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ラベル マンガ、アニメ、ゲームのはなし(゚∀゚) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2024年12月3日火曜日

エスコン7でようやくノーマルモードオールS!


 年末セールになっていたので、かねてより本体を買っていたエースコンバット7のダウンロードコンテンツを大人買いし、上の写真のようにトップガン使用のF-14とかもゲットしました。またこれでテンション上がったこともあり、ダウンロードコンテンツステージを遊んだついでに、ノーマルモードのオールSの最後の関門となっていたラストステージに当たるステージ20でSクリアを図りました。

 先週末にオールSで一番障害になると思われていたステージ16でSをゲットしており、最終面もこの調子ならいけそうと思っていたのですがこれがなかなかてこずり、あんまりやりすぎるとストレスになると思って一旦は切り上げていました。
 しかしダウンロードコンテンツを買って盛り上がっており、勢いが何でも大事と思う性分ゆえ果敢に挑戦してみたところ、最初はなかなかうまくいかずにAランククリアが何度も続きました。機体は当初買ったばかりのどっからどう見てもSu-57だけど、トップガンに倣って「5th Genelation」という表記になっている機体で何度も試しましたがあまり上手くいかず、ラスボスの高い機動に対抗するため、こう誘導ミサイルを備えたSu-30SMで挑んだところ割とうまく倒せ、最後の難関にあるトンネルくぐりもスパっとクリアでき、見事Sランクをゲットしました。

 思えば6年ほど前、友人に「飛行機好きならエースコンバット買えばいいじゃないですか」と言われ、ずっと気になりながらもパソコンのスペック不安から今年になるまで買わず、今年になって買うやマジでやりこむくらいにはまり、やはり自分は戦闘機好きだったんだと再認識させられたゲームでした。マジで今までのシリーズを遊ばなかったことを後悔しています。

 オンライン対戦も中国にいながら遊べますが、まだ自分の腕は成長途上というか、ソロプレイで遊んでいても日々上達を感じるのであんまり参加はしていません。ただ過去に参加した際はラファールを使い、特殊兵装に超遠距離ミサイルことLAAMをいつも使ってましたが、マジでこのLAAMは凶悪というか完全なアウトレンジから不意を突くように一撃で敵機落とせるので、なんか食らわせた相手に申し訳ない気持ちにさせられます。まぁ便利だから今後も使うけど。

 いやそれにしてもいい感じの脱力感というか、一つの目標を無事達成できてほっとしています。ハードモードのオールSはさすがに狙うとストレスたまりそうなので考えていませんが、ハードモードで全ステージを一度はクリアしようと考えており、これが次の目標になりそうです。
 まぁその前に割と難しかったダウンロードコンテンツステージをクリアしないと。っていうか最初のステージだと途中でミサイル使いきるくらいの大量の空戦あってビビった(;´・ω・)

2024年11月30日土曜日

つまんなくなっていった「金田一37歳の事件簿」

【速報】金田一少年、パパになるwwwwwwwwwwww(オリコンニュース)

 上の記事見て、「ああやっぱ」という気持ちになりました。というのもこの「金田一37歳の事件簿」、回を追うごとにやばいくらいつまんなくなっていったからです。

 単行本が2巻まで出ている頃に自分も買い始めて読みましたが、最初の方はそこそこ面白く、特に回目の京都を舞台にした事件の話はよくできていると感じたほどでした。そんな感じで途中までは面白くなっていったものの、後半に行くにつれて話はどんどんつまらなくなり、トリックも「こいつが犯人じゃん」と読んでる途中にすぐわかるくらいお粗末な物ばかりとなり、途中からは新刊は発売日には買わず、セールが始まってから買うようになりました。

 一体なんでつまらなくなったのかと言えば、トリックがしょうもなくなったからと言いたいところですが実際のところ推理物でトリックの良しあしは面白さにそんなつながらないと思います。それよりも舞台というか人間関係のストーリー構成の方が重要で、このストーリー構成がこの漫画だとどんどん悪くなった印象があります。

 端的に申し上げれば、「これお前がやらなくてもいいじゃん」という話になっていきました。

 序盤こそはブラック企業に勤める主人公が行く先々で事件に巻き込まれ、かつての人脈や現在の社会人としての立場や経験、態度を活用して推理していく展開が見られました。しかし話が進むにつれて事件内容が外界との連絡が立たれたクローズドサークルが舞台となる話が増え、こうした環境では上記の「社会人となった金田一」ならではの話の展開が一切ありませんでした。むしろ高校生時代の金田一に立ち位置が近くなり、まるで「金田一少年の事件簿」の焼き直しのような話が延々と繰り返されていくようになりました。

 おまけに妙な犯人というか「お前ヤバいやろ」的に逆恨みで人殺す犯人ばかりになったり、オカルトっぽく死人がイタコみたいに話し出したり、読んでて(。´・ω・)?みたく理解に苦しむシーンが増えていきました。極めつけは全シリーズから出ている高遠というキャラで、完全にメアリー・スーみたいなキャラになって遠隔で人殺すなど贔屓も対外にしろよと言いたくなってきました。
 ぶっちゃけ自分が編集だったら、この漫画の人気を立て直そうというならいきなりこの高遠の死刑執行シーンをぶちこんで、こいつの存在をなかったことにしたことでしょう。間違いなくこのキャラがこの漫画のガンでした。

 改めて述べると推理物は漫画にしろ小説にしろ、トリック以上に人間関係や舞台が重要です。せっかくこの漫画では高校生から社会人となった主人公がその立ち位置を変えて新たに事件を推理する形式に切り替えたにもかかわらず、クローズドサークルというその切り替えを完全に台無しにしてしまう展開をえらく繰り返し、話をどんどんつまらなくしてしまったというのをはっきり感じました。
 ほんと後半はヤバいくらいつまらなかったし、犯人も「私が犯人です」ってタスキをかけている様にすら見えたし。

2024年11月18日月曜日

Vガンダムのゴッドワルドの最後のシーン解釈

 中国で相次ぐ通り魔事件について書こうと思ったけどなんか暗くなる内容で今は避けたいと思ったので、ひとつ前の記事に続いてまたVガンダムについて書きます。ってか前の記事ではルロイさんがコメント書いてくれたけど、F91とVガンダムは明らかにマーケティングの失敗で旧来ファンにも新規ファンにもどっちつかずな対応してしまって商業的にもファン層拡大的にも失敗してます。作品は決して悪くないのに、あのマーケティングの失敗でいまだに微妙な立ち位置となっているこの二作が不憫でなりません(´;ω;`)ウッ…
 ちなみにいとこの旦那はF91がマジ好きでした。でも子供からは「うちのおとんはグフ(カスタム)が好きなんやで」と言われてました。

 話は本題ですが、Vガンダムの中盤で一番議論が起こるシーンと言えば、武人肌の敵キャラクターであるゴッドワルド・ハインの最後のシーンでしょう。主人公ウッソとの戦闘に敗れ乗機が動かなくなるや、このゴッドワルドはコックピットから飛び出してウッソのVガンダムに飛びつき、コックピットを無理やり開けようとしてきます。
 これに対しウッソは自らコックピットの扉を開けるやワイヤーガンでゴッドワルドを撃ち、その衝撃で破損した乗機の方へ吹き飛ばされたゴッドワルドはその爆発に巻き込まれて死ぬのですが、ワイヤーガンで撃たれた際にウッソに対し「やったなー小僧っ!」と憎らし気に吐き捨てるのが最後のセリフとなります。

 こうした跡形もなく吹き飛んだゴッドワルドをウッソは見送ったあと、何かに気づいたかのようなそぶり見せながら「ゴッドワルドさんが、誉めてくれた……」という言葉を洩らします。先ほどのゴッドワルドのセリフは負け惜しみというか悔しさをにじませたようなセリフでとてもウッソを誉めている様には聞こえず、「ウッソはニュータイプだから、死んで霊魂となったゴッドワルドの声を聴いたのでは?」という風な解釈がなされることが多いです。実際、私もそういう風に解釈してました。

 しかしかなり昔ですが、あるサイトでこのシーンについて異なる解釈をしている人がいました。それはどんな解釈かというと、この「誉めてくれた」というのはウッソの完全な妄想であり、ゴッドワルドは死後を含めてそんなことは言っていないというものでした。

 この解釈の根拠はというと、まず前述の通りゴッドワルドが死の間際に言ったセリフはウッソを誉めるような内容では決してないこと、そしてゴッドワルド自身が武人肌でやや戦闘狂な人間なため敵を誉めるようなタイプでないということ。そして何よりの根拠として、これ以降のウッソの行動がどんどん狂気じみてくるという理由を挙げていました。
 具体的にどうなるのかというと、敵から奪取した宇宙砲台のビッグキャノンを周りに操作できる人間がいないという理由から、ウッソ自身が引き金を引いて敵艦隊に放つようになります。この結果として数百人、下手すりゃ数千人単位が一撃で死んでおり、ウッソ自身も「これで戦争が終わるんだ」と自分に言い聞かせながらやってはいるものの、こうした大量虐殺的な行為をどんどん行うようになっていきます。

 Vガンダムのテーマ自体が「みんな狂ってるから何がおかしい行動なのか誰もわからなくなる」にあるのですが、確かに中盤以降、主人公のウッソはタガが外れたかのように敵兵を殺すことに躊躇がなくなります。まだZガンダムのカミーユの方が「ニュータイプなんで人殺しの道具でしかないもんな」と自嘲する辺り、理性を保っていたと感じるくらいです。まぁその後、カミーユは精神崩壊するのですが。

 こうしたウッソの中盤以降の行動の狂気化もあるだけに、先ほどのゴッドワルドが誉めてくれたというのは彼を手にかけたウッソが半ば自己弁護というか開き直る言い訳として無自覚に聞いた空耳だったのではというのが、自分が見た解釈に書かれてありました。今でもこの解釈は頭から離れず、実際のところはどうか議論の余地はあるものの、一考の価値があるものとして覚え続けていました。
 仮にそうだとすると、戦争は人をおかしくさせるというか、比較的まともそうな表情見せながらおかしくなっていくというのをうまく表現しているように見えます。おかしい人というと割と見た目からして北斗の拳に出てきそうなモヒカンの風貌がイメージされますが、実際は普通そうな見た目のままおかしくなっていることの方が多いでしょう。そういう意味ではこのシーンは、少年が本格的に殺人マシーンへと変わっていく過程を描いた秀逸なものとして評価できるように思えます。

