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2023年10月24日火曜日

リサイクルショップが増える街

 なんか書くネタないので、需要があるかどうかわからないけど最近気になっているリサイクルショップの増加について触れます。

 ECの発達ゆえか、自分の実家のある街では中規模量販店がどんどんと減り、その後釜としてリサイクルショップが入ってきています。一体何故リサイクルショップが増えているのかいろいろ疑問なのですが、単純に開業資金が低いのと、そこそこ広い展示スペースが必要だから量販店跡地に入りやすいせいだと思います。
 ただその増加ぶりはこのところ目に付くというか、感覚的には数百メートルごとに1軒くらいのペースでなんか急増しています。そしてその影響を受け街の中からは商店の種類が減っており、なんとなく活気がなくなってきているような印象を受けます。

 以上を踏まえると、リサイクルショップが増えているということは街が衰退してきている一つの兆候のようにも見えます。だとすると、リサイクルショップは街を蝕むウイルスのようにも見えてくる(;´・ω・)

 ついでに書くと、リサイクルショップとともになんか戸建ての家も結構なハイペースで増加してきています。家が増えているのは人口が増加しているとも見えますが、普通にマンションなどの集合住宅でもいいんじゃないのかなと思うと同時に、小規模商店は減ってきているのでやはりこっちでも活気が落ち込んできているようにも見えます。どちらにしろ、盛り下がってきているよう(;´・ω・)

2023年10月3日火曜日

パンクな自転車

 9月29日から始まった連休中、地球防衛軍などゲームばかりしているので少しは運動しないと思っていた際、「久々にアレやるか」と思いつきました。その内容というのも、隣の昆山への往復100㎞コースのサイクリングです。

 このコースは一時期、毎月やっていたくらい自分にとっておなじみのコースで道に関しても熟知しており、またちょうどほぼ100㎞になるので距離的にも感覚が掴みやすいコースです。ただこの1年くらいは仕事の忙しさを言い訳に100㎞を走っておらず、かなり久々の長距離サイクリングとなりますが、買って見知った道だけに問題ないだろうと当初思っていました。

 決行したのは昨日で、その前夜においては6時半に出発して往路に2.5h、復路に休憩込みで3.5hとし、午前中に行って帰ってくる予定でした。ただ当日朝、「(´ぅω・`)ネムイ」ということから結局出発したのは1時間遅れの7時半で、まぁそれでも昼過ぎには帰ってこれるだろうと予想していました。
 往路においてはやや追い風にもなり調子よく、ブランクなど感じさせないくらい好調に走行してこれました。そのおかげで10時前に昆山市郊外に入り、もう少し深く入ったところで折り返そうと思っていた矢先、なんかケツの方で感じる衝撃が強く感じました。不安とともに振り返ると、見事なほど後輪がパンクしていました。

 なおこの時に後ろを自転車で走ってたおっさんが「一目でわかるくらいパンクしてたよ😀」と楽し気な感じで話しかけてきました。「マジかよクソ(´・ω・)」と自分も返事した後、近くに修理できる自転車店はないかと地図アプリで探したところ、地図上でGIANTのお店が近くに表示されていたので早速そこへ向かったのですが、これがかなりの誤算となりました。
 というのも、上海は比較的コンパクトな街ですがほかの中国の都市は基本的に1ブロックが極端にでかく、地図で見て近くだと思っても、実はとんでもない距離にあったりすることが山ほどあります。この時もまさにそうで、地図で見たら2ブロックくらい先かと思ったら、表示されないだけでその過程の道にはいくつものブロックが分かれており、結局歩いて1時間くらいの距離、約5㎞いったところにお店はありました。

 とはいえお店自体はきちんと営業しており、店の人も故障内容を伝えたところすぐ対応してくれて無事にパンクも修理することができました。ほっと一安心してケンタッキーで飯食った後、それじゃあ上海へと帰るかと自転車に乗り込んで約10分、なんか後輪から音がしてきました。不安とともに振り返ると、見事なほど後輪がパンクしていました。
 一体何ごとと思いつつ、再び自転車を引っ張って先のGIANTのお店を訪れ経過を伝えたところ、タイヤの外皮に問題があるのではと調べてくれました。そしたら案の定というか鉄片が内部深くに食い込んでおり、チューブもそれにやられたのか突き刺されたような穴の痕がくっきり残っていました。

 この際店員から「もしかしてあの道通ってきたんじゃないの?」と、まさに自分が通過してきた道をぴたりと指摘してきました。その道(沿沪大道)は上海と昆山の境目で工場が多く、トラックがたくさん往来する道でこうした金属片がよく落ちており、パンクしやすい道だと教えてくれました。
 実際にというか、過去に自分もあそこで一度パンクしたことがありました。ただあそこ通らないと道に迷うってんで、結局この日の帰り道もこの道を通りました。

 以上のような経過を経て、2回目の修理費(35元=約700円)もしっかり払って再び動き出したのは午後1時でした。二度のパンクで長く歩いて時間もロスしたこともさることながら、時間の経過によって体への負担が徐々に出てくるようになり、既に体力的にフラフラな状態にありました。
 ぶっちゃけ身体の痛みとかだるさは我慢できますが、疲労になって頭痛を起こすのが何より辛いです。もっともその頭痛も、昆山市を出て上海市に入ったあたりから収まっていったのですが、今回初めて気が付きましたがもしかしたら昆山市の道路は整備されておらず凸凹しており、その振動で頭痛起きているのではないかと疑っています。

 結局そんなこんだで、帰宅できたのは午後4時でした。そこからシャワー浴びて夕食を約束していた友人に時間をどうすると尋ねたところ午後5時40分を指定され、もうちょい休められるかと思っていたら結局すぐまた自転車に乗って待ち合わせ場所へ向かわざるを得ませんでした。友人に事の経緯を話したら「昆山まで行くなよ(´・ω・)」と呆れられました。
 そして一夜明け、脚の方は筋肉痛はないものの膝の反応がやや鈍くなっています。意外だったのは左手の手の平で、恐らくハンドルを握り過ぎたせいか手の平に筋肉痛が起きていました。まぁ午後になったら全く感じなくなったけど。

 さすがに今日は自宅でカレー作ってゲームしかしないだらけた1日を過ごしましたが、やはり100㎞走ると結構負担がでかいな、毎日はできないなとか思います。ただ夏の間は仕事忙しくて、あと暑すぎて危険だったために本当に運動不足となっているため、また明日も自転車乗りに行くつもりです。行先はまた勝手見知った上海市内のある観光スポットにする予定です。

