ページ

2015年10月6日火曜日

友人らからのブログに対する注意(ーー;)

 昨日約半年ぶりに日本へ帰国しましたが、今回は割と予定が詰まっているというか、来週水曜14日まで比較的余裕を持った日程にしたものの、割とどの日も誰かと会う予定がみっちり詰まっています。今回は関西にも遠征するし。そのため昨夜も到着当日ながらあらかじめ会っておきたい人間こと、共通の知人同士である冷凍たこ焼き好きの友人と野球好きの友人にあらかじめ声をかけており、新宿にて三人で落ち合いました。

 以前にもこの面子で一度集合したことがありその際も新宿で落ち合ったのですが、その際は私と野球好きの友人は初対面だったこともあって最初はよそよそしかったものの、途中から酒が入ってきた野球好きの方から段々と打ち解けた態度を見せてきて非常に楽しい夜となりました。ただその際、野球好き、冷凍たこ焼き好きの二人揃って私に対し、「あのブログ(陽月秘話)の文章は過激すぎる」と言及され、もっとソフトな表現を心掛けて無駄に敵を作るべきではないと諭されました。かなり熱心に。
 そして昨夜も予約を取っていた新宿の「とさか」 で二人揃って、「もっと表現を抑えろよ」とまた熱心に諭されました。特にこの前書いた「遵法意識のない日本人」という記事が槍玉に上がり、言ってることは非常に理性的で理解できる内容であるものの、逆に理性的過ぎて淡々と「こうだ!」と結論を最初に言ってくるので見る人によっては反発しか得られないという感想を聞かされ、もっと穏やかに「日本人はルールをきちんと守る礼儀正しい民族だ。だけれど……」という感じで話を持っていくべきだと、やけにディテールの深いアドバイスをいただけました。

  こうした友人らからの注意に対する私の第一声はというと、「そんなに過激かなぁ?」というもので、それを聞くやすかさず友人らは、「本人に自覚が全くないからなおさら手に負えねぇんだよ!」と、マジ怒られました。その夜に友人らにも言いましたがこれでも書いてる本人としてはかなりソフトな表現に抑えているつもりで、恐らく読んでて過激に感じるのはそこそこ自信がある私の表現力によって説明から結論まで簡潔に短くまとまっているからではと言い訳してみましたが、「いや、ぶっちゃけ文章長いって」とあっさり否定されました。

 本当に言い訳がましいですが、これでも控え目に書いてるつもりです。確かに妙なくらい負けん気が強い性格していてその時の気分によっては攻撃的な態度を文章で示すこともありますが、必要以上に敵を作ることは本意ではなく、批判する際も理性的に保とうとは意識しています。もっとも野球好きの方からは、「人は必ずしも常に理性的ではないんですよ。感情的に受け取る人間への配慮もあっていいのでは」と言われてぐうの音も出ませんでしたが。
 ただ、明確に批判するべき相手に対しては一切妥協する姿勢は見せておらず、今後もこの点に関しては変わらないでしょう。具体的にはこの前批判した、長期契約者に対する不公平を続ける携帯キャリア3社とか情報公開をしようとしない派遣大手などですが、こうした強者であって義務を果たそうとしない相手に対して自分は弱者の側に立って抵抗することに躊躇がありません。この点に関しては友人二人も、それは別に問題ではないと理解してくれました。

  おまけ
 このようにこの日は友人二人からこっぴどく叱られましたが、「でも君ら、きわどい記事に来たコメントに対して俺がどう返答するかを楽しみにしてない?」って言ってみたら、にやっと笑われました。実際、「これはコメント主以上に、固定読者から試されているな」と思いながら返答コメントを書くこと多いです。

  おまけ2
 この日に行った「とさか」ですが地鶏の専門店であるものの、食べてて一番おいしかったのはほかならぬ「塩ラーメン」でした。「ラーメン屋やったほうがいいんじゃね?」っていいながら、この日は二軒目に向かいました。

2015年10月3日土曜日

千葉のマッドシティ~八柱霊園

 JR武蔵野線の新八柱駅(しんやはしらえき)と新京成線の八柱駅は連結していて同じ場所にあるのですが、この駅を一歩でも出ると花屋さんや仏具屋さんがやけにいっぱいあります。なんでかっていうと、千葉県における墓地のメッカともいうべき八柱霊園がすぐ近くにあり、真面目な話この八柱周辺の街は墓地が中心となって形作られています。

東京都立八柱霊園(Wikipedia)

 八柱駅からバスに乗っていける距離にある八柱霊園の面積は105haで、東京ドームに換算すると20個分になります。どうでもいいですが面積を東京ドームに換算してもいまいちわかり辛いので小学校の教室(66㎡)に換算すると約15900教室分に相当します。書気ながら思うけどこっちもこっちでわかり辛い。
 話は戻りますが上記の換算式の様にとにもかくにもここはめちゃ広いです。仮にこの八柱霊園の中で鬼ごっこやかくれんぼなどやろうものなら果たして決着をつけられるのかというくらいに広く、また霊園周辺の関連施設を含めると更に広くなるので感覚としてももう比較できないくらい広いって感じです。

 さてこの八柱霊園ですが上のWikipediaのリンク先見出しにも書かれている通り、実は千葉県の土地ではなく東京都所有の土地だったりします。「東京ディズニーランド」といいなんで千葉県にあるのに東京の物なのか、千葉県は東京都の植民地かっていう気分にもさせられますがとにもかくにも東京都の土地で、埋葬されるためには都にお伺いを立てに行く必要があるでしょう。

 私自身はこの八柱霊園に知り合いが埋まっていることもなく特に墓参りなどで訪れる理由はないのですが、以前住んでたところから自転車で宛てのないサイクリングがてら近くを通ることがあり、通った際にはほぼ間違いなく「なんでこんなところ来ちゃったんだろ」と後悔していました。なんで後悔するのかっていうと霊園周辺は小高い丘になっており、一度踏み入れたら最後、ものすっごい距離の坂を何度も上り下りする羽目になって半端なく疲れるからです。
 なら近寄らなければいいじゃんと思うでしょうがまさにその通りであるもの、何故か知らないけどこの霊園周辺の道は激しい勾配とともにやたら複雑に曲がりくねっていて、意図しないうちに迷い込んでリアルで脱出に困ることもあります。

 ただ迷い込む価値はあるっていうか、たまに訪れるといろいろと感慨を覚える場所でもあったりします。特に正面入り口に至る坂道は果てしなく長いですが、長いだけでなく幅も広く、そして両端には仏具屋花屋がずらっと並んでいてなかなかに壮観です。登り道は自転車だと(徒歩でも)大変ですが、登り終えてからUターンして一気に駆け下る際なんかはなかなかに気持ちがいいものです。

 なおこの八柱霊園に埋葬されている有名人の一人に坂本竜馬との絡みで有名な千葉さな子がいます。今回この記事を書くに当たってWikipediaの記事を読み直したところ、なんでも2010年にこれまで終生独身だと思われていたさな子が実は明治七年に元鳥取藩士と結婚していたとする資料が発見されていたとのことです。生憎その時の旦那とは後年離婚したそうですが、これまでの常識をひっくり返す話なだけに歴史というのは常々面白く感じられます。

2015年10月2日金曜日

大衆の捉え方

 連休二日目で部屋の掃除以外特にやることなくまたたらったらとパズドラやりつつ過ごしておりましたが、左肩と右わき腹をやや痛めている状態なのでなんか中途半端にやる気出ません。明日くらいは少し気合入れ直して外出るようにしよう。
 そんなわけで本題ですが来週に会う予定の知り合いに対する講義内容として取っておきましたが、ちょうどこの記事が2500本目の記事になるので折角だから出し惜しみせずにここで私の大衆に対する見方というか視点というものを紹介しようと思います。と言っても興味を持つ人間がどれだけいることやら。

 私の大学での専門は社会学なのですがよく人からは、「社会学って何をする学問なの?」という質問を非常に多く受けます。実際これは社会学をやっている人間たちですらよくわかっておらず、敢えて言うなら「入りやすく極め辛い学問」であって、これが社会学だといったらなんでも社会学になってしまうほど専門性が低い学問です。取り扱う分野も経済学から法学、政治学、心理学、文学と文系自然科学の分野すべてを内包しており、私なんかはそういうオールマイティさにあこがれて社会学を選んでほかの専門領域も法学を除けば大体手を出しましたが、それでも未だに社会学ってなんやねんと思うことの方が多いです。

 そんなよくわからない社会学ですが、一般的に言うなら心理学に近い学問というのが正解な気がします。社会学も心理学も人間の心理行動を第一に着目して観察する学問ですが、異なっている点としては心理学が個人の心理により強く着目するのに対して社会学は集団の心理により深く着目し、また大きな前提として「集団の心理は個人の心理とは乖離する」と考え、個人の考えが合わさることで集団の考えとなるのではなく、個人の考えとは切り離されて集団の考えは形作られると考えます。
 こうした立場でものを考えるよう教育を受けてきた身であることから、私自身も個人の心理とかそういうのには全く興味がなくむしろ集団の心理の方が見ていて楽しいです。その上で述べると何か他人を分析する際はその他人が取る行動に対して「動機」から攻めるようにしており、どうしてそのような行動を取ろうとするのかその背景にある動機をまず推測して、「動機―行動」のつながりを解き明かそうとします。私見ですが心理学の場合だと、動機よりもその人の生い立ちや経験といった背景をより重視して分析の対象としてみているように見えます。

 そういうわけのわからない社会学の価値観は置いといて、このブログではよく日本人論を載せることが多いですが、こうした記事を書くに当たってやっぱり重要になるのは大衆の捉え方です。一言で大衆と言っても定義の仕方は様々ですが、大衆を分析するに当たってまず第一に考えなければならない点として挙がってくるのは「自分は大衆に含まれるか否か」です。
 自分と、これから分析する大衆は同じ構成員なのかどうか。地味にこれを考えるのは重要で、自分は大衆とは異なる異分子と前提して一歩離れた距離から観察するのか、それとも自分は大衆の中の一要素と前提して内部から観察するのか。一見すると前者の方が観察者として理想的な立場に見えますが、全否定するつもりはないものの、一歩距離を置いてしまうと自分を特別な位置に置いてしまうためか初めから持っていた仮説を当てはめようとするようになり、実際いくつかの社会学の論文を見ていると最初に作った仮説を無理やり結論として当てはめようする者が少なくありません。

 では大衆の中から観察するのがベストなのか。これにもメリットとデメリットはあり、メリットは最初から持っていた既存の考えを当て込み辛くなること、デメリットは逆に大衆の中でそうだと考えられている意見をそのまま結論にもって来ようとすることです。ちょうどさっきの逆みたいな感じです。

 それでは私はどっちの立場を取っているのかというと、基本的には自分は大衆の一部だという前提で物を考えています。ただちょっと他の人と比べ特別なのは、自分は大衆の一部ではあるものの、影響力の度合いはほぼ全くないものの、その大衆の思考を変え得る変数であるという前提を常に持っています。つまり私の行動や活動次第では大衆は考え方や行動を変えることもあり得るとして、では何にすれば大衆は変わるのか、逆に何があるせいで大衆は変わらないのかという点を重点的に考えて傾向なり法則を見出そうとしています。
 なかなか我ながら変なことを言いますが、大衆は常に変化を続けておりその変化点をどのように掴むのかが重要であるように思え、これらを掴むことによって大衆というものを把握できるのではと私は考えています。逆を言えば大衆というのは決まった形を保持しているわけでなく、徐々に変化を続けておりその変化を追うことによって現在の状態を見れると思うわけです。

 もうさっきから読者置いてけぼりで好き勝手書いていますが、こうした視点の工夫によって恐らく自分の見方なり視点はほかの人と異なってて、それがこのブログの読者にも評価されているのではないかと思います。私自身は日本人ではありますがもう価値観や概念で言えば確実に一般の日本人とは大きな隔たりがあるものの、それでも日本人という枠の中で大衆を考えてるのが不思議と言えば不思議です。

2015年10月1日木曜日

遵法に対する日本人と中国人の違い

 昨日書いた「遵法意識のない日本人」という記事で私は日本人は法律や規則といったルールを守る意識はほとんどなく、実際には周囲に行動を合わせることを第一の行動原理としているため結果的に実生活ではルールを守った行動を取っていると主張しました。その上で、案外日本人と中国人で遵法意識についてはそれほど差はないのではないかという仮説を立てましたが、今日はその理由を説明します。

 まず一般的に、日本人と中国人のどちらがルールを守るかと言ったらそりゃ間違いなく日本人に決まっています。中国国内でもこういうルールを守るというかマナーについてはしょっちゅう議論になるほど普段の中国人は悪く、私も以前い観光地で「禁煙」と書かれた貼り紙の前でおっさんが堂々と煙草を吸い始め、それを係員が注意した所「なんで吸ったらダメなんだ!」と逆切れするのを見てああ中国だなと感じたことがありました。
 最近であれば爆買い中国人が日本のあちこちでも見られるかと思いますが彼らのマナーの悪さについては見ていて辟易する日本人も多いでしょうし、実際に小売店各社もあれこれ対策を取っているとも聞きます。これだけ見るととてもとても日本人と中国人で遵法意識に差があるようには見えず、中国人は本当に決まりを守らない人間にしか見えないでしょう。

 にも拘らず何故私は今回このような主張をするのか。結論を端的に述べると、この差は遵法意識の差ではなく集団主義と個人主義の差であると思うからです。

 前回記事で私は日本人はルールを守る意識は薄いが周囲に合わせようとする集団主義的意識が極端に強いため、結果的に集団でルールを守る側が多数派を握れば全体が自然とルールを守るようになると分析しました。ただその一方、多数派がひっくり返れば一瞬で態度もひっくり変わるため、外国人から反復常ならないとか何考えてるのかよくわからないと思われ、また戦前から戦後の転換に絶望した人を生みだしたりするわけですが。
 これに対して中国人はというと、言ってしまえば完全な個人主義です。周囲が何しようが何を言おうが全く意に介せず、「ワシがこうしたいねんからこうするねん!」とばかりに自分がしたいことばかりを全く我慢せずに実行します。っていうかさっきのセリフは敢えて関西弁で書きましたが日本人の中で個人主義的意識が強いのは間違いなく関西というか大阪人で、その辺が中国人と馬が合うポイントでしょう。

 まず前提として日本人も中国人もルールを守ろうという意識は非常に希薄です。ただ日本人は周囲に合わせようとするため結果的にルールを守る行動を採ろうとするのに対し、中国人はさっきの煙草の例のように周囲なんてお構いなく自分の本音を通すというか、もちろん度を越した行為はさすがに控えますが、やりたいことを本能のまま忠実に実行します。なので日本人には通じる「他の人はこうですよ」なんていう注意は中国人には届くわけがなく、何かしら罰金なり追放なりといった強制的な処置をちらつかせる以外にルールの遵守を求めることは難しいでしょう。
 その上で述べると、マナーの悪い中国人を見ていて日本人がイラつくのは、中国人がマナーやルールを破るからではなく、周囲に行動を合わせないからという理由の方が大きいのではないかと私は見ています。遵法意識の差からではなく、集団主義と個人主義の意識の違いからくるズレの方が多分琴線に触れているのではないかと言いたいわけです。

 念のため付け加えておくと、上記までの内容を見るとさも集団主義が個人主義に比べ優れているように見えますが私としてはそんな考えは毛頭なく、レベルというか強さ的にはどっちもどっちという風に考えています。集団主義はきちんと管理などが機能している間は確かに強いですが管理がおかしくなっている場合、たとえばこの前書いた労働法の問題やブラック企業、しごき体質の運動部など、集団がおかしな方向に向いた場合に全く修正が効かないままおかしい方向へ進み続けるという大きなデメリットがあります。個人主義な中国人の場合はブラックな企業に入った場合、「アホか!」つってすぐに辞めてしまうので会社が成り立たずすぐ潰れるでしょうし、あと個人主義故に周りを気にせず自分の追い求める方向を追い求め続けるのでたまにすごい芸術家や科学者が出たりもする土壌があります。

 最後に私の思い出話をすると、確かあれは小学三年生の頃でしたが何か粗相をしでかして担任の先生に怒られた際、「友達もやっていたから」という言い訳をしたところ、「他の人がやっていたら悪いと思うことをやってもいいの?」と言い返されました。この時そういわれて、「そや、なんでやったらあかん思うとるのにほかの奴がやってたからやってええことになるんや」と妙な感じで悟ってしまい、少なくともほかの日本人よりは個人主義でありなおかつ遵法意識も強い性格を形成していく大きなきっかけとなりました。
 もちろん私だって信号を無視することもあれば細かい法規を無視するなどといったことはしますが、それでも周囲からはよく固すぎると言われるくらいやや厳格な生活を続けています。昨日例にとった就活でも、二月の期末試験を終えない間に活動をするのは学生としてどんなものかという妙なマイルールを課して期末試験が終わるまでは一切活動らしい活動をしなかったところ、面接では「君は就活の開始が遅かったんだね」と皮肉を言われるだけで誰からも評価されませんでした。

 はっきり言ってこんな性格じゃなければもっと器用に世渡り出来て今よりずっと楽でマシな生活が出来ただろうという確信がありますが、あの小学生の頃に諭してくれた先生には今でも感謝しており、あのおかげで自分は魂を得るに至ったと考えています。

遵法意識のない日本人

 明日から中国では国慶節連休に入る上、途中から日本にも一時帰国するのでかなり長いお休みになります。もっともちょっと状況がテンパり気味なので、ゆったりと休暇を楽しむ気分にはなれないでしょうが。明日暇だし蘇州のイオンでも行こうかな。

<就活>長期化、学業に支障…解禁破り続出、見直し論(毎日新聞)

 そういうわけで記事リンクを貼った上での本題ですが、さすがに大分年齢重ねて就活と聞いてもそれほど共感を感じなくはなっているものの、今年就活に直面した学生はいろんな意味で大変だったようです。何故大変になったのかというと就活にかまけて大学での学業がおろそかになるという懸念から政府、そして経団連が加盟企業に対して就活の開始時期を従来より遅らせ4回生の8月から行うよう指示したものの、次々と横紙破りをする企業が現れ企業側も学生の側も対応を巡って現場では大混乱となっているとのことです。
 まぁ始まる前からある程度予想はついていましたが8月から採用活動を開始するよう通達されていたものの優秀な学生を取ろうとこれより早く開始する企業が後を絶たず、また学生の側もそうした横紙破り企業があることを前提に早くから活動していた人間が順調に内定を取り、結果、正直に8月から活動を開始した企業と学生が揃って割を食う羽目になりました。もっとも、中には3月から活動を開始したものの未だに内定が取れず活動を続けている学生もいて就活の長期化を招いていると記事中で指摘していますが、こういう事例に関しては以前からもあるのでわざわざ記事に書くほどでもないようなと思えるあたりが所詮は毎日の記事です。

 この就活についてもっとしつこく書いてもいいですがそっちに関してはほかに専門家もたくさんいるので今回はスルーするとして、ここで私が提起したい点は横紙破りをする企業が後を絶たなかったというところで、結論から述べると日本人というのは案外中国人と同じで、法律の遵法意識が薄い、っていうかほとんどないように実は前から思っています。

 日本人はルールや規則を守る方か否かと問われるなら、恐らく大半の日本人は「比較的守る方だと思う」と答えることでしょう。しかし私の目からすると行動では確かに守っていることが多いものの、ルールを守ろう意識は実際にはほとんどなく、はっきり言えば惰性で守っているに過ぎないのではと見ています。
 今回の就活の例で言えば横紙破りをする企業が多数いたという点が一見するとポイントのように見えますが、真のポイントはそうした横紙破り企業に対して世間が何も批判しようとしない点です。罰則こそないもののみんなで守ろうといったルールを無視してほかの企業を出しぬく、ギャンブル漫画「カイジ」の世界では日常的に行われていることですがそんな「カイジ」の世界においても、「汚ねぇ、汚すぎるぞっ!」と敗者側が非難をしますが、少なくとも今年の就活に関してはそういった出し抜いた企業に対する非難はほとんどなく、正直にルールを守った会社で採用が上手くいってないことに対して、「正直だったのに可哀相だね」と軽く同情するに止まっています。

 一体何故出し抜いた企業は非難されないのか。そもそもの開始時期設定自体に問題があったのだとか色々言い訳は立ちますが、私が思うに出し抜いた企業が多かったから非難されないのだという気がします。
 たまにはここで筆を止めてもいいかなと思いますがもうちょっと詳しく説明すると、たとえば百人中一人がルールを破った場合、恐らく日本人はその一人を徹底的にこき下ろした上で村八分のような処置を取ることでしょう。しかしこのルールを破る人間が一人ではなく二十人だったら、恐らく守った八十人は破った二十人を非難はするものの村八分のような扱いまで取ることはないでしょう。さらに破った人間が五十人だった場合、諍いは起こるかもしれませんが守った側もこのくらいの人数になると「ずるい」と悔しげに文句を言うにとどまることでしょう。そして破った人間が八十人だったら、ルールをきちんと守った人たちは破った人たちから「馬鹿正直な連中だ」と文字通り馬鹿にされ、その二十人も恐らく非難すらせず、中にはどうして自分はルールを破らなかったのか後悔する人間も出てくるでしょう。

 ここまで言えばわかるでしょうが、日本人はそこに存在するルールを守るか守らないか以上に、自分の行動や判断が多数派になるかならないかの方をより重要視する傾向があります。何もこれは日本人特有というわけではなく外国人にももちろんみられますが、ただ私の目から見て外国人と比べれば日本人は特にこういった集団主義的傾向が極端に強いという風に感じます。
 このような集団主義的傾向が日本人においては強いためか、普段の行動原理は「他の人間と同じ行動をとる」ということが第一義として存在しており、「ルールや規則を守る」という考えは文字通り二の次でしかありません。なもんだからルールや法律を守らない人間が集団のうち過半数を越えた場合、強力な罰則や執行機関が存在しなければ、その時点でそのルールはルールとしての価値を完全に喪失することとなるわけです。極論を述べると、百人のうち九十九人がルールを破る中、「ルールはやっぱり守らなきゃだめだ」と主張するような最後の一人はもはや日本人ではないでしょう。

