どうでもいいですが今、以前に放映していた「ガンダムSEED」というアニメ番組の主題歌を聴いて懐かしんでいますが、この番組を見てた頃の私はボブ・サップにボコボコにされたアケボノの如く打ちひしがれていた時期だっただけにいろいろと胸に去来する物があります。これに限るわけじゃないですが、やっぱり辛い時に聴いていた音楽は良し悪しに関わらず後年も飽きずに聞き続けるものです。
そういった前置きは置いといて、前回「社会的報復としての死刑の価値」の記事にて外国人犯罪者に対しても死刑は適用されるのかどうかという質問コメントを受けました。私自身も全く見落としていた問題ですが非常に重要な課題なので、本日一つの記事にしてまた私の考えを紹介しようと思います。
まずこの問題に対して私が言えることは、死刑が下りてもおかしくない外国人による猟奇事件はそう遠くない未来の内に起こっておかしくないということです。ただでさえ人的移動が激しくなっているこの世の中、日本人ですらこのところ通り魔事件を起こす者が増えているのですから今後外国人が起こす事も十分にありえますし、実際にはもう起こっているかもしれません。そしてその際、日本は事件を起こした外国人犯罪者に対して果たして日本人同様に死刑判決を下せるかどうか、やや気が早いという気もしますが起こってから議論してはいろいろと問題なので、そういう意味ではこの課題は今のうちに議論を深めておくべきものかもしれません。
これまでの記事でも私は何度か死刑を取り上げてきましたが、それらはあくまで日本人に適用すると仮定したものであって外国人に適用するという事は全く論外で話を進めてきております。というのも外国人への死刑適用ともなるとただでさえ西欧諸国や人権派団体などから日本は死刑が未だにあると叩かれているだけに、幕末の生麦事件じゃないですが外交問題に発展する事は必定です。
実際にお隣の死刑大国中国では去年、中国法で死刑とはっきりと定められている麻薬密売を行っていたとされるイギリス人男性に死刑を執行した際にイギリスから激しい抗議を受け、すわ第三次アヘン戦争に発展するかと思うくらいに外交問題化しました。まぁもちろん戦争にはならなかったけど
ちなみに中国は今年四月に同じく麻薬密売に関わっていたとして日本人男性数名に対しても死刑を執行しております。この死刑執行前に中国は日本側に事前連絡をした上、受刑者の家族に対して面会を許可するなど一定の配慮を見せましたが、当時の福島瑞穂消費者行政担当相はイギリス同様に執行中止をしてほしいと発言しました。福島氏の場合は政治的スタンスから発言しなきゃ党内支持が落ちるからしたのであって私はあまり気にしませんでしたが、一般世論はどんなものかと報道をチェックしていた限りでは日本人はそれほどこの死刑執行に対して特別な感情を持たなかったような気がします。
報道によると死刑が執行された日本人男性らは皆日本の暴力団関係者でもあり、なおかつ所有していた麻薬の量も半端な量でなかったことからどちらかといえば冷淡というか、死刑になっても仕方ないのではという意見が多かった気がします。
と、中国は現在も議論紛糾している日本との漁船衝突事件でも全く譲らず外交問題が何だってんだとばかりに外国人に対しても死刑を執行していますが、これが日本の場合だとどうなるかという事かです。結論を言えば、日本はあまり外交で揉めたがらないので外国人がいくら猟奇殺人事件を起こしたところで、国民から反発が起ころうとも死刑判決を下す事はないと思います。司法権の独立も始めからないし。
ただ例外というか気になるケースが一つありまして、先に言ってしまうと「東電OL殺人事件」における容疑者の取り扱い方を見ていると、波風の立たない国の外国人に対してはありうるのではないかと見ております。この事件についてはもう大分古いですが佐野眞一氏の著作「東電OL殺人事件」を詳しく読んでもらうのが早いのですが、一体何が問題なのかというと犯人とされた容疑者がネパール人だったことで冤罪の線が極めて強く、事実一身では証拠不十分で無罪判決が下りております。
通常、一審で無罪判決が下りた容疑者はたとえその後に検察から控訴されたとしても拘置所から身柄を解放されることになっているのですが、「拘置所から出したら国外逃亡する恐れがある」として、このネパール人容疑者はその後も身柄を拘束され続けました。恐らくこのような処置が行われたのは未だかつて彼だけでしょう。
仮にこの容疑者が中国やアメリカといった強国、というよりかはうるさい国の人間であれば、母国から激しい非難を受けておいそれとこのような法を曲げるような身柄の拘束は行えなかったでしょう。彼が無罪判決を受けたにもかかわらずその後も身柄を拘束され続けたのは、ただ単に彼がネパールという発言力の弱い国出身であったことに限ります。
この時の例を考えると、強国出身の外国人はいくら猟奇事件を起こしてもせいぜい懲役刑止まりでしょうが、弱小国出身の外国人に対しては日本は死刑を執行する可能性があるんじゃないかと私は思います。もちろんこんなのは最低な差別で、外国人犯罪者に対して死刑をやるならやる、やらないならやらないとはっきりと分けておく方がいいと思います。
最後に仮に本当に外国人犯罪者が猟奇殺人事件を起こしたらどうするべきかというのであれば、今時治外法権じゃないのだから私は他の日本人と同様に裁くべきだと考えております。ただその前に正当な裁判をきちんと踏んであるという証拠を作るために、取調べの可視化と録画、並びにきちんとした裁判翻訳員の整備をしておくべきだと思います。外国人犯罪者に限る事ではないが。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年9月28日火曜日
2010年9月26日日曜日
マリー・アントワネットについて
出張所のほうでリクエストがあったので、フランス革命で処刑されたマリー・アントワネットについて自分なりに軽くまとめてみようと思います。
あまり歴史に興味がない人でもこのマリー・アントワネットについては「ベルサイユの薔薇」(うちのお袋は「ベルサイユのババア」と呼んでいた)などの影響で知っている方も多いことでしょうが、簡単な出自を説明するとこの人は今もゲルマン人女性の鏡と呼ばれるマリア・テレジアの末娘で、ハプスブルグ家とブルボン家の歴史的和解のために14歳でフランスのルイ16世に嫁いでその後フランス革命にて処刑された女性です。流転といえばまさにその通りと呼べるほどの上がり下がりの激しい人生で、それゆえに後世の批評家からは評価が大きく分かれて現代においても未だ定まっていないという有様です。
さてそんなマリー・アントワネットですが、先にも触れたとおりに14歳で故国オーストリアから国も言葉も文化も違うフランス王宮へと嫁いでおります。心理学の研究だと大体14歳か15歳くらいまでであれば移住先の国にすんなり馴染む確率が高いとされていますが、果たしてアントワネットがフランスに定着することが出来たかとなるとやっぱり当初はいろいろと気苦労が多かったようです。
まず私が話を聞いてて呆れてくるのは当時のフランス王宮の文化で、なんでも「王族はその私生活を広く公開すべし」という妙な概念がまかり通っていたらしく、なんとアントワネットはルイ16世との新婚初夜を他のフランス貴族からの衆人環視の元で行わなければならなかったそうです。14歳の身空でいきなりこんなことされるだけでも十分トラウマ物ですが、それ以外にも朝食のテーブルマナーから何から何までゴシップ好きの貴族たちに見られ続けていたそうです。
その上当時のフランス社交界における女の争いも激しく、この辺は割愛しますが対立していたグループの抗争に巻き込まれて本人にその気はないのにいつの間にか片方のグループの頭目扱いされてしまうなど、普通の主婦なら卒倒せんばかりの荒波にもまれる事となります。
そのストレスの反動からかアントワネットはフランスに来た当初、賭け事にはまっていたらしく実母のマリア・テレジアからその事を諌める手紙もまだ現存しています。このほか夜な夜な仮面舞踏会といって皆で仮面かぶって身分を隠して踊る舞踏会(声とか背格好でわかりそうなもんだが)に出没し、そこで気のあったスウェーデン貴族のフェルセンと知り合い後に愛人関係とまでなったと言われております。なおこのフェルセンとの出会いの際にはアントワネット自ら仮面を取って素顔を出したといわれ、この行為は「礼儀知らず」とか「革新的だ」などと評価が分かれたそうです。こういうところで言い合いをするあたりフランス人はよくわからない。
そんなこんだで慣れない外国生活でいろいろと騒動を引き起こしていたアントワネットですが、もはや彼女の座右の銘とまでされている「パンがなければお菓子をお食べ」というセリフについてはこれは彼女の発言ではないと現在ではほぼ否定されております。このセリフは日々の生活すらままならない庶民の生活を省みず浪費を行っていたお馬鹿なアントワネットを表す言葉として伝えられていますが彼女がこのような発言を行ったという記録は全くと言っていいほどなく、また普通に考えてもルイ16世にならばともかく王妃に対して庶民の窮状を報告するというシチュエーション自体が不自然です。
その上、確かに当時のフランスの国家財政は破綻していてアントワネットがファッションに力を入れて浪費していたというのは事実ですが王室の経費なんて所詮はたかが知れた程度で、当時のフランス財政が破綻した直接の原因は先代のルイ15世がでかい建物を次々と建築しては戦費のかかる戦争を次々と起こしていたことが真の理由であるため、上記の発言はアントワネットを貶めるために後世に作られたものだろうとされています。
ただ当時のフランス人のアントワネットへの憎悪はやはり激しかったらしく、目の敵にし易い外国出身でもあり「首飾り事件」という妙な事件もあり、ルイ16世を贔屓目に「悪い人ではなかった」とするために半ばスケープゴート的に悪役とされた節があります。
それが最後に爆発したとされるのがフランス革命であり、彼女への処刑でした。フランス革命が起きた当初は国王一家はまだ国民から強い支持があって軟禁される以上は何も追求されずにいましたが、王権奪回を図ってアントワネットの故国オーストリアへ先のフェルセンの助けを借りて逃亡しようとして失敗した「ヴァレンヌ逃亡事件」によって一挙にこの流れが変わることになり、国王一家は明確に国民から国家を裏切ったと言われ、特にアントワネットに対しては「国王を惑わした」、「オーストリアにフランスの情報を漏らしている」とも言われました。まぁあながち間違ってないけど。
こうした国民の声を受けて、国王支持者はそれでも多かったとされますが階級廃止を強く訴えていたジャコバン派のロベスピエールによってルイ16世は断頭台へ送られます。その後アントワネットの処遇については議論が行われ、道義的には処刑したいものの仮に処刑すれば隣国オーストリアと全面戦争になるとして慎重論も出ていたようですが、最終的には革命裁判で死刑判決を受け、夫同様に断頭台へ送られる事となりました。
その後、オーストリアとフランスの戦争は案の定激化し、一時オーストリアがフランスに侵入することになりましたがそれを撃退して講和条約まで持っていったのがナポレオン・ボナパルトという、次にフランスで主役となる男でした。
結論を言えば、アントワネットは確かに一女性としてやや問題な部分を持っていましたがそれは平時であれば特段問題となるほどではなく、厄介な時期にフランス王室に嫁いでしまったがためにその名前を後世に大きく残してしまった運の悪い女性だったと私は評価しています。ただ全部が全部同情するわけでなく、「ヴァレンヌ逃亡事件」については彼女とフェルセンの主導で実行された事を考えると如何なものかと思う節があり、この事件があったかどうかでブルボン家の存亡が変わったであろう事を思うと批判を受ける事となっても仕方のない気がします。
なおこの時代にルイ16世、マリー・アントワネット、果てにはこの二人を断頭台へ送ったロベスピエールをも直接断頭台にかけたのは、以前にも私が紹介したシャルル=アンリ・サンソンという人物です。この時代のフランスの人物はやはり面白い人が多く、このほかにも風呂入っている最中に刺されたということで日本の高校生から「おいおい」と突っ込まれたであろうジャン=ポール・マラーを刺した張本人であるシャルロット・コルデーなど、評伝書いてて中々飽きない時代です。
個人的にもっと知名度があっていいと思うのはちょっと時代が下がるけど、ジョセフ・フーシェだけど。
あまり歴史に興味がない人でもこのマリー・アントワネットについては「ベルサイユの薔薇」(うちのお袋は「ベルサイユのババア」と呼んでいた)などの影響で知っている方も多いことでしょうが、簡単な出自を説明するとこの人は今もゲルマン人女性の鏡と呼ばれるマリア・テレジアの末娘で、ハプスブルグ家とブルボン家の歴史的和解のために14歳でフランスのルイ16世に嫁いでその後フランス革命にて処刑された女性です。流転といえばまさにその通りと呼べるほどの上がり下がりの激しい人生で、それゆえに後世の批評家からは評価が大きく分かれて現代においても未だ定まっていないという有様です。
さてそんなマリー・アントワネットですが、先にも触れたとおりに14歳で故国オーストリアから国も言葉も文化も違うフランス王宮へと嫁いでおります。心理学の研究だと大体14歳か15歳くらいまでであれば移住先の国にすんなり馴染む確率が高いとされていますが、果たしてアントワネットがフランスに定着することが出来たかとなるとやっぱり当初はいろいろと気苦労が多かったようです。
まず私が話を聞いてて呆れてくるのは当時のフランス王宮の文化で、なんでも「王族はその私生活を広く公開すべし」という妙な概念がまかり通っていたらしく、なんとアントワネットはルイ16世との新婚初夜を他のフランス貴族からの衆人環視の元で行わなければならなかったそうです。14歳の身空でいきなりこんなことされるだけでも十分トラウマ物ですが、それ以外にも朝食のテーブルマナーから何から何までゴシップ好きの貴族たちに見られ続けていたそうです。
その上当時のフランス社交界における女の争いも激しく、この辺は割愛しますが対立していたグループの抗争に巻き込まれて本人にその気はないのにいつの間にか片方のグループの頭目扱いされてしまうなど、普通の主婦なら卒倒せんばかりの荒波にもまれる事となります。
そのストレスの反動からかアントワネットはフランスに来た当初、賭け事にはまっていたらしく実母のマリア・テレジアからその事を諌める手紙もまだ現存しています。このほか夜な夜な仮面舞踏会といって皆で仮面かぶって身分を隠して踊る舞踏会(声とか背格好でわかりそうなもんだが)に出没し、そこで気のあったスウェーデン貴族のフェルセンと知り合い後に愛人関係とまでなったと言われております。なおこのフェルセンとの出会いの際にはアントワネット自ら仮面を取って素顔を出したといわれ、この行為は「礼儀知らず」とか「革新的だ」などと評価が分かれたそうです。こういうところで言い合いをするあたりフランス人はよくわからない。
そんなこんだで慣れない外国生活でいろいろと騒動を引き起こしていたアントワネットですが、もはや彼女の座右の銘とまでされている「パンがなければお菓子をお食べ」というセリフについてはこれは彼女の発言ではないと現在ではほぼ否定されております。このセリフは日々の生活すらままならない庶民の生活を省みず浪費を行っていたお馬鹿なアントワネットを表す言葉として伝えられていますが彼女がこのような発言を行ったという記録は全くと言っていいほどなく、また普通に考えてもルイ16世にならばともかく王妃に対して庶民の窮状を報告するというシチュエーション自体が不自然です。
その上、確かに当時のフランスの国家財政は破綻していてアントワネットがファッションに力を入れて浪費していたというのは事実ですが王室の経費なんて所詮はたかが知れた程度で、当時のフランス財政が破綻した直接の原因は先代のルイ15世がでかい建物を次々と建築しては戦費のかかる戦争を次々と起こしていたことが真の理由であるため、上記の発言はアントワネットを貶めるために後世に作られたものだろうとされています。
ただ当時のフランス人のアントワネットへの憎悪はやはり激しかったらしく、目の敵にし易い外国出身でもあり「首飾り事件」という妙な事件もあり、ルイ16世を贔屓目に「悪い人ではなかった」とするために半ばスケープゴート的に悪役とされた節があります。
それが最後に爆発したとされるのがフランス革命であり、彼女への処刑でした。フランス革命が起きた当初は国王一家はまだ国民から強い支持があって軟禁される以上は何も追求されずにいましたが、王権奪回を図ってアントワネットの故国オーストリアへ先のフェルセンの助けを借りて逃亡しようとして失敗した「ヴァレンヌ逃亡事件」によって一挙にこの流れが変わることになり、国王一家は明確に国民から国家を裏切ったと言われ、特にアントワネットに対しては「国王を惑わした」、「オーストリアにフランスの情報を漏らしている」とも言われました。まぁあながち間違ってないけど。
こうした国民の声を受けて、国王支持者はそれでも多かったとされますが階級廃止を強く訴えていたジャコバン派のロベスピエールによってルイ16世は断頭台へ送られます。その後アントワネットの処遇については議論が行われ、道義的には処刑したいものの仮に処刑すれば隣国オーストリアと全面戦争になるとして慎重論も出ていたようですが、最終的には革命裁判で死刑判決を受け、夫同様に断頭台へ送られる事となりました。
その後、オーストリアとフランスの戦争は案の定激化し、一時オーストリアがフランスに侵入することになりましたがそれを撃退して講和条約まで持っていったのがナポレオン・ボナパルトという、次にフランスで主役となる男でした。
結論を言えば、アントワネットは確かに一女性としてやや問題な部分を持っていましたがそれは平時であれば特段問題となるほどではなく、厄介な時期にフランス王室に嫁いでしまったがためにその名前を後世に大きく残してしまった運の悪い女性だったと私は評価しています。ただ全部が全部同情するわけでなく、「ヴァレンヌ逃亡事件」については彼女とフェルセンの主導で実行された事を考えると如何なものかと思う節があり、この事件があったかどうかでブルボン家の存亡が変わったであろう事を思うと批判を受ける事となっても仕方のない気がします。
なおこの時代にルイ16世、マリー・アントワネット、果てにはこの二人を断頭台へ送ったロベスピエールをも直接断頭台にかけたのは、以前にも私が紹介したシャルル=アンリ・サンソンという人物です。この時代のフランスの人物はやはり面白い人が多く、このほかにも風呂入っている最中に刺されたということで日本の高校生から「おいおい」と突っ込まれたであろうジャン=ポール・マラーを刺した張本人であるシャルロット・コルデーなど、評伝書いてて中々飽きない時代です。
個人的にもっと知名度があっていいと思うのはちょっと時代が下がるけど、ジョセフ・フーシェだけど。
2010年9月24日金曜日
尖閣諸島沖衝突中国漁船船長解放、及び中国の対抗措置について
今日友人からフジタの社員が拘束されたニュースについて早速メールがあったので、恐らく期待されているかと思うのでこの件と合わせて今日立て続けに起こった尖閣諸島沖で衝突事故を起こした中国漁船の船長解放などと合わせて私の見方を紹介しようと思います。まず結論から言うと、やはり今回中国はなりふりかまわない行動を取ってきたなと私も感じました。
本日早朝、中国河北省の石家庄市で日本の建設会社フジタの社員四名が中国の軍事施設の無断撮影(もしくは立ち入り)を行ったとして拘束され、取調べを受けているとの情報が突然入ってきました。またこのニュースとほぼ同時に日本の各商社から一斉に中国がレアアース資源の輸出に制限をかけて困っているという連絡が経済産業省に寄せられているということがメディアを通して報道されました。
どちらのニュースも先日の中国漁船衝突事故で船長を拘束した日本への対抗措置ではないかと報道され、わりと距離を離して報道するNHKですらもはっきりと先の事件の影響ではないかと言及しました。
まず前者の日本社員拘束の事件については、私はさほど特別な感傷を持ちませんでした。というのも中国で軍の基地に立ち入ったとかカメラのレンズを向けたとかで外国人が捕まるのは割とよくあることで、私も留学した当初にもわざわざ中国公安の人間が大学にやってきて、新規留学生を講堂に集めると決して軍の基地などに迂闊に立ち入らない事などを長々と説明していました。
そのため今回の事件についてもそういった中のよくある事件の一つで、確かに時期が時期なだけに中国の人質報復ではないかと見ることも出来ますが売り言葉に買い言葉とも言いますし、ここは日本人は中国人みたいに熱くならずに冷静さを保つ事が大事ではあるがそうも行かないだろうという具合に見ていました。
