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2024年6月20日木曜日

自公連立という「99年体制」

 最近、故佐野眞一の著書の「凡宰伝」という本を読んでいます。なんでこの本を手に取ったのかというと、この本の取材対象である小渕恵三について佐野眞一が生前、非常にべた褒めしていたからです。

 佐野眞一についてはたまたま住んでるところが流山市で同じだったため、地元で講演会があればよく松戸のソウルメイトな友人と連れ立って赴いていました。もっとも友人は、「面倒くさいから直前までくるか悩んだ(´・ω・)」とよくぼやいていましたが。
 その講演会の席で佐野眞一は事あるごとに小渕について褒め称え、まるで昨日のことのように自分が取材したときの印象や小渕の回答を口にしていました。そうした思い出をふと思い出したのと東芝の不正監査の本読み終えて新たに読むものがないため、こうして手に取るに至りました。

 まだ読み途中なのですが改めて当時を思い出すと、その後の小泉純一郎氏と比べてもパフォーマンスの派手な人だったなという印象を覚えました。佐野眞一に対しても取材して以降、彼が出演する番組が放送されるやその日の晩に直接電話かけて「面白かったよ」と言ってたほか、財界人に対しても5回くらい留守電残すくらい電話かけまくっていたそうです。

 その小渕に対する評価ですが、確か2004年に買った歴代総理に対する解説を一冊にまとめた本の中で、「急病により任期途中で逝去することとなったが、自公連立という大きな遺産を残して去った」という風に、公明党との連立提携について非常に高く評価する評論が書かれていました。当時大学生だった私は、「そこまで凄いことかいな」などと家賃3万のアパートの部屋で読んでて思いましたが、こうして時代を経てみるとその評論は間違いではなかったのではないかと思うようになってきました。

 というのも、1999年に成立した自民党と公明との連立関係ですが、25年を経た現在においてもその関係が続いています。途中、2009年から2012年の民主党による政権奪取期こそ時効は与党から陥落して断絶はあるものの、この断絶期間も両党は歩調をそろえて協力関係を崩さず、2012年の与党復帰時も特に議論となることもなく当たり前のように連立政権が築かれています。

 過去を振り返ると、99年の連立成立時こそ自民党内でも平沢勝栄氏を筆頭に公明党を批判する声が強く、また有権者の間でもオウム事件以降の宗教アレルギーが強かった時期とあり「公明党と連立を組んでいるから自民党には票を入れない」と公言する人が少なくありませんでした。
 しかし時代を経た今、自民党内で公明党を公然と批判する人はほぼいなくなったうえ、有権者の間でも公明党、というより創価学会に対する強い拒否感を示す人はかなり減っているように見え、前のように公明党の存在を否定的に口にする人は公では見なくなった気がします。

 また公明党が批判される要因となっていた名誉会長の池田大作が昨年亡くなっており、創価学会としての組織力は今後弱まるでしょうが、創価学会に対する世間の批判は今後さらに弱まるのではないかと思います。

 話を自公連立に戻すと、なんだかんだ言いつつ、この連立政権は日本の議会政治の安定と制作一貫性に対する寄与貢献は計り知れないと私も評価しています。この連立関係が与党の安定多数に寄与していることはもとより、自民党も少なくとも公明党に対しては法案に対する同意を必ず得るようにしており、自民党単独に比べれば強引な政権運営は抑えられているように見えます。
 何より25年もの長期にわたり連立関係を維持するというのは他の議会制民主主義国でもあまり見られないように思え、この一点で以ってももはや日本政治における非常に大きな特徴といっても差し支えないでしょう。

 では何故自公連立がこれほどまで長く継続するのかというと、単純に公明党のスタンスが分をわきまえたものであることに尽きる気がします。

 2009年に成立した民主党政権なんか典型的でしたが、あの時連立に入った社民党は議席が確か一桁くらいの数議席にもかかわらず、法案や政策に対してやたら激しく主張しまくり、政権を主に担う民主党からも辟易されていました。むしろこの時の小勢力なのに激しく要求ばかりし続けたことから、その後は民主党も距離をおくようになり、現在のような泡沫政党に社民党はなり下がる原因になったとすら思います。

 それに対し公明党は自民党に対し非常に聞き分けがいいというか、外交に関しては異論を呈すも最終的には必ず自民に従うし、政策も自分の手柄とするバラマキなどは強く要求するも、それさえ受け入れて通してあげれば基本的に自民党の邪魔はせず、選挙ではきちんと協力してくれます。
 元々、公明党自体が全選挙区に候補者を立てるほど資金や組織力がないだけに、あまり拡大を図らず自分のシマをきっちり守れればいいという性格から、選挙で自民党と棲み分けられさえすればいいという立場なのかもしれません。そうしたスタンスが必要以上に政策要求をせず、自民党とうまく付き合っていける秘訣じゃないかとみています。

 話を小渕にまで戻すと、この自公連立政権は彼が積極的に打ち立て、前述の通りその後25年間も続く長期連立関係となっています。逆にもし自公連立がなければ、まず間違いなく自民党の議席数は今よりも不安定なものとなっており、政権交代ももう1回くらいは起こっていたかもしれません。
 そもそも99年当時も自民党が一度下野してから政権が不安定だった時期であり、それに確固たる安定基盤を作ったという意味では、小渕の決断は日本政治の安定化に強く貢献したように思えます。

 その上で、昭和後期における自民党が安定多数を維持し続けた時代をその確立年になぞらえて「55年体制」と呼びますが、以上のように自公連立は一度は与党から陥落こそしたものの、世代を受け継ぎつつ長期かつ安定的に続いていることから、もはや成立年に合わせて「99年体制」と呼んでもいいように思えてきました。

 ここ数年は維新の躍進もあり、また米中対立の激化によるあおりもあって日本の外交方針も色めき立ち、自民は公明を切って維新と提携するのではという見方も出ていたし、私もそのように思っていました。しかしここにきて維新が万博をはじめやらかし始め、自民党の法案に対しても露骨に反対姿勢を取るなど若干距離が離れ始めるや、逆に自民と公明はまた関係を良くしてきているようにも見えます。
 仮にそうだとしたら、次の選挙後も自公連立はほぼ確実に続くこととなり、この連立関係は30年スパンに到達することとなるでしょう。30年も連立し続けるって、ほんとほかの国じゃないんじゃないかな(;´・ω・)

2024年6月18日火曜日

密かに評価しているプロ野球の現役監督

日本ハムのドラ1・細野晴希「忘れられないマウンドに…」打者が「テレビの中の人でめちゃくちゃ緊張した」(スポニチ)

 本日、交流戦の最終試合が行われ、ルーキーにバッテリー組ませてデビュー戦を踏ませた日ハムでしたが、あいにく先輩格の阪神に本日は敗れてしまいました。もっとも、先の2試合には勝っているので実質的に2勝1敗ではありますが。
 それにしても新庄監督率いる日ハムは本当に強くなったというか、現在もリーグ戦でソフトバンクには差をつけられているもののロッテと同率で2位に入っているなど、数年前の暗黒期が嘘みたく強くなっています。過去2年間、チーム成績が上がらなかったことで新庄監督への批判は多かったですが、芯を曲げずにチーム強化に取り組んだ甲斐あって現在は選手も強くなり、批判する人も一気にいなくなった気がします。

