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2025年7月16日水曜日

日産はどの時点で詰んでいたのか

 日産が先日に発表した追浜工場閉鎖のニュースはかなり影響が大きく、今日は中国人の同僚にも「追浜閉鎖だってね( ゚Д゚)オッパマ」と言われました。かつての自動車名門であるこの日産の凋落について「私にはわかっていました」と後出し孔明っぽいセリフが出そうになりますが、少なくともこの私自身に関してはこのセリフを言う資格があると強く言えます。というのも、10年前の時点で「今の日産はかなりおかしいぞ」とこのブログで主張していたからです。

 10年前のあの頃はフリードリヒじゃなくてゴーンがいた時点でなんでそんなに日産危機論を言えたのかというと、その時点で日産は何年もまともな新車を発売していなかったからです。当時はまだコンパクトカーのノートに関しては頻繁にモデルチェンジを繰り返していましたが、あれから10年経った現在においてはさらにひどくなっているというか、マイナーモデルチェンジすらほとんど行われず、何年も前に発売した車をずっと売り続けているような状態です。一応、セレナに関してはフルモデルチェンジをまだ数年後にやってはいますが、それでもかつてと比べるとそのブランド価値は同クラスのアルファードとは比べるものもないくらい開いており、もうこの差を埋めることは金輪際ないでしょう。

 話を戻すと2010年代中盤の時点で日産は新車をまともに開発する能力がなくなっていたのではないかと思います。日本市場だけでなく中国市場でもほとんど新車がなく、一応途中で出した「シルフィ」は中国で大ヒットして年間販売台数でも首位に入ったこともありましたが、既にこのシルフィも旬が過ぎて売れなくなっています。それどころか現在の中国では日産に売れる車はほとんどなく、かろうじてエクストレイルがファンの間で売れてる程度です。
 それほど深刻なくらい新車が出せなくなっていた日産なのですが、2010年代においては人気の高かったキューブを廃番にしてしまっています。あれこそモデルチェンジすれば旧ユーザーは確実に買い替えたと思うし、その後のホンダ・Nボックスのヒットを見ると、あのクラスの需要は非常に高かったと思うだけに惜しいと感じるとともに、日産は何を考えているんだと今だけでなく当時も感じました。それ以降もキューブに限らず新車は出ないのに廃番にする車種は増え続け、そのラインナップは往時に比べると今は非常に貧相なものとなっています。

 ではそれ以降、日産は何を売っていたのかというと、アライアンスに加えた三菱に作らせたekシリーズこと日産・サクラでした。自分とこでは一切開発せず、三菱に開発させて量産させた軽自動車ばかり売るようになり、登録車はどんどんと先細っていったのがこの10年だとみています。とはいえ三菱をアライアンスに入れる前から日産はほとんどまともな新車を出さなくなっていたので、この傾向は三菱との提携による結果だとは思います。むしろ三菱がいなければ、日産の日本国内販売が今のように追いつめられた状況になるのはもっと早かった気すらします。

 そもそも何故日産はこれほど新車を開発できなくなったのか。確かに00年代と比べると10年代に入ってからはグローバル車戦略もあってどのメーカーも開発期間が延び、新車投入ペースは悪化していく傾向がありましたが、それを考慮しても日産の投入ペースほどには悪化していません。終いには過去に発売した車をガワだけ少し変えて「新発売しました!」と言い張る詐欺的な売り方までしてたし(フェアレディZ)。
 時期的に考えると、大体リーマンショックあたりの時点で日産の開発リソースがかなりおかしくなっていたような気がします。まだ当時はジュークなども開発してましたが、それ以降はどんどんと何も作らなくなり、現在に至ってはまともな新車を作れるのかすら怪しさを感じるほどになっています。資金力とかそういうものではなくやはり日産自体の開発リソースがなくなったという風に思えてきます。

