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2019年12月31日火曜日

日本の正月が楽しみでなくなった理由

 大晦日ですが今日普通に出勤してきました。と言ってもめちゃモチベーション低かったので一緒に出勤してきた後輩と、「次のお笑い界の大御所候補はダウンタウン、と思いきや意外に有吉かもしれない」などという芸能界ネタをずっと討論してました。まぁ書類整理くらいはやったけど。

 それにしても年末なのに、というより年末だからこそ余計な取材が来ないだろうとあっちこっちで結婚、離婚発表が相次いでなんだかなという感じがするのですが、ハンカチ王子のニュースに関しては、「ああ、球団もそういうつもりなんだね」とはっきり感じました。まぁもともとスーパードライな球団ですけど。
 そんなニュースを鎧袖一触に吹っ飛ばしたのが「Gone has gone」ことカルロス・ゴーン氏の007ばりの国外脱出劇です。もう普通に映画作ってもいいんじゃないかというくらいの鮮やかさで、この点に関しては面白いニュースでした。

 そんな逃げ切ったゴーン氏の主張ですが、あながち否定できない点もあるように見えます。日本の刑事裁判は有罪率が99%超というフッ化水素並みに高い水準にあるのと、逮捕拘留期間に実質制限がなく、東電OL殺人事件などを筆頭に外国人への拘留に関してはやや異常な制度で公平性がないという点で私も同感です。ゴーン氏の容疑については置いとくとしても、こうした刑事裁判における司法制度の問題点に関しては何十年も前から取り沙汰されながら、未だに改善が見られず、自分の生きてる間は多分無理だろうという気になってきました。

 あと他にとりとめて書く話題はありませんが、折角なのでしょっちゅうこっちで聞かれる、「正月は日本に帰らないの?」という質問について書いときます。回答としては「帰らない」で、その理由は単純につまらないと感じるからです。日本で過ごすとしても無駄にお金かかるし、こっちは前述の通り普通に出勤日だしで、正月を日本で過ごしたいとはもはや思わなくなりました。
 それでも中国に転職してきて最初数年間は、正月は日本にいたいと思っていました。しかし2014年の年始に実際日本で過ごしてみたところ、なんていうか思ってた以上に面白くなく、テレビ番組も昔の正月番組と比べても面白いとは思えず、あとなんとなく正月に限りませんが日本全体の空気が沈鬱している感じがして、わざわざ帰ってくるまでもないなとその時感じました。寒いのが好きだから、ブリザードのような天気の日だったら日本で過ごしたいとは思いますが。

 それにしても海外生活もすっかり慣れて、なんか南方熊楠みたく海外でいるのが当たり前の生活になってきました。もっともあの時代とは全然環境が違うため比較するのもおこがましいですが、逆を言えば通信環境の発達によって、海外にいながらでも日本の情報や本なども簡単に手に入れられるだけに、そこまで海外生活も特別じゃなくなり、また日本で生活しなくてもその辺の苦労はなくなったともいえるかもしれません。
 まぁ強いて不便を挙げるとしたら、中国にはヨドバシみたいな家電量販店がなく、マウスやキーボードなどのPCサプライ品をいろいろ比較しながら買い物できる店がないって点です。もっともマウスに関しては、あまりヨドバシやビッグカメラでは置いているところ見ないロジクールのロジクールのM170マウスをこの前上海で購入して、今めっちゃ気に入って使っています。っていうかなんでこのマウスを日本の量販店は置かないんだろうと思うくらいの使いやすさで、やはりマウスはシンプルイズベストに限ると再認識させられました。

2019年12月30日月曜日

今年のベスト記事

 いきなりなんだけど働きたくないです、明日。けど出勤しないといけないので、適当に昼ご飯食べたら有休もほぼ全く消化し切ってないので抜けようかなとか考えてます。「AI:ソムニウムファイル」もまだ全然進めてないし。

 話は本題ですが、毎年年末に書いている今年のベスト記事についてです。と言っても最近はこのブログで取材記事を載せることはほぼなくなり、取材記事はJBpressで出すようになっています。なのでJBpressの記事で選ぶとした場合、取材の内容という点では先月だした「中国人アニメーター、日本でスキル高めて続々と帰国」が、自分の中では上原氏の生涯与四球率並にぶっちぎりのベスト記事です。
 この記事は正直、取材相手が非常に良かったからこそかけた記事で私自身の実力がどうこうという話ではないのですが、それでも記事の出したタイミング、内容的には価値ある報道を行ったという自負があり、自信をもって自慢できる記事が作れました。唯一自分の関与を挙げるとしたら、この記事の取材はメールで聞いた内容をまとめ上げており、仮に同じメモで書いたとしても3000字以内でここまでうまくまとめられる人はいるかっていう点で、やや強気に出られます。

 次にブログ記事についてですが、やはり今年は忙しく結構場を持たすだけの記事が多かった中、強いてあげるとしたら「自我を削ぎ落とす教育」が視点も独自で且つうまくまとまってて、今年の中で一番いい記事ではないかと思っています。
 ただ最近、この手の日本人論が基本日本人批判にしかなっておらず、一部人からするとあまり面白くなく読まれているのかもという自覚があります。ただ、正直に言えばこういったところで書く内容は昨日今日考えた内容ではなく、ずっと前から考えていたものの記事化しなかったものばかりです。何故しなかったのか、今更何故記事化するのかというと、もう自分が言わなくてはならない立場と時期に来ていると考えているからです。発言したところで何かが変わることもないとわかってはいるものの、読んだ人間が何かに使える可能性はあると信じてこういうことも書いています。

 このほか今年作ったプラモではGDB型インプレッサが一番最高傑作ですが、この前作ったF-4ファントムⅡも密かに凄い気にいっています。戦闘機プラモはもうほとんどの機種を作っててあと残ってんのと言ってもF-14、F-15、F-22くらいしかありませんが、このうちF-14はどのメーカーのプラモでも誰もが、その変形機構盛りだくさんな構造故に難しいと書いてあるので、まだ作ってみたいというやる気は湧いてきません。
 なおどうでもいいですが、「F-14トムキャット」の中国語は「F-14雄猫」です。なんとなく「雌猫」のが強そうだと思うのと、じゃあトップガンでこれに乗ってた「トム・クルーズ」は「雄・クルーズ」なのとなんか一人でツボにはまってました。

2019年12月29日日曜日

投稿本数ワースト脱出

 今更ながら白状すると今から約十年前、朝起きたら名古屋に左遷されたうちの親父にコーヒー淹れてと頼まれ、台所でドリップパック式のコーヒーに電気ケトルで沸かしたお湯を注いでいたら、手元が狂ってお湯が少しだけドリップパックを経由せず、そのままマグカップに入ってしまいました。まぁ少しだから問題ないだろうと親父に飲ませたら、「なんか味薄いな」と普段言わないことを言い出して、意外とわかるもんだなと感じたことがありました。
 なお自分の分は、きっちりすべてドリップパックに注いで飲みました。

 話は本題に入ると、12月初めの段階では今年2019年の記事投稿本数は過去最高の2017年の242本を下回りそうだという予想をしましたが、この記事は今年243本目となり、2017年の水準を超えることが確実となりました。自分にとっても割と以外というか、そんなに意識なかったけど12月の巻き返しが割とすごかったと思っています。
 何故12月に巻き返せたのかというと、先月11月と比べるとブログ書いてて楽しかったからです。逆を言えば11月はブログ書いてても全く面白くないというか、書くネタや話題もなく、結構無理くりして書いてた覚えがあります。そうした思いが見透かされたのか後輩からは、「最近誤字がやたら多い」とクレームが入り、それからはちょっと意識を変えたというかもう少し真面目に書こうと仕切り直しました。その仕切り直しが功を奏したのか、12月に入ってからは自分で書いてても楽しくなり、また記事化するようなネタもどんどん浮かんできたので、前ほどブログ書くのも苦ではなくなりました。

 ではそもそも何故今年の記事本数が少なかったのかというと、単純に仕事が忙しかったからです。このブログでも散々愚痴っていますが、去年まで6人でやっていた作業を今年は自分が責任者で且つ実質2人だけでやる羽目となり、夏場はほぼ毎日土日も休日出勤を続けていました。っていうか休日出勤しながらもブログは書いてたけど。
 そのクソ忙しい夏場が終わったらホッとするかと思ったら、何故か同僚が休暇取る日に限って仕事が大量にやってきて、11月中頃なんて今の仕事初めてから確実に一番きつい1週間となるなど、真面目におかしくなるくらい忙しかったです。そのせいか夏場は左手を開くだけで痛くなり、11月に至っては力を入れてなかったら手は半開きとなるのに、何故かダランと全開きとなりだすなどXファイルな案件が連続して出てきました。

 もっとも家系なのか仕事自体は嫌いじゃないし、厳しい状況に追い込まれるほど自分も真価を発揮するというかやる気だすようになるので、環境そのものに対して辛いとは思うことはありませんでした。ただ自分が休暇を取ると今の戦線を維持できなくなる可能性がはっきり出てきたことから、上には人員を増員するよう要求しています。

 あと個人的に自分の忙しさに拍車をかけているのがJBpressの記事執筆です。前と比べると取材に力を入れた記事を多く書くようになり、この辺でも今年は苦労が増しました。もう少し手を抜けて且つ読まれる記事を用意できればいいのですが、そんなのできるってんなら初めからしてるくらい簡単じゃありません。
 ただ自分にとって幸いなのは、四半期ごとに中国自動車業界統計分析記事を出せるってことです。これがあるだけで四半期に一回は楽できるようになっており、こういう四季報的記事をもっと増やせないか考え中です。

 来年に関しては増員がある程度決まっているので、今年よりかは確実に仕事面では楽になると予想しています。っていうか今年一番打撃だったのは、増員した新人がすぐ辞めちゃってそのまま繁忙期に突入したという点でしたが。
 日本は既に年越しムードでしょうが、自分も中国の春節に慣れたせいか西洋歴の年末年始だとあんま感慨湧きません。とはいえ他の日本人がほぼ全員休んでいる中、明日と明後日も出勤するのはなんかやる気湧かないため、何か仕事を兼ねた遊びでもしていようと検討してます。

2019年12月28日土曜日

中国におけるレクサス販売の独禁法違反について

中国、トヨタに罰金13.7億円 レクサス販売で独禁法違反(時事通信)

 上の記事について意見を求められたので書きます。
 概要を簡単に書くと、自動車ブランド「レクサス」についてそのメーカーであるトヨタが中国江蘇省内の販売代理店(ディーラー)に対して、最低販売価格を揃えるよう指示、実質的に最低販売価格をメーカー側が設定したことが独禁法違反に当たるとしてこの度、江蘇省市場監督管理局が約13.7憶円の罰金をトヨタに課したそうです
 実際の捜査内容などを見ているわけではないので断言などはできませんが、仮に上記内容が事実であれば監督管理局の措置は至極真っ当と言え、何もおかしいことはありません。ヤフコメでは中国政府の横暴だと批判する連中が多いですが、メーカーによる中間流通業者への価格統制は明白な独禁法違反行為であり、日本にはこれほど世間知らずが多いのかと思うと真面目に未来はないなと思えてきます。まぁそもそも思ってないが。

 このほか、現在トヨタ自身が上記措置に対し反論を行っていないことを考えてみても、事実関係には間違いはないのではないかと見ています。

 以上だけで記事をまとめてもいいのですが、もう少し内容について掘り下げると中国では近年、自動車業界におけるメーカーとディーラーの立場関係について、市場の独立性及び消費者利益の保護を守るためとして、ディーラー側の立場を保護するようになってきています。その代表例と言えるのが2017年に公布された「自動車販売管理弁法」です。

【17-009】間もなく施行される中国「自動車販売管理弁法」について(Science Portal China)

 この政策では自動車ディーラーに対するメーカー側の支配行為について様々な制限を設けており、個人的に面白かったのは「特約契約の禁止」です。これはどういうことか例えると、トヨタと契約しているディーラーがトヨタ以外の車も販売する行為について、トヨタは制限をかけてはならないとする内容です。
 具体的な想定例では、あるホンダ系ディーラーの顧客がトヨタ系の車を欲しいとここに相談した場合、このホンダ系ディーラーがトヨタ系ディーラーと交渉し、契約をまとめて顧客に販売することが可能となります。また単純にそれまでトヨタ系ディーラーだったけど、ホンダ、日産とも契約を締結してこれらのメーカーの車も同時に扱うこともOKで、こうしようとするディーラーの行動についてメーカーが制限をかけたら違反となります。

