどね。

 もう一つこの内閣を見ていて気になったのが、中曽根弘文の外務大臣への入閣です。「JAPAN TIMES」(影で私は省略して「ジャップタイムス」と呼んでる。他意はない)の記事によると、この人は外交経験がほとんどないので恐らく外交は麻生首相が自ら行っていくのだろうと書いていましたが、そんなことより入閣自体に私は違和感を覚えました。というのもかつての郵政国会の最中、衆議院をギリギリで通過した郵政民営化法案が参議院に送られる前に、早々に反対票を投じるとこの中曽根が発言し、それに呼応するかのように自民党内で造反者が相次ぐ結果となりました。

 事実上、参議院で民営化法案が流れた原因の一つとも言える人間で、そんな人間でありながら選挙で小泉元首相が圧勝するや、「民意に答える」とか抜かしてあっさりと次の決議では賛成票を投じています。こんな人間のために衆議院の造反組、特に野田聖子のように一回目に反対して郵政選挙では民営化反対を訴えておきながら中曽根と同じく次の決議では賛成票を投じた今の復党組ではなく、郵政選挙で負けた人たち(静岡の城内実氏など)は苦汁をなめることになったと思うと、なんとも言えない気持ちになります。

 この中曽根が入閣したということは、恐らく麻生首相は本格的に小泉、安倍と続いた改革路線を否定するつもりなのだと私はにらんでいます。その根拠としてもう一つ、同じく郵政論争でこちらは棄権でしたが、賛成ではなかった小渕優子も入閣しております。第一、麻生首相は昔から小泉氏の路線とは真逆の経済政策ばかり言っており、一時は小泉内閣に閣僚入りしたものの、やはり本心では持っている政策が違ったのだと思います。
 別に誰がどのような政策を持とうがそれは悪いことではありませんが、私としては小泉、安倍路線も麻生路線の政策も、どちらも国民にとっては毒となる政策だと思います。しかし前者は毒が苦しくとも長く生きることができ、後者は一時的に快感を得るもすぐに死んでしまう毒だと考えており、同じ毒なら私は前者の毒を飲みたいのが本音です。

 なんというか皮肉なことに、小泉元首相が次の選挙で政界を引退するというニュースが先ほど入ってきました。これは以前に私も取り上げていましたが、やはり噂どおりに次男に自分の地盤を引き継がせて本人はとっとと隠遁生活に入るようです。今後自民党が勝つとしても民主党が勝つとしても、恐らく彼の政策は根本から否定されるか覆されるかと思いますが、なんとも皮肉な時期の引退発表です。

 思ったより長くなったので最後にさらりと書きますが、今回の大臣の中で親が地方を含めて議員でないという、要するに二世議員でない人はどれだけいるのでしょうか。このような二世議員というのは生まれた頃から国民の税金を逆にもらって生活している人間、いうなれば年金生活者ならぬ税金生活者たちですが、そんな人間らに国民の生活感覚がわかるのかと思うと、やっぱり私は疑問です。資質があるのなら二世議員でもなにも問題はありません。資質がない二世議員ばかりだから問題なのだと一言付け加えてこの解説を終えます。

恭しい言葉ってなに?

 最近真面目なのばっか書いているので、たまには馬鹿馬鹿しい話でも書こうと思います。

 以前に私はこのブログにて、日本語の敬語は私はあまり好きではないということを書きました。その理由というのも、現代の敬語は元の意味から離れた誤用と援用、マクドナルドの「一万円お預かりします」などと、かなりトンチンカンなものになっている言葉が多く、また日常であまり使わないので敬語を使うと会話の回転が鈍ったり、また敬語ができていないと年下の人間をいじめる手段などに使われていることのほうが多いように思えるからです。だからといって全く使うなというつもりはありません。私が主張したいのは過度な敬語表現を相手に期待するの、自分が無理して使用するのがよくないと思うのです。なにも一から十まで形式に則った敬語を使わなくとも、ほんのちょっと言葉を丁寧にするだけでこっちに気を使ってくれているという表現なんてできるので、その辺で皆妥協すべきだというのが私の意見です。

 というように前回には書きましたが、前回でも言っているように実際に相手からすごい形式に則った敬語を使われても、私なんかは京都で結構長く生活したもんだから相手から敬われていると素直にあまり感じません。京都では敬語とか京言葉は皮肉を言うときに使われるものなのでそうなったのかもしれませんが、あまり聞き慣れない言葉を聞いても気持ちよく感じるというのはあまりないかと思います。そういいつつも、実は私はある種の言葉なら聞いてて非常に気持ちのよくなるものがあります。何を隠そう、侍言葉です。

