現在東京都では都知事選が行われており、来週十日には開票される予定です。今回の都知事選の主な立候補者は現職の石原慎太郎都知事をはじめ前宮崎県知事の東国原氏、ワタミ社長の渡辺美樹氏、共産党の全国会議員の小池晃氏など、選挙内容から知名度の高い候補者が集まっております。
こちらで聞く情報では現在石原氏が優勢で選挙戦が進められていると聞きますが、今回の都知事選について、というより石原氏の出馬についてかねてから思うことがあったのですが今までは敢えて何も書きませんでした。恐らく私が書かずとも誰かが同じことを書くだろうと見ていたのですが、どうも今日に至るまでネット上のニュースでそのような内容の記事を見当たらなかったのでこの際書いてしまうことにします。
まず結論から言って、私は石原氏には都知事の資格はないと思います。
今回の任期中で石原氏はオリンピックの東京都招致に失敗しておりますが、招致失敗は時の運もあるのでいちいち責めたりはしませんが、東京都が今回の招致活動である広告代理店にわずか数分のPR映像作成費として、数億円(確か十億円だったような)を支払った点はちょっといただけありません。もちろん招致失敗後にこの費用について問題となりましたが、石原氏は招致失敗を含めてさも映像を作成した広告代理店に問題があるとして、招致失敗後にその広告代理店に費用の一部返却を要求しました(実際に返却されたかどうかまでは私は未確認です)。
前にある評論家が言っていましたが、石原慎太郎ほど問題が起こるや責任逃れに走る男はいないという評価通りに、このオリンピック招致失敗時も、「都民があまり熱心でなかったからだ」などと、自己の責任には一切触れずにただ周囲を批判するだけでした。また以前の任期中に起きた新銀行東京の不良債権問題でも、散々自分が主導して設立したにもかかわらず経営陣が無能だったからと切って捨てています。
ここ数年の石原氏の都政を見て、生憎ですが私はこれという評価すべき点は見つかりません。そして極め付けが例の、東日本大震災を「日本人への天罰」といった発言です。
・東日本大震災:石原知事「津波は天罰」(毎日新聞)
内容はすでに皆さんもご存知かと思うので詳しく説明しませんが、はっきり言って口が滑ったとかそういうものではなく私には石原氏の本心から出た発言だと思えません。無論このような考え方は人として理解することが出来ず、遠慮なく言わせてもらえば人格を疑う発言です。こんな人間が責任あるべき地位にいていいのか、即刻辞任すべきではないかと発言があった当時は強く感じました。
この一点だけでも私は石原氏の再選は到底承服し難いほどに怒りを覚えるのですが、その一方で石原氏を公認して応援する自民党に対しても今回の都知事選には深い怒りを覚えます。というのも自民党はこの石原氏の発言とよく似た、「大阪にとって天の恵みというと言葉が悪いが、本当にこの地震が起こってよかった」と発言した、長田義明前府議会議長を先日告示された大阪府議選での公認を取消しているからです。
・「地震は天の恵み」 “失言”府議会議長 自民が公認取り消し(産経新聞)
公認を取消したのは自民党大阪府連で現在石原氏を応援する党本部との違いはありますが、同じ不謹慎極まりない発言をしながらも片方では公認が取消され、片方は以前と変わらず応援されるというこの自民党のダブルスタンダードは如何なものかと思います。
ただこの背景についてもう少し詳しく話すと、現自民党幹事長は石原氏の長男の石原伸晃氏で、そうしたことがこのダブルスタンダードの成立に一役買っているのかもしれません。ただいくら肉親とはいえ上記の石原氏の発言を無視するというのは政治家としては許されるものとは思えず、むしろ肉親だからこそここは引導を渡すべきではないかと考えていたのですが、選挙前に伸晃氏は何度も出馬要請を行い続けてきました。
私は正直に言って、石原氏の発言はその内容や彼の地位を考えると長田前議長以上に問題の多い発言だったと考えております。本人も発言した当初は意に関せぬ態度でしたがその後は謝罪しております。しかし謝罪以前の問題で何度も言いますが人格的に大きく問題のある発言です。
無論都知事を誰に選ぶかは都民が決めることです。しかし一個人として今回石原氏が再選することは納得できないということを記録するため、こうして記事にまとめることにしました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年4月3日日曜日
2011年4月2日土曜日
攻めに強い経営者が求められる中国
中国の経済紙を見ていて不思議というか違和感をいつも覚えることに、「○○、収益が15%減」というニュースがあります。こういった見出しの記事の中身は大抵、「売上高が増加したにもかかわらず収益が□%低下した。低下した要因は……」という感じでまとめられているのですが、読んでていつも、「黒字保ってんだからいいじゃないか別に……」と思います。もっとも私がこういう風に思うのも日本にいたころにあまり経済紙を読んでいなかっただけかもしれませんが。
あくまで私の主観ですが、こっちでも企業の収益が赤字になればそれはそれでニュースになりますが、どうも中国では成長率が前期比を少し下回るだけでもニュースになる、というより同程度がそれ以上の成長率を出して当たり前というような風潮があるように感じます。それこそ去年は収益が20%増加したのだから、今年は25%くらいないとおかしいというようなくらいに。
しかし生まれてこのかた日本の景気が落ちるところしか見たことがない私からすると、たとえ売上や収益がいくら落ちようが黒字を保てれば企業としては立派なものだという風に考えるところがあり、たとえばユニクロのような毎年急成長を続けていた企業で成長率が低下したりした場合は話は別ですが、どうもこの辺で中国企業のニュースを見ていてギャップのようなものを感じさせられることが多いです。
ただ中国では何もしなくともいい位に景気が上り調子ですので、成長率が落ちる方が確かに問題なのかもしれません。ちなみに最近だと、ここまで露骨にやらなくともいいだろうと思うくらいにデザインをパクリまくっている、自動車会社のBYD汽車の成長率減少のニュースが取り扱いが大きかったです。
とまぁこの程度の内容だったら記事にするまでもないのですが、こうしたニュースに触れていてこのところちょくちょく思うこととして、今の中国には攻めに強い経営者しかいないのではというものがあります。攻めに強いというのは文字通りに積極的に業務拡大を行っていけるような経営者で、具体的には販売拡張や支店、営業所の設置、人員拡大などといったことをばんばん効率よく行っていける経営者のことを指しておりますが、実際に企業家のインタビューなどを見ていると如何に売上を伸ばすかという点を強く語る人が多いような気がします。
攻めに強い経営者というのはそれはそれで資質に問題があるというわけではなく、経済が拡大している今の中国にとっては確かに必要とされる人材です。そういう意味では需要の多い人材が数多く世に出てきていると捉えることができるのですが、その一方で守りに強い経営者が存外少ないのでは、ということを覚えます。
攻めの経営者に対して守りの経営者というのは、これまたあくまで私の定義ですが売上高が減少する中で以下に採算を守るか、赤字を出さないように経営の効率化を図れるような経営者を指しております。基本的に今の日本の経営者はこの手のタイプが重宝されており、敢えて有名なのを出すと日産のカルロス・ゴーン氏のような、やり方についていろいろ批判されてますが経費を徹底的に削減するコストカッターと呼ばれるような経営者です。日本の場合はデフレ下で売上が減少して当たり前なので、もちろん売上も伸ばせるのなら越したことはないですが、減少していく中で採算を確保することが今の経営者に一番に求められる資質です。
いつものごとくまた前置きが長くなってしまいましたが、概して攻めに強い経営者というのは守りには滅法弱いところがあり、景気が全体で収束していくような時代ではかえって会社の経営を危うくする人間も少なくありません。それこそ日本のバブル期に名経営者と呼ばれた人材はバブル後になると評価が一転した人物も少なくなく、中にはかつての名声はどこにやらという感じで割と寂しい晩節を迎えた人もいます。大抵こういう経営者は売上が減少すると広告費や営業社員を増やせばまた上がるとして逆に資金の追加投入を行いますが、失われた十年の時代ではそうしたことをしても経費が増えるだけで売上も収益も伸びず、代表的な例だとダイエーの中内功氏のように結局一代で作って一代で駄目にしてしまった人もおりました。
今の時代の中国においてはこのような心配は無用以外の何者でもないですが、不動産を筆頭に今の中国の経済はいくらかバブルの傾向があり、成長が鈍化したりマイナス成長時代に入ったりすれば対応できる守りの経営者がおらず、日本のバブル後同様に傷口を広げてしまうのではとやや気の早い予想をこのところしております。そういう意味で今の中国の経営者や会社員らには、「今の日本をよく見ておけよ」と、やや自虐的ですがこういうことを伝えたいなと思ったりします。
逆に今の日本は文字通り守りの経営者ばかりで攻めの経営者はいるかですが、IT業界なんかにはそういう人も多くいるような気がするので、驚嘆に守りばかりに偏っているわけでもない気がします。もちろん理想を言えば攻めも守りも両方できる人材がいればそれに越したことはありませんが、そんな都合のいい人材はそうそういないのでやっぱり時代ごとに表に立つべき人間をしっかり見極め、選ぶことが重要かというのが今日の私の意見です。
おまけ
今の中国の不動産市場は明らかにバブルで、実際に住む目的よりも投資目的で購入する人の方が多いです。そのため去年から二件目の住宅の購入の際にはいろいろと条件を課す、固定資産税を導入(今までなかったというのがちょっと驚いた)するなど各都市ごとに制限を実施し始めておりますが、今のところまだ大きな効果は出てきておりません。ただ先月に初めて、中古住宅ではありますが平均価格が始めて前月比で下回りました。ちなみに私は友人(♂)から、誕生日プレゼントには上海の一等地の高級マンションがほしいとねだられているのでこの頃宝くじを買い始めました。
あくまで私の主観ですが、こっちでも企業の収益が赤字になればそれはそれでニュースになりますが、どうも中国では成長率が前期比を少し下回るだけでもニュースになる、というより同程度がそれ以上の成長率を出して当たり前というような風潮があるように感じます。それこそ去年は収益が20%増加したのだから、今年は25%くらいないとおかしいというようなくらいに。
しかし生まれてこのかた日本の景気が落ちるところしか見たことがない私からすると、たとえ売上や収益がいくら落ちようが黒字を保てれば企業としては立派なものだという風に考えるところがあり、たとえばユニクロのような毎年急成長を続けていた企業で成長率が低下したりした場合は話は別ですが、どうもこの辺で中国企業のニュースを見ていてギャップのようなものを感じさせられることが多いです。
ただ中国では何もしなくともいい位に景気が上り調子ですので、成長率が落ちる方が確かに問題なのかもしれません。ちなみに最近だと、ここまで露骨にやらなくともいいだろうと思うくらいにデザインをパクリまくっている、自動車会社のBYD汽車の成長率減少のニュースが取り扱いが大きかったです。
とまぁこの程度の内容だったら記事にするまでもないのですが、こうしたニュースに触れていてこのところちょくちょく思うこととして、今の中国には攻めに強い経営者しかいないのではというものがあります。攻めに強いというのは文字通りに積極的に業務拡大を行っていけるような経営者で、具体的には販売拡張や支店、営業所の設置、人員拡大などといったことをばんばん効率よく行っていける経営者のことを指しておりますが、実際に企業家のインタビューなどを見ていると如何に売上を伸ばすかという点を強く語る人が多いような気がします。
攻めに強い経営者というのはそれはそれで資質に問題があるというわけではなく、経済が拡大している今の中国にとっては確かに必要とされる人材です。そういう意味では需要の多い人材が数多く世に出てきていると捉えることができるのですが、その一方で守りに強い経営者が存外少ないのでは、ということを覚えます。
攻めの経営者に対して守りの経営者というのは、これまたあくまで私の定義ですが売上高が減少する中で以下に採算を守るか、赤字を出さないように経営の効率化を図れるような経営者を指しております。基本的に今の日本の経営者はこの手のタイプが重宝されており、敢えて有名なのを出すと日産のカルロス・ゴーン氏のような、やり方についていろいろ批判されてますが経費を徹底的に削減するコストカッターと呼ばれるような経営者です。日本の場合はデフレ下で売上が減少して当たり前なので、もちろん売上も伸ばせるのなら越したことはないですが、減少していく中で採算を確保することが今の経営者に一番に求められる資質です。
いつものごとくまた前置きが長くなってしまいましたが、概して攻めに強い経営者というのは守りには滅法弱いところがあり、景気が全体で収束していくような時代ではかえって会社の経営を危うくする人間も少なくありません。それこそ日本のバブル期に名経営者と呼ばれた人材はバブル後になると評価が一転した人物も少なくなく、中にはかつての名声はどこにやらという感じで割と寂しい晩節を迎えた人もいます。大抵こういう経営者は売上が減少すると広告費や営業社員を増やせばまた上がるとして逆に資金の追加投入を行いますが、失われた十年の時代ではそうしたことをしても経費が増えるだけで売上も収益も伸びず、代表的な例だとダイエーの中内功氏のように結局一代で作って一代で駄目にしてしまった人もおりました。
今の時代の中国においてはこのような心配は無用以外の何者でもないですが、不動産を筆頭に今の中国の経済はいくらかバブルの傾向があり、成長が鈍化したりマイナス成長時代に入ったりすれば対応できる守りの経営者がおらず、日本のバブル後同様に傷口を広げてしまうのではとやや気の早い予想をこのところしております。そういう意味で今の中国の経営者や会社員らには、「今の日本をよく見ておけよ」と、やや自虐的ですがこういうことを伝えたいなと思ったりします。
逆に今の日本は文字通り守りの経営者ばかりで攻めの経営者はいるかですが、IT業界なんかにはそういう人も多くいるような気がするので、驚嘆に守りばかりに偏っているわけでもない気がします。もちろん理想を言えば攻めも守りも両方できる人材がいればそれに越したことはありませんが、そんな都合のいい人材はそうそういないのでやっぱり時代ごとに表に立つべき人間をしっかり見極め、選ぶことが重要かというのが今日の私の意見です。
おまけ
今の中国の不動産市場は明らかにバブルで、実際に住む目的よりも投資目的で購入する人の方が多いです。そのため去年から二件目の住宅の購入の際にはいろいろと条件を課す、固定資産税を導入(今までなかったというのがちょっと驚いた)するなど各都市ごとに制限を実施し始めておりますが、今のところまだ大きな効果は出てきておりません。ただ先月に初めて、中古住宅ではありますが平均価格が始めて前月比で下回りました。ちなみに私は友人(♂)から、誕生日プレゼントには上海の一等地の高級マンションがほしいとねだられているのでこの頃宝くじを買い始めました。
2011年4月1日金曜日
自民、民主の大連立構想について
東日本震災発生から三週間経ち、ようやく復興案について具体的な議論が立ち上がってきました。月も改まったことで政府の閣僚には今日から背広を着る人間が出てきましたが、なんか一部では「もう作業着を脱ぐのか」などと非難する声が出ていると耳に入ってきますが、私はこういった批判についてはちょっとどうかと思うところがあります。ついでに書くとすでにこのブログで幾度も触れていますが、具体的に管首相のどのような対応が問題だったなのかいまいち自分には理解できません。決して100点満点の対応とまでは言いませんが、震災以降は首相として最低限の勤めを果たしているように私は評価しております。原発の事故ですぐに海水注入を指示しなかった点が問題だったとも言われますが、専門家の意見を無視して何かを決断するというのは往々にして問題が起こりやすいです。もっとも今回はその専門家たる東電が当初海水注入に反対するなど明らかな決断ミスを犯し、事態を悪化させてしまったのですが。
さてようやくまた国会での審議が徐々に復活してきましたが、政界では国会外の自民党と民主党の大連立についての話題が中心となってきております。元々震災直後に管首相は自民党の谷垣総裁に入閣を依頼するという事実上の大連立を自民党へ申し込んでいますが、この時は谷垣総裁が拒否したことですぐに成立とは行きませんでした。いくら震災に対応するためとはいえ散々言い合いをしてきた仲ですし、党内の了承や根回しをせずに谷垣総裁がすぐに受諾していたらいろいろと面倒な問題が起こっていたように私は思え、そういう意味では谷垣総裁の決断は正しかったでしょう。
そしてやや時間がたった今日、自民党内では森氏や安倍氏など首相経験者(いっぱいいるから困る)などが条件付で大連立を行うべきだと発言するなど、徐々に肯定論者が増えつつあります。その自民党内が検討している民主党への連立の条件ですが、子供手当てなどのばら撒き政策の廃止、閣僚ポストの数などいくつかありますが、一番議論の分かれるところは何と言っても管首相のクビでしょう。
報道を見る限りですと連立に当たって自民党は管首相の退陣、首相の交代を要求するという話も出ているそうです。理由はまぁなんとなく想像はつきますが管首相の現在の支持率の低さなどに加え、民主党にイニシアチブを持たせないために自民党にとって有利な人物を選ぶという腹案があるのかもしれません。具体的にどのように有利となるかまでは書きませんが。
ただこの震災の最中でまた首相を取替えていたら海外から、「日本はこんな時にも政争か」と思われる節があり、私はたとえ管首相がどれだけ問題があるとしても一度選んでしまったのだからこの際なんとか我慢してでも支え続けるべきだと考えています。その上で政権を安定し矢継ぎ早に対応を行うためには、震災前からも主張していましたがやはり大連立は必要だと思います。少なくともこれから一年は本当に復興対策に追われることは間違いないので、期限付きで一年後にはまた分かれても首相を交替させてもいいから、是非自民、民主の両党には真剣に大連立を行ってもらいたいと希望しております。
幸いというか今回の地震を受け、民主党内ではかつてのマニフェストで掲げていた子供手当てからガソリン値下げ、高校無償化、農家の個別保障といったばら撒き策を撤回する機運が高まっています。恐らく民主党内の政策担当者も現実にはこれらの政策は実現できないと徐々に認識していた矢先でしたでしょうし、マニフェストの撤回によって自民党の掲げる政策に歩み寄ることも可能でしょう。もっとも程度の差こそあれ、自民党も似たようなばら撒き策を掲げてはいるのですが。
さてようやくまた国会での審議が徐々に復活してきましたが、政界では国会外の自民党と民主党の大連立についての話題が中心となってきております。元々震災直後に管首相は自民党の谷垣総裁に入閣を依頼するという事実上の大連立を自民党へ申し込んでいますが、この時は谷垣総裁が拒否したことですぐに成立とは行きませんでした。いくら震災に対応するためとはいえ散々言い合いをしてきた仲ですし、党内の了承や根回しをせずに谷垣総裁がすぐに受諾していたらいろいろと面倒な問題が起こっていたように私は思え、そういう意味では谷垣総裁の決断は正しかったでしょう。
そしてやや時間がたった今日、自民党内では森氏や安倍氏など首相経験者(いっぱいいるから困る)などが条件付で大連立を行うべきだと発言するなど、徐々に肯定論者が増えつつあります。その自民党内が検討している民主党への連立の条件ですが、子供手当てなどのばら撒き政策の廃止、閣僚ポストの数などいくつかありますが、一番議論の分かれるところは何と言っても管首相のクビでしょう。
報道を見る限りですと連立に当たって自民党は管首相の退陣、首相の交代を要求するという話も出ているそうです。理由はまぁなんとなく想像はつきますが管首相の現在の支持率の低さなどに加え、民主党にイニシアチブを持たせないために自民党にとって有利な人物を選ぶという腹案があるのかもしれません。具体的にどのように有利となるかまでは書きませんが。
ただこの震災の最中でまた首相を取替えていたら海外から、「日本はこんな時にも政争か」と思われる節があり、私はたとえ管首相がどれだけ問題があるとしても一度選んでしまったのだからこの際なんとか我慢してでも支え続けるべきだと考えています。その上で政権を安定し矢継ぎ早に対応を行うためには、震災前からも主張していましたがやはり大連立は必要だと思います。少なくともこれから一年は本当に復興対策に追われることは間違いないので、期限付きで一年後にはまた分かれても首相を交替させてもいいから、是非自民、民主の両党には真剣に大連立を行ってもらいたいと希望しております。
幸いというか今回の地震を受け、民主党内ではかつてのマニフェストで掲げていた子供手当てからガソリン値下げ、高校無償化、農家の個別保障といったばら撒き策を撤回する機運が高まっています。恐らく民主党内の政策担当者も現実にはこれらの政策は実現できないと徐々に認識していた矢先でしたでしょうし、マニフェストの撤回によって自民党の掲げる政策に歩み寄ることも可能でしょう。もっとも程度の差こそあれ、自民党も似たようなばら撒き策を掲げてはいるのですが。
2011年3月30日水曜日
私の世代にとってのカズ
・カズ、ダンス!感動弾決めた!日本に希望(サンケイスポーツ)
私はもちろん見る事ができませんでしたが、昨日行われた東北大震災被災者へのサッカーの慈善試合でカズこと三浦知良選手の活躍が大きな話題となっています。実に44歳にして未だ現役、そして日本代表相手の大舞台で堂々のゴールを決めるなどさすがはキングカズと、ニュースを読んでいて私も思わずうなりました。
私はどちらかというと野球の方が好きで普段はあまりサッカーを見たりしないのですが、ちょうどJリーグ開幕時に小学生だった私くらいの世代ならカズダンスの物まねしたことがないという男はまずいないでしょう。開幕当時のJリーグはそれはもう勢いが今とは全然違っており、平日でも試合が中継されたりするなど世間の注目度が非常に高かった時代でありました。またスター選手というかいろんな意味で印象に残る選手やパフォーマンスも多く、その中でも際立っていたのはやはりアルシンドの頭とカズダンスでした。
名前は忘れましたが昔にあるスポーツジャーナリストが三浦選手についてこのように書いていた事がありました。なんでもあるインタビューでサッカーをしている子供たちに向けて三浦選手がメッセージを求められた際、「サッカーはいい、サッカーをすればお金が儲かるぞ」と話したことがあり、そのジャーナリストの方は三浦氏はサッカーを金儲けの道具としか考えてないのかと当初は憤慨したそうです。
しかしその後の三浦選手の発言や行動、また直接会ってみて、その方の三浦選手への考え方が徐々に変わって行ったそうです。当時の日本のサッカー界はまだ発展途上で、後進を増やすには直接的にでも魅力を訴えかけるしか当時はなく、そのために三浦選手はあのような内容の発言、ひいては過剰とも見えるパフォーマンスをしていたのではないかと書いていました。
実際に今の三浦選手を見ているとお金に執着する素振りはなく、本当にサッカーをやるためだけに中山雅史選手同様に未だにプロとして現役を維持し続けているのだと思えます。
恐らく彼がいなければ、日本サッカー界は少なからず今とは違った姿であったと思います。あの中田英寿氏ですら、「カズさんについていけばなんでもうまくいった」と言う位で(こういうと中田氏がなんか変な人みたいな感じするけど)、文字通り日本サッカーにおいて三浦選手はキングの名にふさわしく、未だ活躍し続けているその姿には私も尊敬する気持ちがやみません。
あと予断ですが、私の中学時代はオリンピック日本代表が活躍した年でもあり、前園元選手が非常に人気でした。無精ひげを生やしてると「園ってる」というくらいだったし。この人は活躍期間が短かったのが残念です(´・ω・)
私はもちろん見る事ができませんでしたが、昨日行われた東北大震災被災者へのサッカーの慈善試合でカズこと三浦知良選手の活躍が大きな話題となっています。実に44歳にして未だ現役、そして日本代表相手の大舞台で堂々のゴールを決めるなどさすがはキングカズと、ニュースを読んでいて私も思わずうなりました。
私はどちらかというと野球の方が好きで普段はあまりサッカーを見たりしないのですが、ちょうどJリーグ開幕時に小学生だった私くらいの世代ならカズダンスの物まねしたことがないという男はまずいないでしょう。開幕当時のJリーグはそれはもう勢いが今とは全然違っており、平日でも試合が中継されたりするなど世間の注目度が非常に高かった時代でありました。またスター選手というかいろんな意味で印象に残る選手やパフォーマンスも多く、その中でも際立っていたのはやはりアルシンドの頭とカズダンスでした。
名前は忘れましたが昔にあるスポーツジャーナリストが三浦選手についてこのように書いていた事がありました。なんでもあるインタビューでサッカーをしている子供たちに向けて三浦選手がメッセージを求められた際、「サッカーはいい、サッカーをすればお金が儲かるぞ」と話したことがあり、そのジャーナリストの方は三浦氏はサッカーを金儲けの道具としか考えてないのかと当初は憤慨したそうです。
しかしその後の三浦選手の発言や行動、また直接会ってみて、その方の三浦選手への考え方が徐々に変わって行ったそうです。当時の日本のサッカー界はまだ発展途上で、後進を増やすには直接的にでも魅力を訴えかけるしか当時はなく、そのために三浦選手はあのような内容の発言、ひいては過剰とも見えるパフォーマンスをしていたのではないかと書いていました。
実際に今の三浦選手を見ているとお金に執着する素振りはなく、本当にサッカーをやるためだけに中山雅史選手同様に未だにプロとして現役を維持し続けているのだと思えます。
恐らく彼がいなければ、日本サッカー界は少なからず今とは違った姿であったと思います。あの中田英寿氏ですら、「カズさんについていけばなんでもうまくいった」と言う位で(こういうと中田氏がなんか変な人みたいな感じするけど)、文字通り日本サッカーにおいて三浦選手はキングの名にふさわしく、未だ活躍し続けているその姿には私も尊敬する気持ちがやみません。
あと予断ですが、私の中学時代はオリンピック日本代表が活躍した年でもあり、前園元選手が非常に人気でした。無精ひげを生やしてると「園ってる」というくらいだったし。この人は活躍期間が短かったのが残念です(´・ω・)
2011年3月29日火曜日
原発事故の東芝への影響
今まで敢えて口にはしませんでしたが、今回の震災による福島県の原発事故が起きてからずーっとあることが気にかかっていました。
「東芝はこれからどうなるんだろう(;゚д゚)ゴクリ…」
・吹き飛んだ将来の飯のタネ 東芝・日立は戦略見直しへ(ダイヤモンド・オンライン)
私が言いたいことは大体上記リンク先の記事にまとめてあるので特に付け加えることはないのですが、簡単に概要を説明すると東芝は先代の西田社長が、「今こそ日の丸半導体復活だ( ゚Д゚)ドルァ!!」と、半導体市場のシェア拡大を狙って大規模な投資を行ったのですが、時をほぼ同じくして世界中で半導体がだぶついて国際価格が急落し、皮肉なことに大規模投資が仇となって東芝は半導体事業で赤字を計上する羽目となってしまいました。この責任を取ってなのかどうかは知りませんがその後西田氏は社長を退き、変わって新しく社長となった佐々木現社長は半導体事業を整理して原発建設事業に注力していく方針を採ったのですが、そうやって方針転換を行っている最中に今回の福島原発の事故が起きたわけです。
もちろん東芝が悪いわけじゃありませんが今回の福島原発の事故を受け国内はもとより世界中で原発忌避の動きが急速に広がっており、今後世界中の原発発注数は震災以前と比べて大きく減少することはほぼ間違いないでしょう。ドイツでも地方選挙で原発反対を掲げる緑の党が躍進したとも聞きますし、永久になくなるわけじゃないですが向こう三年くらいは各地で建設計画が凍結されたりなど大幅な影響を受けることとなるでしょう。引用した記事でも今後の見通しは厳しいという論調で書かれており、見出しにいたっては「吹き飛んだ将来の飯のタネ」とまで言い切ってます。もうすこし優しい言葉でもかけてやれよという気もするのですが。
正直に言って、西田前社長といい佐々木社長には深く同情します。どちらも経営者としての決断が悪かったというより偶発的要因に振り回されたもので、経営者としての資質に問題があったとは私は考えておりません。ただ東芝はHD-DVDでも負けてるし、なんかこのところ出す策すべてが裏目に出ているように見えてきました。もっともまだ経営全体が日立とかよりマシなだけ救われますが。
福島原発の事故が起こった当初からこのようなことを考えていましたが、所詮は素人の浅知恵で誰も話題にしないから杞憂に過ぎなかったかとも思ってましたが、今日になってようやく引用元の記事が出たので安心しました。こういうことならもっと早くに記事を書いとけばよかったのに。
「東芝はこれからどうなるんだろう(;゚д゚)ゴクリ…」
・吹き飛んだ将来の飯のタネ 東芝・日立は戦略見直しへ(ダイヤモンド・オンライン)
私が言いたいことは大体上記リンク先の記事にまとめてあるので特に付け加えることはないのですが、簡単に概要を説明すると東芝は先代の西田社長が、「今こそ日の丸半導体復活だ( ゚Д゚)ドルァ!!」と、半導体市場のシェア拡大を狙って大規模な投資を行ったのですが、時をほぼ同じくして世界中で半導体がだぶついて国際価格が急落し、皮肉なことに大規模投資が仇となって東芝は半導体事業で赤字を計上する羽目となってしまいました。この責任を取ってなのかどうかは知りませんがその後西田氏は社長を退き、変わって新しく社長となった佐々木現社長は半導体事業を整理して原発建設事業に注力していく方針を採ったのですが、そうやって方針転換を行っている最中に今回の福島原発の事故が起きたわけです。
もちろん東芝が悪いわけじゃありませんが今回の福島原発の事故を受け国内はもとより世界中で原発忌避の動きが急速に広がっており、今後世界中の原発発注数は震災以前と比べて大きく減少することはほぼ間違いないでしょう。ドイツでも地方選挙で原発反対を掲げる緑の党が躍進したとも聞きますし、永久になくなるわけじゃないですが向こう三年くらいは各地で建設計画が凍結されたりなど大幅な影響を受けることとなるでしょう。引用した記事でも今後の見通しは厳しいという論調で書かれており、見出しにいたっては「吹き飛んだ将来の飯のタネ」とまで言い切ってます。もうすこし優しい言葉でもかけてやれよという気もするのですが。
正直に言って、西田前社長といい佐々木社長には深く同情します。どちらも経営者としての決断が悪かったというより偶発的要因に振り回されたもので、経営者としての資質に問題があったとは私は考えておりません。ただ東芝はHD-DVDでも負けてるし、なんかこのところ出す策すべてが裏目に出ているように見えてきました。もっともまだ経営全体が日立とかよりマシなだけ救われますが。
福島原発の事故が起こった当初からこのようなことを考えていましたが、所詮は素人の浅知恵で誰も話題にしないから杞憂に過ぎなかったかとも思ってましたが、今日になってようやく引用元の記事が出たので安心しました。こういうことならもっと早くに記事を書いとけばよかったのに。
2011年3月28日月曜日
日本での土曜日の過ごし方
昨日は友人と夜にスカイプで話す予定だったので急ぎでブログを書き終えて大して見直しもせずにアップしましたが、改めて昨日の「日本人の自己裁量権」の記事を読み返すとびっくりするくらい文章の質が悪くて、先ほどちょっと軽い自己嫌悪に陥りました。「~でしょう」が何度も繰り返されてるし……。こんなにも悪くなったのは急ぎで書いたというのが最も大きいでしょうが、それ以外にも実はこのところゆえあってこれまでと全く系統の違う文章をいろいろ書いており、なるべくブログではこれまでの文体を維持していこうとは考えていたものの無意識に影響を受けてたのか、なんていうか締まりの悪い状態が続いております。
なもんだから今日はちょっと勘を取り戻すような、幾分軽めの書きやすい記事でもと思って前に少し準備していた日本での私の土曜日の過ごし方でも紹介しようかと思います。
中国に来てからの私は土曜日ともなると元々寝るのが大好きなため、それこそ平気で十時間以上眠っては少し運動がてらに散歩する程度のだらけた過ごし方をしてますが、日本にいた頃は毎週ではないものの大体二週間に一回のペースで地元の友人と朝八時半くらいに駅前に集合してはよく一緒にファミレスに朝食を食べに行っていました。いい年した男二人でファミレスに行くのもなんですが近頃のファミレスはドリンクバーを筆頭に喫茶店化の一途を辿っており、モーニングのメニューがお手ごろな値段で非常に充実していてデフレ下で働いている店員さんには申し訳ないと思いつつもよく利用しておりました。ただそうやって友人と会う目的は何もファミレスのメニューを制覇するとかそういったものじゃなく、定期的に会ってお互いの状況を伝え合うとともに時事系の話題を取り上げては二人であれこれ議論するというのが主目的でした。
ちょっと偉ぶった言い方になってしまいますが、深い内容を議論し合うためにはその本人が相応の知識や思考力を持っているのは当然ですが、話す相手にも同程度の知識が必要となります。それこそたとえば日本史の知識がどれだけあるといっても、相手が全く日本史を知らないようでは議論のしようがありません。
何も私とその友人の知識や思考力が豊富だと言うつもりはありませんが、時事や経済に対してお互いのレベルがまだ近いということもあって私にとってその友人は議論するにはうってつけの相手でありました。その友人と議論した内容は以前の陽月秘話で何度も記事にしているほど実りあるもので、家が近いもんだから結構な頻度で呼び出しては正午頃まで引っ張って、面倒をかけてたと思います。
ただその友人も満更ではなかったというか、ある日に私に対して、「こういうことを会社で話す相手っている?」と聞いてきたことがありました。その時友人と話していたのは確か福田政権のガソリン税に絡む政策とかだったと思いますが、もちろん会社でこんなことを話す人間はいないので私が首を振ると、「みんながみんなとは言わないが、全く誰もこういう話ができないという(友人の会社の)環境が辛いんだ」と洩らした事がありました。
私としてもこういった政治や経済絡みの話題は根っから好きなだけに話せる相手がいるに越したことはないものの、社内ならともかくプライベートではその友人を始めとしてスカイプ等で話す人間がいるためそれほど苦には感じていなかったのですが、当時の友人はなんか結構真剣に悩んでおりました。
もっとも私も、時々こうしてこのブログで書いているような内容について思考を巡らしたり知識を身につけることについて社会じゃ誰も評価しないのだろうと空しさを覚えることがあります。それこそ暇人が空想に耽っているだけでは、こうしてブログに費やす時間をもっと別の何かに使ったらどうかというように考えることもあります。
しかしその友人を始めとしてごく少数ではありますが、私と同じように小難しい話題を話すのが好きな人間もいれば私の持っている知識を誉めてくれる人間はありがたいことに存在しています。たとえ少数でもそういうような人間がいるのだから、自分はこのままでいいのだしむしろそういう人たちのために奮起せねばとこうしてブログも続けてきておれます。
この頃土曜日を迎える度に、日本だったらああいう話題とか話せるしこういうことを聞いたらどんな風に帰ってくるだろうかと、その友人と議論した日々をよく思い出します。上海だと日本のものはポン酢から柿の種まで何でも買うことができますが、人材だけはどうやっても買うことができません。しょうがないので今フリーな、これまた妙なことにはやけに詳しい別の友人をこっちの大学に留学させることで呼び寄せようかと画策中です。大学時代だったら適当な人間を一から鍛えることもできましたが、こっちじゃそれもなかなかできないしなぁ。
なもんだから今日はちょっと勘を取り戻すような、幾分軽めの書きやすい記事でもと思って前に少し準備していた日本での私の土曜日の過ごし方でも紹介しようかと思います。
中国に来てからの私は土曜日ともなると元々寝るのが大好きなため、それこそ平気で十時間以上眠っては少し運動がてらに散歩する程度のだらけた過ごし方をしてますが、日本にいた頃は毎週ではないものの大体二週間に一回のペースで地元の友人と朝八時半くらいに駅前に集合してはよく一緒にファミレスに朝食を食べに行っていました。いい年した男二人でファミレスに行くのもなんですが近頃のファミレスはドリンクバーを筆頭に喫茶店化の一途を辿っており、モーニングのメニューがお手ごろな値段で非常に充実していてデフレ下で働いている店員さんには申し訳ないと思いつつもよく利用しておりました。ただそうやって友人と会う目的は何もファミレスのメニューを制覇するとかそういったものじゃなく、定期的に会ってお互いの状況を伝え合うとともに時事系の話題を取り上げては二人であれこれ議論するというのが主目的でした。
ちょっと偉ぶった言い方になってしまいますが、深い内容を議論し合うためにはその本人が相応の知識や思考力を持っているのは当然ですが、話す相手にも同程度の知識が必要となります。それこそたとえば日本史の知識がどれだけあるといっても、相手が全く日本史を知らないようでは議論のしようがありません。
何も私とその友人の知識や思考力が豊富だと言うつもりはありませんが、時事や経済に対してお互いのレベルがまだ近いということもあって私にとってその友人は議論するにはうってつけの相手でありました。その友人と議論した内容は以前の陽月秘話で何度も記事にしているほど実りあるもので、家が近いもんだから結構な頻度で呼び出しては正午頃まで引っ張って、面倒をかけてたと思います。
ただその友人も満更ではなかったというか、ある日に私に対して、「こういうことを会社で話す相手っている?」と聞いてきたことがありました。その時友人と話していたのは確か福田政権のガソリン税に絡む政策とかだったと思いますが、もちろん会社でこんなことを話す人間はいないので私が首を振ると、「みんながみんなとは言わないが、全く誰もこういう話ができないという(友人の会社の)環境が辛いんだ」と洩らした事がありました。
私としてもこういった政治や経済絡みの話題は根っから好きなだけに話せる相手がいるに越したことはないものの、社内ならともかくプライベートではその友人を始めとしてスカイプ等で話す人間がいるためそれほど苦には感じていなかったのですが、当時の友人はなんか結構真剣に悩んでおりました。
もっとも私も、時々こうしてこのブログで書いているような内容について思考を巡らしたり知識を身につけることについて社会じゃ誰も評価しないのだろうと空しさを覚えることがあります。それこそ暇人が空想に耽っているだけでは、こうしてブログに費やす時間をもっと別の何かに使ったらどうかというように考えることもあります。
しかしその友人を始めとしてごく少数ではありますが、私と同じように小難しい話題を話すのが好きな人間もいれば私の持っている知識を誉めてくれる人間はありがたいことに存在しています。たとえ少数でもそういうような人間がいるのだから、自分はこのままでいいのだしむしろそういう人たちのために奮起せねばとこうしてブログも続けてきておれます。
この頃土曜日を迎える度に、日本だったらああいう話題とか話せるしこういうことを聞いたらどんな風に帰ってくるだろうかと、その友人と議論した日々をよく思い出します。上海だと日本のものはポン酢から柿の種まで何でも買うことができますが、人材だけはどうやっても買うことができません。しょうがないので今フリーな、これまた妙なことにはやけに詳しい別の友人をこっちの大学に留学させることで呼び寄せようかと画策中です。大学時代だったら適当な人間を一から鍛えることもできましたが、こっちじゃそれもなかなかできないしなぁ。
2011年3月27日日曜日
日本人の自己裁量権
今回の震災後に聞いたニュースですが、なんでも救援物資を積んだ自衛隊のヘリコプターが被災地に到着したものの着陸の安全確認が取れないために空中で待機していたところ、同じく救援物資を積んだ米軍のヘリがやってくるやさっさと着陸したそうです。もちろん無事に着陸し、空中で待機する自衛隊機を横目に救援物資の配布もすぐに始めたそうです。
このニュースのコメント欄を見ていると、こういう緊急時におけるアメリカ人は頼りになる、合理的だ、U・S・A(゚∀゚)!などと賞賛する内容が多かったのですが、その中で私の目を引いたのは、「アメリカと日本では自己裁量権が全然違う」というコメントでした。
以前に読んだどこかの評論で紹介されていたことですが、米軍内の規定というのは「やってはいけないこと」が書かれているのに対し、日本の自衛隊は「やっていいこと」しか書かれていないそうです。たとえば発砲についてもアバウトに書けば米軍では民間人や降伏した兵士に撃ってはならないと書かれているのに対し、自衛隊は相手がこちらを攻撃する意思があるかどうかを確認する、上官の命令や承認を受けている、中央に確認を取ったなどと、規定通りの細かい過程を経た上でなければ発砲できないらしいです。
このような規定の違いについて私は米軍のような規定を「べからず法」、自衛隊のような規定を「べき法」と呼んで分けていますが、言うまでもなく「べき法」の方が規定の強さや厳しさが強く、制限も大きいです。そのため上記のヘリ着陸時の判断においても米軍ではパイロットなどが着陸可能と判断するやすぐに着陸出切るのに対し、自衛隊は恐らく関係各所に確認をする必要があって遅れてしまったのでしょう。
旧軍の暴走の上に二次大戦を起こしてしまったという反省を経た上で発足した自衛隊の歴史を考えれば、このような「べき法」に準拠した組織になるというのはごく自然な成り行きだったでしょう。しかしこのような細かい規定についてイラク派遣時に現場からは自衛隊員自身が危険だとして、一部省略化や改正の必要があるという声がありました。私はこのような自衛隊員の声はもっともで、今回の災害といいこれまでの自衛隊の歴史を考えると、そろそろもう少し自己裁量権というか活動における行動の自由の幅を広げてもいいのではないかと思います。阪神大震災時の救援活動でも自衛隊は様々な制限を受け満足に活動できていないとも聞いていますし、災害救援活動に絞ってでももっと広い活動権限を持たせるべきでしょう。
ここで少し話を広げますが、そもそもの話として日本は多くの組織においても「べき法」が中心となっております。元々の法体系がそうだったというべきか日本人の気質だったのかまではここでは議論しませんが、欧米と比べてどの組織においても自己裁量権が非常に少ないのが日本の特徴だと私は考えています。
「べき法」のいいところはどんな人間だろうと組織だろうとみんなで一緒の歩調をとり合うため、日本経済で言えばJIS規格を始めとした共通の規格を作って従うことで日本ブランド一丸となって世界市場で大きな成功を収めることができました。その一方で個人に対して組織が強くなるところがあって際立った個人的才能が表に出辛く、また全体で責任を忌避する傾向が出てくるため、面倒くさいことや手間がかかる案件については今や日本人お得意の「先送り」が連発されるようになります。ちなみに私も日本人であるゆえか、さっさとすればいいのに今住んでる部屋の契約延長を先送りっぱなしなので来週にはまとめようかと考えてます。
よく日本人は海外と比較して決断力や行動力に乏しいといわれることが多いですが、構造からして個人が決断をする場所が少ないのですからそれもそのはずです。しかも近年はオフィスのIT化が進んでいるので、伝票の入力から書類の書き方までなんでも決められたやり方通りに行う必要が以前より確実に強くなっております。
そういう意味で自分が非常に腹立たしく感じているのは確か四年くらい前の新入社員に対してどっかの人材会社が、「今年の新入社員はマニュアル型で、何に関しても先輩にやり方を教わるよりもマニュアルを求める傾向がある」と言われましたが、聞いてる私の方からすると「当たり前だコラ!」と言いたくなるような言われ方でした。行動の仕方が細かいところまで何から何まで決まっているのだからマニュアルを求めようとするのはごく自然ですし、その上ちょっと行動にオリジナリティをつけようものなら激しくケチつけられるのでは正直やってられません。
元々人の言うことをあまり聞かない性格のせいか私自身もいろいろこの点で苦労をしましたが、ある時に「お前の判断で行動しろ」と言われて手配を進めたら、結果はオーライなのにやり方が違うと激しく怒られたことがありました。まだ若かったせいもありますがこういう時は、「(上司が)やろうとするやり方を推量してその通り実行しろ」と言っているのだとようやく20歳になって気がつきました。
私は何も「べき法」がなんでもかんでもよくないというつもりはありませんし日本人の気質にはあった価値観だとは思いますが、時と場合によってはこれがマイナスに働くこともあるだけに何でもかんでも「べき法」一色にするのではなく、必要なところは「べからず法」にして自己裁量権を強く持たせる場所も必要ではないかと思います。多分日本人には、「この範囲で自由にやっていいよ」と、制限をおいた指示が一番動きやすいと思うので、自衛隊を嚆矢としてこれからこの考えが広まってくれれば私としてはありがたいです。