なお今回出てきたフジタという会社は旧日本軍が中国本土に遺棄した化学兵器の処理施設設置事業を行っており、今回石家庄市に社員らが訪れていたのも軍関係の拠点が数多い事から今後の受注を見込んでの視察目的だったらしく、内閣府や中国当局には特に申し出ずに行っていたようなので現時点でははっきりいえませんが偶発的に捕まってしまった可能性があります。
ただそれにしても日本側に現在の捜査状況やフジタ側に何の通告も行わないというのはやはり異例で、偶発半分報復半分のような事件ではないかと私は見ています。
それに対して先程のレアアースの輸出停止は間違いなく中国政府の確信犯的行動と私は断言できます。基本的に中国の石油や鉄、石炭といった資源会社はどこも国営みたいなもので中国政府の意向が強く反映されます。それゆえに中国の日本向けレアアース輸出が通関で一斉に止まるという事は中国政府の意向なしにはまず行えないことで、これほどまでに極端な行動は仮に中国が報復のつもりではないといった所で信じる日本人はまずいないでしょう。
こんな予告なしの貿易取引停止は常識はずれもいいところで、訴えようによってはWTOから勧告や制裁を受けてもおかしくないほどの行動です。こう言ってはなんですが、領土問題が絡んでいるからといってたかだか漁船衝突事故一件のためにこれほどまで極端な行動を取ったというのは実に勿体無いというか、問題を無駄に大きくさせている気がしてなりません。
こういった中国の行動が効を奏したというか、今晩事故を起こした船長を拘留している那覇地検は船長の解放を発表しました。この那覇地検、といっても実際は政府の意向による解放については私は支持をします。
私が今回の解放を支持する理由としては単純に割に合わないからで、領土問題についてはオバマ大統領より「尖閣諸島は安保保障の範囲内」との発言を得た上でこれ以上お互い粘っても平行線であることから一区切りを得ており、レアアースを多く消費する日本の現況を見ると意地張って船長一人拘留するよりかは実利を得るべきだという判断からです。
なお自民党の谷垣総裁や安倍氏などは今回の船長解放について政府を強く批判しているようですが、私はそういう自民党もかつて金正男氏と見られる男性を長く拘留せずに国外退去としていますし、領土問題にも悪影響が出ると連中は言ってますが近年の日中国境線問題で一番悪影響を作ったの福田政権での春暁ガス田共同開発合意だと私は見ているので、ちょっとこの批判のやりかたは虫が良過ぎるかと思います。
今回の漁船衝突に始まる一連の外交は間違いなく中国の勝利と言えるでしょうが、その小さな勝利の代償として中国が支払うべきコストは後から重くのしかかってくることになると私は予想します。現在中国は米国から執拗に人民元の切り上げを行うよう要求されていますが、恐らく今後日本政府も米国と協調して切り上げ要求を強めることになる可能性があり、また単純に日本人の中国への感情もすこぶる悪くさせてしまいました。ついでに書くと、SMAPの公演を楽しみにしていた中国ファンもがっかりさせただろうな。
ちなみに自分は来月から一ヶ月ほど上海に滞在する予定なので、今回の事件で周囲から「花園君は大丈夫?(´・д・`)」という具合でえらく心配されっぱなしで逆に困ってます。まぁ捕まったら捕まったでブログでネタになるから、死なない程度であれば少しはおいしいかな。
本日早朝、中国河北省の石家庄市で日本の建設会社フジタの社員四名が中国の軍事施設の無断撮影(もしくは立ち入り)を行ったとして拘束され、取調べを受けているとの情報が突然入ってきました。またこのニュースとほぼ同時に日本の各商社から一斉に中国がレアアース資源の輸出に制限をかけて困っているという連絡が経済産業省に寄せられているということがメディアを通して報道されました。
どちらのニュースも先日の中国漁船衝突事故で船長を拘束した日本への対抗措置ではないかと報道され、わりと距離を離して報道するNHKですらもはっきりと先の事件の影響ではないかと言及しました。
まず前者の日本社員拘束の事件については、私はさほど特別な感傷を持ちませんでした。というのも中国で軍の基地に立ち入ったとかカメラのレンズを向けたとかで外国人が捕まるのは割とよくあることで、私も留学した当初にもわざわざ中国公安の人間が大学にやってきて、新規留学生を講堂に集めると決して軍の基地などに迂闊に立ち入らない事などを長々と説明していました。
そのため今回の事件についてもそういった中のよくある事件の一つで、確かに時期が時期なだけに中国の人質報復ではないかと見ることも出来ますが売り言葉に買い言葉とも言いますし、ここは日本人は中国人みたいに熱くならずに冷静さを保つ事が大事ではあるがそうも行かないだろうという具合に見ていました。
なお今回出てきたフジタという会社は旧日本軍が中国本土に遺棄した化学兵器の処理施設設置事業を行っており、今回石家庄市に社員らが訪れていたのも軍関係の拠点が数多い事から今後の受注を見込んでの視察目的だったらしく、内閣府や中国当局には特に申し出ずに行っていたようなので現時点でははっきりいえませんが偶発的に捕まってしまった可能性があります。
ただそれにしても日本側に現在の捜査状況やフジタ側に何の通告も行わないというのはやはり異例で、偶発半分報復半分のような事件ではないかと私は見ています。
それに対して先程のレアアースの輸出停止は間違いなく中国政府の確信犯的行動と私は断言できます。基本的に中国の石油や鉄、石炭といった資源会社はどこも国営みたいなもので中国政府の意向が強く反映されます。それゆえに中国の日本向けレアアース輸出が通関で一斉に止まるという事は中国政府の意向なしにはまず行えないことで、これほどまでに極端な行動は仮に中国が報復のつもりではないといった所で信じる日本人はまずいないでしょう。
こんな予告なしの貿易取引停止は常識はずれもいいところで、訴えようによってはWTOから勧告や制裁を受けてもおかしくないほどの行動です。こう言ってはなんですが、領土問題が絡んでいるからといってたかだか漁船衝突事故一件のためにこれほどまで極端な行動を取ったというのは実に勿体無いというか、問題を無駄に大きくさせている気がしてなりません。
こういった中国の行動が効を奏したというか、今晩事故を起こした船長を拘留している那覇地検は船長の解放を発表しました。この那覇地検、といっても実際は政府の意向による解放については私は支持をします。
私が今回の解放を支持する理由としては単純に割に合わないからで、領土問題についてはオバマ大統領より「尖閣諸島は安保保障の範囲内」との発言を得た上でこれ以上お互い粘っても平行線であることから一区切りを得ており、レアアースを多く消費する日本の現況を見ると意地張って船長一人拘留するよりかは実利を得るべきだという判断からです。
なお自民党の谷垣総裁や安倍氏などは今回の船長解放について政府を強く批判しているようですが、私はそういう自民党もかつて金正男氏と見られる男性を長く拘留せずに国外退去としていますし、領土問題にも悪影響が出ると連中は言ってますが近年の日中国境線問題で一番悪影響を作ったの福田政権での春暁ガス田共同開発合意だと私は見ているので、ちょっとこの批判のやりかたは虫が良過ぎるかと思います。
今回の漁船衝突に始まる一連の外交は間違いなく中国の勝利と言えるでしょうが、その小さな勝利の代償として中国が支払うべきコストは後から重くのしかかってくることになると私は予想します。現在中国は米国から執拗に人民元の切り上げを行うよう要求されていますが、恐らく今後日本政府も米国と協調して切り上げ要求を強めることになる可能性があり、また単純に日本人の中国への感情もすこぶる悪くさせてしまいました。ついでに書くと、SMAPの公演を楽しみにしていた中国ファンもがっかりさせただろうな。
ちなみに自分は来月から一ヶ月ほど上海に滞在する予定なので、今回の事件で周囲から「花園君は大丈夫?(´・д・`)」という具合でえらく心配されっぱなしで逆に困ってます。まぁ捕まったら捕まったでブログでネタになるから、死なない程度であれば少しはおいしいかな。
2010年9月23日木曜日
フィリップ四世(仏)について
いきなりですが、昨日も更新を休んだにもかかわらず今日も何故か記事を書こうという気力が薄いです。書きたい内容はいくつかもう持っているのですが、前回前々回と割と重たい内容を一気に書き上げたので少し消化不良気味なのかもしれません。
なので今日はまた少し息抜きがてらに歴史の話でも書いてみようと思います。いつも日本史や中国史ばかりなのでたまには西欧史で面白い人はいないかなと思索すると、ちょうどいい具合にこの前軽く調べた人物ことフランス王フィリップ四世が浮かんできたので浅薄な知識ですが紹介します。
このフィリップ四世という人物は高校の世界史を履修すれば必ず勉強する必要のある人物なのですが、私が彼の業績を教科書で読んだ時に思った感想はというと、「なんて悪人なんだろう」という印象以外ありませんでした。もう初対面からして最悪ですね。
そんなフィリップ四世が生きていた時代は日本で言うと鎌倉時代後期に当たる13世紀後半から14世紀前半です。彼は生まれつきかっこいい容姿をしていたことから「端麗王」と呼ばれていたそうで、イギリスに続き十字軍後の西欧世界でフランスで絶対王政を確立させます。
そんなフィリップ四世が歴史に名を残す事となったのは、なんとそれまで西欧世界を支配していたローマ教皇を捕縛しようとした「アナーニ事件」からです。フィリップ四世はイギリスとの結びつきが強かったフランドル地方を制圧するために何度も戦争を起こしていたのですが、その戦費調達のためにそれまで絶対不可侵であった教会の持つ財産にも課税しようとしました。しかしこれに対して時の教皇ボニファティウス八世がその徴税に待ったをかけたところ、元々十字軍の失敗によって教皇権が失墜し国王の力が増していたのもありますが、なんとフィリップ四世は実力行使とばかりにイタリアに軍隊を派遣して教皇を誘拐しようとしたのでした。ボニファティウス八世は支援者の助けもあってなんとかフィリップ四世の軍隊から逃げ切る事が出来たものの、いきなり襲い掛かられたショックと高齢からかこの事件のわずか三週間後に死亡してしまいます。
この教皇の死後、フィリップ四世はローマ教皇庁を南フランスのアヴィニヨンに移すと実質的に教皇庁を支配し、その後しばらくはフランスの意のかかったフランス人教皇が続くなどしてフランス王の下に教皇は置かれました。この期間は約70年続き、この間の事を「教皇のアヴィニヨン捕囚」と呼ばれております。
このアヴィニヨン捕囚は1377年に教皇となったグレゴリウス十一世がローマに戻った事で終わりを告げるのですが、そしたら今度はまたフランスの肝煎りでグレゴリウス十一世に対抗する形でアヴィニヨンにクレメンス7世という教皇が立てられ、ちょうど日本の南北朝時代のように同じ時代に二人の教皇が並存するという「教会大分裂」の時代に突入します。
このように西欧世界で大きな影響力を持ったキリスト教会をとことん混乱させる原因を作ったフィリップ四世なのですが、これだけでも随分とはた迷惑な奴だったなぁと思っていたらよくよく調べてみると、もうひとつキリスト教関係で大きな事件を起こしていました。
先にも述べた通りにフィリップ四世は戦争ばかりして常に戦費調達のため金策に走っていましたが、そんな彼が目をつけたものの一つに「ダヴィンチ・コード」で一気に有名となった「テンプル騎士団」もありました。
このテンプル騎士団というのは第一回十字軍後に聖地エルサレムへの巡礼者を保護するという目的のために作られた、いわば志願型の武装自警団のような組織でした。ただこのテンプル騎士団に入団するためにはその残りの人生をすべて信仰に捧ぐ証を立てるために所有する財産をすべて騎士団に寄付しなければならなかったとされ、そうして集まった財産を元手に騎士団は徐々に金融取引も行うようになっていったそうです。
ちょっとこの辺は自分もあまり詳しくはないのですが、エルサレムという遠隔地に赴く巡礼者たちの旅先での送金、果てにはイスラム世界との通商などを手がけていたらしく、テンプル騎士団はフィリップ四世の時代には莫大な資産を保有していたとされます。
そのためにこの騎士団はフィリップ四世に目を付けられる事となり、厚生労働省の村木さんの事件じゃありませんが、騎士団は無理矢理に罪を被せられた挙句に異端審問にかけられて幹部らは皆処刑され、騎士団も解散されることになりました。そしてそれまで騎士団が保有していた資産はまるまんまフィリップ四世が着服したとのことです。
確かこの時の審問でかけられた容疑の一つに悪魔であるバフォメットを陰で信仰していたという話を聞いたことがあるのですがとにもかくにも強引な裁判であったのは間違いなく、元々テンプル騎士団は入団の際に秘密儀式を行うなど神秘性を秘めていた事から先程の「ダヴィンチ・コード」のように聖杯を所有していてそれが目当てで狙われていたのではないかという説などいろいろ溢れております。
ちなみにテンプル騎士団と同時期に結成された「聖ヨハネ騎士団」は未だに存続しており、国連にも参加しているそうです。
という具合にもう悪い事ばかりやっていたという悪代官みたいな印象しか覚えられないフィリップ四世ですが、その死の際にフィリップ四世を呪ったとされるテンプル騎士団最後の総長であったジャック・ド・モレーの力か聖杯の力か、テンプル騎士団解散のその年に彼も同じく死去しております。さらに彼の子らも跡継ぎを残す間もなく次々と死んで行き、後継者争いがもつれたことからイギリスの介入を招いて後の百年戦争につながる事になります。
歴史というのは因果なもので、百年や二百年後に思わぬ形で報いが返ってくることがあります。日本だと関ヶ原の戦いと幕末の構図が代表的ですが、このフィリップ四世とその後のフランスの歴史はまさに神がそうさせたとすら感じさせられる内容です。
やる気でないとか言っておきながら、20分でここまで書き上げられてしまった。やっぱ歴史が好きなんだなぁ、私って。
なので今日はまた少し息抜きがてらに歴史の話でも書いてみようと思います。いつも日本史や中国史ばかりなのでたまには西欧史で面白い人はいないかなと思索すると、ちょうどいい具合にこの前軽く調べた人物ことフランス王フィリップ四世が浮かんできたので浅薄な知識ですが紹介します。
このフィリップ四世という人物は高校の世界史を履修すれば必ず勉強する必要のある人物なのですが、私が彼の業績を教科書で読んだ時に思った感想はというと、「なんて悪人なんだろう」という印象以外ありませんでした。もう初対面からして最悪ですね。
そんなフィリップ四世が生きていた時代は日本で言うと鎌倉時代後期に当たる13世紀後半から14世紀前半です。彼は生まれつきかっこいい容姿をしていたことから「端麗王」と呼ばれていたそうで、イギリスに続き十字軍後の西欧世界でフランスで絶対王政を確立させます。
そんなフィリップ四世が歴史に名を残す事となったのは、なんとそれまで西欧世界を支配していたローマ教皇を捕縛しようとした「アナーニ事件」からです。フィリップ四世はイギリスとの結びつきが強かったフランドル地方を制圧するために何度も戦争を起こしていたのですが、その戦費調達のためにそれまで絶対不可侵であった教会の持つ財産にも課税しようとしました。しかしこれに対して時の教皇ボニファティウス八世がその徴税に待ったをかけたところ、元々十字軍の失敗によって教皇権が失墜し国王の力が増していたのもありますが、なんとフィリップ四世は実力行使とばかりにイタリアに軍隊を派遣して教皇を誘拐しようとしたのでした。ボニファティウス八世は支援者の助けもあってなんとかフィリップ四世の軍隊から逃げ切る事が出来たものの、いきなり襲い掛かられたショックと高齢からかこの事件のわずか三週間後に死亡してしまいます。
この教皇の死後、フィリップ四世はローマ教皇庁を南フランスのアヴィニヨンに移すと実質的に教皇庁を支配し、その後しばらくはフランスの意のかかったフランス人教皇が続くなどしてフランス王の下に教皇は置かれました。この期間は約70年続き、この間の事を「教皇のアヴィニヨン捕囚」と呼ばれております。
このアヴィニヨン捕囚は1377年に教皇となったグレゴリウス十一世がローマに戻った事で終わりを告げるのですが、そしたら今度はまたフランスの肝煎りでグレゴリウス十一世に対抗する形でアヴィニヨンにクレメンス7世という教皇が立てられ、ちょうど日本の南北朝時代のように同じ時代に二人の教皇が並存するという「教会大分裂」の時代に突入します。
このように西欧世界で大きな影響力を持ったキリスト教会をとことん混乱させる原因を作ったフィリップ四世なのですが、これだけでも随分とはた迷惑な奴だったなぁと思っていたらよくよく調べてみると、もうひとつキリスト教関係で大きな事件を起こしていました。
先にも述べた通りにフィリップ四世は戦争ばかりして常に戦費調達のため金策に走っていましたが、そんな彼が目をつけたものの一つに「ダヴィンチ・コード」で一気に有名となった「テンプル騎士団」もありました。
このテンプル騎士団というのは第一回十字軍後に聖地エルサレムへの巡礼者を保護するという目的のために作られた、いわば志願型の武装自警団のような組織でした。ただこのテンプル騎士団に入団するためにはその残りの人生をすべて信仰に捧ぐ証を立てるために所有する財産をすべて騎士団に寄付しなければならなかったとされ、そうして集まった財産を元手に騎士団は徐々に金融取引も行うようになっていったそうです。
ちょっとこの辺は自分もあまり詳しくはないのですが、エルサレムという遠隔地に赴く巡礼者たちの旅先での送金、果てにはイスラム世界との通商などを手がけていたらしく、テンプル騎士団はフィリップ四世の時代には莫大な資産を保有していたとされます。
そのためにこの騎士団はフィリップ四世に目を付けられる事となり、厚生労働省の村木さんの事件じゃありませんが、騎士団は無理矢理に罪を被せられた挙句に異端審問にかけられて幹部らは皆処刑され、騎士団も解散されることになりました。そしてそれまで騎士団が保有していた資産はまるまんまフィリップ四世が着服したとのことです。
確かこの時の審問でかけられた容疑の一つに悪魔であるバフォメットを陰で信仰していたという話を聞いたことがあるのですがとにもかくにも強引な裁判であったのは間違いなく、元々テンプル騎士団は入団の際に秘密儀式を行うなど神秘性を秘めていた事から先程の「ダヴィンチ・コード」のように聖杯を所有していてそれが目当てで狙われていたのではないかという説などいろいろ溢れております。
ちなみにテンプル騎士団と同時期に結成された「聖ヨハネ騎士団」は未だに存続しており、国連にも参加しているそうです。
という具合にもう悪い事ばかりやっていたという悪代官みたいな印象しか覚えられないフィリップ四世ですが、その死の際にフィリップ四世を呪ったとされるテンプル騎士団最後の総長であったジャック・ド・モレーの力か聖杯の力か、テンプル騎士団解散のその年に彼も同じく死去しております。さらに彼の子らも跡継ぎを残す間もなく次々と死んで行き、後継者争いがもつれたことからイギリスの介入を招いて後の百年戦争につながる事になります。
歴史というのは因果なもので、百年や二百年後に思わぬ形で報いが返ってくることがあります。日本だと関ヶ原の戦いと幕末の構図が代表的ですが、このフィリップ四世とその後のフランスの歴史はまさに神がそうさせたとすら感じさせられる内容です。
やる気でないとか言っておきながら、20分でここまで書き上げられてしまった。やっぱ歴史が好きなんだなぁ、私って。
2010年9月21日火曜日
厚労相郵便不正事件、捜査検事逮捕について
私は現在通勤時間が約二時間の職場に通っているため毎朝大体6:50くらいに家を出るのですが、毎日家を出る前にうちのポストに刺さっている朝日親新聞朝刊の見出しを刺さったままの状態でかがみこんで見るのが習慣となっています。うちが朝日新聞を取っているのはお袋が朝日の新聞屋で集金のパートをしているからなのですがそれは置いといて、今朝また怪しい格好で覗き込んだ一面見出しを見て私は思わず息を呑みました。
最高検、主任検事を証拠隠滅容疑で逮捕 郵便不正事件(朝日新聞)
私も先日に「偽障害者団体郵便不正事件、村木厚子元局長の無罪判決について」の記事にて取り上げた郵便不正事件の捜査において、この事件を主導して捜査した大阪地検特捜部所属の前田恒彦検事が重要な証拠の改ざんを行った容疑でつい先程逮捕されました。
まさに電光石火とはこういうことで、この前田容疑者逮捕へ至る発端は今朝の朝日新聞による「検事、押収資料改ざんか」という見出しの記事からで、報道が行われた今日の今日に前田容疑者は同じ身内の最高検察庁により逮捕されることになりました。因みに今朝通勤途中で読売など他紙の一面を確認しましたがこの朝日の報道はどこも触れておらず、事実上朝日新聞一社独占のスクープだったのでしょう。
