私事ですがこのところ、デイリーポータルの「ゲルマニウムローラーで猫を骨抜きにする」という記事にはまって何度も読み返しております。確かにゲルマニウムローラーみたいな道具は猫がいかにも喜びそうだ。
話は本題に移りますが、ちょっと今日は先週あたりからちょこちょこ準備していた県警ごとの私的な評価を紹介しようと思います。
何でも宝島社より「全国警察力ランキング―本当に優秀なケーサツはどこだ?」という本が数年ごとに出されてあるようで、私は内容を読んではいませんがいろいろな警察関連のデータを比較し評価している力作のようです。ただ私は以前の記事でもすこし触れましたが各県警を比較する上で検挙率や県警名不祥事の発生件数はやや鵜呑みに出来ないデータと考えており、今回の記事を書くに当たって何を以って比較すればいいのか当初はひどく頭を悩ませました。
先に何故検挙率や不祥事件数が信用できないのかというと、どちらも地域ごとに基準が大きく異なる可能性が高いからです。それこそ一部の地域ではちょっとした落書きとかもきちんと犯罪発生件数に数えられれば別のところでは数えられないこともあり、また東京や大阪など人口も多い都市部では犯罪は起こりやすくなる傾向があり、犯罪件数や検挙率は確かに一つの指標ながらも平等に警察の能力を図る材料とはあまり感じられません。
同様に警察内不祥事についても、既に明らかになっている不祥事でも当初は外部より指摘されるまでは内部でもみ消そうとしたことが明らかになっており、また組織行動心理からも警察に限らずどこも多かれ少なかれこういう傾向があると思います。問題なのはなにをどれだけもみ消すかという基準で、これは今回の私のザルな調査だけでも処分基準を含めて明らかに県警ごとに隔たりがあるためにこちらも指標にはあまり使えません。
最終的に至った結論としては、こんだけ毎日浅く広く薄い社会関係の記事を書いておきながら心はいつでも「個人」というものをとことんまで追求する文士という誇りを持っているので、統計データなんてこの際無視して一つ一つのエピソードから評価しようと落ち着きました。ただ一つ一つのエピソードと言ってもさすがに全国事細かに調べてなんからんないので、この際肯定的評価は捨てて否定的評価、つまり問題点にのみ着目し、安易なWikipediaの記事を参考に以下の基準で調べることにしました。
・組織的な不祥事を起こしているか
・不祥事に対する処分がきちんと行われているか
特に注意したのはWikipediaの記事に載っている不祥事が個人による不祥事なのか警察による不祥事かです。警察官も聖人が決まってなるわけじゃないのだし中には変なのも混ざってくるだろうということを考慮し、個人資質による不祥事は評価対象にはしませんでした。といっても、元にする内容はすべてWikipediaに不祥事が書いているかどうかなので、書かれてなければ評価のしようもありませんが。
前もって断っておきますが、今回のこの記事の内容は非常にザルな調査で書かれてあり、あくまで私個人が問題があると感じる県警を紹介しているだけで、裏づけのしっかり取れた絶対的な内容ではありません。あくまで参考程度に軽くお読みください。
・北海道警察
どっかから恨みを買ってるんじゃないかと思うくらいに、リンク先の道警ページに書かれた不祥事例は他と比べて異様に多かったです。何気に警察による裏金問題はこの道警での事例を北海道新聞が暴いたことから全国に波及しましたが、その後道警は意趣返しとばかりに北海道新聞を大人気なく記者会見から締め出すようになったそうですが、今でもこれは続いてるんだろうか。まぁ北海道新聞も地方紙の雄だとこれまで聞いてたけど、今日改めて調べてみたら確信犯的な誤報をこれまでに何度も出してて「えぇ(;´Д`)」って感じがしたんだけど。
それでこの道警についてですが、読んでて気になったのは土地柄か警察官の交通違反、事故が多いような気がします。ただ飲酒事故とか起こしてるくせに最初の方は処分がやや甘いように感じたのですが、なんか2010年以降からやけに処分が厳しくなっており、基準が変わっているような印象を受けました。
・茨城県警
土浦連続殺傷事件における杜撰な対応がやはり問題に感じました。通り魔事件という特殊性を考慮しても如何なものかと思える対応で、このほかにも、
「2009年4月24日、4月16日に窃盗未遂容疑で逮捕し水戸警察署署内で事情聴取していた24歳の無職の男が、隠し持っていた睡眠薬を警察官のお茶に仕込み、警察官に対し「お茶を一気飲みしたら事件の全貌を話す」とお茶を飲むよう誘導し警察官がお茶を飲み寝てしまったところ、男が署内から逃亡するという事件が発生。男は5月1日早朝に水戸市内の民家に潜伏していたところを住人に発見、逃走容疑で逮捕された。」
ギャグ漫画じゃないんだからと、言いたくなるような不祥事です。
・栃木県警
現在私が最も信頼していない県警ナンバー1です。杜撰過ぎる捜査で冤罪を生んだ足利事件は言うまでもなく、この事件を含む一連の北関東連続幼女誘拐殺人事件にて明々白々なサボタージュを行って捜査をしないばかりか、遺族の気持ちを逆撫でする様な行為の連続には激しい怒りを覚えます。
また過去に遡れば99年に起きた栃木リンチ殺人事件において捜査を見送って被害者を死に至らしめたばかりか、関係責任者への内部処分をたった停職14日間で済ませたことなど理解できない行為を平気行っており、一生関わりあいたくない存在です。あとどうでもいいですが、栃木県警が持ってるNSXの塗装は個人的にありえない塗装だと思います。もっとデザインセンスはないのでしょうか。
・埼玉県警
埼玉県警の不祥事ときたらその後の全国の警察不信に繋がった99年の桶川ストーカー殺人事件が有名ですが、こちらは栃木県警と違って署員3人を懲戒免職にするなど明確に処分していることからその後はどんなものかと注視してましたが、どうもまだ反省してないのか、前にも取り上げましたが埼玉県深谷市市議選で証拠が乏しいにもかかわらず供応事件があったとして、虚偽の証言を強要する事件を引き起こしています。この事件なんか警察の組織的な問題行動の代表格で呆れ返るとともに、この深谷署はこれ以外にも三月には遺体を間違えて遺族に引き渡す事件を起こしており、この際解体したほうがいいんじゃないかとすら思います。
・神奈川県警
「不祥事ときたら神奈川県警」と言われるまで、一時期不祥事を連発しまくって警察の顔に泥を塗った神奈川県警ですが、さすがにその名に恥じず99年には内部で「不祥事隠蔽マニュアル」を作成して配布するなど常識外の行動を平然と行っています。最近は全国区で取り上げられる不祥事はあまり見ないものの、やっぱり私の中でもここへの信頼は回復しません。特に個人的に今でもよく覚えているのは、90年代にテレビで取り上げられた際、警察署前を暴走族が走っているにもかかわらず無視し続けてたあの姿はなかなか忘れられません。
・大阪府警
大都市ゆえいろいろ大変だろうとは思いますが、それにしたって常識外の不祥事が大阪府警には多い気がします。Wikipedia中にもいろいろ載ってますが細かく探せばまだまだこんなもんじゃないだろうし、昨年の自白強要事件など強引な捜査振りが目に付きます。一昨日にも自動車でバイクに衝突しておきながら逃げて、現金20万円を渡すというどこから突っ込んでいいかわからない事件を引き起こしていますが、それに対する弁解もまた理解不能なものばかりで、
「---容疑が事故の不申告なのはなぜか?
相手には怪我がなかったので、ひき逃げではない。当て逃げというのは法律にはないので、事故を起こしたのに届出をしない不申告で事情を聴いている。結果的に、怪我はなかったので、救護義務違反は成立しない。」
事故を起こした本人も20万円を渡したことについてギターの修理代だったと言っていますが、そんな屁理屈をよくもまぁ堂々と言えるものだと、いっぺん首吊って来いといいたくなる不祥事です。
・兵庫県警
ここもまた不祥事の多いところですが、02年の神戸大学院生リンチ殺人事件の不手際はとても見過ごせるものがなくかなり問題のあるところだと考えています。ただ私の周りで兵庫県出身の人に聞くと皆口を揃えて、「兵庫県警は最強だ」というほど信頼してます。理由を聞くと常にヤクザとやり合っているからだそうですが、不祥事は多いもののこれほど信頼されてることを考えると評価の仕方としては悩まされます。
・愛媛県警
多分余り全国区で報じられることは多くないでしょうが、何気に愛媛県警も不祥事の多いことで有名です。こちらも他の問題あるところと同じく「宇和島事件」という冤罪事件を引き起こしていることはもとより、裏金を作っていたことに関しても「個人的な利得には使われておらず不正ではないなどとして」、返還を拒んだとも言われます。おまけに告発した元会計課長には露骨な左遷人事を仕組むし。
あと個人的には04年に松山市内で高校生のスクーターに白バイが衝突した事故で、めちゃくちゃ強引に事故は高校生側の一方的な過失によるものにして送検した事件は日本でのニュース特集で見ましたが、これで愛媛県警への不信が一気に強まりました。ちょうどよく今職場に愛媛出身の人がいるので聞いてみたところ、やはり地元人でも愛媛県警を信用してないと言ってました。
・鹿児島県警
自分の生まれ故郷ながら、批判せずにはいられません。ここの不祥事は志布志事件に尽きますが、明らかに見当違いの違法な捜査で裁判所にも問題性を指摘されているにもかかわらず、鹿児島県警は「捜査の方向性はなんら間違ってなかった」と言い切っており、組織の体質を非常に疑わせる事件でした。
なお今回改めて調べてみたところ、今年3月の震災発生日、当のの志布志署で津波による避難勧告が出ていたにもかかわらず宴会を開いていたそうで、ここもこの際だから潰したほうが早いんじゃないかと思います。
思ったより長くなってつらかった。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年6月19日日曜日
2011年6月16日木曜日
辛亥革命から百周年を向かえて
本日配信された共同通信のニュースの中で、結構まずいワードが入っていたのが職場で話題になりました。それはどのようなワードかというと、「今年は中華民国(台湾)建国百周年」というワードなのですが、こういった書き方をすると中華人民共和国政府の人はかなり真剣に怒って、場合によってはメディア営業許可とかなんやらも剥奪されてしまいます。中国側の説明によると中国本土と台湾には政府は一つしかなく、馬英九総統(これは書いてもOK)は民主的に選ばれた台湾当局の責任者ということだそうで、台湾政府とかそれを匂わすようなことを書くとアウトになってしまいます。
そういうわけで中国で活動する日本のメディア関係者は台湾記事については多かれ少なかれ面倒なことに神経を使わねばならず、上記の共同通信の内容もすぐに訂正入れるか削除していれば問題ないでしょうが、そのまんまだったら多分在中の責任者が呼び出し食らうことになる可能性が高いと思います。
そういいながらこうやって堂々とネタにする私ですが、ちょうど今から百年前の1911年に中国では孫文らが出てくる辛亥革命が起こり、最終王朝こと清帝国が滅びました。この歴史は現代中国にも影響は大きく私もこの年だけはしっかりと暗記しているのですが、ただ重要だから覚えているというわけじゃなく、実は昔にこの年号を変なことに使ったことがあって妙に思い入れが深いというのが真相です。
その変なことに使ったというのはちょうど今から十年前の2001年、当時私は高校生でしたが一番小説を書いていた頃でわざわざ自分で同人誌を作っては友人内で回し読みさせていました。同人誌と言っても書いているのは私一人で、表紙から小説、妙な企画まで全部一人で自己満足しながらやっていましたが、ある時に一般で出版されている雑誌みたいに「○○周年」って表紙に書いてみたくなりおもむろに歴史の資料集を開いて最後が01年の歴史事件を探したわけでした。最初の候補は「菅原道真、大宰府左遷から1100周年」でしたが、迂闊に書いて祟られたりしたらよくないと心変わりし、件の「辛亥革命90周年」というサブタイトルに落ち着いたわけです。
ちなみにその時の同人誌の名前は「文化大革命」でした。別に狙ったわけじゃなかったけど、最初に名前を決める時に「○○革命」って名前にしようと思ったら自然と落ち着いたわけで……。
ちょっと話が横道にそれますが、たまに音楽とか文芸など芸術方面に憧れや夢があったものの、一緒に目指すような友人がいなくて手をつける機会がなかったという人がいますが、私に言わせればそれはやはり甘えだと思います。もちろん切磋琢磨できる友人がいるに越したことはありませんが、最終的には友人の力ではなく自分自身の力でその夢を掴み取らなければならないことを考えるとたとえ一人でも何かしら行動できない限りはどっちにしたって結果は一緒になると私は考えます。そういいながら私もいばれるような活動はしていませんでしたが、中学生から文章を書くことを飽きなかったということだけは今に繋がっていると思います。
それにしても「文化大革命」を作ってた十年前に、現在のような立場になるとは夢想だにしなかったと思います。当時から中国語に興味があったものの外国語を使って食っていくとは全く思いませんでした。あとどうでもいいですが、これが関係しているのかわかりませんがなんかちょうど今週にこのあたりの孫文とか毛沢東の時代を描く「建党偉業」という映画が公開されました。中国語が少し読める方なら下部の役名と俳優を見てもらいたいのですが、最近毛沢東役はなんだかほっそりした人がやることが増えてます。そのほかだと個人的には李大ショウ役の人が実際の顔によく似ていてツボにはまりました。
そういうわけで中国で活動する日本のメディア関係者は台湾記事については多かれ少なかれ面倒なことに神経を使わねばならず、上記の共同通信の内容もすぐに訂正入れるか削除していれば問題ないでしょうが、そのまんまだったら多分在中の責任者が呼び出し食らうことになる可能性が高いと思います。
そういいながらこうやって堂々とネタにする私ですが、ちょうど今から百年前の1911年に中国では孫文らが出てくる辛亥革命が起こり、最終王朝こと清帝国が滅びました。この歴史は現代中国にも影響は大きく私もこの年だけはしっかりと暗記しているのですが、ただ重要だから覚えているというわけじゃなく、実は昔にこの年号を変なことに使ったことがあって妙に思い入れが深いというのが真相です。
その変なことに使ったというのはちょうど今から十年前の2001年、当時私は高校生でしたが一番小説を書いていた頃でわざわざ自分で同人誌を作っては友人内で回し読みさせていました。同人誌と言っても書いているのは私一人で、表紙から小説、妙な企画まで全部一人で自己満足しながらやっていましたが、ある時に一般で出版されている雑誌みたいに「○○周年」って表紙に書いてみたくなりおもむろに歴史の資料集を開いて最後が01年の歴史事件を探したわけでした。最初の候補は「菅原道真、大宰府左遷から1100周年」でしたが、迂闊に書いて祟られたりしたらよくないと心変わりし、件の「辛亥革命90周年」というサブタイトルに落ち着いたわけです。
ちなみにその時の同人誌の名前は「文化大革命」でした。別に狙ったわけじゃなかったけど、最初に名前を決める時に「○○革命」って名前にしようと思ったら自然と落ち着いたわけで……。
ちょっと話が横道にそれますが、たまに音楽とか文芸など芸術方面に憧れや夢があったものの、一緒に目指すような友人がいなくて手をつける機会がなかったという人がいますが、私に言わせればそれはやはり甘えだと思います。もちろん切磋琢磨できる友人がいるに越したことはありませんが、最終的には友人の力ではなく自分自身の力でその夢を掴み取らなければならないことを考えるとたとえ一人でも何かしら行動できない限りはどっちにしたって結果は一緒になると私は考えます。そういいながら私もいばれるような活動はしていませんでしたが、中学生から文章を書くことを飽きなかったということだけは今に繋がっていると思います。
それにしても「文化大革命」を作ってた十年前に、現在のような立場になるとは夢想だにしなかったと思います。当時から中国語に興味があったものの外国語を使って食っていくとは全く思いませんでした。あとどうでもいいですが、これが関係しているのかわかりませんがなんかちょうど今週にこのあたりの孫文とか毛沢東の時代を描く「建党偉業」という映画が公開されました。中国語が少し読める方なら下部の役名と俳優を見てもらいたいのですが、最近毛沢東役はなんだかほっそりした人がやることが増えてます。そのほかだと個人的には李大ショウ役の人が実際の顔によく似ていてツボにはまりました。
2011年6月15日水曜日
警察官を増やすと犯罪が増える
久々に社会学の話をしますが、よく教えられる内容に今日のお題とした「警察官を増やすと犯罪が増える」というものがあります。一般的に警察官を増やすと治安が良くなりそうで犯罪も減るような感じがしますが、これは確実と言ってもいいくらいに増えること間違いなしです。一体なぜ犯罪が増えるのかというと仕組みはごくごく単純で、警察官が増えることでそれまで犯罪として取り扱われなかった事件(落書きや軽度の違反など)がきちんと取り締まられるようになり、認知犯罪件数が増加して見かけ上で犯罪が増えてるように見えてしまうからです。
もちろん実際の治安はそれまで無視されてきた軽微な犯罪も取り締まられるようになるので良くなるはずなのですが、統計にはしばしばこのように実態と中身が反映されないものが多く、というより大半の統計はそのようなミスリードを引き起こすものばかりです。参考程度には使えても、本気で信じると痛い目を見るものばかりと言っても過言ではないでしょう。
現在、各都道府県警を評価する記事を準備していますが、そこでぶち当たったのが上記統計の問題でした。たまにどこの警察が優秀なのかということで人口当たりの犯罪件数を比較している人もいますが、確かにそういった統計は無駄ではないもののそれを絶対基準にして評価していいものかとなると私は首を振ります。何故なら交通違反などかなり恣意的に犯罪として取り締まられるものも少なくなく、また地域によって取り締まる熱意というか基準も大きく変わってくる可能性が捨てきれないからです。
同様に、警察官への懲戒処分件数もあまり当てになりません。これはその準備している記事で詳しく書くつもりですが警察の内部処分の厳しさや基準は表に出ているだけでも相当差があり、懲戒処分が多い県警よりもむしろ懲戒処分を敢えて行おうとしない警察の方が悪質だと思えるため、比較数字としては適格でないように思います。
このように当てにならない統計というのは他にも数多くあり、以前に私ももはやGDPは景気指標としてならともかく国家力のバロメーター、国民の豊かさの指標としては的確なのかという疑問を呈しましたがこれ以外にも、最近だと失業率なんかの数字についても疑義が上がっておりますが、試しに自分で正確な失業率を出そうと思いましたがこれは想像していたよりかなり困難な作業だと途中で気がつき、今の国の統計方法のが正しいんじゃないかと変に心変わりしました。
ちょっと字数が少ないのでついでに書き加えておくと、現在テレビ局などが多くやっている調査方法はRODといって乱数表を元に電話帳から電話番号を選び出して電話をかける調査ですが、以前であれば確かにこの方法は代表性の高いデータを取ることが出来たものの、現代のように固定電話を持たず携帯電話しか使わない若者が多い世の中だと、この調査方法だと年齢層の高い層の意見しか集約できていない可能性が高いです。そのため報道ステーションなどがこのROD調査の結果を出す際に私は40代以上の意見という前提でいつも見ていました。またさらに言うと、最近はみんな仕事が忙しくて家の電話を取るのは主婦が多いのも見逃せません。まぁ多少は調整してるだろうけど。
それに対して最近増えているインターネット調査ですが、これなんてよっぽどうまい調査方法以外は全く信用性もなく、出してる側も恣意的な結果だとわかって出しているのが多いです。ここまえいい加減な統計情報が溢れていると、下手に数字を元に計画出すよりも肌感覚で突き進んだほうがいいんじゃないかとすら思うくらいです。
もちろん実際の治安はそれまで無視されてきた軽微な犯罪も取り締まられるようになるので良くなるはずなのですが、統計にはしばしばこのように実態と中身が反映されないものが多く、というより大半の統計はそのようなミスリードを引き起こすものばかりです。参考程度には使えても、本気で信じると痛い目を見るものばかりと言っても過言ではないでしょう。
現在、各都道府県警を評価する記事を準備していますが、そこでぶち当たったのが上記統計の問題でした。たまにどこの警察が優秀なのかということで人口当たりの犯罪件数を比較している人もいますが、確かにそういった統計は無駄ではないもののそれを絶対基準にして評価していいものかとなると私は首を振ります。何故なら交通違反などかなり恣意的に犯罪として取り締まられるものも少なくなく、また地域によって取り締まる熱意というか基準も大きく変わってくる可能性が捨てきれないからです。
同様に、警察官への懲戒処分件数もあまり当てになりません。これはその準備している記事で詳しく書くつもりですが警察の内部処分の厳しさや基準は表に出ているだけでも相当差があり、懲戒処分が多い県警よりもむしろ懲戒処分を敢えて行おうとしない警察の方が悪質だと思えるため、比較数字としては適格でないように思います。
このように当てにならない統計というのは他にも数多くあり、以前に私ももはやGDPは景気指標としてならともかく国家力のバロメーター、国民の豊かさの指標としては的確なのかという疑問を呈しましたがこれ以外にも、最近だと失業率なんかの数字についても疑義が上がっておりますが、試しに自分で正確な失業率を出そうと思いましたがこれは想像していたよりかなり困難な作業だと途中で気がつき、今の国の統計方法のが正しいんじゃないかと変に心変わりしました。
ちょっと字数が少ないのでついでに書き加えておくと、現在テレビ局などが多くやっている調査方法はRODといって乱数表を元に電話帳から電話番号を選び出して電話をかける調査ですが、以前であれば確かにこの方法は代表性の高いデータを取ることが出来たものの、現代のように固定電話を持たず携帯電話しか使わない若者が多い世の中だと、この調査方法だと年齢層の高い層の意見しか集約できていない可能性が高いです。そのため報道ステーションなどがこのROD調査の結果を出す際に私は40代以上の意見という前提でいつも見ていました。またさらに言うと、最近はみんな仕事が忙しくて家の電話を取るのは主婦が多いのも見逃せません。まぁ多少は調整してるだろうけど。
それに対して最近増えているインターネット調査ですが、これなんてよっぽどうまい調査方法以外は全く信用性もなく、出してる側も恣意的な結果だとわかって出しているのが多いです。ここまえいい加減な統計情報が溢れていると、下手に数字を元に計画出すよりも肌感覚で突き進んだほうがいいんじゃないかとすら思うくらいです。
2011年6月13日月曜日
ヤタガラスにみる日本人とカラスの関係
前回の山幸彦の記事から大分経っていますが、また古代史ネタです。
さて山幸彦は天皇家の先祖ということは前の記事でも紹介しましたが、ちょうど山幸彦の孫が初代天皇とされている神武天皇でここから万世一系の天皇家が始まるわけですが、正直言って神武天皇については私はあまり興味が湧きません。あまり勉強してないのもありますが具体的なエピソードがちょっと乏しく、東征したっつってもなんだかピンと来ず、おまけに初代天皇とされるだけあっていろんな人間が一緒くたにまとめられてて実在性もなんだか乏しいような気がします。そんな神武天皇よりもむしろ、東征を助けたとされるヤタガラスの方が日本人への影響力は強いんじゃないかと密かに考えているわけです。
・八咫烏(Wikipedia)
ヤタガラスは東征を始めた神武天皇を道案内するよう高天原から遣わされるカラスなのですが、身体的特徴としては足が三本あると言われているものの、なんかウィキペディアの記事によると三つ足があるとはっきり書いた資料はなくむしろそれこそが後世の俗説ではないかと書かれてます。
このヤタガラスが現代日本にどのように影響を与えているかですが、まずは何と言っても全日本サッカー協会のシンボルマークに採用されていることでしょう。全日本関係のグッズなんかにはよくこのマークが使われておりますが、古来の日本の神性を持った動物としては格好の材料で採用を決定したサッカー協会の人は先見の明があると思います。
こうしたサッカー方面の影響はもとより、現代日本人とカラスの関係性を考えてみるにつけてもなかなか面白い材料ではないかと私は見ています。というのもこれは私の留学先の中国人教師が日本に来た時のエピソードですが、なんでも朝早くに宿舎を出て散歩していたらカラスがたくさんいて非常に気味が悪かったそうです。そりゃ確かにカラスがたくさんいれば気味が悪いと思う日本人は他にもいそうですが、これは断言してもいいですが日本以外の国の人からするとカラスは気味が悪いってもんじゃなくて見るも不愉快な鳥として見られています。私の感覚だと、日本人にとってはドブネズミを見るような感覚で見ているんじゃないかと思います。
それに対して我らが日本人ですが、確かにカラスは気味が悪いとか某都知事のように目の敵にされることがあるものの、別に空を飛んでるところを見ても外国人みたく極端に気分を悪くすることはないかと思います。それどころか、「カーラースー、なぜ鳴くのー?」などといった童謡にもよく歌われ、人によっては私みたいに親近感を持っている人もいるんじゃないかと思います。一般的には狡猾でずる賢く書かれるものの、中には親子連れで書かれたりしてどこか郷愁的なイメージが日本人の中にはあるんじゃないかとみています。
元々、鳥自体が日本人にとって他の動物とは一線を画した扱いが神話時代からされております。神社の鳥居もその名の通りに神の使いである鳥が休む場所として設置されたのが始まりとしており、ヤタガラスが現代にまで伝えられているのもそうした流れなのかもしれません。
なんだか話が尻切れトンボ気味ですが、最後にカラスに関するエピソードを二つ紹介します。
・カラスの死骸が街中でほとんど見られないことについて昔に矢追純一氏が、「カラスは死んだ瞬間にこの世から消滅する」と一時期主張していました。なんか妙なところで説得力あって変に納得しそうになりましたが、なんとなくこのカラスがなぜ電線に止まって感電しないのかという話に通じるものがある気がします。
・Wikipediaの記事によると、
「1996年、神奈川県で鉄道のレール上にハシボソガラスが石を置くという事件が頻発した。JRの人間に巣を撤去されたことに対する復讐として、列車を転覆させようとしたと言われたこともあったが、実際は敷石の下にパンを貯食した際にくわえ上げた石を偶然レール上に置き、それを放置することで起きていたというのが真相であった。」
確かこの事件があった時の新聞の見出しは、「カラス、なぜ置くの?」だった気がします。
さて山幸彦は天皇家の先祖ということは前の記事でも紹介しましたが、ちょうど山幸彦の孫が初代天皇とされている神武天皇でここから万世一系の天皇家が始まるわけですが、正直言って神武天皇については私はあまり興味が湧きません。あまり勉強してないのもありますが具体的なエピソードがちょっと乏しく、東征したっつってもなんだかピンと来ず、おまけに初代天皇とされるだけあっていろんな人間が一緒くたにまとめられてて実在性もなんだか乏しいような気がします。そんな神武天皇よりもむしろ、東征を助けたとされるヤタガラスの方が日本人への影響力は強いんじゃないかと密かに考えているわけです。
・八咫烏(Wikipedia)
ヤタガラスは東征を始めた神武天皇を道案内するよう高天原から遣わされるカラスなのですが、身体的特徴としては足が三本あると言われているものの、なんかウィキペディアの記事によると三つ足があるとはっきり書いた資料はなくむしろそれこそが後世の俗説ではないかと書かれてます。
このヤタガラスが現代日本にどのように影響を与えているかですが、まずは何と言っても全日本サッカー協会のシンボルマークに採用されていることでしょう。全日本関係のグッズなんかにはよくこのマークが使われておりますが、古来の日本の神性を持った動物としては格好の材料で採用を決定したサッカー協会の人は先見の明があると思います。
こうしたサッカー方面の影響はもとより、現代日本人とカラスの関係性を考えてみるにつけてもなかなか面白い材料ではないかと私は見ています。というのもこれは私の留学先の中国人教師が日本に来た時のエピソードですが、なんでも朝早くに宿舎を出て散歩していたらカラスがたくさんいて非常に気味が悪かったそうです。そりゃ確かにカラスがたくさんいれば気味が悪いと思う日本人は他にもいそうですが、これは断言してもいいですが日本以外の国の人からするとカラスは気味が悪いってもんじゃなくて見るも不愉快な鳥として見られています。私の感覚だと、日本人にとってはドブネズミを見るような感覚で見ているんじゃないかと思います。
それに対して我らが日本人ですが、確かにカラスは気味が悪いとか某都知事のように目の敵にされることがあるものの、別に空を飛んでるところを見ても外国人みたく極端に気分を悪くすることはないかと思います。それどころか、「カーラースー、なぜ鳴くのー?」などといった童謡にもよく歌われ、人によっては私みたいに親近感を持っている人もいるんじゃないかと思います。一般的には狡猾でずる賢く書かれるものの、中には親子連れで書かれたりしてどこか郷愁的なイメージが日本人の中にはあるんじゃないかとみています。
元々、鳥自体が日本人にとって他の動物とは一線を画した扱いが神話時代からされております。神社の鳥居もその名の通りに神の使いである鳥が休む場所として設置されたのが始まりとしており、ヤタガラスが現代にまで伝えられているのもそうした流れなのかもしれません。
なんだか話が尻切れトンボ気味ですが、最後にカラスに関するエピソードを二つ紹介します。
・カラスの死骸が街中でほとんど見られないことについて昔に矢追純一氏が、「カラスは死んだ瞬間にこの世から消滅する」と一時期主張していました。なんか妙なところで説得力あって変に納得しそうになりましたが、なんとなくこのカラスがなぜ電線に止まって感電しないのかという話に通じるものがある気がします。
・Wikipediaの記事によると、
「1996年、神奈川県で鉄道のレール上にハシボソガラスが石を置くという事件が頻発した。JRの人間に巣を撤去されたことに対する復讐として、列車を転覆させようとしたと言われたこともあったが、実際は敷石の下にパンを貯食した際にくわえ上げた石を偶然レール上に置き、それを放置することで起きていたというのが真相であった。」
確かこの事件があった時の新聞の見出しは、「カラス、なぜ置くの?」だった気がします。
2011年6月12日日曜日
中国の空母建艦報道について
・空母建設で中国のネット大興奮 名前は「周瑜」?「毛沢東」?(産経新聞)
先月から中国の空母建艦ニュースが盛んに報じられておりますが、この報道というか中国がどうも空母建艦に乗り出したというニュースは去年から出ていて、つい最近に参謀長がそれを認めたという経過を辿っております。
この空母建艦について話す前に現在の中国人民解放軍について少し解説しておくと、ある評論家によると人民解放軍こそ自衛隊だという意見があります。というのも人民解放軍の主力は戦車で、航空機や艦船といった兵器がほとんどないため陸続きならまだしも海外の国へミサイルなどで攻撃することは出来ても進攻、占領することはほぼ不可能で、台湾すらも攻略できないだろうという意見で一致しております。むしろイージス艦みたいなとんでもない兵器やそこそこの航空戦力を持っている日本の自衛隊の方がこの点で遥かに上回ります。
それゆえに中国の軍事費が毎年二桁増で問題だという主張があちこちでされておりますが、これについては中国側が発信しているよりもペンタゴンの方が熱心に発信しているとまで言われています。何故かというと、言うは邪推ですが中国脅威論を盛り立てることで自分たちの予算を獲得できるからです。実際には進攻能力がほぼ無に等しいので、アメリカ側は人民解放軍なんか脅威ともなんとも思っていないでしょう。
ただ、今回の空母建艦のニュースはそんなパワーバランスに一石を投じる報道で間違いありません。空母があるかないかは進攻能力において大きく影響し、しかも国産空母を作っているとのことでこれを量産するとなるといろいろと話が変わってきます。それゆえに現段階ではまだ性能も未知数ゆえにあまり大騒ぎすることは返って人民解放軍を喜ばせることとなるので刷るべきではありませんが、注視するべきニュースであることに間違いはありません。
その上でこの機に説明してしまいますが、今回引用したニュース記事中でも触れられておりますが中国はこの空母建艦について必ずしも一枚岩ではありません。私がいつも読んでいる現地紙においてすら空母を建艦する必要はあるのか、維持費がどれだけの負担になるのかなどと真っ向から批判する論説を載せてあったのを目にしてますし、こういった論説が載るということは中国式に言うと、「ある程度好きに議論していい」ということで、批判しても罰されないということです。
たまに日本人の方で勘違いしている方がいますが、同じ社会主義国家でも中国と北朝鮮とでは軍に対する価値観は真逆と言っていいほど違います。圧倒的大多数の中国人は人民解放軍に対してほとんど信用しておらず、人によっては軍人なんてならず者の集まりだと言ってはばからず、親戚縁者がなろうとするものなら大反対するほどです。はっきり言って、日本人の自衛隊への信頼感と比べるなら雲泥の差です。
また共産党政府も毎年軍事費の予算は確かに二桁増を続けていますが、内心では百万を超える兵力を可能な限り削減して財政負担を減らしたいと考えていると言われており、私もこの予想を支持します。しかしこれに対して軍人側も反発が強く、退役後の年金の扱いなどを巡って中国共産党内では相当な暗闘があるとも聞きます。
あくまでこれは一説ですが、昨年の尖閣諸島沖の事件もその暗闘の延長線上で起こったという話すらあります。この辺については細かくは書きませんが、昨年に自衛隊が尖閣諸島に有事が起きた際の対応マニュアルを作成していたということが日本で報じられるや中国でも報じられましたが、これに手を叩いて一番喜んだのは人民解放軍幹部でしょう。
先月から中国の空母建艦ニュースが盛んに報じられておりますが、この報道というか中国がどうも空母建艦に乗り出したというニュースは去年から出ていて、つい最近に参謀長がそれを認めたという経過を辿っております。
この空母建艦について話す前に現在の中国人民解放軍について少し解説しておくと、ある評論家によると人民解放軍こそ自衛隊だという意見があります。というのも人民解放軍の主力は戦車で、航空機や艦船といった兵器がほとんどないため陸続きならまだしも海外の国へミサイルなどで攻撃することは出来ても進攻、占領することはほぼ不可能で、台湾すらも攻略できないだろうという意見で一致しております。むしろイージス艦みたいなとんでもない兵器やそこそこの航空戦力を持っている日本の自衛隊の方がこの点で遥かに上回ります。
それゆえに中国の軍事費が毎年二桁増で問題だという主張があちこちでされておりますが、これについては中国側が発信しているよりもペンタゴンの方が熱心に発信しているとまで言われています。何故かというと、言うは邪推ですが中国脅威論を盛り立てることで自分たちの予算を獲得できるからです。実際には進攻能力がほぼ無に等しいので、アメリカ側は人民解放軍なんか脅威ともなんとも思っていないでしょう。
ただ、今回の空母建艦のニュースはそんなパワーバランスに一石を投じる報道で間違いありません。空母があるかないかは進攻能力において大きく影響し、しかも国産空母を作っているとのことでこれを量産するとなるといろいろと話が変わってきます。それゆえに現段階ではまだ性能も未知数ゆえにあまり大騒ぎすることは返って人民解放軍を喜ばせることとなるので刷るべきではありませんが、注視するべきニュースであることに間違いはありません。
その上でこの機に説明してしまいますが、今回引用したニュース記事中でも触れられておりますが中国はこの空母建艦について必ずしも一枚岩ではありません。私がいつも読んでいる現地紙においてすら空母を建艦する必要はあるのか、維持費がどれだけの負担になるのかなどと真っ向から批判する論説を載せてあったのを目にしてますし、こういった論説が載るということは中国式に言うと、「ある程度好きに議論していい」ということで、批判しても罰されないということです。
たまに日本人の方で勘違いしている方がいますが、同じ社会主義国家でも中国と北朝鮮とでは軍に対する価値観は真逆と言っていいほど違います。圧倒的大多数の中国人は人民解放軍に対してほとんど信用しておらず、人によっては軍人なんてならず者の集まりだと言ってはばからず、親戚縁者がなろうとするものなら大反対するほどです。はっきり言って、日本人の自衛隊への信頼感と比べるなら雲泥の差です。
また共産党政府も毎年軍事費の予算は確かに二桁増を続けていますが、内心では百万を超える兵力を可能な限り削減して財政負担を減らしたいと考えていると言われており、私もこの予想を支持します。しかしこれに対して軍人側も反発が強く、退役後の年金の扱いなどを巡って中国共産党内では相当な暗闘があるとも聞きます。
あくまでこれは一説ですが、昨年の尖閣諸島沖の事件もその暗闘の延長線上で起こったという話すらあります。この辺については細かくは書きませんが、昨年に自衛隊が尖閣諸島に有事が起きた際の対応マニュアルを作成していたということが日本で報じられるや中国でも報じられましたが、これに手を叩いて一番喜んだのは人民解放軍幹部でしょう。
中国のアダルトショップについて
上海人の友人に勧められたので、上記写真について紹介します。
上記写真は上海市内にあるお店の写真ですが、見てもらえばわかるとおりにこれはアダルトグッズショップです。私のブログの性格からすると本来こういうものは取り上げることはないのですが、中国の変化という観点からすれば確かに面白い材料なので友人のアドバイスに従ってコソコソと写真撮ってきました。
さてこのアダルトグッズショップですが、上海人の友人曰く「十年前だと考えられない」代物だそうです。また私にとっても、十年前と言わず五年前の北京ではありえないお店で、もし開店しようものなら民警にでも即取り締まられるのではと考えてしまいます。
今でこそ改革開放で資本主義まっしぐらの中国ですが、それでも日本と比べれば社会上いろいろとお堅いところが少なくありません。そんな中国においてこういうお店があるということ自体が一昔前の中国を知る人間からすれば驚きで、しかも今回写真で撮ってきたお店以外にも市内を歩いていればこういう店は意外と頻繁に見つけることが出来ます。もちろん中には入りませんが。
こうした中国の変化を好意的に見るか、否定的に見るかはなかなか判断が難しいです。私以上に昔、大体90年代頃の中国を知る世代からすると牧歌的な雰囲気を求めることが多くてこうした経済発展による変化をあまり好ましく思わない世代が多いですが、私としてはやはり経済発展とともに文化的要素が日本などといった先進国に近づいてきて余計な軋轢が減ってきていることを考えると、やはり甘受するべきかなと思ってしまいます。
オチらしいオチがないので、昔に保存したたけし軍団と土佐犬の写真も載せておきます。最近は四国犬と呼ぶようになっているそうですが、番犬として非常に優秀というだけにケンカしても敵う気がしません。
2011年6月11日土曜日
人質立てこもり犯に対する射殺の是非
・瀬戸内シージャック事件(Wikipedia)
私くらいの世代であれば上記リンク先で書かれている「瀬戸内シージャック事件」について知らない方々が多いかと思われます。この事件の概要を簡単に話すと、盗難車両で運転中に検問に引っかかった当時20歳だった犯人は仲間らと逃走し、その逃走中に銃砲店を襲ってライフルなど銃器を強奪すると広島港に停泊中だった「ぷりんす号」を襲って乗客、船員を乗せたまま乗っ取りました。その後犯人は途中で乗客を解放したものの船員は人質にし続け、何度も発砲(散弾は64発、ライフル銃弾は50発)しながら海上で篭城を続けていましたが、最終的にはその存在すら隠されていた大阪府警の狙撃部隊によって射殺されて落着しました。
この事件がどのような影響を与えたかと言うと、言うまでもありませんが犯人射殺の是非です。Wikipediaの記事によると当時の新聞はほとんどが「射殺もやむを得ない」と立場をとり、「あの」といったらなんですが朝日新聞ですら是認したそうです。しかしいつの世にもこういうのがいるもんだと言うべきか、自由人権協会のある弁護士によって犯人を狙撃した狙撃手が殺人罪で起訴されました。曰く、頭部ではなく手足などを狙えば十分であったのではという意見だったそうですが、最終的に裁判では県警らの正当防衛が認められて無罪とはなったものの、その後の犯人逮捕における銃使用条件に影響を与えたとされます。
この事件を踏まえて今回私が提起したい問題は、人質をとって立てこもる犯人を射殺するべきかどうかです。結論を言えば私は有無を言わさず即刻射殺するべきだという立場をとります。
私が何故このような立場をとるのかと言うと、人質をとって立てこもられた場合は人質自身の安否はもとより対応する警察も大きな危険にさらされるからです。いちいち挙げませんが主だった立てこもり事件では多くの殉職者が出ております。しかもこの手の事件は人質をとっている犯人側の立場が強く、食料などを要求することで事件が長期化することも少なく、長期化すればするほど人質の安全に影響する可能性を考えれば狙撃による犯人射殺という手段を積極的に採用するべきではないかと思います。
