先日台湾に留学経験のある方と話をした際に、妙な情報を耳にしました。
「台湾に来る韓国人留学生は、九割以上と言ってもいいほどみんな統一教会なんですよ」
その話をしてくれた方はどうしてかまでは知りませんでしたが、この話を聞いてすぐ私は統一教会の反共主義が影響しているのではと返答しました。確実な根拠はありませんが、恐らくこの考え方で間違いはないと思います。
・世界基督教統一神霊協会(統一教会)
統一教会というと最近の日本では話題になることは少なくなりましたが、一時期は霊感商法といって高い壷などを売りつける違反商法が社会問題化し、一定の世代から上からはカルト教団として認知されていることが多いかと思います。
統一教会について簡単に説明すると、韓国の文鮮明氏がイエスから教示を受け、神の啓示を誤った方向に解釈した現行のキリスト教を改めて正しい教えを広めるために結成されました。結成時期をいつにするかは議論の余地がありますが文氏が戦前に啓示を受けたと主張しているのでそこからのスタートにするとそこそこ年期は積んでいるということになるのですが、文氏がまだ存命ってのかちょっと驚きました。今年で91歳だろ。
名称の統一教会というのはその名の通りに世界のキリスト教宗派を文氏の教えに統一するという教義からつけられたもので、そのせいか世界で主流のキリスト教宗派とは仲が悪く、また日本では前述の霊感商法から有名芸能人も参加した霊感商法などの社会問題を起こしたことと、オウム事件の影響も受けてあまり表では話題にしにくい存在です。
話は本題に戻して何故台湾に来る韓国人留学生に統一教会信者が多いのかですが、まず韓国は日本同様に近年中国語の需要が高まっており、中国語を学びにくる留学生数は日本人を凌いでナンバー1です。ただそうやって中国語を学びに来る韓国人の大半は大陸の方の北京とか上海に来ることが多く、こちらも日本人同様に台湾に留学するというのははっきり言ってレアな部類もいいところです。
ではそんなレアな部類の韓国人留学生がどうしてほぼみんな統一教会信者なのか、私はその理由を統一教会の反共主義が影響していると見ました。統一教会というのは単なる一信仰宗教団体にとどまらず様々な事業を起こして韓国に統一グループという準財閥団体ともいえる企業群を持っており、また政界にも日本のどっかの党同様に早くから接触を強めて相当の人脈作り上げてきたのですが、政界関係で特筆すべき点は反共主義を掲げてきたことです。
統一教会については専門的に勉強したことがないのでどういった経緯で反共主義を持つようになったかまではわからないのですが、恐らく韓国における北朝鮮の存在と、共産主義が宗教を否定したことが原因だと思います。どちらにしろ統一教会はかなり早期から反共路線を歩んで1968年には日韓で勝共連合という団体も立ち上げており、多数の信者を抱えていたことから利害が一致した日韓の資本主義陣営の政治家と強い結びつきを持っていきました。そんな統一教会と関わりの深かった議員でとりわけ有名なのとなると岸信介で、どうも彼については家族ぐるみで交流があったと思われる節があって孫の安倍晋三氏は未だに深く関わっているという噂を本当にあちこちで聞きます。
私が思うに統一教会信者は、このような反共主義路線ゆえに中国語を学ぶための留学先を敢えて共産主義の大陸にせず、資本主義の台湾にしているのではないかと思います。別に台湾だからといって何か支障があるわけでなくちゃんとした中国語を学ぶことが可能ですが、日本人だからかもしれませんが今時政治的イデオロギーで動く人もいるんだなぁと妙に関心をしました。
ちなみに私は社会学をやっていた関係で宗教関係の知識は人並み以上にあると自負しております。信仰は特にこれといったものを持ってはいませんが学校がミッション系だったのでプロテスタント系キリスト教の影響を強く受けているところがあり、日本の仏教も嫌いじゃありませんが友人とはよく「般若湯、般若湯!(゚∀゚)」などと言うことのが多いです。
統一教会はこれまであまり調べたことがなかったので今度あたり詳しい友人にレクチャーしてもらおうかなと考えていますが、以前に軽く調べた時は下記の様な文鮮明氏がキリストから啓示を受けた時の話が非常に印象に残りました。
「霊的に現れたイエス・キリストはその時、ヘブライ語なまりの韓国語で話した」
そこそこ笑いは取れると思います。まぁ吉本だったら一回こっきりのネタに終わるだろうけど。
あと明日、明後日は私用で出かけるのでブログはお休みです。でかけるったって上海に来る親父の相手だけど。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年4月29日金曜日
2011年4月28日木曜日
各時代における庶民の生活
このごろ歴史系の記事が減っているのでちょっと補充とばかりに一本入れときます。
さて歴史漫画では大きな歴史の動きを紹介するとともによく庶民の生活風景も描かれていますが、実際のところ過去の庶民生活の実態というのはほとんどわからないそうです。基本的に歴史資料というものは大名や天皇といったビッグネームな人たちについてはいろいろまとめられているものの、一般庶民についてはその風俗から食生活まで書かれたものはまったくと言っていいほどなく、なんと江戸時代においてすらも首都であった江戸町人の生活を除けばあまりわかっていません。
そういったあまり調査が進んでいなかったという背景から、言い方は悪くなりますがこれまで社会主義思想の強い人間が結構好き勝手なことを教育現場に吹き込み、昭和に至るまで日本の一般庶民はずっと支配階級に虐げられたなどと実証もないくせに教えられてきました。特に江戸時代については幕府が厳しく統制したとして、まだ教えているのかまでは知りませんが私が小学生だった頃は名前も忘れましたが農民を統制するため五つの指針を出したとして、やれ酒を飲むなとか夜は縄を結わえだとか、実態から非常にかけ離れたことがかなり平気で教えられていました。
では現実の江戸時代の農民の生活ですが、社会保障が弱かったために飢饉が起こった時は非常に厳しかったものの、作柄が平穏だった年は当時の他国と比べても裕福な生活だったのではないかという説が近年強まっています。特にそれを強く表すエピソードとしては開国後に日本にやってきた外国公使達の記録で、イギリス人のオールコックが書いた「大君の都」では、
「我々は野蛮な民族に文明を教えるつもりでこの国にやってきたが、日本の国の住民らは上から下まで皆幸福そうに生活を送っており、これほど貧富のない国は今まで見たことがない。彼らを見ていると、我々が文明を教えて現在の彼らの生活を変えてしまうのは間違っているのではないかとすら思う時がある」
などといった内容の記述を残しております。
もっとも農民の生活も地域によって非常に差があったとされ、米所とされていた地域と本来は石高に加えない雑穀を加えて無理やり公称90万石としていた薩摩藩とでは暮らしぶりは全然違っていたでしょう。ただ全体的に言って、江戸時代の農民はこれまで教えられていた内容ほど悲惨な生活は送っていないものと私は考えております。
では江戸時代以外はどうかとなると、恐らくこの辺となるともはや全くわからないというか史料がないのが実情です。時代劇とかで庶民もいろいろと描かれるものの、まだ服装とかならともかく生活実態は史料が全くないため実証的な内容はほぼ皆無です。奈良、平安時代に至っては万葉集とか貧窮問答歌で歌われているようなものしかないように思え、そこで書かれている悲惨な暮らしぶりが一般のイメージになっているような気がします。
ただ奈良時代はともかく、平安時代の一般庶民の生活は非常に苦しかったのではないかとこちらも勝手に推量してます。何故かというと当時は平将門の乱を筆頭に反乱が相次いでおり、また菅原道真の祟りなど異常気象を連想させるような事件が数多く散見され、天候不順や平均気温の低下による飢饉が頻発していたのではないかと見ています。確証はありませんが。
個人的に一番興味があるのは鎌倉時代の生活で、地方武士を含めどんな生活が送られていたのかをいろいろ知りたいです。私は日本史全体における特別な時代というのは明治から昭和前期と、この鎌倉時代だと見ており、金と暇があれば専門的に研究をしてみたいくらいです。何故鎌倉時代が特殊な時代なのかですが、また機会があれば紹介します。
さて歴史漫画では大きな歴史の動きを紹介するとともによく庶民の生活風景も描かれていますが、実際のところ過去の庶民生活の実態というのはほとんどわからないそうです。基本的に歴史資料というものは大名や天皇といったビッグネームな人たちについてはいろいろまとめられているものの、一般庶民についてはその風俗から食生活まで書かれたものはまったくと言っていいほどなく、なんと江戸時代においてすらも首都であった江戸町人の生活を除けばあまりわかっていません。
そういったあまり調査が進んでいなかったという背景から、言い方は悪くなりますがこれまで社会主義思想の強い人間が結構好き勝手なことを教育現場に吹き込み、昭和に至るまで日本の一般庶民はずっと支配階級に虐げられたなどと実証もないくせに教えられてきました。特に江戸時代については幕府が厳しく統制したとして、まだ教えているのかまでは知りませんが私が小学生だった頃は名前も忘れましたが農民を統制するため五つの指針を出したとして、やれ酒を飲むなとか夜は縄を結わえだとか、実態から非常にかけ離れたことがかなり平気で教えられていました。
では現実の江戸時代の農民の生活ですが、社会保障が弱かったために飢饉が起こった時は非常に厳しかったものの、作柄が平穏だった年は当時の他国と比べても裕福な生活だったのではないかという説が近年強まっています。特にそれを強く表すエピソードとしては開国後に日本にやってきた外国公使達の記録で、イギリス人のオールコックが書いた「大君の都」では、
「我々は野蛮な民族に文明を教えるつもりでこの国にやってきたが、日本の国の住民らは上から下まで皆幸福そうに生活を送っており、これほど貧富のない国は今まで見たことがない。彼らを見ていると、我々が文明を教えて現在の彼らの生活を変えてしまうのは間違っているのではないかとすら思う時がある」
などといった内容の記述を残しております。
もっとも農民の生活も地域によって非常に差があったとされ、米所とされていた地域と本来は石高に加えない雑穀を加えて無理やり公称90万石としていた薩摩藩とでは暮らしぶりは全然違っていたでしょう。ただ全体的に言って、江戸時代の農民はこれまで教えられていた内容ほど悲惨な生活は送っていないものと私は考えております。
では江戸時代以外はどうかとなると、恐らくこの辺となるともはや全くわからないというか史料がないのが実情です。時代劇とかで庶民もいろいろと描かれるものの、まだ服装とかならともかく生活実態は史料が全くないため実証的な内容はほぼ皆無です。奈良、平安時代に至っては万葉集とか貧窮問答歌で歌われているようなものしかないように思え、そこで書かれている悲惨な暮らしぶりが一般のイメージになっているような気がします。
ただ奈良時代はともかく、平安時代の一般庶民の生活は非常に苦しかったのではないかとこちらも勝手に推量してます。何故かというと当時は平将門の乱を筆頭に反乱が相次いでおり、また菅原道真の祟りなど異常気象を連想させるような事件が数多く散見され、天候不順や平均気温の低下による飢饉が頻発していたのではないかと見ています。確証はありませんが。
個人的に一番興味があるのは鎌倉時代の生活で、地方武士を含めどんな生活が送られていたのかをいろいろ知りたいです。私は日本史全体における特別な時代というのは明治から昭和前期と、この鎌倉時代だと見ており、金と暇があれば専門的に研究をしてみたいくらいです。何故鎌倉時代が特殊な時代なのかですが、また機会があれば紹介します。
2011年4月27日水曜日
中国における今後の二世問題
なんかソニーのPSNで情報が漏洩したとニュースになってますが、実は私もPS3で登録していて、今回初めて被情報流出者の仲間入りしました。もっとも特別変な買い物とかしてたわけじゃないないし、クレジットカードも限度額を低く設定しているので不正利用されてもソニーがきちんと補償してくれるのであればあまり気になりません。プライバシーの感覚も多分ほかの人と違うだろうし。
そうした私事は置いといて本題に入りますが、今日は久々に自分で加工した情報を書きます。結論から書くと、中国の今後十年くらいにおける最大の戦いは二世問題になるのではないかと私は見ております。
二世問題とは何かというと、単純に実力や努力ではなく親の権威による世襲などによって本来その地位に相応しくない実力不足の人間が高い地位について混乱を引き起こすことです。中国のことを心配している場合でなく日本でもこの問題は政界において結構深刻ではありますが、日本の場合は安倍元首相以降の経験を経てようやく弊害に関して注目が集まるようになり、地方選挙を筆頭にこれまででは考えられない選挙戦が展開されるなどしてようやく脱却しつつあるのではないかと私は見ています。
それではどうしてこれから中国で二世問題が大きくなるのかですが、先に言っておくと現在の中国を切り盛りしている各界のリーダーたちは正真正銘、自分の実力で現在の地位を勝ち取った叩き上げによるエリートばかりです。はっきり言いますが、現在の中国エリートは日本におけるエリートとは比較にならないほど優秀な人材ばかりです。
というのも現在の中国における五十代の人間は多かれ少なかれ文化大革命期を経験しており、あの大混乱の中をあの手この手で潜り抜け、すごいのになると農村に下放された後で合法、非合法を問わず都市戸籍への復籍を果たしているのも少なくありません。下放がどれだけ凄かったか一つ例を出すと、何でも北海道より緯度が上にある遼寧省に下放されたある女性は現地に着くや、窓も扉も何もない住居をあてがわれたそうで、暖房もほとんどないマイナス何十度という世界をそこで冬を越したそうです。
実際にこっちの政治エリートも財界エリートも、羽目を外した際の汚職の度合いは日本とは比べ物にならないほどの無茶ぶりをかましますが、その実績や行動を見ているとのし上がるだけはあると思わせられる人物が数多くおります。ただそのような苦難の歴史を乗り越えたエリートたちも、しぶといのだったら今後もまだまだ頭を取り続けるでしょうが大体あと十年位したらぼつぼつ引退をし始める頃だと思います。
これはあくまで私の勝手な予想ではありますが、そうした叩き上げエリートたちの後に来るのはそれらエリートらの子弟ではないかと思います。ただでさえ中国は日本より家族的結びつきが強く、縁故採用も実態は調査してませんからわかりませんが傍目にはいろいろと多そうな気がします。ではそれらエリートの子弟らは実力があるのかといえばはっきり言って疑わしく、少なくとも現在のエリートらほどの実力は望めず、むしろ中にはどうしようもない人間も上がって来たりする可能性も少なくありません。
もちろん現在若手と呼ばれる四十台くらいの世代はIT業界を筆頭に中国でも優秀な人材は育ってはおりますが、ただでさえ人口が膨大な国ゆえ、実力不足の人間が高い地位についたりすればかなり大きな混乱を招くのではないかと思います。しかも先ほども書いたようにこちらの汚職というのは日本人の感覚からする有り得ないレベルで、この前も石油大手の中国石化の幹部が会社の金を一千万円以上使って高い酒を買ってたとしてトップが辞任する羽目となりました。実際に酒の購入費用に使われたのかちょっと怪しいですが。
私の言いたいことを簡単にまとめると、これから親の権威を笠に着た二世が政財界で幅を利かし、汚職を連発させるのではないかということです。現実にそうした事態を予想させるような事件がこのところ起こっており、去年には大学構内を飲酒運転した挙句に複数人を死傷させた二十二歳の男子学生が取り押さえられた際、「俺の親父は李剛だ!」と、公安幹部の父親の名を出したという事件がありました。もちろんいくら公安幹部の息子とはいえこんなことが許されるわけもなくこの息子にはこの前実刑判決が下りましたが、「俺の親父は李剛」というのは去年末の中国で流行語となって自分も使ってました。
またこのほかにも有名なあの人の孫が異例の年齢で軍内で将軍となったり、今もそうであるかまでは確認してませんが元総理の李鵬の息子は発電最大手の中国華能の社長をしてました。
ちなみに私は学生時、親父の勤める会社の採用面接は受けませんでした。私が受けたら親父もやり辛いだろうし、なによりも親父の後輩を中国に十年以上飛ばしてて、「おお、そんな奴もおったな」と人事部が軽くかわしたという話を聞いてたので初めからやめとこうと考えてました。ただ今の学生らに対してはただでさえ就職難の時代ゆえに、細かいことは気にせず頼れる伝手は何でもいいから使ったほうがいいと思います。自分は何でもかんでも変なプライドが邪魔して苦労することが多いですが、自分の生存を第一に考える時代に日本もなってきたのかもしれません。
そうした私事は置いといて本題に入りますが、今日は久々に自分で加工した情報を書きます。結論から書くと、中国の今後十年くらいにおける最大の戦いは二世問題になるのではないかと私は見ております。
二世問題とは何かというと、単純に実力や努力ではなく親の権威による世襲などによって本来その地位に相応しくない実力不足の人間が高い地位について混乱を引き起こすことです。中国のことを心配している場合でなく日本でもこの問題は政界において結構深刻ではありますが、日本の場合は安倍元首相以降の経験を経てようやく弊害に関して注目が集まるようになり、地方選挙を筆頭にこれまででは考えられない選挙戦が展開されるなどしてようやく脱却しつつあるのではないかと私は見ています。
それではどうしてこれから中国で二世問題が大きくなるのかですが、先に言っておくと現在の中国を切り盛りしている各界のリーダーたちは正真正銘、自分の実力で現在の地位を勝ち取った叩き上げによるエリートばかりです。はっきり言いますが、現在の中国エリートは日本におけるエリートとは比較にならないほど優秀な人材ばかりです。
というのも現在の中国における五十代の人間は多かれ少なかれ文化大革命期を経験しており、あの大混乱の中をあの手この手で潜り抜け、すごいのになると農村に下放された後で合法、非合法を問わず都市戸籍への復籍を果たしているのも少なくありません。下放がどれだけ凄かったか一つ例を出すと、何でも北海道より緯度が上にある遼寧省に下放されたある女性は現地に着くや、窓も扉も何もない住居をあてがわれたそうで、暖房もほとんどないマイナス何十度という世界をそこで冬を越したそうです。
実際にこっちの政治エリートも財界エリートも、羽目を外した際の汚職の度合いは日本とは比べ物にならないほどの無茶ぶりをかましますが、その実績や行動を見ているとのし上がるだけはあると思わせられる人物が数多くおります。ただそのような苦難の歴史を乗り越えたエリートたちも、しぶといのだったら今後もまだまだ頭を取り続けるでしょうが大体あと十年位したらぼつぼつ引退をし始める頃だと思います。
これはあくまで私の勝手な予想ではありますが、そうした叩き上げエリートたちの後に来るのはそれらエリートらの子弟ではないかと思います。ただでさえ中国は日本より家族的結びつきが強く、縁故採用も実態は調査してませんからわかりませんが傍目にはいろいろと多そうな気がします。ではそれらエリートの子弟らは実力があるのかといえばはっきり言って疑わしく、少なくとも現在のエリートらほどの実力は望めず、むしろ中にはどうしようもない人間も上がって来たりする可能性も少なくありません。
もちろん現在若手と呼ばれる四十台くらいの世代はIT業界を筆頭に中国でも優秀な人材は育ってはおりますが、ただでさえ人口が膨大な国ゆえ、実力不足の人間が高い地位についたりすればかなり大きな混乱を招くのではないかと思います。しかも先ほども書いたようにこちらの汚職というのは日本人の感覚からする有り得ないレベルで、この前も石油大手の中国石化の幹部が会社の金を一千万円以上使って高い酒を買ってたとしてトップが辞任する羽目となりました。実際に酒の購入費用に使われたのかちょっと怪しいですが。
私の言いたいことを簡単にまとめると、これから親の権威を笠に着た二世が政財界で幅を利かし、汚職を連発させるのではないかということです。現実にそうした事態を予想させるような事件がこのところ起こっており、去年には大学構内を飲酒運転した挙句に複数人を死傷させた二十二歳の男子学生が取り押さえられた際、「俺の親父は李剛だ!」と、公安幹部の父親の名を出したという事件がありました。もちろんいくら公安幹部の息子とはいえこんなことが許されるわけもなくこの息子にはこの前実刑判決が下りましたが、「俺の親父は李剛」というのは去年末の中国で流行語となって自分も使ってました。
またこのほかにも有名なあの人の孫が異例の年齢で軍内で将軍となったり、今もそうであるかまでは確認してませんが元総理の李鵬の息子は発電最大手の中国華能の社長をしてました。
ちなみに私は学生時、親父の勤める会社の採用面接は受けませんでした。私が受けたら親父もやり辛いだろうし、なによりも親父の後輩を中国に十年以上飛ばしてて、「おお、そんな奴もおったな」と人事部が軽くかわしたという話を聞いてたので初めからやめとこうと考えてました。ただ今の学生らに対してはただでさえ就職難の時代ゆえに、細かいことは気にせず頼れる伝手は何でもいいから使ったほうがいいと思います。自分は何でもかんでも変なプライドが邪魔して苦労することが多いですが、自分の生存を第一に考える時代に日本もなってきたのかもしれません。
2011年4月25日月曜日
役員報酬を受け取る時期について
今更ながらナーガがアメリアの姉だったと今日になって知って驚きました。こんなネタ書いたところで、今時わかる人はいるのだろうか。ついでに書くと昨日電子書籍で漫画(でろでろ七巻)を購入してみましたが、ファイルを全部ダウンロードし終わる前に毎回エラーが起こるので見ることが出来ませんでした。これだから国営企業のインフラは当てにならない。
