恐らくこれが今年最後の記事となります。今年は何気に投稿本数が多く293本に上り、2010年以降としては最高の投稿数となりました。まぁ贅沢言えば300本に載せとけばよかったかもしれません。そこで最後となる今回は、心情的にも体力的にもハード打た一年を振り返って今年に自分が体験した様々な嫌な出来事を一気に暴露しようと思います。年末にこれだけ後ろ向きな人物も珍しいだろうな。
今年嫌なこと第5位:円安による為替損(´;ω;`)
二月ごろの記事に書いていますが、私は今年になって日本で起業するために中国での勤務を辞して帰国しました。起業するための資金はそれなりにためていたのですが、過去二年間は中国での勤務が続いていたために人民元で貯金を持っていたのですが、起業するともなると見せ金が必要なため、アベノミクスで為替が円安に動くことがわかっていながらもある程度まとまった額を換金せざるを得ませんでした。
その結果というか、仮に二月ではなく現時点で日本円に換金していたらどのくらいの日本円を得ていたのか大雑把に計算した所、ざっと約40万円くらい損している計算となります。40万円あったらあんなこと、こんなことをドラえもんがいなくたってできるじゃん、もう……(ノД`)
今年嫌なこと第4位:スマイルサーバー(´;ω;`)
詳細は以前に語った通りです。詳しくは「スマイルサーバーに対する不満と不信」を閲覧ください。ちなみに今、Googleで「スマイルサーバー」と検索をかけるとこの記事が1ページ目に来てくれるのでなんだかうれしいです。
今年嫌なこと第3位:自分の会社の清算(´;ω;`)
知ってる人は知っていますが、このブログでは初公開の情報です。
上にも書いていますが私は今年二月に起業しようと日本に帰ってきましたが、まさに会社登記を終えた直後、ある身内から根も葉もない言いがかりをつけられたことにより、当初事務所代わりに使用しようとしていた実家から出て行かざるを得なくなりました。既に登記で会社登録地、並びに税務登録として実家の住所を入れていたというのにこっからどうしようか、それどころか外に事務所を借りるとなると家賃、光熱費、通信費がかかり、手持ちの資金では1年も戦えないぞなどと非常に悩まさせられましたが、最初はそれでもバイトを始めるなどしても会社を続けるつもりでありました。
そんな気持ちが吹っ飛んだのはまた例の身内で、有り得ない言いがかり、ぶっちゃけ自分が「野菜炒めを食べたい」と言ったらそれが非難の言葉だと罵ってきて私が折れる形で家を出て行くことになったのですが、あろうことかほかのありとあらゆる親戚に対して自分が暴言を吐いたなどと悪評をばらまいていたことがわかり、元からそんなタフな方じゃないけどなんかもう馬鹿馬鹿しくなってきて会社を続けるというか挑戦する気力が全部なくなってしまいました。
前からその身内の頭がおかしいのはわかっていたことだし、内心、会社を潰すことになるとしたらきっとその身内が起こす騒動からだろうと去年から想定していましたが、まさか何も始める前に面倒起こされて潰されるとは思っていませんでした。もっともそう言いながら、最大のリスクであると認識しておきながら自分が折れればきっと何とかなるだろうなどという甘い考えを持っていたこと自体に我ながら反吐が出る。
その身内とは既に距離を置いており、運が良ければもう浮世で会うことはないでしょう。惜しむらくは上記の理由上、その身内の血縁とも理解が得られる見込みがないため全部絶縁せざる得ず、この年で准天涯孤独となったことです。ただ繰り返しになりますが、何故5年前の時点でこうしなかったのか、甘い考えを持っていた自分に対して何より腹が立ちます。
今年嫌なこと第2位:苦しい就活(´;ω;`)
上の様な顛末があり、自分の会社をやめるのであれば早く心機一転して再就職した方がいいだろうと清算を進めながら再就職活動を始めました。いくら不況の世の中とはいえ貿易も出来るし中国語も得意だし何とかなるだろう、なんて自分の気持ちを落ち着かすために言い聞かせていましたがこれがなかなかうまくいきませんでした。それでも活動を始めて約一ヶ月後、中国への進出を考えているというとある空調機器メーカーの正社員職を得ました。職種は営業でしたが自分なら何でもできるだろうということと、精神的にかなり堪えてきてたので条件とかそういうのは度外視で入社を決めました。
結果論から言うとその会社は二ヶ月でさよなライオンしました。というのも職種は営業というもの、やることは設計事務所、並びに介護施設などへの電話セールスしかなかったからです。しかも電話セールスを始めるに当たってネットのタウンページから電話番号を探せというので探してリスト作ったら、「なんでこんな少ないんや」とかいうので東京都の建築士組合のサイトから数百件のリストを持ってきて見せたら、明らかにそのサイトの存在を知らない反応を見せました。電話セールスをもう十年以上やってるというのに、基本となるリストすら作っていないしこういうサイトの存在も知らないことに対して、「真面目に商売やる気あるのか?」という感慨を素直に持ちました。そもそも電話セールスじゃ売れるわけないし。
それと介護施設、具体的には老人ホームなどへですが、ここへも一日中電話かけろと指示され、夕方とか明らかに職員が夕食の準備とかで忙しい時間帯にもかけさせられ、電話口でも慌てているのがわかるだけに内心相手に悪いなぁって罪悪感でいっぱいでした。一応拾ってもらっといて悪口ばかり書くのもあれですが、入社一か月後に正式採用手続きを取ってその際に給与額について改めて相談すると入社前に説明受けてましたが、あっさりスルーされたので「もう辞めます」と伝えたわけです。
なもんだからまた夏頃から再び転職サイトに登録してあれこれ探し、面接に行ったら募集条件とは明らかに異なる待遇や仕事内容を説明されたりと腹立たしいことでお腹いっぱいな日々を過ごしましたが、また約一ヶ月後に今度は部材メーカーの内定採って、現在はそこでお世話になってて来年にもそこの中国法人へと出向く予定です。ちなみに会社には「起業してた」ってことはもちろん今も内緒です(∀`*ゞ)エヘヘ
今年嫌なこと第1位:PSPの盗難被害(´;ω;`)
栄えある第1位は、自分と苦楽を共にしたPSP、そうソニーが販売しているプレイステーションポータブルという携帯ゲーム機の盗難です。
本当に盗難されたのかという証拠はありませんが、実家のリフォーム中にソフトを残し、突然本体と電源コンセントだけなくなったので、施工業者の誰かが盗んだんだろうと思います。この手のゲーム機って換金しやすいので地味に盗みがいあるし。
無くなった当日は京都の方に出向いていたため自分は留守にしており、自室の目立つところに置きっぱなしにしてました。というのもリフォームで自分の部屋も壁紙とかはがす予定だったから特に弄らない物置に入れといたところ、例の身内が自分の部屋は後で施工するのだから勝手に物置に物を置くなと一方的に言ってきたので戻したところ、自分の部屋が真っ先に施工されてPSPも消えてしまいました。
たかがゲーム機、しかも後継機のPSVitaも既に発売されているのでありますが、このPSPは私が中国へ働きに行く前に購入したもので、向こうでの苦しい日々を慰める最大の娯楽として大活躍してくれてました。しかも杭州、上海、香港と結構距離のある土地を転々とする間に肌身離さず持っており、プライベートにおける相棒と言ってもいいくらいに愛用していた品です。こいつで遊んだモンハンP2Gの日々(インザ香港)は忘れない。
ソニーのゲーム戦略はこのところあれこれ批判されたり、なんでPS4の日本発売を遅らせるんだなどという声もありますが私個人として言わせてもらうと、素晴らしいゲーム機を提供してくれてありがとう。そしてそれをなくしてしまって本当に申し訳ないということを声を大にして言いたいです。
ってことで、来年の中国凱旋に備えてPSVitaを買っとかないとなぁ……。
今年うれしかったこと
よくもまぁこんだけ暗い内容を年末に書くもんだと自分でも思うので、最後にポジティブなことも書いておくことにします。まぁ見方を変えれば、上に書いた暗い内容はこうしてネタにできるくらい整理就いたってことでもあるんだけど。
今年うれしかったこととしてはこのまえ記事にも書きましたが、中国語の資格であるHSK6級に受かったことが真っ先に浮かびます。飽きっぽい自分ながら一応意識してずっと鍛え続けた中国語でギリギリとはいえ最上級を取得し一つの区切りを迎えられたのは感慨深く、なんか書いてて言葉が出てきません。
あと今年、このブログの読者数人と直接お会いして知り合いになれましたが、どの方も自分から見て「スゴイ∑(゜∀゜)」と思う人ばかりで、こういう人たちに自分の書く、かなり癖のある記事を毎日読んでもらえているんだと考えるだにタイプ打つ指が震えてきます。友人にもたびたび言われていますが、このブログは文章量が長いし書いてることもわかり辛いのばっかなので明らかに読者を選ぶブログとなってますが、その分だけいい読者に恵まれてると思います。シャレ抜きでしんどかったこの一年を乗り越えられたのもそういった読者の方の励ましがあってこそで、来年はまだ気持ちに余裕もあると思うのでもっといい記事書いて娯楽の足しになれればと、来年の目標を書いて結びとします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2013年12月31日火曜日
寒かった北京
これまでにアップしているため記事にも書いていますが、昨日まで北京に友人と旅行に行っていました。私にとっては実に6年ぶりの北京訪問で、いろいろとカルチャーショックも受けてきたのでその有様を写真と共に解説していこうと思います。
まずこちらの写真ですが、ここは北京一の繁華街である王府井(ワンフーチン)です。12/25を過ぎていますが細かいことは気にしない中国なだけに、クリスマスムード一色なライトアップで、あちこちのショッピングセンター内にもツリーが飾られていたままでした。でも逆に言うと、12/25を過ぎたら一斉に撤去し始める日本が神経質すぎるのかもしれません。
こちらは同じく王府井の中にある、「全聚徳」という名前の北京ダック料理店です。ここは数ある北京ダック屋の中でも最も知名度が高い上に店舗数も多く、王府井に限らずとも北京市内ならどこにだってあるお店です。同行した友人は今回が北京初訪問だったので、有名どころに連れて行った方がいいだろうとの判断からここに来ることにしました。
で、実際の料理の方ですが大手なだけにやはりちゃんとしていておいしかったです。しかし中華レストランなだけに出される量が桁違いに多く、二人向けコースに大の男でかかったのに結局全部食べきれず一部残しちゃいました。
続いてこちらの写真はお馴染みの万里の長城。 写真を見てもらえばわかりますが、PM2.5を期待していったのに滞在中の北京の空気は有り得ないくらいに綺麗で、ご覧の通りに青い空が満面に広がっていたし、実際に空気吸ってておいしかったです。これはこれで期待外れだ。
で、この万里の長城ですが、本当に寒かったです。北京にいる知り合いの中国人にこの日に行ったことを話すと、「凍死するほど寒かったんじゃない?」と言われましたが、実際に投資するんじゃないかと何度か思いました。
北京のこの時期の気温は一日中氷点下を下回っており、なおかつ風も強く吹きます。北京市内ならまだしも、山の上のこの長城は市内よりもさらに気温が低くて風も体ごと持ってかれるほど強くて、移動に使ったタクシーから降りるや「マジやべぇ!」と、渋谷のギャルみたいな言葉が友人と共に口を突いて出てきました。
しかも友人はともかく私は普段のノリで行ってしまったため、周囲が全員ダウンジャケットを着こんでいた中、ただ一人だけGジャン一枚で長城を駆け廻りました。呆れるくらいに寒さに強い自分もこの日はさすがに参って、長城手前の入り口で慌てて20元の帽子を買ったくらいでした。なお散々寒い思いしてホテルに帰ると入り口手前でタクシーの手配をするボーイにも、「そんな恰好じゃさすがに寒いでしょ」とツッコまれてしまいました。
もう少しだけ万里の長城について書くと、この上の写真で見える範囲はすべて昇り降りしています。私はこれまでにこの長城を2回訪れていますが、三回目の今回でもその高低差の激しさ、あと微妙に滑りやすい床、そして油断したら吹っ飛びかねない横風に難儀して、息も絶え絶えになりながら全行程を踏破しました。
写真で見るとそうでもなさそうですが、体力に自信のない人は真面目に万里の長城を訪れるべきではありません。軽いコースを通るにしても傾斜が急で、下り坂で転ぼうものなら大怪我を負ってもおかしくありません。今回同行した友人は比較的体力自慢な輩でありますが、そいつですら「マジやべぇ」を繰り返しつつなんとか踏破を完遂出来たくらいだし。
この写真は万里の長城に併設してある「熊楽園」にいた熊です。なんか座り方が様になっていたので撮りましたが、そもそもこの時期に熊は冬眠しているというのに働かされてて「熊も大変だなぁ」としみじみ思います。
所変わってこの写真は地下鉄構内に置かれた広告の写真ですが、ロックフックがリラックマとコラボしていたことに驚いたので写真に収めました。決して「熊楽園」との関連はありません。ロックフックについて知ってる人はそのままで、知らない人はいい機会なのでググってみましょう。ついでにチョウサンサンも覚えておけば香港通です。
続いてここは北京市内にある「天壇」という世界遺産です。いまいち写真だと伝わり辛いですが桁違いにでかくて高い建物で、友人と一緒に「中国は何でも十倍サイズだよなぁ」と言いながら見学してました。
最後はお馴染みの天安門の故宮博物館(紫禁城)前です。中央に毛沢東の写真が貼られていますが、そろそろこれも3Dにしないと駄目だよなぁと友人と話してました。さらには、「毛沢東はグッズといいこの写真といい、中国の観光収入にどれだけ寄与しているんだろうか」などと経済チックな話でも盛り上がってました。
それにしてもこの日も青空がやけにまぶしかった。こうしてみるとPM2.5で大気汚染がと映している映像は、暗い空の日を選んで撮影してるんじゃないかとすら思えてきます。
この旅行で得たインスピレーションについてはまた別の機会に詳しく書きます。
2013年12月29日日曜日
長平の戦いについて
この冬の歴史まつりも三日目ですが、日本史、西欧史と来たもんだから今日は中国史だなと考えていいネタはないかと考えたところ、過去二日間が戦争に関する話題だったのでこの際それに合わせ、中国の戦国時代における最大規模の野戦である長平の戦いについて私なりに紹介しようと思います。
・長平の戦い(Wikipedia)
この戦いは元々有名だし、このところ人気で私も読んでいる「キングダム」という漫画でも簡単に説明されているので知ってる人も多いかもしれません。
この戦いがあったのは古代中国紀元前260年。当時、中国は各地に国々が乱立してそれぞれが覇権を争う戦国時代だったのですが、時代の趨勢は後に中国を初めて統一する秦が徐々に勢力を増し、敢えて例えると現代の米国の様にほかの全世界の国々が束になってかかっても抑えきれないほど強さを増しておりました。そんな秦に対して唯一対抗できるというか、対抗せざるを得なかったのが秦と国境を接する隣国の趙という国です。この国は元々は晋という国でしたがお家騒動から韓、魏、趙の三国に分かれたものの、比較的強い勢力を保ちながら戦国末期まで影響力を持ち続けておりました。
この趙が大きく躍進したのは長平の戦いに至る数十年前の武霊王の時代です。武霊王は当時、蛮族が着る衣装と蔑まれていた胡服という、現代のズボンのような衣装を兵士の服として採用します。当時の漢民族の衣装は裾の長いもので騎馬に乗るのには向いていなかったのですが、武霊王は国内の反対を押し切り胡服を取り入れたことによって軍事力の大きな向上に成功します。この軍事改革によって最強国の秦も趙にはなかなか侵攻することが出来なかったそうです。
話を長平の戦いに戻しますが、この当時の秦は優秀な将軍が綺羅星の如く集まり、特に当時、というより戦国時代を通して最強の司令官とも言われる白起が文字通り縦横無尽に暴れ回り領土を拡張し続けておりました。この時代に秦と趙は領土争いのもつれから秦側が攻め込む形で戦争となるのですが、趙側は「刎頸の交わり」で有名な廉頗を防衛の将として送り込みます。
秦の強さもさることながら老練な廉頗の指揮も見事で秦側はたちまち攻めあぐねてしまいます。この時代に白起は打開策を練り、まずは面倒な廉頗を遠ざけるため趙の首都で「秦は相手が年寄りの廉頗であることに安心している」という噂と、「逆に若くて才能高い趙括がやってくることを恐れている」という噂を流しました。
趙括という人物は父親が有名な将軍で、本人も幼いころから軍学を学んでいた青年でした。彼は若い頃から軍学にかけては右に出るものがないほど賢く、議論でも父親をしばしば打ち負かせるほどで評判が高かったのですが、その父親と母親は息子は自惚れが強く大将としては大成しないと早くから予言していたそうです。
話を戻すと、趙の国王は秦が流したその噂を真に受けて廉頗に変えて趙括を総大将として長平へ送り込みます。なお趙括にとってこの時初めて軍の指揮を任されたのですが、いきなり大将は無理だとこれまた「刎頸の交わり」のエピソードにおけるもう一人の主人公である蘭相如は、病床からわざわざ国王に総大将の交代をやめるよう諫言しています。そして夫に先立たれた趙括の母親も、息子は総大将の器ではないからと国王に諫言した上で、どうしても総大将にするのならば趙活が敗北したとしても親類を連座で罰しないよう約束を取り付けました。
そうしてやってきました長平の戦い。両者の兵力は趙が40万以上だったのに対して秦は数万程度だったと言われ、総大将に着任した趙括は兵力で勝っているのだから一息に飲みこむべきだとして、廉頗が城から一歩も出ずに防戦をし続けたのとは逆に全兵力で一気に打って出ました。仮に相手が並の将軍だったらこれでもよかったもしれませんが、秦軍には秘密裏に白起が将軍として着任しており、趙が打って出るのを虎視眈々と待ち構えていました。
結末は本当にあっさりと出ました。数を頼みに趙軍は城から打って出ましたが、秦軍は巧みにこの攻撃を防ぐと別働隊が趙軍の退路を塞ぐことによって趙軍を食料や予備の武器といった補給物資のない状態で包囲してしまいます。この包囲を打ち破ろうと趙軍は何度も攻撃を仕掛けるもののその攻撃はすべて白起が先読みし、適切に部隊を配置されていたためにすべて失敗に終わりました。
こうして数十日間包囲された趙軍の中から餓死者も現れたため、最終的に趙軍は全滅覚悟で最後の突撃を敢行します。この突撃によって司令官の趙括は戦死し、残った兵士は全員が降伏します。
ここからがこの戦争のハイライトなのですが、降伏した趙軍の兵士は約40万人いたとされ、白起はこれほど大量の捕虜となると連れ帰ろうにも食料がなく、かといって無傷で趙に戻してはこの戦争で勝利した意味がなくなると考え、なんと一部の少年兵を除き全て生き埋めにして殺してしまいました。
私の考えとしては当時の中国の人口で40万人も兵士を動員できるかと言ったら疑問で、また戦争で戦ってるのにほとんどの兵士が戦死せずそのまま降伏するってのはさすがに有り得す、この数字はさすがに盛っているように思えます。ただ大量の兵士が降伏したにもかかわらず生き埋めにされたのはどうやら事実だったらしく、なんでも近年にこの戦いの戦場だったと思しき場所を発掘した所、有り得ないくらいに大量の人骨が出土したそうです。軽いホラーだ。
この戦いの故事から趙括の名前はいわゆる「論語読みの論語知らず」という、「勉強はできるけど実戦はからきしな頭でっかち」という意味を表すようになりました。そしてこの戦いで勝利した白起ですが、この戦争の後の戦後処理に不満を持って出仕せず自宅に引きこもるようになり、この態度に腹を立てた秦の国王によって自害する様にと命令されこの世を去っております。
たった一つの戦いとはいえあまりの敗戦ぶりによって趙の勢力はガクンと落ち、その滅亡を早めたと言われております。天下分け目の戦いとまではいきませんが、実にドラマチックな展開で結局の勝者は誰だったのかと考えさせられるエピソードです。
・長平の戦い(Wikipedia)
この戦いは元々有名だし、このところ人気で私も読んでいる「キングダム」という漫画でも簡単に説明されているので知ってる人も多いかもしれません。
この戦いがあったのは古代中国紀元前260年。当時、中国は各地に国々が乱立してそれぞれが覇権を争う戦国時代だったのですが、時代の趨勢は後に中国を初めて統一する秦が徐々に勢力を増し、敢えて例えると現代の米国の様にほかの全世界の国々が束になってかかっても抑えきれないほど強さを増しておりました。そんな秦に対して唯一対抗できるというか、対抗せざるを得なかったのが秦と国境を接する隣国の趙という国です。この国は元々は晋という国でしたがお家騒動から韓、魏、趙の三国に分かれたものの、比較的強い勢力を保ちながら戦国末期まで影響力を持ち続けておりました。
この趙が大きく躍進したのは長平の戦いに至る数十年前の武霊王の時代です。武霊王は当時、蛮族が着る衣装と蔑まれていた胡服という、現代のズボンのような衣装を兵士の服として採用します。当時の漢民族の衣装は裾の長いもので騎馬に乗るのには向いていなかったのですが、武霊王は国内の反対を押し切り胡服を取り入れたことによって軍事力の大きな向上に成功します。この軍事改革によって最強国の秦も趙にはなかなか侵攻することが出来なかったそうです。
話を長平の戦いに戻しますが、この当時の秦は優秀な将軍が綺羅星の如く集まり、特に当時、というより戦国時代を通して最強の司令官とも言われる白起が文字通り縦横無尽に暴れ回り領土を拡張し続けておりました。この時代に秦と趙は領土争いのもつれから秦側が攻め込む形で戦争となるのですが、趙側は「刎頸の交わり」で有名な廉頗を防衛の将として送り込みます。
秦の強さもさることながら老練な廉頗の指揮も見事で秦側はたちまち攻めあぐねてしまいます。この時代に白起は打開策を練り、まずは面倒な廉頗を遠ざけるため趙の首都で「秦は相手が年寄りの廉頗であることに安心している」という噂と、「逆に若くて才能高い趙括がやってくることを恐れている」という噂を流しました。
趙括という人物は父親が有名な将軍で、本人も幼いころから軍学を学んでいた青年でした。彼は若い頃から軍学にかけては右に出るものがないほど賢く、議論でも父親をしばしば打ち負かせるほどで評判が高かったのですが、その父親と母親は息子は自惚れが強く大将としては大成しないと早くから予言していたそうです。
話を戻すと、趙の国王は秦が流したその噂を真に受けて廉頗に変えて趙括を総大将として長平へ送り込みます。なお趙括にとってこの時初めて軍の指揮を任されたのですが、いきなり大将は無理だとこれまた「刎頸の交わり」のエピソードにおけるもう一人の主人公である蘭相如は、病床からわざわざ国王に総大将の交代をやめるよう諫言しています。そして夫に先立たれた趙括の母親も、息子は総大将の器ではないからと国王に諫言した上で、どうしても総大将にするのならば趙活が敗北したとしても親類を連座で罰しないよう約束を取り付けました。
そうしてやってきました長平の戦い。両者の兵力は趙が40万以上だったのに対して秦は数万程度だったと言われ、総大将に着任した趙括は兵力で勝っているのだから一息に飲みこむべきだとして、廉頗が城から一歩も出ずに防戦をし続けたのとは逆に全兵力で一気に打って出ました。仮に相手が並の将軍だったらこれでもよかったもしれませんが、秦軍には秘密裏に白起が将軍として着任しており、趙が打って出るのを虎視眈々と待ち構えていました。
結末は本当にあっさりと出ました。数を頼みに趙軍は城から打って出ましたが、秦軍は巧みにこの攻撃を防ぐと別働隊が趙軍の退路を塞ぐことによって趙軍を食料や予備の武器といった補給物資のない状態で包囲してしまいます。この包囲を打ち破ろうと趙軍は何度も攻撃を仕掛けるもののその攻撃はすべて白起が先読みし、適切に部隊を配置されていたためにすべて失敗に終わりました。
こうして数十日間包囲された趙軍の中から餓死者も現れたため、最終的に趙軍は全滅覚悟で最後の突撃を敢行します。この突撃によって司令官の趙括は戦死し、残った兵士は全員が降伏します。
ここからがこの戦争のハイライトなのですが、降伏した趙軍の兵士は約40万人いたとされ、白起はこれほど大量の捕虜となると連れ帰ろうにも食料がなく、かといって無傷で趙に戻してはこの戦争で勝利した意味がなくなると考え、なんと一部の少年兵を除き全て生き埋めにして殺してしまいました。
私の考えとしては当時の中国の人口で40万人も兵士を動員できるかと言ったら疑問で、また戦争で戦ってるのにほとんどの兵士が戦死せずそのまま降伏するってのはさすがに有り得す、この数字はさすがに盛っているように思えます。ただ大量の兵士が降伏したにもかかわらず生き埋めにされたのはどうやら事実だったらしく、なんでも近年にこの戦いの戦場だったと思しき場所を発掘した所、有り得ないくらいに大量の人骨が出土したそうです。軽いホラーだ。
この戦いの故事から趙括の名前はいわゆる「論語読みの論語知らず」という、「勉強はできるけど実戦はからきしな頭でっかち」という意味を表すようになりました。そしてこの戦いで勝利した白起ですが、この戦争の後の戦後処理に不満を持って出仕せず自宅に引きこもるようになり、この態度に腹を立てた秦の国王によって自害する様にと命令されこの世を去っております。
たった一つの戦いとはいえあまりの敗戦ぶりによって趙の勢力はガクンと落ち、その滅亡を早めたと言われております。天下分け目の戦いとまではいきませんが、実にドラマチックな展開で結局の勝者は誰だったのかと考えさせられるエピソードです。
2013年12月28日土曜日
欧州の騎兵の歴史
最近興味を沸いたことから、ウィキペディアの「騎兵」の項目をやけに調べていました。日本で騎兵というと武田騎馬軍団がすぐ出てくるでしょうがこれは実際にどれほど運用されていたのかがやや不明瞭であるのに対し、サラブレッドの本場である欧州ではかなり面白い使われ方というかごく近い時代まで主力の舞台として使われていたようです。
騎兵は騎士道が発達した中世、具体的には十字軍の時代には早くも戦場の花形となっており、重装騎兵隊による突撃は当時最強の戦術の一つに数えられました。しかし重装騎兵は十字軍以降はどうも鳴りを潜めたようで、火砲の発達とともに徐々に軽装、というより機動力を重視した騎兵隊が編成されるようになり、騎兵自身が火砲を持つ銃士や竜騎兵というものも登場してきます。
騎兵が全盛となるのは近世から近代、具体的にはドイツ30年戦争が行われているあたりからナポレオン戦争の時代までです。この時代になると騎兵は胸を覆うプレートを付けるくらいで完全に機動力重視となり、またサーベルを持って突撃したりするなどとどめの一撃などに主に使われたようです。
で、実際に騎兵がどれほど戦場で活躍したのかというと、ナポレオン旗下で騎馬隊率いりゃ当時の欧州一と呼ばれたミュラなどは敵軍が鉄砲を撃ってくる中でも果敢に突撃し、しょっちゅう敵陣を崩したり敗走する敵軍を散々に打ち負かしていたと言われます。当時の鉄砲はまだマスケット銃もいい所で、一回撃ったら弾込などタイムラグが必要なため、200メートルくらいの距離であれば相手が打ち終わった隙に一気に間合いを詰めて突撃することが出来たようで、勝敗の趨勢を決める一撃として各軍で温存し、活用されていました。
この騎兵突撃なのですが、その効果は馬の圧力による威力と共に心理的な効果も非常に高かったと言われます。冷静に考えてみると、でかい馬に乗ってサーベルや鉄砲持った人が猛スピードでこっちに向かってくるわけですから、実際に向かい合った兵隊からすると恐怖以外の何物でもないでしょう。また仮に向かい合えるだけの勇気を持っていたとしても、隣の兵士が恐怖に臆して身を引こうものならあっという間に自分だけ踏みつぶされるわけですから、騎兵が近づいてくることでばたと陣が崩れていくというのもよくわかります。
そのように19世紀初頭まで普通に活用されていた騎兵ですが、その退場の歴史は鮮やかだったというかあまりにも突然でした。きっかけは機関銃の登場で、どれだけ突撃をかけても突破することのできない兵器によって騎兵はあっという間に衰退していきます。
これは最近知ったのですが、一応今でも騎兵は警備隊みたいな形で残っているのですが、第二次大戦の頃のポーランド軍には普通に騎兵が編成されており、ナチスドイツの戦車部隊に突撃していたという話がまことしやかにネット上で出回っております。これはポーランド人は馬鹿だということを示すエピソードとしてよく使われるそうですが、実際に当時騎兵が編成されナチスドイツの機甲部隊と戦闘したことは事実であるものの、真正面から突撃したわけではなく側面や後方から攪乱したりなどして上々の戦果を挙げたというのが事実だそうです。とはいえ、現代においてはもはや通用しないだろうな。
最後に騎兵が退場することになった機関銃のエピソードを見て思ったことなのですが、それ以前の戦争はあくまで人間同志が武器を用いて戦う戦争だったのに対し、機関銃の登場からは兵器同士がぶつかり合う戦争となり、むしろ人間はその兵器を取り回す部品みたいに変わってしまった印象を覚えました。現代においてはむしろその傾向が顕著で、兵数は補給など後方部隊ならともかく、もはや戦争の勝敗を決する要因としては非常に小さく、どれだけ質の高い兵器を保有しているかどうかの方が大きな要因となっています。そのうち兵器はどんどん無人化するでしょうが、チャーチルが言った、「二次大戦はもはやナポレオンが戦った頃の戦争とは異なる。今の時代の英雄は戦場で指揮するものではなく、会議室でミサイルの発射を許可する人間だ」と話したのもうなずける話です。
騎兵は騎士道が発達した中世、具体的には十字軍の時代には早くも戦場の花形となっており、重装騎兵隊による突撃は当時最強の戦術の一つに数えられました。しかし重装騎兵は十字軍以降はどうも鳴りを潜めたようで、火砲の発達とともに徐々に軽装、というより機動力を重視した騎兵隊が編成されるようになり、騎兵自身が火砲を持つ銃士や竜騎兵というものも登場してきます。
騎兵が全盛となるのは近世から近代、具体的にはドイツ30年戦争が行われているあたりからナポレオン戦争の時代までです。この時代になると騎兵は胸を覆うプレートを付けるくらいで完全に機動力重視となり、またサーベルを持って突撃したりするなどとどめの一撃などに主に使われたようです。
で、実際に騎兵がどれほど戦場で活躍したのかというと、ナポレオン旗下で騎馬隊率いりゃ当時の欧州一と呼ばれたミュラなどは敵軍が鉄砲を撃ってくる中でも果敢に突撃し、しょっちゅう敵陣を崩したり敗走する敵軍を散々に打ち負かしていたと言われます。当時の鉄砲はまだマスケット銃もいい所で、一回撃ったら弾込などタイムラグが必要なため、200メートルくらいの距離であれば相手が打ち終わった隙に一気に間合いを詰めて突撃することが出来たようで、勝敗の趨勢を決める一撃として各軍で温存し、活用されていました。
