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2008年7月16日水曜日

情報の入出力に必要な能力

 一般に、頭が良いという評価は、日本では知識をどれだけ多く持っているかで測られることが多いです。それこそ高校までの勉強はどれだけ数学の原理や歴史の人物名、化学式などを暗記するかで測られ、実社会でも商品知識から世の中のことをいろいろ知っているとなにかと重宝がられます。しかしそれらの知識、いわば情報を活用する段階の入出力に関わる能力については議論が少ないように思えるので、今回はこの点について考えてみようと思います。

 まず情報の入力ですが、これを左右する能力はほかの何者でもなく単純に理解力です。この理解力の中身はというと、どれだけ短時間に、またはどれほど難しい情報を頭に詰めこめられるかを問う能力です。この点については多分、読んでいる方もなんの疑問も感じないでしょう。肝心なのはこの次の出力です。

 というのも、これは私が中学生くらいの頃に考えたことなのですが、たとえばある賢い人は理解力が高くて、一般の人と比べて二倍も知識が豊富だったとします。しかし肝心の出力は悪くて、その賢い人は一般人の四分の一しか知識の活用ができないとすると、結局のところ2×1/4=0.5で、普通の人(1×1=1)の半分しか役に立たないことになります。

 ここで言いたいのは、どれだけすばらしい能力を持っていたとしても、それを生かす力がなければ宝の持ち腐れになるということです。こう考えた私は当時からこの出力の訓練に取り掛かりました。具体的に何をやったかというと、今みたいに文章をひたすら書く、つまり表現力を磨いていったのです。実はこの表現力こそが、能力の出力を左右する源泉だと私は考えています。

 日本人は最近作文も書かなくなったので、特にこの表現力の低下が激しいような気がします。しかし、頭に詰め込むだけでなくそれを応用的に使う能力、この表現力がなければほとんど知識は意味を成しません。幸いというか、私の場合は訓練の甲斐あってか今では人からよく、「説明の仕方がうまい」とよく誉められます。このブログでも、なるべくたくさんの人、一応は政治や社会問題に関心の強い中から上級者向けに書いてはいますが、できることならあまりそれらの問題に詳しくない初心者に方にも理解できるように努力しています。

 私の見方からするとこの表現力はこのところ軽視されがちで、私のように意識的に鍛えようとする人は少なくなっている気がします。私としては理解力同様にこの表現力も重要だと思うので、もっと注目しておくべき存在の能力だと思います。

2008年7月15日火曜日

竹島問題教科書記載のニュースについて

 まず前回に書いた記事の中で取り上げた、日本人の自意識の向上についての参考文献を紹介します。
「他人を見下す若者たち」 速水俊彦 講談社現代新書 2006年
 ブックオフで見つけました。

 それでは今日の本題です。昨日、政府は中学校向けの社会の資料集における日本の領土問題の範囲に、これまでの北方領土問題に加え韓国と領有権でもめている竹島問題を記載することを義務付けること発表しました。このニュースに対してどの新聞も今朝は一面に持ってきて、テレビでもバンバン流しています。
 そして当事者である韓国はというと、入ってくる情報では早速民間団体がデモをやり、韓国政府も駐日大使を抗議の意味を込めて召還することを発表しました。
 もっとも、この駐日大使の召還については韓国政府も一時的なものとあらかじめ発表しており、事態を深刻なものへとする意思はなさそうです。日本への抗議というよりはむしろ、私はこれは韓国国民に対するパフォーマンスな気がします。

 というのもこの竹島問題では現状で、圧倒的に日本が有利な立場にあるからです。私は日本の言い分しか聞いていませんが、この竹島の領有権では私は日本に分があると思います。その理由というのも一点につき、竹島を含む韓国が主張する領土線は、あの李承晩ラインだからです。この李承晩ラインというのは、韓国の初代大統領である李承晩が訳のわからない主張をして、それこそ文字通りに地図上に勝手になぞった線を領土線として戦後のどさくさにまぎれて決めたものです。さすがにこの勝手な行動に対して、アメリカですら怒ったといいますし、日本の側としても、この勝手に決められた領土線を侵害したとして当時多くの日本の漁船が拿捕されたことを考えると、いささか腹の立つ思いがします。

