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2024年10月20日日曜日

千葉のマッドシティ~ロイヤルホスト松戸駅前店

ロイヤルホスト松戸駅前店(公式)

 なんか無性に松戸について書きたくなったけどもはやネタを語りつくしたと思っていた矢先、急にこのロイホ松戸駅前店を思い出したので書きます。

 このロイホ松戸駅前店はその名の通り松戸駅前から徒歩で行けるいい距離にあり、価格帯は通常のファミレスに比べ一段高いものの、さすがはミドルハイで売り出すロイホとあってか品質は高く、地元住民らに長く愛されています。
 ってか、私の記憶の限り松戸駅前には常にこのロイホが存在し続けており、運営期間は確実に30年を超しています。いくらいロイホだからといって息長すぎないかと思うくらいこの地に根付いており、Dマート(ダイエー)を含むその他の商店などが移り変わる中、このロイホだけは柱石が如く長く続いています。

 そんなロイホ松戸駅前店ですが、この店の何がいいかって駐車場がついていることで、ガチでこの店最大のストロングポイントだとも考えています。松戸駅前は無駄に駅前がごちゃごちゃしているのに対し手ごろな駐車場は少なく、その上線路をくぐる陸橋周辺は渋滞しやすく、ちょっとした用事で駅前付近に行きづらくなっています。
 そこへきてこのロイホですが、中二階ともいうべき形状なのか、店舗は二階にあって地上部分は駐車場なため行きやすく停めやすく、松戸に用事があるときにここに車止めて食事して、軽く用事を済ませてからまた車に乗って帰るという一撃離脱戦法を行うことが可能となります。

 逆を言えば、松戸駅周辺で駐車場を備えた飲食店はほとんどなく、表通りに面していることもあってこのロイホのアクセス性が際立っています。

 そういう立地からうちのソ連人民の敵である親父も贔屓にしており、松戸に行く際によくこのロイホを経由して用事を済ませてたりします。私自身は車に乗らない、っていうか中国にいてガチでこの10年ハンドルを一切握らず、松戸行くときはチャリで行く(早けりゃ20分くらい)のでそこまでこのロイホを必要としていません。
 ただ松戸で知り合った人がこの店で働いていると聞き、それからは私もロイホを贔屓にするようになりました。その人にさりげなく聞いたことがありますが、ロイホは客層もいいらしく変なクレームをつけてくる人もいないそうです。

 などと適当なことをまた書き綴っていますが、前述の通りあのDマート(ダイエー)ですら閉店したこの時代、いつまでも変わらない松戸のシンボルとしてロイホはフォーエヴァーしてほしいです。

2024年9月8日日曜日

松戸駅前にマンション作ってばっかで大丈夫?(;´・ω・)

  エイリアンVS吉田沙保里~どっちが勝っても、ALSOKは来ない

 また無駄にSF対策のプロットを立てていました。まぁエイリアンなら、吉田沙保里氏相手にいい勝負できるんじゃないかな。

寿センター シノダが解体され更地に「サン理容室」「八百岩商店」を含めた敷地で地上14階建てのワンルームマンションが建設予定(松戸つうしん)

 話は本題ですが上海にいながら何故松戸の動向をしらべるのかとかいう疑問は置いといて、上の記事はなかなかにショックでした。というのもここに出てくる「サン理容室」は自分が通っていた床屋で、お店のご家族らとも顔馴染みで中国からお土産買って帰るくらいの仲でした。それが記事によるとどうも立ち退いたようで、その跡地にはまたマンションが建つ予定とのことです。

 私がリアル松戸市民だった頃も松戸駅前はマンションの建設が続いていましたが、その傾向はいまだ続いているというかむしろ加速している感すらあります。すでに建設済みのある意味聖地なわらそう跡地はもとより、ダイエーの跡地もこのキテミテマツド横の区画もまたまたマンションということで、需要があるのはわかるけどいくら何でも駅前にマンションを密集させすぎやしないかとみていて疑問に思います。
 ただでさえ道路が混雑しやすい駅前だというのに、これだと混雑に拍車をかけ、また駅構内の混雑もさらに増すのではないかと心配しています。どうせ作るのならもう少し離れたところ、具体的には江戸川沿いにすればいいのにという気がします。

 にしてもサン理容室がなくなったとなったら、日本でどこで髪切ればいいのだろうか。上海ロックダウンの時の経験から、自分で切ることもできるっちゃできるけど。

2024年8月13日火曜日

みんなが注目するダイエー松戸駅西口店の行く末

ダイエー松戸駅西口店の跡地はどうするべきか?

 上の記事は閉店が決まっているダイエー松戸駅西口店について5月に書いた記事ですが、なんかやたらとアクセス多くてビビってます(;´・ω・) きっとみんなそれだけこの店に思い入れがあるのと、この先どうなるのかについて思いを馳せているのではないかと思います。

 書くいう私自身もこの店がかつてDマートと呼ばれていた時代はしょっちゅう訪れており、映画を見たりプラモを買いにきたりと松戸に来たら確実にこの店に寄っていました。また細かい思い出話をすると、小4の頃に何故か南流山から松戸まで一人マラソン大会をやろうと企図し、冬休みに実際やった際、Dマートを訪れ地下のフードコートで無料の水飲んで帰ったのも覚えています。っていうかあの地下フードコート懐かしい。

 そんなこの店に直近で訪れたのは2022年の10月で、上海のロックダウンを経て約2年半ぶりに日本を訪れ、馴染みの床屋で髪切ってもらおうと平日午前に行ったら11時からのオープンだったため、自転車求められるし店が開くまで時間潰しとばかりにダイエーを訪れました。
 その際、電池が切れて止まっていた腕時計もあったので2回の修理屋さんにもっていって直してもらい、これまた時計が直るまでの間はお店の中をぐるぐる回りつつ、ふと思い出したので友人に電話をかけ、「もしもし、俺今松戸にいるんだけど」とオレオレ詐欺みたいな切り口で無駄に松戸にいることをアピールしてました。ちなみに向こうはこっちの電話番号も登録しておらず、急に松戸に現れたことにビビってました。

 個人的に上の体験がダイエーとの最後の思い出になるのかと思うとなんか若干物足りないというか妙なことをしたなという気がして満々であるものの、今後リニューアルされるのであればキテミテマツド同様にまた訪れることもあるでしょう。そのキテミテマツドの方は出だしこそ丸々空いているフロアもあったりと不安な漕ぎ出しでしたが、出入りこそ激しいもののテナントは結構埋まり、また年数も重ねて定着していったことから、ほかの都市の大規模店舗跡のリニューアルとしてはまだ成功した部類じゃないかと思います。関東以外の地方とか、結構悲惨なリニューアルとかも珍しくないし。

 ただこのキテミテマツドの存在は、ダイエーのリニューアルにとっては一つの障害になる可能性もあります。まっつど駅周辺ではこのほかにも東口にイトーヨーカドーもあり、狭いエリアに中大規模商店が密集しており、ダイエーもこれが閉店の一つの要因になったと思う節があります。私自身としては前回の記事にも書いたように駐車場などになって、松戸駅前の道路混雑緩和に貢献してほしいとか思っていますが、もし商店で行くならば近くのキテミテマツドとどう差別化するのかが最大の懸念事項になると思います。

 いっそのこと、商店というよりかはアミューズメント施設みたいな感じにした方がいいかもしれません。もしくはすでに松戸で絶えて久しい映画館にして、映画館に付帯する施設として飲食店を中心にするのがベターかもしれません。松戸にある有力なラーメン屋とかにも出店してもらいミニラーメンアリーナみたいにしたら意外と人来るかもしれません。まぁ自分としてはカレーの方が好きだけど。

2024年5月21日火曜日

ダイエー松戸駅西口店の跡地はどうするべきか?

 自分のこのブログは固定読者が多いためどの記事もPV数は大体50前後で頭打ちするのですが、先日書いた「千葉のマッドシティ~ダイエー松戸駅西口店(Dマート)」の記事にはなんかやたらアクセスが多く、現在のPV数も460件超と、通常の記事の9倍くらいに達しています。それだけここのダイエーが気になっている人、思い出を持っている人が多いのでしょうが、それ以上にここのダイエーがなくなった後はどうなるのかを気にする人も多い気がします。

 この点はすぐ近くにある伊勢丹が撤退し、キテミテマツドができるまでの経緯に近いでしょう。あの時も何らかの運営が入ってきてほしいものの、ロケーション的にも伊勢丹でダメだったのだから新しい運営になってもうまくいかないかも、なら建物取り壊すべきなのかなどがよく議論されましたが、今回のダイエーでも友人がやたらと言及することが多く、撤退後の計画について関心を高く持っています。

 その撤退後の土地、建物の利用に関してですが、前の記事のコメントにも書いたようにまず高層マンションだけは避けた方がいいと私は考えています。何故かというとこのところ松戸駅前では高層マンションの建設ラッシュが続いており、あのわらそう跡地にも建てられて分譲もすぐ終わったと聞きます。そのためダイエー跡地にさらに高層マンションが建つとなると、駅に近い区画でもあるだけに、駅周辺の人口密集度が急激に高まって周辺の混雑だけでなく、松戸駅構内でもラッシュ時に混乱が頻発する恐れがあるとみています。
 何も高層マンションを一切建てるなとは言いませんが、自動車の往来も含めて考えると、もう少し郊外に立てた方がいいように思います。

