・保険契約22万件を追加調査 6万人不利益の疑い、かんぽ不正(共同通信)
昨日の記事じゃないけど、なんで今更って感じのするニュースです。
詳細はリンク先にありますが、昨年に高齢者を散々食い物にしてきたことがばれたかんぽですが、前回調査における対象でなかった保険契約22万件、対象者6万人について再調査をすることとなったそうです。内容について具体的な言及はありませんが、時期的に考えて下記の西日本新聞による報道のものではないかと推測しています。
・「孫死亡」の保険金、受取人は高齢客 かんぽで不自然な契約相次ぐ(西日本新聞)
内容を簡単に説明すると、高齢者による生命保険契約なのですが、その付保対象者は高齢者自身ではなくまだ若い息子や孫ばかりで、明らかに寿命の順番を無視した異常な契約内容となっています。その内容の歪さから、契約時には説明の怠慢、または認知能力の低い高齢者を狙ったものかと思われ、どちらにしろ非常に悪質な契約内容です。
何が不思議かというとこれほど異常な契約内容にもかかわらず、前回の一斉調査時にはこうした契約は調査していなかったそうです。こうした契約が今回の再調査に含まれるかはまだわかりませんが、これまでに調査していなかったというその一点だけとってももはや救いがたい組織であるとしか言わざるを得ないでしょう。
ちなみにかつてかんぽは「安心・安全のかんぽ」みたいなキャッチコピーを謳っていましたが、「大丈夫!ファミ通の攻略本だよ」といい、「安心」とか「大丈夫」とかいう連中ほど信用はできないものです。
話を戻すと、かんぽは前回調査結果を踏まえて現在業務停止命令を受けており、今年4月から業務再開する予定となっています。普通の感覚で言えば、前回の不正の時点で通常なら事業完全停止命令が出てもおかしくない規模の問題を起こしていますが、国の事情も相まって非常に穏便な処分に抑えられています。そこへきて今回の新たな不正ほぼ発覚ですが、今に始まるわけでなく自浄能力なんて皆無に等しいのだから、今度こそ完全な事業停止を命じるべきだと思います。まぁなるわけないが。
それにしても東芝といい最近の企業不祥事は、不祥事の規模や内容よりも、政府との距離の近さによって処分が決まるようになってきたなとつくづく思います。あんまりこういうこと言いたくないけど、日本も中国っぽくなってきたなぁ。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2020年1月31日金曜日
2020年1月30日木曜日
独眼竜の元となった武将
・検査拒否した帰国者2人、「検査受けたい」と申し出(朝日新聞)
さすがに、今更これはどうかと思う。
話は本題ですが、独眼竜とくれば政宗、政宗とくればずんだ餅というのが連想ゲームの定番ですが、この「独眼竜」という通称は実は伊達政宗に端を発するものではなく、中国の李克用という武将のあだ名から由来としています。
・李克用(Wikipedia)
李克用は唐末期(9世紀末)の武将で、父親も地方軍閥の長という家系の出身です。元々の名字は「朱邪」といいましたが、父とともに従軍して大規模な反乱を収めた功績への恩賞として、唐の皇帝一族の名字である「李」を名乗ることが許され、「朱邪克用」から「李克用」へクラスチェンジを果たしました。
その李克用ですが、どうも生来から片目が不自由だった、若しくは外見的な特徴があったと言われています。そうした外見的特徴と抜群の武勇を誇ることから、いつしか「独眼竜」という通称が付いたそうです。
前述の通り、李克用は若年の頃から父親とともに反乱を抑え込むなど軍事面で活躍していますが、唐末期の混乱期であったこともあり、父親とともに一度反乱を起こしています。ただこの反乱は失敗して韃靼族の元へ逃亡し、唐王朝からは韃靼族へ李克用らを引き渡すよう要求されましたが、そこらへんは李克用が韃靼族らに百発百中の弓矢の腕をアピールしてどうにかこうにかかくまってもらっています。
このように一度は反乱を起こした李克用でしたが、何故かその四年後には唐に帰順し、その後は唐の軍人として大活躍します。折しも当時は塩の密売業者である黄巣が反乱を起こしており(黄巣の乱)、中国はまた群雄割拠時代に突入していました。この時に李克用は鴉軍という、全員黒一色の衣装で統一した部隊を率いて連戦連勝し、黄巣の反乱部隊を裏切った朱全忠とともにこの反乱を一気に鎮圧して見せました。
しかし黄巣の乱の後、唐王朝内部で実力者となった李克用と朱全忠が対立するようになります。軍事面では圧倒的な実力を有する李克用でしたが、宮廷政治の方はからきし駄目だったこともあって、宮廷内の主導権は徐々に朱全忠に握られていくこととなりました。
なお黄巣の乱の最中、黄巣を裏切ったばかりの朱全忠は黄巣軍から攻撃を受けた際、李克用に救援を求めて救出されています。この際に朱全忠は李克用に慇懃な態度でお礼を伝えましたが李克用からは、「裏切った元主君を相手にするのは大変だろう」とか皮肉を言われたそうです。李克用も以前に唐に反乱起こしているくせにと、内心思いますが。
話を戻すと、李克用は拠点である山西省に拠って朱全忠との抗争を続けていましたが、そうこうしているうちに唐王朝は朱全忠によって簒奪され、朱全忠が皇帝になってしまいます(王朝名は後梁)。この簒奪劇を李克用は認めるはずもなく朱全忠への抵抗を続けていましたが、後梁の成立から間もなく李克用は寿命で逝去しました。その逝去の際、後継者の息子に対して必ず後梁を打ち倒すように伝えたそうです。
その後、後を継いだ息子の李存勗は父の悲願を果たす形で内部瓦解していた後梁を打ち滅ぼし、新たな王朝を開いて国号を「唐」としました。なんで「唐」にしたのかというと、前述の通り「李」の名字を前の唐王朝から拝領していたことが理由で、元の唐と区別するためこの新しい王朝は現在「後唐」と呼ばれています。
自分はこの一連の経緯を社会人になってから学びましたが、本音を言えば高校時代に教えてほしかったなと当時思いました。というのも高校世界史では唐が黄巣の乱で亡んだ後、「後梁→後唐→後晋→後漢→後周」という風に王朝が変わったとしか教えられず、全く脈絡がなく各王朝名をそのまま丸暗記するしかなかったからです。せめてこの李克用の話があれば、独眼竜の由来もわかったし、唐から後梁、後唐までへの流れはストンと消化できたように思え、無駄に覚えるのに苦労させられたという感じがしてなりませんでした。
歴史の勉強だからこそ、こういうちょっとしたエピソードは大事だというのに( ・´ー・`)
さすがに、今更これはどうかと思う。
話は本題ですが、独眼竜とくれば政宗、政宗とくればずんだ餅というのが連想ゲームの定番ですが、この「独眼竜」という通称は実は伊達政宗に端を発するものではなく、中国の李克用という武将のあだ名から由来としています。
・李克用(Wikipedia)
李克用は唐末期(9世紀末)の武将で、父親も地方軍閥の長という家系の出身です。元々の名字は「朱邪」といいましたが、父とともに従軍して大規模な反乱を収めた功績への恩賞として、唐の皇帝一族の名字である「李」を名乗ることが許され、「朱邪克用」から「李克用」へクラスチェンジを果たしました。
その李克用ですが、どうも生来から片目が不自由だった、若しくは外見的な特徴があったと言われています。そうした外見的特徴と抜群の武勇を誇ることから、いつしか「独眼竜」という通称が付いたそうです。
前述の通り、李克用は若年の頃から父親とともに反乱を抑え込むなど軍事面で活躍していますが、唐末期の混乱期であったこともあり、父親とともに一度反乱を起こしています。ただこの反乱は失敗して韃靼族の元へ逃亡し、唐王朝からは韃靼族へ李克用らを引き渡すよう要求されましたが、そこらへんは李克用が韃靼族らに百発百中の弓矢の腕をアピールしてどうにかこうにかかくまってもらっています。
このように一度は反乱を起こした李克用でしたが、何故かその四年後には唐に帰順し、その後は唐の軍人として大活躍します。折しも当時は塩の密売業者である黄巣が反乱を起こしており(黄巣の乱)、中国はまた群雄割拠時代に突入していました。この時に李克用は鴉軍という、全員黒一色の衣装で統一した部隊を率いて連戦連勝し、黄巣の反乱部隊を裏切った朱全忠とともにこの反乱を一気に鎮圧して見せました。
しかし黄巣の乱の後、唐王朝内部で実力者となった李克用と朱全忠が対立するようになります。軍事面では圧倒的な実力を有する李克用でしたが、宮廷政治の方はからきし駄目だったこともあって、宮廷内の主導権は徐々に朱全忠に握られていくこととなりました。
なお黄巣の乱の最中、黄巣を裏切ったばかりの朱全忠は黄巣軍から攻撃を受けた際、李克用に救援を求めて救出されています。この際に朱全忠は李克用に慇懃な態度でお礼を伝えましたが李克用からは、「裏切った元主君を相手にするのは大変だろう」とか皮肉を言われたそうです。李克用も以前に唐に反乱起こしているくせにと、内心思いますが。
話を戻すと、李克用は拠点である山西省に拠って朱全忠との抗争を続けていましたが、そうこうしているうちに唐王朝は朱全忠によって簒奪され、朱全忠が皇帝になってしまいます(王朝名は後梁)。この簒奪劇を李克用は認めるはずもなく朱全忠への抵抗を続けていましたが、後梁の成立から間もなく李克用は寿命で逝去しました。その逝去の際、後継者の息子に対して必ず後梁を打ち倒すように伝えたそうです。
その後、後を継いだ息子の李存勗は父の悲願を果たす形で内部瓦解していた後梁を打ち滅ぼし、新たな王朝を開いて国号を「唐」としました。なんで「唐」にしたのかというと、前述の通り「李」の名字を前の唐王朝から拝領していたことが理由で、元の唐と区別するためこの新しい王朝は現在「後唐」と呼ばれています。
自分はこの一連の経緯を社会人になってから学びましたが、本音を言えば高校時代に教えてほしかったなと当時思いました。というのも高校世界史では唐が黄巣の乱で亡んだ後、「後梁→後唐→後晋→後漢→後周」という風に王朝が変わったとしか教えられず、全く脈絡がなく各王朝名をそのまま丸暗記するしかなかったからです。せめてこの李克用の話があれば、独眼竜の由来もわかったし、唐から後梁、後唐までへの流れはストンと消化できたように思え、無駄に覚えるのに苦労させられたという感じがしてなりませんでした。
歴史の勉強だからこそ、こういうちょっとしたエピソードは大事だというのに( ・´ー・`)
2020年1月29日水曜日
コロナウイルスの細菌兵器研究所流出説について
わざわざリンクを張るまでもないですが、一部メディアで今回中国で流行しているコロナウイルスは、武漢市の細菌兵器研究所で実験されていたウイルスが流出したものだとする報道が出ています。この件に関する私の意見としては、もっと調べてから言えといったところです。
この説の根拠としては、多くの感染者が罹患したとされる感染中心源である市場から近いということと、細菌やウイルスを扱っている施設という、この二点しか見当たりません。しかも市場から近いったってその距離は報道によると30キロもあるそうで、なんで研究所から漏れたウイルスが30キロ離れた市場で大量に感染者が出るのか、自分としては腑に落ちません。
それこそ、研究所の職員が最初の感染源と思しいという情報があればまだ別ですが、今見ている限りだとそうした報道や報告は見当たりません。もっとも陰謀論者からすれば、「中国政府がその事実を隠している」と主張するだけでしょうが。
正直に言ってこの手の報道は見るだに不快感を覚えます。理由としてはいくつかあり、まずこうした物騒な状況で確たる根拠もなく、単純な連想から感染ルートを推測し、それをそのまま報じるというのは情報の錯綜面からいってよくないと思うからです。こうした報道はひとたび間違えれば妙なパニックや悪意を招きかねず、報道に関しては慎重さが求められます。
次に、私と同じように考えた人はいるのかやや疑問ですが、河野義之氏の例を思い出すからです。やはり病気や体調不良の感染源というのは人の注目を呼ぶものというべきか、「どこに責任があるのか」という点について世論は追及しがちです。であるからこそ根も葉もない、根拠の薄い説であっても、適当に報じられたら大衆はそれを信じ、糾弾してしまうのだと考えます。
であるからこそ、こうした感染源に関する情報というのは特段の注意と慎重さが必要であるべきです。なんとなく、他国だから適当なこと言っていいという雰囲気をこの手の報道には感じますが、仮に国内で「30キロ圏内にあるから」という理由だけで、自衛隊の施設を感染源と報じていいのかといったらそれは違うでしょう。
仮にこの件について報道するというのなら、ちゃんとした根拠や因果関係をもっと詰めるか、安全な所からじゃなく現地取材してから報じるべきでしょう。大体思うけど、事件や事故を無駄に煽る報道をする人というのは現場ではなく、決まって安全なところにいる人間ばかりな気がします。
この説の根拠としては、多くの感染者が罹患したとされる感染中心源である市場から近いということと、細菌やウイルスを扱っている施設という、この二点しか見当たりません。しかも市場から近いったってその距離は報道によると30キロもあるそうで、なんで研究所から漏れたウイルスが30キロ離れた市場で大量に感染者が出るのか、自分としては腑に落ちません。
それこそ、研究所の職員が最初の感染源と思しいという情報があればまだ別ですが、今見ている限りだとそうした報道や報告は見当たりません。もっとも陰謀論者からすれば、「中国政府がその事実を隠している」と主張するだけでしょうが。
正直に言ってこの手の報道は見るだに不快感を覚えます。理由としてはいくつかあり、まずこうした物騒な状況で確たる根拠もなく、単純な連想から感染ルートを推測し、それをそのまま報じるというのは情報の錯綜面からいってよくないと思うからです。こうした報道はひとたび間違えれば妙なパニックや悪意を招きかねず、報道に関しては慎重さが求められます。
次に、私と同じように考えた人はいるのかやや疑問ですが、河野義之氏の例を思い出すからです。やはり病気や体調不良の感染源というのは人の注目を呼ぶものというべきか、「どこに責任があるのか」という点について世論は追及しがちです。であるからこそ根も葉もない、根拠の薄い説であっても、適当に報じられたら大衆はそれを信じ、糾弾してしまうのだと考えます。
であるからこそ、こうした感染源に関する情報というのは特段の注意と慎重さが必要であるべきです。なんとなく、他国だから適当なこと言っていいという雰囲気をこの手の報道には感じますが、仮に国内で「30キロ圏内にあるから」という理由だけで、自衛隊の施設を感染源と報じていいのかといったらそれは違うでしょう。
仮にこの件について報道するというのなら、ちゃんとした根拠や因果関係をもっと詰めるか、安全な所からじゃなく現地取材してから報じるべきでしょう。大体思うけど、事件や事故を無駄に煽る報道をする人というのは現場ではなく、決まって安全なところにいる人間ばかりな気がします。
2020年1月28日火曜日
コンクリート壁に対する断熱対策
今日は久々に曇りですが雨が止んだこともあり、昼過ぎから行く当てもなくニトリへ行くことにしました。
なお出がけにアパートの階段降りてたら一階の踊り場で、「ちょっとあんた、WiFiつながんないんだけど助けてよ」と一階の住人の見知らぬおばさんに声かけられ、WiFiのスマホとの接続作業をやらされました。何のことはなくルーターの電源が切れていただけでしたが、おばさん曰く「みんないなくて誰にも頼れず、困ってたのよ」ということでした。こういうところは本当に中国らしい。
さて上の写真は私の室内にある壁を映したものです。変な感じに次元が湾曲したように見えますが、実際にこの壁は真ん中ほど奥行きが長くなるよう湾曲してます。
そんな湾曲のことはどうだっていいのですがこの壁、見ての通りにコンクリの地肌がほぼむき出しなため、室内に夏場は昼間あっためた熱を放出し、冬場は外の寒気をガンガン流してきます。夏場はともかく、冬場はこの壁の側にパソコンおいていることもあって、作業中はいつも寒かったです。
そんな寒々しい壁への対策として今冬から、上記写真のように夏に買ったござを覆い代わりに被せていました。これが結構効果あったというか、寒いっちゃ寒いけど以前みたいに壁からにじり寄るような寒気は大分おさまり、個人的には「これが文明の力だ」などと悦に乗ってました。今朝までは。
今朝、何気なく頼りがいあるなぁとこのござを眺めてたら、なんか上部の方に埃のようなものが付いているのを見つけました。よくよく見てみると、それは埃じゃなくカビで、ここ数日の窓際の結露によってどうも発生していたようです。慌てて裏面をめくってみると、激しくってほどではないものの表側にはみられないカビの胞子がところどころくっついており、「ござじゃあかんかったんや」と激しく悟りました。
それで慌ててニトリで買ってきたのが、上の子供用フロアマットです。実はこのフロアマット、今年夏ごろから「次の冬にはこれで行く!」と見定めていた商品でした。ただ前述の通りに夏場に買ったござをおいてみたら意外と効果を発揮したので、購入を見送っていました。
素材が素材なだけに断熱効果は折り紙付きで、尚且つ値段も600円(40元)くらいと安く、我ながらうまい発想の転換をした気がします。夏場になればばらして保管すればいいんだし。
なお今日も上海は人気がすくなく、ニトリも一人ではしゃげるくらい閑散としていたのですが、日系スーパーのアピタ行ったらめちゃくちゃ人が来ててびっくりしました。どうも食料とかの買いだめに人が集まっていたようで、日本人店員が話している会話を聞いたら、
「なんでこんなに人多いねん」
「野菜とかもうあらへん」
と言ってて、実際に野菜売り場は商品がほとんどなくなっていました。一方、肉類は冷凍在庫が多いのか割と余裕があり、あとカップラーメンもなんか極端に少なくなっていました。
三が日を過ぎて本来なら物流などが動き出す頃なのですが、あちこちでコロナウイルス対策の封鎖、業務停止が段々響いてきているように感じます。差し当たって明日はインドカレー屋でご飯食べようと思いますが、一昨日、昨日、今朝と自作のカレーで食いつないできているので、四日連続カレーデーになりそうです。
なお出がけにアパートの階段降りてたら一階の踊り場で、「ちょっとあんた、WiFiつながんないんだけど助けてよ」と一階の住人の見知らぬおばさんに声かけられ、WiFiのスマホとの接続作業をやらされました。何のことはなくルーターの電源が切れていただけでしたが、おばさん曰く「みんないなくて誰にも頼れず、困ってたのよ」ということでした。こういうところは本当に中国らしい。
さて上の写真は私の室内にある壁を映したものです。変な感じに次元が湾曲したように見えますが、実際にこの壁は真ん中ほど奥行きが長くなるよう湾曲してます。
そんな湾曲のことはどうだっていいのですがこの壁、見ての通りにコンクリの地肌がほぼむき出しなため、室内に夏場は昼間あっためた熱を放出し、冬場は外の寒気をガンガン流してきます。夏場はともかく、冬場はこの壁の側にパソコンおいていることもあって、作業中はいつも寒かったです。
そんな寒々しい壁への対策として今冬から、上記写真のように夏に買ったござを覆い代わりに被せていました。これが結構効果あったというか、寒いっちゃ寒いけど以前みたいに壁からにじり寄るような寒気は大分おさまり、個人的には「これが文明の力だ」などと悦に乗ってました。今朝までは。
今朝、何気なく頼りがいあるなぁとこのござを眺めてたら、なんか上部の方に埃のようなものが付いているのを見つけました。よくよく見てみると、それは埃じゃなくカビで、ここ数日の窓際の結露によってどうも発生していたようです。慌てて裏面をめくってみると、激しくってほどではないものの表側にはみられないカビの胞子がところどころくっついており、「ござじゃあかんかったんや」と激しく悟りました。
それで慌ててニトリで買ってきたのが、上の子供用フロアマットです。実はこのフロアマット、今年夏ごろから「次の冬にはこれで行く!」と見定めていた商品でした。ただ前述の通りに夏場に買ったござをおいてみたら意外と効果を発揮したので、購入を見送っていました。
素材が素材なだけに断熱効果は折り紙付きで、尚且つ値段も600円(40元)くらいと安く、我ながらうまい発想の転換をした気がします。夏場になればばらして保管すればいいんだし。
なお今日も上海は人気がすくなく、ニトリも一人ではしゃげるくらい閑散としていたのですが、日系スーパーのアピタ行ったらめちゃくちゃ人が来ててびっくりしました。どうも食料とかの買いだめに人が集まっていたようで、日本人店員が話している会話を聞いたら、
「なんでこんなに人多いねん」
「野菜とかもうあらへん」
と言ってて、実際に野菜売り場は商品がほとんどなくなっていました。一方、肉類は冷凍在庫が多いのか割と余裕があり、あとカップラーメンもなんか極端に少なくなっていました。
三が日を過ぎて本来なら物流などが動き出す頃なのですが、あちこちでコロナウイルス対策の封鎖、業務停止が段々響いてきているように感じます。差し当たって明日はインドカレー屋でご飯食べようと思いますが、一昨日、昨日、今朝と自作のカレーで食いつないできているので、四日連続カレーデーになりそうです。
2020年1月27日月曜日
公約したZ33