今回前田容疑者が逮捕された容疑をかいつまんで説明すると、この事件において検察により関与が疑われたために不当に逮捕され、すでに無罪判決を受けている村木厚子氏の無実を証明するに当たり重要な証拠となるフロッピーディスク内のデータの日付を自分達の都合のいいように改ざん、言い換えるなら村木氏を冤罪に陥れるために改ざんしたという、まさに前代未聞ともいえる容疑からでした。
具体的にどのような改ざんが行われたかというと、村木氏の元部下の上村被告が偽障害者団体へ発行した偽造証明書の作成日を2004年の6/1から6/8へ改ざんしたと報道されております。この改ざんがどのような意味を持つのかというと検察は今回の捜査、裁判において村木氏は上村被告に対して六月上旬に証明書を偽造するよう指示したと主張して事件を組み立てていましたが、実際の偽造証明書は6/1に作成されているため、これでは村木氏が偽造を指示したとされるのは5/31以前でなければ不可能ということなり事実上検察の見立ては崩れてしまいます。
ですがその作成日が6/8であればさきほどの六月上旬という検察、というよりは前田容疑者のストーリーに矛盾がなくなり、いわば事実を無理矢理に捻じ曲げて都合のいい証拠を作成しようと改ざんしたと見られております。
結局この日付が改ざんされたデータの入っているフロッピーディスクは公判前に村木氏が日付の矛盾に気がつき指摘した事で検察も裁判中に証拠として使用せず、逆に弁護側が元の日付と検察のストーリーの矛盾を攻め立てた事で村木氏の無罪獲得への重要な証拠となったわけですが、仮にもし誰もこの日付の矛盾に気がつかず、検察が改ざんした日付のデータを証拠にして有罪が下されていればと思うと私も寒気を覚えずにはいられません。
この改ざんについて当の前田容疑者は「遊んでいるうちに間違って変えてしまった」と同僚らに語っていたと報じられていますが、そもそも捜査に重要な証拠を私的に使用するなんて本来あってはならない話で、仮にそれが事実だとしても何故今の今まで自己申告しなかったのかと子供がつくような嘘も大概にしろと厳しく言いたいものです。
またこの改ざんについても朝日新聞がその問題のデータ(どうやって手に入れたかまでは書いてないが)を大手情報セキュリティ会社に解析を依頼した事で改ざんの有無と改ざんが行われた日付を割り出したことで明らかになりましたが、これも朝日が報じていなければどうなっていたのか気になります。
さすがに朝日新聞が報道したのを受けて検察もこの改ざんの事実を初めて知って今日の今日にすぐ前田容疑者を逮捕したというのは考えられず、恐らくは内々でこの問題の対応や処分が検討されている中で今朝の朝日新聞の報道があり、世間の批判を受ける前に慌てて前田容疑者を今夜逮捕するに至ったのではないかと思います。これは逆に言えば、世間に大きく報道されなければ大阪地検は前田容疑者を捜査担当から外す程度の内々の処分で済ましていたのではないかとも疑えるわけです。
どちらにしろ今回のこの前田容疑者の行動は捜査機関の職員としてはあるまじき行為だけでなく、無実の人間に偽の証拠を偽造してまでも冤罪に陥れようという一人間としても最低極まりない畜生に等しい行為に他なりません。聞く所によるとこの前田容疑者はたまたま今日収監された守屋元防衛庁事務次官の収賄事件や小沢氏の資金管理団体の事件などいろんな事件の捜査に携わったとされており、言っちゃなんですがこれら前田容疑者が関わった事件は証拠が偽造されてないかすべて洗いなおす必要があるのではないかと思います。
その上でノンフィクション作家の吉岡忍氏がNHKのインタビューで指摘していましたが、この検察内の不祥事を同じ身内の検察が逮捕、捜査してもいいのかという気もします。吉岡氏も当の本人でもある村木氏もこの前田容疑者の最低極まりない行為は第三者機関を交えて公平に調べる必要があると述べており、検察は外部の有識者団体を入れなければまず間違いなく失った信頼を取り戻す事は出来ないでしょう。
私が検察に対して初めて不信感を覚えたのは2005年に発刊された佐藤優氏の「国家の罠」を読んでのが最初で、その後映画の「それでもボクはやっていない」を見てますます不信間に磨きがかかり、この村木氏の事件が取りざたされたのを見た際には初めからこの事件はおかしいと感じるようになっていました。その後足利事件で冤罪にあった菅谷さんの例もあり、誰がどう見ても真っ黒な小沢氏があんなふざけた供述をしているにもかかわらず起訴されないことに恐らく私以外にもたくさんの方が検察に対して恒常的に信頼しなくなってきているかと思います。
そういう目で見ると、今回の前田容疑者の事件は偶発的に起こったという感覚よりやっぱりそういう検察って組織だったんだなと私は思わざるを得ません。相撲界もそうでしたが、この事件をきっかけにどれだけ血を流すかで検察組織は信頼回復以前にその存在理由が問われる事となるでしょう。
最高検、主任検事を証拠隠滅容疑で逮捕 郵便不正事件(朝日新聞)
私も先日に「偽障害者団体郵便不正事件、村木厚子元局長の無罪判決について」の記事にて取り上げた郵便不正事件の捜査において、この事件を主導して捜査した大阪地検特捜部所属の前田恒彦検事が重要な証拠の改ざんを行った容疑でつい先程逮捕されました。
まさに電光石火とはこういうことで、この前田容疑者逮捕へ至る発端は今朝の朝日新聞による「検事、押収資料改ざんか」という見出しの記事からで、報道が行われた今日の今日に前田容疑者は同じ身内の最高検察庁により逮捕されることになりました。因みに今朝通勤途中で読売など他紙の一面を確認しましたがこの朝日の報道はどこも触れておらず、事実上朝日新聞一社独占のスクープだったのでしょう。
今回前田容疑者が逮捕された容疑をかいつまんで説明すると、この事件において検察により関与が疑われたために不当に逮捕され、すでに無罪判決を受けている村木厚子氏の無実を証明するに当たり重要な証拠となるフロッピーディスク内のデータの日付を自分達の都合のいいように改ざん、言い換えるなら村木氏を冤罪に陥れるために改ざんしたという、まさに前代未聞ともいえる容疑からでした。
具体的にどのような改ざんが行われたかというと、村木氏の元部下の上村被告が偽障害者団体へ発行した偽造証明書の作成日を2004年の6/1から6/8へ改ざんしたと報道されております。この改ざんがどのような意味を持つのかというと検察は今回の捜査、裁判において村木氏は上村被告に対して六月上旬に証明書を偽造するよう指示したと主張して事件を組み立てていましたが、実際の偽造証明書は6/1に作成されているため、これでは村木氏が偽造を指示したとされるのは5/31以前でなければ不可能ということなり事実上検察の見立ては崩れてしまいます。
ですがその作成日が6/8であればさきほどの六月上旬という検察、というよりは前田容疑者のストーリーに矛盾がなくなり、いわば事実を無理矢理に捻じ曲げて都合のいい証拠を作成しようと改ざんしたと見られております。
結局この日付が改ざんされたデータの入っているフロッピーディスクは公判前に村木氏が日付の矛盾に気がつき指摘した事で検察も裁判中に証拠として使用せず、逆に弁護側が元の日付と検察のストーリーの矛盾を攻め立てた事で村木氏の無罪獲得への重要な証拠となったわけですが、仮にもし誰もこの日付の矛盾に気がつかず、検察が改ざんした日付のデータを証拠にして有罪が下されていればと思うと私も寒気を覚えずにはいられません。
この改ざんについて当の前田容疑者は「遊んでいるうちに間違って変えてしまった」と同僚らに語っていたと報じられていますが、そもそも捜査に重要な証拠を私的に使用するなんて本来あってはならない話で、仮にそれが事実だとしても何故今の今まで自己申告しなかったのかと子供がつくような嘘も大概にしろと厳しく言いたいものです。
またこの改ざんについても朝日新聞がその問題のデータ(どうやって手に入れたかまでは書いてないが)を大手情報セキュリティ会社に解析を依頼した事で改ざんの有無と改ざんが行われた日付を割り出したことで明らかになりましたが、これも朝日が報じていなければどうなっていたのか気になります。
さすがに朝日新聞が報道したのを受けて検察もこの改ざんの事実を初めて知って今日の今日にすぐ前田容疑者を逮捕したというのは考えられず、恐らくは内々でこの問題の対応や処分が検討されている中で今朝の朝日新聞の報道があり、世間の批判を受ける前に慌てて前田容疑者を今夜逮捕するに至ったのではないかと思います。これは逆に言えば、世間に大きく報道されなければ大阪地検は前田容疑者を捜査担当から外す程度の内々の処分で済ましていたのではないかとも疑えるわけです。
どちらにしろ今回のこの前田容疑者の行動は捜査機関の職員としてはあるまじき行為だけでなく、無実の人間に偽の証拠を偽造してまでも冤罪に陥れようという一人間としても最低極まりない畜生に等しい行為に他なりません。聞く所によるとこの前田容疑者はたまたま今日収監された守屋元防衛庁事務次官の収賄事件や小沢氏の資金管理団体の事件などいろんな事件の捜査に携わったとされており、言っちゃなんですがこれら前田容疑者が関わった事件は証拠が偽造されてないかすべて洗いなおす必要があるのではないかと思います。
その上でノンフィクション作家の吉岡忍氏がNHKのインタビューで指摘していましたが、この検察内の不祥事を同じ身内の検察が逮捕、捜査してもいいのかという気もします。吉岡氏も当の本人でもある村木氏もこの前田容疑者の最低極まりない行為は第三者機関を交えて公平に調べる必要があると述べており、検察は外部の有識者団体を入れなければまず間違いなく失った信頼を取り戻す事は出来ないでしょう。
私が検察に対して初めて不信感を覚えたのは2005年に発刊された佐藤優氏の「国家の罠」を読んでのが最初で、その後映画の「それでもボクはやっていない」を見てますます不信間に磨きがかかり、この村木氏の事件が取りざたされたのを見た際には初めからこの事件はおかしいと感じるようになっていました。その後足利事件で冤罪にあった菅谷さんの例もあり、誰がどう見ても真っ黒な小沢氏があんなふざけた供述をしているにもかかわらず起訴されないことに恐らく私以外にもたくさんの方が検察に対して恒常的に信頼しなくなってきているかと思います。
そういう目で見ると、今回の前田容疑者の事件は偶発的に起こったという感覚よりやっぱりそういう検察って組織だったんだなと私は思わざるを得ません。相撲界もそうでしたが、この事件をきっかけにどれだけ血を流すかで検察組織は信頼回復以前にその存在理由が問われる事となるでしょう。
2010年9月20日月曜日
中国漁船、尖閣諸島沖衝突事件についての感想
すでに各所で報じられている真っ最中なのでニュース記事のリンクは貼りませんが、先日、中国籍の漁船が日中双方で領有権を主張しあっている尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突したことにより日本側が領海侵犯の容疑で中国人船長を拘束し、かつての小泉政権時代が思い出されるかのように日中双方で関係者を批判しあうという具合にまた日中関係が荒れてきました。今回のこの一件の私の感想はというと、中国側が少し情勢を読み違えて内心焦っているのではないかと考えています。
日本側の発表によると今回の衝突は中国側がわざと海上保安庁の船にぶつかってきたとしておりますが中国側はこの事故は偶発的な衝突としており、さすがに現場を見ていないので本当かどうかまでは私では判断しかねますが、中国側がわざとぶつけてくるのは内心ありそうだなという気はします。その上で中国側はそもそも衝突が起きたのは中国の領海内で日本側が船長を拘束する権限はないと主張し、船長の拘束は不当な行為であると批判して民間の伊藤忠商事会長から起用された丹羽宇一郎中国大使を呼びつけてまで抗議を行いました。
注目すべきはその丹羽大使を呼びつけた時間帯で、なんと中国側は深夜零時に急に呼びつけたそうです。さすがに9.11テロのような大事件が起きた場合ならともかく、衝突事故一件でこのような行為に出るのは国際常識から外れていると言わざるを得ないでしょう。にしても就任早々、丹羽大使も面倒ごとに巻き込まれたもんだ。
今回のこの中国側の強硬な主張、またもし漁船衝突が中国政府の意図が込められたものであれば本当の目的は間違いなく尖閣諸島の領有権争いを有利に進めようという魂胆からでしょう。私も「あの中国人、日本語上手だね」とリアルに言われたことがあるもののいちおうは日本人であるので、領土問題の専門家ではないものの尖閣諸島はやはり日本の領土だと考えており、こうした中国側の主張や行動にはあまり合点が行きません。また百歩譲って中国側の主張に幾らか正当性が感じられたとしても、先ほどの丹羽大使の呼びつけといい抗議の仕方といい、やはり今回の中国側の態度は過剰だという気がします。
まぁそういいながらも、中国側がこのような態度に出ざるを得ないってのも分かってはいるのですが。
ここから私の妄想というか多少加工した情報になりますが、私は今回の一見は最初にも書いたように中国側が情勢を読み違えたために意図に反して大事になってしまったと見ております。
私以外の評論家らも述べていますが中国という国において民間の漁船が偶然にきわどい海域に入って事故を起こすという事は殆んど考えられず、恐らく衝突した漁船は政府や軍と何かしらつながりがあると見て間違いなく、衝突事故それ自体が明確な意図を持って行われたものでしょう。
では何故中国側が衝突事故をわざと起こしたのかというとそれはやはり尖閣諸島を巡る領土問題でアドバンテージを握ろうという目的からでしょうが、今回の件で一番注目するべきなのは事故の中身より事故の起きた時期でしょう。というのもこの事故が起きたのは民主党の代表選挙の真っ最中で、総理が変わるかもしれないという政治的空白につけ込んでジャブでも喰らわそうという軽い気持ちだったのかもしれません。
そんな中国側の最初の予測ミスは、これはなかなかに私も驚いたのですが官房長官である仙石氏が事故に対して強硬な態度を示した事です。私自身、菅直人政権は突然韓国に対して併合時代の圧政を謝罪するなど親亜的な態度をよく見せていたのでこの事故が起きた際は何が何でも早期幕引きを図ろうとするだろうと考えていたのですが、意外や意外に仙石氏は会見で抗議を行う中国に対して逆抗議を行い、船長の解放要求も突っぱねるなど強硬な態度を示しました。
こうした菅政権からの思わぬ反撃に加えもう一つの中国側の予測ミスは、これは私の考え過ぎなのかもしれませんが、もしかしたら中国側は本気で小沢氏が民主党の代表選挙に勝つと信じていたのかもしれません。もし代表選で小沢氏が勝利していれば総理交代という事で次の国会まで事実上の政治的空白が生まれますし、その上小沢氏はかねてから中国に異常なまでにおもねっており、言い方は悪いですが中国側からすると言うことを聞く奴が総理に就任してラッキーってことになりますが、生憎そうは上手くは運びませんでした。人生と一緒だね。
そんな中国側にとって更にマズイ事態になったというべきか、代表選を経た菅氏は内閣改造を行って外務大臣には恐らく日本一の中国脅威論者の前原誠二氏が就任する事が先日発表されました。
かつて日中関係を底冷えさせた小泉元総理は明確な信条を持っていたわけでなく、ただ単に支持者を囲い込むという目的だけで靖国神社に参拝していましたが、今度外務大臣となる前原氏は安全保障などの強い政治信条の元で中国に対して並々ならぬ警戒心を持っております。案の定この衝突時件については早速、「そもそも日中の間に領土問題は存在しない」とパーフェクトな発言をしており、中国側にとって一番厄介な相手が立ってきたと言っていいでしょう。
さらにさらに中国が目下困ってしまっているのが、愛国心に火のついた中国国民です。ここら辺は中国関係の専門家なら話は早いのですが、中国政府、もとい中国共産党にとって最大の脅威は同じ国内の中国人による反乱です。滅多に抗議活動を行わない日本人と比べて中国人はもともと熱くなりやすくてすぐに行動も移す人たちばかりなもんだから、中国政府が今回の事件の対応、並びに領土問題で下手な妥協でもすれば、「政府はなにをやっているんだ!」とすぐに国内から強い反発を受けてしまいますし、すでにもうそういう政府批判が始まりかけていると聞いております。
そういった国内の世論を押さえ込むという背景があるために中国側は今回の事件でやや過剰とも取れる強硬な態度を取らざるを得ないのですが、はっきり言えばそれだけに日本側はこの事件に対して妥協したところで得るものもないのですから強気でいればいるほど中国側が困らせることができ、まぁ有利な状況ではないかと思います。
現在中国側は日中閣僚級会談の中止を宣言し、更にSMAPの上海講演もどうなるのかまで取りざたされておりますが、この事件が何処まで発展するかは分かりませんが長引けば長引くほど中国側が損するだけだと私は見ています。企業などの経済交流に影響が出るのではと心配される方もいるかもしれませんが、小泉政権のあの時代でも一貫して経済交流は加速し続けたのですから、せいぜいあるといっても本当に一部の観光客が来なくなる程度でしょう。どのような幕引きとなるかまでは分かりませんが、まぁそれほど心配するほどの事件ではないというのが私の結論です。
日本側の発表によると今回の衝突は中国側がわざと海上保安庁の船にぶつかってきたとしておりますが中国側はこの事故は偶発的な衝突としており、さすがに現場を見ていないので本当かどうかまでは私では判断しかねますが、中国側がわざとぶつけてくるのは内心ありそうだなという気はします。その上で中国側はそもそも衝突が起きたのは中国の領海内で日本側が船長を拘束する権限はないと主張し、船長の拘束は不当な行為であると批判して民間の伊藤忠商事会長から起用された丹羽宇一郎中国大使を呼びつけてまで抗議を行いました。
注目すべきはその丹羽大使を呼びつけた時間帯で、なんと中国側は深夜零時に急に呼びつけたそうです。さすがに9.11テロのような大事件が起きた場合ならともかく、衝突事故一件でこのような行為に出るのは国際常識から外れていると言わざるを得ないでしょう。にしても就任早々、丹羽大使も面倒ごとに巻き込まれたもんだ。
今回のこの中国側の強硬な主張、またもし漁船衝突が中国政府の意図が込められたものであれば本当の目的は間違いなく尖閣諸島の領有権争いを有利に進めようという魂胆からでしょう。私も「あの中国人、日本語上手だね」とリアルに言われたことがあるもののいちおうは日本人であるので、領土問題の専門家ではないものの尖閣諸島はやはり日本の領土だと考えており、こうした中国側の主張や行動にはあまり合点が行きません。また百歩譲って中国側の主張に幾らか正当性が感じられたとしても、先ほどの丹羽大使の呼びつけといい抗議の仕方といい、やはり今回の中国側の態度は過剰だという気がします。
まぁそういいながらも、中国側がこのような態度に出ざるを得ないってのも分かってはいるのですが。
ここから私の妄想というか多少加工した情報になりますが、私は今回の一見は最初にも書いたように中国側が情勢を読み違えたために意図に反して大事になってしまったと見ております。
私以外の評論家らも述べていますが中国という国において民間の漁船が偶然にきわどい海域に入って事故を起こすという事は殆んど考えられず、恐らく衝突した漁船は政府や軍と何かしらつながりがあると見て間違いなく、衝突事故それ自体が明確な意図を持って行われたものでしょう。
では何故中国側が衝突事故をわざと起こしたのかというとそれはやはり尖閣諸島を巡る領土問題でアドバンテージを握ろうという目的からでしょうが、今回の件で一番注目するべきなのは事故の中身より事故の起きた時期でしょう。というのもこの事故が起きたのは民主党の代表選挙の真っ最中で、総理が変わるかもしれないという政治的空白につけ込んでジャブでも喰らわそうという軽い気持ちだったのかもしれません。
そんな中国側の最初の予測ミスは、これはなかなかに私も驚いたのですが官房長官である仙石氏が事故に対して強硬な態度を示した事です。私自身、菅直人政権は突然韓国に対して併合時代の圧政を謝罪するなど親亜的な態度をよく見せていたのでこの事故が起きた際は何が何でも早期幕引きを図ろうとするだろうと考えていたのですが、意外や意外に仙石氏は会見で抗議を行う中国に対して逆抗議を行い、船長の解放要求も突っぱねるなど強硬な態度を示しました。
こうした菅政権からの思わぬ反撃に加えもう一つの中国側の予測ミスは、これは私の考え過ぎなのかもしれませんが、もしかしたら中国側は本気で小沢氏が民主党の代表選挙に勝つと信じていたのかもしれません。もし代表選で小沢氏が勝利していれば総理交代という事で次の国会まで事実上の政治的空白が生まれますし、その上小沢氏はかねてから中国に異常なまでにおもねっており、言い方は悪いですが中国側からすると言うことを聞く奴が総理に就任してラッキーってことになりますが、生憎そうは上手くは運びませんでした。人生と一緒だね。
