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2023年1月22日日曜日

エリートを育成できない東大の教育

 先日の記事で私は、日本の教育は基本的に自我を奪い従順な人間を量産する方向に異常に特化しており、結果的に自己判断力が極めて低い国民を量産していると指摘しました。文字に書くと結構過激な文言に見えますが、これまでこうした傾向を説明していて誰一人として否定する人はいません。
 その上で、別にこうした教育は国家目線でいえば従順でまとまりのある国民を作るうえでは悪くはないものの、あまりに特化し過ぎているため、結果的に自己判断力に富み、大衆を引っ張ることのできるエリートを生むことができなくなっており、それが日本全体のやや歪な人材構成を生んでいるという考えを呈しました。また以上のような人材構成を軍隊に例えて、「指示待ちの兵隊がたくさんいるけど指揮官が一切いない状態」と評しました。

 またその記事で私は、「東大にエリート教育はない」と書きました。この辺について少し解説すると、東大が日本最高の教育機関であることは間違いなく、その排出する人材は実際に社会から評価されるなどブランドもあり、また数多くの首相も輩出するなど政財界に重きをなしています。
 ただ、特に政治エリートにおいては顕著ですが、東大での政治エリートは東大の教育が良かったから政界で活躍したというよりかは、東大以前の家庭教育がその能力に及ぼす影響が大きかったように感じます。

 前回記事で例に挙げた竹下登をはじめ、昭和期の首相の多くの実家は酒造家や地主など、地元の名士たる家が非常に経歴として多くありました。こうした家庭では周辺の人々や繁忙期に大量に抱える労働者などの管理がごく身近にあり、そうしたところでエリートに必須の集団への指導力や統制力、いうなればカリスマ性を磨いたのではないかと伺われます。
 近年においては東京一極集中もありこうした地元名士出身者が減っていますが、その代わりとして増えているのが二世政治家です。この点でもやはり、バックボーンのない東大出身者というよりかは政治家の家で育ち、政治家である親類の党員や秘書、運動員らの動かし方を学んでカリスマ性を磨いていると思われ、たとえ東大を出ていようとも、東大の教育がエリートに求められるカリスマ性に影響を与えたようにはあまり見えません。

 では東大の教育は何なのか。そもそも東大は官僚育成校として創設された経緯があり、現代においても中央官僚(理系は国家級研究者)への登竜門としてはっきり認知されています。結論から言えば、実務能力の育成にやや特化しているきらいがあり、社会におけるエリートを育成、輩出する校風もなければ、そういう教育を行っているという様子も見られません。
 現代においてはどうかはわかりませんが、昭和期における東大法学部の授業は最前列の座席が取り合いになって、最前列に座った人間は講師の発言を一言一句ノートに書き残すという授業風景が当たり前だったそうです。というのも、省庁入庁後もある程度東大時代の授業評価が出世に左右されたそうで、基本的に講師の言うことの完コピが授業形態であったと聞きます。このエピソードを聞くにやはり東大の授業は自己判断力、集団指導力を育成するような要素は見られず、言っては何ですがやはり言われたことを確実にこなす「従順さ」を大学としても求めているようにしか見えません。

 それでも日本社会で東大は「エリート」として見られていますが、上記のような見方から自分としては欧米で言われるエリートとはやっぱ違うという風に感じます。それこそ先の軍隊のたとえでいえば、命令遂行能力が極めて高く、目標達成に向けた現場判断(=戦術)などの一定の裁量権が付与されるという点で、現場指揮官に当たる少尉とか大尉と呼ばれる尉官級の人材に相当するのではないかと思います。少なくとも、日本の官僚に関してはそうした立場が実際に求められるし、実際そうなっているでしょう。

 そういう意味でやはり、戦略を立案、指示して軍団を率いることができ、自己判断力(=自我)を持つ将軍クラスの人材は、少なくとも東大の教育でほとんど育成されないし、実際輩出されていないように見えます。東大に限らず、京大などほかの国立も同様で、少なくとも「この高台にいる敵兵1000人を移動させるにはどうする?」といったような指導をする学校はないでしょう。
 唯一、エリートを構成する要素であるカリスマ性という点では、早稲田や慶応などの学生数の多い上位私大であれば、サークルをはじめとした大学内の団体活動の中で集団に対する指導力を磨くチャンスがあり、もともと高い実務能力を持っていて自己判断力も持ち得ていたら、エリートが発生する可能性があると思います。そういう意味で前回記事で私は、エリート輩出という点ではむしろ上位私大の方が確率として高いと主張しました。

