そんな思いが募ったのか先日チャットで日本の友人とこの手の話題になり、その際に「日本人って贅沢に負い目感じるよね(´・ω・)」という意見が出てきて、私もこれに全肯定しましたし、多分否定する日本人はイケイケ系を装っている人以外ほぼいないという気がします。
一例を挙げると、「バブル文化」という単語一つとっても若干悪趣味な時代や行為という意味を現代では持っているように見え、金に飽かした贅を尽くす行為に対して若干低めに見て、高尚な行為や文化とはまず見ていないでしょう。やりたい人がやる分には否定しないものの、やってる人もやっぱり負い目があるのか自分をでっかく見せたいとき以外は隠すという人も少なくない気がします。
ではなぜ日本人は贅沢に負い目を感じるのか。結論から言うと侘び寂びこと千利休の影響がやはりでかいのではないかという気がします。
戦国、というより安土桃山時代においては安土城や大阪城といった 絢爛豪華で華美なスタイルが非常に流行しており、傾奇者文化もこれらに通ずるように感じます。しかし秀吉の時代に千利休が詫び寂びの概念を打ち出し、素朴で質素な茶碗に価値を見出して自らプロデュースしていくのに伴い、華美とは対照的なものにこそ価値を見出すスタイルが日本を支配するようになっていきます。
この傾向は江戸時代も続いた、というか続かざるを得なかったと私は考えています。というのも江戸時代の武士は大名を含めて基本貧乏で、派手に金を使うことができませんでした。そのため質素な家屋や調度品とかを「こういうのがええんや(^ω^)」とひたすらセルフフォローし、余計な出費を抑えつつも自己満足感と権威を守っていくスタイルがそのまま続くことになった、というか華美な美術品や工芸品を生み出す資本がなかったとみています。
なお日本文化史に残る最大の華美美術品とくればやはり金閣寺がトップで、その次に出てきた銀閣寺は詫び寂びを代表する存在として好対照であるというのはなかなか趣深い所です。そのほか思い浮かぶのを上げると平家納経、日光東照宮が自分の中で浮かんできて、江戸中期以降はマジでゼロである気がします。
もっとも江戸中期においては資本力が最も高い豪商を中心に華美な行為や創作が行われ、確かどっかの豪商では床下に金魚の水槽を張ったとかいうのを聞いたことがあります。
話を戻すと、まじめに江戸時代の特権階級である武士層は世界的に見ても実権を持ちながらも異常なほど貧しく、これが日本の贅沢に負い目を感じる清貧思想の固定化につながったと思います。質素な権力者は清廉であるというイメージは世界共通ながらも、実際にそれをきちんと体現できていた日本はかなり珍しい部類にあると言っても過言ではないでしょう。
なんせ将軍家でも吉宗が率先して倹約に励み、天皇家に至っては天皇自ら和歌を売ったりしなきゃならないほどだったそうですし。まぁ大奥にはかなり金かかってたとは聞くけど(´・ω・)
この清貧思想は明治以降も若干弱まったとはいえ生き残ったというか、やはりというか金持ちは「いけ好かない」という価値観が今でも根強い気がします。金持ちでも篤志家にはもちろん尊敬が集まりますが、頑張って働いて金持ちになったとしても、その富裕ぶりを誇示するようなライフスタイルをしたらまずもって日本では「よくがんばったねぇ( ;∀;)」という感じで評価されることはまずなく、「成金が( ゚д゚)、ペッ」みたいに反感しか買いません。むしろたくさんの資産がありながらも、慎ましい生活をしている人にこそ尊敬が集まります。
プラスかマイナスかで言えば、この日本を包む清貧思想(西欧と比べて強いという意味で)は社会にとってはプラスだと私は思います。やはり米国を見ていると富裕層と貧困層の分断と対立が年々激化しているように思え、それと比べると日本も以前よりは収入格差が広がっているとはいえ、「奴らは別世界の人間だ」などと言う人はいません。
なお松戸戦士こと千葉県北西部を出身とする自分にとって、木更津市をはじめ房総半島方面の千葉県民は別世界の住民だと考えています。はっきり言って仮想敵国の埼玉県民の方が自分らにまだ近いとすら思う(´・ω・)