この騎兵突撃なのですが、その効果は馬の圧力による威力と共に心理的な効果も非常に高かったと言われます。冷静に考えてみると、でかい馬に乗ってサーベルや鉄砲持った人が猛スピードでこっちに向かってくるわけですから、実際に向かい合った兵隊からすると恐怖以外の何物でもないでしょう。また仮に向かい合えるだけの勇気を持っていたとしても、隣の兵士が恐怖に臆して身を引こうものならあっという間に自分だけ踏みつぶされるわけですから、騎兵が近づいてくることでばたと陣が崩れていくというのもよくわかります。
そのように19世紀初頭まで普通に活用されていた騎兵ですが、その退場の歴史は鮮やかだったというかあまりにも突然でした。きっかけは機関銃の登場で、どれだけ突撃をかけても突破することのできない兵器によって騎兵はあっという間に衰退していきます。
これは最近知ったのですが、一応今でも騎兵は警備隊みたいな形で残っているのですが、第二次大戦の頃のポーランド軍には普通に騎兵が編成されており、ナチスドイツの戦車部隊に突撃していたという話がまことしやかにネット上で出回っております。これはポーランド人は馬鹿だということを示すエピソードとしてよく使われるそうですが、実際に当時騎兵が編成されナチスドイツの機甲部隊と戦闘したことは事実であるものの、真正面から突撃したわけではなく側面や後方から攪乱したりなどして上々の戦果を挙げたというのが事実だそうです。とはいえ、現代においてはもはや通用しないだろうな。
最後に騎兵が退場することになった機関銃のエピソードを見て思ったことなのですが、それ以前の戦争はあくまで人間同志が武器を用いて戦う戦争だったのに対し、機関銃の登場からは兵器同士がぶつかり合う戦争となり、むしろ人間はその兵器を取り回す部品みたいに変わってしまった印象を覚えました。現代においてはむしろその傾向が顕著で、兵数は補給など後方部隊ならともかく、もはや戦争の勝敗を決する要因としては非常に小さく、どれだけ質の高い兵器を保有しているかどうかの方が大きな要因となっています。そのうち兵器はどんどん無人化するでしょうが、チャーチルが言った、「二次大戦はもはやナポレオンが戦った頃の戦争とは異なる。今の時代の英雄は戦場で指揮するものではなく、会議室でミサイルの発射を許可する人間だ」と話したのもうなずける話です。
2013年12月27日金曜日
日本海軍のラッキーシップ「瑞鶴」
今日から30日まで友人のクーロンズゲートと共に北京へ取材旅行に出かけるので、このブログの更新が出来なくなります。更新が出来ないと言っている傍からなんでこの記事が出ているのかというと、記者時代に培ったため記事放出の技術を使い、予約投稿をあらかじめセットしておいたからです。今この記事は12/24に書いておりますが、せっかくため記事を数日間連続で出すんだから何か一つのテーマで書いてみようと思い、真冬の歴史まつりと称して歴史ネタを連続で書いてくことにします。そこで一発目の今日は、私が大好きな航空母艦こと瑞鶴について触れていきます。
・瑞鶴(Wikipedia)
最近、「艦隊これくしょん」というゲームが流行って様々な二次大戦中における日本の感染が擬人化(美少女化)されており、この辺の分野に興味を持つ人も増えているかと思います。私自身はこの「艦これ」はやっていないのですが、この瑞鶴だけはどんな女の子に描かれているのかが気になって昨日(12/23)調べました。
それほどまでに私が強いこだわりを持つ瑞鶴とはどんな艦船なのかというと、通称が「ラッキーシップ」と呼ばれるほどに圧倒的な生還率を誇り、真珠湾攻撃から事実上の日本軍最後の艦隊戦であるレイテ沖海戦まで戦い抜いた唯一の航空母艦です。
瑞鶴は連合艦隊の一翼を担う空母として1941年9月、姉妹艦である翔鶴とともに就航します。「艦隊これくしょん」だと何故か翔鶴が姉で瑞鶴が妹設定にされていましたが、なんとなく私もわかる気がします。
話を真面目な方向に戻すと就航からわずか三ヶ月後には真珠湾攻撃に参加し、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴の五つの空母と共にこの攻撃を成功させます。真珠湾攻撃後も瑞鶴は太平洋各地を転戦し続けるのですが、注目すべきはミッドウェー海戦を始めとする大規模な戦いにほぼ確実に参加しつつも、なんと1944年3月のマリアナ沖海戦まで一発も被弾することなく戦い抜いていることです。
ほかの、というか普通の艦船は撃沈されるまでには至らないまでも、普通の戦闘で一発や二発の攻撃を受けることは珍しくありません。にもかかわらず瑞鶴は開戦から三年四カ月間もの間に一発も攻撃を受けることなく元気に、というかうざいくらいに戦い続けています。仮に勝ち戦だけに参加しているならまだしも、ミッドウェー海戦の様に他の空母が撃沈されるほどの敗戦でもノーダメージだったというのは有り得ないほどの強運ぶりです。その強運ぶりは戦時中にも認知されており、いつしか「ラッキーシップ」というあだ名がついたと言われています。
ちなみに初めての被弾はさっきから何度も書いているマリアナ沖海戦ですが、この被弾では艦橋を小破する程度にとどまっており、喰らってもやっぱり強運でした。一方、姉妹艦の翔鶴はこの戦いで撃沈されてます。バイバイお姉ちゃんって感じです。
しかしそんなラッキーシップにも最後の時がやってきます。その最後の時はマリアナ沖海戦の次に参加した1944年7月のレイテ沖海戦で、この戦いで瑞鶴は囮部隊として米軍を引き付ける役割を受けます。さすがに囮ともなればこれまでの強運ぶりも発揮できず米軍の攻撃が開始されるや散々に被弾し、囮の役割をしっかり果たした上で海へと沈没していきました。瑞鶴の撃沈によって真珠湾攻撃に参加した空母はなくなり、同時に日本海軍が運用できる正規空母も完全粉砕されることとなったわけで、仮に船が欧米の価値観の様に女性の性質を持つのであれば瑞鶴は空母姉妹の末妹だったような印象を覚えます(つД`)
私が瑞鶴を何故こよなく愛するのかというと、その数奇な戦歴に興味が引かれるとともに、小学生の頃に読んだ従軍体験者の小説で瑞鶴がメインの舞台として登場していたからです。生憎その本の名前は失念したのですが、作者は瑞鶴航空部隊のパイロットで、戦後はテレビ界に身を置いていた人だった気がします。この小説は淡々とした内容でしたが、パイロット隊員の訓練風景を濃密に描いた上で彼らが徐々に戦死する様を描いており、戦争小説でありながらゆっくりと悲しみが満ちてくる不思議な小説でした。
先日、NHKが「永遠の0」の映画公開に合わせたのかゼロ戦の特集番組を放映したのですが、その番組にゼロ戦搭乗者としてインタビューに答えた人物の中になんとこの瑞鶴所属の航空部隊にいた方が登場しました。もちろん話す内容はゼロ戦がメインで瑞鶴なんて一言も触れませんでしたが、私にとってはあの瑞鶴を知る人がまだ生き残られていたのかとこれまた不思議な感慨に打たれました。同時にたとえ沈んだとはいえ幸運の女神はまだこの方を見守っていたのかと思い、今年は際限なく運が悪かっただけに自分にもそういう幸運の女神が欲しいもんだなどと言うことが頭に浮かんだというわけです。
今度プラモ買って作ってみようかなぁ、瑞鶴。
・瑞鶴(Wikipedia)
最近、「艦隊これくしょん」というゲームが流行って様々な二次大戦中における日本の感染が擬人化(美少女化)されており、この辺の分野に興味を持つ人も増えているかと思います。私自身はこの「艦これ」はやっていないのですが、この瑞鶴だけはどんな女の子に描かれているのかが気になって昨日(12/23)調べました。
それほどまでに私が強いこだわりを持つ瑞鶴とはどんな艦船なのかというと、通称が「ラッキーシップ」と呼ばれるほどに圧倒的な生還率を誇り、真珠湾攻撃から事実上の日本軍最後の艦隊戦であるレイテ沖海戦まで戦い抜いた唯一の航空母艦です。
瑞鶴は連合艦隊の一翼を担う空母として1941年9月、姉妹艦である翔鶴とともに就航します。「艦隊これくしょん」だと何故か翔鶴が姉で瑞鶴が妹設定にされていましたが、なんとなく私もわかる気がします。
話を真面目な方向に戻すと就航からわずか三ヶ月後には真珠湾攻撃に参加し、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴の五つの空母と共にこの攻撃を成功させます。真珠湾攻撃後も瑞鶴は太平洋各地を転戦し続けるのですが、注目すべきはミッドウェー海戦を始めとする大規模な戦いにほぼ確実に参加しつつも、なんと1944年3月のマリアナ沖海戦まで一発も被弾することなく戦い抜いていることです。
ほかの、というか普通の艦船は撃沈されるまでには至らないまでも、普通の戦闘で一発や二発の攻撃を受けることは珍しくありません。にもかかわらず瑞鶴は開戦から三年四カ月間もの間に一発も攻撃を受けることなく元気に、というかうざいくらいに戦い続けています。仮に勝ち戦だけに参加しているならまだしも、ミッドウェー海戦の様に他の空母が撃沈されるほどの敗戦でもノーダメージだったというのは有り得ないほどの強運ぶりです。その強運ぶりは戦時中にも認知されており、いつしか「ラッキーシップ」というあだ名がついたと言われています。
ちなみに初めての被弾はさっきから何度も書いているマリアナ沖海戦ですが、この被弾では艦橋を小破する程度にとどまっており、喰らってもやっぱり強運でした。一方、姉妹艦の翔鶴はこの戦いで撃沈されてます。バイバイお姉ちゃんって感じです。
しかしそんなラッキーシップにも最後の時がやってきます。その最後の時はマリアナ沖海戦の次に参加した1944年7月のレイテ沖海戦で、この戦いで瑞鶴は囮部隊として米軍を引き付ける役割を受けます。さすがに囮ともなればこれまでの強運ぶりも発揮できず米軍の攻撃が開始されるや散々に被弾し、囮の役割をしっかり果たした上で海へと沈没していきました。瑞鶴の撃沈によって真珠湾攻撃に参加した空母はなくなり、同時に日本海軍が運用できる正規空母も完全粉砕されることとなったわけで、仮に船が欧米の価値観の様に女性の性質を持つのであれば瑞鶴は空母姉妹の末妹だったような印象を覚えます(つД`)
私が瑞鶴を何故こよなく愛するのかというと、その数奇な戦歴に興味が引かれるとともに、小学生の頃に読んだ従軍体験者の小説で瑞鶴がメインの舞台として登場していたからです。生憎その本の名前は失念したのですが、作者は瑞鶴航空部隊のパイロットで、戦後はテレビ界に身を置いていた人だった気がします。この小説は淡々とした内容でしたが、パイロット隊員の訓練風景を濃密に描いた上で彼らが徐々に戦死する様を描いており、戦争小説でありながらゆっくりと悲しみが満ちてくる不思議な小説でした。
先日、NHKが「永遠の0」の映画公開に合わせたのかゼロ戦の特集番組を放映したのですが、その番組にゼロ戦搭乗者としてインタビューに答えた人物の中になんとこの瑞鶴所属の航空部隊にいた方が登場しました。もちろん話す内容はゼロ戦がメインで瑞鶴なんて一言も触れませんでしたが、私にとってはあの瑞鶴を知る人がまだ生き残られていたのかとこれまた不思議な感慨に打たれました。同時にたとえ沈んだとはいえ幸運の女神はまだこの方を見守っていたのかと思い、今年は際限なく運が悪かっただけに自分にもそういう幸運の女神が欲しいもんだなどと言うことが頭に浮かんだというわけです。
今度プラモ買って作ってみようかなぁ、瑞鶴。
2013年12月26日木曜日
色々な社会ニュース雑感
今晩は忙しいのといろいろ書きたい話題が細かく散らばっているので、それぞれ個別に雑感を書いていきます。
まず本日、安倍首相が靖国神社に参拝した件についてです。靖国問題についてはこれまでの記事で議論すべきことも自分のいいたいことも全部書ききった感があるのでスルーしますが、周辺国の反応について書くと韓国はまたあれこれ言ってくるでしょうが、中国に関してはもうそれほど大きな問題にならないかと思います。私の実感ですが中国人としてももう靖国神社に関しては「どうでもいいよ」っていう感覚を持っているように思え、中国政府も形だけの批判をして深くは追及してこないと思います。深く追及して困るのはかえって中国政府だし。
ただタイミングがいいというか、明日から北京に行ってくる予定が入ってたりします。折角だから天安門前で「アイムフリーダム!」って叫ぼうかなと考えているのですが、靖国問題とは全く関係ないですね。でもこれ叫んだらきっと捕まるんだろうなぁ、自由であることを主張して捕まるというのもなんかいろいろあれですが。
次の話題に移りますが、ここ数日のプレスリリースを見ていてちょっと目を引いたものがありました。
・ジャックス、業界初の「入居者の自殺・孤独死保険」付き家賃保証システムを取扱い開始(PDF)
ジャックスカードのジャックスが何でも、賃貸オーナー向けに入居者が自殺したり孤独死した際の損害や原状回復費用を保証する保険を始めるそうです。別にジャックスを批判するつもりは全くなく、むしろ世の中で確かに需要がありそうなサービスを始めたのでなかなか目の付け所があると感心するくらいなのですが、逆を言えばこういうサービスが出るほど日本は自殺や孤独死が増えていると言えるのでなんだか複雑な気分になります。
ぶっちゃけ、うちの親戚でもこれやらかした人がいるんですがね。社会が病んでいるという定義はいくらでもありますが、果たして日本社会はどの程度病んでいるのか、そしてそれを日本人がどの程度認識しているのかということについては考えが尽きません。
ちなみに上海で働いていた時、上海の地下鉄に痴漢が現れたというニュースがありました。このニュースを見て同僚は、「痴漢が出るってことは、中国の社会も病んできたのかな」と言ってましたが、「それ言ったら日本はずっと病んでるってことになりますよ」って言って二人で大笑いしてました。でも冷静に考えると、痴漢が電車の中に存在することを誰もが当たり前と思っているんだから病み具合としてみたら結構根深いかもしれません。
・“全裸にリュック”の中学教師…あきれた供述とは?(テレビ朝日)
痴漢ネタで思い出したけど昨日またすごいレベルの変態が現れたこのニュースに注目してました。報道見て知ってる人も多いでしょうが、中学校の教師が全裸にリュックを背負い、スニーカーを履いて悠々と歩いているところ捕まったというニュースですが、捕まった際の言い訳が「酔いを醒ますためだった」と話してて、「全裸で歩けば酔いが覚めるの?っていうかお前いつもそうやって酔い覚ましてるの?」なんて質問が振りたくなってくる香ばしさです。
更にこれ見てまた思い出したことですが、SAMPの草彅強氏が以前にこれまた酔っぱらって全裸で捕まった際、「裸になって何が悪い!」と言い切りましたが、このセリフを聞くたびに、「言われてみると何故人は服を着るのだろうか?」などと妙に哲学的に考え込んでしまいます。こんなこと考える当たり自分も病んでるのかもしれません。
まず本日、安倍首相が靖国神社に参拝した件についてです。靖国問題についてはこれまでの記事で議論すべきことも自分のいいたいことも全部書ききった感があるのでスルーしますが、周辺国の反応について書くと韓国はまたあれこれ言ってくるでしょうが、中国に関してはもうそれほど大きな問題にならないかと思います。私の実感ですが中国人としてももう靖国神社に関しては「どうでもいいよ」っていう感覚を持っているように思え、中国政府も形だけの批判をして深くは追及してこないと思います。深く追及して困るのはかえって中国政府だし。
ただタイミングがいいというか、明日から北京に行ってくる予定が入ってたりします。折角だから天安門前で「アイムフリーダム!」って叫ぼうかなと考えているのですが、靖国問題とは全く関係ないですね。でもこれ叫んだらきっと捕まるんだろうなぁ、自由であることを主張して捕まるというのもなんかいろいろあれですが。
次の話題に移りますが、ここ数日のプレスリリースを見ていてちょっと目を引いたものがありました。
・ジャックス、業界初の「入居者の自殺・孤独死保険」付き家賃保証システムを取扱い開始(PDF)
ジャックスカードのジャックスが何でも、賃貸オーナー向けに入居者が自殺したり孤独死した際の損害や原状回復費用を保証する保険を始めるそうです。別にジャックスを批判するつもりは全くなく、むしろ世の中で確かに需要がありそうなサービスを始めたのでなかなか目の付け所があると感心するくらいなのですが、逆を言えばこういうサービスが出るほど日本は自殺や孤独死が増えていると言えるのでなんだか複雑な気分になります。
ぶっちゃけ、うちの親戚でもこれやらかした人がいるんですがね。社会が病んでいるという定義はいくらでもありますが、果たして日本社会はどの程度病んでいるのか、そしてそれを日本人がどの程度認識しているのかということについては考えが尽きません。
ちなみに上海で働いていた時、上海の地下鉄に痴漢が現れたというニュースがありました。このニュースを見て同僚は、「痴漢が出るってことは、中国の社会も病んできたのかな」と言ってましたが、「それ言ったら日本はずっと病んでるってことになりますよ」って言って二人で大笑いしてました。でも冷静に考えると、痴漢が電車の中に存在することを誰もが当たり前と思っているんだから病み具合としてみたら結構根深いかもしれません。
・“全裸にリュック”の中学教師…あきれた供述とは?(テレビ朝日)
痴漢ネタで思い出したけど昨日またすごいレベルの変態が現れたこのニュースに注目してました。報道見て知ってる人も多いでしょうが、中学校の教師が全裸にリュックを背負い、スニーカーを履いて悠々と歩いているところ捕まったというニュースですが、捕まった際の言い訳が「酔いを醒ますためだった」と話してて、「全裸で歩けば酔いが覚めるの?っていうかお前いつもそうやって酔い覚ましてるの?」なんて質問が振りたくなってくる香ばしさです。
更にこれ見てまた思い出したことですが、SAMPの草彅強氏が以前にこれまた酔っぱらって全裸で捕まった際、「裸になって何が悪い!」と言い切りましたが、このセリフを聞くたびに、「言われてみると何故人は服を着るのだろうか?」などと妙に哲学的に考え込んでしまいます。こんなこと考える当たり自分も病んでるのかもしれません。
2013年12月25日水曜日
自動販売機の設置台数規制の提案
先日、とあるまとめサイトで見たある記事が妙に印象に残りました。その記事というのも自動販売機を回って飲料を補充する仕事の方が自分の仕事内容を語るもので、率直に言ってそのあまりのハードさにのけぞりました。どれだけハードなのかというと、その話し手によると一人で一日数百台の自動販売機を回って飲料を補充、代金の回収をしなければならず、ただでさえ重たい飲料を補充の際に持ち運ばなければならないことに加え、一人が抱える台数があまりにも多いためにほぼ一日中車を運転するか、補充するかをしなければならないそうです。
また冬場ならともかく夏場のこの作業は特にきついそうで、汗だくになりながら一台一台を回っている状況だとも書かれてありました。そのため話し手自身、この仕事は三十代になったら体力的に決して持たないと考えており、中高年はおろか体力に自信のない人間はやるべきではないとまとめられています。
現在、日本国内に限ると自動販売機は本当にどんなところにも設置してあると言って過言ではありません。都心部に至っては数メートルおきに置かれているような状況で、利用者にとっては確かに便利かもしれませんが、これらをメンテナンスする側に立ってみるとこの台数は空恐ろしく、果たしてこれほどまでに設置する必要はあるのかという疑問を先程の記事を見て湧いてきました。
そんな事を考えていた矢先、こんな事件があったことを知りました。
・キリンビバレッジ自販機配送、最低賃金で2人分働かせる「過労死を生み出す」給与制度(マイニュースジャパン)
あまりいいまとめ方をしている記事ではありませんが、これしかないので我慢します。
この事件は自動販売機関連のビジネスをやっているキリンビバレッジで、呆れるほど過酷な勤務を強いられた挙句に23歳で自殺した男性に対して過労死認定されたというものです。詳しくはリンク先を見てもらいたいのですが、どれだけ作業に時間がかかっても残業代は払わず、この男性は自殺する直前は毎日4時間程度しか睡眠をとっていなかったそうです。
私が見たのは確か今年の秋頃にこの事件の裁判で、改めて男性に過労死認定されたという内容の報道でしたが、なんかさっきからうまいことこの報道記事を見つけられないのでもしかしたら削除されているのかもしれません。もっとも、「キリンビバレッジ」と検索するとすぐ「ブラック」という候補が追加で表示されるので意味ないでしょうが。
話は戻りますが、このように自動販売機の側に立つ労働者の現況は過酷というよりほかがありません。こういってはなんですが、多少の不自由を許容して自動販売機の台数を減らした方が社会全体にとっていいのではないかと思います。そもそも自動販売機は外部に置かれた冷蔵庫(冬は保温庫)と言ってもよく、詳しく調べていませんが消費電力も多いような気がします。それであるならば設置台数を地区や面積ごとに制限をかけ、オークション形式で設置する業者を決めるような方式で規制をかけるべきではないでしょうか。
消費者の生活が便利になる裏ではほぼ確実にサービス提供者の側で負担が増します。社会全体の負担を考え、サービス提供者の負担が過度にならないよう、消費者は多少の不便を許容する必要が出てきたのではないかと思え、その嚆矢として今回自販機の問題を取り上げました。
また冬場ならともかく夏場のこの作業は特にきついそうで、汗だくになりながら一台一台を回っている状況だとも書かれてありました。そのため話し手自身、この仕事は三十代になったら体力的に決して持たないと考えており、中高年はおろか体力に自信のない人間はやるべきではないとまとめられています。
現在、日本国内に限ると自動販売機は本当にどんなところにも設置してあると言って過言ではありません。都心部に至っては数メートルおきに置かれているような状況で、利用者にとっては確かに便利かもしれませんが、これらをメンテナンスする側に立ってみるとこの台数は空恐ろしく、果たしてこれほどまでに設置する必要はあるのかという疑問を先程の記事を見て湧いてきました。
そんな事を考えていた矢先、こんな事件があったことを知りました。
・キリンビバレッジ自販機配送、最低賃金で2人分働かせる「過労死を生み出す」給与制度(マイニュースジャパン)
あまりいいまとめ方をしている記事ではありませんが、これしかないので我慢します。
この事件は自動販売機関連のビジネスをやっているキリンビバレッジで、呆れるほど過酷な勤務を強いられた挙句に23歳で自殺した男性に対して過労死認定されたというものです。詳しくはリンク先を見てもらいたいのですが、どれだけ作業に時間がかかっても残業代は払わず、この男性は自殺する直前は毎日4時間程度しか睡眠をとっていなかったそうです。
私が見たのは確か今年の秋頃にこの事件の裁判で、改めて男性に過労死認定されたという内容の報道でしたが、なんかさっきからうまいことこの報道記事を見つけられないのでもしかしたら削除されているのかもしれません。もっとも、「キリンビバレッジ」と検索するとすぐ「ブラック」という候補が追加で表示されるので意味ないでしょうが。
話は戻りますが、このように自動販売機の側に立つ労働者の現況は過酷というよりほかがありません。こういってはなんですが、多少の不自由を許容して自動販売機の台数を減らした方が社会全体にとっていいのではないかと思います。そもそも自動販売機は外部に置かれた冷蔵庫(冬は保温庫)と言ってもよく、詳しく調べていませんが消費電力も多いような気がします。それであるならば設置台数を地区や面積ごとに制限をかけ、オークション形式で設置する業者を決めるような方式で規制をかけるべきではないでしょうか。
消費者の生活が便利になる裏ではほぼ確実にサービス提供者の側で負担が増します。社会全体の負担を考え、サービス提供者の負担が過度にならないよう、消費者は多少の不便を許容する必要が出てきたのではないかと思え、その嚆矢として今回自販機の問題を取り上げました。
2013年12月23日月曜日
スマイルサーバーに対する不満と不信
きのうちょこっと書きましたが、そろそろ頃合いも頃合いなので私とNTT西日本が運営するレンタルサーバーサービス、スマイルサーバーとの心温まるふれあいについてありのままに書こうかと思います。
実はさっきブログのデザインをいじり、タイトルバナー下にあるタブボタンで新たに「企業居点」というボタンを追加しました。ここを追加すると別サイトへ飛ぶのですが、そのサイトは私がレンタルサーバーを借りて作ったものです。どんなサイトかというと日系企業の海外拠点をまとめているもので、ユーザー層としては海外駐在員向けに作っています。
なんでこんなサイトを作ろうとしたのかというと、単純に自分が「こんなのあったらいいのに」と思ったからで、欲しいものは自ら作るのがマイポリシーなだけに各日系企業のサイトを全部当たってデータをかき集め、慣れないホームページ作りをした上でこうしたサイトに仕立て上げました。中学・高校時代のあだ名が「クーロンズゲート」で本人も一時期風水師になろうと考えた友人は、もはやこのサイトはインフラだとも言ってくれて、私としても決して無価値な情報ではないという確信があります。
それでこのサイトの現況ですが、手元にあるデータは数万件あるものの、今の所アップロード出来ている拠点データ数は3000件弱といったところです。ガチで手作業なため1時間当たり100件くらいしかアップできないため焦らずゆっくりこれから入れてこうと思うのですが、実はこのサイト、11月末時点には5000件くらいデータがありました。それが何で減っているのかというと、まんまデータが吹っ飛んだからです。
私はこのサイトの製作に今年7月から着手しましたが、その際に使用したレンタルサーバー会社というのがスマイルサーバーでした。サーバー費用は独自ドメイン代を含めて月額約3000円と、今どき500円くらいからでも余裕でサーバーは借りられる中で敢えてやや高めのサーバー会社を選びましたが、その理由はさっきの「クーロンズゲート」がサイトの情報量が増えれば増えるほどサーバーの調子が悪くなって表示が遅くなると教えてくれていたからで、多少持ち出しが多くなっても将来性を見越してここに決めたわけです。
ただ使い始めた当初から、使用に当たってやや疑問に感じる点がいくつかありました。私はこのサイトをWordpressというブログソフトを使って作っているのですが、このソフトで自動バックアップを取るためのソフトをインストールしたもののスマイルサーバーが使用しているPHPというプログラムソフトのバージョンが古いため、このバックアップソフトがうまく機能できませんでした。
そして実際の運用でも、最初の方はそれほど問題ありませんでしたが投稿データ数が増えるにつれて表示速度が落ちていき、ちょうど5000件を超えた当たりから極端に遅くなり、私の計測だと1ページ表示するのに約16秒もかかるようになるなど、もはやまともに閲覧することすらできなくなりました。
もっともこの時点ではサーバー側に問題があるのではと疑いつつ、普通こんなに遅くなったら何らかの連絡くらいするだろうと思い、私のサイト構成が悪いのかと思って表示速度を少しでも改善しようといくつか外部のソフトを入れてみました。その中のいくつかで噛み合わせが悪かったのかソフトをあれこれ有効化させたりしている最中、突然サイトにもサイト編集画面にも入れなくなってデータが全部吹っ飛んでしまったわけです。
一瞬呆然としましたが取り直してもう一度一からサイトの立ち上げ準備にかかったわけですが、何故だかデータはすっとんでいるのにサイトの表示速度は遅いままで、さすがにこの辺でおかしいと思いスマイルサーバーに連絡した所、「検索エンジンからのクローラアクセスが大量にあったのでリソース制限(=事実上のアクセス制限)をしていました」ということを初めて明かし、ようやくここに至ってあれこれソフトを入れずにデータすっ飛ばさなくてもよかったんだということに気が付きました。
そもそもデータの質がちょっと歪だったのはまだ認めるものの、当時のアクセス数は一日300人程度だったのに、この量でアクセス制限されるというのもちょっと納得いきません。第一、一般的なサーバーより明らかにスマイルサーバーの価格は割高なんだからこういう事態への対応も期待したっていい気がします。更に言えば、スマイルサーバーは宣伝や広告で「インターネットで商売したい人も大丈夫!」って謳っていますが、ECサイトを作るとなると商品点数は数千点超えることはざらなのに、わずか5000件のデータでサーバー負荷が問題になるなんてとてもじゃないがお話になるとは思えません。
と、こういう一件もあり、アップするデータは数万件もあるのだから今後もスマイルサーバーじゃどっち道駄目だろうという結論に至ったので、「アクセス制限をしていたことを聞かれるまで明かさなかったのは不満でした」と伝えた上で解約を申し出ました。スマイルサーバー側からは、「配慮が足らず申し訳ありませんでした」と伝えられた上で、「契約開始から半年以内の解約となるので、違約金2000円を請求させてもらいます」ときっちり言われてしまいました。まぁ別にいいけどさ……。
そんなこんだで今度はレンタルサーバー大手のさくらサーバーで、月額1000円コースを契約してまた一から作り始め今のところまで持って来れました。データのアップは本当に一からなのでリアルに「倍返しだ!」とか、シャアみたいに「まだだ、まだ終わらんよ(作業が)」と言いつつ作業を進めてきましたが、ひとまずお披露目できる状態には出来たかなと考えてます。つってもまだ先長いが。
結論を述べると、値段の高いサーバーを借りても決してサービスが良くないという教訓を得たわけです。なお今日頻出の「クーロンズゲート」は過去にエックスサーバーを使っていた際、アクセス制限をかけられた時はちゃんとサーバー会社から連絡が来たと言っていました。
実はさっきブログのデザインをいじり、タイトルバナー下にあるタブボタンで新たに「企業居点」というボタンを追加しました。ここを追加すると別サイトへ飛ぶのですが、そのサイトは私がレンタルサーバーを借りて作ったものです。どんなサイトかというと日系企業の海外拠点をまとめているもので、ユーザー層としては海外駐在員向けに作っています。
なんでこんなサイトを作ろうとしたのかというと、単純に自分が「こんなのあったらいいのに」と思ったからで、欲しいものは自ら作るのがマイポリシーなだけに各日系企業のサイトを全部当たってデータをかき集め、慣れないホームページ作りをした上でこうしたサイトに仕立て上げました。中学・高校時代のあだ名が「クーロンズゲート」で本人も一時期風水師になろうと考えた友人は、もはやこのサイトはインフラだとも言ってくれて、私としても決して無価値な情報ではないという確信があります。
