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2008年6月28日土曜日

小中学生の歴史肖像画への認知度

 肖像画についての記事を描いたばっかりなので、連投とばかりにこっちも載せときます。

・卑弥呼は正解99% 歴史の人物、業績は?小6など調査

 リンクの貼り方を覚えたばっかりだから、私、今日はやけに貼りますね。
 それはともかくとして、このニュースは昨日に文部科学省が発表してほぼすべての全国紙に載ったニュースですが、小中学生の歴史上の人物の肖像画に対する認知度を調べた調査結果です。ニュース記事によると、人物が大量に出てくる幕末から明治の間ではライバルが多いというせいもあり認知度は下がるようですが、逆にライバルの少ない時代だと認知度が高まる傾向があり、それを反映してか、最も認知度が高かったのは縄文弥生時代の「卑弥呼」だったようです。ってか、卑弥呼って肖像画あったの?

 順位を見てみると、認知度の高い肖像画の二位と三位が「ザビエル」と「ペリー」って、何で日本人じゃなくて外人なのかがちょっと面白いです。ザビエルに至っては小学校では坊主頭の男の子が、中学校ではハゲた男性教師がよく「ザビエル」というあだ名をつけられるので、この結果にもなんとなく頷けます。
 そしてその後に続く四位で、日本人では二位になるのは「野口英世」です。特徴のある顔の人なので、まぁこれもわかりますがその次の総合五位に入った「雪舟」は、何故これほどまでに順位が高いのか、ちょっと私は不思議に思いました。今の小中学生は雪舟について、なにか特別な教育でも受けているのでしょうかね。

 その後の順位だと、十三位に「小野妹子」が入ってますが、これも肖像画ってありましたっけ? 私はなんか今、ぱっと出てこないのですが……。
 そして最低だったのは認知度23.5%で、「大久保利通」です。この結果について好きなことを言わせてもらうと、「へっ、ざまあみろっ」って所ですかね。私は鹿児島県生まれなので、彼は大嫌いです。功績は認めますけど。

足利尊氏の肖像画の謎(・・?

 今日はとっておきのネタです。まずはこのリンク先のウィキペディアのページを見てください。

 ・足利尊氏

 見てもらった方はページの右上にある肖像画を見て、「えっ!?」と思ったのではないでしょうか。その余韻が冷めないうちに、今度はこっちのページを見てください。

 ・足利直義

 それこそ、「なんじゃこりゃー!!」と太陽にほえろばりに驚いた方もいるのではないでしょうか。こっちの足利直義の肖像画は一般的には源頼朝の肖像画として広く知られているものです。それが何故足利直義のページに貼られているのか、不思議に思いませんか?

 なんでも、これまで源頼朝と伝えられてきた、えらい山奥にある京都神護寺に伝わるこの肖像画ですが、最近の研究によるとどうも足利直義の肖像画なのではないかという意見が強まってきているらしいのです。同様に足利尊氏のページに貼られている肖像画も、従来は人気の高い平重盛のものと言われて来ていたのですが、どうにもひっくり返ったようです。
 足利直義についてはともかくとして、あのひげもじゃの騎馬武者像が写っている従来の尊氏の肖像画については昔から異論が数多くありました。馬の鞍についている家紋が足利家の物と違うことや、伝来がはっきりしないことなどがあり、実際には足利家の執事であった高師直ではないかと言われており、この新たな尊氏の肖像画の出現によってますます高師直だという説が強まってきています。

 私の主観で言うと、これらの肖像画は新説の方が正しい気がします。それこそ研究家でもない私なのですから根拠は何もないのですが、歴史の中で描かれる足利尊氏、直義のイメージからすると、この新たな肖像画の方がなんかしっくりくる気がします。足利尊氏は武家の棟梁として、どちらかというと温和で落ち着いた感じのイメージで、従来のひげ武者はやはり豪勇で伝わる高師直だと思い、足利直義についても、彼の経歴からすると冷徹な官僚的イメージというか、大久保利通に近いイメージを持っていたので、これまで源頼朝像と言われてきたこの肖像画がだとピンときます。

