2026年9月3日木曜日

「みいちゃんと山田さん」のアニメ化を巡る物議についての意見

 なんか中国でも人気を得ているというアニメ放映中の「スーパーの裏でヤニ吸う二人」のタイトルを見るたびに、「スーパーの裏でカニ食う二人」という作品を出したら売れるのではという妙な期待を毎回抱きます。なんかセリフが極端に少ない作品になる気がするけど。

 話は本題ですが過去にこのブログでも何度か書いた「みいちゃんと山田さん」という作品についてですが、こちらアニメ化が発表されたところ障碍者を題材にした作品であるがゆえ議論となっており、障碍者団体からは知的障碍者に対する誤解を広げる可能性があると声明が出されるなど賛否両論が出ています。
 やや皮肉な言い方をすると、この作品は先日公開された最終話の結末があまり評判がよくなかったのですが、それ故にこうしたアニメ化に反対であったり懸念を示す声に抵抗するようなアニメ化を推すファンの声が若干少ないような気がします。もし結末がよければもうちょい肯定派も多かったように思うものの、締まりの悪さから「このままアニメ化されなくてもいいんじゃね(´・ω・)」的に反応する人も少なくない気がします。

 なお私自身もあの結末を面白いとは感じず、中盤までの目覚ましい表現力が何故こうなったと残念に感じました。ぶっちゃけ漫画太郎氏がやるようなオチで、ギャグマンガならともかくこの漫画のジャンルでやるオチじゃない気がします。「チェンソーマン」第二部もそうだったけど、最近結末が悪くてそれまでの作品全体の評価すら落としてしまう作品が多いです。

 話を戻しますが上記の通りみい山のアニメ化についてはやや否が多めの賛否両論となっていますが、結論から言えば自分はアニメ化すべきではという立場を採っています。何故この立場を採るのかというと、一に表現の自由、二に人を傷つけずして名作なしという観念があるからです。

 一つ一つ説明していくと、まずこの作品の否定派における最大の主張は知的障碍者に対する差別を助長するというものです。知的障碍者という機微なテーマ故に避けられない議論ではあるものの、仮にこの主張を通してしまうなら、周りに迷惑をかける知的障碍者のキャラクターは一切描けなくなる気がします。もちろん出てくる知的障碍者キャラ全員がトラブルを起こすような性格最悪なキャラクターに描かれているなら話は別ですが、すくなくともみい山では温厚な知的障碍者キャラも出ており、知的障碍者全員が社会にとって害をなす存在とまでは描いていません。
 加えて言うなら健常者であろうと知的障碍者であろうと、周りに迷惑をかけまくるトラブルメーカー的な人間は現実に存在します。そうした現実に存在するという事実がありながらそのようなキャラクターを描いてはならないとするのは現実を否定するような行為であるし、表現の自由も大きく制限してしまう価値観です。みい山をみて知的障碍者はみんなトラブルメーカーだと誤解する人が出てくるかもという人もいるかもしれませんが、そんな人間は何にだって誤解するでしょうし、いちいちそんなのに付き合っていたら何の創作も行えなくなります。

 仮に知的障碍者は社会にとって害悪で淘汰すべしみたいな主張を作品を通して出されていたら、私もアニメ化とかするのに反対の立場を採ります。しかしみい山はそこまでのレベルではなく、また実際に存在するレベルの人間像を描いているように見え、現実を描写することを否定するというのは上記の誤解を防ぐよりも危険なことのように見ます。アニメ化について望ましくないという意見を主張することは自由だし何も問題ないとは思いますが、絶対に放映してはならないといった差し止めを求める主張は逆に行きすぎであるように思います。

 第二の意見に話を移しますが、こちらに関しては誰か言う人が出てくるだろうと思ったものの誰も出てこなかったので言えば、さっき口に出した「チェンソーマン」作者が書いた「さよなら絵梨」に出てくる主張です。この作品で自作映画を公開して「傷ついた」、「むかついた」などと観衆から不評食らった主人公についてその父親が、