 個人的にこの新庄監督の一番いいと思うところは、派手なパフォーマンスを行って自ら率先してメディアに露出し、その場でチーム内の各選手の名前を口にすることだと思います。やはり人気商売なだけあって選手の知名度向上は売り上げに直結することもさることながら、選手の側も知名度が上がることで自分が「見られている」ということを意識するようになり、よりいい成績を出そうと成長を促す効果もあると思います。
 実際、大リーグでもひたすらメディア露出を増やす戦略をとることで急激に強くなるチームもあったみたいだし。

 以上のように新庄監督について、過去2年間の勝てなかった時期も含めて高く評価しているのですが、実は彼以上にもっと評価している監督がいます。勿体ぶらずに言うとそれはセリーグ首位をひた走る広島の新井監督だったりします。

25番という選手(なんJ用語集)


 上記の単語を含めいろんな人にネタにされまくる新井監督ですが、正直言って就任初年度となる去年は「本当に大丈夫なのか?」という不安の方が大きかったです。

 というのもカープ自体がここ数年大した補強を行っておらず、逆に鈴木選手など主力が抜けるなどしていたチーム事情もさることながら、新井監督が本当にチームを引っ張っていけるのかという点で少し疑問を覚えていました。
 選手のやる気を引き出すモチベーターとしては、選手時代晩年の頃から、生来の温厚で天性の弄られキャラもあってか年の離れた若い選手とも積極的に交流していたため、彼以上の人間はいないと思っていました。しかし性格的に優しすぎると前から思っており、こうした勝負事、特に選手時代から面識のある選手に対しては成績が下がっても切れないのではなどという風に思え、監督業をきちんとこなせるかで不安に感じていました。

 というより、まさかカープレジェンドの前田氏や黒田氏より先に監督やるということ自体あり得ねぇとすら思ってた(;´・ω・)

 しかしふたを開けてみると、2023年シーズンは上記の通り補強はほぼ一切なかったにもかかわらず、阪神の独走こそ許したものの現有戦力を活用して2位という好成績を残すなど、戦術面でも非常にしっかりした監督ぶりを見せてくれました。彼の戦術について私見を述べると、非常にオーソドックスですが逆を言えばはずれがなく、打つべきタイミングにきちんとした戦術を打ち、非常に堅実であるように見えます。
 かと思えばここぞというチャンスやピンチの時に、モチベーターらしく選手を変に後退させずに一声かけてからそのまま送り出し、選手の側もその意気に応えてチャンスをものにしたり、ピンチを脱したりすることも多いです。ファンとしても見せ場を作ってもらえるだけに、見ているこっちも楽しくなります。

 そして2年目の今シーズンではまだ中盤ながら首位につけており、もうこの時点でカープの監督としては非常に優秀な成績ぶりです。でもって、あのと言っては何ですが新井氏がこうしてカープを率いる監督になっているという時点で目頭が熱くなったりします。

 知ってる人には早いですが、新井監督はそもそもドラフトに引っかかる選手ではなく、どうしてもプロになりたい一心で知人のつてを頼って野村謙二郎氏に頼み込み、無理くりドラフトで指名してもらって選手になっています。強みと言えば長打力だけで、守備に至っては論外というひどさだったらしいですが、担当したスカウトによると「才能のある選手よりも、どうしてもプロになりたいっていう子の方が案外伸びる」とのことで、その熱意に打たれて指名したとのことでした。

 そうまでして入ったカープでしたが、兄貴分と慕う、上原浩治氏からやたらネタにされる金本氏が阪神に行ったことから、どうしても自分も金本氏と同じチームにいたいとの思いからFAで移籍し、上記の「25番という選手」という異名が生まれるに至っています。その後、紆余曲折を経てカープに舞い戻り、見事な成績で優勝を経験し、そして監督になるなど、10年くらい前の人にこんなサクセスストーリーを聞かせても誰も信じないでしょう。それくらいなろう系主人公もびっくりなサクセスストーリーを地味に歩んでいます。

 ただその新井監督ですが、仮に平成野球史で最高の名シーンを上げるとしたら、第2回WBCのイチローのヒットよりも、2016年のカープ優勝時に黒田氏と号泣しながら抱き合ったあのシーンを自分は挙げます。カープの暗黒時代を自分も目にしており、その暗黒時代の4番とエースがお互いに一度はカープから離れながら再び舞い戻って優勝を経験するなど、こちらも大谷翔平氏に負けないくらい出来過ぎなストーリー展開である気がします。この背景を知っているだけに、あのシーンは今でも自部の中で強く印象に残っており、今年に関してはこのまま広島に頑張ってもらいたいなとも思っています。

 まぁ暗黒時代で言えば、横浜の三浦監督の方がずっと耐え忍んでいるんだけど……。

ロシアは核兵器を使うか?

 ウクライナ戦争が始まって以降、主にメドベージェフを中心にロシアの主要人物が核兵器の使用について言及していますが、少なくとも現時点で実際に使用される可能性はほぼないという風に見ています。その根拠というのも、逆説的ですがロシア側が使用をほのめかす発言を繰り返しているからです。本気で使用する気なら、絶対に気取られないよう使用はおろか核兵器についても一切触れず、前触れのない状態で使用するのがベストだからです。
 なので逆に言えば、彼らが脅しとして核兵器の使用に言及すればするほど、西側としては安心ができるでしょう。

 とはいえ、何をしてくるかわからない国というのは間違いのないことで、絶対に使用することはないとは言い切れないでしょう。ではどう対処するかですが、単純に核抑止論に則ってロシアが使用した場合は報復として米国側も使用の可能性をほのめかすというのが一番ですが、極論を言えばウクライナ領内に核兵器を置くことも一つの選択肢だと思います。
 もちろん恒久的に置くべきではないですが、米国や英国などが共同管理する拠点に報復用として置いとく、それも秘密裏にしてロシアの上層部にのみブラフでもいいので情報を流すのが一番効果的だという気がします。もっともこんなことしなくても米国はアラスカにおいているでしょうが。

 それにしてもウクライナ戦争がこんなに長く続くとはだれも予想しておらず、自分も長くて1年半ではとみていたのがもはや3年目に突入しており、このまま次の冬も継続している可能性が高いです。戦争中のウクライナの辛苦を思うと胸が痛みますが、アルメニアが東欧の軍事同盟から外れるなどロシア本国というよりはその周辺でロシアに対する不利な状況が増えてきており、これまでの戦いは決して無駄になってはいないと思います。日本としても行える支援は限られていますが、できる限りのことを政府にはやってもらいたいです。

2024年6月16日日曜日

最も激しく中国と台湾の分離工作を行っている組織

 本題と関係ないけどショーン・Kとディーン・フジオカがフュージョンしたら、「ショーン・フジオカ」になるのか「ディーン・K」になるのか気になって夜も寝られません。いやね、何となくこの二人の雰囲気が似ているように前から思うので。