しかもこういった立てこもり事件についてさらに言えば、通常裁判というのはその犯罪を本当に行ったのかを審議する場所でありますが、立てこもり事件においては現行犯どころか現在進行で犯罪を続けているといっても過言ではなく、そもそも裁判なんて刷る必要があるのか疑問に感じます。量刑についてはまだ議論の余地がありますが死刑のハードルも下がっているのですし、いちいち裁判なんてせずに即刻犯人を射殺することは私はそれほど大きな問題ではないように考えます。そしてなにより、ここで私の主張する立てこもり犯に対する射殺が一般化することによってこんな馬鹿な真似する人間が出てこなくなることも期待できるのではないでしょうか。
なお私にとって印象的な立てこもり事件を上げるとすると、「西鉄バスジャック事件」が挙がって来ます。詳細はここでは語りませんが一人の女性を殺害した上にわずか6歳の女の子までも人質に取った犯人は既に社会復帰しているそうですが、私はこの犯人がのうのうと生きていることに腹が立つ上、あそこで狙撃することが出来ればどれだけ事件解決が簡単だったのだろうかと考えるといろいろと思うところがあります。
最後に、ここまで立てこもり犯の射殺を主張しながらでありますが今回引用した「瀬戸内シージャック事件」の記事の下部にあったこの記述に目を引かされました。
「1972年、連合赤軍の活動家が銃器で武装し人質をとって山荘内に立てこもったあさま山荘事件において警察は犯人を射殺せず全員逮捕した。この事件に関しては、「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文藝春秋発行、著者佐々淳行)によると、当時の警察庁長官である後藤田正晴が「犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく」との考えから、機動隊は犯人の逮捕を前提に活動したとされている。」
ここで語られている「あさま山荘事件」は語るまでもない有名な事件で、犯人逮捕までに複数の殉職者が発生したことはもとより多数の警官が重傷を負いました。私のさっきの主張からするとこういう事件でこそ犯人射殺をするべきなのですが、殺しては殉教者になり後を引くという当時の後藤田正晴のこの発言は、政治家とはこういうものなのかと正直しびれました。結末を知っている人間からすればわかりやすいですがこの事件で犯人らが逮捕されたことを受けて直前の「山岳ベース事件」の全容が明らかになり、連合赤軍解体はもとより過激派に対する社会の見方も一変することとなりました。そのような観点からすれば後藤田正晴のこの対応は、多くの犠牲者が出てしまったことは誠に残念ではあるものの決して的はずれなものではなかったように思えます。
おまけ
私は今回取り上げた「瀬戸内シージャック事件」については昔にテレビで放映された番組(確か「女神の天秤」)で知りましたが、私の記憶では確かこの番組で犯人を狙撃したのは「国民にもその存在を隠されていた大阪府警の零中隊隊員」と報じられていたように思います。ただ現在のSATの前身となったその零中隊は1977年に創設され、シージャック事件が起きたのが1970年と考えると時期にずれがあり、最初はただの記憶違いかなと考えました。しかし、そもそも「零中隊」なんてかなり珍しい単語をどこで覚えたのか、しかもかなり鮮明にこのシージャック事件と記憶が結びついていることを考えるとただの記憶違いですっ飛ばしていいものか悩むので、詳細がわかる人がいればコメント欄にでも書いてください。
あとついでに書くと、現在のSATは本当に国民に完全内緒で創設され、これも今日ここで取り上げた「西鉄バスジャック事件」で初めてお見えした部隊です。なおかつとどめとばかりに書き込んでおくと、SATで初めて殉職者が出た事件は2007年の「愛知長くて立てこもり発砲事件」です。この事件も、私が犯人即射殺を主張する一つの材料となっております。
私くらいの世代であれば上記リンク先で書かれている「瀬戸内シージャック事件」について知らない方々が多いかと思われます。この事件の概要を簡単に話すと、盗難車両で運転中に検問に引っかかった当時20歳だった犯人は仲間らと逃走し、その逃走中に銃砲店を襲ってライフルなど銃器を強奪すると広島港に停泊中だった「ぷりんす号」を襲って乗客、船員を乗せたまま乗っ取りました。その後犯人は途中で乗客を解放したものの船員は人質にし続け、何度も発砲(散弾は64発、ライフル銃弾は50発)しながら海上で篭城を続けていましたが、最終的にはその存在すら隠されていた大阪府警の狙撃部隊によって射殺されて落着しました。
この事件がどのような影響を与えたかと言うと、言うまでもありませんが犯人射殺の是非です。Wikipediaの記事によると当時の新聞はほとんどが「射殺もやむを得ない」と立場をとり、「あの」といったらなんですが朝日新聞ですら是認したそうです。しかしいつの世にもこういうのがいるもんだと言うべきか、自由人権協会のある弁護士によって犯人を狙撃した狙撃手が殺人罪で起訴されました。曰く、頭部ではなく手足などを狙えば十分であったのではという意見だったそうですが、最終的に裁判では県警らの正当防衛が認められて無罪とはなったものの、その後の犯人逮捕における銃使用条件に影響を与えたとされます。
この事件を踏まえて今回私が提起したい問題は、人質をとって立てこもる犯人を射殺するべきかどうかです。結論を言えば私は有無を言わさず即刻射殺するべきだという立場をとります。
私が何故このような立場をとるのかと言うと、人質をとって立てこもられた場合は人質自身の安否はもとより対応する警察も大きな危険にさらされるからです。いちいち挙げませんが主だった立てこもり事件では多くの殉職者が出ております。しかもこの手の事件は人質をとっている犯人側の立場が強く、食料などを要求することで事件が長期化することも少なく、長期化すればするほど人質の安全に影響する可能性を考えれば狙撃による犯人射殺という手段を積極的に採用するべきではないかと思います。
しかもこういった立てこもり事件についてさらに言えば、通常裁判というのはその犯罪を本当に行ったのかを審議する場所でありますが、立てこもり事件においては現行犯どころか現在進行で犯罪を続けているといっても過言ではなく、そもそも裁判なんて刷る必要があるのか疑問に感じます。量刑についてはまだ議論の余地がありますが死刑のハードルも下がっているのですし、いちいち裁判なんてせずに即刻犯人を射殺することは私はそれほど大きな問題ではないように考えます。そしてなにより、ここで私の主張する立てこもり犯に対する射殺が一般化することによってこんな馬鹿な真似する人間が出てこなくなることも期待できるのではないでしょうか。
なお私にとって印象的な立てこもり事件を上げるとすると、「西鉄バスジャック事件」が挙がって来ます。詳細はここでは語りませんが一人の女性を殺害した上にわずか6歳の女の子までも人質に取った犯人は既に社会復帰しているそうですが、私はこの犯人がのうのうと生きていることに腹が立つ上、あそこで狙撃することが出来ればどれだけ事件解決が簡単だったのだろうかと考えるといろいろと思うところがあります。
最後に、ここまで立てこもり犯の射殺を主張しながらでありますが今回引用した「瀬戸内シージャック事件」の記事の下部にあったこの記述に目を引かされました。
「1972年、連合赤軍の活動家が銃器で武装し人質をとって山荘内に立てこもったあさま山荘事件において警察は犯人を射殺せず全員逮捕した。この事件に関しては、「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文藝春秋発行、著者佐々淳行)によると、当時の警察庁長官である後藤田正晴が「犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく」との考えから、機動隊は犯人の逮捕を前提に活動したとされている。」
ここで語られている「あさま山荘事件」は語るまでもない有名な事件で、犯人逮捕までに複数の殉職者が発生したことはもとより多数の警官が重傷を負いました。私のさっきの主張からするとこういう事件でこそ犯人射殺をするべきなのですが、殺しては殉教者になり後を引くという当時の後藤田正晴のこの発言は、政治家とはこういうものなのかと正直しびれました。結末を知っている人間からすればわかりやすいですがこの事件で犯人らが逮捕されたことを受けて直前の「山岳ベース事件」の全容が明らかになり、連合赤軍解体はもとより過激派に対する社会の見方も一変することとなりました。そのような観点からすれば後藤田正晴のこの対応は、多くの犠牲者が出てしまったことは誠に残念ではあるものの決して的はずれなものではなかったように思えます。
おまけ
私は今回取り上げた「瀬戸内シージャック事件」については昔にテレビで放映された番組(確か「女神の天秤」)で知りましたが、私の記憶では確かこの番組で犯人を狙撃したのは「国民にもその存在を隠されていた大阪府警の零中隊隊員」と報じられていたように思います。ただ現在のSATの前身となったその零中隊は1977年に創設され、シージャック事件が起きたのが1970年と考えると時期にずれがあり、最初はただの記憶違いかなと考えました。しかし、そもそも「零中隊」なんてかなり珍しい単語をどこで覚えたのか、しかもかなり鮮明にこのシージャック事件と記憶が結びついていることを考えるとただの記憶違いですっ飛ばしていいものか悩むので、詳細がわかる人がいればコメント欄にでも書いてください。
あとついでに書くと、現在のSATは本当に国民に完全内緒で創設され、これも今日ここで取り上げた「西鉄バスジャック事件」で初めてお見えした部隊です。なおかつとどめとばかりに書き込んでおくと、SATで初めて殉職者が出た事件は2007年の「愛知長くて立てこもり発砲事件」です。この事件も、私が犯人即射殺を主張する一つの材料となっております。
2011年6月8日水曜日
私の信頼度リスト(機関、団体編)
大分昔にやった信頼度リストネタを今日ふと思い出したので、今回は機関と団体に対して私の信頼度を紹介しようと思います。前置きは余計なので、早速どうぞ。
<信頼している>
・消防、レスキュー隊
・国税庁
・ジェトロ(日本貿易振興機構)
<半信半疑>
・自衛隊(防衛省)
・弁護士
・経済産業省
・財務省
・公安
・医師会
・BPO
<信頼していない>
・検察
・裁判所
・国土交通省
・文部科学省
・農林水産省
・環境省
・外務省
・日銀
・経団連
<論外>
・消費者庁
・厚生労働省
さらっと思いつくのはざっとこんなもんです。
いくつか解説すると、消防、レスキュー隊は激務な任務をしっかりこなしていることから私は高く評価しています。アメリカではものすごい評価されるのに対して日本だとちょっと影が薄いような気がするので、もっとみんな注目したほうがいいんじゃないかとすら思うほどの評価です。その次の国税庁は国の機関としては最も活動力というかいいところを突いてきておりこちらも高く評価しており、ジェトロについては前職が貿易屋だっただけにないと困ってしまう存在です。
自衛隊については当初は信頼のカテゴリーに入れようと考えていましたが、現場の隊員らについては疑いの余地なく信頼しているものの、バックの防衛省こと防衛利権というものは相当根深いと聞くのであえて半信半疑に落ち着かせました。そのほかはちょっと曖昧な感じにまとめていますが、やはりというか国の機関の大半は信頼していないのが我ながら浮き彫りとなりました。
最後に警察についてですが、警察は各県の県警ごとに性格が変わったりするので一緒くたに評価することはやめました。公安は入れてみたけど。警察に対する評価、というか問題あると思う県警を今度あたりに平成に起こった警察不祥事とともにまとめてみようかと企画中ですが、敢えてここで名指しで批判させてもらうと足利事件で冤罪を生み、なおかつ真相を闇に葬ろうとしている栃木県警はクズだと言わざるを得ません。その警察関係ですと現在日テレ記者の清水潔氏の取材力には脱帽するばかりで、このブログを読んでいる方々も是非、文芸春秋で毎号取り上げられる清水氏の足利事件追跡レポートを読んでほしいです。
<信頼している>
・消防、レスキュー隊
・国税庁
・ジェトロ(日本貿易振興機構)
<半信半疑>
・自衛隊(防衛省)
・弁護士
・経済産業省
・財務省
・公安
・医師会
・BPO
<信頼していない>
・検察
・裁判所
・国土交通省
・文部科学省
・農林水産省
・環境省
・外務省
・日銀
・経団連
<論外>
・消費者庁
・厚生労働省
さらっと思いつくのはざっとこんなもんです。
いくつか解説すると、消防、レスキュー隊は激務な任務をしっかりこなしていることから私は高く評価しています。アメリカではものすごい評価されるのに対して日本だとちょっと影が薄いような気がするので、もっとみんな注目したほうがいいんじゃないかとすら思うほどの評価です。その次の国税庁は国の機関としては最も活動力というかいいところを突いてきておりこちらも高く評価しており、ジェトロについては前職が貿易屋だっただけにないと困ってしまう存在です。
自衛隊については当初は信頼のカテゴリーに入れようと考えていましたが、現場の隊員らについては疑いの余地なく信頼しているものの、バックの防衛省こと防衛利権というものは相当根深いと聞くのであえて半信半疑に落ち着かせました。そのほかはちょっと曖昧な感じにまとめていますが、やはりというか国の機関の大半は信頼していないのが我ながら浮き彫りとなりました。
最後に警察についてですが、警察は各県の県警ごとに性格が変わったりするので一緒くたに評価することはやめました。公安は入れてみたけど。警察に対する評価、というか問題あると思う県警を今度あたりに平成に起こった警察不祥事とともにまとめてみようかと企画中ですが、敢えてここで名指しで批判させてもらうと足利事件で冤罪を生み、なおかつ真相を闇に葬ろうとしている栃木県警はクズだと言わざるを得ません。その警察関係ですと現在日テレ記者の清水潔氏の取材力には脱帽するばかりで、このブログを読んでいる方々も是非、文芸春秋で毎号取り上げられる清水氏の足利事件追跡レポートを読んでほしいです。
2011年6月7日火曜日
役に立たない学問を勉強する価値
このブログでは頻繁に歴史ネタを出すだけあって、プライベートでも私はかなりの歴史オタクです。そのせいか野球が好きな友人が出身地が甲子園の強い県かどうかで相手をリアルに値踏みするように、私も歴史が好きだという人間には無条件で信用してしまうところがあります。ただこれは野球や歴史に限らずとも、相似性といって似た趣味を持つ人間同士は仲良くなりやすい傾向がはっきりと確認されているので一般常識的にもおかしくはないでしょうが。
そんな歴史について逆に歴史が苦手だった人間からよく、「そんな役に立たないこと暗記してどうするの?」と聞かれたりします。確かに歴史を知っているからといって飯の種に出来るわけでなく、人生で役に立つと言っても思想面では本家本元の哲学や倫理学を勉強したほうが遥かに効果は高いです。それにも関わらず歴史をどうして学び続けるのかと言ったら、私は役に立たない学問だからこそだと主張します。
以前にも友人と歴史は勉強する価値があるのかというテーマで議論しましたが、結論としては、「少なくとも、歴史を勉強しようとする人は話しやすいよね」というところに落ち着きました。私が思うに歴史というのは確かに生活上何の役にも立たない学問ですが、そんな役にも立たないものに対しても興味を持てる人間というのは比較的自分から遠く離れたもの、経験したことがないものに対して抵抗が薄く、「自分とは関係ないから」といって切り捨てることなく寛容な人間が多いような気がします。同様に理系マイナー学問代表の天文学が好きな人も比較的多分野に興味を持つ人が多く、私にとってすれば話しやすい人が多いです。
逆に自ら専門分野を狭めようとしている人は私にとってすれば会話し辛く、今までの経験からもそのような人たちから何の意図もない発言をとられて「それってどういうことだよ」と突っかかられることが非常に多かったです。高校時代にはまさにそういう人間がおり、自分の受験する大学は国語の試験に漢文科目がないことから模試で「国語1」を受け、比較的高い偏差値を取って悦に入っておりましたが、上位校を受ける大半の受験生は「国語1・2」を受けるから何の指標にもならんよと言ったらまた突っかかってくるのが目に見えていたので敢えて黙ってました。
私が思うにあまり役に立たない学問を何故勉強するのかと言うと、多方面への興味を持つ訓練として必要だからだと思います。現在の大学教育においても、近年は文系でも専門化が進んできましたが、一般教養課程の重要性は大学人なら誰もが理解していると思いますし、私自身も貴重な時間だったと思います。ただ調子に乗って取り過ぎて、卒業時に160単位を超えていたのはやり過ぎでしたが。単位未認定を含めれば180単位に近かったし。
学問に限らず多趣味であることは相手を評価する上で非常に好意的な材料だと思います。ただ最近は何か一つで大きな成果なり知見が求められ、特に就職面接では具体的なエピソードを要求されるなどして何か一つへの特化が社会的にも強く求められているような気がします。昔なんかは誰がこんな社会にしたんだと憤懣やるかたありませんでしたが、この年になると何故今になっても変えられないのだろうと、自分の無力さを感じることのが増えてきました。
おまけ
先週にやけに日本のサイトにつながらないと書きましたが、すっかり忘れてましたが6月初旬は天安門事件記念日があり、中国政府がピリピリしている頃で、そのせいで海外へのアクセスが制限されていたようです。
おまけ2
初対面の人間を相手にする際、歴史好きかどうかに加え動物好きかどうかでも結構値踏みします。動物好きな人には悪い人は少ないように感じますし。
そんな歴史について逆に歴史が苦手だった人間からよく、「そんな役に立たないこと暗記してどうするの?」と聞かれたりします。確かに歴史を知っているからといって飯の種に出来るわけでなく、人生で役に立つと言っても思想面では本家本元の哲学や倫理学を勉強したほうが遥かに効果は高いです。それにも関わらず歴史をどうして学び続けるのかと言ったら、私は役に立たない学問だからこそだと主張します。
以前にも友人と歴史は勉強する価値があるのかというテーマで議論しましたが、結論としては、「少なくとも、歴史を勉強しようとする人は話しやすいよね」というところに落ち着きました。私が思うに歴史というのは確かに生活上何の役にも立たない学問ですが、そんな役にも立たないものに対しても興味を持てる人間というのは比較的自分から遠く離れたもの、経験したことがないものに対して抵抗が薄く、「自分とは関係ないから」といって切り捨てることなく寛容な人間が多いような気がします。同様に理系マイナー学問代表の天文学が好きな人も比較的多分野に興味を持つ人が多く、私にとってすれば話しやすい人が多いです。
逆に自ら専門分野を狭めようとしている人は私にとってすれば会話し辛く、今までの経験からもそのような人たちから何の意図もない発言をとられて「それってどういうことだよ」と突っかかられることが非常に多かったです。高校時代にはまさにそういう人間がおり、自分の受験する大学は国語の試験に漢文科目がないことから模試で「国語1」を受け、比較的高い偏差値を取って悦に入っておりましたが、上位校を受ける大半の受験生は「国語1・2」を受けるから何の指標にもならんよと言ったらまた突っかかってくるのが目に見えていたので敢えて黙ってました。
私が思うにあまり役に立たない学問を何故勉強するのかと言うと、多方面への興味を持つ訓練として必要だからだと思います。現在の大学教育においても、近年は文系でも専門化が進んできましたが、一般教養課程の重要性は大学人なら誰もが理解していると思いますし、私自身も貴重な時間だったと思います。ただ調子に乗って取り過ぎて、卒業時に160単位を超えていたのはやり過ぎでしたが。単位未認定を含めれば180単位に近かったし。
学問に限らず多趣味であることは相手を評価する上で非常に好意的な材料だと思います。ただ最近は何か一つで大きな成果なり知見が求められ、特に就職面接では具体的なエピソードを要求されるなどして何か一つへの特化が社会的にも強く求められているような気がします。昔なんかは誰がこんな社会にしたんだと憤懣やるかたありませんでしたが、この年になると何故今になっても変えられないのだろうと、自分の無力さを感じることのが増えてきました。
おまけ
先週にやけに日本のサイトにつながらないと書きましたが、すっかり忘れてましたが6月初旬は天安門事件記念日があり、中国政府がピリピリしている頃で、そのせいで海外へのアクセスが制限されていたようです。
おまけ2
初対面の人間を相手にする際、歴史好きかどうかに加え動物好きかどうかでも結構値踏みします。動物好きな人には悪い人は少ないように感じますし。
eBookjapanからの返信
前の「電子書籍、想定外の値上げ」の記事中で書いたeBookjapanの値上げについて、本日eBookjapanより返信を受け取りました。何でも「重要なお知らせ」にて今回槍玉に挙げた「でろでろ」を含む講談社の本を値上げすると前々から書いていたようで、私が見落としていただけだったようです。返信内容を読む限りですとどうも講談社との契約改定か何かで値上げになったような感じで、出版社側による値上げだった可能性が高いと見ております。
どちらにしろ定価540円の本を525円で電子書籍で買う気は起きず、eBookjapanには悪いですが「でろでろ」の続きは買わないことにします。なんていうか、どこかある出版社が電子書籍で価格を実書籍定価のから大幅に割り引いた価格で販売するところが出てきたら一気に広がりそうな感覚があるのですが、まだちょっと遠いようです。
どちらにしろ定価540円の本を525円で電子書籍で買う気は起きず、eBookjapanには悪いですが「でろでろ」の続きは買わないことにします。なんていうか、どこかある出版社が電子書籍で価格を実書籍定価のから大幅に割り引いた価格で販売するところが出てきたら一気に広がりそうな感覚があるのですが、まだちょっと遠いようです。
2011年6月5日日曜日
電子書籍を阻むものは誰なのか
電子書籍ネタ三投目。狙ったわけではありませんがなんか集中しました。
さて以前にも私はこのブログにて、かつてIT大手数社と出版社などが日本でも電子書籍を広めようとしたところ突然出版社側が「やっぱ今のなし!」って言って大きく広がらなかった例を引用し、出版社側は電子書籍の普及に乗り気でなくむしろ反動的なのではと書きましたが、この考えに大きな変化はないものの最近になってもうひとつ気になる要素が出てきました。
私は当初、出版社側は電子書籍が普及すると売り上げが減る可能性があるから手を引いたのかと書きましたが、どうもあちこちから話を聞いていると販売数が減ること以上に、印刷会社との軋轢から手を引いたのではという考えが強くなってきました。考えても見ると電子書籍化して確かに実書籍の販売は間違いなく減るものの、その分電子書籍の販売が大きく伸びれば出版社側は今までどおりとは行かないまでもまだ何とかやっていけます。しかし印刷会社側にとっては実書籍から電子書籍に切り替われば仕事は完全になくなるだけで、それこそ出版社側が電子書籍に移行しようとするものならそれを必死で阻止するのではないかと思います。
出版社側も現状では印刷会社が本を刷ってくれてなんぼで、下手に関係を悪くして校了時間とか融通利かせてくれなくなったらまずいところでしょう。そういう意味で出版社側が電子書籍に対してどうも本腰を挙げないのは、あくまで勝手なよそうですが印刷会社との関係があるからではないかと思った次第です。
ただ予想と言いつつもそのような節が全くないわけでなく、いくつかそれらしき根拠はあります。ひとつは前の記事で書いた文系春秋の電子版で、こちらは海外居住者にしか購入することが出来ず国内では見ることが出来ません。こうすれば日本の印刷会社は何も困ることはありません。
もうひとつは日経新聞の電子版で、こちらは電子版だけでも取る事が出来ますが通常の紙媒体での契約より料金は高く設定されており、そのかわり紙媒体でも新聞を取っていたら電子版は非常に安価な契約料金で取る事が出来ます。日経新聞の電子版が出た際にこの価格設定について私はやはり新聞会社は紙にこだわるんだなと考えていましたが、改めて考えてみると印刷会社(新聞屋)を気にしてのこの対応だったのかもしれません。
その上、さっきから自分の考えをまくし立てていますがもうひとつ気になることとして、電子書籍での広告の扱いが今後どうなっていくかがまだ未知数です。昨日の記事でも書きましたが文芸春秋の電子版には広告欄が消されておりました。まぁ海外で配信するのだから契約とかいろいろあるんだろうし納得は出来るんですが、案外この広告の取り扱いでも出版社は電子書籍二の足を踏んでいるのかもとすこし思うところがあります。
たとえば新聞では朝日や読売といった全国誌には全国で載せられる広告もあれば地方ごとの広告もあります。しかし電子書籍となるとまず以って地方ごとの広告はつけ辛くなり、事実上の地方切捨てとなってただでさえ広告主が減っている現況をさらに悪化させる可能性があります。
さらに電子書籍で出版社や新聞社が困ってしまうのは、実部数が完全に丸わかりとなってしまう点です。これもちょっと前に記事にしましたが日本の新聞社はそれぞれ勝手に販売部数を自称して一日あたりの閲覧者数を割り出し、企業から受け取る広告料の算定をしております。しかしどの新聞社も押紙といって実際には販売されない分まで刷ってこの部数を水増ししており、仮に電子書籍に大きく移行でもしたら電子媒体ゆえにかなり正確な部数が判明してしまい、今までのように部数を水増しして多めに広告料を取る事が出来なくなってしまいます。
しかもさらに懐の痛いところは、広告の効果までデータ化されてわかってしまう点です。利用者ならわかると思いますがAmazonなどでは利用者の過去の購入履歴をすべてデータ化して利用者ごとにおすすめ商品を提示してきて、私の場合は水木しげる氏の本がずらっと並んでなんだかなぁって気がするのですがそれはこの際置いといて、どの利用者にどのような商品が売れるのかといった統計が完全に出来上がっています。これは広告にも応用されており、その広告をどのような人へ、どれくらい、どんな場所で見せれば販売に結びつくかなども全部調べ上げられており、それゆえに米国の広告業界などはGoogleなどを目の敵にしているそうですが、電子書籍化した場合にその本につけられる広告もこのようにデータ化され、載せたところで意味のない広告なんかもはっきりしてしまうでしょう。
こういった点から考えると、やはり出版社や新聞社からすると電子書籍はまだ未知の部分が明らかに多い分野で、少なくとも積極低に乗り込む世界と思わないのは自然な気がします。ただ先ほどの広告に関しますと、多分もう出来ていると思いますけど利用者ごとにあった広告が電子書籍中にも自動的に表示されるシステムなどを利用すればまだ未来がある部分もあります。もっとも今よりかは確実に広告料は減るだろうけど。
最後に私事ですが、どうも先週から中国から日本へのインターネットアクセス環境が悪くなっております。30分くらい完全につながらなかったりすることが頻繁にあり、前もブログ記事を書き上げたのに送信が出来ないことがありました。スカイプはずっと使えるし中国のサイトにはアクセスできるのだから今のインターネット環境が悪いというわけではないと思いますが、今度世界でプロトコルが更新されるのと関係があるのだろうか……。
さて以前にも私はこのブログにて、かつてIT大手数社と出版社などが日本でも電子書籍を広めようとしたところ突然出版社側が「やっぱ今のなし!」って言って大きく広がらなかった例を引用し、出版社側は電子書籍の普及に乗り気でなくむしろ反動的なのではと書きましたが、この考えに大きな変化はないものの最近になってもうひとつ気になる要素が出てきました。
私は当初、出版社側は電子書籍が普及すると売り上げが減る可能性があるから手を引いたのかと書きましたが、どうもあちこちから話を聞いていると販売数が減ること以上に、印刷会社との軋轢から手を引いたのではという考えが強くなってきました。考えても見ると電子書籍化して確かに実書籍の販売は間違いなく減るものの、その分電子書籍の販売が大きく伸びれば出版社側は今までどおりとは行かないまでもまだ何とかやっていけます。しかし印刷会社側にとっては実書籍から電子書籍に切り替われば仕事は完全になくなるだけで、それこそ出版社側が電子書籍に移行しようとするものならそれを必死で阻止するのではないかと思います。
出版社側も現状では印刷会社が本を刷ってくれてなんぼで、下手に関係を悪くして校了時間とか融通利かせてくれなくなったらまずいところでしょう。そういう意味で出版社側が電子書籍に対してどうも本腰を挙げないのは、あくまで勝手なよそうですが印刷会社との関係があるからではないかと思った次第です。
ただ予想と言いつつもそのような節が全くないわけでなく、いくつかそれらしき根拠はあります。ひとつは前の記事で書いた文系春秋の電子版で、こちらは海外居住者にしか購入することが出来ず国内では見ることが出来ません。こうすれば日本の印刷会社は何も困ることはありません。
もうひとつは日経新聞の電子版で、こちらは電子版だけでも取る事が出来ますが通常の紙媒体での契約より料金は高く設定されており、そのかわり紙媒体でも新聞を取っていたら電子版は非常に安価な契約料金で取る事が出来ます。日経新聞の電子版が出た際にこの価格設定について私はやはり新聞会社は紙にこだわるんだなと考えていましたが、改めて考えてみると印刷会社(新聞屋)を気にしてのこの対応だったのかもしれません。
その上、さっきから自分の考えをまくし立てていますがもうひとつ気になることとして、電子書籍での広告の扱いが今後どうなっていくかがまだ未知数です。昨日の記事でも書きましたが文芸春秋の電子版には広告欄が消されておりました。まぁ海外で配信するのだから契約とかいろいろあるんだろうし納得は出来るんですが、案外この広告の取り扱いでも出版社は電子書籍二の足を踏んでいるのかもとすこし思うところがあります。
たとえば新聞では朝日や読売といった全国誌には全国で載せられる広告もあれば地方ごとの広告もあります。しかし電子書籍となるとまず以って地方ごとの広告はつけ辛くなり、事実上の地方切捨てとなってただでさえ広告主が減っている現況をさらに悪化させる可能性があります。
さらに電子書籍で出版社や新聞社が困ってしまうのは、実部数が完全に丸わかりとなってしまう点です。これもちょっと前に記事にしましたが日本の新聞社はそれぞれ勝手に販売部数を自称して一日あたりの閲覧者数を割り出し、企業から受け取る広告料の算定をしております。しかしどの新聞社も押紙といって実際には販売されない分まで刷ってこの部数を水増ししており、仮に電子書籍に大きく移行でもしたら電子媒体ゆえにかなり正確な部数が判明してしまい、今までのように部数を水増しして多めに広告料を取る事が出来なくなってしまいます。
しかもさらに懐の痛いところは、広告の効果までデータ化されてわかってしまう点です。利用者ならわかると思いますがAmazonなどでは利用者の過去の購入履歴をすべてデータ化して利用者ごとにおすすめ商品を提示してきて、私の場合は水木しげる氏の本がずらっと並んでなんだかなぁって気がするのですがそれはこの際置いといて、どの利用者にどのような商品が売れるのかといった統計が完全に出来上がっています。これは広告にも応用されており、その広告をどのような人へ、どれくらい、どんな場所で見せれば販売に結びつくかなども全部調べ上げられており、それゆえに米国の広告業界などはGoogleなどを目の敵にしているそうですが、電子書籍化した場合にその本につけられる広告もこのようにデータ化され、載せたところで意味のない広告なんかもはっきりしてしまうでしょう。
こういった点から考えると、やはり出版社や新聞社からすると電子書籍はまだ未知の部分が明らかに多い分野で、少なくとも積極低に乗り込む世界と思わないのは自然な気がします。ただ先ほどの広告に関しますと、多分もう出来ていると思いますけど利用者ごとにあった広告が電子書籍中にも自動的に表示されるシステムなどを利用すればまだ未来がある部分もあります。もっとも今よりかは確実に広告料は減るだろうけど。
最後に私事ですが、どうも先週から中国から日本へのインターネットアクセス環境が悪くなっております。30分くらい完全につながらなかったりすることが頻繁にあり、前もブログ記事を書き上げたのに送信が出来ないことがありました。スカイプはずっと使えるし中国のサイトにはアクセスできるのだから今のインターネット環境が悪いというわけではないと思いますが、今度世界でプロトコルが更新されるのと関係があるのだろうか……。
2011年6月4日土曜日
文芸春秋の電子版について
ひとつ前の記事に続いてまた電子書籍についてです。
すでに私が八年間も購読している文芸春秋が今年二月になり、電子書籍を出すようになりました。このニュースは昨年から中国で働き始めた私にとっても朗報で、海外でも読めるというのであればありがたいことこの上ないとかねてからいろいろと情報を集めていました。
ただ先月号まではちょうど日本からあれこれ物を贈ってもらう際に通常書籍版を混ぜてもらってたので、買う必要に迫られることはありませんでした。ただ現在本屋に置かれている6月号に関しては未だ通常書籍で手に入れておらず、なおかつこの後も手に入る予定がなかったことから一つ試してみようとすでに調査済みの電子書籍販売サイトに今日行って見ました。
文芸春秋の電子版は現在三つのサイトで販売されており、そのうち一つはAppstoreなのでアップルの周辺機器を持っていない私では利用することが出来ず、もうひとつのzinioというサイトは当該地域の各国語で表示され、なおかつ支払い方法が人民元になることからこちらも外し、最終的にマガストアというサイトを経由して購入することにしました。
こちら電子版の文芸春秋は海外居住者にしか販売されておらず、値段も日本での通常書籍版860円に対して1000円です。前回の記事では散々値段について文句を言いましたがこちらは月刊誌なんだし、海外居住者限定ということでこの値段についてはそれほど不満はありません。第一、前回記事で不満だったのは勝手に値上げされたことだし。
ただ購入する直前、いくつか気になることがありました。折角なので下記に列挙します。
1、ダウンロードは問題なく行えるか
2、データの管理はどうなのか
3、パソコン画面上だと読み辛くはないか
当たり前と言えば当たり前の心配で、もしよければ誰か感想を書いてこの辺がわかればいいなとあらかじめ探しはしたのですが、結局どこもなかったので結局自分が人身御供とばかりにこの際1000円払って確かめてみました。
まず一番目のダウンロードについてですが、中国のインターネット環境は国内ならまだしも海外となると速度が不安定でなおかつアクセス禁止となっているサイトが多々あります。そういうのでダウンロードは問題なく行えるか、また時間がかかり過ぎやしないかと心配でしたが、これはノープロブレムでした。ダウンロードにかかる時間はせいぜい2、3分程度で、恐らく電子書籍を見るためのビューアーを開くのに2、3分程度かかるだけでした。ただこれは逆に言うと1ページ開くごとにそのページデータをいちいちダウンロードしているということで、これは後でも述べますがいちいちページをめくるたびにローディングが発生します。
次に二番目ですが、eBookjapanだと電子書籍データを丸ごとパソコンに入れてみようと思えばいつでもそのパソコンでタイムラグなしに読めるのですが、こちらのマガストアはいちいちデータをブラウザに送り込んで読む形式らしく、データは常にサーバー上にあるようです。この形式だとダウンロードに大幅に時間がかかるのではと心配してましたが、上記のように1ページごとなので問題ありませんでした。
三番目の心配ですが、これは見事的中でした。というより、マガストア自体の管理に疑問を覚えました。
基本的に電子書籍を見る際はそれぞれのサイトが用意したビューアーソフトが用意されており、eBookjapanのようにあらかじめ利用者のパソコンにインストールさせておくものもあれば、Flash playerを使ってブラウザ上で起動させるものもあります。私はこれまでにいくつかの電子書籍サイトでいろいろ試してみましたが比率的にはFlash playerを利用するものが多いように思えますが、見たい時にタイムラグなし、しかもネットに接続する必要もないeBookjapanの「edi.BookReader」が今のところ不満もなく一番満足するソフトです。
それで今回のマガストアのビューアーなのですが、正直クラフトマンシップが何も感じられず、とりあえず見れるソフトを用意しただけというひどいレベルのものでした。まず一番不満なのはページの拡大率で、ただでさえ文芸春秋は縦書き三段で文字がびっしりしている雑誌の上にノートPCの画面で見るのだから相当拡大しないと文字が読み取れないのですが、かなり腹立つことにページを切り替えるたびに拡大率が初期設定(120%)に戻されてしまいます。私の所感だと最低でも200%位じゃないと読めないのに、ページをめくるたびにマウスホイール動かして拡大率を変えるのはかなり面倒です。さらにこの拡大率、直接入力すればどの拡大率でも反映されますがマウスホイールだと100%→120%→140%……と20%ずつ増えていくのに何故だか200%の次はいきなり300%に飛びます。個人的には240%くらいがベターだと思うのに。
あまりプログラムの知識がないにもかかわらずこういうこと書くのは良くないかもしれませんが、拡大率の維持くらいちょっと弄くればすぐ出来るようなことなんじゃないかと思います。しかもマガストアはどうもこの拡大率の維持がされないという問題を認識しているにもかかわらず放っておいてる節があり、サイトのFAQを見てみるとiphoneやipadについては対策を書いているにもかかわらずPCについてはノーコメントです。これ間違いなくわかってて放置してるだろ。
はっきり言って、拡大率が維持できない電子書籍のビューアーに出会ったのはのはこれが初めてです。さらに言えばほかのどのビューアも画面左側で左クリックすれば次のページ、右側なら前のページに移動して当たり前なのに、このマガストアのビューアはそんな機能すらなく下部にあるボタンをいちいち押さないといけません。挙句の果てにはコンフィグメニューすらなく、間違いなく最低レベルのビューアーと言っていいでしょう。
さらには1ページごとにデータをダウンロードするので、起動時には時間がかからないもののページを切り替えるたびに少々ローディングが必要になります。そんな時間がとられるわけじゃないですがさすがに毎ページでこれが続くのかと考えるとちょっとうんざりしてきて、結局数ページ見ただけで今のところ止めてます。
こんな具合でよくこんな体制でサービスを開始できたものだと結構呆れていたのですが、よくよくヘルプページを見てみると運営主体が電通だと書いてあって「だからか」と得心しました。あのセカンドライフをごり押ししただけあって如何にも電子書籍サイトを形だけで作っただけのようで、どうも真面目に運営する態度が見られません。文芸春秋社も、もう少し相手を選べよ。
と、愚痴が多くなりましたが今回の件は全く収穫がなかったわけじゃなく、ちょっと気になるトピックがいくつか出てきました。何が気になったかというと電子書籍版の文芸春秋は恐らく通常書籍版では広告が載せられていたと思われる箇所が空白(文芸春秋社の会社ロゴだけついてる)になっており、ふと「電子書籍の広告はどうなるのだろうか」という疑問がもたげてきました。この辺については次回の記事にて別トピックとともに取り上げます。
あと文芸春秋では毎号ペットと作家が一緒に写真撮って載るコラムがあって今月は佐藤優氏でしたが、「猫は人と違って裏切らない」と確信犯的に笑わせてきてました。それにしてもこの人、猫飼いすぎ。
すでに私が八年間も購読している文芸春秋が今年二月になり、電子書籍を出すようになりました。このニュースは昨年から中国で働き始めた私にとっても朗報で、海外でも読めるというのであればありがたいことこの上ないとかねてからいろいろと情報を集めていました。
ただ先月号まではちょうど日本からあれこれ物を贈ってもらう際に通常書籍版を混ぜてもらってたので、買う必要に迫られることはありませんでした。ただ現在本屋に置かれている6月号に関しては未だ通常書籍で手に入れておらず、なおかつこの後も手に入る予定がなかったことから一つ試してみようとすでに調査済みの電子書籍販売サイトに今日行って見ました。
文芸春秋の電子版は現在三つのサイトで販売されており、そのうち一つはAppstoreなのでアップルの周辺機器を持っていない私では利用することが出来ず、もうひとつのzinioというサイトは当該地域の各国語で表示され、なおかつ支払い方法が人民元になることからこちらも外し、最終的にマガストアというサイトを経由して購入することにしました。
こちら電子版の文芸春秋は海外居住者にしか販売されておらず、値段も日本での通常書籍版860円に対して1000円です。前回の記事では散々値段について文句を言いましたがこちらは月刊誌なんだし、海外居住者限定ということでこの値段についてはそれほど不満はありません。第一、前回記事で不満だったのは勝手に値上げされたことだし。
ただ購入する直前、いくつか気になることがありました。折角なので下記に列挙します。