 しかし総じていえば、日本の公教育機関においてはエリートを育成し得る教育体制や方針を備えている学校は一切存在しないというのが自分の見方です。その上で日本はエリートの自然発生を待つだけで必要な数を揃えられないばかりか、自然発生したエリートに対しても相応しい地位を用意できず、活用もできていないのではないかとみられます。そういう意味でも、エリートを育成する教育機関がやはり日本には必要じゃないかということになってくるわけです。
 ではエリートを育成する教育機関とはなんぞや。結論から言えば英国のイートン校といったエリート校がモデルとなりますが、日本国内にも過去の歴史では有力となるモデル校が存在したと考えています。その辺はまた次回で。

ごぼうの陰謀

 今日は中国にとっての元旦ですが特に日本と違って初詣などの習慣はなく、割とみんな家で家族と過ごす人が多いです。自分は単身で中国にいることもあって特にやることもなく(本当はJBpress用の記事書かないとダメ(ヽ''ω`))、友人誘ってランチに出かけました。

 こうしてランチに行ったお店はあらかじめ開店していることを調べた上で行ったのですが、やはり休んでいるお店も多いことから、途中で団体客がまとめて入ってきたので、店員から座席を移動してほしいと頼まれました。別に問題ないので快く応じたところ、店員から「これはお礼です」と小鉢料理を1品おまけしてもらいました。その小鉢に入っていたのは、金平ごぼうでした。

 私は昨日の記事で、現在遊んでいるゲームでアイドルグループ名を「ごぼうの仲間たち」とつけて、関連するシングルや番組にひたすら「ごぼう」をつけていることを紹介しました。なお昨日出したシングルの名前は「ごぼう総選挙」と「ごぼうの逆襲」でした。
 別に深い意図とかなくてふざけてやっていることですが、あんな記事を書いた翌日に頼んでもいないごぼう料理が出されてきた事実にかなり驚愕しました。っていうか、これは偶然なのかと疑っていますΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 もしかしたら自分の知らないところで、ごぼう普及のためごぼうを連呼するような洗脳か何かを受けているのかもしれません。別にこれまでごぼうに関しては好きとか嫌いといった嗜好は一切なく、出されたら普通に食べるっていう感覚で気にもしてませんでしたが、今年に入ってからやたらごぼうが自分を取り巻いているような気がして、何かの陰謀にも巻き込まれているのかもしれません。
 とりあえず深く考えすぎるのもよくなく、またなんかの啓示なのかもしれないので、ひとまず今年は飲食店とかで優先的にごぼう料理を頼んで、意識的にごぼうを食べるようにすることにします。っていうか本当に偶然で片づけていいものかと思う出来事にマジビビる(;´・ω・)

2023年1月21日土曜日

ごぼうの仲間たち

 前にこのブログで少し書いた「アイドルマネージャー」というゲームをSteamで結局購入して遊んでいます。このゲームはアイドル事務所の社長となってアイドルをスカウトし、育成し、歌って踊らせて金を稼ぐのですが、内緒で彼氏と付き合ってスキャンダルが発覚したりすると、契約中の広告スポンサーとかに賠償金を払わせたりして大変で、今更ながらベッキー抱えてた事務所の苦労が偲ばれました(´;ω;`)ウッ…
 実際にプレイした感じだと、序盤こそ資金繰りに苦しむものの、コンサートを開けるようになったら無尽蔵にお金入ってくるので途端に楽になります。お勧めの攻略法としては、スタート時点ですぐ10人くらいアイドルをスカウトし、営業スタッフを増やしてお金を稼ぎつつ、コンサートが開けるようになるまでシングルを出し続けることだと思います。最初ここに至るまでがわからず、何度もやり直しました。

 そのやり直す過程でめんどかったのが、グループ名などの名づけです。スタート時点で運営するアイドルグループ名を決め、その後出すシングルにもいちいち曲名をつけさせられるのですが、最初でこそ真面目に考えたものの、やり直すたびにだんだんと面倒くさくなって、最終的に付けたグループ名は「ごぼうの仲間たち」でした。なんでかって、ごぼうが突然頭に浮かんだからです。
 こうした名前からプレイ中、アイドルをスカウトすると「ごぼうの仲間たちに入れてとてもうれしいです」というセリフを言ってきたりします。なんか若い女の子をだまして商売しているような感じが自分でもプンプンします。