 それで話は本題ですが、よく日本や米国が台湾情勢について口にするや大陸の方の中国は「分離工作はやめろ」と主張してきます。ここで言う分離工作とは中国大陸と台湾の統一を妨げる、台湾の国としての独立を支援するような動きで、こうした策謀というか活動は行うべきではないと中国は度々主張しています。
 ただ結論から述べると、仮に台湾に対する分離工作があるとしたら、それを最も激しく一番やっているのはほからぬ中国政府自身であることに間違いありません。でもって、中国はその事実についてガチで自覚がなく、台湾の国家としての独立を自らが現在進行形でガンガンに推し進めているという皮肉な状況に陥っています。

 それこそ20年くらい前であれば、中国と台湾の経済的結びつきが強まり、また香港で一国二制度方式の併合が特に問題なく進行していたこともあり、現在と比べると「もうこのまま大陸と一緒になってもいいかも」と思う台湾人は少なくなかった気がします。実際に知人経由の話である台湾人なんかは、欧州に旅行するとパスポートが大陸の中国と異なることを怪しまれることが多く、移動に不便だから早く統合してほしいということを述べていたという話を聞きました。

 しかし現在、統合の前提ともいうべき一国二制度は香港ではもはや崩壊しているに等しく、また台湾に対して中国は目の前で軍事演習を行うなど、直接的な脅迫行為も度々行うようになってきました。それどころか台湾で選挙が起こるたびに露骨な世論誘導といった選挙干渉を繰り返しており、こうした行為を見るにつけ「こいつらとは一緒にやっていけない(;´・ω・)」的に台湾人の心は年々、少なくともこの10年においては大陸と統合からどんどん離れているように見えます。
 これを分離工作と言わずして何と呼ぶかです。

 では一体何故、ほかの国にやるなと言っている分離工作を中国はやり続けているのか。こちらも結論から言うと、中国の外交は内政に対し従であり、内政が外交に優るからです。

 自分のスタンスもありますが、私自身は外交と内政で比べるなら外交が主であり、内政を犠牲にしてでも外交を優先すべきだという立場を取ります。
 先のウクライナに対する日本の2国間署名、追加援助に対して、日本国内で税金を使わずにほかの国に配るなんてけしからんとして岸田首相を批判する人もいますが、私は逆に支持しています。日本国内で大量の餓死者や凍死者などが出ている状況ならいざ知らず、今ウクライナではロシアに電力インフラが破壊されるなど、電気や飲み水などにも困難な地域が多数あり、ガザも含めこうした国や地域へ率先して支援することは必要です。それ以上に、同じロシアという厄介な隣人を抱える同士として、現在行われているウクライナ戦争でロシアが勝利する事態だけは何が何でも日本としても避けるべきであり、このために内政の予算を削って外交に用いることは理にかなっていると考えます。

 話を戻すと、内政も重要ではありますが外交は国そのものの安全や地位を左右し、ワンミスで一気に国家が吹き飛ぶくらいの影響力を持つ分野です。よく戦争は外交の延長線上と言いますが、街区と内政を比較するならその優先度は圧倒的に外交であり、外交のために内政を犠牲にすることは当然で、その逆はむしろあってはならないのですが、それを中国が今やってしまっていると言いたいわけです。

 一体何故中国は、台湾人に嫌われるだけなのに世論工作や軍事的脅迫を露骨に続けるのか。答えを言ってしまえば中国共産党内での仕事アピールに使っているからです。
 具体的には日本の外務省に当たる中国の外交部では、「台湾の独立を防ぐ措置をやれ、やらなきゃ評価ダウンだ」と命じられており、この指示命令の下で世論工作とかをやっているのだと思います。しかもそれらの活動が目に見える形でないと評価実績につながらないため、必要以上、っていうかそもそも逆効果なんだからやるべきじゃないのに、敢えて目に見える形で世論工作を露骨にやっている節があると私は睨んでいます。でもってそれを見た人事権者も「いいぞいいぞ、もっとやれ(・∀・)」的に言うので、より大胆かつ露骨にセルフ分離工作を拡大させる一途を辿っています。

 言ってしまえば中国共産党内での実績アピールとして、中国は台湾に対する外交活動をやっている節があります。なので目的と手段が逆転しており、少なくとも彼らが外交活動と思ってやっていることは台湾人の反感、そして独立心を高めるだけにしかなっていません。っていうかやらない方がずっとマシだし、こういうことしているから日本や米国も台湾情勢に目を向けるようになっており、周辺国すら巻き込む事態となっています。
 この過程を見ると、中国が「外交のために内政を行う」のではなく、内政、というより共産党内部での出世競争のために外交を行っているという構図となり、まともな外交的対応なんて期待できるものではありません。逆を言えば中国は外交よりも内政を優先するので、その辺をうまく理解すれば外交での動きは読みやすくなるとも言えるでしょう。

 それにしても、上記のような点に起因しますが中国の外交の下手さぶりには見ていて呆れてきて、かつて散々批判していた私ですが、中国と比べるなら日本の外交は前述のウクライナ支援を含め、ずっとまともだししっかりしている様にすら見えてきます。っていうかあまり言及されないけど、岸田首相は外務大臣時代を含め、基本的に外交で問題が起きることがないです。大きな成果を出すということもないのですが、波風なく安定的に常に外交を運営しており、「外交の岸田」という評価は間違いなく、もう少しこの点は世間も評価してほしいと密かに思っています。

2024年6月15日土曜日

鹿児島県警の闇

「本部長の犯罪隠蔽」告発で揺れる鹿児島県警の愚挙 批判メディアへの強制捜査、心臓疾患を無視した取り調べ(AERA)

 先日にも触れたこの鹿児島県警の情報漏洩ですが、その後も一向に火が止むどころか鹿児島県警自らが燃料を投下しているような事態となっています。詳細は省きますが、情報漏洩事件の容疑者が流出させた内部情報を得たメディアに対し、令状もなくパソコンなどを押収した上に該当データを削除していたとのことが報じられました。もっともこれはメディア側の主張で、鹿児島県警側はちゃんと令状もとったし、データ削除にも同意を得たと言ってはいますが。

 正直なところ、情報漏洩よりもこちらのデータ削除の方が内容的にもずっと深刻なのではないかという気がします。いわゆる暴露系Youtuberとかにプライバシーに関する情報が流出した場合には迅速な対応が必要で、上記のような措置も時に必要になるかと理解できますが、今回に関しては曲がりなりにも鹿児島県警を度々批判してるけどきちんと報道活動をしているメディアで、少なくとも現時点で流出した情報のうちプライバシーに関する内容などをみだりに拡散などもしていません。そうした点を踏まえると、今回の鹿児島県警の行動は令状があったとしても、報道の自由に対する侵害に当たると私は思います。

 その上で最初は結び付けるのはどうかなと思っていましたが、ここに至ってかつての志布志事件を思い出すようになりました。

志布志事件(Wikipedia)

