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2021年1月30日土曜日

ダルビッシュの投げすぎ問題の言及について

 漫画「チェンソーマン」の世界ではその概念に対する恐怖の度合いが強いほど、その概念の名を持つ悪魔が強くなるという設定ですが、「ハゲの悪魔」がいたらどれだけ強くて、どんなビジュアルなのかが私、気になります。


 話は本題ですが、かねてからこのブログでも甲子園、というか高校野球は子供の体を傷つけるだけと批判しまくっている私ですが、同様の意見をメジャーのダルビッシュ氏もよく述べており、上記インタビューでもその点について触れています。
 個人的に興味深いのは上記記事で、

「一種の洗脳じゃないけど、『僕は高校の時にすごく投げさせられまくって故障して、もうそのあと二度と投げられなくなっちゃったけど、感謝しているし、本当に大事な経験でしたって言う人もいるんです。人って結局自分がやっていたことを否定したくないじゃないですか。なんとかして肯定するほうにもっていきたくなるから。そういう人たちはそれでいいんだけど、子どもたちに『投げて大丈夫だよって言うのはやめてほしい。」

 この指摘部分は自分も非常に同感するところで、というのも以前にやたらしつこく、「球児本人が肩を壊してでも投げたがっているのだから投げさせた方がいい」と私に反論する奴がいたからです。無論そんな意見にも私は大反対で、むしろ子供だからこそ浅い判断で死に急ぐような道を選びがちなのだから、大人がそれを制さないでどうすると言い返したら、またオウム返しに同じこと言い出してきたのでその後縁を切っています。あれで大卒を名乗っているのだから日本の大学教育は何なのかと正直思いました。

 話を戻すと、それこそ高校時代に肩を痛めて、プロになったとしても選手寿命が短かったとかいう人は少なくないですが、そういうのはまだマシな方で、中には投げすぎで深刻な後遺症を患う子供もいるということを聞きます。そういうことを考えるとダルビッシュ氏の言う通り、高校野球までの間では球数制限を設けるべきだという立場を私は取ります。
 その上で、球数制限は球児の身体のみならず、野球界の発展においてもプラスじゃないかと内心考えています。

 そもそも一体何故高校野球で登板過多が起こるのかというと、エースで確実に投げ勝ちたいという監督心理が最大の要因で間違いないです。二番手、三番手でも勝てるというのなら普通に交替させて言うわけだし、そうならないのは負けた時に「何故エースを出さなかったのか!」という批判が怖いからでしょう。そういう意味ではロッテに入った佐々木投手の高校時代の監督は批判を覚悟で県大会最終戦で佐々木選手を出さない決断を下したのは勇気がいったことでしょう。

 ただこうしたエースに頼り切るという戦術ですが、裏を返せば二番手、三番手投手の登板が制限されるということにつながります。それこそ中にはエースに負けず劣らずの実力、下手すればその才能で言えば上回っていた二番手、三番手投手もいたと思いますが、高校の試合で登板しなかったことから注目されず、プロになれず、才能を開花できなかった選手もいるでしょう。また発展途上過程にあって、試合に出られずいまいち伸び切れなかったというパターンもあるかもしれません。

 一つ例えを出すと、元巨人の上原氏は高校時代、同じくプロに行った建山氏に次ぐ二番手投手でした。上原氏の場合は大学で才能が開花したこともあってプロとなりましたが、もしかしたら高校時代にもっと試合に出ていたら、その時点で大きく注目されていたかもしれません。
 まぁ上原氏の場合は大学行くまでの筋トレが良かったというから、大学行って正解だった気がしますが。

 仮に球数制限、それこそ1投手は1試合で4回までしか投げられないという風にすれば、必然的に二番手、三番手投手も各チームは育て、登板させなければなりません。その過程で投手として才能ある球児が日の目を浴びたり、実力を伸ばすチャンスは広がると思うし、またエースをどこで投入させるかの駆け引きも加わるので、試合展開的にも面白くなっていくのではと思います。

 そもそも現代の高校野球自体、エース一人に対する依存体質がやや強すぎる気がします。チーム単位で戦うというよりかはエースの善し悪しで決まっているのではと思う試合もあり、そういう意味で1試合に最低二人の投手が登板しなければならない展開の方が教育的にもプラスじゃないかなって思えてなりません。控え選手を含めた選手層で如何に勝つか、そういった視点を甲子園は持つべきでしょう。

 まぁそもそも、甲子園自体なくなっちまえというのが私の本音です。前調べたけど、中継しているテレビ局も高野連に寄付金を含めほとんど金出さずに無料で放映権取ってCM流してんだし。

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