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2026年1月27日火曜日

美容整形外科に追加で税金をかけたらどうか?

 現在日本の医療業界は以前にも記事にしたように、インフレで人件費挙げなきゃいけないのに収入は診療報酬で固定されててかなり苦しいそうです。そこへきて近年は直美こと、医師免許取得後にいきなり儲かりやすい美容整形外科に入る医師が増加しており、ほかの分野で医師が不足しがちだと聞きます。実際に精神科行った友人によると、初診を受けるためには最低1ヶ月は待たなきゃならないくらい手が回らない状態らしいです。
 ちなみにそいつ、この前精神科の専門医資格も取ったそうですが、Officeアシスタントのイルカ並みに会話が支離滅裂で成り立たないのによく精神科で医者やれるなと密かに思ってます(´・ω・)

 それで話は本題というか結論から言うと、この際だから美容整形外科の医院や施術に対し、追加で税金をかけたらどうかという腹案を持っています。

 現在、美容整形についてはほかの医療行為と異なって消費税をはじめとする税金が徴収されています。これは美容整形が生きてく上で必ずしも必要な行為ではないという理由からで、事故や病気による変形を修復する整形手術についてはほかの医療行為と同じく保険が効けば税金もかかりません。
 実際、美容整形に関してはいわゆる贅沢行為に当たると私は思え、やりたい人は金掛けてでもやりたいだろうけどそこまで国や社会が保護してまでやる行為ではないと思います。しかし前述の通りとにかくこのところ儲かるということで、医者になった人が大挙してこっちに来るためほかの分野で医者が不足する悪い状況を生み出している原因にもなっています。

 であれば、この美容整形行為に対してたばこやアルコールのように追加で税金をかけたらどうかというのが自分の案です。税金をかけるとなると施術をする美容整形医師の収入はもちろん減るし、減った分だけ埋め合わせようと施術費を引き上げるかもしれませんが、その引き上げた金額を支払うのは美容整形をやりたい人なだけで、一般大衆には影響しません。言ってしまえばぜいたく税みたいなもので、こうすることで医療界の人材リソースを平坦にでき、且つわずかながらとはいえ税収も増やせる効果が期待できるいい案なのではないかと密かに思っています。
 ただ実際やろうとしたら、高須院長とかマジギレしそう(;´・ω・)

2026年1月23日金曜日

灘中のパレスチナに触れた入試問題について

 今朝は水に氷が張るくらい上海も冷え込みました。ただ数年前と比べると部屋の防寒対策を色々高じているためそれほどきつくないのですが、今年は色々試してみようと膝下温めヒーターとか電気毛布とかも試しています。個人的感想としては膝下温めヒーターは毛布かけて使うとかなり良いのに対し、電気毛布は膝裏がやはり冷え冷えなままで且つコードが結構椅子に引っかかるため、膝下ヒーターの方に軍配が上がります。

灘中入試にパレスチナの惨状を表す詩 教頭に出題意図を聞いてみると(朝日新聞)

 それで本題ですが上のニュースに関して賛否両論の意見が出ているそうなのですが、自分としては完全に賛で、灘中はさすがやるなぁとか思いました。というのも入試問題の国語とかに出てくる文章って、普段生活していたらまず読むことのない縁もゆかりもない文章と触れ合える貴重な機会だと思うからです。この手の文章って問題文だから読むのであって、もし単体の記事とかコラム、随筆として出されても恐らく興味を持たずに基本読まずじまいとなるものばかりです。やはり人間、興味のあるものから手に取っていくため、興味と程遠いものほど接触は小さくなるものでしょう。

 その上で興味の範疇外で縁もゆかりもない文章というものは、人間性や知識の幅を広げるうえで非常に価値があると思います。「こんな見方があるんだ」的に今まで全く見なかったものに光を当てることができ、実際この灘中の問題もパレスチナの現状について受験生らに考えるきっかけを与えることを目的とされたようで、その後もパレスチナに興味を持たない子もいるでしょうが、持つ子もきっといると思われ、なんにせよ考えるきっかけを与えるうえでは良問なのではという気がします。

 書くいう私も受験時代の問題文や学校での国語や道徳の時間に読んだ文章の抜粋から興味を持ち、その後全文を読むようになった体験がいくつかあります。思えているものだと「あの頃はフリードリヒがいた」と「塩狩峠」で、授業で取り扱われなければ読むことがなかったと思います。

 また全文読まなくてもその後の価値観に影響を与えた問題文も結構あります。特に印象深いものとして何かのコラムの抜粋だと思うのですが、仮定のストーリーとしてこんな話を書いていました。雪山で遭難していたところたまたま見つかった山小屋に助けを求めたら二人の姉妹が迎えてくれた。小屋の中では妹の方は明るい性格で、「大変だったでしょう」などと色々声をかけて励ましてくれました。一方、無愛想な姉は何一つ言葉を発さないものの、黙ってスープを作ってその男に出してくれたそうです。
 この二人の姉妹を比較してその作者は、「姉はえらい(・∀・)」と言って姉に軍配を上げてました。理由はというと、妹の行動は一見すると優しそうだがこの男が本当に必要とするのは栄養と体温で、言葉をいくらかけても実は意味がないのに対し、無愛想でも本当に男が必要としているものを提供してくれた姉の方こそ親切だと言えるという風に評していました。

 このコラムは小学生の頃に読みましたが今でも強く覚えており、表面的な援助よりも本質的な援助の方が大事だという価値観にすごくつながりました。同時に、口を動かす奴よりも黙って手を動かす奴の方がずっと偉いという価値観にもなり、自分の現在の性格にも影響した気がします。
 このほかだと同じく小学生の頃に読んだ、雪山の食堂で豚汁食べてたらその食堂で飼われている犬に全部食われたという話もやたら覚えている。なんだろう、雪山好きなんだろうか?

 こんな具合に、国語とかの問題文はまさに出会いを提供する貴重な機会だと思うだけに、今回の灘中の入試問題はスパロボ風に言うなら射程距離外の攻撃なくらいクリティカルでいいものじゃないかと思います。同時にそうした縁もゆかりもない文物に触れる機会こそ、もっとみんな求めた方がいい気がします。

2026年1月19日月曜日

去り行く人間に必要以上に優し過ぎるメディア

「菅さんに話しても、もうほとんど反応ない」菅義偉元首相が政界引退…霞が関を支配した“恐怖の官房長官”の容態とは《叩き上げ政治家の剛腕秘話》(NEWSポストセブン)

 上の記事を見てどう思うか人それぞれでしょうが、私としては本来ならほかのメディアもこのような内容を書くべきだったのではないかと思い、まだここがこうして菅元総理の健康不安についてはっきり書いたことで安心するものがありました。

 菅元総理の健康不安というか判断力の低下についてはかねてより報じられており、実際に私もいくつかの動画で見ていて不安に感じるものがいくつかありました。これが一般人ならまだしも議員、それも元総理という立場であると、影響力が非常に大きいだけにもっと早い段階から議員職を降りるべきではないかとの声が出ても仕方がないと思っていたのですが、私が見る限りそうした声を「忖度してはいけない」と言っている大手メディアほど避けていたというか、一切触れませんでした。
 そして今回の、本人の意思なのか定かではありませんが次回選挙に出ない引退宣言に触れても、大手メディアは官房長官、総理時代の功績や活躍については触れても、その健康不安や判断力についてはついぞ触れることはありませんでした。去り行く人間なだけに気持ちよく送ってやろうという精神なのかもしれませんが、人間の、しかも公人とあればその良いも悪いも最後だからこそきちんと触れるべきだと思います。ましてや批判的精神をここで発揮しないというのは、おこがましいとすら思います。

 このように書く私ですが、菅元総理についてはその功績を含め比較的高く評価しています。ただはっきり言えばその功績は官房長官時代が主であり、総理としての功績は携帯電話代引き下げなどもあるものの、そもそも総理として向いている人材は明らかになく、記者会見の歯切れの悪さや政局勘の悪さと言い、自分の適性を見極めきれずに総理となって評価を下げてしまった人物だと思っています。
 ついでに書くと息子もひどかった。

 この去り行く者への必要以上の優しさというか、肝心なところで批判的精神を持たないメディアはこのところ多いように思います。先日私も少し触れた久米宏の逝去においても、そのニュースステーションのキャスター時代の活躍や成功を取り上げるメディアはいても、ニュースステーション降板後の他番組での振るわなさなどについてはついぞどこも触れず、やはりいい面ばかりに目を向けた偏った評価が多すぎるのではと眉をひそめました。

 そこへきて今回の菅元総理への白々しいまでの「お疲れ様」報道を見て、ウェブメディアやネット世論の台頭以前に、従来の大手メディアは批判的精神を忘れて時流に乗ろうとしかしなくなるほど落ちぶれたというか、自身の存在価値の喪失にすら気づいていないのではないかと改めて感じました。
 なんでもかんでも批判すればいいってわけではないものの、なんでもかんでも誉めそやすというのは逆ベクトルで間違っています。それに気づけないし誰も批判しないしでなんなんだと上海で一人暴れていたところにニュースポストセブンがこうして批判的記事、っていうか一番肝心な健康不安に触れる記事を出して、まだこうした必要な指摘するメディアが日本にあったかとほっとする次第でした。

2025年12月24日水曜日

冤罪事件担当検事の不起訴が不公平過ぎる

 友人に今日はクリスマスイブなのでうどんと焼き鳥食べてきたと言ったら、「チキンじゃないの?」と返信してきたので、「焼き鳥だってチキンだろ(´・ω・)ナメンナ」と返事しました。焼き鳥業界も、クリスマスチキンとしてもっとアピールすべきだと思う。

プレサンス事件の主任検事を不起訴 部下は「検察なめんな」で裁判に(朝日新聞)