今日も朝方はやんでいたもののすぐまた雨が降り出したし、上海市にもあんま外出んなと言われているので、Z33型フェアレディZのプラモを作っていました。
作ったのはタミヤのキットで、前輪が左右に動かず、なおかつマフラーやクランクシャフトなどもシャシーボディにあらかじめ一体化して成型されていたため、組むこと自体は非常に簡単なキットでした。もっとも、ライトのパーツがエッジの聞いたデザインのためはめ込んで接着するのが地味に難しく、この点だけは苦労しました。
元々このZ33型フェアレディZは日産車の中でも多分一番好きなモデルで、ゲームでもインプ、エボ3、FTOに並んでよく使う車です。もっとも最近、この手の日本車が出てくるゲーム減ってますが。
今回これ組み立てて改めて思ったこととしては、とにもかくにもスタイリッシュな車で、ボディデザインのカーブは今まで作ってきたプラモの中でも一番優れているように感じます。また写真からも確認できますが、ライト部分のパーツは非常によくできており、はめ込みに苦労はしたものの、フロントもリアも写真の撮り方によっては実車っぽく見せることも出来そうです。特にリアパーツはシンプルな構成ながら、非常に良く再現されています。
なお塗装は元からやりませんが、仮にボディ色を選べるとしたら迷わずオレンジにしていました。以前スピリチュアリストの方に自分のソウルカラーはオレンジだと言われましたが、そう言われる大分以前に「街道2」というゲームでこのZ33を使っていた際、ボディカラーをオレンジにしていました。またその配色が選べるということもZ33を気にいるようになったきっかけであり、自分とオレンジカラーの因縁を辿ると何気にこの車に行きつくような気がしてなりません。
2020年1月26日日曜日
書評「2050年のメディア」
昨日朝起きて目覚まし時計を見てみたら、11時を指しててめちゃ慌てました。実際には8時半だったのですが、目覚まし時計が壊れたのか恐ろしい速度で秒数がカウントされるという状態にあり、時間がずれていたようです。
なので今日新しい目覚まし時計を購入して、元の目覚まし時計の電池を抜こうとしたら2本のうち1本が液漏れしてたのか白い粉にまみれてました。壊れたのもこれのせいだったのかわかりませんが、電池を取り換えても元の目覚まし時計は電源すらつかなくなっていました。
話は本題ですが、何度か過去の記事でも紹介している「2050年のメディア」という本についてレビュー記事を書きます。
この本は以前書いたように友人から面白いと言われて勧められたものの、値段が1900円もすることから電子書籍のセールを待つため一旦保留し、年末のセール時に満を持して買いました。大まかな内容を説明すると、インターネット技術の登場により新聞メディアはどのような影響を受けたのかを、実際の企業当事者たちの当時の動向について丹念に取材して、時系列でそのインパクトや変化、対応が追われています。
元々は慶応大学のSFCで開かれていた著者の講義がベースになっているということから、掲載内容も1つのテーマごとに細かく区切られて載せられています。具体的にはインターネット黎明期における通信インフラ敷設時代、Yahoo発足当初のポータルサイトにおけるニュース掲載契約、読売・朝日・日経の夢のコラボ(であったはず)の「あらたにす」の設立背景、日系電子版の設立経緯などテーマごとに章が区切られており、連載特集記事の様に読むことができて非常に読みやすい構成でした。それでも内容多くて全部読むのに時間かかりましたが。
この手のネットメディアによる新聞メディア駆逐系の本は、今に始まるわけじゃなくかねてから数多くあります。その手の本とこの「2050年のメディア」の最大の差を挙げるとしたら、「2050年のメディア」は、ネットと新聞、双方の立場からその周辺状況の変化を追っている点でしょう。
具体的な当事者を挙げるとYahoo Japanことソフトバンク、読売、日経新聞で、中でも読売新聞は恐らく著者にとって最大の取材対象であったことから非常に事細かにその動きが取り上げられています。そのためか、本来はネットメディアとの相克とはあまり関係なにもかかわらず、清武の乱とか2000年前後のプロ野球の暴力団追放運動まで何故か解説されています。
通常、この手の本はネットならネットメディア、新聞なら新聞メディアの一方向をベースに語られることが多く、どちらかといえば後者の方が多いですが、やや「それでも新聞は滅びない!」的な結論に至ることが多いです。
それに対してこの本では、先ほども書いた通りにネットと新聞の双方の立場からニュースという者を軸にメディア環境の変化が追われており、非常に示唆に富んでいます。2010年代におけるYahoo Jaopanにおけるニュース配信事業を巡る内部分裂など、こうした取材姿勢だからなこそ終えることのできた代表格とも言えるでしょう。
また、著者はそれこそネット黎明期からこのテーマを長年取材してきているだけあって、90年代からつい最近の事件まで詳しく追われています。そうした流れを読んでて感じることとしては、以前にも書きましたがこの議論は「ネットVS新聞」なのではなく、結局は「Yahoo JapanVS新聞」であったということも読んでて感じ取れました。
控えめに言ってもお勧めできる内容で、単純に新聞メディアの90年代以降の動きを追うだけでも読む価値があります。特に私から批判する点はなく、非常に学ぶことの多い内容です。
最後にこの本の展望にそうならば、この先生き残るのは系列印刷所が少なかったからこそ事業転換を遂げられた日経新聞だけとなるわけですが、いろいろと対策をとってきた読売新聞、というより読売新現社長の山口寿一氏がどういう風に舵を取るのかも個人的には気になります。これまでその名前も知りませんでしたが、この「2050年のメディア」の主人公は誰かとなるとこの山口氏がそうであるように思え、個人的に非常に興味の持てる人物であります。
なので今日新しい目覚まし時計を購入して、元の目覚まし時計の電池を抜こうとしたら2本のうち1本が液漏れしてたのか白い粉にまみれてました。壊れたのもこれのせいだったのかわかりませんが、電池を取り換えても元の目覚まし時計は電源すらつかなくなっていました。
話は本題ですが、何度か過去の記事でも紹介している「2050年のメディア」という本についてレビュー記事を書きます。
この本は以前書いたように友人から面白いと言われて勧められたものの、値段が1900円もすることから電子書籍のセールを待つため一旦保留し、年末のセール時に満を持して買いました。大まかな内容を説明すると、インターネット技術の登場により新聞メディアはどのような影響を受けたのかを、実際の企業当事者たちの当時の動向について丹念に取材して、時系列でそのインパクトや変化、対応が追われています。
元々は慶応大学のSFCで開かれていた著者の講義がベースになっているということから、掲載内容も1つのテーマごとに細かく区切られて載せられています。具体的にはインターネット黎明期における通信インフラ敷設時代、Yahoo発足当初のポータルサイトにおけるニュース掲載契約、読売・朝日・日経の夢のコラボ(であったはず)の「あらたにす」の設立背景、日系電子版の設立経緯などテーマごとに章が区切られており、連載特集記事の様に読むことができて非常に読みやすい構成でした。それでも内容多くて全部読むのに時間かかりましたが。
この手のネットメディアによる新聞メディア駆逐系の本は、今に始まるわけじゃなくかねてから数多くあります。その手の本とこの「2050年のメディア」の最大の差を挙げるとしたら、「2050年のメディア」は、ネットと新聞、双方の立場からその周辺状況の変化を追っている点でしょう。
具体的な当事者を挙げるとYahoo Japanことソフトバンク、読売、日経新聞で、中でも読売新聞は恐らく著者にとって最大の取材対象であったことから非常に事細かにその動きが取り上げられています。そのためか、本来はネットメディアとの相克とはあまり関係なにもかかわらず、清武の乱とか2000年前後のプロ野球の暴力団追放運動まで何故か解説されています。
通常、この手の本はネットならネットメディア、新聞なら新聞メディアの一方向をベースに語られることが多く、どちらかといえば後者の方が多いですが、やや「それでも新聞は滅びない!」的な結論に至ることが多いです。
それに対してこの本では、先ほども書いた通りにネットと新聞の双方の立場からニュースという者を軸にメディア環境の変化が追われており、非常に示唆に富んでいます。2010年代におけるYahoo Jaopanにおけるニュース配信事業を巡る内部分裂など、こうした取材姿勢だからなこそ終えることのできた代表格とも言えるでしょう。
また、著者はそれこそネット黎明期からこのテーマを長年取材してきているだけあって、90年代からつい最近の事件まで詳しく追われています。そうした流れを読んでて感じることとしては、以前にも書きましたがこの議論は「ネットVS新聞」なのではなく、結局は「Yahoo JapanVS新聞」であったということも読んでて感じ取れました。
控えめに言ってもお勧めできる内容で、単純に新聞メディアの90年代以降の動きを追うだけでも読む価値があります。特に私から批判する点はなく、非常に学ぶことの多い内容です。
最後にこの本の展望にそうならば、この先生き残るのは系列印刷所が少なかったからこそ事業転換を遂げられた日経新聞だけとなるわけですが、いろいろと対策をとってきた読売新聞、というより読売新現社長の山口寿一氏がどういう風に舵を取るのかも個人的には気になります。これまでその名前も知りませんでしたが、この「2050年のメディア」の主人公は誰かとなるとこの山口氏がそうであるように思え、個人的に非常に興味の持てる人物であります。
2020年1月24日金曜日
ゲームレビュー「デイグラシアの羅針盤」
今日スーパー行ったら、マスクがワゴンに大量に置かれててやたらみんな写メ取ってました。っていうか「写メ」って今でもいうのか?
上海市内は比較的落ち着いているというか、元々この時期は大量の流入人口が地方に帰るため、街中の人気は少なくなります。そのおかげで自転車も走りやすいのですが、夕方からはまた激しい雨になり、明日は政府に言われなくたってあまり外出できそうもありません。
・デイグラシアの羅針盤(公式サイト)
そんなわけでゲームの話ですが、昨夜この「デイグラシアの羅針盤」というゲームをクリアしました。このゲームはアドベンチャーで、大まかなあらすじとしては完成したばかりの深海遊覧船に乗り込んだところトラブルに遭い、水深700メートルの深海で主人公を含む六人が脱出を図るというよくあるパニックものです。
私はSwitch版を購入しましたがお値段はなんと900円と格安設定でしたが、正直に話すと、あまりにも安いからシナリオが短くてすぐ終わるんじゃないかと当初考えていました。
しかし、結論から言うと上記の予想は外れました。この作品はエンディングが三つで、分岐選択肢もたった二つしかないものの、盛り込まれたテキスト量は非常に膨大で、ゆっくり遊んでいたのもありますがプレイ時間はそこそこ要しました。
またアドベンチャーゲームの肝であるシナリオの質も単純に優れており、SF(深海・フィクション)に求められる科学的考証も非常に説得力ある内容がしあげられており、ちょうど深海魚のホウネンエソが状態がいいまま釣り上げられたというニュースが出ていた時期であったことから、シナリオ中に出てくる「生物発光」の話とかが興味深く読むことが出来ました。
他の人のレビューを見ていると、元々は同人ゲームとして作られたことからBGMや一枚絵がやや乏しい出来という意見が多くみられますが、私個人としてはこちらはそれほど気になりませんでした。BGMがしょぼいったって初代プレステ、いわんやスーファミ時代のアドベンチャーゲームと比べれば質は優れており、その時代を知っているが故か最新のゲームに音質で劣るとしてもそんな気になる程度じゃありません。少なくとも情景に外れたようなBGMはありませんし、一枚絵に関してもそんな頻繁に用意されたところでシナリオが悪ければ無意味です。
同時にそういったレビューでは、音声が入っていない点を残念点として挙げる声もありました。この点に関しても、確かに最近のアドベンチャーゲームで音声なしはもはやかなりレアとなってきていますが、あったらあったでいいとは認めるものの、必ずしも必要かといったらそうではないと私は思ってます。やはりアドベンチャーゲームはシナリオがほぼすべてといってよく、音声も演技良ければいいけど、ひどい演技の音声入ったらそれはそれでひどい始末であり、そこまで音声の有無はこだわらなくていい気がします。
さすがにシナリオのネタバレを書くのは良くないのでそこらへんは自重しますが、この作品について制作陣は、今もなおアドベンチャーゲームの傑作として名高い「ever17」をリスペクトして本作品を制作したと語っています。生憎私はマルクス主義的(意味のない、空虚)な理由から「ever17」を遊んだことはないのですが、この作品を作った打越鋼太郎氏のゲームは先日も取り上げた「AI:ソムニウムファイル」などを筆頭にそこそこ遊んでおり、「ever17」がリスペクトされるというのよくわかります。
ただ全シナリオを読んで率直に感じたことを述べると、「デイグラシアの羅針盤」はむしろ、「うみねこのなく頃に」の制作者がその作品で本来やり遂げたかったであろうテーマを正しい意味で見事にやり遂げているように感じました。
「うみねこ」の方で多少のネタバレを含みながら説明すると、この作品では「シュレディンガーの猫」箱の解釈に対する選択性、いうなれば読者(プレイヤー)の読後における解釈選択における基準なり規範、方向性というものをシナリオに取り込もうとしていたと考えられますが、はっきり言えばこの試みは完全に失敗しています。
失敗した理由は明白で、本来はSFに属すジャンルをミステリーと無理やり両立させようとしたためです。また制作者は当初プレイヤーに意図を隠す目的もあってか作品についてのコメントでミスリードを仕掛けた節がありますが、これがらさらにかえって逆効果となり、ミステリー性とSF性の相互背反性を余計に際立たせる結果したもたらさなかったように見えました。
一方でこの「デイグラシアの羅針盤」は、シナリオジャンルとしては徹底的にSFです。「サイエンス・フィクション」なのか「深海・フィクション」なのかはどっちでも取れますが、ミステリーな謎解き要素もないわけではないものの、大別して計三本のシナリオが同じシナリオベースの上できちんと独立構成されていることから、互いに妨害し合うというコンフリクトを起こしていません。さらにその三本のシナリオは舞台設定を除くと、「白い部屋」というある場面のみによって連結しており、この「白い部屋」をどう解釈するかによって、この作品の真実はどれだったのかということが様々に解釈可能です。
「遭難した深海遊覧船で、本当のところ何が起きていたのか」について、はっきり明示された回答は用意されていませんが、「恐らくこうなんじゃないのか?」という解釈は複数用意されており、それをどうとるかは完全にプレイヤーの自由です。またその複数ある解釈はどれもしっかり構成されているので、どれを選んでもそこそこ納得感があるため、考察や選択においてはストレスめいたものは感じません。そういう意味で、「うみねこ」にあった「本当の正しい結末の答えが得られなくてストレスが溜まる」という、制作者が実質的に回答を放棄したことで起こった最大の問題点を回避しつつ、読後における大きな解釈余地も「デイグラシア」は両立させており、意図的かどうかは図りかねますが、意図的であれば見事な技術だと思わざるを得ません。
そういう意味で値段も安いことから、この作品に関してはアドベンチャーゲーム好きであれば文句なしに太鼓判を押せます。実際、ほんの少し前に「AI:ソムニウムファイル」をやっていたのでインパクトがやや薄れた感はありますが、「デイグラシア」も近年稀に見るアドベンチャーの傑作だと思います。
最後に、自分がこの作品で選んだ結末の解釈についてその選択理由について述べると、冒頭に出てくる「大学院生の~」というセリフからでした。まぁこれ以外にもどの単語、どのシーンを真実と捉えるかによって、解釈はいくらでも変わるのですが。
上海市内は比較的落ち着いているというか、元々この時期は大量の流入人口が地方に帰るため、街中の人気は少なくなります。そのおかげで自転車も走りやすいのですが、夕方からはまた激しい雨になり、明日は政府に言われなくたってあまり外出できそうもありません。
・デイグラシアの羅針盤(公式サイト)
そんなわけでゲームの話ですが、昨夜この「デイグラシアの羅針盤」というゲームをクリアしました。このゲームはアドベンチャーで、大まかなあらすじとしては完成したばかりの深海遊覧船に乗り込んだところトラブルに遭い、水深700メートルの深海で主人公を含む六人が脱出を図るというよくあるパニックものです。
私はSwitch版を購入しましたがお値段はなんと900円と格安設定でしたが、正直に話すと、あまりにも安いからシナリオが短くてすぐ終わるんじゃないかと当初考えていました。
しかし、結論から言うと上記の予想は外れました。この作品はエンディングが三つで、分岐選択肢もたった二つしかないものの、盛り込まれたテキスト量は非常に膨大で、ゆっくり遊んでいたのもありますがプレイ時間はそこそこ要しました。
またアドベンチャーゲームの肝であるシナリオの質も単純に優れており、SF(深海・フィクション)に求められる科学的考証も非常に説得力ある内容がしあげられており、ちょうど深海魚のホウネンエソが状態がいいまま釣り上げられたというニュースが出ていた時期であったことから、シナリオ中に出てくる「生物発光」の話とかが興味深く読むことが出来ました。
他の人のレビューを見ていると、元々は同人ゲームとして作られたことからBGMや一枚絵がやや乏しい出来という意見が多くみられますが、私個人としてはこちらはそれほど気になりませんでした。BGMがしょぼいったって初代プレステ、いわんやスーファミ時代のアドベンチャーゲームと比べれば質は優れており、その時代を知っているが故か最新のゲームに音質で劣るとしてもそんな気になる程度じゃありません。少なくとも情景に外れたようなBGMはありませんし、一枚絵に関してもそんな頻繁に用意されたところでシナリオが悪ければ無意味です。
同時にそういったレビューでは、音声が入っていない点を残念点として挙げる声もありました。この点に関しても、確かに最近のアドベンチャーゲームで音声なしはもはやかなりレアとなってきていますが、あったらあったでいいとは認めるものの、必ずしも必要かといったらそうではないと私は思ってます。やはりアドベンチャーゲームはシナリオがほぼすべてといってよく、音声も演技良ければいいけど、ひどい演技の音声入ったらそれはそれでひどい始末であり、そこまで音声の有無はこだわらなくていい気がします。
さすがにシナリオのネタバレを書くのは良くないのでそこらへんは自重しますが、この作品について制作陣は、今もなおアドベンチャーゲームの傑作として名高い「ever17」をリスペクトして本作品を制作したと語っています。生憎私はマルクス主義的(意味のない、空虚)な理由から「ever17」を遊んだことはないのですが、この作品を作った打越鋼太郎氏のゲームは先日も取り上げた「AI:ソムニウムファイル」などを筆頭にそこそこ遊んでおり、「ever17」がリスペクトされるというのよくわかります。
ただ全シナリオを読んで率直に感じたことを述べると、「デイグラシアの羅針盤」はむしろ、「うみねこのなく頃に」の制作者がその作品で本来やり遂げたかったであろうテーマを正しい意味で見事にやり遂げているように感じました。
「うみねこ」の方で多少のネタバレを含みながら説明すると、この作品では「シュレディンガーの猫」箱の解釈に対する選択性、いうなれば読者(プレイヤー)の読後における解釈選択における基準なり規範、方向性というものをシナリオに取り込もうとしていたと考えられますが、はっきり言えばこの試みは完全に失敗しています。
失敗した理由は明白で、本来はSFに属すジャンルをミステリーと無理やり両立させようとしたためです。また制作者は当初プレイヤーに意図を隠す目的もあってか作品についてのコメントでミスリードを仕掛けた節がありますが、これがらさらにかえって逆効果となり、ミステリー性とSF性の相互背反性を余計に際立たせる結果したもたらさなかったように見えました。
一方でこの「デイグラシアの羅針盤」は、シナリオジャンルとしては徹底的にSFです。「サイエンス・フィクション」なのか「深海・フィクション」なのかはどっちでも取れますが、ミステリーな謎解き要素もないわけではないものの、大別して計三本のシナリオが同じシナリオベースの上できちんと独立構成されていることから、互いに妨害し合うというコンフリクトを起こしていません。さらにその三本のシナリオは舞台設定を除くと、「白い部屋」というある場面のみによって連結しており、この「白い部屋」をどう解釈するかによって、この作品の真実はどれだったのかということが様々に解釈可能です。