 そんなんだから李承晩の後には誰もこの領土線を主張しなくなりましたが、竹島だけは領有権があるとして未だに主張しているという話を聞きます。それ以前の過程を考えても、また国際司法裁判所で白黒つけようという日本側の提案を毎回韓国側が拒否している(これは韓国のジャーナリストも認めている)ことを考慮すれば、私は竹島は日本側に分があると思います。

 それでなぜ日本が圧倒的に有利な立場にあるかですが、以上の領有権の論拠だけでなく、日本側はこの問題をいくらでも好きに主張できるからです。逆に韓国はというと、そうじゃないと私は思っています。
 それはなぜかというと、韓国は前の記事でも書きましたが、「愛国無罪」という言葉があるくらい愛国心が強い国家です。しかし今の日本からすると想像しづらいものですが、ナショナリズムというものは追い風になると非常に心強いものの、逆風へと容易に変わっては国の政府を一挙に追い込みかねない思想なのです。
 日本の場合だと、戦前の軍隊に蔓延した強烈なナショナリズムが二・二六事件や五・一五事件といったクーデターや暗殺事件が連発しました。これも昨日に書きましたが、過ぎたるは猶及ばざるが如しで、ナショナリズムは今の日本みたいになさ過ぎても困るし、ありすぎても政府にとっては困るものなのです。

 現在、私の目からすると韓国や中国のナショナリズムはあり過ぎる状態にあります。中国については毎年のサッカーのアジアカップで言うに及ばずですが、韓国においてもこの竹島問題では逆批判があると聞いています。その逆批判というのも、
「日本が竹島について領有権を主張しているのに、政府は何も対抗策を出していない」
 というような、国民から政府への批判です。先ほど言った、大使召還がパフォーマンスといったのは、こうした批判をかわすためではないかと睨んでいます。

 片や日本は普段弱気な政府が急に強気になり出すと、以前ではそうも行きませんでしたがこのところは国民も「よく言った」的なノリで支持率回復につながるようになってると、ここ数年間観察してきて思います。つまり、日本側はこの竹島問題でどんどん強気に発言できる立場にあるのに対して、韓国は日本に強気な態度をとられるたびに国民を納得させなければならないお家事情があり、本音では頼むから黙っててくれといいたい状況にあるのです。まだはっきり出ていませんが、恐らくこの問題が長引けば、韓国大統領への支持率は落ちていくと思います。

 ただ、今回のこのニュースで気になる点がいくつかあります。そのひとつはタイミングです。
 実は先週に、アメリカの新聞に韓国の複数の団体から、
「知ってますか? 独島(竹島)は韓国の領土なんだって」
 という意見広告が載っていました。そんなことがあった次の週にこれですから、何かしら政府内で動きがあったか、もしくはたまたま偶然だったのか、現状ではどっちかを判断する材料がありませんがこのタイミングの不気味さには思うところがあります。まぁ教科書の内容なんですし、前々から決まっていたけど意見広告載せてきたから牽制のつもりでこのタイミングで投げちゃえ、というような感じだとは思いますけど。

 最期に、この問題に対する朝日新聞の今朝の社説に触れておきます。
「だがここは冷静になりたい」
 社説の中のこの一言に尽きます。内容を要約すると、もっと話し合って日韓で仲良くなろうよ、というような社説で、どこをどう見てもこの問題の背景、歴史、果てには朝日新聞としてはどっちに領有権があると思うのかという立場すら書いていません。これじゃ新聞失格と言われても仕方ないでしょう。
 さらにおまけに言うと、以前ある人から、このところの朝日新聞は一面から三面までどこをどう見ても事実関係の報道しか書いておらず、問題の具体的な解決方法の提案や今後の見通しを書かなくなり、三流に落ちているという批判を聞きましたが、この社説においてもどうすれば日韓が納得するかという話は一切書いていませんでした。

 敢えて私の立場から言うと、日本は現状で圧倒的に有利な立場にあるのだから、ここはひとつ佐藤優流に「領土問題で相手が要求を出してきたら、もっと大きい要求をこっちも出す」という鉄則に則り、日本の韓国大使に一足早い夏休みを日本でとってもらうとかいいかもしれません。夏休みの期限は、駐日韓国大使が頭下げて戻ってくるまでとか。
 このところ朝日を誉める記事が多かったから、たまには批判しないとね。

2008年7月14日月曜日

モンスターペアレントはどこから生まれたのか

 どうでもいいですが、中日が5カード連続で負け越したらしいです。12球団で断トツで嫌いな球団だから、ざまぁみなって気分でなんだかうきうきします。
 そんな野球の話はほっといて、今日の本題です。ちょっと今日は手のかかる内容なので、覚悟して今キーボードを叩いています。