2024年11月16日土曜日

Vガンダムがハブられる理由

 本題と関係ないけど昨日最終回を迎えた人気漫画の「推しの子」の最終回が炎上している件について、中国でも意図せずに記事を見つけるなど大きく報じられていることにビビりました(;´・ω・)

 話は本題ですが、ガンダムのゲームとかでよく「宇宙世紀機体、大集合!」などというキャッチコピーが使われるものの、そこに本来宇宙世紀シリーズに入るVガンダムの機体は入ってこないことが多いです。また宇宙世紀シリーズから世界観を一新したGガンダム、ガンダムW、ガンダムXの三作を「平成三部作」と呼ぶことも多いのですが、放映年数でGガンダムに連なっているVガンダムはここでもハブられ、「平成四部作」とも誰も呼びません。
 以上の通り、テレビ放映されたガンダムシリーズとしてはVガンダムは異例なくらいにハブられることが多く、ゲーム化や外伝作品の制作も他のシリーズと比べると極端に少ない傾向がある気がします。かといって作品として評価や人気が低いというわけではなく、エキセントリックな女性キャラクターが多いこともありファン層も自分を含め根強いと思うし、エヴァの庵野監督もVガンダムがあったからこそエヴァは作れたと話すなど影響力も大きいです。

 では何故それにもかかわらずVガンダムはハブられるのか。一つの仮説として、テレビ放映時のマーケティングの失敗によりファンの年齢層が歪になったからではないかとみています。

 まず放映当時の90年代前半について触れると、この時代のガンダムといったら基本的にBB戦士などの二頭身なガンダムでした。Vガンダムが放映されるまではテレビ放映のアニメ作品が一時中断しており、新たな機体が出ることもなかったため、新規のプラモ作品が作りづらい時代にありました。そのため当時は過去作品に使われた機体や、それら機体を二頭身にした上でリデザインしたナイトガンダムや武者ガンダムが多く出され、逆に背の高いリアルな造形のプラモは完全に旧来ファン向けと割り切られ、新規ファン向けには作られませんでした。

 そこへきてようやく待望のテレビシリーズとしてVガンダムが始まったのですが、上記の通り当時の、少なくとも小学生世代にとってガンダムといったらSDガンダムだけだったのですが、実はVガンダム放映当時はSDガンダムのプラモや他メディアへのコラボはほぼ一切行われていませんでした。放映中はリアルな造形のプラモデルしか販売されず、放映終了間際になってようやくSDガンダムのプラモが発売されるようになりました。
 実際私も、かねてからSDガンダムはよく作っていたことから放映中のVガンダムも早く作りたいと願っていたものの、なかなかSDガンダムでのプラモが発売されず、えらくやきもきしたことを覚えています。あまりにも出ないものだからそれまであまり作ったこととのないV2のリアルモデルキットを作り、SD版では放映終了間際に出たV2アサルトバスターのみ作ったことを今でもはっきり覚えています。

 なおこうした傾向はプラモデルに限りませんでした。当時はゲームの「ザ・グレイトバトル」シリーズをはじめ仮面ライダーやウルトラマンなどほかの版権キャラとコラボさせた、二頭身キャラのゲームで遊ぶコンパチヒーローシリーズというものが展開されていました。もちろんガンダムもこれらシリーズに登場するのですが、何故かVガンダムは採用されることはなく、初代のガンダムかVガンダムより1世代前のキャラに当たるF91がコンパチヒーローシリーズに使われ、現代だけじゃなく当時からもゲームなどでハブられていました。

 一体何故当時の子供の間で最も流行っていたSDガンダムでVガンダムのキットは作られなかったのか。自分が過去に聞いた話では、これは明確なマーケティングの方針によるものだったそうです。
 具体的には、SDガンダムで育ったファン層をリアルな造形のプラモデルのファンへと昇華させるため、敢えてVガンダムはSD化させていなかったそうです。実際上記の通りそうと思える節が多く、この方針が確かにあったのではと私も考えています。

 ただこの方針は成功したとは言い難いです。今もそうですがVガンダムに登場した機体の任期はそれほど高くなく、また当時を思い返してみてもリアル造形のプラモに移った子供は多くなく、SDガンダム自体が退潮的となったガンダムWの時代あたりでようやくファン層が転換したような気がします。むしろVガンダムでSD化キットの販売を出し渋ったことで、当時の小学生くらいのガンダムファン層にVガンダムがうまく浸透せず、またZガンダム以来の旧来ファンも思ったより入り込まず、ファン層がどっちつかずな作品になってしまったのではとみています。
 この結果、Vガンダムは確かに好きな人はいるっちゃいるけど、年齢層が余り固定されておらず、斑上にファン層が形成されてしまった感じがします。具体的には宇宙世紀シリーズファンの10%、当時小学生だった世代の10%、それ以外の層の10%というような感じで、Vガンダムとコラボした作品を作っても売り上げを立てづらい歪なファン層になっている気がします。

 私個人としては、以前にも書いたように「周り全体が狂っているから自分がおかしくなっていることにすら誰も気が付かない」ストーリーや、カテジナをはじめとするエキセントリックなキャラクターのオンパレード、あとシンプルイズベストを貫くV1のデザインなどでVガンダムのことが大好きですが、志を同じくするファンとはいまだ出会ったことがないです。それもこれも、上記の中途半端なマーケティングの失敗だと思うとなんか悔しさを覚えます。

2024年10月26日土曜日

ルックバックの映画面白かった(´・ω・)


 なんかこの前行ったラーメン屋に貼られていた警察のシールなのですが、書かれている内容を翻訳すると、「ケンカはダメ、負けたら病院、勝っても牢獄」という内容で、なかなかいいフレーズというかユーモアが感じられたので撮影しました。っていうか勝ち負けをはっきり分ける辺り中国らしい。

 話は本題ですが今日から中国で公開されている日本のアニメ映画の「ルックバック(中国語:蓦然回首)」を見に行きました、また朝一だったので観客は自分ともう一人だけでした。
 この作品は知って売る人には早いですが「チェンソーマン」の作者の藤本タツキ氏の短編を原作とした映画で、日本でも6月に公開されています。原作の漫画は私も読んでて単行本も買っているのですが、漫画ならではの特殊な表現を効果的に使用しているほか、他の同業者からも絶賛されている通りクリエイターの生みの苦しみめいたものを上手に表現していることから非常に高い評価を得ています。

 そういったわけで今回映画化もされたわけですが、前述の通り漫画ならではの表現が使われているため、私自身は映像化しにくい作品だと考えていました。それだけにそういった場面をこの映画ではどういった風に表現するのかが気になっていたのですが、特に違和感なく、アニメーションとしてうまく落とし込めていました。
 また監督の押山清貴氏のインタビューによると、主人公が雨の中スキップするシーンはやや原作とは異なる動き方にして見せたが、それ以外は原作をなぞるように、作者の意向を確認しながら作ったそうです。最近、っていうか昔からですが、原作を変な風に改変して失敗する作品も少なくないですが、先ほどのきちんと映像に落とし込むという点といい原作を余計に変えず、それでいて違和感のない場面で自分の色を見せる辺りは大した監督だと正直思いました。

 特に自分が感心したのは音響方面で、極力BGMを排したのは自分のイメージともぴったりでした、BGMのある所も非常に場面とあっていて、多分一番評価できるところなんじゃないかという気がします。

 このほか声優の演技についてですが、主役二人に関しては全く問題なく、特に京本役の人は今後伸びしろがあるのではという期待感を持ちました。しかしモブこと脇役に関しては正直に言ってびっくりするくらいの棒読みで、敢えて目立たせないためそのような演技指導をしたのかもしれませんが、下手過ぎて逆に悪目立ちしているような感すらありました。なんであんな下手な演技でそのまま通したのか、この映画における唯一の不満点となりました。

 以上が私の感想ですが、まだ公開初日とあってあまりメディアも報じてないですが、中国でもこの作品は売れると睨んでいます。こう考える理由としては、中国人は日本人以上に下手な友情物に弱く、ストーリーが受け入れられやすい点が第一に挙がります。
 第二の点として、前述の通りこの作品は漫画家などのクリエイターから非常に高い評価を得ていますが、こうしたクリエイターの生みの苦しみを描くような作品が中国だとほとんどないためです。日本では同じく漫画家を目指す少年二人組を描いた「バクマン」などがありますが、中国だとこの手の作品はあまりなく、実際友人の中国人も「バクマン」を見て凄い新鮮に感じたと話してました。

 それでいてですが、中国人自身は割とクリエイター気質というか、一つの作品に全身全霊で打ち込もうとするような人間が少なくないです。こうした人はカメラ趣味系に多い気がしますが、そうした作品を作る側に立ったストーリーがあまりないだけに、このルックバックを見て共感を覚える中国人も少なくないというか「こういうのを見たかったんだ(´;ω;`)ウッ…」という人が多いのではと思っています。
 この辺、今後の中国の報道を見て反響などをまた書いていきます。

2024年10月8日火曜日

エースコンバットの操作感について

 今日からまた仕事が再開したため現在すでに体がだるだる状態ですが負けずにブログを書くと、この連休中に「龍が如く7」を無事クリアしました。際立って高い前評判通りに素晴らしい傑作と呼べるゲームで、小さなメダルならぬヤクザの代紋拾いがあるなど、ただ単に街中を歩き回るだけでも十分楽しい上に、ストーリーも任侠物のオーソドックスな筋道ながら各キャラの折々の心情が見え素晴らしく、エンディングには自分も感動しました( ;∀;)
 なお一点だけ付け加えると、日本のRPGにおける主人公は基本十代の少年しかいないのですが、今作は18年の懲役を経て無所から出てきたばかりの40代のおっさんに、ホームレスと懲戒免職食らって無職のおっさん二人が最初に加わるという、歪だけど最高なパーティ構成でした。やってて思ったのはこういう大人の年齢層のキャラが日本のゲームには少なく、それがためかえってこの構成が新鮮でした。

 こうして無事「龍が如く7」をクリアしたので、今度は今のパソコンなら問題なく動くだろうと前のセール時に買った「エースコンバット7」を今遊んでいます。以前から好きだしウクライナでも活躍しているミグ29をメインで飛ばしていますが、このゲームを始めるにあたっては「フライトシミュレーターは捜査が難しい」と言われていることが若干不安でした。
 実際、エースコンバットシリーズも初心者がやると最初は苦戦すると聞いていて、果たして自分にミグ29をうまく使えるものかと不安だったのですが、結論から書くと全くの杞憂でした。感覚的には初戦でザク3機を軽くやってのけるくらいの感じでスイスイ操作に慣れました。