 真偽は今後の研究を待たねばなりませんが、じゃあ現在の中高生が使っている歴史の教科書にはどっちが写っているのかと思い、ちょっと今日に本屋で中高生向けの参考書を立ち読みしましたが、どうやら教科書に使われているのは昔のままの肖像画のようです。源頼朝はウィキペディアの足利直義のページに貼られている画像で、足利尊氏は例のひげ男爵のままで、実はこの肖像画じゃないかもという内容のコメントは特に載っていませんでした。
 折角だから、早いうちに中高生の教科書には、「もしかして、違うかも」という一言くらいは入れといた方がいいかもしれません。そうした方が想像力が掻き立てられて、中高生にとっても面白いんじゃないかなぁという気がします。

環境問題の流行り廃り

 2004年のことでしたが、その時ドイツで出版されている雑誌の日本語訳を見る機会があり中身を見てみたのですが、その時載せられていた記事と言うのは、「環境意識は何故薄れてしまったのか」という内容でした。
 具体的な内容はというと、1990年代に大きく盛り上がった環境問題だったが、2000年以後の昨今、すっかりそのような問題意識はドイツ人の中で小さくなってしまった……という内容でした。今じゃなんか想像し辛いのですが、日本同様に当時はヨーロッパでも環境意識は大きく低下していたようです。

 日本でも、95年前後は例のダイオキシンがテレビなどで過剰に宣伝され、環境意識が一時的に高まったもののその後は年々小さくなり、ちょうどこの2004年くらいにふとしたことから、「ダイオキシンって何だっけ?」という会話が友人との間にありました。

 それがたった4年後、いまじゃこんなに大きくなっちゃいました。今回のこの環境意識の盛り上がりの端緒となったのは恐らくアル・ゴア氏の「不都合な真実」という映画からですが、それ以上にある背景が存在していると言う指摘もあります。その背景と言うのも、「世界で共通した目標がなければならない」、というような背景です。
 詳しく説明すると、国際社会ではある程度共通の認識、まとまりがないと各国の首脳としては外交がやりづらいようなのです。それこそ利権を保持する言い訳に使うとか、使節の訪問目的など、何かしら土台となるべきお題を常に必要とするのです。これは冷戦期だと資本主義対社会主義で、90年代の前半は前述した環境問題、後半は経済問題といったように推移してきました。そして世界経済が好調になりだした2000年代後半に入ると、さしあたって使いやすそうなこの環境問題が出てきたというわけです。

 なので、私は今回の環境問題熱もそう長く続かないと思ってます。もってせいぜい2010年くらいまでじゃないでしょうか、また世界経済が失速し始めてきたのでそれより早く終わるやも知れません。結局こういうのは、隔年で流行が来るアイドルみたいなものだと思います。

2008年6月27日金曜日

原油高の原因と原油価格の今後の見通し~その二~

 前回からの続きです。前回ではこの原油高の原因について、

・新興国の石油消費量の増加→
・ハリケーンカトリーナによる原油価格の急上昇→
・サブプライムローン問題による、原油市場への過剰な資金の流入

 と分析しました。しかし、ここでいくつかの疑問があります。まず最期のサブプライムローン問題による影響ですが、ここで何故ほかの何者でもなく、過剰な資金が原油市場へと流れたのかです。企業株は低落の一方なので避けられるのはわかるとしても、現物市場ならほかにも金、小麦粉、鉄などほかにもいろいろあります。もちろん、今もなおこれらの現物も上がっていますが、それでも石油に資金が集中したというのにはっきりと合点がいきません。ただ単に当時に値段が上がっていたから、もしくは底が堅いから等といくつか推測できますが、この部分には未だ議論の余地があると思います。

 そして最期に今後の予測ですが、結論から言うと今年いっぱいはこのまま上がり続けるのではないかと私は思います。
 その理由というのも、このところの週刊誌の見出しなどを見ていると経済評論家などが知ったようなふりをして、
「今の原油価格の高騰は言ってしまえば実体はないのに過剰な投資が集まって上がっているだけという、いわばバブル景気的なものだ。そのためひとたび下がり始めるとかつての日本のバブル崩壊のように急激に下がるので、そこまで心配する必要はない」
 というようなことを言っている記事が多く目に付きますが、確かに前半部の指摘はよくわかりますし、実際に今の状態は原油バブルという状況でしょう。しかし、そのバブルがはじけるきっかけになるのはほかでもなく、異常に集まった投資金が引き上げられなければなりません。しかし引き上げようにも世界経済はサブプライムローン問題で未だ不安定ですし、投資を呼び込むような新規産業の開拓のニュースもあまり聞きません。中国やインドの経済成長も、それぞれの政府がサブプライムローン問題にびびったのか、それぞれで金融引き締めの動きに出始めています。つまり、お金が余っているから原油市場に集まっているのに、未だにほかに分散する場所がないというような状況です。こんな状況で、果たして資金が引き下げられるでしょうか。