そんな中国側にとって更にマズイ事態になったというべきか、代表選を経た菅氏は内閣改造を行って外務大臣には恐らく日本一の中国脅威論者の前原誠二氏が就任する事が先日発表されました。
かつて日中関係を底冷えさせた小泉元総理は明確な信条を持っていたわけでなく、ただ単に支持者を囲い込むという目的だけで靖国神社に参拝していましたが、今度外務大臣となる前原氏は安全保障などの強い政治信条の元で中国に対して並々ならぬ警戒心を持っております。案の定この衝突時件については早速、「そもそも日中の間に領土問題は存在しない」とパーフェクトな発言をしており、中国側にとって一番厄介な相手が立ってきたと言っていいでしょう。
さらにさらに中国が目下困ってしまっているのが、愛国心に火のついた中国国民です。ここら辺は中国関係の専門家なら話は早いのですが、中国政府、もとい中国共産党にとって最大の脅威は同じ国内の中国人による反乱です。滅多に抗議活動を行わない日本人と比べて中国人はもともと熱くなりやすくてすぐに行動も移す人たちばかりなもんだから、中国政府が今回の事件の対応、並びに領土問題で下手な妥協でもすれば、「政府はなにをやっているんだ!」とすぐに国内から強い反発を受けてしまいますし、すでにもうそういう政府批判が始まりかけていると聞いております。
そういった国内の世論を押さえ込むという背景があるために中国側は今回の事件でやや過剰とも取れる強硬な態度を取らざるを得ないのですが、はっきり言えばそれだけに日本側はこの事件に対して妥協したところで得るものもないのですから強気でいればいるほど中国側が困らせることができ、まぁ有利な状況ではないかと思います。
現在中国側は日中閣僚級会談の中止を宣言し、更にSMAPの上海講演もどうなるのかまで取りざたされておりますが、この事件が何処まで発展するかは分かりませんが長引けば長引くほど中国側が損するだけだと私は見ています。企業などの経済交流に影響が出るのではと心配される方もいるかもしれませんが、小泉政権のあの時代でも一貫して経済交流は加速し続けたのですから、せいぜいあるといっても本当に一部の観光客が来なくなる程度でしょう。どのような幕引きとなるかまでは分かりませんが、まぁそれほど心配するほどの事件ではないというのが私の結論です。
2010年9月19日日曜日
昨日の一日
昨日は休日にもかかわらずブログの更新をサボってしまいました。ほぼ毎日更新がなされているこのブログでお休みを取るまで一体何をしていたのかというと、ただ単に一日中プラモを作っていて日が暮れたのがその理由です。
ツイッターでも少し書いていますが昨日作っていたのは99年バージョンのインプレッサのプラモだったのですが、これまで主に作ってきたフジミ模型のプラモと違ってプラモ界の王者タミヤ製なだけあり内装に至るまでこれほどこだわる必要あるのかというくらい細かく作られており、更にデカールこと水性シールの量も半端でないために非常に時間が取られました。組み立てよりシールの貼り付けのが時間掛かったし。
そんな苦労もあってどうにかこうにか完成には漕ぎ着けましたが、出来は相変わらず私自身の腕が未熟という事もあって雑なものですが、部屋に置いとく分にはなかなか見栄えがいい代物は出来ました。一台をちょこっと置いとく位がいい感じです。
ちなみに私の部屋のインテリアについてはかねてから良くも悪くも定評があり、これまで置いて来た代物でいろいろと突っ込みの多かったものをいくつか挙げると、まず第一に挙がってくるのは名古屋万博のマスコットキャラクターだったモリゾーのぬいぐるみです。みんな一言目には「これ、どうしたの?」と聞いてくるのですが、なんだかんだ言いながら触りだすのが微笑ましかったです。
次によく、「なんでこんなもの置いてるの?」と聞かれ続けたものとしては、テレビの上に置いていたカレールーの箱です。一体何故テレビの上にカレールーの箱が置いてあるのかというと、下宿生活に入って初めてカレーを自分で作った時にえらく感動し、妙なテンションになって買ってきたカレールーの箱をいつも見える位置に置こうと考え付いたのが始まりです。ちなみに私の作るカレーは、「またいつもながら具材がゴロゴロ入ったカレーですね」と言われるほどじゃがいもなどといった野菜が大きめに切り分けられたものでした。実家ではそれが普通だったので。
ツイッターでも少し書いていますが昨日作っていたのは99年バージョンのインプレッサのプラモだったのですが、これまで主に作ってきたフジミ模型のプラモと違ってプラモ界の王者タミヤ製なだけあり内装に至るまでこれほどこだわる必要あるのかというくらい細かく作られており、更にデカールこと水性シールの量も半端でないために非常に時間が取られました。組み立てよりシールの貼り付けのが時間掛かったし。
そんな苦労もあってどうにかこうにか完成には漕ぎ着けましたが、出来は相変わらず私自身の腕が未熟という事もあって雑なものですが、部屋に置いとく分にはなかなか見栄えがいい代物は出来ました。一台をちょこっと置いとく位がいい感じです。
ちなみに私の部屋のインテリアについてはかねてから良くも悪くも定評があり、これまで置いて来た代物でいろいろと突っ込みの多かったものをいくつか挙げると、まず第一に挙がってくるのは名古屋万博のマスコットキャラクターだったモリゾーのぬいぐるみです。みんな一言目には「これ、どうしたの?」と聞いてくるのですが、なんだかんだ言いながら触りだすのが微笑ましかったです。
次によく、「なんでこんなもの置いてるの?」と聞かれ続けたものとしては、テレビの上に置いていたカレールーの箱です。一体何故テレビの上にカレールーの箱が置いてあるのかというと、下宿生活に入って初めてカレーを自分で作った時にえらく感動し、妙なテンションになって買ってきたカレールーの箱をいつも見える位置に置こうと考え付いたのが始まりです。ちなみに私の作るカレーは、「またいつもながら具材がゴロゴロ入ったカレーですね」と言われるほどじゃがいもなどといった野菜が大きめに切り分けられたものでした。実家ではそれが普通だったので。
2010年9月17日金曜日
良い消費者を作る価値
菅総理の続投が決まって数日経ちましたが世の中は依然と景気をどうにかせねばという話ばかりが中心で、来る日も来る日も景気はどうすればよくなるかなど、ついには私の知り合いも潮風太子さんが批評した「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読み出してきました。あんま当てにならんよと忠告しておきましたが。
さて通常、景気を良くする為にはどうすれば言いかという議論においてはまず初めは政府の景気対策などマクロな話が取り交わされますが、その次となると現実にある企業がどうするべきか、どのような経営をすればいいのかというミクロな話が槍玉に挙げられます。
しかしこの二番目のミクロな話に対して私は逆説的に、物やサービスを販売する企業ではなくその反対に物やサービスを享受する消費者の側で革新を起こす事の方が、今の日本全体の景気向上につながるのではないかとこの頃よく思うようになってきました。
あまり人に威張れるほどではありませんが、私も学生時代には接客業のバイトをいくつかやってきました。その時の自分の経験と接客業で働く方の話を読むにつけ、どうもこの手の仕事は手のかかる客、要するにクレーマーに会うか会わないかでその労力というか辛さが決まってくるように感じます。近年は学校などに無理な要求を行うモンスターペアレントや執拗なクレーマーなど徐々に「問題のある消費者」が取りざたされるようになって来ましたが、私の実感だともしこの手のクレーマーに捕まった場合、極端な話をすると全体の労力の九割くらいをそのクレーマー一人に割かざるを得なくなる気がします。
言ってしまえばその変な客が一人いるだけでそのほかの一般の客に対して振り向ける労力が大幅に減り、供給者側からするとサービスの質の低下はおろか余計な人員が必要になってくるという悪循環が生まれてしまいます。実際に学校の教師の話ではモンスターペアレントに捕まると本来授業準備などに使う仕事を大幅に削られてしまい、普段の授業にも悪影響を及ぼしてしまうという話を聞いたことがあります。
あんまり効率ばかりを優先するというのも問題ではありますが、私はこの手のクレーマーについては全体の利益のためにも思い切って市場から追い出すということが必要かと思います。先年に日本は消費者庁を発足してより消費者を保護する姿勢を打ち出しましたが、取引においては供給側が消費側に対して情報を秘匿しやすいなど有利な点が多いので消費者を守るという前提は崩してはならないものの、あまりに過保護になりすぎた現在の状況を見るにつけ真面目に頑張っている企業などを消費者からのいらないクレームから守る法律や機関も必要になってきたと考えています。それこそ過剰で執拗で理不尽な要求を行う人間には現状より厳しく罰する刑罰を作ってもいいですし、法的拘束力を持つ揉め事に対する調停機関を新たに作るもいいでしょう。
ただこうした上からの改革以上に、消費者自身がサービスを受ける事に対してもっと自分自身に責任を持つように意識を変えるという、下からの改革も近頃急速に必要になってきているのではないかと考えるようになりました。
私自身も全く経験がないとは言いませんが、マニュアルも見ずに明らかに誤った使い方をして物を壊し、それに対して実際にクレームを言わないまでも企業の物の作り方がおかしいなどすこしの欠陥で声高に供給者に文句を言うといったケースが世の中で増えているような気がします。
卑近な例としていい年して未だに私が熱中し続けるゲームを取り上げると、昔のゲームはバグがあったり絶対にクリア不可能だと言えるような難易度設定で当たり前だったのですが、近頃はバグが全くなくともゲームの構成や演出、果てにはキャラデザなどに一部の人間が感じる不満点がありさえすればあちこちで激しく叩かれ批判されます。
もし仮に消費者全員が、使用や享受するには問題ないけど商品やサービスを受け取る際に感じる不満点を少し我慢する事が出来れば、供給する側は製造時や提供時の品質チェックなどといった労力を大幅に減らす事ができます。もちろん厳しい日本人消費者の目があったからこそ日本の企業は高品質なサービスを提供できるようになったと言う方もおられるかと思いますが、私は今の日本社会はどこもサービス過剰もいいところで、大半の消費者は供給者でもある事を考えると非常に精神負担の重い作業を自ら作ることで自らの首を絞めているような状況に見えます。
私がこんな風につくづく思う一つの理由としてアメリカの大型販売店「コストコ」の例があり、この店は完全会員制にすることで一見さんには商品を売りません。この会員制の何がいいのかというと妙な客やクレーマーに対して何か問題を起せば会員権を廃止することで入店や販売をいつでも拒否する事が出来、コストコの行うサービスの範囲内で満足する客だけ相手に出来るので余計な問題を回避できていると言われています。
私は日本の経済、というより企業はあまりにも消費者におもねり過ぎ、全部が全部とは言いませんが何でもかんでも他人のせいにする無責任な消費者も一部で作ってしまったように思います。こういう風に私が思うのも笑顔一つ見せずに偉そうに物を売ってくる中国社会で生活したという経験からかもしれませんが、「店員の顔が気に食わない」といってクレームをつける人がいる日本社会も中国とどっこいどっこいな気がします。
今の日本は如何に企業の業績を伸ばすか、サービスや品質の向上を挙げるかばかりが経済誌などで語られますが、むしろあまり細かい点にはこだわらず、正しい使用法をきちんと守る良い消費者を増やし、過度な要求をするクレーマーは思い切り突っぱねてもいいという風潮を作る事が今の日本経済全体を良くする手段としては有効な気がします。
さて通常、景気を良くする為にはどうすれば言いかという議論においてはまず初めは政府の景気対策などマクロな話が取り交わされますが、その次となると現実にある企業がどうするべきか、どのような経営をすればいいのかというミクロな話が槍玉に挙げられます。
しかしこの二番目のミクロな話に対して私は逆説的に、物やサービスを販売する企業ではなくその反対に物やサービスを享受する消費者の側で革新を起こす事の方が、今の日本全体の景気向上につながるのではないかとこの頃よく思うようになってきました。
あまり人に威張れるほどではありませんが、私も学生時代には接客業のバイトをいくつかやってきました。その時の自分の経験と接客業で働く方の話を読むにつけ、どうもこの手の仕事は手のかかる客、要するにクレーマーに会うか会わないかでその労力というか辛さが決まってくるように感じます。近年は学校などに無理な要求を行うモンスターペアレントや執拗なクレーマーなど徐々に「問題のある消費者」が取りざたされるようになって来ましたが、私の実感だともしこの手のクレーマーに捕まった場合、極端な話をすると全体の労力の九割くらいをそのクレーマー一人に割かざるを得なくなる気がします。
言ってしまえばその変な客が一人いるだけでそのほかの一般の客に対して振り向ける労力が大幅に減り、供給者側からするとサービスの質の低下はおろか余計な人員が必要になってくるという悪循環が生まれてしまいます。実際に学校の教師の話ではモンスターペアレントに捕まると本来授業準備などに使う仕事を大幅に削られてしまい、普段の授業にも悪影響を及ぼしてしまうという話を聞いたことがあります。
あんまり効率ばかりを優先するというのも問題ではありますが、私はこの手のクレーマーについては全体の利益のためにも思い切って市場から追い出すということが必要かと思います。先年に日本は消費者庁を発足してより消費者を保護する姿勢を打ち出しましたが、取引においては供給側が消費側に対して情報を秘匿しやすいなど有利な点が多いので消費者を守るという前提は崩してはならないものの、あまりに過保護になりすぎた現在の状況を見るにつけ真面目に頑張っている企業などを消費者からのいらないクレームから守る法律や機関も必要になってきたと考えています。それこそ過剰で執拗で理不尽な要求を行う人間には現状より厳しく罰する刑罰を作ってもいいですし、法的拘束力を持つ揉め事に対する調停機関を新たに作るもいいでしょう。
ただこうした上からの改革以上に、消費者自身がサービスを受ける事に対してもっと自分自身に責任を持つように意識を変えるという、下からの改革も近頃急速に必要になってきているのではないかと考えるようになりました。
私自身も全く経験がないとは言いませんが、マニュアルも見ずに明らかに誤った使い方をして物を壊し、それに対して実際にクレームを言わないまでも企業の物の作り方がおかしいなどすこしの欠陥で声高に供給者に文句を言うといったケースが世の中で増えているような気がします。
卑近な例としていい年して未だに私が熱中し続けるゲームを取り上げると、昔のゲームはバグがあったり絶対にクリア不可能だと言えるような難易度設定で当たり前だったのですが、近頃はバグが全くなくともゲームの構成や演出、果てにはキャラデザなどに一部の人間が感じる不満点がありさえすればあちこちで激しく叩かれ批判されます。
もし仮に消費者全員が、使用や享受するには問題ないけど商品やサービスを受け取る際に感じる不満点を少し我慢する事が出来れば、供給する側は製造時や提供時の品質チェックなどといった労力を大幅に減らす事ができます。もちろん厳しい日本人消費者の目があったからこそ日本の企業は高品質なサービスを提供できるようになったと言う方もおられるかと思いますが、私は今の日本社会はどこもサービス過剰もいいところで、大半の消費者は供給者でもある事を考えると非常に精神負担の重い作業を自ら作ることで自らの首を絞めているような状況に見えます。
私がこんな風につくづく思う一つの理由としてアメリカの大型販売店「コストコ」の例があり、この店は完全会員制にすることで一見さんには商品を売りません。この会員制の何がいいのかというと妙な客やクレーマーに対して何か問題を起せば会員権を廃止することで入店や販売をいつでも拒否する事が出来、コストコの行うサービスの範囲内で満足する客だけ相手に出来るので余計な問題を回避できていると言われています。
私は日本の経済、というより企業はあまりにも消費者におもねり過ぎ、全部が全部とは言いませんが何でもかんでも他人のせいにする無責任な消費者も一部で作ってしまったように思います。こういう風に私が思うのも笑顔一つ見せずに偉そうに物を売ってくる中国社会で生活したという経験からかもしれませんが、「店員の顔が気に食わない」といってクレームをつける人がいる日本社会も中国とどっこいどっこいな気がします。
今の日本は如何に企業の業績を伸ばすか、サービスや品質の向上を挙げるかばかりが経済誌などで語られますが、むしろあまり細かい点にはこだわらず、正しい使用法をきちんと守る良い消費者を増やし、過度な要求をするクレーマーは思い切り突っぱねてもいいという風潮を作る事が今の日本経済全体を良くする手段としては有効な気がします。
2010年9月15日水曜日
転職は殺伐としているのか
最近はそれほど聞かなくなりましたが小泉政権当時に竹中平蔵元総務相らへの批判として、高い給料を求めて次々と会社を転職する人間が増えている今の世の中は殺伐としているといった意見を多く耳にしました。確かに竹中氏は雇用の流動性は増した方がいいと常日頃から主張しては人材派遣の枠を拡大するために法改正したりしてましたが、こうした竹中氏の姿勢に対して守旧派、というか当時小泉元首相に抵抗勢力扱いされた側の人たちは一つの会社でこつこつやっていくのが日本人の美徳なのにそれを壊していると攻撃し続けていました。
しかしこれはあくまで私の実感ですが、どうも巷で流れている転職体験談を聞いていると転職者の転職理由は竹中氏の言うキャリアアップというよりも会社での人間関係、労働内容の過重を理由としているケースの方が多いような気がします。実際にある会社で中途採用者の面接を行った方から直接話を聞いてみると、みんな最初はあれこれもっともらしい理由を転職理由として挙げて来るそうなのですが、しつこく聞くと最終的には誰もが人間関係の悪化、要するに社内の人間とぶつかった事から転職を希望するようになったと漏らすそうです。
またこれはちょっと前にどこかで見た就職活動中の学生へのアンケート調査の結果ですが、大多数の学生はできることなら内定が得られた会社にずっと居続けたい、就職した後にまた転職したくないと答え、さらには転勤などもしたくないと答えたそうです。多少時間が経っているとはいえ世の中はかつて竹中氏を批判した人たち(まぁ亀井静香なんだけど)が言ったように変化しているわけでなく、むしろ他の社会調査でも報告されて徐々に明らかになってきていますが現在の日本は専業主婦を望む女性が増えるなど、徐々に保守化の傾向が現れています。
転職者を選ぶ人数の比率が過去と現在でどれほど推移しているのかはちょっと手元にいいデータがないので増えているのか減っているのかはわかりませんが、私はキャリアアップ目的よりも人間関係を理由に転職する人間が多いことの方が世の中殺伐としてきた気がします。ただこの辺は以前と比べて転職するツールが増えた、終身雇用制が崩壊したなどいろいろと他の要因もあるので一概に昔と比較が出来るものではありませんが、なんとなく日本も住み辛くなったなぁという気がします。
しかしこれはあくまで私の実感ですが、どうも巷で流れている転職体験談を聞いていると転職者の転職理由は竹中氏の言うキャリアアップというよりも会社での人間関係、労働内容の過重を理由としているケースの方が多いような気がします。実際にある会社で中途採用者の面接を行った方から直接話を聞いてみると、みんな最初はあれこれもっともらしい理由を転職理由として挙げて来るそうなのですが、しつこく聞くと最終的には誰もが人間関係の悪化、要するに社内の人間とぶつかった事から転職を希望するようになったと漏らすそうです。
またこれはちょっと前にどこかで見た就職活動中の学生へのアンケート調査の結果ですが、大多数の学生はできることなら内定が得られた会社にずっと居続けたい、就職した後にまた転職したくないと答え、さらには転勤などもしたくないと答えたそうです。多少時間が経っているとはいえ世の中はかつて竹中氏を批判した人たち(まぁ亀井静香なんだけど)が言ったように変化しているわけでなく、むしろ他の社会調査でも報告されて徐々に明らかになってきていますが現在の日本は専業主婦を望む女性が増えるなど、徐々に保守化の傾向が現れています。
転職者を選ぶ人数の比率が過去と現在でどれほど推移しているのかはちょっと手元にいいデータがないので増えているのか減っているのかはわかりませんが、私はキャリアアップ目的よりも人間関係を理由に転職する人間が多いことの方が世の中殺伐としてきた気がします。ただこの辺は以前と比べて転職するツールが増えた、終身雇用制が崩壊したなどいろいろと他の要因もあるので一概に昔と比較が出来るものではありませんが、なんとなく日本も住み辛くなったなぁという気がします。