原発事故で日本社会が失ったこと(2)・・・遵法精神(武田邦彦氏のHP)

 この記事を書くに当たって「遵法精神」というキーワードで検索したところ引っかかったのが上記の武田邦彦氏のホームページでしたが、武田氏は放射線の被爆限度量が震災以前と以後で変わったことを例にとって日本人は原発事故によって遵法精神を失ってしまったと書かれていますが、私の意見は異なっており、そもそも日本人には遵法精神なぞ初めからなかったのだと思います。この限度量が変わったことについても、黒が白に変わっただけというか多数派がつく数字が必要に応じて変わっただけでしょう。

 このまま一気に書いてしまうつもりでしたが、途中で書いた「日本人というのは案外中国人と同じで法律の遵法意識が薄い」という点についてはまた明日にでも書きます。疲労してテンション低い中、今日はなかなか頑張って記事書けたな。

2015年9月29日火曜日

一日署長をやった山口組の組長

 あんま今日は記事書く気が起きないのでトリビア的なことを書いておしまいにします。

 既に逝去していますが私の親戚に依然兵庫県警の関係者がいたのですが、もし今も存命だったら、「山口組の組長が一日署長したのってマジ?」って聞いてみたかったなぁとこの頃よく思います。件の山口組組長ですが、これは実質的に現在の山口組を一代で作り上げた三代目の田岡一雄のことで、以前に日本のヤクザ関連について調べていた時にこ今回のトリビアを知りました。

 次期は定かではありませんが田岡が一日署長をしたのは消防局ですが神戸市水上署とのことで、港湾関連の役務を取り仕切っていて結構関係がずぶずぶだったこともあってやったそうです。ただ当時にあっても田岡は前科者であっただけにいろいろと言われたことから、この一件以降はお役所も人選には気を払うようになったと聞きます。

 なお田岡について少し触れておくと、彼はヤクザ組織として山口組を大きくしたというよりは山口組を一大興行組織にしたという人物で、吉本興業なんかは創業時からこの山口組の力をバックに大きくのし上がったと一部の記事にはっきりと書かれていますし、これは実際に事実だと私も考えています。美空ひばりに至っては現代において完全に山口組がタニマチだったということが伝えられるようになり、やっぱりというか取り上げるメディアも前と比べて減ったなぁという印象を覚えます。

2015年9月28日月曜日

ジャパニーズホラー映画の時代

 この前書いた「サイコスリラー映画の時代」でも少し触れたので、折角だから今日は一時期はやったジャパニーズホラー映画について思うところを書いていきます。

 ここで語っていくジャパニーズホラー映画というのは90年代に日本で製作され、2000年前後にアメリカでリメイクされ人気を博した作品を指しています。これらの映画は主にアメリカでジャパニーズホラーというジャンル名で定着して一時代を築きましたが、ほとんどの原作が1993年に創刊された「角川ホラー文庫」であったことから「角川ホラー」というジャンル名で呼んでもありでしょう。
 90年代の日本映画を語る上でこの角川ホラー文庫は外せないほど影響力は強く、私の記憶する限りだと「パラサイト・イヴ」の映画化を嚆矢に続々とメディアミックスがなされ、もはや日本の代表的な妖怪に仲間入りしている貞子で有名な「リングシリーズ」が映画でもドラマでも大ヒットしたことからこの文庫からはその後も人気作が続々と生まれました。個人的な主観で述べるなら一番のヒット作は間違いなく先程挙げた「リングシリーズ」でしょうが、このジャンルの最盛期となると「呪怨」の映画化がなされた頃くらいじゃないかという気がします。

 一体何故90年代の日本で角川ホラー系が流行ったのかというと、勝手な理屈を述べていけば一つには日本では元々怪談話などホラージャンルを好む下地があったということ、二つには新進の作家を上手く取り込み良質な作品を多数世に出したこと、三つに90年代は音楽にしろヒットがヒットを生むというほど世の中流行りものに弱かったこともあって一度売れると続々売れるという好循環がきれいに働いたためではないかと考えています。特にリングシリーズは通っていた学校でも大いに流行って周りの級友らも普段は本を読まないくせに「リング」と「らせん」をよく読んでました。

 こうした日本初のホラー映画はアメリカでも受け入れられ、もう何度も挙がっているリングシリーズはハリウッドでリメイクされた作品が大ヒットしたためホラー映画のパロディ作品として有名な「最終絶叫計画」の確か4辺りでもパロディ元として使われています。ちなみに使われ方としてはブラウン管テレビに貞子が映った所、モニターにハエが止まったのでスリッパで画面叩いたら貞子が痛がって、仕返しに向こうもスリッパでこっちを叩き返してくるという風でした。
 そのリングシリーズと共に日本でも米国でもヒットしたのが「呪怨」のシリーズで、こちらは日本版もアメリカ版も清水崇氏が映画監督を務め、日本人監督としては初めて全米興行収入ナンバーワンを獲得するなど見事な実績をあげられました。この二本のシリーズによってアメリカ国内においてもジャパニーズホラーというジャンルが定着したといっても過言じゃない気がします。

 しかしそんなジャパニーズホラーですが、大体2000年を過ぎた当たりから日本国内でのブームに陰りが見えてきます。角川ホラー文庫が原作である作品でも映画化したらパッとせず、前は映画化→テレビドラマ化のコンボもしょっちゅう炸裂しましたがほとんど当たらないのでリングをまた焼き直すとかいう繰り返しが始まります。
 一体何故ブームが盛り下がったのかというと、単純に良質な作品が減った上に粗製乱造がされてしまったせいだと考えています。そこまで胸張れるほど作品見ているわけじゃないですが映画版の脚本を原作から大きく改変する作品が当時多く、それも大体が女性キャラをむやみやたらに増やすというキャスティングありきな改変ばっかで、そこらへんが原作の再現を期待するファンを遠のかせてしまったんじゃないかと思います。

 また単純にホラー映画というのは案外撮影が難しい作品だったりします。先程挙げた清水崇監督が漫画家の押切蓮介氏との対談で話していますが、観客を怖がらせるために役者はややオーバーに驚いたり怖がったりする演技を要求されますが、これの撮り方がやたらハイテンションに驚いてるように見えギャグっぽく映ってしまうとのことで、「ギャグとホラーは紙一重」という押切氏の主張にその通りだと清水監督も頷いています。
 ここら辺のさじ加減が粗製乱造の作品では上手くできておらず、実際私が見た作品でもしょうもないCGに下手な役者が変な格好で慌てたりして見ているこっちは逆の意味でハラハラさせられることもありました。

 結局こうしたことが続いたせいか、現代においてはまだ頑張っている貞子シリーズとかを除いてホラー作品の製作はぐぐっと減ってきた気がします。原作の角川ホラー文庫自体も以前と比べて世間で話題になる作品も減ってるように感じるだけに、ブームはもう終わってしまったといっても過言じゃないでしょう。
 ちなみにブーム最盛期に「リング」が面白いと言っていた近所のおばさんに、「あの作家はもう後は続かない気がします」と不敵にも高校生の私は言ってのけていました。まぁリング三部作の「ループ」を読んでしまったらそう判断するしかないのですが。

 最後に私が見た強烈なジャパニーズホラーを挙げると、「ナインプラスワン」という作品があります。どういう映画かはレビューを書かれている方のサイトを下記リンクにつなげておきますが、この型のレビュー通りというか本当に救いようのないほどひどい作品で、後半なんか見ていて息切れしそうな位辛くなった作品でした。この感想を友人に述べたら、「そういわれると逆になんか見たくなってくる」と言われましたが。

9+1 ナインプラスワン(ホラーと共に・・・・)

2015年9月27日日曜日

安倍首相の携帯電話料金高過ぎ発言について

 今日昼過ぎに喫茶店いってはちみつカフェモカとチキンサンド頼んだら何故かハムサンドが出てきたので店員に、「これハムサンドちゃう?ってか少なくともチキン入ってないよね?」と聞いたら、「( ゚Д゚)<うちではこういう風に作るんだ」と妙な主張され、まぁ似たようなもんだし別にいいかと思って仕方なくそれ食ってたら後からマネージャーが私の席にやってきました。マネージャーが言うにはやっぱり出す料理を間違えたとのことで、改めてチキンサンドを無料で提供すると言われましたがもうハムサンドを半分食べてたので別にいいよと断ったものの、そういうわけにはいかないと押し切られて結局チキンサンドも作ってもらいました。結果、かなりボリュームのあるハムサンドとチキンサンドを一度に食べることとなり、血中糖分が急上昇したのか帰り道はやたら頭がボーっとしてふらふら自転車をこいでたので自分でも危ないと思いました。
 それにしても、なんか最近こういうトラブルに巻き込まれることが多いような?

 話は本題に入りますが、このところ経済ニュースでは安倍首相の携帯電話料金が高すぎるという発言が大きくな話題となっております。あまり長々書く必要もないので言いたいことだけ書くと、この安倍首相の発言に絡めて多くのメディアが現在の携帯電話料金についていろいろ書いておりますが、どの記事も「そんなことはない」というような通信キャリア側の発言や携帯電話料金の妙な国際比較ばかり報じていて、どちらかと言えば通信キャリア側を擁護するような記事が多い気がします。もちろんこういう報道姿勢が悪いわけではないのですが折角だから街頭インタビューとかでもいいから消費者の反応や意見を載せたりした方が体感的な感想がわかるのだしいいような気がするものの、その手の記事はほとんど見受けられませんでした。まぁ通信キャリアはどの媒体にとっても有力な広告主だしね。

 日本にいないで言うのもなんですが、まぁぶっちゃけ日本の携帯電話通信料金は高過ぎる気が私もします。どのキャリアもMVNOがこのところ出てくるまでかなり高額な通信料金設定にしてましたし、またその料金プランも半端なく複雑で、スマホを無理やり持たせようとするためか通話とメールだけ出来ればいいようなシンプルプランが案外高い設定(端末代の割引などがなくなるようなのが多い)になってたりとユーザビリティが全く以って無視されています。
 特に一番不思議なのは携帯電話とWIFIの無線契約を一緒に契約すると安くなるとよく謳われていますが、なんかいろいろと検証するとそれほど割引が大きいわけでもなく、本気でこれキャンペーンのつもりなのかと疑問に感じることが多いです。ってかこの手の契約は複雑すぎて解読に時間かかるのが一番マイナス。

 またそうした通信料金の高さもさることながら、前にも「NTTドコモへの批判」という2013年に書いた記事でも触れていますが、例の「2年縛り」とも絡みますが2年ごとにキャリアを乗り換える人たちに比べ契約を切り替えない長期ユーザーの方が相対的に負担が大きいというのはどう考えてもおかしいでしょう。2年ごとに切り替えるユーザーは新規ユーザーとして様々なキャンペーンの恩恵を受けますが長期ユーザーにはそんなものは一切なく、私も過去に何度も大損していますが、浮気をせずにずっと支払い続けてきた自分の通信料金が「ドコモ田家」みたいなクソみたいなプロモーションに使われたかと思うと腹立って仕方ありません。

 総じて言えば、通信料金の高さもさることながらユーザーの側に立ったプラン設定や長期使用ユーザーに対する配慮が全くなされてないと現在のキャリアに対しては言えます。こんなことばっかやってるだけに今回安倍首相に釘さされて株価が大幅に下落しても同情の念はほとんど覚えませんし、まだ反論している辺りもっと痛めつけられた方がいいような気すらします。
 それにしても意外と安倍首相は市民の消費生活にドンピシャな価格を突いてきたもんだとこの件に関してはなかなか感心します。それと同時に、野党の連中がこの件についてほとんどコメントしないのが何でだろうと不思議に思えてきます。まぁ大体わかるけどね。

2015年9月26日土曜日

サイコスリラー映画の時代

 最近趣味の話を書いてないのでこの前友人に話した映画の話をします。

 サイコスリラー映画と見出しに書きましたがそもそもサイコスリラーという言葉は定義がはっきりしておらず、巷間でもサイコホラーとかサスペンスなど別の言葉とほぼ同意義に使われてるようにみえますが、敢えて私の方から定義づけするならば、「金目当てや怨恨ではなく殺人そのものを快楽目的に実行する殺人犯がテーマ」というのがジャンルとしての位置づけだと考えます。この手の犯人の特徴として欲求的に殺人を犯すことから何かしらマイルールめいたものがあり、特定の特徴を持った人間をターゲットにしたり、バラバラにしたりとか同じ凶器を使うとか殺害の仕方に共通点があったりして、犯人を追う側はこうした犯人のマイルールを読み解いて実行犯の特定や追跡を行っていくというのがこのジャンルの醍醐味と言えるでしょう。

 そんなサイコスリラー映画ですが、私見な意見を述べると1990年代において非常に流行って大量に生産されていたなと思えます。このブームの嚆矢となりかつ恐らく最高傑作となったのはハンニバルシリーズの映画第一作である「羊たちの沈黙」であるように思え、アンソニー・ホプキンス氏の怪演もさることながら見えない犯人の姿形特徴性格を殺害の手口などから徐々に類推していくプロファイリングの過程が大いに評価され、日本でも一時期やたらとこの「プロファイリング」という単語を使った書籍や作品が出されました。
 この「羊たちの沈黙」の何がすごいかっていうと、ある事件の異常殺人者の性格分析を、その犯人以上に明らかにぶっ飛んでるというか規格外な「人食いハンニバル」ことレクター博士が冷静に行っていくという過程だと思います。この「異常者をもっとおかしな異常者(しかも普段はめっちゃ知的で紳士的)が分析する」という手法は現代でも多くの作品に使われますが、この作品以上にぶっ飛んだ構図は多分ないでしょう。

 この「羊たちの沈黙」のヒットを受けてかそれまでのサスペンスの枠を越えた、異常殺人者をテーマにした作品はハリウッドを中心にたくさん作られ、私が小学校高学年から中学生時代までなんかしょっちゅうこういう映画を見ていた気がします。ただどれもがヒットしたかとなるとやや微妙で、ブーム以前のスプラッターホラーから脱却しきれず映像のグロテスクさだけしか能のない作品だったり、異常殺人者というよりただのびっくり犯人にしかなってない作品であったりするなど、特に日本製作の映画やドラマ、漫画でこういう傾向がありました。一例を挙げると漫画の「多重人格探偵サイコ」は私の目からして、ヒットはしたけれどもさっきも言ったびっくり犯人大集合だけだったような気がします。
 なんでそういう駄作が量産されたかというと犯人の異常性だけを際立たせようとして、その異常性をどう読み解くか、犯人の経歴や社会背景、現場の手掛かりなど頭を使って推理する部分がおざなりになってたからじゃないかと考えます。また推理する部分にスポットを当てるにしても、そもそもなんで犯人が異常者なのかというと、常人の認識を越えた狂気を孕んでいるから異常なのであってその異常性を常識的に分析しようとすること自体がやや無理があり、分析する側にも現実離れした一定の狂気が要求されるのにその辺が上手く描き切れてなかったからじゃないかと思います。

 そうした大量生産時代にあって一目置いた作品を上げるなら、こちらもヒットしたアメリカの映画の「セブン」を挙げます。あのブラッド・ピット氏もこの作品で一躍名を挙げましたが、俳優らの演技はさることながらキリスト教の七つの大罪に沿って殺人(何人かは殺されなかったが)が続けられ、最終的に犯人の目的が結局わからないまま終わってしまうとい衝撃的な結末は当時においてなかなかに新鮮で、でもってやっぱり公開した後から七つの大罪をやたら引用する日本の漫画作品が増えた気がします。
 監督のデヴィッド・フィンチャー氏の好みでしょうがこの「セブン」は割と淡々にストーリーが進んでいき、視聴者に「どや!」って言わんばかりに画面を注目させる演出が少なく、そうした撮り方がこのジャンルにうまく適合していたんではないかと個人的に思います。ちなみに映画の「アイアンマン」を見ていて、「なんかこのヒロインどっかで見たことあるような……」と思ってたらこの「セブン」でブラッド・ピット氏の妻役を演じてたグウィネス・パルトローでした。

 この「セブン」以降もサイコスリラー映画はしばらく続きましたが、2000年に近くなってくると流行のホラージャンルがまた変わり、いわゆる日本初の「ジャパニーズホラー」がハリウッドを席巻することとなります。ジャパニーズホラーの特徴を少しだけ述べると、被害者が何の落ち度も理由なく理不尽に殺されたり祟られたりするというのが何よりの特徴で、むしろ品行方正で幸せそうな家族が無慈悲に殺されることが多いという風に私は見ています。友人曰く、「日本人からしたらそういう理不尽は日常茶飯事だが、向こうの連中からしたら新鮮に見えるんじゃないのか?」とのことです。

 またハリウッドの中でもシリーズ化して長期間続いた「SAW」など、以前のサイコスリラーと比べてミステリー色を強めたホラー映画が段々と中心になっていきます。もっとも「SAW」は第三作目から、ミステリーというか「今週のびっくりドッキリメカ」を楽しむスプラッター作品になっていきましたが。

 最後に私が気に入っているサイコスリラー映画(だと思う)の作品を挙げるならば、「セブン」と同じ監督による2007年公開の「ゾディアック」になります。これは実際にアメリカで起きて、未解決のまま終わった劇場型犯罪の走りともいえる「ゾディアック事件」を元にしたほぼノンフィクションの作品で、主演のジェイク・ジレンホール氏やロバート・ダウニー・Jr氏らなど俳優がやたら豪華なのと、犯人候補がストーリの進行とともに次々と浮かんでは消えていく過程が見ていてとてもハラハラさせられます。特に犯人候補の自宅を主人公が訪問した際、地下室に案内されたところで一切の音がなくなるシーンはマジでドキドキした。
 簡単に「ゾディアック事件」についても少しだけ触れると、この事件では連続殺人の犯人が自ら新聞社に暗号文を書いた手紙を送りつけたりラジオの電話に登場したり、次の殺人を予告したしたりと大胆な行動がとられたものの結局犯人は捕まらず、現代においても迷宮入りし続けている事件です。聞くところによるとこのところ話題の酒鬼薔薇もこの事件を参考にして暗号文を送りつけたとのことです。

2015年9月25日金曜日

中国でGoogle解禁か?

 昨夜は何故か途中からネットが断線したため更新できず、今日もなんかおかしいので明日にでも業者読んできてもらおうと思ったら何故かさっき繋がったので、大学の先輩と「養豚って儲からねぇ?」って他愛のない話しで盛り上がっていました。
 その際、自分のメールアドレスにGoogleから「通常使われる端末とは別の端末からアクセスがありました」という警告メールが来ていることに気が付きました。不正アクセスか、でもそれにしてはなんか妙だと感じて子細を眺めていると、午後一時ごろにFirefoxでログインアクセスがあったとされ、その時間帯となれば私が会社にいる時間帯で、あるとしたら会社で使っている私物のパソコンかなと思えました。しかし中国ではGoogleへのアクセスが遮断されており、ログインはおろかアクセスはできないってのになんでと思い、先ほどいつも使うVPNではなく通常回線でGoogleやGmailにアクセスを試みました。

 そしたらつながっちゃいました。

 びっくりして大学の先輩に、「やばいっすよ」って後輩丸だしな口調で報告していろいろ試しましたが、速度は遅いですがこれまで遮断されて使えなかったGmailがきちんと開くことが出来ました。この前コメント欄にも書きましたが一度は中国大陸から撤退したGoogleがまた再上陸するという噂は聞いていたものの、まさかこんなに早く、しかも予告なしに繋がったので正直面喰いました。ってか昨日中国人に殴られてメガネフレーム曲がってるためちょいちょい目が痛むのが難点ですが。

 もしかしたら一時的なものでまた明日から遮断される可能性もありますが、一応日記的な記録として書き残すことにしました。つってもこの速度じゃほとんどまともに使えないから、結局はVPNがメインとなるのに変わりはないでしょうけど。実際このブログも通常回線で開きましたが、この執筆はVPNからです。

  追記
 Gmailなどへの接続が確認できて約2時間後に再び試してみたところ今度は接続が叶わず、どうやら一時的な現象だったもようです。ただ今までこう言った事例は全く無かったので、今回は非常にびっくりした出来事でした。

2015年9月24日木曜日

お買いものでの悩み( 一一)

 再来週に日本へ一時帰国する予定なのですが、差し当たって買っておきたいものをAmazonで購入し、友人の家へ送っておこうと今日は先ほどからずっとAmazonのサイトを眺めておりました。

 既に購入が決まっていたものは同僚から頼まれていたビタミン剤とムヒSで、前者は同僚の母親、後者は同僚の娘への買い物だそうで、その同僚にはガチでお世話になっているので「任せておけ!」と今からでも買う気満々です。
 これ以外で購入を決めていたものはゲームの「三国志Ⅸ」で、三国志のゲームはⅤ以降はずっと遊んでなかったのですが、このⅨが傑作だということを聞いて廉価版も出ているのだしもうこの際だと購入を決めました。

 それでここからが本題ですが、何を購入するか非常に悩んだ物が二種類あります。
 一つ目はタブレットPCで、現在使っているものはいまいち自慢し辛いNexus7の2012年モデルなのですが、さすがに1GBメモリだとそろそろきつく、高いのでなくていいから2GBモデルを買おうとあらかじめ2万3千円くらいのASUSのMemo Padを購入リストに加えておりました。しかし今日調べてみたら々ASUSから先月、Zen Padという別モデルのタブレットPCが発売されており、上位グレードは値段が4万円弱するものの破格のスペックだったもんで先のMemo Padとどちらを購入しようかで大いに悩まされました。
 最終的に、Zen Padは発売仕立てであるのとやはりそのスペックの高さからAmazonはおろかほかの店舗でも品切れとなっているケースが多く、確実に購入できるかやや微妙な状況であると共に、タブレットPCなんてそんな高くないのだから来年でも再来年でも買い換える可能性が高いことを考慮して初志貫徹でMemo Padにすることを決めました。