それでこのサイトの現況ですが、手元にあるデータは数万件あるものの、今の所アップロード出来ている拠点データ数は3000件弱といったところです。ガチで手作業なため1時間当たり100件くらいしかアップできないため焦らずゆっくりこれから入れてこうと思うのですが、実はこのサイト、11月末時点には5000件くらいデータがありました。それが何で減っているのかというと、まんまデータが吹っ飛んだからです。
私はこのサイトの製作に今年7月から着手しましたが、その際に使用したレンタルサーバー会社というのがスマイルサーバーでした。サーバー費用は独自ドメイン代を含めて月額約3000円と、今どき500円くらいからでも余裕でサーバーは借りられる中で敢えてやや高めのサーバー会社を選びましたが、その理由はさっきの「クーロンズゲート」がサイトの情報量が増えれば増えるほどサーバーの調子が悪くなって表示が遅くなると教えてくれていたからで、多少持ち出しが多くなっても将来性を見越してここに決めたわけです。
ただ使い始めた当初から、使用に当たってやや疑問に感じる点がいくつかありました。私はこのサイトをWordpressというブログソフトを使って作っているのですが、このソフトで自動バックアップを取るためのソフトをインストールしたもののスマイルサーバーが使用しているPHPというプログラムソフトのバージョンが古いため、このバックアップソフトがうまく機能できませんでした。
そして実際の運用でも、最初の方はそれほど問題ありませんでしたが投稿データ数が増えるにつれて表示速度が落ちていき、ちょうど5000件を超えた当たりから極端に遅くなり、私の計測だと1ページ表示するのに約16秒もかかるようになるなど、もはやまともに閲覧することすらできなくなりました。
もっともこの時点ではサーバー側に問題があるのではと疑いつつ、普通こんなに遅くなったら何らかの連絡くらいするだろうと思い、私のサイト構成が悪いのかと思って表示速度を少しでも改善しようといくつか外部のソフトを入れてみました。その中のいくつかで噛み合わせが悪かったのかソフトをあれこれ有効化させたりしている最中、突然サイトにもサイト編集画面にも入れなくなってデータが全部吹っ飛んでしまったわけです。
一瞬呆然としましたが取り直してもう一度一からサイトの立ち上げ準備にかかったわけですが、何故だかデータはすっとんでいるのにサイトの表示速度は遅いままで、さすがにこの辺でおかしいと思いスマイルサーバーに連絡した所、「検索エンジンからのクローラアクセスが大量にあったのでリソース制限(=事実上のアクセス制限)をしていました」ということを初めて明かし、ようやくここに至ってあれこれソフトを入れずにデータすっ飛ばさなくてもよかったんだということに気が付きました。
そもそもデータの質がちょっと歪だったのはまだ認めるものの、当時のアクセス数は一日300人程度だったのに、この量でアクセス制限されるというのもちょっと納得いきません。第一、一般的なサーバーより明らかにスマイルサーバーの価格は割高なんだからこういう事態への対応も期待したっていい気がします。更に言えば、スマイルサーバーは宣伝や広告で「インターネットで商売したい人も大丈夫!」って謳っていますが、ECサイトを作るとなると商品点数は数千点超えることはざらなのに、わずか5000件のデータでサーバー負荷が問題になるなんてとてもじゃないがお話になるとは思えません。
と、こういう一件もあり、アップするデータは数万件もあるのだから今後もスマイルサーバーじゃどっち道駄目だろうという結論に至ったので、「アクセス制限をしていたことを聞かれるまで明かさなかったのは不満でした」と伝えた上で解約を申し出ました。スマイルサーバー側からは、「配慮が足らず申し訳ありませんでした」と伝えられた上で、「契約開始から半年以内の解約となるので、違約金2000円を請求させてもらいます」ときっちり言われてしまいました。まぁ別にいいけどさ……。
そんなこんだで今度はレンタルサーバー大手のさくらサーバーで、月額1000円コースを契約してまた一から作り始め今のところまで持って来れました。データのアップは本当に一からなのでリアルに「倍返しだ!」とか、シャアみたいに「まだだ、まだ終わらんよ(作業が)」と言いつつ作業を進めてきましたが、ひとまずお披露目できる状態には出来たかなと考えてます。つってもまだ先長いが。
結論を述べると、値段の高いサーバーを借りても決してサービスが良くないという教訓を得たわけです。なお今日頻出の「クーロンズゲート」は過去にエックスサーバーを使っていた際、アクセス制限をかけられた時はちゃんとサーバー会社から連絡が来たと言っていました。
2013年12月22日日曜日
部屋とYシャツとHSK試験と私
さて先月、このブログでは9月に書いた「HSK5級、6級の試験対策」という記事がやけに多くのアクセスを稼いでいました。HSK(=漢語水平考試)というのは中国政府が主催する中国語の資格試験なのですが、今月初めの12/1にもこの試験が日本各地で催されたことから私の記事も何かの参考にしようと多くの受験生が見に来てくれたんじゃないかと思います。第一、5級と6級の試験対策について書いているホームページって少ないし。
実はこれまでの人生、歴史科目を除いてテストであまりいいい点数を取ってこなかっただけに、今回こうして曲がりなりにも最上級の語学試験に合格したというのはいい思い出となりました。ただ周りと比べて自分は明らかに語学センスがなく、今回の試験もどちらかといえば試験テクニックを駆使してごまかした感があり、せいぜいこれからの人生はメッキがはげないようにうまくとりつくろわなければという圧迫感も感じます。
ここで少し話を変えますが、9月の試験で6級に無事受かっていたので12月に行われた試験はもちろん受験しなかったのですが、HSK本部からは連日、「試験受けに来ない?」というメールを山のように受け取っていました。
笑い話になるので少しその顛末を書くと、HSKの受験申込期間は受験日のちょうど1ヶ月前なのですが、確か11/1が申込期限だったのでこの日の約一週間くらい前からほぼ毎日、「申込期限まであとわずか!」というメールがまるでスパムメールの様に送られてきました。しかもようやく11/1になりもう来ないだろうと思ったら、
「応募者多数のため申込期限を1日延長して11/2までにしました。まだ申し込んでない人は急げ!」
というメールが届き、まんまスパムメールじゃねぇか、やるな中国などと一人ごちていました。
あとこういった受験者募集メールのほかに、HSK試験の監督官をやらないかというメールも私の所には届いていました。なんでも4級以上の合格者に対して送っているようで、受験会場を増やしているので不足しているからもしよければって具合でこっちも結構な量が送られてきていたわけなのですが、試験管をやるためには一回だけ講習を受けねばならず、しかも講習費はちゃっかり徴収するという仕組みだったので私は無視しました。
HSK本部の名誉のために言っておくと、試験監督官を務めればちゃんと報酬はもらえ、その報酬額は講習費用をちゃんと上回っておりました。
最後にHSK受験者に向けて書くと、私個人としては日本の中国語検定よりもHSK資格の方が実際の能力は測りやすいと考えており、どちらを優先して評価すると言ったら間違いなくHSKです。でもって具体的には4級程度の成績があれば中国で生活するには不自由がなくなり、向こうでの仕事もある程度出来るレベルだと見ているため、中国語学習者はまずは4級取得を一つのベンチマークとして目指すことを強くお勧めします。4級取得に必要な勉強量としては中国留学1年分くらいかなと思うので、多分この記事を読んでくれているであろう留学を予定している友人はぜひ頑張って取得を目指してみてください。
高価格帯商品、サービス不振の原因は
昨日たまたまニュース番組の今年のおさらいみたいなのを見ていた際、私も記事にして随分とアクセス数を稼がせてもらった阪急阪神ホールディングの発表に端を発した食品表示偽装事件が目に入りました。漫画喫茶行って変にテンション上がっていたからかもしれませんが、その映像を見た際にこの表示偽装事件を始めとした諸々の表示違反、過大広告こそがデフレの真の原因じゃないかなということを思いつきました。内容が少し複雑なので、今日は手加減抜きにして書かないとなぁ。
まず私の体験からお話ししますが、つい今月になって自分が持っているのは2013年度の最新版ではなくオールドタイプな2012年度モデルだということに気が付いたNexus7(タブレットPC)ですが、私はこれまでこのNexus7に革製のカバーを付けて使っていました。付けた理由はそんな大したもんじゃないですが裸にしておくよりは持ちやすそうだし、カバンの中に入れるのにもいいかなと考えたからで、長く使うことになりそうだしケチな自分にしては珍しく価格が高いカバーを敢えて選んで購入しました。それが間違いでした。
先日、年度モデルを確認しようとNexus7の型番を見るためかなり久々にこのカバーを外したわけなのですが、その際に裸の状態のNexus7が持ってていやに軽いような感じを覚えました。試しに外したカバーも手に持って比べてみると、明らかにNexus7本体よりもカバーのが重かったわけです。でもってこのカバー、持ちやすくするために買ったのに付けてみても持ちづらく、なおかつ背部に片手で持てるようバンドがついているのですがこのバンドも使い勝手が悪く、装着時の不自然な重さと相まって使い勝手の悪いカバーだったということにようやく気が付いたわけです。
正直な感想を述べるとなんでこんな使い勝手の悪いカバーを今まで使っていたんだと後悔するとともに、敢えて高い価格のカバーを買ったのにほかのカバーよりも質が劣るとはどういうこったとむかっ腹を覚えました。そしてその後に先ほど述べた食品偽装のニュースを見て、「高い価格を払ってもその価格に見合う価値が得られないのでは?むしろ低い価格の商品なりサービスのが高価格の質を上回っていることが多いのでは?」と覚え、もしやこれがデフレの一因ではないかと思いついたわけです。
デフレについての説明は省略しますが、リーマンショック以後、いやそれ以前から続く平成不況の最大の原因はこのデフレと言って過言ではありません。デフレによって何が起こるか端的に述べると価格が全体で下がっていくことにあり、これによって高価格帯の高級商品なりサービスの需要が落ちて現象が見られます。この高価格帯の需要減少が実際に起きているのか一発でわかるのは百貨店業界の不振で、ここを見るだけでどれだけ日本人が高級品や高級サービスを求めなくなったのが誰だってわかるでしょう。
それでここからが話の本題ですが、一体何故日本人は高級品や高級サービスを求めなくなったのでしょうか。平均賃金が落ちてきたとか年金など将来の社会保障への不安などももちろんあるでしょうが、そもそも高価格の商品やサービスが価格に見合うだけの価値を持っていないことに消費者は気付き、これら高価格帯に対して強い不信感を持っているのでは、という仮説が昨日に浮かんできました。
もう一度先程のNexus7用のカバーを例にとると、私はいい品質を求めて敢えて高い価格のカバーを購入しましたが、蓋を開けてみると明らかに二束三文で売っているようなカバーよりも使い勝手が悪かったわけで損した気持ちにさせられたわけです。そして今度は各高級ホテルやレストランで行われていたことが発覚したメニューの表示偽装事件ですが、この事件でも訪れたお客は高いお金を払ってでもおいしい食事を求めたところ、出された料理は表示されたものより明らかにグレードの劣る材料で作られていたわけだったので問題となりました。
このように高い価格を払っても、その価格を上積んだほどの上質な価値が得られないということが実際に起きており、でもって日本の消費者も意識はしていなくてもなんどなく気がついているように見えます。何も食品の表示問題に限らずともその他様々な商品で、実際の性能や品質以上の価値を謳う表示偽装や過剰広告がばれるという事件は近年枚挙に暇がありません。それこそかつて起きた高級料亭の船場吉兆の事件でも、高い値段を取っておきながら食品衛生管理すらまともにできていない調理をしておりましたし、今回の食品表示事件でも高品質なブランドを謳っておきながら平気で消費者をだましていたわけです。
もちろん高い値段は取るけどそれだけの価値をきちんと消費者に与えているところもあるでしょうが、全体としてはやっぱり高価格帯の商品やサービスはその価格の裏付けがあまりなく、安いものとそれほどの差がないという風に消費者はみなしているんじゃないかと思います。要するに、高いものも安いものも中身は一緒なんだったら安いのを買った方がいい、こんな境地に至っているのではないかと推測するわけです。
私自身もそのように感じる機会がこのところ非常に多く、やや値段が高めの飲食店に立ち寄って食事したら、「この値段でこの味?」と感じたり、様々なサポートが必要になるかもしれないと将来性を見越し敢えてサービス料金が高めのサーバー会社と契約したら理解しがたい対応されたり(後日詳しい顛末を書きます)と、高い価格の商品やサービスほどその内容にがっかりさせられることの方が多いです。逆に安い価格の商品やサービスは、「安いんだからぜいたくは言えない」と初めから構えてはいるものの、想定以上に活躍してくれたり使い勝手が良かったりして満足する機会が本当に増えています。
最終的な結論を述べると、高価格帯の商品やサービスに魅力が感じられないどころか高い価格に見合った価値を消費者に提供できていない、または費用対効果でその価値を認めてもらってないというのが今の日本の現状じゃないかと主張したいわけです。だからこそみんなして高価格帯の商品やサービスを避けるようになり、それがデフレを加速させた一つの要因になっているというのが私の仮説となります。
こう主張した上で敢えて苦言を呈すと、誰が悪いかといったら明らかに高価格帯の商品やサービスを取り扱っているのにそれに見合う価値を提供できてない業者の側だと私は思います。少なくとも私の目から見てこの手の業者の多くは高い値段を取るくせに全然消費者を満足させておらず、挙句には表示偽装などずるこいてせせこましく金をとる真似までしており、こうした行為が消費者の高価格帯への不信を煽っているように見えます。
最後に私が今年にお金を払って一番満足したものを挙げると、下にはっつけた広告バナーに表示されている三菱電機製ふとん乾燥機です。以前に、「ふとん乾燥機を持ってない奴は凄い損している」とネットの掲示板に書かれていたので前から興味があって今年十月に買ってみましたが、夜中だろうと布団を外に干したようにポカポカにできるし、寝る前にちょこっと布団を温めたりも出来たりと大活躍中です。独身の人間には強くお勧めします。
まず私の体験からお話ししますが、つい今月になって自分が持っているのは2013年度の最新版ではなくオールドタイプな2012年度モデルだということに気が付いたNexus7(タブレットPC)ですが、私はこれまでこのNexus7に革製のカバーを付けて使っていました。付けた理由はそんな大したもんじゃないですが裸にしておくよりは持ちやすそうだし、カバンの中に入れるのにもいいかなと考えたからで、長く使うことになりそうだしケチな自分にしては珍しく価格が高いカバーを敢えて選んで購入しました。それが間違いでした。
先日、年度モデルを確認しようとNexus7の型番を見るためかなり久々にこのカバーを外したわけなのですが、その際に裸の状態のNexus7が持ってていやに軽いような感じを覚えました。試しに外したカバーも手に持って比べてみると、明らかにNexus7本体よりもカバーのが重かったわけです。でもってこのカバー、持ちやすくするために買ったのに付けてみても持ちづらく、なおかつ背部に片手で持てるようバンドがついているのですがこのバンドも使い勝手が悪く、装着時の不自然な重さと相まって使い勝手の悪いカバーだったということにようやく気が付いたわけです。
正直な感想を述べるとなんでこんな使い勝手の悪いカバーを今まで使っていたんだと後悔するとともに、敢えて高い価格のカバーを買ったのにほかのカバーよりも質が劣るとはどういうこったとむかっ腹を覚えました。そしてその後に先ほど述べた食品偽装のニュースを見て、「高い価格を払ってもその価格に見合う価値が得られないのでは?むしろ低い価格の商品なりサービスのが高価格の質を上回っていることが多いのでは?」と覚え、もしやこれがデフレの一因ではないかと思いついたわけです。
デフレについての説明は省略しますが、リーマンショック以後、いやそれ以前から続く平成不況の最大の原因はこのデフレと言って過言ではありません。デフレによって何が起こるか端的に述べると価格が全体で下がっていくことにあり、これによって高価格帯の高級商品なりサービスの需要が落ちて現象が見られます。この高価格帯の需要減少が実際に起きているのか一発でわかるのは百貨店業界の不振で、ここを見るだけでどれだけ日本人が高級品や高級サービスを求めなくなったのが誰だってわかるでしょう。
それでここからが話の本題ですが、一体何故日本人は高級品や高級サービスを求めなくなったのでしょうか。平均賃金が落ちてきたとか年金など将来の社会保障への不安などももちろんあるでしょうが、そもそも高価格の商品やサービスが価格に見合うだけの価値を持っていないことに消費者は気付き、これら高価格帯に対して強い不信感を持っているのでは、という仮説が昨日に浮かんできました。
もう一度先程のNexus7用のカバーを例にとると、私はいい品質を求めて敢えて高い価格のカバーを購入しましたが、蓋を開けてみると明らかに二束三文で売っているようなカバーよりも使い勝手が悪かったわけで損した気持ちにさせられたわけです。そして今度は各高級ホテルやレストランで行われていたことが発覚したメニューの表示偽装事件ですが、この事件でも訪れたお客は高いお金を払ってでもおいしい食事を求めたところ、出された料理は表示されたものより明らかにグレードの劣る材料で作られていたわけだったので問題となりました。
このように高い価格を払っても、その価格を上積んだほどの上質な価値が得られないということが実際に起きており、でもって日本の消費者も意識はしていなくてもなんどなく気がついているように見えます。何も食品の表示問題に限らずともその他様々な商品で、実際の性能や品質以上の価値を謳う表示偽装や過剰広告がばれるという事件は近年枚挙に暇がありません。それこそかつて起きた高級料亭の船場吉兆の事件でも、高い値段を取っておきながら食品衛生管理すらまともにできていない調理をしておりましたし、今回の食品表示事件でも高品質なブランドを謳っておきながら平気で消費者をだましていたわけです。
もちろん高い値段は取るけどそれだけの価値をきちんと消費者に与えているところもあるでしょうが、全体としてはやっぱり高価格帯の商品やサービスはその価格の裏付けがあまりなく、安いものとそれほどの差がないという風に消費者はみなしているんじゃないかと思います。要するに、高いものも安いものも中身は一緒なんだったら安いのを買った方がいい、こんな境地に至っているのではないかと推測するわけです。
私自身もそのように感じる機会がこのところ非常に多く、やや値段が高めの飲食店に立ち寄って食事したら、「この値段でこの味?」と感じたり、様々なサポートが必要になるかもしれないと将来性を見越し敢えてサービス料金が高めのサーバー会社と契約したら理解しがたい対応されたり(後日詳しい顛末を書きます)と、高い価格の商品やサービスほどその内容にがっかりさせられることの方が多いです。逆に安い価格の商品やサービスは、「安いんだからぜいたくは言えない」と初めから構えてはいるものの、想定以上に活躍してくれたり使い勝手が良かったりして満足する機会が本当に増えています。
最終的な結論を述べると、高価格帯の商品やサービスに魅力が感じられないどころか高い価格に見合った価値を消費者に提供できていない、または費用対効果でその価値を認めてもらってないというのが今の日本の現状じゃないかと主張したいわけです。だからこそみんなして高価格帯の商品やサービスを避けるようになり、それがデフレを加速させた一つの要因になっているというのが私の仮説となります。
こう主張した上で敢えて苦言を呈すと、誰が悪いかといったら明らかに高価格帯の商品やサービスを取り扱っているのにそれに見合う価値を提供できてない業者の側だと私は思います。少なくとも私の目から見てこの手の業者の多くは高い値段を取るくせに全然消費者を満足させておらず、挙句には表示偽装などずるこいてせせこましく金をとる真似までしており、こうした行為が消費者の高価格帯への不信を煽っているように見えます。
最後に私が今年にお金を払って一番満足したものを挙げると、下にはっつけた広告バナーに表示されている三菱電機製ふとん乾燥機です。以前に、「ふとん乾燥機を持ってない奴は凄い損している」とネットの掲示板に書かれていたので前から興味があって今年十月に買ってみましたが、夜中だろうと布団を外に干したようにポカポカにできるし、寝る前にちょこっと布団を温めたりも出来たりと大活躍中です。独身の人間には強くお勧めします。
2013年12月21日土曜日
来年度の景気予測について
今年九月に買った低反発枕が三ヶ月の使用によってかなりへっこんできたので、今日また創業50年くらいの雰囲気を感じる地味な寝具店に行ってきて新たな普通の枕を買ってきました。買ってる最中にふと思いましたが、低反発枕があるのなら高反発枕もあってもいいような、売るとしたら商品名は「反逆児」にして、その横の低反発枕は「優等生」って名前がベターかもと思い浮かべましたが、こういうこと考える当たり自分は骨の髄まで体制に反発する側なんだろうとつくづく思います。士郎正宗より大友克洋みたいな。
話は本題に入りますがこのところ経済ネタを書いていないので、元経済紙記者だったんだしちょこっと来年の景気予測について書こうかと思います。結論から述べると第1四半期は○、第2四半期は×、第3四半期以降は不明瞭というか予想すること自体が馬鹿馬鹿しいと言ったところです。
まず来年の日本景気の最大のビッグイベントは言うまでもなく四月からの消費税増税です。現時点でもそうですが増税前の駆け込み需要として自動車だったり家等を買う動きが広がっていますが、これは企業間でも同じで増税前に必要な部材や設備などをあちこちで購入しており、以前に聞いた話だと設備メーカーでは受注に納入がおっつかない状態に陥っているそうです。なもんだから、今年の第4四半期はほとんどの企業で売り上げが伸びている状態にあるように見えます。
ただこうした動きは利益の先食いと言ってもよく、本来ならば来年四月以降に購入するものを先に買っているため、四月以降はこれらへの消費が先細る傾向がある、というか先細るしかないと断言してもいいです。この利益の先食いは来年第1四半期である1~3月までは続くと見込まれることから、この期間までは各企業で売上げは伸び続けるでしょうが、増税後の4月以降は増税分のコストアップと相まって一気に買い控えが進むと見られます。
この買い控えの期間は短く見積もっても8月くらいまで続くと私は見込んでいますが、長ければもっとずっと延々と続くことでしょう。ここまでの話だったら誰でもできるわけなので自分なりのアレンジを加えると、買い控えが終わる時期については日本経済や各企業の努力以上に政治的な対応が重要な要素となると思います。その政治的な対応というのも、言ってしまえば安倍政権の景気対策です。
現時点で来年度の景気対策として相当額の金をばらまくことが与党内で決まっておりますが、それらがどのように作用して効果があるのか、これについては実際にばらまかれてみないとわかりません。また同時に安倍首相のアベノミクス、この政策の成長戦略がどれだけ具体的で効果的で価値があるのかと市場に判断されるか、文字通り安倍首相のリーダーシップが試されます。
少なくとも今年夏に発表した「第三の矢」の内容は現時点で恐らくほとんどの人が覚えていないほど価値がなくくだらないものだったと私は考えているので、ちゃんとした内容を改めて検討して作っとかないと「経済無能」の烙印を安倍首相は押されかねなません。逆に消費税後対策がしっかりと行われ、買い控え時期を短く、具体的には年内までにまた景気を持ち上げられたら立派なものでしょう。この景気の再浮上時期は定義にもよりますが現時点で予想するにはあまりにも不確定材料が多いため、早くても9月以降としか言えません。むしろ具体的に予想しようというのはあてずっぽうなことを言う事と同義なため、予想すること自体が間違っていると思うわけです。
と、結構後ろ向きな意見ばかり書いてきましたが、現時点でも今後、かなり期待できる業種が実は一つだけあります。遠慮なく明かしてしまうとそれは軍需産業系です。
こちらもまた来年度予算案の話ですが、どうやら自衛隊関連の防衛費用などを増額する方向で話がついているそうです。これだけでも十分材料となりますがそれ以上に先日、日本が英国と武器開発を共同で行うことで向こうと話がついており、こうした流れから日本国内の軍需産業に関わる企業などは株価上昇が期待出来るんじゃないかなと今朝友人と意見が一致しました。
では具体的にどんな会社が上がりそうなのか。友人に軍需系でなんか知ってるかと聞いたら、「三菱重工じゃね?」と返ってきました。それに対して私は、「三菱重工が筆頭なのは間違いないが、もう一つ上げるとしたらミネビアじゃね?」と返しました。正直に述べると軍需系についてはそんな詳しくないので適当に名前あげただけですので、信じる信じないは自己判断で宜しくお願いします。
おまけ
その友人と話をしている最中に向こうから、
友人「最近、『電波の城』って漫画を読んでるんだけど」
花園「レムリア教だろ?」
とすかさず反応して見せました。自分はこの漫画を採っとりにいる後輩に勧められてから読み始めましたが、友人も同じ趣味してたんだなとちょっと感じました。
話は本題に入りますがこのところ経済ネタを書いていないので、元経済紙記者だったんだしちょこっと来年の景気予測について書こうかと思います。結論から述べると第1四半期は○、第2四半期は×、第3四半期以降は不明瞭というか予想すること自体が馬鹿馬鹿しいと言ったところです。
まず来年の日本景気の最大のビッグイベントは言うまでもなく四月からの消費税増税です。現時点でもそうですが増税前の駆け込み需要として自動車だったり家等を買う動きが広がっていますが、これは企業間でも同じで増税前に必要な部材や設備などをあちこちで購入しており、以前に聞いた話だと設備メーカーでは受注に納入がおっつかない状態に陥っているそうです。なもんだから、今年の第4四半期はほとんどの企業で売り上げが伸びている状態にあるように見えます。
ただこうした動きは利益の先食いと言ってもよく、本来ならば来年四月以降に購入するものを先に買っているため、四月以降はこれらへの消費が先細る傾向がある、というか先細るしかないと断言してもいいです。この利益の先食いは来年第1四半期である1~3月までは続くと見込まれることから、この期間までは各企業で売上げは伸び続けるでしょうが、増税後の4月以降は増税分のコストアップと相まって一気に買い控えが進むと見られます。
この買い控えの期間は短く見積もっても8月くらいまで続くと私は見込んでいますが、長ければもっとずっと延々と続くことでしょう。ここまでの話だったら誰でもできるわけなので自分なりのアレンジを加えると、買い控えが終わる時期については日本経済や各企業の努力以上に政治的な対応が重要な要素となると思います。その政治的な対応というのも、言ってしまえば安倍政権の景気対策です。
現時点で来年度の景気対策として相当額の金をばらまくことが与党内で決まっておりますが、それらがどのように作用して効果があるのか、これについては実際にばらまかれてみないとわかりません。また同時に安倍首相のアベノミクス、この政策の成長戦略がどれだけ具体的で効果的で価値があるのかと市場に判断されるか、文字通り安倍首相のリーダーシップが試されます。
少なくとも今年夏に発表した「第三の矢」の内容は現時点で恐らくほとんどの人が覚えていないほど価値がなくくだらないものだったと私は考えているので、ちゃんとした内容を改めて検討して作っとかないと「経済無能」の烙印を安倍首相は押されかねなません。逆に消費税後対策がしっかりと行われ、買い控え時期を短く、具体的には年内までにまた景気を持ち上げられたら立派なものでしょう。この景気の再浮上時期は定義にもよりますが現時点で予想するにはあまりにも不確定材料が多いため、早くても9月以降としか言えません。むしろ具体的に予想しようというのはあてずっぽうなことを言う事と同義なため、予想すること自体が間違っていると思うわけです。
と、結構後ろ向きな意見ばかり書いてきましたが、現時点でも今後、かなり期待できる業種が実は一つだけあります。遠慮なく明かしてしまうとそれは軍需産業系です。
こちらもまた来年度予算案の話ですが、どうやら自衛隊関連の防衛費用などを増額する方向で話がついているそうです。これだけでも十分材料となりますがそれ以上に先日、日本が英国と武器開発を共同で行うことで向こうと話がついており、こうした流れから日本国内の軍需産業に関わる企業などは株価上昇が期待出来るんじゃないかなと今朝友人と意見が一致しました。
では具体的にどんな会社が上がりそうなのか。友人に軍需系でなんか知ってるかと聞いたら、「三菱重工じゃね?」と返ってきました。それに対して私は、「三菱重工が筆頭なのは間違いないが、もう一つ上げるとしたらミネビアじゃね?」と返しました。正直に述べると軍需系についてはそんな詳しくないので適当に名前あげただけですので、信じる信じないは自己判断で宜しくお願いします。
おまけ
その友人と話をしている最中に向こうから、
友人「最近、『電波の城』って漫画を読んでるんだけど」
花園「レムリア教だろ?」
とすかさず反応して見せました。自分はこの漫画を採っとりにいる後輩に勧められてから読み始めましたが、友人も同じ趣味してたんだなとちょっと感じました。
2013年12月19日木曜日
バランスのとれたメディアは何故存在しないのか
昨日あんな記事を書いてたら今日になって猪瀬知事が辞めちゃいました。まぁ遅かれ早かれって感じだったし、石原慎太郎議員に言われて辞めたってことだから「俺の所に捜査が来る前に早く辞めろ」とでも脅されたんじゃないかな。それにしてもこれほどまでに天国から地獄へ一気に駆け下りた人は久々に見た感じがします。
そうした雑感は置いといて本題に入りますが、よくネット上では朝日新聞やフジテレビが偏向報道をしているなどとやり玉にあがることが多いです。その通りなんだけどね。
私個人の資質を考慮したとしてもこの二メディア、ひいてはほかの大手新聞やテレビ局も公正中立な報道といいながら多かれ少なかれ偏向というか偏った立場をとります。特にテレビ局では「ほこ×たて」などのようなやらせ番組がばれた時、大手新聞ではこの前の特定秘密保護法案の時など政治が絡んでくると猛烈に一方向からの意見しか取り上げなくなってきます。
