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2021年5月8日土曜日

茨城県境町家族殺傷事件の犯人逮捕と十年前の記事について

 昨日地下鉄で真面目そうな女性がやたら分厚い本を読んでるので何読んでんだろうと思って背表紙を見たら「第三帝国的到来」と書かれてました。フォッケウルフといい、なんか最近ナチっぽい日々が続くなと思いました。

「また何か起こすと思った」茨城一家殺傷の岡庭容疑者(26)が「金属製ワイヤー」を隠し持っていた理由(文春オンライン)

 最近JBpressの編集長と「如何にしてYahooサイトからJBpress本サイトへのアクセスを誘導するか」と真面目に検討しているので上記リンクはきちんと文春さんに繋げました。
 それはさておきこのニュースですが、事件発生からしばらく経って音沙汰がなく犯人逮捕は難しいのかと思っていた茨城県境町の華族殺傷事件で、突然の容疑者逮捕報道が出てびっくりしました。そしてこの逮捕報道を見て、「あの現象はこれが理由だったんだな」と合点がいきました。


 上の記事は今から十年も前に自分がこのブログで書いた記事ですが、この記事で取り上げた三郷と松戸で起きた通り魔事件の犯人が今回の境町事件の容疑者と同一人物だったそうです。

 実は上の自分の記事ですが、数ヶ月前に何故か突然アクセスが挙がっていました。一体何故この記事が急にアクセス上がったのかが当時はわからず、何か昔の少年犯罪を見直す系の記事がブレイクしているのかななどと思っていました。
 結論から言えば私の推測は外れており、原因はやはりこの境町の事件だったようです。今回の逮捕報道によると、この容疑者自身は数ヶ月前に既に別件逮捕されており、その時から境町事件にも関与しているとの観測が広がっていたようで、「十年前の通り魔事件の犯人と同一人物」という情報も出ていたようです。そうした噂から私の記事のアクセスが上がってきていたようで、今日も100PV程度ですが単日のアクセス数としてはトップに来てました。

 それにしてもこの記事を見返すと十年前の時点で私はこの犯人に対し「更生の見込みは恐らくないから死刑にしておけ」と書いていて、あながちこの判断は間違っていなかったのだなと思う結果となりつつあります。にしても引用している友人の、「未成年だからこそ成人以上に厳しい処分をすべきだ」という発言は本当に刺々しい苛烈な意見だなと思います。まぁ賛成だけど。
 ただ重大犯罪に対しては、未成年であろうと遠慮なく死刑を下すのもある意味手なのかもというのは今でも持っています。未成年だから死刑にならないと、市川一家四人殺害事件の犯人などアホな悪ガキほどなんか主張したりすることが多く、そうした連中の勘違いをやめさせてあげるためにも、18歳以下とはいえ許しがたい殺人事件などを起こした犯人にはこういう選択肢も用意すべきじゃないかと今回の事件を見ていて思えてきます。

 最後に蛇足ですが、上の十年前の記事書いた当時は杭州のハーネス工場で激しいアルハラに遭い、二桁吐いてるのにその後も延々と一気飲みを強制され続けていた頃です。本気で自分の全人生を放り投げてでも当時の関係者は皆殺しにしてやりたいと今でも思っています。

2021年5月6日木曜日

ハーケンクロイツのシールについて

 昨日の記事で作ったばっかのフォッケウルフについて触れましたが、写真アップするのに夢中で大事なことを書くのを忘れてました。その大事なことっていうのも、尾翼のハーケンクロイツマークです。

 いうまでもなくハーケンクロイツこと逆十字は那智のシンボルで公にアピールすると今でもいろいろ齟齬がある代物です。もっとも今回制作したフォッケウルフはナチ時代のドイツの戦闘機でこのマークがついた状態で飛んでるのが普通であり、その歴史的事実を踏まえると別に思想に関係なく当時の塗装を再現ということで自分も何の気なしに貼りつけたのですが、実は貼り付け直前に「(;´・ω・)」って顔してました。なんでかっていうと、説明書の絵柄が全く異なっていたからです。

 プラモデルのシール貼りつけ位置は説明書にシール番号と貼りつけ図で表示されており、基本的には完成後の姿がそのまま描かれています。なのですが、このハーケンクロイツの部分に関しては絵柄とは異なってて、妙な菱型の絵しか描かれておらず、「あれ、指定のシール番号と絵柄が合わないじゃん?」などと最初戸惑いました。しばらく見比べてみて、「そうか、ハーケンクロイツだからあかんのか」とようやく合点がいきました。