 一体なんでそんな簡単にミグ29をすぐ操縦できたのかというと、以前にPSPで「零式艦上戦闘記」というゲームを遊んでいたことが何よりも大きかったです。このゲーム、二次大戦中のレシプロ戦闘機を使って戦うゲーム、エースコンバットと同じフライトシミュレーターに属します。基本、空での挙動操作は同じで、ピッチからロールといった操作は当然で、ブレーキかけながら旋回するなんて操作もかねてからやっていたというか、「零式艦上戦闘記」ではそれができなければお話になりませんでした

 というのもこのゲーム、前述の通り二次大戦中のレシプロ機で遊ぶゲームであり、ゼロ戦だけでも複数種類あれば秋水なんて際物機体まで揃えてあります。しかしどの機体もミサイルなんて未来的なありがたいものは一切なく、戦闘中は機銃で全敵機を撃ち落とさなければなりませんでした。
 今でも覚えてるけど、サイパン戦で上から垂直降下&上昇を繰り返す無数のF6Fを相手にする戦いでは気が狂いそうでした。あの戦術が如何にゼロ戦相手に効果的であったのかを、ゲームを通してながら身をもって知りました。

 そんな自分からすれば、エースコンバットはミサイルをガンガン打てるというかロックオンしてポンするだけで済むので、めちゃ楽です。というか最初はミサイルの打ち方がいまいちわからず、ミサイルで仕留めるより機銃で撃ち落とす方が楽に感じて、ガチで機銃だけで戦ってました。一体いつのガンファイターだよ。
 同じく特殊兵装の扱いも最初は慣れませんでしたが、この辺の操作が分かってしまうと後は本当に簡単というか撃墜するのは本当に楽だなぁ、いい時代になったもんだとか感じてます。もっとも「零式艦上戦闘記」と違って、敵機もミサイル打ってくるのでその回避が若干面倒くさいなと思いますが。

 なお同時期に「メタルギアソリッド5グラウンドゼロズ」も買ってたのでこちらも遊んでみましたが、こちらはそのひとつ前のPSPで出た「ピースウォーカー」はかなりやりこんでいたため、余裕で遊べると思ってましたが、実際は逆でした。なんか操作ボタンがやたら複雑というか面倒くさくなっており、端的に言って直感的に動かせず、この辺はすごく不満でした。それでいて、やれる動作は「ピースウォーカー」からそんなに変わっておらず、なんでこんな無駄に複雑な捜査にしたのか疑問にすら感じます。

 なお「ピースウォーカー」で一番楽しかったのは、ガレージで物音を出してやってきた兵士にまとめてバズーカバルーンをぶつけ、屋根のあるガレージの中なのに、10人くらいまとめて風船で空に飛ばすのが気持ちよかったです。変にメルヘンなのが良かった。

2024年10月1日火曜日

ダサさ極めた対魔忍


 上の画像は自分が遊んでいるソシャゲの「アクション対魔忍」における使用キャラのステータス画面です。このゲーム、決してそこまで優れているとは思わないけどなんだかんだ言いつつすでに1年以上遊んでいます。これだけ長持ちしているのは単純にアップデートが頻繁で、使用キャラやアイテムの追加が常に多く、またP2Pことプレイヤー同士の対戦要素が少なく後発組もまったり遊べて入り込みやすいため、海外でも人気を得ていると聞きます。
 ちなみに中国版のタイトルは「動作対魔忍」。

 それでこのゲームですが、キャラクターの衣装はゲーム内通貨を使って購入して色々着せ替えることができます。またその衣装には複数のカラーパターンもあるのですが、ゲーム内アイテムを使うことでそのカラーパターンを自由に変えることもできます。
 カラーパターンは一つの衣装に対し三つの部位があり、その部位ごとにアイテムを使うとランダムで提示される色から選んで彩色するのですが、あくまでランダムなためなかなか思った通りの色に仕上げることはできません。もっとも私は額に意表を突く色の方がいいと考えて、時たま気に入った衣装でこのカラー変更をやるのですが、上のアサギというキャラの衣装でこの前何の気なしにやってみたところ……
































何だこのクソダサい衣装は!?


 最初見た時かなりビビッと来たというか、ダサさを煮詰めたかのようなこのカラーパターンになんか衝撃を受けました。っていうかこういうぴっちりスーツ系衣装で黄色が混ざると、高確率でダサくなる気がします。この衣装だと、赤と黄色の組み合わせが最悪なんでしょう。

 真面目にこんな衣装着て出動しろとか言われたら家出するような衣装です。偶然とはいええらいものを作った気がします。
 なおアサギは普段は教師版衣装を着せて遊んでいます。何tのなくこの手のツリ目キャラはメガネかけるといい感じになる気がします。

2024年9月18日水曜日

「小悪魔教師サイコ」裁判の和解に触れて

売上7億円超の人気漫画『小悪魔教師サイコ』作画家・合田蛍冬氏が出版社を提訴した訴訟が和解 同一原作の後発漫画が出版されトラブルに 出版社は謝罪(ねとらぼ)

 本日、「小悪魔教師サイコ」という漫画の作画家と出版社、原作管理会社間の裁判が和解したとの上記報道が出ました。この漫画ですが実は自分は2週間前に購入して読んだばかりで、読むきっかけとなったのもこの裁判でした。

 2週間前、何故かふと「セクシー田中さん」事件のことを思い出し、この件ではドラマを制作してトラブルを引き起こした日テレがやり玉に挙がっていましたが、本来なら仲立ちを果たさなければならない出版社(出版社)も騒動を収めないどころか放置しており大概だったなと考えたところ、「そういえば、『小悪魔教師サイコ』でも漫画家と出版社でも揉めていたな」と思い出しました。せっかくだからこの騒動も追ってみるついでにと、件の漫画を手に取るに至ったわけです。

 その「小悪魔教師サイコ」という漫画作品ですが、一読して「ああこれは人気出て売れるわけだな」と感じました。動きのあるシーンのコマ割りとセンスのない表紙デザインはややどうかと思うものの、話のテンポはよくキャラクターの描き分けもできており、内容には惹かれるものがあって既刊3冊をすべて購入して読みました。
 個人的には、普段無表情で張り付いた笑顔しか見せないサイコパスの主人公が、脈絡なくスコップで思いきり他人の頭をぶん殴ったものの相手がまだ死んでなくて、「やべ、仕留めそこなったΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)」という表情を浮かべるシーンが強く印象に残っています。

 話を戻しますがこの「小悪魔教師サイコ」の漫画はウェブコミックとして人気を得て売り上げもよかったそうですが、何故か原作者側は別の出版社とも漫画化契約を結び、同じ内容の漫画が同時期に連載されることとなりました。しかし後から始まった方は先行していた、今回裁判を起こした作画担当の合田蛍冬氏が描いた漫画のコマ割りをはじめ、原作にはなく独自に追加したシーンまでも模倣していました。
 これに対し合田氏は抗議するとともに、監修としてクレジットに名前を入れることなどを求めましたが却下され、それどころか原作者側が逆に合田氏に対して騒動を起こしたとして謝罪を求めるなどこじれていきました。

 そうした成り行きから合田氏の連載は休載に追い込まれることとなったのですが、間に立つべき出版社側は何故か原作者側に立ち、裁判を示唆するなどあることないことを合田氏に吹聴して余計に揉めさせるだけでした。また告知なく休載した件について合田氏が自身のブログで経緯を説明すると、出版社は自分たちが休載を告知していなかったにもかかわらず、合田氏にブログでの休載説明を削除した上で謝罪するようよう要求してきたそうです。

 こうした諸々の経緯もあって合田氏は出版社や原作者側へ騒動に関して謝罪し、この問題に真摯に対応するよう求めるため、賠償金がなんとわずか3円という裁判を起こすこととなりました。
 個人的な見方から言えば、この形式的な3円という賠償要求額といい、裁判経緯をしっかりブログで説明、公開しているあたり、合田氏は非常にしっかりしていて責任感もある人物であるという印象を受けます。なおその裁判経緯によると、出版社側はすぐわかる虚偽発言を繰り返した挙句、矛盾を指摘されるや嘘に嘘を重ねる始末だったそうで、少なくとも出版社の人間は無能だというのがこの裁判からはっきりわかりました。

 今回の報道によると、詳細は明らかにされていないものの、最終的に出版社、原作者は合田氏に対し謝罪することが決まったそうで、合田氏もこの結果に一定の納得感を得ていると述べています。私としても合田氏の肩を持っていたし、前述の「セクシー田中さん」の件で出版社側にもかねてから作家に対する問題行動が見受けられていただけに、こうした合田氏の行動がほかの理不尽を強いられている作家の励みになるのではないかと期待しており、今回の結果はいいものになったのではと思ってみています。

 そもそもの話、いくら原作を持っているからと言ってせっかく漫画版が人気出ているのにそれとは別に漫画作品を同時期に立ち上げるという道理が全く理解できません。「ひぐらしのなく頃に」や「うみねこのなく頃に」のように、独立しているエピソードごとに別の作画家を立てて漫画を同時連載するなら理解できますが、同じ原作で同時期に別の漫画が連載されるとあれば、もし自分が同じ立場だとあまりいい気分はしないでしょう。
 なおこのような同時並行連載形式だと人気な「薬屋のひとりごと」がありますが、あっちはあっちで片方の作画家が脱税で摘発されて、「脱税版」、「納税版」と区別されるようになって、これはこれで面白かったです。

 それらを踏まえると、初めに「ほかに漫画作品を立ち上げない」という条項を原作者との契約で盛り込んでいたにもかかわらずその契約権利を行使しなかった出版社が、無駄に自分のところの人気作品を失うというあほな行為をしたというのがこの裁判の帰結だと思います。本当にぶんか社はなにがしたかったのだろうか?