「遭難した深海遊覧船で、本当のところ何が起きていたのか」について、はっきり明示された回答は用意されていませんが、「恐らくこうなんじゃないのか?」という解釈は複数用意されており、それをどうとるかは完全にプレイヤーの自由です。またその複数ある解釈はどれもしっかり構成されているので、どれを選んでもそこそこ納得感があるため、考察や選択においてはストレスめいたものは感じません。そういう意味で、「うみねこ」にあった「本当の正しい結末の答えが得られなくてストレスが溜まる」という、制作者が実質的に回答を放棄したことで起こった最大の問題点を回避しつつ、読後における大きな解釈余地も「デイグラシア」は両立させており、意図的かどうかは図りかねますが、意図的であれば見事な技術だと思わざるを得ません。
そういう意味で値段も安いことから、この作品に関してはアドベンチャーゲーム好きであれば文句なしに太鼓判を押せます。実際、ほんの少し前に「AI:ソムニウムファイル」をやっていたのでインパクトがやや薄れた感はありますが、「デイグラシア」も近年稀に見るアドベンチャーの傑作だと思います。
最後に、自分がこの作品で選んだ結末の解釈についてその選択理由について述べると、冒頭に出てくる「大学院生の~」というセリフからでした。まぁこれ以外にもどの単語、どのシーンを真実と捉えるかによって、解釈はいくらでも変わるのですが。
2020年1月23日木曜日
連休中にやること
既に報じられている通りに武漢がラクーン市みたく封鎖されたそうで、今日は会社でも噂もちきりでした。春節を前にして移動が制限された武漢市民に対しては深く同情しますが、現代においてこのような政策を取れる辺りはさすが中国だという感傷を持ちます。
で、上海住まいの私としては特に移動が制限されているわけではないですが、この連休中にどっか行く予定とかはありません。っていうか中国で連休中に観光地行くと人が多すぎてえらい事態に巻き込まれることが多く、むしろこういう時は自宅でじっとしているに限ります。
なので明日からの一週間の連休でぼんやりとやろうと考えていることを書き上げると以下の通りになります。
・ゲーム「デイグラシアの羅針盤」をクリアする
・Z33のプラモを組み立てる
・2019年中国自動車市場の記事を書き上げる
・「2050年のメディア」の書評を書く
・ため記事用の歴史記事を書く(二本立て)
・夏の連載用歴史記事プロットを固める
・中国関連記事ネタを考え出す
・1回はココイチのカレーを食べる
・1回は買っているインドカレー屋のカレーを食べる
・1回は自宅でカレーを作る
・ファーウェイのスマホ購入を検討調査する
・1回は1日12時間は寝る
なんていか記事書くのとカレー食うのばっかな予定ですが、こうなったのには理由があります。その理由というのも、天気予報では向こうずっと雨予報で外出ができないからです。
外出できるならまた100キロくらい自転車で走ってこようと考えてたのですが、今の予報だととてもそんなことできるような天気ではなく、実際に今もかなり強めの雨が降ってて、さっき夕食を食べに外出したら靴がずぶ濡れになりました。雨のおかげで気温はやや上がっていますが、多少寒くてもいいから雨やんでほしいです。
去年の今頃もやばいくらい雨が降り続けて、誇張ではなく1月中に太陽見れたのは3日程度しかなかったため、去年と比べるなら今年はまだマシな天気です。ただそれでも依然として雨が多く、5年くらい前の冬の上海と比べると、現在は明らかに雨や曇りの日が増えています。空気自体はかなりきれいになっていますが。
なんか日本でも今年は暖冬で雨が多いと書かれていましたが、恐らく関東地方は今上海で雨を降らしている雲が三日後くらいに移動するので、来週いっぱいはほとんど雨になるんじゃないかと予想しています。まぁ東京で雨降っても私にはあまり影響ないのですが。
ただ、この雨についてちょっと思うところがあります。それは最初の武漢のコロナウイルスに戻るのですが、この新型コロナウイルスの感染は湿気が影響するのかという点です。
通常のインフルエンザウイルスの場合は寒い気温と乾燥した空気が繁殖の好条件となり、そのため日本では冬場に暖房とともに加湿器がよく備えられ、湿気を高めることで感染予防を行います。それに対し新型コロナウイルスはどのような条件で繁殖し、感染しやすくなるのか、意外とこういう情報が個人レベルの予防や対策において実は大事なんじゃないかなと勝手に考えています。
・武漢(Wuhan)の天気(日本気象協会)
上記ページから過去1週間の武漢の天気情報が見られますが、これ見る限りだと直近の気温は上海と同じく5~10度ですが、ちょっと前までは0度前後で普通に上海より寒いです。一方、湿気の方はほとんど80%以上となっており、上海と同じくかなり蒸れた空気となっているようです。
となると仮にこの状態でも今後感染が広がるとしたら、湿気が高いという条件は感染に関係がない、若しくは広がりやすいということになります。湿気が高ければあまり広がらないという条件であれば、上海はこの後もずっと雨だからまだマシになるのかなと思ってましたが、武漢の天気情報から見るとあまりそうした効果はなさそうです。
どちらにしろ、去年といいマジでこの湿気の多さにはうんざりします。私の場合は室内で暖房を全くつけないということも影響しているのでしょうが、マジ冬だけど、っていうかもはや冬だからこそ除湿器が欲しいです。ニトリとか加湿器置いてないで除湿器置いたらすぐ買ってやるのに、いちいち空気読まない店だなと店頭に置いてある加湿器を見る度に思います。
で、上海住まいの私としては特に移動が制限されているわけではないですが、この連休中にどっか行く予定とかはありません。っていうか中国で連休中に観光地行くと人が多すぎてえらい事態に巻き込まれることが多く、むしろこういう時は自宅でじっとしているに限ります。
なので明日からの一週間の連休でぼんやりとやろうと考えていることを書き上げると以下の通りになります。
・ゲーム「デイグラシアの羅針盤」をクリアする
・Z33のプラモを組み立てる
・2019年中国自動車市場の記事を書き上げる
・「2050年のメディア」の書評を書く
・ため記事用の歴史記事を書く(二本立て)
・夏の連載用歴史記事プロットを固める
・中国関連記事ネタを考え出す
・1回はココイチのカレーを食べる
・1回は買っているインドカレー屋のカレーを食べる
・1回は自宅でカレーを作る
・ファーウェイのスマホ購入を検討調査する
・1回は1日12時間は寝る
なんていか記事書くのとカレー食うのばっかな予定ですが、こうなったのには理由があります。その理由というのも、天気予報では向こうずっと雨予報で外出ができないからです。
外出できるならまた100キロくらい自転車で走ってこようと考えてたのですが、今の予報だととてもそんなことできるような天気ではなく、実際に今もかなり強めの雨が降ってて、さっき夕食を食べに外出したら靴がずぶ濡れになりました。雨のおかげで気温はやや上がっていますが、多少寒くてもいいから雨やんでほしいです。
去年の今頃もやばいくらい雨が降り続けて、誇張ではなく1月中に太陽見れたのは3日程度しかなかったため、去年と比べるなら今年はまだマシな天気です。ただそれでも依然として雨が多く、5年くらい前の冬の上海と比べると、現在は明らかに雨や曇りの日が増えています。空気自体はかなりきれいになっていますが。
なんか日本でも今年は暖冬で雨が多いと書かれていましたが、恐らく関東地方は今上海で雨を降らしている雲が三日後くらいに移動するので、来週いっぱいはほとんど雨になるんじゃないかと予想しています。まぁ東京で雨降っても私にはあまり影響ないのですが。
ただ、この雨についてちょっと思うところがあります。それは最初の武漢のコロナウイルスに戻るのですが、この新型コロナウイルスの感染は湿気が影響するのかという点です。
通常のインフルエンザウイルスの場合は寒い気温と乾燥した空気が繁殖の好条件となり、そのため日本では冬場に暖房とともに加湿器がよく備えられ、湿気を高めることで感染予防を行います。それに対し新型コロナウイルスはどのような条件で繁殖し、感染しやすくなるのか、意外とこういう情報が個人レベルの予防や対策において実は大事なんじゃないかなと勝手に考えています。
・武漢(Wuhan)の天気(日本気象協会)
上記ページから過去1週間の武漢の天気情報が見られますが、これ見る限りだと直近の気温は上海と同じく5~10度ですが、ちょっと前までは0度前後で普通に上海より寒いです。一方、湿気の方はほとんど80%以上となっており、上海と同じくかなり蒸れた空気となっているようです。
となると仮にこの状態でも今後感染が広がるとしたら、湿気が高いという条件は感染に関係がない、若しくは広がりやすいということになります。湿気が高ければあまり広がらないという条件であれば、上海はこの後もずっと雨だからまだマシになるのかなと思ってましたが、武漢の天気情報から見るとあまりそうした効果はなさそうです。
どちらにしろ、去年といいマジでこの湿気の多さにはうんざりします。私の場合は室内で暖房を全くつけないということも影響しているのでしょうが、マジ冬だけど、っていうかもはや冬だからこそ除湿器が欲しいです。ニトリとか加湿器置いてないで除湿器置いたらすぐ買ってやるのに、いちいち空気読まない店だなと店頭に置いてある加湿器を見る度に思います。
2020年1月21日火曜日
1Q九球
今日おなかすいて仕方なかったからラーメン屋で味噌ラーメンとチャーハンをそれぞれ1人前ずつ頼んだら、両方食べてやたらおなか一杯になり、昔と比べ胃が小さくなっている気がしました。もっともそれを言ったら学生時代と今を比べたら三分の一、いや四分の一くらいは確実に小さくなっていることになりますが。あの頃は茶碗じゃ小さすぎるからと言ってどんぶりでいつもご飯食べてて、1食で2合食うのが普通でした。
話は本題ですが書評でも書こうと考えていたところ、あれ書くとなるとかなり長めになり、昨日ほどじゃないけど今日も寒くて指が動かないのでどうでもいいこと書くことにします。
さて平成時代は既に去りましたが、平成時代で記憶に残る年を挙げるとしたら自分の中では間違いなく1995年が来ます。この年は阪神大震災、オウム事件があり、また刻一刻と失われた十年が本格化し始めて来た時期に当たり、なんというか時代の空気も一種独特な感がありました。
その次に挙げる場合、変な話ですが1999年が私の中でなんか大きいです。何故この年なのかというと自分でも理由がややはっきりしないのですが、一つはちょうどこのころに中学時代で精神面で受けるところが大きかったことと、次に世紀末とあって時代の分かれ目めいた雰囲気があったように感じるからです。
世紀末といってもノストラダムスの予言はかえってこの年はあまり盛り上がらず、ひっそりとMMRが終了したにすぎませんでしたが、2000年代に移る狭間故というべきかいろいろと技術面では変革が多かった気がします。
代表的なものとしては2000年問題で、現場状況は中学生だったので全く分かりませんでしたが、各システムの現場では表に見えないところで実際にはいろいろ動いたいたとのことです。そんな2000年問題以前として、ちょうどこのころからパソコンが一家に一台で普及するようになり、またノートPCも段々と増えていき、それらに伴ってインターネットサービスが本格的に普及してきました。
モバイルの発達も著しく、90年代半ばに一旦は普及し始めたPHSが2Gの発達により徐々に携帯電話にとってかわられ、モバイルサービスもこのころから本格的になっていきました。調べてみたらまさにこの1999年にiモードサービスが開始されており、今に続く通話以外のモバイルサービスの端緒となりました。
2Gのサービスは2001年の3Gサービス開始によってこの後から徐々に消えていくこととなりますが、技術というのは新技術との切替え直前にこそ成熟期を迎えるものであり、そう考えると2G末期の1999年にiモードが出たというのもなかなか因果があるように思えます。
その成熟期を迎えた技術で言うと、私の中ではゲーム機の初代プレイステーションが挙がってきます。ハード性能としては既に立ち遅れが目立つ水準となりつつあったものの、ソフトウェアメーカーの開発はまさに円熟期を迎えており、ちょうどこの時期にハード性能をやや無視したようなオーパーツ的なソフトがいくつか発売されています。覚えているのだと「ヴァルキリープロファイル」、「ファイナルファンタジー8」などがあり、この時期のプレステのゲームはほんと楽しかった気がします。
まぁ翌2000年には「GジェネF」、「エターニア」などもっと楽しいゲームが激しく出ていますが。
このほかだと上記のパソコン関連の話につながりますが、秋葉原が一番楽しい頃でした。まだオウムの店もあったし、ジャンクパーツ屋も多かったし、今と比べるとかなりディープなパソコン街で駅前にバスケットコートと穴開き包丁の実演販売もありました。
そういう風に考えると、やはりPC&インターネットの普及期にあったというのが印象的に大きいのかもしれません。
このほかプライベートな話をすると、ちょうどこの年に周りの友人を巻き込んで文芸同人誌を作りましたが、あまりに他の連中が役に立たない上に足しか引っ張らないので、「やる気のない奴はかえっていない方がいいんだな。あと何か期待するのは悪いことなんだな」ということが分かり、自分の独立心を凄い高めてくれました。
この時の経験はよく漫画家になりたいとか作家になりたい、けど技術を教えてくれる人とか、一緒に競い合う仲間が周りにいなくてなかなか踏み出せないという若い子相手に話してました。具体的には、「自分一人で習練積むこともできない時点でもう向いていない。俺は一人で黙々と毎日原稿用紙に向かってたし、表現技法もほとんど一人で開発した」と大物ぶって話したりします。
話は本題ですが書評でも書こうと考えていたところ、あれ書くとなるとかなり長めになり、昨日ほどじゃないけど今日も寒くて指が動かないのでどうでもいいこと書くことにします。
さて平成時代は既に去りましたが、平成時代で記憶に残る年を挙げるとしたら自分の中では間違いなく1995年が来ます。この年は阪神大震災、オウム事件があり、また刻一刻と失われた十年が本格化し始めて来た時期に当たり、なんというか時代の空気も一種独特な感がありました。
その次に挙げる場合、変な話ですが1999年が私の中でなんか大きいです。何故この年なのかというと自分でも理由がややはっきりしないのですが、一つはちょうどこのころに中学時代で精神面で受けるところが大きかったことと、次に世紀末とあって時代の分かれ目めいた雰囲気があったように感じるからです。
世紀末といってもノストラダムスの予言はかえってこの年はあまり盛り上がらず、ひっそりとMMRが終了したにすぎませんでしたが、2000年代に移る狭間故というべきかいろいろと技術面では変革が多かった気がします。
代表的なものとしては2000年問題で、現場状況は中学生だったので全く分かりませんでしたが、各システムの現場では表に見えないところで実際にはいろいろ動いたいたとのことです。そんな2000年問題以前として、ちょうどこのころからパソコンが一家に一台で普及するようになり、またノートPCも段々と増えていき、それらに伴ってインターネットサービスが本格的に普及してきました。
モバイルの発達も著しく、90年代半ばに一旦は普及し始めたPHSが2Gの発達により徐々に携帯電話にとってかわられ、モバイルサービスもこのころから本格的になっていきました。調べてみたらまさにこの1999年にiモードサービスが開始されており、今に続く通話以外のモバイルサービスの端緒となりました。
2Gのサービスは2001年の3Gサービス開始によってこの後から徐々に消えていくこととなりますが、技術というのは新技術との切替え直前にこそ成熟期を迎えるものであり、そう考えると2G末期の1999年にiモードが出たというのもなかなか因果があるように思えます。
その成熟期を迎えた技術で言うと、私の中ではゲーム機の初代プレイステーションが挙がってきます。ハード性能としては既に立ち遅れが目立つ水準となりつつあったものの、ソフトウェアメーカーの開発はまさに円熟期を迎えており、ちょうどこの時期にハード性能をやや無視したようなオーパーツ的なソフトがいくつか発売されています。覚えているのだと「ヴァルキリープロファイル」、「ファイナルファンタジー8」などがあり、この時期のプレステのゲームはほんと楽しかった気がします。
まぁ翌2000年には「GジェネF」、「エターニア」などもっと楽しいゲームが激しく出ていますが。
このほかだと上記のパソコン関連の話につながりますが、秋葉原が一番楽しい頃でした。まだオウムの店もあったし、ジャンクパーツ屋も多かったし、今と比べるとかなりディープなパソコン街で駅前にバスケットコートと穴開き包丁の実演販売もありました。
そういう風に考えると、やはりPC&インターネットの普及期にあったというのが印象的に大きいのかもしれません。
このほかプライベートな話をすると、ちょうどこの年に周りの友人を巻き込んで文芸同人誌を作りましたが、あまりに他の連中が役に立たない上に足しか引っ張らないので、「やる気のない奴はかえっていない方がいいんだな。あと何か期待するのは悪いことなんだな」ということが分かり、自分の独立心を凄い高めてくれました。
この時の経験はよく漫画家になりたいとか作家になりたい、けど技術を教えてくれる人とか、一緒に競い合う仲間が周りにいなくてなかなか踏み出せないという若い子相手に話してました。具体的には、「自分一人で習練積むこともできない時点でもう向いていない。俺は一人で黙々と毎日原稿用紙に向かってたし、表現技法もほとんど一人で開発した」と大物ぶって話したりします。
2020年1月20日月曜日
キングダム記事の裏側
・中国初の統一国家を形成した外国人宰相3人の偉業(JBpress)
最近なんか自分の記事ばかり取り上げている気がしますが、例によって上の記事が今日配信されました。内容は秦の外国人宰相三人について簡単にまとめただけの記事です。
なんでこの記事を書いたのかというと単純にネタに苦しみ、ありきたりな内容だけど、とりあえず漫画のキングダムに抱き着いとけば一定数の読者は確保できるという打算で書きました。割とこういう思いきりは好き。
そのキングダム効果なのか、正直自分が想定していたよりはアクセスが良く、今は少し下がっているけど昼の時点でランキング5位にまで食い込み、意外にも健闘しました。てっきりトップテンからも外れると思ってたので、かなり想定外でした。
少しだけ記事の背景についてもう少し触れると、これまでJBpressで歴史記事を何本も書いてきましたが、実はそれらはすべて日本史と後何故かフィンランド史で、中国史の記事は何気にこれが初めてだったりします。無論中国史が苦手というわけではなく、中国史が好きで中国に来たくらいなのだから書こうと思えばこれまでだっていくらでも書くことが出来ました。
にもかかわらず何故これまで中国史記事を書かなかったのかというと、日本史と比べて中国史のファンは間口が狭く底が深い傾向があり、記事として出しづらかったというのが最大の理由です。
これはどういうことかというと、日本史はマニアレベルももちろんいますが、浅い知識を持っている層も広く、簡単な解説記事でも興味を持って読んでくれ、面白いと感じてくれる読者がいます。一方、中国史は修羅の国さながらで、そもそも中国史に関心を持つ層は日本史と比べると圧倒的に狭く、手に取ってもらう確率は大分低くなります。その上、元々中国史に興味がある人はかなりマニアックな知識自慢が多く、実際に中国で会った中国史マニアの日本人はほぼみんな、「中国史に詳しいというのなら、俺とデュエル(知識比べ)しようぜ( ・´ー・`)」と確実に言ってくる連中でした。
この手のマニアック層は何書いたって、「これに触れるならこれにも触れるべきだ」とか「一方の説しか引用してない」などとすぐケチをつけてくる人が多く、うかつな記事を書いたらなんかめちゃくちゃ叩かれそうだなと思ってこれまで書けませんでした。まぁこう言ってる私もこれまで他の記事にケチつけて来てるんだけど。
今回は前述の通りネタに苦しんだのと、キングダムをひっぱりゃまぁ何とかなるだろうという目算が立ったから書いたのですが、ヤフコメとか見てると意外と反応は悪くなく、ケチ付けて来た人間もいるっちゃいますが、その内容については全部想定通りで反撃可能な程度のレベルだったので、なんか変に安心しました。
夏にも中国史ネタでまた三週連続解説記事を書こうか書くまいかと悩んでましたが、今回の記事でそこそこ自信がついたので、恐らく書くことになるでしょう。
最後に、この記事で言いたかったことを少し解説します。記事の結論部分で割とはっきり明示していますが、第一には秦の覇権は軍事力ではなく内政統治が他国に比べ圧倒的に優れていたからだということを伝えたかったです。キングダムは漫画ゆえに軍事面ばかりが取り上げられますが、実際の歴史ではその軍事力、並びに人材を支えた内政統治システムによって秦は他国を凌駕しており、地味なところにこそ国の力が現れるということを書こうと思いました。
次に、ヤフコメでも「外国人をやたら強調して、日本にも外国人を採用しろと言いたいのか」みたいなコメントが見られますが、実はこの「外国人」というのはミスリードを誘う呼び水でした。私が何を言いたかったのかというと、「外国人だろうとなんだろうとかまわないから、もっと実力本位で人材を抜擢すべき」ということでした。
