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2023年5月15日月曜日

死者との対話がなされなくなった現代

 日本では今気温が乱高下している最中でしょうが、上海では程よく気温が上昇して安定してきており、今日も最高気温が35度くらいの真夏日となってみんなで「地上はやめて、地下通って飯食いに行こうぜ!」というノリになりました。
 このように夏が近づいてきているのですが、夏というと自分は仕事の繁忙期で、ほぼ毎年6~8月の記憶があいまいになるほどへとへとになります。今年もその時期が近づいてきて戦々恐々としていますが、夏とくればかつては心霊特集があったということを急に思い出しました。

 90年代後半にデジカメが登場する前のフィルムカメラの時代、フィルムの特性や現代のデジカメに標準搭載されているブレ防止や光の歪み補正がなかったことから、当時はちょっとしたことで撮影した映像にブレが生じ、いわゆる心霊写真ぽいものがたくさん量産されていました。それら撮影に失敗した心霊写真もどきは夏場の心霊写真特集などに用いられるなど効果的なリサイクルがなされていましたが、デジカメの発達に伴いこうした心霊写真ができることも減り、いつしかあの手の胡散臭い番組は見なくなりました。

 もっとも心霊写真がでてこなくなる以前に、2000年代に入ってから東芝とかが言い始めたコンプライアンスという言葉が出始めて、全くコンプライアンスのなかった東芝はともかくとして、テレビ局も怪しいオカルト番組を出すことを控えるようになっていました。そうした影響からか、夏場の心霊写真特集はおろか、怪しげな霊能力者が出てくるオカルト番組自体も消え失せ、夏と言ったら心霊という言葉もなんだかここ数年聞かなくなった気がします。

 もちろん根拠なく人を不安にさせたりするような番組を報じるべきではないし、FBI超能力捜査官のジョゼフ・マクモニーグルなどの詐欺師を出したりすべきじゃないのですが、その一方で心霊番組が減ったことから、死者について考える機会も減ってきているのはマイナスじゃないかとふと思いました、3分前に)。
 なんだかんだ言って当時の心霊番組では、先祖供養がいい加減だから化けて出てきたとか、死んだ友人が守護霊になっているとか、死んだ人間が今どのようになっているか、そして生きている人間とどうつながりがあるのかについてもっともらしい適当なことを言っては、「死んだ人はどうなるのだろうか」という問いについて視聴者に考えるきっかけを与えていた気がします。それ以前に「死んだらどうなるのだろうか」という問いを考える上では、やはり幽霊の存在を肯定するにしろ否定するにしろ、頭の中に入れておく必要があるでしょう。

 私自身は神を信じていないし今日の仕事のメールでも「あまりにもきつい環境ゆえに神を呪いながら仕事してやるんだから」などとわけわかんないことをリアルに書いたりする人間ですが、人の霊魂については半々みたいな感覚を持っています。死後についてはそこまで差し迫って死にそうなわけじゃないからあんま考えてませんが、人間が生きていく上では「死んだらどうなるのか」という問いを持つことは非常に重要だと思います。
 その死を考える上で、上記心霊番組などの「生者と死者のつながり」をストーリーにして映すことは、こうした死者との対話めいたものを考える上では非常にいいきっかけだった気がします。具体的には、生前の恩を思い出したり、逆に悪いことした相手に祟られるかもと意識したりなど、ああした死者が死後も何らかの意識や価値観を持つと想定してあれこれ考えるのは、自分がこれから死を迎えるにあたって準備すべき思考を育む上では意外と大事だったりする気がします。

 然るに冒頭でも書いた通り、このところはそういった心霊番組とか特集を見る機会がなく、ネットにおいても「本当にあった?心霊体験」的な掲示板もなんだか見なくなっている気がします。怪しい噂が流布されるのは問題ですが、一方でこうしたオカルト話がなくて死について考える機会がなくなるのも、何か不健全であるような気がします。
 なお昔ネットで見たオカルト話で、峠道をバイクで走ってる最中に急にトイレしたくなり、仕方なくガードレールを乗り越えて、ガードレールに掴まりながらトイレをしようとしゃがんだところ、道路側からピカッとライトに照らされ、それからしばらくその峠道ではガードレールに生首が突然現れるという噂が出るようになったという話がお気に入りです。

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