ここでいう国営企業のインフラというのは中国のネット回線のことですが、日本が韓国に次いで家庭用ケーブルの通信速度が馬鹿速いという恵まれた環境にあることもありますが、中国の通信速度の遅さには生活していてつくづく辟易させられます。いちおうADSLではあるのですが一回一回検索するごとになにやら検閲をしているようなタイムラグが存在し、中国国内のサイトならともかく海外のサイトにつなげようものならかつてのISDNかそれよりも劣る速度になってしまいます。おかげで今時数メガのファイルを落とすのも難儀するのですが、こういった海外とを結ぶケーブル関係のインフラ工事は全部国営企業が握っていて、国策もあるでしょうがあまり速度向上に熱心じゃないそうです。折角だから日本もこういった中国の弱みを突くような政策とかしたらいいのに。
話は変わって日本のインフラ企業と来れば、良くも悪くも目下一番注目されているのは東電こと東京電力です。その東京電力ですが、今回の福島原発の事故を受けて先日に役員報酬を50%削減する方針だと発表したところ、各所で「この期に及んでまだ50%も受け取るつもりか」、「状況をわかっているのか」などと批判する言葉を多く見かけます。こうした批判する声について私は、批判内容はもっともだと感じる一方で本当に責任を取らねばならないのは誰なのかという点で、ちょっと疑問に感じるところがあります。ここで言う「本当に責任を取らねばならない人」というのは現社長でも管首相でもなく、以前の東電役員達のことです。
現在の株式会社方式で役員というのは会社の経営を良くする為に雇われる人たちで、大企業の役員において求められるのは今月や今年といった短期の経営改善ではなく、数年先の長期的展望に立った経営方針や実効策です。それゆえに仮に役員を三年程度勤めた上で経営が悪化したのであれば確かにその役員の責任だと言っても差し支えないですが、就任してから一年程度ではその役員の手腕を評価することはよっぽどのことをしてない限り不可能です。
比較的これのわかりやすい例と言えるのはこの前のトヨタで、現社長の豊田章男氏が就任するや否や米国でのリコール問題が起こりました。結局この問題はアメリカ側の過剰反応でトヨタ車の性能的問題ではなかったということがすでに証明されていますが、この問題が起こった当初に私の周りでは、「どう考えたって、前社長の渡辺捷昭の責任だろ」と言い合っていました。
元々このリコール問題は大事になる前からいろいろ細かい事故なりなんなりあり、そうした小さな段階での対処を怠ったがゆえに大事になってしまった事件でした。まぁ早い段階から対処してても例のGという自動車会社のせいで無理だったかもしれませんがそれはこの際置いといて、まさにそのような前段階の時期に社長をやっていたのは渡辺氏でした。ところが大事になったのは豊田氏が社長になったばかりの頃で、いわば前社長の不作為の責任を一身に受ける形で豊田氏がお詫び行脚をする羽目となったわけです。
今回の東電の事故でも、確かに事故が起きたのは先月三月です。しかしその事故が起こる前に津波対策や、今回の事故に近い不具合を起こしていたのに報告をしてこなかったのは過去の東電役員達で、こういう目で見れば真に責任が重いといえるのはどっちかということになります。
この手の議論は何も今に始まったわけじゃなく一時期流行ったヘッジファンドの頃もよく言われ、連中が会社乗っ取りをしてやってた以下のような行為についてよく批判がされていました。
1、乗っ取る会社の株式を取得する
2、その会社に役員を送り込む
3、従業員のクビ切ったり資産を売却したりして見かけ上の短期的利益を上げる
4、利益を上げたということにして役員報酬を大量に受け取る
5、やることやったら退職金もらってさよならする、取得した株式も売る
6、ヘッジファンドがいなくなった会社では従業員も資産もなくなり、時間とともに経営が悪化していく
細かいところまで説明はしませんが、上記のように本来長期的観点に立って経営をしなければならない役員が単年度の評価で報酬を得てしまうことより、目先の利益を求めて逆にその企業の数年後の経営を悪化させてしまう経営を取ってしまうことがあります。実際のところどこの企業の役員も自分が役員している間を平穏無事に乗り切ることばかり考え、退任後まで考えて経営をしている人はそんなに多くないような気がします。中にはそういう立派な経営者もいるだろうけどさ。
新しく就任した役員が前役員のミスの詰め腹を切らされる例は山一證券最後の社長となった野澤正平氏を始めとして数限りなく、今回の東電の事故でも私は過去の役員らの責任が追及されない点を思うにつけ、そもそもこういった役員の報酬システム自体に問題があるような気がしてなりません。それであるならばいっそ実現性を無視するなら、役員報酬は三年後とか期間を置いたあとのその会社の業績によって算出して支払われるようなシステムにした方が面白いような気がします。
私は現在の東電役員らに全く責任がないとは言いませんし、役員というのはある程度感情をぶつけられるサンドバッグ的な役割も持っていると思います。ただ信賞必罰の原則を間違えることは後世に悪影響を及ぼすことになり、真に責任を問うべき人間を放って今の役員だけを叩いていては結局はまた同じ間違いを起こすのではないかという懸念があります。こういう風に考えるのって、私くらいなのでしょうか。
ここでいう国営企業のインフラというのは中国のネット回線のことですが、日本が韓国に次いで家庭用ケーブルの通信速度が馬鹿速いという恵まれた環境にあることもありますが、中国の通信速度の遅さには生活していてつくづく辟易させられます。いちおうADSLではあるのですが一回一回検索するごとになにやら検閲をしているようなタイムラグが存在し、中国国内のサイトならともかく海外のサイトにつなげようものならかつてのISDNかそれよりも劣る速度になってしまいます。おかげで今時数メガのファイルを落とすのも難儀するのですが、こういった海外とを結ぶケーブル関係のインフラ工事は全部国営企業が握っていて、国策もあるでしょうがあまり速度向上に熱心じゃないそうです。折角だから日本もこういった中国の弱みを突くような政策とかしたらいいのに。
話は変わって日本のインフラ企業と来れば、良くも悪くも目下一番注目されているのは東電こと東京電力です。その東京電力ですが、今回の福島原発の事故を受けて先日に役員報酬を50%削減する方針だと発表したところ、各所で「この期に及んでまだ50%も受け取るつもりか」、「状況をわかっているのか」などと批判する言葉を多く見かけます。こうした批判する声について私は、批判内容はもっともだと感じる一方で本当に責任を取らねばならないのは誰なのかという点で、ちょっと疑問に感じるところがあります。ここで言う「本当に責任を取らねばならない人」というのは現社長でも管首相でもなく、以前の東電役員達のことです。
現在の株式会社方式で役員というのは会社の経営を良くする為に雇われる人たちで、大企業の役員において求められるのは今月や今年といった短期の経営改善ではなく、数年先の長期的展望に立った経営方針や実効策です。それゆえに仮に役員を三年程度勤めた上で経営が悪化したのであれば確かにその役員の責任だと言っても差し支えないですが、就任してから一年程度ではその役員の手腕を評価することはよっぽどのことをしてない限り不可能です。
比較的これのわかりやすい例と言えるのはこの前のトヨタで、現社長の豊田章男氏が就任するや否や米国でのリコール問題が起こりました。結局この問題はアメリカ側の過剰反応でトヨタ車の性能的問題ではなかったということがすでに証明されていますが、この問題が起こった当初に私の周りでは、「どう考えたって、前社長の渡辺捷昭の責任だろ」と言い合っていました。
元々このリコール問題は大事になる前からいろいろ細かい事故なりなんなりあり、そうした小さな段階での対処を怠ったがゆえに大事になってしまった事件でした。まぁ早い段階から対処してても例のGという自動車会社のせいで無理だったかもしれませんがそれはこの際置いといて、まさにそのような前段階の時期に社長をやっていたのは渡辺氏でした。ところが大事になったのは豊田氏が社長になったばかりの頃で、いわば前社長の不作為の責任を一身に受ける形で豊田氏がお詫び行脚をする羽目となったわけです。
今回の東電の事故でも、確かに事故が起きたのは先月三月です。しかしその事故が起こる前に津波対策や、今回の事故に近い不具合を起こしていたのに報告をしてこなかったのは過去の東電役員達で、こういう目で見れば真に責任が重いといえるのはどっちかということになります。
この手の議論は何も今に始まったわけじゃなく一時期流行ったヘッジファンドの頃もよく言われ、連中が会社乗っ取りをしてやってた以下のような行為についてよく批判がされていました。
1、乗っ取る会社の株式を取得する
2、その会社に役員を送り込む
3、従業員のクビ切ったり資産を売却したりして見かけ上の短期的利益を上げる
4、利益を上げたということにして役員報酬を大量に受け取る
5、やることやったら退職金もらってさよならする、取得した株式も売る
6、ヘッジファンドがいなくなった会社では従業員も資産もなくなり、時間とともに経営が悪化していく
細かいところまで説明はしませんが、上記のように本来長期的観点に立って経営をしなければならない役員が単年度の評価で報酬を得てしまうことより、目先の利益を求めて逆にその企業の数年後の経営を悪化させてしまう経営を取ってしまうことがあります。実際のところどこの企業の役員も自分が役員している間を平穏無事に乗り切ることばかり考え、退任後まで考えて経営をしている人はそんなに多くないような気がします。中にはそういう立派な経営者もいるだろうけどさ。
新しく就任した役員が前役員のミスの詰め腹を切らされる例は山一證券最後の社長となった野澤正平氏を始めとして数限りなく、今回の東電の事故でも私は過去の役員らの責任が追及されない点を思うにつけ、そもそもこういった役員の報酬システム自体に問題があるような気がしてなりません。それであるならばいっそ実現性を無視するなら、役員報酬は三年後とか期間を置いたあとのその会社の業績によって算出して支払われるようなシステムにした方が面白いような気がします。
私は現在の東電役員らに全く責任がないとは言いませんし、役員というのはある程度感情をぶつけられるサンドバッグ的な役割も持っていると思います。ただ信賞必罰の原則を間違えることは後世に悪影響を及ぼすことになり、真に責任を問うべき人間を放って今の役員だけを叩いていては結局はまた同じ間違いを起こすのではないかという懸念があります。こういう風に考えるのって、私くらいなのでしょうか。
2011年4月24日日曜日
アメリカの大学に留学する価値
時期にして大体2005年くらいから、政財界の要人らがよくアメリカのハーバード大学の日本人留学生数が減少していると問題視する発言をよく見るようになりました。現在でも死にぞこないの自民党文教族らはそれらアメリカの大学において韓国人、中国人らと比べて日本人留学生数が減っており、日本の教育力が低下していてこのままでは両国に追いつかれるなどとよく発言しておりますが、確定的なデータも二次ソースも少ないながら、私はこの傾向がそれほど問題なのか強く疑問に感じております。
最初のきっかけは友人から聞いた話で、何でもアメリカの大学はハーバード大学を含んで基本的に私立で、現在学生数の減少によりどこも経営難に陥っているそうです。そのためどこのアメリカの大学も授業料を得るために留学生を呼び集めているものの、ほとんどの国ではすでにアメリカの大学にはそこまで価値があるわけでないと見抜いており、まだその権威をありがたがってがっている日本人と韓国人ばかりやってきてキャンパス内もそういった留学生ばかりになっていると聞きました。
私は学術研究者でないために実際にアメリカの大学がどれほど教育、研究機関として価値があるのか推し量ることは出来ませんが、少なくとも一般レベルで日本人が根拠なくやたらとアメリカの大学を高く評価している傾向はあるように感じます。またいくつかの角度から見ると、確かにアメリカの大学について疑問に感じる点も少なくありません。
理系については全く素人もいいところなのでわかりませんが、文系科目についてははっきり言って留学する価値は少ないように思えます。現在の自然科学の王様は間違いなく経済学ですが、先年に起こったリーマンショックはまさに米国流の経済学によって引き起こされたものだといっても過言ではありません。一時期アメリカでMBAを取得するのが流行りましたが、そういったMBA取得者どもがリーマンショックを引き起こしたことを考えると戦犯もよいところです。そのせいか、このごろMBA取得を自慢する人もめっきり減ったし。
またこれ以外の文系学問についても、私の専門とする社会学ではシカゴ大学が有名ではあるものの昔はともかく今は実際にどんな教育がされているのかわかりません。よくアメリカの大学を礼賛する人で疑問に感じるのは、具体的にどういった点が日本の大学より優れているのかを誰も言及しないところです。
理系についてもあくまで素人目の意見ですが、誰も基礎学問を持っていなかった明治時代ならともかく現在の日本にはわざわざ留学せずとも世界的にも十分立派な研究環境があるように思えます。霊長類研究やES細胞については間違いなく京大が世界トップですし、またスプリング8など反則だって言いたくなるような豪華な研究設備だってうなるほどあります。もっとも航空力学についてはアメリカが上、っていうか日本では研究が制限されてますが。
明治時代はそのような研究環境をおろか学者が全く存在しなかったために海外へ留学せざるを得ませんでしたが、今の日本では主要な学問はほぼすべて国内で指導、研究することが出来ます。これは日本にいたらさも当たり前のように見えてしまいますが、最先端の研究を母国語でできるという国は実際にはほとんど存在しません。中国なんか文化大革命でそういった学者全員を殺してしまったために文革後に学生を全員海外に送って建て直しを迫られたほどで、現在においても主要な研究者は皆国内にはおらず海外で研究生活を続けております。
そういう意味では中国人がアメリカの大学に留学するのはまだ国内に研究環境がないという、いわば必要に迫られたものだということで理解できるのですが、日本人については確かに英語が出来るに越したことはないけど国内で研究が出来るというのであればわざわざ行かなくともよいのでは、というよりむしろもっと日本の大学に海外の研究者を呼び集めるような努力をしてもよいのではないかという気がします。
留学生が減ったなどと嘆く発言をする政財界の人間に対して私が一番言いたいことは、アメリカの大学に行け行け言っておきなら、そういうあんたらは国内の研究を深耕させるようなことをこれまでしてきたのかということです。特に文教族の議員はまさに教育政策を決めるキャスティングボードを握っておきながら現在問題となっているような学力低下を招いており、そうした反省もなにもせずに、「日本人が留学しなくなった」などとほざくのは肥溜めにでも首突っ込んでろと言いたくなるほど腹が立ちます。
私は留学を否定するわけでもなく行けるのであれば行くに越したことはないと思いますが、もっと日本国内の高等教育を充実させるという考えを持たずにアメリカの大学における日本人留学生数低下を懸念するというのはどこかピントがおかしいのではないかという気がします。折角ここまで日本の研究レベルを高めたのだから、舶来物をありがたがっているばかりでなく、逆に外に訴えていく努力こそが今不足しているのではないでしょうか。
最初のきっかけは友人から聞いた話で、何でもアメリカの大学はハーバード大学を含んで基本的に私立で、現在学生数の減少によりどこも経営難に陥っているそうです。そのためどこのアメリカの大学も授業料を得るために留学生を呼び集めているものの、ほとんどの国ではすでにアメリカの大学にはそこまで価値があるわけでないと見抜いており、まだその権威をありがたがってがっている日本人と韓国人ばかりやってきてキャンパス内もそういった留学生ばかりになっていると聞きました。
私は学術研究者でないために実際にアメリカの大学がどれほど教育、研究機関として価値があるのか推し量ることは出来ませんが、少なくとも一般レベルで日本人が根拠なくやたらとアメリカの大学を高く評価している傾向はあるように感じます。またいくつかの角度から見ると、確かにアメリカの大学について疑問に感じる点も少なくありません。
理系については全く素人もいいところなのでわかりませんが、文系科目についてははっきり言って留学する価値は少ないように思えます。現在の自然科学の王様は間違いなく経済学ですが、先年に起こったリーマンショックはまさに米国流の経済学によって引き起こされたものだといっても過言ではありません。一時期アメリカでMBAを取得するのが流行りましたが、そういったMBA取得者どもがリーマンショックを引き起こしたことを考えると戦犯もよいところです。そのせいか、このごろMBA取得を自慢する人もめっきり減ったし。
またこれ以外の文系学問についても、私の専門とする社会学ではシカゴ大学が有名ではあるものの昔はともかく今は実際にどんな教育がされているのかわかりません。よくアメリカの大学を礼賛する人で疑問に感じるのは、具体的にどういった点が日本の大学より優れているのかを誰も言及しないところです。
理系についてもあくまで素人目の意見ですが、誰も基礎学問を持っていなかった明治時代ならともかく現在の日本にはわざわざ留学せずとも世界的にも十分立派な研究環境があるように思えます。霊長類研究やES細胞については間違いなく京大が世界トップですし、またスプリング8など反則だって言いたくなるような豪華な研究設備だってうなるほどあります。もっとも航空力学についてはアメリカが上、っていうか日本では研究が制限されてますが。
明治時代はそのような研究環境をおろか学者が全く存在しなかったために海外へ留学せざるを得ませんでしたが、今の日本では主要な学問はほぼすべて国内で指導、研究することが出来ます。これは日本にいたらさも当たり前のように見えてしまいますが、最先端の研究を母国語でできるという国は実際にはほとんど存在しません。中国なんか文化大革命でそういった学者全員を殺してしまったために文革後に学生を全員海外に送って建て直しを迫られたほどで、現在においても主要な研究者は皆国内にはおらず海外で研究生活を続けております。
そういう意味では中国人がアメリカの大学に留学するのはまだ国内に研究環境がないという、いわば必要に迫られたものだということで理解できるのですが、日本人については確かに英語が出来るに越したことはないけど国内で研究が出来るというのであればわざわざ行かなくともよいのでは、というよりむしろもっと日本の大学に海外の研究者を呼び集めるような努力をしてもよいのではないかという気がします。
留学生が減ったなどと嘆く発言をする政財界の人間に対して私が一番言いたいことは、アメリカの大学に行け行け言っておきなら、そういうあんたらは国内の研究を深耕させるようなことをこれまでしてきたのかということです。特に文教族の議員はまさに教育政策を決めるキャスティングボードを握っておきながら現在問題となっているような学力低下を招いており、そうした反省もなにもせずに、「日本人が留学しなくなった」などとほざくのは肥溜めにでも首突っ込んでろと言いたくなるほど腹が立ちます。
私は留学を否定するわけでもなく行けるのであれば行くに越したことはないと思いますが、もっと日本国内の高等教育を充実させるという考えを持たずにアメリカの大学における日本人留学生数低下を懸念するというのはどこかピントがおかしいのではないかという気がします。折角ここまで日本の研究レベルを高めたのだから、舶来物をありがたがっているばかりでなく、逆に外に訴えていく努力こそが今不足しているのではないでしょうか。
2011年4月23日土曜日
FF、DQにおける印象的なオノマトペ
日本ゲーム界における二大RPGとくれば言わずもがなでFFことファイナルファンタジーシリーズと、DQことドラゴンクエストシリーズです(中にはテイルズシリーズを入れて三大RPGとするところもあるけど)。さてこの両者ですが、今ではFFが特に顕著ですがグラフィックなどを売りにすることが多くなったものの、ファミコン時代の当初はシステムはもとよりそのストーリー性ことテキストが大きく脚光を浴びました。王道とはいえどちらともなければ、日本人は現在ほどファンタジーに対する興味や知識は持たなかったかと思います。
さてそんな両シリーズのテキストなのですが、ファミコン時代はグラフィック表現での制限の多さから当時のテキストを読むにつけ開発者たちの苦心が伝わってきます。ストーリーの展開からキャラクターの状態、ゲームのシステムまで全部テキストで表現しなければならないため改めて読んでみると実によく凝られたテキストが作られているのですが、中には「なんじゃこりゃ」と言いたくなる様な妙な表現が突然眼に入ってくることがあります。以前にも紹介しましたが、ドラゴンクエスト6ではみんながみんなすべての特技を身につけるもんだから、
「スライムはこしをひくくおとし、せいけんづきをはなった」
などと深く考えてはいけないような場面も少なくありませんでした。
そんなRPGのテキストの中で、多分普通にやってりゃそんな気にしないかもしれませんがいわゆるオノマトペでいろいろと変なのが作られていることに最近気がつきました。オノマトペというのは擬声語のことで、人間の声から発生されるもの以外の音を文字表現で表す擬音語を指すのですが、いくつか例を出すと犬の鳴き声を「ワンワン」とか「Woo,Woo」と書いたり、炎が燃えることを「メラメラ」と書いたりするものです。予断ですが動物の鳴き声や雷の音は言語ごとにかなり変わるので、それぞれの言語文化を比較する上でなかなか面白い材料です。ちなみに中国語の雷のオノマトペは「ホンロンロン」で、ちょっと耳を疑います。
そこで今日はちょっと、私が知っている中でFF、DQで実際に使われている気になるオノマトペをいくつか紹介します。それでは早速、FFシリーズからいきましょう。
FFシリーズのオノマトペ
・ウボァー(ファイナルファンタジー2:ラスボスのパラメキア皇帝の断末魔)
苦しいラスボス戦(ブラッドソード使えばあっという間だけど)を終えるや否や、いきなりこんな意味不明な断末魔のテキストが開きます。多分最初に見た人たちも、感動よりあっけに取られたかと思います。
・フシュルルル(ファイナルファンタジー4:土のスカルミリョーネの吐息?)