 一部報道では、開発プランが下から挙げられてもあれこれリスクを挙げては上層部が握りつぶすことが続いていたと報じられていましたが、この10年の日産の新車投入状況を見る限りそんなレベルじゃないような気が私はします。どちらかというと、「作りたくとも作れない」ような状況であるように見え、三菱への開発丸投げを見てもそうした事情があるからのように感じます。
 見方を変えると、今の日産は三菱なしじゃ成り立たない気がします。そして、今日産が持つ財産の中で最も価値があるのは三菱に対する持分だと思え、ホンダも本音では軽自動車シェア、技術の拡大のため日産以上に三菱を欲しているように見えます。にも拘わらず資金調達手段として三菱株の売却を誰も口にせず、報道も出ないことに前から奇妙さを感じており、もうなんか裏で話ついてるんじゃないかとも穿っています。

 最後に、自分が日産が身売りを決断したなとはっきり感じたのは今年1月、社用車のADバンの廃止を発表した事典です。この手の社用車というのはフォークリフトなどと同様に、自社グループや下請けに無理やり買わせることができる車であり、赤字を出そうと思っても出せないような車種です。にもかかわらずマイナーチェンジしないのはともかく廃止を発表したということは、もう企業としての独立運営をあきらめたんだなと思いました。
 こちらも後出し孔明っぽいですが、当時はここまでブログに書いてなかったので批判されても仕方ないと考えています。

 以上をまとめると、ADバン廃止発表の時点でもう日産は破綻がほぼ決まっていましたが、自動車メーカーとして開発力的に詰んでいたのは三菱との提携前辺りじゃないかと考えます。当時に三菱を一部買収することで命脈を永らえさせましたが、実質的に10年前の時点でほぼ詰みに入っており、死んでいた命を10年永らえさせていたようなものです。
 既にホンダからも提携を拒否られているように、日産の価値はもはやほとんどなく、追浜工場を閉鎖して九州に生産能力を統合させると言っても、その九州の工場もいつまで持つかという話でしょう。まだここまで口にする人もいませんが、日産のブランド自体存続できるのかというような状態だと私には見えますが、そこまでの危機感もってる人はまだ多くない気がします。

 それはともかくアルピーヌ・A110は欲しい。円安のせいで日本国内の販売価格がモリモリ上がってるけど。

2025年7月14日月曜日

中国でBL狩りが始まった?


 本題と関係ないけど上の商品を見て、「何故自分はこの正四方形の物体を見て猫だと認識できるのだろう?」と数日間悩み続けた挙句、60元(約1200円)するけど買ってしまいました。私の好みは置いとくとして、この形にデザインして売ろうと思った人はかなりすごいセンスしてると思う。

【地獄絵図】中国当局、BL狩りを初めてしまい死屍累々(暇人速報)

 以前JBpressでも中国のBL市場について少し触れたことがありますが、マジでシャレにならないほどでかくなっているというか、上海市内でも明らかに腐女子ご用達と丸わかりな店とか増えてます。そんな矢先に上記リンク先のBL狩りのニュースで、この記事を見たとき何故か自分の頭の中に「黄巾の乱」という単語が浮かびました。マジで意味わからねぇ(´・ω・)

 このニュースについて、聞いてもないのに「最近二人乗り戦闘機パイロットのBL小説読んだの(*^▽^*)」と報告してくる中国人女性の友人にコメントを求めたところ、摘発されたのはBL小説を書いている作家たちで、大した収入も得ていないのにみんなのためにBLを書いてくれていた人たちを捕まえてひどいという感想を述べてくれました。
 なお中国ではBL漫画は現在ほぼ完全に禁止状態であり、餓えたBL女子たちはBL小説でしかその欲求を満たすことができないそうです。なおこの友人は日本の大阪に渡航する前、「どこに行けば日本産のBLを仕入れられる(。´・ω・)?」と真っ先に自分に聞いてきたので、とりあえずアニメイトを教えておきました。