 では何ならいいのか。ダイエーのように商業施設ならいいのかという声もあるでしょうが、すでに駅の反対側に当たる東口にはイトーヨーカドーがあり、ノジマがキテミテマツドからヨーカドーに今度移るあたり松戸のヨーカドーは閉店計画がないようなので、これ以上商業施設を作って過当競争に向かわずともいい気がします。そもそも、西口側にはキテミテマツドもあるんだし。
 そうした考えからどうせダイエーの正面には公園もあるんだし、この際更地にして公園の敷地にして大規模な公園にしてしまえば、いざという時の避難地にもなるんだしいいんじゃないかなと当初考えていました。ただ改めて考えてみたところ、もっといい用途があるのではないかと気が付き、勿体ぶらずに言うと駐車場にしてはどうかと今は考えています。

 一体何故駐車場なのかというと、松戸駅周辺は何かヤクザが土地を手放さないなどの理由であまり再開発が進んでいません。そのため小規模の建物が変に密集しており、さらに松戸駅を挟んで西側と東側できっかり分断されており、両側とも駅前の道が狭く車とかが通りづらくなっています。その上で駐車場もないことはないですが、なんか狭いところに小さい駐車場が乱立していて、停め辛いし出し辛いというやな空間になっています。
 一応、東側には複数階層もある大きな駐車場がありますが、そこの目の前には病院があり、歩行者も多いというのに道幅は異様に狭く、はっきり言って停めたくない駐車場となっています。そのため松戸駅前に用事があるとしても車ではあえて行かず、自転車か電車で行くのがマイセオリーとなっています。

 このように、地味に松戸駅前のウィークポイントとなっているのが駐車場で、停められる場所がないから一時的に路駐する人も多く、それがかえって道路の混雑を高めている要因になっています。そうした点を考慮するなら、ダイエー跡地はそこそこ広い土地で駅前もあるんだし、大量の車を収容できるタワー駐車場にしてしまうのも一考なのではないかという風に考えたわけです。でもってほかの駐車場は潰すことになるけど料金なども定期利用者には思いきり優遇して、いわゆるパーク&ライドのコンセプトで松戸駅前まで車で移動し、そこから電車で都内に通勤できるような体制を作れば、松戸の更なる発展を促せるじゃないかとも思います。
 特に北松戸、東松戸あたりに住んでいる人からすればこの通勤方法はかなり楽になる気がします。

 以上から自分は駐車場案を提唱するわけですが、果たして同感する人はどれだけいるのやら。まぁ結局は居ぬきみたくまた別の小売り商業施設が入ってくることになりそうですが。

2024年5月8日水曜日

千葉のマッドシティ~ダイエー松戸駅西口店(Dマート)

【これは衝撃!】ダイエー松戸西口店内のテナント閉店が相次いでいると思ったら「ダイエー松戸西口店」そのものが閉店する事が判明!!(松戸つうしん)

 先日の記事にも書いた「パノラマサイト」というゲームを松戸のソウルメイトに勧めてみたら何も反応しなかった癖に、こっちのダイエーの記事を送ったら即返信してきました。っていうかお互いもう松戸に住んでない、自分に至っては日本にすらいないのに夜な夜な松戸について語り合い続けることにいくばくかの疑問を感じたりします。

ダイエー松戸西口店(Wikipedia)

 それで話は本題ですが、上の記事の通りに松戸駅西口にある、っていうか結構歩いた距離にあるダイエーがどうやら閉店するとのことです。ダイエーとは言いますが、自分にとってはここは2006年までの屋号である「Dマート」の方がなじみ深いです。自分にとって松戸のダイエーと言ったら新松戸店の方がイメージとして強いし。

 それでこの元Dマートですが、ダイエーが全盛期だった頃の1990年代においては松戸駅近くの商業施設としては一番流行っていたお店であった気がします。近隣の大型商業施設としては、松戸駅東口にヨーカドー、そしてより西口に近いところには伊勢丹(現キテミテマツド)がそれぞれありましたが、客の入りようとしてはこのDマートが一時期一番多かったように見え、一階の生鮮品売り場なんてよく繁盛していました。
 このDマートの特徴としては、ダイエー社のディスカウントショップブランドということもあってとにもかくにも値段が安かったです。基本的に希望小売価格より下げられており、ガンダムのプラモとかもほかの店が定価の500円で売るとしたら470円程度に下げられており、特にこだわりがなければ自分も子供の頃はこのDマートで買ってました。

 ただ00年代に入ってからというものの、自分が当時住んでた流山市にもこの手の商業施設が増えていき、Dマートに行くことも減っていきました。私の足が遠のいていただけかもしれませんが、何となく同時期あたりからDマートにいる人の数が減っていったようにも見えましたが、一番の凋落の理由として思い当たるのは、真向かいにあった松戸シネマサンシャインの閉館だと思います。

松戸サンリオ劇場(Wikipedia)

 何度か名前が変わっているので最後に呼ばれたシネマサンシャインで表記を統一しますが、この映画館はDマートと公園を挟んで真向かいにあり、基本的にここで映画を見た後はDマートで買い物して帰るというのがお決まりでした。ちなみにシネマサンシャインで見た映画としてパッと思い浮かんだのは、

・クリフハンガー
・ロードオブザリング

 今ウィキペディア見て知ったけど、ヤマトタケルの主役は高嶋雅宏氏で、阿部寛氏に藤岡弘氏も出演してたんだな……。

 話を戻すとそのシネマサンシャインは2013年に閉館されました。集客力の高い施設だっただけに、地味にDマートにとってもこの閉館は打撃になったんじゃないかと思います。もっとも先に挙げた商業施設のうち松戸伊勢丹の方が先に2018年に撤退しているので、むしろDマートはよくぞここまで持ちこたえたというべきかもしれません。

 それにしてもこのDマートの跡地ですが、旧わらそう跡地などのほかの土地みたくまた高層マンションが建つのだろうか。ほかの街でも同じことが言えますが、商業施設や店舗がどんどん減っていくのに対し住宅ばかり増えることで、街としてなんか活気を失っていくような気がします。ただでさえ松戸駅周辺はマンションばかり増えているので、敢えてDマート跡地はこの際公園でもいいから住宅以外の用地にした方がいいような気がします。プラモ屋にしてくれたら日本行くたびに通うんだけどな。

2023年9月10日日曜日

何故松戸はレトロになったのか

 昨日、ゲーム関係の仕事をしている中国人の友人が日本から送られてきたある写真を自分に転送してきました。その写真というのもレトロ喫茶店にあるテーブル筐体のゲーム機で、こんなゲーム機があるなんて知らなかったと伝えてきました。
 なお筐体と画面に映る「ジャレコ」のロゴから、多分その写真のゲーム機はスーパーリアル麻雀じゃないかと推測しています。

 この昔懐かしいテーブル筐体ゲーム機もさることながら、発信地が千葉県松戸市となっていたことに自分の方は反応しました。でもって 改めて中国の百度で松戸市と検索してみると「昭和風のレトロな街」として写真と共に紹介するブログが見つかりました。まさか中国人にもレトロな街と言われるとは思ってみなかったなと思うとともに、何故松戸がレトロな街になったのかちうのをちょっと考えてみました。

 松戸市は都内のベッドタウンとして主に1970年代、80年代に発達した街で、住宅情報を見てもこの時代に建てられた建物が大半だという事実も裏付けています。それに加え、バブル崩壊以降はいわゆるドーナツ化現象がぴたりと止み、再び都心へと回帰する動きが広がって、90年代以降は大きな再開発も行らなかった点もあるような気がします。
 もっともこの条件だけなら恐らくほかの地方都市にも当てはまると思いますが、松戸の場合はそこそこ都心に近く、人口も多かったこともあり、昭和にできた街が崩壊せず経済的にそのまま持続し続けることができたのではないかと推測しています。関東以外の地方都市などはアーケードがシャッター街となるなどレトロな街並みどころかゴーストな街並みを呈しているところが多く、それらと比べればまだ松戸は保存状態がいいと思えてきます。

 以上は観点な自分の当て水量ですが、レトロであるということはレトロな状態で維持、残り続けたと言い換えることもできます。その点では松戸は比較的よく持ちこたえた方だなとは思いますが、このところはようやくここにきて再開発も広がっており、また新たな転換を迎えるかもしれません。その転換は悪い方向に向かう可能性もあるでしょうが、個人的にはレトロなまんまでやってく方が松戸にとってもいいんじゃないかと思っています。

2023年5月10日水曜日

名ばかり松戸市民の真実

 このブログではわざわざ記事ラベルまで作ってマッドシティこと松戸市の誰が得するかわからない情報をよく取り上げ、私自身も上海在住の名ばかり松戸市民のように振舞ってきました。これは実際のところ全くの嘘ではなく、実際に中国へセカンドツアーで行く前の約半年間は松戸市役所近くのアパマンに騙された物件で暮らしており、その頃は松戸の生活を堪能していました。
 しかしここで真実を明かすと、実は元々は松戸市民ではなく、大学進学までの18年間を隣の流山市で育っており、ソ連人民の敵であるうちの親父が住んでる実家も流山にあったりします。そういうわけで本当は「上海在住の名ばかり松戸市民(若干は流山市民)」というのが本来あるべき世を忍ぶ仮の姿だったりします。