ゴルベーザ四天王のスカルミリョーネが第二段階に変身する前に言う(放つ?)音です。一体どうすればこんな音が出るのか気になって仕方ないですが、何故だか私はこの音が気に入ってよく一人で自転車に乗っている時に意味もなく「フシュルルル」と発声することがあります。
・ファファファ(ファイナルファンタジー5:ラスボスのエクスデスの笑い声)
日本語の笑い声のオノマトペでは「わっはっは」や「ふぁっはっは」などはポピュラーに使われていますが、「ファ」の音を三連続で出すこの表現は未だかつてこのエクスデス以外には見たことがありません。比較的発声しやすいのですが促音便なしだと笑い声なのかなんなのか聞いてる人にはわからないので、実生活では使うべきではないでしょう。むしろこうしたネット上のテキストのやり取りの方が使い勝手がいいかもしれません。私は使いませんけど。
それにしてもFFシリーズのラスボスはみんななんかおかしな語がよく混ざるなぁ。
DQシリーズのオノマトペ
・うおっぷ!これはたまらん!(ドラゴンクエスト4:トルネコが「うまのふん」を鑑定した時のセリフ)
そもそも「うまのふん」というアイテムが存在すること自体をいろいろ疑わなければならないのですが、わざわざこんなテキストパターンを用意しているあたり、現在まで続くシリーズの所以かもしれません。
・フフィーッ!!フフィーッ!! ここのメシは 最高だよー!!フフィーッ!! しあわせすぎる!!(ドラゴンクエスト9のセリフらしい)
私は実際にプレイしたわけじゃないのですが、最初この「フフィー」を見てからしばらくこのセリフが頭から離れませんでした。何を以ってこんな表現が浮かんでくるんだろう、すご過ぎる。
もともと日本語は感動詞を始めとしてオノマトペに該当する言葉が数多くある言語ですが、こういうのを見ているといまだに進化し続けている気がします。特に戦後は漫画が流行したことによって「ドカーン」(爆発音)など秀逸な擬音も数多く生まれております。その中でも恐らく最高のオノマトペは手塚治虫が考案した、沈黙を表す「シーン」だと私は考えております。
最後にもう一つ、オノマトペというか会話ですがドラクエで使われている変なのを紹介すると、
・むほーそりゃないぜ!お前明日からこの俺にフルチンで生活しろってのか!(ドラゴンクエスト7)
何故こんな会話になるのか、本当によくわかりません。なおこのセリフを聞いた後にマリベルに話しかけると、「フ、フルチンですって・・・」と言ってくれます。
さてそんな両シリーズのテキストなのですが、ファミコン時代はグラフィック表現での制限の多さから当時のテキストを読むにつけ開発者たちの苦心が伝わってきます。ストーリーの展開からキャラクターの状態、ゲームのシステムまで全部テキストで表現しなければならないため改めて読んでみると実によく凝られたテキストが作られているのですが、中には「なんじゃこりゃ」と言いたくなる様な妙な表現が突然眼に入ってくることがあります。以前にも紹介しましたが、ドラゴンクエスト6ではみんながみんなすべての特技を身につけるもんだから、
「スライムはこしをひくくおとし、せいけんづきをはなった」
などと深く考えてはいけないような場面も少なくありませんでした。
そんなRPGのテキストの中で、多分普通にやってりゃそんな気にしないかもしれませんがいわゆるオノマトペでいろいろと変なのが作られていることに最近気がつきました。オノマトペというのは擬声語のことで、人間の声から発生されるもの以外の音を文字表現で表す擬音語を指すのですが、いくつか例を出すと犬の鳴き声を「ワンワン」とか「Woo,Woo」と書いたり、炎が燃えることを「メラメラ」と書いたりするものです。予断ですが動物の鳴き声や雷の音は言語ごとにかなり変わるので、それぞれの言語文化を比較する上でなかなか面白い材料です。ちなみに中国語の雷のオノマトペは「ホンロンロン」で、ちょっと耳を疑います。
そこで今日はちょっと、私が知っている中でFF、DQで実際に使われている気になるオノマトペをいくつか紹介します。それでは早速、FFシリーズからいきましょう。
FFシリーズのオノマトペ
・ウボァー(ファイナルファンタジー2:ラスボスのパラメキア皇帝の断末魔)
苦しいラスボス戦(ブラッドソード使えばあっという間だけど)を終えるや否や、いきなりこんな意味不明な断末魔のテキストが開きます。多分最初に見た人たちも、感動よりあっけに取られたかと思います。
・フシュルルル(ファイナルファンタジー4:土のスカルミリョーネの吐息?)
ゴルベーザ四天王のスカルミリョーネが第二段階に変身する前に言う(放つ?)音です。一体どうすればこんな音が出るのか気になって仕方ないですが、何故だか私はこの音が気に入ってよく一人で自転車に乗っている時に意味もなく「フシュルルル」と発声することがあります。
・ファファファ(ファイナルファンタジー5:ラスボスのエクスデスの笑い声)
日本語の笑い声のオノマトペでは「わっはっは」や「ふぁっはっは」などはポピュラーに使われていますが、「ファ」の音を三連続で出すこの表現は未だかつてこのエクスデス以外には見たことがありません。比較的発声しやすいのですが促音便なしだと笑い声なのかなんなのか聞いてる人にはわからないので、実生活では使うべきではないでしょう。むしろこうしたネット上のテキストのやり取りの方が使い勝手がいいかもしれません。私は使いませんけど。
それにしてもFFシリーズのラスボスはみんななんかおかしな語がよく混ざるなぁ。
DQシリーズのオノマトペ
・うおっぷ!これはたまらん!(ドラゴンクエスト4:トルネコが「うまのふん」を鑑定した時のセリフ)
そもそも「うまのふん」というアイテムが存在すること自体をいろいろ疑わなければならないのですが、わざわざこんなテキストパターンを用意しているあたり、現在まで続くシリーズの所以かもしれません。
・フフィーッ!!フフィーッ!! ここのメシは 最高だよー!!フフィーッ!! しあわせすぎる!!(ドラゴンクエスト9のセリフらしい)
私は実際にプレイしたわけじゃないのですが、最初この「フフィー」を見てからしばらくこのセリフが頭から離れませんでした。何を以ってこんな表現が浮かんでくるんだろう、すご過ぎる。
もともと日本語は感動詞を始めとしてオノマトペに該当する言葉が数多くある言語ですが、こういうのを見ているといまだに進化し続けている気がします。特に戦後は漫画が流行したことによって「ドカーン」(爆発音)など秀逸な擬音も数多く生まれております。その中でも恐らく最高のオノマトペは手塚治虫が考案した、沈黙を表す「シーン」だと私は考えております。
最後にもう一つ、オノマトペというか会話ですがドラクエで使われている変なのを紹介すると、
・むほーそりゃないぜ!お前明日からこの俺にフルチンで生活しろってのか!(ドラゴンクエスト7)
何故こんな会話になるのか、本当によくわかりません。なおこのセリフを聞いた後にマリベルに話しかけると、「フ、フルチンですって・・・」と言ってくれます。
2011年4月22日金曜日
中国のアクセス禁止サイト
昨日は早くに家に帰ったのでこれまでためていた記事を一気に書いてしまおうと考えていたのですが、いざパソコンにつなげてみるや、なんとブログが開きませんでした。Yahooのホームページなどは開くのにGoo関係のページは全く開かず、ネット規制が強化されてまたもアクセス禁止を食らったのかとかなり焦りましたが、明けた本日にはこうしてまた投稿できるようになりました。恐らく何らかの意図があって、中国当局が昨日の夕方から夜までの間でいくつかのサイトがアクセス不能にしたのだと思います。こういうことがたまにあるからこの国はめんどい。
ただ今回は無事ですんだとはいえ、いつまたアクセス禁止になるかわかりません。今回の件を相談した友人にも厳しく言われましたが、そろそろ本気でレンタルサーバーを借りてそこでブログを運営することを真剣に考えたほうがいいかもしれません。その際には以前の陽月秘話の過去記事も一緒に公開すれば一石二鳥ですし、言論の自由を守るためにも屈してなんかいられません。それにしても、昨日は「この臆病者!」などと随分と中国政府を罵ったもんだ。
ところで中国のネット規制ですが、やはりここ数年で急激に拡大されてきました。知人の情報だと2008年頃のチベットの事件があってから急激に厳しくなり、その頃からYoutubeを始めとしたサイトがアクセスできなくなったようです(それ以前は出来た)。そこで今回は簡単に、私の知っている限りのアクセス禁止を受けているサイトをいくつか紹介しようと思います。前フリはいいので早速ご紹介します。
アクセスできないサイト
・Youtube
・FC2ブログ
・ニコニコ動画
・Blogger(Google社の)
・Facebook
・Twitter
細かく探せばまだまだありますが、上記関連のサイトは一切アクセスすることが出来ません。またアクセスすることは出来ても、ほとんどのサイトで画像が全く表示されません。幸いこのGooブログなら画像も表示されるので、今回採用する一員となりました。
やはりアクセスできなくて個人的に痛かったのは、これまでブログを運営していたFC2ブログとBloggerの二つと、Youtubeでした。また画像が表示されないのも地味に痛く、猫の写真が貼られたサイトに行くたびに無念の涙を呑んでおります。私が北京に留学していた頃はYoutubeも見れれば画像も問題なく表示されていたので、ほんの少し前のことなのに随分と昔のことのようにすら感じます。あまり大きな声で言えませんが、細かいことにいちいちビビッてんじゃねぇよと言いたいです。
ただ今回は無事ですんだとはいえ、いつまたアクセス禁止になるかわかりません。今回の件を相談した友人にも厳しく言われましたが、そろそろ本気でレンタルサーバーを借りてそこでブログを運営することを真剣に考えたほうがいいかもしれません。その際には以前の陽月秘話の過去記事も一緒に公開すれば一石二鳥ですし、言論の自由を守るためにも屈してなんかいられません。それにしても、昨日は「この臆病者!」などと随分と中国政府を罵ったもんだ。
ところで中国のネット規制ですが、やはりここ数年で急激に拡大されてきました。知人の情報だと2008年頃のチベットの事件があってから急激に厳しくなり、その頃からYoutubeを始めとしたサイトがアクセスできなくなったようです(それ以前は出来た)。そこで今回は簡単に、私の知っている限りのアクセス禁止を受けているサイトをいくつか紹介しようと思います。前フリはいいので早速ご紹介します。
アクセスできないサイト
・Youtube
・FC2ブログ
・ニコニコ動画
・Blogger(Google社の)
・Facebook
・Twitter
細かく探せばまだまだありますが、上記関連のサイトは一切アクセスすることが出来ません。またアクセスすることは出来ても、ほとんどのサイトで画像が全く表示されません。幸いこのGooブログなら画像も表示されるので、今回採用する一員となりました。
やはりアクセスできなくて個人的に痛かったのは、これまでブログを運営していたFC2ブログとBloggerの二つと、Youtubeでした。また画像が表示されないのも地味に痛く、猫の写真が貼られたサイトに行くたびに無念の涙を呑んでおります。私が北京に留学していた頃はYoutubeも見れれば画像も問題なく表示されていたので、ほんの少し前のことなのに随分と昔のことのようにすら感じます。あまり大きな声で言えませんが、細かいことにいちいちビビッてんじゃねぇよと言いたいです。
2011年4月20日水曜日
上海モーターショー
故あって昨日、上海モーターショーに行ってきました。興味ない人にはつまらないかもしれませんが、折角写真も撮ってきたのでいくつかアップしようかと思います。
まず私が行った昨日の開幕日はプレスデーで、報道関係者と自動車関係の業界関係者のみ入場する日でした。何度か上海モーターショーに参加した事のある人に聞いたところ今年はいつもより人が多かったようですが、昔に行った東京モーターショーの一般日に比べれば私は全然少ないように思えました。
それで会場全体の様相を簡単に述べると、やはりこれからっていうこともあって各社電気自動車をどこもかしこも一台は持ってきておりました。ハイブリッド車も多くあり、そのほか最近中国で人気の出ている大型のSUV車などがひな壇を飾っていたのですが、中国の自動社会社は地元メーカーと海外メーカーが車種ごとに合弁会社を作って複雑に絡み合っているようなもので、いちいち見ていてどこがどのメーカーだかで激しく混乱させられました。一回細かく調べてここで紹介してみるのもいいかもしれないけど。
まず目を引いたのはアメリカのZAP社が持ってきた三輪自動車です。正面から見るとただのいかつい車ですが、後ろを見てみると見事なまでの一輪で、なかなか意匠の良さを感じます。ただ重量配分間違えるとスリップ時にぶっ飛びそうで怖いんだけど。
次はおなじみトヨタのプリウス。下手に派手なコンセプトカーを見せるよりこうして性能が裏打ちされた車を持ってくる方が私としては評価ポイントが高く、トヨタの堅実さを感じます。ただ写真を撮る前にこの舞台でなんか変なショーが始まっちゃって、最初にとった写真はこんなでした。
自分で撮っておきながら、なんでこんなの撮ったんだろうと悩む一枚です。
このほか同じプリウスだとコンセントで充電する電気自動車バージョンもありましたが、スバルと共同開発(丸投げ?)しているスポーツカーのFT-86はあるかなと思ってきたら、こんなのだけしかきてませんでした。
これも電気自動車でFT-EVって書かれてますが、多分ベースはアイQでしょう。お世辞にもデザインにセンスは感じられません。
この写真は吉利汽車の、確か「熊猫(パンダ)」という車種です。国産メーカーの中でもこの吉利汽車は比較的小型車を製作しており、この車種もインターネットで販売するなどそこそこ支持がされております。私はでかい車よりこうした小さい車のが好きなので、こっちのメーカーの中でも好感を強く持つメーカーです。
続いてのこの写真は、今度中国に進出してくる光岡自動車のオロチです。今の中国だと下手に量産車売るよりこういった高級で派手な車のが売れる傾向があるので、三岡の進出はそんなに間違っていないんじゃないかと思います。それにしても派手だなぁ。
同じ見栄えで言ったらこっちのスバルインプレッサが白眉でしょう。全車種を通してみてもこのインプレッサのメタリックブルーの塗装は映えており、私の中でも特に好きな車です。ただ個人的にはシンプルイズベストの初代インプレッサの方が好きで、下の写真のような画像をよくパソコンの壁紙にしてます。
でもっていよいよ私が贔屓にしてやまない三菱自動車ですが、はっきりってここのブースはガラガラもいいところでした。こういうのもなんですが置いてある車に目玉がなく、コンセプトカーも何が言いたいのかよくわからないこの二台でした。
もう少し配色とか、派手さがあっていいと思う。
あと中国で売る予定はないからでしょうが、世界初の量産電気自動車のアイ-Miev位はこっちにも持ってきて欲しかったです。日本市場での対抗馬となる日産リーフはいきなり不具合連発で五千台回収にあっているのだからここぞとばかりにPRしてもらいたいものですが、アイ-Mievはレアアース不足で一日三十台くらいしか作れないと聞きますし、中国に持ってくるのもなんか皮肉な気もしないでもありません。
そんな三菱のブースに多かったのは、一応のフラグシップカーのランサーです。日本ではギャランフォルティスの車名で売られていますがこっちはランサーエボリューションともどもランサーの名前で売られてます。ランエボの場合は「ランサーエックス」、ギャランフォルティスの場合は「ランサーイーエックス」で、なんか見ていていろいろ紛らわしくなります。
この車はフロントマスクは悪くはないもののバック部がずんぐりむっくりしたデザインで、以前のランサーほど好きになれません。むしろスバルのインプレッサのようにハッチバック仕様に統一してしまえばよかったような気すらします。ちなみにギャランフォルティスのスポーツバックであればハッチバックはありますが、値段が結構高い(190万円から)ので自分は全く買う気は起きませんでした。だったらインプレッサは150万円からだし、みんなこっちを選ぶよなぁ。
最後はマツダのコンセプトカーです。ここの会社は全くブラックな噂しか聞きませんがデザインはやっぱり群を抜いてて、こうしたコンセプトカーもいつも面白いものを出してきます。トヨタもトヨタでいろいろ言われていますが、社員や取引先に販売する際は二、三万円は割り引いて販売するのに対して、マツダは取引先だろうが下請けだろうが無理やり定価で買わせるそうです。真偽については責任は持ちませんが、技術はあるのにもったいないなぁという気がよくします。
補足
何故か一部のアルファベットを全角で入力して投稿するとそこで文章が途切れてアップされてしまう現象が発生しました。恐らくブログの仕様でしょうが、これから運営にも確認をしてみるつもりです。そのため該当箇所はカタカナでと書き直して表記していますので、あまり気にしないでもらえると助かります。
まず私が行った昨日の開幕日はプレスデーで、報道関係者と自動車関係の業界関係者のみ入場する日でした。何度か上海モーターショーに参加した事のある人に聞いたところ今年はいつもより人が多かったようですが、昔に行った東京モーターショーの一般日に比べれば私は全然少ないように思えました。
それで会場全体の様相を簡単に述べると、やはりこれからっていうこともあって各社電気自動車をどこもかしこも一台は持ってきておりました。ハイブリッド車も多くあり、そのほか最近中国で人気の出ている大型のSUV車などがひな壇を飾っていたのですが、中国の自動社会社は地元メーカーと海外メーカーが車種ごとに合弁会社を作って複雑に絡み合っているようなもので、いちいち見ていてどこがどのメーカーだかで激しく混乱させられました。一回細かく調べてここで紹介してみるのもいいかもしれないけど。
まず目を引いたのはアメリカのZAP社が持ってきた三輪自動車です。正面から見るとただのいかつい車ですが、後ろを見てみると見事なまでの一輪で、なかなか意匠の良さを感じます。ただ重量配分間違えるとスリップ時にぶっ飛びそうで怖いんだけど。
次はおなじみトヨタのプリウス。下手に派手なコンセプトカーを見せるよりこうして性能が裏打ちされた車を持ってくる方が私としては評価ポイントが高く、トヨタの堅実さを感じます。ただ写真を撮る前にこの舞台でなんか変なショーが始まっちゃって、最初にとった写真はこんなでした。
自分で撮っておきながら、なんでこんなの撮ったんだろうと悩む一枚です。
このほか同じプリウスだとコンセントで充電する電気自動車バージョンもありましたが、スバルと共同開発(丸投げ?)しているスポーツカーのFT-86はあるかなと思ってきたら、こんなのだけしかきてませんでした。
これも電気自動車でFT-EVって書かれてますが、多分ベースはアイQでしょう。お世辞にもデザインにセンスは感じられません。
この写真は吉利汽車の、確か「熊猫(パンダ)」という車種です。国産メーカーの中でもこの吉利汽車は比較的小型車を製作しており、この車種もインターネットで販売するなどそこそこ支持がされております。私はでかい車よりこうした小さい車のが好きなので、こっちのメーカーの中でも好感を強く持つメーカーです。
続いてのこの写真は、今度中国に進出してくる光岡自動車のオロチです。今の中国だと下手に量産車売るよりこういった高級で派手な車のが売れる傾向があるので、三岡の進出はそんなに間違っていないんじゃないかと思います。それにしても派手だなぁ。
同じ見栄えで言ったらこっちのスバルインプレッサが白眉でしょう。全車種を通してみてもこのインプレッサのメタリックブルーの塗装は映えており、私の中でも特に好きな車です。ただ個人的にはシンプルイズベストの初代インプレッサの方が好きで、下の写真のような画像をよくパソコンの壁紙にしてます。
でもっていよいよ私が贔屓にしてやまない三菱自動車ですが、はっきりってここのブースはガラガラもいいところでした。こういうのもなんですが置いてある車に目玉がなく、コンセプトカーも何が言いたいのかよくわからないこの二台でした。
もう少し配色とか、派手さがあっていいと思う。
あと中国で売る予定はないからでしょうが、世界初の量産電気自動車のアイ-Miev位はこっちにも持ってきて欲しかったです。日本市場での対抗馬となる日産リーフはいきなり不具合連発で五千台回収にあっているのだからここぞとばかりにPRしてもらいたいものですが、アイ-Mievはレアアース不足で一日三十台くらいしか作れないと聞きますし、中国に持ってくるのもなんか皮肉な気もしないでもありません。
そんな三菱のブースに多かったのは、一応のフラグシップカーのランサーです。日本ではギャランフォルティスの車名で売られていますがこっちはランサーエボリューションともどもランサーの名前で売られてます。ランエボの場合は「ランサーエックス」、ギャランフォルティスの場合は「ランサーイーエックス」で、なんか見ていていろいろ紛らわしくなります。
この車はフロントマスクは悪くはないもののバック部がずんぐりむっくりしたデザインで、以前のランサーほど好きになれません。むしろスバルのインプレッサのようにハッチバック仕様に統一してしまえばよかったような気すらします。ちなみにギャランフォルティスのスポーツバックであればハッチバックはありますが、値段が結構高い(190万円から)ので自分は全く買う気は起きませんでした。だったらインプレッサは150万円からだし、みんなこっちを選ぶよなぁ。
最後はマツダのコンセプトカーです。ここの会社は全くブラックな噂しか聞きませんがデザインはやっぱり群を抜いてて、こうしたコンセプトカーもいつも面白いものを出してきます。トヨタもトヨタでいろいろ言われていますが、社員や取引先に販売する際は二、三万円は割り引いて販売するのに対して、マツダは取引先だろうが下請けだろうが無理やり定価で買わせるそうです。真偽については責任は持ちませんが、技術はあるのにもったいないなぁという気がよくします。