 そもそも何故中国政府はBLを摘発するのかですが、「自然に反する感情や行為」だからだそうです。恋愛感情は男女間にしか芽生えず、それを同性間で持つのは非自然的であり存在してはならないという、最近のLGBTなぞなんぼのもんじゃいと言わんばかりに全否定しており、こうした輩が中国国内に存在すること自体にかなり否定的です。
 とはいえ、上記の通りBLファンは結構根強く存在しており、「実事求是」の精神はどうなのと若干尋ねてみたいものなのですが。

 逆にというかBL先進国である我らが日本からすれば、なんでこんなに感情的に摘発しようとするのかやっぱ不思議に感じてしまいます。蓼食う虫も好き好きというしそういうのが好きな人がいるなら、社会に迷惑をかけない範囲なら好きにやらせりゃいいじゃんと思うのですが、どうも中国政府の人たちは頭固いのかわざわざ労力かけてこうやって摘発する当たり存在すること自体許せられないようです。
 同じような理由で中国はいまだにポルノにも厳しいのですが、この辺を先ほどの「自然に反する感情や行為」という主張と比べると、ポルノに厳しい主張というか根拠がややあいまいとなってぐらつき、単純に政策指導者が気に入らないから規制しているに過ぎないというのが私の見方です。

 なおそれに絡めていうと、日本ではポルノの規制が緩いから少子化が進むと主張する人がいますが、日本よりも厳しい中国でも日本よりハイペースで少子化が進んでいることを考えるとその主張はやはり間違っている気がします。この辺、さらに米国とも比較すればより顕著でしょう。

 最後に今回話を聞いた中国人の友人とはそのあと、「日本もBL特区みたいなの作ってこういう摘発から逃れたい人を集めりゃ人口問題も解決するのにね(´・ω・)(・ω・`)ネー」といったことを駄弁ってました。

2025年7月13日日曜日

争点無き参院選

 ピーク乗り越えて緊張感抜けたからか一気に疲れが来て今日も寝たきり雀で過ごしていましたが、参院選は争点が全くなく、下手すりゃ都議選とかの方が盛り上がってたするくらいなので、多分自公が地滑り的に勝つんじゃないかと思います。

 ニュースでは外国人政策が取り上げられることが増えてはいるものの、正直無理やり作ったようなトピックに見え、そこまで有権者に響いているようには見えません。第一、排外主義を強めた結果がどうなるのかは今の米国みてりゃわかるだけに、この手の議論に乗っかる理由はあんまないと思います。
 唯一トピックになりそうだったのが外免切替こと外国人の自動車免許切替問題くらいでしたが、これも厳格化が施行される運びとなったので争点化できずじまいです。それこそ米価高騰が今も高止まりし続けていたらこっちが最大のtピックとなっていたでしょうが、あいにくこちらも下落傾向が続いており、有権者の要望でもあまり米価対策が見えないあたり争点とはなりませんでした。

 じゃあ一体この参院選の争点は何なのか。結論から言うと議席数そのもの、つまり今後の国会での発言権しか争点になってない気がします。こうなったのもある意味石破政権のおかげというか、野党は下手にここで自民の総裁が切り替わるよりかは人気のない石破政権が続いてほしいと願っており、なんか打倒自民というとか打倒石破政権みたいなスローガンが聞こえず、批判もやや小さいなって印象お受けます。

 今回に限らず争点のない選挙は今に始まるわけじゃないですが、報道などの反応見ている限りでは本当に投票先がなくて困っている有権者の方が多いような状況で、無投票率がまた高まる気がします。まぁ政党も論点ないんだから、無投票率高くてもいいんじゃないかと自分は思いますが。
 個人的には自民乙はもっと外交をアピールした方がいいと思います。関税問題がケリつかないのは日本政府のせいじゃないし、USスチール問題だけでもまとめたのは十分評価に値します。

