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2018年10月30日火曜日

盗聴・録音はどこまで許容されるべきか

 最近税法勉強し始めたけど、社会主義の中国に相続税がなく、資本主義の日本の相続税が重いとか男のギャグだとか思い始めてきました。友人が中国について最近、「社会主義と資本主義のいいとこどりに対し、日本は悪いとこどり」と評しましたが、なんとなく私もそう思えてきました。
 そんな中国のような監視社会についていろいろ考えるこの連載ですが、さっきようやく来週のJBpress記事を送ったのでやっと再開です。前回が監視こと映像録画だったに対し、今回は音声録音についてですが、結論から言うとなるべくなら録音は社会で行わない方がいいという立場をとります。

 監視カメラは現在世の中に溢れていますが、基本的にどの監視カメラも音声を録音する機能はなく、よくある「監視カメラは見た!」的な番組でも無音の映像にナレーションが付けられ解説されます。やりよう、っていうか指向性マイクを付ければ映像とともに音声を録音することも十分可能ですし実際に録音機能の付いた監視カメラも世の中にはあるものの、現在ほとんどの監視カメラに録音機能が備わっていないというのは、コスト上の問題もさることながら音声を録音することの問題性を業界もうすうすわかってやっているのかもしれません。
 何故録音するとまずいのかというと、単純に機密遅漏につながりやすいということ以前に、人間を陥れやすくなってしまうというのが問題だと私は考えます。

 社会学士の立場から言えば、人間というのは自分が正しいとか本気で思っていることしか口にするわけではなく、咄嗟に普段はみじんも考えていない過激な発言や言葉を日常でも多々口にしてしまう存在だとみています。私なんかはほぼ毎日ぶっ殺すとか、ついさっきも友人にチャットで「昨日殺したけどね(蚊を)」などという言葉を念仏のように唱えていますが、私ほどではないにしろ、「あの野郎」とか、「今度罠にはめてやる」などという実際には実行しないけどこうした物騒な言葉を口にすることは誰にだってあるでしょう。
 仮にほぼすべての監視カメラに録音機能がついていた場合、こうした発言はもれなく拾われてしまいます。その結果、こうした発言が殺人企図として取られる可能性もあり、体制側からすれば目障りな奴はこれで片っ端からブタ箱に突っ込めるという優れものになってしまいます。また体制とまでいかなくても、会社の上司とかが自分を殺すという発言をした部下に対してその録音データを元に脅迫、解雇を迫るという可能性も十分ありうるでしょう。

 繰り返すと、人間は普段思ってもないことも口にしてしまう性質上から、たとえ公共の場においても何でもかんでも録音してしまうと他人を陥れやすい社会となってしまいかねません。また仮にそのような録音されることが認知されていたとしても、恐らく多くの人は揚げ足を取られぬよう余計なことは口にしなくなり、友人との会話でも録音されないように小声で会話するようになるため、私の目から見て社会は不健全となっていくことは確実です。
 多分この辺は実感湧く人はいないと思うのですが、私の中国語の恩師が昔の中国に行くとみんな小声でひそひそ話す傾向があったそうです。何故かというと文革期に密告が相次いだため、当時の中国人の間では盗み聞きされないようひそひそ声で会話することが身についてしまっていたらしいです。

 今少し出しましたが、社会のあちこちで録音することは即ち完全な密告社会であり、お互いがお互いを陥れ合う不健全な社会にしてしまう可能性が高いため、監視カメラを置くことについては基本山西ではある者の、社会で音声を録音することは基本的に望ましくはないと私は考えます。特に体制側の録音は厳しく制限されるべきでしょう。
 現在日本では裁判所の承認の下で犯罪につながる可能性の高い被疑者に限り警察が盗聴をすることを認められています。ある意味この辺が体制側による録音の妥協ラインだと思え、きちんとした手続きを踏まえた上での盗聴録音に限り認めるという意味で、現状の制度を私は許容しますし支持します。逆にこうした目的ではなく、手続きを踏まえない警察の盗聴行為(GPSで以前あった)に関しては、やはり厳しく制限し処罰するべきでしょう。
 まぁ許容するとか言いますが、そもそも日本に私はいませんが。

 では体制以外、具体的には個人の盗聴・録音はどうなのか。個人的にはやはり密告社会化する懸念から個人や民間団体も録音は控えるべきだとは思うものの、近年はICレコーダーが発達し、セクハラやパワハラ、浮気の証拠材料として録音されたデータがメディアや裁判に提出される機会が増えています。司法も浮気の証拠を得るためであれば、自宅内で夫婦のいずれかが盗聴器を仕掛け録音することを現在認めており、また先ほどのパワハラなども防衛上やむを得ないと私は考えています。
 許容されるべきラインを考える上のポイントとしては、

1、録音内容が当人に関係している
2、社会通念上認められる目的での録音に限られている
3、録音の対象がはっきりしている(浮気相手、パワハラ上司など)
4、意図的なネット配布など不必要な範囲で公開していない
5、使用目的を果たした後は削除する

 以上が守られるならば胸を張って盗聴してもアリだと私は考えます。
 ただ以上の条件には問題をはらんでおり、というのも浮気調査とかで興信所が音声録音を行ったらどうなるのかという点です。この点に関しては業界の倫理に依存する面が多いですが、無難なやり方としては「問題発生時には責任はすべて依頼者に帰す」という風にすれば、ある程度は制御できるのではないかと思います。また興信所側も、依頼内容を超えた盗聴行為や、録音データの二次配布、長期保存などをした場合は処罰されるようにするのがベターでしょう。

 逆を言えば、相手の見知らぬところで何気ない会話とかを録音したりすることは、刑罰化するまではいかなくても個人と言えども基本認めるべきではないでしょう。その音声が録音されてもよいかは基本的に音声発声者に帰すべきですが、まぁ公人相手とか、先ほどのセクハラパワハラに準ずるような報道価値があるなら、ジャーナリストが無断で録音するのは許容してほしいところです。

2018年10月28日日曜日

焦り、飢え、怒り……

 昨日は会社の催し事があり、自宅には夕方帰ってきましたがその時点でへとへとだったので夕方6時から7時にかけて仮眠取ったのに、夜10時には就寝して、今朝は8時に起きました。
 朝起きてから締め切りが迫っているのでJBpress用の次回原稿として中国自動車市場の記事の準備を始めましたが、あらかじめ情報は集めていたものの、午前中はグラフを作るだけで終わってしまい、正午には外へ昼食を食べに行き、食べた後はニトリで前から欲しかったカーペットを買って帰ってきました。

 でもって午後2時くらいからまた執筆に移りましたが、すぐ書き終わるかと思ったらちょっと分析必要となって書きながらあれこれデータを調べてて気が付いたら夕方6時。おなかもすいてきていたタイミングでしたが、ここにきて自分が取ってきたメーカー別販売台数データがおかしく、データが間違って表示されていることに気が付き、焦っている上にめちゃくちゃ腹減っていたこともあって頭に血が上り、「てめっ、ふざけてんじゃねぇぞこの野郎っ!」と、間違ったデータを公開していたメディアへの怒りから画面に向かってしばらく怒鳴っていました。
 っていうかすっかり季節も秋めいて空気も乾燥してきているから、怒鳴ってまた喉潰したところ普通に乾いた空気が喉に痛かったです。もうこのままじゃ悪循環だと思っていったんまた外に出て夕食を取って再び書き始めましたが、データが変わったことによってまた分析をし直して、ようやくのことさっき書き終えました。

 やっぱーデータという前提が崩れると、記事書いてるこっちとしてはかなりきついです。まぁ見方を変えれば誤ったデータを出す前に気が付いたことを幸運と思わなきゃいけないのですが、先週は水曜、木曜と飲み会がありただでさえ準備時間がなかった上に、昨日土曜も前述のように催し事で潰れたこともあって、記事内容自体は比較的楽だったものの無駄に神経を使う羽目となりました。
 真面目にこのところ体力以前に神経を浪費することによる影響の方が強く、集中力の低下をはじめあちこちに悪影響が出ています。意図的にこうした神経を休ませた後は明らかに調子が良くなるだけに、今のように不安定な状態が続くと非常にきついです。今日買ってきたカーペットで睡眠環境が良くなればベターなのですが。