2023年9月30日土曜日

座卓型パソコンスタイル


 前からかなり検討していましたが、先日ついに座卓を買ってパソコン周りを整理してみました。


 この座卓スタイルは学生時代にも行っており、椅子社会の中国でもできないかなと前々から考えていました。去年に椅子に座ってパソコンと向き合う背の高い机を新調した際、脚を折りたためる机にしたため畳んだら場所を取らなくなったので、同じように足を折りたためる座卓なら気分によって座卓か椅子机を選べるようになると思い至り、今回こうしてようやく実行に至れました。

 この座卓スタイルが本当に力はを発揮するのは冬で、部屋で一切暖房を使わず地球に無駄にエコな私の生活では、冬場は常に室内で布団にくるまってパソコンをしています。これが椅子だとくるまり辛く、いつも「座卓だったらなぁ」と思っていました。その気になれば、こたつ化することも可能です。

 こうしてようやく整えた座卓ですが、やはり一番いいないいな人間っていいなと思う点としてはやはり、座った状態で足を伸ばせられることです。こうすることで足の筋を伸ばすことができ、体勢的に長くは行えないものの、1回やるごとに柔軟にもなるのでいい感じです。
 ちなみに自分はかなり体が硬い方なので率先して柔軟やらないといけないのに、このところはずっとさぼり気味でした。

 また上の写真ではニトリで昔買った座椅子もセットにしていますが、ござの上でも十分座ってて楽なので、今この記事を書いている段階では座椅子に座っていません。こっちの方が背筋も伸ばせられるし。
 何気にこの背筋も、椅子に座るより地べたで胡坐こくほうがグッと伸ばせられる気がします。以上を踏まえると背筋というか背筋、それと脚の筋の柔軟性を磨くにはこの座卓スタイルの方がいいかもしれません。ただ夏場は胡坐組んでると足でやたら汗かくので、Zガンダムみたくいつでも通常の机に戻せられるので、夏場はまた以前の形に戻すかもしれません。

 なお今回買ったこの足を折りたためる座卓は70元(約1400円)。マジで中国の家具バイヤーになろうかなと思うくらい中国だとこの手の家具が安いです。お値段以上。

2023年9月20日水曜日

90年代末期に言われた「携帯電話依存症」

 確か90年代末期のことだったと思いますが、寝ても覚めても携帯電話でメールを打ち続ける女子高生について「携帯の国のアイコ」などといったタイトルで、携帯電話依存症を啓発する記事を見たような気がします。その記事に限らず、PHSから携帯電話へ普及が移行した当たりの当時、このような若者の間で携帯電話依存症が広まっているなどとする記事がよく見られ、携帯電話を持たせないようにする、または必要以上触らせないようにするべきだという主張がなされていました。

 ただ当時の携帯電話依存症の基準(日中で何時間携帯電話を触っているか)に照らすなら、現代人の八割以上は携帯電話依存症ということになります。

 当時の記事では携帯電話依存症になると対面でのコミュニケーションができなくなったり、ちょっとのことで怒るようになったりとやたらデメリットが強調されていました。前者に関しては確かに現代のスマホ利用で対面でのコミュニケーションを苦手とする人は80年代より増えた感じはするものの、それ以外ではそんな弊害出ているとは私は思わず、単純に「携帯の国のアイコ」は新技術に対する拒否反応に過ぎなかったと考えています。
 にしても当時は「携帯の中にしか世界を持たなくなる」などとよく言われていましたが、そんなこと言ったら現代は逆に「携帯の外にもいくらか世界がある」というくらい、携帯電話を介したネット空間が広がっているような感があります。

 ただこの携帯依存、現代でいえばスマホ依存症ですが、見方を変えるとそれだけ人を引き付けるほどの魅力があるという風にも言えます。実際、単純に遠隔地にいる人間とリアルタイムでコミュニケーション取れるっていうのは最高の娯楽だし、そこへきてスマホゲームやネットサーフィンもスマホでできるようになってからは、あらゆる娯楽がスマホを介して行えるようになったと言え、むしろこれで依存せずにいられるかって話でしょう。そういう意味では反対に、スマホに依存しない人は不感症なのではと冗談めかして言えるかもしれません。

 もっともこういう自分は周りと比べるとスマホをいじくる時間は少なく、ややオールドタイプなのか自宅ではずっとノートPCを触っています。ネット閲覧もやはりパソコン画面で見た方がやりやすいし、何より大量の文字を打つブログではスマホだとさすがに限界があります。スマホでやるのは基本、電話を除くとWeChatとカメラくらいだし。

 ぶっちゃけ、携帯電話の登場から現代のスマホに至るまでの経過、いやそれ以前に固定電話の時代を振り返るならば、こうした小型通信機こそが人間が追い求める娯楽の究極系であるような気がします。仮に今後進化するとしたら何もない空間に映像を投影できるようなスマホか、より深いコミュニケーションのできるスマホとかになるでしょう。
 もっともスマホに機能集約し過ぎると、スマホを壊したりなくしたりするときのダメージがでかくなりすぎるので、なんかこの方面で機能分割があったらいいな、通信機能持ったクレジットカードとかないのかななどと思ったりもします。

2023年9月1日金曜日

水シャワーは失敗だった(´・ω・)

 日本ではまだ暑い日々が続いているのではないかと思いますが、上海は今週に入ってから一気に秋の天気に変わり、最高気温も30度を下回るなど過ごしやすい気候へと移りました。っていうかあまりにも気温下がるもんだから、夜冷えしたのか若干喉がいがらっぽい有様です。

 さて今年の夏は日本もやたら暑い暑いと報じられていましたが、去年ほどではないにしろ上海も暑い日々が続いてました。そんな暑い日々が続くと地味に厄介なのがうちのシャワーで、恐らく貯水槽にためた雨水などをそのままシャワー用の水に使ってるんじゃないかと思うのですが、お湯を出すと設定温度以上に熱い、っていうか多分50度近くあるお湯が噴き出てきます。
 熱が上がらないようギリギリまで設定しても若干肌がピリつくくらいの熱さで、ほかの季節はそうでもないことを考えると、貯水槽やパイプ内で水がある程度あったまった状態で加熱されているのではないかと推測しています。どっちにしろかなり厄介です。