 さて、題にもあるモンスターペアレント、去年にできた言葉としては割と定着し、その問題意識の高さとともに非常に流行している言葉です。この言葉の定義する内容はわざわざ語るまでもないのですが、学校やその他の子供の関わる場所において、無理な要求をしては周りに迷惑をかける子供の親のことを指します。この言葉が一挙に広がるきっかけとなったのは、国が発表した小学校の給食費未納額がとてつもない額にまで昇っており、しかもその主たる原因が「払えるのに敢えて払わない」親にあることが伝えられたことからです。当時、このニュースが報道された際には今までの鬱憤がたまっていたのか、各教育関係者がこの問題の根深さをあちこちで話し、また見聞きする視聴者も少なからずこういった存在があることに気がついていた、迷惑を被っていたのか実感を伴って情報を得ていたように思えます。そのため、一気に言葉が定着したのでしょう。もっとも、この言葉が横文字で「モンスターペアレント」と書かれたのは、日本語力の低下とみたのは私くらいでしょう。

 そのモンスターペアレント、今でも問題の実態を報告、解説する新書が続々と出ており、また教育機関も訴訟対策やら窓口対策などを行っているというニュースは見るのですが、ある肝心な議論が抜けているように私は思えます。といっても、私自身この問題についてあれこれ本買って調べているわけじゃないので強くはいえないのですが、少なくとも公の議論の対象になっていない抜けている部分として、なぜモンスターペアレントは生まれたのか、この部分について今日は考えてみようと思います。

 このモンスターペアレント、期間的には大体ここ五年くらいで表面化してきたと言っていいでしょう。つまり、数十年前には少なくともいなかった、もしくは表面化するほど多くはなかったのではありますが、なぜ現在に至って表面化するまでに増加、もしくは発生したのでしょうか。前置き長くてもしょうがないから仮設をいちいち挙げてきます。

  仮説1「日本人全体でマナーが低下したから」
 いきなりなんですが、これはすでに実感としては当たり前です。この前も世界遺産に落書きする人がいましたし、今朝は広島県の宮島の森林にペンキつけて馬鹿がいたので、昔にもこういった人間が全くいなかったとは言いませんが、全体で日本人のマナーのレベルが下がっているのは間違いないでしょう。マナーが下がったから、変な親とかも出てきた、こんなのだったらインド人でも言えます。じゃあ一体何故マナーがさがったのかを議論しないといけないので、次の仮説へ行きましょう。

  仮説2「モンスターペアレントの親がモンスターペアレントだったから」
 俗に言う、蛙の子は蛙というような意見です。よく無茶な要求を突きつけてくる親に限って子供は意地悪く、チクリ魔だという話があり、そこから発展したのがこのような意見です。つまり、駄目な親から駄目な子供が再生産され、それが成長すると次代のモンスターペアレントとなるという話ですが、じゃあ先祖代々その家系はモンスターペアレントだったのかという話につながりますが、この問題はここ数年で表面化してきたことを考えると、さすがに無茶な仮説でしょう。まぁ私も、この仮説を声高に叫びたい気持ちもあるんですけどね。

  仮説3「親が子供に対して過保護になった」
 まぁこれはやや当てはまる意見だと思います。この前四月も各大学の入学式に両親の見学者が押しかけて会場がいっぱいになったニュースもで教育関係者が、大学生にもなった子供をいちいち見に来るなと言ってましたが、その通りだと思います。全体的に、子供のためになること、子供が望むことなら何をやってもいいというような空気がこのような環境を作ったと思います。そういうことで、次の仮説へ。

  仮説4「フェミニズムの台頭」
 これは以前に論文にまとめていながら途中で頓挫した内容ですが、90年代は極端な平等主義がありえないくらいにはびこった時代でありました。私の分析だとそれを後押ししたのはほかでもなくマスコミと文部省(現文部科学省)で、ほかの人間と一点の差別を作ってはならないということが公にも強く叫ばれた時代でありました。
 この時代を過ごして親となった世代が、現在のモンスターペアレントの中核を担っていると私は睨んでいます。先ほどの過保護になったという仮説同様、フェミニズムのためなら何を言っても許される、中国や韓国の「愛国無罪」みたいなノリを私自身、この時代にすごく感じていました。そのために現代でも、実際には私益しか考えていなくとも格好の口実として、「教育は平等なのだから給食費は払わない」とか言ったりしているのではないでしょうか。
 逆に言うと、この問題が表面化してきたということはフェミニズムが後退してきているという証拠でもあります。この件についてはほかにも証拠があり、機会があればまた書きます。最近こればっかだけど。
 