 その上で、自分もいた時に感じましたがメディア、コンテンツ業界はこの辺の契約や法務に関してザルもいいところで、こうしたトラブルは見えないところで無数にあると断言できます。日本がコンテンツ産業をもっと強化したいというのであれば、こうした業界の意識の低い契約習慣を改めさせる、または作家らを公的に法務面でサポートすることが強化につながるとすら考えています。
 幸い、この辺は漫画家組合がそれなりにサポートしているようですが、そうした動きをもっと広げることこそが、日本のコンテンツ業界では重要な気がします。一番よくないのは米国のように出版社が原作権利を強く持つことで、やはり作家ファーストで日本は行ってもらいたいものです。

2024年9月15日日曜日

ゲームのムービーシーンにおけるカメラワーク

 今更ながら「龍が如く7」を遊んでいます。発売が2020年であることもさることながら、購入したのは去年のセール時ながらも何故かこれまでは他のゲームを優先して遊ぶことなく、なんか手持無沙汰な状態がふと訪れたので起動してみるとこれまた面白く、評判が高かっただけに非常に楽しんでいます。
 にしてもゲーミングパソコンじゃなくてもPS4クラスのゲームがパソコンで遊べるようになるとはいい時代になったもんだ。戦闘機ゲームのエースコンバットも今度動くか試す形で買ってみようかな。

 話を戻すとこの龍が如く7ですが、ストーリーをはじめとするゲーム内容の面白さ以上に、ムービーシーンにおけるカメラワークに驚かされました。具体的にどこがどうと言いづらいのですが単純に素晴らしく、どのムービーもちょっとしたカメラワークで各描写を強く印象付けるように作られており、どのムービーも早送りせず見入ってしまうほどです。
 どんなカメラワークがいくつか挙げると、左右に二人の人物の顔が映されていて、最初はしゃべり始めた片方にピントが合っているものの、もう片方がしゃべりだすとそちらにピントが移る。あと徐々にズームアウトしていって端の方に入り込んできた人物がおもむろに語りだすなど、こういう映画とかでは当たり前のカメラワークですが、ゲームだとこれまであまり目にしたことがありませんでした。

 カメラワーク一つでこれほどまでムービーが良くなると私は今まで感じたことはなく、ただ単に最近のゲームを遊んでいないだけかもしれませんが、かつて遊んだゲームのムービーでは印象を覚えたことは本当にありませんでした。思い起こすと、スクウェアエニックスやコーエーテクモのゲームはどれも美麗CGやムービーを売りにしていますが、改めて思い起こすとCGの素材ばかりに力を入れて、そのCGをどう映すかというカメラワークに関してははっきり言ってお粗末な水準だった気がします。
 基本的に顔面アップが多く、アクションするシーンも遠回しに映すだけで迫力がなく、終いには最近は減ったけど悪名高いQTEを入れてムービーなんか見られない状態にしたりといった感じです。

 そもそも龍が如くシリーズの元プロデューサーである名越氏自身はゲームではなく映画を学んでいたものの、就職にあぶれてゲーム業界に入ったという口なだけに、この方面のカメラワークがやっぱりこのシリーズが優れているのも当然かもしれません。ついでに書くと、龍が如くの製作前から柴田亜美氏の漫画(どきばぐ)ではまるでその未来を見越したかのように、本宮ひろし風のヤクザとして描かれていました。

 話をまとめると、ゲームのムービーと言うとCGの美麗さやキャラクターのかわいさばかり取り上げられがちですが、そうした素材を生かすも殺すもやはりカメラワーク次第というべきか、この方面に意識が薄いゲーム会社も少なくない気がします。そういう意味ではゲームクリエイターも映画とかの撮影方法をもっと学ぶべきなのかもしれません。

2024年8月28日水曜日

空の軌跡FCの思い出

『英雄伝説 空の軌跡FC』リメイクが2025年に発売決定!!(ガハログ)

 なんか今日はときメモをはじめ昔のゲームのリメイク制作発表が相次ぎましたが、こちらの「英雄伝説 空の軌跡FC」のリメイク発表を見て、「ああ、こいつかよ」とげんなりした思い出が浮かんできました。

 このゲーム、確か自分が大学生の頃に秋葉原のジャンク屋にて500円くらいで売っていたのを見て購入しました。さっそく自宅に帰って遊んだのですが、結論から言うと非常に面白くなく、途中で遊ぶのやめて放り投げました。
 一体何が不満だったのかというと一言で言えばお使いゲーの極みみたいなもので、全然ストーリーが進まないのに「あれ買ってきて」、「あれ何匹か殺してきて」、「これ届けに行って」などというお使いを延々こなし続ける内容で、これの何が面白いんだと当時すごい疑問に思いました。

 しかも使用キャラはエステルとヨシュアの二人ですが、この二人に性能差はほぼなく、ただ殴るかスキル使うか、しかもスキルも似たり寄ったりで戦闘に一切戦術性がなく、はっきり言ってドラクエ1の方が戦闘はよく練られていたほどです。こんな感じで異常につまらないと思い、その後続編が出たと聞いて「あの内容で?」と正直耳を疑ったほどでした。

 そんなこのゲームですが一つだけすごい思い出があります。それはこのゲームのヒロインのエステルのことで、彼女の名前を見るたびにかつて少年ジャンプで連載されていた「少年エスパーねじめ」に出てくる練川えすてるというキャラクターを思い出すため、このゲームを遊んでいる最中は「少年エスパーねじめ」、そして同じ作者の別作品である「純情パイン」がずっと頭をもたげました。
 特に「純情パイン」の方は小学生男女二人組のヒーロー物だったため、男キャラのヨシュアの方も段々と作者の小玉なみえっぽいキャラに見えてならなくなりました。なので今回のリメイクの報道を見るやまた「練川えすてる」という単語がもたげ、今日は仕事になりませんでした。

 いやはっきり言うけど、このゲーム作った人には本当に金返せって言いたくなるくらいつまらなかったと言ってあげたいです。20年近く経つけど、この20年間で一番つまらなかったRPGゲームを挙げるとしたら迷わずこのゲームを私は挙げます。

2024年8月23日金曜日

漫画「ナポレオン」の完結に触れて

 見出しにもある通り、長谷川哲也氏の漫画「ナポレオン-獅子の時代(途中から覇道進撃)」の最終巻が今日発売され、昨夜夜遅くまで日本から来た友人らと人民元の効率的な送金方法を議論したにもかかわらず、夜中にダウンロードして読んでました。でもって今日の通勤途中に3回くらい読み直してました。

 完結巻とあってこの巻ではセント・ヘレナ島に流されたナポレオンが死ぬまで、そして死後の関係者のその後が描かれていますが、出てくるのは揃いも揃ってジジイばかりで、若手キャラと言えば息子のナポレオン2世くらいでした。まぁいいんだけど。
 ただそれもあってか、イタリア遠征を思い出す最終シーンでナポレオンやその旗下の元帥たちが当時の若々しい姿で一斉に描かれるのは感無量であり、万感の思いとともに自分も眺めていました。

 それにしてもこの漫画ですが総巻数は42巻にも及び、横山光輝のライフワークと言える「三国志」の60巻には及ばないものの、連載期間は20年超を数え、ナポレオンを描いた漫画としては最長であり最高であるというのは揺るがないでしょう。
 私はこの漫画を1巻が発売された大学生の頃から読み始めたのですが、大体6巻くらいの頃に地元の本屋が何故かこの漫画を入荷するのをやめやがったせいで途中で中断を挟んだものの、その後覇道進撃に入ったあたりから再び読み始めるようになりました。

 ナポレオンについては少年時代よりその関心は強く、割とよく歴史漫画だけじゃなく評伝も読んではいたのですが、大体どの評伝もナポレオン本人にばかりスポットを当てていてその周辺人物についてはあまり触れられてきませんでした。それがこの長谷川氏の漫画では主人公のナポレオン以上にその部下であるネイやダヴーといった元帥らの活躍が華々しく描かれているばかりか、彼の政敵となったタレイランやロシア皇帝らも細かく描かれ、正直今まで読んできた評伝は何だったのかと言いたくなるような衝撃を受けました。それと同時に、ナポレオンも一人で成り立つのではなく、その優秀な部下らがいて初めてあれだけのことをやってのけたのだということも理解しました。

 そんなナポレオンを伝説足らしめているのはやはり、栄光を極めた後で転落をしている点にあると思います。説明するまでもなく、ロシアと英国を除いたほぼすべての欧州大陸を一時支配したものの、ロシア遠征での失敗を皮切りにフランス以外の支配をすべて失い、流刑後に一度は復権するもワーテルローの戦いを経て百日天下に終わり、流刑地で寂しく死去するという結末が、死後に多くの人間の共感を得たのだと思います。

 今回改めてそのナポレオンの事績を思い浮かべるにつれ、彼の場合は彼自身の後継というより、彼の部下の後継を育てられなかったことが致命的だったのではないかという風に思い至りました。ナポレオンの部下のほとんどはイタリア遠征時における幕僚たちであり、アウステルリッツの戦い以降は目立った戦績を残すようになる新参の将軍はあまり出てこなくなります。しかも従来からの幕僚たちも時代や戦争を経るにつれてランヌやベルティエをはじめ徐々に世を去り、残ったネイやスルトを率いて挑むも彼らがワーテルローで致命的な敗戦を犯し、ナポレオンは失脚するに至ります。
 それこそ仮にロシア遠征時にでも従来の元帥らに並び立つような才覚の人物を新たに登用し、幕僚の層を厚くして年代層を若返らせておけば、また何か違ったのではないかという気がしないでもありません。この辺、人気漫画作品に頼ってたところその作品が連載終えるや人気が急落する漫画雑誌に近いような気がします。

 まぁそれを言ったら、ナポレオン自体も後年の軍事的才能の枯渇ぶりは目に余るのですが。

 それにしても20年以上の読み続けてきた漫画がこうして終わるというのはなかなか感慨深いものです。長谷川氏はナポレオンの連載中にも「セキガハラ」をはじめ色々ほかの作品も描いていますが、今後どういう作品を描くのか、恐らくまた手に取ると思うので今から楽しみにしています。

2024年8月19日月曜日

日本のホラーコンテンツ産業の成り立ち

 
 本題と関係ないけどこちらの上原氏と赤星氏の対談が毎回面白くてつい見ちゃいます。練習が厳しすぎて亜細亜大と駒沢大の試合はどちらもイップス発症者が多く、現広島監督の新井氏なんか典型的なイップスだったから試合でサードにバントし続けるという鬼畜な戦術取られてたとかやばいです。



 でもって本題動画がこちらとなりますが、本日公開されたホラーゲームの金字塔と呼ばれる「サイレントヒル2」のリメイク版ストーリートレーラーです。あいにく私はこのゲームを遊んではいないのですが日本はおろか世界中で最高級の評価を受け、その評価は十年以上たった今も色あせず、こうしてリメイクが作られるに至りました。