 話を本題に移すと細かい背景の説明は省きますが、冤罪事件として裁判で認められたプレサンス事件の主任検事に他する告訴の訴えに対し、不起訴処分となりました。つい昨日には同じくひどい冤罪事件で死人まで出た大河原化工機事件の捜査員についても不起訴処分が発表されており、両事件ともこれで裁かれないなら捜査機関の人間はどうやっても裁かれないと言い切れるくらいひどい内容だっただけに、無関係な立場であるものの激しい怒りを覚えてなりません。

 正直言って、両事件ともに担当した検事や警察官は殺されても仕方ないと思うし、むしろそうあるべきだとすら私は思います。無実の人間にあらぬ罪を着せて破滅へ追いやろうなんてこれ以上に悪辣で卑怯な行為はほかになく、こんなことする人間、しかも強い権力で以って行使するなんて絶対まともな人間ではないと言い切れるだけに、早く死んでくれた方が世の中のためにもなるという気すらします。

 しかしやはり身内をかばう文化があるのか、検察も警察もこれほどの冤罪を起こした張本人に対して何の処罰しないなど贔屓も過ぎると思えてしまいます。可能だったら警察署に打ちこわしに行きたいくらい腹立って仕方ないのですが、こうした感覚を当事者たちはあまり持ってないのではないかと思います。

 ただ十年以上前の冤罪事件である村木事件では、担当した特捜検事が逮捕されるなど一定の粛清が行われています。この事件に関しては証拠捏造の証拠がはっきりあった点もありますが、先の二つの事件と違って何故粛清が行われたのかと言えば、冤罪の対象が厚労省の役人だったからじゃないのかと改めて思います。一般人と違って同じ国家公務員相手の冤罪事件だったからこそ、手打ちがあったのかもしれませんが一応トカゲのしっぽ切りとして前田恒彦とか切ったのだという気がしてなりません。

 なおこの前田恒彦は前科者のくせに「元特捜検事」の肩書でYahooニュースへ偉そうにオーサーコメント書いてくるのがむかつき、顔を見るだけでも苛立たしいです。しかも書くのは決まってどうでもいい事件ばかりでどうでもいい事件ばかりで、こいつの本当の専門であるはずの冤罪事件については何一つコメントしないのも何様だという風に感じます。法律関係以外で再出発するなら応援しますが、証拠捏造という最低の行為をしたのだし、法律界とは一切かかわらず距離を置くというのが普通の人間の感覚だと私には思うのですが。

2025年12月15日月曜日

職業が権威を失っていった平成期

 昨日の記事で少し触れた「みいちゃんと山田さん」という鬱漫画についてこの本を勧めてくれた友人に感想を述べた際、作中で描写のある女子刑務所について昔は弁護士がうるさく、この作品のように表に出すことはできなかっただろうと言われました。自分もそうだと思います。
 そのシーンに限らず自ら進んで体を売ろうとする女性の描写も、いわゆる人権派弁護士が活躍していた頃には「そんな女性なんていない!女性はみんな性搾取の被害者だ!(# ゚Д゚)」と吠えて、攻撃していたことでしょう。しかし現代においてこのような主張をする弁護士はまだ一部存在するものの、その発言力は既に地に堕ち、誰も相手にすることもありません。

 このように人権派弁護士が転落していった背景については触れませんが、そもそも論として弁護士という職業が尊敬や憧れを持たれなくなったというか、平成初期と後期で比較するとその権威は丸ごとなくなっています。現代でも弁護士と言えば「賢い人」と思われるでしょうが、尊敬される対象には必ずしもならないでしょう。
 一方、平成初期なら弁護士と言えばまだ周囲から敬意を持たれ、各地で名士として扱われるなど権威があった気がします。しかし弁護士による詐欺事件や、ロースクール構想をはじめとする司法制度改革の失敗のあおりを受け、その権威は前述のようにかつてと比べ大きく落ちており、ただ弁護士というだけで尊敬される対象ではなくなっています。ただこれは弁護士に限ることじゃありません。大半の職業で、その権威は平成期にかけて大きく低下しています。

 主だったものを挙げるとまず警察で、これなんか大半が神奈川県警と交通取り締まりのせいだと思いますが、お巡りさんのことをすごく頑張っている人と思う人は本当に減った気がします。次にマスコミ、特に新聞記者に至っては昔はかなり権威持っていてその発言も重く扱われていた気がしますが、現代のいては週刊誌記者とそんなに大差ないくらい権威が落ちているように見えます。いや、週刊誌記者を馬鹿にするわけではなく、相対的にかつては上だったのに同列まで落ちたという意味で……。

 これら職業の権威が何故これほど落ちたのかというと、第一義的には各職業従事者の犯罪や不正事件が社会に伝わったことが理由ですが、何故それらが表に出てきたのかというというまでもなくインターネットの発達で、ネットによりそれまで出てこなかった権威ある職業者の事件が表に出るようになり、彼らは権威を落としたと言って間違いないでしょう。実際、私自身も新聞社の関係者が事件起こしたのを、所属する新聞社が全力でもみ消して報道を防いだという例をいくつか見ています。
 しかしインターネットの発達以降、それこそ人権派を名乗る弁護士のあくどい所業などかつて覆い隠されてきた事案も掘り当てられ、丸裸にされる形でこれら職業の社会における権威はみるみる落ちていきました。教師とかもそうですが、その職業にあることから「あの人が言うんだから間違いない」とされることは現代においてもうないでしょう。

 そんな現代においてまだ権威を持つ職業があるのか考えてみましたが、私の中では航空機のパイロットと消防士なんかはまだ権威を保っているというか、自分自身がその職業者に対し敬意を覚えます。逆を言えばそれ以外は敬意なんて覚えず、議員に関してもまだある程度権威を保っているものの、それでもかつてに比べれば大きく落ち、各地の地方議員の不正も相次いでいるから今後さらに落ちると予想しています。

 その逆にというか、かつてはやや蔑視されていた風俗関係者などに対する偏見は逆になくなってきている気がします。AV女優とかでも公共放送に出演したり過去を隠さなくなってくるなど、かつてと比べると後ろめたさはかなりなくなっているように見えます。それこそ平成初期なんかはキャバクラで働いていた前歴すら隠す人が多かった気すらするのに。
 以上を踏まえると、平成期は職業における貴賤観が上下で縮小した期間だったように思えます。これがいいことか悪いことかはちょっと判断し辛いのですが。

 最後にもう一つ付け加えると、この流れは何も日本だけじゃない気がします。欧米でも「そんなことするはずない」とみられもみ消されていた聖職者の性的虐待事件が相次いで明るみになり、遠目で見る限りだとこうした宗教関係者の権威も大きく低下しているように見えます。それもやはりインターネットによる告発が大きな主原因であるように見え、ネット自体が社会的影響力のフラット化で大きな役割を果たしていると言え、そう考えると旧メディアは逆方向にベクトル動かしてたのかなと今更ながら思えてきます。

2025年12月10日水曜日

ファッションリーダーが消えた(´・ω:;.:…

 漫画「へうげもの」の作者はなんでも織田信長はあの時代のファッションリーダーだったのではと考えたことも、この漫画を描くきっかけになったと話しています。実際、信長が一から流行らせたわけではないものの、安土桃山時代の茶道ブームをはじめ、南蛮渡来の衣装や小物などの流行に信長はかなり貢献しており、その見立て通りに戦国のファッションリーダーであったと見ることに私も同感です。
 なんていうことをまた通勤中に考えていた最中にふと、「そういえば、日本でファッションリーダーと呼ばれる人がいなくなって久しいな」ということに気が付きました。


 試しにネットで「ファッションリーダー」と検索して軽く調べてみたところ、上位にヒットしたのが上の記事でした。一見すると今もファッションリーダーは誰かという熱い議論で盛り上がっているように見えますが、記事の日付は2022年で、2025年のファッションリーダーについては誰も言及していません。
 それこそ平成の中頃なんかは男性女性を問わず、モードを代表するアイコンのような人間が存在して、多くの人がそのファッションを模倣するなどして関連衣類やグッズが巷に溢れていました。それこそシブタク、じゃなくてキムタクなんかはドラマでバタフライナイフを使うシーンが出るや中二病男子の間でこのナイフを持ちたがる人間が続出し、実際に使った殺傷事件も起きるなどしたほどでした。あの犯人の中学生いまどうしてんだろ。

 話を戻すとかねてからこのブログで私は、直近5年間だけで見ても日本人のファッションに対する関心の低下ぶりは非常に激しく、ジーンズですら街中で着ている人をあまり見ないほど衣類にこだわりを持たなくなっていると主張しています。男性だけならまだしも女性に至っても、かつてはエビちゃんなど売れっ子モデルの名前が嫌でも耳に入ってきたのに、前述の通り現代のファッションリーダーは誰なのかという議論すらほとんど見られません。このファッションリーダーとされる人物がいない点一つとっても、日本人のファッション意識が低下していることの証明になりうるという気がします。
 だから何だと言われたオチはなかったりするのですが……。強いて言えば、ファッションリーダーを作れないほど日本のアパレル業界も弱っているというのと、また別に書くつもりだけどマスマーケティング自体がもはや廃れ気味で、時代はもうダイレクトマーケティングが中心となっている証左だとも言えます。

 なお自分はかねてからそれほど衣類に金をかけないものの、そこそこ生きてきて自分に合うスタイルは何なのかという自覚はある程度持てています。学生時代は「ダブルデニムの花園」と呼ばれるほど上下デニムでほぼずっと行動してましたが、これは周りからも好評だったというか、どうも表情がややいかついためか堅牢そうなファッションが似合うと実際言われたことがあります。
 その上で現在はやや年齢を重ねたこともあり、変に攻撃的な人物に見られたくないことから落ち着いた色合いや柄の服を選ぶようにしています。ただ落ち着いた色合いと言いながらもやはり顔がいかついというか濃い傾向にあるため、服も濃い色だと釣り合いが取れるのか来てると周りに褒められます。そのため最近は濃いめの茶色か灰色系をよく選ぶのと、柄は日本人がやたらとチェック柄ばかり切るので、これだけは避けるようにしています。

