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2008年5月29日木曜日

首相公選制の是非

 現在アメリカでは大統領選で非常に盛り上がっていますが、日本は韓国やアメリカのように、最高権力者である首相を先の二国と違って国民の直接投票では決めず、議会での最高勢力を誇る政党の中から代表を選ばせて決めています。この制度はいちいち名前を挙げるのも恥ずかしいくらい当たり前ですが「議院内閣制」といい、これは明治期にイギリスの政治制度を模倣したことから日本に定着しています。なお、タイでも同じそうです。

 目下の所この制度に不満を呈す人はいませんが、かつての90年代後半、政治汚職事件が続き政党政治に不満が持たれた頃はものすごい批判を受けまくっていました。その時代というのも小渕敬三元首相が首相に就任した際で、参議院では現在のように野党が多数派となって衆議院では小渕氏を指名したにもかかわらず、参議院では現在もなおがんばっている菅直人氏が指名され、ちょうど自民党も人気がなかった頃で、その晩のニュースステーションでの電話アンケートでは確か十倍ぐらい差が開いて菅直人氏がいいという結果になってました。
 そんなもんだから、当時各メディアもアメリカのように、「最高権力者くらいは直接投票で決めるべきだ」という論陣を張り、この首相公選制の必要性が叫ばれました。

 結論から言うと、私はこの首相公選制には反対です。というのも日本の首相、というより官邸はかねてより権力が弱いとされ(小泉時代にえらく強くなったが)、現在のように議会でねじれ現象が起こるととたんに足を取られて何も決定できなくなる可能性が高いからです。実際、アメリカや韓国はほとんどの時期を大統領の与党と対立する野党が議会で多数派を敷いているねじれ状態にもかかわらず何とかやっていっています。
 何だかんだいって、この議院内閣制というのは安定性という面には非常に力強さがあります。その分、急激な改革や決定ができなくなるマイナス面もあるのですが、現状はこのままのほうがいいと私は思います。それこそ首相公選制をやるというのならまず、首相の権力をまず拡充する必要があります。

 しかしだからといって国民の望まない最高権力者を抱えねばならないというのは非常に不幸なことです。かつての森政権時代なども先ほどの小渕政権の初期同様、首相公選制の必要性が叫ばれましたが、確かにあんなのがでてくると考えさせられます。
 そこで、これは人の受け売りですが中間を取るいい方法があります。あえて言うなら、「首相予告選挙制」とでも言うべきでしょうか。この方法とは実に簡単で、国民の意思を問う衆議院選挙の際に、議会で多数派を勝ち取った場合に誰を首相に指名するか、各党にあらかじめ予告させるのです。

 たとえば、現時点で衆議院選挙が起こった場合、自民党は選挙日前までに多数派を勝ち取った場合、現総裁の福田氏を指名すると宣言します。これに対して民主党は小沢氏を指名すると宣言し、他の泡沫野党は独自に候補を立ててもよいですし、民主党に協力するとして小沢氏に同意するのもありです。
 この方法で何がいいのかというと、その予告する首相候補がそのまま選挙の顔となるとともに、ねじれ現象を回避しながらも国民が間接的に首相を選べるという二点です。さらに政党に対してあまりに国民の不興を買うような候補を立てさせないとともに、国民もその当該政党は嫌いだがその首相候補は応援したいという場合に気兼ねなく投票ができるようになります。その逆も然りで、自民党は嫌いだが、小沢が首相になるのはもっと嫌だという場合にも存分にその意思を発揮することができます。

 実際には単独与党を作れない場合などもあり、必ず実行できるとは限らないのですが、マニフェストなんかよりこうした方がずっと顔の見える選挙、もとい政策方向の見える選挙となりそうなので、個人的に推進したいと思っています。

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