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2025年11月1日土曜日

犯罪抑止のために国民全員のDNAを登録させたら……

名古屋・西区の主婦殺人事件で容疑者逮捕 発生は1999年11月(ガハろぐ)

 山本由伸選手の活躍で盛り上がってるワールドシリーズの最中、文字通り度肝を抜く逮捕劇と言えるのがこの事件でしょう。私自身も事件発生時に報道され、その後も被害者遺族が事件現場を保存し続けているということも聞いていましたが、まさか26年を経て犯人が捕まるとは思いもせず、粘り強く捜査した関係警察に深い敬意を覚えます。
 すでに出頭してきた犯人と現場に残されたDNAは一致しているためDNA鑑定不正でもない限りこの事件の捜査は決着していると言えるのですが、前々から思っていることとして、出生時点で全国民のDNAを検査、登録しておけば、こういう犯罪が起きた場合にデータベースに照合するだけで一発で犯人を捕まえられ、各犯罪を大いに抑止できるのではないかと思います。

 知らない人もいるかと思うので書きますが、外国人に関しては日本は既に全員の指紋を取得して登録しています。初回の入国時に指紋を取ってデータベース化し、以降の入出国時にはその指紋とパスポートなどを照合させることで本人確認しています。これは日本に限らず中国も同じで、恐らく世界的に同じ取り組みをしていると思うので大半の国で実施されているのではないかと思います。
 そのため仮に外国人が日本で犯罪を犯してうっかり指紋を残しようものなら、その時点で一発で犯人が分かってしまうようになっています。これがもし外国人に限らず日本人全員、ひいてはDNAまで全部登録しておけば、警察の捜査は大いに捗って犯罪者もすぐ足がつくことから犯罪をより手控えるようになるかもしれません。

 とはいえ、国民全員のDNA情報の取得は基本的人権やプライバシーのない中国ですらまだやっていません。ましてや中国人と比べても妙にプライバシー意識の高い日本では、こんな案を口にしようものなら真っ赤になって否定しようとする人が大挙して出てきそうなので、私自身も実現性なんてほとんどないと考えています。
 ただあれだけ批判されていた街中の監視カメラも、犯罪抑止や犯人逮捕に役立つことがわかってからは旧左翼の人たちも批判の口を叩かなくなりました。前述の通り国民全員DNA情報登録は現状で実現性はほぼないと私も思ってはいるものの、もう少し時代が下って考え方とか変わってきたら案外、本当にやる国とかも出てくるかもしれません。

 ただ犯罪抑止になるとはいえ、デメリットも存在します。端的に言えばデータ情報の流出で、それにより先天的障害などのある方への差別につながる可能性は十分あるでしょう。個人のDNA情報なので商業面で悪用することは難しいのではないかと思いますが、人によっては物凄い詐欺的手段を編み出して悪用するかもしれず、この点で懸念が持たれるのは私も当然かと思います。
 敢えて最も大きなデメリットを挙げるとすれば、前述のDNA情報の流失によって他国に吉田沙保里氏のDNA情報が流れて彼女のクローン兵が大量に作られたとしたら、文字通り世界は終わってしまうことになります。これはマジ恐ろしい未来なので、これ考えると確かにDNA登録はやめといた方がいいかなと私ですら思ってしまいます(;´・ω・)

2025年10月31日金曜日

不安定そうに見えた米沢市の歴史的アイデンティティ

 先日東北を旅行した際、山形県米沢市の歴史博物館を訪れました。米沢市は江戸時代に上杉家が支配した地域でもあるため資料館も上杉家で目白押しだった……というわけではありませんでした。
 というのも、米沢というのは元々伊達氏の本拠地で、伊達政宗もここで生まれています。ただその伊達氏は江戸時代にお国替えで仙台に移りそこを本拠とし、代わりに後から上杉家が入ってきて治めることとなったのですが、その影響からか歴史博物館もちょっとアイデンティティがあいまいになっているような展示をしてました。

 前述の通り、伊達政宗が生まれた土地でもあることから伊達家に関する紹介もあるものの、やはりメインは近い時代を治めた上杉家となっています。その上杉家と言ったら多分戦国時代の武将としては好感度でトップクラスの上杉謙信が代表格ですが、上杉謙信が生きてた頃の本拠地は新潟県にあり、米沢と彼は縁もゆかりもありません。また引っ越してきたときに国造りとかで中心となった直江兼続も、彼の代で直江は消滅していて後には何も残っていません。
 にもかかわらず博物館では上杉謙信について細かく説明や展示をしているのですが、なんか見ていて凄い不安そうというか自信なさげな説明になっているように見えました。ただ江戸時代に藩財政を立て直した上杉鷹山に関しては、正真正銘の胸を張って米沢を代表する人物であることから熱の入った説明の仕方をしており、米沢市の歴史的アイデンティをしっかりと固めていました。