 そして同時に、この原油高に歯止めをかけるために先進各国の首脳が石油産油国に増産を呼びかけていますが、巷に流れる情報だと、産油国としては値段が上がってた方が有利で、わざわざ自分から下げるようなまねはしないだろうという解説が多く載せられています。しかし先日にイランだったけな、呼びかけに応じて増産するというニュースが出ましたが、私の考えとしてはそもそも、増産したところであまり効果はないと思います。
 というのも、石油が不足して価格が上がっているのならまだしも、現在は価格は高いものの求めればすぐに石油が買える状況です。たとえて言うと、売り切れにならないがよく売れる値段の高いケーキを余計にショーウィンドウに並べたところで、値段は下がらないというような感じです、強引かなこのたとえ。
 ちょっと強気に出ちゃいますが、何故マスコミや評論家はこの点を報道しないのか疑問に思います。私はもちろん素人なので私の意見の方が間違っている可能性は高いのですが、どう考えても増産が価格安定につながるとは考え切れません。

 以上のように、石油増産は価格安定にあまり効果はなく、かといって資金も引き上げられる要因も特にない状況が続きそうなので、原油価格は今後もしばらく上がり続けるというのが私の意見です。まぁ確かに一度下がれば急激に下がるというのはありうることですが、それもいつの話かということです。
 最後の最後に付け加えると、私は日本の各石油会社は本当によく健闘していると思います。実際なら石油卸価格はもっと高くてもしょうがないと思えるのに、よくぞここまで値上げを最小限に食い止めてきたとと思います。なので今後も石油会社が値段を値上げをしても、私としては消費者は受け入れるべきだと思います。言ってしまえば、これまでが異常に安かったのだと思うべきです。
 ま、こういえるのも、私が普段自動車に乗らずに自転車に乗っているからでしょうが……。

原油高の原因と原油価格の今後の見通し~その一~

 友人からリクエストが来たのと、ちょうど準備万端で情報をためていたこともあり、今日は昨今お騒がせの原油高のニュースについて解説します。それにしても、「原」という字の多いタイトルだ。

 さて原油高といわれてすでに久しく、2005年の冬頃から、「今年の灯油は一等高い」と言われており、来月には通常ガソリン価格が卸値の上昇に伴い、平均180円を越すのではないかと今出ているYAHOOニュースでも伝えられています。過去のオイルショック時のガソリン価格から現在の価格を比べても大差なく、アメリカ市場で原油価格が過去最高を記録していることから、事実上現在は第三次オイルショックというべき状況下にあると言っていいでしょう。

 しかしかつてのオイルショックの時と比べ、今のところトイレットペーパーがスーパーからなくなるなどのパニック現象は何も報告されていません。これについて確か二週間くらい前のどっかの新聞(確かまた朝日)に、日本の発電手段の割合のうち、石油燃焼による割合はオイルショック時は約62%であったが、現在は天然ガスや石炭の活用割合が増え、8%にまで下がっていることから、石油不足による耐久力が増えていると書かれていました。そのため、上記のような現象となるパニックも起こらないというわけです。よくわかる話ですし、発電割合のダブルソースも確認できています。

 もっとも、石油の値段が上がった分、主だった製品はどれも値上げを余儀なくされています。特に食料品の影響はすさまじく、カップラーメンなどは88円から120円かな、値上げをやったら急激に売り上げが落ちたと言いますし、どのメーカーも値段交渉の際、営業の人間がお互いに黙りこくる風景が増えたとも聞いています。
 しかしちょっと皮肉な見方をしますが、ある意味今回の原油高による値上げが隅々まで行われることによって、今も続くデフレから日本は最終的な脱却が図れるのかと期待しています。倒産する企業こそ増えども、ようやくこの問題のひとつの解決になるのではないかと素人目ながら考えています。