 なお生まれは流山とは無関係の土地で、そもそも流山には昔産婦人科は一軒もありませんでした。「流山」の字が「りゅうざん」と読めることからどこも作りたがらず、90年代中盤に入って初めて1軒できて、現在は若年世代の夫婦を呼び込むために過去をなかったことにして産婦人科が増えてるとは聞きます。

 話は戻しますが何故流山市で育ったにもかかわらず松戸のことばかり記事に書き続けたのかというと、単純に松戸はマッドシティと呼んだりしてネタにしやすかったからです。ネタにする話題というか場所も松戸にはたくさんあったのに対し、実際に住んでた流山は住民の地元意識の低さもあり、話題というか自分が書きたいと思うようなネタは今現在においても一切ありません。
 そもそも自分の場合、中学から別の市の中学校に進学したため、ただでさえ希薄な流山に対する地元意識がますます薄くなったし、流山在住の友人もかなり限られる、っていうか中学段階でほぼいなくなりました。そのため「ローカルな話題でブログ攻めるか」と考えた際、必然的に松戸のネタを書くようになっていったわけです。

 そもそもこの前書いた記事にもある通り、かつて流山市は北半分は柏市、南半分は松戸市の植民地みたいな状態で、南流山駅の通勤距離内にあったうちの家も、週末はほぼ毎週と言っていいくらい新松戸のダイエーか松戸駅前のDマートにしか行かず、ほかに行くとこねぇのかよとマジで子供の頃思っていました。
 それくらい松戸に対する経済消費的な依存度が南流山は高く、消費体験を通して松戸に対して今も根強い思い出が作られていきました。また中学から学校一緒だったのに何故か仲良くなったのは大学入ってからというリアル松戸市民の友人と地元で落ち合うたびに、松戸にかつてあったお店や今もあるお店の話題が激熱で盛り上がったりしたこともあり、自分でも気づかないうちに松戸に対して自分も愛着を持っていたのかもしれません。

 ただその友人を含め、松戸はそこそこ歴史が長いこともあって住民の地元意識や愛着意識は意外に高いように感じます。このブログでも取り上げたプラモ屋の「わらそう」や家電屋の「おかじま電器」の記事には書いた自分がマジビビるほどコメントが集まっており、自分を含めこうした松戸の過去や現在に興味を抱き続けている人は多い気がします。まぁだからこそ自分も記事化するんだけど。

 その上で現在の松戸について触れると、前の記事にも書いたようにこのところは躍進著しい元植民地の流山が反対に松戸の住民を吸収するようになり、消費者も松戸側から流山への流入が目立ちます。

 もっとも栄えているのは流山おおたかの森あたりで、自分の実家のある南流山エリアも若干吸い取られ気味で、本屋は潰れるわヨーカドーは寂れるわで実は流山市内においても淘汰が起きてたりします。ほかは潰れても気にならないけどヨーカドーには頑張ってほしい。

 話を流山と松戸の関係に戻すと、その松戸側境界に当たる新松戸はマジ見ていて苦しそうに感じます。住宅街はきれいなままですが駅前とかはお店が明らかに減少しているし(よくわからない鳥居のオブジェは元気そうだが)、落ち着いた雰囲気ではあるものの前ほどの活気が見られなくなっています。またこれは松戸中心部ほど顕著ですが、住宅が昭和中期の高度成長期に建てられたものが多く、見る人によっては若干古くなった街のように見えたりします。まぁ実際古いんだけど。

 ただ、松戸は柏と比べると道路網などの都市設計は比較的しっかりしており、古い建物を取り壊しての再開発とかは比較的やりやすい環境にあるのではないかと思います。柏の場合は道路や線路が入り乱れており、再開発しようにもきっとうまくいかないとはっきり思うくらい酷いです。
 もっとも松戸で再開発して入れ物を整えても、新たに住民が入ってくるかと言ったら少し微妙です。このところは高層マンションがよく新築されていますが、その一方で土地が余っている根拠ともいうべき無料駐車場も増えており、伸び悩みともいうべき兆候も示しています。

 以上のように地元民以外には全く共感できない内容ばかり書いていますが、言いたいことをまとめると実際住んでたのは流山ながら、愛着というか地元意識はむしろ松戸に感じたりしているのがこの私ですσ(゚∀゚ )オレ
 そのため仮に今後関東で生活するとなったら、恐らく流山ではなく松戸に居を構えることになると思います。前にもちょっと書いたけど松戸からだと都心に移動しやすく、また空港も羽田、成田のどっちともアクセスがいいので、中国と絡み続ける自分からすると絶好の土地だったりします。ただ松戸駅前は前住んだので、今度は家賃の安い北松戸辺りに住みたいです。でもって自作プラモを並べて「二代目わらそう」を名乗ったりしてみたいです。

2023年5月6日土曜日

松戸、柏、流山の東葛飾三国志

 最近意図的に真面目な記事ばかり書いてきてなんかネタ切れ気味になり、また趣味のプラモ記事でも書こうとした矢先に「あれがあったやん」と思い出したのでそのネタで行きます。

東葛飾地域(Wikipedia)

 上のWikiの記事では「ひがしかつしか」ですが、地元の人間は割と「とうかつ」と呼んだりする不思議な地域名です。対象地域は「葛飾の東」というだけあって東京都葛飾区に接する千葉県北西部ですが、ぶっちゃけ自分が小さいころ育ったのがこのエリアです。
 このエリアは基本的に東京都に勤務する人のベッドタウンで、住民も帰属意識は千葉県というより東京都にあり、千葉市に行った回数よりも東京都内に行った回数の方が絶対的に多い人ばかりです。この辺は山に囲まれ自治体同士が隔絶し合っている岐阜市以外の岐阜県民たちも同じだと聞きます。

 話は戻しますがこの東葛地区、かつては我らが犯罪都市のマッドシティこと松戸と柏が二大主要都市でしたが、近年はこの両市に接する流山市が人口増加率で全国1位になるなど急激に拡大しています。その辺の実態はどうなのかと思い、早速この三市の現在の人口を調べてみました。

松戸市:496,258人
柏市:432,427人
流山市:209,245人

 以上の通り、人口拡大が続いているとはいえ未だに流山市に対し、松戸市も柏市も倍以上の人口となっています。ただこのところ、松戸や柏から流山へ移住する層もいるとされており、私自身の感覚でもかつては両市に寄生していたような流山がこのところは両市の人口を食っているような感じがします。

 元々、流山市とというのはかなり例を見ないほど中心性の低い都市で、市役所のある中央部が何故か一番寂れてて松戸寄りの南側と柏寄りの北側境界部の方に人口が集中するという妙な都市でした。でもって、南側の人たちは松戸へ、北側の人たちは柏へ出かけることが多く、同じ市の人間であっても北と南で生活習慣がまるで違っており、価値観などもかなり相違あった気がします。
 そんな感じで実質的に松戸と柏の延長みたく分断されていた流山ですが、つくばエクスプレスが通るや一転、都内への交通の利便性の高さから急に注目されるようになり、つくばエクスプレスが止まるおおたかの森駅周辺が徐々に流山の中で中心性を持つようになり、前述の通り人口も拡大しています。

 その影響を受けてか、元々市内人口が減少傾向にあり羽振りの悪かった松戸も柏もこの20年で衰退が目立つようになり、百貨店や映画館の閉店はもとより、全体として古臭い街というイメージがもたれるようになってきています。それに対し流山は新興イメージが強く、関東に居を移す人たちからするとやはり流山が目に入ってくるのだと思います。

松戸市:15位
柏市:8位
流山市:4位
(全25自治体)

 見ての通りこの三市の中では松戸がぶっちぎり低いです。まぁマッドシティ松戸だしな。

 ただそんな新興著しい流山ですが、結構目立つウィークポイントも抱えています。はっきり指摘すればそれは教育で、高校数が異常に少なかったりします。具体的な高校数は以下の通りです。

松戸市:11校
柏市:14校
流山市:4校

 人口比率的に極端に少ないわけではないものの、松戸や柏と比べると流山は明確に少ないことがわかります。でもって、流山の高校はどれも偏差値が高い方ではなく、実際に流山市の中学生は卒業後、進学校の多い柏市の高校に通う子供が多いです。
 その柏市ですが東葛地域ナンバーワンの東葛飾高校をはじめ、進学校を多数取り揃えています。松戸はマッドシティなだけに無難な学校は多いものの目だった進学校は少なく、文教レベルでいえば三市の中で柏が群を抜いており、その甲斐あってか予備校も柏駅前に集中しています。

 もっとも、この三市は都内への進学も可能な距離にあるため、本当にできる子は都内の私立進学校に通うパターンの方が多いです。公立高校進学で頭のいい子が東葛飾高校に行くってイメージです。

 最初に書いた通り、この三市はちょうど流山を挟む形で割と密接な経済圏を形成していたりします。三市とも都内勤務者のベッドタウンで共通していて、県庁所在地の千葉市に帰属心を持っていないことで共通していることから、ある意味で住民の価値観の共通水準は高いとみています。
 でもって電車で数駅内の距離にあり、学校も市を跨いで通う子供多いため、私自身もこの三市で一つみたいな感覚を若干持っています。まぁ一番ネタにするのは松戸ですが。