  仮説5「自意識の向上」
 これは今読んでいる新書に書かれている内容なのですが、現代の日本人は過去と比べて、他人の考えより自分の考えの方が正しいと思うようになってきていると書かれていました。これについて、私も非常に思い当たることがあります。これまでは学校の先生なりお医者さんなりの言うことが何でも正しいとされてきたのが、90年代末期の価値観の大混乱期に教師による事件とか医者の不正治療などが大きく取り上げられ、マスコミなどはうかつに連中を信じるな、セカンドオピニオンに行けなどと煽り立ててきました。
 これがどんな結果を生んだかというと、自分の考えていることが正しい、それがさらに援用されて自分のやりたいことを主張してもいいというような空気を生んだのではないでしょうか。いわば、日本人同士で相手を見下し始めたと言えます。そんなこと言ったら、お前が一番見下しているじゃないかと、友人らからは言われそうですが……。
 しかし、素人同士ならまだしも、専門家を真っ向から疑うのはやはり疑問です。確かになんでも鵜呑みにするのはよくないですが、疑いすぎるのも過ぎたるは猶及ばざるが如しです。現に、今の状況がその結果でしょう。あまり他人が言っていない意見ですが、この仮説には結構自信があります。

  仮説6「アメリカの裁判事例の影響」
 これも90年代によく言われていた内容ですが、
「アメリカ人は自分が悪いと思っても、絶対にsorryって言わないんだぜ」
 中学校時代の同級生がよく言ってたな、そいつはやっぱりいやな奴だったけど。
 この言葉の語源は、アメリカは訴訟大国だから自分の弱みを見せたらすぐ突っ込まれて金をむしり取られる。逆に相手に対して無茶な要求でも、理屈が通れば高い賠償金を得られるという、マクドナルド熱々コーヒー裁判の事例を元に当時に流行った話です。ちなみに結論から言うと、これは間違っています。道で肩ぶつかったら普通に「sorry」ってアメリカ人は言ってくれます。うちの親父なんか真に受けて海外では絶対に言うまいとしてたけど。
 これがどんな影響を生んだかというと、損得や道理は別として、主張したもん勝ちというような風説を生んだのではないかと思います。それこそ、明らかに間違った意見としても、教育を受けん権利なのだから給食費はほかの人が払ってても払わなくてもいいというような意見でも、無理が通れば道理は引っ込むかのように言えてしまう世の中になったのではないでしょうか。

 以前にホリエモン騒動が起きた際、よく財界の人間はホリエモンのことを「ルールを平気で無視する」、「アメリカのような価値観を世の中に蔓延させた」といっては非難していましたが、私の見方からすると、ホリエモン出現以前に日本の価値観のベクトルは変わって来ていたように思えます。今日はまた長く書いちゃったなぁ(*^ー゚)b グッジョブ!!

2008年7月13日日曜日

チリのピノチェト時代の暗黒歴史

 最近歴史の話を書いていないので、また補充分とばかりにどぎついネタを放り込んでおきます。

 今回の話も私の記事より、ウィキペディアの「アウグスト・ピノチェト」の記事を読んでもらうのが早くて、しかも詳しいです。
 このピノチェト元チリ大統領のことは、恐らく年齢の高い方は皆ご存知でしょうが、私のように二十代くらいの若い層はほとんど、というよりも見たことも聞いたこともないでしょう。その理由はほかでもなく、アメリカの暗黒史につながるからです。

 このピノチェト元大統領はあのアニータで有名なチリの大統領でしたが、その就任に至る過程も当時軍部の最大権力者であった彼によるクーデターによるもので、しかもアメリカの支援によって行われたものでした。話の発端はこうです、当時チリでは左派勢力が拡大し、自由選挙によってアジェンデ元大統領による社会主義政権が誕生していました。この動きに対し、資本主義勢力のアメリカは自国の庭だと思っている南米にて社会主義政権が誕生したのを快く思わず、反共主義者であるという理由のみでピノチェトを支援し、政権を倒壊させたのが成り立ちです。