補足
何故か一部のアルファベットを全角で入力して投稿するとそこで文章が途切れてアップされてしまう現象が発生しました。恐らくブログの仕様でしょうが、これから運営にも確認をしてみるつもりです。そのため該当箇所はカタカナでと書き直して表記していますので、あまり気にしないでもらえると助かります。
2011年4月18日月曜日
複数人による犯罪の裁き方 後編
昨日の記事に引き続き、複数人による犯罪をどう裁くかについて書いていきます。
簡単に前回のおさらいをすると、人間は一人でいる時よりも複数人でいる時の方が抑制が効き辛く、犯罪にも手を出しやすくなるなるということを前提にします。その上である犯罪を複数人が実行した場合、一人がその犯罪を実行した時に課す刑罰を三人全員に課すべきか、それとも役割分担などによって分散などといった差別化を行うべきかという問題提起を行いました。
この問題について以前に友人と議論したのですが、議論のポイントは集団心理による心理的ハードルの低下を人間性として考慮すべきかどうかでした。これは以前にも書きましたが日本の刑法というのは基本的にはどうすればその犯人を更正できるかという視点で組まれており、更正させるために一年が必要なら懲役一年の判決となり、更正が不可能と判断されれば死刑となります。この更正できるかどうかを判断する上で何が重要となるかといえば言わずもがなの人間性で、私利私欲で犯罪を行ったのか、始めからその犯罪を実行することによって起こり得る結果を知っていたのか、実行後に後悔や反省をしているのかというのがポイントとなり、実際の裁判でもこういった点が審議されるようになります。
私が複数人の犯罪に対する刑罰について考えたのは、一人では自己抑制が利いてためらうような犯罪行為を複数でいたために実行してしまった場合についてです。一人だったらきっとそんな犯罪を実行しなかっただろうけど、仲間にほだかされて実行してしまった人に対してはまだ更正の余地があるとみて通常より減刑するべきかどうかといった具合に考えたのですが、この問いに対する友人の意見はというと、少なくとも犯罪を実行する段階でそれがどのように帰結するかは大抵わかるはずだとして、確かにそれを人間性と見ることは出来るとしても減刑の必要はないと答えました。その上で最初の問いである一つの犯罪を複数人で実行した場合でも役割によって分散させることなく全員が等しく同じ刑罰、つまり一人がその犯罪を実行した際に受ける刑罰を受けるべきだと主張しました。この友人の意見に私も同感です。
ただ二人とも全部が全部この原則を当てはめるべきでないとして、たとえば主犯格に強く脅迫されて加担してしまったとか、オウム事件などのように強力なマインドコントロールなどを施された場合はその程度に応じて減刑、場合によっては無罪とする必要があるという意見で一致しました。原則は原則として持つとしても杓子定規的に当てはめるのではなく、やはりケースバイケースで一つ一つの事件を裁くべきだとしました。
今回この記事で書いた内容は当初は頭の中にしまっておいて書くまでもないだろうと考えていたのですが、昨日に取り上げた連続リンチ殺人事件に続きちょっと考えさせられる事件の判決が出たことをきっかけに書く決心をしました。
・闇サイト殺人事件(Wikipedia)
この事件は「闇の職業安定所」というサイトを通じて知り合った男三人が大金を稼ぐ目的で始めから犯罪をするために集まり、帰宅途中の女性を殺害して現金やクレジットカードを奪ったという事件です。一審では二人に死刑、自首した一人に無期懲役刑という判決が下りましたが、一審判決に対して控訴しなかった主犯格の男は死刑で確定したもののつい先日に下りた二審判決では一審で死刑だった男、無期懲役刑だった男の二人に対して無期懲役が下りました。
普通に考えるなら、あくまで普通に考えるのなら確かに自首してきた男に対しては減刑もあり得るかもとも思えますが、そもそもこの三人は始めから殺人をも想定した犯罪を行う目的で集まって実際に殺人を実行しております。そんな人間に対して果たして自首したからといって減刑を行う必要があるのかとなると強く疑問を覚えます。また一審死刑から二審で無期懲役刑となった男についても、死刑が確定した主犯格の男が殺害を主導したとしても始めから殺害をも想定した犯罪に加担しておきながら何をかという思いがします。
この記事では敢えて「複数人による犯罪」と記述し、「集団犯罪」とは書きませんでした。法律的な定義を知っているわけでもなく具体的な違いを意識したわけではありませんが、集団犯罪と書くとなにか意味が異なるような感じがして使う気にはなれませんでした。私自身が個人主義思想が強いことが影響していると思いますが、すべての行動の帰結や責任は集団ではなく基本的には個人が請け負うべきだと考えております。今回取り上げた例はやや極端なものといえるかもしれませんが、集団や組織にいるからといって責任が分散されることはないという原則は集団に染まりやすい日本人だからこそ大事にするべきではないかということでまとめさせていただきます。
簡単に前回のおさらいをすると、人間は一人でいる時よりも複数人でいる時の方が抑制が効き辛く、犯罪にも手を出しやすくなるなるということを前提にします。その上である犯罪を複数人が実行した場合、一人がその犯罪を実行した時に課す刑罰を三人全員に課すべきか、それとも役割分担などによって分散などといった差別化を行うべきかという問題提起を行いました。
この問題について以前に友人と議論したのですが、議論のポイントは集団心理による心理的ハードルの低下を人間性として考慮すべきかどうかでした。これは以前にも書きましたが日本の刑法というのは基本的にはどうすればその犯人を更正できるかという視点で組まれており、更正させるために一年が必要なら懲役一年の判決となり、更正が不可能と判断されれば死刑となります。この更正できるかどうかを判断する上で何が重要となるかといえば言わずもがなの人間性で、私利私欲で犯罪を行ったのか、始めからその犯罪を実行することによって起こり得る結果を知っていたのか、実行後に後悔や反省をしているのかというのがポイントとなり、実際の裁判でもこういった点が審議されるようになります。
私が複数人の犯罪に対する刑罰について考えたのは、一人では自己抑制が利いてためらうような犯罪行為を複数でいたために実行してしまった場合についてです。一人だったらきっとそんな犯罪を実行しなかっただろうけど、仲間にほだかされて実行してしまった人に対してはまだ更正の余地があるとみて通常より減刑するべきかどうかといった具合に考えたのですが、この問いに対する友人の意見はというと、少なくとも犯罪を実行する段階でそれがどのように帰結するかは大抵わかるはずだとして、確かにそれを人間性と見ることは出来るとしても減刑の必要はないと答えました。その上で最初の問いである一つの犯罪を複数人で実行した場合でも役割によって分散させることなく全員が等しく同じ刑罰、つまり一人がその犯罪を実行した際に受ける刑罰を受けるべきだと主張しました。この友人の意見に私も同感です。
ただ二人とも全部が全部この原則を当てはめるべきでないとして、たとえば主犯格に強く脅迫されて加担してしまったとか、オウム事件などのように強力なマインドコントロールなどを施された場合はその程度に応じて減刑、場合によっては無罪とする必要があるという意見で一致しました。原則は原則として持つとしても杓子定規的に当てはめるのではなく、やはりケースバイケースで一つ一つの事件を裁くべきだとしました。
今回この記事で書いた内容は当初は頭の中にしまっておいて書くまでもないだろうと考えていたのですが、昨日に取り上げた連続リンチ殺人事件に続きちょっと考えさせられる事件の判決が出たことをきっかけに書く決心をしました。
・闇サイト殺人事件(Wikipedia)
この事件は「闇の職業安定所」というサイトを通じて知り合った男三人が大金を稼ぐ目的で始めから犯罪をするために集まり、帰宅途中の女性を殺害して現金やクレジットカードを奪ったという事件です。一審では二人に死刑、自首した一人に無期懲役刑という判決が下りましたが、一審判決に対して控訴しなかった主犯格の男は死刑で確定したもののつい先日に下りた二審判決では一審で死刑だった男、無期懲役刑だった男の二人に対して無期懲役が下りました。
普通に考えるなら、あくまで普通に考えるのなら確かに自首してきた男に対しては減刑もあり得るかもとも思えますが、そもそもこの三人は始めから殺人をも想定した犯罪を行う目的で集まって実際に殺人を実行しております。そんな人間に対して果たして自首したからといって減刑を行う必要があるのかとなると強く疑問を覚えます。また一審死刑から二審で無期懲役刑となった男についても、死刑が確定した主犯格の男が殺害を主導したとしても始めから殺害をも想定した犯罪に加担しておきながら何をかという思いがします。
この記事では敢えて「複数人による犯罪」と記述し、「集団犯罪」とは書きませんでした。法律的な定義を知っているわけでもなく具体的な違いを意識したわけではありませんが、集団犯罪と書くとなにか意味が異なるような感じがして使う気にはなれませんでした。私自身が個人主義思想が強いことが影響していると思いますが、すべての行動の帰結や責任は集団ではなく基本的には個人が請け負うべきだと考えております。今回取り上げた例はやや極端なものといえるかもしれませんが、集団や組織にいるからといって責任が分散されることはないという原則は集団に染まりやすい日本人だからこそ大事にするべきではないかということでまとめさせていただきます。
2011年4月17日日曜日
複数人による犯罪の裁き方 前編
・大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(Wikipedia)
先日、上記にリンクを貼った事件での被告三人に対し、最高刑である死刑が確定しました。最高裁の上告棄却時にはニュースとなって大きく報道されていたので知っている方も多いと思われますがこの事件の概要を簡単に私から説明すると、当時未成年だった三人の犯人はわずか十日間の間、何の落ち度もない人間四人を金銭恐喝目的などのため凄惨なリンチを加えて殺害しました。しかも捕縛後の裁判では犯人らは未成年ゆえに死刑になることはないなどと遺族を愚弄するような発言を繰り返し、反省する態度はほとんど見せることがなかったそうです。
結局一審では主犯格の一人が死刑、残りの二人が無期懲役となりましたが、続く二審では三人ともに死刑となり、今回の最高裁の棄却で高裁での判決が確定することとなりました。確定時のニュースでは犯行当時未成年だった人間に死刑が下りたというほかに、一度の事件で複数人に同時に死刑が下りたという点が強く取り上げられていたように思います。
この事件と判決に対する私の感想を述べると、その犯行の凄惨さといい犯人らの態度を見るにつけ死刑以外は考えられず、高裁、並びに最高裁の判断を支持します。ただ今回の判決を受け、複数人による犯罪では責任と刑罰は分散するのか、という点についてすこし思うところがありました。言い換えるなら、一人で一人を殺害するのに対して三人で一人を殺害するのとでは、その処罰は変わってくるのかということです。
私が今回のこの連続リンチ殺人事件の判決を報じるニュースを見た際に真っ先に思い浮かんだのは、かなり古いですが推理漫画というジャンルを開拓した「金田一少年の事件簿」の小説版第三巻、「電脳山荘殺人事件」という本でした。元々の漫画が推理漫画なだけにこの小説ももちろんミステリー小説なのですが、作中でミステリーマニアの集まりが完全犯罪の実行を目論見、確か八人くらいで役割を分担して目標とした人物の殺害を実行する話があります。
これだけ見るのならミステリーによくある話なのですが、なかなかに印象的だったのはこの時の殺人を追及された際の犯人メンバーの中の一人が、「私は電話をかけただけだ」と弁解するシーンです。
かなり昔に読んだので記憶がやや曖昧ですが、そのミステリーマニア達が殺人の際に一人一人が分担した作業というのは実に小さな作業の連続で、
・偽の電話をかけておびきだす
・あらかじめ電話ボックスのガラスを一部割っておく
・洗剤を捨てておく
などとさすがに全部は覚えていないのですが、こんな具合に小さな作業を組み合わせて殺人を実行してしまうのです。この殺人について主人公の金田一一はその手口以上に、作業の分担により犯人たちが殺人に対して覚える罪の呵責が非常に小さい点が特徴だと指摘します。正直なところ、本編のトリックは忘れてしまったにもかかわらずこの点に関しては未だに強く記憶に残っております。
このような一人では出来ないことも複数人ならやってしまうということは、みんなが渡るのを見て赤信号を一緒に渡ってしまうといったように実際の日常生活でも多々あるかと思います。複数人でいる場合、集団心理でも言うべきか倫理観などといった行動を規制するハードルというのは得てして下がるものです。
私が今回の連続リンチ殺人事件で考えたのはまさにこの点でした。無論この連続リンチ殺人事件の犯人らの行動は許し難く死刑もやむを得ないと思うものの、今後このような複数人によって実行される犯罪には、「ほかに仲間がいたから」という意識が犯行を決心する上で後押ししたのかということを裁判で考慮すべきかどうかということで少し悩みました。また同時に、一つの犯罪を共同で実行した犯人全員に、一人がその犯罪を実行した際に与えら得る刑罰を全員に課すべきなのか、役割分担の内容で刑に差別化(分散)を行うべきなのか、先日に友人と簡単に議論をしたわけです。
ちょっと長くなったので、久々に前後編に分けます。続きは次回にて。
先日、上記にリンクを貼った事件での被告三人に対し、最高刑である死刑が確定しました。最高裁の上告棄却時にはニュースとなって大きく報道されていたので知っている方も多いと思われますがこの事件の概要を簡単に私から説明すると、当時未成年だった三人の犯人はわずか十日間の間、何の落ち度もない人間四人を金銭恐喝目的などのため凄惨なリンチを加えて殺害しました。しかも捕縛後の裁判では犯人らは未成年ゆえに死刑になることはないなどと遺族を愚弄するような発言を繰り返し、反省する態度はほとんど見せることがなかったそうです。
結局一審では主犯格の一人が死刑、残りの二人が無期懲役となりましたが、続く二審では三人ともに死刑となり、今回の最高裁の棄却で高裁での判決が確定することとなりました。確定時のニュースでは犯行当時未成年だった人間に死刑が下りたというほかに、一度の事件で複数人に同時に死刑が下りたという点が強く取り上げられていたように思います。
この事件と判決に対する私の感想を述べると、その犯行の凄惨さといい犯人らの態度を見るにつけ死刑以外は考えられず、高裁、並びに最高裁の判断を支持します。ただ今回の判決を受け、複数人による犯罪では責任と刑罰は分散するのか、という点についてすこし思うところがありました。言い換えるなら、一人で一人を殺害するのに対して三人で一人を殺害するのとでは、その処罰は変わってくるのかということです。
私が今回のこの連続リンチ殺人事件の判決を報じるニュースを見た際に真っ先に思い浮かんだのは、かなり古いですが推理漫画というジャンルを開拓した「金田一少年の事件簿」の小説版第三巻、「電脳山荘殺人事件」という本でした。元々の漫画が推理漫画なだけにこの小説ももちろんミステリー小説なのですが、作中でミステリーマニアの集まりが完全犯罪の実行を目論見、確か八人くらいで役割を分担して目標とした人物の殺害を実行する話があります。
これだけ見るのならミステリーによくある話なのですが、なかなかに印象的だったのはこの時の殺人を追及された際の犯人メンバーの中の一人が、「私は電話をかけただけだ」と弁解するシーンです。
かなり昔に読んだので記憶がやや曖昧ですが、そのミステリーマニア達が殺人の際に一人一人が分担した作業というのは実に小さな作業の連続で、
・偽の電話をかけておびきだす
・あらかじめ電話ボックスのガラスを一部割っておく
・洗剤を捨てておく
などとさすがに全部は覚えていないのですが、こんな具合に小さな作業を組み合わせて殺人を実行してしまうのです。この殺人について主人公の金田一一はその手口以上に、作業の分担により犯人たちが殺人に対して覚える罪の呵責が非常に小さい点が特徴だと指摘します。正直なところ、本編のトリックは忘れてしまったにもかかわらずこの点に関しては未だに強く記憶に残っております。
このような一人では出来ないことも複数人ならやってしまうということは、みんなが渡るのを見て赤信号を一緒に渡ってしまうといったように実際の日常生活でも多々あるかと思います。複数人でいる場合、集団心理でも言うべきか倫理観などといった行動を規制するハードルというのは得てして下がるものです。
私が今回の連続リンチ殺人事件で考えたのはまさにこの点でした。無論この連続リンチ殺人事件の犯人らの行動は許し難く死刑もやむを得ないと思うものの、今後このような複数人によって実行される犯罪には、「ほかに仲間がいたから」という意識が犯行を決心する上で後押ししたのかということを裁判で考慮すべきかどうかということで少し悩みました。また同時に、一つの犯罪を共同で実行した犯人全員に、一人がその犯罪を実行した際に与えら得る刑罰を全員に課すべきなのか、役割分担の内容で刑に差別化(分散)を行うべきなのか、先日に友人と簡単に議論をしたわけです。
ちょっと長くなったので、久々に前後編に分けます。続きは次回にて。
2011年4月16日土曜日
気になるレジ袋、流通経路の謎
私は毎朝バナナと食パン(生)を食べて出勤してますが、いつもバナナを買っている青果店のレジ袋が前々から気になって仕方ないので、本日写真をアップします。
嘘かと思われるかもしれませんが、本当に上海のローカルな青果店で上のレジ袋が配られます。最初もらった時は一体何の間違いかと思いましたが、その後いつ行ってもこの袋があるのですでに四袋くらい保持しております。
多分このレジ袋に書かれている「ジャパンミート」というのはこの会社のことだと思いますが、一体どういう経路でこのレジ袋がその青果店に回ってきたのか、下手な麻薬とかの流通ルートより気になります。
嘘かと思われるかもしれませんが、本当に上海のローカルな青果店で上のレジ袋が配られます。最初もらった時は一体何の間違いかと思いましたが、その後いつ行ってもこの袋があるのですでに四袋くらい保持しております。
多分このレジ袋に書かれている「ジャパンミート」というのはこの会社のことだと思いますが、一体どういう経路でこのレジ袋がその青果店に回ってきたのか、下手な麻薬とかの流通ルートより気になります。
今日の買い物
先日に家賃の支払いが終わってどうにかお金周りが落ち着きを見せました。というのも中国で部屋を借りる際は基本的に数ヶ月単位で契約しなければならず、敷金としての一ヶ月分を含めると一回目に支払う金額はなかなか高いものとなってきます。以前に借りていた部屋などは六ヶ月契約ということで最初に六ヶ月分家賃+敷金一ヶ月分で、合計七か月分の家賃を支払う羽目となりました。今度の部屋は大家が割りといい人というかめちゃくちゃしゃべるおばさんだったことが幸いし、二ヵ月分+敷金で、合計三か月分の支払いだけで済みました。金額も多分参考にしたい人もいるかと思うので明かすと、一ヶ月分家賃は3000元(≒36000円)で、京都で住んでた下宿のが安かったりする。まぁ都市部だから仕方ないけど。
そんなわけでこれまで一回目の支払いがどれくらいになるかつかめずビクビクしていた日々から開放され、普段からケチなことで有名な私ですがさすがに今回はたまりにたまったものがあって消費意欲が高い状態で今日の週末を迎えました。まず買ったのは、これは昨日の仕事帰りですがパナソニック製の掃除機です。
部屋がフローリングであれば雑巾をつけるモップで十分ですが、今度の部屋は絨毯のために掃除する際には掃除機が絶対的に必要でした。そこで何を買おうかとあらかじめいろんな店へ行っていたのですが、最終的に目星をつけた店で悩んでいると店員が寄ってきてパナソニックの小さい、それこそリビングに置いとくような縦型掃除機を薦められて300元(≒3600円)で購入しました。ちょうど通販サイトに画像が載っているのでリンクを貼って置きますが、見てわかるように明らかに小さいためこれで部屋を掃除することを考えたらちょっと辛いんじゃないか、余っている商品を店員に薦められてるだけなんじゃないかという気もしましたが、「使えないものを使ってこそ一流」だなどと変な気を起こして結局買っちゃいました。
それで早速今日使ってみて掃除をしましたが、確かに小さくて場所をとらないのは非常にいいのですが、吸い口にローラがついてないのと妙に腰を下げて使わなければならないのとでちょっと失敗したかなとも思いましたが、吸ったごみは紙パックではなくプラスチックの内部にためられてすぐに捨てられるという単純な構造と、ごみの吸引力はなかなか高くまだ納得する掃除機でした。といいうのも前の住人のせいなのか自分が来るまで長らく空いてたのか、掃除をしたところリアルにゴミ袋がいっぱいになるまで埃がたまり、よくこんなところに一週間とはいえ掃除もせずに住んでたなどと自分で驚きました。ベッドの下からはタバコの吸殻とかが出てくる始末だし。
こうした掃除機に加え、かねてから念願だったあるものも本日購入しました。もったいぶらずに言うとそれは自転車で、以前に買った自転車は引越しに持ってくることが出来ずに置いていったこともあってこちらで二台目の自転車を何にするか虎視眈々と調べ続けておりました。今度の部屋は自転車が置き辛く、かといって外においてたらすぐ盗まれそうなので当初はあきらめようかとすら思っていたのですが、ひとつこちらで主流の折り畳み自転車に手を出してみようかという案が出てきました。
そんなこんだで購入したのが、この自転車です。折り畳むとこんな感じになります。
折り畳み自転車としては比較的タイヤは大きい方ですが、普通の自転車と比べたらやはり小さく見えます。ギアは六段変速で、何気にSHIMANO製です。
