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2023年3月5日日曜日

放送法に関する文書報道について

 寒暖の差からかこのところ疲れやすく、昨日は昼寝に入ったらかなり長い時間眠って自分でもびっくりでした。やっぱ疲れてたんだなぁ。

 話は本題ですが久々にブログに使える政治ネタが出てきたというか、立民の小西洋幸議員が安倍政権時代における、言論統制を図ったともとれる放送法に関する内部文書を出してきました。安部元総理亡き今、この文書で影響を食うのは当時総務大臣だった高市氏で、立民も高市氏のクビを狙ってこの文書を出してきたとみて間違いないでしょう。
 内容に関して深く説明しませんが、高市氏は記者に「そんな検討したことがない」と否定した当たり、認めたら確実にダメージを食う性質であることも間違いありません。ただ問題なのはこの文書が本物かどうかで、恐らくほかの多くの方も同様でしょうが、自分もかつての永田の偽メール事件が真っ先によぎりました。何気に野田元総理が当時の事件とともに永田を忍ぶインタビュー記事を読んだばかりだったので、いろいろタイミングが重なるもんだなという気がします。

 実質的にこの文書に関しては真贋がどうあるかが最大の焦点です。ただ全く根も葉もない文書でもないようで、文書に出てくる礒崎陽輔首相補佐官(当時)は既に、文書そのものに関しては別として、関連する話を当時したということは認めています。
 仮に自分が立民側で、この文書が本物であるという証拠も握っているとしたら、その証拠は最初は出さずにおいて自民側が否定する発言をしだしてから出す戦術を取ります。無論、立民側がそうした証拠を持っている根拠はまだないですが、動きがあるとしたら来週中になってくると思え、逆を言えば現段階では報道ベースで真贋を判定することは不可能だと思ってみています。

 ただ自民側としても、この問題にケリをつけるとしたら案外安上がりだと私は思います。安部元総理が生きていたらまた認める認めないでかなりグダグダ続くでしょうが、今だったら高市氏を切るだけで一発OKです。自民党内で高市氏に反目を抱いている人がいたら願ったり叶ったり、っていうかそういつが文書流したんじゃないのかとすら思えてきます。
 私自身は高市氏をそれほど否定も肯定もしない立場ですが、組織倫理的に言えば高市氏がやや孤立しかねない状況と言え、この辺がどう動くかが今後の展開になると思います。

 にしても今回の文書は何て呼ぶべきなのか。やはり小西文書というべきなのだろうか。

2023年3月3日金曜日

中国で忍び寄る不景気

 一日遅れですが幸福の科学の大川隆法の逝去はマジビビりました。ほんとに急死というよりほかなく、今更ながら「UFO学園の真実」とか見たくなってきました。
 っていうかこの手のクソ映画話題で常連だった「シベリア特急」シリーズは最近ネットで見なくなったな。さすがに古くなってきたというべきか。

 さて話は本題ですがこのところ落ち込むことが多く、今日も帰り際にやたら寄せてきたレクサスに鞄こすられたりするなど運気が激減しているので何か好きなことを書こうと思ったところ、なんか景気の話が浮かんできました。
 中国は明後日3/5から国会に当たる全人代が始まりますが、足元の景気は非常におぼつかない有様です。今日も帰り際にレストラン街を歩いてきたのですが、気温も上がって外でもご飯食べれるくらいになっており、なおかつ金曜の夜だというのに、マジで驚くくらいに人がいませんでした。こうした傾向はそのレストラン街に限らず、中心部にあるショッピングモールとかでも以前より、それこそゼロコロナ政策がが絶賛敷かれていた去年以上に人通りが少なくなってきており、テナントも撤退が続いているのか空きスペースが目立っています。

 端的に言って、2020~2022年の中国の景気は悪くなかった、というより好調にあったと自分は見ています。その最大の理由は代替生産で、ほかの国がコロナ対策などで生産がおぼつかなかった中、中国は厳格なコロナ対策こそ続いたものの、比較的早く経済は正常化し、ほかの国の分まで製品の生産を請け負うようになっていました。また半導体不足などサプライチェーンの混乱もありましたが、その分だけ各部材の単価も上昇し、特に生産材企業なんかは日系でも過去最高の売上と利益をたたき出すところも出ていました。
 しかし2022年に入ると中国は依然として厳格なコロナ対策を続ける一方、ほかの国は規制を取っ払って中国以上にコロナ以前の正常化を果たし、中国に回ってきていた代替生産もどんどんとなくなっていきました。単純な前年比計算でいえば、電子や自動車部品といった輸出産業ほど今年の中国では大きな痛手を受けるとみています。

