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2019年12月7日土曜日

幸福転じて災いとなす

 密かに好きな映画の一つに、トム・ハンクス主演の「アポロ13」があります。中でも個人的に好きなシーンを挙げると、当初は予備搭乗員であったケヴィン・ベーコン演じたジャックス・スワイガートが、正規搭乗員のトラブルから正式にアポロ13号に搭乗することとなったという連絡を電話で受けた際、電話を切ったあとで大きくガッツポーズを取るシーンです。
 このシーンですが、その後の展開を考えると実は非常に皮肉の効いたシーンにも見えます。というのもこのあとアポロ13号に登場した三人は言うまでもなく、宇宙史上空前の事故に巻き込まれ、人類史的にも非常に稀なサバイバル体験に迫られることとなるためです。結果論で言えば見事三人とも地球への帰還を無事果たしているので悪いことばかりだったわけではないものの、予備から正規への昇格という福が思いもがけず災いに転じた例と言えるのではないかと思います。

 なんでこの例を取り上げたのかというと、なんというか運命のいたずら的というべきか、このように当初は超ラッキーな出来事に遭遇したのに、それが後々大きな災いへと発展する例が他にもあるからです。こちらも言うまでもなくこの見出しは「災い転じて福となす」をひっくり返したものですが、案外元のことわざよりもこっちのパターンの方が世の中には多いのではないかと密かに見ています。

 もう一つ私の知っているこのような例を挙げると、1993年2月に起こった早稲田大学山岳部の剣岳合宿での遭難事例があります。この合宿は春山登山訓練を兼ねたものだったのですが、ある日のテントの設営中にある一年製部品のザックを別の部員が誤って蹴落としてしまいました。ザックの中には寝袋を始め合宿(登山)に必要なすべての道具が入っていたことからこの時点で実質、同部員は合宿に参加し続けられなくなりました。
 ただザックを失った日の夜は寝袋二つに無理やり三人で潜り込むことで夜を明かし、翌日に落としたところを探していたら、なんと失ったザックを無事に見つけることが出来ました。普通はそんな簡単に戻ってくるわけないことを考えると非常に幸運なことだったのですが、「まぁ見つからなければそのまま下山できたんですけどね」と、後に述べたそうです。

 その後、合宿が続けられ、ザックを失った一年製部員は別の一年製部員一人、四年生部員二人の計四人でルート工作のためにキャンプ地を離れました。ただこの時、天気予報では低気圧が太平洋側と日本海側で二つ発生するという、俗に言う二つ玉低気圧が発生しており、遠からず天気が大荒れになることがほぼ確実でした。しかしこの時のキャンプリーダーは天気予報を聞いていたにもかかわらずその事実をルート工作隊には告げず、そのまま出発させてしまったそうです。
 この判断については議論が分かれており、天気が大荒れになることが分かっていても好天の間にルート工作をすることは必要で、登山においてそれほど珍しくはないそうです。ただ大荒れになることが分かっているのであればせめて情報だけでも共有し、早めに引き上げるよう伝えるべきだったのではという見方もあるものの、ザックを失った一年製部員は、「自分でラジオなどで確認しなかった責任がある」として、この時の判断について述べています。

 その後、ルート工作自体は問題なく終わったものの、キャンプ地へ引き上げる途中で天気が大荒れとなり、道もわからないほど吹雪いたことで工作隊は停滞を余儀なくされます。この際、四年製部員二人が雪棚を作ってビバークしたものの、この間も天気はどんどん悪化していきました。翌日、四年生部員一人が動かなくなり、残り三人で帰還を目指すものの吹雪に道を閉ざされ、この日も帰還は叶いませんでした。
 相変わらず荒れ狂う天気の中、比較的体力のあったザックを失った一年製部員が三人分の雪洞を掘って避難します。雪洞に入ってしばらくした後、四年生部員がまだ生きてるかと大きな声で雪洞越しに尋ねて来たそうですが、雪洞に入る前の時点で息も絶え絶えだったことから幻聴ではないかと本人は述懐しています。

 明けて翌日も天気が悪く雪洞で丸一日を過ごし、翌々日にようやく天気が回復したことでザックを失った一年生は雪洞から出て帰還にむけ動き始めましたが、他の雪洞は全くそのような動きはなく、また恐らくもう生存していないという判断からそのまま一人で出発したそうです。その後、この一年生のみがキャンプ地へと無事帰還できましたが、最初に亡くなった四年生、雪洞に入った四年生と一年生はそれぞれ後から来た救助隊によって死亡が確認されました。

 生還した一年生部員は「生きて帰れないとは思わなかった、必ず帰還できると思ってた」と話しており、その精神力には当時の山岳部監督らも称賛しています。実際に三日間にも渡る極寒の山奥から帰ってこれたのは驚嘆に値することですが、それ以上に自分としては彼が遭難前にザックを失い、再発見していたという事実のほうが強く印象に残りました。
 あのままザックが見つからなければ少なくとも彼が遭難することはなかったと考えるとその運命性には不思議なものが感じられ、さらにそうした数奇な運命に遭いながらも見事帰還を果たしたというのはなかなか一言では表現しきれません。

 この例は下記の参考文献に掲載されていた遭難記ですが、これを読んで私は一見幸福だと思える出来事も、その後何がどう転がって災いに転じるかわからないものだと強く感じさせられました。無論、本人がどうこうしたことで災いへの転換を防げることなぞありませんが、運命とは時にこうした数奇なひっくり返し方をすることもあると強く意識しています。

<参考文献>
「ヤマケイ文庫 ドキュメント 気象遭難」
羽根田治著 山と溪谷社 2013年


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