 その後、チリには一昨年死んだミルトン・フリードマン率いる新自由主義を掲げる経済学者たちが乗り込み、経済改革に取り組んでいきました。その結果はというと、前回に書いた韓国のIMF時代のようになんでもかんでも国家事業を民営化され著しい経済の混乱を引き起こしました。そして問題を引き起こす原因を作ったフリードマンはというと、「ありゃ確かに俺の理論が間違ってたな」などと、後になって言ってのけたらしいです。ピノチェトも、最期にはその新自由主義陣営の学者たちを追い出し、復古政策に舵を切ったといいます。

 ただ、この経済的混乱を引き起こしただけなら彼はここまで有名にはならなかったでしょう。ピノチェトを名指しめるようになったのは、ほかでもなく虐殺です。一説によると十万人以上とも言われるほどの人間、主に左派の人間の虐殺を行い、当時のチリで一般人は外出することすら許されなかったようです。以前に知り合いになったチリ人の留学生の話によると、なんでも祖母が若い頃がその虐殺の時代に当たり、当時は毎日路上に人の死体が常に転がっていたらしいです。そんな次代を乗り越えたからか、おばあちゃんは今でも元気らしいです。

 しかし、この虐殺に対し世界に人権を標榜するアメリカは見て見ぬ振りをしていました。なぜかといと、ピノチェトが倒れれば、またチリが社会主義化する怖れがあったからです。それだけの理由のために、自らが原因でもあるのに、アメリカはこれらの南米の悲劇を見て見ぬ振りをしていました。そしてアメリカの悪口が書けない日本なので、恐らく大学受験時に必死で世界史を勉強した方もこの事実はご存じないかと思います。

 多かれ少なかれ、当時の南米はどこも似たような歴史を歩んでいます。その背後には必ずといっていいほどアメリカがおり、決してアメリカ贔屓でない私ですら、こんな冷酷なことを平気でしていたのかと思って青ざめたことがありました。もし興味をもたれた方は、この辺の南米の歴史を勉強することをお薦めします。

佐藤優サイン会レポート!!

 イャッホー、ついに行って来たぜ!!
 話は昨日夕方、自転車をこぎまわしてふらふらとなり、昼寝していたところに友人からメールが来ましたことに始まりました。

「佐藤優がサイン会やってるよ。チケットいる?」

 当初、ふらふらしてるもんだから、別にいいと断ったものの、あとからどんどん行きたくなってきて、最終的にはチケットをもらっちゃいました。そんでもって、本日都内某所で行われた佐藤優氏のサイン会に行ってきました。

 佐藤優氏については私のブログでも何度も取り上げている人物で、俗に言う外務省のラスプーチンと呼ばれた、鈴木宗男氏と連座して捕まった元外交官です。ちなみに今月の文芸春秋にて東京拘置所のことを「小菅ヒルズ」と呼んでいました。

 まず私が見た印象を言うと、2006年にその著書の「自壊する帝国」にて大宅壮一賞を受賞した際に審査委員の一人が、「是非メタボには気をつけてもらいたい体格である」と言っていましたが、まさにその通りでした。本の中でも脈絡なく料理の話をどんどん書き込むくらいだから、相当グルメな人なんだろうなということを再確認しました。出所時はホリエモン同様にやせてすっきりしてたのに……。

 そしてサインをしてもらう際、ちょっと二言三言ほど話す機会がありました。本当はその場で、「弟子にしてください!」と頼み込みたかったけど、後ろにはまだサインをしてもらう人がいっぱい並んでたし、過去に同じことしてちょっと面倒なことになったので今回はやめました。なお、実際に話した内容はちょっと秘密です。いやー、今日はいい日だった。朝青龍は負けたけど。

2008年7月12日土曜日

大学生は本当に勉強しなくなったのか?

 今朝ちょっと道に迷って自転車走りまわしたら、一気に日焼けしました。おまけに光化学スモッグも出てたのか、息を吸い込むと咳が出ます。最近の子供は夏に虫取りしなくなったと言いますが、普通に危険だからやらないんじゃないかとも思います。
 さて前回に、「日本の若者の発言力 その一」という記事で日本の若者の置かれている状況や私個人の不満点を書きましたが、今回はそれに関連する話として、続編ではないですが日本の大学生の状況について書きます。

 よく最近の子供の学力の低下というニュースに関連し、大学生も勉強しなくなったとよく報じられますが、私ははっきり言ってそんなことないと思います。確かに理系は高校卒業レベルでの学力低下がひどいらしいですが、すぱっと書いちゃうと、今大学生に起こっているのは学力の低下ではなく学力の二極化だと思います。