なお特定秘密保護法案の時に私はこのブログで、この法案を批判している民主党は政権与党時に漁船衝突事件が起こり、明確な法的根拠がないにもかかわらず海上保安庁のビデオを非公開にした挙句にそれを暴露した海上保安庁職員を処罰した事実があり、こうした事実をなかったことの様にして安倍政権を批判するのはフェアじゃないと書きました。その上でどうしてメディアはこういった報道をしないのかといいましたが、それからすぐ後に産経新聞がまさに同じような内容で報じたのですが、だからと言って産経新聞が中立なメディア化というとちょっと悩んでしまうわけです。
ちょっと脱線しましたが偏向報道が起こる度に、「どうしてバランスのとれたメディアは日本に存在しないのだろうか」といった声がちらほら聞こえてきます。何故報道姿勢にバランスのとれたメディアがいなくなったのかその理由を率直に答えると、単純に市場に淘汰されたから、されるからだと思えます。
一つ上の文章で妙な言い回しをしましたがなんでこんな言い方をしたのかというと、もしかしたら本当に賛成意見、反対意見をきちんと載せ合うバランスのとれたメディアが日本に存在していたのかもしれないと思ったからこう書きました。存在していたのかもということは現在はいなくなってるということになるわけですが、今日の結論を先に述べるとそういうバランス感覚に優れたメディアだと恐らく売れず、商売が成り立たなくなるのではないかと考えるからです。
たとえば先ほどの個人情報保護法案を例にとってみると賛成意見、反対意見をそれぞれ隔てなく毎日報じるとします。見る人によっては評価するかもしれませんが私の印象だと、恐らく圧倒的大多数からはどっちつかずのように思え、この法案は正しいのか悪いのかどっちなんだという具合でつまらなく感じると思います。さらに初めから賛成派であったり反対派の考えを持ってたりすると読んでて確実に満足感が得られず、それどころか怒りすら覚えるかもしれません。
事件報道においてはもっと顕著で、淡々とした文書で芸能人の不倫騒動を報じるとします。それこそ誰それが不倫の現場を押さえられ、相手はこういう人間だと事実だけ書いた文章だとそっけなく感じますが、週刊誌の様に面白おかしく大げさに、「○○はかねてから複数の異性と交遊しているという噂が出るなど……」という風に煽った方が読者も支持するでしょう。
このような具合で中立的なメディアというものは購入してまで読んでくれるような支持層を作り辛く、なおかつよっぽどいい記事でも書かない限りは読者も面白味を感じ辛い文書校正となりやすいように思えます。そのため、仮にそういうメディアが出来たとしても支持層が出来ないために売上げが伸びず、自然と市場から撤退するため中立的なメディアは存在しなくなるのではというわけです。
これは逆を言えば、偏った報道をする方が売上げ的にはいいということにもつながります。政治の暴走を抑えるのはジャーナリズムだなどときれいごとだけならいくらでも言えますが、お金が回らなければジャーナリズムもへったくれもありません。
しかしここで敢えて苦言を呈すと、そうした偏向するメディアを支持し、中立的なメディアを支えないのはほかならぬその社会の市民です。言うなれば中立的なメディアが生まれないのはその社会の構成員にも責任があります。
一つ昔話をすると、よくネット上で「戦時中は国民を戦争に煽っていた」と批判される朝日新聞ですが、確か満州事変が起きた直後に軍部の暴走が過ぎるという方針の記事を掲載したそうです。すると記事が出るや途端に朝日新聞の不買運動が起こり、関西地区では部数がそれ以前と比べ二割まで、要するに八割も減少する事態に見舞われ、これじゃアカンとばかりに記事方針を一転させてイケイケどんどんな記事を載せていくことにしたそうです。
この事実について立花隆氏は、「あの戦争は国やマスコミが勝手に始めた物ではなく、国民そのものもかなりの部分で賛同していた」と書いてありますが、私もその通りだと思います。もし仮にこういう不買運動が無かったら、と思うのは私だけでしょうか。
おまけ
朝日新聞は戦時中の煽り報道を反省して今ある報道姿勢に落ち着いたと自分で言っていますが、以前は政府を極端に支持し、現在は政府を極端に批判するようになりました。しかし極端から極端に走るのは過ぎたるは猶及ばざるが如しなんじゃないかなぁと思うと同時に、結局極端に走った奴が勢力拡大できるんだなとこの記事のテーマをしみじみと感じる次第です。
そうした雑感は置いといて本題に入りますが、よくネット上では朝日新聞やフジテレビが偏向報道をしているなどとやり玉にあがることが多いです。その通りなんだけどね。
私個人の資質を考慮したとしてもこの二メディア、ひいてはほかの大手新聞やテレビ局も公正中立な報道といいながら多かれ少なかれ偏向というか偏った立場をとります。特にテレビ局では「ほこ×たて」などのようなやらせ番組がばれた時、大手新聞ではこの前の特定秘密保護法案の時など政治が絡んでくると猛烈に一方向からの意見しか取り上げなくなってきます。
なお特定秘密保護法案の時に私はこのブログで、この法案を批判している民主党は政権与党時に漁船衝突事件が起こり、明確な法的根拠がないにもかかわらず海上保安庁のビデオを非公開にした挙句にそれを暴露した海上保安庁職員を処罰した事実があり、こうした事実をなかったことの様にして安倍政権を批判するのはフェアじゃないと書きました。その上でどうしてメディアはこういった報道をしないのかといいましたが、それからすぐ後に産経新聞がまさに同じような内容で報じたのですが、だからと言って産経新聞が中立なメディア化というとちょっと悩んでしまうわけです。
ちょっと脱線しましたが偏向報道が起こる度に、「どうしてバランスのとれたメディアは日本に存在しないのだろうか」といった声がちらほら聞こえてきます。何故報道姿勢にバランスのとれたメディアがいなくなったのかその理由を率直に答えると、単純に市場に淘汰されたから、されるからだと思えます。
一つ上の文章で妙な言い回しをしましたがなんでこんな言い方をしたのかというと、もしかしたら本当に賛成意見、反対意見をきちんと載せ合うバランスのとれたメディアが日本に存在していたのかもしれないと思ったからこう書きました。存在していたのかもということは現在はいなくなってるということになるわけですが、今日の結論を先に述べるとそういうバランス感覚に優れたメディアだと恐らく売れず、商売が成り立たなくなるのではないかと考えるからです。
たとえば先ほどの個人情報保護法案を例にとってみると賛成意見、反対意見をそれぞれ隔てなく毎日報じるとします。見る人によっては評価するかもしれませんが私の印象だと、恐らく圧倒的大多数からはどっちつかずのように思え、この法案は正しいのか悪いのかどっちなんだという具合でつまらなく感じると思います。さらに初めから賛成派であったり反対派の考えを持ってたりすると読んでて確実に満足感が得られず、それどころか怒りすら覚えるかもしれません。
事件報道においてはもっと顕著で、淡々とした文書で芸能人の不倫騒動を報じるとします。それこそ誰それが不倫の現場を押さえられ、相手はこういう人間だと事実だけ書いた文章だとそっけなく感じますが、週刊誌の様に面白おかしく大げさに、「○○はかねてから複数の異性と交遊しているという噂が出るなど……」という風に煽った方が読者も支持するでしょう。
このような具合で中立的なメディアというものは購入してまで読んでくれるような支持層を作り辛く、なおかつよっぽどいい記事でも書かない限りは読者も面白味を感じ辛い文書校正となりやすいように思えます。そのため、仮にそういうメディアが出来たとしても支持層が出来ないために売上げが伸びず、自然と市場から撤退するため中立的なメディアは存在しなくなるのではというわけです。
これは逆を言えば、偏った報道をする方が売上げ的にはいいということにもつながります。政治の暴走を抑えるのはジャーナリズムだなどときれいごとだけならいくらでも言えますが、お金が回らなければジャーナリズムもへったくれもありません。
しかしここで敢えて苦言を呈すと、そうした偏向するメディアを支持し、中立的なメディアを支えないのはほかならぬその社会の市民です。言うなれば中立的なメディアが生まれないのはその社会の構成員にも責任があります。
一つ昔話をすると、よくネット上で「戦時中は国民を戦争に煽っていた」と批判される朝日新聞ですが、確か満州事変が起きた直後に軍部の暴走が過ぎるという方針の記事を掲載したそうです。すると記事が出るや途端に朝日新聞の不買運動が起こり、関西地区では部数がそれ以前と比べ二割まで、要するに八割も減少する事態に見舞われ、これじゃアカンとばかりに記事方針を一転させてイケイケどんどんな記事を載せていくことにしたそうです。
この事実について立花隆氏は、「あの戦争は国やマスコミが勝手に始めた物ではなく、国民そのものもかなりの部分で賛同していた」と書いてありますが、私もその通りだと思います。もし仮にこういう不買運動が無かったら、と思うのは私だけでしょうか。
おまけ
朝日新聞は戦時中の煽り報道を反省して今ある報道姿勢に落ち着いたと自分で言っていますが、以前は政府を極端に支持し、現在は政府を極端に批判するようになりました。しかし極端から極端に走るのは過ぎたるは猶及ばざるが如しなんじゃないかなぁと思うと同時に、結局極端に走った奴が勢力拡大できるんだなとこの記事のテーマをしみじみと感じる次第です。
2013年12月18日水曜日
猪瀬知事はいつ辞めるの?今でしょ
まるで特定秘密保護法案なんて存在していなかったのかのように、今年年末の政治ニュースは猪瀬知事の話題で持ちきりです。既に一回記事にしていますがこれほどまで後からどんどんとボロが出る、しかもそのボロを弁解しようとすればするほどさらなるぼろが出てくるという具合でかつてのムネオハウスを彷彿とさせられます。ってかムネオハウスも古いな。
ネット上でも既に話題になっていますが、一昨日も受け取った五千万円を入れたカバンというものをわざわざ持ってきたところ、五千万円に見立てた模型が入らないという今時のお笑い芸人もやらないような一発ネタをかます始末です。ここまで来るとわざとやっているのかという気すらしてきます。
と、こういう三文記事的な批判だけなら誰でもできるのでちょっと真面目な話に移りますが、私個人としては猪瀬知事には出来る限り早く、年内にでも都知事職を辞任してもらいたいと考えております。理由は単純に招致が決定した2020年の東京五輪に影響が出るからです。既に国の方では委員の選定過程で猪瀬都知事を除外する方向で準備を進めていますが、開催都市の知事ともなれば重要なキーマンなだけに積極的な役割が求められます。もう今の猪瀬知事では五輪どころかまともな政治活動も出来ないのは明白なだけに、さっさとやめて次の人にバトンを映すべきだというのが私の意見です。
ここで少し話を変えますがネットでの情報によるとなんでも今回の事件が発覚する前に、青山繁晴氏が「ある都道府県知事が徳田一族から五千万円を受け取っていた」とテレビ番組で指摘していたそうです。しかもその同じ番組内で、「その知事の前任者は数億円をもらっていた」とも話しており、そんなの石原慎太郎議員しかいないじゃんと今の段階なら誰もが思う事でしょう。
まだ何の報道も出ていないし噂だけであれこれ言うのもどうかと思いますが、素直な心境を述べるとこの青山氏の情報には私は真実味を感じます。一つの理由として、徳田虎雄元議員と石原議員は以前から仲が良いと聞いており、なおかつ今まで徳田一族と何の接点も持たなかった猪瀬議員が何故五千万円を受領したのかというと石原氏の後継として都知事に就任したからという理由以外にはあまり考えられないからです。
仮にこれが事実だとしたら、徳田一族はどれだけ金権政治をやっていたのかと呆れる限りです。なおうちの親父によるとこの前捕まった徳田一族の金庫番である能宗氏は周囲に公然と金をばらまいていることを口にしていたそうですし、鹿児島県の選挙では利権が絡みこういう手法が以前から行われていたとのことです。
こっからが私の真骨頂ですが、実は今回の徳田一族に関わる事件を見て真っ先に思い出したのが2003年に鹿児島県で起きた志布志事件です。私も以前に取り上げていますが、この事件は選挙違反をしたとして、鹿児島県警が当選した県議会議員を冤罪で逮捕した事件です。しかも逮捕者は議員本人にとどまらず、その支持者や家族など桁違いに多い人間を検挙するという一つの冤罪事件としては近年で最大規模の範囲を誇る事件です。
事件の捜査自体が一体何の目的で行われたのかいまだにはっきりしない点がありますが、この事件の容疑は冤罪をかけられた議員が不法に金をばらまいて投票を求めたということにあり、何故この人が逮捕された一方で徳田一族は逮捕されなかったのか、むしろ警察を動かしたのは誰なのかが気になります。
このように考えると鹿児島県の選挙事情は伏魔殿に近いものがあるような気がします。出身県を悪く言うのはやや気が引けますが、この際だからすべての膿を出すような捜査を検察に期待したいです。
ネット上でも既に話題になっていますが、一昨日も受け取った五千万円を入れたカバンというものをわざわざ持ってきたところ、五千万円に見立てた模型が入らないという今時のお笑い芸人もやらないような一発ネタをかます始末です。ここまで来るとわざとやっているのかという気すらしてきます。
と、こういう三文記事的な批判だけなら誰でもできるのでちょっと真面目な話に移りますが、私個人としては猪瀬知事には出来る限り早く、年内にでも都知事職を辞任してもらいたいと考えております。理由は単純に招致が決定した2020年の東京五輪に影響が出るからです。既に国の方では委員の選定過程で猪瀬都知事を除外する方向で準備を進めていますが、開催都市の知事ともなれば重要なキーマンなだけに積極的な役割が求められます。もう今の猪瀬知事では五輪どころかまともな政治活動も出来ないのは明白なだけに、さっさとやめて次の人にバトンを映すべきだというのが私の意見です。
ここで少し話を変えますがネットでの情報によるとなんでも今回の事件が発覚する前に、青山繁晴氏が「ある都道府県知事が徳田一族から五千万円を受け取っていた」とテレビ番組で指摘していたそうです。しかもその同じ番組内で、「その知事の前任者は数億円をもらっていた」とも話しており、そんなの石原慎太郎議員しかいないじゃんと今の段階なら誰もが思う事でしょう。
まだ何の報道も出ていないし噂だけであれこれ言うのもどうかと思いますが、素直な心境を述べるとこの青山氏の情報には私は真実味を感じます。一つの理由として、徳田虎雄元議員と石原議員は以前から仲が良いと聞いており、なおかつ今まで徳田一族と何の接点も持たなかった猪瀬議員が何故五千万円を受領したのかというと石原氏の後継として都知事に就任したからという理由以外にはあまり考えられないからです。
仮にこれが事実だとしたら、徳田一族はどれだけ金権政治をやっていたのかと呆れる限りです。なおうちの親父によるとこの前捕まった徳田一族の金庫番である能宗氏は周囲に公然と金をばらまいていることを口にしていたそうですし、鹿児島県の選挙では利権が絡みこういう手法が以前から行われていたとのことです。
こっからが私の真骨頂ですが、実は今回の徳田一族に関わる事件を見て真っ先に思い出したのが2003年に鹿児島県で起きた志布志事件です。私も以前に取り上げていますが、この事件は選挙違反をしたとして、鹿児島県警が当選した県議会議員を冤罪で逮捕した事件です。しかも逮捕者は議員本人にとどまらず、その支持者や家族など桁違いに多い人間を検挙するという一つの冤罪事件としては近年で最大規模の範囲を誇る事件です。
事件の捜査自体が一体何の目的で行われたのかいまだにはっきりしない点がありますが、この事件の容疑は冤罪をかけられた議員が不法に金をばらまいて投票を求めたということにあり、何故この人が逮捕された一方で徳田一族は逮捕されなかったのか、むしろ警察を動かしたのは誰なのかが気になります。
このように考えると鹿児島県の選挙事情は伏魔殿に近いものがあるような気がします。出身県を悪く言うのはやや気が引けますが、この際だからすべての膿を出すような捜査を検察に期待したいです。
2013年12月16日月曜日
中国のネットショッピングにおけるマーケティング
本題と関係ありませんが、先ほどまた嘘がばれた猪瀬都知事に関するニュースを見ている際にふと、「猪瀬・ボンバイエ2013」という単語が思い浮かびました。いい加減、つかれているのかもしれません。
話は本題に入りますが、やや時期を逸したものの一読に足る価値があると思うので中国におけるネットショッピングの現状として、この業界で行われているマーケティングについて一つ紹介します。
早速ですが「双十一」、「双十二」という単語をご存知でしょうか。恐らく中国で生活したことがある人なら知ってるんじゃないかと思いますがこれは日付を表しており、前者は11/11、後者は12/12を意味しております。この日付は見ればわかりますが月と日が二桁のゾロ目となっているのですが、何故かこのゾロ目日がここ数年、中国ではネットショッピングをする日という風に認知されてきております。
こうした習慣の始まりは確か11/11が1という単独の数字が四連続で続く日であるため、「独身者のための日」みたいに言われたことがキッカkでだったと思います。単独の数字をすぐ独身と言い換えるのはややせっかちな気もしますが、こうした認識に乗っかる具合で「独身の宅男(オタク)がネットショッピングに興じて寂しさを紛らわす日」という風説を主に中国のAmazonこと「アリババ」が言い始めると同時に毎年この日に大々的なキャンペーン、具体的には1日限定で大幅な値引きセールを実施するようになってきました。
こうしたアリババの動きにほかのネットショッピング(EC)サイトも追従するようになり、中国のEC業界ではこの日はさながら互いの維持とメンツをかけた決選日の様相を見せるようになってきております。私が上海で色んな意味で大活躍していた去年の11/11も大いに賑わい、この大体一週間前くらいから各社がどれくらいの販促費用を出して値引きをするのかとかが報じられていました。
そして時は移って今年の11/11ですが、私がさらっと見たニュースによるとやっぱりというか規模は拡大の一途を辿っており、1日当たりのネットショッピング取引額で過去最高を記録したそうです。ついでに書くと王者は依然とアリババだったそうですが。
でもって12/12。この日は11/11の約一ヶ月後であって12のゾロ目ということから副次的に「値とショッピングでキャンペーンが貼られる日」と認識されました。ただ規模は11/11と比べると随分と小さく、先日も私が読んだニュースだと「各社ともにおまけのキャンペーン日という認識でそれほど力を入れていない」と書かれ、売り上げも11/11の様に極端に大きくなったわけでは無かったそうです。
言ってしまえばこういった「中国版ネットショッピングの日」というのは日本で言うと「バレンタインデー」みたいな、商業関係者がマーケティングによって作った記念日と言っていいでしょう。私が何故このようなことを今日書こうかと思ったかというと、日本では近年こうしたマーケティングが少なくなってきていると思うと同時に、なんていうかせこいセールをやる所が多いと感じる気がするからです。
具体的に名前を挙げちゃうとイトーヨーカドーで、プロ野球で千葉ロッテがプレーオフ出場を決めると千葉県内の店舗では販売セールが行われました。それから数日後、巨人がプレーオフ通過を決めて日本シリーズ出場を決めると今度は「巨人おめでとうセール」をやっていました。お前はどっちの味方だよとちょっと言いたくなりますし、そもそもどっちの球団ともイトーヨーカドーは関係ないだろと思います。仮にイオンだったら本社が千葉市だから千葉ロッテのセールをするのはおかしくないけど。
イトーヨーカドーに限らずこの手の便乗セールは非常に多いです。あともう一点書くと、ネットショッピングでのこういう大々的なセール日っていうのをまだ日本じゃ見ない気がします。この前日本シリーズで楽天が優勝した際は親会社の楽天が優勝セールをしましたが、なんかこれも自分が見ていて盛り上がりに欠けた気がするし、楽天も楽天で値引き前価格を大幅に引き上げてたりして味噌付けたしで、いまいちな感じがしてきます。
私はネットショッピングは今後も拡大を続けると見ていますが、それにしても中国みたいなマーケティングがまだ見られないのはちょっと不安になってくるだけに、もうちょっとこういう大々的なセールの様な努力を見せてもらいたいと思い、今日筆をとった次第です。
話は本題に入りますが、やや時期を逸したものの一読に足る価値があると思うので中国におけるネットショッピングの現状として、この業界で行われているマーケティングについて一つ紹介します。
早速ですが「双十一」、「双十二」という単語をご存知でしょうか。恐らく中国で生活したことがある人なら知ってるんじゃないかと思いますがこれは日付を表しており、前者は11/11、後者は12/12を意味しております。この日付は見ればわかりますが月と日が二桁のゾロ目となっているのですが、何故かこのゾロ目日がここ数年、中国ではネットショッピングをする日という風に認知されてきております。
こうした習慣の始まりは確か11/11が1という単独の数字が四連続で続く日であるため、「独身者のための日」みたいに言われたことがキッカkでだったと思います。単独の数字をすぐ独身と言い換えるのはややせっかちな気もしますが、こうした認識に乗っかる具合で「独身の宅男(オタク)がネットショッピングに興じて寂しさを紛らわす日」という風説を主に中国のAmazonこと「アリババ」が言い始めると同時に毎年この日に大々的なキャンペーン、具体的には1日限定で大幅な値引きセールを実施するようになってきました。
こうしたアリババの動きにほかのネットショッピング(EC)サイトも追従するようになり、中国のEC業界ではこの日はさながら互いの維持とメンツをかけた決選日の様相を見せるようになってきております。私が上海で色んな意味で大活躍していた去年の11/11も大いに賑わい、この大体一週間前くらいから各社がどれくらいの販促費用を出して値引きをするのかとかが報じられていました。
そして時は移って今年の11/11ですが、私がさらっと見たニュースによるとやっぱりというか規模は拡大の一途を辿っており、1日当たりのネットショッピング取引額で過去最高を記録したそうです。ついでに書くと王者は依然とアリババだったそうですが。
でもって12/12。この日は11/11の約一ヶ月後であって12のゾロ目ということから副次的に「値とショッピングでキャンペーンが貼られる日」と認識されました。ただ規模は11/11と比べると随分と小さく、先日も私が読んだニュースだと「各社ともにおまけのキャンペーン日という認識でそれほど力を入れていない」と書かれ、売り上げも11/11の様に極端に大きくなったわけでは無かったそうです。
言ってしまえばこういった「中国版ネットショッピングの日」というのは日本で言うと「バレンタインデー」みたいな、商業関係者がマーケティングによって作った記念日と言っていいでしょう。私が何故このようなことを今日書こうかと思ったかというと、日本では近年こうしたマーケティングが少なくなってきていると思うと同時に、なんていうかせこいセールをやる所が多いと感じる気がするからです。
具体的に名前を挙げちゃうとイトーヨーカドーで、プロ野球で千葉ロッテがプレーオフ出場を決めると千葉県内の店舗では販売セールが行われました。それから数日後、巨人がプレーオフ通過を決めて日本シリーズ出場を決めると今度は「巨人おめでとうセール」をやっていました。お前はどっちの味方だよとちょっと言いたくなりますし、そもそもどっちの球団ともイトーヨーカドーは関係ないだろと思います。仮にイオンだったら本社が千葉市だから千葉ロッテのセールをするのはおかしくないけど。
イトーヨーカドーに限らずこの手の便乗セールは非常に多いです。あともう一点書くと、ネットショッピングでのこういう大々的なセール日っていうのをまだ日本じゃ見ない気がします。この前日本シリーズで楽天が優勝した際は親会社の楽天が優勝セールをしましたが、なんかこれも自分が見ていて盛り上がりに欠けた気がするし、楽天も楽天で値引き前価格を大幅に引き上げてたりして味噌付けたしで、いまいちな感じがしてきます。
私はネットショッピングは今後も拡大を続けると見ていますが、それにしても中国みたいなマーケティングがまだ見られないのはちょっと不安になってくるだけに、もうちょっとこういう大々的なセールの様な努力を見せてもらいたいと思い、今日筆をとった次第です。
2013年12月15日日曜日
中華料理の名前とその意味たち
すいかさんのブログでネタ振りがあったので、久々の一日二本投稿記事として中華料理の名前とそれらの漢字の意味をコラム的に解説します。
まずすいかさんがネタ振りに使った「チンジャオロース」ですが、これは中国語の発音をそのまま日本のカタカナに当てはめた料理名で、漢字で書くと「青椒肉絲」と書きます。この料理名は使用する食材を表しており、「青椒(チンジャオ)」というのは実は「ピーマン」で、「 肉絲 (ロース)」というのは「肉を糸の様にして細く切ったもの(ミンチ)」という意味で、この二つを一緒に炒めたものという意味の料理名です。
このように中華料理の料理名は使用する食材、そして炒めるとか煮ると言った調理法の漢字を並べてったものが多く、「紅焼牛肉」はそのまま牛肉を煮込んだ料理で、仮にこの料理に「じゃがいも」を表す「土豆」という漢字が加わって「紅焼土豆牛肉」となればジャガイモも一緒に煮込まれている事となります。
このような具合でそれぞれの食材と調理法を表す漢字を覚えればある程度中国語のメニューを見るだけでもどんな料理が出てくるか想像できるようになるのですがいくつか例外もあって、自分が過去に痛い目にあったものに「水煮牛肉」という料理があります。名前からして牛肉を煮込んだシチューみたいな料理かなと思って頼んだら、確かに牛肉を煮込んだものに間違いはなかったものの、煮込む際に唐辛子や胡椒、豆板醤といった香辛料がガンガン入れられるため、有り得ないくらい激辛の味に仕上げられます。そのため私が初めて食べた時は本当に泣きながら食べてて、結局全部食べきれなくて残してしまいました。
このほか日本でメジャーな中国料理の漢字を挙げてくと、「回鍋肉(ホイコーロー)」、「麻婆豆腐(マーボードウフ)」と書きますが、ホイコーローはどういったいきさつでこの感じになったのかわかりませんが、麻婆豆腐は知ってる方も多いと思いますが、四川省にいた麻(マー)おばさんが作った豆腐料理であることからこのような名前になったと言われています。
まずすいかさんがネタ振りに使った「チンジャオロース」ですが、これは中国語の発音をそのまま日本のカタカナに当てはめた料理名で、漢字で書くと「青椒肉絲」と書きます。この料理名は使用する食材を表しており、「青椒(チンジャオ)」というのは実は「ピーマン」で、「 肉絲 (ロース)」というのは「肉を糸の様にして細く切ったもの(ミンチ)」という意味で、この二つを一緒に炒めたものという意味の料理名です。
このように中華料理の料理名は使用する食材、そして炒めるとか煮ると言った調理法の漢字を並べてったものが多く、「紅焼牛肉」はそのまま牛肉を煮込んだ料理で、仮にこの料理に「じゃがいも」を表す「土豆」という漢字が加わって「紅焼土豆牛肉」となればジャガイモも一緒に煮込まれている事となります。
このような具合でそれぞれの食材と調理法を表す漢字を覚えればある程度中国語のメニューを見るだけでもどんな料理が出てくるか想像できるようになるのですがいくつか例外もあって、自分が過去に痛い目にあったものに「水煮牛肉」という料理があります。名前からして牛肉を煮込んだシチューみたいな料理かなと思って頼んだら、確かに牛肉を煮込んだものに間違いはなかったものの、煮込む際に唐辛子や胡椒、豆板醤といった香辛料がガンガン入れられるため、有り得ないくらい激辛の味に仕上げられます。そのため私が初めて食べた時は本当に泣きながら食べてて、結局全部食べきれなくて残してしまいました。
このほか日本でメジャーな中国料理の漢字を挙げてくと、「回鍋肉(ホイコーロー)」、「麻婆豆腐(マーボードウフ)」と書きますが、ホイコーローはどういったいきさつでこの感じになったのかわかりませんが、麻婆豆腐は知ってる方も多いと思いますが、四川省にいた麻(マー)おばさんが作った豆腐料理であることからこのような名前になったと言われています。
コミュニケーション能力と共通体験についての考察
先日、私が読んでいる「怨み屋本舗」という漫画で気になるセリフを発見しました。そのセリフというのもオタクな趣味を持つキャラクターに対して主人公が、「オタクはオタク同士だと短時間ですんなり打ち解ける。私は彼のコミュニケーション能力に期待している」という内容のセリフです。
このセリフですが私も深く同感せざるを得ないというか、まさにそういう場面に出くわしたことがありました。その場面というのもバイト先の知り合いに誘われて参加したコスプレ会場なのですが、そこだと中学生と40歳くらいのおっさんがまるで同い年の様にため口でしゃべるという、普段の生活では有り得ないような光景が多々見られました。ちなみにその中学生のコスプレは何故か丹下段平でした。
一見するとオタクな趣味を持つ人間というと引きこもりに代表されるような、コミュニケーション能力が低い人物が連想されがちじゃないかと思います。しかしさっきの「怨み屋本舗」でのセリフに書かれているように、確かにオタク同士だとびっくりするくらいすぐ打ち解け合うことが多いように思え、そのような事例を考えると一概にオタクはコミュニケーション能力が低いとは言い切れないようにも思えるわけです。では一体何故こういう風な見方が広がるのか2分程度考えた末の自分の結論はというと、結局は共通体験の有無に全部集約されるのではないかと考えました。
共通体験とは読んで字の如く、他人と同じ体験を自分がしているかどうかという意味です。この話は今度二人っきりで旅行に行く友人の方が専門なのですが、近年の日本はインターネットの普及と共に趣味やライフスタイルの多様化が広がり、こうした共通体験というものが年々少なくなってきております。具体的な例を挙げると私の時代であれば男の子はみんな「ドラゴンボール」を読んでいて、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」を遊んでいると言ってもほぼ過言ではありません。また成人についていえば昔は今くらいの冬のシーズンになるとみんなスキー旅行に行って、また社会人となると車を持つのが当たり前化の様なライフスタイルでありました。