 なもんだからなんか対策ないかなと考えたところ、「そうだ、水でシャワー浴びればいいんだ(σ・∀・)σゲッツ!!」と閃いたのが今年の夏でした。夏の暑い時期なら水シャワーでも全然余裕だし、ガス代も減って一石二鳥だとばかりに2ヶ月くらいずっと水シャワーを浴び続けていたのですが、大体1ヶ月くらいしたころから、やけに頭が痒くなりました。
 痒いというよりはっきり言えば頭皮にやたらニキビが出てきて、髪がこすれて痒いのと、夜寝るときなんか枕に頭置くと圧迫されて痛いのなんので、地味に結構難儀していました。当初はきちんと頭を洗えていないのかと思ってしっかりシャンプーで洗うように心がけたりしたのですが一向に改善せず、どうしたものかとまた悩んでいたら、「水シャワーだと頭皮ニキビができやすくなる」という情報を目にしてはっとしました。

 なんでも、水で頭あらうと毛穴が閉じて汚れがうまく流れないらしいです。お湯で洗った後に水を浴びせると皮膚が締まっていいらしいですが、水だけで洗うと脂が残ってニキビができやすくなるそうで、まさに自分の状況にぴたりと当てはまりました。
 この情報を目にしてから、また若干肌がピリつくくらいの熱さだけどお湯のシャワーに戻したら、マジ一瞬で頭皮ニキビが一気に消えました。頭はお湯で洗うものと、今回思い切り痛感しました。でもってお湯で洗えなかった江戸時代とか、頭皮ニキビとか大変だったんじゃないのかなと思いを馳せたりしました。まぁちょんまげなら何とかなるかも。

2023年8月31日木曜日

てふてふ効果

 最近思想めいた記事書いてないなと思ってなんかそういうのないかなと思考を巡らしていたところ、不意に「バタフライ効果(エフェクト)」が浮かんできました。元は物理用語でしたが現在はSF用語としてほぼ認識されており、意味としてはほんの小さな行為なり変化がまわりまわって大きな結果を引き起こすような意味合いで持ちいらられています。
 具体例を挙げると、

新しい靴を履いてみた→いつもより歩くのが遅くなった→いつもより遅い電車に乗った→乗った電車が脱線した→脱線事故に巻き込まれて死ぬ直前に異世界へ転生した

 こんな感じで、あれさえなければああはならなかったのに見たいな過程のスタートとしてよく使われるのですが、日本人的には「わらしべ長者効果」の方がすんなり来るんじゃないかと思います。あと「バタフライ」と英語使って言うのもあれなので、見出しみたく「てふてふ効果」と日本人は言うべきじゃないかと思います。

 以上のように解説しておいてなんですが、私自身はこのてふてふ効果はこじつけが強い概念だと思っています。大きな結果に対して後付けで「あれさえなければ」的に過去の小さな行為を見つけ出すような作業に見え、大抵ループ物ですが、SFとかに用いるのも内心どうかなぁという気がします。むしろその逆というか、

新しい靴を履かなかった→いつもと同じ速度で歩いた→いつもと同じ電車に乗った→と思いきや乗る列車を間違えた→乗った電車が脱線した→脱線事故に巻き込まれて死ぬ直前にインドへ転生した

 のように、過程が異なっても同じ結果に収束していくという流れの方がお話し的にも好きだし、現実的にもこっちの方が多いのではないかと思います。このように考える一つのエピソードして、以前に病院での赤ちゃん取り違え事件が発生し、裕福な家庭で育てられた人がほかの兄弟から「本当に同じ家族なのか」と疑問をもたれ、DNA調べてみたら親類でないことがわかって取り違えが発覚するという事件がありました。
 この例だと遺伝子の違いというでかい要素はあるものの、同じ過程で育てられても兄弟として認識されず、結局他人であったという運命に引き戻されていく過程のように見え、こんな感じでいくらか過程が分岐するとしても、最終的な結果は因果要素の強い結果に収束していくように思えるわけです。

 そういう意味では「運命って信じる?」というラノベみたいな問いかけに対して「ある程度は」という風に私は答えるのかもしれません。一見すると消極的な価値観に見えるかもしれませんが、ほんの些細な出来事で運命がひっくり変わるというてふてふ効果を信じるのもまた自力に対する意識が弱いように見え、それであればある程度の運命は固定されていると考える方が現実的だし、また外部要因に対する妄信的な影響がないだけマシだとも思うわけです。

2023年8月13日日曜日

もはや使えない夏の暑さ表現

 休日だけどやる暇ないからEラーニングをやってたら、やたら早口(中国語)で解説する動画見させられてあんま理解できないまま、視聴後の確認テストで3回落ちてやり直し喰らってかなり久々に家で怒鳴ってまた喉を潰しました。単元が3つある中でその最後の奴のみ異常なほどに早口でわかりづらく、ほか2つは1発で確認テスト通っていただけに未だに腹立たしいです。
 っていうか社内公用語が英語とはいえ、中国語か英語のEラーニングを強要してくるのって若干ひどくない?

 そんな感じで声出なくなった状態で昼食のため近くのマクドに出かけましたが、ほんのちょっとの距離とはいえ今日の天気はやばかったです。先々週は最高気温も35度行かず割と過ごしやすかったため夏も終わりかと思ったら、先週は再び35度越えが普通になり、しかも日差しが半端ないほど強くなりました。日差しが強くなった代わりに湿気はやや下がったものの、日差しに浴びるとマジでアイロンを当てられてるかのような焼かれる感触があり、今日歩いてても普通にそのまま1時間立ってたら死にかねないと感じるほどの日差しでした。

 そんな日差しを浴びている最中、夏の暑さを表現する言葉として「立っているだけでも汗が出るほどの暑さ」という言い方があったのを思い出しました。しかしこの表現、自分だけかもしれませんがこの10年間くらいでほぼ全く見なくなりました。それもそのはずというか、立っているだけで汗が出るのは夏の日常であって、特別暑いという意味をもはや持たなくなっています。むしろ、立ってても汗が出ない方が夏場はレアです。
 このように考えてみると、昔、具体的には昭和の頃までは立ってても汗が出ないほど夏は快適だったのかもしれません。気候の変動によりこうした季節感を出す言葉も、失われていくというのを今日はっきり感じました。

 この夏汗表現のほかにも、時代の変遷によって使えなくなる表現はほかにもあると思います。この辺、俳句なんかだと季語としてまとめられていますが、このうち特に使いづらいなと思うのは蛍の表現で、今や日本で蛍が見られる場所はかなり少なく、夏の風物詩的に表現するには共感が得辛いです。
 一方、同じ虫でもセミは今でも結構いると聞き、また上海市内でも樹木が密集している箇所ならよく鳴き声が聞こえてきます。このセミについては路上で死んでいるとみられたセミが急に動きだして驚かすことを「セミファイナル」という言葉で語られますが、この言葉は未だ現役で使えそうです。

