・中国”動漫”新人類(日経ビジネスオンライン)
本日リクエストがあったので、上記に貼った中国における日本のアニメの浸透の記事について解説します。
まず中国で日本のアニメが流行っているかどうかですが、正直なところ微妙なもので、少なくともヨーロッパやアメリカのようなブームにまでは至っていないというのが私の所感です。
私自身は2005年から2006年まで中国北京にいましたが、テレビなどで放映されるような熱狂的な日本アニメファンの中国人は見たことがありませんでした。その代わりといってはなんですが、日本に帰ってから知り合った中国人留学生の友人などはまさに根っからのオタクで、別の友人から「ガンダムが好きで日本に来たんだよ」とまで言われる位の執心ぶりでした。
リンクに貼った記事では一見すると北京大学の学生らが非常に日本アニメに執心しているような印象を受けますが、私はそれは実際のところごく一部の学生でしかなく、ブームというほどの現象にまではなっていないのではないかと思います。とはいえ中国はいわずと知れた人口大国であるので、全体の中のほんの一部といってもそれだけでも相当な人数が集まってしまうので、記事中にもあるように同人誌の即売会などに多勢の中国人が参加したというのもあながち嘘ではないでしょう。
では何故中国人たちの一部が記事に書かれているように日本アニメにハマるかですが、基本的に日本のアニメを見るのは日本語を学ぶ外語系の学生が多く、日本語を最初に学ぼうとするあたりから日本文化に元から親近性が強いということが予想できます。私自身中学生の頃から中国語を学ぼうと考えていたのもあり、割と中国の文化というか匂いが肌に合っていました。
そうした学生がどのようなところで最初に日本アニメに触れるかですが、まず一番多いのはテレビ放送でしょう。私自身、留学中に中国のテレビ局で徳弘正也氏の「ジャングルの王者ターちゃん」のアニメが放映されていたので見ていましたし(さすがに一部の下品なシーンはカットされていたが)、人づてに話を聞くとちらほらとそういった日本のアニメ番組が中国でも放送されており、特にジャンプでやってる「NARUTO」も放送されていたのですが、その放送を向こうの子供はみんなよく見ていました。
そうしたテレビ放送を通して始めて触れる一方、ある意味今日の本題となるもう一つのきっかけこと、海賊版による影響も小さくありません。
まず一体どれくらい中国に日本のアニメやドラマの海賊版が溢れているかですが、それこそ道端の露店からその辺の本屋さんに至るまで、あちらこちらで際限なく売られています。北京で恐らく一番大きくて権威のある王府井の本屋でも、地下に行ったらありえないくらいの海賊版が売られていたのには驚かされました。値段はDVDやCD一枚あたり大体20元から30元くらいで、日本円に直すと300円くらいから450円くらいで売られています。
私自身はそういった海賊版を買うことはありませんでしたが、日本人留学生でもアニメに限らずドラマや欧米の映画などをよく買っては暇つぶしとばかりに見ているのもたくさんいました。実際現地での雰囲気を見ていると海賊版があまりにも溢れているので、海賊版を買って何が悪いのといわんばかりの空気だったような気がします。
やはり日本贔屓の中国人に聞いたりすると、そうした何気なく手にとった海賊版から日本のアニメにハマったという人が多かったです。入手がしやすく、また気軽にそういったアニメやドラマが見れることから、こうした海賊版が中国人が日本に対して興味を持つ取っ掛かりになるということは確かに私もあると思います。
そうした意味でこうした海賊版のアニメは日中の交流の架け橋となっていると見ることもできるのですが、日本の各メディアでも言われているように著作権が根本から無視されていることから、しばしば双方の争いの種となっていることも少なくありません。一番日本で有名な例は向こうでテレビ放送されて人気になった「クレヨンしんちゃん」(中国タイトルは「鉛筆小新」)が中国で勝手に商標登録されて、日本のおもちゃメーカーが中国でおもちゃを販売しようとするのを差し止めたり、逆にゲーム会社のKOEIがなぜか「三国志」を商標登録しようとして中国人が怒ったりと、実際の視聴者の外では壮絶な争いが主に製作会社間で行われています。また単純に海賊版が出回ることで正規版の販売収入がなくなり、いわばタダ見されること自体を問題視する声もあります。
こうした問題があることは重々承知ですが、二つ目のタダ見については私はどんなものかなと思うところがあります。私が日本のアニメを見る手段は主にレンタルビデオですが、やはり周りにはファイル交換ソフトで見るという人もおり、中国の海賊版を現在批判したところで日本国内でもタダ見している人間は数多くおり、今更こういうことをどうのこうのとか正規版の販売収入といってももうどうにもならないと思います。それにタダ見してる人がもし海賊版やファイル交換ソフトが撲滅されたところで、素直に正規版を買うかどうかといったら正直疑問です。かといってその二つの違法手段があっていいというわけではありませんが。
ただこうした海賊版から入った中国人がその後熱狂的なアニメファンになることで、将来的に日本のコンテンツ産業へお金を落とすようになっていったり、日本に対して理解を深めていくということは現実に起こりつつあると思います。私の友人の中国人なんかまさにそうですし、やはりアニメゆえに入りやすい、興味を持ちやすいという特徴は確実にあると思うので、やや複雑な感情になってしまうのですが、一概に海賊版を否定するというところにまでは私は入っていけません。
また留学中に日本アニメをよく見ていた同級生のフランス人の姐さんからも、「何であんたはネット上で無料公開されている動画を見ないの?」と言われたことがありましたが、日本以外の大半の国ではネット上の違法公開動画などを見ることが半ば当たり前視されているのではないかと私自身思います。こうした違法視聴を徹底的に叩くべきか、それとも見過ごすことで将来の購買層ことアニメファンを増やしていくべきか、実際にアニメを製作している人のことを考えると悩みが尽きません。
ただ先ほども言ったとおりに、「NAROTO」や「ちびまるこちゃん」といった少年少女向けのアニメは正規に中国のテレビ局から放送されており、こうした番組を子供時代に見ることで将来的に日本に対して好感を持つ中国人が増えていくことは日中間にとっては悪くはない気がします。しかしこれは確か2006年だったと思いますが、中国政府が国内のアニメ産業を保護する目的で、ゴールデンタイムに外国のアニメを放送するなという通達を出したことがありました。その後この通達が本当に実行されているのかまでは確認してはいませんが、私としてはそんなけち臭いことは言わないでほしいというのが本音です。
おまけ
以下は私が海賊版を見ていた友人から聞いた、中国語字幕の妙な翻訳例です。左側がアニメの中の日本語セリフで、右側がそのセリフに対する字幕の誤訳です。
・こざかしい!→小坂茂!
・鈴鹿越え→鈴籠へ
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年2月28日土曜日
2009年2月27日金曜日
権利と義務の関係性
週末なので、ちょっときわどい内容にチャレンジしてみようと思います。
先に断っておきますが、私は法学に関してはずぶの素人のしがない社会学士でしかありません。そんな分際でこんな内容をやろうというのも自分でもどんなものかと思いますが、この前電車に乗りながらいろいろと考えるところがあったので読者の方の意見も聞いてみたいので、一つ所見を述べさせてもらいます。
まず結論から言うと、全部が全部そうだと言うわけではありませんが、私は権利と義務は対立するものではなくむしろ同一直線状にあるものではないかと考えております。
これは私の持論ですが、「よく権利を主張する人はよく義務を遂行しない人」が多いと考えています。これの代表的な例はいわゆるモンスターペアレントというやつで、給食費を払うという義務を遂行しないでおきながら学校内の子供の扱いにおいて教師らへ様々な権利を主張するという例が数多く報告されており、またモンスターペアレントに限らずニュースに出てくるような数多くの変な団体とかも、言うだけ言っといてやることはやらないのかと見たり聞いたりする度に思わせられます。
別にこのようなこと、世の中には傲慢な人間たちが溢れているんだということで特段に珍しいことではないのですが、この前ふとしたことからこの逆の構図はありうるのかと、つまり権利をあまり主張しない人は義務もきちんと遂行するのだろうかと考えてみたら、なんとなくその傾向はあるんじゃないかと思いました。
私の周りを見渡すとやはり社会に対してきちんとルールや義務を行っている一般常識のある人ほど謙虚なことが多く、さらにはことさらに自分の行っている行為を喧伝したりせず、自分はこれだけ義務を果たしているのだからこういうことくらい主張してもいいんだなんてことも全く言いません。となると、先ほどのモンスターペアレントの例と繋ぎ合わすと権利と義務というのは基本的にセットになり、よく権利を主張する人は義務を果たさず、よく義務を果たす人は権利を主張しないという風になるのではないかと考えるに至りました。
しかしよくよく考えてみると、個人単位でこの両者を見比べるとまるでシーソーのように権利と義務が対立し合って見えるのですが、社会上では始めから権利と義務が一緒になっているものも少なくありません。その代表的なものは主に憲法で規定されている教育や労働で、日本国憲法上で日本人は自らが教育を受ける権利と労働者として守られる権利を持ち合わせていますが、国民の義務として自らの子弟に対し教育を行う義務と労働を行う義務も一緒に課せられています。
これはちょっと言い方が難しいのですが、権利と義務がセットになっていることでその社会にいる人は、ある場面ではその行為を行う権利者となるものの、別の場面ではその行為を行おうとする人を手助けしなければならない義務者になることもままあるということになります。それは極言をすれば、社会で認められている権利が大きければ大きいほど、その社会が保障しなければならなくなる義務も大きくなっていくということではないかということが、以前に私の頭の中でよぎったわけです。
これなんか私がよく問題視している例なのですが、ファミレスなどでちょっとでも店員が粗相をしてしまうと感じの悪い客なんかは、「客商売なんだから、もっとしっかりしろよな」とすぐ口に出し文句を言ってしまいます。しかしもしその感じの悪い客がバイトなどで同じような店員をする場合には、自分と同じような感じの悪い客にきちんと接客を行わなければすぐにまた文句を言われてしまいます。
ですがもし始めから店員に対してきちんとした接客態度という要求がなされないとすると、店員の側もそんなにいちいち細かい挨拶とか言葉遣いに気を使う必要がなくなります。言ってしまえば、客の要求が高ければ高いほど店員の負担は重くなる一方、要求が少なければ少ないほど店員の負担は軽くなるということです。
このファミレスの例で「要求」を「権利」、「負担」を「義務」と言い換えると、私の言いたいことが読者の方にも見えてくるかもしれません。それこそもしずっと客の側でいられるのであれば要求を言い続けて良い目を見続けることも出来るかもしれませんが、さすがに働かずにずっと生きてけるというのは今の時代には難しいので、同じファミレスでなくとも別の業界にて自分が店員こと社員の立場になって客から同じようにあれこれ要求されることになってしまうかも知れないということです。つまり自らが要求することで権利を社会全体で高めてしまうと、回りまわって自らを拘束する義務になってしまうのではないかというのが私の意見です。
なにも接客に限らずに社会保障の観点から言っても、いざという時に年金や生活保護を受ける権利があるとしても、その社会で年金や生活保護に使われるお金を出す人がいなければ社会保障というものは成り立たず、言うなればその社会で社会保障が手厚ければ手厚いほど税金は多く必要になってきます。また単純に社会全体で基本的人権が認められるということは、他者に対しても基本的人権を認めなければならなくもなります。
このようにその社会で認められる権利が多ければ多いほど、その社会の構成員に課せられる義務というものは比例するように増えていくのではないかということです。一見すると権利が広がることで人間は自由や自分の可能性を広げられるとよく言われていますが、その一方で人間を拘束する義務も増大するので、場合によっては自由の範囲が狭まることすらもあるのではないかと思います。
もちろん最初に言ったように全部が全部こうだとは言うつもりはなく、フランス革命以前は貴族は好き放題出来る一方で大多数の平民に自由がなかったのに対し、革命後に人権思想が広がったことにより元貴族は行動が制限されることとなりましたが大多数の平民には一定の自由が得られ、フランス社会全体で自由の総和というものは増えたのだと私は考えています。
しかしこの例のように権利が広がることで必ずしもその社会の自由の総和が増大するとは限らず、またモンスターペアレントの例のように、社会の拘束こと義務が減る事でも自由の総和が増大するとも限らないのではないかと、最近企業などへのコンプライアンスの意識が増大することで窮屈さを感じることが増えた日本で考えついたわけであります。
先に断っておきますが、私は法学に関してはずぶの素人のしがない社会学士でしかありません。そんな分際でこんな内容をやろうというのも自分でもどんなものかと思いますが、この前電車に乗りながらいろいろと考えるところがあったので読者の方の意見も聞いてみたいので、一つ所見を述べさせてもらいます。
まず結論から言うと、全部が全部そうだと言うわけではありませんが、私は権利と義務は対立するものではなくむしろ同一直線状にあるものではないかと考えております。
これは私の持論ですが、「よく権利を主張する人はよく義務を遂行しない人」が多いと考えています。これの代表的な例はいわゆるモンスターペアレントというやつで、給食費を払うという義務を遂行しないでおきながら学校内の子供の扱いにおいて教師らへ様々な権利を主張するという例が数多く報告されており、またモンスターペアレントに限らずニュースに出てくるような数多くの変な団体とかも、言うだけ言っといてやることはやらないのかと見たり聞いたりする度に思わせられます。
別にこのようなこと、世の中には傲慢な人間たちが溢れているんだということで特段に珍しいことではないのですが、この前ふとしたことからこの逆の構図はありうるのかと、つまり権利をあまり主張しない人は義務もきちんと遂行するのだろうかと考えてみたら、なんとなくその傾向はあるんじゃないかと思いました。
私の周りを見渡すとやはり社会に対してきちんとルールや義務を行っている一般常識のある人ほど謙虚なことが多く、さらにはことさらに自分の行っている行為を喧伝したりせず、自分はこれだけ義務を果たしているのだからこういうことくらい主張してもいいんだなんてことも全く言いません。となると、先ほどのモンスターペアレントの例と繋ぎ合わすと権利と義務というのは基本的にセットになり、よく権利を主張する人は義務を果たさず、よく義務を果たす人は権利を主張しないという風になるのではないかと考えるに至りました。
しかしよくよく考えてみると、個人単位でこの両者を見比べるとまるでシーソーのように権利と義務が対立し合って見えるのですが、社会上では始めから権利と義務が一緒になっているものも少なくありません。その代表的なものは主に憲法で規定されている教育や労働で、日本国憲法上で日本人は自らが教育を受ける権利と労働者として守られる権利を持ち合わせていますが、国民の義務として自らの子弟に対し教育を行う義務と労働を行う義務も一緒に課せられています。
これはちょっと言い方が難しいのですが、権利と義務がセットになっていることでその社会にいる人は、ある場面ではその行為を行う権利者となるものの、別の場面ではその行為を行おうとする人を手助けしなければならない義務者になることもままあるということになります。それは極言をすれば、社会で認められている権利が大きければ大きいほど、その社会が保障しなければならなくなる義務も大きくなっていくということではないかということが、以前に私の頭の中でよぎったわけです。
これなんか私がよく問題視している例なのですが、ファミレスなどでちょっとでも店員が粗相をしてしまうと感じの悪い客なんかは、「客商売なんだから、もっとしっかりしろよな」とすぐ口に出し文句を言ってしまいます。しかしもしその感じの悪い客がバイトなどで同じような店員をする場合には、自分と同じような感じの悪い客にきちんと接客を行わなければすぐにまた文句を言われてしまいます。
ですがもし始めから店員に対してきちんとした接客態度という要求がなされないとすると、店員の側もそんなにいちいち細かい挨拶とか言葉遣いに気を使う必要がなくなります。言ってしまえば、客の要求が高ければ高いほど店員の負担は重くなる一方、要求が少なければ少ないほど店員の負担は軽くなるということです。
このファミレスの例で「要求」を「権利」、「負担」を「義務」と言い換えると、私の言いたいことが読者の方にも見えてくるかもしれません。それこそもしずっと客の側でいられるのであれば要求を言い続けて良い目を見続けることも出来るかもしれませんが、さすがに働かずにずっと生きてけるというのは今の時代には難しいので、同じファミレスでなくとも別の業界にて自分が店員こと社員の立場になって客から同じようにあれこれ要求されることになってしまうかも知れないということです。つまり自らが要求することで権利を社会全体で高めてしまうと、回りまわって自らを拘束する義務になってしまうのではないかというのが私の意見です。
なにも接客に限らずに社会保障の観点から言っても、いざという時に年金や生活保護を受ける権利があるとしても、その社会で年金や生活保護に使われるお金を出す人がいなければ社会保障というものは成り立たず、言うなればその社会で社会保障が手厚ければ手厚いほど税金は多く必要になってきます。また単純に社会全体で基本的人権が認められるということは、他者に対しても基本的人権を認めなければならなくもなります。
このようにその社会で認められる権利が多ければ多いほど、その社会の構成員に課せられる義務というものは比例するように増えていくのではないかということです。一見すると権利が広がることで人間は自由や自分の可能性を広げられるとよく言われていますが、その一方で人間を拘束する義務も増大するので、場合によっては自由の範囲が狭まることすらもあるのではないかと思います。
もちろん最初に言ったように全部が全部こうだとは言うつもりはなく、フランス革命以前は貴族は好き放題出来る一方で大多数の平民に自由がなかったのに対し、革命後に人権思想が広がったことにより元貴族は行動が制限されることとなりましたが大多数の平民には一定の自由が得られ、フランス社会全体で自由の総和というものは増えたのだと私は考えています。
しかしこの例のように権利が広がることで必ずしもその社会の自由の総和が増大するとは限らず、またモンスターペアレントの例のように、社会の拘束こと義務が減る事でも自由の総和が増大するとも限らないのではないかと、最近企業などへのコンプライアンスの意識が増大することで窮屈さを感じることが増えた日本で考えついたわけであります。
2009年2月26日木曜日
満州帝国とは~その二、二次大戦前の中国~
日露戦争後、満鉄の経営権を握った日本が後に満州を完全に占領しようとしたのは植民地獲得の野心があったのは言うまでもありませんが、当時の言語に絶するような中国の混乱した状況がその野心を強くさせたというのは間違いありません。今日はそれこそ普通にやっていればまず受験生はまず勉強しないであろう、一次大戦から二次大戦に至るまでの激しい中国の歴史を紹介しようと思います。
日清、日露戦争の後、中国は今でもトラウマに持つくらいに列強諸国から次々と無茶な要求を出されては領土を割譲されるなど、文字通り国際社会の食い物とされていました。清朝としても内心は穏やかではなかったものの外国に対抗できるだけの力もなく、また国内すらも徐々に抑えきれなくなっていたために要求を受け入れざるを得なかったそうです。
そうした清朝の態度にタダでさえプライドの高い中国人は納得するまでもなく、こうなれば日本の明治維新を見習い、清朝を倒して強固な体制を新たに作るべきだという主張が徐々に強まっていき、各地で反動勢力が次々と反乱を起こすようになっていきました。
そんな反動勢力の中で、ひときわ抜きん出た存在となったのが辛亥革命で有名なあの孫文でした。
彼は外国や軍閥などから文字通り手段を選ばずに支援を仰いで支持者を増やし、最終的には孫文らを討伐しに来た清朝の将軍であった袁世凱との間で、袁世凱を臨時大総統こと革命後のリーダーに仰ぐことで取りこんで清朝を崩壊させるに至りました。
なお余談ですが、孫文は中国では一般的に「孫中山」と呼ばれていますが、この「中山」という文字は彼が日本にいた頃に中山さんちの表札を見て気に入って自分の名前にしたことが由来で、ひいては彼が着ていたことで後に定着した中国の国民服も「中山式」と呼ばれています。
こうして清朝が滅んだことにより新体制を作るぞと息巻いたものの、残念ながら中国ではその後全体をまとめる強固な政権がなかなか生まれず、袁世凱のスタンドプレーや孫文の死によってますます統合が緩んだことが拍車となって結局は各地で軍閥が台頭し、あっちこっちで勝手に自分の領地を統治しては縄張り争いをするという、それこそ日本の戦国時代のような群雄割拠の世界が広がっていきました。
これは首都である北京でも同じことで、ある軍閥が占拠していたかと思ったらすぐに負け、また新たな軍閥が占拠しては新たな統治をするというようなことが全国各地で起こり、それ以前の中国よりずっとこの時代に混乱が増すこととなってしまいました。なおこの時代より少し前の革命期になりますが、魯迅の「阿Q正伝」では清軍と革命軍が交互に地域を占拠するたびに辮髪があるかどうか大問題になるという、当時の不安定で反復常ならぬ世情が描かれています。
こうした中で日本にとって一番関心の強かった満州において強い勢力を持ったのが、こちらは中学生でも習う馬賊出身の張作霖でした。
先に馬賊の定義について説明しておきますが、正直なところこの馬賊という名称は誤解を生む恐れがあるためにあまり良くない名前で、日本語の意味合いから言うなら「傭兵団」と呼んだ方が適当だと思われます。既に述べたように当時の中国は果てしなく混乱し、北斗の拳じゃないけど暴力による強圧的な支配から略奪まで日々横行していました。そんな環境ゆえにお金のある地主などは腕に自信のある人間を夜盗であろうと構わず集めては、広大な満州の平原で必須となる馬を援助するなどして自警団を各地で組織するようになっていき、そのようにして生まれた独立した自警団こそがこの当時に馬賊と呼ばれた集団でした。
これら馬賊は地主などのスポンサーから援助を受けている間は担当地域の治安を守り、支援が打ち切られるや別の地域で活動するかそのまま元の夜盗へと成り下がるかし、言うなれば半兵半盗のような存在でした。
張作霖などはこうした馬賊のリーダーとして徐々に活動地域を広げていき、支配地域のスポンサーや満鉄を所有する日本も混乱が続くぐらいならまだ力のある人間によって統治されることを望んで彼を多方面で援助したことにより、張作霖の勢力はいつしか現地の行政も担当するようになって軍閥へと発展していったのです。
とはいえ所詮は軍閥で、他の軍閥との抗争に敗れたり援助が打ち切られたりするとあっという間に勢力を失うので、中国全体で一応の秩序が生まれるには蒋介石による全国統一作戦こと「北伐」が行われるまで待たなければなりませんでした。その北伐を行う蒋介石に敗北した上に日本からも援助を打ち切られた張作霖の最後はまさに落ち目の軍閥党首の典型で、1928年に河本大作によって奉天へと鉄道で逃げ帰る途中で爆殺されてしまいます。
皮肉なことに、それまでの混乱期ではなく蒋介石の下でようやく統一が行われそうになった段階に至り、日本は本格的に満州へと謀略を仕掛けるようになり、三年後の満州事変によって行動に移されることとなるのです。
日清、日露戦争の後、中国は今でもトラウマに持つくらいに列強諸国から次々と無茶な要求を出されては領土を割譲されるなど、文字通り国際社会の食い物とされていました。清朝としても内心は穏やかではなかったものの外国に対抗できるだけの力もなく、また国内すらも徐々に抑えきれなくなっていたために要求を受け入れざるを得なかったそうです。
そうした清朝の態度にタダでさえプライドの高い中国人は納得するまでもなく、こうなれば日本の明治維新を見習い、清朝を倒して強固な体制を新たに作るべきだという主張が徐々に強まっていき、各地で反動勢力が次々と反乱を起こすようになっていきました。
そんな反動勢力の中で、ひときわ抜きん出た存在となったのが辛亥革命で有名なあの孫文でした。
彼は外国や軍閥などから文字通り手段を選ばずに支援を仰いで支持者を増やし、最終的には孫文らを討伐しに来た清朝の将軍であった袁世凱との間で、袁世凱を臨時大総統こと革命後のリーダーに仰ぐことで取りこんで清朝を崩壊させるに至りました。
なお余談ですが、孫文は中国では一般的に「孫中山」と呼ばれていますが、この「中山」という文字は彼が日本にいた頃に中山さんちの表札を見て気に入って自分の名前にしたことが由来で、ひいては彼が着ていたことで後に定着した中国の国民服も「中山式」と呼ばれています。
こうして清朝が滅んだことにより新体制を作るぞと息巻いたものの、残念ながら中国ではその後全体をまとめる強固な政権がなかなか生まれず、袁世凱のスタンドプレーや孫文の死によってますます統合が緩んだことが拍車となって結局は各地で軍閥が台頭し、あっちこっちで勝手に自分の領地を統治しては縄張り争いをするという、それこそ日本の戦国時代のような群雄割拠の世界が広がっていきました。
これは首都である北京でも同じことで、ある軍閥が占拠していたかと思ったらすぐに負け、また新たな軍閥が占拠しては新たな統治をするというようなことが全国各地で起こり、それ以前の中国よりずっとこの時代に混乱が増すこととなってしまいました。なおこの時代より少し前の革命期になりますが、魯迅の「阿Q正伝」では清軍と革命軍が交互に地域を占拠するたびに辮髪があるかどうか大問題になるという、当時の不安定で反復常ならぬ世情が描かれています。
こうした中で日本にとって一番関心の強かった満州において強い勢力を持ったのが、こちらは中学生でも習う馬賊出身の張作霖でした。
先に馬賊の定義について説明しておきますが、正直なところこの馬賊という名称は誤解を生む恐れがあるためにあまり良くない名前で、日本語の意味合いから言うなら「傭兵団」と呼んだ方が適当だと思われます。既に述べたように当時の中国は果てしなく混乱し、北斗の拳じゃないけど暴力による強圧的な支配から略奪まで日々横行していました。そんな環境ゆえにお金のある地主などは腕に自信のある人間を夜盗であろうと構わず集めては、広大な満州の平原で必須となる馬を援助するなどして自警団を各地で組織するようになっていき、そのようにして生まれた独立した自警団こそがこの当時に馬賊と呼ばれた集団でした。
これら馬賊は地主などのスポンサーから援助を受けている間は担当地域の治安を守り、支援が打ち切られるや別の地域で活動するかそのまま元の夜盗へと成り下がるかし、言うなれば半兵半盗のような存在でした。
張作霖などはこうした馬賊のリーダーとして徐々に活動地域を広げていき、支配地域のスポンサーや満鉄を所有する日本も混乱が続くぐらいならまだ力のある人間によって統治されることを望んで彼を多方面で援助したことにより、張作霖の勢力はいつしか現地の行政も担当するようになって軍閥へと発展していったのです。
とはいえ所詮は軍閥で、他の軍閥との抗争に敗れたり援助が打ち切られたりするとあっという間に勢力を失うので、中国全体で一応の秩序が生まれるには蒋介石による全国統一作戦こと「北伐」が行われるまで待たなければなりませんでした。その北伐を行う蒋介石に敗北した上に日本からも援助を打ち切られた張作霖の最後はまさに落ち目の軍閥党首の典型で、1928年に河本大作によって奉天へと鉄道で逃げ帰る途中で爆殺されてしまいます。
皮肉なことに、それまでの混乱期ではなく蒋介石の下でようやく統一が行われそうになった段階に至り、日本は本格的に満州へと謀略を仕掛けるようになり、三年後の満州事変によって行動に移されることとなるのです。
2009年2月25日水曜日
満州帝国とは~その一、満州への進出
今日から満州帝国についての歴史と私見を紹介する連載を始めます。ある程度勉強は終えているのですが、この連載に備えて小林英夫氏の「満州の歴史」(講談社現代新書)を先月に買っていたのですが、まだ他に読む本があったために先にうちの親父に貸したらまだ返してもらえず読むことが出来なかったのが唯一の誤算でした。
それではまず第一回目として、いつ、どのように日本は満州と関わりを持つようになったのかを今回説明します。
まず満州とされる地域ですが、これは現在の中国で言う遼寧、吉林、黒龍江の東北三省を一般的に指しています。何故これらの地域が満州と呼ばれるようになったのかですが、日本が戦国時代だった頃、当時のこの地域ではかつて中国において「金」という帝国を作った女真族が各部族ごとに集住、抗争していたところ、ヌルハチというある部族の長が女真族内で次第に統一をはかり、最終的には一つの軍閥として纏め上げ、その際にそれまで「女真族」としていた民族名を「満州族」という名称に改めたことがきっかけで、そのまま民族名が地域名として定着したのが由来だそうです。
ヌルハチの死後、満州族は混乱の続く中国中心部へと進撃してついには統一を行い、現時点において中国の最後の王朝に当たる「清」を設立することになります。その清の時代も満州地域では漢族の流入が抑えられ、満州族の伝統が守られていたそうなのですが、近代に入るとロシアと国境の接する地帯として紛争が続くようになり戦略上の重要度が時を経るに従い増していきました。
そんな中、明治維新を断行し日の出の勢いで国力を増していた日本は当初は同じアジア国として朝鮮、中国を支援して欧米の列強の進出を防ごうとしていたようですが、福沢諭吉らなどの脱亜論などのようにこの際アジアよりも欧米のように植民地を切り取っていくような政策に変えるべきという国論も強くなっていき、その目標として日本に定められたのも朝鮮と満州でした。
そうして国論が次第に変容する中で朝鮮内の甲午農民戦争をきっかけに日中間で日清戦争が起こり、この段階に至って日本ははっきりと中国に対して侵略を行う立場へと変わり、戦後の講和条約にて台湾をはじめとした領土の領有権を中国に認めさえ、その中に満州地域に含まれる遼東半島も含まれ、この時を以って日本は満州と関わりを持つに至ります。
もっともこの時はその後ドイツ、フランス、ロシアによる三国干渉を受け、遼東半島の日本の領有は当該地域の安全に好ましくないといちゃもんをつけられ中国へ返上することになりましたが、日本には返上を迫る一方で満州内の鉄道敷設権を得るなどどんどんと進出してくるロシアに対して日本は、「俺たちには適当なことを言いやがって!」とばかりに日本は国民感情上でも相当怒り、特に支配権を握りつつあった朝鮮と国境の近いことからも非常に危機感を募らせていくようになりました。
その後この地域の安全を図る策として「満韓交換論」等が練られますが交渉としてはどれも失敗し、最終的には維新後日本において最大の試練となった日露戦争へと突入し、辛くも勝利を得たことによって日本はこの地域へと本格的な進出を行うに至るようになります。
具体的にどの程度進出したかですが、まずロシアが中国より租借していた遼東半島の先端に当たる関東州、そしてこれまたロシアが中国に認めさせて敷設していた東清鉄道こと、後の満州鉄道の経営権と付属地が日本に譲渡されることとなりました。
ちょっとこの辺が自分も今まであまりよくわかっていなかったところなので詳しく解説しますが、この時点で日本は満州の大半の地域を獲得したわけではなく、あくまで満州鉄道とその周辺地域の支配権だけを得たに過ぎませんでした。というのも日露戦争前にロシアは中国より満州内に鉄道を敷設する権利を受けてその鉄道の管理権、及び線路を中心にした幅六十二メートルの付属地の支配権を握っていたので、それがそのまま日本のものとなったわけです。とはいっても当時の物流はすべて鉄道によるものなので、満州における鉄道の経営権を握ることはその地域の経済源をすべて握るといっても過言ではなく、この時に日本が得たものは決して少なくはありませんでした。
そういうわけで、日露戦争後に日本が満州に得た領土は遼東半島の一部と、満州に敷設されている鉄道線路を中心にした幅六十二メートルの付属地でした。その後付属地は日本側によって「関東州」と称され、この地域を防衛、守備するために作られた部隊が「満州駐箚軍」こと、後の「関東軍」となるのです。
それではまず第一回目として、いつ、どのように日本は満州と関わりを持つようになったのかを今回説明します。
まず満州とされる地域ですが、これは現在の中国で言う遼寧、吉林、黒龍江の東北三省を一般的に指しています。何故これらの地域が満州と呼ばれるようになったのかですが、日本が戦国時代だった頃、当時のこの地域ではかつて中国において「金」という帝国を作った女真族が各部族ごとに集住、抗争していたところ、ヌルハチというある部族の長が女真族内で次第に統一をはかり、最終的には一つの軍閥として纏め上げ、その際にそれまで「女真族」としていた民族名を「満州族」という名称に改めたことがきっかけで、そのまま民族名が地域名として定着したのが由来だそうです。
ヌルハチの死後、満州族は混乱の続く中国中心部へと進撃してついには統一を行い、現時点において中国の最後の王朝に当たる「清」を設立することになります。その清の時代も満州地域では漢族の流入が抑えられ、満州族の伝統が守られていたそうなのですが、近代に入るとロシアと国境の接する地帯として紛争が続くようになり戦略上の重要度が時を経るに従い増していきました。
そんな中、明治維新を断行し日の出の勢いで国力を増していた日本は当初は同じアジア国として朝鮮、中国を支援して欧米の列強の進出を防ごうとしていたようですが、福沢諭吉らなどの脱亜論などのようにこの際アジアよりも欧米のように植民地を切り取っていくような政策に変えるべきという国論も強くなっていき、その目標として日本に定められたのも朝鮮と満州でした。
そうして国論が次第に変容する中で朝鮮内の甲午農民戦争をきっかけに日中間で日清戦争が起こり、この段階に至って日本ははっきりと中国に対して侵略を行う立場へと変わり、戦後の講和条約にて台湾をはじめとした領土の領有権を中国に認めさえ、その中に満州地域に含まれる遼東半島も含まれ、この時を以って日本は満州と関わりを持つに至ります。
もっともこの時はその後ドイツ、フランス、ロシアによる三国干渉を受け、遼東半島の日本の領有は当該地域の安全に好ましくないといちゃもんをつけられ中国へ返上することになりましたが、日本には返上を迫る一方で満州内の鉄道敷設権を得るなどどんどんと進出してくるロシアに対して日本は、「俺たちには適当なことを言いやがって!」とばかりに日本は国民感情上でも相当怒り、特に支配権を握りつつあった朝鮮と国境の近いことからも非常に危機感を募らせていくようになりました。
その後この地域の安全を図る策として「満韓交換論」等が練られますが交渉としてはどれも失敗し、最終的には維新後日本において最大の試練となった日露戦争へと突入し、辛くも勝利を得たことによって日本はこの地域へと本格的な進出を行うに至るようになります。
具体的にどの程度進出したかですが、まずロシアが中国より租借していた遼東半島の先端に当たる関東州、そしてこれまたロシアが中国に認めさせて敷設していた東清鉄道こと、後の満州鉄道の経営権と付属地が日本に譲渡されることとなりました。
ちょっとこの辺が自分も今まであまりよくわかっていなかったところなので詳しく解説しますが、この時点で日本は満州の大半の地域を獲得したわけではなく、あくまで満州鉄道とその周辺地域の支配権だけを得たに過ぎませんでした。というのも日露戦争前にロシアは中国より満州内に鉄道を敷設する権利を受けてその鉄道の管理権、及び線路を中心にした幅六十二メートルの付属地の支配権を握っていたので、それがそのまま日本のものとなったわけです。とはいっても当時の物流はすべて鉄道によるものなので、満州における鉄道の経営権を握ることはその地域の経済源をすべて握るといっても過言ではなく、この時に日本が得たものは決して少なくはありませんでした。
そういうわけで、日露戦争後に日本が満州に得た領土は遼東半島の一部と、満州に敷設されている鉄道線路を中心にした幅六十二メートルの付属地でした。その後付属地は日本側によって「関東州」と称され、この地域を防衛、守備するために作られた部隊が「満州駐箚軍」こと、後の「関東軍」となるのです。
2009年2月24日火曜日
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四
まさか昨日の今日にこの件で続報を書くことになるとは思いもよりませんでした。
・新潮社に虚偽と抗議 「本社襲撃」手記で元米大使館員(asahi.com)
今朝の朝日新聞の朝刊で私はこの記事を確認しましたが、昨日に引き続き週刊新潮による一連の赤報隊事件の犯人手記に対してその内容を事実無根だとする非難記事を発表しており、特に今朝のはなかなか面白いことが書かれているのでまた紹介します。
まずなにが凄いかって、新潮側が犯行の指示犯とする元アメリカ大使館職員の、週刊新潮の記事中で佐山と仮名されている方が出てきていることです。もちろん実名は伏せられていますが、何でも今回の新潮の記事によって「犯行の指示役に仕立てあげられた」として朝日新聞に実名で連絡を寄せてきたそうです。
もうこの時点で本当にこの方が犯行指示犯だとすればありえない事態で、新潮の言っている内容、取材が如何にいい加減だったかがよくわかるのですが、前回の記事で私も奇妙だとして指摘した、犯行の実行犯と自称している島村氏と指示犯とされるこの方の一月十九日に撮影されたツーショット写真について、島村氏に貸した金を返すとの連絡を受けて秋葉原で会ったところを隠し撮りされた物だとした上、新潮側からの一月二十六日の取材にてこの事件の関与を全否定したにもかかわらずその旨が記事では書かれなかったと主張しています。