 要するに時代劇で使われる言葉ですが、「ありがとうございます」のかわりに「かたじけない」とか、「すいません」のかわりに「面目ない」とか言われたりすると結構心が動かされます。語尾につける「です」も、どっちかといえば「ござる」のほうがいいと思うし、オリジナリティもあって日本人は言葉を先祖帰りさせるべきだと私は思います。
 マクドナルドとかでも、「よくぞ参られた。ハンバーガーとマックポテトのS寸が所望であるな、然らば代金は210円でござる。一万円を承るでござる」とかだったら、私は毎日でも通いますよ。

 こんな感じで以前に友人と話していたら、当時はメイド喫茶がブームになりだした頃だったので、対抗して自分らで「戦国喫茶」というのを出そうかという話になりました。そっちも大体さっきのマクドナルドと同じ感じで、
「よくぞ参られた。ささ、こちらの席へ。何が所望じゃ。なんと、冷やし珈琲とな。二言はないな(注文の確認)。されば、しばし待たれよ」
 というような感じの喫茶店です。今、ゲームの「戦国BASARA」がきっかけで女性に戦国ブームが来ているらしいから、そこそこいけるんじゃないかと思う。

 こんな風に暇さえあれば侍言葉を使うシチュエーションを考えているのですが、さすがに実生活で使うにはすっとんきょんな言葉ですから自重しているのですが、この前人にFAXを送るとき文面で本来なら、「~の書類は後日に送付いたしますので~」と書くところを、「~の書類は後日に送付いたすので~」って、普通に書いてしまいました。シャレや冗談じゃなくて実話で。
 ちょっと、自重が足りなかったのかもしれません。

2008年9月24日水曜日

今連載中の凄い漫画

 普通に文化大革命の記事を書き終えて、今へとへとです。昔、学校の先生がこれを取り扱ったら一年授業があっても足りないといってた意味がよくわかりました。私の記事でも可能な限り情報量は多くとも短く、わかりやすくを心がけているのですが、それでもまだまだ長いし……。
 なので気分転換にまた漫画の話をします。どんな話かというと、今連載中の漫画で何が凄いかです。

 まず最初に、単純に今連載中でもっとも優れている漫画はというのなら、私は迷うことなく「鋼の錬金術師」を挙げます。ストーリーの一貫性もさながら、表現描写からキャラクターの書き分けまですべての点でこの作者の荒川弘氏はトップクラスです。この人の師匠の「魔方陣グルグル」の衛藤ヒロユキ氏はころころ絵柄が変わってたのに、荒川氏は連載開始当初から少ない変化で安定しているのは特筆に価します。

 ちょっとこの「ハガレン」について懐かしい話をすると、確か四年前の雑誌「創」のインタビューで荒川氏は、初期の話で主人公兄弟が下宿させてもらっていた家の女の子が、実の父親によって犬と合成させられ、最後には殺されてしまうという話を書いた時点で、もう連載は終わるだろうと考えていたそうです。こんなハードな表現を書いたらきっと公序良俗とやらで駄目だろうと思ったのかもしれませんが、実際にはこの話以降急激に読者数が増えていき、当時お家騒動で発行部数が激減していた漫画雑誌「ガンガン」は「ハガレン」以前と以後で、なんと一ヶ月の発行部数が四倍にまでアップしたそうです。逆に言うと、あと二、三年くらいで「ハガレン」も終わりそうだから、そうなったときが「ガンガン」の廃刊日だってことだけど。

 次に凄い漫画と言われれば、こっちは「ジャンプ」で絶賛連載中の「アイシールド21」です。このところ全然ヒットのなかったスポーツ漫画でこれだけの作品を出してくるとは世の中まだまだ捨てたものではありません。この作者も見せ場とも言えるシーンはしっかりと書き、ギャグパートのところときっかり書き分けられるのは現代の漫画家としては高い技術です。あともう一つこの作品の良いところを挙げるのなら、それはやはりテンポだと思います。

 近頃は長期連載の漫画が非常に増えてしまい、スポーツ物なら一試合が延々と単行本五巻、連載期間だと一年くらい続くものも珍しくなくなりました。それに対してこの「アイシールド21」では、一試合辺り大体1.5巻、さすがに後半となってきた今では2巻くらい続きますが、それでも他の漫画と比べたらテンポがよく、読んでる側も非常に読後感が良いです。他の漫画ももう少し見習って、連載ペースを考えればいいのに。