 そういう風に思うのも、五年前に大学で教えている恩師に聞いたところ、このごろの学生は確かに何かをやらかすような面白い子は減ったが、その分真面目に授業に出席する子が増えてきたと言っており、この恩師以外にも何人かの教員からも同じような話を聞きました。また、このまえ勲章をもらったさる偉いご老人も、自分らの時代と比べて今の学生は勉強に追われていて可哀相だという風に言っていました。
 実際に私も、今大学で教員やっている連中は大学闘争の頃に訳わかんないこと言っては、大学封鎖やらテスト禁止などをやらかしてほとんど学校に来てなかっただろうし、そんな時代の連中に比べて、今の学生はどれだけ勉強してるんだと、前回の記事同様に勝手なレッテルを貼られているんじゃないかと思っております。

 とはいえ、いわゆる「Fランク大学」の現状は話で聞く限りでもその荒れ具合にすさまじいものがありますが、それは大学定員の拡充と少子化によって起こった、大学進学率の増加による、あまり向学心のない人間でも大学に入れるようになった結果だということで、上位の大学に通っている学生については結構勉強している、つまり学生の二極化が実情にあった真実だと考えています。

 さらに言うと、最近佐藤優氏についでうちのブログの検索ワードに引っかかりやすくなっている宇沢弘文氏もその著書の中で、
「以前、名の知られた先生が東大で特別講義を行った際、予想を遙かに超える学生が集まった。なんだかんだ言って、今の学生は勉強しなくなったというより、我々教員の側が学生の要望に答えられる授業を行っていないのかもしれない」(文章の抜き出しにあらず)
 というような内容の記述を書いていましたが、私もこれに思い当たる節があり、私が学生の頃に登録者が集中する人気な授業というのはやっぱり聞いていて面白い授業ばかりでした。まぁマイナーだった、ツッチーと一緒に受けてたK先生の授業が一番面白かったんだけど、やっぱり学生も本当は勉強したいと考えている人は潜在的にかなり多いと思います。しかしあまり知的刺激を受けるような授業が少なくて、そのために大学に来ず、こういう風な低下したとか言われているのではないかと考えています。

 そういった、意義ある授業が大学にないため、私の周りでも結構大学に失望したという向学心の高い人間が数多くいました。そういった姿を見ていると、今の大学生は世間で言われているのとは逆にやはり向学心が高く、非常にやる気はあるのですがその一方、勉強の仕方を知らないんじゃないかという気はします。
 というのも、以前に地元の後輩に口うるさく専門の国際政治の話を私が行っていると、二人の後輩は目を輝かせて話を聞いてました。そして、
「僕も花園さんみたいに政治のこととか勉強したいと思っているんですが、教えてくれる人がいないんですよ」
 俺もいないから独学でやってきてんだ、甘ったれるんじゃねぇ馬鹿野郎っ!!……と、本当は言いたかったですが、その場では言葉を飲み込みました。
 このように、やる気はあるもののどう学べばいいか、どっから入っていけばいいのかがわからない人間は確かに増えている気がします。まぁこの後輩たちの言うことにも一理あり、本来は大学こそが学生に何かしら刺激してやったり、課題を与えて無理やりやらせたり、いい本を紹介してあげたりする場なのですが、生憎そういう授業というのはほとんど行われていない気がします。

 そういう意味で、このブログは私の友人との連絡網みたいな形でもありますが、一番の目的は知的好奇心に植えている、向学心の高い大学生に、「こういう考え方、情報があるよ」と教えてあげ、何かしらの知識の種にしてあげることにあります。

元受刑者への就農支援について

 昨日の朝日新聞の夕刊一面に、「元受刑者を就農支援」という記事が載っていました。記事の内容は法務、厚生労働、農林水産の三省が共同で、刑務所を出所したものの生活を安定させることのできない元受刑者に対して就農支援、つまり農作業で生計を立てさせるよう支援していくという方針が報じられていました。結論から言うと、この方針に私は非常に期待しています。

 というのも、すでにかれこれ四年間も言い続けていますが、今の日本にとって最も対策が必要とされているのが農業対策だと思っているからです。すでに二十年前から日本の農業は「さんちゃん農業」といって、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんの三者によって支えられていると言われていましたが、その後も若者の就農者はほとんど現れず、そのままスライド状に最初の三者の年齢が二十上がったのが今の状態です。その結果はいうまでもなく、今の日本の農業の大半、確か八割がたの農作業者は六十歳以上の高齢者によって占められていると言われています。