2025年12月8日月曜日

技能実習制度こそ外国人犯罪の諸悪の根源

 前回記事で「カレー移民の謎 日本を制覇する『』インネパ』」というネパール人移民に関する書籍を紹介しましたが、これ読んで改めて昨今にぎわかしている日本国内の外国人犯罪の諸悪の根源はやはり、技能実習制度にあると思うようになりました。

 技能実習制度そのものについては説明を省きますが、この制度で日本にやって来る外国人は少なくない比率で借金を抱えていると言われています。というのも、実習生の斡旋屋にビザ手続きや受け入れ先探しなどの代行費用をかなり取られ、人によっては日本円で数百万円単位の費用を借金で賄って日本にやってきているそうです。もちろんこれらの費用の大半はピンハネで斡旋業者の懐に入るものなのですが、ほとんど利益を取らない良心的な代行業者もいるものの、「値段が安くて怪しい、人身売買されるのでは」と怪しまれてかえって利用してくれないそうです。

 そのような多大な借金を抱えて日本にやってきても技能実習生には労働法が適用されず、最低賃金を下回る時給で酷使されるケースが大半です。雇用主によっては前時代的な扱いをする人もいると言われます。こうした状況、特に大きな借金を抱えて低賃金で不当に酷使されるとなれば、私自身も犯罪を犯してでも一発当ててみようかという思いがよぎると思います。こうした環境でなければ善良な人でも、この状況なら犯罪を企図することは十分あり得るでしょう。

 そもそも私が今回ネパール人について興味を持ったのは、日本での犯罪報道がほかの国の人に比べて極端に見られないことがきっかけでした。実際の統計データで見ても在留人口に比べて犯罪発生率は他国出身者に比べて極端に低くなっています。
 ネパール人が何故日本であまり犯罪を起こさないのかというと、ネパール人元々の気質もあるかもしれませんが、一番の要因はやはり日本での生計手段が比較的確立されていることに尽きるでしょう。多くのネパール人は技能実習生ではなく「調理師」の技能ビザで入国しており、入国後は日本のカレー屋から生活をスタートする人が多いです。インネパカレーは既に日本で一般化していて利用者も多く、専攻して日本にやってきたネパール人も彼らを雇う形で生活を保障しており、技能実習生と比べるならその生活の安定度は大違いです。

 最も冒頭に挙げた書籍によると、ネパール人の中でもあくどい斡旋屋がおり、こちらも数百万円単位の日本渡航費用をむしり取って日本に同胞を送る人もいるそうです。また日本に着いても書類上では正常な給与を支払っているように見せ、実際には最低賃金以下で酷使する人も同じくいるそうです。
 それでもまともな雇用主に当たれば技能ビザで来たネパール人は最低賃金以上の給与を得られ、また同胞らの支援を受けて生活することができます。変な職場にあたっても、運の良さにも左右されますが別のカレー屋に移るなどの自由が技能実習生に比べあります。逆を言えば、技能実習生は最初にいい斡旋屋、雇用主に当たらないと逃げ場がありません。

 以上を踏まえると、日本での外国人犯罪の増加というか懸念の広がりはそもそも、外国人が増えていること以上に技能実習生の制度的問題にあると思います。かねてから私はこのひどい制度は早く廃止すべきだと唱えてきましたが、今回改めてこの制度の問題点を強く感じ、日本における外国人犯罪対策、そして外国人への偏見を防ぐためにも廃止すべきだと感じました。
 恐らく多くの技能実習生は苦しい環境の中でも頑張って日本に溶け込もうと努力しているかと思います。しかし犯罪事件が少しでも起きるとやはり偏見というものは広がり、せっかく日本に貢献してくれている外国人にもよくない目が広がってしまいがちです。これは味方を減らすような行為であり、こうしたお互いに不幸になるすれ違いを防ぐうえでも、犯罪に走らせかねない技能実習生制度は廃止すべきで、少なくともあくどい斡旋屋の取り締まりだけでもすぐやるべきです。

2025年12月6日土曜日

書評:カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」

カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」(集英社新書)

 以前にこのブログで外国人犯罪に関する報道が増える中、何故かネパール人による日本での犯罪事件報道をあまり見ないことについて触れました。在日ネパール人口は年々増加しており、その規模は既に大きな比率を占めるにもかかわらず実際に犯罪認知件数は他の外国人と比べ低く、いい感じに面白いデータに気づけたと思いました。
 この記事を出した後に友人から、「いいブツがある……」として紹介されたのが上記リンク先の「カレー移民の謎 日本を制覇する『インネパ』」でした。結果から言うと今年読んだ中で一番面白い本で、そのまま社会学の授業の教本にしてもいいくらい着眼点、取材、文章のすべてで素晴らしい本でした。日本にいるネパール人について知りたいなら、この本を読むだけでほぼすべての疑問が解けるでしょう。

 それで簡単にこの本の内容を紹介すると、タイトルの通りにカレーを中心テーマに置きながらどうしてネパール人が日本で増えているのか、そして彼らの日本での生活や今後についてが詳しく書かれています。
 特に面白いのがやはりの増えたきっかけなのですが、何でも1980年代に外交官向けレストランを皮切りにナンカレーを出す本格インドカレー店が現れたことで、日本で本格インド料理店が増えてき始めたそうです。それまでの日本のカレーは英国経由で伝来してきたライスカレーで、カレーにパン(ナン)をつける文化もなければ味付けもインド本国の物から遠ざかっていたようです。それが本場のインド料理が登場したことと、カレー自体が日本人の生活に浸透していたこともあって、インドカレーブームが起きることとなります。

 当初、日本で増え始めたインドカレー店では日本での成功を聞きやってきたインド人らの手で広がっていき、折も折で技能職を持つ外国人へのビザが日本で下りやすくなっていたことが後追いとなりました。こうして順調に日本全国でインドカレー店が増えていく中で、インド人経営者はお店の従業員として本国からインド人を連れてくるのではなく、徐々にネパール人を採用して連れてくるようになったそうです。
 ここが自分にとって一番面白いと感じたところなのですが、何でもインド人はカースト制の影響からか、調理なら調理、掃除なら掃除で、決まった仕事以外の仕事は暇でも一切手伝おうとしなかったそうです。そのため空いた時間に掃除させようとしても、「俺の担当は調理だから」と言っては断わるインド人従業員が多く、店長自らが掃除などの雑務をやる店もあったそうです。

 それに対しカースト制の縛りがほとんどないネパール人はきちんと指示を聞き、臨機応変に立ち回るという点で従業員としての価値が高かったそうです。元々、ネパールは海外出稼ぎ者が多い国でインドにも普段から大量に来ており、言語や文化面でもインド人に近いため「だったらネパール人に来てもらおう」と、インドなどから大量に日本へ連れてきたことが日本におけるネパール人社会が作られるきっかけだったそうです。
 この際、日本に入ってくるネパール人はほぼ例外なく「調理師」の技能職ビザで入ってきていましたが、現実には日本に来るまで料理なんて一度もしたことがないネパール人が多かったそうです。ただ受け入れ先の職場とインドカレーという独自性の強みからか、日本の生活への定着性は比較的よく、また日本での成功例が伝わると後を追う人が現れ、定着した人の中には家族も呼び寄せるなどして、どんどん拡大していったそうです。それからさらに年月が経つと、日本のでの生活方法やインドカレー店の経営を学んだネパール人の中から独立して店舗を構える人もどんどん合われるようになり、現代のようにネパール人によるインドカレー店が大量に存在するに至ったそうです。

 以上の流れがこの本の中では非常に整理されて説明しており、一読するだけで深い合理性を感じるとともに、実際に独立して日本で店を構えるようになったネパール人らのインタビューも載せられていて、疑問を挟む余地は一切ありませんでした。むしろ、よくぞここまで取材したものだと恐れ入る情報量でした。
 ただいいことばかりではなく、家族移住を果たすも子女教育を受け入れる施設が日本だとまだ少なく、今後在日ネパール人二世、三世が在日中国人子弟のようにマフィア化することは避けられないとする意見も載せられています。その上でこうした言語、生活教育面での受け入れ施設の拡充などの問題点も提起されています。

 読んでみた私の感想としては、やはりネパール人は日本との相性が比較的いいのではないかという印象を覚えました。話を聞いてると「日本で働いていてお金も自然にたまっていったから、じゃあ独立しようかと思った」というセリフがよく見られ、何となくコツコツ働く真面目な人が非常に多い印象を受けました。
 またインド人従業員との比較にもあるように宗教にまつわる文化的衝突も日本人とは少ないように見え、教育問題こそ残されてはいるものの日本に来てもらって定住してもらう移民としては、まだ定着可能性が高いバックグラウンドを持つようにも見えます。

 また別に記事を書くつもりですが、外国人移民の受け入れに対して今日本人はややピリピリしているというか非常に警戒しています。ただその議論を見ると基本的に0か1かという話で、フルオープンかフルクローズかという極端な意見同士を無駄にぶつけ合っています。
 私個人の意見としては規模や地域、職業を限定して移民を受け入れることで、移民受け入れによる犯罪や摩擦はかなりそぎ落とせるという自信があります。その上で受け入れる移民に関してはあらかじめ出身国や民族を絞る、つまり日本人と親和性の高い人たちをあらかじめ選定してきてもらうだけで、懸念される問題の大半はクリアできるはずです。もちろん、教育施設などの投資も必要になりますが。

