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2025年9月10日水曜日

F-2を美少女キャラにたとえるなら?

 すでにニュースにも出ていますが連敗で有名になったハルウララがなくなり、世界中からお悔やみの声が集まっています。ハルウララに関しては一時馬主となった安西美穂子の意味不明なムーブを見ていただけに、晩年は理解ある人の下で穏やかに過ごせたと聞いてほっとしました。
 そんなハルウララですが、一時は人気も落ちてオワコンかと思っていた馬娘がいつの間にか英語版出してて、しかも海外でやたらヒットを飛ばし、ハルウララも登場していて人気だったということに驚きました。言うまでもなく馬娘は実際の競走馬を擬人化というか美少女化させたゲームなのですが、戦闘機においてもそうした例はあります。


 代表格なのは中国の殲20ことJ-20です。以前に自分も上の写真のようにプラモを作りましたが、この機体はお披露目当時に中国の航空ファンから黒くて長いという特徴を、「黒髪、ロング」という風に解釈され、2010年ごろに流行ってたアニメ「けいおん」の秋山澪に例えられ、そのまま「秋山澪」という蔑称別称がつけられていました。さすがに年数を経ていることもあり、同じ呼び方をする人は最近だと見ないですが。

 この中国でのお話を聞いて、変に愛称付けるより、馬娘同様に擬人化した方が愛着もたれやすいのではないかと思う節があります。なので日本のF-2支援機ももし美少女キャラで例えるなら何がいいのかと先日考える機会がありました。
 そんなF-2の特徴はというと、

・青い
・元のF-16よりややデカい
・対艦戦闘能力が異常に高い
・値段も異常に高い
・東日本大震災の時に津波で被害を受けた
・AESA


 やはりその機体カラーといい海との関係が最も深いのですが、最後のAESAが自分には一番キャラ付けしやすい特徴だと感じました。これは何かというと、それ以前のミサイルは撃った後もレーダーを敵機に向け続けないとミサイルが当たらなかったのですが、レーダーを向け続ける必要があるため、敵機もほぼ同時にミサイルを撃ってきたらよけられなくなるという弱点がありました。
 それに対しこのAESAはミサイルを撃った後に機首を動かしても、レーダの方が自動で敵機の方角に向いてくれるため、ミサイル発射後にすぐ回避行動へ移れるという超優れものでした。このAESAを初めて標準搭載したのはF-2であり、その技術の高さは米国からも評価されて「お前の物は俺の物」という感じでほぼ無料でこの技術を強要共用されることとなりました。

 このレーダーが自動で敵機に向かって追い続けてくれるという特徴ですが、しつこく追い回すという点で何となくヤンデレっぽいと感じました。となるとヤンデレっぽいキャラで海に関係するのが一番合うのではないかと思って思案に暮れていたところ、「そうだ、奴がいた( ゚Д゚)」とばかりに浮かんできたのが、桂言葉でした。
 このキャラの特徴挙げると、

・普段はおとなしい
キレると怖い
・ヤンデレ
・執着心がすごい
・強い(のこぎりで首を切断可能)

 などと、最近めっきりブームが収まってヤンデレという言葉すら聞こえなくなりましたが、恐らく現代においても最強のヤンデレキャラとして君臨しています。でもって、「niceboat」もあって海とも関連性を備えており、彼女以上にF-2の擬人化が似合うキャラはいないんじゃないかとすら自負します。もしCGでF-2を作る機会があれば、桂言葉のデカールを貼り付けてみたいです。

 このほか日本が保有しているF-15も何かないかなと考えましたが、バリエーションが多く、半世紀以上にわたり進化し続けながら運用されていることから、こちらもシリーズごとに進化し続ける「ゲゲゲの鬼太郎」のヒロインこと猫娘が一番適当であるような気がしました。猫で戦闘機とくればトムキャットなんですが、あっちはトムとジェリーのトムに任せましょう。

2025年9月9日火曜日

むしろ、これまでに消滅した職業ってあるの?