ダニ対策で床の上に寝るようになって以降、左下のベッドは物置台となりつつある

2018年10月26日金曜日

配信元で異なる電子書籍価格

 一昨日から二日連続飲み会で明日もちょっと食事の用事があり、尚且つ今週末中に次のJBpress原稿をあげなくてはならないという切羽詰まっているので、ぱっぱとかける話題にします。
 それにしても中日は待望のスター選手を獲得できたのに対し、阪神のドラフト戦略はまるで意味が分かりませんでした。あと次の日本シリーズは広島対ソフトバンクで、実質「西日本シリーズだな」と見ています。

ちおちゃんの通学路9巻(Amazon Kindle)
ちおちゃんの通学路9巻(DMM)

 上のリンク先はどちらも同じ漫画の電子書籍販売ページですが、見てもらえばわかるようになんと同じ電子書籍でありながらどちらも税込みでKindleは632円に対し、DMMは702円で売っています。大概の電子書籍は配信元が異なっていても基本的に同じ価格なのですが、たまにこういった値段の変わる本が出てきたりします。

 実体書籍の値段に関しては法律で、地域によって知識の取得が偏らないようにするため全国どこでも日本国内では同じ値段で販売するよう取り決められています。今回の槍玉は電子書籍なため厳密には「データ」の販売となることからこの法律は適用されないでしょうが、個人的には「えっ、なんで?(;´・ω・)」と思う案件なだけにわざわざブックマークして取っておきました。

 これまで見ていた限り。電子書籍のサービスベンダーは販売単価の数十パーセントを次回購入時の割引に使えるポイントを配信することで、ベンダー間で価格競争を行っていました。私はこれ自体は真っ当な競争だし、そもそも電子書籍は印刷、在庫、物流コストもかからず過去の書籍であっても一様に販売できるメリットがあるため、実体書籍より安く販売されてしかるべきだと考えており、こうしたポイント付与については一利用者として好ましく感じていました。
 しかし今回のケースはポイントではなく完全な販売単価がベンダー間で異なっています。出版社との契約内容がどうなっているのかはよくわかりませんが、仮に出版社側でベンダーによって価格を分けているとしたら、なんとなく腑に落ちないというか価格操作的にやややり過ぎではないかと思います。

 一方、もし今回のケースがベンダー側の価格設定による差だとしたら、それはそれで市場競争としてはありではあるものの、なんとなく高い配信元で購入したら損したような気分になるので、やはりなるべくならポイントで差をつけてほしいなというのが本音です。
 どっちにしろ、この「ちおちゃんの通学路9巻」は買うつもりないですが。

2018年10月23日火曜日

監視カメラの配置の是非

 昨日から監視社会の許容範囲についてこれから語っていくと書いたものの、今日は調子悪くてもう家帰ったらブログ書かずにずっと「バレットガールズ」という銃で撃つと女の子の服がどんどん破れるというわけのわからないゲームしてようと思ってましたが、明日は知人と会うためブログ書けないことを思い出し、仕方なく書き始めています。なお本題と関係ありませんが、「嘘だと言ってよバーニィ」って言葉がリアルに出てきました。

 そんなわけで話は本題に入りますが、監視社会の主役と言ったら密告と監視カメラのダブルキャストです。特に監視カメラは電気代を除けばノーコストで人民を監視し続ける上に証拠も残せるという優れもので、「ノーカラテ、ノーニンジャ」ならぬ「ノーカメラ、ノーディストピア」と言っていいくらいに欠かせない代物です。真面目に監視カメラなしでディストピア作ろうなんて、明治維新を起こすより難しい気がします。

 ただそんな監視カメラですが、こと治安に関しては圧倒的な武器にもなりうる代物です。近年は監視カメラの映像が決め手となって検挙起訴に持ち込める案件も多く、通行する自動車のナンバーをすべて読み取って保存してしまうNシステムに至っては、多くのミステリー作品のトリックを破綻させてしまうほどの強力な威力を発揮しています。
 結論から言えば治安面の効果とその低コスト性から私は監視カメラを広げていくことには大賛成です。ただ、いったいどこまで監視カメラを設置すべきかという点についてはやはり今後も議論が必要だと考えます。

 いわゆる左翼系の団体などは監視社会への批判から監視カメラの設置を頭から否定しますが、例えば学校などの教育期間への配置に関してはさすがに立場をわかってか、否定する人は見たことがありません。私なんかは逆に学校には入口付近を除けば子供の自由な活動を阻害しかねない気がするので配置は控えるべきだと思うのですが、これと絡めて述べると、監視カメラは誰が配置するのかによってもその意味合いは大きく異なります。

 学校や一般商店を例にとると、普通設置するのは運営主です。しかしこれが運営主ではなく警察や政府となると、言うまでもなく意味合いは大分異なってきます。それこそ個人商店のような本屋に何故か知らないが警察設置の監視カメラが置いてあるのと、万引き防止のために店主が監視カメラを設置するのでは、やはり感覚的に前者は変じゃないかと思うのではないかと思います。
 一方で、例えば巨大なショッピングモール、あと銀行やホテルと言った公共性の高い私営の建物だったらどうか。私はこちらの場合に関してはなるべくなら運営主が設置して、警察の捜査協力に対し必要に応じて映像を提供するというような具合が望ましいですが、もし費用などの問題で運営主が設置を渋るようであれば、警察や政府が設置するのも認めてもいい気がします。というのもこれらの建物は公共性が高い上に多数の人間が往来し、監視カメラの設置によるメリットはプライバシーの侵害云々を無視できるくらい高いと感じるからです。

 同様に、公園や駅、空港と言った完全な公共スペースに関してはむしろ国主導でガンガン監視カメラを置いた方がいい気がします。そもそもこれらの公共スペースはその「公共」という言葉の通り市民全体が利用するスペースであり、個人のプライバシーはむしろ存在してはならないエリアです。さすがにトイレ内とかは別ですが、こうした場所において個人のプライバシーを主張するのは古い言葉で言えば独占主義者と見ることもできるだけに、犯罪抑止効果を考えると積極的に監視カメラを活用するべき立場をとります。
 何気に上記の公共スペースの中でとりわけ監視カメラを増やした方がいいと思うのは、ほかならぬ駅、というか列車車両です。これは勘のいい人ならわかるでしょうが痴漢犯罪、そして痴漢冤罪の撲滅につながると思うからで、カメラが安くてもいいから車両内を全部映す監視カメラ体制を構築すべきでしょう。

 では逆に監視カメラを設置すべきでない場所はどこかというと、やはりプライベートというか私有な空間で、個人の邸宅等です。ここで一つ議論となるのはマンションの廊下などと言った共有スペースに設置すべきかという点で、これなんか設置場所によってはだれがどの部屋に出入りしているかが全部記録できてしまいます。私はまったく気にしませんがこの点を気にする人は多分いっぱいいると思うのですが、共有スペースでもよくケンカや暴行といった犯罪が起こることを考えたら、なるべくなら設置した方がいいという立場をとります。間を取るならやはり映像管理は管理会社が行い、警察への提出は任意性とする辺りが落としどころかもしれません。
 なお警察への提出は任意と言いながらも、もしある部屋のドアから火星人が出てきたら何をどうしてやってでも私はその映像を手に入れて公開するでしょう。個人のプライバシーより、火星人の発見の方がずっと大事です。

 もう一つ議論のネタを入れておくと、例えば公道なんかはどうなるのかという点で意見が分かれるでしょう。公道も人や車の往来が激しければ監視カメラの設置メリットが絶大になりますが、場所によっては一般住宅の塀、場合によっては庭も映ったりします。何も公道に限らずとも個人が自宅に監視カメラを設置したところ、隣家の一部も映ってしまうということも考えられます。こうした場合はどう処理するのか、設置を認めるべきなのかに関しては、もしかしてもうあるかもしれませんがルールを作っておく必要があるでしょう。
 それこそ先ほどのように人の出入りが分かってしまうドアや窓の中は映してはならないとか、屋根や塀の一部なら勝手に撮影し続けても問題ないとか。もう一つ重要なのは、自宅用の監視カメラと主張して隣家を覗き見し続ける輩の処罰と区分です。こうした監視カメラの悪用に関しても一定の制限はあらかじめ作っておくべきであり、公共スペースであればトイレ内などは禁止、プライベートな空間であればその撮影範囲はその空間内及び隣接する最低限の空間に限るとか。逆を言えばこうしたルールがなければ今後何か問題が起こってきそうな気がします。