 他にもいくつか紹介したいのがありますけど、今日はこの辺で風呂入って、スポーツニュースを見なくちゃいけないのでやめときます。最後に同じく「ジャンプ」の「銀魂」ですが、なんかまたこの漫画は猛烈につまらなくなってきました。一話完結がこの漫画の良いところだったのに、何で最近はこうも中途半端に長い話を書くかなぁ。とっとと連載終えて、また新しい連作作品を作ったほうがいいよこの作者は。

文化大革命とは~その六、紅衛兵~

 いよいよくるところまで来ちゃったかなというのが正直な感想です。当初は軽い気持ちで書いていましたけど、改めて資料などを読み返すと、この時代の中国の激動さについて日本人はしっかりと見つめなおすべきだと思うようになり、書く方も気合が入って来ました。

 さて前回では毛沢東思想について軽く解説しましたが、二つ前の本解説では毛沢東が若者を煽動して自身の権力奪還に利用したところまで説明しました。その際に毛沢東は、共産党内部に修正主義に走った裏切り者がいると発言し、中国全土でまだ何の悪い教育に染まっていない末端の人間らに下克上を促しました。
 その中で最も狂信的に毛沢東を支持したのが、今回のお題となっている「紅衛兵」でした。これは都市部の中学校かから大学に至るまでの各学校ごとに、少年少女らが自発的に組織した団体のことを指します。

 彼らは「孤立無援の毛首席を救え」とばかりに、片っ端からこれという大人を攻撃し始めました。具体的にどんな風に攻撃するかというと、文字通り殴る蹴るのリンチです。いちおう名目は自分の間違いを改めさせることですから「反省大会」と称し、攻撃対象を大衆の前まで無理やり引っ張ってきて、額から血が出るまで地面に頭をこすり付けたりさせることもざらだったようです。
 何故こんなことが十代の少年少女らにできたかというと、まずは最初にも言っているように毛沢東のお墨付きがあったことと、本来このような混乱から治安を守るべき軍隊が逆にこの動きを後押ししたからです。

 何故軍がこれら紅衛兵の活動を後押ししたかというと、この時に一挙に軍隊内で地位を向上させた林彪の存在が原因でした。彼は文革当初は軍隊内でも中途半端な位置にいたのですが、いち早く毛沢東への支持を表明することによって軍隊内のライバルを裏切り者だと密告することによって根こそぎ追放し、最終的には最高位の元帥にまで昇進しています。林彪自身が毛沢東の強烈な支持者で毛沢東の権勢を利用して下克上を実行したのもあり、軍隊は紅衛兵の活動を逆に応援するようになったのです。

 こうして、無茶なことやら法律を守っても軍や警察がなにもしないとわかるや紅衛兵はますますその行動をエスカレートしていきました。彼ら紅衛兵は具体的にどんな大人を対象に攻撃していたかですが、単純に言って明確な基準は一切ありませんでした。言ってしまえば、「あいつは反革命的なことを言っていた」とか、毛沢東選集の中に入っている毛沢東の言葉と何かしら矛盾した発言(行動)をあげつらうか、それでも見つからないなら適当なレッテルを貼り付ければいいだけです。後は反撃できないように集団で取り囲むだけで舞台は整います。ようは気に入らない人間がいれば、好きなだけ集団で攻撃できたということです。

 私が今回資料としている陳凱歌氏の「私の紅衛兵時代」によると、彼のいた中学校でも紅衛兵が組織され、真っ先にターゲットにされたのは嫌われていた担任の教師だったそうです。その学校の中学生たちは教師を無理やり教室の一番前に立たせると、
「貴様は毛首席の指導と別の指導を生徒に行っていただろ!」
「この場で俺たちに謝れ!」
「思想を洗い直し、真っ当な人間へなるのを俺たちが手伝ってやる!」
 といったように、激しい言葉で糾弾されたと書かれています。前回の記事でも書きましたが、毛沢東は若者らを煽動する際に、「知識のある人間は間違った教育に毒されている。何も教育を受けていない君たち若者らが思うことこそが正しいのだ」と吹き込んでいるので、一見無茶苦茶とも思えるこれらの発言が出てくるのです。

 それにしても、なんていうか少々不謹慎ですが、もし私がこの場にいたらどれだけ気持ちがいいのだろうかと考えずにはおれません。私も、一人や二人はこれくらいの年齢の頃には嫌いな教師が学校にいました。そうした人間に反論を許さず一方的になじり、ののしり、吊るし上げられるのであれば、見境がない反抗期だった頃の自分だったら嬉々としてやったと思います。恐らく紅衛兵たちも、同じような感情だったのではないかと思います。先ほどの毛沢東の言葉である、「大人は間違っている、君たちこそ正しいのだ」というようなことを反抗期の中学生なんかに聞かせたら、尾崎豊じゃないけどそりゃあ崇拝するようにもなると思います。