 流山はそれこそかつては松戸、柏に分割された植民地(コロニー)的な立場でしたが、近年は人口拡大が続き、住民もかつてと違って松戸や柏に対し劣等感を抱かず、下手すりゃ優越感すら抱いている有様です。
 なお柏にも「柏の葉キャンパス駅」というつくばエクスプレス路線の駅がありますが、これが微妙に柏中心部と離れており、柏中心部がその恩恵を受けずに衰退が続いているように見えます。

 この三市を見ていて思うこととして、やはり鉄道というのは街の発展で極めて重要な価値を持つのだなという点です。都内中心部に直結という条件こそあるものの、三市の力関係を変動させたのはつくばエクスプレス以外の何物もなく、逆にそれ以前は同じく都内直結の常磐線が松戸、柏で力を発揮しており、都内につながる鉄道がその将来の発展を左右したと言えるでしょう。逆を言えば、市政内容というのは都内周辺都市の発展においてあまり価値を持たない気がします。

 ただ勢いづく流山であるものの、つくばエクスプレスは開業当初より利用客が異常に多く、それにまして近年も増加傾向にあるため、ラッシュ時はマジビビるほどホームは人で溢れています。横浜周辺ほどではないと思うものの普通に通勤するのが嫌になるくらいで、その点でいえば都内への通勤だったら松戸から通った方がいいんじゃないと密かに思っています。まぁ松戸に今後住むかと言ったら多分なさそうだけど。

2022年12月25日日曜日

千葉のマッドシティ~わらそう跡地のマンション計画

松戸駅西口、PEN松戸市本町パーキングにマンションの建設計画が公開される、地上10階建ての45戸のマンションの予定(松戸つうしん)

 友人が暗に記事化しろというような感じで自分に送ってきたので紹介します。

 このマッドシティこと松戸ネタで過去にも何度も取り上げてきた松戸駅前の伝説のプラモやこと「わらそう」跡地は現在駐車場となっていますが、どうもそこでマンションの建設計画が経っているようです。ぶっちゃけあそこ線路が近くて少しうるさいんじゃないのかなという気はしますがそれはそれで駅前なので、建ったら建ったで売れはするでしょう。ただ道路は狭いのでめちゃ込みそうだけど。

 友人はこのマンション1階部にプラモ屋を建てるべきだと主張していますが、自分もこれに異存ありません。っていうか建てろ。

 なお本題とは関係ないですが、日本に行ってた間にコロナ前まで定期的に通っていた松戸市内の床屋を訪れたところ、店の奥さんが2年半ぶりにもかかわらず自分のことを覚えていてくれて密かに感動しました。あまりに感動したもんだから奈良土産を後で持っていったりもしましたが、話に聞くと昔から続けているお店がこのところどんどんなくなっているなどということを話しており、松戸もなんとなく90年代からの連続性が途切れつつある気がします。

 何気に松戸、柏、流山の千葉県北西部のいわゆる東葛エリアは近年、つくばエクスプレスのおかげで流山が猛烈に発展しており、松戸と柏はどちらもフェードアウト気味です。柏市内もつくばが走ってはいますが、中心部から外れたところに駅があるため、柏市中心部が逆にさびれてきているとも聞きます。
 日本滞在中、この三市を自転車で改めて眺めてみたのですが、地味に松戸が最も区画が整備されているというか、工業地帯や住宅地帯をきれいに分けており、道路も余計な小道を作っていないためよくできている印象を受けました。流山はつくば沿線沿いが現在開発中とあり、道路がどんどん作られており、まだ改善の見込みがあります。

 一方、批判になりますが柏市の区画はやばいと感じました。細い道が結構重要な動線になっていたりするうえ、柏市中心部は巨大な国道と線路で完全に街が分断されており、正直言って住みたくないなと感じました。松戸市の行政スタッフとの差を区画を見るだけではっきり感じます。

2022年1月27日木曜日

千葉のマッドシティ~新松戸駅前の鳥居っぽいオブジェ

松戸市役所に500万円の札束が届く。恵まれない子供への寄付かと思いきや匿名の手紙でメッセージが(暇人速報)

 なんかネタになっていたので便乗します。

 上のまとめ記事にも書かれてありますが、新松戸駅前の高架下には鳥居っぽい謎のオブジェがあります。ぶっちゃけこれ最初できた時は狭い高架下がさらに狭くなって邪魔くさいとか思ってましたが、慣れたら気にならなくなり、存在感すら感じなくなりました。
 それ以上に邪魔なのは地味に自転車です。駅前は自転車を置いてはならないことになっているのですが、付近の飲食店や小売店の前には道路にはみ出すように自転車が置かれることが多く、それでこの辺走るのがあんま楽しくなかったりします。おまけに治安も悪くて、自分も前、駅から結構離れた駐輪場に自転車置いてたら前かごにごみを入れられたりしました。何度も。

 話は新松戸駅前に戻りますが、カオスの極みと言っていいほどごちゃごちゃした松戸駅前と比べれば割とすっきりはしていますが、近くに流山電鉄の駅と踏み切りがあり、また道路幅が狭くなる通りもあって車だと割と混雑しがちです。
 自分はこの新松戸駅前というと踏切横にあるときわ書房によく通っており、日本に行った折に毎年ここで次の年の手帳を買うのが儀式になっていました。あと高校時代に通っていた予備校の創学舎も駅前で、高三頃は自転車で通っていたので夜中に新松戸周辺をかっ飛ばすのが割と楽しみでした。

 なお新松戸から馬橋方面へ、ちょうどときわ書房の横にある堀を伝うかのように通っている道は春になると桜がきれいなのと、きれいな一直線で割と走りやすいだけに自転車で走るとすごくいいです。確か馬橋から北松戸寄りのところに妙な寝具店があった気がしますが、あれまだ残ってるのだろうか。

 どんどん話が脱線するので最後に新松戸駅前の話に戻すと、自分のイメージだと新松戸駅前は上の創学舎を含め予備校やスクール系の施設がやや多かった気がし、私が小学生の頃はちょうど新松戸駅と向き合うビルに「シェーン英会話」があってそこに通わされました。まぁあんま勉学の足しにはなりませんでしたが。
 しかし全体的に新松戸は30年くらい前がピークで、それからは街の新陳代謝があまり起こらなくなり、周辺施設がそのままの形でどんどん古くなっていく印象がありました。また商業施設も狭い物件が多く拡大がなく、飲食店とかはそこそこ多いけどなんかどこも狭い店内が多いという記憶が強いです。

 知ってる人には早いけど新松戸には宇宙開発公団の社宅とかあり、割と社会的エリートがたくさん住んでいた町でした、昔は。今はどうなのかわからないけど、やっぱ勢いのあった30年前と比べるとどうしても見劣りする感があります。

2021年5月22日土曜日

松戸の誤った情報

「松戸」在住の40代会社員…賞与減で「ローン破綻」の危機(幻冬舎)

 全く評価していない幻冬舎の記事ですが、やっぱり全く評価できません。というのも冒頭で、

「(松戸は)東京に隣接するという立地から、ベッドタウンとして人気の街です。」

 と書いていますが現実には、

「(松戸は)東京に隣接するという立地なのに、ベッドタウンとして不人気の街です。」

 と書くべきでしょう。

 都内への通勤などにおいて松戸の交通の便の良さは際立っており、また京成線も松戸駅に乗り入れているので羽田、成田空港のどっちに行くにしてもスムーズに移動できます、にもかかわらず不人気極まりなく、確か一昨年辺りの地価下落率とかでも上位は言ってた気がします。

 このほか幻冬舎の記事には「少々ごちゃごちゃした印象の駅周辺ですが」と書かれていますが、少々どころじゃなくカオスの極みと言っていいくらいごちゃごちゃしてます。なお東口の歩道橋下にあるごちゃごちゃしたところに狭いけどおいしい回転寿司屋があります。

 上記記述に続いて「松戸から出る必要はほとんどない」と書かれていますが、これに関しては非常に同意できます。自分が松戸住むでた時の休日は駅前の漫画喫茶行って、ヨーカドーで買い物してで全部用が済み、松戸から移動することはほとんどありませんでした。外食も馴染みのカレー屋と洋食屋が駅前にあり、自宅と駅前の往復くらいしか動く理由がなく自転車に乗る機会も当時減っていました。
 逆を言えばこれがさっきの点にも関わってくるのですが、都内への交通の便は抜群にいい一方、松戸駅前との往復で大抵の用が足りてしまうことから、休日に都内に出る理由がほとんどありませんでした。秋葉原とかに行く機会も、松戸以外に住んでた時の方が多かったくらいだし。この点が、いまいち交通の便の良さが認識し辛いところになっているのではと思う節があります。

 それにしても幻冬舎の記事、創作でしょうが「松戸駅から徒歩30分の一戸建て購入」なんてんな話あるわけねーだろと言いたいです。というのも松戸駅から徒歩30分離れてりゃ必ず東松戸や北松戸などの別の駅が最寄り駅になってくるはず……と言いたいですが、江戸川沿いの国道近くの物件なら徒歩30分で松戸駅が最寄となりうる場所があるかも、っていうかそこくらいしかないということに今気が付きました。この点は疑って(m´・ω・`)m ゴメン…