2018年10月22日月曜日

監視社会をどこまで許容すべきか

 ここ数年、監視社会によるパノプティコンを描いたジョージ・オーウェルの「1984」という小説が話題に挙がることが増えている気がします。考えられる理由としては村上春樹氏の「1Q84」とか、これを題材にとったとされるゲームの「メタルギアソリッド5」による影響などを候補に入れていますが、それ以上に世界全体でこうした監視社会に対する見方が現実化してきたせいもあるかもしれません。

 現在、世界で最も「1984」の世界に近い国はどこかと言ったら、恐らくは北朝鮮になるでしょう。また私が現在住んでいる中国もこの分野においては世界的にも上位に食い込むことが予想され、このほかだったら有名どころだとロシア辺りが来そうです。
 ただ、こうした監視社会先進国(?)に限らずとも、電子機器とネットワーク社会の発達に伴ってどの国でも監視社会の程度は年々増してきていると言っても過言ではありません。自由の国を標榜する米国ですらNSA(最初、「NSC」と書き間違えた)が通信を傍受していたことがスノーデンに暴露されましたし、またFacebookやtwitterも、ユーザー情報を官公庁に提供というか売り買いしているのもほぼ確実でしょう。っていうかFacebookはユーザーのパスワード情報などを大量に流出させたことがほぼ確実なのに何も補償もせず処分も受けていないのがむかつく。

 ただ、これらの企業を批判しても意味がないというか、現実には報じられたりしないだけでそこら辺にある小さい企業とかでもユーザー情報をガンガン売買しているのが現実です。また売買しなくても、ビッグデータとしてあらゆる行動が観察、収集さているのが現実であり、こうした米国や日本におけるこの現況が監視社会でなければなんだといったところです。

 逆接に逆接を重ねますが、しかし、Facebookのパスワード流出はともかくとしてこうした監視社会の発達は一方で、一般市民にメリットをもたらしている面もあります。一番大きなメリットとしてはやはり治安面で、何も「密着!警察24時間」を見ていなくても、近年は監視カメラの映像が決め手となる検挙が増えていることはほぼ間違いなく、また個人レベルであってもドライブレコーダーの普及によってかつてであれば起訴まで持ち込めなかった案件も起訴に持ち込め、危険な運転や自己責任の実体がかつてと比べるとよりはっきり証明できるようになってきています。
 こうした治安面に限らずとも、ビッグデータの活用による新システムの開発や分析、情報の共有やマーケティング活用など、いわば行動が逐一監視されることによって生活が豊かになっている面を否定することはもはやできないでしょう。

 以上を踏まえた上で私見を述べると、監視社会というと「そんなの良くない(; ・`д・´)」と頭から否定する人間や団体が多いですが、現状既に半ば監視社会へ入っており、ここから監視のない世界に戻ろうとするとデメリットの方が大きくなります。それであればむしろ、社会上のメリットを享受するためには一体どこまでの監視を許容し、逆にどこまでを認めるべきではないのかという区切りを考える方がより建設的だというのが私の見方です。
 先にも述べた通り、現状では既に多くの企業や団体、政府が市民の了解なしに勝手にその行動を監視、収集しており、限度については誰も何も持っていません。いわば無法地帯のような野放し状態なのですが、これについて「ここまでなら無許可での監視OK」というラインを作るべきだと言いたいわけです。

 例えばこの前閉鎖した漫画村についても、既存の法律上ではあれは完全に通信の秘密を侵害しています。しかしああしたサイトを規制することによって表現者のところにお金が回り、文化が進行されることを考えると、やはり規制することが社会にとってはプラスです。
 このように監視範囲と対象、そして規制区分についてもっと、「どこまでならOK」という議論をすべきだと思います。どんなことであれ監視はされたくないというのはもはやナンセンスで、ある意味治安上では危険な概念であると思います。まぁこうして挑発するには私なだけに裏があるわけですが。

 さすがにこのテーマを一回で終わらすのはもったいないので、しばらくこのテーマで思いつくことを書いていこうと思います。

2018年10月21日日曜日

今日の150キロ走行について

 今日は朝五時半から自転車に乗って昆山へ行き、合計で約150キロ走行してきました。昆山へサイクリングへ行くのは何気に今年初めてで、100キロ超の走行も今年初です。
 昆山へ行ってサイクリングしてくるまでは良かったのですが、上海への帰路で途中雨に降られ、トイレ休憩もかねてショッピングモールへ一時避難しました。雨足が弱くなったところで再び乗って走りましたがさすがにこの頃(4時くらい)はバテはじめ、途中にある安亭という場所のバーガーキングに5時くらいにたどり着くと夕食を兼ねた食事をとった後、そのまま20分程度仮眠しました。

 その後が我ながら信じがたいのですが、めちゃくちゃ調子よかったです。再び乗り始めてから約30分の間はほぼフル加速を維持でき、坂道でも電動バイクを次々と追い抜くことができました。休憩前が単純に栄養不足からのバテだったとも考えられますが、ほんのちょっと食事休憩取っただけであれほどまでに回復するとはこれまで経験したことはなかったです。
 その後、7時くらいに帰り道の途中にある極楽湯によって湯につかった後、しばらく休憩し、うどん食べよっかなと思ったものの48元(780円)払うのがなんか惜しくて、結局食べずに出ました。出たら外また雨降ってるし……。

 でもって雨の中をまた家路に向かって走り、途中コンビニ寄ってうどん代わりのカップラーメン買って、先ほど食べ終えて今これ書いています。何気に携帯の歩数計見たら負担は7000~8000歩くらいなのに、今日は36000歩超えててバグったような数字になってました。

 何気に今回の収穫は、これまで走行中に感じていた右側頭部の頭痛が全く起こらなかったことです。理由ははっきりしており、なんとなく運動していると右肩付近の血行が止まるという感覚があったことから右肩を中心によく動かして可動域を広げ、血行をうまく通るようにしていたからでしょう。前は30キロくらい走るたびに激痛に襲われ死ぬような思いしてただけに、今回克服できたことは自分にとっては僥倖です。
 なおこの右肩と側頭部の痛みですが、何気に10歳くらいから存在を感じていました。解決法を見出せなかったとはいえ、あの年齢でよく気づいていたなと我ながら思います。

 ただ頭痛は起こらなかったものの、やはり久々の100キロオーバーのせいか内臓に来ています。今もなんか腹のあたりに異物感というか不思議な感覚があるのですが、これが内臓へのダメージなのか、空腹によるものかいまいちはっきりしません。

 それにしても久々に会ってきた昆山サイクリングメンバーとの関わりは非常に楽しかったです。向こうも私のことを懐かしがってくれましたが、自分がロードバイク乗るようになったのもこの昆山サイクリング部に入ってからということを考えると感慨深いものがあります。

2018年10月20日土曜日

実感した景気の良さ

 前回記事からちょこちょこ書いていますが先週は日本に単独で潜入して、以前に一向一揆をネタにしたことから蓮如が北陸布教の拠点とした福井県あわら市にある吉崎御坊とかを見てきました。行ってみて初めて知ったのですが、この吉崎御坊も東西本願寺の分裂に伴い同じ敷地内で東本願寺派、西本願寺派で領土というか所属が区切られ、僧房とかも分けられていました。案内の人が詳しく説明してくれたこともあり、なかなかに有意義な訪問となりました。

