既にこのブログでしつこいくらい取り上げている「シドニアの騎士」という漫画のアニメ化についてですが、やや古いですが今月中旬に下記のプロモーションビデオが公開されました。
この動画が一体何なのかを簡単に説明すると、現在「アフタヌーン」という漫画雑誌で連載している「シドニアの騎士」という漫画が今度アニメ化する予定で、それの宣伝用動画です。この「シドニアの騎士」とは私が現在読んでいる連載中漫画の中で最も続きを楽しんでいる漫画で、2010年頃の単行本の3巻 から
(現在では11巻)読み続けている漫画であります。
作者の弐瓶勉(「にへいつとむ」、本人もたまに「ニビンベン」と読んでるが)はデビュー作の「BLAME!」の頃から知っていて、現代の漫画家としては他の追随を許さないほど、決して誇張ではなく壮大なスケールと有り得ない大きさの建築物を頻繁に背景に描くことから高く評価しておりました。はっきりとした経歴は明かしていないものの、どうもこの作者は建築関連の教育もしくは仕事をしていたということでその独特なバックグラウンドが作中にも活かされているとよく指摘されています。
話は「シドニアの騎士」に戻りますがアニメ化が発表された際はてっきりOVA(オリジナルビデオアニメ)で短い話だけが公開されるのかと思っていたら、どうやら来年春にテレビできちんと放送するようです。でもってフルCGで動画を作るそうで上記のPVもそのような出来となっていますが、一見した感じだと弐瓶氏の絵とCGの相性は高いように思え、こういう作りにして正解なんじゃないのかと思う次第です。ただ人物の顔を見た感じだと昔公開されたアニメ映画の「スカイクロラ」になんか近いような印象を覚えますが、気のせいかな。
内容を知らない人向けにこの漫画のあらすじというか全体の流れを説明すると、この漫画の世界では既に地球は崩壊しており、人類は宇宙船(作中では「播種船」)の中でわずかに命脈を保っている状態です。その宇宙船に対して地球を崩壊せしめた宇宙怪獣が再び襲ってくるようになり、主人公らはその宇宙怪獣と戦うロボットのパイロットとして戦っていくのですが、細かい設定がとにもかくにも素晴らしいの一言に尽きます。
まず生き残っている人類ですが、遺伝子が既に改造されており光合成をすることによって栄養を体内で自ら作るため、主人公は例外ですが食事は基本的にとらなくていい体となっています。また一部の船員に限っては脳をクローンで作成した肉体に換装することで老衰することなく生き続けており、このほかアンドロイドや特殊な義手義足を身に着けたキャラも出てきます。
そして何と言っても面白いのが、その宇宙怪獣の設定です。というのもこの宇宙怪獣はコアを破壊しない限り何度でも再生して襲ってくるのですが、そのコアを破壊する兵器というか武器というのが17本しかない槍で、この槍をロボットでもって突く以外は倒せないこととなっております。そのため、話が進むにつれて戦況は人類側が徐々に立て直してきますが前半は本当に絶望感が半端なく、主要キャラもバッタバッタとリアルに死にます。
最近のSF作品というとどれもこれも主人公側の兵器が最初からやけに充実してたり、如何にも媚びた感じの美少女キャラが出たり、お前のせいで何人死んでんねんとツッコみたくなる指揮官が如何にももの知ったような感じで出てくるのがお決まりですが、この作品に限ってはそういう要素は全く以って皆無です。唯一、指揮官に関してはパイロットを見殺しにしてでも敵殲滅を平気で優先してくる、別な意味で強烈なキャラクターでありますが。
また例によってほめ過ぎな気もしますが、素直にこの作品はもっと評価されるべきだと私は思います。そもそも作者の弐瓶勉氏自身が日本国内よりも海外の方が評価が高いような漫画家であることもありますが、もっと日本国内がこの人のことを評価してあげるべきでしょう。
来年の春に自分が日本にいるかどうかはやや微妙ですが、いるとしたらちゃんと毎週追っかけてテレビアニメを見てみたいものです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2013年11月30日土曜日
2013年11月27日水曜日
特定秘密保護法案を巡るマスコミの対応
今日は記事更新をさぼってまた副業に精を出そうかと思っていましたが、短くてもいいから書いときたいことが出来たのでそっちを書くことにします。
さて、みなさんも知っての通りに特定秘密保護法案が昨日、衆議院で可決しました。一夜明けた今日の大手メディアの報道は政府というか安倍首相を批判するものしかなく、肯定的はおろか中立的な報道すら探すのも難しい状態です。はっきり言えばこの議論に関して日本のマスコミの報道は偏向だと言っても過言ではなく、よくもこんな低次元な内容で大騒ぎできるものだなと呆れてきます。この件に限るわけじゃないですが、日本の政治記者は私から見てあまり頭がいい人が多いようには見えません。逆に文化部の記者なんか真面目に尊敬するほど勉強しているなといつも感じますが。
この件に関する報道でメディアが偏向的だと思えるのは、法案に対して批判しかしないのはもとより野党側の主張ばかり報じるなど明らかに野党の肩を持っている点です。具体的に挙げると一昨日に福島県で開かれたこの法案の公聴会に関する報道ですが、公聴会に参加した地元の人間が質問で、「震災の時にSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が公開されず現場は大混乱した。この法案が出来ればさらに公開されなくなるのでは」と述べたのですが、この質問をどのメディアも繰り返し何度も放送していました。この質問に対して自民党側は、SPEEDIの情報はそもそも秘密対象の情報ではなく、有事の際には公開すると回答しましたが、当たり前すぎてなんで回答するのかとむしろ私には思いました。
このSPEEDIの情報ですが、どうもこのメディアの繰り返した報道を真に受けちゃったのか、民主党の近藤昭一議員が同じ質問をどうも安倍首相に聞いてしまったようです。
・首相「菅政権が対応誤った」 民主議員の原発事故情報非公表に反論(産経新聞)
詳しくは記事内容を読んでもらえばわかりますが、近藤議員がさっきの公聴会参加者同様にこの法案が通れば震災時に情報が隠蔽される恐れがあるのではと聞いたところ安倍首相が、そもそもSPEEDIの情報を震災当時に公開せず余計な混乱を招いたのは当時の民主党政権だろうと言い返し、近藤議員もそれ以降は何も言えず「反省とおわびを申し上げたい」と言ったそうです。あんたなにがしたかったんだよなぁ。
私が言いたいのは、情報の隠蔽体質で言うならば前民主党政権の方が明らかにひどかったということです。先程の震災当時の情報隠蔽はもとより2010年の尖閣諸島沖漁船衝突事件でも海上保安庁が保有する事故当時の映像を国民に公開しなかったりと、呆れた対応ばかりしておりました。なので以前に書いた記事で私は、「特定秘密保護法案関連で民主党は何も発言するな」と言いましたが、私のこの認識は大手メディアの間では持たれていない。それどころか情報を何度も隠蔽してきた人たちが「政府は情報を隠蔽するつもりだ」という発言を何度も放送するありさまです。私が責任者なら、民主党のシーンはカットするか、このような寸評を入れて「馬鹿がまた何か言ってるよ」として報じるのですが。
ついでに書くと昨日の採決では野党がそろって反対しているにもかかわらず強行採決したなどという発言を載せる記事もありましたが、そもそも野党が諸手を挙げて賛成する法案の方が少ないだろうとツッコんだのは私だけでしょうか。それに上記のとおり民主党はこの議論で発言する余地はなく、共産党はどの法案にも全部反対であること考えると、みんなの党が賛成に回っただけでもむしろ珍しいと評価してもいい気がします。
あと誰かとは言いませんが今回の法案通過を以って、「民主主義は終わってしまった」なんていう人もいましたが、私からするとこの程度で民主主義が簡単にくたばると考えているようであれば、この人こそ遠回しに民主主義を馬鹿にしているのではないかとみていて腹立ってきました。叩かれてナンボだというのが民主主義だというのにさ。
最後に前回書いた記事で書きそびれたことを付け加えますが、仮にこの特定秘密保護法がなくても政府というのは様々な情報を隠蔽するでしょう。それこそかつての西山事件の様に、そんな情報は存在すらなかったという風にして。
そのように考えればこの法案が通ることによって何を非公開にしているのかなど、隠蔽する情報の存在は確実に明らかになっていくと思います。いわば以前より非公開情報の存在ははっきりするのでむしろ前よりオープンになるんじゃないかと私は思え、なのになんでメディアはこんな大騒ぎするのか本当に理解できません。言ってしまえば暴けば金になる特ダネ情報を政府自らリストアップしてくれるようなもんなんだし。こういう風に考える当たり、自分は面倒な性格している気がしてきます。
さて、みなさんも知っての通りに特定秘密保護法案が昨日、衆議院で可決しました。一夜明けた今日の大手メディアの報道は政府というか安倍首相を批判するものしかなく、肯定的はおろか中立的な報道すら探すのも難しい状態です。はっきり言えばこの議論に関して日本のマスコミの報道は偏向だと言っても過言ではなく、よくもこんな低次元な内容で大騒ぎできるものだなと呆れてきます。この件に限るわけじゃないですが、日本の政治記者は私から見てあまり頭がいい人が多いようには見えません。逆に文化部の記者なんか真面目に尊敬するほど勉強しているなといつも感じますが。
この件に関する報道でメディアが偏向的だと思えるのは、法案に対して批判しかしないのはもとより野党側の主張ばかり報じるなど明らかに野党の肩を持っている点です。具体的に挙げると一昨日に福島県で開かれたこの法案の公聴会に関する報道ですが、公聴会に参加した地元の人間が質問で、「震災の時にSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が公開されず現場は大混乱した。この法案が出来ればさらに公開されなくなるのでは」と述べたのですが、この質問をどのメディアも繰り返し何度も放送していました。この質問に対して自民党側は、SPEEDIの情報はそもそも秘密対象の情報ではなく、有事の際には公開すると回答しましたが、当たり前すぎてなんで回答するのかとむしろ私には思いました。
このSPEEDIの情報ですが、どうもこのメディアの繰り返した報道を真に受けちゃったのか、民主党の近藤昭一議員が同じ質問をどうも安倍首相に聞いてしまったようです。
・首相「菅政権が対応誤った」 民主議員の原発事故情報非公表に反論(産経新聞)
詳しくは記事内容を読んでもらえばわかりますが、近藤議員がさっきの公聴会参加者同様にこの法案が通れば震災時に情報が隠蔽される恐れがあるのではと聞いたところ安倍首相が、そもそもSPEEDIの情報を震災当時に公開せず余計な混乱を招いたのは当時の民主党政権だろうと言い返し、近藤議員もそれ以降は何も言えず「反省とおわびを申し上げたい」と言ったそうです。あんたなにがしたかったんだよなぁ。
私が言いたいのは、情報の隠蔽体質で言うならば前民主党政権の方が明らかにひどかったということです。先程の震災当時の情報隠蔽はもとより2010年の尖閣諸島沖漁船衝突事件でも海上保安庁が保有する事故当時の映像を国民に公開しなかったりと、呆れた対応ばかりしておりました。なので以前に書いた記事で私は、「特定秘密保護法案関連で民主党は何も発言するな」と言いましたが、私のこの認識は大手メディアの間では持たれていない。それどころか情報を何度も隠蔽してきた人たちが「政府は情報を隠蔽するつもりだ」という発言を何度も放送するありさまです。私が責任者なら、民主党のシーンはカットするか、このような寸評を入れて「馬鹿がまた何か言ってるよ」として報じるのですが。
ついでに書くと昨日の採決では野党がそろって反対しているにもかかわらず強行採決したなどという発言を載せる記事もありましたが、そもそも野党が諸手を挙げて賛成する法案の方が少ないだろうとツッコんだのは私だけでしょうか。それに上記のとおり民主党はこの議論で発言する余地はなく、共産党はどの法案にも全部反対であること考えると、みんなの党が賛成に回っただけでもむしろ珍しいと評価してもいい気がします。
あと誰かとは言いませんが今回の法案通過を以って、「民主主義は終わってしまった」なんていう人もいましたが、私からするとこの程度で民主主義が簡単にくたばると考えているようであれば、この人こそ遠回しに民主主義を馬鹿にしているのではないかとみていて腹立ってきました。叩かれてナンボだというのが民主主義だというのにさ。
最後に前回書いた記事で書きそびれたことを付け加えますが、仮にこの特定秘密保護法がなくても政府というのは様々な情報を隠蔽するでしょう。それこそかつての西山事件の様に、そんな情報は存在すらなかったという風にして。
そのように考えればこの法案が通ることによって何を非公開にしているのかなど、隠蔽する情報の存在は確実に明らかになっていくと思います。いわば以前より非公開情報の存在ははっきりするのでむしろ前よりオープンになるんじゃないかと私は思え、なのになんでメディアはこんな大騒ぎするのか本当に理解できません。言ってしまえば暴けば金になる特ダネ情報を政府自らリストアップしてくれるようなもんなんだし。こういう風に考える当たり、自分は面倒な性格している気がしてきます。
2013年11月26日火曜日
部活動での拘束の是非
昨日は緊急的に中国の話題を記事に書くこととなったので、当初予定していた一昨日の記事の続きを今日書きます。
おさらいをすると一昨日の記事では公立中学校での朝練の廃止を長野県が検討していることを取り上げ、日本の部活動はやや勝利至上主義に走りすぎていてかえって青少年の心身の成長、ならびに学業に悪い影響を与えているのではないかという私の意見を紹介しましたが、今日はさらにアクセル踏んで日本の部活動に対して私が不満に思う悪口を書いてこうと思います。ちなみに「迷ったらアクセルを踏め」というのはコリン・マクレーというレーサーの言葉ですが、この言葉をベストカーという雑誌で引用した山路徹氏は二年前の不倫騒動を振り返って、「この言葉を思い出してアクセルを踏みました」と述べています。いい意味で懲りない人です。
話は本題に入りますが、まず率直に言って私は日本の部活動文化が自分自身が中学、高校生だった頃から嫌いでした。その理由というのも単純に拘束が多いという一言に尽き、どうして課外活動であれやこれやといちいち細かく指示されないといけないんだよと不満で仕方なく、結局週三日だけ放課後の練習に出ればいいという緩さから中学校時代と高校の始めまで水泳部に所属しました。
その過剰と思える部活動の拘束ですが、やや凝った言い方をすると文化系の部活ならともかく、運動部系の部活だと入部した時点で学校生活が部活動中心になってしまうというのが腑に落ちません。月から金のウイークデイの放課後は必ず練習に参加。そして土日も練習のため登校せねばならず、日常生活の大部分の時間を部活動に取られることとなってしまいます。
もちろんその運動部で行っているスポーツ種目が大好きで仕方のない人はいいでしょうが、みんながみんなそうというわけでもなく、本当はサボりたいけどそのスポーツ種目をやるためには仕方ないからいやいや参加しているという子も少なくはない気がします。下手すればそのように練習づめにされて拘束されるのが嫌で、そのスポーツ種目自体は大好きなんだけど部活には参加しないって子もいるかもしれません。
厳しいことを言えば、日本の運動部の部活動は多少は体を鍛える効果があるかもしれませんが、少なくとも生徒の競技に対するやる気を伸ばしているかといったら全く伸ばしていないと言っても過言じゃないでしょう。少し興味はあるんだけど必死こいてまでやりたくないという生徒は最初の段階で切り捨ててしまっており、その切り捨てによってもしかしたらその競技に非凡な才能を持っていたかもしれない人間の多くを無駄にしてしまっているのかもしれません。
仮定の話が続きますが、最初は週二日くらいの練習でいいやと思って練習に参加しているうち、どんどんとやる気が湧いてきて最終的には週五日フルに参加してくる生徒もいるかもしれません。しかし日本の現在の部活動は週二日しか参加しない奴なんて初めから相手にせず入部を認めない可能性もあり、そう考えるとなんかもったいない指導しているなという気がしてなりません。
私が何を言いたいのかというと、少なくとも中学までの部活動に関しては学校側は練習を強制せず、あくまで生徒の自主参加という形で指導するべきだということです。月から金の放課後練習には参加するが土日の練習には来ない生徒もいれば、土日も含めて全参加、はたまた逆に土日だけ参加するっていう生徒があってもいいような気がします。また一つの部活だけで活動するわけでなく月火水は陸上部、木金は水泳部の練習に参加するという選択肢もあっていいと思うのですが、こんなやり方を認める学校なんて私の知る限りではありません。
恐らくこういうやり方を提案したところで多くの指導者並びに関係者からは、それじゃ団結力が生まれないだとか生徒によって運動能力にばらつきが出て指導し辛くなるとかいう意見が飛んできそうですが、私としては一緒に長く運動すれば必ずしも団結力が生まれるとは限らないと思うし、普通の部活でも生徒個人個人によって運動能力にばらつきは出るのだから、練習メニューを工夫すればどうとでも対応できる気がします。
もちろん試合などに参加できるのは熱心に練習に参加している生徒でいいと思いますが、私自身がそうだったのですが試合とかに出なくてもいいから自分のペースで練習したいという生徒のニーズをもうちょっと汲んでもらいたいと思います。また同時に、一つのスポーツだけでなく複数のスポーツを楽しみたいという生徒もいるのであればなるべくしてその希望を叶えるように動くというのが本来あるべき学校の形じゃないでしょうか。
少なくとも中学校の部活動に関しては、進学できる学校を生徒自身が選んでいることはほとんどないため、試合で勝つことを目的としてはならずあくまで生徒のスポーツに対する興味を育てることに重点を置くべきでしょう。ただ高校は生徒も進学先をある程度選べるし、熱心にスポーツやりたい子はそういうスポーツが盛んな学校に向かうことを考えると、多少は勝利を優先して部活動での拘束もあっていいとは思いますが。
結論をまとめると、日本の部活動はやや硬直的で幅がなく、それがために高いポテンシャルを秘めている生徒を無駄にしてしまっているのではないかというのが私の意見です。こういう風に思うのも私自身が生来から協調性がないのが最大の要因ですが日本の部活動になじめず、同じような友人と一緒に「好きな時に好きなだけ運動したいよねぇ」とよく語っていたからというのと、サッカーは異常なほど大好きだけど部活の練習が嫌でサッカー部に入らなかった友人が身近にいたからです。
それにしてもというか、また日本人批判になってしまいますが日本社会はどこを見回しても幅の狭い人生しか送れない仕組みになっているような気がしてなりません。この部活動一つとっても最初に書いたように日常生活が部活動中心になってしまう可能性が高く、また社会人も仕事を取るなら家庭を捨てなければという概念が未だに半端なく強いです。まるで「何か一つを選択するならほかのすべてを投げ捨てろ」と言わんばかりの価値概念で、何の根拠もなくこういう事を平然と要求してくる日本人のカビの生えたような思想が大っ嫌いです。「あれもしたい、これもしたい」というのは一見贅沢に見えるかもしれませんが、見方を変えればあらゆることにチャレンジしようとする心の表れでもあり、そうした可能性を摘み取るろうとする日本人は本当に自分の敵だと思います。
おさらいをすると一昨日の記事では公立中学校での朝練の廃止を長野県が検討していることを取り上げ、日本の部活動はやや勝利至上主義に走りすぎていてかえって青少年の心身の成長、ならびに学業に悪い影響を与えているのではないかという私の意見を紹介しましたが、今日はさらにアクセル踏んで日本の部活動に対して私が不満に思う悪口を書いてこうと思います。ちなみに「迷ったらアクセルを踏め」というのはコリン・マクレーというレーサーの言葉ですが、この言葉をベストカーという雑誌で引用した山路徹氏は二年前の不倫騒動を振り返って、「この言葉を思い出してアクセルを踏みました」と述べています。いい意味で懲りない人です。
話は本題に入りますが、まず率直に言って私は日本の部活動文化が自分自身が中学、高校生だった頃から嫌いでした。その理由というのも単純に拘束が多いという一言に尽き、どうして課外活動であれやこれやといちいち細かく指示されないといけないんだよと不満で仕方なく、結局週三日だけ放課後の練習に出ればいいという緩さから中学校時代と高校の始めまで水泳部に所属しました。
その過剰と思える部活動の拘束ですが、やや凝った言い方をすると文化系の部活ならともかく、運動部系の部活だと入部した時点で学校生活が部活動中心になってしまうというのが腑に落ちません。月から金のウイークデイの放課後は必ず練習に参加。そして土日も練習のため登校せねばならず、日常生活の大部分の時間を部活動に取られることとなってしまいます。