 そうした目線で見ると、やはりネパール人なら日本との親和性も高いと思え、何よりカレー文化で共通している時点で自分もめっちゃ身近に感じます。まぁタンドリーチキンをはじめとするインドカレー屋のメニューをネパール人は実際にはあまり食べないそうですが。
 逆を言えば、今日本で起きている外国人犯罪問題の諸悪の根源はやはり外国人技能実習生に端を発するとしか思えません。これがあるせいで変な斡旋屋に引っかかり、渡航前から莫大な借金を持ってしまって犯罪に走りやすい人を招いている節すらあり、移民議論以前に早くこれを廃止することこそが日本の治安問題、外国人に対する偏見の撲滅につながるでしょう。その上で、双方が得をする、納得のできる透明な移民受け入れ政策をもっと議論すべきというのが私の意見です。

2025年11月10日月曜日

立花孝志氏の逮捕に触れて

 本当は別のネタで記事を用意してましたが、こっちのニュースと絡めてかけるので予定変更して今書いています。

 さて先日、NHK党の立花孝志氏が逮捕されたニュースはあちこちで大きな反応がありました。兵庫県議への根も葉もない誹謗中傷など今回の逮捕経緯などについては省略しますが、一部で逃亡の恐れもないのに名誉棄損罪で逮捕は横暴だという声も出ています。この点について刑法専門家でないものの、以前のガーシー氏の海外逃亡や、来月にも立花氏が出国する予定であったことを考えると警察が逮捕を取ったというのも仕方ない気がします。
 それ以前に、逮捕せずに立件した場合は逮捕理由について根も葉もないことをネットで言いふらしたり、また市長リコールで話題となった伊東市で今度行われる市長選に立候補しようなどと発言していたことを踏まえれば、身柄を拘束するのが社会的にも良かったと思います。

 そもそもこれまでの彼の言動を見ていた限り、何かしら法で処罰しなければどうしようもないだろうと前から感じていました。上述の誹謗中傷はもとより、選挙に立候補して他の候補を応援するなど社会の足を引っ張る行為を繰り返しており、その犯罪的気質はもはや放置できるレベルじゃありませんでした。
 中には法に違反していないのだからという人もいるでしょうが、法律というのは本来、「最低限、やってはいけないこと」だけを禁止する手段であり、一から十までやっていいことと悪いことを区別するものではありません。それを法に書かれていないことを理由にやりたい放題する人間がいれば、自然とその社会の質は落ちるというか価値観や連帯性は失われているもので、だからこそ私個人にとって立花氏の存在は目障り以外の何物でもありませんでした。

 その立花氏が主にやった悪行が前述の誹謗中傷ですが、これについてはもはや日本社会で大きな問題となっており、著名な芸能人が自殺に追い込まれたり、名指しされた飲食店が営業妨害を受けるなど大きな問題化しています。
 上に書いた通り、一から十まで何でも法律で規定すべきではないという立場をとる私ですが、事ここに至ってはこうした悪質なネットを介した誹謗中傷には法手続きを早く整えるしかないでしょう。特に中傷者の実名開示などは現在のところ手続きに時間や費用が掛かっており、これをもっと早く迅速に、具体的には悪質性の判断基準を設けてプロバイダーに問い合わせればすぐに確認できるような体制にしないともう追いつかない気がします。

 なお私自身はそのような誹謗中傷は受けてはいないのですが、一時期悩ませたのがアダルトサイトなどに誘導するスパムコメントです。かつてやっていたFC2で特に顕著でしたが、「何が楽しくてこんなことするんだ」などと、スパムコメントが来ては消す作業を繰り返すたびに当時はかなりげんなりさせられました。
 こちらのBloggerは日本でメジャーなブログサービスというわけでなかったため開設当初よりスパムコメントはほとんどなかったのですが、二年くらい前より何語かわからないけど外国語で時たま来るようになってきて、時代はグローバル化したなと感じてました。

 ただ昔と違ってBloggerもスパムコメント対策しており、一度登録したコメント主、恐らくIPアドレスで判断していると思いますが、そういうところからのコメントは入力しても即弾かれるようになっています。実際先週にもスパム登録を1件したところ、数日後に同じ奴がまたコメントしてきたようなのですが、どうも弾かれたことに最初気づかず、二度、三度と同じコメントを投入しようとしては失敗していた痕跡があり、「哀れな奴め(´・ω・)」と思わせられました。

 このように現在でならスパムコメントに対してそれほどいきり立つこともなく冷静に対処できるようになり、JBpress時代にヤフコメで批判とかされても「だからなんやねん(´・ω・)」と涼しい顔できるほど煽り耐性がついていますが、前述の通りブログ開設当初はそうではなく、多分当時だったらヤフコメに来た記事への批判に対していちいちマジギレしていた気がします。
 そういう意味ではこのような時代、ネットでの誹謗中傷に対する煽り耐性を意識的につけていく方が精神衛生上有効なのかと思うことがあります。もちろん立花氏が仕掛けた殺害予告を含むような激烈な誹謗中傷を涼しい顔して無視しろというのは論外ですが、ちょっと程度の誹謗中傷には気にしないで済むメンタルを義務教育レベルで鍛えるのも一考ではないかという気がします。

 そもそも現代の日本の義務教育自体が、「周りの声を漏らさず聞き取り反応しろ!」と言わんばかりに、周囲に合わせるとともにその注意を真に受けろと言いすぎて斬る感じがして、現代日本人の煽り耐性を小さいころから敢えて弱めているような気がします。体罰を含む部活動でもそうですが、間違った意見には与する必要はなく、その意見が正しいか間違っているか自分で判断するようにと自己判断力を持たせる教育が皆無なくらいないため、誹謗中傷にでダメージを受けやすい人を量産しているように見えます。
 極論を言うと、激しくならないレベルで子供に悪口合戦させるというのも教育的には少しありかなという気がします。最初は言われて辛いと感じる子も、慣れてくりゃ言い返せるようになり、それをむやみやたらにほかの人に向けないようにということも教え込めばアリじゃないかと思います。なんにしても、日本人はもっと子供のうちからメンタル鍛えた方がいいでしょう。でもって、極端な誹謗中傷を繰り返す人には警察の手を借りずとも報復できる体制を整えるべきでしょう。

2025年11月1日土曜日

犯罪抑止のために国民全員のDNAを登録させたら……

名古屋・西区の主婦殺人事件で容疑者逮捕 発生は1999年11月(ガハろぐ)

 山本由伸選手の活躍で盛り上がってるワールドシリーズの最中、文字通り度肝を抜く逮捕劇と言えるのがこの事件でしょう。私自身も事件発生時に報道され、その後も被害者遺族が事件現場を保存し続けているということも聞いていましたが、まさか26年を経て犯人が捕まるとは思いもせず、粘り強く捜査した関係警察に深い敬意を覚えます。
 すでに出頭してきた犯人と現場に残されたDNAは一致しているためDNA鑑定不正でもない限りこの事件の捜査は決着していると言えるのですが、前々から思っていることとして、出生時点で全国民のDNAを検査、登録しておけば、こういう犯罪が起きた場合にデータベースに照合するだけで一発で犯人を捕まえられ、各犯罪を大いに抑止できるのではないかと思います。

 知らない人もいるかと思うので書きますが、外国人に関しては日本は既に全員の指紋を取得して登録しています。初回の入国時に指紋を取ってデータベース化し、以降の入出国時にはその指紋とパスポートなどを照合させることで本人確認しています。これは日本に限らず中国も同じで、恐らく世界的に同じ取り組みをしていると思うので大半の国で実施されているのではないかと思います。
 そのため仮に外国人が日本で犯罪を犯してうっかり指紋を残しようものなら、その時点で一発で犯人が分かってしまうようになっています。これがもし外国人に限らず日本人全員、ひいてはDNAまで全部登録しておけば、警察の捜査は大いに捗って犯罪者もすぐ足がつくことから犯罪をより手控えるようになるかもしれません。

 とはいえ、国民全員のDNA情報の取得は基本的人権やプライバシーのない中国ですらまだやっていません。ましてや中国人と比べても妙にプライバシー意識の高い日本では、こんな案を口にしようものなら真っ赤になって否定しようとする人が大挙して出てきそうなので、私自身も実現性なんてほとんどないと考えています。
 ただあれだけ批判されていた街中の監視カメラも、犯罪抑止や犯人逮捕に役立つことがわかってからは旧左翼の人たちも批判の口を叩かなくなりました。前述の通り国民全員DNA情報登録は現状で実現性はほぼないと私も思ってはいるものの、もう少し時代が下って考え方とか変わってきたら案外、本当にやる国とかも出てくるかもしれません。

 ただ犯罪抑止になるとはいえ、デメリットも存在します。端的に言えばデータ情報の流出で、それにより先天的障害などのある方への差別につながる可能性は十分あるでしょう。個人のDNA情報なので商業面で悪用することは難しいのではないかと思いますが、人によっては物凄い詐欺的手段を編み出して悪用するかもしれず、この点で懸念が持たれるのは私も当然かと思います。
 敢えて最も大きなデメリットを挙げるとすれば、前述のDNA情報の流失によって他国に吉田沙保里氏のDNA情報が流れて彼女のクローン兵が大量に作られたとしたら、文字通り世界は終わってしまうことになります。これはマジ恐ろしい未来なので、これ考えると確かにDNA登録はやめといた方がいいかなと私ですら思ってしまいます(;´・ω・)

2025年10月27日月曜日

人目を気にする生き辛さ

 本題と関係ないですが嘘つきが手を入れると抜けなくなると言われる彫刻の「真実の口」について、一昨日久しぶりに「思春期ルネサンス!ダビデ君」を読んでいる最中、「『真実の尻』ってのはないのだろうか?」という妙な妄想がもたげました。多分この間、「ケツバトラー」の漫画紹介を見た影響だと思います。


 話は本題ですが、先日死刑判決が下りた2023年の中野市四人殺害事件の犯人についてですが、リンク記事でも触れられているように犯人は精神病であったと主張してはいるもの、冷静に被害者へ銃を向けその後立て籠もった経緯を考えると詐病であるように思います。昔法学部の友人が言っていましたが、殺人犯は基本的に殺人を犯す時点で常人と比べ精神が異常な状態にあるため、ちょっとやそっとの精神障害では減刑理由は成立しないそうです。極端に言えば、うんこ食べるくらい気が狂ってなければお話にもならないそうです。