2010年9月14日火曜日
ノーサイドかワンサイドか
本日すでにニュースで報じられているので大半の方は知っておいででしょうが、現与党民主党の代表選挙にて小沢一郎元幹事長とその座を争っていた菅直人首相が見事当選し、首相続投を決めました。このブログは政治系ブログのくせして今回の代表選挙は私自身が興味が湧かずあまり取り上げてきませんでしたが、最後くらいは今後の展望を含めていくらか分析を紹介しようかと思います。
まず今回の代表選の結果はなるべくして出た結果だったように私は思います。私は選挙戦最中の世論調査を見て国会議員票で小沢氏が上回ったとしても党員による地域票では恐らく菅氏が大量得票を得、どれほどの差をつけて勝利するかまではわかりませんでしたが最終的には菅氏が勝つのではという予測を立てていました。それで実際の得票数はどうだったかというと、
投票種類 菅氏票数:小沢氏票数
党員・サポーター票 249:51
地方議員表: 60:40
国会議員票: 412:400
合計:721:491
という結果となり、菅氏が200票以上もの大差をつけて勝利し、国家議員票でも小沢氏を上回ることになったのはちょっと意外でした。しかしこの得票の内訳を見ると意外では会ったもののやはり地方議員、国会議員票では比較的両者が接近しており、事実上大差をつけさせたのは党員・サポーター票だったことでやはり一般有権者が小沢氏の一連の資金疑惑への根強い反感を持っていたのが出たのではないかと思わせられます。
あと選挙戦の最中で私がすこし気になった点として、この選挙戦に対してどうもメディアの報道が及び腰な態度だったような気がします。このような及び腰な政治報道は今に始まった事ではなく数年くらい前から徐々にこの傾向が現れるようになって来ましたが、そのきっかけとなったのは2005年の郵政選挙で、小泉旋風といわれたあの選挙で大メディアは小泉元首相に利用されるだけ利用されたと感じているらしく政治報道に対して敢えて距離間を置くようになったと言われており、それが今回の代表選にも表れた気がします。
ただこうしたメディアの及び腰についてはそれぞれの候補に対して突っ込んだ報道が行われずかえって政治が見え難くなったとの批判もあり、私もそのように考えていますが、今回の代表選も「誰が何処そこで演説した」とかどうでもいい内容ばかりで、あまり見ていて面白くありませんでした。
ここで話は変わって菅首相が続投することとなった今後の展開に移りますが、まず結果論から言えば今回の代表選は菅首相にとって、ないよりもあってよかった選挙になったのは間違いありません。かねてから鳩山前首相と小沢氏が倒れた事で地滑り的、言い方を変えれば運がよくて首相になったと言われていたのがきちんと手続きを踏んだ民主党内の選挙で過半数の信任を得られ、なおかつ一般世論は対抗馬である小沢氏へのアレルギーが強いということがはっきりと数字に表れたことも見逃せません。
仮に今回の代表選がなければ参議院選挙で大敗して責任論まで出ていた手前、ただでさえねじれ国会でもあるので国会運営はおろか党内運営も覚束ずに自滅する可能性もありましたが、少なくとも今回の選挙で菅首相は党内にある程度発言力を回復する事に成功したでしょう。
その上で今後の民主党を占う上で重要になってくるのは、今回の記事の題でもある「ノーサイドかワンサイドか」という点です。今回の代表選での勝利演説で菅首相は、「民主党はこれからはノーサイド」と発言し、要するに派閥抗争のない挙党一致体勢でこれから民主党は望んでいくと言い張ったわけですが、代表選挙前ならともかく堂々と選挙で小沢氏と破ったことで人事については小沢氏の意見を仰がず自分である程度自由に決める権利を勝ち得たと言っていいでしょう。
代表選挙前に鳩山前首相が役にも立たない伝書鳩となって菅首相と小沢氏の仲介を一時行いましたが、この仲介の過程で小沢氏側は菅首相に対して仙石現官房長官を罷免して幹事長職を小沢氏に委ねろと要求したと言われ、それに対して菅首相は小沢氏に対して名誉総裁など肩書きだけの名誉職しか認めないとしたことからこの手打ちは失敗したとされています。このように小沢氏は人事について前政権時より度々口を出していましたが、これで完全になくなるとは思えませんが代表選に勝った菅首相の方が今一分イニシアチブがある状態で、元々距離を起きたがっていたこともあるので場合によっては報復人事とばかりに小沢派議員を冷遇する人事を取る可能性もあります。
少なくとも小沢氏について言えば国務大臣職にさえ就かせなければ、10月頃に出るといわれる検察審査会の二度目の議決がまたも「起訴相当」の場合に小沢氏は強制的に起訴されることとなります。そんな懐具合を見て小沢派で逃げ出しが起こる可能性も十分あり、上手くいけば人事については菅首相のワンサイドとなるのでは、というのが現時点での私の見方です。
まず今回の代表選の結果はなるべくして出た結果だったように私は思います。私は選挙戦最中の世論調査を見て国会議員票で小沢氏が上回ったとしても党員による地域票では恐らく菅氏が大量得票を得、どれほどの差をつけて勝利するかまではわかりませんでしたが最終的には菅氏が勝つのではという予測を立てていました。それで実際の得票数はどうだったかというと、
投票種類 菅氏票数:小沢氏票数
党員・サポーター票 249:51
地方議員表: 60:40
国会議員票: 412:400
合計:721:491
という結果となり、菅氏が200票以上もの大差をつけて勝利し、国家議員票でも小沢氏を上回ることになったのはちょっと意外でした。しかしこの得票の内訳を見ると意外では会ったもののやはり地方議員、国会議員票では比較的両者が接近しており、事実上大差をつけさせたのは党員・サポーター票だったことでやはり一般有権者が小沢氏の一連の資金疑惑への根強い反感を持っていたのが出たのではないかと思わせられます。
あと選挙戦の最中で私がすこし気になった点として、この選挙戦に対してどうもメディアの報道が及び腰な態度だったような気がします。このような及び腰な政治報道は今に始まった事ではなく数年くらい前から徐々にこの傾向が現れるようになって来ましたが、そのきっかけとなったのは2005年の郵政選挙で、小泉旋風といわれたあの選挙で大メディアは小泉元首相に利用されるだけ利用されたと感じているらしく政治報道に対して敢えて距離間を置くようになったと言われており、それが今回の代表選にも表れた気がします。
ただこうしたメディアの及び腰についてはそれぞれの候補に対して突っ込んだ報道が行われずかえって政治が見え難くなったとの批判もあり、私もそのように考えていますが、今回の代表選も「誰が何処そこで演説した」とかどうでもいい内容ばかりで、あまり見ていて面白くありませんでした。
ここで話は変わって菅首相が続投することとなった今後の展開に移りますが、まず結果論から言えば今回の代表選は菅首相にとって、ないよりもあってよかった選挙になったのは間違いありません。かねてから鳩山前首相と小沢氏が倒れた事で地滑り的、言い方を変えれば運がよくて首相になったと言われていたのがきちんと手続きを踏んだ民主党内の選挙で過半数の信任を得られ、なおかつ一般世論は対抗馬である小沢氏へのアレルギーが強いということがはっきりと数字に表れたことも見逃せません。
仮に今回の代表選がなければ参議院選挙で大敗して責任論まで出ていた手前、ただでさえねじれ国会でもあるので国会運営はおろか党内運営も覚束ずに自滅する可能性もありましたが、少なくとも今回の選挙で菅首相は党内にある程度発言力を回復する事に成功したでしょう。
その上で今後の民主党を占う上で重要になってくるのは、今回の記事の題でもある「ノーサイドかワンサイドか」という点です。今回の代表選での勝利演説で菅首相は、「民主党はこれからはノーサイド」と発言し、要するに派閥抗争のない挙党一致体勢でこれから民主党は望んでいくと言い張ったわけですが、代表選挙前ならともかく堂々と選挙で小沢氏と破ったことで人事については小沢氏の意見を仰がず自分である程度自由に決める権利を勝ち得たと言っていいでしょう。
代表選挙前に鳩山前首相が役にも立たない伝書鳩となって菅首相と小沢氏の仲介を一時行いましたが、この仲介の過程で小沢氏側は菅首相に対して仙石現官房長官を罷免して幹事長職を小沢氏に委ねろと要求したと言われ、それに対して菅首相は小沢氏に対して名誉総裁など肩書きだけの名誉職しか認めないとしたことからこの手打ちは失敗したとされています。このように小沢氏は人事について前政権時より度々口を出していましたが、これで完全になくなるとは思えませんが代表選に勝った菅首相の方が今一分イニシアチブがある状態で、元々距離を起きたがっていたこともあるので場合によっては報復人事とばかりに小沢派議員を冷遇する人事を取る可能性もあります。
少なくとも小沢氏について言えば国務大臣職にさえ就かせなければ、10月頃に出るといわれる検察審査会の二度目の議決がまたも「起訴相当」の場合に小沢氏は強制的に起訴されることとなります。そんな懐具合を見て小沢派で逃げ出しが起こる可能性も十分あり、上手くいけば人事については菅首相のワンサイドとなるのでは、というのが現時点での私の見方です。
2010年9月12日日曜日
偽障害者団体郵便不正事件、村木厚子元局長の無罪判決について
クローズアップ2010:障害者郵便割引不正 村木元局長無罪 暴走した特捜部(毎日新聞)
一昨日の大阪地裁にて、実態がないにもかかわらず障害者団体を名乗りダイレクトメールの郵便料金割引を不正に受け取っていた「凛の会」の郵便不正事件において、この団体に障害者団体の証明書を偽造、発行したとして容疑がかけられていた厚生労働省所属の村木厚子元局長に対して無罪判決が下りました。この事件の私の感想はというと、首を吊るべき人間は二人、といった所です。
障害者団体向け割引郵便制度悪用事件(Wikipedia)
ちょっとこの事件はややこしいので、私の理解の範囲で簡単に概要を説明します。
まず事の起こりは「凛の会」が偽の障害者団体であったにもかかわらず郵便料金の障害者割引を受け取ってダイレクトメールを送っていた事がばれた事からでした。このダイレクトメールには「凛の会」を通してベスト電気など一部の業者が自社広告を混ぜていたことから、斡旋を行っていた広告代理店の博報堂子会社の関係者共々処罰を受けております。なおこの期末に博報堂では本来支払うべきであったにもかかわらず支払っていなかった郵便料金を「特別損失」として計上したことに一部でツッコミを受けてました。
こうして不正が明らかになった後、そもそもどうして実体がないにもかかわらず「凛の会」が障害者団体として郵便料金の割引が受けられたのかについて検察内で捜査が進められ、その結果、詳細は現在も続けられている厚生労働省元係長の上村勉氏の裁判が終わるまではっきりしませんが、厚生労働省が「凛の会」に対して発行した障害者団体証明書が割引を受ける決め手になったと結論付けられました。
このため捜査は厚生労働省へ焦点が向けられるようになり、先ほどの証明書発行を行った上村氏が逮捕され、その上村氏に上司として証明書発行の認可権限を持つ村木氏も捜査線上に浮かんだ事から逮捕されました。なお村木氏が逮捕された決め手となったのは発行された証明書が村木氏の名義で発行され、またその決済を行うための稟議書も見つかった事からでした。
しかし逮捕された村木氏は捜査段階から一貫として容疑を否認し、また先に逮捕された部下の上村氏も捜査段階で村木氏の指示を受けて証明書を発行したと供述したものの村木氏の裁判にて証人として立った上村氏はその供述は検察によって作られたもので、証明書は上村氏一人によって偽造されたもので(村木氏の名前を上村氏が勝手に入れた)村木氏の指示は一切受けていなかったと証言しました。
この後裁判では検察の杜撰な捜査内容が次々と明らかになり、なんと検察が提出した43通の調査書のうち34通が証拠として不採用となるという前代未聞の事態にまで発展し、下馬評どおりに一昨日に無事無罪判決が下りたというわけです。
私はこの事件で村木氏への捜査が起こったのが去年の参議院選挙直前で、しかも偽の障害者団体「凛の会」へ障害者団体証明を発行するよう厚生労働省に口利きを行った政治家として当時報道された(検察のリークだろうが)のが民主党の石井一議員だったことから、恐らくこの事件は自民党が選挙戦を考慮して行った国策捜査だろうと見立てて初めから村木氏は冤罪の可能性が高いと見ていました。ただこの公算は一部間違えていたようで、捜査内容の杜撰さを考えると恐らく自民党の人間は誰も糸を引いておらず、大阪地検特捜部が勝手な妄想から捜査を行って村木氏の大切な時間や生活を大いに奪った事件だったようです。
今月の文芸春秋にて村木氏本人が判決前の手記を載せておりますが、読んでみると改めてこの事件がどれだけ杜撰なものか見ていて呆れ返ってきます。
一から挙げたら切りがないので幾つかだけを紹介しますが、何年も前から村木氏がいつどのような場所で誰と会うのかを詳細につけていた手帳に証明書を手渡した(通常は郵送であるが、これも検察が「手渡した」ことにした)とされる「凛の会」の代表者の名前が載っていなかった事について聴取を担当した國井検事は、代表者がアポなしでやってきたということにしようと村木氏を説得したそうです。
さらにそもそもの発端である「凛の会」の代表者が石井一議員に口利きを依頼した日についても、当初検察が主張した日(代表者が聴取中に証言した日)に石井議員はゴルフに出かけており、ゴルフ場にもはっきりと記録が残っていて事実上会うことは不可能だったと石井氏本人が承認となって裁判に証言しました。すると検察は何を考えたのかすでに捜査が終わっている代表者に再度聴取を行い、「石井氏に会ったのはその日じゃなかったかもしれない」という証言を得た調書を裁判の途中にもかかわらず提出してきたそうです。さすがにこの調書は裁判所も受理しなかったそうですが、自分らが不利になるや証言を平然と変えるこの検察の行動には私も空いた口が塞がりません。
今回この村木氏の手記を読むにつけ、やはり村木氏自身が只者ではないと感じました。普通の人間ならば逮捕、拘禁されたら結構弱るものなのですが、検察の聴取に対しても私が見る限りだと村木氏は毅然と対応し、何度となく検察から自ら作り上げた妄想のようなストーリーの調書にサインするよう求められながらもきちんと拒絶してます。さらには拘置所内のラジオで阪神戦が放送される事から阪神の選手名鑑を差し入れてもらい、ちゃっかりイケメンの能美選手にファンになってたりと。
今回のこの事件で村木氏は実に163日も拘禁されております。拘禁される以前から多忙で知られ当時の桝添厚生労働大臣に「(逮捕が)非常に残念」とまで言わせたほどで、本人も手記で述べていますがやるべき仕事が残されていたにもかかわらずこのような事件に巻き込まれその失望たるや大きなものでしょう。
それだけに今回の杜撰な捜査内容といい聴取中の態度といい、検察の側からきちんと責任者を処罰する必要があると私はとみに思います。今回の文芸春秋の記事できちんと実名が挙げられているので私からも紹介しますが、まず村木氏を最初に聴取した遠藤裕介検事については村木氏も「常識的な取調べだった」と述べており、また村木氏の要請に応えて調書の訂正に応じるなどまだまともな人だと思えますが、遠藤検事の次に聴取を担当した國井弘樹検事については村木氏の証言が本当だとすれば公職につくべき人間ではないでしょう。
村木氏によると國井検事は村木氏が述べてもない内容をことごとく調書に盛り込んでは、関係のない会話同士を勝手に繋ぎ合わせて勝手な証言を作るなどしていたそうです。因みに上記の「凛の会」代表者がアポなしで村木氏から証明書を受け取ったという作文を作ったのも國井検事だそうです。
人間誰しも間違いはあります。しかしこの事件についてはあってはならない間違いを幾重にも起こし、またそれに気づくチャンスがいくつもあったにもかかわらず見逃している事から、私は上記の國井検事、並びに一連の事件の捜査で主任を務めた前田恒彦検事は早々に検察という職から離れるべきではないかと思います。何も辞めることが責任を取ることだというつもりはありませんが、少なくともこんな杜撰な捜査をする人間はこんな職に就いていてはいけないと強く思います。
最後に同じく国策捜査で巻き添え食った佐藤優氏がこの事件についてコラムを書いていますが村木氏について、無罪となったのは運がよかったからだ、と述べています。私もほぼ同感で、もし上村氏が供述を翻さなかったら、石井氏のスケジュールの確認が出来なければと考えると不安に思う案件でした。
その上で佐藤氏は、証明書の偽造がどうして行われたかについてまだはっきりしていないと指摘しており、私としても今後の上村氏の裁判での供述をしっかりと見守る必要を感じます。
一昨日の大阪地裁にて、実態がないにもかかわらず障害者団体を名乗りダイレクトメールの郵便料金割引を不正に受け取っていた「凛の会」の郵便不正事件において、この団体に障害者団体の証明書を偽造、発行したとして容疑がかけられていた厚生労働省所属の村木厚子元局長に対して無罪判決が下りました。この事件の私の感想はというと、首を吊るべき人間は二人、といった所です。
障害者団体向け割引郵便制度悪用事件(Wikipedia)
ちょっとこの事件はややこしいので、私の理解の範囲で簡単に概要を説明します。
まず事の起こりは「凛の会」が偽の障害者団体であったにもかかわらず郵便料金の障害者割引を受け取ってダイレクトメールを送っていた事がばれた事からでした。このダイレクトメールには「凛の会」を通してベスト電気など一部の業者が自社広告を混ぜていたことから、斡旋を行っていた広告代理店の博報堂子会社の関係者共々処罰を受けております。なおこの期末に博報堂では本来支払うべきであったにもかかわらず支払っていなかった郵便料金を「特別損失」として計上したことに一部でツッコミを受けてました。
こうして不正が明らかになった後、そもそもどうして実体がないにもかかわらず「凛の会」が障害者団体として郵便料金の割引が受けられたのかについて検察内で捜査が進められ、その結果、詳細は現在も続けられている厚生労働省元係長の上村勉氏の裁判が終わるまではっきりしませんが、厚生労働省が「凛の会」に対して発行した障害者団体証明書が割引を受ける決め手になったと結論付けられました。
このため捜査は厚生労働省へ焦点が向けられるようになり、先ほどの証明書発行を行った上村氏が逮捕され、その上村氏に上司として証明書発行の認可権限を持つ村木氏も捜査線上に浮かんだ事から逮捕されました。なお村木氏が逮捕された決め手となったのは発行された証明書が村木氏の名義で発行され、またその決済を行うための稟議書も見つかった事からでした。
しかし逮捕された村木氏は捜査段階から一貫として容疑を否認し、また先に逮捕された部下の上村氏も捜査段階で村木氏の指示を受けて証明書を発行したと供述したものの村木氏の裁判にて証人として立った上村氏はその供述は検察によって作られたもので、証明書は上村氏一人によって偽造されたもので(村木氏の名前を上村氏が勝手に入れた)村木氏の指示は一切受けていなかったと証言しました。
この後裁判では検察の杜撰な捜査内容が次々と明らかになり、なんと検察が提出した43通の調査書のうち34通が証拠として不採用となるという前代未聞の事態にまで発展し、下馬評どおりに一昨日に無事無罪判決が下りたというわけです。
私はこの事件で村木氏への捜査が起こったのが去年の参議院選挙直前で、しかも偽の障害者団体「凛の会」へ障害者団体証明を発行するよう厚生労働省に口利きを行った政治家として当時報道された(検察のリークだろうが)のが民主党の石井一議員だったことから、恐らくこの事件は自民党が選挙戦を考慮して行った国策捜査だろうと見立てて初めから村木氏は冤罪の可能性が高いと見ていました。ただこの公算は一部間違えていたようで、捜査内容の杜撰さを考えると恐らく自民党の人間は誰も糸を引いておらず、大阪地検特捜部が勝手な妄想から捜査を行って村木氏の大切な時間や生活を大いに奪った事件だったようです。
今月の文芸春秋にて村木氏本人が判決前の手記を載せておりますが、読んでみると改めてこの事件がどれだけ杜撰なものか見ていて呆れ返ってきます。
一から挙げたら切りがないので幾つかだけを紹介しますが、何年も前から村木氏がいつどのような場所で誰と会うのかを詳細につけていた手帳に証明書を手渡した(通常は郵送であるが、これも検察が「手渡した」ことにした)とされる「凛の会」の代表者の名前が載っていなかった事について聴取を担当した國井検事は、代表者がアポなしでやってきたということにしようと村木氏を説得したそうです。
