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2020年11月29日日曜日

最近の上海の状況

 先日同僚が会社で客先相手に電話してて、「出来れば旧正月には日本に一時帰国出来たらなと考えてはいるのですが、難しいでしょうねぇ……」などと話しているのが聞こえました。この声は何も同僚に限らず、中国のみならず全世界の駐在員の切なる声でしょう。

 自分だけかもしれませんがある程度の想定通り、冬が近づくにつれてコロナ感染者がいわゆる第三派を迎えつつあります。高い気温や湿気はコロナウイルスを死滅させないまでも、その活動を抑制する効果があったことはある意味これで証明されましたが、逆を言えば冬の時期はインフルエンザ同様に間髪となるわけで、これから四月にかけてまではまたあちこちで都市封鎖が行われることになるでしょう。

 翻って今私がいる上海の状況ですが、先日に空港勤務者を始め何人かに新規感染者が発生したものの、街全体は移動や仕事が規制されることもなく、新規感染者が出る前と比べて特に変わりなく動いています。ただ今日と昨日は一気に気温が下がったもんだから、街を出歩く人の数は明らかに減ってましたが。
 前に青島市で新規感染者が出た際は市内の全住民相手にPCR検査が実施されましたが、さすがに上海では同じことはやらないようです。もっとも自発的にPCR検査を受ける人は増えてて、周りの日本人駐在員もあちこちで受けてるせいで、なんか自分も受けなきゃいけないのか、どこで受けられるのかなどとキョドっています(;゚Д゚)

 一応、中国全体の消費に関しては今年の双十一のネット小売セールでまた過去最高を更新したように、衰えている様子はありません。ただ消費自体は比較的活発ながら、飲食店や小売店を始め閉店する店の数は今も増えており、街中を歩いていてもシャッターを閉めた店や、テナントの入らないモールなどが目立ち、この点は見ていて胸が痛いです。
 ただ仮に今やごく一般的な宅配サービスがなかったとしたら、飲食店の閉店数は今の規模ではなかったでしょう。宅配サービスでの需要と消費があるからこそ、まだ運営できている店は少なくない気がします。

 ちなみに消費でいうと、昨日またプラモ屋でキットを衝動買いしてきましたが、折角のコロナの時期なんだし、もっと日本で「自宅でプラモを作ろう!」キャンペーンみたいなのを業界もやればいいのにとか思います。この辺、日本の小売マーケティングは随分と後退したなと思うところです。

 なおこの記事書きながらふと「もしかして、あれってあるのかな?」と思って検索してみたところ、飛ぶことのなかったMRJのプラモがきちんと発売されていました。敢えて今この時期だからこそ、三菱重工の社員には冬休みの宿題とばかりにこれをみんなで組んでみたりしないのかなと思ったりします。
 MRJ、っていうかスペースジェットの開発は既に報じられている通り中止となりましたが、あの報道で個人的に不満だったのは下請けの部品サプライヤーとかの話が出てこなかった点です。友人の工場もMRJへの部品供給契約結んで、新規投資してクリーンルームまで作ったのに、結局注文は試作品以外は何も来ずに投資で損する羽目となっており、川下まで考えるともっと大きな打撃となることくらい言及してほしかったです。

2020年11月28日土曜日

中学受験する子供に言ってはならないこと

 上海は昨日まで長雨でしたが今日は久々に雨がやみ、曇りとはいえまだ気分的にマシでした。もっとも天気以上に空気が入れ替わって湿気がなくなったことの方が個人的にうれしいです。
 ちなみに急激に気温が下がったこともあって街中や商店の人影はいつもより少なく、その分自転車で走りやすくてこれまた都合がよかったです。今日は買う気なかったのに、またプラモを衝動買いしてしまったけど。

 話は本題ですが、Yahooニュースとか見ていると最近子供の不登校や教育に関する記事もいくつか候補に出てきて適当にそれらを読んでいますが、そういうのを読んでいて、中学受験する子供にこれだけは絶対に言っちゃいけないなと思う内容があります。
 具体的には、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」という内容です。結論から言うと、この発言は根本的な事実間違いが含まれています。

 仮に大学付属の私立中とかなら、私も通ったことがないのでもしかしたら上記発言の通りかもしれません。しかし一般的な中高一貫校の場合、私の経験で言うと上記発言の通りには絶対にならないと断言できます。理由は非常に単純で、公立校と比べ中高一貫校の授業ペースは早く、勉強しなかったらあっさりドロップアウトするからです。
 実際にというか私の通っていた学校では、1年次の終了とともに確か男子生徒2人がドロップアウトして地元公立校へ転校しました。私自身も中学時代は成績は下から数えた方が早かったですが、後述しますが私自身というより学校の仕組みに問題があったせいで成績が上がらなかったのだろうと考えています。

 恐らく多くの親の世代の考え方では、中学受験すれば高校受験のために勉強する必要はなく、その分だけ中学と高校で部活動などの課外活動にも集中できると思い込んでいる節があります。でもって、それを受験させる子供への売り文句として実際に私も使われたし、ネットに出ている教育相談関連記事でもまさにそういって受験させたところ不登校になったという話をよく見ます。
 しかし一般的に中高一貫校の授業ペースは早く、特に英語と数学に関しては公立校とは比べ物にならないくらいハイペースです。私の学校では数学は中三の時点で数Ⅰ・Aに入ったし、英語に関しても一般受験組と比べれば基礎暗記単語量では劣るものの、長文読解力は高く、この方面で中学生にしては高い水準が要求されていました。

 で、普通に考えて、こんなハイペースな授業が続けられる中で部活とかに集中できるかです。はっきり言ってそんなわけなく、実際うちの学校の運動部とかは半端なく弱かったです。それこそ将棋部とかそういうのだったら話は違うかもしれませんが、運動部入って疲れた状態で帰宅し、普段のハイペースな授業についてこれるかっていったらそんなわけないでしょう。むしろそんなんだったら、普通に高校受験する方がまだ短期集中で乗り切られるところもあるだけに、中高一貫校より課外活動に集中できるのではと思います。

 その上でと言っては何ですが、これは以前にもブログに書いてはいるものの、お世辞にも私の通った学校の教師は授業での指導が上手くありませんでした。中にはテストの学年平均点が30点台だった際に「なんでお前らは勉強しないんだ」と生徒に責任転嫁する教師までいて、見ていて明らかに、素材の良い生徒たちに助けられているだけで、実際にはほぼ全く指導力のない教師が少なからずいました。
 しかも具合の悪いことに、中高一貫校とはいえ厳しい家庭ではすでに大学受験を見据えて、中一から予備校に通わせる家も少なくありませんでした。でもって、そういった予備校に通う生徒が学校でも揃って成績が良く、ぶっちゃけ学校の授業に余り価値がないことを間接的に証明している有様でした。

 私自身もというか、テストの成績良くないから「中学受験すれば中学生時代は塾とかに通わずに済む」と言われて受験したものの、結局また中一から予備校に入れられる羽目となりました。もっともそこで対応してくれたアルバイトの大学生塾講師と馬が合い、成績は実際かなり急上昇したし、その講師の指導で政治とかに興味を持ったので塞翁が馬でしたが。
 逆にもし講師と馬が合わなければ、真面目にかなり危険な状態になっていたかもしれないと今思います。

 それで話を戻すと、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」といって子供をいい学校に入れてしまう、特に偏差値的に受かるのは難しいとされていた第一志望校とかに運よく合格して入っちゃうと、十中八九その子供は「あれは嘘だったんだ」と親に裏切られたような心境を持つであろうと私は思います。
 極端な例かもしれませんが、予備校でクラスが一緒で仲良くしていた友人が、普段のテストの偏差値からすると大金星的な高偏差値高に受かって、そこへ進学しました。ただ高校でドロップアウトしたのか中退したことが後年わかり、いい学校に受かるのも素直に喜べるわけじゃないと当時感じています。

 偏見かもしれませんが、何か特定のスポーツに従事したいと普段から言っている子供は勉強好きはそこまで多くいません。素材が良かったり体力があったりして中学受験で上手く成功を収めるかもしれませんが、受かった先の学校でスポーツに集中できるかと言ったら、そこではさらに素材の良さが求められてくるでしょう。はっきり言えば、地元公立校に通わせた方がそういう子たちの負担はずっと低くて済む気がします。
 それでも敢えて中学受験させたいってんなら、やはり分相応な偏差値の学校に入れる、若しくは通学面で有利な一段レベルを下げたような学校に入れさせるのも手でしょう。そうした学校なら授業についていく上ではハイランクの学校よりずっと余裕があり、親の言う通り高校受験を回避することで課外活動に集中できる環境があるかもしれません。一番良くないのは、本人が決して勉強好きでもないのに、分不相応にレベルの高い学校に入るということでしょう。
 っていうか、勉強好きじゃない子なら初めから中学受験なんてさせるべきじゃないでしょうが。

 最後に途中で話した高校受験組について少し補足すると、前述の通り中学時代の私はあんま成績良くなくて結局塾に入れられ(中三時は半分より上で無試験進級組に入ったが)、高校に入るやすぐまた大学受験に備えるよう別の予備校に入れられました。まぁ高校生の時点ではそんな抵抗感なかったけど。
 高校で入った予備校には地元公立中学から高校受験した生徒も多くいたのですが、彼らを見て感じたこととしては前述の通り、暗記している英単語量で私立中出身の私と大きな差があるということでした。上位高校の生徒に限られますが、やはり高校受験でその辺の対策が求められることから、英語に関しては長文読解は私の方が上かもと思いつつ、基本的な単語量では逆に遠く及ばず、「高校受験しなくて済むと言われて入ったが、結局高校受験組とは実力差がつき、この分を埋め合わせなければならないことを考えると中学受験しただけ無駄だったな」という結論に至りました。ぶっちゃけ今でも無駄だったと思っています。

 ただ世の中わからないもので、高校時代は一番英語苦手だったのに、社会人になってからは外国語をメインに使う仕事ばっかやっています。こう考えると、高校の成績は何の適正も見いだせないなと思います。思考も文系のくせしてやたら数学的な論証が多いし。