 こうしてタブレットPCが決まった一方で、もう一つどれを買うかで悩んだものは腕時計です。先に申しておくとこういう腕時計などの装飾品に対して私はほとんどこだわりがなく、頑丈でなおかつ自転車乗りまわす際に邪魔にならなければどれでもいいという風に考えています。そんな考えなもんだから今つけている奴は3月に日本へ帰った際にヨーカドーで1500円で売っていたのを買ったものですが、時計としての機能に不満はないもののやはり値段が安いだけあってケースの金色した装飾がもう禿げ始め、またベルトが汗を吸ったせいかやけに臭く、どうせベルトを交換しても1000円はするんだからこの際新しいのを買おうと決めました。

 それでどんな時計を買おうかいろいろ見たのですが、私は男性にしてはやけに骨が細く、手首に至っては下手すりゃ女性と同等かそれより細いくらいです。なお余談ですがウエストも激細でズボンを買う際は、「一番細いのを(^o^)丿」と言って持ってこられたのをいつも買います。その一方で血管はやたらごんぶっとくて、注射をする際に看護師さんからはいっつも、「刺しやすい(^^)」と褒められます。

 話は戻りますが、とにもかくにも手首が細いのでケースは幅、厚さともに小さければ小さいほどいい、というか分厚かったりすると手首を曲げた際に手の甲に当たるため実質はめられません。なので小さい文字盤を中心に、色々と因縁のあるシチズン製を弾き、中国でのメンテ事情を考えソーラー電池使用もはぶいた結果、下記の二つの腕時計に絞りました。

Dalas 腕時計 WAA452
CHRISTIAN KENTH 腕時計

 結論から言えば上のダラスの時計を選んだのですが、下のクリスチャンケンスのどちらにするか最後の最後まで悩みました。本音を言えばクリスチャンケンスの方を選びたい気持ちが強いのですが、写真を見ればわかりますがダラスはシンプルな大人の腕時計に対し、クリスチャンケンスのは文字盤がピンクっぽいオレンジで、つけていたらかなり目立つことでしょう。
 目立つこと自体は悪くないし自分のガチなソウルカラーのオレンジってことで心が動いたのですが、この時計だとさすがに目立ち過ぎるというか、必要以上に自己主張してしまうのではと目立ち好きの私ですら懸念を催し、「時計はあくまで機能性重視の装飾品だ」と自分に言い聞かせて、一旦はクリスチャンケンスでカゴに入れましたがこれを取消し、ダラスの時計を選び直しました。二つ買っても別にいいけど、時計ってたくさんあってもそんなにしょっちゅう付け替えたりしないしなぁ。

2015年9月22日火曜日

機能不全な日本の労働法

 以前にあれこれ相談を受けていた知人から、「面接を受けに入った会社があるのですが」と、スカイプのチャットにて就職相談を受けたことがありました。その求人の待遇は悪くなく、というより仕事内容に比してやけに良すぎるように覚える内容だったため、残業代や勤務時間などがしっかり管理されているのか確認した方が良いと私からアドバイスをしたところ、

「残業に関してはサブロクで何とかするそうです」

 という、答えが返ってきました。
 一見して奇妙さを覚えた私はこの知人に、「お前、サブロクの意味知ってんのか?」と聞き返したところ、そいつはあろうことかウィキペディアの記述をそのまんまコピペして私に返信してきたので、「これ、お前の言葉じゃねぇだろう。なんで素直に知らない言えないばかりか、自分が理解してもいない内容を説明の根拠に使うんだ」と、ちょっとキレ気味に問い詰めたことがありました。
 普段からそれほど温厚でもない私ですが、以前にもそいつは質問した内容に「知らない」と言わずどっかから引用した言葉をそのまま貼り付ける行為を繰り返していただけに、この時は猛烈に怒った上で二度とするなと最後に吐き捨てましたが、改善できるほどの人間じゃなかっただけに多分今も同じように「知らない」と素直に認めず、無駄にプライドだけ高いまんまでいる気がします。

 今日、どうしてまたこんな妙な私の激怒エピソードを引用したのかというと、リンクを結んでいる「笑う蜘蛛の糸」の潮風大使さんの記事に、上記の「サブロク」こと「三六協定」が出てきたのを読んだのがきっかけです。この三六協定とはそもそも何なのかというと、簡単に言えば労使間で労働条件を協議して自由に決めていいとする法律です。具体的には会社側と全従業員から一定の支持を得ている労働組合の間で合意が出来た場合、労働法で規定している最大残業時間や残業代の算定方法を無視し、自分たちで自由な規定を作ることができます。
 この三六協定は聞いてる限りだとほとんどの大手企業で実施されているとされ、昔に読んだ記事だとソニーとかでもこの協定によって月間の最大残業時間を超過してもよいことになってるそうです。まぁワタミにおいては「従業員は皆家族だから労働組合なんて必要ない」と言って、自由に法律ぶち破って労働条件を会社側が決めたりしてますが。

 三六協定について話を戻すと、労働組合にいたりそこで活動をしていた人間なら大抵知っていますが、そうじゃない人なら労働法を勉強していたか人事関連の仕事をしてないとまず知る機会はないでしょう。冷凍たこ焼き好きの友人は後者で、彼自身は間違いなく物知りな人間でありますが、その方面の仕事に関わらない限りは永遠に知らずに終わっていたと述懐するほどです。

 なのになんで私はこのサブロクを知ってるのかそれは置いといて、潮風大使さんの記事では過酷な勤務で有名な大手バス会社を例にとり、国はバス運転手の勤務に対してあれこれ規定を設けているものの、現行法では「二週間に一回の休日取得」が義務としてあるものの、「十三日連続勤務」は合法であって実際やっているところがあると指摘しています。これ以外にもあれこれ規定はあるもののどれも意味をなさない規定が労働法に多く、旅行バスで事故が起こるのも不思議なことではないとまとめられています。とりあえずW社のバスはもう乗らないことにしよう(゜-゜)

 この潮風大使さんの指摘には私も深く同感しており、そもそも日本の労働法はそもそも存在する意味があるのかといつも疑問に感じております。先程の三六協定をひとつ取っても「合意があれば法律を無視していい」というジャーマンな投げっぷりですし、またそれ以外の規定も年金の取り立てはやたら細かくかつしつこい癖に、不法就労や違法な労働条件の摘発は本当にやってるのかと思うくらい何もせず、はっきり言えば労働関連の省庁にいる人間はお前らみんな給料泥棒だと罵りたい思いすらあります。
 私が必死で取り上げた派遣会社のマージン率公開規定も、何も罰則がないためかネット上で正直に公開している企業の方がレアなため正直者がバカを見ている現状です。この状況に注意喚起はおろか、派遣労働者の方々にこういう規定があるということの広報すらしない辺り、厚生労働省も本音ではあまり公開されないでほしいと願っているのかもしれません。

 この記事で言いたいことを一言にまとめると、日本の労働法は規定がいい加減である上に執行が徹底されていないことから実質的に機能不全な状態にあると断言します。ブラック企業の横行は言うに及ばず、新卒就職者から大量の離職者が出るという異常な状況について何にも対策せず、法律を守らない人間が一方的に得する状態が続いていることが当たり前とする、異常であることが正常に感じる事態にまでもう至っているでしょう。
 どうしてこうなったのかといえば一番悪いのは厚生労働省で間違いなしですが、もう一つ挙げるとすれば労働について真剣に議論して考える政党がないということも大きいように思えます。社民党などは正社員にとっては味方ですが現在多数派となりつつある非正規雇用の人たちからすれば確実に敵と言える存在ですし、またほかの政党も全体経済を優先するあまり労働生活の向上などは二の次にしか考えてないように見えます。

 まぁこの辺、本気で議論したらまた長くなるのでそろそろ締めますが、自分も大学時代から現在に至るまでよくもまぁこんなに長く労働問題に関わるもんだなとそろそろ呆れます。まぁそれだけ、いい恩師に会って影響を受けたということなのですが。

2015年9月21日月曜日

日本のクリーンディーゼル政策について

独VW、米排気ガス検査での不正認める-制裁金は2.1兆円超か(ブルームバーグ)

 最近ちょっと気になったニュースが上の記事なのですが、もう読んでいる人には早いですがドイツのVWが新車として売り出すディーゼルエンジン車の排ガス試験の際、実際に販売にする車両より極端に排気ガスが出ない車を米国の検査に出し、そのまま空気清浄化能力を過大に偽りながら販売し続けたことがばれたそうです。実際の販売車両の排気ガスの量は基準の10~40倍に達するそうで、VWさんもまたまたやるわねぇなんて何故か女言葉で皮肉を言いたくなるニュースでした。
 ただ米当局はこの事態を重く見ており、実際排気ガスの基準を大きく上回る車がカタログスペックを偽って大量に販売されていたわけなのですから、環境に悪影響を与えたとして2兆円を超す罰金をVWに課すとのことです。VW自身も事実を認めているようですが、私がこのニュースを見て改めて思った内容として、クリーンディーゼルにおいてはマツダがもう世界トップなんじゃないのかという考えでした。

 ディーゼルエンジン車は石原慎太郎氏が都知事時代に黒い煤を振りまくパフォーマンスをしてから日本では環境の敵として長らく否定的な目で見続けられましたが、その間欧州では技術革新が進み、ハイブリッド車以上に環境にいい車だとして登録車両の約半数を占めるほどの人気を得るに至りました。その一方で日本ではハイブリッド車が主役となって普及し続けましたが、この流れに一石を投じたのがマツダで、誇張抜きで非常に画期的で環境への影響も小さい自社開発のクリーンディーゼルエンジンを搭載したCX-5を発売し、日本でクリーンディーゼル車市場を本当に1社単独で作り上げるに至りました。
 一応、東京都が以前に出したクリーンディーゼル車の基準に対して三菱と日産がそれぞれ1台ずつ合格となる車両を作りましたが正直言ってスペシャリティカー的な車両で、価格も高かったことから普及するどころかほとんど話題にも上らずに埋もれていってしまいました。それに対しマツダのCX-5はその年のカーオブザイヤーをゲットしただけでなく一定の人気を得て、その後に続いたアテンザやCX-3などにも同じクリーンディーゼルエンジンを積んで着実にこの方面の市場を拡大し続けています。

クリーンディーゼル、補助半減=環境車支援、16年度から圧縮―経産省(時事通信)

 マツダがディーゼルエンジン車市場で無双を続ける中、突然出てきたのが上記のニュースでした。見出しそのままの内容ですが、クリーンディーゼル車がそこそこ普及もしてきたうえに価格も落ち着いてきたので補助金を見直すと政府が発表したわけですが、政府の言い分も全く分からないわけではないものの、折角市場として盛り上がってきているのからもう少し応援してあげた方が良いのではという気がしてなりません。
 特に同じ環境対応車であるハイブリッド車に対しては長年、大量の補助金が配られています。もちろんトヨタのハイブリッド技術はそれだけ応援されるほど価値がある素晴らしいものであると私も認めますが、トヨタは円安であろうが円高であろうが下請けにたゆまぬコストダウンを要求し続けた甲斐あって営業利益が2兆円を超すほど体力のある企業で、応援するとしたらやっぱり後を追ってて企業体力のないマツダの方が理に適っているように思えます。

 さらにこうした考えに拍車をかけたのが最初のニュースです。これまでクリーンディーゼルエンジンの技術といったらVWが世界一と言われておりましたが、このニュースを見ているとというかこんな不正をする辺り、案外それほど大した技術でもなかったりするのではという疑念がもたげます。となると世界一はどこか、いろいろ話を聞く限りだと真面目にマツダのような気がして、この不正事件をてこに猛プッシュをかければこのディーゼルエンジン車市場でマツダのシェアを一気に増やせるチャンスではないかという期待がもたげてきたわけです。
 最後に結論をまとめると、国の言い分ももっともだと思うものの、状況は明らかに変わりつつあるので出来ることならマツダを応援してやってほしいというのが私個人の意見です。そんなにマツダは好きな会社というわけではないですが、今この時代にあって応援する価値があるとしたら私はこの会社を自動車企業の中で挙げます。

  おまけ
 環境対応車としては先日トヨタが発売した燃料電池車(FCV)のミライもありますが、燃料電池車はやっぱりコストがどうしても大きくなる傾向があり、将来的に年間で何十万台も生産・販売できるかとなると正直疑問で、結局は環境にはいいスペシャリティカーで終わってしまうのかという気がします。敢えて例えるなら極端に切れ味のいい刀一本と、そこそこの切れ味の刀千本のどっちを選ぶかのような価値観で環境対応車というものは考える必要があるでしょう。

2015年9月19日土曜日

塩爺の逝去

 今日は今朝から西口選手や森本選手など一時代を築いたプロ野球選手の引退報道が次々と出たかと思えば胃癌を発症したと報じられていたフリーアナウンサーの黒木奈々氏が32際の若さで逝去するなど、聞いてて物悲しくなるニュースが驚くほど連続で出てきましたが、最後に出てきたこのニュースが一番驚かされました。

「塩爺」塩川正十郎氏死去 小泉内閣で財務相 93歳(産経新聞)

 上記リンク先の記事にある通り、元代議士で閣僚経験もあった塩川正十郎氏が本日逝去されたそうです。塩川氏とくると見出しにも書かれている通りに小泉内閣で当時としても高齢であったにもかかわらず財務大臣に就任し、好々爺然とした答弁と閣内最年長という立場から当時の小泉政権にあって記事にも書かれている通りに後見役のような仕事を行っておりました。実際の経済政策に関しては経済産業大臣(当時)の竹中平蔵氏が切り盛りして塩川氏は立案や運営にはほとんど関わっていなかったと言われておりましたが、記者への答弁やコメントはコテコテの関西弁で答えるなどユーモアに溢れ、小泉内閣初期の政権維持においては重要な役割を果たしていたと私は考えております。

 ただ塩爺の活躍というのであれば、政治家であった頃よりも政治家を引退した後、テレビなどのコメンテーターとして活動していた頃の方が華々しかったというような気もします。テレビ番組でも現職時代と変わらぬなにをか恐れんと言わんばかりの発言ばかりで、テレビコードに引っかかる「この顔は気違いのもんですな」などきわどい言葉を連発していたほか、長い政治家経験に裏打ちされた確かな知識も披露されてて私も関西にいた頃はテレビを見ていてよく楽しまされました。

 大体00年代中盤はこの塩爺のように、政治評論家であった三宅久幸やハマコーなど政治に対して「ご意見番」的な人物が数多くのテレビ番組に出演して聞いててこちらも唸らされるような意見をよく聞かせてくれましたが、日本にいなくてテレビ番組も全く見てないでいうのもなんですが、このところはそういったご意見番がいないというか、コメンテーターの質がちょっと落ちてるのではと思う節があります。それだけ彼らが抜きんでたと言えばそれまでですが、ハマコーに至っては殺しても死なないような人物だっただけに逝去から何年も経った今でもまだどっか生きてるような気すらする辺り、強烈なキャラクターだったなと思い起こします。

 今回、塩爺が逝去されたことでまた一人立派なコメンテーターがいなくなることとなるわけですが、単純に言って寂しさを感じると共にどうして次の人材が出てこないんだという不可思議さも覚えます。もうこの辺りのポジションの人間となると堺屋太一氏くらいしか浮かんできませんが、もっと若い世代で聞いてて参考になるような政治コメンテーター、コラムニストよ出てこいとこの場を使って一応主張しておきます。

 最後となりますが、塩川氏に対し改めてご冥福をお祈りします。

2015年9月18日金曜日

減りゆくアメリカの仇敵

 昨夜、私の冷凍たこ焼き好きの友人がキューバへ発ちました。何も亡命しに行ったわけでなくタダの旅行ですが、米国との国交回復が噂されているだけに今のうちに行っておきたいと思って計画したそうです。

 キューバといえばチャベス大統領時代のベネズエラと共にアメリカの裏庭にありながら米国と対立していた代表的な国で、世界史にも記録されるケネディ政権時のキューバ危機を代表に米国の仇敵として長らくその存在を維持してきました。しかし近年は、米国の経済封鎖による影響もありますが、国内経済が一向に好転しないことと社会主義政策の行き詰まりから米国との対話にも応じるようになり、特に穏健的な外交を展開してきたオバマ政権が成立して以降はその動きが加速して現時点でも先ほど述べたように国交回復が近いのではと噂されるほどです。
 ちなみに国交回復が展望された影響でプロ野球選手のグリエル兄弟はベイスターズに来なくなったとされ、日本にも案外余波が来てたりします。

 このキューバと共に長年米国の仇敵として存在した国を挙げるとすれば、イランの名前は間違いなく外せないでしょう。二次大戦以降のイランの歴史はまさに米国の暗部の歴史のようなものですが、そうした背景から米国、イラン共に互いを激しく罵り合ってアフマディネジャド政権時に至っては文字通り一触即発の関係にもなりました。ただ現職のロウハニ大統領になってからは大統領本人が外交政策で穏健派であることから米国との関係も急速に改善していったことによってイランへの経済制裁は近く解除される方針となっております。

 キューバとイラン、この米国の仇敵二ヶ国が米国との関係で大幅な改善をしつつあることを考えると現在の世界情勢は米国にとって有利な方向に進んできているように見えます。一体何故このような情勢となったのかという理由については先ほども述べた通りに穏健外交、というより対外派兵に消極的な民主党オバマ大政権が前任の共和党ブッシュ政権時と比べて対話の方に力を入れたことが何よりも大きいかと思われます。仮にこのままキューバとイランとの関係改善が進むようであればイデオロギー上の主要な対立国は消え去ることとなり、恐らくオバマ政権もそれを望んでいるでしょう。

 ではこのまま世界は平和になっていくのかというと、そうは言いきれないのが現状です。何故なら現在のオバマ政権は海外派兵に対して消極的であると書きましたが、この影響を受けて米軍が撤退し始めたイランでは反政権派が盛り返し、ご存知の通りISISも跋扈する事態となっております。また同じ中東ではシリアでの内戦が一向に終わる気配を見せず、ようやく日本でも報じられるようになりましたが東欧を中心に難民が大量に発生しており国際社会への大きな課題となっております。
 米軍が派兵されればこうした紛争はなくなるかといえばそうでもありませんが、かといってこのまま放っておいてもシリアの内戦が終わりを見せるのかというとそれもまた疑問です。一度は政府軍と反政府軍で和解の仲介が行われましたが物別れに終わり、しかも最近は反政府軍の一部がISISに乗っ取られてシリア政府軍、果てには一部の中東諸国が一緒になってISISへ空爆を行うなど混迷を深めております。

 ただこのような混乱極まる中東情勢は、こと米国の世界戦略にとってはかえってプラスかもしれません。というのも米国が敵視するイスラム原理主義組織のアルカイダはISISと対立しており、米国から見たらシリア政府軍を含め敵同士が争い合ってくれているようにみているかもしれません。もしそのような視点であれば米国は介入などせずむしろ対立を煽ろうとする、なんて戦略ではと個人的に推測を立てています。

 ここで次に考えるポイントとしては、オバマ政権以降の米国の戦略です。次の大統領が誰になるのか、そもそも民主党が勝つのか共和党が勝つのかまだまだ分からない情勢ですが、歴史的には民主党が消極外交、共和党が積極外交を繰り返すことが多く、案外次の大統領になったらまたあちこちの紛争に介入し始めるんじゃないかなという妙な期待を持っています。
 なおこの民主党、共和党のサイクルを考えるにつけちょっと頭に引っかかるのが民主党のビル・クリントン政権です。この時代はまさに米国の絶頂期でしたが民主党の政権らしく紛争介入などには全く以って消極的で、先日私がこのブログで取り上げたルワンダでの虐殺が起こった時も上がってくる現地からの報告を無視するかのようにほとんど相手にせず、結局虐殺が続くのを黙視することとなりました。その結果どうなったかというとルワンダで大量の難民が発生したわけですが、これが今のシリア難民と被って見えるところがあります。まぁアメリカさんなんでもかんでもどうにかしてくれって言うのもよくないんですがね、日本政府に期待するのは大本から間違ってるし。

2015年9月17日木曜日

軽減税率の還付案について

 今国会内では安保関連法案の採決で一番盛り上がっておりますが、曲がりなりにも選挙で決まった議席で採決しようとしているのだから籠城などの戦術で採決を遅らせようとするのはちょっとナンセンスかなと思え、安保法案については納得できない面も少なくないもののこのまま可決されるのもまた仕方ないと考えております。むしろ野党の様にわけのわからない行動を取るくらいならこの法案の不足している点や問題点を見つけ出して、修正なりを求めていく方が建設的でしょう。
 なわけで安保関連についてはもうこれ以上語りたくないものあり今日は先日少し話題になって急にしぼんでしまった、大不評だった軽減税率の還付案について書いてみます。結論から言うと小一時間ほど「お前、頭おかしーんじゃねぇの?」って問い詰めたくなる内容でした。

 この軽減税率の還付案について詳細を知りたい方はニュース記事などを読んでもらいたいのですが私の方から簡単に説明すると、消費税率を2017年度に10%へ引き上げるのに合わせ、食料品など生活必需品の購入に関しては消費者の負担を下げるべく現在の税率を据え置く軽減税率を導入しようと以前から議論されていました。しかし食料品だけ消費税を増税後の10%ではなくたとえば現行の8%に据え置こうものなら処理はどうするのか、普通に考えたってスーパーのレジで大混乱が起こりそうな気配がプンプンです。そこで財務省が先日提示してきた案とは、一旦消費税10%を支払った後で差引き2%分を還付するという案でした。
 この還付方式自体は問題なく、他国でも税金還付の方式として採用しております。しかし問題なのはその還付する手段で、これから日本国民に発行する予定のマイナンバーを使い、その情報を含んだマイカードを使って認証するというやり方を財務省は提示してきました。しかも還付額は一人当たりの年間上限が4000円とされ、発表するや否や各方面から激しい批判が出てきました。