正直に言えば、私は国の力になってくれるというのなら外国人(ゴーン)でなくても、宇宙人、エルフ、妖怪の類でも要職に抜擢すべきだと考えています。もっとも妖怪とはいえ、ねずみ男が自ら売り込んできたらさすがに帰ってもらいますが。
なんとなくですが今の日本は外国人はおろか、日本国内にいる日本人ですら有為の人材をきちんと抜擢できず、人材を無駄に潰しているように見えます。政界なんかが特に顕著ですが、実力とかそういうのではなくほぼ完全にアピール力、どれだけ目立つかだけを指標に選別している節があり、先日自殺した三宅雪子のように、本来そうした世界に来るべきでなかった人まで巻き込んでしまっています。
そうした実力主義というテーマを敢えて「外国人」というカバーにかけて今回放出しましたが、さすがにここまで読み込んだ人はコメントを見る限りいません。もっとも私自身が読み取れる人が現れることまで期待しておらず、自己満足で終わらせようとした裏テーマに据えていましたが。
最近なんか自分の記事ばかり取り上げている気がしますが、例によって上の記事が今日配信されました。内容は秦の外国人宰相三人について簡単にまとめただけの記事です。
なんでこの記事を書いたのかというと単純にネタに苦しみ、ありきたりな内容だけど、とりあえず漫画のキングダムに抱き着いとけば一定数の読者は確保できるという打算で書きました。割とこういう思いきりは好き。
そのキングダム効果なのか、正直自分が想定していたよりはアクセスが良く、今は少し下がっているけど昼の時点でランキング5位にまで食い込み、意外にも健闘しました。てっきりトップテンからも外れると思ってたので、かなり想定外でした。
少しだけ記事の背景についてもう少し触れると、これまでJBpressで歴史記事を何本も書いてきましたが、実はそれらはすべて日本史と後何故かフィンランド史で、中国史の記事は何気にこれが初めてだったりします。無論中国史が苦手というわけではなく、中国史が好きで中国に来たくらいなのだから書こうと思えばこれまでだっていくらでも書くことが出来ました。
にもかかわらず何故これまで中国史記事を書かなかったのかというと、日本史と比べて中国史のファンは間口が狭く底が深い傾向があり、記事として出しづらかったというのが最大の理由です。
これはどういうことかというと、日本史はマニアレベルももちろんいますが、浅い知識を持っている層も広く、簡単な解説記事でも興味を持って読んでくれ、面白いと感じてくれる読者がいます。一方、中国史は修羅の国さながらで、そもそも中国史に関心を持つ層は日本史と比べると圧倒的に狭く、手に取ってもらう確率は大分低くなります。その上、元々中国史に興味がある人はかなりマニアックな知識自慢が多く、実際に中国で会った中国史マニアの日本人はほぼみんな、「中国史に詳しいというのなら、俺とデュエル(知識比べ)しようぜ( ・´ー・`)」と確実に言ってくる連中でした。
この手のマニアック層は何書いたって、「これに触れるならこれにも触れるべきだ」とか「一方の説しか引用してない」などとすぐケチをつけてくる人が多く、うかつな記事を書いたらなんかめちゃくちゃ叩かれそうだなと思ってこれまで書けませんでした。まぁこう言ってる私もこれまで他の記事にケチつけて来てるんだけど。
今回は前述の通りネタに苦しんだのと、キングダムをひっぱりゃまぁ何とかなるだろうという目算が立ったから書いたのですが、ヤフコメとか見てると意外と反応は悪くなく、ケチ付けて来た人間もいるっちゃいますが、その内容については全部想定通りで反撃可能な程度のレベルだったので、なんか変に安心しました。
夏にも中国史ネタでまた三週連続解説記事を書こうか書くまいかと悩んでましたが、今回の記事でそこそこ自信がついたので、恐らく書くことになるでしょう。
最後に、この記事で言いたかったことを少し解説します。記事の結論部分で割とはっきり明示していますが、第一には秦の覇権は軍事力ではなく内政統治が他国に比べ圧倒的に優れていたからだということを伝えたかったです。キングダムは漫画ゆえに軍事面ばかりが取り上げられますが、実際の歴史ではその軍事力、並びに人材を支えた内政統治システムによって秦は他国を凌駕しており、地味なところにこそ国の力が現れるということを書こうと思いました。
次に、ヤフコメでも「外国人をやたら強調して、日本にも外国人を採用しろと言いたいのか」みたいなコメントが見られますが、実はこの「外国人」というのはミスリードを誘う呼び水でした。私が何を言いたかったのかというと、「外国人だろうとなんだろうとかまわないから、もっと実力本位で人材を抜擢すべき」ということでした。
正直に言えば、私は国の力になってくれるというのなら外国人(ゴーン)でなくても、宇宙人、エルフ、妖怪の類でも要職に抜擢すべきだと考えています。もっとも妖怪とはいえ、ねずみ男が自ら売り込んできたらさすがに帰ってもらいますが。
なんとなくですが今の日本は外国人はおろか、日本国内にいる日本人ですら有為の人材をきちんと抜擢できず、人材を無駄に潰しているように見えます。政界なんかが特に顕著ですが、実力とかそういうのではなくほぼ完全にアピール力、どれだけ目立つかだけを指標に選別している節があり、先日自殺した三宅雪子のように、本来そうした世界に来るべきでなかった人まで巻き込んでしまっています。
そうした実力主義というテーマを敢えて「外国人」というカバーにかけて今回放出しましたが、さすがにここまで読み込んだ人はコメントを見る限りいません。もっとも私自身が読み取れる人が現れることまで期待しておらず、自己満足で終わらせようとした裏テーマに据えていましたが。
2020年1月19日日曜日
中国の地下鉄の衛生環境
また最近ブログの誤字脱字が激しくなってきていますが、これは単純に家の中で暖房を一切つけないために、寒くて指がかじかむからです。特に昨日は部屋着のフリースを洗ったところ乾かず、干しっぱなしで着れなかったので余計に寒かったです。フリース一枚であんな変わるとは思わなかった。ちなみに今の室温は10度台。
話は本題ですが武漢発コロナウイルスが日本でも話題になっていますが、中国現地にいる身からすると、現時点でもインフルエンザの方が感染者も死者数も多いのになって感じであんま慌てていません。武漢行った人も現地は割と普段通りと言ってました。
ただ、武漢以上に中国では衛生的に怖いというか危険なところは結構あります。具体的に言うとそれは地下鉄で、油断していると変な虫とかつけられます。
春節まで一週間を切ったちょうどこの時期に顕著ですが、明らかに地方出身者と思しき乗客を地下鉄で見ることが増えてきました。臭い的にはそんなきついものはないのですが、明らかに身なりからして一般の上海市居住者と比べて汚く、うかつにこういった乗客の近くで電車乗ってるとダニとかその手の虫が飛び移るのか、電車降りてから猛烈に背中のあたりがかゆくなったりします。
何気にさっきも帰宅途中の地下鉄でそれっぽい乗客を見てからかゆみを覚えたので、帰宅後にすぐシャワー浴びました。
特に虫に弱い自分からするとこの手の地方出身者は明らかに鬼門なのですが、彼らにとっては自身の衛生感覚からして問題のない状態であり、一方的にこちら側が彼らを不潔と言うべきかとなるとそうではないと私は思っています。それだけにこうした衛生感覚というのは、やはり国家や地方自治体単位で徐々に高めて、強めていくしかないんだろうなという気がします。
日本国内でも、私が子供だった頃は擦り傷作っても消毒なんて生ぬるい時代でしたが、今はなんかやたら破傷風とか言い出すようになったし、小売店とかでも入り口前にアルコール消毒スプレーとか普通においてあって、やはりかつてと比べると衛生感覚が向上しているように思えます。そう考えると中国も発展途上だと言え、少なくとも昔と比べては段々マシになってはいるので、あまりとやかく言うべきではないという風に自分では位置付けています。
だがそれでも地下鉄はもうちょい綺麗にしてほしい。夏場なんか特にかゆくなること多いし、最悪なのは椅子に座っただけで尻がかゆくなります。それでも昔に比べたらマシだけど。
ついでに書くと、地下鉄車内で歌を歌いながら物乞いをする人は最近見ません。何それとか思うかもしれませんがほんの10年くらい前は地下鉄に乗るとほぼ毎回この手の物乞いと出くわし、変に近寄られると自分の体がかゆくなるという嫌な出会いが頻発してました。
あと上海市内の物乞いは割とアグレッシブだから、普通に路上歩いていたら声かけてきて「パンを買うお金が欲しいんだけど」とか言ってきます。もっとも、身なりが綺麗だから本気で困っているわけじゃなく仕事として物乞いしてんだろうけど、なんでみんなパンを口上に並べるのかが割と不思議です。
期限良い時は中国語で「ほか当たれ」とか「警察に言え」とか言いますが、マジ機嫌悪い帰宅途中だったら「(# ゚Д゚)<うるせぇ!」と日本語で一喝して去ります。
なお関係ないけど、日本にいた頃マジ機嫌悪い状態で夜自転車に乗ってたら、どっかの家の犬が自分に向かって吠えてきたので本気で「(# ゚Д゚)<うるせぇ!」と怒鳴ったら、なんか前歩いてたおっさんが驚いてて、おっさんにはちょっと申し訳ない気がしました。場所は何気に松戸で、マッドシティらしい夜だった気がします。
2020年1月18日土曜日
戦国時代のスキルを現代に例えるなら
最初はJBpress向けの記事で書こうかなと考えていましたが、昔「戦国ハローワーク」というお題の掲示板がありました。ここでは戦国時代における就活についてそれぞれ勝手に言い合うという大喜利が繰り広げられていたのですが、
「拙者、馬術免許を持っているのですが、どこか仕官できそうなところはあるでしょうか?」
「今時馬術なんてどこも欲しがらない。時代は鉄砲だよ」
「最低でも、タネガシマスコア650は欲しいね」
などと、うまく現代的な話題で結構ディープなネタが並べられてて、未だにその内容を強く覚えています。
上記のやり取りにも出てきますが、実際に戦国時代半ばから後期にかけては、鉄砲技術がどの大名家でも重要視され、この方面に明るい人物は重宝されたそうです。稲富流の開祖でゲームではやたら鉄砲スキルが高い稲富祐直なんて、ゲームで遊んでいてもぜひスカウトをかけたくなる人材で、実際に当時の大名家もこんな具合で欲しがったんだろうなというバーチャル体験ができます。
なおこのほかに鉄砲技術で仕官を勝ち取ったというか高い評価を受けたものだと、大河でおなじみの明智光秀、それと秀吉と犬猿の仲でおなじみの佐々成正です。佐々成正に関しては、日本史上最高のアルピニストとしての登山技能(さらさら越え)も持ち合わせていますが、生憎登山技能はそれほど重宝されませんでした。
この鉄砲スキルを敢えて現代で例えるとしたら、やはり今最も注目されているAIスキルが適当であるという気がします。逆を言えば戦国時代も現代も、搭乗したばかりの最先端の技術ほどそのスキル価値が高いと言え、「技術は新しければ新しいほどいい」というのは案外どの時代でも当てはまるかもしれません。
一方、前述の馬術、並びに剣術スキルについては、習得が比較的容易で且つ取得者も多いことから、実際にはこれだけで仕官に結びついた例はあんまり聞きません。それこそ剣術では宮本武蔵のようなトップクラスに限られ、馬術については「できて当たり前」的なもので、今でいうと「普通自動車免許」みたいなものだったのかもしれません。
だとすると剣術は、ITパスポート程度かな。WordやExcelは仕事で一般的に使うけど、極めているかどうかが一見判断しづらいというのも共通してるし。
このほか、どこでも引っ張りだこになるレアスキルとしては「築城」がありました。これはそもそもスキルを習得、向上させる機会が非常に少ないけれど、実際に使うとなると非常に重要ということから、戦国末期にかけては経験者があちらこちらで現場監督指導に引っ張りだこにされています。このスキルの代表者としては丹羽長秀と思いきや、実際には藤堂高虎で、次点で加藤清正とかが来るのではないかと思います。
この築城を敢えて例えるとしたら、習得が困難ではあるがもっとくと圧倒的に強いという意味では司法試験合格者が適当かもしれません。
あと戦国時代を代表する仕官用スキルとしては、茶道があります。戦国後期に大流行した茶道の作法は人脈構築において圧倒的に有用なスキルとなり、またその技能レベルに関しても初級から上級、果てには利休クラスの神業級と上下の幅が広く、一般性を有しながらその経験や技能深さが非常に問われるスキルでした。
これは現代に例えるなら迷わず「外国語」だと言えます。比較的広範に使える人が多いものの、その使用レベルに上下があるということと、初級者であっても一定の需要があり、尚且つ他のスキルと組みあわえることで真価を発揮するというのがその根拠です。
もっとも、リアル外国語ことオランダ語や英語も、当時の外国との貿易に当たって非常に重要なスキルでありました。特に当時の日本は火薬の自給自足が行えず、その大半は海外からの輸入品であったと言われることから、実際に仕えて且つ人脈なども持っているキリシタン大名はその点で強みがあったと言えるでしょう。
このように考えると、どの時代も仕官や就職に求められるスキルの構造というのは、レアリティやスキルの深さが非常に重要で、新規スキルほどニーズが高い点で、案外変わりがないんだなぁという気がします。ただ「読み書きそろばん」はさすがに現代では言葉として古く、今風に言うなら「ワード、パワポ、エクセル」、若しくは「コミュ力、英語、Office」というんじゃないかな。
「拙者、馬術免許を持っているのですが、どこか仕官できそうなところはあるでしょうか?」
「今時馬術なんてどこも欲しがらない。時代は鉄砲だよ」
「最低でも、タネガシマスコア650は欲しいね」
などと、うまく現代的な話題で結構ディープなネタが並べられてて、未だにその内容を強く覚えています。
上記のやり取りにも出てきますが、実際に戦国時代半ばから後期にかけては、鉄砲技術がどの大名家でも重要視され、この方面に明るい人物は重宝されたそうです。稲富流の開祖でゲームではやたら鉄砲スキルが高い稲富祐直なんて、ゲームで遊んでいてもぜひスカウトをかけたくなる人材で、実際に当時の大名家もこんな具合で欲しがったんだろうなというバーチャル体験ができます。
なおこのほかに鉄砲技術で仕官を勝ち取ったというか高い評価を受けたものだと、大河でおなじみの明智光秀、それと秀吉と犬猿の仲でおなじみの佐々成正です。佐々成正に関しては、日本史上最高のアルピニストとしての登山技能(さらさら越え)も持ち合わせていますが、生憎登山技能はそれほど重宝されませんでした。
この鉄砲スキルを敢えて現代で例えるとしたら、やはり今最も注目されているAIスキルが適当であるという気がします。逆を言えば戦国時代も現代も、搭乗したばかりの最先端の技術ほどそのスキル価値が高いと言え、「技術は新しければ新しいほどいい」というのは案外どの時代でも当てはまるかもしれません。
一方、前述の馬術、並びに剣術スキルについては、習得が比較的容易で且つ取得者も多いことから、実際にはこれだけで仕官に結びついた例はあんまり聞きません。それこそ剣術では宮本武蔵のようなトップクラスに限られ、馬術については「できて当たり前」的なもので、今でいうと「普通自動車免許」みたいなものだったのかもしれません。
だとすると剣術は、ITパスポート程度かな。WordやExcelは仕事で一般的に使うけど、極めているかどうかが一見判断しづらいというのも共通してるし。
このほか、どこでも引っ張りだこになるレアスキルとしては「築城」がありました。これはそもそもスキルを習得、向上させる機会が非常に少ないけれど、実際に使うとなると非常に重要ということから、戦国末期にかけては経験者があちらこちらで現場監督指導に引っ張りだこにされています。このスキルの代表者としては丹羽長秀と思いきや、実際には藤堂高虎で、次点で加藤清正とかが来るのではないかと思います。
この築城を敢えて例えるとしたら、習得が困難ではあるがもっとくと圧倒的に強いという意味では司法試験合格者が適当かもしれません。
あと戦国時代を代表する仕官用スキルとしては、茶道があります。戦国後期に大流行した茶道の作法は人脈構築において圧倒的に有用なスキルとなり、またその技能レベルに関しても初級から上級、果てには利休クラスの神業級と上下の幅が広く、一般性を有しながらその経験や技能深さが非常に問われるスキルでした。
これは現代に例えるなら迷わず「外国語」だと言えます。比較的広範に使える人が多いものの、その使用レベルに上下があるということと、初級者であっても一定の需要があり、尚且つ他のスキルと組みあわえることで真価を発揮するというのがその根拠です。
もっとも、リアル外国語ことオランダ語や英語も、当時の外国との貿易に当たって非常に重要なスキルでありました。特に当時の日本は火薬の自給自足が行えず、その大半は海外からの輸入品であったと言われることから、実際に仕えて且つ人脈なども持っているキリシタン大名はその点で強みがあったと言えるでしょう。
このように考えると、どの時代も仕官や就職に求められるスキルの構造というのは、レアリティやスキルの深さが非常に重要で、新規スキルほどニーズが高い点で、案外変わりがないんだなぁという気がします。ただ「読み書きそろばん」はさすがに現代では言葉として古く、今風に言うなら「ワード、パワポ、エクセル」、若しくは「コミュ力、英語、Office」というんじゃないかな。
2020年1月15日水曜日
ファストニュースの凋落
PCでは常にYahooとMSNをワンクリックで開くようブラウザを設定していますが、最近陵ポータルサイトを比べていると、MSNのが面白いです。なんで面白いのかっていうと、配信したらほぼ確実に私のJBpressの記事をトップページに載せてくれるからです。
もちろんこれは冗談ですが、冗談なのは半分で、もう半分にはガチな理由があります。その理由と言うのも、トップに掲載するニュースで解説系が多いためです。
前にも少し紹介した「2050年のメディア」をこの前ようやく読み終わりましたが、改めてインターネット黎明期から現在に至るまでの新聞メディアの凋落は、インターネットの発達がそれ自体が原因であることに間違いないものの、構図としては「インターネットVS新聞」ではなく、「Yahoo JapanVS新聞」だったんだなと読んでて思いました。まぁそのYahooも新聞メディアからのニュース提供がポータルサイトで覇権を取った主要因なのですが、それだけに借りた刀で持主を斬り殺したともいえるでしょう。
話は戻しますが、ポータルサイトの機能で何が一番期待されるのかと言うと検索やメール、占い、掲示板などいろいろあるでしょうが、やはり一番集客力が高いのはニュースに他ならないでしょう。前述の通りYahooが何故日本一のポータルサイトなのかと言うと、ニュース配信力が極めて高く、プラスアルファで検索機能が強かったといえます。そんなYahooですが、最近私の目から見てことニュースの配信に関しては、マイクロソフトが運営するMSNの方が面白かったりします。
一体なんでMSNの方が面白いのかと言うと、一つはこっちだと海外や経済などニュースカテゴリーを自由に選択して、トップページに表示するよう設定できます。これだけでも特定分野のニュース見出し一覧数は増えるし、そもそもMSNの方がページ全体を使ってニュースを大量に出しているので、意図せず面白いニュースを発見しやすいです。
次に、こっちの方が重要ですが、先ほどにも書いた通りに解説系のニュースほどMSNではトップに掲載されやすいです。対照的にYahooのニューストピックスでは芸能を除けば大手新聞社系のニュース、敢えて言うならファストニュースともいうべき速報のような短い文章の記事が掲載されることが多い気がします。MSNはというとこれまた対照的に、私の記事もそうですがJBpressなどWebメディアや、東洋経済やダイヤモンドと言った雑誌系の、やや文章の長い解説記事、敢えて言うならアカウントニュースが多くなっています。
単純に私がニュースマニアでファストニュースより内容の濃いアカウントニュースを好むという傾向もあるでしょうが、案外他の人も今後を含めこういったアカウントニュースを好む傾向になるのではという気もしています。それは何故かというと、かつてと比べてファストニュースの価値が低くなっているからです。
以前(20年前?)であれば如何に早くニュースを得るかということが重要視されていましたが、現代においては当時と比べるとその価値は急減している気がします。というのもネットの発達によってそうした主だったニュースは見ようと思えば夜七時のNHKニュースを待たずともいつでも見られ、また本当に大きな事件であればTwitterや掲示板まとめサイトなどを眺めているだけでおおよそ把握できます。
特にTwitterに関しては、今現在の注目ワードなどが自動で集計されることもあり、速報性で言えば図抜けています。またメディアの方もそうした背景から、テレビ局を中心に自分でニュースを負わず、こうしたTwitterの注目ワードや話題を後追いし、挙句には事件現場などで写真や動画撮影した人から材料を提供して報じる有様で、速報性の面では後塵を拝するどころかいろいろとおかしなことになっています。