 そのサイレントヒル2を含め輸出競争力という観点で見ると、意外と日本のホラーコンテンツ産業は侮れない実力があります。美少女アニメコンテンツとかよりもずっと稼いでいるように思えますし、またソフトパワーという観点でも非常に食い込みがよく、アニメファン以外からも支持を得ている点で範囲が広いように思います。
 などと日本のホラーコンテンツにこの前友人との会話から着目した矢先にこのストーリーオレーラーが出たのでこうして書いていますが、そもそもいつから日本はホラー映画やホラーゲームが世界的コンテンツになるほど成長したのか。案外この点は語られることが少なきがします。

 敢えて私の独断と偏見で語らせてもらうと、日本のホラー産業の始まりは海外作品の影響が端緒であったように感じます。それは何かというとズバリ映画の「羊たちの沈黙」です。それ以前からもホラーコミックが少女漫画を中心にありましたが、この作品からサイコスリラーというジャンルが日本でも広がり、「幽霊なんかよりも本当に怖いのは人間」というオチをつけたがる日本人に新たな成長の種を蒔いたかのように思います。
 こうしてサイコスリラー作品が日本でも模倣的に作られ、またオウム真理教などマインドコントロールを行うカルト団体が世間で認識されるに伴い、漫画や映画だけでなく、ゲームでも述べる系を中心にホラーゲームが徐々に増えていった気がします。具体例を挙げると「クロックタワー」シリーズや、最近はアクション路線に入りましたが「バイオハザード」シリーズなどが代表的で、こうしたホラーゲームが後々海外で稼ぐ下地が90年代中盤からみられるようになりました。

 そこへきて一気に日本のホラーコンテンツが花開く作品として、貞子でおなじみの「リング」が1998年に映画化され、大ヒットを飾ります。今になって思うとこの作品のヒットは日本のホラー産業にとって非常にでかかったように思え、前年に同じく映画化された「パラサイト・イヴ」と合わせてホラー小説→実写ホラー映画というコンテンツセットを確立し、その後も同様の工程フローを経たホラーのヒット作品が次々と生まれていきました。今じゃあんまり存在感ないけど、当時は「角川ホラー文庫」こそが角川書店を代表するコンテンツで影響力も強いものがありました。

 話を戻すと「リング」、その後に続く「呪怨」などのホラー映画作品のヒットは日本国内にホラー愛好家を増やしただけでなく、ハリウッドでも映画が製作されて「ゴジラ」以上に大ヒットを決めるなど、一気に日本製ホラーが海外で売れるようになりました。これ以降は明らかに海外で売ることも視野に入れてホラー作品が作られるようになり、また実際にヒットを連発し続けるになって、日本のホラーコンテンツ産業が一躍スターダムになった気がします。
 私自身は「リング」の小説については確かに文章が読みやすく展開の運びは非常にうまいと感じたものの、オチがやや突飛だし強引な感じしてあまり好きではなく、ヒットの要因はどちらかというとあの貞子のビジュアルを映像化して再現した映画関係者による貢献が大きいと考えています。ただそんな私の評価は別として、日本製ホラーが海外で花開く嚆矢となったのは間違いなくこの作品であり、その点で言えばオリジネーターとしてもっと評価されてもいいとすら感じます。

 話を続けると、その後にPS2が発売されてゲームのグラフィックが強化されると、ホラーゲームでも国内外でヒットする作品が連続します。その代表こそまさに冒頭で挙げた「サイレントヒル2」で、舞台が米国であるためか欧米に受け容れられやすく、こちらもハリウッドで映画化を果たしています。
 また舞台も世界観も完全に和というか日本色の強い作品であるものの、自分もよくやっていた「零」シリーズも海外でヒットを飛ばします。無論、この間も先に挙げた「バイオハザード」シリーズは売れ続け、今日に至るまで派生作品が出続けています。

 ただ大体時期にして00年代中盤、PS3が出たあたりから映画でもゲームでも国内外で高い人気を得る新規のホラー作品が急にでなくなってきたように思います。先述の角川ホラー文庫も存在感をなくし、「この夏絶対に見逃せない」的なホラー作品もなくなって「サマーウォーズ」とか「君の名は」などのアニメ作品の方が夏に強くなってきました。でもって「サイレントヒル」も「零」もシリーズがその後打ち切られるし。
 一応、ホラーゲームとしては今でも日本は結構作られていますが、そのどれもが同人、インディーズゲームで、一般のゲーム会社がプロモーション込みで作る作品は本当に見なくなりました。今やホラーゲームはインディーズが主体で、「青鬼」などをはじめ映像化を含むマルチメディア化される作品もありますが、往年と比べるとその勢いには陰りが見えます。

 なんでホラー作品が前ほど親しまれなくなったのかに関しては、ホラーというよりグロ系作品が増えたからという意見をよく見ますが、理解できないほどではないものの本当にこれなのかという一抹の疑問を私は覚えます。かといってほかにめぼしい理由があるというわけでもなく、単純にコンテンツとして飽きられた、映像が鮮明じゃなかった昔の方が恐怖感を煽れた、粗製乱造による質の低い作品が溢れたなどの複合的結果なのかもしれません。
 そう思うと90年代後半から00年代中盤までの10年足らずの間が日本のホラーコンテンツの短い黄金期だったと言えるのかもしれません。なかなか特殊な時代を過ごしたものだと、今更ながら感じ入ります。

 ちなみにトイレでは幽霊を見るよりも水が流れないことに恐怖を感じる私が心底怖いと感じたホラー作品は、ちっちゃかったせいもありますがスーパーファミコンの「弟切草」と「学校であった怖い話」、セガサターンの「ディープフィアー」、漫画だと「殺し屋イチ」とかが挙がってきます。押切蓮介氏の「ミスミソウ」は全く怖くなく、「サユリ」は1巻だけならやや怖いと感じました。伊藤潤二氏の「富江」は不気味さを感じましたが恐怖はそこまでありませんでした。
 ああそうだ、近年は海外で売れるホラー作品が減ったとは言いましたが、伊藤潤二氏は現在絶好調というか海外でも売れまくっています。まぁホラー漫画のくくりでいれば「彼岸島」も入るけど、あれは怖いと思うシーンよりも圧倒的に「そうはならんやろ」と爆笑するシーンの方が多すぎる。

2024年8月3日土曜日

ドボポプププププ


 先日、ふとした興味から上の記事で紹介されている「女神転生外伝 新約ラストバイブル2」というゲームを購入しました。このゲームは元々、ガラケー向けに2008年に配信されていたゲームのリメイクで、2022年にSwitchやSteamでも配信されるようになったそうです。
 なんかストーリがかなり陰鬱ながら秀逸であるのと、昔ながらのメガテンっぽいゲームということを聞いて、元々今ほどペルソナシリーズが隆盛する前はメガテンをやりこんでいたこともあり、割引もされていたので興味もあって購入しました。

 それでさっそくゲームを開始してみると、まず最初に主人公の名前を入力することとなります。せっかくだから常人に発音できない妙な名前にしてやろうとまず濁音から入れるとして「ドボ」と入力したところ、なんか続く音が浮かばず、とりあえずスペース埋めてやり直そうかと思って適当にキー入力して「ドボポプププププ」という、この時点で発音がかなり難しい名前になったところ、てっきり「これでよろしいでしょうか?」と確認が入るかと思いきや、入力し切ったらそのまま確定処理されてしまい、主人公の名前が「ドボポプププププ」になってしまいました。
 この結果、旅で会う人々がみんな流暢に「ドボポプププププ」と呼んでくれるカオスな世界観になってしまいましたが、何度か練習するうちに自分も「ドボポプププププ」を発音できるようになりました。とはいえ、破裂音の「プ」を連続で口にするのはやはり困難ではありますが。

 なおゲーム本体については、評判通りオールドクラシックなRPGゲームで、なかなか楽しんでいます。グラフィックとしてはスーパーファミコン、それも初期レベルで、ガラケー向けに配信されていたことから使用するボタンも主に「決定」と「キャンセル」の2種類しかなく、令和のこの時期にこんなシンプルなゲームを遊べるというのもなかなか乙な感じがします。
 シナリオに関しても評判通りで、疫病が蔓延して常に多くの人々が亡くなる中、世界を統一した王は重税を課して生活は苦しくなる一方、そんな中で神の福音を受けた子が2人現れ世界を救うと言われている世界観になっています。

 この2人の福音の子はそのまま主人公の仲間となるのですが、片方は「死の仮面」と呼ばれ周りから恐れられながら実は超ビビりなヘタレで、何かにつけて「危ないから逃げよう」などと口にします。もう一人は味方からは「聖女」と呼ばれる少女ながら、何か問題があれば大体殴って解決しようとするほど血の気が多く、初期装備も「聖女のドス」という仕込み杖でどちらもキャラが濃いです。
 前述の通り世界観としては疫病が蔓延していて暗いものの、仲間二人は非常に濃いキャラでその掛け合いも面白く、暗さが気にならないくらい明るく旅を続けられます。っていうか男2人に女1人で完全にドラクエ2なパーティー構成であり、レトロな画面といい、ドラクエ2を遊んでた頃を思い出します。

 なおヘタレの方の名前は無駄に「mk-2」として、聖女の方はなんかめんどくさくなってデフォルトの「ルナ」のままで遊んでいます。

2024年7月17日水曜日

釣りキチVS水木しげる

 水木しげるの自伝漫画である「水木しげる伝」(コミック昭和史)の中では同業の漫画家が何人か登場しますが、主だった人物を挙げるとつげ義春氏、池上遼一氏、白土三平の三人じゃないかと思います。

 このうちつげ義春氏についてはアシスタントも務めていたこともあり描写も多く、何となく水木しげるとも馬が合いそうな人であったほか、どことなく一目置いていたような感じで描かれています。池上遼一氏については鼻っ柱の強そうないかにも若者然としたキャラクターで描かれていますが、彼については「漫画狂の歌」でそのまま主人公として漫画作品も作られている点から言っても、若いころから非常に特別視していたことがうかがえます。もっとも、「漫画狂の歌」はまだ手に取ることができていないのですが。
 一方、白土三平については「乞食のような姿で、スパゲッティをおごってもらった」エピソードが描かれており、描写はそれほど多くないものの怪奇なキャラクターとして強く印象に残る描かれ方をされていました。実際、そんな感じの人だったらしいし。