 この還付手段のどこが問題なのかというとたくさんありすぎて説明する方も大変なのですが、まず最初に言えるのは認証に使うマイナンバーがまだ発行されてないことはおろか利用実績もな意ということです。普及も何もそもそもまだ存在していないツールを頼りに政策を運用しようだなんていくら何でも突飛過ぎる話で、また本当にマイナンバーを使う場合、すべての小売店にカードを認証する装置を導入する必要が出てきますがその費用はどこから、誰が負担するのか。さらには認証に当たって不具合は起きないのか、個人情報の塊であるマイナンバーから情報は流出しないのか、もうどこから突っ込めばいいのかわからなくなるほど現実を無視した絵空事としか思えない構想だったでしょう。

 こうしたマイナンバー関連のみならず、還付額が年間上限でたったの4000円だったということも大きく批判されました。批判する声の中には、たったの4000円しか還付されないのであれば面倒な手続きをやりたくないとか、還付金の上限を越えるほど食品を買っても一切還元されない、この制度を維持するのにシステム面などでどれくらいのコストがかかるのかなど、至極もっともな意見が取り交わされておりました。実際私であっても、年に一回4000円返してもらうために役所に通うのなんて馬鹿馬鹿敷く思います。

 結局、こうした世論、そして与党内部からも批判が続出したことから財務省はこの還付案について一旦はひっこめると発表しました。しかし財務省の魂胆としては、余所でも言われている通りにこの還付案と抱き合わせでマイナンバー、そしてそれに付随するマイカードを普及させて天下り団体を作ることにあると思われ、多分まだあきらめてはいないと思います。逆に言えば、この制度自体があらゆる点において無駄であることを知っておきながら強引に推し進めようとしていたのが実態でしょう。
 ただそれにしたっていくらなんでもこの制度設計は杜撰の一言に尽き、もっとまともな案を出せなかったのか、政府も出す前に「これはやばい」と止めるだけの正常な判断力を麻生財務相を筆頭に持っていなかったのかと、はっきり言えば神経を疑います。麻生財務相に至ってはこの制度の何がおかしいと言わんばかりでしたが、まぁ期待するだけなぁ……。

 最後に少しだけ真面目な話すると、こんな杜撰な内容で政策が出てくること自体が日本の行政の能力低下を表しているのではないかと本気で心配になってきます。手っ取り早いのはこの制度を立案した人間を即刻更迭することですが、そうはならないのが官僚の世界なんでしょうか。

2015年9月16日水曜日

千葉のマッドドッグ~紀州犬射殺事件

 最初は記事にするつもりなんてさらさらなかったけど、例の松戸市の紀州犬の話題がやたらと長く報じられているのと、マッドシティこと松戸の話題なので取り上げます。

 ニュース概要を簡単に説明すると、千葉県松戸市の路上で人に噛みついている大型の犬がいたことから警察は飼い主の了解を得て射殺しました。その際に警察は拳銃を13発も撃っており、いくら何でも犬に対してこれほど発砲する必要があったのか、流れ弾が人に当たったりしたらどうなっていたのかなどと批判が集まった上、そもそも犬を射殺する必要があったのかなどという声もあって大きな話題となっております。
 射殺されたのは体長1メートル超の紀州犬だったそうですが、今回の事件以前からもこの犬に噛みつかれるといった被害が出ていた一方、一部報道によるとやや劣悪な環境で飼われていたともされ、何発もの銃弾で射殺されたことといい同情論も少なくありません。

 まず射殺の是非について個人的な意見を述べると、やっぱりやりすぎだったのではないかと私は思います。さすがにライオンや豹など確実に人間を殺害してきたり(松島トモ子)するような猛獣であれば射殺もやむを得ませんが、大型犬とはいえ軍用犬みたいに訓練されているわけではなかったようですし、暴れて人間の指とか耳をもぎ取るほどの脅威かといえばそこまではいかないでしょう。しかもそれほど脅威のない動物に対して住宅街で流れ弾の恐れがある発砲を13発も撃つだなんてちょっと大袈裟だと思え、飼い主を含めた複数人で取り押さえるとか周囲に逃げ出さないようにするだけでもよかったのではないかという気がします。現場にいなかったのでやや無責任な言い方な気もしますが、夜中にパンパン発砲する方が危ないように思えますし。
 千葉県警は今回の発砲は適切だったと話していますが、折角だからメディアはほかの都道府県の警察とか警察OBに意見を聞くべきでしょう。

 あとこの事件をより大きく注目させている要素として、この事件が起きたのが私も連載記事で紹介しているマッドシティこと松戸市である点も見逃せません。ネットの声を見ていると「これだからマッドシティは」、「なんでここ全国で報じられるような事件が多発してるんだよ」などともはやすっかり「危険な都市、松戸」と認識されている模様です。

 私自身は一連のマッドシティ記事でも書いているように日本の潜伏拠点がたまたま松戸にありますがそこまで愛着があるかといったらそれほどでもなく、ただ幼少時より関わりのある街だからやけに昔の名残とかそういうのは確かによく覚えている方です。一応フォローを入れておくと普段住んでてそれほどバイオレンスな雰囲気を感じる街ではなく、私個人の感覚で申せばインドのニューデリーや京都府京田辺市に比べれば怖くもなんともない平穏この上なき所です。もっとも友人に言わせれば、「君自身が危険人物だからそう思うんだろ」って言われそうですが。

 最後にマッドシティでの犬絡みの思い出を一つ語ると、確か去年の四月頃に夜中自転車で走ってたらどっかの家の犬が庭先から私に向かって吠えてきたのですが、ちょうどその時めちゃくちゃイライラしていたので、「うるせぇっ!」って町内中に響き渡るくらいでかい声で犬に怒鳴り返したことがあります。犬自体は吠えるのをやめませんでしたが私の前を自転車で走ってたおっさんがやけにビビッてて、すぐ次の曲がり角を急ぐようにして曲がって去っていったのですが、その後私がしばらく走った先にある信号で待っていたらそのおじさんと再び合流してしまい、おっさんはなんかそわそわした感じで私の方を向こうともしませんでした。
 こういうことをしでかす辺り、犬より危険というか鬱陶しいな自分って思えてきます。

監視カメラと治安

JR連続不審火 42歳男を威力業務妨害容疑で逮捕 品川変電所被害に関与 一連の不審火との関連捜査(産経新聞)

 このところ話題になっていたJR線への放火事件についてどうやら容疑者が捕まったようです。交通インフラへの放火事件とあって内心けしからんと思っていただけに、まだ確定ではないものの容疑者が捕まってよかったと心の底から思います。
 ただそれにしてもこんな事件でも容疑者を捕まえられるとは、警察の捜査もなかなか捨てたものではありません。犯行はどれも夜中に行われていたようで、しかも犯人は変装をしていたとのことですが、周辺の監視カメラなどの情報を元にこうやって特定するところまできたそうです。

 ここで話は中国に変わりますが、会社の同僚によると何でも北京での強盗や殺人といった事件の検挙率は99%超に及ぶそうです。こうした重大犯罪を犯した場合はよっぽどのことがない限りは検挙されるそうですが、これほどの高い検挙率の裏にあるのは先ほど出てきた監視カメラの存在が大きいようで、実際中国の大都市で歩きながら観察していると確かに監視カメラがあちこちについているなという気がします。
 何気に上海人である友人の父親は監視カメラを作る会社で働いていたそうなのですが、どうも話を聞いていると国有企業だったそうで、このことを前の会社の同僚に話したら、「中国は監視社会なだけあって監視カメラも国が自分達で作るんだね」と指摘され、妙に納得したことがありました。

 ただ中国が監視社会であることは置いておいても、こと治安に関しては監視カメラが多い方が良いに決まっています。日本では私の見る限りだとまだ監視カメラに抵抗を持っている人が多く、曰くプライベートが覗かれそうだとか見られたくないところを見られるとかありますが、私に言わせれば「見られて恥ずかしいようなことをする方が悪い」ように思え、こうした声は参考に値するのかというと疑問です。
 さすがにトイレの中とか銭湯の脱衣所にまで仕掛けたりするのはやりすぎだと思いますが、人通りの少ない通りや、ひったくりなどの軽犯罪が多発している現場などには今よりももっと多く置いた方が示威効果も期待できるだけに価値がある気がします。あと極端な話、電車の車内にも置くことで痴漢犯罪、痴漢冤罪、暴力行為なども抑止できたりするのではとも思えます。

 最後に、監視社会についてもう少し述べておくと、見られること自体は何の束縛でもありません。真の束縛とは発言を許さない言論統制のような行為で、何かの発言を門に処罰されたり拘束されたりすることがあって初めて監視社会だというような気がします。その点で言えば日本は天皇に関する危険な発言以外は何でも許されるだけに、別に監視カメラを置いたとしてもそれほど問題ではない気がします。
 逆に中国はですが、この前リアルに取引先の中国人に、「中国にはもちろんありますが、でも日本にも多少は言論統制ってあるでしょ?」って言われ、やっぱこっちの人は言論統制があること自体が自然なんだなと再認識させられました。

2015年9月13日日曜日

ルワンダ虐殺の歴史伝承

 このブログでも解説記事を多く載せているのでわかるでしょうが、私は相当な歴史好きです。この傾向は小学生時代から始まっており、この手のタイプとしてご多分に漏れず自分も歴史に名を残したいという野心は少なからずあり、このブログも将来誰かに資料として読まれることを前提として書いている記事もあったりします。とはいえ現時点ではとても歴史に名を残すようなことはおろか重大な歴史事件にも関わることもない平穏平生な人生を歩んでいるのですが、唯一といっていいものか微妙ですが、世界史に刻まれたある事件に対してほんの一瞬、ちょっとだけですが触れたような感覚を持つことがありました。

 それがあったのは私が北京に留学していた頃で、当時週に一度行われる会話の授業にてアフリカ出身のクラスメートと一緒になりました。最初は、「あ、黒人だ」っていうくらいで別に意識することもなく、また授業中でもそんなにから見なくて一回だけ、「日本語にも中国語の発音法則の四声ってあるの?」と聞かれたくらいしか関わりがなかったのですが、授業中のふとした会話から彼がルワンダ出身だということがわかりました。その際に授業の講師は、「ルワンダというと、あのフツ族とツチ族の内戦があった場所だね」とだけ話し、それ以上はどちらも深く会話せずにまたいつも通りに授業へ戻りました。ただこの瞬間、あの虐殺の現場にいたかもしれない人と自分は今同じ場所にいるんだと、私一人で強い意識を持ちました。無論、当人に詳細を確かめるようなことはできませんでしたが。

ルワンダ虐殺(Wikipedia)

 ルワンダというのは中部アフリカにある国の事で、他のアフリカ諸国同様にかつてはドイツ、次いでベルギーの植民地でした。この地にも元々住んでいた民族がいたのですが、植民に来た白人は彼らのうち遊牧を主としていた人たちをツチ族、農耕を主としている人たちをフツ族と分け、恐らくは支配を合理化するために片方のツチ族を優遇するといった政策を取りました。
 なおこの民族を分ける境界線はほとんどあってない物で、両社ともに言語や文化を共通しており、見かけには多少の違いがあると言われるものの互いにIDで確認する以外はどちらに属するか判断できないくらいに差はなく、民族系統的にはほぼ同じ民族だと言っても過言ではないでしょう。しかし白人による政策での扱いの違いから多数派のフツ族はツチ族に対して根深い反感を持つようになり、独立を果たした後もその感情はずっと積もっておりました。

 そうした中で起きたのが、1994年のルワンダ虐殺です。詳細は上記リンク先のウィキペディアに詳しく解説されておりますが、フツ族を中心とした政府、民間団体が結託して入念な準備が成された上で、当時の大統領が暗殺されたことをきっかけにルワンダ全土で一斉に引き起こされました。
 この虐殺は文字通り民族浄化を目的としたもので、怨みがあるからとか戦略があるからなどという理由はなく、ただツチ族であるという一点でもって住人が大量に殺害されました。その犠牲者は当時のルワンダ人口の10~20%に当たる50万から100万人と言われ、老若男女の区別なく多くの人間が近隣の住民らの手によって殺されました。

 この虐殺の計画自体は決行前から噂されており、国連平和維持軍の指揮官などは危険な状態にあるとして増援の派遣も要請しておりますが、これらに対して国連を始めとした国際社会はほとんど無視し続け、フランスに至っては虐殺を実行した政府軍を陰で支援していたとすら言われております。そして虐殺が開始されその実態が伝えられた後も国際社会は何の反応も示さず、隣国にいたツチ族の反政府軍が政府軍を打破して紛争が終るまでずっと続けられるのを放っておかれました。

 仮にこういった虐殺が先進国内で起こっていたら、言うまでもないでしょうが国際社会は軍隊を派遣するなどして虐殺を止めるか住民を保護するようにと動くでしょう。しかしこの事件を取り扱った「ホテルルワンダ」という映画にて虐殺現場を撮影したカメラマンがルワンダ人の主人公に対し、「この映像が世界に放映されたとしても、きっと先進国の人間は『怖いね』とだけ言ってまたいつもの夕食に戻るだけだ」と、悔しげに話すシーンがありますが、私自身この言葉を否定することができません。

 このルワンダの虐殺は時代的には非常に新しい事件であるものの、この事件について覚えている人間は現時点でもかなり少なくなってきているように思え、また事件以降に生まれた世代に至っては事件そのものを全く知らないという人も多いのではないかと思います。私自身もそこそこ年齢を積むまで文化大革命からクメールルージュについて全く知識がなかったですが、それでも小学生の時代でもナチスのユダヤ人虐殺を知っていたということを考えると、リアリスティックな意見を言えば人一人の命の重さには明確な差があると言わざるを得ません。
 ただでさえ話題に上がることも少ないので伝わる量にも限界があることは百も承知ですが、知られないよりはやはり知っておくべき事件だと思え、ちょうど欧州でシリア難民が問題となっている時期でもあるだけにここでひとつ紹介しようと思い立ちました。

2015年9月12日土曜日

騒音('A`)

 この前の水曜と木曜日は上海で開かれていた展示会に参加してきたのですが、その際にひと騒動がありました。この展示会は二日間に渡って開かれるものなので一日目にわざわざ昆山に帰るのもあれだし上海市内でホテルを予約して泊まったわけなのですが、このホテルでトラブルがあったわけです。

 泊まったホテルは中国でも最大手のビジネスホテルチェーンである「MOTEL168」系列の「莫泰168(上海虹井路店)」でした。このホテルには去年開かれた同じ展示会の際にも泊まったホテルだったのですが、決していいホテルというわけではないものの展示会シーズンで他が空いてなかったこともあり、ビジネスホテルチェーンだから最低限は保証されているだろうと思って二年連続でこのホテルに泊まることとなりました。
 まず最初に遭ったトラブルはWIFIがホテル内に飛んでない、っていうかネットワークを調べる限りだと明らかに飛んでますがパスワードを聞いたら、「ない」と否定されたためネットが使えませんでした。まぁこの程度なら中国においてフランクな対応だと軽く流せますが、問題となったのは見出しに掲げた騒音でした。

 このホテル、ショッピングモールの6階と7階に位置しているのですが、恐らく同じモール内にカラオケボックスがあるのか宛がわれた部屋に入ったらかなり大きなサウンドで誰かが歌っている声が壁から聞こえてきました。中国ではどうも防音材を壁に入れるようなことはせず、それどころか中心部は空洞になっているのか隣室の音以上に別の階の音が極端に響くことが多く、宛がわれた部屋もその影響でカラオケでの騒音がダイレクトに響いていました。ちなみに特定の時間帯に日本語の唄も聞こえてきたので、「ファッキンジャップ」などと軽く呟いてもいました。

 この時点でもかなり不愉快でしたがどうせ夜遅くになれば店も閉まって寝ることはできるだろうとパワプロをやり続けて自分が4番打者として君臨するヤクルトスワローズでV6を達成(シーズンオフに西武へ移籍)した後、十二時ごろに布団へ入りました。最初は穏やかに睡眠がとれていたのですが夜中二時ごろ、突然またカラオケの音が聞こえてきて、寝ていたところをほぼ強制的に起こされる羽目となりました。
 この時聞こえた音量は大体、テレビを普通な感じで映している時に聞こえてくるくらいの音量で、マイクで謳っている声はおろか合いの声まではっきりと聞き取れるくらいで、寝ようたってかなり難しいくらいの音量でした。さすがに頭にきてフロントに言うと、「もう部屋空いてないから明日取り替えてやる」と回答され、「俺、明日にはチェックアウトするんだが」と言い返すと「じゃあ我慢して。多分2時半には終わるから」といつも通りのチャイナ式対応されて電話を切りました。

 確かにカラオケは2時半には終わってまた静かにはなったものの、一旦寝付いたところを起こされたのでしばらくは再び寝付くことが出来ませんでした。そもそもこの日は展示会の出店準備のため早朝5時半に起きるなどただでさえ睡眠不足だったのに、二日連続で満足な睡眠がとれないまま翌日の展示会二日目に臨む羽目となり、何度も口の中でファッキンファッキンと悪態をつき続けることとなりました。そもそもカラオケ屋の音が反響する部屋を客に宛がうなんて何考えてるんだと言いたいところですが中国ではこれが日常ということもあり、チェックアウトの際にフロントデスクを思い切り蹴飛ばして、「俺が日本人だからあんな部屋宛がったのか」と一言文句を言おうかとすら思いましたが、行っても意味ないと思ってここは踏みとどまりました。

 それにしてもこのところ断水にガス漏れに騒音にと、やたら運勢のない事案が続きます。来月日本に一時帰国するので軽いお祓いなりラッキーアイテムなりを仕入れてこようかとちょっと本気で検討しています。

 なお参加した展示会についても少し触れると、開場時間が終わって撤収準備に取り掛かった際、配られたり勝手にブースへ置いてかれたりしたパンフレットの類を整理していると何故か日本にいる後輩が務めている会社のパンフレットが二冊も入ってて、ちょいいらっとしながら二冊ともごみ箱に捨ててから帰りました。帰り途中には上海三越に入っている「かつくら」というとんかつ屋のとんかつ食べていったので気分はよかったです。

2015年9月11日金曜日

人民解放軍の30万人削減発言について

 先週中国では抗日戦争勝利70周年記念として北京で軍事パレードを行いました。この日は中国では祝日となり私も会社のスケジュール表に「抗日戦争勝利記念日( ゚Д゚)<ヤスミ!」と書いておきましたが、日本ではどう報じられていたのか、私の上司は「あんま今日は外で歩かない方がいいんじゃね?( ゚Д゚)」と治安を気にしてましたが、別にどってことないからといって日本食屋に連れ出しました。
 私が書くまでもないですがその連休中は日本人は中国人に白い目で見られるとか悪口言われるとかそういう体験は一切なく、ただの普通の休日でした。さっきにも書いた通り日本ではどう報じられていたのか知りませんが、未だに二次大戦での怨みがどうこうといって日本人に因縁つける中国人などいようものならほかの中国人は「古い価値観のおかしい奴だね」と鼻で笑う事でしょう。尖閣諸島問題は現代の領土問題ということもあって中国人も日本を強く敵視しますが、二次大戦を引っ張り出して日本がどうこう言うことに対しては中国人にとってもおかしな行動の映っていると私には感じます。まぁどこの国とは言わないが。

 話は軍事パレードに移りますが、パッと私が日本の報道を見ている限りだと装備品とか兵隊の練度とかにはあまり言及されず、実際軍事マニアらにとってもあまり面白味のないパレードだったのではないかと推察しています。同じパレードでもインドではとても面白そうですが中国にはこの手のユーモアがないのか演出家もいなかったのか、パレードの中身自体にはそれほど触れられていません。ただパレード中の習近平総書記の発言は、私もちょっと注目しました。その発言というのも、人民解放軍の兵力を現在の状態から30万人削減するという内容です。

 中国軍に当たる人民解放軍の兵力は陸海空合わせて現在約230万にいるとされ、この兵数は人口大国なだけあって間違いなく世界でも最大でしょう。そもそも兵力が100万人を超える国なんてほとんどなく、この数字が突出したものであるかについては他の世界の軍事比較サイトなどを閲覧ください。たださっきそれで検索かけてみたけど、なんかサイトによって数字がえらく上下するから注意深く見る必要がありそう、多分予備役とかの区別をしてないところもあるんだろうな。

 そんな突出した兵力を持つ中国が今度30万人を減らすということで一見するとこれは大規模な軍縮に見えますが、話はそうは簡単なもんじゃないというのが私の見方です。というのも現代の軍隊は兵力が大きければ大きいほど有利というわけではなく、実際にはどれだけ優秀な兵器を多数保有しているかの方が軍事パワー的には影響度が大きいです。そしてその兵器を生産・開発・保有するに当たっては予算が物を言い、30万人の削減によって浮いた人件費を中国が兵器に傾けるとしたら確実に現在よりその脅威度は増すと断言できます。
 そもそも、中国政府はかねてから解放軍の人員削減を目指してきた節がありました。かつて鄧小平の時代にも100万人を削減したことがありましたが、中国での軍隊は社会保障的な意味合いが強く、職にあぶれた荒くれ者を雇用して社会を維持するという観点でもってこれまで約230万人という兵数が維持されてきましたが、これだけの兵力を抱えるとなると人件費も馬鹿にならなくて経済投資や軍備拡充を図るに当たって中国政府は本音としてはもっと早く削減に手をかけたかったとかねてから噂されていました。

 それだけに今回のポイントとしては、「何故このタイミングなのか」に尽きるでしょう。何故このタイミングで習近平総書記は兵数削減に手をかけたのか、それもわざわざ軍事力を誇示する軍事パレードという晴れの舞台中にどうして発表したのかということが実は一番気になりました。結論をここで述べると恐らく軍部への根回しはなく不意打ち的に削減を発表したのではと思う節があり、今後ますます習政権と軍部の間で火花が起きるのではという懸念があります。