2025年7月12日土曜日

井伊直弼の最大の失敗ムーブ

 また例によって「風雲児たち」を読み返して幕末を調べなおしていますが、「どうすれば幕府を延命できたのか」という視点に立って色々考えてみると、

・公武合体を進めるべきじゃなかった
↑↑↑
・日米通商条約の締結勅許を朝廷に求めるべきじゃなかった
↑↑↑
・14代将軍を家茂ではなく慶喜にすべきだった

 などなどとなっていき、結局は井伊直弼を大老にすべきじゃなかったに行き着くことが多いです。彼自身は幕府の権威を再び高めようと色々努力しましたが、結果的にそれは空回りし、最後には自分が暗殺されることでその権威を大きく貶めてしまっています。極論を言えばあの時点で大政奉還に近いような政策を採り、公武合体は推し進めず雄藩連合のみ成立させておけばまだ徳川の時代がまだしばらく続いたでしょう。
 それだけに、本人の意思とは裏腹に幕府崩壊を早めた井伊直弼は典型的な「やる気のある無能」だというのが自分の評価です。あんまほかの人は言わないけど、彼がやろうとした公武合体こそが徳川幕府にとってかなり致命的な一打にもなっているし。

 そんなやらかしまくっている井伊直弼ですが、敢えて彼の事跡の中で最大の失敗ムーブを挙げるとすれば、自分の中では安政の大獄における吉田松陰の処刑であるような気がします。一体これは何故かというと、長州藩を倒幕に回しているからです。

 安政の大獄では吉田松陰に限らず数多くの人物が捕縛、処刑されており、中でも水戸藩が最も弾圧を受けたほか、越前藩もその指導者であった橋本佐内が処刑されています。しかし、水戸藩も越前藩も徳川親藩であり、これらの弾圧によって井伊直弼個人へのヘイトは高まり、後の桜田門外の変につながってはいるものの、両藩ともに親藩ゆえか倒幕にまで頭が回ることはありませんでした。
 一方、吉田松陰の出身である長州藩、特に彼の門下である松下村塾出身者はその処刑をきっかけに、明確にその意識を尊王攘夷から攘夷倒幕へと変えています。長州藩は外様であるだけでなく、元々関ヶ原の戦後処理で辛酸をなめさせられていて倒幕意識がかねてより高かった藩なだけに、松陰処刑による倒幕意識の高まりがかなり影響した気がしてなりません。それこそ仮に松陰を処刑しておかなかったら、第二次長州征伐自体起きなかったかもしれません。

 もっとも松陰自体がこうした展開を狙い、安政の大獄で敢えて自ら処刑されようと動いた節があります。知ってる人には早いですが、彼は井伊直弼がターゲットにした梅田雲浜と長州で会っていたことから出頭命令が出たものの、雲浜とは本当にあっただけでそんな交流はありませんでした。そもそも長州の一軍学者なだけに尋問する側もそんな期待してなかったそうですが、ここで松陰は何を思ったか、自ら幕府老中の間部詮勝を暗殺しようとした計画を自白し、これが原因となって死刑判決を受けています。
 また仮に死刑とならなくても、密航をはじめ過激な行動を繰り返していた松陰なだけに、生き残ったとしても何かしらやらかして藩論を倒幕へと変えていたかもしれません。そう考えると、「処刑しようがしまいがどっちも同じじゃんか(;´・ω・)」と思えそこまでの失敗ムーブじゃなかったかもと逆に思いなおしてしまいます。まぁ長州を敵に回したっていうのが、直弼の失敗ってことで話まとめます。

 あと関係ないけど、井伊直弼の肖像画の顔ってなんか石破総理に似てる気がする……。

発展途上国支援をすると逆に恨まれる

 また暑いので例によって朝から映画館言って「スーパーマン」を見てきました。全体の感想としてはテンポよく俳優の演技も十分で、ストーリーも比較的単純なので子供でも十分市長に耐える内容であり、傑作ではないものの見に行くには十分な作品という印象でした。
 その俳優ですが、悪役のレックス・ルーサー役をやったニコラス・ボルト氏の演技が際立ってよく、家に帰って調べてみたらマッドマックスで「こいつは俺の輸血袋だー!」と叫んでた彼でした。基本的に作品全体がハイテンションでエネルギーに溢れる作品ながらこの人のハイテンションぶりは一切負けておらず、それでいて終盤は脚本に恵まれたとはいえ静かな演技もこなしていて目を引いた俳優でしたが、やはり業界でも評価されていたようです。