それに対しアカウントニュースは、基本的に取材に手間暇時間がかけられているだけに、興味のない内容なら全く読むことないでしょうが、いくらか興味のあるものであればやはり読みごたえを感じます。特に以前は散々馬鹿にしていたダイヤモンドも東洋経済に負けないくらい最近面白い記事を出すようになってきて、時間がある時なんかは割とじっくり楽しんで読んでます。
こうしたアカウントニュースは事件発生や発表があってからしばらく経って出てきますが、事件背景や今後の展開についてはよそではまず見れない独自内容も多くなります。横並びなファストニュースは極端なこと言えばどのメディアの記事を読んでも同じというか大差ないですが、アカウントニュースは同じ事件が対象であっても、違った視点や解説が見られるだけにいくらでも読めます。
MSNの方が面白く感じるようになったという出発点からいろいろ語りましたが、これらは暗に、速報性を武器にしてきた新聞社など大手メディアのニュース面における凋落理由の解説としても通用する気がします。ネットが発達した時代においては、比較するならばアカウントニュースの比重が高まるというのが私の見方です。
逆を言えば、大手メディアはもっとTwitterのようなツールを活用してファストニュースをガンガン配信するべきともいえるのですが、なんとなく企業広報にしか彼らには使えない気がします。テレビ局に至っては、今はまだ強力なビジネスアイデアが出てないけど、そういうのが出てきたらこのままだと一網打尽になりかねないとも考えています。
もちろんこれは冗談ですが、冗談なのは半分で、もう半分にはガチな理由があります。その理由と言うのも、トップに掲載するニュースで解説系が多いためです。
前にも少し紹介した「2050年のメディア」をこの前ようやく読み終わりましたが、改めてインターネット黎明期から現在に至るまでの新聞メディアの凋落は、インターネットの発達がそれ自体が原因であることに間違いないものの、構図としては「インターネットVS新聞」ではなく、「Yahoo JapanVS新聞」だったんだなと読んでて思いました。まぁそのYahooも新聞メディアからのニュース提供がポータルサイトで覇権を取った主要因なのですが、それだけに借りた刀で持主を斬り殺したともいえるでしょう。
話は戻しますが、ポータルサイトの機能で何が一番期待されるのかと言うと検索やメール、占い、掲示板などいろいろあるでしょうが、やはり一番集客力が高いのはニュースに他ならないでしょう。前述の通りYahooが何故日本一のポータルサイトなのかと言うと、ニュース配信力が極めて高く、プラスアルファで検索機能が強かったといえます。そんなYahooですが、最近私の目から見てことニュースの配信に関しては、マイクロソフトが運営するMSNの方が面白かったりします。
一体なんでMSNの方が面白いのかと言うと、一つはこっちだと海外や経済などニュースカテゴリーを自由に選択して、トップページに表示するよう設定できます。これだけでも特定分野のニュース見出し一覧数は増えるし、そもそもMSNの方がページ全体を使ってニュースを大量に出しているので、意図せず面白いニュースを発見しやすいです。
次に、こっちの方が重要ですが、先ほどにも書いた通りに解説系のニュースほどMSNではトップに掲載されやすいです。対照的にYahooのニューストピックスでは芸能を除けば大手新聞社系のニュース、敢えて言うならファストニュースともいうべき速報のような短い文章の記事が掲載されることが多い気がします。MSNはというとこれまた対照的に、私の記事もそうですがJBpressなどWebメディアや、東洋経済やダイヤモンドと言った雑誌系の、やや文章の長い解説記事、敢えて言うならアカウントニュースが多くなっています。
単純に私がニュースマニアでファストニュースより内容の濃いアカウントニュースを好むという傾向もあるでしょうが、案外他の人も今後を含めこういったアカウントニュースを好む傾向になるのではという気もしています。それは何故かというと、かつてと比べてファストニュースの価値が低くなっているからです。
以前(20年前?)であれば如何に早くニュースを得るかということが重要視されていましたが、現代においては当時と比べるとその価値は急減している気がします。というのもネットの発達によってそうした主だったニュースは見ようと思えば夜七時のNHKニュースを待たずともいつでも見られ、また本当に大きな事件であればTwitterや掲示板まとめサイトなどを眺めているだけでおおよそ把握できます。
特にTwitterに関しては、今現在の注目ワードなどが自動で集計されることもあり、速報性で言えば図抜けています。またメディアの方もそうした背景から、テレビ局を中心に自分でニュースを負わず、こうしたTwitterの注目ワードや話題を後追いし、挙句には事件現場などで写真や動画撮影した人から材料を提供して報じる有様で、速報性の面では後塵を拝するどころかいろいろとおかしなことになっています。
それに対しアカウントニュースは、基本的に取材に手間暇時間がかけられているだけに、興味のない内容なら全く読むことないでしょうが、いくらか興味のあるものであればやはり読みごたえを感じます。特に以前は散々馬鹿にしていたダイヤモンドも東洋経済に負けないくらい最近面白い記事を出すようになってきて、時間がある時なんかは割とじっくり楽しんで読んでます。
こうしたアカウントニュースは事件発生や発表があってからしばらく経って出てきますが、事件背景や今後の展開についてはよそではまず見れない独自内容も多くなります。横並びなファストニュースは極端なこと言えばどのメディアの記事を読んでも同じというか大差ないですが、アカウントニュースは同じ事件が対象であっても、違った視点や解説が見られるだけにいくらでも読めます。
MSNの方が面白く感じるようになったという出発点からいろいろ語りましたが、これらは暗に、速報性を武器にしてきた新聞社など大手メディアのニュース面における凋落理由の解説としても通用する気がします。ネットが発達した時代においては、比較するならばアカウントニュースの比重が高まるというのが私の見方です。
逆を言えば、大手メディアはもっとTwitterのようなツールを活用してファストニュースをガンガン配信するべきともいえるのですが、なんとなく企業広報にしか彼らには使えない気がします。テレビ局に至っては、今はまだ強力なビジネスアイデアが出てないけど、そういうのが出てきたらこのままだと一網打尽になりかねないとも考えています。
2020年1月13日月曜日
ゲームレビュー:AI: ソムニウム ファイル
昨日通っている喫茶店に行ったらなんか子猫を飼い出してて、ほっといたら何故か私の靴の裏の臭いを嗅いでました。あとテーブルの上にちっちゃいゴキブリがいたけど、昨年夏に1000匹斬りした身からすると何も恐怖はなく、そのまま指ではじいて殺してました(三匹ほど)。
・AI: ソムニウム ファイル(スパイク・チュンソフト)
話は本題ですが、昨日クリアしたのが上の「AI:ソムニウムファイル」というゲームです。このゲームはアドベンチャーゲームなのですが、最初購入した際はどんなゲームなのか全く調べずに買いました。どうしてそんな風にして買ったのかと言うと、クリエイターが打越綱太郎氏だったからです。
以前にも「Zero Escape」をはじめとするいわゆる「極限脱出シリーズ」のゲームレビュー記事を書いていますが、これらのゲームも打越氏がシナリオを書いたゲームです。どれも非常に気に入っており、あの打越氏のゲームならとなんにも調べずにこのAIソムニウムもSteamで購入を決めました。
それで買った後になってようやくこのゲームの内容が分かったのですが、日常パートは一般的な刑事物のコマンド選択型アドベンチャーなのですが、一定段階まで進むと特殊パートが用意されています。主人公は最先端機器を使って他人の夢の中にサポートAIとともに潜り込むことができ、特殊パートではその夢の中を探索し、事件のヒントを探していくという内容になっています。
ただ夢の中では主人公は自由に動けず、代わりにAIが人間の形を模して動き回り、6分間の制限内に相手のメンタルロックをすべて外す行動をとるという仕組みになっています。いわば6分間制限の脱出ゲームみたいなものですが、実際にはリアルタイムの6分間ではなく、「物を取る 10秒」みたく各行動コマンドで時間が消費していくため、効率よく適切なコマンドを選んで解除していくこととなります。
ゲーム性に関しては上記の夢の中を潜るパート(ソムニウムパート)を除けば、昔ながらのほぼコマンド全選択型アドベンチャーです。私なんかは昔懐かしくそんなに抵抗ないですが、レビューを見ているともどかしいと感じる人もいるようで、この辺は賛否両論でしょう。
シナリオ自体は上記のソムニウムパートの行動によって複数に分岐し、テキスト量だけ見れば非常にボリュームのあるゲームになっています。またそのシナリオも、殺人被害者みんなが眼球を抜き取られたり、普通にメインヒロインが人体切断マジックショーをリアルに行われたりするなどショッキングな内容もあれば、割とほろりとする場面もあり、非常に読ませるテキストとなっています。
ただそうした波乱のある展開以上に、通常のテキスト部分の方がずっと面白かったです。
主人公は左目を失っていることから左眼窩にAIを内蔵した特殊な義眼を装備しているのですが、このAIとは常に漫才やってるような掛け合いを繰り広げられ、ダジャレやパロディネタがガンガン展開されていきます。よく「ネプテューヌシリーズ」がそうしたパロディが激しいと言われますが、はっきり言ってそんなの目じゃないくらいパロディが激しく、やっててマジ怒られないのかと心配になるくらいでした。具体例を出すと、
「キンキンに冷えてやがる」
「エイドリアーン!」、「リッキー!」
(マイクに向かって叫べと指示)「紅だぁぁー!」
「うぉ、まぶしっ」
終盤に立っては果物を真ん中から真っ二つに割りながらダンスしたりなど、全く自重されてません。こんな感じで普通に読んだり声聞いたりしているだけでも楽しく、尚且つサスペンス的なシリアスさはしっかりと確保されており、全体のシナリオ構成はさすが打越氏と思うほど完成されています。
あと、画面はすべてフルCGで作られていますが、メインヒロインを始め非常によくできた造形となっており、最初でこそ主人公がその見た目からクールな二枚目を想像していたら実際には三枚目だったり、クラゲっぽいイメージのAIの造形も違和感ありましたが、慣れたらこれはこれで愛着が持てるようになりました。
敢えてダメ出しすると、犯人特定がシナリオに沿って勝手に行われるため、プレイヤーが推理する余地が全く用意されてないことと、ソムニウムパートの解法が分岐を除けば実質的にほぼ一つに限られていて、ゲーム性がやや低いということです。まぁこれはアドベンチャーゲームの宿命ですが。
とりあえずようやくこのゲームをクリアしたので、今はまた別の「デイグラシアの羅針盤」というアドベンチャーゲームをやり始めています。背も胸も小さいのに態度だけはでかい女性キャラが何故だか気に入ってます。
・AI: ソムニウム ファイル(スパイク・チュンソフト)
話は本題ですが、昨日クリアしたのが上の「AI:ソムニウムファイル」というゲームです。このゲームはアドベンチャーゲームなのですが、最初購入した際はどんなゲームなのか全く調べずに買いました。どうしてそんな風にして買ったのかと言うと、クリエイターが打越綱太郎氏だったからです。
以前にも「Zero Escape」をはじめとするいわゆる「極限脱出シリーズ」のゲームレビュー記事を書いていますが、これらのゲームも打越氏がシナリオを書いたゲームです。どれも非常に気に入っており、あの打越氏のゲームならとなんにも調べずにこのAIソムニウムもSteamで購入を決めました。
それで買った後になってようやくこのゲームの内容が分かったのですが、日常パートは一般的な刑事物のコマンド選択型アドベンチャーなのですが、一定段階まで進むと特殊パートが用意されています。主人公は最先端機器を使って他人の夢の中にサポートAIとともに潜り込むことができ、特殊パートではその夢の中を探索し、事件のヒントを探していくという内容になっています。
ただ夢の中では主人公は自由に動けず、代わりにAIが人間の形を模して動き回り、6分間の制限内に相手のメンタルロックをすべて外す行動をとるという仕組みになっています。いわば6分間制限の脱出ゲームみたいなものですが、実際にはリアルタイムの6分間ではなく、「物を取る 10秒」みたく各行動コマンドで時間が消費していくため、効率よく適切なコマンドを選んで解除していくこととなります。
ゲーム性に関しては上記の夢の中を潜るパート(ソムニウムパート)を除けば、昔ながらのほぼコマンド全選択型アドベンチャーです。私なんかは昔懐かしくそんなに抵抗ないですが、レビューを見ているともどかしいと感じる人もいるようで、この辺は賛否両論でしょう。
シナリオ自体は上記のソムニウムパートの行動によって複数に分岐し、テキスト量だけ見れば非常にボリュームのあるゲームになっています。またそのシナリオも、殺人被害者みんなが眼球を抜き取られたり、普通にメインヒロインが人体切断マジックショーをリアルに行われたりするなどショッキングな内容もあれば、割とほろりとする場面もあり、非常に読ませるテキストとなっています。
ただそうした波乱のある展開以上に、通常のテキスト部分の方がずっと面白かったです。
主人公は左目を失っていることから左眼窩にAIを内蔵した特殊な義眼を装備しているのですが、このAIとは常に漫才やってるような掛け合いを繰り広げられ、ダジャレやパロディネタがガンガン展開されていきます。よく「ネプテューヌシリーズ」がそうしたパロディが激しいと言われますが、はっきり言ってそんなの目じゃないくらいパロディが激しく、やっててマジ怒られないのかと心配になるくらいでした。具体例を出すと、
「キンキンに冷えてやがる」
「エイドリアーン!」、「リッキー!」
(マイクに向かって叫べと指示)「紅だぁぁー!」
「うぉ、まぶしっ」
終盤に立っては果物を真ん中から真っ二つに割りながらダンスしたりなど、全く自重されてません。こんな感じで普通に読んだり声聞いたりしているだけでも楽しく、尚且つサスペンス的なシリアスさはしっかりと確保されており、全体のシナリオ構成はさすが打越氏と思うほど完成されています。
あと、画面はすべてフルCGで作られていますが、メインヒロインを始め非常によくできた造形となっており、最初でこそ主人公がその見た目からクールな二枚目を想像していたら実際には三枚目だったり、クラゲっぽいイメージのAIの造形も違和感ありましたが、慣れたらこれはこれで愛着が持てるようになりました。
敢えてダメ出しすると、犯人特定がシナリオに沿って勝手に行われるため、プレイヤーが推理する余地が全く用意されてないことと、ソムニウムパートの解法が分岐を除けば実質的にほぼ一つに限られていて、ゲーム性がやや低いということです。まぁこれはアドベンチャーゲームの宿命ですが。
とりあえずようやくこのゲームをクリアしたので、今はまた別の「デイグラシアの羅針盤」というアドベンチャーゲームをやり始めています。背も胸も小さいのに態度だけはでかい女性キャラが何故だか気に入ってます。
2020年1月12日日曜日
急変したイランに対する国際世論
関係ないけど超久々に自分のこのブログのプロフィールをみたら、職業が「ふしぎなおどり」になってました。なお同じ職業だと言っている人は他にいません。なんでこんなのにしたのかいろいろ不思議ですが、Skypeでも近況をよく「うずしおキング」とかにしているので、ドラクエ的なくくりが自分の中にあるのだと思います。
話は本題ですがなかなか貴重なワンシーンと言うべきか、一夜、というよりは一日にして世論がひっくり変わる場面を目撃できたかと思います。かねてから緊張の高まっていた米国とイランの関係において先日、イラン国内の空港を離陸した旅客機の撃墜事件について、当初事故説を一方的に主張していたイランがとうとう人為的ミスによりミサイルで撃墜していたということを認めました。
墜落原因については、イランが何の調査もしていない段階で事故説を主張する一方、また責任逃れの一助として米国の関与を主張することがなかったことから、初めからイラン側の関与が窺われました。今回あっさりとその過失を認めたというのも、かなり明白な証拠が米国側に撮られていた思われますが、率直に言って今回の一件は米国、というよりトランプ大統領にとって僥倖以外の何物でもないでしょう。
今回の墜落事件直前まで、イランのソレイマン司令の暗殺事件について世論は割れていました。少なくとも日本においては常識外れの行為と報じられることが多く、私自身は現実にはソレイマン司令が数多くのテロ事件に関わっていたことを考えるとこの暗殺劇も全く理解できないものではないと考えていましたが、いらずらに戦争を誘発しかねない決断だと報じる声の方が大きかったように見えます。日本以外の国もそうした声はあったでしょうし、少なくともイラン寄りの中国においてはそういう見方が強かったです。
それが一転、今回の墜落事件の過失をイランが認めたことにより、日本を含めた国際世論は一転して「イランがおかしい」へ切り替わりつつあります。ソレイマン司令の暗殺劇など一気に吹き飛んだというか、やはりイランという国は問題のある国だという見方が広がり、米国の強引さに対する批判は極端にトーンダウンし、むしろ暗殺指令も仕方のない行為という見方すら出ています。
これにより、今後トランプ大統領の支持率はさらに向上するのではないかと思います。それによりトランプ大統領の決断はより強気なものになっていく可能性もあるでしょう。そしてその強気がどこに向けられるかはまずはイランで次に中国、そしてロシア、北朝鮮かなと考えています。
特に北朝鮮に関しては、ただ単に日系メディアが報じていないだけかもしれませんがソレイマン司令暗殺以降から急激に大人しくなっています。まぁそういう国だと割り切ればそれまでですが、それによって割を食うのは北朝鮮を出しに外交を続けている韓国で、対日外交も含めて更なる手詰まり感を見せてくるのではという気がします。
それにしてもトランプ大統領について言えば、つくづく運のいい人だと思います。ソレイマン司令暗殺は彼にとっても一度は見送っていた案だと言われているだけに覚悟の必要な決断だったでしょうが、結果的にはこれ以上ないくらいの最高の結果をもたらしたと言えるでしょう。運も実力のうちと言えば、土壇場で強さを見せる大統領なのかもしれません。
話は本題ですがなかなか貴重なワンシーンと言うべきか、一夜、というよりは一日にして世論がひっくり変わる場面を目撃できたかと思います。かねてから緊張の高まっていた米国とイランの関係において先日、イラン国内の空港を離陸した旅客機の撃墜事件について、当初事故説を一方的に主張していたイランがとうとう人為的ミスによりミサイルで撃墜していたということを認めました。
墜落原因については、イランが何の調査もしていない段階で事故説を主張する一方、また責任逃れの一助として米国の関与を主張することがなかったことから、初めからイラン側の関与が窺われました。今回あっさりとその過失を認めたというのも、かなり明白な証拠が米国側に撮られていた思われますが、率直に言って今回の一件は米国、というよりトランプ大統領にとって僥倖以外の何物でもないでしょう。
今回の墜落事件直前まで、イランのソレイマン司令の暗殺事件について世論は割れていました。少なくとも日本においては常識外れの行為と報じられることが多く、私自身は現実にはソレイマン司令が数多くのテロ事件に関わっていたことを考えるとこの暗殺劇も全く理解できないものではないと考えていましたが、いらずらに戦争を誘発しかねない決断だと報じる声の方が大きかったように見えます。日本以外の国もそうした声はあったでしょうし、少なくともイラン寄りの中国においてはそういう見方が強かったです。
それが一転、今回の墜落事件の過失をイランが認めたことにより、日本を含めた国際世論は一転して「イランがおかしい」へ切り替わりつつあります。ソレイマン司令の暗殺劇など一気に吹き飛んだというか、やはりイランという国は問題のある国だという見方が広がり、米国の強引さに対する批判は極端にトーンダウンし、むしろ暗殺指令も仕方のない行為という見方すら出ています。
これにより、今後トランプ大統領の支持率はさらに向上するのではないかと思います。それによりトランプ大統領の決断はより強気なものになっていく可能性もあるでしょう。そしてその強気がどこに向けられるかはまずはイランで次に中国、そしてロシア、北朝鮮かなと考えています。
特に北朝鮮に関しては、ただ単に日系メディアが報じていないだけかもしれませんがソレイマン司令暗殺以降から急激に大人しくなっています。まぁそういう国だと割り切ればそれまでですが、それによって割を食うのは北朝鮮を出しに外交を続けている韓国で、対日外交も含めて更なる手詰まり感を見せてくるのではという気がします。
それにしてもトランプ大統領について言えば、つくづく運のいい人だと思います。ソレイマン司令暗殺は彼にとっても一度は見送っていた案だと言われているだけに覚悟の必要な決断だったでしょうが、結果的にはこれ以上ないくらいの最高の結果をもたらしたと言えるでしょう。運も実力のうちと言えば、土壇場で強さを見せる大統領なのかもしれません。