もちろんその運動部で行っているスポーツ種目が大好きで仕方のない人はいいでしょうが、みんながみんなそうというわけでもなく、本当はサボりたいけどそのスポーツ種目をやるためには仕方ないからいやいや参加しているという子も少なくはない気がします。下手すればそのように練習づめにされて拘束されるのが嫌で、そのスポーツ種目自体は大好きなんだけど部活には参加しないって子もいるかもしれません。
厳しいことを言えば、日本の運動部の部活動は多少は体を鍛える効果があるかもしれませんが、少なくとも生徒の競技に対するやる気を伸ばしているかといったら全く伸ばしていないと言っても過言じゃないでしょう。少し興味はあるんだけど必死こいてまでやりたくないという生徒は最初の段階で切り捨ててしまっており、その切り捨てによってもしかしたらその競技に非凡な才能を持っていたかもしれない人間の多くを無駄にしてしまっているのかもしれません。
仮定の話が続きますが、最初は週二日くらいの練習でいいやと思って練習に参加しているうち、どんどんとやる気が湧いてきて最終的には週五日フルに参加してくる生徒もいるかもしれません。しかし日本の現在の部活動は週二日しか参加しない奴なんて初めから相手にせず入部を認めない可能性もあり、そう考えるとなんかもったいない指導しているなという気がしてなりません。
私が何を言いたいのかというと、少なくとも中学までの部活動に関しては学校側は練習を強制せず、あくまで生徒の自主参加という形で指導するべきだということです。月から金の放課後練習には参加するが土日の練習には来ない生徒もいれば、土日も含めて全参加、はたまた逆に土日だけ参加するっていう生徒があってもいいような気がします。また一つの部活だけで活動するわけでなく月火水は陸上部、木金は水泳部の練習に参加するという選択肢もあっていいと思うのですが、こんなやり方を認める学校なんて私の知る限りではありません。
恐らくこういうやり方を提案したところで多くの指導者並びに関係者からは、それじゃ団結力が生まれないだとか生徒によって運動能力にばらつきが出て指導し辛くなるとかいう意見が飛んできそうですが、私としては一緒に長く運動すれば必ずしも団結力が生まれるとは限らないと思うし、普通の部活でも生徒個人個人によって運動能力にばらつきは出るのだから、練習メニューを工夫すればどうとでも対応できる気がします。
もちろん試合などに参加できるのは熱心に練習に参加している生徒でいいと思いますが、私自身がそうだったのですが試合とかに出なくてもいいから自分のペースで練習したいという生徒のニーズをもうちょっと汲んでもらいたいと思います。また同時に、一つのスポーツだけでなく複数のスポーツを楽しみたいという生徒もいるのであればなるべくしてその希望を叶えるように動くというのが本来あるべき学校の形じゃないでしょうか。
少なくとも中学校の部活動に関しては、進学できる学校を生徒自身が選んでいることはほとんどないため、試合で勝つことを目的としてはならずあくまで生徒のスポーツに対する興味を育てることに重点を置くべきでしょう。ただ高校は生徒も進学先をある程度選べるし、熱心にスポーツやりたい子はそういうスポーツが盛んな学校に向かうことを考えると、多少は勝利を優先して部活動での拘束もあっていいとは思いますが。
結論をまとめると、日本の部活動はやや硬直的で幅がなく、それがために高いポテンシャルを秘めている生徒を無駄にしてしまっているのではないかというのが私の意見です。こういう風に思うのも私自身が生来から協調性がないのが最大の要因ですが日本の部活動になじめず、同じような友人と一緒に「好きな時に好きなだけ運動したいよねぇ」とよく語っていたからというのと、サッカーは異常なほど大好きだけど部活の練習が嫌でサッカー部に入らなかった友人が身近にいたからです。
それにしてもというか、また日本人批判になってしまいますが日本社会はどこを見回しても幅の狭い人生しか送れない仕組みになっているような気がしてなりません。この部活動一つとっても最初に書いたように日常生活が部活動中心になってしまう可能性が高く、また社会人も仕事を取るなら家庭を捨てなければという概念が未だに半端なく強いです。まるで「何か一つを選択するならほかのすべてを投げ捨てろ」と言わんばかりの価値概念で、何の根拠もなくこういう事を平然と要求してくる日本人のカビの生えたような思想が大っ嫌いです。「あれもしたい、これもしたい」というのは一見贅沢に見えるかもしれませんが、見方を変えればあらゆることにチャレンジしようとする心の表れでもあり、そうした可能性を摘み取るろうとする日本人は本当に自分の敵だと思います。
2013年11月25日月曜日
中国の防衛識別圏設置についての見解
今日は昨日の記事の続きとして日本の部活動について批判的な文章を書こうと思っていましたがちょっと黙ってみていられないのもあるので、見出しにも掲げている中国が尖閣諸島上空を含む海域に防衛識別圏を設定したことについて私の見解を述べることにします。
中国がどんなことを発表したか詳細については大手メディアの記事を呼んでもらいたいところですが、わかりやすく簡単に一言で述べると、尖閣諸島など日本政府が主張する領土の上空を含む空域に対して「この空域は中国の管轄下であり防衛する必要のあるところだから、変な飛行機とかがもし勝手に飛んできたら何するかわからないよ」というような内容を発表したといったところです。
まず私個人の来歴について述べますが、小学生時代に三国志を読んでから中国贔屓になり、ついには中国に単身で渡って現地採用までしてきたくらいです。それくらい中国にどっぷりつかっている自分に言わせると、今回の中国の行動というか発表はあまりにも不用意過ぎるとしか言いようがなく、日本政府は一歩も譲らず中国に対して発表の撤回を求めると同時に、何かしらの対抗措置を講じるべきでしょう。
今回の中国政府の発表ですが、私の予想としては政府、軍部がしっかり協議を重ねるなど準備を整えた上で発表したもので、この前のレーダー照射問題とは違って軍部が暴走したとか勝手にやった、圧力をかけたものではないように思えます。そしてどうしてこんな発表をしたのかというと、第一に尖閣諸島周辺の海域における領土主張でイニシアチブを握ろうとしたことと、少し時期はずれますが昨年の日本政府による尖閣諸島の国有化から一年二ヶ月を経過したことから、報復とばかりにやや強行とも取れる行動に打って出たのではないかとみています。
確かに去年の日本による尖閣諸島国有化は中国側としては痛い一撃であったことに変わりなく、中国が一年越しで復讐したくなるのも理解できない話じゃないです。ただ大分時間が立って日中双方の国民も冷静になりまた経済活動を活発化していく中で、いわば寝た子を起こすような今回の行動は日中双方にとってマイナス以外の何物でもありません。もっとも中国の側からすれば先に仕掛けてきたのは日本だと思ってるかもしれませんが。
それにしても理解できないのは、何故このタイミングで波風を無理に立たせようとするのかです。中国としても日本との貿易に影響が出ることは経済全体に良くなく(日本にはもっと良くないが)、尖閣諸島国有化の直後であれば国内向けのプロパガンダとしてまだ理解できますが、誰も気にしなくなったこの時期にこうしてこういう行動に出ても、お互いの商売で損し合うだけです。
思えば、習近平政権となってから中国の外交方針が変わってきているのかもしれません。中国というのは共産党の一党独裁国家ですから仮にトップである総書記が変わったところで党としての方針が優先されるため外交方針は大きく変わり辛い国なのですが、南沙諸島の問題といい、胡錦濤政権と比べると落としどころが見えないのにやたら突っかかってくることが増えてきた気がします。まぁ突っかかってくるのは昔からだけど。
また胡錦濤政権というのは案外日本に対する配慮はよくしてくれていて、レアアースの輸出を差し止めたりしましたがちゃんと落としどころを初めから想定し、今回の防空識別圏設置などのように軍事的に危険な挑発だけはちゃんと避けていました。しかし今回の中国の行動は軍事的な色彩が強く度が過ぎており、仮に周辺国が認めようものなら中国は何してもいいってことにもなりかねず、平和という観点から言えば危険以外の何物でもない行動です。こういう行動は胡錦濤政権気ならなかっただろうなと思うと、習近平政権になってから変わってしまったのかなとも感じます。
ただしかし、今は日本にとってやや時期がいいです。というのもつい先日に米欧とイラクの間で核兵器開発を中止する代わりに経済制裁を一部緩和するという合意が出来たばかりで、米国の安全保障の目が中国に集中するという期待があります。逆にイラクとの議論が続いていたらアジア方面への関心は確実に薄れるだけに、日本としては素直にこのタイミングを喜んで米国、ひいては他の東南アジア諸国と完全タッグを組んで徹底的に圧迫をかけていく方がいいと思います。もちろん武力は抜きで。
最後にここで一つ気になるのが韓国の行動です。多分今の韓国ならここでも中国の肩を持つ可能性があるとみえ、もしそうなったら米国の機嫌を損ねるだけでなく他の東南アジア諸国からも冷めた目で見られて孤立化を深めるんじゃないかと勝手に推測してます。もちろんそんなことなければそれでいいんだけど、予言すると今の韓国大統領は任期まで持たないと私は見ています。
中国がどんなことを発表したか詳細については大手メディアの記事を呼んでもらいたいところですが、わかりやすく簡単に一言で述べると、尖閣諸島など日本政府が主張する領土の上空を含む空域に対して「この空域は中国の管轄下であり防衛する必要のあるところだから、変な飛行機とかがもし勝手に飛んできたら何するかわからないよ」というような内容を発表したといったところです。
まず私個人の来歴について述べますが、小学生時代に三国志を読んでから中国贔屓になり、ついには中国に単身で渡って現地採用までしてきたくらいです。それくらい中国にどっぷりつかっている自分に言わせると、今回の中国の行動というか発表はあまりにも不用意過ぎるとしか言いようがなく、日本政府は一歩も譲らず中国に対して発表の撤回を求めると同時に、何かしらの対抗措置を講じるべきでしょう。
今回の中国政府の発表ですが、私の予想としては政府、軍部がしっかり協議を重ねるなど準備を整えた上で発表したもので、この前のレーダー照射問題とは違って軍部が暴走したとか勝手にやった、圧力をかけたものではないように思えます。そしてどうしてこんな発表をしたのかというと、第一に尖閣諸島周辺の海域における領土主張でイニシアチブを握ろうとしたことと、少し時期はずれますが昨年の日本政府による尖閣諸島の国有化から一年二ヶ月を経過したことから、報復とばかりにやや強行とも取れる行動に打って出たのではないかとみています。
確かに去年の日本による尖閣諸島国有化は中国側としては痛い一撃であったことに変わりなく、中国が一年越しで復讐したくなるのも理解できない話じゃないです。ただ大分時間が立って日中双方の国民も冷静になりまた経済活動を活発化していく中で、いわば寝た子を起こすような今回の行動は日中双方にとってマイナス以外の何物でもありません。もっとも中国の側からすれば先に仕掛けてきたのは日本だと思ってるかもしれませんが。
それにしても理解できないのは、何故このタイミングで波風を無理に立たせようとするのかです。中国としても日本との貿易に影響が出ることは経済全体に良くなく(日本にはもっと良くないが)、尖閣諸島国有化の直後であれば国内向けのプロパガンダとしてまだ理解できますが、誰も気にしなくなったこの時期にこうしてこういう行動に出ても、お互いの商売で損し合うだけです。
思えば、習近平政権となってから中国の外交方針が変わってきているのかもしれません。中国というのは共産党の一党独裁国家ですから仮にトップである総書記が変わったところで党としての方針が優先されるため外交方針は大きく変わり辛い国なのですが、南沙諸島の問題といい、胡錦濤政権と比べると落としどころが見えないのにやたら突っかかってくることが増えてきた気がします。まぁ突っかかってくるのは昔からだけど。
また胡錦濤政権というのは案外日本に対する配慮はよくしてくれていて、レアアースの輸出を差し止めたりしましたがちゃんと落としどころを初めから想定し、今回の防空識別圏設置などのように軍事的に危険な挑発だけはちゃんと避けていました。しかし今回の中国の行動は軍事的な色彩が強く度が過ぎており、仮に周辺国が認めようものなら中国は何してもいいってことにもなりかねず、平和という観点から言えば危険以外の何物でもない行動です。こういう行動は胡錦濤政権気ならなかっただろうなと思うと、習近平政権になってから変わってしまったのかなとも感じます。
ただしかし、今は日本にとってやや時期がいいです。というのもつい先日に米欧とイラクの間で核兵器開発を中止する代わりに経済制裁を一部緩和するという合意が出来たばかりで、米国の安全保障の目が中国に集中するという期待があります。逆にイラクとの議論が続いていたらアジア方面への関心は確実に薄れるだけに、日本としては素直にこのタイミングを喜んで米国、ひいては他の東南アジア諸国と完全タッグを組んで徹底的に圧迫をかけていく方がいいと思います。もちろん武力は抜きで。
最後にここで一つ気になるのが韓国の行動です。多分今の韓国ならここでも中国の肩を持つ可能性があるとみえ、もしそうなったら米国の機嫌を損ねるだけでなく他の東南アジア諸国からも冷めた目で見られて孤立化を深めるんじゃないかと勝手に推測してます。もちろんそんなことなければそれでいいんだけど、予言すると今の韓国大統領は任期まで持たないと私は見ています。
2013年11月24日日曜日
部活動での朝練の是非
・長野県「朝練廃止」 中学生部活動 「睡眠不足、成長に弊害」(産経新聞)
上記はちょっと古いニュースですが個人的にかなり目を引いたニュースなので、記事内容の紹介と共に私の見解をつらつら書いていきます。
記事の内容は見出しそのままで、長野県が県内の公立中学校で行われている部活動で朝練こと早朝練習の廃止を検討しているとのことです。何故朝練を廃止しようとするのかというと朝練をすることによって生徒が睡眠不足を引き起こし、学業や成長に悪影響が起こるだけでなく過度な練習による勝利至上主義に走りかねないという理由からです。
私の結論を先に述べると、実にまともな提案であり是非そのまま朝練を廃止するべきでしょう。
前もって言っておくと私はスポーツ科学に造詣が深いというわけでもなくただの素人ですが、その素人の目から言っても朝起きてすぐにきつい運動するのはどう考えたって体にいいわけないとしか思えません。特に冬場だと寒さから体の動きが鈍くなり怪我する可能性も高く、軽めのジョギングやストレッチなどにとどめるのならともかく、今日び日本の部活動で実施されているような練習量は明らかに度が過ぎている気がします。
なおかつ今回の提言でも書いてある通り、朝6時に起きて7時から8時まで練習し、それから授業に出ると言ってもそりゃあ集中力が落ちるに決まってます。勉強だけが学校生活だけじゃないですが、効率が悪いとしか思えない朝練をしてまで集中力下げるってのは不毛以外の何物でもないでしょう。
そして何と言っても大事なのは、学校の部活動は心身の教育が最重要であり試合に勝つことではありません。大阪の桜宮高校の体罰事件も最近は語られることが少なくなってきましたが、健康が学業に影響を及ぼしかねない練習を行うのはやっぱりこの勝利至上主義が背景にあるような気がします。いくら上から指導しても現場が従わないというのなら、この長野県の様に原則廃止するという手段を講じることが一番に思えます。
こうした考えと関連するというか、同じくスポーツ教育で気になるニュースがもう一つあります。
・甲子園を目指さない野球部」とは?(R25)
上記のニュースによると、芦屋学園中・高校が来年にも高野連に加入せず予選を含め甲子園に出場しない野球部を作るそうです。高野連に加入しないことで引退したプロ野球選手などからの指導が受けられたり、地方リーグのチームとの対戦が出来るということがメリットだそうですが、それと共に必ずしも甲子園で勝つことを目的とせずプロを目指すような選手を育成することが目的だと書かれてあります。
率直に言ってこの構想は非常に面白く、実に先行きが楽しみな話です。そもそもの話、日本の部活動は試合に勝つことが目的とされていることが非常に多く、芦屋学園みたいにプロになることを見越した教育がなかったり、あときつい練習してまで試合に勝ちたくないけど自分のペースでその競技を練習したい、楽しみたいという人に門戸があまりにも開かれていない気がします。
まとめて書こうと思ったけどちょっと話題が逸れていくので、また次回にでも日本の部活動に対して私が疑問に思っていることを書きます。
上記はちょっと古いニュースですが個人的にかなり目を引いたニュースなので、記事内容の紹介と共に私の見解をつらつら書いていきます。
記事の内容は見出しそのままで、長野県が県内の公立中学校で行われている部活動で朝練こと早朝練習の廃止を検討しているとのことです。何故朝練を廃止しようとするのかというと朝練をすることによって生徒が睡眠不足を引き起こし、学業や成長に悪影響が起こるだけでなく過度な練習による勝利至上主義に走りかねないという理由からです。
私の結論を先に述べると、実にまともな提案であり是非そのまま朝練を廃止するべきでしょう。
前もって言っておくと私はスポーツ科学に造詣が深いというわけでもなくただの素人ですが、その素人の目から言っても朝起きてすぐにきつい運動するのはどう考えたって体にいいわけないとしか思えません。特に冬場だと寒さから体の動きが鈍くなり怪我する可能性も高く、軽めのジョギングやストレッチなどにとどめるのならともかく、今日び日本の部活動で実施されているような練習量は明らかに度が過ぎている気がします。
なおかつ今回の提言でも書いてある通り、朝6時に起きて7時から8時まで練習し、それから授業に出ると言ってもそりゃあ集中力が落ちるに決まってます。勉強だけが学校生活だけじゃないですが、効率が悪いとしか思えない朝練をしてまで集中力下げるってのは不毛以外の何物でもないでしょう。
そして何と言っても大事なのは、学校の部活動は心身の教育が最重要であり試合に勝つことではありません。大阪の桜宮高校の体罰事件も最近は語られることが少なくなってきましたが、健康が学業に影響を及ぼしかねない練習を行うのはやっぱりこの勝利至上主義が背景にあるような気がします。いくら上から指導しても現場が従わないというのなら、この長野県の様に原則廃止するという手段を講じることが一番に思えます。
こうした考えと関連するというか、同じくスポーツ教育で気になるニュースがもう一つあります。
・甲子園を目指さない野球部」とは?(R25)
上記のニュースによると、芦屋学園中・高校が来年にも高野連に加入せず予選を含め甲子園に出場しない野球部を作るそうです。高野連に加入しないことで引退したプロ野球選手などからの指導が受けられたり、地方リーグのチームとの対戦が出来るということがメリットだそうですが、それと共に必ずしも甲子園で勝つことを目的とせずプロを目指すような選手を育成することが目的だと書かれてあります。
率直に言ってこの構想は非常に面白く、実に先行きが楽しみな話です。そもそもの話、日本の部活動は試合に勝つことが目的とされていることが非常に多く、芦屋学園みたいにプロになることを見越した教育がなかったり、あときつい練習してまで試合に勝ちたくないけど自分のペースでその競技を練習したい、楽しみたいという人に門戸があまりにも開かれていない気がします。
まとめて書こうと思ったけどちょっと話題が逸れていくので、また次回にでも日本の部活動に対して私が疑問に思っていることを書きます。
2013年11月23日土曜日
私の嫌いな広告とその会社
・広告コンクール:最優秀に味の素、パナソニック、東京ガス(毎日新聞)
昨日に毎日新聞のニュースをアンドロイド用アプリで見ていたところ、気になったというか癇に障るニュースを見つけました。そのニュースというのが上記のニュースで、なんでも日本アドバタイザーズ協会というのが主催したコンクールで味の素とほか二社が入賞したとのことです。それにしても上記のリンク先、「~など計4366点の応募があっ... 続きを読む」って表示されててリンクが貼られているから続きあるのかと思ってクリックした所、「 ~など計4366点の応募があった」という具合で、「た」の文字しか続きないんだけど。
話を戻しますがなんでこのコンクール入賞で味の素が入っていることに一人いきり立っているのかというと、以前に「見ていて不快な広告」という記事でも取り上げたようにこの会社のバナー広告が見ていて本当に不快だからです。そのバナー広告の画像は先ほどの以前の記事にも貼ってありますが、疲れたおっさんの顔がネガティブな言葉とともに載せられており、この広告が目につくだけでも非常にイライラします。しかもかなりむかつくことにこのバナー広告は未だに載せられることがあって目にする機会も多く、文房具屋でボールペンの試し書きをする時はリアルに「ファッキン味の素」といつも書くくらい腹立ちます。