 そんなレックスのセリフにスーパーマンを何故付け狙うかについて、「ちやほやされているお前への妬みだ」とはっきり言うシーンがありました。これ自体は悪役がよく言うセリフに見えますが、全体としてDC作品らしく政治色が強い作品であり、作中ではトランプっぽい俳優がロシア語で話したりするシーンも出てきます。それゆえ、このセリフもスーパーマンにというより米国そのものに向けられたセリフじゃないかと自分は思いました。

 かなり昔にこれも記事化していますが、20年くらい前に何かの評論で米国が嫌われる最大の原因は「嫉妬」だとしたうえで、国際支援といって周辺国に金をばらまきながら関係が一切改善しない日本もこういうところに原因があると指摘するコラムを読みました。はっきり言ってしまえば、国際資金援助をすればするほどその国には逆に恨まれると断言できます。
 この辺、日本もある程度反省しているのか近年は「人道支援」という表現で送金するのではなく設備や人員を直接送り、現地の人の目に見えたり触れられたりするような援助に切り替えてきています。こうした支援で白眉ともいえるのは、政府とは無関係ですがアフガニスタンのペシャワール会による現地の井戸掘削などの灌漑事業だと思え、先の中村哲医師の逝去はかえすがえすも惜しいものがありました。

 そんな上記知識もあったことから、同じくスーパーマンを見てきたとチャットで伝えてきた中国人の友人に上記セリフと考えを伝えた上で、「中国も最近アフリカ諸国へ派手に金を配っているが、恐らく一切感謝はされず逆に今恨みを買っている最中だよ」ということを教えてあげました。この辺の感覚ですが私が見る限り中国政府は一切理解できていないようで、自分らも散々日本から支援を受けながら日本に対するヘイトを高めてきたにもかかわらず、「人は、同じ過ちを繰り返す、全く……」的に繰り返しています。マジでこの辺、誰か教えてあげればいいような気がしますが、そういう人材、それこそ中村哲医師のような人がまだ中国にはいないってことなのかもしれません。

2025年7月11日金曜日

神話は誕生を、宗教は死後を詳しく語る


 今日お昼休みに何気なく上の記事を読んだのですが、「神道と仏教の違い」について芸人と神主の二足の草鞋を履く狩野英孝氏の以下のセリフが冒頭に引用されています。

「ぼくがよく言うのは、『始まりと終わり』ってこと。例えば、神社は子供が授かりますように、子供が生まれて新たなスタート、合格祈願、高校大学で新しくスタートしたい、商売繁盛、店をたてて新しく何かをスタートとか。何かスタートするのが神社にお願いすること。その方がいずれお年を召して、亡くなるでしょ? 亡くなったときにお寺に行ってお墓に入る」

 この解説を読んでみて、「奴さん、なかなかうまいこと言いやがるじゃねぇか」と無駄に江戸っ子っぽい感想を持つとともに、なかなか筋の通った面白い見方だと感じました。言われてみると確かに誕生祝や七五三なんかは神社でやって、葬儀や悪霊払いなどの儀式は寺でやること多く、神社は始まりを、寺は終わりを扱うなどと言ったことを考えてました。
 その際ふと、「いや待て、そもそも神話は世界や人類の誕生を詳しく語るのに対し、宗教は世界の破滅後や死後について語ることが多いのでは?」と、見出しに掲げた内容が頭をよぎりました。でもって考えれば考えるほど、この法則はかなり幅広くあてはまるようにも思えてきました。

 まず日本を例にとると、神話というのは日本神話こと古事記で、宗教はやはり仏教がメインです。古事記においては言うまでもなく日本というか世界がどのようにできたのかが最初に語られ、イザナミやイザナギがアメノヌボコでかき回して大地が作られ、天皇が空から降りてきて人類とかも生まれるみたいな解説がなされます。死後の世界についても一応は黄泉の国などについて少し語られはするものの、人間が死後どんなふうになるのかはあんま触れられていない気がします。