 一方、いることはいるけど毎年ある日突然いなくなると感じるようになったのは蚊です。日本国内でもそうらしいですが、あまりの猛暑によって上海でも蚊が7月入ったあたりから一切見なくなりました。むしろ6月に散々噛まれたりしてたし。
 ついさっきも風を通すため窓を全開にしていましたが、2階にもかかわらず入ってきた蚊はゼロで、いない方がうれしいとはいえあまりに急にいなくなると逆に心配になってきます。こうした、夏真っ盛りに逆に蚊がいなくなるのはこのところ毎年で、去年も同じでした。

 その去年は最高気温が40度超えたり、最低気温が30度以上あったりして、今年以上に狂った夏でした。その去年との比較があるから、今年はまだマシと思えてきます。

2023年8月9日水曜日

初心者におすすめの戦闘機プラモ

 また会社でブツブツ文句言いながら仕事するほどストレスたまってるので、好きなことを書こうと思ったらまたプラモになりました。というわけで、今まで自分が作ってきた中でこれから戦闘機プラモを作りたいっていう人におすすめなキットをいくつか紹介します。
 なおメーカーは他意はないですが全部タミヤです。やはりハセガワと比べるとパーツ数が少なく、組み立てやすさではこっちに軍配が上がります。ハセガワも悪くないんだけど。

・F4D-1 スカイレイ


 本当にプラモを一から始めるっていう人には、ぶっちぎりでこのスカイレイのキットがおすすめです。非常にシンプルな構造していて組み立てやすく、またそれでいてクローズデルタで幅広な翼が見栄えがよく、組みあがったときに心の底から楽しいと感じたキットでした。
 ある意味、初心者の壁となる水シールことデカールはこのキットだと背ビレ部分にべたっと貼り付けるためやや手間が食うかもしれませんが、比較的貼りやすい形状しているのと、塗装なしでもこの大きめなデカールが見栄えよくしてくれるので、ほんとお勧めです。値段も、Amazonで今だと625円と軽い定食並みにお手頃なお値段です。

・Mig-29 ファルクラム



 メーカーはタミヤですが、このキットは元々はイタレリが作っててタミヤがOEMで販売しているそうです。実際、ほかのタミヤのキットと比べるとパーツの形状とか結構違ってると感じましたが、とにもかくにもパーツが少なく、めちゃ簡単に組み立てられます。それでいて、ある意味戦闘機の形状が一番派手だったころの機体であり、単純にかっこよくて今でも一番好きな飛行機です。
 その最大のセールスポイントは吸入口ことエアインテークで、胴体下部についているインテークとは別に、同体上部にも簡易インテークがあり、組立時に開くか閉じるか選択できます。細かい点だけど結構重要。
 でもって何より、このMig-29は現在ウクライナ軍の主力戦闘機であり、ある意味で生産以来、最も輝いている時代を今迎えています。この飛行機が今まさにロシアとの戦闘で使われているという歴史的意味もあり、興味がある人にはぜひ手に取って組み立ててほしいです。

・モスキートB Mk.IV/PR Mk.IV


 びっくりドッキリメカ量産大国の英国らしい、二次大戦期においてもレアな木製爆撃機です。ただその性能と戦果は凄まじく、速度に至っては何でって思うくらい超高速だったりした飛行機です。木製爆撃機ということもあってその形状は一般の戦闘機とは大きく異なり、ガラス製ハッチが大きく突き出た形状をしています。またエンジン部分がどでかくて迫力があり、リビングとかに置いとくと誰もが目を引くくらい見栄えに関しては上等です。
 このキットは1/48ですがそれでも組み上げるとかなり大きく、ぶっちゃけ場所をかなり取ります。とはいえ大きいだけあってパーツ自体は組みやすく、初心者にとって難関の足回りこと車輪のついた脚(ランディングギア)はかなりがっちり固定しやすく、その点では組みやすい方に入るのかと思います。ちょっと変わったインテリアに興味ある人におすすめです。

 以上三つが自分にとってのおすすめ戦闘機プラモですが、真面目に戦闘機に関してはこれまでかなり組んできて、各機体の特徴とかもめちゃ把握できています。でもって組み上げた飛行機を写真で取っていると、如何に2次元と3次元で飛行機の見え方が異なるのかも痛感し、やはり立体物で直接手に取りながらその形状を確かめることが飛行機には重要だという気がします。

Stand up to the 関取

Vガンダム「スタンダップ トゥ ザ ビクトリ~♪」 ワイ「爽やかなアニメやなぁ!」(ゴールデンタイムズ)

 上のまとめ記事ではVガンダム主題歌の「Stand up to the Victory」という曲について語られていますが、昔この曲で替え歌作って一人でずっと歌い続けた時期がありました。その替え歌がこちら。

激しい張手が巨体を震わせる 稽古のように
ただ突っ張り続けた 昨日までの取り組み 信じているのさ(親方を)
終わりのない幕下でもいいよ 部屋が僕を食わせ続けてくれるなら
Stand up to the 関取
いくつもの場所を迎え 白星を掴んで見せる
Stand up to the 関取
土俵際で何があるのか わからないから
かけがえのない 部屋の厳しい稽古耐え切って

 一時期は「白星」のところ「あのまげ」と変えて歌ってもいましたが、やっぱ相撲は人類の文化の極みだと思います。忍者に負けずに力士ももっと国際舞台で活躍してほしいです。

2023年8月8日火曜日

10年後に読まれる小説こそ名作

 先日、割引セールをしていたこともあって浅田次郎氏の「蒼穹の昴」の全巻セットを購入しました。この本は中国の清朝末期の宮廷を舞台にしており前々から興味があったのですが、長年小説を読まずにノンフィクションばかり読むようになっていたのと、今まで一度も浅田次郎氏の本を読んだことがなかったため手に取ることがありませんでしたが、満を持して読み始めてみると出だしから面白く「これが浅田次郎か(´・ω・)」などと感心しながら読んでます。
 なんでも、この本書き終えた後で浅田氏は初めて北京に行ったらしいです。