値段は560元(≒7200円)だったのですが、乗った感想としては思っていた以上に速度が出ます。当初はタイヤが小さいのでそれほど速度は出ないだろうと考えていましたがギアを上げれば通常の自転車と遜色なく簡単に時速20キロ程度の速度が出て、恐らく無風であれば時速30キロも問題なく出すことが出来るでしょう。ただ大きいタイヤに比べてこがない時の減速比率はやはり大きく、また漕ぎ出す際にハンドルを引っ張ると前輪が簡単に浮いてしまうことがあります。その一方でタイヤが小さいだけあって小回りが利き、車体の小ささとあいまって狭い路地で歩行者の動きに合わせる際は非常に運転しやすかったです。
折り畳んだ状態は写真で見るといかにも小さくまとまっているように見えるかもしれませんが、実際に折りたたんで見ると想定といくつかの点で異なっていました。まず折り畳み方ですが、メインフレームとハンドルを畳めるものの、メインフレームは止め金はずしたら簡単に曲げられるかと思ったらそうそう簡単には曲がってはくれず、前輪持ち上げて軽く蹴らないといけないほど力がいります。また畳んだ後も確かにナリは小さくなっているものの重量は変わらず重たく、片手で持って階段とかを長時間上ったりするようにほいほい持ち運ぶことは絶対に無理です。
そのほか見ればわかりますが畳んだ形はハンドルやらなにやらいろいろ出っ張ってるので一輪車みたいに壁に立てかけ辛く、架台もないためにこんな変な感じで座らせなるしかありません。むしろ元々の車体が小さいのだから、この際折り畳まない状態でストッパーかけて置く方がいいような気すらしてきました。
とはいえ通常の自転車より格段にコンパクトでそこそこ乗れるのでまぁ悪くない買い物だったとは思います。余計なトラブルさえなければ。
この辺が中国らしいというか、買う前から多分一つ、二つ、三つくらいは不具合はあるだろうなと思ってはいましたが、早速買った当日にサドル部のパーツが破損しました。乗ってる途中にちょうどジェットコースターが動き出すような感じで突然サドルが後ろにずれたかと思うと、サドルを突っ込むメインフレームのパイプ口につけられたプラスチック製パッキンが割れてフレーム自体も少し曲がってました。サドルはほとんどメインフレームが支えるのだから、そこまでパッキンに負荷はかからないのに。
そんなわけでまた自転車を購入したショッピングセンターに約一時間かけて歩いて戻ったのですが、応対した自転車の販売員からは買った当日にいきなり壊れたことに驚かれた上、本当に今日買ったのかと何度もたずねられました。というのもそこで自転車を購入する場合は通常、自転車専門の販売員がブレーキパッドやギアの調整をした後で清算するのですが、私が購入した際は普通の店員に、「これほしいんだけど」と私が言ったら即、「じゃ、レジ持ってって」とその店員に言われて何の調整もせずに清算したせいで、自転車販売の店員も売った記憶がないために困惑してました。買った私の側も、なんで調整しないんだろうと疑問に感じてたくらいだし。
ただその後の店の対応は悪くなく、最終的には同じ型の自転車と交換してくれました。最初買った方は調整なしだったために後輪のブレーキが弱かったのですが、新しいのは調整しただけあって以前よりブレーキがよくなりました。その一方で調整したくせにギアの噛みが不安定になり、外出ていきなりチェーンが外れたりしたけど。
あらかじめ書いておきますが、本当にこういうことは中国では日常茶飯事です。売った後に何のサポートや補償もないことも多く、まだこうして対応してもらえるだけマシだと思えるくらいに自分もこなれてきました。多分この自転車もしばらく乗ってればペダルが外れるなりヒビが入るなりどんどん不具合が発生することでしょうが、そういうのにいちいちムキになってたら冗談抜きで体が持ちません。今回の自転車も、内心では900元の自転車を当初は買おうかと思ってたものの、どうせすぐ壊れるだろうと思ってこっちの560元の自転車にしたくらいですし。
一番怖いのは乗っている時にどっかが壊れ、事故を起こしてしまう事です。特に自分なんか乗り方がやや激しいので注意してますが、今回はサドルが曲がる程度で済んで幸運だったと思います。漫画みたいに乗ってる最中にハンドルが突然抜けるなんてことがないのを本気で祈りますが、そういうことが実際に起こり得るのが中国だからなぁ。
そんなわけでこれまで一回目の支払いがどれくらいになるかつかめずビクビクしていた日々から開放され、普段からケチなことで有名な私ですがさすがに今回はたまりにたまったものがあって消費意欲が高い状態で今日の週末を迎えました。まず買ったのは、これは昨日の仕事帰りですがパナソニック製の掃除機です。
部屋がフローリングであれば雑巾をつけるモップで十分ですが、今度の部屋は絨毯のために掃除する際には掃除機が絶対的に必要でした。そこで何を買おうかとあらかじめいろんな店へ行っていたのですが、最終的に目星をつけた店で悩んでいると店員が寄ってきてパナソニックの小さい、それこそリビングに置いとくような縦型掃除機を薦められて300元(≒3600円)で購入しました。ちょうど通販サイトに画像が載っているのでリンクを貼って置きますが、見てわかるように明らかに小さいためこれで部屋を掃除することを考えたらちょっと辛いんじゃないか、余っている商品を店員に薦められてるだけなんじゃないかという気もしましたが、「使えないものを使ってこそ一流」だなどと変な気を起こして結局買っちゃいました。
それで早速今日使ってみて掃除をしましたが、確かに小さくて場所をとらないのは非常にいいのですが、吸い口にローラがついてないのと妙に腰を下げて使わなければならないのとでちょっと失敗したかなとも思いましたが、吸ったごみは紙パックではなくプラスチックの内部にためられてすぐに捨てられるという単純な構造と、ごみの吸引力はなかなか高くまだ納得する掃除機でした。といいうのも前の住人のせいなのか自分が来るまで長らく空いてたのか、掃除をしたところリアルにゴミ袋がいっぱいになるまで埃がたまり、よくこんなところに一週間とはいえ掃除もせずに住んでたなどと自分で驚きました。ベッドの下からはタバコの吸殻とかが出てくる始末だし。
こうした掃除機に加え、かねてから念願だったあるものも本日購入しました。もったいぶらずに言うとそれは自転車で、以前に買った自転車は引越しに持ってくることが出来ずに置いていったこともあってこちらで二台目の自転車を何にするか虎視眈々と調べ続けておりました。今度の部屋は自転車が置き辛く、かといって外においてたらすぐ盗まれそうなので当初はあきらめようかとすら思っていたのですが、ひとつこちらで主流の折り畳み自転車に手を出してみようかという案が出てきました。
そんなこんだで購入したのが、この自転車です。折り畳むとこんな感じになります。
折り畳み自転車としては比較的タイヤは大きい方ですが、普通の自転車と比べたらやはり小さく見えます。ギアは六段変速で、何気にSHIMANO製です。
値段は560元(≒7200円)だったのですが、乗った感想としては思っていた以上に速度が出ます。当初はタイヤが小さいのでそれほど速度は出ないだろうと考えていましたがギアを上げれば通常の自転車と遜色なく簡単に時速20キロ程度の速度が出て、恐らく無風であれば時速30キロも問題なく出すことが出来るでしょう。ただ大きいタイヤに比べてこがない時の減速比率はやはり大きく、また漕ぎ出す際にハンドルを引っ張ると前輪が簡単に浮いてしまうことがあります。その一方でタイヤが小さいだけあって小回りが利き、車体の小ささとあいまって狭い路地で歩行者の動きに合わせる際は非常に運転しやすかったです。
折り畳んだ状態は写真で見るといかにも小さくまとまっているように見えるかもしれませんが、実際に折りたたんで見ると想定といくつかの点で異なっていました。まず折り畳み方ですが、メインフレームとハンドルを畳めるものの、メインフレームは止め金はずしたら簡単に曲げられるかと思ったらそうそう簡単には曲がってはくれず、前輪持ち上げて軽く蹴らないといけないほど力がいります。また畳んだ後も確かにナリは小さくなっているものの重量は変わらず重たく、片手で持って階段とかを長時間上ったりするようにほいほい持ち運ぶことは絶対に無理です。
そのほか見ればわかりますが畳んだ形はハンドルやらなにやらいろいろ出っ張ってるので一輪車みたいに壁に立てかけ辛く、架台もないためにこんな変な感じで座らせなるしかありません。むしろ元々の車体が小さいのだから、この際折り畳まない状態でストッパーかけて置く方がいいような気すらしてきました。
とはいえ通常の自転車より格段にコンパクトでそこそこ乗れるのでまぁ悪くない買い物だったとは思います。余計なトラブルさえなければ。
この辺が中国らしいというか、買う前から多分一つ、二つ、三つくらいは不具合はあるだろうなと思ってはいましたが、早速買った当日にサドル部のパーツが破損しました。乗ってる途中にちょうどジェットコースターが動き出すような感じで突然サドルが後ろにずれたかと思うと、サドルを突っ込むメインフレームのパイプ口につけられたプラスチック製パッキンが割れてフレーム自体も少し曲がってました。サドルはほとんどメインフレームが支えるのだから、そこまでパッキンに負荷はかからないのに。
そんなわけでまた自転車を購入したショッピングセンターに約一時間かけて歩いて戻ったのですが、応対した自転車の販売員からは買った当日にいきなり壊れたことに驚かれた上、本当に今日買ったのかと何度もたずねられました。というのもそこで自転車を購入する場合は通常、自転車専門の販売員がブレーキパッドやギアの調整をした後で清算するのですが、私が購入した際は普通の店員に、「これほしいんだけど」と私が言ったら即、「じゃ、レジ持ってって」とその店員に言われて何の調整もせずに清算したせいで、自転車販売の店員も売った記憶がないために困惑してました。買った私の側も、なんで調整しないんだろうと疑問に感じてたくらいだし。
ただその後の店の対応は悪くなく、最終的には同じ型の自転車と交換してくれました。最初買った方は調整なしだったために後輪のブレーキが弱かったのですが、新しいのは調整しただけあって以前よりブレーキがよくなりました。その一方で調整したくせにギアの噛みが不安定になり、外出ていきなりチェーンが外れたりしたけど。
あらかじめ書いておきますが、本当にこういうことは中国では日常茶飯事です。売った後に何のサポートや補償もないことも多く、まだこうして対応してもらえるだけマシだと思えるくらいに自分もこなれてきました。多分この自転車もしばらく乗ってればペダルが外れるなりヒビが入るなりどんどん不具合が発生することでしょうが、そういうのにいちいちムキになってたら冗談抜きで体が持ちません。今回の自転車も、内心では900元の自転車を当初は買おうかと思ってたものの、どうせすぐ壊れるだろうと思ってこっちの560元の自転車にしたくらいですし。
一番怖いのは乗っている時にどっかが壊れ、事故を起こしてしまう事です。特に自分なんか乗り方がやや激しいので注意してますが、今回はサドルが曲がる程度で済んで幸運だったと思います。漫画みたいに乗ってる最中にハンドルが突然抜けるなんてことがないのを本気で祈りますが、そういうことが実際に起こり得るのが中国だからなぁ。
2011年4月15日金曜日
銃が人を殺すのか
今日事務所内で作業をしていたところ、どこかから迷い込んできた蜂が窓から入ってきました。さすがにハエ程度であれば誰も気にしませんが蜂ともなるとそうもいかず、誰かどうにかしろとみんなで言い合って最終的には私が新聞で叩き落としたのですが、飛んでいる蜂を叩いたものですから致命傷を与えることは出来ず地面に落ちた蜂は再び飛ばないもののまだ動いていました。そこで止めとばかりに二、三回続けて新聞で叩きましたがそれでもなお蜂は生き続け、それこそ上に新聞を置いて踏み潰しでもすれば一発だったでしょうがどうにもそうした気分にはなれず、散々叩いておきながら最終的には新聞にのっけて外に放り投げました。もしかしたらその後アリにでも食べられたのかもしれませんが、後でその場所に来てみると蜂の姿はありませんでした。
仮に事務所内に殺虫剤があれば、私は迷うことなく蜂を殺虫していたと思います。私がとどめをためらったのは新聞紙で直接叩き殺そうとしたということにほかなりません。私が何故新聞紙で直接叩き殺せなかったのは思い切り叩いて地面や壁に変にこびりついたら嫌だと感じたのと、もはや飛ぶ力もないのに止めを刺すべきなのかと憐憫を感じたからです。もちろんそんなの私の勝手な感情といえばそれまでですが、殺虫剤だったら躊躇なく殺せるだろうと考えるとなんだか奇妙な感じがしました。
殺虫剤であれば確かに破片がこびりついたり飛んだりすることなく殺すことが出来ますが、それ以上に変な言い方をするとごくごくスマートに、自分の手を汚さない感じで殺せるからこそ躊躇を覚えないのだと思います。敢えて例えて言うのであれば人間を金属バットで叩き殺すのと拳銃で撃ち殺すのとでは抵抗感が異なるようなものだと考えています。
随分と不謹慎な言い方が続きますが、やはり銃で人を殺すのは殺虫剤で虫を殺すように自分の手をほとんど汚さず、スマートに殺せる手段だと思います。それゆえに鈍器や刃物を使って殺すのとでは抵抗感が非常に低く、仮に手元にあればちょっとした感情で使用して間違いを犯してしまう確率も高い気がします。アメリカ最大のロビー団体である全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ」というスローガンの下に銃の普及を訴えていますが、私はこれは完全にとは言わないまでもやはり間違いであり、銃が人を殺人に誘い込むのだと思います。
そういう意味で変な間違いを起こさないようにするためには、身近なところに凶器となりうる余計なものは置かないに越したことはないと思います。それこそ90年代後半に一時流行ったバタフライナイフなどは仕事で使う人以外であれば以ってのほかで、使わないのであれば持たない方がその人にとっても周りにとってもよいのではないかと考えています。
ちなみに私は生来の虫嫌いで見るのも触るのも嫌で、夏休みの昆虫採集なんて誰が考えたんだって言いたい位に毛嫌いしていました。たださすがに一人暮らしの経験を積んだことでゴキブリについては平気で靴で踏み潰す程度のことは出来るようになったのですが、先週にまた移った部屋はそれまでの手入れがあまりされていなかったためかゴキブリが大量に潜んでおりました。ちょうど使うこともあるだろうと思って日本から持ってきていたホウ酸団子を播いて現在対応中ですが、仕事が終わって帰宅するたびに毎夜あちこちにゴキブリの死骸が転がっているのを見て、気分的にはFF6のケフカになったような気がしました。
仮に事務所内に殺虫剤があれば、私は迷うことなく蜂を殺虫していたと思います。私がとどめをためらったのは新聞紙で直接叩き殺そうとしたということにほかなりません。私が何故新聞紙で直接叩き殺せなかったのは思い切り叩いて地面や壁に変にこびりついたら嫌だと感じたのと、もはや飛ぶ力もないのに止めを刺すべきなのかと憐憫を感じたからです。もちろんそんなの私の勝手な感情といえばそれまでですが、殺虫剤だったら躊躇なく殺せるだろうと考えるとなんだか奇妙な感じがしました。
殺虫剤であれば確かに破片がこびりついたり飛んだりすることなく殺すことが出来ますが、それ以上に変な言い方をするとごくごくスマートに、自分の手を汚さない感じで殺せるからこそ躊躇を覚えないのだと思います。敢えて例えて言うのであれば人間を金属バットで叩き殺すのと拳銃で撃ち殺すのとでは抵抗感が異なるようなものだと考えています。
随分と不謹慎な言い方が続きますが、やはり銃で人を殺すのは殺虫剤で虫を殺すように自分の手をほとんど汚さず、スマートに殺せる手段だと思います。それゆえに鈍器や刃物を使って殺すのとでは抵抗感が非常に低く、仮に手元にあればちょっとした感情で使用して間違いを犯してしまう確率も高い気がします。アメリカ最大のロビー団体である全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ」というスローガンの下に銃の普及を訴えていますが、私はこれは完全にとは言わないまでもやはり間違いであり、銃が人を殺人に誘い込むのだと思います。
そういう意味で変な間違いを起こさないようにするためには、身近なところに凶器となりうる余計なものは置かないに越したことはないと思います。それこそ90年代後半に一時流行ったバタフライナイフなどは仕事で使う人以外であれば以ってのほかで、使わないのであれば持たない方がその人にとっても周りにとってもよいのではないかと考えています。
ちなみに私は生来の虫嫌いで見るのも触るのも嫌で、夏休みの昆虫採集なんて誰が考えたんだって言いたい位に毛嫌いしていました。たださすがに一人暮らしの経験を積んだことでゴキブリについては平気で靴で踏み潰す程度のことは出来るようになったのですが、先週にまた移った部屋はそれまでの手入れがあまりされていなかったためかゴキブリが大量に潜んでおりました。ちょうど使うこともあるだろうと思って日本から持ってきていたホウ酸団子を播いて現在対応中ですが、仕事が終わって帰宅するたびに毎夜あちこちにゴキブリの死骸が転がっているのを見て、気分的にはFF6のケフカになったような気がしました。
2011年4月14日木曜日
歴史が逆転する時
このところ毎晩上司に夕食をおごってもらっている関係でなかなかブログを書く時間がありません。あとどうでもいいですが、OSが中国仕様なのが影響しているのかどうも文章書いてて漢字の変換が妙な具合に反映されます。
そういうわけで困った時の歴史ネタですが、以前に聞いた話でもしかしたら陽月秘話時代にも書いているかもしれませんが、20世紀後半にヨーロッパで酸性雨が問題となった時期、ヨーロッパの各地では彫像や建築物が雨によって溶ける現象が続発していました。現在では大分改善されてそういったことはほとんどなくなってはいるのですが、そういった時期を過ごしているにもかかわらず観光地になっているような古代ギリシャに作られたような神殿などは一切溶けることはなく、往年のその姿を保ち続けていました。これは一体何故かと言うと、実は古代ギリシャの建築に使われたコンクリートの製造技術は非常に高く、それこそ二十世紀末になるまで同等の品質のコンクリートを作ることが出来なかったそうです。
現代の生活をしているとパソコンを始めとして技術や製法というものは後の時代になればなるほど優れたものになると思いがちですが、実際の歴史を見るとこのコンクリートの例のように往々にして過去の技術が上回る、というより技術が時代とともに後退するということが起こっています。同じく古代ギリシャを例に取ると数学は次のローマ帝国時代には早くも後退し、十七世紀くらいになるまで追いつくことはありませんでした。
日本だと職人芸がよく失われることが多く、代表的な例だと戦艦大和は現代のどんな技術を要しても再現することは不可能と言われております。何でも大和の装甲は溶接でもリベット止めでもなく、プラモデルのように何トンもある装甲同士に数ミリ単位の凹凸を設けて、それらを噛み合わせてつなげていたそうです。木や紙ならともかく、削ったり曲げたりすることの出来ない鋼鉄でよくそんな芸当が出来たものだとつくづく戦前の日本には感心させられます。
これは社会主義の人間に多いですが、進歩主義と言って歴史というのは下っていくにつれて後退することなくどんどん良くなるという思想がありますが、私はこれは根本的に間違っていると考えております。知識や技術というものは本当にちょっとしたことで簡単に失われる可能性があり、それこそ発展させるだけでなく維持するということ自体も本当は大変な作業だと思います。東洋では「温故知新」という言葉を筆頭に比較的過去を省みる思想が多く、儒教に至っては紀元前十世紀の周の時代が最も良い時代で、いかにしてその時代に戻るかということが追求されるほどの徹底っぷりです。まぁそのせいで十九世紀はごたごたしたんだけど。
そういうわけで困った時の歴史ネタですが、以前に聞いた話でもしかしたら陽月秘話時代にも書いているかもしれませんが、20世紀後半にヨーロッパで酸性雨が問題となった時期、ヨーロッパの各地では彫像や建築物が雨によって溶ける現象が続発していました。現在では大分改善されてそういったことはほとんどなくなってはいるのですが、そういった時期を過ごしているにもかかわらず観光地になっているような古代ギリシャに作られたような神殿などは一切溶けることはなく、往年のその姿を保ち続けていました。これは一体何故かと言うと、実は古代ギリシャの建築に使われたコンクリートの製造技術は非常に高く、それこそ二十世紀末になるまで同等の品質のコンクリートを作ることが出来なかったそうです。
現代の生活をしているとパソコンを始めとして技術や製法というものは後の時代になればなるほど優れたものになると思いがちですが、実際の歴史を見るとこのコンクリートの例のように往々にして過去の技術が上回る、というより技術が時代とともに後退するということが起こっています。同じく古代ギリシャを例に取ると数学は次のローマ帝国時代には早くも後退し、十七世紀くらいになるまで追いつくことはありませんでした。
日本だと職人芸がよく失われることが多く、代表的な例だと戦艦大和は現代のどんな技術を要しても再現することは不可能と言われております。何でも大和の装甲は溶接でもリベット止めでもなく、プラモデルのように何トンもある装甲同士に数ミリ単位の凹凸を設けて、それらを噛み合わせてつなげていたそうです。木や紙ならともかく、削ったり曲げたりすることの出来ない鋼鉄でよくそんな芸当が出来たものだとつくづく戦前の日本には感心させられます。