 さてこっから本番の、私独自の情報分析になります。なぜ原油高が起こったのか、その原因を時系列的に考えてみると、一つの契機と思える事件があります。その事件と言うのも、2006年にアメリカを襲った「ハリケーンカトリーナ」の上陸です。
 それ以前から中国やインドといった新興国の急激な発展による石油消費量の急増により原油価格は上昇していましたが、このカトリーナが上陸したメキシコ湾沿岸地域が石油発掘、精製プラントの集中している地帯であったため、実際には世界的に大きな影響がなかったと言われていますが、市場に出回る石油が減るのではないかとの憶測が飛び、アメリカで原油一バレル当たりの価格が一挙に60ドル台から70ドル台へと上昇し、その後も現在に至るまで原油価格は上昇し続けいます。

 もちろん、このカトリーナ以前に新興国の急発展が主要因であることは間違いありませんが、このカトリーナによる影響は思わぬ形で次のステップに結びついたのではないかと見ています。その次のステップと言うのも、2007年に表面化したアメリカの「サブプライムローン問題」です。
 この問題が表面化することにより、世界中の株式市場での投資が一気に冷え込みました。そうして金はあるものの投資先がない当状況下、折からの原油高で価格が上昇していた原油市場に一気に資金が流れた結果、過去最高を記録する現在の原油価格上昇につながったのではないかと見ています。よくニュースで言う、「石油バブルによる価格高騰」、「マネーゲームによって上昇する石油価格」というのはこういうところにあります。

 ちなみに、何故投資が集まると価格が上がるかについてですが、これはちょっとやばいくらい説明が長くなるので省かせてください。幸いと言うか、そういうのを解説しているサイトはいっぱいあるし。それでももし知りたいという方は、ゲームの「いただきストリート」をしてみてください。あれやれば空売りの原理から株式投資の妙がすべてわかります。
 長くなったので、続きは次回に。

2008年6月26日木曜日

新聞メディアを考える~最終回、今後の予想~

 予告どおり、今回がこの連載の最期の投稿です。最期なのでこれまでを振り返りつつ、今後に起こりうる変化について予想します。

 まず、何度も言っていますが現在の新聞社は非常に厳しい経営を迫られています。そのことについて最初の投稿にて、
「よく巷では、日本のメディアは規制に守られていると考える人が多いのですが、マスコミ関係に勤務するある知人の話のよると、確かにテレビメディアは守られているが新聞メディアはそうでもない、と言っていました。それでも私は新聞メディアは他の業界に比べて守られている気がします」
 と書きましたが、この時に私が言おうとした日本の新聞メディアを守っている規制と言うのは、知っている方も多いでしょうが「記者クラブ」です。

 本当はこの記者クラブで一回分記事を書いてもいいのですが簡単にまとめると、日本の官公庁の記者会見による発表の際、この記者クラブという業界団体に加盟してないと、取材はおろか会見場に入ることすら許されないのです。この記者クラブに入れるのはそれこそ新聞、テレビの主要メディアだけで、雑誌メディアなどは目の敵のように追い出されるらしく、これは大メディアによるいじめだと、元週刊文春の記者で今はテレビのコメンテーターをやっている勝谷誠彦氏がよく吠えています。

 しかし実際に、この制度ほどおかしいものはありません。よくマスメディアは「知る権利」を主張して国に情報開示を迫りますが、そのマスメディア自体が業界団体を作り、新参メディアを排除して情報を独占しているのは言い繕えようのない矛盾でしょう。そしてもうひとつのこの制度の欠陥が、現在の日本のマスメディアはニュースを獲得するのに、官公庁発表に頼りきっているという点も見逃せません。

 それこそ犯罪事件の捜査状況などは警察に頼るほかなく、警察に嫌われまいとマスコミは警察の悪いニュースはあまり報道したがらないという憶測さえ飛び交っています。実際に、警察内部の裏金問題を暴露した北海道新聞はその後、道警から情報をもらえなくなったとまで言われています。そして五回目の連載にて書いたように、情報ソースが一緒で同じ発表をみんなで報道するもんだから、各新聞社の紙面が横並びに同じ記事になってしまうという弊害もあります。どう贔屓目に見たって、この記者クラブにいいところなんて見つかりません。