さらにそもそもの発端である「凛の会」の代表者が石井一議員に口利きを依頼した日についても、当初検察が主張した日(代表者が聴取中に証言した日)に石井議員はゴルフに出かけており、ゴルフ場にもはっきりと記録が残っていて事実上会うことは不可能だったと石井氏本人が承認となって裁判に証言しました。すると検察は何を考えたのかすでに捜査が終わっている代表者に再度聴取を行い、「石井氏に会ったのはその日じゃなかったかもしれない」という証言を得た調書を裁判の途中にもかかわらず提出してきたそうです。さすがにこの調書は裁判所も受理しなかったそうですが、自分らが不利になるや証言を平然と変えるこの検察の行動には私も空いた口が塞がりません。
今回この村木氏の手記を読むにつけ、やはり村木氏自身が只者ではないと感じました。普通の人間ならば逮捕、拘禁されたら結構弱るものなのですが、検察の聴取に対しても私が見る限りだと村木氏は毅然と対応し、何度となく検察から自ら作り上げた妄想のようなストーリーの調書にサインするよう求められながらもきちんと拒絶してます。さらには拘置所内のラジオで阪神戦が放送される事から阪神の選手名鑑を差し入れてもらい、ちゃっかりイケメンの能美選手にファンになってたりと。
今回のこの事件で村木氏は実に163日も拘禁されております。拘禁される以前から多忙で知られ当時の桝添厚生労働大臣に「(逮捕が)非常に残念」とまで言わせたほどで、本人も手記で述べていますがやるべき仕事が残されていたにもかかわらずこのような事件に巻き込まれその失望たるや大きなものでしょう。
それだけに今回の杜撰な捜査内容といい聴取中の態度といい、検察の側からきちんと責任者を処罰する必要があると私はとみに思います。今回の文芸春秋の記事できちんと実名が挙げられているので私からも紹介しますが、まず村木氏を最初に聴取した遠藤裕介検事については村木氏も「常識的な取調べだった」と述べており、また村木氏の要請に応えて調書の訂正に応じるなどまだまともな人だと思えますが、遠藤検事の次に聴取を担当した國井弘樹検事については村木氏の証言が本当だとすれば公職につくべき人間ではないでしょう。
村木氏によると國井検事は村木氏が述べてもない内容をことごとく調書に盛り込んでは、関係のない会話同士を勝手に繋ぎ合わせて勝手な証言を作るなどしていたそうです。因みに上記の「凛の会」代表者がアポなしで村木氏から証明書を受け取ったという作文を作ったのも國井検事だそうです。
人間誰しも間違いはあります。しかしこの事件についてはあってはならない間違いを幾重にも起こし、またそれに気づくチャンスがいくつもあったにもかかわらず見逃している事から、私は上記の國井検事、並びに一連の事件の捜査で主任を務めた前田恒彦検事は早々に検察という職から離れるべきではないかと思います。何も辞めることが責任を取ることだというつもりはありませんが、少なくともこんな杜撰な捜査をする人間はこんな職に就いていてはいけないと強く思います。
最後に同じく国策捜査で巻き添え食った佐藤優氏がこの事件についてコラムを書いていますが村木氏について、無罪となったのは運がよかったからだ、と述べています。私もほぼ同感で、もし上村氏が供述を翻さなかったら、石井氏のスケジュールの確認が出来なければと考えると不安に思う案件でした。
その上で佐藤氏は、証明書の偽造がどうして行われたかについてまだはっきりしていないと指摘しており、私としても今後の上村氏の裁判での供述をしっかりと見守る必要を感じます。
2010年9月11日土曜日
社会的報復としての死刑の価値
大分日が空いてしまいましたが、前回「死刑は犯罪抑止につながるか」の記事からの続きで、今回は死刑を社会的報復としての観点から見た場合に価値があるかどうかについて私の意見を紹介しようかと思います。結論をまず申せば、やはり死刑には報復という意味で価値が少なからずあると思います。
実はこの社会的報復という言葉はまるまんま私の造語なのですがその定義は簡単で、要は加害者に対して被害者が直接報復を行うのではなく、刑罰など法手続きを経て社会(治安機関)が被害者に代わりその犯罪ごとに一律の制裁を与える事で報復とするという意味です。前回の記事でも書きましたが江戸時代では一代限りの仇討ちは認められていましたが、これは被害者が加害者に対して直接報復を行う行為です。これに対して現代では親族が誰かに殺害された場合、犯人が捕まりさえすれば裁判を経た上で国家がその犯罪行為に対して一律の刑罰を与えるようになっております。
両者の違いはなんといっても報復の実行が直接的か間接的かということで、前者であれば報復の度合いを決めるのは被害者本人ですが(つっても斬り殺すのにかわりないだろうけど)、後者だと被害者はその度合いを勝手に決める事が出来ず裁判などといった代理制裁者の間で自動的に決められます。たとえその犯人を殺したいほど憎んでいたとしてもです。
すでに何度がこのブログでも書いていますが、私は人間というのは基本的にプラスかマイナスの損得勘定がすべての思考の原点になっていると考えていおり、そのためこの報復についても、被害に見合う制裁が加害者に対して実行されるかどうかに被害者は集中すると思います。法定された刑罰それ自体がその社会に属する被害者の感情を納得させる基準を作っているとも考えられますが、こと死刑に関しては少し話が違ってきます。
それこそ大切な人間が無慈悲な理由で殺された場合、周囲の人間はなかなか自分の感情に踏ん切りをつける事は叶わないでしょう。あくまで私が耳にする範囲ですが、やはり親類が殺された遺族はそれがすべての救いとならないまでも犯人に対し死刑を強く望む声が大きいような気がします。またもし自分がそのような遺族の立場になったと仮定した場合、ハンムラビ法典ではないですが殺人に対する仕返しとして死刑と、仕返しが何も生まないと分かっているとしてもそれでもないよりはあったほうがいいのではと私も考えるでしょう。
もちろん死刑にならなくとも殺人の場合はよっぽどの理由がない限りは無期懲役刑が下されますが、これはしばしば議論となっていますが死刑と無期懲役ではあまりにも大きな差があるといわざるを得ません。遺族側が死刑にこだわる理由も無理ではなく、そしてそれは遺族に止まらずその社会の人間全体にも少なからず影響する可能性も見捨てられません。
現在の日本ではセンセーショナルな事件は必ずと言っていいほどメディアが全国に向かって大々的に報道し、また国民もそのようなゴシップを求めております。それゆえに大きな事件、過去だとオウム事件、最近だと秋葉原連続殺傷事件などはその裁判過程も細かく報道されて早くもその判決に注目されるようになります。
詳しい統計もなくこれまたあくまで私の印象論ですが、やはりこういった事件内容が大々的に報道された場合、その報道を見る視聴者もいつの間にかその直接の被害者や遺族ほどではないにしろその犯人らに対して怒りを共有し、必要な刑罰を強く望むようになる傾向があるように思えます。
江戸時代では磔などといった一部の死刑は公開で行われていましたが、これは庶民に対して「悪い事をしたらこうなる」という警告的な意味合いとともに、一種のショーのような具合で娯楽的な意味合いもあったと一説で述べられています。この死刑の娯楽的要素は日本に限らず世界各国で共通しており、恐らく一番華やかだったのはロベスピエールが居た頃のフランスだったでしょうが、一種のガス抜き的な効果は確かにあったと私も思います。
現在の日本ではもちろん死刑は公開されていませんが、全国に報道された犯罪者が死刑判決を受ける、受けないで国民が持つ感情は変わってくるでしょう。
最後に蛇足かもしれませんが、私は先ほど、刑罰それ自体が報復感情を納得させる基準を作っている節があると書きましたが、これは言い換えると、その犯罪にはどのような刑罰が課されるのかという基準意識をも作ってもいるとも言えます。
全国的にも報道されたある有名な事件の犯人は逮捕後、オウム事件を見て犯人らが逮捕後にすぐ死刑とならなかった事を見て影響されたと語っており、また「市川一家4人殺人事件」の犯人は「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人らが死刑にならなかったのを見て自分も死刑になるはずがないと主張していたと報じられています。前回に死刑の犯罪抑止力は低いと書いておきながらですが。
本筋の議論から大分外れた話になってしまいましたが、死刑があるかどうか、そして判決が下りるかで被害者の意識、並びに社会の規範意識に与える効果という意味においては死刑は存在価値があると私は考えているわけです。
実はこの社会的報復という言葉はまるまんま私の造語なのですがその定義は簡単で、要は加害者に対して被害者が直接報復を行うのではなく、刑罰など法手続きを経て社会(治安機関)が被害者に代わりその犯罪ごとに一律の制裁を与える事で報復とするという意味です。前回の記事でも書きましたが江戸時代では一代限りの仇討ちは認められていましたが、これは被害者が加害者に対して直接報復を行う行為です。これに対して現代では親族が誰かに殺害された場合、犯人が捕まりさえすれば裁判を経た上で国家がその犯罪行為に対して一律の刑罰を与えるようになっております。
両者の違いはなんといっても報復の実行が直接的か間接的かということで、前者であれば報復の度合いを決めるのは被害者本人ですが(つっても斬り殺すのにかわりないだろうけど)、後者だと被害者はその度合いを勝手に決める事が出来ず裁判などといった代理制裁者の間で自動的に決められます。たとえその犯人を殺したいほど憎んでいたとしてもです。
すでに何度がこのブログでも書いていますが、私は人間というのは基本的にプラスかマイナスの損得勘定がすべての思考の原点になっていると考えていおり、そのためこの報復についても、被害に見合う制裁が加害者に対して実行されるかどうかに被害者は集中すると思います。法定された刑罰それ自体がその社会に属する被害者の感情を納得させる基準を作っているとも考えられますが、こと死刑に関しては少し話が違ってきます。
それこそ大切な人間が無慈悲な理由で殺された場合、周囲の人間はなかなか自分の感情に踏ん切りをつける事は叶わないでしょう。あくまで私が耳にする範囲ですが、やはり親類が殺された遺族はそれがすべての救いとならないまでも犯人に対し死刑を強く望む声が大きいような気がします。またもし自分がそのような遺族の立場になったと仮定した場合、ハンムラビ法典ではないですが殺人に対する仕返しとして死刑と、仕返しが何も生まないと分かっているとしてもそれでもないよりはあったほうがいいのではと私も考えるでしょう。
もちろん死刑にならなくとも殺人の場合はよっぽどの理由がない限りは無期懲役刑が下されますが、これはしばしば議論となっていますが死刑と無期懲役ではあまりにも大きな差があるといわざるを得ません。遺族側が死刑にこだわる理由も無理ではなく、そしてそれは遺族に止まらずその社会の人間全体にも少なからず影響する可能性も見捨てられません。
現在の日本ではセンセーショナルな事件は必ずと言っていいほどメディアが全国に向かって大々的に報道し、また国民もそのようなゴシップを求めております。それゆえに大きな事件、過去だとオウム事件、最近だと秋葉原連続殺傷事件などはその裁判過程も細かく報道されて早くもその判決に注目されるようになります。
詳しい統計もなくこれまたあくまで私の印象論ですが、やはりこういった事件内容が大々的に報道された場合、その報道を見る視聴者もいつの間にかその直接の被害者や遺族ほどではないにしろその犯人らに対して怒りを共有し、必要な刑罰を強く望むようになる傾向があるように思えます。
江戸時代では磔などといった一部の死刑は公開で行われていましたが、これは庶民に対して「悪い事をしたらこうなる」という警告的な意味合いとともに、一種のショーのような具合で娯楽的な意味合いもあったと一説で述べられています。この死刑の娯楽的要素は日本に限らず世界各国で共通しており、恐らく一番華やかだったのはロベスピエールが居た頃のフランスだったでしょうが、一種のガス抜き的な効果は確かにあったと私も思います。
現在の日本ではもちろん死刑は公開されていませんが、全国に報道された犯罪者が死刑判決を受ける、受けないで国民が持つ感情は変わってくるでしょう。
最後に蛇足かもしれませんが、私は先ほど、刑罰それ自体が報復感情を納得させる基準を作っている節があると書きましたが、これは言い換えると、その犯罪にはどのような刑罰が課されるのかという基準意識をも作ってもいるとも言えます。
全国的にも報道されたある有名な事件の犯人は逮捕後、オウム事件を見て犯人らが逮捕後にすぐ死刑とならなかった事を見て影響されたと語っており、また「市川一家4人殺人事件」の犯人は「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人らが死刑にならなかったのを見て自分も死刑になるはずがないと主張していたと報じられています。前回に死刑の犯罪抑止力は低いと書いておきながらですが。
本筋の議論から大分外れた話になってしまいましたが、死刑があるかどうか、そして判決が下りるかで被害者の意識、並びに社会の規範意識に与える効果という意味においては死刑は存在価値があると私は考えているわけです。
2010年9月8日水曜日
日本ひげヅラ興亡史
市役所が男性職員のひげ禁止 群馬・伊勢崎、「市民に不快感」(産経新聞)
「ひげ」で手当減額…郵便事業会社員が勝訴(スポニチ)
どちらもちょっと古いニュースですが、閲覧した時からなんとなく気になっていたニュースです。
内容を簡単に説明すると、最初のニュースはヒゲを生やしていると市民に不快感を与えるという事から、群馬県伊勢崎市にて男性職員にヒゲを生やす事を禁止したというニュースで、もう一つは郵便事業会社にてひげを生やし続けてきた職員に対して手当てを減額したことに対しその職員が裁判で抗議を起こしたところ、結局郵便事業会社が勝訴したというニュースです。
どちらのニュースを見ても近年の日本社会がひげ面に対して徐々に厳しい目を持ってきたという事をうかがわせる内容なのですが、ここで私が気になったのは一体いつ頃から日本はひげ面に対して厳しくなってきたのかということでした。改めて考えてみるとどうも日本社会ではひげ面に対して流行期と衰退期がちょくちょく起こっているような気がして、その辺をちょっと調べてみたので一つ今日は紹介しようと思います。
まず日本の歴史スタート地点として飛鳥時代から考えてみたのですが、この時代の人物の肖像画で残っているもので代表的なものとなるとまず聖徳太子が挙がってきます。その一万円札にもなった聖徳太子の肖像画ではまるで中世の中国人貴族かのように鼻下と顎にそこそこのひげを蓄えた姿で描かれていますが、この肖像画自体がいつ頃に描かれたのかはっきりせず、私見ですが絵の特徴から言っても奈良時代っぽい感じなのでどちらかといえば奈良時代の風俗が影響しているかと思われます。
ではその奈良時代はどうなのかというとこの頃は中国の影響が非常に強かったために、僧を除くとこの時代の人物の肖像画は(大抵がその後の時代に描かれているものの)やっぱり中国人貴族風なひげが目立ちます。平安時代も概ねこの流れの延長にあって藤原道長を始めとした貴族たちはそのままなひげで描かれていますが、平安時代から出現した武士によって初めてこの流れにストップがかかります。
武士の中でも棟梁とされる平清盛を始めとした出自の者達はやっぱりまだ貴族風のひげで描かれていますが、生粋の武士とも言うべき地方豪族たちは見かけにも顎ひげが徐々に濃く描かれるようになり、鎌倉時代を通して武士らは貴族たちと比べて荒々しさを感じさせるひげになり、鎌倉時代末期ともなるとついにはこの流れが貴族にまで影響したのか後醍醐天皇は長くて濃い顎ひげを蓄えた姿で描かれております。まぁこの人は例外扱いすべきなのだろうが。
この後時代は室町、そして戦国時代へと移り変わっていきますがこの頃になると風俗史などについても史料上でも言及されるようになり、武将たる者ひげがなくてどうする的な風潮が流行っていたとはっきりと言及され、元々ひげが薄かった豊臣秀吉は熊の毛で作った付け髭を付けていたという記述まで出てくるようになります。
そんな男のステイタスと一時なったひげですが、不思議な事に次の江戸時代になると途端に肖像画から消えてしまいます。この突然のひげの消失についてはあるエピソードがあり、余りの出世の速さから徳川家康のご落胤ではないかと噂された初期徳川幕府ブレーンの土井利勝がある日突然ひげを剃って登城してきたのを周りが見て、「あの土井様が剃ったのだから……」と、いかにも日本人的右に倣え思考で一斉にひげが剃られるようになったと「落穂集」に記されております。
これが本当かどうかまではわかりませんが、徳川将軍も三代家光まではひげがあるのに四代家綱からはこれがすっかりなくなり、暴れん坊将軍と言われた吉宗ですらつるっとした顔で描かれてます。ただこれにはもう一つきっかけがあったとして、四代家綱がある年に「大ひげ禁止令」といってひげを生やしすぎると処罰するという法令を出しているようです。実際にどれほど取り締まられたかまでは分かりませんが。
そんな江戸時代が過ぎて明治時代に入ると、戦国時代さながらにまたも濃いひげの連中が続出するようになります。これの発端はほぼ間違いなく大久保利通を始めとした明治初期に欧米を視察した政府要人らで、ドイツでプロイセン宰相のビスマルクに心酔した彼らが西洋人に倣ってこぞってひげを生やすようになったことがきっかけでしょう。ただ確か榎本武明も早くからひげを蓄えていたと聞きますし、昔も今も西洋人のファッションに合わせようとするのは日本人の性なのかもしれません。
この明治以降の濃いひげはその後も主に軍人らの間で続き、おそらく日本海海戦を指揮した東郷平八郎の影響もあって海軍ではいわゆるカイゼルひげを生やす人物が、私も以前に取り上げた木村昌福を始めとして昭和期にも見受けられます。
その濃いひげからの転換期はやはり太平洋戦争での敗戦で、戦後は建前上は軍人がいなくなった上に先ほども言った通りに政治家もめっきりひげを生やさなくなり、平成に入った今では中には「不潔」とまで言われる始末です。
私としてはここで書いていったように、ひげとか髪型なんていうものは長い目で見るとちょくちょく流行り廃りがあって生やすか生やさないかにこだわる事自体が馬鹿馬鹿しいと考えております。なもんだからさすがに全く手入れせず、感染症を起こしかねないくらいに不衛生に伸ばしっぱなしであれば話は別ですが、私はひげが濃い人に対しても特に悪い印象を覚える事はありません。むしろ最初のニュースでの群馬県伊勢崎市の例などを見ると帝政ロシア時代のひげ税のような印象を覚え、職員のひげをいちいち管理する前にもっとほかにやることあるんじゃないのという気を覚えます。
ただもし住民票を取りにでも市役所に行ったら三国志の関羽みたいな立派なひげを生やした職員が窓口に座っていて、突然「ジャーンジャーン」って放送が鳴ったら「げえっ」とか言ってしまうかもしれませんが。それはそれで楽しそうだけど。
最後に近年の日本人でベストオブひげ面を挙げるとしたら、すでに剃ってしまいましたが巨人の小笠原道大選手の日ハム時代のひげ面が一番かっこよかったと思います。小笠原選手は余りにもひげの印象が強かったもんだから、巨人移籍時にひげを剃ったら「誰?」って思ってしまったくらいだし。
「ひげ」で手当減額…郵便事業会社員が勝訴(スポニチ)
どちらもちょっと古いニュースですが、閲覧した時からなんとなく気になっていたニュースです。
内容を簡単に説明すると、最初のニュースはヒゲを生やしていると市民に不快感を与えるという事から、群馬県伊勢崎市にて男性職員にヒゲを生やす事を禁止したというニュースで、もう一つは郵便事業会社にてひげを生やし続けてきた職員に対して手当てを減額したことに対しその職員が裁判で抗議を起こしたところ、結局郵便事業会社が勝訴したというニュースです。
どちらのニュースを見ても近年の日本社会がひげ面に対して徐々に厳しい目を持ってきたという事をうかがわせる内容なのですが、ここで私が気になったのは一体いつ頃から日本はひげ面に対して厳しくなってきたのかということでした。改めて考えてみるとどうも日本社会ではひげ面に対して流行期と衰退期がちょくちょく起こっているような気がして、その辺をちょっと調べてみたので一つ今日は紹介しようと思います。
まず日本の歴史スタート地点として飛鳥時代から考えてみたのですが、この時代の人物の肖像画で残っているもので代表的なものとなるとまず聖徳太子が挙がってきます。その一万円札にもなった聖徳太子の肖像画ではまるで中世の中国人貴族かのように鼻下と顎にそこそこのひげを蓄えた姿で描かれていますが、この肖像画自体がいつ頃に描かれたのかはっきりせず、私見ですが絵の特徴から言っても奈良時代っぽい感じなのでどちらかといえば奈良時代の風俗が影響しているかと思われます。