 一方、仏教はこの世界の誕生については間違いなくあまり触れません。そもそも輪廻転生を是とする世界観で、言うなれば今の世界は一つ前の崩壊後の世界が再生した後の世界であり、一番最初の誕生はどうだったかについてはそこまで詳しく語りません。一応、宇宙開闢については多少は説法もあるものの、どちらかといえば初めからそこにあったという語り口が強いような気がします。
 逆に、死後の世界についてはこれでもかというくらい詳しく説明されています。そもそも仏教自体が「死後に極楽浄土に行くにはどうすればいいのか?」が価値観の柱となっており、死後のために今生きてる現世をどう生きるかを説くことが思想的根幹にあるでしょう。そのため極楽浄土や地獄の世界観について詳しく描写するとともに、実際に過去に死んだ偉人らが死後どうなったかも色々取り上げられています。

 以上は日本での話ですが、ほかの国や地域もこうした傾向がみられる気がします。例えば西洋だと、ユダヤ教の旧約聖書ではアダムとイブに始まりノアの箱舟など、この世界の成り立ちがこれでもかっていうくらい詳しく書かれてあります。それがキリスト教の新約聖書になると、生前のイエスの言行も詳しいですが、むしろメインとなるのはその死後で、現在の布教においてもイエス死後の聖人らの活動が大きく語られるとともに、そうした聖人らが天国でどうなるかなどを含め死後の世界観についても詳しく語っています。
 同じ西洋においてはギリシャ神話もこの世の成り立ちというか、世界を司る神々の経歴がメインストーリです。地獄についての概念もありますが、大体ハデスがチョンボしたり悪さしたりするような話で、啓発的な意味合いは宗教と比べると弱い気がします。

 もう一つお隣こと中国で見ると、宗教に関しては日本と同じく仏教ですが、中国の神話となるとやはり道教です。この道教も盤古の死体が大地となって、伏犠や女媧が人間を作るなど世界の成り立ちに関してかなり詳しく説明しています。一方死後に関しては一番ぶっ飛んでるというか、「道教を修行すればいつか仙人になって無限に生きられるよ」という、死後の世界を否定するような価値観すらあります。
 一応、閻魔大王のもととなった泰山府君など地獄の概念とかもあるのでないわけじゃないんですが、それでもほかの教えと比べると死後についての言及はやはり仏教と比べ大きく劣ると感じます。

 こんな具合に、土着宗教こと神話ではこの世や人類の誕生を詳しく語るのに対し、後発の宗教は死後や世界消滅後についてやたら語る傾向がある気がします。特に後者は末法思想というか終末観を確実に持っており、なんていうか滅びの概念こそその教えの中心に据えているとすら感じます。
 なおこうした変化というか傾向は文明の発達に伴っている節があり、新興宗教ほど先の終末思想がそれ以前の宗教よりだんだん強まる傾向もあるのではないかと穿っています。

 では何故このようになるのかといえば勝手な意見としてそのまま述べると、原始的な世界において人間はまず「俺たちはどこから来たんだ?」という疑問が一番悩むトピックだったんじゃないかと思います。現代においても自分のルーツは何だろうかと疑問を持つことは珍しくなく、普遍的な悩みといえるトピックですが、特に自然科学の発達していない時代においては一番不思議に感じる点となり、その答えとして作られた神話では当然ながら誕生というかルーツが詳しく語られることとなるわけです。
 一方、ある程度文明が発達し、寿命以外の死亡率が下がってくると今度は「俺たちは死んだらどこへ行くのだろう?」が、一番悩むトピックになってきたんじゃないかと思うわけです。未発達の時代と比べると簡単には死ななくなり、前は生まれてくるのが不思議だったけど、今度は死んだ先がどうなるのかが不思議となっていき、こうした悩みに答えというか仮説を出していく過程で宗教というものが固まっていった、というのが自分の見方です。

