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2021年2月9日火曜日

文化人が減りゆく日本

 日本のテレビとか見ていないで言うのもなんですが、やはり昔と比べると文化人気取りの芸能人は前から多かったですが、文化人を気取る芸人がやたら増えたなという気がします。背景としてはやはり、映画監督としても成功を収めその発言が注目されることも多い北野武氏の影響が大きいと思います。
 もっとも、北野氏のようになろうとして映画を作り続けたダウンタウンの松本人志氏は、さすがに何度かのチャレンジを経て才能の限界にようやく気づいてくれたか、ここ数年は映画の「え」の字すら言わなくなりましたが。でもって前と比べると文化人気取りがやや鳴りを潜め、前より芸に磨きかかっている気もしないでもないです。

 話を少し戻すと、一体何故芸人が文化人を気取ろうとするのかというと、単純に文化人の方が各上だと考えているからでしょう。芸人として一定の成功を収め、今度は文化人としてさらに世間への影響力を高めたい、ひいては北野氏みたいな大物になりたいという欲から政治や社会への発言を増やす芸人がよく見られるものの、所詮は功名心に突き動かされての行動であり、その発言には一貫性もなければ確固たるバックボーンもないだけに、自らの無教養を晒すだけの結果になっている人も少なくない気がします。
 個人的に北野氏がそうした文化人になろうとする芸人と異なっている点は、あくまで「芸人としてこう思うんだけど」という風に、芸人としての角度を維持して発言している点だと思います。その上で、芸人としての角度が不要な議論には敢えて何も言わないなど発言する内容かどうかをきちんと分けているように見えます。他の芸人はやはり功名心から自分のわかる問題にやたらと首突っ込んで発言するだけに、この点で明確にその差がはっきり出ます。

 という具合で文化人について少し考えたのですが、改めて見てみると最近日本でオピニオンリーダーと言えるような文化人が減ってきている気がします。それこそ司馬遼太郎のような作家を本職とする文化人なんて皆無に近いし、そのほかの哲学家、思想家に至っても、パッと浮かぶのだと東浩紀氏がいますが、昭和とかと比べるとなんか随分少ないなという印象を覚えます。
 この辺の文化人論争はやはりオウム事件以前と以後で大きく変わるところがあります。ただそれを考慮しても、現代はこうした思想や概念面、国際意識などで集団を形成するような潮流がほとんど見られなくなりました。経済学も2000年代までは前に私が取り上げたグローバル化VSアンチグローバル化の対立があったものの、リーマンショックでこの論争がある程度ケリがついたこともあって、今やかつての保護貿易主義が世界で一般化しつつあるので、日本に限ったわけじゃないかもしれません。

 文化人が少なければどうなるのか。はっきり言ってこの辺は出たとこ勝負な感じもしますが、私自身としてはやはり心もとない気がします。個別化という言葉で片づければ楽なもんですが、やはり集団という概念が非常に薄まっているというか、人類における最小手段単位の家族ですらなんか日本では揺らいできている気がします。まだ「ホウセイイズフレンド」の方がつながりを感じるというか。
 このほかついでに書くと、投資先がないからマネーが集まるのは理解できるものの、このところの株価の異常な高騰ぶりには懸念をはっきり感じます。今年は恐らくあんまもめ事ない気がしますが、来年とか何か起こるかもしれません。

2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

サブカルだったものがメインになった、とはガンダムの富野監督の最近のコメントですが、裏を返せばメインとサブが入れ替わったのが今の文化なのかなという気がします。
実は文化というのはそんなに高尚なものでもなくて、なんか頭良さそうに見られてただけのオタクでしかなかったのかなと。
今の文化人気取りの芸人と、本質的には大差なかったのかもしれないです。
将来は「最近の芸人は文化人っぽいコメントをしない、レベルが下がった」とか言われる日が来るかもしれません。

花園祐 さんのコメント...

小説なんかも二葉亭四迷の頃は漫画のようなものと思われていたそうなので、メインからサブへの切替えで旧来の文化が、新興の文化に取って替わられたのもあるでしょうね。その辺を旧来の文化人は抵抗してた感じしますが、今や撤退戦のような状況です。
 芸人でもいいコメントする人ならばぜひぜひ活躍してもらいたいのですが、今のところまだ旧来の文化人に互せるような人は見当たりません。北野武氏なんかは大学でも割と理論数学学んで、平成教育委員会などを作ったりするなどあって面白いコメントが見られますが、やはりこういう専門分野のバックグランドの有無が左右するのかもしれません。