1、ダウンロードは問題なく行えるか
2、データの管理はどうなのか
3、パソコン画面上だと読み辛くはないか
当たり前と言えば当たり前の心配で、もしよければ誰か感想を書いてこの辺がわかればいいなとあらかじめ探しはしたのですが、結局どこもなかったので結局自分が人身御供とばかりにこの際1000円払って確かめてみました。
まず一番目のダウンロードについてですが、中国のインターネット環境は国内ならまだしも海外となると速度が不安定でなおかつアクセス禁止となっているサイトが多々あります。そういうのでダウンロードは問題なく行えるか、また時間がかかり過ぎやしないかと心配でしたが、これはノープロブレムでした。ダウンロードにかかる時間はせいぜい2、3分程度で、恐らく電子書籍を見るためのビューアーを開くのに2、3分程度かかるだけでした。ただこれは逆に言うと1ページ開くごとにそのページデータをいちいちダウンロードしているということで、これは後でも述べますがいちいちページをめくるたびにローディングが発生します。
次に二番目ですが、eBookjapanだと電子書籍データを丸ごとパソコンに入れてみようと思えばいつでもそのパソコンでタイムラグなしに読めるのですが、こちらのマガストアはいちいちデータをブラウザに送り込んで読む形式らしく、データは常にサーバー上にあるようです。この形式だとダウンロードに大幅に時間がかかるのではと心配してましたが、上記のように1ページごとなので問題ありませんでした。
三番目の心配ですが、これは見事的中でした。というより、マガストア自体の管理に疑問を覚えました。
基本的に電子書籍を見る際はそれぞれのサイトが用意したビューアーソフトが用意されており、eBookjapanのようにあらかじめ利用者のパソコンにインストールさせておくものもあれば、Flash playerを使ってブラウザ上で起動させるものもあります。私はこれまでにいくつかの電子書籍サイトでいろいろ試してみましたが比率的にはFlash playerを利用するものが多いように思えますが、見たい時にタイムラグなし、しかもネットに接続する必要もないeBookjapanの「edi.BookReader」が今のところ不満もなく一番満足するソフトです。
それで今回のマガストアのビューアーなのですが、正直クラフトマンシップが何も感じられず、とりあえず見れるソフトを用意しただけというひどいレベルのものでした。まず一番不満なのはページの拡大率で、ただでさえ文芸春秋は縦書き三段で文字がびっしりしている雑誌の上にノートPCの画面で見るのだから相当拡大しないと文字が読み取れないのですが、かなり腹立つことにページを切り替えるたびに拡大率が初期設定(120%)に戻されてしまいます。私の所感だと最低でも200%位じゃないと読めないのに、ページをめくるたびにマウスホイール動かして拡大率を変えるのはかなり面倒です。さらにこの拡大率、直接入力すればどの拡大率でも反映されますがマウスホイールだと100%→120%→140%……と20%ずつ増えていくのに何故だか200%の次はいきなり300%に飛びます。個人的には240%くらいがベターだと思うのに。
あまりプログラムの知識がないにもかかわらずこういうこと書くのは良くないかもしれませんが、拡大率の維持くらいちょっと弄くればすぐ出来るようなことなんじゃないかと思います。しかもマガストアはどうもこの拡大率の維持がされないという問題を認識しているにもかかわらず放っておいてる節があり、サイトのFAQを見てみるとiphoneやipadについては対策を書いているにもかかわらずPCについてはノーコメントです。これ間違いなくわかってて放置してるだろ。
はっきり言って、拡大率が維持できない電子書籍のビューアーに出会ったのはのはこれが初めてです。さらに言えばほかのどのビューアも画面左側で左クリックすれば次のページ、右側なら前のページに移動して当たり前なのに、このマガストアのビューアはそんな機能すらなく下部にあるボタンをいちいち押さないといけません。挙句の果てにはコンフィグメニューすらなく、間違いなく最低レベルのビューアーと言っていいでしょう。
さらには1ページごとにデータをダウンロードするので、起動時には時間がかからないもののページを切り替えるたびに少々ローディングが必要になります。そんな時間がとられるわけじゃないですがさすがに毎ページでこれが続くのかと考えるとちょっとうんざりしてきて、結局数ページ見ただけで今のところ止めてます。
こんな具合でよくこんな体制でサービスを開始できたものだと結構呆れていたのですが、よくよくヘルプページを見てみると運営主体が電通だと書いてあって「だからか」と得心しました。あのセカンドライフをごり押ししただけあって如何にも電子書籍サイトを形だけで作っただけのようで、どうも真面目に運営する態度が見られません。文芸春秋社も、もう少し相手を選べよ。
と、愚痴が多くなりましたが今回の件は全く収穫がなかったわけじゃなく、ちょっと気になるトピックがいくつか出てきました。何が気になったかというと電子書籍版の文芸春秋は恐らく通常書籍版では広告が載せられていたと思われる箇所が空白(文芸春秋社の会社ロゴだけついてる)になっており、ふと「電子書籍の広告はどうなるのだろうか」という疑問がもたげてきました。この辺については次回の記事にて別トピックとともに取り上げます。
あと文芸春秋では毎号ペットと作家が一緒に写真撮って載るコラムがあって今月は佐藤優氏でしたが、「猫は人と違って裏切らない」と確信犯的に笑わせてきてました。それにしてもこの人、猫飼いすぎ。
電子書籍、想定外の値上げ
かつてライブドアがニッポン放送買収を仕掛けた際にホリエモンが繰り返し「想定内」という言葉を使ったことから、この言葉は見事その年の流行語対象に選ばれることとなりました。ただ当時受けてた授業の講師も、「最近は想定外の時も想定内と言うようですね」と皮肉言ってたが。
翻ってみて今年、私は今度は「想定外」というこの言葉が目下の流行語大賞候補ではないかと見てます。かつてないほどの大震災に加え東電幹部らが繰り返し「想定外」という言葉を使って対応遅れの言い訳を使っているのはもとより、一昨日の不信任決議とその後の帰結も鳩山前首相や自民党にとって想定外といえるような事態で、なんか今後もこういうことがしばらく続きそうに感じるからです。
話は変わりますが本日、上海は日本の梅雨のようなシトシト雨日和で、予報だと明日も一日中降ってるようです。さすがに夕方からは気温も下がってきましたが昼間は蒸し暑くて外出する気も起きず家で不貞寝してましたが、暇つぶしに誰かいないものかとスカイプを開けても見事なくらいに誰もいなくて四六時中暇でした。そんなわけだから今度小銭が入ることとなったので、すこし贅沢して電子書籍で漫画を買い集めて読んでようかと思って昨日からいつも使っているeBookjapanを見てました。
すでに過去の記事でも言及してますが以前にもここから押切蓮介氏の「でろでろ」を買っており、今回も続きを買おうと検索してみたところ、何故だか知りませんが作者名でもタイトル名でも引っかかりません。しょうがないので全巻セットが確か出ていたからそこで五十音順に捜し出して開いてみると、一目して唖然としました。
「525円?( ゚д゚)」
私が以前、ってか先月に「でろでろ」の七巻と八巻を購入した際は一冊420円(税込み)だったところ、何故だかすべての巻で525円に価格が変わっていました。一体何故なんだ(#゚Д゚)、と思うのと同時にもしかしたらこの値上げが影響して先ほど検索に引っかからなかったのではないかという疑心が持ち上がってきました。
正直に言って、この値上げは私にとって不満この上ありません。確かに値段を決定するのは売り手の勝手ではあるものの予告もなしに、ついほんのちょっと前までに420円だった書籍を突然525円にするなんて今更買うのが馬鹿みたいに思えてきます。前もって予告してくれていたのであれば気に入った作品だっただけに全部買っておいたものを、ちょっと今回の値上げで買う気すら失せました。
第一、この値段自体ちょっと疑問符がつく値段です。Amazonを確認すればわかりますがこの本の定価は一冊540円で、eBookjapanの価格の525円とは15円しか差がありません。「でろでろ」自体は2009年に連載を終了しており、最終巻を含めて決して新しく出たばかりではないことを考えるとこの価格設定には首を傾げます。現在の状況のように海外にいて本がなかなか手に入らない状態でなければ、525円だと古本屋にでも行って買った方が絶対得だという気がしてなりません。
逆に、以前の420円という値段は陰ながら実は評価してました。そもそも印刷や物流コストがかからないのであるから電子書籍は一般販売より安くなければおかしく、出版されたばかりの本はまだ仕方ないと思うにしてもすでに古くなっている本についてはスマートフォンなどどの端末でも見られる利便性を考慮しても価格で競争して欲しいという気がします。そのような観点からすると「でろでろ」の420円という価格は古本以上新品以下という絶妙な価格で、さきほどの利便性を考えるなら適度な価格だという風に考えていました。本音を言えばもう少し安くしてくれたらうれしいんだけど。
ただ今回の妙な値上げは、eBookjapanに対して一気に不信感を持たせることとなりました。というのも「でろでろ」に限らず別の本でも時期によって知らないところで値上げが行われたりするのであれば、今買おうとするその本は以前はもっと安かったのではという疑念が付きまといます。言ってしまえば、値上げ後に買ってしまってたらいちいち馬鹿しいです。
仮にこれが時期によって在庫量が急変動する農水産物やコレクターグッズであれば気になりませんが、在庫なんて切れるはずのない電子書籍でこんなことされるなんて想定外もいいところです。さらに525円なんて価格だったら、日本で古本、いやこの際新品でAmazonで買った方が全然お得な気がします。いざとなれば他のものと一緒に、日本から友人に中国へまとめて送ってもらうことだって出来るんだし。
と、ここで愚痴を書くだけなら誰でも出来るので、折角だからこの件を直接eBookjapanに問い合わせてみました。まだ返事が着てないので、返事を受け次第に続報を書きます。
翻ってみて今年、私は今度は「想定外」というこの言葉が目下の流行語大賞候補ではないかと見てます。かつてないほどの大震災に加え東電幹部らが繰り返し「想定外」という言葉を使って対応遅れの言い訳を使っているのはもとより、一昨日の不信任決議とその後の帰結も鳩山前首相や自民党にとって想定外といえるような事態で、なんか今後もこういうことがしばらく続きそうに感じるからです。
話は変わりますが本日、上海は日本の梅雨のようなシトシト雨日和で、予報だと明日も一日中降ってるようです。さすがに夕方からは気温も下がってきましたが昼間は蒸し暑くて外出する気も起きず家で不貞寝してましたが、暇つぶしに誰かいないものかとスカイプを開けても見事なくらいに誰もいなくて四六時中暇でした。そんなわけだから今度小銭が入ることとなったので、すこし贅沢して電子書籍で漫画を買い集めて読んでようかと思って昨日からいつも使っているeBookjapanを見てました。
すでに過去の記事でも言及してますが以前にもここから押切蓮介氏の「でろでろ」を買っており、今回も続きを買おうと検索してみたところ、何故だか知りませんが作者名でもタイトル名でも引っかかりません。しょうがないので全巻セットが確か出ていたからそこで五十音順に捜し出して開いてみると、一目して唖然としました。
「525円?( ゚д゚)」
私が以前、ってか先月に「でろでろ」の七巻と八巻を購入した際は一冊420円(税込み)だったところ、何故だかすべての巻で525円に価格が変わっていました。一体何故なんだ(#゚Д゚)、と思うのと同時にもしかしたらこの値上げが影響して先ほど検索に引っかからなかったのではないかという疑心が持ち上がってきました。
正直に言って、この値上げは私にとって不満この上ありません。確かに値段を決定するのは売り手の勝手ではあるものの予告もなしに、ついほんのちょっと前までに420円だった書籍を突然525円にするなんて今更買うのが馬鹿みたいに思えてきます。前もって予告してくれていたのであれば気に入った作品だっただけに全部買っておいたものを、ちょっと今回の値上げで買う気すら失せました。
第一、この値段自体ちょっと疑問符がつく値段です。Amazonを確認すればわかりますがこの本の定価は一冊540円で、eBookjapanの価格の525円とは15円しか差がありません。「でろでろ」自体は2009年に連載を終了しており、最終巻を含めて決して新しく出たばかりではないことを考えるとこの価格設定には首を傾げます。現在の状況のように海外にいて本がなかなか手に入らない状態でなければ、525円だと古本屋にでも行って買った方が絶対得だという気がしてなりません。
逆に、以前の420円という値段は陰ながら実は評価してました。そもそも印刷や物流コストがかからないのであるから電子書籍は一般販売より安くなければおかしく、出版されたばかりの本はまだ仕方ないと思うにしてもすでに古くなっている本についてはスマートフォンなどどの端末でも見られる利便性を考慮しても価格で競争して欲しいという気がします。そのような観点からすると「でろでろ」の420円という価格は古本以上新品以下という絶妙な価格で、さきほどの利便性を考えるなら適度な価格だという風に考えていました。本音を言えばもう少し安くしてくれたらうれしいんだけど。
ただ今回の妙な値上げは、eBookjapanに対して一気に不信感を持たせることとなりました。というのも「でろでろ」に限らず別の本でも時期によって知らないところで値上げが行われたりするのであれば、今買おうとするその本は以前はもっと安かったのではという疑念が付きまといます。言ってしまえば、値上げ後に買ってしまってたらいちいち馬鹿しいです。
仮にこれが時期によって在庫量が急変動する農水産物やコレクターグッズであれば気になりませんが、在庫なんて切れるはずのない電子書籍でこんなことされるなんて想定外もいいところです。さらに525円なんて価格だったら、日本で古本、いやこの際新品でAmazonで買った方が全然お得な気がします。いざとなれば他のものと一緒に、日本から友人に中国へまとめて送ってもらうことだって出来るんだし。
と、ここで愚痴を書くだけなら誰でも出来るので、折角だからこの件を直接eBookjapanに問い合わせてみました。まだ返事が着てないので、返事を受け次第に続報を書きます。
2011年6月3日金曜日
昨日の不信任決議に対する中国紙の反応
三日続けて管首相への不信任決議の話です。ある意味こういう時が政治系ブログの稼ぎ時なので、わざわざ今晩の二次会断って帰宅しました。それにしても今日はビール一杯と泡盛一杯だけでしたが、前のろくでもない日系メーカーだとこの泡盛も一杯と言わず、それもすべて一気飲みさせられてたんだろうな。いつか潰す(#゚Д゚)y-~~。
話は本題に入りますが、一夜明けて早くも暗雲が垂れ込めてます。
・メディアの表現、関知しない…退陣示唆で菅首相(読売新聞)
まさかとは思いましたが先日民主党代議士会ではっきりと公言したにもかかわらず、退陣する時期について管首相は曖昧に濁した発言を繰り返しております。これについては直接促した鳩山前首相が最も激怒しており、「政治家が公言したことを破るなんてペテン師だ」、「約束を破るなんて以ての外だ」とかなり激しい口調で批判してますが、多分私に限らず「お前が言うな( ゚Д゚)」と誰もが思ったかと思います。ここまで自分の発言を気にしない人間というのは一生に一度見れるか見れないかかもしれません。
ただ管首相のこれらのはっきりしない態度は、私にとっても非常に不満です。すぐに辞めることがわかっている首脳に会う外国首脳なんているはずもなく、居座る分だけ日本は外交上で損失を受け続けることとなります。また引用記事では「メディアがどう表現するかまで、私がどうこうすることではない」と発言したと書かれていますが、海外メディアに対しても同じことが言えるのかと直接問いたいです。恐らくほどんどの海外メディアは数ヶ月以内には退陣するといった論調で各国ですでに報じており、それをメディアが勝手に報じただけだと切って捨てるのであれば唾棄するような人物としか言いようがありません。
そんな海外メディアの一つというわけではありませんが、折角中国にいるのだから中国メディアが今回の不信任決議についてどう報じたかについて今日は取り上げようと思います。仕事柄、新聞は毎日読んでいるのでいくつか気になった記事を仕事の合間に読んでいましたが、まず言えるのは複数紙が一面に写真付で今回の不信任決議を報じており、中国側も今回の一件強く注視していたのだなと感じました。それで記事の内容ですが、読んでるのが経済紙ばかりなので単純に経過と結果を報じているものが多いものの、中にはなかなか痛い所を突いてきている記事もありました。
ある新聞では、そもそも日本の国家体系は官僚組織が大きな権限と力を持っており平時を切り盛りするのには強いものの、国家戦略を変更したり突発的な緊急事態の対応には弱い体制であると指摘した上で、この体制を改革というか破壊しようとしたのはほかならぬ小泉元首相だったが、その後毎年首相が交代するのを見るにつけ彼の試みは失敗に終わったと断じています。そのようなな官僚制の強い体制ゆえに今回の震災に対して満足に対応することは出来ず、恐らく今度また首相が変わったところで復興対策の速度が変わることはなく、管首相は「国家体制による新たな犠牲者」となったと評価していました。今まで考えたことのない視点であったので、新鮮で面白い論評です。
またこれとは別の新聞では今回の不信任決議について細かく経過を記しており、「管直人VS鳩山由紀夫 緊迫の20分間」とサブタイトルをつけて両者の発言を細かに記してありました。内容を見る限り、日本で報道されている通りで特に変な付け足しとかはありません。
それでこっちは管首相がいつ辞めるのかについても言及しており、さらには「管首相後」を巡って政治騒動がまだしばらく続きそうだと予想してます。その管首相後については面白い言及があり、政権後退前に管、小沢、鳩山で自称トロイカ体制を名乗っていた昔日の「鉄三角」関係は崩れてそれぞれの派閥同士で暗闘を繰り広げているとし、それが今度新総裁を決める際に大きな要素になるとしています。
新総裁の候補としては、日本の調査結果を引用したのかは知りませんが枝野官房長官が意識調査で首位となっていると紹介し、彼は震災後に毎日会見に出たことから知名度は抜群であるものの、日本は首相公選制ではなく政党内にある派閥の力関係で総裁が決まるため彼の可能性は低いとしています。
それ以外の候補としては原口氏、前原氏、もしくは小沢一郎自身がなっちゃうかもとまとめていますが、まぁ順当な候補予想だとは思います。ただ私はそれ以上に、この記事で日本の首相は派閥の力関係で決まるという一文を見て、ちょっとはっとしたような気がしました。
というのも、今の構図が本当にかつての自民党派閥政治とよく似ているからです。「自民党をぶっ壊す」と主張して総裁に就任した小泉元首相以後の自民党は派閥の力が激減してかなり世論を気にして総裁を選ぶようになりましたが、今の民主党は管、小沢、鳩山系の派閥単位で抗争を繰り広げており(鳩山派はあっちいったりこっちいったりしてるけど)、総裁もこれまで、そして今度もこの力関係でほぼ決まると言って過言ではありません。私の考え過ぎかもしれませんが、かつての派閥政治が復活しているのではと伺わせるこの指摘は個人的に結構ショックでした。
最後にこの中国紙の枝野幹事長についての紹介ですが、「彼はブッダのような大耳の47歳の政治家」と書いてあって、読んでてちょっと笑いがこみ上げてきました。日本語だと「ダンボのような」という表現を使いますが、中国語はブッダを比喩対象として使うのだと勉強になったともに、折角手塚治虫原作のブッダの映画が公開されているのだから枝野氏もブッダキャラとして売り出してけばいいのではと思った次第です。どんなキャラなのか自分にもよくわからないけど。
話は本題に入りますが、一夜明けて早くも暗雲が垂れ込めてます。
・メディアの表現、関知しない…退陣示唆で菅首相(読売新聞)
まさかとは思いましたが先日民主党代議士会ではっきりと公言したにもかかわらず、退陣する時期について管首相は曖昧に濁した発言を繰り返しております。これについては直接促した鳩山前首相が最も激怒しており、「政治家が公言したことを破るなんてペテン師だ」、「約束を破るなんて以ての外だ」とかなり激しい口調で批判してますが、多分私に限らず「お前が言うな( ゚Д゚)」と誰もが思ったかと思います。ここまで自分の発言を気にしない人間というのは一生に一度見れるか見れないかかもしれません。
ただ管首相のこれらのはっきりしない態度は、私にとっても非常に不満です。すぐに辞めることがわかっている首脳に会う外国首脳なんているはずもなく、居座る分だけ日本は外交上で損失を受け続けることとなります。また引用記事では「メディアがどう表現するかまで、私がどうこうすることではない」と発言したと書かれていますが、海外メディアに対しても同じことが言えるのかと直接問いたいです。恐らくほどんどの海外メディアは数ヶ月以内には退陣するといった論調で各国ですでに報じており、それをメディアが勝手に報じただけだと切って捨てるのであれば唾棄するような人物としか言いようがありません。
そんな海外メディアの一つというわけではありませんが、折角中国にいるのだから中国メディアが今回の不信任決議についてどう報じたかについて今日は取り上げようと思います。仕事柄、新聞は毎日読んでいるのでいくつか気になった記事を仕事の合間に読んでいましたが、まず言えるのは複数紙が一面に写真付で今回の不信任決議を報じており、中国側も今回の一件強く注視していたのだなと感じました。それで記事の内容ですが、読んでるのが経済紙ばかりなので単純に経過と結果を報じているものが多いものの、中にはなかなか痛い所を突いてきている記事もありました。
ある新聞では、そもそも日本の国家体系は官僚組織が大きな権限と力を持っており平時を切り盛りするのには強いものの、国家戦略を変更したり突発的な緊急事態の対応には弱い体制であると指摘した上で、この体制を改革というか破壊しようとしたのはほかならぬ小泉元首相だったが、その後毎年首相が交代するのを見るにつけ彼の試みは失敗に終わったと断じています。そのようなな官僚制の強い体制ゆえに今回の震災に対して満足に対応することは出来ず、恐らく今度また首相が変わったところで復興対策の速度が変わることはなく、管首相は「国家体制による新たな犠牲者」となったと評価していました。今まで考えたことのない視点であったので、新鮮で面白い論評です。
またこれとは別の新聞では今回の不信任決議について細かく経過を記しており、「管直人VS鳩山由紀夫 緊迫の20分間」とサブタイトルをつけて両者の発言を細かに記してありました。内容を見る限り、日本で報道されている通りで特に変な付け足しとかはありません。
それでこっちは管首相がいつ辞めるのかについても言及しており、さらには「管首相後」を巡って政治騒動がまだしばらく続きそうだと予想してます。その管首相後については面白い言及があり、政権後退前に管、小沢、鳩山で自称トロイカ体制を名乗っていた昔日の「鉄三角」関係は崩れてそれぞれの派閥同士で暗闘を繰り広げているとし、それが今度新総裁を決める際に大きな要素になるとしています。
新総裁の候補としては、日本の調査結果を引用したのかは知りませんが枝野官房長官が意識調査で首位となっていると紹介し、彼は震災後に毎日会見に出たことから知名度は抜群であるものの、日本は首相公選制ではなく政党内にある派閥の力関係で総裁が決まるため彼の可能性は低いとしています。
それ以外の候補としては原口氏、前原氏、もしくは小沢一郎自身がなっちゃうかもとまとめていますが、まぁ順当な候補予想だとは思います。ただ私はそれ以上に、この記事で日本の首相は派閥の力関係で決まるという一文を見て、ちょっとはっとしたような気がしました。
というのも、今の構図が本当にかつての自民党派閥政治とよく似ているからです。「自民党をぶっ壊す」と主張して総裁に就任した小泉元首相以後の自民党は派閥の力が激減してかなり世論を気にして総裁を選ぶようになりましたが、今の民主党は管、小沢、鳩山系の派閥単位で抗争を繰り広げており(鳩山派はあっちいったりこっちいったりしてるけど)、総裁もこれまで、そして今度もこの力関係でほぼ決まると言って過言ではありません。私の考え過ぎかもしれませんが、かつての派閥政治が復活しているのではと伺わせるこの指摘は個人的に結構ショックでした。
最後にこの中国紙の枝野幹事長についての紹介ですが、「彼はブッダのような大耳の47歳の政治家」と書いてあって、読んでてちょっと笑いがこみ上げてきました。日本語だと「ダンボのような」という表現を使いますが、中国語はブッダを比喩対象として使うのだと勉強になったともに、折角手塚治虫原作のブッダの映画が公開されているのだから枝野氏もブッダキャラとして売り出してけばいいのではと思った次第です。どんなキャラなのか自分にもよくわからないけど。
2011年6月2日木曜日
管首相への不信任決議と辞意表明について
既に報道でも報じられててこのブログの閲覧者もこのネタが期待されているかと思われますが、昨日自民党から不信任決議が提出されたことを受け、民主党内の分裂を懸念した管首相は震災対応にめどがついた時点で辞任する意向を表明しました。この管首相の辞任表明を受けて当初不信任決議に賛成すると発言していた民主党内の議員らは反対に転じたことから決議自体は否決されたものの、私個人としてはなかなか残念な結果に終わりました。
なお昨日にも不信任決議について記事を書きましたが、私はてっきり批判的なコメントとかが集まるのではないかと懸念していたもの何一つコメントが来ず、余計な心配をしたもんだと少し反省しました。ちょっと話が脱線しますが、政治系のブログを書こうというのならこういうある程度批判されることを覚悟する必要があり、あまりそういうのに耐性がない人は避けとくのが無難な気がします。
それで本題に入りますが、結論から言うと残念ではあるものの管首相の決断も理解できなくないというのが本音です。何でも昨夜は国民新党の亀井党首に政治的空白を作らないように辞任を促され、今朝には鳩山前首相からも党内分裂を回避するためにも辞任するよう説得されたと聞きますが、鳩山前首相に対してはさすがにお前が言うなという気持ちがするものの、亀井党首については以前からあまり好きではない政治家ではあるものの今回の管首相への説得にはまだ道理があり、それを受け入れた管首相も事ここに至って混乱を最小限に食い止めるためには無理もない決断だったように思います。
私は昨日の記事で否決されるのではと予想を書き、もし可決されるのなら解散を打つべきだと書きましたが、否決されても民主党は分裂し、大きな政治的空白が生まれてしまいます。そういう意味では今回の管首相の決断はベストまで行かずとも、本当にしょうがなかったんだなぁという気がしてなりません。
以上のように管首相に対して今回私は深く同情しますが、決議後に参議院の輿石氏が言っていた様に辞意を表明した首相が長く居座ると外交に影響するという言葉の通り、言ったからには早期に退陣するべきだという立場をとります。やめる時期についてはやはり二次補正予算案を通過させたあたりがベストで、通った後であれば今月中にでも辞めるべきでしょう。
ただ問題なのは「管首相後」で、中国の報道でも後継を巡って暗闘が続くだろうと早くも指摘されております。今回分裂を免れたことで恐らく民主党内から後継候補が出てくるかと思いますが、はっきり言って今の民主党に首相足りえる人物がいるかといえばあまり浮かびません。敢えて挙げれば岡田氏がまだマシかと思いますが、今回の騒動を経て小沢派が影響力を持つことを考えるとその芽はありません。となると残りはってことですが、恐らく仙石氏、枝野氏、玄葉氏などが挙がって来るでしょうが、多分名前が挙がるだけで終わるでしょう。あまりにも早い予想をしてもしょうがないのでここら辺で切り上げますが、恐らく小沢派に近い人間が出てくるのではないかと予想してます。
最後に今回の管首相の辞任で、一番喜んでいるのは自民党でも小沢一郎でもなく、多分東電じゃないかと思います。私が今一番危惧しているのは、次の首班が東電に対して公的資金注入などあらゆる手を使って救命策に走るのではないかということです。あまり疑っても仕方ありませんが自民党寄りの人物ならありえそうですし、連立を組んでもこれが条件として浮上してくるかもしれません。
私は何も東電を叩けばいいとは思ってません。ただこれまで数々してきた事故隠蔽や今回の対策不備、事故対応を考えると企業文化ともいうべき体質に根本的原因があるように思え、この際に一瞬一撃にて完膚なきまで叩き潰さなければいけないと考えています。首相交代はやむなしといえども、この点だけは譲れません。
なお昨日にも不信任決議について記事を書きましたが、私はてっきり批判的なコメントとかが集まるのではないかと懸念していたもの何一つコメントが来ず、余計な心配をしたもんだと少し反省しました。ちょっと話が脱線しますが、政治系のブログを書こうというのならこういうある程度批判されることを覚悟する必要があり、あまりそういうのに耐性がない人は避けとくのが無難な気がします。
それで本題に入りますが、結論から言うと残念ではあるものの管首相の決断も理解できなくないというのが本音です。何でも昨夜は国民新党の亀井党首に政治的空白を作らないように辞任を促され、今朝には鳩山前首相からも党内分裂を回避するためにも辞任するよう説得されたと聞きますが、鳩山前首相に対してはさすがにお前が言うなという気持ちがするものの、亀井党首については以前からあまり好きではない政治家ではあるものの今回の管首相への説得にはまだ道理があり、それを受け入れた管首相も事ここに至って混乱を最小限に食い止めるためには無理もない決断だったように思います。
私は昨日の記事で否決されるのではと予想を書き、もし可決されるのなら解散を打つべきだと書きましたが、否決されても民主党は分裂し、大きな政治的空白が生まれてしまいます。そういう意味では今回の管首相の決断はベストまで行かずとも、本当にしょうがなかったんだなぁという気がしてなりません。
以上のように管首相に対して今回私は深く同情しますが、決議後に参議院の輿石氏が言っていた様に辞意を表明した首相が長く居座ると外交に影響するという言葉の通り、言ったからには早期に退陣するべきだという立場をとります。やめる時期についてはやはり二次補正予算案を通過させたあたりがベストで、通った後であれば今月中にでも辞めるべきでしょう。
ただ問題なのは「管首相後」で、中国の報道でも後継を巡って暗闘が続くだろうと早くも指摘されております。今回分裂を免れたことで恐らく民主党内から後継候補が出てくるかと思いますが、はっきり言って今の民主党に首相足りえる人物がいるかといえばあまり浮かびません。敢えて挙げれば岡田氏がまだマシかと思いますが、今回の騒動を経て小沢派が影響力を持つことを考えるとその芽はありません。となると残りはってことですが、恐らく仙石氏、枝野氏、玄葉氏などが挙がって来るでしょうが、多分名前が挙がるだけで終わるでしょう。あまりにも早い予想をしてもしょうがないのでここら辺で切り上げますが、恐らく小沢派に近い人間が出てくるのではないかと予想してます。
最後に今回の管首相の辞任で、一番喜んでいるのは自民党でも小沢一郎でもなく、多分東電じゃないかと思います。私が今一番危惧しているのは、次の首班が東電に対して公的資金注入などあらゆる手を使って救命策に走るのではないかということです。あまり疑っても仕方ありませんが自民党寄りの人物ならありえそうですし、連立を組んでもこれが条件として浮上してくるかもしれません。
私は何も東電を叩けばいいとは思ってません。ただこれまで数々してきた事故隠蔽や今回の対策不備、事故対応を考えると企業文化ともいうべき体質に根本的原因があるように思え、この際に一瞬一撃にて完膚なきまで叩き潰さなければいけないと考えています。首相交代はやむなしといえども、この点だけは譲れません。
2011年6月1日水曜日
管首相への内閣不信任案提出について
・内閣不信任決議案、3党で提出…2日採決へ(読売新聞)
すでに各所で報道されていて皆さんも知っておいでかと思われますが、本日自民党など三党が管首相に対する不信任決議案を衆議院に提出しました。かねてから管首相と対立していた小沢氏らのグループも離党を辞さない覚悟でこの不信任案に賛成するようで、一部の副大臣などはすでに辞表を提出したとのことです。この不信任案に対する私の立場は、こんな時期に政局で行動するなんて以ての外で、不信任案を提出した自民党ら三党を批判するとともに管首相の続投を支持します。
はっきり言って私は管首相のことをそれほど評価しておらず、一国の宰相としては能力的にやはり頼りない人物だと見ております。しかし現状で首相となる政治家としては管首相がまだマシだと考えており、確かに記者会見などで目が泳ぐなどいろいろ心労がたたっているように見えますが、市民活動家をしてただけあって近年の首相の中では相当タフな人物だと評価しております。仮に今の首相が自民党の安倍氏だったら、心労ですぐやられて今頃病院か棺おけの中に入ってそうですし。
逆に今回不信任案を提出した自民党を見ますと、管政権打倒後で誰が首相になるのかと言ったらいろいろと不安な人物しか挙がってきません。以前に相当口汚く批判した谷垣総裁は鳩山元首相以上、麻生元首相以下程度と思いますし、まだ期待できる石破氏や小池氏などは派閥関係からまずもって首相にはなり辛いですし、それ以外に誰かいるのかと言ったら散々タマ撃ってきただけあってもはや打ち止めです。石原幹事長なんて以ての外ですし。
・<内閣不信任案>「被災地に目向けて」怒りとあきらめの声(毎日新聞)
上記のニュース記事は被災地からの声ですが、私の意見もこれと大体同じです。震災対応でただでさえ忙しい時期なのに政局で行動するのは理解できず、たとえ管首相がどれだけ無能だろうと今国会の間は野党として国会議論で政策を修正していくのが本筋でしょう。特に今回の不信任案で理解できないのが可決後のビジョンが全くない点で、可決後はどのように連立を組むのか、誰が首相をやるのか、どいつにポストが回るのかなどが全く見えてこず、特に自民党は民主党内の小沢派とは不信任案提出前にいろいろ連絡を取っていたようですが前述の石破氏などは小沢氏とは組めないと主張しており、事実自民党があれだけ批判してきたマニフェストを主導していた人間と自民党が手を組むというのは如何なものかと思います。
この不信任案は明日衆議院で決議されるようですが、私の勝手な予想だと否決される可能性が高いのではと見ております。根拠は小沢派が賛成に回ったとしても依然と民主党は大半の議席を持っていることと、どう見ても政局を優先したとしか思えない今回の提出に対してやはり批判が大きくなるのではないかという理由からです。あくまで勝手な予想ですが。
もしかしたら自民党としては否決も織り込み済みなのかもしれず、事実一部で一つの締めくくりとして提出したとの声も出ているようですが、だとしたらますます政局のみで動いていることになり、否決となれば世間からの批判が集まり谷垣総裁への責任論が自民党からも出てくると予想されています。私もこれに同感ですし、自民党もさっさとこの人を引き摺り下ろしたほうがよいのではないかとすら思います。
最後に、もし可決されたとしたら私は管首相は解散を選んでも良いと思います。それこそ選挙になって余計な混乱と時間の浪費につながるのではないかと言われるかもしれませんが、恐らく自民党はそのような批判を恐れて管首相は総辞職をせざるを得ないと考えてこのタイミングで提出してきたのだと思います。しかし提出するからには解散の覚悟があって然るべきで、管首相はあくまでそれを受けて立つだけです。むしろここで一挙に政界再編を行ってもこの際いいような気がしてきました。
結果は明日ですが、果たしてどうなることやらです。
すでに各所で報道されていて皆さんも知っておいでかと思われますが、本日自民党など三党が管首相に対する不信任決議案を衆議院に提出しました。かねてから管首相と対立していた小沢氏らのグループも離党を辞さない覚悟でこの不信任案に賛成するようで、一部の副大臣などはすでに辞表を提出したとのことです。この不信任案に対する私の立場は、こんな時期に政局で行動するなんて以ての外で、不信任案を提出した自民党ら三党を批判するとともに管首相の続投を支持します。
はっきり言って私は管首相のことをそれほど評価しておらず、一国の宰相としては能力的にやはり頼りない人物だと見ております。しかし現状で首相となる政治家としては管首相がまだマシだと考えており、確かに記者会見などで目が泳ぐなどいろいろ心労がたたっているように見えますが、市民活動家をしてただけあって近年の首相の中では相当タフな人物だと評価しております。仮に今の首相が自民党の安倍氏だったら、心労ですぐやられて今頃病院か棺おけの中に入ってそうですし。
逆に今回不信任案を提出した自民党を見ますと、管政権打倒後で誰が首相になるのかと言ったらいろいろと不安な人物しか挙がってきません。以前に相当口汚く批判した谷垣総裁は鳩山元首相以上、麻生元首相以下程度と思いますし、まだ期待できる石破氏や小池氏などは派閥関係からまずもって首相にはなり辛いですし、それ以外に誰かいるのかと言ったら散々タマ撃ってきただけあってもはや打ち止めです。石原幹事長なんて以ての外ですし。
・<内閣不信任案>「被災地に目向けて」怒りとあきらめの声(毎日新聞)
上記のニュース記事は被災地からの声ですが、私の意見もこれと大体同じです。震災対応でただでさえ忙しい時期なのに政局で行動するのは理解できず、たとえ管首相がどれだけ無能だろうと今国会の間は野党として国会議論で政策を修正していくのが本筋でしょう。特に今回の不信任案で理解できないのが可決後のビジョンが全くない点で、可決後はどのように連立を組むのか、誰が首相をやるのか、どいつにポストが回るのかなどが全く見えてこず、特に自民党は民主党内の小沢派とは不信任案提出前にいろいろ連絡を取っていたようですが前述の石破氏などは小沢氏とは組めないと主張しており、事実自民党があれだけ批判してきたマニフェストを主導していた人間と自民党が手を組むというのは如何なものかと思います。
この不信任案は明日衆議院で決議されるようですが、私の勝手な予想だと否決される可能性が高いのではと見ております。根拠は小沢派が賛成に回ったとしても依然と民主党は大半の議席を持っていることと、どう見ても政局を優先したとしか思えない今回の提出に対してやはり批判が大きくなるのではないかという理由からです。あくまで勝手な予想ですが。
もしかしたら自民党としては否決も織り込み済みなのかもしれず、事実一部で一つの締めくくりとして提出したとの声も出ているようですが、だとしたらますます政局のみで動いていることになり、否決となれば世間からの批判が集まり谷垣総裁への責任論が自民党からも出てくると予想されています。私もこれに同感ですし、自民党もさっさとこの人を引き摺り下ろしたほうがよいのではないかとすら思います。
最後に、もし可決されたとしたら私は管首相は解散を選んでも良いと思います。それこそ選挙になって余計な混乱と時間の浪費につながるのではないかと言われるかもしれませんが、恐らく自民党はそのような批判を恐れて管首相は総辞職をせざるを得ないと考えてこのタイミングで提出してきたのだと思います。しかし提出するからには解散の覚悟があって然るべきで、管首相はあくまでそれを受けて立つだけです。むしろここで一挙に政界再編を行ってもこの際いいような気がしてきました。
結果は明日ですが、果たしてどうなることやらです。
2011年5月31日火曜日
中国の旱魃と三峡ダム
久々に中国のホットな話です。毎日こうやって寸評だけでもいいから取り上げた方がいいのかもという気もしますが、長文が売りなんだしそこまで気にしなくてもいいと自分に言い聞かせてます。
・消える川・干上がる湖…旱魃ますます深刻に=湖北・安徽・湖南(サーチナ)
上記リンク先のサーチナの記事では現在中国では雨が全く降らないことによる旱魃が深刻化していることが報じられていますが、こっちの報道でも今一番主要な話題と言ったらこれです。具体的にどれくらいの規模かと言うと上海市に限って言えば今日の朝刊だと、降雨推量はここ138年(そんな昔の記録がどこにあるのか疑問だけど)で最も低く、なおかつ気温も先々週に最高で38度まで上昇するなど例年にない異常気象だと報じられております。実際に先々週は暑くて溶けそうで、雨も先週にちょこっとふっただけです。
ただ上海市は他のところから水を引いてこれますし、またここより南部であればまだ状況はマシです。一番深刻なのはサーチなの記事にもある通りに湖北、安徽、湖南省といった中部地域以北の地域で、農村では農繁期にもかかわらず全く雨が降らないことから早くも食糧難を懸念する声が出ております。
それでこの旱魃についての現地新聞報道ですが、原因は三峡ダムではないかと複数紙が連日取り上げています。
・三峡ダム(Wikipedia)
三峡ダムとは中国が誇る世界最大級のダムで、90年代に建設が決まるや文字通り国の威信をかけて作られ2009年に完成しました。しかしこの三峡ダム、建設前からそのあまりの巨大な規模から周辺環境に多大な負荷を与えるとの予測が中国内でも出ており、また建設に伴い移転する住民の桁違いの多さ(140万人)などから議論は紛糾し、1992年の全国人民代表大会での建設決議でも「出席者2633名中、賛成1767名、反対177名、棄権664名、無投票25名」という、全会一致で当たり前の中国の議会としては異例とも言えるほど反対者がでたほどいわくつきのダムでした。