2020年11月26日木曜日

日本の歴史観~その8、半藤・保坂史観 後編

 最近コンビニとかで「3Dマスク」と書かれた商品が売られているけど、逆に「2Dマスク」はどんななんだろう。顔にマスクの絵を描いた状態なのだろうか。なんんていうか、「4次元ポケット」に対する「3次元ポケット」みたいな感覚があります。あと今週は残業ないけど重たい仕事多くてやっぱ辛ぇわ……、FF15はやったことないけど。

 話は本題ですが前回から取り上げた半藤・保坂史観について、この史観のもっとも特徴的なのはネオ皇国史観同様に、「極東国際軍事裁判、並びに自虐史観は米国が日本を支配しやすくするために作ったステージと概念」だと指摘している点です。但し、その中身について、両者では見解というか踏み込みが異なっています。

 まず戦後における代表的歴史観の自虐史観では先に取り上げたように、基本的に二次大戦で日本は侵略戦争を起こしたとして、否定的な評価を行っています。ただその侵略戦争を誰が興したかという戦争責任については、はっきりと「旧陸軍幹部」と言明しており、この点について半藤・保坂史観は「謝った歴史認識」という風に指摘しています。
 具体的にどういうことかというと、自虐史観では上記の概念に乗っ取り、「東条英機をはじめとする旧陸軍幹部が日本を誤った方向に導いて戦争を起こし、国民はそれに巻き込まれ塗炭の苦しみを味あわされた」という風に捉えています。

 ここで重要な点は二つあり、一つは先ほどにも指摘したように「旧陸軍幹部」を主犯扱いしており、旧海軍は含まれていないということです。これはそのまま「海軍善玉論」、即ち海軍幹部らは日本は米国との戦争に勝てないことを理解していたが、政権を乗っ取った悪い陸軍に押し通されて負けるとわかっていながら戦わさせられたという風な具合で、海軍には戦争責任はないという見方です。ついでに書くと、この海軍善玉論を大きく発展させた人物の一人として、戦時中の陸軍のしごきを相当恨んでいた司馬遼太郎が含まれます。
 この海軍善玉論ですが、異論はあるでしょうが、やはり半藤・保坂史観の主張する通りに米国が意図的に流布された概念であると私も考えています。理由は極東国際軍事裁判で起訴されたA級戦犯のメンツで、東条英機をはじめとする陸軍関係者が中心となっています。

 また半藤一利氏が主張するように、海軍も要所要所で戦争に向かう動きを実際に後押ししており、また本気になれば開戦を拒否できる立場にあったものの、「陸軍さんがやりたいっていうなら」という感じで、あっさり陸軍の要求を飲んだりして、陸軍内の非戦派を落胆させています。海軍善玉論は非常に長く信じられてきた概念ですが、やはり2000年代中盤当たりに半藤氏らの主張が広まるにつれてその影響力は弱められ、現代においては恐らく専門家の間でこの概念を支持する人はほとんどいなくなっているように見えます。

 次に米軍によって流布された「誤った歴史認識」として半藤・保坂史観が指摘している点は、「国民は巻き込まれただけ」という概念です。この点についても半藤氏ははっきり否定しており、当時の日本国民自身が中国や米国との開戦を望んでいて、むしろ日本政府や陸軍はそうした国民の声を受けて開戦を実行に移した所があると厳しく論じています。
 この根拠として日中戦争開戦直後、朝日新聞が「戦乱を広げるべきじゃない。すぐ和睦すべき」といった社説を書いたら、一瞬で部数が急減し、慌てて論調を180度展開したというエピソードがよく紹介されています。実際にというか当時の人々の日記などを見ると戦争に対して非常に肯定的で、むしろ政府や軍は生ぬるいという、生意気な米国は懲らしめねばならない的な意見ばかり見られます。

 こうした点を踏まえ半藤・保坂史観では、戦争責任については日本国民自身も深く反省すべきところがあるものの、米国の情報操作によってそれら責任は旧陸軍幹部に集約されてしまったとしています。これにより米国としては、そうした扇動者から日本を解放しに来たという大義名分が得られるわけで、自虐史観が実際に定着したことを考えると作戦成功であったと言えるでしょう。

 こうした戦後思想に対する米国の情報統制は、ネオ皇国史観でも指摘した上で批判を行っています。ただネオ皇国史観では実際にどのように米国が日本を「骨抜きにした」という根拠や理屈、背景を示すことができておらず、若干観念臭い主張になっていたように見えます。
 一体何故そうなったのかというと、米国による情報操作をきちんと検証したら彼らの「米国に追い詰められてやむなく開戦に至った」という主張が崩れるからでしょう。だから具体的にどんな風に日本の世論を誘導したのかには触れず、観念的にともかく「骨抜き」にしたとしか言えなかったのだとみています。

 なお米軍によってある意味スケープゴートにされたのは東条英機一味ですが、東條自身に対しては前回にも書いたように半藤・保坂史観では激しく批判しており、「無責任の極み」と切っています。それどころか「やはり米軍の力を借りるのではない、日本人自身が彼を権力濫用で処分すべきだった」、「戦前の国内法でも東條は十分処刑できる」とまで言っています。
 ただ先ほどにも書いた通り、東條一味がスケープゴートにされた点についてははっきりと間違いだったとしたうえで、東条英機と仲が悪かったために米国側から起訴されなかったものの、日本を本当の意味で誤った戦争へ導くことになった戦犯として、石原莞爾に対しては否定的にも捉えています。実際に私も二次大戦において日本に戦犯がいるとしたら、石原以上の人間はいないと考えています。

2020年11月25日水曜日

日本の歴史観~その7、半藤・保坂史観 前編

 前回の更新からまた大分時間が経っての要約の連載再開ですが、ようやく取り上げる歴史観としては最後の物にまできました。今回紹介する歴史観は果たして世間に定着しているのかと言えばちょっと疑問符がつくところではあるものの、少なくともぽつぽつと見始めた15年位前と比べるとこの歴史観に沿った見方は現在の方が広まっているように感じることと、最低限、私というフォロワーがいるということから歴史観設定して紹介します。
 名称については保坂正康氏自身は「自省史観」と呼んでいますが、この歴史観は半藤一利氏と保坂正康氏が座長を務める主に文芸春秋などでの座談会がベースというかルーツになっていることを考え、またこの二人が実に相性のいいゴールデンコンビであることを考慮して、勝手に「半藤・保坂史観」と名付けることにしました。この名称を使うのは恐らく私が最初(そして最後?)でしょう。

 ではこの半藤・保坂史観ですが、基本的には二次大戦に対する見解で、その具体的な特徴を挙げていくと下記の通りとなります。

1、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈
2、一方で末端の将兵や現場指揮官には非常に同情的
3、昭和天皇にも同情的ではあるが一定の責任があると指摘
4、戦争責任について当時の国民も大きいと指摘
5、日中戦争時代からきちんと追いかける
6、海軍善玉論を否定
7、方向性は異なるが、戦後思想は米国の扇動によるものとするのはネオ皇国史観と共通

 まずこの歴史観が出てくるようになった背景と経緯からまとめていくと、90年代末期から冷戦崩壊と中国や韓国の台頭に伴い前回までで取り上げたネオ皇国史観が新しい教科書をつくる会を中心に盛り上がっていきました。しかしこの2000年を過ぎたあたりからつくる会の内部分裂、テロとの戦いに伴う反米感情の低下などを受けネオ皇国史観は勢いをなくし、主流となる歴史観が今ひとつないエアスポット的なタイミングで半藤氏と保坂氏による他のゲストを招いた歴史対談が行われるようになり、徐々にこの半藤・保坂史観が勢いを強めていったように思います。

 ではこの史観が他の自虐史観とネオ皇国史観とどう違うのかというと、まず第一に挙げられるのは上に上げた1番目の、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈という点です。自虐史観でも日本の旧軍部は国民を先導しておろかにも破滅に至る戦争へと引っ張っていったと評していましたが、この半藤・保坂史観では「何も考えず、無責任に流されるまま無謀な戦争に踏み切った」と言い切っています。
 この意見の出どころというか半藤氏の主張で凄いのは、実際に当時の政策意思決定者であったA級戦犯たちに巣鴨プリズンで直接話を聞いている点です。それら取材結果と当時の会議記録などを詳細に分析した結果、「なんとなく戦争しなきゃいけない雰囲気だった」というノリで日米開戦が決定されたと結論付けています。

 その上で、こうした雰囲気は軍部以上に当時の国民自身が日米開戦を望む空気があり、それに引きずられた要素が大きいとも指摘しています。この辺は次の回で詳しく書くことにします。

 とにもかくにも旧軍幹部らに対する批判はこの半藤・保坂史観は厳しく、先にも書いている通り自虐史観以上じゃないかと思います。中でも辻正信に対する批判は、ノモンハン戦での行動を始め全力で以って批判しているくらい激しいものです。
 ただそうした軍幹部に振り回された現場の将兵に対しては非常に同情的で、その敢闘ぶりには激賞してやまないです。陸軍の栗林忠道や宮崎繁三郎などがその代表で、また末端の兵士らに対してもノモンハン戦などで非常に奮戦していることを取り上げています。

 なおネオ皇国史観を支持していた人には末端の現場将兵の遺族らも含まれており、彼ら遺族が自虐史観で旧軍全体を批判されていたことに反発して盛り上がったという面もあったように見えます。ただそうした末端の将兵を実質的に無為無策によって死に追いやった旧軍幹部らについても、ネオ皇国史観のオピニオンリーダーらはやたら持ち上げようと躍起であって、この点で一部遺族らと思想や方向性が異なって分裂に至ったところもある気がします。
 私自身は半藤・保坂史観の支持者ということもあって末端将兵とその遺族らに関しては強い同情感を感じますが、東条英機らは擁護のしようがないとも考えており、私自身がこうした点で違和感を感じてネオ皇国史観を支持しなく経緯があります。

 話を戻すと、半藤・保坂史観でネオ皇国史観と大きく異なる点は地味に日中戦争の下りじゃないかと思います。この日中戦争に関してははっきり言って侵略以外の何物でもないのですが、ネオ皇国史観だと「南京大虐殺はなかった」という主張が強く、実質的にこの一点でしか議論しない節があります。
 一方で半藤・保坂史観では日中戦争の途中経過、というよりその前の満州事変の策謀のあたりから追いかけ、また日中戦の途中の和睦交渉がどうして破談に至ったのかなどをよく取り上げています。私自身、「トラウトマン交渉」は名前こそ知っていたものの中身は全く知らず、文芸春秋の対談とかでこのような交渉がありながら日本は戦争を継続したことなどを初めて知りました。