 以上はあくまで私の主観ですが、その土地と偉人がしっかり結びついていないとやはり紹介の仕方が変わってくるというか、胸を張って地元の偉人だと言い切れなくなってしまうところがあります。米沢市については東北最強のビッグネームである伊達政宗が仙台の名物キャラなため故郷であるものの強く主張できず、また上杉謙信に関しては上杉家つながりであるものの米沢と無関係で、川中島の合戦とか説明されても「(。´・ω・)?」って感じになってきます。
 この点、小田原城の展示はここを本拠とした北条氏の歴史を胸を張って主張できることから、自信に満ち溢れた展示であったのを強く覚えています。真面目に歴史博物館の展示としては自分が行った中でも小田原城は特によく、まだ行ったことがない人にはぜひ行って北条家の歴史を学んできてほしいです。

 なお逆に最も疑問を感じたところは和歌山城で、徳川吉宗についてまるで忌避するかのように一切触れていないのがすごい疑問でした。

 話を戻すと、米沢のように国を開発した人とその後支配した人が江戸時代のお国替えで異なるという地域はほかにもありますが、地域によって信望を集める偉人には差があります。例えば大分県中津市では最初は黒田官兵衛が入ってお城も築いているものの、彼自身はあまり地元民には好かれておらず、後に入ってきた奥寺氏、ひいては中津藩出身の福沢諭吉の方が愛されています。
 もっとも福沢諭吉は大阪生まれで、中津に帰ったら田舎で凄い嫌ってたそうですが。

 反対に熊本県に関しては熊本城を築いた加藤清正が圧倒的な人気で、その後江戸時代にわたって支配した細川家に関してはなんか熊本の人はそっけなく感じます。中津と熊本を比べると、ランドマークを築いたか否かで地元民に愛されるかは決まるというわけじゃないようです。そう考えると、この歴史的アイデンティティというか地元に愛される偉人の条件というのは思ったより複雑なのかもしれません。

 なお松戸出身の偉人ときたら私の中ではやっぱり小保方氏が真っ先に浮かんできました。

2025年10月29日水曜日

大阪出身の偉人はほとんどいない?


 先日奈良公園行ってましたが赤ちゃん鹿がやたら人気で、アイドルみたく囲まれて写真撮られまくってました。赤ちゃん鹿の方は怖がってて「ママー(´;ω;`)」みたいに泣いてたので少しかわいそうでした。


 そんな奈良で今一番ホットなキャラとくれば鹿じゃなく、紆余曲折あったものの無事総理となった高市氏でしょう。奈良最強のホテル(当社調べ)である奈良ロイヤルホテルも地元からの総理誕生を受けてからお土産コーナーにこんなでかいパネル用意してまでプッシュしてて自分もつい撮影してしまったのですが、マジでこのホテルにはもう十回以上泊ってるだけに自分も応援せねばとこうしてアップしました。

 ちなみに高市氏は奈良県橿原市の出身で、高校は地元の畝傍高校を出ています。この畝傍高はたまたまですが自分の友人も出ていて母校OBから総理が出たことに友人も喜んでいました。自分は関西地域における高校のランクにあまり詳しくないものの、大学時代にその友人が自己紹介する度に「畝傍かよ……(;゚Д゚)」とみんな慄いていたあたり、レベルは相当高いのだろうという風に感じてました。
 なお畝傍高からはほかにも西川善文も出ています。

 話を戻すと地元からの総理排出に自分の親戚の奈良おじさんも大喜びでしばしこの出身者トークが続いた際にふと、「改めて考えてみると、関西地域って奈良や京都、兵庫の出身は結構いるけど、意外と大阪からは偉人と呼ばれる人は出ていないような?」という疑問がもたげ、それをそのまま口にしました。これを受け奈良おじさん(実は大阪出身)はすぐさまスマホで検索して以下の人物を上げてきました。

・千利休
・楠木正成
・豊臣秀頼

 上記の人物は確かに知名度は高いものの、東北における伊達政宗や熊本の加藤清正のように、お土産グッズが大量に開発されるなど地元に愛される偉人かといえばちょっと外れるような気がします。楠木正成なんかは偉人と呼ぶにふさわしいと個人的には思いますが、戦前の扱われ方への影響からか、現代だとそんなに取り上げられないし。
 なお自分からは上記人物のほかに福沢諭吉と高山右近を挙げましたが、前者はその後東京を拠点としていて大阪の色がほとんどないのと、高山右近は中身そのままに「右近の力」という商品を何故メーカーは出さないのかと言ったりしました。