 これが特に響くのは輸入車で、輸入車ディーラーは取り扱いたいと思ったメーカーの車を自由に輸入できることとなります。またメーカーに対しては、こうしたディーラーの要望に対して販売契約締結の審査を平等に行うよう要求されており、多分一番影響がでかかったのはこっち方面だったと思います。
 それ以外にもアフターパーツの供給などでも不当な差別はしてはならないなどいろいろ規定されてて、非常に細かいと言えば細かいのですが、メーカーのディーラーに対する垂直支配の激しい自動車業界にこそ必要な内容だろうなと呼んでて思いました。

 ちなみになんでこんな詳しいのかっていうと、実はこの弁法は以前に仕事で翻訳したことがあります。今回のトヨタへの制裁はこの弁法が根拠法となっているかまではわかりませんが、中国が自動車メーカーのディーラー支配に対して自由競争保護の立場からいろいろ規制を強めている風潮があるだけに、事件の報を見てすぐにこの弁法を思い出しました。
 その上でこの記事を通して言いたいことがあるのですが、そのまま言ったら角が立つことになるので言えません。言わなくてもわかるだろうけど、この方面でもなんか最近○○だなぁと、翻訳した当時に思ったのを覚えています。

不登校者に対する第三者という意見

 本体半額の上にポイントもつくという二重の割引セールがやっていたので、懐かしいこともあって「機動戦士ガンダム戦記(PS3版)」の漫画四冊をまとめ買いしました。ゲーム版はクソみたいな映画「デビルマン」のようなストーリーで、決してシャレじゃなく全ガンダム関連作品の中でも最低と断言しうるカスみたいなストーリーですが、漫画版は「撃つなラリー!」である意味伝説となった夏元雅人氏が非常に上手く料理しており、原作にあった数々の矛盾点をうまく整合させて見応えがありました。
 なお夏元雅人氏は最近、「ガンバード2」という彼がキャラデザした彩京のシューティングばかりしていることもあって、その絵柄には親近感を覚えます。ただそれ以外にも、ガンダム系の漫画って割と元アニメーターなどの作家が描くこともあり、コマ割が悪くちゃんとMSが動いているように見えない、静止画の連続の様な漫画を描いてくることが多い中、夏元雅人氏はちゃんと動いているように描く上、ミリタリー色のある画風もあって評価できます。

 逆にこの方面でひどいと感じたのは美樹本晴彦氏で、「エコール・デュ・シュエル」読んだ時はこの人、漫画なめてんじゃないのかと本気で思いました。

不登校にも効果!子育てに不可欠「第三者」の力(JBpress)

 話は本題ですが、自分が書いたわけじゃないものの上の篠原信氏の記事は非常に納得感がありました。概要を簡単に説明すると、今と昔の日本における青少年の大きな環境の違いは「無関係な第三者」がいるかいないかだと指摘し、この第三者をきちんと取り巻くことが不登校者の復帰などにも大きいと指摘しています。

 この無関係な第三者とは具体的には、近所のおじさんとかよく通う商店の人々などです。面白いのは友人の両親とか学校の先生などが含まれていない点で、必ずしも必要ではない生活活動の中で会う大人たちを指しています。実際に篠原氏もこうした「第三者」となって不登校などで悩む青少年を自宅にいれ、何もしないでいることがあるそうで、こうした行為の意味と効果について強く語っています。

 実際というか昔と今とで無関係のおっさんが地元の小学生らに注意することは少なくなってるでしょう。またよく通うお店の大人たちとどれだけ会話があるかと言ったら、恐らく私がこどまった時代でもそれ以前の時代と比べれば非常に少なくなっていた気がし、今の時代はそれ以上にさらに少なくなってきている気がします。
 ちなみに私は何故かこの方面の関係づくりは割と得意で、この前も年に4回行くか行かないかの仲良しの床屋にわざわざ中国土産のお茶を持っていきました

 篠原氏はこうした第三者の接触が何故重要なのかという理由について、大人になったら否が応でもそうした第三者たちと数多く交わらざるを得ないためと書いており、これに関して私も同感します。私自身が思うこととしては、第三者の中でも頼るべき人、頼らざるべき人の見極めが子供の頃はまだ不十分で、こうした感覚が養われるにつれてどういった第三者と付き合っていくか立ち回り方を覚えて行った気がします。逆を言えば、こうした感覚が養われていない若者などは第三者すべてに対し交流を避けるところが見えます。

 で、また繰り返しになりますが、篠原氏の言う通りに無関係だからこそ乗れる相談て言うのは実際多いでしょう。医者やカウンセラーなどの専門家はその専門的立場からアドバイスをしてくれますが、結局それは問題を直視する方向にしかならず、問題を避ける、さばく方向には発展しづらいです。無関係且つ全く別の視野を見せてくれるような第三者であれば、家族以上にある意味そういう方向のアドバイスが可能だと言え、篠原氏の言う通りに第三者がより介在する社会の方が私は健全だという気がします。

 もっとも、今後を含めてそんな風にならないと信じ切っているからこんな風に書くわけです。日本の社会性はプライバシーやセクハラパワハラの概念がもはや一線を越えており、実質的には第三者との交流は避ける方がリスクが少ない時代となっています。先日も同僚と、拳骨一つ加えただけでクビが飛ぶ時代にあっては、我々旧人類はそっとその姿を潜ます以外にないなどと、ファンタジーの少数種族みたいな会話をしていました。
 なお余談ですが、私の中学の教師は教科書を忘れた生徒に毎回拳骨一発を食らわせており、この行為に対して私は自らに責があるとわかっており特に不満などは感じませんでした。ただ一回殴られた後、「お前、頭固いな(;´・ω・)」と、妙な誉められ方されたのは素直には喜べませんでした。

2019年12月27日金曜日

小野小町は誰なのか?

 今更ながら「ファイアパンチ」の全巻を買って読みましたが、現在連載中の「チェンソーマン」を読んでても思ってたものの、一読して作者の藤本タツキ氏はやばいな、ほっとくと手が付けられなくなるくらい成長すると率直に思いました。

 さて話は本題ですが、最近歴史記事を書いてないから日本史十大ミステリー~偽りの黒真珠~みたいな企画でも立てようとあれこれ日本史のミステリー案件を考えてましたが、浮かんだものの中で、本能寺の明智光秀動機などと違ってそこそこ著名ではあるものの意外とみんなが意識してないなと思うものとして、「小野小町は一体誰なのか?」説が私の中でピンときました。

 百人一首の「花の色は~」で始まる日本三十六歌仙の一人で、且つ現代でも美人の代名詞とされる小野小町ですが、知ってる人には早いものの、その実在性というか人物の正体については実はほとんどわかっていません。小野姓であることから彼女が生きたとされる同時代の「わたのはら~」でおなじみな参議篁こと小野篁(おののたかむら)の孫、若しくは娘、はたまた姪などと推察されていますが、はっきり言ってどれも根拠がなく、小野姓だからと言って篁の肉親と決めつけるのはさすがにこじつけもいいところでしょう。
 それほどまでに知名度が高いながらその一生はミステリーに包まれていることから、能の「卒塔婆小町」のように醜く年老いて悲劇的な最期を遂げるような創作もなされたりしちゃっています。それだけに実在性にすらも疑念の余地がありますが、少なくとも「小野小町とされる女性」が存在したことは確実だといえます。

 その根拠はというと、小町作とする和歌が大量に残されているからです。またこれらの和歌には在原業平など確実に存在していたとされる人物と贈答した和歌も含まれており、こうした和歌が残されていることからすると、小町と呼ばれる歌人は確実に存在していたと言ってもいいでしょう。
 となる次の問題は小町は誰かではなく、逆説的ですが小町の歌を詠んだのは誰なのかということになってきます。時代的には9世紀中盤で、女性で、相当な実力を持った女流歌人ということになりますが、このうち女性という性別に関しては紀貫之の例もあるだけに、もしかしたら男流(おとこりゅう)歌人が女性の振りして詠んだという可能性を捨てるにはまだ早いでしょう。まぁそうだとしたら、在原業平はおっさん同士で和歌を贈答し合ったことになるが。いや別にこの時代なら珍しくはないけど。

 自分は和歌に関しては全く教養がないものの、小町の例の百人一首の和歌は実は百人一首の中で一番好きで、実際にこの和歌は人気ソングだと聞きます。それほどまで評価の高い和歌を詠んだ人物についてこれほどまで全く実態が掴めないというのは不思議なのですが、当時の女性の地位的にはこんなものなのかもしれません。
 ただどちらにしろ、ある意味日本史中で最も謎に包まれた女性と言っても過言ではないでしょう。今後の研究でその正体に迫れるかと言ったら正直あまり希望はないですが、もう少しこの方面の議論は高まってもいい気がします。

2019年12月26日木曜日

弱気となる世論

 どうでもいいですが以前「アクシズの脅威」というゲームでうかつに敵支配地域に攻め込んだら、思ったより部隊揃えてこられて思わぬ反撃に遭い、「ここは俺に任せて早く逃げろ」的にGP-03デンドロビウムに乗ったレビル将軍が拠点に陣取り、迫りくる敵軍相手にひたすらMAP兵器撃ちまくった記憶が何故か離れません。まぁすぐ落とされて病院送りされたけど。

 話は本題ですが、以前私はこのブログで日本人の中国に対する見方が「嘲り」から「恐怖」に変わりつつあると書きましたが、今はもはや「諦観」に近くなっているような気がします。もっとも中国にいる人間だったら、十年くらい前の時点でこの境地に至っていたかもしれませんが。
 また中国に対する見方だけでなくても、経済や政治、文化に対する見方もすっかり意気消沈している感があります。例えば音楽曲の年間トップ20などについて、私同様に「どの曲も知らない」と書く人が多く、単純に売れる歌がないというのか、誰も記憶に残る歌が出てこないというのか、かえって判断の難しい状況のように見えます。

 景気のいい話と言ったらZOZOの元社長の成金行動くらいな気がしますが、あれは私から見るとなんか必死感があり過ぎて逆に笑えません。なんとなくですが、ああいう行動しないともう生活できないというような追い詰められたようにも見え、下手な気持ちからではなく無理しないでいいよと誰か声かけた方がいいのではと思ってます。

 ではそもそも何故、日本全体でこんなにも世論が消沈しているのか。一発目に浮かぶものとしては「貧しくなったから」がトップに来るでしょうが、昭和の日本は今よりずっと貧しくても社会の空気はもっと明るかっただろうし、中国も2000年代はそんな昭和の日本でした。
 次に来るのは「成長しなくなったから」でこれには確かに納得できる部分もありますが、一方で「成長しているところ」には日本人はあまり目を向けず、そちらへ進出してやろうという意気込みが感じられず、何か別に根本的な理由があるのではないかと思えてきます。

 結論から言うと、地味に弱っているのは日本人の意思ではなく、その意思を報じる連中が弱っているからではないかと、密かに考えています。はっきり言えばマスコミが自分自身の勢いの衰えをはっきり自認してきたから、伝える世論やニュースも後ろ向きなのばかりやるようになってきたのではないかと実は少し考えています。
 先日友人から「これは面白い」と言われて「2050年のメディア」という本を紹介され、「高いからまた今度ね」とスルーして、ようやく年末セールに入ったので先週購入しましたが、この本であのナベツネですら「もうあかん」的なこと言いだした辺り、確かにやばいんだなという実感が私にも湧いてきました。

朝日新聞、「本業」の不動産が利益の8割まで上昇 リストラと非正規社員の活用で高収益 2019年3月期(ダイアログニュース)

 上のような記事にも出ている通り、現代の日本のメディア業は基本不動産なしでは成立しないところまできています。それにしても稼いでこないメディア事業部社員の給与が高いことが、この記事で一番笑える箇所です。

