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2023年1月15日日曜日

日本の教育におけるエリート欠如の大失敗

 昨日から上海は明日辺り日本に来そうな寒波がすでに来ていて、今朝雪が降る中洗濯ものを干したらみんな凍りました。

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 話は本題ですが上の記事見て前々から用意していた記事ネタをそろそろ出さないとなと思ったので出します。大分前に自分は、日本の教育の究極目的は何かと問われるなら、生徒らの「自我を徹底的に潰す」ことにあると主張しました。自己判断力を落とすところまで落とし、世間一般でいわれている大学を出て、サラリーマンとなって定年まで過ごすことが最上の幸せだと信じ込ませ、実体のない「世間体」を気にして目立たず過ごすことに疑いを持たせないようにするのが、日本の教育だと考えています。
 具体例としては体育会系と呼ばれる運動部などでの極端な上意下達主義、作品内容の肯定以外は絶対に認めない読書感想文、選択余地のほとんど少ない授業選択などが挙げられますが、プロセスを挙げるまでもなく成人となった日本人の行動を見るだけでも自分の主張は立証できると思います。

 ただ、私自身はこうした自我を奪う日本の教育を必ずしも否定しません。私自身は幼少より極端に自我が強い、というより自分の頭でやたら物事を深く考える癖があったため上記の日本型教育は相性が悪く、小中高すべてであんまいい記憶ありませんが、こと「良質な国民の規格統一生産」という面では、日本型教育はよくできていると思います。
 ただ国家視点で見ると、こうして生まれる自我の少ない日本人というのは、やはりソルジャーでしかありません。軍隊で言えば良兵が大いに越したことはないものの、指揮官がいなければ指示待ちで何も動けない軍隊になります。ではその指揮官は何なのかというと、社会でいえばエリートとなります。

 ここで勘のいい人は分かるでしょうが、日本は従順な一般国民を大量生産することには成功しながらも、その優れた国民を活用して生かすエリートが絶対的に不足している、というのが今の現状だとみています。ではその日本のエリートはどうやって生まれているかですが、ぶっちゃけ自然発生的なものに今は完全に頼っており、教育によってエリートを補充する術を失っているのではないかというのが自分の見解です。

 本来ならこうしたエリートはいわゆるエリート教育を経て高品質少量生産されるものであり、かつては東大や京大など上位高が担っていた……という説は、最近疑問視しています。むしろ国立大よりも私大の方が学生数が多いこともあり、集団を率いる素質という点で早慶などの私大の方がエリートを生んでいたように思います。ただそれは私大の教育がエリートを育成していたというより、そうした私大出身エリートの実家、つまり家庭教育である程度育成されていた面の方が大きいのではないかという気がします。
 ひとつ例を挙げると竹下登で、この前ニュースにもなっていましたが彼の実家は地元名士たる酒屋で、そうした家庭環境が集団を率いる面での力や物事に対する決断力を養成したのではないかと考えています。何気に戦後政治家としては、自分の中で池田隼人に次いで高く評価しています。

 もっと長く書いてもいいけど寒いしゲームしたいのでまとめに入りますが、自分の言いたいことを言えば今の日本の教育は自我を奪って良質な国民とする一般化教育が強くなりすぎて、日本全体でエリートを育成するエリート教育を完全に忘れてしまったし、こうした教育を施せる教育機関も消え失せてしまったのではないかということです。
 またエリート育成で大きな役割を担ってきた家庭教育も、平成に入ったあたりからどっかでプツンと切れてしまい、どうやればエリートができるのか、国全体で忘れてしまっているように見えます。こうして、「兵多くして船進まず」ならぬ「船頭おらずして船進まず」みたいな国ができましたとさ、というのが自分の見解です。

 その上で自分の方から居丈高なアドバイスをすると、エリートをどう増やすか、というのはもはや議論として成り立たないと思います。何故なら増やし方を今の日本は完全に忘れてしまったし、また時代の変化に合わせたエリート育成方法も新たに作る必要があるでしょう。
 そういう意味で今必要な議論は、「優れたエリート育成方法とは何か」という議論だと思います。増やし方ではなく作り方から始めないと、もうどうにもならないでしょう。まぁ勝手に沈んでもらっても自分としてはもう気になりませんが。

2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

まさに仰る通りで、日本のエリート教育は貴族武家の時代から家に依存していて、政治家がやたら家庭にこだわるのもそこが理由だと思います(そこを統一教会に付け込まれた)。
一般の学校教育は、思想は戦後に変わっても方法論は戦前の軍隊教育のままなので、当人たちも意図せず兵隊教育だけをやってしまっています。最近は多少マシになってきてますが。

今はエリート層同士で結婚してエリートの再生産が行われていますが、エリートの世界しか知らなすぎて本当の意味で全体が見える人間が育たなくなってるのが問題ですね。
様々な層が一つのコミュニティにぶちこまれるという意味では、公教育にも意味があるのかなと思ってます。

花園祐 さんのコメント...

 勢いで書いたネタとはいえこうして賛同いただけるコメントもらえるとうれしいです( ;∀;)
 きっかけは、そもそも日本におけるエリート教育って存在するのかに疑問を持ったところですが、突き詰めると日本の過去のエリート発生は家庭教育に負うところが多いという結論に至りました。この点をさらに突き詰めると、貴種流離譚好きな日本の民族性の裏付けになってくる気すらします。
 なお最初にエリート教育という点で目を付けたのは学習院でした。天皇家一族を預かるという特殊な学校なだけに、昔はここがやっていた教育法に何かエリート教育のヒントが隠されている気がします。