 このほか手塚治虫については石ノ森章太郎との徹夜自慢を語り合う場面で描いていますが、全体として描写はほとんどないと言っても過言じゃありません。その分、「一番星」という作品で何でも一番じゃないと気が済まない手塚をモデルにして漫画を描いてはいますが、先ほどの白土三平が出てくる漫画家が集まってのフォーラムにも手塚と一緒に登壇しているにもかかわらず描写がない辺り、水木しげるも若干ライバル視していたのではと伺えます。

 以上のメンツに加え、ほんのワンシーンですがもう一人出てくる漫画家として、「釣キチ三平」の矢口高雄がいます。「水木しげる伝」の中で矢口はアシスタント希望者として秋田から上京して水木しげるを訪ねたものの、「秋田で銀行員してんのなら無理して漫画家なんか目指さない方がいいよ」と追い返したものの、「その後彼はガロで描くようになり有名になった」と紹介されています。
 実はこのくだりについて、矢口自身も自分の漫画で描いていたということをつい最近知りました。その作品とは「9で割れ!!」という矢口の自伝漫画なのですが、水木との出会いについて描いているというか、矢口の目から見て水木はどう映ったのかが気になり、矢も楯もたまらずすぐ電子書籍で購入して読んでみました。

 この「9で割れ!!」は、矢口が高校卒業後に秋田県の旧羽後銀行に就職してから漫画家になるまでの間を描いた自伝漫画です。なお銀行の閉店後の現金計算で違算が発生した場合、10万円出金するところを1万円出金してしまったなどの桁違いミスではないかを確認するため、まず違算差額を9で割っていたことから、こういうタイトルになっています。
 実は矢口の漫画を読むのはこれが初めてなのですが、非常に躍動感のある絵柄に読みやすいストーリーで、こりゃ一時代を築いただけあると感嘆させられました。特に最近やる人が増えている、両面2ページのうち上半分または下半分をページを跨ぐ見開き1コマにして、残りの半分のページは細かくコマを割るという手法を90年代にすでにこの作品で使用しているあたり、かなり先を行った表現手法を駆使していると思わせられました。

 話を戻すと、矢口と水木の邂逅のきっかけは矢口がガロに成人後、初めて完成させた漫画作品を投稿したものの落選し、落選理由を尋ねるために上京してガロ編集部を尋ねたことからでした。この時に当時の編集長からは絵があまり上手くなく、また年齢も24歳(本当は27歳だが矢口がサバを読んで投稿していた)で伸びしろがないと矢口は言われ、たいそう落ち込んだそうです。
 ただこの際に矢口は、後の「釣キチ三平」の主人公の名前につけるほど私淑していた白土三平に会わせてほしいと嘆願したそうです。しかし編集長は、「白土三平は人嫌いの激しい人で頼んだって会ってくれない。とはいえ秋田からわざわざ来たのだしプロの漫画家を一人くらいは紹介してあげよう」と、すぐその場で電話して水木に渡りをつけたそうです。
 こうしてアシスタント志望という水木の記憶とは異なり、プロの漫画家現場見学として矢口は調布の水木邸を訪れることとなりました。

 ガロ編集部訪問から翌日、さっそく水木邸を訪れた矢口を最初に出迎えたのは当時アシスタントをしていた池上遼一氏で、矢口自身も「今や劇画界の第一人者」として池上の印象を「9で割れ!!」の中で描いています。
 その池上氏に案内されて作業室に入ると、水木は必死の形相で漫画制作を続けており、矢口が来たと言っても反応も示さず、執筆をそのまま続けていたそうです。そのあまりの迫力に矢口が驚いていると池上氏が「今がチャンスですよ。後ろからしっかり覗くんです」と促し、言われるままに水木の執筆状況を後ろから眺めたそうです。

 ここの描写が非常に鋭いというか細かく描かれてあったのですが、片腕のない水木は重い文鎮で原稿用紙を抑えつつも、時に体をねじって左肩で原稿用紙を抑えつつ描き続けていたそうです。その執筆速度は非常に速いものの、線の一本一本が非常に正確で流れるように描かれ、「これがプロの技なのか」と矢口も驚嘆させられたことが描かれてありました。

 その後、仕事がひと段落ついた水木はようやく矢口とあいさつを交わし、さっそく彼が投稿した作品を見せてみろと言って一読するやその絵を誉め、才能があると元気づけたそうです。しかしガロの編集長からはうまくない、また年齢的に伸びしろがないと言われたと矢口が伝えると、「あの人は漫画の編集長だが絵を描く人じゃない。あの人とプロの絵描きである僕のどっちを君は信じるんだい?」と言って、矢口を大いに励ましたそうです。この励ましには矢口自身も、「もしこの時がなければ、漫画家にはなれなかったかもしれない」と述懐しています。
 っていうか、「水木しげる伝」で描かれていたやりとりと全然違うじゃん……。

 その後、矢口は池上遼一氏を含む水木のアシスタントらから漫画の描き方に関してレクチャーを受け、教えてくれた中にはつげ義春氏もいたそうです。この時に池上氏からは線の描き方を教えられ、「単調な線を毎日数時間描き続ける。これを半年やって一人前」と言われ、線一本でこれほどまでするのかと驚かされたということが描かれてありました。
 その後、秋田に帰った矢口は水木プロでの指導を元に再び一から漫画の練習をして、本気でプロを目指すようになり、この時の水木プロでの経験は非常に重要であったと語っています。なお、当時の矢口はいっぱしの銀行員で、残業も珍しくない勤務をこなしながら夜自宅に帰ってからは漫画の練習と執筆をし続けたそうです。さらに夏場のシーズンに入ると、午前3時から起きて出勤前にひとしきり釣りをしてから銀行へ行っていたそうで、妊娠中の奥さんからは「あんたは漫画と釣りと、好きなことばかりして!(# ゚Д゚)」と怒られたそうですが、そりゃそうだろうとみていて思います。
 っていうかこのバイタリティはかなりやばいというか、そりゃ釣りキチ漫画だって十分描けるよ(;´・ω・)

 その後、矢口は「どうせプロなんてなれっこないんだし、仕事を疎かに漫画を描くのはいい加減にしとけよ」と上司に言われたことをきっかけに発奮し、すでに何度か読み切り作品が入選して掲載されていたこともあり、銀行を辞めて上京し、プロ漫画家へと転身を遂げることとなります。なお初めて連載作品を得るや真っ先に届いたファンレターは「鮮やかなデビュー、おめでとうございます」と書かれた、かつての上司からのものだったそうです。

 最後どうでもいいけど、「釣りキチ三平」というタイトルは「釣りキチ」が「気違い」と重なることから放送禁止用語的な扱いになっているそうで、伊集院光氏は皮肉って「釣り著しく好き三平」などとラジオで口にするそうです。
 正直、「気違い」に関する使用禁止は私も疑問に思うところで、こういうところで妙な言葉狩りはやめてほしいです。もっとも、「賭けキチ一平」というタイトルならたぶん誰も文句言わないだろうし、今なら注目集められるかもしれません(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾

2024年7月2日火曜日

アニメ史で何故か語られない東映アニメーション

 今や巨大な産業となった日本のアニメ産業ですが、その発達史を追うような気地鳴り番組ではほぼ確実に手塚治虫が作った虫プロが触れられ、ここから日本のアニメ史は始まったかのように語られます。でもってその後にはジブリが続き、近年においては評判の高い京都アニメーションがよく取り上げられるように見えます。まぁエヴァのガイナックスはこの前消滅したけど。
 しかしこうした日本のアニメ史に関する報道や解説を見ていて密かに不思議に思う点として、東映アニメーションについて誰一人として触れることがありません。

東映アニメーション(Wikipedia )

 東映アニメーションとは東映傘下で始められ現代もなお続く動画スタジオで、なんとその発足は1947年と戦後まもなくで、虫プロなんかよりもずっと早くにスタートしています。また制作した作品は「北斗の拳」や「ドラゴンボール」をはじめ、日本はおろか世界中で視聴されるトップクラスの人気作品を数多く揃えています。
 まぁ貸し切り状態の映画館が続出した「ポッピンQ」も作ってるけどね。

 そもそも、虫プロの発足自体が東映アニメーション出身者が参画しており、日本のアニメ史を語るのであれば本来なら東映アニメーションから始まるのが筋なはずです。しかしながら前述の通り、東映アニメーションは虫プロやジブリ、あとガンダムのサンライズなどと比べると、その活動や歴史について触れられることはほぼ、っていうか全くありません。
 ここで簡単にその理由について推測で述べると、一つには宮崎駿氏や富野御大などの大物というか一般にも知名度のある名物監督がおらず、いまいち注目が低くなっている可能性があります。ただそうした大物の不在以上にでかいと思うのははっきり言うと、この会社がかなりブラックなことで有名で、常に労働関連で裁判を抱えていることから、東映アニメーション出身者もあまり多く語らないのではないかという気がします。

 その辺の下りは上のWikipediaによく書かれていますが、よくアニメ業界の過重労働は虫プロに絡めて語られることが多いですが、ぶっちゃけ虫プロなんか生ぬるく感じるような激烈な話が東映アニメーションには多いです。

 ただ会社の労働環境はブラックだとしても、日本アニメ界への影響というか貢献では明らかにでかい組織なだけに、もっと東映出身者らから過去の製作現場やスタジオとしての発展史などについてもうすこし語ってほしいものがあります。

 オチらしいオチにやや欠けますが改めて東映アニメーションについて調べた時に感じたのは、意外と日本のアニメ史については作品の変遷について述べられるばかりで、制作側のスタジオやクリエイターについてはあまり触れられてきていないような気がします。この点は明らかにマイナスだと思え、今後こうした点についてももっと光が当たり、労働環境の改善を含め議論が深まればと思います。

 さて「久遠の彼方」やらなきゃ。ツンデレでヤンデレな妹キャラめちゃつよい。

2024年6月30日日曜日

ゲームの「久遠の彼方」の感想

 先々週までほとんど雨降らなかったのに、今週は毎日雨が降って今日にいたっては豪雨もいいところでした。朝も早くから窓際に雨漏りするくらい(豪雨限定)雨が降ってたたき起こされ、その後も降っては止んで、止んでは豪雨でを繰り返すので、仕事で体力も減らされているので家から出ずに過ごしました。

久遠の彼方(フリーゲーム夢現)