 知ってる人には早いですが、志布志事件とは2003年に鹿児島県警が引き起こした大規模な冤罪事件です。10人以上もの人間が全くのでっち上げともいうべき根拠のない容疑で無理やり拘留させられた上に自白を強要され、「お前のことをお前の家族は嘆いている」などと、その家族が言ってもないことを言ってその関係を浸そうとするなど卑劣極まりない事件でした。
 この当時も鹿児島県警ってやばいと思っていましたが、今回のこの一連の事件を見ると、神奈川県警や大阪府警と張り合うレベルでやばいんじゃないかと思うようになってきました。敢えて言うなら基本的な常識に欠け、糊塗に糊塗を重ねようとする体質があるように思え、情報漏洩の容疑者である元鹿児島県警の人もその内部告発の仕方に疑問を覚えますが、鹿児島県警という組織自体に問題があるというのは十分理解できます。

 っていうかこの事件、警察庁は何をしてんのかという気持ちも覚えます。事ここに至っては鹿児島ん県警に自浄というか対応をゆだねるのはもう無理でしょう。ほっとけばそれこそ志布志事件みたく、国家賠償請求が警察庁などにも及ぶであろうし、もっと早く行動すればというように思えます。
 つうか鹿児島県警だし、また志布志事件みたく踏み字とかやってんだろうか。

2024年6月13日木曜日

プレサンス事件の「不適切にもほどがある」検事


 大分前に自分もこのブログで取り上げたプレサンス元社長の冤罪裁判ですが、元社長の国家賠償請求裁判にて、冤罪のきっかけを作った検事本人への尋問が行われたとのことです。

プレサンス事件(日本弁護士連合会)

 この事件の概要については上のリンク先にありますが簡単に自分の方から説明すると、不動産会社のプレサンス社を経営していた山岸氏の部下のある社員が、とある学校理事への個人的融資として会社の金を横領して使用しました。その際にこの社員は、理事個人への貸付ではなく学校法人に対する貸付だと嘘を言って貸し付けました。その後、融資を受けた理事はこれを裏金として使って見事理事長になると、学校の土地を売却し、そのお金をプレサンスへの返済金として使用しました。

 この一連の取引について検察は社員と理事を捕まえると、社員が否定しているにもかかわらず「社長が指示したんだろう」と執拗に供述を迫り、虚偽の自白を取ることに成功し、これをてこに社長の山岸氏も逮捕立件しました。
 しかし、社内報告書などの証拠はむしろ社長が社員に騙されたことを裏付けており、また一度は自白した社員も裁判にて「自白は強要されたもので社長は無関係」と証言し、裁判所も社員に対する検事の脅迫的な誘導があったと認めて山岸氏には無罪判決が下ります。この判決に検察はぐうの音も出ず、かなり珍しいことに控訴すらせずに確定しました。

 そんで以って今回の裁判へと至るのですが、今回登場した検事は社員を脅迫した検事です。その鳥しばれ中の録画映像が公開されたとのことですが、「失敗したら腹切らなきゃいけないんだよ。命賭けてるんだ、こっちは」などとのたまっていたようです。見事に失敗して冤罪を作り無辜の人物に裁判をかけたにもかかわらず、いまだに腹を切らないし、反省の態度も全く見せないあたり、この前流行ったドラマの「不適切にもほどがある」という単語が自分の中で浮かんできました。

 このクソ検事への尋問詳細については赤澤氏の記事をぜひ読んでもらいたいのですが、やはり常々思うのは裁判所から違法な捜査だと認定されたにも係わらず、冤罪事件に関わった検事らは一切処罰されず、むしろこのプレサンス事件や大川原化工機の冤罪事件のように検察が守ろうとすることに強い違和感を覚えます。
 唯一の例外は村木事件の時で、この時は関係検事らが逮捕され有罪となっています。確かにこの事件では前田恒彦が証拠捏造という桁違いの不正をやらかしてというのはありますが、それを言ったらほかの冤罪事件も脅迫や証拠隠避の類はどれも行われているだけに、検察内部の処罰度合いになんか差を感じます。はっきり言うと、この村木事件は被害者が官僚だったから、検察も内部処罰に動かざるを得なかったのではないかという気がします。

 話を戻すと、仮に検察自身が違法な捜査を認定された検事やその上長を内部処分するなど自浄作用を働かせるなら話は別ですが、実体はさにあらず、むしろ保護しようとすらします。無論これは権力の暴走もいいところであり、自浄作用が働かないというのであれば、裁判所に違法捜査と認定された案件の担当検事と上長に対する刑罰を法定化すべきではないかと思います。でないとこれ、後々大きな禍根になるように思えてなりません。

 恐らくそんなこと言ったら検事が捜査に躊躇するなどというでしょうが、立件した案件に無罪判決が下りようとも、違法な捜査さえしなければ処罰されないはずであり、そのような言い訳はナンセンスでしょう。前述の通り検察自身が自浄できないのであれば、ましてや大川原化工機事件のように明らかに法解釈を捻じ曲げて強引な捜査を続けた点も踏まえると、検察の捜査を国家法で制限してでも国民を保護する必要が出てきている気がします。
 具体的な処罰水準に関してはその度合いによって定めるべきであり、単純な法曹資格の喪失、懲戒免職はもちろんですが、上司の命令で関わらざるを得なかった末端の検事などについては、いくらかの温情措置もあっていいのではと思います。具体的には法曹資格の一時停止と研修活動の義務で、冤罪を起こしてはならないという研修コースをみっちり受けさせることを条件に業務復帰を認めるようなのがいいかと思います。

 でも実際にそんな研修ってあるのかな、もっと効果的なのないのかななどとしばらく考えてみたところ、一方的に筋のない主張で延々と怒鳴られ続けることを身を持って体感できる、コールセンター業務を半年間くらいやってもらうのが一番いいのではという結論に至りました。っていうか処罰以前に検事はこれ、絶対やった方がいいとすら思う。カミーユじゃないけど「一方的に怒鳴られる今日がどんなものか、教えてやる!」という具合で、殴られる覚悟のある奴だけ殴ってもいいじゃないですが、脅迫的な手段で捜査される側の立場に立ってもらうのは大事でしょう。

2024年6月11日火曜日

誰も言わないけど中国の年金が心配

米国人講師4人刺傷 「単発事件」として捜査 中国外務省(時事ドットコム)

 今日出たこの記事ですがガチのマジで中国では一切報じられていません。こんなの隠蔽する必要性が全く見当たらない記事内容だと思うのですが、こういうのすら堂々と出せないあたり今の中国はよっぽど弱ってんだなと逆に思えてきます。

 そんな中国の話を今日はしようと思うのですが、一時期と比べると社会における悲壮感はやや薄まり、消費もこのところは活発になってきたように思います。ただその一方で企業業績はどこもあまり改善しておらず、また若者の新規採用が依然として狭い門であるだけでなく、中高年のリストラも続けられています。最近だとスタバにリストラされて行き場をなくした中高年がよくたむろするようになったと言われており、ほんと90年代後半の日本に様相が似てきたなと思います。

 その上で今後について述べると、現状ではまだ不動産業界鹿話題になっていませんが、依然として不良債権の処理に手を付けようとする動きが見られないだけに、大体2~3年後くらいに不況の波が金融界にも一気に広がると思います。逆を言えばそれまでは状況の深刻さにいまいち気づけずに、麻酔を嗅いだように火が広がっていても危機感を持てない状態で中国は続くのではとみています。