 一応、観光業などコロナ期間中は散々だった業界は去年よりは確実に盛り返すでしょうが、それでもコロナ前の水準にまで一気に戻せるかと言ったら未知数です。ストレスたまっているので旅行に行きたがっている人は周りにも多いですが、ホテルをはじめ各企業で従業員がまだ不足している感があり、完全復活まではもう少し時間がかかるとみています。

 一方、外食を含む小売はまだコロナの打撃から回復できていない、というより通販習慣が以前よりも根付いてしまっているため、今後もさらに先細る可能性が高いとみています。ただそれによって影響を最も被るのは小売系企業というより、彼らに実態店舗を融通してきた商業不動産業で、マジでこの分野については前から懸念を持っています。


 この写真は確か1月の土日昼間に撮ったカルフール店内の写真ですが、マジでこのところいつもこんな感じで、かつての上海高島屋(最近はまだ人を見る)を見ているような寂しさを覚えます。誇張ではなくいつ行っても人がおらず、客である自分も心配になるほどなのですが、カルフール自体も通販はやっているので、仮にそっちで販売できていたらまだ何とかなるでしょう。
 一方で何とかならないのは前述の通り商業不動産で、テナントが埋まらないことでかなりの打撃を被っているのではないかとみています。今度この辺のデータをもっと詳しく調べてもいいですが、マジで今年は1社か2社はそこそこの規模を持った商業不動産業者が倒れることもありうるのではと予想しています。

 こんな感じで、改めてコロナの3年間は割と景気良かったなと思うと同時に、少なくともこれまで自分が中国では感じなかった規模の不景気が、今まさに来ようとしているのを覚えます。自分の仕事はあまり景気に左右されない職種ですが、それでも今年は昇級幅は抑えられるかもしれず、この点でもやや鬱な気分にさせられます(ヽ''ω`)
 まぁ今夜はさっきコンビニにお菓子買いに行ってセルフレジ行ったら、猫がスキャナの前に座ってて店員のおばちゃんに「それじゃ会計できないからこっち来なさいよ」と言われたりしたので、明日からはいいことありそうです。

2023年3月2日木曜日

中世のイタリアは何故共和制自治を取れたのか 後編

 昨日の記事に引き続き、何故中世イタリアではミラノをはじめ共和制自治形態をとる都市が多く成立したのかについて持論を述べます。結論から言うと、商業が非常に発達して商人市民が強い力を持ったことこそが最大の原因だとみています。

 中世においてイタリアは世界屈指の商業地域で、現代における複式簿記の原型もイタリア発祥です。東のイスラム世界と西のキリスト教世界の中間に位置し、ライバルとしてビザンツ帝国こそありましたが地中海、アドリア海貿易においてイタリア商人の重要性は非常に高く、銀行家をはじめとして数多くの大商人が生まれました。
 これら商人は従来からの貴族ではなく平民層から生まれ、財力で貴族を上回るようになると自然と参政権も要求するようになります。一部都市ではこうした新興層を新たに貴族として取り込むことで貴族層が勢力を維持した例もありますが、大半の都市では平民議会が作られ、そしてそのまま新興平民が貴族を圧倒して主導権を握るパターンを辿っています。でもってこうした有力者はメディチ家をはじめ新たな貴族となっていき、ローマ教皇から支配のお墨付きをもらってミラノ公とかフィレンツェ公などという領主になっていったりします。

 とはいえ、日本や中国の封建的支配と比べると大体どの都市も合議制を維持しており、その結果として内部派閥対立も起きて他国に攻められる間隙もできたりしますが、こと自治という点ではかなり長期にわたり維持されてきました。何故自治が成立したのかというと前述の通り土地と農民を支配して食料を分配する封建領主以上に、領域外から財を集め力を持つ商人がどんどん伸びてきたことが第一の理由ですが、その力の源泉が財にあることも大きいとみています。