しかし現代になると子供の世代でもみんなが確実に触れたことのあるメディアとなると「ワンピース」はあるとしてもゲームだと以前の「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」ほどの存在はなく成人も非正規雇用が増えるなどライフスタイルが多様化する傾向があり、そして単純に余暇の時間が減っていることから触れられるメディアの数も減少傾向にあります。こうした状況について友人はよく、共通体験がないため爆発的にヒットする商品やサービスは生まれ辛く、自然とニッチな産業やメディアを作る方向に日本企業は突き進もうとする傾向があるということを主張しています。
話を戻しますがオタクの趣味というと一般的にはアニメ、漫画、ゲームの三本柱です。逆を言えばオタクの趣味はこの三種類に限定される傾向があり、それがためオタク同士だと共通体験を保有している確率が非常に高く、なおかつそれぞれがディープにそのメディアに触れていることも多いために初対面でも話題が盛り上がりやすく、なおかつオタクでない層との差別化もあってすぐに打ち解け合えるのではないかという仮説を立てました。
日本社会では最近、若者のコミュニケーション能力が低いという意見が大手メディアを中心に発信され、各調査でも企業が募集する人員に求める能力の筆頭にはこのコミュニケーション能力が入ってきます。こうしたコミュニケーション能力に対する社会の注目ですが先程の仮説を援用すると、単純に「打ち解け合える能力」が不足しているのではなく「共通体験」が不足しているというのが真相なのではないかという気がします。
ちょっとアクセルを踏み過ぎたのでブレーキ踏んでもうちょっと詳しく説明すると、最近の若者はコミュニケーション能力が低いように言われているが、そもそもコミュニケーションというのは共通体験を持っているか否かということが成否を左右する大きなファクターであり、この共通体験が社会の多様化に居って上の世代、果てには同世代の間でも非常に少なくなってきているためコミュニケーションがうまくいかなくなっているのではないかと言いたいわけです。自分で書いておきながら、わけわかんないこと言ってますねぇ。
言うなれば、コミュニケーション能力というのは人格とかそういうものじゃなく、ほかの多くの人と同じ話題を共有できるような共通体験の多さに集約されるのではないかと言いたいわけです。逆を言えばどんなに共通体験が少なくてもお互いに一致していればうまく行けるし、一致しなければほとんどうまくいかなくなる具合で、単純この上なく求めれるのは「お酒が飲めてその話が出来るか」というのが大きなキーワードになってくるわけです。酒が飲めない自分としては不利この上ない条件ですが。
結論としては共通体験というか同じ趣味がコミュニケーションの成否を左右するという一言に集約され、様々な体験を経験したり幅広い教養を持っている人間というのはコミュニケーション上手になりやすいということです。ただ趣味の範囲が狭くても他人とその狭い範囲で被りさえすればコミュニケーションは簡単に上手くいくこともあり、一概に人格不適合者というふうに扱わない方がいいのではないかと言いたいわけです。
もっともこういっておきながらですが、共通体験を持っていなくてもコミュニケーションをうまく運べる人間も確実に存在します。私から見てそういう人間は概して聞き上手な人が多く、プレゼンが上手かったり口の立つ人間である条件はなくてもいいと思います。更に言えば、こういうタイプの人間がただでさえ共通体験が持ちづらい海外の現場で活躍するように思えるわけです。
おまけ
自分に限って言えば世間一般とは外れた道を歩むことが多かったため、あまり普通の人と被る共通体験は多くありません。そんな自分にとってこういう趣味なり知識なりを持っている人だったら仲良くなれそうかなっていうのを片っ端から挙げると、以下の様になります。
・安保闘争に詳しい人
・文化大革命が好きな人
・中国史に詳しい人
・政治議論が好きな人
・カレーが好きな人
・水木しげるが好きな人
我ながら、やっぱり趣味が偏っているなぁってしみじみ思います。
このセリフですが私も深く同感せざるを得ないというか、まさにそういう場面に出くわしたことがありました。その場面というのもバイト先の知り合いに誘われて参加したコスプレ会場なのですが、そこだと中学生と40歳くらいのおっさんがまるで同い年の様にため口でしゃべるという、普段の生活では有り得ないような光景が多々見られました。ちなみにその中学生のコスプレは何故か丹下段平でした。
一見するとオタクな趣味を持つ人間というと引きこもりに代表されるような、コミュニケーション能力が低い人物が連想されがちじゃないかと思います。しかしさっきの「怨み屋本舗」でのセリフに書かれているように、確かにオタク同士だとびっくりするくらいすぐ打ち解け合うことが多いように思え、そのような事例を考えると一概にオタクはコミュニケーション能力が低いとは言い切れないようにも思えるわけです。では一体何故こういう風な見方が広がるのか2分程度考えた末の自分の結論はというと、結局は共通体験の有無に全部集約されるのではないかと考えました。
共通体験とは読んで字の如く、他人と同じ体験を自分がしているかどうかという意味です。この話は今度二人っきりで旅行に行く友人の方が専門なのですが、近年の日本はインターネットの普及と共に趣味やライフスタイルの多様化が広がり、こうした共通体験というものが年々少なくなってきております。具体的な例を挙げると私の時代であれば男の子はみんな「ドラゴンボール」を読んでいて、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」を遊んでいると言ってもほぼ過言ではありません。また成人についていえば昔は今くらいの冬のシーズンになるとみんなスキー旅行に行って、また社会人となると車を持つのが当たり前化の様なライフスタイルでありました。
しかし現代になると子供の世代でもみんなが確実に触れたことのあるメディアとなると「ワンピース」はあるとしてもゲームだと以前の「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」ほどの存在はなく成人も非正規雇用が増えるなどライフスタイルが多様化する傾向があり、そして単純に余暇の時間が減っていることから触れられるメディアの数も減少傾向にあります。こうした状況について友人はよく、共通体験がないため爆発的にヒットする商品やサービスは生まれ辛く、自然とニッチな産業やメディアを作る方向に日本企業は突き進もうとする傾向があるということを主張しています。
話を戻しますがオタクの趣味というと一般的にはアニメ、漫画、ゲームの三本柱です。逆を言えばオタクの趣味はこの三種類に限定される傾向があり、それがためオタク同士だと共通体験を保有している確率が非常に高く、なおかつそれぞれがディープにそのメディアに触れていることも多いために初対面でも話題が盛り上がりやすく、なおかつオタクでない層との差別化もあってすぐに打ち解け合えるのではないかという仮説を立てました。
日本社会では最近、若者のコミュニケーション能力が低いという意見が大手メディアを中心に発信され、各調査でも企業が募集する人員に求める能力の筆頭にはこのコミュニケーション能力が入ってきます。こうしたコミュニケーション能力に対する社会の注目ですが先程の仮説を援用すると、単純に「打ち解け合える能力」が不足しているのではなく「共通体験」が不足しているというのが真相なのではないかという気がします。
ちょっとアクセルを踏み過ぎたのでブレーキ踏んでもうちょっと詳しく説明すると、最近の若者はコミュニケーション能力が低いように言われているが、そもそもコミュニケーションというのは共通体験を持っているか否かということが成否を左右する大きなファクターであり、この共通体験が社会の多様化に居って上の世代、果てには同世代の間でも非常に少なくなってきているためコミュニケーションがうまくいかなくなっているのではないかと言いたいわけです。自分で書いておきながら、わけわかんないこと言ってますねぇ。
言うなれば、コミュニケーション能力というのは人格とかそういうものじゃなく、ほかの多くの人と同じ話題を共有できるような共通体験の多さに集約されるのではないかと言いたいわけです。逆を言えばどんなに共通体験が少なくてもお互いに一致していればうまく行けるし、一致しなければほとんどうまくいかなくなる具合で、単純この上なく求めれるのは「お酒が飲めてその話が出来るか」というのが大きなキーワードになってくるわけです。酒が飲めない自分としては不利この上ない条件ですが。
結論としては共通体験というか同じ趣味がコミュニケーションの成否を左右するという一言に集約され、様々な体験を経験したり幅広い教養を持っている人間というのはコミュニケーション上手になりやすいということです。ただ趣味の範囲が狭くても他人とその狭い範囲で被りさえすればコミュニケーションは簡単に上手くいくこともあり、一概に人格不適合者というふうに扱わない方がいいのではないかと言いたいわけです。
もっともこういっておきながらですが、共通体験を持っていなくてもコミュニケーションをうまく運べる人間も確実に存在します。私から見てそういう人間は概して聞き上手な人が多く、プレゼンが上手かったり口の立つ人間である条件はなくてもいいと思います。更に言えば、こういうタイプの人間がただでさえ共通体験が持ちづらい海外の現場で活躍するように思えるわけです。
おまけ
自分に限って言えば世間一般とは外れた道を歩むことが多かったため、あまり普通の人と被る共通体験は多くありません。そんな自分にとってこういう趣味なり知識なりを持っている人だったら仲良くなれそうかなっていうのを片っ端から挙げると、以下の様になります。
・安保闘争に詳しい人
・文化大革命が好きな人
・中国史に詳しい人
・政治議論が好きな人
・カレーが好きな人
・水木しげるが好きな人
我ながら、やっぱり趣味が偏っているなぁってしみじみ思います。
2013年12月14日土曜日
グローバルな居酒屋最前線
先週、例の上海人と一緒に居酒屋の鳥貴族にいったという話を紹介しましたが、その時の店内で一生深かった出来事がありました。当時お店に入ったのは午後八時半くらいでしたが、店内で聞こえる店員の声というか発音がやけに懐かしい響きがしたというか、中国語訛りの日本語がよく聞こえてきました。更に耳を澄ませるともう日本語を通り越して店員同士が中国語で話し合うシーンもあり、以前からもそうでしたが夜間帯の居酒屋は外国人留学生がアルバイトの主役であるというのをまざまざと見せつけられたわけです。
そうした環境に無駄に対抗しようと私と上海人も途中から中国語を交えた会話をし始めたのですが、ある程度話し終えて食い終えて店を出ようと会計に向かったところ女性店員から、「中国人なのですか?」と、ちょっと外国語訛りの日本語で聞かれました。私はこの時、この人もきっと中国人なんだろうと思って、「ちゃうで、俺は日本人やけどこっちは中国人やねん」と中国語で答えたら、「あの、すいません、意味が分かりません(>_<)」と言い返されてしまいました。改めて聞き直すとその人は中国人ではなくベトナム人で、今思い返すだに失礼なことをしてしまったと反省する限りです。
更に詳しく話を聞いてみると、我々の予想通りにその店のアルバイトは中国人が大半だそうで、むしろ明らかに日本人アルバイトの方が少ない状態でした。そんな一件があったことから店を出た後、そのベトナム人の女性店員といい意外に日本の居酒屋はグローバルだというようなことを上海人と話しつつ上野の夜を練り歩いたのですが、改めて考えてみると不思議な状態な気がします。
ほかの国でもサービス業など低賃金のワーカーには外国人の出稼ぎ労働者が多いということはある程度共通しているでしょうが、日本の居酒屋といったローカルな形態の飲食店に外国人がたくさん働いているというのは奇妙な感じにも見えます。言うまでもなくこうなるのは日本人アルバイトは夜遅くまできつい仕事をしたがらないためこうした居酒屋バイトがこの頃敬遠されがちということが大きいのでしょうが、一つ視点を変えてみるとかえって日本国内でグローバルな空間と呼べるのはこうした居酒屋なのではないかとも言えるわけです。
もちろん働いている最中の外国人アルバイトに根掘り葉掘り聞いたりするのはご法度でしょうが、こうした状況をもっと日本の国際化に使えないのか、何かコミュニティに変えられないのかとちょっと考えたりもします。あとこれは社会学的な意見となりますが、こうした外国人アルバイト同士の横の関係はどうなのか、中国人とかベトナム人とかが一緒の職場でどんな交流しているのかとかにも興味があって可能ならば調べて論文とか書いてみたいわけです。
銭湯から帰ってきて妙なテンションのまんまで書いているため文章が非常に荒れていますが、ローカルな場所が意外にグローバルだったということを書きたいため、一筆したためました。
そうした環境に無駄に対抗しようと私と上海人も途中から中国語を交えた会話をし始めたのですが、ある程度話し終えて食い終えて店を出ようと会計に向かったところ女性店員から、「中国人なのですか?」と、ちょっと外国語訛りの日本語で聞かれました。私はこの時、この人もきっと中国人なんだろうと思って、「ちゃうで、俺は日本人やけどこっちは中国人やねん」と中国語で答えたら、「あの、すいません、意味が分かりません(>_<)」と言い返されてしまいました。改めて聞き直すとその人は中国人ではなくベトナム人で、今思い返すだに失礼なことをしてしまったと反省する限りです。
更に詳しく話を聞いてみると、我々の予想通りにその店のアルバイトは中国人が大半だそうで、むしろ明らかに日本人アルバイトの方が少ない状態でした。そんな一件があったことから店を出た後、そのベトナム人の女性店員といい意外に日本の居酒屋はグローバルだというようなことを上海人と話しつつ上野の夜を練り歩いたのですが、改めて考えてみると不思議な状態な気がします。
ほかの国でもサービス業など低賃金のワーカーには外国人の出稼ぎ労働者が多いということはある程度共通しているでしょうが、日本の居酒屋といったローカルな形態の飲食店に外国人がたくさん働いているというのは奇妙な感じにも見えます。言うまでもなくこうなるのは日本人アルバイトは夜遅くまできつい仕事をしたがらないためこうした居酒屋バイトがこの頃敬遠されがちということが大きいのでしょうが、一つ視点を変えてみるとかえって日本国内でグローバルな空間と呼べるのはこうした居酒屋なのではないかとも言えるわけです。
もちろん働いている最中の外国人アルバイトに根掘り葉掘り聞いたりするのはご法度でしょうが、こうした状況をもっと日本の国際化に使えないのか、何かコミュニティに変えられないのかとちょっと考えたりもします。あとこれは社会学的な意見となりますが、こうした外国人アルバイト同士の横の関係はどうなのか、中国人とかベトナム人とかが一緒の職場でどんな交流しているのかとかにも興味があって可能ならば調べて論文とか書いてみたいわけです。
銭湯から帰ってきて妙なテンションのまんまで書いているため文章が非常に荒れていますが、ローカルな場所が意外にグローバルだったということを書きたいため、一筆したためました。
2013年12月12日木曜日
敬語が阻害するコミュニケーション
昨日の記事に関連する内容として前々から主張したかった内容として、日本社会における敬語の使われ方があります。かなり昔、それこそこのブログを始めた当初にも批判していますが、私は現代における日本人の敬語の使い方には明らかに問題があるように思え、可能ならばこの際廃止した方がいいのではないかと考えております。そこで今日はどうしてそう思うのか、何が問題なのかをこのところ好調な表現力を駆使して主張していきます。
まず最初に行っておきますが、私自身は敬語という日本語の表現技法を高く評価しております。日本語を学ぶ外国人からしたら覚えたり使ったりするのに面倒くさいことこの上ないだろうなとは思いますが、この敬語があるだけで時代劇も成立するし小説とかでも上下の関係を説明なしで読者に理解できます。にもかかわらず何故廃止するべきだというのかですが、単純にコミュニケーションを阻害する要因にしかなっていないと思うからです。
元々、敬語というのは話し相手の気分をよくするために出来たと言っても過言ではありません。しかし社会上で敬語の使用が一般化するにつれて、敬語を使われないと気分が悪くなる、失礼な言い方だと思うようになっていき、逆説的ですが敬語があるからこそ悪意のない発言が悪意あるように受け取られて責められるような事態が多くなってきているように思えます。
簡単な例を挙げると駅構内でつまずいて転んだ際、後ろから駅員が心配して「どうしたの?」って声をかけたら、この駅員はまず世間から批判されるでしょう。尋ね方としては「どうなされました?」というのが常識とされてこれ以外の聞き方したらなれなれしいだの客をなめているだのと言われちゃいますが、「どうしたの?」も「どうなされました?」も意味としては同じ内容で、どっちも相手を気遣う意思を表しています。それでも前者を使えば怒られちゃうわけですが、これって馬鹿馬鹿しくやないかと自分は思っちゃいます。
上記の駅での声掛けの例は極端な例ですが、こうじゃなくても実社会では敬っているつもりで言った言葉が相手からしたらちゃんとした言い方になっていないととられて、まるで揚げ足取りのように責められる材料となることも少なくありません。大昔にもこのブログで言いましたが、目上の人間に「ご苦労様」と言ったらアウトで「お疲れ様」と言うのがセーフというのは日本語の用法からしたら明らかにおかしいし、同じ意味の言葉なんだから細かいこと気にしてないで普通に受け取れよと言いたいわけです。
あくまで私個人の印象ですが、現代日本の敬語は相手の気分を良くさせてコミュニケーションを円滑にさせる回数よりも、誤用が氾濫している上にお互いぎこちなく気にし合って人間関係をギスギスさせる回数の方が多い気がします。これは本来の敬語の誕生理由とは真逆であるし、なおかつ存在もしない概念が実態を持つ人間の関係を阻害するなんて言語道断でしかなく、それであれば廃止した方が世のためみんなのためじゃないかと考えるわけです。もっともそれ以上に、敬語が使われないとすぐ不機嫌になるような心の狭い人間を淘汰したいというのもありますが。
かくいう私は敬語というか言葉遣いに対しては寛容であるよう心がけており、後輩にも自分に対して敬語を使う必要はないしフランクに話しやすい言葉で話しかけるようにかなりくどく言い続けてきました。呼び方もさん付けではなくなるべく君付けにするよう指示してましたが、さすがに「呼び捨てでもいい」とまでは言わない辺りまだまだ甘かったのかもしれません。
もっとも後輩に敬語を意識させないのは敬語の概念に疑問を持っていたこと以上に、敬語を意識するあまり頭の回転を鈍くさせるのがもったいなかったというのが本音です。言葉を普段使わない言い方で話すようにするとどうしてもそっちの方にメモリを食われるというか会話のペースや幅が狭くなるように思え、議論する際はマナーとかを気にするよりも存分に実力を発揮してもらいたかったというのが本音で、そういう奮起を促すためにも「俺を殺すつもりでかかってこい」などと中二病みたいなセリフも言ったことがあります。
最後に蛇足ですが、自分が議論する際に意識的に発揮できる実力は80%くらいが限度です。ではどうすれば100%まで発揮できるのかですが、これには議論する相手も同等の実力を持っており、なおかつお互いに議論が白熱することで実力以上の実力が引き出されるような感覚を覚えるので、この時が自分の100%だと考えています。今の所、この100%限界値を発揮させてくれる友人は一人くらいで、後は80%まで遠慮なく出せるのが数人、普段は50%以下で頭を回しながら会話している感覚がします。車のエンジンじゃないけど、たまには限界近くまで回転数を上げたいなと思うこのごろです。
まず最初に行っておきますが、私自身は敬語という日本語の表現技法を高く評価しております。日本語を学ぶ外国人からしたら覚えたり使ったりするのに面倒くさいことこの上ないだろうなとは思いますが、この敬語があるだけで時代劇も成立するし小説とかでも上下の関係を説明なしで読者に理解できます。にもかかわらず何故廃止するべきだというのかですが、単純にコミュニケーションを阻害する要因にしかなっていないと思うからです。
元々、敬語というのは話し相手の気分をよくするために出来たと言っても過言ではありません。しかし社会上で敬語の使用が一般化するにつれて、敬語を使われないと気分が悪くなる、失礼な言い方だと思うようになっていき、逆説的ですが敬語があるからこそ悪意のない発言が悪意あるように受け取られて責められるような事態が多くなってきているように思えます。
簡単な例を挙げると駅構内でつまずいて転んだ際、後ろから駅員が心配して「どうしたの?」って声をかけたら、この駅員はまず世間から批判されるでしょう。尋ね方としては「どうなされました?」というのが常識とされてこれ以外の聞き方したらなれなれしいだの客をなめているだのと言われちゃいますが、「どうしたの?」も「どうなされました?」も意味としては同じ内容で、どっちも相手を気遣う意思を表しています。それでも前者を使えば怒られちゃうわけですが、これって馬鹿馬鹿しくやないかと自分は思っちゃいます。
上記の駅での声掛けの例は極端な例ですが、こうじゃなくても実社会では敬っているつもりで言った言葉が相手からしたらちゃんとした言い方になっていないととられて、まるで揚げ足取りのように責められる材料となることも少なくありません。大昔にもこのブログで言いましたが、目上の人間に「ご苦労様」と言ったらアウトで「お疲れ様」と言うのがセーフというのは日本語の用法からしたら明らかにおかしいし、同じ意味の言葉なんだから細かいこと気にしてないで普通に受け取れよと言いたいわけです。
あくまで私個人の印象ですが、現代日本の敬語は相手の気分を良くさせてコミュニケーションを円滑にさせる回数よりも、誤用が氾濫している上にお互いぎこちなく気にし合って人間関係をギスギスさせる回数の方が多い気がします。これは本来の敬語の誕生理由とは真逆であるし、なおかつ存在もしない概念が実態を持つ人間の関係を阻害するなんて言語道断でしかなく、それであれば廃止した方が世のためみんなのためじゃないかと考えるわけです。もっともそれ以上に、敬語が使われないとすぐ不機嫌になるような心の狭い人間を淘汰したいというのもありますが。
かくいう私は敬語というか言葉遣いに対しては寛容であるよう心がけており、後輩にも自分に対して敬語を使う必要はないしフランクに話しやすい言葉で話しかけるようにかなりくどく言い続けてきました。呼び方もさん付けではなくなるべく君付けにするよう指示してましたが、さすがに「呼び捨てでもいい」とまでは言わない辺りまだまだ甘かったのかもしれません。
もっとも後輩に敬語を意識させないのは敬語の概念に疑問を持っていたこと以上に、敬語を意識するあまり頭の回転を鈍くさせるのがもったいなかったというのが本音です。言葉を普段使わない言い方で話すようにするとどうしてもそっちの方にメモリを食われるというか会話のペースや幅が狭くなるように思え、議論する際はマナーとかを気にするよりも存分に実力を発揮してもらいたかったというのが本音で、そういう奮起を促すためにも「俺を殺すつもりでかかってこい」などと中二病みたいなセリフも言ったことがあります。
最後に蛇足ですが、自分が議論する際に意識的に発揮できる実力は80%くらいが限度です。ではどうすれば100%まで発揮できるのかですが、これには議論する相手も同等の実力を持っており、なおかつお互いに議論が白熱することで実力以上の実力が引き出されるような感覚を覚えるので、この時が自分の100%だと考えています。今の所、この100%限界値を発揮させてくれる友人は一人くらいで、後は80%まで遠慮なく出せるのが数人、普段は50%以下で頭を回しながら会話している感覚がします。車のエンジンじゃないけど、たまには限界近くまで回転数を上げたいなと思うこのごろです。
2013年12月11日水曜日
禁止にするから腹が立つ
先日、電車に乗っていたら隣に座っていたおばさんがまだ駅についていないにもかかわらずやおら立ち上がり、ドアの前まで移動する場面に出くわしました。一体何だろうと思ってそのおばさんを見ていたらカバンから携帯電話を取り出して、「ごめん、今電車だから」といってつなげた着信をすぐ切っていました。
別に何のことはない、むしろマナーのいい場面といえるかもしれませんが私からしたらちょっと違和感を覚えます。というのも、そのまま出ちゃって会話すりゃいいじゃんとか思うからです。念のために言っておきますが私は日本だと電車の中では電話を取りませんが、これが舞台が中国だと遠慮なく取り、「今電車で移動中だから大きい声で言ってね」なんてセリフも吐いたりします。
私が先程の場面に違和感を覚えたのはいうまでもなくこの中国の体験が原因です。説明するまでもなくというか多分想像つくと思いますが、中国だと電車で移動中だろうが職場だろうが、会議中であろうと余裕で着信音を警戒に鳴らしつつ携帯電話を取ります。でもってナチュラルにプライベートな会話も続けてくるし。
この辺は文化の違いで片づければそれまでですが、そもそもなんで日本では電車で携帯電話はマナー違反となるのでしょうか。ペースメーカーへの影響などもあるでしょうがそれ以上に現代では電車の中、下手したら往来の中で携帯電話で会話する姿に不快感を感じる人間が多いためということが大きいでしょう。では何故不快に感じるのか、声が大きいだとか周囲への注意力が落ちるとか言い訳はいくらでもあるでしょうが、メタ的に言えば「電車で携帯電話を使ってはいけないというルールを破っているから」というのが最も大きいように私は思います。いわばその行為自体というよりもその行為がルールを逸脱しているということに日本人は腹が立つのではないかと思います。
上記の携帯電話に近いネタに車のクラクションがあります。これも中国ではプップカプップカ鳴らされているのですが、仮に中国と同じノリで日本で鳴らすと周囲からひんしゅくを買うばかりか、下手したら喧嘩にまで発展しそうです。しかし中国で暮らしてみてこのクラクションの嵐を経験してみると、最初はいら立って運転手を睨み返したりしましたが、向こうとしては「後ろにおるでー」というノリで、どちらかというと安全を喚起する親切心で鳴らしているということに段々気が付いていってからは腹も立たなくなりました。それどころか後方への注意は視覚ではどうにもならないだけに聴覚を使う方が明らかにいいわけで、教習所で「不用意にクラクションを鳴らしてはいけない」と教える日本の方が間違っているんじゃないかと逆に思うようになってきました。
この電車の中の携帯電話、車のクラクションはともに「やってはいけない」というルールがあるからこそやられると腹が立つわけで、逆を言えばこれらのルールがなければ無駄にイラつくこともないんじゃないのかなとちょこっと思うわけです。現にルール無用の中国社会で暮らしてきた私としては全く意に介しておらず、実害もないわけなんだしこんな細かいことでいちいち苛立つのは損じゃないのか、社会がちょっとギスギスしてやしないかとも思うわけです。もっともルールが無さすぎる中国では逆ベクトルでイラつく機会も多いですが。
要するに何が言いたいのかというと、本質を考えずただルールで駄目だからということにとらわれて、逸脱者をただ白眼視する傾向が日本にはあるのではないかと言いたいのです。それこそそのルールが正しいのかどうかを考えず、実害があるのかどうかを考えず。
逆説的に言えば、上記のようなルールを取っ払ってしまえば日本人は無駄にイラつくこともなくなるんじゃないかとも思うわけです。現在、携帯電話のペースメーカーへの影響はほとんどないとの報告も出ているわけだし、車のクラクションも暴走族みたいなのが鳴らすのならともかく安全喚起のためならガンガン使った方がいいわけなんだし、こういうルールは社会全体で無視した方が精神衛生上にもいいと主張したいというのが今日の私の意見です。
おまけ
電車の中で携帯電話を使うのくらい大目に見てやれよと言っているそばでなんですが、今朝股電車に乗ってたら同じ車両で馬鹿でかい音でくしゃみするおっさんに出くわしました。おかげで折角うとうとしていたのに目が覚めたし、近くでおしゃべりをしていた女子高生もピタリと会話を止めてました。しかもそのくしゃみ、一回だけじゃなくて5秒おきに三回連続で鳴らされたので、「口くらい押えろこのボケ。なんなら俺が紙袋でも突っ込んだろか」って思いつつ、自分も軽くそのオッサンを睨んでしまいました。まだまだ自分も心が狭いな。
別に何のことはない、むしろマナーのいい場面といえるかもしれませんが私からしたらちょっと違和感を覚えます。というのも、そのまま出ちゃって会話すりゃいいじゃんとか思うからです。念のために言っておきますが私は日本だと電車の中では電話を取りませんが、これが舞台が中国だと遠慮なく取り、「今電車で移動中だから大きい声で言ってね」なんてセリフも吐いたりします。
私が先程の場面に違和感を覚えたのはいうまでもなくこの中国の体験が原因です。説明するまでもなくというか多分想像つくと思いますが、中国だと電車で移動中だろうが職場だろうが、会議中であろうと余裕で着信音を警戒に鳴らしつつ携帯電話を取ります。でもってナチュラルにプライベートな会話も続けてくるし。
この辺は文化の違いで片づければそれまでですが、そもそもなんで日本では電車で携帯電話はマナー違反となるのでしょうか。ペースメーカーへの影響などもあるでしょうがそれ以上に現代では電車の中、下手したら往来の中で携帯電話で会話する姿に不快感を感じる人間が多いためということが大きいでしょう。では何故不快に感じるのか、声が大きいだとか周囲への注意力が落ちるとか言い訳はいくらでもあるでしょうが、メタ的に言えば「電車で携帯電話を使ってはいけないというルールを破っているから」というのが最も大きいように私は思います。いわばその行為自体というよりもその行為がルールを逸脱しているということに日本人は腹が立つのではないかと思います。
上記の携帯電話に近いネタに車のクラクションがあります。これも中国ではプップカプップカ鳴らされているのですが、仮に中国と同じノリで日本で鳴らすと周囲からひんしゅくを買うばかりか、下手したら喧嘩にまで発展しそうです。しかし中国で暮らしてみてこのクラクションの嵐を経験してみると、最初はいら立って運転手を睨み返したりしましたが、向こうとしては「後ろにおるでー」というノリで、どちらかというと安全を喚起する親切心で鳴らしているということに段々気が付いていってからは腹も立たなくなりました。それどころか後方への注意は視覚ではどうにもならないだけに聴覚を使う方が明らかにいいわけで、教習所で「不用意にクラクションを鳴らしてはいけない」と教える日本の方が間違っているんじゃないかと逆に思うようになってきました。