 こういう点を考えると、メディアが実質国営・公営で、どんだけ状況悪くても強気なニュースしか流さない中国はそりゃ世論も明るくなるよなという気がします。無論それはそれで別の問題を孕んでくるわけですが、なんとなく日本人のやる気を奪っているのは、実はほかならぬメディアじゃないのか、なんでかっていうと彼ら自身がものすごい後ろ向きになりつつあるからというのが今日の言いたかったことです。

 何も考えてなくても、こうやって記事にできるいい例になりそうだこの記事。半分まで書いたところで「2050年のメディア」について触れようと思いついたくらいだし。


夜なべした和牛記事

18年ぶりに輸入解禁、中国で和牛の実力は火を噴くか(JBpress)

 っていうわけで今日、正確には日本時間で昨日配信されたのが上の記事です。本当はこのブログ記事も早く書く予定でしたが、Steamのゲームで遊んでて今頃書いています。

 この記事は本来、来年一発目用の記事として準備していました。構想を立てたのは先週土曜、たまたま昼飯に寄った日本食屋で別の日本人が仲間に、「中国ではあまり牛肉はメジャーじゃない」というような会話を耳にして、十分記事ネタとして通用すると考えたことがきっかけでした。
 早速、年末とあって次回分の締め切りが早く設定されていたことから翌日曜日にはリサーチ、執筆を始めたのですが、自動車や家電などと比べると牛肉関連のデータはあまり調査、公開されておらず、思っていた以上にリサーチで苦労しました。特に日本のデータは経済産業省、農水省で消費量から輸入量までバラバラで、正直あまり信用できないデータもあって思い切って切り捨てました。

 特に一番疑問に感じたのは、日本人の一人当たり年間牛肉消費量を約6kgとするデータを多く見ましたが、中国ですら約5.2kgであることを考慮すると、やや少なすぎるような気がします。こんな具合で、意外と市場調査のなってない分野だと今回気が付きました。

 そんなこんだで日曜夜までずっと記事書いて、次の月曜に見直して提出すればいいと思って朝を迎えたら、その月曜に中国が日本国産牛肉の輸入解禁を発表したことでひっくり返りました。
 それまでの想定では解禁は来年になると各所で見込まれていたことから、私の記事でもそのように書いた上で、どちらかと言えばマクロデータ中心の記事としてまとめていました。そしたらいきなり解禁されてしまったので、こりゃヤバイと思って内容を書き換えるとともに、時期を合わせた方がいいと考えて編集部に連絡を取り、繰り上げて掲載することとしました。

 書き直した内容としては、マクロ中心からミクロ意見も取り入れて、あと解禁ニュースに合わせて出てきた追加のマクロデータも加えました。上記の通り牛肉消費関連のデータはあまり公開されておらず、また信用度も低いデータも少なくないだけに、比較的確実なデータを記事内でうまくまとめられたかと思っています。
 ただこの記事、経済記事としては比較的よくまとまっているものの、内容が地味故かアクセスはあまり良くなかったです。この点は私も想定していたとはいえ、業界関係者にうまく届いてくれればいいと願いながら出しています。果たして届いてくれただろうか。

2019年12月24日火曜日

忘年会議論について

ネットに蔓延する怪しい海外ニュースの見分け方(JBpress)

 昨日配信された自分の記事ですが、昨夜は忙しすぎてとても紹介する暇がありませんでした。っていうかキーボードの叩き過ぎなのか右肩が本当に上がらず、上げようとしたらマジ痛い(´・ω・`)
 記事自体も書いててそれなりに楽しかったけど、想定通りではある者のあまり評判は良くありませんでした。ただ今後どっかで何かがきっかけで検索には引っかかるとは思うんだけどね。

中国では10年前から当たり前「忘年会スルー」(JBpress)

 でもってこちらは近藤氏の今日配信された記事です。記事内容の通り中国では会社ぐるみの忘年会はそんな多くないものの、一点だけ補足すると中国人は大勢集まってわいわい騒ぐこと自体は嫌ってはいません。もっとも、地方と都市部でこの考えには差がありますが。

 今日この記事を引用したのは何故かというと、未だに日本で忘年会に出る、出ないの議論があることに強い違和感を感じたからです。出たくなきゃ出なきゃいいだけじゃねーかと私は思うのですが、それでも世間体とか、あと出席させようとする上司が多いとかいろいろあって「忘年会スルー」という言葉が出来たようですが、はっきり言えばこの手の風習自体がもはや滑稽です。

 いろいろ言いたいことあるけどマジで右肩やばくなってきたので一気にまとめると、若手が忘年会に出たがらないというのは少なからず、年配層と距離感を強く感じている、いうなれば話が合わないと思ってるし親近感が持たれていないということです。なので今後参加してもらうには、普段からこの距離感を縮めることが大事だし、それ以前に距離置かれるほど嫌われてるのだから忘年会うんぬんよりそっちをどうにかすることをまず先に考えろよと言いたいです。
 それでも敢えてこの距離感の問題から目を背けて忘年会に参加させたいってんなら、仲が良く上下のない取引先などとの合同忘年会などにして、若手は若手、年配は年配で他社間交流の場の様にすればいいのではないかと思います。若干合コン入ってもいいし、こういう会の方が有意義でいいと思います。

 さて、肩痛いけどゲームするか。

2019年12月22日日曜日

ベヨネッタとニンジャガ

 昨夜アクションゲーム「ベヨネッタ」のSwitch版を、途中までノーマル、後半だけイージーモードでクリアしました。感想は、「買わなきゃよかった」と後悔する出来でした。しかも2も既に買ってるだけに後悔後先に立たずです。
 そもそもなんでこのゲームを買ったのかというと、アクションゲームの傑作として評価されていたからです。しかし実際にプレイしてみたところ不満点が非常に多く、なんでこのゲームが傑作扱いされるのか非常に疑問に感じたため今こうやって記事書いています。

 まずアクションについては、確かにウリとしているだけあってつまらなくはないです。しかしこのゲームの場合、相手の攻撃を直前でよけることで相手の動作が止まり、こちらが一方的に攻撃を仕掛けられる(ウィッチタイム)ようになるのですが、こうした状況を利用することを前提に作られていることが非常に不満でした。具体的に言えば、相手が攻撃してくるのを待って、それを敢えて避けることが非常に重要であり、そのため戦闘では基本「受け身」にならざるを得ません。
 もちろん他のアクションゲームでも相手の攻撃を見切って、攻撃後の隙を一気に叩くというプレイは珍しくありません。しかしベヨネッタの場合、全編にわたってそれが求められ、体力が少なかったら素早い相手に対しこちらから先制的に仕掛けて倒すといったプレイがしづらくなっています。また複数の敵に囲まれると上記のような状況を作らない限りはまともに攻撃できず、最初にともかく避ける、それから殴るというのが非常に強制されます。いわば、戦闘における戦術の幅が非常に狭いです。

 それでも上記の点はそういうゲームデザインだと思って割り切ることはできます。ただどうしても私が割り切れなかったのはこのゲームのストーリー、ひどすぎるというか感性が一体どれくらい古いんだと非常に不満に感じました。
 実際、プレイしていてもちんぷんかんぷん意味わからずで、そもそもなんで天使どもに一方的に攻撃されなきゃいけないのか、でもってなんでこっちは天使を一方的に殴り続けなきゃいけないのか、あと悪魔がなんで味方になってやってこないのかと、この点一つとっても不満この上ありません。

 そうした背景をゲームの合間のストーリームービーで説明しようという意思は感じるのですが、とにもかくにも見せ方が下手で、感覚的にはゲームの合間にクソみたいなサメ映画を無理やり見させられているような感じでした。黒幕にしたって如何にも過ぎる展開で、もうちょっとひねろうとはだれも思わなかったのか、その登場シーンを見て「ああ、やっぱり……」みたいな感じでげんなりしました。

 こんな具合で非常に不満が高く、正直このゲームが売れたのは主人公のビジュアルが良かっただけなんじゃないかと本気で疑っています。敵キャラの天使のデザインにしても、統一しているように見せかけて実は統一感がなく、意匠の美は私には感じられません。また発売自体がやや古いこともあって、当時流行っていた悪名高きQTE(クイックタイムイベント)が豊富に用意されており、クソみたいなサメ映画のようなムービーをスキップ出来ず無理やり見させられ、ほぼ初見殺しなコマンド入力が求められで、このゲームを評価してた人には本気でもっといいゲームがあることを紹介したいです。

 その場合、仮に紹介するとしたら私の中では「ニンジャガ」こと「ニンジャガイデン」です。正確には私がプレイしたのはPS3版の「ニンジャガイデン∑1、2」ですが、未だにこのゲームを我ながらよくクリアできたものだと今でも思います。というのもこのゲーム、非常に難しいことで有名で、あまりの難しさにある人がクレームを入れたら「練習してください」と言い切られたこともある曰く付きのゲームです。
 実際に私もご多分に漏れず非常に苦労したのですが、プレイしていくうちに自然に上達していき、途中進行ルートで迷うところがあることは不満であったものの、ことアクションに関してはどんどんうまくなって、どんどん見栄えが良くなり、非常に難しかったけどノーマルで一応全クリは達成できました。

 特にアクションに関しては使用武器が豊富にあり、状況や相手によって使い分ける楽しさもあれば、受け身中心で戦う敵もいれば、率先して切りかかりすぐに距離を話す一撃離脱が重要な敵もおり、そうした戦術の使い方も楽しかったのを覚えています。
 もっとも中盤のボスの「アルマ重鬼卿」と初めてかちあった時は、何もわからないまま一瞬で殺され、どうすればいいのか軽く絶望しましたが。

 またストーリー(1)に関しても非常に単純明快で、

忍の里を襲ったやつらをぶっ殺しに行く

ついでに復活した魔神もぶっ殺す

最後唐突に出てきたおっさんもついでにぶっ殺す

 という、これ以上説明の必要がないくらい凄いわかりやすさで、アクションゲームに余計な裏設定とか因縁は不要であるというのをまざまざと見せつけてくれました。なお最後に出てくるラスボスのおっさんに至っては、実は1面に出て来た時の方が強いというシュールな設定のされ方がされてあって、最後倒した後はあまりの歯応えのなさに「え、なんなんこいつ(゚Д゚;)」と唖然としたのを覚えています。
 ちなみにこのおっさんに限らなくても、実はこのゲームは1面が最も難しいという変な難易度設定になってます。まぁその分、1面で大分鍛えられるというのはあるけど。

 こんな感じで似たような3Dアクションゲームとしてみた場合、ニンジャガの方がベヨネッタよりはるかに上を行くと私は感じます。もっとも私は遊んでないけど、続編の「ニンジャガ3」はひどい出来だったと酷評されていますが。

2019年12月21日土曜日

ビッグディール

 今朝、何故か朝四時に目が覚めたのでそのままベッドから起き、パソコンに向かいました。そしてDMMの電子書籍サイトを訪れ、そのままビッグディールを敢行しました。

 どういうことかというと、DMMで年末年始セールを開始したのでこれを機に前から花王音持っていた電子書籍を一気にまとめ買いしました。既に二ヶ月前から購入する商品をお気に入りに選んでいたこともあり、購入金額が一瞬で1万円近くにまで上ってちょい焦りました(;´・ω・)
 買った本は漫画以外だと友人に勧められたメディア業界本、あと山岳遭難本で、漫画だと鬱になるマンガとして挙げられていた「さくらの唄」と「人形の国」の最新刊、それと「ファイアパンチ」全巻等です。早速ファイアパンチを少し読みましたが冒頭の、「あらゆる苦痛を受け入れてでも、死だけは受け入れてはならない」に続く「生きて」のセリフは衝撃を受け、改めて作者の藤本タツキ氏はとんでもない作家になると感じました。

 その後早速ダウンロードを始めましたが、時間帯もあってめっちゃ早かったです。中国だと国内回線はともかく国際回線を介した通信だと国策もあってあまりケーブルが強化されておらず、夜の8時から12時くらいなんか全く接続できなくなったりするのですが、こういう朝方だと物凄く回線が良く、大きいファイルをダウンロードする際はこの時間帯を使っています。