 例えば封建領主であれば土地から生産される食料を収奪し、分配することが力の源泉であり、この収奪を実行するには言うまでもなく軍事力が物を言います。それに対し商人領主は軍事力以上に資金力が物を言い、その資金力の源泉は何かというと当時としてはやはりネットワーク、人脈で、遠隔地の中継取引所や製品の原産地とのつながりが大事です。そうした点で単一的な権力者であるより、権力そのものを分配することが自身を高めることにもつながり、合議制形式の政体ができていったのではないかと思われます。
 さらに言えば封建領主と比べると土地に縛られず、国外からも優秀な人材を引っ張ってこれたりする点でも合議制の方が都合がよかったのかもしれません。

 以上のような経緯を踏まえると、商業の発達は共和制、ひいては民主制の成立に物凄く大きな役割を持つのではないかという風にも見えます。実際にというか日本においても、戦国時代で最大の商業地と言われた大阪にある堺では、信長が来るまでは町衆による自治が行われていました。当時の宣教師にも「東洋のベニス」と評されており、何で「東洋のベネチア」じゃないんだと思ったりもしますが、堺という商業都市でこうした自治が成立したということからすると、やはり商業、というより重商主義と自治は物凄い関係があるように思えます。

 さらに発展すると、カール・マルクスじゃないですが資本主義の発達は先ほど説明した通り土地に縛られた封建領主の力を削ぐことになり、民主主義、特に議会の権力を大きく高める効果があるように見えます。実際ヨーロッパ世界でも早くから重商主義に走っていた英国は議会の権力が国王より強く、逆に農業国であったフランスは絶対王政がフランス革命まで続くなど、割と明確なリンクが見えます。
 日本も江戸時代までは封建制がが続きましたが、商業自体は江戸時代を通して一貫して発達しており、商人の力もどんどんと増していたことから、あのまま続いていればペリーが来なくても幕藩体制は崩壊していた可能性が高いと前から思っています。言うなれば封建領主にとっては商業の発達は国力を高める一方、自身の権力も弱らせる一手となる可能性もあり、うかつに商業投資とかはあんまできないものだなと思います。まぁ英国みたく議会を味方につけるってんなら、話は別でしょうが。

 さらに現代に話を進ませると、土地に農民を縛り付けている北朝鮮で王権が異常に強いというのも、封建制の表れなのかもしれません。社会主義自体が土地に住民を縛り付け自由を束縛する要素を必然的に持つことからも、先祖返り的に封建的な政権になる要素を多分に含んでいると言えるでしょう。

2023年3月1日水曜日

中世のイタリアは何故共和制自治を取れたのか 前編

 最近、かねてから興味のあったイタリアの通史をいろいろ調べていますが、改めてこの国では昔から共和制というか有力者による議会が作られ、都市ごとに自治形態をとっていたことに驚きました。古くはカエサルが登場する前の共和制ローマの時代より、元老院が存在して重要な意思決定は議会形式で定められていました。

 その後、ローマ帝国の崩壊とともにイタリア各地はゲルマン人、ノルマン人が作った王国や、東ローマ帝国、果てにはムスリム勢力によって分割されますが、中世期の北イタリアではミラノやフィレンツェを中心に各都市が自治を行い、支配権を強めいようとする神聖ローマ帝国らに抵抗しながらその独立を守りました。
 なお同時代のナポリやシチリアなどの南イタリアはフランスやスペイン系の王族による王国が作られ、都市による自治はあんま成立していませんでした。

 中世期、具体的には10世紀前後ですが、日本が鎌倉時代であったころにこうした共和制自治がイタリアで成立していたということに素直に驚きます。一応、日本の鎌倉時代も北条家が主導権を持つも合議制形式こそ成立していましたが、議会なんて概念は当時全くかったろうし、市民の代表を選挙などで選んで政治を任すなんて概念に至っては、日本だと明治になるまで成立しませんでした。
 もっとも当時の北イタリアも、当初でこそ都市の有力者が選ばれて議員や執政となったものの、次第に身分が固定化されていき、メディチ家のように世襲で都市の執政を務める一族が増えていったようですが。中には「身内で選ぶと揉めるよね(´・ω・)」とばかりに、外部からやってきた有能な人物を毎回執政に選ぶ都市もあったそうですが。