 とまぁグループ名がごぼうなので、そのグループで出すシングルもごぼうつながりがいいかと思って竿所は「ごぼう1」とか「ごぼう2」などと連番にしてましたが、さすがに芸がなさすぎると思い、「ごぼうロック」、「ごぼうエクスぺりメンツ」、「ごぼう革命」、「ごぼう生活」などという曲名でリリースするようになっています。
 また運営するラジオやインターネット番組も、料理がテーマなら「ごぼう料理」、音楽がテーマなら「ごぼうの音」などと、あくまでごぼうを貫いています。っていうか農業アイドルなのかなこれ。


 などとごぼうまみれになっていたことからふと、ごぼうソングってあるのかと検索したら、小島よしお氏が歌っていました。なんとなく、先越された感じがします。っていうかグループ名は、「やくざ」とかでもよかったな。

2023年1月19日木曜日

中国での日本人求人状況について

 コロナに罹って弱っていた先月は室温15度でも寒気が止まらなかったのに、寒さに慣れてあのか今では12度切っても割と余裕でいられます。やっぱ寒さは我慢すればするほど強くなる気がします。

 話は本題ですが中国は明後日から1週間にわたる春節休暇に入りますが、なんかやたらと「終節前に(m´・ω・`)m タノム…」と言われまくって、この1週間は残業はそれほどでもないけどめちゃくちゃ働いています。当然明日も休めないわけで、春節前としては過去一で忙しいです。っていうか閑散期であるこの2ヶ月にほとんど休めなかった(´;ω;`)ウッ…

 そんな近況置いといて本当の本題に触れると、昨日ふと「俺の市場価値ってどのくらい?σ(゚∀゚ )オレ」と思って、中国の日本人求人サイトをかなり久々に見てみました。以前は日系求人状況や給与状況を見るために定期的に見てたのですが去年はロックダウンもあったりマジ忙しかったりして全然見れてなかったのでかなり久々に眺めたので、期間も空いていただけに以前見た時とはかなり状況が異なっていました。

 まず基本となる募集賃金ですが、経験なしでも構わない営業職などの募集賃金は月15000元(約28万円)前後で、これより高ければ高め、低ければ低めっていうボーダーラインになってました。自分が中国に来た頃はこのボーダーが8000元だったので、文字通り約10年くらいで賃金が倍増しているような状況と言えるでしょう。また3年くらい前は12000元前後がボーダーでしたので、この数年でも結構な速度で跳ね上がっています。
 まぁこの辺は裏事情を明かすと、今中国国内で日本人が採れないためです。コロナのせいで労働ビザが取りづらくなって日本から引っ張ってきづらいのと、コロナ以前から中国にいた日本人もコロナをきっかけに日本帰った人が多く、どうしても日本人が必要という職種では現在どこも慢性的に日本人人材が不足しています。自分の職場もそんな感じなので、もう日本語使える中国人でいっか的に中国人にも採用枠を広げてますし。

 こうした賃金面の変化のほか、募集職種でも明確な変化をはっきり感じました。これはいくつかあり、まず一つは製造業の技術職など現場系の職種募集が減っていました。もっともこれは数年前からの傾向で、傾向がよりはっきりしてきたという変化です。
 もう一つの変化は、製造業系の募集が減る一方で数年前で増え続けていた店舗スタッフなど飲食を含む小売系の募集も、明らかに減っていました。この辺、以前は無印良品などが良く日本人店舗マネージャーなどを募集しているのを見かけたのですが驚くくらいに今回は見当たりませんでした。

 もっともこの辺は自分の肌感覚とも一致するというか、コロナ対策の影響で中国における小売業界の打撃は非常に深刻だと前々から感じています。日本と違って給付金なんて一切くれえませんし、個人消費も相次ぐロックダウンで冷え込んでおり、マジでちょっとオープンから古くなった商業施設に行くとテナントの入っていない空きスペースが非常に目立つようになっています。割と中心部に近い施設でも1階から4階くらいまで何も入っていない施設も見られ、小売業界そのものが非常に冷え込んでいるのが求人からも感じ取れます。