 ただそうした経済危機以上に、地味にもっと深刻だと思っているのが見出しに掲げた中国の年金制度です。中国では「養老金」と呼びますが、具体的に研究したわけではないもののただでさえ日本以上にハイペースで少子高齢化が進んでおり、なおかつ社会全体の雇用が悪化してきて地方財政も火の車とも言うべき状態にあることを考慮すると、日本よりも年金制度の破綻がずっと深刻に発展するのではないかと危惧しています。


 実際に国の年金制度に疑念を持つ中国人は増えており、このところマジで私の周りでも個人年金に加入したり、検討する人が増えてきています。上のリンク先の中国語記事はそれを裏付けるかのように、個人年金の口座開設者数が6000万人を突破したことを報じているのですが、それだけ公的年金への不安が高まっているとも言えるでしょう。
 その公的年金についてですが、直近ではあまり分析する記事が出ていません。ただ状況から考えるとこのままいけば状況的に破綻待ったなしだと思えるだけに、もっと早く検討したり分析したりする必要があるように思います。時間あったらまた自分がやってみようかなとも思いますが、ガチな話、中国政府は早く今のうちから年金制度を検討した方がいいと思います。

2024年6月9日日曜日

秋葉原通り魔殺人事件の救命現場

「血液が両手の指の間から大量に溢れ出して…」2人の命を救った”通りがかりの民間人”が見た、壮絶すぎる光景《秋葉原通り魔事件から今日で16年》(文春オンライン)

 今年に入ってから読んだ記事の中でばこの記事と、その続きの後半記事が一番というくらい印象の強い内容でした。書かれている内容は約16年目となる2008年の秋葉原連続通り魔殺人事件の糾明現場におられた方のインタビュー内容で、当時の凄絶な現場とその後も思い悩む日々などが綴られています。

 この事件に関してはもう若い人の間では知らないという人も出てくるくらい年月が経っており、また犯人であった男もすでに死刑が執行されており、徐々に過去の歴史となりつつある事件です。確か当時のブログにも書いていたかと思いますが、たまたまですがこの事件で亡くなった大学生が自分の実家近くに住んでおり、別の用事で仏具屋に線香を買いに行った際に「もしかしてご友人ですか?」とお店の方に言われています。
 はっきりとその大学生だった方である裏付けは取れてはいないものの、公判記事で亡くなった方の友人の証言では車に轢かれて亡くなられたことが書かれており、家族や友人などからその死が惜しまれていたことを見るにつけ自分もいろいろ思うところがありました。

 話を戻すと、その前の地下鉄サリン事件の現場でもそうでしたが、救命現場では「誰を優先して治療するのか」という判断が医療従事者に求められます。言ってしまえば助かる見込みのない人間を見捨てる判断も要求されるわけで、その結果救える命が増えたとしても、実際の現場の方からすればぬぐい切れない感情を持つのも無理がありません。
 実際に上記奇異のインタビューアーの方も大きな精神障害を負ったようで、記事へのコメントなどを見るとこの方面の精神治療やバックアップ体制が必要だという声も見られます。これが米国ともなるとシェルショックこと戦場帰りの軍人の精神衛生問題を常に抱えており、もし有効な制度や対策があるなら日本もこの際学んでおいた方がいいかもしれません。

 その上で、この秋葉原の事件が起きた当時は通り魔をどう防ぐかが散々議論されましたが、結論から言えばそんな方法はまずないでしょう。どんなに安定した世の中でも価値観がおかしかったり、自分に都合のいい考えを外部に強制する人間っていうのは出てくるものです。強いて言えば、この手の人間があまり出ないよう社会のストレス環境を下げる、精神衛生環境をマシな状態に保つことが最善策に思えますが、自分で言っててできるならとっくにやってるって思います。
 もっとも被害を減らす方法としては、無責任な言い方をすれば通り魔現場では即射殺を警察に奨励するのも一つの手かと思います。ほかの事件でもそうですが、犯行が警察官を含む大勢の目の前で行われ疑いようがない状況の場合、裁判なんてまどろっこしいことする必要あるのかと前から思っています。裁判せずに犯人を射殺する、または裁判するにしても非常に簡素な審理で終えるなどは、してもいいのではないか思っています。

2024年6月7日金曜日

鹿児島県警の情報遅漏事件に関する所感

 数年使用してきたPC用コントローラーがケーブルが弱ったのかなんか接続が突然切れることが増えてきたので新しいのを買いました。前のはスーファミ用っぽいのだったけど今度はPS用っぽいのにしたところ、振動用モーターがでかいのかやたら重く、ずしりと来るので、商品到着直後にまた別のブランドのPS用っぽいコントローラーを買っちゃました。そしたら今度は重さは許容できるものの、中のモーターが振動すると熱もってやけに手が熱くなるコントローラーで、握り具合も悪いため、また別のをさっき注文しました。
 無駄遣いがひどいと思いつつ、なんで普通のコントローラーをみんな作ってくれないんだろうと疑問に思います。ちょっとガチユーザー向けのコントローラーばかりみんな作ってない?



 話は本題ですがちょっと騒ぎになっている鹿児島県警の元部長による情報遅漏問題で、いくつか気になる点があるのでまとめます。

 この事件は鹿児島県警の元生活安全部長が定年退職後、県警職員による犯罪行為に対する捜査を本部長が隠蔽していたとして、その隠蔽していたとする事件内容とともに、ストーカー被害を受けていた被害者の情報を外部ライターに遅漏したことで逮捕されたものです。逮捕後の拘留継続を決める審理にてこの元部長は動機について、本部長が捜査を隠蔽していたからだと主張しましたが、これに対し鹿児島県警の本部長は否定しており、真っ向から意見が対立する様相を見せています。

 仮に元部長の言う通り、本部長が捜査を隠蔽していたとするのであればその情報を外部に伝えることは公益通報として捉えられ、非難されるものではないでしょう。ただ今回遅漏した情報の中には被害者のプライバシーに関する情報も含まれていたとされ、そこまで出す必要はあるのかというと正直疑問です。
 また上記リンク先記事にもある通り、情報の書かれた文書は元部長とは全く面識のない北海道のライターへと送られていたようで、しかも文書では「詳細についてはこいつに聞くように」と、元部長とは別の鹿児島県警関係者の名前や連絡先が書かれてあったとのことです。普通に考えると、元部長のこれらの行動は不自然としか見えません。

 何より自分が一番疑問に感じた点は、元部長の主張する通りこれが内部通報だとすれば、その通報先が何故外部のライターであり、警察庁ではないのかという点です。本部長の捜査隠蔽を糾弾するのであれば確かに鹿児島県警に内部通報することは望ましくないというかほぼ確実に闇に消されるだけですが、鹿児島県警の上級機関に当たる警察庁であれば、通報内容が真実かどうかを調べる権限も力もあり、同じ警察組織ということからも真っ先に訴える先であるように思えます。

 もちろん現段階では分からない点も多く、元部長がこうした行動に出ざるを得ない理由もあるのかもしれませんが、はっきり言えば現状においては元部長の行動に不審な点が多いようにしか見えません。また鹿児島県警はこのところ内部不祥事を連発してることもあり、捜査隠蔽の有無にかかわらず批判されるべき立場にあるのも事実です。なので私自身、あまり鹿児島県警の肩を持つ気にもなれません。