 この前にみたテレビ討論番組でも、日本の農業は今後五年以内に何か対策をとらないと、完膚なきまでに崩壊するとコメンテーターが言っていましたが、まさにその通りでしょう。かといって、若者に今すぐ農業をやれというのも無理な話です。というのも、海外からの安い農産物の輸入によって作物の市場価格はデフレの影響もあり、ありえないくらい低いのが現状です。自給自足で生活していく分には何とかなるものの、将来の子供の学費やの家族の生活費を考えると、とても農業で生計なんて立てやしません。また農業を始めようとしても、肝心の耕作地が家族が農業をしていない場合では持っていません。新たに入手するとしても、入手するのにかかる借金が重くのしかかり、それに圧迫されて自分の生活費すら稼げなくなる可能性があります。

 とはいえ、各地の農村では後継者不足に悩んでいるとよく聞きます。日本人は土地に強い執着があるので、「後継者いないなら若者に分けてあげて」とはとてもできないと思いますし、政府が買い上げて安く新規就農者に売り払うというかつてのGHQのようなやり方も、今の財政状況では難しいでしょう。
 では、この連立方程式を解くにはどんな方策があるか。私が宇沢弘文氏の「社会的共通資本」という本を読んだ後に考えた方策は、ずばり「小作農の復活」です。

 この小作農という言葉の説明からすると、土地を人から借りて地代を払う代わりに農業を行う農民のことで、社会主義国ではよく「農奴」という言葉を使って、連中の解放を主是に掲げています。もっとも、中国は逆にどんどん農民を追い込んでるけど。
 私の考えはこうです。土地を買う金もないし、農業のやり方はわからない。そんな人間をどう農業に向かわせるかとしてやはりまず最初に必要なのは農作業指導でしょう。それこそ、各農村で現在の農業従事者の協力を得て、彼らの余っている土地(これは実際にたくさんあると聞きます)を借りさせて農業を行わせます。そしてある程度定着が見られるようであれば、五年の作業継続をひとつの区切りとして、確かに財政は厳しいですが、土地をその新規就農者に安く国が引き払わせます。それも無理だったら、この際そのまま小作農でもかまいません。引き払う場合なら、その後十年間はその土地の農業用以外の転売は禁じます。

 このようにして、まずは農業という職業訓練を今すぐにでも始める必要があると私は感じています。そしてその代わりに、最低限の生活保障、それこそ衣食住は完全に国が補償します。人によってはそれじゃばら撒き財政ではないかと言われますが、そこまでしなければならないほど日本の農業は追い詰めまれれいると私は感じるからこそ、この方策を推進します。折しも世界で食料価格が高騰する昨今の世の中、自国で自国民の食料をまかなわずして何の国家でしょうか。
 論語にも曰く、
「徳、兵、食、どうしても外さねばならぬとしたら、何から外しますか?」(弟子)
「まずは兵、そして食。徳は何よりも国家を運営するのに必要な条件なり」(孔子) 
 言っちゃ何ですが、この際この孔子の言葉どおりに、日本は軍事費を削ってでも農業支援に向かわせるべきではないでしょうか。もしくは古くは曹操、諸葛亮が採った政策のように、軍隊に農作業を行わせる「屯田」もありかと思います。やけに中国の話が続くな。

 ちなみにもしこの生活保障を行ってくれるならば、私は真っ先にでも農業を行うつもりです。これまで食に困ったことがなかったのは日本のお百姓さんのおかげですし、その役目を次代へつなぐのならば存分にこの身をささげるつもりです。もっとも、一時貧乏したときに、空腹で夜眠れない日々を送ったことはありますが。

 最期にこの方策は現在民主党が主張している方策に近いものがあります。与党からはばら撒き財政だ、財源の目途がないなど批判され、実質その批判どおりだと私も思います。しかし選挙にこの農業問題を取り上げただけでも、前回の参議院選挙で私は民主党を評価しました。まぁ党としてはずっと大嫌いなままだけど。

  追記
 今月の文芸春秋においてノーベル賞経済学者のスティグリッツ氏が、日本の農業支援は生活支援に相当する最低保障で、実行に臆する必要はないと理解を示しています。