前の記事で書いたように、あの写真が撮影された日と取材日が異なっているのが妙だと思っていたら、案の定あの写真は隠し撮り写真だったということで、そう考えるならこの日程の違いにも納得がいきます。更に新潮の記事ではさもこの男性が赤報隊事件当時に東京のアメリカ大使館に勤務していたように書いているのですが、実際にはこの時この方は福岡の領事館に勤務していたとも朝日新聞には書かれており、現在のアメリカ大使館の報道官もこの事実を認めています。
他のメディアでもこの新潮の記事についていぶかしむ声は多く、新潮側はもっと確たる証拠やこれらの批判に対して応答すべしという意見が載せられていますが、私としても同じ意見です。前回の記事でも書きましたが、こんなあやふやな島村氏の証言だけでこんな記事を書いて公表したのだとしたら、事件にて殺害された記者への冒涜にしかほかなりません。
追伸
昨日今日とNHKへライフルの実弾が入った封筒が、「赤報隊」と書かれた紙と一緒に郵送される事件が起きており、うちのお袋なんかは今回の新潮の記事に対して、「適当なこと言いやがって、俺が本当の赤報隊だ」と、朝日新聞での真犯人が言うためにやっている事件なんじゃないかとまで言っています。もちろん新潮の記事に便乗した愉快犯が行っている可能性もありますが、なんとなく不気味な事件ですし、このような報道機関への脅しはどこをどうみたって最低の行為なので、早くこんなことはやめてもらいたいと個人的には思います。
・新潮社に虚偽と抗議 「本社襲撃」手記で元米大使館員(asahi.com)
今朝の朝日新聞の朝刊で私はこの記事を確認しましたが、昨日に引き続き週刊新潮による一連の赤報隊事件の犯人手記に対してその内容を事実無根だとする非難記事を発表しており、特に今朝のはなかなか面白いことが書かれているのでまた紹介します。
まずなにが凄いかって、新潮側が犯行の指示犯とする元アメリカ大使館職員の、週刊新潮の記事中で佐山と仮名されている方が出てきていることです。もちろん実名は伏せられていますが、何でも今回の新潮の記事によって「犯行の指示役に仕立てあげられた」として朝日新聞に実名で連絡を寄せてきたそうです。
もうこの時点で本当にこの方が犯行指示犯だとすればありえない事態で、新潮の言っている内容、取材が如何にいい加減だったかがよくわかるのですが、前回の記事で私も奇妙だとして指摘した、犯行の実行犯と自称している島村氏と指示犯とされるこの方の一月十九日に撮影されたツーショット写真について、島村氏に貸した金を返すとの連絡を受けて秋葉原で会ったところを隠し撮りされた物だとした上、新潮側からの一月二十六日の取材にてこの事件の関与を全否定したにもかかわらずその旨が記事では書かれなかったと主張しています。
前の記事で書いたように、あの写真が撮影された日と取材日が異なっているのが妙だと思っていたら、案の定あの写真は隠し撮り写真だったということで、そう考えるならこの日程の違いにも納得がいきます。更に新潮の記事ではさもこの男性が赤報隊事件当時に東京のアメリカ大使館に勤務していたように書いているのですが、実際にはこの時この方は福岡の領事館に勤務していたとも朝日新聞には書かれており、現在のアメリカ大使館の報道官もこの事実を認めています。
他のメディアでもこの新潮の記事についていぶかしむ声は多く、新潮側はもっと確たる証拠やこれらの批判に対して応答すべしという意見が載せられていますが、私としても同じ意見です。前回の記事でも書きましたが、こんなあやふやな島村氏の証言だけでこんな記事を書いて公表したのだとしたら、事件にて殺害された記者への冒涜にしかほかなりません。
追伸
昨日今日とNHKへライフルの実弾が入った封筒が、「赤報隊」と書かれた紙と一緒に郵送される事件が起きており、うちのお袋なんかは今回の新潮の記事に対して、「適当なこと言いやがって、俺が本当の赤報隊だ」と、朝日新聞での真犯人が言うためにやっている事件なんじゃないかとまで言っています。もちろん新潮の記事に便乗した愉快犯が行っている可能性もありますが、なんとなく不気味な事件ですし、このような報道機関への脅しはどこをどうみたって最低の行為なので、早くこんなことはやめてもらいたいと個人的には思います。
中国と日本の現役層のバックグラウンドの違い
前にも一回書きましたが、出張所のFC2ブログの方ではクリックするだけでその記事を評価したことになる拍手ボタンというものがついており、案外目立たないのですが管理者の側からすると一ヶ月前までの履歴はすべて把握でき、やっぱり押してもらっているとなかなかうれしいものです。それがまた他の記事より手の込んだものであればなおさらというものでしょう。
それでこの前ふとしたことから出張所の方で文化大革命の連載記事を読み返していると、「紅衛兵」についての記事だけ七拍手も集まっており、ほかの連載記事とは一線を画して拍手が多いということに気がつきました。実際にこの紅衛兵の記事、ひいてはその次の下放に関する記事はつたない知識ながらも頑張って書いた記事だったので、これほど拍手が集まっていたのは素直にうれしく思いました。
それにしても、この紅衛兵と下放の下りは読み返す度にいろいろと思うことがあります。その現実としての歴史の凄まじさは言うまでもありませんが、果たしてこんな時代を生き抜いてきた中国人に対し、自分たち日本人は対抗できるのかという疑念も必ず湧いてきます。
意外と知られていない、というより報道なんてほとんどされないで当たり前ですが、現在中国の常務委員のメンバーにて次期総書記として最も有力視されている習近平氏、そしてその次に有力視されている季克強氏の二人ともこの下放を受けており、特に習近平氏なんて父親が元副総理という立場ながら追放された上での下放でしたから相当な経験をされたことが予想されます。
下放についてはリンク先の記事でも書いてあるのでここでは細かく語りませんが、それこそ一生を賭すような壮絶な体験です。そんな体験や苦難を乗り越えてきた彼ら二人に比して、今の日本の政治家の中でそのような塗炭の苦しみを乗り越えた人間がいるかといったらまずいないと言っていいでしょう。
更に言えば、今の中国において財界、政治界で指導者として活躍している壮年層のほぼすべてはこの下放を乗り越えて現在の地位におります。なんでも文化大革命が終了した後、中国政府は文革で失った人材の穴埋めをするために全国からエリートを集め、半年間猛勉強させた後に大量の留学生を東大に送りこんでいます。なおその際の入学試験はもちろん他の学生と同じ日本語の試験だったそうで、この時に日本に留学した者たちが現在の中国の財界のリーダーとなっているそうです。
なにもなんでもかんでも苦労すればいいってもんではありませんが、それこそ生死の狭間を歩き、自らの概念を毛沢東思想などの様々な影響の中で反芻してきた末に乗り越えてきた文革世代に対し、とてもじゃないですが私なんか敵う気がしません。幸いというか私の世代に当たる1980年以降に生まれた世代は中国でも「80後(パーリンホウ)」といって、恵まれた環境下で甘やかされて育ってきた貧弱世代とも言われているようで、直接的にぶつかる同世代の相手は文革世代に比べればまだ互せそうな相手ですが、少なくも現役指導者世代の人材の質を見る限り、今の日本の政治界の混乱振りを見るにつけ中国の方が遥かに上だと私は考えています。
若いうちの苦労は買ってでもしろとは言いますが、やはり人材全体の質の底上げという意味では、皮肉な言い方ですが悪い時代というのは格好の時代となります。現在の日本は若者の雇用が年長世代のために犠牲になっているなどあれこれ言われていますが、逆を言えばこの時代を乗り越えることで他国にも負けない強靭な世代を作れるのだという前向きに捉えることも出来ます。また私自身は現在割合に恵まれた環境下で公私共に充実した生活を現在送っていますが現在不遇を囲っている同世代の若者に強く言いたいこととして、現在の苦労は決して無駄にはならないし、中国のあの文革が行われた時代からも這い上がった人たちはたくさんいるので、今つまずいているからといって希望を決して投げ出さずに自己研鑽に励んで頑張ってほしいということです。
ところでまた話は変わりますが、中国の文革期のように日本にも多大な苦難があった時代を乗り越えた末に各界に大量に優秀な人材を生み出していったある時代と場所があります。もったいぶらずに言うと、それは満州こと、わずか十数年で滅んだ戦前の満州帝国のことです。
以前から友人にこの時代のことを書いてくれといっていたので、次回からあの満州帝国はなんだったのかという近現代史の分析という意味でまた連載を始めますので、どうぞよろしくお願いします。
それでこの前ふとしたことから出張所の方で文化大革命の連載記事を読み返していると、「紅衛兵」についての記事だけ七拍手も集まっており、ほかの連載記事とは一線を画して拍手が多いということに気がつきました。実際にこの紅衛兵の記事、ひいてはその次の下放に関する記事はつたない知識ながらも頑張って書いた記事だったので、これほど拍手が集まっていたのは素直にうれしく思いました。
それにしても、この紅衛兵と下放の下りは読み返す度にいろいろと思うことがあります。その現実としての歴史の凄まじさは言うまでもありませんが、果たしてこんな時代を生き抜いてきた中国人に対し、自分たち日本人は対抗できるのかという疑念も必ず湧いてきます。
意外と知られていない、というより報道なんてほとんどされないで当たり前ですが、現在中国の常務委員のメンバーにて次期総書記として最も有力視されている習近平氏、そしてその次に有力視されている季克強氏の二人ともこの下放を受けており、特に習近平氏なんて父親が元副総理という立場ながら追放された上での下放でしたから相当な経験をされたことが予想されます。
下放についてはリンク先の記事でも書いてあるのでここでは細かく語りませんが、それこそ一生を賭すような壮絶な体験です。そんな体験や苦難を乗り越えてきた彼ら二人に比して、今の日本の政治家の中でそのような塗炭の苦しみを乗り越えた人間がいるかといったらまずいないと言っていいでしょう。
更に言えば、今の中国において財界、政治界で指導者として活躍している壮年層のほぼすべてはこの下放を乗り越えて現在の地位におります。なんでも文化大革命が終了した後、中国政府は文革で失った人材の穴埋めをするために全国からエリートを集め、半年間猛勉強させた後に大量の留学生を東大に送りこんでいます。なおその際の入学試験はもちろん他の学生と同じ日本語の試験だったそうで、この時に日本に留学した者たちが現在の中国の財界のリーダーとなっているそうです。
なにもなんでもかんでも苦労すればいいってもんではありませんが、それこそ生死の狭間を歩き、自らの概念を毛沢東思想などの様々な影響の中で反芻してきた末に乗り越えてきた文革世代に対し、とてもじゃないですが私なんか敵う気がしません。幸いというか私の世代に当たる1980年以降に生まれた世代は中国でも「80後(パーリンホウ)」といって、恵まれた環境下で甘やかされて育ってきた貧弱世代とも言われているようで、直接的にぶつかる同世代の相手は文革世代に比べればまだ互せそうな相手ですが、少なくも現役指導者世代の人材の質を見る限り、今の日本の政治界の混乱振りを見るにつけ中国の方が遥かに上だと私は考えています。
若いうちの苦労は買ってでもしろとは言いますが、やはり人材全体の質の底上げという意味では、皮肉な言い方ですが悪い時代というのは格好の時代となります。現在の日本は若者の雇用が年長世代のために犠牲になっているなどあれこれ言われていますが、逆を言えばこの時代を乗り越えることで他国にも負けない強靭な世代を作れるのだという前向きに捉えることも出来ます。また私自身は現在割合に恵まれた環境下で公私共に充実した生活を現在送っていますが現在不遇を囲っている同世代の若者に強く言いたいこととして、現在の苦労は決して無駄にはならないし、中国のあの文革が行われた時代からも這い上がった人たちはたくさんいるので、今つまずいているからといって希望を決して投げ出さずに自己研鑽に励んで頑張ってほしいということです。
ところでまた話は変わりますが、中国の文革期のように日本にも多大な苦難があった時代を乗り越えた末に各界に大量に優秀な人材を生み出していったある時代と場所があります。もったいぶらずに言うと、それは満州こと、わずか十数年で滅んだ戦前の満州帝国のことです。
以前から友人にこの時代のことを書いてくれといっていたので、次回からあの満州帝国はなんだったのかという近現代史の分析という意味でまた連載を始めますので、どうぞよろしくお願いします。
2009年2月23日月曜日
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三
ちょっと書くのが遅れていましたが、ちょうどいい具合に続報が入ってきたのであながち無駄ではありませんでした。
・<朝日新聞>週刊新潮の襲撃犯手記「真実性なし」(YAHOOニュース)
以前に書いた記事で私もリンクに貼った記事に書いてあるように、週刊新潮で連載された自称赤報隊事件の犯人手記の記事は非常に疑わしいと書きましたが、本家本元、というより事件の当事者である朝日新聞側がとうとう怒って公然と批判を行ったようです。結論から言うと、私もこの件では朝日新聞の肩を持ちます。
さてその肝心要の犯人手記の連載記事ですが、ちょうど先週木曜日発売の二月二十六日号で連載は終了しましたが、はっきり言って読み終わった後は言いようのない怒りを私も覚えました。前回でも不満だと私が言ったこの事件の核心部に当たる指示犯の動機については類推だけで確たる事実については一切書かれず、結局謎のままだという尻すぼみな内容に終わっているどころか、二月十二日号で新潮のこの連載記事を批判した週刊文春の記事への逆批判という、私からするとあまり事件の本質に関係ない内容に大量の紙幅を割いているなどこれだけ引っ張っといてこんな終わり方かよと憤懣を持ちながら家に帰りました。ついでに言うとこの日はマンガの「ノノノノ」の五巻の発売日なのに一軒目の本屋には置いておらず、ただでさえイラついていたのもあったのか電車に乗った際に車窓に映る自分を見ると目つきが異様に恐かったです。
それはともかく、今回の新潮の記事は私が見ても穴だらけです。犯行指示犯が元アメリカ大使館員という荒唐無稽さもさることながら、その情報を公開する前に週刊文春に言わんとする内容で先を越されるわ、果てにはFBIとCIAという名前を出してくるなど、朝日側も言っているようにこの事件で死亡した記者を冒涜するようなひどい内容です。
特に私が一番疑問に感じたのは、二月十九日号の末尾にて件の犯行指示犯と新潮側が主張する元アメリカ大使館員の佐山(仮名)が新潮の電話取材に答えるシーンにて、「自分の存在が表に出ないのであれば自分が知っていることも話さないわけでもない」と、取引を持ちかける場面があるのですが、この佐山の言葉を真に受けるのであれば、新潮側はその取引に乗らずに指示犯は元アメリカ大使館員という事実を公開したために犯行動機を得られなかったということになるのですが、そう考えるには不自然なものが連載記事中に二回も出ています。それは何かというと、犯行実行犯と自称する島村氏と佐山が公園のベンチで並んで座る2ショット写真、ご丁寧に「佐山(左)と島村(撮影・今年1月19日)」とまで書いてくれちゃっています。
まさか実行犯の島村氏がわざわざ佐山を呼んでプライベートにて男二人で写真を撮ったなんて考えられず、普通に考えるのならこの写真は新潮側が今回の取材過程で撮影したものと思っていいでしょう。つまりは新潮側はこの連載記事の取材過程で、この二人が直接会った現場にもいたということです。確かに二月十九日号で一月十九日に島村氏と佐山が直接会って会話した内容が掲載されていますが、なぜかその会話には新潮側の質問や取材した形跡はなく、わざわざ数日後に佐山に対して電話取材をして先ほどの佐山の回答を受けているのですが、何故島村氏と佐山が直接会っている現場にてこんな2ショット写真を取っているのに、必要な質問がなされなかったのか明らかに不自然です。
そして連載終了記事に至ると、前号で取材した佐山は島村氏の告白の中でしか登場せず、新潮側が佐山に対して追加取材した形跡は一切ないままでした。多少言いがかり的なものを自分でも感じますが、この尻切れトンボみたいな妙な終わり方に私は違和感を覚えました。新潮側は今回の取材が真実であるという証拠として佐山と島村氏の会話などをすべて録音していてすぐにでも出せると言っていますが、そんなの本人が表に出てこなければその音声が誰のものか確認できるわけないので証拠になりうるわけありません、こんなことくらい中学生でもわかるだろ。
こんなくだらない記事に約一ヶ月も付き合わされた怒りもあるので、腹いせに今年に入って新潮が負けた裁判ニュースと、松本サリン事件の河野義行氏の件のウィキペディアのリンクを貼っておきます。もう二度と新潮なんて買わないぞ( ゚д゚)、ペッ
・名誉棄損:野中氏が勝訴 新潮社に賠償命令 東京地裁
・報道訴訟:楽天・三木谷氏の捜査報道で新潮社に賠償命令
・貴乃花親方・名誉棄損訴訟:新潮社社長にも責任 「対策講じてない」--東京地裁判決(以上、毎日jpより)
・松本サリン事件(ウィキペディア)
・<朝日新聞>週刊新潮の襲撃犯手記「真実性なし」(YAHOOニュース)
以前に書いた記事で私もリンクに貼った記事に書いてあるように、週刊新潮で連載された自称赤報隊事件の犯人手記の記事は非常に疑わしいと書きましたが、本家本元、というより事件の当事者である朝日新聞側がとうとう怒って公然と批判を行ったようです。結論から言うと、私もこの件では朝日新聞の肩を持ちます。
さてその肝心要の犯人手記の連載記事ですが、ちょうど先週木曜日発売の二月二十六日号で連載は終了しましたが、はっきり言って読み終わった後は言いようのない怒りを私も覚えました。前回でも不満だと私が言ったこの事件の核心部に当たる指示犯の動機については類推だけで確たる事実については一切書かれず、結局謎のままだという尻すぼみな内容に終わっているどころか、二月十二日号で新潮のこの連載記事を批判した週刊文春の記事への逆批判という、私からするとあまり事件の本質に関係ない内容に大量の紙幅を割いているなどこれだけ引っ張っといてこんな終わり方かよと憤懣を持ちながら家に帰りました。ついでに言うとこの日はマンガの「ノノノノ」の五巻の発売日なのに一軒目の本屋には置いておらず、ただでさえイラついていたのもあったのか電車に乗った際に車窓に映る自分を見ると目つきが異様に恐かったです。
それはともかく、今回の新潮の記事は私が見ても穴だらけです。犯行指示犯が元アメリカ大使館員という荒唐無稽さもさることながら、その情報を公開する前に週刊文春に言わんとする内容で先を越されるわ、果てにはFBIとCIAという名前を出してくるなど、朝日側も言っているようにこの事件で死亡した記者を冒涜するようなひどい内容です。
特に私が一番疑問に感じたのは、二月十九日号の末尾にて件の犯行指示犯と新潮側が主張する元アメリカ大使館員の佐山(仮名)が新潮の電話取材に答えるシーンにて、「自分の存在が表に出ないのであれば自分が知っていることも話さないわけでもない」と、取引を持ちかける場面があるのですが、この佐山の言葉を真に受けるのであれば、新潮側はその取引に乗らずに指示犯は元アメリカ大使館員という事実を公開したために犯行動機を得られなかったということになるのですが、そう考えるには不自然なものが連載記事中に二回も出ています。それは何かというと、犯行実行犯と自称する島村氏と佐山が公園のベンチで並んで座る2ショット写真、ご丁寧に「佐山(左)と島村(撮影・今年1月19日)」とまで書いてくれちゃっています。
まさか実行犯の島村氏がわざわざ佐山を呼んでプライベートにて男二人で写真を撮ったなんて考えられず、普通に考えるのならこの写真は新潮側が今回の取材過程で撮影したものと思っていいでしょう。つまりは新潮側はこの連載記事の取材過程で、この二人が直接会った現場にもいたということです。確かに二月十九日号で一月十九日に島村氏と佐山が直接会って会話した内容が掲載されていますが、なぜかその会話には新潮側の質問や取材した形跡はなく、わざわざ数日後に佐山に対して電話取材をして先ほどの佐山の回答を受けているのですが、何故島村氏と佐山が直接会っている現場にてこんな2ショット写真を取っているのに、必要な質問がなされなかったのか明らかに不自然です。
そして連載終了記事に至ると、前号で取材した佐山は島村氏の告白の中でしか登場せず、新潮側が佐山に対して追加取材した形跡は一切ないままでした。多少言いがかり的なものを自分でも感じますが、この尻切れトンボみたいな妙な終わり方に私は違和感を覚えました。新潮側は今回の取材が真実であるという証拠として佐山と島村氏の会話などをすべて録音していてすぐにでも出せると言っていますが、そんなの本人が表に出てこなければその音声が誰のものか確認できるわけないので証拠になりうるわけありません、こんなことくらい中学生でもわかるだろ。
こんなくだらない記事に約一ヶ月も付き合わされた怒りもあるので、腹いせに今年に入って新潮が負けた裁判ニュースと、松本サリン事件の河野義行氏の件のウィキペディアのリンクを貼っておきます。もう二度と新潮なんて買わないぞ( ゚д゚)、ペッ
・名誉棄損:野中氏が勝訴 新潮社に賠償命令 東京地裁
・報道訴訟:楽天・三木谷氏の捜査報道で新潮社に賠償命令
・貴乃花親方・名誉棄損訴訟:新潮社社長にも責任 「対策講じてない」--東京地裁判決(以上、毎日jpより)
・松本サリン事件(ウィキペディア)
2009年2月22日日曜日
派遣制度の有効性について
私はこれまでこのブログでは一貫して労働者派遣制度に対して批判的な姿勢を取って来ましたが、実はその裏では本当に派遣制度を完膚なきまで全廃していいものだろうかという疑問が頭をもたげていました。この疑問の端緒となったのは確か2007年にNHKにて派遣制度について是非を問う討論番組があり、派遣労働者に1000人にアンケートをとったところ、確か率にして55%ほど、過半数の方が派遣はいい制度だと思うと回答したことがきっかけでした。
まさか過半数が派遣を肯定的に取るなんてと正直面食らったのですが、よくよくその番組を見ているとアンケート対象の方がコメントを寄る際に簡易プロフィールが出るのですが、その大半が30代以上の女性ばかりだったのでようやく合点がいきました。
実はこれ以前からもお袋の知り合いで派遣労働をやっている方から話を聞くと、下手なアルバイトより全然収入も大きくまた仕事もオフィスでのお茶汲みや簡単な入力作業ばかりで非常に助かっていると、先ほどの番組同様のコメントを私は聞いていました。そうした話を聞いていると、なんだかんだいって現在の派遣制度は一家の家計を養う男性、特に既婚者の方にとっては非常に迷惑な制度ではあるのですが、逆に結婚を期に職場を離れた既婚女性が再就職する際には非常に有効な制度なのではないかという気がするのです。
知っての通り現在でこそ出産のための一時休暇などが日本でも大分認められてきましたが、それでも未だに出産を期に職場を離れることが多いために日本の女性就職率はいわゆるM字カーブといって、30歳前後で就職率が谷のように急激に落ち込んで40歳前後でまた上昇するという、欧米と比べると非常に偏った形を毎年とっております。出産のために職場を離れなければならないというのはまだわかるにしても、キャリアや実力のある女性労働者がその後再就職するには非常に大きな障害があると言われており、育児が終わったり家計のために働きたいと願っても、なかなかいい仕事が見つからないという話は今に始まるわけでもなく昔から言われてきました。労働力が不足しているといわれるこの日本で。
それに対し現行の派遣制度であればこうした既婚女性、特にオフィスワークを相応にこなすことが出来る方などは再就職が容易でかつ条件にあった職、それこそ最初に言ったアルバイト以上正社員未満くらいの職ならば簡単に見つけることが出来、こうしたことが影響してNHKの番組で肯定的な意見が多かったのだと思います。
不安定な雇用環境や伸び悩む収入(収入についてはまだ議論の余地があるが)など、日本で家族を養っていくにはやはり派遣では限界がありこうした雇用制度に問題があるのは間違いありません。しかし先ほどの既婚女性の例や、男性でも独身で音楽活動など自分の時間を有効に使いたいという方にとっては見方によれば非常に有意義な制度となる可能性もあり、やはり勢いに任せて全廃すべし制度のようには思えません。
ほかの議論などでもよく出てきますが、やはり派遣という制度は残して問題のある箇所、社会保険や労働保険、そして派遣会社のマージン率の公開などそういった面で改正していくのが派遣制度に必要なのではないかと思います。
まさか過半数が派遣を肯定的に取るなんてと正直面食らったのですが、よくよくその番組を見ているとアンケート対象の方がコメントを寄る際に簡易プロフィールが出るのですが、その大半が30代以上の女性ばかりだったのでようやく合点がいきました。
実はこれ以前からもお袋の知り合いで派遣労働をやっている方から話を聞くと、下手なアルバイトより全然収入も大きくまた仕事もオフィスでのお茶汲みや簡単な入力作業ばかりで非常に助かっていると、先ほどの番組同様のコメントを私は聞いていました。そうした話を聞いていると、なんだかんだいって現在の派遣制度は一家の家計を養う男性、特に既婚者の方にとっては非常に迷惑な制度ではあるのですが、逆に結婚を期に職場を離れた既婚女性が再就職する際には非常に有効な制度なのではないかという気がするのです。
知っての通り現在でこそ出産のための一時休暇などが日本でも大分認められてきましたが、それでも未だに出産を期に職場を離れることが多いために日本の女性就職率はいわゆるM字カーブといって、30歳前後で就職率が谷のように急激に落ち込んで40歳前後でまた上昇するという、欧米と比べると非常に偏った形を毎年とっております。出産のために職場を離れなければならないというのはまだわかるにしても、キャリアや実力のある女性労働者がその後再就職するには非常に大きな障害があると言われており、育児が終わったり家計のために働きたいと願っても、なかなかいい仕事が見つからないという話は今に始まるわけでもなく昔から言われてきました。労働力が不足しているといわれるこの日本で。
それに対し現行の派遣制度であればこうした既婚女性、特にオフィスワークを相応にこなすことが出来る方などは再就職が容易でかつ条件にあった職、それこそ最初に言ったアルバイト以上正社員未満くらいの職ならば簡単に見つけることが出来、こうしたことが影響してNHKの番組で肯定的な意見が多かったのだと思います。
不安定な雇用環境や伸び悩む収入(収入についてはまだ議論の余地があるが)など、日本で家族を養っていくにはやはり派遣では限界がありこうした雇用制度に問題があるのは間違いありません。しかし先ほどの既婚女性の例や、男性でも独身で音楽活動など自分の時間を有効に使いたいという方にとっては見方によれば非常に有意義な制度となる可能性もあり、やはり勢いに任せて全廃すべし制度のようには思えません。
ほかの議論などでもよく出てきますが、やはり派遣という制度は残して問題のある箇所、社会保険や労働保険、そして派遣会社のマージン率の公開などそういった面で改正していくのが派遣制度に必要なのではないかと思います。
2009年2月21日土曜日
日本の教育における想像性の問題
昨日に引き続き日本の教育制度への批判記事です。
去年にノーベル賞を受賞した益川氏がよくセンター試験などの現在の試験制度には、子供の想像性を問うような問題がないなどといって激しく批判していたことは恐らく読者の方も記憶に新しいと思われます。実は益川氏の主張は現実に確認されていることで、国際学力テストなどで日本の子供は定理や公式などの知識はあるものの、それを応用する力が非常に低いということがテスト結果で現れています。
一例を出すと、平行四辺形の面積を「底辺×高さ」で出す問題については正解率が高いものの、街路地図を見せて平行四辺形の形となっている部分の面積を求めたところ、街路の区画などから底辺と高さの長さが簡単に類推できるにもかかわらず、先ほど正解した日本の子供の多くが解答できなかったという結果が報告されています。
実際に予備校で講師をしている友人にこの件で話を聞くと、最近の子供は本当に書かれている文章の内容が読み込めない人間が多いと聞きました。それこそ算数や数学の文章問題となると、図形の角度を求めているのに解答欄に長さとか、ひどい場合には変な四角形の図を書き込んだりする子供もいるらしく、一昔前のCMみたいに何から教えていいのかわからなくなる時が多々あるそうです。
ここで話は変わって私の体験談ですが、一応私の時代からも日本の子供には想像(創造?)性が低いという指摘がよく教育界でされており、またもそういった言質を真に受けた当時の私は何を思ったのか、数学などならともかく何かを説明する国語の記述問題などは誰も思いつかないような、突飛な回答にこそ真の価値があると信じ込んで、今思うとものすごい答案を毎回提出していました。
そんなもんだから、中学校の頃の成績というのはひどいものでした。当時は大体180人中160番台くらいだった気がします。
しかし中学三年生位になった頃、ちょっと思うことがあってあることを実験しました。
それまで私は前述の通りに自分で物を考えてオリジナルな回答を出した方が評価されると思っており、教師が授業中に言っていること、それこそ国語なんかは先生が授業中に説明した解釈とはなるべく異なる回答を出すように心掛けていたのですが、ある日試しにテストの回答に教師の授業中の解釈そのまんまを書いてみたのですが、そしたら自分でもびっくりする位に正解率が上がっていきました。
そのあまりの成果に私も驚き、それ以降授業中に私は理科や数学といったほかの科目でも教師が言う言葉を細かくチェックするようになり、授業中のちょっとしたアクセントや表現の違いからどこがテストに出るのかを予想しては当てることによって当時に成績はぐんぐんと上昇して行きました。あんまりにもどこが問題に出るのかを当てるもんだから、高校に入った頃なんかは予想屋として友人らの得点上昇に一役買っていました。
しかしこうして成績を上げることについて、私自身は素直に喜べませんでした。言ってしまえば自分が考える余地をなくして教師の言う事通りにテストの回答に書くことが、果たして自分の能力の向上につながるのか疑問だったからです。そうはいっても成績を上げねば親からもにらまれるし、これは本意ではないと自分に言い聞かせながら高校時代のテスト期間を過ごしていました。
そんなもんだから、益川氏の教育制度についての話を聞いたときには私も素直に納得しました。数学だって問題を工夫すれば解答に至るアプローチが複数あるものが作れるのですが、試験には単一のアプローチしかないようなものほど使われている気がしますし、国語の問題に至っては解釈なんて人それぞれなのに問題作成者の意図に沿ったものを出さないと正解が得られない。こんな試験で、どんな人材が育つのか私は不安です。
更に言えば、国語の記述式解答で50文字など制限してあるのは、45文字以上書かないと正解にならないという暗黙のルールにも不愉快さを覚えます。私は文章というものは短く表現できるに越したことはないので、20文字であろうと30文字であろうと核心をついていれば正解を与えるべきだと思うのですが、そんなことしてたらすごい点数になってしまいます。
以上のように、日本の教育にはたくさんの問題がありますが、試験制度それ自体にも問題があるというのが今日の私の意見です。
去年にノーベル賞を受賞した益川氏がよくセンター試験などの現在の試験制度には、子供の想像性を問うような問題がないなどといって激しく批判していたことは恐らく読者の方も記憶に新しいと思われます。実は益川氏の主張は現実に確認されていることで、国際学力テストなどで日本の子供は定理や公式などの知識はあるものの、それを応用する力が非常に低いということがテスト結果で現れています。
一例を出すと、平行四辺形の面積を「底辺×高さ」で出す問題については正解率が高いものの、街路地図を見せて平行四辺形の形となっている部分の面積を求めたところ、街路の区画などから底辺と高さの長さが簡単に類推できるにもかかわらず、先ほど正解した日本の子供の多くが解答できなかったという結果が報告されています。
実際に予備校で講師をしている友人にこの件で話を聞くと、最近の子供は本当に書かれている文章の内容が読み込めない人間が多いと聞きました。それこそ算数や数学の文章問題となると、図形の角度を求めているのに解答欄に長さとか、ひどい場合には変な四角形の図を書き込んだりする子供もいるらしく、一昔前のCMみたいに何から教えていいのかわからなくなる時が多々あるそうです。
ここで話は変わって私の体験談ですが、一応私の時代からも日本の子供には想像(創造?)性が低いという指摘がよく教育界でされており、またもそういった言質を真に受けた当時の私は何を思ったのか、数学などならともかく何かを説明する国語の記述問題などは誰も思いつかないような、突飛な回答にこそ真の価値があると信じ込んで、今思うとものすごい答案を毎回提出していました。
そんなもんだから、中学校の頃の成績というのはひどいものでした。当時は大体180人中160番台くらいだった気がします。
しかし中学三年生位になった頃、ちょっと思うことがあってあることを実験しました。
それまで私は前述の通りに自分で物を考えてオリジナルな回答を出した方が評価されると思っており、教師が授業中に言っていること、それこそ国語なんかは先生が授業中に説明した解釈とはなるべく異なる回答を出すように心掛けていたのですが、ある日試しにテストの回答に教師の授業中の解釈そのまんまを書いてみたのですが、そしたら自分でもびっくりする位に正解率が上がっていきました。
そのあまりの成果に私も驚き、それ以降授業中に私は理科や数学といったほかの科目でも教師が言う言葉を細かくチェックするようになり、授業中のちょっとしたアクセントや表現の違いからどこがテストに出るのかを予想しては当てることによって当時に成績はぐんぐんと上昇して行きました。あんまりにもどこが問題に出るのかを当てるもんだから、高校に入った頃なんかは予想屋として友人らの得点上昇に一役買っていました。
しかしこうして成績を上げることについて、私自身は素直に喜べませんでした。言ってしまえば自分が考える余地をなくして教師の言う事通りにテストの回答に書くことが、果たして自分の能力の向上につながるのか疑問だったからです。そうはいっても成績を上げねば親からもにらまれるし、これは本意ではないと自分に言い聞かせながら高校時代のテスト期間を過ごしていました。
そんなもんだから、益川氏の教育制度についての話を聞いたときには私も素直に納得しました。数学だって問題を工夫すれば解答に至るアプローチが複数あるものが作れるのですが、試験には単一のアプローチしかないようなものほど使われている気がしますし、国語の問題に至っては解釈なんて人それぞれなのに問題作成者の意図に沿ったものを出さないと正解が得られない。こんな試験で、どんな人材が育つのか私は不安です。
更に言えば、国語の記述式解答で50文字など制限してあるのは、45文字以上書かないと正解にならないという暗黙のルールにも不愉快さを覚えます。私は文章というものは短く表現できるに越したことはないので、20文字であろうと30文字であろうと核心をついていれば正解を与えるべきだと思うのですが、そんなことしてたらすごい点数になってしまいます。
以上のように、日本の教育にはたくさんの問題がありますが、試験制度それ自体にも問題があるというのが今日の私の意見です。
2009年2月20日金曜日
個性が強いゆえに日本で起こる問題
このブログを読んでいればわかると思いますが、私は基本的に反権力的な思考の人間です。それでなんで私がこんな風になったかと思い起こすと、きっかけはやはり日本の教育に反感を持ったのが原因だと思います。
私が日本の教育に始めて疑問を感じたのは、我ながら呆れますが小学生四年生くらいの頃でした。自分で言うのもなんですが私は傍目にキャラが濃い人間らしく、友人からも「一度会ったら忘れられない」、「夢に出てくる」などといったことをほぼ知り合った人間全員に言われながら今まで生きてきましたが、それだけの強烈な個性というのは日本の社会の中ではやはりマイナスに働くことの方が今までの人生で多かった気がします。
私がそれをはっきりと認識し始めたのがまさに小学四年生くらいの頃で、多少の自意識過剰も入っているかもしれませんがこの頃から周りから思いもよらないやっかみを受けたり、なんの根拠のない陰口などが言われるようになってきたと思います。そしてその原因が隠し様のない私の個性が原因だということも、当時からなんとなく気がついていました。
私としても原因がわかっているのだから何も対処をしてこなかったわけじゃないのですが、多分それでも隠しきれなかったと言うべきか、その後中学から高校へと進学しても周りからの言われのない評価に困らされて続けてきました。
別に私はなにか犯罪をやったり、周囲に対してなにかしら妙な干渉をしてきたつもりはないのですが、恐らく周囲を気にせずに自分が正しいと思うことを自分自身に行ってきたのが周りからは目に付いたのか、むしろ私と何の関わりもない、それこそ一言も話したこともない人間ほど私に対していろいろと言っていたようです。後年に話すようになった中学の友人に言わせると、やっぱりその友人の周囲で私は「変な人間」という風に言われていたそうです。
それこそなにかの拍子に殴り合いとかした相手にいろいろと悪口を言われるのならともかく、今まで何も話したことも接したこともない人間から悪し様に陰口を言われていたというのは今でもよく不思議に思います。
その原因は一体なんなのだろうと、恐らく一番頭使って考えたのは徐々に周りから孤立し始めてきた小学校四年生の夏休みくらいでした。確かその時はそれこそ朝から夕方くらいまで一人で外を自転車で走りながら(友達が本当にいなかったから)あれこれ自分の状況について考えていましたが、その結果思いついたのが日本の教育のせいじゃないかという結論でした。
すでにその頃辺りから、「日本人はもっと自分だけの個性を大事にするべきだ」という教育方針がアメリカから輸入される形で入ってきており、小学校などでも先生がそんなことを言っていたのですが、恐らく大概の日本の子供は、「そうは言っても、周りに合わせないとやっぱハブられるだろ」、と悟っていたところ私だけがアホだからその方針を真に受けて、出来るだけ周りと自分を差別化させるように行動していたので、なんというか右を向けと言われて私一人だけが右向いちゃったような状態だったんだと思います。