 こうして考えると結構この問題は根深い気がします。私自身は存在したという事実は丸ごと消すことなんてできず、そんなことしても無駄だろうという考えからあまりこうした妙な工作は好まないのですが、タミヤのプラモだと日本以外の各国にも販売されることから、この手の配慮が必要になったのだと思います。ぶっちゃけナチのマークを忌避して覚したところで、ナチの犯罪とかそういう過去がなくなるわけでもないと思うのですが。

2021年5月5日水曜日

フォッケウルフFw190

 昨日頭痛起こしたのを天気のせいにしたけど、真犯人は遊んでいたダンジョンRPGでした。このゲーム、ダンジョン探索画面が2D画像での3Dマップであり、しかも後半の面の配色が異常に暗くて目を凝らさなくてはならない上、罠とか目視で確認しないといけないせいか激しく3D酔いすることに今朝気が付きました。そのせいで今朝も吐きそうになるほど頭痛起こしたし。


 そういうわけで今日作ったプラモですが、ドイツのフォッケウルフFw190です。なんとなく発音していて「ほっけうるふ」と聞こえてきます。


 大戦期のドイツの戦闘機ときたらメッサーシュミットが有名ですが、その陰に隠れてこっちのフォッケウルフも非常に活躍しており、特にこのタミヤ製キットのD型はそれまでの空冷エンジンから液冷エンジンに切り替えられたモデルで、連合軍からは「最強の敵」と恐れられたモデルです。


 ジェット機ばかり作ってるのに何でレシプロのフォッケウルフを作ろうと思ったのかというと、通ってるプラモ屋でこのキットが店頭で残り一個となっておいてあったことも理由ですが、デザインがいいなと正直思ったのがきっかけです。


 レシプロ機というと割とずんぐりむっくりなデザインが多いかと思っていましたが、このフォッケウルフは割と直線的で角ばったデザインをしており、非常にスマートな印象を受けました。


 上の写真なんかわかりやすいですがすらっとした外観となっており、キャノピーのでっぱりも非常に小さくなっています。


 また安全安心のタミヤブランドということもあり簡単手軽に組み上げられ(2時間費消)、前回のストレス満杯なハセガワのF-15イーグルと比べて作ってて非常に楽しかったです。

四式疾風

ほっけうるふ

 写真見ていて自分もやや驚くくらいいい比較写真になってましたが、上の写真が日本製の疾風という飛行機で、下が今回作ったフォッケウルフです。胴体部分の膨らみ方ではっきり差があり、やはりフォッケウルフの方が見た目的にも格好よく見えます。逆を言えば、日本の飛行機はずんぐりむっくりな寸胴形が多いなと今回わかりました。

斜め上から見るとなおさら

 こうして比較してみると、言い方悪いですが欧米のセクシーなモデルと日本の背の低いモデルを比較しているような気分になります。あとできた写真をソ連人民の敵、っていうかドイツ狂いのうちの親父に見せたら、明らかにいつもと反応が違いました。ドイツ好きにもほどがあるだろ。

2021年5月4日火曜日

上海のフリーダムガンダム


 上海にオープンしたららぽーとにフリーダムガンダムの立像あると聞いて、昨日友人と一緒に行ってきました。


 場所は市内中心部から外れた地域で、関東風に言えば成田空港近くみたいな場所にあります。選定されたのは土地が安かったからでしょう。


 何気にフリーダムガンダムは自分もその造形は見事だと感じており、小さいサイズながらプラモをかつて作ったことあります。からパターンがシンプルな割には細かい武装で他の機体と差別化が出来ており、デザイン的にも傑作だと考えています。
 数あるガンダムの中でフリーダムガンダムが今回上海で作られたのは、この機体が中国でも人気だからです。その辺については来週配信予定のJBpress記事で解説しています。

 なおこの上海ららぽーと(ららぽーと金橋)の中については、子供向けの施設が非常に多く、家族連れをターゲットにしているというのが見て取れました。ガンプラ販売コーナーも今だけかもしれませんが、1箇所だけでなく複数個所に設けられるなどの大盤振る舞いであったものの、どのコーナーも人でごった返し、整理券配って長蛇の列ができるほどだったので自分は商品を何も見ることができませんでした。