 このほかSwitchも年末ということもあってたくさんセールを行っており、「戦国エース/ブレード」の彩京シューティングを買おうか悩みましたが、そっちはさておき「スカイギャンブラー アフターバーナー」という戦闘機ゲーを買いました。時間なくてまだ遊んでないけど、こういう戦闘機ゲームで「秋名の86」と名乗って「F-86セイバー」に乗って登場したらみんなどんな反応すんだろうとか勝手に想像しています。
 ちなみにこの前うちの名古屋に左遷された親父とその従弟が、子供の頃に親戚の田舎に帰省したところ近くの軍事基地でF-86のコックピットに乗せてもらったという自慢話されて、うらやましくて悔しかったです。

2019年12月20日金曜日

在籍する会社によって変わる意見や立場

奈良エアプ「奈良の南部は橿原とかあの辺でしょ?ww」ワイ「はぁ…(クソデカため息)」(アルファルファモザイク)

 どうでもいい奈良南部の特殊事情はいいとして先日、会社で研修を受けさせられました。研修内容自体はよくあるものだったのですが、この中で行われた性格診断がなかなか面白く、周りに話してもなんか評判がいいです。
 具体的にどういう性格診断だったのかというと、意見や主張に対してその人がどのような態度を取るかを測る心理テストで、自分の意見を通そうとする積極型、相手の意見を受け入れようとする受動型、指標や分析を重視する分析型の三タイプそれぞれでスコアを測り、最終的にどのタイプがどの程度強いのかを出すのですが、面白いのは「平常時」と「衝突時」の二つに分けてスコアが測定される点でした。

 最終的に私のスコアは、平常時は分析型で、衝突時は受動型へと振れるという結果になりました。この結果には私も非常に納得がいくというか、質問に答えている際にまさにこういう態度をイメージしていたこともあって意図した結果に落ち着いたと思います。
 ただこのブログを読んでいる方からすれば、平常時の分析型という結果はともかく、衝突時の受動型という結果については「(。´・ω・)?」と思われるのではないかと思います。むしろ私だったら、意見が衝突したら相手を言い負かせようとするタイプに思われているかもしれません。実際に友人にはまさにそう言われました。

 そうした見方というか評価に対して私自身も否定しません。ただ現在在籍している会社に限れば、恐らくは上記の結果通りの態度を私は取ることでしょう。というのも、今の会社にいる人がまともだと考えているからです。

 このテストを受けている最中、やはり意見衝突時にどのような態度を取るのかという質問がいくつか見られたのですがこうした質問に回答する際、「まぁこの会社にいる人はまともで優秀な人が多いから、自分と意見が異なるとしても滅茶苦茶な方針ではないはずだろう。むしろ自分より賢い人も多いんだし、彼らの意見の方が自分より正しい可能性も高い」という風に考えながら、回答していました。
 ただ、もしこれがスチール棒で殴られて顔面からダラダラ流血しているのに、警察に通報しないばかりか病院にもつれていかず、「お前が悪い」と言い切ってきた上司のいた前の会社だったら、恐らく真逆の態度を取っていたと思います。実際にというか前の会社ではほとんど必要性がないにもかかわらず多くの人間を路頭に迷わせるような意思決定が出され、実行に移させないよう実際に激しく抗弁するなどして私は抵抗していました。

 なおほんの少し顛末を書くと、私が去った後に問題のある上司が飛ばされ、代わりにまともな人が来たことで前の会社の中国法人は毎月数百万円の利益を出すようになったのですが、「もう潰すこと決めているのになんで黒字を出すんだ」などと、代わりに来た人は本社役員に怒られたそうです。でもって赤字から黒字に転換してんのに、そのままその中国法人は潰されたそうです。

 仮にこうした前の会社、っていうか実際には今いる会社以外に過去私が在籍した会社だったらどこも、ガチで気が狂ったかのような意思決定が日常的にバンバン出されていたので、「それはおかしい!」などと激しく抗弁し続けていたでしょうし、実際そうしてました。そうした状態で先の心理テストを受けていたら、恐らく平常時であっても積極型という結果に落ち着いていたと思います。
 そのように考えるとこうした性格判断型の心理テスト、特に企業内部で行われるものについては、一体どんな会社に勤めているかによってもその結果は大きく左右されることになると思います。それこそブラック企業で「受動型」と診断されるのと、ベンチャー企業で「受動型」と診断されるのは大きく意味合いが変わるでしょう。まぁそもそも、ブラック企業の一般社員に「積極型」はいないかもしれませんが。

 逆を言えば、やはり今思い返しても以前に在籍していた会社では自分の判断の方がまともで、周りはほぼ全員がもう判断というか価値観から思考力を含め全体でおかしくなっていたという気がします。初めからそうだったのか段々とそうなっていったのかはわかりませんが、少なくとも判断力がおかしくなっている時点で意思決定を行う立場にいるべきでないのに、そういう立場に居続けられるということ自体が日系企業の問題点かもしれません。
 何も自分の価値判断は優れていて問題ないとまでは言うつもりは全くありませんが、やはり誰がどう見ても明らかに右左すらわからないくらいおかしくなっているのに、本人がそのことに気付いていないという人間は少なからずいると思います。昔も同じこと書いていますが、そういう人間を社会から淘汰できないというのが、日本社会の最大の問題点でしょう。

2019年12月19日木曜日

郵政はいつ、誰がおかしくしたのか

 今日会社で眠いと呟いたら、「どうせまた夜遅くまでゲームしてたんでしょ」と年下の女性社員に突っ込まれ、事実その通りなだけにシュンとなってしまいました_( _´ω`)_ペショ

怒号飛び交う中、会見強制終了 かんぽ問題(産経新聞)

 かんぽの契約不正問題で揺れる日本郵政ですが、上記記事ではさも郵政側が会見での態度が良くなかったように報じていますが、コメントにもある通り二時間超も会見に応じているのにも関わらず核心に迫る質問を行えなかったメディアの側の方が問題があるでしょう。どこかしこもいますが、何かあるとよく人のせいにする人は多いとはいえこうして公でそれやるってのはどうかなと個人的に思います。
 このように考える理由として、私自身がこの問題でキーポイントと思える点についてどこも報じていないからです。もったいぶらずに言うとそれは「かんぽの契約不正問題はいつ頃から始まり、増えだしたのか?」ということなのですが、私の視点がおかしいのか、メディアがどこも気づいていないのかがと言いたいところですが、この件に関しては気づかなかったメディアはもうこの問題は追うべきではないと断言できます。何故ならこの点が経営者の責任問題に直結するからです。

 今回の郵政の問題と絡めて、「そもそも小泉改革の郵政民営化改革自体が問題だった」という人がいますが、結果論で言えばその通りと認めるものの、果たして郵政改革そのものがこの問題の原因と指摘するに当たっては、「郵政再国有化」という経緯を踏まえていなければ相手にする議論ではありません。
 日本郵政とその関連会社は2005年の郵政選挙後の政策により民営化されましたが、その後2009年に自民党が下野して民主党が政権を取った後、民主党の連立相手である国民新党の強い意向を受けて民営化政策は骨抜きにされており、市場で売却する予定だった株式も売却が取りやめられるなどして、実質的に再国有化されています。

 特に見逃せない点として、ラストバンカーと呼ばれた初代郵政社長の西川善文氏がまさにこの民主党政権時代に更迭されています。この更迭について亀井静香が、「別に恨みはないが、小泉政権に立てられた人物だから追放した」と一部記事で報じられていましたが、実際その前後の経過を見ているとそうとしか思えません。
 その後の記事などを見ると、やはり実質的に政府による追放劇だったと述べる証言者が数多く出ており、また西川氏が民営化を見据え育てた、引っ張ってきた人材も合わせて追い出されていったそうです。

 その後、斉藤次郎氏が社長に就くも自民党の政権返り咲きを前に自ら辞め、後任には斉藤と同じ元官僚の坂篤郎氏が就任するも菅官房長官の逆鱗に触れてわずか半年で辞め、ここで満を持して東芝をむちゃくちゃにした張本人ともいえる西室泰三が社長に就任します。
 他の歴代社長に関してはまだ擁護余地があるものの、西室泰三に関しては約6000億円でオーストラリアの物流会社(トール)を買収した上に不良債権化させていることから擁護の余地は全くありません。その後体調不良で辞めましたが、あのまま残っていたらもっと郵政は面白いことになってたことでしょう。
 以上の経緯を経て現社長の長門正貢氏に至りますが、ここまでの経緯は下記記事によくまとめられています。

政治に翻弄 「日本郵政」歴代4人の社長が選ばれた理由(ニュースイッチ)

 何も社長一人で全部変わるわけではないものの、役員の組閣などを考えると社内に及ぼす影響は決して小さくありません。ましてや今回の郵政の契約不正問題はかんぽ全社に蔓延しており、いつどの段階からこうした問題行為が行われ、内部告発も握りつぶされ、社内で当たり前の光景となったかは、どの経営者に問題があったのかを追求する上で最も重要なポイントであると私は見ています。現在までに報じられている内容では契約不正行為が何件あったのかしかなく、いつ頃から、どの地域からこうした行為が行われたのか、郵政発足以来なのか民営化以来なのか、こうした点については全く触れられていない上に、メディアもどこも突っ込んでいないという点でいろんな意味で暗澹たる気持ちにさせられます。

 あくまで状況のみをみて推測意見を述べると、民営化直後にこうした契約不正はなかったのではないかと私は見ています。理由はいくつかあり、民営化直後は粗を探そうとするメディアの監視が目に見えて厳しかったのと、仮に不正があったとしたら西川氏を追放する際にその理由に使われた可能性が高いとみているからです。
 また記憶の限りで述べると、郵政のかんぽ契約が押し売りのようになっているなどとその問題性についての噂はかねてから聞いていましたが、そうした噂を私が聞き始めたのは2013年くらいだったように思います。調べてみたらちょうど西室の時期にあたり、東芝の「チャレンジ」的な何かを郵政でもやっていたのかもしれません。

 恐らくですがメディアは今後もこの点については触れず、また報告書でも「過去三年間の~」などと直近年度しか調べず、どうしてこのような空気や営業手法が蔓延したのかについてはスルーすると思います。正直、私としては我慢ならないだけに来年記者会見あったら職を賭してでもこの質問をぶつけたいところですが、JBpressにでも頼んで自分の代わりに質問してもらおうかな。

2019年12月18日水曜日

TBS元記者の事件の一審結果について

工場勤務者なら誰もが一度は思い描く姿

伊藤詩織さん「勝訴」 連れ込む山口記者の姿を目撃…控訴審でカギを握る「ドアマンの供述調書」(デイリー新潮)

 すでに方々で報じられていますが、TBS元記者の山口敬之氏と伊藤詩織氏を巡る裁判で判決が下り、伊藤氏がこの度勝訴しました。この事件については伊藤氏が初めて会見を行った際にもこのブログでいろいろ書いていますが、伊藤氏の説明や主張を見る以前に、山口氏は明らかに人格に問題のある人間と見ていたことから、このような行為を行っていたと聞いても驚きはなかったというか実際やってるんだろうなと率直に思いました。

 過去の記事にも書いている通り、山口氏は過去に「総理」という安倍首相に関する本を出しています。この本を私は友人に勧められて読みましたが、読了後にその友人に対して、「目が曇ってきたのか?もう二度とこんなくだらない本を人に勧めるな」と、自分にしては珍しくかなり激しい姿勢で詰問しました。
 何故このようなことを言ったのかというと、この本の内容が明らかに問題があると感じたからです。全編にわたって安倍首相との距離の近さを自慢するかのような書き方がなされ批判的視点はおろか中立的な観点すら欠いており、尚且つそのような目線で書かれた駄文に自ら酔っているような節すら見られ、よくこんな本を恥ずかしげもなく出せたなと逆の意味で驚きました。あれほど傲岸不遜な内容は近年稀に見るほどであり、きっとこの本を書いた作者は性格面を始めかなり問題のある人物だろうと思いました。

 そしたら案の定というか上記のような事件が発覚し、なおかつ逮捕状が出ているのに突然執行が停止されるという曰くつきな事件も起こり、こういう人間を過去に雇ってた当たりはオウム事件をはじめ、さすがは「報道のTBS」だなと感心しました。というかこのTBSの枕詞は使われなくなって既に久しく、多分今年こう発言したのは私くらいかもしれません。