 で、家の中で何をしてたのかというとこれです。マジで朝起きてから夕方に昼寝するまで、昼食をはさんで延々とこのゲームを遊んでました。

 この「久遠の彼方」ですが。以前に自分も散々取り上げた「新説・魔法少女」という同人ゲームと同じ作者が作ったまた新たな同人ゲームです。この人の作品ではもう一つ「ハーチウム」もクリアしていますが、どれもシナリオが小説単体としても通用するくらい出来がよく、「そろそろやめないと……」と思いつつ、先が気になるので今日みたいに延々と時間が続く限り遊んでしまう引きの強さがあります。
 現在は全30話中の折り返しに当たる15話をクリアしたところですが、公判に行くにつれて1話当たりの長さが無茶苦茶に長くなっていくため、実際にはまだ半分にも到達していないでしょう。相変わらず非常に硬派な難易度のシミュレーションRPGですが、「ハーチウム」、「新説・魔法少女」に比べたらかなり優しくなっている印象があります。特に「ハーチウム」に関しては後半のゲストユニットだけで戦う面は極悪もいいところで、我ながらよくあれをクリアしたなと今でも思います。

 話を戻すと、今回の「久遠の彼方」は現代世界で中学生少女たちが戦う「真説・魔法少女」とは異なり、「ハーチウム」と同じく剣と魔法の中世ファンタジー世界が舞台となっています。この世界では魔法が使えるか否かで貴族と平民が分けられ、貴族の出であろうと魔法が使えなければ容赦なく追放されるという、かつての「サガフロンティア2」に近い世界観になっています。
 ただ「サガフロ2」と違う点として、魔法が使えないキャラはマジで一切役に立たないという点です。一応魔法が使えないユニットも仲間にいますが、戦闘では攻撃力がなく打たれ弱くてほぼ全く役に立たないし、魔法武器を持たせられたキャラもいますがいないよりマシ程度です。こうした世界観に合わせた強さの区別は作者の過去作でもはっきり出ており、残酷なくらいにはっきりさせられています。

 大まかなストーリーとしては最初でこそ魔物を討伐しに行ったり、後継者争いをしている国に仲裁に行ったりと王道なファンタジーですが、途中から魔族が絡んで二国間の戦争が引き起こされ、主人公らは第三国に絡みつつその戦争に落着を目指していく展開となります。何気に、詳しい世界観の説明がないままいきなり複数の国の名前(しかも覚えにく)が出てきて、その国の王子や王女、辺境伯が出てきたりするので話が飲み込みづらく、1話をクリアしてから2話に至るまで結構時間が空きました。話の入り方に関しては、やや入りづらさを感じて欠点ではないかと思うほどでした。
 とはいえ中盤に入ると大まかな世界観も理解でき、何より相変わらず灰汁の濃いキャラクターたちばかりで、何人も登場人物が出てくる中で誰一人として埋没しないほど個性がはっきり分かれており、ストーリーの面白さが一気に開けてきます。

 恐らくですがこの作者の好みなのかキャラクターの中には過去作と共通する個性というか位置づけを持ったキャラクターを多々見ます。具体的には、

・やけに暴力的な極度のブラコン妹
・上のキャラのストレスのはけ口にサンドバックとなるお付きキャラ
・女好きでセクハラを繰り返す女性キャラ
・やたら世話好きなおかんキャラ
・真面目なツッコミ役となる主人公の身近な友人
・セクシーさが売りの司祭
・おちゃらけた格好と口調なのに実はしっかり者
・陰でめっちゃ毒づく地味系キャラ

 ただ今回の「久遠の彼方」では、キャラクターの女性比率が高かった「魔法少女」と比べると男性キャラも数多く出ており、それら男性キャラもいい味出しています。特に最初は嫌味っぽい王子として登場しながら、非常に物分かりが都度適切な判断を下して行動するパーキンというキャラはいいキャラだなと見ていて思います。戦闘面ではやや器用貧乏だけど……。

 もう一つこのゲームの特徴を述べると、最初プレイしていてすごい驚いたのは主人公にとって敵役となる勢力をプレイヤーが動かすという点です。作者の過去作では首尾一貫して主人公を動かし続けるゲームだったのですが、今作ではステージによっては主人公が一切登場せず、その敵役となる勢力のキャラクターを動かして攻略する面が数多く出ます。ストーリー上では明らかに敵役なだけに、「こいつら本当に味方なのかよ(;´・ω・)」と思って、レベル上げを一瞬躊躇しました。
 ただこれは短所ではなくむしろ長所であり、主人公と反目する勢力がどのように動くのか、またその勢力内の人間関係はどうなっているのかがよく見えてきて、群像劇としてそのストーリーの深みを高めているように思えます。実際、今一番のお気に入りのキャラはめちゃしっかり者なトゥルン姉さんだし。

 こんな感じでプレイしていますがほかのプレイ報告を見るとそうプレイ時間が90時間という人も多く、まだまだこのゲームは続きそうです。最終的にクリアしたらまた改めて感想記事でも書こうと思います。

 それにしてもツクールソフトのSRPG Studioは出来てから結構古いのにいまだにこうして作品作られる当たり、息の長いツクールな気がします。もっといいツクールとか今後出てこないかな。

AI生成イラストの登場で感じる写真の登場時代

 本題と関係ないですが前に書いた「千葉のマッドシティ~ダイエー松戸駅西口店(Dマート)」の記事が怒涛の勢いでアクセスを増やし続けています。松戸のみんな気になるんだろうか(;´・ω・)

 話は本題ですがこのところPixivなどでAIが生成したイラストを眺めたりしているのですが、定期的にAI生成イラストを公開している人のイラストを過去から追っていくと、数ヶ月ごとにイラストの質が向上しているのが見て取れます。単純に生成者がプロンプトの組方を学んでいる以上に生成AIの能力が向上していることが大きいように見え、それもあってかAI生成を始める新規参入者も増え続けており、このペースで言ったらいったいどれほどまでにAI生成イラストは進化するのだろうかと密かに目を見張っています。
 それこそ2年前くらいなら、「あ、これAI生成だな」と一目でわかるくらいAI生成らしい癖(正面画が少ないなど)がありましたが、今年に入ってからはその手の癖も見なくなり、マジで人間かAIかわからなくなってきました。なんかターミネーターっぽいセリフだ(;´・ω・)

 ただこの流れ、かねてから懸念されていましたがイラストレーター、特に同人作品で生計を立ててきた人からしたら脅威以外の何物でもないでしょう。単純な線画だけならまだしも、AI生成絵だと手間のかかる着色まで一瞬で生成してきてしまい、また人気作品のキャラクターほどAIもより学習してきちんと生成してくるものですから、1枚や2枚のイラストだけならまだしも、数十枚単位のイラストをパッケージで売る場合はAIの方が効率で明らかに勝ります。
 幸いというか、さすがにコマを分けての漫画作品として生成するまでには今のAIは至っておらず、この点で同人漫画作家なんかはまだ生きる道がはっきりとあります。ただ今後、ウェブトゥーンのようにセリフ吹き出しのある1枚絵を連続させて漫画のように見せる形式が流行ってきた場合、ここでもAIの侵略を受けることとなることから、同人作家からしたら規制もしたくなるのもよくわかりますし、実際脅威と感じている人が多いようです。

 以上のような状況を見ていて、「写真が登場した時代もこんな感じだったのだろうか?」という印象を覚えました。写真が本格的に普及し始めた19世紀、写真技術に当時の絵画作家らはかなり脅威に感じたと聞きます。それもそのはずというかこれまで肖像画で食ってきた人たちが、自分たちが一から書くよりも正確で、しかも短時間でできあがってしまう写真があるのだから、自分たちの仕事が当然減るわけです。

 ただこんな風に脅威を感じ、実際に仕事量が減った絵画作家もいたでしょうが、主にフランスの作家の間で日本の浮世絵などをヒントに、「実際通りに書かなくてもいいんだ」という発想から独自の解釈や見解を作品に盛り込む印象派が生まれ、絵画制作は現代においても続くようになっています。

 今後AI生成の発展がどう影響するかはまだまだ読めない点もありますが、こと同人業界に関しては間違いなく大きな影響を及ぼし、効率化が進む一方で専業者の数が減るのではないかと思います。その一方でAIとは異なる持ち味を今後どう確立するか、またAI生成者の方もその技術をどのように広げるのかが業界発展を左右するように思います。
 特に後者に関しては、既存の漫画制作などにおいても劇的な効率化を達成しうる可能性があるように思います。具体的には背景や群衆などのモブ作画などで、AIによってアシスタントいらずになるかもしれません。

 別に自分はイラスト方面に造詣あるわけじゃないですが、写真の登場と比較するにAI生成いらしストの先行きについてはいくらか興味を感じます。

2024年6月23日日曜日

語り継がれないギャグ漫画家

漫画に出てくる手塚治虫(あにまんch)

 上のまとめ記事のようにすでに逝去から何十年もたっているにもかかわらず、手塚治虫についてはいまだにあれこれ語られています。それだけエピソードに堪えない人物だということもあるでしょうが、同じくエピソードが多く、手塚と同時期に並び称されたあるギャグ漫画家についてはこのように語られる場面をほとんど見ません。勿体ぶらずにその名を挙げると、赤塚不二夫です。

 赤塚不二夫についてはあまり説明するまでもないですが、彼の名を近年見たのはアニメで「おそ松さん」がヒットした時くらいで、それ以外ではまず見ることもなければ、作品名がリバイバル的に再評価されるというケースも見ません。これは彼の作品の価値が低いというよりも、流行に左右されやすいギャグマンガというジャンル故、「ブラックジャック」や「火の鳥」といった手塚作品と比べ赤塚の作品は時代を超えて読み継がれることが低いせいだと思われます。

 私自身ですが昭和後期の生まれですが、あまり赤塚作品を読んで面白いと感じたことはほとんどありませんでした。とりあえず「シェー」のポーズなどは誰にでも認知されているのでまねたことなどは子供の頃にありましたが、そこまで面白いと思って読んでていたかというとそうでもなく、当時は「おそ松くん」のアニメも放送されていましたがそこまで積極的に見ているわけではありませんでした。

 こうした傾向は何も赤塚作品に限るわけではなく、ギャグマンガ全般に通じる話です。大体連載終了から2、3年も経てば作品名が語られることはほぼなくなり、また時流の変化に伴ってかつては笑い読まれた作品が笑って読めなくなることも珍しくなく、時代を超えて読み継がれるギャグ漫画自体が希少だということでしょう。

 敢えて挙げるとしたら、「エンジェル伝説」なんかは今の子供に読まれても十分笑わせる実力があるのではないかと密かに考えています。あとマイナーだけど「うめぼしの謎」とか。

