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2020年10月31日土曜日

日本の歴史観~その3、皇国史観 後編

 これまで持っていたバスマジックリン、トイレマジックリンに続いて今日ガラスマジックリンを購入し、三種のマジックリンを手にした暁には何か起こるかもわくわくしましたが何も起こりませんでした。

 それで前回の前編に続いてまた皇国史観についてですが、前回でも触れた通りこの皇国史観はほとんどすべて神皇正統記の主張に立った歴史評価がなされており、そのおかげもあって南朝方の武将の株が爆上げされました。従って皇統についても南朝が正統とされたのですが、現実には現在に伝わる天皇家の皇統は北朝系だったりします。というと現代の天皇家は正統ではない系譜になるのではと、こんな風に考えたのは私だけじゃないと思います。

 実際、この点については様々な解釈、というか言い訳がなされています。そもそも南朝が正統とされたのは三種のマジックリン、じゃなくて三種の神器の有無で以って判断され、当時三種の神器を以って継承儀式をやっていたから南朝を正統としていました。
 その後、南北合一の際に南朝が北朝へ神器を譲渡したことから、「それ以降は北朝が正統」みたいな解釈というのが主な主張となっています。但しこれもいろいろツッコミどころがあるというか、それ以前に後鳥羽天皇は三種の神器なしに継承しており、また壇ノ浦の戦いで草薙剣は喪失したともされており、神器基準とするとむしろ余計にややこしい問題を広げます。

 私個人としてはその後の天皇家、並びにその藩屏の公家たちの構成は北朝がベースとなっていること、南北朝の騒乱は最終的に北朝勝利で終わっていること歴史的事実から見て、やはり北朝の方が歴史的に正当王朝と判断すべきと考えてはいるものの、南朝にも従う勢力があったことからも考慮し、現代なされている評価の通りに「南北朝並立」とすることが最も正しいと考えます。

 上記の南北朝並立論は明治時代にも既にあり、当初はこちらの主張がスタンダードとされていました。しかし明治期に入って南朝方武将や天皇の株が上がると、「彼らに対する評価が不遜だ」などと急に言われるようになり、あとから叙勲とかいろいろなされるようになって、徐々に世論も南朝贔屓へと傾いていきます。
 そこへ降ってわいたのが1910年における歴史教科書問題です。当時の歴史学会は南北朝並立論が優勢で教科書にも「南北朝時代」として紹介していたのですが、これに対し読売新聞とかが「歴史改編だ」などと騒ぎだします。一方、時の首相であった桂太郎は「学会の判断に政府は干渉しない」という立場をとり、対抗馬である立憲政友会の原敬もこの考えに同意していたそうです。

 しかしこれに噛みついたのが立憲国民党の犬養毅でした。余談ですが「憲政の神様」と言われて五・一五事件で暗殺される犬養ですが、鳩山一郎とともに「統帥権」という言葉を使って政府批判を始めるなど、要所要所で日本を極めて悪い方向に引っ張っているように思えて私は嫌いです。

 話を戻すと犬養らはこの歴史議論を「政府が誤った歴史を誘導している」などと政府批判に利用し、政治問題に発展させてしまいます。政府内にも元老の山縣有朋などが野党の主張を後押しする動きがあり、こうした批判を受けて政府も野党の言い分を飲んで教科書執筆責任者の解任、並びに記述の改訂を行うこととなり、これ以降に南北朝時代は「吉野時代」と呼ばれるようになります。

 前回でも少し触れましたが皇国史観というのは歴史解釈議論とかで生まれたというよりも、上記の様に神皇正統記に偏った思想的主張、並びに政府批判への利用からスタンダード化された背景があり、現実の歴史評価とは関係なしに定着することとなった歴史観です。上述の通り「南朝が正統なのに今の天皇は北朝系」などその主張の仕方には矛盾点も少なくない上、歴史上の人物をほとんどすべて天皇家との距離感によって評価し、前史時代はなかったことにするなど歴史学的には余計なことしかしなかったという風にしか見えません。

 また知っての通り大正から昭和期にかけては国威高揚などにも利用されるようになり、そのあたりの時代に至っては実際の歴史的事実を無視した神風をはじめとするオカルトすら言い出すようになり、若干宗教染みてたと思います。その辺も含めて歴史学においては亡ぶべきして亡んだ歴史観であり、学問的主張の風上にも置けないというのが私の評価です。

2 件のコメント:

上海熊 さんのコメント...

「立憲国民党の犬養毅」を見て一瞬ん?となったのですが犬養って政友会の前に別の政党に居たんですね。初めて知りました。

今の健康な76歳じゃなくて昔の76歳ですからもう完全に耄碌してたんじゃないかと思います。

花園祐 さんのコメント...

 実はそこ、自分も書いてる最中に「あれ、犬養って原敬と同じ立憲政友会じゃなかったっけ?」と二度見したところでした。明治大正は今みたく野党の合従連衡が激しかった時代でもありますが、犬養みたいな大物でも小さい生徒にいた時代があったのかと自分も驚きました。
 記事中にも書いていますが、なんか要所要所で致命的な方向に世論を流しているので、どうもこの犬養だけは好きになれません。この辺、きちんとそうした方面に光を当てた解説とか小説が出たら、彼の現行教科書における記述や説明も変わってくるかもしれません。