 なおガンプラ組立コーナーではコスプレイヤーもいました。写真同様に後ろからしか見ていませんが、前に回って顔まで見ようって気には何故かなりませんでした。

 ガンダム見に行った昨日は真面目にこれ以上ないくらいの晴天で、写真も非常に映えるなどこの日に行ってガチ正解でした。一方で今日は天気が大荒れで、多分てんかんによる影響かもしれませんが夕方から激しい頭痛と右腕に軽い痺れを感じ、少し休めば治るだろうと思って横になったら2時間も経過してました。今もやや右手が妙に温い(;´・ω・)

2021年5月2日日曜日

書評「後期日中戦争」

 折角のGWだし4月までクソ忙しくて休日作業も当たり前だったので、ひたすら寝たり遊んだりして妖怪的な毎日を送りたいのに、また6月からは仕事忙しくなるのが見えているので、今のうちにため記事作っておかないといけないのがハートに来ます(´;ω;`)ウッ…

 それで話は本題ですが先日、自分の主戦場であるJBpressで広中一成氏の「後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線」という本の紹介記事が出ており、中身に興味があったことから購入して読んでみました。この本の内容はタイトルの通り、第二次大戦後半期における日中戦争について、同期間において一貫して中国に駐屯していた第三師団を主軸に解説しています。

 作者の広中氏も言及していますが、第二次大戦における日中戦争は基本、真珠湾攻撃の行われた1941年12月までの期間しか紹介されません。何故かというとそれ以降は米軍との太平洋戦争が始まるからで、日本人にとって第二次世界大戦=太平洋戦争であり、そこに日中戦争を含まないのが一般的です。
 しかしこの間も実際には1936年の盧溝橋事件に始まる日中戦争は継続しており、それは1945年のポツダム宣言受諾まで続きます。しかし1941~1945年における日中戦争は少なくとも高校レベルの日本史教育では事実上、全く教えられず、また私自身も興味を持って過去に調べようとしたものの、同時期の日中戦争を解説する本などがほとんどなく、真面目に攻めあぐねたことをはっきり覚えています。

 そうした背景だけに、今回この本を知った時はまさに自分が求めていた本だと単純に喜び、また前書き部分でまさに上記のような問題意識から調査、執筆を行ったという広中氏の言及があり、無駄に仲間意識というかシンパシーを感じました( ・∀・)人(・∀・ )ナカーマ
 内容も非常に申し分なく、非常に読みやすく整理されている印象を覚えました。前述の通り、この本では太平洋戦争勃発以降の陸軍第三師団の戦闘を主軸に、第三師団が参加した第二次長沙攻撃や一号作戦などが解説されています。ただこれは広中氏も言及していますが、今回取り上げたのは第三師団の中国における行跡であり、同期間におけるあらゆる日本軍の作戦行動を解説しているわけではありません。

 その結果として、この本の中では長沙をはじめとする江南(上海より南半分のから重慶手前までの地域)における戦闘しか収録しておらず、中国の北半分こと華北の戦闘に関してはほぼ完全にノータッチになっています。この点に関しては仕方がないという面があるとともに、仮に一緒くたにやっていたら読み手への負担が増すことは確実で、バッサリ切って正解だったと私は思います。
 なお広中氏は現在華北の戦闘についても調査中とのことですから、次回作を期待したいです。

 それでこの本で紹介されている江南の戦いについて少し触れると、いくつか気になる点が見えました。一つは731部隊が制作したガス・細菌兵器が実際に戦場で使用され、中国軍部隊だけでなく現地住民にも被害を及ぼしただけでなく、味方である日本軍兵士にも罹患者が出ていたという事実です。そもそもガス・細菌兵器の使用は完全たる国際法違反であり許されざる行為ですが、当時の日本軍では現場指揮官の判断でこの手の禁止兵器を使用していたという事実についてはなかなかに驚きでした。同時に、米軍相手だと問題になるから、中国軍相手ならいいだろうと使われたのではないかという憶測も持ちました。