ちなみに私が自己裁量権を持たせてもらって一番楽しかったのは、ある統計資料を「見やすいように作って」と言われた時です。その時はExcelでやけに力の入った統計資料を作って、そこまでたいしたものではありませんでしたが。自動でデータ別分析ができるようにまで作って誉めてもらったのはいい思い出です。
このニュースのコメント欄を見ていると、こういう緊急時におけるアメリカ人は頼りになる、合理的だ、U・S・A(゚∀゚)!などと賞賛する内容が多かったのですが、その中で私の目を引いたのは、「アメリカと日本では自己裁量権が全然違う」というコメントでした。
以前に読んだどこかの評論で紹介されていたことですが、米軍内の規定というのは「やってはいけないこと」が書かれているのに対し、日本の自衛隊は「やっていいこと」しか書かれていないそうです。たとえば発砲についてもアバウトに書けば米軍では民間人や降伏した兵士に撃ってはならないと書かれているのに対し、自衛隊は相手がこちらを攻撃する意思があるかどうかを確認する、上官の命令や承認を受けている、中央に確認を取ったなどと、規定通りの細かい過程を経た上でなければ発砲できないらしいです。
このような規定の違いについて私は米軍のような規定を「べからず法」、自衛隊のような規定を「べき法」と呼んで分けていますが、言うまでもなく「べき法」の方が規定の強さや厳しさが強く、制限も大きいです。そのため上記のヘリ着陸時の判断においても米軍ではパイロットなどが着陸可能と判断するやすぐに着陸出切るのに対し、自衛隊は恐らく関係各所に確認をする必要があって遅れてしまったのでしょう。
旧軍の暴走の上に二次大戦を起こしてしまったという反省を経た上で発足した自衛隊の歴史を考えれば、このような「べき法」に準拠した組織になるというのはごく自然な成り行きだったでしょう。しかしこのような細かい規定についてイラク派遣時に現場からは自衛隊員自身が危険だとして、一部省略化や改正の必要があるという声がありました。私はこのような自衛隊員の声はもっともで、今回の災害といいこれまでの自衛隊の歴史を考えると、そろそろもう少し自己裁量権というか活動における行動の自由の幅を広げてもいいのではないかと思います。阪神大震災時の救援活動でも自衛隊は様々な制限を受け満足に活動できていないとも聞いていますし、災害救援活動に絞ってでももっと広い活動権限を持たせるべきでしょう。
ここで少し話を広げますが、そもそもの話として日本は多くの組織においても「べき法」が中心となっております。元々の法体系がそうだったというべきか日本人の気質だったのかまではここでは議論しませんが、欧米と比べてどの組織においても自己裁量権が非常に少ないのが日本の特徴だと私は考えています。
「べき法」のいいところはどんな人間だろうと組織だろうとみんなで一緒の歩調をとり合うため、日本経済で言えばJIS規格を始めとした共通の規格を作って従うことで日本ブランド一丸となって世界市場で大きな成功を収めることができました。その一方で個人に対して組織が強くなるところがあって際立った個人的才能が表に出辛く、また全体で責任を忌避する傾向が出てくるため、面倒くさいことや手間がかかる案件については今や日本人お得意の「先送り」が連発されるようになります。ちなみに私も日本人であるゆえか、さっさとすればいいのに今住んでる部屋の契約延長を先送りっぱなしなので来週にはまとめようかと考えてます。
よく日本人は海外と比較して決断力や行動力に乏しいといわれることが多いですが、構造からして個人が決断をする場所が少ないのですからそれもそのはずです。しかも近年はオフィスのIT化が進んでいるので、伝票の入力から書類の書き方までなんでも決められたやり方通りに行う必要が以前より確実に強くなっております。
そういう意味で自分が非常に腹立たしく感じているのは確か四年くらい前の新入社員に対してどっかの人材会社が、「今年の新入社員はマニュアル型で、何に関しても先輩にやり方を教わるよりもマニュアルを求める傾向がある」と言われましたが、聞いてる私の方からすると「当たり前だコラ!」と言いたくなるような言われ方でした。行動の仕方が細かいところまで何から何まで決まっているのだからマニュアルを求めようとするのはごく自然ですし、その上ちょっと行動にオリジナリティをつけようものなら激しくケチつけられるのでは正直やってられません。
元々人の言うことをあまり聞かない性格のせいか私自身もいろいろこの点で苦労をしましたが、ある時に「お前の判断で行動しろ」と言われて手配を進めたら、結果はオーライなのにやり方が違うと激しく怒られたことがありました。まだ若かったせいもありますがこういう時は、「(上司が)やろうとするやり方を推量してその通り実行しろ」と言っているのだとようやく20歳になって気がつきました。
私は何も「べき法」がなんでもかんでもよくないというつもりはありませんし日本人の気質にはあった価値観だとは思いますが、時と場合によってはこれがマイナスに働くこともあるだけに何でもかんでも「べき法」一色にするのではなく、必要なところは「べからず法」にして自己裁量権を強く持たせる場所も必要ではないかと思います。多分日本人には、「この範囲で自由にやっていいよ」と、制限をおいた指示が一番動きやすいと思うので、自衛隊を嚆矢としてこれからこの考えが広まってくれれば私としてはありがたいです。
ちなみに私が自己裁量権を持たせてもらって一番楽しかったのは、ある統計資料を「見やすいように作って」と言われた時です。その時はExcelでやけに力の入った統計資料を作って、そこまでたいしたものではありませんでしたが。自動でデータ別分析ができるようにまで作って誉めてもらったのはいい思い出です。
2011年3月26日土曜日
上海のランドマークタワー
昨晩は12時半に床につき、今朝は10時半に起きました。その上3時から5時までまた昼寝をして、睡眠好きが遺憾なく発揮された一日でした。
そんな睡眠ライフのことはほっといて、トップに貼った写真をご覧ください。真ん中のあたりに高層部の真ん中がすっぽりと切り抜かれたような奇妙なビルが見えるかと思いますが、これこそが上海市のランドマークタワーである「上海環球金融中心」というビルです。高さは上海一の492m、商用としてだけではなく上層にはパークハイアット上海というホテルも入っており、世界一高層にあるホテルと謳われております。
このビルの特徴はその高さもさることながら斬新な設計にあり、高層部の穴だけでなくいろいろな角度から見ることで見え方が変わるという点です。トップの写真だとわかり辛いですがこのビルは全体では三角錐のような形をしており、横から見ると下の写真のようになります。
私の目からしてもなかなか面白い形をしているように見え、実際に中に入ったことはありませんが上海人らがみんなシンボル視するだけあって立派なビルだと思えます。
さてそんな「上海環球金融中心」ですが、実はこのビルを建てたのは六本木ヒルズで有名な日本の森ビルです。うちの親父が、「あそこは別格」というだけある森ビルなだけに実にスマートな仕事ぶりというか、ここまで現地人に受け入れられるビルを作ったというのはさすがといったところです。
2011年3月25日金曜日
原発について
もう新規投稿ページを開いて30分くらい経ちますが、何から書いていいのか未だによくわかりません。今朝家を出た際にはなにか社会学ネタでもと考えていましたが、昨日起こった被爆のニュースの続報を聞くにつけいろいろな思いがこみ上げてきました。
以前の陽月秘話時代に私は東海村で起きたJCO臨界事故を取り上げましたが、私はそれでも原発容認派の立場を崩さずに来ました。しかし今回の一連の福島の事故といい、今回のずさん極まりない対応といい、やはり核は人が扱うべき技術ではなかったと完全に改めるに至りました。日本のエネルギー政策とかそういうレベルの話ではなく、本当に最低限の対応すらできない技術を何故扱うのか、やはり日本は手を出すべきではなかったのかもしれません。
ちょっと前まで原発建設の受注を韓国に取られたとかあれこれ騒いでいましたが、今となっては空しい騒ぎでした。
以前の陽月秘話時代に私は東海村で起きたJCO臨界事故を取り上げましたが、私はそれでも原発容認派の立場を崩さずに来ました。しかし今回の一連の福島の事故といい、今回のずさん極まりない対応といい、やはり核は人が扱うべき技術ではなかったと完全に改めるに至りました。日本のエネルギー政策とかそういうレベルの話ではなく、本当に最低限の対応すらできない技術を何故扱うのか、やはり日本は手を出すべきではなかったのかもしれません。
ちょっと前まで原発建設の受注を韓国に取られたとかあれこれ騒いでいましたが、今となっては空しい騒ぎでした。
2011年3月24日木曜日
Opera、中国製パソコン、日本語入力と中国語入力
以前からも何度も書いておりますが、私はブラウザにはOperaというソフトを使用しております。このソフトの何がいいのかって言えば比較的表示速度が高いということと、マウスを右や左に動かすだけでページを閉じたり開いたりできるマウスジェスチャーという機能があるゆえです。さらには今じゃ一般化したタブブラウザもOperaが元々始めたもので、導入当初から使っている身としてはやはり贔屓にしたくなるものです。
しかし、なんていうかこのOperaはバージョンが9.XXの頃は何も文句がなかったのですが10.XXになってからは何かと不安定になって使い勝手がどんどん悪くなってきており、今は11.02ですがどうしてこういうところを直してくれないんだろうかと思うくらい欠点ばかり目に付きます。特に我慢ならないのは、こういうブログの入力画面で表示が遅れることです。
現在この記事はIEで書いているのですが、Operaで書くと最初はともかく記入欄に文字数が増えてくると何故か打ってく文字の表示がどんどん遅くなり、仕舞いにはカーソルの移動すらもままならなくなってきます。そのためできることならリンクとか挿入しながら書いていきたいのですが、あまりにも遅いもんだから去年なんかはWordで文章を打ってからペーストして投稿するというスタイルで一時期やっていました。
ただこれはOpera単体の問題というよりはパソコンやブログ、OSとの相性とかももしかしたらあるのかもしれません。というのも日本から持ってきたXPのパソコンではこのような問題はなく、通常通りに記事の入力ができていました。ただこうしてIEで入力する分には全く問題がないことと、ネットで検索すると同じような問題に頭を抱えている人がいることを考えるとやっぱりOperaが悪いような気がしたりします。
仮に前使っていたパソコンをそのまま使用できていたらこのような問題に悩むことはなかったのですが、散々このブログでも愚痴っているように先月に突然そのパソコンは故障してしまって、現在ではこちらで調達した中国仕様のパソコンを使っております。中国製のパソコンと言ってもある意味水平分業が最も進んでいる商品であるパソコンのため中の部品から規格までほとんど日本仕様と変わりはないのですが、ある一点において大きな違いがあります。もったいぶらずに話すとその違いとは「全角/半角キー」と「カタカナ/ひらがなキー」がないということです。そのほか細かい記号(@の位置など)のキーの位置が異なっておりますが、中国仕様パソコンは日本語入力をするにあたって「全角/半角キー」がないというのは非常に手間です。
当初はそれこそ右下にある言語バーをマウスでいちいちクリックして全角と半角を切り替えておりましたが、どうにかキーボード上で切り替えることができないかと検索をかけたところ、なんと「Altキー」と「全角/半角キー」の位置にあるキー(中国使用のパソコンなら「~/、キー」)を同時に押すことで切り替えられることを知ってからはだいぶ解消されました。細かいことですが、細かい性格しているだけに非常に気になる問題でしたので。
あとキーボードについてもうひとつ話をすると、中国で仕事をしているという関係でメールも日本語で書くこともあれば中国語で書くこともあって、非常に切り替える回数が多くて時たま混乱したりします。当初はWindowsに入っているピンイン入力システムを利用していましたがはっきり言ってこれほど使い辛い入力システムはほかにないといいたいくらいに使い勝手が悪く、なんか方々で好評なのでGoogleの作ったピンイン入力システムこと「谷歌拼音輸入」を導入してみたところ、これがまた文字変換や候補が的確で使いやすく、もはやこれ以外で中国語は入力する気にならないくらいに愛用しております。今度Googleの日本語入力システムも試してみようかな。
しかし、なんていうかこのOperaはバージョンが9.XXの頃は何も文句がなかったのですが10.XXになってからは何かと不安定になって使い勝手がどんどん悪くなってきており、今は11.02ですがどうしてこういうところを直してくれないんだろうかと思うくらい欠点ばかり目に付きます。特に我慢ならないのは、こういうブログの入力画面で表示が遅れることです。
現在この記事はIEで書いているのですが、Operaで書くと最初はともかく記入欄に文字数が増えてくると何故か打ってく文字の表示がどんどん遅くなり、仕舞いにはカーソルの移動すらもままならなくなってきます。そのためできることならリンクとか挿入しながら書いていきたいのですが、あまりにも遅いもんだから去年なんかはWordで文章を打ってからペーストして投稿するというスタイルで一時期やっていました。
ただこれはOpera単体の問題というよりはパソコンやブログ、OSとの相性とかももしかしたらあるのかもしれません。というのも日本から持ってきたXPのパソコンではこのような問題はなく、通常通りに記事の入力ができていました。ただこうしてIEで入力する分には全く問題がないことと、ネットで検索すると同じような問題に頭を抱えている人がいることを考えるとやっぱりOperaが悪いような気がしたりします。
仮に前使っていたパソコンをそのまま使用できていたらこのような問題に悩むことはなかったのですが、散々このブログでも愚痴っているように先月に突然そのパソコンは故障してしまって、現在ではこちらで調達した中国仕様のパソコンを使っております。中国製のパソコンと言ってもある意味水平分業が最も進んでいる商品であるパソコンのため中の部品から規格までほとんど日本仕様と変わりはないのですが、ある一点において大きな違いがあります。もったいぶらずに話すとその違いとは「全角/半角キー」と「カタカナ/ひらがなキー」がないということです。そのほか細かい記号(@の位置など)のキーの位置が異なっておりますが、中国仕様パソコンは日本語入力をするにあたって「全角/半角キー」がないというのは非常に手間です。
当初はそれこそ右下にある言語バーをマウスでいちいちクリックして全角と半角を切り替えておりましたが、どうにかキーボード上で切り替えることができないかと検索をかけたところ、なんと「Altキー」と「全角/半角キー」の位置にあるキー(中国使用のパソコンなら「~/、キー」)を同時に押すことで切り替えられることを知ってからはだいぶ解消されました。細かいことですが、細かい性格しているだけに非常に気になる問題でしたので。
あとキーボードについてもうひとつ話をすると、中国で仕事をしているという関係でメールも日本語で書くこともあれば中国語で書くこともあって、非常に切り替える回数が多くて時たま混乱したりします。当初はWindowsに入っているピンイン入力システムを利用していましたがはっきり言ってこれほど使い辛い入力システムはほかにないといいたいくらいに使い勝手が悪く、なんか方々で好評なのでGoogleの作ったピンイン入力システムこと「谷歌拼音輸入」を導入してみたところ、これがまた文字変換や候補が的確で使いやすく、もはやこれ以外で中国語は入力する気にならないくらいに愛用しております。今度Googleの日本語入力システムも試してみようかな。
2011年3月22日火曜日
小沢一郎の延命
今回の東日本大震災で政治的に一番得をしたのは、ほかでもなく管首相でしょう。以前の記事にも書きましたが地震が発生したその日には先日に辞任した前原前外相同様に外国籍者から献金を受けていたことが発覚しており、かねてから低迷していた支持率とともに事実上止めを刺された上体でありました。しかし地震発生を受けその対応を行わなければならなかったことから、現在その対応振りについて批判が相次いではいますが対人論については地震前よりは確実に低くなっているように見えます。
ちなみに私は今回の管首相の対応は、さすがに細かいところまではチェックすることはできませんが日本で報道されているほど極端に悪いものではなかったように思えます。管首相への主な批判は福島の原発に対する対応に集中しているように見えますが、この問題も私はやはり東京電力にほとんどあるように思え、政府はそれに足を引っ張られたのではとやや同情的に見ています。ただ唯一私から管首相にケチをつけさせてもらうと、地震発生から日が経ちもうそろそろ具体的な復興策をパッケージで出してきてもいい頃のように思えます。まだ増税か国債かで揉めているようですが、今の時期に増税は難しいのでばしっと「復興公債」を出して、幅広く資金を集めて運用法を出すべきでしょう。
そんな管首相と同様にさりげなく今回の地震でその政治生命を延命できた人物がもう一人おり、ほかならぬ今回の記事の題となっている小沢一郎です。もうそろそろ敬称はいいかなと思うので名指しで強く批判させてもらいますが、去年に検察審査会に強制起訴されたから散々ごねて、国会招致はまずいが政倫審なら出るといっておきながら年が明けるやぬけぬけと政倫審出席すらも拒否して、小沢派の議員を見るたびに何でこんなやつについていく奴らがいるんだろうと思うくらい呆れた行動と発言を重ねていました。そんな小沢ですが、今回の地震が起きるや自分の地元である岩手県も大きな被害を被ったにも関わらず、地震後は途端に姿を消してほぼ一週間程度全く行方がわからなかったようです。
与党の議員なのだから普通の感覚なら直接被災地に赴くなり、地元の人脈を生かして政府内で活動するなりするのが政治家だと思うのですが、あいにくそういった感覚はこの人は持ち合わせていなかったようです。それであまりにも行方がわからないものだから2月に海部元首相が言っていたようにそろそろ生前葬を開かなければと思っていたら、突然鳩山前首相を引き連れて管首相の対応は問題が多いなどと文句を言いつけてきました。実際に管首相の対応が悪いかどうかはおいといて、雲隠れしていた人間が言うセリフじゃないと他人事ながらこれは頭にきました。鳩山前首相に至っては民主党内が小沢氏の招致で揺れていた際には、「仲間割れは良くない」と言っていたことを考えると、この人は別な意味ですごいとつくづく思います。
このほか今回の地震を受けて、政治家以前に人間として如何なものかと思わせる発言を行った人物はたくさんいます。筆頭は石原慎太郎都知事で、前にも書きましたが今回の地震を日本人に対する天罰だなどと、「どの舌が抜かしやがるジジイっ!」というような感想を聞いて即座に持ちました。また大阪府議会の長田義明も、「今回の地震は大阪にとって天の恵み」だという、本当に石でも投げつけてやりたくなるような神経を疑う発言を行っています。まぁ世の中にはいろんな勘違いをする人間は少なからずいるものですが。
最後に福島原発の放射能漏れの影響でいくつかの地域で農産物の出荷が国によって停止されましたが、この件については良いか悪いかは非常に判断が難しいです。あくまで報道を聞く限りの私の判断では、検出された放射能値は農作物を食べたとしても大きな影響が出ない値だと思いますが、だからと言って仮に十年後にでも何かで問題化したら政府の大きな責任となってしまいます。そういう風に考えると政府が万全を期して出荷停止にしたのも理解できないわけじゃないですが、ただでさえ震災の影響で苦しい中で被災地の農家の方々にさらに負担を強いるような政策となることを考えると、これが本当に正しい決断なのかと深く悩ませられます。
皮肉な運命というべきか、管首相は厚生相時代にも大腸菌O-157の集団食中毒が発生した際にもカイワレ農家へ風評被害を与えています。結局この時の食中毒の感染源は断定されておらず国はその後民事裁判の判決を受けてカイワレ農家らへ補償を行っているのですが、今思うとこの件でも管首相は厚生省の不作為に振りまわれた感があります。
当時管首相はカイワレ農家への風評被害を抑えるために記者会見でカイワレを食べるパフォーマンスを行いましたが、今日ある掲示板にて、「雨水が問題ないかどうか、管ががぶ飲みして試してみればいいじゃないか」という書き込みを見て、なかなかユーモアのある人がいるものだと感心しました。管首相はやらなくともいいですから、東電の幹部らにはぜひやってもらいたいものです。
ちなみに私は今回の管首相の対応は、さすがに細かいところまではチェックすることはできませんが日本で報道されているほど極端に悪いものではなかったように思えます。管首相への主な批判は福島の原発に対する対応に集中しているように見えますが、この問題も私はやはり東京電力にほとんどあるように思え、政府はそれに足を引っ張られたのではとやや同情的に見ています。ただ唯一私から管首相にケチをつけさせてもらうと、地震発生から日が経ちもうそろそろ具体的な復興策をパッケージで出してきてもいい頃のように思えます。まだ増税か国債かで揉めているようですが、今の時期に増税は難しいのでばしっと「復興公債」を出して、幅広く資金を集めて運用法を出すべきでしょう。
そんな管首相と同様にさりげなく今回の地震でその政治生命を延命できた人物がもう一人おり、ほかならぬ今回の記事の題となっている小沢一郎です。もうそろそろ敬称はいいかなと思うので名指しで強く批判させてもらいますが、去年に検察審査会に強制起訴されたから散々ごねて、国会招致はまずいが政倫審なら出るといっておきながら年が明けるやぬけぬけと政倫審出席すらも拒否して、小沢派の議員を見るたびに何でこんなやつについていく奴らがいるんだろうと思うくらい呆れた行動と発言を重ねていました。そんな小沢ですが、今回の地震が起きるや自分の地元である岩手県も大きな被害を被ったにも関わらず、地震後は途端に姿を消してほぼ一週間程度全く行方がわからなかったようです。
与党の議員なのだから普通の感覚なら直接被災地に赴くなり、地元の人脈を生かして政府内で活動するなりするのが政治家だと思うのですが、あいにくそういった感覚はこの人は持ち合わせていなかったようです。それであまりにも行方がわからないものだから2月に海部元首相が言っていたようにそろそろ生前葬を開かなければと思っていたら、突然鳩山前首相を引き連れて管首相の対応は問題が多いなどと文句を言いつけてきました。実際に管首相の対応が悪いかどうかはおいといて、雲隠れしていた人間が言うセリフじゃないと他人事ながらこれは頭にきました。鳩山前首相に至っては民主党内が小沢氏の招致で揺れていた際には、「仲間割れは良くない」と言っていたことを考えると、この人は別な意味ですごいとつくづく思います。
このほか今回の地震を受けて、政治家以前に人間として如何なものかと思わせる発言を行った人物はたくさんいます。筆頭は石原慎太郎都知事で、前にも書きましたが今回の地震を日本人に対する天罰だなどと、「どの舌が抜かしやがるジジイっ!」というような感想を聞いて即座に持ちました。また大阪府議会の長田義明も、「今回の地震は大阪にとって天の恵み」だという、本当に石でも投げつけてやりたくなるような神経を疑う発言を行っています。まぁ世の中にはいろんな勘違いをする人間は少なからずいるものですが。
最後に福島原発の放射能漏れの影響でいくつかの地域で農産物の出荷が国によって停止されましたが、この件については良いか悪いかは非常に判断が難しいです。あくまで報道を聞く限りの私の判断では、検出された放射能値は農作物を食べたとしても大きな影響が出ない値だと思いますが、だからと言って仮に十年後にでも何かで問題化したら政府の大きな責任となってしまいます。そういう風に考えると政府が万全を期して出荷停止にしたのも理解できないわけじゃないですが、ただでさえ震災の影響で苦しい中で被災地の農家の方々にさらに負担を強いるような政策となることを考えると、これが本当に正しい決断なのかと深く悩ませられます。
皮肉な運命というべきか、管首相は厚生相時代にも大腸菌O-157の集団食中毒が発生した際にもカイワレ農家へ風評被害を与えています。結局この時の食中毒の感染源は断定されておらず国はその後民事裁判の判決を受けてカイワレ農家らへ補償を行っているのですが、今思うとこの件でも管首相は厚生省の不作為に振りまわれた感があります。
当時管首相はカイワレ農家への風評被害を抑えるために記者会見でカイワレを食べるパフォーマンスを行いましたが、今日ある掲示板にて、「雨水が問題ないかどうか、管ががぶ飲みして試してみればいいじゃないか」という書き込みを見て、なかなかユーモアのある人がいるものだと感心しました。管首相はやらなくともいいですから、東電の幹部らにはぜひやってもらいたいものです。
欧米各国のリビア空爆について
別に忙しいというわけじゃないですが、またちょっと更新が空いてしまいました。土曜に書いた漫画家百人一作の記事でだいぶ燃焼したのだろうか。
日本では未だに地震関連の報道が続いているものかと思われますが、地震前より騒動の伝えられていたリビアの情勢が先週、またひとつ大きく動き出しました。数十年に渡り独裁を続けていたカダフィ大佐が蜂起した軍や都市に対し軍隊を差し向けたことを受け、国連は武力行使による制裁決議を行い、米英仏を中心とする軍隊が空爆を開始しました。先に私の意見を述べると、あくまで一素人、市民としての観点から言わせてもらえば今回の空爆に関してはやむをえないのではないかと考えています。
今回の欧米各国のリビアへの空爆を敢えてたとえるなら、明治維新時に英仏が幕府か薩長のどちらかに加担し、もう片方へ戦艦などから砲撃を加えるような感じだと思います。これは紛れもない内政干渉で、仮に明治維新時にこのような直接的な介入をされていたら一体何様だと私はいい気分をしなかったと思います。もっとも、割と露骨な間接的干渉は当時にありましたが。
内政干渉が良いか悪いかについてはまだ議論の余地があると思いますが、基本的に外国の力を直接的に得て成立する政権というのは今のイラクやアフガニスタン同様にすぐ不安定化することが多く、歴史的に見るならばその国に対してあまり良い影響を与えないように思えます。そのため現実に北朝鮮のような横暴な政権が支配する国が眼前として存在しているも、それをその国民を助けるためという理由で軍隊を出して直接的に倒してしまっては打倒後にまた別の混乱を生みかねず、今の韓国や日本のNGOが行っている脱北者支援や情報配信などといった間接的な方法で打倒することの方が正しいと私は考えています。
では何故今回のリビア空爆を私が支持するのかですが、カダフィ大佐のこれまでの独裁政治の内容はもとより、笑っちゃうくらい単純ですが彼が今回の武装蜂起に対して外国人私兵を差し向けたという一点に尽きます。報道によるとカダフィ大佐は軍隊内でも反乱が相次いだことを受けて、高額な報酬をエサに外国人から傭兵を募集したと聞きます。また一説によれば出稼ぎに来ていた外国人をほぼ強制的に徴兵し、自国民の殺害を命令したとまで言われております。
仮にカダフィ大佐が自国民の軍隊のみを使用して反乱鎮圧を行っていればあくまでリビア国内の内戦であって、リビアの一般国民には深く同情するも私は今回の空爆を内政干渉だとして反対していたでしょう。しかしカダフィ大佐は前述のようになりふり構わず外国人に自国民の殺害を命じるなど、やくざ映画の仁義無き戦いじゃありませんがもはやその行動には一編の正当性が感じられません。一人の人間に雇わられた外国人がその国の人間を殺すことによってその人間の地位が保証されるなど、不条理にもほどがあります。
ことここに至っては国連の決議同様にカダフィ大佐は人道上の罪を犯していると判断し、外国の軍隊の力を使ってでも排除することがその地域の安定、ならびに国民の安全上正しいのではないかと思います。もっともこういっておきながら、恐らく今回も派遣されるであろうフランス外人部隊のことを考えるとなにやら自分でも矛盾しているような感じがします。
なにやら武力制裁を加える側も主導権やら費用負担で国同士でもめているらしいですが、この影響で原油価格がまた高騰をし続けているだけに、もともとカダフィ政権をここまで延命させてきたのは石油の取引を優先した欧州先進国なので、イラクに対するアメリカ同様に自らの不始末にケリをつけるのであればもう少しスマートにやってもらいたいものだと願ってます。
日本では未だに地震関連の報道が続いているものかと思われますが、地震前より騒動の伝えられていたリビアの情勢が先週、またひとつ大きく動き出しました。数十年に渡り独裁を続けていたカダフィ大佐が蜂起した軍や都市に対し軍隊を差し向けたことを受け、国連は武力行使による制裁決議を行い、米英仏を中心とする軍隊が空爆を開始しました。先に私の意見を述べると、あくまで一素人、市民としての観点から言わせてもらえば今回の空爆に関してはやむをえないのではないかと考えています。
今回の欧米各国のリビアへの空爆を敢えてたとえるなら、明治維新時に英仏が幕府か薩長のどちらかに加担し、もう片方へ戦艦などから砲撃を加えるような感じだと思います。これは紛れもない内政干渉で、仮に明治維新時にこのような直接的な介入をされていたら一体何様だと私はいい気分をしなかったと思います。もっとも、割と露骨な間接的干渉は当時にありましたが。
内政干渉が良いか悪いかについてはまだ議論の余地があると思いますが、基本的に外国の力を直接的に得て成立する政権というのは今のイラクやアフガニスタン同様にすぐ不安定化することが多く、歴史的に見るならばその国に対してあまり良い影響を与えないように思えます。そのため現実に北朝鮮のような横暴な政権が支配する国が眼前として存在しているも、それをその国民を助けるためという理由で軍隊を出して直接的に倒してしまっては打倒後にまた別の混乱を生みかねず、今の韓国や日本のNGOが行っている脱北者支援や情報配信などといった間接的な方法で打倒することの方が正しいと私は考えています。
では何故今回のリビア空爆を私が支持するのかですが、カダフィ大佐のこれまでの独裁政治の内容はもとより、笑っちゃうくらい単純ですが彼が今回の武装蜂起に対して外国人私兵を差し向けたという一点に尽きます。報道によるとカダフィ大佐は軍隊内でも反乱が相次いだことを受けて、高額な報酬をエサに外国人から傭兵を募集したと聞きます。また一説によれば出稼ぎに来ていた外国人をほぼ強制的に徴兵し、自国民の殺害を命令したとまで言われております。
仮にカダフィ大佐が自国民の軍隊のみを使用して反乱鎮圧を行っていればあくまでリビア国内の内戦であって、リビアの一般国民には深く同情するも私は今回の空爆を内政干渉だとして反対していたでしょう。しかしカダフィ大佐は前述のようになりふり構わず外国人に自国民の殺害を命じるなど、やくざ映画の仁義無き戦いじゃありませんがもはやその行動には一編の正当性が感じられません。一人の人間に雇わられた外国人がその国の人間を殺すことによってその人間の地位が保証されるなど、不条理にもほどがあります。
ことここに至っては国連の決議同様にカダフィ大佐は人道上の罪を犯していると判断し、外国の軍隊の力を使ってでも排除することがその地域の安定、ならびに国民の安全上正しいのではないかと思います。もっともこういっておきながら、恐らく今回も派遣されるであろうフランス外人部隊のことを考えるとなにやら自分でも矛盾しているような感じがします。
なにやら武力制裁を加える側も主導権やら費用負担で国同士でもめているらしいですが、この影響で原油価格がまた高騰をし続けているだけに、もともとカダフィ政権をここまで延命させてきたのは石油の取引を優先した欧州先進国なので、イラクに対するアメリカ同様に自らの不始末にケリをつけるのであればもう少しスマートにやってもらいたいものだと願ってます。
2011年3月19日土曜日
日本漫画家、百人一作
先日、日本の大物漫画家を相撲の番付みたいにランキング分けしてみたら面白いかもと企画してみました。それで早速下準備とばかりにいくつかをピックアップして誰が西の横綱に入ってどこまで十両だろうかなどといくらか思案してみたのですが、いざ実行してみようと思うと功績順に分けるのが非常に難しく、また数が多すぎてとてもやってられないということに気がつきました。
じゃあこの企画はあきらめるべきなのか、でも着眼点としてはそんなに悪くないかもと思いながらいろいろと下策を練ってみたところ、「そうだ、百人一首なら当たり障りない(゚∀゚)」とひらめき、題して百人一作として有名な漫画家百人をピックアップしてみようと思いつきました。
そういうわけで早速Wikipediaの「日本の漫画家一覧」ページに載ってある漫画家から、これだと思う人とその代表作をイナバ物置のように百人選んでみました。前もって言っておきますが選択基準はその漫画家の代表作、その他の作品、後進への影響、連載当時の状況などを鑑み、あくまで私の偏見で選んでいるものなので何らかの基準から公平に選んでいるわけではありません。あくまで参考程度に、またもしよければこのデータを下地に漫画家百傑の議論を深めていただければ幸いです。
<日本漫画家百人一作>
001 青木雄二: ナニワ金融道
002 青山剛昌: 名探偵コナン
003 赤塚不二夫: 天才バカボン
004 秋本治: こちら葛飾区亀有公園前派出所
005 あさりよしとお: 宇宙家族カールビンソン
006 あずまきよひこ: あずまんが大王
007 あだち充: タッチ
008 荒川弘: 鋼の錬金術師
009 荒木飛呂彦: ジョジョの奇妙な冒険
010 安野モヨコ: 働きマン
011 池上遼一(雁屋哲): 男組
012 池田理代子: ベルサイユのばら
013 池野恋: ときめきトゥナイト
014 石川賢: ゲッターロボ
015 石ノ森章太郎: サイボーグ009
016 板垣恵介: グラップラー刃牙
017 稲田浩司(三条陸): DRAGON QUEST -ダイの大冒険-
018 井上雄彦: SLAM DUNK
019 岩明均: 寄生獣
020 植田まさし: コボちゃん
021 臼井儀人: クレヨンしんちゃん
022 うすた京介: セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
023 楳図かずお: 漂流教室
024 浦沢直樹: MONSTER
025 大友克洋: AKIRA
026 岡野剛(真倉翔): 地獄先生ぬ~べ~
027 奥浩哉: GANTZ
028 尾田栄一郎: ONE PIECE
029 小畑健(大場つぐみ): DEATH NOTE
030 神尾葉子: 花より男子
031 桂正和: ZETMAN
032 かわぐちかいじ: ジパング
033 川崎のぼる(梶原一騎): 巨人の星
034 CLAMP: カードキャプターさくら
035 車田正美: 聖闘士星矢
036 小山ゆう: あずみ
037 さいとう・たかを: ゴルゴ13
038 柴門ふみ: あすなろ白書
039 さくらももこ: ちびまる子ちゃん
040 さとうふみや(天樹征丸): 金田一少年の事件簿
041 里中満智子: 天上の虹
042 しげの秀一: 頭文字D
043 白土三平: カムイ伝
044 士郎正宗: 攻殻機動隊
045 新條まゆ: 快感♥フレーズ
046 高橋和希: 遊☆戯☆王
047 高橋しん: いいひと。
048 高橋ツトム: スカイハイ
049 高橋陽一: キャプテン翼
050 高橋留美子: うる星やつら
051 武内直子: 美少女戦士セーラームーン
052 竹宮惠子: 地球へ…
053 谷口ジロー(関川夏央): 「坊っちゃん」の時代
054 田村由美: BASARA
055 ちばあきお: キャプテン
056 ちばてつや(梶原一騎): あしたのジョー
057 つげ義春: チーコ
058 つのだじろう: 恐怖新聞
059 手塚治虫: ブラック・ジャック
060 寺沢武一: コブラ
061 冨樫義博: レベルE
062 徳弘正也: 狂四郎2030
063 鳥山明: ドラゴンボール
064 永井豪: デビルマン
065 中沢啓治: はだしのゲン
066 西森博之: 天使な小生意気
067 二ノ宮知子: のだめカンタービレ
068 花咲アキラ(雁屋哲): 美味しんぼ
069 原哲夫(武論尊): 北斗の拳
070 ハロルド作石: BECK
071 弘兼憲史: 課長島耕作
072 福本伸行: アカギ ~闇に降り立った天才~
073 藤子不二雄A: 魔太郎がくる!!
074 藤子・F・不二雄: ドラえもん
075 藤島康介: 逮捕しちゃうぞ
076 藤田和日郎: うしおととら
077 古谷実: 行け!稲中卓球部
078 北条司: シティーハンター
079 松本大洋: ピンポン
080 松本零士: 銀河鉄道999
081 漫☆画太郎: 地獄甲子園
082 三浦建太郎: ベルセルク
083 美内すずえ: ガラスの仮面
084 水木しげる: ゲゲゲの鬼太郎
085 水島新司: ドカベン
086 皆川亮二: ARMS
087 宮下あきら: 魁!!男塾
088 村上もとか: JIN-仁-
089 本宮ひろ志: サラリーマン金太郎
090 森田まさのり: ROOKIES
091 モンキー・パンチ: ルパン三世
092 矢口高雄: 釣りキチ三平
093 山上たつひこ: がきデカ
094 山口貴由: シグルイ
095 山田貴敏: Dr.コトー診療所
096 ゆでたまご: キン肉マン
097 横山光輝: 三国志
098 吉崎観音: ケロロ軍曹
099 吉田戦車: 伝染るんです。
100 和月伸宏: るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-
※敬称は省略。括弧内は原作者名。
私は80年代生まれのジャンプ派なので、やはりこの系統に属する漫画が多くなっております。中には読んだこともなくあらすじしか知らない漫画も含まれていますが、とりあえず有名どころを集めるとしたら私の中ではこんなものです。
いくつか代表作について解説を行うと、「006 あずまきよひこ」は現在連載中の「よつばと」はイギリスで賞をもらうくらいに非常に優れた作品で当初はこちらを選ぼうかと思っていましたが、最終的に選んだ「あずまんが大王」は現在の日本の4コマ漫画のすべてのベースといってもいいくらいの作品で、この作品なくして昨年ヒットした「けいおん!」は生まれなかったであろうことを考えてこちらにしました。
「059 手塚治虫」は作品数が膨大であるためにこちらも何にするかで悩んだのですが、「鉄腕アトム」は漫画よりアニメ作品として評価すべきだと考え、「火の鳥」は対象年齢が比較的高いことを考慮して「ブラック・ジャック」にしました。
「061 冨樫義弘」は普通なら「幽遊白書」か一応今も連載している……はずの「HUNTER×HUNTER」でしょうが、友人が非常に「レベルE」が好きなのと短いながらも完成度が高い点を考慮しました。
「047 高橋しん」はこちらも普通なら「最終兵器彼女」が挙がってくるでしょうが、あいにく私はこの作品を全部読みましたが何が面白いのかさっぱりわからず、むしろ今回選んだ「いいひと。」は話の展開といい人物描写といい、すばらしい作品だと評価しています。
最初にピックアップした第一候補は129名で、そこから徐々に減らして百名にまとめました。当初は「新世紀エヴァンゲリオン」の貞元義行氏や「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の安彦良和氏も入ってましたが、この両名はイラストレーターとしての活躍が多いことからはずし、このほか割と最近の漫画家も多く候補に入れていましたが、後年も作品が読み継がれるかという観点から減らしていきました。
まとめ終えた後の感想を少し述べると、まず気になったのは高橋姓の漫画家が五人もランクインしたことです。高橋という苗字は漫画家に向いているのだろうか。
あと評価が非常に難しいと思ったのは実はギャグ漫画で、ギャグというものは流行り廃りが激しくて当時は面白がられても後年はそっぽも向かれなくなるものも少なくなく、ひとまず代表作発表後にギャグのスタンダード変更に一役買ったものを選んでいきました。ガモウひろし氏じゃないけど、ギャグ漫画家が何気に一番苦労するという話を聞くだけに評価の難しさを通してなんとなく理解できたような気がします。
最後に今回のリストとはあまり関係はないもののほかで独立して話しづらいので書いてしまいますが、「029 小畑健(大場つぐみ):DEATH NOTE」のコンビは現在「バクマン」という、漫画家を目指す二人の少年のストーリー漫画を描いてて好評を得ています。この漫画は私の友人(「ヒカルの碁」大好き)が大人買いするだけあって日本にいた頃は私も面白く読ませてもらっていましたが、一読した後に持った感想として主人公の真城最高と高木秋人、そしてそのライバルの新妻エイジというのは同じジャンプ作家の荒木飛呂彦氏とゆでたまご氏がモデルなのではないかと思いました。ライバル視する構図は逆ですしかなり大昔の話ですが、作中の新妻エイジの奇行振りがどことなく荒木飛呂彦氏と被るような……。
じゃあこの企画はあきらめるべきなのか、でも着眼点としてはそんなに悪くないかもと思いながらいろいろと下策を練ってみたところ、「そうだ、百人一首なら当たり障りない(゚∀゚)」とひらめき、題して百人一作として有名な漫画家百人をピックアップしてみようと思いつきました。
そういうわけで早速Wikipediaの「日本の漫画家一覧」ページに載ってある漫画家から、これだと思う人とその代表作をイナバ物置のように百人選んでみました。前もって言っておきますが選択基準はその漫画家の代表作、その他の作品、後進への影響、連載当時の状況などを鑑み、あくまで私の偏見で選んでいるものなので何らかの基準から公平に選んでいるわけではありません。あくまで参考程度に、またもしよければこのデータを下地に漫画家百傑の議論を深めていただければ幸いです。
<日本漫画家百人一作>
001 青木雄二: ナニワ金融道
002 青山剛昌: 名探偵コナン
003 赤塚不二夫: 天才バカボン
004 秋本治: こちら葛飾区亀有公園前派出所
005 あさりよしとお: 宇宙家族カールビンソン
006 あずまきよひこ: あずまんが大王
007 あだち充: タッチ
008 荒川弘: 鋼の錬金術師
009 荒木飛呂彦: ジョジョの奇妙な冒険
010 安野モヨコ: 働きマン
011 池上遼一(雁屋哲): 男組
012 池田理代子: ベルサイユのばら
013 池野恋: ときめきトゥナイト
014 石川賢: ゲッターロボ
015 石ノ森章太郎: サイボーグ009
016 板垣恵介: グラップラー刃牙
017 稲田浩司(三条陸): DRAGON QUEST -ダイの大冒険-
018 井上雄彦: SLAM DUNK
019 岩明均: 寄生獣
020 植田まさし: コボちゃん
021 臼井儀人: クレヨンしんちゃん
022 うすた京介: セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
023 楳図かずお: 漂流教室
024 浦沢直樹: MONSTER
025 大友克洋: AKIRA
026 岡野剛(真倉翔): 地獄先生ぬ~べ~
027 奥浩哉: GANTZ
028 尾田栄一郎: ONE PIECE
029 小畑健(大場つぐみ): DEATH NOTE
030 神尾葉子: 花より男子
031 桂正和: ZETMAN
032 かわぐちかいじ: ジパング
033 川崎のぼる(梶原一騎): 巨人の星
034 CLAMP: カードキャプターさくら
035 車田正美: 聖闘士星矢
036 小山ゆう: あずみ
037 さいとう・たかを: ゴルゴ13
038 柴門ふみ: あすなろ白書
039 さくらももこ: ちびまる子ちゃん
040 さとうふみや(天樹征丸): 金田一少年の事件簿
041 里中満智子: 天上の虹
042 しげの秀一: 頭文字D
043 白土三平: カムイ伝
044 士郎正宗: 攻殻機動隊
045 新條まゆ: 快感♥フレーズ
046 高橋和希: 遊☆戯☆王
047 高橋しん: いいひと。
048 高橋ツトム: スカイハイ
049 高橋陽一: キャプテン翼
050 高橋留美子: うる星やつら
051 武内直子: 美少女戦士セーラームーン
052 竹宮惠子: 地球へ…
053 谷口ジロー(関川夏央): 「坊っちゃん」の時代
054 田村由美: BASARA
055 ちばあきお: キャプテン
056 ちばてつや(梶原一騎): あしたのジョー
057 つげ義春: チーコ
058 つのだじろう: 恐怖新聞
059 手塚治虫: ブラック・ジャック
060 寺沢武一: コブラ
061 冨樫義博: レベルE
062 徳弘正也: 狂四郎2030
063 鳥山明: ドラゴンボール
064 永井豪: デビルマン
065 中沢啓治: はだしのゲン
066 西森博之: 天使な小生意気
067 二ノ宮知子: のだめカンタービレ
068 花咲アキラ(雁屋哲): 美味しんぼ
069 原哲夫(武論尊): 北斗の拳
070 ハロルド作石: BECK
071 弘兼憲史: 課長島耕作
072 福本伸行: アカギ ~闇に降り立った天才~
073 藤子不二雄A: 魔太郎がくる!!