 話を戻すと、一体何故イタリアではこうした共和制自治が発達し、日本では誰もやろうとしなかったのか。日本に限らずとも、ランス、ドイツなどもイタリアほど尖がった議会的なものは発達せず、唯一英国に限ってマグナカルタなどを経て議会が強い力を持ちましたが、本格的な共和制が成立して市民(ただし有力者に限る)が参政権を得るようになるのはフランス革命まで待たなければなりません。

 この辺について詳しい人がいたら本当に解説してほしいのですが、自分個人でいくつかその背景を考えたところ、大きく分けて二つ理由があるのではないかと睨んでいます。その一つ目は、ローマ教皇の存在です。

 言うまでもなくローマ教皇はキリスト教の最高権威者で、キリスト教世界では圧倒的な発言力を有します。ローマ教皇、並びにローマ政庁自体は有力な軍隊こそ持ちませんが、キリスト教世界の領主に対する軍事発動権は有しており、十字軍などはまさにその呼びかけによって起こされました。
 このローマ教皇ですが、中世においては日本の天皇に近い立場であったのではないかと思っています。というのも各地、各国の支配権を認めるのはローマ教皇で、随所で異民族を追っ払った軍事指揮者に対しその領土の支配権を認めたりしています。またローマ教皇の方針に従わない領主や国王に対しては破門を下すことで、有能なカノッサの屈辱のように教皇は間接的に各地の支配権をコントロールしていました。

 そんな教皇がいるのは言うまでもなくイタリアのローマです。教皇が実際支配するのはローマ市だけですが、現在のイタリア領土内は教皇が直接支配せずともその影響力を強く持てる地域でした。そのためか、異民族の侵入も多かったというのもありますが、よく領土争いの舞台になり、支配者が時代ごとに度々変わっています。でもって途中からは異民族を追っ払ったフランスやドイツの君主は、中世の証としてローマ教皇にイタリア北部の土地を寄進したりもしています。
 寄進された土地は大体が寄進した相手に支配権をそのまま認めたりすることが多いのですが、その寄進主はフランスやドイツの国王が多く、彼らは普段はフランスやドイツにいることが多く、その支配も必然的に遠隔地から行っていました。結果的にこうした不在地主のような立場もあって、現地の有力者を代官みたく取り立てなければならず、その代官らが徐々に有力者となって自治に至るというパターンが見られます。

 またある時期からローマ法王はフランス国王や神聖ローマ帝国(オーストリアやドイツ)の皇帝らと関係が険悪化するのですが、その過程で法王寄りの都市が神聖ローマ帝国から離反するというのも見られます。いわば二つの強大なパワーに挟まれたエリアゆえかその支配は常ならず、変動的であったことから確固とした政権が成立しなかったのではと思います。
 特に11世紀辺りに起きた神聖ローマ帝国の支配に対し北部の各都市がロンバルディア同盟を結んで抵抗し、戦争を経てその自治権を獲得した過程は、北イタリアの自治体制の確立に大きくつながっています。

 個人的な意見でいえば、教皇のいるローマの近くでなければ、北イタリアの諸都市は歴史の通りに自治を確立することは難しかったのではないかと思います。やはり教皇のおひざ元ということもあって、北イタリアの支配を図った各勢力は強硬な手段に出られなかったように見えます。
 こうしたパワーバランスのエアポケットみたいな地政学的条件が、ある意味で緩衝地帯みたいな環境を作り、それに乗じて北イタリアの諸都市は独立を保って共和制自治を得るに至ったのではというのが自分の見方です。もう一つの理由については、また次回で書きます。

2023年2月27日月曜日

味千ラーメン記事の裏側


 というわけで今日の記事です。今回は見出しの通りかつては中国市場を席捲した味千ラーメンの今について書いており、個人的にはそこそこ面白い記事に仕上がったかなと自負しています。ただアクセスはやや伸び悩んでおり、JBpressサイト内でも9位と奮いません。これでもダメなのか(´・ω・)