2020年1月11日土曜日
朝日出身記者の一番悪い癖
昨日の記事の続きとなります。昨日の記事で私は、昨日にJBpressで配信されたゴーン記事は、かねてから日産の問題をマツダと比較した記事がなかったことがないことにイラついていたということともに、元朝日新聞記者の井上久男氏が書いた「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」を読んで、思うところがあったためと書きました。
最初に断りを言っておくと、上記の井上氏の本は決して悪い本ではなく、日産の歴史とゴーン入閣以来の経営に関する説明は非常にわかりやすく書かれており、日産について詳しくない方が読む上では非常にいい本だと思います。井上氏自身がゴーン氏に直接インタビューした内容も書かれており、ゴーン氏がどういう風になりふり構わなくなっていったのかという過程はよく描かれています。
しかし、昨日の記事にも書いた通り井上氏は日産のゴーン問題についてこの本の前半で、トヨタ自動車と比較を行っています。曰く、トヨタと違って日産には創業者がいないため社内の求心力がなく、経営者が私利私欲に走りやすく、且つ内部抗争の激しい社風だったという風に説明していますが、この点については率直に言って強い疑問を覚えました。
また仮に比較する場合、会社規模でいうならホンダ、そして外国人経営者という点で比較するなら本来マツダが来るべきであり、トヨタ自体は確かに自動車業界のあらゆるベンチマークとなる会社ですが、少なくともゴーン問題を語る上では真っ先に外すべき比較対象でしょう。
上記指摘にも一部重なるのですが、同様にこの本の前半部を見て私は、「ああ、朝日の一番悪い癖が出ているな」とはっきり感じました。もったいぶらずに述べると、朝日系の記者はほぼ例外なく何でもかんでも過去の歴史や事件構図をはめ込んで結論を出そうとする傾向がみられあります。この本も然りで、そのせいで分析と結論がややずれているように感じました。
上記傾向の具体例を挙げると、
「戦前の治安維持法を彷彿とさせる~」
「太平洋戦争突入に至るまでの経緯と~」
「安保闘争が起きた当時の雰囲気が~」
「バブル前に失敗した経済政策を思わせる~」
最後のに限って言えば朝日に限らないですが、朝日の普段の論説を見ているとかなり多くが「前にもこんなことがあった、今まさにその時の状況に近い」という風な結論に至っているケースが非常に多いです。はっきり言いますが、これは朝日系の記者が書く文章において物凄い目立つ特徴で、恐らくですが朝日新聞内でこうした記事や論説の書き方を行う伝統が強く残っているのでしょう。
なお毎日出身者も上記に近い結論を書くことがありますが、朝日の場合はまだ結論に至るまでの解説や経緯分析はしっかりしているのに対し、毎日はその経緯説明の段階で感情的に書き立ててくるし、そもそも記事文章自体もあまりうまいとは思えず単純にわかりづらい印象があります。
私個人の見立てで言うと、朝日系の記者はみんな文章自体はしっかりしており、よくわかりやすく書いていると思います。そのため何かの事件などに関して経緯については非常に良く書かれていて「うんうん、それもアイカツだね」的に納得感を覚えて行く矢先、結論部分で突然、「だが、こうした流れはかつての~のようにもみえる」などと、急に変な結論に飛んでってしまうことが多く、最終的な結論がなんかおかしいものになるというパターンがあるという気がします。
それもそのはずというか、私が見る限り朝日系の記者はほぼ無意識に過去の事例を現代の事件や論争に当てはめて考察、分析しているように見えるのですが、そのまま過去の構図を当てはめて「歴史は繰り返される」的な結論にしようにも、必ずしもその通りになるわけなんてありません。中には確かに類似する構造でそうした過去事例との比較が適切なケースもあるにはありますが、時代が変われば周辺状況まで一致するはずなんてなく、そうした点を全部無視して過去の構図を当てはめても的外れな結論になる以外ありません。
私に言わせると上記の点で朝日系の記者は、対象を対象そのものとして分析、理解しようとする視点、努力に欠けている人が多い気がします。安易に過去の構図を当てはめて今後こうなると結論を出すというのは、安直すぎる以外何物でもありません。
上記内容を先週友人に話したところ、昨日にも書いたように「JBpressでぜひそれを書くべきだ」とプッシュされたのですが、業界内の人材流動の激しいマスコミ業界でそういうの書いたらいろいろ齟齬が出るためそれは無理といい、代わりにゴーン事件のマツダとの比較を出すことになったわけです。
友人は上記の私の分析に非常に納得がいったそうですが、私自身もわりと朝日の特徴をうまく突いていると考えています。恐らく他の多くの人、特に朝日の論説について批判的な人は、途中まではいいのに結論部分で突然変におかしくなるという朝日系の論説傾向を、意識しないまでもなんとくなく感覚では理解しているのではと思います。
ただ上記の朝日系の文章特徴について、少なくとも私はこれまで他の誰かが説明しているのを見たことがありません。そういう意味でもしかしたら私が初めて主張する意見なのかもしれませんが、ただ単に私が気付いただけで、考えればすぐわかるような事柄だと思います。それくらい、かなりはっきりした特徴だと思うし。
なお、他のメディアについて言えば読売、日経はともに現実的な意見を結論にすることが多く、解説文の上手さもあって総合力で言えばこの二紙が一番実力が高いとみています。毎日については前述の通りで理論立っておらず、産経に関してはひたすら感情に訴えかけるところがあり、論理性を欠くところがややある気がします。
井上氏の本の話にようやく戻ると、前半部で井上氏は日産について、「内部抗争の激しい社風であり、それがゴーン解任のクーデターにつながった」ともいうべき主張を行っています。しかし、内部抗争が多かったという事実自体は間違っていないものの、過去の内部抗争がゴーン解任に関係するかと言ったら私は疑問です。また日産の社風についても、ゴーンが来てから既に19年経っており、その間に全く日産の社風は変わらなかったのかとい言われるとこれまた疑問です。むしろゴーン風味にかなり変わったと聞いており、もし内部抗争が今の日産で激しいというのなら、それは労働組合とか過去の独裁者ではなく、ゴーンと言う独裁者の影響であり過去とは無関係じゃないかと言うのが私の見方です。
このように考えた際、井上氏は「日産の内部抗争の歴史」という構図を今回のゴーン問題に当てはめ過ぎて、それによって分析結論もやや違う方向に引っ張られているように感じました。私としては一旦そういうのは全部切り捨てて、「なぜ経営の公私混同が起きたのか」という問題を考えることこそ、ゴーン事件のケーススタディとなると考えて、マツダと比較したわけです。
最初に断りを言っておくと、上記の井上氏の本は決して悪い本ではなく、日産の歴史とゴーン入閣以来の経営に関する説明は非常にわかりやすく書かれており、日産について詳しくない方が読む上では非常にいい本だと思います。井上氏自身がゴーン氏に直接インタビューした内容も書かれており、ゴーン氏がどういう風になりふり構わなくなっていったのかという過程はよく描かれています。
しかし、昨日の記事にも書いた通り井上氏は日産のゴーン問題についてこの本の前半で、トヨタ自動車と比較を行っています。曰く、トヨタと違って日産には創業者がいないため社内の求心力がなく、経営者が私利私欲に走りやすく、且つ内部抗争の激しい社風だったという風に説明していますが、この点については率直に言って強い疑問を覚えました。
また仮に比較する場合、会社規模でいうならホンダ、そして外国人経営者という点で比較するなら本来マツダが来るべきであり、トヨタ自体は確かに自動車業界のあらゆるベンチマークとなる会社ですが、少なくともゴーン問題を語る上では真っ先に外すべき比較対象でしょう。
上記指摘にも一部重なるのですが、同様にこの本の前半部を見て私は、「ああ、朝日の一番悪い癖が出ているな」とはっきり感じました。もったいぶらずに述べると、朝日系の記者はほぼ例外なく何でもかんでも過去の歴史や事件構図をはめ込んで結論を出そうとする傾向がみられあります。この本も然りで、そのせいで分析と結論がややずれているように感じました。
上記傾向の具体例を挙げると、
「戦前の治安維持法を彷彿とさせる~」
「太平洋戦争突入に至るまでの経緯と~」
「安保闘争が起きた当時の雰囲気が~」
「バブル前に失敗した経済政策を思わせる~」
最後のに限って言えば朝日に限らないですが、朝日の普段の論説を見ているとかなり多くが「前にもこんなことがあった、今まさにその時の状況に近い」という風な結論に至っているケースが非常に多いです。はっきり言いますが、これは朝日系の記者が書く文章において物凄い目立つ特徴で、恐らくですが朝日新聞内でこうした記事や論説の書き方を行う伝統が強く残っているのでしょう。
なお毎日出身者も上記に近い結論を書くことがありますが、朝日の場合はまだ結論に至るまでの解説や経緯分析はしっかりしているのに対し、毎日はその経緯説明の段階で感情的に書き立ててくるし、そもそも記事文章自体もあまりうまいとは思えず単純にわかりづらい印象があります。
私個人の見立てで言うと、朝日系の記者はみんな文章自体はしっかりしており、よくわかりやすく書いていると思います。そのため何かの事件などに関して経緯については非常に良く書かれていて「うんうん、それもアイカツだね」的に納得感を覚えて行く矢先、結論部分で突然、「だが、こうした流れはかつての~のようにもみえる」などと、急に変な結論に飛んでってしまうことが多く、最終的な結論がなんかおかしいものになるというパターンがあるという気がします。
それもそのはずというか、私が見る限り朝日系の記者はほぼ無意識に過去の事例を現代の事件や論争に当てはめて考察、分析しているように見えるのですが、そのまま過去の構図を当てはめて「歴史は繰り返される」的な結論にしようにも、必ずしもその通りになるわけなんてありません。中には確かに類似する構造でそうした過去事例との比較が適切なケースもあるにはありますが、時代が変われば周辺状況まで一致するはずなんてなく、そうした点を全部無視して過去の構図を当てはめても的外れな結論になる以外ありません。
私に言わせると上記の点で朝日系の記者は、対象を対象そのものとして分析、理解しようとする視点、努力に欠けている人が多い気がします。安易に過去の構図を当てはめて今後こうなると結論を出すというのは、安直すぎる以外何物でもありません。
上記内容を先週友人に話したところ、昨日にも書いたように「JBpressでぜひそれを書くべきだ」とプッシュされたのですが、業界内の人材流動の激しいマスコミ業界でそういうの書いたらいろいろ齟齬が出るためそれは無理といい、代わりにゴーン事件のマツダとの比較を出すことになったわけです。
友人は上記の私の分析に非常に納得がいったそうですが、私自身もわりと朝日の特徴をうまく突いていると考えています。恐らく他の多くの人、特に朝日の論説について批判的な人は、途中まではいいのに結論部分で突然変におかしくなるという朝日系の論説傾向を、意識しないまでもなんとくなく感覚では理解しているのではと思います。
ただ上記の朝日系の文章特徴について、少なくとも私はこれまで他の誰かが説明しているのを見たことがありません。そういう意味でもしかしたら私が初めて主張する意見なのかもしれませんが、ただ単に私が気付いただけで、考えればすぐわかるような事柄だと思います。それくらい、かなりはっきりした特徴だと思うし。
なお、他のメディアについて言えば読売、日経はともに現実的な意見を結論にすることが多く、解説文の上手さもあって総合力で言えばこの二紙が一番実力が高いとみています。毎日については前述の通りで理論立っておらず、産経に関してはひたすら感情に訴えかけるところがあり、論理性を欠くところがややある気がします。
井上氏の本の話にようやく戻ると、前半部で井上氏は日産について、「内部抗争の激しい社風であり、それがゴーン解任のクーデターにつながった」ともいうべき主張を行っています。しかし、内部抗争が多かったという事実自体は間違っていないものの、過去の内部抗争がゴーン解任に関係するかと言ったら私は疑問です。また日産の社風についても、ゴーンが来てから既に19年経っており、その間に全く日産の社風は変わらなかったのかとい言われるとこれまた疑問です。むしろゴーン風味にかなり変わったと聞いており、もし内部抗争が今の日産で激しいというのなら、それは労働組合とか過去の独裁者ではなく、ゴーンと言う独裁者の影響であり過去とは無関係じゃないかと言うのが私の見方です。
このように考えた際、井上氏は「日産の内部抗争の歴史」という構図を今回のゴーン問題に当てはめ過ぎて、それによって分析結論もやや違う方向に引っ張られているように感じました。私としては一旦そういうのは全部切り捨てて、「なぜ経営の公私混同が起きたのか」という問題を考えることこそ、ゴーン事件のケーススタディとなると考えて、マツダと比較したわけです。
2020年1月10日金曜日
ゴーン記事の裏側
・共に外国人経営者に救われた日産とマツダの大きな差(JBpress)
はい、というわけで今日配信された自分の記事はこれです。
なおこれとは全く関係ないけど前、自分が書いた記事の話題を話したら後輩に、「あ、それに関する記事を読んだことあります」とか言われたけど、その記事書いたのは俺だったというオチがありました。
今回この記事は昨年末の奇跡の脱出劇以降、メディア界に突如発生した空前のゴーンブームに乗っかる形で書いた記事です。ただ最初はこういう記事を書くことは全く考えておらず、先週土曜に友人に勧められ、日曜に書いて、月曜に提出して金曜の今日に配信されるというハイペースで進めることとなりました。まぁ記事内容自体は新規に調べなおすこともないので、すぐに書けましたが。
記事内容については直接読んでもらえばわかる通り、日産のゴーン問題についてマツダとは何が違ったのかを比較する内容ですが、裏テーマはいろいろと仕掛けています。
まずなんでこの記事を書いたのかと言うと、友人が「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」という本を勧めてきたことがそもそものきっかけでした。友人の感想は、「事件の経緯などについてはよく書かれているけど、トヨタと違って創業家一族がいないから日産でこういうこと起きたという意見はどうかと思う」というもので、実際に私も買って読んでみたところ、これとプラスアルファの意見を持ちました。
この創業家一族の存否についてはわざわざ細かく書かなくても、ホンダやダイハツ、スバル、三菱などはどうなのかという話になるし、また私の記事でも書いている通りに現実には創業家一族がいることによって起こる業務上横領などの企業不正はいくらでもあるため、日産のゴーン問題を考える上では考慮すべきトピックではないというのが私の見方です。
その上でこれも記事に書いていますが、このゴーン問題において真に検討すべきトピックとしては、「経営者の公私混同」、「国外メーカーとの提携のあり方」、「外国人トップ」の三つにほぼ絞られるとみています。この三点を考えるとやはり、日産同様にその経営危機時にフォードから社長を招いて再建を果たしたマツダこそが恰好の比較対象だと、実はかなり前から考えていました。
しかしこれまでゴーン問題について日産とマツダを比較した記事はついぞ見たことがなく、この点については口と顔には出しませんでしたが、日本のメディアに対して実はかなり前から不満に感じていました。その点を含め先ほどの友人と上記書籍の書評で話したところ、「ユー、もうそれ書いちゃいなよ」と故ジャニーさんみたくプッシュされたので、ほかに書く奴いないし、確かに自分が書くしかないかと考えて書くことにしました。
書き上げた感想としては、久々に骨太な経済記事を書けて、かなり満足しています。書いてる時も割と楽しく書けており、そのせいか当初は末尾に、
「なおゴーン氏の最大の功績を挙げるとしたら、Z33型フェアレディZを世に出したことだと思います。あれは、いいものだ」
という内容が書かれていたのですが、さすがに筆が走り過ぎていると思って最後の編集段階で削除しました。要するに、そうやって調子に乗るくらいいい気分で書けたってことです。
ヤフコメを見る限りだと今回の記事に関しては割と賛同する意見が多くみられ、コメントもそこそこ得られてライター冥利に尽きます。中には私同様にこれまでマツダとの比較が行われてこなかったことに不満を持っていたと書いている人もいて、そういう意味ではこういう記事を届けられたのは本当に良かったと思います。
またヤフコメの中の意見では、「結局のところ、経営者云々ではなく提携先のフォードとルノーの器の差ではないか」という指摘が多くみられ、この点に関しては私も否定しないしその通りだとも考えています。ただルノーに関してフランス政府が関与しているのだからうまくいかないのは初めからわかっていただろうと書いている人もいましたが、この点に関してはエマニュエル・マクロンの介入開始時期を考慮してから言ってほしいと、一応反論しておきます。
それで肝心のこの記事の裏テーマについて言うと、日産とマツダで何が違ったのかと言うと、記事中で強調している「経営トップの任期の設定と交替」のほか、「方針の一貫性」というものがありました。何故マツダのフォード出身社長は短期で何人も交替しながらもマツダは再建できたのかと言うと、再建フェーズに対応した経営者が送り込まれていたというのもありますがもうひとつ、再建方針がマツダ、フォード、そして交替していった社長たちの間できちんと共有されていたから、トップの交替があっても混乱なく再建が進んでいったと私は見ています。
ゴーン氏は日産のトップに留まる理由として、自分以外にこの役を果たせる人材がいないと在任中に何度も言っていましたが、逆を言えば後継者を全く育てられなかったとも言えます。それと同時に、ゴーン氏が去るとこれまでの方針がひっくり変わる可能性があるということで、それだけ組織、企業間で方針が共有されていなかったとも言えます。
実際にゴーン氏の逮捕以降、もう死に体の三菱はともかく日産とルノーの互いの関係や感情は悪化し、日産トップにはルノーとの協調役が選ばれることとなりました。高々と言っては何ですがトップ一人いなくなっただけで関係にヒビが入る組織と言うのは一言で言って脆いとしか言いようがなく、その点でマツダとフォードとは全然違ったということを密かに言いたくて裏テーマにしていました。
要約すると、きちんと組織や方針がしっかりしていればトップが去っても企業というのは崩れないものであり、それこそが本当の組織力だということです。もっとも、マツダは昔からちょっと羽振りよくなるとすぐ調子に乗る癖があり、CX-5の好調で調子づいて急に車種ラインナップを広げて苦しくなり始めているなど、今はちょっとおかしくなっていますが。フォードもフォードで、マツダの技術が使えなくて世界的に販売が苦しくなるなどしており、もっと二人で仲良くやってけよと老婆心ながら思います。
なお開発自体はフォード出身社長が来る前から行われていたでしょうが、フォード出身社長時代のマツダの会心作は初代デミオだとみています。実質これがすべてのコンパクトカーフォーマットの原形となり、恐竜で言えば始祖鳥といえます。これに追随してトヨタがヴィッツを作って普及させ、ホンダがフィットを作ってコンパクトカーという形を完成させたというのが私の見方です。我ながら、コンパクトカーには本当にこだわるなと自分でも思いますが、このくだりも本当はJBpressの記事に入れたかったです。
最後に、実は今回の記事を書く前の前述の書籍への書評で友人に、「朝日出身記者の一番悪い癖が出ている」という感想を述べていました。最初友人は、「それこそ記事に書けよ!」とめちゃくちゃプッシュしてきたのですが、諸般の理由からこれは書けないので、じゃあマツダとの比較で日産記事を書こうとなったのが、本当の執筆開始プロセスでした。こちらの内容についてはまた次回で。
はい、というわけで今日配信された自分の記事はこれです。
なおこれとは全く関係ないけど前、自分が書いた記事の話題を話したら後輩に、「あ、それに関する記事を読んだことあります」とか言われたけど、その記事書いたのは俺だったというオチがありました。
今回この記事は昨年末の奇跡の脱出劇以降、メディア界に突如発生した空前のゴーンブームに乗っかる形で書いた記事です。ただ最初はこういう記事を書くことは全く考えておらず、先週土曜に友人に勧められ、日曜に書いて、月曜に提出して金曜の今日に配信されるというハイペースで進めることとなりました。まぁ記事内容自体は新規に調べなおすこともないので、すぐに書けましたが。
記事内容については直接読んでもらえばわかる通り、日産のゴーン問題についてマツダとは何が違ったのかを比較する内容ですが、裏テーマはいろいろと仕掛けています。