 逆を言えば、こうした「日米開戦以前」がネオ皇国史観には致命的に欠けている気がします。日米開戦のルビコンとしてよくハル・ノートが挙げられますが、実際に歴史を追うと、ハル・ノートに至るまでの過程の方がむしろ重要な気がします。そこら辺をネオ皇国史観では「反米主義」という立場から追うに追えず、曖昧に省略的にしか紹介できなかったのでしょう。

 そういうわけで、残りの特徴についてはまた次回に。

2020年11月23日月曜日

シーラカンス記事の裏側

中国人から見ると日本は時間が止まっているらしい(JBpress)

 隔週月曜のヤンマガ的な自分の記事の紹介ですが、今回は意外この上ありませんでした。そんなに取材したわけでもなく、思い入れもない記事だったのですが、現在JBpressのランキングでは暫定1位、あとヤフコメも割とたくさんコメントが集まり、傍目にもたくさんの方に読まれたようです。
 個人的には一番ビビったのは、同じJBpressで記事を書かれている中島恵氏がオーサーコメントを残してくれていることです。オーサーコメント自体つくのは初めてですし、中国の視点からしか語らない自分と違い、アジア全体を見ながらよく記事書いている中島氏はかねてから一目置いていただけに光栄ではあるものの、いきなりの登場にはマジビビります(;´・ω・)

 さてこの記事、先にも書いているようにそんな力入れて書いた記事じゃないです。そもそも書くきっかけになった経緯からしてかなり不純で、「最近忙しいし(主にゲームで)、T-34の組立も控えているからすぐかけるネタで記事書きたいな(´・ω・)」などと考えていたところ、イタリアの火山灰に埋もれた都市のポンペイに関する最新研究記事を見掛け、

「そうだ、日本人はやたら『ガラパゴス化』って言葉が好きだけど、日本の停滞と絡めて『ポンペイ化』って言葉作ったら流行るかも(・∀・)イイジャン」

 と、思ったのがすべてのきっかけでした。全ては「ポンペイ化」って言葉を流行らせたい文芸者としての欲から始まった記事です。
 そういうわけで書き始めたのですが、当初はともかく日本が何も変化がない、停滞していると感じる内容を羅列していって、ベンチャー企業の不足も書いていたけどそんな大きく取り扱っていませんでした。しかし第一稿を見てみると、あまりにもまとまりのない内容だし、そもそも友人に企画構想を話したら「ポンペイって何(。´・ω・)?」と、そもそもポンペイが何なのか知らない人が意外に多く、このままじゃやべぇと思って一回全部書き直しています。

 第二稿では配信記事のように、「日本は何十年も変化がない→停滞している→それはベンチャー企業が少ないからだよ(・∀・)」という流れにして、あと「ポンペイ化」の代わりにもっとわかりやすい「シーラカンス化」という言葉に差し替えました。
 真面目な話、「ガラパゴス化」という言葉はなんかここ数年ほとんど聞かなくなった気がするし、また「ガラパゴス」時代は独自規格とはいえイノベーションが見られました。ここ数年は全くそういう独自規格の発達すらなくなり、そういう意味で過去と区別する上では今回私が作った「シーラカンス化」などのような言葉が今後必要になると思います。

 話を戻すと、そんな具合でとりあえず記事にまとめたけどどうせ受けないだろうなと思いつつ、読者からどんな反応が来るかは楽しみでした。というのも私がJBpressで書く記事は基本、中国現地レポート的なミクロな内容の記事が多いのに対し、今回は割と幅広いマクロな内容で、尚且つデータ的な裏付けも少ない薄い内容になっています。
 というのも最近、コロナのせいで日系企業が絡む中国ビジネスの話が少なくなっており、ミクロなネタが書きづらくなっています。このままいくとネタ的にジリ貧(ジリープアー)なので、マクロな内容を見せたらどんな反応が返ってくるか、その反応を見て今後の記事ネタの範囲とか対象を決めようと試す意味合いがありました。とはいえ書き上げた際は裏付けデータのあまりのなさに自分でも結構怖く、果たしてこんな記事でいいのかなという不安の方が大きかったです。

 結果的には、やはりというかこういう薄くさらっと読めるような内容の方が単純にアクセス稼ぐだけではよかったのかもしれません。とはいえ書いててやりがいあるのはやはり裏付けのある記事なので、ミクロな記事も今後書いていくつもりですが。

 同じく読者の反応ことヤフコメを見ると、私に対し批判する人もいるものの、全体としては肯定的なコメントが多く、なんか昔と反応違うなとか思えてきます。批判する人に関しては、なんかやたらとQRコード決済ばかりを取り上げて批判する人が多く、でもってその論点も結構ずれているのが個人的に不思議でした。
 一方、私が流行らせたかった「シーラカンス化」に言及している人は二人くらいしかおらず、私の中ではこの二人の存在がMVPです(´;ω;`)ウッ…

 逆にコメントを見てなるほどと感じたのは、「ゾンビ企業の淘汰というが、その対象は中小企業なのか?」という疑問符を付ける内容のコメントでした。その後で具体的な企業名とともに大企業なゾンビ企業こそが問題と書いてありましたがその通りと言わざるを得ず、中小ゾンビ企業以上に日本の場合は超大型ゾンビ企業の禍根の方が大きいと私も考えなおしました。

 解説する内容としてはざっとこんなもんでしょうが、敢えてもう一点付け加えるとしたらコメントを読んでて、「日本の変化のなさに対する驚き」について、やはり相当ギャップがあると感じました。はっきり言うと私が感じている驚きの程度は恐らく、私のように日常的に日本と海外を往復している人じゃないと理解できないでしょう。
 具体的に言うと、恐らく大半の日本在住者は芸能人が突然結婚、離婚、自殺したというニュースを見た時の驚きくらいのレベルと考えているように見えます。一方、私個人の感覚で述べると、10年前に会ったある子供が10年後も全く同じ姿形のままであるのを見たような驚きを、日本に帰るたびに感じています。

 こうした変化のなさをはっきり認識したのは2013年のことでしたが、それから7年経っても全く変化がなく、先ほどの子供の例えじゃないですが変化して当然なものが変化しない不気味さをよく感じており、今回の記事の反応を見るにつけ、程度の差こそあれ日本在住者もうすうす認識しているのだなという印象を覚えました。

2020年11月22日日曜日

これが、T-34だ(^o^)/


 前略、これが旧ソ連の二次大戦期における代表的戦車であり、傾斜走行や履帯幅を始め、ある意味現代の戦車のあるべき形を確立させた傑作であるT-34(76型)です。定期預金の利息が入ってウキウキ状態のまま、プラモ屋でキットを購入して昨日組み立てました。

正面図

側面図

後ろ姿

斜め後ろ姿

やや上方からの俯瞰図

砲塔はここまで回転

下からの見上げ、もう少しうまく撮影できたはず

 さてこれまで航空機と車のプラモは散々作ってブログにもアップロードしてきましたが、戦車を作るのはこれが初めてです。いったいなんでいきなり戦車、それもT-34を作ったのかというと、まず元々T-34については関心があり、もし戦車でプラモ作るなら絶対にこれという風に考えていました。
 一体何故T-34にそんな執着していたのかというと、詳しくはWikipediaなどの解説記事を読んでもらいたいのですが、独ソ戦初期において実質的にドイツ軍を圧倒し、中期から後期にかけてはパンターやティーガーといった性能で上回るドイツ戦車が登場するも、その圧倒的な生産力の高さを生かし、ソ連の勝利に大きく貢献したというエピソードがあるからです。

 車でもそうですが、一品物でどれだけ凄いものを作るかより、量産体制でどれだけ質や性能を保てるのかという技術の方が私個人としては重視しています。前述のドイツのティーガーなんかはまさに前者で、性能と破壊力に関しては図抜けていたものの、生産性と稼働率は著しく低く、戦場で出くわせば相手に恐怖させることができたものの、戦局を覆すほどに数は揃えられず(ついでに故障率も高かった)、こと戦車戦に関しては「必要な性能と物量」においてこのT-34が大きく勝っていました。そうした背景と、ある意味スタンダードな中型戦車として、構造を把握する上で作るならこれだと前から考えていました。

 上記のその戦車としての歴史のほかにもう一つ、うちの親父が絡んだエピソードがあります。うちの親父は自分が子供の頃から「戦車大好き(∩´∀`)∩」と言っていて、実際にティーガーの話とか振るとめちゃくちゃしゃべったりするのですが、長年話を聞いているうちにふと、「なんかアメリカの戦車(アメ車)の話とか出てこねぇな」と気が付きました。ついでによく考えるとドイツ以外の戦車については全く触れられず、子供の頃にたくさん戦車のプラモを作っていたというがもしかしてと思って聞いてみたところ、

「ところで親父、T-34のプラモは作ったことあんのか(。´・ω・)?」
「いや、実はない(;´・ω・)」

 というように戦車が好きというより、ただ単にドイツが好きなだけでした。自分の感覚で言うと、戦車好きと言いながらT-34をスルーするってあり得ず、この時点でソ連人民の敵認定をしました。
 そんな感じで親父はあんまT-34詳しくないってわかったので、なら自分が研究がてら作ってみようという風に考えたのも、このキットを手に取った理由です。

 組立作業について語ると、このキット自体はもともとモーターを内蔵して自走するキットを少し直して売られたもので(タミヤ製)、中身は電池を入れるスペースが残されるなど割とすっからかんで、シャシーや車体上部も大半が成形済みのパーツで構成されており、非常に組み立てやすく簡単でした。飛行機や車と比べるとその難易度は遥かに低く、今回戦車は初めてなのでじっくり4時間くらいかけて組み立てましたが、その気になれば2時間でも組み立てられたでしょう。小学生の中~高学年くらいなんかにお勧めしたいキットです。

 またやはり戦車は人気のあるキットだからか、各パーツの見栄えなどが非常によくできています。車体もざらついた表面になっており、また色も塗装なしでも十分なくらいいい味出してて、組み立てた後のインテリアとして置いても戦車だからほこりがついても見栄えを損なうことはないでしょう。
 ちなみに前作ったインプレッサも結構ほこり被ってきましたが、元々がWRC車なだけに、ほこりが乗っかって少し汚れたように見える方がかえってかっこよくなっています。他の車とはこの点が違いました。