074 藤子・F・不二雄: ドラえもん
075 藤島康介: 逮捕しちゃうぞ
076 藤田和日郎: うしおととら
077 古谷実: 行け!稲中卓球部
078 北条司: シティーハンター
079 松本大洋: ピンポン
080 松本零士: 銀河鉄道999
081 漫☆画太郎: 地獄甲子園
082 三浦建太郎: ベルセルク
083 美内すずえ: ガラスの仮面
084 水木しげる: ゲゲゲの鬼太郎
085 水島新司: ドカベン
086 皆川亮二: ARMS
087 宮下あきら: 魁!!男塾
088 村上もとか: JIN-仁-
089 本宮ひろ志: サラリーマン金太郎
090 森田まさのり: ROOKIES
091 モンキー・パンチ: ルパン三世
092 矢口高雄: 釣りキチ三平
093 山上たつひこ: がきデカ
094 山口貴由: シグルイ
095 山田貴敏: Dr.コトー診療所
096 ゆでたまご: キン肉マン
097 横山光輝: 三国志
098 吉崎観音: ケロロ軍曹
099 吉田戦車: 伝染るんです。
100 和月伸宏: るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-
※敬称は省略。括弧内は原作者名。
私は80年代生まれのジャンプ派なので、やはりこの系統に属する漫画が多くなっております。中には読んだこともなくあらすじしか知らない漫画も含まれていますが、とりあえず有名どころを集めるとしたら私の中ではこんなものです。
いくつか代表作について解説を行うと、「006 あずまきよひこ」は現在連載中の「よつばと」はイギリスで賞をもらうくらいに非常に優れた作品で当初はこちらを選ぼうかと思っていましたが、最終的に選んだ「あずまんが大王」は現在の日本の4コマ漫画のすべてのベースといってもいいくらいの作品で、この作品なくして昨年ヒットした「けいおん!」は生まれなかったであろうことを考えてこちらにしました。
「059 手塚治虫」は作品数が膨大であるためにこちらも何にするかで悩んだのですが、「鉄腕アトム」は漫画よりアニメ作品として評価すべきだと考え、「火の鳥」は対象年齢が比較的高いことを考慮して「ブラック・ジャック」にしました。
「061 冨樫義弘」は普通なら「幽遊白書」か一応今も連載している……はずの「HUNTER×HUNTER」でしょうが、友人が非常に「レベルE」が好きなのと短いながらも完成度が高い点を考慮しました。
「047 高橋しん」はこちらも普通なら「最終兵器彼女」が挙がってくるでしょうが、あいにく私はこの作品を全部読みましたが何が面白いのかさっぱりわからず、むしろ今回選んだ「いいひと。」は話の展開といい人物描写といい、すばらしい作品だと評価しています。
最初にピックアップした第一候補は129名で、そこから徐々に減らして百名にまとめました。当初は「新世紀エヴァンゲリオン」の貞元義行氏や「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の安彦良和氏も入ってましたが、この両名はイラストレーターとしての活躍が多いことからはずし、このほか割と最近の漫画家も多く候補に入れていましたが、後年も作品が読み継がれるかという観点から減らしていきました。
まとめ終えた後の感想を少し述べると、まず気になったのは高橋姓の漫画家が五人もランクインしたことです。高橋という苗字は漫画家に向いているのだろうか。
あと評価が非常に難しいと思ったのは実はギャグ漫画で、ギャグというものは流行り廃りが激しくて当時は面白がられても後年はそっぽも向かれなくなるものも少なくなく、ひとまず代表作発表後にギャグのスタンダード変更に一役買ったものを選んでいきました。ガモウひろし氏じゃないけど、ギャグ漫画家が何気に一番苦労するという話を聞くだけに評価の難しさを通してなんとなく理解できたような気がします。
最後に今回のリストとはあまり関係はないもののほかで独立して話しづらいので書いてしまいますが、「029 小畑健(大場つぐみ):DEATH NOTE」のコンビは現在「バクマン」という、漫画家を目指す二人の少年のストーリー漫画を描いてて好評を得ています。この漫画は私の友人(「ヒカルの碁」大好き)が大人買いするだけあって日本にいた頃は私も面白く読ませてもらっていましたが、一読した後に持った感想として主人公の真城最高と高木秋人、そしてそのライバルの新妻エイジというのは同じジャンプ作家の荒木飛呂彦氏とゆでたまご氏がモデルなのではないかと思いました。ライバル視する構図は逆ですしかなり大昔の話ですが、作中の新妻エイジの奇行振りがどことなく荒木飛呂彦氏と被るような……。
2011年3月18日金曜日
信長の評価の再逆転
歴史というのは過去の事実なので価値は不変で変わらないと考えられる方が多いのですが、実際にはその時代の流行ごとに評価や捉え方が変わるため、教えられる内容や一般に持たれる認識は刻々と変化していきます。以前にもこのような書き出しで現代では戦国時代の革命者として恐らく一番人気な織田信長が、戦前では天下人の豊臣秀吉の元主で、尊王の武将だったとだけで小さく扱われていたということを紹介しましたが、どうもここ数年でまた再逆転というか信長の評価が大きく変化しているように思います。具体的にどこがどう変化したのかというと、冷酷と名高い信長の性格についてです。
現代日本人なら誰もが聞いたことのある、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の一句に代表されるように、信長の性格はこれまで残忍とまでは行かなくとも冷酷なものだったという風に考えられてきました。一体どうしてこのように言われるようになったのかというと生前の信長のとった行動が原因とされ、比叡山延暦寺焼き討ちや長島一向一揆での虐殺、裏切り者に対する苛烈な制裁など数え上げたら枚挙に暇がありません。またこのほかにも使えない、用済みの部下に対する追放を含めた厳しい人事も挙げられ、明智光秀に裏切られたのもこのような性格ゆえの結果だと言われてきました。
しかし近年に入り、このような信長の行動や発言は当時としてはおかしなものではなく、当時の常識からすれば一般的なものだったという評価が急速に広まっております。一つ一つ解説していくとまず信長の冷酷さが最も現れたと言われる延暦寺焼き討ち事件についてはかつては延暦寺全体を焼き討ちした上で女子供を問わず片っ端から虐殺したと言われてきておりましたが、近年の研究によるとこのときに焼き討ちされたのは延暦寺の一角に過ぎず、また焼き討ち前にはあらかじめ予告がした上で退避勧告がされていたようです。その上当時は一向宗を初めとして宗教勢力が非常に幅を利かせており、平家の時代からそうですが延暦寺も僧兵の横暴がひどかったらしく、信長の焼き討ち時には「それ見たことか」と当時の京都の人たちは言っていたという話すらあります。
上記のような内容が本当に正しいのかどうかという確証はありませんが、私の観点から言っても延暦寺は昔からブイブイ言わせてきておりますし、当時も本願寺に対して焼き討ちをかましているほどで内心こうだったんじゃないかなぁという気がします。長島一向一揆についてもこの戦いで信長は実弟を亡くすほどの苦戦を強いられており、徹底的に殲滅する必要があると覚えるのも無理ではなく、実際に徳川家康を始めとした他地域の戦国大名も一向宗への殲滅戦を実行しております。
このほかにも浅井長政、久政、朝倉義景の髑髏を金箔で塗って盃にしたという話も、当時としてはこれはむしろ敵をたたえる行為である上に実際に酒を入れて飲むのに使った事実を示す資料はないと言われております。そして部下への対応についてですが、これは間違いなく当時としては厳しいことをしておりますがそれは裏を返せば実力主義を採用していることにほかならず、実力の足りない人間をどんどん追放する一方で実力さえあれば家柄を問わずどんどんと採用したことによって豊臣秀吉や滝川一益が世に出たことを考えると先見性が高かっただけでしょう。
また裏切り者への制裁については信長に限らず当時はどこも厳しかったし、むしろ信長は松永久秀や荒木村重(勝手にアラーキーと内心呼んでる)など利用価値があると見た相手に対しては、「謝りに来たら許してやるよ( ゚д゚)、ペッ」ってな感じで、一応最初は帰参を呼びかけてます。あくまで一応だが。
上記のような理由に加え、これはかねてから言われてきたように信長は近親者に対してはむしろ非常に優しい態度を取っております。家督争いの際には実弟の織田信行を暗殺していますが、暗殺に至るまでは何度も反乱を起こす弟を撃退してはその度に許し、最終的に迫られたがゆえに暗殺を決断しております。そして出戻りの妹であるお市に対しても、秀吉と違って浅井家滅亡以後は自分の手元で政略結婚の道具として再利用することはありませんでした。
最後にもうひとつ付け加えると、勝手に城を抜けて遊んでいた女中らを全員処刑したといわれる竹生島事件についても、女中をなんらか処罰をしたというのは資料にかかれていますが殺害したとまでは書かれていないそうです。
このように考えると、信長は当時の戦国大名としては感情的に残忍な行為に走っているわけでなく、むしろ理性的に功罪を考えて忠実に実行していただけだったように見えます。多分気難しくて付き合いづらい人間ではあったでしょうが、ちょっと前まで言われているほど訳わかんないくらいに怖い人間だったとか既成の価値観が通用しない人間だったというわけじゃなかったと私は思います。
むしろ私は冷酷さで言えば、自分を裏切った大内定綱の居城で女子供を含む人間どころか馬の首までも全部斬ったり(撫で斬り)、父親ごと鉄砲で敵を打ち払ったり、大阪夏の陣で敵味方関係なく攻撃を行っている伊達政宗の方がよっぽど図抜けている気がします。ファンは多いけど、この人私は嫌いだなぁ。
現代日本人なら誰もが聞いたことのある、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の一句に代表されるように、信長の性格はこれまで残忍とまでは行かなくとも冷酷なものだったという風に考えられてきました。一体どうしてこのように言われるようになったのかというと生前の信長のとった行動が原因とされ、比叡山延暦寺焼き討ちや長島一向一揆での虐殺、裏切り者に対する苛烈な制裁など数え上げたら枚挙に暇がありません。またこのほかにも使えない、用済みの部下に対する追放を含めた厳しい人事も挙げられ、明智光秀に裏切られたのもこのような性格ゆえの結果だと言われてきました。
しかし近年に入り、このような信長の行動や発言は当時としてはおかしなものではなく、当時の常識からすれば一般的なものだったという評価が急速に広まっております。一つ一つ解説していくとまず信長の冷酷さが最も現れたと言われる延暦寺焼き討ち事件についてはかつては延暦寺全体を焼き討ちした上で女子供を問わず片っ端から虐殺したと言われてきておりましたが、近年の研究によるとこのときに焼き討ちされたのは延暦寺の一角に過ぎず、また焼き討ち前にはあらかじめ予告がした上で退避勧告がされていたようです。その上当時は一向宗を初めとして宗教勢力が非常に幅を利かせており、平家の時代からそうですが延暦寺も僧兵の横暴がひどかったらしく、信長の焼き討ち時には「それ見たことか」と当時の京都の人たちは言っていたという話すらあります。
上記のような内容が本当に正しいのかどうかという確証はありませんが、私の観点から言っても延暦寺は昔からブイブイ言わせてきておりますし、当時も本願寺に対して焼き討ちをかましているほどで内心こうだったんじゃないかなぁという気がします。長島一向一揆についてもこの戦いで信長は実弟を亡くすほどの苦戦を強いられており、徹底的に殲滅する必要があると覚えるのも無理ではなく、実際に徳川家康を始めとした他地域の戦国大名も一向宗への殲滅戦を実行しております。
このほかにも浅井長政、久政、朝倉義景の髑髏を金箔で塗って盃にしたという話も、当時としてはこれはむしろ敵をたたえる行為である上に実際に酒を入れて飲むのに使った事実を示す資料はないと言われております。そして部下への対応についてですが、これは間違いなく当時としては厳しいことをしておりますがそれは裏を返せば実力主義を採用していることにほかならず、実力の足りない人間をどんどん追放する一方で実力さえあれば家柄を問わずどんどんと採用したことによって豊臣秀吉や滝川一益が世に出たことを考えると先見性が高かっただけでしょう。
また裏切り者への制裁については信長に限らず当時はどこも厳しかったし、むしろ信長は松永久秀や荒木村重(勝手にアラーキーと内心呼んでる)など利用価値があると見た相手に対しては、「謝りに来たら許してやるよ( ゚д゚)、ペッ」ってな感じで、一応最初は帰参を呼びかけてます。あくまで一応だが。
上記のような理由に加え、これはかねてから言われてきたように信長は近親者に対してはむしろ非常に優しい態度を取っております。家督争いの際には実弟の織田信行を暗殺していますが、暗殺に至るまでは何度も反乱を起こす弟を撃退してはその度に許し、最終的に迫られたがゆえに暗殺を決断しております。そして出戻りの妹であるお市に対しても、秀吉と違って浅井家滅亡以後は自分の手元で政略結婚の道具として再利用することはありませんでした。
最後にもうひとつ付け加えると、勝手に城を抜けて遊んでいた女中らを全員処刑したといわれる竹生島事件についても、女中をなんらか処罰をしたというのは資料にかかれていますが殺害したとまでは書かれていないそうです。
このように考えると、信長は当時の戦国大名としては感情的に残忍な行為に走っているわけでなく、むしろ理性的に功罪を考えて忠実に実行していただけだったように見えます。多分気難しくて付き合いづらい人間ではあったでしょうが、ちょっと前まで言われているほど訳わかんないくらいに怖い人間だったとか既成の価値観が通用しない人間だったというわけじゃなかったと私は思います。
むしろ私は冷酷さで言えば、自分を裏切った大内定綱の居城で女子供を含む人間どころか馬の首までも全部斬ったり(撫で斬り)、父親ごと鉄砲で敵を打ち払ったり、大阪夏の陣で敵味方関係なく攻撃を行っている伊達政宗の方がよっぽど図抜けている気がします。ファンは多いけど、この人私は嫌いだなぁ。
2011年3月17日木曜日
歴史的な観点から見る東北地方太平洋沖地震
最近ずっと地震関連の記事ばかり書いていますが、そろそろ今回を区切りにして減らしていき、明日あたりからはまた小難しい話で記事を書いていこうかと思います。そんな今回の記事では何を書くのかというと、今回の地震の歴史的な意味についてです。歴史的といっても、つい先週に起きた地震に歴史も何もないかと思われるでしょうが、私は個人的に今回の地震は十年後にどのように評価されるのか、またこれから十年先の未来にどのような影響を与えるのかを今から逆算するように考えることは非常に重要かと思います。結論を先に言えば私は今回の地震は、平成の終わりを象徴する、ちょうど大正末期に起こった関東大震災のような位置づけで語られるのではないかと考えています。
今回の地震が起きる直前、日本ははっきり言って政治的には完全に閉塞しておりました。ちょうど地震発生日にはそれ以前に辞任した前原前外相同様に管首相も外国人国籍者から献金を受け取っていたということが発覚し、ニュースを見ていた私もこれで完成件は完全に終わり次には同じ民主党の岡田氏が総理に就任するだろうという予測を立てていました。しかし管政権にとっては幸か不幸か、今回の地震が起きて結果的には政権が存続する理由ができました。しかし私がネットで日本の情報を見る限りですと枝の官房長官については評価が高まっているのに対して管首相にはむしろ、その対応振りについて批判が集まっているように見えます。詳しく検証することができませんが、実際のところこれほどの大災害に対して見事といわれるような対応をとることは難しく、対応のいい悪いにかかわらず誰かしらが何らかの批判を受けることはやむを得ないものかと思います。ただ少なくともいえることはまだ阪神大震災の教訓が生かされ、自衛隊の緊急出動や官邸の体制などでは以前よりはっきり改善が見られます。
これまた個人的な感想ですが、やはり地震発生まで日本というのは本当に平和だったんだと思います。民主主義の宿命というべきか議会で与党と野党はどんな時でも対立せざるを得ず、大した問題が存在しない場合にはどんどんと論点は卑小化していき、お互いにくだらない揚げ足取りに終始するようになっていきます。外国籍者の献金問題が決して軽い問題だとまでは言うつもりはありませんが、地震が発生した後に今になったでこういった問題が主要な議論になっていたことを考えると、それ以外に議論する論点がないほど日本は平和だったのではないかと思うようになってきました。
話は歴史的観点に戻りますが、私は以前の陽月秘話で書いた「失われた十年」の連載記事の中で、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた95年が大きな転換点になったと主張しました。その理由は単に災害のコストが大きかったというわけじゃなく、これらの事件を経て文化的にも社会的にも日本に大きな変化が起こるようになったがゆえにこのように捉えました。
そのような目で見ると今回の地震によって今後の日本はいくつかの点で大きな転換が迫られるのがもう目に見えています。一つ目は言うまでもなく原発の事故によるエネルギー政策の転換で、まず間違いなくプルサーマル計画を始めとした一部の計画案は破棄され、代替案に何が来るかまではわからないししばらくすればまた元に戻るかもしれませんが、しばらくは原発推進が行われはしないでしょう。
その次に考えられるのは産業構造の大きな転換です。すでに自動車産業を始めとしてさまざま工業分野で被災を受けた工場が操業を停止したことから部材を受け取れない別の工場も次々と臨時休業を取るなど、高度に分業が発達し過ぎたせいと言うべきか一事が万事のように目下全産業で大きな打撃を受けております。この混乱の中で本来新卒の就職シーズンにもかかわらずどの企業も混乱から対応がなかなかとれず、悲しいことですが今年も来年も新卒求人は低い水準を維持するものかと予想されます。
ただこうした悪い予想が立てられる一方、今後の希望というか明るい要素も全くないわけじゃありません。すでに日本でも報道されているかと思われますが今回の地震での日本人の冷静な対応振りは各国から賞賛されるほどで、苦しい状況下でも日本人は節度を忘れないのだということをはっきりと証明してくれました。私は海外にいながらも今回の地震に強いショックを受けましたが、その一方で自分が日本人であることに強く誇りを覚えました。単純に愛国心を持っただけだと言われればそれまでですが、先日も友人と電話で日本の若者としてこれから復興のために頑張らなければと互いに声を掛け合いました。
大人しい奴ほどキレたら怖いとよく言いますが、私は日本人は大なり小なりこういうところがほかの国の人間よりあると思います。似たような記事を去年の年末にも書いてますが追い詰められればられるほど日本人は妙な真価を発揮するところがあり、今回の地震も決して小さな損害ではありませんが、このような事態でも節度を失わない日本人はきっとまた復興を果たして見せると思います。
そういう意味で今回の地震はひとつの時代の終焉を告げるもので、終戦ほどのインパクトはないでしょうが地震前と地震後とで明確に分けられるような分水嶺的な事件として歴史に記されると思います。そう考えると、91年から始まる失われた十年はやはり失われた二十年だったということになるのですが。
今回の地震が起きる直前、日本ははっきり言って政治的には完全に閉塞しておりました。ちょうど地震発生日にはそれ以前に辞任した前原前外相同様に管首相も外国人国籍者から献金を受け取っていたということが発覚し、ニュースを見ていた私もこれで完成件は完全に終わり次には同じ民主党の岡田氏が総理に就任するだろうという予測を立てていました。しかし管政権にとっては幸か不幸か、今回の地震が起きて結果的には政権が存続する理由ができました。しかし私がネットで日本の情報を見る限りですと枝の官房長官については評価が高まっているのに対して管首相にはむしろ、その対応振りについて批判が集まっているように見えます。詳しく検証することができませんが、実際のところこれほどの大災害に対して見事といわれるような対応をとることは難しく、対応のいい悪いにかかわらず誰かしらが何らかの批判を受けることはやむを得ないものかと思います。ただ少なくともいえることはまだ阪神大震災の教訓が生かされ、自衛隊の緊急出動や官邸の体制などでは以前よりはっきり改善が見られます。
これまた個人的な感想ですが、やはり地震発生まで日本というのは本当に平和だったんだと思います。民主主義の宿命というべきか議会で与党と野党はどんな時でも対立せざるを得ず、大した問題が存在しない場合にはどんどんと論点は卑小化していき、お互いにくだらない揚げ足取りに終始するようになっていきます。外国籍者の献金問題が決して軽い問題だとまでは言うつもりはありませんが、地震が発生した後に今になったでこういった問題が主要な議論になっていたことを考えると、それ以外に議論する論点がないほど日本は平和だったのではないかと思うようになってきました。
話は歴史的観点に戻りますが、私は以前の陽月秘話で書いた「失われた十年」の連載記事の中で、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた95年が大きな転換点になったと主張しました。その理由は単に災害のコストが大きかったというわけじゃなく、これらの事件を経て文化的にも社会的にも日本に大きな変化が起こるようになったがゆえにこのように捉えました。
そのような目で見ると今回の地震によって今後の日本はいくつかの点で大きな転換が迫られるのがもう目に見えています。一つ目は言うまでもなく原発の事故によるエネルギー政策の転換で、まず間違いなくプルサーマル計画を始めとした一部の計画案は破棄され、代替案に何が来るかまではわからないししばらくすればまた元に戻るかもしれませんが、しばらくは原発推進が行われはしないでしょう。
その次に考えられるのは産業構造の大きな転換です。すでに自動車産業を始めとしてさまざま工業分野で被災を受けた工場が操業を停止したことから部材を受け取れない別の工場も次々と臨時休業を取るなど、高度に分業が発達し過ぎたせいと言うべきか一事が万事のように目下全産業で大きな打撃を受けております。この混乱の中で本来新卒の就職シーズンにもかかわらずどの企業も混乱から対応がなかなかとれず、悲しいことですが今年も来年も新卒求人は低い水準を維持するものかと予想されます。
ただこうした悪い予想が立てられる一方、今後の希望というか明るい要素も全くないわけじゃありません。すでに日本でも報道されているかと思われますが今回の地震での日本人の冷静な対応振りは各国から賞賛されるほどで、苦しい状況下でも日本人は節度を忘れないのだということをはっきりと証明してくれました。私は海外にいながらも今回の地震に強いショックを受けましたが、その一方で自分が日本人であることに強く誇りを覚えました。単純に愛国心を持っただけだと言われればそれまでですが、先日も友人と電話で日本の若者としてこれから復興のために頑張らなければと互いに声を掛け合いました。
大人しい奴ほどキレたら怖いとよく言いますが、私は日本人は大なり小なりこういうところがほかの国の人間よりあると思います。似たような記事を去年の年末にも書いてますが追い詰められればられるほど日本人は妙な真価を発揮するところがあり、今回の地震も決して小さな損害ではありませんが、このような事態でも節度を失わない日本人はきっとまた復興を果たして見せると思います。
そういう意味で今回の地震はひとつの時代の終焉を告げるもので、終戦ほどのインパクトはないでしょうが地震前と地震後とで明確に分けられるような分水嶺的な事件として歴史に記されると思います。そう考えると、91年から始まる失われた十年はやはり失われた二十年だったということになるのですが。
東北地方太平洋沖地震に対する中国の援助
なんか昨日あたりから今回の地震の表記が東日本大震災から東北地方太平洋沖地震に変わったようなので、このブログでも表記を切り替えようと思います。ちなみに阪神大震災も当初は気象庁が兵庫県南部地震と正式に命名していたにもかかわらず、メディアでの呼び方が一般化していつの間にか取って代わってしまいました。言葉ってのはそういうものだと思うけど。
本日、ひょうんな形で読んだ中国の新聞にこんな内容の記事が載っていました。なんでも日本での地震発生以降、浙江省で日本向けの輸出が急増しているそうです。急増している品目は缶詰や冷凍食品、そして衛生用品という震災地への救援物資とのことで、注文を受けた中国の企業らも残業や休日出勤を行ってわざわざ日本へ優先的に出荷してくれているそうです。輸出を管理する税関も災害救援品ということで審査を簡素化し、迅速に日本へ出せるようにさまざまな配慮をしてくれているとのことです。
今回、中国政府は日本へ初めて災害救援隊を派遣しました。また昨日には人民解放軍の医療部隊の派遣も日本政府に打診したと伝えられています。私は現在中国にいて働きながら暮らしていますが、日本と中国は今後十年間は最も利害が一致する一方で最も利害がぶつかり合う関係になると考えています。それこそ右手で握手をしながら左手はポケットに突っ込み続けるような緊迫感ある付き合い方が求められるのですが、今回の地震に対する中国の日本への対応は素直に感謝するべきだと私は思います。ただ人民解放軍については私としても予断ならぬ相手なだけに、できることなら遠まわしに日本政府が断ってくれればそれに越したことはないと考えています。
中国に限らずとも、今回の地震が起こってから日本は本当にたくさんの国から援助をいただいております。自分はこれまでイラン・イラク戦争時に在イラク日本人を救ってくれたトルコ人と、自衛隊のイラク派遣時に自衛隊の警護をしてくれたオランダ人には足を向けて眠れないと考えていましたが、今回の一件で感謝する対象国が随分と増えました。
本日、ひょうんな形で読んだ中国の新聞にこんな内容の記事が載っていました。なんでも日本での地震発生以降、浙江省で日本向けの輸出が急増しているそうです。急増している品目は缶詰や冷凍食品、そして衛生用品という震災地への救援物資とのことで、注文を受けた中国の企業らも残業や休日出勤を行ってわざわざ日本へ優先的に出荷してくれているそうです。輸出を管理する税関も災害救援品ということで審査を簡素化し、迅速に日本へ出せるようにさまざまな配慮をしてくれているとのことです。
今回、中国政府は日本へ初めて災害救援隊を派遣しました。また昨日には人民解放軍の医療部隊の派遣も日本政府に打診したと伝えられています。私は現在中国にいて働きながら暮らしていますが、日本と中国は今後十年間は最も利害が一致する一方で最も利害がぶつかり合う関係になると考えています。それこそ右手で握手をしながら左手はポケットに突っ込み続けるような緊迫感ある付き合い方が求められるのですが、今回の地震に対する中国の日本への対応は素直に感謝するべきだと私は思います。ただ人民解放軍については私としても予断ならぬ相手なだけに、できることなら遠まわしに日本政府が断ってくれればそれに越したことはないと考えています。
中国に限らずとも、今回の地震が起こってから日本は本当にたくさんの国から援助をいただいております。自分はこれまでイラン・イラク戦争時に在イラク日本人を救ってくれたトルコ人と、自衛隊のイラク派遣時に自衛隊の警護をしてくれたオランダ人には足を向けて眠れないと考えていましたが、今回の一件で感謝する対象国が随分と増えました。
2011年3月15日火曜日
地震についてあれこれ
一体何から書いていいものなのか、正直に悩みます。
先週金曜日の地震発生から数日間経過しましたが、事態はよくなるどころか被害状況が徐々に明らかになってきただけでなく、福島県の原子力発電所の事故続発などむしろ悪化しているような状況です。
私は学生の頃にちょうど災害社会学を専門としていた先生の授業を受けましたが、その先生の授業では主に阪神大震災の教訓や災害時の被災者の行動などが解説されてなかなか記憶に残るいい授業でした。その授業で言われていた内容でぜひ今回このブログの読者に伝えたいと思うことは、ボランティアと募金に関する内容です。
その先生が言うには医療など特定の技術がある人間であれば話は別ですが、ただの労働力としてのボランティア参加者は被災地ではかえって迷惑になる可能性が高いそうです。ただでさえ食料などが不足する被災地にボランティアが来るとその分の食料なども必要になってしまうそうで、もし来るのであれば十人程度のまとまったグループで来てくれた方が運用もしやすく助かるそうです。その上で先生は、ボランティアに来るよりもなによりもお金を募金などで送ってくれることが何よりも被災地は助かると話していました。今回の地震でその先生の授業を思い出して先ほど自分もネット口座から募金を行いましたが、何かの一助になればと願ってます。
中国ではいまだに今回の東日本大震災が最も大きく報道され続けておりますが、報道内容は徐々に被害状況から福島県の原発事故に対する内容が中心になってきております。私の上海人の友人も先ほど電話にてこの件について尋ねてきましたが、おそらくほかの皆さん同様に今の日本政府、ならびに東京電力から信用できる情報は得られないと私は答えました。私は何も政府と東京電力を根っから批判するつもりはなく、彼らの立場からすると混乱を防ぐために事態を最小限に伝えなければならないということは多少は理解できます。しかし事ここにまで至ると、もはやその努力も意味をなさなくなってきてしまっているのではないかという諦観も多少感じます。ただ現場でがんばっている方を考えると、今はただ信じるよりほかがありません。責任追及などは後からでもできるのですし。
個人的にあと気になったニュースというかすこし驚いたのは、アイレムというゲーム会社が「絶体絶命都市4」という発売間近だったゲームの発売を中止したことです。このゲームは文字通りに大地震を受けて崩壊していく街の中でサバイバルを体験するアドベンチャーゲームでこれまでのシリーズも好評を得ていましたが、まさに内容がずばりそのものだったということから今回の地震を受けて発売を自粛したとのことです。
自粛するというのは簡単ですが、ゲームというのは長い開発期間を経た上で発売して一気に元を取る業界なので、発売中止ともなるとその損害額は数億円にまで上るのは間違いありません。確かにこのゲームは見方によっては不謹慎に見えるでしょうし中身にはふざけが部分も多少含まれていますが、ゲームの監修に災害対策の研究者を招くなど「災害を疑似体験する」という意味ではまじめな方針で作られているので、ちょっと残念に思いました。
ただ実に7、8年くらい前になるのですが、この「絶体絶命都市」の第一作目が発売された際に漫画家のみずしな孝之氏が「いい電子」という漫画でレビューを書いていました。そのレビューでは変わったシステムのゲームであると紹介しつつ、「こんなゲームは平和な時だからこそできるんだよね」というようなコメントをしておりました。その次のコマではみずしな氏が阪神大震災の被災者から直接会った際の回想がかかれ、被災者は震災に対して言葉で言い表せない体験だったと述べるシーンが描かれていました。
そういう意味ではまさにみずしな氏の言うように、今は平和な時ではないからこそこのゲームは発売できなくなったのでしょう。ただ個人的には自粛を決めたアイレムの決断には頭が下がりますし、ぜひ後にきちんとした形で発売してもらいたいものです。
先週金曜日の地震発生から数日間経過しましたが、事態はよくなるどころか被害状況が徐々に明らかになってきただけでなく、福島県の原子力発電所の事故続発などむしろ悪化しているような状況です。
私は学生の頃にちょうど災害社会学を専門としていた先生の授業を受けましたが、その先生の授業では主に阪神大震災の教訓や災害時の被災者の行動などが解説されてなかなか記憶に残るいい授業でした。その授業で言われていた内容でぜひ今回このブログの読者に伝えたいと思うことは、ボランティアと募金に関する内容です。
その先生が言うには医療など特定の技術がある人間であれば話は別ですが、ただの労働力としてのボランティア参加者は被災地ではかえって迷惑になる可能性が高いそうです。ただでさえ食料などが不足する被災地にボランティアが来るとその分の食料なども必要になってしまうそうで、もし来るのであれば十人程度のまとまったグループで来てくれた方が運用もしやすく助かるそうです。その上で先生は、ボランティアに来るよりもなによりもお金を募金などで送ってくれることが何よりも被災地は助かると話していました。今回の地震でその先生の授業を思い出して先ほど自分もネット口座から募金を行いましたが、何かの一助になればと願ってます。
中国ではいまだに今回の東日本大震災が最も大きく報道され続けておりますが、報道内容は徐々に被害状況から福島県の原発事故に対する内容が中心になってきております。私の上海人の友人も先ほど電話にてこの件について尋ねてきましたが、おそらくほかの皆さん同様に今の日本政府、ならびに東京電力から信用できる情報は得られないと私は答えました。私は何も政府と東京電力を根っから批判するつもりはなく、彼らの立場からすると混乱を防ぐために事態を最小限に伝えなければならないということは多少は理解できます。しかし事ここにまで至ると、もはやその努力も意味をなさなくなってきてしまっているのではないかという諦観も多少感じます。ただ現場でがんばっている方を考えると、今はただ信じるよりほかがありません。責任追及などは後からでもできるのですし。
個人的にあと気になったニュースというかすこし驚いたのは、アイレムというゲーム会社が「絶体絶命都市4」という発売間近だったゲームの発売を中止したことです。このゲームは文字通りに大地震を受けて崩壊していく街の中でサバイバルを体験するアドベンチャーゲームでこれまでのシリーズも好評を得ていましたが、まさに内容がずばりそのものだったということから今回の地震を受けて発売を自粛したとのことです。
自粛するというのは簡単ですが、ゲームというのは長い開発期間を経た上で発売して一気に元を取る業界なので、発売中止ともなるとその損害額は数億円にまで上るのは間違いありません。確かにこのゲームは見方によっては不謹慎に見えるでしょうし中身にはふざけが部分も多少含まれていますが、ゲームの監修に災害対策の研究者を招くなど「災害を疑似体験する」という意味ではまじめな方針で作られているので、ちょっと残念に思いました。
ただ実に7、8年くらい前になるのですが、この「絶体絶命都市」の第一作目が発売された際に漫画家のみずしな孝之氏が「いい電子」という漫画でレビューを書いていました。そのレビューでは変わったシステムのゲームであると紹介しつつ、「こんなゲームは平和な時だからこそできるんだよね」というようなコメントをしておりました。その次のコマではみずしな氏が阪神大震災の被災者から直接会った際の回想がかかれ、被災者は震災に対して言葉で言い表せない体験だったと述べるシーンが描かれていました。
そういう意味ではまさにみずしな氏の言うように、今は平和な時ではないからこそこのゲームは発売できなくなったのでしょう。ただ個人的には自粛を決めたアイレムの決断には頭が下がりますし、ぜひ後にきちんとした形で発売してもらいたいものです。
2011年3月13日日曜日
東日本大震災に対する中国の報道
一昨日に住居を引越し、本日になって故障したパソコンの代替として中国仕様の中古パソコンを仕入れてこうしてまたブログを再開することができましたが、再開一日目に取り上げるニュースとするには今回の一件はあまりにも残念な事実です。3/11午後、日本の東北地方を中心に日本観測史上例のない巨大地震が発生しました。地震発生から二晩明けた今に至っても全体の被害状況ははっきりせず、福島県の原子力発電所も今も不安定な状態が続くなどその影響は広範囲にわたって深刻な様相をなしております。
私は今回の地震を当日のネットのニュースで初めて知りましたが、その震度のあまりの大きさに文字通り見た瞬間は絶句しました。その日は夕方から部屋を引き払って上海市内の新居へ引越しを始めましたが、その途中で乗車したタクシーのラジオでは始終今回の地震を報道しており、引越し先でテレビをつけても報道番組はすべてこの報道で一色でした。
報道のすごさというか現代のテクノロジーのすごさというべきか、当初ネットの文字情報しか見ていなかったせいか震度は大きくともそれほど被害は大きくないのではと私は勝手に想像していましたが、こちらのテレビでの報道にて津波の映像や千葉の石油コンビナートの火災が映されたのを見てようやく今回の地震の様相を知ることができました。津波の映像を見た瞬間はこれまた絶句し、昔ならともかく堤防などが相当程度整備された現代においてこのような事態が本当に起きるのかと見続けるにつけ脱力し、引越しの疲れもあるでしょうが一昨日と昨日は本当に何もやる気が起きませんでした。
それでおそらく期待されている方も多いでしょうし実際に複数の友人から尋ねられているので、こちら中国のこの地震に対する報道を簡単に紹介します。
まず中国のNHKことCCTVは地震が発生した金曜日から特番を組み、主に経済系ニュース報道チャンネルにおいて今日に至るまでほぼ全時間生放送でこの地震を取り上げております。報道される内容は日本に旅行などで滞在している中国人の安否、旅行会社の日本ツアー自粛などに始まり、日本の地震被害の報道から専門家による今回の地震の分析など、通常あってしかるべき報道がされております。その中でも特に注目されて報じられ散るのは福島県の原発の状態で、炉心温度の上昇や周辺住民の避難勧告、自衛隊の対策活動などが事細かに報じられ中国人の友人もこの点を特に気にしておりました。
いくつか実際に言及されていた内容を紹介すると、やはり経済的な影響を指摘する報道が多く日本の家電をはじめとする電子産業の工場ラインのストップなどの損失は中国にも悪影響を与えるだろうという指摘や、地震規模は上だとしても95年の阪神大震災ほど経済的損失は大きくならないだろうという意見が専門家より発せられ、これらの意見については私も同感です。また今現在私の横でやってるニュースでは地震発生前後の日本の政治状況も解説されており、支持率低下で厳しい運営を迫られていた与党民主党を野党自民党は激しく攻撃していたが、今回の地震発生後は両党ともに対策に共同で取り組むようになったなど日本での報道とほぼ同じ内容が報じられています。
では中国の一般市民はどうかですが、やはりこちらも関心が強く今回パソコンを仕入れた際には店員などから今回の地震について向こうから話を振ってきました。上海市の地下鉄にはモニタが全車両についていてニュース番組などが報じられていますが、土曜日は私が見ている限りですと乗客らも報じられる日本の地震被害の様子を車内でよく見ていたような気がします。
また書くかどうか悩みましたが今回の地震に対する日本のニュース感想欄に、「中国人は今回の地震を日本への天罰だと言ってやがる」という書き込みを見受けました。早速私も中国の掲示板をいくつか回りましたが、残念なことに確かにそのような内容で発言している人や、「今こそ尖閣諸島を奪回する最高のチャンスだ」などという正直に言って腹立たしい発言も少なからず見受けられます。
しかしその一方で、「これ以上犠牲者が増えないように」、「中国も国を挙げて日本を助けよう」、「災害に対して過去の歴史は関係ない」、「犠牲者の方々に心からご冥福をお祈りします」などという意見も数多くあり、私が言う立場でないことは重々承知ですが、一部の人間の発言をとって中国人全員がひどい人間だとは日本の皆様も思わないでいただきたいです。すでに中国は今回の地震に対してほかの国同様に救助隊を日本に派遣してくれており、このような点はほかの派遣国同様に中国に対して素直に感謝するべきだと私は思います。
今回の地震について私の意見を少し述べると、いくつか不幸中の幸いといえる事態があったかと思います。
まずひとつは発生したのが金曜の午後だったことで、株式を始めとするマーケットの影響が最小限にとどまったことです。おそらく明日月曜に取引が再開されれば株価は大きく下落するでしょうが土日をはさんである程度被害情報が発信されたことで、あのまま取引が続いていた場合よりは影響は軽減されているかと思います。細かなことですが、こうした事件が市場に与える心理的影響は計り知れないだけにほんの少しの猶予でもないよりはあったほうがいいと聞きます。
その次によかったと思えるのは、震災が起こったこの時期です。専門家によると一番震災が起こってはならない時期というのは夏季で、輸送中の食糧の腐敗に始まり排泄物などの衛生の問題や日射病など、仮に阪神大震災が猛暑期に起こっていたら被害は数倍に膨れ上がっていたかもしれないという話を聞きます。今の時期は気温も高くなく、また厳冬期ではないため被災者支援という観点からでは比較的まだ恵まれた時期にあるかと思えます。
阪神大震災の頃はまだ小さかったこともあるでしょうが、ひとつのニュースでこれほどまでに脱力させられことはこれまでありませんでした。友人もニュースの報道を見ていて自然と涙が流れたといっていましたが、私も被害状況を知るにつけ言葉に言い表し難い感情を幾度も覚えます。日本は震災前から経済的にも政治的にも逼迫していた中でこのような災害が起きてしまいましたが、自然に対して何故と問うことはできません。今はただこの難局を如何に乗り越えるか、政府の対応がどうとか評価をすることは後でいくらでも出来るので、皆で一致団結して行動をとることこそが今一番求められているかと思います。
最後に、被災者の方々に心からご無事をお祈りいたします。
私は今回の地震を当日のネットのニュースで初めて知りましたが、その震度のあまりの大きさに文字通り見た瞬間は絶句しました。その日は夕方から部屋を引き払って上海市内の新居へ引越しを始めましたが、その途中で乗車したタクシーのラジオでは始終今回の地震を報道しており、引越し先でテレビをつけても報道番組はすべてこの報道で一色でした。
報道のすごさというか現代のテクノロジーのすごさというべきか、当初ネットの文字情報しか見ていなかったせいか震度は大きくともそれほど被害は大きくないのではと私は勝手に想像していましたが、こちらのテレビでの報道にて津波の映像や千葉の石油コンビナートの火災が映されたのを見てようやく今回の地震の様相を知ることができました。津波の映像を見た瞬間はこれまた絶句し、昔ならともかく堤防などが相当程度整備された現代においてこのような事態が本当に起きるのかと見続けるにつけ脱力し、引越しの疲れもあるでしょうが一昨日と昨日は本当に何もやる気が起きませんでした。
それでおそらく期待されている方も多いでしょうし実際に複数の友人から尋ねられているので、こちら中国のこの地震に対する報道を簡単に紹介します。
まず中国のNHKことCCTVは地震が発生した金曜日から特番を組み、主に経済系ニュース報道チャンネルにおいて今日に至るまでほぼ全時間生放送でこの地震を取り上げております。報道される内容は日本に旅行などで滞在している中国人の安否、旅行会社の日本ツアー自粛などに始まり、日本の地震被害の報道から専門家による今回の地震の分析など、通常あってしかるべき報道がされております。その中でも特に注目されて報じられ散るのは福島県の原発の状態で、炉心温度の上昇や周辺住民の避難勧告、自衛隊の対策活動などが事細かに報じられ中国人の友人もこの点を特に気にしておりました。
いくつか実際に言及されていた内容を紹介すると、やはり経済的な影響を指摘する報道が多く日本の家電をはじめとする電子産業の工場ラインのストップなどの損失は中国にも悪影響を与えるだろうという指摘や、地震規模は上だとしても95年の阪神大震災ほど経済的損失は大きくならないだろうという意見が専門家より発せられ、これらの意見については私も同感です。また今現在私の横でやってるニュースでは地震発生前後の日本の政治状況も解説されており、支持率低下で厳しい運営を迫られていた与党民主党を野党自民党は激しく攻撃していたが、今回の地震発生後は両党ともに対策に共同で取り組むようになったなど日本での報道とほぼ同じ内容が報じられています。
では中国の一般市民はどうかですが、やはりこちらも関心が強く今回パソコンを仕入れた際には店員などから今回の地震について向こうから話を振ってきました。上海市の地下鉄にはモニタが全車両についていてニュース番組などが報じられていますが、土曜日は私が見ている限りですと乗客らも報じられる日本の地震被害の様子を車内でよく見ていたような気がします。
また書くかどうか悩みましたが今回の地震に対する日本のニュース感想欄に、「中国人は今回の地震を日本への天罰だと言ってやがる」という書き込みを見受けました。早速私も中国の掲示板をいくつか回りましたが、残念なことに確かにそのような内容で発言している人や、「今こそ尖閣諸島を奪回する最高のチャンスだ」などという正直に言って腹立たしい発言も少なからず見受けられます。