 もう一点、制空圏に関する記述が非常に気になりました。この本の中で、行軍中の日本軍は一貫して中国大陸において全く制空圏がなく、敵偵察機にずっと補足され続けていたという記述がありました。太平洋戦争の舞台である各島嶼地域ならともかく、比較的日本本土から戦場が近く、尚且つ航空機生産能力でも中国より高かったと思われる日本軍が、中国でほぼ全く制空圏がなかったという事実はこれまた驚きでした。
 なんとなく見ていて、制空圏に対する意識が日本軍には低かったのではと伺える記述もあります。実際には制空権がなければ行軍中の部隊が機銃や爆弾で攻撃されるし、前述の通り進軍先も偵察機に補足されます。一体何故中国大陸で制空圏を取れなかったのか、恐らくは米軍との戦闘に航空機を集中させたからではないかと思うものの、それにしたっていい加減が過ぎやしないかという気にさせられます。

 このほかこれは中国での戦闘に限るわけではないですが、相変わらず日本軍は補給を度外視した作戦を立てており、折角攻め込んで攻略が進んでいるのに、すぐ弾切れ起こして反撃食らうってパターンが非常に多いです。また弾薬ならまだしも食料に関しては初めからないとわかっているのにそのまま突っ込ませていたという記述があり、インパールと違って中国大陸の場合は現地調達が行われたためインパールほどはひどくなかったと書かれてありました。
 補給を考えずに作戦立てて見事失敗する辺り、本当に日本の上級士官は無能にもほどがあるという気がしてなりません。物資ないなら無理して攻める必要もないというのに。

2021年4月30日金曜日

自我の強弱

 なんか思想っぽいこと書きたいので自我について少し触れます。

 まず大前提として、完全な意味での自我というのは少なくとも人間の思考には存在しはないと私は考えています。突き詰めれば人間の思考はコンピューター同様に、外部刺激に対する反応に過ぎず、経験(=過去データ)があればそれに乗っ取って反応し、なければ試行錯誤的にとりあえず実行可能な行動をとる、または反応をあきらめて何もしないに大別されます。こうした反応行為が極端に出るのはいわゆるエラー状態で、パニック状態とも言い換えられますが突発的な不測自体に合うと人間はかなり単純な行動に走りがちで、こうした点からも独立した自由な思考という定義になる自我というは案外脆いというか基本は過去データの累積でしかないという結論に自分は至っています。

 その自由独立思考の自我に関してですが、こんなこと言う人は少ないですがやはり強い人、弱い人ははっきり分かれる気がします。何を以って強いか弱いかの判断の仕方はいろいろありますが、私に関しては「他社の言動をどれだけ真に受けるか」がこの強弱を測る上での最大のバロメーターであるという風に考えます。
 ひとつ例を挙げると、思春期の女の子なんか好きになった男性のいうことや趣味に迎合しやすい傾向がはっきりと見られ、突然女の子が自動車に詳しくなったら十中八九男の影響だと思っていいでしょう。ただこの手の迎合は所詮は迎合に過ぎず、それ以前のパーソナリティや経験とは関連性が薄いことからその好きになった男と距離感が生まれるとあっさり放棄されることが多いです。まぁ逆パターンで男も女性の趣味に迎合することもありますが。

 こうしたごく単純な迎合を起こさず、尚且つ複雑な思考パターン及び経過を経て特定の趣味なり行動を持つようになると自我が強まっていると言え、言い換えるなら「他者に影響を受けることなく自らのパーソナリティを深めていく」ということが自我を強める、または強い自我を持つに至る過程だと私は考えています。もっとも、本とか読んで変な宗教にハマって迎合するパターンもあるので一概に自我が強いとも言えないですが。

 やや回りくどいい方をしましたが、もっと単純に言い返すと「他者の影響を受けやすく、尚且つ考えや価値観がコロコロ変わりやすい人」のことを私は自我が弱い人だと考えています。逆に影響を受け辛く過去から持ち続けている信念なり価値観が不動な頑固型の人が自我が強いと考えています。
 この両者を比べて、一体何を以って別れるのかがトピックとなりますが、これについてはいくつか要素があります。まず一番大きいのは成功体験で、過去の成功体験が強い人ほど自分のやり方なり価値観に自信を持つので自我が強まる傾向があります。逆を言えば自我が弱い人というのは自信が弱い人が多いとも言い換えられるかもしれません。