そんな過程を経て建設には至ったものの、中国に限らず日本でも大体そうですが完成までに当初予定していた予算は数倍にまで膨れ上がり、また建設途中であれこれ問題が出てきたことから水位も最大にまで高めることが出来なくなって予定発電量に達せず、なおかつダムが出来たにもかかわらず周辺地域では水害の被害が年々増加しており、「治水にも発電にも役に立たない」と現地報道でもかなり厳しく批判され続けております。
というのもこの三峡ダムは表向きは膨大な電力需要を賄うためとして建設されましたが、実際には最初に計画したのが孫文であり、どちらかと言えば「あの孫文が抱いた遠大な計画を今ここに実現する」という国威発揚的な目的の方が強かったと言われます。実際にこの三峡ダムがどれほどの性能を持っているかは生憎専門家ではないのでわかりませんが、日本での報道やコメントを見る限りだと誉めている人は確かにいません。
それでこの三峡ダムがどうして旱魃に関係するのかですが、三峡ダムに限らず巨大なダムはその建設によって周辺の気候を変えてしまいます。あのエジプトのアスワン・ハイ・ダムも建設の前後でその地域の気候が変化したそうですが、因果関係ははっきりと証明することは出来ないまでも現地報道では三峡ダムが出来たことで降雨量が激減したと指摘されております。
またそれと合わせて三峡ダムで致命的だったのは、当初農業用水の確保も計画に入れられていたものの、その巨大さゆえか水をうまく利水することが出来ずにいることです。
現実に本当に三峡ダムが原因かどうかは断定することは出来ませんが、あれほどの大きなダムであれば自然への影響も多く、多少は関係しているのではというのが私の考えです。ただ旱魃に関してはこれ以外にもたくさん原因は考えられ、なんでもかんでもダムのせいにするべきではないと思います。
しかし中国国内でこれほどまで三峡ダムに批判的な声が上がっているとは日本にいた頃は全く知らず、今回の旱魃で拍車がかかっていることを一応紹介しておこうと思って筆を取った次第です。
・消える川・干上がる湖…旱魃ますます深刻に=湖北・安徽・湖南(サーチナ)
上記リンク先のサーチナの記事では現在中国では雨が全く降らないことによる旱魃が深刻化していることが報じられていますが、こっちの報道でも今一番主要な話題と言ったらこれです。具体的にどれくらいの規模かと言うと上海市に限って言えば今日の朝刊だと、降雨推量はここ138年(そんな昔の記録がどこにあるのか疑問だけど)で最も低く、なおかつ気温も先々週に最高で38度まで上昇するなど例年にない異常気象だと報じられております。実際に先々週は暑くて溶けそうで、雨も先週にちょこっとふっただけです。
ただ上海市は他のところから水を引いてこれますし、またここより南部であればまだ状況はマシです。一番深刻なのはサーチなの記事にもある通りに湖北、安徽、湖南省といった中部地域以北の地域で、農村では農繁期にもかかわらず全く雨が降らないことから早くも食糧難を懸念する声が出ております。
それでこの旱魃についての現地新聞報道ですが、原因は三峡ダムではないかと複数紙が連日取り上げています。
・三峡ダム(Wikipedia)
三峡ダムとは中国が誇る世界最大級のダムで、90年代に建設が決まるや文字通り国の威信をかけて作られ2009年に完成しました。しかしこの三峡ダム、建設前からそのあまりの巨大な規模から周辺環境に多大な負荷を与えるとの予測が中国内でも出ており、また建設に伴い移転する住民の桁違いの多さ(140万人)などから議論は紛糾し、1992年の全国人民代表大会での建設決議でも「出席者2633名中、賛成1767名、反対177名、棄権664名、無投票25名」という、全会一致で当たり前の中国の議会としては異例とも言えるほど反対者がでたほどいわくつきのダムでした。
そんな過程を経て建設には至ったものの、中国に限らず日本でも大体そうですが完成までに当初予定していた予算は数倍にまで膨れ上がり、また建設途中であれこれ問題が出てきたことから水位も最大にまで高めることが出来なくなって予定発電量に達せず、なおかつダムが出来たにもかかわらず周辺地域では水害の被害が年々増加しており、「治水にも発電にも役に立たない」と現地報道でもかなり厳しく批判され続けております。
というのもこの三峡ダムは表向きは膨大な電力需要を賄うためとして建設されましたが、実際には最初に計画したのが孫文であり、どちらかと言えば「あの孫文が抱いた遠大な計画を今ここに実現する」という国威発揚的な目的の方が強かったと言われます。実際にこの三峡ダムがどれほどの性能を持っているかは生憎専門家ではないのでわかりませんが、日本での報道やコメントを見る限りだと誉めている人は確かにいません。
それでこの三峡ダムがどうして旱魃に関係するのかですが、三峡ダムに限らず巨大なダムはその建設によって周辺の気候を変えてしまいます。あのエジプトのアスワン・ハイ・ダムも建設の前後でその地域の気候が変化したそうですが、因果関係ははっきりと証明することは出来ないまでも現地報道では三峡ダムが出来たことで降雨量が激減したと指摘されております。
またそれと合わせて三峡ダムで致命的だったのは、当初農業用水の確保も計画に入れられていたものの、その巨大さゆえか水をうまく利水することが出来ずにいることです。
現実に本当に三峡ダムが原因かどうかは断定することは出来ませんが、あれほどの大きなダムであれば自然への影響も多く、多少は関係しているのではというのが私の考えです。ただ旱魃に関してはこれ以外にもたくさん原因は考えられ、なんでもかんでもダムのせいにするべきではないと思います。
しかし中国国内でこれほどまで三峡ダムに批判的な声が上がっているとは日本にいた頃は全く知らず、今回の旱魃で拍車がかかっていることを一応紹介しておこうと思って筆を取った次第です。
経産省の一般家庭への節電促進策について
・節電目標達成の家庭に景品 15%削減でLEDや映画鑑賞券(産経新聞)
今日たまたま見つけたニュースですが、勘に触る内容なので取り上げます。
上記リンク先のニュース内容を簡単に説明すると、電力不足が懸念される今年の猛暑期の対策として経産省はこのほど、前年比15%削減の節電を達成した一般家庭に対して景品を進呈する促進策を計画しているそうです。具体的にどこが癇に障るかというと、前年比で節電の指標を作るのであれば去年まで電気を浪費していたほど15%削減することは容易く、逆に去年以前から積極的に節電を実施していた人は達成が困難になるからです。勘のいい人ならわかるでしょうがこの構図は京都議定書におけるCO2削減目標と一緒で、主導するのが経産省なだけにいろいろと腹が立ちます。
それであるのであれば二番煎じと言われようとも、冷蔵庫やエアコンといった消費電力の大きい白物家電に対して家電エコポイントなどと言わず、直接国が購入額を補助する政策を実施することの方が個人的にお勧めです。この二つの家電における技術の進歩は凄まじく、十年前と最新のとでは消費電力は数十%変わると聞きますし、また家庭で使用する電力の半分程度が冷蔵庫に使われることも考慮すると再実施する価値はあると思います。
ちなみに私が日本で一人暮らししていた頃は冷房、暖房なんて使わないのでエアコンはコンセントごと外していました。実家ではうちのお袋が気を利かして私の部屋に窓付けのエアコンをつけてくれましたが、元々エアコンなんて使わないし窓が開閉できなくなったと愚痴を言ったことからかなり激しいケンカとなりました。その後私はその部屋から移り、現在は客室として使われているので結果オーライとはなりましたが。
・国初、薬ネット通販立件=対面販売命令を無視―業者を書類送検・大阪府警(時事通信)
もう一件気になったニュースとして、ネットでの医薬品販売で摘発があったというこの報道を取り上げます。
内容については詳しく語りませんがこれだけネットが発達しているのだし、離村離島の状況を考えるととっとと薬事法を改正してネット販売を認めるべきだと思います。どうもこの辺はいろいろと権益が絡んでそうで、きな臭い話です。
今日たまたま見つけたニュースですが、勘に触る内容なので取り上げます。
上記リンク先のニュース内容を簡単に説明すると、電力不足が懸念される今年の猛暑期の対策として経産省はこのほど、前年比15%削減の節電を達成した一般家庭に対して景品を進呈する促進策を計画しているそうです。具体的にどこが癇に障るかというと、前年比で節電の指標を作るのであれば去年まで電気を浪費していたほど15%削減することは容易く、逆に去年以前から積極的に節電を実施していた人は達成が困難になるからです。勘のいい人ならわかるでしょうがこの構図は京都議定書におけるCO2削減目標と一緒で、主導するのが経産省なだけにいろいろと腹が立ちます。
それであるのであれば二番煎じと言われようとも、冷蔵庫やエアコンといった消費電力の大きい白物家電に対して家電エコポイントなどと言わず、直接国が購入額を補助する政策を実施することの方が個人的にお勧めです。この二つの家電における技術の進歩は凄まじく、十年前と最新のとでは消費電力は数十%変わると聞きますし、また家庭で使用する電力の半分程度が冷蔵庫に使われることも考慮すると再実施する価値はあると思います。
ちなみに私が日本で一人暮らししていた頃は冷房、暖房なんて使わないのでエアコンはコンセントごと外していました。実家ではうちのお袋が気を利かして私の部屋に窓付けのエアコンをつけてくれましたが、元々エアコンなんて使わないし窓が開閉できなくなったと愚痴を言ったことからかなり激しいケンカとなりました。その後私はその部屋から移り、現在は客室として使われているので結果オーライとはなりましたが。
・国初、薬ネット通販立件=対面販売命令を無視―業者を書類送検・大阪府警(時事通信)
もう一件気になったニュースとして、ネットでの医薬品販売で摘発があったというこの報道を取り上げます。
内容については詳しく語りませんがこれだけネットが発達しているのだし、離村離島の状況を考えるととっとと薬事法を改正してネット販売を認めるべきだと思います。どうもこの辺はいろいろと権益が絡んでそうで、きな臭い話です。
2011年5月30日月曜日
山幸彦と日本人のアイデンティティ
古代史シリーズ第三弾です。何も反響がありませんが気にせず書いてきます。ぶっちゃけ書きながら勉強することが多いです。
さて山幸彦と海幸彦の話ときたら、名前くらいなら知っている方も多いと思います。実はこの二人は前回の天孫降臨のところで紹介したニニギノミコトの子供で、名目上は天皇家の先祖です。
それでこの兄弟の物語ですが、ほかの世界の神話同様に兄弟同士で何やかんやとやりあう話です。旧約聖書で言えばアベルとカインの話に似ており、兄より優れた弟はいないと北斗の拳でジャギは言ってましたが神話では割かし弟のほうが優秀性を披露することが多いです。
この二人はその名前同様にそれぞれ山と海とで獲物を狩って暮らしていましたが、ある日お互いの得物を交換しようじゃないかといって弓矢と釣り針を交換してそれぞれ出かけましたが、海に出かけた山幸彦ことホオリノミコトは兄から受け取った釣り針をなくしてしまいます。山幸彦は兄に素直に詫びて自分の剣を鋳潰して千個もの釣り針を代わりに差し出しましたが、兄の海幸彦ことホデリノミコトは「元の釣り針じゃなきゃ駄目だ(#゚Д゚) プンスコ!」と言って機嫌を直すことはありませんでした。嫌な兄ちゃんだ。
困った山幸彦が海で途方にくれていると海から潮の神様が現れ、海神の宮殿に行けば何とかなるよと教えてくれます。その助言に従って山幸彦は海神の宮殿に赴くとそこで出会った海神の娘の豊玉毘売命と互いに一目ぼれし、海神の許可を得て結婚すると兄の釣り針のことなんか忘れて三年間楽しく暮らしていました。こっちはこっちで調子のいい弟だ。
しかし海で暮らして三年後、何故だか突然釣り針のことを思い出した山幸彦は海神にわけを話して釣り針をのどに引っ掛けていた鯛から回収すると陸地に戻ろうとしました。山幸彦が戻る間際、何を思ったのか海神は兄の海幸彦への呪いを伝授し、山幸彦も何故だか言われた通りに釣り針を返す際に兄を呪い、そのせいで兄ちゃんの海幸彦はやることなすこと全部が空回りするようになってしまいました。怒った海幸彦(当然だ)は弟の山幸彦に襲い掛かろうとしましたがあらかじめ海神が山幸彦に持たせていた宝玉で見事に返り討ちに遭い、それからは完全に弟の家来のような身分になってしまいます。
そうやって兄弟の争いに一件落着(?)した頃、海から豊玉毘売命が山幸彦の子供が出来たと陸に上がってきます。正直なところ山幸彦の子供かどうか怪しいものですが山幸彦はそんなの気にせずに出産の準備として小屋を建てたところ、豊玉毘売命は出産時は決して覗かないようにと言って出産に入ったのですが、覗くなと言われて覗かなかったら神話にならないだけあって山幸彦は言いつけを破って覗いてしまいます。ひい婆ちゃんの天照大神も覗き癖あったしなぁ。
すると小屋の中ではさっきまでの豊玉毘売命の姿はなく、因幡の白兎以来の再登場となるワニがのたうっていて山幸彦は腰を抜かします。言うまでもありませんがそのワニこそ豊玉毘売命の真の姿で、見られた恥ずかしさから豊玉毘売命は生んだ子供を置いて海に出帰りしてしまいました。その時残された子供はウガヤフキアエズノミコト(鵜草葺不合命・盧茲草葺不合尊)といって、初代天皇である神武天皇の父となります。
ざっとこんなところが山幸彦と海幸彦の話ですが、読んでてわかると思いますが恐らくこの話をベースに御伽噺の「浦島太郎」と「鶴の恩返し」が生まれたと言われております。成立年代からしてもそう考えるのが普通ですが、何故古事記の話を作った人はこうもワニが好きなんだろうというところがちょっと気になるところです。
それでこの神話の意義ですが、婉曲に天皇家は山側の民ということが強く訴えられているように思えます。もちろん途中で海神の娘と結婚こそするものの、山側の民が海側の民を圧倒するということが全体を通して語られているように思われ、日本の山岳信仰などとも比較すると面白いかもしれません。
ただここで話を現代人に戻すと、少なくとも今の世代の日本人は山国の人には悪いですが私は明らかに海洋民族的性質が強いと考えております。食生活では魚介類が当たり前のように存在しており、日本人のアイデンティティも地域にも寄りますが富士山以上に海への意識の方が強いと思います。
特にそれをはっきりと認識するのはサッカーの国際試合で、全日本のユニフォームはヒロシゲブルーこと鮮やかな藍色がトレードカラーとして使用されており、日本の色はと聞かれるならやはりこういった海の色を私は連想します。
おまけ
うちのお袋に聞くと女性の出産シーンは何もワニに変身しなくとも相当すごい光景らしく、見る人によっては大きなショックを受けるそうです。何でも私の出産時にお袋が病院に入院した際、近くの病室で顔を合わせていた方が分娩に入ったそうなのですが、
「殺せー、早く殺せー!!。゚(゚´Д`゚)゚。」
という戦争映画も真っ青なダミ声の恐ろしい叫び声が病院中に響いたらしく、後日その方と顔を合わせ辛くなったと話してました。
さて山幸彦と海幸彦の話ときたら、名前くらいなら知っている方も多いと思います。実はこの二人は前回の天孫降臨のところで紹介したニニギノミコトの子供で、名目上は天皇家の先祖です。
それでこの兄弟の物語ですが、ほかの世界の神話同様に兄弟同士で何やかんやとやりあう話です。旧約聖書で言えばアベルとカインの話に似ており、兄より優れた弟はいないと北斗の拳でジャギは言ってましたが神話では割かし弟のほうが優秀性を披露することが多いです。
この二人はその名前同様にそれぞれ山と海とで獲物を狩って暮らしていましたが、ある日お互いの得物を交換しようじゃないかといって弓矢と釣り針を交換してそれぞれ出かけましたが、海に出かけた山幸彦ことホオリノミコトは兄から受け取った釣り針をなくしてしまいます。山幸彦は兄に素直に詫びて自分の剣を鋳潰して千個もの釣り針を代わりに差し出しましたが、兄の海幸彦ことホデリノミコトは「元の釣り針じゃなきゃ駄目だ(#゚Д゚) プンスコ!」と言って機嫌を直すことはありませんでした。嫌な兄ちゃんだ。
困った山幸彦が海で途方にくれていると海から潮の神様が現れ、海神の宮殿に行けば何とかなるよと教えてくれます。その助言に従って山幸彦は海神の宮殿に赴くとそこで出会った海神の娘の豊玉毘売命と互いに一目ぼれし、海神の許可を得て結婚すると兄の釣り針のことなんか忘れて三年間楽しく暮らしていました。こっちはこっちで調子のいい弟だ。
しかし海で暮らして三年後、何故だか突然釣り針のことを思い出した山幸彦は海神にわけを話して釣り針をのどに引っ掛けていた鯛から回収すると陸地に戻ろうとしました。山幸彦が戻る間際、何を思ったのか海神は兄の海幸彦への呪いを伝授し、山幸彦も何故だか言われた通りに釣り針を返す際に兄を呪い、そのせいで兄ちゃんの海幸彦はやることなすこと全部が空回りするようになってしまいました。怒った海幸彦(当然だ)は弟の山幸彦に襲い掛かろうとしましたがあらかじめ海神が山幸彦に持たせていた宝玉で見事に返り討ちに遭い、それからは完全に弟の家来のような身分になってしまいます。
そうやって兄弟の争いに一件落着(?)した頃、海から豊玉毘売命が山幸彦の子供が出来たと陸に上がってきます。正直なところ山幸彦の子供かどうか怪しいものですが山幸彦はそんなの気にせずに出産の準備として小屋を建てたところ、豊玉毘売命は出産時は決して覗かないようにと言って出産に入ったのですが、覗くなと言われて覗かなかったら神話にならないだけあって山幸彦は言いつけを破って覗いてしまいます。ひい婆ちゃんの天照大神も覗き癖あったしなぁ。
すると小屋の中ではさっきまでの豊玉毘売命の姿はなく、因幡の白兎以来の再登場となるワニがのたうっていて山幸彦は腰を抜かします。言うまでもありませんがそのワニこそ豊玉毘売命の真の姿で、見られた恥ずかしさから豊玉毘売命は生んだ子供を置いて海に出帰りしてしまいました。その時残された子供はウガヤフキアエズノミコト(鵜草葺不合命・盧茲草葺不合尊)といって、初代天皇である神武天皇の父となります。
ざっとこんなところが山幸彦と海幸彦の話ですが、読んでてわかると思いますが恐らくこの話をベースに御伽噺の「浦島太郎」と「鶴の恩返し」が生まれたと言われております。成立年代からしてもそう考えるのが普通ですが、何故古事記の話を作った人はこうもワニが好きなんだろうというところがちょっと気になるところです。
それでこの神話の意義ですが、婉曲に天皇家は山側の民ということが強く訴えられているように思えます。もちろん途中で海神の娘と結婚こそするものの、山側の民が海側の民を圧倒するということが全体を通して語られているように思われ、日本の山岳信仰などとも比較すると面白いかもしれません。
ただここで話を現代人に戻すと、少なくとも今の世代の日本人は山国の人には悪いですが私は明らかに海洋民族的性質が強いと考えております。食生活では魚介類が当たり前のように存在しており、日本人のアイデンティティも地域にも寄りますが富士山以上に海への意識の方が強いと思います。
特にそれをはっきりと認識するのはサッカーの国際試合で、全日本のユニフォームはヒロシゲブルーこと鮮やかな藍色がトレードカラーとして使用されており、日本の色はと聞かれるならやはりこういった海の色を私は連想します。
おまけ
うちのお袋に聞くと女性の出産シーンは何もワニに変身しなくとも相当すごい光景らしく、見る人によっては大きなショックを受けるそうです。何でも私の出産時にお袋が病院に入院した際、近くの病室で顔を合わせていた方が分娩に入ったそうなのですが、
「殺せー、早く殺せー!!。゚(゚´Д`゚)゚。」
という戦争映画も真っ青なダミ声の恐ろしい叫び声が病院中に響いたらしく、後日その方と顔を合わせ辛くなったと話してました。
2011年5月29日日曜日
福島原発の海水注入中断報道について
・首相の意向で海水注入中断…震災翌日に55分間(読売新聞)
ほぼ先週いっぱい、上記20日のニュースが発端となった一連の報道が政界を大きく騒がせていたかと思います。このニュースは私が確認する限りでは読売が最初に報じたように思えますが、なんかいろいろネットを見ているとTBSが最初にやったともいう話もあるようで、さすがに細かい確認まで出来ないのでひとまず読売が活字メディアで第一報を告げたという前提で話を進めさせていただきます。
ニュース内容を簡単に説明すると東日本大震災翌日の3月12日、事故を起こした福島原発への海水注入作業中に管首相が再臨界の可能性を懸念したことから55分間、注入が中断されたと報じられました。このニュースが発端となって本来適切な作業であった海水注入を中断して事態を余計に悪化させたとして自民党を始めとした野党は政府の糾弾を始めたのですが、率直に言って私はこのニュースを見た時に「火中の栗」と考え、多分自民は余計に騒いで罰が悪くなるのではと考えました。
私がこのニュースを見て最初に疑ったのは、本当に海水注入中断があったのかということです。そりゃ確かにあの状況で中断していれば大きく叩かれることは目に見えているために中断してれば政府や東電は隠そうとするでしょうが、仮に隠そうとしても実際に隠し切れるかという点で疑問を感じました。仮に中断されていればそれこそ実際に注入作業をした人たちはそれを目にするわけですから下手すりゃ当日、遅くとも数日間内にこの中断の事実は報じられているはずで、どうして二ヶ月以上もたった今になってこの事実が突然出てきたのかという点で怪しいと感じました
その上で真偽を強く疑わせたもう一点は、管首相が再臨界を懸念して中断を指示したという点です。こういっては何ですが私には管首相が状況に応じて即断できるほど決断力があるようには思えず、すでに実施されている作業を途中で止めるなんてことはまずしない、というかできないだろうと思いました。仮にそうだとしても東電側からの強烈なミスリードを受けてでしか考えられませんし、そもそも当時は政府側が早期の海水注入を東電に要請したところ東電側が渋っていたという報道を以前に聞いているだけにつじつまが合わないように思いました。
その上でこの記事の信憑性を強く疑ったのか、どうも全体的に根拠がかけている点です。先ほど書いたように本当に中断がされていたのであれば現場の作業員らからの証言があると思うのに記事中にはこれが全く触れられておらず、また情報ソースも「政府関係者から」とだけしか書かれておらず、どうも出処が怪しいように感じました。注入中断だけの事実だけであれば「政府関係者」でもわかるでしょうがそれが管首相の意向によるものかどうかとなるとそれこそ大臣クラスや東電の幹部でなければわからないように思え、そのような人間がわざわざ自分たちに不利となるような情報を明かすとは思えません。
極め付けが、この記事を書いたのが読売新聞だからです。読売新聞は自民党寄りのスタンスを取っていることは明々白々で、なおかつ原発についても推進派の立場から震災以後も社説などで管理を強くした上で増設するべきという主張を産経とともに繰り返しております。
その読売が原発行政において不利となるようなこのようなニュースをどうして流すのかと考えると、やはり主目的は民主党の管政権を叩くためにあることは間違いありません。逆を言えば管政権を叩くためになりふり構わない報道をしてくると言われていただけに、この記事を見た時にはこれもその一種かと私は思ったわけです。現実にこれまで妙な批判の仕方をしていましたし。
そんなわけで、ただでさえネタに困っていただけに普通であればこのようなニュースはこのブログで取り上げるのですが、この記事については信憑性が怪しいことから敢えて静観する立場をとりました。すると予想通りというかこの記事が出た翌日には管首相に再臨界の懸念を主張したとされる原子力安全委員会の斑目委員長が「そのような意味で言ったのではないし、中断を進言したつもりはない」と反応したのを皮切りに、管首相周辺もそのような指示はしていないと言った、言わないで事実関係が紛糾しました。その後も当時の状況についても報道が二転三転するようになり、細かく書いても仕方ありませんが大まかな流れで書くと、
1、政府の了承の元で海水注入が始まったのを政府が途中で止めた
2、実は東電側が政府に何も伝えないまま海水注入を始めており、管首相が懸念したのを見て東電側が中断させた
3、実は中断の指示が来てたけど、現場の吉田所長の判断で続けられていた
という具合で、結局のところ最初の発端となった海水注入中断という事実自体がなかったというのが真相でした。自分は最初からこの一連の報道は怪しいとは思ってはいたもののここまでどんでん返しが起こるとまでは予想せず、自民党の大島幹事長なんか、「止めたのは菅直人首相だ。その結果、こんな大きな災害になったならば辞任するのが当然だ」とまで言い切っちゃってて、なんていうかもう少し事実関係確かめようとはしなかったのかと思います。読売だけに。
結果的にこの報道のおかげで政界は約一週間にもわたって無用な議論を繰り返したことになります。ただ一つ、本当に海水注入中断があったかどうかを確認しさえすればよかったと考えると、実に余計な騒動を引き起こしてくれたものだなと感じます。
最後にこの記事について、自分がデスクなら絶対にこんな根拠のはっきりしない記事は載せません。ただでさえ近頃の読売は原発や大連立関係になると妙な記事やはっきりしない報道を繰り返しており、管政権をよく批判していますが読売の方こそ私は近頃ガバナンス能力が欠けているのではないかと疑っています。私は何も読売が嫌いと言うわけじゃありませんしそのスタンスは悪くはないと思いますが、最近の記事はちょっと目に余るものが多いのでこうしてわざわざ記事にまとめました。
蛇足ですが、多分来週以降は読売はこの件についてわざと触れないようにするのではないでしょうか。
ほぼ先週いっぱい、上記20日のニュースが発端となった一連の報道が政界を大きく騒がせていたかと思います。このニュースは私が確認する限りでは読売が最初に報じたように思えますが、なんかいろいろネットを見ているとTBSが最初にやったともいう話もあるようで、さすがに細かい確認まで出来ないのでひとまず読売が活字メディアで第一報を告げたという前提で話を進めさせていただきます。
ニュース内容を簡単に説明すると東日本大震災翌日の3月12日、事故を起こした福島原発への海水注入作業中に管首相が再臨界の可能性を懸念したことから55分間、注入が中断されたと報じられました。このニュースが発端となって本来適切な作業であった海水注入を中断して事態を余計に悪化させたとして自民党を始めとした野党は政府の糾弾を始めたのですが、率直に言って私はこのニュースを見た時に「火中の栗」と考え、多分自民は余計に騒いで罰が悪くなるのではと考えました。
私がこのニュースを見て最初に疑ったのは、本当に海水注入中断があったのかということです。そりゃ確かにあの状況で中断していれば大きく叩かれることは目に見えているために中断してれば政府や東電は隠そうとするでしょうが、仮に隠そうとしても実際に隠し切れるかという点で疑問を感じました。仮に中断されていればそれこそ実際に注入作業をした人たちはそれを目にするわけですから下手すりゃ当日、遅くとも数日間内にこの中断の事実は報じられているはずで、どうして二ヶ月以上もたった今になってこの事実が突然出てきたのかという点で怪しいと感じました
その上で真偽を強く疑わせたもう一点は、管首相が再臨界を懸念して中断を指示したという点です。こういっては何ですが私には管首相が状況に応じて即断できるほど決断力があるようには思えず、すでに実施されている作業を途中で止めるなんてことはまずしない、というかできないだろうと思いました。仮にそうだとしても東電側からの強烈なミスリードを受けてでしか考えられませんし、そもそも当時は政府側が早期の海水注入を東電に要請したところ東電側が渋っていたという報道を以前に聞いているだけにつじつまが合わないように思いました。
その上でこの記事の信憑性を強く疑ったのか、どうも全体的に根拠がかけている点です。先ほど書いたように本当に中断がされていたのであれば現場の作業員らからの証言があると思うのに記事中にはこれが全く触れられておらず、また情報ソースも「政府関係者から」とだけしか書かれておらず、どうも出処が怪しいように感じました。注入中断だけの事実だけであれば「政府関係者」でもわかるでしょうがそれが管首相の意向によるものかどうかとなるとそれこそ大臣クラスや東電の幹部でなければわからないように思え、そのような人間がわざわざ自分たちに不利となるような情報を明かすとは思えません。
極め付けが、この記事を書いたのが読売新聞だからです。読売新聞は自民党寄りのスタンスを取っていることは明々白々で、なおかつ原発についても推進派の立場から震災以後も社説などで管理を強くした上で増設するべきという主張を産経とともに繰り返しております。
その読売が原発行政において不利となるようなこのようなニュースをどうして流すのかと考えると、やはり主目的は民主党の管政権を叩くためにあることは間違いありません。逆を言えば管政権を叩くためになりふり構わない報道をしてくると言われていただけに、この記事を見た時にはこれもその一種かと私は思ったわけです。現実にこれまで妙な批判の仕方をしていましたし。
そんなわけで、ただでさえネタに困っていただけに普通であればこのようなニュースはこのブログで取り上げるのですが、この記事については信憑性が怪しいことから敢えて静観する立場をとりました。すると予想通りというかこの記事が出た翌日には管首相に再臨界の懸念を主張したとされる原子力安全委員会の斑目委員長が「そのような意味で言ったのではないし、中断を進言したつもりはない」と反応したのを皮切りに、管首相周辺もそのような指示はしていないと言った、言わないで事実関係が紛糾しました。その後も当時の状況についても報道が二転三転するようになり、細かく書いても仕方ありませんが大まかな流れで書くと、
1、政府の了承の元で海水注入が始まったのを政府が途中で止めた
2、実は東電側が政府に何も伝えないまま海水注入を始めており、管首相が懸念したのを見て東電側が中断させた
3、実は中断の指示が来てたけど、現場の吉田所長の判断で続けられていた
という具合で、結局のところ最初の発端となった海水注入中断という事実自体がなかったというのが真相でした。自分は最初からこの一連の報道は怪しいとは思ってはいたもののここまでどんでん返しが起こるとまでは予想せず、自民党の大島幹事長なんか、「止めたのは菅直人首相だ。その結果、こんな大きな災害になったならば辞任するのが当然だ」とまで言い切っちゃってて、なんていうかもう少し事実関係確かめようとはしなかったのかと思います。読売だけに。
結果的にこの報道のおかげで政界は約一週間にもわたって無用な議論を繰り返したことになります。ただ一つ、本当に海水注入中断があったかどうかを確認しさえすればよかったと考えると、実に余計な騒動を引き起こしてくれたものだなと感じます。
最後にこの記事について、自分がデスクなら絶対にこんな根拠のはっきりしない記事は載せません。ただでさえ近頃の読売は原発や大連立関係になると妙な記事やはっきりしない報道を繰り返しており、管政権をよく批判していますが読売の方こそ私は近頃ガバナンス能力が欠けているのではないかと疑っています。私は何も読売が嫌いと言うわけじゃありませんしそのスタンスは悪くはないと思いますが、最近の記事はちょっと目に余るものが多いのでこうしてわざわざ記事にまとめました。
蛇足ですが、多分来週以降は読売はこの件についてわざと触れないようにするのではないでしょうか。
飛ばないボールと今年のプロ野球
現在中国にいるせいでなかなか一試合ごとの内容を楽しむことが出来ませんが、日本のプロ野球の話です。
現在セパ交流戦が開催されていますが例年の如くパリーグのチームがセリーグチームに圧勝している構図は変わらないまでも、どうもニュースを見ていると去年と今年で各チームの試合内容が大きく変化しているように思えます。具体的に何が変化しているのかと言うと投手と打者の成績で、投手防御率はトップは1点台がずらりと並ぶほど好調な一方で打者は打率が3割に達する選手はほとんどおらず、それどころか往年の名打者たちが不振に苦しむことが多くなっております。代表的な選手を挙げると巨人の小笠原選手、阪神の城島選手などで、まだ開幕してそれほど時間が経っていないもののホームランを量産する長距離打者ほど目に見えて成績が下降しているように思えます。
一体何故このようなことになっているのか、結論を言えば私はやはり今年から導入された統一球こと「飛ばないボール」が影響しているように思えます。日本のプロ野球界ではこれまで各球団ごとに反発係数の異なるボールをそれぞれ勝手に使っていたのですが。WBCなど国際対抗戦が増えてきたことを受けて米国でも使用されているボールの仕様に今年から統一することになりました。
その結果これまでより打っても飛ばないボールになり、長距離打者の多い巨人を筆頭に開幕したらどうなることやらとささやかれていましたが、案の定というか開幕前に有力視されていたチームほど苦しみ、逆に注目されてなかったヤクルトが現在セリーグで首位となるなど見事な番狂わせが起こっております。
・飛ばないボール「低反発球」でプロ野球はどう変わる?(週プレニュース)
リンクに貼ったニュースは3月22日のニュース記事ですが、このニュースの中で野球解説者の大塚光二氏のコメントとして以下のような内容が引用されております。
「セなら中日、パなら日本ハムが最も有利でしょうね。言うまでもなく、ともに打線のつながりで勝つスタイルが定着したチーム。また、昨年リーグ最多の148盗塁を記録したソフトバンクも力を発揮するでしょう」
またこのコメントを受けこの記事を書いた記者も、
「また、本塁打が減るということは、「投手有利」ということ。岩隈、田中将の両エースを抱える楽天や、前田健太を有する広島が浮上する一方で、巨人や西武のような大砲揃いのチームが苦戦するかもしれない。その結果、僅差の試合も増え、最終回まで緊張感が持続するだろう。」
開幕前ながら見事なまでの予想というべきか、両者が言うように打線のつながりを重視する小技が強いチームが確かに現在上位についております。ヤクルトなんか典型的ですし、日ハムやソフトバンクなんか交流戦入ってからも調子がいいままです。逆に巨人、西武、阪神などと去年まで強打で鳴らしたチームは前評判と比べて低い順位に喘いでいます。楽天については岩隈選手、田中選手という球界屈指のエースピッチャー二人がいるのに弱いのは監督のせいのように思えますが。
さらに今日ちょっと個人成績をいくつか見てましたが、やはりホームランバッターが低い打率に苦しんでいる傾向が強いです。意外と言っては可哀想ですが選手層の割には健闘している広島カープも去年の主軸を担った梵選手の打率は未だ二割台前半で、好調を保っているホームランバッターと言ったら巨人のラミレス選手くらいしかいないように思えます。逆に元から安打の多かったヤクルトの青木選手は好調を維持しており、さすがと言うところです。
またこのほかにも、どうも成績が急落する選手はパリーグよりセリーグの方が多いような気がします。パリーグは去年も打っていた選手は今年もよく打ってますし、比較的ボールへの対応を見せております。
その中でも一際目を引くのは今年横浜ベイスターズからソフトバンクホークスに移籍してきた内川選手です。目下打率はパリーグ一の三割後半という恐ろしい成績もさることながら、通常セリーグからパリーグへ移った打者は成績が下降しやすいのに(その逆は上がりやすい)、並みいるエースピッチャーを相手に変わらぬアベレージヒッターぶりを見せています。
前回WBC決勝戦ではイチロー選手の勝ち越し安打がよく取り上げられることが多いですが、私個人的にあの試合の最大の見せ場はレフトに飛んできたボールを内川選手が見事なグラブ捌きでワンバウンドキャッチして返球するシーンで、あの日から内川選手のファンとなりましたが自分が贔屓するソフトバンクで活躍していてうれしい限りです。折角だから統一球になっても比較的成績を保っている村田選手も来年来てくれればいいのに(´∀`*)ウフフ
現在セパ交流戦が開催されていますが例年の如くパリーグのチームがセリーグチームに圧勝している構図は変わらないまでも、どうもニュースを見ていると去年と今年で各チームの試合内容が大きく変化しているように思えます。具体的に何が変化しているのかと言うと投手と打者の成績で、投手防御率はトップは1点台がずらりと並ぶほど好調な一方で打者は打率が3割に達する選手はほとんどおらず、それどころか往年の名打者たちが不振に苦しむことが多くなっております。代表的な選手を挙げると巨人の小笠原選手、阪神の城島選手などで、まだ開幕してそれほど時間が経っていないもののホームランを量産する長距離打者ほど目に見えて成績が下降しているように思えます。
一体何故このようなことになっているのか、結論を言えば私はやはり今年から導入された統一球こと「飛ばないボール」が影響しているように思えます。日本のプロ野球界ではこれまで各球団ごとに反発係数の異なるボールをそれぞれ勝手に使っていたのですが。WBCなど国際対抗戦が増えてきたことを受けて米国でも使用されているボールの仕様に今年から統一することになりました。
その結果これまでより打っても飛ばないボールになり、長距離打者の多い巨人を筆頭に開幕したらどうなることやらとささやかれていましたが、案の定というか開幕前に有力視されていたチームほど苦しみ、逆に注目されてなかったヤクルトが現在セリーグで首位となるなど見事な番狂わせが起こっております。
・飛ばないボール「低反発球」でプロ野球はどう変わる?(週プレニュース)
リンクに貼ったニュースは3月22日のニュース記事ですが、このニュースの中で野球解説者の大塚光二氏のコメントとして以下のような内容が引用されております。
「セなら中日、パなら日本ハムが最も有利でしょうね。言うまでもなく、ともに打線のつながりで勝つスタイルが定着したチーム。また、昨年リーグ最多の148盗塁を記録したソフトバンクも力を発揮するでしょう」
またこのコメントを受けこの記事を書いた記者も、
「また、本塁打が減るということは、「投手有利」ということ。岩隈、田中将の両エースを抱える楽天や、前田健太を有する広島が浮上する一方で、巨人や西武のような大砲揃いのチームが苦戦するかもしれない。その結果、僅差の試合も増え、最終回まで緊張感が持続するだろう。」
開幕前ながら見事なまでの予想というべきか、両者が言うように打線のつながりを重視する小技が強いチームが確かに現在上位についております。ヤクルトなんか典型的ですし、日ハムやソフトバンクなんか交流戦入ってからも調子がいいままです。逆に巨人、西武、阪神などと去年まで強打で鳴らしたチームは前評判と比べて低い順位に喘いでいます。楽天については岩隈選手、田中選手という球界屈指のエースピッチャー二人がいるのに弱いのは監督のせいのように思えますが。
さらに今日ちょっと個人成績をいくつか見てましたが、やはりホームランバッターが低い打率に苦しんでいる傾向が強いです。意外と言っては可哀想ですが選手層の割には健闘している広島カープも去年の主軸を担った梵選手の打率は未だ二割台前半で、好調を保っているホームランバッターと言ったら巨人のラミレス選手くらいしかいないように思えます。逆に元から安打の多かったヤクルトの青木選手は好調を維持しており、さすがと言うところです。
またこのほかにも、どうも成績が急落する選手はパリーグよりセリーグの方が多いような気がします。パリーグは去年も打っていた選手は今年もよく打ってますし、比較的ボールへの対応を見せております。
その中でも一際目を引くのは今年横浜ベイスターズからソフトバンクホークスに移籍してきた内川選手です。目下打率はパリーグ一の三割後半という恐ろしい成績もさることながら、通常セリーグからパリーグへ移った打者は成績が下降しやすいのに(その逆は上がりやすい)、並みいるエースピッチャーを相手に変わらぬアベレージヒッターぶりを見せています。
前回WBC決勝戦ではイチロー選手の勝ち越し安打がよく取り上げられることが多いですが、私個人的にあの試合の最大の見せ場はレフトに飛んできたボールを内川選手が見事なグラブ捌きでワンバウンドキャッチして返球するシーンで、あの日から内川選手のファンとなりましたが自分が贔屓するソフトバンクで活躍していてうれしい限りです。折角だから統一球になっても比較的成績を保っている村田選手も来年来てくれればいいのに(´∀`*)ウフフ
2011年5月28日土曜日
産業ガス販売カルテルと高圧ガス業界
・産業ガス販売でカルテル認定 4社に課徴金141億円(朝日新聞)
このニュース自体は一昨日に出ていて本当なら昨日のうちに片付けてしまいたかったのですが、昨日は私の部屋で突然ネットが仕えなくなってしまってそれも叶いませんでした。部屋の管理業者の人に見てもらって今朝修復したけど、何が理由だったんだろうか。
それでニュースの内容ですが、リンク先を見てもらえばわかるとおりに産業ガスメーカー4社が2007年頃から直接会合を以って価格を調整するカルテルを結んでたことがばれて、公正取引委員会に総額約141億円の課徴金を課されたそうです。この産業ガスメーカーのカルテル自体は実は2009年の段階で取り沙汰されており、当時はリーマンショック後の大引けによる価格下落を防ぐためあちこちの業界で結ばれたのか、景気が悪いのでカルテルを取り締まっても経済に大きく影響しないと当局が判断したのかはわかりませんが世界各国でこのような取締りが相次ぎました。