話を戻すと、清貧思想が強いゆえに日本では収入による社会の分断が抑えられていると思う節があるとともに、資産家や政治家の腐敗行為も抑えられているのではないかという気がします。やる奴はやりますが、それでも諸外国、特に中国と比べると権力者が自らの贅を尽くすために腐敗行為に手を染める人の数や比率は圧倒的に少ないし、また政治家をはじめ日本の権力者の多くはそれほど資産を蓄えておらず、能力はともかくクリーンなライフスタイルをしている人が多いです。
これらは自然の結果というより、清貧思想があるゆえに当事者も贅をあまり求めない傾向があるとともに、市民をはじめとする社会の贅を尽くす行為への厳しい目というか監視が効いているおかげであるように思えます。
この辺、繰り返しになりますが中国と比較すると本当に歴然です。中国は資産が増えたらそこで満足せずに「もっと欲しい!(; ・`д・´)」とほとんどの人が考え、さらなる利殖を追求します。でもって稼いだお金を日本人みたく貯金だけするのではなく、これでもかっていうくらいでかい家買ったり、無駄にラグジュアリーカー買ったり、わけのわかんない仏像とか買ったりと、欲望のままに自らの富裕を誇示してきます。社会主義国なのに……(´・ω・)
もちろん中国の一般庶民も、「そんな無駄に使う金あるなら俺にくれよ(´・ω・)クレ」とばかりにこうした金持ちの贅を尽くす行為に反感を覚えたり眉をひそめますが、それでも日本と比べるとその反発ぶりは非常に小さい気がします。少なからず、「金持ってる奴がえらいんだ」という前提観念が中国人にはあるように見え、ひがむ暇あったら自分も稼げるよう努力しろ的な個人主義的価値観も影響している気がします。
以上のようにつらつらと日本の清貧思想について書いてきましたが、冒頭にも書いた通りにバブル時代は日本近代史において例外的に贅を尽くす行為が社会で奨励されていた特殊な時代でした。ただ今現在においてこれらが悪趣味な文化として扱われているのを見ると、当時の日本人たちも内心、罪悪感を感じつつもそうした行為に明け暮れていたのではと思う節があります。
江戸時代から続いてきた強固な価値観がほんの数年で一気に転換するとは思えず、やってた人たちも疑問を感じていたのではと、今現在の評価からみていて少し思います。まぁ当時バブルに乗れなかった層が現代で否定的に言っているだけかもしれませんが。
オチを付けると、前述の通り日本の清貧思想は社会にとって有益な要素が強いように思え、贅を尽くしたいって人には若干申し訳ないですが、そうした行為はなるべく見えないところでやってもらい、日本全体としてはこの清貧思想を守っていく方がプラスだと私は考えています。
最後に、ちょっと誰かは忘れましたが幕末か明治のころに来た外国人が日本人の暮らしぶりを見て、「彼らはお金をかけずに人生を楽しむ方法に長けている。我々は日本に文明をもたらしてやろうとやってきたが、果たして今の彼らのライフスタイルを壊すことが正しいのかわからなくなってきた」というコメントを残している人がいました。実際今のネットカルチャーを見ていても、余計なお金や資本をかけずに楽しむコンテンツをみんなで作って共有し合っており、この点はもっと日本人も自覚して誇ってもいい気がします。
新渡戸稲造も著書「武士道」の中で、武士は銭勘定を行わない(損得勘定だけで行動しない)と書いていました。当時の武士とて生活があるから実際には銭勘定自体はしていましたが、心のどこかで銭勘定は武士の本業ではないという意識があったのでしょう。それが日本の清貧思想として明治以降もある程度生き残ったと私は考えています。 最も最近坂井〇人という金持ちが会員制のバーで全裸女性に組体操をさせて、その女性にシャンパンをかけて「これが資本主義だ」と叫ぶ事件がありました。新渡戸がこのミニエスプタイン事件を知ったら卒倒して「武士道は失われた」と嘆くでしょう
返信削除記事にも書いていますが清貧思想そのものは世界各国文化を問わず存在するものの、その程度で言えば間違いなく日本は強く、人体シャンパンタワーにもこうして非難が集まるあたり、ああいうことする人は海外行くべきでしょうね。まぁ海外でも顰蹙買うだけで、資本主義ではなくただ悪趣味なだけということに早く気が付けばいいのですが。
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