これは社会主義の人間に多いですが、進歩主義と言って歴史というのは下っていくにつれて後退することなくどんどん良くなるという思想がありますが、私はこれは根本的に間違っていると考えております。知識や技術というものは本当にちょっとしたことで簡単に失われる可能性があり、それこそ発展させるだけでなく維持するということ自体も本当は大変な作業だと思います。東洋では「温故知新」という言葉を筆頭に比較的過去を省みる思想が多く、儒教に至っては紀元前十世紀の周の時代が最も良い時代で、いかにしてその時代に戻るかということが追求されるほどの徹底っぷりです。まぁそのせいで十九世紀はごたごたしたんだけど。
2011年4月12日火曜日
電子書籍について
昨年からタブレット型PCが相次いで発売されたことを受けて、日本の出版社らもようやく重い腰を上げて徐々にですが電子書籍販売に手を出すようになって来ました。ただ売れ行きはどうかというと元々の書籍離れもあり、今のところ目立って売り上げが伸びているという話はまだ聞きません。
そんな電子書籍ですが、はっきり言って日本にいた頃は私はそれほど興味がありませんでした。一度Sophieさんに小説をでも書いて電子出版で公開してみたらと誘われてひとつ手を出してみようかと考えた時期もありましたが、あいにくこちらのブログばかり書いてて小説まで手が回らず、結局お流れになってしまってます。
私がそれほど電子書籍に興味が持てなかったのは、まず単純にタブレット型PCはおろかスマートフォンすらまだ持ったことがなく、なんとなく画面で書籍を読むということに抵抗があったということと、まだ書籍の形で手に取ったほうが見やすいのではないかという理由からでした。ただ新聞などニュース記事であればすでにパソコンで見るのが主流となりつつあるので、こういったものが整備されてきたあたりにでも手を出そうかという風に考えてました。
しかしここにきて、少し事情が変わったというか電子書籍に本気で手を出そうかと検討し始めております。というのも海外に滞在していると日本の書籍を購入するのも一苦労で、電子書籍であればこちらでも見ることが出来るのではないかと考えたからです。具体的に検討しているのは日本にいた頃に購読していた文芸春秋で、ちょうど今年に入ってから電子書籍での配信を始めたと聞いたのでこの際契約して、こっちで読んでしまおうかと検討しているのですが、さすがにあれだけの分少量をモニタで見るというのもちょっと気が引けるところもありまだ契約に至れずにいます。また文芸春秋のような字がびっしりの雑誌とまでいかずとも、漫画雑誌や単行本の電子配信が出ているのであればそれらを契約するのいいかもしれません。
案外日本にいたときは気がつきませんでした、日本の書籍が手に入り辛い海外ではこうした電子書籍の存在は思った以上にでかいです。それこそ日本人が今以上に海外に出るようになればもっと需要が伸びるかもしれませんし、また日本人向けでなくとも海外の漫画ファンらに翻訳版をリアルタイムで配信するというのもありかもしれません。もっともそれは違法なところがすでにやってるでしょうが。
そんな電子書籍ですが、はっきり言って日本にいた頃は私はそれほど興味がありませんでした。一度Sophieさんに小説をでも書いて電子出版で公開してみたらと誘われてひとつ手を出してみようかと考えた時期もありましたが、あいにくこちらのブログばかり書いてて小説まで手が回らず、結局お流れになってしまってます。
私がそれほど電子書籍に興味が持てなかったのは、まず単純にタブレット型PCはおろかスマートフォンすらまだ持ったことがなく、なんとなく画面で書籍を読むということに抵抗があったということと、まだ書籍の形で手に取ったほうが見やすいのではないかという理由からでした。ただ新聞などニュース記事であればすでにパソコンで見るのが主流となりつつあるので、こういったものが整備されてきたあたりにでも手を出そうかという風に考えてました。
しかしここにきて、少し事情が変わったというか電子書籍に本気で手を出そうかと検討し始めております。というのも海外に滞在していると日本の書籍を購入するのも一苦労で、電子書籍であればこちらでも見ることが出来るのではないかと考えたからです。具体的に検討しているのは日本にいた頃に購読していた文芸春秋で、ちょうど今年に入ってから電子書籍での配信を始めたと聞いたのでこの際契約して、こっちで読んでしまおうかと検討しているのですが、さすがにあれだけの分少量をモニタで見るというのもちょっと気が引けるところもありまだ契約に至れずにいます。また文芸春秋のような字がびっしりの雑誌とまでいかずとも、漫画雑誌や単行本の電子配信が出ているのであればそれらを契約するのいいかもしれません。
案外日本にいたときは気がつきませんでした、日本の書籍が手に入り辛い海外ではこうした電子書籍の存在は思った以上にでかいです。それこそ日本人が今以上に海外に出るようになればもっと需要が伸びるかもしれませんし、また日本人向けでなくとも海外の漫画ファンらに翻訳版をリアルタイムで配信するというのもありかもしれません。もっともそれは違法なところがすでにやってるでしょうが。
2011年4月9日土曜日
徳川家光の姉の話
敢えて趣向を凝らしたタイトルにしましたが、徳川家光の姉と聞いてとっさに誰だかわかる人はそう多くないと思います。これは冷静に考えれば難しくはないのですが、家光の姉とはほかならぬ、豊臣秀頼の正室であった千姫です。
・千姫(Wikipedia)
千姫というと徳川家の豊臣家の間を取り持つためにわずか七歳にして豊臣秀頼と結婚し、その後婚姻を取り結んだ張本人である実の父と祖父によって嫁ぎ先の豊臣家が滅ぼされてしまうなど運命に翻弄された女性というイメージがもたれているかと思います。実際に戦国時代を通して見ても淀君などにも劣らない波乱万丈振りでありますが、豊臣家崩壊後の千姫の人生については語られることはそれほど多くありません。
大阪夏の陣後、千姫は一旦は両親のいる江戸の元へ身を寄せるのですが、この際に秀頼とその側室から生まれた奈阿姫の助命に奔走しております。奈阿姫は豊臣家の血縁ということで当初は処刑するべきという声が強かったのですが、この時に千姫は奈阿姫を自分の養子にし、文字通り身を挺してその命を守ろうとしました。ちなみにこの時船姫は十八歳、奈阿姫は六歳です。最終的にはこの千姫らの努力が実って奈阿姫は助命が許されるのですが、その後奈阿姫は鎌倉の東慶寺に入り、この寺を女性の駆け込み寺こと縁切り寺として確立させます。
ちょっとこちらも合わせて説明すると、江戸時代は夫婦間での離婚決定権は男性にしかなく、女性はたとえ夫にどれだけ不満があろうとも勝手に離婚することは許されておりませんでした。しかしそうした女性の救済策というか特例として、東慶寺をはじめとした幕府公認の縁切り寺に駆け込んで一定の修行期間を積めば女性の側から夫に離婚を突きつけることが許されていました。この制度の成立過程で奈阿姫は一定の役割を果たしたといわれております。
話は千姫に戻りますが、夏の陣から一年後に徳川四天王であった本田忠勝の孫の本田忠刻と再婚をします。再婚相手の忠刻とは仲が良かったそうですが残念なことに忠刻はわずか三十一歳で早世し、二回も夫に先立たれるという不幸を経験します。その後は本多家を出て江戸に再び出戻り、奈阿姫のいる東慶寺を支援するなどして過ごして七十歳で天寿を全うしております。
こうして経歴をざらっと見てみると実に興味深い人物で、性格についても奈阿姫の助命を行うなどさすがは家康の孫とも呼べるような毅然さです。七歳で輿入りして嫁ぎ先が滅んだことからフランスのマリー・アントワネットと重なるところもありますが、実際には豊臣家が滅んだ後の人生の方が後世への影響が強い点で大きく異なります。
私がこの千姫の後年の人生を知ったのはせがわまさき氏による「Y十M ~柳生忍法帖~」という漫画を読んだことがきっかけでしたが、千姫同様にこの漫画で取り上げられている会津騒動も今まであまり知らず、自らの不勉強を大いに恥じました。もっとも歴史に詳しい友人も知らなくて一緒に驚いたんだけど。
さらについでに書いておくと、この会津騒動で当初会津を治めていた加藤嘉明に始まる加藤家は減封の上の転封となり、代わりに治めることとなったのは秀忠が一生に一度の浮気で生んだ保科正之です。この保科正之に始まるのが会津松平家で、幕末期にはどの徳川親藩家よりも幕府再興に尽力するなど徳川家最大の藩屏として歴史に大きく名を残すこととなります。最後に止めとばかりにもうひとつ書いておくと、現在の徳川宗家当主の徳川恒孝氏はこの会津松平家出身で、Wikipediaにはこんな面白いエピソードが載せられております。
「日本郵船に勤務していた際、恒孝と加賀前田家18代当主前田利祐(現宮内庁委嘱掌典)は、一時期、本社の同じ部署で勤務していたことがあり、その時の上司が『徳川と前田家の当主を使うのは太閤(豊臣秀吉)以来だろうな』と笑ったという話がある。」
・千姫(Wikipedia)
千姫というと徳川家の豊臣家の間を取り持つためにわずか七歳にして豊臣秀頼と結婚し、その後婚姻を取り結んだ張本人である実の父と祖父によって嫁ぎ先の豊臣家が滅ぼされてしまうなど運命に翻弄された女性というイメージがもたれているかと思います。実際に戦国時代を通して見ても淀君などにも劣らない波乱万丈振りでありますが、豊臣家崩壊後の千姫の人生については語られることはそれほど多くありません。
大阪夏の陣後、千姫は一旦は両親のいる江戸の元へ身を寄せるのですが、この際に秀頼とその側室から生まれた奈阿姫の助命に奔走しております。奈阿姫は豊臣家の血縁ということで当初は処刑するべきという声が強かったのですが、この時に千姫は奈阿姫を自分の養子にし、文字通り身を挺してその命を守ろうとしました。ちなみにこの時船姫は十八歳、奈阿姫は六歳です。最終的にはこの千姫らの努力が実って奈阿姫は助命が許されるのですが、その後奈阿姫は鎌倉の東慶寺に入り、この寺を女性の駆け込み寺こと縁切り寺として確立させます。
ちょっとこちらも合わせて説明すると、江戸時代は夫婦間での離婚決定権は男性にしかなく、女性はたとえ夫にどれだけ不満があろうとも勝手に離婚することは許されておりませんでした。しかしそうした女性の救済策というか特例として、東慶寺をはじめとした幕府公認の縁切り寺に駆け込んで一定の修行期間を積めば女性の側から夫に離婚を突きつけることが許されていました。この制度の成立過程で奈阿姫は一定の役割を果たしたといわれております。
話は千姫に戻りますが、夏の陣から一年後に徳川四天王であった本田忠勝の孫の本田忠刻と再婚をします。再婚相手の忠刻とは仲が良かったそうですが残念なことに忠刻はわずか三十一歳で早世し、二回も夫に先立たれるという不幸を経験します。その後は本多家を出て江戸に再び出戻り、奈阿姫のいる東慶寺を支援するなどして過ごして七十歳で天寿を全うしております。
こうして経歴をざらっと見てみると実に興味深い人物で、性格についても奈阿姫の助命を行うなどさすがは家康の孫とも呼べるような毅然さです。七歳で輿入りして嫁ぎ先が滅んだことからフランスのマリー・アントワネットと重なるところもありますが、実際には豊臣家が滅んだ後の人生の方が後世への影響が強い点で大きく異なります。
私がこの千姫の後年の人生を知ったのはせがわまさき氏による「Y十M ~柳生忍法帖~」という漫画を読んだことがきっかけでしたが、千姫同様にこの漫画で取り上げられている会津騒動も今まであまり知らず、自らの不勉強を大いに恥じました。もっとも歴史に詳しい友人も知らなくて一緒に驚いたんだけど。
さらについでに書いておくと、この会津騒動で当初会津を治めていた加藤嘉明に始まる加藤家は減封の上の転封となり、代わりに治めることとなったのは秀忠が一生に一度の浮気で生んだ保科正之です。この保科正之に始まるのが会津松平家で、幕末期にはどの徳川親藩家よりも幕府再興に尽力するなど徳川家最大の藩屏として歴史に大きく名を残すこととなります。最後に止めとばかりにもうひとつ書いておくと、現在の徳川宗家当主の徳川恒孝氏はこの会津松平家出身で、Wikipediaにはこんな面白いエピソードが載せられております。
「日本郵船に勤務していた際、恒孝と加賀前田家18代当主前田利祐(現宮内庁委嘱掌典)は、一時期、本社の同じ部署で勤務していたことがあり、その時の上司が『徳川と前田家の当主を使うのは太閤(豊臣秀吉)以来だろうな』と笑ったという話がある。」
2011年4月8日金曜日
震災復興によって起こり得る変化
昨夜はまた東北地方で大きな地震が起こったようで、被災地の方々は不安な日々を送られているかと思います。時間が経ったとはいえまだまだ油断の出来ない日々が続きますが、どうか気持ちをしっかり持ってこの難局を早く乗り越えられるようお祈り申し上げます。
さて各界では徐々にですが復興に向けた動きが始まっており、今後の対策についても活発な議論を見受けられます。そのような議論やニュースを見ていて、いくつかこれまで存在した慣習や制度が変更されるのではと思う節があり、今日はそのような震災を受けて変わる可能性のあるものについて私の考えを紹介しようと思います。
1、新卒採用選考時期
今回の地震が新卒の就職活動シーズン真っ最中であったことを受け、一部の企業では採用選考の時期を延期したり説明会の数を増やすなどして被災地の学生に対する対応を行いました。元々これ以前から近年の就職活動シーズンの極端な早期化が学生にとって負担になっていると問題提起されており、去年にある大手商社が遅らせると言ったのを皮切りに経団連加盟企業などでも、実際に守られたかどうか非常に怪しいものですが、選考開始時期を春以降にすると発表していた矢先でした。
私としてはここはもうズバッと、「選考は昔通りに夏以降にする」と言い切る企業が出てきてくれないものかと内心期待しましたが、さすがにここまでする企業は今のところまだ見ません。ただ全体としては確実に延期はされているようで、これを契機に就職活動の早期化に全体で歯止めをかけたほうがよいのではないかと考えています。
私は以前から今の就職活動シーズンは学生、企業双方にとってデメリットしかなく、昔のように秋以降の選考に戻すべきだと主張してきました。学生にとってのデメリットは言うまでもなく学業面での支障、ならびに就職活動の長期化による多方面の拘束ですが、企業側のデメリットとしては人事部業務の集中が挙げられます。
実際に人事部で働いた経験があるわけでもないのであくまで素人として意見を言わせてもらうと、三月から四月にかけては社内の人事異動、成果査定、退職者対応、新入社員研修と、傍から見ていると人事はやることがいっぱいあって採用選考なんてやってる暇なんかあるのかと疑問に感じます。上記四つの仕事内容は時期が選べないから仕方ないとしても採用選考だけならなにもこの時期にやる必要はなく、仕事を分散するという意味でもやはり秋頃にやるべきなのではないかと思います。
なお蛇足ですが今回の震災後の人事対応で、トンボ鉛筆の話は聞いてていろいろ呆れました。私は元々三菱鉛筆の愛用者ですが、トンボ鉛筆はこれからは意図的に避けようと思います。本気で。
2、休日分散化
去年に民主党内ではゴールデンウィークやお盆の長期休暇を業界ごとに分散化するという休日分散化案が議論されましたが、この案は私の目からすると世間一般の反応はどちらかといえばあまりよくなく、結局民主党内でも法案の提出は見送られました。しかしここにきて電力供給問題が立ち起こり、もしかしたら今年中に実現するのではないかという予想をこのところ一人で持っております。
今回の地震で福島原発で事故が起きたことから、関東や東北地方の電力供給に混乱が起きていることは説明するまでもありません。現状はすでにある火力発電所の発電量を増やして対応しておりますが、現在の設備では電力使用量が冷房の使用などで高まる夏季の必要量には対応しきれないことが予想され、現在政府や経済界では対応方法を模索しております。
政府は家庭での節電を呼びかけるとともに大口の使用者である企業にも協力を呼びかけており、それに答える形で経団連内部でも対応方法が議論され、昨日には自動車工業会から業界ごとの輪番休業を取ることが提案がなされました。輪番休業とは言ってみれば業界ごとに交替でまとまった休みを取ることで、たとえば八月の第一週は電機業界の企業が休みを取り、第二週は自動車業界、第三週は化学品業界というように、別々に休暇を取ることで電力需要のピークを下げるという案です。
この輪番休業は言ってしまえば休日分散化と中身は全く同じです。もちろん実施する目的は異なっておりますが、今回の事態を受けて図らずも実現する可能性が高まっているのではないかと見ております。
私の意見を言わせてもらうと、電力需要を下げる目的としては確かに理に適っており、多少は下がるでしょうが経済活動を著しく低下させずに軟着陸させるという意味では最も適当かと考えています。その上で私は休日分散化は観光産業の振興という観点から以前から必要だと考えており、今回の対応を契機に今後も継続して業界ごとの長期休暇が実現すればと密かに期待しております。
3、在宅勤務
我ながら自分らしいと思いますが、今日ちょっと気になるニュースを小耳に挟みました。そのニュースというのは何でも、繊維メーカーの帝人が上記の夏季における電力供給問題の対策として社員の在宅勤務を検討しているそうです。検討を始めた理由は電力不足で停電や交通インフラが停止した際に備えるという目的と、大量の電力を使用する冷房などを節約するという目的からだそうですが、IT企業からではなく繊維メーカーからこういった議論が出てきたということに驚きを感じるとともに深く感心をさせられました。まぁほかの会社でも検討されているのかもしれませんが。
実際問題として、これだけIT技術が発達した今の時代ならIP電話などを活用すれば在宅勤務はそれほど難しくないでしょう。もちろん一部の業務は担当者らが会社に出社して集まらなければ出来ないでしょうが、みんながみんな出社せずに一部を在宅勤務にするだけでも電力の節約に貢献でき、その上で在宅勤務社員をこの際生活圏ごと関東以西に移せば通常生活でも電力使用量は減らせられます。
ただそれ以上に私は在宅勤務が増えることで仕事の幅が広がり、将来の日本企業の競争力強化につながるという期待の方がこの案に持つ感想としては大きいです。ただでさえ東京はラッシュ時のピークが半端じゃなく、これに対応するため鉄道会社も過密ダイヤを設定するなど大きな負担を強いられており、在宅勤務が実現したら世の中バラ色になると片道の通勤時間が二時間だった頃に何度も思いました。恐らく実行するに当たって労務管理等が障害となるでしょうが、それらの課題を克服して定着化できれば多方面でメリットがあると思うのでこれも今回をきっかけに広がってほしいと願っています。
どうもこのところスランプ気味で文章の調子がよくありませんが、今日は内容がそこそこカバーできたのではないかと思います。もう一山乗り越えたら、なんか成長できそうな気がするんだけど。
さて各界では徐々にですが復興に向けた動きが始まっており、今後の対策についても活発な議論を見受けられます。そのような議論やニュースを見ていて、いくつかこれまで存在した慣習や制度が変更されるのではと思う節があり、今日はそのような震災を受けて変わる可能性のあるものについて私の考えを紹介しようと思います。
1、新卒採用選考時期
今回の地震が新卒の就職活動シーズン真っ最中であったことを受け、一部の企業では採用選考の時期を延期したり説明会の数を増やすなどして被災地の学生に対する対応を行いました。元々これ以前から近年の就職活動シーズンの極端な早期化が学生にとって負担になっていると問題提起されており、去年にある大手商社が遅らせると言ったのを皮切りに経団連加盟企業などでも、実際に守られたかどうか非常に怪しいものですが、選考開始時期を春以降にすると発表していた矢先でした。
私としてはここはもうズバッと、「選考は昔通りに夏以降にする」と言い切る企業が出てきてくれないものかと内心期待しましたが、さすがにここまでする企業は今のところまだ見ません。ただ全体としては確実に延期はされているようで、これを契機に就職活動の早期化に全体で歯止めをかけたほうがよいのではないかと考えています。
私は以前から今の就職活動シーズンは学生、企業双方にとってデメリットしかなく、昔のように秋以降の選考に戻すべきだと主張してきました。学生にとってのデメリットは言うまでもなく学業面での支障、ならびに就職活動の長期化による多方面の拘束ですが、企業側のデメリットとしては人事部業務の集中が挙げられます。
実際に人事部で働いた経験があるわけでもないのであくまで素人として意見を言わせてもらうと、三月から四月にかけては社内の人事異動、成果査定、退職者対応、新入社員研修と、傍から見ていると人事はやることがいっぱいあって採用選考なんてやってる暇なんかあるのかと疑問に感じます。上記四つの仕事内容は時期が選べないから仕方ないとしても採用選考だけならなにもこの時期にやる必要はなく、仕事を分散するという意味でもやはり秋頃にやるべきなのではないかと思います。
なお蛇足ですが今回の震災後の人事対応で、トンボ鉛筆の話は聞いてていろいろ呆れました。私は元々三菱鉛筆の愛用者ですが、トンボ鉛筆はこれからは意図的に避けようと思います。本気で。
2、休日分散化
去年に民主党内ではゴールデンウィークやお盆の長期休暇を業界ごとに分散化するという休日分散化案が議論されましたが、この案は私の目からすると世間一般の反応はどちらかといえばあまりよくなく、結局民主党内でも法案の提出は見送られました。しかしここにきて電力供給問題が立ち起こり、もしかしたら今年中に実現するのではないかという予想をこのところ一人で持っております。
今回の地震で福島原発で事故が起きたことから、関東や東北地方の電力供給に混乱が起きていることは説明するまでもありません。現状はすでにある火力発電所の発電量を増やして対応しておりますが、現在の設備では電力使用量が冷房の使用などで高まる夏季の必要量には対応しきれないことが予想され、現在政府や経済界では対応方法を模索しております。
政府は家庭での節電を呼びかけるとともに大口の使用者である企業にも協力を呼びかけており、それに答える形で経団連内部でも対応方法が議論され、昨日には自動車工業会から業界ごとの輪番休業を取ることが提案がなされました。輪番休業とは言ってみれば業界ごとに交替でまとまった休みを取ることで、たとえば八月の第一週は電機業界の企業が休みを取り、第二週は自動車業界、第三週は化学品業界というように、別々に休暇を取ることで電力需要のピークを下げるという案です。