 この吉崎御坊について延々と語ってもいいのですが、折角なので今回日本を見てきて感じたことをいくらか述べると、一番感じたこととしては単純に景気がいいなってことでした。その波の大きさで言えば、高額な品にほどポップが付けられていた2016年ほどではありませんが、街中全体やレジで購入されていく品々、あと飲食店の混雑具合や店員の表情などを見ている限りでは比較的お金が回ってきている印象がありました。普段を景気の良い中国を見ている自分からしても現在の日本の空気感としては景気がいいように感じられ、悲壮感なんてものはほとんど感じることはありませんでした。

 ただ現状はある意味、崩壊前の最後の輝きと言い切ってしまってもいいかもしれません。それほどまでに日本の将来は暗く、早ければ来年度から深刻な不景気に陥ることがはっきりしています。
 来年あたりから地価、不動産価格の下落が始まり、もはや家電をまともに作っているのはパナソニックだけですが、家電メーカーと量販店から苦しみ始め、徐々に他の業界にも波及していくことでしょう。東京だけは予算以上のオリンピックマネーが投入されてマシな環境を保つでしょうが、地方はその分、税金も増やされてより負担は高まるでしょう。

 小売業界に関してのみ、中国人観光客の流入が続けば比較的好調を保つでしょうが、それでも現状維持が精いっぱいでしょう。この辺に関しては次の水曜日にJBpressで出す記事にて少し示唆しています。

 以上のように将来の景気悪化はほぼ確実と見ているだけに、現在の日本の景気の良さは目につきました。例えるならリーマンショック前の2007年辺りを見ているような感じで、今思い出してもあの時代は大きなイノベーションが起こる直前であったこともありますが、不気味な時期であったなと改めて覚えます。1995年くらいもそんな感じでしたが、なんとなく麻薬を嗅ぐような、根拠はないけどなんとなくいい感じに日々が過ぎていく感覚がありました。
 逆を言えば今後の不況期にまた日本でも大きなイノベーションが起こるかもしれません。目下、フィンテックばかり注目されがちですがEVシフトやハイスピードトレイン、あと空飛ぶ車とか色々出ていますが、案外この辺は実用化されたら一気に広まるかもしれません。

 なお空飛ぶ車については個人的に、なんで絨毯から作らないのか疑問に感じています。空飛ぶ絨毯と言ったらドラクエにも出てくる便利なアイテムですが、ドラクエ6では「空飛ぶベッド」という中途半端な乗り物が出てきてストレス溜まりましたが、今思うと「空飛ぶ棺桶」とかだったらもっと楽しめたかと思います。ドラクエと言ったら棺桶なのに、何故出さなかったのだろう(´・ω・`)

2018年10月17日水曜日

帰ってきていきなり……(´Д`)

 昨夜の便でまた日本から上海に帰ってきて、今日は有休消化と一応の態勢立て直しとして会社は休んでいました。なので朝を鬼太郎みたくゆっくり寝てから起床してネットをし始めたところ、最初はすいすい動いてたのにあるタイミングから急にアクセスが途切れました。
 自動的に転送されて表示された情報によると、「ネット料金が支払われてないよ」とのことで、単純に支払い遅れから会戦がストップしていたようでした。何も私が支払いを忘れたってわけではなく、元々部屋のネット料金は大家が支払っていたもので、セパレートされた部屋を賃貸する私はご厚意に預かり無料で使わせてもらっていました。

 ただ昨年、大家が娘夫婦の子育て支援のために娘夫婦の家近くに引っ越し、それまで玄関先で私の住む部屋と分かれる大家の部屋は別の家族への賃貸に出されました。こうした背景から今回、ネット料金の支払いが滞ったわけでした。
 以前ならともかくさすがに今は大家も住んでいないのだし、ネット代くらいは自分で払おうかと一応の状況を大家に伝えたところ、「夜にそっちの部屋に行くから待っててよ」と言われたので素直にネット出来ない環境の下で待ってました。ただ何もしなかったわけじゃなく、プロバイダー側によって強制転送されたサイトの情報を見ていくと、「支払い次第にまた回線を繋ぐよ」と書いてあるのとかを見ていました。

 そこには一応の本人確認として契約者名を入力する欄があり、試しに大家の名前を入力したところ不足料金(なお中国のネット契約は年間料金一括払いが基本)と、その料金をオンライン決済するためのQRコードが表示されていました。大まかな仕組みは見て取れ、恐らくこれをWeChatでスキャンしてそのままスマホ決済すれば接続できそうでしたが、さすがに大家の確認なしに勝手に他人の契約を延長するのは悪いと思って、今回は素直に待ちました。

 そうして待った甲斐あって夜に大家が娘、孫とともに先ほどやってきて、事の状況を説明したところ早速娘さんがアリペイの「公共料金支払い」でぱっぱと1200元(約2万円)を支払い、「これでしばらくすれば回復するよ」と話して去っていきました。なお去る前に大家とは、「さすがに悪いから今後は自分で払うよ(待つの嫌だし(;´・ω・))」と自分から申し出て、大家もそれを承認しました。
 そしたら早速というか、再び回線接続を試したところまたプロバイダーに料金不足通知ページに転送され、そもそもの不足料金は1298元で、まだあと98元(約1600円)不足しているという表示が出てきたので、今度は大家の名前を入力して自分がWeChatで98元支払いました。その後は問題なくまたネット接続が復帰して今に至ります。

 日本から帰国早々、っていうか折角の休日をネットなしで過ごす羽目となった訳ですが、上記のやり取りを見て、日本にいる方はどの点に着目するのかなっていう点で少し気になります。
 ポイントはいくつかあり、列挙すると以下の通りです・

・ネット料金が年払い
・支払いは毎回の口座引き落としではない
・不足、期限満了ごとに料金支払い
・スマホ決済で即支払い、即サービス契約延長
・本人名義さえ確認できれば他人も支払い可能
・中国人は細かく金額を確認しないΣ(゚Д゚)

 やはり一番のポイントは4番目で、いちいち営業所へ行かなくてもサイトに表示されたQRコードを使ってスマホで即支払い可能だっていう点でしょう。またその支払いをシステムが自動で認識し、サービス再開も自動で行っているとみられ、ここら辺を仮にマニュアル作業でやるとなると24時間対応はできない上、そこそこな人件費もかかるんだろうなってことも推測されます。
 ただこうしたやり取りについて私自身も、「やれて当然」と初めから思っており、だからこそ大家にこれからは自分で払おうかとも最初から提案していたわけです。それくらい、近年の中国における決済サービスは異常な発展を遂げています。

 これはネット料金だけでなく電気・ガス代なども同様です。100%とまでいかずとも8割方こうしたネット決済が普及することによって、集金等の決済コストのみならず契約管理コストも社会全体でありえんくらいに節減できるでしょう。また今回の私のように、契約者本人ではなくその近い人間が自分のスマホを使うことによって代わりに支払うことも可能となるわけで、素直に便利な社会になります。
 何も言う必要もないですが、やはりこの点でまだ日本は遅れており、節約手段が存在しながら無駄なコストを支払い続けているのが現状です。私が既にこうした決済が当たり前と思うくらいの社会モデルがあるのだから、もっと必死に追いつこうとする努力くらいは見せてもらいたいものです。

2018年10月14日日曜日

地獄の風景

 最近、「お色気系かと思いきやガチなストーリーが展開される骨のあるRPG」という評判を聞きつけて「クリミナルガールズ」というゲームを購入して遊んでました。このゲームは女の子にお仕置きをして、能力を付けさせながら突き進むというなんやねんとか言いたくなるゲームなのですが、評判の通りに後半はかなり深刻でガチなストーリーが展開され、そこそこ面白かったです。何気に戦闘中のコマンドが、キャラクターがランダムに提案する内容しか選べないという不規則性があり、ゲーム性的にもなかなかよくできた仕組みのRPGです。
 それにしても最近、「閃乱カグラ」といい、色物なゲームばかりやっている気がします。

 話は戻りますが「クリミナルガールズ」はそれぞれ罪を抱えた少女たちとともに地獄を巡って、彼女らに自身の罪と向き合わせていくという内容となっています。その地獄の情景ですが、初めが沼地獄、次が炎地獄、そして氷結地獄とオーソドックスな地獄が続いていきます。そして四番目の地獄ですが、多少ネタバレとなってしまいますが明かしてしまうと、なんと学校そのものが舞台となります。
 実際にゲーム内の少女たちは学校絡みで心に葛藤を抱えているのですが、地獄の情景が学校そのものという演出には素直に舌を巻きました。妙に現実感があるというか、確かにいじめなどを受けた人間からすればこの世の地獄として学校を思い浮かべる人間も少なからずいるのではと感じます。

