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2022年8月15日月曜日

柴五郎記事の裏側

維新で辛苦をなめた「ある明治人」は、日本の敗戦をどんな思いで迎えたのか(JBpress)

 ほんとびっくりするくらい歴史記事でアクセス取れなくなりましたが、めげずに出しているのが今日のこの柴五郎記事です。彼については以前にもこのブログで取り上げましたが、記事書く直前まで土日を含め連日連夜仕事していてかなり限界に来ており、既存知識だけで書けるネタとして今回選びました。
 もっとも記事にも書いている通り、彼に対する印象は上海ロックダウンを経てかなり変わったというか、非常に大きくなりました。2ヶ月の軟禁は本当に筆舌に尽くしがたい。

 記事ネタを決めたものの、さすがになんも周辺資料を見ずに書くのは心もとないと思って「ある明治人の記録」をすぐ買って読んだものの、この柴五郎の遺稿は少年時代については詳細に描かれているものの、ハイライトの北京籠城戦については書かれていなかったため、すぐまた「守城の人」を買いました。こちらはほぼ柴五郎の伝記であるものの、時折小説めいた表現もみられることから参考文献には敢えて入れませんでした。もっとも、内容の深さで言えば「ある明治人の記録」よりずっと上ですが。

 ただこの「守城の人」、非常に長くてきっちり読んでたら記事書く時間が無くなると思い、結局籠城戦の下りだけ先行して読んで書くことにしました。結果的にはこの判断は当たりだったと思います。

 このほかもう少し書いておくと、一応中国語サイトでも柴五郎について言及する記事などはありますが、簡単な略歴程度を記すにとどめています。そして義和団事件に関しては、現代中国はどうもやや積極的な評価、具体的には「失敗に終わったものの、外国列強に対する勇敢な反抗運動」的に捉えており、言及がないわけじゃないですが北京での外国公使館包囲、というか大虐殺未遂についてはあまり大きく取り上げていません。
 まぁ外国公使館包囲事件については、日本国内でもほとんど知られていない点は同じですが。

 個人的な意見を言えば、柴五郎らが防衛に成功しなければ、歴史に残る大虐殺となって、その後の列強による分割も実際の歴史以上になっていなと考えています。ガチで2ヶ月軟禁された身からすると、本当にこの時の清朝政府の外国人に対する対応には不満しか覚えないです。

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