もともとこのようなカルテル系のニュースは大メディアはスポンサーの関係からあまり取り上げようとしない傾向があるので、以前の陽月秘話では縛りがないのだからと積極的に取り上げていて今でもどのようなカルテルがあったのか多少なら覚えています。ただそうして取り上げた中に、実はこの産業ガスカルテルについては私は知ってて敢えて取り上げませんでした。
理由を話すとなかなか情けない限りなのですが、実は当時日本で私が在籍していた会社というのはここで取り上げられているガスメーカー四社からガスを購入して卸すガスディーラーだったからです。人物が特定されるはずはないだろうし会社にばれてもだからなんだという風には考えていましたが、万一私の行動で当時在籍していた会社が影響を受けることとなってはよくないと考え、大人の事情でこのカルテルについては手を触れませんでした。
内心ではカルテルを結んでいたガスメーカーに対して自分らディーラーに高い値段をふっかけやがってという腹立たしい気持ちがあり取り上げたいのも山々でしたが、その勤めていた会社には本当にお世話になっており、軽はずみな行動で迷惑をかけるようなことはしてはならないと自重する気持ちが勝りました。
すでに何度も書いている通りにお世話になったといいながらも私は去年にその在籍していた会社を辞めて中国へ転職にきましたが、今でもその会社への感謝の気持ちは一日たりとも忘れてはいません。実際に辞めるかどうか当時非常に悩みましたが、こうして海外へ転職できるのも若いうちだけだという年齢の壁と、恩を返すことは未来にも出来ると踏ん切りをつけたのが決め手となりました。
奇しくも私が退職した日は新入社員の頃から、下手すれば面接の時から明らかに私を取り立ててくれた役員の方の退社日と重なりました。私が退職の意思を伝えた際にはその役員の方にもわざわざ引き止めてもらい、今でもその時のことを思うとあの時の決断は正しかったのかと悩むのと同時に非常に心が痛みます。
人間、心ならずも折角知り合った人間と別れなければならない場面が人生には数多くあると思います。その別れる理由も引越しなどの物理的な理由による別れから、喧嘩や考えの相違などといった不和による別れもあるでしょう。ただどの別れにも別れ方というような最低限の礼儀という作法が存在するように思え、過去の事例を引用すれば諸葛亮が尊敬していた楽毅の例でもあるように、別れる際には余計な怨恨などを互いに残さぬようにして別れる必要があると思います。自分はお世話になったその会社へはそのように別れられたのか、未だ納得する結論は出ません。
このニュース自体は一昨日に出ていて本当なら昨日のうちに片付けてしまいたかったのですが、昨日は私の部屋で突然ネットが仕えなくなってしまってそれも叶いませんでした。部屋の管理業者の人に見てもらって今朝修復したけど、何が理由だったんだろうか。
それでニュースの内容ですが、リンク先を見てもらえばわかるとおりに産業ガスメーカー4社が2007年頃から直接会合を以って価格を調整するカルテルを結んでたことがばれて、公正取引委員会に総額約141億円の課徴金を課されたそうです。この産業ガスメーカーのカルテル自体は実は2009年の段階で取り沙汰されており、当時はリーマンショック後の大引けによる価格下落を防ぐためあちこちの業界で結ばれたのか、景気が悪いのでカルテルを取り締まっても経済に大きく影響しないと当局が判断したのかはわかりませんが世界各国でこのような取締りが相次ぎました。
もともとこのようなカルテル系のニュースは大メディアはスポンサーの関係からあまり取り上げようとしない傾向があるので、以前の陽月秘話では縛りがないのだからと積極的に取り上げていて今でもどのようなカルテルがあったのか多少なら覚えています。ただそうして取り上げた中に、実はこの産業ガスカルテルについては私は知ってて敢えて取り上げませんでした。
理由を話すとなかなか情けない限りなのですが、実は当時日本で私が在籍していた会社というのはここで取り上げられているガスメーカー四社からガスを購入して卸すガスディーラーだったからです。人物が特定されるはずはないだろうし会社にばれてもだからなんだという風には考えていましたが、万一私の行動で当時在籍していた会社が影響を受けることとなってはよくないと考え、大人の事情でこのカルテルについては手を触れませんでした。
内心ではカルテルを結んでいたガスメーカーに対して自分らディーラーに高い値段をふっかけやがってという腹立たしい気持ちがあり取り上げたいのも山々でしたが、その勤めていた会社には本当にお世話になっており、軽はずみな行動で迷惑をかけるようなことはしてはならないと自重する気持ちが勝りました。
すでに何度も書いている通りにお世話になったといいながらも私は去年にその在籍していた会社を辞めて中国へ転職にきましたが、今でもその会社への感謝の気持ちは一日たりとも忘れてはいません。実際に辞めるかどうか当時非常に悩みましたが、こうして海外へ転職できるのも若いうちだけだという年齢の壁と、恩を返すことは未来にも出来ると踏ん切りをつけたのが決め手となりました。
奇しくも私が退職した日は新入社員の頃から、下手すれば面接の時から明らかに私を取り立ててくれた役員の方の退社日と重なりました。私が退職の意思を伝えた際にはその役員の方にもわざわざ引き止めてもらい、今でもその時のことを思うとあの時の決断は正しかったのかと悩むのと同時に非常に心が痛みます。
人間、心ならずも折角知り合った人間と別れなければならない場面が人生には数多くあると思います。その別れる理由も引越しなどの物理的な理由による別れから、喧嘩や考えの相違などといった不和による別れもあるでしょう。ただどの別れにも別れ方というような最低限の礼儀という作法が存在するように思え、過去の事例を引用すれば諸葛亮が尊敬していた楽毅の例でもあるように、別れる際には余計な怨恨などを互いに残さぬようにして別れる必要があると思います。自分はお世話になったその会社へはそのように別れられたのか、未だ納得する結論は出ません。
2011年5月26日木曜日
今日のニュースについて
最近社会関係の記事を書こうとしても全くニュースがなくて困っていましたが、今日は気になるニュースが二つもあったので早速取り上げたいと思います。
・新潮社に賠償命令 部数水増し訴訟「真実相当性なし」(産経新聞)
以前の陽月秘話でも取り上げていた新聞社の押紙の問題です。押紙というのは新聞社が新聞を印刷、販売する新聞店に対して実際の講読者数より余計に増刷させて無理矢理買い取らせる慣習のことですが、これのどこが悪いのかと言うとまず新聞店は新聞社に対して売れるはずのない新聞を無理矢理刷らされただけ余計な費用を払わなければなりません。断ればもう印刷させてもらえないし。
これだけでも新聞点側としては小銭が入ってきますが、それ以上に大きいのは広告費の問題です。というのも広告費というのは「どれだけの人間に対して見られているか」というのが価格を決めるため、新聞や雑誌では購読者数や発行部数が大きな指標となります。そのため部数が多ければ多いほど新聞社は広告費を多く取れるため、売られることはなく刷られた後にすぐ捨てられる押紙でも環境を気にせず無駄に刷って部数を大きく見せようとするわけです。
それで今日のこのニュースですが、なんでも週刊新潮でこの押紙を取り上げて、「読売新聞の公称部数約1千万部のうち、30~40%が実際は販売店から読者に販売されず処理されていると指摘」したところ、逆に読売に訴えられて賠償金の支払い命令が新潮社に出されたそうです。実際の週刊新潮の記事を見ていないのではっきりとは言い切れず、新潮は以前にも偽の赤報隊事件犯人を仕立てたこともあるので会社としてあまり信用しておりませんが、きちんと証拠を押さえられなかったんだろうなと私は思いました。
押紙についてははっきり断言しても言いますが確実に存在します。新潮はその量は全発行部数の30~40%と言っているようですが私の感覚でもそのくらいです。というのも昔は本気で50%近くが押紙だったそうでしたが、世間の目が厳しくなったのと新聞店側から猛抗議を受けるなどして徐々に減っていたと聞いており、現状であちこちから話を聞くとやはりこの30~40%という数値を上げる人が多いからです。
何を根拠にそんなことを言い切れるんだと思われるかもしれませんが、これについては私は一切譲るつもりはありません。というのもうちのお袋が実際に新聞店で働いててこの押紙の問題を始めとして新聞拡張員、販売促進費といったブラック企業も真っ青な新聞社の実態について直接見聞きしているからです。多分この辺だったら下手な新聞社員より詳しいと思います。
そういうわけで今回新潮社に言いたいことは、去年朝日新聞が検察の証拠捏造事件を暴いたようにぐぅの音も出せないような証拠を頑張って揃えて記事にしてほしいということです。むしろ新潮にとどまらず、文春から現代まで雑誌メディアはスクラム組んでこの問題をしっかりと追及したほうがいいでしょう。新聞店取材すりゃすぐ出てきそうなんだし。
・「虚偽証言強要」選挙違反事件で有権者 埼玉県警は反論(朝日新聞)
このニュースを見た時の私の最初の感想は、「第二の志布志事件だ」ということでした。
志布志事件を説明するより今回のこの埼玉の事件を説明したほうが早いのでこっちのニュースを先に解説しますが、今年行われた埼玉県深谷市議選にて有権者を飲食にて接待したとして市議二人が公職選挙法違反で埼玉県警に逮捕されたところ、この市議二人から無料にて接待を受けたとした有権者らが「飲食費は払った」と証言して反論していると報じられています。確かに選挙期間中に候補が無料にて飲食を振舞えば公職選挙法違反になりますが、今回反論している有権者が言うようにまともな額の会費をきちんと支払っていれば何も問題ありません。
今回私が問題視しているのは事の真偽以上に警察の捜査の仕方です。志布志事件という悪例がありなおかつ去年には検察が厚生労働省の村木さんの事件で証拠を偽造するという前代未聞の不祥事を起こしていながらも、またも自白を強要する、自白を唯一の証拠として頼る捜査をしていることです。現時点でここまで書くのは急ぎ過ぎな気もしますが、警察のこのような無茶な捜査ぶりと、別の報道では当日の会費支払いを家計簿に記入している有権者もいると報じられていることから、この事件は冤罪の線が高いと見ております。鹿児島で起きた志布志事件と全く構図が似ているのもありますし。
最後に、現在ある大きなニュースが連日連夜報じられておりますが敢えて私は無視して取り上げていません。理由は発端となった記事からして背景に曖昧さを強く感じさせられる内容で、思った通りにその後の報道が二転三転していて結論や構図がはっきりしてから取り上げたほうがいいだろうと考えたからです。
なおその発端となる記事を書いたのは読売ですが、このところの読売の記事はそれに限らず怪しいものばかりです。元々怪しい産経はおいといてこの読売の迷走ぶりは目に余り、今騒がせているニュースが落ち着いたらまとめて書き上げます。
逆に、今私の中で急激に株を上げているのは朝日新聞です。今日取り上げた志布志事件も朝日が大きく取り上げたことで日の目を浴びた事件であり、系列テレビ局の朝日放送はニュース内容が一番まとまってて日本にいた頃は指定チャンネルにしていました。その上、なんといっても凄まじかったのはちょっと太鼓叩き過ぎな気もしますが、これも今日取り上げた去年の検察の証拠偽造事件で、多分裁判を追ってれば誰でも気がついた可能性のある糸口を丹念に調査して一撃で検察を降伏させたのは壮絶そのものでした。高校時代までは一番嫌いな新聞で、悪口言い過ぎて今度名古屋に栄転する親父にまで「もう許したってや」とまで言われたのに人間変わるものだ。
・新潮社に賠償命令 部数水増し訴訟「真実相当性なし」(産経新聞)
以前の陽月秘話でも取り上げていた新聞社の押紙の問題です。押紙というのは新聞社が新聞を印刷、販売する新聞店に対して実際の講読者数より余計に増刷させて無理矢理買い取らせる慣習のことですが、これのどこが悪いのかと言うとまず新聞店は新聞社に対して売れるはずのない新聞を無理矢理刷らされただけ余計な費用を払わなければなりません。断ればもう印刷させてもらえないし。
これだけでも新聞点側としては小銭が入ってきますが、それ以上に大きいのは広告費の問題です。というのも広告費というのは「どれだけの人間に対して見られているか」というのが価格を決めるため、新聞や雑誌では購読者数や発行部数が大きな指標となります。そのため部数が多ければ多いほど新聞社は広告費を多く取れるため、売られることはなく刷られた後にすぐ捨てられる押紙でも環境を気にせず無駄に刷って部数を大きく見せようとするわけです。
それで今日のこのニュースですが、なんでも週刊新潮でこの押紙を取り上げて、「読売新聞の公称部数約1千万部のうち、30~40%が実際は販売店から読者に販売されず処理されていると指摘」したところ、逆に読売に訴えられて賠償金の支払い命令が新潮社に出されたそうです。実際の週刊新潮の記事を見ていないのではっきりとは言い切れず、新潮は以前にも偽の赤報隊事件犯人を仕立てたこともあるので会社としてあまり信用しておりませんが、きちんと証拠を押さえられなかったんだろうなと私は思いました。
押紙についてははっきり断言しても言いますが確実に存在します。新潮はその量は全発行部数の30~40%と言っているようですが私の感覚でもそのくらいです。というのも昔は本気で50%近くが押紙だったそうでしたが、世間の目が厳しくなったのと新聞店側から猛抗議を受けるなどして徐々に減っていたと聞いており、現状であちこちから話を聞くとやはりこの30~40%という数値を上げる人が多いからです。
何を根拠にそんなことを言い切れるんだと思われるかもしれませんが、これについては私は一切譲るつもりはありません。というのもうちのお袋が実際に新聞店で働いててこの押紙の問題を始めとして新聞拡張員、販売促進費といったブラック企業も真っ青な新聞社の実態について直接見聞きしているからです。多分この辺だったら下手な新聞社員より詳しいと思います。
そういうわけで今回新潮社に言いたいことは、去年朝日新聞が検察の証拠捏造事件を暴いたようにぐぅの音も出せないような証拠を頑張って揃えて記事にしてほしいということです。むしろ新潮にとどまらず、文春から現代まで雑誌メディアはスクラム組んでこの問題をしっかりと追及したほうがいいでしょう。新聞店取材すりゃすぐ出てきそうなんだし。
・「虚偽証言強要」選挙違反事件で有権者 埼玉県警は反論(朝日新聞)
このニュースを見た時の私の最初の感想は、「第二の志布志事件だ」ということでした。
志布志事件を説明するより今回のこの埼玉の事件を説明したほうが早いのでこっちのニュースを先に解説しますが、今年行われた埼玉県深谷市議選にて有権者を飲食にて接待したとして市議二人が公職選挙法違反で埼玉県警に逮捕されたところ、この市議二人から無料にて接待を受けたとした有権者らが「飲食費は払った」と証言して反論していると報じられています。確かに選挙期間中に候補が無料にて飲食を振舞えば公職選挙法違反になりますが、今回反論している有権者が言うようにまともな額の会費をきちんと支払っていれば何も問題ありません。
今回私が問題視しているのは事の真偽以上に警察の捜査の仕方です。志布志事件という悪例がありなおかつ去年には検察が厚生労働省の村木さんの事件で証拠を偽造するという前代未聞の不祥事を起こしていながらも、またも自白を強要する、自白を唯一の証拠として頼る捜査をしていることです。現時点でここまで書くのは急ぎ過ぎな気もしますが、警察のこのような無茶な捜査ぶりと、別の報道では当日の会費支払いを家計簿に記入している有権者もいると報じられていることから、この事件は冤罪の線が高いと見ております。鹿児島で起きた志布志事件と全く構図が似ているのもありますし。
最後に、現在ある大きなニュースが連日連夜報じられておりますが敢えて私は無視して取り上げていません。理由は発端となった記事からして背景に曖昧さを強く感じさせられる内容で、思った通りにその後の報道が二転三転していて結論や構図がはっきりしてから取り上げたほうがいいだろうと考えたからです。
なおその発端となる記事を書いたのは読売ですが、このところの読売の記事はそれに限らず怪しいものばかりです。元々怪しい産経はおいといてこの読売の迷走ぶりは目に余り、今騒がせているニュースが落ち着いたらまとめて書き上げます。
逆に、今私の中で急激に株を上げているのは朝日新聞です。今日取り上げた志布志事件も朝日が大きく取り上げたことで日の目を浴びた事件であり、系列テレビ局の朝日放送はニュース内容が一番まとまってて日本にいた頃は指定チャンネルにしていました。その上、なんといっても凄まじかったのはちょっと太鼓叩き過ぎな気もしますが、これも今日取り上げた去年の検察の証拠偽造事件で、多分裁判を追ってれば誰でも気がついた可能性のある糸口を丹念に調査して一撃で検察を降伏させたのは壮絶そのものでした。高校時代までは一番嫌いな新聞で、悪口言い過ぎて今度名古屋に栄転する親父にまで「もう許したってや」とまで言われたのに人間変わるものだ。
2011年5月25日水曜日
ゲームレビュー「428」
最近語尾に「あの地球人のように……」をつけると何でも面白くなることに気がつき、スカイプで話す際に多用するようになりました。元ネタはドラゴンボールですが、同年代の友人はちゃんとわかってくれました。
先日親父が上海に遊びに来た際に、PSPソフトの「428」(チュンソフト)を持ってきてもらいました。このゲームは一部では伝説扱いされている「街」というゲームと同じシステムを持っていることから発売前には話題になり、私の友人も早々に手に入れて遊んでおりました。「428」と「街」はサウンドノベルというジャンルに属するアドベンチャーゲームで、どちらも現代の渋谷を舞台に複数の人間の話を同時並行で進めていくシステムこそ共通しているものの、ストーリー本体には関連はありません。
まず先に「街」について話すと、このゲームについては当時子供だった私も大いにハマって、プレイ当時はリアルに姉と奪い合いになりました。ある日なんかたまたま帰りの電車で鉢合わせちゃって、自転車を漕ぐ速度の差で私が先行を握った程でした。
具体的にこの「街」のどこがよかったのかと言うと、実際にプレイしてみないとわかり辛いのですがアドベンチャーゲームとしては現時点で最高峰とも言える革新的なシステムに加えて盛り込まれたストーリーも趣深く、なおかつゲーム内の登場キャラクターを演じた俳優らがどれもキャラが立っていたことなどが挙げられます。この「街」に出演した俳優らはその後有名になった人間もいくつか出ており、あの窪塚洋介氏もヨースケという古い芸名で脇役ではありますが出演してます。
それで本日の本題の「428」についてですが、現時点ではメインシナリオを終えた段階でサブシナリオはまだ未プレイですが、結論から言うと確かに見事な出来ではあるもののとうとう「街」は超えられなかったというのが私の感想です。「街」の発売年は1998年で、「428」はちょうど十年後の2008年であることからゲームにおける表現技術などは格段に改善されたことを推しても、先にやってた友人が「期待すんなよ」と言ってた通りの結果となりました。
具体的に不満というか気になった点を挙げると、プレイしていて「余計だなぁ」と思う演出がちらほら見られたことがまず挙げられます。なんていうか、しつこいというかやらなくてもいいだろと突っ込みたくなるような画面効果などが多く、年寄りくさいですがアドベンチャーゲームなんだからもっとシンプルに作って欲しかったです。
次に、個人的にこれが一番でかいのですがキャラクターに全く感情移入が出来ませんでした。「街」では八人の主人公がそれぞれ癖があってどれもこれもゲームをしていて応援したくなるようなキャラクターたちばかりだったのに対し、今度の「428」では一応キャラ付けはされてはいるものの、刑事の加納というキャラクターを除いて最後までどれも好きにはなれませんでした。御法川というキャラに至っては最初から最後まで嫌いだったし、脇役も見ていてイライラするのばかりだったし。
とはいえ、メインシナリオとそれを形作る選択肢の内容は秀逸そのものでさすがはチュンソフトと思わせられました。まぁ「街」を越えろといってもあまりの完成度の高さからそうそうできるものじゃないんだし、高望みしてもしょうがないとは思いつつも、やや残念さが残るゲームでした。
さて、今度は「テイルズオブエターニア」に取り掛からないと……。
先日親父が上海に遊びに来た際に、PSPソフトの「428」(チュンソフト)を持ってきてもらいました。このゲームは一部では伝説扱いされている「街」というゲームと同じシステムを持っていることから発売前には話題になり、私の友人も早々に手に入れて遊んでおりました。「428」と「街」はサウンドノベルというジャンルに属するアドベンチャーゲームで、どちらも現代の渋谷を舞台に複数の人間の話を同時並行で進めていくシステムこそ共通しているものの、ストーリー本体には関連はありません。
まず先に「街」について話すと、このゲームについては当時子供だった私も大いにハマって、プレイ当時はリアルに姉と奪い合いになりました。ある日なんかたまたま帰りの電車で鉢合わせちゃって、自転車を漕ぐ速度の差で私が先行を握った程でした。
具体的にこの「街」のどこがよかったのかと言うと、実際にプレイしてみないとわかり辛いのですがアドベンチャーゲームとしては現時点で最高峰とも言える革新的なシステムに加えて盛り込まれたストーリーも趣深く、なおかつゲーム内の登場キャラクターを演じた俳優らがどれもキャラが立っていたことなどが挙げられます。この「街」に出演した俳優らはその後有名になった人間もいくつか出ており、あの窪塚洋介氏もヨースケという古い芸名で脇役ではありますが出演してます。
それで本日の本題の「428」についてですが、現時点ではメインシナリオを終えた段階でサブシナリオはまだ未プレイですが、結論から言うと確かに見事な出来ではあるもののとうとう「街」は超えられなかったというのが私の感想です。「街」の発売年は1998年で、「428」はちょうど十年後の2008年であることからゲームにおける表現技術などは格段に改善されたことを推しても、先にやってた友人が「期待すんなよ」と言ってた通りの結果となりました。
具体的に不満というか気になった点を挙げると、プレイしていて「余計だなぁ」と思う演出がちらほら見られたことがまず挙げられます。なんていうか、しつこいというかやらなくてもいいだろと突っ込みたくなるような画面効果などが多く、年寄りくさいですがアドベンチャーゲームなんだからもっとシンプルに作って欲しかったです。
次に、個人的にこれが一番でかいのですがキャラクターに全く感情移入が出来ませんでした。「街」では八人の主人公がそれぞれ癖があってどれもこれもゲームをしていて応援したくなるようなキャラクターたちばかりだったのに対し、今度の「428」では一応キャラ付けはされてはいるものの、刑事の加納というキャラクターを除いて最後までどれも好きにはなれませんでした。御法川というキャラに至っては最初から最後まで嫌いだったし、脇役も見ていてイライラするのばかりだったし。
とはいえ、メインシナリオとそれを形作る選択肢の内容は秀逸そのものでさすがはチュンソフトと思わせられました。まぁ「街」を越えろといってもあまりの完成度の高さからそうそうできるものじゃないんだし、高望みしてもしょうがないとは思いつつも、やや残念さが残るゲームでした。
さて、今度は「テイルズオブエターニア」に取り掛からないと……。
2011年5月24日火曜日
大国主と天孫降臨について
前回の歴史記事で因幡の白兎を取り上げましたが、今日はその話に出てくる大国主について解説します。
・大国主(Wikipedia)
大国主は出雲神話における主人公ともいえる人物で、出雲大社にて祭られています。大国主がどんな人物かと言うとちょっと一言では言い表し辛く、この辺が神話のいい加減なところなのですが複数の人物を無理やり一人の人物に仕立て上げられているところがあり、古事記と日本書紀ではその立ち位置や経歴が異なってしまいます。
特にはっきりしなくてちょっと私もイライラする点としては、大国主はヤマタノオロチ退治で有名なスサノオノミコトとの関係です。ある史料ではスサノオの子孫とされていますが別の史料ではスサノオの娘婿と書かれており、どちらかと言えば後者のほうが一般的なエピソードとしては幅を利かせております。
さてそんなスサノオ関係者の大国主ですが、彼の大まかな経歴を話すとありがちな話ですが若い頃には苦労したけどその甲斐あって日本(出雲)の国王となります。ただ国王となったのもつかの間、天界とされる高天原にいる天照大神が孫のニニギに地上を治めるように命令し、その露払いとばかりに高天原からはタケミカヅチなどといった神々が大国主の下に送られ、国の統治権を譲るように大国主を脅します。大国主はこの時に素直に国を譲りましたがその息子のタケミナカタは延々と反抗したそうで、あんまりにも粘るもんだから最後は長野県で降伏したとされます。こうして地上が平定されたのを受けてニニギは地上に降りてきて統治を開始し、その子孫が後々に天皇家となるのが古事記の大まかな流れです。
結論をとっとと言ってしまうと、天界こと高天原というのは現在の朝鮮半島でほぼ間違いないと思われます。この大国主の国譲り、そして天孫降臨の過程というのはあまり表立っては言えませんが、元々日本を治めていた豪族に対して朝鮮半島から来た豪族が侵略し、征服した過程を指しているのだろうと考えられています。この話でミソなのは大国主はスサノオの親類縁者という前提が作られていることで、降りて来るニニギの遠い親戚であるために一方的な征服じゃないとフォローを入れている点です。
ただこうしたフォローが入れられている点に加えその他の好意的なエピソードから考えるに、大国主は比較的従順に降伏したのではないかと私は思います。最後まで抵抗してたりすると土蜘蛛とか鬼などといった悪者に描かれて退治されてしまうのが神話の常で、それに比べると大国主の扱いは破格と言ってもいいでしょう。
この朝鮮半島からの侵略については私はほぼ間違いないと私は考えていますが、その侵略ルートとなるとまだ議論の余地があります。資料に書かれた地名通りならば朝鮮から北九州、そして山陰へという侵略ルートですが、遺跡などから考えると山陰などより北九州の方が当時は文明も発達しており国のような集団が存在してそうな気がします。となると資料に書かれている大国主が治めていた国は現在の島根県ではなく北九州のどこかだったのかということになるのですが、となると後の大和朝廷を始めとした政権は何故近畿に本拠地を構えていたのかということになります。
進入口は北九州で間違いはなさそうですが、そのまま山陰へ進撃したのかそれとも最初は九州にとどまったのか、これがどっちかというのはかなりミステリーです。というのも中国の後漢時代には北九州の奴国から使者が来たとはっきりと歴史書にも書かれており、その時に授与された金印は実際に江戸時代に出土(見つけたのは権兵衛)して現在までも伝わっています。この奴国は征服王朝なのか、それとも征服される前の王朝なのかも考えねばなりません。多分私は後者だと思うけど。
・大国主(Wikipedia)
大国主は出雲神話における主人公ともいえる人物で、出雲大社にて祭られています。大国主がどんな人物かと言うとちょっと一言では言い表し辛く、この辺が神話のいい加減なところなのですが複数の人物を無理やり一人の人物に仕立て上げられているところがあり、古事記と日本書紀ではその立ち位置や経歴が異なってしまいます。
特にはっきりしなくてちょっと私もイライラする点としては、大国主はヤマタノオロチ退治で有名なスサノオノミコトとの関係です。ある史料ではスサノオの子孫とされていますが別の史料ではスサノオの娘婿と書かれており、どちらかと言えば後者のほうが一般的なエピソードとしては幅を利かせております。
さてそんなスサノオ関係者の大国主ですが、彼の大まかな経歴を話すとありがちな話ですが若い頃には苦労したけどその甲斐あって日本(出雲)の国王となります。ただ国王となったのもつかの間、天界とされる高天原にいる天照大神が孫のニニギに地上を治めるように命令し、その露払いとばかりに高天原からはタケミカヅチなどといった神々が大国主の下に送られ、国の統治権を譲るように大国主を脅します。大国主はこの時に素直に国を譲りましたがその息子のタケミナカタは延々と反抗したそうで、あんまりにも粘るもんだから最後は長野県で降伏したとされます。こうして地上が平定されたのを受けてニニギは地上に降りてきて統治を開始し、その子孫が後々に天皇家となるのが古事記の大まかな流れです。
結論をとっとと言ってしまうと、天界こと高天原というのは現在の朝鮮半島でほぼ間違いないと思われます。この大国主の国譲り、そして天孫降臨の過程というのはあまり表立っては言えませんが、元々日本を治めていた豪族に対して朝鮮半島から来た豪族が侵略し、征服した過程を指しているのだろうと考えられています。この話でミソなのは大国主はスサノオの親類縁者という前提が作られていることで、降りて来るニニギの遠い親戚であるために一方的な征服じゃないとフォローを入れている点です。
ただこうしたフォローが入れられている点に加えその他の好意的なエピソードから考えるに、大国主は比較的従順に降伏したのではないかと私は思います。最後まで抵抗してたりすると土蜘蛛とか鬼などといった悪者に描かれて退治されてしまうのが神話の常で、それに比べると大国主の扱いは破格と言ってもいいでしょう。
この朝鮮半島からの侵略については私はほぼ間違いないと私は考えていますが、その侵略ルートとなるとまだ議論の余地があります。資料に書かれた地名通りならば朝鮮から北九州、そして山陰へという侵略ルートですが、遺跡などから考えると山陰などより北九州の方が当時は文明も発達しており国のような集団が存在してそうな気がします。となると資料に書かれている大国主が治めていた国は現在の島根県ではなく北九州のどこかだったのかということになるのですが、となると後の大和朝廷を始めとした政権は何故近畿に本拠地を構えていたのかということになります。
進入口は北九州で間違いはなさそうですが、そのまま山陰へ進撃したのかそれとも最初は九州にとどまったのか、これがどっちかというのはかなりミステリーです。というのも中国の後漢時代には北九州の奴国から使者が来たとはっきりと歴史書にも書かれており、その時に授与された金印は実際に江戸時代に出土(見つけたのは権兵衛)して現在までも伝わっています。この奴国は征服王朝なのか、それとも征服される前の王朝なのかも考えねばなりません。多分私は後者だと思うけど。
2011年5月23日月曜日
グッドウィルを振り返る
・グッドウィル(Wikipedia)
当時にも取り上げていますが、ちょっと思うことがあるのでまた取り上げます。
グッドウィルというのはかつて存在した企業グループで、介護人材サービスのさきがけとなったコムスンを含む人材派遣業を中核事業として一時期急成長し、2008年に破産した会社です。今ではすっかり当たり前となった日雇い人材派遣ですが、小渕政権時の規制緩和を受けて2000年ごろから同業のフルキャストともに急拡大し、会長の折口氏は一時は政財界にも顔を出すなど大きな影響力を持つようになりました。
しかし平家も久しからずと言うべきか、2007年に「データ装備費」という、一回の派遣労働につき労働者から200円のマージンを取っていたことが突然槍玉に挙げられ、その後も次々と同社の事業を糾弾する訴訟や摘発が相次いで最初の「データ装備費」の問題が表面化してからたった一年後の2008年には廃業に追い込まれることとなりました。以下に当時問題とされたグッドウィルが行っていた事業内容を列記します。
・「データ装備費」という中間マージンの搾取(二重取り)
・労災隠し
・二重派遣
・製造現場(工場)への派遣
細かいのを洗えばほかにもありますが、代表的なものは以上四つです。ただこれははっきりいいますが、確かにこれらの違法行為はそれ以前から法律で規制されてはいたものの、グッドウィルに限らずどこの派遣会社でもさも当然のようにやられていたことで、これらが違法であるならば日雇い派遣業はすべてが違法だったというくらいに一般化していたものでした。現実に私の周りでも普通に工場へ派遣されて作業をしてた友人もいますし、「データ装備費」についてはフルキャストも同時期に摘発を受けています。
私自身はグッドウィルが摘発される以前からNHKが作って見事に普及させたワーキングプア問題を調べていた関係でこれら日雇い人材派遣会社を比較的激しく批判していた立場でしたが、2007年の突然のルール変更によるグッドウィル叩きに対しては悪いことだとは思わなかったものの、運が悪かったなと気の毒には思いました。
私が何故この話を三年も経った現在に掘り返したかと言うと、当時はまだ景気がよかったことからああいったワーキングプア問題も取りざたされたものの、現在に至っては派遣でも仕事があるだけマシと言うべきか、人材派遣会社への批判がほとんど聞こえなくなったことからでした。もちろんこれらの違法行為が完全に根絶されたから批判が起きないというのであればそれに越したことはないのですが、どうも人から話を聞いていると当時はあれだけ叩かれたのに工場への日雇い派遣はまだ続いているそうですし、誰もケチをつけなくなりましたが二重派遣もまた堂々とまかり通っているからです。
久々にこの言い回しをしますが、勘のいい人ならもう察しがついているでしょうが私が今回この記事を書こうと思ったもうひとつのきっかけは東電の原発作業員です。東電の原発作業員は福島原発の事故が深刻化している現在はもとより以前からも危険な作業ゆえになり手が見つからないため、非常に複雑な経路と幾重ものの仲介業者を経由してホームレスなどといった人を半ばだますような形でつれてきていたと言われております。実際に先日、関西での募集を受けたある男性が当初受けていた説明とは異なり福島原発につれていかれて作業をさせされたというニュースが報じられましたが、これについて男性を雇った仲介業者は「複数からの募集を裁いていて派遣先の割り振りを間違えてしまった」などというコメントをしていましたが、はっきりとは言ってはいないもののこれは普通に二重派遣で問題ないのかとと頭を抱えました。
さらにこれの何が一番怖いのかって言うのは、かつてグッドウィルが摘発された際に散々批判していたメディア達がこの原発作業員らの二重派遣についてはなにも違法性を言及していないことです。もちろん今はそんなこと言ってられる場合じゃないってことはわかりますが、かねてからも指摘されていたように原発での作業は東電本社は一切手につけず、協力会社と呼ばれる企業がさらに人材派遣を雇って実施していたのは周知の事実で、私にはそれが本社と現場の情報疎通の齟齬や本社の危機管理に影響しているのではないかと思うがゆえに放っておくべきではないと考えています。それが何故か、不気味なくらいに大メディアは二重派遣問題については揃い合わせたかのように指摘がありません。
私は何も一部で言われているようにこれだけの問題を起こしたのだから東電社員自らが直接原発に行って作業しろとまでは言いません。ただ非常に重要な作業をやるのだから、下手な派遣業者や協力会社を通すのではなく東電が直接ハローワークなりで募集してマージンを抜かさず作業員に給金を渡すべきなのではないか、というのが本日言いたかったことです。
当時にも取り上げていますが、ちょっと思うことがあるのでまた取り上げます。
グッドウィルというのはかつて存在した企業グループで、介護人材サービスのさきがけとなったコムスンを含む人材派遣業を中核事業として一時期急成長し、2008年に破産した会社です。今ではすっかり当たり前となった日雇い人材派遣ですが、小渕政権時の規制緩和を受けて2000年ごろから同業のフルキャストともに急拡大し、会長の折口氏は一時は政財界にも顔を出すなど大きな影響力を持つようになりました。
しかし平家も久しからずと言うべきか、2007年に「データ装備費」という、一回の派遣労働につき労働者から200円のマージンを取っていたことが突然槍玉に挙げられ、その後も次々と同社の事業を糾弾する訴訟や摘発が相次いで最初の「データ装備費」の問題が表面化してからたった一年後の2008年には廃業に追い込まれることとなりました。以下に当時問題とされたグッドウィルが行っていた事業内容を列記します。
・「データ装備費」という中間マージンの搾取(二重取り)
・労災隠し
・二重派遣
・製造現場(工場)への派遣
細かいのを洗えばほかにもありますが、代表的なものは以上四つです。ただこれははっきりいいますが、確かにこれらの違法行為はそれ以前から法律で規制されてはいたものの、グッドウィルに限らずどこの派遣会社でもさも当然のようにやられていたことで、これらが違法であるならば日雇い派遣業はすべてが違法だったというくらいに一般化していたものでした。現実に私の周りでも普通に工場へ派遣されて作業をしてた友人もいますし、「データ装備費」についてはフルキャストも同時期に摘発を受けています。
私自身はグッドウィルが摘発される以前からNHKが作って見事に普及させたワーキングプア問題を調べていた関係でこれら日雇い人材派遣会社を比較的激しく批判していた立場でしたが、2007年の突然のルール変更によるグッドウィル叩きに対しては悪いことだとは思わなかったものの、運が悪かったなと気の毒には思いました。
私が何故この話を三年も経った現在に掘り返したかと言うと、当時はまだ景気がよかったことからああいったワーキングプア問題も取りざたされたものの、現在に至っては派遣でも仕事があるだけマシと言うべきか、人材派遣会社への批判がほとんど聞こえなくなったことからでした。もちろんこれらの違法行為が完全に根絶されたから批判が起きないというのであればそれに越したことはないのですが、どうも人から話を聞いていると当時はあれだけ叩かれたのに工場への日雇い派遣はまだ続いているそうですし、誰もケチをつけなくなりましたが二重派遣もまた堂々とまかり通っているからです。
久々にこの言い回しをしますが、勘のいい人ならもう察しがついているでしょうが私が今回この記事を書こうと思ったもうひとつのきっかけは東電の原発作業員です。東電の原発作業員は福島原発の事故が深刻化している現在はもとより以前からも危険な作業ゆえになり手が見つからないため、非常に複雑な経路と幾重ものの仲介業者を経由してホームレスなどといった人を半ばだますような形でつれてきていたと言われております。実際に先日、関西での募集を受けたある男性が当初受けていた説明とは異なり福島原発につれていかれて作業をさせされたというニュースが報じられましたが、これについて男性を雇った仲介業者は「複数からの募集を裁いていて派遣先の割り振りを間違えてしまった」などというコメントをしていましたが、はっきりとは言ってはいないもののこれは普通に二重派遣で問題ないのかとと頭を抱えました。
さらにこれの何が一番怖いのかって言うのは、かつてグッドウィルが摘発された際に散々批判していたメディア達がこの原発作業員らの二重派遣についてはなにも違法性を言及していないことです。もちろん今はそんなこと言ってられる場合じゃないってことはわかりますが、かねてからも指摘されていたように原発での作業は東電本社は一切手につけず、協力会社と呼ばれる企業がさらに人材派遣を雇って実施していたのは周知の事実で、私にはそれが本社と現場の情報疎通の齟齬や本社の危機管理に影響しているのではないかと思うがゆえに放っておくべきではないと考えています。それが何故か、不気味なくらいに大メディアは二重派遣問題については揃い合わせたかのように指摘がありません。
私は何も一部で言われているようにこれだけの問題を起こしたのだから東電社員自らが直接原発に行って作業しろとまでは言いません。ただ非常に重要な作業をやるのだから、下手な派遣業者や協力会社を通すのではなく東電が直接ハローワークなりで募集してマージンを抜かさず作業員に給金を渡すべきなのではないか、というのが本日言いたかったことです。
2011年5月21日土曜日
2011年5月、私の現在の立ち位置
時期も時期なのでそろそろ白状しますが、実はこのブログを通して私は一つ嘘をついてきました。
このブログは中国への転職に伴い、以前から続けてきた「陽月秘話」を引き継ぐ形で去年の十二月から開始しましたが、その際に私は勤務地を「上海近郊」と敢えてぼかして書いてきましたが、実際には上海市ではなく浙江省のどこかで働いていました。一体何故このような嘘をついたかというと、その浙江省のどこかも在住日本人が少ないわけではありませんが上海と比べるとやはり数で劣り、警戒するまでもありませんでしたが人物を特定されないためにこのような嘘をつくことにしました。
その上で私は今年三月頃の記事で引越しをしたと書きましたが、その引越し先こと現在の居住地は紛れもなく上海市内です。ただ一体何故浙江省から上海に引越しをしたのかというと、こちらで再度の転職をしたことが原因でした。
私は去年の九月に一念発起してお世話になった日本での会社を辞めて転職活動で上海を訪れ、ある日系メーカーから内定をもらいました。そして去年十二月から勤務を開始しましたが、ビザ取得書類が送られてくるや一日でも早く急いで来いとやけに急かされて来てみるや仕事をするのに必要なパソコンを会社側が購入しておらず、入社から一週間はその会社で何もせずに過ごしました。
この時点でなんか変だと思ってはいましたが、図らずもその予感は当たりました。その会社ではほぼ二週間に一回程度の割合で拒否権なしの強制参加による飲み会があり、面接の段階でアルコールにはあまり強くないと伝えていたにもかかわらず度々、というよりほぼ全部一気飲みを強制され続けました。各飲み会での具体的な回数を書くと、