 恐らく大多数の人間からすれば、中学や高校といった学校は人生の花形、絶頂期として記憶しているかもしれません。しかしその一方で地獄だったと捉える人間もいると私には思え、そう思うと学校とは地獄にも天国にもなりうる舞台とも考えられ、良くも悪くも人の思念を糾合する場所なんだなと思えてきます。
 現実に私も中学高校時代はあまり楽しかったとは思えない側に入ります。学校そのものもそうですが、幸いにも金銭的な苦労こそ経験しなかったものの学校外、具体的には家庭内でも非常に窮屈な時期であり、私もこの世の地獄はどこかと言えば学校はあながちハズレでもない気がします。

 ここで私が何を言いたいのかというと、ある人にとっては天国のような場所でも、ある人にとっては地獄にもなりうるということです。これは学校に限らず職場、集会、サークル、家庭内にも当てはまりますが、天国のような場所としてステレオタイプのように使われる場所は必ずしも誰にとっても天国ではなく、下手したら地獄を想像させることとなるわけです。
 その天国と地獄を分ける基準についてはそれはもう個々人によるとしか言いようがありませんが、こうした天国と地獄が並存する場所というのは間違いなく人間の思い入れが強く持たれる場所であるでしょう。そうした思い入れとかなく機能的に使われる場所、具体的には映画館とかバッティングセンターはごく一部を除き、天国とか地獄になることはないはずです。

 このように考えると天国も地獄も表裏一体のように見えるわけで、なんか人生の教訓めいた話になってきます。最後に言いたいこととしては、このように天国と地獄が同居する場所において、天国の住人と地獄の住人に力関係はあるのか、具体的には地獄の住人がいるからこそ天国の住人は住人となるのかって点です。仮にそのようであれば、そこは現実には地獄そのものなんじゃないのかって気がしてきます。

2018年10月13日土曜日

晩節を汚した日本の偉人

 よく中国史では後継者争いをややこしくしたりなどして、若年期は治世を敷きながら晩節を汚す偉人がよく出てきます。日本でもそういう晩節を汚した例がないかなと先日考えてみたのですが、結論から言うと豊臣秀吉一人しか浮かんできませんでした。
 具体的には甥の秀次処刑、朝鮮出兵による国内疲弊と子飼い武将らの反目増長などなど、往年の勘の冴えはどこに行ったのかと思うほどの迷走を繰り返し、結果的に徳川家康の横取りを許す結果となりました。

 逆に秀吉以外となると、晩節がひどかった人間は大抵若い頃から問題のある人間が多く、老後に突然おかしくなるという人物はあまり浮かんできませんでした。後継者を決められず組織の弱体化を招いたという点では足利幕府8代将軍の義政がいますが、彼の場合はむしろ縁戚関係や有力大名同士の争い、そして何より足利将軍の権威の低さもあるから、一概に彼を責める気にはなりません。

 以前に私はこのブログで、やはり人間は体力以外の勘や判断といった方面の能力にもピーク期間があり、これを過ぎた後は落ち込んでいく一方だと述べました。そしてそれを自覚するならまだしも、短くであれば周囲だけでなく本人にとっても不幸であり、また「前できたんだから今回もできるはず」と言ってはやらかしてしまうなどその影響も大きくなってしまいがちです。
 突き詰めればこの辺のピーク期間の判断は興味の強さである程度判別できると私は考えており、私自身も意図的ではあるものの去年あたりが思考の鋭さではピークを迎えて今現在は既に落ち込み始めていると考えています。

 秀吉の場合もまさに上記の例で、晩年は秀次処刑時にその妻子も残らず処刑するなど当時としても異常な残酷さを見せるようになるなど、やはりいくらか物狂いを見せています。もし自覚できていたのならば一切の政界からその身を退くべきであって、仮に秀吉の晩年の行為がなければその英雄像は今よりもずっと輝いたものになっていたでしょう。
 こう考えると「人間引き際が肝心」とはよく言ったものです。もっとも元阪急で世界の盗塁王だった福本豊氏に言わせれば、「塁に出なけりゃ盗塁もクソもない」だそうで、引く以前に世に出ないと意味がないという意味でこれもこれで金言だと私は思います。

2018年10月12日金曜日

ゲームのナラティブ

王 貞治、長嶋茂雄、田中将大、大谷翔平……球界のレジェンド・野村克也が『パワプロ』各選手&自身の能力データをボヤキながら分析してみた(電ファミニコゲーマー)

 本題とは関係ないですが面白かったのでリンクしときます。

【田中圭一連載:ゼビウス編】ゲーム界に多大な影響をもたらした作品の創造者・遠藤雅伸は、友の死を契機に研究者となった。すべては、日本のゲームのために──【若ゲのいたり】

 で本題はこっちで、大体月一で連載されている田中圭一氏のゲーム業界取材レポート漫画ですが、この回では往年の名作シューティングと名高い「ゼビウス」を制作した遠藤雅伸氏を取材しています。
 このゼビウスですが、私も一応子供の頃にファミコンで遊んだことはあるものの、当時としては古いシューティングゲームだなという印象しか覚えませんでした。ただ当時に育ったゲーム業界関係者はこの取材漫画に限らずみな口を揃えて影響を受けたと話しており、今回のこのインタビューを見て私も少し納得できました。

 詳しくは取材漫画を読んでもらえば早いのですが、遠藤氏はこのゼビウスにおいてゲームとしてはほぼ初めて「陰影」のついた配色を行った他、細かい裏設定を感じさせる仕組みを設けていたようです。現実にこれらはプレイヤーに立体感、そしてゲーム内のストーリーとして認知されていたようで、特にゲームを終わった後も強く印象に残らせる要因となったそうです。
 個人的に面白かったのは後半の下りで、日本人はゲームにナラティブ(ストーリー)を自分で構築して感じることに面白みを感じると言及している箇所でした。ラスボス手前でゲームを辞めてしまう人が10%強もいるということなどを挙げつつ、自分の世界を楽しみたいという欲求をゲームでかなえている点があると指摘してます。

 この点については私も同感するところがあり、正直ゲームのシステムや演出以上にストーリー、没入感を求めており、最近のやたら喋りまくるRPGの主人公とかを見ていると、無口なドラクエの主人公の方がやはり感情移入できたとこの頃よく感じます。
 遠藤氏は現在大学教授をしているだけあってこの辺の下りの説明は、プレイヤーを求道者とたとえたりするなど非常にわかりやすいです。ゲームが面白いのは当たり前で、何故面白いのかを探る上では個人的に参考になりました。

2018年10月10日水曜日

中国の滞在歴

 以前にも書いたかもしれませんが、現在いる会社の所属期間が2年半を超え、現在も私の中で過去最高記録を更新し続けています。逆を言えばこれまでどの会社でも2年半以上持ったことがなく、ほぼ実質2年ごとに転職を繰り返してきていました。
 ただそんな企業在職歴以上に長くなってきているのは、見出しにも掲げた中国の滞在歴です。多少出入りしていますが表にまとめると以下のようになります。

・2005~2006年(1年間、北京留学)
・2011~2013年(2年間、新聞社)
・2014~2015年(2年間、プレス工場)
・2016~現在(もうすぐ3年間、現在の会社)

 見ての通りで、合計では8年間という計算になります。長い人生とは言え8年も中国、しかも上海市に至ってはもう5年くらいほぼ同じところに住んでいるというのは我ながらびっくりです。現実に行く先々で滞在歴を聞かれて「7年以上」と答えると、「もうベテランですね」という答えが返ってきます。
 これまた以前にも書きましたが、中国での暮らしはかつてと比べるとネット環境も整備され、また電子書籍で日本の漫画も買えればPSVitaもダウンロード購入できるようになり、何でもかんでも便利になっています。また都市環境においても、上海市の地下鉄はどんどん新しい路線が出来て、スマホ決済も普及するなどして利便性は増し続けており、また日系スーパーもどんどん出てきていて食材の購入面でも困ることはほぼなくなりました。キッコーマンの醤油はややレアだけど。