 過去にも同じ内容を書いているのにこの記事で何が言いたいのかというと、文章というのは意外とその書いた人の性格なり傾向を反映するということです。山口氏の文章に限らず友人に送られてきたメール文を見るなり、「論理的な思考ができないとっぽい人だろうから会わない方がいい」と警告したこともありますが、友人曰く「割と当たってた」そうで、やはり文章には特徴が出ると自分でも当時思いました。
 特徴が出ると言っても、普通のメール文などの文章でそういう傾向はあまり出ないし、私自身何でもかんでも文章から性格分析できるわけではありませんが、明らかに問題を抱えている人ほどその文章には特徴が出るとみています。具体的には、文章の言い回しが冗長な人ほど本音を隠したがり、本来の目的を隠した上で相手を動かそうとする傾向がある気がします。ある意味、山口氏の文章はその典型ともいえる内容なだけに、興味があればその著作を手に取ることをお勧めします。

 なお文章の特徴で言えば私の文章も非常に特徴的な方でしょう。さすがに自分の文章に対して性格分析とかはしませんが、敢えて言えば誤字が多いからそそっかしい性格してるのは見て取れることでしょう。

2019年12月17日火曜日

大学入試での記述式問題見送りについて

 昨日仕事中に二回電話かかってきたけど会議中のため出られず、後で確認したら変な広告の電話でした。ちょうど今電話の着メロを「Kosmos, Cosmos」にしており、私に電話をかけて来た連中へ呼び出し中に渡りこの歌を聞かせられ、良いことしたななどと思いました。
 なお歌ってた人は今この有様です。あんま悪く言うのは良くないと思うけど、さすがに何度も事務所変えているのはなと以前思いました。

「中止を」「2次試験で」 記述式見送りに有識者 大学入試改革(時事通信)

 話は本題ですが、やはり当事者でないとあまり実感などわからないのですが、大学入試に英検資格で代替を認める案が流れたのに続き、記述式問題の導入も今回見送られたそうです。率直に言って、よかったんじゃないというのが私の感想です。

 先に英検について述べると、英検そのものについては比較的普及している英語試験だと私も認めますが、運営団体については政治的な活動の多い団体とはっきり断言できます。というのも通訳案内士試験などを筆頭に英語能力を考慮する資格の試験において、「英検一級があれば英語科目は免除」としていることが多いですが、これは英検運営団体の政治力の賜物です。
 このように他の試験にも複合的に利用できるようにして英検の受験者数を増やす画策を前から着々としており、決してそのすべてが問題のある行為とは言わないものの、半公営団体にしては行動が政治的過ぎるなと前から疑問視していました。その辺、かつての漢検事件を連想させます。

 次に記述式問題についてですが、採点に対応する予定だったのはベネッセだったということです。普通に考えてセンター試験規模の答案をマークシートでもない限り迅速に処理することは不可能であり、その点は上記リンク先の時事の記事でも触れられていますが、受験生に採点ミスと得点開示までの期間差により大きな混乱をもたらす可能性が高く、普通の企業だったら公平性が担保できないとして対応を拒否すると思うのですが、その辺はさすがはベネッセということでしょう。
 そうしたくだりを考えると、先の英検ともども結論ありきの利益誘導があったのではないかと疑わざるを得ません。むしろ疑わない人間の方がこの場合は問題でしょう。

 個人的な意見で言えば、現在の日本の大学入試制度は比較的よくできたものだと考えています。というのも中国や韓国は日本のセンター試験に当たる共通試験一発でどの大学に入れるかが決められるため、大学や学部ごとに特徴を持たせた問題で生徒を選抜することが出来ません。
 また本番一発勝負のため、体調不良や不意のアクシデントに遭うと泣きを見ることになります。そうした背景から該当試験日においては、警察車両も生徒を運搬するなど軽いお祭り騒ぎになるわけですし。

 日本の場合は国立大進学にはセンター試験が必要とはいえ、アクシデントがあれば問題は難化するとはいえ予備試験も用意されており、尚且つ二次試験で各大学や学部が自前で問題を作って選抜できるので、そこそこ個性を出すポイントが用意されています。またセンター試験を受けない、または失敗したとしても、早慶を筆頭にそこそこ実力のある私立大学が優秀な生徒を拾って育てて社会に出すこともできるので、入試の柔軟性や公平性に関して言えば割といい制度環境なのではないかと評価しています。

 フランスや米国の様に、年間を通して学力を測る試験を複数回行って、その時に得たスコアを大学入学基準に使おうという方針を今日本政府が出していますが、こうした制度のメリットも認めないわけでないものの、無理して真似するまでの必要性があるかと言ったら果たして疑問です。第一そんなことする暇あったら、Fランク大学への補助金打ち切りによる過剰な大学数の淘汰にこそもっと取り組むべきでしょう。

 その上で教育改革論を少し述べると、「大学を卒業しなくても幸福な生活を送れる」教育環境、即ち高等学校段階での職業訓練などをもっと拡充すべきだと個人的には考えています。一時期高専がやたら持て囃されましたが私に言わせれば高専なんかじゃまだ生ぬるく、もっと早い段階で育成の早い職業訓練校を拡充すべきです。
 まぁ仮にそうすると、学生アルバイトが減って小売や飲食業をはじめとする企業が成り立たなくなるわけですが。

 最後にこの記事書いてて、そういえばセンター試験の中国語問題ってどの程度なのかな、今度やってみよっかなとか少し思いました。
 また同じく小論文科目の試験に参加したらどうなるのか。高校時代でも相当なレベルにありましたが、今現在の私の文章力なら日本人の上位1%に確実に入る自負があるだけに、逆に採点担当者の実力を試すような文章を仕立てて持っていったら怒られたりするのかななどと都合のいい想像をしています。

2019年12月16日月曜日

レジャーの本質は非日常

 今日の上海の最高気温は20度で、研修のため部屋にこもりっぱだったけど夕方でも普通に暑いと感じる陽気でした。日本でも暖冬が続いているそうですが、去年の冬はガチで太陽が全くでないくらい雨と湿気の多い気候だったのに比べると、まだ暖冬でもこっちの方がいいやと思えてきます。

 話は本題ですが「レジャー」という言葉の本質を考えた場合、究極的には「非日常」という言葉に行きつくと私は考えています。換言すれば、「日常から離れれば離れるほどレジャーとしての価値、体験としての印象深さが増す」ということです。

 いくつか例証すると、温泉旅館で普段働く人が連休に別の場所にある温泉旅館に泊まったところで、果たしてレジャーとして楽しめるでしょうか。またここまで極端じゃなくても、元々海水浴もできるような海辺に住んでる人が同じようなビーチで有名な観光地に旅行したところで、コンクリートジャングルで普段生活している人が同じビーチに来てた時ほどの感激が得られるかと言ったら、まずそうはならないでしょう。
 二番目の例でも書いたように、普段ビーチが疎遠な人ほどビーチに行く価値が得られるわけで、それも距離的な長さでも、同じ都道府県内よりも遥か遠くのハワイとか桂浜とかの方が感動は大きくなると思います。同じような理屈で言うと、京都に住んでいる人は案外地元の有名な寺社仏閣を回りませんが、関東に住んでる人は京都の寺社仏閣を非常にありがたがってお参りするのも一緒です。奈良にはあんま来てくれないけど(´;ω;`)ウッ…

 地元と非地元でどうして同じ体験のレジャーでもこのような差が生まれるのか。やはりそれを分ける分水嶺は日常か、非日常かにあるように思え、またこの区分をさらに発展させると、普段の生活から程遠ければ程遠いほど、レジャーの価値が高まる傾向があるのではないかと大体半年くらい前に思いつきました。
 それこそ雪国の人は沖縄みたいな温暖な地、雪がほとんど降らない熱帯の国の人ほど雪国に焦がれる様に、未体験ゆえの物珍しさもあるでしょうがやはり日常から遠いからこそこれらは価値があり、尚且つ普段の苦しい日常から解放されるような感覚が得られるのではないかと思います。

 そもそも何故このような見方を持つようになったのかというと、最初の問いかけは「何故登山はレジャーなのか?」と考えたからです。普通に考えてあらゆる面で労苦が多く、冬山登山なんかは一歩間違えれば簡単に死ぬリスクがあるというのに、それでも何故大勢の人間は未だに登山をレジャーと捉えているのかと考えたからでした。
 いくつか登山体験者の意見や登山の楽しみについてみて回ったところ、やはり日常からの解放感に触れている人が多く、実際に山の中は電気や水道といった主要なインフラから切り離された環境になるという状況から、「非日常」という単語が浮かんで上記結論へと至りました。

 これらは言い換えると、日常から程遠いところに行けば行くほど人間はレジャーによって解放感を得られやすいということになります。単純なところでは海外旅行は国内旅行より効果が強い、また宿泊するホテルについても、普段から豪邸に住んでいる人は普段あばら家に住んでいる人よりは高級ホテルに泊まった時の効果が弱くなるのではないかと見ています。
 逆を言えば、普段豪邸に泊まっている人はみすぼらしい安宿に泊まると逆に変な意味の感動を得るかもしれません。それがさらに極まると野外キャンプ、果てには登山といった、文明と隔絶された環境にレジャーを見出していき、だから割と英国人の何々卿みたいな金持ちがやたら登山にはまるのかなとも思います。

 もっともこの論で行くと、最強の非日常は戦地になるとも思え、もしかしたら戦場こそが最大のレジャー地となるポテンシャルを秘めているのかもしれません。自分は行かないけど。

 まとめるとレジャーとしての行き先を考えるならば、日常から距離的、質的に遠い場所を選ぶことが意外と重要だということです。特に質の差については、日常の生活環境より不便な田舎や山中がどうしてレジャーとしての価値を持つのかという点で重要で、ただ単にお金をかければいいということではないと思います。
 このように考えるとちょうど十二月の今くらいの寒い時期に、ガチでダンボール巻いて野宿したあれも私にとってはレジャーだったのかもしれません。本気で凍死するんじゃないかと思ったのはこれと房総半島でのサイクリング一周失敗事件の時くらいです。

2019年12月15日日曜日

藤浪と新垣

 最近ふと、制球難に苦しむ藤浪選手みていて、かつてホークスとヤクルトに在籍した新垣元選手を重ねることがありました。

 野球に詳しい方なら説明不要でしょうが、藤浪選手はデビュー時から数年間華々しく活躍を遂げた後、突如として制球難、もう実質イップスに陥り、ここ数年間はまともな勝利数すら挙げられない等苦しんでいます。

 藤浪選手がイップスに陥った原因はいくつか挙げられていますが、そのうちの一つの元広島のエースで今や前田智徳氏とともに広島の生き神となっている黒田博樹氏と対戦した際にビーンボールを投げ、黒田氏に怖い顔され詰め寄られたという説があります。ただこの年に藤浪選手は、黒田氏との騒動後も安定した投球を見せて前年同様に高い勝利数を挙げており、因果関係を結び付けるには強引だと思います。
 むしろそれ以上に、既にノックダウンされているにもかかわらずふがいない投球を見せた懲罰として、リリーフを投入されずに延々と投げ続けさせられたという事件の後から明らかにおかしくなっており、これだけが原因ではないにしろ、最大のきっかけとなったのはこの事件だと私は思います。素人目で言えば、藤浪選手を壊したのはやはり金本氏でしょう。

 そんな藤浪選手と同じく、デビュー当初はエース級の非常に華々しい活躍を遂げていたにもかかわらず、ある年をきっかけに急激に制球がおかしくなってしまったのが冒頭に上げた新垣氏です。新垣氏の場合は黒田氏や金本氏に凄まれたわけではないですが、あるシーズンオフに投球の幅を広げようと変化球のシュートを身に着けてからおかしくなったと指摘されています。
 この点については野球関係者ではないですが、新垣氏に限らずシュートを身に着けてから通常のストレートもシュート回転するようになってしまったとか、選手寿命が明らかに縮んだという人を多く聞くことから、あり得なくはない説だと私は考えています。そもそも新垣氏は、その直球の伸びと極端に曲がるスライダーを武器にしていただけに、ストレートに影響したとなるとその影響は計り知れません。