しかしその一方で、「これ以上犠牲者が増えないように」、「中国も国を挙げて日本を助けよう」、「災害に対して過去の歴史は関係ない」、「犠牲者の方々に心からご冥福をお祈りします」などという意見も数多くあり、私が言う立場でないことは重々承知ですが、一部の人間の発言をとって中国人全員がひどい人間だとは日本の皆様も思わないでいただきたいです。すでに中国は今回の地震に対してほかの国同様に救助隊を日本に派遣してくれており、このような点はほかの派遣国同様に中国に対して素直に感謝するべきだと私は思います。
今回の地震について私の意見を少し述べると、いくつか不幸中の幸いといえる事態があったかと思います。
まずひとつは発生したのが金曜の午後だったことで、株式を始めとするマーケットの影響が最小限にとどまったことです。おそらく明日月曜に取引が再開されれば株価は大きく下落するでしょうが土日をはさんである程度被害情報が発信されたことで、あのまま取引が続いていた場合よりは影響は軽減されているかと思います。細かなことですが、こうした事件が市場に与える心理的影響は計り知れないだけにほんの少しの猶予でもないよりはあったほうがいいと聞きます。
その次によかったと思えるのは、震災が起こったこの時期です。専門家によると一番震災が起こってはならない時期というのは夏季で、輸送中の食糧の腐敗に始まり排泄物などの衛生の問題や日射病など、仮に阪神大震災が猛暑期に起こっていたら被害は数倍に膨れ上がっていたかもしれないという話を聞きます。今の時期は気温も高くなく、また厳冬期ではないため被災者支援という観点からでは比較的まだ恵まれた時期にあるかと思えます。
阪神大震災の頃はまだ小さかったこともあるでしょうが、ひとつのニュースでこれほどまでに脱力させられことはこれまでありませんでした。友人もニュースの報道を見ていて自然と涙が流れたといっていましたが、私も被害状況を知るにつけ言葉に言い表し難い感情を幾度も覚えます。日本は震災前から経済的にも政治的にも逼迫していた中でこのような災害が起きてしまいましたが、自然に対して何故と問うことはできません。今はただこの難局を如何に乗り越えるか、政府の対応がどうとか評価をすることは後でいくらでも出来るので、皆で一致団結して行動をとることこそが今一番求められているかと思います。
最後に、被災者の方々に心からご無事をお祈りいたします。
2011年3月9日水曜日
中国の日系飲食チェーン
たまには友人が喜びそうな中国のミクロな経済ネタでもやろうかと思います。ちなみにこのブログを読んでもらっている友人は何人かいますが、哲学系のネタが好きなのもいれば歴史系のネタが好きなのもおり、どっちかっていうと経済系ネタが好きなのは少ない部類です。
現在上海はニューヨークを追い越して現在日本人が最も多く住む海外都市となっております。それを反映してか上海市内のあちこちでは日系飲食チェーンも数多く出店しており、値段も相応の店なら極端に高くないことからまるで日本にいるかのように日本食を毎日満喫することすら不可能ではありません。
そんな現在の中国において最も勢いがある日系飲食チェーンはというと、熊本に本店を構える「味千ラーメン」において衆目一致するでしょう。私は中国人の舌には比較的濃厚な味のとんこつラーメンが合うのではないかと考えていたのですが(実際に中国のインスタントラーメンで日本のラーメンと来たらとんこつ)、この味千ラーメンの味は比較的あっさりしていて、この味で中国に受け入れられたのかと最初食べた際は正直驚きを感じました。それでこの味千ラーメンがどれだけ受け入れられているかについてですが、上海市内に限って言えばそれこそ数百メートルごとに一軒はチェーン店が必ずあるくらいで、冗談抜きでどこいったってすぐに見つけられます。浦東空港にも出店しており、名実共に中国における日本のラーメン屋と来れば味千ラーメンが挙がってくるでしょう。
このほかに日系飲食チェーンとなると、私自身があまりそういったところに出入りしないのもあるでしょうが今のところは味千ラーメンのように際立ってあちこちに出店している店はまだないと思います。飲食に限らないのであればユニクロの勢いは凄まじいですが、とりあえず私が見たり行ったりしたことのある飲食チェーンを挙げるとすれば、「家族亭」、「サガミ」、「サイゼリヤ」、「吉野家」、「元禄寿司、といったところでしょうか。中にはこういう店を情報誌で細かくチェックして行き渡る留学生もおりますが、生来からのケチさ加減とわざわざ中国来てまで日本食ばかり食べるのもと思って私はあまり出入りしません。むしろ同じ日本食を食べるのであれば中国人が経営している店の方がなんとなく安そうに見えるので、そういったところに行く回数のが多いです。
先ほど挙げた各店舗についてもう少し詳しく話すと、吉野家は私が北京に留学しているころから北京に出店してきており、当時日本の吉野家では米国のBSE問題で販売されていなかった牛丼が何故か中国では販売されていました。これはいったいどこの肉なんだろう、米国産より中国産の牛使ってる方が怖いと思いつつ口にしました。
サガミについては先日に友人に紹介を受け、その後自分でも一人で食べに行きました。今度引っ越す先がちょうどこの店の近くになり値段も手ごろだったことからこれから使う機会が増えるかもしれませんが、初めて行った際に頼んだとんかつ定食の味付けがデフォルトでソースではなく味噌だったのにはちょっと面食らいました。後から調べてみたらやっぱり愛知が本店ということで、私はとんかつにはソースも味噌も何もつけずに食べる口なので影響はそんなにありませんが、中国でも名古屋スタイルを貫く姿勢には感服しました。
最後の家族亭についてですが、実はここには入ったことがありません。ただ最近何かと縁があるというか、この家族亭がどっかへ出店したという記事をちょっとした所用で翻訳したかと思えば、土日に上海に来たうちのお袋を案内していたら家族亭の前をたまたま通り、昔梅田の阪急三番街かなにかにあった店で私の叔母が働いていたという話を聞きました。その際にうちのお袋は、こういった飲食チェーンはもうデフレの日本じゃやってけないからこうして中国にどんどんやってくるのだろうかということを口にしたのですが、なかなかに的を得ている意見で今回この記事を書くきっかけになりました。
事実現在の日本ではデフレの影響でもはや飲食業はやっていけないというくらいに追い詰められており、従業員の過酷な労働環境はさることながら食品の偽装問題など、何かしら不正というか裏技をしなければ経営なんてほぼ不可能といっていい状況にあります。それに対して中国では為替格差の影響で表面上は売り上げは小さく見えるものの人件費もろもろの経費は安く済み、単純に利益を上げるなら中国、もしくは他の発展途上国に出店した方が儲けは大きくなる可能性があります。もちろん中には溶け込めずに失敗して撤退する飲食店も少なくありませんが、日本にとどまっていたらジリ貧だと考えている飲食店経営者は数多くいるのではないかと思います。
ただこうした中国の日系飲食店に一つ苦言を呈すと、見ている限りどうも主要顧客層は現地の中国人というよりも駐在や留学で来ている日本人ばかりのような気がします。店に入るとどこも日本語ばかりしか聞こえず、たまに中国語が聞こえるかと思ってよくよく聞き耳を立ててみると台湾人だったりして、現地中国人の顧客はそれほど多くない気がします。従業員はもちろん中国人スタッフですが。
そういった日本人のみ相手してても恐らく今の上海ならそこそこ元が取れるのでしょうが、何かの拍子に日本人の数が減った場合はどうなるんだろうと他人事ながら多少気になります。そういう意味では現地中国人に受け入れられ昼時は席に着くまで真面目に待たされる味千ラーメンは大したものだといえるのですが、今後日系飲食チェーンは如何に現地顧客を取り込めるかが重要になってくるでしょう。
ちなみに日本食で言うと自分が先月一番苦心してやまなかったのはぽん酢です。上海市内なら日系スーパーなどで簡単に変えるのですが現住所の近くの店では売っておらず、ぽん酢さえあれば羊肉でしゃぶしゃぶも出来るしうどんなどもゆでて食べられるのにと旧正月の休暇中はやけに恋しくて仕方ありませんでした。私個人的にはぽん酢というのは日本の食品の中で最も優れた調味料だと信じているので、中国でももっと流行ってほしいと心から願っています。逆にマヨネーズはなんか苦手でほぼ一切口にしないですし、ソースもお好み焼きにはかけるけど前述の通りにとんかつには一切かけません。その気は無いですが、自分もやや偏食の気があるのかもしれません。
現在上海はニューヨークを追い越して現在日本人が最も多く住む海外都市となっております。それを反映してか上海市内のあちこちでは日系飲食チェーンも数多く出店しており、値段も相応の店なら極端に高くないことからまるで日本にいるかのように日本食を毎日満喫することすら不可能ではありません。
そんな現在の中国において最も勢いがある日系飲食チェーンはというと、熊本に本店を構える「味千ラーメン」において衆目一致するでしょう。私は中国人の舌には比較的濃厚な味のとんこつラーメンが合うのではないかと考えていたのですが(実際に中国のインスタントラーメンで日本のラーメンと来たらとんこつ)、この味千ラーメンの味は比較的あっさりしていて、この味で中国に受け入れられたのかと最初食べた際は正直驚きを感じました。それでこの味千ラーメンがどれだけ受け入れられているかについてですが、上海市内に限って言えばそれこそ数百メートルごとに一軒はチェーン店が必ずあるくらいで、冗談抜きでどこいったってすぐに見つけられます。浦東空港にも出店しており、名実共に中国における日本のラーメン屋と来れば味千ラーメンが挙がってくるでしょう。
このほかに日系飲食チェーンとなると、私自身があまりそういったところに出入りしないのもあるでしょうが今のところは味千ラーメンのように際立ってあちこちに出店している店はまだないと思います。飲食に限らないのであればユニクロの勢いは凄まじいですが、とりあえず私が見たり行ったりしたことのある飲食チェーンを挙げるとすれば、「家族亭」、「サガミ」、「サイゼリヤ」、「吉野家」、「元禄寿司、といったところでしょうか。中にはこういう店を情報誌で細かくチェックして行き渡る留学生もおりますが、生来からのケチさ加減とわざわざ中国来てまで日本食ばかり食べるのもと思って私はあまり出入りしません。むしろ同じ日本食を食べるのであれば中国人が経営している店の方がなんとなく安そうに見えるので、そういったところに行く回数のが多いです。
先ほど挙げた各店舗についてもう少し詳しく話すと、吉野家は私が北京に留学しているころから北京に出店してきており、当時日本の吉野家では米国のBSE問題で販売されていなかった牛丼が何故か中国では販売されていました。これはいったいどこの肉なんだろう、米国産より中国産の牛使ってる方が怖いと思いつつ口にしました。
サガミについては先日に友人に紹介を受け、その後自分でも一人で食べに行きました。今度引っ越す先がちょうどこの店の近くになり値段も手ごろだったことからこれから使う機会が増えるかもしれませんが、初めて行った際に頼んだとんかつ定食の味付けがデフォルトでソースではなく味噌だったのにはちょっと面食らいました。後から調べてみたらやっぱり愛知が本店ということで、私はとんかつにはソースも味噌も何もつけずに食べる口なので影響はそんなにありませんが、中国でも名古屋スタイルを貫く姿勢には感服しました。
最後の家族亭についてですが、実はここには入ったことがありません。ただ最近何かと縁があるというか、この家族亭がどっかへ出店したという記事をちょっとした所用で翻訳したかと思えば、土日に上海に来たうちのお袋を案内していたら家族亭の前をたまたま通り、昔梅田の阪急三番街かなにかにあった店で私の叔母が働いていたという話を聞きました。その際にうちのお袋は、こういった飲食チェーンはもうデフレの日本じゃやってけないからこうして中国にどんどんやってくるのだろうかということを口にしたのですが、なかなかに的を得ている意見で今回この記事を書くきっかけになりました。
事実現在の日本ではデフレの影響でもはや飲食業はやっていけないというくらいに追い詰められており、従業員の過酷な労働環境はさることながら食品の偽装問題など、何かしら不正というか裏技をしなければ経営なんてほぼ不可能といっていい状況にあります。それに対して中国では為替格差の影響で表面上は売り上げは小さく見えるものの人件費もろもろの経費は安く済み、単純に利益を上げるなら中国、もしくは他の発展途上国に出店した方が儲けは大きくなる可能性があります。もちろん中には溶け込めずに失敗して撤退する飲食店も少なくありませんが、日本にとどまっていたらジリ貧だと考えている飲食店経営者は数多くいるのではないかと思います。
ただこうした中国の日系飲食店に一つ苦言を呈すと、見ている限りどうも主要顧客層は現地の中国人というよりも駐在や留学で来ている日本人ばかりのような気がします。店に入るとどこも日本語ばかりしか聞こえず、たまに中国語が聞こえるかと思ってよくよく聞き耳を立ててみると台湾人だったりして、現地中国人の顧客はそれほど多くない気がします。従業員はもちろん中国人スタッフですが。
そういった日本人のみ相手してても恐らく今の上海ならそこそこ元が取れるのでしょうが、何かの拍子に日本人の数が減った場合はどうなるんだろうと他人事ながら多少気になります。そういう意味では現地中国人に受け入れられ昼時は席に着くまで真面目に待たされる味千ラーメンは大したものだといえるのですが、今後日系飲食チェーンは如何に現地顧客を取り込めるかが重要になってくるでしょう。
ちなみに日本食で言うと自分が先月一番苦心してやまなかったのはぽん酢です。上海市内なら日系スーパーなどで簡単に変えるのですが現住所の近くの店では売っておらず、ぽん酢さえあれば羊肉でしゃぶしゃぶも出来るしうどんなどもゆでて食べられるのにと旧正月の休暇中はやけに恋しくて仕方ありませんでした。私個人的にはぽん酢というのは日本の食品の中で最も優れた調味料だと信じているので、中国でももっと流行ってほしいと心から願っています。逆にマヨネーズはなんか苦手でほぼ一切口にしないですし、ソースもお好み焼きにはかけるけど前述の通りにとんかつには一切かけません。その気は無いですが、自分もやや偏食の気があるのかもしれません。
2011年3月8日火曜日
先週末の上海
この前の土日は上海に遊びに来たうちのお袋の相手をするために上海中心部で過ごしました。ちょうど中東情勢を受けて中国の治安当局がぴりぴりしているという話も聞くので真偽を確かめる目的で観察も行ってきましたが、結論から言うと特別何かあるわけでなく、普段の上海通りでした。行った場所はそれこそ一番の繁華街である南京路を筆頭に日本人街やら観光地など回りましたが、どこ行っても特別警官などが立っているわけでもなく、むしろ万博開催時期のほうが物々しかったという印象を覚えました。日本でもよく報道でどこそこでデモが起こったなどという報道がされますが、ちょうどそんな感じで近くにいても気づかず、ピンポイントで何か騒ぎがあっても気づかないような感じだと思います。
ただ強いてあげると、長距離列車が来る駅の中では荷物検査などいつもより現住だったような気はしました。ほんとこの程度だけど。
最後に、日曜は生憎の雨だったのですが、うちのお袋が雨の中を自転車(電動を含む)で走る中国人を見て、「あの合羽はどこで売ってるんだろう」としきりに洩らしていました。よく中国では前かごまですっぽり入る、風の又三郎のコスプレのようなマント付の合羽を着ている人を雨の日に見かけるのですが、うちのお袋も新聞集金をして早や数十年ということもあり、あったら便利なのにとしきりに言うのでしょうがないので一緒になって探してみました。するとあっさりと上海市内のコンビニで件の合羽を見つけたので、なんか同じく新聞の集金をしている人にあげるとかいって合計で三着買っていきました。
まぁ確かに雨中を自転車で走るのは辛いので、あったら便利でしょうが。
ただ強いてあげると、長距離列車が来る駅の中では荷物検査などいつもより現住だったような気はしました。ほんとこの程度だけど。
最後に、日曜は生憎の雨だったのですが、うちのお袋が雨の中を自転車(電動を含む)で走る中国人を見て、「あの合羽はどこで売ってるんだろう」としきりに洩らしていました。よく中国では前かごまですっぽり入る、風の又三郎のコスプレのようなマント付の合羽を着ている人を雨の日に見かけるのですが、うちのお袋も新聞集金をして早や数十年ということもあり、あったら便利なのにとしきりに言うのでしょうがないので一緒になって探してみました。するとあっさりと上海市内のコンビニで件の合羽を見つけたので、なんか同じく新聞の集金をしている人にあげるとかいって合計で三着買っていきました。
まぁ確かに雨中を自転車で走るのは辛いので、あったら便利でしょうが。
前原外相の辞任について
既に大分日が経っていますが、さすがに無視することは出来ない政治ニュースなので一筆したためておこうかと思います。
各所でも報道されている通りに、法律で規制されている外国籍者から献金を受け取っていた責任を取り前原誠二氏は外相を辞任しました。このニュースに対する私の感想を述べると、まるで成長していないと安西先生ばりに呆れた感想以外ありません。
前原氏に対する私の評価は決して低くはありませんが、かねてからその脇の甘さというか持ってて当たり前な危機意識を微塵も見せないという点から要職につけばつくほどホロを出す人物だと見ておりました。言うまでもありませんその代表的な例はいわゆる「永田の偽メール事件」で、国会であのメールを追及する前に最低限の下調べなり何なりをしたのかと思うくらい杜撰な対応をとっております。またその後の発言も大きな方向性についてはもっともらしいことをいうものの具体策となると本気で考えているのかと思うくらいお粗末な内容を発言することが多く、三国志で言えば郭喜の孫策に対する評価同様に、つまらないことで自ら失脚を招くだろうという風に見ていたら思ってた以上に早くかつくだらないことで今回外相を辞任する羽目となりました。
今回の外国籍者による献金を受けていたという事実は、献金者が昔からの前原氏の顔見知りで額も小さいことから別の時期であればここまで責任を取る必要は無かったと私は考えています。しかし現在民主党内で外国籍者に地方参政権付与を検討している時期であり、またこういった問題に対して機微な立場にある外相という地位を考えると責任は重く、野党などから厳しく批判されても仕方が無いことでしょう。もっとも前原氏も前原氏で問題発覚後多少は福田元首相の例(外国資本企業からの献金受領)を引き合いに出して言い訳をしたものの、すぐに責任を取って辞めた点はまだ評価してもいいと思います。
しかし繰り返し述べますが私の目から見て前原氏は政治家として致命的なまでに脇の甘いところがあり、一議員としてならぎりぎり許せてもある程度背負って立つ政党人には頭から向いてはおらず、本人は目指しているようですが首相になるのは自分の適性を考えて早くにあきらめた方がいいと言わざるを得ません。むしろこういうものに対するチェックがやや薄い上にやる気と実力があればぐいぐい引っ張っていける市長や知事といった首長の方が向いているでしょう。
確証も無く言うべきではないかもしれませんが、私は前原氏はまだまだ叩けばいくらでも埃が出てくるかと思います。今回すぐに外相を辞任したのも芋づる式に別のもっと問題性の高い事実が発覚するのを恐れてとの報道もあるようで、友人なんかも具体的な企業名を挙げてまでわざわざ私に知らせてきました。仮にこういった問題発覚で前原氏一人がダメージを受けるというのならまだしも、今回の一件はどう捉えようとも管首相にも打撃になります。かつての永田元議員のことも考えると、はた迷惑な人物この上なくこのごろ感じます。
各所でも報道されている通りに、法律で規制されている外国籍者から献金を受け取っていた責任を取り前原誠二氏は外相を辞任しました。このニュースに対する私の感想を述べると、まるで成長していないと安西先生ばりに呆れた感想以外ありません。
前原氏に対する私の評価は決して低くはありませんが、かねてからその脇の甘さというか持ってて当たり前な危機意識を微塵も見せないという点から要職につけばつくほどホロを出す人物だと見ておりました。言うまでもありませんその代表的な例はいわゆる「永田の偽メール事件」で、国会であのメールを追及する前に最低限の下調べなり何なりをしたのかと思うくらい杜撰な対応をとっております。またその後の発言も大きな方向性についてはもっともらしいことをいうものの具体策となると本気で考えているのかと思うくらいお粗末な内容を発言することが多く、三国志で言えば郭喜の孫策に対する評価同様に、つまらないことで自ら失脚を招くだろうという風に見ていたら思ってた以上に早くかつくだらないことで今回外相を辞任する羽目となりました。
今回の外国籍者による献金を受けていたという事実は、献金者が昔からの前原氏の顔見知りで額も小さいことから別の時期であればここまで責任を取る必要は無かったと私は考えています。しかし現在民主党内で外国籍者に地方参政権付与を検討している時期であり、またこういった問題に対して機微な立場にある外相という地位を考えると責任は重く、野党などから厳しく批判されても仕方が無いことでしょう。もっとも前原氏も前原氏で問題発覚後多少は福田元首相の例(外国資本企業からの献金受領)を引き合いに出して言い訳をしたものの、すぐに責任を取って辞めた点はまだ評価してもいいと思います。
しかし繰り返し述べますが私の目から見て前原氏は政治家として致命的なまでに脇の甘いところがあり、一議員としてならぎりぎり許せてもある程度背負って立つ政党人には頭から向いてはおらず、本人は目指しているようですが首相になるのは自分の適性を考えて早くにあきらめた方がいいと言わざるを得ません。むしろこういうものに対するチェックがやや薄い上にやる気と実力があればぐいぐい引っ張っていける市長や知事といった首長の方が向いているでしょう。
確証も無く言うべきではないかもしれませんが、私は前原氏はまだまだ叩けばいくらでも埃が出てくるかと思います。今回すぐに外相を辞任したのも芋づる式に別のもっと問題性の高い事実が発覚するのを恐れてとの報道もあるようで、友人なんかも具体的な企業名を挙げてまでわざわざ私に知らせてきました。仮にこういった問題発覚で前原氏一人がダメージを受けるというのならまだしも、今回の一件はどう捉えようとも管首相にも打撃になります。かつての永田元議員のことも考えると、はた迷惑な人物この上なくこのごろ感じます。
2011年3月7日月曜日
パソコン破損(ノД`)
更新がまたしばらく空いてしまいましたが、この土日はお袋が例の春秋航空の格安チケットを使って上海に遊びに来たのでその相手をしておりました。そんなわけで昨日の晩にまた借りている部屋に戻り、適当にネットを見つつそろそろブログを書かなきゃと思っていたら画面が突然切り替わってブルースクリーン。一瞬で血の気が引きました。
結論から言うと、それまで使ってきた私のノートパソコンがお釈迦になりました。パソコン本体は起動するもののOSが立ち上がらず、しかもセーフモードですら起動しないことから多分ハードディスク自体かその周辺がやられたんだと思います。そもそもこのパソコンはもう七年間も稼動していて去年夏にも同じくハードディスクが壊れて交換したくらいだったので、普通に寿命が来たのだと思います。
じゃあ今一体なんでブログを書けているんだという疑問が持たれているかと思われますが、今使っているのは知り合いから借りているノートパソコンで一時代替的に使用しております。とはいってもこのパソコンは故あって今週の木曜までしか使えないので、金曜以降は果てさてどうしようかと今から思案中です。
というのも今回壊れたノートパソコンを修理するくらいならこちらのパソコン屋に頼めば決して無理ではなさそうですが、生憎今回OSをインストールするCD類を持ってきておらず、ハードディスクを取り替えたところでまた立ち上げる方法がありません。となると新しいパソコンを仕入れるしかないのですが、ちょうど今週金曜に引越しをすることとなっており引越し先の部屋の敷金やら何やら入用で今非常に懐が厳しい状態です。カードでキャッシングをすればまだ余裕はありますが、今日計算したところだと現在の預金だとパソコン購入のための余剰資金は大体5000元(約60000円)程度あるものの引越し後の生活費を考えると出来れば3000元(約36000円)以内に抑えたいのが本音です。
しかもこっちでパソコンを買おうにも日本で売ってるような日本語OSや日本語キーボード仕様なんてものはほぼないため、現地中国仕様で選ばなければなりません。出来れば日本仕様のノートパソコンがほしいものの、今使っているこのパソコンを始めとして会社で使用しているパソコンは中国製のため設定時の表示がすべて中国語で度々言語切り替えをやる必要があるのですが、一応今のところは使えてて現にこうしてブログも平気で打ててるため、この程度は甘受するべきなのかもしれません。あとどうでもいいですが中国語のキーボード入力はGoogleの入力システムがすごく便利です。
正直に言って、渡航前に最も恐れていた事態が見事に現実となりました。こうなることを恐れて渡航前にはあらかじめ新品のノートパソコンを購入するか、画面やキーボードが小さくて難儀するものの去年に購入したネットブックを持っていくかで悩んだのですが、結局使い古して操作性には文句のない往年のdynabookを持ってきて今回のような事態になってしまいました。ただ今回壊れたとはいえこのパソコンは実稼動でもう七年にも及んでおり、むしろよくここまで持ちこたえてくれたと物に対する八つ当たりが激しい私ですら今回は素直に現実を受け止めました。その代わりあまりのショックから昨日はまだ夜10時半にもかかわらず不貞寝を始めてしまいましたが。
予定としては今週金曜に引越しをして、その次の土曜にでもどこかで中古のノートパソコンを目標2000元で探そうと思います。この際贅沢は言わずネットさえ出来ればいいくらいなので、何故か外付けDVD-RAMも持ってきており、どうにか安い型落ちがないかと今から祈っているほどです。実家に頼んで例のネットブック(これもdyanabook)を送ってもらうという手も無くはないですが、そのネットブックだと先にも言った通りにキーボードと画面が小さいという難点に加え、電源が中国の電圧に対応していないために変圧器も必要になります。変圧器自体も実家にあってこちらでも安くで調達することは出来ますが、それだったらこの際一時用でいいから新しいパソコンを探してみる方がいいかなと今考えてます。
このように書いていると如何にもパソコンに依存した生活をしているかのように感じられるかもしれませんが、海外で生活しているとパソコンとインターネット環境はもはやライフラインに近い存在です。ちょこっとバスや列車の運行など現地情報を調べることから日本の情報取得、そして何よりメールやスカイプといった日本との連絡ツールと考えると必需品といって差し支えないほどです。まぁ実際、家に帰るとやること無いのでずっとネット見ているのは事実ですが……。
今回不幸中の幸いだったといえるのは、パソコンが壊れたのが昨日だったことです。もしこれが先週だったらただでさえ引越しを間近に控えている頃で各種の対応が取れずシャレにならない程困る事態に陥っていたかと思います。以前と比べて、こうしたピンチに対して「まだいいタイミングだ」と思えるようになってこれたのは自分でも成長を感じます。もっとも一番我ながらすごいと思ったのは、自転車で房総一周中に茂原駅前で自転車を割り折った時に「駅前でよかった」と考えた時でしたが。
恐らく明日明後日は問題なくブログを更新できますが、来週以降はもしかしたらまた更新が不安定になるかもしれません。こういう時に限って前原外相が辞任したりと書くべき話題には事欠かないのですが、タイミングは本当に選べないので仕方ありません。ただ希望的観測ではありますが土曜には安いパソコンを仕入れて問題なく更新を再開できるとは思いますし、引越し先自体が今よりいろんな面で便利な場所になるので物事がうまく運んでくれると願ってます。
蛇足な話ですが今の自分の状況は半年前からするととても考えられないほどいい意味で転回しており、人生こういうこともあるのかと折に触れてよく思ってたりします。そのため今回のパソコン破損もむしろ今までツキ過ぎたツケが来たんだろうとすら思いましたし、これ以上事態が極端に悪化することもないと確信に近い形で感じております。今の状況について詳しいことはまた後ほど直接このブログで話そうかと思いますが、渡航前に最悪だと想定していた事態に対してもこうして落ち着いてブログにかけるほど現在の自分はすこぶる元気です。
結論から言うと、それまで使ってきた私のノートパソコンがお釈迦になりました。パソコン本体は起動するもののOSが立ち上がらず、しかもセーフモードですら起動しないことから多分ハードディスク自体かその周辺がやられたんだと思います。そもそもこのパソコンはもう七年間も稼動していて去年夏にも同じくハードディスクが壊れて交換したくらいだったので、普通に寿命が来たのだと思います。
じゃあ今一体なんでブログを書けているんだという疑問が持たれているかと思われますが、今使っているのは知り合いから借りているノートパソコンで一時代替的に使用しております。とはいってもこのパソコンは故あって今週の木曜までしか使えないので、金曜以降は果てさてどうしようかと今から思案中です。
というのも今回壊れたノートパソコンを修理するくらいならこちらのパソコン屋に頼めば決して無理ではなさそうですが、生憎今回OSをインストールするCD類を持ってきておらず、ハードディスクを取り替えたところでまた立ち上げる方法がありません。となると新しいパソコンを仕入れるしかないのですが、ちょうど今週金曜に引越しをすることとなっており引越し先の部屋の敷金やら何やら入用で今非常に懐が厳しい状態です。カードでキャッシングをすればまだ余裕はありますが、今日計算したところだと現在の預金だとパソコン購入のための余剰資金は大体5000元(約60000円)程度あるものの引越し後の生活費を考えると出来れば3000元(約36000円)以内に抑えたいのが本音です。
しかもこっちでパソコンを買おうにも日本で売ってるような日本語OSや日本語キーボード仕様なんてものはほぼないため、現地中国仕様で選ばなければなりません。出来れば日本仕様のノートパソコンがほしいものの、今使っているこのパソコンを始めとして会社で使用しているパソコンは中国製のため設定時の表示がすべて中国語で度々言語切り替えをやる必要があるのですが、一応今のところは使えてて現にこうしてブログも平気で打ててるため、この程度は甘受するべきなのかもしれません。あとどうでもいいですが中国語のキーボード入力はGoogleの入力システムがすごく便利です。
正直に言って、渡航前に最も恐れていた事態が見事に現実となりました。こうなることを恐れて渡航前にはあらかじめ新品のノートパソコンを購入するか、画面やキーボードが小さくて難儀するものの去年に購入したネットブックを持っていくかで悩んだのですが、結局使い古して操作性には文句のない往年のdynabookを持ってきて今回のような事態になってしまいました。ただ今回壊れたとはいえこのパソコンは実稼動でもう七年にも及んでおり、むしろよくここまで持ちこたえてくれたと物に対する八つ当たりが激しい私ですら今回は素直に現実を受け止めました。その代わりあまりのショックから昨日はまだ夜10時半にもかかわらず不貞寝を始めてしまいましたが。
予定としては今週金曜に引越しをして、その次の土曜にでもどこかで中古のノートパソコンを目標2000元で探そうと思います。この際贅沢は言わずネットさえ出来ればいいくらいなので、何故か外付けDVD-RAMも持ってきており、どうにか安い型落ちがないかと今から祈っているほどです。実家に頼んで例のネットブック(これもdyanabook)を送ってもらうという手も無くはないですが、そのネットブックだと先にも言った通りにキーボードと画面が小さいという難点に加え、電源が中国の電圧に対応していないために変圧器も必要になります。変圧器自体も実家にあってこちらでも安くで調達することは出来ますが、それだったらこの際一時用でいいから新しいパソコンを探してみる方がいいかなと今考えてます。
このように書いていると如何にもパソコンに依存した生活をしているかのように感じられるかもしれませんが、海外で生活しているとパソコンとインターネット環境はもはやライフラインに近い存在です。ちょこっとバスや列車の運行など現地情報を調べることから日本の情報取得、そして何よりメールやスカイプといった日本との連絡ツールと考えると必需品といって差し支えないほどです。まぁ実際、家に帰るとやること無いのでずっとネット見ているのは事実ですが……。
今回不幸中の幸いだったといえるのは、パソコンが壊れたのが昨日だったことです。もしこれが先週だったらただでさえ引越しを間近に控えている頃で各種の対応が取れずシャレにならない程困る事態に陥っていたかと思います。以前と比べて、こうしたピンチに対して「まだいいタイミングだ」と思えるようになってこれたのは自分でも成長を感じます。もっとも一番我ながらすごいと思ったのは、自転車で房総一周中に茂原駅前で自転車を割り折った時に「駅前でよかった」と考えた時でしたが。
恐らく明日明後日は問題なくブログを更新できますが、来週以降はもしかしたらまた更新が不安定になるかもしれません。こういう時に限って前原外相が辞任したりと書くべき話題には事欠かないのですが、タイミングは本当に選べないので仕方ありません。ただ希望的観測ではありますが土曜には安いパソコンを仕入れて問題なく更新を再開できるとは思いますし、引越し先自体が今よりいろんな面で便利な場所になるので物事がうまく運んでくれると願ってます。
蛇足な話ですが今の自分の状況は半年前からするととても考えられないほどいい意味で転回しており、人生こういうこともあるのかと折に触れてよく思ってたりします。そのため今回のパソコン破損もむしろ今までツキ過ぎたツケが来たんだろうとすら思いましたし、これ以上事態が極端に悪化することもないと確信に近い形で感じております。今の状況について詳しいことはまた後ほど直接このブログで話そうかと思いますが、渡航前に最悪だと想定していた事態に対してもこうして落ち着いてブログにかけるほど現在の自分はすこぶる元気です。
2011年3月4日金曜日
中国でのここ数ヶ月のインフレ
私が以前に中国に長期滞在した時期は2005年から2006年の北京に留学していた時期ですが、それから約五年経ち現在また中国に来ております。今回再び中国での生活をしていて気になる点を挙げるとすればそれはいくらでも挙げられるのですが、以前の留学期との比較となると最も気になるのはほかでもなく中国の物価です。普段生活をしていても、「あれ、こんな値段したっけ?」と思うようなことが数多く、以前は学生で現在は給料をもらう勤め人という立場から購買力の差が出ているだけかもしれませんが、当初は世間でも言われているように北京に比べて上海の物価が桁外れに高いゆえにこのように感じているのかと考えていました。
しかし周囲の情報を比較してみるとどうやらこれは間違いで、どうも私が中国を留守にしていた五年間で中国全体で物価が上がってきているというのが真実だったようなのですが、その期間も五年間というより正しくはここ数ヶ月で急激に物価が上がってきているというのが実情のところのようです。
私は独り暮らしということもあってあまり食材などを買ったりする機会はないのですが、自炊などして購入している人から聞く限りですとパンや野菜の値段がこのところ急激に上がってきており、生活に支障が現れるほど影響を受けているという話をよく聞きます。デフレ下の日本ではあまりピンと来ない話ですがでは何故今中国で物価が上がっているのかですが、石油価格の高騰など世界的な要因も全く影響していないわけではないものの、その最大の理由はやはり最低賃金の上昇にあるのではないかと私は見ております。
ここ数ヶ月の中国の経済ニュースで主要なトピックはどこそこの企業が不祥事を起こしたとか決算が同だったかという内容ではなく、一に最低賃金の上昇、二に不動産投資の制限です。後者はともかく前者の最低賃金について詳しく解説すると、中国は日本同様に各地方ごとに条例のような形で最低賃金が決められているのですが、去年から上海、香港を初めとした各主要都市で一斉にこの最低賃金額がそれ以前と比べて大幅に引き上げられてきております。最低賃金がどうして引き上げられるのかというと表向きの理由は当然底辺労働者の保護で、去年はホンダの部品工場でストライキが起こるなど賃金に対して労働者の不満や要求が高まっている背景から中国もこの点に対して大分ナーバスになってきております。
またそうした社会問題対策以外にもマクロ的な見方で言えば、海外からの人民元切り上げ圧力が高まっていることや、ベトナムなど中国以上に人件費の安い国の勃興など、これまでのように輸出依存型の経済から脱却して一定度の内需を高めなければならないところにまで中国は来ており、中産階級層の増加を国全体で図る必要に迫られていることも影響しているでしょう。
具体的にどれくらい物価が上がってきているのかいい指標がなくて説明がし辛いのですが、高級品はそれこそ日本の物価とほとんど変わらないにもかかわらず食品や乗り物代などはこれまでの中国は非常に安い価格で利用することが出来ました。それが今回のインフレでは食料品を筆頭に値段が上がってきているため、最低賃金の上昇で中産階級が育つのが先か、貧困層が食料品の価格に追いつけなくなるのが先かという、なかなか厳しい綱渡りを強いられているようにも見えます。
ただいくら先延ばしにしようともこのような問題にいつか中国はぶつからなければならないこともあり、逃げずに最低賃金を引き上げて今現在で対応するというやり方の方を私は支持します。しかし一部ですでに言われておりますがこの物価高が原因となってさらなる暴動が起こる可能性も否定できず、ひいては人件費の上昇から投資が減り、バブル崩壊のきっかけになるのではないかという否定的な見方も存在し、私も否定するつもりはありません。
現在私が最も懸念しているの不動産の価格というか、賃貸料の価格です。友人に上海市の比較的中心部に近い家賃はどれくらいかと聞いたところ、ワンルームで2000元(約24000円)は厳しく、最低でも2500~3000元(約30000~36000円)はすると言われました。この前何気なく千葉県の実家近くの不動産情報をネットで見たら普通につきの家賃が20000円台の部屋がたくさんあり(駅から離れてたけど)、何で日本より給与水準の低い中国で家賃がこんなに高いんだよと思うのと同時に、こんなに安いんだったら千葉県の実家に住みつつ一部屋借りて、秘密基地みたいにいろいろ使ってもよかったなという考えがもたげました。
しかし周囲の情報を比較してみるとどうやらこれは間違いで、どうも私が中国を留守にしていた五年間で中国全体で物価が上がってきているというのが真実だったようなのですが、その期間も五年間というより正しくはここ数ヶ月で急激に物価が上がってきているというのが実情のところのようです。
私は独り暮らしということもあってあまり食材などを買ったりする機会はないのですが、自炊などして購入している人から聞く限りですとパンや野菜の値段がこのところ急激に上がってきており、生活に支障が現れるほど影響を受けているという話をよく聞きます。デフレ下の日本ではあまりピンと来ない話ですがでは何故今中国で物価が上がっているのかですが、石油価格の高騰など世界的な要因も全く影響していないわけではないものの、その最大の理由はやはり最低賃金の上昇にあるのではないかと私は見ております。
ここ数ヶ月の中国の経済ニュースで主要なトピックはどこそこの企業が不祥事を起こしたとか決算が同だったかという内容ではなく、一に最低賃金の上昇、二に不動産投資の制限です。後者はともかく前者の最低賃金について詳しく解説すると、中国は日本同様に各地方ごとに条例のような形で最低賃金が決められているのですが、去年から上海、香港を初めとした各主要都市で一斉にこの最低賃金額がそれ以前と比べて大幅に引き上げられてきております。最低賃金がどうして引き上げられるのかというと表向きの理由は当然底辺労働者の保護で、去年はホンダの部品工場でストライキが起こるなど賃金に対して労働者の不満や要求が高まっている背景から中国もこの点に対して大分ナーバスになってきております。
またそうした社会問題対策以外にもマクロ的な見方で言えば、海外からの人民元切り上げ圧力が高まっていることや、ベトナムなど中国以上に人件費の安い国の勃興など、これまでのように輸出依存型の経済から脱却して一定度の内需を高めなければならないところにまで中国は来ており、中産階級層の増加を国全体で図る必要に迫られていることも影響しているでしょう。
具体的にどれくらい物価が上がってきているのかいい指標がなくて説明がし辛いのですが、高級品はそれこそ日本の物価とほとんど変わらないにもかかわらず食品や乗り物代などはこれまでの中国は非常に安い価格で利用することが出来ました。それが今回のインフレでは食料品を筆頭に値段が上がってきているため、最低賃金の上昇で中産階級が育つのが先か、貧困層が食料品の価格に追いつけなくなるのが先かという、なかなか厳しい綱渡りを強いられているようにも見えます。
ただいくら先延ばしにしようともこのような問題にいつか中国はぶつからなければならないこともあり、逃げずに最低賃金を引き上げて今現在で対応するというやり方の方を私は支持します。しかし一部ですでに言われておりますがこの物価高が原因となってさらなる暴動が起こる可能性も否定できず、ひいては人件費の上昇から投資が減り、バブル崩壊のきっかけになるのではないかという否定的な見方も存在し、私も否定するつもりはありません。
現在私が最も懸念しているの不動産の価格というか、賃貸料の価格です。友人に上海市の比較的中心部に近い家賃はどれくらいかと聞いたところ、ワンルームで2000元(約24000円)は厳しく、最低でも2500~3000元(約30000~36000円)はすると言われました。この前何気なく千葉県の実家近くの不動産情報をネットで見たら普通につきの家賃が20000円台の部屋がたくさんあり(駅から離れてたけど)、何で日本より給与水準の低い中国で家賃がこんなに高いんだよと思うのと同時に、こんなに安いんだったら千葉県の実家に住みつつ一部屋借りて、秘密基地みたいにいろいろ使ってもよかったなという考えがもたげました。
2011年3月2日水曜日
ゼロスポーツ倒産のニュースについて
・破産ゼロスポーツが郵便EVを納品できなかった本当の理由(レスポンス)
昨日に第一報を見ましたが、電気自動車を製造するベンチャー企業のゼロスポーツが日本郵便との契約問題でこじれたことから倒産したというニュースを今日は取り上げます。
昨日に報じられていた内容ではゼロスポーツは日本郵便から受注を受けていた配達用として使う予定であった電気自動車を期日までに納入することが出来ず、総額35億円もの大型契約を日本郵便から契約解除をされただけでなく遅延を理由に7億円もの違約金を請求されたことによって運転資金がショートして倒産したという内容でした。ざっと話を見る限りですとまず35億という契約金額もさることながら納期遅れの違約金も7億円にも昇るという内容に面食らい、一体どういう契約だったのか、それと納期遅れといっても自動車といういくらでも代替できる商品でここまで違約金が発生するのかという感想を持ちました。
そんなわけで続報はないものかと昨日から関連ニュースをチェックしていたのですが、早くも今日にはその内実を詳しく紹介しているニュースが報じられました。
詳しくはリンク先のレスポンスの記事を読んでもらえばわかりますが、簡単に経緯をまとめるとざっとこんなもんです。
・去年八月に日本郵便からゼロスポーツはスバルの軽トラ「サンバー」を改造した電気自動車1030台の発注を受ける
・その後スバルが2011年度いっぱいで「サンバー」の生産中止を行うと発表する
・生産中止になることから、双方でベース車両をダイハツの「ハイゼット」に変更するとで合意する
・その後日本郵便内でゼロスポーツとの随意契約上、ベース車両変更に伴い実証実験の必要性があることが後からわかる
・実証実験を理由に日本郵便は初回規定納期三日前に納期遅延は認められない旨をゼロスポーツに伝える
・ゼロスポーツは納期に間に合わすことが出来ず、契約解除と違約金を請求される
大まかにまとめると大体こんなもんです。