 この「蒼穹の昴」は1996年の作品で実に30年近く前の作品ですが、それをこうして現代の自分が読んでて面白いと感じるというのもなかなか凄いものがあると感じます。内容が歴史小説なため今更古臭くならないという点もあるでしょうが、それ以上に発刊当時に限らず時代を経てもこうして読まれるというのは間違いなく名作の条件になってくるでしょう。
 この発表から時代を経て、具体的には10年以上経っても新たに手に取る人、またフタタに手に取る人がいるという小説こそが、自分は名作だと思っています。逆に発表当時に華々しく売れたものの、それ以降は誰も話題にもせず読み継がれない作品というのはしょせんは「時流に乗った」だけの作品だと考え、名作と呼ぶには相応しくないと思います。

 具体的に言えば過去の芥川賞作品なんかまさにこの典型です。10年以上前の作品で今も読まれる作品があるかと言ったら多分ほとんどなく、内容に関しても当時作品を読んだ人たちもそんな覚えていないというのが大概じゃないかと思います。そもそも以前から批判していますが、2000年以降の芥川賞は作品の質以上に作者のパーソナリティ、具体的にはどれだけ目立つかで選ばれている節があり、こんなんだから日本の小説文化は衰退していったとすら思っています。

 逆に、これも以前主張しましたがその後のエンタメ作品に物凄い影響を与えたという点で「バトルロワイアル」はすごい作品だと思え、本来ならこの作品こそもっと評価されてしかるべきだったと思います。

 それにしても近年は本当に誰もが手に取るような小説作品がめったに出てこなくなりました。日本の娯楽でいえばアニメ、ゲーム、漫画が強くこれらが小説を侵食したことは間違いないですが、それにしたってここまで弱ることはないだろという気がします。まぁぶっちゃけ、悪いのは文壇気取りの連中だと思うけど。
 もっとも自分はあんま手に取りませんが、いわゆる転生物に代表される「なろう系小説」は青少年を中心に一定の支持を得ていると聞きます。自分の時代でも「スレイヤーズ」などのライトノベルが流行ってましたが、こちらは権威なんて一切なしの完全競争市場なだけに、売れるというからにはやはり引き付ける魅力のある作品が多いのだと思います。とはいえ、やはり10年の壁を超える作品がこの中から出てきているかと言ったら今のところあんまり見当たらず、今後そうした時代に左右されない小説作品が出てくることを陰ながら祈っています。

2023年8月4日金曜日

やばいくらいうれしそうな猫


 上の動画はいつも自分が見ている猫チャンネルの動画ですが、これまでたくさんの猫と一緒に暮らしながら最年少だったある猫に、今回初めて後輩ができた時の映像です。その後輩猫を見るまなざしですが、猫ながらうれしさを隠しきれないという表情を明らかにしており、こうもわかりやすく感情を出す者かと感心してみています。

 軽く背景を説明すると、この後輩で来てうれしそうな猫はトビという名前で、山中で片目が化膿した状態で拾われた子です。残念ながら左目は治ることなく失明しましたが、片目のハンデなんてなかったかのようにやたら元気で人懐こく、ほかの猫たちともコミュニケーション力抜群で生き生きと暮らしています。やっぱ猫界でもコミュニケーション能力って大事だなと、この子見ててつくづく思います。

2023年7月28日金曜日

夏場は長雨が重要?

 今朝、上海は台風が来たんじゃないかっていうくらいの豪雨で何度も雨音で目が覚めましたが、出勤時には雨が止んだので問題なく会社に来ることできました。こうした豪雨はこの1週間ほぼずっと続いており、晴れた日の方が少ない有様です。
 その甲斐あってか気温はぐんぐん下がり、夜なんか冷房かけていると逆に寒くなり、また扇風機オンでこれまで寝てましたが、昨日一昨日なんかはその扇風機を消しても余裕で寝られるくらいになっています。ぶっちゃけもう今年の夏のピークは越したんじゃないかなって気がします。

 こんな感じで今年の夏過ごしてて思いますが、夏場ってやっぱ長雨が非常に重要だなという風に感じます。あんまその筋の専門じゃないですが、日差しというのは夏至こと6月末が最も強いのですが気温の方は大体7月末から8月初旬に年内ピークを迎えます。1ヶ月くらいのタイムラグがあるのかというと、最初に地温が温められて、それから空気が1ヶ月間を経て徐々にあったまってくるからだそうです。
 逆を言えば、降りかかる日差しの量が少なければ少ないほど最終的な暑さも変わってくるということで、日差しの強い夏至のあたりにどれだけ雨雲が空を覆って日差しを防ぐかはその夏の暑さを大きく左右するんじゃないかと思います。もちろん夏至に限らず、7月も雨雲がどれだけ出たかは重要になってくるというわけです。

 それで何が言いたいのかというと、ゲリラ豪風のように一度に雨が降るのと、細々とした雨が長々続くのでは後者の方が夏としては涼しくなるんじゃないかというわけです。実際去年と今年の上海が上記のような状況で、今年は割とパラパラ降る雨が多くてそのおかげで今くらいになって大分気温が落ち着きましたが、去年は8月中も死ぬような暑さで自分が上海にいて過去一且つぶっちぎりで暑かったです。

 そういう意味では、ゲリラ豪雨をいかに分散させて細く長く雨を降らせるかが、地球温暖化にとっても災害対策にとってもかなり重要になってくるんじゃないかと勝手に思っています。最近知ったのですが、この辺の雨雲とかって湖とかを人工で作るだけでも結構気候にも影響するらしく、河川工事とかそういうのでもいろいろ変わってくるのかもとちょっと思うようになってきました。
 実際にというか、世界最大のダムの三峡ダムを中国が作ったから中国の気候はおかしくなっているという声は中国国内でもよく聞かれます。ならば三峡ダムほどとはいかずとも、ゲリラ豪雨を防ぐような人工湖やため池みたいなのをうまく配置できないものかと思え、その辺の研究とか進めばいいなと勝手に思っています。

2023年7月24日月曜日

丸目インプレッサ、再び……

 またつまらぬものを作ってしまった……(´・ω・)


 見ての通り、GD型(2代目)初期のインプレッサのプラモを週末に作ってました。このモデルは以前にもWRC仕様で作ったことがありましたが、そちらのキットだとライトが黒目だったりしてフロントデザインがやや異なり、通常版も前から作ってみたいと思っていたところ何故か通ってる店がこのキット入荷したので、後先考えずに購入しました。