 以上のようなマクロな状況を眺めた後、自分の職種で検索をかけてみたところ、募集自体はあるものの募集賃金は今の給与よりどこも低く、「うそ、私の年収高すぎ?(;゚Д゚)」みたいに思う一方、多分本気で探せばもっと高い給与狙えるようなという妙な希望を捨てていません。
 さっきも書いたとおりに今中国では日本人の現地採用者の母数が非常に小さくなっており、ある程度中国生活に慣れていて、業務経験のある人材の需要は非常に高まっています。私自身も周りから「こういう仕事できる人いない?」とガチで何度も聞かれてるし、また年始にはこれまで全く連絡のなかった以前使用した転職エージェントから、「転職考えている人いたら教えて」みたいなメールが来て、とにもかくにも人材の玉不足が起きているのをはっきり感じます。

 まぁそういう状況は分かってるけど、手続きとか面倒なので転職はしませんが。

 最後に、今回転職サイト(カモメ中国転職)を見ていて唯一「変わんねぇなぁε- (´ー`*)フッ」と思ったのは、旧職場が募集を出していた点です。全く人材が定着しない職場だから年中募集してるけど、今も変わらず募集してるのを見てもっと給料上げろよとアドバイスしたくなりました。

2023年1月16日月曜日

中国の若者草食化記事の裏側

あの貪欲さはどこへ「儲け話はないか?」と言わなくなった中国の若者たち(JBpress)

 灰というわけでまた自分の記事です。今回特に内容にひねりはなく、昔は金の話しかしなかった中国の若者がすっかり草食化して安定志向になっていることを記事にまとめました。

 この記事ですが友人にも言われましたが、昔の中国人を知っているかどうかで見え方がかなり変わってくると思います。昔の中国人は記事にも書いている通りにとにもかくにも貪欲で、そのせいかよく「中国人に騙された」というビジネス記事が当時は多かったです。まぁいつの時代にもあると思うけど。

 それが本当に、自分の目線でいうと日本の若者っぽくなっていったというか、山っ気がすっかりなくなっています。しかもこの変化、日本では80年代から00年代にかけて移行していったのに対し、中国の場合は00年代から10年代と倍の速度で進行しており、移り変わりの速さをすごく感じます。中国らしいっちゃらしいけど。
 それとともに、記事中でも触れていますがこうした変化は若者が変化したというより若者を取り巻く社会が変化したため、言い換えると、社会にチャンスが感じられないからこそみんな大人しくなっていると自分は思っています。日本も若者の~離れというけど、そもそも現代の若者はそういったものに近づいたことないし、ただ単にブームが去ったものをおっさんどもが懐古して言っているだけだと思いますが、そうなったのもそんな世の中を作ったおっさんたちが原因でしょう。

 その上で、こうした若者の変化を社会の変化として捉えるならば、中国もいよいよ低成長の罠に陥りつつあるのかなと密かに感じています。実際にこのところのGDP成長率はコロナもあってかなり低水準化しているし、また若者の就職率も日本ほどではないけど依然と比べ悪くなっており、大学を出たけれどもという状況になってきつつあります。自分としてはそれでも日本より中国経済はまだマシな環境にあるとは思っていますが、政策の舵取りによってはほんんま景気悪くなる条件がそろってきたなとも感じてきています。

2023年1月15日日曜日

日本の教育におけるエリート欠如の大失敗

 昨日から上海は明日辺り日本に来そうな寒波がすでに来ていて、今朝雪が降る中洗濯ものを干したらみんな凍りました。

【動画】「女王の教室」とかいう20年前のTVドラマ、ガチでやばいwwwwwwwwww(暇人速報)

 話は本題ですが上の記事見て前々から用意していた記事ネタをそろそろ出さないとなと思ったので出します。大分前に自分は、日本の教育の究極目的は何かと問われるなら、生徒らの「自我を徹底的に潰す」ことにあると主張しました。自己判断力を落とすところまで落とし、世間一般でいわれている大学を出て、サラリーマンとなって定年まで過ごすことが最上の幸せだと信じ込ませ、実体のない「世間体」を気にして目立たず過ごすことに疑いを持たせないようにするのが、日本の教育だと考えています。
 具体例としては体育会系と呼ばれる運動部などでの極端な上意下達主義、作品内容の肯定以外は絶対に認めない読書感想文、選択余地のほとんど少ない授業選択などが挙げられますが、プロセスを挙げるまでもなく成人となった日本人の行動を見るだけでも自分の主張は立証できると思います。