こういうのもなんですが、この記事の内容が真実だとすると日本郵便が結構な無茶振りをしているようにしか見えない展開です。そもそものベース車両が「サンバー」から「ハイゼット」に途中で変更になった時点でメーカー側としては大変になることは目に見えており、納期がやや遅延することも普通の感覚なら起こりうるとわかるはずですし融通を利かせるのもやむを得ないでしょう。にもかかわらず日本郵政は実にその納期の三日前に突然遅延を認めないとの連絡を行った上で契約解除、違約金請求という文字通り手の平返すような仕打ちをゼロスポーツに行って破産に追い込んでおります。
記事中でも指摘されておりますが、日本郵便がゼロスポーツに対して通知を行った時期はちょうど去年夏のお歳暮騒動による影響で業績ががた落ちしたという決算が報告されている時期で、日本郵便に対してコストダウンの必要性が各所から指摘されていた時期です。恐らく間違いではないでしょうが、このゼロスポーツへの発注をなかったことにするために敢えて無茶な要求を出して契約を自ら破談にさせようと仕向けたのだと私も思います。
その結果はしごをはずされたゼロスポーツは倒産したわけですが、今後の成長分野であるEV関連企業をこのような形で潰してしまうとは国は何を考えているのか、というコメントが寄せられておりましたがまさに正鵠を射た意見でしょう。
この記事の内容が本当に正しいかどうかまではさすがに検証できませんが、政権交代以降、再国有化が着々と進む郵政の経営は去年のお歳暮騒動といい見ていて首をかしげる内容が数限りません。そのため今回のこのゼロスポーツ倒産のニュースを見た際もまた何か日本郵政がおかしなことをしたのではないかと私は真っ先に疑ったくらいで、この元のニュース記事の内容も疑うより信じる気持ちの方がはっきり言って強いです。
最後にどうでもいい内容ですが、スバルの「サンバー」と聞いて真っ先にこの画像が頭に浮かびました。
以前にどっかで拾った画像ですが、こういうのをいちいち集めて取っておくあたりが自分らしいです。
昨日に第一報を見ましたが、電気自動車を製造するベンチャー企業のゼロスポーツが日本郵便との契約問題でこじれたことから倒産したというニュースを今日は取り上げます。
昨日に報じられていた内容ではゼロスポーツは日本郵便から受注を受けていた配達用として使う予定であった電気自動車を期日までに納入することが出来ず、総額35億円もの大型契約を日本郵便から契約解除をされただけでなく遅延を理由に7億円もの違約金を請求されたことによって運転資金がショートして倒産したという内容でした。ざっと話を見る限りですとまず35億という契約金額もさることながら納期遅れの違約金も7億円にも昇るという内容に面食らい、一体どういう契約だったのか、それと納期遅れといっても自動車といういくらでも代替できる商品でここまで違約金が発生するのかという感想を持ちました。
そんなわけで続報はないものかと昨日から関連ニュースをチェックしていたのですが、早くも今日にはその内実を詳しく紹介しているニュースが報じられました。
詳しくはリンク先のレスポンスの記事を読んでもらえばわかりますが、簡単に経緯をまとめるとざっとこんなもんです。
・去年八月に日本郵便からゼロスポーツはスバルの軽トラ「サンバー」を改造した電気自動車1030台の発注を受ける
・その後スバルが2011年度いっぱいで「サンバー」の生産中止を行うと発表する
・生産中止になることから、双方でベース車両をダイハツの「ハイゼット」に変更するとで合意する
・その後日本郵便内でゼロスポーツとの随意契約上、ベース車両変更に伴い実証実験の必要性があることが後からわかる
・実証実験を理由に日本郵便は初回規定納期三日前に納期遅延は認められない旨をゼロスポーツに伝える
・ゼロスポーツは納期に間に合わすことが出来ず、契約解除と違約金を請求される
大まかにまとめると大体こんなもんです。
こういうのもなんですが、この記事の内容が真実だとすると日本郵便が結構な無茶振りをしているようにしか見えない展開です。そもそものベース車両が「サンバー」から「ハイゼット」に途中で変更になった時点でメーカー側としては大変になることは目に見えており、納期がやや遅延することも普通の感覚なら起こりうるとわかるはずですし融通を利かせるのもやむを得ないでしょう。にもかかわらず日本郵政は実にその納期の三日前に突然遅延を認めないとの連絡を行った上で契約解除、違約金請求という文字通り手の平返すような仕打ちをゼロスポーツに行って破産に追い込んでおります。
記事中でも指摘されておりますが、日本郵便がゼロスポーツに対して通知を行った時期はちょうど去年夏のお歳暮騒動による影響で業績ががた落ちしたという決算が報告されている時期で、日本郵便に対してコストダウンの必要性が各所から指摘されていた時期です。恐らく間違いではないでしょうが、このゼロスポーツへの発注をなかったことにするために敢えて無茶な要求を出して契約を自ら破談にさせようと仕向けたのだと私も思います。
その結果はしごをはずされたゼロスポーツは倒産したわけですが、今後の成長分野であるEV関連企業をこのような形で潰してしまうとは国は何を考えているのか、というコメントが寄せられておりましたがまさに正鵠を射た意見でしょう。
この記事の内容が本当に正しいかどうかまではさすがに検証できませんが、政権交代以降、再国有化が着々と進む郵政の経営は去年のお歳暮騒動といい見ていて首をかしげる内容が数限りません。そのため今回のこのゼロスポーツ倒産のニュースを見た際もまた何か日本郵政がおかしなことをしたのではないかと私は真っ先に疑ったくらいで、この元のニュース記事の内容も疑うより信じる気持ちの方がはっきり言って強いです。
最後にどうでもいい内容ですが、スバルの「サンバー」と聞いて真っ先にこの画像が頭に浮かびました。
以前にどっかで拾った画像ですが、こういうのをいちいち集めて取っておくあたりが自分らしいです。
2011年2月28日月曜日
王道を外れること
ちょっとこのところこそこそと動いているので、これからしばらく記事の投稿がまた減ってくるかもしれません。今週末にはうちのお袋が例の茨城空港発上海行き春秋航空格安チケットをどうやったかは知らないが取ってこっちに遊びに来る予定なので、日曜は書くだろうけど土曜日は早くも休業予定です。
そういうわけで今日もちょっとやることがあって本当は休みにする気だったのですが、短くてもいいから何か書こうかと思い直していたら折角の機会なのでちょっと自分の遍歴について簡単な感想でも書いてみようかという気になりました。
率直に言って、自分はあらゆる面で王道を外れた生き方をこれまでしてきたかと思います。私の簡単な略歴を書くと、
・鹿児島県で生まれ、千葉県で育つ
・千葉市内の中高一貫の私立校に進学する
・何故か大学は京都にある私大にいく
・途中休学して北京に一年留学する
・大学卒業後、新卒で東京の会社に就職する
・数年の勤務後に退社し、中国の日系企業に転職する
たまに知り合いからこのような私の略歴を見て、「パーフェクトやん」と言われることがありますが、内実は決してそんなもんじゃなく結構途中途中にどろどろした過程が色々含まれております。細かくは書きませんが略歴で見るほど私はこれまで順風満帆に来ている訳でなく、要所によっては山中鹿之助ではありませんが敢えて苦労することがはっきりわかっている道を自分で選んでいることがあります。
ちょっと前に「必要な苦労、余計な苦労」という記事を書きましたが、その記事で余計な苦労はしないに越したことがないと主張しながらもこれまでの私の人生の中では妙なプライドが邪魔してわざわざ余計な苦労を抱え込んだりすることが非常に多かったです。今思い返すとあそこまで無茶しなくともよかったんじゃないかというようなことも数多いのですが、それはそれで若い自分が正しいと信じて取った行動なのだから今となってとやかく言うべきではないと自らに言い聞かせています。
そうした私の天邪鬼的な行動で最も根幹となっているのは、この記事の題にもしている王道を外れることです。昔からやや目立ちたがりな性格ゆえにほかの人がやっていることは逆のこと、ほかの人があまりしない行動をとかく好んで取る傾向があり、たいした理由もないのに「ほかの人がやらないから」という理由だけで行動して失敗したことが本当に多々あります。
こうした王道を外れることのメリットを挙げるとするなら、やはりほかの人間にない経験や技術を得られることにつきます。その一方でこれはほかのどの人間も持つ経験を得られないということと同義で、はっきり言えば確かに大きなメリットを得られる可能性がないわけではないがそれはほとんどなく、むしろ共通体験が得られなくて余計な苦労を負う可能性の方が明らかに高いです。
ここまでわかっていながらも私は未だに王道を外れた道を追おうとすることが多いです。もちろん実際に激しい活動をしていたりする人からしたら少し外れる程度でへたれもいいところですが、朱に交わって赤くなるまいとわざとはずれっぽい選択肢を選んでは自滅するようなことが今でも多々あります。一体何故そのような行為を繰り返すのか、この問いに対して答えようとするのは我ながらなかなか難しいのですが、敢えて答えるとしたらやっぱり自分は高みを目指していきたいと考えており、王道はまだ後からでも体験しやすいもののそれを敢えて外れた道は意識しないと経験が出来ないと思うゆえだという気がします。
たまにふと、自分が安全策を図って王道をひたすら歩もうとしていたらどうなっていたかという気がします。それこそ公務員試験対策やお金になりやすい資格の取得、ほかの人がやっているようなサークルやコンパへの参加などを積極的に行っていたらという仮定ですが、多分今よりあまり物事を考えない人間になってるだろうなという気がしてやっぱり自分は今の方がいいという結論にいつも落ち着きます。
そういうわけで今日もちょっとやることがあって本当は休みにする気だったのですが、短くてもいいから何か書こうかと思い直していたら折角の機会なのでちょっと自分の遍歴について簡単な感想でも書いてみようかという気になりました。
率直に言って、自分はあらゆる面で王道を外れた生き方をこれまでしてきたかと思います。私の簡単な略歴を書くと、
・鹿児島県で生まれ、千葉県で育つ
・千葉市内の中高一貫の私立校に進学する
・何故か大学は京都にある私大にいく
・途中休学して北京に一年留学する
・大学卒業後、新卒で東京の会社に就職する
・数年の勤務後に退社し、中国の日系企業に転職する
たまに知り合いからこのような私の略歴を見て、「パーフェクトやん」と言われることがありますが、内実は決してそんなもんじゃなく結構途中途中にどろどろした過程が色々含まれております。細かくは書きませんが略歴で見るほど私はこれまで順風満帆に来ている訳でなく、要所によっては山中鹿之助ではありませんが敢えて苦労することがはっきりわかっている道を自分で選んでいることがあります。
ちょっと前に「必要な苦労、余計な苦労」という記事を書きましたが、その記事で余計な苦労はしないに越したことがないと主張しながらもこれまでの私の人生の中では妙なプライドが邪魔してわざわざ余計な苦労を抱え込んだりすることが非常に多かったです。今思い返すとあそこまで無茶しなくともよかったんじゃないかというようなことも数多いのですが、それはそれで若い自分が正しいと信じて取った行動なのだから今となってとやかく言うべきではないと自らに言い聞かせています。
そうした私の天邪鬼的な行動で最も根幹となっているのは、この記事の題にもしている王道を外れることです。昔からやや目立ちたがりな性格ゆえにほかの人がやっていることは逆のこと、ほかの人があまりしない行動をとかく好んで取る傾向があり、たいした理由もないのに「ほかの人がやらないから」という理由だけで行動して失敗したことが本当に多々あります。
こうした王道を外れることのメリットを挙げるとするなら、やはりほかの人間にない経験や技術を得られることにつきます。その一方でこれはほかのどの人間も持つ経験を得られないということと同義で、はっきり言えば確かに大きなメリットを得られる可能性がないわけではないがそれはほとんどなく、むしろ共通体験が得られなくて余計な苦労を負う可能性の方が明らかに高いです。
ここまでわかっていながらも私は未だに王道を外れた道を追おうとすることが多いです。もちろん実際に激しい活動をしていたりする人からしたら少し外れる程度でへたれもいいところですが、朱に交わって赤くなるまいとわざとはずれっぽい選択肢を選んでは自滅するようなことが今でも多々あります。一体何故そのような行為を繰り返すのか、この問いに対して答えようとするのは我ながらなかなか難しいのですが、敢えて答えるとしたらやっぱり自分は高みを目指していきたいと考えており、王道はまだ後からでも体験しやすいもののそれを敢えて外れた道は意識しないと経験が出来ないと思うゆえだという気がします。
たまにふと、自分が安全策を図って王道をひたすら歩もうとしていたらどうなっていたかという気がします。それこそ公務員試験対策やお金になりやすい資格の取得、ほかの人がやっているようなサークルやコンパへの参加などを積極的に行っていたらという仮定ですが、多分今よりあまり物事を考えない人間になってるだろうなという気がしてやっぱり自分は今の方がいいという結論にいつも落ち着きます。
2011年2月27日日曜日
国の教育レベルについて
「あと1元ありませんか?」
中国でレジにて会計を済ます際、必ずと言っていいほどこのように聞かれます。
たとえば購入金額が合計16元のところで20元札を渡すと上記のように1元があるかどうかを聞かれ、言われた通りに1元を追加して合計21元を渡すと5元札でおつりが返ってきます。
何もこのようなことは中国に限らず日本でも951円の会計の際に1051円を渡すような形で日常茶飯事のように行われておりますが、中国の場合だとこれがより顕著というか店員の側が客に強く要求してくるところがあり、この前なんか私の前で会計を済ましているおばさんが小銭はないと答えたにもかかわらず、「あんたのかばんからさっきからチャリチャリ音するから、本当は持ってるんでしょ」と店員が追求してきたことがありました。おばさんもおばさんで、「ばれたか(∀`*ゞ)テヘッ」といってかばんから小銭出すし。
このような会計時の額合わせというか簡単な暗算は日本や中国ではごく当たり前に行われていますが、実際のところこういう行為が行われている国はそれほど多くはない気がします。というのも私がかつてイギリスに訪れた際に売店で買い物時にいつものように金額を合わせて余計に小銭を足して支払ったところ、「こんなにいらないよ」といって小銭分だけ返されました。このようなことはほかの店も同様で、店員の反応を見ている限りですと、イギリスではこのように額を合わせるという習慣がないだけなのかもしれませんが、どうも瞬時の暗算が出来ないのではないかという気がします。同様のことはアメリカでもあり、このような経験から日本人というのはほかの国の人と比べて暗算をぱっとできるのかと妙な感心をした覚えがあります。
そう考えるなら日本同様に金額を瞬時に暗算しておつりを自然にまとめる中国人も相当な計算力を持っていることになります。実際に私の目から見てもこのような計算を初めとした中国人の教育水準は決して低くなく、国際レベルでは比較的高いレベルにあるのではないかという気がします。ただこれはあくまで中国の都市部の話で、地方となるとまだ学校も整っていない地域も数多くあるということから国単位ではまだ未知数ではありますが。
その一方、現在の日本は国全体で義務教育が徹底されててこうした生活上の暗算はもとよりかつて海外遊説中に小泉元首相が、「日本人はホームレスですら新聞が読める」と述べたように漢字が混ざる複雑な文字系統にもかかわらず識字率も世界屈指の高さを誇っております。教育崩壊が叫ばれて久しいものの、他国と比較するなら日本は未だ高い教育水準にあると言っていいと私は思います。
聞くところによるとアメリカやフランスでは移民が多くいることからそれぞれ英語、フランス語を理解できない労働者が数多くおり、工場などではそうした労働者に対してマルチ言語で作業手順所を作ったりなどあれこれ対策が必要だそうです。それに比べると日本は移民が少ないというのもありますが誰もが皆日本語を理解でき、なおかつそこそこの計算力を持っているのですから他国と比較するなら人件費を抜きにすると日本の労働者は優秀と言えるでしょう。経営側がそれに甘えている気もしないでもありませんが。
こういう風なことを考えるにつけ、国を支えていく上で教育というものは本当に重要なんだという気がします。今でこそ当たり前と考えてしまいますがたとえば日本人の30%程度が文字が読めない文盲だったとすると、自治体の処理から雇用現場の対策など様々な点で現在よりも手間と苦労が必要となります。またこうした基礎教育はもとより、医療や工業技術といった専門的な知識についても各分野で今よりも人材が少なくなってしまえば途端に経済が回らなくなるのも目に見えてます。もっとも医療現場は今人手不足で問題となってますが。
私は以前の陽月秘話にて、経済を拡大させるのに何が一番必要かといったら人口以上に教育が最も必要だと主張しました。この考え方は今でも変わりがなく、むしろこうして海外に出る度に基礎教育の重要性などについて気づかされます。この点で私が非常に英断だったと思うのは明治維新期のメンバーたちの決断です。
明治維新後の日本はお世辞にも財政状況は良いというわけでなく、国の予算のほとんどは大商人からの借金によるものでした(その代わり払い下げなど見返りがあったが)。それにもかかわらず非常に早い時期から学制を整備して全国各地に尋常小学校を作る一方、当時の最高権力者であった岩倉具視の給与以上の金額で外国人教師を招聘して高等教育も整備するなど、教育を非常に重視していたことがわかります。現代で考えてもこの時の明治政府の教育施策が後の日本の急成長に大きな貢献をしていることははっきりしており、このときに徹底させた基礎教育があったからこそ二次大戦後も急速な復興を果たすことも出来たかと思われます。
これは京都の人から聞いた話ですが、昔から京都は戦乱が多かったために京都人は燃えて島可能性のある家や家財といった財産にはあまりお金をかけずに形のない教育にお金をかける傾向があるそうです。現実に京都は市内にかつての教育施設から発展した数多くの大学があり、また私立中高などを見ていると教育熱が比較的高いと感じられます。生憎公立校は学区制のために人気がないですが。
国敗れて山河ありとは言いますが、教育さえしっかり施しておけば国は滅んでもすぐに建て直すことは可能なのかもしれません。逆を言えば教育が駄目になればどれだけよいインフラがあったとしても後々国は滅んでしまうかもしれません。
自分は個人として主義主張が強すぎるために教師にはなるべきでないとかなり早い時期に考えて実際になろうともしませんでしたが、なにかしら教育に貢献できるような活動は今後しなきゃならないなぁとは思ってます。具体的に何するかまでは未定ですが、このブログから何か発展することが出来ればそれに越したことはないのですが。
中国でレジにて会計を済ます際、必ずと言っていいほどこのように聞かれます。
たとえば購入金額が合計16元のところで20元札を渡すと上記のように1元があるかどうかを聞かれ、言われた通りに1元を追加して合計21元を渡すと5元札でおつりが返ってきます。
何もこのようなことは中国に限らず日本でも951円の会計の際に1051円を渡すような形で日常茶飯事のように行われておりますが、中国の場合だとこれがより顕著というか店員の側が客に強く要求してくるところがあり、この前なんか私の前で会計を済ましているおばさんが小銭はないと答えたにもかかわらず、「あんたのかばんからさっきからチャリチャリ音するから、本当は持ってるんでしょ」と店員が追求してきたことがありました。おばさんもおばさんで、「ばれたか(∀`*ゞ)テヘッ」といってかばんから小銭出すし。
このような会計時の額合わせというか簡単な暗算は日本や中国ではごく当たり前に行われていますが、実際のところこういう行為が行われている国はそれほど多くはない気がします。というのも私がかつてイギリスに訪れた際に売店で買い物時にいつものように金額を合わせて余計に小銭を足して支払ったところ、「こんなにいらないよ」といって小銭分だけ返されました。このようなことはほかの店も同様で、店員の反応を見ている限りですと、イギリスではこのように額を合わせるという習慣がないだけなのかもしれませんが、どうも瞬時の暗算が出来ないのではないかという気がします。同様のことはアメリカでもあり、このような経験から日本人というのはほかの国の人と比べて暗算をぱっとできるのかと妙な感心をした覚えがあります。
そう考えるなら日本同様に金額を瞬時に暗算しておつりを自然にまとめる中国人も相当な計算力を持っていることになります。実際に私の目から見てもこのような計算を初めとした中国人の教育水準は決して低くなく、国際レベルでは比較的高いレベルにあるのではないかという気がします。ただこれはあくまで中国の都市部の話で、地方となるとまだ学校も整っていない地域も数多くあるということから国単位ではまだ未知数ではありますが。
その一方、現在の日本は国全体で義務教育が徹底されててこうした生活上の暗算はもとよりかつて海外遊説中に小泉元首相が、「日本人はホームレスですら新聞が読める」と述べたように漢字が混ざる複雑な文字系統にもかかわらず識字率も世界屈指の高さを誇っております。教育崩壊が叫ばれて久しいものの、他国と比較するなら日本は未だ高い教育水準にあると言っていいと私は思います。
聞くところによるとアメリカやフランスでは移民が多くいることからそれぞれ英語、フランス語を理解できない労働者が数多くおり、工場などではそうした労働者に対してマルチ言語で作業手順所を作ったりなどあれこれ対策が必要だそうです。それに比べると日本は移民が少ないというのもありますが誰もが皆日本語を理解でき、なおかつそこそこの計算力を持っているのですから他国と比較するなら人件費を抜きにすると日本の労働者は優秀と言えるでしょう。経営側がそれに甘えている気もしないでもありませんが。
こういう風なことを考えるにつけ、国を支えていく上で教育というものは本当に重要なんだという気がします。今でこそ当たり前と考えてしまいますがたとえば日本人の30%程度が文字が読めない文盲だったとすると、自治体の処理から雇用現場の対策など様々な点で現在よりも手間と苦労が必要となります。またこうした基礎教育はもとより、医療や工業技術といった専門的な知識についても各分野で今よりも人材が少なくなってしまえば途端に経済が回らなくなるのも目に見えてます。もっとも医療現場は今人手不足で問題となってますが。
私は以前の陽月秘話にて、経済を拡大させるのに何が一番必要かといったら人口以上に教育が最も必要だと主張しました。この考え方は今でも変わりがなく、むしろこうして海外に出る度に基礎教育の重要性などについて気づかされます。この点で私が非常に英断だったと思うのは明治維新期のメンバーたちの決断です。
明治維新後の日本はお世辞にも財政状況は良いというわけでなく、国の予算のほとんどは大商人からの借金によるものでした(その代わり払い下げなど見返りがあったが)。それにもかかわらず非常に早い時期から学制を整備して全国各地に尋常小学校を作る一方、当時の最高権力者であった岩倉具視の給与以上の金額で外国人教師を招聘して高等教育も整備するなど、教育を非常に重視していたことがわかります。現代で考えてもこの時の明治政府の教育施策が後の日本の急成長に大きな貢献をしていることははっきりしており、このときに徹底させた基礎教育があったからこそ二次大戦後も急速な復興を果たすことも出来たかと思われます。
これは京都の人から聞いた話ですが、昔から京都は戦乱が多かったために京都人は燃えて島可能性のある家や家財といった財産にはあまりお金をかけずに形のない教育にお金をかける傾向があるそうです。現実に京都は市内にかつての教育施設から発展した数多くの大学があり、また私立中高などを見ていると教育熱が比較的高いと感じられます。生憎公立校は学区制のために人気がないですが。
国敗れて山河ありとは言いますが、教育さえしっかり施しておけば国は滅んでもすぐに建て直すことは可能なのかもしれません。逆を言えば教育が駄目になればどれだけよいインフラがあったとしても後々国は滅んでしまうかもしれません。
自分は個人として主義主張が強すぎるために教師にはなるべきでないとかなり早い時期に考えて実際になろうともしませんでしたが、なにかしら教育に貢献できるような活動は今後しなきゃならないなぁとは思ってます。具体的に何するかまでは未定ですが、このブログから何か発展することが出来ればそれに越したことはないのですが。
2011年2月26日土曜日
日本の天才たち
大分前にも陽月秘話で似たような記事を書きましたが、よく日本人は欧米と比べて平均的な人材が多く、天才が少ないと言われているような気がします。しかし私の見方だと決して日本人に天才が少ないわけでなく、むしろ同じ日本人同士で評価してあげられないためにノーベル賞を受賞して一気に注目を浴びた田中耕一氏のように海外から評価されて始めてその才能や功績に気がつくことが多いだけなのではないかと常日頃考えています。そういう意味では日本は天才が少ないのではなく伯楽が少ないと思われ、日本において人材不足というのも優秀な人材がいないのではなくて優秀な人材を見分ける人間がいないがゆえに起こる現象ではないかとすら思います。
さて先日、ネットの掲示板にてこれまでの日本人で誰が一番の天才かというテーマで議論されているのを見つけたのですが、そこでは本当に数多く有名な人物が挙げられていました。一言で天才といっても、「どんなことでも卒なくこなせる万能の天才」と「何か一つに極端な才能を持つ一方でほかの多くの面で欠落が見られる天才」と大極して二種類に分かれます。海外の天才で言うと前者はレオナルド・ダヴィンチ、後者はアインシュタインが典型例ですが、以前にこのような解説を行っていたコラムニストによると野球選手で言えば前者は走攻守すべてに秀で調子の波が少ないイチロー選手、後者は打撃に関しては天才的ながらも「失敗は成功のマザー」などといった独特の話法を持つ長嶋茂雄氏がそれぞれ挙げられていました。長島氏についてはこの前見た、「いやー、昨日は疲れててシャワー食べてうどんを浴びたらすぐに眠ってしまいましたよ」という話が個人的にツボに入りました。
そういうわけで今日はちょっと私が思い当たる日本の天才たちをリストアップしようかと考えたわけですが、普通にリストアップするのでは芸がないので上記二種類の天才の型ごとに分けて挙げてこうかとも考えましたが、実際にこれをやるとなると業績以外にもいろいろ私生活ぶりとかも考慮しなければならないためにちょっと今回は見送ります。これ以上前置きは無用なので、早速ご覧ください。
<私の考える日本人の天才>
・南方熊楠(植物学者)
・黒田官兵衛(軍師)
・永田鉄山(軍人)
・大村益次郎(軍人)
・八木秀次(物理科学者)
・田沼意次(政治家)
・関孝和(和算学者)
・平賀源内(発明家)
・手塚治虫(漫画家)
・大友克洋(漫画家)
・写楽(画家)
・空海(僧)
・岡本太郎(芸術家)
・秋山真之(軍人)
・安藤百福(経営者)
・華岡青洲(医師)
・土井利勝(政治家)
・親鸞(僧)
・太田道灌(武士)
・藤堂高虎(武士)
・横井軍平(ゲームクリエイター)
・松本清張(作家)
・原敬(政治家)
・
かなり私的な基準でなおかつ時代も職業も順不同ですが、ざっとこんなもんです。
さすがに一人ひとりの解説は出来ないので大雑把な解説を行うと、日本で天才の代名詞となっているのはまず間違いなく平賀源内で、その次に来るとしたら南方熊楠ではないかと思います。今回ここで挙げた人物らは功績もさることながら私から見てやや知名度が低すぎるのではないかと思う八木秀次や花岡青洲を敢えて入れていますが、その一方で戦国時代では何故織田信長を差し置いて藤堂高虎がいるのかと思う方がおられるかと思います。信長については確かに先進性といいその後スタンダードとなる考えを編み出していて十分に天才の名に恥じないと思いつつも、彼の才能は天才性というよりは革新性に富んでいるように思え、それゆえに私の中の評価は天才ではなく革新者であるため今回リストからはずしました。逆に藤堂高虎を何故入れたのかというと、彼は和歌山城を初めとして数多くの日本の名城を築城しており、日本の城郭建築に大きな影響を与えていると判断したゆえです。
大体30分くらいで考えたリストなので多分しっかり考えればもっと色々いるでしょうが、猛将列伝に続いて天才列伝みたいな感じでこれから一人ひとりを詳しく記事にしていった方が案外面白いかもしれません。
ちなみに私は昔、というよりは今でもたまにこれだけ毎日長文の記事を更新していて文章については天才的だと友人らから褒めてもらえることがありますが、私自身としては自分の文章は誤字脱字もさることながら流麗さが感じられず、なおかつ文字量の割には内容がやや軽薄すぎるように思えてあまり評価しておりません。その分、これは意図してのことですが読んでてストレスを感じることが少なく理解しやすい文章には仕上がっているとの自負はあり、天才からは程遠い、ただ文章に手馴れている程度の才能ではないかと考えています。
むしろ私自身の能力に限れば、記憶に関する能力の方が先天的な才能があるように感じます。このブログでもたまに突拍子もないことから過去の小さな事件を掘り出しては一緒に解説することがありますが普段でも友人らから、「本人が言った事を忘れていることをよく覚えている」といわれることが多く、先ほどもこの記事書きながら友人と、
花園「そういえば前に君がファブリーズで除霊もできると言ってたよね。あれ、テクモというゲーム会社の人が『零』というホラーゲーム作っている時に怪奇現象に遭い、そういえば幽霊はじめじめとしたカビっぽいところにいるようなと思ってファブリーズかけたら途端に現象が止んだことから出た噂なんだって」
友人「あー、そういえばそんなん言ってたかも。てか、なんでそんなの覚えてるの?」
花園「覚えてるも何も、確か五年前の冬くらいに君の部屋で話してる時に出た話だよ。自分もファブリーズ使い出してこの前思い出したから調べて見たんだ」
たまに自分でも、なんでこんなくだらないことをいつまでも覚えてるんだろうという気になります。
さて先日、ネットの掲示板にてこれまでの日本人で誰が一番の天才かというテーマで議論されているのを見つけたのですが、そこでは本当に数多く有名な人物が挙げられていました。一言で天才といっても、「どんなことでも卒なくこなせる万能の天才」と「何か一つに極端な才能を持つ一方でほかの多くの面で欠落が見られる天才」と大極して二種類に分かれます。海外の天才で言うと前者はレオナルド・ダヴィンチ、後者はアインシュタインが典型例ですが、以前にこのような解説を行っていたコラムニストによると野球選手で言えば前者は走攻守すべてに秀で調子の波が少ないイチロー選手、後者は打撃に関しては天才的ながらも「失敗は成功のマザー」などといった独特の話法を持つ長嶋茂雄氏がそれぞれ挙げられていました。長島氏についてはこの前見た、「いやー、昨日は疲れててシャワー食べてうどんを浴びたらすぐに眠ってしまいましたよ」という話が個人的にツボに入りました。
そういうわけで今日はちょっと私が思い当たる日本の天才たちをリストアップしようかと考えたわけですが、普通にリストアップするのでは芸がないので上記二種類の天才の型ごとに分けて挙げてこうかとも考えましたが、実際にこれをやるとなると業績以外にもいろいろ私生活ぶりとかも考慮しなければならないためにちょっと今回は見送ります。これ以上前置きは無用なので、早速ご覧ください。
<私の考える日本人の天才>
・南方熊楠(植物学者)
・黒田官兵衛(軍師)
・永田鉄山(軍人)
・大村益次郎(軍人)
・八木秀次(物理科学者)
・田沼意次(政治家)
・関孝和(和算学者)
・平賀源内(発明家)
・手塚治虫(漫画家)
・大友克洋(漫画家)
・写楽(画家)
・空海(僧)
・岡本太郎(芸術家)
・秋山真之(軍人)
・安藤百福(経営者)
・華岡青洲(医師)
・土井利勝(政治家)
・親鸞(僧)
・太田道灌(武士)
・藤堂高虎(武士)
・横井軍平(ゲームクリエイター)
・松本清張(作家)
・原敬(政治家)
・
かなり私的な基準でなおかつ時代も職業も順不同ですが、ざっとこんなもんです。
さすがに一人ひとりの解説は出来ないので大雑把な解説を行うと、日本で天才の代名詞となっているのはまず間違いなく平賀源内で、その次に来るとしたら南方熊楠ではないかと思います。今回ここで挙げた人物らは功績もさることながら私から見てやや知名度が低すぎるのではないかと思う八木秀次や花岡青洲を敢えて入れていますが、その一方で戦国時代では何故織田信長を差し置いて藤堂高虎がいるのかと思う方がおられるかと思います。信長については確かに先進性といいその後スタンダードとなる考えを編み出していて十分に天才の名に恥じないと思いつつも、彼の才能は天才性というよりは革新性に富んでいるように思え、それゆえに私の中の評価は天才ではなく革新者であるため今回リストからはずしました。逆に藤堂高虎を何故入れたのかというと、彼は和歌山城を初めとして数多くの日本の名城を築城しており、日本の城郭建築に大きな影響を与えていると判断したゆえです。
大体30分くらいで考えたリストなので多分しっかり考えればもっと色々いるでしょうが、猛将列伝に続いて天才列伝みたいな感じでこれから一人ひとりを詳しく記事にしていった方が案外面白いかもしれません。
ちなみに私は昔、というよりは今でもたまにこれだけ毎日長文の記事を更新していて文章については天才的だと友人らから褒めてもらえることがありますが、私自身としては自分の文章は誤字脱字もさることながら流麗さが感じられず、なおかつ文字量の割には内容がやや軽薄すぎるように思えてあまり評価しておりません。その分、これは意図してのことですが読んでてストレスを感じることが少なく理解しやすい文章には仕上がっているとの自負はあり、天才からは程遠い、ただ文章に手馴れている程度の才能ではないかと考えています。
むしろ私自身の能力に限れば、記憶に関する能力の方が先天的な才能があるように感じます。このブログでもたまに突拍子もないことから過去の小さな事件を掘り出しては一緒に解説することがありますが普段でも友人らから、「本人が言った事を忘れていることをよく覚えている」といわれることが多く、先ほどもこの記事書きながら友人と、
花園「そういえば前に君がファブリーズで除霊もできると言ってたよね。あれ、テクモというゲーム会社の人が『零』というホラーゲーム作っている時に怪奇現象に遭い、そういえば幽霊はじめじめとしたカビっぽいところにいるようなと思ってファブリーズかけたら途端に現象が止んだことから出た噂なんだって」
友人「あー、そういえばそんなん言ってたかも。てか、なんでそんなの覚えてるの?」
花園「覚えてるも何も、確か五年前の冬くらいに君の部屋で話してる時に出た話だよ。自分もファブリーズ使い出してこの前思い出したから調べて見たんだ」
たまに自分でも、なんでこんなくだらないことをいつまでも覚えてるんだろうという気になります。
2011年2月23日水曜日
私生活を切り売りすることについて
このところ以前の陽月秘話で見受けなかったハンドルネームの方々からよくコメントを戴きます。コメントの内容を見ている限りですとどうも以前から読んでてもらっている方々のようで、よくもまぁこんな駄々長いブログを読んでてもらえるなとうれしく感じるとともに、潜在的な固定読者はなかなかに多いのだと身が引き締まる思いがします。
さてその陽月秘話改め現在の陽月秘抄ですが、やはり住所が日本国内から中国国内に移り変わった影響から日本の社会批評などが減ってきて、その分中国関係や歴史関係の話がこのところ多いと自分でも自覚しております。この辺をもう少し何とかならないものかと色々考えてて、中国のテレビはケーブルテレビなので契約次第によっては日本のテレビ局の海外放送も受信することが出来るのでちょっと今検討しております。
その分中国のニュースをどんどん翻訳して書いていけばという案も考えてはいるのですが、なんというかただ翻訳して載せるだけだと芸がないような気がしてどうもプライドがそれを許しません。もうすこし経ってこっちのニュース情報を加工できるくらいに物知りになれば話は別ですが、現時点ではまだ手を出す気にはなれずにおります。
話は変わってブログについてですが、私のブログは社会系ニュースや思想に関することばかりで明らかに他の一般のブログとはやや趣が異なっておりますが、基本的にブログというものはその運営者の私生活を切り売りするものだと私は考えております。私生活を切り売りするとは読んで字の如くその執筆者の普段の生活や考えたことなどを敢えて外に公表するということで、書籍の形ではいわゆる私小説というものがこれに当たります。
私が知る限りではこの私小説を日本で始めて大々的に発表したのは明治の文豪森鴎外で、処女作の「舞姫」自体もこの私小説の要素を過分に含んでて公表当初から色々周囲に言われたそうですが、「舞姫」以上に凄いのが後年の作品に当たる「イタ・セクスアリス」です。こちらは本当に鴎外の私生活というか、自分の嫁と実母の嫁姑抗争をありのままに書いたことで公表時にはこんなものが文学としてなりうるのかといろいろ議論となったそうです。その一方で抗争を暴露された嫁と姑はその後何故だか仲良くなっていったそうですが。
私のこのブログでもたまにプライベートなことを書いたりしますが、やはり書いてる側からするとこのような私生活を切り売りする記事は書きやすいです。内輪ネタのような感覚というか、大抵自分で面白いと思うことを書くので気分的にも舞い上がり、なおかつ情報の加工が一切必要なくただ記憶に従って書くだけなのですぐにすんなり書き終わってしまいます。それこそちょっと珍しいことをやったり見たりしたことなどを書けば記事としての体裁は出来上がってしまいますし、読者の反応もこれまで書いたそのような記事からするとそれほど悪くない気もします。
その一方で、書いてあることは本当に私生活の暴露に当たる内容のためこうして文字情報として残ってしまうインターネットに記述してしまえば、その後気が変わったとしてもその情報を秘匿することは難しくなります。それこそ書いた当初はどうでもいい愚痴のつもりで書いたものが後年になって何かの禍根になるかもしれませんし、変な形で揚げ足を取られる事態を自ら招くことにもなりかねません。
似たような内容で陽月秘話のごくごく初期に確かネットにおける犯罪告白について書いた覚えがありますが、やはりこういうブログとかミクシとかだとあまりにも手軽すぎてついつい余計なことを書いてしまいやすく、注目を集めたいと思ってしまうものなのか先日の中学生による新宿通り魔予告事件など自らを破滅に追いやることまで書いてしまう人も少なからずおります。
現在までのところ私のこのブログでは書いた後で「しまった!」と思うようなことはありませんが、政治や思想というやや機微な内容が多いことを考慮して比較的に慎重に書いているつもりです。そのためいろいろと準備してそこそこいい内容になると確信を持った記事についても、余計な批判を受ける可能性や一部の無関係な人間を傷つける恐れがあると踏んで結局没にしてしまったことも何度かあります。
そういう意味で私生活を切り売りするというのは非常に手軽な分、ある種の危険性をはらんでいるということになります。しかもそうやって公表する私生活というのは無限に存在するわけでなく、極論を言えば公表を続けていればいつの日かネタ切れになって切り売りする私生活がなくなってしまうことになります。
では切り売りする私生活ネタがなくなった人間はどうするのか。別にそれで生計を立ててるわけでなければ極端な影響はないでしょうが、一部の芸能人などにおいては敢えてスキャンダルを起こす、もしくは以前のものを暴露してまで世間の注目を浴びるように仕向けて命脈を保とうとする人がいます。ただそうそう何度もスキャンダルなんて起こせるものではないですし、何度かそういうことを繰り返しているうちに周囲からも飽きられてしまうのが大抵のオチです。
わざわざ実名までは挙げませんが、女性に多いですがいくつかの芸能人では本当にこういう風になって今じゃすっかり世間から忘れられてしまっている人も少なくありません。切り売りするような私生活もすでになく、スキャンダルを起こしてもまたかと相手にされず、元々の芸も評価されずと一体あんたは今まで何やってきたんだと言いたくなってくる程です。
このように考えるのなら、私生活というものはある意味その人個人にとって有限の財産という風に見ることが出来ます。もちろんその財産価値は人によって違いますが、公表するという形で消費してしまうと二度と取り返せなくなる可能性を持っており、普段意識しないけどこういう自分とその周囲だけの秘密というものは案外大事なんじゃないかとこのごろ思います。
お金というものは持ってると使いたくなりますが、一回使ってしまうとなくなってしまいます。私生活も同様で、ついつい珍しい体験などは誰に聞かれることもなく自分から話してしまいがちですが、それをある程度秘密として持つことにもまだ価値があるんじゃないかと思います。まぁどんだけ聞かれようとも話したくない秘密も誰にでもあるでしょうが。
さてその陽月秘話改め現在の陽月秘抄ですが、やはり住所が日本国内から中国国内に移り変わった影響から日本の社会批評などが減ってきて、その分中国関係や歴史関係の話がこのところ多いと自分でも自覚しております。この辺をもう少し何とかならないものかと色々考えてて、中国のテレビはケーブルテレビなので契約次第によっては日本のテレビ局の海外放送も受信することが出来るのでちょっと今検討しております。
その分中国のニュースをどんどん翻訳して書いていけばという案も考えてはいるのですが、なんというかただ翻訳して載せるだけだと芸がないような気がしてどうもプライドがそれを許しません。もうすこし経ってこっちのニュース情報を加工できるくらいに物知りになれば話は別ですが、現時点ではまだ手を出す気にはなれずにおります。
話は変わってブログについてですが、私のブログは社会系ニュースや思想に関することばかりで明らかに他の一般のブログとはやや趣が異なっておりますが、基本的にブログというものはその運営者の私生活を切り売りするものだと私は考えております。私生活を切り売りするとは読んで字の如くその執筆者の普段の生活や考えたことなどを敢えて外に公表するということで、書籍の形ではいわゆる私小説というものがこれに当たります。
私が知る限りではこの私小説を日本で始めて大々的に発表したのは明治の文豪森鴎外で、処女作の「舞姫」自体もこの私小説の要素を過分に含んでて公表当初から色々周囲に言われたそうですが、「舞姫」以上に凄いのが後年の作品に当たる「イタ・セクスアリス」です。こちらは本当に鴎外の私生活というか、自分の嫁と実母の嫁姑抗争をありのままに書いたことで公表時にはこんなものが文学としてなりうるのかといろいろ議論となったそうです。その一方で抗争を暴露された嫁と姑はその後何故だか仲良くなっていったそうですが。
私のこのブログでもたまにプライベートなことを書いたりしますが、やはり書いてる側からするとこのような私生活を切り売りする記事は書きやすいです。内輪ネタのような感覚というか、大抵自分で面白いと思うことを書くので気分的にも舞い上がり、なおかつ情報の加工が一切必要なくただ記憶に従って書くだけなのですぐにすんなり書き終わってしまいます。それこそちょっと珍しいことをやったり見たりしたことなどを書けば記事としての体裁は出来上がってしまいますし、読者の反応もこれまで書いたそのような記事からするとそれほど悪くない気もします。
その一方で、書いてあることは本当に私生活の暴露に当たる内容のためこうして文字情報として残ってしまうインターネットに記述してしまえば、その後気が変わったとしてもその情報を秘匿することは難しくなります。それこそ書いた当初はどうでもいい愚痴のつもりで書いたものが後年になって何かの禍根になるかもしれませんし、変な形で揚げ足を取られる事態を自ら招くことにもなりかねません。
似たような内容で陽月秘話のごくごく初期に確かネットにおける犯罪告白について書いた覚えがありますが、やはりこういうブログとかミクシとかだとあまりにも手軽すぎてついつい余計なことを書いてしまいやすく、注目を集めたいと思ってしまうものなのか先日の中学生による新宿通り魔予告事件など自らを破滅に追いやることまで書いてしまう人も少なからずおります。
現在までのところ私のこのブログでは書いた後で「しまった!」と思うようなことはありませんが、政治や思想というやや機微な内容が多いことを考慮して比較的に慎重に書いているつもりです。そのためいろいろと準備してそこそこいい内容になると確信を持った記事についても、余計な批判を受ける可能性や一部の無関係な人間を傷つける恐れがあると踏んで結局没にしてしまったことも何度かあります。