 このブログを始めた当初にも書いていますが、凛々しいデザインだった初代インプレッサからこちらに切り替わった際は、そのでかい丸目ライトから「デメキン」、「ボスボロット」などと揶揄され、私も「どうしてこうなった(´・ω・)」的な失望感を抱いたこのデザインでしたが、何故か年月を経てみるとほかにない独創性が胸を打つようになったのか、伝説の22Bに連なるGC8型も大好きですが、こちらのGD初期型もかなりお気に入りの一台になってしまいました。

近くにあったのでドイツ戦車兵とともに激写

我ながらよくこのリアエンブレムとデカールつけられたと思う。

 改めて思いますが、90年代から00年代初頭にかけての日本車のデザインはやばいくらい珠玉過ぎる気がします。近年の中でも最新のカムリとか嫌いじゃないですが、R34GTRをはじめ圧倒的な個性感をもった当時の車に並ぶものは今はありません。っていうか昔の車は今と比べやや細身で、スタイリッシュっていうところが大きい気がするけど。

2023年7月13日木曜日

真夏の夜に見た夢

 昨夜、こんな夢を見ました。

 前振りは一切なかったものの、なんか呪いとかそういうので学校内に閉じ込められていたのですが、あれこれイベントなり手順を踏んだ甲斐あって学校から出られることとなりました。ただその場にいる自分を含めた三人のうち一人は挙動がおかしく、意味不明なことをブツブツ言ってて、なんかこの世界の管理人らしき奴が「彼はこの世界に溶け込み過ぎた」と言うので置いてけぼりにすることにしました。
 そんなわけで自分ともう一人の男だけで昇降口から外に出ようと1階に向かって階段を下りて行ったところ、階段脇に潜んでいた顔面がのっぺらぼうの女子生徒が突然飛び出し、一直線に自分たちへ向かって追いかけてきました。急な登場に反応が遅れ慌てて逃げ出そうとするもそののっぺらぼうな女子生徒に鬼ごっこでタッチされるかのように叩かれるや、さっきの管理人みたいなやつの声がまた響き、「そいつに捕まったからもう出られないよ」と言い放ってきました。

 話が違うと抗弁するも、「それとこれとはまた別の話だ」とよく分からない切り返しされた後、はっと午前5時に目が覚めました。自分の視界には明かりがなく暗いものの、普段見慣れた自分の寝室が移っていたものの、「ここ、あの学校じゃねぇよな?Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)」などと妙な恐怖感に駆られ、そっと再び目を閉じて二度寝に入りましたが、しばらくはちょっと怖かったりしました。

 一体なんでこんな夢見たのかいろいろ不思議ですが、ちょっと前にゲームの「SIREN」を話題にした掲示板とか見たせいじゃないかと思います。でもって姿形はともかくとして、突然出てきた相手に全力で追いかけられるというのは半端なく怖いなと感じました。
 なおそんな夢はたくさん見る方じゃないですが、過去に見た中で一番意味不明だったのはこれです。

2023年7月12日水曜日

上海も猛暑

 このところ日本のニュースを見ていると猛暑関連の報道が目につきますが、上海は去年にマジで観測史上最も暑いというくらい平均気温が高く、夏場の最低気温なんか連日30度超、最高気温に至ってはリアルに40度突破した日もありました。
 それだけに今年は去年ほどには暑くならないでほしいと願ってはいるものの、目下のところは日本同様にかなり暑く、今日も最高気温は37度くらいまで行ったそうです。幸いこのところの夜は気温が30度以下に落ちるため、冷房かければ普通に過ごせます。去年はマジで冷房欠けても温度が下がりきらず、エベレストに立ってるかのようにただそこで息するだけでも苦しいくらいでしたι(´Д`υ)アツィー

 とはいえまだ7月も中旬、8月に入ったらさらに暑くなる可能性があるだけに依然油断ができません。またこの時期は不健康と言われようとも外出は控え家で冷房に当たる方がずっと健康的だと思え、割とケチな性格している自分でも週末は家にいるときは気にせず冷房かけてたりします。

 そうした生活をしていて改めて思うのは、中学校の部活の異常さです。夏の暑い時期にもかかわらず体育館で休憩少なく激しい運動を強要され、まだ「水を飲んだら疲れやすくなる」と言われていた時期で水の摂取量も制限されており、当時バスケ部だったけどそのほかの理由もありましたが早くにやめて水泳部移って正解でした。
 最近の部活はどうだかわかりませんが、ぶっちゃけ炎天下でああいう運動させるくらいなら、筋トレとか体操など、体を激しく動かさずとも体幹などの基礎を鍛える運動をさせる方がずっと効率よかったような気がします。まぁ今でも、ああした無茶な運動課す部活は多いのだと思うけど。

 それにしても上海も昔と比べるとずいぶんと空が青く澄み渡るようになり、夏の暑さもそれに比例するかのように年々きつくなっている気がします。そう思うと、あの常に黒く濁った空が懐かしく思えてきます。

2023年7月10日月曜日

想定外の加齢臭元

 最近、自宅に帰ると加齢臭らしき臭いがしてきて自分も年食ったなぁと思い始めていたのですが、よくよく臭いの元を辿ってみるとなんか一か所だけやたら臭うということに気が付きました。そこに何があったのかというと、意外や意外にハンガーで、これがすべての元凶でした。

 無知で恥ずかしいのですが今の今まで、プラスチックハンガーは長年使い続けると異様なにおいを出すということを、今回初めて知りました。原因は日光で、屋外での選択物干しに使用する際に浴びた日光によってプラスチックが分解され、一定期間を超えるとやばげな臭いを発するようになるそうです。その臭いはワキガに近いと言われていますが、自分ちのプラスチックハンガーもまさにそのような臭いでした。
 実際にはちょっとずつ臭いを発するようになっていたと思いますが、つい最近までハンガーがこれほど、具体的には部屋に入ったらわかるくらいの臭いを出していることに気が付きませんでした。なんとなう部屋がそういう臭いなんだろうと見逃していたわけですが、臭いの元凶であったハンガーは何度洗ってもすでに内部まで相当分解されていたためか臭いは止まず、そこまでこだわりもないためこの際捨ててしまいました。っていうか今回の一件で、ハンガーは金属で作られる理由がよくわかりました。