 作り上げたところで今回少し問題となったのは、「どこに置くか」でした。
 すでに家のあちこち、それこそ靴箱の中や洗面所にすら戦闘機のプラモ置いており、これ以上置き場所がないくらいスペースに困っており、作る前からその対策に頭を悩ませていました。ただ人間追い詰められると考えるもので、


 メインの冷蔵庫上のスペースに、ダイソーで買った折り畳みの台座を置くことで、戦闘機をさらに置くことに成功しました。これによって戦車を置くスペースも確保できたので、しばらくは冷蔵庫上に置いたままいろいろ眺めてみようかと思います。

2020年11月21日土曜日

小学生の時に受けた絶望体験

 先日に書いた「夏の夕暮れ」という記事は久々にまじめな話題で書いたなと自分でも思いにふけっていたらふとそこで書いた、戦う理由や目的を失ってしまう、男とにとっては絶望的な体験を自分は小学生の頃に何度も体験していたことに気が付きました。

 私が小学生に入った辺りはちょうど、ファミコンからスーパーファミコンへと切り替わる時期でした。ただ切り替わると言ってもしばらくはファミコンソフトも並立して発売が続けられており、こちらで遊ぶ時間も少なくありませんでした。
 私自身もご多分に漏れずファミコンでよく遊んでいたのですが、この時、子供心にもとてつもなく残酷な出来事が何度も起きていました。

 デロデロデロデロデロデロデロデロデーレーッレン♪

 この擬音だけでわかる人なら察しが付くでしょうが、当時のファミコンソフトのバックアップ機能はとてつもなく貧弱で、本当にちょっとした衝撃とかそういうので簡単にセーブデータが度々吹っ飛びました。kの時の絶望感と言ったら本当に半端なく、十数時間かけて進めたデータとかが一瞬で無に帰し、恐らく賽の河原とかきっとあんな感じなのでしょう。
 前述の通り先の「夏の夕暮れ」の中で私は、男にとって闘争は非常に重要だけど、重要なだけにその戦う理由や目的を失ったり、戦ってきた存在に裏切られたら半端ないダメージを受けると書きました。ある意味、ドラクエとかFFなどのRPGゲームを遊ぶことは一種の「戦い」であり、その戦いの成果や軌跡が一瞬にしてなくなるような上記のデータ喪失は、まさにこの男にとって最も致命的な一打に当たるのかもしれないと、何故かスーパーで買い物している時に気が付きました。

 ガチな話、絶望感のレベルで言ったら社会人になってからのあらゆる体験とかとよりも、この時のデータ喪失の時の方がずっと大きかった気がします。スーパーファミコンになってからこの手のバックアップデータは大分よくなり消えづらくなって、プレステになってからは消えることなんてほぼあり得なくなり(サターンは論外)、ある意味昔だからこそ体験できた絶望体験と呼べるかもしれません。

 昔なんかの掲示板で「バイオハザードは暴力的描写で暴力を誘発する」、「桃鉄は金稼ぎしか考えなくなる」などと様々なゲームの子供への悪影響を羅列して最後に、「スペランカーは主人公がよく死んで何度もチャレンジしなければならないから忍耐力が付く」というオチをつける小話がありました。今になって思うとこの小話はある意味間違っていなかったというか、私自身、あのファミコン時代に何度も味わった絶望体験を経て現在における強靭な精神力を身に着けたのではないかと思う節があります。
 というのもつい先日も、Wordできちんとセーブしておらず作業途中のPCの不具合で途中原稿を吹っ飛ばした同僚がいたのですが、「最近の若い奴はこまめにセーブ取らない。俺たちファミコン世代はなぁ……」などと、自分でもよくわからない説教をかましたことがありました。まぁそれを言ったら自分より前の「ぱすわーどがちがいます」世代なんかはもっと深い含蓄があるのかもしれませんが。

 その上で結論を述べると、理不尽なゲームはゲームとしての価値は下げるけれども、人生の困難に対する心構えを鍛える上ではプラスなのかもしれません。ダークソウルとかやったことないけど、ああいう死にゲーやってる人はやっぱり忍耐強いのかなぁ(´-ω-`)

2020年11月19日木曜日

夏の夕暮れ

 好きな日本語ときたら昔は「ノーパンしゃぶしゃぶ」で、なんですき焼きとか焼鳥じゃなくしゃぶしゃぶなのかっていう点と発音時の音から気に入っていましたが、最近は見出しに掲げた「夏の夕暮れ」がなんか好きな日本語になりつつあります。

 そんな「夏の夕暮れ」ですが、そのまんまサマーシーズンの夕焼け小焼けにまた明日っていう意味ではないです。知っている人には早いですが、これは「R-typeファイナル」というシューティングゲームのエンディングタイトルの一つです。このゲームはマルチエンド方式となっているのですが三つあるエンディングの一つが「夏の夕暮れ」というタイトルで、その名の通り夕暮れ時を思わせる背景が夕焼けがかったステージで戦うこととなります。

 問題なのはそのステージと戦う相手です。というのもそのステージ、主人公機が第1ステージで飛び立った宇宙コロニーの中だったりします。そして向かってくる敵機というのも、主人公と同じ次元戦闘機ことR-typeシリーズの機体だったりします。
 一体これは何故かというと、このゲームの敵役である「バイド」というのは有機か無機かに係らず様々な物体に寄生して乗っ取り、人間などを攻撃してくる生物なのですが、この「夏の夕暮れ」のステージではあろうことか主人公機をバイドがパイロットごと乗っ取ったという状態であり、バイドと化した主人公機を味方であった仲間たちが迎撃に来るという内容になっています。

 なお主人公自身は自分がバイドに乗っ取られたことを理解しておらず、任務を終えて故郷へ帰ってきたものの何故か仲間たちから攻撃を加えられ、若干判断がおかしくなっていることもあって、襲ってくる仲間たちもこの際撃墜しようという心境になっているとのことです。また画面が夕焼けっぽく見えるのは、主人公がバイド化して、視野がおかしくなった結果紅く見えているだけで、実際は太陽の位置から夕暮れ時ではないことがわかるようになっています。
 そんな絶望感たっぷりのステージ冒頭で語られるのがテープレコーダーに残されたという主人公の独白で、「夏の夕暮れ やさしく迎えてくれるのは 海鳥達だけなのか?」というセリフです。そのストーリーのえぐさといい、非常にきれいな言葉であると自分は思います。

 上記のストーリー背景とその言葉の重みだけでも十分「夏の夕暮れ」は好きになる言葉なのですが、それ以上に自分の関心として重いのは、闘争理由の喪失ともいうべき心境がこのところいろいろ思いふけることが多いためです。

 この「R-typeファイナル」のようなエンディングのゲームとしては他にも「アスピック」というゲームがあります。このゲームでは姫をさらった悪魔の蛇ことアスピックを主人公が仲間とともにやっつけに行くゲームですが、アスピックを無事に打ち倒すや何故か一緒に戦ってきた仲間が離反した上、お城の王様にも「貴様は呪われている!」などと言われ追い返されます。そしたら何故か今まで敵だったスケルトンなどのモンスターが仲間になり、腹いせとばかりにお城に攻め込んで王様を打ち倒したりできます。っていうか、ラスボスは王様。
 無事王様を打ち倒すとエンディングに入るのですが、ここで主人公の姿はかつて倒したはずのアスピックへと変貌し、アスピックはその倒した者に乗り移り、永遠に戦いを続ける存在であることがカミングアウトされます。つまり王様の言っていることは正しく、リアルに主人公はアスピックに乗っ取られていたというわけで、先ほどの「夏の夕暮れ」エンドになるってわけです。

 このほかだと有名どころで「ライブアライブ」の「あの世で俺に詫び続けろ、オルステッド!」エンドもこの類ですが、上記三つのエンディングはやはりネットで見ている限りだと今でも語られることが多く、実際に遊んだプレイヤーの心に深く刻み込む内容であったようです。三つに共通する点としては、「これまで戦う理由や目的だった仲間たちに裏切られて(本人視点で)戦う羽目になる」という流れで、この要素は恐らく普遍的に心に刻み込ませる要素になっているのだと思います。

 実際にというか私自身、この要素は人間、というよりは男にとっては本当に致命的な一打になりうるのではないかとこの頃思うようになりました。この年になってみて改めて感じることとして、やはり男にとっては闘争というのはその生存において大きな幅を占める重要な要素であり、大なり小なり形はいろいろあれど、皆それぞれがそれぞれの闘争の形というものを持っている気がします。そしてこの闘争というものが人生における大きなモチベーションとなっていて、闘争を失うということは男にとって内臓を失うに近い衝撃であるという風に最近考えています。

 そういう意味で上記の三つのゲームの主人公はいずれも強大な敵という大きな闘争を抱えていたものの、無事その闘争に勝利したかと思いきや、その勝利の意味が全て無に帰すかのように味方達に裏切られる結末を迎えています。こうしたそれまでの闘争理由が喪失してしまう状態はある意味、闘争に敗北するよりも男にとってはダメージがでかいというか、本当に生存理由すら失わせかねない事態じゃないかという風に思います。そして現実にそういう立場であったのが、戦後における日本の元兵士たちだったと思え、その喪失感はとても語れるようなものではなかったのではないかという気がします。
 まぁ水木しげるのように、「これで生きて帰れるぞ」と単純に喜ぶ人も少なからずいたでしょうが。

 まとめに持って行くと、やはり男はいくつになっても何かしら闘争の構造を自分の中に持っていたほうがいいのではと個人的に思います。誰彼構わずケンカ売れというつもりはなく、自分に課した目標なりタスクなりを以って、戦っていると感じるような環境を何かしら作るのは精神衛生上プラスじゃないかっていうことです。
 その上で、途中で闘争理由を失うような事態については何よりも回避すべきだと言いたいです。そういう意味では最初の闘争設定の際に設定ミスる(自己満足的な闘争を設定して途中で周りから反発食らうとか)とかなり打撃がでかいので、その辺を気をつけて設定した方がいいかもしれません。「誰かのために」とかいう闘争なんて、まさに地雷原です。