今回のコンクールに入賞した広告はもちろんこれとは別ですが、非常に不愉快な広告を出している味の素がこうして表彰されることに個人的に納得いきません。主催団体にはもちろん責任はなく私も批判するつもりはありませんが、ともかく味の素の広告責任者に「鬱陶しいんだよてめぇの広告( ゚Д゚)<氏ね!」って大声で言いたいです。
物のついでなのでもうすこし気になる広告について書きますが、保険大手のアフラックのテレビCMもこのところ見ていて不快感しか覚えません。そのCMというのは「保険は必要かなぁ」って誰かが言うと黒いアヒルが出てきて「必要ない、必要ない!」って喚くCMで、言ってるセリフも意味わかんないしその黒いアヒルもだから何なんだよと思えて不快です。逆に以前やっていたCGの猫が出てくるCMは猫好きなだけに大好きだったので、なんでこんな改悪したんだよと聞きたくなります。
あと最後にもう一つテレビCMで自分が注目しているのだと、通信会社大手のKDDIことauのCMが一時期ソフトバンクに比べて酷かったのに対し、このところの剛力彩芽氏が出てくるCMは素直に好感が持てます。特に今放映しているきゃりーぱみゅぱみゅ 氏 が歌って踊る奴は見ていて面白く感じるほどで、タレント評論家でもない自分が言うのもなんですが、あのきゃりーぱみゅぱみゅ氏に関しては「かわいい」という英語や中国語に翻訳し辛い日本独自の概念を海外に切り売りする上で非常に稀有な才能を持ったタレントではないかと文句なしに最上級の評価をしております。
ただ今のauのCMで「もったいないとめあ」という曲を歌って踊っていますが、この曲のサビ部分にある「もったいないから、もったいないから」という歌詞がたまに「おっぱいないから、おっぱいないから」と聞こえてきて、「もったいないおばけはよく聞くけどおっぱいないおばけっているのかな」なんて妙な疑問が湧いてきます。こんな疑問を抱く当たり、自分は相当疲れているのだと思うので明日はおいしいもの食べながらゆっくり休むことにします。
おまけ1
きゃりーぱみゅぱみゅ氏についてもう一つだけ述べると、この前にみたこの掲示板が面白かったです。
・Siriにきゃりーぱみゅぱみゅを検索させたいんだが(ソニック速報)
なんでもiOSの音声認識に「きゃりーぱみゅぱみゅ」を認識させようとするも、その発音の難しさからなかなかきちんと認識してくれないという顛末が描かれています。地味に「キャリー‰ ‰ 」とかいう表示がツボに来ます。
おまけ2
他に載せるところがないので載せますが、この前ネットで発見して非常に衝撃を受けた一枚です。初めて見た時なんか思わず、「ネットは広大だわ……」なんて呟いちゃったし。
昨日に毎日新聞のニュースをアンドロイド用アプリで見ていたところ、気になったというか癇に障るニュースを見つけました。そのニュースというのが上記のニュースで、なんでも日本アドバタイザーズ協会というのが主催したコンクールで味の素とほか二社が入賞したとのことです。それにしても上記のリンク先、「~など計4366点の応募があっ... 続きを読む」って表示されててリンクが貼られているから続きあるのかと思ってクリックした所、「 ~など計4366点の応募があった」という具合で、「た」の文字しか続きないんだけど。
話を戻しますがなんでこのコンクール入賞で味の素が入っていることに一人いきり立っているのかというと、以前に「見ていて不快な広告」という記事でも取り上げたようにこの会社のバナー広告が見ていて本当に不快だからです。そのバナー広告の画像は先ほどの以前の記事にも貼ってありますが、疲れたおっさんの顔がネガティブな言葉とともに載せられており、この広告が目につくだけでも非常にイライラします。しかもかなりむかつくことにこのバナー広告は未だに載せられることがあって目にする機会も多く、文房具屋でボールペンの試し書きをする時はリアルに「ファッキン味の素」といつも書くくらい腹立ちます。
今回のコンクールに入賞した広告はもちろんこれとは別ですが、非常に不愉快な広告を出している味の素がこうして表彰されることに個人的に納得いきません。主催団体にはもちろん責任はなく私も批判するつもりはありませんが、ともかく味の素の広告責任者に「鬱陶しいんだよてめぇの広告( ゚Д゚)<氏ね!」って大声で言いたいです。
物のついでなのでもうすこし気になる広告について書きますが、保険大手のアフラックのテレビCMもこのところ見ていて不快感しか覚えません。そのCMというのは「保険は必要かなぁ」って誰かが言うと黒いアヒルが出てきて「必要ない、必要ない!」って喚くCMで、言ってるセリフも意味わかんないしその黒いアヒルもだから何なんだよと思えて不快です。逆に以前やっていたCGの猫が出てくるCMは猫好きなだけに大好きだったので、なんでこんな改悪したんだよと聞きたくなります。
あと最後にもう一つテレビCMで自分が注目しているのだと、通信会社大手のKDDIことauのCMが一時期ソフトバンクに比べて酷かったのに対し、このところの剛力彩芽氏が出てくるCMは素直に好感が持てます。特に今放映しているきゃりーぱみゅぱみゅ 氏 が歌って踊る奴は見ていて面白く感じるほどで、タレント評論家でもない自分が言うのもなんですが、あのきゃりーぱみゅぱみゅ氏に関しては「かわいい」という英語や中国語に翻訳し辛い日本独自の概念を海外に切り売りする上で非常に稀有な才能を持ったタレントではないかと文句なしに最上級の評価をしております。
ただ今のauのCMで「もったいないとめあ」という曲を歌って踊っていますが、この曲のサビ部分にある「もったいないから、もったいないから」という歌詞がたまに「おっぱいないから、おっぱいないから」と聞こえてきて、「もったいないおばけはよく聞くけどおっぱいないおばけっているのかな」なんて妙な疑問が湧いてきます。こんな疑問を抱く当たり、自分は相当疲れているのだと思うので明日はおいしいもの食べながらゆっくり休むことにします。
おまけ1
きゃりーぱみゅぱみゅ氏についてもう一つだけ述べると、この前にみたこの掲示板が面白かったです。
・Siriにきゃりーぱみゅぱみゅを検索させたいんだが(ソニック速報)
なんでもiOSの音声認識に「きゃりーぱみゅぱみゅ」を認識させようとするも、その発音の難しさからなかなかきちんと認識してくれないという顛末が描かれています。地味に「キャリー‰ ‰ 」とかいう表示がツボに来ます。
おまけ2
他に載せるところがないので載せますが、この前ネットで発見して非常に衝撃を受けた一枚です。初めて見た時なんか思わず、「ネットは広大だわ……」なんて呟いちゃったし。
2013年11月22日金曜日
猪瀬都知事の5000万円受領疑惑について
今日はちょっと寒いのでパソコンを炬燵に移して今記事を書いていますが、やっぱりというかキーボードが打ちづらいです。っていうかそろそろOA用こたつみたいな商品が出ていてもいいような。
話は本題に移りますが、宿敵である佐野眞一先生が大喜びしそうなビッグなニュースが今日飛び込んできました。
・徳田議員から現金で受領=「無利息、無担保で」―徳洲会の5000万円・猪瀬知事(時事通信)
記事の内容は皆さんも知っての通りだと思いますが、東京都の猪瀬知事が選挙活動で運動員を買収した疑惑から関連事務所や系列団が現在捜査を受けている徳田毅衆議院議員より、都知事選の直前である2012年11月に5000万円もの現金を受け取っていたことが今日までに分かりました。2020年東京五輪を決めて上昇気流に乗っていた時期なだけに、猪瀬都知事の政治活動にとっては非常に致命的でありやや気が早い気もするけど、下手したら辞職にも発展する可能性もあると考えています。
まず今回の事件のポイントを整理します。今回の事件は先程も述べた通りに、徳田議員の問題で東京地検特捜部が捜査している最中に金の受け渡しがあったことが分かったようです。そして肝心要の金の受け渡しについては猪瀬都知事も今日の改憲で事実であると認めた上で、都知事選に出る直前に選挙資金として借りたものだと説明しています。ただ都知事選の選挙費用自体は自己資金で賄えたためで借りた5000万円は手付かずのままだったので、徳田議員への捜査が始まった今年9月に返却したと述べました。
ここから私の意見を滔々と述べていきますが、まぁなんとも突っ込みどころの多い釈明っぷりで笑えてきます。普通に考えたらおかしいだろって言いたくなる点があまりにも多いのでもう箇条書きにして書いちゃいます。
1、無利子で現金5000万円も貸す奴いるか?
2、借用書を作成したと言っているが、なら現物を何故見せない?
3、選挙前の政治資金報告書に何故記載しなかった?
4、使わなかったというのなら、何故選挙後にすぐ返さなかった?
5、でもって徳田議員の捜査が始まったらなぜ急に返した?
6、なんで今まで黙ってた?
7、やましい理由がないのなら、急いで返す必要はないのでは?
以上7点が私が持つ疑問点です。
特に重要なのは2番と3番で、あるというのなら借用書を直ちに公開するべきでしょう。また仮に借用書が本当にあるとしても、さっきのNHKニュースでも学者が指摘してましたが政治資金報告書に記載しなかったのは明確な違反です。
私としては仮に授受された金額が100万円や200万円なら堅いこと言わず、「次はばれないようにやれよ」で済ませてもいいのですが、今回の場合は5000万円という決して小さくない金額です。ましてやその金の出所というのが、運動員の買収という明確な選挙違反疑惑で捜査されている徳田議員ともなれば怪しい用途に使われたのではないかと邪推したくなります。
事実関係がまだはっきりしていない段階で悪く言い過ぎるのもあれなので敢えてぼかして書きますが、借りた時期と返した時期を見るにつけ同じことをやっていたのではと私は思います。
私は東京地検特捜部のことをあまり信用していませんが、今回の事件に関しては怪しすぎる点があまりにも多いことからきちんと仕事して☆取れよとちょっと応援します。それにしても、あれだけ目が泳ぐ会見も久方ぶりに見たな。
話は本題に移りますが、宿敵である佐野眞一先生が大喜びしそうなビッグなニュースが今日飛び込んできました。
・徳田議員から現金で受領=「無利息、無担保で」―徳洲会の5000万円・猪瀬知事(時事通信)
記事の内容は皆さんも知っての通りだと思いますが、東京都の猪瀬知事が選挙活動で運動員を買収した疑惑から関連事務所や系列団が現在捜査を受けている徳田毅衆議院議員より、都知事選の直前である2012年11月に5000万円もの現金を受け取っていたことが今日までに分かりました。2020年東京五輪を決めて上昇気流に乗っていた時期なだけに、猪瀬都知事の政治活動にとっては非常に致命的でありやや気が早い気もするけど、下手したら辞職にも発展する可能性もあると考えています。
まず今回の事件のポイントを整理します。今回の事件は先程も述べた通りに、徳田議員の問題で東京地検特捜部が捜査している最中に金の受け渡しがあったことが分かったようです。そして肝心要の金の受け渡しについては猪瀬都知事も今日の改憲で事実であると認めた上で、都知事選に出る直前に選挙資金として借りたものだと説明しています。ただ都知事選の選挙費用自体は自己資金で賄えたためで借りた5000万円は手付かずのままだったので、徳田議員への捜査が始まった今年9月に返却したと述べました。
ここから私の意見を滔々と述べていきますが、まぁなんとも突っ込みどころの多い釈明っぷりで笑えてきます。普通に考えたらおかしいだろって言いたくなる点があまりにも多いのでもう箇条書きにして書いちゃいます。
1、無利子で現金5000万円も貸す奴いるか?
2、借用書を作成したと言っているが、なら現物を何故見せない?
3、選挙前の政治資金報告書に何故記載しなかった?
4、使わなかったというのなら、何故選挙後にすぐ返さなかった?
5、でもって徳田議員の捜査が始まったらなぜ急に返した?
6、なんで今まで黙ってた?
7、やましい理由がないのなら、急いで返す必要はないのでは?
以上7点が私が持つ疑問点です。
特に重要なのは2番と3番で、あるというのなら借用書を直ちに公開するべきでしょう。また仮に借用書が本当にあるとしても、さっきのNHKニュースでも学者が指摘してましたが政治資金報告書に記載しなかったのは明確な違反です。
私としては仮に授受された金額が100万円や200万円なら堅いこと言わず、「次はばれないようにやれよ」で済ませてもいいのですが、今回の場合は5000万円という決して小さくない金額です。ましてやその金の出所というのが、運動員の買収という明確な選挙違反疑惑で捜査されている徳田議員ともなれば怪しい用途に使われたのではないかと邪推したくなります。
事実関係がまだはっきりしていない段階で悪く言い過ぎるのもあれなので敢えてぼかして書きますが、借りた時期と返した時期を見るにつけ同じことをやっていたのではと私は思います。
私は東京地検特捜部のことをあまり信用していませんが、今回の事件に関しては怪しすぎる点があまりにも多いことからきちんと仕事して☆取れよとちょっと応援します。それにしても、あれだけ目が泳ぐ会見も久方ぶりに見たな。
2013年11月21日木曜日
スズキの会長の鈴木修について
昨日の記事でスズキをネタにしたので、もののついでもあるので園会長である鈴木修氏についてちょこっと私見を紹介しようと思います。
まず率直に言って、私は鈴木氏に対して以前はあまりいい印象を覚えていませんでした。その理由というのも著書で自分は中小企業のおっさんだと言ったりしており、昨日の「軽自動車は貧乏人の車」などと言うセリフなどともにどことなく外っ面だけよく見せようとする発言が多く聞かれたからです。こうした発言の節々におっさん臭さを感じ、きっとこの人は成り上がりで発言とかその影響を考えないんだろうなという風にも考えていました。このほかにも鈴木亜久里に似ているうちの親父の情報によると、なんでもゴルフ場にクジャクを放ったりするなどわけのわからない金の使い方をしているとも知り、その趣味の悪さにも辟易しました。ってか、ゴルフボール当たったらどうするんだよ。
そんな私の鈴木氏の印象がひっくり変わったのは二年くらい前です。何を思ったのかスズキについてあれこれ調べ始めたところ、苗字が鈴木だから高度経済成長期にのし上がった自動車メーカースズキの創業者、または二代目かと思いきや、鈴木修氏はスズキの二代目社長の娘婿に入っただけであり、なおかつ元々は銀行員出身ということを知りました。
てっきり成り上がりだとばかり思っていだけにこの事実だけでも意外この上ありませんが、それ以上に驚いたのはスズキの名車「ジムニー」に関するエピソードです。
ジムニーについて簡単に説明すると、軽自動車でありながらラダー構造という現代において採用されることの少ないボディ設計がされており、悪路に対する層は性能で言えばこの車は桁違いに高く、日本車で上に立つとしたらトヨタのランドクルーザーくらいしかないという稀有な車であります。その性能は海外でも高く評価されており日本を含む世界各国で長期にわたり好調な販売が続いており、自分も非常に高く評価している一台です。
このジムニーは元々、スズキが設計した車ではなくホープ自動車が設計したものでした。しかしホープ自動車が自動車業界から撤退する際、この車の製造権を社内の反対を押し切って買い取ったのがほかならぬ鈴木修氏だったそうです。
ここだけの話、日本のメーカーは生え抜き社員を大事にして中途採用の人間にやたら冷たい傾向があります。それだけに鈴木氏も中途、しかも娘婿として入ってきたのだから風当たりが強かったのではないかと思える中、こうして誰もが「売れない車」と見ていた車を見事にロングセラーに仕立て上げたという眼力には素直に恐れ入りました。
このエピソードから評価を高めていたところ、中東系の顔立ちから社内のあだ名が一時期「ビンラディン」だったうちの親父によると、今年のスズキの決算会見が非常に傑作だったそうです。なんでも記者に二輪事業について見解を求められた鈴木氏は、「二輪は失敗しました。ホンダさんのようにはうまくいきませんでした」と一言だけ言い切り、記者もそれ以上深く質問出来なかったそうです。
元記者の自分から見てもこの斬り返しは見事というよりほか有りません。会社経営での失敗や業績不振に対して曖昧な言葉で言い訳でもすればすぐさま二度、三度と同じ質問が向けられ、そこでだらだらと述べれば述べるほど記者としては「○○社は苦しい弁明を続けながら」なんて具合でいい感じに記事が書けます。逆に嫌なのは短く言い切られることで、メディアへの回答としては満点とまではいかないまでもこの鈴木氏の回答は経営者としてみるなら見事なものです。
以上のような感じで、現在において鈴木修氏への私の評価は悪くありません。ただなまじリーダーシップが強いだけに鈴木氏が引退した際、スズキがどうなるのかやや不明瞭でもあります。知ってる人には早いですがこの会社は鈴木修氏の後継者がちょっと二転三転する事態が起こっており、今のところも迷走まではいきませんがやや曖昧模糊な感じです。まぁ最後には上手くやれると思うけどさ。
まず率直に言って、私は鈴木氏に対して以前はあまりいい印象を覚えていませんでした。その理由というのも著書で自分は中小企業のおっさんだと言ったりしており、昨日の「軽自動車は貧乏人の車」などと言うセリフなどともにどことなく外っ面だけよく見せようとする発言が多く聞かれたからです。こうした発言の節々におっさん臭さを感じ、きっとこの人は成り上がりで発言とかその影響を考えないんだろうなという風にも考えていました。このほかにも鈴木亜久里に似ているうちの親父の情報によると、なんでもゴルフ場にクジャクを放ったりするなどわけのわからない金の使い方をしているとも知り、その趣味の悪さにも辟易しました。ってか、ゴルフボール当たったらどうするんだよ。
そんな私の鈴木氏の印象がひっくり変わったのは二年くらい前です。何を思ったのかスズキについてあれこれ調べ始めたところ、苗字が鈴木だから高度経済成長期にのし上がった自動車メーカースズキの創業者、または二代目かと思いきや、鈴木修氏はスズキの二代目社長の娘婿に入っただけであり、なおかつ元々は銀行員出身ということを知りました。
てっきり成り上がりだとばかり思っていだけにこの事実だけでも意外この上ありませんが、それ以上に驚いたのはスズキの名車「ジムニー」に関するエピソードです。
ジムニーについて簡単に説明すると、軽自動車でありながらラダー構造という現代において採用されることの少ないボディ設計がされており、悪路に対する層は性能で言えばこの車は桁違いに高く、日本車で上に立つとしたらトヨタのランドクルーザーくらいしかないという稀有な車であります。その性能は海外でも高く評価されており日本を含む世界各国で長期にわたり好調な販売が続いており、自分も非常に高く評価している一台です。
このジムニーは元々、スズキが設計した車ではなくホープ自動車が設計したものでした。しかしホープ自動車が自動車業界から撤退する際、この車の製造権を社内の反対を押し切って買い取ったのがほかならぬ鈴木修氏だったそうです。
ここだけの話、日本のメーカーは生え抜き社員を大事にして中途採用の人間にやたら冷たい傾向があります。それだけに鈴木氏も中途、しかも娘婿として入ってきたのだから風当たりが強かったのではないかと思える中、こうして誰もが「売れない車」と見ていた車を見事にロングセラーに仕立て上げたという眼力には素直に恐れ入りました。
このエピソードから評価を高めていたところ、中東系の顔立ちから社内のあだ名が一時期「ビンラディン」だったうちの親父によると、今年のスズキの決算会見が非常に傑作だったそうです。なんでも記者に二輪事業について見解を求められた鈴木氏は、「二輪は失敗しました。ホンダさんのようにはうまくいきませんでした」と一言だけ言い切り、記者もそれ以上深く質問出来なかったそうです。
元記者の自分から見てもこの斬り返しは見事というよりほか有りません。会社経営での失敗や業績不振に対して曖昧な言葉で言い訳でもすればすぐさま二度、三度と同じ質問が向けられ、そこでだらだらと述べれば述べるほど記者としては「○○社は苦しい弁明を続けながら」なんて具合でいい感じに記事が書けます。逆に嫌なのは短く言い切られることで、メディアへの回答としては満点とまではいかないまでもこの鈴木氏の回答は経営者としてみるなら見事なものです。
以上のような感じで、現在において鈴木修氏への私の評価は悪くありません。ただなまじリーダーシップが強いだけに鈴木氏が引退した際、スズキがどうなるのかやや不明瞭でもあります。知ってる人には早いですがこの会社は鈴木修氏の後継者がちょっと二転三転する事態が起こっており、今のところも迷走まではいきませんがやや曖昧模糊な感じです。まぁ最後には上手くやれると思うけどさ。
2013年11月20日水曜日
軽自動車の軽減税率は廃止すべきか?