この電車の中の携帯電話、車のクラクションはともに「やってはいけない」というルールがあるからこそやられると腹が立つわけで、逆を言えばこれらのルールがなければ無駄にイラつくこともないんじゃないのかなとちょこっと思うわけです。現にルール無用の中国社会で暮らしてきた私としては全く意に介しておらず、実害もないわけなんだしこんな細かいことでいちいち苛立つのは損じゃないのか、社会がちょっとギスギスしてやしないかとも思うわけです。もっともルールが無さすぎる中国では逆ベクトルでイラつく機会も多いですが。
要するに何が言いたいのかというと、本質を考えずただルールで駄目だからということにとらわれて、逸脱者をただ白眼視する傾向が日本にはあるのではないかと言いたいのです。それこそそのルールが正しいのかどうかを考えず、実害があるのかどうかを考えず。
逆説的に言えば、上記のようなルールを取っ払ってしまえば日本人は無駄にイラつくこともなくなるんじゃないかとも思うわけです。現在、携帯電話のペースメーカーへの影響はほとんどないとの報告も出ているわけだし、車のクラクションも暴走族みたいなのが鳴らすのならともかく安全喚起のためならガンガン使った方がいいわけなんだし、こういうルールは社会全体で無視した方が精神衛生上にもいいと主張したいというのが今日の私の意見です。
おまけ
電車の中で携帯電話を使うのくらい大目に見てやれよと言っているそばでなんですが、今朝股電車に乗ってたら同じ車両で馬鹿でかい音でくしゃみするおっさんに出くわしました。おかげで折角うとうとしていたのに目が覚めたし、近くでおしゃべりをしていた女子高生もピタリと会話を止めてました。しかもそのくしゃみ、一回だけじゃなくて5秒おきに三回連続で鳴らされたので、「口くらい押えろこのボケ。なんなら俺が紙袋でも突っ込んだろか」って思いつつ、自分も軽くそのオッサンを睨んでしまいました。まだまだ自分も心が狭いな。
2013年12月9日月曜日
みんなの党の分裂騒動について
このところ本当に時間がなくて、本気で勉強がしたいです。なもんだから今回も予習復習なしでまた適当に手持ちの知識だけで政治ネタを書くわけですが、もっと背景とか批評とかをきちんと調べてから書きたいものです。
各所の報道で皆さんも知っているかと思いますが、先日に成立した特定秘密保護法案の作成過程において修正協議に応じたみんなの党が見事なまでに分裂しました。分裂の主役は現党首の渡辺善美氏と前幹事長の江田憲司氏で、江田氏が党内の議員十人以上を引き連れて独立するような形で袂を分かつこととなりました。今後のみんなの党の先行きについて先に私の見方を述べると、恐らくこのまま瓦解するかと思います。
まず今回の主役である二人について先に述べると、渡辺氏は故渡辺美智雄の息子でいわゆる二世政治家です。彼が表舞台に出てきたのは奇しくも第一次安倍内閣において公務員制度改革の責任者となった時で、この時期にかなり激しい内容の改革案を作成したものの次の福田康夫政権でこの案は却下され、公務員改革が最も急務な改革であることを主張して離党、独立をしました。
この独立時というかみんなの党の結党に参加したのが、それまで自民党に近い立場をとりつつも無所属で居続けた江田憲司氏です。江田氏は故橋本竜太郎が首相だった頃に通産省から首相秘書官として移り、当時の行政改革にも携わった人間の一人であります。
私はみんなの党が結党された際、正直な所渡辺氏にはあまり期待はしていませんでした。というのも渡辺氏は厳しい評価となりますが起こったり嬉しかったりといった感情をすぐに顔に出す性格で、政治家としては小物の部類に含まれる特徴があったからです。ただ彼の主張する公務員改革の必要性は理解でき、誰か理解者の下であれば猪突猛進に活躍できるだろうけど政党の党首としては外よりも内に敵を作るタイプなだけに明らかに向いていないという印象を覚えました。
しかしそのみんなの党に江田氏が参加すると聞き、この党への評価は一変しました。というのもあまりこのブログでは言及していませんでしたが江田氏に関してはかねてから高く評価しており、そのスマートな振る舞いから造詣の深い政治知識など、 現役の政治家としては屈指の実力者というように見ていました。それだけにこの人がサポートに付くのであればこの政党は面白いことになると見て、実際にこれまでの選挙ではみんなの党に投票することが多かったです。
実際にうまくいったかどうかは別として数多くの政党が出来ては消えていく中、みんなの党は数度の選挙を経ながら着実に議席数を伸ばしていきました。そこへ至って今回の騒動が起きたのですが、もうちょっとお互いに辛抱していたら立派な野党になれたのかもしれないのにねと思わざるを得ません。
それで今回の分裂の原因について私の個人的な見解を述べますが、江田氏は独立理由をみんなの党が与党自民党にすり寄っていき国民の意思を無視し始めたためなどと述べていますが、これは江田氏の嘘だといっていいでしょう。その理由というのも江田氏は無所属時代から自民党寄りの政策を主張しており、現在においてもその価値観は大きく変化しているとはとてもじゃないけど思えないからです。では何が分裂の真の理由かというと、もったいぶっていうのも馬鹿馬鹿しいくらいですがただ単に渡辺氏と江田氏が互いに反目し合ってケンカになっただけで、政治的利害は何も存在しないかと思います。
この二人は前回の参議院選挙以降からしっくりいってないことが公にも伝えられており、江田氏が勉強会を作ろうとしたら渡辺氏が激しく批判した上、その門で江田氏は幹事長職も下ろされています。初めから仲良しというわけじゃなかったもののこれまではうまくいっていたのがなぜ急に関係が悪化したのか、江田氏の影響力拡大を渡辺氏が牽制したためなのかどうかとか勉強不足でわかりかねますが、独立する江田氏に対して渡辺氏が「出て行け!」といったなどと報じられる辺りは感情のもつれが最大の原因と言って差し支えないかと思えます。
先ほども言った通り、私はみんなの党というのは江田氏の支えがあって初めて成り立つ政党だと考えておりました。それだけに江田氏が抜けるとなるとワニの歯が抜けるようなもので、さらに渡辺氏は過去にリクルート事件に関わって父親の足を引っ張ったといった迂闊な性格が未だに尚っていないように見えるだけに、みんなの党はこのまま瓦解していくと予想するわけです。
では江田氏が新しく作る政党はどうなるのか。今後の状況にもよりますが順当に行くならやっぱり自民党に合流する方向に向かってくんじゃないかと思います。別に悪いことじゃないんだけど、政治票をする立場からすると与党ばっか強くなっても書き辛いんだよねぇってのが本音です。
各所の報道で皆さんも知っているかと思いますが、先日に成立した特定秘密保護法案の作成過程において修正協議に応じたみんなの党が見事なまでに分裂しました。分裂の主役は現党首の渡辺善美氏と前幹事長の江田憲司氏で、江田氏が党内の議員十人以上を引き連れて独立するような形で袂を分かつこととなりました。今後のみんなの党の先行きについて先に私の見方を述べると、恐らくこのまま瓦解するかと思います。
まず今回の主役である二人について先に述べると、渡辺氏は故渡辺美智雄の息子でいわゆる二世政治家です。彼が表舞台に出てきたのは奇しくも第一次安倍内閣において公務員制度改革の責任者となった時で、この時期にかなり激しい内容の改革案を作成したものの次の福田康夫政権でこの案は却下され、公務員改革が最も急務な改革であることを主張して離党、独立をしました。
この独立時というかみんなの党の結党に参加したのが、それまで自民党に近い立場をとりつつも無所属で居続けた江田憲司氏です。江田氏は故橋本竜太郎が首相だった頃に通産省から首相秘書官として移り、当時の行政改革にも携わった人間の一人であります。
私はみんなの党が結党された際、正直な所渡辺氏にはあまり期待はしていませんでした。というのも渡辺氏は厳しい評価となりますが起こったり嬉しかったりといった感情をすぐに顔に出す性格で、政治家としては小物の部類に含まれる特徴があったからです。ただ彼の主張する公務員改革の必要性は理解でき、誰か理解者の下であれば猪突猛進に活躍できるだろうけど政党の党首としては外よりも内に敵を作るタイプなだけに明らかに向いていないという印象を覚えました。
しかしそのみんなの党に江田氏が参加すると聞き、この党への評価は一変しました。というのもあまりこのブログでは言及していませんでしたが江田氏に関してはかねてから高く評価しており、そのスマートな振る舞いから造詣の深い政治知識など、 現役の政治家としては屈指の実力者というように見ていました。それだけにこの人がサポートに付くのであればこの政党は面白いことになると見て、実際にこれまでの選挙ではみんなの党に投票することが多かったです。
実際にうまくいったかどうかは別として数多くの政党が出来ては消えていく中、みんなの党は数度の選挙を経ながら着実に議席数を伸ばしていきました。そこへ至って今回の騒動が起きたのですが、もうちょっとお互いに辛抱していたら立派な野党になれたのかもしれないのにねと思わざるを得ません。
それで今回の分裂の原因について私の個人的な見解を述べますが、江田氏は独立理由をみんなの党が与党自民党にすり寄っていき国民の意思を無視し始めたためなどと述べていますが、これは江田氏の嘘だといっていいでしょう。その理由というのも江田氏は無所属時代から自民党寄りの政策を主張しており、現在においてもその価値観は大きく変化しているとはとてもじゃないけど思えないからです。では何が分裂の真の理由かというと、もったいぶっていうのも馬鹿馬鹿しいくらいですがただ単に渡辺氏と江田氏が互いに反目し合ってケンカになっただけで、政治的利害は何も存在しないかと思います。
この二人は前回の参議院選挙以降からしっくりいってないことが公にも伝えられており、江田氏が勉強会を作ろうとしたら渡辺氏が激しく批判した上、その門で江田氏は幹事長職も下ろされています。初めから仲良しというわけじゃなかったもののこれまではうまくいっていたのがなぜ急に関係が悪化したのか、江田氏の影響力拡大を渡辺氏が牽制したためなのかどうかとか勉強不足でわかりかねますが、独立する江田氏に対して渡辺氏が「出て行け!」といったなどと報じられる辺りは感情のもつれが最大の原因と言って差し支えないかと思えます。
先ほども言った通り、私はみんなの党というのは江田氏の支えがあって初めて成り立つ政党だと考えておりました。それだけに江田氏が抜けるとなるとワニの歯が抜けるようなもので、さらに渡辺氏は過去にリクルート事件に関わって父親の足を引っ張ったといった迂闊な性格が未だに尚っていないように見えるだけに、みんなの党はこのまま瓦解していくと予想するわけです。
では江田氏が新しく作る政党はどうなるのか。今後の状況にもよりますが順当に行くならやっぱり自民党に合流する方向に向かってくんじゃないかと思います。別に悪いことじゃないんだけど、政治票をする立場からすると与党ばっか強くなっても書き辛いんだよねぇってのが本音です。
2013年12月8日日曜日
和食に関する報道で一言
今日は何にも予定が入っていない休日だったので自宅から半径500メートルも動かずに過ごしました。っても、このところの週末はいつも同じくらい動いていない気がするが。
で、動かず何してたかというとちまちま自分の作業を進めてたというのがメインですが、その一方でAmazonで大人買いした「ブロッケンブラッド」っていう漫画が午前に届いたので一気に読んでました。この漫画、以前から注目していて1巻だけは数ヶ月前に読み終えており、やはりすごい作品だと思って今回満を持してまとめ買いしたわけなのですが、これ単独でレビュー記事書いてもいいのですがあらすじを簡単に話すと、主人公は高校生の男の子なのにわけのわからない錬金術を使い、変身魔法少女となってコスプレマニアのおっさんなどといった変態と戦い合うといういろんな意味できわどい作品です。
この設定だけでも色々と笑えるのですがそれ以上に作者のセンスがいろいろとぶっ飛んでて、AKB48をパクッた「KGB48(ケイサツ・ガールズ・バタリオン48)」というバンドが出てくるわ、さらには「AKW47(アコウ47)」のグループ内ユニットとして「松の廊下斬りかかり隊」というのが出てきた時は「マジすげぇこの作者」とか思いました。
そういうのは置いといて今日ちょっとテレビを見ていて思うところがあったので一言だけ寸評入れます。その番組はNHKの海外ネットワークなのですが、先日に和食がユネスコの無形文化遺産に指定されたことから特集が組まれ、映し出された映像ではフランスの料理人が、「いい素材を選んでいたら和食にたどり着いた」とか、同じくフランスの一般人が魚の味噌漬けを家庭で作っているとかそういうのを報じてたたのですが、見ていて正直嘘くせぇと思いました。いや、出てきた人が仕込みだというつもりは毛頭ありませんが、少なくともこんな無批判で礼賛する人が大量にいるわけなくあくまで「こういう人もいる」くらいなんじゃないかと思ったわけです。
その上で個人的な意見を述べると、なんでヨーロッパを映したんだということにやや不満を覚えました。確かにフランスはフランス料理持っているだけあって料理大国なんだしそこでの和食の普及度というのは一つの参考値となりうるかもしれませんが、私としてはヨーロッパではなくアジア、それも贔屓を込めると香港を映せといいたいです。
というのも香港は日本の食品輸入額でずっとナンバー1の国で、いわば日本の食糧産業の最大のお得意先です。更に言えば日本食が本当に浸透しているところで、街中では回転寿司屋が当たり前のようにあちこち存在しており天ぷらうどんとかも余裕で食べられます。感覚的には日本人にとってのカレーくらいに普及しているように見えます。
ヨーロッパ市場の売上げも決して低くはないと思うのですが、やはり日本食の市場は香港、シンガポール、そして中国といったアジアが中心であり、もっとこういった市場の取材、特に現地の人間の反応とかどんな日本料理が人気なのかを取り上げるべきだと私は思います。さらに意地悪な言い方をすると、欧米が挌上でアジアが格下って見てない?ってちょっと聞きたいです。ま、実際にアジア人が日本食うまいっていうよりも欧米人が言った方が絵になりやすいんだけどね。
最後に中国人はどんな日本食を食べるかですが、まず寿司ネタで言えば圧倒的にサーモンの人気が高く、安い回転寿司屋行くとサーモンしか回っていないという笑えない事態に陥ります。なんでも、改革開放後に最初に入ってきた魚がサーモンだったからというのが理由らしいですが。
このほかだと地味にたい焼きやたこ焼きといったB級料理が変に普及してます。この二つはどうも台湾経由でかなり昔に入ってきたそうで、中にはたい焼きは中国の料理だと思い込んでいる中国人もいると聞きます。
おまけ
たい焼きに関しては韓国も同じように自国の料理だと信じている人がいるそうで、私の留学仲間のクラスでは「たい焼きは日本のものか、韓国のものか」で激論となり、最終的に「日本にはたい焼きの歌がある」という主張が通って日本のものと認定されたそうです(そのクラス内で)。なんというか子門真人さんのおかげかなぁとしみじみ思います。
で、動かず何してたかというとちまちま自分の作業を進めてたというのがメインですが、その一方でAmazonで大人買いした「ブロッケンブラッド」っていう漫画が午前に届いたので一気に読んでました。この漫画、以前から注目していて1巻だけは数ヶ月前に読み終えており、やはりすごい作品だと思って今回満を持してまとめ買いしたわけなのですが、これ単独でレビュー記事書いてもいいのですがあらすじを簡単に話すと、主人公は高校生の男の子なのにわけのわからない錬金術を使い、変身魔法少女となってコスプレマニアのおっさんなどといった変態と戦い合うといういろんな意味できわどい作品です。
この設定だけでも色々と笑えるのですがそれ以上に作者のセンスがいろいろとぶっ飛んでて、AKB48をパクッた「KGB48(ケイサツ・ガールズ・バタリオン48)」というバンドが出てくるわ、さらには「AKW47(アコウ47)」のグループ内ユニットとして「松の廊下斬りかかり隊」というのが出てきた時は「マジすげぇこの作者」とか思いました。
そういうのは置いといて今日ちょっとテレビを見ていて思うところがあったので一言だけ寸評入れます。その番組はNHKの海外ネットワークなのですが、先日に和食がユネスコの無形文化遺産に指定されたことから特集が組まれ、映し出された映像ではフランスの料理人が、「いい素材を選んでいたら和食にたどり着いた」とか、同じくフランスの一般人が魚の味噌漬けを家庭で作っているとかそういうのを報じてたたのですが、見ていて正直嘘くせぇと思いました。いや、出てきた人が仕込みだというつもりは毛頭ありませんが、少なくともこんな無批判で礼賛する人が大量にいるわけなくあくまで「こういう人もいる」くらいなんじゃないかと思ったわけです。
その上で個人的な意見を述べると、なんでヨーロッパを映したんだということにやや不満を覚えました。確かにフランスはフランス料理持っているだけあって料理大国なんだしそこでの和食の普及度というのは一つの参考値となりうるかもしれませんが、私としてはヨーロッパではなくアジア、それも贔屓を込めると香港を映せといいたいです。
というのも香港は日本の食品輸入額でずっとナンバー1の国で、いわば日本の食糧産業の最大のお得意先です。更に言えば日本食が本当に浸透しているところで、街中では回転寿司屋が当たり前のようにあちこち存在しており天ぷらうどんとかも余裕で食べられます。感覚的には日本人にとってのカレーくらいに普及しているように見えます。
ヨーロッパ市場の売上げも決して低くはないと思うのですが、やはり日本食の市場は香港、シンガポール、そして中国といったアジアが中心であり、もっとこういった市場の取材、特に現地の人間の反応とかどんな日本料理が人気なのかを取り上げるべきだと私は思います。さらに意地悪な言い方をすると、欧米が挌上でアジアが格下って見てない?ってちょっと聞きたいです。ま、実際にアジア人が日本食うまいっていうよりも欧米人が言った方が絵になりやすいんだけどね。
最後に中国人はどんな日本食を食べるかですが、まず寿司ネタで言えば圧倒的にサーモンの人気が高く、安い回転寿司屋行くとサーモンしか回っていないという笑えない事態に陥ります。なんでも、改革開放後に最初に入ってきた魚がサーモンだったからというのが理由らしいですが。
このほかだと地味にたい焼きやたこ焼きといったB級料理が変に普及してます。この二つはどうも台湾経由でかなり昔に入ってきたそうで、中にはたい焼きは中国の料理だと思い込んでいる中国人もいると聞きます。
おまけ
たい焼きに関しては韓国も同じように自国の料理だと信じている人がいるそうで、私の留学仲間のクラスでは「たい焼きは日本のものか、韓国のものか」で激論となり、最終的に「日本にはたい焼きの歌がある」という主張が通って日本のものと認定されたそうです(そのクラス内で)。なんというか子門真人さんのおかげかなぁとしみじみ思います。
2013年12月7日土曜日
上海忍者との邂逅
・「一人っ子政策」違反、チャン監督相手取り170億円の訴訟(AFP=時事)
本題と全く関係ありませんが上記リンク先の記事で誤植見つけちゃいました。もしかしたらアップ後に修正されているかもしれませんが、該当箇所はチャンイーモウ監督に対する請求賠償金額で、第一段では「10億元(約170億円)」と書いてあるのに第三段では、
「弁護士がチャン監督に支払いを求めた100億元の内訳は、5億元(約84億円)が『公的資金への補償』、残りの5億元が『懲罰的損害賠償金』としているが」
となっています。残りの90億元はどこ行ったのか気になりますが、これくらいはさすがに校正係も気づけよなぁ。
話は本題に入りますが昨日今日とこのブログにコメントをよく書く上海忍者と合っていました。彼は自分の大学時代のゼミの同期で、コメントみてりゃわかると思うけど中国人です。
彼とはもともと大学での学年は異なっておりましたが自分が北京に留学に行ったことから一学年落ち、三回生の後期から同じゼミとなり知り合いました。ゼミにいた間からも仲は良かったですが大学卒業後、二人とも就職先で東京勤務となったことから休日によく秋葉原とかで落ち会う機会も増えてさらにその関係は深まったのですが、2009年に彼が仕事の関係で出身地である上海に赴任することとなった際はしばらく会えなくなるなぁ等と考えていました。その予想は大きく外れることとなったのですが。
ブログでも書いている通りに2010年の後半から自分も中国に渡って転職することとなり、その際には住居の確保など様々な面で上海忍者からバックアップを受け、向こうにいる間は本当にしょっちゅう会ってました。そもそも中国に転職しようと考えたのは色々ときっかけはありますが、彼から「君も早く上海に来なさい」と度々言われていたこともあり、いい意味で彼には人生を変えられたと思います。ただ実際に転職を果たした後にこのことを彼に伝えると、「僕はまさか本当に君が来るとは思わなかった」と言われて、ちょっと「えぇ(;゚д゚)」とか思ったりしましたが。
話は現在に戻しますが、今回彼は旅行目的で来日してきました。昨晩は東京上野で落ち合ったのですが、何食べるかと相談した所、「鳥貴族がいい」とやけに具体的な指定があったので取り貴族にしました。ちなみに店に入った際、「鳥貴族くると日本で生活した時代を思い出す」と彼は言いましたが私は、「俺はむしろ、君といった上海にある鳥貴族を思い出す」と言い返しました。
そこで話した話題は取り留めのないものでしたが、問題だったのは座った座席でした。当時、金曜の晩ということから店内は混雑しており、20分くらい待って入店したこともあって座席は狭いカウンターだったのですが、何故かその座席は二人掛けの座席で、同じタイプの座席には自分たち以外にはカップルしか座っていませんでした。そのためお互いに、「これじゃ俺らゲイカップルだよ」なんて言い合って、上海忍者も自分との間にかばんを置き、「ここが我々の38度線ね」といい、「その一線越えたらどうなるんだよ」と聞いたらなんかお茶を濁されました。
でもって今日も午前から午後にかけてまた合流して二人で東京をうろうろしてましたが、まぁ普段通りというかいつもみたいにゲイネタを交えつつのんびり過ごしました。彼と会うのは実質9ヶ月ぶりですがどうせ自分も上海に行く機会が今後も多くあるだろうし、逆に彼も日本に来る機会が定期的にあるだろうし、お互い懐かしあうとかそういう感情はほぼ全く芽生えませんでした。
彼は今頃大阪にいるでしょうが、国境を越えた知り合いがいるというのも悪くはない気がします。
本題と全く関係ありませんが上記リンク先の記事で誤植見つけちゃいました。もしかしたらアップ後に修正されているかもしれませんが、該当箇所はチャンイーモウ監督に対する請求賠償金額で、第一段では「10億元(約170億円)」と書いてあるのに第三段では、
「弁護士がチャン監督に支払いを求めた100億元の内訳は、5億元(約84億円)が『公的資金への補償』、残りの5億元が『懲罰的損害賠償金』としているが」
となっています。残りの90億元はどこ行ったのか気になりますが、これくらいはさすがに校正係も気づけよなぁ。
話は本題に入りますが昨日今日とこのブログにコメントをよく書く上海忍者と合っていました。彼は自分の大学時代のゼミの同期で、コメントみてりゃわかると思うけど中国人です。
彼とはもともと大学での学年は異なっておりましたが自分が北京に留学に行ったことから一学年落ち、三回生の後期から同じゼミとなり知り合いました。ゼミにいた間からも仲は良かったですが大学卒業後、二人とも就職先で東京勤務となったことから休日によく秋葉原とかで落ち会う機会も増えてさらにその関係は深まったのですが、2009年に彼が仕事の関係で出身地である上海に赴任することとなった際はしばらく会えなくなるなぁ等と考えていました。その予想は大きく外れることとなったのですが。
ブログでも書いている通りに2010年の後半から自分も中国に渡って転職することとなり、その際には住居の確保など様々な面で上海忍者からバックアップを受け、向こうにいる間は本当にしょっちゅう会ってました。そもそも中国に転職しようと考えたのは色々ときっかけはありますが、彼から「君も早く上海に来なさい」と度々言われていたこともあり、いい意味で彼には人生を変えられたと思います。ただ実際に転職を果たした後にこのことを彼に伝えると、「僕はまさか本当に君が来るとは思わなかった」と言われて、ちょっと「えぇ(;゚д゚)」とか思ったりしましたが。
話は現在に戻しますが、今回彼は旅行目的で来日してきました。昨晩は東京上野で落ち合ったのですが、何食べるかと相談した所、「鳥貴族がいい」とやけに具体的な指定があったので取り貴族にしました。ちなみに店に入った際、「鳥貴族くると日本で生活した時代を思い出す」と彼は言いましたが私は、「俺はむしろ、君といった上海にある鳥貴族を思い出す」と言い返しました。
そこで話した話題は取り留めのないものでしたが、問題だったのは座った座席でした。当時、金曜の晩ということから店内は混雑しており、20分くらい待って入店したこともあって座席は狭いカウンターだったのですが、何故かその座席は二人掛けの座席で、同じタイプの座席には自分たち以外にはカップルしか座っていませんでした。そのためお互いに、「これじゃ俺らゲイカップルだよ」なんて言い合って、上海忍者も自分との間にかばんを置き、「ここが我々の38度線ね」といい、「その一線越えたらどうなるんだよ」と聞いたらなんかお茶を濁されました。
でもって今日も午前から午後にかけてまた合流して二人で東京をうろうろしてましたが、まぁ普段通りというかいつもみたいにゲイネタを交えつつのんびり過ごしました。彼と会うのは実質9ヶ月ぶりですがどうせ自分も上海に行く機会が今後も多くあるだろうし、逆に彼も日本に来る機会が定期的にあるだろうし、お互い懐かしあうとかそういう感情はほぼ全く芽生えませんでした。
彼は今頃大阪にいるでしょうが、国境を越えた知り合いがいるというのも悪くはない気がします。
2013年12月5日木曜日
平成史考察~通信傍受法と国旗国歌法の成立(1999年)
昨日に引き続き平成史考察の記事です。今日は1999年当時にメディアなどによって「悪法」と名指しされた二つの法律の成立当時を振り返ります。
・犯罪捜査のための通信傍受に関する法律
・国旗及び国歌に関する法律(Wikipedia)
上記の二つの法律が今回取り上げる題材ですが、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」は「通信傍受法」、「国旗及び国家に関する法律」は「国旗国歌法」という通称がされているのでこの記事でもこの通称を用いて話を進めます。
それぞれの法律を簡単に説明すると、まず後者の方は読んでそのままで国旗は日の丸、国歌は君が代ということを明記したもので、前者の通信傍受法は平たく言うと暴力団などの組織犯罪に対する捜査において裁判所などの手続きを踏んだ上で盗聴行為を行うことを認める法律です。両者とも法案の審議過程では野党、メディアの双方から激しく批判され、「こんな悪法がよりによって二つも成立するなんて!」ていう論調で報じられていたことを私自身も強く覚えています。
一瞬書くのを悩みましたが、当時に私は中学生でしたが中学の社会科の教師がちょこっとだけこの二法に言及して、「悪法などと呼ばれている法律が二つ通りました」と話題にしてたのが印象に残っています。もっともこの時の先生の話し方は感情は入っておらずただ単に国会での動きを取り上げただけだったので問題は全くなかったと思いますが、そのように授業でもちょっと話題になったことだけを書いておくことにします。
話は戻りますが、一体何故この二つの法案が議論の的になったのかをまた軽く解説します。まず国旗国歌法案に関しては今もまだ公立学校にいますが卒業式などで君が代斉唱を拒否したり、拒否するよう生徒に促す現場教師が徐々に見え始めるようになり、現場と教育委員会の間に立つ校長先生が法律に書かれていないのもあって強制し辛いと言った声があり、じゃあこの際だしはっきりさせようという具合で立法されました。しかし国旗も国歌も強制されて歌うのはどんなものか、国民が自分の意思で選ぶべきなのではなどと言う自主性を重んじた反対意見のほか、君が代は戦前からの国歌で軍国主義を惹起させるほか、歌詞が天皇への崇拝の意味しか持ってないため国歌として相応しくないという意見もありました。
こうした議論の中で覚えていることを挙げてくと、どっかの新聞は君が代に代わる国歌として「ふるさと」を提案してましたが、なんていうかポイントが違う様な気が今だとします。このほか先程の軍国主義を惹起させるという意見に対しては反対意見として、フランスの国歌の「ラ・マルセイエーズ」の歌詞には「ファッキンな敵兵をぶっ殺してドブに捨てちまえ!」っというような内容の文言も盛り込まれていて、それに比べればかわいいものだという声も出てました。
そのほかにも、これは大分後になって佐藤優氏が自著にて国旗も国家も法律として規定するべきではなく悪法だという意見を書いております。佐藤氏の主張によると、どちらも法律に書かれてなくても国民が想起できることがベストであり、法律化してしまうと変更しようと思ったら変更できてしまうリスクが生まれるとして廃止を求めていました。やっぱ視点が一味違う人だなぁ。
当時の私の印象だと、国旗に関してはそれほど反対意見は出ておらずやはり国歌を君が代にする点が大きくクローズアップされていた気がします。私個人としても君が代は歌う機会もそんなに多くないし、あとあの独特のテンポがなんか妙に歌い辛いこともあってもし代案があるなら検討した方がいいのでは、ないならないで新しいのを作らせたらいいのではなんていう事を友人と話してました。なお、じゃあ誰に作らせればいいかという点に関しては、「さだまさしでいいんじゃね( ゚д゚)」って結論に落ち着き、何だったらさだまさし氏の「関白宣言」という曲をそのま使ってもアリかもなどと言ってました。
国旗国歌法に関してはここまでにしてもう一つの通信傍受法に話を移します。この法案も審議当時は散々に叩かれており、具体的には警察が無制限に盗聴活動を行うことによって犯罪とは関係のない民間人も盗聴される可能性がある、プライバシーが侵害されるなどという批判が毎日テレビで報じられていました。
結論から述べると、成立からもう10年以上も経ちますがこの法律に規定された捜査機関による盗聴が民間人のプライバシーが侵害されたとかいう話は全くと言っていいほど聞きません。そもそもこの法律で規定された通信傍受が認められるのは年間でも十数件くらいらしくそんなに量が多くないってのもありますが、あれだけ大騒ぎしていた割にはなんだよこれはとかちょっと思います。こういってはなんですが騒ぎ損でしょう。