 ちなみに自分は前の会社で本来会社が支払うべき就労ビザ切替え代を自分に自己負担させた元上司を勝手に敵設定して、いつか襲撃加えてやると時たま思い出してはモチベーション高めています。あの時下手に抵抗してビザ切替え渋られたりしたら決まっている会社への転職ができなくなるという弱味があったから我慢したけど、マジあの野郎今でも許せねぇ(´・ω・`)

2020年11月18日水曜日

これが岩の剣だ

マンションに複数の銃弾か、千葉 「パンパンと音が」、けが人なし(共同通信)

 上のニュース見て、「発砲事件なんて松戸じゃ日常茶飯事だぜ、ヒャッハー」とか思っていたら、


 リアルに日常な出来事だったことを知り、ちょっとビビりました(;゚Д゚)

 それで本題ですが、昨夜変な夢を見ました。割と長い一連ものの夢だったのですが、自称魔法使いという太ったおっさん(白人)に、「これが岩の剣だ」といって変に売り込みをかけられるという内容でした。「メンテナンスはどうするの?」と尋ねたら、「メンテの魔法が必要だ」と即答され、半端なく詐欺臭い会話を夢の中で見させられました。
 しかもそのおっさんの奥さんも魔法使いですが、なんかの懲罰で勤務時間中は空調の前にずっと立たされることになり、長い髪が送風で揺れて鬱陶しそうでした。

 昨日から今日にかけて上海は晩夏並みに気温と湿度が上がり、昼間はリアルに蒸し暑いほどでした。気温が上がってだるいと感じる分、夜の冷え込みが弱まったことから昨夜は寝る前に非常に眠たく、恐らく変に眠れたせいで先ほどの変な夢も見たのでしょう。一昨日もなんかすごい長い夢を見て、こちらはまともな内容というかスリラー系のドキドキするような内容でしたが、昨日の夢のインパクトが強すぎて忘れてしまいました。

2020年11月17日火曜日

流行抑制という勘違い

 ゲームについて書こうかと思ったけどカレーうどん食べて眠いので真面目にコロナについて書きます。

 さて全国で感染者数の増加、過去最高更新が続いていますが、先月くらいまでは「流行拡大は着実に抑えられてきている」、「病床数のひっ迫は解消されつつある」というやや楽観視した見方が広がっていました。はっきり言うと、「馬鹿だなこいつら」という気はしていました。
 なんで流行拡大が減ってきていたのかというと単純に季節要因で、夏でもコロナは感染しますが、それでも冬の冷たく乾燥した空気に比べればその感染力は大幅に弱められていたと自分は考えています。まぁ気温はともかく湿度は、東南アジアでも流行し続けているからあまり関係ないかもしれませんが。逆を言えば日本の感染予防策では封じ込めるまでには力が及ばず、季節要因で感染が抑えられていたのを、コロナ対策が功を奏していると勘違いしているなという感がありました。

 折しもGOTOキャンペーン(なんで日本語使わないんだろう)で人の移動が激しくなっていた分、夏真っ盛りの頃と比べると大分拡散したのではないかと見ています。政府はGOTOキャンペーンの反響の良さから今後も継続する方針を示していますが、私自身はやはり12月以降の適用は見送るべきだと考えます。さらに一部で健闘されているように、年末年始休暇を眺めに、できれば二週間くらいとるべきだとも思います。
 そして今後冬が深まるにつれ、感染者数はまたウナギ昇りしていくことでしょう。なんでもってそういう真冬用のオプション用意してないのかがよくわからないですが。

2020年11月16日月曜日

日本の歴史観~その6、ネオ皇国史観 後編

 前回に引き続き、ネオ皇国史観について書いてきます。前回でも書いた通り、いわゆる「新しい教科書をつくる会」メンバーを中心に提唱されたこのネオ皇国史観ですが、内容は基本的に戦前の皇国史観を名乗ったもので、「天皇(特に昭和天皇)は偉大、太平洋戦争は聖戦」というスタンスが取られています。実物確認したわけじゃないけど、つくる会の教科書では昭和天皇の説明だけに何ページも割いているとされ、好みの箇所だけ極端に膨れ上がるラノベみたいな編集と聞きます。

 そんなネオ皇国史観ですが、時期にして2000年前後はそれなりの支持と勢力を持ちました。しかしそれは一過性でしかなく、現代においては「つくる会」という単語自体出てくることがほぼなく、私自身もノスタルジーに浸りながら今これを書いています。
 では一体何故つくる会、もといネオ皇国史観は一時勃興してその後廃れたのか。まず勃興の理由ですが、結論から言うと国際環境の変化、具体的には冷戦終結が大きいと私は考えています。以下列記すると、

・昭和天皇崩御に伴う昭和史議論の解禁
・冷戦構造崩壊に伴う保守勢力内における反米意識の顕在化
・中国や韓国の台頭に伴う日本批判の顕在化

 まず一番重要な大前提として、日本の政治勢力はよく保守と革新(右翼と左翼)で区別されることが多いですが、実際には親米と反米の方が論点としては重要です。そして昭和時代においては保守派にも革新派にも親米勢力と反米勢力が混在しており、冷戦構造の崩壊と55年体制の周陵によって、頼子の軸がはっきりしてきたと思います。
 それで話を戻すと、保守派における反米勢力は冷戦期はまだそこまで目立つ存在ではなかったものの、平成初期の沖縄米軍基地問題、貿易摩擦の過熱から日本全国で反米意識が高まっていくのに伴い、保守反米勢力が勢いを増してきたと思います。元々、保守反米勢力は太平洋戦争については「アメリカが悪い」という価値観が強かっただけに、時代の追い風を受けて、冷戦期はやや制限のあった米国批判が大っぴらにできるようになって、ネオ皇国史観が浸透していったのだと思います。

 また三番目に上げた中韓の国際社会における台頭も、ネオ皇国史観を後押しする一手になったことは間違いないでしょう。それまでは国際社会においてそれほど発言力がなかったことから、戦前の日本批判をしても日本人には多分それほど耳に届いていなかったのだと思います。
 折しも従軍慰安婦問題も発生し、はっきり言ってこの件の検証が余りに歪(初出の本が完全なインチキ本)であったことから戦時中の歴史認識問題が俄かにクローズアップされ、「何でもかんでも日本が謝る立場になるのはおかしい」という具合で自虐史観に対する反発が広がったことも、つくる会の発足に大きく関わっています。
 総じて言えば、米国、韓国、中国に対する反発意識の広がりが、ネオ皇国史観の勃興を促したと言えるでしょう。

 なお個人的な意見を述べると、やはり実際に戦争を体験していない自分のような世代からすると、なんでいつまでも昔のことで「謝れ」、「日本は反省が足りない」などと中国や韓国に言われ続けなければならないのか、この点については納得できない感情がやはりあります。逆を言えば、実際に戦争に係り、中国や韓国に対する悔悟を感じていた戦前・戦中派世代が平成期に寿命によって減っていったことも、ネオ皇国史観勃興の要因の一つだったといえるでしょう。

 ではそうして日本国内で広がったネオ皇国史観がその後すぼんだのは何故か。はっきり言えば中心であったつくる会の分裂という自爆が大きいのですが、それ以外だと反米意識が低下したということが影響として大きい気がします。
 まず前者ですが、先ほどにも述べた通り日本は保守と革新のほかに親米と反米という議論軸が存在します。作る会は保守派の論客が中心に出来ましたが、この保守派には親米と反米の立場にある人物が混ざっており、当初でこそ従軍慰安婦問題などの観点から団結したものの、時とともにこの両思想のメンバー間の対立が激化し、完全に分裂することとなりました。

 その上で、90年代の日本は間違いなく反米意識が強かったですが、911ニューヨークテロ事件以降は「テロとの戦い」という新たな国際軸が生まれ、小泉政権における親米路線の定着も相まって日本の反米意識は一気に縮小したように見えます。また2000年以降から先ほど述べた中国や韓国の台頭、特に中国とは尖閣諸島問題が過熱化したことで、米国との同盟関係の重要性を認識する人が増え、「中国を抑えるためには米国は大事」という具合に親米意識が高まっていったように見えます。
 こんな具合で親米意識が高まる中、「太平洋戦争は聖戦、米国は悪意の塊」とするネオ皇国史観が受け入れられるかと言ったら、そんなわけはないでしょう。

 また従軍慰安婦問題に関しても、保守派勢力のみならず革新派勢力からも疑問視する向きが広がり、実際に近年明らかになってきたように慰安婦団体が元慰安婦女性をダシに私腹を肥やしてきているのが認知され始め、反発する意識が保守派どころか日本全体に広がり、ネオ皇国史観のみの主張ではなくなりアイデンティティーの一つ失ったことも大きいでしょう。っていうか真面目に、旧社会党勢力の人たちも飛び火することを恐れて、従軍慰安婦問題には言及しなくなったな。

 以上のような背景、そしてやはり極端な天皇崇拝などの姿勢から、徐々に支持者も離れていったように思えます。窪塚洋介とか今どうなのか聞いてみたいものです。
 私自身、高校生くらいの頃は従軍慰安婦問題のおかしさからこのネオ皇国史観を一時支持したものの、この問題を作り出した一つである朝日新聞ですら「あの報道には間違いがあった」と認める今の時代において、その他の太平洋戦争を聖戦視するなどの余計な要素の多いネオ皇国史観を律義に支持する理由はありません。恐らくこの辺りも中心提唱者らの分裂を招いたところだと思うのですが、従軍慰安婦問題などの国際情勢によって支持を得ていたことを、自分たちの思想が受け入れられたと勘違いしていた節もある気がします。

 このネオ皇国史観は繰り返し述べているように、その思想内容の中立性とか真偽性が評価されたというよりは、国際情勢の変化に伴う国民感情の変化によって広まったところが多いです。そのため今は廃れてきているものの、また何か国際情勢が変わることによって再び支持を受ける可能性が全くないというわけではないという風に見ています。そういう意味では、歴史観というよりかは外交論に近いのかもしれません。

2020年11月13日金曜日

日本の歴史観~その5、ネオ皇国史観 前編

 また記事更新が開きましたが別に何かトラブルがあったわけじゃなく、今週やたらと人と会食することが多かったのと、残業が多かったせいです。っていうか有休消化しろとかいうけど消化できないほど仕事振るなとか最近マジで思います。

