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2023年6月22日木曜日

食べ物の恨みはおそろしい

 昨日の記事にも冒頭に書きましたが、昨日ケンタッキーでセットメニューを頼んだら一緒に出てくるはずのアイスが「今作っている最中だから出来るまで待ってて」と言うので待ったところ、1時間たっても出てきませんでした。その場で文句言ってれば出してくれたかもしれませんが1時間も待っていたこと、あとカウンターの目の前に座っていたのに放置されたという事実がなんかかなりショックで、結局何も言わずそのまま出て行ってしまいました。
 一夜明けた今日も頭から離れず、春の上海モーターショーでBMWにアイスもらえなかった人たちの気持ちがなんかわかった気がします。

 そもそもというか、こうした注文したのに料理が出てこないということがこの1週間に異常に多くありました。月曜はできたてのカレー屋に同僚といったところ、オープンしたばかりかオペレーションが悪く、でもって大量の注文を店側が見落としていて、店のテーブルついて注文してからカレー出てくるまで1時間かかりました(周りのお客もほぼ全員見落とされて)。
 でもって今日も馴染みの日本料理屋で食事終えたところ、通常なら皿を片す際に食後のコーヒーが出されるのですがこの日は若干客入ってて忙しかったのか、数十分放置されたままで、さすがにここは店員とも顔なじみなため直接「コーヒーちょうだい(/・ω・)/」といって出してもらいました。

 こんなこと普段ないのに1週間に3回もあって、なんか呪いでも受けてんじゃないかと、今精神的に応えています。呪いだとしたらめちゃくちゃ嫌らしい呪いだと思う。

 こうした事態にあって改めて感じることとして、やっぱ食べ物の恨みはおそろしいというか、ちょっとしたことでもめちゃくちゃ癇に障るってことです。それも現代という飽食の時代にあってすら困難だから、飢餓の時代にあってはちょっとでも分け前が不公平だったりした場合は殺し合いに発展するというのも十分ありうるという気がします。

 そんな食べ物の恨みで実際に言っていた人となると、自分の中では水木しげるが出てきます。戦時中、お正月ということで豚肉が振舞われることとなったそうですが一兵卒に配られたのはほんのひとかけらで、士官らはもっと多くの豚肉が振舞われているであろうことを考えたら激しい怒りを覚えたという体験が自伝漫画に描かれていました。

 それと本当に不思議な偶然ですが先日、生前の水木しげるがゲーテの言葉の中で特に印象に残った言葉を抜粋して編集された「ゲゲゲのゲーテ」という本を購入し、ちょうど今週読み終えました。この本の後半に編集者が「特に水木しげるのゲーテ観が出ている作品」として短編漫画が収録されているのですが、その内容もまさに「食べ物の恨み」でした。
 時代は江戸時代で、武士が茶屋でぼた餅を頼んで待っていたところ、後からやってきた三人組の輩が運ばれてきたぼた餅を先によこせと横取りして次々と食べてしまい、最初は我慢していた武士でしたが店の最後のぼた餅まで横取りされたところでとうとう我慢できず、刀を抜いて輩の耳を切るという制裁を加えてしまいます。その後、店を去った武士でしたが、後から自分の行いを恥じて酷いことをしてしまったと後悔するという話です。

 改めてこの漫画を読み返すと、目の前で食べ物を食べられなくなるとなると人間見境がなくなることが描かれているように思え、自分も今若干そんな状態にあるのかもしれません。食事は生存本能に直結するだけに、こうした怒りをどう抑えたり、食欲を管理できたりするかは理性の構築において意外と重要なのかもしれません。


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