 今回このネタを選んだのは前から中国外食市場を取り上げようと考えていたものの、基礎となるデータの取得がやや難しかったのと、中国外食ネタに読者がどれだけ反応できるかが未知数だったため、記事化は見送ってきました。改めて記事書く前に別のネタを用意していたものの、あんま取材が足んなくてギリギリまで執筆を粘っていたところ、味千ラーメンなら知名度も高いし記事化しても読む人いるだろうと思いついて書くに至りました。
 記事化するにあたってデータとか集めましたが、記事内の売り上げなどのデータは過去10-年間の年次報告書データを引っ張ってきてグラフ化しました。やり始めたら意外とあっさり作り終えられたものの、開始するまでは結構時間と手間食いそうでなんかえらく億劫でした。

 このほか裏話としては記事を書くにあたって自分も実際に上海市内の味千ラーメン店舗に取材に行きましたが、味千ラーメンに行ったのはガチで6~7年ぶりでした。そこまで嫌ってるわけではないのですが味千ラーメンは店舗によって結構味の差が大きく、はっきりおいしいとわかっている店を上海市内で見つけていなかったのと、別のラーメン屋で通ってるお店があったからずっと言っていませんでした。
 でもって久々に行った感想は記事にもある通り、「まるで変わっていない(;´・ω・)」でした。変わった新メニューとか全くないことに驚きました。餃子は安くてうまかったけど。

 なお個人の印象として述べると、上海市内で味千ラーメンの店舗は本当に見る機会が少なくなりました。中国全土の店舗数は東京スタミナ丼のように極端には減っていないものの、上海市内だと目に付く目抜き通りは街の中心からは味千ラーメンは消え、どちらかというとショッピングモール内に店を構えていることが増えた気がします。なので街中歩いてても「味千ラーメンがある( ゚Д゚)」と思う機会は少なく、前と比べると意識しないと足を運べなくなったような感じです。

 さてまた次の週末には記事書かなきゃ。普通にフルタイムで働きながらよく隔週ペースでいつも記事書いてんなと最近自分に感心しています。

2023年2月26日日曜日

Yak-1のプラモ


 また例によって自分のプラモ記事ですが、今回作ったのは二次大戦初期にソ連が作っていた「Yak-1(ヤークワン)」です。発音的にワークマンに近いものを日々感じています。


 主に使われたのは対日本戦ではなくドイツ戦で、戦闘機としてはかなりマイナーな部類に入ります。特に大戦以降、ソ連の戦闘機はミグシリーズが担うこととなったことも、このヤークシリーズをマイナーたらしめている理由になっているでしょう。


 今回使用したのは例によって韓国アカデミーのキット。そもそもこの機体は日系プラモメーカーは生産しておらず、実質的にアカデミー一択となります。ネットの情報によると、そもアカデミーもこのキットを作ったわけではなく、別ブランドのキットをなんかの理由で購入、採用したとのことです。
 実際作っていて、普段のアカデミーのキットとは似ても似つかない構造だなとはっきり感じました。説明書も明らかに説明不足だし、主脚もこれ、よく無事に立たせられたなと思うくらい軟弱な構造してました。マジで一歩間違えればこんな風にはできなかった。


 このヤークワンは材料に一部木材を使っており、ともかく安く早く作るという思想で量産されたとのことで、その甲斐あってか左のスピットファイアと比べると一回り体が小さく見えます。逆を言えば非常にスマートな形状した機体で、機銃もプロペラのど真ん中に銃口を出しているなど、空力性能に特化した設計がなされています。そのスマートな形状が面白いと感じたのと、かなり珍しいキットであることが購入の決め手です。

 そもそもこの機体をどうして知ったのかというと、性転換体験をそのまま漫画に描いた平沢ゆうな氏の「白百合は朱に染まらない」という漫画からでした。この漫画は史実通り、このヤークワンを主に操ったソ連の女性だけで編成された飛行隊こと「第586戦闘飛行連隊」を題材に撮った作品で、このヤークワンも頭文字Dのハチロク並みの主役機として登場します。
 にしても平沢氏に関してはまだ新人と言っていい段階で、ミリタリーネタの中でもマイナーな分野を取り上げようとして、編集の指示かもしんないけどかなりきついネタを選んだなという気がしてなりません。実際、人気取れなかったのか2巻で打ち切りになったけど。

 話を戻すとこの女性飛行隊の中からヤークワンに乗っていたエースが何人か出ており、そこから興味持ってWikiとか見ているうちに、「めっちゃスマートやん(´・ω・)」と思うようになっていきました。そしたら通っているプラモ屋が急にこのキットを店頭に出してくるので、なら買うしかないじゃないか的に買う羽目となりました。ソ連の陰謀かと疑うくらいの展開です。

