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2014年3月29日土曜日

何のために歴史を学ぶのか

 このブログを長く見続けている方なら言うまでもないでしょうが私は歴史が非常に好きで、大きく出るとトップとまではいかないまでも歴史の知識量が同学年で上位1%には確実に入る自信もあります。特に自分の強みとしては日本史、世界史の両方を受験勉強している上に中国史では文革を始めとした近現代史に異常なほど造詣が深く、一連の流れをそらで説明できる人物なんてそう相違ないでしょう。
 そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。

 ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
 歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。

 そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。

 そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
 更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。

 歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
 また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。

 このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。

 ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。

 上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。

 最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。

4 件のコメント:

すいか さんのコメント...

歴史は娯楽、、。そうですね!中学生の娘にも「歴女になって~」とお願いしています。旅行なんかに行っても、感動も違うし話題も尽きることがないと思うからです。
ひとつ思ったのですが、今図書館で 「じつは身の回りにあふれている日本の「すごい」発明(武田知弘/著)」と「「昔はよかった」と言うけれど(大倉幸宏/著)」という2冊の本を借りています。「昔は、、」は、戦前の日本人の美徳が失われたというけど、昔からマナーの悪い人はたくさんいた、という内容で、「発明」は、題名のとおりです。「昔は、、」から読み始めたのですが、ちょっと進まずに、「発明」に切り替えて、こちらは面白くぐんぐん進んでいます。やはり日本人なので、日本や日本人の良い面から先に学んでいくと、歴史に興味が増し易くなるかな、と思います。

花園祐 さんのコメント...

 これだけ多方面に興味を持つお母さんがいれば子供も自然と歴史好きになるのでは、なんて思ったりするんですけどまだ娘さんは染まってないようですね。
 紹介していただいた本についてですが、実は自分もこのところ「昔はよかった」と言懐古的な論調に反感を抱いております。そう思うようになったきっかけというのも中国の生活で、いまでこそ日本人は中国人のことをマナーが悪いと言いますが、じゃあ高度経済成長期はどうだったのか、案外そのころの日本人は今の中国人と大差なかったんじゃなかったのなどと中国人の立場に立って物を考えたからです。この辺は機会があれば記事にしますが、発明の話に関しては近日中にも日本が誇る20世紀最大の発明食品であるカップヌードルについて語ろうかなと計画中です。ってか、かかなきゃいけない記事が多すぎる……。

上海忍者 さんのコメント...

歴史を忘れる為に、歴史を学ぶと思いますわ。

花園祐 さんのコメント...

 君が言うと意味深だよな。確かに中国だとそういうきらいがあるし。