 単純に古い中国も見ているということも大きいですが、私にとっては今の中国の暮らしは非常に便利になって不便さを感じることはほぼほぼなくなってきています。そういうこともあるためか、日本に帰国しようとか隠遁しようという気はまだ起きていません。第一、日本人は私に仕事くれないだろうし。
 それでもたまに、最近だと年3回のペースで日本に一時帰国していますが、滞在日数が以前は休みの取れる限界一杯まで設定していたものの、このところは休日がまだあってもやや短く切り上げて中国に戻ることが増えています。理由は何故かというと、滞在すればするほど宿泊費などの滞在費がかかることと、日本にいてやることがなくなってきているからです。

 逆に今思えば、新聞社にいた頃は職場の人手不足と激務から有休を申請するのも根回しが必要なくらいで(いない間のトップ記事を用意するとか)、それでも取れる休日は1日くらいでした。有休制度はもちろん中国にはありますが、あの会社に限っては使用することは暗黙のうちに禁じられていました。まぁ私としても別に文句なかったですが。
 ただそれだけ貴重な休みなだけに、日本帰国時は土日と合わせて実質3日間、限られているとはいえやることがたくさんありました。それはそれで有意義に過ごせたし帰国するという行為にそこそこ至福を感じてましたが、今のように一杯休みが取れるようになるとかえってあの幸福が感じられないというは皮肉なものです。

 ってわけで、これから上海の空港に移動して深夜便で日本に一時帰国です。最近は上海とつなぐ便が増えたんで航空券も安くなってる上、時間も深夜とか選べてほんと便利になったもんです。
 それでも「今度上海に遊びに行くよ」と言ってた友人は、その言葉を発してから2年以上経つのに一度も来てませんが。

2018年10月9日火曜日

ジャイアンツと日本の弱体化要因

 本日、ようやくプロ野球の順位がほぼ確定して、セリーグは巨人が何とか3位に滑り込んでクライマックスシリーズ出場を決めました。とはいえここ数年の巨人は優勝争いに絡むこともなく、今年もBクラス転落もありえただけに、かつての球界の盟主としての姿を思い出すとやはりその弱体化は顕著です。
 高橋由伸監督は今季の責任を取ってコーチ陣ともども退任するとのことですが、不可解な采配と起用を振るう阪神の金本監督ならいざ知らず、高橋監督に関しては正直同情を覚えます。事実上、球団によって現役を引退させられた上に何の準備もなく監督までやらされてしまったからで、成績こそ物足りないものの岡本選手など将来性を感じる選手を見出した点は悪くはなかったはずです。

 話は戻りますが、そもそもなぜ巨人はここまで弱体化したのかと言えばそれは第一に、優秀な選手がメジャーリーグに行くようになったからだと私は考えます。かつての日本のプロ野球において成績を極めた選手が最後に行きつく先は巨人というのがお決まりでしたが、現代においては巨人はおろか、日本の球団を経由せずに直接メジャーリーグに挑戦する選手も珍しくなくなっています。それこそかつてであれば、ダルビッシュ選手、田中まーくん選手、果てには大谷選手もFA権を取ったら巨人に移籍していたかもしれません。

 やはりかつて巨人が強かったのはそうしたブランドがあったからで、他球団の最優秀選手が選手としてではなくそのチームとしての栄誉を得るために巨人へ移籍し、それによって強さを保っていたところがあると思えます。しかし現代においてはさにあらず、やはりやる気と実力を備えた選手はメジャーを目指し、このところ巨人に移籍してくるのは他球団で活躍した外国人選手、またはやや旬の過ぎた元名選手ってのが最近多い気がします。

通年採用へ「過渡期」 就活長期化には懸念も(産経新聞)

 ここで話を変えますが経団連はこのほど、就活シーズンの開始時期についてルールを設けないということを発表しました。これまでも開始時期は一応決めていたものの、ほとんどの企業が横紙破りでどこも守らずに説明会や面接を実際行っていたことを考慮すると、はっきりとルール無用と言明した点は正直で悪くはないのではと私自身も思います。
 ただ今回の開始時期ルール廃止に際して経団連の中西宏明会長の発言について、少し疑問を感じた点があります。それは何かというと、ルール敗死理由の一つに「優秀な人材の採用に当たり外国企業に後れを取る」ということを挙げた点です。

 察しが良ければわかるでしょうが、要は先ほどの巨人と同じだと言いたいわけです。私の目から見ても日本は産業界、学界、政界ともに優秀な人材が不足を通り越して枯渇している状態にありますが、これは日本の教育レベルが落ちたとか人口減とかそういう理由ではなく、優秀な人材が日本企業を目指したり経由せず、直接海外に渡るようになってしまったというのが一番の理由だと考えています。
 具体的には富士通とかその辺を目指さず直接マイクロソフトやグーグル、テスラ、スペースXへの就職を目指すようになり、日本国内にはそうした企業までには及ばないレベルの人材しか残らなくなったとみるしかないでしょう。

 このように考えた場合、就活開始時期ルールを廃止して通年採用としたところで果たして優秀な人材を確保できるかは疑問です。私が思うに優秀な人材は第一に自由に挑戦でき、切磋琢磨し合える環境を求め、第二に高い報酬を目指して動いているように思え、たとえ採用コンタクトが増えたところで、そうした環境や報酬を用意できなければ日系企業に来るとは思えません。
 なんとなくですが、中西会長の発言を見ているとこうした点については十分に承知した上で敢えてああした発言をしたのではないかと私は見ています。その理由についてはご想像にお任せします。

 私自身も現在中国で働いていますが、やはりその動機は日本じゃ自分の才能を発揮できないとはっきり感じたからです。現実に最初入った企業では何も仕事がなく、一週間リアルに椅子に座っているだけということも珍しくありませんでした。その企業だけでなく他にも回った企業も、明らかに不効率なことに対して真剣になり、逆に必要な業務については先送りしたがり放置する光景を見て、こんなとこにいちゃだめだとはっきり認識しました。
 ついでに書くと、もともと自分が志望していたライター業務についてもどこも仕事をくれなかったのは今考えても不思議でしょうがありません。強く出ると、今の自分以上にアクセスの稼げる記事を書けるライターがどれほどいるのかと自分を採用しなかったメディア企業に対して問いたいくらいで、中国で実績も作っていたというのに、なんで自分以下の実力しか持っていない連中に自分は落とされ続けてきたのだろうかと今でも不思議でしょうがありません。

 最後にまとめると、現在の巨人と日本の弱体化はトップ人材が海外に流出しているからというのが私の見方です。私自身はそうしたトップ人材ではないものの、逆を言えば私のような半端な人間ですら日本を出て海外へ働きに行く時代だからこそ、優秀な人材を引き留める、若しくは引き寄せる材料を用意しなければ、採用時期を弄ったところで何も変わらないでしょう。
 具体的は環境と報酬で、初任給もファーウェイの40万円とかにビビってるようじゃお話にはなりません。環境に関しては改めて言うと、私自身は甘くまったりとした職場なんて最初から求めておらず、生きるか死ぬかの戦場を求めて常にさすらってきました。優秀な人材が果たして私のように戦場を求めているかはわかりませんが、こういう価値観の持ち主も少なからずいるのではというのが私の意見です。

2018年10月7日日曜日

死後の渡し守

 先日、電子書籍版が安売りしていたのでダンテの「神曲」を漫画化した本を購入しました。「神曲」は前から読みたかった本なのですが、電子書籍で出て切る文庫はどれも翻訳が古く読むのに難儀しそうだったことからこれまで手を取らずにいました。
 何気に「神曲」に限らず、一部古典は翻訳が古く明治、大正期ベースの和訳しかないものも少なくなく、こうした本を新訳して出すことも重要じゃないかと思います。