 先日の電子書籍セール時に大前研一氏の「新版 第4の波: AI・スマホ革命の本質」という本を買って読んでみました。簡単に内容を紹介すると、農業革命、工業革命、IT革命に続く第4の産業革命ことAI・スマホ革命が今後起きるとしてそれによって伴う社会の変化などについて解説されているのですが、全体の感想を述べると理論にやや偏った見方であり、実践というか現実との齟齬や差異については全く省みることなく、参考にはなると感じたもののこの本に書かれている通りに未来が進むとはとても思えない内容でした。

 やや本題から外れますが、AI・スマホ革命一つとっても私はAIよりも先にロボット革命の方が起きるのではないかと思います。真面目に中国の人型ロボットの発達はすさまじく、労働現場の代替も夢じゃないのではないかと思うようになってきました。

 話を本題に戻すと、この本で大前氏はかつての工業革命、IT革命同様、AI・スマホ革命によって現場作業などを行うエッセンシャルワーカーを除き、多くの職業が不要となって失業者が増加すると予言しています。特に現在事務作業を担当するホワイトカラー、しかも弁護士や会計士といった士業などはAIに仕事を丸ごと奪われると主張されていました。
 正直に言ってこの辺の「将来なくなる職業」系の話は若干聞き飽きているというか、かねてから消滅候補ナンバーワンとされている通訳や翻訳系の仕事一つとっても全然消え去る気配がしません。知り合いの翻訳ライターに言わせると、AIに契約書を翻訳させて取引当事者同士に認識の齟齬が発生した場合、誰が責任を採るのかで問題になるからAIがすべて翻訳する事態はまず起こりえないとも言ってます。

 また大前氏の主張に私が疑問を感じた最大の理由としては、IT革命のときもまさにおんなじことを言う人がたくさんいました。ITによって今後事務作業者はいなくなる、経理なども不要になどと言われましたが、Windows95の発売から30年を経て、あの時なくなると言われた職業は今も現役で募集も続けられています。
 そこで気になったのが、実際にこの世から消え去った職業ってあるのかなということです。試しにネットで検索してみたところ、昭和末期から現在に至るまでの間で確実に消え去ったと言える職業を私なりに探してみたところ、以下の職業が該当すると考えました。

・タイピスト
・電話交換手

 以上の二つです。マジこの二つ以外には見つけることができませんでした。
 前者のタイピストはキーボード操作という技術がパソコンの普及により一般化して、専門職が完全不要になったことが原因でしょう。後者の電話交換手も半導体とシステムの普及により、人手を使う必要がなくなったため消え去りました。

 これ以外にも細かいのを挙げればブラウン管テレビの技術者なども挙げられますがそれは職業というより技術分野であり、技術者という枠なら全然現役です。こんな具合で、かつて将来消えると言われた職業はほぼ全て現存しており、むしろこの30年くらいでなくなった職業を探す方が難しいくらいです。
 書いてて思い出したけどチンドン屋は消えたと言えるのだろうか?一応業務を受ける企業はまだ存在するようだが。

 では消えなかったにしても減っている職業はないのかというと、実際のところIT革命を原因とする職業人口の減少はあんま起きていないのではないかという気がします。先ほど挙げた経理もそうですし、営業職やデザイナーの数もそこまで激減しているように見えません。むしろパソコンを使ったデザイン業務やSEなどと言った職業も登場するようになり、職業の幅が狭まるどころか広がっているようにすら感じます。
 仮に減っているとしても募集人口が以前より減っているだけで、かねてからその職業についていた人が職を追われるような事態はまず起こっていないと断言できます。技術発達によってある日突然仕事がなくなるようなことはほとんどなく、実際は募集段階で漸減していくのが関の山でしょう。

 このほかもう一つツッコむと、さっきのCGデザイナーもそうですが実際には技術発達が起こると既存職業が淘汰されるというよりは、既存職業に新規技術が組み合わさってそのまま残るというパターンの方が多い気がします。漫画家もかつては手書きしかなかったのが現代ではPCで、しかもリモートで作業する方が多数派となっており、営業職も各種ITツールを利用して売り込みや分析を行うようになっています。翻訳に関しても辞書を使わず電子辞書をと思いきや、電子辞書すらなくなって今やWebで単語を検索するのが常道であり、弁護士や会計士もそういった判例や証跡確認ツールを使って今も仕事していると思います。