 それで本題ですがようやくこの連載の続きが書けるわけですが、見出しに掲げた「ネオ皇国史観」というのは私の造語です。その内容は何かというと、平成初期から中期にかけて盛り上がったいわゆる「新しい教科書を作る会」のメンバーらが提唱していた歴史観のことを指しています。
 彼ら自身はこの史観のことを新自由主義史観と読んではいますが、そもそもこの名称は社会主義支持者らに支持されていた自虐史観に対抗し、真逆の概念というような安直な理由でつけられたもので、その思想根拠についても本人らが「自由主義的特徴はない」と語っており、誤解を招く名称だと思え私は嫌いです。

 ではどんな名称がいいのかいくつか考えてはおり、これまた安直に「つくる会史観」でもいいと思いましたが、巷で言われているように「新皇国史観」というのが実態を表した名称だと感じました。ただ、新しいかと言ったら後述しますがその内容はかつての皇国史観をそのままなぞっている部分が非常に多いだけに、新しいというよりゾンビの様に甦った感が強いことから、「ネオ」を付けて「ネオ皇国史観」という風に呼ぶことにしました。別に「皇国史観リターンズ」でもいいと思いますが。

 名称が落ち着いたところでその史観内容の話に移りますが、先ほどにも書いた通りにこのネオ皇国史観は実質的に、戦前の皇国史観をそのままなぞり、現代で提唱しなおしたものに過ぎないというのが私の評価です。具体的にその特徴を述べると、

・太平洋戦争は日本の聖戦
・米国が日本を追い詰めたから仕方なく戦争をせざるを得なかった
・日本はアジアを解放しようとしていた
・勘違いして日本に抵抗してきた中国とかは悪、っていうか毛沢東はコミンテルンの手先
・戦後に日本はGHQ(=米国)によってさまざまな妨害を受けて来た

 全然関係ないけどこの前中国人に、「ロシアと中国は急に仲良くなったり、急に仲悪くなる」と考えていることを教えてもらいました。まぁ気持ちはよくわかる(´-ω-`)

 敢えて旧皇国史観との差を述べると、まず極端な南朝贔屓は減っています。その一方、二次大戦に対する評価は旧皇国史観よりもさらに擁護的となり、というよりも二次大戦の解釈を日本にとって肯定的なものするために生まれたような史観だと言えます。旧皇国史観では戦前はリアルタイムで戦後に至っては史観自体が排除されましたが、ネオ皇国史観では戦後に関しても「日本は正しい、米国は悪」という視点に立ってあれこれ理由とか主張の正当性を訴えています。

 こうしたネオ皇国史観の立場はその提唱者や支持者が中心となって編集されたつくる会の教科書にも反映されており、昭和天皇の偉大さに関して長々ページを取ったり、明治以降の近現代(というより昭和前半)は延々と解説する一方、江戸時代以前にはあまり触れず、好き嫌いで解説する時代の比重が極端に異なっているなど、単純に一つの歴史教科書としてみてもあまりいい本ではありませんでした。


 教科書内容については3年前に書いた上の記事にまとめていますが、改めて読むとなかなか自分もいいこと言っているというか、つくる会のメンバー構成について、

「江夏、門田、江本、江川、落合、清原、伊良部、中村紀といった我の強いプロ野球選手一同が全員同じチームに在籍しているような感じだったんじゃないか」

 という風に書いてて、読み返してて楽しいです。

 ただそんなつくる会を中心としたネオ皇国史観ですが、平成中期においては間違いなく一世を風靡した歴史観であったことに間違いありません。一部芸能人も(芸能人だから?)、「今まで間違った歴史を教えられてきたけど、正しい歴史をこれで知った」みたいな発言でネオ皇国史観関連書籍を持て囃したり、前述の通り中国や韓国との俗に言う「教科書問題」という外交問題にまで発展するなど、世論の大きな注目を集め、支持者も一定数は確保していました。
 ただ、上記事実についてはもはや過去形でしか語れません。というのも令和となった現在において当初の提唱者らを除くと、このネオ皇国史観を支持する層が極端に少なくなっているからです。実質的に「かつて存在した史観」になりつつあり、今後復権することはありうるとは思うものの、それにはまた長い時間がかかるだろうし、少なくともスタンダードな歴史観となることはなく、史観の一種に甘んじ続けるという確信が私にはあります。

 では何故ネオ皇国史観はここまで衰退したのか、逆になんで一時期持て囃されたのか。その点についてはまた次回の後編で解説します。

2020年11月9日月曜日

痴漢記事の裏側

痴漢に走る中国の男性は高度経済成長の犠牲者か?(JBpress)

 そういうわけで今日配信したこの記事です。実は当初、コロナ後の中国における消費動向でもまとめようかと考えていたのですが、思ってたよりいいデータや傾向が得られずどうしよっかなーとか考えていたら、何故だか痴漢に行きつきました。

 記事自体は中国でも痴漢に関する報道やデータが数多く出ていた上、日本と比較しやすい内容であったことから非常に書きやすかったです。特に裏テーマとかも設けずに気楽に読めるコラムを意識して書いたつもりなのですが、ヤフコメをみると「経済発展と痴漢は関係ない!」とやたらと主張する人がいてびっくりしました。
 そもそも経済成長とともに痴漢が増えてきた云々は確固たるデータもなく話半分で書いたものだし、後半の独身男性の増加についても数ある理由の一つかもしれないね的な内容なのに、なんかあれこれいろいろ理由つけては「そんなはずない!」と言っている人が多く、なんでこんなマジになってんのと正直感じました。文章自体もそこまで固い文体にはしてないし、とりあえず中国でも痴漢が認知されるくらいに増えてきてるよ的に読んでくれさえすればいいのに。

 一方でこうしたヤフコメの反応見て、何故記事ネタが痴漢に行きついたのかを思い出しました。実はもともとこの記事は、「中国と比べて日本は性的不審者が多い」というテーマで書く予定でした。このテーマで書こうと思っていた理由というのも、そのように話す女性が非常に多いからです。
 具体的には日本に留学などで滞在していた中国人女性と、現在中国に滞在している日本人女性からですが、なんかどの人に聞いても「日本は怪しい人が街中に多すぎる」と示し合わせたかのように話す傾向があります。具体的な怪しい人としては、「無言でじっとこっちを見てくる」、「ちらちらと何度もこっちを伺う」、「何故か後ろを歩いてついてくる」といった変質者で、男の自分にはわかりませんが日中で生活したことのある女性からすると、日本においてはこうした変質者が異常に多いそうです。

 実際というか、女性に対する変質者は私だとわかりかねますが、挙動が怪しかったり視線が定まらない変質者であれば確かに日本にいるとやたら街中で目につくというのは私も感じます。中国でも朝から大声出してる変なおじさんは確かにいるというかやたら多いですが、日本の変質者はなんというか意思があるように見えなかったり、一点だけをジーっと見ていたりなど敢えて例えるとゾンビっぽい特徴があり、そうした人間は確かに中国だと皆無と言っていいくらい見ません。

 ただこうした変質者に関しては比較が難しいのと範囲が広いことから記事には向かないと判断し、代表的変質者として痴漢に絞って書いたのが今回の記事でした。この辺の判断についてはやはり正解だったと思うのですが書きながらに感じていたこととして、なんとなく日本だと「痴漢は存在するのが当たり前」ともいうような、痴漢に対する意識の一般化が進み過ぎているような気がしました。
 記事にも書いた通り中国も段々と痴漢が「そこにいるのが当たり前」的になってきてはいるものの、それでも日本と比べると「異常な犯罪者」という見方が強く、まだ日本ほどには浸透していません。個人的な意見としても、痴漢犯罪の何が楽しいのか私にはわからず、それこそ金に困ってないのに万引きする人のような、性的欲求不満による犯罪というより精神異常による犯罪のように私は見ています。

 話を戻すと先ほどの不審者の件と相まって日本は、前にも似たようなこと書きましたが、かつては異常だった存在が日常視されるほど一般化してきて、異常をもはや異常と感じなくなってきている節があるように見えます。まぁこの辺の議論をすると、何を異常と取るのかでいろいろ議論が盛り上がってくるのですが、先ほどの変質者に関しては日本人女性ですら中国と比較して「変質者が多い」というくらいだとは言えますが。

 最初のヤフコメに話を戻すと、なんとなくそういうような、「痴漢なんてどこにでもいるもんだ」というような前提でコメント書いている人が多く、その点で強い違和感を感じました。異常者はどの時代、どの社会にもある程度いる者だと私は考えていますが、痴漢がこれだけ日本で氾濫している現状について「こんなもんだ」と感じる人間には私はまだなってはいないようです。

  補足
 記事アップロード前に思い出したけど、日本人が異常を異常と感じなくなっていると私が初めて言及したのは、ちょうどこれからの時期というか年末にかけての鉄道での飛び込み自殺の集中でした。確か2009年くらいに書いたような気がしますが、年末になると毎日のようにどっかの路線で飛び込み自殺で遅延が発生するというのに、誰も騒がないしニュースにもならないし、年末に集中するということも全く意識せず電車が遅れることにのみ迷惑そうな顔浮かべるのを見て、「なんかおかしいぞ」と思ってそんな記事書いてました。

2020年11月8日日曜日

米大統領選のバイデン氏当確について

 仕事が平穏化して体が徐々に冬眠モードに入ってきたのかやたらモチベーションが低いのでまた短くまとめるよう米大統領選の結果についてですが、報道されている通りにバイデン氏が勝ったようです。前回の大統領選でも事前予想が全く宛てにならなかったことから今回は初めから各種予想報道は見ていませんでしたが、少なくともこれほどの接戦を予想していたところはなく、今回も各メディアは世論を読みあぐねていた感があります。
 ただ投開票後の結果については、「大接戦もバイデン氏優位?」的な報道が多かったことから、この辺の調査に関しては割とピタリ的中だったと思えます。

 それでこのバイデン氏の大統領就任についてですが、まぁ中国としては期待半分恐怖半分というところでしょう。というのもトランプ大統領はあからさまに中国を目の敵にして貿易制裁などをかけてきましたが、その代わりわかりやすいというか、目立った政治的成果を持たせてあげればバーターの様にちゃんと制裁解除に動こうとするなど、中国にとっては「先が読みやすい大統領」だった気がします。
 それが今回、一部方面で全く何するか読めないバイデン氏に切り替わることから、トランプ氏よりマシになるのか、それとも的に中国も反応に今困っている状態だと思います。実際この辺は就任後の組閣にも左右されることなので現段階であれこれ予想しても詮無きことと私も思います。