現在の私としてもモンスターペアレントの問題のように、何でもかんでも個性として認めるべきではないということは重々承知ですが、集団に流されず自分で自分の行動を思考する独立した自己という意味の個性は未だ日本人には必要だと考えています。ですが既に述べたように日本の教育下ではそうした個性ほど摘み取ろうとする傾向があり、過剰に集団性を強化するところがあるのでいじめ行為や集団万引きといった、冷静に考えるのなら異常な行為が学校現場などで起こっているのだと私は思います。
大体こんな感じの結論に小学校四年生で達した私はどうしたかというと、前述の通りにいくら周りがみんなしてやっている行為とはいえ、明らかに間違っていると自分が思う行為に対してはたとえ自分ひとりになっても一緒にやってはならないという変な原則を作ってしまい、その後の人生で浮いた存在のまま今に至っております。中学高校時代も、制服のYシャツの第一ボタンは必ず留めていたし。
私は別に日本人の集団性が強いことが悪いと言うつもりはありません。中国人の日本人観の一つに、「あいつらは一人一人だと弱っちいが、集団になるととてもじゃないが敵わなくなる」というのがあるように、日本人の団結力はそれはそれでたいしたもんです。
しかし私のように恐らく先天的に個性が強い人間、もといキャラが濃過ぎる人間というのは日本には本当に居場所がありません。今でこそ必死になって猫かぶって自分の個性を抑えながら何とかやりすごして生きてきていますが、知り合いの中でも別にそいつが何か悪いことをしたわけでもなく、むしろ周りに対して思いやりもあって向学心のある人間ほど周囲から奇異の目で見られることによって悩まなくていいことで悩まされてきた人間を数多く見てきています。
私が言いたいのはただ一つ、自分たちにも居場所をくださいということです。個性の強い人間の一人や二人、直接的な迷惑が起こらない限りは追い出そうとせず、こんな奴もいるんだなというくらいに普通の人には見てもらいたいです。
私が日本の教育に始めて疑問を感じたのは、我ながら呆れますが小学生四年生くらいの頃でした。自分で言うのもなんですが私は傍目にキャラが濃い人間らしく、友人からも「一度会ったら忘れられない」、「夢に出てくる」などといったことをほぼ知り合った人間全員に言われながら今まで生きてきましたが、それだけの強烈な個性というのは日本の社会の中ではやはりマイナスに働くことの方が今までの人生で多かった気がします。
私がそれをはっきりと認識し始めたのがまさに小学四年生くらいの頃で、多少の自意識過剰も入っているかもしれませんがこの頃から周りから思いもよらないやっかみを受けたり、なんの根拠のない陰口などが言われるようになってきたと思います。そしてその原因が隠し様のない私の個性が原因だということも、当時からなんとなく気がついていました。
私としても原因がわかっているのだから何も対処をしてこなかったわけじゃないのですが、多分それでも隠しきれなかったと言うべきか、その後中学から高校へと進学しても周りからの言われのない評価に困らされて続けてきました。
別に私はなにか犯罪をやったり、周囲に対してなにかしら妙な干渉をしてきたつもりはないのですが、恐らく周囲を気にせずに自分が正しいと思うことを自分自身に行ってきたのが周りからは目に付いたのか、むしろ私と何の関わりもない、それこそ一言も話したこともない人間ほど私に対していろいろと言っていたようです。後年に話すようになった中学の友人に言わせると、やっぱりその友人の周囲で私は「変な人間」という風に言われていたそうです。
それこそなにかの拍子に殴り合いとかした相手にいろいろと悪口を言われるのならともかく、今まで何も話したことも接したこともない人間から悪し様に陰口を言われていたというのは今でもよく不思議に思います。
その原因は一体なんなのだろうと、恐らく一番頭使って考えたのは徐々に周りから孤立し始めてきた小学校四年生の夏休みくらいでした。確かその時はそれこそ朝から夕方くらいまで一人で外を自転車で走りながら(友達が本当にいなかったから)あれこれ自分の状況について考えていましたが、その結果思いついたのが日本の教育のせいじゃないかという結論でした。
すでにその頃辺りから、「日本人はもっと自分だけの個性を大事にするべきだ」という教育方針がアメリカから輸入される形で入ってきており、小学校などでも先生がそんなことを言っていたのですが、恐らく大概の日本の子供は、「そうは言っても、周りに合わせないとやっぱハブられるだろ」、と悟っていたところ私だけがアホだからその方針を真に受けて、出来るだけ周りと自分を差別化させるように行動していたので、なんというか右を向けと言われて私一人だけが右向いちゃったような状態だったんだと思います。
現在の私としてもモンスターペアレントの問題のように、何でもかんでも個性として認めるべきではないということは重々承知ですが、集団に流されず自分で自分の行動を思考する独立した自己という意味の個性は未だ日本人には必要だと考えています。ですが既に述べたように日本の教育下ではそうした個性ほど摘み取ろうとする傾向があり、過剰に集団性を強化するところがあるのでいじめ行為や集団万引きといった、冷静に考えるのなら異常な行為が学校現場などで起こっているのだと私は思います。
大体こんな感じの結論に小学校四年生で達した私はどうしたかというと、前述の通りにいくら周りがみんなしてやっている行為とはいえ、明らかに間違っていると自分が思う行為に対してはたとえ自分ひとりになっても一緒にやってはならないという変な原則を作ってしまい、その後の人生で浮いた存在のまま今に至っております。中学高校時代も、制服のYシャツの第一ボタンは必ず留めていたし。
私は別に日本人の集団性が強いことが悪いと言うつもりはありません。中国人の日本人観の一つに、「あいつらは一人一人だと弱っちいが、集団になるととてもじゃないが敵わなくなる」というのがあるように、日本人の団結力はそれはそれでたいしたもんです。
しかし私のように恐らく先天的に個性が強い人間、もといキャラが濃過ぎる人間というのは日本には本当に居場所がありません。今でこそ必死になって猫かぶって自分の個性を抑えながら何とかやりすごして生きてきていますが、知り合いの中でも別にそいつが何か悪いことをしたわけでもなく、むしろ周りに対して思いやりもあって向学心のある人間ほど周囲から奇異の目で見られることによって悩まなくていいことで悩まされてきた人間を数多く見てきています。
私が言いたいのはただ一つ、自分たちにも居場所をくださいということです。個性の強い人間の一人や二人、直接的な迷惑が起こらない限りは追い出そうとせず、こんな奴もいるんだなというくらいに普通の人には見てもらいたいです。
当てにならない評論家たち
友人になにかブログに書くネタはないかと先ほどメールしたら、「無駄な予想をするなと(世の中に)言いたい」という返信が来ました。正直、私自身もこのブログで最近外しまくっている予想ばかり書いているのでドキッとしちゃいました。
この友人の言を私がもう少し解説すると、恐らく世界は不況だ不況だと言われる中でそれこそ二年後には景気は回復するとか先々週あたりに各週刊誌で書かれていた、「二月十三日の金曜日、世界株大暴落」などと根も葉もない、しかもどちらかといえば不安を煽り立てるような予想や評論について、現在は全く先が読めない状況なのだからわざわざそんな不安を煽るような行為はやめろと言いたかったのだと思います。
私としてもちょっとどの記事に書いたか忘れましたが以前に、当たり外れは多少運の要素が絡むので仕方ないが、いい予想というのはきちんと筋道立って説明がされているから外れたとしても状況の理解に役立つものだと言いましたが、そういう目で見たら世の中に氾濫している予想というのはどれも筋道から外れた、それこそ先ほども言いましたが人の神経を煽るようなものばかりで、友人が怒るのも仕方がないことでしょう。
まぁこんなえらそうなことを言っている私もくだらない予想ばかりして周りに迷惑かけていますが、以前に読売テレビで放映されている「たかじんのそこまで言って委員会」という番組にていまや石を投げれば評論家に当たるというくらい、テレビでチャンネルを回すといくらでも素性のわからない妙な評論家が登場していることはいかがなものかというテーマで討論がされていました。
この問題提起がされると番組内では登場しているゲストたちに、「あなたが評価する、もしくは良くないと思っている評論家は誰だ?」という質問がされ、それぞれのゲストがフリップを持ち上げて思い思いに名前を挙げていましたが、確か三宅久之氏と宮崎哲弥氏の二人が揃って、すぐ目の前にいる勝谷誠彦氏の名前を挙げていました。理由は二人とも、勝谷氏はきちんとしゃべればいいのにすぐに下品で過激な話に持っていくとして、さすがにこの二人に言われては勝谷氏も返す言葉がありませんでした。
そして三宅氏は逆に評価する評論家として櫻井よしこ氏と屋山太郎氏を挙げていましたが、この二人については私も話を聞いてて非常に参考になることが多く深く同感しました。
とまぁこの番組で取り上げられていたように、最近は本当に評論家というかコメンテーターがありえないほど溢れている状況です。確かに中には学識もあって立派な方もいるのですが、やはり大半は聞いててあきれるような事を言うばかりか、恐らくテレビ受けさせるために大した信条もないくせにわざと過激で人の不安を煽るようなコメントをする人間も少なくありません。前に愛弟子に進められて「ラストニュース」(原作:猪瀬直樹)というテレビ業界を舞台にしたマンガを読みましたが、この中でもテレビ業界にはカメラの前では威勢のいいことを言うくせにテレビ裏になると急にすぼんだ態度になる人間が出てきますが、やっぱり現実もそんなものなのではないかと思います。
特に私が現在最も見ていて呆れさせられるのは、さきほどのたかじんの番組でゲストの誰かが「良くない評論家」の一人として挙げていた、報道ステーションの古館一郎氏です。そのゲストの言葉を借りると、ニュースの後の彼の解説を聞くたびに彼がどれだけ勉強していないのがよくわかる、と言っていましたがこれについても私は強く同感します。なんていうか、いろいろと関連する問題があって一言で言い切れるわけがない事件や問題についても何が何でも古館氏は一言でまとめようとするので、その結果多くの関係事象が見落とされかねないコメントをするのが私にとっても頭にきますし、今までなるほどと思わせられるようなコメントは一度として彼から聞いたことがありません。
まぁそうはいっても彼ら評論家からするとなにかしらしゃべることが生活の種なので、それこそ問題でもないことでもさも問題性があるように話さなければならないというお家事情があるのは理解できます。かといって、根も葉もない事象から人の不安を煽るような行為にまで至るともはや笑って許せる問題ではなく、報道する側のテレビ局などはそこら辺をぜひ考慮してもらいたいものです。まぁ人の不安を最も煽っている環境問題において、武田邦彦氏のコメントなんかは聞いてて別な意味でいろいろ不安になっちゃいますが。
この友人の言を私がもう少し解説すると、恐らく世界は不況だ不況だと言われる中でそれこそ二年後には景気は回復するとか先々週あたりに各週刊誌で書かれていた、「二月十三日の金曜日、世界株大暴落」などと根も葉もない、しかもどちらかといえば不安を煽り立てるような予想や評論について、現在は全く先が読めない状況なのだからわざわざそんな不安を煽るような行為はやめろと言いたかったのだと思います。
私としてもちょっとどの記事に書いたか忘れましたが以前に、当たり外れは多少運の要素が絡むので仕方ないが、いい予想というのはきちんと筋道立って説明がされているから外れたとしても状況の理解に役立つものだと言いましたが、そういう目で見たら世の中に氾濫している予想というのはどれも筋道から外れた、それこそ先ほども言いましたが人の神経を煽るようなものばかりで、友人が怒るのも仕方がないことでしょう。
まぁこんなえらそうなことを言っている私もくだらない予想ばかりして周りに迷惑かけていますが、以前に読売テレビで放映されている「たかじんのそこまで言って委員会」という番組にていまや石を投げれば評論家に当たるというくらい、テレビでチャンネルを回すといくらでも素性のわからない妙な評論家が登場していることはいかがなものかというテーマで討論がされていました。
この問題提起がされると番組内では登場しているゲストたちに、「あなたが評価する、もしくは良くないと思っている評論家は誰だ?」という質問がされ、それぞれのゲストがフリップを持ち上げて思い思いに名前を挙げていましたが、確か三宅久之氏と宮崎哲弥氏の二人が揃って、すぐ目の前にいる勝谷誠彦氏の名前を挙げていました。理由は二人とも、勝谷氏はきちんとしゃべればいいのにすぐに下品で過激な話に持っていくとして、さすがにこの二人に言われては勝谷氏も返す言葉がありませんでした。
そして三宅氏は逆に評価する評論家として櫻井よしこ氏と屋山太郎氏を挙げていましたが、この二人については私も話を聞いてて非常に参考になることが多く深く同感しました。
とまぁこの番組で取り上げられていたように、最近は本当に評論家というかコメンテーターがありえないほど溢れている状況です。確かに中には学識もあって立派な方もいるのですが、やはり大半は聞いててあきれるような事を言うばかりか、恐らくテレビ受けさせるために大した信条もないくせにわざと過激で人の不安を煽るようなコメントをする人間も少なくありません。前に愛弟子に進められて「ラストニュース」(原作:猪瀬直樹)というテレビ業界を舞台にしたマンガを読みましたが、この中でもテレビ業界にはカメラの前では威勢のいいことを言うくせにテレビ裏になると急にすぼんだ態度になる人間が出てきますが、やっぱり現実もそんなものなのではないかと思います。
特に私が現在最も見ていて呆れさせられるのは、さきほどのたかじんの番組でゲストの誰かが「良くない評論家」の一人として挙げていた、報道ステーションの古館一郎氏です。そのゲストの言葉を借りると、ニュースの後の彼の解説を聞くたびに彼がどれだけ勉強していないのがよくわかる、と言っていましたがこれについても私は強く同感します。なんていうか、いろいろと関連する問題があって一言で言い切れるわけがない事件や問題についても何が何でも古館氏は一言でまとめようとするので、その結果多くの関係事象が見落とされかねないコメントをするのが私にとっても頭にきますし、今までなるほどと思わせられるようなコメントは一度として彼から聞いたことがありません。
まぁそうはいっても彼ら評論家からするとなにかしらしゃべることが生活の種なので、それこそ問題でもないことでもさも問題性があるように話さなければならないというお家事情があるのは理解できます。かといって、根も葉もない事象から人の不安を煽るような行為にまで至るともはや笑って許せる問題ではなく、報道する側のテレビ局などはそこら辺をぜひ考慮してもらいたいものです。まぁ人の不安を最も煽っている環境問題において、武田邦彦氏のコメントなんかは聞いてて別な意味でいろいろ不安になっちゃいますが。
2009年2月19日木曜日
ブログを読む側と書く側の感覚の違い
先日友人から、
「実は俺もブログをやっていたんだよ」
と突然言われました。
なんでも半年くらいは続いていたそうですがやっぱり段々と書くことがなくなって続けられなくなり、そのブログは今じゃ放置状態になっているそうです。
別にその友人がそうだと言うわけじゃないのですが、私の見ている限りまだブログを始めたことがない人なんかは他の人がやっているブログを見て、「こんな簡単そうなの、自分でも出来るだろう」と思う方が多いんじゃないかという気がします。しかし実際に始めてみると読む側と書く側では全然感覚が変わるもので、ちょっと簡単にその辺の部分で私が思うことを書いておきます。
まず私の体験ですが、私は2007年の年末からこの「陽月秘話」をやっていますが、それ以前からもいくつかのブログは読んでいました。それで他の人のブログを見ていてよく思っていたのは、「なんでこいつらはこんなに更新が少ないんだ」ということでした。
やっぱり定期的に人に読ませるなら最低でも一週間に一回、理想なら今の私のペース並に短くともいいから毎日更新しないとついてこないだろうとよく思い、原稿用紙一枚分の四百文字くらいで毎日更新するくらいなら自分なら余裕だろうと思って始めました。結果はとても四百文字じゃ満足できず、アホみたいに毎日長文を書くことになりましたが。
それでこの文字数についてですが、私の感覚だと書く側が大体一時間くらいかけて文章を書いても、言ってて結構無常ですが読む側からすると五分で読まれてしまう量にしかなりません。これだと経済的に見たら文章を書く労力に見合わせるには最低でも二十人に読んでもらわないとペイできません。このように読む側からだと想像し辛いのですが、文章というのは書く側になると恐ろしい時間と労力が必要になってくるので、読んでて自分にも出来そうだと思った方は書き始めるとそのギャップに打ち負かされることが多いんじゃないかと思います。
もちろん技術力の向上次第でその一時間を五十分、四十分にも短縮することができますが、それでもとことん突き詰めても三十分は読む側に五分読ませるのに書く必要があるでしょう。私の場合は調子や書きやすいテーマにもよりますが、やや長めの記事を書くのには一時間くらいはいつもかけています。
ここで強く言っておきたいのですが、文章というのは意外に書けそうで書けないもので、やっぱり自分の思うまま、伝えたい内容を確実に伝えられるように書くには相当な訓練が必要です。個人的に到達段階に当たる訓練量を挙げていくと、まず原稿用紙百枚(四千字)を越える一つの文章を書くと一皮向けて、その後生涯執筆量で千枚(四万字)を越えた辺りからいろいろと面白くなってきます。
なのでブログをやっている方は、ひとまず四万字を越えるくらいまではだらだらしてもいいから続けるべきだと思います。そうすると表現技法などが段々とわかってきて、昔の文章と比べることによっていろいろと成長する実感が湧いてくるでしょう。
そして今度は逆に読む側に伝えたいのですが、見ていて「なんだ、これっぽっちか」と、文章量が短か過ぎると思っても、書く側はその短い量を書くのに凄い労力をかけているので馬鹿にしたりはせずにきちんと見てあげてください。私の場合は自分でも長すぎる気がして、読む側がかえって負担になってるんじゃないかと心配するくらいですが。
補足
これまた私の感覚ですが、手書きで文章を書くとペースは好不調に関わらず一時間で原稿用紙六枚です。キーボードの場合は昔の話だと一時間に十枚くらいが平均的なペースですが、キーボードの場合は頭で文章を組み立てるより早く文字がかけてしまうのでペースが一定でなく、好調の時は十二枚とか行きますが、不調の場合は八枚くらいにまで落ちることがありました。
今このブログで書いている内容は結構頭を使うものも多く、書きながらあれこれ調べたりするのでペース的には一時間当たり六枚くらいじゃないでしょうかね。
「実は俺もブログをやっていたんだよ」
と突然言われました。
なんでも半年くらいは続いていたそうですがやっぱり段々と書くことがなくなって続けられなくなり、そのブログは今じゃ放置状態になっているそうです。
別にその友人がそうだと言うわけじゃないのですが、私の見ている限りまだブログを始めたことがない人なんかは他の人がやっているブログを見て、「こんな簡単そうなの、自分でも出来るだろう」と思う方が多いんじゃないかという気がします。しかし実際に始めてみると読む側と書く側では全然感覚が変わるもので、ちょっと簡単にその辺の部分で私が思うことを書いておきます。
まず私の体験ですが、私は2007年の年末からこの「陽月秘話」をやっていますが、それ以前からもいくつかのブログは読んでいました。それで他の人のブログを見ていてよく思っていたのは、「なんでこいつらはこんなに更新が少ないんだ」ということでした。
やっぱり定期的に人に読ませるなら最低でも一週間に一回、理想なら今の私のペース並に短くともいいから毎日更新しないとついてこないだろうとよく思い、原稿用紙一枚分の四百文字くらいで毎日更新するくらいなら自分なら余裕だろうと思って始めました。結果はとても四百文字じゃ満足できず、アホみたいに毎日長文を書くことになりましたが。
それでこの文字数についてですが、私の感覚だと書く側が大体一時間くらいかけて文章を書いても、言ってて結構無常ですが読む側からすると五分で読まれてしまう量にしかなりません。これだと経済的に見たら文章を書く労力に見合わせるには最低でも二十人に読んでもらわないとペイできません。このように読む側からだと想像し辛いのですが、文章というのは書く側になると恐ろしい時間と労力が必要になってくるので、読んでて自分にも出来そうだと思った方は書き始めるとそのギャップに打ち負かされることが多いんじゃないかと思います。
もちろん技術力の向上次第でその一時間を五十分、四十分にも短縮することができますが、それでもとことん突き詰めても三十分は読む側に五分読ませるのに書く必要があるでしょう。私の場合は調子や書きやすいテーマにもよりますが、やや長めの記事を書くのには一時間くらいはいつもかけています。
ここで強く言っておきたいのですが、文章というのは意外に書けそうで書けないもので、やっぱり自分の思うまま、伝えたい内容を確実に伝えられるように書くには相当な訓練が必要です。個人的に到達段階に当たる訓練量を挙げていくと、まず原稿用紙百枚(四千字)を越える一つの文章を書くと一皮向けて、その後生涯執筆量で千枚(四万字)を越えた辺りからいろいろと面白くなってきます。
なのでブログをやっている方は、ひとまず四万字を越えるくらいまではだらだらしてもいいから続けるべきだと思います。そうすると表現技法などが段々とわかってきて、昔の文章と比べることによっていろいろと成長する実感が湧いてくるでしょう。
そして今度は逆に読む側に伝えたいのですが、見ていて「なんだ、これっぽっちか」と、文章量が短か過ぎると思っても、書く側はその短い量を書くのに凄い労力をかけているので馬鹿にしたりはせずにきちんと見てあげてください。私の場合は自分でも長すぎる気がして、読む側がかえって負担になってるんじゃないかと心配するくらいですが。
補足
これまた私の感覚ですが、手書きで文章を書くとペースは好不調に関わらず一時間で原稿用紙六枚です。キーボードの場合は昔の話だと一時間に十枚くらいが平均的なペースですが、キーボードの場合は頭で文章を組み立てるより早く文字がかけてしまうのでペースが一定でなく、好調の時は十二枚とか行きますが、不調の場合は八枚くらいにまで落ちることがありました。
今このブログで書いている内容は結構頭を使うものも多く、書きながらあれこれ調べたりするのでペース的には一時間当たり六枚くらいじゃないでしょうかね。
今後の政局
大体材料が集まってきたので、そろそろまた政治解説でも始めようと思います。
まず今週最大のニュースとくれば言わずもがなの中川財務相の電撃辞任です。しかもその理由が酔っ払って会見に出たという、宇野宗佑元総理並にくだらない理由ゆえに世論からも大きく批判され、前の日曜日には日テレが恐らく仕込んだ結果でしょうが内閣支持率が9%台と発表されたのを皮切りに、他の報道各社でも10%前半という惨憺たる結果が続き、ただでさえ低い支持率がそれこそ森政権以来の低調ぶりを見せ始めております。
そこへもって小泉元首相の先週の会見です。公然の場ではっきりと、しかもきつい表現を用いて麻生内閣を批判し、その上昨日に至ってはモスクワにてもし二次補正予算案が衆議院で再投票されるのなら棄権すると明言したことにより、小泉氏に続いて麻生政権に反感を持っている自民若手議員も同調することで本当に三分の二可決ができるかどうかも怪しくなってきました。
しかも現実に後藤田正純衆議院議員のように、若手(しかもちょっとイケメン)でありながら公然と麻生総理に禅譲を迫り、代わりの候補としてぶれないという理由から石破茂氏と野田聖子を挙げてくる人物が出てくるなど、無鉄砲さが売りの渡辺喜美氏以外でこんな声も出てくるなんて私も予想だにしませんでした。どうでもいいですが、今朝のテレ朝のニュースでは後藤田氏の発言の中で石破氏を挙げたところでVTRを切り、野田聖子の名前を敢えて出そうとしていませんでした。私もこの人は嫌いなので、思わずグッジョブと思っちゃいました。
また先ほどの後藤田氏ほど直接的でないものの、麻生政権に元から批判的だった山本一太氏ももし選挙前に総裁が変わるのならば小池氏と石原氏を昨日のインタビューにて候補として挙げ、それを受けてか今朝のスポーツ新聞の見出しには「ポスト麻生」と書かれたリストを載せているのがたくさんあったように思えます。
誰かは忘れましたが今年初めの段階で麻生内閣は持たなくなり、選挙前ではあるものの自民はまた総裁を変え、恐らくその際には与謝野馨氏が総理に就任して総選挙になるだろうと予想した評論家がいましたが、現実に自体はこれに近い形で推移してきています。
こうした事態に対して麻生内閣を支える立場の自民党執行部の動きはどうかというと、脇雅史参院国対筆頭副委員長は「小泉元首相発言「笑っちゃう」 自民参院幹部が批判」の記事によると小泉氏の発言を「笑っちゃう」と非難していますが、正直この状況下で笑ってる場合かとこの人の危機意識をすこし私は疑います。
今回の小泉発言が大きく扱われるのも、なんだかんだいって国民が小泉氏の発言に同調する部分が大きいことからだと私は考えています。特に私は小泉氏の発言の中で、
「(自民党)執行部は若手が批判すると後ろから鉄砲を撃つなと批判するが、今の執行部は前から鉄砲を撃っているようなものじゃないか」
と言っていたのには非常に納得させられました。こうした例のように、国民が現政権にもつ苛立ちを理解せずに小泉氏の発言を非難するあたり、やっぱりこの小泉氏の言葉の通りという気がします。
さてこうした事態に対して野党の民主党はどんなものかというと、今日はなかなかいい論説があったのでまずそれを紹介します。
・【政論探求】これぞ「小泉アンコール劇場」だ (産経ニュース)
このところ産経はとんちんかんな事ばかり言っているかと思ったら、今回の論説は非常に内容も鋭く面白いことが書かれています。まずこの記事で小泉氏の発言力の大きさを改めて取り上げ、今回の発言によって再び小泉劇場といわれる政治状態が生まれるのではないかといい、実はそれで一番困るのはキャラ的な主導権を奪われる形となる民主党だと分析しているのには私も納得します。案の定というか、先週の小泉発言以降民主党の報道がめっきり減ってしまっています。
それで最後に今後どのタイミングでまた政局が動くかについてですが、やはり予算案が成立するであろう四月辺りが大きく動く可能性があります。もし自民が延命策をとろうとするのならここで麻生政権を総辞職させて現段階で与謝野氏が最も可能性が高いですが、また新たな総裁を出してくるでしょう。それに対して世間や党内の批判を無視して麻生政権が任期切れまで必死で逃げ切るか、はたまた民主党や自民党内の反乱勢力が押し切り一気に解散総選挙になるか、各プレイヤーの動き次第でしょう。
ちょっと踏み込んだ予想をすると、もし自民党執行部が報道されているように小泉氏が二次補正予算案に欠席することで何かしら党として処分を行おうとするものなら、恐らく小泉氏だったら離党をして、次の選挙で引退を宣言しているので代表にはつかないでしょうが、後見役のような立場で新党を作りかねないのではないかと思います。そうした場合は自民や民主の若手が集まるでしょうし、私としても理想的な政界再編の枠組みが作られる気がします。
まず今週最大のニュースとくれば言わずもがなの中川財務相の電撃辞任です。しかもその理由が酔っ払って会見に出たという、宇野宗佑元総理並にくだらない理由ゆえに世論からも大きく批判され、前の日曜日には日テレが恐らく仕込んだ結果でしょうが内閣支持率が9%台と発表されたのを皮切りに、他の報道各社でも10%前半という惨憺たる結果が続き、ただでさえ低い支持率がそれこそ森政権以来の低調ぶりを見せ始めております。
そこへもって小泉元首相の先週の会見です。公然の場ではっきりと、しかもきつい表現を用いて麻生内閣を批判し、その上昨日に至ってはモスクワにてもし二次補正予算案が衆議院で再投票されるのなら棄権すると明言したことにより、小泉氏に続いて麻生政権に反感を持っている自民若手議員も同調することで本当に三分の二可決ができるかどうかも怪しくなってきました。
しかも現実に後藤田正純衆議院議員のように、若手(しかもちょっとイケメン)でありながら公然と麻生総理に禅譲を迫り、代わりの候補としてぶれないという理由から石破茂氏と野田聖子を挙げてくる人物が出てくるなど、無鉄砲さが売りの渡辺喜美氏以外でこんな声も出てくるなんて私も予想だにしませんでした。どうでもいいですが、今朝のテレ朝のニュースでは後藤田氏の発言の中で石破氏を挙げたところでVTRを切り、野田聖子の名前を敢えて出そうとしていませんでした。私もこの人は嫌いなので、思わずグッジョブと思っちゃいました。
また先ほどの後藤田氏ほど直接的でないものの、麻生政権に元から批判的だった山本一太氏ももし選挙前に総裁が変わるのならば小池氏と石原氏を昨日のインタビューにて候補として挙げ、それを受けてか今朝のスポーツ新聞の見出しには「ポスト麻生」と書かれたリストを載せているのがたくさんあったように思えます。
誰かは忘れましたが今年初めの段階で麻生内閣は持たなくなり、選挙前ではあるものの自民はまた総裁を変え、恐らくその際には与謝野馨氏が総理に就任して総選挙になるだろうと予想した評論家がいましたが、現実に自体はこれに近い形で推移してきています。
こうした事態に対して麻生内閣を支える立場の自民党執行部の動きはどうかというと、脇雅史参院国対筆頭副委員長は「小泉元首相発言「笑っちゃう」 自民参院幹部が批判」の記事によると小泉氏の発言を「笑っちゃう」と非難していますが、正直この状況下で笑ってる場合かとこの人の危機意識をすこし私は疑います。
今回の小泉発言が大きく扱われるのも、なんだかんだいって国民が小泉氏の発言に同調する部分が大きいことからだと私は考えています。特に私は小泉氏の発言の中で、
「(自民党)執行部は若手が批判すると後ろから鉄砲を撃つなと批判するが、今の執行部は前から鉄砲を撃っているようなものじゃないか」
と言っていたのには非常に納得させられました。こうした例のように、国民が現政権にもつ苛立ちを理解せずに小泉氏の発言を非難するあたり、やっぱりこの小泉氏の言葉の通りという気がします。
さてこうした事態に対して野党の民主党はどんなものかというと、今日はなかなかいい論説があったのでまずそれを紹介します。
・【政論探求】これぞ「小泉アンコール劇場」だ (産経ニュース)
このところ産経はとんちんかんな事ばかり言っているかと思ったら、今回の論説は非常に内容も鋭く面白いことが書かれています。まずこの記事で小泉氏の発言力の大きさを改めて取り上げ、今回の発言によって再び小泉劇場といわれる政治状態が生まれるのではないかといい、実はそれで一番困るのはキャラ的な主導権を奪われる形となる民主党だと分析しているのには私も納得します。案の定というか、先週の小泉発言以降民主党の報道がめっきり減ってしまっています。
それで最後に今後どのタイミングでまた政局が動くかについてですが、やはり予算案が成立するであろう四月辺りが大きく動く可能性があります。もし自民が延命策をとろうとするのならここで麻生政権を総辞職させて現段階で与謝野氏が最も可能性が高いですが、また新たな総裁を出してくるでしょう。それに対して世間や党内の批判を無視して麻生政権が任期切れまで必死で逃げ切るか、はたまた民主党や自民党内の反乱勢力が押し切り一気に解散総選挙になるか、各プレイヤーの動き次第でしょう。
ちょっと踏み込んだ予想をすると、もし自民党執行部が報道されているように小泉氏が二次補正予算案に欠席することで何かしら党として処分を行おうとするものなら、恐らく小泉氏だったら離党をして、次の選挙で引退を宣言しているので代表にはつかないでしょうが、後見役のような立場で新党を作りかねないのではないかと思います。そうした場合は自民や民主の若手が集まるでしょうし、私としても理想的な政界再編の枠組みが作られる気がします。
2009年2月18日水曜日
中国留学生の親中嫌韓化
何度もこのブログでも書いていますが、私は中国の北京に一年留学したことがあります。留学中はそれこそ今思い出してもおかしくなるくらい楽しく過ごしていましたが、その中で私が私と同じ日本人留学生に対して強く感じたのが今日紹介する「親中嫌韓」です。
前もって断っておくとこの言葉は私の造語で意味はそのまんま、「中国が好きになって韓国が嫌いになる」という意味です。面白いことに、中国に留学した日本人の大半はこの傾向の意識を多かれ少なかれ持つようになって帰ってくるのです。
以前にも「なぜ中国をかばうのか」という記事で一回書いていますが、中国というのは非常にあくの強い文化を持っている国で、例えるなら東京出身者が関西でしばらく過ごすと関西弁がその後抜けなくなるというように、外からやってきた異邦者をその文化の内側に取り込む作用が強い国であります。
留学生に対してもほぼ同様で、日本人留学生はやってくるとまず対応の悪い学校側や学生寮の手続きなどに辟易して非常に遅れた国だと口々に批判します。しかしある程度生活に慣れる留学して三ヶ月目位に入ると、突然中国に対して「やっぱり歴史の深い国だ」、「日本なんかよりフラットな中国の感覚がいい」などと急に誉めそやすようになります。
まぁこれは中国に限らないようで、留学経験者は大抵留学先の国のことを好きになる傾向があり、特に本国に帰った後に周囲から留学先の国を批判されることで急速にそんな態度が発現しやすくなるそうです。かくいう私は中国に行く前から中国が好きだったので、留学を終えて変わったことといえば相撲が好きになったことくらいです。
こうした中国への親近感が強まる一方、中国に留学する日本人は男女ともに韓国人に対して猛烈に批判的になっていく傾向があります。私は留学中にこれといって韓国人と深く交流をしなかったのでそんなに嫌いになることはありませんでしたが、学生寮で相部屋(大抵相部屋に住まわされる。私のルームメイトはルーマニア人でした)の相手が韓国人だった方に至ってはこの傾向が顕著で、日本人留学生が三人も集まればたちまち韓国人への陰口大会がいつでもどこでも始まるほどでした。
では韓国人のどういうところが嫌われるかですが、韓国人留学生と相部屋だった友人の話を聞くと、
・冷蔵庫にキムチを入れられ、自分の食べ物も全部キムチ臭くなった。
・テレビのチャンネル主導権を握られる。
・夜中まで平気で大音量で音楽を鳴らし続ける。
・夜中でも友人を連れてきて大騒ぎする。
・物を貸すと返す際にいろいろとついてくる。
などで、やはり「周囲を気にしない」ということが日本人と合わず、特に夜に騒ぐことで眠れないと文句を言う人間が多かったです。
更に面白い証言を紹介すると、「韓国人はつかなくともいい嘘を平気でついてくる」と、まるで判を押したかのように同じことを言う日本人留学生が多いので詳しく背景を探ってみると、今の証言を言う日本人留学生は皆韓国人の女の子と一時付き合い、別れた奴ばかりでした。
この中国の留学先で韓国人が嫌われる傾向にあるのは何も日本人の間だけではなく、欧米などといった他の国の人間も同じでした。私と同級生だったフランス人の姐さんなんか、
「この前タクシーに乗ったら運転手が、お前はフランス人だからいいけど、俺は日本人と韓国人は乗せたくないんだと言いやがった。私の知っている日本人はみんな良い人ばかりなのに、本当にひどい奴だったわ。ま、韓国人はしょうがないけどね( ^∀^)」(ごついフランス人の姐さん)
「それを僕の前で言うの?('A`)」(ちょっと気弱な韓国人の男の子)
何故これほどまでに韓国人が中国の留学先で嫌われるかについてですが、原因は単純に韓国人が留学先で圧倒的大多数派になるからだと思います。実は中国では日本以上に韓国との交易関係が強いせいもあって留学生もたくさん来ており、ちょっと細かいデータは失念してしまいましたが確か中国への留学生人口第二位の日本人の二倍もの人数が毎年来ていたと思います。この傾向は中国に限らず、私がイギリスの語学学校にいた時はブラジル人が一番多かったのですが、やっぱりここでもブラジル人が他の国の人から嫌われていました。
なぜ多数派になると嫌われるかですが、まず一つに多数派ゆえのおごりが生じ、同胞人同士で集まると行動が横柄になるというところがあると思います。人数が多ければ行動も起こしやすくなったり、他の外国人を巻き込んで何かを実行するのでも決定力が強まり、更にはいろいろな制度的な面も多数派に合わされやすくなっていくので少数派からすると鼻持ちならなくなるのも自然な気がします。
一応苦言を呈しておくと、この傾向は日本人留学生にも当てはまるところがあります。韓国人には負けても現在中国の留学生人口第二位は日本人で、やっぱり集団で固まっては横柄なところを見せる輩も少なくありませんでした。
更に言えば、中国人社会においてすらも中国における韓国人留学生のマナーが段々と問題視されてきています。韓国人の国民性なのか私が先ほど説明した多数派ゆえのおごりかまではわかりませんが、留学先の大学でたびたび問題行動を起こす韓国人留学生に対して徐々に中国人の視線が厳しくなってきているのもあり、これを対岸の火とさせずに日本人留学生の方も厳に行動を慎み、日本人ばっかりで固まったりせずに中国現地でいろんな人間と交流してほしいと願っております。
前もって断っておくとこの言葉は私の造語で意味はそのまんま、「中国が好きになって韓国が嫌いになる」という意味です。面白いことに、中国に留学した日本人の大半はこの傾向の意識を多かれ少なかれ持つようになって帰ってくるのです。
以前にも「なぜ中国をかばうのか」という記事で一回書いていますが、中国というのは非常にあくの強い文化を持っている国で、例えるなら東京出身者が関西でしばらく過ごすと関西弁がその後抜けなくなるというように、外からやってきた異邦者をその文化の内側に取り込む作用が強い国であります。
留学生に対してもほぼ同様で、日本人留学生はやってくるとまず対応の悪い学校側や学生寮の手続きなどに辟易して非常に遅れた国だと口々に批判します。しかしある程度生活に慣れる留学して三ヶ月目位に入ると、突然中国に対して「やっぱり歴史の深い国だ」、「日本なんかよりフラットな中国の感覚がいい」などと急に誉めそやすようになります。
まぁこれは中国に限らないようで、留学経験者は大抵留学先の国のことを好きになる傾向があり、特に本国に帰った後に周囲から留学先の国を批判されることで急速にそんな態度が発現しやすくなるそうです。かくいう私は中国に行く前から中国が好きだったので、留学を終えて変わったことといえば相撲が好きになったことくらいです。