 どちらにせよ内容が内容だけに、この件については事の真偽をはっきりさせ、世間にも詳しく説明してほしいのが市民としての感情です。まぁ市民といっても、今の自分は上海市民なんだけど。

2024年6月5日水曜日

セクシー田中さん事件で思い出した過去の体験

 先日、ドラマ化に起因して「セクシー田中さん」の作者が自殺した事件についての日テレ報告書についてこのブログで触れましたが、その記事でも触れているように日テレの報告書は「何がしたくてこんなもの作ったのか?」と言いたくなるようなひどい出来でした。当事者であるにもかかわらずこれでもかと言わんばかりに他人事のような態度で、わかっちゃいるけどあまりコンプライアンス意識のない会社だなという印象を覚えました。

 そんな感想記事をまとめている最中、突然高校時代のある体験を思い出しました。どんな体験かというと、強いて言えば自分の中ではこの「セクシー田中さん」で起きた出来事に最も近い体験だったのではと考えています。

 事の起こりは私が高校生だった頃、高校生なのに中二病のまんまで当時私は小説家を目指して、多分今以上に平均で多くの文章を書いていました。書き上げた小説はバインダーに閉じて級友らに回し読みさせていたのですが、ある日ふと毎度毎度単発で書くのではなく、連載形式にしてみたらどうか、定期的な同人誌にして回覧させた方がいいのではないかと思いました。こうすることでほかにも興味を持って小説とかイラスト書く奴がいたら一緒に回覧できるし、自分も定期的な締め切りができてもっと追い立てられて小説書くようになると踏んだからです。

 そうして何人かと一緒に準備を進め、確か雑誌名はやっちまった感を出すため「出来心」だったと思いますが、栄えある第1号は無事に出すことができました。確か表紙のイラストとかも自分で描いてました。
 それ以前からも回覧させていたとはいえ、こうして同人誌形式にまとめたことで周りの反応は良く、自分も書いてみたいという奴も出てきたのでやる気満々なまま次の第2号も準備し、例によってまた自分が表紙を描いて作ることができました。

 ところがこうしてできた第2号を回覧させたところ、級友の一人が何故か「乗っ取った!」と言って、自分の描いた表紙の上に上書きするような形で別のタイトルやイラストを載せてきたのです。その張本人は仲間内の中でややカーストの高い人間だったこともありほかの級友も同調し、「残念だったな、花園」、「早くも編集長を追われたか」などと冗談めかして言ってきました。
 ぶっちゃけ、これ書いている現在ですら指が止まるくらい動揺しているのですが、当時の自分のショック感と言ったら甚だしいものでした。向こうが冗談でやっていることはもちろんわかっていたし、本気で雑誌を乗っ取るような意図もなければやる気も創意もないことも承知していました。しかしそれを知っててなお、自分が一から作った創作物をこのような悪ふざけで台無しにしようとする人間がいるものか、またそれを止めようともせず同調する人間しかいなかったという点に、端的に言えば絶望しました。少なくとも、丹精込めて書き上げた表紙イラストは上書きされて完全に台無しにされてましたし。

 その後どうしたかというと、回覧が終わって自分の手元にバインダーごと戻って来るや自分はその同人誌第2号を全員の見てる前で全部真っ二つに破きました。なんでこんなことをしたのかというともう自分自身にこれ以上続ける気力がなかったのと、平気で他人の創作物を汚すことのできる人間がいるというあきらめ感から、もう作ることはないだろうというのが正直な気持ちでした。その上で張本人を含むほかの級友らに「乗っ取ったというのだったらせめて自分たちで同じようなものを作ってみろ」と告げてその場を去りましたが、言うまでもなく、その後彼らは何一つ創作物を作ることはありませんでした。

 真面目にこの時の絶望感たるや半端じゃなく、誇張ではなく首吊ることすら本気で考えてました。自分の創作物を台無しにされたということよりも、人が頑張って作った創作物をああも汚すような行為を平気でする人間が当たり前のように存在している事実の方が自分にとってはショックで、マジでこの時は数日間、帰宅後は自宅で寝込み、何をする気力も湧かずしばらく無為に過ごしてました。
 なお当時級友らは自分が極端な行動を取ったとして謝るどころか自分を批判するようになり、自分も彼らとの交流を一時断ちました。その後、仲介に立つ人間を選んで自分が当時このように考えたと伝えた上で和解に至りましたが、若干自分が無駄に折れたと今は考えており、あくまで孤高を貫くべきだったのではないかという後悔をやや持っています。

 以上の経緯はあくまで自分の中二病体験ですが、それでも自分が経験した中では今回の「セクシー田中さん」騒動の原作者立場に最も近い体験だったのではないかと思います。その上でこの事件の当事者である日テレのプロデューサーと脚本家について自分の見方を言えば、どちらもクリエイターではない、だからこそ他人の作品を汚すことに一切の躊躇がない上、汚される側の立場や意識も現在進行形で全く理解できないのではないかという気がします。
 私自身がクリエイターであるなどと偉そうに言うつもりは毛頭ありませんが(そもそもジャーナリスト自認だし)、少なくとも上記体験から、自分が一から作った創作物を上書きされたり、無用な改変されたりすることで受けるストレスはとんでもなく大きいことはわかっているし、だからこそ他人の創作物にもそのようなことは決して行ってはならないということは理解しているつもりです。そうした感情が、はっきり言えば両者には全く感じられず、原作者である他人の痛みをわからないからこそああしたひどいことを平気で行えるのだと思います。

 また日テレの報告書を見る限りだと、「セクシー田中さん」では「これ意味あんの?」と言いたくなるような不必要で無用な原作改変が繰り返し行われていたようです。これら改変は「ストーリーや撮影の必要性があるから改変する」というより、「改変できそうなどうでもいい箇所があったら自分の爪痕を残すために必ず改変する」というような、自分が手を加えた証拠とばかりに改変を繰り返していたように見えます。
 もし自分が原作者の立場だったなら、多分こういう改変されたら言うまでもなくショックだし、作品をひたすら一方的に汚されているという風に受け取った気がします。なので原作者が改変に度々待ったをかけたり、ラスト2話の脚本を自ら手掛けたというのも当然の帰結のように思えます。

 なお自分が同じ立場だったら八墓村スタイルで突撃していた……と言いたいのですが、多分復讐心よりも絶望感の方が大きく、実際には何も行動できずに寝込むこととなっていたでしょう。そう考えると、自分の作品を守るためにあのような状況で脚本をチェックしたり、自ら脚本を書こうとした原作者に対しては、今更ながらそのバイタリティとプロ意識に強い尊敬心を覚えます。

 その上で、あくまで自分の勝手な憶測として述べると、原作者が自殺に至ったのは日テレや脚本家との対立に疲れたとか、世間の反発を感じたからとかそういうのではなく、過去のドラマ化で何度か経験していたにもかかわらず、また今回も結果的に自らの作品を汚されることとなった点について、自分の作品を守ることができなかったという絶望感が最大の動機だったのではないかという気がします。特定の誰かを恨んだりとかそういうのではなく、作品が汚されることが見えていながら、対策はしたつもりでも結局また繰り返してしまった自分への不甲斐なさからくる絶望じゃないのかと、いま改めて思います。