 ただ一ヶ国、バイデン氏当選によって明確に打撃を被る国があります。

“トランプ氏ロス” の金正恩氏――自身を「悪党」「暴君」呼ばわりするバイデン氏に戦々恐々

 それは言わずもがなの北朝鮮で、さっそく出された上記記事がその辺の事情を上手くまとめてくれています。やはり北朝鮮にとっては割とホイホイ首脳会談に応じてくれるトランプ大統領の方が交渉などはやりやすかったと思え(北朝鮮は首脳会談以外に外交手段がほとんどないため)、バイデン氏となったらまず首脳会談は今後開かれないとみられるだけに、完全に手を絶たれることになるでしょう。
 折しも今年、日本は一つの台風も上陸なしというすごいメモリアルイヤーだった一方、朝鮮半島には大型の台風が何度も上陸し、元からのコロナ流行と相まって現在の北朝鮮は非常に厳しい状態にあると聞かれます。

 状況的に判断して上記観測はほぼ間違いないとみており、金王朝の命運も意外と早く来るのではないかと考えています。中国側としても北朝鮮に対する関心は年々低くなっており、崩壊後に中国に傀儡政権を作らせてくれるってんなら多分その崩壊に対し何の手も加えないでしょう。韓国が併合するというシナリオも考えられますが、逆にそれは中国以上に米国が反対するかもしれません。

2020年11月6日金曜日

日本に行ったらやりたいのに今できないこと

 今日も会社では平和だったというか仕事量が少なく、同僚とチャットで「会社案内のあの人の写真、昔と今とでイメチェン激しくね(。´・ω・)?」などと雑談に興じる時間すらありました。その際になんか自分の友人の話になって、「大学時代に凄い友人いたけど、けち臭くて冷蔵庫すら持たず、鍋がないからスパゲッティもやかんで茹でてた」などと妙な友人自慢したところ、「その人とは最近会ってないの?」と聞かれました。
 この問いに対して私は、「実は今年あたり連絡を取って会ってみようかなと思ってたけど、そしたらコロナになって日本に渡航できなくなってしまった」と答えました。これは取り繕った答えじゃなくほんとのほんとで、渡航制限によって結構いろんなことをあきらめています。そんなあきらめた内容をピックアップすると以下の通りです。

・自動車免許証の更新
 かなりガチな問題ですが、既に失効して半年くらい経ちます。コロナによる特別措置でいつでも更新可能とはなっていますが、執行した免許証でも日本国内の本人確認に使えるのか、結構この点って重要な気がします。

・PC購入
 スペックは高いけどデザインと端子位置が気に入らないマウスコンピューター製の今のノートPCですが、購入から3年も経つし、この間にCPUの省エネ性能がかなり上がっていると聞くので思い切って今年買い換えようかなとか思っていたらご覧の有様になってしました。去年からSteamでゲームを購入する機会が増えたからゲーミングPCも欲しいな、でもOfficeないとさすがにやだな(ゲーミングPCには何故かOfficeの購入オプションがないのが多い)とか考えたら、コロナ特需でパソコンが売れに売れて、なんか値上がりしてるっぽいのもいろいろ嫌です。
 前にも書いていますがPCは国ごとの規格の差が結構でかいこともあり、なるべくなら日本国内で調達したいといつも考えています。とはいえ、既に自宅には使わなくなって放置したノートPCが二台あり、これの処理とかどうしようかなとも結構悩みどころです。

・聖地巡礼
 前に連載で書いた戦国時代初期の関東における名所とか回ってみたいと前から考えています。具体的には古河公方御所跡とかですが、この辺掘り返したら観光名所になると思うけど、埼玉県民とかその辺気づいてない気がします。
 ちなみに実際に自分が聖地巡礼した場所を挙げるとしたら、地味に榛名山と赤城山が出てきます。赤城山ではリアルにハチロクがバックミラーに写って、ソ連人民の敵である親父とともに興奮してました。

・かっぱ寿司
 この前同僚とも話題になりましたが、中国で生活していて日本に行ったときに回転寿司屋行くと、かっぱ寿司でも感動するくらいうまいと感じるようになります。中国でも寿司屋はたくさんありますがやはり素材間の差はいかんともしがたく、反動でかっぱ寿司がやけに高級寿司店に感じるようになります。

 以上、いくつか挙げてみましたが、結論から言うと実はそんなないことに気が付きます。というのも最近中国だったらSwitchの最新ゲームも普通にダウンロードで購入できるし、日本食も寿司はともかく上海なら何でも食えるし、プラモだって中国や韓国メーカー製のキットはむしろこっちの方が手に入りやすく、意外と不便な点はほとんどないです。
 強いて言えばネット環境が悪いくらいですが、かれこれ6年くらい継続して使っているVPNで時間帯を狙えばダウンロードも高速でできるようになり、すっかり自分も中国の生活に馴染んでいます。逆に日本帰ったらいちいち会計の度に財布開けたりしたりしなきゃならないこととか考えると、そっちの方が不便感じたりするかもしれません。

 ちなみにゲームの話をすると、この前発売した「真・女神転生Ⅲ」のSwitch向けリマスター版はPS2時代にやってなかったので購入してやってみようかなと考えていましたが、ネットの評判みると動作が極端に遅いなど滅茶苦茶悪く、値段下がるまで買い控えることにしました。なおレビューにある個人的には「モッサリマスター」という言葉がやけに胸に刺さりました。いいセンスした人もいるものです。

2020年11月5日木曜日

日本の歴史観~その4、自虐史観

 愚痴った後で連載再開で、今回はある意味昭和後期を代表する歴史観こと、自虐史観です。

 この歴史観、というより戦後の歴史観は基本的に第二次世界大戦の日本をどのように評価をするかがに論点が集中するのですが、逆を言えばそれ以外の点、具体的には江戸時代以前に関してはその前の皇国史観と比べて余計なバイアスが解消されたことで、実証的な研究が花開くこととなりました。

 特に皇国史観においてはある意味否定されていた先史時代に関しては昭和中期から後期にかけて考古学ブームが起こり、それまでの遅れを取り戻すかのように活発に研究が行われるようになっています。
 惜しむらくは平成期において石器発掘捏造事件が起こったことで事実上、それ以前の研究や発掘成果に疑問符がつくこととなってすべておじゃんとなったことです。もっともそれ以前から考古学は恣意的な研究発表や実績考査が絶えなかったとされ、それらが発掘捏造に関しても事前に疑問視されていた声を黙殺していたと言われるだけに、遅かれ早かれ自滅していた気がします。少なくとも現代において、平成期と比べ考古学が日本国内で話題に上がる回数は明らかに少なくなっています。

 また先ほどはバイアスがなくなったのは「江戸時代以前」と書きましたが、正確には明治中期、それも日露戦争の1905年までの時代は自由な議論が許されるとともに、実証的な研究が進みました。一体何故ここで区切りとなったのかというと、私は二つの理由があると思います。
 ひとつは、日露戦争後に朝鮮半島が実質的に日本の支配下に置かれ、後の併合につながるからです。これ以後に日本は「植民地を持つ帝国主義国家」となり、自虐史観が否定した戦前の軍国主義の起点とされてしまい、日露戦争以後の日本の歴史については基本的に否定するものとして自由な議論は許されなくなったと私は見ています。

 もう一つは、地味に司馬史観こと司馬遼太郎の「坂の上の雲」効果ではないかと本気で考えています。今述べた通りに日露戦争以後は帝国主義国家となるけれども、「坂の上の雲」では「日露戦争以前の日本は立ち遅れていた状態から西欧に必死でキャッチアップしようと、明治維新を起こして改革していた」という、今風に言えば「美しい日本」的に描いたことで、こうした認知が歴史評価の大きな区切りをつける流れに一役買ったのではと見ています。
 なので西郷隆盛や大久保利通は「歴史上の人」となりましたが、伊藤博文や山縣有朋は「現代人」というようなくくりで、伊藤や山縣以降の時代と人々は歴史的な評価というか議論がしづらいというか実質的に制限される事態を招いたと考えます。個人的に非常に惜しいのは大正時代がこのあおりを受けたことと、昭和というハイスケールな時代に挟まれたことと相まって、あまり話題に出ることもなければ検証もされる機会を失ってしまった気がします。普通選挙に至る過程や原敬などアクのある人物は現代においても取り残されてしまっている感があり、今後の研究が待たれます。

 そんなわけでようやく自虐史観の本体についての話に移れますが、私が説明するまでもなく、この歴史観の特徴は「日露戦争以後~二次大戦以前の日本を否定する」ことで成り立っています。具体的には、

・日露戦争以前の日本には正義があったがそれ以降はただの野蛮な帝国主義国家
・日本の二次大戦は侵略戦争
・アジア諸国に多大な損害を与えてしまった
・ついでに朝鮮にもひどいことをしてしまった
・無謀にもアメリカ様にケンカを売ってしまった

 ざっとした内容は以上の五点に集約されるでしょう。一体何故この自虐史観が戦後にスタンダートとなったのかというと、やはり戦後の日本人自身が強い負い目を感じていたことが大きいと断言できます。特に実際に従軍した方や、戦後の政治家になったものなどはその発言などを聞くと戦争で中国などアジア諸国に対し略奪を始め大きな損害を与えてしまったという後悔を口にしている人が多く、その内容や態度から見て実際にそのような贖罪意識は高かったように感じます。
 それだけに、「こんなひどいことをした日本は間違っていた」、「こんなことは繰り返してはならない」という過去を否定する自虐史観は心情的に受け入れやすかっただろうし、また日本の国際的立場から言っても、そうした殊勝な態度を示すことが国益にも叶うと考えた政策担当者も多かったのでしょう。もちろん日本人自身も戦争で大きな損害を受けたことで、「もう戦争はこりごり」という意識を持ったことも大きかったでしょうが。