 もっともそんなところに家買うこの人は結構やばい気がします。あのあたりだと小学校とかはあるけど買い物行く場所が結構離れてるし、もうチョイ駅近くに買えばいいのにと思えてなりません。どうせ松戸だから高くないんだし。
 なお松戸に住むなら、少し利便性が下がるでしょうが一駅ずれた北松戸周辺とかの方がいいと個人的に思います。意外と北松戸周辺も便利、っていうかよくあそこのルートイン泊まるけど、必要潤文にインフラも整ってるし、相撲部屋も近くにあって力士とかたまに見られます。

2020年10月20日火曜日

千葉のマッドシティ~消えてゆく店舗

 さっき松戸にあったプラモ屋の「わらそう」についての記事を更新しましたが、わらそう近くにあったカプリチョーザという洋食屋が閉店したとのことでした。そのままこの情報を掲載していた「松戸つうしん」という誰得なんだよと思いつつ俺得なサイトを見ていたら、私が日本に行くたびに定宿にしていた漫画喫茶のマンボー松戸駅前店もついこの前に閉店していたことがわかりました。
 ちなみにどれくらい定宿にしていたのかというと、松戸に3日間滞在した時は2日日ここに泊まり、1日だけ北松戸のルートインに泊まったことがありました。また1日だけ滞在するときは、ほぼ100パーセントの確率でマンボーで過ごしました。なお前に一回空港で旅行目的に関する調査を受けた際に松戸に滞在していたと話して、

「なんで松戸に行ったの(。´・ω・)?」
「いつも泊まっている漫画喫茶があるから(´・ω・`)」
「!!( ;゚;ж;゚;)゙」

 っていう表情をリアルにされたことがあります。

 ちなみにマンボーは松戸駅東口にあるのですが、西口にあるまんがランドもほぼ同時期に閉店しており、東西の漫画喫茶両雄が揃って共倒れともいうべき様相を示しています。さすが松戸、これが松戸。っていうかこの松戸つうしん、閉店情報が多いな(;´・ω・)

 友人曰く、コロナで漫画喫茶は受難の時代だそうで、実際この状況は何も松戸だからというわけじゃなく全国各地で起こっているのでしょう。この辺、「コロナ関連倒産が○○件」などとあまり宛てにならない抽象的なデータばかりマスコミも報じてくるのであまり実感がわきませんでしたが、上記の漫画喫茶はどちらも少なくとも十年くらい前から営業が続いていたお店であることと、私自身が実際に何度も言っていたお店であることから、一気にリアル感というかコロナの影響を感じるに至ります。
 なおコロナ関連倒産数が全く宛てにならない理由を述べると、コロナの影響がない時と比較する倒産数データがないからです。また法人の倒産件数も従業員数など法人規模別で最低限でも出さないと意味がなく、あの手の報道している記者はいくら何でも手を抜き過ぎだし、こんなクソみたいなデータなら報じない方がマシでしょう。

 そういうわけで今後、といっても再来年までは隔離なしで日本に行くことは出来ないだろうから杞憂に終わるでしょうが、もしまた松戸に行くことあったらどこに泊まろうか悩む次第です。普通に北松戸のルートイン泊まればいいだけですが、なんていうかスリルさが足りない。
 ちなみに漫画喫茶で寝泊まりすることについて「この会社で漫画喫茶で寝泊まりするのは自分くらいだ(^ω^)」などと一時名乗っていたことがありましたが、今の職場は体力自慢がやけに多くて、「いや、それくらい平気やで(´-ω-`)」とこともなげに言う連中が多いので名乗るのやめました。

2019年7月24日水曜日

千葉のマッドシティ「新松戸まつり」

 すでに途絶えたと思われていたこのマッドシティこと松戸ネタですが、探せばまだまだあるもんです。なおたまに思い出したかのように「松戸」でニュース検索しては、夜な夜な松戸出身の友人と、「今日のネタはこれだ!」みたいに共有しあっています。だいたいどれもマイナーなニュースだけど、同郷同士だからいやに盛り上がります。

今年も「新松戸まつり」開催へ グルメとライブパフォーマンス /千葉(みんなの経済新聞)

 そんなわけで今回のネタですが、新松戸まつりです。なお上の記事は先々週の記事ですが、記事が配信される段階ですでに祭りが開催されるのに見出しに「開催」と書くこのライターは未熟以前だなと思います。

 そんなダメなライターは置いといてこの新松戸まつりですが、はっきり言えば子供の頃は毎年行っていました。この辺のエリアでは規模の大きな祭りで、通りに出店がずらりと並ぶもんだから子どもにとっては楽しいことこの上ない祭りで、割と毎年楽しみにして通ってました。
 あと確かあれは小6の頃でしたが、当時この新松戸駅近くの塾に通ってたのですが、地元故か祭りの出店に同じ塾の友達がいて、なんか盛り上がったのを覚えています。

 知ってる人には早いですが、この新松戸というエリアは松戸市中心部からやや離れて昭和後期に作られた新興ベッドタウンです。特筆すべきは宇宙開発団体など国の研究機関の社宅が数多く立てられたことで、住人の中には結構ハイレベルな人が多くいたりします。
 そうしたバックグラウンドもあってかこの新松戸祭りは今年で33回目とのことで、ここまで長く続いたのと、割と昔から盛り上がっていたのにも影響しているのではないかと見ています。

 ちなみに余談ですが、今ちょうど吉本興業のお家騒動で盛り上がっていますが、その余波から昔関係出演者に無断、ノーギャラで発売された「さんまの名探偵」というファミコンゲームがにわかに脚光を浴びてて、まとめ掲示板でよく名が上がってきています。このゲームですが確か自分が小1だったころ、この新松戸まつりにて中古ゲーム屋の「わんぱくこぞう」が出店を出し、というかワゴンセールをやってて、「さんまの名探偵」もワゴンの中で確か500円位で売られていました。
 このゲームをうちの姉貴はかねてから欲しがってたのですが、すでに一通り祭りを回ってたせいでもらってた小遣い、確か当初千円だったと思いますがそれをすでに使ってて、300円位しか姉の手元に残っていませんでした。なので自分からも集金しようと残額を確かめてきましたが、自分はもう100円しか残っておらず、僅差で買えなかったことから「お前の金遣いが荒いせいだ」と何故か自分が姉に責められました。今更ですが身勝手な言い分です。

 なおそのわんぱくこぞうはそれから数年を経て潰れましたが(場所はダイエー脇のテナントビル)、多分最後にそこで買ったのは「ブレスオブファイア2」で、正月のお年玉で買ってたから1995年1月までは経営していたはずです。

2019年5月6日月曜日

巴マミな物件

ティロフィナーレ松戸(SUUMO)

 不動産業界研究の一環、もとい現実逃避の一環として無駄に仕事中に松戸の物件を探したところ、円環の理な物件を発見しました。分かる人には早いでしょうが、ティロ・フィナーレとは「魔法少女まどか☆マギカ」に出てくる非常に有名なセリフ、もとい一瞬でこのアニメがグロテスクで救いのない話であることを示した伝説なセリフです。

 本来は必殺技の名前として使われるのですが、アニメで実際に使われた、というか最後に使われたあとの結果から「使うと敗北」、「首がもげる」など因縁深い言葉として伝わるようになりました。

 そんなティロ・フィナーレなこの物件、恐らくというか間違いなくオーナーは「貴様、見ているな!」といっても問題なさそうな人です。にしてもこの物件を始めてみたときはマジでビクッとしました。

2018年3月10日土曜日

千葉のマッドシティ~閉じゆく松戸伊勢丹……


 先週末に日本へ一時帰国した際、今月21日(水)に閉店する予定となっている松戸伊勢丹にも足を運んできました。シャレ抜きでこの松戸伊勢丹は自分が物心ついたころからこの場所に存在し、うちのおとんとおかんにもつれられてきては迷子になった因縁の地でもあります。
 もっとも私が本格的にここを利用するようになったのは成人してからで、新聞社辞めて日本に一旦帰国していた際は松戸駅前に住み、よく会社帰りの夕食や買い物、そして休日のショッピングなどでよく使うようになりました。


 特にここで購入していたもので多かったのは密かに趣味としている陶器の購入で、今回も中国からナップザック一つで一時帰国するという軽装ながら、閉店セールで安かったということもあるので上の二品を購入してきました。左の茶碗はこのサイズのものを上海で持っていなかったこともあり、大口でお茶をガバーって飲むのに早速大活躍しています。右のマグカップは飲み口の色合いもさることながら、スプーンなどで叩いた際の「キーン」という音が素晴らしくきれいで、こんないいものをどちらも各1200円で買ってしまっていいものかといろいろ悩むくらいの出来栄えです。

 このほか今回松戸伊勢丹では3000円のベルト、あと意外に中国だとなかなかいいものに巡り合えない肌着を購入しましたが、さすがに閉店セールの日曜日とあって来客は多く、最後とはいえ賑わっている松戸伊勢丹を見て少しうれしかったです。
 正直に言って、この閉店セールが始まるまでの松戸伊勢丹はお世辞にも流行ってたわけでなく、土日に来ても地下一階の総菜コーナー、そして上の階にあるジュンク堂書店以外は閑散としており、撤退の方を聞いても経営判断的には当然だろうと私も思いました。何気に知人も、「あまりにも客少ないから、松戸伊勢丹の存在自体が伊勢丹のブランドを落としている」と割とひでぇことまで言ってました(´;ω;`)ウッ…