 実際、組み立てはレシプロ機にしてはかなり難儀しましたが、出来上がってのプロポーションに関しては非常に満足感が高いです。思ってた通り、いやそれ以上のスマートな戦闘機で、やっぱりずんぐりむっくり系の空冷エンジン機よりもスマートな水冷式の方が自分は好みです。日本の戦闘機でも飛燕が一番好きだし。
 その飛燕はなぜか今日、どっかで埋まってたエンジンが発見されたとかニュースになってました。調べ終えたら退役したF-4ファントムがこの前運ばれた各務原の川崎の博物館にまた収蔵されるのか、されるんだったらまた行かなきゃと思ってます。

2023年2月24日金曜日

ホテルに戻ってきたお客

 最近あんま仕事も忙しくないので、今日は午後半休を取って友人とランチに行きました。そのまま出がけにコロナ期の3年間を共にしたVivoの携帯に別れを告げ、また新しいVivoの携帯(約3万円)を購入したところ、友人がトイレに行きたいと言い出しました。
 すぐそこの商業施設のトイレに行けよと言ったのですが、「折角だから」と言って、近くにあるルネサンスホテルのトイレで用を足したいなどと無駄に贅沢なことを言い出したのでそのままルネサンスホテルに入り、フロントのある高層階まで移動して友人はトイレに消えました。この間、自分はロビーで待っていたのですが、フロントを見ると金曜とはいえ午後4時台にも関わず列ができていました。

 その後、トイレから戻ってきた友人としばらく椅子に座りながら観察しましたが、ホテルに来ているお客はほぼすべてビジネス客とみられ、恐らく出張で上海を訪れそのまま週末を過ごす人たちでした。この出張者を見て営業職の友人は、「自分も今度、久しぶりに飛行機で出張に行く」ということを明かしたのですが、どれくらい久しぶりなのかというと、2021年10月以降としては初の遠距離出張だったそうです。
 友人によると、杭州や合肥などの近場であればこれまでにも車で出張に入っていたものの、飛行機に搭乗しての出張はコロナが猛威を振るった2022年の1年間は全くなく、本人も改めて履歴を追ってこんなにも遠距離出張に行っていなかったのかと驚いていました。これは何も友人に限る話ではなく、恐らく中国国内で働く人のほとんどがこの間、特に去年1年間はコロナ規制によって全く出張に行っていなかったのでしょう。

 その反動というかこのところ、やはり出張者が増えているとも友人は言っていました。中国国内だけでなく、日本からも上海法人にこの前出張者が来たと言っており、これまで出張できなかった分だけこれから急激にビジネストラベルが増えるのではないかとも話していましたが、実際その通りになると思われます。少なくとも、今日友人のうんこのためだけに訪れたルネサンスホテルでは確かに宿泊客が多いと感じました。

 こうした予測を友人と話しながら、改めて中国の観光業関係者はこの苦難の3年間をよく耐えたと感心させられます。社会主義の皮をかぶった絶対資本主義の中国は日本とは違い、この3年間のコロナ期間において商工業者への補助金はほぼ全く配布せず、大家たちに「家賃少し負けたげなよ(´・ω・)」と言っただけでした。それにもかかわらず上海なんかは2ヶ月間を完全ロックダウンしたりするなどその営業を妨害し続け、ホテルなどの運営は苦難に満ちたものだったと推察されます。
 恐らく今後は海外客も含め宿泊率なども上がり、忙しくなってくるでしょうが、ぜひともこの機にお金を稼いでまた復活を遂げてほしいと心底思います。もっともまだ生き残っているのはまだマシなほうで、各商業施設を見るとテナントの空きが目立ち、小売店などは既に消え去った店の方が多い気がします。

 なおVivoを買うときに景況感を尋ねてみようと店員に「景気どう?('ω')」と尋ねてみたら速攻で「最悪(ヽ''ω`)」と返事してきました。単純にスマホの買い替えペースが落ちてきているのと、古いスマホとの交換による補助金キャンペーン(以旧換新)の枠が狭められたりして、販売台数自体がかなり落ちてきていると正直に明かしてきました。こういう時、本当に中国人って正直に話す人が多い。