まずなんでこの記事を書いたのかと言うと、友人が「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」という本を勧めてきたことがそもそものきっかけでした。友人の感想は、「事件の経緯などについてはよく書かれているけど、トヨタと違って創業家一族がいないから日産でこういうこと起きたという意見はどうかと思う」というもので、実際に私も買って読んでみたところ、これとプラスアルファの意見を持ちました。
この創業家一族の存否についてはわざわざ細かく書かなくても、ホンダやダイハツ、スバル、三菱などはどうなのかという話になるし、また私の記事でも書いている通りに現実には創業家一族がいることによって起こる業務上横領などの企業不正はいくらでもあるため、日産のゴーン問題を考える上では考慮すべきトピックではないというのが私の見方です。
その上でこれも記事に書いていますが、このゴーン問題において真に検討すべきトピックとしては、「経営者の公私混同」、「国外メーカーとの提携のあり方」、「外国人トップ」の三つにほぼ絞られるとみています。この三点を考えるとやはり、日産同様にその経営危機時にフォードから社長を招いて再建を果たしたマツダこそが恰好の比較対象だと、実はかなり前から考えていました。
しかしこれまでゴーン問題について日産とマツダを比較した記事はついぞ見たことがなく、この点については口と顔には出しませんでしたが、日本のメディアに対して実はかなり前から不満に感じていました。その点を含め先ほどの友人と上記書籍の書評で話したところ、「ユー、もうそれ書いちゃいなよ」と故ジャニーさんみたくプッシュされたので、ほかに書く奴いないし、確かに自分が書くしかないかと考えて書くことにしました。
書き上げた感想としては、久々に骨太な経済記事を書けて、かなり満足しています。書いてる時も割と楽しく書けており、そのせいか当初は末尾に、
「なおゴーン氏の最大の功績を挙げるとしたら、Z33型フェアレディZを世に出したことだと思います。あれは、いいものだ」
という内容が書かれていたのですが、さすがに筆が走り過ぎていると思って最後の編集段階で削除しました。要するに、そうやって調子に乗るくらいいい気分で書けたってことです。
ヤフコメを見る限りだと今回の記事に関しては割と賛同する意見が多くみられ、コメントもそこそこ得られてライター冥利に尽きます。中には私同様にこれまでマツダとの比較が行われてこなかったことに不満を持っていたと書いている人もいて、そういう意味ではこういう記事を届けられたのは本当に良かったと思います。
またヤフコメの中の意見では、「結局のところ、経営者云々ではなく提携先のフォードとルノーの器の差ではないか」という指摘が多くみられ、この点に関しては私も否定しないしその通りだとも考えています。ただルノーに関してフランス政府が関与しているのだからうまくいかないのは初めからわかっていただろうと書いている人もいましたが、この点に関してはエマニュエル・マクロンの介入開始時期を考慮してから言ってほしいと、一応反論しておきます。
それで肝心のこの記事の裏テーマについて言うと、日産とマツダで何が違ったのかと言うと、記事中で強調している「経営トップの任期の設定と交替」のほか、「方針の一貫性」というものがありました。何故マツダのフォード出身社長は短期で何人も交替しながらもマツダは再建できたのかと言うと、再建フェーズに対応した経営者が送り込まれていたというのもありますがもうひとつ、再建方針がマツダ、フォード、そして交替していった社長たちの間できちんと共有されていたから、トップの交替があっても混乱なく再建が進んでいったと私は見ています。
ゴーン氏は日産のトップに留まる理由として、自分以外にこの役を果たせる人材がいないと在任中に何度も言っていましたが、逆を言えば後継者を全く育てられなかったとも言えます。それと同時に、ゴーン氏が去るとこれまでの方針がひっくり変わる可能性があるということで、それだけ組織、企業間で方針が共有されていなかったとも言えます。
実際にゴーン氏の逮捕以降、もう死に体の三菱はともかく日産とルノーの互いの関係や感情は悪化し、日産トップにはルノーとの協調役が選ばれることとなりました。高々と言っては何ですがトップ一人いなくなっただけで関係にヒビが入る組織と言うのは一言で言って脆いとしか言いようがなく、その点でマツダとフォードとは全然違ったということを密かに言いたくて裏テーマにしていました。
要約すると、きちんと組織や方針がしっかりしていればトップが去っても企業というのは崩れないものであり、それこそが本当の組織力だということです。もっとも、マツダは昔からちょっと羽振りよくなるとすぐ調子に乗る癖があり、CX-5の好調で調子づいて急に車種ラインナップを広げて苦しくなり始めているなど、今はちょっとおかしくなっていますが。フォードもフォードで、マツダの技術が使えなくて世界的に販売が苦しくなるなどしており、もっと二人で仲良くやってけよと老婆心ながら思います。
なお開発自体はフォード出身社長が来る前から行われていたでしょうが、フォード出身社長時代のマツダの会心作は初代デミオだとみています。実質これがすべてのコンパクトカーフォーマットの原形となり、恐竜で言えば始祖鳥といえます。これに追随してトヨタがヴィッツを作って普及させ、ホンダがフィットを作ってコンパクトカーという形を完成させたというのが私の見方です。我ながら、コンパクトカーには本当にこだわるなと自分でも思いますが、このくだりも本当はJBpressの記事に入れたかったです。
最後に、実は今回の記事を書く前の前述の書籍への書評で友人に、「朝日出身記者の一番悪い癖が出ている」という感想を述べていました。最初友人は、「それこそ記事に書けよ!」とめちゃくちゃプッシュしてきたのですが、諸般の理由からこれは書けないので、じゃあマツダとの比較で日産記事を書こうとなったのが、本当の執筆開始プロセスでした。こちらの内容についてはまた次回で。
2020年1月8日水曜日
イラン情勢の緊迫化について
既に各所で報じられている通り、イラン革命防衛隊の司令官暗殺以降、イラン情勢が緊迫化してきています。中国でもすわ第三次世界大戦かなどと大きく注目されており、今晩のゴーンの会見もやや印象が薄らいでいるかのように見えます。
正直、中東情勢について私は詳しくなく、解説するようなネタも知識もないのが現状です。ただこれは他の日系メディアについても同様だと思え、日本はイランとは歴史的には実はつながりが深いものの、イラン情勢について詳しい人間は案外多くないようで、直近のイラン関連報道も基本外信を引用する形での報道ばかりです。
改めていくつか報道を見てみると、暗殺されたイランの司令官はこれまで多くのテロ事件に関わってきていたとか、ISとの戦闘でスンニ派勢力が追放されたイラク政府は現在、実質的にイランの傀儡政権になっているなど、これまであまり見聞きしなかった情報が一斉に出てきたように見えます。それだけにこれを機に、中東情勢をしっかり学びなおす必要もありそうです。
そんな知識のない状態で一つだけ言いたいことを言うと、この中東情勢を「米国VSイラン」という構図で見るのはやはり良くないという気がします。ではどんな構図がいいのかと言うと、「イスラエル(米国)VSイラン」という構図が一番大事で、米国が何故イランと敵対するのかというと、イスラエルが軸になっているという前提を常に考慮に入れる必要があると思います。
無論、これ以外にも石油資源や米国寄りのアラブ諸国などいろいろ考慮すべき要素は他にもありますが、やはり米国はイスラエルとの関係の延長線上で中東情勢を見ています。トランプ大統領などはその典型で、米国大使館をエルサレムに移すなど、イスラエルとの関係を非常に重視しています。
以上の内容を含め、また今度辺り中東戦争について調べなおそうかなと言う風に今考えてます。アリエル・シャロンも今やおらず過去の歴史となりつつありますが、中東戦争を理解しないと現代中東情勢はまずわからないだけに、興味がある方は調べるようお勧めします。
<参考>
・ソレイマニ殺害の衝撃【バックナンバーPickup】(JBpress)
正直、中東情勢について私は詳しくなく、解説するようなネタも知識もないのが現状です。ただこれは他の日系メディアについても同様だと思え、日本はイランとは歴史的には実はつながりが深いものの、イラン情勢について詳しい人間は案外多くないようで、直近のイラン関連報道も基本外信を引用する形での報道ばかりです。
改めていくつか報道を見てみると、暗殺されたイランの司令官はこれまで多くのテロ事件に関わってきていたとか、ISとの戦闘でスンニ派勢力が追放されたイラク政府は現在、実質的にイランの傀儡政権になっているなど、これまであまり見聞きしなかった情報が一斉に出てきたように見えます。それだけにこれを機に、中東情勢をしっかり学びなおす必要もありそうです。
そんな知識のない状態で一つだけ言いたいことを言うと、この中東情勢を「米国VSイラン」という構図で見るのはやはり良くないという気がします。ではどんな構図がいいのかと言うと、「イスラエル(米国)VSイラン」という構図が一番大事で、米国が何故イランと敵対するのかというと、イスラエルが軸になっているという前提を常に考慮に入れる必要があると思います。
無論、これ以外にも石油資源や米国寄りのアラブ諸国などいろいろ考慮すべき要素は他にもありますが、やはり米国はイスラエルとの関係の延長線上で中東情勢を見ています。トランプ大統領などはその典型で、米国大使館をエルサレムに移すなど、イスラエルとの関係を非常に重視しています。
以上の内容を含め、また今度辺り中東戦争について調べなおそうかなと言う風に今考えてます。アリエル・シャロンも今やおらず過去の歴史となりつつありますが、中東戦争を理解しないと現代中東情勢はまずわからないだけに、興味がある方は調べるようお勧めします。
<参考>
・ソレイマニ殺害の衝撃【バックナンバーPickup】(JBpress)
2020年1月7日火曜日
若さってなんだ
昨日の記事で昨夜は同僚と夜遅くまで食事して喉潰したってことを書きましたが、食事場所は日本料理屋で、時節柄店内のテレビでは年末の紅白歌合戦の映像が流れていました。ただその映像を見ていて同僚と、「曲も誰もわかんない」という感想で共通しました。
ここでわざわざ説明するまでもなく、日本の音楽業界は完全な斜陽です。市場規模でいうなら90年代後半が一番大きくCDのミリオン達成数も今とはけた違いに多く、当時の私が青春時代にあったということも影響しているでしょうが、曲としての質や完成度も当時の方がずっと上だった気がします。少なくとも上海のアニソンライブで演奏されるのは同時代の曲ばかりです。
またセールス面以外でも、いわゆる「時代の流行歌」として数年後も多くの人の記憶に残っている曲が近年どれほどあるのかというと、恐らくほとんどないと思います。それこそ一昨年くらいに何が流行ったのかと聞いて、すぐに答えられる人はほとんどいないでしょう。
一方、90年代の曲だったらあまり音楽に造詣のない私ですらある程度歌詞とかもそらんじています。前にも書きましたが、以前上海でモー娘。の「LOVEマシーン」のアレンジBGMを聞いた時も、「あれからの日本の未来はWow Wow Wow Wowとはならなかったのか?(;゚Д゚)」などと一人で茫然となったくらいだし。
こうした点を勘案すると、単純にアーティストの質が下がってきている、もしくは良きものが評価されなくなった時代になったの二つに一つでしょう。もしくは、両方が一緒に影響しているかもしれません。
かつてこのブログに書いた芸術論でも述べている通り、優れた芸術の定義とは、時代や世代に関わりなく長きにわたり評価され続けることであり、音楽のクラッシックなどはまさにその典型です。そう考えると近年の日本の音楽シーンは使い捨てもいいことで、後年にカバーされることも恐らくないことを考えると、はっきり言えばどんだけ文化が低落してんだと言いたくなってきます。
などと言う風に今日ブログ書こうかなと思っていたら、ふと思い出したことがありました。それは何かというと先日に会社で年上の同僚と、それぞれが小学生時代に今と違ってどんだけ体力があったのかなどという風な話をしていた際、同僚が音楽の授業の話をして、
同僚「当時、好きな曲を学校に持ってきて歌うというテストがあったから、宇宙刑事ギャバンのカセットを持っていったら――」
花園「若さってなんだ」
同僚が話し終わらぬうちにまさにその曲の歌詞を私が口にしたのに同僚は驚き、「まだ生まれてないじゃん!?」とか言われました。実際そうだけど。
何故生まれてもない時代のこの曲の歌詞を知ってたのかと言うと、その宇宙刑事ギャバンの曲は昔、ネットでBM98という音楽ゲーム「ビートマニア」の曲を誰もが自由に作成して遊べるゲームを遊んでいた頃、たまたま拾って演奏していたことがある曲だったからです。ただ、それだけだったら多分記憶にも残らなかったでしょうが、この曲に関してはめちゃくちゃ強い印象に残りました。なんでかっていうと、わかりやすい音程とフレーズに加え、凄まじく記憶に残る歌詞だったからです。
その辺は実際に聞いてもらえばわかりやすいですが、「若さ、若さってなんだ」とか、「あばよ涙 よろしく勇気」など、一回聞けば一発で覚えるような濃い歌詞ばかりで、私以外にも記憶に残っている人も多いのか、地味にいろんなゲームや漫画などでこれらの歌詞を一部引用している例が見られます。
そうしたことから年上の同僚に話を合わせられたのですが、これがめちゃくちゃ同僚の琴線に触れたのかしばらくこの話題で盛り上がりました。恐らく私だけでなく、リアルタイムで聞いていた同僚にもこの曲は強い印象に残っていたからこそ、知ってる人がいてめちゃうれしかったのでしょう。
このギャバンの曲一つとっても、これ以上インパクトのある曲を近年、私は聞いたことがありません。何でもかんでもインパクトが大事ってわけじゃないけど、少なくとも歌詞に関しては記憶に残らないというのであれば、それまでの価値としか言いようがありません。金はなくとも文化は作れる、そういう意味でもっと日本のアーティストには奮起を促したいです。
ここでわざわざ説明するまでもなく、日本の音楽業界は完全な斜陽です。市場規模でいうなら90年代後半が一番大きくCDのミリオン達成数も今とはけた違いに多く、当時の私が青春時代にあったということも影響しているでしょうが、曲としての質や完成度も当時の方がずっと上だった気がします。少なくとも上海のアニソンライブで演奏されるのは同時代の曲ばかりです。
またセールス面以外でも、いわゆる「時代の流行歌」として数年後も多くの人の記憶に残っている曲が近年どれほどあるのかというと、恐らくほとんどないと思います。それこそ一昨年くらいに何が流行ったのかと聞いて、すぐに答えられる人はほとんどいないでしょう。
一方、90年代の曲だったらあまり音楽に造詣のない私ですらある程度歌詞とかもそらんじています。前にも書きましたが、以前上海でモー娘。の「LOVEマシーン」のアレンジBGMを聞いた時も、「あれからの日本の未来はWow Wow Wow Wowとはならなかったのか?(;゚Д゚)」などと一人で茫然となったくらいだし。
こうした点を勘案すると、単純にアーティストの質が下がってきている、もしくは良きものが評価されなくなった時代になったの二つに一つでしょう。もしくは、両方が一緒に影響しているかもしれません。
かつてこのブログに書いた芸術論でも述べている通り、優れた芸術の定義とは、時代や世代に関わりなく長きにわたり評価され続けることであり、音楽のクラッシックなどはまさにその典型です。そう考えると近年の日本の音楽シーンは使い捨てもいいことで、後年にカバーされることも恐らくないことを考えると、はっきり言えばどんだけ文化が低落してんだと言いたくなってきます。
などと言う風に今日ブログ書こうかなと思っていたら、ふと思い出したことがありました。それは何かというと先日に会社で年上の同僚と、それぞれが小学生時代に今と違ってどんだけ体力があったのかなどという風な話をしていた際、同僚が音楽の授業の話をして、
同僚「当時、好きな曲を学校に持ってきて歌うというテストがあったから、宇宙刑事ギャバンのカセットを持っていったら――」
花園「若さってなんだ」
同僚が話し終わらぬうちにまさにその曲の歌詞を私が口にしたのに同僚は驚き、「まだ生まれてないじゃん!?」とか言われました。実際そうだけど。
何故生まれてもない時代のこの曲の歌詞を知ってたのかと言うと、その宇宙刑事ギャバンの曲は昔、ネットでBM98という音楽ゲーム「ビートマニア」の曲を誰もが自由に作成して遊べるゲームを遊んでいた頃、たまたま拾って演奏していたことがある曲だったからです。ただ、それだけだったら多分記憶にも残らなかったでしょうが、この曲に関してはめちゃくちゃ強い印象に残りました。なんでかっていうと、わかりやすい音程とフレーズに加え、凄まじく記憶に残る歌詞だったからです。
その辺は実際に聞いてもらえばわかりやすいですが、「若さ、若さってなんだ」とか、「あばよ涙 よろしく勇気」など、一回聞けば一発で覚えるような濃い歌詞ばかりで、私以外にも記憶に残っている人も多いのか、地味にいろんなゲームや漫画などでこれらの歌詞を一部引用している例が見られます。
そうしたことから年上の同僚に話を合わせられたのですが、これがめちゃくちゃ同僚の琴線に触れたのかしばらくこの話題で盛り上がりました。恐らく私だけでなく、リアルタイムで聞いていた同僚にもこの曲は強い印象に残っていたからこそ、知ってる人がいてめちゃうれしかったのでしょう。
このギャバンの曲一つとっても、これ以上インパクトのある曲を近年、私は聞いたことがありません。何でもかんでもインパクトが大事ってわけじゃないけど、少なくとも歌詞に関しては記憶に残らないというのであれば、それまでの価値としか言いようがありません。金はなくとも文化は作れる、そういう意味でもっと日本のアーティストには奮起を促したいです。
喉が痛い(´Д`)
今日、仕事が終わった後から同僚とずっと食事しながら9時半くらいまでしゃべってたせいか、今喉が痛いです。ブログでもずっと言いたい放題な通りリアルでもかなりしゃべり続けることが多いのですが、相手が割と寡黙な聞き役だった場合はガチで延々と一人で独演会を続けることがあり、そうなった場合は割と激しく喉を消耗します。
幸い、今日一緒に食事した同僚はまだ向こうからもいろいろ話してくれる人だったのですが、最近こんなに長く話していることは少なかっただけに、今日は久々に喉を酷使した感じです。真面目に明石家さんま氏などは案だけしゃべって、喉を壊したりしないのだろうかとこうなるたびによく思います。むしろどうすれば喉を疲れさせずにしゃべれるのか、また鍛え方とかあるのか、たまに気になったりします。
また最近はめっきり少なくなりましたが、大声を出すと割と一発で喉を潰します。これも声がでかくて有名だった張飛とかどうしてたのか、鍛えてたのかとかなんか気になります。さらに言えば、喉を鍛えてる人は風邪とか引いても喉が痛くならなかったりするのだろうか。
紙幅が余っているのでもう少し書くと、なんか今日の上海は最高気温が20度を突破するなど春めいた気候になり、普通に暑かったです。明日も夜は冷え込むが昼間はまた20度を超えるとか言っており、あんま冬らしくないと思ってそれほどうれしくありません。
幸い、今日一緒に食事した同僚はまだ向こうからもいろいろ話してくれる人だったのですが、最近こんなに長く話していることは少なかっただけに、今日は久々に喉を酷使した感じです。真面目に明石家さんま氏などは案だけしゃべって、喉を壊したりしないのだろうかとこうなるたびによく思います。むしろどうすれば喉を疲れさせずにしゃべれるのか、また鍛え方とかあるのか、たまに気になったりします。
また最近はめっきり少なくなりましたが、大声を出すと割と一発で喉を潰します。これも声がでかくて有名だった張飛とかどうしてたのか、鍛えてたのかとかなんか気になります。さらに言えば、喉を鍛えてる人は風邪とか引いても喉が痛くならなかったりするのだろうか。
紙幅が余っているのでもう少し書くと、なんか今日の上海は最高気温が20度を突破するなど春めいた気候になり、普通に暑かったです。明日も夜は冷え込むが昼間はまた20度を超えるとか言っており、あんま冬らしくないと思ってそれほどうれしくありません。
2020年1月3日金曜日
最も完成された必殺技
友人が明日書く記事をどうするか返事くれないので、この間にブログ記事書くことにします(´;ω;`)ウッ…
さて私が子供だった時代にナンバーワンのアニメ、漫画ときたら間違いなくドラゴンボールです。なお同時代に人気を博していた「ダイの大冒険」が今度再アニメ化することになりましたが、この漫画はかねてから現代の少年たちにも是非見せたいと思ってた作品なだけに密かに喜んでいます。
なお「ダイの大冒険」で某魔法使いが自爆技を仕掛けるシーンについて以前友人が、「子供の頃も感動したけど、大人になってからあの決断と行動がより心に沁みるようになった」とうまいコメントを言ってました。
話は戻りますがドラゴンボールでは様々な必殺技が登場しますが、最も頻度が多く使われたのはかめはめ波であることに間違いないでしょう。地味にこの技はこの漫画、というより日本の全漫画における閃光型必殺技の代表格で、このかめはめ波という必殺技があったかなかったかで、日本の格闘漫画における表現技術は大きく変わっていたのではないかとも考えています。