今日は部活動の朝練について頑張って書こうかと思ってましたが、何やらスズキの鈴木修会長の発言が盛り上がっているので、アクセス数アップを図りたいのもあるのでこっちを先に取り上げます。それにしても、近々このブログでも紹介する予定ですが今年夏にまた新たに起ち上げたサイトにアクセス数でとうとうこのブログが抜かれました。どっちも作ってるのは自分だけど、色々と複雑な気分です。
・流行語大賞は「弱い者いじめ」=鈴木修スズキ会長兼社長、軽自動車増税案を批判(時事通信)
話題を呼んでいるのは上記リンク先記事にある発言で、政府が検討している軽自動車二は軽減されている自動車税を一般の乗用車と同じ水準にまで引き上げる案を「弱い者いじめ」だと批判した上で、ダイハツとホンダが計量スポーツカー発表したことに対して「軽は貧乏人の車だ。スポーツカーは要らない」と述べました。軽自動車を貧乏人の車だと自虐的に述べたことについて有名な痛いニュース、そして記事の質にいい感情が持てない(と言いつつもリンクを貼る)ハフィントンポストなども取り上げており、消費者を馬鹿にしているのではないかと批判的なコメントが並んでいます。
私個人の感想を述べると、別にこれくらいの発言ならいちいち目くじら立てるほどじゃないんじゃないかなという気がします。別に貧乏人=ダメな人というわけでもなく、収入が多い人=優れている人っていうわけじゃないんだし、この程度でいちいち腹立てていたらきりがないと思えます。
と、この発言に関してはここまでにして本題の軽自動車の軽減税率改正、っていうか廃止案について書いていきます。この案に関しては先ほどにも述べたように鈴木会長は以前からかなりキツイ言葉を使って政府を批判しており、現行の税率を維持するように求めています。彼が経営するスズキは言うまでもなく軽自動車メーカーであり仮に税率が改正されようものなら打撃を受けることは確実で、そういう意味では利己的ともいえるし業界の立場を主張しているともいえるし、企業経営者として自己利益の最大化という目的に対し至極真っ当なことを述べているとも言えるでしょう。
その鈴木会長曰く、軽自動車は例の貧乏人というか所得の低い層がメインユーザーであるため不公平だとか弱い者いじめだというわけですが、この発言については私としても同感です。仮に軽減税率が廃止されれば軽自動車をあまり選ぶとは思えない富裕層はノーダメージで所得下位層のみが増税となり、余裕のあるものが税を支払うという概念に逆行するのは間違いありません。また都市部ならともかく公共交通機関の少ない地方在住者にとって自動車がなければ生活は困難になるのですが、地方在住者ほど所得が低く軽自動車に乗っている率も高いと予想され、二重の意味で弱い者いじめになる可能性すらあります。
それにもかかわらず何故政府は軽減税率を廃止しようとしているのかというと、聞くところによると軽自動車に乗るユーザーが多そうな地方自治体の財政問題が大きいそうです。自動車税というのは国ではなく地方が徴収する税金でいわば財源なのですが、それがこのところの軽自動車ブームによって徴収額が年々縮小を続けております。しかも同じく地方自治体の財源となっていた自動車取得税が消費税率10%への引き上げに伴い2015年に廃止されるため、減った金額を穴埋めするためにも自動車税を増やす必要があるとの観点が強いと、鳥取大好きの自分が推す西日本新聞さんが説明してくれています。
「力こそが正義」だと信じて疑わない自分からするとこうした財源を確保するという観点についても理解できます。確かに所得の低い層飲みへの増税となりやすいものの、代わりに別の税金を増やすと言ってもあまり効率的とは言えず、こうした政策も内心アリかなという気もします。
ただこの議論にはもう一つの観点があり、私はその観点にこそ従うべきだという考えを持っています。その観点というのも、環境への配慮です。
今日頻出の鈴木会長は「弱いものいじめ」という題目と共に、軽自動車は燃費が良く環境性能が高いのだからもっと普及を進めるべきであって税金を増やすべきではないという主張をよく展開しています。この「軽自動車は燃費がいい」というのは半分事実で半分嘘だと言ってもよく、というのも、日本の道路事情や平均走行距離数を考えると軽自動車よりコンパクトカークラスの乗用車の方が総合的に燃費がいいと言われており、私も同じ見方を持っております。
念のため説明しておきますが、軽自動車というのは廃棄量が660cc以下の自動車で、コンパクトカーは明確に定義されていませんが1000cc前後がそれに当たると言われています。排気量が小さいと確かに小回りが利く上に燃料も小出しで動かせるために低速度だと燃費は悪くないのですが、中~高速度だとエンジンに負荷がかかるため逆に燃費が悪くなりやすいです。日本の道路だと大体時速60kmくらいが平均的な運転速度となりやすく、この速度帯だと間違いなくコンパクトカーの方が燃費は良いでしょう。
そのためトヨタなんかはかなり昔から言っているのですが、総合的な燃費だとコンパクトカーの方が軽自動車より上なんだから、軽自動車の自動車税率を引き上げるのではなく、逆にコンパクトカーの自動車税率を軽自動車に合わせて引き下げるべきだという意見もあります。言ってはなんですが、的を得た正論でしょう。
仮に環境保護という観点を優先するというのであれば、軽自動車よりもワンクラス上のコンパクトカーの普及をもっと進めるべきです。そのため私の私案としては、660cc以下の軽自動車への軽減税率を廃止する代わり、新たに1200cc以下の自動車に対する軽減税率を設けたらどうかと思います。新たな税率の軽減率は現行よりやや引き上げてもいいですが1200cc以上の乗用車よりはお買い得感が出せるようにするべきでしょう。
この私案だと軽自動車ユーザーは税率が引き上げられるものの、これまで優遇のなかったコンパクトカーユーザーが新たに恩恵を受けられるようになります。地方自治体の財政としてはちょっと厳しいかもしれませんが、うまく税率を調整できればややプラスには持ち込めるのではないかと思えます。さらにこの私案が実現すると自動車メーカー各社はよりコンパクトカーの開発に力を入れるようになり、ダイハツ、スズキは一時的に苦しくなるかもしれませんが長期的な自動車市場を睨むとコンパクトカーの方が海外市場で売れるようにも思えるので日本自動車業界全体にとっても一つの方向性というか流れが生まれ活性化につながる気がします。
さらっと書くつもりだったのに、長々と書いてしまったなぁ……。ついでだし、今度鈴木会長特集でも書いてみよう。
おまけ
今日出たニュースですが、ヤマハが四輪自動車事業に進出すると発表しました。ヤマハは二輪で技術もあるし、昔に「ヤマハ・2000GT」も作っていたこともあるのでこのニュースには非常に強い期待感が持てます。それにしても、どのメディアもこのスクープを引っこ抜くことはできなかったんだなぁ。
・流行語大賞は「弱い者いじめ」=鈴木修スズキ会長兼社長、軽自動車増税案を批判(時事通信)
話題を呼んでいるのは上記リンク先記事にある発言で、政府が検討している軽自動車二は軽減されている自動車税を一般の乗用車と同じ水準にまで引き上げる案を「弱い者いじめ」だと批判した上で、ダイハツとホンダが計量スポーツカー発表したことに対して「軽は貧乏人の車だ。スポーツカーは要らない」と述べました。軽自動車を貧乏人の車だと自虐的に述べたことについて有名な痛いニュース、そして記事の質にいい感情が持てない(と言いつつもリンクを貼る)ハフィントンポストなども取り上げており、消費者を馬鹿にしているのではないかと批判的なコメントが並んでいます。
私個人の感想を述べると、別にこれくらいの発言ならいちいち目くじら立てるほどじゃないんじゃないかなという気がします。別に貧乏人=ダメな人というわけでもなく、収入が多い人=優れている人っていうわけじゃないんだし、この程度でいちいち腹立てていたらきりがないと思えます。
と、この発言に関してはここまでにして本題の軽自動車の軽減税率改正、っていうか廃止案について書いていきます。この案に関しては先ほどにも述べたように鈴木会長は以前からかなりキツイ言葉を使って政府を批判しており、現行の税率を維持するように求めています。彼が経営するスズキは言うまでもなく軽自動車メーカーであり仮に税率が改正されようものなら打撃を受けることは確実で、そういう意味では利己的ともいえるし業界の立場を主張しているともいえるし、企業経営者として自己利益の最大化という目的に対し至極真っ当なことを述べているとも言えるでしょう。
その鈴木会長曰く、軽自動車は例の貧乏人というか所得の低い層がメインユーザーであるため不公平だとか弱い者いじめだというわけですが、この発言については私としても同感です。仮に軽減税率が廃止されれば軽自動車をあまり選ぶとは思えない富裕層はノーダメージで所得下位層のみが増税となり、余裕のあるものが税を支払うという概念に逆行するのは間違いありません。また都市部ならともかく公共交通機関の少ない地方在住者にとって自動車がなければ生活は困難になるのですが、地方在住者ほど所得が低く軽自動車に乗っている率も高いと予想され、二重の意味で弱い者いじめになる可能性すらあります。
それにもかかわらず何故政府は軽減税率を廃止しようとしているのかというと、聞くところによると軽自動車に乗るユーザーが多そうな地方自治体の財政問題が大きいそうです。自動車税というのは国ではなく地方が徴収する税金でいわば財源なのですが、それがこのところの軽自動車ブームによって徴収額が年々縮小を続けております。しかも同じく地方自治体の財源となっていた自動車取得税が消費税率10%への引き上げに伴い2015年に廃止されるため、減った金額を穴埋めするためにも自動車税を増やす必要があるとの観点が強いと、鳥取大好きの自分が推す西日本新聞さんが説明してくれています。
「力こそが正義」だと信じて疑わない自分からするとこうした財源を確保するという観点についても理解できます。確かに所得の低い層飲みへの増税となりやすいものの、代わりに別の税金を増やすと言ってもあまり効率的とは言えず、こうした政策も内心アリかなという気もします。
ただこの議論にはもう一つの観点があり、私はその観点にこそ従うべきだという考えを持っています。その観点というのも、環境への配慮です。
今日頻出の鈴木会長は「弱いものいじめ」という題目と共に、軽自動車は燃費が良く環境性能が高いのだからもっと普及を進めるべきであって税金を増やすべきではないという主張をよく展開しています。この「軽自動車は燃費がいい」というのは半分事実で半分嘘だと言ってもよく、というのも、日本の道路事情や平均走行距離数を考えると軽自動車よりコンパクトカークラスの乗用車の方が総合的に燃費がいいと言われており、私も同じ見方を持っております。
念のため説明しておきますが、軽自動車というのは廃棄量が660cc以下の自動車で、コンパクトカーは明確に定義されていませんが1000cc前後がそれに当たると言われています。排気量が小さいと確かに小回りが利く上に燃料も小出しで動かせるために低速度だと燃費は悪くないのですが、中~高速度だとエンジンに負荷がかかるため逆に燃費が悪くなりやすいです。日本の道路だと大体時速60kmくらいが平均的な運転速度となりやすく、この速度帯だと間違いなくコンパクトカーの方が燃費は良いでしょう。
そのためトヨタなんかはかなり昔から言っているのですが、総合的な燃費だとコンパクトカーの方が軽自動車より上なんだから、軽自動車の自動車税率を引き上げるのではなく、逆にコンパクトカーの自動車税率を軽自動車に合わせて引き下げるべきだという意見もあります。言ってはなんですが、的を得た正論でしょう。
仮に環境保護という観点を優先するというのであれば、軽自動車よりもワンクラス上のコンパクトカーの普及をもっと進めるべきです。そのため私の私案としては、660cc以下の軽自動車への軽減税率を廃止する代わり、新たに1200cc以下の自動車に対する軽減税率を設けたらどうかと思います。新たな税率の軽減率は現行よりやや引き上げてもいいですが1200cc以上の乗用車よりはお買い得感が出せるようにするべきでしょう。
この私案だと軽自動車ユーザーは税率が引き上げられるものの、これまで優遇のなかったコンパクトカーユーザーが新たに恩恵を受けられるようになります。地方自治体の財政としてはちょっと厳しいかもしれませんが、うまく税率を調整できればややプラスには持ち込めるのではないかと思えます。さらにこの私案が実現すると自動車メーカー各社はよりコンパクトカーの開発に力を入れるようになり、ダイハツ、スズキは一時的に苦しくなるかもしれませんが長期的な自動車市場を睨むとコンパクトカーの方が海外市場で売れるようにも思えるので日本自動車業界全体にとっても一つの方向性というか流れが生まれ活性化につながる気がします。
さらっと書くつもりだったのに、長々と書いてしまったなぁ……。ついでだし、今度鈴木会長特集でも書いてみよう。
おまけ
今日出たニュースですが、ヤマハが四輪自動車事業に進出すると発表しました。ヤマハは二輪で技術もあるし、昔に「ヤマハ・2000GT」も作っていたこともあるのでこのニュースには非常に強い期待感が持てます。それにしても、どのメディアもこのスクープを引っこ抜くことはできなかったんだなぁ。
2013年11月18日月曜日
JAとTPPと減反政策廃止
予告通りに今日はお題に掲げたJAネタについて書くことにします。実はこのネタ、2週間前に構想を練っていつでも書ける状態だったのですが、賞味期限が長いというか急いで書く必要がなかったため延び延びになっていました。ただ年内には書かないと意味がないので、腹をくくって今日書くことにします。
さてJAといったらみんなわかるかと思いますが正式名称は全国農業協同組合連合会といって、金融を含む農業関連の事業を統括する半官半民の組織です。そのJAについて私が何を言いたいのか結論から述べると、どうも安倍首相は本気でこのJAを潰す気なんじゃないかと思え、仮にそうだというのならぜひ推し進めてくれと私は支持します。
まずJAと安倍首相の目下の関係ですが、歴代首相と比べてかつてないほどに険悪です。その理由というのもお題に掲げたTPPで、お米を含む農産物の関税撤廃も認めかねないほどに安倍首相は交渉妥結に前向きな姿勢を示しています。無論、農産物の関税が撤廃されると日本の農業界というか農家は大きな影響を受けることが予想されており、JAは政府の交渉参加当初からTPP締結に反対する姿勢を示し、仮に締結するのであれば農産物の関税維持は死守するように声明を出しております。
しかしTPP交渉が進むにつれて米国をはじめとする他国は日本の農産物の関税撤廃を求め、また日本政府側も「仮に撤廃したらどうなるの?」というシミュレーションまで始め、JA側もこうした政府をけん制するためか8月ごろにはよくテレビCMを打ち出すなどして対応を取ってきています。そのテレビCMははっきりとTPPの名前こそ出さず、農業を守ることが自然を守ることになるというようなイメージCMに留まり意見CMではありませんでしたが、これまでそんなCMなんか出さなかったJAが出して来たことを考えるとTPP交渉が背景にあると私は睨んでいます。
するとこのままTPP交渉が進むにつれてJA側は主張を先鋭化していくのか、と思っていた矢先、先ほどのJAのテレビCMが9月に入ってから急に見なくなってきました。単純に広告費がなくなったせいなのかもしれませんが、あくまで私の推測としてもう一つお題に掲げたポイント、減反政策の廃止について政府が言及したことが最大の要因ではないかと思います。
減反政策そのものの説明については説明を省きますが、これがJAとどんな関係があるかと言うと、JAの農家に対する影響力の源泉とも言っていい政策なのです。というのも国から農家への補助金などはほぼすべてJAを通して支給されており、JAに加盟していない農家はこうした補助金が一切もらえないのです。そしてそれら農家への補助金の中でも際立って金額が大きいのがこの減反政策に使われる補助金で、仮に政策廃止となれば米の作付を放棄する農家だけでなくJAから離れる農家も出てくることが予想され、これまでの様にブイブイ言って農家を従わせることが出来なくなるのは明白です。それどころか元からJAに加盟しておらず、独立自営を保ってきた農家の発言力が高まることもあり、そういう独立自営の農家と仲が悪いJAとしては厳しい立場に追いやられる可能性があります。
私自身は農業方面に関する知識が非常に浅くそれほど詳しくないのですが、「日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」という本の作者で農業技術通信社の専務もしている浅川芳裕氏は、「日本の農業が衰退したのは農水省とJAのせいだ」、などと主張しては読んでてこっちがドン引きするくらい激しく批判しており、先程の補助金政策のからくりを見るとなんだか私もそんな気がします。
またこの20年の間にJAが主導したことによって日本の農業が進展した例を見たことがなく、逆にJAと関係ない独立系の農家があれこれやったり、自分で海外に販路を開拓する努力などを見ると、この際だからJAはもっと痛い目を見たらという気にさせられます。ここだけの話、JAは金融業務などであまりいい噂を聞かないし、去年のお米の価格設定(JAが出荷価格を決めている)のミスから加盟農家からも批判が出ているそうだし。
私は政府が今のタイミング、TPP交渉が進められているこの時期に減反政策廃止について言及したのは確信犯だと見ています。いう事を聞かないのであれば一気に殺すと言わんばかりの方針で、JA側もこうした政府からのメッセージをしっかり受け取ったのか先月から今月にかけてTPPに反対する声明が鈍っているようにも見えます。仮にそうだとしたら、安倍首相とその周囲の人間の政治勘というものは大したものでしょう。
最後にJAと自民党の関係について少し触れますが、そもそもJAは自民党の支持組織で大きな票田の一つでした。ただ農業人口も現象し続け、また昔と比べ組織票が弱くなってきているから自民党もそれほど大事に思わなくなってきたから冷淡になってきたとも思えるのですが、それでも自民党内にはJAや農家の側に立つ議員も少なくなく、私の目から見て元防衛庁長官の中谷元議員その最たる例だと思います。彼だけは未だにTPP交渉反対を激しく主張しているし。
私はTPPには賛成する立場ではありますが、中谷議員は以前から高く評価しており、今回もやや孤立無援な状況ながらも地震の主張をちゃんと主張するのは立派なものだと思えます。ただこの人、さっきウィキペディアを見たら元自衛隊のレンジャー部隊員で、教官もやっていたほどの強者だったようです。折角だからプロレス好きで有名な民主党の野田前首相とスペシャルタッグマッチを組んで、八百長でもいいからリングで戦う姿を見てみたいな。
さてJAといったらみんなわかるかと思いますが正式名称は全国農業協同組合連合会といって、金融を含む農業関連の事業を統括する半官半民の組織です。そのJAについて私が何を言いたいのか結論から述べると、どうも安倍首相は本気でこのJAを潰す気なんじゃないかと思え、仮にそうだというのならぜひ推し進めてくれと私は支持します。
まずJAと安倍首相の目下の関係ですが、歴代首相と比べてかつてないほどに険悪です。その理由というのもお題に掲げたTPPで、お米を含む農産物の関税撤廃も認めかねないほどに安倍首相は交渉妥結に前向きな姿勢を示しています。無論、農産物の関税が撤廃されると日本の農業界というか農家は大きな影響を受けることが予想されており、JAは政府の交渉参加当初からTPP締結に反対する姿勢を示し、仮に締結するのであれば農産物の関税維持は死守するように声明を出しております。
しかしTPP交渉が進むにつれて米国をはじめとする他国は日本の農産物の関税撤廃を求め、また日本政府側も「仮に撤廃したらどうなるの?」というシミュレーションまで始め、JA側もこうした政府をけん制するためか8月ごろにはよくテレビCMを打ち出すなどして対応を取ってきています。そのテレビCMははっきりとTPPの名前こそ出さず、農業を守ることが自然を守ることになるというようなイメージCMに留まり意見CMではありませんでしたが、これまでそんなCMなんか出さなかったJAが出して来たことを考えるとTPP交渉が背景にあると私は睨んでいます。
するとこのままTPP交渉が進むにつれてJA側は主張を先鋭化していくのか、と思っていた矢先、先ほどのJAのテレビCMが9月に入ってから急に見なくなってきました。単純に広告費がなくなったせいなのかもしれませんが、あくまで私の推測としてもう一つお題に掲げたポイント、減反政策の廃止について政府が言及したことが最大の要因ではないかと思います。
減反政策そのものの説明については説明を省きますが、これがJAとどんな関係があるかと言うと、JAの農家に対する影響力の源泉とも言っていい政策なのです。というのも国から農家への補助金などはほぼすべてJAを通して支給されており、JAに加盟していない農家はこうした補助金が一切もらえないのです。そしてそれら農家への補助金の中でも際立って金額が大きいのがこの減反政策に使われる補助金で、仮に政策廃止となれば米の作付を放棄する農家だけでなくJAから離れる農家も出てくることが予想され、これまでの様にブイブイ言って農家を従わせることが出来なくなるのは明白です。それどころか元からJAに加盟しておらず、独立自営を保ってきた農家の発言力が高まることもあり、そういう独立自営の農家と仲が悪いJAとしては厳しい立場に追いやられる可能性があります。
私自身は農業方面に関する知識が非常に浅くそれほど詳しくないのですが、「日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」という本の作者で農業技術通信社の専務もしている浅川芳裕氏は、「日本の農業が衰退したのは農水省とJAのせいだ」、などと主張しては読んでてこっちがドン引きするくらい激しく批判しており、先程の補助金政策のからくりを見るとなんだか私もそんな気がします。
またこの20年の間にJAが主導したことによって日本の農業が進展した例を見たことがなく、逆にJAと関係ない独立系の農家があれこれやったり、自分で海外に販路を開拓する努力などを見ると、この際だからJAはもっと痛い目を見たらという気にさせられます。ここだけの話、JAは金融業務などであまりいい噂を聞かないし、去年のお米の価格設定(JAが出荷価格を決めている)のミスから加盟農家からも批判が出ているそうだし。
私は政府が今のタイミング、TPP交渉が進められているこの時期に減反政策廃止について言及したのは確信犯だと見ています。いう事を聞かないのであれば一気に殺すと言わんばかりの方針で、JA側もこうした政府からのメッセージをしっかり受け取ったのか先月から今月にかけてTPPに反対する声明が鈍っているようにも見えます。仮にそうだとしたら、安倍首相とその周囲の人間の政治勘というものは大したものでしょう。
最後にJAと自民党の関係について少し触れますが、そもそもJAは自民党の支持組織で大きな票田の一つでした。ただ農業人口も現象し続け、また昔と比べ組織票が弱くなってきているから自民党もそれほど大事に思わなくなってきたから冷淡になってきたとも思えるのですが、それでも自民党内にはJAや農家の側に立つ議員も少なくなく、私の目から見て元防衛庁長官の中谷元議員その最たる例だと思います。彼だけは未だにTPP交渉反対を激しく主張しているし。
私はTPPには賛成する立場ではありますが、中谷議員は以前から高く評価しており、今回もやや孤立無援な状況ながらも地震の主張をちゃんと主張するのは立派なものだと思えます。ただこの人、さっきウィキペディアを見たら元自衛隊のレンジャー部隊員で、教官もやっていたほどの強者だったようです。折角だからプロレス好きで有名な民主党の野田前首相とスペシャルタッグマッチを組んで、八百長でもいいからリングで戦う姿を見てみたいな。
2013年11月17日日曜日
昨日の晩御飯+近況
一昨日、近くのスーパーで米国産サーロインステーキが2枚で1600円くらいの所、40%引きで900円くらいで売っていたので思い切って買いました。でもって一人で二枚食べようかと思っていましたが、思うところもあって地元の友人を呼んで分け合いつつ食べました。
そのステーキを調理したところ友人が写真に撮っていたので、自分もたまにはフェイスブックみたいに何食っているかをアップしようと思って自慢の富士フイルム製デジカメを使って撮影してみました。真面目にとらなかったからそんなに写真写りはよくないけど、右下にあるひこにゃん箸が写りこんだのはノーフューチャーでした。
なおこの日は友人と合流してから同じスーパーでまとめ買いして、左上にある刺身に加え冷凍のたこ焼きなども購入し、一気にまとめて食べました。このところまともなたんぱく質を採らずでんぷんぱっか取っていたのでいい補給となったのですが、変に胃が拡張したせいか今現在、やたら腹が減ります。
一夜明けた今日は部屋の掃除をした上で、先週に購入していたメガネを受け取りにメガネ屋へ行ってきました。今かけているのはその新しいメガネなのですが、以前かけていたメガネが異常だったというか、レンズは正味10年、フレームも8年間連続して使い続けていたもので、メガネ屋の店員も、「めちゃくちゃ傷ついている上に、なんか熱で歪んだ痕まであるんですけど」と驚くくらい酷使していました。
メガネに限るわけじゃないですが、私は物への扱い方が荒い一方でやけに物持ちがよく、筆箱に至ってはもう17年連続で同じものを使っています。ただメガネは明らかにボロボロになってて、店員からも傷が多いと見ていて疲れると言われたので今回買い換えた次第です。レンズの度数はほぼ全く変わらずなので新しいメガネは今のところ違和感ありません。むしろ前からある左目のドライアイが辛い。
話は変わりますがこのところ書かなきゃいけないネタが非常に多い一方、いろいろと副業で忙しくかけ切れていないのが現状です。そこで今日は忘れないうちに、書こうと思っているネタを念のためリストアップしておきます。
・JAとTPPと減反政策
・部活動教育の是非、自由度
・食品偽装問題に関する回転寿司の寿司ネタ
・テレビゲームにおける面白さの要素
・PS4など新ハードの年末商戦
・コミュニケーション能力と共通体験についての考察
・寂しいのか、関わりたくないのか?