 その後、新垣氏は現在においても数々の暴投記録を生むなど、投球は一級なれど極端に制球の悪い投手となってしまい、最終的には引退に追い込まれてしまいました。この新垣氏についての言及をこの前見ていたら、「腕が長いなど非常に恵まれた上半身に対し、幼少時から何度も事故に遭って金属の金具やボルトを何本も埋め込まなければならなかったほど下半身が極端に弱く、そのアンバランスさが制球を不安定にさせていた」という記述を見て、「藤浪やん」と率直に思いました。

 体格に優れた人間が多いプロ野球選手の中でも、身長をはじめ藤浪選手の身体的素材の良さは非常に際立っています。特にその手足の長さは方々から絶賛されており、高い球速を生む要因となる一方、腕のあまりの長さから制球し切れていないという指摘も出ています。
 また新垣氏の例と比較した場合、デビュー当初はある意味「若さゆえ」にその有り余るパワーをまだ制御し切れていたものの、数年間の登板による経年劣化、またはプロとして体鍛えたことでよりパワーが増したことで、制球がおかしくなっていったのではと思うところもあります。

 では新垣氏の轍を踏まないよう、藤浪選手は下半身をしっかり鍛えれば制球は良くなるのかと言ったら、正直私は疑問です。やはり身体的特徴が際立っているだけに、他の一般的な体格の選手がやるような対策でどうにかなるのか完全に未知数で、むしろ似た体格が多いメジャーリーグ選手の対策の方が合うのかもしれません。
 少なくともこのままいくと実質的に「新垣二世」となるだけに、何らかの対策の道筋は出してもらいたいものです。藤浪選手自身だけではなく、今後同じような症状を起こす選手のためにも。

2019年12月14日土曜日

アカデミーのF-4


 先週は記事書いたりするのに忙しかったことから、買ってくるだけで製作まで手が回んなかった「F-4 ファントムⅡ」を今日作りました。


 今回作ったのはアカデミーという韓国のプラモメーカーのキットです。このメーカーのキットを作るのは初めてでしたが、前から興味あったF-4のキットがプラモ屋に置いてあったので、メーカーを試す意味合いも含めて買ってみました。

 作ってみた感想としては説明書がとにもかくにも丁寧でわかりやすく、また塗装しない人向けとして、外部装飾用にプラモに一般的な水転写デカール(水シール)とともに、同じデザインの通常シールも入ってあっていい意味で驚きました。私は塗装まではしないので、今回このキットは通常シールで装飾を行っていますが、デカールと比べると作業は非常に楽で、且つシールデザインも良くそこそこ見栄えのいい出来になったと思います。
 唯一ダメ出しをすると、黒色パーツのプラ素材があまり良くないせいか、接着剤を付けるとすぐに溶けだす傾向がありました。これさえよければほぼパーフェクトなのに惜しいところです。


 それでこのF-4ことファントムⅡですが、先日出た記事にも「初代ファントムがあまりにも影薄いから、『ファントム』と言ったら実質これ」と書かれてあるので、私も普段から「ファントム」と呼んでいます。
 このファントムは冷戦期、というより二次大戦以降に生産された米国製戦闘機としては生産機数が最大で、現代のベストセラー戦闘機のF-16すら上回っています。日本もF-15を買うまではこのファントムが実質主力戦闘機として全国各地に配備され、現在も同業関係者から「鬼のように強い」と言われる自衛隊の茨城県百里基地航空隊で使用、運用されています。


 今回作ってみて、改めて非常に特徴的な機体構造をした戦闘機だと思いました。写真を見てわかると思いますが、尾翼の三枚の羽根がちょうど真円を三等分するかのような角度で取り付けられている上、主翼も先端部分がやや上に跳ね上がっています。
 これは主翼が尾翼より低い位置につけられていることから、通常の角度(地面に対して水平)で主翼と尾翼を配置すると、飛行中に機首を上げると急激に反り返るピッチアップという現象が起きると、試作段階で分かり対策を施したからです。現在この問題の対策としては、主翼の位置を水平尾翼より高い位置に取り付ければ解決できることが分かっており、主翼はほぼ確実に水平尾翼より高い位置に取り付けられています。
 逆を言えば、このファントムのように水平尾翼より低い位置に主翼を配した構造の戦闘機は、今後もう出てこない可能性があります。


 主翼と尾翼の位置関係はこの後部からの写真を見るとわかりやすいです。それにしても今見るとほんと凄い翼の形してる気がします。

真上からの撮影

 なおこのキットのエアインテーク(空気吸入口)部分は、接着剤を一切使わずに組付けています。全体としてこのアカデミーのキットは取り付けやすいように杭と穴がたくさん配置されており、エアインテークもそれら構造体だけでカチっとはまってしっかり組付けられました。
 ただ杭と穴が多くて一部組付けにくいところもあり、この辺は痛しかゆしです。

先月暇だから3時間くらいで作ったS13シルビア池谷先輩カラー(タミヤ)


 せっかくなのでサイズを比較してみようと、家にある他の戦闘機プラモといくつか並べてみました。まず中国が誇るステルス戦闘機のJ-20との比較ですが、改めてJ-20が馬鹿でかいことがよくわかります。J-20の場合、全長だけでなく胴体もめちゃごんぶとだから実際迫力あります。


 実質的にF-4の後継ともいえる米国代表マルチロール機のF-16との比較。F-16自体がちっちゃい飛行機の代表格なのでファントムのがもちろんでかいですが、こうしてみるとファントムはメインフレームがわりと骨太で、頑丈そうな印象を覚えます。


 こっちはロシアが誇る「空の女王」ことSu-35Sフランカー。比較対象が悪いのはよくわかっていますが、フランカーでかすぎ。っていうかファントム乗っててこんなでかい飛行機相手する羽目になったらそりゃ怖いと思います。


 マイお気に入りなMig-29ことフルバック。よくMig-29は小型の飛行機という人がいますが、それは「空のジャイアン」ことフランカーと比べるからであり、実際にはファントムよりやや大きく、またユーロファイター・タイフーンよりも全長だと大きいです。Mig-29自体、F-15をパクった意識した設計となっているので、さもありなんですが。

S13シルビアとの比較

不動明王との比較

 こうやって撮影していて、改めてうちの中にはいろんなもんあるなと思いました。

 今回のファントムの作業時間は大体5時間くらいでしたが、我ながらプラモづくりが随分うまくなったという実感があります。個人的には前回のGDB型インプレッサがデカールの貼り具合も含めて最高傑作だと考えていますが、素組だけだったら素人から脱出できたのかなと思うに至ります。

東芝のトップ間抗争について

名門東芝を破滅させたトップ間の嫉妬無限地獄(プレジデント)

 日本の名門企業の代表とも言える東芝の不適切会計(粉飾決算)事件の発生から既にもう数年経ちますが、改めてこの問題について経済ジャーナリストで私も尊敬する大西康之氏が記事をまとめています。
 なお後輩が転職活動するに当たり、業界研究用に大西氏の本を以前紹介したことがありますが、何故か後輩はその本をこのブログの広告リンクを介さずに買って、広告料が私のところには入ってきませんでした。また大西氏は私の主戦場であるJBpresでも記事を出していますが、何故か毎回自分の顔アップを入れた写真を投稿しており、陰で「大西フレーム」と呼んでます。

 話は戻りますが今回のこの記事でも大西氏らしく、当事者相手に直接取材を敢行しています。それが冒頭の東芝元会長の故・西田厚聡へのインタビューですが、自宅を訪れたところ中にはいれてもらえず、それでもインターホン越しに30分間もインタビューしてのけたそうです。これ見て大西氏が過去に書いたサンヨーの本を私は思い出しましたが、あっちは「五分だけやで」とかいいながら、自宅に入れてくれた上にめっちゃ長く取材に応じてくれてましたが。

 それで西田へのインタビューでは、なんと延々30分間も自分の後任社長となった佐々木則夫の悪口を言い続けたそうで、肝心の聞きたかったことは聞けずじまいだったそうです。逆を言えば、取材を拒否しながらも元部下の悪口は誰でもいいから言いふらしたかったという西田の強い意志を感じます。
 知ってる人には早いですが、平成以降の東芝歴代社長である「西室泰三―岡村正―西田厚聡―佐々木則夫」の四人は、それぞれがそれぞれの事情から非常に仲が悪く、結果的にこのトップ間の憎悪ともつれた人事任命権が東芝を暴走させたと指摘されており、私もこの説に同感です。その上でこの大西氏の西田へのインタビューエピソードを見ても、西田、佐々木間の仲の悪さが、東芝を大きく迷走させたウエスチングハウス問題をより根深くさせたことを強く示唆されています。

 上記の下りに関しては大西氏の記事をそのまま読んでくれればわかりますが、改めてこの東芝トップ間の確執を見て、皮肉な話ですがトップ同士で仲が悪かったからこそ、東芝の不適切会計問題は明るみに出たのかもと思いました。
 何故このように思ったのかというと大西氏の記事にて、

「証券取引等監視委員会(SEC)への相次ぐ内部告発である。1件目は佐々木の出身である社会インフラ事業部門で、2件目は西田の古巣であるパソコン・テレビ事業でそれぞれ利益の水増しがあったというもの。佐々木を狙って西田側が告発し、佐々木側が西田を刺し返した――としか思えない。」

 という、記述を見たからです。
 私もそうと思うというか、トップ同士が仲が悪く、その地盤とする出身事業部の問題を互いに密告し合って、一気に東芝全体の問題が明るみに出た節があります。1件目の告発に関してはそもそもウエスチングハウスの買収企図、実行自体に問題があるだけに納得感がありましたが、二件目のパソコン・テレビ事業への告発に関しては当時としても、そのタイミングと事業部内容から、西田を狙い撃ちにしたものではないかと当時の私ですら感じました。

 実際に大西氏の指摘通りであれば、トップ・事業部間抗争が起こっていなければ、爆弾を抱えつつ東芝は今も名門日系企業として君臨していたかもしれません。そう思うと、社内に様々な問題を作ったトップ間抗争は、最終的にはその膿を出すきっかけになるという皮肉な結果と捉えることもできそうです。

2019年12月12日木曜日

電子書籍化に抵抗する作家たち

 昨日記事を書いたら友人からいきなり、「文筆業ったって、今ペンで書いている作家なんていないじゃん」といきなりディスらられました。じゃあパソコンのキーボードで書くから「文キーボード業」というのかなと思いましたが、これだったら「文」いらない気がする。

 その友人とそのままこのテーマで少し話しましたがその際に、電子書籍化に抵抗する作家の話にも及びました。具体名は明かしませんがミステリー作家を中心に、「絶対に著作の電子書籍化は認めない」とする人がそこそこおり、実際にこうした作家の本は一冊も電子書籍化されていません。
 こうした作家について前述の友人は、「自分はパソコンで小説書くのに、読者がパソコンやスマホで読むのを認めないってのも変な話だ」とまたディスり、ちゃんとペン使って「文筆業」やれよと言ってました。まぁ私もそう思いますが。

 割と進歩がゆっくりだったことからあまり意識されてないようにも思いますが、電子書籍の普及は以前と比べると大分進んだ気がします。ほんのつい五年くらい前にはまだハードコピー本の発売日から数ヶ月遅らせてからようやく電子書籍を発行する出版社も少なくありませんでしたが、こと漫画本に限れば現代においては紙と電子は同日発売が基本です。逆から言えば、以前そういううことをやっていた連中は無駄なことしかしてなかったなと思えてなりません。
 そんな電子書籍の恩恵は日本国内にいるより、私のように海外で生活する人間のほうがありがたみを感じます。気になるトピックや最新の漫画本も日本国内にいるように購読することができるし、なにより場所を取らなくて済むので、今は四年も同じところに住んでますが、二年ごとに引っ越ししていた以前は本がないだけで非常に作業が楽でした。

 また海外ではなく日本国内であっても、僻地に住んでいる人は私のように強い恩恵を受けているかもしれません。もう十年以上前ですが大学時代、島根出身の学生が私の部屋にある漫画を見て、「こんな漫画、島根には置いていません。広島まで買いに行く必要があります」といったセリフを今でも覚えていますが、取次ができるとは言え時間的なロスなども考えると、僻地では書籍を買うのもままならない状況が今でも続いているのではないかと思います。それだけに電子書籍の普及はこうした地域にとっても、非常にプラスになると私は考えています。