当時、盗んだバイクで走り出しそうな年齢だった私自身は、そもそも私生活でサツに聞かれちゃまずいような内容を口にするかといったらそんなことはないし、排泄など聞かれたらちょっと恥ずかしい音はたてるもののそんな音をわざわざ盗聴することはないだろうと思って普通に考えれば市民はノーダメージな法律だと思っていました。その上でこの法律によって犯罪組織に対する捜査が広がるのであれば市民にとってはプラスなのだし、何を以ってか世論は反対するのだろうか、自分のプライバシーに盗聴されるだけの価値を持っていると自惚れているのかということを決して誇張ではなく、本気で当時にそう思って周りにも口にしてました。
今回、なんで1999年のこの二つの法案成立を取り上げたのかというと、いうまでもなくこのところこのブログでも度々取り上げている特定秘密保護法案に対する野党、そしてメディアの対応への不満がきっかけです。この特定秘密保護法案は現在進行形でやんやかんやと批判的に報じられていますが、きっと1999年時と同様に騒ぎ損で終わることになるだろうという予言を書いておこうと思い、また当時と比較するのに面白いと思ったからこそ書き残そうと考えました。
それにしても今回の特定秘密保護法案に対するメディアの報道の仕方は目に余ります。中には「この法律でプライバシーが侵害される」なんていう全く脈絡のない批判意見まで出てくる始末で、そもそも他人や企業のプライバシーを暴くのがジャーナリストの仕事だってのに何言ってるんだこいつらはと呆れてきます。ある著名ジャーナリストなんかこの特定秘密保護法案が成立すると日本の民主主義が滅びると言ってましたが、そのまえに日本のジャーナリズムを心配しろよと亜流のジャーナリストは思うわけです。
おまけ
国旗国歌法に関しては当時に中学生の自分が作った、仲間内で回すだけの文芸同人誌で評論文みたいなのを書いておりました。当時は小説家志望でしたがそれらの同人誌に載せた社会批評文が自分で見てもどれもいい出来で、また書いてて素直に楽しいと思うようになったことからこの時辺りを境にジャーナリストへと志望を転回することとなったわけです。
なお最初に作った同人誌は友達数人を誘って一緒に作りましたが、その友人らは役に立つどころか足を引っ張る始末で開始二号で廃刊に。この時を境に「他人はクズだ、頼れるのは自分の腕力だけ」という妙な信念を持つに至りました。でもって高校生の頃に今度は一人だけでまた小説メインの同人誌を作りましたが、誌名は何故だか「文化大革命」にしてしまい、友人に渡すところを担任の社会科の教師に見られてしまい、「すごいタイトルだね(;´∀`)」なんて言われたのを昨日のことのように覚えています。あの頃は中身の小説も自分で書いて、表紙絵も描いて、でもってタイトルは筆ペンで書くという有様でしたが、目的に向かって突き進むパワーは高校生として見たら大したものだったと今思えます。
・犯罪捜査のための通信傍受に関する法律
・国旗及び国歌に関する法律(Wikipedia)
上記の二つの法律が今回取り上げる題材ですが、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」は「通信傍受法」、「国旗及び国家に関する法律」は「国旗国歌法」という通称がされているのでこの記事でもこの通称を用いて話を進めます。
それぞれの法律を簡単に説明すると、まず後者の方は読んでそのままで国旗は日の丸、国歌は君が代ということを明記したもので、前者の通信傍受法は平たく言うと暴力団などの組織犯罪に対する捜査において裁判所などの手続きを踏んだ上で盗聴行為を行うことを認める法律です。両者とも法案の審議過程では野党、メディアの双方から激しく批判され、「こんな悪法がよりによって二つも成立するなんて!」ていう論調で報じられていたことを私自身も強く覚えています。
一瞬書くのを悩みましたが、当時に私は中学生でしたが中学の社会科の教師がちょこっとだけこの二法に言及して、「悪法などと呼ばれている法律が二つ通りました」と話題にしてたのが印象に残っています。もっともこの時の先生の話し方は感情は入っておらずただ単に国会での動きを取り上げただけだったので問題は全くなかったと思いますが、そのように授業でもちょっと話題になったことだけを書いておくことにします。
話は戻りますが、一体何故この二つの法案が議論の的になったのかをまた軽く解説します。まず国旗国歌法案に関しては今もまだ公立学校にいますが卒業式などで君が代斉唱を拒否したり、拒否するよう生徒に促す現場教師が徐々に見え始めるようになり、現場と教育委員会の間に立つ校長先生が法律に書かれていないのもあって強制し辛いと言った声があり、じゃあこの際だしはっきりさせようという具合で立法されました。しかし国旗も国歌も強制されて歌うのはどんなものか、国民が自分の意思で選ぶべきなのではなどと言う自主性を重んじた反対意見のほか、君が代は戦前からの国歌で軍国主義を惹起させるほか、歌詞が天皇への崇拝の意味しか持ってないため国歌として相応しくないという意見もありました。
こうした議論の中で覚えていることを挙げてくと、どっかの新聞は君が代に代わる国歌として「ふるさと」を提案してましたが、なんていうかポイントが違う様な気が今だとします。このほか先程の軍国主義を惹起させるという意見に対しては反対意見として、フランスの国歌の「ラ・マルセイエーズ」の歌詞には「ファッキンな敵兵をぶっ殺してドブに捨てちまえ!」っというような内容の文言も盛り込まれていて、それに比べればかわいいものだという声も出てました。
そのほかにも、これは大分後になって佐藤優氏が自著にて国旗も国家も法律として規定するべきではなく悪法だという意見を書いております。佐藤氏の主張によると、どちらも法律に書かれてなくても国民が想起できることがベストであり、法律化してしまうと変更しようと思ったら変更できてしまうリスクが生まれるとして廃止を求めていました。やっぱ視点が一味違う人だなぁ。
当時の私の印象だと、国旗に関してはそれほど反対意見は出ておらずやはり国歌を君が代にする点が大きくクローズアップされていた気がします。私個人としても君が代は歌う機会もそんなに多くないし、あとあの独特のテンポがなんか妙に歌い辛いこともあってもし代案があるなら検討した方がいいのでは、ないならないで新しいのを作らせたらいいのではなんていう事を友人と話してました。なお、じゃあ誰に作らせればいいかという点に関しては、「さだまさしでいいんじゃね( ゚д゚)」って結論に落ち着き、何だったらさだまさし氏の「関白宣言」という曲をそのま使ってもアリかもなどと言ってました。
国旗国歌法に関してはここまでにしてもう一つの通信傍受法に話を移します。この法案も審議当時は散々に叩かれており、具体的には警察が無制限に盗聴活動を行うことによって犯罪とは関係のない民間人も盗聴される可能性がある、プライバシーが侵害されるなどという批判が毎日テレビで報じられていました。
結論から述べると、成立からもう10年以上も経ちますがこの法律に規定された捜査機関による盗聴が民間人のプライバシーが侵害されたとかいう話は全くと言っていいほど聞きません。そもそもこの法律で規定された通信傍受が認められるのは年間でも十数件くらいらしくそんなに量が多くないってのもありますが、あれだけ大騒ぎしていた割にはなんだよこれはとかちょっと思います。こういってはなんですが騒ぎ損でしょう。
当時、盗んだバイクで走り出しそうな年齢だった私自身は、そもそも私生活でサツに聞かれちゃまずいような内容を口にするかといったらそんなことはないし、排泄など聞かれたらちょっと恥ずかしい音はたてるもののそんな音をわざわざ盗聴することはないだろうと思って普通に考えれば市民はノーダメージな法律だと思っていました。その上でこの法律によって犯罪組織に対する捜査が広がるのであれば市民にとってはプラスなのだし、何を以ってか世論は反対するのだろうか、自分のプライバシーに盗聴されるだけの価値を持っていると自惚れているのかということを決して誇張ではなく、本気で当時にそう思って周りにも口にしてました。
今回、なんで1999年のこの二つの法案成立を取り上げたのかというと、いうまでもなくこのところこのブログでも度々取り上げている特定秘密保護法案に対する野党、そしてメディアの対応への不満がきっかけです。この特定秘密保護法案は現在進行形でやんやかんやと批判的に報じられていますが、きっと1999年時と同様に騒ぎ損で終わることになるだろうという予言を書いておこうと思い、また当時と比較するのに面白いと思ったからこそ書き残そうと考えました。
それにしても今回の特定秘密保護法案に対するメディアの報道の仕方は目に余ります。中には「この法律でプライバシーが侵害される」なんていう全く脈絡のない批判意見まで出てくる始末で、そもそも他人や企業のプライバシーを暴くのがジャーナリストの仕事だってのに何言ってるんだこいつらはと呆れてきます。ある著名ジャーナリストなんかこの特定秘密保護法案が成立すると日本の民主主義が滅びると言ってましたが、そのまえに日本のジャーナリズムを心配しろよと亜流のジャーナリストは思うわけです。
おまけ
国旗国歌法に関しては当時に中学生の自分が作った、仲間内で回すだけの文芸同人誌で評論文みたいなのを書いておりました。当時は小説家志望でしたがそれらの同人誌に載せた社会批評文が自分で見てもどれもいい出来で、また書いてて素直に楽しいと思うようになったことからこの時辺りを境にジャーナリストへと志望を転回することとなったわけです。
なお最初に作った同人誌は友達数人を誘って一緒に作りましたが、その友人らは役に立つどころか足を引っ張る始末で開始二号で廃刊に。この時を境に「他人はクズだ、頼れるのは自分の腕力だけ」という妙な信念を持つに至りました。でもって高校生の頃に今度は一人だけでまた小説メインの同人誌を作りましたが、誌名は何故だか「文化大革命」にしてしまい、友人に渡すところを担任の社会科の教師に見られてしまい、「すごいタイトルだね(;´∀`)」なんて言われたのを昨日のことのように覚えています。あの頃は中身の小説も自分で書いて、表紙絵も描いて、でもってタイトルは筆ペンで書くという有様でしたが、目的に向かって突き進むパワーは高校生として見たら大したものだったと今思えます。
2013年12月4日水曜日
平成史考察~野茂英雄のメジャー挑戦(1995年)
仮に尊敬する人は誰かと聞かれるのであれば、私ならいの一番にほかならぬ野茂英雄氏の名前を挙げます。なんでまたこの人を尊敬しているのかというとその野球での実績以上に日本人野球選手に対してメジャーへの道を切り開いたパイオニアとなったことに尽き、そこで今日は米野球協会殿堂入りにノミネートされたこともありますし、ほぼ放置していたこの企画不定期連載で取り上げようと思います。
野茂氏が日本球界からメジャー球団であるドジャースに移籍したのは1995年でした。野茂氏は1990年にプロデビューしていますから日本での実働5年を経て、プロとして6年目からアメリカに渡ったということとなります。
現在でこそメジャーに挑戦する日本人選手は今話題の田中将大選手を初め、行ってみて本当に上手くいくのかが楽しみなロッテのミスターサブマリンこと渡辺俊介選手など枚挙にいとまがなく、高校生の時点でメジャーを希望する選手まで出てきております。しかし野茂氏がドジャースに移籍した当時はメジャーなど別世界という感覚であり、向こうは向こう、日本は日本と完全に分け隔てて考えられていたように思います。
では何故そんな別世界に野茂氏は飛び込んだのでしょうか。現在メジャーに渡る選手のようにより高いレベルでの世界でプレイしたいというプロ選手ならではの欲求もあったのかもしれませんが、巷間で伝えられている内容を聞く限りですとそれはやはり二の次で、単純に日本球界で野茂氏がプレイする道がほぼ閉ざされていたことが最大の原因でしょう。
この辺りの過程についてはウィキペディアに詳しく解説されておりますが、野茂氏は1994年のシーズンを終えた後の近鉄球団との契約更改で球団側と大きく揉めます。元近鉄ファンの方に対して非常に失礼であることは百も承知ですが、この球団は後年にも数多くの選手と契約交渉で騒動起こしたり、末期には球団のネーミングライセンスを他社に売却しようとするなど本気で経営する気がほとんど感じられないほど問題がある球団でした。一説によるとこの時の契約更改でも、優勝すると選手の年俸を上げなくてはいけないから2位くらいの成績が一番いいなどという球団幹部の放言も出ていたそうです。
話は野茂氏に戻りますが、複数年契約等を求める野茂氏に対して球団側は即座に拒否した上でマスコミに対し、野茂氏は年俸を引き上げるために交渉を長引かせているなどという悪辣な情報を流していました。また当時の近鉄監督である鈴木啓示氏と野茂氏の間ではプレイや調整法などで激しく対立があり、かといって当時においてほぼナンバー1の投手であった野茂氏を他球団に放出する考えは近鉄になく、野茂氏が自分の意図するように野球を行おうにも日本では行えないような状況となっておりました。このように交渉が難航した結果、日本球界に復帰する際は近鉄が所有権を持つことなどを条件に米球団への移籍を球団に認めさせ、野茂氏はドジャース入りすることとなります。
当時のチームメイトなどによると野茂氏自身は必ずしもメジャーにいきたかったわけでなく、単純に近鉄球団ではプレイできないためだと漏らしていたそうです。私もこの話は本当だと思え、その理由というのもメジャーへの移籍によって野茂氏の年俸は前年の十分の一以下である約980万円まで落ち込んだからです。またメジャーに行く前に記者に対して言った、「僕は英語を覚えるためにアメリカに行くわけじゃない。野球をやりに行くんです」というセリフが彼の強い決意を物語っていると思えます。
こうして海を渡った野茂氏に対して当時の日本メディアは、当時子供だったので正直なところあまり良く覚えていないのですが、少なくとも「頑張っていって来い!」というよりは「散々交渉こじらせて我侭で勝手に飛び出していった」といったような、冷淡な扱いだったと聞きます。かすかな自分の記憶を辿っても、「新たな日本人メジャーリーガーが誕生、勇気をもってアメリカに挑戦!」というようなフレーズは当時聞いた覚えがありません。
当時の心境は本人のみぞ知る所でしょうが、傍目にも決して気分のいいものではなかったことでしょう。ただ野茂氏のさすがともいうべきところはそのような逆境の中、ましてや環境が全く異なるアメリカのグラウンドで桁違いの脱三振率と防御率を叩きだすという実績を残した点です。その活躍ぶりは現地アメリカ人も認めるほどで、また当時のメジャーリーグは選手のストライキ問題で人気が低迷した中だったそうですが、トルネード投法と呼ばれる野茂氏の独特なフォームが大きな注目を呼んで観客動員数の増加に貢献したと言われ、実際に当時のチームメイトから野茂氏は「お前はメジャーを救った」という言葉をかけられたそうです。
この時の野茂フィーバーは私もよく覚えており、確か同年にブレイクしたイチロー選手が日産のCMに出て好評を博したことから、シーズンを終えて帰国した野茂氏に対してトヨタがすぐに契約してCM出演していたはずです。もっとも、イチロー選手ほど売り上げを伸ばすには至らなかったようですが。
その後、野茂氏はアメリカでプレイし続け二度のノーヒットノーランを初め輝かしい記録を作った上で2008年に引退します。私が野茂氏を尊敬するのは半ば日本から追い出されるような逆境の中、自らの実力で以って世間に自らを認めさせたことと、未踏とも言っていいメジャーへの移籍を実現した上でその道を開拓したためです。仮に野茂氏がいなければ現代の様に多くの日本人選手がメジャーでプレイしていたかとなるとやや疑問で、仮にプレイしていても今ほど多くなかったことは確実でしょう。このような意味から野茂氏はしばしば「開拓者」と呼ばれますが、現代においてこの呼び名が最も相応しい人物だと私も思えます。
なお自分が中国へ渡り転職したのは26歳の頃でしたが、たまたまですが野茂氏がメジャーに渡ったのも26歳で、全然次元も難易度も違いますが野茂氏と同じ年で海外に渡ったというのが自分の一つの自慢です。
野茂氏が日本球界からメジャー球団であるドジャースに移籍したのは1995年でした。野茂氏は1990年にプロデビューしていますから日本での実働5年を経て、プロとして6年目からアメリカに渡ったということとなります。
現在でこそメジャーに挑戦する日本人選手は今話題の田中将大選手を初め、行ってみて本当に上手くいくのかが楽しみなロッテのミスターサブマリンこと渡辺俊介選手など枚挙にいとまがなく、高校生の時点でメジャーを希望する選手まで出てきております。しかし野茂氏がドジャースに移籍した当時はメジャーなど別世界という感覚であり、向こうは向こう、日本は日本と完全に分け隔てて考えられていたように思います。
では何故そんな別世界に野茂氏は飛び込んだのでしょうか。現在メジャーに渡る選手のようにより高いレベルでの世界でプレイしたいというプロ選手ならではの欲求もあったのかもしれませんが、巷間で伝えられている内容を聞く限りですとそれはやはり二の次で、単純に日本球界で野茂氏がプレイする道がほぼ閉ざされていたことが最大の原因でしょう。
この辺りの過程についてはウィキペディアに詳しく解説されておりますが、野茂氏は1994年のシーズンを終えた後の近鉄球団との契約更改で球団側と大きく揉めます。元近鉄ファンの方に対して非常に失礼であることは百も承知ですが、この球団は後年にも数多くの選手と契約交渉で騒動起こしたり、末期には球団のネーミングライセンスを他社に売却しようとするなど本気で経営する気がほとんど感じられないほど問題がある球団でした。一説によるとこの時の契約更改でも、優勝すると選手の年俸を上げなくてはいけないから2位くらいの成績が一番いいなどという球団幹部の放言も出ていたそうです。
話は野茂氏に戻りますが、複数年契約等を求める野茂氏に対して球団側は即座に拒否した上でマスコミに対し、野茂氏は年俸を引き上げるために交渉を長引かせているなどという悪辣な情報を流していました。また当時の近鉄監督である鈴木啓示氏と野茂氏の間ではプレイや調整法などで激しく対立があり、かといって当時においてほぼナンバー1の投手であった野茂氏を他球団に放出する考えは近鉄になく、野茂氏が自分の意図するように野球を行おうにも日本では行えないような状況となっておりました。このように交渉が難航した結果、日本球界に復帰する際は近鉄が所有権を持つことなどを条件に米球団への移籍を球団に認めさせ、野茂氏はドジャース入りすることとなります。
当時のチームメイトなどによると野茂氏自身は必ずしもメジャーにいきたかったわけでなく、単純に近鉄球団ではプレイできないためだと漏らしていたそうです。私もこの話は本当だと思え、その理由というのもメジャーへの移籍によって野茂氏の年俸は前年の十分の一以下である約980万円まで落ち込んだからです。またメジャーに行く前に記者に対して言った、「僕は英語を覚えるためにアメリカに行くわけじゃない。野球をやりに行くんです」というセリフが彼の強い決意を物語っていると思えます。
こうして海を渡った野茂氏に対して当時の日本メディアは、当時子供だったので正直なところあまり良く覚えていないのですが、少なくとも「頑張っていって来い!」というよりは「散々交渉こじらせて我侭で勝手に飛び出していった」といったような、冷淡な扱いだったと聞きます。かすかな自分の記憶を辿っても、「新たな日本人メジャーリーガーが誕生、勇気をもってアメリカに挑戦!」というようなフレーズは当時聞いた覚えがありません。
当時の心境は本人のみぞ知る所でしょうが、傍目にも決して気分のいいものではなかったことでしょう。ただ野茂氏のさすがともいうべきところはそのような逆境の中、ましてや環境が全く異なるアメリカのグラウンドで桁違いの脱三振率と防御率を叩きだすという実績を残した点です。その活躍ぶりは現地アメリカ人も認めるほどで、また当時のメジャーリーグは選手のストライキ問題で人気が低迷した中だったそうですが、トルネード投法と呼ばれる野茂氏の独特なフォームが大きな注目を呼んで観客動員数の増加に貢献したと言われ、実際に当時のチームメイトから野茂氏は「お前はメジャーを救った」という言葉をかけられたそうです。
この時の野茂フィーバーは私もよく覚えており、確か同年にブレイクしたイチロー選手が日産のCMに出て好評を博したことから、シーズンを終えて帰国した野茂氏に対してトヨタがすぐに契約してCM出演していたはずです。もっとも、イチロー選手ほど売り上げを伸ばすには至らなかったようですが。
その後、野茂氏はアメリカでプレイし続け二度のノーヒットノーランを初め輝かしい記録を作った上で2008年に引退します。私が野茂氏を尊敬するのは半ば日本から追い出されるような逆境の中、自らの実力で以って世間に自らを認めさせたことと、未踏とも言っていいメジャーへの移籍を実現した上でその道を開拓したためです。仮に野茂氏がいなければ現代の様に多くの日本人選手がメジャーでプレイしていたかとなるとやや疑問で、仮にプレイしていても今ほど多くなかったことは確実でしょう。このような意味から野茂氏はしばしば「開拓者」と呼ばれますが、現代においてこの呼び名が最も相応しい人物だと私も思えます。
なお自分が中国へ渡り転職したのは26歳の頃でしたが、たまたまですが野茂氏がメジャーに渡ったのも26歳で、全然次元も難易度も違いますが野茂氏と同じ年で海外に渡ったというのが自分の一つの自慢です。
2013年12月3日火曜日
伊藤博文に対する日本メディアの浮き足
先程ちょっとコメント欄に書きましたが実は最近、またぞろ小説でも書いてみたいなと考え始めています。私が何で毎日こんなだだ長いブログを書けるのかというと無駄なものにやけに集中力を発揮出る自分の特異性もさることながら、高校生の頃までかなり本気で小説家を目指して文章を書く訓練を続けていたことが大きいです。自分などより書いている人はいっぱい書いている人はもちろんいるでしょうが中学生の夏休みの頃などは毎日最低三時間は小説を書いており、今思うと酷い表現力でしたががむしゃらな努力は今の自分の大きな糧にはなったでしょう。
そんな小説家への熱意は大学に入った頃、具体的には2003年の芥川賞受賞と「涼宮ハルヒの憂鬱」を見て一気に冷めたのですが、このまえネットで歴史を読み返していてちょっと気になったテーマがあり、もったいぶらずにいうと伊藤博文と山縣有朋の二人を主人公にして幕末から明治に至る歴史を一気に書ききったら面白いかもという構想が出てきました。
伊藤に山縣と言ったら維新の元勲でもありながら明治初期にこの世を去った西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允などとは異なり、、この三人が死去した後の明治政府を実質的に切り盛りしながら始まったばかりの議会制民主主義の時代にあってもリーダーとして活躍した人物であります。歴史に詳しい方ならわかるでしょうがこの二人は明治の国会開設当初は互いに政友会、改進党のリーダーとなって政治方針で激しく対立しあうライバルでありましたが、元々は同じ長州の松下村塾出身であり、またその松下村塾内に通っていた武士たちの中でもほぼ最下級の身分同士でもありました。
こうしてみてみると二人とも数奇な縁を持っており性格もほぼ真逆で、それが政治方針にもしっかり現れています。ただ政治の場では激しく対立しながらもプライベートでは終生仲が良く、お互いに腹の内を相談し合いながら桂小五郎、高杉晋作亡き後の時代を作っていったと思うとロマンが感じられます。
もっともこのところ忙しいのでこういう小説を書こうには取材する時間と気力もない状態なのですが先にというか伊藤博文について私の評価を述べると、彼は文句なしに近代以降の日本で女癖を除けば最上級の政治家でありその波乱に富んだ人生はもっと高く評価されるべきだと思います。更に言えば、私は彼こそが大河ドラマの主役として相応しいと思うしもっとメディアも彼を主役として取り上げることによって日本における民権運動の流れがより知られるようになるのではと思っています。だからこそ小説で書きたいんだけどね。
しかし、こういってはなんですが伊藤が主役のドラマなどのテレビ番組は贔屓目に見ても多くありません。それどころか同時代を扱ったドラマでも彼の登場というか描かれ方はあまり良くない気がします。はっきり言ってしまうとこのような伊藤に対するメディアの取り扱い方は韓国を意識したものがあるのではないかと強く疑っております。
言うまでもなく伊藤博文は韓国で最も有名な日本の偉人の一人で、初代統監府総監に就いて安重根に暗殺されたことから悪者の象徴みたいに見られていますが、少なくとも私の見識内では彼こそが明治政府内でも韓国への対応で穏健派だった人物で、むしろ彼が暗殺されたことによって強硬派だった山縣有朋が勢力を増し、韓国併合に踏み切ることとなったと見ております。言うなれば、伊藤に対して実像とは真逆の見方と評価を韓国は持っているように感じるということです。
この時点でもかなり不満だし、ちゃんと日本の歴史を勉強しているのか韓国の連中はと言いたいこともあって「じゃあ自分が書くか」などと思うわけなのですが、こんだけネタばらしするのは本音を言うと自分が書かずに済むならそれでいいと思う、というよりも誰か自分の代わりに伊藤の実像を描く人間はいないのかと思うからです。テレビ局でもゲーム会社でもいいから、もっと伊藤を主役に据えてエアポケットみたいにあまり取り上げられない明治中期の時代を見せてくれと私は言いたいわけです。
仮に大河ドラマで伊藤博文を主役に据えたら韓国側がもう反発してくることでしょう。しかし外国に批判されるから取り上げないというのはあまりにも意気地のない話ですし、それが誤解に基づくものだとしたら尚更です。私の目から見て伊藤は間違いなく明治を語る上で外せない人物であり、そのような人物をまるで腫れ物に触るかのように取り上げないというのはなんだこの根性なしと言いたくなる始末です。むしろ韓国に対して問題提起、伊藤は本当に韓国に対する侵略者なのかを議論を吹っかける意味合いでも大きく取り上げるべきだと思います。
さて、宣言しちゃったからこれで書かないと不言実行だな俺も。あんまり案件抱え込むのもいろいろとあれだけどなぁ。
おまけ
伊藤博文は一時期、日本国内の紙幣の肖像画にも使われていましたが韓国との問題があるので今後使われることはまずないでしょう。仮に印刷したら燃やされそうだし。
なお紙幣の肖像画についてですが個人的には下記の、徳川家康が三方ヶ原の戦いで大敗した直後のがっかり肖像画とか使ってみたら面白い気がします。日本人はこの肖像画が描かれた紙幣を見る度に臥薪嘗胆の気持ちになれるんじゃないかな?
そんな小説家への熱意は大学に入った頃、具体的には2003年の芥川賞受賞と「涼宮ハルヒの憂鬱」を見て一気に冷めたのですが、このまえネットで歴史を読み返していてちょっと気になったテーマがあり、もったいぶらずにいうと伊藤博文と山縣有朋の二人を主人公にして幕末から明治に至る歴史を一気に書ききったら面白いかもという構想が出てきました。
伊藤に山縣と言ったら維新の元勲でもありながら明治初期にこの世を去った西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允などとは異なり、、この三人が死去した後の明治政府を実質的に切り盛りしながら始まったばかりの議会制民主主義の時代にあってもリーダーとして活躍した人物であります。歴史に詳しい方ならわかるでしょうがこの二人は明治の国会開設当初は互いに政友会、改進党のリーダーとなって政治方針で激しく対立しあうライバルでありましたが、元々は同じ長州の松下村塾出身であり、またその松下村塾内に通っていた武士たちの中でもほぼ最下級の身分同士でもありました。
こうしてみてみると二人とも数奇な縁を持っており性格もほぼ真逆で、それが政治方針にもしっかり現れています。ただ政治の場では激しく対立しながらもプライベートでは終生仲が良く、お互いに腹の内を相談し合いながら桂小五郎、高杉晋作亡き後の時代を作っていったと思うとロマンが感じられます。
もっともこのところ忙しいのでこういう小説を書こうには取材する時間と気力もない状態なのですが先にというか伊藤博文について私の評価を述べると、彼は文句なしに近代以降の日本で女癖を除けば最上級の政治家でありその波乱に富んだ人生はもっと高く評価されるべきだと思います。更に言えば、私は彼こそが大河ドラマの主役として相応しいと思うしもっとメディアも彼を主役として取り上げることによって日本における民権運動の流れがより知られるようになるのではと思っています。だからこそ小説で書きたいんだけどね。
しかし、こういってはなんですが伊藤が主役のドラマなどのテレビ番組は贔屓目に見ても多くありません。それどころか同時代を扱ったドラマでも彼の登場というか描かれ方はあまり良くない気がします。はっきり言ってしまうとこのような伊藤に対するメディアの取り扱い方は韓国を意識したものがあるのではないかと強く疑っております。
言うまでもなく伊藤博文は韓国で最も有名な日本の偉人の一人で、初代統監府総監に就いて安重根に暗殺されたことから悪者の象徴みたいに見られていますが、少なくとも私の見識内では彼こそが明治政府内でも韓国への対応で穏健派だった人物で、むしろ彼が暗殺されたことによって強硬派だった山縣有朋が勢力を増し、韓国併合に踏み切ることとなったと見ております。言うなれば、伊藤に対して実像とは真逆の見方と評価を韓国は持っているように感じるということです。
この時点でもかなり不満だし、ちゃんと日本の歴史を勉強しているのか韓国の連中はと言いたいこともあって「じゃあ自分が書くか」などと思うわけなのですが、こんだけネタばらしするのは本音を言うと自分が書かずに済むならそれでいいと思う、というよりも誰か自分の代わりに伊藤の実像を描く人間はいないのかと思うからです。テレビ局でもゲーム会社でもいいから、もっと伊藤を主役に据えてエアポケットみたいにあまり取り上げられない明治中期の時代を見せてくれと私は言いたいわけです。
仮に大河ドラマで伊藤博文を主役に据えたら韓国側がもう反発してくることでしょう。しかし外国に批判されるから取り上げないというのはあまりにも意気地のない話ですし、それが誤解に基づくものだとしたら尚更です。私の目から見て伊藤は間違いなく明治を語る上で外せない人物であり、そのような人物をまるで腫れ物に触るかのように取り上げないというのはなんだこの根性なしと言いたくなる始末です。むしろ韓国に対して問題提起、伊藤は本当に韓国に対する侵略者なのかを議論を吹っかける意味合いでも大きく取り上げるべきだと思います。
さて、宣言しちゃったからこれで書かないと不言実行だな俺も。あんまり案件抱え込むのもいろいろとあれだけどなぁ。
おまけ
伊藤博文は一時期、日本国内の紙幣の肖像画にも使われていましたが韓国との問題があるので今後使われることはまずないでしょう。仮に印刷したら燃やされそうだし。
なお紙幣の肖像画についてですが個人的には下記の、徳川家康が三方ヶ原の戦いで大敗した直後のがっかり肖像画とか使ってみたら面白い気がします。日本人はこの肖像画が描かれた紙幣を見る度に臥薪嘗胆の気持ちになれるんじゃないかな?