 工業革命時も機械によって職が奪われると暴動も起きたりしましたが、のちに機械によって新たな職業も生まれており、過去の例からみると一概に技術発達が職業を消すと言えるものではないでしょう。むしろ新たな技術をどのように既存の職業や業務に組み込んで効率を上げるべきなのか、こうした視点こそが雇用の拡大や生産効率性の向上にとって重要であるように思え、こうした視点を持つ人が現代に少ないということの方が私にとっては先が思いやられます。
 そういう自分も人のこと言えないというか、IT革命によって雇用が減少したら日本としてはマイナスなのではと大学時代に久保建夫先生に行ったことがあり、その際に久保先生が「ITで既存の工業にとって変えるのではなく、どう組み合わせるかという視点が重要だ」と指摘されて現在に至ります。

2025年9月7日日曜日

リミッター解除!(YF-21のプラモ)


 見ての通り、アニメ「マクロスプラス」に出てくるYF-21のプラモを組み立てました。めっちゃ作るのに苦労したけど満足度も非常に高く、写真を撮りまくっては同僚を含めやたらめったら送信しまくってます。


 YF-21はアニメの中で新機種選定コンペに使われる試作機の一つです。モデルとなった米国のYF-23同様にコンペに落ちてこれっきりコニカな機体となりましたが、スーパーロボット大戦に登場するなど現代においても活躍しています。

翼端のエッジは本当に見事だと感じた

 自分もスパロボを通して初めて知り、その後アニメも見てからもマクロス系の機体では一番これが好きというか、一撃必殺の「リミッター解除」が攻撃にあって気に入って使っていました。ただそれ以上に、パイロットのガルド役を演じた石塚運昇が生前の頃から好きで、「頭文字D」の藤原文太役での演技とは異なる熱い咆哮が聞けて贔屓にしてました。
 なお「マクロスプラス」をソ連人民の敵であるうちの親父はすげぇつまんなそうに見てました。展開が若干中だるみ気味ってのはわかるけど。


 話をプラモに戻すと、前回作ったVF-11Bの経験からマクロス系のハセガワのキットは非常に難しいことは覚悟していました。そのためプラモ製作を私は通常1日で完成まで持っていくのですが、今回に関してはしっかり時間をかけようと、組み立てに1日、デカール貼りに1日と二日間かけることをあらかじめ決めて備えていました。
 結果的にはこのスケジューリングは大当たりというか、組み立ての段階でも非常に苦労しました。s期に作った人のブログとかみててもパーツが細かく、ロッドの先端部をランナーの一部と思って切り落としてしまったなどの失敗談が多く、実際に自分も何度かひやひやする経験をしています。


 なんでこのキットの組み立てが難しいのかというと、単純に接合部の設計がハセガワらしくあまりうまくないゆえだなと思います。機種や尾翼など、ほんの少しガイドをつけたり接合方法を工夫すればものすごい工程が楽になるのにと思う箇所が多かったのと、マニュアルもところどころ説明不足で、組み立ての順番をミスりやすいと感じました。時間かけて慎重にやったからある程度はうまくいきましたが、それでもやや悔いの残る点が多かったです。
 なお機種部のクリアパーツに関しては明らかに寸法があっておらず、パーツそのものを切り取ってサイズを調整して埋め込みました。結構重要なところだから、これくらいはハセガワも頑張ってほしい。


 そして見栄えを決めるデカールに関しては地獄そのものというか、「NO STEP」などの細かいのはまだいいとして、エアインテークの口部など円周系に貼り合わせるものが多く、また先にデカール貼らなきゃ位置取りミスるのに、その辺をあまり示唆しないマニュアルなど、「タミヤだったら……」と感じることが多かったです。そもそも名が細めのデカールに関しては、分割しても問題ないだろうと思うものが多々ありました。ぶっちゃけ貼る途中に千切れたおかげで、貼りやすくなったデカールもあったし。