 ただこの自虐史観ですが、その名が示す通りともかく戦前の日本を貶めるだけ貶め、中には事実以上に日本のことを悪く批判、否定する声も少なくありませんでした。そうした反発が平成期に花開くこととなるのですが、逆を言えば何故平成に入ってから花開くこととなったのかというと、それはやはり昭和天皇が崩御したということが最大の理由だと考えます。
 ある意味で最大の当事者であった昭和天皇が崩御するまでは、昭和天皇自身も受け入れていたこの自虐史観について、反発を持つ者たちも否定することが出来なかったのだと思います。逆を言えば昭和天皇の崩御がもっと早かった場合、自虐史観からの揺り戻しはもっと早くに起きていたと思います。

 私自身は先ほども書いた通り、戦後の冷戦期という時代においてこの自虐史観が日本でスタンダードとなったことは、国際社会における日本の地位回復において有利な結果を運ぶ要因になったと考えています。極論を言えば、損害を与えたアジア諸国への補償としての政府開発援助(ODA)にかこつけて、日本製品や技術の売りつけや企業進出が果たすことができたし、諸外国も戦前の日本に対する反発を持ちながらも、見た目だけでもへこへこする姿を見て警戒を緩めていったことを見れば、復興期においては非常に役に立ったとみるべきだと私は思います。
 そういう意味では、この歴史観をその身をもって維持させた昭和天皇に関してはよくぞ長生きしてくれたという風にも感じます。あまり言われないですが、昭和天皇の崩御に伴う歴史観の切替えという概念は地味に重要である気がします。

2020年11月4日水曜日

日本の歴史観~番外、やらなきゃよかった編

 今日「チェンソーマン」の最新刊に当たる9巻を電子書籍で購入して通勤中に読んでましたが、余りの衝撃的展開の連続でいろいろショックが大きく、1日中仕事が手につかなくなりました。ジャンプ本誌で読んでる人たちからするとこの後の展開の方がさらに激しくなるとのことで、真面目に伝説に立ち会っているの感じます。
 前も少し書きましたが、この漫画の作者はある意味で従来の漫画表現を否定するかのような破壊的表現で連載を続けています。やはり本人も映画好きだと言っている通りにその表現手法は映画に近く、一般の漫画がストーリーを追っていくのに対し、この人の漫画は演出を追うためにストーリーを負わせるというべきか、演出を何よりも優先している感じがします。

 真面目にこれだけで話を終えてもいいのですが話を本題に映すと、先月からやっているこの「日本の歴史観」の連載はやらなきゃよかったと真面目に後悔しています。なんで後悔しているのかというと、一本記事書くのに物凄い負担が大きいというか、書き終えた後にめっちゃ疲労するため、書く前の段階から尻込みします。
 実を言うと今日は本当は連載の続きで自虐史観について書く予定でしたが、チェンソーマン……じゃなく会社の仕事でやや疲労気味だったために、どうしても書く気が起きませんでした。自虐史観自体はこの連載の中でも書きやすい部類のネタで、ひとつ前の皇国史観と比べたらずっと楽なのですが。

 そもそもこの連載を始めたのは、内容が良ければまたJBpressのコラムにも流用できるだろうという当て込みからです。自分もJBpressでコラム連載してから丸4年経ち、いい感じに手を抜く手法を磨いてこれてます。
 書き始める前の段階で徳川史観、皇国史観、自虐史観、そして平成期における史観プラスワンの五本立て、連載中に思い浮かんだらもう一本という筋立てで始めたのですが、意外と平成期の史観については考察を深めると実は現在、ほとんど整理されていないという事実に気が付きました。また誇張しすぎかもしれませんが、平成期における史観については整理するのは私がはじめてになるんじゃないかと内心思え、参考となる資料とか分析もない中で一からその史観について分析、論証する羽目となりました。これがほんとしんどかった。

 他の人はどうだか知りませんが、私はゲームしてる時とプラモ作っている時以外は常に何か考えています。ご飯食べてる最中も「虫の進化が虫を食べる動植物の進化にどう影響したのか?」とか、風呂入っている最中に「三種のマジックリン(バス・トイレ・ガラス)のうちゴキブリを殺すのに最も適しているのはどれだろう?」とか常にくだらないこと考えています。
 ブログネタも大体トイレしている最中か歩いている最中に「今日何書こう?」的に考えていつも決めていますが、この連載の下準備は三日くらい通勤途中にずっと考えて練っています。これは自分にとってもかなり異例で、これ以前の分析が足りなかったのもあるものの、意外と考察すれば深くなるという特徴があります。

 前回の皇国史観も、最初は南朝贔屓で実証主義から離れていったということだけ書こうと思っていたのですが、よくよく検証すると皇国史観が流行り出したのは明治後期であるということに気が付き、この時点で「時の政府が強制したのではなかった」ということにも気が付き、当たりを付けて調べて言ったら案の定というか政争の具として発展していった系譜を知りました。何気にこの辺の過程を知ったのもこの連載の準備を始めてからで、「史観」というワードに着目したのは意外と発見であったと気づくとともに、いざ各段階になると苦労が半端ないということにも気が付きました。

 連載初めに書いた通り、歴史というのは決して中立ではなく何らかの思想に立って評価分析されるというのが私の持論です。現代史はもちろんのこと先史時代も未だに邪馬台国論争を言う人もいるくらいで、スイスの様に「完全中立」なんてのはなく、如何に中立に近づくかというアプローチでないと歴史はやっぱり語れないでしょう。
 そういう価値観で見ると、歴史観というのはやはりその時代ごとの世論というか状況に左右されることが多く、そうした社会背景を分析しながら追っていくとまた見えてくるものがあります。その点をこの連載では上手く反映できるように意識して書いていますが、内容が深まり過ぎて果たしてJBpressでも使えるかとなると結構不安になってきました。

 なおJBpressの次の原稿は既に提出しており、今日ゲラ来てオッケー出しました。また中国社会ネタですが、友人からは「いつもと方向性が違う(;゚Д゚)」と言われました。自分でもそう思う。
 逆に最近JBpressで歴史ネタから遠ざかっているから、そろそろまた何か歴史ネタ書こうかなとか考えています。個人的な欲求ですが、一回でいいからキスカ島ネタは公のメディアで記事を出し、「キスカについては俺も書いたことあるぜ(^ω^)」と言える立場になりたいです。阿川弘之なども書いているから、自分が書いていいものか凄く悩むのですが。

2020年11月2日月曜日

大阪都構想案再否決について

 昨日の選挙で否決された大阪都構想案ですが、率直に言って否決されてよかったんじゃないのというのが本音です。

 大阪都構想案に対する私の見解はちょうど五年前の選挙開票時に書いた記事で書いた通り、っていうかあれから五年も経ているにもかかわらず訴える政策内容に何も変化がないというのは別な意味ですごいといったところです。この辺は五年前の記事にて、

「確かにこの投票ではイメージ先行で具体的な政策中身については各政党もあまり話題にしてこなかったというのは間違いありません。特に旗振り役の維新の党でこれが顕著で、なんでかっていうと細かく検証するとあまり目に見えたメリットが出てこないということが有権者にわかってしまうと本人らも自覚していたのではと思える節があります。」

 という風に書いていますが、今回の選挙はさらに輪をかけてイメージ先行であったと指摘されています。
 さすがに日本国内の現場にいなかったのでリアルな空気感は図りかねますが、ネットでの反応を見ていると維新の会側は今回の都構想の実現の暁には大阪市が消滅するという事実をひた隠しにしていた節があるようです。仮に事実だとしたら、それは維新の会が堂々と言えない事情、改革に伴うデメリットが大きく存在すると自供しているようなものでしょう。実際、この点を選挙直前に反対派が大きく喧伝して説明したことが、賛成派の切り崩しに大きく買ったとも指摘されています。まぁ有権者もそれまでこの事実を知らなかったってのもまた不安にさせられますが。

 五年前にも述べた通り、この大阪都構想自体が元々政策としての効果よりも維新の会のシンボル的役割を担うことを期待されて作られた政策であり、中身自体はほとんどない、というよりも予算デメリットの方が大きい政策でした。早いとこ放棄すればいいだけなのに放棄したら維新の会は存在意義や結党意義を失いかねないとしてこれまで掲げ続けられた側面が見られ、正直五年前に否決された時点で維新の会は終わるのかと思いましたが、今回はどうなるかやや先が楽しみです。

 大阪都構想について批判するのはいい加減にして別の地方自治政策に目を向けると、この大阪都構想が出てきたせいなのかすっかり下火となったのは道州制議論です。それこそ維新の会は大阪都構想ではなく近畿で一つの政策意思決定機関について議論してればよかったんじゃないかと個人的に思います。
 それこそ大阪以外の周辺自治体も巻き込むような議論にすれば発展の余地があるものの、大阪という狭い枠内に自ら陥っていったようにもみえ、こんな感じでなにを書いても大阪都構想の批判になってしまいます。

次期戦闘機を自動車メーカーが作ったら

トヨタ:エンジンをハイブリッドにする
ホンダ:マクラーレンにエンジンが駄目だと貶される
日産:外国人社長が高い報酬を持って行く
マツダ:似たようなデザインのバリエーション機をたくさん作る
スバル:雪上でも離着陸できるようにする
ダイハツ:スズキのデザインをパクる
スズキ:ダイハツのデザインをパクる
三菱:燃費を改竄する
いすゞ:民間機は作らないとやたらPRする

2020年11月1日日曜日

財布を開けたら……

 昨日買ったガラスマジックリンですが、めっちゃ窓きれいになります(´・ω・`)

 話は本題、と言ってもこっちも大した内容ですが、今日クリーニング屋に行って会員カードを財布から出そうと財布を開けたところ、軽い違和感を感じました。もったいぶらずに言うと、財布にカビ生えてました
 恐らく、財布自体は常に持ち歩くけど財布を開くこと自体ほぼなく、それこそカードを出す時しか開けないもんだから湿気が溜まったんだと思います。でもって、カードを出すため開けること自体はまだ月に数回くらいあるけど、これまではあまり気が付かなかったんだと思います。

 真面目にスマホ決済に慣れてしまうと財布を持つ意味が分からなくなり、次買うとしたら「お札も少し入るカード入れ」になるんじゃないかと思います。マジこんな状況なので中国では現在、贈り物に財布を選ぶこと自体減ってきており、地味に財布メーカーは岐路に立たされてる感じです。