この輪番休業は言ってしまえば休日分散化と中身は全く同じです。もちろん実施する目的は異なっておりますが、今回の事態を受けて図らずも実現する可能性が高まっているのではないかと見ております。
私の意見を言わせてもらうと、電力需要を下げる目的としては確かに理に適っており、多少は下がるでしょうが経済活動を著しく低下させずに軟着陸させるという意味では最も適当かと考えています。その上で私は休日分散化は観光産業の振興という観点から以前から必要だと考えており、今回の対応を契機に今後も継続して業界ごとの長期休暇が実現すればと密かに期待しております。
3、在宅勤務
我ながら自分らしいと思いますが、今日ちょっと気になるニュースを小耳に挟みました。そのニュースというのは何でも、繊維メーカーの帝人が上記の夏季における電力供給問題の対策として社員の在宅勤務を検討しているそうです。検討を始めた理由は電力不足で停電や交通インフラが停止した際に備えるという目的と、大量の電力を使用する冷房などを節約するという目的からだそうですが、IT企業からではなく繊維メーカーからこういった議論が出てきたということに驚きを感じるとともに深く感心をさせられました。まぁほかの会社でも検討されているのかもしれませんが。
実際問題として、これだけIT技術が発達した今の時代ならIP電話などを活用すれば在宅勤務はそれほど難しくないでしょう。もちろん一部の業務は担当者らが会社に出社して集まらなければ出来ないでしょうが、みんながみんな出社せずに一部を在宅勤務にするだけでも電力の節約に貢献でき、その上で在宅勤務社員をこの際生活圏ごと関東以西に移せば通常生活でも電力使用量は減らせられます。
ただそれ以上に私は在宅勤務が増えることで仕事の幅が広がり、将来の日本企業の競争力強化につながるという期待の方がこの案に持つ感想としては大きいです。ただでさえ東京はラッシュ時のピークが半端じゃなく、これに対応するため鉄道会社も過密ダイヤを設定するなど大きな負担を強いられており、在宅勤務が実現したら世の中バラ色になると片道の通勤時間が二時間だった頃に何度も思いました。恐らく実行するに当たって労務管理等が障害となるでしょうが、それらの課題を克服して定着化できれば多方面でメリットがあると思うのでこれも今回をきっかけに広がってほしいと願っています。
どうもこのところスランプ気味で文章の調子がよくありませんが、今日は内容がそこそこカバーできたのではないかと思います。もう一山乗り越えたら、なんか成長できそうな気がするんだけど。
2011年4月7日木曜日
文章が書けない時
昨日は飲み会があり更新を休みましたが、今日は書かなければとパソコンに向かうもののどうも書けるような話題が浮かんできません。このところこういうことが続いているので、そろそろなんかまた連載でも立ち上げようかとも考えてますが、指しあたって今日は困った時の歴史ネタとばかりに思案に暮れてますが、すでに30分くらい無駄に時間が経っております。全く書くネタがないわけではないものの、果たして書くほどのネタかと思うものばかりでどうも慎重になりすぎているきらいがあります。
こんなブログ程度でなにをかとも思えますが、やはり書こうと思う時、もしくは必要文字数が規定されている時に書けない状態ほど苦しいものはありません。作家のする話を聞いてても締め切り間際に何も浮かんでこないというのは非常に追い込まれるようで、心労をやむというのも案外嘘じゃない気がします。ちなみに私は比較的長ったらしい文章を書くのを得意にしており、文字数制限のある大学の卒業論文では自分の分はさっさと書き終え、同じゼミのほかの学生三人の執筆をいろいろ手伝っておりました。ひどいのになると一番肝心な考察部分を含めて半分以上を私が書いてしまってました。
そんな具合で字数を埋めるのなら任せろと一時期はうぬぼれていた時期がありましたが、逆になんていうか、あらかじめ何文字から何文字以内と規定されると途端に文章が欠けなくなることがあります。一時期に投稿していた小説の新人賞などまさにそうで、普段だったら気にせず書けるものがどうも字数が頭の隅に入ってか全く筆が進まず、結局投稿をあきらめたことが何度もありました。そういう意味ではちょっと気持ちに弱いところがあるのかもしれません。その一方でこうした字数も内容の制限のないブログだと割りとのびのび書けるところがあり、今まで書いたブログ記事でも後から読み直してみて我ながらよく書いたもんだと寒心することもあります。
よく小中学校の作文教育では夏休みの読書感想文のようにあらかじめ提出枚数が決められていることが多いですが、私は個人的にはそういた制限は取っ払い、完全に毎週は自由にしたほうがいいと思います。書きたい人はいくらでも書けばいいし、書けない人なら書けないなりに短くまとめたら評価すればいいだけですし、そのほうが評価するほうもしやすくていいんじゃないかと思います。
明日は金曜ですが、明後日に現在いるサービスアパートメント内でまた引越しすることになりそうでちょっと気分的に盛り上がりません。あらかじめ6ヶ月契約にしたら家賃が安くなると聞いていたのでてっきり今いる1ヶ月契約で入った部屋を延長できるかと思ってたら、6ヶ月契約だと別の部屋になると先週言われていろいろ困ってます。これに限るわけじゃないけど、中国は本当に想定外のところでいろいろ問題が起こるからややこしい……。
こんなブログ程度でなにをかとも思えますが、やはり書こうと思う時、もしくは必要文字数が規定されている時に書けない状態ほど苦しいものはありません。作家のする話を聞いてても締め切り間際に何も浮かんでこないというのは非常に追い込まれるようで、心労をやむというのも案外嘘じゃない気がします。ちなみに私は比較的長ったらしい文章を書くのを得意にしており、文字数制限のある大学の卒業論文では自分の分はさっさと書き終え、同じゼミのほかの学生三人の執筆をいろいろ手伝っておりました。ひどいのになると一番肝心な考察部分を含めて半分以上を私が書いてしまってました。
そんな具合で字数を埋めるのなら任せろと一時期はうぬぼれていた時期がありましたが、逆になんていうか、あらかじめ何文字から何文字以内と規定されると途端に文章が欠けなくなることがあります。一時期に投稿していた小説の新人賞などまさにそうで、普段だったら気にせず書けるものがどうも字数が頭の隅に入ってか全く筆が進まず、結局投稿をあきらめたことが何度もありました。そういう意味ではちょっと気持ちに弱いところがあるのかもしれません。その一方でこうした字数も内容の制限のないブログだと割りとのびのび書けるところがあり、今まで書いたブログ記事でも後から読み直してみて我ながらよく書いたもんだと寒心することもあります。
よく小中学校の作文教育では夏休みの読書感想文のようにあらかじめ提出枚数が決められていることが多いですが、私は個人的にはそういた制限は取っ払い、完全に毎週は自由にしたほうがいいと思います。書きたい人はいくらでも書けばいいし、書けない人なら書けないなりに短くまとめたら評価すればいいだけですし、そのほうが評価するほうもしやすくていいんじゃないかと思います。
明日は金曜ですが、明後日に現在いるサービスアパートメント内でまた引越しすることになりそうでちょっと気分的に盛り上がりません。あらかじめ6ヶ月契約にしたら家賃が安くなると聞いていたのでてっきり今いる1ヶ月契約で入った部屋を延長できるかと思ってたら、6ヶ月契約だと別の部屋になると先週言われていろいろ困ってます。これに限るわけじゃないけど、中国は本当に想定外のところでいろいろ問題が起こるからややこしい……。
2011年4月5日火曜日
成果主義議論のその後
先日見たネットの掲示板で、現バンダイナムコのナムコが昔に出していた「テイルズオブエターニア」というゲームについて討論がされておりました。このゲームは今も続く「テイルズシリーズ」と呼ばれるRPGゲームの第三作目私も昔に遊んだ、というより発売前には東京ゲームショーでプロモーションも見ていたゲームなのですが、本当は「テイルズシリーズ」はこのゲームで完結する予定だったらしく、開発陣も総力を結集して作った作品だという話を誰かがしていました。真偽まではわかりませんが実際に遊んだことのある私も非常に納得する出来で、ちょうどPSP版(元々はPSで出された)がすでに発売されていると聞いたので、来月にこっちに遊びに来る予定の親父にでも持たせようとすぐAmazonで注文して日本の実家に配達を手配しました。
さてこのテイルズシリーズですが、はっきり言って昔と今とで比べると知名度やブランド力は昔の方があったと言わざるを得ません。というのもこのエターニアが発売されたのは2000年ですが、その後このシリーズはそれこそ手を変え品を変えてバンバンと続編が発売されていったのですが、細かい売上本数までは確認していませんが発売前の話題性やら知名度は文字通り回を重ねるごとに低下していった印象があります。私の周りでも途中で買うのをやめていくのがほとんどだったし。もちろんシリーズのブランド力を維持するのは並大抵じゃありません。日本は100年企業が多いというだけにゲーム業界でも息の長いシリーズ作品はたくさんありますが、それでも往年の輝きを知っている世代からするとこのテイルズシリーズの凋落は見ていて如何なものかと思うほどです。
では何故テイルズシリーズはブランド力が低下したのかですが、これまた又聞きで真偽は確かめられませんが一説によると当時のナムコが実施した成果主義を原因と指摘する話を聞いたことがあります。なんでも当時のナムコではヒット作を出した開発部署に報奨金を出すという成果主義を導入したらしいのですが、ブランド力が高かったテイルズシリーズはそれこそ出せば売れること間違い梨の鉄板タイトルであったため社内の開発陣はこぞってテイルズシリーズの開発部署に行きたがるようになり、また製作をするそばから次回作を乱発するようになったとのことです。実際にほかの有名RPGシリーズと比べてもテイルズシリーズの続編の発売速度は異常で、言われてみてそういう背景があったのかと妙に納得させられた話です。さらにこの成果主義によってナムコ社内では新ジャンルのゲーム開発意欲が失われ、焼き直しのような過去のヒット作の量産ばかり行われるようになって会社全体で開発力が落ちたとまで指摘されておりました。もっとも過去のヒット作の続編量産はナムコに限りませんが。
真偽はどうであれ、少なくとも経営が悪くなったナムコはバンダイと合併したのは事実です。このナムコに限らず、失われた十年後半に非常にもてはやされた人事の成果主義は城繁幸氏が散々批判した富士通の例を筆頭に会社経営の改革になるどころか、むしろ経営の悪化要因にしかならなかったという話ばかりです。どうでもいいですが、富士通はこの前のみずほ銀行のシステムトラブルの際にあちこちで、「富士通だからな」と言われてたのがちょっと面白かったです。
成果主義議論は以前にも何度かブログで取り上げていますが、現時点ではこの言葉自体がすでに死語になっているような感があります。一応どの企業でも年初に目標設定というものを一人ひとりにつけますが、これがどれだけ給与判定に影響を与えたかは実際にやったことのある私もわかりませんでした。むしろリーマンショック後に役員、管理職が減給されたなど、景気影響の方がストレートに反映されてたような。
私自身はあまり給与にこだわらない性格なので成果主義だろうが年功序列主義だろうがあまり気にはせず、むしろちょっと前に「日本人の自己裁量権」の記事やそれ以前の陽月秘話で書いた記事で主張した、仕事の責任に合わせた裁量権を社員一人ひとりに与えることの方が重要だと考えています。ただそういった裁量権の議論をするにあたっても給与や評価方法は避けては通れないもので、これらと絡めて議論するというのであればやはりもっと成果主義を研究し、実施するべきという立場を取ります。
私が思うに日本で成果主義が根付かない要因のひとつは社員一人ひとりの責任範囲が明確でないことにあると思います。どこからどこまでがその人の仕事の範囲なのかわからず、また複数人で関わる仕事で問題が発生すると誰の責任にするかで揉めるあたりつくづく日本人の曖昧さを痛感します。そういう意味でかねてから私が主張するようにもっと個人に自己裁量権を目に見える形で与えればこういった成果主義議論も一歩は前に進むんじゃないかという気がします。
現在では(以前から?)成果主義は間違いだという意見の方が大半でしょうが、私は今の日本が実施している成果主義は不完全さが目立つもので、運用次第では活用できる範囲はあると思います。もちろん先ほどのナムコの例のように足を引っ張る例もあるので、もっとわかりやすく誰がどう見ても大きな功績を出した人に年に一回だけ報奨金を出すというような、シンプルな形でもないよりかはいいんじゃないかと思います。
ちなみに私が日本で働いていた頃に自他共にファインプレーだったと認められた仕事に、金曜日に輸入検査の申請をするにあたって運送会社から必要書類がなかなか届かず、昼過ぎにFAXで受け取るや電車に飛び乗り、5時で閉まる申請所に最寄り駅から走って4時50分にたどり着いたというものがありました。申請所の方にはあらかじめ電話をしてなるべく待ってもらうように伝えていましたが、関西系の人だっただけに、「全く、ワシに残業させおって」といいつつ書類をきちんと受け取ってくれました。革靴で全力疾走したので、次の日はすねの辺りが筋肉痛になりました。
さてこのテイルズシリーズですが、はっきり言って昔と今とで比べると知名度やブランド力は昔の方があったと言わざるを得ません。というのもこのエターニアが発売されたのは2000年ですが、その後このシリーズはそれこそ手を変え品を変えてバンバンと続編が発売されていったのですが、細かい売上本数までは確認していませんが発売前の話題性やら知名度は文字通り回を重ねるごとに低下していった印象があります。私の周りでも途中で買うのをやめていくのがほとんどだったし。もちろんシリーズのブランド力を維持するのは並大抵じゃありません。日本は100年企業が多いというだけにゲーム業界でも息の長いシリーズ作品はたくさんありますが、それでも往年の輝きを知っている世代からするとこのテイルズシリーズの凋落は見ていて如何なものかと思うほどです。
では何故テイルズシリーズはブランド力が低下したのかですが、これまた又聞きで真偽は確かめられませんが一説によると当時のナムコが実施した成果主義を原因と指摘する話を聞いたことがあります。なんでも当時のナムコではヒット作を出した開発部署に報奨金を出すという成果主義を導入したらしいのですが、ブランド力が高かったテイルズシリーズはそれこそ出せば売れること間違い梨の鉄板タイトルであったため社内の開発陣はこぞってテイルズシリーズの開発部署に行きたがるようになり、また製作をするそばから次回作を乱発するようになったとのことです。実際にほかの有名RPGシリーズと比べてもテイルズシリーズの続編の発売速度は異常で、言われてみてそういう背景があったのかと妙に納得させられた話です。さらにこの成果主義によってナムコ社内では新ジャンルのゲーム開発意欲が失われ、焼き直しのような過去のヒット作の量産ばかり行われるようになって会社全体で開発力が落ちたとまで指摘されておりました。もっとも過去のヒット作の続編量産はナムコに限りませんが。
真偽はどうであれ、少なくとも経営が悪くなったナムコはバンダイと合併したのは事実です。このナムコに限らず、失われた十年後半に非常にもてはやされた人事の成果主義は城繁幸氏が散々批判した富士通の例を筆頭に会社経営の改革になるどころか、むしろ経営の悪化要因にしかならなかったという話ばかりです。どうでもいいですが、富士通はこの前のみずほ銀行のシステムトラブルの際にあちこちで、「富士通だからな」と言われてたのがちょっと面白かったです。
成果主義議論は以前にも何度かブログで取り上げていますが、現時点ではこの言葉自体がすでに死語になっているような感があります。一応どの企業でも年初に目標設定というものを一人ひとりにつけますが、これがどれだけ給与判定に影響を与えたかは実際にやったことのある私もわかりませんでした。むしろリーマンショック後に役員、管理職が減給されたなど、景気影響の方がストレートに反映されてたような。
私自身はあまり給与にこだわらない性格なので成果主義だろうが年功序列主義だろうがあまり気にはせず、むしろちょっと前に「日本人の自己裁量権」の記事やそれ以前の陽月秘話で書いた記事で主張した、仕事の責任に合わせた裁量権を社員一人ひとりに与えることの方が重要だと考えています。ただそういった裁量権の議論をするにあたっても給与や評価方法は避けては通れないもので、これらと絡めて議論するというのであればやはりもっと成果主義を研究し、実施するべきという立場を取ります。
私が思うに日本で成果主義が根付かない要因のひとつは社員一人ひとりの責任範囲が明確でないことにあると思います。どこからどこまでがその人の仕事の範囲なのかわからず、また複数人で関わる仕事で問題が発生すると誰の責任にするかで揉めるあたりつくづく日本人の曖昧さを痛感します。そういう意味でかねてから私が主張するようにもっと個人に自己裁量権を目に見える形で与えればこういった成果主義議論も一歩は前に進むんじゃないかという気がします。
現在では(以前から?)成果主義は間違いだという意見の方が大半でしょうが、私は今の日本が実施している成果主義は不完全さが目立つもので、運用次第では活用できる範囲はあると思います。もちろん先ほどのナムコの例のように足を引っ張る例もあるので、もっとわかりやすく誰がどう見ても大きな功績を出した人に年に一回だけ報奨金を出すというような、シンプルな形でもないよりかはいいんじゃないかと思います。
ちなみに私が日本で働いていた頃に自他共にファインプレーだったと認められた仕事に、金曜日に輸入検査の申請をするにあたって運送会社から必要書類がなかなか届かず、昼過ぎにFAXで受け取るや電車に飛び乗り、5時で閉まる申請所に最寄り駅から走って4時50分にたどり着いたというものがありました。申請所の方にはあらかじめ電話をしてなるべく待ってもらうように伝えていましたが、関西系の人だっただけに、「全く、ワシに残業させおって」といいつつ書類をきちんと受け取ってくれました。革靴で全力疾走したので、次の日はすねの辺りが筋肉痛になりました。
2011年4月3日日曜日
石原都知事への自民の許せない公認
現在東京都では都知事選が行われており、来週十日には開票される予定です。今回の都知事選の主な立候補者は現職の石原慎太郎都知事をはじめ前宮崎県知事の東国原氏、ワタミ社長の渡辺美樹氏、共産党の全国会議員の小池晃氏など、選挙内容から知名度の高い候補者が集まっております。
こちらで聞く情報では現在石原氏が優勢で選挙戦が進められていると聞きますが、今回の都知事選について、というより石原氏の出馬についてかねてから思うことがあったのですが今までは敢えて何も書きませんでした。恐らく私が書かずとも誰かが同じことを書くだろうと見ていたのですが、どうも今日に至るまでネット上のニュースでそのような内容の記事を見当たらなかったのでこの際書いてしまうことにします。
まず結論から言って、私は石原氏には都知事の資格はないと思います。
今回の任期中で石原氏はオリンピックの東京都招致に失敗しておりますが、招致失敗は時の運もあるのでいちいち責めたりはしませんが、東京都が今回の招致活動である広告代理店にわずか数分のPR映像作成費として、数億円(確か十億円だったような)を支払った点はちょっといただけありません。もちろん招致失敗後にこの費用について問題となりましたが、石原氏は招致失敗を含めてさも映像を作成した広告代理店に問題があるとして、招致失敗後にその広告代理店に費用の一部返却を要求しました(実際に返却されたかどうかまでは私は未確認です)。
前にある評論家が言っていましたが、石原慎太郎ほど問題が起こるや責任逃れに走る男はいないという評価通りに、このオリンピック招致失敗時も、「都民があまり熱心でなかったからだ」などと、自己の責任には一切触れずにただ周囲を批判するだけでした。また以前の任期中に起きた新銀行東京の不良債権問題でも、散々自分が主導して設立したにもかかわらず経営陣が無能だったからと切って捨てています。
ここ数年の石原氏の都政を見て、生憎ですが私はこれという評価すべき点は見つかりません。そして極め付けが例の、東日本大震災を「日本人への天罰」といった発言です。
・東日本大震災:石原知事「津波は天罰」(毎日新聞)
内容はすでに皆さんもご存知かと思うので詳しく説明しませんが、はっきり言って口が滑ったとかそういうものではなく私には石原氏の本心から出た発言だと思えません。無論このような考え方は人として理解することが出来ず、遠慮なく言わせてもらえば人格を疑う発言です。こんな人間が責任あるべき地位にいていいのか、即刻辞任すべきではないかと発言があった当時は強く感じました。
この一点だけでも私は石原氏の再選は到底承服し難いほどに怒りを覚えるのですが、その一方で石原氏を公認して応援する自民党に対しても今回の都知事選には深い怒りを覚えます。というのも自民党はこの石原氏の発言とよく似た、「大阪にとって天の恵みというと言葉が悪いが、本当にこの地震が起こってよかった」と発言した、長田義明前府議会議長を先日告示された大阪府議選での公認を取消しているからです。
・「地震は天の恵み」 “失言”府議会議長 自民が公認取り消し(産経新聞)
公認を取消したのは自民党大阪府連で現在石原氏を応援する党本部との違いはありますが、同じ不謹慎極まりない発言をしながらも片方では公認が取消され、片方は以前と変わらず応援されるというこの自民党のダブルスタンダードは如何なものかと思います。