 とはいえ完成させたところ思ってた通り見栄えはよく、また不満な点はあるものの完成にはこぎつけるし、原作の雰囲気もしっかり出せてて、苦労したけどその分達成感をはっきり感じるキットでした。とはいえ前述の通り一般的な戦闘機プラモと比べた場合、明らかに組み立てやデカールが鬼なキットなので、マクロスとガルドが好きなだけでプラモを作り慣れていない人は手を出さない方がいい気がします。


 なお完成時にスパロボ仲間な中国人の友人居「限制器解除(・∀・)」というメッセージとともに送ったら、「猫のが目立ってるじゃん(;´・ω・)」と返信がきました。たまたま今日頼んでおいた仕事猫のフィギュアが届いたので並べたのですが、やはりキャラが強い。


 最後に、縮尺が同じ1/72ということからF-22ラプター、Su-35フランカーとともに並べて大きさを確認したところ、ラプターとはほぼ同系でフランカーよりは小さいという結果になりました。まぁ当然ですが。
 このYF-21は前述の通り米国のYF-23がモデルなのですが、YF-23同様に主翼が菱形しているのがチャームポイントでしょう。YF-23も作ろっかなと思ったのですが、知名度が低いゆえか絶版されて久しく手に入りそうもありません(´;ω;`)ウッ…

2025年9月6日土曜日

父権が喪失していった平成期

 前回記事でなんかやたらと心理学について書きましたが、このきっかけは前にも書いているように河合隼雄の「家族関係を考える」という本でした。この本は1980年に発売されたこともあり、ちょうど「積み木くずし」の時代に近いこともあって、家庭内暴力や不良化などで相談しに来る家族の話が多く書かれています。

 こうした家族について河合隼雄は、特に母親に暴力を振るう子供について、「家族内で絶対的な存在である父親には抵抗できないゆえに、そのそばの母親を代理の対象とする傾向がある」と言ったことを書いていました。ここで言っている内容について私自身も異論はなく、実際そんな感じで母親に暴力を振るったり、敢えて不良とつるんで反抗したりしていた人もう当時は多かったんじゃないかと思います。自分が親に中国まで持ってこさせて読んだ「積み木くずし」なんかまさにそんな感じだったし。
 と同時に、「今じゃこんな図式成り立たねぇだろうな」という感想も持ちました。理由は単純に家庭内における父親の権力というか父権、父性が極端に低下しており、そもそも家族内で「乗り越えるべき対象」にすらならないと思うからです。

 昭和から平成にかけての家族関係の変化としてはやはり核家族化がもっとも代表的だと思います。翻って平成から令和にかけての変化としては、私個人としてはやはり前述の父権の低下が最も大きな変化じゃないかと思います。
 昭和期においてもかかあ天下な家族もいたでしょうが、現代においてはもはやそれが一般化しているのか「かかあ天下」という言葉自体が若干死語になっている気がします。同時に、「家父長」という言葉もほとんど使われなくなっているうえ、男女差別を助長するなどとしてあまり使うべきでないとする風潮すら感じます。

 ではなぜ父権がそんなに落っこちていったのか。これはごく単純に社会における女性の地位向上に尽きにでしょう。特に共働きの世帯だと、父権の源泉ともいうべき「稼ぎ」が父親に限られなくなり、下手すりゃ母親の稼ぎの方が大きいケースも出てきて、家族を意に沿わせる材料はなくなったも同然です。その上で、母親に対しては家族内で求められる役割は現代でも多いと思いますが、父親にはそれほど多いとは思えず、「キャッチボールの相手」もなんだか今だと古風な感じすらします。
 その上で、父権を強めようものなら先ほども言ったように男女差別だと指摘される可能性もあり、家庭内で父親が主導権を発揮しようにもあらゆる方面から制限されているのが現代である気がします。恐らくこんな家族観、1980年代の人たちは想像もできなかったでしょう。