 後世に大きな影響を与えたという偉人であれば福沢諭吉の師であり適塾を開いた緒方洪庵がいますが、この人についてもあまり大阪は愛すというか敬うような素振りは見えず、地元出身者として知らない人の方が多い気がします。その点、まだ千葉なんかは伊能忠敬の認知が広く、なんか大阪とは差がある気がします。

 話を戻すと、その膨大な人口に比べるとなんか大阪は著名で地元に愛される偉人キャラが極端に少ない気がします。人口で大きく劣る和歌山ですら南方熊楠という大物がいるのに、熊楠に匹敵するような知名度と功績を残した大阪出身の人物となるととんと出てきません。関西財界の雄である五代友厚なんかはもっと評価されていい気がしますが、彼も大阪で活動しただけで出身は薩摩です。

 強大の山中伸弥教授など後世に評価されそうな人物こそいるものの、若干いちゃもんかもと思う節もありますが、なんか大阪出身の偉人はほかの都道府県と比べても極端に少ないように思えます。特に原因などなくたまたまだと思いますが、これは観光におけるお土産開発においてはかなり不利となるだけに、今からでも遅くないからネタになりそうな愛されキャラを発掘して大阪自身が盛り上げた方がいいんじゃないかと思います。
 個人的には前述の高山右近をプッシュしてウコン関連商品を出しまくる一択だと思いますが。

 なお奈良だと出身者やゆかりある人物で言えば聖徳太子に始まり、松永久秀や鑑真などお土産になれそうなキャラが腐るほどいます。それ以前に鹿だけでもいくらでも商品作れるので、奈良ロイヤルホテルでも「鹿サブレ」を常に売っています。
 そんで高市氏も将来こうしたキャラに仲間入りできるのかですが、少なくとも女性初の総理というのはもはや揺るがないだけに、意外と名物キャラとなってお土産も量産されるかもしれません。奈良の業者とか既に開発に着手してるんだろうな(´・ω・)

Yahooと淘宝は絶対顧客情報を共有してる(# ゚Д゚)

 昨日の記事でスーツケースのタイヤというかキャスターが壊れたことを書きましたが、一夜明けた今日になってからYahooのポータルサイトを開く度にYahooショッピングの広告欄にキャスターの広告が表示されるようになりました。これは恐らく以前にも書きましたが、中国ECサイト大手の淘宝とYahooが顧客情報を共有しているからでしょう。

 昨日にキャスターが壊れていることに気づいた後、私は自分で交換できないものかとあれこれキャスターを淘宝で調べていました。結果的には既存キャスターを切り離す工具がないため自力では交換不可能という結論に達したため購入は見送りましたが、この時の商品検索情報をYahooも手に入れたのか、めっちゃ自分に向けて広告を打ってくるようになりました。
 普通に考えてキャスターの商品広告を縁もゆかりもない人間に表示するとは思えず、そんなどこに需要あんのかって商品の広告を表示する当たり、Yahooと淘宝はやっぱり個人情報を共有しているんだという確信を持ちました。以前も全く同じことがありましたがやり方が非常に露骨極まりない上に、中国のスマホでしか検索していない商品をこうして表示してくるのは正直不愉快です。マジ一回聞いてみようかなこの件。

2025年10月28日火曜日

タイヤの呪い

 今この記事はまた上海で書いていますが、タイヤの呪いを受けているのかタイヤ周りで色々ありました。

 まず昨日、午前中に漫画喫茶行って帰ろうとしたところ自転車の前輪がパンクしているのに気が付きました。パンクの兆候はそれ以前に一切なく原因不明なパンク劇でしたが、途中の自転車屋によってチューブごと取り換えて直してもらいました。
 ちなみにその自転車はあさひで買いましたが、「あさひの連中はタイヤに妙なのり付けするからパンク単体の修理はできないんだ」と教えてもらいました。若干思い当たる節があるというか、パンクした後にタイヤの外皮が妙にはみ出てまともに回転すらしなくなり引きずって歩くのがやたらしんどかったです。でもってその自転車屋は古くからあるお店で、置いてある自転車眺めてみるとロードとか結構安く売ってあり、今度寄るときに購入してみようかという気になりました。