こうした中国への親近感が強まる一方、中国に留学する日本人は男女ともに韓国人に対して猛烈に批判的になっていく傾向があります。私は留学中にこれといって韓国人と深く交流をしなかったのでそんなに嫌いになることはありませんでしたが、学生寮で相部屋(大抵相部屋に住まわされる。私のルームメイトはルーマニア人でした)の相手が韓国人だった方に至ってはこの傾向が顕著で、日本人留学生が三人も集まればたちまち韓国人への陰口大会がいつでもどこでも始まるほどでした。
では韓国人のどういうところが嫌われるかですが、韓国人留学生と相部屋だった友人の話を聞くと、
・冷蔵庫にキムチを入れられ、自分の食べ物も全部キムチ臭くなった。
・テレビのチャンネル主導権を握られる。
・夜中まで平気で大音量で音楽を鳴らし続ける。
・夜中でも友人を連れてきて大騒ぎする。
・物を貸すと返す際にいろいろとついてくる。
などで、やはり「周囲を気にしない」ということが日本人と合わず、特に夜に騒ぐことで眠れないと文句を言う人間が多かったです。
更に面白い証言を紹介すると、「韓国人はつかなくともいい嘘を平気でついてくる」と、まるで判を押したかのように同じことを言う日本人留学生が多いので詳しく背景を探ってみると、今の証言を言う日本人留学生は皆韓国人の女の子と一時付き合い、別れた奴ばかりでした。
この中国の留学先で韓国人が嫌われる傾向にあるのは何も日本人の間だけではなく、欧米などといった他の国の人間も同じでした。私と同級生だったフランス人の姐さんなんか、
「この前タクシーに乗ったら運転手が、お前はフランス人だからいいけど、俺は日本人と韓国人は乗せたくないんだと言いやがった。私の知っている日本人はみんな良い人ばかりなのに、本当にひどい奴だったわ。ま、韓国人はしょうがないけどね( ^∀^)」(ごついフランス人の姐さん)
「それを僕の前で言うの?('A`)」(ちょっと気弱な韓国人の男の子)
何故これほどまでに韓国人が中国の留学先で嫌われるかについてですが、原因は単純に韓国人が留学先で圧倒的大多数派になるからだと思います。実は中国では日本以上に韓国との交易関係が強いせいもあって留学生もたくさん来ており、ちょっと細かいデータは失念してしまいましたが確か中国への留学生人口第二位の日本人の二倍もの人数が毎年来ていたと思います。この傾向は中国に限らず、私がイギリスの語学学校にいた時はブラジル人が一番多かったのですが、やっぱりここでもブラジル人が他の国の人から嫌われていました。
なぜ多数派になると嫌われるかですが、まず一つに多数派ゆえのおごりが生じ、同胞人同士で集まると行動が横柄になるというところがあると思います。人数が多ければ行動も起こしやすくなったり、他の外国人を巻き込んで何かを実行するのでも決定力が強まり、更にはいろいろな制度的な面も多数派に合わされやすくなっていくので少数派からすると鼻持ちならなくなるのも自然な気がします。
一応苦言を呈しておくと、この傾向は日本人留学生にも当てはまるところがあります。韓国人には負けても現在中国の留学生人口第二位は日本人で、やっぱり集団で固まっては横柄なところを見せる輩も少なくありませんでした。
更に言えば、中国人社会においてすらも中国における韓国人留学生のマナーが段々と問題視されてきています。韓国人の国民性なのか私が先ほど説明した多数派ゆえのおごりかまではわかりませんが、留学先の大学でたびたび問題行動を起こす韓国人留学生に対して徐々に中国人の視線が厳しくなってきているのもあり、これを対岸の火とさせずに日本人留学生の方も厳に行動を慎み、日本人ばっかりで固まったりせずに中国現地でいろんな人間と交流してほしいと願っております。
2009年2月17日火曜日
外国生活でのアイデンティティのぶれ
昨日に中川財務相を擁護した傍からいきなり辞任かよ( ゚д゚) ちょっとだけなのでついでに書きますが、中川氏の後釜には現経済産業相の与謝野氏が据えられる予定らしいですが、中川氏が財務相と金融相を兼務しているので与謝野氏はコレで実に三役も兼務することになります。元々大蔵省が財政と金融を二つ兼ね備えるのが国政上で大きな問題になるとして財務省と金融省分けたのに、経済産業相まで一緒になるのは私にもちょっと不満です。も一つおまけに言うと今桝添氏がやっている厚生労働省も、元々は厚生省と労働省と二つの省が合併して出来ました。しかし一時期は社保庁による年金問題とC型肝炎問題が同時に表面化し、傍目にも過重すぎる任務に当時は桝添氏に私は深く同情し、厚生労働省は分けてしかるべきではと今では考えています。
それでは今日の本題ですが、基本人間というのは母国を離れて外国で生活をすると否応なしにアイデンティティが揺さぶられ、母国にいる時以上に不安を感じやすくなると言われています。心理学などでこの方面はよく研究されていますが、私の実体験としても中国に留学した当初はちょっとのことでも不安に感じたり、気が滅入ったりすることが日本にいる時以上に確実に多くなりました。また日本国内においても、幼少よりずっと育ってきた関東から関西に移って生活をし始めた当初もいろいろと大変でした。
これなんか関東にずっと住んでいる人に強く言いたいのですが、私から見て関東の人はテレビ番組などがやはり東京中心に作られることもあり、自分らの周りの光景が日本全体の一般形と勘違いしやすく、同じ国内でどれほど地域差があるかなどというものへの関心や知識が少ないように思えます。そういう私もそれほど地域差について詳しくはないのですが、少なくとも「関東光景=日本の光景」という前提概念をお持ちの関東の方にはそれをすぐに投げ捨ててほしいです。関東は日本の中でも特殊な方だと私は思っています。
話は戻りますが基本的に外国は文化から生活習慣、果てにはその地域の人たちの考え方などが根本から母国と異なっております。前にも少し書きましたが、その当人が無意識に当たり前と思う世界観が現実の世界に適合していればいるほど人間は安心をし、逆にズレがあればあるほど人間は無闇やたらに不安を感じます。
そういう意味で、外国生活というのは人間が不安を覚えるには絶好の場所ということになります。そのため私が授業を受けた心理学の講師ははっきりと外国に行って全く不安を覚えない人間はいないと断言した上で、例外といえるタイプは二種類あると言いました。その二種類のタイプとは、一つはまさに国際人とも言うべき先天的に環境の変化に対して全くストレスを感じないという人間。そしてもう一つは、なんらかの宗教を熱烈に信仰している人間だそうです。
その講師の説明と私の解釈だと、信仰心が強い人間は自らのアイデンティティを周囲の環境などとは切り離した宗教という概念によって深く保障させるため、ちょっとやそっとの目の前の世界の変化で精神がビクともしないので海外に行っても全然不安にならないそうです。考えてみると戦国時代にイエズス会を始めとしたキリスト教徒のヨーロッパ人がたくさん日本に来たり、三蔵法師こと玄奘がインドに経典を取りに行き、吉備真備といった仏教徒がガンガン遣唐使として中国に行ったのも、この話を聞いた後だとなんとなく納得できます。
逆に言うなら、いわゆる国粋主義的に日本の風土や文化に強くアイデンティティを依存している人なんかは海外に行くと逆に相当なプレッシャーを覚えそうなのですが、新渡戸稲造や内村鑑三なんかは武士道などといった日本古来の伝統的価値観を持ったまま海外で活躍しているので、あながちそうは言えません。
ちょっと蛇足かもしれませんが、私自身の実体験として外国に行くと大抵の人は母国への感情が二極化するような気がします。それまであまり日本に対して誇りを持たなかったのが急に誇りを持ったり、逆に強い自尊心を持っていたのが「日本は遅れている」などと批判するようになったりと、原因はちょっとまだ分析していませんが。
じゃあ私は? ということになりますが、やっぱり周りと比べると留学前から中国の事情についていろいろ勉強していたのが影響したのか、それほど強く中国に飲まれなかった気がします。今じゃあまり信じなくなりましたが前なんかはキリスト教への信仰もわずかながらあったのでそういうのも原因かもしれませんが、私以外の日本人留学生の大半が「親中嫌韓」になるところ私は留学以前と以後で中国に対する親近感は大きく変化しなかったように思えます。北京は好きになったけど。
この辺の話は私が独自にまとめた留学体験記に収めているのですが、折角なので次回は日本人中国留学生に起こる「親中嫌韓」について説明しようと思います。
それでは今日の本題ですが、基本人間というのは母国を離れて外国で生活をすると否応なしにアイデンティティが揺さぶられ、母国にいる時以上に不安を感じやすくなると言われています。心理学などでこの方面はよく研究されていますが、私の実体験としても中国に留学した当初はちょっとのことでも不安に感じたり、気が滅入ったりすることが日本にいる時以上に確実に多くなりました。また日本国内においても、幼少よりずっと育ってきた関東から関西に移って生活をし始めた当初もいろいろと大変でした。
これなんか関東にずっと住んでいる人に強く言いたいのですが、私から見て関東の人はテレビ番組などがやはり東京中心に作られることもあり、自分らの周りの光景が日本全体の一般形と勘違いしやすく、同じ国内でどれほど地域差があるかなどというものへの関心や知識が少ないように思えます。そういう私もそれほど地域差について詳しくはないのですが、少なくとも「関東光景=日本の光景」という前提概念をお持ちの関東の方にはそれをすぐに投げ捨ててほしいです。関東は日本の中でも特殊な方だと私は思っています。
話は戻りますが基本的に外国は文化から生活習慣、果てにはその地域の人たちの考え方などが根本から母国と異なっております。前にも少し書きましたが、その当人が無意識に当たり前と思う世界観が現実の世界に適合していればいるほど人間は安心をし、逆にズレがあればあるほど人間は無闇やたらに不安を感じます。
そういう意味で、外国生活というのは人間が不安を覚えるには絶好の場所ということになります。そのため私が授業を受けた心理学の講師ははっきりと外国に行って全く不安を覚えない人間はいないと断言した上で、例外といえるタイプは二種類あると言いました。その二種類のタイプとは、一つはまさに国際人とも言うべき先天的に環境の変化に対して全くストレスを感じないという人間。そしてもう一つは、なんらかの宗教を熱烈に信仰している人間だそうです。
その講師の説明と私の解釈だと、信仰心が強い人間は自らのアイデンティティを周囲の環境などとは切り離した宗教という概念によって深く保障させるため、ちょっとやそっとの目の前の世界の変化で精神がビクともしないので海外に行っても全然不安にならないそうです。考えてみると戦国時代にイエズス会を始めとしたキリスト教徒のヨーロッパ人がたくさん日本に来たり、三蔵法師こと玄奘がインドに経典を取りに行き、吉備真備といった仏教徒がガンガン遣唐使として中国に行ったのも、この話を聞いた後だとなんとなく納得できます。
逆に言うなら、いわゆる国粋主義的に日本の風土や文化に強くアイデンティティを依存している人なんかは海外に行くと逆に相当なプレッシャーを覚えそうなのですが、新渡戸稲造や内村鑑三なんかは武士道などといった日本古来の伝統的価値観を持ったまま海外で活躍しているので、あながちそうは言えません。
ちょっと蛇足かもしれませんが、私自身の実体験として外国に行くと大抵の人は母国への感情が二極化するような気がします。それまであまり日本に対して誇りを持たなかったのが急に誇りを持ったり、逆に強い自尊心を持っていたのが「日本は遅れている」などと批判するようになったりと、原因はちょっとまだ分析していませんが。
じゃあ私は? ということになりますが、やっぱり周りと比べると留学前から中国の事情についていろいろ勉強していたのが影響したのか、それほど強く中国に飲まれなかった気がします。今じゃあまり信じなくなりましたが前なんかはキリスト教への信仰もわずかながらあったのでそういうのも原因かもしれませんが、私以外の日本人留学生の大半が「親中嫌韓」になるところ私は留学以前と以後で中国に対する親近感は大きく変化しなかったように思えます。北京は好きになったけど。
この辺の話は私が独自にまとめた留学体験記に収めているのですが、折角なので次回は日本人中国留学生に起こる「親中嫌韓」について説明しようと思います。
2009年2月16日月曜日
懐かしい曲で盛り上がること
昨日書いた「懐かしい曲を聴いて思うこと」の記事のコメント欄に新たに私も書き加えていますが、はっきりこそ書きませんでしたが前の記事で私が提起した問題というのは、良い曲に当時の良い思い出が重ねられるのか、良い思い出がその当時の良い曲に重ねられるのかという、卵が先かひよこが先かというような議論でした。ま、人それぞれにどっちもあると思うけど。
まぁそんなことはさておきやっぱり古い曲だと思い起こすことも多く、特に映画やゲームに使われるような曲だと作品のストーリーを一挙に思い出させる力があり、私なんかもゲームのサントラをよく集めていたこともあって時折それら引っ張り出しては悦に入ることがあります。さらに言えば同じ映画やゲームに触れたことがあるもの同士でそれらの曲を聴くと、相乗効果に近いようなものがあるのかいろいろとその母体作品について話に華が咲くことも多い気がします。
私の実体験だと、かつてエニックスが出したスーパーファミコンゲームソフトの「天地創造」のゲームミュージックサントラを私が持っていたこともあり、何故だか知らないけど下宿で友人が遊びに来ている最中に脈絡なく流したらその友人も「天地創造」をやったことがある人間で、「懐かしいなぁ、これ」といってはゲームのエンディングやら内容やらでえらい勢いで盛り上がり、CDのトラックが変わるたびに「この曲の流れるところは……」といっては、そのゲームをやったことのない別の友人を一人置いて始終二人で盛り上がったことがありました。
また「天地創造」以外にも、かつてSNKが出したファミコンソフトの「怒」というゲームについても、友人と何気なくお茶を飲んでいる最中にまたも脈絡なく私が、
「ちゃっ、ちゃっ、ちゃらら、ちゃっ、ちゃっ、ちゃららー、たーららー、らーらー……」
と、メインBGMのメロディーを口ずさむとやっぱりやったことのある友人なら反応を示したりしていろいろと面白かったです。
この手の話をすると本当に際限なく広がってしまうのでいい加減やめますが、その一方でこうした聴き方とは別にちょっと特殊な使い方をしている曲が私にはあります。その曲は只のポップスの歌なのですが、その歌をよく聞いていた時期は私にとって非常に辛い時代で、それこそ毎日家に一人でいてはめそめそ涙を流していた時期でした。なのでその歌を聴くとやっぱりその時代を思い出すのですが、徳川家康が三方原の敗戦後の肖像画を後年に何度も見つめたというエピソードじゃないですが、私も現在に至るまで一週間と間を空けさせずにその歌を聴いては辛かったあの時期を思い出し、当時よりマシな今の境遇に感謝するとともに身体に冷水を浴びせさせるように気を引き締めなおさせています。
まぁそんなことはさておきやっぱり古い曲だと思い起こすことも多く、特に映画やゲームに使われるような曲だと作品のストーリーを一挙に思い出させる力があり、私なんかもゲームのサントラをよく集めていたこともあって時折それら引っ張り出しては悦に入ることがあります。さらに言えば同じ映画やゲームに触れたことがあるもの同士でそれらの曲を聴くと、相乗効果に近いようなものがあるのかいろいろとその母体作品について話に華が咲くことも多い気がします。
私の実体験だと、かつてエニックスが出したスーパーファミコンゲームソフトの「天地創造」のゲームミュージックサントラを私が持っていたこともあり、何故だか知らないけど下宿で友人が遊びに来ている最中に脈絡なく流したらその友人も「天地創造」をやったことがある人間で、「懐かしいなぁ、これ」といってはゲームのエンディングやら内容やらでえらい勢いで盛り上がり、CDのトラックが変わるたびに「この曲の流れるところは……」といっては、そのゲームをやったことのない別の友人を一人置いて始終二人で盛り上がったことがありました。
また「天地創造」以外にも、かつてSNKが出したファミコンソフトの「怒」というゲームについても、友人と何気なくお茶を飲んでいる最中にまたも脈絡なく私が、
「ちゃっ、ちゃっ、ちゃらら、ちゃっ、ちゃっ、ちゃららー、たーららー、らーらー……」
と、メインBGMのメロディーを口ずさむとやっぱりやったことのある友人なら反応を示したりしていろいろと面白かったです。
この手の話をすると本当に際限なく広がってしまうのでいい加減やめますが、その一方でこうした聴き方とは別にちょっと特殊な使い方をしている曲が私にはあります。その曲は只のポップスの歌なのですが、その歌をよく聞いていた時期は私にとって非常に辛い時代で、それこそ毎日家に一人でいてはめそめそ涙を流していた時期でした。なのでその歌を聴くとやっぱりその時代を思い出すのですが、徳川家康が三方原の敗戦後の肖像画を後年に何度も見つめたというエピソードじゃないですが、私も現在に至るまで一週間と間を空けさせずにその歌を聴いては辛かったあの時期を思い出し、当時よりマシな今の境遇に感謝するとともに身体に冷水を浴びせさせるように気を引き締めなおさせています。
中川財務相の釈明について
・中川財務相、ろれつ回らず陳謝=原因は風邪薬、深酒を否定-G7会見(時事ドットコム)
リンクに貼った記事に書かれているように、イタリアで行われたG7会議の後の会見において中川財務相がろれつの回らない口調で、見るからに酒に酔ったような姿を見せてしまい国内に大ひんしゅくを買ってしまいました。先ほど私もNHKニュースで件の会見を動画で見ましたが、まともに文章を読むことも出来ないばかりか記者が質問をしている最中に突然「どこだ?」と、目の前で質問してる記者の場所すらわからなくておっさんくさい口調で叫んだりと、言い方が悪いですが見ていていろいろ笑えました。
このたるんだ会見の原因を中川財務相は前日に飲んだ風邪薬だといっていますが、見る限りだとどう見ても深酒にしか見えません。また仮に酒が原因でなくとも、これだけの醜態を見せるくらい体調が悪かったのなら会見をキャンセルすべきだったでしょうに、海外のメディアも来ている中であんな姿を見せたというのは辞任すべしとまでは言いませんが重々反省をしてもらいたいものです。
先ほど麻生首相は今回の件で中川財務相を罷免しないと発表しましたが、まぁそれはそれでいいんじゃないかというのが私の意見です。こんな一回の失敗くらいで首切られてちゃしょうがないし。
ただ個人的に、もし中川財務相が飲んだ風邪薬というのがタミフルだったりしたら、いろいろと面白い話になりそうな気がします。まぁ飛び降りたくなるのは正気に戻った今なのかもしれませんけど。
リンクに貼った記事に書かれているように、イタリアで行われたG7会議の後の会見において中川財務相がろれつの回らない口調で、見るからに酒に酔ったような姿を見せてしまい国内に大ひんしゅくを買ってしまいました。先ほど私もNHKニュースで件の会見を動画で見ましたが、まともに文章を読むことも出来ないばかりか記者が質問をしている最中に突然「どこだ?」と、目の前で質問してる記者の場所すらわからなくておっさんくさい口調で叫んだりと、言い方が悪いですが見ていていろいろ笑えました。
このたるんだ会見の原因を中川財務相は前日に飲んだ風邪薬だといっていますが、見る限りだとどう見ても深酒にしか見えません。また仮に酒が原因でなくとも、これだけの醜態を見せるくらい体調が悪かったのなら会見をキャンセルすべきだったでしょうに、海外のメディアも来ている中であんな姿を見せたというのは辞任すべしとまでは言いませんが重々反省をしてもらいたいものです。
先ほど麻生首相は今回の件で中川財務相を罷免しないと発表しましたが、まぁそれはそれでいいんじゃないかというのが私の意見です。こんな一回の失敗くらいで首切られてちゃしょうがないし。
ただ個人的に、もし中川財務相が飲んだ風邪薬というのがタミフルだったりしたら、いろいろと面白い話になりそうな気がします。まぁ飛び降りたくなるのは正気に戻った今なのかもしれませんけど。
2009年2月15日日曜日
最近の政治停滞について
今日は陽月旦の更新か、自転車をこぐかのどっちかな一日でした。前から考えが煮詰まるとすぐに自転車に飛び乗ってどっか行くの、そろそろやめにしないとなぁ。
それでは本題ですが、最近政治家を見ていてどうもスケールが小さくなったなという思いがまだ二十代のくせにしてきました。具体的にどういうことかというと、今後、それこそ十年や二十年先の日本をどのような社会にしていきたいのか、またどんな手段を用いてそうしたいのかというようなグランドデザインが今の政治家にはほとんど見えてきません。政治家の普段の発言を見ていても今ある問題に対してどんな対策をするのかというようなものばかりで、確かにこっちも非常に重要なのですが今後のグランドデザインについてはほとんどと言っていいほど発言が聞こえてきません。
思えば小泉時代は私にとっては結構楽しい時代でありました。外交面では親米を維持するか、北朝鮮に対してどんな態度を取るか、靖国問題を日中韓でどうするかといったことが常に議論に上り、また内政面でも経済対策としてメガバンクの国有化が実現するかや不良債権処理といった目下の問題に対する対策手段が議論され、今後の日本の国家像として大きな政府か小さな政府かで郵政民営化や道路公団改革などといった議論などと目白押しで、これらがほぼすべて同時平行で為されていたのを思うと今の国会の矮小さには毎回泣かされています。
というのもこのブログを始めて既に一年以上経ちますが、実はここ一ヶ月くらい結構困った事態に陥っています。その事態というのも、国会で全然議論が進展しないもんだから政治系のニュースで解説するようなものがほとんどなく、ブログで政治系の記事が書けずにいるという事態です。
そりゃ書こうと思えば内閣支持率の低迷とか解散はいつ頃になるのかといったような記事はいくらでも書けますが、前みたいに実際に法案が議論されていて、その法案の中身を解説しながら私の意見はどっちの支持なのかというような議論は皆無に等しいです。定額給付金なんて、解説するのも馬鹿馬鹿しいくらいだし。
特に今後の日本としてのあり方を考えるグランドデザインの問題については新自由主義路線が崩壊した今だからこそ非常に求められている議論だと思うのですが、敢えて言うとしたら官僚主導の政策路線を改めるべきか維持するかというくらいの議論しかなく、高福祉高負担か低福祉低負担かの議論も白熱せず、また今後どんな産業を柱にするかというような産業議論も小さいです。
更に言えば、これなんて既に目前まで来ていますが今後の外交姿勢も議論があまりにもなさ過ぎます。米政権が日本寄りの共和党から中国寄りの民主党に変わったことにより、今後は日本の頭越しに米中が接近することも大いに考えられます。その際に日本はアメリカを日本につなぎとめるのか、それともアメリカとはこの際決別して別のパートナーと組むのか、もしくは米中の接近を妨害するような方法を取るのかなどといろいろと考える時期に来ていると思うのですが、麻生首相からは首相になる以前に提唱した外交政策案の「自由と繁栄の弧」も最近はとんと聞こえないままです。蛇足ですが、「自由と繁栄の弧」はすぐに忘れ去られるだろうと思って私はあんまり中身を調べませんでしたが案の定そうなりました。なのにどっかのテストではわざわざ中身を聞いてきて、もっとマシなことを聞けよとカチンと来たことがあります。
なんにしても、今の政治家に強く言いたいのはもっと大きく物を見て意見を言ってもらいたいということです。なんだったら年金問題の抜本的解決のために国民背番号制の導入と合わせて税制体系も直接税から間接税を主流にするなどといったことなど、無謀でもいいからとにかくぶち上げた方がいいと思います。
それにしても、政治の停滞ってのは評論家泣かせなんだなと思わせられる日々です。
それでは本題ですが、最近政治家を見ていてどうもスケールが小さくなったなという思いがまだ二十代のくせにしてきました。具体的にどういうことかというと、今後、それこそ十年や二十年先の日本をどのような社会にしていきたいのか、またどんな手段を用いてそうしたいのかというようなグランドデザインが今の政治家にはほとんど見えてきません。政治家の普段の発言を見ていても今ある問題に対してどんな対策をするのかというようなものばかりで、確かにこっちも非常に重要なのですが今後のグランドデザインについてはほとんどと言っていいほど発言が聞こえてきません。
思えば小泉時代は私にとっては結構楽しい時代でありました。外交面では親米を維持するか、北朝鮮に対してどんな態度を取るか、靖国問題を日中韓でどうするかといったことが常に議論に上り、また内政面でも経済対策としてメガバンクの国有化が実現するかや不良債権処理といった目下の問題に対する対策手段が議論され、今後の日本の国家像として大きな政府か小さな政府かで郵政民営化や道路公団改革などといった議論などと目白押しで、これらがほぼすべて同時平行で為されていたのを思うと今の国会の矮小さには毎回泣かされています。
というのもこのブログを始めて既に一年以上経ちますが、実はここ一ヶ月くらい結構困った事態に陥っています。その事態というのも、国会で全然議論が進展しないもんだから政治系のニュースで解説するようなものがほとんどなく、ブログで政治系の記事が書けずにいるという事態です。
そりゃ書こうと思えば内閣支持率の低迷とか解散はいつ頃になるのかといったような記事はいくらでも書けますが、前みたいに実際に法案が議論されていて、その法案の中身を解説しながら私の意見はどっちの支持なのかというような議論は皆無に等しいです。定額給付金なんて、解説するのも馬鹿馬鹿しいくらいだし。
特に今後の日本としてのあり方を考えるグランドデザインの問題については新自由主義路線が崩壊した今だからこそ非常に求められている議論だと思うのですが、敢えて言うとしたら官僚主導の政策路線を改めるべきか維持するかというくらいの議論しかなく、高福祉高負担か低福祉低負担かの議論も白熱せず、また今後どんな産業を柱にするかというような産業議論も小さいです。
更に言えば、これなんて既に目前まで来ていますが今後の外交姿勢も議論があまりにもなさ過ぎます。米政権が日本寄りの共和党から中国寄りの民主党に変わったことにより、今後は日本の頭越しに米中が接近することも大いに考えられます。その際に日本はアメリカを日本につなぎとめるのか、それともアメリカとはこの際決別して別のパートナーと組むのか、もしくは米中の接近を妨害するような方法を取るのかなどといろいろと考える時期に来ていると思うのですが、麻生首相からは首相になる以前に提唱した外交政策案の「自由と繁栄の弧」も最近はとんと聞こえないままです。蛇足ですが、「自由と繁栄の弧」はすぐに忘れ去られるだろうと思って私はあんまり中身を調べませんでしたが案の定そうなりました。なのにどっかのテストではわざわざ中身を聞いてきて、もっとマシなことを聞けよとカチンと来たことがあります。
なんにしても、今の政治家に強く言いたいのはもっと大きく物を見て意見を言ってもらいたいということです。なんだったら年金問題の抜本的解決のために国民背番号制の導入と合わせて税制体系も直接税から間接税を主流にするなどといったことなど、無謀でもいいからとにかくぶち上げた方がいいと思います。
それにしても、政治の停滞ってのは評論家泣かせなんだなと思わせられる日々です。
懐かしい曲を聴いて思うこと
最近昔に買ったCDを引っ張り出してはよく聞いているのですが、いろいろと懐かしいこともあって聞いててやっぱりテンションが上がることが多いのですが、この前ふとこんなことを思いました。
「俺はこの曲を聞いてテンションが上がっているのか、それともこの曲を聴いてて昔のよかった時代を思い出してテンションが上がっているのか、どっちだろう?」
ここで私が言うまでもなく、聴覚というのは五感の中でも際立って人間の感情を揺り動かす感覚だといわれ、映画「タイタニック」の監督のジョージ・ルーカスも「観客を感動させる最後の止めは音楽に限る」といって歌付きのエンディングテーマを入れたといいますが、なんとなくその言わんとしていることはわかります。それで私の今回の体験ですが、個人的に一番過去を想起させるのは私は「匂い」だと考えていますが、音楽も使い方や状況によっては匂いに負けず劣らず強く昔を思い出させるものだと考えています。
最近CDの売り上げがよく伸び悩んでいるといわれ、その原因として音楽コピーが容易にできるようになったとか単純に音楽の質が下がっているとかいろいろ言われており、ご多分に漏れず私もここ数年はめっきり音楽CDを買うことが減り、原因としてはやっぱり後者の質の低下ではないかと思っています。なので今回私が昔のCDを引っ張り出してその曲をいい曲だと感じるのは当初、現代にいい曲がないので単純に以前の質のいい曲を聴くから夜中にえらいテンションになってしまったのだと思っていたのですが、本当にそうなのかなとふと疑問に感じたわけです。
大分以前に書いた「日本語の「懐かしい」の価値」の記事でも書いたように、日本人はとにかく後ろ向きに過去を美化する傾向があると私は考えています。そんな私も日本人として同様に、音楽の質というよりはその曲をよく聞いていた時代、具体的には学校が大嫌いではあったものの小説を書くのに多分一番打ち込んでいた中学校くらいの時代を、その懐かしい曲を通して思い出していい気になっていたんじゃないかというわけです。ちょっとこの論を発展させて言うと、いわゆる懐メロの類が売れるというのも、かつての名曲というよりは日本が今みたいにくらい時代ではなく明るかったころを視聴者に思い起こさせるから売れるのかもしれないという説につながってきます。
「俺はこの曲を聞いてテンションが上がっているのか、それともこの曲を聴いてて昔のよかった時代を思い出してテンションが上がっているのか、どっちだろう?」
ここで私が言うまでもなく、聴覚というのは五感の中でも際立って人間の感情を揺り動かす感覚だといわれ、映画「タイタニック」の監督のジョージ・ルーカスも「観客を感動させる最後の止めは音楽に限る」といって歌付きのエンディングテーマを入れたといいますが、なんとなくその言わんとしていることはわかります。それで私の今回の体験ですが、個人的に一番過去を想起させるのは私は「匂い」だと考えていますが、音楽も使い方や状況によっては匂いに負けず劣らず強く昔を思い出させるものだと考えています。
最近CDの売り上げがよく伸び悩んでいるといわれ、その原因として音楽コピーが容易にできるようになったとか単純に音楽の質が下がっているとかいろいろ言われており、ご多分に漏れず私もここ数年はめっきり音楽CDを買うことが減り、原因としてはやっぱり後者の質の低下ではないかと思っています。なので今回私が昔のCDを引っ張り出してその曲をいい曲だと感じるのは当初、現代にいい曲がないので単純に以前の質のいい曲を聴くから夜中にえらいテンションになってしまったのだと思っていたのですが、本当にそうなのかなとふと疑問に感じたわけです。
大分以前に書いた「日本語の「懐かしい」の価値」の記事でも書いたように、日本人はとにかく後ろ向きに過去を美化する傾向があると私は考えています。そんな私も日本人として同様に、音楽の質というよりはその曲をよく聞いていた時代、具体的には学校が大嫌いではあったものの小説を書くのに多分一番打ち込んでいた中学校くらいの時代を、その懐かしい曲を通して思い出していい気になっていたんじゃないかというわけです。ちょっとこの論を発展させて言うと、いわゆる懐メロの類が売れるというのも、かつての名曲というよりは日本が今みたいにくらい時代ではなく明るかったころを視聴者に思い起こさせるから売れるのかもしれないという説につながってきます。
2009年2月14日土曜日
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その二
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
前回に書いた記事の続きです。前回には週刊新潮に載ってある話が胡散臭くなってきたのでもう買わないと書きましたが、それくらいケチるなとお袋に言われたので結局今日買ってしまいました。
さてそれで本題ですが、かつて朝日新聞が脅迫されて二人もの死者を出した赤報隊事件の実行犯人と名乗る者が現在週刊新潮にて実名でその顛末を告白しています。しかしこれは前回にも書きましたが、これだけの重大事件の告白手記であるにもかかわらず核心部をぼかしながらずるずると引き伸ばし、挙句に犯行を指示したのはアメリカ大使館の職員だなどというトンデモ説を主張し、目下私はこの連載記事は告白者である島村氏のでっち上げではないかと疑っていると前回の記事にて書きました。
それでは今週号はどんな風に書いているかですが、まず結論から言うと最後にはまた「以下次号」と、指示犯の犯行目的といった肝心要の部分が書かれておらず引き伸ばされています。いい加減、読んでて頭にくるのですが、前回の記事で紹介した週刊文春などの事実内容に疑いがあるという指摘については大幅な紙幅を割いて「事実無根」だとして、なんだか突然作ったかのような犯行に関わったという物証(島村氏所有の数珠の繊維。これが声明文の封筒に含まれていると主張している)を提示して改めて自分が実行犯だと主張しています。
まぁその辺は本当に新潮側に自信があるのならとっとと警察に持って行って確認すりゃいい話ですが、今回の記事でちょっと私が気になったのは、実行犯の島村氏と元在日アメリカ大使館員と名乗る佐山氏の会話文中の以下の部分です。
佐山「(犯行に絡んだ)鹿島って言っている奴はC、CIA」
島村「鹿島はCIAかい」
佐山「うん……。で、FBIはね、必ず俺にフィードバックしてくる」
なんで突然CIAとFBIが出てくるのか、特にCIAはともかくFBIが海外の事案に関与するのか、元々この両機関は仲が悪いということで有名ですし、素人考えですがちょっとありえないとすぐに思いました。
そういったことを踏まえ、この連載記事の今後の帰結についてちょっと早いですが私なりにいくつか仮説を立てて見せます。
・仮説一 すべて島村氏、週刊新潮の狂言
要するに、記事の内容すべてが部数獲得のためのでたらめということです。これだったら最悪ですね。
・仮説二 実行犯は島村氏、しかし指示犯や動機については狂言
朝日新聞側が行った犯行現場の状況と島村氏の供述は一部食い違っていはいるものの、この連載の一、二回目で島村氏が供述した行動や内容は非常に仔細なもので、見ていてなかなか説得力のあるものでした。なので実行犯は島村氏で間違いないものの、動機や指示犯については脚色が加えられているという一部狂言説。
・仮説三 真犯人の存在
島村氏がこの事件の真犯人に何らかの形で接触、交流があり、その真犯人から聞いた話を島村氏が自分のことのように話し、曖昧な箇所については脚色が加えているという説。そのため犯行現場などについては異様に仔細に富んではいるが、動機については曖昧という記事になった。この場合、真犯人は既に死亡している可能性が高い。
まぁ立てては見たものの、実際にはどんなものかもう少し続報を待たねばなりません。それにしても、段々金払うのが嫌になってきました。この連載が終わったらもう二度と週刊新潮なんて買うものか。
前回に書いた記事の続きです。前回には週刊新潮に載ってある話が胡散臭くなってきたのでもう買わないと書きましたが、それくらいケチるなとお袋に言われたので結局今日買ってしまいました。
さてそれで本題ですが、かつて朝日新聞が脅迫されて二人もの死者を出した赤報隊事件の実行犯人と名乗る者が現在週刊新潮にて実名でその顛末を告白しています。しかしこれは前回にも書きましたが、これだけの重大事件の告白手記であるにもかかわらず核心部をぼかしながらずるずると引き伸ばし、挙句に犯行を指示したのはアメリカ大使館の職員だなどというトンデモ説を主張し、目下私はこの連載記事は告白者である島村氏のでっち上げではないかと疑っていると前回の記事にて書きました。
それでは今週号はどんな風に書いているかですが、まず結論から言うと最後にはまた「以下次号」と、指示犯の犯行目的といった肝心要の部分が書かれておらず引き伸ばされています。いい加減、読んでて頭にくるのですが、前回の記事で紹介した週刊文春などの事実内容に疑いがあるという指摘については大幅な紙幅を割いて「事実無根」だとして、なんだか突然作ったかのような犯行に関わったという物証(島村氏所有の数珠の繊維。これが声明文の封筒に含まれていると主張している)を提示して改めて自分が実行犯だと主張しています。
まぁその辺は本当に新潮側に自信があるのならとっとと警察に持って行って確認すりゃいい話ですが、今回の記事でちょっと私が気になったのは、実行犯の島村氏と元在日アメリカ大使館員と名乗る佐山氏の会話文中の以下の部分です。
佐山「(犯行に絡んだ)鹿島って言っている奴はC、CIA」
島村「鹿島はCIAかい」
佐山「うん……。で、FBIはね、必ず俺にフィードバックしてくる」
なんで突然CIAとFBIが出てくるのか、特にCIAはともかくFBIが海外の事案に関与するのか、元々この両機関は仲が悪いということで有名ですし、素人考えですがちょっとありえないとすぐに思いました。
そういったことを踏まえ、この連載記事の今後の帰結についてちょっと早いですが私なりにいくつか仮説を立てて見せます。
・仮説一 すべて島村氏、週刊新潮の狂言
要するに、記事の内容すべてが部数獲得のためのでたらめということです。これだったら最悪ですね。
・仮説二 実行犯は島村氏、しかし指示犯や動機については狂言
朝日新聞側が行った犯行現場の状況と島村氏の供述は一部食い違っていはいるものの、この連載の一、二回目で島村氏が供述した行動や内容は非常に仔細なもので、見ていてなかなか説得力のあるものでした。なので実行犯は島村氏で間違いないものの、動機や指示犯については脚色が加えられているという一部狂言説。
・仮説三 真犯人の存在
島村氏がこの事件の真犯人に何らかの形で接触、交流があり、その真犯人から聞いた話を島村氏が自分のことのように話し、曖昧な箇所については脚色が加えているという説。そのため犯行現場などについては異様に仔細に富んではいるが、動機については曖昧という記事になった。この場合、真犯人は既に死亡している可能性が高い。
まぁ立てては見たものの、実際にはどんなものかもう少し続報を待たねばなりません。それにしても、段々金払うのが嫌になってきました。この連載が終わったらもう二度と週刊新潮なんて買うものか。
2009年2月13日金曜日
今後の中国について