 過去の自分はほぼ2年ごとに引っ越しを行い、そのたびに家具などもいちいち新調していたことから、プラスチックハンガーがこうして劣化するということを知らずに生きてきていたのだと思います。逆を言えば今の生活は異常なくらい安定しているというかすでに七年半も同じところに住んでいて、七年も天日に干してりゃそりゃハンガーも臭くなると妙に納得しました。
 それにしても今回気が付いたからよかったものの、案だけ臭い発するハンガーに選択物干していたという事実に我ながら軽い恐怖感を覚えます。もしかしたら衣類に臭いが移っていたかもしれず、陰で「あの人加齢臭臭い(/ω\)」と言われてたかもしれません。今回捨てた後、部屋の中からあの妙な臭いは一気に掻き消えたことから多分まだ私自身は加齢臭をそんな出していないと思いますが、臭いって結構他人の印象を左右するだけにもうちょっと気を使ってこうと思います。

2023年7月5日水曜日

忍者文化の普及に貢献した偉大な人たち

 先日の記事で日本最強のブランドはトヨタでもソニーでもニンテンドーでもなく「NINJA」だと主張しましたが、このブランドは何も一朝一夕でできたわけではありません。では忍者文化の普及において今までどのような人物がいて、どのような貢献があったのかをまた帰宅途中に無駄に考えていました。

1、山田風太郎
 恐らく現代における忍者のイメージ、特に奇想天外な忍術を使ったバトルを確立させたのは昭和の名作家こと山田風太郎じゃないかと思います。「甲賀忍法帖」をはじめ比較的早期に忍術バトル、それも二陣営に分かれて多くの登場人物が技を競い合う形式を確立させたのは日本のエンタメ上でも非常に意義深いでしょう。
 その「甲賀忍法帖」は平成になってせがわまさき氏が「バジリスク」というタイトルにて漫画化し、アニメ化されたこともあって日本国内はおろか海外でも再び忍術バトル物を大きく普及させています。昭和のみならず平成においてもファンを広げたあたり、その影響度は昭和以降としては随一でしょう。

2、白土三平
 小説における忍者のスタンダードを作ったのが山田風太郎であれば、漫画における忍者スタンダードを作ったのはやっぱり「カムイ伝」で、その作者である白土三平じゃないかと思います。それまで講談の中であった忍者をビジュアル化し、尚且つ諸行無常な世界観で命をやり取りし合う殺伐とした忍者の生きざまを描いたという点で、こちらも現代における忍者イメージの確立に大きく貢献しているでしょう。
 特に忍術を具体的に絵で表現した点は、その後のアニメや特撮などにも影響しているのではないかと思います。個人的には主人公の必殺技でもある「飯綱落とし」ですが、ゲームにおいて「ニンジャガ」や「デッドオアアライブ」に登場するリュウ・ハヤブサの必殺技として採用されており、ゲーム上での高威力と派手さもあって、忍者を代表する最大の技だと勝手に考えています。

3、ショー・コスギ
 海外での忍者普及の面で、最大の貢献者といったら恐らくこの人でしょう。昭和期にハリウッドで数多くの忍者役として出演し、その高いアクション技術もあって人気をかっさらい、「日本人=忍者」というイメージを大きく刷り込ませたと考えています。
 真面目に日本政府はショー・コスギ氏の貢献を評価して「国民忍者賞」とかを授与すべきだと思います。彼なしには恐らく、現代における忍者の隆盛はなかったでしょう。

4、岸本斉史
 言わずと知れた「ナルト」の作者ですが、直近における忍者普及の貢献でいえば間違いなくナンバーワンでしょう。作品が人気を得た理由としては、主人公らが少年で、仲間と忍術を学びながら成長していく過程がそれまでの殺伐とした忍者世界とは異なっていた点が、特に海外で受け入れられたんじゃないかと考えています。同じようなコンセプトでは「忍たま乱太郎」がありましたが、あっちは海外展開はしなかったし、忍術描写が「ナルト」ほどには派手じゃなかったしなぁ。

 このほか特撮であれば「仮面の忍者赤影」がありますが、個人的には「ジャイアントロボ」での「マスク・ザ・レッド」の呼称の方がしっくりきます。逆に今回色々考えてて、かつてと比べると忍者が主役な映画や特撮番組が減っているような気がし、またショー・コスギ氏のような忍者役といったらこの人っていうイメージもなくなっており、これはこれでよくないのではないかとも思えてきました。
 そういう意味では日本政府は国を挙げて、世界を相手にする忍者俳優を育成すべきでしょう。ぶっちゃけ日本人じゃなくてもいいように思え、ハリウッドや中国でアクションに秀でた人で忍者映画作る方が手っ取り早いかもしれません。

2023年7月3日月曜日

豊かさとは何か?

 先ほど小腹が空いたのでコンビニにかっぱえびせん買いに行って、風呂上がりに買っておいたカルピスとともに食べました。夕食はうどんとウインナーを茹でただけとやや少なかったものの、なんかやけに食欲高いので風邪ひく前なのかもしれません。
 上記のような状況ですが、学生時代の自分からしたら絶対にありえない行動でした。学生の頃は本当に金がなく、晩飯はキムチとみそ汁とごはん2合が当たり前で、夜中におなかすいてもお金ないから何か買いに行くとかいう選択肢はあり得ませんでした。そんな当時をしのぶにつれ、自分も無駄に贅沢になったなと思うとともに、金銭的余裕があることにいくらかの幸福感を覚えます。仮に豊かさで見れば、学生時代の私は量産型ザクⅡ(J型)程度に対し、今の私はハイザック並みに、見かけは同じでも中身は全然違うくらいハイグレードでしょう。

 というところまで考えたところで、そもそも豊かさとは何ぞやというよくある哲学的議論を思い出しました。この議論というか問いに対する答えは自分の中でははっきりしていて「比較なしに有意を感じるものがあるか」に尽きます。
 基本的に人間の行動は、食事など生存欲求に直結するものを除けば、ほぼすべて「他人に対し優越感を覚える」目的で行われると考えています。いい就職先とか他の競合者より優れた技術を示せる趣味など、ほかの奴より俺の方が凄いと感じるために行われる行動が9割くらいじゃないかと内心考えています。でもってそういう秀でた能力がない人間ほど、阿Qじゃないけど心の中で他人を見下したりする行為に走ったりする気がします。

 それに対し、他人より劣っていようが優れていようが気にせず、延々とやり続ける趣味なり嗜好がある人間ほど、人間としては豊かなんじゃないかと思います。ゲームでも盆栽でもスポーツでも食べ物でもいいですが、比較が介在するにしても一切気にせず、継続し続けられるものがあればきっと豊かな人間だと思いますし、立派だと私は考えます。そうしたものがどれだけあるか、それが人としての豊かさに直結するのではと思う次第です。