 何故このように考えるのかというと習政権はこれまでに軍部との対決姿勢を強く示してきたからです。前任の胡錦濤政権は政府内の汚職対策として要人を逮捕することもありましたが、軍部の人間に対してはとうとう誰一人として手を付けることがありませんでした。しかし習政権は発足してから軍部の超大物を逮捕したのを皮切りに次々と軍部内の人間を汚職でひっ捕らえ、中国の市民からも大喝采を受けて評価されております。
 無論、こうした内部の逮捕者続出に軍部はいい気持ちをするわけがありません。以前に尖閣諸島沖で日本の戦闘機に対して中国の戦闘機が照準レーザーを当てていた事件は明らかに中国政府は把握しておらず、軍部が政府への当て付けとばかりに勝手な行動をしたのではと思う節がありました。今度の30万人削減も軍内部からすればポストが少なくなって昇進の可能性が減るだけでなく影響力も落ちることから、削減を歓迎するようなのといったら主計部くらいなもんでしょう。

 この辺は本当に勝手な推察ですが、習近平総書記はただでさえ対立中の軍部に対してどうせ反対されて手間かかるだけだから根回しなんかせず、世論をバックに不意打ち的に兵数削減を打ち出し、さらに世界中のメディアに報道させて一気に削減計画を既定事実化させて軍部を追い込もうとしたのではないかと私には思えます。少なくとも中国市民は明らかに習政権側を支持しており、逆に人民解放軍に対しては強い嫌悪感を持っているだけに今回の削減発言も歓迎する声が多いです。
 ただ計画通りに削減が粛々と実行されるかについてはまだ断言できません。軍部側もあれこれ抵抗するでしょうし、下手すりゃ以前同様に南か東の国境線近くで騒動起こして政権にプレッシャーをかけてくるかもしれませんし、削減が実行されたとしてもその瞬間には30万人の失業者が生まれるというこことで何かしらも社会不安も起こる可能性があります。

 その上で日本としてはどうあるべきが望ましいのか。単純にパワーバランス的にはこのまま役にも立たない兵士を中国が抱え込んでいてくれる方が良いように見えますが、この削減が実現したら中国でも文民側がイニシアチブを高めることになるのでもしかしたら緊張が少しは改善するかもしれません。まぁこの辺はどっちに転ぶかわからないし、黙ってみるだけしかないでしょうが。
 最後に実現性について述べると、多少の紆余曲折はあるかもしれませんが今後10年内には達成するんじゃないかと私は思ってます。理由は先ほども述べた通りに習政権への国内の支持度が高いことと、ほぼすべての中国人は解放軍が嫌いだからです。実際、外国人より自国民に銃口を向けることが多いような軍隊だし、普段偉そうにしていることもあり、また汚職の度合いも半端じゃないという三拍子がそろっているので、こういってはなんですが同情する中国人なんていないでしょう。

2015年9月9日水曜日

少年ジャンプの年度別打ち切り本数

 このところネット上で、「少年ジャンプで新連載がまた打ち切り」、「ジャンプ終わった」などという文言を多数見かけます。以前ならともかく現在の私は週刊少年ジャンプを見ていないので今どのような状況なのかリアルタイムな情報は得られていないものの、少年漫画雑誌の王者である少年ジャンプがこのところ往時の勢いを失いつつあるという意見がどうやら少なからず出ているようです。
 正直に言って「日本はもう終わった」、「中国バブル終わった」みたいに投げるような言い方は好きではなく、終わったと抜かすんだったらちゃんとしたデータ持って来いよといつもイライラさせられるのですが、この少年ジャンプに関しても果たしてそのような印象論で言われているのか、それとも本当に人気というか勢いが落ちてきているのかが気になりました。この辺を誰かがはっきりさせる必要があるのではないかと思え、こうなったら本部以蔵ばりに「俺が守護る(まもる)しかねぇ」というような妙な使命感を感じたことから今日はちょこっとデータをこしらえて、少年ジャンプの現況を分析してみました。

<調査概要>
 少年ジャンプの「勢い」というものを比較するため、調査指標として年度別の「打ち切り本数」をカウントすることにしました。「テコ入れと打ち切りはジャンプの華」と言われるほど少年ジャンプでは人気の出ない漫画を容赦なく連載打ち切りにすることで有名ですが、これを逆手にとれば「打ち切り本数が多い=人気作が生まれてこない」という図式が成り立つのではないかと考えたからです。実際、ジャンプでは早ければ連載開始後2~3ヶ月でバンバン打ち切ってきますが、人気が出た作品に関しては連載期間も伸びて雑誌、単行本の売上げに貢献していくこととなるため、漫画雑誌としての勢いを測る指標として十分考慮できると思われます。
 なお雑誌発行部数も人気や勢いを測る上で重要な指標ではあるものの、少子化による購買層の人口変化や長期連載作品の影響などを排除することが出来ず、期間別の勢いを測る上では不適当と考え今回こちらは用いないこととしました。

<調査期間>
2000年から2015年

<調査指標>
1、新規連載開始本数
2、半年以内(25週)に打ち切られた連載本数
3、半年~1年以内(50週)に打ち切られた連載本数
※半年=25週、1年=50週という期間設定は統計をわかりやすくするためこういう設定にした

<調査データ>
連載
開始年
新連載
開始本数
打ち切り本数
備考
半年以内
1年以内
合計
打ち切り率
2000年 12 7 1 8 66.7%  
2001年 11 8 0 8 72.7%  
2002年 10 6 2 8 80.0%  
2003年 11 9 1 10 90.9% 武装錬金だけが1年以上持ちこたえた
2004年 11 4 2 6 54.5% DEATH NOTE、銀魂、D.Gray-man、家庭教師ヒットマンREBORN!が開始。当たり年
2005年 8 4 0 4 50.0%  
2006年 10 5 0 5 50.0% To LOVEるが連載開始
2007年 10 5 2 7 70.0% HAND'S -ハンズ-、神力契約者M&Y、重機人間ユンボルの3本が10週で打ち切り
2008年 13 7 1 8 61.5% トリコ、バクマン、ぬらりひょんの孫が開始。チャゲチャが史上最短の打ち切りに(8週)
2009年 14 8 2 10 71.4% 調査期間中、新連載本数が最も多い年
2010年 8 6 1 7 87.5% 調査期間中、新連載本数が最も少ない年(8本)。ただこの年の作品はほぼ全滅
2011年 10 5 3 8 80.0%  
2012年 12 3 5 8 66.7% 調査期間中、1年以内の打ち切り本数が唯一、半年以内の本数を上回った年
2013年 10 7 0 7 70.0% ハイキュー!!、斉木楠雄のΨ難、暗殺教室、食戟のソーマが連載開始
2014年 13 9 2 11 84.6% 調査期間中、最も打ち切り本数が多い年
2015年 10 5 0 5 50.0% 調査時点での統計。打ち切り本数はこれよりほぼ確実に増える見込み
平均
10.81 6.13 1.38 7.50 69.16%
\(゜ロ\)(/ロ゜)/

注1:連載開始1年以内に他誌へ移籍、短期集中連載、月1の企画連載作品はカウントせず
注2:打ち切り作品の本数はその作品が連載を開始した年にカウントしている。そのためたとえば2014年に打ち切られたとしても、その作品が2013年に連載を開始した物であれば2013年のカントとする

<データ補足>
 エクセルで作った図表を無理やりブログフォーマットに落としたのでやや見辛い表になったのが携帯叩き割りたいくらいに不満ですが、ひとまず内容は見れると思うのでこれで良しとします。

 さて今回私は連載打ち切りの基準として、半年以内、または一年以内に連載が終了した作品をカウントしました。一年以上続いた作品に関してはたとえ最終的に打ち切られたとしても一時的に読者の人気を勝ち取り、雑誌に貢献したと考えるためです。またカウントに当たってはなるべく調査目的の実態に近づけるため、注にも書いておりますが他誌への移籍作品や短期集中連載作品は除外してあります。他誌への移籍作品は連載を開始してすぐに移籍した「スティールボールラン」などは除外対象となるものの、「D.Gray-man」の様に少年ジャンプ本誌で人気を得ながら1年以上連載し続けてから移籍したものは通常通りのカウント対象としています。

<全体の傾向>
 そういうわけで早速見ていきますが、全体の打ち切り率が69.16%ということから、少年ジャンプでは新規の作品が1年以上連載を続ける可能性は30%強、つまり10本中3本しかないという計算になるわけで、やはり非常に厳しい競争原理が敷かれていると言えるでしょう。そして新規連載本数の平均は10.81本ということで、大体毎年10本強の作品が連載を開始しているってことになります。

<2004年の当たり年>
 それでは上から順に年度別のデータを見ていきますが、まず注目に値するのは2003年と2004年です。2003年は11本中10本が打ち切られるという超不作な年となりましたが、翌年の2004年は逆に「デスノート」を筆頭としてメガヒットといえるような人気作が一気に連載を開始しています。人気作が一挙に生まれ連載陣が安定したからか2004年~2006年の打ち切り率はどれも50%台という非常に低い数値で推移しており、この結果から2004年はこの15年間でジャンプにとって最大の当たり年であったと考えられます。

<2007年がターニングポイント>
 ただそんなプチ黄金期というか打ち切り率が低い水準でいたのも2006年までで、2007年からは打ち切り率が再び上昇傾向を見せます。特に2007年は備考欄にも書いてある通り、しょっぱなから「HAND'S -ハンズ-」、「神力契約者M&Y」、「重機人間ユンボル」の3本が2004年以来となるわずか10週での打ち切りを受けており、打ち切りまでの期間がそれ以前と比べ明らかに短縮されています。単純に作品の人気が出なかったのか、編集部の方針変更によるものなのかまではわかりませんが、翌2008年には「チャゲチャ」という作品が史上最速(現時点においても)の8週打ち切りになっていることから、やはり編集部で方針が変わったという方が可能性として大きいような気がします。

<2010年の全滅>
 2008年はそこそこヒット作が出た一方で新規連載作品が13本と急に増え、翌2009年も14本であったことから2年合わせて27本という新連載ラッシュとなっています。そして2010年ですが、なんとこの年は前2年と打って変わって新規連載本数が8本と急減した一方、このうち7本が打ち切り、しかもそのうち6本は半年以内で終わるという2003年を髣髴させるような超不作年になりました。しかもこの年に連載を開始して1年以上連載を続けられた「エニグマ」という作品は1年ちょっと経ったところで連載が打ち切られており、実質的にはこの年に限っては何一つ人気を安定させることが出来ず全滅だったという評価になります。

<連載期間が延びた2012年>
 全滅だった2010年に続いて2011年も打ち切り率が80%という高い数値となった影響からか、2012年ではちょっと妙な数字になりました。これも備考欄に書いていますが、通常なら半年以内で打ち切られる本数が圧倒的に多いのに対し、この年だけ半年から1年以内に打ち切られる本数が唯一上回った年となっております。
 勝手な推察ですが不作の年があまりにも続いたためか、恐らく編集部内で「すぐには切らずに半年は様子を見よう」という方針になったのではないかと思えます。もっともこの年にもそれほどヒット作は生まれておらず、翌2013年には打ち切り作品はすべて半年以内に切られるというハイペースに戻っていることから編集部が再考して方針を元に戻したのかもしれません。

<依然と高い打ち切り率>
 直近といえる2013年、2014年も相変わらず平均を上回る打ち切り率となっており、特に2014年においては新規連載本数が13本と多い一方で打ち切り本数が11本と調査期間中最多で、バンバン連載が開始されつつバンバン打ち切られる年だったと言えるでしょう。恐らく少年ジャンプを毎週購読している読者からしたら新連載が始まっては片っ端からすぐ切られていくように見えるでしょうから、冒頭の様に「ジャンプも終わったな」なんていう印象を覚えたのかもしれません。確かに1年ちょいで11本も連載が切られていれば先行きを不安視するのも無理ないでしょう。

<総評>
 2015年もすでに4分の3が過ぎておりますが、今年の新規連載本数は既に10本を数えており、残り3ヶ月で恐らくまだ増えることから2014年に引き続きハイペースな打ち切りラッシュがまだ続いていることになります。最初にも書いたように新規連載と打ち切りが多いということは安定した人気が得られる新作が出てきていないということと同義で、漫画雑誌の勢いという面では明らかに衰えていると言え、そういう意味では「終わった」とまでは言えないものの、一時期(2004年~2006年頃)に比べれは確かに今の少年ジャンプは勢いをなくしつつあると言えるのではないかと思えます。

 このほか今回の統計取ってて思ったこととしては、やはり当たり年というかヒット作というのはある年に集中して出てくる傾向があるような気がします。最も顕著だったのは2004年ですが、2008年もその後にテレビアニメ化にこぎつける作品が数本出ており、直近では2013年の作品が現在の連載陣で勢いがあるように感じます。
 それともう一つ、連載の打ち切り期間ですが、やはり一度ヒット作を出した漫画家に関しては完全な新人に比べてやや長い猶予期間を持たされる傾向がありました。具体的には藤崎竜氏、鈴木央氏、つの丸氏などの打ち切り作品はリアルタイムで私も読んでいましたが、明らかに第一話から「やばいなこれ」って思うくらいつまらない新作を出してきましたが、どれも半年以上は連載期間が持たされていました。

2015年9月7日月曜日

オスとメスはどっちが先?

 最近政治ブログだということが忘れ去られ始めているので橋下大阪市長が唱えた首相公選制についてでも書こうかなと思いましたが、自分のブログで検索かけたら既に過去に言いたいこと全部書いておりました。それにしても昔ながら、ええこと書いとるやんけ自分もと読んでてほくそ笑みました。
 そんなわけだから今日は身近な疑問というかまた自転車漕いでる最中にふと気になった、オスとメスはどっちが先に生まれたのかについて勝手な考察を書いていきます。

 言うまでもないことですが、人間を含めたほぼすべての生物は個体によって雌雄が別れており、両性が同時に存在しなければ繁殖は行えません。私が感じた疑問というのは、そもそもオスとメスは生物進化の過程で別れたのだろうけど、別れる前はどちらの性別だったのか、オリジナルはどっちなのかという事でした。
 そもそも何故オスとメスが別れたのかというと、私個人の意見ですが多様性を持たせて種として発展せしめるためでしょう。基本的に遺伝子というのは多様性を含んでいる方が圧倒的に有利で優秀な子孫を残しやすい傾向があり、現代世界においても異なる人種間で生まれたハーフは容姿、体力面で純血種より勝っている傾向があると言われています(ex、ダルビッシュ選手や室伏氏、孫悟飯)。もっともそのかわりにハーフは寿命が短いとも言われるので、この辺は一長一短かもしれません。ってか今思いついたが、日本人の平均寿命が長いのって人種間交流が島国故に極端に少ないだけだからかも。

 話は戻りますが、アメーバなどの原子生物は雌雄同体とされてオスとメスの区別がありません。これだと繁殖の手間は少ないですが多様性も持てず、また種としての発展が起こらなかった故に原子生物のままであるので、やはりある段階で遺伝子がさらなる発展を目指してオスとメスに分かれたのだと私は考えます。
 ではそのオスとメスの別れようとする瞬間はどっちの性別だったのか。Yahoo知恵袋のこれとかあれを見ていると別れた瞬間にオスとメス誕生したのだからどちらが先っていう話はないという人がベストアンサーを得ていますが、結論から述べると私の意見は異なり、やっぱりメスが先だったのではと考えています。

 何故メスが先に誕生したという説を取るのかというといくつか理由があり、一つは雌雄同体の生物自体を繁殖能力を有するメスと捉えられるからと考えたためです。やや生物学的な話から離れますが神話でもそのような世界誕生説、より細かく言えば地母神から世界や生物がすべて生まれたという説は少なくなく、例を挙げるとギリシャ神話のガイアなどで、こうした神話も女性に起源を発するということ暗に示しているのかもしれません。
 もう一つの理由は名前は失念してしまったのですがある魚の話で、なんでも水槽の中にメスだけ数匹放り込んで観察していると、その中の一匹が徐々にメタモルフォーゼしてオスになり、他のメスと繁殖活動を行う魚がいるそうです。この時オスになる魚というのは水槽の中で一番体が大きく、行ってしまえば男性ホルモンが多そうな魚がなりやすいそうなのですが、詳しい原理は置いといてメスからオスに変化するというこの過程を考えると性別が分化する以前の生物というのはやっぱりメスがベースだったのではという気がします。なお、この魚はオスだけ水槽に放り込んでいても逆の変化は起こんないそうです。

 最後の理由は至極真面目な意見で、「ミトコンドリアEVE」の存在です。知っている人には早いですが動物細胞中に唯一存在する別種遺伝子のミトコンドリアは完全母系遺伝する生物で、昔ある学者がいろんな人間のミトコンドリアのDNAを調べて人類の先祖を探り当てようとした結果、最終的にアフリカにいる一人の女性に突き当たったことから、この人物を「ミトコンドリアEVE」と言いました。
 母系遺伝するからといってメスが先だとは完全には言いきれないものの、このミトコンドリアEVEの存在はやはり気になります。このEVEからオスとメスに派生して分化していったのではとも考えられますし、このEVEからさっきの魚みたいに男性ホルモンと女性ホルモンの突発的な分泌が起こって分化したのかもしれません。

 一応、キリスト教の聖書では男性のアダムの肋骨から女性のイブが生まれたとされ、男性がオリジナルだという説を唱えております。なおどうでもいいですが、イブが生まれる前までアダムの肋骨は今より多かったと考えると腹の中に割とびっしり埋まっててお腹の可動幅が極端に小さかったのではと想像しています。
 話は戻りますが聖書ではこういうものの、私はやっぱり分化前の生物は女性的な性質を強く持っていたのではないかと思え、オスとメスのどっちが先かとなるとやっぱりメスが先だと言えるような気がします。現実社会では男性優位でさっきの聖書のエピソードも男が先という説を取っておりますが、こと生物学的にはそうとも限らないんじゃないかと思うのと、さっきの男性ホルモンと女性ホルモンの分泌の謎とか解ければ子供の産み分けとか性転換ももっと容易にできたりするんじゃないかといつもながらくだらないこと考えてるわけです。

2015年9月5日土曜日

日本一の正直者

 先日、歴史上で有名な左遷された人たちをまとめた記事を書きましたが、菅原道真と並んで左遷された事実が堂々と歴史の教科書に載せられているくらい著名な人物を入れるのを忘れておりました。その人物というのも、奈良時代から平安時代にかけて活躍した和気清麻呂です。

和気清麻呂(Wikipedia)

 和気清麻呂について知っている人には早いですが、彼は733年の生まれで奈良時代末期の官僚です。彼が33歳だった769年、当時は女性天皇の称徳天皇の時代でしたが称徳天皇は僧であった弓削道鏡を寵愛して、現在の大分県にある宇佐八幡宮で「道鏡に天皇を継がすべし」という神託が下りたという報告を受けるや喜んでその通り実行しようとするほどの入れ込み振りでした。
 しかし周囲の廷臣たちからは道鏡への継承に反対する声や神託を疑問視する声も多く、これを受けて称徳天皇ももう一度神託を確認することを条件に妥協し、側近の女官であった和気広虫を宇佐八幡宮に派遣しようとします。しかし女性の和気広虫では体力的にも厳しい旅であったため、広虫は代わりに弟の清麻呂を推薦したためこの任は清麻呂が負うこととなりました。

 その後は歴史の教科書に書かれている通り清麻呂の報告は、「天皇家は皇室のみ継承すべしで道鏡はアウト」というものだったため、称徳天皇の期待通りに道鏡が継承するという夢は果たされませんでした。ただこの報告を受けて称徳天皇自身はやはり納得がいかなかったのか、清麻呂を鹿児島県に左遷した挙句に「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」という侮蔑的な名前に無理やり改名させます。なおこのときお姉ちゃんの広虫もとばっちりを受けて、「別部広虫売(わけべのひろむしめ)」という名前にこちらも改名させられた上に広島県へ左遷されています。

 恐らく、当時の人物においても称徳天皇に逆らえばタダではすまないと誰もがわかっていたことでしょう。実際、宇佐八幡宮の神官は清麻呂が再度の神託を求めた際に禍を恐れてか当初は拒否し、再三の確認要請を受けて渋々引き受けたということだったそうで、称徳天皇の意に敵わない報告をしたら必ず痛い目に見ることは清麻呂にも見えていたことでしょう。
 ちなみに無理矢理この宇佐八幡宮神託事件を現代風に翻案するなら、先代の一人娘である女社長が自分のお気に入りのホストを次期社長に指名しようとしたところ、「株主総会を経ずに社長を継承させては駄目です!」と会議で正直に抗議して阻止したものの、この時の怨みで鹿児島県に左遷されるという感じになると思います。だからなんだと言われたら困りますが。

 話は戻りますが、正直に報告したら必ずしっぺ返しを食らうとわかっていながら正直に報告し、結果的に皇室の継承を守ったということからも和気清麻呂は相当な正直者、言い換えると硬骨漢であったことが伺えます。なお清麻呂は称徳天皇の逝去後は中央政界に戻り、平安京への遷都を進言するなど実力派官僚としても名を残しました。

 よく世の中では正直者がバカを見るなどと言われて実際に自分も「君は正直すぎるからいい目を見ない」と指摘されるのですが、それでも正直であることは美徳であり、評価するものは評価してくれると自分は信じております。この和気清麻呂のエピソードもそうした正直者が報われるという話であり、歴史に残る正直者エピソードなだけに、日本はもっと「清麻呂のように正直者になりなさい」と全国のお母さんが子供に言って聞かせるくらい有名なエピソードに仕立て上げた方が良いと思え、彼を「日本一の正直者」と讃えるのも手じゃないかなと覚えました。少なくとも、現役官僚の皆さんにはもっと彼を見習ってほしいものです。

森元総理の責任は

 なんか知らないけど急に「メタルギアソリッド3」にはまっちゃって今日は一日中是ばかりやっていました。あと会社用のパソコンをWindows10にアップグレードしたりもしましたが、ちょっと使ってみた感じだとやっぱり7が一番です。

