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2024年6月20日木曜日

自公連立という「99年体制」

 最近、故佐野眞一の著書の「凡宰伝」という本を読んでいます。なんでこの本を手に取ったのかというと、この本の取材対象である小渕恵三について佐野眞一が生前、非常にべた褒めしていたからです。

 佐野眞一についてはたまたま住んでるところが流山市で同じだったため、地元で講演会があればよく松戸のソウルメイトな友人と連れ立って赴いていました。もっとも友人は、「面倒くさいから直前までくるか悩んだ(´・ω・)」とよくぼやいていましたが。
 その講演会の席で佐野眞一は事あるごとに小渕について褒め称え、まるで昨日のことのように自分が取材したときの印象や小渕の回答を口にしていました。そうした思い出をふと思い出したのと東芝の不正監査の本読み終えて新たに読むものがないため、こうして手に取るに至りました。

 まだ読み途中なのですが改めて当時を思い出すと、その後の小泉純一郎氏と比べてもパフォーマンスの派手な人だったなという印象を覚えました。佐野眞一に対しても取材して以降、彼が出演する番組が放送されるやその日の晩に直接電話かけて「面白かったよ」と言ってたほか、財界人に対しても5回くらい留守電残すくらい電話かけまくっていたそうです。

 その小渕に対する評価ですが、確か2004年に買った歴代総理に対する解説を一冊にまとめた本の中で、「急病により任期途中で逝去することとなったが、自公連立という大きな遺産を残して去った」という風に、公明党との連立提携について非常に高く評価する評論が書かれていました。当時大学生だった私は、「そこまで凄いことかいな」などと家賃3万のアパートの部屋で読んでて思いましたが、こうして時代を経てみるとその評論は間違いではなかったのではないかと思うようになってきました。

 というのも、1999年に成立した自民党と公明との連立関係ですが、25年を経た現在においてもその関係が続いています。途中、2009年から2012年の民主党による政権奪取期こそ時効は与党から陥落して断絶はあるものの、この断絶期間も両党は歩調をそろえて協力関係を崩さず、2012年の与党復帰時も特に議論となることもなく当たり前のように連立政権が築かれています。

 過去を振り返ると、99年の連立成立時こそ自民党内でも平沢勝栄氏を筆頭に公明党を批判する声が強く、また有権者の間でもオウム事件以降の宗教アレルギーが強かった時期とあり「公明党と連立を組んでいるから自民党には票を入れない」と公言する人が少なくありませんでした。
 しかし時代を経た今、自民党内で公明党を公然と批判する人はほぼいなくなったうえ、有権者の間でも公明党、というより創価学会に対する強い拒否感を示す人はかなり減っているように見え、前のように公明党の存在を否定的に口にする人は公では見なくなった気がします。

 また公明党が批判される要因となっていた名誉会長の池田大作が昨年亡くなっており、創価学会としての組織力は今後弱まるでしょうが、創価学会に対する世間の批判は今後さらに弱まるのではないかと思います。

 話を自公連立に戻すと、なんだかんだ言いつつ、この連立政権は日本の議会政治の安定と制作一貫性に対する寄与貢献は計り知れないと私も評価しています。この連立関係が与党の安定多数に寄与していることはもとより、自民党も少なくとも公明党に対しては法案に対する同意を必ず得るようにしており、自民党単独に比べれば強引な政権運営は抑えられているように見えます。
 何より25年もの長期にわたり連立関係を維持するというのは他の議会制民主主義国でもあまり見られないように思え、この一点で以ってももはや日本政治における非常に大きな特徴といっても差し支えないでしょう。

 では何故自公連立がこれほどまで長く継続するのかというと、単純に公明党のスタンスが分をわきまえたものであることに尽きる気がします。

 2009年に成立した民主党政権なんか典型的でしたが、あの時連立に入った社民党は議席が確か一桁くらいの数議席にもかかわらず、法案や政策に対してやたら激しく主張しまくり、政権を主に担う民主党からも辟易されていました。むしろこの時の小勢力なのに激しく要求ばかりし続けたことから、その後は民主党も距離をおくようになり、現在のような泡沫政党に社民党はなり下がる原因になったとすら思います。

 それに対し公明党は自民党に対し非常に聞き分けがいいというか、外交に関しては異論を呈すも最終的には必ず自民に従うし、政策も自分の手柄とするバラマキなどは強く要求するも、それさえ受け入れて通してあげれば基本的に自民党の邪魔はせず、選挙ではきちんと協力してくれます。
 元々、公明党自体が全選挙区に候補者を立てるほど資金や組織力がないだけに、あまり拡大を図らず自分のシマをきっちり守れればいいという性格から、選挙で自民党と棲み分けられさえすればいいという立場なのかもしれません。そうしたスタンスが必要以上に政策要求をせず、自民党とうまく付き合っていける秘訣じゃないかとみています。

 話を小渕にまで戻すと、この自公連立政権は彼が積極的に打ち立て、前述の通りその後25年間も続く長期連立関係となっています。逆にもし自公連立がなければ、まず間違いなく自民党の議席数は今よりも不安定なものとなっており、政権交代ももう1回くらいは起こっていたかもしれません。
 そもそも99年当時も自民党が一度下野してから政権が不安定だった時期であり、それに確固たる安定基盤を作ったという意味では、小渕の決断は日本政治の安定化に強く貢献したように思えます。

 その上で、昭和後期における自民党が安定多数を維持し続けた時代をその確立年になぞらえて「55年体制」と呼びますが、以上のように自公連立は一度は与党から陥落こそしたものの、世代を受け継ぎつつ長期かつ安定的に続いていることから、もはや成立年に合わせて「99年体制」と呼んでもいいように思えてきました。

 ここ数年は維新の躍進もあり、また米中対立の激化によるあおりもあって日本の外交方針も色めき立ち、自民は公明を切って維新と提携するのではという見方も出ていたし、私もそのように思っていました。しかしここにきて維新が万博をはじめやらかし始め、自民党の法案に対しても露骨に反対姿勢を取るなど若干距離が離れ始めるや、逆に自民と公明はまた関係を良くしてきているようにも見えます。
 仮にそうだとしたら、次の選挙後も自公連立はほぼ確実に続くこととなり、この連立関係は30年スパンに到達することとなるでしょう。30年も連立し続けるって、ほんとほかの国じゃないんじゃないかな(;´・ω・)

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