 しかしこれまで松戸の中心且つ象徴、そして松戸駅前からはやや歩くけど松戸ハローワークの隣という妙な立地にあったこの店がなくなるということは、私自身としてはそれなりにショックなものです。なお一部報道でもあるように伊勢丹周辺、具体的には松戸駅から伊勢丹に至るまでの通りは近年整備されてきており、非常にこぎれいな店が集まるなど歩いててそれなりに楽しく思える通りになっています。カレー屋のおじさんによると、「あそこが松戸市内で一番地価が高い」そうです。

 松戸伊勢丹の閉店後はどうなるのか滞在中に顔見知りの地元商工関係者に話を聞きましたが、以前はドン・キホーテが来るという噂があったもののそれはなくなり、はっきり言って未知数だと答える人が多かったです。ただ先ほどのカレー屋のおじさんによると、「東武が来るという噂がある」とのことで、また来るとしても建物の全フロアではなく一部だけを使用するに留まるという観測を教えてくれました。その上で他の階には別のテナントが入るのではとも予想しています。
 ただ閉店後にすぐに入居するわけではなく、建物は閉店から六ヶ月かけてあれこれ工事しなおすそうです。主に耐震補強工事がメインとなるそうで、フロア数を減らすかどうかも含めて具体的なことはまだ誰も知っていませんでした。

松戸北部市場開発プロジェクト開始について(住友商事)

 こうしていなくなるお店がある一方、上記リリースの通り住友商事が新たなショッピングモールを作る計画を昨年打ち出し、ついに映画館がまた松戸市にまたできそうです。
 ただ建設予定地の八ヶ崎って最寄り駅(馬橋駅)から結構離れている上に激しい坂道のある所なんだけど、その辺問題ないのかな。なお日本にいた頃の私はこの辺りを、「激しい坂道のアップダウンを如何に軽快且つ豪快に走るか」というテーマで公道最速理論(自転車版)をよく構築していました。

 話は戻りますが、松戸市の地元商工関係者もこのショッピングモールの話を切り出すことが多く、「いい方向に変わればいいんだけど」等と話していました。というのも松戸市周辺の吉川市、三郷市、流山市などには2000年代後半から大型ショッピングモールが次々と出来て人口が移動していく中、松戸市だけはそうした施設が出来ずにギリギリな伊勢丹だけしかなかったからです。で以って人口も減り続けており、尚且つ高齢化も激しいことから、「この際人口は無理に増えなくていいから、若い世帯の割合が増えてほしい」と話す人もいました。

「松戸手当」って何?  保育士への待遇がTwitterで評判(ハフィントンポスト)
松戸市の保育士確保に関する取組み(松戸市)

 行政側も若い世帯の人口割合を増やそうとしているのか、つい先月に全国ニュースにもなった上記の「松戸手当」というややダサさ感じさせるネーミングの保育士手当を打ち出しました。この政策に対する世間の評判は悪くなく、上のハフィントンポストをはじめ好意的に報じるメディアも多く、私と松戸市出身の冷凍たこやき好きの友人もニュースが出るや、「松戸が動き出したぞ( ・∀・)ノ」と互いに興奮気味に語り合ったほどです。
 この制度についてもすこし地元の人と話しましたが、あくまで伝聞ベースですが実は松戸市は現在待機児童がゼロで、むしろ保育所のキャパが余っている状態だそうです。この制度も保育士の流出阻止という面もありますがそれ以上に、「子育てにやさしい街」としてアピールして若い世帯の転入を促すという目的の方が強いと伺いました。もちろんそうした目的であっても、全国ニュースで出たくらいなのだからその効果はばっちりだと私も思います。

 ……なんだか途中から伊勢丹の話が消え失せましたが、散々マッドシティネタで記事書いてきたものの今回の一時帰国を経て、「俺って松戸市のこと好きだったのかな……」と初めて思いました。ぶっちゃけそれまで変に過去の記憶だけは十分にある街という印象だったのですが、今回の伊勢丹撤退を受け自分が思っている以上にショックを受けており、「この痛みは何なんだ……」的に松戸に対する感情に気が付きました。
 仮に私が将来隠棲するとしたら第一候補は奈良県奈良市であることに変わりはありませんが、もし関東に拠点を置くとしたらやっぱりこの松戸市になるのかなと思います。何気に今まで明言してきませんでしたが実はそもそも生まれ育ったのは松戸市ではなく隣の流山市だったりしますが、あんまここには愛着がないというか、市民会館へ行くまでの幅広な上り坂以外は魅力のない街だと内心考えています。そもそも地元縁自体ほとんどないし。

 逆に松戸市は、実際住んだのは約半年程度であったもののその間に今回話を聞いた地元商工関係者やインド人とかロシア人などと顔見知りがたくさんできたこともあり、今は非常に愛着を感じています。なお今回の一時帰国では松戸駅前の漫画喫茶に一泊、二日目は北松戸駅前のルートインに泊まりましたが、ここのルートインは駅前ながら閑静でかつ部屋の設備も整ってて非常に気に入ったのでまた使おうかと考えています。唯一残念というか心残りだったのは、北松戸駅前の洋菓子店で悩んだ挙句「ひなまつりショートケーキ」ではなく普通の「ショートケーキ」を買って食べたことで、やっぱりひなまつりショートを食べれば良かったなと今でも後悔しています。

2016年4月30日土曜日

千葉のマッドシティ~桐杏学園新松戸校

桐杏学園公式サイト

 上記リンク先は小学校受験を目指す幼稚園生を対象とした「桐杏学園」という塾のサイトですが、ここは現在は市進ホールディングスの傘下であるものの、以前は独立した企業母体で、また幼稚園生だけでなく小学生、中学生を対象とした塾でありました。でもって私も小学校の四年生から六年生にかけてここの新松戸校で指導を受け、中学受験をする羽目となったわけです。

 桐杏学園新松戸校は新松戸駅から線路沿いに歩いた駅前自転車置き場の前に専用校舎があり、私みたいに車で送り迎えされる人もいれば電車使って柏辺りから通ってきている生徒もおりました。当時、小学生の講義時間は夕方五時から九時までで、五年生は火木の週二回、六年生は月水金の週三回で授業が組まれており、授業のある日の夕食は持たされた弁当を休み時間に食べてこなしてました。

 私はこの塾に小学四年生の後半から入塾したのですが入るに当たっては入塾に当たっては試験があり、学力が足りなければ容赦なく入塾が断られるというシステムでした。幸か不幸か私はこの試験にパスして新松戸校の五組に割り振られたのですが、当時新松戸校には一組から五組まであり、一組全員と二組の一部はSクラス、それ以外はAクラスとされて五組は最底辺のクラスでした。このクラス並びにクラス内の席順は毎週行われる日曜テストの結果を元に一ヶ月毎に変更され、成績がよければクラス内の席次も上がって上のクラスへと移り、逆に成績が落ちればクラス内の席次もどんどん下がって下手すりゃ下のクラスに落ちるというシステムです。
 当時小学生だった自分からすればこのシステムは初めてともいえる明確な「競争」に根ざしたシステムであったため、最初は戸惑いとともに強いストレスを感じながら通っていたのを覚えています。もっともこの時に体験していなければ後年の中学の定期テストで同じことを体験していただろうし、そういう意味では早いか遅いかの違いだけでしょう。

 クラス替えのベースとなる日曜テストは毎週日曜日に西日暮里校で行われており、小学五年生は午後一時から四時半まで、小学六年生は午前八時から十一時半までというスケジュールで組まれていました。そのため小六の頃ならまだ午後の時間帯が自由に使えましたが、小五の頃は日曜日に自由な時間は実質なく、友達とも遊びの約束も出来なかったためそこそこストレス抱え続けていました。特に最初にこの日曜テストを受けた時は初めてのテストという緊張と共にそれまであまり経験してなかった長時間の拘束を受けたため、テストが終わった後で体調を大きく崩しそのまま一週間丸ごと学校も休んで寝込み続くという有様でした。
 そもそも私自身は中学受験どころか何もわからないままこの塾に放り込まれ、受験のシステムを理解した後でも周囲の友達と共に地元の中学校へ進学したいとずっと願い続けましたが親からの強制を受ける形で結局中高一貫の私立校へと進学せざるを得ず、でもってその学校も何の面白味もない学校だったため今でもなんか丸々大損こいたような気分しかありません。強いてよかった点を挙げるとすれば、「なんでこない苦しい思いせなあかんねん……」と、当時やばいくらい自問自答を繰り返し続けた甲斐あってじっくりと内省しながら周囲の状況とを比較する思考が極端に鍛えられたってことくらいです。