 さてダンテの「神曲」ですが、言うまでもなくこれは詩人ダンテの最高傑作であり、且つラテン語の書籍しかなかった当時にあって口語であるトスカーナ語で書かれており、権威からの脱却という点でルネサンスを導いたとも言われる作品です。もっとも、書体以上に当時の人々を唖然とさせたのは、主人公ダンテ(作者本人を主人公にしている)を導く古代の詩人ウェルギリウスをはじめ、古今東西の偉人や聖人、果てには伝承上の悪魔をガンガン登場させ、中にはダンテに恨まれていた当時の実在の人物まで出てきます。この破天荒な内容は現代で見ても結構過激に感じます。

 以上の説明は他の書評でも出ていますが、今回内容を見てみて少し気になったのはカロンという精霊の存在です。

カローン(Wikipedia)

 カロンとはギリシャ神話に出てくる精霊(神の眷属)で、老人の姿をしており、生者の国と死者の国を分かつ川の渡し守です。川を渡る際には渡し賃を要求し、もしこの渡し賃がなければ死んだ後もなかなか死者の国に渡れず川のほとりで長い間待ちぼうけくらわされるそうです。
 「神曲」の中では、ダンテが恋焦がれていたものの早逝したベアトリーチェに会うために支社の国へ渡る際、案内人のウェルギリウスともども「神様の思し召しだから」ということで無賃乗車させています。

 私が何故このカロンに着目したのかというと、日本には奪衣婆がいるからです。

奪衣婆(Wikipedia)

 奪衣婆とは死後に最初に会う、若しくは三途の川のほとりで会うババアの獄吏で、死者の衣服を剥ぎ取り、それを相方(旦那?)の懸衣翁が秤にかけることで死者の業を調べるそうです。
 上記説明はWikipediaを読んで今知った内容ですが、私が元々知っていた内容は三途の川の運賃管理をするババアで、渡し賃の六文銭を持っていなかったら運賃代わりに衣服を引っぺがす、どっちにしろセクハラを厭わないババアという風に聞いていました。

 見ての通りというか、カロンも奪衣婆も日本とイタリアという異なる文化圏でありながら、死者の国と分かつ川の渡し賃を要求する渡し守としてその役割は驚くほど似通っています。こうした神話の近似性についてはユングも指摘しており、人間が本来持っていた概念、若しくはそのように考えてしまう普遍性ゆえのものとしています。ジジイとババアで性別こそ異なっているものの、渡し守という結構細かい役割が共通しており、なおかつペナルティがどっちにも存在しているというのは個人的には興味があります。っていうか死んだら本当にこいつらが居るのかの方が気になる。

 もしかしたら空港の入管ゲートみたいに、渡し守も地域によって担当者が決まっているとか、持ち回りなのかもしれません。持ち回りだとしたら就業者はきっとシルバー人材派遣センターから派遣されているのでしょう。
 あともう一つ気になるのは運賃です。ちょっと前までは真田の旗印でおなじみの六文銭でしたが、現代においては「文」という通貨はなく、日本円に換算したら如何ほどなのかミステリーです。あと最近真面目に現金を出すこと自体が久しくなるほど電子決済かの進んだ中国社会ですが、アリペイとかウィーチャットペイで電子決済も可能なのか、っていうか電波届くのかも気になります。

 馬鹿は死ななきゃ治らないと言いますが、死後の世界は死ななきゃわからないというのはなかなかに不便です。

2018年10月6日土曜日

中国仏寺の意外な掲示物


 連休も終盤ですが、自転車で寧国禅寺というお寺に行ってきました。
 この寺は12世紀の南宋の時代に成立したそうですが、1949年に戦火によって灰となったものの、2007年に再建されたという割と再建の新しいお寺だそうです。実際施設はきれいでした。


 逆光がどうしても消せなかったのですが、三国志に出てくる関羽と関平と周倉の腐れ縁な三人組です。このように三体セットとなっているのはあんま見ないので珍しく感じ、写真に撮りました。


 天井の装飾を含めかなり力が入っています。こうした装飾面では日本とはやや違いがあるものの、お寺の方向性としてはやはり根っこは同じだなと感じます。


 ただそうした仏像や仏閣以上に気になったのはこれです。右上の「财务报表」というのは日本語で「財務諸表」、つまりこのお寺の財務報告書が境内に掲示されていたのです。
 実際見てみるときちんと数字が書いてあり、「寄付金収入」とか「固定資産」、「減価償却費」、「建設仮勘定」などの科目が見られます。法律などで公開が義務付けられているのかもしれませんが、宗教法人(なのかな?)がこうして財務報告書を一般に公開していて素直に驚くとともに、妙に感心しました。

 なお日本の宗教法人は一応、国や自治体にこうした財務報告書を提出する必要はある者の、一般に公開する必要もなければ外部による監査を受ける必要はありません。中には自主的にネットで公開している団体もありますが、隠しているよりかは公開している方がそりゃ世の中の仕組み的にはプラスですし、好感が持てます。

2018年10月5日金曜日

五輪経費の予算オーバーについて

東京五輪、予算大幅オーバーの予感で不満爆発「3兆あったら津波被害者の住宅建てて熊本城復興して有り余るぐらいの保育士雇える」(BLOGOS)
東京五輪への国費投入が「現時点で」予定の7倍増の8011億円に、森会長は「将来の日本のためになるから受け入れろ」(ニコニコニュース)

 既に各所で報じられていますが、東京五輪の予算が膨れ上がっててんてこまいのようです。具体的には国の負担分は予算では1500億円だったのに対し、まだまだ準備が終わっていないにもかかわらず既に8000憶円超にも達していて、東京都の負担分と合わせた最終的な予算も1兆3500億円の予定でしたが、この分だと3兆円を突破しそうな勢いだとのことです。
 ブロゴスの記事でも触れていますが、これだけの金があればかなりいろんなことが出来ます。それこそゴルゴ13の依頼料を仮に5000万円/人とすると、8000憶円あればなんと1万6千人も始末出来ちゃいます。実際には20万ドル/人だけど、計算ややこしいので気にしないでください。

 何もこんな冗談でなくても、ただでさえ今年は災害が頻発してその対策や復旧費用にお金が必要だということを考えると、この経費の膨れ上がり方は如何なものというしかありません。言い方は悪いですが、これまで世間に対し一切公表されなかったことを考えると、「国民の知らないところでいくら金使っても大丈夫」とばかりに、国民はなめられていると言っても過言じゃないと私には思います。
 なお一応言っときますが、海外にいる自分も一応は日本に税金払ってます。年金は払ってないけど。

 恐らく政府や官僚としては裏で勝手に金使ったところで、事後承諾でどうとでもなるという考えがあるのでしょう。極端なことを言えば、東京五輪のためなら他の災害復興費や教育・福祉への投資を無視し、いくら予算オーバーしたって責任を負われない、暴動を起こされないという楽観があると言えるでしょう。私自身としてはこれだけ切り詰めてもあとこれだけ足りないので、という民主的プロセスを経た上での追加予算発動であれば仕方なしと思いますが、さすがに今回のやり口見ているともう完全に国は国民をなめているようにしか見えません。一回くらい暴動起こして担当責任者を数人殺してしまった方が後々のためにはいいのではないかという気すらします。

宝暦治水事件(Wikipedia)

 今回の報道を見て真っ先に思い出したのは上の事件です。藩の反対を押し切って幕府の命で堤防工事をしたものの、経費が予算を大幅に超過したことから工事完了後に責任者の平田靱負は自害しています。
 この堤防は多大な費用が掛かったものの当時の治水に大きく貢献する設備となりました。しかし東京五輪で作られた施設は果たして後の世に貢献するか、そんなものに多大な費用をかけてしまっている現状をどう思うか、何も切腹しろとかそういうつもりはないですが、予算に対するシビアさが国、そして国民にも欠けている気がしてなりません。

2018年10月4日木曜日

「大ウソ」記事が大ウソだった件

住宅用太陽光発電の誤算、「10年で投資回収」は大ウソだった【訂正あり】(ダイヤモンド)

 私は上記の記事を訂正がつく前の段階で読んでてやっぱり太陽光発電は赤字になるんやなぁとか思ってましたが、見てもらえばわかる通りに掲載からすぐに以下の「訂正」が付きました。