 それを踏まえて言うと、やはり前述の電子書籍化を認めないとする作家の主張とスタンスは、エゴ以外の何物でもない気がします。主張の根拠はハードコピーとして読む文化や習慣を守りたい、ハードコピー本独特の良さがあるなどですが、「読めるか読めないか」という条件と比較すると実に小さな主張に思えてなりません。
 もちろん、ハードコピー本にも長所はあると思うし、特に教科書などは書き込めたりする分、電子書籍より優れていると私も考えますが、小説や漫画程度であれば何が何でも紙じゃなきゃダメというようなメリットは見えません。さらに言えば、ハードコピー本も当時に販売されているのであれば、電子書籍との選択は読者に任せてもいいと思え、最初に挙げた無駄に発売日をずらしていた出版社などと同様、無駄なことしかしていないとすら思っています。

 その上で将来について述べると、今後も電子書籍の普及は進み、むしろハードコピー本がどうしても欲しい場合は近くの印刷所に行ってデータを印刷し、自分の思い通りのサイズや装丁、フォントを指定してマイオリジナルな一冊を作るという形になっていくんじゃないかとも考えています。っていうかむしろ、こういう形のほうが運搬コストなどもいらないし、好きな装丁で組めるんだからいいような気がするし。
 何でもかんでもデジタルを信奉するわけじゃないですが、デジタルを利用しておきながらデジタルを否定する上記の作家たちの言い分には疑問に思えてなりません。

2019年12月11日水曜日

文章で生計を立てるには

 最初は貧しくなってきた駐在員の話でも書こうかと思ってましたが、ちょっと気分が乗ってきたので、文章で生計を立てること文筆業について思うこととかをいくつかまとめます。

 まず文筆業というと直感的に小説家をイメージされやすいかと思いますが、現実には文筆業における小説家の割合は低いと思います。ライトノベルでは未だに新人が数多く出ていますが、残念ながらというか「10年間持つ」ようなレベルの小説家となると非常に限られて来ます。またライトノベル以外となると、現代日本人は以前ほど小説を購読しなくなっている上、小説の新人賞そのものも非常に少なくなって、単純にデビューするチャンスというものがそもそも殆どありません。
 既に休刊していますが、毎年新人賞を挙行していたある小説誌ではその発行末期、雑誌の発行部数以上の小説の応募があったと言われています。この一点をとってみても、小説家という職業のパイが昭和と比べ平成時代において劇的に小さくなっていることを示しています。まぁ今は令和だけど。

 現実には、文筆業の大半は依頼を受けてコラムや取材記事を書くライターなどが大半です。自分も決してこの方面に詳しいわけじゃないですが、この手の文筆業従事者は出版社や新聞社などに最初務めたとか、そういったメディアでのアルバイトとしてキャリアをスタートさせることが多いようです。
 ただ昭和の時代と比べるとインターネットという新規メディアができたことによって、ネットに掲載する文章を専門的に執筆するライターも増えて来ました。この手のライターはもともとブロガーや、ネット広告関連業で働くうちに独立していった人が多いと聞きますが、それ以上に単純にネットメディアの募集に応じて記事を書くようになった人のほうが圧倒的多数だと思います。

 最近はもう忘れ去られつつありますがかつて医療系情報サイトのWELQ問題が取り沙汰された際、記事の大半は医療とは全く無関係なバイトが1~2万円程度の報酬で、コピペしまくって作ってたと報じられており、全部が全部そうではないとは思うもののネットを主に活動するライターはこうした輩も一定数いると見るべきでしょう。

 その上で本題について話し出すと、単純に文章で生計を立てようというのであれば基本はまずメディアとの接触が必要です。さっきのWELQ問題じゃないですけど、ウェブメディアの求人情報とか見ると経歴とか関係なしに募集がかかっていることが多く、単純にウェブで記事書くだけなら今はそこまで障壁は高くないんじゃないかと思います。生活できるだけの収入が得られるかどうかは別ですが。
 ただその報酬額について書いておくと、やはりウェブは紙と比べて報酬は非常に低いそうです。週刊誌なんかはやっぱりそこそこの金額がもらえるそうですが、その点ウェブメディアと比べると執筆障壁は高い模様です。

 という具合で簡単に業界事情をまとめしたが、敢えて言及しなかった文章の質については、やはり見方は複数あると思います。ざっと見る限り、質がいいに越したことはありませんが、文筆業界では質より速さ、以下に短時間でどれだけ原稿量を挙げられるかが重要な節があり、どれだけ良い質の文章をかけるかと言うのはあんまりアピールにはならないと思います。それであれば短時間でどれだけ情報を収集し、編集し、一本の記事にまとめられるかという実力の方がアピールとして強いでしょう。
 もっとも、一般読者はともかくメディア業界の人なら文章の良し悪しは読むだけですぐわかり、話にならないレベルであれば流石に切られるでしょう。またそれ以前の問題として他の記事の無断引用、コピペなどを平気でやるような問題のあるライターも、意外と文章見るだけでわかりますし、そうした最低限のリスクヘッジを自ら行えないライターも問題のあるメディア以外では使われないでしょう。

 以上を踏まえて言うと、文筆業で生計を立てるステップとしては、

1、最低限人に見せられるレベルの文章の表現・構成力を身につける
2、メディアに接触する
3、クオリティを維持して定期的に記事を出せる実力をつける

 みたいな感じになるのではないかと思います。その上で求められるライターになるためとしては、やはり事情に精通している分野があるとそっち方面のメディアからお声がかかりやすいかもしれません。
 私を例に取ると中国事情に精通しているということがやはりスカウトのきっかけになりましたが、現実に活動し始めてからは中国事情に対しあらゆる分野の話題を組み合わせて記事書けるというのが強みになってる気がします。実際自分としては、本音語ると相撲の記事が一番書きたいのですが。

 この時点で何がいいたいのかわかってる人にはもはや言うまでもないですが、この記事で一番言いたいこととしては、文章で生計を立てるために文章技術を磨くのはそこまで重要ではないということです。私に言わせれば三年位毎日2000字程度を書き続けていれば自然と上達するし、特殊な表現なんて身につけたって使うところ限られてくるのだし、さっきも言ったようにいかに早く一本の文章としてまとめられるよう書き上げる能力の方がずっと重要です。
 また前段落で述べたように、記事を書けるだけの周辺知識があることの方がずっと重要で、実際にメディアからも求められるだけに、文章技術を磨く暇あるなら金の匂いのする業界や分野を学ぶ方がベターでしょう。その上で自分のように記事内容の企画から取材、執筆まで一人で完結させられれば、どこの編集部も楽で喜ぶことでしょう。

 最期に文章表現技術の磨き方についてもう少し述べると、意外に外国語を学ぶというのがレベルアップ方法となる気がします。というのも最近中国語を翻訳していて、中国語から日本語への翻訳過程であれこれ新たな表現技法をガンガン開発しており、以前と比べて特殊表現から日常でも使うと劇的に便利になる表現とか見つけられるようになりました。また暇な時間にでもそうした特殊表現をまとめたメモとか作ろうかなと思っていますが、案外表現技術で抜きん出ているのは翻訳ライターなのかもしれません。

2019年12月9日月曜日

女性向けゲーム生地の裏側

仕事中もデート中も、燃え盛る中国女子のゲーム熱(JBpress)

 ということで毎度ながら今日配信された記事ですが、あんまアクセスは芳しくない模様です。

 この記事は執筆直前まで全くテーマを決めておらず、もう何もきまんないからとりあえず中国人女性はよくゲームするよって感じで書こうと取り掛かったところ、イケメンがいっぱい出てくる女性向けゲーム市場が盛り上がっているとわかったので、こっち方面に舵を切りました。
 前述の通りアクセスはよくないものの、記事自体は我ながらよく出来てると思うし、書いてて非常に楽しかったです。BL系ゲームは中国だと規制されているので腐女子という言葉を乱しに持ってくることはできませんでしたが、どうにか友人のコメントとして記事本文に盛り込むなど、色々工夫しています。

 この記事を書くにあたっては密かに、以前日本で流行った「オシャレ魔女 ラブandベリー」というゲームを意識しました。このゲームは女の子向けきせかえコーデカードゲームでしたがめちゃ大ヒットして、今回の記事でも書いたように男性向けとみられがちなゲーム業界において、女性のゲーム需要も実際にはかなり大きく存在するということを証明したゲームでした。
 今回の記事テーマもまさにそれで、「ゲームは男性ばかりで女性はあまりしない」というのではなく、「女性向けのゲームが少ないから女性はあまりゲームを遊ばない」だけで、実際にちゃんと女性向けにゲームデザインしていいもの作れば市場はあると睨んでいます。

 また、掲載前に編集長ともメールでやり取りしましたが、この記事で取り上げている「恋プロ」のサイトに行ったところ、めちゃ大物な男性声優が出演したり、グラフィックも非常に良く出来てて、中国のゲームメーカーもちゃんとこういうところのツボを抑えたものを作っているのかと非常に驚きました。ゲーム内容というかシナリオも面白そうでヒットしたというのも非常に納得が行ったのですが、こちらも記事にある通り、中国でもこの手のジャンルを扱えるメーカーはまだ少ないそうです。

 その上で書くと、男性にも女性にも受け入れられるゲームジャンルというのは何なのか、地味にこの疑問も書いてて気になりました。単純な話、両性に受け入れられるということはそれだけ間口が広く、売れる潜在顧客数も多くなるわけで、どういう風にそのへんのゲームデザインとかしているのか、こういった方面でもまた今度取材してもいいかもしれません。

2019年12月8日日曜日

ガチな人

ホームアローン3のお姉ちゃんが20年の時を経てアベンジャーズ入りしたと思うと胸が熱くなるな…(アルファルファモザイク)

 上のまとめ記事で今ハリウッドで勢いのある女優のスカーレット・ヨハンソン氏が取り上げられていますが、彼女については年々アクションも上手になっており、これだけ売れっ子になるのもよくわかる女優だと自分も思っています、ただこの人のWikipediaを見ると、

「大の悪戯好きで、特に共演する女優の胸を触ることが大好き。そのため過去にはナタリー・ポートマン、キーラ・ナイトレイ、コビー・スマルダーズ、エリザベス・オルセン、レベッカ・ホール、ペネロペ・クルス、キム・スヒョンらが初対面でいきなり胸を揉まれてしまった」

 という、訳のわかんないエピソードが書かれています。なお「本人は初めて共演する女優とすぐ打ち解けるためにスキンシップを兼ねていると語っており、触った相手には自分の胸も触ってかまわないとのこと。」だそうですが、そっち方面が貧しいことで有名なナタリー・ポートマン、あまりにもなさすぎて拒食症ではないかと本当に疑われたキーラ・ナイトレイファントム・メナスのヒロインコンビは、「貧乳のナタリーやキーラはあまりのサイズの違いにショックを受けた」とイタズラされた側代表としてコメントが書き記されています。

 それにしても変なゲームとか漫画でしか行われないような行為を本気でやってる人がいるとはと、この人のWikipediaを初めて見た時に思いました。直近だと「バレットガールズ」という美少女ゲームの皮を被ったガチなTPSゲームに出てくるあるキャラクターが「モミニケーション」と称してまさにこういうことやってましたが、銃火器振り回す女性とこういう行為は相性がいいのかもしれません。

2019年12月7日土曜日

幸福転じて災いとなす

 密かに好きな映画の一つに、トム・ハンクス主演の「アポロ13」があります。中でも個人的に好きなシーンを挙げると、当初は予備搭乗員であったケヴィン・ベーコン演じたジャックス・スワイガートが、正規搭乗員のトラブルから正式にアポロ13号に搭乗することとなったという連絡を電話で受けた際、電話を切ったあとで大きくガッツポーズを取るシーンです。
 このシーンですが、その後の展開を考えると実は非常に皮肉の効いたシーンにも見えます。というのもこのあとアポロ13号に登場した三人は言うまでもなく、宇宙史上空前の事故に巻き込まれ、人類史的にも非常に稀なサバイバル体験に迫られることとなるためです。結果論で言えば見事三人とも地球への帰還を無事果たしているので悪いことばかりだったわけではないものの、予備から正規への昇格という福が思いもがけず災いに転じた例と言えるのではないかと思います。