 こんな具合で小学校高学年の頃はあまりいい思い出がないのですが、まだ救いだったのは一緒に塾に通っていた友人たちの存在でした。大体どの生徒も親から強制されて中学受験されている口で抱えている悩みはほぼ一緒だったこともあり、お互いの環境を理解しやすく且つ共感し合える人間同士だったため、塾にいる時間しか接触がないにも関わらず誰とでもすぐに仲良くなれました。今でもよく覚えているのは同じ苗字の生徒がクラス内に二人いて、片方がひょうきんで目立つ生徒だったのでそのまま名字で呼ばれ、もう片方は大人しく目立たない生徒だったため「パート2」というあだ名で呼ばれてましたが、今考えると結構ひどいあだ名だったなという気がします。
 同じあだ名ネタだと、国語の時間に講師に指され選択問題の回答を四択で要求された場面で、問題内容は作品名を答えるというもので正解は「山椒大夫」だったのですが、指された生徒の後ろにいた別の生徒が小声で「クリスマスキャロルだ」と嘘教えたらそのまんま元気よく「クリスマスキャロル!」と答えてしまってそれ以降、「キャロル」ってあだ名になった生徒もいました。講師もこのあだ名で呼ぶほど浸透ぶりがよかったです。

 話は私の体験談に戻りますが入塾当初は最低レベルのクラスで席次も一番後ろからスタートし、塾で教えられる勉強にもなかなかついて行けず四苦八苦を続けましたが、小五の秋頃には段々と学力も上がって三組の中堅くらいに位置するレベルに落ち着きそのまま最後までその位置をキープし続けました。小学校の頃は科目にあまり得意不得意はなかったのですが社会科の歴史単元だけはまるで別で、この頃から圧倒的に強く日曜テストの偏差値も60を切ったことは一度もなかったと思います。

 あと、平日はさっき述べた通りに小六時は週三回の授業でしたが夏休みはまた別で、夏期講習がみっちり組まれてあって半分以上、っていうかほぼずっと塾で過ごしていたような気しかしません。むしろ今同じことやれって言われたら耐えられないかもしれないような勉強漬けで、体調を含め精神とかよく崩さなかったなと今思います。まぁ周りの生徒もみんな耐えてたんだから崩すわけないでしょうが。
 なお夏休み中の夏期講習時はよく休み時間に校舎内で鬼ごっこをして遊んでいましたが空き教室ごとに冷房MAXとか暖房MAXに設定したりして、次の休み時間にそれらの教室に潜伏しては無駄に寒がったり熱がったりしてました。教室名も勝手に「北極」とか「インド」って名付けてたし。

 こんな感じの塾生活を送って中学受験を果たしたわけですが、この当時に中学受験をする生徒は私を含めクラス内には数人しかおらず非常に少ない人数でした。しかし聞くところによると昨今は少子化もあるでしょうが中学受験をする生徒はどんどん増えており、実際に私の従妹の子供もみんな中学受験していて時代が変わったなという感慨を覚えます。私に言わせれば勉強する子は必要になったらするので、小さいうちから強制しなくてもやる時はやるから無理して中学受験はさせなくてもいいんじゃないかと思うのですが、世間はどうもそういうわけではないようです。

 この、桐杏学園新松戸校はその後の被買収などを受けて校舎自体なくなっており、最近あの辺り行ってなかったので記憶が定かではありませんが確か跡地は駐車場になってた様な気がします。小学生時代にあれほど血反吐吐いて遊びたい盛りの時期に一方的に我慢を強いられ続けて今に至るのかと思うと本当に無駄な行為だったなと思えてならず、あれだけ時間使うんだったらVスライダーの一つでも習得させればよかったのになんて思えてきます。まぁ、Vスライダー使えるようになったからってその後の人生には何も影響しないでしょうが……。

  おまけ
 真面目に今思い返してみても、小六の夏休みは勉強してた以外の記憶がほとんどありません。中一の夏休みは自転車で浦安まで片道約25km、往復50km走って帰りに死にかけたってのはよく覚えているのですが。

2016年3月23日水曜日

千葉のマッドシティ~カフェ・ド・カオリ

 最近やたらマッドシティの記事が多いですが、これは単純に私の体力が付きかけているだけで、サクッと書けるためにこうなってるだけです。先週末はしっかり休んだつもりだったけど、昨日の火曜日の時点でもう貯め込んだ体力使い切りました。

松戸のフレンチカフェレストラン カフェ・ド・カオリ

 今日紹介するのは松戸在住中に週一ペースで通っていた喫茶店のカフェ・ド・カオリです。ここは松戸駅東口を出てすぐ地上に降りたところ、地下へと続く階段を下りた先にある喫茶店です。ってか松戸駅東口は無駄に入り組んでてなんか場所説明するのが面倒だ。

 あまりこのブログではピーアールしていませんが私は学生の頃に京都駅前の喫茶店でバイトしており、そこの奥さんに鍛えてもらってコーヒー四つ(ソーサー付)なら片手でお盆に載せて余裕で運べます。あと地味にパン切りは習得が早く、途中からはずっと私一人で食パン切ってました。
 なもんだから喫茶店には今に至るまでよく通っておりそこそこコーヒーの味の違いも飲んで説明することもできるのですが、そんな私が松戸在住時に一番気に入っていたのがこのカフェ・ド・カオリで、ってか長いから省略してカオリで、冷凍たこ焼きを買い込む癖のある友人にも行ってみろと指図しましたがあまり反応良くなかったから多分行ってないだろうな。

 このお店を一言で言い表すなら昔ながらのレトロな喫茶店、といったところでしょう。写真や画像の無断転載禁止と書かれているためホームページの写真を引用できないのですが、店内はほんと昔ながらの喫茶店、ついでに言えば客層もマダム中心で自分くらいの年齢の人間はあんまいなかった気がします。そうしたレトロな雰囲気自体も好きでしたがそれ以上に気に入っていたのは提供される品の品質の良さで、コーヒーはもとよりケーキ、でもってシチューやハンバーグといった食事メニューが格別に味がよかったです。
 はっきり言うと各品の単価は他の喫茶店と比べてやや割高ですが、飲み物や料理の味の良さは価格にしっかり見合っており、大学構内のトイレットペーパーをパクろうかと画策したほどケチなことで有名な私ですらきちんと通うくらい大したものでした。何度か店員に料理作り方とか聞きましたが、ハンバーグのソースにはリンゴをすりつぶしたものも混ぜたりするなどかなり手が加えられているようです。

 ほかにもいつごろから店をやっているのかについても一度聞いたことありましたが、元々は別の所で開いていたお店を現在の場所へ移転してきたとのことで、「地下に潜ってからはかれこれ20年以上は経ちますかね」と、なんかマフィアっぽい返答されたのがやけに記憶に残ってます。

千葉のマッドシティ~清原氏の入院先

 報道を既にみている方には早いですが、何かとお騒がせな元プロ野球選手の清原氏が留置所を出所後、持病である糖尿病の治療のために向かい入院した病院というのはなんとマッドシティこと松戸市にある病院とのことです。具体的な名前もわかりますが、ぶっちゃけ私は一度もお世話になったことが無く訪れたこともない病院だったのと向こうもあんまり名前出されたくないだろうから割愛させていただきます。
 なお子供の頃はやたら骨折多くて、地元の整形外科にはしょっちゅう通ってました。あと自転車の乗り過ぎだったのかどうかまではわかりませんが左臀部にしょっちゅう血膿が溜まり、腫れ上がる度に新松戸にある足立外科胃腸科でメス入れて切ってもらってました。切られる際に溜まった血膿が抜け出ていくのが割とリアルに感じてました。

 話は本題に戻りますが、なんでもその入院先の病院で張り込んでいた記者たちに昨日突然、清原氏からの依頼によるものだとして弁当(焼肉)が配られたそうです。ただ多くの記者たちはこの弁当に一切手を付けなかったとのことで、折角の好意と食べ物を粗末にしているという声もあれば、ジャーナリストたるもの金品の類は一切受け取るべきではなかったとの声もあり、そこそこ議論の種となっている気がします。なおスポニチの記者はしっかり食べてその弁当の内容を記事にしたそうです、ってか私も読んだけどねその記事。

 結論から言うと、こんなもの受け取らなくて当然だし受け取った時点でジャーナリスト失格です。ただスポニチなどの娯楽系メディアであればこの限りでなく、弁当内容をレポート記事にするのも彼らならむしろアリかなと思います。

 私自身の経験を述べると、企業のメディアを対象にした発表会へ赴く際にはよく上司から、「絶対に金とか受け取るなよ」と厳しく言い含められておりました。何故なら金品を受け取ってしまうとそれがどれだけ小さな金額とはいえ買収行為として成立し、たとえ向こうが何の要求をしてこなかったとしてもジャーナリストの独立性は確実に損なわれます。
 考えても見てください。ある会社や人物について褒め称える記事が書かれたとして、その記事を書いた記者が相手から何かしらの金品を受け取っていたとなると果たしてその記事は公平な観点から書かれているのか読者からしたら疑問を覚えざるを得ません。逆に批判したとしても何故批判するような相手から金品を受け取るのか、こっちは人格的に疑問を覚えざるを得なくなり、どちらにしろ記事に対する信用性はガタ落ちとなるわけです。

 そして記者自身にとっても何が怖いかっていうと後から、「あいつ実は受け取っていたんだぜ」と後年にばらされることです。実際に野中広務元官房長官が、「田原総一郎氏だけは頑としてうけとらなかった」と述べた上で官房機密費を多くのジャーナリストに配っていたという事実を暴露したことがありましたが、こんな感じで後から言われるとその記者のそれまでに積み上げてきたキャリアが一気に崩壊する恐れもあるだけに、記者にとっても疑わしいと思うものは絶対に拒否し、変に慣れてしまわないようにしょうもない品物もあまり受け取らないように心掛けることが大事だとよく教えられました。