そういう意味で私生活を切り売りするというのは非常に手軽な分、ある種の危険性をはらんでいるということになります。しかもそうやって公表する私生活というのは無限に存在するわけでなく、極論を言えば公表を続けていればいつの日かネタ切れになって切り売りする私生活がなくなってしまうことになります。
では切り売りする私生活ネタがなくなった人間はどうするのか。別にそれで生計を立ててるわけでなければ極端な影響はないでしょうが、一部の芸能人などにおいては敢えてスキャンダルを起こす、もしくは以前のものを暴露してまで世間の注目を浴びるように仕向けて命脈を保とうとする人がいます。ただそうそう何度もスキャンダルなんて起こせるものではないですし、何度かそういうことを繰り返しているうちに周囲からも飽きられてしまうのが大抵のオチです。
わざわざ実名までは挙げませんが、女性に多いですがいくつかの芸能人では本当にこういう風になって今じゃすっかり世間から忘れられてしまっている人も少なくありません。切り売りするような私生活もすでになく、スキャンダルを起こしてもまたかと相手にされず、元々の芸も評価されずと一体あんたは今まで何やってきたんだと言いたくなってくる程です。
このように考えるのなら、私生活というものはある意味その人個人にとって有限の財産という風に見ることが出来ます。もちろんその財産価値は人によって違いますが、公表するという形で消費してしまうと二度と取り返せなくなる可能性を持っており、普段意識しないけどこういう自分とその周囲だけの秘密というものは案外大事なんじゃないかとこのごろ思います。
お金というものは持ってると使いたくなりますが、一回使ってしまうとなくなってしまいます。私生活も同様で、ついつい珍しい体験などは誰に聞かれることもなく自分から話してしまいがちですが、それをある程度秘密として持つことにもまだ価値があるんじゃないかと思います。まぁどんだけ聞かれようとも話したくない秘密も誰にでもあるでしょうが。
2011年2月22日火曜日
中東での革命の連鎖について
このところ連日報道されているように、中東諸国において革命を求むデモが起こり次々と政権が崩壊しております。初めはチュニジアにて起こり、その後エジプトにて長く軍事政権を続けてきたムバラク政権が崩壊し、そしてついにはリビアにおいて数十年にも渡って独裁を保ち続けたカダフィ大佐にすらも引退を要求するデモが起こり目下内戦のような状態へと発展しております。正直に言って、チュニジアでデモが起こった当初にこれほどまで大衆運動が波及するとは誰が予想したでしょうか。デモがエジプトにまで波及した際は現在のエジプトの経済状況が悪かったことから多少は仕方ないとしても、リビアこそが独裁国の代表ではあるものの比較的豊かな国だけにこちらまでは波及しないだろうという予想をあちこちで見受けましたが、私もそういった情報から判断するに恐らくエジプトでこの大衆運動は止まるのではと見ておりました。
それにしても革命というものはこうも波及するものかと、かつてトルーマンが社会主義のドミノ化を恐れたというのも今こうして現在になって見ると理解できるような気がします。
一応国際政治を専門と掲げてはいるものの、実は中東の情勢については私はあまり詳しくないのが本音です。元々日本は中東諸国とは距離もあることから交流が少なく、ホメイニ氏によるイラン革命の頃まではビジネスライクな関係で紐帯が強いわけではないものの貿易量が多く、親しくないもののお互い利益を分かち合うような関係でした。特に革命前のイランはプロ野球選手のダルビッシュ選手の父親を初めとして数多くの留学生が日本にやってきていたようで、90年代中ごろまでは東京都内の至るところで見つけられたそうです。そのせいで一時社内のあだ名が「ビンラディン」だった中東系の顔しているうちの親父は当時はよくイラン人に間違えられたそうですが。
そういうわけでちょっと今回の一連の事件を契機に勉強をして見ようかといろいろ、特にエジプト関係を中心に調べて見たのですが、やはり中東史を語る上でははずせないのは中東戦争です。この戦争については一般的にはアラブ諸国対イスラエルという二次大戦後のこの地域における領土問題だと一般的には教えられていますが、改めて調べて見るとそれ以外にスエズ運河をめぐる英仏とエジプトの争い(第二次中東戦争)も含まれており、その最中に頭角を現した各軍人らが後に国の最高権力者となるくだりなどを見ていると現代に直結する歴史であったのだと、自分の不学を嘆く羽目となりました。
個人的に気になった人物を挙げるとエジプトにおけるムバラク大統領の一代前の、イスラエルと電撃的和解を行って暗殺されたアンワル・サダト元大統領が一番興味を引きました。このほかは中東戦争で活躍してその後首相になり、殺人者とまで呼ばれたアリエル・シャロン元イスラエル首相とかかな。
それで今回のこの革命について一つ予想というか分析を行うと、正直なところはこの辺に詳しいだろうカイロ大卒の小池百合子氏の意見とか聞いてから判断したいのですが、やはり今後もしばらく革命の影響が中東に及ぼすのではないかと思います。特にこれはすでに言及されていますが、これまでのエジプトのムバラク政権は比較的イスラエルに対して和平的であったのですが今度成立するであろう新政権はイスラム主義色の強い政権が予想されており、親パレスチナを掲げてイスラエルと衝突する可能性が高いといわれております。
またその一方で、これまでそうしたイスラエルとの対立ゆえに軍人出身者の多い政権で運営されてきた各国は今後民主化の波を受けて非軍事政権が新たに作られる可能性があります。それはそれで歓迎したいものの、その間の混乱を縫ってこの地域に多く潜伏する国際テロリストらが暗躍して経済や国家体制により大きな混乱を生み出す可能性も全く否定することは出来ません。
特に日本にとって一番懸念しなければならないのは、今日の東証でも影響が出たように原油価格の高騰です。かねてからドバイやカタールなどは近年の原油高を受けて高層ビルが数多く建設されるなど原油バブルが起こっていると指摘されてきましたが、今回の革命の余波を受けてそのバブルに歯止めがかかることもありえ、その一方で原油の輸送などが止まって世界はますます原油価格が高騰し、多方面に大きな影響が及ぶことも考えられます。
ただあまり心配をしすぎるのも問題なので、やや距離のある日本としてはこの歴史的一大事に立ち会えるのだと考えてしっかりと見ておくというが一番必要なのかもしれません。私自身も小学生の頃に何度も、「後三年早く生まれていれば」とソ連崩壊に立ち会えなかった(生まれてはいるが意識して見ることは出来なかった)のを悔しがったことがあるだけに、こうした大きな革命劇を見る世代に入れたのは幸運だと感じております。
最後にこの革命とアジアについてすこし書いておくと、タイでも先年にタクシン政権が崩壊して以降はなかなか政治が安定しておりません。まぁ今回の中東の革命とは無関係なのであまり影響はないでしょうが、それ以上によくこの手の話題に上ってくるのが今私がいる中国です。
中国も距離が離れているとはいえやはり気になるのか、どうもあちこちでピリピリしているそうです。そのためか昨日の報道によると街中にいた日本の外交官を何かのデモに参加していると勘違いして一時拘束したそうですが、日本側が抗議するやあまり大事になってもらいたくないのか素直に認めて謝罪までしてきました。普段が普段なだけに、こうも下手になってくるとかえって気味が悪いです。
もっとも中国は今のところは右肩上がりで、またこのところのこちらの主要な話題となっている各都市における最低賃金についても経済界からの反発を抑えて地方政府らは大きく上昇させるなど底辺の労働者対策も全くしていないわけではないので、中東の影響は恐らくないかと私も思います。
こんな風にリビアも言われながら、今のような状況になってることを考えるとあまり口を開くべきではないかもしれませんが……。
それにしても革命というものはこうも波及するものかと、かつてトルーマンが社会主義のドミノ化を恐れたというのも今こうして現在になって見ると理解できるような気がします。
一応国際政治を専門と掲げてはいるものの、実は中東の情勢については私はあまり詳しくないのが本音です。元々日本は中東諸国とは距離もあることから交流が少なく、ホメイニ氏によるイラン革命の頃まではビジネスライクな関係で紐帯が強いわけではないものの貿易量が多く、親しくないもののお互い利益を分かち合うような関係でした。特に革命前のイランはプロ野球選手のダルビッシュ選手の父親を初めとして数多くの留学生が日本にやってきていたようで、90年代中ごろまでは東京都内の至るところで見つけられたそうです。そのせいで一時社内のあだ名が「ビンラディン」だった中東系の顔しているうちの親父は当時はよくイラン人に間違えられたそうですが。
そういうわけでちょっと今回の一連の事件を契機に勉強をして見ようかといろいろ、特にエジプト関係を中心に調べて見たのですが、やはり中東史を語る上でははずせないのは中東戦争です。この戦争については一般的にはアラブ諸国対イスラエルという二次大戦後のこの地域における領土問題だと一般的には教えられていますが、改めて調べて見るとそれ以外にスエズ運河をめぐる英仏とエジプトの争い(第二次中東戦争)も含まれており、その最中に頭角を現した各軍人らが後に国の最高権力者となるくだりなどを見ていると現代に直結する歴史であったのだと、自分の不学を嘆く羽目となりました。
個人的に気になった人物を挙げるとエジプトにおけるムバラク大統領の一代前の、イスラエルと電撃的和解を行って暗殺されたアンワル・サダト元大統領が一番興味を引きました。このほかは中東戦争で活躍してその後首相になり、殺人者とまで呼ばれたアリエル・シャロン元イスラエル首相とかかな。
それで今回のこの革命について一つ予想というか分析を行うと、正直なところはこの辺に詳しいだろうカイロ大卒の小池百合子氏の意見とか聞いてから判断したいのですが、やはり今後もしばらく革命の影響が中東に及ぼすのではないかと思います。特にこれはすでに言及されていますが、これまでのエジプトのムバラク政権は比較的イスラエルに対して和平的であったのですが今度成立するであろう新政権はイスラム主義色の強い政権が予想されており、親パレスチナを掲げてイスラエルと衝突する可能性が高いといわれております。
またその一方で、これまでそうしたイスラエルとの対立ゆえに軍人出身者の多い政権で運営されてきた各国は今後民主化の波を受けて非軍事政権が新たに作られる可能性があります。それはそれで歓迎したいものの、その間の混乱を縫ってこの地域に多く潜伏する国際テロリストらが暗躍して経済や国家体制により大きな混乱を生み出す可能性も全く否定することは出来ません。
特に日本にとって一番懸念しなければならないのは、今日の東証でも影響が出たように原油価格の高騰です。かねてからドバイやカタールなどは近年の原油高を受けて高層ビルが数多く建設されるなど原油バブルが起こっていると指摘されてきましたが、今回の革命の余波を受けてそのバブルに歯止めがかかることもありえ、その一方で原油の輸送などが止まって世界はますます原油価格が高騰し、多方面に大きな影響が及ぶことも考えられます。
ただあまり心配をしすぎるのも問題なので、やや距離のある日本としてはこの歴史的一大事に立ち会えるのだと考えてしっかりと見ておくというが一番必要なのかもしれません。私自身も小学生の頃に何度も、「後三年早く生まれていれば」とソ連崩壊に立ち会えなかった(生まれてはいるが意識して見ることは出来なかった)のを悔しがったことがあるだけに、こうした大きな革命劇を見る世代に入れたのは幸運だと感じております。
最後にこの革命とアジアについてすこし書いておくと、タイでも先年にタクシン政権が崩壊して以降はなかなか政治が安定しておりません。まぁ今回の中東の革命とは無関係なのであまり影響はないでしょうが、それ以上によくこの手の話題に上ってくるのが今私がいる中国です。
中国も距離が離れているとはいえやはり気になるのか、どうもあちこちでピリピリしているそうです。そのためか昨日の報道によると街中にいた日本の外交官を何かのデモに参加していると勘違いして一時拘束したそうですが、日本側が抗議するやあまり大事になってもらいたくないのか素直に認めて謝罪までしてきました。普段が普段なだけに、こうも下手になってくるとかえって気味が悪いです。
もっとも中国は今のところは右肩上がりで、またこのところのこちらの主要な話題となっている各都市における最低賃金についても経済界からの反発を抑えて地方政府らは大きく上昇させるなど底辺の労働者対策も全くしていないわけではないので、中東の影響は恐らくないかと私も思います。
こんな風にリビアも言われながら、今のような状況になってることを考えるとあまり口を開くべきではないかもしれませんが……。
2011年2月21日月曜日
弟キャラの特徴とは
それほど詳しいというわけでもないですが、よくある美少女キャラのカテゴリに「妹キャラ」というものがあると聞きます。私は読んだことはないのですがライト小説で「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」という本がよく売れていると聞きますし、一時は年上に当たる姉御キャラが流行っていると聞いていましたがやはり未だに妹属性というものは強いようです。
どうでもいいですがPixivにて、「俺の壬がこんなに可愛いわけがない」というネタイラストを見た時は久々に腹を抱えて笑いました。滅茶苦茶濃い二瓶氏のマンガ「バイオメガ」が元なだけに、そのギャップが凄まじい。
さてこういう女性キャラの姉妹属性というかそういうものはよく見ますが、逆に男の兄弟はどういう風な属性を持つのかちょっと考えて見ました。無論兄弟たっていろいろあるでしょうが話的に妹キャラにはどちらかというと保護欲というか弱弱しさみたいなものが求められる一方、弟キャラは逆に「しっかり者」というような印象が浮かんできます。
私がまず代表的な弟キャラとして考えた際に真っ先に思い浮かんだのは、歴史上の人物ではありますが羽柴秀長です。苗字からわかるとおりにあの豊臣秀吉の父親違いの弟で、目立たない人物ながらも陰で兄の覇業を助けたとして彼の早世が豊臣政権の崩壊を生んだとまで言われるほど評価の高い武将です。96年に放映された大河ドラマ「秀吉」では堺屋太一氏の「豊臣秀長」が原作の一つとして組み込まれ、このドラマで秀長役をした高嶋政伸氏の好演とともに一気に知名度が上がりましたが私自身も非常に好きな武将で、出来る弟といったら日本史中では随一でしょう。
同じく歴史上の人物で秀長とともに戦国時代で活躍したとなると、武田信玄の弟の武田信繁も優秀な弟として挙がって来ます。この信繁の何が凄いかって言うと元々信玄の父親は信玄を疎んで信繁を跡継ぎにしたがっていたそうですが、兄の信玄が業を煮やして父を追放するやその兄の行動を支持して実質その片腕として縦横無尽に活躍していることです。惜しくも川中島の戦いで戦死しますが、こちらもまた存命していれば長篠の戦での敗戦はなかったとまで言われております。
こうした歴史上の人物に対してマンガの中の弟キャラとなるとこちらで最初に思い浮かんだのは「北斗の拳」における主人公のケンシロウですが、北斗三兄弟はいろいろと比較対象にするのはどうかと思う兄弟なのであまり参考にならないような気がします。
そんなケンシロウの次に浮かんできたのはキャラクターのスヌーピーでおなじみの「ピーナッツ」に出てくるライナスです。ライナスには身勝手で口うるさいルーシーという姉がいるのですがあるシーンでそのルーシーが珍しく思い悩み、人生はかなくて生きる価値なんかあるのかなどとつぶやいていると、「少なくとも、いなくなってしまったら寂しがる弟はいるよ」と女殺しもいいところなやさしいフォローをかますようなキャラです。身勝手でわがままな姉と打って変わって冷静で心優しいキャラで、しっかり者の弟キャラとしてはまさに典型でしょう。
ただこうしたしっかり者な弟キャラがいる一方、しっかりしすぎというか突き抜けすぎて上にあたる兄や姉が困るという関係もいくつかあります。こちらの代表例はまた歴史の人物になりますが真田幸村で、実際に徳川方についた兄の真田信幸は徳川陣営の中でおおいに苦心したそうです。また信幸自身も名将と名高いものの弟の武名が高すぎるがゆえかどうも劣った武将のように思われる傾向もあり、本当に死んでからも弟に苦しめられてるようで可哀想です。
ちなみに私も姉がいる弟キャラの一人ですが、こうして中国でふらふらしているあたりはとてもしっかり者とは言えるレベルではありません。あと友人に三人男兄弟の一番上とか真ん中がいますが、彼らに聞いたりすると弟は可愛いと思うもののやはり時折鋭い一言を言われたりするので空恐ろしさを感じることがあるそうです。
近年の中国は一人っ子政策によって兄弟がいるという人自体が非常に少ないですが、こっちの人にこういう兄弟関連の話は理解できるのかな。
末筆ながら、ニュージーランド大地震の被災者の方々へご無事をここでお祈りさせていただきます。
どうでもいいですがPixivにて、「俺の壬がこんなに可愛いわけがない」というネタイラストを見た時は久々に腹を抱えて笑いました。滅茶苦茶濃い二瓶氏のマンガ「バイオメガ」が元なだけに、そのギャップが凄まじい。
さてこういう女性キャラの姉妹属性というかそういうものはよく見ますが、逆に男の兄弟はどういう風な属性を持つのかちょっと考えて見ました。無論兄弟たっていろいろあるでしょうが話的に妹キャラにはどちらかというと保護欲というか弱弱しさみたいなものが求められる一方、弟キャラは逆に「しっかり者」というような印象が浮かんできます。
私がまず代表的な弟キャラとして考えた際に真っ先に思い浮かんだのは、歴史上の人物ではありますが羽柴秀長です。苗字からわかるとおりにあの豊臣秀吉の父親違いの弟で、目立たない人物ながらも陰で兄の覇業を助けたとして彼の早世が豊臣政権の崩壊を生んだとまで言われるほど評価の高い武将です。96年に放映された大河ドラマ「秀吉」では堺屋太一氏の「豊臣秀長」が原作の一つとして組み込まれ、このドラマで秀長役をした高嶋政伸氏の好演とともに一気に知名度が上がりましたが私自身も非常に好きな武将で、出来る弟といったら日本史中では随一でしょう。
同じく歴史上の人物で秀長とともに戦国時代で活躍したとなると、武田信玄の弟の武田信繁も優秀な弟として挙がって来ます。この信繁の何が凄いかって言うと元々信玄の父親は信玄を疎んで信繁を跡継ぎにしたがっていたそうですが、兄の信玄が業を煮やして父を追放するやその兄の行動を支持して実質その片腕として縦横無尽に活躍していることです。惜しくも川中島の戦いで戦死しますが、こちらもまた存命していれば長篠の戦での敗戦はなかったとまで言われております。
こうした歴史上の人物に対してマンガの中の弟キャラとなるとこちらで最初に思い浮かんだのは「北斗の拳」における主人公のケンシロウですが、北斗三兄弟はいろいろと比較対象にするのはどうかと思う兄弟なのであまり参考にならないような気がします。
そんなケンシロウの次に浮かんできたのはキャラクターのスヌーピーでおなじみの「ピーナッツ」に出てくるライナスです。ライナスには身勝手で口うるさいルーシーという姉がいるのですがあるシーンでそのルーシーが珍しく思い悩み、人生はかなくて生きる価値なんかあるのかなどとつぶやいていると、「少なくとも、いなくなってしまったら寂しがる弟はいるよ」と女殺しもいいところなやさしいフォローをかますようなキャラです。身勝手でわがままな姉と打って変わって冷静で心優しいキャラで、しっかり者の弟キャラとしてはまさに典型でしょう。
ただこうしたしっかり者な弟キャラがいる一方、しっかりしすぎというか突き抜けすぎて上にあたる兄や姉が困るという関係もいくつかあります。こちらの代表例はまた歴史の人物になりますが真田幸村で、実際に徳川方についた兄の真田信幸は徳川陣営の中でおおいに苦心したそうです。また信幸自身も名将と名高いものの弟の武名が高すぎるがゆえかどうも劣った武将のように思われる傾向もあり、本当に死んでからも弟に苦しめられてるようで可哀想です。
ちなみに私も姉がいる弟キャラの一人ですが、こうして中国でふらふらしているあたりはとてもしっかり者とは言えるレベルではありません。あと友人に三人男兄弟の一番上とか真ん中がいますが、彼らに聞いたりすると弟は可愛いと思うもののやはり時折鋭い一言を言われたりするので空恐ろしさを感じることがあるそうです。
近年の中国は一人っ子政策によって兄弟がいるという人自体が非常に少ないですが、こっちの人にこういう兄弟関連の話は理解できるのかな。
末筆ながら、ニュージーランド大地震の被災者の方々へご無事をここでお祈りさせていただきます。
伝記にまつわるエピソード
子供に対してどんな本を読ませたらいいかと問われるなら、私は迷わず伝記を勧めます。「事実は小説より奇なり」と言われるだけに、空想の物語と言えども多かれ少なかれ実際に起こる事実や展開に依拠せざるを得ず、そういう意味では現実の人間の話以上にオリジナル性の高いストーリーはないということになります。
私は小学生くらいの頃からいわゆる歴史マンガを通して人物の伝記を読み漁り、中学生くらいになると歴史小説や人物伝など徐々に文字だけの伝記も読むようになっていったのですが、やはり当時の自分にいい影響を与えて今でも思い出すことのある本のジャンルとなると決まって伝記物になります。聞くところによると世界で一番多く伝記が書かれたのはフランスのナポレオンだそうで、日本は大正期くらいまでは西郷隆盛が一番多かったそうですが恐らく現代では織田信長か坂本竜馬と言ったところでしょう。
さてこういった伝記ですが、教育的な効果云々について長々と語っても仕方がないのでいくつか伝記にまつわるエピソードを紹介しようかと思います。基本的に伝記というものはヒトラーなどその時代ごとに批判される対象を除いてその人物をどちらかと言えば持ち上げて書かれる傾向があるのですが、中には持ち上げられすぎと言うべきか本質を失って世に誤解を生み続ける伝記も少なくありません。
その代表格と言うべきか、世間では立派な人物だと言われつつも実際にはすごいダーティだと私が感じる最筆頭の人物はほかでもなくトーマス・エジソンです。
エジソンときたらアメリカの発明王という認識で一致するかと思いますが、確かに彼は数多くの発明を生み出して千を越える特許を取得しましたが、彼の本当に評価すべきところは発明という才能よりも特許商法とも言うべき経営手腕にあると私は思います。エジソンは自ら発明をする一方で細かな技術を権利者から特許権を買取り、それらを集合させて一つの商品を作って売り出すということで現在のゼネラル・エレクトリックス社を盛り上げました。そのため商品全体で見れば確かにエジソンの発明に見えなくもないのですが、その商品を構成する様々な技術はいろんな人が持つ特許をかき集めたもので実際にエジソンが一から発明したものとなると実際にはほとんどないそうです。
そのくせ自分の特許権のこととなるとほかの人間には一切つかわせまいとばかりに度々訴訟を起こしてたり、また有名な「天才とは99%の努力と1%のひらめきが必要」という言葉も、実際の意味は「たとえ99%努力したって1%のひらめきもなければすべて無駄」という内容だったそうです。インタビューを行った記者がこれじゃちょっとあんまりだと思って努力が報われるという意味の最初の言葉に改変したそうですが、まさかそれが100年以上も流布されるとは本人も思わなかっただろうな。
こうしたエジソンに対して、同時代の日本人にも伝記にまつわるあるエピソードがあります。その日本人とは黄熱病の研究で有名な野口英世ですが、彼はその死後に研究結果はほとんど否定されているために実際の功績となると梅毒の研究くらいで、どちらかといえば生前の方が知名度が高かった人物でありますが、そうした生前の知名度の高さが影響してかなんとまだ生きている間に日本で伝記が出版されていたそうです。
そんなわけで野口英世は出版された自分の伝記を読んだそうですが、一読するや「こんな完璧な人間、いるわけないだろ」といって投げ捨てたそうです。本人ですら否定するくらいなのですから相当持ち上げられた内容だったのでしょう。
このほか近年で持ち上げられすぎだなと私が感じる人物だと、ちょっと前にブームとなった白洲次郎です。この人はいろいろエピソードがあるのですが生憎ほとんどがはっきりとした根拠のない噂ばかりで、本当にそのエピソード通りの人物かとなると非常に怪しいです。
特に一番有名なエピソードとしてGHQ統治時代にマッカーサーへ昭和天皇からの贈り物を持って言った際にマッカーサーから、「ああ、そこにでも置いといてくれ」といわれたことに対してふざけるなと抗議したというエピソードですが、これは歴史家からはっきりとありえないと指摘されています。プレゼントを直接渡すなぞ暗殺すら起こりうる事態で、実際にマッカーサーへ届け物がされる際はGHQの係官が受け取ってから中身を確認し、かわりに渡すのが実情だったそうです。ま、そりゃそうでしょう。
最後に伝記というわけじゃないですが、元阪急の野球選手である福本豊氏のWikipediaのページは下手なギャグマンガよりずっと面白いです。
私は小学生くらいの頃からいわゆる歴史マンガを通して人物の伝記を読み漁り、中学生くらいになると歴史小説や人物伝など徐々に文字だけの伝記も読むようになっていったのですが、やはり当時の自分にいい影響を与えて今でも思い出すことのある本のジャンルとなると決まって伝記物になります。聞くところによると世界で一番多く伝記が書かれたのはフランスのナポレオンだそうで、日本は大正期くらいまでは西郷隆盛が一番多かったそうですが恐らく現代では織田信長か坂本竜馬と言ったところでしょう。
さてこういった伝記ですが、教育的な効果云々について長々と語っても仕方がないのでいくつか伝記にまつわるエピソードを紹介しようかと思います。基本的に伝記というものはヒトラーなどその時代ごとに批判される対象を除いてその人物をどちらかと言えば持ち上げて書かれる傾向があるのですが、中には持ち上げられすぎと言うべきか本質を失って世に誤解を生み続ける伝記も少なくありません。
その代表格と言うべきか、世間では立派な人物だと言われつつも実際にはすごいダーティだと私が感じる最筆頭の人物はほかでもなくトーマス・エジソンです。
エジソンときたらアメリカの発明王という認識で一致するかと思いますが、確かに彼は数多くの発明を生み出して千を越える特許を取得しましたが、彼の本当に評価すべきところは発明という才能よりも特許商法とも言うべき経営手腕にあると私は思います。エジソンは自ら発明をする一方で細かな技術を権利者から特許権を買取り、それらを集合させて一つの商品を作って売り出すということで現在のゼネラル・エレクトリックス社を盛り上げました。そのため商品全体で見れば確かにエジソンの発明に見えなくもないのですが、その商品を構成する様々な技術はいろんな人が持つ特許をかき集めたもので実際にエジソンが一から発明したものとなると実際にはほとんどないそうです。
そのくせ自分の特許権のこととなるとほかの人間には一切つかわせまいとばかりに度々訴訟を起こしてたり、また有名な「天才とは99%の努力と1%のひらめきが必要」という言葉も、実際の意味は「たとえ99%努力したって1%のひらめきもなければすべて無駄」という内容だったそうです。インタビューを行った記者がこれじゃちょっとあんまりだと思って努力が報われるという意味の最初の言葉に改変したそうですが、まさかそれが100年以上も流布されるとは本人も思わなかっただろうな。
こうしたエジソンに対して、同時代の日本人にも伝記にまつわるあるエピソードがあります。その日本人とは黄熱病の研究で有名な野口英世ですが、彼はその死後に研究結果はほとんど否定されているために実際の功績となると梅毒の研究くらいで、どちらかといえば生前の方が知名度が高かった人物でありますが、そうした生前の知名度の高さが影響してかなんとまだ生きている間に日本で伝記が出版されていたそうです。
そんなわけで野口英世は出版された自分の伝記を読んだそうですが、一読するや「こんな完璧な人間、いるわけないだろ」といって投げ捨てたそうです。本人ですら否定するくらいなのですから相当持ち上げられた内容だったのでしょう。
このほか近年で持ち上げられすぎだなと私が感じる人物だと、ちょっと前にブームとなった白洲次郎です。この人はいろいろエピソードがあるのですが生憎ほとんどがはっきりとした根拠のない噂ばかりで、本当にそのエピソード通りの人物かとなると非常に怪しいです。
特に一番有名なエピソードとしてGHQ統治時代にマッカーサーへ昭和天皇からの贈り物を持って言った際にマッカーサーから、「ああ、そこにでも置いといてくれ」といわれたことに対してふざけるなと抗議したというエピソードですが、これは歴史家からはっきりとありえないと指摘されています。プレゼントを直接渡すなぞ暗殺すら起こりうる事態で、実際にマッカーサーへ届け物がされる際はGHQの係官が受け取ってから中身を確認し、かわりに渡すのが実情だったそうです。ま、そりゃそうでしょう。
最後に伝記というわけじゃないですが、元阪急の野球選手である福本豊氏のWikipediaのページは下手なギャグマンガよりずっと面白いです。
2011年2月20日日曜日
清末期に争われた立憲君主制と共和制
先日に中国の歴史参考書を購入したと書きましたがその参考書中で近代のページを見るにつけ、中国近代史においてこれまで着目していなかったある点に目がいくようになりこのところそのあたりをやけに詳しく調べています。具体的に何を気にするようになったかというと、本記事の表題に当たる清朝末期における立憲君主制支持派と共和制支持派の争いです。
現在において立憲君主制国家の代表格と来れば今度ウィリアム王子が結婚することで早くも盛り上がっている大英帝国ことイギリスで、基本的にこの立憲君主制という政体は憲法をベースに議会が実際の政治を切り盛りするものの最高権力者として世襲制の王を戴くという形で、実質の権力はイギリスと比べると小さく、なおかつ議論も少なからずあるものの天皇制を持つ日本も広義では間違いなくこの立憲君主制国家に含まれます。
それに対して共和制というのはこれの反対で、いうなれば国王や皇帝といった世襲の権力統治者や象徴が存在せず議会や内閣、大統領が最高権力者となる国のことを指しており、現在でしたらやっぱりアメリカやフランスが代表格です。
そこで本題に戻りますが、現在の中国は中国共産党の一党独裁による国で君主制か共和制かといえば一応は共和制ではあります。あくまで一応だけど。
ではそれ以前の中国はどうだったのかというとほかの国同様に君主制こと、王朝が政体をなしておりました。そんな中国における最後の王朝は少数民族である満州族が設立した清朝ですが、その末期において、具体的には1900年前後の日清、日露戦争の時代に中国では今後の政体を立件君主制とするか共和制とするかで知識人内で激しい対立があったようです。
清朝は日清戦争以降、それ以前のアヘン戦争は言わずもがな日本にも敗戦したことでようやく西洋技術を取り入れなければ最早どうにもならないという認識が各界に根付いたようです。日本も幕末は薩英戦争など当初は攘夷思想が強かったもののそれ以後は率先して西洋技術を取り入れてきたことを考えると今更かという気がしますがその辺は中華思想ということで、とにもかくにもそういったプライドをかなぐり捨ててようやく光緒帝の頃に変法運動といい、政体の革新などを図ったようです。
その頃に光緒帝の元で活躍し、この変法運動を大いに推進したのは康有為と、その弟子の梁啓超なのですが、どちらも恐らくは漢民族だとは思いますが満州族の清朝を盛り立てて中国の独立を保とうとしています。彼らが目指したのはそれまでの権力を皇帝一人に集中させる専制性ではなくそれこそ明治期の日本のような立憲君主制を目指していたようですが、彼らのこういった革新行動はかの有名な西太后ら清朝保守派のクーデターによって阻止され、光緒帝は幽閉され、康有為と梁啓超はそれぞれ日本に亡命することになります。
そうした立憲君主制を目指す勢力がいた一方、西洋技術の取入れなどといった点は共通していながらもこの際清朝を打倒し、新たに政体を共和制にして一から構築しなおすべきだと主張する勢力もこの時期に現れております。このような共和制を目指す勢力の代表格は孫文や後に中国共産党初代総書記となる陳独秀らですが、これらの共和制支持派は主に海外に拠点を持って中国国内に革命を呼びかけるなどして清朝打倒を目指していたようです。
結論から言うと西太后の死後にまだ幼い宣統帝溥儀ことラストエンペラーが即位したこともあり、当時軍権を握っていた袁世凱があっさりと孫文らに裏切って清朝は崩壊して共和制支持派の面々が権力を握ることとなりました。もちろんその後、梁啓超など立憲君主制支持派だった面々も議会に参加するなどして活動を行っておりますが、なんとなくこの争いを日本の薩長を始めとした統幕派、会津藩を中心とした佐幕派の争いのように見てしまいます。
明治維新期の日本も大きくこの二派に分かれて内戦を起こしましたが、戊辰戦争以後は幾度か内戦が起こったものの、清朝崩壊後の中国ほど激しい混乱にはならず徐々に統一国家への道を歩んでいきます。逆に中国は清朝崩壊以後は各地で軍閥が台頭し、目立った勢力を挙げるだけでも袁世凱の後釜を争って勝ち残った張作霖、中国共産党を引っ張った毛沢東、財閥のコネクションから上海で軍権を得た蒋介石などなど、文字通り群雄割拠の時代が訪れて統一ともなると蒋介石による北伐完了までまたなければなりません。
何故中国がこれほどまでに混乱を続けたのかとなると一次大戦など当時の世界情勢も影響しますが、むしろ逆に日本の方が異常な速度でまとまったと見るべきかもしれません。日本は明治維新から約30年後に国会を開設し、未だ薩長閥が勢力を握った上での制限選挙ではあったものの、憲法を制定した上で形なりには民主制の開放を達成しています。然るに中国は共産党が実験を握って70年程度経ちますが、未だに全国で一般市民選挙というものは実施されておらず、この点では日本が大いに優れていたと考えてもいいでしょう。
あと敢えて中国に対して苦言を呈すならば、清朝崩壊後にどうしてここまで混乱したのかといえばその一つの原因はほかならぬ孫文に大きな原因があるような気がします。孫文についてはWikipediaのページを見てもらえばわかる通りに何かと時代時代で手段を選ばずに交渉を行っては後の火種を自ら作っており、もうちょっと革命後の方針について確固たるビジョンを持って取り組んでたら全然歴史が違ったのではないかと思わざるを得ません。そういう意味では日本も、案外幕府をあくまで打倒しようとした薩長の考え方が正しかったのかもしれません。
現在において立憲君主制国家の代表格と来れば今度ウィリアム王子が結婚することで早くも盛り上がっている大英帝国ことイギリスで、基本的にこの立憲君主制という政体は憲法をベースに議会が実際の政治を切り盛りするものの最高権力者として世襲制の王を戴くという形で、実質の権力はイギリスと比べると小さく、なおかつ議論も少なからずあるものの天皇制を持つ日本も広義では間違いなくこの立憲君主制国家に含まれます。
それに対して共和制というのはこれの反対で、いうなれば国王や皇帝といった世襲の権力統治者や象徴が存在せず議会や内閣、大統領が最高権力者となる国のことを指しており、現在でしたらやっぱりアメリカやフランスが代表格です。
そこで本題に戻りますが、現在の中国は中国共産党の一党独裁による国で君主制か共和制かといえば一応は共和制ではあります。あくまで一応だけど。
ではそれ以前の中国はどうだったのかというとほかの国同様に君主制こと、王朝が政体をなしておりました。そんな中国における最後の王朝は少数民族である満州族が設立した清朝ですが、その末期において、具体的には1900年前後の日清、日露戦争の時代に中国では今後の政体を立件君主制とするか共和制とするかで知識人内で激しい対立があったようです。
清朝は日清戦争以降、それ以前のアヘン戦争は言わずもがな日本にも敗戦したことでようやく西洋技術を取り入れなければ最早どうにもならないという認識が各界に根付いたようです。日本も幕末は薩英戦争など当初は攘夷思想が強かったもののそれ以後は率先して西洋技術を取り入れてきたことを考えると今更かという気がしますがその辺は中華思想ということで、とにもかくにもそういったプライドをかなぐり捨ててようやく光緒帝の頃に変法運動といい、政体の革新などを図ったようです。
その頃に光緒帝の元で活躍し、この変法運動を大いに推進したのは康有為と、その弟子の梁啓超なのですが、どちらも恐らくは漢民族だとは思いますが満州族の清朝を盛り立てて中国の独立を保とうとしています。彼らが目指したのはそれまでの権力を皇帝一人に集中させる専制性ではなくそれこそ明治期の日本のような立憲君主制を目指していたようですが、彼らのこういった革新行動はかの有名な西太后ら清朝保守派のクーデターによって阻止され、光緒帝は幽閉され、康有為と梁啓超はそれぞれ日本に亡命することになります。
そうした立憲君主制を目指す勢力がいた一方、西洋技術の取入れなどといった点は共通していながらもこの際清朝を打倒し、新たに政体を共和制にして一から構築しなおすべきだと主張する勢力もこの時期に現れております。このような共和制を目指す勢力の代表格は孫文や後に中国共産党初代総書記となる陳独秀らですが、これらの共和制支持派は主に海外に拠点を持って中国国内に革命を呼びかけるなどして清朝打倒を目指していたようです。
結論から言うと西太后の死後にまだ幼い宣統帝溥儀ことラストエンペラーが即位したこともあり、当時軍権を握っていた袁世凱があっさりと孫文らに裏切って清朝は崩壊して共和制支持派の面々が権力を握ることとなりました。もちろんその後、梁啓超など立憲君主制支持派だった面々も議会に参加するなどして活動を行っておりますが、なんとなくこの争いを日本の薩長を始めとした統幕派、会津藩を中心とした佐幕派の争いのように見てしまいます。
明治維新期の日本も大きくこの二派に分かれて内戦を起こしましたが、戊辰戦争以後は幾度か内戦が起こったものの、清朝崩壊後の中国ほど激しい混乱にはならず徐々に統一国家への道を歩んでいきます。逆に中国は清朝崩壊以後は各地で軍閥が台頭し、目立った勢力を挙げるだけでも袁世凱の後釜を争って勝ち残った張作霖、中国共産党を引っ張った毛沢東、財閥のコネクションから上海で軍権を得た蒋介石などなど、文字通り群雄割拠の時代が訪れて統一ともなると蒋介石による北伐完了までまたなければなりません。
何故中国がこれほどまでに混乱を続けたのかとなると一次大戦など当時の世界情勢も影響しますが、むしろ逆に日本の方が異常な速度でまとまったと見るべきかもしれません。日本は明治維新から約30年後に国会を開設し、未だ薩長閥が勢力を握った上での制限選挙ではあったものの、憲法を制定した上で形なりには民主制の開放を達成しています。然るに中国は共産党が実験を握って70年程度経ちますが、未だに全国で一般市民選挙というものは実施されておらず、この点では日本が大いに優れていたと考えてもいいでしょう。
あと敢えて中国に対して苦言を呈すならば、清朝崩壊後にどうしてここまで混乱したのかといえばその一つの原因はほかならぬ孫文に大きな原因があるような気がします。孫文についてはWikipediaのページを見てもらえばわかる通りに何かと時代時代で手段を選ばずに交渉を行っては後の火種を自ら作っており、もうちょっと革命後の方針について確固たるビジョンを持って取り組んでたら全然歴史が違ったのではないかと思わざるを得ません。そういう意味では日本も、案外幕府をあくまで打倒しようとした薩長の考え方が正しかったのかもしれません。
2011年2月19日土曜日
必要な苦労、余計な苦労
自分にしては珍しくここ三日間更新がありませんでした。理由は単純に飲み会が昨日一昨日とあって帰宅がどちらも11時を過ぎてただけで、ネタ不足とかそういうわけではありません。
そういうわけで今日は久々の更新となりますが、まず一つの話から紹介します。その話が載っているのは文芸春秋の1月号で、料亭の京都吉兆で料理長をしている徳岡邦夫氏のコラムです。
そのコラムによると老舗料亭である京都吉兆もバブル崩壊後は経営が悪化し、料理長である徳岡氏は再建のために様々な改革に取り組んだそうです。まず取り組んだのは「人」こと人材採用で、それまで縁故採用が多かった料理人の採用に当たってなけなしの予算五万円をかけて外部に求人広告による募集をかけ、そうして集めた新人三人の教育に当たり以下のようなことをしたそうです。
「その施策の中には、かつての料亭文化ではありえないようなものも多かった。たとえば、「料理は見て盗め」といわれていた厨房の世界だが、新人にもどんどんレシピを教えてしまうようにした。また、料理経験のある人ならば、包丁もすぐに持たせてしまうこともある。これも、従来では考えられなかったことだ。
こうした料亭の常識は、実は百害あって一利なし、先輩料理人が後輩に追いつかれないために存在している悪習でしかないと私は考えて、それらを一掃してしまったのだ。」
(文芸春秋2011年1月号より引用)
正直に言って私は、こういうことを現役の料理人の方が口にするということに非常に驚きました。私は実際にそういう調理の世界に入ったことはないものの新人は皿洗いなど雑用を数年間経て初めて包丁を握らせてもらうものだと聞いていただけに、入ってすぐにレシピから包丁まで、しかも老舗料亭でそういうことが実施されてたなんて思いもよりませんでした。
ただ言われて見ると徳岡氏の言う通りに料理人というのは包丁持ってなんぼのもんだし、雑用を誰かがこなさなければならないとはしても新人料理人の教育に際して早くにそういった直接的な技術は教えた方がいいに決まってます。それにもかかわらず「新人は皿洗い」というイメージが私の中にあったのは、これもまた徳岡氏の言うように先輩料理人による悪習としか言いようがないでしょう。
この京都吉兆は直接関係はないものの例の船場吉兆の事件の際にはとばっちりを受けたそうでいろいろと大変だったそうですが、その後もこうした徳岡氏の改革が功を奏したかミシュランガイドにて三ツ星の評価を得たそうです。この話一つとってもなかなか含蓄があって面白いのですが、ちょっと気にかかったというか先ほどの新人料理人にすぐに包丁を握らせるという話から別に思い当たったエピソードがありました。
そのエピソードというのはほかならぬ田中角栄の生前のエピソードで、以前に鳩山邦夫氏が言っていた話です。兄に鳩山由紀夫元首相がいるのでこれから邦夫氏と表記しますが、邦夫氏は大学卒業後に政治家を志してすぐに田中角栄氏の秘書を始めたのですが、その秘書時代に田中角栄は邦夫氏に対しこんなことを言ったそうです。
「君も将来立派な政治家になろうとするのであれば、今の自分を見てよく反面教師としておきなさい」
当時の田中角栄は絶頂期であったために邦夫氏は一体先生のどこを反面教師とするところがあるのだと聞き返したところ、続けてこう話したそうです。
「確かに俺は今調子はいいが、ここに至るまで相当無理をやってきている。若いうちの苦労は買ってでもしろとは言うが、余計な苦労はしないに越したことはないんだ」
後に田中角栄はロッキード事件など金銭に絡む事件で特捜に逮捕されることになりますが、その時に至って邦夫氏はあの時の田中角栄の言葉はこういうことだったのか、つまり金策のために脱法行為も行っていたということを理解したそうです。
今でこそこういうことは常識はずれですが、当時の政界は工作に当たって何につけても金が必要だったそうですから私はこの点で極端に田中角栄を批判する気はありません。むしろこうした金策に対して田中角栄本人もある程度気にしていたというか、やらずに済むならやらない方がいいと考えていたということが少し驚きで、やっぱり人の子だったんだなとちょっと親近感が湧きました。まぁ逆を言えば邦夫氏の実家が金持ちなんだから無理に金策するなと言っていたんでしょうけど、邦夫氏の兄のことを思うといろいろ複雑です。
すでに大分長いですが久々の更新でテンションがやけに高いのでこのまま一本の記事にまとめてしまいますが、私が上記二つのエピソードからこのところよく思い耽っているのは「余計な苦労」という言葉です。京都吉兆、というよりそれまで料亭の暗黙の文化だった「新人は初め数年間は皿洗い」といい、田中角栄など当時の政治家による「脱法行為による金策」、どちらもやらずに済むのならそれに越したことはありません。
上記の田中角栄の台詞の中にあるように世の中には「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉が流布していますが、一応まだこの言葉をかけられる若者身分の私からするとあまり反抗的では良くないと思いつつも、この言葉は上の連中からすると随分都合のいい言葉だなと生意気にも大体中学生くらいの頃から感じていました。そんな性格ゆえによくパソコンに対して八つ当たりするくらい今でも忍耐力がないままなのですがそれでも敢えて続けて言わせてもらうと、苦労とは言っても『必要な苦労』と『余計な苦労』とではっきりと別れるのではないかと思います。