 さて先日には私も揉めに揉めて世界に恥晒した五輪ロゴの撤回問題を取り上げましたが、この件で一部メディアでも指摘がされていましたが森元総理の責任は問われないのかと少し思うところがあります。森元総理は五輪組織委員会の会長に現在任じられていますが、ただのお飾りならともかく、このロゴ問題といい新国立競技場の問題でも余計な発言をして問題を無駄に大きくしているように見えるところがあるからです。
 新国立競技場の問題に関しては明らかに最後までデザイン見直しに抵抗していた素振りが見え、その理由というのもラグビーのワールドカップに競技場の完成を無理やり間に合わせて使おうという魂胆だったからと指摘されていますが、私もその通りであったと見ております。またデザイン見直し後もこれといった指導力を発揮しておらず、空調をつけるか否かなど見直し案の骨組みにおいても安倍首相が一々指示しており、これらは森元総理が本来やるべき仕事ではと密かに見ておりました。

 そして今回のロゴ問題。こちらに関してはあまり森元総理は発言しているようには見えませんでしたが、もし盗作が指摘されてすぐ、具体的にはサントリーの「オールフリー(よりによってこの飲料の名前が笑える)」のキャンペーンで佐野氏の事務所が盗作していたことが分かった時点ですぐ見直しを決定していれば、まだ結末は違ったのではと思うところがあります。どちらにしろ本来なら有り得ない混乱がこの五輪の準備期間において立て続けに起こっているだけに、責任ある立場の人間が指導力を発揮しなければならない状態であるように思います。

 しかし森元総理に指導力を期待するのは狸に皮算用させるようなものですし、ましてや麻生元総理に並ぶほどの失言大王が今後も余計なことをしでかしやしないかと思うと、この際だから今までの問題の責任とって退任してもらった方が日本のためのような気がします。後任には誰がいいかとなるとパッとは出てきませんが、同じ総理経験者であれば福田元総理なら裏方に徹してきちんと物事まとめてくれるんじゃないでしょうか。

 どちらにしろ、この問題を見ていてつくづく思うことは日本人ってのは本当に無責任な奴ら、というより組織が多いんだなと呆れてきます。前にも書きましたが一般の日本人の行動原理は「責任から逃れようとする」所にあるように見え、しっかり責任取ろうっていう人間がいなさすぎるのが現在の低迷を招いているような気もしてくるわけです。

2015年9月3日木曜日

わしはサンタじゃ


 現在アニメが放送中で私も全巻を買い揃えている「監獄学園」という漫画ですが、なんか最新号で凄いことになっていると聞いて検索した結果、出てきたのが上記の画像でした。このたった一コマでも笑いが込み上がてくる辺りやっぱりすごい漫画というか、ギャグ漫画なのにここまで書き込みがしっかりしているという作品は過去なかったのではとも思います。それにしても、ダサい格好というのを本当に上手く表現しているなぁ。

 話は本題というかまた漫画の話ですが、私と同じ年代の人間であれば「アウターゾーン」というジャンプで連載していた漫画を覚えているのではないかと思います。この漫画は毎週一話完結形式のオムニバス漫画(下記ながら思うが「オムニバス」ってどういう意味なんだろ)で、超能力や宇宙人など「奇妙」がまつわるテーマで毎回ストーリーが組まれていました。形式としてはドラマの「世にも奇妙な物語」や「Xファイル」に近い物でしたが、どの話もストーリー構成が秀逸で、現在においても私話作りをする上では最も参考に値する作品だと最大級の評価をしております。

 そんなアウターゾーンの連載が始まった序盤に、「わしはサンタじゃ」というサブタイトルの話があったのを記憶しております。この話はどんな話かというと、親に勝手にロボットの人形を捨てられた少年が家を飛び出したところよぼよぼの爺さんと会うのですが、その爺さんは自分はよぼよぼだが実はサンタで、少年が欲しいおもちゃをなんでもあげるというのです。
 しかしサンタというにはよぼよぼで、しかも日本のボロアパートに住んでるので少年は俄かには信じられません。するとサンタはよぼよぼな理由を語りだし、そもそもサンタは子供の喜びがエネルギーになるのですがある年に新品のおもちゃを子供に配った所、その子供の親から、「どこからこんなものを盗んできたのだ」と子供が嫌疑をかけられてしまって、それ以降はプレゼントが配れなくなり力をなくしたのだと説明します。

 少年は疑いながらも今朝捨てられた人形を爺さんに求めたところ、まさに袋から人形を取り出そうとした瞬間に爺さんは心臓発作で倒れてしまい、病院に運ばれますが結局昇天してしまいます。やや腑に落ちない結果となった少年でしたが、病院の医者が爺さんが今際の際に少年へこれをと言って、まさに少年が持っていたロボットの人形を渡しました。一体どこからと思いつつも捨てられたと思った人形が戻ってきて少年は喜ぶのですが、まさにその瞬間、心臓が停止していた爺さんがベッドの上で復活します。というのも、プレゼントを得られて少年が喜んだことによってエネルギーが得られたからです。
 ただ蘇ったものの爺さんにはまだ全然パワーが足りません。そこで爺さんはふと気が付きます。自分はこれまで新しいものを子供たちにずっと送ってきたが、古いものを送ることでも喜ばれるのではと。そこに気が付いた爺さんは周囲の看護婦や医者、患者らに対して片っ端から古い物、彼らが子供だった頃に大切にしていたものを自分の袋から出しては配っていき、誰もが子供の頃に夢中になったものを再び得られて喜ぶことでどんどんとパワーを増やしていきます。

 その頃、少年は爺さんから送られたロボットを手に母親と一緒に病院を出ようとしていましたが、そこに声をかけたのは肥え太った白髭の老人で、「君のおかげて蘇ったよ」とサンタが話しかけてきました。突然現れたサンタの存在を母親は当初は否定しましたが、「あんたも昔はこういうものをかわいがった頃があっただろう」と、母親が子供の頃に大事にしていた人形を渡し、母親も子供の時の感情を思いだして少年へ勝手に人形を捨ててしまったことを謝ります。そんな親子の和解を見届けるとサンタは、「まだまだ配る相手はたくさんいる」と言って、トナカイのそりを呼び夜空へと消えていくというのがこの回のお話でした。

 ちょっとあらすじの説明が長かったですが、思い起こすにつけ非常に含蓄深い名作だったと改めて感じるお話でした。大人になって思い出してみると子供の頃とはまた違った感覚で読み取れるのですが、それにしてもサンタがボロアパート住まいっていう設定が今思うと斬新で、こんなの思いつくのって言ったら千手観音がボロアパート住まいという設定で漫画描いた人とアウターゾーンの作者くらいだろうという気がします。
 また、「新しい物」ではなく「古い物」を送って喜ばせるサンタというのも逆に新しいです。まぁ十年以上前の漫画を新しいと評価するのもなんですが、あまりにも懐古主義に走るのはどうかと思うものの、過去の素晴らしい記憶を呼び起こす品を送るという行為は現代においても一考に値する行為でしょう。

 なんでまたこんな古い漫画を今日になって取り上げようとしたのかというと、最近になってこのアウターゾーンの連載が別雑誌で始まっていたと聞いたからです。タイトルは「アウターゾーン リ:ビジテッド」といって、興味があったので先日単行本の1巻を電子書籍で購入して読みましたが相変らず見事なストーリー構成でした。
 その中にもサンタクロースの話があったので、一つ思い出話とばかりに今日のネタを書いてみた次第です。


そして、すべてが終わった時

 昨日、一昨日と断水とガス漏れがタイミングよく連続して起こったことを書きますが、ようやく今日になってどちらも対応が完了しました。断水に関しては朝9時きっかりに回復しましたが、ガス漏れについてはガス会社の人が来て確実に洩れていることを確認した上で、恐らく原因は温水器に繋がっているゴムホースだと言って、「あとは自分でどうにかして」と言って、去っていきました。ってか、ゴムホースの交換位期待したっていいような気がするんだけど。

 結局、大家が外からゴムホース買ってきて自分と二人でコネコネしながらどうにか繋げました。何気にゴムホースを通すスリーブが変に細くて曲がってたためなかなか通せず、最終的にハンガーをほどいて針金代わりにして無理矢理通しました。苦労した甲斐あって開栓後もガスの臭いはせず、メーターも動きがない当たり処置は成功した模様です。

 それにしても断水と同時にガス漏れが起きるなんて、我ながら運がないにもほどがある気がします。にしても二日間シャワー浴びれずトイレも流せずだったから、水のありがたみがよくわかりました。

2015年9月2日水曜日

ガス漏れ('A`)

 昨夜、自宅に帰ったら突然の断水が起こっておりかなり打ちひしがれました。
 明けて翌日、大家が水道局に確認したらやっぱり料金未納で断水にしていたそうなのですが、そもそも支払い通知も断水通知もなくやってくる辺り久々に中国らしさを体感しました。少なくともこれまで自分が住んできた中国の部屋ではきちんと水道代の支払い通知が来てたし、電気とガスに関しては今の部屋にも来てたってのになんだよここの水道局はと、日本だったら金属バット持って確実に乗り込みにいく水準です。

 ただ大家との関係はかなりいいので、はっきりとは言わなかったものの未納分は大家が負担してくれたようです。それはそれでありがたいのですが、開栓工事は明日になるとか言われ、今夜もまたシャワーも浴びれずトイレも流せない長い一夜を過ごす羽目となりました。ってか断水は速攻でやってきたのに何で開栓はのろいんだかなぁ。

 このように水道一つでも思うにままならないのですが、今日また別のトラブルが起きました。言うまでもないでしょうが見出しに掲げたガス漏れです。
 今朝起きて台所に行くとなんか鼻につく臭いがするので外から変な臭いが入ってきたのかと思いつつ出勤の準備をしていたところ、はっと我に返って「これってガス漏れじゃん」と気が付きました。なんで気づくのが遅れたのかというと日本と中国ではガスの臭いが異なっており、日本はいわゆる腐った玉ねぎの臭いをつけておりますが中国は焦げた玉ねぎのような臭いをしており、そのため最初一発ではわかりませんでした。ちなみにプロパンガスは元々は無味無臭で臭いは後付けです。

 ただその時はすぐ家を出なくてはならず、また本当に自分の部屋からガスが漏れているか確信がつかめなかったのでそのまま窓だけ開けて家を出ました。でもって帰ってきて水がやっぱり流れないことを確認した上で台所に立つと、やっぱり臭いが充満してました。
 急いで大家を呼ぶと、大家も臭いには気が付きガスのゴムホースに石鹸水をつけてリークがないか確認しましたが、リーク穴は確認できず、「ゴミの臭いじゃねぇの?」といって、また明日確認してと言って去ってしまいました。いやね、一応はガス会社呼ぼうよとは言いましたけど。

 その後、ガスの元栓を閉めた上でしばらく時間を置いたら臭いはなくなり、今度はガスの元栓を開き、コンロとつなぐホースの栓を締めて放っておいたら結構やばげな濃度になり、確実に洩れていることを確信しました。再度大家に、「頼むから早くガス会社呼んでくれ」といって了解を得ましたが、来るのは多分明日以降だろうな。

 それにしても断水に続きガス漏れとは、俺なんか悪いことしたっけと思うくらいにやたらトラブルが集中し過ぎている気がします。昨夜はパワプロで中日相手にサヨナラホームランかっ飛ばした後にすぐふて寝したので夜10時から就寝しましたが、なんか今日は「サバイバル」がテーマの「メタルギアソリッド3」で現実逃避したい気分です。念のため書いておきますが、決して話を作っているわけではなく、これらの事態はリアルに現在進行形で起こってる事態です。ってか、早いとこ御払いにでも行った方が良いのかな……。

2015年9月1日火曜日

断水('A`)

 今日夕方に自宅へ戻った所、部屋の中の水道という水道が断水しておりました。
 ぶっちゃけ今も絶賛断水継続中で、でもって水道管理しているところは大家によると就業時間過ぎてて電話通じないらしく、今夜一晩はこの状態が続くことが決定しております。

 朝家を出るときは問題なく水が出たのですが、今日の日付が9/1であるということを考えると何らかの理由で水道管理をしている部署に止められたと考えるのが筋でしょう。実際に私もこの部屋に入ってから一度も水道代を払ったことはないので思い当たる節が全くないわけではありませんが、そもそも水道代の支払い通知なんて一度も来たことがありません。電気とガスに関しては定期的に来るのでその度に真面目に支払ってきましたが、支払い通知もなく、予告もなく断水しかけてくる辺りはやっぱ中国だなと久々に思い知らされました。日本でやったら大事だぞこれ。

 一応、既に大家には話して先程部屋にも来てもらって状況を説明し、明日朝一で聞いてくれるそうなので多分明日には何とかなってるはずでしょう。ってか明後日から抗日戦争勝利70周年記念で三連休に入るから明日までにどうにかならないとマジヤバいってのがほんとのところですが。
 それにしても、こういう想定を大きく越えたところでトラブルが起きると本当に気が滅入ります。昔に比べれば私も随分と慣れたし、精神的には並の日本人に比べて相当タフである自信はありますが、やる気でないので今日は早くにふて寝してようと思います。

五輪ロゴの撤回を受けて

 既に報じられておりますが、かねてからパクリ疑惑のあった佐野研二郎氏による東京五輪のロゴデザインを撤回すると発表しました。詳細についてはほかのニュース記事に譲りますが、五輪組織委員会の言い分はデザインの展開例で佐野氏が流用したことを認めたためとしておりますが、実際は展開例にとどまるレベルでないのは明らかで、先日明らかになったように最初に提訴されたベルギーの美術館ロゴよりもヤン・チヒョルト展のロゴデザインがオリジナルだったということがばれたためようやく撤回に至ったのが真実な気がします。

 それにしてもよくもまぁこれだけの大舞台でこんなパクリデザインを通そうとしたものだとつくづく呆れます。佐野氏についてはサントリーのトートバッグに限らずほかにも多数のパクリ疑惑がありますが、この一件を見る限りそれらは疑惑ではなくもはや余罪であるとしか思えません。案外、弟子がやったと主張していたトートバッグのデザインも佐野氏自身の手によるものかもしれません。

 また今回の一件は発表当初から数々の疑惑が出ていたにもかかわらずそうした声を真摯に検討するどころか妙な庇い立てをし続けてきた五輪組織委員会にも強い疑問を覚えます。パクリデザインであったことは当初見抜けなかったことはまだ理解できるものの疑惑に対して真相を究明する姿勢は全く見せず、今日の会見も報じられている限りだとどこか他人事のような言い方をしているように思え、新国立競技場の問題といい本気で反省しているのかと疑りたくなります。

 実際のところ、五輪組織委員会はかなり早い段階でパクリデザインであることを知ってて佐野氏をかばっていたと思える節があります。というのも疑惑が持ちあがってきた際にデザイン原案の公開を当初は頑なに拒否していました。結局は世論の声に押されて公開することとなりましたが、結果そのデザイン原案が先ほど述べたヤン・チヒョルト展のロゴデザインと全く同じだったことから足がついており、原案を出すことがまずいと知っていた上で抵抗していたとしか私には見えません。
 あともう一つ付け加えると、当初ベルギーの美術館ロゴに酷似していると言われた際にやや強気で疑惑を否定していたのは、最初にも書いた通りにそれがパクリ元ではなかったからではないかという気がします。やはりパクリ元はヤン・チヒョルト展のロゴで、それが報じられてしまったために兜を脱いだのが今日だったのではと勝手ながら推察しています。

 最後に今回の一件でつくづく思うこととして、どうしてこんなくだらない人間がそこそこ名声を得て活動しているのかという日本の現状にため息が出ます。こんな厚顔な人間そうそういないぞという気がしますが、昨年は「キセキの世代」と言われるくらいに色々と凄い人たちが大勢出てきてしまった後であるだけに「しょせん社会なんてこんなもんか」とあきらめさせられてしまいます。
 ただ真面目な話、今回のロゴデザイン選考に関わった人間はもう今後この手の選考はやるべきではないと思います。素人目にも佐野氏のデザインはオリジナリティに欠けていたし、はっきり言えばダサいの一言に尽きるものでした。それをわざわざ選んだということは癒着、もしくは名声による色眼鏡が作用したとしか思えず、そうした疑惑を晴らすためにもこういう事にはもう関わらないでというのが一市民としての感想です。まぁそもそも自分が一市民かというとやや微妙ですが。

2015年8月31日月曜日

夏の終わりに

 本日は8月31日ですが、言うまでもなく小中高生にとっては夏休み最後の日です。中国でもそれは同じようで、今日昼ごはんに味千ラーメンへ行ったら最後の晩餐を食べに来たかのような子連れの母親がやけに多かったような気がしました。

 私自身は夏休みだからと言って特別何か思い出があるわけでもなく、夏よりも冬の方が昔から好きだったのでこれといって何か思い出すことも懐かしむこともないわけですが、「Yahoo知恵袋」の質問を見ているとやたらと宿題の回答を聞くような、中には読書感想文を書いてほしいというような質問が多く、こんなところで聞いてる暇あったら自分で調べて書けばいいのにとちょっと呆れ気味で見ています。

 話は自分の話に戻りますが、自分にとって一番楽しい夏休みはいつだったかとなると大学一回生の頃の夏休みが一番楽だったという気がします。この年はほぼずっと実家に帰省して、バイトも少しやってお金にも余裕があったので暑い日は家の中でゲームをして、やや涼しい日は自転車をこいでたり、ブックオフで古本漁ったりしてのんびり過ごしていました。当時遊んだゲームはプレイステーションの「バロック」、「真・女神転生」が中心で、なんか当時としてもレトロなゲームをやってました。

 この間他にやったこととしてはバイト先で知り合った人にくっついて行って初めてコスプレ会場を訪れたことと、あと小説の新人賞に応募しようと小説を書こうとしたもののこれはという作品が浮かばず断念したこと、そのほかだと家族が出払ったので火星人というあだ名の友人が泊まりに来てなんか二人でゲームしてたくらいです。その火星人とは現在連絡を取り合っていませんが、彼は中学と高校の同級生でしたが彼の家庭は母子家庭で、特段話題にすることはしませんでしたが周りも知っていて特に大きく振れるようなこともありませんでした。
 ただ一回、ひょんな偶然か保険の授業の最中に先生が、「お前ら父ちゃんとか急に倒れたらどれだけ大変変わるか。うーんとそうだな……」と言って生徒を見回しはじめて、火星人に当たったらちょっと空気悪いよなとか思ってたら案の定火星人がドンピシャで当たって、「すいません、うちお父さんいないです」と軟らかく返事したので先生も、「おお、そうか」といってほかの人に当てて聞き直したことがありました。

 その大学一回生の夏休み、別の大学に通っていた火星人でしたがうちに泊まりに来た際に向こうからちょっとこの辺の話をして、どうやら物心ついたころから母子家庭だったということを教えてくれました。ただうっすらと、両親らしき人物が喧嘩をしているような場面が記憶にあり、恐らく何らかの形で離婚したのではないかと一回だけ洩らし、私もここに書くまでその火星人の話を一度としてほかの人間に漏らすことなくこれまで来ました。
 なんでまたこんなことを急にここで書こうと思ったのかというと、たまには日記的な記事を書いてみたかったのと、現時点であれば火星人が特定されて彼を困らせることもないし、彼自身も特段秘密にしていたわけでもなかった態度だったので、夏の終わりにふと普段しない会話を互いに交わしたという思い出を残してみたかったからです。

 なお火星人の電話番号は携帯のアドレス中だと「火星」という表記で記録していましたが、私の携帯電話を盗み見たサークルの先輩が着信履歴に「火星」と書かれてあるのを見て、「なんやお前、火星と交信しとったんか!?」とマジで驚いていました。

2015年8月30日日曜日

ホンダはハイブリッドを継続するのか?