 とはいえ、記者であっても取材相手と一緒に食事したりカラオケもしたりします。今揉めている野球賭博もそうですがどの辺が受け取っていいのか悪いのかという線引きはやや見え辛いです。敢えて私の経験で述べると、

・現金、またはすぐ換金可能な現金同等物は完全アウト
・誕生日や送別会などのイベントとは関係なく送られてくるプレゼントも基本アウト
・発表会などに来場した客全員に配られる粗品ならOK(メディア関係者のみが対象でないため)
・容疑者や政治家など影響力のある個人から送られてくるものはすべてアウト

 今回の清原氏の例は4番目に当たり、本人にその気がなくとも買収行為と周囲からみなされる恐れがあるために記者らは受け取るべきではなかったというのが私の見方です。もっとも私が注目したのは受け取ったのか受け取らなかったのではなく、何故こんな行為を清原氏が取ったのかという疑問でした。
 単純に本人が張り込んでいる記者らを慮って送ろうとしたのかもしれませんが、記者からしたら弁当なんか買ってくるよりとっとと記者会見の一つでもしてくれた方がずっとありがたいはずです。では買収の意図はあったのか。恐らくですがそういうのは全くなかったと思いますがだからこそ私はそこに疑問を感じます。

 突然仕出し弁当を発注して配ることで買収とみられないだろうか、こうした点についてまるで考慮した痕跡が見られずつくづく空気が読めないというか何をすべきで何をしてはならないのか、この人はそういうことを全く考えていないのではという風に思えてなりません。それこそ一緒に作業しているスタッフみんなにお弁当を買ってくるのならわかりますが、一向に取材に応じない自分に対して張り込んでいる縁もゆかりもない記者らに突然弁当を配ろうだなんて突飛に感じますし、また向こうもどんな対応するかをちゃんと考えたのでしょうか。第一、弁当発注する暇あったら先程挙げたように記者会見を開くとか、お世話になった人たちへ謝罪の手紙を書くとかもっと他にやるべきことがたくさんあるような気がしてなりません。この点で私は疑問を覚えました。

 気遣いというのは気遣いの仕方があると考えます。やっぱそれが出来るか出来ないか、お仕着せの気遣いになっていないか、どうもその辺がちゃんとわかってないんだろうなって過去の行動からも見ていて思うわけでした。

2016年3月15日火曜日

千葉のマッドシティ~横須賀橋(ちんさむロード)

 この前自宅で「干物妹うまるちゃん」の七巻を読んでいたら、ゲームの内容も知らずにある女の子が女友達に「ポッキーゲームをやってみたい!」といってドン引きされるシーンの所を読んで、何故か「男同士のポッキーゲーム」という単語が頭に浮かんで来て、想像したら凄い笑えてきました。使いようによっては素晴らしい罰ゲームになるような気がします。
 そんなわけで本題に入りますがまた久々のマッドシティこと松戸市ネタで、一応全国的にも一時話題になった横須賀橋というのを今日は紹介します。

 この横須賀橋というのは松戸市と隣の流山市を結ぶ地点にある橋の名前で、境界線にもなっている坂川に架かっている橋です。近所に住んでいる方からすれば、ツタヤと流山病院近くの橋っていった方がわかりやすいでしょう。
 なおこの「横須賀橋」という名称ですが、私も何故かは知りませんけどこの橋付近のエリアの地名はそのまんま「松戸市横須賀」です。海もないのに。

 話は戻りますが何故こんな変哲もない橋をわざわざ取り上げるのかというと、先ほどにも述べた通りに一時期全国区で報じられた場所でもあるからです。そのきっかけはフジテレビで放送されていた「人志松本の○○な話」という番組で、「ちんさむロード」として紹介されたことからでした。ちんさむロードという名称の由来については言うのも馬鹿馬鹿しいくらい下品なので省略しますが、要するに車で走っているとドキッとするようなスリル感が得られる場所として紹介されたわけです。
 この横須賀橋のどこにスリル感があるのかというと、単純に言って高低差です。この橋は坂川の両端にある土手をちょうど覆うような感じで架けられており、それほど大きい橋ではないものの最低点と最高点の高低差は確かに大きく、それでいて橋自体が大きくないもんだから車で越えようとすると確かに軽い無重力感が感じられたりします。

 私はその番組を見てはいないのですが、なんでも橋を登り切って平坦部で加速すると下り勾配に差し掛かったところでフワッとした感覚が得られるという具合で紹介されたそうです。

求めすぎたスリル「チンさむロード」で起きた悲しい事故(NAVERまとめ)

 その放送がされた直後の2012年5月28日に起きたのが、上記サイトでまとめられている事件です。なんでも実際に体験してみようと19歳女性がこの横須賀橋で車を加速させたところコントロールを失い、そのまま歩道に突っ込み数人をはね、そのうち一人の18歳の男子大学生が死亡するという事故となりました。何気に当時、色んな意味で狂った上海の会社で記者として働いていた私もどっかのニュース経由でこの事件を見ており、「ああ、あそこね」と実感たっぷりに呟いたのを今でもなんかよく覚えております。それと同時に、テレビ番組を真に受けて危険行為をするなんて馬鹿な奴もいるもんだと、やや手厳しいかもしれませんがこんな感想も持ちました。

 ちょうど同じダウンタウンがやっている番組で最近、水戸市長が檄おこぷんぷん丸になるほど水戸市をディスる放送があったと聞き、タイミングもいいなと思ってこのネタも今回書いてみることにしました。ダウンタウンは三、四年くらい前に全く視聴率が取れなくなってもう終わりかと言われ始めていましたがこのところ再び視聴率を取れるタレントとして復調気味のように見受けられるのですが、なんていうか番組制作とかでちょっと迂闊というか先の先まで考えていないなという企画をよくやるなという風に私は見ています。この横須賀橋の件も水戸市の件も、もうちょっと考えてから放送すりゃいいのにとつくづく思えてなりません。

 最後に私自身の体験を語ると、私はそれほど車を運転するようなタイプではないのでこの横須賀橋に関してはどちらかというと自転車で乗り越えるというイメージが圧倒的に強いです。高低差があるので確かにやや上りはきついですがその分下りではかなりスピードが出るので、流山市から松戸市に入る際は橋の上で一旦止まり、橋を降りた先の信号が青信号になるのを見てからよく一気に駆け下りておりました。何気に右にある脇道が意外と細くて急に人とか車が出てくるから結構危ないんだけど。

 ただ、私に言わせればこの横須賀橋なんてほんの序の口です。横須賀橋を越えてそのまままっすぐ東へ走っていくとその先に流鉄流山戦の線路を跨ぐ別の橋が出てくるのですが、こっちの高低差の方が半端じゃないです。しかも横須賀橋と比べて平坦な長さが短いので勾配もめちゃくちゃ急で、子供の頃は一度も地面に足をつけずにこの橋を自転車で登り切るのを密かな目標としたくらいでした。
 今この時点においてもこっちの橋の名前は知らないままですが、大体小学校高学年くらいに自転車で登り切れるようになってからは、「こんな小さな橋ごときに何を俺は」みたいな感じで鼻で笑って越えるようになりました。ただ、勾配は半端なく急なので自転車で思い切り駆け降りるようなことはせず、この橋だけはブレーキをしっかりかけながら下りるというのは大人になっても続きました。

2016年3月6日日曜日

千葉のマッドシティ~松戸市長

 昨日今日とで150km以上も自転車で走ってまだ疲労が抜けないので今日も短く切り抜けられる記事でお送りします。

 知ってる人には有名な話しですが、現在「松戸市長」という言葉についてやや齟齬が生まれる現状が続いております。というのも、「松戸船橋市長」もしくは「船橋市松戸市長」と呼ばれる人が出てきてしまったからです。

船橋市長なのに「松戸市長」 「どちらで呼んだらいいのか」とネットで笑い広がる(ジェイキャスト)

 松戸市と船橋市はどちらも千葉県内で多くの人口を抱える有数の行政法人なのですが、現在の船橋市の市長の名前は松戸徹氏で、皮肉なことに船橋市の市長なのに松戸という苗字がついてしまっているわけです。そのためニュース記事などでは上記などのように「松戸・船橋市長」などと書かれるために読んでて一体どっちやねんと言いたくなるような記述にならざるを得ないわけです。しかもどちらも同じ千葉県内だからさらにややこしい。
 自分が間違っているとは分かっていながらも、船橋市の松戸市長については頼むから改名してくれないかとすら密かに思っています。もしくは「船橋・M・市長」みたいにちょっと小細工効かせた呼び方とかにするとか。

 なお、本家本元の現松戸市長は本郷谷健次氏です。本郷谷市長に私から言いたいこととしては、市庁舎のすぐ裏にソープランド(角海老)があるのはどうかなっていうことくらいです。

 なんか本当に自転車の乗り過ぎの疲労で色々ときついです。帰り道はルート開拓とばかりに選択した道が無駄に遠回りになって失敗したなぁ。