ただこの背景についてもう少し詳しく話すと、現自民党幹事長は石原氏の長男の石原伸晃氏で、そうしたことがこのダブルスタンダードの成立に一役買っているのかもしれません。ただいくら肉親とはいえ上記の石原氏の発言を無視するというのは政治家としては許されるものとは思えず、むしろ肉親だからこそここは引導を渡すべきではないかと考えていたのですが、選挙前に伸晃氏は何度も出馬要請を行い続けてきました。
私は正直に言って、石原氏の発言はその内容や彼の地位を考えると長田前議長以上に問題の多い発言だったと考えております。本人も発言した当初は意に関せぬ態度でしたがその後は謝罪しております。しかし謝罪以前の問題で何度も言いますが人格的に大きく問題のある発言です。
無論都知事を誰に選ぶかは都民が決めることです。しかし一個人として今回石原氏が再選することは納得できないということを記録するため、こうして記事にまとめることにしました。
こちらで聞く情報では現在石原氏が優勢で選挙戦が進められていると聞きますが、今回の都知事選について、というより石原氏の出馬についてかねてから思うことがあったのですが今までは敢えて何も書きませんでした。恐らく私が書かずとも誰かが同じことを書くだろうと見ていたのですが、どうも今日に至るまでネット上のニュースでそのような内容の記事を見当たらなかったのでこの際書いてしまうことにします。
まず結論から言って、私は石原氏には都知事の資格はないと思います。
今回の任期中で石原氏はオリンピックの東京都招致に失敗しておりますが、招致失敗は時の運もあるのでいちいち責めたりはしませんが、東京都が今回の招致活動である広告代理店にわずか数分のPR映像作成費として、数億円(確か十億円だったような)を支払った点はちょっといただけありません。もちろん招致失敗後にこの費用について問題となりましたが、石原氏は招致失敗を含めてさも映像を作成した広告代理店に問題があるとして、招致失敗後にその広告代理店に費用の一部返却を要求しました(実際に返却されたかどうかまでは私は未確認です)。
前にある評論家が言っていましたが、石原慎太郎ほど問題が起こるや責任逃れに走る男はいないという評価通りに、このオリンピック招致失敗時も、「都民があまり熱心でなかったからだ」などと、自己の責任には一切触れずにただ周囲を批判するだけでした。また以前の任期中に起きた新銀行東京の不良債権問題でも、散々自分が主導して設立したにもかかわらず経営陣が無能だったからと切って捨てています。
ここ数年の石原氏の都政を見て、生憎ですが私はこれという評価すべき点は見つかりません。そして極め付けが例の、東日本大震災を「日本人への天罰」といった発言です。
・東日本大震災:石原知事「津波は天罰」(毎日新聞)
内容はすでに皆さんもご存知かと思うので詳しく説明しませんが、はっきり言って口が滑ったとかそういうものではなく私には石原氏の本心から出た発言だと思えません。無論このような考え方は人として理解することが出来ず、遠慮なく言わせてもらえば人格を疑う発言です。こんな人間が責任あるべき地位にいていいのか、即刻辞任すべきではないかと発言があった当時は強く感じました。
この一点だけでも私は石原氏の再選は到底承服し難いほどに怒りを覚えるのですが、その一方で石原氏を公認して応援する自民党に対しても今回の都知事選には深い怒りを覚えます。というのも自民党はこの石原氏の発言とよく似た、「大阪にとって天の恵みというと言葉が悪いが、本当にこの地震が起こってよかった」と発言した、長田義明前府議会議長を先日告示された大阪府議選での公認を取消しているからです。
・「地震は天の恵み」 “失言”府議会議長 自民が公認取り消し(産経新聞)
公認を取消したのは自民党大阪府連で現在石原氏を応援する党本部との違いはありますが、同じ不謹慎極まりない発言をしながらも片方では公認が取消され、片方は以前と変わらず応援されるというこの自民党のダブルスタンダードは如何なものかと思います。
ただこの背景についてもう少し詳しく話すと、現自民党幹事長は石原氏の長男の石原伸晃氏で、そうしたことがこのダブルスタンダードの成立に一役買っているのかもしれません。ただいくら肉親とはいえ上記の石原氏の発言を無視するというのは政治家としては許されるものとは思えず、むしろ肉親だからこそここは引導を渡すべきではないかと考えていたのですが、選挙前に伸晃氏は何度も出馬要請を行い続けてきました。
私は正直に言って、石原氏の発言はその内容や彼の地位を考えると長田前議長以上に問題の多い発言だったと考えております。本人も発言した当初は意に関せぬ態度でしたがその後は謝罪しております。しかし謝罪以前の問題で何度も言いますが人格的に大きく問題のある発言です。
無論都知事を誰に選ぶかは都民が決めることです。しかし一個人として今回石原氏が再選することは納得できないということを記録するため、こうして記事にまとめることにしました。
2011年4月2日土曜日
攻めに強い経営者が求められる中国
中国の経済紙を見ていて不思議というか違和感をいつも覚えることに、「○○、収益が15%減」というニュースがあります。こういった見出しの記事の中身は大抵、「売上高が増加したにもかかわらず収益が□%低下した。低下した要因は……」という感じでまとめられているのですが、読んでていつも、「黒字保ってんだからいいじゃないか別に……」と思います。もっとも私がこういう風に思うのも日本にいたころにあまり経済紙を読んでいなかっただけかもしれませんが。
あくまで私の主観ですが、こっちでも企業の収益が赤字になればそれはそれでニュースになりますが、どうも中国では成長率が前期比を少し下回るだけでもニュースになる、というより同程度がそれ以上の成長率を出して当たり前というような風潮があるように感じます。それこそ去年は収益が20%増加したのだから、今年は25%くらいないとおかしいというようなくらいに。
しかし生まれてこのかた日本の景気が落ちるところしか見たことがない私からすると、たとえ売上や収益がいくら落ちようが黒字を保てれば企業としては立派なものだという風に考えるところがあり、たとえばユニクロのような毎年急成長を続けていた企業で成長率が低下したりした場合は話は別ですが、どうもこの辺で中国企業のニュースを見ていてギャップのようなものを感じさせられることが多いです。
ただ中国では何もしなくともいい位に景気が上り調子ですので、成長率が落ちる方が確かに問題なのかもしれません。ちなみに最近だと、ここまで露骨にやらなくともいいだろうと思うくらいにデザインをパクリまくっている、自動車会社のBYD汽車の成長率減少のニュースが取り扱いが大きかったです。
とまぁこの程度の内容だったら記事にするまでもないのですが、こうしたニュースに触れていてこのところちょくちょく思うこととして、今の中国には攻めに強い経営者しかいないのではというものがあります。攻めに強いというのは文字通りに積極的に業務拡大を行っていけるような経営者で、具体的には販売拡張や支店、営業所の設置、人員拡大などといったことをばんばん効率よく行っていける経営者のことを指しておりますが、実際に企業家のインタビューなどを見ていると如何に売上を伸ばすかという点を強く語る人が多いような気がします。
攻めに強い経営者というのはそれはそれで資質に問題があるというわけではなく、経済が拡大している今の中国にとっては確かに必要とされる人材です。そういう意味では需要の多い人材が数多く世に出てきていると捉えることができるのですが、その一方で守りに強い経営者が存外少ないのでは、ということを覚えます。
攻めの経営者に対して守りの経営者というのは、これまたあくまで私の定義ですが売上高が減少する中で以下に採算を守るか、赤字を出さないように経営の効率化を図れるような経営者を指しております。基本的に今の日本の経営者はこの手のタイプが重宝されており、敢えて有名なのを出すと日産のカルロス・ゴーン氏のような、やり方についていろいろ批判されてますが経費を徹底的に削減するコストカッターと呼ばれるような経営者です。日本の場合はデフレ下で売上が減少して当たり前なので、もちろん売上も伸ばせるのなら越したことはないですが、減少していく中で採算を確保することが今の経営者に一番に求められる資質です。
いつものごとくまた前置きが長くなってしまいましたが、概して攻めに強い経営者というのは守りには滅法弱いところがあり、景気が全体で収束していくような時代ではかえって会社の経営を危うくする人間も少なくありません。それこそ日本のバブル期に名経営者と呼ばれた人材はバブル後になると評価が一転した人物も少なくなく、中にはかつての名声はどこにやらという感じで割と寂しい晩節を迎えた人もいます。大抵こういう経営者は売上が減少すると広告費や営業社員を増やせばまた上がるとして逆に資金の追加投入を行いますが、失われた十年の時代ではそうしたことをしても経費が増えるだけで売上も収益も伸びず、代表的な例だとダイエーの中内功氏のように結局一代で作って一代で駄目にしてしまった人もおりました。
今の時代の中国においてはこのような心配は無用以外の何者でもないですが、不動産を筆頭に今の中国の経済はいくらかバブルの傾向があり、成長が鈍化したりマイナス成長時代に入ったりすれば対応できる守りの経営者がおらず、日本のバブル後同様に傷口を広げてしまうのではとやや気の早い予想をこのところしております。そういう意味で今の中国の経営者や会社員らには、「今の日本をよく見ておけよ」と、やや自虐的ですがこういうことを伝えたいなと思ったりします。
逆に今の日本は文字通り守りの経営者ばかりで攻めの経営者はいるかですが、IT業界なんかにはそういう人も多くいるような気がするので、驚嘆に守りばかりに偏っているわけでもない気がします。もちろん理想を言えば攻めも守りも両方できる人材がいればそれに越したことはありませんが、そんな都合のいい人材はそうそういないのでやっぱり時代ごとに表に立つべき人間をしっかり見極め、選ぶことが重要かというのが今日の私の意見です。
おまけ
今の中国の不動産市場は明らかにバブルで、実際に住む目的よりも投資目的で購入する人の方が多いです。そのため去年から二件目の住宅の購入の際にはいろいろと条件を課す、固定資産税を導入(今までなかったというのがちょっと驚いた)するなど各都市ごとに制限を実施し始めておりますが、今のところまだ大きな効果は出てきておりません。ただ先月に初めて、中古住宅ではありますが平均価格が始めて前月比で下回りました。ちなみに私は友人(♂)から、誕生日プレゼントには上海の一等地の高級マンションがほしいとねだられているのでこの頃宝くじを買い始めました。
あくまで私の主観ですが、こっちでも企業の収益が赤字になればそれはそれでニュースになりますが、どうも中国では成長率が前期比を少し下回るだけでもニュースになる、というより同程度がそれ以上の成長率を出して当たり前というような風潮があるように感じます。それこそ去年は収益が20%増加したのだから、今年は25%くらいないとおかしいというようなくらいに。
しかし生まれてこのかた日本の景気が落ちるところしか見たことがない私からすると、たとえ売上や収益がいくら落ちようが黒字を保てれば企業としては立派なものだという風に考えるところがあり、たとえばユニクロのような毎年急成長を続けていた企業で成長率が低下したりした場合は話は別ですが、どうもこの辺で中国企業のニュースを見ていてギャップのようなものを感じさせられることが多いです。
ただ中国では何もしなくともいい位に景気が上り調子ですので、成長率が落ちる方が確かに問題なのかもしれません。ちなみに最近だと、ここまで露骨にやらなくともいいだろうと思うくらいにデザインをパクリまくっている、自動車会社のBYD汽車の成長率減少のニュースが取り扱いが大きかったです。
とまぁこの程度の内容だったら記事にするまでもないのですが、こうしたニュースに触れていてこのところちょくちょく思うこととして、今の中国には攻めに強い経営者しかいないのではというものがあります。攻めに強いというのは文字通りに積極的に業務拡大を行っていけるような経営者で、具体的には販売拡張や支店、営業所の設置、人員拡大などといったことをばんばん効率よく行っていける経営者のことを指しておりますが、実際に企業家のインタビューなどを見ていると如何に売上を伸ばすかという点を強く語る人が多いような気がします。
攻めに強い経営者というのはそれはそれで資質に問題があるというわけではなく、経済が拡大している今の中国にとっては確かに必要とされる人材です。そういう意味では需要の多い人材が数多く世に出てきていると捉えることができるのですが、その一方で守りに強い経営者が存外少ないのでは、ということを覚えます。
攻めの経営者に対して守りの経営者というのは、これまたあくまで私の定義ですが売上高が減少する中で以下に採算を守るか、赤字を出さないように経営の効率化を図れるような経営者を指しております。基本的に今の日本の経営者はこの手のタイプが重宝されており、敢えて有名なのを出すと日産のカルロス・ゴーン氏のような、やり方についていろいろ批判されてますが経費を徹底的に削減するコストカッターと呼ばれるような経営者です。日本の場合はデフレ下で売上が減少して当たり前なので、もちろん売上も伸ばせるのなら越したことはないですが、減少していく中で採算を確保することが今の経営者に一番に求められる資質です。
いつものごとくまた前置きが長くなってしまいましたが、概して攻めに強い経営者というのは守りには滅法弱いところがあり、景気が全体で収束していくような時代ではかえって会社の経営を危うくする人間も少なくありません。それこそ日本のバブル期に名経営者と呼ばれた人材はバブル後になると評価が一転した人物も少なくなく、中にはかつての名声はどこにやらという感じで割と寂しい晩節を迎えた人もいます。大抵こういう経営者は売上が減少すると広告費や営業社員を増やせばまた上がるとして逆に資金の追加投入を行いますが、失われた十年の時代ではそうしたことをしても経費が増えるだけで売上も収益も伸びず、代表的な例だとダイエーの中内功氏のように結局一代で作って一代で駄目にしてしまった人もおりました。
今の時代の中国においてはこのような心配は無用以外の何者でもないですが、不動産を筆頭に今の中国の経済はいくらかバブルの傾向があり、成長が鈍化したりマイナス成長時代に入ったりすれば対応できる守りの経営者がおらず、日本のバブル後同様に傷口を広げてしまうのではとやや気の早い予想をこのところしております。そういう意味で今の中国の経営者や会社員らには、「今の日本をよく見ておけよ」と、やや自虐的ですがこういうことを伝えたいなと思ったりします。
逆に今の日本は文字通り守りの経営者ばかりで攻めの経営者はいるかですが、IT業界なんかにはそういう人も多くいるような気がするので、驚嘆に守りばかりに偏っているわけでもない気がします。もちろん理想を言えば攻めも守りも両方できる人材がいればそれに越したことはありませんが、そんな都合のいい人材はそうそういないのでやっぱり時代ごとに表に立つべき人間をしっかり見極め、選ぶことが重要かというのが今日の私の意見です。
おまけ
今の中国の不動産市場は明らかにバブルで、実際に住む目的よりも投資目的で購入する人の方が多いです。そのため去年から二件目の住宅の購入の際にはいろいろと条件を課す、固定資産税を導入(今までなかったというのがちょっと驚いた)するなど各都市ごとに制限を実施し始めておりますが、今のところまだ大きな効果は出てきておりません。ただ先月に初めて、中古住宅ではありますが平均価格が始めて前月比で下回りました。ちなみに私は友人(♂)から、誕生日プレゼントには上海の一等地の高級マンションがほしいとねだられているのでこの頃宝くじを買い始めました。
2011年4月1日金曜日
自民、民主の大連立構想について
東日本震災発生から三週間経ち、ようやく復興案について具体的な議論が立ち上がってきました。月も改まったことで政府の閣僚には今日から背広を着る人間が出てきましたが、なんか一部では「もう作業着を脱ぐのか」などと非難する声が出ていると耳に入ってきますが、私はこういった批判についてはちょっとどうかと思うところがあります。ついでに書くとすでにこのブログで幾度も触れていますが、具体的に管首相のどのような対応が問題だったなのかいまいち自分には理解できません。決して100点満点の対応とまでは言いませんが、震災以降は首相として最低限の勤めを果たしているように私は評価しております。原発の事故ですぐに海水注入を指示しなかった点が問題だったとも言われますが、専門家の意見を無視して何かを決断するというのは往々にして問題が起こりやすいです。もっとも今回はその専門家たる東電が当初海水注入に反対するなど明らかな決断ミスを犯し、事態を悪化させてしまったのですが。
さてようやくまた国会での審議が徐々に復活してきましたが、政界では国会外の自民党と民主党の大連立についての話題が中心となってきております。元々震災直後に管首相は自民党の谷垣総裁に入閣を依頼するという事実上の大連立を自民党へ申し込んでいますが、この時は谷垣総裁が拒否したことですぐに成立とは行きませんでした。いくら震災に対応するためとはいえ散々言い合いをしてきた仲ですし、党内の了承や根回しをせずに谷垣総裁がすぐに受諾していたらいろいろと面倒な問題が起こっていたように私は思え、そういう意味では谷垣総裁の決断は正しかったでしょう。
そしてやや時間がたった今日、自民党内では森氏や安倍氏など首相経験者(いっぱいいるから困る)などが条件付で大連立を行うべきだと発言するなど、徐々に肯定論者が増えつつあります。その自民党内が検討している民主党への連立の条件ですが、子供手当てなどのばら撒き政策の廃止、閣僚ポストの数などいくつかありますが、一番議論の分かれるところは何と言っても管首相のクビでしょう。
報道を見る限りですと連立に当たって自民党は管首相の退陣、首相の交代を要求するという話も出ているそうです。理由はまぁなんとなく想像はつきますが管首相の現在の支持率の低さなどに加え、民主党にイニシアチブを持たせないために自民党にとって有利な人物を選ぶという腹案があるのかもしれません。具体的にどのように有利となるかまでは書きませんが。
ただこの震災の最中でまた首相を取替えていたら海外から、「日本はこんな時にも政争か」と思われる節があり、私はたとえ管首相がどれだけ問題があるとしても一度選んでしまったのだからこの際なんとか我慢してでも支え続けるべきだと考えています。その上で政権を安定し矢継ぎ早に対応を行うためには、震災前からも主張していましたがやはり大連立は必要だと思います。少なくともこれから一年は本当に復興対策に追われることは間違いないので、期限付きで一年後にはまた分かれても首相を交替させてもいいから、是非自民、民主の両党には真剣に大連立を行ってもらいたいと希望しております。
幸いというか今回の地震を受け、民主党内ではかつてのマニフェストで掲げていた子供手当てからガソリン値下げ、高校無償化、農家の個別保障といったばら撒き策を撤回する機運が高まっています。恐らく民主党内の政策担当者も現実にはこれらの政策は実現できないと徐々に認識していた矢先でしたでしょうし、マニフェストの撤回によって自民党の掲げる政策に歩み寄ることも可能でしょう。もっとも程度の差こそあれ、自民党も似たようなばら撒き策を掲げてはいるのですが。
さてようやくまた国会での審議が徐々に復活してきましたが、政界では国会外の自民党と民主党の大連立についての話題が中心となってきております。元々震災直後に管首相は自民党の谷垣総裁に入閣を依頼するという事実上の大連立を自民党へ申し込んでいますが、この時は谷垣総裁が拒否したことですぐに成立とは行きませんでした。いくら震災に対応するためとはいえ散々言い合いをしてきた仲ですし、党内の了承や根回しをせずに谷垣総裁がすぐに受諾していたらいろいろと面倒な問題が起こっていたように私は思え、そういう意味では谷垣総裁の決断は正しかったでしょう。
そしてやや時間がたった今日、自民党内では森氏や安倍氏など首相経験者(いっぱいいるから困る)などが条件付で大連立を行うべきだと発言するなど、徐々に肯定論者が増えつつあります。その自民党内が検討している民主党への連立の条件ですが、子供手当てなどのばら撒き政策の廃止、閣僚ポストの数などいくつかありますが、一番議論の分かれるところは何と言っても管首相のクビでしょう。
報道を見る限りですと連立に当たって自民党は管首相の退陣、首相の交代を要求するという話も出ているそうです。理由はまぁなんとなく想像はつきますが管首相の現在の支持率の低さなどに加え、民主党にイニシアチブを持たせないために自民党にとって有利な人物を選ぶという腹案があるのかもしれません。具体的にどのように有利となるかまでは書きませんが。
ただこの震災の最中でまた首相を取替えていたら海外から、「日本はこんな時にも政争か」と思われる節があり、私はたとえ管首相がどれだけ問題があるとしても一度選んでしまったのだからこの際なんとか我慢してでも支え続けるべきだと考えています。その上で政権を安定し矢継ぎ早に対応を行うためには、震災前からも主張していましたがやはり大連立は必要だと思います。少なくともこれから一年は本当に復興対策に追われることは間違いないので、期限付きで一年後にはまた分かれても首相を交替させてもいいから、是非自民、民主の両党には真剣に大連立を行ってもらいたいと希望しております。
幸いというか今回の地震を受け、民主党内ではかつてのマニフェストで掲げていた子供手当てからガソリン値下げ、高校無償化、農家の個別保障といったばら撒き策を撤回する機運が高まっています。恐らく民主党内の政策担当者も現実にはこれらの政策は実現できないと徐々に認識していた矢先でしたでしょうし、マニフェストの撤回によって自民党の掲げる政策に歩み寄ることも可能でしょう。もっとも程度の差こそあれ、自民党も似たようなばら撒き策を掲げてはいるのですが。
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