 そもそも前述の家父長という言葉自体もはや過去の物であり、これからは下手すら「家母長」みたいな言葉も出てくるかもしれません。

 こうした父親が家庭内で主導権を持てない環境に変化していったことでどうなったのか。中にこれが少子化の原因だという人もいるかもしれませんが私にはそこまで判断する材料がなく何度も得いませんが、少なくともいえることは「子供が畏怖する父親像」というものは完全に過去の物になったということです。これが子供の非行化に関係するかについて、私個人としては非行化が下がる要因にはなったんじゃないかと思います。一方で、「無気力化」の要因に係わってきている可能性もにらんでいます。

 そういう意味では平成における家族間の変化としてもう一つ、「子供部屋おじさん」という新語も誕生しています。これなんか今後さらに普及していって、当たり前になる概念になるかもしれません。核家族化した家族が核分裂しないまま続くとでもいうべきか。

2025年9月5日金曜日

神話になぞらえるだけで証明をなすとしていた心理学

 先日、電子書籍がセールだったこともあり大量に漫画を買う傍ら、普段読まない本も買ってみようと実用書の類を検索して眺めていたところ、「家族関係を考える」という本が目に付きました。別に家族関係に悩んでいるわけじゃなくこの本が気になったのは、作者が河合隼雄だったからです。

 知ってる人には早いですが河合隼雄はユング心理学の日本における権威で、箱庭療法などを日本に導入したとされる心理学者です。晩年に民間出身者として文化庁長官になったものの、高松塚古墳の壁画カビ問題のスケープゴートにされた感がありやや不遇でしたが、現在でも日本の心理学教育では彼の名前が出ると聞きます。
 上記の「家族関係を考える」の本は1980年の出版とかなり古いのですが、昭和の家族観が気になるのと、河合隼雄の本をちゃんと手に取ったこともないから興味本位で読むこととしました。結論から言うと、本の内容以前に神話、特にギリシャ神話からの引用話が異常に多いことに辟易しました。


 そもそもというか心理学用語はギリシャ神話やギリシャ語由来の物が非常に多いです。上のリンク先にそのあたりがまとめられていますが、読んでるそばからどんだけあんねんと言いたくなるくらいです。
 一体なんでギリシャ神話由来の用語が多いのかというと、心理学の祖であるジークムント・フロイトがこうした名称を片っ端からつけていたことに由来します。単純に彼がギリシャ神話を好んでいただけなのかもしれませんが、今回河合隼雄の本を読んで私は、神話になぞらえれば証明されたと考えていた節もあるのではという気がしました。

エディプスコンプレックスとは?臨床心理士がわかりやすく解き明かす(心理オフィスK)

 そんなフロイトがなづけて比較的一般にも通りやすいのが、上記のエディプスコンプレックスです。上記リンク先からその症状の定義を引用すると、

男子が異性の親である母親に強い好意感情を抱き、母親を自分のものにしたいという感情から、同性の親である父親に敵意や対抗心を抱くという子どもの時に見られる無意識の心理状態のことを言います。


始めは母親を独占しようと、父親へ対抗心を抱くが、父親から男性器を奪われるのではないかという不安から、母親を独占しようとすることはあきらめ、父親とも正しい関係性を構築することが出来るようになるという過程を歩むということです。

 こうした心理症状が起きる背景としてフロイトは上記のように、「子供の母親に対する近親相姦願望と、父親に去勢されるかもしれない恐怖心が原因だ」と説明しています。この説明を見て(。´・ω・)?と思わない人は逆におかしいと私は思います。なんていうか論理に飛躍があり、ツッコミ不在でドヤ顔で主張してくるのが逆に滑稽で、漫画の「彼岸島」的な説明の仕方であるように見えます。

 実際、上のリンク先の説明でも書かれていますがこうしたフロイトの主張や説明に対して現代では批判も多くなされています。その批判の根拠は以下のようにまとめられています。

(1)父親が強いということを前提としていること
(2)幼児期の性欲を前提としていること
(3)理論がフロイト自身の経験に偏っているということ

 このエディプスコンプレックスに限らず、フロイトの心理症状に対する説明は大体どれも(2)のように「性欲が原因だ(σ・∀・)σゲッツ!!」と、何でもかんでも性欲のせいにすることが多く、これも現代では彼がよく批判されている点です。