・軽自動車の税率改正案について
昨日の晩御飯について語るくらいならとっととかけよと言いたくなるネタばかりですが、どれもかなり時間が食いそうなものばかりで、ちょっと今は書く気分にはなれません。もっとも金曜日に書いた特定秘密法案の記事が片付き、なおかつかなりいい気分で書けたので山は越えた感覚はありますが。
それにしても、このところ我ながら自分の異常性に色々驚くことが多いです。こうしてほぼ毎日だだ長いブログを更新することもさることながら、妙な作業に長時間取り組めるなど変に集中力が高いことが最近分かってきました。必ずしもいい特徴だけとは限りませんが、まぁ変わった人間に育ったもんだと実感します。
2013年11月15日金曜日
特定秘密保護法案に対する私の意見
さきほど放送されたTBSの「ぴったんこカンカン」にて「別に」で有名な沢尻エリカ氏がゲストで登場したので、普段テレビなんかほとんど見ないのに何故だか全部見てしまいました。沢尻氏が出てきたのはいつもの安住伸一郎アナの外出ロケですが、安住アナも「やりにくい」と洩らしてましたが、こういう日常的な光景で沢尻市を見る機会がなかっただけになかなか新鮮に映りました。見てて面白かったのは沢尻氏の食いっぷりで、小龍包を一口で食べる様は安住アナをして「蛇が卵を丸呑みするかのような野生ぶり」と言わせるほどでワイルドな人なんだろうなぁとしみじみ思います。
そんなどうでもいい話は置いといて今日の本題ですが、今国会での主要な議論となっているテーマとしてお題に掲げた特定秘密保護法案があります。この法案の主なねらいとその中身は、外交や防衛など公開すべきでない情報を政府が指定・秘匿し、仮にこれらの情報を公務員などが遅漏させた場合にはその遅漏者を刑法に定めて処罰するという内容となっています。結論から述べると今の審議はいい具合に進んでいるので、そこそこ煮詰まった段階で採決を採り、法制化しても十分だと思います。要するに、私はこの法案に肯定的です。
この特定秘密保護法案は政府が情報恣意的にコントロールして権力の暴走を生むのでは、現代の治安維持法ではないかなどと主にメディア関係者から反対の声が出ていることから、どのメディアの報道も批判的な色彩を帯びております。曰く、知る権利の侵害、メディアへの冒涜、前近代的などと色々な言葉も出てきますが、自分はそんな中にあってもこの法案に賛成です。
まず前提論から述べると、私はこういう国家機密を扱う明確な法案が未だ以ってないという状態の方が異常だと思います。外交や防衛に関する機密は言うまでもなく、原発の警備体制やテロ情報など、国家を維持・運営していく上で一般に公開せず政府だけが管理すべき情報はたくさんあります。そしてそういった情報を知り得る立場にある公務員がそれを漏らした場合はどのように罰するか、これもあって当たり前でない方が異常な気がします。
しかし非公開とする情報は政府が指定するとあり、これでは公開すべきであるのに政権にとって不都合な情報が隠蔽される可能性があるのでは、情報の公開・非公開の指定は第三者機関が行うべきではないかというのが反対派の主な意見です。あんまり長く書きたくないのでスパッと言いますが、その時々の政権が不都合な情報を隠すのは当たり前で、なにわかりきったこと抜かしているんだと反対派の人間の知見を私は疑います。
これはなにもこの法案が出来る、出来ない以前の問題であって、そもそもこれまでの数多くの政権は何度も不都合な情報を隠蔽したり、ミスリードさせてきているのだから、今更になってこういう事言うってのは批判の論点がどう考えてもおかしいでしょう。もっともこういう風に私が言ったら、「確かにそうかもしれないが、今回の法案が出来ることによって政府の隠蔽にお墨付きを与えることになる」なんて反論が来るかもしれませんが、法律的に是であっても民意がそれに納得するかは別で、仮に非公開とされた情報が不適当とみなされれば「法律的には問題ない」と政府が言ったところで国民は批判を続けるでしょうし、政権もダメージを受けることとなります。この議論に限るわけじゃないけど、一部マスメディアや論者の意見の根底には国民を馬鹿にしたような視点を強く感じます。
むしろ私としては、法制化する以前にこれまでも多くの政権がその時々の都合によって、法律のお墨付きなしに無制限で情報を秘匿してきたのだから、むしろ法制化することによっていくらか制限が付けられるようになると感じます。また第三者機関についてもこれは政府の意見と全く同じですが、情報開示範囲が広がるにつれて情報が遅漏する可能性も増える事を考えると私個人としてはするべきではないと思えます。
あともう一つ言いたいこととして、一部のマスコミ関係者はこの法案が成立することによって取材が制限される、報道関係者が処罰を受ける可能性があると述べていますが、この点については秘匿する情報を報道関係者が取材によって得たとしてもその報道関係者は罰されないということが明文化されているのでもはや杞憂に過ぎないと思います。それでも政府は信用できない、あれこれ理由を付けて記者を処罰、拘留するのではと言う人もいますが、記者であるならガキみたいに逮捕なんかいちいち恐れてんじゃねぇよ、と声を大にして私は言いたいです。
こんなこと言うのも自分が力の論理で物事を考えるのと、中国でジャーナリストしていたということが大きいと思います。言うまでもなく中国では法律なんて関係なしにジャーナリストへの妨害は当たり前に行われているし、私なんかは冒険することはなかったけど向こうの現地記者は当局の弾圧に対して逮捕されても妨害されてもめげず、抗議することもあればきわどい活動を潜り抜けるなどしてでも情報の取得、公開に動きます。
そんな中国のジャーナリストに比べ、日本のジャーナリストが言う事がこれかと思うとはっきり言って情けない限りです。言ってしまえば自らが攻撃すべき対象である政府に対して身の安全を保障した上で情報を公開してくれと言っているようなもんで、そんな骨のない意見を言っていて恥ずかしくないのかと私は問いたい。本当にジャーナリストであると自覚するのであれば、逮捕されようがされまいが、自分が公開するべきと思った情報は何をしてでも奪い取り、どんなに敵を作ろうが公開するものだろう。むしろ、弾圧されるリスクがあるのだからこそ公開するべき情報の価値も上がるっていうのに。
何も中国を見習えとまでは言いませんが、命を簡単にとられるわけじゃないのに細かいことでピーピーわめくな、どんだけぬるま湯につかっているんだということを日本の報道界に言いたいというのが、この問題に対する私の意見です。
最後にもう一つおまけですが、この特定秘密保護法案について民主党は何も意見を言うべきではないと私が考えます。その理由と言うのも二年前の尖閣諸島沖の漁船衝突事故で、事故直後は海上保安庁が撮影した衝突シーンのビデオを自分たちの都合で公開しなかったからです。結局流出することとなりましたが現段階においてもあのビデオは公開するべき映像だったと私は考えており、政府の恣意的な選択がどうとかこうとかは自分たちの行為を振り返ってから抜かせと、自分以外にも誰か一人くらいは言うかと思ってたんだけどなぁ。
そんなどうでもいい話は置いといて今日の本題ですが、今国会での主要な議論となっているテーマとしてお題に掲げた特定秘密保護法案があります。この法案の主なねらいとその中身は、外交や防衛など公開すべきでない情報を政府が指定・秘匿し、仮にこれらの情報を公務員などが遅漏させた場合にはその遅漏者を刑法に定めて処罰するという内容となっています。結論から述べると今の審議はいい具合に進んでいるので、そこそこ煮詰まった段階で採決を採り、法制化しても十分だと思います。要するに、私はこの法案に肯定的です。
この特定秘密保護法案は政府が情報恣意的にコントロールして権力の暴走を生むのでは、現代の治安維持法ではないかなどと主にメディア関係者から反対の声が出ていることから、どのメディアの報道も批判的な色彩を帯びております。曰く、知る権利の侵害、メディアへの冒涜、前近代的などと色々な言葉も出てきますが、自分はそんな中にあってもこの法案に賛成です。
まず前提論から述べると、私はこういう国家機密を扱う明確な法案が未だ以ってないという状態の方が異常だと思います。外交や防衛に関する機密は言うまでもなく、原発の警備体制やテロ情報など、国家を維持・運営していく上で一般に公開せず政府だけが管理すべき情報はたくさんあります。そしてそういった情報を知り得る立場にある公務員がそれを漏らした場合はどのように罰するか、これもあって当たり前でない方が異常な気がします。
しかし非公開とする情報は政府が指定するとあり、これでは公開すべきであるのに政権にとって不都合な情報が隠蔽される可能性があるのでは、情報の公開・非公開の指定は第三者機関が行うべきではないかというのが反対派の主な意見です。あんまり長く書きたくないのでスパッと言いますが、その時々の政権が不都合な情報を隠すのは当たり前で、なにわかりきったこと抜かしているんだと反対派の人間の知見を私は疑います。
これはなにもこの法案が出来る、出来ない以前の問題であって、そもそもこれまでの数多くの政権は何度も不都合な情報を隠蔽したり、ミスリードさせてきているのだから、今更になってこういう事言うってのは批判の論点がどう考えてもおかしいでしょう。もっともこういう風に私が言ったら、「確かにそうかもしれないが、今回の法案が出来ることによって政府の隠蔽にお墨付きを与えることになる」なんて反論が来るかもしれませんが、法律的に是であっても民意がそれに納得するかは別で、仮に非公開とされた情報が不適当とみなされれば「法律的には問題ない」と政府が言ったところで国民は批判を続けるでしょうし、政権もダメージを受けることとなります。この議論に限るわけじゃないけど、一部マスメディアや論者の意見の根底には国民を馬鹿にしたような視点を強く感じます。
むしろ私としては、法制化する以前にこれまでも多くの政権がその時々の都合によって、法律のお墨付きなしに無制限で情報を秘匿してきたのだから、むしろ法制化することによっていくらか制限が付けられるようになると感じます。また第三者機関についてもこれは政府の意見と全く同じですが、情報開示範囲が広がるにつれて情報が遅漏する可能性も増える事を考えると私個人としてはするべきではないと思えます。
あともう一つ言いたいこととして、一部のマスコミ関係者はこの法案が成立することによって取材が制限される、報道関係者が処罰を受ける可能性があると述べていますが、この点については秘匿する情報を報道関係者が取材によって得たとしてもその報道関係者は罰されないということが明文化されているのでもはや杞憂に過ぎないと思います。それでも政府は信用できない、あれこれ理由を付けて記者を処罰、拘留するのではと言う人もいますが、記者であるならガキみたいに逮捕なんかいちいち恐れてんじゃねぇよ、と声を大にして私は言いたいです。
こんなこと言うのも自分が力の論理で物事を考えるのと、中国でジャーナリストしていたということが大きいと思います。言うまでもなく中国では法律なんて関係なしにジャーナリストへの妨害は当たり前に行われているし、私なんかは冒険することはなかったけど向こうの現地記者は当局の弾圧に対して逮捕されても妨害されてもめげず、抗議することもあればきわどい活動を潜り抜けるなどしてでも情報の取得、公開に動きます。
そんな中国のジャーナリストに比べ、日本のジャーナリストが言う事がこれかと思うとはっきり言って情けない限りです。言ってしまえば自らが攻撃すべき対象である政府に対して身の安全を保障した上で情報を公開してくれと言っているようなもんで、そんな骨のない意見を言っていて恥ずかしくないのかと私は問いたい。本当にジャーナリストであると自覚するのであれば、逮捕されようがされまいが、自分が公開するべきと思った情報は何をしてでも奪い取り、どんなに敵を作ろうが公開するものだろう。むしろ、弾圧されるリスクがあるのだからこそ公開するべき情報の価値も上がるっていうのに。
何も中国を見習えとまでは言いませんが、命を簡単にとられるわけじゃないのに細かいことでピーピーわめくな、どんだけぬるま湯につかっているんだということを日本の報道界に言いたいというのが、この問題に対する私の意見です。
最後にもう一つおまけですが、この特定秘密保護法案について民主党は何も意見を言うべきではないと私が考えます。その理由と言うのも二年前の尖閣諸島沖の漁船衝突事故で、事故直後は海上保安庁が撮影した衝突シーンのビデオを自分たちの都合で公開しなかったからです。結局流出することとなりましたが現段階においてもあのビデオは公開するべき映像だったと私は考えており、政府の恣意的な選択がどうとかこうとかは自分たちの行為を振り返ってから抜かせと、自分以外にも誰か一人くらいは言うかと思ってたんだけどなぁ。
2013年11月13日水曜日
小泉元首相の脱原発宣言について
どうでもいいですが先程放送されたクローズアップ現代にて、私が今プレイしている「セインツロウザサード」というゲームに使われているBGM(キャラメイクシーン)が何故だか使われていました。このゲームは暴力ゲームとして有名な「グランドセフトオート」のクローンゲーム(=パクリゲーム)の一つなのですが、歩道を車でかっ飛ばせられたり街中で火炎瓶が投げつけられたりなどと自由度が売りです。とりわけキャラメイクの自由度が高くなんでも作れるため、こんなのとかあんなの、果てにはこんな人までゲーム上で再現できます。なお私はゲームの世界観が近いように思えるため、漫画の「ブラックラグーン」に出てくるレヴィというキャラに近い造形にして、ちゃんと二丁拳銃にして暴れ回っています。
そんな本当に本題と関係ないことは置いといて、このところ政治関連で取り上げなきゃいけないネタが多いのですが忙しさにかまけてサボりまくっています。ただそろそろ腹をくくって何か書かなきゃと思って選んだテーマというのも、見出しに掲げた小泉元首相の脱原発に関わる活動です。
皆さんも知っておいでかと思いますが政界を既に引退している小泉純一郎元首相がこのところ自ら記者会見を開くなどして、政府に対し迅速な全原発の廃炉、原子力発電の放棄を求めています。とりわけ自分が目をかけて育てた安倍首相に対しては名指しで速やかな決断を求めており、メディアの扱いも非常に大きなものとなっております。
一体何故小泉元首相は脱原発を唱えるようになったのか。あくまで私の推測ではありますが小泉元首相はいい意味で物事を突き詰めて単純化するため、会見でも言っていたように放射性廃棄物の処理の不可能性、そして事故時の被害の大きさから考えて使用するべきではないと考えたのだと思います。私としても上記の意見、特に放射性廃棄物が無害化するまでに予測値で数万年以上かかると言われており、将来の世代に巨大な負債を残すことを考えると同意するところの方が大きいです。
それにしてもというか小泉元首相が引退後、こうして表立って行動子発現することについて私は正直に驚きました。というのも小泉元首相は引退した政治家が影響力を行使することに対し、田中角栄に対する反骨心からか強い拒否感を昔から示しており、実際に首相退陣後は早々と国会議員を辞めただけでなく主だった政治活動も控えられていました。
それだけに今回の脱原発に関わる活動はかなり本気というか、彼自身も自分の不文律を破ってでも主張せねばと考えたのでしょう。こういってはなんですがその気持ちもわからなくはないというか、震災直後と比べて原発に対する拒否感が日本国内で日に日に薄れてきているというのは実感します。とはいえ私は小泉元首相の主張する即全廃炉は現実的ではなく、30年スパンくらいで徐々に廃炉を進めていくプランを前から推しているのですが、こういう徐々に依存度を下げていくという計画もこのところは聞かれなくなっており、「今すぐ全廃炉だ!」と主張でもしないとバランスとれないのかなと思っていた矢先でした。
対する安倍首相の側ですが、正直な所、野党なんかよりずっと手ごわい敵が突然現れたといったところでしょう。私の主観だと安倍首相と財界は極端にパイプが太いわけでなく彼自身は原発利権とは関わりがないように見えますが、電力供給が決して盤石でなく化石燃料の輸入額が著しく上昇している現状を鑑みて、原発を維持、または促進する立場を取っているのだと思います。言うなれば、安倍首相は現実路線というわけです。
小泉元首相も間違いなく現実路線派の政治家でありますが、その彼から見ても原発の維持は問題だと感じるているのだと思います。その上で付け加えると、小泉元首相は安倍首相ならば原発放棄を決断してくれるのではないかと可能性を感じているのだとも思えます。元々仲のいい二人だし、安倍首相も上記のように原発利権を持っているわけでなく、またここぞというところで決断するタイプであるので、今は周囲の政治家や状況に振り回されているがきちんと論を通せばわかってくれるはずだと小泉首相は思って、彼に名指しで決断を促しているように私には見えます。
ただ実際に原発放棄が実行されるかとなるとやはりその可能性は低いと言わざるを得ません。仮にそのような決断がなされたら日本のエネルギー事情はひっくり返り貿易赤字額も天文学的に高まることでしょう。ただそうは言うものの、どんだけ赤字を垂れ流しても日本は原発を放棄するべきじゃないのかと思う心も一抹有ります。頼みの綱はカナダとも契約したシェールガスですが、長期的な展望に立ってエネルギーを考える時期に来ているかも知れません。
今日は指がかじかんでタイプミスがやけに多かったです。
そんな本当に本題と関係ないことは置いといて、このところ政治関連で取り上げなきゃいけないネタが多いのですが忙しさにかまけてサボりまくっています。ただそろそろ腹をくくって何か書かなきゃと思って選んだテーマというのも、見出しに掲げた小泉元首相の脱原発に関わる活動です。
皆さんも知っておいでかと思いますが政界を既に引退している小泉純一郎元首相がこのところ自ら記者会見を開くなどして、政府に対し迅速な全原発の廃炉、原子力発電の放棄を求めています。とりわけ自分が目をかけて育てた安倍首相に対しては名指しで速やかな決断を求めており、メディアの扱いも非常に大きなものとなっております。
一体何故小泉元首相は脱原発を唱えるようになったのか。あくまで私の推測ではありますが小泉元首相はいい意味で物事を突き詰めて単純化するため、会見でも言っていたように放射性廃棄物の処理の不可能性、そして事故時の被害の大きさから考えて使用するべきではないと考えたのだと思います。私としても上記の意見、特に放射性廃棄物が無害化するまでに予測値で数万年以上かかると言われており、将来の世代に巨大な負債を残すことを考えると同意するところの方が大きいです。
それにしてもというか小泉元首相が引退後、こうして表立って行動子発現することについて私は正直に驚きました。というのも小泉元首相は引退した政治家が影響力を行使することに対し、田中角栄に対する反骨心からか強い拒否感を昔から示しており、実際に首相退陣後は早々と国会議員を辞めただけでなく主だった政治活動も控えられていました。
それだけに今回の脱原発に関わる活動はかなり本気というか、彼自身も自分の不文律を破ってでも主張せねばと考えたのでしょう。こういってはなんですがその気持ちもわからなくはないというか、震災直後と比べて原発に対する拒否感が日本国内で日に日に薄れてきているというのは実感します。とはいえ私は小泉元首相の主張する即全廃炉は現実的ではなく、30年スパンくらいで徐々に廃炉を進めていくプランを前から推しているのですが、こういう徐々に依存度を下げていくという計画もこのところは聞かれなくなっており、「今すぐ全廃炉だ!」と主張でもしないとバランスとれないのかなと思っていた矢先でした。
対する安倍首相の側ですが、正直な所、野党なんかよりずっと手ごわい敵が突然現れたといったところでしょう。私の主観だと安倍首相と財界は極端にパイプが太いわけでなく彼自身は原発利権とは関わりがないように見えますが、電力供給が決して盤石でなく化石燃料の輸入額が著しく上昇している現状を鑑みて、原発を維持、または促進する立場を取っているのだと思います。言うなれば、安倍首相は現実路線というわけです。
