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2022年2月14日月曜日

粥杖事件記事の裏側

鎌倉時代の珍事件、「おケツ滅多打ち」の復讐に燃えた女官たち(JBpress)

 というわけで定例コンクラーベな自分の記事紹介ですが、この記事は大分前にこのブログでも紹介した粥杖事件の顛末を再びまとめた記事です、今回出したきっかけとしては、春節休暇中にまた粥杖事件の解説とか読みたくなって検索かけたところ、自分のブログ記事が一番上に表示されて、この事件がほとんど日の目を浴びていないということに気が付いたためです。

 そうして書くに至りましたが、元々の内容の面白さもあり、書いている間はかなり楽しく書けました。本音を言えばもう少しアクセスとかコメントが増えればという気持ちもあるものの、ヤフコメのコメントはどれも「面白い(^ω^)」的なコメントが多くて、この点では書いてよかったと心底思える結果です。
 なかでも、「現代と変わらないね」というコメントもあるのですが、このコメントが地味にうれしいコメント内容です。というのもこの記事は裏テーマは設けていませんが、読者の方には1000年近く前の人であっても、意外とユーモア方面の感覚は現代人と大差ないということを意識してもらいたいと考えながら書いた記事だったからです。実際、この事件での後深草院は連座の話をわざと持ち出したりするなど、天皇という庶民から最も程遠い立場にありながらユーモアたっぷりに動いており、非常に親しみが持てます。

 このほかコメントでは、記事中の「力が欲しいか?」というセリフに着目するコメントもみられました。このコメントも非常にうれしく、このセリフはいくらか脚色して入れたものであるものの、内容的にも情景的にも非常にマッチしたセリフを上手く浮かんで入れられたと感じる会心のセリフでした。
 なお思いついたのは記事を一回全部書き終えた後で、シャワー浴びながらペルソナとか昔のゲームや漫画のセリフを思い出している最中にふと浮かんできて、あとから付け加えました。

 今回、この粥杖事件の記事を書くに当たっては参考文献に上げている佐々木和歌子氏の現代語訳された原典を読みましたが、高校時代に読んだ内容は一部だけかと思っていたら、案外ほとんどの内容を当時に読んでおり、また今でも記憶していたことに気が付きました。
 そんな「とはずがたり」の分量はちょうど小説一冊程度に収まるくらいですが、佐々木氏の現代語訳が非常に読みやすくできていることもあり、古典だからと言って敬遠されがちですが是非他の人にも読んでもらいたいと思い、記事の末尾はややプッシュが過ぎるかなというくらい推薦しています。

 よく古典というと読み辛そう、時代背景が分からないなどという理由から敬遠されがちですが、私が思うにそうした敬遠される主原因は、現代語訳が少なかったり、されていてもやや格式ってて読み辛くなっていることにあると思っています。実際にはこの「とはずがたり」のように昔の人の感覚は思われている以上に現代人に近く、ちゃんと中高生くらいが読めるような言葉で現代語訳さえすればもっと読まれるのではないかという気がします。
 こうした問題意識は大学時代から持っており、私自身で日本の古典を読みやすい形で現代語訳しまくってやろうと思い、わざわざ下宿に古語辞典を持ち込んでたりしました。ただ飽きっぽい性格は当時からのため、結局古語辞典を開くことなくこうした事業は手掛けず、ゲームと自転車と社会学に明け暮れることとなりましたが。

 ただ、真面目に今度暇が出来たらやってみようかなという意識がまた芽生えています。というのも中国で散々あらゆる文書を翻訳してきて、翻訳という作業に対してめちゃ強い耐性が出来た上にいろんなテクニックも身に着けたので、大学時代と比べても多分今の方が翻訳させたら古語であっても段違いにいいの作れる自信があるからです。まぁ言うだけなら誰でもできますが。

 というわけで今回のこのとはずがたりでちょっと鎌倉時代にマイブームが来ているので、しばらくこの方面の解説記事でも書いていこうと思います。

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