 日本から友人が来ていたので今日はその友人に上海を案内していましたが、あるお土産屋で天津甘栗が売られているのを見たその友人は、「(天津の爆発事件で)これ身体に悪そうだし、嫌いな上司に送ろうかな」と検討していたのがじわじわ来ました。
 話は本題に入ってまた興味ない人には全く面白くない自動車業界ネタですが、個人的な見解として日系自動車大手のホンダ(本田技研)は今後もハイブリッドエンジンの開発・生産・販売を継続するのかについて密かに疑問視しています。今日はその理由とホンダが置かれている現況をいくつか整理した上で記事を書いていきましょう。

 まず私がこの着想を得たきっかけは自動車関連企業に勤めるかなり詳しい人から、「ホンダも日産も今まであまり手を付けてこなかったターボエンジンの開発に本腰を入れ始めた」という一言からでした。ここで出てくるターボエンジンという言葉ですが、この意味は寿る愛のターボエンジンではなくいわゆるダウンサイジングターボを指しており、詳しくはよそのサイトなどで見てもらいたいのですが、燃費効率化の手段として近年は自動車のエンジンに小型ターボユニットを組み合わせるという手法が広がっており、こちらの研究開発にホンダと日産が着手し始めてきたということです。
 なおこのダウンサイジングターボに関して言えば欧州の自動車メーカーが先んじており、日系においては厳密な意味では異なりますがことターボエンジンにおいては三菱自動車が間違いなく最も研究が進んでおり、次点にはディーゼルとの組み合わせで大成功したマツダが来るかなと素人的に思っています。なんで三菱自動車がターボで進んでいるかっていうと、親会社の三菱重工がこの方面において第一人者だからです。

 話は戻りますがホンダがダウンサイジングターボに取り組むというのは世界的な潮流からわかりますが、その一方で気になるのはもう一つのエンジン開発の潮流であるハイブリッドエンジンです。この方面では言うまでもなくトヨタが第一人者でそれに追いつこうとホンダはフィットHVという車種を出してそこそこヒットしましたが、2013年に発売したモデルチェンジ後のフィットHVはエンジンが途中で停止するというエンジン制御システムの不具合が多発し、なんと一年ちょっとで合計五回ものリコールを出してしまいました。このリコール原因ははっきりしており、エンジン始動時にモーターだけで駆動するゼロスタートという機能を搭載したため(従来は始動時から常にエンジンが動いていた)で、トヨタが20世紀に量産で実現していたシステムをようやく導入した所であっさりぼろが出てしまいました。この多発したリコールの対応のためホンダは新車投入がズルズルと伸びていしまし、最近大分掃けたと聞くものの一時期はフィットHVの在庫が恐ろしいくらい溜まっていたとも聞きます。

 このハイブリッドエンジンでの失敗経緯があったため、ホンダがダウンサイジングターボに取り組むと聞いて私は、「ハイブリッドはもうあきらめるつもりなんじゃないのか?」という考えがすぐよぎりました。もちろん両方並行して開発を続けるということも十分考えられますが、果たしてそこまでホンダの開発資金に余力があるのかというとかなり疑問で、またホンダ自体も一時期は「ハイブリッドといったらフィットでしょ!」とハエのよーにうるさいくらい宣伝していましたが最近はリコール多発の余波を受けてかハイブリッドのアピールすらほとんど見かけないくらいになり、むしろ忘れてほしいんじゃないかという気すらします。

 正直に言うと私は日系自動車メーカーの中でも断トツでホンダが嫌いです。理由はデザイン面で中国メーカーも真っ青なくらいに他社の丸パクリが多いのと、ハイブリッドとは呼べないようなしょうもない技術でハイブリッドエンジンなどと喧伝していたためですが、そうした偏見を差し置いても近年のホンダの技術低下は見て見ぬ振りが出来ないレベルです。実際一次の部品メーカーに聞いても、エンジン意外の自社開発を全てやめてしまったため自動車全体に詳しい人間がいなくて無理難題を下に向かって言ってくるとも伺っています。

 あともう一つ私が気になる点として、今後ハイブリッドエンジンが発展するのかという展望です。というのもトヨタのハイブリッドエンジンは確かにすごい技術ではあるのですが、案外根本のシステムというか仕組みは初代プリウスが出た時点のものと大きく差がないと聞いており、近年の燃費アップは電池など周辺部品の発展によるものだと聞くからです。もちろん技術なんて後年同心化するかなんて誰にもわかりませんが、ハイブリッドエンジンには今後さらに発展する伸び代あるのかというとちょっとわからないところがあります。それに比べればダウンサイジングターボの方がまだ手が付けられていない面もあるし、従来技術も応用できるので未来を感じるとしたら私もこっちだったりします。

 あくまでここに書いたのは技術的にはド素人である私個人の妄想ですが、なにかの考えのタネにもなるかなと思って、あまり他に書くネタが今日見つからなかったので一応書くことにしました。それにしてもホンダと中日新聞と野田聖子に対する批判は一切手加減ないなと我ながら思います。何この東海ライン。

2015年8月29日土曜日

野球の神と打席に立った男

 また私事ですが最近ゲームの「実況パワフルプロ野球2012」にはまっています。なんではまっているのかというと今ちょこちょこ進めているとある案件の作業を進めたくなくて現実逃避としての意味合いが強いですが、ひたすら一野球選手となって試合に出続けるマイライフというモードで遊んでます。

 今回私は所属チームにヤクルトスワローズを選びましたが、初年度こそ優勝を逃したものの毎シーズン5割6分以上という異常な数値でヒットを量産し続けたので二年目以降はずっとセリーグで優勝し続けており、でもってパリーグは毎年ソフトバンクホークスが優勝してくるので日本シリーズはもはや定例試合みたいな感じとなってきてちょっと飽きを感じてきました。
 それとこのゲーム、所属する日本人選手に比べてランダムで加入してくる外国人選手がやたら強いせいか、しばらくするとスタメンが外国人ばかりとなってこの前なんかスタメン9人中6人が外人となってもはや日本人の方がレアになってしまいました。これ明らかに調整不足だろう。

 ほかにも調整不足と感じた点について、1シーズンで68本もホームラン打ったのに特殊能力の「パワーヒッター」がつかなくって、なんやねんと思って少しやる気なくしました。もしかしたら既に「アベレージヒッター」という特殊能力を取得していたが故かもしれませんが、それにしたって毎年ホームラン王のタイトル取ってるのに「パワーヒッター」つかないってのはおかしい気がします。
 ただこの特殊能力が欲しくてひたすら狙ってホームランを打ち続けた時期があったのですが(中日の吉見選手から1試合で3本ホームラン売ってやった。ざまぁ)、一度だけ9回裏の3対6で打席が回った時、たまたま満塁だったので打てたら面白いなと思って狙ってみたら見事にお釣りなしの逆転満塁サヨナラホームランをかっ飛ばしたことがありました。ゲームとはいえこの打った瞬間は非常に快感で、ああきっとプロ野球選手もこういう喜びを感じるんだろうなと思いつつしばらく余韻に浸っていました。

 しかし事実は小説よりも奇なりというか、現実にはもっとすごいホームランが存在してたりします。プロ野球ファンならもう想像がついているでしょうが、それは近鉄とオリックスに在籍していた北川博敏元選手が2001年9月26日に打ったあの伝説のホームランのことです。

北川博敏(Wikipedia)

 北川元選手はドラフトで指名されて最初阪神に入団しますがここでは芽が出ず、トレードで放出されて2001年に近鉄に入団します。ここで当時指揮を執っていた梨田監督に勝負強いバッティングが認められて1軍入りし、「いてまえ打線」と言われたほどバッティングが好調だった当時の近鉄でも指折りのバッターとして頭角を現します。
 この年に好調な打線を背景に勝ち星を重ねた近鉄は優勝へのマジックを点灯し、9月24日の西武戦でビハインドの9回裏に北川元選手、中村元選手が連続でホームランを放ってサヨナラ勝ちしてついにマジックを1とします。そして、優勝まで残り一勝としたところで運命の9月26日を迎えたわけです。

 この日の近鉄の相手は同じ関西チームのオリックスで、序盤に点を取られた近鉄はその後も取り返すことなく5対3と3点ビハインドのまま9回裏の近鉄の攻撃に入ります。この回、近鉄は立て続けに安打が出て一挙にノーアウト満塁と絶好のチャンスへと入ります。ここで梨田監督は代打に北川元選手を送り込んだのですが、その結果はなんとお釣りなしの代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランという、もうこれ以上ないくらい感動的な一発を決めてのけてしまいました。
 このような記録は過去に例はなく、そもそもお釣りなしの代打逆転満塁サヨナラホームランだけでも45年ぶり史上2人目だったそうで、如何に北川選手が大舞台で勝負強いというのが見て取れます。本人もこの時のホームランは印象深かったようで、引退すら懸念されたシーズンだったけに「運命を変えた一発」と述懐しています。

 頭文字Dの須藤京一っぽくこの奇跡の一発を言い表すなら、「野球の神がいるとしたら、きっとこの時は北川元選手の傍に立っていたんだろうな」といったところです。その後北川選手は2012年に引退しますが、恐らく彼のこの記録と名前はこの一発でずっと語り継がれると思うとなかなか胸が熱くなる思いがします。
 それにしても、当時は野球に全く興味がなかったせいかこんなホームランがあったという事実すら最近まで知らなかったというのはなかなか恥ずかしいものです……。
ヽ(*゚д゚)ノ カイバー

2015年8月28日金曜日

日本史上最高の権力者

 今日たまたまYahooの知恵袋を見ていたら、世界史上で誰が一番権力を持っていたのかという質問があり、その質問者の方は候補としてインノケンティウス三世を挙げてる辺りはなかなか見識あると感じました。これに触発されたこともあり、世界史だと範囲が広すぎて定義も難しいと感じるので、今日は日本史上で誰が最高権力者だったと言えるのか幾人かの候補を上げようと思います。

1、足利義満
 もはや説明するまでもなく室町幕府の最盛期を築いた義満ですが、あまり知られていませんが彼は太政大臣と征夷大将軍の官位を確か初めて同時に得た人物でもあります(後世では家康もGETしてる)。将軍在世時は南北朝の統一を果たしたほか有力守護大名を次々と滅ぼし、また幕府直属の奉公衆(親衛隊)を創設するなど圧倒的な権力を握り、その権力範囲は武士としては歴代ナンバーワンではないかと思います。
 ただ逆に義満がそれほど圧倒的な権力を握ってなんでもかんでも決定していた反動からか、彼が逝去すると次代の足利将軍はどれも指導力をいまいち発揮できずズルズルと没落していくこととなります。人間強すぎると周りが駄目になってしまうという典型かもしれません。

2、白河上皇
 こちらも有名どころでおなじみの「治天の君」ですが、白河上皇については鴨川の流れ、サイコロの目、山法師(僧兵)の三つだけが思い通りにならなくて「天下三不如意」という言葉とともに語られますが、逆を言えばこの三つ以外は自分の意思でどうとでもなったと在世時から言われたほど強い権力を持っていたとされます。かつて権勢をほしいままにした摂関家の切り崩しに成功しただけでなく、後代の天皇たちですら従うほかなかったとされ、寄進された荘園の量も半端なかったそうです。
 白河上皇に限るわけではないですが、この記事書いてて思うのは日本における権力の源泉はやっぱり天皇で、その天皇を裏から操ることが時の政権担当者の必須事項だったと言えるのですが、この白河上皇は元天皇である上に現役の天皇を無視して院宣を出していた当たり、権力の源泉たる天皇を上回るというパワフルぶりだなと言える気がします。

3、天武天皇
 歴代天皇で誰が最も強い権力を持っていたかとなると、それは誰がどんな異論をもって来ようとも私の中では天武天皇で揺るぐことはないでしょう。天武天皇は甥の大友皇子と戦った壬申の乱に勝利して天皇についたため、旧来の豪族を大友皇子と共にまとめて駆逐できて彼一人でなんでもかんでも決済出来たと言われています。
 実際に「天皇」という言葉を公式に用い始めたのも天武天皇だとされ、また日本初の貨幣である「富本銭」も天武朝に発行されたとされるだけに、日本の皇室は実質的に天武天皇から始まったと言えるのではと密かに考えています。むしろ、天武天皇以前は本当に天皇家が日本の最高権力者だったのか、本当は蘇我氏だったのではと疑問に思える節もあるだけに、皇室の歴史は天武天皇からというのが私の中の掛け声です。

4、マッカーサー元帥
 一応前に三人の候補を挙げましたが、真の意味で日本史上最高の権力者といったらこのマッカーサー元帥を置いて他ならないでしょう。強大な米軍をバックに議会や憲法すら無視できるほどなんの法律的拘束もなく、余計なこと言う旧臣もなく、果てには天皇すら言うことを聞かざるを得なかったなど、どこをとってもまさに天井知らずです。実際、彼が日本にいた頃は会社内とかで指示する際によく、「マ元帥の命令である」なんて冗談が飛び交ったと聞きますし。
 よく業界ごとの最高権力者のことを、「○○会の天皇」などと表現することがありますが、「○○会のマ元帥」なんていう人はいないのかな。

 最後に一応補足しておきますが、明治以降は議会政治が成立したこともあり、歴史を跨ぐような最高権力者と呼べる人間はそれ以前と比べていなくなったと言っていいでしょう。曲がりなりにも議会に従わなければならない以上、やはり権力が制限されています。
 強いてあげるなら永田町の闇将軍こと田中角栄が議会制の中では特段大きな権力を持っていたと言えるでしょうが、民意も議会も党も全部無視して推し進める権力者は出て来れない以上、やはり昔とは違うってことです。

2015年8月27日木曜日

中国における軽自動車市場

 また本題とは関係ないですが先日Yahooニュースに出ていた時事通信の記事で、リアル不沈艦だった雪風の乗組員だった方のインタビュー記事があり、非常に興味深く読ませてもらいました。その一方で今日、新護衛艦「かが」に中国は反発するのではという記事が出てましたが、これ読んで思ったこととしては「てめー加賀さんディスろうってのかよ?」、「ボーキサイトなめんなよ」といったところで、もし何か中国が文句を言って来たらこっちのサイトにある画像を大量に送り込めばいいのではと思いました。
 ってかなんで、「艦これ」の中でも「加賀」だけさん付けなんだろう。なんとなくしっくりきますが。

 そういう軍艦トークは置いといて本題に入りますが、一昨日かいた軽自動車の話について中国の軽自動車業界について質問があったので今日はそれほど詳しくないですが私の持ってる知識の範囲で少し語ろうと思います。結論から述べると中国では軽自動車というカテゴリーの市場はなくはないですが非常に小さく、今後も伸びるかといったらあんま伸びないだろうってのが私の味方です。

 細かい話をする前に中国の自動車業界について少し解説すると、まず日本における自動車税というのは存在しません。中国では自動車を購入する際に税金が課される消費税のような形の自動車税はありますが、保有する自動車に対してかけられる資産税型の税金はなかったりします。何気に住宅に対しても資産税が基本的にないから最初知った時はほんと驚きました。
 一応、そんな消費税型の中国の自動車税では排気量に応じて納税額は変わりますが、はっきり言ってそんな大きな差ではなく、排気量の小さい小型自動車だからと言って日本市場の様に特別大きな恩恵はありません。なので自動車メーカーも小型自動車を作ることにはあまり積極的ではなく、中国では道路の舗装も悪いことから大型で乗り心地のいい車が人気となるため市場に出される車種もそれほど多くはありません。

 ただ全く売れていないわけではなく、奇瑞自動車(チェリー)の「QQ」という車は一時期爆発的に売れて中国の国民車と言われるほど好評を博しました、かつては。この車はデザインはシボレー・スパークという車をモロパクリしたものですが、パクッた甲斐あって車両価格は非常に安く、日本円にすると大体40~50万円くらいで1台購入できます。なお排気量は約1ℓです。
 この車は2010年に中国政府が販売奨励策を打ち出した時期に大変売れて、確かこの年の販売台数でトップにもなってます。しかし好評だったのは本当に一時期だけで、販売奨励策が期限切れでなくなるや否や売れ行きもだだ下がり、一回モデルチェンジして再びあの栄光の日々を狙った節がありましたがやっぱりあんま売れなかったようです。多分、地方へ行けば購入する人もまだいると思いますが、少なくとも私の周り(上海周辺)だと最近は路上でもめっきり見る数が減って、なんか古いQQを三輪車に改造したのばっか見たりします。

 一体何故QQは売れなくなったのかですが、やはり一番大きいのは販売奨励策が打ち切られたことが大きな原因でしょう。QQ自体が一般市民にも手が届く値段でというコンセプトで作られた車ですが、本当にこの車を買いたい購入層は販売奨励策なしでは購入できないほど所得が低いんだと思います。逆にQQを買うことが出来るほど所得のある層はもっといい車も買えるくらい余裕があるためQQをわざわざ選ばず、なんていうかターゲット層に対する価格と質が変な所に挟まっちゃったのが現状のように見えます。
 コンセプト自体は決して悪くはないのですが、インドのタタモーターズが作った超格安車も発売当初は話題になったもののその後の売れ行きはそれほどでもなかったと聞くだけに、案外この手の小型自動車市場ってのは優遇政策なしには成立しないものなのかもしれません。

 このQQ以外だとダイムラー傘下の二人乗り自動車メーカー「スマート」の車はまだ路上で見ますが、やっぱりこれもレアな部類です。そもそも中国は自動車に対して見栄を追及して車体の大きい車が尊ばれるのと、半端なく事故が多いため頑丈そうな車が好まれます。その点で小型自動車は最初にあげた乗り心地の点でもハンデがあるため、今後もこの市場が伸びるかといったら何かしら独自性が無ければ難しいのではという気がします。

 と、ここまで割と悲観的な予想ばかり述べてきましたが、前向きに見られる要素もなくはないです。その要素はいわゆるセカンドカーの需要で、街中を見ていても女性がやけに高級な車を運転しているところを見ることが多く、多分所得の高い旦那の車を運転しているんだと思いますが、奥さん専用車としてなら軽自動車はまだ需要があるような気がします。
 そしてもう一つ、先ほど必要だと言った独自性なのですが、そこそこ市場で独自の地位を築きつつある車種が一つあり、その名は「北斗星」といってわかる人にはもうわかってニヤニヤされてるでしょうがこれはスズキ「ワゴンR」の中国名です。

 作っているのはスズキの合弁会社で以前自分も頑張って取材したことのある昌河鈴木で、中身の装備は日本とは異なっているようで中国サイトでのカタログを見ると排気量が1ℓと1.4ℓの2タイプになってます。でもって燃費も悪いし。
 ただこの車、中国のサイトを見ていて話題に取り上げられるのをたまに見たりします。このような軽自動車カテゴリの車種が少ないというのもありますがその中でもデザインが割と洗練されている方だし、何より日系車ということで性能についても程よく安心感が持たれているようです。私も街中でたまに見ますが、小型車自体が少ない中国の道路だと一目で目を引くボディとデザインで、それでいて持ち味である広い車内スペースを鑑みると目下対抗馬がいない車種なのではと思ったりします。

 生憎ながら中国でも物凄い売れているというわけではないのですが、セカンドカーとしての価値が認められればワゴンRは売れるんじゃないかなという気がします。しかしそうなるためにはなんといっても政策の優遇が必要でしょうが中国政府がわざわざこのカテゴリーに限定して優遇策を出すことは考えづらいだけに、やはり前途は厳しいでしょう。今の所、奇瑞汽車以外でこのカテゴリーに新車を出そうとするメーカーもおらず、多分最終的にはスズキの合弁しか供給しなくなる気がします。
 ただこれは逆に言えば、軽自動車というのは日本らしい見事なガラパゴスなカテゴリーだとも言えます。前回記事でも書きましたが私は日本の軽自動車は見事な設計で素晴らしい可能性を秘めていると思えるだけに、中国市場にローカライズした軽自動車を作って新たな市場を作るような試みを是非やってもらいたいと、密かにスズキさんに期待しています。

2015年8月25日火曜日

軽自動車の仁義なきパクリ戦争

 最近見る機会減っているけど私は相撲観戦が趣味で、好きな力士のタイプは軽量級だったりします。何気に一番好きだったのは安馬時代の日馬富士でした……。
 それと関連あるかどうかはわかりませんが、車も実は軽自動車が好きだったりします。元々体格が小柄ということもあり大きな得物をぶん回すよりも体格に合ったものをフィットさせて使うという思想を持ち合わせており、なるべくコンパクトで必要以上な物を取っ払うという概念でもってこういう嗜好が出てきたのでしょう。

 ただそうした私個人の好みを置いても、日本の軽自動車は芸術品といっていい代物だと思います。機械などの設計をやってみればわかりますが、単純に図体の大きいものは簡単に設計できますが、軽自動車の様に車体が小さいものだとどの装備をどのように配置するのか、もう少し大きければあれこれ詰められるのにというジレンマに悩まされます。
 ちなみに私自身は設計をしたことありませんが、軍艦を自ら設計して戦う「ウォーシップガンナー2」というゲームでこの手のジレンマを存分に味わいました。その分、苦労して作った駆逐艦で戦うのは格別だったりします。

 話は戻りますが、単純に大きな車よりも小さな車を作る方が意外と作業は難しいです。米GMなんかその辺がはっきりしていて、恐らく設計能力がないせいでしょうか無駄に車体がでかく燃費も悪かったりします。でもって故障も多いと三重苦。
 それに対して近年んの日本の軽自動車はあんな小さな車体によくもまぁこれだけ装備を詰め込められるもんだと呆れるくらいに充実しており、変な話ですがもっと値段高くてもいいのではと思う時すらあります。まぁ数でるから部品代も安くなるってメリットもあるのですが。

 そんな日本の軽自動車メーカーときたらダイハツとスズキ、そして近年急速にシェアを高めたホンダの三社です。でもってこの前個人的に気になったのがダイハツが新たに出してきた「ウェイク」という車なのですが、この車の何がすごいかって、スズキのヒット車である「ハスラー」のデザインをまんまパクっているという点です。実際に両車のページで比較してもらいたいのですが、後発のウェイクに至っては広告サイトでのメインカラーまでカーキ色にしてハスラーと合わせるという手の入れ込みっぷりで、なんていうかほかのカラーパターンまでそっくりです。

 これだけ見るとさもダイハツがひどい会社のように見えますが、スズキもスズキで過去にパクっています。そのパクリ車両というのも「スペーシア」で、これはスライドドアからボディラインまでダイハツのヒット車両である「タント」にクリソツです。っていうかフロントデザインに至っては確実にどっちがどっちなのか見間違えるくらい似せられています。
 さらにスペーシアの何が凄いかって、ハイグレードモデルとして「スペーシア・カスタム」という、「タント・カスタム」を彷彿させるようなデザインとネーミングの車も一緒に販売しているっていうことです。っていうかお互い露骨過ぎるだろう。

 大手新聞メディアなんか上品だからこういうこと書かないけど、「ベストカー」を筆頭とするカー雑誌なんかはこういう新車が出る度に、「あれっ、どっかで見たような?」という見出しと共に紹介するのが常です。なもんだから恐らく業界関係者の間でも、「パクられたらパクリ返す」、「売れてる車をこぞってパクろう」という言葉が暗黙の了解の様になっているのでしょう。

 こうした軽自動車トップ二社の姿勢について私から一言述べると、軽自動車業界ならこれはこれでアリだという気がします。というのも軽自動車は利便性と低価格が何よりも追及される乗用車カテゴリーで、妙なブランド価値にこだわるくらいなら安くて乗りやすくて乗りたくなる車を作って売る方がメーカーにとっても消費者にとってもプラスだと思えるからです。カーデザインには流行り廃りがありますが流行っている形を追おうとするなら大体似たようなものが出来るのがオチで、それだったらまんま似せちゃうというのも一つの回答でしょう。