【お詫びと訂正】

 2018年9月25日公開の本記事『住宅用太陽光発電の誤算、「10年で投資回収」は大ウソだった』におきまして、太陽光発電の投資回収シミュレーション(試算)に事実誤認がありました。同じ前提による正しい試算では、10年で投資はほぼ回収され、記事の見出しにある「大ウソだった」は覆ることになります。編集過程での確認・検証作業が不十分であったことに起因するミスで、誤解を与えてしまった読者のみなさま、およびご迷惑をおかけした関係者のみなさまに、心よりお詫び申し上げます。

 本記事に関しましては、周知のため本日より10月26日までの1ヵ月間は公開を続け、その後は取り下げさせていただきます。

2018年9月27日
週刊ダイヤモンド編集部
ダイヤモンド・オンライン編集部


 この訂正も掲載後にすぐ読んだのですが……一応言っときますが普段からダイヤモンドの記事をチェックしているわけでなく、気になる内容であっただけに読んだのは偶然です。
 話は戻りますがこの訂正を読んだ際は、個人のライターが書いた記事ならともかくこの特集はダイヤモンド編集部の複数の編集者が関わっていると思う内容なだけに、誰も途中で試算が間違っていることに気が付かなかったのか、ダブルチェックは働かなかったのかという疑問を覚えました


そこ間違ってる!ダイヤモンド『太陽光発電10年で投資回収は大ウソだった』が生む誤解(ソーラーパートナーズ)

 この点というか、ダイヤモンドの記事がどの点で間違っていたのかについて上記のコラムが詳しく解説しています。このコラムを読んだうえで私の見解を述べると、やっぱ計算ミスというよりかは確信犯で、業界団体など各所から不備の指摘や講義を受けたために訂正を出したんじゃないかっていう疑念が強まりました。問題点の具体的な解説は上記リンク先に任せますが、やはり意図的とした思えないような不自然な間違え方をしている上、反省点についても支離滅裂すぎる返答の仕方というのがその判断理由です。

 この記事について私の友人は、週刊誌とかならともかく経済誌でこのミスはいただけないと言っており、私も同感です。やはり経済誌ともなるとライターも数字に強いことが求められ、その辺がやはりこの記事には不足しているように感じます。
 この数字への強さですが、単純に企業の業績や原価計算などをどれだけみて、実際に係るかで鍛えられていきます。桁が多ければいいというものじゃないですが、四則計算をどれだけ複雑なものを単純に捉えなおせるかという能力だと私は考えており、自分もこの方面はあまり強くないだけに他山の石としたいところです。

2018年10月2日火曜日

日常いろいろ

 中国では昨日から国慶節(建国記念日)の休暇のため一週間の長いお休みの最中です。なお無理くり一週間のお休みとするため、先週は土日が出勤日となり、この二日間の休みが今回の連休に振り替えられています。この辺、未だによくわからない中国の習慣です。

 今回はたまたまですが連休前の一週間は周りも有休消化して出社せず、仕事らしい仕事がなかったのでひたすら業務用資料作りに勤しんでおり、具体的にはWordの原稿用紙800枚分のテキストファイルを分類ごとにExcelに整理していました。楽しい作業でしたが常に左手をCtrl+X, C or Vにおいて固定し、右手はマウスをひっきりなしに動かしていたせいか、昨日は激しい頭痛にやられなんか右半身の感覚が弱く自転車を停めようとしたら倒したりなどと、疲労が一気に来たような感じでした。この原稿もさっきから、異様にミスタイプが多いし。

Meizu 15のスペック・性能(teleklist)

 そんな不安定な状態ながら昨日は携帯電話ショップに行って、上記のMeizu(魅族)の「Meizu 15」というスマホを買ってきました。なんでこんなの買ったのかというと自分の人生にしては珍しく先日ボーナスが出たのと、これまで使ってきた「Meizu M5」は購入の時点で型落ちだったため最近は動作も遅くなってきていたからです。まぁ電池の持ちは相変わらずよかったけど。
 そこで前々から新しいスマホの購入を検討しており、今回店で店員に聞きながら小さいサイズのと聞いたらこれを勧められ、上記リンク先では2,499元(約41,000円)と書かれていますが、値下げされたのか1,999元(33,000円)でハンマープライスしました。これまで600元くらいの安いのばっか買ってきましたが、ここのスマホにはこれまでお世話になっていたこともあり今回はやや高めのモデルを買ったことにはあまり後悔はありません。

 スマホの性能についてはまだ買って二日目なので何とも言えませんが、今のところは特に不満はなく、顔認証センサーもこんなん使えるんかいなと思いながらも使ってみたらロック外すのがスムーズで意外に使えます。私は日本では携帯電話(ガラケー)にロックをかけたことはありませんでしたが、中国だとスマホ決済が非常に多いこともあってか心配になってロックをつけるようになりました。
 なお顔認証センサーについては、デーモン閣下はどっちの顔で認証させているのかちょっと気になります。骨格とかで見るからどっちの顔でもいいとは思うけど。

 そんなスマホ買って頭痛に悩まされた翌日の今日はやや頭が重いものの大分症状は改善し、朝一で昨日スマホ買った店に行って「保護膜もっと薄いのない?(めっちゃ分厚い)」かと聞いたら「分厚い分画面守るのにいいよ。そのスマホ自体、枠細いし」と説得されて納得し、次のニトリに行く間にバイクの兄ちゃんから「お前の自転車、めっちゃ速いな。いくらくらいしたの?」と走りながら聞かれて会話してました。

 そうしてついたニトリでは、折角ボーナス入ったんだしパソコン用の椅子を新調しようかと思って改めていろいろ見て回りました。今現在使っている椅子は300元で買った割としっかりした革張りの椅子ですが、座面の奥行きが長く背もたれに背中がしっかり当たらず、クッションを背中において固定したりしているのですが、割とパソコン向かっている時間長いしちゃんと体に合ったのを買おうかと前からこちらも検討していました。
 そこで改めていろんな椅子、メッシュだとダニに咬まれるので革張り限定であれこれ探してみましたが、改めていろいろ見てみるとそこまで座面に差がないというか、結局キーボードを打つ溜めに前のめりな姿勢にすると背中が背もたれから離れるということに気が付きました。

 思いっきり背もたれに体を預けるならともかく、私のようにキーボードを四六時中叩く人間からするとこうしたオフィスチェアの背もたれなんてあってないようなもんです。また、私特有の問題ですが変に背筋がまっすぐ伸びて全く猫背にならないため、普通の人と比べても背もたれから離れやすいということに気が付きました。むしろそうした点を考慮すると、作業中に背中が背もたれにつくような椅子は背もたれ角度が90度直角なパイプ椅子くらいしか正直ありません。
 それであれば今の椅子で背中にクッションを挟んだ方が余計な出費もゴミも出ずいいかと考え直し、結局何も買わずに帰りました。帰った後、今使っているバナナ型のクッションからへこんでしまってもう使わなくなった枕を背もたれにあててみましたが、意外とこちらも悪くなく、やはり椅子というか自分の姿勢がおかしいんだなということに納得し、改めて無駄な買い物せずに済んでホッとしました。

 ちなみに前回の椅子購入時にも少し書いていますが、こちらで家具を買う際はいつも非常に悩みます。というのも現地採用の立場である私からすればいつ仕事なくして中国を去るかもわからない上に、中国の事情から今住んでいる賃貸の部屋も状況によってはすぐに出ていかなくてはなりません。一応こっちにも引っ越し業者はありますが、やや不安定な立場から耐久消費財を買う場合は将来的にどうなるかって点で非常に悩ましいところです。
 何気にそうした関係からか電子レンジは未だに持っていません。そのかわり今の部屋の中には戦闘機のプラモが所狭しと置かれており、この前泊まりに来た中国人の友人にも、

「どや、こいつが中国の最新鋭やで」
「(J-20を見て)でかっ(;゚Д゚)」

 ってわけわかんない自慢してました。
 さて、明日は真面目に仕事しよ。今日の午後は地球防衛軍やり過ぎた……。