 次に、これはあまり主張する人は多くはないと思いますが、過去に決断に迫られた回数が多い人ほどやはり自我が強くなる気がします。具体的に言うと進路や業務選択などがありますが、もっと大きなものだと死にそうな二人のうちとぢらを助けるかとか、復讐に身をささげるか否かなどの大きなライブセレクションなんかを経験している人は、他人の意見を参考にすることはあっても、自分が何故、どうしてその決断を採るのかについて深く考える人が多い気がします。
 そういう意味では教育で「親の言うことを聞いておけばいい」的に親がほとんどすべて指図して育てられた人なんかは自我が弱くなりやすいかもしれません。自我の萌芽は反抗期だと言われますがそういう意味では間違いないものの、そうした反抗期も徹底的に押さえつけられると自我が全く育たなくなるというのも自然な話です。

2021年4月29日木曜日

ゲームのパラサイトイブの思い出

 本題と関係ないけど警察はGW間際に紀州のドンファン元嫁逮捕という最高のエンターテイメントを提供してくれたなという気がしてなりません。っていうかこの事件のせいで、「ドンファン」という名前が「金持ってて愛人に殺される人」というイメージが自分の中で固まりつつあります。


 それで本題ですが、もしスクウェアのエニックスとの合併前で一番好きなゲームを挙げるとしたら、自分は恐らく上記動画の「パラサイトイブ」を挙げると思います。このゲームは1998年に発売されたRPGゲームで単刀直入に何が良かったのかというと、ともかく雰囲気が格別に良かったです。

 ゲーム内容は同名の日本の小説である「パラサイトイブ」から原案だけを引用し、ミトコンドリア絡みのエイリアン的なものと戦うという、ひねりのほとんどない非常に単純な勧善懲悪的なストーリーです。ただひねりは全くないものの、舞台は現代米国のニューヨークで、主人公も金髪スレンダーな女刑事という、当時の他のゲームにはない独特の要素が溢れていました。

 特に現代の米国を舞台にしたRPGゲームというのはかなり面白い試みだった気がします。というのも90年代後期とはいえRPGの舞台といったら中世ファンタジーが未だメインで、FFシリーズで徐々にスチームパンクな世界、そして中途半端なSF世界が徐々に広げられていましたが、現代を舞台にしたRPGゲームはまだほとんどありませんでした。唯一、女神転生シリーズ、そして今もなお売れ続けているペルソナシリーズが現代ジュブナイル世界を舞台にしたRPGとありましたがやはり日本枠で、海外、それも米国を舞台にしたRPGは自分の中ではこのパラサイトイブが最初でした。

 話を戻すと、そうした米国を舞台にやたらセクシーな金髪女性刑事を動かして遊ぶのが面白かったのと、出てくる銃器が現実にあるのを模していて、射程内で敵の攻撃をよけつつ戦うというのがなんか楽しかったです。もっともゲーム性に関しては明らかに同時期にヒットした「バイオハザード」の影響を受けているのが見て取れます。それでも1はまだマシでしたが2になると完全にバイオハザードのゲームシステムを模倣するようになり、敢えて言えば「戦闘中に魔法が使えるバイオハザード」に成り下がってて、熱狂的なファンはいるようですが私は2は好きになれませんでした。ストーリーも後半やたら駆け足だったし。
 また2が好きになれない理由として、これも単純に好みの問題でしょうが、音楽の曲調が大きく変わってしまったということも理由にあります。逆を言えば、1を気に入っているのは音楽が非常に良かったという点もあります。

 パラサイトイブ1の音楽は当時スクウェアにいた下村陽子氏で、未だに自分の中ではイトケンに並ぶ偉大なコンポーザーの一人として認知しています。どういう曲調かというと上の動画でも見てわかる通りかなりハリウッド映画っぽい音楽で、尚且つホラー風味で女性上位なこの作品のイメージにかちりとハマっています。こうした要素が積み重なったのと、当時としては実質最高峰なムービーの質から非常にハマって大好きな作品だったのですが、2は正直期待外れで、その続編の3rd Birth Dayに至っては評価が低いことから遊んでいません。

 なお指摘する人は少ないですが、実質このシリーズの看板娘こと主人公のアヤ・ブレアの顔パーツをよく見ると、FF7の主人公のクラウドと同じであるように見えます。髪の色も同じ金髪で、毛先もツンツン気味だし。デザイナーはノムリッシュことスクウェアの野村氏で共通していますが、クラウドが女装したらきっとアヤのようになるんだろうと自分は考えています。