 この吊るし上げは徐々にエスカレートしていき、先ほども言ったように取り締まる人間がいないために法律は事実上機能しなくなり、証拠もなくともレッテルを貼る、つまり密告さえすれば誰でも集団で攻撃することができるので、当初からそうでしたが次第に本来の目的とはかけ離れた感情の捌け口だけのものへと固定されていきました。
 もう一つの資料の「ワイルドスワン」の作者のユン・チアン氏の作者の父も、共産党の地方幹部であったために紅衛兵らから激しく攻撃されたと書かれています。この時代は何度も書いているように下克上が学校から職場、果てには共産党や軍隊内部でも奨励され、基本的に階級の高い人間ほど密告の対象になりやすく、一方的に攻撃を受けました。それは建国の元勲からほんの少し前までの最高権力者でも変わりがなく、抗日戦争から国民党との戦争にて共産党を勝利に導いた彭徳壊、と毛沢東の後に国家主席となっていた劉少奇の二人は、紅衛兵から激しい身体麻痺に至るまで暴行を受け、医者にもかからせてもらえず粗悪な部屋で死に絶えています。二人とも毛沢東にひどく嫌われていたのが原因です。

 この一連の吊るし上げは、恐らく言語に絶するまでに激しかったというべきでしょう。延々と自分の子供くらいの十代の若者に殴られ、「謝れ!」とか「自分がろくでなしであることを認めろ!」などと言われ続け、自分が間違っていたと言葉に出しても暴行され続けるのですから、考えるだに絶望する気持ちがします。リンチで死んだとしても、殺人として扱われないのですからやりたい放題だったのでしょう。
 またこの時代の知識人はその属性ゆえに粛清対象に選ばれやすく、一流の学者でありながら自殺した人間も数多くいました。有名な作家の老舎もその一人です。

 これは全体の解説が一段落ついた後で独立して解説しますが、これら紅衛兵の一連の行動は日本で言うとあの「浅間山荘事件」に酷似しています。何故酷似したのかというと、それは言うまでもなく密告合戦の上にリンチになるのが共産党のお家芸だからです。ですからこの後に起こる紅衛兵となった若者らの運命も、「浅間山荘事件」と同じ末路となったことに私は疑問を感じません。その末路というのも、いわゆる内ゲバです。

 またまた「私の紅衛兵時代」の記述を引用しますが、紅衛兵をやっていた陳凱歌氏も、同じ学校の生徒に密告されたためにある日突然多勢の紅衛兵に自宅に押しかけられ、昨日まで仲のよかった同級生らに反革命的だという理由の下に片っ端から家の中の本を焼かれ、家具なども滅茶苦茶に壊されたと書いています。陳氏はそうやって密告しあったり、仲の良かった同士で暴行しあった行動に何故自分も加担したのかというと、加担しなければ自分が仲間はずれに遭うという脅迫感があったからだと述べています。いうなればいじめと一緒で、一緒にやらなければ自分が攻撃の対象に遭うというのが、こんな密告社会を生んだ理由だと私は考えています。

 こうして片っ端から年齢を問わずに中国では攻撃し合い、知人を含めて全員無事でいるものなど誰もいないほどに中国人は互いに傷つけ合いました。大人に至っては思想改造をするために家族を置いて僻地の労働作業場へと無理やり送られ、死ぬ間際になるまで酷使されるかそのまま衰弱死に追い込まれる者が多く、ユン・チアン氏の父親も陳氏の父親も、ボロボロの状態になって帰ってきて、前者はそのまま息絶えることとなりました。

 しかし、こうした混乱をよしとしない者が現れました。何を隠そう、この混乱によって自らの権力を奪回した毛沢東でした。
 若者から絶対的な崇拝を受けていた毛沢東でしたが、これら暴力的な若者たちがいつ自分へと牙を剥くか、またその際に攻撃を防ぎきることができるかと次第に不安に感じたようで、途中からは逆に紅衛兵の解散を自ら説得するように活動し始めました。実際に派閥抗争といった内ゲバが激しくなり、この時の北京は事実上無政府状態と言っていい状態だったので、毛沢東が不安に感じた気持ちも良くわかります。

 そうして、最終的に毛沢東はある名案を思いつくに至ったのです。こうした若者を思想改造の名の下に農村へ追い出すという、文化大革命の中で最大の悲劇となる「上山下郷運動」、通称「下放」を推し進めるに至るのです。続きは次回にて。