 最後にこの作品を汚される痛みについて、私自身も上記エピソードを思い出すまでいまいち実感がなかったのですが、もしかしたら経験しないとわからないものなのかもしれません。でもって「作品を汚す」という行為ですが、アニメや漫画の二次創作とかそういうのは当てはまらず、「作者の影を消そうとする行為」がこれに当たるような気がします。自分自身も作品を上書きされて駄目にされたこと自体よりも、軽い気持ちでああした行為を行おうとする悪意が一番理解できなかったし、気持ち悪いと感じましたし。

2024年6月4日火曜日

上海の気候について

 ほかに書く話題もあるのですが書こうとすると長くなりそうで、このところ仕事が忙しくなっているので後ろ倒しにし、ならほかに書くことはと思って浮かんできたのが上海の気候です。結論から言うと、東京の気候とほとんど同じですが、夏の暑さと冬の寒さは上海の方が一枚上手ってところです。

 中国と一口で言ってもめちゃ広く、どの都市で見るかでその気候も熱帯から寒帯と千差万別ですが、緯度的に中国のほぼ中間にあって海沿いの上海に限って言えば、気候は東京、というか南関東とそんなに差はありません。東京と比べると西にあるため梅雨が来るのはやや早いですが、実質的に6月が梅雨のシーズンなのでそこまで日が離れるというわけでもありません。
 一方、台風シーズンに関しては上海の方が明らかに来るのが早く、毎年必ず上陸するというわけではないものの、来るとしたら6月から7月にかけてで、9月に最も集中する東京と比べたらそのシーズンはかなり早いです。

 次に気温に関してですが、夏に関して間違いなく上海のが暑いと断言できます。毎年1度くらいは40度超えるし、最低気温も30度を下回らない日がよくあります。最高気温に至っては真夏は35度を切ることの方が珍しく、それでいて海沿いにあって湿度が高いもんだから夏場の不快度は東京の比ではありません。
 なので夏場に日本のニュースで「東京は今すごく暑い(33度)」などと書かれると「なめんなよ(´・ω・)」みたいな気持ちを覚えます。もっともそれ言ったらインドとかに比べると上海はずっとましですが。

 冬場に関しても、東京の気温と比べると上海の方が毎日一段低い気温となることが多いです。元々、寒さに強い体しているためそんなに冬を苦にしない私ですが、それでも日本にいたころと比べると上海の冬の方が寒いと感じることが多く、特に湿度が明らかに冬でも高いので、そういう時は肌に直接寒さが伝わるような感覚があります。
 もっとも、上海で雪が降ることはほとんどなく、ここ数年は市内で積もるのを見たことがないです。数年に1回程度は積もることもありますが。

 このほか春と秋について触れると、かつては日本と比べると両季節の時期が短いと感じていましたが、最近は日本でも夏と冬の時期が延び、春と秋が短縮気味だといういう人が多く、それを踏まえると春と秋の時期の長さで言えば今や東京も上海もあんま変わらないかもしれません。
 なお上海の季節で言えばやはり秋、それも10、11月が最もいいかと思います。何故かというと10月から上海蟹のシーズンとなり、街中でも安価で旬の上海蟹を食べることができ、なおかつ極端に熱くも寒くもないからです。この時期だからと言って上海に観光客がたくさん来るわけではなく(上海蟹が取れる隣の昆山市は集中するが)、混雑に遭うわけでもないので個人的にはお勧めです。

2024年6月2日日曜日

セクシー田中さん報告書の最重要ポイント

 先月の「けじめをつけた読売、けじめをつけられるか日テレ」記事で、漫画原作ドラマの「セクシー田中さん」問題で日テレが当初予定していた5月初めという報告書提出期限を守らなかったと触れましたが、5月末日の31日になってようやくこの報告書を出してきました。なんでこの日程になったのかは調査が遅れたとかそういう以前に、市民がこの問題を忘れたころに出そうとなるべく後ろに延ばした結果と推測しています。というのも、中身を読んだ限りだと2週間もあれば作れそうないい加減な内容だったからです。

 この報告書について自分も読みましたが、職業柄この手の報告書を見る機会が多い自分からすると幼稚な内容に見え、よくこんな内容の報告書を出すことに弁護士も署名したものだという気持ちを覚えました。具体的にどの点が幼稚なのかというと、内容の大半がドラマ制作前後の原作者とテレビ局のやり取り内容について書かれており、敢えてたとえるならあらすじばかりで埋めた小学生の読書感想文みたいな内容となっており、一番肝となる考察部分は逆に少ないという有様だからです。
 簡潔性を完全に失っており、恐らく敢えて読みづらい構成にして読む人を減らし、批判を避けようという意図もあるのではないかと思います。もし私に書かせたら、この1/3の分量でまとめてみせましょう。

 以上を踏まえて述べると、この報告書で真に読むべき最重要個所は67ページにおける「② 本件脚本家名のクレジッ ト問題」、またその詳細の書かれた38ページの「4 脚本家と原作者のネット投稿」の個所ではないかと思います。そこに至るまでの経緯もある程度把握する必要はありますが、極論を言えばこの部分のみでも報告書としては成立するかと思います。
 このように考える理由としては、そもそもこの報告書は原作者が自殺に至ったことについての背景や経緯を追い、今後このような事態を引き起こさないための対策をどうするのかという視点で作成されています。この視点に立つならば、それまでの積み重ねもあるもののの、原作者が自殺に至ったもっとも決め手となった点、逆を言えばこれさえなければという点を指弾することこそが最重要な意義であり、私の目から見ると報告書で言う「クレジット問題」こそがまさにその点だったと思います。

 ではこのクレジット問題とは何かですが、直接引用すると以下の通りです。

「上記のとおり、2023年11月1日に本件脚本家の降板と、本件原作者による脚本案をもとに制作を進めていくことが事実上決定した。その後、本件脚本家から、その決定は受け入れるものの、9,10話のクレジット表示について、本件脚本家の名前を『脚本協力あるいは『監修等と入れて欲しいとの要望がなされた。

 しかし、これについては本件原作者から反対の声が上がった。制作サイドとしては、9,10 話の脚本が交替になったとはいえ、8話まで一緒にやってきた脚本家である本件脚本家の 当該要望には最大限応えたいとの考えを持っており、本件脚本家の意向を汲み、『協力』あるいは『監修』等のクレジットを入れられるよう、原作サイドと可能な限りの交渉、協議を行っていた。一方で、本件原作者の意向に沿わない形で事を進めると、最悪の場合、9,10話の放送を認めてもらえないのでは、というリスクにも向き合う必要があった。

 他方で、本件脚本家からは、1話から 8話までの二次利用(配信やビデオグラム化などのこと)について、脚本家としての著作権を行使する可能性を示唆されたことで、状況はより深刻化した。こうして、日本テレ ビは、クレジット表記をめぐり、いわば原作者の意向と脚本 家の意向の板挟み状態になってしまったのである(以下「クレジット問題」という)。