 なんでこの例を取り上げたのかというと、なんというか運命のいたずら的というべきか、このように当初は超ラッキーな出来事に遭遇したのに、それが後々大きな災いへと発展する例が他にもあるからです。こちらも言うまでもなくこの見出しは「災い転じて福となす」をひっくり返したものですが、案外元のことわざよりもこっちのパターンの方が世の中には多いのではないかと密かに見ています。

 もう一つ私の知っているこのような例を挙げると、1993年2月に起こった早稲田大学山岳部の剣岳合宿での遭難事例があります。この合宿は春山登山訓練を兼ねたものだったのですが、ある日のテントの設営中にある一年製部品のザックを別の部員が誤って蹴落としてしまいました。ザックの中には寝袋を始め合宿(登山)に必要なすべての道具が入っていたことからこの時点で実質、同部員は合宿に参加し続けられなくなりました。
 ただザックを失った日の夜は寝袋二つに無理やり三人で潜り込むことで夜を明かし、翌日に落としたところを探していたら、なんと失ったザックを無事に見つけることが出来ました。普通はそんな簡単に戻ってくるわけないことを考えると非常に幸運なことだったのですが、「まぁ見つからなければそのまま下山できたんですけどね」と、後に述べたそうです。

 その後、合宿が続けられ、ザックを失った一年製部員は別の一年製部員一人、四年生部員二人の計四人でルート工作のためにキャンプ地を離れました。ただこの時、天気予報では低気圧が太平洋側と日本海側で二つ発生するという、俗に言う二つ玉低気圧が発生しており、遠からず天気が大荒れになることがほぼ確実でした。しかしこの時のキャンプリーダーは天気予報を聞いていたにもかかわらずその事実をルート工作隊には告げず、そのまま出発させてしまったそうです。
 この判断については議論が分かれており、天気が大荒れになることが分かっていても好天の間にルート工作をすることは必要で、登山においてそれほど珍しくはないそうです。ただ大荒れになることが分かっているのであればせめて情報だけでも共有し、早めに引き上げるよう伝えるべきだったのではという見方もあるものの、ザックを失った一年製部員は、「自分でラジオなどで確認しなかった責任がある」として、この時の判断について述べています。

 その後、ルート工作自体は問題なく終わったものの、キャンプ地へ引き上げる途中で天気が大荒れとなり、道もわからないほど吹雪いたことで工作隊は停滞を余儀なくされます。この際、四年製部員二人が雪棚を作ってビバークしたものの、この間も天気はどんどん悪化していきました。翌日、四年生部員一人が動かなくなり、残り三人で帰還を目指すものの吹雪に道を閉ざされ、この日も帰還は叶いませんでした。
 相変わらず荒れ狂う天気の中、比較的体力のあったザックを失った一年製部員が三人分の雪洞を掘って避難します。雪洞に入ってしばらくした後、四年生部員がまだ生きてるかと大きな声で雪洞越しに尋ねて来たそうですが、雪洞に入る前の時点で息も絶え絶えだったことから幻聴ではないかと本人は述懐しています。

 明けて翌日も天気が悪く雪洞で丸一日を過ごし、翌々日にようやく天気が回復したことでザックを失った一年生は雪洞から出て帰還にむけ動き始めましたが、他の雪洞は全くそのような動きはなく、また恐らくもう生存していないという判断からそのまま一人で出発したそうです。その後、この一年生のみがキャンプ地へと無事帰還できましたが、最初に亡くなった四年生、雪洞に入った四年生と一年生はそれぞれ後から来た救助隊によって死亡が確認されました。

 生還した一年生部員は「生きて帰れないとは思わなかった、必ず帰還できると思ってた」と話しており、その精神力には当時の山岳部監督らも称賛しています。実際に三日間にも渡る極寒の山奥から帰ってこれたのは驚嘆に値することですが、それ以上に自分としては彼が遭難前にザックを失い、再発見していたという事実のほうが強く印象に残りました。
 あのままザックが見つからなければ少なくとも彼が遭難することはなかったと考えるとその運命性には不思議なものが感じられ、さらにそうした数奇な運命に遭いながらも見事帰還を果たしたというのはなかなか一言では表現しきれません。

 この例は下記の参考文献に掲載されていた遭難記ですが、これを読んで私は一見幸福だと思える出来事も、その後何がどう転がって災いに転じるかわからないものだと強く感じさせられました。無論、本人がどうこうしたことで災いへの転換を防げることなぞありませんが、運命とは時にこうした数奇なひっくり返し方をすることもあると強く意識しています。

<参考文献>
「ヤマケイ文庫 ドキュメント 気象遭難」
羽根田治著 山と溪谷社 2013年


2019年12月4日水曜日

中村哲氏の逝去について

中村哲医師が死亡 アフガンで銃撃、病院搬送後に(産経新聞)

 今日は当初、中国への任天堂上陸について書こうかと思っていましたが、上のニュースで一気にその予定が吹っ飛びました。

 中村氏については過去に講演会に行く予定だったのが別の予定が入っていけなくなるというニアミスをしたことからその存在を知り、その著作やペシャワール会の取材報道などを見て陰ながら尊敬していた人物でしたが、このような最期を遂げることとなり深く残念に感じます。またそれと同時に、アフガニスタン戦争から既に長い年月が経ちますが、未だにこのような事件が起こるということを考えると、現地の状況などについて複雑に感じる面も多いです。

 なお今回の事件報道をきっかけに以前に同じペシャワール会で2008年に拉致殺害された伊藤和也氏について先程調べ直したところ、2012年に主犯格三人が逮捕されていたことを知りました。今更逮捕されたところでという感情もあるものの、今回の中村氏の殺害犯に関しても相応の方の裁きが下ってほしいと願ってやみません。

2019年12月3日火曜日

日本神話における怪物

 最近、というか昨日から始めた「Townsmen」という中世版シムシティにハマって、昨夜夜中2時まで遊んだせいか今日は仕事が辛かったです。なおこのゲームは街中のオブジェに「絞首台」を作れますが、これを街中に起きまくっても民草の満足度が上がる不思議なゲームです。

 話は本題ですが日本神話というと実質的に古事記の話になりますが、前から思っていたこととしてなんかやたら怪物が少ない神話だなという気がします。ギリシア神話やケルト神話、果てにはユニクロ神話(柳井氏)をはじめ、神話では基本的に英雄と怪物が戦ってなんぼな世界があります。いやまぁユニクロには英雄がいるのかって話になるけど。
 そうした神話に対し日本神話こと古事記ではイヒカや八咫烏、ヨモツシコメを始め妖怪っぽい人外キャラクターはたくさん出てくるけど、世界を破滅に導くようなゴジラ級の怪物となるととんと出てきません。唯一の例外がヤマタノオロチで、そのせいで日本神話を題材にしたゲームのラスボスとなるとほぼ毎回こいつが出てきて、元中日の浅尾氏同様に登板過多も良いところでしょう。

 一応というか、神話以降の講談の世界であればまだ怪物は出てきます。大半は今昔物語を出典とした源頼光による怪物討伐劇で、鵺、土蜘蛛、酒呑童子など、いずれも西洋の怪物に負けないくらいのキャラを発揮するキャラばっかです。中でも酒呑童子に代表される日本の鬼は、イメージ的には仏教の金剛力士を思わせる筋骨隆々の怪物たちで、問答無用に人を喰うという性質もあって日本の代表的怪物として成立しているように見えます。

 こうした今昔物語に出てくる鬼たち、並びに源頼光の怪物退治物語を見る限りだと、日本人も英雄VS怪物の構図は嫌いではないと推測されます。にもかかわらず何故か神話だけは非常におとなしく、天孫降臨でもオオクニヌシはそんな抵抗せず、息子のタケミナカタが空気読めないバカ息子的に抵抗したくらいで、合戦系の描写もなんか少ない気がします。第一ヤマタノオロチを退治するスサノオノミコトのほうが冥界の王で、どっちかって言うと怪物ポジションです。

 なんでこれほど日本神話は大人しいのか適当に仮設を述べると、日本人は当時から極端な農耕民族であったからではないかと個人的には思います。農耕民族は労力の数で収穫や冬場の生存が左右されるだけに、人を殺したりすることはテリトリー内では大きなご法度です。
 なお狩猟民族はそんなの関係なしに強いやつだけ生き残れることから、やたらと他民族とかを生贄に捧げたがる傾向があると聞きます。

 で、その農耕民族の日本人としてはとにもかくにも人口第一、争いなんて以ての外だから、神話でも争い合う描写は極端に少なくなっていったのではと推測しています。このように考えてみると、ギリシャ神話やケルト神話なんてまさに狩猟民族の物語だと言わんばかりの内容に見えてきます。ユニクロ神話はこの際置いときます。

 最期に神話つながりでいうとインド神話は、息子の顔が気に食わないから切り落として象の頭をつけたとか、読んでてわけがわからなくなるくらいカオスな世界が広がっていますが、あれもカオスなインドの一端を示しているとしたら、神話は意外と民族性を知るいい手がかりなのかもしれません。

2019年12月2日月曜日

記事ネタの収集について

 今日あまりにも汚いからキーボードのキーを外して洗ったところ、何本かのキーでツメが折れて、使用は問題ないもののやや違和感をおぼえるようになったらまた今度新品を買ってこようかと思っています。今まで何度か洗ったことあるけど、こんな感じでツメ折ったのは初めてです。まぁ語年も使ってるんだから仕方ないけど。

 話は本題ですが、友人に最近の自分の記事について意見を求めたところ、「記事内容より記事ネタ探しに苦しんでいる姿を見ることが増えた」と言われましたが、実際にそのとおりだったりします。
 これまでJBpressで配信する記事に関しては割と早めにネタを決めて、他の記事を書きながら細かい情報とかをかき集めたりしていました。しかし最近はギリギリまで決めず、直前に閃いたものを急いで調べて書くということを繰り返しています。今回もそれでしたが、それでも昨日1日だけでネタ集めて、訳して、図表作って記事書き上げるのは我ながら大したものです。

 何故記事ネタで困るようになったのかというと、単純にストックが切れてきたということが大きいです。これまではJBpressで書き始める以前にこのブログなどで取り上げてきたネタを使うことができましたが、最近はその手のネタも使い切って弾無しアパーム状態になってたりします。また現段階で今年のこのブログへの投稿本数は年間で過去最低になることがほぼ確定しており、単純にブログに書くネタ自体が少なくなってて流用もままならなくなっています。

 何気にこのブログの方でも、最近は記事書く前に何を書こうかってずっと悩むことが増えてます。これは恐らく本とかあんま読まなくなって知的刺激を受けず、ネタを思いつくことが少なくなっているためです。あと政治ニュースがくだらないのが増えて、取り上げるネタもなくなっていることも大きいでしょう。
 それでも一応は三日は開けなようにして記事を書いていますが、以前と比べるとそこまでブログに頑張らなくてもいいかもとか思うようにもなってきました。特に先々週はガチでやばいくらい忙しかったので、ブログについて考えるのがリアルに苦痛でした。

 ただこうした傾向は控えめに見ても、あまり良くない状況だと思います。やはり何にでも興味を持って調べて、記事にしようっていう心構えは万能に強く、そうした姿勢をちゃんと維持することが自分の成長においては重要間違いないでしょう。ちゃんと継続する価値は自分でも認めています。
 さしあたっては、JBpressでため記事として一番使える歴史ネタをもっとこのブログで取り上げていかないとと検討しています。歴史ネタは一切腐ることなく、またこのブログで書いた内容でもほぼそのまま使えるので応用がききやすいです。

 それ以前にというか、冷静に考えて二週間に一回のペースであれ程のクオリティの記事をJBpressに毎回出している事自体が地味にとんでもないペースだと思います。昨日あった人もこのペースに少し驚いてたけど、本当にネタ無いときなんかは予め伝えて休載することも今後は考えていく必要もあるかもしれません。