 話を戻すと、このエディプスコンプレックスのようにフロイトは自分が発見した心理症状に対して神話のエピソードになぞらえ、そのまま神話の登場人物の名前を症状名に当てはめることが多いです。しかしそれらの心理症状はエディプスコンプレックスのように万人に対して当てはまるようなものではなく、むしろ一般性に乏しい少数のレアケースであることも多いのに、「誰にでも当てはまる(σ・∀・)σゲッツ!!」という主張がされています。

 私が河合隼雄の本を読んでても気になったのはこの点でした。昭和の時代ゆえに父権の強い家族環境が前提である内容が多かったのですが、当時と比べると現代は父権が弱くなっていて、本の中に出てくる家族状況は家族問題には今じゃあまり見られないケースも少なくありませんでした。にもかかわらず河合隼雄は、さも時代や文化、状況に係わらず、どの家族に見られる傾向だとばかりに心理学的見解を述べているので、「そもそもこうした主張は何でもって証明されたんだ?」という疑問がもたげたわけです。

 そこで少し調べていましたが、恐らく当時、少なくとも80年代くらいまではきちんと統計を取ったり比較分析をしたりすることもせず、各心理学者が自分が見た個人や家族の心理症状について、非常に恣意的に一般的法則であるかのように主張や説明していたのではないかという見方が強まりました。その過程で重要だったのがさっきから何度も繰り返している神話で、「神話でこういうエピソードがあるのだから、人間の心理として一般的なのだ」という飛躍的な主張が蔓延っていたのではないかと思うに至りました。

 先ほどのエディプスコンプレックスも、ギリシャ神話のエディプス王のエピソードに近いということからこういう名称になっていますが、これに限らず初期の心理学においては「〇〇神話にもこういう話がある」というのが、その見解が法則的一般性を持つことの説明として引用されているものが異常に多いです。
 今回読んだ河合隼雄の本でも、子離れや略奪婚に関してハデスによるベルセポネ誘拐事件や、オオクニヌシとスセリビメの駆け落ちエピソードを引用しています。しかし、神話になぞらえたり引用したからと言って、その主張が一般性を有する根拠には一切なりません。にもかかわらず何故か心理学者はやたらと神話を引用し、「だからこんな心理症状があるんです」とさも当たり前かのように話を進めてきます。

 ぶっちゃけ読んでいて、「こいつら本当に学者か?」と疑いたくなることが多くありました。それこそ1000世帯に100世帯くらいの割合で共通する特徴があるなら法則としてみてもありかと思いますが、1万世帯に1世帯だけにしか見られないようなケースなんて、その1世帯だけが特別なだけであり、法則として取り扱うべきではないでしょう。それだけに発見症例数(統計)は法則の証明にあたり非常に重要なはずであるものの、初期心理学ではそうした数字は一切出てきません。
 むしろ全体として、各心理学者自身が見たものを片っ端から神話になぞらえるというか当てはめることで、法則として証明されたかのように主張するケースが非常に多かったのではないかという気がします。フロイトなんかまさにその典型で、実際彼の主張は現代において否定されているものも少なくありません。

 何気に、自分が学生時代に一番毛嫌いしていたのは心理学でした。何故かというと心理学の学者はワイドショーとかで起きたばかりの事件に、「犯人はきっとこういう心理だったのでしょう」と、大した根拠もなくさも後付けの理由を当てはめるかのようなコメントをすることが多く、理由があるから犯罪を犯したというより、容疑者が犯人である理由を後から作って当てはめているように見えたからです。私の意見としては、こうした態度は冤罪を生みやすくします。

 もっとも心理学もこの辺の自覚はあったのか、現代においては自分の専門の社会学のように学説の証明に統計的手法を用いたり、再現性を重視するようになっており、神話を引用するだけで証明されたとするような人はいなくなってきています。見方を変えると、社会学と心理学の境目も段々なくなってきているような気がします。