・ビールコップ二杯、焼酎水割りコップ二杯、ウィスキー水割りコップ一杯
・ビールコップ二杯、ワインコップ三杯、紹興酒コップ三杯
・ビールコップ四杯、紹興酒コップ二杯
・ビールコップ二杯、ワイングラス四杯、紹興酒コップ一杯
※上記すべて一気飲み
もちろん強制でつれてかれた飲み会は上記四回どころじゃないですが、飲んだ回数を細かく覚えているのはこんなもんです。さすがにビールの一気飲みならともかく、ワインや焼酎といったアルコール度数の高い飲み物の一気飲みを強制された際には耳を疑いました。ワインなんて、こんなもったいない飲み方したら作り手に悪いし。
すでに書いている通り私は広島に左遷されていて今度は名古屋に栄転することとなったうちの親父同様に生来アルコールには弱く、汚い話ですが飲み会の度に何度も吐かされていました。その回数は一回の飲み会で二桁に上ることもあり、吐き続けると最後は胃酸しか出なくなるというのを身を以って知りました。
こうした飲み会は予告なくウィークデーだろうと無理やり連れて行かれ、ある時などは泊り込みということを私のみ知らされておらず、ほかの全員が仕事用のノートパソコンを持ってきた中で私だけ持ってきておらず、次の日に一日仕事が全く出来なかったということもありました。当時の仕事はメールが一日百件近く来て八十通くらい返信していたので、この一日のロスはその後しばらく重く付きまといました。
このような具合だったので、情けない話ですが今年一月頃には早くも真剣に退職を考えるようになりました。ただ退職するといっても二十代で二回も退職経験がつけば次の転職に響くことは予想に易く、ただでさえ不況真っ只中の日本に逃げ帰ってももう正社員職につくことは出来ないと思い大いに悩みましたが、ただその頃には本当に何もないところでも度々えづくようになっており、このまま体を壊しては仕事も何もないだろうということから何もかもうっちゃってしまうつもりでした。
そんな中、ひょんなことで上海市内のある日系企業が募集をかけているのを知り、どうせ辞めるのなら駄目元でとばかりにその会社の採用試験を受けてみたところ、当時は自分でも信じられませんでしたが再びその会社から内定を得ることが出来ました。どちらにしろ春までには日系メーカーは辞めるつもりだったので一も二もなく内定承諾の返事を出し、日系メーカーへは退職の意思を伝えました。
なお退職の意思を伝えた時に日本人上司は、「そんなに飲めないのであれば断ればいいのでは」と言いましたが、ほかならぬ私に最も一気飲みを強制してきたのはその上司でした。ある時などは私の様子(すでに五回程度吐いている)を見て周りの中国人社員が必死に止める中でもワインを注いで一気飲みを強制したことがありましたが、そのことを話すと本人は覚えていないと返事しました。さらについでに書くと本来の支払い月から一ヶ月が過ぎて私も何度も催促しているにもかかわらず、その日系メーカーからは未だ退職月の未払い賃金を受け取っておりません。蛇足でしょうし過激なことこの上ありませんが、権力を握ったら日本の本社ともどもどんな手を使ってでも必ず潰すつもりです。
そうして三月に現在の会社へと転職を果たしましたが、今の会社は名前はもちろん明かせませんがある経済ニュースの通信社で、そこで編集・記者職として雇われました。以前の陽月秘話でも書いていましたがこんだけ長い文章を毎日書くだけあって私は元々ジャーナリスト志望で、新卒でその業種に関係する企業に就職できなかったことからもう縁はないだろう、やるとしても自分で会社を立ち上げるしかないだろうと思っていただけに、こんな形で念願が叶うとは夢にも思いませんでした。特に前職が前職だっただけに、その人生の流転振りには我が事ながら信じられない思いがします。
私が上海を最初に訪れたのは北京に留学中の2005年に旅行で来た時です。その後去年の二月に友人を訪ねて二回目、そして十月に転職活動で三たび訪れ、今回の転職による定住で四回目となります。ここにくるまで随分と回り道をしてきたものだと思いますが、現在の仕事はやりがいもあり、職場の人たちもいい人ばかりで非常に充実しています。
思えば中国に来てからちょうど半年が過ぎ、未だ一度も日本には帰っておりません。この半年の間に二度も会社を移るわそのたびに引越しするわで非常に慌しく、これまでどれだけ時間が過ぎたのか感覚がちょっと薄いです。ただ梅雨のない上海では近頃気温が上がってすっかり夏らしくなり、季節感を感じることでようやくここに至ったんだと感じられるようになりました。
このブログは中国への転職に伴い、以前から続けてきた「陽月秘話」を引き継ぐ形で去年の十二月から開始しましたが、その際に私は勤務地を「上海近郊」と敢えてぼかして書いてきましたが、実際には上海市ではなく浙江省のどこかで働いていました。一体何故このような嘘をついたかというと、その浙江省のどこかも在住日本人が少ないわけではありませんが上海と比べるとやはり数で劣り、警戒するまでもありませんでしたが人物を特定されないためにこのような嘘をつくことにしました。
その上で私は今年三月頃の記事で引越しをしたと書きましたが、その引越し先こと現在の居住地は紛れもなく上海市内です。ただ一体何故浙江省から上海に引越しをしたのかというと、こちらで再度の転職をしたことが原因でした。
私は去年の九月に一念発起してお世話になった日本での会社を辞めて転職活動で上海を訪れ、ある日系メーカーから内定をもらいました。そして去年十二月から勤務を開始しましたが、ビザ取得書類が送られてくるや一日でも早く急いで来いとやけに急かされて来てみるや仕事をするのに必要なパソコンを会社側が購入しておらず、入社から一週間はその会社で何もせずに過ごしました。
この時点でなんか変だと思ってはいましたが、図らずもその予感は当たりました。その会社ではほぼ二週間に一回程度の割合で拒否権なしの強制参加による飲み会があり、面接の段階でアルコールにはあまり強くないと伝えていたにもかかわらず度々、というよりほぼ全部一気飲みを強制され続けました。各飲み会での具体的な回数を書くと、
・ビールコップ二杯、焼酎水割りコップ二杯、ウィスキー水割りコップ一杯
・ビールコップ二杯、ワインコップ三杯、紹興酒コップ三杯
・ビールコップ四杯、紹興酒コップ二杯
・ビールコップ二杯、ワイングラス四杯、紹興酒コップ一杯
※上記すべて一気飲み
もちろん強制でつれてかれた飲み会は上記四回どころじゃないですが、飲んだ回数を細かく覚えているのはこんなもんです。さすがにビールの一気飲みならともかく、ワインや焼酎といったアルコール度数の高い飲み物の一気飲みを強制された際には耳を疑いました。ワインなんて、こんなもったいない飲み方したら作り手に悪いし。
すでに書いている通り私は広島に左遷されていて今度は名古屋に栄転することとなったうちの親父同様に生来アルコールには弱く、汚い話ですが飲み会の度に何度も吐かされていました。その回数は一回の飲み会で二桁に上ることもあり、吐き続けると最後は胃酸しか出なくなるというのを身を以って知りました。
こうした飲み会は予告なくウィークデーだろうと無理やり連れて行かれ、ある時などは泊り込みということを私のみ知らされておらず、ほかの全員が仕事用のノートパソコンを持ってきた中で私だけ持ってきておらず、次の日に一日仕事が全く出来なかったということもありました。当時の仕事はメールが一日百件近く来て八十通くらい返信していたので、この一日のロスはその後しばらく重く付きまといました。
このような具合だったので、情けない話ですが今年一月頃には早くも真剣に退職を考えるようになりました。ただ退職するといっても二十代で二回も退職経験がつけば次の転職に響くことは予想に易く、ただでさえ不況真っ只中の日本に逃げ帰ってももう正社員職につくことは出来ないと思い大いに悩みましたが、ただその頃には本当に何もないところでも度々えづくようになっており、このまま体を壊しては仕事も何もないだろうということから何もかもうっちゃってしまうつもりでした。
そんな中、ひょんなことで上海市内のある日系企業が募集をかけているのを知り、どうせ辞めるのなら駄目元でとばかりにその会社の採用試験を受けてみたところ、当時は自分でも信じられませんでしたが再びその会社から内定を得ることが出来ました。どちらにしろ春までには日系メーカーは辞めるつもりだったので一も二もなく内定承諾の返事を出し、日系メーカーへは退職の意思を伝えました。
なお退職の意思を伝えた時に日本人上司は、「そんなに飲めないのであれば断ればいいのでは」と言いましたが、ほかならぬ私に最も一気飲みを強制してきたのはその上司でした。ある時などは私の様子(すでに五回程度吐いている)を見て周りの中国人社員が必死に止める中でもワインを注いで一気飲みを強制したことがありましたが、そのことを話すと本人は覚えていないと返事しました。さらについでに書くと本来の支払い月から一ヶ月が過ぎて私も何度も催促しているにもかかわらず、その日系メーカーからは未だ退職月の未払い賃金を受け取っておりません。蛇足でしょうし過激なことこの上ありませんが、権力を握ったら日本の本社ともどもどんな手を使ってでも必ず潰すつもりです。
そうして三月に現在の会社へと転職を果たしましたが、今の会社は名前はもちろん明かせませんがある経済ニュースの通信社で、そこで編集・記者職として雇われました。以前の陽月秘話でも書いていましたがこんだけ長い文章を毎日書くだけあって私は元々ジャーナリスト志望で、新卒でその業種に関係する企業に就職できなかったことからもう縁はないだろう、やるとしても自分で会社を立ち上げるしかないだろうと思っていただけに、こんな形で念願が叶うとは夢にも思いませんでした。特に前職が前職だっただけに、その人生の流転振りには我が事ながら信じられない思いがします。
私が上海を最初に訪れたのは北京に留学中の2005年に旅行で来た時です。その後去年の二月に友人を訪ねて二回目、そして十月に転職活動で三たび訪れ、今回の転職による定住で四回目となります。ここにくるまで随分と回り道をしてきたものだと思いますが、現在の仕事はやりがいもあり、職場の人たちもいい人ばかりで非常に充実しています。
思えば中国に来てからちょうど半年が過ぎ、未だ一度も日本には帰っておりません。この半年の間に二度も会社を移るわそのたびに引越しするわで非常に慌しく、これまでどれだけ時間が過ぎたのか感覚がちょっと薄いです。ただ梅雨のない上海では近頃気温が上がってすっかり夏らしくなり、季節感を感じることでようやくここに至ったんだと感じられるようになりました。
2011年5月20日金曜日
新入社員のアンケートについて
・新入社員の1割が、「会社を辞めたい」(ITmedia)
個人的に見出しのつけ方が違うのではと思ったニュースなので取り上げます。ならお前ならどんな見出しをつけるのかというのなら、「会社を辞めたい新入社員、たったの1割」といったところでしょうか。
私が新卒で入社した頃に大学時代の面子と会うと、まず間違いなく九割が「会社辞めてぇ」、「バイトのが絶対楽で稼げる」などという愚痴をこぼしていました。その中で唯一と言っていいくらい、「今の会社に全く不満はない」と言っていた自分が真っ先に転職するとは思わなかったけど。
あくまで私個人の所感ですが、楽な大学生活から勤め人になれば普通の人ならまず間違いなく「辞めたい」と思うのが普通な気がして、こういうアンケートとるなら五割弱は素直にそう書くんじゃないかと思っていました。しかし実際の結果は上記の通りで、調査方法がインターネット調査という時点でまず正式な論文には一切使うことが出来ませんが、票数は272人ということで参考には足りるデータなので一概に否定することはできません。それでも敢えてケチをつけると、震災や不況の影響で辞めたくとも辞められない、なんとしても今いる会社を続けなければという意識が影響しているのではという気がします。
個人的に見出しのつけ方が違うのではと思ったニュースなので取り上げます。ならお前ならどんな見出しをつけるのかというのなら、「会社を辞めたい新入社員、たったの1割」といったところでしょうか。
私が新卒で入社した頃に大学時代の面子と会うと、まず間違いなく九割が「会社辞めてぇ」、「バイトのが絶対楽で稼げる」などという愚痴をこぼしていました。その中で唯一と言っていいくらい、「今の会社に全く不満はない」と言っていた自分が真っ先に転職するとは思わなかったけど。
あくまで私個人の所感ですが、楽な大学生活から勤め人になれば普通の人ならまず間違いなく「辞めたい」と思うのが普通な気がして、こういうアンケートとるなら五割弱は素直にそう書くんじゃないかと思っていました。しかし実際の結果は上記の通りで、調査方法がインターネット調査という時点でまず正式な論文には一切使うことが出来ませんが、票数は272人ということで参考には足りるデータなので一概に否定することはできません。それでも敢えてケチをつけると、震災や不況の影響で辞めたくとも辞められない、なんとしても今いる会社を続けなければという意識が影響しているのではという気がします。
スーパー堤防について
以前に行われた仕分けを見ていて、「おっ、これも廃止か。そりゃよかった」と思ったものの中の一つに、今日取り上げるスーパー堤防が入っていました。結論から申せば、震災を経た今においてもこの考えに変わりはありません。
・高規格堤防(Wikipedia)
スーパー堤防の正式名称は上記の高規格堤防というそうですが、時期にして大体五年位前にこの計画案を聞いて大いに呆れたのをよく覚えています。今回の東日本大震災では津波被害が深刻だったことからこのスーパー堤防がやけに注目を浴び、事業仕分けで廃止を決定した蓮舫氏には非難が集中して石原都知事もドヤ顔で、「廃止したんだってな( ゚∀゚)」と、直接皮肉を言ったそうです。そうした声がある中、繰り返しますが私はスーパー堤防には反対です。
私が何故スーパー堤防に否定的なのか、その理由は上記に貼ったウィキペディアのページに貼られている図を是非とも直接見てもらいたいのですが、はっきり言ってとても実現できるとは思えない代物だからです。あくまで素人ながらスーパー堤防の中身を解説すると、通常の堤防は川や海沿いに盛土、水門設置などをすることで水かさが増した際に堤防の内側にまで水が入ってこないようにするのですが、あくまで盛土されるのは水のある付近だけです。それに対してこのスーパー堤防というのは水が一切入ってこないように川、海沿いだけでなく、堤防の内側深く、長さにして数百メートルに渡って堤防の高さと同等まで盛土し、言い方を変えるならそのまま丘を作ってしまうという途方もない計画です。
この計画は言うは易いですが実現となると果てしない過程を要します。まず必要なのは丘を作るまでの大規模な工事ですが、そもその話として国土交通省がゼネコンの利権などを失わないためにこのスーパー堤防を提案したとも言われており、仮に現在堤防のある地域をスーパー堤防化させようというのなら一部の箇所だけでも百年単位の時間が必要と予想されるほどの工事になると聞きます。確かにそんな大工事ならゼネコンは一生食うに困らないだろうけど。
そうしたありえない工事量もさることながら、私が絶対に実現不可能と断言するのはすでに堤防周りに住んでいる住人の存在です。計画を実行するのであれば堤防の内側深くまで高く盛土しなければならず、言うまでもありませんが工事をするためには堤防近くに住んでいる人たちには全員立ち退いてもらわなければなりません。私の家の近くの川沿いにも土手がありますが、その周辺は100メートルはおろか道路一本挟んだ先にはすぐ家があり、住人全部を立ち退かせるというのであれば一体どれだけの費用がかかるのか、まさしく天文学的です。
その上、これは技術的なことなので極端に強くはいえませんが、このスーパー堤防は大雨などによる河川氾濫には有効でも津波対策としては価値がないという話を聞きます。私自身も津波のメカニズムやこのスーパー堤防のシステムを考えると、確かにあまり効果がないように思えます。
その一方で、「大量に盛土するスーパー堤防では地震時に液状化現象が起きる」という話を聞きますが、逆にこれはあまり心配しなくてもいいような気がします。液状化現象は高校で地学(独学)を勉強しただけあって管首相が「俺は原子力に詳しいんだ」と言った程度に詳しい自信がありますが、これは湿地帯や海などの水分を多く含む土壌への埋立地にて起こる現象で、元々固まっている地盤の上の盛土であれば液状化は起こらないと思います。だからと言ってスーパー堤防がいいわけじゃないけど。
友人にはネットの意見なんかいちいち気にするなと言われますが、私はこのスーパー堤防を廃止したとして蓮舫氏を非難している方々に対して直接、本気でこんな計画が実現できると思っているのかと問うてみたいです。現在の案では川沿いに住んでいる住人らには工事中は別の場所に住んでもらって、工事が完了したらまた戻ってもらおうとしているそうですが、この案でも家は建て替えなければならないし工事はいつ終わるかもわかんないのだし、そんな案が呑めるとはとても思えません。
なおかつこのスーパー堤防は一部分でも盛土が出来なければ、それだけで価値はなくなると聞きます。いくら津波対策が必要だからと言って、こんな実現性も実用性も低いものには私は支持することができません。
批判、非難はいくらでも受けます。ただその際には技術的な内容とともに実現性について説明をしてもらえば助かります。
おまけ
大学受験で地学は選択者が少なくて点数が稼げるというので、高校に授業がないにもかかわらず独学してセンター試験で受験しました。結果は三ヶ月の勉強で80点だったので、まぁまぁだと思います。もっともそれ以上に、日本史をメインに勉強しつつ世界史で85点取ったことの方が我ながらよくやったと思うのだけれど。
・高規格堤防(Wikipedia)
スーパー堤防の正式名称は上記の高規格堤防というそうですが、時期にして大体五年位前にこの計画案を聞いて大いに呆れたのをよく覚えています。今回の東日本大震災では津波被害が深刻だったことからこのスーパー堤防がやけに注目を浴び、事業仕分けで廃止を決定した蓮舫氏には非難が集中して石原都知事もドヤ顔で、「廃止したんだってな( ゚∀゚)」と、直接皮肉を言ったそうです。そうした声がある中、繰り返しますが私はスーパー堤防には反対です。
私が何故スーパー堤防に否定的なのか、その理由は上記に貼ったウィキペディアのページに貼られている図を是非とも直接見てもらいたいのですが、はっきり言ってとても実現できるとは思えない代物だからです。あくまで素人ながらスーパー堤防の中身を解説すると、通常の堤防は川や海沿いに盛土、水門設置などをすることで水かさが増した際に堤防の内側にまで水が入ってこないようにするのですが、あくまで盛土されるのは水のある付近だけです。それに対してこのスーパー堤防というのは水が一切入ってこないように川、海沿いだけでなく、堤防の内側深く、長さにして数百メートルに渡って堤防の高さと同等まで盛土し、言い方を変えるならそのまま丘を作ってしまうという途方もない計画です。
この計画は言うは易いですが実現となると果てしない過程を要します。まず必要なのは丘を作るまでの大規模な工事ですが、そもその話として国土交通省がゼネコンの利権などを失わないためにこのスーパー堤防を提案したとも言われており、仮に現在堤防のある地域をスーパー堤防化させようというのなら一部の箇所だけでも百年単位の時間が必要と予想されるほどの工事になると聞きます。確かにそんな大工事ならゼネコンは一生食うに困らないだろうけど。
そうしたありえない工事量もさることながら、私が絶対に実現不可能と断言するのはすでに堤防周りに住んでいる住人の存在です。計画を実行するのであれば堤防の内側深くまで高く盛土しなければならず、言うまでもありませんが工事をするためには堤防近くに住んでいる人たちには全員立ち退いてもらわなければなりません。私の家の近くの川沿いにも土手がありますが、その周辺は100メートルはおろか道路一本挟んだ先にはすぐ家があり、住人全部を立ち退かせるというのであれば一体どれだけの費用がかかるのか、まさしく天文学的です。
その上、これは技術的なことなので極端に強くはいえませんが、このスーパー堤防は大雨などによる河川氾濫には有効でも津波対策としては価値がないという話を聞きます。私自身も津波のメカニズムやこのスーパー堤防のシステムを考えると、確かにあまり効果がないように思えます。
その一方で、「大量に盛土するスーパー堤防では地震時に液状化現象が起きる」という話を聞きますが、逆にこれはあまり心配しなくてもいいような気がします。液状化現象は高校で地学(独学)を勉強しただけあって管首相が「俺は原子力に詳しいんだ」と言った程度に詳しい自信がありますが、これは湿地帯や海などの水分を多く含む土壌への埋立地にて起こる現象で、元々固まっている地盤の上の盛土であれば液状化は起こらないと思います。だからと言ってスーパー堤防がいいわけじゃないけど。
友人にはネットの意見なんかいちいち気にするなと言われますが、私はこのスーパー堤防を廃止したとして蓮舫氏を非難している方々に対して直接、本気でこんな計画が実現できると思っているのかと問うてみたいです。現在の案では川沿いに住んでいる住人らには工事中は別の場所に住んでもらって、工事が完了したらまた戻ってもらおうとしているそうですが、この案でも家は建て替えなければならないし工事はいつ終わるかもわかんないのだし、そんな案が呑めるとはとても思えません。
なおかつこのスーパー堤防は一部分でも盛土が出来なければ、それだけで価値はなくなると聞きます。いくら津波対策が必要だからと言って、こんな実現性も実用性も低いものには私は支持することができません。
批判、非難はいくらでも受けます。ただその際には技術的な内容とともに実現性について説明をしてもらえば助かります。
おまけ
大学受験で地学は選択者が少なくて点数が稼げるというので、高校に授業がないにもかかわらず独学してセンター試験で受験しました。結果は三ヶ月の勉強で80点だったので、まぁまぁだと思います。もっともそれ以上に、日本史をメインに勉強しつつ世界史で85点取ったことの方が我ながらよくやったと思うのだけれど。
2011年5月19日木曜日
因幡の白兎について
ちょっと歴史物が不足しているので、しばらく古代史物を書いてこの際に一気にまとめてしまおうかと思います。歴史に詳しい方からすれば「何を今更」と思われる内容かもしれませんが、知らない人に話すと結構受けがいいので批判を気にせず書いてしまいます。
そんな一発目に取り上げる今日のネタは、有名な童話の「因幡の白兎」についてです。この話の舞台は私が本気で永住を考えている因幡の国こと鳥取県で、鳥取の海岸沿いを車で走っているとガードレールなどによくこの白兎のイラストが描かれています。
ただ現在の研究によるとこの話で書かれている因幡の国は現在の鳥取県である確証はなく、山陰地方での話という可能性は高いものの確たる証拠がないのが現状です。まぁそれ言ったら東京都の業平橋の元となった在原業平の東下りも、当時あのあたりは全部湖沼地帯だったろという突っ込みも出来てしまうのですが。
話は戻って因幡の白兎についてですが、恐らくこの話ほど議論を呼び、歴史的考証価値の高い童話はないでしょう。と言うのもこの話の主人公は古代史におけるキーパーソンの一人である大国主で、その後の彼の行跡を考えると無視することの出来ない逸話です。では具体的にどんな話なのかですが、以下に簡単にまとめておきます。
”ある日一匹の白兎が沖合いの島に渡ろうと思い立ち、ワニ(原典では和邇)に対して「お前たちが何匹いるか数えてやるから、あの島との間にみんなで整列してくれ」といい、浜から島まで一列に並んだワニたちの頭を飛び越えながら島へと向かいました。島まであと少しというところで白兎は、「俺は島に渡りたかっただけだよ、ご苦労さん」とつい洩らしてしまい、怒ったワニによって白兎は背中を噛み付かれて皮を剥ぎ取られてしまいました。
背中を噛まれた白兎はその痛みから海岸で泣いていると、通りかかった大国主の兄弟らに、「海水を背中につけて風に当たると良くなるよ」と嘘をつかれ、正直にそうやった白兎はますます背中が腫れてまた海岸で泣き続けていました。すると今度は大国主が通りかかってわけを聞くと、「水門へ行って水で洗い、蒲を撒き散らしてその上で転がれば良くなるよ」と教え、白兎がその通り実行すると今度はきちんと治ったとのことです。”
話自体は童話によくある話ですが、肝心なのは大国主が出てくることはもちろんのこと、この話が載っているのが「古事記」ということです。古事記というのは現在になって研究が進んで大分わかってきましたが、実際にあった歴史を微妙にぼかすと言っては何ですが、童話や寓話仕立てにテイストしなおして書かれていることが多い史料です。よってこの因幡の白兎についてもなんらかの歴史的真実が含まれている可能性が高いと言われております。
今現在で最も有力視されているのは、大国主がその兄弟と比べて立派だったということを立証するエピソードとして添えられたという説です。ネタバレしますがこの後に大国主は兄弟から命を狙われたために逆に全員を皆殺しにして、出雲にて自分の国を開きます。つまり国を開いた大国主を正義の味方のように書き、兄弟たちは人の悪い性格で殺されても仕方ないと思わせるために入れられたのではないかとされています。まぁこれ以外にも大国主には似たようなエピソードがたくさんありますが。
そうした大国主の正当性を高めるためといった内容とともに、恐らく最大の議論となっているのは途中に出てくる「ワニ」でしょう。もちろん今の日本にはワニがそこらへんうろちょろしているわけじゃないため当時の日本にはワニがいたのかってことになってくるのですが、当時の気候条件や生態系から考えるとやはりその可能性は非常に低いです。ではここで出てくるワニとは何なのかということで日夜熱く議論されているのですが、そもそもの話として原典では「和邇」という漢字が当てられているだけで、本当にこれを「ワニ」と読むのか、はたまたどんな生物を指しているのか全くわかりません。
一応現時点で強い説というのは「ワニ」ではなく「サメ」なのではないかという説で、私もこの説を支持してます。実際に日本海にいて噛み付くといったら適当だし。ただこのサメ以外にもウミヘビとか、はたまた昔から中国には痛そうですから伝え聞く話で適当にワニを入れたという説もあります。ただどうしてこの「和邇」という字が使われたのか、単に適当に入れられただけかもしれませんが考察する価値は高いように思えます。
敢えてここで大胆な説を挙げると、もしかしたこの話の舞台は因幡ではなく当時にもワニがいたと考えられる中国南部のどこかだったのかもしれません。中国南部には今は野生ではまったくと言っていいほどいませんがヨウスコウワニという種類のワニがおり、その地域における話が回りまわって日本にも伝わって、登場人物が大国主、舞台が因幡に置き換わっただけなのかもしれません。何の確証もありませんが。
最後にこの因幡の白兎について、20世紀最高のギャグ漫画とまで評された「MMR」では、白兎が背中を噛まれたというのは暗に放射能被爆をしたことを物語っているのではないかと聞いてるこっちが大爆笑しそうな大胆な予想を立ててました。
そんな一発目に取り上げる今日のネタは、有名な童話の「因幡の白兎」についてです。この話の舞台は私が本気で永住を考えている因幡の国こと鳥取県で、鳥取の海岸沿いを車で走っているとガードレールなどによくこの白兎のイラストが描かれています。
ただ現在の研究によるとこの話で書かれている因幡の国は現在の鳥取県である確証はなく、山陰地方での話という可能性は高いものの確たる証拠がないのが現状です。まぁそれ言ったら東京都の業平橋の元となった在原業平の東下りも、当時あのあたりは全部湖沼地帯だったろという突っ込みも出来てしまうのですが。
話は戻って因幡の白兎についてですが、恐らくこの話ほど議論を呼び、歴史的考証価値の高い童話はないでしょう。と言うのもこの話の主人公は古代史におけるキーパーソンの一人である大国主で、その後の彼の行跡を考えると無視することの出来ない逸話です。では具体的にどんな話なのかですが、以下に簡単にまとめておきます。
”ある日一匹の白兎が沖合いの島に渡ろうと思い立ち、ワニ(原典では和邇)に対して「お前たちが何匹いるか数えてやるから、あの島との間にみんなで整列してくれ」といい、浜から島まで一列に並んだワニたちの頭を飛び越えながら島へと向かいました。島まであと少しというところで白兎は、「俺は島に渡りたかっただけだよ、ご苦労さん」とつい洩らしてしまい、怒ったワニによって白兎は背中を噛み付かれて皮を剥ぎ取られてしまいました。
背中を噛まれた白兎はその痛みから海岸で泣いていると、通りかかった大国主の兄弟らに、「海水を背中につけて風に当たると良くなるよ」と嘘をつかれ、正直にそうやった白兎はますます背中が腫れてまた海岸で泣き続けていました。すると今度は大国主が通りかかってわけを聞くと、「水門へ行って水で洗い、蒲を撒き散らしてその上で転がれば良くなるよ」と教え、白兎がその通り実行すると今度はきちんと治ったとのことです。”
話自体は童話によくある話ですが、肝心なのは大国主が出てくることはもちろんのこと、この話が載っているのが「古事記」ということです。古事記というのは現在になって研究が進んで大分わかってきましたが、実際にあった歴史を微妙にぼかすと言っては何ですが、童話や寓話仕立てにテイストしなおして書かれていることが多い史料です。よってこの因幡の白兎についてもなんらかの歴史的真実が含まれている可能性が高いと言われております。
今現在で最も有力視されているのは、大国主がその兄弟と比べて立派だったということを立証するエピソードとして添えられたという説です。ネタバレしますがこの後に大国主は兄弟から命を狙われたために逆に全員を皆殺しにして、出雲にて自分の国を開きます。つまり国を開いた大国主を正義の味方のように書き、兄弟たちは人の悪い性格で殺されても仕方ないと思わせるために入れられたのではないかとされています。まぁこれ以外にも大国主には似たようなエピソードがたくさんありますが。
そうした大国主の正当性を高めるためといった内容とともに、恐らく最大の議論となっているのは途中に出てくる「ワニ」でしょう。もちろん今の日本にはワニがそこらへんうろちょろしているわけじゃないため当時の日本にはワニがいたのかってことになってくるのですが、当時の気候条件や生態系から考えるとやはりその可能性は非常に低いです。ではここで出てくるワニとは何なのかということで日夜熱く議論されているのですが、そもそもの話として原典では「和邇」という漢字が当てられているだけで、本当にこれを「ワニ」と読むのか、はたまたどんな生物を指しているのか全くわかりません。
一応現時点で強い説というのは「ワニ」ではなく「サメ」なのではないかという説で、私もこの説を支持してます。実際に日本海にいて噛み付くといったら適当だし。ただこのサメ以外にもウミヘビとか、はたまた昔から中国には痛そうですから伝え聞く話で適当にワニを入れたという説もあります。ただどうしてこの「和邇」という字が使われたのか、単に適当に入れられただけかもしれませんが考察する価値は高いように思えます。
敢えてここで大胆な説を挙げると、もしかしたこの話の舞台は因幡ではなく当時にもワニがいたと考えられる中国南部のどこかだったのかもしれません。中国南部には今は野生ではまったくと言っていいほどいませんがヨウスコウワニという種類のワニがおり、その地域における話が回りまわって日本にも伝わって、登場人物が大国主、舞台が因幡に置き換わっただけなのかもしれません。何の確証もありませんが。
最後にこの因幡の白兎について、20世紀最高のギャグ漫画とまで評された「MMR」では、白兎が背中を噛まれたというのは暗に放射能被爆をしたことを物語っているのではないかと聞いてるこっちが大爆笑しそうな大胆な予想を立ててました。
2011年5月18日水曜日
テレビ局への罰則
突拍子もなく言いますが、テレビ局にはそろそろ明確な罰則規定が必要じゃないかとこの頃よく思います。以前の陽月秘話時代にもテレビ局の不祥事などは割と頻繁に取り上げてきましたが、そうした不祥事を改めて眺めてみるとテレビ局というのはたとえどんな不祥事を起こしても放送免許が取消されることはおろか外部から処分されることはなく、影響力の強い媒体なだけにやはり問題があるように感じます。
現在テレビ局の不祥事についてはBPOという、テレビ局関係者や有識者によって組織される委員会が視聴者からの提起やクレームを受け、問題があると判断した番組を放送したテレビ局に対して注意や勧告を行っております。しかしBPOははっきりとテレビ局を処罰することはなく勧告しかしないと宣言しており、実際にこれまで勧告を受けてきたテレビ局も本当に受けるだけで、中には反省して番組を打ち切りにすることもありますがTBSの「バンキシャ」や「朝ズバッ」に至っては何度も勧告を受けてきているにもかかわらず未だに放送が続けられております。
これまでにも何度かテレビ局の不祥事への処罰を法制化してはという声は上がってきましたが、そのたびにテレビ局側からは「報道の自由が侵される」と主張して見送られてきましたが、逆を言えばどんなことをやっても一切処罰が強制されない今の状況はどんなものかと思います。それこそTBSのように開き直ってしまえば事実上抑えが利かず、好き勝手にやられても黙ってみているしかないのではないでしょうか。
そういう意味ではこの際、法律化してもいいしBPO以外にも外郭団体を作ってテレビ局をしっかりと監視、処罰を決める団体を作っては如何でしょうか。「報道の自由」とはいいますがそれはルールあってのもので、自主規制がきちんとなされているのであれば黙ってみていられますが「バンキシャ」が続いているあたりはそれを期待することも難しく、この際作っちゃほうが早いと思います。
ではどのような不祥事にどんな処罰を与えればいいのかですが、最高罰にはもう放送免許剥奪を据えていいでしょう。というのも今の東電の不祥事を見ているとやはり独占企業は危機管理が甘いというか、どうせなんとかなるだろうという意識があるのかどうも責任というものが他の民間企業と比べて希薄です。それであれば下手なことをするのであれば一挙に廃業にしてしまえるように、また独占体質を打破するためにも放送免許剥奪は入れてもいいでしょう。
とはいえそうバンバンとテレビ局を潰していてはいろいろとややこしいので、実際にはもっと軽い処罰をいろいろ用意しておかねばなりません。まず最もポピュラーで実際によくされているものとしては「番組内での謝罪、訂正」です。これなんかは意図せずして誤報を流してしまった場合、思わぬものが映ってしまった場合などにすればいいかと思います。
次に厳しい処罰としては、これも実際に行われている「番組の打ち切り」です。これは確信犯的に誤報を流した、もしくは番組内で死傷者が出るなど安全対策を怠った際への処罰にいいでしょう。
そしてこの上に、何度も注意や勧告や処罰を受けているにもかかわらず不祥事を繰り返す、もしくは社会的に重大な影響を与えた不祥事を起こした際には、一週間とか一ヶ月間と期限を決めてそのテレビ局でのすべての番組放送禁止を盛り込むことを提案します。個人的に放送免許剥奪以外に、テレビ局が一番嫌がるのはこれだと思うし。
こんな具合で昨日からいろいろと考えつつ下調べを進めてきていたのですが、改めて調べてみるとBPOに寄せられるクレームの中には確かに「なんじゃこりゃ」と言いたくなるような妙なクレームとかが数多く、処分をきつくしろと言いながらもテレビ局側の立場も尊重しなければと少し考えを緩めました。具体的にその妙なクレームをいくつか紹介すると、深夜番組に子供が見るのに不適切な内容がある(そんな遅くまで子供を起こすな)、番組に出てくる芸人が気に入らないなど、ただでさえモンスターペアレントなどクレーマーが増えている世の中なので罰則を決めるのであれば慎重な議論を行い、何をしたらどうなるのかを明確にした上で実施すべきでしょう。
最後にテレビ番組についてちょっと一言言うと、何故かは知らないですが日曜昼過ぎに放送される「新婚さん、いらっしゃい」は中国人留学生らにやけに人気で、私の現上海在住の友人もことあるごとに「あれが見たい」と洩らします。なにか中国人と波長が合うのかわからないけど。
ただ「新婚さん、いらっしゃい」は確かに私もよく見ており、飼い犬(ペス)に子供のへその緒を食べられたなどくだらないエピソードをよく覚えています。特に予定がない日曜日などはこの「新婚さん、いらっしゃい」ともども、昨日亡くなられた児玉清氏が司会をしていた「アタック25」を続けてよく見ていました。児玉氏は元NHKアナウンサーの松平定知氏に次ぐほど話し方がきれいな方で、私自身も非常に好きな司会者だっただけに今回の訃報は非常に残念なものでした。心から、ご冥福をお祈りします。
現在テレビ局の不祥事についてはBPOという、テレビ局関係者や有識者によって組織される委員会が視聴者からの提起やクレームを受け、問題があると判断した番組を放送したテレビ局に対して注意や勧告を行っております。しかしBPOははっきりとテレビ局を処罰することはなく勧告しかしないと宣言しており、実際にこれまで勧告を受けてきたテレビ局も本当に受けるだけで、中には反省して番組を打ち切りにすることもありますがTBSの「バンキシャ」や「朝ズバッ」に至っては何度も勧告を受けてきているにもかかわらず未だに放送が続けられております。
これまでにも何度かテレビ局の不祥事への処罰を法制化してはという声は上がってきましたが、そのたびにテレビ局側からは「報道の自由が侵される」と主張して見送られてきましたが、逆を言えばどんなことをやっても一切処罰が強制されない今の状況はどんなものかと思います。それこそTBSのように開き直ってしまえば事実上抑えが利かず、好き勝手にやられても黙ってみているしかないのではないでしょうか。
そういう意味ではこの際、法律化してもいいしBPO以外にも外郭団体を作ってテレビ局をしっかりと監視、処罰を決める団体を作っては如何でしょうか。「報道の自由」とはいいますがそれはルールあってのもので、自主規制がきちんとなされているのであれば黙ってみていられますが「バンキシャ」が続いているあたりはそれを期待することも難しく、この際作っちゃほうが早いと思います。
ではどのような不祥事にどんな処罰を与えればいいのかですが、最高罰にはもう放送免許剥奪を据えていいでしょう。というのも今の東電の不祥事を見ているとやはり独占企業は危機管理が甘いというか、どうせなんとかなるだろうという意識があるのかどうも責任というものが他の民間企業と比べて希薄です。それであれば下手なことをするのであれば一挙に廃業にしてしまえるように、また独占体質を打破するためにも放送免許剥奪は入れてもいいでしょう。
とはいえそうバンバンとテレビ局を潰していてはいろいろとややこしいので、実際にはもっと軽い処罰をいろいろ用意しておかねばなりません。まず最もポピュラーで実際によくされているものとしては「番組内での謝罪、訂正」です。これなんかは意図せずして誤報を流してしまった場合、思わぬものが映ってしまった場合などにすればいいかと思います。
次に厳しい処罰としては、これも実際に行われている「番組の打ち切り」です。これは確信犯的に誤報を流した、もしくは番組内で死傷者が出るなど安全対策を怠った際への処罰にいいでしょう。
そしてこの上に、何度も注意や勧告や処罰を受けているにもかかわらず不祥事を繰り返す、もしくは社会的に重大な影響を与えた不祥事を起こした際には、一週間とか一ヶ月間と期限を決めてそのテレビ局でのすべての番組放送禁止を盛り込むことを提案します。個人的に放送免許剥奪以外に、テレビ局が一番嫌がるのはこれだと思うし。
こんな具合で昨日からいろいろと考えつつ下調べを進めてきていたのですが、改めて調べてみるとBPOに寄せられるクレームの中には確かに「なんじゃこりゃ」と言いたくなるような妙なクレームとかが数多く、処分をきつくしろと言いながらもテレビ局側の立場も尊重しなければと少し考えを緩めました。具体的にその妙なクレームをいくつか紹介すると、深夜番組に子供が見るのに不適切な内容がある(そんな遅くまで子供を起こすな)、番組に出てくる芸人が気に入らないなど、ただでさえモンスターペアレントなどクレーマーが増えている世の中なので罰則を決めるのであれば慎重な議論を行い、何をしたらどうなるのかを明確にした上で実施すべきでしょう。
最後にテレビ番組についてちょっと一言言うと、何故かは知らないですが日曜昼過ぎに放送される「新婚さん、いらっしゃい」は中国人留学生らにやけに人気で、私の現上海在住の友人もことあるごとに「あれが見たい」と洩らします。なにか中国人と波長が合うのかわからないけど。
ただ「新婚さん、いらっしゃい」は確かに私もよく見ており、飼い犬(ペス)に子供のへその緒を食べられたなどくだらないエピソードをよく覚えています。特に予定がない日曜日などはこの「新婚さん、いらっしゃい」ともども、昨日亡くなられた児玉清氏が司会をしていた「アタック25」を続けてよく見ていました。児玉氏は元NHKアナウンサーの松平定知氏に次ぐほど話し方がきれいな方で、私自身も非常に好きな司会者だっただけに今回の訃報は非常に残念なものでした。心から、ご冥福をお祈りします。
2011年5月16日月曜日
自虐史観の系譜について私の印象
本当は昨日の記事に合わせて書くつもりでしたが、紙幅が足らないので今回独立して書くことにしました。
・自虐史観(Wikipedia)
自虐史観というのは戦後に行われた日本の歴史教育のことを指す際に使われます。内容としては戦前の日本を世界大戦を引き起こしたとして批判的に捉える観点から語られ、一部の論者からは過剰に日本、ひいては自国を否定する内容だとして90年代頃から逆批判が起こり、しばしば論争の的となりました。