登場頻度が多かっただけにかめはめ波は様々なバリエーション(片手、瞬間移動、曲がるかめはめ波)も生まれていますが、こうした応用の幅の広さも必殺技としての価値を高めた気がします。なお個人的に一番好きなのは、対ベジータ戦での4倍界王拳かめはめ波です。
ただかめはめ波のほかにも、ドラゴンボールを代表する必殺技として元気玉があります。個人的にこの元気玉こそが、格闘漫画というより日本の創作において最も完成された必殺技ではないかと密かに睨んでいます。一体何が完成されているのかというと、「ここぞというところの奥の手」としてのメリット、デメリットの演出が際立っているからです。
知ってる人には説明不要ですが、この元気玉というのはあらゆる生物からエネルギーを集めて気弾を作り、それを相手目掛けてぶつけるという必殺技です。命中させればまさに一撃必殺と言えるような強大な破壊力を持ちますが(=メリット)、この技を放つためには前述の通りエネルギーを集める動作過程が必要となり、その過程では両手を空に掲げたまま完全無防備のまま立ち尽くすこととなります(=デメリット)。
仮にデメリットがないのに、威力の高い必殺技が存在したらどうなるのか。RPGゲームで言えばMPをほとんど消費しないのに強力な呪文があるようなもので、こんなのあったら普通はバンバン使って、他の技や呪文には一切目もくれなくなるでしょう(例:DQ6のハッサンのハッスルダンス)。
そのように考えると、「威力の高い必殺技には、相応のリスクやデメリットがある」という条件があってこそ、初めて「使うか、使うまいか」という問いが生まれることとなるわけです。またこの問というか条件があるからこそ、他の必殺技との使い分けが生まれるわけです。
前述のかめはめ波と元気玉の関係がまさにこれで、普段はリスクもデメリットの少ないかめはめ波がバリエーション多く使われ、本当にここぞというここぞに限って元気玉が使われています。それこそ作中におけるかめはめ波の使用回数は数えきれないほどありますが、元気玉は実にたった三回(界王星での修行は除く)しか使われていないものの、そのインパクトと使用場面は圧倒的に印象に残るものでした。
特に最後の元気玉の使用シーンは連載中をリアルで追っていましたが、通常よりもがばっとエネルギーを集める仕様からなかなか協力者が出ないところで、あの驚きの展開ぶりは読んでで本当に意表を突かれた気がしました。その後の撃とうにも撃てるだけの体力がもはや残っていないという状況の逆転ぶりも、演出の妙が非常に光っていました。
この記事で何が言いたいのかというと、漫画やアニメ、ゲームでただ威力が高いだけの必殺技というのは蛇足になりかねないということです。相応の代償を払うからこそ強力な必殺技が映えるのであり、ノーデメリットであればはっきり言ってありがたみが薄れます。さらにそんな威力が高いだけの必殺技の登場は、そのほかの下位の必殺技を駆逐することになり、実際に一部格闘漫画では新技が出るとそれ以前の技は一切使われなくなることが多いです。某サッカー漫画でもそうですが。
なおその某サッカー漫画のゲームで必殺シュートを使ったら、ゴールキーパー含め4人吹っ飛ばし、ゴールネットを突き破った上に後ろの壁のコンクリにもめり込んだことがありましたが、普通にこんなシュートのボールに当たったら死ぬと思います。
新技の登場によってそれ以前の技が使われなくなると、単純に演出も単調になりがちです。やはり技というのはバリエーションこと使い分けがあってこそ話の展開にも弾みが生まれるもので、新技によって旧技が駆逐されるなんてのは自ら幅を狭めるような行為でしかないでしょう。
そういう意味でドラゴンボールにおけるかめはめ波と元気玉、特に元気玉の物語における必殺技としての完成度は群を抜いていると私は思います。作者の鳥山明氏が意図したものかどうかはわかりませんが、ドラゴンボールにおけるストーリー演出で最も光るのはこの点だというのが私の見方です。
おまけ
ゲームにおける必殺技は威力以上に画面演出も重要視されますが、個人的に好きだったのは「その身に刻め!」でおなじみの「ヴァルキリープロファイル」の演出の数々でした。もっとも某甲冑の騎士クリソツキャラの必殺技は「てめぇの技も見飽きたぜ!」と思いましたが。
単体の技だったら、「テイルズオブエターニア」の「極光剣」が上記の代償もあってすごい好きで、今でもたまに動画を見返したりしますが、意外にPS時代の方がこの手の演出は良かったなと今でも思ってます。
さて私が子供だった時代にナンバーワンのアニメ、漫画ときたら間違いなくドラゴンボールです。なお同時代に人気を博していた「ダイの大冒険」が今度再アニメ化することになりましたが、この漫画はかねてから現代の少年たちにも是非見せたいと思ってた作品なだけに密かに喜んでいます。
なお「ダイの大冒険」で某魔法使いが自爆技を仕掛けるシーンについて以前友人が、「子供の頃も感動したけど、大人になってからあの決断と行動がより心に沁みるようになった」とうまいコメントを言ってました。
話は戻りますがドラゴンボールでは様々な必殺技が登場しますが、最も頻度が多く使われたのはかめはめ波であることに間違いないでしょう。地味にこの技はこの漫画、というより日本の全漫画における閃光型必殺技の代表格で、このかめはめ波という必殺技があったかなかったかで、日本の格闘漫画における表現技術は大きく変わっていたのではないかとも考えています。
登場頻度が多かっただけにかめはめ波は様々なバリエーション(片手、瞬間移動、曲がるかめはめ波)も生まれていますが、こうした応用の幅の広さも必殺技としての価値を高めた気がします。なお個人的に一番好きなのは、対ベジータ戦での4倍界王拳かめはめ波です。
ただかめはめ波のほかにも、ドラゴンボールを代表する必殺技として元気玉があります。個人的にこの元気玉こそが、格闘漫画というより日本の創作において最も完成された必殺技ではないかと密かに睨んでいます。一体何が完成されているのかというと、「ここぞというところの奥の手」としてのメリット、デメリットの演出が際立っているからです。
知ってる人には説明不要ですが、この元気玉というのはあらゆる生物からエネルギーを集めて気弾を作り、それを相手目掛けてぶつけるという必殺技です。命中させればまさに一撃必殺と言えるような強大な破壊力を持ちますが(=メリット)、この技を放つためには前述の通りエネルギーを集める動作過程が必要となり、その過程では両手を空に掲げたまま完全無防備のまま立ち尽くすこととなります(=デメリット)。
仮にデメリットがないのに、威力の高い必殺技が存在したらどうなるのか。RPGゲームで言えばMPをほとんど消費しないのに強力な呪文があるようなもので、こんなのあったら普通はバンバン使って、他の技や呪文には一切目もくれなくなるでしょう(例:DQ6のハッサンのハッスルダンス)。
そのように考えると、「威力の高い必殺技には、相応のリスクやデメリットがある」という条件があってこそ、初めて「使うか、使うまいか」という問いが生まれることとなるわけです。またこの問というか条件があるからこそ、他の必殺技との使い分けが生まれるわけです。
前述のかめはめ波と元気玉の関係がまさにこれで、普段はリスクもデメリットの少ないかめはめ波がバリエーション多く使われ、本当にここぞというここぞに限って元気玉が使われています。それこそ作中におけるかめはめ波の使用回数は数えきれないほどありますが、元気玉は実にたった三回(界王星での修行は除く)しか使われていないものの、そのインパクトと使用場面は圧倒的に印象に残るものでした。
特に最後の元気玉の使用シーンは連載中をリアルで追っていましたが、通常よりもがばっとエネルギーを集める仕様からなかなか協力者が出ないところで、あの驚きの展開ぶりは読んでで本当に意表を突かれた気がしました。その後の撃とうにも撃てるだけの体力がもはや残っていないという状況の逆転ぶりも、演出の妙が非常に光っていました。
この記事で何が言いたいのかというと、漫画やアニメ、ゲームでただ威力が高いだけの必殺技というのは蛇足になりかねないということです。相応の代償を払うからこそ強力な必殺技が映えるのであり、ノーデメリットであればはっきり言ってありがたみが薄れます。さらにそんな威力が高いだけの必殺技の登場は、そのほかの下位の必殺技を駆逐することになり、実際に一部格闘漫画では新技が出るとそれ以前の技は一切使われなくなることが多いです。某サッカー漫画でもそうですが。
なおその某サッカー漫画のゲームで必殺シュートを使ったら、ゴールキーパー含め4人吹っ飛ばし、ゴールネットを突き破った上に後ろの壁のコンクリにもめり込んだことがありましたが、普通にこんなシュートのボールに当たったら死ぬと思います。
新技の登場によってそれ以前の技が使われなくなると、単純に演出も単調になりがちです。やはり技というのはバリエーションこと使い分けがあってこそ話の展開にも弾みが生まれるもので、新技によって旧技が駆逐されるなんてのは自ら幅を狭めるような行為でしかないでしょう。
そういう意味でドラゴンボールにおけるかめはめ波と元気玉、特に元気玉の物語における必殺技としての完成度は群を抜いていると私は思います。作者の鳥山明氏が意図したものかどうかはわかりませんが、ドラゴンボールにおけるストーリー演出で最も光るのはこの点だというのが私の見方です。
おまけ
ゲームにおける必殺技は威力以上に画面演出も重要視されますが、個人的に好きだったのは「その身に刻め!」でおなじみの「ヴァルキリープロファイル」の演出の数々でした。もっとも某甲冑の騎士クリソツキャラの必殺技は「てめぇの技も見飽きたぜ!」と思いましたが。
単体の技だったら、「テイルズオブエターニア」の「極光剣」が上記の代償もあってすごい好きで、今でもたまに動画を見返したりしますが、意外にPS時代の方がこの手の演出は良かったなと今でも思ってます。
2020年1月2日木曜日
2019年の日本経済
Q、日本史三大「乱」とは何か?
・承久の乱
・応仁の乱
・清武の乱
上のはもちろん冗談ですが、直近百年において「~の乱」という名称が定着したのは「清武の乱」だけだと思えるだけに、この点一つとっても大きな事件であったと思えます。このほかプロ野球の出来事で歴史事件にもじるとしたら、「カノッサの屈辱」ならぬ「33-4の屈辱」辺りかなと思うのですが、久々にリンク先の記事見ると、
<日本シリーズ ワースト記録(4試合)>
最低打率 .190 阪神 2005年
最少打数 116 阪神 2005年
最少得点 4 阪神 2005年
最少安打 22 阪神 2005年
最少本塁打 0 阪神 2005年・2014年
最少塁打 24 阪神 2005年
最少長打 2 阪神 2005年
最少打点 4 阪神 2005年
最多併殺 6 阪神 2005年
最多暴投 3 江草仁貴(阪神) 2005年
最低防御率 8.63 阪神 2005年
最多ファン逮捕人数 5 阪神 2005年
最後の項目が最高にイカしています。
話は本題ですが最近経済記事書いてなくて自分が何の記者だったのか忘れそうになってきたこともあり、昨年の日本経済について思ったことをそのまま書くと、一番大きいのは地味にタワマン神話の崩壊じゃないかと考えています。
具体的に価格動向を細かくは追っていませんが、これまで価格が下がることなく安定資産の有力候補として騒がれ続けましたが、昨年に入ってからは一転して今後の補修費問題やタワマン住人同士の軋轢などネガティブニュースが突然見え始めるようになりました。また台風襲来による増水で設備破損が起こった武蔵小杉のタワマンも、なんとなくタワマン神話が崩壊しつつあるニュースだったように思え、今年この方面の価格動向を専門的に記事にまとめてみるのも案外ありかもしれません。
次のトピックとしては、やはりと言っては何ですが株価です。年末の終値はなんだかんだ言いつつ高水準の価格でフィニッシュを決めるなど、一年を通して高値水準をよく維持したものだと内心思っています。米国でもダウ平均が過去最高を何度も更新するなどしていますが、今年の株価は米中貿易摩擦の交渉進捗によって大きく上下しつつ、地味に全体として徐々に上昇するというトレンドを辿っていました。
以上のような背景から、案外トランプは敢えて米中交渉が不調だというニュースを一旦流した後で、発展があったと発表することを繰り返して、株価を釣り上げているんじゃないかという見解を以前友人に示したことがあります。もちろん検証のしようはありませんが、実際このような感じで世界中の株価が動いていたでしょう。
個別銘柄に関しては上記の小僧寿しの劇落ぶりが非常に印象的だったのに対し、下記のワークマンの急激な高騰ぶりが非常に対照的でした。
っていうかワークマンが時価総額で並み居る名門企業を追い越す日が来るなんて、誰が想像したことでしょうか。何気に工場に勤務してた時はよくこことか島忠に安全靴買いに来てたけど、結構いいデザインの衣類がいい値段で売ってたのを覚えており、現在の急成長ぶりに関してはそれほど不思議には感じません。あとはこのペースをどれだけ維持してブランド価値を高められるかでしょう。
最後に、流行に関して言えばなにはともあれタピオカが来るでしょうが、伝え聞くところによると既にこのブームも終息し始めているそうです。タピオカで自分が覚えているのは、姉貴が通っていた大学の2000年前後の文化祭にてタピオカの屋台が出てて、そこで初めて飲んだことくらいです。正直言ってストローでかくて飲みづらいなと思い、その後もあまり飲みたいと思わなくなりました。
なお中国にいると時折、ドクターペッパーを飲みたくなります。あれ中国だとまず見かけないのですが、変な中毒性があって飲めないとわかるとやたら飲みたくなります。同様に、チェリオのメロンクリームソーダも日本にいると何故か飲み始めるのですが、癖の強い味ってのはなんかよくない中毒性持ってます。
・承久の乱
・応仁の乱
・清武の乱
上のはもちろん冗談ですが、直近百年において「~の乱」という名称が定着したのは「清武の乱」だけだと思えるだけに、この点一つとっても大きな事件であったと思えます。このほかプロ野球の出来事で歴史事件にもじるとしたら、「カノッサの屈辱」ならぬ「33-4の屈辱」辺りかなと思うのですが、久々にリンク先の記事見ると、
<日本シリーズ ワースト記録(4試合)>
最低打率 .190 阪神 2005年
最少打数 116 阪神 2005年
最少得点 4 阪神 2005年
最少安打 22 阪神 2005年
最少本塁打 0 阪神 2005年・2014年
最少塁打 24 阪神 2005年
最少長打 2 阪神 2005年
最少打点 4 阪神 2005年
最多併殺 6 阪神 2005年
最多暴投 3 江草仁貴(阪神) 2005年
最低防御率 8.63 阪神 2005年
最多ファン逮捕人数 5 阪神 2005年
最後の項目が最高にイカしています。
話は本題ですが最近経済記事書いてなくて自分が何の記者だったのか忘れそうになってきたこともあり、昨年の日本経済について思ったことをそのまま書くと、一番大きいのは地味にタワマン神話の崩壊じゃないかと考えています。
具体的に価格動向を細かくは追っていませんが、これまで価格が下がることなく安定資産の有力候補として騒がれ続けましたが、昨年に入ってからは一転して今後の補修費問題やタワマン住人同士の軋轢などネガティブニュースが突然見え始めるようになりました。また台風襲来による増水で設備破損が起こった武蔵小杉のタワマンも、なんとなくタワマン神話が崩壊しつつあるニュースだったように思え、今年この方面の価格動向を専門的に記事にまとめてみるのも案外ありかもしれません。
次のトピックとしては、やはりと言っては何ですが株価です。年末の終値はなんだかんだ言いつつ高水準の価格でフィニッシュを決めるなど、一年を通して高値水準をよく維持したものだと内心思っています。米国でもダウ平均が過去最高を何度も更新するなどしていますが、今年の株価は米中貿易摩擦の交渉進捗によって大きく上下しつつ、地味に全体として徐々に上昇するというトレンドを辿っていました。
以上のような背景から、案外トランプは敢えて米中交渉が不調だというニュースを一旦流した後で、発展があったと発表することを繰り返して、株価を釣り上げているんじゃないかという見解を以前友人に示したことがあります。もちろん検証のしようはありませんが、実際このような感じで世界中の株価が動いていたでしょう。
個別銘柄に関しては上記の小僧寿しの劇落ぶりが非常に印象的だったのに対し、下記のワークマンの急激な高騰ぶりが非常に対照的でした。
っていうかワークマンが時価総額で並み居る名門企業を追い越す日が来るなんて、誰が想像したことでしょうか。何気に工場に勤務してた時はよくこことか島忠に安全靴買いに来てたけど、結構いいデザインの衣類がいい値段で売ってたのを覚えており、現在の急成長ぶりに関してはそれほど不思議には感じません。あとはこのペースをどれだけ維持してブランド価値を高められるかでしょう。
最後に、流行に関して言えばなにはともあれタピオカが来るでしょうが、伝え聞くところによると既にこのブームも終息し始めているそうです。タピオカで自分が覚えているのは、姉貴が通っていた大学の2000年前後の文化祭にてタピオカの屋台が出てて、そこで初めて飲んだことくらいです。正直言ってストローでかくて飲みづらいなと思い、その後もあまり飲みたいと思わなくなりました。
なお中国にいると時折、ドクターペッパーを飲みたくなります。あれ中国だとまず見かけないのですが、変な中毒性があって飲めないとわかるとやたら飲みたくなります。同様に、チェリオのメロンクリームソーダも日本にいると何故か飲み始めるのですが、癖の強い味ってのはなんかよくない中毒性持ってます。
2020年1月1日水曜日
隣の国は柿食わぬ国
このところの部屋の室温は大体13℃ですが、今朝は11℃を下回ってマジ寒く寝たり起きたりゼロ戦乗ったりな日でした。最後のゼロ戦は今やってるゲームですが、真珠湾にいきなりF6Fヘルキャットが出てきていきなり萎える仕様となっており、アメリカのゲームは時代考証いい加減だなぁ。
話は本題ですが、意外にも中国人は柿を食べません。正確には全く食べない中国人が多く、地方によっては食べる地方もあるそうなのですが、少なくとも上海周辺だと八百屋に柿が並ぶことはありません。
実際に中国語のサイトで調べてみても主要品種はほとんど日本産の品種となっている上、生産量は世界最大ながら貿易額は世界シェア10%にも達していません。なんとなく想像ですが柿そのものとして食べることよりも、漢方薬原料として使っているような気がします。
その代わりと言っては何ですが、日本ではあまり出回ることの少ないヤマモモ(楊梅)を中国人は夏場、かなり食べます。私も去年、見た目からライチと間違えて大量に購入してしまって食べましたが、めちゃくちゃ酸っぱくてこんなものあったんだとなんかやたら驚いてました。そこそこ値段も張る果物ですが、中国人は夏の風物としてシーズンには絶対食べるそうです。
また今さっき出したライチですが、こっちは最近日本でも「ソルティライチ」などの飲料に使われるなどして、前より出回りが良くなっている気がします。もちろん中国でもライチはよく食べられ、代替梅雨のシーズンからですが比較的安価で保存も効くことから、購入して冷蔵庫に放って、冷蔵庫を開ける度に1個ずつ食べたりしています。
あと食べ物ネタだと最近驚いたのはポテトチップスで、なんか中国独自の味種類が最近よく出ています。自分はいつも買うのはテキサスステーキ味なのですが、この前見たら「ピリ辛ザリガニ味」というのが出てきて、ザリガニブームはここまで来たかとマジびっくりです。
話は本題ですが、意外にも中国人は柿を食べません。正確には全く食べない中国人が多く、地方によっては食べる地方もあるそうなのですが、少なくとも上海周辺だと八百屋に柿が並ぶことはありません。
実際に中国語のサイトで調べてみても主要品種はほとんど日本産の品種となっている上、生産量は世界最大ながら貿易額は世界シェア10%にも達していません。なんとなく想像ですが柿そのものとして食べることよりも、漢方薬原料として使っているような気がします。
その代わりと言っては何ですが、日本ではあまり出回ることの少ないヤマモモ(楊梅)を中国人は夏場、かなり食べます。私も去年、見た目からライチと間違えて大量に購入してしまって食べましたが、めちゃくちゃ酸っぱくてこんなものあったんだとなんかやたら驚いてました。そこそこ値段も張る果物ですが、中国人は夏の風物としてシーズンには絶対食べるそうです。
また今さっき出したライチですが、こっちは最近日本でも「ソルティライチ」などの飲料に使われるなどして、前より出回りが良くなっている気がします。もちろん中国でもライチはよく食べられ、代替梅雨のシーズンからですが比較的安価で保存も効くことから、購入して冷蔵庫に放って、冷蔵庫を開ける度に1個ずつ食べたりしています。
あと食べ物ネタだと最近驚いたのはポテトチップスで、なんか中国独自の味種類が最近よく出ています。自分はいつも買うのはテキサスステーキ味なのですが、この前見たら「ピリ辛ザリガニ味」というのが出てきて、ザリガニブームはここまで来たかとマジびっくりです。
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