 ただやはり初期心理学の主張や学説を見ていると本当に裏付けなく、「神話にもあるから」という理由だけで恣意的に法則性を主張する人が多かったような気がします。そしてこうした態度は、まさに自分がさっき批判した心理学の「当てはめ理論」そのものと言ってよく、理由があるからではなく理由を後からつける態度そのものです。学生時代はここまで至ってはいなかったものの、自分が毛嫌いしていた心理学の態度というのはまさにこの「神話の当てはめ」にこそ端を発するものだった気がします。

 前述の通り、現代においては心理学も科学的な証明や分析を行うようになっており、そうした学問的努力に対しては私も頭が下がります。しかし初期の心理学は新しい学問でもあったということから、かなりいい加減な管理というか放言が平気でなされていた学問とも呼べないようなものであったように思え、少なくとも神話を引用している心理学用語や法則は信用できないというのが今日の結論です。 

 もっとも、ユングが主張した世界各地の神話に共通するエピソードが多いことを根拠とした集合的無意識に関しては、根拠も再現性も確保されていてこりゃ確かにと納得できるものです。もっともこれ、プラトンのイデア論とほぼ一緒なんじゃないという気もずっとしますが。

2025年9月4日木曜日

やっと報告が出てきた川崎ストーカー殺人事件

 すでに報じられている通り、先日に自分が「いつ出るの?」と書いた川崎ストーカー事件の検証報告が本日出されたそうです。マジダッチの差だったので早く記事書いてよかった( ´Д`)=3 フゥ

 で肝心の検証方向の内容ですが、「本部長に報告するという制度が形骸化していたので、新しい報告監督制度を作ります」というものに見えますが、今の制度を守る奴が誰もいないんだったら、新しい制度も守る奴いないんじゃねというのが私の感想です。現行制度がきちんと機能していたらちゃんと防げたのであれば制度厳守を必達すればいいだけなのに、また新しい制度作ったからといって対策になるかと言えばそうじゃないのではという気がします。

 それ以前に、従来の制度はほかの事件ではちゃんと機能していたのかも気になります。はっきり言えば恐らくこの事件以外にも本来やるべき報告を果たされなかった例があるのではないかと思え、その辺はきちんと検証したのかという気がします。いわば類似ケースでの対応分析ですが、何となく分析していない、またはやろうと思ったけどみんな報告してなかったからやばいと思って隠したの二択な気がします。

 また問題であった点として捜査の初動対応を槍玉にしていますが、確か自分が覚えている限りだと、被害者が行方不明になったとに犯人の親族から犯人が殺したかもしれないという通報があったものの、この時も放置していたと記憶しています。ここに至れば初動対応に限るわけじゃなく、一貫して捜査不手際が貫かれたというべきじゃないかと思え、本当に反省しているのか怪しくこの報告の価値を疑います。

2025年9月3日水曜日

あの声優は20年前から凄かった(;゚Д゚)

 先日急に、かつて存在したゲームシリーズの「グローランサー」シリーズについて調べなおしていました。一体なんでそんな白鵬の相撲協会辞職みたく突然やり始めたのかというと、その直前にYotubeでグローランサーシリーズを振り返る動画を見ていたからです。言わずもがなですがこのゲームシリーズは私の遊んでおり、全部で6作ある中で1~4までは遊んでいます。
 そもそもこのゲームを作ったスタッフたちはそれ以前にセガサターンなどで展開されていた「ラングリッサー」シリーズも製作しており、私はこのラングリッサーシリーズを先に遊んでいたことからグローランサーも手に取るようになりました。もっとも最初に手に取ったのは発売からそこそこ年数経過した後でしたが。

 簡単にシリーズの感想を述べると世間で名作と呼び声高いのは1と4ですが、1に関しては確かに文句なしに名作だと思うものの、4は序盤でフラグ(結構複雑)立てをミスると、ヒロインの個別エンディングがその時点で見られなくなるシステムになっていました。
 プレイ時間がそこそこ長いのにあとからの救済策も一切なく、その結果として私がプレイした際、ラストバトル直前に「話がある」と主人公に声かけてきたのは剣豪の爺さんだけとなってしまって、「なんやねんこれ!(# ゚Д゚)」と納得いかず、2週目もプレイする気も起きなくなったので、4が名作と言われてもあんまピンときません。っていうか長すぎてダレる印象しかない。