この自虐史観で強調されたのは戦前に日本が行った侵略への反省で、ある意味私なんか論争の起こった頃に教育を受けていた世代なので割かし懐かしい感覚すらあるのですが、南京大虐殺や朝鮮人強制連行、従軍慰安婦問題などは小学生時代からしつこく教えられた記憶があります。ただこうして教えられる内容はなんだか東アジアに集中してて、バターン死の更新とか東南アジア方面の話はなんだか扱いが小さかったような……。
こうした歴史教育が戦後は一貫して行われたそうですが、これについて行き過ぎだとして主に「新しい教科書をつくる会」のメンバーなどから逆批判が起こるようになり、上記の歴史事件の再検証とともに戦前の日本政府、ならびに軍人らを再評価する動きが90年代中盤から起こるようになりました。そうした逆批判論者らの意向が強く反映されたいわゆる"つくる会の教科書"が発売されるや中国や韓国は、「過去の真実をごまかし、歴史を改変した内容だ」として公式に批判し、当時はってか今も続く国際問題とまでなりました。
さてこの自虐史観ですが全部が全部語ると非常にややこしく、また議論する相手によっては余計なヒートアップを招いて論争にならなくなる可能性が高い議題です。そこでいくつかポイントを絞って実際にこの自虐史観による教育を受けた私の考えと現状を説明します。
・ポイント1、自虐史観はアメリカによる押し付けか
これなんか安倍元首相とか平沼赳夫氏が激しく主張していますが、戦後日本を占領したGHQが日本が二度とアメリカに歯向かわないように徹底した反軍主義、戦前否定の教育を実施したことで自虐史観が生まれたという意見ですが、これについては私は明確に否定します。
まず勘違いしてもらいたくないのは、実際にGHQが戦後直後の日本で戦前を否定する教育を推し進めたのは事実でそれについては私も異論はありません。ただGHQは占領後半になると対共産主義のために率先して日本の再軍備化を推し進める、いわゆる「右旋回」をするようになり、その過程で自衛隊の前身となる警察予備隊も生まれています。
だからといって教育内容まで当時に変わったというわけじゃないですが、肝心なのはGHQの占領は1951年で終わっていることです。その後の日本はGHQが作った憲法とはいえ、日本人自ら選挙を行い、政府を組織し、文部省で自ら教育内容を決めていきました。少なくとも私が見る限り独立回復後の日本で90年代にいたるまでアメリカが日本の教育行政を握っていたとは思えず、きっかけは確かにアメリカの指導かもしれませんがそれを維持したのはほかならぬ日本人自身で、それにもかかわらずアメリカが押し付けて日本の教育は駄目にされたというのはちょっと違うような気がします。
・ポイント2、自虐史観が日本人をだめにしたのか
これもまた上の二人組+藤原正彦氏がよく主張していますが、私としては疑問に思う意見です。そもそもの話としてそれほどまで歴史教育に影響される生徒自体多いとは思えず、いくら学校の授業で聞いたからといって日本は悪い国だ、周辺国に謝罪しなければなどと真剣に考える人間はそんなにいなかったと思います。一人や二人ならいるかもしれないけどさ。
その根拠と言っては何ですが、90年代後半から尖閣諸島や魚釣島などで領土問題が起こるや中国や韓国への日本人感情は一気に悪くなり、その変貌振りを見るとそれ以前の両国への感情は申し訳ないとかそういうもんじゃなく、ただ単に無関心だった気がします。ついでに書くとこの教育でアメリカに対しても反抗心を持たなくなったとも言われていますが、これは沖縄問題が一番影響しているように思います。基地負担などすべてを沖縄に押し付けたが故で、アメリカに対してもまた大半の日本人は無関心だっただけではないかという気がします。
・ポイント3、自虐史観は今も続いているのか
これについてはさすがに義務教育現場ではどうなっているのかまではわかりませんが、少なくとも日本全体の論調としては大分後退しているかと思います。その理由としては自虐史観では徹底的に被害国として扱われた中国や韓国と明確に領土問題になったり、中国に至ってはGDPでも抜かれるようになって主張に現実味がなくなってきたことが原因だと思います。さらについでに書くと、中国の方こそが自国の歴史をごまかそうとする気合が半端じゃないし。
またこれは私自身が高校生だった頃の感傷ですが、はっきり言って歴史を勉強していてその主義主張なんかよりこっちとしては如何に受験でポイントを稼げるか一番関心があり、こういうことに大騒ぎするのはむしろ外野の大人たちだったような気がします。
ただ振り返ってみてこの自虐史観は歴史認識として明確な間違いをいくつかしており(日本に民主主義はなかったとか、国民は軍部にだまされていたなど)、後退して個人的にはよかったなぁとは思います。その一方でつくる会らの「日本は米国などに追い込まれて戦争をした」などという後から来た主張も私は理解することが出来ず、こっちの主張も今度後退してくれればいいなぁって思ってます。
なお戦前の歴史認識としては私が今一番傾倒しているのは半藤一利氏で、半藤氏の主張のように「日本人は何も考えずに戦争に向かっていった」というのが戦前に対して最も納得できる意見です。
・自虐史観(Wikipedia)
自虐史観というのは戦後に行われた日本の歴史教育のことを指す際に使われます。内容としては戦前の日本を世界大戦を引き起こしたとして批判的に捉える観点から語られ、一部の論者からは過剰に日本、ひいては自国を否定する内容だとして90年代頃から逆批判が起こり、しばしば論争の的となりました。
この自虐史観で強調されたのは戦前に日本が行った侵略への反省で、ある意味私なんか論争の起こった頃に教育を受けていた世代なので割かし懐かしい感覚すらあるのですが、南京大虐殺や朝鮮人強制連行、従軍慰安婦問題などは小学生時代からしつこく教えられた記憶があります。ただこうして教えられる内容はなんだか東アジアに集中してて、バターン死の更新とか東南アジア方面の話はなんだか扱いが小さかったような……。
こうした歴史教育が戦後は一貫して行われたそうですが、これについて行き過ぎだとして主に「新しい教科書をつくる会」のメンバーなどから逆批判が起こるようになり、上記の歴史事件の再検証とともに戦前の日本政府、ならびに軍人らを再評価する動きが90年代中盤から起こるようになりました。そうした逆批判論者らの意向が強く反映されたいわゆる"つくる会の教科書"が発売されるや中国や韓国は、「過去の真実をごまかし、歴史を改変した内容だ」として公式に批判し、当時はってか今も続く国際問題とまでなりました。
さてこの自虐史観ですが全部が全部語ると非常にややこしく、また議論する相手によっては余計なヒートアップを招いて論争にならなくなる可能性が高い議題です。そこでいくつかポイントを絞って実際にこの自虐史観による教育を受けた私の考えと現状を説明します。
・ポイント1、自虐史観はアメリカによる押し付けか
これなんか安倍元首相とか平沼赳夫氏が激しく主張していますが、戦後日本を占領したGHQが日本が二度とアメリカに歯向かわないように徹底した反軍主義、戦前否定の教育を実施したことで自虐史観が生まれたという意見ですが、これについては私は明確に否定します。
まず勘違いしてもらいたくないのは、実際にGHQが戦後直後の日本で戦前を否定する教育を推し進めたのは事実でそれについては私も異論はありません。ただGHQは占領後半になると対共産主義のために率先して日本の再軍備化を推し進める、いわゆる「右旋回」をするようになり、その過程で自衛隊の前身となる警察予備隊も生まれています。
だからといって教育内容まで当時に変わったというわけじゃないですが、肝心なのはGHQの占領は1951年で終わっていることです。その後の日本はGHQが作った憲法とはいえ、日本人自ら選挙を行い、政府を組織し、文部省で自ら教育内容を決めていきました。少なくとも私が見る限り独立回復後の日本で90年代にいたるまでアメリカが日本の教育行政を握っていたとは思えず、きっかけは確かにアメリカの指導かもしれませんがそれを維持したのはほかならぬ日本人自身で、それにもかかわらずアメリカが押し付けて日本の教育は駄目にされたというのはちょっと違うような気がします。
・ポイント2、自虐史観が日本人をだめにしたのか
これもまた上の二人組+藤原正彦氏がよく主張していますが、私としては疑問に思う意見です。そもそもの話としてそれほどまで歴史教育に影響される生徒自体多いとは思えず、いくら学校の授業で聞いたからといって日本は悪い国だ、周辺国に謝罪しなければなどと真剣に考える人間はそんなにいなかったと思います。一人や二人ならいるかもしれないけどさ。
その根拠と言っては何ですが、90年代後半から尖閣諸島や魚釣島などで領土問題が起こるや中国や韓国への日本人感情は一気に悪くなり、その変貌振りを見るとそれ以前の両国への感情は申し訳ないとかそういうもんじゃなく、ただ単に無関心だった気がします。ついでに書くとこの教育でアメリカに対しても反抗心を持たなくなったとも言われていますが、これは沖縄問題が一番影響しているように思います。基地負担などすべてを沖縄に押し付けたが故で、アメリカに対してもまた大半の日本人は無関心だっただけではないかという気がします。
・ポイント3、自虐史観は今も続いているのか
これについてはさすがに義務教育現場ではどうなっているのかまではわかりませんが、少なくとも日本全体の論調としては大分後退しているかと思います。その理由としては自虐史観では徹底的に被害国として扱われた中国や韓国と明確に領土問題になったり、中国に至ってはGDPでも抜かれるようになって主張に現実味がなくなってきたことが原因だと思います。さらについでに書くと、中国の方こそが自国の歴史をごまかそうとする気合が半端じゃないし。
またこれは私自身が高校生だった頃の感傷ですが、はっきり言って歴史を勉強していてその主義主張なんかよりこっちとしては如何に受験でポイントを稼げるか一番関心があり、こういうことに大騒ぎするのはむしろ外野の大人たちだったような気がします。
ただ振り返ってみてこの自虐史観は歴史認識として明確な間違いをいくつかしており(日本に民主主義はなかったとか、国民は軍部にだまされていたなど)、後退して個人的にはよかったなぁとは思います。その一方でつくる会らの「日本は米国などに追い込まれて戦争をした」などという後から来た主張も私は理解することが出来ず、こっちの主張も今度後退してくれればいいなぁって思ってます。
なお戦前の歴史認識としては私が今一番傾倒しているのは半藤一利氏で、半藤氏の主張のように「日本人は何も考えずに戦争に向かっていった」というのが戦前に対して最も納得できる意見です。
2011年5月15日日曜日
私のナショナリズム遍歴
なんか今日からこっちでYahooメールが開かなくなりました。これまでにもこういうことは度々あったので恐らく一時的で、また明日には開けるかと思いますが小学生の嫌がらせのように地味に腹立ちます。その代わりと言っては何ですが先日にダウンロードできなかったとこのブログで報告した電子書籍が何故かダウンロードできるようになり、ついに「でろでろ」の7巻をパソコン上で読むことが出来ました。あまりにも感動したもんだからすぐまた8巻も買って読んでしまいましたが、世に妹キャラはたくさんいれどもこのでろでろの「日野留渦」以上の妹キャラはいないんじゃないかとよく思います。
こんなどうでもいい前文を書きながらですが、今日は私のナショナリズム遍歴を紹介しようと思います。個人的な内容かなと思って最初は見送りかけましたが、ちょうど私の青春時代が日本のナショナリズム観が戦後以降で大いに変動した時期なので書く価値があると判断しました。
私が明確にナショナリズムを初めて持ったのは、年にして13歳の中学一年生の頃でした。その頃予備校で教わった先生にいろいろ社会問題を教わって政治について興味を持ち出し、世の中が良くないことを何でもかんでも政治が悪いせいだといっちょまえに口にしていました。同時に小学生時代はなんだか不公平に感じて否定的だった天皇制も途端に肯定的になり、中二病のようになんだか右翼的な行動や価値観がかっこいいと思うようになっていきました。
当時は北朝鮮が弾道ミサイルテポドンを発射した時期で、私だけじゃなく日本中で国防について議論が盛り上がっていた頃でした。といっても盛り上がったのはまだ一部の人間にとどまり、一般市民はまだ政治については今より関心が低くて投票率も今なんかと比べると低い水準を維持してました。私はそんな低い投票率を見て、ありがちといえばありがちですがこんな日本人じゃ国が駄目になると、まぁ子供らしくストレートな感情を抱いていたのを我ながら恥ずかしく感じます。
その頃にあったもう一つの大きな事件を話すと、ちょうと「新しい教科書をつくる会」(通称つくる会)が出来、教科書の裁定を巡って大きな議論が起こっていた頃でした。これは以前に外交白書も見て確認をしていますが、ちょうどこの頃からそれまで変動のなかった韓国、中国への好感度が振れ出し、2000年代に入る頃には明確に下がり始めます。
そうした外交意識の変化以上にこのつくる会が巻き起こした騒動はいわゆる自虐史観からの脱却で、「日本はもう謝らなくていい」という言葉の元に歴史教育の改革が叫ばれるようになりました。当時の私は私立の学校にいたせいもあるでしょうが自虐史観についてはそれほど関心がなく、またつくる会の教科書も抽象的な内容が多いように思え、大学受験用として使うにはあまり価値がないと取り立てて気にはとめませんでした。
その後高校生となった私は徐々にテレビニュースなどを見るようになって知識を蓄えるようになり、右傾化の傾向にも拍車がかかっていきました。靖国神社に行ったり正月の天皇参賀にも参加したのもこの頃で、親父に菊の御紋入りのがま口(1,000円)を買ってもらったのを覚えてます。さすがに使いどころが見当たらなくて未だに引き出しの中ですが。
この頃になると政治に興味を持たない周りの生徒がたるんでいるように思え、電車の中だろうがなんだろうが頼まれてもないのに高説ぶるようになり、今見たら殴り倒したいくらいの生意気ぶりだったと思います。ただ当時の自分を唯一誉めるとしたら、誰かに師事して教えてもらうのではなくちゃんと自分から雑誌とかを読んで知識を身につけてった所です。そんな都合よくなんでもかんでも教えてくれる人はいないんだから自分で勉強しなきゃと、行動に移した点は及第点でした。またこの頃はまだ政治家になって世の中を自分が変えてやるんだ、自衛隊も強化して他国に侵略させないようにしなければとどちらかと言えばプレイヤー志向が強い時期でもありました。
それが変化したのは大学に入って以降でした。大学入学直後でこそ自分は右の人間だと明確に自認していましたが、当時は小泉内閣で徐々に格差問題が表面化していった時期でもあり、郵政改革の過程で右派の中でも意見が割れ始めていた頃でした。勘違いしてもらいたくないのは当時の私は格差拡大論者で、現時点においても当時の小泉内閣における竹中平蔵氏の政策は正しかったと考えております。ただこの格差問題で私が気になったのは、右派の政治家や論者にこの格差問題にかこつけて小泉内閣を批判して政局にしようとする人間が現れだし、先述の郵政改革が進むにつれてその傾向が激しくなっていったことです。
このあたりからそもそも右翼、左翼という構造で物事を考えていたら立ち行かないのではないと思うようになり、自分をどちらの立場において考えるのではなく政策ごとに独立して意見を持たねばならないと考えるようになりました。その結果自分を右翼、左翼とどちらにも置かなくなり、国に対する意識も何が何でも良くしなければという感覚も徐々に持てなくなっていきました。
その後の過程はちょっとすっ飛ばしますが、現時点での私のナショナリズムはそれほど高くないと思います。よくこういうブログを運営していることから国のことを強く思っているのではと言われることがありますが、結局のところ国を変えても日本人が良くなるという確信が持てず、むしろ自分という個人の能力を高めるだけ高め、尋ねられたら教えるという行為を続けることの方が価値があるように今は考えています。自分への自戒を込めて書きますが、いくら政治を良くしようと政治家を変えたりしても国民が変わらない限りはなにも変わらないと思います。
最後に、ではどうしてこのブログで政治解説などをやるのかという理由ですが、以前かも書いてはいますが単純に政治や時事を勉強したくとも勉強する手段や糸口が見つからない人間、対象としては大学生向けに「こんな考え方もあるんだよ」という紹介がてら書いてます。前述の高校時代に私も苦労した思い出があり、そうした人たちへの一助になればと文章を書く趣味をかねて書き続けてます。
こんなどうでもいい前文を書きながらですが、今日は私のナショナリズム遍歴を紹介しようと思います。個人的な内容かなと思って最初は見送りかけましたが、ちょうど私の青春時代が日本のナショナリズム観が戦後以降で大いに変動した時期なので書く価値があると判断しました。
私が明確にナショナリズムを初めて持ったのは、年にして13歳の中学一年生の頃でした。その頃予備校で教わった先生にいろいろ社会問題を教わって政治について興味を持ち出し、世の中が良くないことを何でもかんでも政治が悪いせいだといっちょまえに口にしていました。同時に小学生時代はなんだか不公平に感じて否定的だった天皇制も途端に肯定的になり、中二病のようになんだか右翼的な行動や価値観がかっこいいと思うようになっていきました。
当時は北朝鮮が弾道ミサイルテポドンを発射した時期で、私だけじゃなく日本中で国防について議論が盛り上がっていた頃でした。といっても盛り上がったのはまだ一部の人間にとどまり、一般市民はまだ政治については今より関心が低くて投票率も今なんかと比べると低い水準を維持してました。私はそんな低い投票率を見て、ありがちといえばありがちですがこんな日本人じゃ国が駄目になると、まぁ子供らしくストレートな感情を抱いていたのを我ながら恥ずかしく感じます。
その頃にあったもう一つの大きな事件を話すと、ちょうと「新しい教科書をつくる会」(通称つくる会)が出来、教科書の裁定を巡って大きな議論が起こっていた頃でした。これは以前に外交白書も見て確認をしていますが、ちょうどこの頃からそれまで変動のなかった韓国、中国への好感度が振れ出し、2000年代に入る頃には明確に下がり始めます。
そうした外交意識の変化以上にこのつくる会が巻き起こした騒動はいわゆる自虐史観からの脱却で、「日本はもう謝らなくていい」という言葉の元に歴史教育の改革が叫ばれるようになりました。当時の私は私立の学校にいたせいもあるでしょうが自虐史観についてはそれほど関心がなく、またつくる会の教科書も抽象的な内容が多いように思え、大学受験用として使うにはあまり価値がないと取り立てて気にはとめませんでした。
その後高校生となった私は徐々にテレビニュースなどを見るようになって知識を蓄えるようになり、右傾化の傾向にも拍車がかかっていきました。靖国神社に行ったり正月の天皇参賀にも参加したのもこの頃で、親父に菊の御紋入りのがま口(1,000円)を買ってもらったのを覚えてます。さすがに使いどころが見当たらなくて未だに引き出しの中ですが。
この頃になると政治に興味を持たない周りの生徒がたるんでいるように思え、電車の中だろうがなんだろうが頼まれてもないのに高説ぶるようになり、今見たら殴り倒したいくらいの生意気ぶりだったと思います。ただ当時の自分を唯一誉めるとしたら、誰かに師事して教えてもらうのではなくちゃんと自分から雑誌とかを読んで知識を身につけてった所です。そんな都合よくなんでもかんでも教えてくれる人はいないんだから自分で勉強しなきゃと、行動に移した点は及第点でした。またこの頃はまだ政治家になって世の中を自分が変えてやるんだ、自衛隊も強化して他国に侵略させないようにしなければとどちらかと言えばプレイヤー志向が強い時期でもありました。
それが変化したのは大学に入って以降でした。大学入学直後でこそ自分は右の人間だと明確に自認していましたが、当時は小泉内閣で徐々に格差問題が表面化していった時期でもあり、郵政改革の過程で右派の中でも意見が割れ始めていた頃でした。勘違いしてもらいたくないのは当時の私は格差拡大論者で、現時点においても当時の小泉内閣における竹中平蔵氏の政策は正しかったと考えております。ただこの格差問題で私が気になったのは、右派の政治家や論者にこの格差問題にかこつけて小泉内閣を批判して政局にしようとする人間が現れだし、先述の郵政改革が進むにつれてその傾向が激しくなっていったことです。
このあたりからそもそも右翼、左翼という構造で物事を考えていたら立ち行かないのではないと思うようになり、自分をどちらの立場において考えるのではなく政策ごとに独立して意見を持たねばならないと考えるようになりました。その結果自分を右翼、左翼とどちらにも置かなくなり、国に対する意識も何が何でも良くしなければという感覚も徐々に持てなくなっていきました。
その後の過程はちょっとすっ飛ばしますが、現時点での私のナショナリズムはそれほど高くないと思います。よくこういうブログを運営していることから国のことを強く思っているのではと言われることがありますが、結局のところ国を変えても日本人が良くなるという確信が持てず、むしろ自分という個人の能力を高めるだけ高め、尋ねられたら教えるという行為を続けることの方が価値があるように今は考えています。自分への自戒を込めて書きますが、いくら政治を良くしようと政治家を変えたりしても国民が変わらない限りはなにも変わらないと思います。
最後に、ではどうしてこのブログで政治解説などをやるのかという理由ですが、以前かも書いてはいますが単純に政治や時事を勉強したくとも勉強する手段や糸口が見つからない人間、対象としては大学生向けに「こんな考え方もあるんだよ」という紹介がてら書いてます。前述の高校時代に私も苦労した思い出があり、そうした人たちへの一助になればと文章を書く趣味をかねて書き続けてます。
2011年5月13日金曜日
四国新聞について
最近堅い政治系の記事ばかりなので、柔らかい内容を一本投下しておきます。
さて皆さん、四国新聞というのはご存知でしょうか。香川県の地方新聞なのですが、百聞は一見に如かずなので早速下記ホームページを開いてみてください。
・四国新聞
一体この新聞の何が凄いのかというと、上部にあるニュースカテゴリー欄を見てもらえばわかりますが「スポーツ」や「天気」、「求人」といったごく一般的なカテゴリーの中になんと、堂々と「うどん」というカテゴリーが存在してます。しかも試しに開いてみると香川県内のうどん検索機能がついており、「データで探す」を選んでみると以下のようなまた随分とカオスな検索項目が出てきます。
Q、誰と?
・子供連れで
・接待で
・大勢で
・デートで
・マニアな人と
・特定しない
Q、店のスタイルは
・一般店
・大衆セルフ
・製麺所型
・特定しない
Q、表示順位
・麺の太い順
・麺の細い順
・創業が古い順
・創業が新しい順
・1玉が大きい順
・1玉の値段が安い順
・特定しない
どんだけ検索項目充実してんだよ……(;゚д゚)
さて皆さん、四国新聞というのはご存知でしょうか。香川県の地方新聞なのですが、百聞は一見に如かずなので早速下記ホームページを開いてみてください。
・四国新聞
一体この新聞の何が凄いのかというと、上部にあるニュースカテゴリー欄を見てもらえばわかりますが「スポーツ」や「天気」、「求人」といったごく一般的なカテゴリーの中になんと、堂々と「うどん」というカテゴリーが存在してます。しかも試しに開いてみると香川県内のうどん検索機能がついており、「データで探す」を選んでみると以下のようなまた随分とカオスな検索項目が出てきます。
Q、誰と?
・子供連れで
・接待で
・大勢で
・デートで
・マニアな人と
・特定しない
Q、店のスタイルは
・一般店
・大衆セルフ
・製麺所型
・特定しない
Q、表示順位
・麺の太い順
・麺の細い順
・創業が古い順
・創業が新しい順
・1玉が大きい順
・1玉の値段が安い順
・特定しない
どんだけ検索項目充実してんだよ……(;゚д゚)
公務員給与10%削減案について
今日たまたまNHKで昼のニュースを見る機会があり、こんなニュースを目撃しました。
・公務員給与10%削減、労使交渉始まる(朝日新聞)
内容をかいつまんで話すと、管首相は震災復興に多大な予算が必要になることから国家公務員の給与を全体で10%削減することを提案したというニュースです。なお「震災対策にあたる自衛隊員らには一定の配慮」との文言から、自衛隊員への給料は削減の対象から外す方針のようです。
正直、前回の「自衛隊員の給料削減報道について」の記事を書いた二日後にこうも早くも関連するニュースというか止めを刺してくれるものが出てくるとは夢にも思っても見ませんでした。前回の記事で私は「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである。」と書いたこのJB PRESSの記事はガセである可能性が高いのではと指摘しましたが、同じ記事には「一方、総勢で7万人以上もいるとされる増税を主導する財務省のお役人が1円でも給与カットしたという話は全く聞かない。」とも書かれており、見事なくらいに本日の管首相の発言内容と真逆で、もはやガセの可能性とかそういうレベルではなくなったと言っていいでしょう。
仮にこのJB PRESSの記事が伝聞調や可能性があると言った書き方や、何故自衛隊のみが10%の削減になるのかという理由や根拠も書いていればまだ価値はありますが、こんな断言口調で書いてればもうどうしようもないでしょう。恐らくなんの根拠も確認のための取材もなく、それこそ別の誰かの妄言を信じて強気で書いたのでしょう。もしかしたらこの記事自体が妄言そのものだったのかもしれませんが。
それにしても前回の記事を書くきっかけになった、「現在の自民党への評価」の記事にコメントしてくれた「通りすがり」さんにはこのJB PRESSの記事が情報ソースなのかをコメント欄で尋ねているのですが、未だ返事がもらえておりません。もしこの記事を読んでいただけているのであれば、ぜひともご一報と現在のご感想をいただきたく思います。
・公務員給与10%削減、労使交渉始まる(朝日新聞)
内容をかいつまんで話すと、管首相は震災復興に多大な予算が必要になることから国家公務員の給与を全体で10%削減することを提案したというニュースです。なお「震災対策にあたる自衛隊員らには一定の配慮」との文言から、自衛隊員への給料は削減の対象から外す方針のようです。
正直、前回の「自衛隊員の給料削減報道について」の記事を書いた二日後にこうも早くも関連するニュースというか止めを刺してくれるものが出てくるとは夢にも思っても見ませんでした。前回の記事で私は「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである。」と書いたこのJB PRESSの記事はガセである可能性が高いのではと指摘しましたが、同じ記事には「一方、総勢で7万人以上もいるとされる増税を主導する財務省のお役人が1円でも給与カットしたという話は全く聞かない。」とも書かれており、見事なくらいに本日の管首相の発言内容と真逆で、もはやガセの可能性とかそういうレベルではなくなったと言っていいでしょう。
仮にこのJB PRESSの記事が伝聞調や可能性があると言った書き方や、何故自衛隊のみが10%の削減になるのかという理由や根拠も書いていればまだ価値はありますが、こんな断言口調で書いてればもうどうしようもないでしょう。恐らくなんの根拠も確認のための取材もなく、それこそ別の誰かの妄言を信じて強気で書いたのでしょう。もしかしたらこの記事自体が妄言そのものだったのかもしれませんが。
それにしても前回の記事を書くきっかけになった、「現在の自民党への評価」の記事にコメントしてくれた「通りすがり」さんにはこのJB PRESSの記事が情報ソースなのかをコメント欄で尋ねているのですが、未だ返事がもらえておりません。もしこの記事を読んでいただけているのであれば、ぜひともご一報と現在のご感想をいただきたく思います。
2011年5月11日水曜日
自衛隊員の給料削減報道について
昨日書いた記事に寄せられたコメントに、ちょっと気になる内容が書かれていました。
「おまけに民主は防波堤の予算やら自衛隊員の給料を下げる事までやってる分たちが悪い。こんな史上最悪の政権は早く退場するべきだろう。」
正直に言って、このコメントに書かれている自衛隊員の給料削減のニュースを私はこれまで全く聞いたことがありませんでした。日本にいる状態ならば自分が聞いたことないニュースはまず以って通常の報道はされていないと確信がありましたが、現在は居住地が中国なだけに念のためどのように報じられているのか確認をしてみようと思い早速ネットで、「自衛隊 給料 削減」で検索をかけたところ、確かにこのニュースを取り上げるブログやツイッターが数多くヒットしたのですが、一見してすぐ奇妙さを覚えました。実際に検索してみればわかるでしょうが見出しがどれも判で押したかのようにほどんど一緒で、「自衛官給料/給与10%カット/削減」と書かれており、真っ先に思いついたのは情報ソースが一緒なのではないかということでした。そこでいくつか開いてみて確認したところやはりそうで、少なくとも私が確認した限りではどこも下記サイトをネタ元として引用していました。
・菅直人首相:所得半減政策と「国民は粟を食え」(JB PRESS)
もっともこんな風に訝って考えるのは私くらいなものかとも思ったのですが、同じくJB PRESSの記事を引用しているロケットニュースの記事につけられたコメント欄を見てみると私と同じように単一ソースであることからガセではないかと懸念する方がいてちょっと驚きました。
そろそろ結論を言うと、現時点で私はこの自衛隊員の給料を10%削減するというこのニュースはガセの可能性が高いように感じます。理由はいくつかあり、まとめると下記のポイントが挙げられます。
1、情報源がJB PRESSしかなく、ほかのメディアが後追い報道をした跡が全くない
2、記事中に具体的な決定時期、削減の開始時期、対象者が全く書かれていない
3、にもかかわらず、「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである」と断定口調でまとめられている
4、記事中では削減の決定者が政府なのか防衛省なのかわからず、主語がぼかして書かれている
5、この時期に発表される必然性が感じられない
6、内容に強い誘導性を感じる
ざっと挙げるとこんな具合です。といっても、最初の後追い報道がないという点だけでおなかいっぱいですけど。
仮にこのニュースが本当であるならば最初に情報を出すのは政策決定者である官僚や政治家に間違いなく、この両者から発せられる情報でこの内容であればテレビや新聞といった大メディアも必ず報じているでしょう。にもかかわらずJB PRESSの記事が出てから数週間も経っているにもかかわらず関連するニュース報道は全くなく、そもそもの記事内容と比較しても何でもいいから管首相を貶めようとする匂いが感じられます。
ついでなので情報を取り扱う際の気構えというか私が注意しているポイントをこちらも挙げると、
1、情報ソースが複数あるか
2、状況から必然性を感じるか
3、誘導性がないか
大体この三点、最低でも最初の複数ソースの確認さえしておけば下手な情報を掴むことはないでしょう。
ただ複数ソースについては少し注意しなければならないことがあり、たまに同じソースからの情報をいろんなところを経由しているうちに別ソースの情報と誤解してしまうことがあります。これの代表的な例はアメリカが追っていたイラクの大量破壊兵器の情報で、何でもCIAか何かがどうもイタリアあたりでイラクには大量破壊兵器があるという情報を得て念のため確認を取った所、別のソースからも情報を得られてイラクに攻め込んだものの結局そんなものはありませんでした。後で調べてみたら、二回目の情報のソースも実は最初と同じイタリアの情報だったそうです。
二番目の状況の必然性ですが、意味はちょっと違いますが火のないところに煙は立たないというように、有り得ない状況から有り得ない物は絶対に出てきません。たとえば北海道でゴキブリが大量発生と書かれても、そもそも北海道はその気候から元々ゴキブリは生息していないのですぐガセだとわかるように、状況からおおよそ起こることが有り得ないと思われるニュースは真偽を必ず確かめる必要があります。
三番目の誘導性についてですが、これもたとえを用いるとアメを欲しがっている子供に対して「あそこに行けばアメがもらえるよ」と言うように、情報を受け取る側が如何にも欲しがる様な格好の情報や、書き手の感情が過剰に反映されているような要素です。今回のJB PRESSの記事は管首相を批判したがっている人間に対しては格好過ぎる情報で、案の定というかあちこちのブログやツイッターで取り上げられているのを見て妙に感じさせられました。
最後に民主党関連のデマですと、以前の陽月秘話でも取り上げましたが去年に「鳩山前首相がデノミを検討していた」と日経新聞のみが報じていました。この記事では「藤井財務相辞任で頓挫」と書かれており、鳩山首相だけならともかく経済政策に明るい藤井氏がこんな必然性のないことを検討するとはとても思えずデマではないかと書きましたが、案の定ほかのメディアも相手しなければ続報も全く聞こえてきませんでした。日経は経済記事以外はいいと言われていますが、こんな内容の記事にOK出すデスクもいるんだと感心させられた一件でした。
最後と書きながら今日散々後追い報道について書いたのでもう一つ付け加えですが、去年ナンバー1の報道は間違いなく朝日新聞による、厚生省の村木さんの取調べで前田元検事が証拠を改竄していたことを暴いた記事ですが、話によるとこの記事を書いたのは三十代の記者の方で、朝刊発行前はほかのメディアが後追い報道、取材をしてくれるかと不安で眠れなかったそうです。あんな凄い記事書いておきながら、やっぱり記者の方は不安に感じるようです。
「おまけに民主は防波堤の予算やら自衛隊員の給料を下げる事までやってる分たちが悪い。こんな史上最悪の政権は早く退場するべきだろう。」
正直に言って、このコメントに書かれている自衛隊員の給料削減のニュースを私はこれまで全く聞いたことがありませんでした。日本にいる状態ならば自分が聞いたことないニュースはまず以って通常の報道はされていないと確信がありましたが、現在は居住地が中国なだけに念のためどのように報じられているのか確認をしてみようと思い早速ネットで、「自衛隊 給料 削減」で検索をかけたところ、確かにこのニュースを取り上げるブログやツイッターが数多くヒットしたのですが、一見してすぐ奇妙さを覚えました。実際に検索してみればわかるでしょうが見出しがどれも判で押したかのようにほどんど一緒で、「自衛官給料/給与10%カット/削減」と書かれており、真っ先に思いついたのは情報ソースが一緒なのではないかということでした。そこでいくつか開いてみて確認したところやはりそうで、少なくとも私が確認した限りではどこも下記サイトをネタ元として引用していました。
・菅直人首相:所得半減政策と「国民は粟を食え」(JB PRESS)
もっともこんな風に訝って考えるのは私くらいなものかとも思ったのですが、同じくJB PRESSの記事を引用しているロケットニュースの記事につけられたコメント欄を見てみると私と同じように単一ソースであることからガセではないかと懸念する方がいてちょっと驚きました。
そろそろ結論を言うと、現時点で私はこの自衛隊員の給料を10%削減するというこのニュースはガセの可能性が高いように感じます。理由はいくつかあり、まとめると下記のポイントが挙げられます。
1、情報源がJB PRESSしかなく、ほかのメディアが後追い報道をした跡が全くない
2、記事中に具体的な決定時期、削減の開始時期、対象者が全く書かれていない
3、にもかかわらず、「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである」と断定口調でまとめられている
4、記事中では削減の決定者が政府なのか防衛省なのかわからず、主語がぼかして書かれている
5、この時期に発表される必然性が感じられない
6、内容に強い誘導性を感じる
ざっと挙げるとこんな具合です。といっても、最初の後追い報道がないという点だけでおなかいっぱいですけど。
仮にこのニュースが本当であるならば最初に情報を出すのは政策決定者である官僚や政治家に間違いなく、この両者から発せられる情報でこの内容であればテレビや新聞といった大メディアも必ず報じているでしょう。にもかかわらずJB PRESSの記事が出てから数週間も経っているにもかかわらず関連するニュース報道は全くなく、そもそもの記事内容と比較しても何でもいいから管首相を貶めようとする匂いが感じられます。
ついでなので情報を取り扱う際の気構えというか私が注意しているポイントをこちらも挙げると、
1、情報ソースが複数あるか
2、状況から必然性を感じるか
3、誘導性がないか
大体この三点、最低でも最初の複数ソースの確認さえしておけば下手な情報を掴むことはないでしょう。
ただ複数ソースについては少し注意しなければならないことがあり、たまに同じソースからの情報をいろんなところを経由しているうちに別ソースの情報と誤解してしまうことがあります。これの代表的な例はアメリカが追っていたイラクの大量破壊兵器の情報で、何でもCIAか何かがどうもイタリアあたりでイラクには大量破壊兵器があるという情報を得て念のため確認を取った所、別のソースからも情報を得られてイラクに攻め込んだものの結局そんなものはありませんでした。後で調べてみたら、二回目の情報のソースも実は最初と同じイタリアの情報だったそうです。
二番目の状況の必然性ですが、意味はちょっと違いますが火のないところに煙は立たないというように、有り得ない状況から有り得ない物は絶対に出てきません。たとえば北海道でゴキブリが大量発生と書かれても、そもそも北海道はその気候から元々ゴキブリは生息していないのですぐガセだとわかるように、状況からおおよそ起こることが有り得ないと思われるニュースは真偽を必ず確かめる必要があります。
三番目の誘導性についてですが、これもたとえを用いるとアメを欲しがっている子供に対して「あそこに行けばアメがもらえるよ」と言うように、情報を受け取る側が如何にも欲しがる様な格好の情報や、書き手の感情が過剰に反映されているような要素です。今回のJB PRESSの記事は管首相を批判したがっている人間に対しては格好過ぎる情報で、案の定というかあちこちのブログやツイッターで取り上げられているのを見て妙に感じさせられました。
最後に民主党関連のデマですと、以前の陽月秘話でも取り上げましたが去年に「鳩山前首相がデノミを検討していた」と日経新聞のみが報じていました。この記事では「藤井財務相辞任で頓挫」と書かれており、鳩山首相だけならともかく経済政策に明るい藤井氏がこんな必然性のないことを検討するとはとても思えずデマではないかと書きましたが、案の定ほかのメディアも相手しなければ続報も全く聞こえてきませんでした。日経は経済記事以外はいいと言われていますが、こんな内容の記事にOK出すデスクもいるんだと感心させられた一件でした。
最後と書きながら今日散々後追い報道について書いたのでもう一つ付け加えですが、去年ナンバー1の報道は間違いなく朝日新聞による、厚生省の村木さんの取調べで前田元検事が証拠を改竄していたことを暴いた記事ですが、話によるとこの記事を書いたのは三十代の記者の方で、朝刊発行前はほかのメディアが後追い報道、取材をしてくれるかと不安で眠れなかったそうです。あんな凄い記事書いておきながら、やっぱり記者の方は不安に感じるようです。
2011年5月10日火曜日
現在の自民党への評価
現在与党民主党は管首相を始めとして今回の地震の対応に問題があったと野党を初め国民からも激しく非難がなされておりますが、中国にいる分際でといくらか批判を受けること覚悟で申せば、私は今回の民主党並びに執行部の対応はそれほど悪いものではなかったと考えております。もちろん100点満点ではないものの、これだけの大惨事に対して最低限必要な対応はしてきたと思います。
惜しむらくは福島原発の事故で、これさえ早期に抑えていれば現在よりもずっと被害を軽減することが出来たでしょうが、この原発事故は政府の指導や対応に問題があったというよりは東電の対応や危機管理に問題があったと考えており、一部で東電の言いなりになった管首相が悪いという批判もありますが、首相とはいえ技術的なことにあれこれ口出しするのは私はこれもかえって問題だと考えており、東電の意見を無視してあれこれ管首相が指示していればそれこそ批判の対象だと見ております。
ただこういった災害においては天を恨んでも仕方がないというものの、感情の捌け口がどうしても必要になってきます。そういう意味では政府は理不尽といえども批判を受けねばならない立場であり、また被災者の気持ちを考えると批判をするなとも言えません。あくまで私個人として、現政府の対応はやることはやってくれたという評価をさせてもらいます。
しかしそうした被災者はともかくとして、政府を批判していて奇妙というか腹立だたしいというか、頭にくる存在として野党の自民党の存在があります。一部の批判を聞いていると今回の地震に対する民主党の対応は問題があり、もう一度政権交代をさせて自民党を与党にしなければならないという声をいくらか目にしますが(主に産経を中心に)、そんなのふざけるなと声を大にして私はいいたいです。確かに現民主党もなかなか子供手当てをあきらめないなどアホかと言いたくなるところも数多く存在しますが、それを推しても私は鳩山時代ならともかく今の自民党よりはまだ管首相の方が害が少ないと見ております。
