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2019年12月26日木曜日

弱気となる世論

 どうでもいいですが以前「アクシズの脅威」というゲームでうかつに敵支配地域に攻め込んだら、思ったより部隊揃えてこられて思わぬ反撃に遭い、「ここは俺に任せて早く逃げろ」的にGP-03デンドロビウムに乗ったレビル将軍が拠点に陣取り、迫りくる敵軍相手にひたすらMAP兵器撃ちまくった記憶が何故か離れません。まぁすぐ落とされて病院送りされたけど。

 話は本題ですが、以前私はこのブログで日本人の中国に対する見方が「嘲り」から「恐怖」に変わりつつあると書きましたが、今はもはや「諦観」に近くなっているような気がします。もっとも中国にいる人間だったら、十年くらい前の時点でこの境地に至っていたかもしれませんが。
 また中国に対する見方だけでなくても、経済や政治、文化に対する見方もすっかり意気消沈している感があります。例えば音楽曲の年間トップ20などについて、私同様に「どの曲も知らない」と書く人が多く、単純に売れる歌がないというのか、誰も記憶に残る歌が出てこないというのか、かえって判断の難しい状況のように見えます。

 景気のいい話と言ったらZOZOの元社長の成金行動くらいな気がしますが、あれは私から見るとなんか必死感があり過ぎて逆に笑えません。なんとなくですが、ああいう行動しないともう生活できないというような追い詰められたようにも見え、下手な気持ちからではなく無理しないでいいよと誰か声かけた方がいいのではと思ってます。

 ではそもそも何故、日本全体でこんなにも世論が消沈しているのか。一発目に浮かぶものとしては「貧しくなったから」がトップに来るでしょうが、昭和の日本は今よりずっと貧しくても社会の空気はもっと明るかっただろうし、中国も2000年代はそんな昭和の日本でした。
 次に来るのは「成長しなくなったから」でこれには確かに納得できる部分もありますが、一方で「成長しているところ」には日本人はあまり目を向けず、そちらへ進出してやろうという意気込みが感じられず、何か別に根本的な理由があるのではないかと思えてきます。

 結論から言うと、地味に弱っているのは日本人の意思ではなく、その意思を報じる連中が弱っているからではないかと、密かに考えています。はっきり言えばマスコミが自分自身の勢いの衰えをはっきり自認してきたから、伝える世論やニュースも後ろ向きなのばかりやるようになってきたのではないかと実は少し考えています。
 先日友人から「これは面白い」と言われて「2050年のメディア」という本を紹介され、「高いからまた今度ね」とスルーして、ようやく年末セールに入ったので先週購入しましたが、この本であのナベツネですら「もうあかん」的なこと言いだした辺り、確かにやばいんだなという実感が私にも湧いてきました。

朝日新聞、「本業」の不動産が利益の8割まで上昇 リストラと非正規社員の活用で高収益 2019年3月期(ダイアログニュース)

 上のような記事にも出ている通り、現代の日本のメディア業は基本不動産なしでは成立しないところまできています。それにしても稼いでこないメディア事業部社員の給与が高いことが、この記事で一番笑える箇所です。

 こういう点を考えると、メディアが実質国営・公営で、どんだけ状況悪くても強気なニュースしか流さない中国はそりゃ世論も明るくなるよなという気がします。無論それはそれで別の問題を孕んでくるわけですが、なんとなく日本人のやる気を奪っているのは、実はほかならぬメディアじゃないのか、なんでかっていうと彼ら自身がものすごい後ろ向きになりつつあるからというのが今日の言いたかったことです。

 何も考えてなくても、こうやって記事にできるいい例になりそうだこの記事。半分まで書いたところで「2050年のメディア」について触れようと思いついたくらいだし。


2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

個人的には、メディアはずっと社会の最先端で、中枢をコントロールできる存在だったところ、最近はそうでもなくなってきて、メディア自身が世の中がよくわからなくなってきてるという混乱を感じますね。
マスコミ、特にテレビ局や広告代理店なんかは高収入陽キャの最前線みたい人達だけの集まりになっちゃって、そうでない人の世界がわからなくなってるなぁとテレビを見て感じることがあります。貧しい世界から成り上がってきた芸人とか歌手の方が、まだ理解があるように見えますね。

花園祐 さんのコメント...

 記者なんかそうですけど、意外と統計とか見たりしないので高卒出身者とかこの世に存在しないみたいに考えてる人が少なくないです。マスコミ業界って、広いように見えて実はすごく狭い世界だと私自身考えています。
 そういう意味で、ブラック企業も経験すれば新聞社にもいた自分なんかはどこ行っても車の広さで今は勝負できます。その自分をしてやはり、体験してみないとわからない世界は少なくないです。