 以上からこの犯人はこうして詐病を装うあたり、本人は死刑を望んでいるようなことを言っているものの実際は恐れているんじゃないかと思います。仮にそうだとしたら非常に卑怯な人間だと思え同情の余地も感じないのですが、彼が主張した人目を気にする生き辛さというのには密かに共感を覚えるものがあります。
 裁判などでの供述によると、犯人は大学に入ったあたりから自分が馬鹿にされているのではと人目を気にするようになってひきこもるようになったそうです。特に笑い声が聞こえると自分が笑われているのではとも思ったと語っているのですが、この供述については嘘ではなく、実際の本音だったのではないかという気がします。というのも、この犯人ほどではないのですが私もそのような経験があるからです。

 一番記憶に古いものだと子供の頃に連れてこられた外国で外人が笑っていると、子供心に「自分が笑われているのでは?」という風に思ったことをはっきり覚えています。また成人後も、厳しい状況にあった時なんかは外から笑い声が聞こえると、さすがに自分が笑われているとは思わなかったものの何となく肩身の狭くなるような感情を催しました。
 私個人の所見で述べると、上記のような体験は日本人ならほぼ全員が多かれ少なかれ経験しているのではないかと思います。主な場面としては小中高の環境、そして私が上記に挙げた外国人から聞こえてくる笑い声が候補であり、悪意がないはずだと分かっていながらも何となく嘲笑されているような居心地の悪い生き辛さを感じた経験は誰しもあるでしょう。

 恐らくこれはほかの国の人にも同様に当てはまる気がしますが、その度合いで言えばやはり日本人の方が高いのではないかと考えています。何故かというとやはり日本人は人目を気にするというか、自己評価よりも他者評価、つまり外部からの評価を重視する傾向にあり、自分が自分のことを高く評価していても外部からの評価が低ければ「俺って無能?σ(゚∀゚ )」という風に思い込む人が大半で、中には自己評価なんて一切しない人も珍しくありません。まぁそれは自我がないせいでしょうが。

 この点、中国人なんかは人目を気にしない人間ばっかで、自分も感化されたのか昔と比べると今は周りの目をあまり気にしなくなりました。そんな自分からみていると、やはり日本人の大半は人目を気にしすぎるあまり、それだけで生き辛さを感じているように見えます。まったく気にしない人もはた迷惑ではあるものの、生き辛さを感じるくらいならもっとわがままに生きたらといいたくなるほどなのですが、多分日本の教育ではそのような人目を気にしすぎる人にすら「もっと周りを見て行動しなさい」といって、余計に追い込む気がします。

 そういう意味で自分としてはもっと、この「人目を気にする生き辛さ」という単語を広めて、気にしすぎると本人にも周りにもよくないし、極端なことを言えばこの中野市の事件の犯人のように暴発する可能性もあるという認識を社会全体で持った方がいいと思っています。っていうかぶっちゃけ、日本国内の統合失調症の人の多くが「誰かに見られているような気がする」と口にする当たり、この人目を気にする習性は日本の精神衛生を大きく悪化さている要因ですらあるようにも思えるし。

 このような見方を持ったのと、「やや理解を得辛い自分の好きなことを理解し合える関係」をテーマにしている聞いたことから、今回の日本滞在中は漫画喫茶で「その着せ替え人形は恋をする」を一気読みしてきました。実際、このテーマが作品全体で貫かれており、キャラの心情も良く描けていてこりゃ人気が出る作品だと納得な面白さでした。個人的には主人公の男の子が、男の自分からみても一貫して自分の夢を追い続ける姿勢がかっこいいと感じました。

 今回こうして問題提起的に記事書いていますが、正直なことを言えばなぜ日本人がこれほど人目を気にするのかが実はよくわかりません。ムラ社会だからといえば話は早いですが、村落文化が衰退した現代でこの図式をそのまま当てはめるのはやや安直だと思えるし、また着せ恋じゃないですが、何故個人の趣味に良し悪しというか人目を気にするもの、気にしなくていいものがあるかについても、何か考慮する余地があるのではないかと思え、確固とした線をいまだ描けずにいます。
 敢えて言えば、人目を気にする背景には劣等感が確実にあり、その劣等感がどこからどのようにして生まれるのかというメカニズムに何かヒントがあるような気がします。地味にこの劣等感についてはこれまでも学生時代も一切触れてこなかった感情で、自分も何度も抱いてはいるものの、何故抱くのかについてはいまいち分析できていないような気がします。

 最後に着せ恋について、主人公に両親がいない背景についてアニメ版で原作にない背景が掘り下げられたことについて作者が、「(ストーリーの構成上)邪魔だから殺しただけだったのに……」と言いながらアニメ見て感動したというエピソードが一番強烈な印象に残りました。

2025年10月26日日曜日

日本における駅名の英語表記について

 前々から思っていましたが、日本の駅名の英語表記はやっぱおかしい気がします。日本の駅名の英語表示は基本的にローマ字表記にするだけで、例えば「東京→Tokyo」、「大阪→Osaka」などと表記されます。こうした固有名詞の地名なんかはこれで何も問題ないと思いますが、例えば「南浦和」など、広範囲にわたる地名をそのエリアによって分けた駅名の場合も「Minami Urawa」などと表記されます。

 しかし英語のわかる外国人に「Minami」とローマ字で書いただけで「南(South)」だと分かるわけがありません。この点、中国ではこのような東西南北が付いた駅名には「South 〇〇 Road」などと、無意味に中国語の発音表記(南→Nan)そのままに書くことはせず、英語の意味に合わせた単語を当てはめます。また「人民広場」など一般名詞に近い駅も「People Square」などと英語の意味に合わせた単語を当てています。日本人なら漢字だけででわかりますが、漢字のわからい外国人にとってはこうした英語表記の方がわかりやすく、地名も覚えやすいでしょう。

 自分はついさっきに京都から帰ってきましたが、京都市営地下鉄終点の「国際会館」もそのまま「Kokusai Kaikan」などと書かれてあって色々思うところがあります。これこそ「Intenational conference hall」とかの方がわかりやすいし、そもそもそういう場所なんだから意味に合わせて英語表記すべきでしょう。日本語の音に合わせてローマ字化したところで、得する人の方が少ない気がします。

 ただこれで困るのは「新〇〇」系の駅です。都内なら御徒町に「御徒町」、「新御徒町」、「仲御徒町」と複数駅ありますが、最初の御徒町こそ「Okachimachii」または「Okachi Town」で十分ですが、次のは「New Okachimachi」と書くとなんか不自然な感じします。それだったら元の御徒町駅は「Old Okachimachi」になったりするのかと思えてくるし「Naka Okachimachi」に至ってはもはや意味不明です。いっそ「新御徒町」については「Brandnew Okachimachi」などと開き直った方がいい気すらします。
 その点、「北千住」と「南千住」なら「North Senju」と「South Senju」で迷うことがありません。ただ個人的には「Good Senju」、「Bad Senju」とかでもいい気がします。

 最後に、松戸も「松戸」、「東松戸」、「北松戸」、「新松戸」と松戸とつく駅名がたくさんあります。新松戸なんか自分もよく使う駅なのでこの際、「Matsudo NOVA(マツド・ノヴァ)」などと派手な英語表記駅名にした方が盛り上がるんじゃないかと密かに考えています。

2025年10月18日土曜日

孤立無援な医療業界

 かねてから私はこのブログで、団塊の世代が平均寿命を迎える時期、具体的には2030年くらいまでは社会保障が文字通りうなぎ昇りに増え続ける時期なため、国民負担は増えるものの社会保障を支えるために増税ペースを維持するよりほかないと主張しています。この見解に今も変わりはなく、何となく財務省も公言しないもののこうした方針で今増税をやっているのではと思う節があるのですが、その影響で一番割を食っているのが医療業界であるように思え、密かに憂慮しています。

 言うまでもなくこの二年ぐらいで日本の物価は急騰し、賃金も上昇しているとはいえ自分が見る限り今年1月と比べると10月の現在は大きな変動はなく、上昇ペースが鈍ってきているように思えます。
 その一方で値段の変わらない、というより変えようがないのが医療費です。日本の医療費は点数制で、健康保険の対象の治療については国が価格を設定しており、自由診療対象の治療でなければ病院側が勝手に価格を変えるわけにはいきません。

 このように病院の売り上げにあたる治療費価格は変更できない一方、病院で働く医師や看護師、病棟などの不動産費用、設備機器の購入費や維持費、そして電気代などは上がり続けています。効率化を図ろうにも製造業と違って医療では限度もあります。また先のコロナ対策で隔離病棟などを設けるためにも費用が掛かっているように思え、売り上げは増えないのに経費は高騰し続けるという、聞いてるだけで暴れたくなるような状態にあります。

全国で8割が赤字の公立病院:患者減少×物価高の中、石川の富来病院が模索する“生き残り戦略”…能登半島地震の追い打ちにもめげず模索する住民の“命”と“健康”を守る地域医療の要(FNN)

 実際にメディアの報道などで、全国の多くの病院で経営が追い込まれているという話を聞きます。人件費や物価が高騰する背景を考えたら医療費引き上げもやむなしとは思うのですが、結論から言うと、病院関係者を除くと誰も医療費引き上げを望んでいないというのが現状です。