小泉元首相も間違いなく現実路線派の政治家でありますが、その彼から見ても原発の維持は問題だと感じるているのだと思います。その上で付け加えると、小泉元首相は安倍首相ならば原発放棄を決断してくれるのではないかと可能性を感じているのだとも思えます。元々仲のいい二人だし、安倍首相も上記のように原発利権を持っているわけでなく、またここぞというところで決断するタイプであるので、今は周囲の政治家や状況に振り回されているがきちんと論を通せばわかってくれるはずだと小泉首相は思って、彼に名指しで決断を促しているように私には見えます。
ただ実際に原発放棄が実行されるかとなるとやはりその可能性は低いと言わざるを得ません。仮にそのような決断がなされたら日本のエネルギー事情はひっくり返り貿易赤字額も天文学的に高まることでしょう。ただそうは言うものの、どんだけ赤字を垂れ流しても日本は原発を放棄するべきじゃないのかと思う心も一抹有ります。頼みの綱はカナダとも契約したシェールガスですが、長期的な展望に立ってエネルギーを考える時期に来ているかも知れません。
今日は指がかじかんでタイプミスがやけに多かったです。
2013年11月12日火曜日
先輩と食べたエスニック料理
このところ副業が忙しいので今日も軽めの記事で一本。
二週間前に大学の先輩が、「東京ビッグサイトの展示会に出るから泊めて」って言って泊まりに来たのですがその際に、「豊前市では食べられないものを食べたいから、和食、韓国料理、中華料理、インド料理はNGね」なんて面倒くさい要求を出して来たので、二日連続でエスニック料理を食べる羽目となりました。
一日目はもう一人連れを連れて上野にあるタイ料理屋に行きました。私自身は何ともありませんでしたがそのやってきた先輩はどうもタイ料理独特のあの酸っぱいにおいが駄目だったようで、トムヤンクンに至っては一口で食べるのをやめちゃいました。実際、タイ料理は合う人と合わない人ではっきり差が出る料理に思え、中国にいる時も宴会会場にタイ料理屋が使われた際はあまり箸が進まない出席者が多かったです。なお香港だとタイ人もいっぱい住んでいることからタイ料理屋どころかタイ料理チェーンも多く、向こうにいた時はよく食べてました。
でもって本番の二日目。二日目に行った店は私の家の近くなのですが、例の先輩が私が家の住所を教えたところ、「君の家の近くにロシア料理の店があるね。行ってみよう!」なんて勝手に食べログで調べて見つけてきた店でした。といっても私自身もロシア料理は物珍しく、面白い提案だと思ってすぐ乗ったわけなのですが。
そんな具合で行ってみたロシア料理のお店。別に隠す必要もないので明かすと「サハリン」という名前のお店で、文字通りサハリン出身のロシア人のお姉さんがやっているお店でした。もっとも生まれはウクライナだと言ってたが。
ロシア料理といっても私が知っているのはピロシキだけだったのですが、訪れてメニューを見た限りだとひき肉とジャガイモを使った料理が多かったように思えます。あとボルシチはその日のスープに入っていなかったので飲めませんでしたが、スープ料理も普通においしかったです。系統的にはやはり欧州式というか、イメージだとドイツ料理っぽい印象を受けます。
ちなみに私は大学4回生の頃になぜかロシア語の授業を一年間受けていたので試しにお店の人にロシア語であいさつしてみたらちゃんと通じていて、「発音きれいね」と褒められました。中国語の発音も現地で毎回褒められるし自分でもそこそこ自信持っていますが、意外にこっちの方面で才能あったのかなとちょっといい気分になれました。ただ、なんで自分は中国といいロシアといい旧共産圏ばかり好きになるのか、すこし複雑な気分にもなります。
二週間前に大学の先輩が、「東京ビッグサイトの展示会に出るから泊めて」って言って泊まりに来たのですがその際に、「豊前市では食べられないものを食べたいから、和食、韓国料理、中華料理、インド料理はNGね」なんて面倒くさい要求を出して来たので、二日連続でエスニック料理を食べる羽目となりました。
一日目はもう一人連れを連れて上野にあるタイ料理屋に行きました。私自身は何ともありませんでしたがそのやってきた先輩はどうもタイ料理独特のあの酸っぱいにおいが駄目だったようで、トムヤンクンに至っては一口で食べるのをやめちゃいました。実際、タイ料理は合う人と合わない人ではっきり差が出る料理に思え、中国にいる時も宴会会場にタイ料理屋が使われた際はあまり箸が進まない出席者が多かったです。なお香港だとタイ人もいっぱい住んでいることからタイ料理屋どころかタイ料理チェーンも多く、向こうにいた時はよく食べてました。
でもって本番の二日目。二日目に行った店は私の家の近くなのですが、例の先輩が私が家の住所を教えたところ、「君の家の近くにロシア料理の店があるね。行ってみよう!」なんて勝手に食べログで調べて見つけてきた店でした。といっても私自身もロシア料理は物珍しく、面白い提案だと思ってすぐ乗ったわけなのですが。
そんな具合で行ってみたロシア料理のお店。別に隠す必要もないので明かすと「サハリン」という名前のお店で、文字通りサハリン出身のロシア人のお姉さんがやっているお店でした。もっとも生まれはウクライナだと言ってたが。
ロシア料理といっても私が知っているのはピロシキだけだったのですが、訪れてメニューを見た限りだとひき肉とジャガイモを使った料理が多かったように思えます。あとボルシチはその日のスープに入っていなかったので飲めませんでしたが、スープ料理も普通においしかったです。系統的にはやはり欧州式というか、イメージだとドイツ料理っぽい印象を受けます。
ちなみに私は大学4回生の頃になぜかロシア語の授業を一年間受けていたので試しにお店の人にロシア語であいさつしてみたらちゃんと通じていて、「発音きれいね」と褒められました。中国語の発音も現地で毎回褒められるし自分でもそこそこ自信持っていますが、意外にこっちの方面で才能あったのかなとちょっといい気分になれました。ただ、なんで自分は中国といいロシアといい旧共産圏ばかり好きになるのか、すこし複雑な気分にもなります。
2013年11月10日日曜日
中国人の食へのこだわり
リンクを結んでいる潮風大使さんから質問を受けたので、今日は中国人の職への意識について自分の思うところを書いてきます。
まず前提論として、うろ覚えですが格闘(?)漫画として非常に有名な「バキ」の作中で範馬勇次郎が、「中国人は本能的欲求に対し忠実で強くこだわる」というような内容のセリフを言うシーンがあります。私はこのセリフが非常にツボにはまり「その通りや!」と手を打つほどだったのですが、中国人というのは食事や博打といった行為に対して並々ならぬこだわりを持つとともに研鑽をする民族だと考えています。
博打において代表的なのは麻雀ですがそれは今回置いといて、食事に関しても単純に「上手いもの食べたい」という欲求が非常に強く、それが中華料理というジャンルの発展に繋がったように思えます。そのこだわりようは味だけにとどまらず、健康面においてもどれだけ体にいいかという点についても詳しく研究されています。
では実際の中国人はどれだけ食を意識しているかですが、私の正直な感想を述べると、日本人以外にも体にいいかどうかを考えて食事取る民族がいたんだ、というのが本音です。というのも欧米人はびっくりするくらい食事への意識が低く、日本人なら肉を大量に食べたら野菜食べなきゃ、魚も定期的に食べなきゃと考えますがアメリカ人だと一食で肉なら肉だけ取ることもあり、栄養のバランスについてほとんど何も考えません。イギリスに至っては味の面で論外で、ドイツに入ったことないけどジャガイモ料理ばっかな印象があります。
それに対して中国人ですが、やっぱり「野菜は多く食べなきゃ」と誰もが理解してます。私が体験したエピソードだと、前の会社で中国人運転手と移動中に普段何を食べているのかと聞かれ、「蘭州ラーメンばっかで基本外食だ」と答えたら「ちゃんと自分で料理しなくちゃ。野菜たべないと体壊すよ」なんて注意されました。なお中国では男も日常的に料理して、家族そろって夕飯を食べることが大事だと考える家庭が多いです。
最後に中国における職の意識への地域差についてですが、もしかしたらあるのかもしれませんが少なくとも私自身は皆目わかりません。あくまで印象ですが福建省とか広東省など南方の方が食い意地貼っているというか何でも食べて、でもって味にもこだわりがある気がします。その影響なのか広東出身や福建出身の多い香港は一般市民においてもレストランの味に対する評価が厳しく、ミドルクラスのレストランはその競争の激しさからかどこもおいしい店が多いです。
まず前提論として、うろ覚えですが格闘(?)漫画として非常に有名な「バキ」の作中で範馬勇次郎が、「中国人は本能的欲求に対し忠実で強くこだわる」というような内容のセリフを言うシーンがあります。私はこのセリフが非常にツボにはまり「その通りや!」と手を打つほどだったのですが、中国人というのは食事や博打といった行為に対して並々ならぬこだわりを持つとともに研鑽をする民族だと考えています。
博打において代表的なのは麻雀ですがそれは今回置いといて、食事に関しても単純に「上手いもの食べたい」という欲求が非常に強く、それが中華料理というジャンルの発展に繋がったように思えます。そのこだわりようは味だけにとどまらず、健康面においてもどれだけ体にいいかという点についても詳しく研究されています。
では実際の中国人はどれだけ食を意識しているかですが、私の正直な感想を述べると、日本人以外にも体にいいかどうかを考えて食事取る民族がいたんだ、というのが本音です。というのも欧米人はびっくりするくらい食事への意識が低く、日本人なら肉を大量に食べたら野菜食べなきゃ、魚も定期的に食べなきゃと考えますがアメリカ人だと一食で肉なら肉だけ取ることもあり、栄養のバランスについてほとんど何も考えません。イギリスに至っては味の面で論外で、ドイツに入ったことないけどジャガイモ料理ばっかな印象があります。
それに対して中国人ですが、やっぱり「野菜は多く食べなきゃ」と誰もが理解してます。私が体験したエピソードだと、前の会社で中国人運転手と移動中に普段何を食べているのかと聞かれ、「蘭州ラーメンばっかで基本外食だ」と答えたら「ちゃんと自分で料理しなくちゃ。野菜たべないと体壊すよ」なんて注意されました。なお中国では男も日常的に料理して、家族そろって夕飯を食べることが大事だと考える家庭が多いです。
最後に中国における職の意識への地域差についてですが、もしかしたらあるのかもしれませんが少なくとも私自身は皆目わかりません。あくまで印象ですが福建省とか広東省など南方の方が食い意地貼っているというか何でも食べて、でもって味にもこだわりがある気がします。その影響なのか広東出身や福建出身の多い香港は一般市民においてもレストランの味に対する評価が厳しく、ミドルクラスのレストランはその競争の激しさからかどこもおいしい店が多いです。
2013年11月9日土曜日
空気を食す民族
以前に「阪急阪神ホテルズのメニュー偽装問題について」の記事で食品素材の誤表示問題を取り上げましたが、私というか多くの人間の予想通りに阪急阪神ホテルズの後を続く形で国内のホテル、レストランで同じような発表が続いております。おかげさまでこの記事もここ最近のアクセスゲッターとなっており、アクセス数が第一というわけじゃないもののやはりうれしい限りです。
それにしてもというかこの問題、自分が当初に予想していた以上に長引くというか後を引いているように思います。中には国産牛と偽ってオージービーフを出していたというトンデモ例も出てきましたし、あと「芝エビ」のかわりに「バナメイエビ」を使うという例があまりにも多いせいでバナメイエビ名前を覚えてしまいました。バナメイエビも悪い例として日本人に名前覚えられてしまい、なんだか不憫な気がするし。
バナメイエビはともかくとしてこの問題に関し、このまえ面白い評論を読みました。その評論で書かれていた内容というのも日本人は素材に対して強いブランド意識を持つ傾向があり、お米でも各種のブランド米があったりなどと場合によっては出される料理以上に使われている素材の方に目を向けて価値を感じることもあると指摘していました。なかなか言い得て妙だと思うのと同時に、確かに日本人は食べた料理がどれだけおいしかったのかよりもどんな料理を食べたのか、下手したらどんな食材をどこで食べたのかを自慢することが多いように思えます。言うなれば、食べた料理の味よりも出される料理の金銭的、ブランド的価値の方に重みを置いており、だからこそ今回の様な事件も起きたのかもしれません。
さて、この記事の見出しには「空気を食す民族」と銘打ちましたが、我ながら随分と皮肉っぽくなったもんだと思えます。空気を食すっていったって仙人みたいに霞を食べるわけでなく、その意味するところは「舌に感じる料理の味よりもそのシチュエーションの空気を味わうことに重きを置く」ということにあり、前記の様な日本人の性質の様な傾向を批判的に表現した限りです。
全員が全員と言い切るつもりは全く有りませんが、やはり日本人は内面的な実質的価値よりも外形的な表面的価値を強く追う傾向がある気がします。行ってしまえば中身よりも外見を明らかに優先するということで、先程の食品表示問題についていうと料理の味という実質的価値よりもその料理に使われた素材にこだわり、それが表示と違っていたら怒りを見せるといったところから言えるように思えます。
ここで全然別の話を一つ持ってきますが、日本でスポーツジムに通う人の運動量を測定した所、なんとその運動量は犬の散歩をしている人より少なかったという結果が出たそうです。確かに犬の散歩はその優雅な見た目に比べて意外にハードなだけなのかもしれませんが、「運動をする」という目的のための施設に通う人よりもペットの世話をしている人の方が運動しているなんてなんじゃそりゃと言いたくなってきます。
もちろんスポーツジムに置いてある器具なり設備をしっかり使えば相当な運動量を叩き出せて効率的な体力の増強、維持管理を行うことが出来るでしょう。しかし上記の実験結果によると実際には通っている人の大半はお金を払っておきながらもちんけな運動量しか運動していおらず、きつい言い方をすると効率的なお金の使い方をあまりしていないわけです。一体なんでこんなことが起こるのかというと、これまたきつい言い方をするとジムに通っている人間はジムに通う自分に酔っているというべきか、実際に「運動する」ことよりも「運動するための活動(=ジム通い)をしている」ことに満足してしまっている、むしろその満足感を求めているんじゃないかと思います。言い換えればジムにお金を払うというのはその満足感を買うためであって、実際にどれだけ運動するかは二の次というわけです。
以上のスポーツジムの例に限らず、ポーズだけで中身を伴わない、問わないという活動や評価が日本には非常に多く感じます。社内で問題起きたら対策本部を設置してそれで終了し、実際に対策内容は問わなかったり、その製品がどれだけの機能を持ってどう活用できるのかをあまり考えたりせず流行っているからという理由で買ったりなど。こういう外形的価値を追うことは何も日本に限るわけじゃありませんが日本の場合はやっぱりそれが他国と比べても強いと感じるわけです。
そのためというか日本は実質的な価値がなくても、なんとなくな雰囲気とかそういうものがあれば喜んでお金を出してしまうんじゃないのか、いわばいい空気を感じるためならあまり中身を問わないんじゃないのかと思うわけです。エラそうな言い方をしていますが私も日本人の一員であるだけにそうした行動が全くないというわけじゃなく、過去を振り返れば結構思い当たる節が数多くあります。
しかし中国に行ってきたせいかもしれませんが、やはり以前よりも「じゃあそれで何が出来るんだ」というものを重視するようになってきた気がします。そして同時に、日本人の中身よりも外見を重視する傾向は現代においてマイナスに作用し始めているとも思えてきたわけです。
なんでもかんでも費用対効果で実質的価値ばかり追うのはロマンもないし面白くないでしょうが、それでも今の日本人全体にとってはもう少し外面よりも中身に目を向けた方がいいと私は主張します。空気なんか食べたって腹の足しにならないのだし、高級ホテルで食べようが下町の食堂で食べようが、まずいものはまずいのだしうまいものはうまいのだし、どこそこで食べたからというよりもうちょっと自分の舌なり感覚なりを動員してどう自分が感じたかをみんな意識した方がいいというのが今日の私の意見です。
おまけ
高校時代によく、「花園君はなんでスポーツジムに通わないの?」と結構聞かれました。はっきり言ってジム通いなんかより高校の部活の方が圧倒的に運動量多いのはわかりきったことですがそれは置いといて、なんでこんなこと聞かれまくったのかというと自分の体形が妙なせいだったからだでしょう。
自分の体形はやせ形もいいとこですが脂肪がない分、妙にすっきりしていてなんか激しく鍛えているように見えるようです。少なくともウエストに関しては明らかに常人を逸脱しており、今日たまたま近くで洋服の青山がオープンして安かったからスーツを買いましたが、YA4のサイズでもウエストが余るのでさらにここからサイズを詰めてもらいました。でもって自分のウエストのサイズ測る際に店員が毎回、「Σ(゚д゚;)エェッ」って顔してくるのもだいぶ慣れました。
それにしてもというかこの問題、自分が当初に予想していた以上に長引くというか後を引いているように思います。中には国産牛と偽ってオージービーフを出していたというトンデモ例も出てきましたし、あと「芝エビ」のかわりに「バナメイエビ」を使うという例があまりにも多いせいでバナメイエビ名前を覚えてしまいました。バナメイエビも悪い例として日本人に名前覚えられてしまい、なんだか不憫な気がするし。
バナメイエビはともかくとしてこの問題に関し、このまえ面白い評論を読みました。その評論で書かれていた内容というのも日本人は素材に対して強いブランド意識を持つ傾向があり、お米でも各種のブランド米があったりなどと場合によっては出される料理以上に使われている素材の方に目を向けて価値を感じることもあると指摘していました。なかなか言い得て妙だと思うのと同時に、確かに日本人は食べた料理がどれだけおいしかったのかよりもどんな料理を食べたのか、下手したらどんな食材をどこで食べたのかを自慢することが多いように思えます。言うなれば、食べた料理の味よりも出される料理の金銭的、ブランド的価値の方に重みを置いており、だからこそ今回の様な事件も起きたのかもしれません。
さて、この記事の見出しには「空気を食す民族」と銘打ちましたが、我ながら随分と皮肉っぽくなったもんだと思えます。空気を食すっていったって仙人みたいに霞を食べるわけでなく、その意味するところは「舌に感じる料理の味よりもそのシチュエーションの空気を味わうことに重きを置く」ということにあり、前記の様な日本人の性質の様な傾向を批判的に表現した限りです。
全員が全員と言い切るつもりは全く有りませんが、やはり日本人は内面的な実質的価値よりも外形的な表面的価値を強く追う傾向がある気がします。行ってしまえば中身よりも外見を明らかに優先するということで、先程の食品表示問題についていうと料理の味という実質的価値よりもその料理に使われた素材にこだわり、それが表示と違っていたら怒りを見せるといったところから言えるように思えます。
ここで全然別の話を一つ持ってきますが、日本でスポーツジムに通う人の運動量を測定した所、なんとその運動量は犬の散歩をしている人より少なかったという結果が出たそうです。確かに犬の散歩はその優雅な見た目に比べて意外にハードなだけなのかもしれませんが、「運動をする」という目的のための施設に通う人よりもペットの世話をしている人の方が運動しているなんてなんじゃそりゃと言いたくなってきます。
もちろんスポーツジムに置いてある器具なり設備をしっかり使えば相当な運動量を叩き出せて効率的な体力の増強、維持管理を行うことが出来るでしょう。しかし上記の実験結果によると実際には通っている人の大半はお金を払っておきながらもちんけな運動量しか運動していおらず、きつい言い方をすると効率的なお金の使い方をあまりしていないわけです。一体なんでこんなことが起こるのかというと、これまたきつい言い方をするとジムに通っている人間はジムに通う自分に酔っているというべきか、実際に「運動する」ことよりも「運動するための活動(=ジム通い)をしている」ことに満足してしまっている、むしろその満足感を求めているんじゃないかと思います。言い換えればジムにお金を払うというのはその満足感を買うためであって、実際にどれだけ運動するかは二の次というわけです。
