明日から中国では国慶節連休に入る上、途中から日本にも一時帰国するのでかなり長いお休みになります。もっともちょっと状況がテンパり気味なので、ゆったりと休暇を楽しむ気分にはなれないでしょうが。明日暇だし蘇州のイオンでも行こうかな。
・<就活>長期化、学業に支障…解禁破り続出、見直し論(毎日新聞)
そういうわけで記事リンクを貼った上での本題ですが、さすがに大分年齢重ねて就活と聞いてもそれほど共感を感じなくはなっているものの、今年就活に直面した学生はいろんな意味で大変だったようです。何故大変になったのかというと就活にかまけて大学での学業がおろそかになるという懸念から政府、そして経団連が加盟企業に対して就活の開始時期を従来より遅らせ4回生の8月から行うよう指示したものの、次々と横紙破りをする企業が現れ企業側も学生の側も対応を巡って現場では大混乱となっているとのことです。
まぁ始まる前からある程度予想はついていましたが8月から採用活動を開始するよう通達されていたものの優秀な学生を取ろうとこれより早く開始する企業が後を絶たず、また学生の側もそうした横紙破り企業があることを前提に早くから活動していた人間が順調に内定を取り、結果、正直に8月から活動を開始した企業と学生が揃って割を食う羽目になりました。もっとも、中には3月から活動を開始したものの未だに内定が取れず活動を続けている学生もいて就活の長期化を招いていると記事中で指摘していますが、こういう事例に関しては以前からもあるのでわざわざ記事に書くほどでもないようなと思えるあたりが所詮は毎日の記事です。
この就活についてもっとしつこく書いてもいいですがそっちに関してはほかに専門家もたくさんいるので今回はスルーするとして、ここで私が提起したい点は横紙破りをする企業が後を絶たなかったというところで、結論から述べると日本人というのは案外中国人と同じで、法律の遵法意識が薄い、っていうかほとんどないように実は前から思っています。
日本人はルールや規則を守る方か否かと問われるなら、恐らく大半の日本人は「比較的守る方だと思う」と答えることでしょう。しかし私の目からすると行動では確かに守っていることが多いものの、ルールを守ろう意識は実際にはほとんどなく、はっきり言えば惰性で守っているに過ぎないのではと見ています。
今回の就活の例で言えば横紙破りをする企業が多数いたという点が一見するとポイントのように見えますが、真のポイントはそうした横紙破り企業に対して世間が何も批判しようとしない点です。罰則こそないもののみんなで守ろうといったルールを無視してほかの企業を出しぬく、ギャンブル漫画「カイジ」の世界では日常的に行われていることですがそんな「カイジ」の世界においても、「汚ねぇ、汚すぎるぞっ!」と敗者側が非難をしますが、少なくとも今年の就活に関してはそういった出し抜いた企業に対する非難はほとんどなく、正直にルールを守った会社で採用が上手くいってないことに対して、「正直だったのに可哀相だね」と軽く同情するに止まっています。
一体何故出し抜いた企業は非難されないのか。そもそもの開始時期設定自体に問題があったのだとか色々言い訳は立ちますが、私が思うに出し抜いた企業が多かったから非難されないのだという気がします。
たまにはここで筆を止めてもいいかなと思いますがもうちょっと詳しく説明すると、たとえば百人中一人がルールを破った場合、恐らく日本人はその一人を徹底的にこき下ろした上で村八分のような処置を取ることでしょう。しかしこのルールを破る人間が一人ではなく二十人だったら、恐らく守った八十人は破った二十人を非難はするものの村八分のような扱いまで取ることはないでしょう。さらに破った人間が五十人だった場合、諍いは起こるかもしれませんが守った側もこのくらいの人数になると「ずるい」と悔しげに文句を言うにとどまることでしょう。そして破った人間が八十人だったら、ルールをきちんと守った人たちは破った人たちから「馬鹿正直な連中だ」と文字通り馬鹿にされ、その二十人も恐らく非難すらせず、中にはどうして自分はルールを破らなかったのか後悔する人間も出てくるでしょう。
ここまで言えばわかるでしょうが、日本人はそこに存在するルールを守るか守らないか以上に、自分の行動や判断が多数派になるかならないかの方をより重要視する傾向があります。何もこれは日本人特有というわけではなく外国人にももちろんみられますが、ただ私の目から見て外国人と比べれば日本人は特にこういった集団主義的傾向が極端に強いという風に感じます。
このような集団主義的傾向が日本人においては強いためか、普段の行動原理は「他の人間と同じ行動をとる」ということが第一義として存在しており、「ルールや規則を守る」という考えは文字通り二の次でしかありません。なもんだからルールや法律を守らない人間が集団のうち過半数を越えた場合、強力な罰則や執行機関が存在しなければ、その時点でそのルールはルールとしての価値を完全に喪失することとなるわけです。極論を述べると、百人のうち九十九人がルールを破る中、「ルールはやっぱり守らなきゃだめだ」と主張するような最後の一人はもはや日本人ではないでしょう。
・原発事故で日本社会が失ったこと(2)・・・遵法精神(武田邦彦氏のHP)
この記事を書くに当たって「遵法精神」というキーワードで検索したところ引っかかったのが上記の武田邦彦氏のホームページでしたが、武田氏は放射線の被爆限度量が震災以前と以後で変わったことを例にとって日本人は原発事故によって遵法精神を失ってしまったと書かれていますが、私の意見は異なっており、そもそも日本人には遵法精神なぞ初めからなかったのだと思います。この限度量が変わったことについても、黒が白に変わっただけというか多数派がつく数字が必要に応じて変わっただけでしょう。
このまま一気に書いてしまうつもりでしたが、途中で書いた「日本人というのは案外中国人と同じで法律の遵法意識が薄い」という点についてはまた明日にでも書きます。疲労してテンション低い中、今日はなかなか頑張って記事書けたな。
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