 それに対し、個人的に一番面白かったのは3(2001年発売)でした。1や4と比べて1週がそこまで長くなく、且つ「太陽の光が徐々に失われていき、北側の国から飢饉が広がって食料を奪い合う戦乱が起こっている」という妙に現実味のある世界観となっており、ゲーム内容もさることながら各キャラクターも個性があって非常に楽しめました。貸した友人も評価してたし。

 その3に出てくるキャラクターに、ヒューイという男性キャラクターがいます。このシリーズはキャラデザがあの有名なうるしはら智志氏という人なため、美少女キャラばかり目立つ傾向があるのですが、このヒューイというキャラクターは例外的に男性キャラなのに強く印象に残るキャラでした。
 このキャラはゲームにおいて前衛も後衛もこなすことができ、尚且つ魔法もそこそこ使える万能キャラであり、4人パーティで主人公にこのヒューイをつけると、残り二人は特性を気にせず自由に選べるようになるため、文字通りパーティ構成で軸になるキャラクターでした。また性格も普段は関西弁でおちゃらけたような態度を取るものの、実際は思慮深い上に責任感が強く、ストーリー上でも頼りになる奴でした。

 話を現在に戻すと、今回グローランサーを調べなおしている最中に20年以上前に発売された3がやはり気になり、ヒューイという頼もしいキャラがいたことを思い出しました。このヒューイに関してはゲームでの性能もさることながら演じた声優の演技も非常に素晴らしく、ふざけた態度と真面目な態度を場面ごとにしっかり演じ分けていて強く記憶に残っていました。遊んでいた当時にあまり有名でなかったように思え名前も覚えていなかったのですが、「あの声優は今でもこの仕事を続けているのだろうか」と改めて名前を調べなおして検索かけたところ、「えっ!?(;゚Д゚)」という感じでかなりデカい声出して面喰らいました。

川田紳司(ニコニコ大百科)

 上記リンク先にある通り、かつてグローランサー3でヒューイ役を演じたのは川田紳司氏で、つい最近に「ジークアクス」でシャリア・ブルを演じたあの人でした。現在のキャリアはどうなっているのか調べたら、ちょっと前に出演作を見ていた当人だったとは思わずマジびっくりしました。

 先に放送されて非常に高い評価を得たガンダム最新作にあたる「ジークアクス」ですが、私は本作品で主演を演じた黒沢ともよ氏をかねてから贔屓にしていて期待してはいたものの、各種インタビューで本人が「役を掴み切れなかった」と話している通り、ジークアクスではこれはと思う演技はほとんどありませんでした。
 一方、シャリア・ブルを演じた川田氏に関してはこの作品で最も演技がうまいと当初より感じており、先日も友人へのメールで「シャリアの人だけ飛びぬけてうまかった」という感想を書いて送っています。年齢が高く落ち着いた話し方ながら策謀家めいた影も感じさせるいい演技で、そのキャラクターの設定とこれ以上ないくらいマッチしており、「今まで知らなかったけどこんないい声優がいたんだなぁ」と放映中は思ってみていました。そしたら20年前の時点でその声を聴いてるし、当時もうまいと感じていた人だったことが今回わかり、二重にびっくりしました。

 こう言っては何ですが、20年前の時点でやはり川田氏の演技は一際群を抜いていました。二面性のあるキャラを矛盾なく演じていて、それでいて耳に残る声の出し方や演技で印象を持たせ、何より演じるキャラクターに溶け込むというか違和感のない演じ方をするので、ただただ演技が上手いと感じさせられていました。今回のシャリア・ブル役もまさにそんな感じで演じられており、あのヒューイの声の声優だったらさもありなんだと深く納得させられるとともに、凄い人は昔からやはり凄いということをまざまざと見せつけられた感じがします。
 っていうか評価してんならちゃんと名前覚えろよと自分に言いたいです。