2013年12月2日月曜日
投稿件数2000件達成
目指していた数字というわけでもないですが、この記事の投稿を以って陽月秘話の投稿件数が2000件となります。もっとも企画倒れで終わったものや社会状況の変化によって自分の病気自慢がガチでやばくなったため削除した記事がいくつかあるため、実質的な投稿件数ではとっくに2000件を超えており、あくまで今回の数字は現時点での投稿件数ということになります。
このブログは2007年の12月スタートですのでほぼ丸六年かけて2000件の記事を投稿したことになり、年平均で言うと約333件ペースで投稿していることとなります。ただ今年や去年はサボることも多くなっている一方、2008年とか2009年は1日2本投稿することも珍しくなかったのでかなり貯金を食っているような状況と言えるでしょう。
改めてこの2000件という記事投稿数ですが、正直な所それほど感慨はありません。本気でやればこれの倍くらいは書く自信もあるしブログだけに力入れるならあれこれ取材してもっと面白い記事を書く自信もあります。決して惰性でやっているわけではありませんがあくまで片手間で書き続けるということがこのブログのポリシーで、自分の政治意思や価値概念を世の中へ意識的に広げようとは考えず、変な出世欲などとは一線を置いた距離を保つことを意識しております。といってもほぼ毎日書いてるブログを片手間と呼ぶのも変な感じですが。
なもんで今日は2000回記念で何か気合入れた記事でも書こうかなとも思ってましたが、昨日の記事が結構真面目に長く書いたものであり、二日続けてかたっくるしいを書くことにやや疑問を感じました。じゃあ何書こうと考えた結果、好きなものを書こうという結論に至り、ある漫画のキャラクターについて書くことに決めました。ただこのまえ半年ぶりに話をした友人に聞かせたら微妙な反応だったので自己満足な記事になるでしょうが。
そんなわけでやっと本題ですが、今回紹介しようと思うその漫画キャラクターというのは球磨川禊(くまがわみそぎ)というキャラクターで、このブログに限らずあちらこちらで取り上げられていてジャンプ読者であればまず知っているであろう超有名キャラクターです。このキャラは今年初めに連載を終えた「めだかボックス」というまごうことなき萌え漫画に出てくる男性キャラクターなのですが、作中で主役を明らかに食う人気ぶりで、事実キャラクター人気投票では主人公に4倍ものスコア差をつけて堂々の第1位に君臨してました。
私がこの「めだかボックス」という漫画に初めて接触したのはちょうど去年の今頃、十秒間口閉じてることのない先輩が日本からジャンプもってきたというので譲り受けて読んだ際、連載中だったこの漫画を初めて見ました。ちょうどその回にも今日取り上げる球磨川禊というキャラが出ていたのですがやはり一見して感じるものがあり、その独特なセリフ回しから非常に強い印象を覚えたわけです。なもんだから日本に帰ってきてからは「めだかボックス」の単行本を手に取って読み始めたのですが、最初に感じた印象に偽りはなく読み進めるごとにこの球磨川禊に対して興味を深めていきました。
ここでこのキャラを簡単に解説しますが、この「めだかボックス」はジャンプの王道漫画らしく途中からは各人が持つ能力を駆使する完全なバトル漫画と化していくのですが、その中で主人公を含む生徒会一派に対してリコールを要求するグループのリーダーとして球磨川禊は登場します。これだけの設定であればよくある敵役であって、どうせ敗北した後は主人公の見方になるんだろ的な流れに繋がっていくわけなのですが(実際にそうなる)、そのキャラ造詣のいびつさから後半になっても一切人気が衰えず、というかむしろ高まっていた節すらあります。
では球磨川禊はどんなキャラクターなのかというと、一言で言えば「ネガティブの塊」みたいな人間で、実際に作中でも「負完全」な存在だと自称してます。どれだけネガティブなのか作中のあるキャラクターに言わせると「まるで心が無いような」キャラで、実際に話すセリフはどれも飄々としていて本音が全く感じられず、本気で言っているのかふざけて言っているのか、果てには何が目的なのか全くわからないようなセリフを並べ立ててきます。一例を挙げると、誰がどう見たって明らかに球磨川禊が手を下してモブキャラを打ちのめしているのに、自分は経った今ここに来たばかりだと主張して『僕は悪くない』という口癖を平然と言ってのけてしまいます。
その一方、会話の端々には妙にリアリスティックというか正鵠を射ぬくようなことを突然口にすることがあり、名言と称される代表的なセリフがNAVERにまとめられていますがをいくつか挙げると以下の様なのがあります。
『エリートを皆殺しにすればいいんですよ。そうすれば世界は平等で平和です』
『「人生はプラスマイナスゼロだ」って言う奴は、決まってプラスの奴なんだ』
『だからこの痛みの恨みは日之影くんに迷惑をかけないように、きみとは何の関係もないその辺の誰かに何かして晴らすとするね』
引用しておいてなんですが、なんていうセリフばっかだと私も思います。
上記のセリフからもわかると思いますが、このキャラは極端に破滅願望が強く、また世界全体に対してほとんど価値を見出さない傾向を持っています。それは他人に対してだけでなく、むしろ自分自身に対しても強く向けられており、自分の様な底辺は何をどうやっても勝利を得ることがないと自覚して勝負自体の勝利は相手に譲るものの、散々な嫌がらせをして勝利そのものを無意味にするかのような行動ばかりとってきます。
と、ここまでで説明しただけのキャラクターであればただの気味の悪いキャラクターで終わるのですが、彼の評価がうなぎ昇り(うなぎが絶滅したらこの言葉はどうなるのか?)になった回で、球磨川禊が唯一と言っていいくらい信頼するキャラクターに対して初めて本音をぶちまけます。その本音というのも「勝ちたい」という4文字の言葉で、どんなに蔑まれても、嫌われても、才能に恵まれなくても、これらの条件をすべて兼ね備えたエリートに対して勝って駄目な人間でも主役を張れることを証明したいという内容でした。
ほかの解説記事などでも書かれていますが、ジャンプの漫画というのは「努力、友情、勝利」というのが三原則になっていますが、球磨川禊に言わせるとそれでもジャンプの主役たちは現実世界と同じように、結局は恵まれた才能を持っている人間が勝つべくして勝っているそうです。そして、だからこそそれらすべてを持たないというか敢えて持とうとしない自分がエリートに挑んだところで負けることはわかっていながらも、それでも一度は勝って見せたいというある意味でジャンプキャラらしい強い意志を持って動いていたことを明かします。
実際にこの「勝ちたい」というセリフに続く球磨川禊の独白シーンが私もこの漫画で一番好きなシーンで、ほかの多くの方々も名シーンに取り上げています。これ以外にも色々とすごいセリフを連発していてみていて本当に面白いキャラクターで、ネガティブさを前面に出し、実際にはチート級の特殊能力を持ってて簡単に勝利を得るのに自ら敗北へと走り、その上で自分が認める勝利を求めるという複雑な人物像であることから、個人的には日本漫画史上でも屈指のキャラクターではないかと私は評価しています。
ここでがらりと空気を変えますが、私がこの球磨川禊に対して強い関心を持つのはその特異なキャラクター性もありますが、それ以上に自分自身も非常に強い破滅願望を持っていることが原因でしょう。スピリチュアリストの荒川さんにも、中世の西欧騎士の様に美しく散るような結末を強く望んでいると直接指摘されましたが、事実その通りで子供の頃から如何に生きるかよりも如何に死ぬかに対する関心の方が現在に至るまで強いです。でもって自分の知識量をはじめとする一部の能力は世の中で役に立つ要素があるかもしれないけど、少なくとも自分自身に関しては世の中にあってもなくても意味はなく、今現在を生きていても死んでいてもあまり意味はないなどと捉えております。
荒川さんからはこのような破滅願望は百害あって一利なしだから早く捨てるべきだと結構マジで注意されましたが、私としては逆に生存欲求というかそのような希望を持ったところで何の価値があるのか、無駄に生き永らえようとして生き恥さらしたり、いざってところで自分の命優先してリスクを取れなければ何も面白くないのではなどと考えてしまうためやっぱりそっち方面に考えを変えることが出来ません。
こういう自分だからこそこの球磨川禊に対して並々ならぬ共感を抱いたと自己分析しているのですが、このキャラクターの最後の結末というか作中で示されたメッセージに、「負け続けることがわかっていても勝負から逃げずに戦い続ける、何故なら負け続けることは戦わないことよりも価値があるから」というような内容のセリフがあり、なんとなく自分そうなのかもしれないと思えました。少なくとも、たとえ命を失うこととなっても勝負をしないような人生だけは送りたくないと本気で思います。
以上が好き勝手に書いた内容ですが、やっぱり歯止めを掛けなくなるとネガティブな内容に走ってしまうのが自分らしいです。
このブログは2007年の12月スタートですのでほぼ丸六年かけて2000件の記事を投稿したことになり、年平均で言うと約333件ペースで投稿していることとなります。ただ今年や去年はサボることも多くなっている一方、2008年とか2009年は1日2本投稿することも珍しくなかったのでかなり貯金を食っているような状況と言えるでしょう。
改めてこの2000件という記事投稿数ですが、正直な所それほど感慨はありません。本気でやればこれの倍くらいは書く自信もあるしブログだけに力入れるならあれこれ取材してもっと面白い記事を書く自信もあります。決して惰性でやっているわけではありませんがあくまで片手間で書き続けるということがこのブログのポリシーで、自分の政治意思や価値概念を世の中へ意識的に広げようとは考えず、変な出世欲などとは一線を置いた距離を保つことを意識しております。といってもほぼ毎日書いてるブログを片手間と呼ぶのも変な感じですが。
なもんで今日は2000回記念で何か気合入れた記事でも書こうかなとも思ってましたが、昨日の記事が結構真面目に長く書いたものであり、二日続けてかたっくるしいを書くことにやや疑問を感じました。じゃあ何書こうと考えた結果、好きなものを書こうという結論に至り、ある漫画のキャラクターについて書くことに決めました。ただこのまえ半年ぶりに話をした友人に聞かせたら微妙な反応だったので自己満足な記事になるでしょうが。
そんなわけでやっと本題ですが、今回紹介しようと思うその漫画キャラクターというのは球磨川禊(くまがわみそぎ)というキャラクターで、このブログに限らずあちらこちらで取り上げられていてジャンプ読者であればまず知っているであろう超有名キャラクターです。このキャラは今年初めに連載を終えた「めだかボックス」というまごうことなき萌え漫画に出てくる男性キャラクターなのですが、作中で主役を明らかに食う人気ぶりで、事実キャラクター人気投票では主人公に4倍ものスコア差をつけて堂々の第1位に君臨してました。
私がこの「めだかボックス」という漫画に初めて接触したのはちょうど去年の今頃、十秒間口閉じてることのない先輩が日本からジャンプもってきたというので譲り受けて読んだ際、連載中だったこの漫画を初めて見ました。ちょうどその回にも今日取り上げる球磨川禊というキャラが出ていたのですがやはり一見して感じるものがあり、その独特なセリフ回しから非常に強い印象を覚えたわけです。なもんだから日本に帰ってきてからは「めだかボックス」の単行本を手に取って読み始めたのですが、最初に感じた印象に偽りはなく読み進めるごとにこの球磨川禊に対して興味を深めていきました。
ここでこのキャラを簡単に解説しますが、この「めだかボックス」はジャンプの王道漫画らしく途中からは各人が持つ能力を駆使する完全なバトル漫画と化していくのですが、その中で主人公を含む生徒会一派に対してリコールを要求するグループのリーダーとして球磨川禊は登場します。これだけの設定であればよくある敵役であって、どうせ敗北した後は主人公の見方になるんだろ的な流れに繋がっていくわけなのですが(実際にそうなる)、そのキャラ造詣のいびつさから後半になっても一切人気が衰えず、というかむしろ高まっていた節すらあります。
では球磨川禊はどんなキャラクターなのかというと、一言で言えば「ネガティブの塊」みたいな人間で、実際に作中でも「負完全」な存在だと自称してます。どれだけネガティブなのか作中のあるキャラクターに言わせると「まるで心が無いような」キャラで、実際に話すセリフはどれも飄々としていて本音が全く感じられず、本気で言っているのかふざけて言っているのか、果てには何が目的なのか全くわからないようなセリフを並べ立ててきます。一例を挙げると、誰がどう見たって明らかに球磨川禊が手を下してモブキャラを打ちのめしているのに、自分は経った今ここに来たばかりだと主張して『僕は悪くない』という口癖を平然と言ってのけてしまいます。
その一方、会話の端々には妙にリアリスティックというか正鵠を射ぬくようなことを突然口にすることがあり、名言と称される代表的なセリフがNAVERにまとめられていますがをいくつか挙げると以下の様なのがあります。
『エリートを皆殺しにすればいいんですよ。そうすれば世界は平等で平和です』
『「人生はプラスマイナスゼロだ」って言う奴は、決まってプラスの奴なんだ』
『だからこの痛みの恨みは日之影くんに迷惑をかけないように、きみとは何の関係もないその辺の誰かに何かして晴らすとするね』
引用しておいてなんですが、なんていうセリフばっかだと私も思います。
上記のセリフからもわかると思いますが、このキャラは極端に破滅願望が強く、また世界全体に対してほとんど価値を見出さない傾向を持っています。それは他人に対してだけでなく、むしろ自分自身に対しても強く向けられており、自分の様な底辺は何をどうやっても勝利を得ることがないと自覚して勝負自体の勝利は相手に譲るものの、散々な嫌がらせをして勝利そのものを無意味にするかのような行動ばかりとってきます。
と、ここまでで説明しただけのキャラクターであればただの気味の悪いキャラクターで終わるのですが、彼の評価がうなぎ昇り(うなぎが絶滅したらこの言葉はどうなるのか?)になった回で、球磨川禊が唯一と言っていいくらい信頼するキャラクターに対して初めて本音をぶちまけます。その本音というのも「勝ちたい」という4文字の言葉で、どんなに蔑まれても、嫌われても、才能に恵まれなくても、これらの条件をすべて兼ね備えたエリートに対して勝って駄目な人間でも主役を張れることを証明したいという内容でした。
ほかの解説記事などでも書かれていますが、ジャンプの漫画というのは「努力、友情、勝利」というのが三原則になっていますが、球磨川禊に言わせるとそれでもジャンプの主役たちは現実世界と同じように、結局は恵まれた才能を持っている人間が勝つべくして勝っているそうです。そして、だからこそそれらすべてを持たないというか敢えて持とうとしない自分がエリートに挑んだところで負けることはわかっていながらも、それでも一度は勝って見せたいというある意味でジャンプキャラらしい強い意志を持って動いていたことを明かします。
実際にこの「勝ちたい」というセリフに続く球磨川禊の独白シーンが私もこの漫画で一番好きなシーンで、ほかの多くの方々も名シーンに取り上げています。これ以外にも色々とすごいセリフを連発していてみていて本当に面白いキャラクターで、ネガティブさを前面に出し、実際にはチート級の特殊能力を持ってて簡単に勝利を得るのに自ら敗北へと走り、その上で自分が認める勝利を求めるという複雑な人物像であることから、個人的には日本漫画史上でも屈指のキャラクターではないかと私は評価しています。
ここでがらりと空気を変えますが、私がこの球磨川禊に対して強い関心を持つのはその特異なキャラクター性もありますが、それ以上に自分自身も非常に強い破滅願望を持っていることが原因でしょう。スピリチュアリストの荒川さんにも、中世の西欧騎士の様に美しく散るような結末を強く望んでいると直接指摘されましたが、事実その通りで子供の頃から如何に生きるかよりも如何に死ぬかに対する関心の方が現在に至るまで強いです。でもって自分の知識量をはじめとする一部の能力は世の中で役に立つ要素があるかもしれないけど、少なくとも自分自身に関しては世の中にあってもなくても意味はなく、今現在を生きていても死んでいてもあまり意味はないなどと捉えております。
荒川さんからはこのような破滅願望は百害あって一利なしだから早く捨てるべきだと結構マジで注意されましたが、私としては逆に生存欲求というかそのような希望を持ったところで何の価値があるのか、無駄に生き永らえようとして生き恥さらしたり、いざってところで自分の命優先してリスクを取れなければ何も面白くないのではなどと考えてしまうためやっぱりそっち方面に考えを変えることが出来ません。
こういう自分だからこそこの球磨川禊に対して並々ならぬ共感を抱いたと自己分析しているのですが、このキャラクターの最後の結末というか作中で示されたメッセージに、「負け続けることがわかっていても勝負から逃げずに戦い続ける、何故なら負け続けることは戦わないことよりも価値があるから」というような内容のセリフがあり、なんとなく自分そうなのかもしれないと思えました。少なくとも、たとえ命を失うこととなっても勝負をしないような人生だけは送りたくないと本気で思います。
以上が好き勝手に書いた内容ですが、やっぱり歯止めを掛けなくなるとネガティブな内容に走ってしまうのが自分らしいです。
2013年12月1日日曜日
「予定通り」にアイデンティティを持つ日本人
先日、たまたまテレビを見ていたらある芸能人(名前は失念)が番組内で興味深い一言を述べていました。その一言というのも下記の内容です。
「日本人というのは欧米人と比べて自我が弱い一方、予定というものに物凄いアイデンティティを持つ傾向がある。たとえば予定通りに一日が終われば達成感を感じ、逆に何か予想外の事態が起きてしまうともうそれで全部駄目だったみたいに思ってしまう」
他の人はどうかわかりませんが少なくとも私にとっては「まさにその通り!」と言いたくなるほど得心する内容で、実際にその場で手を打つくらい感心しました。私はかなり以前にも個人的にもいい出来だと考えている「日本人の欠点」という記事中で日本では駅員への暴力が異常に多いことを取り上げましたが、これこそ予定通りに物事を運べないと何故だか不安や怒り、イラつきを覚える日本人の特性を如実に表している一例と言えるでしょう。
と、ここまででも十分に面白い内容か問われながら思うのですが、今日はこの指摘をもう少し発展させて日本人の人生観についても触れようと思います。まどろっこしい言い方はよして結論を書きますが、日本人は予定通りに物事を運ぶことが成功、運べなければたとえ結果がオーライでも失敗と考える傾向があり、それは面倒くさいことに人生というかライフコースにおいても同じ価値観を持っているのではないかとみています。
具体的な例を書くと、いい大学を卒業し、大企業に新卒で就職し、結婚適齢期に結婚し、一人か二人子供を産んで、管理職になった上で定年まで勤め上げ、年金生活をしながら最低80歳まで生きる。これらの条件をすべて達成して初めて「成功」した人生となり、逆に一つでも欠けたら「失敗」した人生になると本気で信じ込んでいる気がします。それにしても、「最低80歳」というラインをここで出してくる自分のセンスに呆れる。
このように考えるきっかけとしては最初の予定達成に対する執着とともに、以前に聞いた話で外国人から見て日本人の行動で奇妙だと思える点として、血液型占いを頑なに信じているということとやけに結婚適齢期にこだわるというのを耳にしたことがあったからです。実際に自分から見ても日本人は伴侶に求める条件がやけに高い割には二十代、広げても三十代前半までに結婚しないと何か問題がある、男性の場合だと「あいつはホモじゃないか」と冗談っぽくではありますが平気で口にする行動が多々見られ、「お前らは一体何と戦っているんだ?」と見ていて奇妙に思うくらい気にします。
この結婚適齢期と同様、新卒での就職にも社会全体で不思議過ぎるくらいこだわりがあり、比喩を用いて表現すると「ライフコースにおいて脱線を許さない」とでもいうべき奇妙な価値観に満ちている気がします。
私自身はもう既に脱線しっぱなしのオフロード(4WD)な人生を送っているので逆にこういうライフコースを忠実になぞろうとする人々に対し、はっきり言って軽蔑に似た感情を持つと同時に、どうして自分の可能性を狭めようとしているのか、そしてどうして脱線してまでも求めるものを得ようとする人々を馬鹿にするんだという八つ当たりにも似た腹立ちを覚えます。もちろんライフコースをなぞるために必死で受験勉強して、嫌いな上司とも付き合い続けるなど努力している人は努力していると思いますが、それにしても社会全体で脅迫にも近いこういう感覚もたれると自分なんかは単純に動きづらくて不便なだけです。
そうした個人的な感情は置いといて話を戻しますが、とにもかくにも日本人は「予定通り」に物事を運ばないと絶対的に駄目という特性は確実に存在すると思います。そしてそうした意識は期日通りにきっちり物事を運ぶといういい面に作用する点もありますが、その一方で想定外の事態に異常に弱い、異常事態に対して無力すぎるという欠点も生んでいるかと私は考えています。
それが如実に表れたのはほかでもなく東日本大震災の時で、各自治体や自衛隊がいろんな規則や法律に縛られてちょっと機転を利かせればどうとでもなる問題への対処がずるずると遅れた一方、駆けつけてくれた米軍はそういうものを一切無視してぱっぱと被災者のためにストレートな救援活動を展開していったと聞きます。これも具体的な例を挙げるとヘリコプターでの救援物資の輸送で、日本は空中から直接下ろすことが許されずなかなか物資を孤立した集落に渡せなかったのを尻目に、米軍はとっとと物資を空中から降ろして現地の住人から感謝されたそうです。
また同じ区東日本大震災の時の話で、米軍基地で働いている方から直接聞いたのですが米軍人は普段はいい加減でちゃらんぽらんな様子であるものの、あの震災の時はそれこそ人が違ったようにみんなが強い目的と意思を持ってキビキビと動いていたそうです。この辺り、国民性が強く表れている気がします。
確か今年の前半、夏頃に書いた記事で二次大戦の日本軍の敗戦理由としてある従軍体験者が、「一番起こってほしくない事態は起こらない前提で計画を作る」という内容を挙げたことを記事に書きました。実際に旧日本軍は仮に米軍がある基地を優先して攻撃してきたら非常にまずい事態になるが、それは多分起こらないだろうという事にして計画を作り、案の定米軍はしっかり研究してきてその基地をきちんと狙って攻撃してくるという事態が本当によくありました。私はこの手のことを「日本人の不測事態に対する楽観性」って呼んでますが、不都合な事態から目をそむけてしまう国民病だと言っていいくらいだとも考えており、こうした特性も「予定通り」に異常な執着を持つことに起因するのではないかとこの前閃きました。
ここまで読んでもらえばわかると思いますが、「予定通り」にアイデンティティを持つことに対して私は否定的です。さっきも言った通りにこのアイデンティティにはいい面も悪い面もありますが、現代においてはいい面が薄れ悪い面が濃くなっている傾向があり、全部捨てろとは言いませんが多少は偏りをなくしバランスを取るべきだと言いたいです。
一体何故現代においてこのアイデンティティが不利なのかというと、単純に世の中の流れが異常に早くなり、予定を立てても前提となる条件や舞台がひっくり変わりやすい、言うなれば想定外の事態が雨後の筍の如くどんどん出てくるからです。
また文字量が多くなりますがいくつか例を出すと、ほんの数年で世界中の大多数の人が携帯電話をノキア製からi-Phoneに持ち替え、プラズマテレビがなくなり、ハイブリッド車が当たり前に走り、民主党が政権奪取したかと思えば自民党が再び与党になったりと、数年越しの計画を作ること自体が馬鹿馬鹿しくなるくらい世の中の変動が激しいです。
言ってしまえば現代の世の中は予定通りしっかりレールに乗せることよりも、予想しない突発的な事態が起きた時にどれだけ素早くその場で対応できるか、これがスキルとして求められていると思います。古い言い方ですが「有り得ないことは有り得ない」ということを肝に銘じ、予定に対してもうすこしざっくばらんであいまいな態度を持つことも今の日本人には必要ということが私のいいたい内容であります。
最後に、書くか書くまいか一瞬悩んで即断で書くことにしたことを述べると、日本人がそこに存在していると思っているレールは既に存在しないと断言できます。その先にレールのない人生を車輪で走る気なのか、タイヤくらい履いたらどうだとちょこっと思います。
「日本人というのは欧米人と比べて自我が弱い一方、予定というものに物凄いアイデンティティを持つ傾向がある。たとえば予定通りに一日が終われば達成感を感じ、逆に何か予想外の事態が起きてしまうともうそれで全部駄目だったみたいに思ってしまう」
他の人はどうかわかりませんが少なくとも私にとっては「まさにその通り!」と言いたくなるほど得心する内容で、実際にその場で手を打つくらい感心しました。私はかなり以前にも個人的にもいい出来だと考えている「日本人の欠点」という記事中で日本では駅員への暴力が異常に多いことを取り上げましたが、これこそ予定通りに物事を運べないと何故だか不安や怒り、イラつきを覚える日本人の特性を如実に表している一例と言えるでしょう。
と、ここまででも十分に面白い内容か問われながら思うのですが、今日はこの指摘をもう少し発展させて日本人の人生観についても触れようと思います。まどろっこしい言い方はよして結論を書きますが、日本人は予定通りに物事を運ぶことが成功、運べなければたとえ結果がオーライでも失敗と考える傾向があり、それは面倒くさいことに人生というかライフコースにおいても同じ価値観を持っているのではないかとみています。
具体的な例を書くと、いい大学を卒業し、大企業に新卒で就職し、結婚適齢期に結婚し、一人か二人子供を産んで、管理職になった上で定年まで勤め上げ、年金生活をしながら最低80歳まで生きる。これらの条件をすべて達成して初めて「成功」した人生となり、逆に一つでも欠けたら「失敗」した人生になると本気で信じ込んでいる気がします。それにしても、「最低80歳」というラインをここで出してくる自分のセンスに呆れる。
このように考えるきっかけとしては最初の予定達成に対する執着とともに、以前に聞いた話で外国人から見て日本人の行動で奇妙だと思える点として、血液型占いを頑なに信じているということとやけに結婚適齢期にこだわるというのを耳にしたことがあったからです。実際に自分から見ても日本人は伴侶に求める条件がやけに高い割には二十代、広げても三十代前半までに結婚しないと何か問題がある、男性の場合だと「あいつはホモじゃないか」と冗談っぽくではありますが平気で口にする行動が多々見られ、「お前らは一体何と戦っているんだ?」と見ていて奇妙に思うくらい気にします。
この結婚適齢期と同様、新卒での就職にも社会全体で不思議過ぎるくらいこだわりがあり、比喩を用いて表現すると「ライフコースにおいて脱線を許さない」とでもいうべき奇妙な価値観に満ちている気がします。
私自身はもう既に脱線しっぱなしのオフロード(4WD)な人生を送っているので逆にこういうライフコースを忠実になぞろうとする人々に対し、はっきり言って軽蔑に似た感情を持つと同時に、どうして自分の可能性を狭めようとしているのか、そしてどうして脱線してまでも求めるものを得ようとする人々を馬鹿にするんだという八つ当たりにも似た腹立ちを覚えます。もちろんライフコースをなぞるために必死で受験勉強して、嫌いな上司とも付き合い続けるなど努力している人は努力していると思いますが、それにしても社会全体で脅迫にも近いこういう感覚もたれると自分なんかは単純に動きづらくて不便なだけです。
そうした個人的な感情は置いといて話を戻しますが、とにもかくにも日本人は「予定通り」に物事を運ばないと絶対的に駄目という特性は確実に存在すると思います。そしてそうした意識は期日通りにきっちり物事を運ぶといういい面に作用する点もありますが、その一方で想定外の事態に異常に弱い、異常事態に対して無力すぎるという欠点も生んでいるかと私は考えています。
それが如実に表れたのはほかでもなく東日本大震災の時で、各自治体や自衛隊がいろんな規則や法律に縛られてちょっと機転を利かせればどうとでもなる問題への対処がずるずると遅れた一方、駆けつけてくれた米軍はそういうものを一切無視してぱっぱと被災者のためにストレートな救援活動を展開していったと聞きます。これも具体的な例を挙げるとヘリコプターでの救援物資の輸送で、日本は空中から直接下ろすことが許されずなかなか物資を孤立した集落に渡せなかったのを尻目に、米軍はとっとと物資を空中から降ろして現地の住人から感謝されたそうです。
また同じ区東日本大震災の時の話で、米軍基地で働いている方から直接聞いたのですが米軍人は普段はいい加減でちゃらんぽらんな様子であるものの、あの震災の時はそれこそ人が違ったようにみんなが強い目的と意思を持ってキビキビと動いていたそうです。この辺り、国民性が強く表れている気がします。
確か今年の前半、夏頃に書いた記事で二次大戦の日本軍の敗戦理由としてある従軍体験者が、「一番起こってほしくない事態は起こらない前提で計画を作る」という内容を挙げたことを記事に書きました。実際に旧日本軍は仮に米軍がある基地を優先して攻撃してきたら非常にまずい事態になるが、それは多分起こらないだろうという事にして計画を作り、案の定米軍はしっかり研究してきてその基地をきちんと狙って攻撃してくるという事態が本当によくありました。私はこの手のことを「日本人の不測事態に対する楽観性」って呼んでますが、不都合な事態から目をそむけてしまう国民病だと言っていいくらいだとも考えており、こうした特性も「予定通り」に異常な執着を持つことに起因するのではないかとこの前閃きました。
ここまで読んでもらえばわかると思いますが、「予定通り」にアイデンティティを持つことに対して私は否定的です。さっきも言った通りにこのアイデンティティにはいい面も悪い面もありますが、現代においてはいい面が薄れ悪い面が濃くなっている傾向があり、全部捨てろとは言いませんが多少は偏りをなくしバランスを取るべきだと言いたいです。
一体何故現代においてこのアイデンティティが不利なのかというと、単純に世の中の流れが異常に早くなり、予定を立てても前提となる条件や舞台がひっくり変わりやすい、言うなれば想定外の事態が雨後の筍の如くどんどん出てくるからです。
また文字量が多くなりますがいくつか例を出すと、ほんの数年で世界中の大多数の人が携帯電話をノキア製からi-Phoneに持ち替え、プラズマテレビがなくなり、ハイブリッド車が当たり前に走り、民主党が政権奪取したかと思えば自民党が再び与党になったりと、数年越しの計画を作ること自体が馬鹿馬鹿しくなるくらい世の中の変動が激しいです。
言ってしまえば現代の世の中は予定通りしっかりレールに乗せることよりも、予想しない突発的な事態が起きた時にどれだけ素早くその場で対応できるか、これがスキルとして求められていると思います。古い言い方ですが「有り得ないことは有り得ない」ということを肝に銘じ、予定に対してもうすこしざっくばらんであいまいな態度を持つことも今の日本人には必要ということが私のいいたい内容であります。
最後に、書くか書くまいか一瞬悩んで即断で書くことにしたことを述べると、日本人がそこに存在していると思っているレールは既に存在しないと断言できます。その先にレールのない人生を車輪で走る気なのか、タイヤくらい履いたらどうだとちょこっと思います。
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