以上のスポーツジムの例に限らず、ポーズだけで中身を伴わない、問わないという活動や評価が日本には非常に多く感じます。社内で問題起きたら対策本部を設置してそれで終了し、実際に対策内容は問わなかったり、その製品がどれだけの機能を持ってどう活用できるのかをあまり考えたりせず流行っているからという理由で買ったりなど。こういう外形的価値を追うことは何も日本に限るわけじゃありませんが日本の場合はやっぱりそれが他国と比べても強いと感じるわけです。
そのためというか日本は実質的な価値がなくても、なんとなくな雰囲気とかそういうものがあれば喜んでお金を出してしまうんじゃないのか、いわばいい空気を感じるためならあまり中身を問わないんじゃないのかと思うわけです。エラそうな言い方をしていますが私も日本人の一員であるだけにそうした行動が全くないというわけじゃなく、過去を振り返れば結構思い当たる節が数多くあります。
しかし中国に行ってきたせいかもしれませんが、やはり以前よりも「じゃあそれで何が出来るんだ」というものを重視するようになってきた気がします。そして同時に、日本人の中身よりも外見を重視する傾向は現代においてマイナスに作用し始めているとも思えてきたわけです。
なんでもかんでも費用対効果で実質的価値ばかり追うのはロマンもないし面白くないでしょうが、それでも今の日本人全体にとってはもう少し外面よりも中身に目を向けた方がいいと私は主張します。空気なんか食べたって腹の足しにならないのだし、高級ホテルで食べようが下町の食堂で食べようが、まずいものはまずいのだしうまいものはうまいのだし、どこそこで食べたからというよりもうちょっと自分の舌なり感覚なりを動員してどう自分が感じたかをみんな意識した方がいいというのが今日の私の意見です。
おまけ
高校時代によく、「花園君はなんでスポーツジムに通わないの?」と結構聞かれました。はっきり言ってジム通いなんかより高校の部活の方が圧倒的に運動量多いのはわかりきったことですがそれは置いといて、なんでこんなこと聞かれまくったのかというと自分の体形が妙なせいだったからだでしょう。
自分の体形はやせ形もいいとこですが脂肪がない分、妙にすっきりしていてなんか激しく鍛えているように見えるようです。少なくともウエストに関しては明らかに常人を逸脱しており、今日たまたま近くで洋服の青山がオープンして安かったからスーツを買いましたが、YA4のサイズでもウエストが余るのでさらにここからサイズを詰めてもらいました。でもって自分のウエストのサイズ測る際に店員が毎回、「Σ(゚д゚;)エェッ」って顔してくるのもだいぶ慣れました。
2013年11月6日水曜日
山西省の共産党庁舎前爆発事件に対する見解
このところ秘密のお仕事が忙しいので今日はサボろうかと思っていたらまた中国で爆発が起きたので、さすがにこれは放っておけないので今日も頑張って書きます。ちなみにこの前、かなり久々に大学の同期生と会ってきましたが、「よくもまぁ毎日ブログを書き綴っていられるね」とやっぱり言われました。同期生らはみんなフェイスブックをやっていて写真とかすぐアップしてましたが、フェイスブックやツイッター、ミクシだと文字量少なくて自分には合わないんだよね。
・計画的犯行、小型時限爆弾か=中国公安、「テロ」で捜査―山西省共産党委前の事件(時事通信)
そんなかんだでようやく本題ですが、報道で皆さんも知っているかと思いますが本日、中国の山西省太原市にある共産党委員会庁舎前で小型爆弾が連続して爆発。1人が死亡、8人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起こりました。爆弾は少なくとも5ヶ所に連続して爆発するように設置され、しかも殺傷能力を高めるためにベアリングが入れられていたとも報じられており、看過することのできないテロ事件と言って間違いないでしょう。
今回の事件はその爆弾の威力もさることながら、事件が起こったこのタイミングの方に注目する人も少なくありません。というのも先週月曜日の10/28、私も記事にしていますが北京の天安門前に自動車が突入し、炎上するという事件が起こっております。中国当局は天安門の事件についてウイグル族の独立派グループが計画・実行したテロ事件だとして既に数人の容疑者を逮捕していますが、米国をはじめとする先進国はこうした中国の見解について疑義を呈しており、起こった事件を口実にウイグル族の弾圧をしているのではないかとより詳細な捜査を求める始末です。
そんな最中に起きた今日の事件。見方によれば先週の事件に合わせて今週もウイグル族の独立派が起こしたテロ事件ではないかとも見れますし、前の事件とは全く関係なしに起こされたとも見えますし、ウイグル族とは別の反中国政府グループが起こしたのかもしれないしで現段階では何とも言えません。先程中国の新華社サイトなどを
ここから先は根拠のない、完全な私の推測を書き連ねていきます。
まず今日の事件の一報を見た際、中国共産党による自作自演の可能性を考えました。先週の天安門前の事件に引き続くように大きな事件を起こすことによってウイグル族のテログループの反攻だと断定し、彼らへの規制なりを強化するためわざと起こしたのではないかという考えですが、考えておきながらですがこれはやっぱり有り得ないでしょう。というのも、仮に中国共産党が自作自演の事件を起こすとしたらわざわざ自分たちの縄張りである共産党庁舎前ではまずやらず、郊外や市街地などで起こす気がします。連中は自分たちが傷つくのには敏感でも一般市民に関してはそうでもなさそうだし。また爆弾が5ヶ所でほぼ同時に爆発したという事実も、自演でやるにはちょっと大規模すぎます。
では誰が事件を起こしたのか。言われている通りにウイグル族のグループなのかというとちょっとまだ疑問があります。その理由というのも、先週の天安門前の自動車炎上事件が組織だった事件とは思えないからです。
先週の事件では炎上した社内にウイグル族の人が3人乗っていたと報じられ、これがウイグル族が疑われる要因となっておりますが、テロ事件とするには車でただ突っこむだけで手際がいいとは思えず、天安門前は確かにシンボリックな場所ではありますが共産党への怨みがあるというのなら今日の事件みたいに庁舎なり政府機関のある建物を狙うように思え、観光客が多い天安門前に突っ込んだというのはどこか自暴自棄な印象があります。前の記事でも書いてある通り、天安門前の事件に関しては個人の自暴自棄が生んだもののように思えます。
しかし今日の事件に関しては共産党の庁舎前、しかも殺傷能力の高い爆弾が使われたことから明確な意思を伴うテロ事件と言って間違いない気がします。しかもその矛先は確実に中国共産党へと向けられています。誰がどのような意図で起こしたのかは今後の捜査を待たないといけませんが、中国共産党が事態の鎮静を図るために犯人をでっちあげる可能性は全くないとは言えず、仮にそうなれば真犯人はどう動くのかと予測の幅は尽きません。
それでも私から一言だけ言わせてもらうと、他人を一方的に傷つけるこのようなテロ事件はどのような理由があっても許されるものではありません。中国の公安には是非とも犯人をでっちあげるのではなく真犯人をきちんと捜査して捕まえてもらいたいのもです。
・計画的犯行、小型時限爆弾か=中国公安、「テロ」で捜査―山西省共産党委前の事件(時事通信)
そんなかんだでようやく本題ですが、報道で皆さんも知っているかと思いますが本日、中国の山西省太原市にある共産党委員会庁舎前で小型爆弾が連続して爆発。1人が死亡、8人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起こりました。爆弾は少なくとも5ヶ所に連続して爆発するように設置され、しかも殺傷能力を高めるためにベアリングが入れられていたとも報じられており、看過することのできないテロ事件と言って間違いないでしょう。
今回の事件はその爆弾の威力もさることながら、事件が起こったこのタイミングの方に注目する人も少なくありません。というのも先週月曜日の10/28、私も記事にしていますが北京の天安門前に自動車が突入し、炎上するという事件が起こっております。中国当局は天安門の事件についてウイグル族の独立派グループが計画・実行したテロ事件だとして既に数人の容疑者を逮捕していますが、米国をはじめとする先進国はこうした中国の見解について疑義を呈しており、起こった事件を口実にウイグル族の弾圧をしているのではないかとより詳細な捜査を求める始末です。
そんな最中に起きた今日の事件。見方によれば先週の事件に合わせて今週もウイグル族の独立派が起こしたテロ事件ではないかとも見れますし、前の事件とは全く関係なしに起こされたとも見えますし、ウイグル族とは別の反中国政府グループが起こしたのかもしれないしで現段階では何とも言えません。先程中国の新華社サイトなどを
ここから先は根拠のない、完全な私の推測を書き連ねていきます。
まず今日の事件の一報を見た際、中国共産党による自作自演の可能性を考えました。先週の天安門前の事件に引き続くように大きな事件を起こすことによってウイグル族のテログループの反攻だと断定し、彼らへの規制なりを強化するためわざと起こしたのではないかという考えですが、考えておきながらですがこれはやっぱり有り得ないでしょう。というのも、仮に中国共産党が自作自演の事件を起こすとしたらわざわざ自分たちの縄張りである共産党庁舎前ではまずやらず、郊外や市街地などで起こす気がします。連中は自分たちが傷つくのには敏感でも一般市民に関してはそうでもなさそうだし。また爆弾が5ヶ所でほぼ同時に爆発したという事実も、自演でやるにはちょっと大規模すぎます。
では誰が事件を起こしたのか。言われている通りにウイグル族のグループなのかというとちょっとまだ疑問があります。その理由というのも、先週の天安門前の自動車炎上事件が組織だった事件とは思えないからです。
先週の事件では炎上した社内にウイグル族の人が3人乗っていたと報じられ、これがウイグル族が疑われる要因となっておりますが、テロ事件とするには車でただ突っこむだけで手際がいいとは思えず、天安門前は確かにシンボリックな場所ではありますが共産党への怨みがあるというのなら今日の事件みたいに庁舎なり政府機関のある建物を狙うように思え、観光客が多い天安門前に突っ込んだというのはどこか自暴自棄な印象があります。前の記事でも書いてある通り、天安門前の事件に関しては個人の自暴自棄が生んだもののように思えます。
しかし今日の事件に関しては共産党の庁舎前、しかも殺傷能力の高い爆弾が使われたことから明確な意思を伴うテロ事件と言って間違いない気がします。しかもその矛先は確実に中国共産党へと向けられています。誰がどのような意図で起こしたのかは今後の捜査を待たないといけませんが、中国共産党が事態の鎮静を図るために犯人をでっちあげる可能性は全くないとは言えず、仮にそうなれば真犯人はどう動くのかと予測の幅は尽きません。
それでも私から一言だけ言わせてもらうと、他人を一方的に傷つけるこのようなテロ事件はどのような理由があっても許されるものではありません。中国の公安には是非とも犯人をでっちあげるのではなく真犯人をきちんと捜査して捕まえてもらいたいのもです。
2013年11月5日火曜日
ヒトラーが溺愛した姪
ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーと聞いたら誰もがちょび髭のあの顔を思い浮かべることが出来るでしょう。更に詳しい人だとエヴァ・ブラウンという女性がヒトラーの愛人で、ヒトラーとは自決を行う直前に仮初めとはいえ結婚式を挙げたということも知ってるのではないかと思います。しかし今日紹介しようと思う「ゲリ・ラウバル」という、ある意味でヒトラーが最も本気になって少なからず彼の人生に影響を与えた女性については知らない人も多いのではないでしょうか。
・ゲリ・ラウバル(Wikipedia)
このゲリという女性はタイトルにも掲げた通り正真正銘のヒトラーの姪っ子で、具体的にはヒトラーの異母姉であるアンゲラ・ヒトラーの娘です。ヒトラーはナチ党のリーダーとなってその勢力を拡大するにつけて多忙となっていくのですが、自身の住居としてベルクホーフを構えると身の回りの世話として異母姉を呼び、それに伴って現れたのがゲリでした。
おじと姪っ子ですから年の差は随分と離れていましたがヒトラーはこの姪っ子にぞっこんだったようで人目をはばからずべたべたと接触し、またヒトラーらしいというか異常な執着心を見せて自分以外の男性を誰一人近づけさせないようにまでします。実際にヒトラーの運転手とゲリはそこそこいい仲にまで発展したそうですが、その事実を知るやヒトラーはその運転手を解雇する始末でした。
こうした姪への干渉は明らかに度が過ぎた物でヒトラーの周囲は誰もがヒトラーがゲリに特別な感情を抱いていると知っていたと言われる、というか当時の新聞にもスキャンダルっぽい記事で公にも報じられてたそうです。ただその出来合いぶりは文字通り以上で、終いには自由な外出を禁止して屋敷に軟禁させるかのようにしたそうです。
もちろんこんな措置、若い女の子には苦痛以外の何物でもないでしょう。こうした叔父の指図に対してゲリの側も段々と反抗してくるようになり、多分拘束から逃れたかったのかウィーンに行って声楽を学びたいと志願しますがヒトラーはこれを許しませんでした。
そして来る日が来たというか1931年の9月、ゲリは自室で突然拳銃自殺をしてしまいます。遺書は残されておらず自殺の理由については未だはっきりしませんがヒトラー自身は深い責任を感じ、「俺も自殺する」などと喚いては周囲のナチ党幹部を青ざめさせたそうです。これだけ書くとまるでヒトラーは構ってちゃんにしか見えませんがどうやらマジでショックだったらしく、ゲリの葬儀が行われた後には一時期行方不明になって、八方手を尽くして探し出してみるとなんとゲリが埋葬された墓の中でめそめそ泣いていたというから驚きです。歴史上の彼の姿からも思い込みが激しい人物像がうかがえるだけに、あのヒトラーならやりかねんとか私は考えちゃいます。
その後、周囲の幹部らの励ましによってどうにか立ち直って第三帝国を作るに至るわけですが、ある意味ここでヒトラーが政界から離れて一市民に戻っていれば彼自身にとっても、ドイツにとってもマシな未来になってた可能性があります。そう思うだに歴史は深いなぁと思うわけですが、さっきにも書いた通りに姪っ子をこれだけ溺愛する執着心と思い込みの激しさがあったからこそヒトラーなのであって、この仮定は仮定として成り立ちませんね。
・ゲリ・ラウバル(Wikipedia)
このゲリという女性はタイトルにも掲げた通り正真正銘のヒトラーの姪っ子で、具体的にはヒトラーの異母姉であるアンゲラ・ヒトラーの娘です。ヒトラーはナチ党のリーダーとなってその勢力を拡大するにつけて多忙となっていくのですが、自身の住居としてベルクホーフを構えると身の回りの世話として異母姉を呼び、それに伴って現れたのがゲリでした。
おじと姪っ子ですから年の差は随分と離れていましたがヒトラーはこの姪っ子にぞっこんだったようで人目をはばからずべたべたと接触し、またヒトラーらしいというか異常な執着心を見せて自分以外の男性を誰一人近づけさせないようにまでします。実際にヒトラーの運転手とゲリはそこそこいい仲にまで発展したそうですが、その事実を知るやヒトラーはその運転手を解雇する始末でした。
こうした姪への干渉は明らかに度が過ぎた物でヒトラーの周囲は誰もがヒトラーがゲリに特別な感情を抱いていると知っていたと言われる、というか当時の新聞にもスキャンダルっぽい記事で公にも報じられてたそうです。ただその出来合いぶりは文字通り以上で、終いには自由な外出を禁止して屋敷に軟禁させるかのようにしたそうです。
もちろんこんな措置、若い女の子には苦痛以外の何物でもないでしょう。こうした叔父の指図に対してゲリの側も段々と反抗してくるようになり、多分拘束から逃れたかったのかウィーンに行って声楽を学びたいと志願しますがヒトラーはこれを許しませんでした。
そして来る日が来たというか1931年の9月、ゲリは自室で突然拳銃自殺をしてしまいます。遺書は残されておらず自殺の理由については未だはっきりしませんがヒトラー自身は深い責任を感じ、「俺も自殺する」などと喚いては周囲のナチ党幹部を青ざめさせたそうです。これだけ書くとまるでヒトラーは構ってちゃんにしか見えませんがどうやらマジでショックだったらしく、ゲリの葬儀が行われた後には一時期行方不明になって、八方手を尽くして探し出してみるとなんとゲリが埋葬された墓の中でめそめそ泣いていたというから驚きです。歴史上の彼の姿からも思い込みが激しい人物像がうかがえるだけに、あのヒトラーならやりかねんとか私は考えちゃいます。
その後、周囲の幹部らの励ましによってどうにか立ち直って第三帝国を作るに至るわけですが、ある意味ここでヒトラーが政界から離れて一市民に戻っていれば彼自身にとっても、ドイツにとってもマシな未来になってた可能性があります。そう思うだに歴史は深いなぁと思うわけですが、さっきにも書いた通りに姪っ子をこれだけ溺愛する執着心と思い込みの激しさがあったからこそヒトラーなのであって、この仮定は仮定として成り立ちませんね。
2013年11月4日月曜日
PM2.5を排出しているのは誰か
・千葉県、市原市内複数地点で「PM2.5」測定と全県に注意喚起(FNN)
こうしてニュースリンクを貼るのもこのブログじゃ当たり前になっていますが、ブログ開設当初はリンクの貼り方すら知らずに最初やった時は結構ドキドキしたもんです。これに限るわけじゃないけど、慣れっていうのはいいと思う半面恐いな。
そういう戯言は置いといて本題ですが、本日千葉県市原市内にて説明不要のPM2.5が国が定めた1日の平均値である70マイクログラムを超える85マイクログラムが複数個所で観測されたことから、外出や屋外活動を控えるよう注意報を発令しました。まぁ今日はずっと雨降ってて外出ようにも出辛かったけどね。
このニュースを見て「これだから中国は」っていうのは簡単ですが、「中国じゃないとしたら?」と言う人は果たしてどれだけいるのか私には測りかねます。まぁ強気に出ると、こんなセリフ言うのも自分くらいなんじゃないのかな。
このニュース、リンク先の記事ではそこまで言及していませんが夕方のテレビニュースでは、「発生原因は不明ながらも、国内で発生した可能性が高い」という一言が付け加えられていました。
PM2.5は中国の大気汚染物質としてまるで日本全国民を洗脳するかの各メディアで現在においても大々的に報じられており、風にはこばれて日本の空気も汚染されていると被害者立場で取り上げられることも少なくありません。なので今日のこの千葉県のニュースも最初に書いたように「これだから中国は」という印象を持った方も多いように思えるのですが、私が思うに今日のPM2.5に関しては中国は全く関係ないと思います。
そう思う根拠は夕方のテレビニュースの言及だけでなく、観測ヶ所が千葉県だからです。仮に中国と距離的敵に近い西日本、具体的には北九州にある福岡県とか長崎県であれば中国の影響が十分に考えられますが、そうした地域を飛び越してスポット的に千葉県内で高濃度のPM2.5が観測されるというのはどう考えても理屈に合いません。じゃあ何が原因かって、そんなの日本国内のどこか、具体的には市原市周辺で放出する設備なりなんなりがあるということでしょう。
これ以前にも過去に環境問題の欺瞞性を追求した武田邦彦教授がテレビ番組(ホンマでっか!?TV)内にてPM2.5について、「日本の山の山頂など有り得ないところから観測されることもあり、中国からというより日本国内でどこかが輩出しているのだろう」と述べておりました。この発言はずっと頭に残っていたのですが、今日の千葉県内の観測を見てやっぱりそうだったのかと思った次第です。