また朝日新聞が朝刊一面に、「中国が原子力空母 二隻建造へ 遠洋展開狙う」という記事を載せ、2020年に二隻の原子力空母の保有を目指すという記事を、同じ一面でも昨夜の小泉氏の爆弾発言より大きく載せてきました。最近中国に対して手厳しいな、朝日……。
それはともかくとしてちょっと今日は今後の中国の予想される展開について、特に誰が政治的主導権を握るかについて解説します。
まずこれは別のブログのコメント欄にも書いたのですが、現中国政権、もとい中国共産党の中で本気で共産主義による社会実現を信じているのはもういないと断言してもいいでしょう。では何故共産党の支配が今の中国でも続いているかですが、政策実行者たちも本音では相次ぐ汚職事件(年間二万件だったっけ?)に頭を抱えてて本音では民主主義に移行したいものの、ソ連崩壊の例があるためにやめるにやめられないと考えていると言われています。
これなんかも本来解説すべき内容なのですが、旧ソ連ことソビエト連邦はその末期のゴルバチョフ政権において、それまでのソ連からすると考えられないほど開放的な政策や情報公開が行われ、国民もまた民主主義の実現を強く待望しました。その結果、政権内部で急進派と保守派の争いが激化し、最終的に保守派のクーデターから急進派のエリツィンが台頭したことによってソ連が崩壊して現在のロシアが国家として生まれましたが、急激な社会転換によって経済から行政の隅々に渡って混乱が起き、確か2000年くらいのデータだと自殺率もリトアニアに次いで世界二位(日本は確か八位くらいだったかな)となるほど、社会の全面でロシアは大いに疲弊しました。
このように政体を共産主義や社会主義から民主主義になれば今ある問題が一気に解決できるわけでなく、一つの問題を解決した一方でたくさんの問題を生んでしまったのが現在の東欧諸国の歴史です。中国共産党もこの辺のことをよく研究しており、また同じ中国国内の地方格差によって広東州を始めとした南方の州が中央に対して反感的であるように、一党独裁くらいの強い権力を政権を握っていなければ即分裂する可能性も孕んでいることから、共産主義による弊害を理解していながらも現状で最も有意義な選択として現在の中国の政治指導者は政治の舵取りを行っています。
それで現在の実質的な最高指導者である胡錦濤総書記への私の評価ですが、日本人としては競争相手ということもあってあんまり喜ぶべきではないのですが、十年以上前に生前の鄧小平に指導者として指名を受けるだけあり実力面で非常に優れている指導者で、これほど難しい現状の中国をよく切り盛りしている方だと思えます。
日本は今も年金とかワーキングプアーなど様々な国内問題がありますが、中国における国内問題の数と質はメラミン混入事件から環境問題に至るまでどれも日本とは比べきれないほど大きなものばかりで、また国民の意識もきちんと統一されているとは言いがたく、一歩間違えれば地方から果てには軍部まですぐに反乱を起こしかねない状況で、そんな中で確かにいくつか問題が表面化はしていますがそれでもよく押さえ込んで運営している方だと思います。もし今の中国の指導者が今の日本の政治家だったら、三日で国家が破綻するんじゃないかな。
それだけにこの胡錦濤氏の後、中国共産党は五年ごとに党大会を開いており、総書記は二期十年を務めて次の総書記にバトンタッチをするのですが、胡錦濤2002年に総書記に就任して前回2007年の党大会で権力を不動のものにし、次の2012年で引退することがほぼ決まっています。その2012年の党大会で次は誰が総書記に決まるかですが、私は現状から言って現最高幹部の一人の習近平氏に決まったと見て間違いないと思います。
2007年の党大会ではかつての江沢民元総書記の取り巻きが最高幹部こと中央政治局常務委員から外され、代わりとして若手の習近平氏と李克強氏が入閣し、当時の彼らの年齢からもこの時点から両者のうちのどちらかが次の総書記になると言われていました。
私は当初、胡錦濤氏と同じく中国共産党のエリート養成組織の共産党青年団出身の李克強氏が有力ではないかと思っていましたが、その後国際外交やオリンピックなどの表舞台に関わる仕事は将来に向けた帝王学教育とばかりに習近平氏が担当することが多く、周囲の目も私同様に習近平氏へと注目されるようになって来ました。
それに対して李克強氏は非常に地味な役回りが多く、かつて地方幹部を多く歴任していることから次の中国政権では李克強氏が総理、習近平氏が総書記になると見られており、私もその説を支持します。
ついでに補足すると、中国共産党には意外と学閥というものが強く、日本で言うと東大と京大の関係に当たるのが北京大と精華大で、ちょうど李克強氏が北京大学出身で習近平氏が精華大学出身で、構図的にはなかなか見ていて面白いです。今の胡錦濤氏は精華大学の出身で総理の温家宝氏は中国地質大学の出身なのですが、中国地質大学には私も何度も行ったことがあり、その学内にあるレストランにて誕生会をしてたらウクライナ人とドイツ人がふざけあって誕生ケーキを投げあい、レストランの一室をケーキまみれにしてしまったのはいい思い出です。
それはともかくとしてちょっと今日は今後の中国の予想される展開について、特に誰が政治的主導権を握るかについて解説します。
まずこれは別のブログのコメント欄にも書いたのですが、現中国政権、もとい中国共産党の中で本気で共産主義による社会実現を信じているのはもういないと断言してもいいでしょう。では何故共産党の支配が今の中国でも続いているかですが、政策実行者たちも本音では相次ぐ汚職事件(年間二万件だったっけ?)に頭を抱えてて本音では民主主義に移行したいものの、ソ連崩壊の例があるためにやめるにやめられないと考えていると言われています。
これなんかも本来解説すべき内容なのですが、旧ソ連ことソビエト連邦はその末期のゴルバチョフ政権において、それまでのソ連からすると考えられないほど開放的な政策や情報公開が行われ、国民もまた民主主義の実現を強く待望しました。その結果、政権内部で急進派と保守派の争いが激化し、最終的に保守派のクーデターから急進派のエリツィンが台頭したことによってソ連が崩壊して現在のロシアが国家として生まれましたが、急激な社会転換によって経済から行政の隅々に渡って混乱が起き、確か2000年くらいのデータだと自殺率もリトアニアに次いで世界二位(日本は確か八位くらいだったかな)となるほど、社会の全面でロシアは大いに疲弊しました。
このように政体を共産主義や社会主義から民主主義になれば今ある問題が一気に解決できるわけでなく、一つの問題を解決した一方でたくさんの問題を生んでしまったのが現在の東欧諸国の歴史です。中国共産党もこの辺のことをよく研究しており、また同じ中国国内の地方格差によって広東州を始めとした南方の州が中央に対して反感的であるように、一党独裁くらいの強い権力を政権を握っていなければ即分裂する可能性も孕んでいることから、共産主義による弊害を理解していながらも現状で最も有意義な選択として現在の中国の政治指導者は政治の舵取りを行っています。
それで現在の実質的な最高指導者である胡錦濤総書記への私の評価ですが、日本人としては競争相手ということもあってあんまり喜ぶべきではないのですが、十年以上前に生前の鄧小平に指導者として指名を受けるだけあり実力面で非常に優れている指導者で、これほど難しい現状の中国をよく切り盛りしている方だと思えます。
日本は今も年金とかワーキングプアーなど様々な国内問題がありますが、中国における国内問題の数と質はメラミン混入事件から環境問題に至るまでどれも日本とは比べきれないほど大きなものばかりで、また国民の意識もきちんと統一されているとは言いがたく、一歩間違えれば地方から果てには軍部まですぐに反乱を起こしかねない状況で、そんな中で確かにいくつか問題が表面化はしていますがそれでもよく押さえ込んで運営している方だと思います。もし今の中国の指導者が今の日本の政治家だったら、三日で国家が破綻するんじゃないかな。
それだけにこの胡錦濤氏の後、中国共産党は五年ごとに党大会を開いており、総書記は二期十年を務めて次の総書記にバトンタッチをするのですが、胡錦濤2002年に総書記に就任して前回2007年の党大会で権力を不動のものにし、次の2012年で引退することがほぼ決まっています。その2012年の党大会で次は誰が総書記に決まるかですが、私は現状から言って現最高幹部の一人の習近平氏に決まったと見て間違いないと思います。
2007年の党大会ではかつての江沢民元総書記の取り巻きが最高幹部こと中央政治局常務委員から外され、代わりとして若手の習近平氏と李克強氏が入閣し、当時の彼らの年齢からもこの時点から両者のうちのどちらかが次の総書記になると言われていました。
私は当初、胡錦濤氏と同じく中国共産党のエリート養成組織の共産党青年団出身の李克強氏が有力ではないかと思っていましたが、その後国際外交やオリンピックなどの表舞台に関わる仕事は将来に向けた帝王学教育とばかりに習近平氏が担当することが多く、周囲の目も私同様に習近平氏へと注目されるようになって来ました。
それに対して李克強氏は非常に地味な役回りが多く、かつて地方幹部を多く歴任していることから次の中国政権では李克強氏が総理、習近平氏が総書記になると見られており、私もその説を支持します。
ついでに補足すると、中国共産党には意外と学閥というものが強く、日本で言うと東大と京大の関係に当たるのが北京大と精華大で、ちょうど李克強氏が北京大学出身で習近平氏が精華大学出身で、構図的にはなかなか見ていて面白いです。今の胡錦濤氏は精華大学の出身で総理の温家宝氏は中国地質大学の出身なのですが、中国地質大学には私も何度も行ったことがあり、その学内にあるレストランにて誕生会をしてたらウクライナ人とドイツ人がふざけあって誕生ケーキを投げあい、レストランの一室をケーキまみれにしてしまったのはいい思い出です。
2009年2月12日木曜日
郵政見直し論争と今後の政局
・ 「笑っちゃうくらいあきれた」=郵政見直し発言、首相を批判-自民・小泉氏(YAHOOニュース)
ここ数日の麻生首相の郵政民営化の見直しとも否定とも取れる一連の発言に、とうとう民営化の立役者である小泉元首相が口を開いてその思いを語ったのが、リンクに貼ったニュース記事の内容です。
この小泉元首相の発言について私の感想を述べると、小泉首相はかねてより「首相を引退したものは老害になりやすく、あまり後進に影響力を行使してはならない」と、自らが煮え湯を飲まされ続けた田中角栄元首相へのアンチテーゼを常々語ってきており、記者に聞かれるがままに当たり前のことをぺらぺらしゃべる森本首相とは一線を画して安倍、福田、麻生の三政権で発言を控えてきていました。その小泉元首相がはっきりと、しかもこれほどまでに攻撃的な発言をしたというのは相当腹に据えかねていたというべきか、実際の会見も私もテレビで見ましたがやっぱり表情が明らかにいつもと違っており、相当な覚悟を持って発言したことが伺えます。発言者が発言者なだけに、明日の自民党関係者のコメントが今からとても楽しみです。
さてこの郵政民営化見直しについてですが、事の発端は鳩山邦夫総務大臣の「かんぽの宿」の売却見直し発言から始まりました。この発言が出た当初に私が気になったのは朝日新聞の社説で、隔日ではありましたが二回にもわたって鳩山総務大臣を批判し、もはや不良債権となっているかんぽの宿は値段がいくら安いからといってもとっとと売り払うべきだなどと、どっちかというと朝日新聞は鳩山総務相の肩を持って見直しを支持するかと思っていただけに意外でした。死刑論争が前にあったからでしょうかね。
それはともかく、私も当初は朝日新聞同様に不良債権を早く処理すべしという立場でしたが、最終入札には売却先のオリックスしか参加していなかったという事実や、またある郵政施設が一万円で売られたところ六千万円で転売されたとの報道を受け、現在はもう少し様子を見るべきかと徐々に態度を変えてきています。
しかし、これと郵政民営化の見直しの必要性は全く別問題でしょう。また仮に見直しをやるにしても、今この時期にそんな議論が本当に必要なのか非常に疑問です。
かねがね麻生首相が自分で言っていたように、現在の経済状況は一国の猶予もないような状況です。そんな状況だからこそどんな経済対策が必要なのか、また議論次第にそれをすぐに実行しなくてはいけないにもかかわらず、郵政民営化についてあれこれ議論を蒸し返して無駄に時間を費やすなど愚の骨頂です。かんぽの宿問題は事実究明ということで議論と並行をして調査することも出来、また確かに無視できない一面があるものの、郵政解散時に賛成であったとか賛成でなかったとか、四分社化が本当にいいのかどうかというのは現状で優先度が高い議題とはとても思えません。いろいろと今になって見直すところがあるというのは私もよくわかりますが、やるのならもう少し落ち着いた頃にやるべきではないでしょうか。
ここで私が自民党、民主党に言いたいのは、優先度の高い問題から議論せよということです。民主党もしつこく食い下がらずに経済問題に集中し、自民党もこれ以上の内輪もめはひとまずやめるべきでしょう。そして何より、わけのわからない発言で今回の郵政民営化の是非の議論を蒸し返してしまった麻生首相には相当の反省が必要であるとともに、定額給付金についても使うとか使わないとかころころ発言を変えたりせず、もっと背骨の通った態度を示してもらいたいと思います。
ここ数日の麻生首相の郵政民営化の見直しとも否定とも取れる一連の発言に、とうとう民営化の立役者である小泉元首相が口を開いてその思いを語ったのが、リンクに貼ったニュース記事の内容です。
この小泉元首相の発言について私の感想を述べると、小泉首相はかねてより「首相を引退したものは老害になりやすく、あまり後進に影響力を行使してはならない」と、自らが煮え湯を飲まされ続けた田中角栄元首相へのアンチテーゼを常々語ってきており、記者に聞かれるがままに当たり前のことをぺらぺらしゃべる森本首相とは一線を画して安倍、福田、麻生の三政権で発言を控えてきていました。その小泉元首相がはっきりと、しかもこれほどまでに攻撃的な発言をしたというのは相当腹に据えかねていたというべきか、実際の会見も私もテレビで見ましたがやっぱり表情が明らかにいつもと違っており、相当な覚悟を持って発言したことが伺えます。発言者が発言者なだけに、明日の自民党関係者のコメントが今からとても楽しみです。
さてこの郵政民営化見直しについてですが、事の発端は鳩山邦夫総務大臣の「かんぽの宿」の売却見直し発言から始まりました。この発言が出た当初に私が気になったのは朝日新聞の社説で、隔日ではありましたが二回にもわたって鳩山総務大臣を批判し、もはや不良債権となっているかんぽの宿は値段がいくら安いからといってもとっとと売り払うべきだなどと、どっちかというと朝日新聞は鳩山総務相の肩を持って見直しを支持するかと思っていただけに意外でした。死刑論争が前にあったからでしょうかね。
それはともかく、私も当初は朝日新聞同様に不良債権を早く処理すべしという立場でしたが、最終入札には売却先のオリックスしか参加していなかったという事実や、またある郵政施設が一万円で売られたところ六千万円で転売されたとの報道を受け、現在はもう少し様子を見るべきかと徐々に態度を変えてきています。
しかし、これと郵政民営化の見直しの必要性は全く別問題でしょう。また仮に見直しをやるにしても、今この時期にそんな議論が本当に必要なのか非常に疑問です。
かねがね麻生首相が自分で言っていたように、現在の経済状況は一国の猶予もないような状況です。そんな状況だからこそどんな経済対策が必要なのか、また議論次第にそれをすぐに実行しなくてはいけないにもかかわらず、郵政民営化についてあれこれ議論を蒸し返して無駄に時間を費やすなど愚の骨頂です。かんぽの宿問題は事実究明ということで議論と並行をして調査することも出来、また確かに無視できない一面があるものの、郵政解散時に賛成であったとか賛成でなかったとか、四分社化が本当にいいのかどうかというのは現状で優先度が高い議題とはとても思えません。いろいろと今になって見直すところがあるというのは私もよくわかりますが、やるのならもう少し落ち着いた頃にやるべきではないでしょうか。
ここで私が自民党、民主党に言いたいのは、優先度の高い問題から議論せよということです。民主党もしつこく食い下がらずに経済問題に集中し、自民党もこれ以上の内輪もめはひとまずやめるべきでしょう。そして何より、わけのわからない発言で今回の郵政民営化の是非の議論を蒸し返してしまった麻生首相には相当の反省が必要であるとともに、定額給付金についても使うとか使わないとかころころ発言を変えたりせず、もっと背骨の通った態度を示してもらいたいと思います。
2009年2月11日水曜日
書評「就活のバカヤロー」
ちょっとリンクを結ばせてもらっているSophieさんを見習って、私も書評をやってみようと思います。今回題材に取り上げるのは、光文社新書の「就活のバカヤロー」(石渡嶺司、大沢仁)です。
結論から言うと、威勢のいいタイトルの割には中身はやや貧弱気味であまり人には薦められない本です。内容は学生、大学、採用企業、就職情報会社の四つの主体の視点から昨今の大学生の就職活動について、それぞれが抱える問題や足を引っ張り合っている現状について解説が為されています。
作者が前書きで言っているように、確かにこの手の就職本というのはどれか一つの主体の視点からしか書かれることが多く、この本のように就活に関わる主体全体を総合的に取り扱う本はあまりなく、また各主体が抱える問題や学生から見る企業、企業から見る学生といったような相対する別の主体に対する本音などがよく取材されていると思えますが、残念ながら結論が、
「みんながみんなで気持ち悪いことをやりあっている」
ということで終わっています。こんなことくらいなら誰でも言えるだろう、というのが率直な感想です。
この本を読むに当たって私が個人的に期待していたのは、一体どんな形が大学生の就職活動として学生と企業、ひいては教育機関の大学にも具合がいいのか、そういったモデルの提示があれば文句はなかったのですが生憎現状の就活が抱える問題性ばかりがことさら強調されるだけで、そういったことにはほとんど触れられていませんでした。
この就活の問題性については前に私も何度かこのブログで取り上げており、また内定取消しについても一回記事を書いたことがありましたが、結論から言うと私は内定という制度自体が最も問題性があるのではないかと考えています。内定取消しの問題についても、実際に入社する一年近く前に学生に採用内定を出すもんだからその後の経営悪化に対応できなくなって内定を取り消すことになるのだし、また本来学業に打ち込む期間にある学生から無用に就活の時間を奪うことで学力低下につながるなど、こういったことすべて入社の遥か以前に採用を決めるこの内定制度が諸悪の根源にしか思えません。
じゃあどういう風な採用モデルがいいのかというと、私の私案を言うのならそれはやはり内定制度の廃止事、卒業前の学生へ企業が採用活動を行うことを厳禁するということに尽きます。
こうすることによって学生は卒業までの四年間をみっちり大学での学業に費やせますし、また卒業後から就職活動が皆一斉に始まるので、大学での授業や行事に煩わされることなく就職活動に集中することが出来ます。そして企業の側も、既に卒業している学生を対象に採用活動を行うので双方の合意が取れ次第すぐさま入社させることが出来、直近の状況に合わせて採用人数も増減させることが出来ます。
今の就活の制度(=慣習)に問題があるのは明々白々なので、私は今すぐにでも今の状態をどうにかするべく、それこそ国とかがはっきりと規制するなりして一定の方向性に絞るべきだと考えています。その方向性が私の提唱するモデルでもいいですし、なんだったらかつての就活制度よろしく、四回生の十月以降から就活一斉スタートというように昔に戻すだけでもいいです。今みたいに四回生の四月から、場合によっては三回生の夏休みからインターンシップやら説明会の開催などとバカなチキンゲームを皆でやるくらいなら、それこそ内定取消しを行った企業だけじゃなく、必要以上に就活を早めようとする企業名も国は公表するべきではないでしょうか。
結論から言うと、威勢のいいタイトルの割には中身はやや貧弱気味であまり人には薦められない本です。内容は学生、大学、採用企業、就職情報会社の四つの主体の視点から昨今の大学生の就職活動について、それぞれが抱える問題や足を引っ張り合っている現状について解説が為されています。
作者が前書きで言っているように、確かにこの手の就職本というのはどれか一つの主体の視点からしか書かれることが多く、この本のように就活に関わる主体全体を総合的に取り扱う本はあまりなく、また各主体が抱える問題や学生から見る企業、企業から見る学生といったような相対する別の主体に対する本音などがよく取材されていると思えますが、残念ながら結論が、
「みんながみんなで気持ち悪いことをやりあっている」
ということで終わっています。こんなことくらいなら誰でも言えるだろう、というのが率直な感想です。
この本を読むに当たって私が個人的に期待していたのは、一体どんな形が大学生の就職活動として学生と企業、ひいては教育機関の大学にも具合がいいのか、そういったモデルの提示があれば文句はなかったのですが生憎現状の就活が抱える問題性ばかりがことさら強調されるだけで、そういったことにはほとんど触れられていませんでした。
この就活の問題性については前に私も何度かこのブログで取り上げており、また内定取消しについても一回記事を書いたことがありましたが、結論から言うと私は内定という制度自体が最も問題性があるのではないかと考えています。内定取消しの問題についても、実際に入社する一年近く前に学生に採用内定を出すもんだからその後の経営悪化に対応できなくなって内定を取り消すことになるのだし、また本来学業に打ち込む期間にある学生から無用に就活の時間を奪うことで学力低下につながるなど、こういったことすべて入社の遥か以前に採用を決めるこの内定制度が諸悪の根源にしか思えません。
じゃあどういう風な採用モデルがいいのかというと、私の私案を言うのならそれはやはり内定制度の廃止事、卒業前の学生へ企業が採用活動を行うことを厳禁するということに尽きます。
こうすることによって学生は卒業までの四年間をみっちり大学での学業に費やせますし、また卒業後から就職活動が皆一斉に始まるので、大学での授業や行事に煩わされることなく就職活動に集中することが出来ます。そして企業の側も、既に卒業している学生を対象に採用活動を行うので双方の合意が取れ次第すぐさま入社させることが出来、直近の状況に合わせて採用人数も増減させることが出来ます。
今の就活の制度(=慣習)に問題があるのは明々白々なので、私は今すぐにでも今の状態をどうにかするべく、それこそ国とかがはっきりと規制するなりして一定の方向性に絞るべきだと考えています。その方向性が私の提唱するモデルでもいいですし、なんだったらかつての就活制度よろしく、四回生の十月以降から就活一斉スタートというように昔に戻すだけでもいいです。今みたいに四回生の四月から、場合によっては三回生の夏休みからインターンシップやら説明会の開催などとバカなチキンゲームを皆でやるくらいなら、それこそ内定取消しを行った企業だけじゃなく、必要以上に就活を早めようとする企業名も国は公表するべきではないでしょうか。
2009年2月10日火曜日
湾岸戦争直前における人質事件
いきなりですが、現在めちゃくちゃブルーな気分です。例えるならビデオに録っていた番組を家族に勝手に上書きされてしまったような喪失感のようなもので、ちょっと元気がないのですが気を取り直して頑張って書こうと思います。
さて皆さん、いきなりですが「イラク、人質」と聞いて何を連想するでしょうか。恐らく九割以上の方が2004年に起きた三人の日本人がテロリストにより拘束された人質事件を連想するでしょうが、実はこの二つのキーワード上にはもう一つの、私が思うに日本人は絶対に忘れるべきでなく、また現代において再考する必要が大いにある大きな事件があるのです。その事件というのも1990年、イラクのフセイン政権下で起きた国家的人質事件です。
まずおさらいですが、私がこのブログを始めた初期に書いた「今更ながらフセインさん」の記事でもすこし触れていますが、1990年にフセイン政権下のイラクは隣国のクウェートに侵攻したことにより、翌年にはアメリカを中心とした国連軍による攻撃を受ける形で湾岸戦争が勃発しました。このクウェート侵攻を何故フセインが強行したかについて補足しておくと、なんでも在イラクのアメリカ大使に前もってフセインはクウェートに侵攻する意図を伝えたところそれに対してアメリカは何の干渉もしないような答えをして、それを真に受けたフセインがいざ侵攻を実行をしたらアメリカは大使の返答とは裏腹に猛烈な抗議を行うとともに武力攻撃も辞さないという強硬な態度を取りました。
このアメリカの態度の急変に、フセインは大きく慌てたそうです。というのもそれまでのイラン・イラク戦争などでアメリカは一貫してイラクを応援し続けており、当時は中東でも随一の親米国家であったほど両国の関係は良好だったからです。もちろんそんな具合だったのでアメリカが強硬な態度を取るとは全く予想しておらず、国内の防衛計画も何もなかった上に国際世界で急に孤立するなど、この時期にフセインは一挙に窮地に追い込まれました。
そこでフセインが窮余の策として取ったのは、今でこそいい響きのする言葉のように扱われていますが「人間の盾」こと、当時クウェートとイラクに在留していた外国人の国外脱出を禁止することによって人質を取るという卑劣な手段でした。
この人質には在イラクのアメリカ人はもとより、アメリカ寄りの日本やイギリスといった国の人間が特にターゲットにされ、合計すると約400人強もの日本人がこの年の8月からイラク政府によって人質にされてその後イラク政府が人質の全員解放を行う12月までの四ヶ月間も不安な状態に留め置かれていました。
あんまり詳しく調査していない私が言うのもなんですが、この時期の各部署の対応の詳細はあまり明らかにされていないような気がします。明らかになっていない理由として、この事件自体がちょうどエアポケットみたいな大きな歴史と歴史の間にあることと、中途半端に新しい歴史ということもあってまだあまり検証が為されていないというのが原因だと思いますが、この事件について私が知りえる情報といったら当時のニュースを見ていたうちの両親やわずかな伝聞ぐらいしかありません。そのせいか、ここ一ヶ月であちこちに「この事件を知ってる?」と尋ねまわったものの、私と同世代のほとんどの方は全く知っていませんでした。
そんなわずかな情報の中から当時の動きを私なりに組み立てていくと、まず目に付くのが日本外務省の不作為です。
その辺の詳しい内容は当時の外交白書に大まかに書かれていますが、まずイラクのクウェート侵攻を受けて在クウェート日本大使館はクウェート内の日本人を大使館に保護しましたが、その後何を思ったのか保護した日本人を在イラク大使館へと移動させています。この辺の意図や実行に至る過程が未だに曖昧でよくわからないのですが、結果的にはこれが致命的になり、その後にフセインによってイラク国内の外国人の渡航が禁止されたことによってイラクにいた日本人と合わせて人質状態に置かれる事になりました。
そしてその後も先ほどの外交白書で外務省は必死に交渉したと自己弁護しているのですが、当時のニュースを見ていたうちのお袋によると、その後に開放されて帰国した方が成田空港にて、「外務省は何もしなかった!」と凄い剣幕で怒っていたのを覚えているあたり、先ほどの外務省の言い分はどうも怪しいのではないかと思います。
もうひとつ外務省の言い分を私が怪しむ理由として、当時のアントニオ猪木氏の行動があります。
今の若い世代なんか想像しづらいでしょうが、当時アントニオ猪木氏は参議院議員をしており、折も折でこの中東方面の委員会にも出ていたそうです。その猪木氏がこの時の人質事件発生の際、かねてよりイラクでプロレス興行を行っていた関係もあり直接イラクに出向いて人質解放の交渉を行おうと外務省にかけあったのですが、外務省は危険だとか交渉が面倒になるなどの理由をつけては猪木氏の申し出を拒否し、果てには個人として交渉に行こうとする猪木氏に対して日本の各航空会社に働きかけるなど様々な方法で渡航を妨害していたそうです。
最終的に猪木氏はトルコ航空(イラン・イラク戦争の折も日本人はお世話になっている)のチャーター便を猪木氏が自腹で費用を出すことで渡航が決まり、また人質となっていた方らの家族も外務省からいろいろ言われたそうですが、イラクにいる家族と会うために猪木氏に賭けてこのチャーター便に同乗してバグダッドを訪問しました。
表向きこの訪問はスポーツ交流の一環ということで行われ、猪木氏が連れてきたレスラーの試合や日本の伝統文化などがイベントとして数日間演じられ、その間に猪木氏とともに訪れた家族らは再開を果たし、猪木氏はイラク政府と人質解放の交渉を行ったそうです。
しかし交渉ははかどらず、帰国日になっても人質解放は達成されずあきらめかけて帰国の飛行機が飛ぼうとする直前、突然イラク政府から猪木氏に会談の申し込みがあり、その後イラク政府より日本人の人質解放が発表され、その二日後にはすべての外国人人質が解放されることが発表される運びとなりました。
このくだりについてはいろいろと疑問の声も挙げられており、猪木氏の売名行為に近いただのパフォーマンスだったり人質解放はすでに決まっていたなどという意見もあってこの時の猪木氏の功績については未だ評価がはっきりしていませんが、少なくとも自腹でチャーター便を取って家族らを再会させたという事実については私は高く評価してもいいと考えています。
その後は教科書に載っている歴史どおりに、アメリカ軍の攻撃によって湾岸戦争が勃発し、その後もフセインは行き続け、つい最近のイラク戦争へと物事は運んでいくのですが、私はこの時の人質事件はぜひとも今の日本は再考をして議論をしなければいけない歴史だと考えています。
というのも、日本という国家はいざという時に本気で国民を守るのか、この点について白黒をはっきりさせるわけじゃありませんが、緊急時の対応として何が政府に求められ何をどう実行するのかをはっきりさせておく必要があると思います。
詳細がはっきりしていないということでこの時の事件については私もあまり強く言う気はありませんが、やはり歴史的に見ても日本の政府、ひいては外務省は国民を守る意識が低いとしか私は思えません。古くは太平洋戦争中の沖縄戦にて、現地の沖縄の人を戦闘でまるで盾のように使ったり、米軍に解放された人をスパイだと疑って殺害するなど、本来国民を守るべき軍隊が国民を逆に害す行為があったり、どうも守るべき矛先が国民というより実態のはっきりしない国とか国体の方に向いてばかりいた気がします。
またそれほど昔じゃなくて先の2004年のイラク人質事件でも、毎日新聞が当時に流行した自己責任論について反論する形で書いた社説にて、
「国民が平時において税金を国家に納めているのは、いざという時に国家に国民を守らせるためである。確かに渡航の危険性が伝えられている中でイラクに入った三人の人質経験者は軽率だったかもしれないが、命の危機に瀕した際に政府が彼ら国民を守るのは当然の行為で、それについて自己責任とか帰国に使用した航空機の費用を彼らに負担させるべきだなどという議論は全くもって必要ない」
さすがに五年も前なのでちょっと曖昧ではありますが、大まかにこんな内容の社説が毎日新聞に載ってあるのを書いているのをみてなるほどと私は思いました。またそれと同時に、本当に日本政府は国民を守る気があるのか、北朝鮮の拉致事件でもそうでしたが外務省はどっちを向いているのか、改めて当時にいろいろ考えました。
今回取り上げた湾岸戦争勃発直前のこの人質事件でも、私が知りえた情報の範囲内では外務省は本気で国民を守ろうとしたのか、何度もいいますが詳細が曖昧ではあるもののやはり疑問を感じずにはいられません。
そこでこの事件の詳細を得ようと、ちょっと細い伝手を頼ってこの時にイラクで人質に遭われた方へ手紙で直接インタビューを申し込んだのですが、本日その方からインタビューを辞退する返信を受けたので冒頭に書いたようにブルーな気分となった次第であります。まぁこんな事件に巻き込まれて、その際の顛末を赤の他人の私に話そうとするなんて普通じゃ考えられないことですし、恐らくあまり思い出されたくない過去であることも考えれば無理もないことです。
そういうわけで、もしこの事件について何かしら当時のニュースを見て覚えていることがある方や、情報を持っている方がおられれば是非コメント欄に一筆お願いいたします。
さて皆さん、いきなりですが「イラク、人質」と聞いて何を連想するでしょうか。恐らく九割以上の方が2004年に起きた三人の日本人がテロリストにより拘束された人質事件を連想するでしょうが、実はこの二つのキーワード上にはもう一つの、私が思うに日本人は絶対に忘れるべきでなく、また現代において再考する必要が大いにある大きな事件があるのです。その事件というのも1990年、イラクのフセイン政権下で起きた国家的人質事件です。
まずおさらいですが、私がこのブログを始めた初期に書いた「今更ながらフセインさん」の記事でもすこし触れていますが、1990年にフセイン政権下のイラクは隣国のクウェートに侵攻したことにより、翌年にはアメリカを中心とした国連軍による攻撃を受ける形で湾岸戦争が勃発しました。このクウェート侵攻を何故フセインが強行したかについて補足しておくと、なんでも在イラクのアメリカ大使に前もってフセインはクウェートに侵攻する意図を伝えたところそれに対してアメリカは何の干渉もしないような答えをして、それを真に受けたフセインがいざ侵攻を実行をしたらアメリカは大使の返答とは裏腹に猛烈な抗議を行うとともに武力攻撃も辞さないという強硬な態度を取りました。
このアメリカの態度の急変に、フセインは大きく慌てたそうです。というのもそれまでのイラン・イラク戦争などでアメリカは一貫してイラクを応援し続けており、当時は中東でも随一の親米国家であったほど両国の関係は良好だったからです。もちろんそんな具合だったのでアメリカが強硬な態度を取るとは全く予想しておらず、国内の防衛計画も何もなかった上に国際世界で急に孤立するなど、この時期にフセインは一挙に窮地に追い込まれました。
そこでフセインが窮余の策として取ったのは、今でこそいい響きのする言葉のように扱われていますが「人間の盾」こと、当時クウェートとイラクに在留していた外国人の国外脱出を禁止することによって人質を取るという卑劣な手段でした。
この人質には在イラクのアメリカ人はもとより、アメリカ寄りの日本やイギリスといった国の人間が特にターゲットにされ、合計すると約400人強もの日本人がこの年の8月からイラク政府によって人質にされてその後イラク政府が人質の全員解放を行う12月までの四ヶ月間も不安な状態に留め置かれていました。
あんまり詳しく調査していない私が言うのもなんですが、この時期の各部署の対応の詳細はあまり明らかにされていないような気がします。明らかになっていない理由として、この事件自体がちょうどエアポケットみたいな大きな歴史と歴史の間にあることと、中途半端に新しい歴史ということもあってまだあまり検証が為されていないというのが原因だと思いますが、この事件について私が知りえる情報といったら当時のニュースを見ていたうちの両親やわずかな伝聞ぐらいしかありません。そのせいか、ここ一ヶ月であちこちに「この事件を知ってる?」と尋ねまわったものの、私と同世代のほとんどの方は全く知っていませんでした。
そんなわずかな情報の中から当時の動きを私なりに組み立てていくと、まず目に付くのが日本外務省の不作為です。
その辺の詳しい内容は当時の外交白書に大まかに書かれていますが、まずイラクのクウェート侵攻を受けて在クウェート日本大使館はクウェート内の日本人を大使館に保護しましたが、その後何を思ったのか保護した日本人を在イラク大使館へと移動させています。この辺の意図や実行に至る過程が未だに曖昧でよくわからないのですが、結果的にはこれが致命的になり、その後にフセインによってイラク国内の外国人の渡航が禁止されたことによってイラクにいた日本人と合わせて人質状態に置かれる事になりました。
そしてその後も先ほどの外交白書で外務省は必死に交渉したと自己弁護しているのですが、当時のニュースを見ていたうちのお袋によると、その後に開放されて帰国した方が成田空港にて、「外務省は何もしなかった!」と凄い剣幕で怒っていたのを覚えているあたり、先ほどの外務省の言い分はどうも怪しいのではないかと思います。
もうひとつ外務省の言い分を私が怪しむ理由として、当時のアントニオ猪木氏の行動があります。
今の若い世代なんか想像しづらいでしょうが、当時アントニオ猪木氏は参議院議員をしており、折も折でこの中東方面の委員会にも出ていたそうです。その猪木氏がこの時の人質事件発生の際、かねてよりイラクでプロレス興行を行っていた関係もあり直接イラクに出向いて人質解放の交渉を行おうと外務省にかけあったのですが、外務省は危険だとか交渉が面倒になるなどの理由をつけては猪木氏の申し出を拒否し、果てには個人として交渉に行こうとする猪木氏に対して日本の各航空会社に働きかけるなど様々な方法で渡航を妨害していたそうです。
最終的に猪木氏はトルコ航空(イラン・イラク戦争の折も日本人はお世話になっている)のチャーター便を猪木氏が自腹で費用を出すことで渡航が決まり、また人質となっていた方らの家族も外務省からいろいろ言われたそうですが、イラクにいる家族と会うために猪木氏に賭けてこのチャーター便に同乗してバグダッドを訪問しました。
表向きこの訪問はスポーツ交流の一環ということで行われ、猪木氏が連れてきたレスラーの試合や日本の伝統文化などがイベントとして数日間演じられ、その間に猪木氏とともに訪れた家族らは再開を果たし、猪木氏はイラク政府と人質解放の交渉を行ったそうです。
しかし交渉ははかどらず、帰国日になっても人質解放は達成されずあきらめかけて帰国の飛行機が飛ぼうとする直前、突然イラク政府から猪木氏に会談の申し込みがあり、その後イラク政府より日本人の人質解放が発表され、その二日後にはすべての外国人人質が解放されることが発表される運びとなりました。
このくだりについてはいろいろと疑問の声も挙げられており、猪木氏の売名行為に近いただのパフォーマンスだったり人質解放はすでに決まっていたなどという意見もあってこの時の猪木氏の功績については未だ評価がはっきりしていませんが、少なくとも自腹でチャーター便を取って家族らを再会させたという事実については私は高く評価してもいいと考えています。