 次のタイヤ事件は今日というかさっき起きたもので、スーツケースのホイールのゴムがぱっくり裂けました。完全に剥離するまでにはいかずガタガタするものの転がしていこうと思えば行けるものの、完全に剥離したらもう転がらないだろうと思って可能な限り持ち上げて運ぶこととしました。
 このスーツケースは既に7年くらい使っていることからホイールが壊れるのも仕方ないと言え、逆にこれまでしっかりもったあたりはさすがDiplomatだなと感心してたりします。そこそこ気に入っているので修理できるところにもっていって今度修理するつもりですが、さすがに二日連続でタイヤ絡みで災難降りかかるあたり、見知らぬ誰かの恨みを買ってタイヤの呪いを自分は受けているのではないかと思わざるを得ません。

2025年10月27日月曜日

人目を気にする生き辛さ

 本題と関係ないですが嘘つきが手を入れると抜けなくなると言われる彫刻の「真実の口」について、一昨日久しぶりに「思春期ルネサンス!ダビデ君」を読んでいる最中、「『真実の尻』ってのはないのだろうか?」という妙な妄想がもたげました。多分この間、「ケツバトラー」の漫画紹介を見た影響だと思います。


 話は本題ですが、先日死刑判決が下りた2023年の中野市四人殺害事件の犯人についてですが、リンク記事でも触れられているように犯人は精神病であったと主張してはいるもの、冷静に被害者へ銃を向けその後立て籠もった経緯を考えると詐病であるように思います。昔法学部の友人が言っていましたが、殺人犯は基本的に殺人を犯す時点で常人と比べ精神が異常な状態にあるため、ちょっとやそっとの精神障害では減刑理由は成立しないそうです。極端に言えば、うんこ食べるくらい気が狂ってなければお話にもならないそうです。

 以上からこの犯人はこうして詐病を装うあたり、本人は死刑を望んでいるようなことを言っているものの実際は恐れているんじゃないかと思います。仮にそうだとしたら非常に卑怯な人間だと思え同情の余地も感じないのですが、彼が主張した人目を気にする生き辛さというのには密かに共感を覚えるものがあります。
 裁判などでの供述によると、犯人は大学に入ったあたりから自分が馬鹿にされているのではと人目を気にするようになってひきこもるようになったそうです。特に笑い声が聞こえると自分が笑われているのではとも思ったと語っているのですが、この供述については嘘ではなく、実際の本音だったのではないかという気がします。というのも、この犯人ほどではないのですが私もそのような経験があるからです。

 一番記憶に古いものだと子供の頃に連れてこられた外国で外人が笑っていると、子供心に「自分が笑われているのでは?」という風に思ったことをはっきり覚えています。また成人後も、厳しい状況にあった時なんかは外から笑い声が聞こえると、さすがに自分が笑われているとは思わなかったものの何となく肩身の狭くなるような感情を催しました。
 私個人の所見で述べると、上記のような体験は日本人ならほぼ全員が多かれ少なかれ経験しているのではないかと思います。主な場面としては小中高の環境、そして私が上記に挙げた外国人から聞こえてくる笑い声が候補であり、悪意がないはずだと分かっていながらも何となく嘲笑されているような居心地の悪い生き辛さを感じた経験は誰しもあるでしょう。

 恐らくこれはほかの国の人にも同様に当てはまる気がしますが、その度合いで言えばやはり日本人の方が高いのではないかと考えています。何故かというとやはり日本人は人目を気にするというか、自己評価よりも他者評価、つまり外部からの評価を重視する傾向にあり、自分が自分のことを高く評価していても外部からの評価が低ければ「俺って無能?σ(゚∀゚ )」という風に思い込む人が大半で、中には自己評価なんて一切しない人も珍しくありません。まぁそれは自我がないせいでしょうが。

 この点、中国人なんかは人目を気にしない人間ばっかで、自分も感化されたのか昔と比べると今は周りの目をあまり気にしなくなりました。そんな自分からみていると、やはり日本人の大半は人目を気にしすぎるあまり、それだけで生き辛さを感じているように見えます。まったく気にしない人もはた迷惑ではあるものの、生き辛さを感じるくらいならもっとわがままに生きたらといいたくなるほどなのですが、多分日本の教育ではそのような人目を気にしすぎる人にすら「もっと周りを見て行動しなさい」といって、余計に追い込む気がします。

 そういう意味で自分としてはもっと、この「人目を気にする生き辛さ」という単語を広めて、気にしすぎると本人にも周りにもよくないし、極端なことを言えばこの中野市の事件の犯人のように暴発する可能性もあるという認識を社会全体で持った方がいいと思っています。っていうかぶっちゃけ、日本国内の統合失調症の人の多くが「誰かに見られているような気がする」と口にする当たり、この人目を気にする習性は日本の精神衛生を大きく悪化さている要因ですらあるようにも思えるし。