さてここからが本題というか自分の真骨頂になるわけなのですが、「じゃあ一体どこが出しているのか」、と言いたいところですがちょっと焦点をずらし、「日本人は日本国内で犯人捜しをするつもりはないの?」と問いたいです。
先程にも書いた通りに日本人はメディアが総ぐるみでPM2.5というと中国が悪いといつも報じているせいでこの単語を見ると条件反射的に中国が輩出していると考えがちですが、少なくとも今日の観測に関しては日本国内で排出された可能性が高いわけです。またそれ以前にも、これまで日本の各地で観測されて中国が原因とみられていたものも、もしかしたら日本国内の誰かが原因だった可能性も捨て切れないわけです。比較的高いそのような可能性が考えられる中、日本人は国内で犯人捜しをする気があるのかと自分は問いたいわけです。
ちょっとテンション上がっているのとここ1ヶ月不調だった体調が回復傾向にあることから妙な言い回しが続きましたが要するに何を言いたいのかというと、日本人はPM2.5の問題の責任を全部中国になすりつけようとしているのではないか、それこそ日本人自身が輩出している量に関しても、そんな疑問がもたげているわけです。この問題ではいつも中国が悪者にされるばかりで明らかに中国が無関係と思われるケースについてはスルーされることが多く、学生時代の自分のような言い方すれば、都合の悪い事実は他人のせいにして自分は素知らぬ振りでも気取る気なのかよと吐き捨てたくなります。
結論を述べるとPM2.5が心配だっていうんなら犯人を捜せ。それでやはり中国に原因があるというのなら証拠をかき集めて突きつけ、改善しろと言うなり補償金を要求するなりすればいい。逆に日本国内の業者なりに原因があるっていう事が仮に分かったとしたら、その業者をつぶすなり設備改善を強制するなどといった対応を取るべきでしょう。もっとも、PM2.5なんてへっちゃらで自分のように始めから気にないってんならこんな犯人捜ししなくたっていいですがね。
一応念のために最後に書いておきますが、中国の大気汚染は紛れもない事実で私もかなりリアルに体験しています。しかしそれがどの程度日本の大気に影響を与えているかについてはもうちょっと検討する余地もあり、はっきりしないにもかかわらず他国というか他人を批判するのは恥ずかしい行為だと思えるのでこういう主張をしてみたわけです。
こうしてニュースリンクを貼るのもこのブログじゃ当たり前になっていますが、ブログ開設当初はリンクの貼り方すら知らずに最初やった時は結構ドキドキしたもんです。これに限るわけじゃないけど、慣れっていうのはいいと思う半面恐いな。
そういう戯言は置いといて本題ですが、本日千葉県市原市内にて説明不要のPM2.5が国が定めた1日の平均値である70マイクログラムを超える85マイクログラムが複数個所で観測されたことから、外出や屋外活動を控えるよう注意報を発令しました。まぁ今日はずっと雨降ってて外出ようにも出辛かったけどね。
このニュースを見て「これだから中国は」っていうのは簡単ですが、「中国じゃないとしたら?」と言う人は果たしてどれだけいるのか私には測りかねます。まぁ強気に出ると、こんなセリフ言うのも自分くらいなんじゃないのかな。
このニュース、リンク先の記事ではそこまで言及していませんが夕方のテレビニュースでは、「発生原因は不明ながらも、国内で発生した可能性が高い」という一言が付け加えられていました。
PM2.5は中国の大気汚染物質としてまるで日本全国民を洗脳するかの各メディアで現在においても大々的に報じられており、風にはこばれて日本の空気も汚染されていると被害者立場で取り上げられることも少なくありません。なので今日のこの千葉県のニュースも最初に書いたように「これだから中国は」という印象を持った方も多いように思えるのですが、私が思うに今日のPM2.5に関しては中国は全く関係ないと思います。
そう思う根拠は夕方のテレビニュースの言及だけでなく、観測ヶ所が千葉県だからです。仮に中国と距離的敵に近い西日本、具体的には北九州にある福岡県とか長崎県であれば中国の影響が十分に考えられますが、そうした地域を飛び越してスポット的に千葉県内で高濃度のPM2.5が観測されるというのはどう考えても理屈に合いません。じゃあ何が原因かって、そんなの日本国内のどこか、具体的には市原市周辺で放出する設備なりなんなりがあるということでしょう。
これ以前にも過去に環境問題の欺瞞性を追求した武田邦彦教授がテレビ番組(ホンマでっか!?TV)内にてPM2.5について、「日本の山の山頂など有り得ないところから観測されることもあり、中国からというより日本国内でどこかが輩出しているのだろう」と述べておりました。この発言はずっと頭に残っていたのですが、今日の千葉県内の観測を見てやっぱりそうだったのかと思った次第です。
さてここからが本題というか自分の真骨頂になるわけなのですが、「じゃあ一体どこが出しているのか」、と言いたいところですがちょっと焦点をずらし、「日本人は日本国内で犯人捜しをするつもりはないの?」と問いたいです。
先程にも書いた通りに日本人はメディアが総ぐるみでPM2.5というと中国が悪いといつも報じているせいでこの単語を見ると条件反射的に中国が輩出していると考えがちですが、少なくとも今日の観測に関しては日本国内で排出された可能性が高いわけです。またそれ以前にも、これまで日本の各地で観測されて中国が原因とみられていたものも、もしかしたら日本国内の誰かが原因だった可能性も捨て切れないわけです。比較的高いそのような可能性が考えられる中、日本人は国内で犯人捜しをする気があるのかと自分は問いたいわけです。
ちょっとテンション上がっているのとここ1ヶ月不調だった体調が回復傾向にあることから妙な言い回しが続きましたが要するに何を言いたいのかというと、日本人はPM2.5の問題の責任を全部中国になすりつけようとしているのではないか、それこそ日本人自身が輩出している量に関しても、そんな疑問がもたげているわけです。この問題ではいつも中国が悪者にされるばかりで明らかに中国が無関係と思われるケースについてはスルーされることが多く、学生時代の自分のような言い方すれば、都合の悪い事実は他人のせいにして自分は素知らぬ振りでも気取る気なのかよと吐き捨てたくなります。
結論を述べるとPM2.5が心配だっていうんなら犯人を捜せ。それでやはり中国に原因があるというのなら証拠をかき集めて突きつけ、改善しろと言うなり補償金を要求するなりすればいい。逆に日本国内の業者なりに原因があるっていう事が仮に分かったとしたら、その業者をつぶすなり設備改善を強制するなどといった対応を取るべきでしょう。もっとも、PM2.5なんてへっちゃらで自分のように始めから気にないってんならこんな犯人捜ししなくたっていいですがね。
一応念のために最後に書いておきますが、中国の大気汚染は紛れもない事実で私もかなりリアルに体験しています。しかしそれがどの程度日本の大気に影響を与えているかについてはもうちょっと検討する余地もあり、はっきりしないにもかかわらず他国というか他人を批判するのは恥ずかしい行為だと思えるのでこういう主張をしてみたわけです。
2013年11月2日土曜日
「神聖にして不可侵」の天皇
昨日の記事ではかなり激しい口調で山本太郎議員を批判しましたが、何も私に限らず各方面で厳しい球団が続いております。これほどまでに批判が多く集まるのはひとえに織田に掲げた「神聖にして不可侵」と旧憲法で謳われた天皇に対する行為であったからにほかならず、改めて日本における天皇制の影響力を感じ入る次第です。
念のため先に書いておきますが私個人は天皇制の熱心な信奉者というわけではなく、単純にロイヤルファミリーがいた方が国として外交の幅が広がるという理由だけで存続を指示しています。他国を見てもイギリスと比べて米国やフランスは外交がやっぱり寂しい気がしますし。
ただ日本人全体でみるとやっぱり天皇制を明確に意識してはいないまでも、何か天皇に関わることがあれば物凄い反応を示してくると思います。韓国の李明博前大統領が「天皇が韓国に来たければ土下座するべきだ」と主張した時も日本中ひっくり返るほど大騒ぎになりましたし、今の韓国との関係悪化は朴槿恵大統領のそっけない態度よりもこの時のこの発言に端を発すると私は考えています。今回の山本議員の行動も「天皇を利用しようとした」という一点に対して各界から拒否反応が出ており、そういう意味では「不可侵」という言葉が天皇に対して本当にしっくり来る気がします。
そんな神聖にして不可侵なの存在の天皇ですが、その天皇に対して見方によっては失礼とも取れる態度を取りながらも誰からもどこからも批判が来なかった人物を私は一人知っています。その人物というのもほかならぬ、さかなクンです。
覚えている方も多いと思いますが、さかなクンが絶滅したと思われていたクニマスの発見に関わったことからその年の園遊会に招かれた際、トレードマークであるハコフグの帽子を被ったままの姿で天皇の前に現れました。しかもめっちゃ自然に。
通常、目上の人と会ったり話したりする際は工事現場などを除いて脱帽することが礼儀の基本とされていますがこの時のさかなクンの行動には誰も「天皇に対して失礼」という意見は出さず、むしろ普段通りの姿勢を貫いたことに称賛する声が大きかった気がします。一体何故さかなクンがこの時に批判されなかったのかというと、なんといってもその姿勢に一切ぶれがないからだと私は考えます。普段からあの帽子を被り続けてテレビなどにも出演し、それでいて魚に関する専門知識は本当に他の追随を許さない揺るぎない実力であることから誰もが、「あれがさかなクンのスタイルなのだ」と考えたのだと思え、ああいうぶれない姿勢はぜひ自分も見習ってみたいものです。
おまけ
昨日の9時のNHKニュースでホテルのレストランで伊勢海老と言いながらロブスターが提供されていた事実が報じられた際、ホテル側の「伊勢海老とロブスターは同種だと思っていた」という主張についてアナウンサーが「こうした主張に対してさかなクンは、」と言って、さかなクンのVTRに移りました。さかなクンによると「明らかに別種」だそうですが、こういう場面でコメントが求められるんだなぁと思うと同時に、○○大学教授とかそういった肩書きについて何の説明もなく「さかなクンの意見は」っていう一言で解説となってしまうのが妙に面白かったです。
念のため先に書いておきますが私個人は天皇制の熱心な信奉者というわけではなく、単純にロイヤルファミリーがいた方が国として外交の幅が広がるという理由だけで存続を指示しています。他国を見てもイギリスと比べて米国やフランスは外交がやっぱり寂しい気がしますし。
ただ日本人全体でみるとやっぱり天皇制を明確に意識してはいないまでも、何か天皇に関わることがあれば物凄い反応を示してくると思います。韓国の李明博前大統領が「天皇が韓国に来たければ土下座するべきだ」と主張した時も日本中ひっくり返るほど大騒ぎになりましたし、今の韓国との関係悪化は朴槿恵大統領のそっけない態度よりもこの時のこの発言に端を発すると私は考えています。今回の山本議員の行動も「天皇を利用しようとした」という一点に対して各界から拒否反応が出ており、そういう意味では「不可侵」という言葉が天皇に対して本当にしっくり来る気がします。
そんな神聖にして不可侵なの存在の天皇ですが、その天皇に対して見方によっては失礼とも取れる態度を取りながらも誰からもどこからも批判が来なかった人物を私は一人知っています。その人物というのもほかならぬ、さかなクンです。
覚えている方も多いと思いますが、さかなクンが絶滅したと思われていたクニマスの発見に関わったことからその年の園遊会に招かれた際、トレードマークであるハコフグの帽子を被ったままの姿で天皇の前に現れました。しかもめっちゃ自然に。
通常、目上の人と会ったり話したりする際は工事現場などを除いて脱帽することが礼儀の基本とされていますがこの時のさかなクンの行動には誰も「天皇に対して失礼」という意見は出さず、むしろ普段通りの姿勢を貫いたことに称賛する声が大きかった気がします。一体何故さかなクンがこの時に批判されなかったのかというと、なんといってもその姿勢に一切ぶれがないからだと私は考えます。普段からあの帽子を被り続けてテレビなどにも出演し、それでいて魚に関する専門知識は本当に他の追随を許さない揺るぎない実力であることから誰もが、「あれがさかなクンのスタイルなのだ」と考えたのだと思え、ああいうぶれない姿勢はぜひ自分も見習ってみたいものです。
おまけ
昨日の9時のNHKニュースでホテルのレストランで伊勢海老と言いながらロブスターが提供されていた事実が報じられた際、ホテル側の「伊勢海老とロブスターは同種だと思っていた」という主張についてアナウンサーが「こうした主張に対してさかなクンは、」と言って、さかなクンのVTRに移りました。さかなクンによると「明らかに別種」だそうですが、こういう場面でコメントが求められるんだなぁと思うと同時に、○○大学教授とかそういった肩書きについて何の説明もなく「さかなクンの意見は」っていう一言で解説となってしまうのが妙に面白かったです。
2013年11月1日金曜日
山本議員の手紙問題について
昨日一昨日と大学の先輩と一緒にエスニック料理を食べ回っていたのでまた更新がしばらく空きました。エスニック料理についてはまた後日書きますが、今日はまず久々の政治ネタというか元俳優である山本太郎議員の天皇への手紙問題について自分の意見を紹介します。結論から言えば今回の山本議員の行動は国民の代表たる議員としてあるまじき行動で、与野党幹部が求めている通りに速やかに議員辞職するべきでしょう。
事の内容について簡単にまず説明しますが、昨日行われた秋の園遊会に招かれた山本太郎議員は天皇に直接、福島の原発問題について自分の意見を書いた手紙を渡しました。この行為について山本議員は天皇に福島の現状を伝えたかったためで政治的意図はないと説明しており、天皇に手紙を渡してはいけないというルールなんてないと開き直る態度も見せています。もっとも天皇に対して何かしら意見を言う際は内閣を通さなければならないという法律があるようで、渡してはいけないルールは存在するのですが。
また山本太郎事務所のツイッターによると渡された手紙には、「子供と労働者を被ばくから救って下さるよう、お手をお貸し下さい」という内容が書かれてあり、仮にこれが真実だとしたら天皇の影響力を行使して政策を動かすこととなり、憲法、というかそれ以前の問題で禁止されている天皇の政治利用に明らかにつながると私は考えます。この点について山本議員はまた開き直るというか、「天皇陛下万歳という言葉を使うこと自体が政治利用だ」という自分の問題をはぐらかすかのようなわけのわからない主張を展開しています。
どこから突っ込んでいいものか非常に悩ましい所ですが、少なくとも山本議員を弁護する余地は何もないと私は断言します。福島の放射能問題について天皇になにか伝えたところで何が動くのか?何も動かないでしょうし動いてはならないのです。そもそも山本議員は国会議員という非常に高い権力と意見発信力を持つ身分にあり、そんな身分でありながら合法的で正当な手段を使わず、このような自分の力を使わず他人を出汁に使うような卑怯な手段を取ったことに私個人として強い怒りを覚えます。
また、以前からというか山本議員の発言はとんちかん極まりなく、世間をいい方向に運ぼうというよりはただ自分が嫌いなものを口汚く罵るしるだけの内容ばかりです。具体的に挙げると「自衛隊は人殺しの訓練をしている」とか「国会の弁当は放射能まみれだ」などというようなもので、放射能の問題をどう解決するか、除染の費用をどう確保するか、どのような手段を取るべきかというような前向きな意見は何も聞こえません。ただどこかに存在するのかしないのかわからない仮想敵に対して悪口雑言を述べているだけです。自分が言えた義理ではないかもしれませんが、このようなネガティブな人間からは絶対に何も生まれないでしょう。
仮に今回の手紙問題だけならきちんと謝罪すればそれでいいかなとは思いますが、山本議員はこれまでの発言・行動からも信用に足る要素は何もなく、今回の騒動でも開き直るような態度を見せていることからもこの際だからぜひ政界から出て行ってもらうべきでしょう。もっとも、かなり強い調子で予言しますが、山本議員は今後海外で「日本という国をダメな国だ」というように日本批判をきっと始めると思います。何故そんな予言をするのかというとこの人がネガティブな人間であり、自分の行動の責任を全く考慮せず周囲の問題だと考える節があるからです。今回の手紙問題でもマスコミが騒ぎ過ぎだなどと反論してますし。
彼は守るものがあるから戦うのではなく、戦うために敵を自ら作る性格なんじゃないかと思います。守るもののために戦うのは決して善ではなく正しいとは限りませんが、戦うために敵を作るということは間違いなく邪悪で、私自身は排除すべき存在だと考えます。
事の内容について簡単にまず説明しますが、昨日行われた秋の園遊会に招かれた山本太郎議員は天皇に直接、福島の原発問題について自分の意見を書いた手紙を渡しました。この行為について山本議員は天皇に福島の現状を伝えたかったためで政治的意図はないと説明しており、天皇に手紙を渡してはいけないというルールなんてないと開き直る態度も見せています。もっとも天皇に対して何かしら意見を言う際は内閣を通さなければならないという法律があるようで、渡してはいけないルールは存在するのですが。
また山本太郎事務所のツイッターによると渡された手紙には、「子供と労働者を被ばくから救って下さるよう、お手をお貸し下さい」という内容が書かれてあり、仮にこれが真実だとしたら天皇の影響力を行使して政策を動かすこととなり、憲法、というかそれ以前の問題で禁止されている天皇の政治利用に明らかにつながると私は考えます。この点について山本議員はまた開き直るというか、「天皇陛下万歳という言葉を使うこと自体が政治利用だ」という自分の問題をはぐらかすかのようなわけのわからない主張を展開しています。
どこから突っ込んでいいものか非常に悩ましい所ですが、少なくとも山本議員を弁護する余地は何もないと私は断言します。福島の放射能問題について天皇になにか伝えたところで何が動くのか?何も動かないでしょうし動いてはならないのです。そもそも山本議員は国会議員という非常に高い権力と意見発信力を持つ身分にあり、そんな身分でありながら合法的で正当な手段を使わず、このような自分の力を使わず他人を出汁に使うような卑怯な手段を取ったことに私個人として強い怒りを覚えます。
また、以前からというか山本議員の発言はとんちかん極まりなく、世間をいい方向に運ぼうというよりはただ自分が嫌いなものを口汚く罵るしるだけの内容ばかりです。具体的に挙げると「自衛隊は人殺しの訓練をしている」とか「国会の弁当は放射能まみれだ」などというようなもので、放射能の問題をどう解決するか、除染の費用をどう確保するか、どのような手段を取るべきかというような前向きな意見は何も聞こえません。ただどこかに存在するのかしないのかわからない仮想敵に対して悪口雑言を述べているだけです。自分が言えた義理ではないかもしれませんが、このようなネガティブな人間からは絶対に何も生まれないでしょう。
仮に今回の手紙問題だけならきちんと謝罪すればそれでいいかなとは思いますが、山本議員はこれまでの発言・行動からも信用に足る要素は何もなく、今回の騒動でも開き直るような態度を見せていることからもこの際だからぜひ政界から出て行ってもらうべきでしょう。もっとも、かなり強い調子で予言しますが、山本議員は今後海外で「日本という国をダメな国だ」というように日本批判をきっと始めると思います。何故そんな予言をするのかというとこの人がネガティブな人間であり、自分の行動の責任を全く考慮せず周囲の問題だと考える節があるからです。今回の手紙問題でもマスコミが騒ぎ過ぎだなどと反論してますし。
彼は守るものがあるから戦うのではなく、戦うために敵を自ら作る性格なんじゃないかと思います。守るもののために戦うのは決して善ではなく正しいとは限りませんが、戦うために敵を作るということは間違いなく邪悪で、私自身は排除すべき存在だと考えます。
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