 ただ、私自身はこうした自我を奪う日本の教育を必ずしも否定しません。私自身は幼少より極端に自我が強い、というより自分の頭でやたら物事を深く考える癖があったため上記の日本型教育は相性が悪く、小中高すべてであんまいい記憶ありませんが、こと「良質な国民の規格統一生産」という面では、日本型教育はよくできていると思います。
 ただ国家視点で見ると、こうして生まれる自我の少ない日本人というのは、やはりソルジャーでしかありません。軍隊で言えば良兵が大いに越したことはないものの、指揮官がいなければ指示待ちで何も動けない軍隊になります。ではその指揮官は何なのかというと、社会でいえばエリートとなります。

 ここで勘のいい人は分かるでしょうが、日本は従順な一般国民を大量生産することには成功しながらも、その優れた国民を活用して生かすエリートが絶対的に不足している、というのが今の現状だとみています。ではその日本のエリートはどうやって生まれているかですが、ぶっちゃけ自然発生的なものに今は完全に頼っており、教育によってエリートを補充する術を失っているのではないかというのが自分の見解です。

 本来ならこうしたエリートはいわゆるエリート教育を経て高品質少量生産されるものであり、かつては東大や京大など上位高が担っていた……という説は、最近疑問視しています。むしろ国立大よりも私大の方が学生数が多いこともあり、集団を率いる素質という点で早慶などの私大の方がエリートを生んでいたように思います。ただそれは私大の教育がエリートを育成していたというより、そうした私大出身エリートの実家、つまり家庭教育である程度育成されていた面の方が大きいのではないかという気がします。
 ひとつ例を挙げると竹下登で、この前ニュースにもなっていましたが彼の実家は地元名士たる酒屋で、そうした家庭環境が集団を率いる面での力や物事に対する決断力を養成したのではないかと考えています。何気に戦後政治家としては、自分の中で池田隼人に次いで高く評価しています。

 もっと長く書いてもいいけど寒いしゲームしたいのでまとめに入りますが、自分の言いたいことを言えば今の日本の教育は自我を奪って良質な国民とする一般化教育が強くなりすぎて、日本全体でエリートを育成するエリート教育を完全に忘れてしまったし、こうした教育を施せる教育機関も消え失せてしまったのではないかということです。
 またエリート育成で大きな役割を担ってきた家庭教育も、平成に入ったあたりからどっかでプツンと切れてしまい、どうやればエリートができるのか、国全体で忘れてしまっているように見えます。こうして、「兵多くして船進まず」ならぬ「船頭おらずして船進まず」みたいな国ができましたとさ、というのが自分の見解です。

 その上で自分の方から居丈高なアドバイスをすると、エリートをどう増やすか、というのはもはや議論として成り立たないと思います。何故なら増やし方を今の日本は完全に忘れてしまったし、また時代の変化に合わせたエリート育成方法も新たに作る必要があるでしょう。
 そういう意味で今必要な議論は、「優れたエリート育成方法とは何か」という議論だと思います。増やし方ではなく作り方から始めないと、もうどうにもならないでしょう。まぁ勝手に沈んでもらっても自分としてはもう気になりませんが。

2023年1月14日土曜日

ロシア=スネ夫に裏切られたジャイアン

既に「詰んでいる」プーチン・ロシア、戦争終了後に考えられる2つの展開(JBpress)

 上の記事は長野光氏による社会学者の大澤真幸氏へのウクライナ戦争に関するインタビュー記事です。日本の国際政治方面の学者の話はあんま信用してないというか参考になるものが少ないためそれほど期待せずに読んだのですが、意外や意外に示唆に富んでおり、大変ためになる記事でした。

 中でも2ページ目にて、舎弟と思っていたウクライナがヨーロッパ(西欧諸国)に接近したことに対するロシアの見方を「スネ夫に裏切られたジャイアンのような心境です。」というたとえがめちゃくちゃわかりやすかったです。すごい使えるたとえなので今度自分も使おう。

 なおインタビュー内容の結論に関しては、占領統治は過去日本しか成功例がないだけに、親欧米政権を支援する形がいいと推奨しています。この件に関しては皮肉ですが現在のウクライナ政権がまさにこの形となっており、向こう10年間はウクライナは西欧側として立ち続けるであろうことを考えると、大澤氏の意見は納得感があります。
 とはいえあのロシアですから、そういう親欧米政権をいったん作ってもすぐまた過激な政権が新しくできる可能性もあるでしょう。そうした事態を防ぐために手段、具体的には経済連携や国際政治交流をどうやって行くかを、今のうちから議論しておくべきかもしれません。