 逆に不思議なのが、連載終わってから10年近く経って急激に評価を高めていると思える「ボボボーボ・ボーボボ(中国語:鼻毛神拳)」です。私も連載当時はつまらないとは思わなかったけどあまりにも不条理過ぎてついていけませんでしたが、なんかこの年になって急激に再評価がすすみ、「ところてんの介は素晴らしいキャラだった……」などと人に語るようにもなっています。マジでこの心境の変化は自分でも不思議なのですが、確かに読者をぐいぐい引き込む力は群を抜いており、それが時を超えて今になっても引き込んでいるのではないかという気がします。

 逆に今読んだら全く笑わないだろうなと思う作品を上げると、単行本も買ってたけど「突撃!パッパラ隊」な気がします。連載中ですらキャラ増やしていた後半から笑えなくなっていたし、前半は「無知との遭遇」などのサブタイトルとかも面白かったんだけど。
 同じくガンガンの「ハーメルンのバイオリン弾き」も、中盤のガンガン隔週化時代に急激に質を落としてから笑えなくなり、今読んだら当時以上に微妙に感じる気がします。パンドラ母さんの登場回とかは今でも好きだけど。

2024年5月16日木曜日

和風RPGのラスボス

 先日、ふとしたことから「ONI零〜復活〜」という昔のゲームの紹介動画を見ていました。時期的には2000年ごろの作品ですが、当時はこのほかにも「俺の屍を超えて行け」をはじめ昔の日本を舞台にしたRPGがよくあったなと思うと同時に、最近この手の和風RPGが減ってきているような印象があります。ただ単に自分が知らないだけかもしれませんが。

 アクションゲームだったら「ゴーストオブつしま」をはじめむしろ増えているのですが、何故RPGはここにきて和風は減っている、少なくとも印象が落ちてきているのか。一つの理由として挙がるのは日本を舞台にしたRPGならメガテンやペルソナシリーズのように現代が世界観の作品の方が人気が出やすい点があると思います。
 次に、西洋系ファンタジーと違って和風というか時代劇風RPGだと時代考証が面倒というか、日本人相手だと消費者も知識あるだけに、適当な世界観だと「こんなんちげーよ」とか言われる確率が高いから敬遠されるところもあるでしょう。そもそも勝手知ったる自国の古き世界観なだけに、西洋系ファンタジーと違ってエキゾチック感もないし。

 さてそんな和風RPGについてですが、ぶっちゃけ作ろうと思えばドラクエやFFみたいに全く問題なく作ることができるとは思います。RPGでよくある職業も、勇者には貴種流離譚大好きな日本人に向けては「皇室の御落胤」を使えばいいし、戦士には武士、と思いきや「力士」を、盗賊には「やくざ」がぴったり当てはまってきます。
 微妙に悩んだのは僧侶で、ドラクエ風に僧を使うなら普通に「坊主」でいいかもと思ったけど、女僧侶は「尼」になるのかなと思ったところで、「巫女」のが癒される感じがしたので「坊主」の方も「神主」とみせかけて「禰宜」が対応してくると思います。
 そんな僧侶の対となる魔法使いはよくある感じで「陰陽師」が浮かびましたが、よくよく考えると式神使う時点で魔法使いというより召喚士のが近く、だったら魔法使いはさっきの「坊主」でいいやという結論に至りました。となると賢者は「阿闍梨」なのかな。

 こんな感じで職業は割とすぐ日本のメンバーでも組めますが、地味にラスボスが作りづらいなという感じがします。というのも和風RPGのラスボスは化け物系だとほぼ確実に八岐大蛇が使われる、っていうかほかにいなくて選択肢がなかったりします。鬼系のラスボスなら酒呑童子がいますが、こっちもほかにネタないのかよと思うくらい使いまわされているように見えます。

 この点、西洋世界だと倒した相手の民族の宗教における神を悉く悪魔に変えて吸収していったユダヤ教では、サタンやパンデモニウム、ベルゼブブなど威厳もあって外観も派手な化け物というか悪魔がたくさんおり、ラスボスの選定でも逆に迷っちゃうくらいです。
 それに対して島国からあんま宗教間交流のなかった日本神話の古事記においては、前述の八岐大蛇くらいしか化け物はいません。今昔物語を探せば土蜘蛛や鵺とかもいますがこいつらはよくて中ボス程度でしょう。ザコ敵ならたくさんの妖怪がいて困りはしないのですが。この辺の威厳あるラスボス級キャラが和風RPGの障害になっている気がします。

 もっとも、人間タイプの黒幕、魔王的なラスボスなら作れないこともないです。戦国時代を舞台にしたものならほぼ確実に織田信長がラスボスになりやすく、キャラが濃くて知名度もあるだけに使い勝手のいい奴です。逆に秀吉とか家康はこの手のラスボスとして使われるのは見たことない。
 信長以外だと怨霊系として菅原道真もラスボスとまでいかずともボス級として採用されることがありますが、同じ怨霊系のゴッドバインこと後鳥羽院はゲームとかで使われるのを見たことがないです。まぁ皇室キャラで弄っていいのは聖徳太子くらいでしょう。

 密かに使ってみたら面白いかもと思うのは天皇家の簒奪を企てた弓削道鏡がおり、彼なんか工夫次第で魔王っぽく活躍できる気がします。奈良時代を舞台にして、和気清麻呂とその姉ちゃんが主人公となって、聖徳太子が残した伝説の武器とか勾玉使って道鏡に立ち向かう話とか作れば、奈良市も盛り上がってくるでしょう。

 ただ仮に創作の人物も使っていいとなると、和風RPGで最もラスボスに相応しいキャラとなりうる人物として加藤保憲がいるんじゃないかと考えています。これはわかる人には早いですが荒俣宏氏の小説「帝都物語」に出てくる悪役キャラですが、日本陸軍の軍人でありながら陰陽道に通じ、五芒星入りの手袋を常につけるなど存在感が非常に強い人物です。
 キャラ設定だけでも十分濃いですが、映画版では嶋田久作氏がこのキャラを怪演し、原作者の荒俣氏をして「加藤がいる(;゚Д゚)」と言わせたあのビジュアルはすさまじく、そのまま加藤と言わなくてもこのキャラをモデルとしたキャラなら和風RPGでラスボスを務めても全く問題ないと思います。っていうかもっとクローンキャラが出てきてほしいくらい稀有なキャラだと思うのですが、最近見ないなぁそういうの。

2024年4月27日土曜日

小出もと貴氏の漫画が実は好き

あくまでクジャクの話です。 - 小出もと貴 / #1/性淘汰(コミックDAYS)

 上の漫画ですが、先日1巻が発売されているのですぐ購入し、読了後はしばし満足感に包まれました。っていうか読んでる最中、ガチで地下鉄で停車駅乗り過ごしかけた。

 この漫画の簡単に説明すると、高校の男性教師である主人公が生徒や同僚などから恋愛が絡む相談を受けるや、生物学大好きっ娘の生徒が割り込んできて、生物学に基づいた恋愛価値観というか自然原理を説明するという流れになっています。
 例えば上の第1話ではクジャクの尾羽を例にとり、何の実用性もないが尾羽がでかいと何故かメスに持てることから、尾羽のデカい雄しかクジャクは生き残らなくなったこと説明し、「見た目がほぼすべて」という教訓を伝えます。ただこれは逆を言えば見た目をどうにかすることでもいくらでも逆転ができるということも意味し、別の鳥では偽の尾羽をつけても雄が持てるようになった例も紹介しています。

 こんな感じで生物学と絡めていろいろ問題をこじれさせまくるヒロインですが、利己的であるほど生物としては強くなると踏まえた上で、「女子高生に手を出す教師もいてもいいはず」という超理論を振りかざして主人公に迫ってきたりします。最近こういう綾波レイ系のクールなヒロイン見なかったな。

 そんなこの漫画ですが、作者は小出もと貴氏(漢字が変換し辛い)と言って、過去にも何度か作品を連載しています。一つ前の「iメンター すべては遺伝子に支配された」は自分も読んでいるのですが、この作品で小出氏を知り、そんなに有名ではなさそうだけど器用な作家がいたもんだと思い、「iメンター」の連載終了後も新作を出さないものかと定期的に作者名で検索をかけていて、それで上の「あくまクジャク」も知りました。

 こちらの「iメンター」についても簡単に触れると、アニメの「サイコパス」みたいにいわゆるディストピア的な作品であり、すべての人間の遺伝子が出生時点で解析されている社会で、一定の年齢(高校入学前後)以上に使用が許されるアプリを通して健康度、職業適性、果てには特定の相手との結婚愛称まですべてAIが事前に教えてくれるという世界のお話となっています。
 そのアプリは国が管理しているので完全に公平公正、というわけではなく、実際は管理局側の人間によって恣意的に数値が操作されており、職業適性の数値も適性が高い人物には特定の職種に向かわせるよう、その他の職種の適正値を意図的に低く通知したりすることで誘導したりします。また遺伝性の病気を抱えている人物には、治療法があるにもかかわらず一切教えず、安楽死を選ばせるようにこちらも誘導したりします。

 こうしたややもすると暗そうな話ですが、どの話も割と明るい感じに終わるというか読者の意表を突く展開が多く、ストーリー構成が他の作家と比べ明らかにうまいと感じる内容でした。完結まで3巻と決して長くない作品で、そのせいか終盤はやや駆け足な展開でしたが、なかなか稀に見る作家だと思い密かにマークするようになりました。
 そんな小出氏のストーリーセンスですが、「iメンター」よりさらに前のオムニバス的作品である「愛リウム」の方が非常に凝っています。こちらは飲んでから24時間後にその間の記憶を失う、つまり本人の意識的には24時間後の世界にワープするような感覚を得る薬の話で、これも面白かったです。

 小出氏の作品に限るわけじゃないですが、基本的に創作というのは読者に展開を読まれたその点で面白さが半減するもので、如何に意表を突くかが一番重要な気がします。「五等分の花嫁」も主人公がどのヒロインとくっつくのかが一番話の肝だったし、如何に予想を裏切る展開にもっていくかが作家としての持ち味が測られるとこでしょう。
 その点でこの小出氏は展開の運び方も含め非常にうまいと思え、個人的におすすめな作家です。

 にしてもさっき出た「五等分の花嫁」の作者ですが、多分「五等分」が売れたから連載開始前の時点でアニメ化決まってたんだろうけど、今連載している「戦隊大失格」は見ていてやばいと思うくらいつまらなくて途中で読むのやめちゃいました。あれ、このまま本当にアニメ化するのだろうか。