 なお金銭的豊かさに関しては、やはり限界があるというか、金持ちほど幸福感が低いという統計結果が人種や文化に関係なく出ています。完全に否定こそいないものの、やはり金銭的豊かさこそ比較優越を感じる最たる基準であるだけに、心や気持ちの豊かさとしては一定基準に到達すると充足しきれない価値観だと思います。まぁお金はあるに越したことないですが。

 そういう意味では幸福感がほかの国と相対的に低いと言われる日本人は、もっと趣味とかを充実させる社会にした方がいいのでしょうが、そうした意識を持っている政治家がどれだけいることやら。まぁ撮り鉄は周囲にいたら面倒だと思うけど。

2023年6月22日木曜日

食べ物の恨みはおそろしい

 昨日の記事にも冒頭に書きましたが、昨日ケンタッキーでセットメニューを頼んだら一緒に出てくるはずのアイスが「今作っている最中だから出来るまで待ってて」と言うので待ったところ、1時間たっても出てきませんでした。その場で文句言ってれば出してくれたかもしれませんが1時間も待っていたこと、あとカウンターの目の前に座っていたのに放置されたという事実がなんかかなりショックで、結局何も言わずそのまま出て行ってしまいました。
 一夜明けた今日も頭から離れず、春の上海モーターショーでBMWにアイスもらえなかった人たちの気持ちがなんかわかった気がします。

 そもそもというか、こうした注文したのに料理が出てこないということがこの1週間に異常に多くありました。月曜はできたてのカレー屋に同僚といったところ、オープンしたばかりかオペレーションが悪く、でもって大量の注文を店側が見落としていて、店のテーブルついて注文してからカレー出てくるまで1時間かかりました(周りのお客もほぼ全員見落とされて)。
 でもって今日も馴染みの日本料理屋で食事終えたところ、通常なら皿を片す際に食後のコーヒーが出されるのですがこの日は若干客入ってて忙しかったのか、数十分放置されたままで、さすがにここは店員とも顔なじみなため直接「コーヒーちょうだい(/・ω・)/」といって出してもらいました。

 こんなこと普段ないのに1週間に3回もあって、なんか呪いでも受けてんじゃないかと、今精神的に応えています。呪いだとしたらめちゃくちゃ嫌らしい呪いだと思う。

 こうした事態にあって改めて感じることとして、やっぱ食べ物の恨みはおそろしいというか、ちょっとしたことでもめちゃくちゃ癇に障るってことです。それも現代という飽食の時代にあってすら困難だから、飢餓の時代にあってはちょっとでも分け前が不公平だったりした場合は殺し合いに発展するというのも十分ありうるという気がします。

 そんな食べ物の恨みで実際に言っていた人となると、自分の中では水木しげるが出てきます。戦時中、お正月ということで豚肉が振舞われることとなったそうですが一兵卒に配られたのはほんのひとかけらで、士官らはもっと多くの豚肉が振舞われているであろうことを考えたら激しい怒りを覚えたという体験が自伝漫画に描かれていました。

 それと本当に不思議な偶然ですが先日、生前の水木しげるがゲーテの言葉の中で特に印象に残った言葉を抜粋して編集された「ゲゲゲのゲーテ」という本を購入し、ちょうど今週読み終えました。この本の後半に編集者が「特に水木しげるのゲーテ観が出ている作品」として短編漫画が収録されているのですが、その内容もまさに「食べ物の恨み」でした。
 時代は江戸時代で、武士が茶屋でぼた餅を頼んで待っていたところ、後からやってきた三人組の輩が運ばれてきたぼた餅を先によこせと横取りして次々と食べてしまい、最初は我慢していた武士でしたが店の最後のぼた餅まで横取りされたところでとうとう我慢できず、刀を抜いて輩の耳を切るという制裁を加えてしまいます。その後、店を去った武士でしたが、後から自分の行いを恥じて酷いことをしてしまったと後悔するという話です。

 改めてこの漫画を読み返すと、目の前で食べ物を食べられなくなるとなると人間見境がなくなることが描かれているように思え、自分も今若干そんな状態にあるのかもしれません。食事は生存本能に直結するだけに、こうした怒りをどう抑えたり、食欲を管理できたりするかは理性の構築において意外と重要なのかもしれません。


2023年6月6日火曜日

懐かしいロシアスパイのFBI捜査官

ロシアのスパイだったFBI捜査官、刑務所で死亡(BBC)

 上のニュース記事を見てすぐ、「あいつやんけ、懐かしい(´∀`*)ウフフ」と思いました。

 記事内容は読んで字の如しで、2001年にFBI捜査官でありながらロシアのスパイとして活動したロバート・ハンセン(同姓同名のシリアルキラーもいるが別人)が獄中で亡くなったそうです。彼については逮捕の翌年辺り、テレビ番組の「奇跡体験アンビリバボー」で特集されていたのを見ていて、今回の記事見出しを見てすぐにあいつだと直感で感じました。実際その記憶は正しく、逮捕直後の「どうしてこんなに長くかかった」というセリフは当時の番組内でも紹介されていたことをはっきり覚えています。

 ただスパイになった、活動を行った経緯については今回の訃報記事と番組での説明はやや異なっており、記事ではちっちゃなころから二重スパイにあこがれていてそのためにFBIも(二重スパイとなるため)目指したという風に書かれています。それに対し番組では、FBIとして活動する中で捜査に限界を感じたことやCIAとの軋轢へのいら立ちなどが原因などと、どちらかというと所属した組織に起因する問題からスパイに転じた風に描かれていました。実際はどうだかわかりかねますが、なんとなく記事の説明の方が後出しということもあるし納得感もあるので正しい気がします。

 さらに記事の内容を見る限りだと、割と露悪主義というか妙な映像をわざと流したりしていた辺り、なんとなく危ないロープを渡るのが好きな人物だったのではないかと伺われます。そう考えると二重スパイを行っていたのも組織への反感やロシアへのシンパシーではなく、「俺やばいことやってるぜ(;゚∀゚)=3ハァハァ」みたいな感じでやってたのかもしれません。

 ちなみに自分も昔はスパイみたいな仕事したいと思ってスパイ小説とかも書いてましたが、実際には大陸浪人みたいな流転の人生を送る羽目となりました。まぁでも中国の成長期をほぼ縦断してみることができる立場となったし、中国来て戦闘機やプラモにやたら詳しくなった辺りは大陸浪人になってよかった気がします。戦闘機もプラモも、大陸浪人とは無関係な気がしますが。