 そういうわけで欠陥を抱えまくって経営も苦しいのに、何故未だに新聞社が会社として成り立つかですが、その理由は恐らく、現段階で情報を入手するまともな取材機関を持つのが新聞くらいだからでしょう。もっとも、対抗馬のテレビメディアも取材機関を持っていますが、三回目の連載で書いたように新聞社と一体な所があるので、敢えてここでは区別しません。

 ネットの情報も、基本はこの新聞社の取材機関が取ってきた情報を元にあれこれ出回ります。かつて、確か三年くらい前だと思いますが、韓国で成功した、ネットユーザーから情報を募り報道するというネット専門のニュースサイトが日本でも発足した際、「2ちゃんねる」管理人の西村氏がそのレセプションにて、「きっとこの手の商売は成り立たないと思う」と、発言しました。その理由というのも、ネットユーザーからの情報は自発的な投稿に頼るほかなく、給料をもらって情報をとってくる連中に敵うはずがないというものからでしたが、その予想は的中したのか、その後このネットニュースサイトの続報は私は見たことがありません。

 なんだかんだいって、日本に流れる情報の大半は新聞記者が取ってきた情報です。この状態が続く限り二、三社は潰れるとしても、新聞社がなくなるということはないと思います。逆を言えば、先ほど言及した記者クラブがなくなり、新参メディア、それこそインターネット会社とかが自前でまともな取材機関を持った時というのが、本格的に新聞メディアが死ぬ日だと思います。

 そして何より、現在の日本の新聞社は企業として大きくなり過ぎています。世界の主要新聞と比べても、発行部数ばかりでかくて権威は全く及びません。そして今、その大きくなりすぎたつけとして経営が圧迫されているのだと思います。
 今後日本の新聞社が取り得る選択肢としてまず挙がるのが、社員の大幅なリストラです。この際、現在の半分以下にした方がいいと思います。
 次に、メディアの鞍替えです。この際新聞という媒体から、お仲間のテレビに取材機関を移してやってく方が賢いかもしれません。どうせテレビメディアは規制に守られてて、法外な給料をもらっているらしいし。

 最初にも書きましたが、現段階でいうなら新聞は死ぬメディアです。そして私個人的にはかつて娯楽がラジオからテレビへと移ったように、この新聞メディアを殺す新たなメディアがこれからでてくるのではないかと思います。それこそ今の雑誌メディアかもしれませんしネットメディアかもしれません。どちらにしろ、新聞で主な情報を得るという時代は遅かれ早かれ、もしかしたらすでに過ぎているのかもしれません。

2008年6月25日水曜日

最近の日本の文化について

 今日は涼しいから調子が良くて四本目の投稿。どれも短いしね。

 さて今回の内容は以前にも個人的なエッセイに書いた内容なのですが、このところの日本の文化についてちょっと私は思うところがあります。結論から言って、暗い。全体的に内容が暗いし、おまけにつまらないものばかり。代表例は携帯小説でドラッグ、レイプ、暴力の三つがあれば何でも許されるのが不思議でしょうがない。
 私個人としては、やはり社会全体が活力を取り戻すには希望に満ちた、明るい文化が必要だと思います。それこそ歌でもいいし、小説でもいい。この際、漫画やアニメでもいいのですが、どうもどれも暗いものばかり。その中でも個人的に気に入っているのは、今もジャンプで連載中の「アイシールド21」という漫画。一時は全くと言っていいほどなかったスポ根漫画で、久々の大ヒットを作ったこの作品ですが、読んでて元気になってくるのは最近だとこれくらいです。今問題になっているけど、「金色のガッシュ」も同様です。

 小説だと最近じゃ一時代を築くような、誰もが読んで知っているような作品がないのが致命的です。かく言う私も最近はほとんど読まず、なんか「阿Q正伝」とか「若きウェルテルの悩み」など古典を読んでます。元々私は小説書きだったのでこの現状を残念だと感じることが最近特に多くなりました。
 特にこのところはブログで書く文量が数年ぶりに増えてきているので、またなにか小説でも書こうかと思う余裕がこのところあります。書いたらどうしようかな、ホームページで公開でもしようかな。