 最終的に、日本テレビの判断のもと、原作サイド(本件原作者)の意向に沿う形でのクレジット表示となり、日本テレビはこの最終決定を本件脚本家に伝えたが、本件脚本家はヒアリングにおいて、『クレジットに関しては日本テレビに決定権があるはずなのに、日本テレビは最後まで自分を守ってくれなかった』と感想を述べ、9,10話 を降板になったことよりも、このクレジット問題に関する日本テレビの最終判断に強い不満を持ったと説明している。かかるクレジット問題をきっかけに蓄積した本件脚本家の不満が、結果的に後の本件脚本家によるSNS投稿に繋がったといえる。」

 原作者が自殺に至った直接的原因はやはり、脚本家の最終9、10話における原作交代に対する不満をぶちまけたSNS投稿にあることは間違いありません。ではそのSNS投稿に何故至ったのかというのが上記のクレジット問題で、要は9、10話に脚本家が自分の名前をクレジットに入れるよう要求し、もし入れなかったら脚本家の著作権を行使して番組の二次配信などを止めるよう主張していたそうです。
 これに対し原作者はきっぱり拒否し、またそれまでの経緯もあって原作者も著作権を行使して二次配信などを止めてくる可能性があったため、テレビ局は原作者の主張を採り、脚本家の要請を拒否してクレジットに入れなかったそうです。

 仮にこの通りの事実であれば、こう言っては何ですが脚本家の人の主張、そしてその後のSNSの行為はやはりどうかと私には思います。本人は「クレジットに関しては日本テレビに決定権があるはずなのに、日本テレビは最後まで自分を守ってくれなかった」と言ったそうですが、「日本テレビに決定権があるのだから、お前をクレジットに入れないのも日本テレビの判断だろ」としか言いようがありません。

 それにこの脚本家、原作に忠実云々をほっといてもそもそもおかしなムーブを見せており、なんでも「家庭の事情で短大に通えなかった」というキャラ設定を、「最近は短大進学者が少ないから……」という理由で、「家庭の事情で制服のかわいい高校に通えなかった」という設定に変えようとしていたそうです。
 短大の進学者が少ないは確かにその通りですが、「制服のかわいい高校」となると全く別物の理由になり、視聴者のそのキャラを見る目もまるで変ってきます。なんでこんな改変しようとするのか、自分ですら理解できないのだから原作者からしたら「駄目だこいつ」と思ってもしょうがないでしょう。実際、こうした訳の分からないアドリブ入れまくるほか、「原作者からの修正指摘を見るのがきつい」と漏らすなどしたことから、脚本家を降板させるよう原作者が要求したそうです。
 なおこの脚本化の「原作者からの指摘を見るのがきつい」という感想に関しては、ここだけの話だったのがプロデューサーが原作者に勝手に伝えたそうです。無駄に両者の関係を煽るあたりは名プロデューサーでしょう。

 ただ脚本家に関しては、「なんで途中で脚本降りたの」と問い合わせが来たり、その後の二次配信の著作権料とかにも影響することから、この問題について無視できなかったという事情は理解できます。とはいえ、関係者同士で話し合うのではなく内輪もめをSNSに投稿したのは完全に言語道断であり、発揮いうと原作者を自殺に追い込んだ張本人の一人であると言わざるを得ません。

 もっとも最大の戦犯となればやはりこのドラマのプロデューサーであり、「原作に忠実に作れる」脚本家を意図して選ばなかったり、そういった指示も脚本化にしなかっただけでなく、要所要所でかなりその場をしのぐための悪質な虚言を繰り返しています。一つ挙げると、原作者の脚本修正要望に対して撮影前なのに「もう撮影しちゃったから」などという嘘をついていたようです。こうした点も原作者の不満、不信につながっていったのでしょう。
 また上記の脚本家のSNS投稿に関しても、投稿前にその意思を示唆されていたそうです。その際に原作者と脚本家の誤解を解くなり、間に入るなりきちんと対応しておけばこんな悲劇はまず起きなかったでしょう。また投稿後に関しても「法務部と相談したけど個人の投稿を取り下げるよう要求できない」ということを理由に、何の対応もしなかったそうです。要するに、法律を盾に両者の和解に努める努力を放棄したことの言い訳ばかりがつづられています。

 最後にこの問題で一番根深い点として、誰一人責任を取っていない点です。はっきり言えばプロデューサーが原作者の意図をないがしろにし、自らの怠慢により原作者と脚本家同士の憎悪を煽り立て、SNS投稿に関しても知らぬ存ぜぬをやらかした結果に悲劇が起きたにもかかわらず、日テレはこのプロデューサーはおろか、その上長を含め誰も責任となる処分を取っていません。そもそもこの報告書自体が、長々とどうでもいいドラマ制作の経緯を書くなどして責任の所在をあいまい化している節があり、なるべくうやむやにさせようという意図のもとで書かれてあります。

 改めて述べると、ぶっちゃけこの報告書に求められているのは犯人捜しであり、責任を究明し、二度とこのようなことを繰り返さないよう内外に示すため果断に処分することにあるはずです。それこそが最大の対策になるはずなのですがそれを完全に放棄して、やるだけのことはやった的にこんな報告書を上げてくるあたり、無反省もいいとことでしょう。
 っていうか漫画家協会も、「きちんとした体制を見せない限りは日テレに原作を提供しないよう推奨する」的な声明を上げてもいい気がします。これくらいやらないと、多分彼らも反省しないでしょう。

ゲパルト作った(*‘∀‘)


 前の記事でも少し触れたゲパルトをこの度、ようやく作り終えました。


 期待通りというか存在感が物凄いのと、得意なデザインもあって作っている最中も、作った後も非常に楽しんでいます。あまりにも気に入ったことから、わざわざ枕元に置いてこれから夜な夜な眺めようと思うほどです。


 このゲパルトは、ゲパルトをパクって参考に作られた87式自走高射機関砲と同様にガンダムに出てくるガンタンクという呼び声もありますが、実際に作ってみてまさにその通りというか、ガンタンクがこれをモデルにデザインされたのではないかとすら思うようになりました。特に前面のレーダーが顔っぽく、左右の機関銃が両腕っぽく見える辺り、日本人なだけにアニミズムを感じます。
 なお左右の機関銃は水平になるように組まれており、互い違いに高さを変えることはできません。変えられたら余計にガンタンクに近づいたでしょう。


 以前の記事にも書きましたが、このゲパルトは完成から一度も実戦を迎えないまま退役するかと思いきや、ウクライナ戦争に投入されるや対ドローン兵器として大活躍して、その存在意義が見直されたという稀有な兵器です。定年間近のオールドルーキーが大活躍する辺りなろう系の主人公みたいな期待で、敢えてタイトルつけるなら「退役間近に出征したら戦場で大活躍した件」みたいになるでしょう。

 ただ今後の戦争では明らかに戦闘機よりもドローンの方が主役となり、実際に次の国産機となるF-3では、機体そのものは戦闘には深くかかわらず、周囲のドローンを管理、指揮する方面の機能が重視されるとのことだけに、こうした対ドローンに特化した自走高射砲の価値はますます高まると思います。日本の自衛隊も、前述の87式自走高射機関砲は52両で生産終了となりましたが、改造した新規機体を海外から購入、または自作する方がいいような気がきます。