ではその奈良時代はどうなのかというとこの頃は中国の影響が非常に強かったために、僧を除くとこの時代の人物の肖像画は(大抵がその後の時代に描かれているものの)やっぱり中国人貴族風なひげが目立ちます。平安時代も概ねこの流れの延長にあって藤原道長を始めとした貴族たちはそのままなひげで描かれていますが、平安時代から出現した武士によって初めてこの流れにストップがかかります。
武士の中でも棟梁とされる平清盛を始めとした出自の者達はやっぱりまだ貴族風のひげで描かれていますが、生粋の武士とも言うべき地方豪族たちは見かけにも顎ひげが徐々に濃く描かれるようになり、鎌倉時代を通して武士らは貴族たちと比べて荒々しさを感じさせるひげになり、鎌倉時代末期ともなるとついにはこの流れが貴族にまで影響したのか後醍醐天皇は長くて濃い顎ひげを蓄えた姿で描かれております。まぁこの人は例外扱いすべきなのだろうが。
この後時代は室町、そして戦国時代へと移り変わっていきますがこの頃になると風俗史などについても史料上でも言及されるようになり、武将たる者ひげがなくてどうする的な風潮が流行っていたとはっきりと言及され、元々ひげが薄かった豊臣秀吉は熊の毛で作った付け髭を付けていたという記述まで出てくるようになります。
そんな男のステイタスと一時なったひげですが、不思議な事に次の江戸時代になると途端に肖像画から消えてしまいます。この突然のひげの消失についてはあるエピソードがあり、余りの出世の速さから徳川家康のご落胤ではないかと噂された初期徳川幕府ブレーンの土井利勝がある日突然ひげを剃って登城してきたのを周りが見て、「あの土井様が剃ったのだから……」と、いかにも日本人的右に倣え思考で一斉にひげが剃られるようになったと「落穂集」に記されております。
これが本当かどうかまではわかりませんが、徳川将軍も三代家光まではひげがあるのに四代家綱からはこれがすっかりなくなり、暴れん坊将軍と言われた吉宗ですらつるっとした顔で描かれてます。ただこれにはもう一つきっかけがあったとして、四代家綱がある年に「大ひげ禁止令」といってひげを生やしすぎると処罰するという法令を出しているようです。実際にどれほど取り締まられたかまでは分かりませんが。
そんな江戸時代が過ぎて明治時代に入ると、戦国時代さながらにまたも濃いひげの連中が続出するようになります。これの発端はほぼ間違いなく大久保利通を始めとした明治初期に欧米を視察した政府要人らで、ドイツでプロイセン宰相のビスマルクに心酔した彼らが西洋人に倣ってこぞってひげを生やすようになったことがきっかけでしょう。ただ確か榎本武明も早くからひげを蓄えていたと聞きますし、昔も今も西洋人のファッションに合わせようとするのは日本人の性なのかもしれません。
この明治以降の濃いひげはその後も主に軍人らの間で続き、おそらく日本海海戦を指揮した東郷平八郎の影響もあって海軍ではいわゆるカイゼルひげを生やす人物が、私も以前に取り上げた木村昌福を始めとして昭和期にも見受けられます。
その濃いひげからの転換期はやはり太平洋戦争での敗戦で、戦後は建前上は軍人がいなくなった上に先ほども言った通りに政治家もめっきりひげを生やさなくなり、平成に入った今では中には「不潔」とまで言われる始末です。
私としてはここで書いていったように、ひげとか髪型なんていうものは長い目で見るとちょくちょく流行り廃りがあって生やすか生やさないかにこだわる事自体が馬鹿馬鹿しいと考えております。なもんだからさすがに全く手入れせず、感染症を起こしかねないくらいに不衛生に伸ばしっぱなしであれば話は別ですが、私はひげが濃い人に対しても特に悪い印象を覚える事はありません。むしろ最初のニュースでの群馬県伊勢崎市の例などを見ると帝政ロシア時代のひげ税のような印象を覚え、職員のひげをいちいち管理する前にもっとほかにやることあるんじゃないのという気を覚えます。
ただもし住民票を取りにでも市役所に行ったら三国志の関羽みたいな立派なひげを生やした職員が窓口に座っていて、突然「ジャーンジャーン」って放送が鳴ったら「げえっ」とか言ってしまうかもしれませんが。それはそれで楽しそうだけど。
最後に近年の日本人でベストオブひげ面を挙げるとしたら、すでに剃ってしまいましたが巨人の小笠原道大選手の日ハム時代のひげ面が一番かっこよかったと思います。小笠原選手は余りにもひげの印象が強かったもんだから、巨人移籍時にひげを剃ったら「誰?」って思ってしまったくらいだし。
2010年9月6日月曜日
私の保有するHard Rock CafeのTシャツ
以前に書いた「かつて呼ばれた私の異名」の記事の中で、「ミスターHard Rock」と呼ばれていたということを書きました。この異名は私が全世界に展開している「Hard Rock Cafe」というレストランが販売しているTシャツを夏場はそれこそ毎日着ていることから呼ばれるようになった異名なのですが、では実際にどれだけ私がこのHard Rock CafeのTシャツを持っているか、具体的に調べてみました。その結果は以下の通りです。
上野(日本)
バンコク(タイ)×2枚
バリ(インドネシア)×2枚
マルタ(マルタ)
コペンハーゲン(デンマーク)
コナ(ハワイ)
ドバイ(ドバイ)
バルセロナ(スペイン)
アテネ(ギリシャ)
エジンバラ(イギリス)
カイロ(エジプト)
ミュンヘン(ドイツ)
ハイデルベルグ(ドイツ)
ザルツブルグ(ドイツ)
リスボン(ポルトガル)
メルボルン(オーストラリア)……これだけTシャツではなくセーター
パチ物
イスタンブール(トルコ)
上海(中国)
以上のように、正規品で18枚、パチ物を含めると20枚になります。
確かイタリアのローマと韓国ソウルのもあったような気がしますけど、あまりにも量が多いせいか今回の調査(タンスの捜索)では見つかりませんでした。
パチ物については結構世界各地で作られているようで、元々シンプルなデザインのために上記の上海、イスタンブールのTシャツも本物だと言い張れば見た人は信じると思います。ちなみに中国では北京に正規店が一軒あり、留学中に私も中心部からえらく外れた場所だったのでバスを何度も乗り継いで行って二着買って来たのですが、二着とも友人へのお土産に使用したために現在私の手元には残っていません。あと日本は上野駅以外にも大坂にもHard Rock Caféがあると聞きますが、こちらは京都時代には何故か行きませんでした。上野のも去年にようやく買ったばかりだし。
これらHard Rock CaféのTシャツはすべて旅行狂いのうちのお袋が仕入れてきたものですが、改めて国名を見てみると本当にいろんな所に行っているんだなと思うと共に、この世代は本当に体力余ってるなという気がします。また明日から台湾に行くそうだし。
2010年9月5日日曜日
小売業での主役交代について
この頃市井で気になっている事として、電器販売店のデパート化があります。一番デパート化が激しいのはヨドバシカメラを始めとした都市圏の巨大電器販売店で、全国規模でも石丸電気やヤマダ電機などもこの類に属します。このデパート化というのはどういう意味かというと、単純に専門とする営業品目以外にも幅広く商品を扱うようになってくるという事です。
近年、大丸や三越、伊勢丹といった老舗のデパートらはどこも営業が苦しくて店舗の閉店が相次いでおり、私も一時期、といっても入って買い物をした事はそんなに多くないですが、京都の真ん中にあって街の大きなベンチマークとしてあった阪急デパート四条河原町店が先日に閉店したというニュースは正直にショックを覚えました。ちなみに京都市内でいえばそれ以前に京都駅前の近鉄百貨店も閉店しており、私が始めて京都に居を構えた頃と比べると随分と姿を変えているような気がします。さすがに大丸は居続けていますが。
話は戻って電器店のデパート化についてですが、具体的な例を挙げるとヨドバシカメラ秋葉原店が一番分かりやすいです。秋葉原という場所はそれまで電気街口方面の賑わいに対して駅の反対側にある中欧改札口方面は控えめな場所であったのですが、こっち側にヨドバシカメラが新たな店舗を作ってから人の移動も徐々に変わり、現在に至っては電気街口に勝るとも劣らない人の入りとなっています。
ではそれだけ人の流れを変えたヨドバシカメラ秋葉原店の中身はどうなっているかというと、ほとんどの階には通常通りのパソコンや家電といった商品が置かれているのですが上位階に行くと本屋や飲食店のテナントが入っており、そのほかの階にも旅行者向けのスーツケースやスポーツ用自転車などと、何で電器店にこんなものがと思わせられる商品が数多く置かれております。
これはなにも秋葉原に限らず同じヨドバシカメラでは大坂の梅田店もほぼ同じような感じでしたし、また同じく都市圏に主に進出しているビックカメラでもいろんな物が売られています。さらにヨドバシカメラもビックカメラもこのところ店舗進出が相次いでいますから、今後もこの傾向に拍車がかかるだろうと予想できます。
これに対して全国の主に郊外に店舗を出しているヤマダ電機や石丸電気はどうかというと、こちらもおおよそ電器店には似つかわしくない商品が置かれているのがこのところ目立ち、試しにヤマダ電機の通販用ホームページを見てみたら「ブランド時計」、「花、酒」といった商品分類がされています。
ここでそもそものデパートの定義とその成り立ちについて考えてみましょう。
デパートは「そこに行けば何でも買える物がある」と言われた様に、分野にとらわれない多品種の商品を扱っている販売店を指していると一般的には言われております。そんなデパートの成り立ちはというと大正期に先ほど挙げた老舗デパート店が出来始めたのが日本での成り立ちと言われ、これら老舗デパート店の本業は大丸や伊勢丹、三越など元々は呉服屋でした。その後阪急や阪神、近鉄など鉄道会社もデパート業に参入して大体ここまでが老舗デパートと呼ばれる区切りですが、その後バブル期にはダイエー、イオン、イトーヨーカドーといった企業が現れ彼らは老舗デパートと分けるために大型スーパーと呼ばれましたが、衣料品、食料品、雑貨など幅広く商品を扱っている事から広義では大型スーパーも十分にデパートと呼べるかと私は思います。
一気に流しましたが、こういったデパートの変遷というのはそのまま小売業における主役の変遷ではないかと私は考えており、近年は電器販売店が徐々に主役になりつつあるのではないかというのが私の考えです。簡単にその変遷をまとめると、
高級衣料品販売業→食料品、日常衣料品販売業→家電販売業
=老舗デパート店→大型スーパー店→電器販売店
ではこれから電器販売業の企業が大きくなっていくのかと問われるならば、私は必ずしもそうだとは思いません。元々小売業自体が競争の激しい分野であっていくらでも下克上が起こる業種でありますし、元来薄給激務と言われる職場が近年のワーキングプア問題さながらに飲食業と並んで何かと勤務待遇に問題が多いとよく聞きます。実際に風の噂で小学校時代の同級生がこんな不況期にもかかわらず、四年目でビックカメラを辞めるそうです。
恐らく今後しばらくは家電販売店の力が増していきどんどんとデパート化していくことでしょうが近年は驚くくらいの早さで勢力図がどんどんと塗り替えられていくので、十年後にはまた別分野の小売店が主導権を握っているかもしれません。
ただ老舗デパートについて言えば、個人的な体験から言っても今後日本での展開は辛さを増していくだけだと思います。何故そう思うのかというと、私は北京、上海の繁華街(王府井と南京路)をそれぞれ見てきましたが、はっきり言って日本の繁華街と比べても欧米などのブランド店の進出が多く、客層の高級品嗜好も日本とは比べ物にならないと感じました。これは見方を変えると、一時期にあった日本人のブランド狂いも落ち着きを見せて実用嗜好が高まったともいえるので、あながち悪いことではないでしょう。
おまけ
郊外系家電屋は親子連れがよく訪れることからこの頃はゲームやおもちゃをどこもよく取り揃えているように感じます。実際に私も先月買った「ランサーエボリューションⅤ」のプラモは石丸電器で購入しましたが、模型屋自体が少なくなってきているこの世の中なのでこれはこれでありかと……。
おまけ2
京都時代に私が一番通ったのはアルバイト先に近い近鉄百貨店で、よくバイト帰りにテナントで入っている本屋に寄っていました。ただ四条にある大丸について言うと私の通っていた大学によく短期バイト募集をしていたので、何度か応募して物産展の補助スタッフをやってました。物産展があるたびによく出入りはしていましたが、まさか中国に一年間留学して帰ってきてからまた応募した際、大丸の担当の人が電話口で私のことを覚えていたのはちょっと驚きました(;´Д`)
近年、大丸や三越、伊勢丹といった老舗のデパートらはどこも営業が苦しくて店舗の閉店が相次いでおり、私も一時期、といっても入って買い物をした事はそんなに多くないですが、京都の真ん中にあって街の大きなベンチマークとしてあった阪急デパート四条河原町店が先日に閉店したというニュースは正直にショックを覚えました。ちなみに京都市内でいえばそれ以前に京都駅前の近鉄百貨店も閉店しており、私が始めて京都に居を構えた頃と比べると随分と姿を変えているような気がします。さすがに大丸は居続けていますが。
話は戻って電器店のデパート化についてですが、具体的な例を挙げるとヨドバシカメラ秋葉原店が一番分かりやすいです。秋葉原という場所はそれまで電気街口方面の賑わいに対して駅の反対側にある中欧改札口方面は控えめな場所であったのですが、こっち側にヨドバシカメラが新たな店舗を作ってから人の移動も徐々に変わり、現在に至っては電気街口に勝るとも劣らない人の入りとなっています。
ではそれだけ人の流れを変えたヨドバシカメラ秋葉原店の中身はどうなっているかというと、ほとんどの階には通常通りのパソコンや家電といった商品が置かれているのですが上位階に行くと本屋や飲食店のテナントが入っており、そのほかの階にも旅行者向けのスーツケースやスポーツ用自転車などと、何で電器店にこんなものがと思わせられる商品が数多く置かれております。
これはなにも秋葉原に限らず同じヨドバシカメラでは大坂の梅田店もほぼ同じような感じでしたし、また同じく都市圏に主に進出しているビックカメラでもいろんな物が売られています。さらにヨドバシカメラもビックカメラもこのところ店舗進出が相次いでいますから、今後もこの傾向に拍車がかかるだろうと予想できます。
これに対して全国の主に郊外に店舗を出しているヤマダ電機や石丸電気はどうかというと、こちらもおおよそ電器店には似つかわしくない商品が置かれているのがこのところ目立ち、試しにヤマダ電機の通販用ホームページを見てみたら「ブランド時計」、「花、酒」といった商品分類がされています。
ここでそもそものデパートの定義とその成り立ちについて考えてみましょう。
デパートは「そこに行けば何でも買える物がある」と言われた様に、分野にとらわれない多品種の商品を扱っている販売店を指していると一般的には言われております。そんなデパートの成り立ちはというと大正期に先ほど挙げた老舗デパート店が出来始めたのが日本での成り立ちと言われ、これら老舗デパート店の本業は大丸や伊勢丹、三越など元々は呉服屋でした。その後阪急や阪神、近鉄など鉄道会社もデパート業に参入して大体ここまでが老舗デパートと呼ばれる区切りですが、その後バブル期にはダイエー、イオン、イトーヨーカドーといった企業が現れ彼らは老舗デパートと分けるために大型スーパーと呼ばれましたが、衣料品、食料品、雑貨など幅広く商品を扱っている事から広義では大型スーパーも十分にデパートと呼べるかと私は思います。
一気に流しましたが、こういったデパートの変遷というのはそのまま小売業における主役の変遷ではないかと私は考えており、近年は電器販売店が徐々に主役になりつつあるのではないかというのが私の考えです。簡単にその変遷をまとめると、
高級衣料品販売業→食料品、日常衣料品販売業→家電販売業
=老舗デパート店→大型スーパー店→電器販売店
ではこれから電器販売業の企業が大きくなっていくのかと問われるならば、私は必ずしもそうだとは思いません。元々小売業自体が競争の激しい分野であっていくらでも下克上が起こる業種でありますし、元来薄給激務と言われる職場が近年のワーキングプア問題さながらに飲食業と並んで何かと勤務待遇に問題が多いとよく聞きます。実際に風の噂で小学校時代の同級生がこんな不況期にもかかわらず、四年目でビックカメラを辞めるそうです。
恐らく今後しばらくは家電販売店の力が増していきどんどんとデパート化していくことでしょうが近年は驚くくらいの早さで勢力図がどんどんと塗り替えられていくので、十年後にはまた別分野の小売店が主導権を握っているかもしれません。
ただ老舗デパートについて言えば、個人的な体験から言っても今後日本での展開は辛さを増していくだけだと思います。何故そう思うのかというと、私は北京、上海の繁華街(王府井と南京路)をそれぞれ見てきましたが、はっきり言って日本の繁華街と比べても欧米などのブランド店の進出が多く、客層の高級品嗜好も日本とは比べ物にならないと感じました。これは見方を変えると、一時期にあった日本人のブランド狂いも落ち着きを見せて実用嗜好が高まったともいえるので、あながち悪いことではないでしょう。
おまけ
郊外系家電屋は親子連れがよく訪れることからこの頃はゲームやおもちゃをどこもよく取り揃えているように感じます。実際に私も先月買った「ランサーエボリューションⅤ」のプラモは石丸電器で購入しましたが、模型屋自体が少なくなってきているこの世の中なのでこれはこれでありかと……。
おまけ2
京都時代に私が一番通ったのはアルバイト先に近い近鉄百貨店で、よくバイト帰りにテナントで入っている本屋に寄っていました。ただ四条にある大丸について言うと私の通っていた大学によく短期バイト募集をしていたので、何度か応募して物産展の補助スタッフをやってました。物産展があるたびによく出入りはしていましたが、まさか中国に一年間留学して帰ってきてからまた応募した際、大丸の担当の人が電話口で私のことを覚えていたのはちょっと驚きました(;´Д`)
2010年9月4日土曜日
阿波踊りに人生を賭した家老
阿波踊りと言えば徳島県の名物として全国的にも有名な踊りですが、その起源については確証がないものの江戸時代初期、豊臣秀吉の片腕であった蜂須賀正勝の息子、蜂須賀家政が開いた徳島藩の時代に成立したと言われております。阿波踊りは成立した当初から徳島藩内で大いに親しまれたものの、年を追って熱狂さを帯びてきたために暴動につながらないように徳島藩では藩内の武士に対しては外に出ず、屋敷内で踊るようにと布令を出していました。
しかし十九世紀のある年、この禁令を破ってまで阿波踊りを踊った武士がいました。その武士の名は蜂須賀直孝といって、名前からも分かるとおりに藩主蜂須賀一族に連なる家老職にある人物でした。
この蜂須賀直孝は家老という要職にありながら藩の命令を無視して群衆に混じり、阿波踊りに興じたのですが、家老であったゆえに顔がすぐに割れて連行されてしまってそのまま座敷牢へと入れられることとなりました。しかし直孝はこれに全く懲りてなかったのか、なんとその一年後の阿波踊りシーズンに入るや座敷牢を抜け出し、再び群集に混じって阿波踊りに興じたそうです。
この直孝の二度の重大な法令違反には藩主もさすがに激怒し、参勤交代から戻るや直孝を追放したうえで改易(後に養子による相続は認めている)という厳罰で以って処分しています。
この話は実業之日本社から出ている、大石慎三郎氏監修の「江戸大名 知れば知るほど」に載せられている話ですが、数ある載せられている話の中でも特に印象に残ったエピソードです。徳島の人にとって阿波踊りはなくてはならないものとよく聞きますが、わざわざ家老職を捨ててまでも踊りたいと思った人がいたとは驚くと共に非常に面白いです。
ちなみに以前に私は阿波踊りのある徳島県出身の友人、よさこい踊りのある高知県出身の友人がいましたが、彼らに双方の踊りについて感想を求めると、
徳島「(よさこい踊りは)あんなん、ただ動きまわっとるだけの下品な踊りやろが (#゚Д゚)」
高知「(阿波踊りは)あんなん、スローすぎて止まっとるやろが(#゚Д゚)」
やはりというかなんとなくそういう気がしてましたが、お互いに自分の踊りにプライドがあるらしくてあまり徳島の人と高知の人は引き合わせない方がいいとこの時実感しました。なお高知の友人によると、高知ではよさこい踊りからちょうど一ヵ月に中絶手術が集中するそうです(/ω\)
しかし十九世紀のある年、この禁令を破ってまで阿波踊りを踊った武士がいました。その武士の名は蜂須賀直孝といって、名前からも分かるとおりに藩主蜂須賀一族に連なる家老職にある人物でした。
この蜂須賀直孝は家老という要職にありながら藩の命令を無視して群衆に混じり、阿波踊りに興じたのですが、家老であったゆえに顔がすぐに割れて連行されてしまってそのまま座敷牢へと入れられることとなりました。しかし直孝はこれに全く懲りてなかったのか、なんとその一年後の阿波踊りシーズンに入るや座敷牢を抜け出し、再び群集に混じって阿波踊りに興じたそうです。