 言うまでもなく、神話、宗教はともに人間というか集団を統合するために作られた思想的ツールという側面があります。価値観的に従わせる上で、多くの物が持つ悩みを快刀乱麻にアンサーを出すことは信じさせる早道であり、だからこそそれぞれが重きを置く点が時代の差から神話は誕生、宗教は死後になったのではないかというのが自分の仮説です。

 以上の考えに至ったのは本当に今日の正午に上記の狩野氏の発言が全部きっかけでした。実際、狩野氏の言葉は取りようによっては非常に深い含蓄を備えたものに思え、天然ボケが多い人だけどやっぱこうした思想に対する造詣は深いと思えました。
 それと同時に、神話と宗教の明確な差がまさに時間的な前後というか誕生と死にあるというのはかなり普遍的な傾向であるように思え、掘り下げたらもっと何か出てくるかもしれません。個人的にはかなり面白い発見をした気がして、今日はいい気分で寝られそうです。

2025年7月10日木曜日

消費税は今確かに下げるべきじゃないかもしれない

 前略、先日の「消費税を守る」という森山幹事長の発言を聞いたとき、消費税は一度下げたら再び上げ辛いってこともあるし言いたいことはわからないでもないものの、なんだよこのセリフと正直思いました。でもって代わりに2万円を配る件についても完全なバラマキ政策であり、だったら国民全員にお米券でも配れよという気がしました。そもそも中国にいて自分は2万円もらえないし(´;ω;`)ウッ…

 ただ昨日咄嗟に思い付いたというか、確かに今は何があっても消費税を下げるべきじゃないかもという気がしてきました。何故かというと米国のトランプ政権との関税交渉に影響する可能性があるからです。


 上の記事には4月に書いたものですが、あくまで可能性の話として述べると、トランプ政権が真に日本を含む諸外国に求めているのはこの消費税の撤廃である可能性があります。

 なんで他国の税制を要求してくるんだと誰もが思うでしょうが、上の記事でも書いたように米国には消費税という制度がそもそもなく、代わりに売上税というものが存在します。日本や中国を含め消費税制度がある国では他国へ輸出する製品に対し、国内でのその製品を完成させるまでの仕入やサービス購入で企業が支払った消費税を還元させるため、輸出時に消費税還付金が還付されます。細かい解説はほかのサイトを見てもらいたいのですが、この消費税還付の金額は輸出がメインの企業だと非常に大きく、トヨタグループなんかは払っている税金よりも還付される税金の方が多いとまで言われています。

 税制的に見れば決してこの制度、輸出製品に対し国内で価格に上乗せされた税金分のみを控除する制度であり、国際競争上で決して不公平なものではないのですが(輸出産業には有利だが)、どうも米国というかトランプはこの制度の仕組みを知らず、消費税還付のところにだけ着目し、他国は製品を輸出する企業に対し多大な補助金を出していると勘違いしている声が出ており、私もなんかそうなんじゃないかと疑っています。突き詰めればこの消費税還付という制度を潰すことがトランプ政権の目的なのではと思う節すらあり、皮肉な言い方ですが消費税制度というものが米国のヘイトを高めている可能性があるというわけです。

 さてそんな状況で日本が消費税率を弄ったらどうなるか。あくまで可能性論として、トランプ政権が「日本はトヨタへの補助金を減らした」などと勝手に行ってくるかもしれません。でもってこの日本の政策変更を自分の手柄だと主張し、日本は妥協し始めているがまだ足りない、公平にするため制度そのものをなくせなどとさらにまくし立ててくるのではと、昨日急に思いついたわけです。

 どちらにせよ、今この段階で消費税率を下げたら米国に間違ったメッセージを発信するかもしれないだけに、思い過ごしかもしれませんがあまり弄らない方が吉じゃないかと思ったわけです。そもそも私自身が財政規律派で増税にも容認する立場(中国にいてほとんど日本の税金払ってないが)でもあるためこのような意見にもなってきますが、消費税制度を国内だけの問題とは今は考えない方がいいとはっきり思います。
 もっとも、石破政権がここまで考えて消費税を守ると言っているわけでもないと思いますが。