たとえば大学受験に合格するために長時間の勉強をしたり、体を鍛えるために走り込みを行うなどそれぞれ目的に合致した必要な苦労というものがあると思います。こういった必要な苦労に対してよく運動部などにある上級生の下級生に対するしごき、たとえば野球部における球拾いとか下級生は更衣室を使えないとか(私の実体験)、それぞれのスポーツ技術の向上には全く関係ないと言える余計な苦労も、というかこっちの方が世の中ごくごく溢れかえっております。こういったしごきについてよく指導者や上級生は上下関係を教えたり忍耐力をつけさせるために必要だと主張しますが、では目的に合った苦労では忍耐力はつかないのかと私は逆に問いたいです。
大学の受験勉強然り、長時間の走りこみ然り、言うは簡単ですがこれらをこなすとなるとなかなか大変な苦労で、実行にあたりそこそこの忍耐力が要求されます。しかも先ほどの運動部によるしごきと比べてこれらの必要な苦労はそれぞれの目的に対して学力の向上、体力の向上といった付帯効果があり、その上で私はちゃんと続けることで忍耐力も共に鍛えられるのではないかと思います。忍耐力がどちらでも鍛えられるのであれば、しごきといった余計な苦労はせずに必要な苦労を率先してやっていった方がずっと効率的ではないでしょうか。
私は何も、なんでも苦労を避けて楽な道を選ぶべきだと言うつもりはさらさらありません。きちんと目的を持ち、その目的を達成するために必要な苦労はどんどんとやるべきである一方、その目的達成に対して何の関係もない苦労はやらないに越したことはない、むしろ時間の無駄となるのでそういった余計な苦労は避けた方がいいと私は主張したいのです。
そうは言っても世の中理不尽なことが多いのでそういったことに耐性をつけるためにもある程度は余計な苦労もしておく必要があるのではないかと言われる方もいるかもしれませんが、私はそのような理不尽に対する耐性は必要な苦労でも得られると思いますし、そもそも理不尽に対して何でもかんでも黙っているのもまた問題な気がします。その理不尽を甘受せずに環境を変えるなり対策を行う方がずっと前進的でしょう。ま、多少の我慢はもちろん必要ですが。
私はこのところ自分を取り巻く環境に対し、今自分が負担に感じている苦労は必要な苦労なのか余計な苦労なのかとよく考えています。もちろん必要な苦労だと思えば心情的にも軽くなるし頑張ろうという気持ちも持てますが、余計な苦労だと一体何のために我慢しているのかと考えれば考えるほど余計に辛くなってきます。ただ単に自分が未熟で必要な苦労か余計な苦労か判別も出来ないのかもと思う一方、先ほどの「新人料理人は数年間は皿洗い」など、世の中では一般化されていたとしても明らかに余計だとわかるものははっきりわかる気がします。
何でもかんでも人生思い通りに行くわけではないので多少のことはもちろん我慢するべきです。しかしあまりにも余計過ぎる苦労は周囲から非難を受けるとしてもやはり避けるべきで、きちんと目的を持って必要な苦労を求めていくことが我慢強いとされる日本人に必要なのではないかというのが、今日の結論です。
おまけ
今回の記事内容について先に友人と相談をしたのですが、その友人とはある苦労を共有しておりました。我々が通った大学の一、二回生時キャンパスは辺鄙な田舎にあり、我々二人はそのキャンパス近くに下宿を借りて住んでいたものの本当にシャレにならないくらいの場所の上に中途半端に都会に近いもんだから精神病を起こす学生もいるほどで、ご多分に洩れず我々二人も入学当初にすぐ五月病をリアルに発祥するなど苦労をしたのですがその時の体験について、
花園「あそこでの生活は確かに辛かったけど、今となれば『必要な苦労』だったかな( ´ー`)」
友人「いや、僕にとっては『余計な苦労』以外の何者でもなかった(´д`)」
と、見事に意見が割れました。この後もお互いに『必要な苦労』と『余計な苦労』とこの二つの言葉を使い分けてあれこれ愚痴を言い合いましたが、「社内のお局対応は『余計な苦労』だ」、「あの上司の指導は厳しいが、『必要な苦労』だった」など、使ってて意外に便利な言葉だと思いました。
おまけ2
三日ぶりの更新ですが見事四千字を越える長文、書いててものすごく気持ちよかったです。やっぱり定期的に文章書かないと自分は駄目ですね( ´Д`)
そういうわけで今日は久々の更新となりますが、まず一つの話から紹介します。その話が載っているのは文芸春秋の1月号で、料亭の京都吉兆で料理長をしている徳岡邦夫氏のコラムです。
そのコラムによると老舗料亭である京都吉兆もバブル崩壊後は経営が悪化し、料理長である徳岡氏は再建のために様々な改革に取り組んだそうです。まず取り組んだのは「人」こと人材採用で、それまで縁故採用が多かった料理人の採用に当たってなけなしの予算五万円をかけて外部に求人広告による募集をかけ、そうして集めた新人三人の教育に当たり以下のようなことをしたそうです。
「その施策の中には、かつての料亭文化ではありえないようなものも多かった。たとえば、「料理は見て盗め」といわれていた厨房の世界だが、新人にもどんどんレシピを教えてしまうようにした。また、料理経験のある人ならば、包丁もすぐに持たせてしまうこともある。これも、従来では考えられなかったことだ。
こうした料亭の常識は、実は百害あって一利なし、先輩料理人が後輩に追いつかれないために存在している悪習でしかないと私は考えて、それらを一掃してしまったのだ。」
(文芸春秋2011年1月号より引用)
正直に言って私は、こういうことを現役の料理人の方が口にするということに非常に驚きました。私は実際にそういう調理の世界に入ったことはないものの新人は皿洗いなど雑用を数年間経て初めて包丁を握らせてもらうものだと聞いていただけに、入ってすぐにレシピから包丁まで、しかも老舗料亭でそういうことが実施されてたなんて思いもよりませんでした。
ただ言われて見ると徳岡氏の言う通りに料理人というのは包丁持ってなんぼのもんだし、雑用を誰かがこなさなければならないとはしても新人料理人の教育に際して早くにそういった直接的な技術は教えた方がいいに決まってます。それにもかかわらず「新人は皿洗い」というイメージが私の中にあったのは、これもまた徳岡氏の言うように先輩料理人による悪習としか言いようがないでしょう。
この京都吉兆は直接関係はないものの例の船場吉兆の事件の際にはとばっちりを受けたそうでいろいろと大変だったそうですが、その後もこうした徳岡氏の改革が功を奏したかミシュランガイドにて三ツ星の評価を得たそうです。この話一つとってもなかなか含蓄があって面白いのですが、ちょっと気にかかったというか先ほどの新人料理人にすぐに包丁を握らせるという話から別に思い当たったエピソードがありました。
そのエピソードというのはほかならぬ田中角栄の生前のエピソードで、以前に鳩山邦夫氏が言っていた話です。兄に鳩山由紀夫元首相がいるのでこれから邦夫氏と表記しますが、邦夫氏は大学卒業後に政治家を志してすぐに田中角栄氏の秘書を始めたのですが、その秘書時代に田中角栄は邦夫氏に対しこんなことを言ったそうです。
「君も将来立派な政治家になろうとするのであれば、今の自分を見てよく反面教師としておきなさい」
当時の田中角栄は絶頂期であったために邦夫氏は一体先生のどこを反面教師とするところがあるのだと聞き返したところ、続けてこう話したそうです。
「確かに俺は今調子はいいが、ここに至るまで相当無理をやってきている。若いうちの苦労は買ってでもしろとは言うが、余計な苦労はしないに越したことはないんだ」
後に田中角栄はロッキード事件など金銭に絡む事件で特捜に逮捕されることになりますが、その時に至って邦夫氏はあの時の田中角栄の言葉はこういうことだったのか、つまり金策のために脱法行為も行っていたということを理解したそうです。
今でこそこういうことは常識はずれですが、当時の政界は工作に当たって何につけても金が必要だったそうですから私はこの点で極端に田中角栄を批判する気はありません。むしろこうした金策に対して田中角栄本人もある程度気にしていたというか、やらずに済むならやらない方がいいと考えていたということが少し驚きで、やっぱり人の子だったんだなとちょっと親近感が湧きました。まぁ逆を言えば邦夫氏の実家が金持ちなんだから無理に金策するなと言っていたんでしょうけど、邦夫氏の兄のことを思うといろいろ複雑です。
すでに大分長いですが久々の更新でテンションがやけに高いのでこのまま一本の記事にまとめてしまいますが、私が上記二つのエピソードからこのところよく思い耽っているのは「余計な苦労」という言葉です。京都吉兆、というよりそれまで料亭の暗黙の文化だった「新人は初め数年間は皿洗い」といい、田中角栄など当時の政治家による「脱法行為による金策」、どちらもやらずに済むのならそれに越したことはありません。
上記の田中角栄の台詞の中にあるように世の中には「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉が流布していますが、一応まだこの言葉をかけられる若者身分の私からするとあまり反抗的では良くないと思いつつも、この言葉は上の連中からすると随分都合のいい言葉だなと生意気にも大体中学生くらいの頃から感じていました。そんな性格ゆえによくパソコンに対して八つ当たりするくらい今でも忍耐力がないままなのですがそれでも敢えて続けて言わせてもらうと、苦労とは言っても『必要な苦労』と『余計な苦労』とではっきりと別れるのではないかと思います。
たとえば大学受験に合格するために長時間の勉強をしたり、体を鍛えるために走り込みを行うなどそれぞれ目的に合致した必要な苦労というものがあると思います。こういった必要な苦労に対してよく運動部などにある上級生の下級生に対するしごき、たとえば野球部における球拾いとか下級生は更衣室を使えないとか(私の実体験)、それぞれのスポーツ技術の向上には全く関係ないと言える余計な苦労も、というかこっちの方が世の中ごくごく溢れかえっております。こういったしごきについてよく指導者や上級生は上下関係を教えたり忍耐力をつけさせるために必要だと主張しますが、では目的に合った苦労では忍耐力はつかないのかと私は逆に問いたいです。
大学の受験勉強然り、長時間の走りこみ然り、言うは簡単ですがこれらをこなすとなるとなかなか大変な苦労で、実行にあたりそこそこの忍耐力が要求されます。しかも先ほどの運動部によるしごきと比べてこれらの必要な苦労はそれぞれの目的に対して学力の向上、体力の向上といった付帯効果があり、その上で私はちゃんと続けることで忍耐力も共に鍛えられるのではないかと思います。忍耐力がどちらでも鍛えられるのであれば、しごきといった余計な苦労はせずに必要な苦労を率先してやっていった方がずっと効率的ではないでしょうか。
私は何も、なんでも苦労を避けて楽な道を選ぶべきだと言うつもりはさらさらありません。きちんと目的を持ち、その目的を達成するために必要な苦労はどんどんとやるべきである一方、その目的達成に対して何の関係もない苦労はやらないに越したことはない、むしろ時間の無駄となるのでそういった余計な苦労は避けた方がいいと私は主張したいのです。
そうは言っても世の中理不尽なことが多いのでそういったことに耐性をつけるためにもある程度は余計な苦労もしておく必要があるのではないかと言われる方もいるかもしれませんが、私はそのような理不尽に対する耐性は必要な苦労でも得られると思いますし、そもそも理不尽に対して何でもかんでも黙っているのもまた問題な気がします。その理不尽を甘受せずに環境を変えるなり対策を行う方がずっと前進的でしょう。ま、多少の我慢はもちろん必要ですが。
私はこのところ自分を取り巻く環境に対し、今自分が負担に感じている苦労は必要な苦労なのか余計な苦労なのかとよく考えています。もちろん必要な苦労だと思えば心情的にも軽くなるし頑張ろうという気持ちも持てますが、余計な苦労だと一体何のために我慢しているのかと考えれば考えるほど余計に辛くなってきます。ただ単に自分が未熟で必要な苦労か余計な苦労か判別も出来ないのかもと思う一方、先ほどの「新人料理人は数年間は皿洗い」など、世の中では一般化されていたとしても明らかに余計だとわかるものははっきりわかる気がします。
何でもかんでも人生思い通りに行くわけではないので多少のことはもちろん我慢するべきです。しかしあまりにも余計過ぎる苦労は周囲から非難を受けるとしてもやはり避けるべきで、きちんと目的を持って必要な苦労を求めていくことが我慢強いとされる日本人に必要なのではないかというのが、今日の結論です。
おまけ
今回の記事内容について先に友人と相談をしたのですが、その友人とはある苦労を共有しておりました。我々が通った大学の一、二回生時キャンパスは辺鄙な田舎にあり、我々二人はそのキャンパス近くに下宿を借りて住んでいたものの本当にシャレにならないくらいの場所の上に中途半端に都会に近いもんだから精神病を起こす学生もいるほどで、ご多分に洩れず我々二人も入学当初にすぐ五月病をリアルに発祥するなど苦労をしたのですがその時の体験について、
花園「あそこでの生活は確かに辛かったけど、今となれば『必要な苦労』だったかな( ´ー`)」
友人「いや、僕にとっては『余計な苦労』以外の何者でもなかった(´д`)」
と、見事に意見が割れました。この後もお互いに『必要な苦労』と『余計な苦労』とこの二つの言葉を使い分けてあれこれ愚痴を言い合いましたが、「社内のお局対応は『余計な苦労』だ」、「あの上司の指導は厳しいが、『必要な苦労』だった」など、使ってて意外に便利な言葉だと思いました。
おまけ2
三日ぶりの更新ですが見事四千字を越える長文、書いててものすごく気持ちよかったです。やっぱり定期的に文章書かないと自分は駄目ですね( ´Д`)
2011年2月15日火曜日
小沢氏の党員資格停止について
・「党員資格停止」を議決=反対論押し切る―民主常任幹事会(時事通信)
昨日一昨日と力の入った記事を連日投下したので、今日はさらりと流せるニュース解説です。
ようやくこの問題に一つの目処がついたというべきか、上記リンク先のニュースで書かれている通りに強制起訴された民主党の小沢氏に対して本日民主党幹事会は裁判が確定するまで党員資格停止するという決議を行いました。この決定に対する私の意見は、まぁ当然といえば当然だけどこれまでの対処期間を考えるとやや決断が遅かったかなといったところです。
小沢氏に対する評価は色々ありますが、先日産経のニュースにてやや高所ぶった目線で書かれていましたがこんな記事がありました。その記者がタクシーに乗った際に政治ついて運転手と会話したというのですが、そのタクシー運転手はこんな世の中だからこそ豪腕の小沢氏が政治を主導した方が何か変わるのではというものの、その記者は小沢氏は豪腕とよく言われるもののこれまでの日本の政治史において何か政策を主導したことはなく、また具体的な政策目標を何も持ってないとしてそのタクシー運転手の意見を否定したというないようです。
この記事の内容が、小沢氏についてよく言い表していると私は思います。小沢氏は確かに細川連立内閣を作って55年体制に終止符を打つのを主導したことは間違いなく、またその後の小選挙区比例代表制制への以降も彼の強い希望で行われました。この二つを功績と取るならば確かに功績ですが、しかしその後の彼の政治キャリアはというとただ政党を作っては壊し、無駄に日本の政権を不安定にさせてきただけとしか私には思えません。しかも何故政党を何度も壊し続けたのかというとこれも、どう見ても彼が主導して実現した政党交付金制度を悪用して私服を肥やすためでしかないでしょう。
特に一番罪業が重いというか、公明党とともに連立を組んでいた小渕政権時に自民党の立場が苦しい時期を見計らって無理難題を吹っかけ、要求が通らないとわかるや連立を離脱したことです。実質このときのショックが引き金となって小渕元首相は脳梗塞を起こして死去しており、政治に駆け引きは必要だとは思いますが不必要な要求のために無駄に権力を不安定化させた小沢氏の行動には疑問を持ちます。
とはいえ今回のこの民主党の決議にてようやく小沢騒動もひと段落しそうです。民主党内の小沢派が反旗を翻して分裂するとも言われておりますが、マルチ商法の親玉である山岡氏はともかく日教組のドンである輿石氏は意外にも早くに見限って菅首相や岡田幹事長側に寄って行っていますので、小沢派の動きはそれほど大きな影響は及ぼさないと思います。どうせすでに参院で過半数割ってるんだし。
本来ならば小沢氏の強制起訴が決まった段階ですぐにこれくらいの処分は行うべきといえばそうなのですが、曲がりなりにもシンパが多い人なので時間がかかったのはしょうがないのかもしれません。願うことならこれに続いて、勝手にしゃしゃり出ては北方領土などに関して問題発言を繰り返している鳩山前首相も処分してもらいたいのですが。
あと本件と関係のないニュースですが、ちょっと驚いたというか思うところがあるニュースがあります。
・中国の米10%がカドミウム汚染、イタイイタイ病発生(サーチナ)
内容は中国のお米の10%はあの四台公害病の一つであるイタイイタイ病を引き起こすカドミウムに汚染されているという、実際に中国で生活している私からするとちょっと気が気でないニュースなのですが、実はこのニュースは昨日の中国版Yahooにて載っていたニュースです。たまたま自分も読んでて翻訳してブログで取り上げて見ようかとも思っていたのですが、先を越されたというかまるまんま翻訳しただけのニュース記事に、あまりケチをつけるべきではないと思うもののなにやら釈然としないものをちょっと感じました。
ちなみに元記事では「イタイイタイ病」のことをそのまま「痛痛病」と書かれており、多くの患者から聞かれる悲鳴から当時の医師が名づけたという由来もきちんと紹介されてます。またその中国の村の土壌が何故カドミウムに汚染されているのかというと、近くに鉱山があってその発掘の際に出る泥などが川を経由して汚染されているのではと書かれていました。よその村から来た女性が言うには、昔からその村にはあまり嫁に来たがる人はいなかったと言うほど曰く付きの土地だそうで、収穫物を国が徴収していた時代(人民公社時代?)もその村は免除されていたとまでいうほどブラックな土地だそうです。
昨日一昨日と力の入った記事を連日投下したので、今日はさらりと流せるニュース解説です。
ようやくこの問題に一つの目処がついたというべきか、上記リンク先のニュースで書かれている通りに強制起訴された民主党の小沢氏に対して本日民主党幹事会は裁判が確定するまで党員資格停止するという決議を行いました。この決定に対する私の意見は、まぁ当然といえば当然だけどこれまでの対処期間を考えるとやや決断が遅かったかなといったところです。
小沢氏に対する評価は色々ありますが、先日産経のニュースにてやや高所ぶった目線で書かれていましたがこんな記事がありました。その記者がタクシーに乗った際に政治ついて運転手と会話したというのですが、そのタクシー運転手はこんな世の中だからこそ豪腕の小沢氏が政治を主導した方が何か変わるのではというものの、その記者は小沢氏は豪腕とよく言われるもののこれまでの日本の政治史において何か政策を主導したことはなく、また具体的な政策目標を何も持ってないとしてそのタクシー運転手の意見を否定したというないようです。
この記事の内容が、小沢氏についてよく言い表していると私は思います。小沢氏は確かに細川連立内閣を作って55年体制に終止符を打つのを主導したことは間違いなく、またその後の小選挙区比例代表制制への以降も彼の強い希望で行われました。この二つを功績と取るならば確かに功績ですが、しかしその後の彼の政治キャリアはというとただ政党を作っては壊し、無駄に日本の政権を不安定にさせてきただけとしか私には思えません。しかも何故政党を何度も壊し続けたのかというとこれも、どう見ても彼が主導して実現した政党交付金制度を悪用して私服を肥やすためでしかないでしょう。
特に一番罪業が重いというか、公明党とともに連立を組んでいた小渕政権時に自民党の立場が苦しい時期を見計らって無理難題を吹っかけ、要求が通らないとわかるや連立を離脱したことです。実質このときのショックが引き金となって小渕元首相は脳梗塞を起こして死去しており、政治に駆け引きは必要だとは思いますが不必要な要求のために無駄に権力を不安定化させた小沢氏の行動には疑問を持ちます。
とはいえ今回のこの民主党の決議にてようやく小沢騒動もひと段落しそうです。民主党内の小沢派が反旗を翻して分裂するとも言われておりますが、マルチ商法の親玉である山岡氏はともかく日教組のドンである輿石氏は意外にも早くに見限って菅首相や岡田幹事長側に寄って行っていますので、小沢派の動きはそれほど大きな影響は及ぼさないと思います。どうせすでに参院で過半数割ってるんだし。
本来ならば小沢氏の強制起訴が決まった段階ですぐにこれくらいの処分は行うべきといえばそうなのですが、曲がりなりにもシンパが多い人なので時間がかかったのはしょうがないのかもしれません。願うことならこれに続いて、勝手にしゃしゃり出ては北方領土などに関して問題発言を繰り返している鳩山前首相も処分してもらいたいのですが。
あと本件と関係のないニュースですが、ちょっと驚いたというか思うところがあるニュースがあります。
・中国の米10%がカドミウム汚染、イタイイタイ病発生(サーチナ)
内容は中国のお米の10%はあの四台公害病の一つであるイタイイタイ病を引き起こすカドミウムに汚染されているという、実際に中国で生活している私からするとちょっと気が気でないニュースなのですが、実はこのニュースは昨日の中国版Yahooにて載っていたニュースです。たまたま自分も読んでて翻訳してブログで取り上げて見ようかとも思っていたのですが、先を越されたというかまるまんま翻訳しただけのニュース記事に、あまりケチをつけるべきではないと思うもののなにやら釈然としないものをちょっと感じました。
ちなみに元記事では「イタイイタイ病」のことをそのまま「痛痛病」と書かれており、多くの患者から聞かれる悲鳴から当時の医師が名づけたという由来もきちんと紹介されてます。またその中国の村の土壌が何故カドミウムに汚染されているのかというと、近くに鉱山があってその発掘の際に出る泥などが川を経由して汚染されているのではと書かれていました。よその村から来た女性が言うには、昔からその村にはあまり嫁に来たがる人はいなかったと言うほど曰く付きの土地だそうで、収穫物を国が徴収していた時代(人民公社時代?)もその村は免除されていたとまでいうほどブラックな土地だそうです。
2011年2月14日月曜日
TPPに日本は加盟すべきか 後編
昨日の前編に引き続きTPP関連の記事です。昨日は主にTPP加盟反対派が強く主張する日本の農業保護を中心に解説した上で私はTPPと農業はこの際一緒に考えるべきではなく、むしろTPPに限らずもっと攻めの農業を考えていかねばならないと主張しました。しかしだからといってTPPに加盟をするべきというわけではなく、現段階ではもっと多方面に渡って議論を行ってTPPに加盟する価値について全体で考えていくべきだという立場だと説明しました。今日は何故私がTPPに対してこのような慎重な立場を取るのかということについて書いていきます。
まず単純に、何故TPPに加盟する必要があるのかという点でいくらか疑問を感じます。菅首相を始めとして肯定派の人々が決まって主張する理由は、「今加盟しなければ日本は取り残される」という、どちらかといえば消極的な理由ばかりです。もう少し具体的に書くと日本はリーマンショックから未だに不況が続いていますが隣国韓国は自由貿易を推進して目覚しく躍進しているとして、今ここでTPPに加盟して日本も自由貿易化を進めなければ中国の躍進といい、グローバル化に遅れてずるずると衰退を続けてしまうというシナリオをこの手の議論でよく見かけます。
しかしこうした肯定派の意見に対して反対派の代表的論客である中野剛志氏を始めとした方々からは、TPPに加盟しなければ日本が取り残されるという意見は間違いだという意見が出されており私もこれに同感します。まず先ほどの韓国との比較ではさも日本が自由貿易化に遅れているような印象を与えますが、実際のところ日本は農業を除くと世界的にも関税が低い国で、EUなどと比べるとよっぽど自由貿易国家であります。私も貿易事務をしていた時代に何度か経験しましたがヨーロッパから物を輸入する際には消費税にやられ、輸出する際は関税にやられて商品価格がけたたましく上がるのには面食らいました。
また韓国は自由貿易を行っているから景気がいいというわけでなく、これも私に限らず多数の方々が指摘しておりますが今の韓国の好景気はウォン安という為替効果以外の何者でもなく、それは逆に日本の不景気は円高以外の何者でもないということです。TPPに加盟しなければ経済は停滞したままと肯定派は主張しますが、仮に加盟したところで現在の円高が解消されない限りは何も変わらないと私も断言します。ではTPPに加盟すれば為替は動くのかといえばこれも結びつく理由は見当たらず、何かすれば都合よく物事が動くなんて信じるのは馬鹿の妄想に尽きるでしょう。
さらに外交上の観点からも今加盟しておかねば東南アジア諸国の中で孤立する恐れがあるという意見もあり、私の見たところ菅首相はこの意見に一番ほだかされてやけにTPPを推進していると思えますが、これも正直なところ疑問です。現時点において東南アジア地域で影響力が強いのは言うまでもなく日中韓の三カ国ですが日本を除く中国や韓国は今のところTPPに加盟するそぶりは見せておらず、この論法で行くのなら中国や韓国は東南アジアの中で孤立していくはずです。また自由貿易によって東南アジア地域との結びつきを強くして経済的連携を強めるべきだという意見も見えますがすでにTPPに加盟している四カ国は経済規模もそれほど大きくなく、さすがに中国やインドみたいに馬鹿でかい人口を抱えていれば話は別ですが、経済的連携を強めたところで得られるメリットというものはほとんど見えてきません。
もちろん現在ベトナムやオーストラリアなどの国々も参加を議論しており将来的にはまだわかりませんが、ほかの国がやっているから日本もというのは昔からの悪い癖で、よそはよそでうちはうちなのですからしっかりとメリットとデメリットを計算した上で参加は決めるべきでしょう。少なくとも、「ほかの国が入るから……」という理由だけで参加を考えるというのは大きな間違いです。日独伊三国軍事同盟もそんな感じだったし。
そして一番肝心な点が、TPPに加盟して日本は輸出を増やすことが出来るかです。これに関しては現時点で私はほとんど増えないと考えております。
前回の記事でも書いたようにもしTPPに日本とアメリカが加盟した場合はこの二カ国で生産高の九割を占めることになるため、この輸出について考える場合もやはりアメリカを相手に見なければなりません。これはいろんなところで引用されているので試しに私も引用して見ますが、日米間の関税で大きなものといったら日本の農作物に対する関税とアメリカのトラック車に対する関税です。アメリカは海外からのトラック車の輸入に対して25%の関税をかけており普通乗用車の5%と比べると確かに高い印象がありますが、それ以外となると自由の国というだけあってアメリカの関税は日本以上にどれも低いです。また件のトラック車においても日本の自動車会社はどこも米国工場を持っており、現地生産してしまえば関税どころか輸送費用もいらないためトラック車の25%という関税がなくなるからといって何か日本の自動車会社に影響があるかといったらはなはだ疑問です。
このように私は現時点でTPPに対するメリットをあまり感じません。逆にデメリットについて言えば関税がなくなることでいくつかの部門で安い商品が入り、さらにデフレが悪化する可能性が挙げられます。
だからといって私はTPPをすべて否定するわけでなく長期的な視点で考えれば大きな経済圏を作り、発展途上国の成長も織り込んで自由貿易は徐々に進めていくべきだと考えています。ただ現時点で日本は円高不況の上にデフレも抱えているため、もう少し体調を整えた上で目指すべき方向をしっかりと定めてからこういったものに参加するべきだと考えており、議論を深めないままほかの国に乗り遅れるなとばかりに急いで参加しようとするのはたとえ鈍亀と罵られるようとも反対です。
本音を言えば私はTPPよりもEUに参加し、アジアの中のヨーロッパの尖兵として周りから集中砲火を食らおうとも独自性の強い国として日本はやっていく方が面白いんじゃないかと考えています。ただどうもEUは日本を目の敵にしているところがあるのかこうした議論に対して一蹴に付すところがあり、血は水より濃いわけじゃないですが腐ってもEUはアジアを受け入れないかと見ていて実現性は低いと思っています。
そんなEUもリーマンショック前はユーロの導入など割と順調にやって来れていましたが、リーマンショック後のアイスランドやギリシャの金融危機を受けてでかけりゃなんでもいいというわけじゃないんだなという証明をしてくれました。TPPもこういう点で、うかつに参加したばかりに余計な荷物を抱えないよう、日本はしっかりと議論を深めて考えていくべきでしょう。
参考サイト
・慶応大学教授・竹中平蔵 TPP参加で政権公約も見直せ(産経新聞)
・中野剛志:TPPはトロイの木馬──関税自主権を失った日本は内側から滅びる(ニュース・スパイラル)
まず単純に、何故TPPに加盟する必要があるのかという点でいくらか疑問を感じます。菅首相を始めとして肯定派の人々が決まって主張する理由は、「今加盟しなければ日本は取り残される」という、どちらかといえば消極的な理由ばかりです。もう少し具体的に書くと日本はリーマンショックから未だに不況が続いていますが隣国韓国は自由貿易を推進して目覚しく躍進しているとして、今ここでTPPに加盟して日本も自由貿易化を進めなければ中国の躍進といい、グローバル化に遅れてずるずると衰退を続けてしまうというシナリオをこの手の議論でよく見かけます。
しかしこうした肯定派の意見に対して反対派の代表的論客である中野剛志氏を始めとした方々からは、TPPに加盟しなければ日本が取り残されるという意見は間違いだという意見が出されており私もこれに同感します。まず先ほどの韓国との比較ではさも日本が自由貿易化に遅れているような印象を与えますが、実際のところ日本は農業を除くと世界的にも関税が低い国で、EUなどと比べるとよっぽど自由貿易国家であります。私も貿易事務をしていた時代に何度か経験しましたがヨーロッパから物を輸入する際には消費税にやられ、輸出する際は関税にやられて商品価格がけたたましく上がるのには面食らいました。
また韓国は自由貿易を行っているから景気がいいというわけでなく、これも私に限らず多数の方々が指摘しておりますが今の韓国の好景気はウォン安という為替効果以外の何者でもなく、それは逆に日本の不景気は円高以外の何者でもないということです。TPPに加盟しなければ経済は停滞したままと肯定派は主張しますが、仮に加盟したところで現在の円高が解消されない限りは何も変わらないと私も断言します。ではTPPに加盟すれば為替は動くのかといえばこれも結びつく理由は見当たらず、何かすれば都合よく物事が動くなんて信じるのは馬鹿の妄想に尽きるでしょう。
さらに外交上の観点からも今加盟しておかねば東南アジア諸国の中で孤立する恐れがあるという意見もあり、私の見たところ菅首相はこの意見に一番ほだかされてやけにTPPを推進していると思えますが、これも正直なところ疑問です。現時点において東南アジア地域で影響力が強いのは言うまでもなく日中韓の三カ国ですが日本を除く中国や韓国は今のところTPPに加盟するそぶりは見せておらず、この論法で行くのなら中国や韓国は東南アジアの中で孤立していくはずです。また自由貿易によって東南アジア地域との結びつきを強くして経済的連携を強めるべきだという意見も見えますがすでにTPPに加盟している四カ国は経済規模もそれほど大きくなく、さすがに中国やインドみたいに馬鹿でかい人口を抱えていれば話は別ですが、経済的連携を強めたところで得られるメリットというものはほとんど見えてきません。
もちろん現在ベトナムやオーストラリアなどの国々も参加を議論しており将来的にはまだわかりませんが、ほかの国がやっているから日本もというのは昔からの悪い癖で、よそはよそでうちはうちなのですからしっかりとメリットとデメリットを計算した上で参加は決めるべきでしょう。少なくとも、「ほかの国が入るから……」という理由だけで参加を考えるというのは大きな間違いです。日独伊三国軍事同盟もそんな感じだったし。
そして一番肝心な点が、TPPに加盟して日本は輸出を増やすことが出来るかです。これに関しては現時点で私はほとんど増えないと考えております。
前回の記事でも書いたようにもしTPPに日本とアメリカが加盟した場合はこの二カ国で生産高の九割を占めることになるため、この輸出について考える場合もやはりアメリカを相手に見なければなりません。これはいろんなところで引用されているので試しに私も引用して見ますが、日米間の関税で大きなものといったら日本の農作物に対する関税とアメリカのトラック車に対する関税です。アメリカは海外からのトラック車の輸入に対して25%の関税をかけており普通乗用車の5%と比べると確かに高い印象がありますが、それ以外となると自由の国というだけあってアメリカの関税は日本以上にどれも低いです。また件のトラック車においても日本の自動車会社はどこも米国工場を持っており、現地生産してしまえば関税どころか輸送費用もいらないためトラック車の25%という関税がなくなるからといって何か日本の自動車会社に影響があるかといったらはなはだ疑問です。
このように私は現時点でTPPに対するメリットをあまり感じません。逆にデメリットについて言えば関税がなくなることでいくつかの部門で安い商品が入り、さらにデフレが悪化する可能性が挙げられます。
だからといって私はTPPをすべて否定するわけでなく長期的な視点で考えれば大きな経済圏を作り、発展途上国の成長も織り込んで自由貿易は徐々に進めていくべきだと考えています。ただ現時点で日本は円高不況の上にデフレも抱えているため、もう少し体調を整えた上で目指すべき方向をしっかりと定めてからこういったものに参加するべきだと考えており、議論を深めないままほかの国に乗り遅れるなとばかりに急いで参加しようとするのはたとえ鈍亀と罵られるようとも反対です。
本音を言えば私はTPPよりもEUに参加し、アジアの中のヨーロッパの尖兵として周りから集中砲火を食らおうとも独自性の強い国として日本はやっていく方が面白いんじゃないかと考えています。ただどうもEUは日本を目の敵にしているところがあるのかこうした議論に対して一蹴に付すところがあり、血は水より濃いわけじゃないですが腐ってもEUはアジアを受け入れないかと見ていて実現性は低いと思っています。
そんなEUもリーマンショック前はユーロの導入など割と順調にやって来れていましたが、リーマンショック後のアイスランドやギリシャの金融危機を受けてでかけりゃなんでもいいというわけじゃないんだなという証明をしてくれました。TPPもこういう点で、うかつに参加したばかりに余計な荷物を抱えないよう、日本はしっかりと議論を深めて考えていくべきでしょう。
参考サイト
・慶応大学教授・竹中平蔵 TPP参加で政権公約も見直せ(産経新聞)
・中野剛志:TPPはトロイの木馬──関税自主権を失った日本は内側から滅びる(ニュース・スパイラル)
2011年2月13日日曜日
TPPに日本は加盟すべきか 前編
先日に来た友人からのメールに今の日本は大相撲の八百長問題とTPPのことばかりと書かれてあったので、ちょっと今日は調べる時間もあったのでTPPについて私の意見を紹介しようと思います。
・環太平洋戦略的経済連携協定(Wikipedia)
このTPPの正式名称は「Trans-Pacific Partnership」で、日本語だと「環太平洋戦略的経済連携協定」になります。この協定は2006年にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドで結ばれたもので、協定締結国内同士では原則関税をすべて撤廃して自由貿易を行うという内容です。一体何故このTPPが急に日本で取りざたされるようになったのかというと去年頃からこのTPPの締結国拡大議論にアメリカが参加するようになり、それに対して日本の菅首相が十月の会見にて参加を目指す方針を述べたことから各業界入り乱れての議論となったようです。すでにあちこちのサイトやニュースにても報道されておりますが、仮に日本やアメリカが参加するとなるとTPP内の総生産高はこの二カ国が九割を占めることになるため、この議論は実質日米のFTA(自由貿易協定)議論であると指摘されております。
そういうわけでTPPとはアメリカと自由貿易協定を結ぶかどうかという話になるのですが、結論から言うと私はまだ時期尚早で、将来的にはともかく今急いで加盟するべきではなくもっと多方面で議論を重ねた上で決断するべきだという立場を取ります。
まずこのTPPで一番槍玉に上がっているのは農業です。自由貿易をするとなるとアメリカ産を始めとした安価の農作物が日本に大量に入り込んで日本の農業は衰退を超えて絶滅すると農林水産省を始めとした各団体が主張していますが、率直に言ってこの意見は逆にどうかと私は思います。
一体何故そう思うのかというとそもそも高い関税障壁の上に税金の保護を行っている現時点でも日本の農業は年々衰退しており、TPPに参加しなくてもこのまま行けば結局駄目になるのがはっきり目に見えているからです。簡単に調べたところ米には700%もの関税がかけられていますがそれでも農家は減少の一途を辿っており、さらに国は減反政策まで取って自ら減らそうとしている始末です。
確かにTPPで関税がなくなることで大豆(自給率6%)を始めとしたいくつかの品種については国産農家はさら苦しむことになるかもしれませんが、現在農業が衰退している一番大きな原因は現金収入が少なく生計が立て辛いからです。何故収入が少ないのかといえば米が作りすぎてあまってしまうほどそれを食べる人間がいない、つまりは販路がないということや、日本産の作物だと価格が高すぎて市場で売れないなどありますが、その一方できちんと黒字を出している農業法人なども確かに存在します。そういった黒字を出している農業法人からすれば自由貿易による国内価格低下で痛手を被る可能性もありますがその一方でTPPは世界に販路を持つチャンスにもなり、どうせ失うものなどほとんどないのだから挑戦するだけしてみた方がかえって日本の農業振興にはよいのではないかという気がします。
また外国産の流入によって自給率が下がって大変になるという意見もよく聞きますが、これついても以前に書いた「書評:日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」の記事の中でも引用しているように、そもそもの日本の自給率の捉え方、対策が問題で、このTPPの議論以前の問題でしょう。
さらに穀物に限れば仮に安い外国産が入ってきたとしても私はあまり影響はないのではないかと見ています。そう思うのもかつて冷害でミニマムアクセスとしてタイ米が一時出回った時の体験で、やはりお米については高かろうとも国産を食べ続けたいと小学生ながら当時は心底思いました。またこうして海外で生活していてもやはり日本産の米が欲しいといつも思え、多分10キロ5000円であろうとも売っていたら私は間違いなく買います。特にいろいろと問題が起こっている中国にいるだけに……。
元々、日本人は食にはやけにうるさい民族です。かつての米国でのBSE騒動の際も同じ日本人でありながらどうしてここまで拘るのだろうかと思うくらいの反発を見せましたし、食料ナショナリストとでも言うべきか、穀物に限らなくとも安いからといってそうそう外国産を信用することがなく簡単に乗り換えるようなことはないんじゃないかと思います。
ただ唯一の懸念としては価格の安さから外食産業が外国産を仕入れるようになるというケースが考えられますが、これの対抗策として前もって「全国産使用販売店」などといったお墨付きや臨検を行うことで国産食材使用店のブランドイメージを意図的に高めるような手を使うのもありなんじゃないかと思います。まぁ吉野家は米国産牛肉使用しているから、関税がなくなればますます価格が下がるだろうけど。
その上で日本は水や南北に長く伸びた国土といった農業上の利点がありますが、耕作可能面積が狭いという難点があります。それゆえに無理にどの作物についても何でもかんでも無理に自給しようとするのではなく、工業についても最近はこの流れですが農業は少量高品質生産を中心に行い、世界で購買力のある層へ販売していくという戦略をとる方が現実的です。元々日本一国で今の人口を全員食べさせるだけ耕地はないのだし、それならば農業を如何に産業として育てていくかという視点でこのTPPを考えていくべきでしょう。
幸いにも近年の日本食ブームで日本でしかほとんど消費されない食材を世界で販売するチャンスは増えてきております。また今の日本人もそうですが食というものは一回おいしいものを食べてしまうとなかなかそれより味の劣る同じ食材を選びづらくなる所があるので、日本の高品質で味のよい食材を日本食ブームに乗って口にさせて二度とほかの食材を口に出来なくさせてしまえば日本の農業としてはしめたものです。なんか麻薬の売り方みたいだけど。
こんな具合で私はこのTPPを考える上では農業保護はあまり考えなくともよいのではないかと考えています。むしろTPPによって日本の農業は発展する可能性もあるので、こと農業については私は加盟を検討すべきだと思います。
現在農業保護を理由にTPP加盟に反対しているのは農水省と全農ことJAですが、私はこれまでこの二組織が日本の農業に対して何をやってきたのかという点で疑問を持っており、特にJAについてその運営から世界的にもあまりに高い日本の農作物流通コストを考えると日本の農業を駄目にしている張本人ではないかとすら疑っています。なんか聞くところによると、市場価格の十分の一程度しか生産者の手元には来ないというくらいだし。
・落選させようTPP反対派議員-関税で農業は救えない!!(アゴラ)
中には上記リンク先の北村氏のように結構激しい意見を言う方もいますが、農業についてはもっといろいろな意見を議論させて見る必要があるものの現時点では農水省の言い分を私は信用しません。
ではそれにもかかわらず何故今回のTPPについて慎重にするべきだと最初に言ったのは、実はTPPによって好影響があるといわれている工業方面において疑問があるからです。すでに大分長いので、続きはまた次回にて。
それにしても狙ったわけじゃありませんが、リンク相手のリュウマの独り言さんと見事に記事内容がTPPでかぶってしまいました。なんていうか街中で同じTシャツを着た人に会ってしまったような気まずさですが、これはこれで参考になったりお互いに意見を見比べあったり出来るので歓迎しようと思います。リュウマの独り言さんのところでもTPPについていろいろ書かれているので、もしよければこちらも一緒にご閲覧をお願いします。
参考サイト
・のらくり
・環太平洋戦略的経済連携協定(Wikipedia)
このTPPの正式名称は「Trans-Pacific Partnership」で、日本語だと「環太平洋戦略的経済連携協定」になります。この協定は2006年にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドで結ばれたもので、協定締結国内同士では原則関税をすべて撤廃して自由貿易を行うという内容です。一体何故このTPPが急に日本で取りざたされるようになったのかというと去年頃からこのTPPの締結国拡大議論にアメリカが参加するようになり、それに対して日本の菅首相が十月の会見にて参加を目指す方針を述べたことから各業界入り乱れての議論となったようです。すでにあちこちのサイトやニュースにても報道されておりますが、仮に日本やアメリカが参加するとなるとTPP内の総生産高はこの二カ国が九割を占めることになるため、この議論は実質日米のFTA(自由貿易協定)議論であると指摘されております。
そういうわけでTPPとはアメリカと自由貿易協定を結ぶかどうかという話になるのですが、結論から言うと私はまだ時期尚早で、将来的にはともかく今急いで加盟するべきではなくもっと多方面で議論を重ねた上で決断するべきだという立場を取ります。
まずこのTPPで一番槍玉に上がっているのは農業です。自由貿易をするとなるとアメリカ産を始めとした安価の農作物が日本に大量に入り込んで日本の農業は衰退を超えて絶滅すると農林水産省を始めとした各団体が主張していますが、率直に言ってこの意見は逆にどうかと私は思います。