 まず消費者からすると、ただでさえ増税や物価高騰で困ってるのにここにきて医療費引き上げなんてマジ勘弁です。次に政府からすると、医療費を引き上げると国が負担する保険料も増大することとなり、ただでさえ重い負担となっている社会保障費負担がさらに増します。なので消費者、政府からすると、どう見たって医療業界は財政的にヤバいくらい追い詰められているというのに、彼らを助けるため医療費を引き上げると自分らの首が締まるもんだから助けようとはせず、見捨てるどころか感心すら持たない状況が今であるように感じます。
 それこそ仮に議員や大臣が今この時期に医療費引き上げを口にしようものなら、「こんだけ増税してるのに何を言うか!(# ゚Д゚)」と消費者、特に医療費がかかりやすい高齢者などは怒り狂って批判するのが目に見えます。私個人としては病院側の努力には限界もあり、またコロナ期を含め医療関係者は大きな負担に耐え続けていることを考えると引き上げも仕方ないし、早く上げるべきだと思うのですが、こんな考えしているの自分は確実にマイノリティに属すでしょう。

 そういう見方から現状、医療業界は孤立無援というか消費者にも国にも見放され、誰も助けてはくれないのに「医療を支えろ!」と言われているような状況にあるように見えます。私個人としては医療を維持する上でも一定の財政強化は必要であるように思え、増税を維持しつつ医療費引き上げをするよりほかないと思っており、それができないなら給付金なんてばらまいてないでその予算を全部医療に回すべきだと思います。
 敢えて落としどころとしやすい案としては、医療機関への寄付を奨励する、具体的には医療機関への寄付には減税率をダブルアップするキャンペーンなどを組み、資産家などに医療機関へどんどん寄付してもらい、この急場をしのぎつつ、物価高騰対策を打つのが手じゃないかと思います。もちろん、実現性は無視するとして。

2025年10月7日火曜日

2025年からの5年間の日本

志位氏「人間は馬ではない。公党の党首が使ってよい言葉とは思えない」 →では出馬もしないで下さい(痛いニュース)

 先日の総裁選勝利から高市氏への追い風が吹いているというか、上記の上げ足をとるような志位氏や妙なフェミニズム団体の批判に対して日本の世論は逆批判が起きており、高市氏へのわけのわからない批判への同情というか支持も広がってきているように見えます。私自身もそこまで高市氏を評価する立場でなかったものの、このところの外野からの呆れた批判を見るにつけなんか応援したくなってきました。

 それはそうと昔はよくやってた政治的未来予測記事を久々に書こうかと思ってこうして書いていますが、かねてから私は今後5年間、2030年までは何があっても増税を続けるべきで減税するならその後からだと主張してきました。この主張の根拠は社会保障費が2030年までは劇的に増加する最後の時期であると踏んでいるからです。
 理屈はごく単純で、日本の人口ピラミッドを大きく歪にさせている団塊の世代(1946~1949年)が平均寿命の約80歳を迎えるのがこの時期だからです。もちろん団塊の世代がある程度逝去したとしても少子化が続いていれば社会保障負担は拡大を続けますが、それでも拡大ペースの速さという意味ではこの5年間がまさにラストスパート的な時期で、2030年以降はややこのペースが鈍化へと転じる可能性があると考えています。

 この間、国家財政を支えて他の支出への影響を防ぐとなると国民に負担をかけること前提で増税ペースを維持することもやむなしかと考えています。何せ具体的にどれだけ社会保障負担が伸びるかがはっきり読めないところもあり、減税などを行うにしても2030年まではやはり待つべきというのが私の持論で、何となく財務省もそんな腹積もりなのではないかとこの頃見てて感じます。

 幸いというか日本の経済状況は現在はまずまずという状態にあり、少なくとも失業者が溢れるような状況ではなく、また人手不足によりブラック企業という単語がマジでこの2年くらい一切見ないほど社会問題からなくなりつつあります。そもそも日本経済の効率を大きく引っ張っていたのがまさにこのブラック企業であり、ブラック企業を摘発していくだけで日本経済は効率化されプラスになります。
 中小企業保護政策こそがこのブラック企業の温床であり、何となく私が昔から主張してきたこの持論をほかの一部日本人も持つようになってきているように見え、多分このまま妙な中小企業保護政策は徐々に減っていくという確信があります。即ち、日本経済は結構安泰じゃないかと楽観視してます。

 ただ社会保障と一緒で、これからの5年間は何となく日本も転換期を迎える気がします。多くの投資利益をもたらしてきた中国経済がこれから劇的に悪化し、日系企業の海外戦略もこれから大きく転換していくことでしょう。また米国もトランプ政権を機に弱体化へと転じ、従来の流通というか国際分業体制も大きく変わっていく気がします。

 その中で日本人個人に目を向けると、このところ就職ランキングでコンサル系が上位を連ねるなど会社に頼らず、会社を離れても食っていけるようなスキルが身につく企業が好まれる傾向がある気がします。これは何も若者に限らず、日本人自身が所属組織よりも自らが持つスキルを資産活動でより重視するようになっているように見え、これまで以上に個人主義化がさらに進んできているようにも感じます。
 まぁ中国で戦い続けてる私に言わせれば、それでもまだまだ日本人の多くは集団主義に取りつかれているように見えますが。

 とはいえ今後日本の雇用市場はさらに流動化を迎えるのではないかと思います。それは逆に、大企業にブランド以上の魅力アピールを迫ることとなり、日産のような看板だけの企業はますます優秀な人材が取れなくなってもっと弱っていくかもしれません。まぁ幹部陣を見ている限りだと、10年前の時点であそこはまともな人材がゴーン以外いなかった気がしますが。

 ここで閃いたというか、やはりこの5年間のキーワードは「流動化」かもしれません。政治も公明党が今連立維持を継続するか議論しており、誰も使わないけど99年体制がいよいよ終わりを迎えるかもしれません。先ほども言ったようにこの5年間は日本国内のみならず世界環境の色々変化があり、日本人もあらゆる面で転換を求められることとなるでしょう。
 そうした時代背景においては言うまでもなく固定的な価値観は邪魔でしかなく、何でも合理性を追求すべきではないものの、変化の方向性を早めに見抜き必要な対応をぱっぱととれる人間や企業ほど生き残りやすくなる気がします。あえて例えるなら、状況に応じて変形できるアッシマー型な人間が求められている、っていうかアッシマーが求められていると言いたかっただけです。

2025年9月28日日曜日

日本におけるネパール人の犯罪報道は何故あまり見ない?

 今日は中国で出勤日だけど、特にそんな仕事多くないから家で冷房かけながら仕事してたら頭痛起こして夕方吐きそうでした(ヽ''ω`)
 関係ないけどかねてより頭痛が多いのは無駄に背筋が発達していて、ずっとマウスもってることから右腕がやや前側に偏って右肩付近で血管を圧迫しているせいじゃないかと思って肩のストレッチをやり始めたらなんか血行が急に良くなった気がします。その代わり、これまで体中にあった血栓が急に全身を巡るようになり、不規則に左人差し指根元など節々が痛むようになり痛し痒しです。

 話は本題ですが、今日本で最も主要な政治トピックとしては在留外国人、特にその犯罪でしょう。犯罪率自体は日本人と比べて極端に高い気はしないのですが、やはり報道で外国人が犯罪を犯したとみると、同じ犯罪でもヘイトが強いというか無駄に憎悪を駆り立てることとなります。また痴漢犯罪でも、日本人がやってもニュースにはなりませんが外国人だったらニュースとして報じられやすく、この点でも外国人犯罪報道が目立ち、体感治安が悪化する悪循環が広がります。

 外国人として中国で長年過ごしならプラモを作り続けている私に言わせると、日本で犯罪を犯している外国人はごく一部であり、大半の外国人は日本社会でルールを守りながら過ごしてるのに一部を全体のように見られて白眼視されるというのはあまりいい環境とは思えず、外国人犯罪への対策は必要であるものの、必要以上にヘイトが高まる状況は良しとみていません。
 なのでこうした偏見を払しょくできる方法はないかと考え、やはりデータをしっかり見せて「みてごらん(´∀`*)ウフフ」と安心させるのが一番だと思ったのですが、その際にふと、「あれ、なんかネパール人の犯罪報道はあんま見ねぇな(;´・ω・)」という事実に気が付きました。

<国籍・地域別在留外国人数(2024年6月末)>
(1) 中国             844,187人 (+22,349人)
(2) ベトナム        600,348人 (+35,322人)
(3) 韓国             411,043人 (+     887人)
(4) フィリピン     332,293人 (+10,247人)
(5) ブラジル     212,325人 (+     485人)
(6) ネパール     206,898人 (+30,562人)
(7) インドネシア   173,813人 (+24,712人)
(8) ミャンマー     110,306人 (+23,760人)
(9) 台湾              67,277人 (+  2,614人)
(10) 米国              64,842人 (+  1,434人)

 以前に留学生数を調べていた時に、中国、韓国、ベトナムに続く形でネパール人が多いという事実を知ったのですが、現在でもその傾向は続いているようで、その在留人数は6位で、絶対伸び数ではベトナムに次ぐ2位となっています。
 ちなみになんで急にネパールに気づいたのかというと、昨日カレー屋に行ったらパキスタン人の店員に携帯画面をみられて「日本人なの?」と聞かれて肯定した後、「日本のカレー屋はインド人、パキスタン人ではなくほとんどネパール人が運営してるよ」という無駄知識を披露したのがきっかけでした。

 話を戻すと、以上のようにネパール人は既に堂々たる人数が日本に在留しているのに、日本の外国人犯罪報道を思い起こすと以前は中国人が多かったのに対し、近年はベトナム人、クルド人が一番多くみるような気がします。フィリピン人もたまに見ますが、それらに比べてネパール人はなんか極端に見ない気がして、この辺どうなのお持ったわけです。

<2020年来日外国人の検挙状況>(警察庁)

 実際にというか、少し古いデータですが警察上のでいたーを見ても、ベトナム人が全体の1/3、中国人が1/4を占めるのに対し、ネパール人は3.0%で約1/33と、その在留人数規模からすると確かに犯罪を起こす率が低いような気がします。これは一体何故(。´・ω・)?
 っていうか自動車窃盗でスリランカ人多いな(;゚Д゚)