その後は教科書に載っている歴史どおりに、アメリカ軍の攻撃によって湾岸戦争が勃発し、その後もフセインは行き続け、つい最近のイラク戦争へと物事は運んでいくのですが、私はこの時の人質事件はぜひとも今の日本は再考をして議論をしなければいけない歴史だと考えています。
というのも、日本という国家はいざという時に本気で国民を守るのか、この点について白黒をはっきりさせるわけじゃありませんが、緊急時の対応として何が政府に求められ何をどう実行するのかをはっきりさせておく必要があると思います。
詳細がはっきりしていないということでこの時の事件については私もあまり強く言う気はありませんが、やはり歴史的に見ても日本の政府、ひいては外務省は国民を守る意識が低いとしか私は思えません。古くは太平洋戦争中の沖縄戦にて、現地の沖縄の人を戦闘でまるで盾のように使ったり、米軍に解放された人をスパイだと疑って殺害するなど、本来国民を守るべき軍隊が国民を逆に害す行為があったり、どうも守るべき矛先が国民というより実態のはっきりしない国とか国体の方に向いてばかりいた気がします。
またそれほど昔じゃなくて先の2004年のイラク人質事件でも、毎日新聞が当時に流行した自己責任論について反論する形で書いた社説にて、
「国民が平時において税金を国家に納めているのは、いざという時に国家に国民を守らせるためである。確かに渡航の危険性が伝えられている中でイラクに入った三人の人質経験者は軽率だったかもしれないが、命の危機に瀕した際に政府が彼ら国民を守るのは当然の行為で、それについて自己責任とか帰国に使用した航空機の費用を彼らに負担させるべきだなどという議論は全くもって必要ない」
さすがに五年も前なのでちょっと曖昧ではありますが、大まかにこんな内容の社説が毎日新聞に載ってあるのを書いているのをみてなるほどと私は思いました。またそれと同時に、本当に日本政府は国民を守る気があるのか、北朝鮮の拉致事件でもそうでしたが外務省はどっちを向いているのか、改めて当時にいろいろ考えました。
今回取り上げた湾岸戦争勃発直前のこの人質事件でも、私が知りえた情報の範囲内では外務省は本気で国民を守ろうとしたのか、何度もいいますが詳細が曖昧ではあるもののやはり疑問を感じずにはいられません。
そこでこの事件の詳細を得ようと、ちょっと細い伝手を頼ってこの時にイラクで人質に遭われた方へ手紙で直接インタビューを申し込んだのですが、本日その方からインタビューを辞退する返信を受けたので冒頭に書いたようにブルーな気分となった次第であります。まぁこんな事件に巻き込まれて、その際の顛末を赤の他人の私に話そうとするなんて普通じゃ考えられないことですし、恐らくあまり思い出されたくない過去であることも考えれば無理もないことです。
そういうわけで、もしこの事件について何かしら当時のニュースを見て覚えていることがある方や、情報を持っている方がおられれば是非コメント欄に一筆お願いいたします。
2009年2月9日月曜日
漢字能力検定の立ち入り捜査について
・文部科学省が漢字検定協会を立ち入り検査(YAHOOニュース)
今猛烈に頭痛がするので、短く風刺記事をまとめようと思います。
リンクに貼った通りに漢字検定協会が本来利益を追求してはならない公益法人であるにもかかわらず、大量の利益を上げている上に使途不明な支出が多いことから本日立ち入りが行われました。確かにここ数年は検定ブームで私の周りでも受けている人が多かったのですが、ここまで利益を上げているとは私も知らず、それほど受験料が高くないので全く盲点でした。
漢字能力検定は今回の立ち入りが行われる前、ガス抜きとばかりに小中学生には受験料を免除するということを発表していましたが、漢字に親しむことは悪くないので是非そのような制度に変えるのが私も良いと思います。
それにしても、最近の受験者増の背景には麻生首相がしょっちゅう漢字を間違えるのが一因のような気がしてなりません。下手すりゃ後世の評価として、「漢字教育の必要性を世に認知させた」とか書かれるんじゃないかな。
今猛烈に頭痛がするので、短く風刺記事をまとめようと思います。
リンクに貼った通りに漢字検定協会が本来利益を追求してはならない公益法人であるにもかかわらず、大量の利益を上げている上に使途不明な支出が多いことから本日立ち入りが行われました。確かにここ数年は検定ブームで私の周りでも受けている人が多かったのですが、ここまで利益を上げているとは私も知らず、それほど受験料が高くないので全く盲点でした。
漢字能力検定は今回の立ち入りが行われる前、ガス抜きとばかりに小中学生には受験料を免除するということを発表していましたが、漢字に親しむことは悪くないので是非そのような制度に変えるのが私も良いと思います。
それにしても、最近の受験者増の背景には麻生首相がしょっちゅう漢字を間違えるのが一因のような気がしてなりません。下手すりゃ後世の評価として、「漢字教育の必要性を世に認知させた」とか書かれるんじゃないかな。
2009年2月8日日曜日
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
本当はもう少し待ってからこの件について記事を書こうと思っていましたが、なんだかネタバレの様相が出てきたのでもう私の感想を書くことにします。
さて皆さん、俗に言う赤報隊事件というものをご存知でしょうか。この事件の詳細はリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、かいつまんで言うと朝日新聞阪神支局での銃撃によって記者二人が殺害された襲撃事件を始めとして、その前後で朝日新聞社が脅迫された一連の事件のことを指しており、犯行声明で犯人が自称した「赤報隊」という名前からこのような名前で呼ばれております。
この事件は戦後に日本のマスメディアを対象にしたテロ事件としては二人も殺害されるなど、その残虐な手段と行為、果てには結局犯人が捕まらずに時効を迎えたことからこれまでにも度々「戦後のタブー事件史」等といっては取りざたされてきた事件ですが、週刊新潮の二月五日号にてこの事件の犯人だと実名で名乗り出た人物が独白手記を寄せた記事が載せられると聞き、俄かにまた脚光を浴びるようになりました。
私としてもこの事件の不気味さと犯人側の目的がなんだったのかがかねてより気になっており、なんだか載せられているような気分もしたものの、発売日に週刊新潮を買った次第であります。
それで結論から言いますが、二月五日号の発売から結構日にちが経ちましたがどうも週刊新潮の言ってる内容が怪しくなってきており、私としてもこの新潮の記事が悪意のあるものかどうかまではわかりませんが、少なくとも実名で犯人だと名乗り出ている元暴力団員の言っている内容は虚偽のものではないかと思います。
まずざらっと週刊新潮が記事に寄せている内容を紹介すると、元暴力団員の島村征憲氏が赤報隊事件、もとい朝日新聞社阪神支局襲撃事件の犯人だと名乗り出たことから始まります。何故事件から何十年も経って犯人だと自ら名乗り出た理由として、阪神支局襲撃事件の共犯である弟分が自殺したことを受け、この事件の真実を生きているうちに明かさねばならないと考えたと話しています。
それで二月五日号では実行犯である島村氏に指示犯のある人物が襲撃を依頼し、それを受けて朝日新聞本社襲撃事件と阪神支局襲撃事件の準備から実行に至るまでの経過が書かれているのですが、私がびっくりしたのはなんとこの号ではここまでしか書いていなかったのです。一番肝心要の犯行指示犯が誰なのか、一体どんな目的だったのかが一切明らかにされず、これだけの重要な事件の手記であるにもかかわらず連載記事にして内容を次号に持ち込むなんて、普通の常識じゃ考えられないのではないかと思いました。
そんな具合で一発目早々からきな臭いと思いつつも、先週木曜日に発売した二月十二日号も発売日に買って続きの記事を読んでみると、犯行実行時の細かな詳細は確かに書かれているのですが、あらかじめというかなんというか、記事中に島村氏が「もう昔のことだから細部は違うかもしれないが」と断っています。別にこれ自体については私もとやかく言わないのでとっとと犯行目的を言えよと思いながら読み進めていくと、事件発生後に犯行声明を書いたのは当時の大物右翼の野村秋介氏で、これまでの憶測どおりに右翼による左派メディアの代表格である朝日新聞への思想犯説かと思いきや最後にどんでん返しが待っており、犯行指示犯について説明するその部分をそのまま抜粋すると、
「汚くて、狡猾で、不気味な男なんです。在日アメリカ大使館の職員、佐山という男は」
これを見て、さすがに私も( ゚д゚)ポカーンとなりました。何でアメリカが朝日新聞を襲わねばならないのか、なんていうか三文小説のプロットに突然なったような感覚を受けました。第一、何でアメリカ大使館職員なのに「佐山」って名前なんだ、仮名でも「ジョーンズ」にしときゃいいのに。
週刊新潮の二月十二日号はまたも引き伸ばしをはかってここで記事を終えているのですが、このわけのわからない記事に対して週刊文春が食いかかってきています。週刊文春の二月十二日号ではこの週刊新潮の一連の事件手記記事に対して、「朝日が相手にしなかった「週刊新潮」実名告白者」という見出しの対決姿勢満々の記事にて、まず週刊新潮の記事に対して事件当事者である朝日新聞社側の取った反応を紹介しています。
二月五日の週刊新潮の記事で島村氏は別の事件で服役中、朝日新聞社に自ら実行犯だと名乗り出る手紙を出し、それを受けて朝日新聞から記者がやってきたが記者らの倣岸な態度を見て事件の詳細を話すのをやめたと書いているのですが、朝日新聞側はこの島村氏の証言に対して確かに服役中の島村氏と接見した事実を認めたものの、その際に聞いた島村氏の証言と犯行時の現場などの特徴が一致しなかった点や、島村氏の犯行動機などに曖昧で矛盾する点が数多いことから取り上げなかったと発表しています。
この朝日の対応については私自身も、週刊新潮の発売直後にasahi.comにて記事の内容と真実は異なると発表しているのを確認しています。
そうして朝日新聞側の反応を紹介した後、週刊文春では非常にネタバレな内容が書かれており、なんでも島村氏が語る犯行指示犯はやっぱり「米国大使館の駐在武官のJという人物だ」と書いており、なんで朝日新聞を襲わせたのかという動機について、
「阪神支局殺害事件で殺された小尻記者が関西のあるグループから北朝鮮が偽ドル札印刷に使用する銅製の原版を預かり、それを返さなかったことがアメリカを怒らせたからだ」
という、自分で書いてても胡散臭い、なんかの三文小説みたいな動機が先ほどの朝日新聞社との接見で島村氏が語った内容だと紹介しています。もうのっけから、なんで原版を朝日新聞の記者が手に入れるんだよと突っ込みどころが満載です。
こういった荒唐無稽な内容から朝日新聞社は取り合わなかったといいますが、私としてもこんな動機を言うくらいだったら始めから「右翼の思想犯による犯行」と言った方がまだ信憑性があったような気がします。再度結論を言いますと、現段階で実行犯と名乗り出ている島村氏の一連の証言は狂言である可能性が高く、新潮の一連の記事もなんども核心部を先送りにしていることといい、適当なでっち上げ記事のように思えてなりません。そんなわけで、来週の週刊新潮は立ち読みで済ませることにします。
さて皆さん、俗に言う赤報隊事件というものをご存知でしょうか。この事件の詳細はリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、かいつまんで言うと朝日新聞阪神支局での銃撃によって記者二人が殺害された襲撃事件を始めとして、その前後で朝日新聞社が脅迫された一連の事件のことを指しており、犯行声明で犯人が自称した「赤報隊」という名前からこのような名前で呼ばれております。
この事件は戦後に日本のマスメディアを対象にしたテロ事件としては二人も殺害されるなど、その残虐な手段と行為、果てには結局犯人が捕まらずに時効を迎えたことからこれまでにも度々「戦後のタブー事件史」等といっては取りざたされてきた事件ですが、週刊新潮の二月五日号にてこの事件の犯人だと実名で名乗り出た人物が独白手記を寄せた記事が載せられると聞き、俄かにまた脚光を浴びるようになりました。
私としてもこの事件の不気味さと犯人側の目的がなんだったのかがかねてより気になっており、なんだか載せられているような気分もしたものの、発売日に週刊新潮を買った次第であります。
それで結論から言いますが、二月五日号の発売から結構日にちが経ちましたがどうも週刊新潮の言ってる内容が怪しくなってきており、私としてもこの新潮の記事が悪意のあるものかどうかまではわかりませんが、少なくとも実名で犯人だと名乗り出ている元暴力団員の言っている内容は虚偽のものではないかと思います。
まずざらっと週刊新潮が記事に寄せている内容を紹介すると、元暴力団員の島村征憲氏が赤報隊事件、もとい朝日新聞社阪神支局襲撃事件の犯人だと名乗り出たことから始まります。何故事件から何十年も経って犯人だと自ら名乗り出た理由として、阪神支局襲撃事件の共犯である弟分が自殺したことを受け、この事件の真実を生きているうちに明かさねばならないと考えたと話しています。
それで二月五日号では実行犯である島村氏に指示犯のある人物が襲撃を依頼し、それを受けて朝日新聞本社襲撃事件と阪神支局襲撃事件の準備から実行に至るまでの経過が書かれているのですが、私がびっくりしたのはなんとこの号ではここまでしか書いていなかったのです。一番肝心要の犯行指示犯が誰なのか、一体どんな目的だったのかが一切明らかにされず、これだけの重要な事件の手記であるにもかかわらず連載記事にして内容を次号に持ち込むなんて、普通の常識じゃ考えられないのではないかと思いました。
そんな具合で一発目早々からきな臭いと思いつつも、先週木曜日に発売した二月十二日号も発売日に買って続きの記事を読んでみると、犯行実行時の細かな詳細は確かに書かれているのですが、あらかじめというかなんというか、記事中に島村氏が「もう昔のことだから細部は違うかもしれないが」と断っています。別にこれ自体については私もとやかく言わないのでとっとと犯行目的を言えよと思いながら読み進めていくと、事件発生後に犯行声明を書いたのは当時の大物右翼の野村秋介氏で、これまでの憶測どおりに右翼による左派メディアの代表格である朝日新聞への思想犯説かと思いきや最後にどんでん返しが待っており、犯行指示犯について説明するその部分をそのまま抜粋すると、
「汚くて、狡猾で、不気味な男なんです。在日アメリカ大使館の職員、佐山という男は」
これを見て、さすがに私も( ゚д゚)ポカーンとなりました。何でアメリカが朝日新聞を襲わねばならないのか、なんていうか三文小説のプロットに突然なったような感覚を受けました。第一、何でアメリカ大使館職員なのに「佐山」って名前なんだ、仮名でも「ジョーンズ」にしときゃいいのに。
週刊新潮の二月十二日号はまたも引き伸ばしをはかってここで記事を終えているのですが、このわけのわからない記事に対して週刊文春が食いかかってきています。週刊文春の二月十二日号ではこの週刊新潮の一連の事件手記記事に対して、「朝日が相手にしなかった「週刊新潮」実名告白者」という見出しの対決姿勢満々の記事にて、まず週刊新潮の記事に対して事件当事者である朝日新聞社側の取った反応を紹介しています。
二月五日の週刊新潮の記事で島村氏は別の事件で服役中、朝日新聞社に自ら実行犯だと名乗り出る手紙を出し、それを受けて朝日新聞から記者がやってきたが記者らの倣岸な態度を見て事件の詳細を話すのをやめたと書いているのですが、朝日新聞側はこの島村氏の証言に対して確かに服役中の島村氏と接見した事実を認めたものの、その際に聞いた島村氏の証言と犯行時の現場などの特徴が一致しなかった点や、島村氏の犯行動機などに曖昧で矛盾する点が数多いことから取り上げなかったと発表しています。
この朝日の対応については私自身も、週刊新潮の発売直後にasahi.comにて記事の内容と真実は異なると発表しているのを確認しています。
そうして朝日新聞側の反応を紹介した後、週刊文春では非常にネタバレな内容が書かれており、なんでも島村氏が語る犯行指示犯はやっぱり「米国大使館の駐在武官のJという人物だ」と書いており、なんで朝日新聞を襲わせたのかという動機について、
「阪神支局殺害事件で殺された小尻記者が関西のあるグループから北朝鮮が偽ドル札印刷に使用する銅製の原版を預かり、それを返さなかったことがアメリカを怒らせたからだ」
という、自分で書いてても胡散臭い、なんかの三文小説みたいな動機が先ほどの朝日新聞社との接見で島村氏が語った内容だと紹介しています。もうのっけから、なんで原版を朝日新聞の記者が手に入れるんだよと突っ込みどころが満載です。
こういった荒唐無稽な内容から朝日新聞社は取り合わなかったといいますが、私としてもこんな動機を言うくらいだったら始めから「右翼の思想犯による犯行」と言った方がまだ信憑性があったような気がします。再度結論を言いますと、現段階で実行犯と名乗り出ている島村氏の一連の証言は狂言である可能性が高く、新潮の一連の記事もなんども核心部を先送りにしていることといい、適当なでっち上げ記事のように思えてなりません。そんなわけで、来週の週刊新潮は立ち読みで済ませることにします。
2009年2月7日土曜日
今、どんな経済学が求められているのか
今朝の朝日新聞朝刊の文化欄に、「古典の思想家 再注目」という記事があり、いろいろと私も思うところがあるのでちょっと感想をここで述べます。
まずこの記事で何が述べられているかですが、記事冒頭のリード文をそのまま抜き出すと、
「スミス、ケインズにハイエク、シュンペーター、ガルブレイス、近現代の経済学、経済思想の泰斗がこのところ引っ張りだこの様相を見せている。100年に一度ともいわれる世界的な経済危機、打開のヒントを、遠ざけられがちだった古典に求める機運が高まっている」
この文に私も異論はありません。やっぱり去年から今年にかけてかつてのマルクス(サッカー選手じゃないよ)よろしく、近年の経済学ではほとんど研究対象とされなくなったケインズがまたちらほら出てくるようになり、彼の復権が急速に行われているような気がします。
現在、日本のどこの大学でも経済学の授業で教えられる内容のはそのほとんどはミルトン・フリードマンの提唱した新自由主義であることに間違いありません。この新自由主義が何故これほどまで力を持つようになったかを簡単に説明すると、戦後にジョン・ケインズ(198センチの大男。)の提唱したケインズ経済が支配的だった70年代ごろ、日本やドイツといった敗戦国の経済がアメリカがイギリスといった戦勝国に追いつくようになり、もはやケインズのやり方では通用しないという具合で、歴史的にはイギリスのマーガレット・サッチャーが政策の中心に導入したことを初めに、徐々に世界で新自由主義が支配的になっていきました。
特にアメリカではレーガン政権がフリードマンを政策顧問に置くほど傾倒し、事実アメリカもドル体制の下でこの経済政策で一時的に成功を収めたのですが、今回の金融危機によってそれが破綻し、やっぱりこんなやりかたじゃ駄目だったんだと現在は逆に総スカンが巻き起こっています。
これなんか私もこの前までやっていた「失われた十年」の連載をしていて感じていたのですが、やっぱり何かに躓くことにより、社会というのはそれまで信奉していた概念とか理論に対して急激な反動を起こすところがあると思います。そもそも70年代に新自由主義が力を持った背景というのも、ケインズ経済学が通用しなくなってきたことに対してケインズ経済学と真逆である、生前のケインズと学説上で激しく対立していたハイエクの陣営の経済学であったことが原因だと思えてなりません。
ここまで言えば察しがつくかもしれませんが、ケインズがなんでまた現代に復権しているのかというと、その最大の原因は新自由主義と真逆の学説だからではないかと私はにらんでおり、もし本当にそうであるのならば安易な転換は行われるべきではないかと思います。
一気に結論を言いますが、新自由主義が今回の世界的不況で否定されたからといって、そのすべてを否定して真逆の学説を採ったところで、感情への気休めにはなっても何の問題の解決にもならないと思います。
確かに今だからこそケインズ経済学の中から見直すべき説、採用すべき説というものもいろいろ見えてくるのは確かです。しかしケインズ経済学は必ずしも万能の経済学というわけでもなく、少なくとも公共投資による有効需要の創出には限界があるということは現代ではほぼ証明されており、フリードマンが駄目だったから何でもかんでもケインズへというのはあまりにも安直で、また自滅へと向かう道にもなりかねません。
じゃあ一体どんな経済学を信じればいいかですが、やはり理想はこれまでの学説を個人個人が再び再読することに尽きると思います。それこそマルクスの資本論からケインズとハイエクの学説、今回批判されているフリードマンに彼と最も対立していた宇沢弘文先生の意見など、世の中のありとあらゆる経済学を勉強しなおして何が有効なのか、かつてない今の時代だからこそかつてない新たな知恵を出すことに尽きます。
一番危険なのは、何度も言いますがフリードマンが駄目だったからまた元のケインズへと、思考を停止して二項対立的に選択をすることです。
これは昔に聞いた話ですが、戦後の日本の官僚が優秀だったことについて、戦後教育では社会主義経済学と資本主義経済学が同時に東大などで教えられていたことから、双方の長所と短所を理解して相互に有効に組み立てられたからだという意見がありましたが、これなんかなかなか参考になる意見だと思えます。一つの学説にとらわれず、いろんな学説を見比べて何を政策に移すか、そうした総合的な知恵こそが今の時代に必要なんだと思います。
追伸
私の基本の行動パターンはアンチセントラリズムこと、反中央主義的にいろいろものを考えて行動します。需要のないところだからこそ自分が補填するとばかりに、経済学の学説とかでもブームの過ぎ去ったものとかを割合に勉強することが非常に多く、また今では誰も話題にすることがなくなった古い議論や学説なども、自分が伝承者になるのだと妙にいきがってこのところよく調べています。
今回話題にした、というより朝日新聞の記事でコメントしている京大教授の間宮陽介氏の「ケインズとハイエク」という本を手に取ったのもそういった思惑からで、そもそもフリードマンの前身者たるハイエクというのは一体どういう人なんだろうとK先生に相談したことから紹介を受けました。
そうは言うもののあんまり現代で話題にならないもの(それを言えば経済学自体が私の専攻ではない)を調べるもんだから、先ほどの「ケインズとハイエク」を読むのには非常に苦労しました。文章は日本語ですがハイエクの思想論のところなんて何度読んでも頭に入ってこず、二年前に一度読むのをあきらめて、先月からもう一度読み始めてようやく今日になってようやく読破できました。読み終えた感想として、苦労した分いろいろな新たな概念を得ることが出来ました。それとともに今回題材とした記事に間宮陽介氏や神野直彦氏など、まだ著作を読んだことのある学者がコメントしているのを見て、なんだかんだいってやってることが身についてきたなと思った日でした。
まずこの記事で何が述べられているかですが、記事冒頭のリード文をそのまま抜き出すと、
「スミス、ケインズにハイエク、シュンペーター、ガルブレイス、近現代の経済学、経済思想の泰斗がこのところ引っ張りだこの様相を見せている。100年に一度ともいわれる世界的な経済危機、打開のヒントを、遠ざけられがちだった古典に求める機運が高まっている」
この文に私も異論はありません。やっぱり去年から今年にかけてかつてのマルクス(サッカー選手じゃないよ)よろしく、近年の経済学ではほとんど研究対象とされなくなったケインズがまたちらほら出てくるようになり、彼の復権が急速に行われているような気がします。
現在、日本のどこの大学でも経済学の授業で教えられる内容のはそのほとんどはミルトン・フリードマンの提唱した新自由主義であることに間違いありません。この新自由主義が何故これほどまで力を持つようになったかを簡単に説明すると、戦後にジョン・ケインズ(198センチの大男。)の提唱したケインズ経済が支配的だった70年代ごろ、日本やドイツといった敗戦国の経済がアメリカがイギリスといった戦勝国に追いつくようになり、もはやケインズのやり方では通用しないという具合で、歴史的にはイギリスのマーガレット・サッチャーが政策の中心に導入したことを初めに、徐々に世界で新自由主義が支配的になっていきました。
特にアメリカではレーガン政権がフリードマンを政策顧問に置くほど傾倒し、事実アメリカもドル体制の下でこの経済政策で一時的に成功を収めたのですが、今回の金融危機によってそれが破綻し、やっぱりこんなやりかたじゃ駄目だったんだと現在は逆に総スカンが巻き起こっています。
これなんか私もこの前までやっていた「失われた十年」の連載をしていて感じていたのですが、やっぱり何かに躓くことにより、社会というのはそれまで信奉していた概念とか理論に対して急激な反動を起こすところがあると思います。そもそも70年代に新自由主義が力を持った背景というのも、ケインズ経済学が通用しなくなってきたことに対してケインズ経済学と真逆である、生前のケインズと学説上で激しく対立していたハイエクの陣営の経済学であったことが原因だと思えてなりません。
ここまで言えば察しがつくかもしれませんが、ケインズがなんでまた現代に復権しているのかというと、その最大の原因は新自由主義と真逆の学説だからではないかと私はにらんでおり、もし本当にそうであるのならば安易な転換は行われるべきではないかと思います。
一気に結論を言いますが、新自由主義が今回の世界的不況で否定されたからといって、そのすべてを否定して真逆の学説を採ったところで、感情への気休めにはなっても何の問題の解決にもならないと思います。
確かに今だからこそケインズ経済学の中から見直すべき説、採用すべき説というものもいろいろ見えてくるのは確かです。しかしケインズ経済学は必ずしも万能の経済学というわけでもなく、少なくとも公共投資による有効需要の創出には限界があるということは現代ではほぼ証明されており、フリードマンが駄目だったから何でもかんでもケインズへというのはあまりにも安直で、また自滅へと向かう道にもなりかねません。
じゃあ一体どんな経済学を信じればいいかですが、やはり理想はこれまでの学説を個人個人が再び再読することに尽きると思います。それこそマルクスの資本論からケインズとハイエクの学説、今回批判されているフリードマンに彼と最も対立していた宇沢弘文先生の意見など、世の中のありとあらゆる経済学を勉強しなおして何が有効なのか、かつてない今の時代だからこそかつてない新たな知恵を出すことに尽きます。
一番危険なのは、何度も言いますがフリードマンが駄目だったからまた元のケインズへと、思考を停止して二項対立的に選択をすることです。
これは昔に聞いた話ですが、戦後の日本の官僚が優秀だったことについて、戦後教育では社会主義経済学と資本主義経済学が同時に東大などで教えられていたことから、双方の長所と短所を理解して相互に有効に組み立てられたからだという意見がありましたが、これなんかなかなか参考になる意見だと思えます。一つの学説にとらわれず、いろんな学説を見比べて何を政策に移すか、そうした総合的な知恵こそが今の時代に必要なんだと思います。
追伸
私の基本の行動パターンはアンチセントラリズムこと、反中央主義的にいろいろものを考えて行動します。需要のないところだからこそ自分が補填するとばかりに、経済学の学説とかでもブームの過ぎ去ったものとかを割合に勉強することが非常に多く、また今では誰も話題にすることがなくなった古い議論や学説なども、自分が伝承者になるのだと妙にいきがってこのところよく調べています。
今回話題にした、というより朝日新聞の記事でコメントしている京大教授の間宮陽介氏の「ケインズとハイエク」という本を手に取ったのもそういった思惑からで、そもそもフリードマンの前身者たるハイエクというのは一体どういう人なんだろうとK先生に相談したことから紹介を受けました。
そうは言うもののあんまり現代で話題にならないもの(それを言えば経済学自体が私の専攻ではない)を調べるもんだから、先ほどの「ケインズとハイエク」を読むのには非常に苦労しました。文章は日本語ですがハイエクの思想論のところなんて何度読んでも頭に入ってこず、二年前に一度読むのをあきらめて、先月からもう一度読み始めてようやく今日になってようやく読破できました。読み終えた感想として、苦労した分いろいろな新たな概念を得ることが出来ました。それとともに今回題材とした記事に間宮陽介氏や神野直彦氏など、まだ著作を読んだことのある学者がコメントしているのを見て、なんだかんだいってやってることが身についてきたなと思った日でした。
私とK先生
最近小説を書いていないので、ちょっと小説じみた私の個人的な体験談を今日はして見ようかと思います。内容は私とK先生との馴れ初めの話です。
K先生はこのブログでも何度も出ていますが、直接的に「弟子にしてください」と頼んだことはないものの、実質私が組み立てる経済学の基本を指導、教育を行ってくれたのはK先生であるので勝手ながらお呼びしています。
私とK先生が出会ったのは学校の授業にて、単位獲得のためにそれほど意識して選んだ授業ではなかったものの、二時間連続で合計四単位の授業なので取ってて損はないだろうと受けたのがきっかけでした。授業内容について言えば、ここで私がこういうもの変ですが非常に特殊な授業形式であったと今でも折に触れて思い出します。
K先生の毎回の授業の流れというのは、まず指定した教科書の内容をそれ以前に指定された担当者が解説をし、その解説を受けて他の授業参加者がその内容に対してどのように思ったかを感想を述べ合います。ここが特殊なところなのですが、この感想を述べ合うところは自発的に手を挙げる人間が発言するのではなく、それこそローラー順と言うか、端っこから順々に強制的に学生に何かを言わせる方法でした。
この方法だと適当に授業を受けて単位を取ろうと思っている学生でも、何かしら場に合わせて発言しなければならなくなります。授業参加人数が少なかったからこういう形式が出来るというのもありますが、それこそゼミでやるようなことを一授業で、しかも毎時間にやるというのが一風変わっていました。
基本、学校の授業というのはやる気のある人に対してない人の方が圧倒的に多いものだと私は考えています。なもんだからこの授業でもそうして強制的に発言させられる人たちの中でも、やっぱり議論をリードする人とそうでない人とで別れていくのですが、面白いことに授業開始当初はそれこそ「まぁいい考えだと思います」といったような適当な発言ばかりしていたやる気のない学生でも、段々と回を重ねるごとにこちらが思わないような意見を言い出したり、積極的に議論に参加するようになって行きました。K先生に言わせると、やっぱり無理やり発言させることによって芽を出す学生というのは結構多いらしく、別にうちの学校だけでこんな授業形式をやっているわけではないらしいですが、どこでもつついてみると非常に授業が面白くなっていくそうです。
まぁこんな感じでいろいろと意見を言い合い、一通り全員の意見が揃うと今度は論点を絞って、それに対してまたどう思っているか、今度は逆ローラー順にまた強制的に発言させていきます。この段階になると論点が絞られているのもあり、「あなたの意見はそうだけれでも」という具合に反論が出たり、また新たな意見が出るようになります。
別に私は意識をしてはいなかったのですが、周りからは私ともう一人の女子学生がいつも授業をリードしていると思われており、確かに思い返すとその女子学生の方と毎回激しい応酬になっては、「女の人でも、こんなに意見の鋭い人がいるのか」と、向こうも私のことをそんな感じに思ってくれていたらしく、互いに尊敬しあいながらいつも授業を盛り上げていました。ちなみにその人に言われた一番びっくりした意見に、「前から思っていましたが、あなたは右翼ですか?」、というのもありました。友人なんか横で爆笑してたし。
そんな感じで私も回を追うごとにこの授業にハマっていき、授業後には個人的にK先生にあれこれ質問をするようになっていきました。当時私たちが授業で使用していたのは「人間回復の経済学」(神野直彦著)でしたが、この本の中では高付加価値を追求する社会モデルとしてIT技術向上の奨励などが書かれていたのですが、ちょっと腑につかない点があってある日こんな質問をK先生にしました。
「先生、この本の中ではIT技術を今後の日本の産業の柱にすべしと書かれていますが、自分は日本は人口が多い国なため、大量の雇用が必要となる製造業を中心とした二次産業を中心にしていかなければいけないと思うのですが」
「私もそう思いますよ」
「しかしこの本で謳っているIT化はいろんな作業の手間を省いてしまい、結果的には必要な人員が要らなくなり失業が増えるのではないでしょうか?」
「確かに一見するとそうだけど、この本の作者の神野さんは恐らく、日本に必要な製造業をIT化によってより盛り上げようと言っているのではないでしょうか。何もIT一本に絞れとは言ってないと思いますよ」
こう言われ、その後非常に猛省をすることになりました。
確かに神野氏の先ほどの著作ではIT化の必要性が強く訴えられていますが、なにもそれ一本に絞れとはどこにも書いていません。にもかかわらず私は脊椎反射的に、ちょうど折も折でITバブルが弾けた後だったからIT革命やらそういった方向へ目指す主張に批判的な態度を当時の私は取っていたため、妙な風に神野氏の主張を誤解するばかりでなく、二次産業と組み合わせるという発想に全く至りませんでした。
それこそ頭をかなづちで叩かれるような衝撃を受け、それからはK先生の言われることに素直に言うことを聞くようになり、その年で授業の単位を取ったものの、次の年とその次の年もまた同じ授業を受け、議論に参加するなどしてK先生の薫陶を受け続けました。
さてそんなK先生ですが、めがねを取ると火曜サスペンスに出てきそうな渋いおじさんで非常に落ち着いた口調も優しい先生ではあるのですが、以前に先生の若い頃の話を聞くと、どうも今のイメージとギャップを感じてしまいます。なんでも高校時代のK先生はバリバリの社会主義信奉者だったらしく、少しでも左翼運動などに興味を持っていない学生を見ると、「資本論を読んで来いっ!」ってな具合で激しく活動されていたそうです。
もちろん今ではそれほど社会主義経済学を主張したりすることはないのですが、やはりその方面の知識から各経済学の体系には非常にお詳しく、先日にも戦前の社会主義陣営の「講座派」と「労農派」の違いについてメールでお尋ねしたところ、非常に詳細な解説をいただけました。
なおそのメールでK先生は、それこそ今の経済状況はかつて例のない異常な事態で、かえって昔の議論を検証しなおすのもいいかもしれないという風に付け加えていました。私も今そう考えてあれこれ古い議論とか学説を読み始めているのですが、こういうときにいい指導者がいて本当によかったと思えます。
最後に先生が昔過激だったことについて、私も負けず劣らずに過激な性格をしていると本店のコメント欄にて指摘がありました。なにもこのコメントに限らずあちらこちらで周囲から私は過激だと言われていますが、そういう私自身も「みんな大人しい奴ばっかだなぁ」と思うくらい、今まで自分以上に考えが過激な人間を見たことがありません。
自他共に認めるほど過激な性格をしている私ですが、外見はと言うとこれまた周りからの評価ですが非常に大人しそうに見えるらしく、そのせいか初対面の人なんか私が話し出すとその見かけとのギャップにみんな驚くそうです。
K先生も見た目とか話し方は非常に落ち着いていられることもあり、案外思想が過激な人間というのは見かけは皆大人しそうに見えるものなのかもしれません。
K先生はこのブログでも何度も出ていますが、直接的に「弟子にしてください」と頼んだことはないものの、実質私が組み立てる経済学の基本を指導、教育を行ってくれたのはK先生であるので勝手ながらお呼びしています。
私とK先生が出会ったのは学校の授業にて、単位獲得のためにそれほど意識して選んだ授業ではなかったものの、二時間連続で合計四単位の授業なので取ってて損はないだろうと受けたのがきっかけでした。授業内容について言えば、ここで私がこういうもの変ですが非常に特殊な授業形式であったと今でも折に触れて思い出します。
K先生の毎回の授業の流れというのは、まず指定した教科書の内容をそれ以前に指定された担当者が解説をし、その解説を受けて他の授業参加者がその内容に対してどのように思ったかを感想を述べ合います。ここが特殊なところなのですが、この感想を述べ合うところは自発的に手を挙げる人間が発言するのではなく、それこそローラー順と言うか、端っこから順々に強制的に学生に何かを言わせる方法でした。
この方法だと適当に授業を受けて単位を取ろうと思っている学生でも、何かしら場に合わせて発言しなければならなくなります。授業参加人数が少なかったからこういう形式が出来るというのもありますが、それこそゼミでやるようなことを一授業で、しかも毎時間にやるというのが一風変わっていました。
基本、学校の授業というのはやる気のある人に対してない人の方が圧倒的に多いものだと私は考えています。なもんだからこの授業でもそうして強制的に発言させられる人たちの中でも、やっぱり議論をリードする人とそうでない人とで別れていくのですが、面白いことに授業開始当初はそれこそ「まぁいい考えだと思います」といったような適当な発言ばかりしていたやる気のない学生でも、段々と回を重ねるごとにこちらが思わないような意見を言い出したり、積極的に議論に参加するようになって行きました。K先生に言わせると、やっぱり無理やり発言させることによって芽を出す学生というのは結構多いらしく、別にうちの学校だけでこんな授業形式をやっているわけではないらしいですが、どこでもつついてみると非常に授業が面白くなっていくそうです。
まぁこんな感じでいろいろと意見を言い合い、一通り全員の意見が揃うと今度は論点を絞って、それに対してまたどう思っているか、今度は逆ローラー順にまた強制的に発言させていきます。この段階になると論点が絞られているのもあり、「あなたの意見はそうだけれでも」という具合に反論が出たり、また新たな意見が出るようになります。
別に私は意識をしてはいなかったのですが、周りからは私ともう一人の女子学生がいつも授業をリードしていると思われており、確かに思い返すとその女子学生の方と毎回激しい応酬になっては、「女の人でも、こんなに意見の鋭い人がいるのか」と、向こうも私のことをそんな感じに思ってくれていたらしく、互いに尊敬しあいながらいつも授業を盛り上げていました。ちなみにその人に言われた一番びっくりした意見に、「前から思っていましたが、あなたは右翼ですか?」、というのもありました。友人なんか横で爆笑してたし。