一体何故そう思うのかというとそもそも高い関税障壁の上に税金の保護を行っている現時点でも日本の農業は年々衰退しており、TPPに参加しなくてもこのまま行けば結局駄目になるのがはっきり目に見えているからです。簡単に調べたところ米には700%もの関税がかけられていますがそれでも農家は減少の一途を辿っており、さらに国は減反政策まで取って自ら減らそうとしている始末です。
確かにTPPで関税がなくなることで大豆(自給率6%)を始めとしたいくつかの品種については国産農家はさら苦しむことになるかもしれませんが、現在農業が衰退している一番大きな原因は現金収入が少なく生計が立て辛いからです。何故収入が少ないのかといえば米が作りすぎてあまってしまうほどそれを食べる人間がいない、つまりは販路がないということや、日本産の作物だと価格が高すぎて市場で売れないなどありますが、その一方できちんと黒字を出している農業法人なども確かに存在します。そういった黒字を出している農業法人からすれば自由貿易による国内価格低下で痛手を被る可能性もありますがその一方でTPPは世界に販路を持つチャンスにもなり、どうせ失うものなどほとんどないのだから挑戦するだけしてみた方がかえって日本の農業振興にはよいのではないかという気がします。
また外国産の流入によって自給率が下がって大変になるという意見もよく聞きますが、これついても以前に書いた「書評:日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」の記事の中でも引用しているように、そもそもの日本の自給率の捉え方、対策が問題で、このTPPの議論以前の問題でしょう。
さらに穀物に限れば仮に安い外国産が入ってきたとしても私はあまり影響はないのではないかと見ています。そう思うのもかつて冷害でミニマムアクセスとしてタイ米が一時出回った時の体験で、やはりお米については高かろうとも国産を食べ続けたいと小学生ながら当時は心底思いました。またこうして海外で生活していてもやはり日本産の米が欲しいといつも思え、多分10キロ5000円であろうとも売っていたら私は間違いなく買います。特にいろいろと問題が起こっている中国にいるだけに……。
元々、日本人は食にはやけにうるさい民族です。かつての米国でのBSE騒動の際も同じ日本人でありながらどうしてここまで拘るのだろうかと思うくらいの反発を見せましたし、食料ナショナリストとでも言うべきか、穀物に限らなくとも安いからといってそうそう外国産を信用することがなく簡単に乗り換えるようなことはないんじゃないかと思います。
ただ唯一の懸念としては価格の安さから外食産業が外国産を仕入れるようになるというケースが考えられますが、これの対抗策として前もって「全国産使用販売店」などといったお墨付きや臨検を行うことで国産食材使用店のブランドイメージを意図的に高めるような手を使うのもありなんじゃないかと思います。まぁ吉野家は米国産牛肉使用しているから、関税がなくなればますます価格が下がるだろうけど。
その上で日本は水や南北に長く伸びた国土といった農業上の利点がありますが、耕作可能面積が狭いという難点があります。それゆえに無理にどの作物についても何でもかんでも無理に自給しようとするのではなく、工業についても最近はこの流れですが農業は少量高品質生産を中心に行い、世界で購買力のある層へ販売していくという戦略をとる方が現実的です。元々日本一国で今の人口を全員食べさせるだけ耕地はないのだし、それならば農業を如何に産業として育てていくかという視点でこのTPPを考えていくべきでしょう。
幸いにも近年の日本食ブームで日本でしかほとんど消費されない食材を世界で販売するチャンスは増えてきております。また今の日本人もそうですが食というものは一回おいしいものを食べてしまうとなかなかそれより味の劣る同じ食材を選びづらくなる所があるので、日本の高品質で味のよい食材を日本食ブームに乗って口にさせて二度とほかの食材を口に出来なくさせてしまえば日本の農業としてはしめたものです。なんか麻薬の売り方みたいだけど。
こんな具合で私はこのTPPを考える上では農業保護はあまり考えなくともよいのではないかと考えています。むしろTPPによって日本の農業は発展する可能性もあるので、こと農業については私は加盟を検討すべきだと思います。
現在農業保護を理由にTPP加盟に反対しているのは農水省と全農ことJAですが、私はこれまでこの二組織が日本の農業に対して何をやってきたのかという点で疑問を持っており、特にJAについてその運営から世界的にもあまりに高い日本の農作物流通コストを考えると日本の農業を駄目にしている張本人ではないかとすら疑っています。なんか聞くところによると、市場価格の十分の一程度しか生産者の手元には来ないというくらいだし。
・落選させようTPP反対派議員-関税で農業は救えない!!(アゴラ)
中には上記リンク先の北村氏のように結構激しい意見を言う方もいますが、農業についてはもっといろいろな意見を議論させて見る必要があるものの現時点では農水省の言い分を私は信用しません。
ではそれにもかかわらず何故今回のTPPについて慎重にするべきだと最初に言ったのは、実はTPPによって好影響があるといわれている工業方面において疑問があるからです。すでに大分長いので、続きはまた次回にて。
それにしても狙ったわけじゃありませんが、リンク相手のリュウマの独り言さんと見事に記事内容がTPPでかぶってしまいました。なんていうか街中で同じTシャツを着た人に会ってしまったような気まずさですが、これはこれで参考になったりお互いに意見を見比べあったり出来るので歓迎しようと思います。リュウマの独り言さんのところでもTPPについていろいろ書かれているので、もしよければこちらも一緒にご閲覧をお願いします。
参考サイト
・のらくり
2011年2月12日土曜日
戦争における殺人
通常、どの社会においても殺人行為は処罰の対象となります。これは法律とかそういうもので決められているからではなく生物は基本的にメスの奪い合いなどといった例外事態を除くと同属を殺害する際には強いストレスを感じるように出来ているので、いわば本能に根ざした禁止、自然法的な概念だと私は考えております。しかし人間社会において唯一殺人が奨励され、処罰がなされないのが戦争です。
国際法やら戦争法で決まっているのかどうかまではわかりませんが、基本的に戦争中における兵卒同士の殺人は処罰がなされないこととなっております。もちろん軍属が民間人を殺害した場合は軍法会議などで処罰対象となりますが、双方戦争を行うという合意に基づいての殺人は責任を問われないということになっているそうです。もっとも実際のところは太平洋戦争後のB、C級戦犯などのように戦勝国側に敗戦国側の兵士や仕官が一方的に裁かれることが多く、近年もイラク戦争でもあのアブグレイブ刑務所の捕虜虐待事件とかを見ているとやはりこういったことが行われているのではないかという気がします。
さてこの戦争における殺人ですが、どのように捉えるかは非常に難しいものです。上記のように捕虜や民間人を殺さないという戦争のルールに則っていれば許されるものなのか、それともいくら戦争とはいえ殺人は殺人として許すべきではないのか、人によって意見は様々です。中には日本の自衛隊が影響しているのか自衛戦争において侵略者を殺害するのであれば許されるという意見もたまに見受けられますが、これは戦争には正しい側と正しくない側が存在するという前提があっての意見になり、そうなると戦争に正義はあるのかという議論にまで色々と発展していきそうです。
先日元ライブドア社長の堀江氏がツイッターか何かで、「殺人は犯罪、しかし戦争で人を殺すのは無罪。両者にどんな違いがあるのか?」と書いたそうでなんか一部で議論となっていましたが、この意見を聞いて少し思い出した本があります。その本は加藤尚武氏による「戦争倫理学」という本で、よく人から「戦争に倫理もクソもあるかよ」とタイトルを教えるたびに言われるのですが、戦争という倫理が最も吐き捨てられる場所において最低限どのような概念を持つべきかという内容が書かれているのですが、読んではみたもののいかんせん個々の話がそれぞれ脈絡が少なく覚えている部分が少ないのが正直な感想です。
ただこの本の中で名指しで批判されていたのが「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり氏で、小林氏が自著の「戦争論」において、「戦争とは一種のカーニバルみたいなもので、平時は抑えられている欲望とかそういうものを一挙に開放する場所だ」というように描いた内容についてまさに上記の堀江氏のように加藤氏が、「そうだとすると戦争で殺された人間は平時に殺された人間と比べて運がなかったと言うしかないのか」と、同じ殺人として区分すべきというように批判をしていました。
実際のところ、この辺をどのように考えるかは非常に難しいです。戦争における殺人を平時における殺人のように個々に裁いていたらとてもじゃないですが裁判や補償が追いつくわけもなく、かといってそれを戦争だからで全部無視していいのか、また戦争を指示した国家が賠償なりに責任を持てばいいのか、考えてたらはっきり言ってこちらも切りがないです。
実際に「戦争」ということで殺人罪を許された例として、ここで挙げるべきかどうか少し悩みますが小野田寛郎氏の例があります。小野田市は終戦後も29年にわたってフィリピンにてゲリラ戦を行い、この間に現地の警察、米兵を殺害しておりますが、戦争中における行為としてフィリピン政府から特赦を受け帰国しております。
もちろん小野田氏は上官から命令された行為を行っていただけで今現在の日本でも起きている通り魔や強盗といった自己本位による殺人とは動機や目的において一線を画しますし、彼の過酷な潜伏体験を考えると私もとても責任を求める気にはなりません。ですが戦争での殺人ということで何でもかんでも特別視をすることは本当に正しいのか、それともこういうことを考えること自体が馬鹿馬鹿しいのかという点で悩みは尽きません。
名前は出しませんがこれは誰かが言っていた台詞で、国家に対して個人というものは非常に弱く、運命なぞ簡単に翻弄されてしまうといって特攻隊やインパール作戦の犠牲者の悲劇を語る人がいますが、戦争における殺人は個人単位ではなくやはり主体となる国家単位で考えるべきなのかもしれません。国家の殺人となると私の中で真っ先に思い浮かぶのはミドリ十字の薬害エイズ事件ですが、そのミドリ十字の設立者たちには731部隊の面々が関わっていることを考えると同じ殺人をする人間はまた同じ殺人をするのかと考えさせられます。
国際法やら戦争法で決まっているのかどうかまではわかりませんが、基本的に戦争中における兵卒同士の殺人は処罰がなされないこととなっております。もちろん軍属が民間人を殺害した場合は軍法会議などで処罰対象となりますが、双方戦争を行うという合意に基づいての殺人は責任を問われないということになっているそうです。もっとも実際のところは太平洋戦争後のB、C級戦犯などのように戦勝国側に敗戦国側の兵士や仕官が一方的に裁かれることが多く、近年もイラク戦争でもあのアブグレイブ刑務所の捕虜虐待事件とかを見ているとやはりこういったことが行われているのではないかという気がします。
さてこの戦争における殺人ですが、どのように捉えるかは非常に難しいものです。上記のように捕虜や民間人を殺さないという戦争のルールに則っていれば許されるものなのか、それともいくら戦争とはいえ殺人は殺人として許すべきではないのか、人によって意見は様々です。中には日本の自衛隊が影響しているのか自衛戦争において侵略者を殺害するのであれば許されるという意見もたまに見受けられますが、これは戦争には正しい側と正しくない側が存在するという前提があっての意見になり、そうなると戦争に正義はあるのかという議論にまで色々と発展していきそうです。
先日元ライブドア社長の堀江氏がツイッターか何かで、「殺人は犯罪、しかし戦争で人を殺すのは無罪。両者にどんな違いがあるのか?」と書いたそうでなんか一部で議論となっていましたが、この意見を聞いて少し思い出した本があります。その本は加藤尚武氏による「戦争倫理学」という本で、よく人から「戦争に倫理もクソもあるかよ」とタイトルを教えるたびに言われるのですが、戦争という倫理が最も吐き捨てられる場所において最低限どのような概念を持つべきかという内容が書かれているのですが、読んではみたもののいかんせん個々の話がそれぞれ脈絡が少なく覚えている部分が少ないのが正直な感想です。
ただこの本の中で名指しで批判されていたのが「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり氏で、小林氏が自著の「戦争論」において、「戦争とは一種のカーニバルみたいなもので、平時は抑えられている欲望とかそういうものを一挙に開放する場所だ」というように描いた内容についてまさに上記の堀江氏のように加藤氏が、「そうだとすると戦争で殺された人間は平時に殺された人間と比べて運がなかったと言うしかないのか」と、同じ殺人として区分すべきというように批判をしていました。
実際のところ、この辺をどのように考えるかは非常に難しいです。戦争における殺人を平時における殺人のように個々に裁いていたらとてもじゃないですが裁判や補償が追いつくわけもなく、かといってそれを戦争だからで全部無視していいのか、また戦争を指示した国家が賠償なりに責任を持てばいいのか、考えてたらはっきり言ってこちらも切りがないです。
実際に「戦争」ということで殺人罪を許された例として、ここで挙げるべきかどうか少し悩みますが小野田寛郎氏の例があります。小野田市は終戦後も29年にわたってフィリピンにてゲリラ戦を行い、この間に現地の警察、米兵を殺害しておりますが、戦争中における行為としてフィリピン政府から特赦を受け帰国しております。
もちろん小野田氏は上官から命令された行為を行っていただけで今現在の日本でも起きている通り魔や強盗といった自己本位による殺人とは動機や目的において一線を画しますし、彼の過酷な潜伏体験を考えると私もとても責任を求める気にはなりません。ですが戦争での殺人ということで何でもかんでも特別視をすることは本当に正しいのか、それともこういうことを考えること自体が馬鹿馬鹿しいのかという点で悩みは尽きません。
名前は出しませんがこれは誰かが言っていた台詞で、国家に対して個人というものは非常に弱く、運命なぞ簡単に翻弄されてしまうといって特攻隊やインパール作戦の犠牲者の悲劇を語る人がいますが、戦争における殺人は個人単位ではなくやはり主体となる国家単位で考えるべきなのかもしれません。国家の殺人となると私の中で真っ先に思い浮かぶのはミドリ十字の薬害エイズ事件ですが、そのミドリ十字の設立者たちには731部隊の面々が関わっていることを考えると同じ殺人をする人間はまた同じ殺人をするのかと考えさせられます。
2011年2月9日水曜日
財政再建には増税が必要なのか
今日もまたネットニュースにて国の借金が増え、国民一人当たりどれくらいの借金を担っているかというニュースが配信されていました。私が小学生の頃の日本の国債発行高は確か400兆円くらいでしたがあれよあれよという間に現在はすでにその時の額から二倍以上にまで膨れ上がり、現今においてこの借金をどう返すかという財政姿勢が主要な政治課題となりつつあります。
そんな財政再建議論において最前面にいる政治家を挙げるとするなら、それはほかでもなく与党民主党の代表である菅首相が挙がって来ます。菅首相は総理就任後の参議院選挙において消費税の増税を掲げ(批判されるやすぐ引っ込めたけど)て財政再建を強く訴えたことから、それ以前からもなかったわけではないですが俄然この問題が前面に出てきた感があり、そこで今日は財政再建に増税が必要かどうかを含め現況を整理するとともに問題提起を行おうかと思います。
まず菅首相の増税論については現状で数多くの批判がなされているのは事実です。理由はいくつかありますが主に財界からの批判としては増税を行うと消費が冷え込み、余計に経済が悪化して税収が落ちるというような批判がされておりますが、実際に97年に当時の橋本政権が消費税率を従来の3%から現在の5%に増税した際は増税したその年こそ税収は増加したもののすぐに景気が悪化し、二年後にはそれ以前より少ない税収となって「失われた十年」の最悪期を引き起こしたと現在でも指摘されております。
では財政再建のためには増税は行うべきではないのかということになってしまいますが、実は私は増税に対しては肯定派の立場を取ります。その理由としては現状でも予算が足らず国債を発行し続けているのに税収を増やさずしてどうしてプライマリーバランスを回復できるのかという考えと、日本の景気を回復させるためにもこうした財政再建を行うという強い姿勢を見せることが必要だと感じるからです。
そもそも何故現在の日本が不況なのかといえば、一つの大きな理由としてはやはり消費が低い水準のまま維持してデフレが続いているからです。では何故消費が少ないのかといえばいろいろ理由はありますが、その中でも将来の社会保障があまりにも不透明ゆえお金を使おうにも使えないということが特に大きな原因ではないかと私は考えております。
将来の社会保障というのは単純に年金や医療保障のことで、若い時分であればまだ働くことが出来るけれども老齢時にはただでさえ就職口がないだけに、自分の身は自分で守れとばかりに現在四十代から五十代の方々はうちの両親同様に老後の蓄えを一定度確保するのに執心しているかと思います。
もし仮に年金など将来の社会保障がしっかりとしていて国民も安心できるのであれば、壮年層もそこまでお金を貯めようとせずに使える時、まだ元気なうちに使ってしまおうと消費に回ってくる可能性があるとかねてから評論家などに言われております。私自身もこの意見に同感なのですが、現在そういった社会保障に何故信頼が置かれないのかといえば杜撰な年金管理はもとより将来基金が枯渇することが確実な欠陥制度に加え、それを担保する国の財政が借金漬けにあることなどが原因でしょう。
そのため確かに97年度の増税時には景気は悪化したものの現時点の増税は国民の側も多少は理解を示すようになっており、こうした将来への不安を多少なりとも和らげる効果があるのであれば私は当時ほどの景気悪化は招かずに税収は増加するのではないかと見ております。
しかし、だからといって私は現時点の菅首相の増税論については真っ向から反対です。先ほども述べた通りに私は増税には賛成ではありますが、菅首相の増税論は日本の借金を返すためというよりはマニフェストに掲げた子供手当てなどといった新たな政策を実行するための資金稼ぎにしかなっておらず、プライマリーバランスの回復にはほとんど寄与しないと断言してもいいです。また仮に増税を行って得た税収をすべて社会保障に回すとしても膨大な借金が残ったままでは福祉がいくら充実したところで国民はやはり安心感が持てず、壮年層の貯蓄傾向と若年層の年金離れは変わらないままでしょう。
ではどうすればいいかですが、ごくごく単純に増税しつつ支出を減らしていくという、徳川吉宗の享保の改革以来の方法を踏襲するよりほかはないでしょう。
これまでの財政再建議論は90年代においてはもっと国債を発行してお金を集め、そのお金で公共事業などを行って景気を回復させれば税収が増えて円満解決だという、まるでばくちで作った借金をばくちで取り返すというようなやり方でしたが、こんなの通用するわけもなく結局景気は回復しないまま余計に借金を増やしただけに終わりました。その後小泉政権において積極財政政策は否定され、「聖域を設けない」という言葉通りに社会保障費などドラスティックに削減した緊縮財政政策が行われましたが、恐らく最低限の支持率を確保するためでしょうがとうとう小泉政権は増税には踏み切りませんでした。
そして今度の菅政権では社会保障+αを増額する代わりに増税を行って財政再建をすると主張していますが、はっきり言いますが論理破綻もよいところです。本気で財政再建を行うというのであれば小泉元首相同様に聖域を設けずに支出を削減した上で増税しなければいけませんが、菅政権、というより民主党には下記のような聖域が明らかに存在します。
・議員定数
・公務員の人件費
・子供手当て
・外国人
・道路
小泉政権の頃も全く聖域がなかったわけではありませんが、それでも国土交通省関連の予算を大幅に削減するなど従来の常識では考えられない領域に手をつけたのは評価に値します。また小泉政権は社会保障を削減して復旧不可能な水準まで破壊したと私も当時に批判を行いましたが、今思うと本当にそれくらいのことをしなければ財政再建なんて夢のまた夢なのではないかと、たとえ現在が破壊されようとも未来に芽を残せるのであれば耐えなければならないのではとやや考え方が変わってきました。
ややもするとこの財政議論は増税か、支出削減かの二択で争われる傾向がありますが、私は最早待ったなしで増税もしつつ支出削減もしなければ財政再建など出来ないところまで来ているのではと考えています。もちろんこんなことしたら享保の改革時同様に不況がさらに悪化するかもしれませんが、私はもともとの不況の原因はデフレで、デフレを克服するためにはプライマリーバランスの回復が何よりも重要だと考えており、財政再建政策を執ることは一時的には大きなダメージを日本に残すかもしれませんが長期的な視野に立てば日本にとって最もよい道ではないかと見ております。
享保の改革時、巷にて一連の改革は確かに厳しいけれども後で効果が出てくるお灸のようなものだと思って我慢するしかない落首が流行ったそうです。人間誰しも痛い目や苦しい思いはしたくはありませんが、それが本当に将来につながるのであれば私は我慢をしてみようという覚悟があります。ほかの人まではわかりませんが。
追伸
つい以前まで増税はせずに緊縮財政、景気回復によって財政再建を主張する竹中平蔵氏を始めとした小泉改革のメンバーのことを「上げ潮派」と読んでましたが、なんだかいつの間にかこの言葉は死語になっていたような気がします。リーマンショック以降は景気回復なんて現実味がなくなったからかな。
追伸2
このところ自分でもしょうもないと思う記事ばかり書いてて悶々としてましたが、敢えて久々にややこしいテーマを選んで書いたところなかなか気持ちよかったです。人間、高いところ目指してそこに立ってないと駄目になりますね。
そんな財政再建議論において最前面にいる政治家を挙げるとするなら、それはほかでもなく与党民主党の代表である菅首相が挙がって来ます。菅首相は総理就任後の参議院選挙において消費税の増税を掲げ(批判されるやすぐ引っ込めたけど)て財政再建を強く訴えたことから、それ以前からもなかったわけではないですが俄然この問題が前面に出てきた感があり、そこで今日は財政再建に増税が必要かどうかを含め現況を整理するとともに問題提起を行おうかと思います。
まず菅首相の増税論については現状で数多くの批判がなされているのは事実です。理由はいくつかありますが主に財界からの批判としては増税を行うと消費が冷え込み、余計に経済が悪化して税収が落ちるというような批判がされておりますが、実際に97年に当時の橋本政権が消費税率を従来の3%から現在の5%に増税した際は増税したその年こそ税収は増加したもののすぐに景気が悪化し、二年後にはそれ以前より少ない税収となって「失われた十年」の最悪期を引き起こしたと現在でも指摘されております。
では財政再建のためには増税は行うべきではないのかということになってしまいますが、実は私は増税に対しては肯定派の立場を取ります。その理由としては現状でも予算が足らず国債を発行し続けているのに税収を増やさずしてどうしてプライマリーバランスを回復できるのかという考えと、日本の景気を回復させるためにもこうした財政再建を行うという強い姿勢を見せることが必要だと感じるからです。
そもそも何故現在の日本が不況なのかといえば、一つの大きな理由としてはやはり消費が低い水準のまま維持してデフレが続いているからです。では何故消費が少ないのかといえばいろいろ理由はありますが、その中でも将来の社会保障があまりにも不透明ゆえお金を使おうにも使えないということが特に大きな原因ではないかと私は考えております。
将来の社会保障というのは単純に年金や医療保障のことで、若い時分であればまだ働くことが出来るけれども老齢時にはただでさえ就職口がないだけに、自分の身は自分で守れとばかりに現在四十代から五十代の方々はうちの両親同様に老後の蓄えを一定度確保するのに執心しているかと思います。
もし仮に年金など将来の社会保障がしっかりとしていて国民も安心できるのであれば、壮年層もそこまでお金を貯めようとせずに使える時、まだ元気なうちに使ってしまおうと消費に回ってくる可能性があるとかねてから評論家などに言われております。私自身もこの意見に同感なのですが、現在そういった社会保障に何故信頼が置かれないのかといえば杜撰な年金管理はもとより将来基金が枯渇することが確実な欠陥制度に加え、それを担保する国の財政が借金漬けにあることなどが原因でしょう。
そのため確かに97年度の増税時には景気は悪化したものの現時点の増税は国民の側も多少は理解を示すようになっており、こうした将来への不安を多少なりとも和らげる効果があるのであれば私は当時ほどの景気悪化は招かずに税収は増加するのではないかと見ております。
しかし、だからといって私は現時点の菅首相の増税論については真っ向から反対です。先ほども述べた通りに私は増税には賛成ではありますが、菅首相の増税論は日本の借金を返すためというよりはマニフェストに掲げた子供手当てなどといった新たな政策を実行するための資金稼ぎにしかなっておらず、プライマリーバランスの回復にはほとんど寄与しないと断言してもいいです。また仮に増税を行って得た税収をすべて社会保障に回すとしても膨大な借金が残ったままでは福祉がいくら充実したところで国民はやはり安心感が持てず、壮年層の貯蓄傾向と若年層の年金離れは変わらないままでしょう。
ではどうすればいいかですが、ごくごく単純に増税しつつ支出を減らしていくという、徳川吉宗の享保の改革以来の方法を踏襲するよりほかはないでしょう。
これまでの財政再建議論は90年代においてはもっと国債を発行してお金を集め、そのお金で公共事業などを行って景気を回復させれば税収が増えて円満解決だという、まるでばくちで作った借金をばくちで取り返すというようなやり方でしたが、こんなの通用するわけもなく結局景気は回復しないまま余計に借金を増やしただけに終わりました。その後小泉政権において積極財政政策は否定され、「聖域を設けない」という言葉通りに社会保障費などドラスティックに削減した緊縮財政政策が行われましたが、恐らく最低限の支持率を確保するためでしょうがとうとう小泉政権は増税には踏み切りませんでした。
そして今度の菅政権では社会保障+αを増額する代わりに増税を行って財政再建をすると主張していますが、はっきり言いますが論理破綻もよいところです。本気で財政再建を行うというのであれば小泉元首相同様に聖域を設けずに支出を削減した上で増税しなければいけませんが、菅政権、というより民主党には下記のような聖域が明らかに存在します。
・議員定数
・公務員の人件費
・子供手当て
・外国人
・道路
小泉政権の頃も全く聖域がなかったわけではありませんが、それでも国土交通省関連の予算を大幅に削減するなど従来の常識では考えられない領域に手をつけたのは評価に値します。また小泉政権は社会保障を削減して復旧不可能な水準まで破壊したと私も当時に批判を行いましたが、今思うと本当にそれくらいのことをしなければ財政再建なんて夢のまた夢なのではないかと、たとえ現在が破壊されようとも未来に芽を残せるのであれば耐えなければならないのではとやや考え方が変わってきました。
ややもするとこの財政議論は増税か、支出削減かの二択で争われる傾向がありますが、私は最早待ったなしで増税もしつつ支出削減もしなければ財政再建など出来ないところまで来ているのではと考えています。もちろんこんなことしたら享保の改革時同様に不況がさらに悪化するかもしれませんが、私はもともとの不況の原因はデフレで、デフレを克服するためにはプライマリーバランスの回復が何よりも重要だと考えており、財政再建政策を執ることは一時的には大きなダメージを日本に残すかもしれませんが長期的な視野に立てば日本にとって最もよい道ではないかと見ております。
享保の改革時、巷にて一連の改革は確かに厳しいけれども後で効果が出てくるお灸のようなものだと思って我慢するしかない落首が流行ったそうです。人間誰しも痛い目や苦しい思いはしたくはありませんが、それが本当に将来につながるのであれば私は我慢をしてみようという覚悟があります。ほかの人まではわかりませんが。
追伸
つい以前まで増税はせずに緊縮財政、景気回復によって財政再建を主張する竹中平蔵氏を始めとした小泉改革のメンバーのことを「上げ潮派」と読んでましたが、なんだかいつの間にかこの言葉は死語になっていたような気がします。リーマンショック以降は景気回復なんて現実味がなくなったからかな。
追伸2
このところ自分でもしょうもないと思う記事ばかり書いてて悶々としてましたが、敢えて久々にややこしいテーマを選んで書いたところなかなか気持ちよかったです。人間、高いところ目指してそこに立ってないと駄目になりますね。
漫画家の北条司氏について思うこと
私が現役の漫画家の中で個人的に最も高く評価をしているのは、「シティーハンター」を代表作として持つ北条司氏です。
「シティーハンター」自体がもう大分昔の作品なのでもしかしたらどんな作品かわからない方もいるかもしれませんが、多分私と同い年くらいの人間なら夕方五時半からよくやっていたアニメの再放送などで見ていた経験があるかと思います。内容については主題ではないのここではあまり解説しませんが、一回このブログにて「男がかっこいいと思う男性キャラクター」というテーマで記事を書こうとした際にまず真っ先に思い浮かんだのがこのマンガの主人公である冴羽獠でした。結局この企画はほかに出てくるのが「ルパン三世」のルパンくらいだったので企画倒れとなってしまいましたが。
私はこの「シティハンター」を幼児ながら当時同じジャンプで連載されていた「ドラゴンボール」を読む傍ら、放映されていたアニメとともによく読んでいました。とはいってもさすがに幼児の時分で後年になると大まかなあらすじは知っているものの内容についてはほとんど覚えてなかったのですが、大学生時代にブックオフ内で古本が売られているのを見つけ、思うところがあって改めて単行本を買い集めて改めて読んでみたところ、あの「もっこり」という表現を始めとして暗殺などを生業とする主人公が出るなど、よくこんな大人向けのマンガがジャンプで連載されていたなと感心するとともに、そんなマンガを幼児であった自分も楽しんで読んでいたという事実に驚きました。
その上である程度年齢の乗った状態で読み返してみると、子供の頃にはわからなかった部分がわかるようになってか当時とは違った感覚で読み返すことが出来ました。また買い集めた単行本を部屋に置いていたところ私の部屋に遊びにくる友人らがことごとく見つけては、「シティーハンターや!Σ(゚∀゚ノ)ノ」といっては勝手に読み出し、私の部屋の漫画本の中では「鬼切丸」を越えて貸し出し回数No.1でした。
北条氏のマンガの特徴を挙げると、何を置いてもまず描かれるキャラクター絵の秀麗さに尽きます。デビュー作の「キャッツアイ」を始めとして女性キャラクターを描かせたら天下一品だとよく言われていますが、私は女性キャラクターももちろんのこと男性キャラクターにおいてもそれぞれの特徴がしっかりと現れているので注目に値するかと思います。
その上で私なりの着目点を述べると、北条氏のマンガは写実的な背景など現代世界を舞台にしていることが多く、頭身が高くデフォルメの少ないキャラクター絵とあいまってほかのマンガと比べてテレビドラマや映画のような観点で読めるものが多いです。このような現実感の強いマンガは北条氏に始まるわけでなく、それ以前にこちらも私が大好きな池上遼一氏のマンガでも展開されていますが、少年漫画においてこれほどまでスタンダードを作ったという意味では北条氏の功績は高いかと思います。
さらに言うと、これは私も最近知ったのですが北条氏のアシスタント経験者には「スラムダンク」の井上雄彦氏、「BØY」の梅澤春人氏がいたらしく、二人とも北条氏同様に現代世界を舞台に頭身の高いキャラクターが出る作品を多く書いているだけにそれぞれの初期の作品には北条氏のマンガの匂いがします。両者ともに90年代中盤のジャンプを引っ張る連載作品を出しているだけに良将は良兵を生むといったところですが、どっちももう大御所といっていいくらいの大物なのでこの言い方は失礼かもしれません。
これは漫画家に限るわけじゃないですが、後藤新平ではないですが人を評価する上でその人物がどれだけの仕事を成し遂げたということよりも、どれだけ後世への影響を与えたかで見るべきだと私は考えています。90年代最大、というより日本のマンガが始まって以来の最大のヒット作は間違いなく「ドラゴンボール」ですが、良くも悪くも「ドラゴンボール」はあらゆる点で突き抜けていたためにその表現技法などを引き継いだ漫画家はほとんどいないのではないかと見ています(しいて挙げれば尾田栄一郎)。
それに対して北条氏ですが、私は現代の少年漫画は多かれ少なかれ彼の影響を受けているのではないかと考えています。北条氏の後進の漫画家が活躍していることもそうですが、マンガの技法やストーリー展開などで地味に強い影響力を残しているのではないかと思います。
もちろん厳密にみればもっと影響力の強い漫画家がほかにもいるでしょうが、北条氏を「シティーハンターの漫画家」ではなく、「少年漫画に一石を投じた漫画家」として見てはいかがかと思ってこうして記事にまとめました。
「シティーハンター」自体がもう大分昔の作品なのでもしかしたらどんな作品かわからない方もいるかもしれませんが、多分私と同い年くらいの人間なら夕方五時半からよくやっていたアニメの再放送などで見ていた経験があるかと思います。内容については主題ではないのここではあまり解説しませんが、一回このブログにて「男がかっこいいと思う男性キャラクター」というテーマで記事を書こうとした際にまず真っ先に思い浮かんだのがこのマンガの主人公である冴羽獠でした。結局この企画はほかに出てくるのが「ルパン三世」のルパンくらいだったので企画倒れとなってしまいましたが。
私はこの「シティハンター」を幼児ながら当時同じジャンプで連載されていた「ドラゴンボール」を読む傍ら、放映されていたアニメとともによく読んでいました。とはいってもさすがに幼児の時分で後年になると大まかなあらすじは知っているものの内容についてはほとんど覚えてなかったのですが、大学生時代にブックオフ内で古本が売られているのを見つけ、思うところがあって改めて単行本を買い集めて改めて読んでみたところ、あの「もっこり」という表現を始めとして暗殺などを生業とする主人公が出るなど、よくこんな大人向けのマンガがジャンプで連載されていたなと感心するとともに、そんなマンガを幼児であった自分も楽しんで読んでいたという事実に驚きました。
その上である程度年齢の乗った状態で読み返してみると、子供の頃にはわからなかった部分がわかるようになってか当時とは違った感覚で読み返すことが出来ました。また買い集めた単行本を部屋に置いていたところ私の部屋に遊びにくる友人らがことごとく見つけては、「シティーハンターや!Σ(゚∀゚ノ)ノ」といっては勝手に読み出し、私の部屋の漫画本の中では「鬼切丸」を越えて貸し出し回数No.1でした。
北条氏のマンガの特徴を挙げると、何を置いてもまず描かれるキャラクター絵の秀麗さに尽きます。デビュー作の「キャッツアイ」を始めとして女性キャラクターを描かせたら天下一品だとよく言われていますが、私は女性キャラクターももちろんのこと男性キャラクターにおいてもそれぞれの特徴がしっかりと現れているので注目に値するかと思います。
その上で私なりの着目点を述べると、北条氏のマンガは写実的な背景など現代世界を舞台にしていることが多く、頭身が高くデフォルメの少ないキャラクター絵とあいまってほかのマンガと比べてテレビドラマや映画のような観点で読めるものが多いです。このような現実感の強いマンガは北条氏に始まるわけでなく、それ以前にこちらも私が大好きな池上遼一氏のマンガでも展開されていますが、少年漫画においてこれほどまでスタンダードを作ったという意味では北条氏の功績は高いかと思います。
さらに言うと、これは私も最近知ったのですが北条氏のアシスタント経験者には「スラムダンク」の井上雄彦氏、「BØY」の梅澤春人氏がいたらしく、二人とも北条氏同様に現代世界を舞台に頭身の高いキャラクターが出る作品を多く書いているだけにそれぞれの初期の作品には北条氏のマンガの匂いがします。両者ともに90年代中盤のジャンプを引っ張る連載作品を出しているだけに良将は良兵を生むといったところですが、どっちももう大御所といっていいくらいの大物なのでこの言い方は失礼かもしれません。
これは漫画家に限るわけじゃないですが、後藤新平ではないですが人を評価する上でその人物がどれだけの仕事を成し遂げたということよりも、どれだけ後世への影響を与えたかで見るべきだと私は考えています。90年代最大、というより日本のマンガが始まって以来の最大のヒット作は間違いなく「ドラゴンボール」ですが、良くも悪くも「ドラゴンボール」はあらゆる点で突き抜けていたためにその表現技法などを引き継いだ漫画家はほとんどいないのではないかと見ています(しいて挙げれば尾田栄一郎)。
それに対して北条氏ですが、私は現代の少年漫画は多かれ少なかれ彼の影響を受けているのではないかと考えています。北条氏の後進の漫画家が活躍していることもそうですが、マンガの技法やストーリー展開などで地味に強い影響力を残しているのではないかと思います。
もちろん厳密にみればもっと影響力の強い漫画家がほかにもいるでしょうが、北条氏を「シティーハンターの漫画家」ではなく、「少年漫画に一石を投じた漫画家」として見てはいかがかと思ってこうして記事にまとめました。
病苦自殺の一般化について
最近中国語をまたしっかり勉強しなおそうとmsnやYahooの中国サイトにあるニュースをよく読んでます。中国のニュースは日本みたいにこざっぱりまとめることは少なくどれも全力力一杯の長文ばかりで読んでて嫌になることが多いのですが、自分が習ってきた中国語とはまた異なる記事用の中国語が使われるので勉強のしがいがあります。
また読む際に大概の単語は読み取れますが一部はっきり理解できないのも少なくなく、「フランスの日々」のSophieさんが紹介している「Goggle Chroma」のアドオンを使い、マウスオーバーによって手軽に単語の意味を確認したりしています。私は普段使うブラウザは「Opera」なのですが、Operaだとなんか使っているOSの相性やバージョンの違いによって簡体字が表示されないことがあり、私のパソコンも自宅用は表示しないくせに会社用は表示したりします。そういう対処も含めてChromaと併用というのもまた妙な話です。
さてそんなわけで今日もまたニュースを読んでたわけですが、ちょっと気になるというか思うところがあるニュースとしてこんなのがありました。
・长沙77岁患病老太不愿给家人添负担投江自杀(红网)
例によって記事を書いている私のOperaのブラウザ上だと嫌味な位に簡体字部分は空白となっておりますがそれはまぁ置いといて記事の内容を簡単に翻訳して説明すると、中国の長沙という場所で77歳のおばあさんが河に身を投げて投身自殺を図るも警察らによって救出されて自殺理由を尋ねたところ、おばあさんは病気となったものの治療するお金がなく、家族に負担をかけられないとして自殺を図ったと証言したと報じられております。
これは私の造語ですが、病を苦にした安楽死を含む自殺をそのまま「病苦自殺」として表題に掲げましたが、この中国のおばあさんの自殺も典型的な病苦自殺の一種です。日本で病の治療費や家族の負担を気にする原因とした自殺ときたら森鴎外が「高瀬舟」に書いた話が代表的ですが、現実の話として今現在の日本でもこのような自殺は少なからずあると思います。ただでさえ少子高齢化で医療費の負担が大きく響く時代で、きちんと知識があれば保険適用範囲内の治療であれば年間約十万円の負担で日本は済みますが保険適用外の治療や、こういった医療費還付の法令を知らないあまり、自殺を行う老人の話を日本でもたまに耳にしたりします。
私が今回何が言いたいのかというと、この中国の病苦自殺未遂のニュースを見て、日本だったらもしかしたらニュースにならないかもと思ったわけです。2009年の年末に、年の瀬ということもあって毎朝東京都内の列車が人身事故で遅延が発生しているもにもかかわらずどの報道機関も何も取り上げず、何か日本は知らないところで感覚がおかしくなっていないかということを記事に書きましたが、総じて日本では自殺関係だとちょっとやそっとの内容ではもう注目されないために件数は増えているにもかかわらずニュースとして取り上げられる数は減ってきているように思えます。一時は大きく取り上げられた硫化水素自殺も、自分が言うのもなんですがもうなんか一般化してしまっている気がしますし。
病苦自殺も同様で、それ自体は不幸なケースとして見られるかもしれませんがニュースとしての価値は日本ではもうほとんどないかもしれない、中国とは違ってニュースとして報じられていない裏で相当な件数が起きているのではないかと思ったわけです。
人間何が一番怖いかって、無意識にとんでもないものに感覚が慣れてしまうことほど怖いものはないです。そういう意味で海外ニュースというものは自国人が気づかない一面を気づかせる一助となることが多く、和む外国人の話とか見ていて色々と飽きないものです。
また読む際に大概の単語は読み取れますが一部はっきり理解できないのも少なくなく、「フランスの日々」のSophieさんが紹介している「Goggle Chroma」のアドオンを使い、マウスオーバーによって手軽に単語の意味を確認したりしています。私は普段使うブラウザは「Opera」なのですが、Operaだとなんか使っているOSの相性やバージョンの違いによって簡体字が表示されないことがあり、私のパソコンも自宅用は表示しないくせに会社用は表示したりします。そういう対処も含めてChromaと併用というのもまた妙な話です。
さてそんなわけで今日もまたニュースを読んでたわけですが、ちょっと気になるというか思うところがあるニュースとしてこんなのがありました。
・长沙77岁患病老太不愿给家人添负担投江自杀(红网)
例によって記事を書いている私のOperaのブラウザ上だと嫌味な位に簡体字部分は空白となっておりますがそれはまぁ置いといて記事の内容を簡単に翻訳して説明すると、中国の長沙という場所で77歳のおばあさんが河に身を投げて投身自殺を図るも警察らによって救出されて自殺理由を尋ねたところ、おばあさんは病気となったものの治療するお金がなく、家族に負担をかけられないとして自殺を図ったと証言したと報じられております。
これは私の造語ですが、病を苦にした安楽死を含む自殺をそのまま「病苦自殺」として表題に掲げましたが、この中国のおばあさんの自殺も典型的な病苦自殺の一種です。日本で病の治療費や家族の負担を気にする原因とした自殺ときたら森鴎外が「高瀬舟」に書いた話が代表的ですが、現実の話として今現在の日本でもこのような自殺は少なからずあると思います。ただでさえ少子高齢化で医療費の負担が大きく響く時代で、きちんと知識があれば保険適用範囲内の治療であれば年間約十万円の負担で日本は済みますが保険適用外の治療や、こういった医療費還付の法令を知らないあまり、自殺を行う老人の話を日本でもたまに耳にしたりします。
私が今回何が言いたいのかというと、この中国の病苦自殺未遂のニュースを見て、日本だったらもしかしたらニュースにならないかもと思ったわけです。2009年の年末に、年の瀬ということもあって毎朝東京都内の列車が人身事故で遅延が発生しているもにもかかわらずどの報道機関も何も取り上げず、何か日本は知らないところで感覚がおかしくなっていないかということを記事に書きましたが、総じて日本では自殺関係だとちょっとやそっとの内容ではもう注目されないために件数は増えているにもかかわらずニュースとして取り上げられる数は減ってきているように思えます。一時は大きく取り上げられた硫化水素自殺も、自分が言うのもなんですがもうなんか一般化してしまっている気がしますし。
病苦自殺も同様で、それ自体は不幸なケースとして見られるかもしれませんがニュースとしての価値は日本ではもうほとんどないかもしれない、中国とは違ってニュースとして報じられていない裏で相当な件数が起きているのではないかと思ったわけです。
人間何が一番怖いかって、無意識にとんでもないものに感覚が慣れてしまうことほど怖いものはないです。そういう意味で海外ニュースというものは自国人が気づかない一面を気づかせる一助となることが多く、和む外国人の話とか見ていて色々と飽きないものです。
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