 ネパール人には犯罪者が少ないのかと言えば、そこまでは言い切れないと思います。犯罪目的で日本に入国する人が少ない、もしくは入国前の時点で犯罪しそうな人がきちんと審査されて排除されている可能性もあります。またほかの国の人と比べても日本社会に溶け込みやすい文化的傾向もあるかもしれません。
 何が言いたいのかというと、こうした国籍別の犯罪発生率の差から、一体何がこの差を分けているのかという要素を追うことが外国人犯罪を減らす大きな手立てになるのではないかと思うわけです。たまたまかもしれませんがネパール人がほかの外国人と比べても犯罪発生率が低いことを示唆するデータもあるのだし、ネパール人がほかの国、特に中国やベトナムと何が違うのか、この辺を追うことが治安の向上、そして偏見の撲滅につながるかと思え、もっと真剣に追跡すべきじゃないかと言いたいわけです。我ながらいいところに目をつける( ・´ー・`)

 なおネパール人の犯罪報道が本当にないか調べてみたところ、以下のニュースがヒットしました。


 毎度くそ長くてセンスのかけらもない埼玉新聞の見出しですが、この記事は文字通り目を引きました。なんでも、ネパール人とインド人の男性数名が給料として配る現金を持ち歩いていた経営者男性を襲ってその金を奪おうとしたのですが、その際に目潰しとしてスパイスを顔面に塗ってきたそうです。「普通に催涙スプレーとかでいいじゃん(;´・ω・)」などというツッコミもさることながら、ネパール人とインド人というスパイスにおけるゴールデンコンビのタッグによるスパイスクライムに、何故か心動くものがありました。彼らやはり、なんにでもスパイス使うんだなと妙に納得するし。

2025年9月18日木曜日

警察、検察の無罪証拠隠避には罰則を

「園児を虐待」身に覚えのない逮捕…無罪判決に 「有罪のストーリーに都合の悪い証拠は出てこない」(withnews)

 詳細はリンク先の記事を見てもらいたいのですが、簡単に話すとある保育士が元同僚二人にはめられたことで園児を虐待したという冤罪をかけられ、約300日も拘留されました。裁判では無罪判決が下りたものの、その裁判過程で実は検察はこの保育士が無罪であることを示す、元同僚二人が彼をはめた証拠となるLINEのデータを捜査過程で取得、把握していたことがわかりました。
 にもかかわらず検察はその証拠について当初「ない」と嘘をつき、裁判過程で証拠の存在が明らかとなって裁判所から提出を要求されるまで出そうともしなかったそうです。言い換えれば、冤罪と分かっているにもかかわらず被疑者を起訴し、有罪へ持ち込もうとしてたわけです。

 こうした例は何もこの事件に限らず、かつての足利事件、そして比較的新しい大川原化工機事件でも、被疑者の無罪に有利となる証拠を警察や検察は把握していたにもかかわらず、敢えてそれらについて触れないどころか隠蔽しようとして、有罪へ持ち込もうとし、冤罪を起こしています。
 普通に考えれば無罪と分かる証拠があるのだから起訴自体しなくてもいいのに、わざわざ余計な手間かけて有罪に持ち込もうとする辺りはもはや「人を憎んで罪を憎まず」と言わんばかりの態度です。っていうか明らかに思考がヤバいとしか思えず、大川原加工機事件の警察、検察関係者などは一切捜査に係わらせるべきじゃないでしょう。

 そうした無罪の人間を敢えて有罪に持ち込もうとする捜査機関の人間を排除するため、前から思っていましたがこのような被疑者の無罪に有利な証拠を意図的に隠蔽しようとした警察、検察関係者に対しては、明確な罰則規則なり刑法を定めるべきじゃないかと思います。具体的には被疑者が無罪であることを示すような証拠を把握しながら隠蔽、廃棄した場合は懲戒免職、次第によっては懲役刑に課すくらいやるべきでしょう。
 恐らくこんなこと言ったら警察や検察は「現場の捜査員が委縮する」とか言いそうですが、こんなごく当たり前の行為をやれと言ってるのに委縮する時点でもう発想がヤバいとしか私には思えず、今後の冤罪を防ぐためにも、彼らの捜査の暴走を防ぐ罰則制度を設けるべきでしょう。

 冒頭の事件に関しても、警察は無罪と分かっていながら捕まえた男性を300日近くも拘留しています。約1年にもわたり自由が奪われるなんて、しかもそれが冤罪と分かっていながらやっていたと言え、これほど邪悪な人間を野放しにしていていいのかとすら私は思います。はっきり言えばそんな人間は死んでくれた方がマシで、さすがにいちいち殺すわけにもいかないだろうから、最低でも二度と捜査に係われないようにすべきというのが今日の意見です。

2025年9月6日土曜日

父権が喪失していった平成期

 前回記事でなんかやたらと心理学について書きましたが、このきっかけは前にも書いているように河合隼雄の「家族関係を考える」という本でした。この本は1980年に発売されたこともあり、ちょうど「積み木くずし」の時代に近いこともあって、家庭内暴力や不良化などで相談しに来る家族の話が多く書かれています。

 こうした家族について河合隼雄は、特に母親に暴力を振るう子供について、「家族内で絶対的な存在である父親には抵抗できないゆえに、そのそばの母親を代理の対象とする傾向がある」と言ったことを書いていました。ここで言っている内容について私自身も異論はなく、実際そんな感じで母親に暴力を振るったり、敢えて不良とつるんで反抗したりしていた人もう当時は多かったんじゃないかと思います。自分が親に中国まで持ってこさせて読んだ「積み木くずし」なんかまさにそんな感じだったし。
 と同時に、「今じゃこんな図式成り立たねぇだろうな」という感想も持ちました。理由は単純に家庭内における父親の権力というか父権、父性が極端に低下しており、そもそも家族内で「乗り越えるべき対象」にすらならないと思うからです。

 昭和から平成にかけての家族関係の変化としてはやはり核家族化がもっとも代表的だと思います。翻って平成から令和にかけての変化としては、私個人としてはやはり前述の父権の低下が最も大きな変化じゃないかと思います。
 昭和期においてもかかあ天下な家族もいたでしょうが、現代においてはもはやそれが一般化しているのか「かかあ天下」という言葉自体が若干死語になっている気がします。同時に、「家父長」という言葉もほとんど使われなくなっているうえ、男女差別を助長するなどとしてあまり使うべきでないとする風潮すら感じます。

 ではなぜ父権がそんなに落っこちていったのか。これはごく単純に社会における女性の地位向上に尽きにでしょう。特に共働きの世帯だと、父権の源泉ともいうべき「稼ぎ」が父親に限られなくなり、下手すりゃ母親の稼ぎの方が大きいケースも出てきて、家族を意に沿わせる材料はなくなったも同然です。その上で、母親に対しては家族内で求められる役割は現代でも多いと思いますが、父親にはそれほど多いとは思えず、「キャッチボールの相手」もなんだか今だと古風な感じすらします。
 その上で、父権を強めようものなら先ほども言ったように男女差別だと指摘される可能性もあり、家庭内で父親が主導権を発揮しようにもあらゆる方面から制限されているのが現代である気がします。恐らくこんな家族観、1980年代の人たちは想像もできなかったでしょう。

 そもそも前述の家父長という言葉自体もはや過去の物であり、これからは下手すら「家母長」みたいな言葉も出てくるかもしれません。

 こうした父親が家庭内で主導権を持てない環境に変化していったことでどうなったのか。中にこれが少子化の原因だという人もいるかもしれませんが私にはそこまで判断する材料がなく何度も得いませんが、少なくともいえることは「子供が畏怖する父親像」というものは完全に過去の物になったということです。これが子供の非行化に関係するかについて、私個人としては非行化が下がる要因にはなったんじゃないかと思います。一方で、「無気力化」の要因に係わってきている可能性もにらんでいます。

 そういう意味では平成における家族間の変化としてもう一つ、「子供部屋おじさん」という新語も誕生しています。これなんか今後さらに普及していって、当たり前になる概念になるかもしれません。核家族化した家族が核分裂しないまま続くとでもいうべきか。

2025年9月4日木曜日

やっと報告が出てきた川崎ストーカー殺人事件

 すでに報じられている通り、先日に自分が「いつ出るの?」と書いた川崎ストーカー事件の検証報告が本日出されたそうです。マジダッチの差だったので早く記事書いてよかった( ´Д`)=3 フゥ

 で肝心の検証方向の内容ですが、「本部長に報告するという制度が形骸化していたので、新しい報告監督制度を作ります」というものに見えますが、今の制度を守る奴が誰もいないんだったら、新しい制度も守る奴いないんじゃねというのが私の感想です。現行制度がきちんと機能していたらちゃんと防げたのであれば制度厳守を必達すればいいだけなのに、また新しい制度作ったからといって対策になるかと言えばそうじゃないのではという気がします。

 それ以前に、従来の制度はほかの事件ではちゃんと機能していたのかも気になります。はっきり言えば恐らくこの事件以外にも本来やるべき報告を果たされなかった例があるのではないかと思え、その辺はきちんと検証したのかという気がします。いわば類似ケースでの対応分析ですが、何となく分析していない、またはやろうと思ったけどみんな報告してなかったからやばいと思って隠したの二択な気がします。

 また問題であった点として捜査の初動対応を槍玉にしていますが、確か自分が覚えている限りだと、被害者が行方不明になったとに犯人の親族から犯人が殺したかもしれないという通報があったものの、この時も放置していたと記憶しています。ここに至れば初動対応に限るわけじゃなく、一貫して捜査不手際が貫かれたというべきじゃないかと思え、本当に反省しているのか怪しくこの報告の価値を疑います。

2025年8月31日日曜日

川崎ストーカー殺人事件の検証はいつ出るのか?