 このような見方を持ったのと、「やや理解を得辛い自分の好きなことを理解し合える関係」をテーマにしている聞いたことから、今回の日本滞在中は漫画喫茶で「その着せ替え人形は恋をする」を一気読みしてきました。実際、このテーマが作品全体で貫かれており、キャラの心情も良く描けていてこりゃ人気が出る作品だと納得な面白さでした。個人的には主人公の男の子が、男の自分からみても一貫して自分の夢を追い続ける姿勢がかっこいいと感じました。

 今回こうして問題提起的に記事書いていますが、正直なことを言えばなぜ日本人がこれほど人目を気にするのかが実はよくわかりません。ムラ社会だからといえば話は早いですが、村落文化が衰退した現代でこの図式をそのまま当てはめるのはやや安直だと思えるし、また着せ恋じゃないですが、何故個人の趣味に良し悪しというか人目を気にするもの、気にしなくていいものがあるかについても、何か考慮する余地があるのではないかと思え、確固とした線をいまだ描けずにいます。
 敢えて言えば、人目を気にする背景には劣等感が確実にあり、その劣等感がどこからどのようにして生まれるのかというメカニズムに何かヒントがあるような気がします。地味にこの劣等感についてはこれまでも学生時代も一切触れてこなかった感情で、自分も何度も抱いてはいるものの、何故抱くのかについてはいまいち分析できていないような気がします。

 最後に着せ恋について、主人公に両親がいない背景についてアニメ版で原作にない背景が掘り下げられたことについて作者が、「(ストーリーの構成上)邪魔だから殺しただけだったのに……」と言いながらアニメ見て感動したというエピソードが一番強烈な印象に残りました。

2025年10月26日日曜日

日本における駅名の英語表記について

 前々から思っていましたが、日本の駅名の英語表記はやっぱおかしい気がします。日本の駅名の英語表示は基本的にローマ字表記にするだけで、例えば「東京→Tokyo」、「大阪→Osaka」などと表記されます。こうした固有名詞の地名なんかはこれで何も問題ないと思いますが、例えば「南浦和」など、広範囲にわたる地名をそのエリアによって分けた駅名の場合も「Minami Urawa」などと表記されます。

 しかし英語のわかる外国人に「Minami」とローマ字で書いただけで「南(South)」だと分かるわけがありません。この点、中国ではこのような東西南北が付いた駅名には「South 〇〇 Road」などと、無意味に中国語の発音表記(南→Nan)そのままに書くことはせず、英語の意味に合わせた単語を当てはめます。また「人民広場」など一般名詞に近い駅も「People Square」などと英語の意味に合わせた単語を当てています。日本人なら漢字だけででわかりますが、漢字のわからい外国人にとってはこうした英語表記の方がわかりやすく、地名も覚えやすいでしょう。

 自分はついさっきに京都から帰ってきましたが、京都市営地下鉄終点の「国際会館」もそのまま「Kokusai Kaikan」などと書かれてあって色々思うところがあります。これこそ「Intenational conference hall」とかの方がわかりやすいし、そもそもそういう場所なんだから意味に合わせて英語表記すべきでしょう。日本語の音に合わせてローマ字化したところで、得する人の方が少ない気がします。

 ただこれで困るのは「新〇〇」系の駅です。都内なら御徒町に「御徒町」、「新御徒町」、「仲御徒町」と複数駅ありますが、最初の御徒町こそ「Okachimachii」または「Okachi Town」で十分ですが、次のは「New Okachimachi」と書くとなんか不自然な感じします。それだったら元の御徒町駅は「Old Okachimachi」になったりするのかと思えてくるし「Naka Okachimachi」に至ってはもはや意味不明です。いっそ「新御徒町」については「Brandnew Okachimachi」などと開き直った方がいい気すらします。
 その点、「北千住」と「南千住」なら「North Senju」と「South Senju」で迷うことがありません。ただ個人的には「Good Senju」、「Bad Senju」とかでもいい気がします。

 最後に、松戸も「松戸」、「東松戸」、「北松戸」、「新松戸」と松戸とつく駅名がたくさんあります。新松戸なんか自分もよく使う駅なのでこの際、「Matsudo NOVA(マツド・ノヴァ)」などと派手な英語表記駅名にした方が盛り上がるんじゃないかと密かに考えています。