 ただこれは軽自動車だから言えることであって、普通の一般乗用車ではやっぱりパクリは駄目です。一般乗用車は利便性もさることながらプレミアムな価値観も同時に追求しなければならず、やはりメーカー独自の味というかこだわりを捨て去って安易な模倣に走れば消費者も案外見ていて、一時的には利益上げても長期的には見切られてしまうと思えます。
 逆に言えばデザインにこだわるということは利便性を犠牲にすること同義であって、実際に燃費とかのことを考えるとデザインへのこだわりはマイナスに働くことの方が多いです。まぁそこをどう料理するかっていうのが本来の腕の見せどころなのですが、そういうのがちゃんとできているのは今の所マツダくらいかな。

 なお軽自動車のパクリ戦争が始まったのは何も最近ではなく、歴史を辿ると三菱自動車が「トッポ」というトールワゴンの軽自動車を出したことによってどこもこぞって車高を高くして、現在ではこの形が一種のスタンダードになっています。三菱も一時期は軽自動車業界の雄でしたが、最近は前述の三社に大きく水空けられててちょっと立場ないのが残念です。

 最後に私のカーデザインの好みを話すと、一番デザインが好きなのは昔にも一回書きましたがダイハツが以前に出していた「ストーリア」の初期型で、シンプルイズベストを極めた究極の形だと評価しています。尖がったデザインだったら三菱の「FTO」、ランエボだったら須藤京一が乗っていた「エボⅢ」が好きです。
ヽ(*゚д゚)ノ カイバー

昨日今日の世界同時株安について

 こういってはなんですが、これほど株価が上下していると見ていてなかなか楽しめるものです。すでに報道されている通りに昨日今日とほぼ世界全ての市場で株価が大幅下落しており、東京市場も日経平均株価が二日間、というより先週からを含めると2万円台から17000円台へと急激な落下ぶりを見せており、トレーダーを中心に少なからぬ動揺が広がっております。

 今回の同時株安ですがその震源はほかでも報じられている通りに中国であるということは間違いありません。私なんかその中国製造業現場にいるもんだからよくわかりますが、やはり2次産業を中心に先行きを不安視する意識は高く、それが諸々の経済指標にも出始めて不安が溜まっていたのが今回の大幅下落の背景として存在しています。ただそれ以上に私が致命的だったと思うのが先々週に突然行われた人民元の切り下げで、根拠はないに等しく私の勘でしかありませんが、中国政府がいきなりあれやって、「あ、マジでヤバいんだ」と世界中のトレーダーが感じたことが一番大きな引き金だったのではと個人的に考えています。結果論ですが、利下げを行ったところで何も効果はなかったと言ったところですが。

 一応、友人の情報によると中国政府は先ほど追加利下げなどの金融緩和策を取ったそうですが、それらが果たして効果があるのかというと疑問です。恐らく株価はこのまましばらく下がり続け、争点としては今日上海株価指数が3000ポイントを切って2000ポイント台に突入したとのことですが、2000ポイントを切るまでに立ち直りを見せるか否かじゃないかと思います。私個人としては今の中国の株価は2600ポイントくらいが適当な数値じゃないかと思いますがね。

 あと株価の下落ばかり大きく取り上げられていますが、個人的に懸念しているのは通貨の下落です。日本円も著しく下落を続けていますが先々週の中国の利下げ以降、アジア諸国の通貨も下落し始めた聞いており、もしそれが本当ならまた世界全体でデフレ傾向に陥るのではないかというのが一番の懸念点です。仮にそうなれば世界全体で経済が悪くなり、またデフレ回復を目指す日本にとっては非常に大きな痛手になってしまうのではないかとも思え、こっちの方に注視が必要かなと個人的に考えています。

 あと本題とは関係ありませんが、円安が進む中で下記のニュースを見ているといろいろ思うところがあります。

トヨタ、部品各社に値下げ要請再開 競争力確保へコスト減(日経新聞)

 どうせやると思ってたけどさ、円高の時にそれを理由に使って散々コストダウンを要求して、円安になって馬鹿みたいに利益上げながらまたコストダウンを要求する当たり、この会社は相手の痛みがわからないサイコパスみたいな奴だなと呆れてきます。このニュースは先週に友人からこれを見ろとばかりに送られてきて、翌日に客先訪問をする際に同僚に話したら、客先の社長もこのニュースを切り出してきたのでタイムリーでした。っていうか人の痛みがわからない奴は、いっぺん死ぬほど痛い目に遭ってみた方がいいよ。

2015年8月23日日曜日

北朝鮮の動向と安保関連法案

 ここ数日、日本のニュースを見ていてつくづく感じることですが、何で北朝鮮の動向と安保関連法案を同時に語らないのか、ここまで来ると一種のギャグのつもりなのかと疑ってみています。
 北朝鮮はここ数日、停戦領域内で地雷を仕掛けたり韓国国内へ砲撃を刷るなど過激な挑発行動を繰り返し、これに対し韓国側も海岸部や島しょ部ではなく内陸部への砲撃を受けたことによって態度を厳しくしており、北朝鮮側に対して24時間の宣伝工作を続けこれに対して北朝鮮もやめるよう要求するなど一種のにらみ合いが続いています。

 さすがに北朝鮮事情は専門外なので素人的な意見となりますが、今回の一件でも軍事的衝突に至ることはさすがにないとは思います。そう思う根拠として二つあり、一つはただでさえ食糧事情の悪い北朝鮮が収穫前の8月のこの時期に戦闘行動には出るに出られないということ、もう一つは韓国側は朴大統領の支持率が低下している中で今回の事件は支持率回復の好機にほかならず、実態以上に事態を深刻化させてみせようと動いているように思えるからです。

 ただこの事件、というよりもし北朝鮮有事が起こった場合についてですが、日本はどのように行動するべきなのか。またそのような自体に対して指針なり対策は既にとられているのでしょうか。

 安倍首相を持ち上げるつもりはありませんが、現在参議院入りしている安保関連法案の意義はやはりこういうところにあると思います。この法案について反対している人たちはホルムズ海峡とかイラクとかやたら遠い地域ばかりを想定した批判を繰り返し、最も近くても中国という現実には経済関係的にも交戦できるはずのない国ばかり取り上げられます。これらの国や地域と比べると北朝鮮の方が遥かに実戦が起こりうる可能性が高い国で、またその際には韓国と在日米軍が交戦すると思われることから、安保関連法案が実際に運用される可能性が高い相手だと私は考えています。

 その場合の想定をいくらかここで書くと、まず北朝鮮有事が起こった場合は在日米軍は確実に朝鮮半島へ出兵するでしょうし日本からも爆撃機などが出動するでしょう。これに対して北朝鮮はどう反応するか。多分奇襲でもない限りは一瞬のうちにミサイル発射基地などは潰されて反撃できないと思いますが、もし仮に反撃余力を残していた場合だと日本の米軍基地などへ向けてミサイルを発射してくる可能性があります。その場合、日本はどうするべきでしょうか。そもそも米軍が北朝鮮を攻撃することが決めた際、日本としては米軍への支援を行うべきか否かでしょうか。

 ある評論家の意見に、日本人というのは一番起こってほしくない事態は起こらないという前提で予想を立てる癖があるという指摘がありますが、この北朝鮮有事についても同じことが言えるでしょう。日本から米軍が確実に出動すること考えれば日本の領土が攻撃される可能性を含んでいるということで、それを見越した上でいざとなったらどう対処するべきか、何も起きていない今の段階で考えなければなりません。
 私としては北朝鮮は初めから話が通じる相手ではないと思うので、だったら最初から米軍に協力して可能な限りの支援を行うことでなるべく早いうちに叩き潰すべき相手ではないかと思います。問題はその支援の幅で、物資の提供までか、兵員や物資の輸送までか、自衛隊員の朝鮮半島出兵まで含むか、ここが論点となります。ただ物資の提供や輸送に当たっては現行法では整理されておらずやるとなったら内閣決断の超法規的処置に頼らざるを得ず、だからこそ安保関連法案が必要なのだというのが安倍首相の主張です。

 実際のところ安保関連法案にはこれ以外の内容も含んでいるし私も完全賛成ではありませんが、こと北朝鮮有事に対する必要な準備であるならそれ単独であれば賛成の立場を取ります。少なくとも今の状態で北朝鮮有事が起きれば、日本は何の準備も覚悟もない中で北朝鮮のミサイルの標的となる可能性があるだけに、もうちょっとこの辺の議論を折角のいい機会なんだからやっておくべきではないかとこのブログで主張するわけです。

2015年8月22日土曜日

三国志マニア同士の会話

 このブログのコアな読者なら極端に長いコメントをたまに書く若生わこさんの名前を憶えている方も多いのではないでしょうか。若生さんとはこのブログを通じて知り合ってプライベートでもよく会話をする仲だったりするのですが、彼は大学でも中国古代史を専攻したほどの極端な三国志マニアで、私との会話も大体三国志ネタと野球ネタで大半を占めてたりします。
 知ってる人には有名でしょうが、私もそこそこの三国志マニアということで周囲に認知されています。そこで今日は彼とこれまでに交わした、三国志マニア同士の異次元な会話内容を一部抜粋して紹介します。

1、三国志平話
 若生さんの守備範囲は中国古代史ということもあって春秋戦国、漢楚攻防時代も詳しく、その日は確か韓信についてあれこれ話をしていたのですがふとした拍子にこんなやり取りが出ました。

若生「( ・∀・)<韓信は末路がやや悲惨でしたが、三国志演義が成立する前に作られた講談だと曹操に転生したことになってて、韓信好きの自分からしたらこの展開はアリですね」
花園「( ・ω・)<それって三国志平話でしょ。あれって演義より蜀漢贔屓が激しくて呉の動向について全く触れられないらしいね」

 説明しましょう。「三国志平話」というのは元の時代に成立した三国志の歴史をベースにした小説で、現代において主流である「三国志演義」に先駆けて流布されたものです。この小説の冒頭では死語の世界で天帝が、創業の功臣である韓信、彭越、英布を謀殺した劉邦を弾劾する裁判を開き、後世で処罰を受けさせるという方法で劉邦は後漢最後の皇帝である献帝に、そして韓信は曹操、彭越は劉備、英布は孫権に転生させてそれぞれが漢王朝を分裂させるという運命を託しました。なおこの裁判を裁いたのは司馬仲相という人物で、天帝は裁判を上手く裁いた功績として分裂した漢王朝が彼の元に統一される運命を託して、彼を司馬懿仲達に転生させるというストーリーとなっております。

 断言してもいいですが、こんな三国志平話の存在なんて普通の人はまず知りません。私も若生さんもこの会話した際は互いに驚きつつ、「三国志平話を知ってる人に初めて会った……」と言い合いました。

2、虞翻
 この前書いた三国志で打線を組むという記事について話し合ったところ、呉のメンバーに件の虞翻を入れたことについて、

花園「 ( ´∀`)<虞翻はちょっと贔屓もあって入れた。まぁ知名度低いからみんなはなんでこの人が入ってるんだろうと思っただろうね」
若生「( ´Д`)<虞翻とかめっちゃ優秀でしょう。時勢を読むのに長けてたし、孫権の下でも活躍してますし」
花園「( ・∀・)<だよねぇ。ちなみに横山光輝版『三国志』だと王朗に孫策に抵抗するべきではないと説得して、籠の中の鳥を放ってあげるシーンが何故か周昕と入れ替わってるんだよね」
若生「(´・ω・) <そうそう」

 傍から見ているとさっぱりわけわからない会話していると思いますが、それだけ三国志好きからしたら虞翻は評価される人物だってことです。ちなみに横山光輝版三国志については、1シーンだけ何故か董卓の髭がなくなって描かれていることがあり、これも三国志マニアにとっては常識です。

3、伍子胥
 これは自分と若生さんと冷凍たこ焼き好きの友人の三人で新宿のバーにいた際、突然出てきた会話なんで前説明なしに読んでもらいましょう。

若生「( ゚Д゚)<花園さんは伍子胥なんですよ!」
花園「( ・∀・)<わかる!俺、めっちゃ伍子胥好きやもん。すごい共感する」
冷凍たこ焼き好きの友人「(;゚д゚)<…………」(マジでこんな顔してた)

 説明しましょう。伍子胥というのは春秋時代の人物で故国(楚)の王様に濡れ衣で父と兄を殺されたため、亡命して他国(呉)に渡って将軍となり復讐のため楚へ侵略した人物の事です。なお楚へ侵略して首都まで落としますが復讐対象の王は既に自然死していたため、墓から遺骸を暴いて鞭で百回叩くことで復讐を果たしており、この故事から「屍に鞭打つ思い」という言葉が成立しています。
 この時の会話で若生さんが何を言いたかったのかというと、執念深い私の性格を伍子胥にたとえて言おうとしたわけで、私自身も伍子胥が昔からかなり好きだったので素直に自分も執念深い性格だと認めたというやり取りでした。私と若生さんの間は「伍子胥」というキーワード一つで一瞬のうちに意思を疎通し合いましたが、脇にいる冷凍たこ焼き好きの友人は全く意味が分からなかったそうで、「(;゚д゚)<あ、あのさ、もうちょっとわかりやすく話してくれない?」と解説を求めてきました。

 以上が主だった私と若生さんの会話ですが、三国志マニアが集うとそうじゃない人にはさっぱり訳が分からない会話が始まってしまうということを理解いただけたらと思います。ちなみに今まで自分が会った人物の中では若生さんが間違いなく三国志マニアとしてはナンバー1です。

2015年8月21日金曜日

佐野氏のデザイン盗用疑惑について

 昨夜友人に、プロレス界屈指の人気を誇るゲイレスラーである男色ディーノ氏がかいた「すべてのジャンルはマニアが潰す」について書かれた記事を薦めてみたところ、何故かやたらと絶賛して非常にわかりやすいと連呼されました。ちなみにこの記事は元々はゲーム批評の記事ですが、文章中でさりげなく「ゲーム→ゲイム」、「結論→ケツ論」と単語を弄ってる辺りはゲイが細かいです。

 話は本題に入りますが、今一番ニュースな男といったら間違いなく東京五輪のロゴをデザインした佐野研二郎氏であると私は考えております。佐野氏の騒動の発端から現在に至る過程は今日なんかテンション低いので省略しますが、東京五輪のロゴデザインが発表された直後に外国からデザインをパクられたと指摘されたことについて私は当初、それほど問題にするほどではないのではという感想を覚えました。
 というのも東京五輪のロゴもベルギーの美術館のロゴもアルファベットの形を崩したようなデザインで、言ってしまえばありていなデザインだと思えたからです。なもんだからパクリだとも思わないし、たとえ実際にパクったデザインであってもわざわざ撤回するほどでもないだろうと考えたのですが、逆に言えば何のオリジナリティも感じられないくだらないデザインだとも同時に覚えました。

 デザインに関して素人である私が言うのもおこがましいですが、はっきり言ってあの東京五輪のロゴデザインは何がいいのかさっぱり理解できないほどくだらないデザインだと感じます。先程も述べたように何のこだわりというかオリジナリティも感じられず、また一見して五輪らしさ、日本らしさを感じる要素というものが全くなく、デザインをした人以上にあれをわざわざ選んだ連中の方が問題あるのではないかと密かに見ております。折角の日本開催の五輪なのだから日本だっていうことがわかる何かしらのワンポイントがあるべきだと思うのに全く皆無で、同じアジアでもまだ北京五輪のロゴはしっかりしてたなぁなんて今更になって感心させられます。

 こうした感覚は多かれ少なかれ他の人間にも共有されていたとみられ、ロゴデザインが発表されるや「ダサい」などと賛否が相次いでおりましたが、そこへきてパクリ疑惑が生まれ、さらには佐野氏のデザイン事務所発の他のデザインに関しても他の作品を悉くパクっているとの疑惑が追及されだし、現在に至ってはパクったかどうかの真偽以前にどこからどうパクったのかを捜す方が盛り上がっている感すらあります。実際、ネットからの指摘を受けて配布が撤回されたサントリーのトートバッグに関してはどっからどう見ても他人の作品を流用したとしか思えないデザインが使われており、ああいうデザインを平気で出しておきながら「これまで盗用はしたことはない」と言われてもはいそうですかとはなかなか言えるものではないでしょう。
 それにしても、トートバッグの配布が「オールフリー」という名前の飲料のキャンペーンだというのが地味に面白いものです。

 一個人としての感想を述べるなら、やっぱり佐野氏は以前から他人の作品を盗用し続けてきたとしか思えず、この五輪ロゴも同じように盗用した上で小っちゃくアレンジして出して来たものとしか思えないです。国際的に恥ずかしいことこの上ありませんが、恥を忍んで一旦このデザインは撤回した上でもうちょっとまともなロゴデザインをよそから探してくることが対応として筋ではないでしょうか。
 その上で佐野氏個人について言わせもらうと、何故これほどオリジナリティに欠けるデザインをしてそこそこ有名になれたのか、ここが一番わかりません。どのデザインを見てもこのデザイナーならではの味なり工夫なりが全く見られず、小手先の絵柄だけうまい同人作家を見ているような感じすらします。まぁオリジナリティを出そうってんなら、叩かれるのが日本っていうのはわかってはいますが。

2015年8月19日水曜日

マージン率の上限規制

 先ほどGoogleアナリティクスでこのブログの検索ワードをかけたら、「マージン率 中国在住」というワードで検索してきた人がいたということがわかりました。「誰だこんな恐ろしく狭い条件で検索かけた人は」、という具合でちょっと考えさせられました。
 ただこのところマージン率に関して以前書いた記事への検索は増えており、アクセス数も未だに上がり続けています。複数の友人に言わせれば、「もっと注目されていい記事」だそうですが私個人としてはこんだけデータも揃えてやっているのに大手マスコミは何故引用しようとしないのかが逆に気になりますがそれは置いといて、先日少し気になるコメントが来ました。

 具体的にどういうコメントかまでは書きませんがそのコメント内にて、「マージン率は欧米の様に10%台にすべき」という記述があったのですが、率直に言ってこの「10%」という数字がどこから来たのかが疑問に感じました。マージン率というのは、厳密には異なりますが大まかな表現で言い表せば一般企業の粗利に当たるもので、粗利が10%なんて普通どの企業も経営が成り立たないほど小さい数字です。いくら人材派遣業はコストが小さいとはいえ本当に欧米の人材派遣企業のマージン率は10%なのか、はっきり言えば疑いました。
 なおマージン率の計算方法についてはリツアンSTCの野中社長がタイミングを合わせてくれたかのように下記記事で具体的な金額と共に紹介してくれているので、興味のある方は参考ください。なお野中社長によると、企業負担の社会保険料はマージン率には含まれないため企業が得られる利益額は一般の人間が考えているよりは低いとのことで、自分もその通りだと思います。

派遣のマージン率について少し掘り下げてご説明します。(『ピンハネ屋』と呼ばれて)

 話は戻りますが先程の欧米の派遣業界はマージン率が10%台ということについてネットで調べてみたところ、確かにいくつかのサイトでそのようであるという記述が見られたのですが、その数字的根拠をはっきりと示している人は誰もいませんでした。具体的に言えば英国の平均マージン率は〇%、米国は△%みたいな国際比較が出ていれば信用できますがそういったものは皆無でありながら何故か、「欧米のマージン率は10%台」という風に書かれてあり、中には「マージン率の上限規制によって10%台となっている」というような記述も見かけました。

 結論を書くと、欧米では派遣のマージン率が10%台というのは根拠のない情報であって、もしかしたらマージン率の定義が異なっていてそういう数字も一部出ているのかもしれませんが実態としてはやはり有り得ない数字でしょう。更に踏み込んで言えば、欧米にはマージン率の上限規制があるというのも一種のデマじゃないかと私は疑っています。

 まず前者の欧米ではマージン率が10%台という意見について、欧米のマージン率は具体的にどの程度なのか英語で検索かけまくってあちこちのサイトを駆けずり回った所、ようやく下記サイトにたどり着くことが出来ました。

What Your Supplier’s Gross Margin Can Tell You(Staffing Industry Analysts)

 上記サイト内に「大規模かつ公共人材派遣法人8社の中間マージン率」というグラフがあり、その中間マージンの数字はどれも20%台です。このマージン率のデータがどのような定義でどの地域、どのような会社を対象としているかは書かれていないため安易に信用できないところがあるものの、少なくともマージン率10%台は有り得ないとする根拠にはなり得るのではと思います。ってか欧米のマージン率のデータがわかるサイトがあれば誰か教えてください。

 次にマージン率の上限規制についてですが、これも散々「Staffing service」に「Upper limit」とか「Resistration」などの単語をつけて検索をかけ続けましたが、それらしい情報を載せてあるサイトにはとうとう辿り着くことが出来ませんでした。また日本語のサイトにおいても、比較的多くの人間が「欧米ではマージン率に上限があるのが当たり前」という風に書いていますが、その根拠となる数字、具体的には上限値を誰一人として挙げていません。このような点を踏まえると、この上限規制に関する意見というのは初めから眉唾だったのかもしれません。

 自分の記憶を紐解くと、派遣難民が社会問題となったリーマンショック明けの2009年に「欧米では当たり前」という言葉と共にマージン率の公開やこのマージン率の上限規制が主張されていたように思います。恥ずかしながら自分もこうした意見を当時疑うなく信じ込み、多分このブログでも古記事探れば、「欧米では上限値があるらしいぞ」みたいな内容を書いてると思います。
 しかし現状から察するとこの上限値に関しては根拠が明らかに不確かで、派遣の待遇改善を求めるあまりに広まったデマだったんじゃないかというのが私の見解で、昔に信じ込んでしまった自分への反省を込めて今回改めて調べてみました。

 最後に、なら今後日本でマージン率の上限規制を設けるべきかについて意見を述べると、はっきり言って私は反対です。理由としてはマージン率の公開が進めば市場の競争原理が働き、法外に搾取する派遣企業は自然に淘汰されることが期待できることと、一口で派遣といっても単純労働者、エンジニア、特殊技能者など様々なタイプの派遣があり、それらに対し一括で上限値を作って規制してしまうとかえって競争の自由がなくなります。一番重要なのはマージン率の公開であって、不必要な規制は作るべきではないというのが派遣労働者でもない私個人の立場です。