この直孝の二度の重大な法令違反には藩主もさすがに激怒し、参勤交代から戻るや直孝を追放したうえで改易(後に養子による相続は認めている)という厳罰で以って処分しています。
この話は実業之日本社から出ている、大石慎三郎氏監修の「江戸大名 知れば知るほど」に載せられている話ですが、数ある載せられている話の中でも特に印象に残ったエピソードです。徳島の人にとって阿波踊りはなくてはならないものとよく聞きますが、わざわざ家老職を捨ててまでも踊りたいと思った人がいたとは驚くと共に非常に面白いです。
ちなみに以前に私は阿波踊りのある徳島県出身の友人、よさこい踊りのある高知県出身の友人がいましたが、彼らに双方の踊りについて感想を求めると、
徳島「(よさこい踊りは)あんなん、ただ動きまわっとるだけの下品な踊りやろが (#゚Д゚)」
高知「(阿波踊りは)あんなん、スローすぎて止まっとるやろが(#゚Д゚)」
やはりというかなんとなくそういう気がしてましたが、お互いに自分の踊りにプライドがあるらしくてあまり徳島の人と高知の人は引き合わせない方がいいとこの時実感しました。なお高知の友人によると、高知ではよさこい踊りからちょうど一ヵ月に中絶手術が集中するそうです(/ω\)
2010年9月3日金曜日
死刑は犯罪抑止につながるか
前回、「刑法は何故必要なのか」の記事にて私は大雑把な刑法の必要性、意義についてあくまで私なりに説明しましたが、今回はその中で取り上げた「犯罪抑止力」が死刑にもあるのかどうかについて議論をしたいと思っております。結論から言えば、私は死刑にはあまり犯罪抑止力は期待できないと考えています。
まずはおさらいですが、犯罪抑止力というのはそもそもどういった概念なのかを説明します。これは簡単に言えば犯罪に対して刑法によってリスク意識を持たせる概念で、犯罪によって得られる利益に対して捕縛された場合に受ける刑罰を意識させる事で迂闊に犯罪に走らせないようにするという考え方です。死刑でこれを説明するのは非常に簡単で、いくら殺したいほど憎い人間がいたとしても実際に殺人を犯したら死刑になる可能性があり、命惜しさに実際に殺人には踏み切らない……という風に死刑には犯罪抑止力があると言われます。
確かに誰だって自分の命は惜しいですしわざわざ死刑にされる可能性がある行為なんて誰も率先して取らないだろうと思いますが、悲しい事にこれがまるきり通用しない人間は存在すると言わざるを得ません。それはどういった人間かというと単純に自暴自棄になった人間の事で、代表的な例はかつての池田小連続殺傷事件を引き起こした犯人の宅間守で、最近だと秋葉原連続殺傷事件を起こした加藤智大など、どうせ自分も死ぬつもりだからと割り切った人たちです。これらの事件に限らず近年の通り魔事件では犯人らが一様に、「自分が死刑になるためにやった」などと、本心かどうかまでは分かりませんが自分一人では死に切れないから死刑を自殺の手段として期待するかのような動機を語る人間が増えております。
こうした死刑を覚悟して自暴自棄に殺人を犯す人間らには、残念ながら「死刑になるかも」という犯罪抑止力が働く事はまず考えられません。
また現在の日本の死刑判決には永山則夫事件以降に作られた暗黙の条件があり、例外が全くないわけではありませんが二人以上の殺人にしか適用されないとされています。そのため下衆な言い方になってしまいますが、一人までなら死刑にならないとたかを括る人間が現れかねないのではと私はかねてから考えています。ただこの点については近年厳罰化の流があり、先ほどの永山条件はなくなって今後は一人の殺人容疑に対しても動機によっては死刑判決が下りるようになるのではないかと見ています。
そして最後、果たして殺人を犯す人間はその殺人行為の際、「もしかしたら死刑になるかも」と考えるのかという点が疑問です。よっぽど冷徹な殺人者でない限りは人間は殺人を行う際には頭がいっぱいになるとされ、まともな思考は殆んど働かないと聞きます。それこそ「罪と罰」のラスコーリニコフじゃないですがあらかじめ計画していた殺人を実行している際に誰かに目撃され、咄嗟に口封じとばかりにその目撃者も殺してしまうことも十分に考えられ、こうした点を考慮するにつけて死刑はそれほど犯罪抑止力にならないのではと私は考えるわけです。
では死刑はあまり犯罪抑止に効果がないのだから廃止すべきなのか。これだとあまりにも結論が早すぎると思うのですが、死刑存廃議論だと真面目にここまでで議論を終えて廃止すべきだという意見を言う人が数多く見受けられます。特に法家に。
そういうわけで次回は、死刑を一種の社会的報復としてみる観点からその必要性について私の意見を紹介しようと思います。
まずはおさらいですが、犯罪抑止力というのはそもそもどういった概念なのかを説明します。これは簡単に言えば犯罪に対して刑法によってリスク意識を持たせる概念で、犯罪によって得られる利益に対して捕縛された場合に受ける刑罰を意識させる事で迂闊に犯罪に走らせないようにするという考え方です。死刑でこれを説明するのは非常に簡単で、いくら殺したいほど憎い人間がいたとしても実際に殺人を犯したら死刑になる可能性があり、命惜しさに実際に殺人には踏み切らない……という風に死刑には犯罪抑止力があると言われます。
確かに誰だって自分の命は惜しいですしわざわざ死刑にされる可能性がある行為なんて誰も率先して取らないだろうと思いますが、悲しい事にこれがまるきり通用しない人間は存在すると言わざるを得ません。それはどういった人間かというと単純に自暴自棄になった人間の事で、代表的な例はかつての池田小連続殺傷事件を引き起こした犯人の宅間守で、最近だと秋葉原連続殺傷事件を起こした加藤智大など、どうせ自分も死ぬつもりだからと割り切った人たちです。これらの事件に限らず近年の通り魔事件では犯人らが一様に、「自分が死刑になるためにやった」などと、本心かどうかまでは分かりませんが自分一人では死に切れないから死刑を自殺の手段として期待するかのような動機を語る人間が増えております。
こうした死刑を覚悟して自暴自棄に殺人を犯す人間らには、残念ながら「死刑になるかも」という犯罪抑止力が働く事はまず考えられません。
また現在の日本の死刑判決には永山則夫事件以降に作られた暗黙の条件があり、例外が全くないわけではありませんが二人以上の殺人にしか適用されないとされています。そのため下衆な言い方になってしまいますが、一人までなら死刑にならないとたかを括る人間が現れかねないのではと私はかねてから考えています。ただこの点については近年厳罰化の流があり、先ほどの永山条件はなくなって今後は一人の殺人容疑に対しても動機によっては死刑判決が下りるようになるのではないかと見ています。
そして最後、果たして殺人を犯す人間はその殺人行為の際、「もしかしたら死刑になるかも」と考えるのかという点が疑問です。よっぽど冷徹な殺人者でない限りは人間は殺人を行う際には頭がいっぱいになるとされ、まともな思考は殆んど働かないと聞きます。それこそ「罪と罰」のラスコーリニコフじゃないですがあらかじめ計画していた殺人を実行している際に誰かに目撃され、咄嗟に口封じとばかりにその目撃者も殺してしまうことも十分に考えられ、こうした点を考慮するにつけて死刑はそれほど犯罪抑止力にならないのではと私は考えるわけです。
では死刑はあまり犯罪抑止に効果がないのだから廃止すべきなのか。これだとあまりにも結論が早すぎると思うのですが、死刑存廃議論だと真面目にここまでで議論を終えて廃止すべきだという意見を言う人が数多く見受けられます。特に法家に。
そういうわけで次回は、死刑を一種の社会的報復としてみる観点からその必要性について私の意見を紹介しようと思います。
2010年9月2日木曜日
上野動物園で見た外人
ちょっと今日は時間がないので、この前行った上野動物園の話をします。
八月の夏休みの最中、私はかねてから行きたかった上野動物園に行ってきました。何故上野動物園に行きたかったかというと、単純にこのところでかい動物を見ていなかったので無性に見に行きたかったからです。一緒に行ったのはうちの親父で、いい年した大の大人二人で辺りを気にすることなく堂々と入園して行きました。
さて上野動物園というとこれまでの目玉動物となると中国最強の輸出兵器だったパンダなのですが、長らく上野動物園で活躍してきたパンダは数年前に死去しており、ある意味福田康夫政権の最大の功績ともいえる中国からのパンダレンタル(レンタル料年間一億円。けどそれに勝る経済効果があると私は信じている。)も現在着々と準備が進んではおりますがまだ上野にまではまだ届いていません。それでは空いたパンダの檻は今どうなっていたのかというと、なんとパンダはパンダでもレッサーパンダが入っておりました。レッサーパンダもかわいいけど、シャレで置くというのもなぁ……。ちなみにレッサーパンダは今のパンダが見つかるまではパンダと呼ばれていて、今のパンダが見つかってからレッサー(劣る)パンダと呼ばれるようになったと聞いた事があります。
今年の夏は統計上でも最も暑い夏となっただけあって親父といったその日もシャレにならないくらい暑く、動物達も見た目にも暑くて辛そうでした。猿山では子供の猿はまだ動き回っていたものの大人の猿は日陰でじっとしており、キリンもなんかだれた感じでした。まぁ見た目が元々だれた感じだけど。
その中でちょっと面白かった事が一つあり、上野公園でおなじみの蓮の葉でいっぱいに覆われた池を渡る橋の上を歩いていると、金髪の外人の姉さん二人組が向こうから歩いてきました。蓮の葉っぱを見ながら彼女等は英語で、
「まるで傘みたい(´∀`*)ウフフ」
「トトロだー!(゚∀゚)」
「キャー!(*´∀`*)」
ってな会話してました。多分、トトロが葉っぱを傘にするシーンを見ての発言だと思います。
なんていうか、見ていてこっちも和みました。
八月の夏休みの最中、私はかねてから行きたかった上野動物園に行ってきました。何故上野動物園に行きたかったかというと、単純にこのところでかい動物を見ていなかったので無性に見に行きたかったからです。一緒に行ったのはうちの親父で、いい年した大の大人二人で辺りを気にすることなく堂々と入園して行きました。
さて上野動物園というとこれまでの目玉動物となると中国最強の輸出兵器だったパンダなのですが、長らく上野動物園で活躍してきたパンダは数年前に死去しており、ある意味福田康夫政権の最大の功績ともいえる中国からのパンダレンタル(レンタル料年間一億円。けどそれに勝る経済効果があると私は信じている。)も現在着々と準備が進んではおりますがまだ上野にまではまだ届いていません。それでは空いたパンダの檻は今どうなっていたのかというと、なんとパンダはパンダでもレッサーパンダが入っておりました。レッサーパンダもかわいいけど、シャレで置くというのもなぁ……。ちなみにレッサーパンダは今のパンダが見つかるまではパンダと呼ばれていて、今のパンダが見つかってからレッサー(劣る)パンダと呼ばれるようになったと聞いた事があります。
今年の夏は統計上でも最も暑い夏となっただけあって親父といったその日もシャレにならないくらい暑く、動物達も見た目にも暑くて辛そうでした。猿山では子供の猿はまだ動き回っていたものの大人の猿は日陰でじっとしており、キリンもなんかだれた感じでした。まぁ見た目が元々だれた感じだけど。
その中でちょっと面白かった事が一つあり、上野公園でおなじみの蓮の葉でいっぱいに覆われた池を渡る橋の上を歩いていると、金髪の外人の姉さん二人組が向こうから歩いてきました。蓮の葉っぱを見ながら彼女等は英語で、
「まるで傘みたい(´∀`*)ウフフ」
「トトロだー!(゚∀゚)」
「キャー!(*´∀`*)」
ってな会話してました。多分、トトロが葉っぱを傘にするシーンを見ての発言だと思います。
なんていうか、見ていてこっちも和みました。
2010年9月1日水曜日
刑法は何故必要なのか
ちょっとこれからまたややこしい関係の記事をしばらく投下して行こうかと思います。その第一発目として今日は、刑法の必要性について私の知る限りで解説します。前もって断っておくと私の専門は法学ではないので専門的知識を持った方からすると何だこれはと思う事も書いてしまうかもしれませんが、出来れば暖かい目でこんな考えを持つ素人がいるのだな程度に流していただければ助かります。
刑法が何故必要なのか、恐らくこう問われると大半の方は「犯罪を抑止するのに必要だから」と答えるかと思います。この答えの意味を詳しく説明すると、例えば他人から一万円を盗んで警察に捕まると罰金を課されたり、前科がつくなどしてリスクに対して得られる金額が少ないと感じて悪い気が起こらないようにさせる。そういう風に刑法というものを犯罪行為に対するリスクとして意識させる事で犯罪を未然に防ぐ効果のことを「犯罪抑止力」と呼びます。
私なんか専門が社会学なだけに人間というのは八割方打算的に行動すると考えておりますが、この犯罪抑止力なんかもまさにそのような考え方で刑法というものを規定しているように思えます。
こうした一般的な犯罪抑止力という考え方に対し、刑法というものは無限の復讐を止める手段という考え方を以前に聞いた事があります。こちらはあまり一般的な考え方ではないと思うので詳しく解説しておくと、日本ではちょっと想像し辛いのですが中東の国では文字通り、「七代に渡って祟る」という概念があるそうです。
なんでもある中東の国の中にある部族では伝統的に自分から数えて七世代上までの先祖の出自や人生などを覚えさせる風習があり、この七世代の祖先のうち誰かが殺害でもされていれば、その殺害した一族に対して復讐を行わなければならないという価値観まであるそうです。何処の国かまでははっきり覚えていませんが(確かトルクメニスタン)、それがために旧ソ連が侵攻した際には兵士達は一様に顔を隠して復讐の対象とならないようにしたそうです。
こうした風習がどう刑法に関わってくるかですが、皆さんも子供の頃に経験があるかと思いますが、友達から小突かれてお返しとばかりに小突いたら、「お前のが俺より痛かったぞ」と言ってまた小突かれて、「今のはやりすぎだぞ」といってまた小突き返したりと。
復讐、特に殺人ではこのループに陥りやすく、先ほどのある部族の例だと五世代上の先祖が誰かに殺されている一方で三世代上の先祖は誰かが殺している場合、その人間はある一族を復讐の対象とする一方で別の一族から復讐の対象になっているという事になります。またここまで極端でなくとも、親が殺されたからその殺害者を復讐して殺した場合、今度はその殺害した相手の子供に命を狙われる……そんな無限パターンもあったりするので、昔の中国の権力者なんかはよく三族皆殺しをして復讐の根を絶とうとしていました。
そのため江戸幕府では「仇討ちは一代まで」として、親がなんらかの理由で殺害された場合はその殺害者に対して子が仇討ちをする権利が認められ、殺害者を斬り殺しても罪には問われませんでした(逆に返り討ちにあった場合でも、親共々子も殺した殺害者はその殺人については罪に問われない)。その代わり、仇討ちされた者の子は仇討ちを果たした相手を殺害する事は認められず、勝手に仇討ちとばかりに殺害した場合は容赦なく刑罰が課されていたそうです。
普通に考えたってあちこちで復讐劇が繰り返されていたら殺伐として、お世辞にも住み易い社会とは言えないでしょう。そのため日本に限らず多くの社会では復讐に対して一定の制限をかけ、最終的には現在の日本を始めとした法治社会のようにいくら親類が殺されたとしても私的な復讐は認められず、裁判を通じて課される刑罰へ手段を統一していく事になりました。こうした背景から以前にあるコラムニストが、刑法というのは個人から復讐権を奪う概念であって、過度な報復となっては良くないが最低限犯罪被害者の溜飲を下げさせる効果がなくてはならないと主張しているのを見たことがあります。
復讐を行った所で必ずしも気持ちが晴れるわけではないと言う人もいますが、それでもないよりはあった方がいいと主張する人もいます。ではどれくらいの報復がそれぞれの犯罪行為に見合うのか、これは時代によって変わったりしますが私はなんだかんだいって、「詐欺をしたら懲役○年」、「窃盗をしたら罰金○万円」というように、刑法で規定された内容にいつの間にかみんな慣らされていくような気がします。もっとも最近は厳罰化機運がどこでも高まっていますが、刑法はただ単に犯罪抑止力だけでなく、無限の報復を防ぐ、被害者の意識を和らげるといった面にも注目し、考えていくのが大事かと思います。
刑法が何故必要なのか、恐らくこう問われると大半の方は「犯罪を抑止するのに必要だから」と答えるかと思います。この答えの意味を詳しく説明すると、例えば他人から一万円を盗んで警察に捕まると罰金を課されたり、前科がつくなどしてリスクに対して得られる金額が少ないと感じて悪い気が起こらないようにさせる。そういう風に刑法というものを犯罪行為に対するリスクとして意識させる事で犯罪を未然に防ぐ効果のことを「犯罪抑止力」と呼びます。
私なんか専門が社会学なだけに人間というのは八割方打算的に行動すると考えておりますが、この犯罪抑止力なんかもまさにそのような考え方で刑法というものを規定しているように思えます。
こうした一般的な犯罪抑止力という考え方に対し、刑法というものは無限の復讐を止める手段という考え方を以前に聞いた事があります。こちらはあまり一般的な考え方ではないと思うので詳しく解説しておくと、日本ではちょっと想像し辛いのですが中東の国では文字通り、「七代に渡って祟る」という概念があるそうです。
なんでもある中東の国の中にある部族では伝統的に自分から数えて七世代上までの先祖の出自や人生などを覚えさせる風習があり、この七世代の祖先のうち誰かが殺害でもされていれば、その殺害した一族に対して復讐を行わなければならないという価値観まであるそうです。何処の国かまでははっきり覚えていませんが(確かトルクメニスタン)、それがために旧ソ連が侵攻した際には兵士達は一様に顔を隠して復讐の対象とならないようにしたそうです。
こうした風習がどう刑法に関わってくるかですが、皆さんも子供の頃に経験があるかと思いますが、友達から小突かれてお返しとばかりに小突いたら、「お前のが俺より痛かったぞ」と言ってまた小突かれて、「今のはやりすぎだぞ」といってまた小突き返したりと。
復讐、特に殺人ではこのループに陥りやすく、先ほどのある部族の例だと五世代上の先祖が誰かに殺されている一方で三世代上の先祖は誰かが殺している場合、その人間はある一族を復讐の対象とする一方で別の一族から復讐の対象になっているという事になります。またここまで極端でなくとも、親が殺されたからその殺害者を復讐して殺した場合、今度はその殺害した相手の子供に命を狙われる……そんな無限パターンもあったりするので、昔の中国の権力者なんかはよく三族皆殺しをして復讐の根を絶とうとしていました。
そのため江戸幕府では「仇討ちは一代まで」として、親がなんらかの理由で殺害された場合はその殺害者に対して子が仇討ちをする権利が認められ、殺害者を斬り殺しても罪には問われませんでした(逆に返り討ちにあった場合でも、親共々子も殺した殺害者はその殺人については罪に問われない)。その代わり、仇討ちされた者の子は仇討ちを果たした相手を殺害する事は認められず、勝手に仇討ちとばかりに殺害した場合は容赦なく刑罰が課されていたそうです。
普通に考えたってあちこちで復讐劇が繰り返されていたら殺伐として、お世辞にも住み易い社会とは言えないでしょう。そのため日本に限らず多くの社会では復讐に対して一定の制限をかけ、最終的には現在の日本を始めとした法治社会のようにいくら親類が殺されたとしても私的な復讐は認められず、裁判を通じて課される刑罰へ手段を統一していく事になりました。こうした背景から以前にあるコラムニストが、刑法というのは個人から復讐権を奪う概念であって、過度な報復となっては良くないが最低限犯罪被害者の溜飲を下げさせる効果がなくてはならないと主張しているのを見たことがあります。
復讐を行った所で必ずしも気持ちが晴れるわけではないと言う人もいますが、それでもないよりはあった方がいいと主張する人もいます。ではどれくらいの報復がそれぞれの犯罪行為に見合うのか、これは時代によって変わったりしますが私はなんだかんだいって、「詐欺をしたら懲役○年」、「窃盗をしたら罰金○万円」というように、刑法で規定された内容にいつの間にかみんな慣らされていくような気がします。もっとも最近は厳罰化機運がどこでも高まっていますが、刑法はただ単に犯罪抑止力だけでなく、無限の報復を防ぐ、被害者の意識を和らげるといった面にも注目し、考えていくのが大事かと思います。
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