そんな感じで私も回を追うごとにこの授業にハマっていき、授業後には個人的にK先生にあれこれ質問をするようになっていきました。当時私たちが授業で使用していたのは「人間回復の経済学」(神野直彦著)でしたが、この本の中では高付加価値を追求する社会モデルとしてIT技術向上の奨励などが書かれていたのですが、ちょっと腑につかない点があってある日こんな質問をK先生にしました。
「先生、この本の中ではIT技術を今後の日本の産業の柱にすべしと書かれていますが、自分は日本は人口が多い国なため、大量の雇用が必要となる製造業を中心とした二次産業を中心にしていかなければいけないと思うのですが」
「私もそう思いますよ」
「しかしこの本で謳っているIT化はいろんな作業の手間を省いてしまい、結果的には必要な人員が要らなくなり失業が増えるのではないでしょうか?」
「確かに一見するとそうだけど、この本の作者の神野さんは恐らく、日本に必要な製造業をIT化によってより盛り上げようと言っているのではないでしょうか。何もIT一本に絞れとは言ってないと思いますよ」
こう言われ、その後非常に猛省をすることになりました。
確かに神野氏の先ほどの著作ではIT化の必要性が強く訴えられていますが、なにもそれ一本に絞れとはどこにも書いていません。にもかかわらず私は脊椎反射的に、ちょうど折も折でITバブルが弾けた後だったからIT革命やらそういった方向へ目指す主張に批判的な態度を当時の私は取っていたため、妙な風に神野氏の主張を誤解するばかりでなく、二次産業と組み合わせるという発想に全く至りませんでした。
それこそ頭をかなづちで叩かれるような衝撃を受け、それからはK先生の言われることに素直に言うことを聞くようになり、その年で授業の単位を取ったものの、次の年とその次の年もまた同じ授業を受け、議論に参加するなどしてK先生の薫陶を受け続けました。
さてそんなK先生ですが、めがねを取ると火曜サスペンスに出てきそうな渋いおじさんで非常に落ち着いた口調も優しい先生ではあるのですが、以前に先生の若い頃の話を聞くと、どうも今のイメージとギャップを感じてしまいます。なんでも高校時代のK先生はバリバリの社会主義信奉者だったらしく、少しでも左翼運動などに興味を持っていない学生を見ると、「資本論を読んで来いっ!」ってな具合で激しく活動されていたそうです。
もちろん今ではそれほど社会主義経済学を主張したりすることはないのですが、やはりその方面の知識から各経済学の体系には非常にお詳しく、先日にも戦前の社会主義陣営の「講座派」と「労農派」の違いについてメールでお尋ねしたところ、非常に詳細な解説をいただけました。
なおそのメールでK先生は、それこそ今の経済状況はかつて例のない異常な事態で、かえって昔の議論を検証しなおすのもいいかもしれないという風に付け加えていました。私も今そう考えてあれこれ古い議論とか学説を読み始めているのですが、こういうときにいい指導者がいて本当によかったと思えます。
最後に先生が昔過激だったことについて、私も負けず劣らずに過激な性格をしていると本店のコメント欄にて指摘がありました。なにもこのコメントに限らずあちらこちらで周囲から私は過激だと言われていますが、そういう私自身も「みんな大人しい奴ばっかだなぁ」と思うくらい、今まで自分以上に考えが過激な人間を見たことがありません。
自他共に認めるほど過激な性格をしている私ですが、外見はと言うとこれまた周りからの評価ですが非常に大人しそうに見えるらしく、そのせいか初対面の人なんか私が話し出すとその見かけとのギャップにみんな驚くそうです。
K先生も見た目とか話し方は非常に落ち着いていられることもあり、案外思想が過激な人間というのは見かけは皆大人しそうに見えるものなのかもしれません。
2009年2月6日金曜日
80年代のある中国農村調査
今日は一つ、私の手持ちのネタの中でも飛びきり特大の秘蔵ネタを紹介しようと思います。先に言っておきますがここで紹介する話はまず間違いなくまだ世の中に出回っていないネタで、私のこのブログが初見となることでしょう。
今回紹介する話はもうこのブログで何度も名前が出ている、東大名誉教授の宇沢弘文先生が講演で話した話です。その講演自体がそれほど宣伝されて開かれたものでなく、参加者もそれほど多くなかったので自分で言うのもなんですが非常にレアな話で満載の講演となりました。
ちなみにこの宇沢先生ですが、私の経済学における師匠と呼べるのがK先生で、そのK先生が所属する学派のトップが宇沢先生なので私にとっても直系の師匠筋に当たる先生でもあります。それでこれは軽い自慢ですが、一度だけK先生の紹介で私も宇沢先生に話をさせてもらう機会がありました。まず出身を聞かれて鹿児島県の出水氏だと答えると、水俣病の調査で訪ねたことがあると言われ、簡単に当時の水俣病の話を伺いました。
話は本題に戻りますが、その講演で宇沢先生は鄧小平がまだ存命だった頃、恐らく80年代に中国政府の依頼で中国の農村を調査したらしいです。そして調査を終えていざその結果を報告する際、並み居る中国共産党の幹部が居並ぶ席上でこのような報告を行ったそうです。
「資本主義には市場原理があることによって限界があるが、共産主義の搾取には限界がない」
自分で書いてても笑いがこぼれてくるのですが、こんな恐ろしい調査報告を当事者である共産党の大幹部たちの前でやってしまったそうです。確かに非常に的を得た意見なのですが、射過ぎてしまっているというか。
案の定、その時の状況について宇沢先生は「これはもう日本には帰れないかも」と思うほど共産党の幹部らは激怒し、こんな奴を生かして帰すななどと言っては激しく突き上げられたそうです。
そんな中、ある幹部が唯一人、
「いや、彼の意見も一理ある。詳しく報告を聞こう」
と言ったそうです。何を隠そう、後の第二次天安門事件の際の総書記であった趙紫陽でした。
恐らく、私くらいの世代では中国関係の専門家でなければ趙紫陽氏の名前すら知らない方が大半でしょう。なぜか私の愛弟子だけが妙に詳しく知っていてびっくりしたのですが、彼を除けば未だかつて知っているという友人はまだ見たことがありません。
詳しくはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、非常に実務能力の高い人間で彼が指導を任された地域では餓死者が出ないというほど手腕に長け、実質鄧小平の右腕として文化大革命後の改革開放期に活躍した政治家でした。
この趙紫陽氏は胡耀邦氏の失脚後に総書記となりましたが、形式上は最高権力者でも当時の実際の最大権力者は依然と鄧小平であることに変わりはなく、その後の第二次天安門事件を引き起こした責任を取る形でこの趙紫陽氏も失脚しましたが、趙紫陽氏はかねてより中国の民主化に対して理解があったらしく、天安門事件の際には抗議を続ける学生らに理解を示す態度を取っており、事件の発生以上にその態度に鄧小平が激怒したことが失脚の原因とまで言われています。
そのため失脚後は比較的緩い軟禁生活を続けて2005年に亡くなられましたが、今でも趙紫陽氏の命日にはたくさんの民主派の活動家が彼の遺宅に尋ねるそうで、その日が来るたびに北京の警察は警備を厳重にしています。
さて話は戻って宇沢先生の話ですが、私が言うのもなんですがこの宇沢先生というのは非常に攻撃的な方で、K先生に至っては「あの人は一日一回は文部科学省の悪口を言わないと気がすまない」とまで言うくらい、とかく口角の鋭い方であります。特に先ほどの文部科学省と並んでかつての同僚でありライバルであったミルトン・フリードマンが死去した翌週には、「これで世界はまた一つ平和になった」とまで言うのを私も生で聞きました。
そんな宇沢先生が、この趙紫陽氏に対しては非常に立派な人物だったと先ほどのエピソードと合わせて強く褒め称えていました。そして趙紫陽氏との話で、なんでも彼の自宅で宇沢先生が彼と話しをしていると、いつの間にか多勢の学生が今にも襲ってきそうなばかりに血気だって趙紫陽氏の家を囲んだそうです。慌てる宇沢先生をよそに趙紫陽氏は、周りを取り囲む学生を一人、また一人呼んでは彼らとゆっくりと話し、最初は激しい調子だった学生らも趙紫陽氏と話をするとどんどんと納得して帰っていき、いつの間にか囲みがすべて解けてしまったそうです。
なんだか聞いてて嘘のような話ですが、改めてあの時代の中国と、生前の趙紫陽氏の経歴を見ると本当にあったことなのではないかと私は思います。
今回紹介する話はもうこのブログで何度も名前が出ている、東大名誉教授の宇沢弘文先生が講演で話した話です。その講演自体がそれほど宣伝されて開かれたものでなく、参加者もそれほど多くなかったので自分で言うのもなんですが非常にレアな話で満載の講演となりました。
ちなみにこの宇沢先生ですが、私の経済学における師匠と呼べるのがK先生で、そのK先生が所属する学派のトップが宇沢先生なので私にとっても直系の師匠筋に当たる先生でもあります。それでこれは軽い自慢ですが、一度だけK先生の紹介で私も宇沢先生に話をさせてもらう機会がありました。まず出身を聞かれて鹿児島県の出水氏だと答えると、水俣病の調査で訪ねたことがあると言われ、簡単に当時の水俣病の話を伺いました。
話は本題に戻りますが、その講演で宇沢先生は鄧小平がまだ存命だった頃、恐らく80年代に中国政府の依頼で中国の農村を調査したらしいです。そして調査を終えていざその結果を報告する際、並み居る中国共産党の幹部が居並ぶ席上でこのような報告を行ったそうです。
「資本主義には市場原理があることによって限界があるが、共産主義の搾取には限界がない」
自分で書いてても笑いがこぼれてくるのですが、こんな恐ろしい調査報告を当事者である共産党の大幹部たちの前でやってしまったそうです。確かに非常に的を得た意見なのですが、射過ぎてしまっているというか。
案の定、その時の状況について宇沢先生は「これはもう日本には帰れないかも」と思うほど共産党の幹部らは激怒し、こんな奴を生かして帰すななどと言っては激しく突き上げられたそうです。
そんな中、ある幹部が唯一人、
「いや、彼の意見も一理ある。詳しく報告を聞こう」
と言ったそうです。何を隠そう、後の第二次天安門事件の際の総書記であった趙紫陽でした。
恐らく、私くらいの世代では中国関係の専門家でなければ趙紫陽氏の名前すら知らない方が大半でしょう。なぜか私の愛弟子だけが妙に詳しく知っていてびっくりしたのですが、彼を除けば未だかつて知っているという友人はまだ見たことがありません。
詳しくはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、非常に実務能力の高い人間で彼が指導を任された地域では餓死者が出ないというほど手腕に長け、実質鄧小平の右腕として文化大革命後の改革開放期に活躍した政治家でした。
この趙紫陽氏は胡耀邦氏の失脚後に総書記となりましたが、形式上は最高権力者でも当時の実際の最大権力者は依然と鄧小平であることに変わりはなく、その後の第二次天安門事件を引き起こした責任を取る形でこの趙紫陽氏も失脚しましたが、趙紫陽氏はかねてより中国の民主化に対して理解があったらしく、天安門事件の際には抗議を続ける学生らに理解を示す態度を取っており、事件の発生以上にその態度に鄧小平が激怒したことが失脚の原因とまで言われています。
そのため失脚後は比較的緩い軟禁生活を続けて2005年に亡くなられましたが、今でも趙紫陽氏の命日にはたくさんの民主派の活動家が彼の遺宅に尋ねるそうで、その日が来るたびに北京の警察は警備を厳重にしています。
さて話は戻って宇沢先生の話ですが、私が言うのもなんですがこの宇沢先生というのは非常に攻撃的な方で、K先生に至っては「あの人は一日一回は文部科学省の悪口を言わないと気がすまない」とまで言うくらい、とかく口角の鋭い方であります。特に先ほどの文部科学省と並んでかつての同僚でありライバルであったミルトン・フリードマンが死去した翌週には、「これで世界はまた一つ平和になった」とまで言うのを私も生で聞きました。
そんな宇沢先生が、この趙紫陽氏に対しては非常に立派な人物だったと先ほどのエピソードと合わせて強く褒め称えていました。そして趙紫陽氏との話で、なんでも彼の自宅で宇沢先生が彼と話しをしていると、いつの間にか多勢の学生が今にも襲ってきそうなばかりに血気だって趙紫陽氏の家を囲んだそうです。慌てる宇沢先生をよそに趙紫陽氏は、周りを取り囲む学生を一人、また一人呼んでは彼らとゆっくりと話し、最初は激しい調子だった学生らも趙紫陽氏と話をするとどんどんと納得して帰っていき、いつの間にか囲みがすべて解けてしまったそうです。
なんだか聞いてて嘘のような話ですが、改めてあの時代の中国と、生前の趙紫陽氏の経歴を見ると本当にあったことなのではないかと私は思います。
2009年2月5日木曜日
日本にいる外国人について
前回の記事の続きになりますが、やはり私が明確な親中派ということもあるでしょうが今の日本の外国人に対する見方にはいつも不愉快な気分にさせられます。中国人や韓国人と来るとすぐに犯罪者だとネットでは言われ、移民の議論についても感情的に否定される意見ばかりが目立ち、偏見とまでは言いませんがもうすこしちゃんとした見方はないのかといつも残念に思います。
特に移民についてですが、既に日本は外国人の労働力なしではたくさんの産業が立ち行かないところまで追い詰められています。自動車産業ではブラジル系、看護や介護ではフィリピン系、そして面白いのは深夜の居酒屋産業では中国、韓国系などと、それこそところ狭しに外国人労働者が日本中で働いています。
最後の居酒屋産業についてもうすこし詳しく話しますが、先月に派遣切りにあった人たちを救おうと去年から今年にかけていくつかの居酒屋を経営する企業が大量募集をかけたところ、ほとんど人が集まりませんでした。原因は雇用条件が短期であったり給与条件がよくなかったりと言われていますが、私としてはなによりも仕事がきついと思われたことが敬遠された理由だと思います。
私は居酒屋などでバイトはしたことはないのですが、やっぱり経験者に聞くと毎日わけのわからない酔っ払いを相手にして、少しでも配膳が遅れると怒鳴られるなど相当にきつい職場らしいです。そのため今回の派遣切りが行われる以前からもこの業界では慢性的に従業員が不足しており、アルバイトも時給を少し上げただけではほとんど集まらないという状況だったようです。
そういった背景からなのでしょうか、どうもここ二、三年間、夜に居酒屋に行ってみると働いているのは中国や韓国の留学生ばかりになっているように前から思っていました。すると実際にそうらしくて、居酒屋経営者のインタビューによるとどんなにきつくとも外国人でもバイトをやらせてくれるということで留学生が集まり、近年はそんな留学生たちが主力として働いているそうです。しかもそれら留学生はただ働けるからといった理由だけでなく、昼間に受ける学校の授業に影響がないからという理由ででも深夜バイトを選ぶというのですから頭が下がります。
事実私も何故だか知らないけど変に外国人にモテるところがあり、一時期はチリ人、中国人、韓国人に囲まれていろいろ面白い生活を過ごしましたが、彼らに共通しているのは皆勉強に熱心で、日本での生活も費用面で少しでも学費を出している両親の負担を軽くしようと皆バイトにも励んでいました。チリ人の女の子に至っては、卒業する際にすぐ帰国するのかと聞いたらこれから帰国費用を稼ぐんだとまで行っていたし。
正直なところをいえば、私の出会った外国人留学生たちは皆遊んでばかりの日本人の大学生よりも、ずっとずっと立派な人たちばかりでした。確かに外国人犯罪の発生件数は年々増えて犯罪率も高いというデータもしっかりとでていますが、だからといって外国人皆を犯罪者のように見たりするのだけは日本人の方にはやめてもらいたいと強くここでいいたいです。彼ら外国人は日本で正社員になるのにも壁があるだけでなく、その他いろんな面で日本で生活する上でハンデが科されます。
これは私自身の経験ですが、やっぱり海外にいってその国の人にいろいろよくしてもらった国には今でも強く恩を感じる一方、変な人とかに絡まれたりした国にはあまりいい感情を持ちづらいです。私としては日本に来ている外国人にはやっぱり日本のことをよく思ってもらいたいと思うので、今週末にもまた友人の上海人とランチをする予定です。
追伸
よく中国産野菜は危ないと言われていますが、実は日本の国産野菜ですら現在は中国人が作っているものばかりだそうです。農繁期には大量の人手が要るのですが、昔は学生バイトなどが農家に来たもののここ数年はほとんどこず、代わりに中国からの出稼ぎ農民に来てもらってレタスやキャベツが作られているそうです。いわば、日本の国産農業も中国人なしではやってけない状況だそうです。
特に移民についてですが、既に日本は外国人の労働力なしではたくさんの産業が立ち行かないところまで追い詰められています。自動車産業ではブラジル系、看護や介護ではフィリピン系、そして面白いのは深夜の居酒屋産業では中国、韓国系などと、それこそところ狭しに外国人労働者が日本中で働いています。
最後の居酒屋産業についてもうすこし詳しく話しますが、先月に派遣切りにあった人たちを救おうと去年から今年にかけていくつかの居酒屋を経営する企業が大量募集をかけたところ、ほとんど人が集まりませんでした。原因は雇用条件が短期であったり給与条件がよくなかったりと言われていますが、私としてはなによりも仕事がきついと思われたことが敬遠された理由だと思います。
私は居酒屋などでバイトはしたことはないのですが、やっぱり経験者に聞くと毎日わけのわからない酔っ払いを相手にして、少しでも配膳が遅れると怒鳴られるなど相当にきつい職場らしいです。そのため今回の派遣切りが行われる以前からもこの業界では慢性的に従業員が不足しており、アルバイトも時給を少し上げただけではほとんど集まらないという状況だったようです。
そういった背景からなのでしょうか、どうもここ二、三年間、夜に居酒屋に行ってみると働いているのは中国や韓国の留学生ばかりになっているように前から思っていました。すると実際にそうらしくて、居酒屋経営者のインタビューによるとどんなにきつくとも外国人でもバイトをやらせてくれるということで留学生が集まり、近年はそんな留学生たちが主力として働いているそうです。しかもそれら留学生はただ働けるからといった理由だけでなく、昼間に受ける学校の授業に影響がないからという理由ででも深夜バイトを選ぶというのですから頭が下がります。
事実私も何故だか知らないけど変に外国人にモテるところがあり、一時期はチリ人、中国人、韓国人に囲まれていろいろ面白い生活を過ごしましたが、彼らに共通しているのは皆勉強に熱心で、日本での生活も費用面で少しでも学費を出している両親の負担を軽くしようと皆バイトにも励んでいました。チリ人の女の子に至っては、卒業する際にすぐ帰国するのかと聞いたらこれから帰国費用を稼ぐんだとまで行っていたし。
正直なところをいえば、私の出会った外国人留学生たちは皆遊んでばかりの日本人の大学生よりも、ずっとずっと立派な人たちばかりでした。確かに外国人犯罪の発生件数は年々増えて犯罪率も高いというデータもしっかりとでていますが、だからといって外国人皆を犯罪者のように見たりするのだけは日本人の方にはやめてもらいたいと強くここでいいたいです。彼ら外国人は日本で正社員になるのにも壁があるだけでなく、その他いろんな面で日本で生活する上でハンデが科されます。
これは私自身の経験ですが、やっぱり海外にいってその国の人にいろいろよくしてもらった国には今でも強く恩を感じる一方、変な人とかに絡まれたりした国にはあまりいい感情を持ちづらいです。私としては日本に来ている外国人にはやっぱり日本のことをよく思ってもらいたいと思うので、今週末にもまた友人の上海人とランチをする予定です。
追伸
よく中国産野菜は危ないと言われていますが、実は日本の国産野菜ですら現在は中国人が作っているものばかりだそうです。農繁期には大量の人手が要るのですが、昔は学生バイトなどが農家に来たもののここ数年はほとんどこず、代わりに中国からの出稼ぎ農民に来てもらってレタスやキャベツが作られているそうです。いわば、日本の国産農業も中国人なしではやってけない状況だそうです。
同一賃金同一労働への壁
どうでもいいですが先週に熱出して寝込んで以来、どうも文章の書き方が自分でも変わってきているような気がします。今までもそういうことがなかったわけじゃないですが、こうも毎日書いているとなぁ。
それで本題に入りますが、さてどっちを向いても不況不況の現在、企業はどこも経費削減を行っておりその一貫としてワークシェアリングや前に私も書いた一時帰休ことレイオフなどの制度導入を議論し始めています。その一方で首切りの真っ先の対象であった派遣社員らとの格差問題に触れ、同一賃金同一労働の議論も一部では行われています。
この同一賃金同一労働の中身というのは、要は単位時間当たり同じ作業を行う人間は年齢、職位、性別、正規雇用か不正規雇用かの区別なく同一の賃金を払うべきだという考え方で、この制度を現在のところ先進国で唯一実施、維持しているのはオランダで、昔見た統計だと確か正社員と非正社員の単位辺り賃金の差が90%と、実際にほとんど差がなく推移しています。なお日本の同じ統計結果では60%くらいだったかな。
言ってしまえばこの制度、当たり前といえば至極当たり前の制度と言えますが、現在の日本では同じマクドナルドの仕事でも正社員とアルバイトでは受け取る給料額に大きな差があるだけでなく、残業代などが真っ当に支払われないことから正社員同士でも職位によってやたらめったらな給料差があり、労働の内容というよりも待遇の違いによって給料が決まってしまう、なんかこう書いてて身分制じゃないかというような社会が続いています。
もちろんこんな社会では社会に活力が生まれるわけもなく、自分でもくどいと思いますが日本の若者が派遣や非正社員といった不遇な立場が見えており、何をしたところで、どんなに頑張ったところで報われないというあきらめの意識からやる気をなくすのも自然なことで、そういう意味で同一賃金同一労働によって、ある程度その労働によって報われる社会を目指そうとするのもあながち方向性としては間違っていません。
しかし私はここで断言しますが、この同一賃金同一労働は不完全な状態ならともかく、完全な状態で実施されることは今後50年間はないでしょう。それはなぜかというと、外国人労働者の問題があるからです。現在派遣切りの問題がクローズアップされてその対策なども各地で行われていますが、私は今最も深刻な状況に追い込まれているのは愛知県や群馬県などで出稼ぎで働いていた外国人労働者たちだと考えています。
彼らは日本国籍がないために日本人に適用される最低賃金枠がないためにそれこそ時給あたりに換算すると奴隷のような待遇で働かされ続けてきましたが、今回の世界的不況のあおりを受けて真っ先に解雇されたのも彼ら外国人労働者たちで、以前の報道で見た内容では帰国費用すらままならないまでに追い詰められている方もおられるそうです。
正直に言えば、私はこの外国人労働者の状況を聞くたびに日本人として非常に申し訳ない気持ちになります。散々安い賃金でこき使った挙句にいらなくなったらぽいっと捨てて、挙句に日本人の派遣労働者みたいに保護や対策も一切為されずにおります。中にはここは日本なのだから日本人を優先して当たり前だと言われる方もおられるかもしれませんが、彼ら外国人は日本語も日本の文化もわからず、生活や家族のために日本の企業に請われてやってきています。そんな状態で職もお金も尽きるとなると、その不安も相当なものでしょう。ましてや外国人であるために再就職をしようともなかなかうまくいかず、行政の援助や支援も全く行われない状況ではもはやどうしようもないでしょう。
こんな風に思うのも、私が留学経験があるからかもしれません。やっぱり外国ではちょっとしたことでもものすごい不安を感じ、感情の起伏が大きくなって急にハイテンションになったかと思えばがくっとやる気をなくすことも留学当初はあり、やはり母国で過ごすのと比べていろいろと大変なことが多くありました。そういった背景があるため在日の外国人に対して強い同情心を覚えているのかもしれませんが、やはり今の状況は見過ごすことが出来ません。
大分話がそれましたが、たとえ今回の不況が去ったとしても今後日本は大量の移民労働者を抱えなければならない事態に遅かれ早かれなることが予想され、そんな時代において国籍までも問わない同一賃金同一労働は達成されることはなく、外国人賃金という一段低い賃金率はますます世の中に横行することが予想されます。
私は日本の事を思ってくれて、実力のある人間ならば正当に平等に評価されるべきだと考えています。しかし日本人の中でも未だに実力通りに正当に評価されない現在においては、そんなことは夢のまた夢なのかもしれません。
それで本題に入りますが、さてどっちを向いても不況不況の現在、企業はどこも経費削減を行っておりその一貫としてワークシェアリングや前に私も書いた一時帰休ことレイオフなどの制度導入を議論し始めています。その一方で首切りの真っ先の対象であった派遣社員らとの格差問題に触れ、同一賃金同一労働の議論も一部では行われています。
この同一賃金同一労働の中身というのは、要は単位時間当たり同じ作業を行う人間は年齢、職位、性別、正規雇用か不正規雇用かの区別なく同一の賃金を払うべきだという考え方で、この制度を現在のところ先進国で唯一実施、維持しているのはオランダで、昔見た統計だと確か正社員と非正社員の単位辺り賃金の差が90%と、実際にほとんど差がなく推移しています。なお日本の同じ統計結果では60%くらいだったかな。
言ってしまえばこの制度、当たり前といえば至極当たり前の制度と言えますが、現在の日本では同じマクドナルドの仕事でも正社員とアルバイトでは受け取る給料額に大きな差があるだけでなく、残業代などが真っ当に支払われないことから正社員同士でも職位によってやたらめったらな給料差があり、労働の内容というよりも待遇の違いによって給料が決まってしまう、なんかこう書いてて身分制じゃないかというような社会が続いています。
もちろんこんな社会では社会に活力が生まれるわけもなく、自分でもくどいと思いますが日本の若者が派遣や非正社員といった不遇な立場が見えており、何をしたところで、どんなに頑張ったところで報われないというあきらめの意識からやる気をなくすのも自然なことで、そういう意味で同一賃金同一労働によって、ある程度その労働によって報われる社会を目指そうとするのもあながち方向性としては間違っていません。
しかし私はここで断言しますが、この同一賃金同一労働は不完全な状態ならともかく、完全な状態で実施されることは今後50年間はないでしょう。それはなぜかというと、外国人労働者の問題があるからです。現在派遣切りの問題がクローズアップされてその対策なども各地で行われていますが、私は今最も深刻な状況に追い込まれているのは愛知県や群馬県などで出稼ぎで働いていた外国人労働者たちだと考えています。
彼らは日本国籍がないために日本人に適用される最低賃金枠がないためにそれこそ時給あたりに換算すると奴隷のような待遇で働かされ続けてきましたが、今回の世界的不況のあおりを受けて真っ先に解雇されたのも彼ら外国人労働者たちで、以前の報道で見た内容では帰国費用すらままならないまでに追い詰められている方もおられるそうです。
正直に言えば、私はこの外国人労働者の状況を聞くたびに日本人として非常に申し訳ない気持ちになります。散々安い賃金でこき使った挙句にいらなくなったらぽいっと捨てて、挙句に日本人の派遣労働者みたいに保護や対策も一切為されずにおります。中にはここは日本なのだから日本人を優先して当たり前だと言われる方もおられるかもしれませんが、彼ら外国人は日本語も日本の文化もわからず、生活や家族のために日本の企業に請われてやってきています。そんな状態で職もお金も尽きるとなると、その不安も相当なものでしょう。ましてや外国人であるために再就職をしようともなかなかうまくいかず、行政の援助や支援も全く行われない状況ではもはやどうしようもないでしょう。
こんな風に思うのも、私が留学経験があるからかもしれません。やっぱり外国ではちょっとしたことでもものすごい不安を感じ、感情の起伏が大きくなって急にハイテンションになったかと思えばがくっとやる気をなくすことも留学当初はあり、やはり母国で過ごすのと比べていろいろと大変なことが多くありました。そういった背景があるため在日の外国人に対して強い同情心を覚えているのかもしれませんが、やはり今の状況は見過ごすことが出来ません。
大分話がそれましたが、たとえ今回の不況が去ったとしても今後日本は大量の移民労働者を抱えなければならない事態に遅かれ早かれなることが予想され、そんな時代において国籍までも問わない同一賃金同一労働は達成されることはなく、外国人賃金という一段低い賃金率はますます世の中に横行することが予想されます。
私は日本の事を思ってくれて、実力のある人間ならば正当に平等に評価されるべきだと考えています。しかし日本人の中でも未だに実力通りに正当に評価されない現在においては、そんなことは夢のまた夢なのかもしれません。
2009年2月4日水曜日
天下りをどう防ぐか
昨日、前日に官僚の天下りは内閣として認めないと発言した麻生首相がそれでは不十分との自民党からの指摘を受け、今後政令で天下り禁止を盛り込むとも明言しました。過程はどうあれこの一連の麻生首相の発言は評価できますが、今更になって認めるのならば渡辺氏の造反前に何故認めなかったのかが少し不可解です。
それはともかくとして今後、一体どんな風にして公務員の天下りを防ぐかですが、その話をする前に天下りがどのような弊害があるのかをちょっとかいつまんで説明しておきます。
まず一番多い天下りのパターンというのは、省庁からその省庁と結びつきのある特別行政法人など、税金で運営されている団体へ官僚が移籍するパターンです。たとえば厚生省からだと年金を管理する財団やら行政法人、国土交通省からだとETCの販売を促進する変な行政法人などといった具合に、次官コースから外れた官僚たちは50歳になったくらいから続々とそのような団体へ天下っていきます。
ここで繰り返しておきますが、それらの団体は別に商売をして自分でお金を稼いでいるわけでなく、大半が国からの税金によって運営されています。そんな団体に突然官僚が代表やらに降りてきたかと思うや、何もしないまま二、三年したらまた別の団体へ行ってしまいます。ですがその二、三年の勤務で、なんと数千万円もの退職金を得て、移った団体でもまた二、三年したら同じように数千万円もの退職金をもらって次々と渡って行きます。くれぐれも言いますが、それらの退職金も国民の税金から出て行きます。
これだけでも毎年数百億もの税金の無駄使いがあるので十分な弊害なのですが、そもそもそのような天下り先の団体自体が官僚が退職金を受け取るためだけに存在しているところも多く、その運営にかかる費用も大半が優先度の低い部門だといわれており、その分の費用をまとめると毎年数兆円に及ぶ無駄遣いがこの天下りという日本独自の制度(中国にはありそうだけど)によって使われているといわれています。
そんなわけで百害あって一利なしのこの制度ですが、天下りを守る側の自民党守旧派の議員からすると、そのようなうまみがなければ優秀な人間は国のために働いてくれないと言うのですが(前に麻生首相も同じことを述べている)、民主党の議員らも言う様に、そもそもこんな天下りにたかろうとする人間が国のために本気で働こうとするのか疑問です。私自身もこんなあからさまな不正をやるくらいだったら、能力は多少少なくとも真面目に働いてくれる人の方が何十倍も官僚として優秀だと思います。
またこれも民主党の議員が言っていましたが、東大の学生が官僚に就職を希望していながらも、天下りがあるから入りたくないと言っていたという話もあり、なにもこんな天下りがあるから優秀な人が集まるという保障はどこにもないといっていいでしょう。
この辺までの議論はよくテレビでもやられていますが、こういうのは行政法人、いわば省庁の中での天下りですが、私はこれら以上に根深いと思っているのは私企業への天下りです。
私企業、それこそ誰もが知っているような大企業に対しても公務員の天下りは頻繁に行われています。前ほどはおおっぴらにはやりませんが、かつて倒産した山一證券に至っては頭取職は東大出、大蔵省OBでなければなれないとまで言われているほどおおっぴらでした。
なんで私企業に官僚が天下りが出来るのかと思われるかもしれませんが、これなんか土木関係に多いのですが、官僚をその企業の役員などに天下りさせるかわりに国の公共工事などの発注がその企業に向かうように仕向けるという、いわば国の税金で官僚を私企業に押し込むという形で天下りが行われます。この行為で何が問題なのかというと、競合入札などせずにいきなり業者を指定するのだから工事や発注にかかる費用が明らかに通常より膨らみ、また市場の競争をさえぎって恣意的な選定が行われるために市場がゆがむ恐れすらあります。
実はかくいう私の親戚も、えらく昔ですが通産省から若くしてSONYに天下ったと聞いています。その後はSONY一本で長く働いていたそうですが、私の友人にこれを話したらSONYは学歴は問わないが天下りは受けるのかと大爆笑してました。
そんな話はおいといて具体的に天下りをどう防ぐかですが、現在政府が考えているのは内閣の下に官僚専用の人事局を作り、そこで省庁の退職後の再就職が不正なものかどうかを監視するという案を出しています。現状ですぐに実行できる案としては確かに効果の望めそうな案で、また退職後の再就職だけでなく全省庁の人事権も握らせることによりこちらも弊害の多い縦割り行政を打破する可能性も秘めており、私もこの案を支持します。
しかし私が懸念しているのは、後で説明した私企業への天下りがこれで完全に防げるかどうかです。というのも行政法人の人事は内閣で把握こそできるものの、普通に退職した後に表面上は面接などの正統な手続きを経て天下り先の企業へ再就職こと天下りをした場合、国からの発注をエサにされてその天下りする官僚を人材として「要請」された場合にそれは不正だと果たして摘発できるかどうか、またどこからどこまでが天下りなのか基準もはっきりしません。
それこそ本当に利害関係なく退職後に私企業に再就職するのは悪いことだとは言えませんが、どうもそういうのを隠れ蓑にしていろいろ官僚はやってきそうに私は思います。じゃあ公務員は退職後に再就職を全面禁止、もしくは数年間禁止にするとしたら、自己都合での退職者などは苦しい生活に追い込まれてしまいます(公務員に失業保険はない)。
ここら辺がネックだと私も前からあれこれ考えていたのですが、先月辺りのテレビタックルで北野たけし氏が面白い事を言っていて、
「いっそ公務員を天下りさせずに、派遣にしたらどうだ」
冗談のようで、なかなか面白い案だと思いました。
内容はこうです。私企業が本当の意味で優秀な人材を自社に迎えたい場合は新設される内閣人事局に必要な人材の条件とともに申請を出し、その申請内容を受けて条件にマッチする人材を企業に選ばせずに人事局が選び、複数の候補者から再就職先として声をかけ、それに応じる人間をその企業へ派遣するという具合です。もちろん民間にあわせて、その私企業から元官僚への給料の30%位は国がピンはねすることによって国庫にもプラスとなります。
この方法だと派遣という形を取るので、一旦再就職した元官僚が将来また元の省庁へ戻ることも出来ます。もちろん元の省庁に戻ることでまたなにかやらかす恐れもありますがその辺はまだ監視できる範囲だと思いますし、なにより真の意味での官民での人材交流が行われ、浮世離れしているという官僚の組織文化を修正するのにはいい薬になるのではないかと思います。
そういうわけで天下りから派遣へ、というのが私の私案です。
それはともかくとして今後、一体どんな風にして公務員の天下りを防ぐかですが、その話をする前に天下りがどのような弊害があるのかをちょっとかいつまんで説明しておきます。
まず一番多い天下りのパターンというのは、省庁からその省庁と結びつきのある特別行政法人など、税金で運営されている団体へ官僚が移籍するパターンです。たとえば厚生省からだと年金を管理する財団やら行政法人、国土交通省からだとETCの販売を促進する変な行政法人などといった具合に、次官コースから外れた官僚たちは50歳になったくらいから続々とそのような団体へ天下っていきます。
ここで繰り返しておきますが、それらの団体は別に商売をして自分でお金を稼いでいるわけでなく、大半が国からの税金によって運営されています。そんな団体に突然官僚が代表やらに降りてきたかと思うや、何もしないまま二、三年したらまた別の団体へ行ってしまいます。ですがその二、三年の勤務で、なんと数千万円もの退職金を得て、移った団体でもまた二、三年したら同じように数千万円もの退職金をもらって次々と渡って行きます。くれぐれも言いますが、それらの退職金も国民の税金から出て行きます。
これだけでも毎年数百億もの税金の無駄使いがあるので十分な弊害なのですが、そもそもそのような天下り先の団体自体が官僚が退職金を受け取るためだけに存在しているところも多く、その運営にかかる費用も大半が優先度の低い部門だといわれており、その分の費用をまとめると毎年数兆円に及ぶ無駄遣いがこの天下りという日本独自の制度(中国にはありそうだけど)によって使われているといわれています。
そんなわけで百害あって一利なしのこの制度ですが、天下りを守る側の自民党守旧派の議員からすると、そのようなうまみがなければ優秀な人間は国のために働いてくれないと言うのですが(前に麻生首相も同じことを述べている)、民主党の議員らも言う様に、そもそもこんな天下りにたかろうとする人間が国のために本気で働こうとするのか疑問です。私自身もこんなあからさまな不正をやるくらいだったら、能力は多少少なくとも真面目に働いてくれる人の方が何十倍も官僚として優秀だと思います。
またこれも民主党の議員が言っていましたが、東大の学生が官僚に就職を希望していながらも、天下りがあるから入りたくないと言っていたという話もあり、なにもこんな天下りがあるから優秀な人が集まるという保障はどこにもないといっていいでしょう。
この辺までの議論はよくテレビでもやられていますが、こういうのは行政法人、いわば省庁の中での天下りですが、私はこれら以上に根深いと思っているのは私企業への天下りです。
私企業、それこそ誰もが知っているような大企業に対しても公務員の天下りは頻繁に行われています。前ほどはおおっぴらにはやりませんが、かつて倒産した山一證券に至っては頭取職は東大出、大蔵省OBでなければなれないとまで言われているほどおおっぴらでした。