「創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね」

 というセリフを言いますが、これは本当に創作における肝といえる部分で「さよなら絵梨」においても核心的なテーマだと私は考えています。

 みい山についてその知的障碍者の描き方に不快感や傷ついたと感じることを理由にアニメ化に反対する声も見られますが、この点に関してはそれは違うように思います。上記のセリフのように創作で人の心を打つためにはそかなり深く踏み込まなければならず、人によっては作品に触れたことで傷つくと思うくらい心を抉る必要があります。逆に人の心を全く傷つけない無害な内容というのは基本駄作で、その後記憶にも全く残らないでしょう。ある意味で賛否両論となるのは、それだけその作品が優れている証拠でもあります。
 過去の名作と呼ばれる作品、それこそダンテの「神曲」なんか当時の宗教関係者からすれば腹立たしいことこの上ない内容だったでしょうが、だからこそ名作となっています。またドリフの番組も俗悪番組などと大人から言われましたが、現代において否定する人は逆にいなくなっています。

 前述の通り、みい山を見て面白いか以前にその描き方に「傷ついた」という人はそこそこいるようで、そうした人たちがさっきの「さよなら絵梨」のセリフのように作者を批判したりするのも自由だし、それもまた必要なことだと思います。しかし傷ついたことを理由にアニメ化差し止めを求めるというのはちょっと飛躍しすぎであるようにもみえるし、人を傷つけない作品ばかりを見て何が楽しいのかと私には思え、「人の心を傷つける作品」だからという理由でその作品を全否定してはならない気がします。
 もっとも、先日の小学館のマンガワン問題はさすがに別です。あれは明確な犯罪行為による被害者がいるにもかかわらず、その事実を隠したうえで被害者の意向を完全に無視し、社会的制裁からも回避しようとするような行為であり非難されて連載打ち切りとなったのも当然だと思っています。

 以上がみいやまアニメ化についての自分の大まかな意見で、いろいろ意見はあるし全く理解できないないわけではないものの、アニメ化を差し止めるほどの問題とまでは感じないため、アニメが売れるというのならアニメ化すればいいのではという風に考えています。ただ自分の中でもこの作品について否定的な見方がないわけでもなく、それは作者の亜月ねね氏の過去問題です。
 アニメ化否定論者の意見の中でも大きな部類に入ると思いますが、この漫画の作者は以前にツイッターで水商売万歳などといったやや過激な主張をしており、知的障碍者を差別しているという意見もこの時のツイッター漫画が主な槍玉となっています。私としてはこういう意見が出ても確かに仕方ないかもと思ってみていましたが、作者の意見もまた一つの意見だとみて、そこまで否定的には見ていませんでした。当初は。

 そしたら作者と編集部の方が上記の意見に怯んだか、過去のツイッター漫画で作者は作画だけしかしておらず、原作者は別にいるなどと責任回避ともとれる発表をしてきました。この主張はそれまでの発言とも整合性が取れておらず、はっきり言ってしまえば嘘としか思えない内容で、責任を回避するため咄嗟に言いつくろった虚言だと私は思っています。この発表を見て、どうしてこんな誰も信じるわけでもない虚言をここにきて弄すのか、また自分自身の過去を否定するというのはどういうことかと感じ、批判に耐える度胸がないというのなら目立たぬようアニメ化もやめたらどうだというような感情を覚えました。
 前述の通り知的障碍者の描き方について私はそこまで気にしませんでしたが、上記の作者と編集部の対応には呆れたというか根性のない連中だと思え、この点に関しては私もみい山について否定的に見ています。また「さよなら絵梨」のセリフを引用しますが、いい作品を描こうとしたら多少なりと観衆を傷つけることとなりますが、その傷つけた観衆から来る批判に耐えられないというのなら初めから創作なんてするなと言いたいです。

 最後にちょっとベクトル違うかもしれませんが、上記の通りみい山は作品そのものより作者の人間性に対する批判も大きい、っていうか多分こっちのが強いです。これを見ていて思ったのが漫画家の平野耕太氏で、彼の作品もよくアニメ化されていますが以前に平野氏はよく「江川達也が死刑にならねぇかな」といったことを平気で何度も口にしていましたが、アニメ化に際して彼の人間性を問う声は全く聴かれませんでした。なにゆえ(´・ω・)

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