川崎 遺体遺棄事件 神奈川県警本部長“重く受け止めている”(NHK)

 多分もう忘れている人も多いのではと思いますが、今年5月に発覚した神奈川県川崎市のストーカー殺人事件について、発覚当時に捜査の不手際の検証を約束した神奈川県警ですが、発覚から3か月経過した今になっても未だ何も検証報告は出てきていません。
 過去の記事でも述べていますが、検証も何も事件発生当時(去年12月)に現場検証すらせず事件性なしと判断した警官、それを諾とした上司のあまりの低い能力以外に何が原因なのかと逆に聞きたくなるレベルの低次元な問題で検証するまでもないと思うのですが、やるっつった検証についてすら報告がないというのはいかがなものかと思います。


 上の動画は三週間前にフジテレビが配信した事件をめぐるドキュメンタリー番組ですが、発覚前からフジテレビはこの事件を取材していたようで、被害者家族の取材中に捜査にやってきた県警とも接触していました。

 この動画を見て少し印象が変わったのは、被害者の父親です。発覚当時に警察の捜査を激しく批判する姿ばかりが映像や写真として流れていましたが、私個人としては県警のひどい捜査によって娘が殺されたこともあり怒りを覚えるのも当然だと思っていましたが、中にはこの父親の態度を「被害者だからと偉そうに」、「元々粗暴な性格だったんだろう」というネット上のコメントが当時よく見られました。
 しかしフジの映像を見ると発覚前においては警察の捜査に苛立ちを覚えながらも、比較的冷静に粘り強く捜査を訴えており、娘の安否が気になる中で気丈に対応されているという印象を覚えました。前述の通り発覚後にああした批判をするのは当然だと思っていたものの、自分が思っていた以上に発覚前は重圧がかかる中で気丈に対応されていたのだと感じました。

 そんなフジの捜査中の映像によると、被害者が行方不明となってから数ヶ月後に新たにやってきた担当の刑事が家族から話を聞いた後、初動の担当者に対し電話で「現場検証を何故しなかったのか」という点を何度も聞いていたそうです。それこそ自分だったらこの時点で初動の担当者に殴りかかっていたと思うくらいの呆れた対応なのですが、結局がこれがすべてというか、初動の担当者があまりに無能過ぎたがゆえに事件発覚が大いに遅れた唯一の理由でしょう。

 にもかかわらずいまだに神奈川県警は検証報告をまだ出していません。はっきり言ってしまえば検証すると言いながら初めからやる気がなく、誰もがこの事件を忘れるのを待っているだけでしょう。ついでに言えば、初動の対応を誤った担当者への処分もこのまま一切しないまま放置する気だという気がします。
 自分は犯罪都市と呼ばれるマッドシティこと松戸市にまた住もうかと考えることはあっても、神奈川県と兵庫県、栃木県の三県に関しては逆に何が何でも住みたくないと以前から考えています。この三県はかねてより現地県警が度々不祥事起こしていることもさることながら、不祥事発覚後も「だから何?」と言わんばかりに居直り、もみ消そうとする傾向が強く、単純に治安面でこの三県には住みたくなく、それなら松戸のがまだマシだと思っています。

 まぁ松戸もそんな治安悪いわけじゃないんだけどね。一人じゃだめで二人以上じゃないとニュースにならない、バラシは月1ペースな尼崎とかには遠く及びません。

 私自身はこの時の神奈川県警の対応を記事にも書いたので結構根に持つというか定期的に思い出しては報告書はまだかと追いかけていましたが、フジテレビもこうして後追い報道をやっていたのは見直しました。先にも書いた通り前述の三県警は不祥事以上に不祥事発覚後の検証や対応に問題があるから嫌いで、この辺の事後検証をもっと社会が注目することこそ治安の改善につながるものだと信じています。

2025年8月19日火曜日

大学進学はもはや上流に入る条件にあらず

 先日書いた「中間層が消滅した日本」の記事で私は、日本にはもはや中間層と社会で認識される集団がほぼ存在していないと主張しました。これは中間層がいなくなったというよりは、それまで中間層と認識される条件となっていた終身雇用制やマイホーム観念が焼失したことによる影響が大きく、また中間層がそのまま下流層に落ちたというよりは、上半分を上流層、下半分を下流層が上下から吸収しただけで、社会における資産配分自体はそこまで変化はなくボトムダウンでみんな揃って貧しくなっただけじゃないかという見方を紹介しました。
 基本的な主張は以上の通りですが前回記事でこうした階層意識、そして古今から階層移動の重要手段とされた教育こと大学進学について、準備していたにもかかわらず触れるのを忘れていました。大体この手のネタは通勤途中の上海地下鉄の中で考えることが多く、家に着いた頃には大体忘れるのがよくない(;´Д`)

 そういうわけで大学進学ですが、昭和後期から平成初期の中間層を構成するかなり重要な要素だった気がします。というのも

・上位大学に入る
↓↓↓
・大企業に入る
↓↓↓
・結婚してマイホームを持つ
↓↓↓
・老後は退職金で老人ホームに入る

 というのが中間層の理想的人生とされ、中間層が中間層足りうる条件の大きな要素となっていました。しかし平成中期以降、就職不況で最初の上位大学→大企業のルートが閉ざされ、いきなりファーストステップでこける形となりました。そして令和となった現代、はっきり言えば自分の目から見て、学歴が持つその価値は年々低下してきているように見えます。

 そうはいっても大企業は学歴フィルターなどがあると言われ実際そうだと私も思いますが、かつてと比べると大学のブランド力だけで就職が有利になるということはかなり少なくなってきているように見えます。具体的にはようやく日系企業もジョブ型雇用を始めるなど、学生が持つスキルを採用で重視するようになってきており、今後この動きはさらに加速すると思います。
 実際はどうだかわかりませんが高専出身者も優遇されると聞いており、私が専攻した社会学や心理学など、産業に一切寄与せず余計なことを言って社会を惑わす学部の出身者は上位大学であってもあまり就職では有利とはならなくなるでしょう。っていうか自分の時代もあんま有利じゃなかった気がするし、実際自分でもこれら文系学部の出身者は役に立たない気がする(´・ω・)

 さらに続けると、日本の最高学府の東大そのもののブランド力も近年低下してきていることも、大学の学歴が中間層、ひいては上位層へのランクアップに寄与しなくなっている要因としてかなりデカい気がします。
 こんなこと言うと東大出身者に怒られるかもしれませんが、総理就任者の学歴を見てもかつては東大が常連であったのに近年はほとんどおらず、最後の人物もよりによって鳩山由紀夫氏だったりします。またかつてと比べ社会で活躍する東大OBもなんか減ってきているように見え、むしろ早慶出身者の方が目立つというか、私自身も大した人だと感じる人が多いです。逆に、メディアなどで知性や教養を一切感じさせられない発言や振る舞いをする東大出身の芸能人は増えており、東大の権威は年々落ちてきているように感じ、そのこと自体に東大も気づいていない気すらします。

 そもそもかつてと比べるとグローバル化で留学もしやすくなり、先端研究も大学より企業で行われることが増えてきているため、東大の存在意義自体がかなり揺らいできているのは間違いない事実だと考えています。昔は東大に入れば一流企業入りは確定、企業内でも出世が約束されてされていましたが、前述の通り今やその後のスキルの方が重要となってきており、東大の学歴だけで上流入りにとはもはや成立しないでしょう。良くて中流層入りと言いたいところですが、中流層の定義がほぼなくなった現代においてはそうも言えない、つまり下流として認識される可能性も出てきている気がします。

 こうした大学進学の価値喪失の背景理由としては、上記の東大ブランドの低下もさることながら、単純な大学進学率の頭打ちこそが最も大きいでしょう。すでに世代の過半数が大学に進学するほど普及しており、「大学進学=エリート」とはもはや言えません。採用する企業の側も大学生が溢れているので、もはや少数派となっている高卒と比較してそこまで優先して採用する必要もなく、より優秀な人を得るためには前述の通り学歴よりスキルを重視する方が有利に決まっています。

 最初に書いたように、大学進学は昭和から平成初期までは中間層、ひいては上流層に入るためにはかなり大きな条件の一つとされていました。しかし上記のような社会の変化を受けて今や上流層はおろか中間層に入るうえでもそれほど威力を持たず、現実に大卒でありながら自らを下流層と意識している人は少なくないでしょう。その点を踏まえると、階層を逆転する手段として教育が日本ではもはやあまり機能していないところがあります。

 それもこれも、日本政府が中間層を拡大しようと大学の定員を拡大した失策によるところが大きいです。結果的に、下手に大学に進学しなかった方がもっと幸福な人生を送れたかもしれない人をたくさん路頭に迷わせることになったと思うし、社会に求められていた技術系学部の定員などをもっと調整していれば、ここまで大学進学の社会的価値が日本で低下することはなかったでしょう。それ以前に、拡大しようとした中間層が消滅することとなる逆の結果も生まなかったでしょう。

 以上あまりまとまりのないことを書き連ねましたが、シンプルに一言でまとめれば「大学進学で社会で有利になる」という中間層を構成する重要概念が消失したことで、上流層と中間層を分ける定義もあいまいとなって、結果的に中間層の概念が消失することになったというのが自分の見方です。

 ちなみに中国も、今若干同じような動きが出つつあります。ただ日本の東大と違うというか、中国トップの北京大学の出身者に関しては自分が会った相手はいずれも優秀な人しかいません。
 一人例を挙げると、短納期で対応の難しい依頼を私にメールで伝えてきたため「無理!(# ゚Д゚)」とすぐ返事したら、「じゃあここだけやってもらえますか?」と、ギリギリ断り切れず、しかも何とか対応できそうな範囲だけを正確に提示しなおしてきました。その修正範囲のあまりの正確さと、依頼メールの丁寧で且つ断りづらい日本語での文面はすさまじく、後にも先にもメール文を見るだけで冷や汗をかいたのはあれきりです。