なんで私企業に官僚が天下りが出来るのかと思われるかもしれませんが、これなんか土木関係に多いのですが、官僚をその企業の役員などに天下りさせるかわりに国の公共工事などの発注がその企業に向かうように仕向けるという、いわば国の税金で官僚を私企業に押し込むという形で天下りが行われます。この行為で何が問題なのかというと、競合入札などせずにいきなり業者を指定するのだから工事や発注にかかる費用が明らかに通常より膨らみ、また市場の競争をさえぎって恣意的な選定が行われるために市場がゆがむ恐れすらあります。
実はかくいう私の親戚も、えらく昔ですが通産省から若くしてSONYに天下ったと聞いています。その後はSONY一本で長く働いていたそうですが、私の友人にこれを話したらSONYは学歴は問わないが天下りは受けるのかと大爆笑してました。
そんな話はおいといて具体的に天下りをどう防ぐかですが、現在政府が考えているのは内閣の下に官僚専用の人事局を作り、そこで省庁の退職後の再就職が不正なものかどうかを監視するという案を出しています。現状ですぐに実行できる案としては確かに効果の望めそうな案で、また退職後の再就職だけでなく全省庁の人事権も握らせることによりこちらも弊害の多い縦割り行政を打破する可能性も秘めており、私もこの案を支持します。
しかし私が懸念しているのは、後で説明した私企業への天下りがこれで完全に防げるかどうかです。というのも行政法人の人事は内閣で把握こそできるものの、普通に退職した後に表面上は面接などの正統な手続きを経て天下り先の企業へ再就職こと天下りをした場合、国からの発注をエサにされてその天下りする官僚を人材として「要請」された場合にそれは不正だと果たして摘発できるかどうか、またどこからどこまでが天下りなのか基準もはっきりしません。
それこそ本当に利害関係なく退職後に私企業に再就職するのは悪いことだとは言えませんが、どうもそういうのを隠れ蓑にしていろいろ官僚はやってきそうに私は思います。じゃあ公務員は退職後に再就職を全面禁止、もしくは数年間禁止にするとしたら、自己都合での退職者などは苦しい生活に追い込まれてしまいます(公務員に失業保険はない)。
ここら辺がネックだと私も前からあれこれ考えていたのですが、先月辺りのテレビタックルで北野たけし氏が面白い事を言っていて、
「いっそ公務員を天下りさせずに、派遣にしたらどうだ」
冗談のようで、なかなか面白い案だと思いました。
内容はこうです。私企業が本当の意味で優秀な人材を自社に迎えたい場合は新設される内閣人事局に必要な人材の条件とともに申請を出し、その申請内容を受けて条件にマッチする人材を企業に選ばせずに人事局が選び、複数の候補者から再就職先として声をかけ、それに応じる人間をその企業へ派遣するという具合です。もちろん民間にあわせて、その私企業から元官僚への給料の30%位は国がピンはねすることによって国庫にもプラスとなります。
この方法だと派遣という形を取るので、一旦再就職した元官僚が将来また元の省庁へ戻ることも出来ます。もちろん元の省庁に戻ることでまたなにかやらかす恐れもありますがその辺はまだ監視できる範囲だと思いますし、なにより真の意味での官民での人材交流が行われ、浮世離れしているという官僚の組織文化を修正するのにはいい薬になるのではないかと思います。
そういうわけで天下りから派遣へ、というのが私の私案です。
橋本大阪府知事のこの一年
本日を以って、現大阪府知事の橋本氏の人気が一年を経ちました。
ちょうど一年前になるのですが、橋本氏が府知事選で勝利した時に私はあまり望ましくないと、それまでの橋本氏の失言癖を鑑みてきっと失敗するだろうと予想していましたが、この一年での業績を評価するなら一年前の私の予想は杞憂に過ぎなかったようです。
まず率直に言って、私は橋本知事はよくやっていると思います。
大阪府の壊滅的な財政状況に対してメスを入れただけでなく、教育問題でも私の支持する学力テストの結果公開を全国規模の問題にまで大きくし、そして何よりつい最近の近畿地方の大戸川ダム建設計画に対して他の知事らと国にNOを突きつけ、見事に建設計画を撤回させた点は素直に評価できます。また就任当初に私が懸念した失言癖も致命的となる失言はなく、ひとまず安定的に自分の権力基盤を確保したのはまずまずでしょう。
あんまり誉めてばかりいるとちょっと自分でもなんなので敢えて橋本知事の今後反省すべき点を挙げるとしたら、就任前に宣言していた大阪府職員等のリストラが未だ達成されていない点には一言あります。
これは何も大阪府だけに限らず国を含めて、そろそろ日本はこれまで「リストラはない」といわれてきた公務員のリストラを、給与カットにとどまらず首切りを含めてやらなければいけない時期になってきていると私は思います。前にも法学部の後輩と話をして来たのですが大半の日本人は公務員のリストラは法律上出来ないものと考えておられるようですが、田原総一朗氏によると首相権限では現行法でも十分に可能だとされており、またなにも無理やり退職させなくとも、大阪の公務員なら叩けばいくらでも埃が出てくるので懲戒処分で片っ端からクビを切るのもそれほど難しくないように思えます。
確かにこんなことやろうものならものすごい反発に遭うのは目に見えていますが、それでも今この段階でやらなければ後年の禍根になることは間違いなく、橋本知事を含めて全国の行政の代表には強い決断を望みます。
ちょうど一年前になるのですが、橋本氏が府知事選で勝利した時に私はあまり望ましくないと、それまでの橋本氏の失言癖を鑑みてきっと失敗するだろうと予想していましたが、この一年での業績を評価するなら一年前の私の予想は杞憂に過ぎなかったようです。
まず率直に言って、私は橋本知事はよくやっていると思います。
大阪府の壊滅的な財政状況に対してメスを入れただけでなく、教育問題でも私の支持する学力テストの結果公開を全国規模の問題にまで大きくし、そして何よりつい最近の近畿地方の大戸川ダム建設計画に対して他の知事らと国にNOを突きつけ、見事に建設計画を撤回させた点は素直に評価できます。また就任当初に私が懸念した失言癖も致命的となる失言はなく、ひとまず安定的に自分の権力基盤を確保したのはまずまずでしょう。
あんまり誉めてばかりいるとちょっと自分でもなんなので敢えて橋本知事の今後反省すべき点を挙げるとしたら、就任前に宣言していた大阪府職員等のリストラが未だ達成されていない点には一言あります。
これは何も大阪府だけに限らず国を含めて、そろそろ日本はこれまで「リストラはない」といわれてきた公務員のリストラを、給与カットにとどまらず首切りを含めてやらなければいけない時期になってきていると私は思います。前にも法学部の後輩と話をして来たのですが大半の日本人は公務員のリストラは法律上出来ないものと考えておられるようですが、田原総一朗氏によると首相権限では現行法でも十分に可能だとされており、またなにも無理やり退職させなくとも、大阪の公務員なら叩けばいくらでも埃が出てくるので懲戒処分で片っ端からクビを切るのもそれほど難しくないように思えます。
確かにこんなことやろうものならものすごい反発に遭うのは目に見えていますが、それでも今この段階でやらなければ後年の禍根になることは間違いなく、橋本知事を含めて全国の行政の代表には強い決断を望みます。
2009年2月3日火曜日
教育低下と中学受験
ちょっと古いニュースの記憶ですが、今年に私立中学を受験する小学生の数が歴代で最高になったと聞いたことがあります。ちょうど今日は二月三日で、中学受験の山場の最終日(関東では二月の一日から三日に私立中学の受験集中する)ということもあるので、その辺について軽く書こうと思います。
まず最初に断っておきますが、私もかつて中学受験を行い、中高一貫の学校に行った口であります。まぁぶっちゃけあまり楽しくない学校だったので後悔していますが、当時に中学受験を行ったのは三十四人学級の中で私を含めて四人だけで、率にして8%弱でした。しかし去年に見たニュースによると、既に述べたように近年は少子化で子供全体の数は減っているにもかかわらず毎年中学受験を行う小学生の数は過去最高を更新しているようで、都市圏の小学校のクラスによっては半分くらいの児童が受験するとまで聞いています。
ではなぜこれほどまでに受験者数が増えているかですが、単純に言って義務教育での指導要領を減らしたことが原因でしょう。別に義務教育のレベルを落としたところで受験の最終的な本丸に当たる大学受験のレベルが一緒にカクンと落ちるわけじゃないため、指導要領が落とされれば落とされるほど公立校が不利になって私立校が有利になるのは目に見えているので子供を持つ親としては私立校に入れようとするでしょう。
実際に私も今のぺらぺらな教科書見てたら不安になりますし、あまり私立校にいい思い出のない自分ですら今の子を持つ親が私立校を受験させようとするのも理解できます。文部科学省はゆとり教育といっては学習指導要領を減らすことによって子供に時間的なゆとりを与えようとしましたが、結果は学校の後に予備校に行くようになり、ますます子供にゆとりがなくなるという最低な結果となっています。
じゃあ一体何をすればゆとり教育の本来の目的が達成できたのかですが、もし文部科学省の言う通りに勉強に追い立てられて日本の子供がゆとりをもてなかったというのなら、その最大の原因は勉強させられる量というよりも学歴社会といわれるほど出身大学によってその後の人生が左右されるという社会性にあったと私は思います。言うなれば学歴社会という概念がなくなれば、受験戦争の熱を冷ますことになるんじゃないかと思います。
そういうわけで今も中学受験が続いているのは、学歴社会が以前ほどではないにしろ残っているせい、と言えれば単純明快ですが、これはあくまで一つの要因で、他にもいろいろ原因が複合されているのが今の現状でしょう。
最後に学歴社会についてですが、現代は以前よりは確かにこの要素は薄まった分、中途半端な職業の流動化によって「前職がなんだったのか」というのが大きく影響する「職歴社会」という概念が出始めています。前に本屋で「今こそ三流大学に行くべきだ」なんて感じのタイトルで、三流大学での意外に充実した授業や資格をとる生活の方がずっと将来にいいみたいな感じで紹介されていましたが、「Fランク大学の風景」ってのを見ると必ずしもそうもいえないんじゃないかなぁという気がします。そもそも、自分で努力出来るのなら大学に無理していく必要もないんだし。
まず最初に断っておきますが、私もかつて中学受験を行い、中高一貫の学校に行った口であります。まぁぶっちゃけあまり楽しくない学校だったので後悔していますが、当時に中学受験を行ったのは三十四人学級の中で私を含めて四人だけで、率にして8%弱でした。しかし去年に見たニュースによると、既に述べたように近年は少子化で子供全体の数は減っているにもかかわらず毎年中学受験を行う小学生の数は過去最高を更新しているようで、都市圏の小学校のクラスによっては半分くらいの児童が受験するとまで聞いています。
ではなぜこれほどまでに受験者数が増えているかですが、単純に言って義務教育での指導要領を減らしたことが原因でしょう。別に義務教育のレベルを落としたところで受験の最終的な本丸に当たる大学受験のレベルが一緒にカクンと落ちるわけじゃないため、指導要領が落とされれば落とされるほど公立校が不利になって私立校が有利になるのは目に見えているので子供を持つ親としては私立校に入れようとするでしょう。
実際に私も今のぺらぺらな教科書見てたら不安になりますし、あまり私立校にいい思い出のない自分ですら今の子を持つ親が私立校を受験させようとするのも理解できます。文部科学省はゆとり教育といっては学習指導要領を減らすことによって子供に時間的なゆとりを与えようとしましたが、結果は学校の後に予備校に行くようになり、ますます子供にゆとりがなくなるという最低な結果となっています。
じゃあ一体何をすればゆとり教育の本来の目的が達成できたのかですが、もし文部科学省の言う通りに勉強に追い立てられて日本の子供がゆとりをもてなかったというのなら、その最大の原因は勉強させられる量というよりも学歴社会といわれるほど出身大学によってその後の人生が左右されるという社会性にあったと私は思います。言うなれば学歴社会という概念がなくなれば、受験戦争の熱を冷ますことになるんじゃないかと思います。
そういうわけで今も中学受験が続いているのは、学歴社会が以前ほどではないにしろ残っているせい、と言えれば単純明快ですが、これはあくまで一つの要因で、他にもいろいろ原因が複合されているのが今の現状でしょう。
最後に学歴社会についてですが、現代は以前よりは確かにこの要素は薄まった分、中途半端な職業の流動化によって「前職がなんだったのか」というのが大きく影響する「職歴社会」という概念が出始めています。前に本屋で「今こそ三流大学に行くべきだ」なんて感じのタイトルで、三流大学での意外に充実した授業や資格をとる生活の方がずっと将来にいいみたいな感じで紹介されていましたが、「Fランク大学の風景」ってのを見ると必ずしもそうもいえないんじゃないかなぁという気がします。そもそも、自分で努力出来るのなら大学に無理していく必要もないんだし。
2009年2月2日月曜日
相撲界の大麻問題について
・北の湖親方「若麒麟は陽性の報告だった」(日刊スポーツ)
いきなりリンク貼りですが、記事の中には衝撃の事実が書かれています。
既に報道の通りに、残念なことに私も愛する相撲の世界にてまたも大麻吸引を行った力士が現れてしまいました。去年に露鵬や白露山、若之鵬といった名だたる外国人幕内力士が逮捕される事態が起こっておきながらも、今回の事件を起こした若麒麟には怒りを通り越して呆れてしまいます。
今回、若麒麟は大麻は逮捕の前日に始めて吸引したと警察に漏らしているそうですが、現時点で私はこの供述は非常に怪しいとにらんでいます。そう思うのもこれはもうテレビでも報道されていますが、若之鵬が逮捕されたことにより去年に抜き打ちの検査が実施され、その結果として露鵬、白露山の二人も吸引の事実が発覚したのですがその当時より主に週刊誌などで、「日本人力士でも一人、結果が怪しい人物がいたにもかかわらず外国人の二力士だけが精密検査を受けさせられた挙句に追放されることとなった」と報じられていました。
もちろん私も当時は週刊誌の書くことだからと、露鵬と白露山への厳しい処置に同情しつつもそれはないだろうと思っていましたが、今回の若麒麟の逮捕を受けての報道ではどうもそれが事実だったらしく、テレビや新聞の報道では簡易検査キットの結果は一回目、二回目は判別しづらいグレーで三回目で陰性だった相撲協会が発表していると報じられていますが、最初にリンクを貼った日刊スポーツの記事で北の湖元理事長が言うには、どうも一回目、二回目の結果はグレーではなく明らかに陽性だったと述べているようです。
実際に当時の報道を思い起こしても、この簡易麻薬検査キットというのは名前こそ簡易とつきますが検査の精度は相当高いものだと言われており、第一そんなキットで「グレー」という中途半端な結果が出るものか非常に疑問です。もったいぶらずに私の考えを言いますが、現相撲協会は若麒麟が抜き打ち検査で明らかに陽性だとわかっていたにもかかわらず、日本人力士であったために敢えて名前を伏せられ、言うなれば協会にかばわれたのではないかという疑念を持っています。
恐らく相撲協会としては身の潔白を明かすために抜き打ち検査をしたものの、なんとその検査で三人も陽性反応者が出てしまいこれではかえって信用を落とすと考え、いっそ大麻の使用は力士ではなく外国人だったためという風に論点を摩り替えようと、若麒麟のことは伏せられて露鵬と白露山だけが標的にしようとしたのではないかと思います。もちろんこんなの私の一予想ですが、もし事実がこの通りであるのならばこれは相撲協会による明らかな外国人差別において他ならず、いくら相撲ファンの私としてもこの処置には納得いきません。
もちろん大麻を吸っていた露鵬と白露山はその責めを受けざるを得ないことに違いはないのですが、大麻事件は今回が相撲界で始めての事例でもあったことだし、私は若之鵬を含めて謹慎二場所程度で再起のチャンスを与えてやるべきだと思っていました。その後若之鵬は週刊現代の口車に乗って偽の八百長証言をしてしまったのでもうしょうがないのはわかりますが、今日の若麒麟の処分が一番重い除名ではなく解雇とした理由として「25歳の若者にチャンスをあげるべきだ」という言い訳をするくらいなら、先の露鵬と白露山はどうなるのだと、しかも若麒麟はあれだけの大騒動の後にもかかわらず今回も大麻を使用したというのだからなおさらです。
詳細は今後の報道を待たねばいけませんが、場合によっては日本の相撲協会は全国民から信用をなくすことになると私は思います。本来、今回の審議機会では朝青龍のガッツポーズ問題が議論される予定だったと言われますがもはや横綱の品格以上に相撲協会の品格の方が明らかに問題で、もし私の予想したとおりの若麒麟への特別扱いが行われていたというのなら、それはもう相撲ファンとしてではなく一人間として許しがたい暴挙だと怒りを抑えることが出来ません。
ついでに書くと、あれだけ場所前にたたかれておきながら優勝したんだから今回くらいは朝青龍のガッツポーズはいいんじゃないかと、一応口頭でもう駄目だぞと言うくらいで良いと私は思っています。
いきなりリンク貼りですが、記事の中には衝撃の事実が書かれています。
既に報道の通りに、残念なことに私も愛する相撲の世界にてまたも大麻吸引を行った力士が現れてしまいました。去年に露鵬や白露山、若之鵬といった名だたる外国人幕内力士が逮捕される事態が起こっておきながらも、今回の事件を起こした若麒麟には怒りを通り越して呆れてしまいます。
今回、若麒麟は大麻は逮捕の前日に始めて吸引したと警察に漏らしているそうですが、現時点で私はこの供述は非常に怪しいとにらんでいます。そう思うのもこれはもうテレビでも報道されていますが、若之鵬が逮捕されたことにより去年に抜き打ちの検査が実施され、その結果として露鵬、白露山の二人も吸引の事実が発覚したのですがその当時より主に週刊誌などで、「日本人力士でも一人、結果が怪しい人物がいたにもかかわらず外国人の二力士だけが精密検査を受けさせられた挙句に追放されることとなった」と報じられていました。
もちろん私も当時は週刊誌の書くことだからと、露鵬と白露山への厳しい処置に同情しつつもそれはないだろうと思っていましたが、今回の若麒麟の逮捕を受けての報道ではどうもそれが事実だったらしく、テレビや新聞の報道では簡易検査キットの結果は一回目、二回目は判別しづらいグレーで三回目で陰性だった相撲協会が発表していると報じられていますが、最初にリンクを貼った日刊スポーツの記事で北の湖元理事長が言うには、どうも一回目、二回目の結果はグレーではなく明らかに陽性だったと述べているようです。
実際に当時の報道を思い起こしても、この簡易麻薬検査キットというのは名前こそ簡易とつきますが検査の精度は相当高いものだと言われており、第一そんなキットで「グレー」という中途半端な結果が出るものか非常に疑問です。もったいぶらずに私の考えを言いますが、現相撲協会は若麒麟が抜き打ち検査で明らかに陽性だとわかっていたにもかかわらず、日本人力士であったために敢えて名前を伏せられ、言うなれば協会にかばわれたのではないかという疑念を持っています。
恐らく相撲協会としては身の潔白を明かすために抜き打ち検査をしたものの、なんとその検査で三人も陽性反応者が出てしまいこれではかえって信用を落とすと考え、いっそ大麻の使用は力士ではなく外国人だったためという風に論点を摩り替えようと、若麒麟のことは伏せられて露鵬と白露山だけが標的にしようとしたのではないかと思います。もちろんこんなの私の一予想ですが、もし事実がこの通りであるのならばこれは相撲協会による明らかな外国人差別において他ならず、いくら相撲ファンの私としてもこの処置には納得いきません。
もちろん大麻を吸っていた露鵬と白露山はその責めを受けざるを得ないことに違いはないのですが、大麻事件は今回が相撲界で始めての事例でもあったことだし、私は若之鵬を含めて謹慎二場所程度で再起のチャンスを与えてやるべきだと思っていました。その後若之鵬は週刊現代の口車に乗って偽の八百長証言をしてしまったのでもうしょうがないのはわかりますが、今日の若麒麟の処分が一番重い除名ではなく解雇とした理由として「25歳の若者にチャンスをあげるべきだ」という言い訳をするくらいなら、先の露鵬と白露山はどうなるのだと、しかも若麒麟はあれだけの大騒動の後にもかかわらず今回も大麻を使用したというのだからなおさらです。
詳細は今後の報道を待たねばいけませんが、場合によっては日本の相撲協会は全国民から信用をなくすことになると私は思います。本来、今回の審議機会では朝青龍のガッツポーズ問題が議論される予定だったと言われますがもはや横綱の品格以上に相撲協会の品格の方が明らかに問題で、もし私の予想したとおりの若麒麟への特別扱いが行われていたというのなら、それはもう相撲ファンとしてではなく一人間として許しがたい暴挙だと怒りを抑えることが出来ません。
ついでに書くと、あれだけ場所前にたたかれておきながら優勝したんだから今回くらいは朝青龍のガッツポーズはいいんじゃないかと、一応口頭でもう駄目だぞと言うくらいで良いと私は思っています。
2009年2月1日日曜日
貧乏時代の私のエピソード
堅い記事を書いたばっかなので、ちょっと気を抜くがてらに笑い話として私の貧乏時代のエピソードを紹介しようと思います。
私が貧乏な生活を余儀なくされたのは学生時代の初期の頃で、今もそうですが責任感の強い性格が災いして、実家から離れて下宿生活をするなら生活費くらいは自分で稼がねばならないとわけのわからないルールを自分に課して最低限の生活費で如何に生活をするか、それこそ毎日いい方法はないかと考えていた時期がありました。
それでもまだ初期にアルバイト先が見つかっていればあんな馬鹿なことはしないで済んだのでしょうが、学校に入った頃から授業を休んでまでアルバイトはしてはいけないと壮大な決意を持っていたためになかなか時間に都合の効くバイト先が見つからず、お金を稼げない一方で両親からの仕送りだけで生活する自分に強い罪悪感を抱き続けていました。
幸い家賃(当時二万九千円)の方は奨学金でまかなっていたので、ひとまず生活費を削るところまで削らねばと、いろんな部門で徹底的なコストカットを当時に行いました。
まずは単純に食費を削り、当時昼食は学校の食堂で食べていましたが出来るだけ費用を削るため、自分で炊いたお米を毎日タッパーに入れておかずだけ買い、しかもそのおかずも出来るだけ安いのを選ぶので大抵は「ほうれん草のおひたし」か「豆腐」に味噌汁をつけただけで、確か当時の昼食で200円以上払ったことは一度もなかった気がします。もちろんこんなことしてればおなかは減る一方なので、夕食はその代わりに豪華に行こうと、高いおかずは買えないので近くのスーパーで60円のコロッケを買ってはキャベツの千切りに、200円で10パックついてくるインスタントの味噌汁を一食一回使うのを定番のメニューとして、その代わりお米をどんぶりで二杯とか三杯、勢いがあるときは一回の食事で二合(全盛期は三合も食べれた)食べたりして胃をごまかしていました。
次に光熱費で、水道代は初めから先ほどの家賃に加え五千円と決められていたので気にしませんでしたが、ガス代の方は削ればどうとでもなると踏み、調理の際も煮込みなど火を長く使うのを出来るだけさけた結果、安い野菜を調達できた際はいつも炒めて食べ、シャワーを浴びる際もまず一回お湯を身体にかけ、シャンプーをしてから石鹸で身体を拭き、最後にもう一回お湯をかけて全身を一気に洗い流す手段を使って一秒たりとも無駄に流さないように心がけていました。
でもって最後に交際費も削りました。当時は友人らと夕方まで会っていたとしても、友人らは揃って夕食を外食で済ませようとするところを私だけが一人下宿先に帰り、いつも一人で自炊して外食費を浮かせていました。これは結構寂しかったのですが、背に腹は変える事が出来ませんでした。
こんなアホなことをやっていた甲斐もあり、元々痩せ型ですが当時は体重が激減し、なんか中学生の頃の体重にまで一時戻っていました。さすがに夏休みに帰省した際には頬もこけ、親から驚かれていっぱい食べさえてもらってまた体重を戻しましたが、その後も下宿先に戻ればまた体重が減るという繰り返しが続きました。
もっともその後は授業時間に都合の効くバイト先を見つけられたこともあり、多少は自分で生活費を出しているという安堵感から食費にもお金をかけるようになりましたが、それでも当時に作った貧乏性は抜け切れず徹底的に生活費を削減しようと真夏に後輩が下宿先に遊びに来ても、
「先輩、暑いから冷房入れましょうよ」
「アホ、これくらい扇風機で我慢せぇっ!」
と、一顧だにしなかったこともありました。今思うと、冷房くらいつけてあげればよかったです。
私が貧乏な生活を余儀なくされたのは学生時代の初期の頃で、今もそうですが責任感の強い性格が災いして、実家から離れて下宿生活をするなら生活費くらいは自分で稼がねばならないとわけのわからないルールを自分に課して最低限の生活費で如何に生活をするか、それこそ毎日いい方法はないかと考えていた時期がありました。
それでもまだ初期にアルバイト先が見つかっていればあんな馬鹿なことはしないで済んだのでしょうが、学校に入った頃から授業を休んでまでアルバイトはしてはいけないと壮大な決意を持っていたためになかなか時間に都合の効くバイト先が見つからず、お金を稼げない一方で両親からの仕送りだけで生活する自分に強い罪悪感を抱き続けていました。
幸い家賃(当時二万九千円)の方は奨学金でまかなっていたので、ひとまず生活費を削るところまで削らねばと、いろんな部門で徹底的なコストカットを当時に行いました。
まずは単純に食費を削り、当時昼食は学校の食堂で食べていましたが出来るだけ費用を削るため、自分で炊いたお米を毎日タッパーに入れておかずだけ買い、しかもそのおかずも出来るだけ安いのを選ぶので大抵は「ほうれん草のおひたし」か「豆腐」に味噌汁をつけただけで、確か当時の昼食で200円以上払ったことは一度もなかった気がします。もちろんこんなことしてればおなかは減る一方なので、夕食はその代わりに豪華に行こうと、高いおかずは買えないので近くのスーパーで60円のコロッケを買ってはキャベツの千切りに、200円で10パックついてくるインスタントの味噌汁を一食一回使うのを定番のメニューとして、その代わりお米をどんぶりで二杯とか三杯、勢いがあるときは一回の食事で二合(全盛期は三合も食べれた)食べたりして胃をごまかしていました。
次に光熱費で、水道代は初めから先ほどの家賃に加え五千円と決められていたので気にしませんでしたが、ガス代の方は削ればどうとでもなると踏み、調理の際も煮込みなど火を長く使うのを出来るだけさけた結果、安い野菜を調達できた際はいつも炒めて食べ、シャワーを浴びる際もまず一回お湯を身体にかけ、シャンプーをしてから石鹸で身体を拭き、最後にもう一回お湯をかけて全身を一気に洗い流す手段を使って一秒たりとも無駄に流さないように心がけていました。
でもって最後に交際費も削りました。当時は友人らと夕方まで会っていたとしても、友人らは揃って夕食を外食で済ませようとするところを私だけが一人下宿先に帰り、いつも一人で自炊して外食費を浮かせていました。これは結構寂しかったのですが、背に腹は変える事が出来ませんでした。
こんなアホなことをやっていた甲斐もあり、元々痩せ型ですが当時は体重が激減し、なんか中学生の頃の体重にまで一時戻っていました。さすがに夏休みに帰省した際には頬もこけ、親から驚かれていっぱい食べさえてもらってまた体重を戻しましたが、その後も下宿先に戻ればまた体重が減るという繰り返しが続きました。
もっともその後は授業時間に都合の効くバイト先を見つけられたこともあり、多少は自分で生活費を出しているという安堵感から食費にもお金をかけるようになりましたが、それでも当時に作った貧乏性は抜け切れず徹底的に生活費を削減しようと真夏に後輩が下宿先に遊びに来ても、
「先輩、暑いから冷房入れましょうよ」
「アホ、これくらい扇風機で我慢せぇっ!」
と、一顧だにしなかったこともありました。今思うと、冷房くらいつけてあげればよかったです。
個人の幸福追求と社会の幸福追求の一致性について
週末なので久々に力の入った記事でも書いてみようと思います。まずいきなり結論ですが、個人の幸福を追求するのと同時に社会全体の発展を一緒に行うというのは、理想論としてはいくらでも語られてはいるけど実際には一致させるのは非常に難しいと私は思います。
こんな話をするのも最近読んだ本で知ったのですが、なんでも19世紀末から20世紀初頭の資本主義と社会主義が対立するようになったあの時代に、人間はどう生きるべきかということで個人を優先するべきか社会を優先するべきかでいろいろと議論になってたそうです。
話の構図はこうです。産業革命によって急激に発展した欧州では資本主義の発達に伴い、一部の資本家による経済活動によって公害や社会問題が次々と起こされ、段々と個人の幸福の追求(営利活動)は社会に対して必ずしも貢献にならず、むしろ対立するものだと考えられていったそうです。そんな世の中で人間はどのように生きるべきか、言ってしまえば社会のために自分を犠牲にするか、それとも社会のルールとかを無視して自己の幸福を追求するか、この二派閥に分かれて当時の欧州の思想家や学者は激しく対立したそうです。
これまでの日本人的価値観からすると、前者の「社会優先、個人犠牲」を選んで当たり前のように思うかもしれませんが、欧州では伝統的に「個」に対する概念が強いので、自分が不幸になってまで(我慢をしてまで)周りや社会を幸福にさせるということに生き方として意味があるのか、本当にそれで人間は充実した人生を送れるのか、という風に疑問に思うのも無理はない気がします。もっとも現代の日本もこれまで企業や国、政党といったものに個人を犠牲にすることが社会全体、日本人の幸福につながると信じてやってきたものの、失われた十年の経験で必ずしもそうは行かないし、当時に頻発した企業犯罪などでむしろ害を為す加害者に回っていた反省もあるので、中には後者の「個人優先、社会無視」に理解を示す人も増えてきているのかもしれません。
この二派閥の対立はそのまま経済学での論争になり、元ネタをもう出してしまいますが「ケインズとハイエク」(間宮陽介著)の本で書かれているように、当時の資本主義経済学の二代巨頭のケインズとハイエクの対立へと持っていかれたそうです。ケインズというのは少し専門的な話になりますが管理経済学を主張し、何でもかんでも市場に自由にはさせず、政府は規制や税法などを用いてコントロールしていかねばならないと主張したのに対し、ハイエクの方は従来の資本主義同様、市場の競争原理に任せて自由にやらせる方が全体の発展につながると主張し、いわば新自由主義こと今のフリードマン経済学、ひいては竹中平蔵氏の思想の祖先となる主張を行っています。
先ほどの個人と社会の幸福に話をまとめると、どちらも社会を発展させるにはどうすればいいかということを論じてはいるのですが、ケインズの場合は個人の行動や考えを一部制限するのに対し、ハイエクの場合は個人の行動や考えを自由にさせることがその手段として適当だと真っ向から対立する構図となります。もっともハイエクの場合はまだあまり勉強してなくて言うのもなんですが、その主張の根源には「弱肉強食」的な価値観があると言われており、真に実力のある人間が好き勝手にやって何が悪いんだという価値観を持っていたという様に聞いています。
私も日本人なので、やっぱりケインズの価値観の方が正しいんじゃないかなぁと思う一方、これまでの日本の過剰な集団主義によって社会がうまく機能しなかった過去を思い浮かべると、程度の差こそあれハイエクの思想にも共鳴するところもあります。それこそ本当に個人を犠牲にすれば社会は発展するのかも曖昧ですし、それに社会のために皆で自分の幸福を犠牲にし合う世界が本当に幸福な世界なのか、少し悩んでしまいます。
特に日本においては労働に対する美徳が私の目からして強過ぎ、確かに前に書いた「労働の意義」で主張したように労働それ自体は人間の幸福にも社会の発展にもつながるという確信はありますが、あまりに強すぎる日本の労働への価値依存は逆に日本人を生き方として不幸にさせているのではないかと思うことがよくあります。よく就職情報誌では労働は自己実現の場や手段だと謳われていますが、なにかを実現させる一方で失うものもあまりにも多いのが日本の労働現場ではないかと前から疑問に感じます。
社会のため、社会のためと、さもそれが絶対的価値観のようにあちこちで叫ばれていますが、私は個人をあまりにも不幸にさせる過剰な労働などの行為は、本質的には個人にも社会にもよくないものだと考え、共産党政権下の初期の中国やソ連なんてまさにそんな世界だったから否定されているのだと思います。確かに社会の幸福が最終的に個人の幸福にもつながることも数多くあり、そのために個人が我慢しなければならない所もあるとは思います。しかし一切合財に個人の犠牲で成り立つ社会というのは、言い方は悪いですが地獄のようなものです。
現在の日本も新自由主義と旧来のバラ撒き主義でいろいろと対立が起こっていますが、こういう二項対立的な議論より、どこまで個人は我慢して、どこまで社会の発展を追求するのかという議論こそ必要なのではないかと私は思います。日本の労働についても、「実現するもの>失うもの」の数式が成り立つような雇用方法や労働環境についてなど、個人の幸福をどう社会の発展と折り合いをつけるか日本人全体であれこれ考えてみるべきなのかもしれません。
こんな話をするのも最近読んだ本で知ったのですが、なんでも19世紀末から20世紀初頭の資本主義と社会主義が対立するようになったあの時代に、人間はどう生きるべきかということで個人を優先するべきか社会を優先するべきかでいろいろと議論になってたそうです。
話の構図はこうです。産業革命によって急激に発展した欧州では資本主義の発達に伴い、一部の資本家による経済活動によって公害や社会問題が次々と起こされ、段々と個人の幸福の追求(営利活動)は社会に対して必ずしも貢献にならず、むしろ対立するものだと考えられていったそうです。そんな世の中で人間はどのように生きるべきか、言ってしまえば社会のために自分を犠牲にするか、それとも社会のルールとかを無視して自己の幸福を追求するか、この二派閥に分かれて当時の欧州の思想家や学者は激しく対立したそうです。
これまでの日本人的価値観からすると、前者の「社会優先、個人犠牲」を選んで当たり前のように思うかもしれませんが、欧州では伝統的に「個」に対する概念が強いので、自分が不幸になってまで(我慢をしてまで)周りや社会を幸福にさせるということに生き方として意味があるのか、本当にそれで人間は充実した人生を送れるのか、という風に疑問に思うのも無理はない気がします。もっとも現代の日本もこれまで企業や国、政党といったものに個人を犠牲にすることが社会全体、日本人の幸福につながると信じてやってきたものの、失われた十年の経験で必ずしもそうは行かないし、当時に頻発した企業犯罪などでむしろ害を為す加害者に回っていた反省もあるので、中には後者の「個人優先、社会無視」に理解を示す人も増えてきているのかもしれません。
この二派閥の対立はそのまま経済学での論争になり、元ネタをもう出してしまいますが「ケインズとハイエク」(間宮陽介著)の本で書かれているように、当時の資本主義経済学の二代巨頭のケインズとハイエクの対立へと持っていかれたそうです。ケインズというのは少し専門的な話になりますが管理経済学を主張し、何でもかんでも市場に自由にはさせず、政府は規制や税法などを用いてコントロールしていかねばならないと主張したのに対し、ハイエクの方は従来の資本主義同様、市場の競争原理に任せて自由にやらせる方が全体の発展につながると主張し、いわば新自由主義こと今のフリードマン経済学、ひいては竹中平蔵氏の思想の祖先となる主張を行っています。
先ほどの個人と社会の幸福に話をまとめると、どちらも社会を発展させるにはどうすればいいかということを論じてはいるのですが、ケインズの場合は個人の行動や考えを一部制限するのに対し、ハイエクの場合は個人の行動や考えを自由にさせることがその手段として適当だと真っ向から対立する構図となります。もっともハイエクの場合はまだあまり勉強してなくて言うのもなんですが、その主張の根源には「弱肉強食」的な価値観があると言われており、真に実力のある人間が好き勝手にやって何が悪いんだという価値観を持っていたという様に聞いています。
私も日本人なので、やっぱりケインズの価値観の方が正しいんじゃないかなぁと思う一方、これまでの日本の過剰な集団主義によって社会がうまく機能しなかった過去を思い浮かべると、程度の差こそあれハイエクの思想にも共鳴するところもあります。それこそ本当に個人を犠牲にすれば社会は発展するのかも曖昧ですし、それに社会のために皆で自分の幸福を犠牲にし合う世界が本当に幸福な世界なのか、少し悩んでしまいます。
特に日本においては労働に対する美徳が私の目からして強過ぎ、確かに前に書いた「労働の意義」で主張したように労働それ自体は人間の幸福にも社会の発展にもつながるという確信はありますが、あまりに強すぎる日本の労働への価値依存は逆に日本人を生き方として不幸にさせているのではないかと思うことがよくあります。よく就職情報誌では労働は自己実現の場や手段だと謳われていますが、なにかを実現させる一方で失うものもあまりにも多いのが日本の労働現場ではないかと前から疑問に感じます。
社会のため、社会のためと、さもそれが絶対的価値観のようにあちこちで叫ばれていますが、私は個人をあまりにも不幸にさせる過剰な労働などの行為は、本質的には個人にも社会にもよくないものだと考え、共産党政権下の初期の中国やソ連なんてまさにそんな世界だったから否定されているのだと思います。確かに社会の幸福が最終的に個人の幸福にもつながることも数多くあり、そのために個人が我慢しなければならない所もあるとは思います。しかし一切合財に個人の犠牲で成り立つ社会というのは、言い方は悪いですが地獄のようなものです。
現在の日本も新自由主義と旧来のバラ撒き主義でいろいろと対立が起こっていますが、こういう二項対立的な議論より、どこまで個人は我慢して、どこまで社会の発展を追求するのかという議論こそ必要なのではないかと私は思います。日本の労働についても、「実現するもの>失うもの」の数式が成り立つような雇用方法や労働環境についてなど、個人の幸福をどう社会の発展と折り合いをつけるか日本人全体であれこれ考えてみるべきなのかもしれません。
登録:
投稿 (Atom)