私がどうして今回ここで自民党を批判するのかというと、やはり大メディアの報道を見ていてアレって思うところが多いからです。以前の「石原都知事への自民の許せない公認」の記事でも書きましたが、自民党は神経を疑う不謹慎極まりない発言をしたにもかかわらず片方は非公認にし、もう片方は公認にして選挙を応援しましたが、この自民党のダブルス短ダートについて私がネットを見る限り批判したメディアは存在しませんでした。またこれ以外にも政府から復興支援会議への参加、果てには大連立まで打診されているにもかかわらず今のところ自民党の谷垣総裁ははっきりとした態度を示しておりません。もちろんこれまでの政争もあれば支持者もいるのだしいくら緊急時だからと言ってホイホイ組むわけには行かないという立場はわかりますが、それにしたってここまで邪険にしなくたっていいんじゃないかという気がします。
このような谷垣氏の態度に自民贔屓の産経も業を煮やしたか、とうとうこんな記事まで書かれる始末です。
・首相「菅降ろし封じ」に自信 “クセ球”次々… 搦め捕られる谷垣執行部(産経新聞)
なかなかよくまとまっている記事なのでよければ見てもらいたいのですが、概略を話すと復興での民主党への協力に対して谷垣氏が優柔不断になかなか態度を決めないことから、管降ろしをするはずが自分が総裁を降ろされるような立場になりつつあるのではと書かれてあります。個人的に感心したのは自民党との連立を辞さないとする石破茂氏や小池百合子氏はかつて同じ新進党で活動して痛い目に遭っているだけに小沢氏とは連携を獲りたがらず、小沢一派と一緒に管首相に不信任を突きつけようにも自民党内で意見が割れるだろうと指摘している点です。私もこの考えを支持します。
そんな優柔不断な谷垣氏が今必死になってやっているのは政府批判です。ただその中身を見ると原発事故への対応を責める内容が少なくないのですが、そもそもの話としてあんな危険な場所に原発を建てたのは原発利権にすっかり染まっていた元与党の自民党で、安全対策から何まで不備のまま放ってきた責任を忘れてどうしてこんな批判が出来るのだと聞いてて白々しく感じます。それも戦前は軍国主義を礼賛していたと未だに批判される朝日新聞と違って自民党が与党だったのはわずか二年前で、時間的にも今回の東電の事故は自民党の方が責が重いのではと個人的に思います。
はっきり言いますが、私は谷垣氏というのは正真正銘のクズだと思います。我ながらよくもここまで言い切るなとも思いますが、私はこの人を小泉政権時代から長く見ておりますが最低限の仕事も出来なければ口が軽くて余計なことを口走るわ、よくもこんな人間が議員としてやってけるなと理解が出来ない人物です。差別的だといわれるかもしれませんがそもそも私はこの人の来歴からして嫌いで、確か東大を八年かけて卒業後、七年間定職にもつかず受験勉強し続け司法試験に合格するという立派な経歴には気が遠くなります。今回の連立拒否も、最後まで悩んで小泉首相に「乗るな」と言われてやめたというほど決断が出来ない人らしいですし。
ちなみに自民党内では森元首相などの重鎮議員や石破氏らは連立に前向きと聞きます。考えもなしで連立というのはまた問題ですが、谷垣氏の「管首相の退陣と引き換え」にという条件は私は如何なものかと思うわけです。
久々にブログ(陽月秘話)を始めた当初のように攻撃的な記事になりました。あと意識はしてないもののやはり政治系の記事は書くのが早く、比較的長いのにこれも30分位で書き終わってしまいました。好きなんだなぁ、こういうの。
惜しむらくは福島原発の事故で、これさえ早期に抑えていれば現在よりもずっと被害を軽減することが出来たでしょうが、この原発事故は政府の指導や対応に問題があったというよりは東電の対応や危機管理に問題があったと考えており、一部で東電の言いなりになった管首相が悪いという批判もありますが、首相とはいえ技術的なことにあれこれ口出しするのは私はこれもかえって問題だと考えており、東電の意見を無視してあれこれ管首相が指示していればそれこそ批判の対象だと見ております。
ただこういった災害においては天を恨んでも仕方がないというものの、感情の捌け口がどうしても必要になってきます。そういう意味では政府は理不尽といえども批判を受けねばならない立場であり、また被災者の気持ちを考えると批判をするなとも言えません。あくまで私個人として、現政府の対応はやることはやってくれたという評価をさせてもらいます。
しかしそうした被災者はともかくとして、政府を批判していて奇妙というか腹立だたしいというか、頭にくる存在として野党の自民党の存在があります。一部の批判を聞いていると今回の地震に対する民主党の対応は問題があり、もう一度政権交代をさせて自民党を与党にしなければならないという声をいくらか目にしますが(主に産経を中心に)、そんなのふざけるなと声を大にして私はいいたいです。確かに現民主党もなかなか子供手当てをあきらめないなどアホかと言いたくなるところも数多く存在しますが、それを推しても私は鳩山時代ならともかく今の自民党よりはまだ管首相の方が害が少ないと見ております。
私がどうして今回ここで自民党を批判するのかというと、やはり大メディアの報道を見ていてアレって思うところが多いからです。以前の「石原都知事への自民の許せない公認」の記事でも書きましたが、自民党は神経を疑う不謹慎極まりない発言をしたにもかかわらず片方は非公認にし、もう片方は公認にして選挙を応援しましたが、この自民党のダブルス短ダートについて私がネットを見る限り批判したメディアは存在しませんでした。またこれ以外にも政府から復興支援会議への参加、果てには大連立まで打診されているにもかかわらず今のところ自民党の谷垣総裁ははっきりとした態度を示しておりません。もちろんこれまでの政争もあれば支持者もいるのだしいくら緊急時だからと言ってホイホイ組むわけには行かないという立場はわかりますが、それにしたってここまで邪険にしなくたっていいんじゃないかという気がします。
このような谷垣氏の態度に自民贔屓の産経も業を煮やしたか、とうとうこんな記事まで書かれる始末です。
・首相「菅降ろし封じ」に自信 “クセ球”次々… 搦め捕られる谷垣執行部(産経新聞)
なかなかよくまとまっている記事なのでよければ見てもらいたいのですが、概略を話すと復興での民主党への協力に対して谷垣氏が優柔不断になかなか態度を決めないことから、管降ろしをするはずが自分が総裁を降ろされるような立場になりつつあるのではと書かれてあります。個人的に感心したのは自民党との連立を辞さないとする石破茂氏や小池百合子氏はかつて同じ新進党で活動して痛い目に遭っているだけに小沢氏とは連携を獲りたがらず、小沢一派と一緒に管首相に不信任を突きつけようにも自民党内で意見が割れるだろうと指摘している点です。私もこの考えを支持します。
そんな優柔不断な谷垣氏が今必死になってやっているのは政府批判です。ただその中身を見ると原発事故への対応を責める内容が少なくないのですが、そもそもの話としてあんな危険な場所に原発を建てたのは原発利権にすっかり染まっていた元与党の自民党で、安全対策から何まで不備のまま放ってきた責任を忘れてどうしてこんな批判が出来るのだと聞いてて白々しく感じます。それも戦前は軍国主義を礼賛していたと未だに批判される朝日新聞と違って自民党が与党だったのはわずか二年前で、時間的にも今回の東電の事故は自民党の方が責が重いのではと個人的に思います。
はっきり言いますが、私は谷垣氏というのは正真正銘のクズだと思います。我ながらよくもここまで言い切るなとも思いますが、私はこの人を小泉政権時代から長く見ておりますが最低限の仕事も出来なければ口が軽くて余計なことを口走るわ、よくもこんな人間が議員としてやってけるなと理解が出来ない人物です。差別的だといわれるかもしれませんがそもそも私はこの人の来歴からして嫌いで、確か東大を八年かけて卒業後、七年間定職にもつかず受験勉強し続け司法試験に合格するという立派な経歴には気が遠くなります。今回の連立拒否も、最後まで悩んで小泉首相に「乗るな」と言われてやめたというほど決断が出来ない人らしいですし。
ちなみに自民党内では森元首相などの重鎮議員や石破氏らは連立に前向きと聞きます。考えもなしで連立というのはまた問題ですが、谷垣氏の「管首相の退陣と引き換え」にという条件は私は如何なものかと思うわけです。
久々にブログ(陽月秘話)を始めた当初のように攻撃的な記事になりました。あと意識はしてないもののやはり政治系の記事は書くのが早く、比較的長いのにこれも30分位で書き終わってしまいました。好きなんだなぁ、こういうの。
2011年5月9日月曜日
みかんよりすごい温州商人
本日、管首相の要請を受けて中部電力が浜岡原発停止を承認したことを発表しました。話に聞くとこの浜岡原発は作ることありきで建設が進められ、建設途中で活断層が真下にあることがわかって中途半端に位置を避けようとしたためにかなりいびつな形で建設された原発だそうです。東海大地震が近いうちに発生すると予想されているだけに原発停止はやむを得ず、今回の中部電力の決断には個人的に敬意を表します。
私が見ているとどこも今回の浜岡原発停止を賛同する、もしくはやむを得ないという声が経済界からも数多く寄せられているようですが、なんか経団連の米倉弘昌会長のみが「納得いかない」と不満を呈しているそうです。先の東電の事故についても免責案件だと主張したりと、殴られたダルマみたいな顔してて空気が読めない人だとつくづく感じます。
さてこれで活断層上の原発はひとまず片がついたとほっと一息を尽きたいところですが、実は話を聞いていると日本にはまだ活断層上にある原発はあるそうで、もったいぶらずに言うと愛媛県の伊方原発です。この伊方原発については週刊文春で2P漫画を連載している池田暁子氏(愛媛出身)の漫画で知ったのですが、よりにもよってどうしてこんなところに立てたのかこの点については先人を深く恨みます。それにしてもこの前愛媛の人にこの伊方原発について聞いた時、
「愛媛って給食にポンジュースってでるんですか?」
「一週間に一回くらい出るよ」
と言われ、激しくうらやましい思いをさせられました。
そんな愛媛のみかんときたら温州みかんがブランドとして有名ですが、そもそも温州というのはどこにあるかは知らない人が多いかと思います。この「温州」という字の読みは「うんしゅう」ですが、みかんに冠せられるこの名前の元となった場所は中国浙江省にあるその名も同じ温州市という場所です。ここは昔からみかんの産地として知られてあの三国志でも孫権が曹操に対して贈り物として送るエピソードが出てきます(途中で左慈にパクられるけど)。ただこの温州という地域はみかんはもちろんのこと中国国内では別の方でもっと有名で、一体何で有名なのかというと表題に掲げた温州商人こと温州出身の経済家たちです。
恐らく多くの日本人は商売っ気が強くて才気に富んだ中国人というと現在の中国最大の経済都市である上海を出身とする上海人ではないかと考える人が多いのではと思いますが、これは直接中国人に聞いてみるとすぐさま否定され、かわりに温州商人こそが中国のユダヤ人だよとほぼ100%の確率で教えてもらえます。一体どうして温州商人がそれほど特別視されるのかというと、元々この地域では独立して財を成すことが尊ばれる地域だったらしく、戦前からも蒋介石ら軍閥を資金面から大いにバックアップした浙江財閥と呼ばれる集団を形成していました。
そんな温州商人は現代においても今なお健在で、中国で金持ちといったらその大半が浙江省、それもこの温州市出身だといわれております。実際に高額所得者は浙江省在住者で上位が占められるというのは統計上でも確認されており、日本の秋葉原で電機ジャーを買い占めたり、観光地の土地を買い漁っているのも大概が温州出身者だそうです。
彼ら現代の温州商人の特徴を言うならば、海外志向が強いことが上げられるのではないかと思います。温州商人は中国が改革開放に舵を着替えるや早々に香港など外界へ出て行っては自らの商売を広げようと行動し、それが行過ぎてしまったというべきか一部地域では現地住人との間で軋轢が生まれている地域も存在します。
そのような地域で一番有名なのはなんとイタリアで、話を聞くとイタリアマフィアもびっくりなくらいに温州出身の中国人が現地で裏商売に暗躍していたらしく、イタリア政府もかなり神経を尖らせて温州出身者に対して排他的な態度を取っているそうです。私が今年三月に実際に確認したニュースでも、温州にある中国の地方銀行がイタリアのある都市に支店を出店しようとした所、マネーロンダリングや現地の富が吸い上げられるなどといった理由で、設立直前になってイタリア政府は出店許可を取消したというニュースがありました。
日本で同じように商売に長けた地域というと一般的には大阪が挙げられるかと思いますが、これはうちの親父の持論ですが本当にすごいのは大津商人ではないかという意見もあります。事実私も確認したところ大阪で大成した商人のルーツを辿ると大津こと滋賀県に行き着くことが多く、私もこの説を支持しています。ただ最近だと、竹中平蔵氏や奥田碩氏を輩出した三重県勢のが勢いある気がするけど。
中国においても経済関係だと目立ってしまうのはどうしても上海になりがちですが、現在の上海は東京と同じように昔から上海に住んでいる人と途中で移ってきた人、私のように一時的に住んでいる人とで大部差があります。ちなみに私の見方だと、昔から上海に住んでる人はユーモアに明るくいい意味で図々しいところがある気がします。
最後に日本の温州みかんについて一言。なんでも名称は温州であれども品種上の関連性では温州のみかんとは何の関係もないそうです。よく日本は中国に対して名称をパクるなと言い合っていますが、この点を突かれたら結構痛いのであまり中国人にはこのネタは話さないようにしています。時効ってことで勘弁してくれないかな。
それにしても原発の話題からみかん、温州商人とつなげるあたり、自分らしい記事の書き方だと思います。
私が見ているとどこも今回の浜岡原発停止を賛同する、もしくはやむを得ないという声が経済界からも数多く寄せられているようですが、なんか経団連の米倉弘昌会長のみが「納得いかない」と不満を呈しているそうです。先の東電の事故についても免責案件だと主張したりと、殴られたダルマみたいな顔してて空気が読めない人だとつくづく感じます。
さてこれで活断層上の原発はひとまず片がついたとほっと一息を尽きたいところですが、実は話を聞いていると日本にはまだ活断層上にある原発はあるそうで、もったいぶらずに言うと愛媛県の伊方原発です。この伊方原発については週刊文春で2P漫画を連載している池田暁子氏(愛媛出身)の漫画で知ったのですが、よりにもよってどうしてこんなところに立てたのかこの点については先人を深く恨みます。それにしてもこの前愛媛の人にこの伊方原発について聞いた時、
「愛媛って給食にポンジュースってでるんですか?」
「一週間に一回くらい出るよ」
と言われ、激しくうらやましい思いをさせられました。
そんな愛媛のみかんときたら温州みかんがブランドとして有名ですが、そもそも温州というのはどこにあるかは知らない人が多いかと思います。この「温州」という字の読みは「うんしゅう」ですが、みかんに冠せられるこの名前の元となった場所は中国浙江省にあるその名も同じ温州市という場所です。ここは昔からみかんの産地として知られてあの三国志でも孫権が曹操に対して贈り物として送るエピソードが出てきます(途中で左慈にパクられるけど)。ただこの温州という地域はみかんはもちろんのこと中国国内では別の方でもっと有名で、一体何で有名なのかというと表題に掲げた温州商人こと温州出身の経済家たちです。
恐らく多くの日本人は商売っ気が強くて才気に富んだ中国人というと現在の中国最大の経済都市である上海を出身とする上海人ではないかと考える人が多いのではと思いますが、これは直接中国人に聞いてみるとすぐさま否定され、かわりに温州商人こそが中国のユダヤ人だよとほぼ100%の確率で教えてもらえます。一体どうして温州商人がそれほど特別視されるのかというと、元々この地域では独立して財を成すことが尊ばれる地域だったらしく、戦前からも蒋介石ら軍閥を資金面から大いにバックアップした浙江財閥と呼ばれる集団を形成していました。
そんな温州商人は現代においても今なお健在で、中国で金持ちといったらその大半が浙江省、それもこの温州市出身だといわれております。実際に高額所得者は浙江省在住者で上位が占められるというのは統計上でも確認されており、日本の秋葉原で電機ジャーを買い占めたり、観光地の土地を買い漁っているのも大概が温州出身者だそうです。
彼ら現代の温州商人の特徴を言うならば、海外志向が強いことが上げられるのではないかと思います。温州商人は中国が改革開放に舵を着替えるや早々に香港など外界へ出て行っては自らの商売を広げようと行動し、それが行過ぎてしまったというべきか一部地域では現地住人との間で軋轢が生まれている地域も存在します。
そのような地域で一番有名なのはなんとイタリアで、話を聞くとイタリアマフィアもびっくりなくらいに温州出身の中国人が現地で裏商売に暗躍していたらしく、イタリア政府もかなり神経を尖らせて温州出身者に対して排他的な態度を取っているそうです。私が今年三月に実際に確認したニュースでも、温州にある中国の地方銀行がイタリアのある都市に支店を出店しようとした所、マネーロンダリングや現地の富が吸い上げられるなどといった理由で、設立直前になってイタリア政府は出店許可を取消したというニュースがありました。
日本で同じように商売に長けた地域というと一般的には大阪が挙げられるかと思いますが、これはうちの親父の持論ですが本当にすごいのは大津商人ではないかという意見もあります。事実私も確認したところ大阪で大成した商人のルーツを辿ると大津こと滋賀県に行き着くことが多く、私もこの説を支持しています。ただ最近だと、竹中平蔵氏や奥田碩氏を輩出した三重県勢のが勢いある気がするけど。
中国においても経済関係だと目立ってしまうのはどうしても上海になりがちですが、現在の上海は東京と同じように昔から上海に住んでいる人と途中で移ってきた人、私のように一時的に住んでいる人とで大部差があります。ちなみに私の見方だと、昔から上海に住んでる人はユーモアに明るくいい意味で図々しいところがある気がします。
最後に日本の温州みかんについて一言。なんでも名称は温州であれども品種上の関連性では温州のみかんとは何の関係もないそうです。よく日本は中国に対して名称をパクるなと言い合っていますが、この点を突かれたら結構痛いのであまり中国人にはこのネタは話さないようにしています。時効ってことで勘弁してくれないかな。
それにしても原発の話題からみかん、温州商人とつなげるあたり、自分らしい記事の書き方だと思います。
2011年5月7日土曜日
承久の乱と戊辰戦争
日本史において武士政権が天皇家勢力とガチで戦争をしたのは何度かありますが、対照的といえるのは今回の題となっている鎌倉時代における承久の乱と明治維新期の戊辰戦争でしょう。どちらも状況を違えども幕府勢力と天皇勢力が大きな戦火をまとって対立し、勝った側の勢力が後の実権を握ることとなりますが、具体的にどこが対照的なのかというと当時の幕府勢力を率いた指導者の能力で、トップの差が緊急時の大勢に大きく影響するのを証明する好例だと私は考えております。
まず鎌倉時代の承久の乱ですが、大雑把に当時の状況を説明すると源平合戦を制した鎌倉幕府は一応武士の棟梁としての地位を固めたものの、東国はともかく西国においてはいまだ天皇家の勢力が大きくて全国的な支配者とはまだ呼べない存在でした。しかも折り悪く頼朝の息子の二代将軍頼家、三代将軍実朝ともに夭折し、執権を勤めていた北条家が幕府を指導していたものの支配者の正当性が揺らいだ時期でもありました。
そんな時期に天皇家を率いたのは権謀術数で有名な後白河法皇が、「こいつならまた天皇家を盛り返す」と強く期待していた後鳥羽上皇でした。まだ議論はされてはおりますが私は後鳥羽上皇は初めから鎌倉幕府打倒を考えていたのではなく、源実朝が生きていた頃は真剣に公武合体、もしくは協調路線をとろうとしていたのではないかと思います。というのも後鳥羽上皇と源実朝は和歌を通じて交友があり、もう少し実朝が生きていたらまた違っていたのではないかと思わせる節が多々あるからで、それだけに実朝の暗殺はいろいろときな臭いのですが。
話は戻りますが実朝が夭折した後の鎌倉幕府は当初は皇族から将軍を招き入れようとするものの後鳥羽上皇に拒否され、最終的には摂関家から呼び寄せます。そうした権力の空白期を狙って後鳥羽上皇は幕府追悼の院宣を出したのですが、西国の武士はもちろんのこと、この院宣には元々鎌倉幕府寄りだった東国の武士たちも大いに動揺したと伝えられています。いくらこれまで幕府に仕えてきたとはいえ天皇家の命令とあらばそちら優先せざるを得ない、そうして出方を決めかねている武士団を一挙に幕府方に引き寄せたのは言うまでもなく北条政子です。
皆さんも知っておられるかと思いますが北条政子はこれまで幕府がどれだけ武士の地位の向上に取り組んできたことや、今ここで幕府を潰してしまえばまた元の木阿弥になると懇々と演説し、この政子の演説を受けて東国武士団は一挙に幕府方に馳せ参じたといわれます。また北条政子のほかにも実際に京都への討伐軍を率いた後に三代執権となる北条泰時もまた大した人物で、一旦は出陣するもわざわざ引き返して父親の二代執権北条義時にこう聞いています。
「もし上皇が直接兵を率いてきたらどうしましょうか」
「直ちに弓の弦を切り、鎧を脱いで降伏せよ」
この会話が本当にあったかどうかはわかりませんが私はこの時の両者の会話は率いる武士たちを安心させるためと、戦後処理を見越した上での会話だったと思います。もっともまさか幕府が反抗してくるとは思わず上皇の軍勢はもろくも崩れ去り、院宣を出した後鳥羽上皇は、「側近が勝手に幕府を追悼しようとしたのだ」と言い訳をして早々に降伏を決めております。といっても、負けた後は隠岐に流されちゃうわけだけど。
これに対して明治維新期の江戸幕府を率いた徳川慶喜はというと、確かにウルトラE難度の大技とも言っていい大政奉還を実行したことは大したもんですが、その後鳥羽・伏見の戦いに敗戦するや早々に兵を置いて一人で大阪から江戸に帰ったことは理解し難いです。これによって佐幕派の武士たちも「えぇ(;´Д`)」って思ったそうですし、当時の状況を見るときちんと大阪に残ってしっかり戦ってりゃまだまだいくらでも巻き返せたんじゃないかと思う要素が盛り沢山です。大政奉還を支持した土佐藩はもとより、当時最強のアームストロング砲を自作した佐賀藩(自作については現在疑問視されている)もこの時はまだ態度を決めかねて中立を維持していました。
それこそ慶喜がかつての北条政子さながらに、「これは幕府が望んだ戦争ではなく、薩長が望んだ戦争である」などとギレン・ザビばりに叫んで、天皇家ではなく薩長と戦うのだなどと言ってりゃ薩長を恨んでる藩もいたと思うのに。そうは言いつつも、藤堂高虎に始まる津藩は史実通りに真っ先に裏切りそうだけど。鳥羽・伏見の戦いでは幕府側として出陣しておきながらいきなり幕府軍を砲撃する始末だし。
私は組織というのは必ずしもトップの力で決まるわけじゃなく、むしろ日本人の性格からして末端の実行部隊の優秀さが優劣を決めると考えてはおりますが、いざという時のトップの力量の差は追い込まれた状況を決定的にしてしまうということをこの二つのエピソードは語っております。現在日本でトップというと管首相と東電の清水社長が槍玉に挙げられやすいですが、管首相はともかくとして東電の社長なんかどれだけ功績挙げても名前も顔もテレビに映らないのに対して、こう不祥事や事故が起きるや連日連夜報道されるというのはなかなか考えさせられます。あとどうでもいい私の推量ですが、地震発生から最初の数週間は清水社長は過労で入院していたとして表に出てきませんでしたが、私は実際には入院じゃなくて謝罪会見でのコンサルタントを受けていたんじゃないかと勘ぐってます。なんていうか、復帰後のお辞儀の仕方が様になっているような。
まず鎌倉時代の承久の乱ですが、大雑把に当時の状況を説明すると源平合戦を制した鎌倉幕府は一応武士の棟梁としての地位を固めたものの、東国はともかく西国においてはいまだ天皇家の勢力が大きくて全国的な支配者とはまだ呼べない存在でした。しかも折り悪く頼朝の息子の二代将軍頼家、三代将軍実朝ともに夭折し、執権を勤めていた北条家が幕府を指導していたものの支配者の正当性が揺らいだ時期でもありました。
そんな時期に天皇家を率いたのは権謀術数で有名な後白河法皇が、「こいつならまた天皇家を盛り返す」と強く期待していた後鳥羽上皇でした。まだ議論はされてはおりますが私は後鳥羽上皇は初めから鎌倉幕府打倒を考えていたのではなく、源実朝が生きていた頃は真剣に公武合体、もしくは協調路線をとろうとしていたのではないかと思います。というのも後鳥羽上皇と源実朝は和歌を通じて交友があり、もう少し実朝が生きていたらまた違っていたのではないかと思わせる節が多々あるからで、それだけに実朝の暗殺はいろいろときな臭いのですが。
話は戻りますが実朝が夭折した後の鎌倉幕府は当初は皇族から将軍を招き入れようとするものの後鳥羽上皇に拒否され、最終的には摂関家から呼び寄せます。そうした権力の空白期を狙って後鳥羽上皇は幕府追悼の院宣を出したのですが、西国の武士はもちろんのこと、この院宣には元々鎌倉幕府寄りだった東国の武士たちも大いに動揺したと伝えられています。いくらこれまで幕府に仕えてきたとはいえ天皇家の命令とあらばそちら優先せざるを得ない、そうして出方を決めかねている武士団を一挙に幕府方に引き寄せたのは言うまでもなく北条政子です。
皆さんも知っておられるかと思いますが北条政子はこれまで幕府がどれだけ武士の地位の向上に取り組んできたことや、今ここで幕府を潰してしまえばまた元の木阿弥になると懇々と演説し、この政子の演説を受けて東国武士団は一挙に幕府方に馳せ参じたといわれます。また北条政子のほかにも実際に京都への討伐軍を率いた後に三代執権となる北条泰時もまた大した人物で、一旦は出陣するもわざわざ引き返して父親の二代執権北条義時にこう聞いています。
「もし上皇が直接兵を率いてきたらどうしましょうか」
「直ちに弓の弦を切り、鎧を脱いで降伏せよ」
この会話が本当にあったかどうかはわかりませんが私はこの時の両者の会話は率いる武士たちを安心させるためと、戦後処理を見越した上での会話だったと思います。もっともまさか幕府が反抗してくるとは思わず上皇の軍勢はもろくも崩れ去り、院宣を出した後鳥羽上皇は、「側近が勝手に幕府を追悼しようとしたのだ」と言い訳をして早々に降伏を決めております。といっても、負けた後は隠岐に流されちゃうわけだけど。
これに対して明治維新期の江戸幕府を率いた徳川慶喜はというと、確かにウルトラE難度の大技とも言っていい大政奉還を実行したことは大したもんですが、その後鳥羽・伏見の戦いに敗戦するや早々に兵を置いて一人で大阪から江戸に帰ったことは理解し難いです。これによって佐幕派の武士たちも「えぇ(;´Д`)」って思ったそうですし、当時の状況を見るときちんと大阪に残ってしっかり戦ってりゃまだまだいくらでも巻き返せたんじゃないかと思う要素が盛り沢山です。大政奉還を支持した土佐藩はもとより、当時最強のアームストロング砲を自作した佐賀藩(自作については現在疑問視されている)もこの時はまだ態度を決めかねて中立を維持していました。
それこそ慶喜がかつての北条政子さながらに、「これは幕府が望んだ戦争ではなく、薩長が望んだ戦争である」などとギレン・ザビばりに叫んで、天皇家ではなく薩長と戦うのだなどと言ってりゃ薩長を恨んでる藩もいたと思うのに。そうは言いつつも、藤堂高虎に始まる津藩は史実通りに真っ先に裏切りそうだけど。鳥羽・伏見の戦いでは幕府側として出陣しておきながらいきなり幕府軍を砲撃する始末だし。
私は組織というのは必ずしもトップの力で決まるわけじゃなく、むしろ日本人の性格からして末端の実行部隊の優秀さが優劣を決めると考えてはおりますが、いざという時のトップの力量の差は追い込まれた状況を決定的にしてしまうということをこの二つのエピソードは語っております。現在日本でトップというと管首相と東電の清水社長が槍玉に挙げられやすいですが、管首相はともかくとして東電の社長なんかどれだけ功績挙げても名前も顔もテレビに映らないのに対して、こう不祥事や事故が起きるや連日連夜報道されるというのはなかなか考えさせられます。あとどうでもいい私の推量ですが、地震発生から最初の数週間は清水社長は過労で入院していたとして表に出てきませんでしたが、私は実際には入院じゃなくて謝罪会見でのコンサルタントを受けていたんじゃないかと勘ぐってます。なんていうか、復帰後のお辞儀の仕方が様になっているような。
2011年5月6日金曜日
ビンラディンの死について
大分時期が経ってすでに今更という感じもしないまでもありませんが、一応国際政治がメインのブログということもあるので記事を書かせてもらいます。すでに各所で報道されているように、先週日曜にニューヨーク同時多発テロの首謀者であり国際テロ組織アルカイダの首領であったオサマ・ビンラディンが米軍の特殊部隊によって殺害されたと報じられました。この事実はアメリカのオバマ大統領も正式に発表しており、また事件後にアルカイダらが「ビンラディン生存」との声明を発表しないことからほぼ間違いないものかと思われます。
今回このビンラディン殺害のニュースを受けて真っ先に頭に浮かんだのは、恐らくイギリスに配慮して作戦の実行日を決めたのだろうということでした。というのも作戦が実行された前日土曜日にはウィリアム王子の結婚式があり、ロンドンでは王室へのテロを警戒して厳戒態勢が敷かれていましたが、仮に結婚式以前に殺害を実行していたらアルカイダなどからの報復テロがこの結婚式に向かう恐れがあるため敢えてこの結婚式の後こと翌日に作戦を実行したのだろうと私は考えました。
この次に私が考えたのは、何故生け捕らずに即殺害したかということです。かつてのイラクのフセイン大統領の際は生け捕りにして裁判を実施したことを考えるとちょっと差を感じてしまいますが、突入時の状況と潜伏地がパキスタンだったということ、スパッと決めた方が後々の影響がいいなどという理由で恐らく始めから発見即殺害が命令されていたかと思います。現在このビンラディンの殺害について、彼は降伏していたなどや、抵抗をしていたからなどと正当性について議論されていますが、お互いそういう世界にいる人間同士なんだから殺す殺さないでいちいち議論するのはやや不毛な気がします。メキシコとかでは市民が死んでも一桁ではニュースにならないんだし。
そうした雑感の上に今後のテロとの戦いはどうなるかという予想についてですが、これについては他の評論家もオバマ大統領も口にしているように今回のビンラディンの死はあくまで通過点に過ぎず、今後も厳しい戦いが続くかと思われます。さすがに指導者を失ったアルカイダは痛手は痛手でしょうが、もともとこういったテロ組織というのはトップダウンの号令一下で動くような組織ではなく細かい集団が寄り集まってそれぞれ個別に動くことが多く、実質ビンラディン氏も近年はあまり指示や指導をしていなかったとも言われております。すでに報復と見られる自爆テロが中東で発生しているように今後もアルカイダを初めとしたテロ集団の活動が続くでしょうが、ただそれでも象徴ともいえるビンラディン氏の死は米国にとって大きな成果とは言えるでしょう。
それと多少今回の内容から少し外れるかもしれませんが以前に作家の塩野七生氏がコラムに書いてた話で、アメリカが何故他国から憎まれるのかというと他国への出兵とか独善的な態度などといったそういったものではなく、九割以上は世界で一番金持ちな国への嫉妬にあると塩野氏の知り合いが言ったそうです。それを引用して塩野氏は、そういえば東洋にも他国に散々ODAを払っておきながら全く感謝されないどころか、むしろそのODAを最大限享受している国から憎まれている国があると書き、ただお金を配るという援助の仕方ではかえって反発を生みかねないとまとめていました。
時期にして約七年位前のコラムですが、実は今回の東日本大震災を受けて何故だか急にこの話を思い出した矢先でした。今回の震災を受けて日本は本当にいろんな国から援助をいただき、先人の行為がこうして返って来たのだと日本人として誇りに思うとともに援助をしてくれた国には深く感謝の気持ちを覚えたのですが、自分でも小汚く思いますが中国や韓国なんかはそれこそ日本が大打撃を受けたからこそ変な嫉妬をなくして援助してくれたのではないかと訝る気持ちもありました。それを推しても、感謝に絶えない援助であったことに間違いありませんが。
嫉妬というと一般的には男女間で発生する感情だと思われがちですが、実際には同姓間の方が多いのではないかと思います。特に男の嫉妬は見苦しいことこの上なく、佐藤優氏なんかも外務省内の嫉妬の嵐には辟易したなどと何度も書いているほどです。私自身はこれまで嫉妬の対象となることはほとんどありませんでしたが、学生時代にお金がなくて食事にも事欠く有様だった頃にコンパに出かけるほかの学生を見た際には情けない限りですがそのようなみっともない感情を覚えたことがあります。
もちろん嫉妬する人間の方が問題あるに決まってますが、多かれ少なかれそのような人間はどこにでも存在するもので、余計な恨みを買わないためには人に見えないところで贅沢をするというのは一つの選択だと思います。国際社会ではそれも難しいですが、お金があるように見せる援助は逆効果になりかねないことは肝に銘じておいたほうがいいかもしれません。それともう一つ、テロという言葉は英語のTerrorという恐怖という言葉が語源ですが、実際にはここで書いた嫉妬の感情の方が底深いんじゃないかなぁという気がします。
今回このビンラディン殺害のニュースを受けて真っ先に頭に浮かんだのは、恐らくイギリスに配慮して作戦の実行日を決めたのだろうということでした。というのも作戦が実行された前日土曜日にはウィリアム王子の結婚式があり、ロンドンでは王室へのテロを警戒して厳戒態勢が敷かれていましたが、仮に結婚式以前に殺害を実行していたらアルカイダなどからの報復テロがこの結婚式に向かう恐れがあるため敢えてこの結婚式の後こと翌日に作戦を実行したのだろうと私は考えました。
この次に私が考えたのは、何故生け捕らずに即殺害したかということです。かつてのイラクのフセイン大統領の際は生け捕りにして裁判を実施したことを考えるとちょっと差を感じてしまいますが、突入時の状況と潜伏地がパキスタンだったということ、スパッと決めた方が後々の影響がいいなどという理由で恐らく始めから発見即殺害が命令されていたかと思います。現在このビンラディンの殺害について、彼は降伏していたなどや、抵抗をしていたからなどと正当性について議論されていますが、お互いそういう世界にいる人間同士なんだから殺す殺さないでいちいち議論するのはやや不毛な気がします。メキシコとかでは市民が死んでも一桁ではニュースにならないんだし。
そうした雑感の上に今後のテロとの戦いはどうなるかという予想についてですが、これについては他の評論家もオバマ大統領も口にしているように今回のビンラディンの死はあくまで通過点に過ぎず、今後も厳しい戦いが続くかと思われます。さすがに指導者を失ったアルカイダは痛手は痛手でしょうが、もともとこういったテロ組織というのはトップダウンの号令一下で動くような組織ではなく細かい集団が寄り集まってそれぞれ個別に動くことが多く、実質ビンラディン氏も近年はあまり指示や指導をしていなかったとも言われております。すでに報復と見られる自爆テロが中東で発生しているように今後もアルカイダを初めとしたテロ集団の活動が続くでしょうが、ただそれでも象徴ともいえるビンラディン氏の死は米国にとって大きな成果とは言えるでしょう。
それと多少今回の内容から少し外れるかもしれませんが以前に作家の塩野七生氏がコラムに書いてた話で、アメリカが何故他国から憎まれるのかというと他国への出兵とか独善的な態度などといったそういったものではなく、九割以上は世界で一番金持ちな国への嫉妬にあると塩野氏の知り合いが言ったそうです。それを引用して塩野氏は、そういえば東洋にも他国に散々ODAを払っておきながら全く感謝されないどころか、むしろそのODAを最大限享受している国から憎まれている国があると書き、ただお金を配るという援助の仕方ではかえって反発を生みかねないとまとめていました。
時期にして約七年位前のコラムですが、実は今回の東日本大震災を受けて何故だか急にこの話を思い出した矢先でした。今回の震災を受けて日本は本当にいろんな国から援助をいただき、先人の行為がこうして返って来たのだと日本人として誇りに思うとともに援助をしてくれた国には深く感謝の気持ちを覚えたのですが、自分でも小汚く思いますが中国や韓国なんかはそれこそ日本が大打撃を受けたからこそ変な嫉妬をなくして援助してくれたのではないかと訝る気持ちもありました。それを推しても、感謝に絶えない援助であったことに間違いありませんが。
嫉妬というと一般的には男女間で発生する感情だと思われがちですが、実際には同姓間の方が多いのではないかと思います。特に男の嫉妬は見苦しいことこの上なく、佐藤優氏なんかも外務省内の嫉妬の嵐には辟易したなどと何度も書いているほどです。私自身はこれまで嫉妬の対象となることはほとんどありませんでしたが、学生時代にお金がなくて食事にも事欠く有様だった頃にコンパに出かけるほかの学生を見た際には情けない限りですがそのようなみっともない感情を覚えたことがあります。
もちろん嫉妬する人間の方が問題あるに決まってますが、多かれ少なかれそのような人間はどこにでも存在するもので、余計な恨みを買わないためには人に見えないところで贅沢をするというのは一つの選択だと思います。国際社会ではそれも難しいですが、お金があるように見せる援助は逆効果になりかねないことは肝に銘じておいたほうがいいかもしれません。それともう一つ、テロという言葉は英語のTerrorという恐怖という言葉が語源ですが、実際にはここで書いた嫉妬の感情の方が底深いんじゃないかなぁという気がします。
2011年5月5日木曜日
気になる物価
日本での連休中は親父の相手をしていて、昨日になって久しぶりに自分の下宿へと戻ってきました。何人かから部屋の写真などをブログ上にアップして欲しいと連絡受けることがありますが、多分有り得ないと思うけど細かい住所とか特定されると後々面倒なのでまだ見合わせることにします。もっともそんな気にしなくとも、上海なら日本人が多いので特定の仕様がないでしょうか念のため。
さてそういう復帰第一弾の今日ですが、あまり固いこと書いても仕方ないので最近の食生活について書こうかと思います。さっさと買えばいいものをまだ炊飯器とか買ってないので今のところはすべて外食で済ましていますが、普段よく食べに行くのはローカルの食堂で、大体11元(132円)の定食みたいなのを食べています。このほか7元(84円)のラーメンとかチャーハンとかあって、こういった話をするとよく日本の友人らからはそんなに中国の物価は安いのかと驚かれることが多いです。
ただ中国の物価は確かにこうした食品とかインフラなど最低限生きていく上では安いことが多いですが、変なものが高かったりして消費する際には戸惑いを覚えることが多いです。たとえば地下鉄なんかは近い距離は片道3元(36円)で、昨年開通した時速350キロで走る高速鉄道こと新幹線で(やけに親父が感動してた)上海―杭州間だったら、片道は82元(1200円)です。
こうした安くで消費できるものあればもちろん高いものもあるわけですが、最近自分が直接買ったもので心情的に複雑になったのはハーゲンダッツのアイスでした。なんとその価格は30元(360円)で日本で売っている値段と全く変わらず、三個買ったら新幹線にも乗れることを考えるといろいろ複雑になりました。同様にコーヒーもスターバックスや喫茶店で購入すると20元(240円)かかり、こちらもコーヒー一杯で一食食えると考えると果たして買っていいものかと悩んだりします。
なお食事でもちゃんとしたところに行けばもちろん値段も上がり、中華系レストランでも20~30元は決して珍しくありません。むしろ私のように10元かそこいらで毎日食事しているほうが日本人としては珍しい部類に入るかと思います。では日本食レストランはどんなものかというと、最近自分が通っている焼肉料理店だと昼のランチは25~35元くらいでいろんなものの中から選べます。これはこれで確かに助かるものの、日本食というのだからもっと高くないのではないかと感じてしまう安さです。ただ吉野家についてはコーラとかがついて大体20元(240円)くらいで、なんか大差ないような気がしてあまり中国では食べる気がしません。
さてそういう復帰第一弾の今日ですが、あまり固いこと書いても仕方ないので最近の食生活について書こうかと思います。さっさと買えばいいものをまだ炊飯器とか買ってないので今のところはすべて外食で済ましていますが、普段よく食べに行くのはローカルの食堂で、大体11元(132円)の定食みたいなのを食べています。このほか7元(84円)のラーメンとかチャーハンとかあって、こういった話をするとよく日本の友人らからはそんなに中国の物価は安いのかと驚かれることが多いです。
ただ中国の物価は確かにこうした食品とかインフラなど最低限生きていく上では安いことが多いですが、変なものが高かったりして消費する際には戸惑いを覚えることが多いです。たとえば地下鉄なんかは近い距離は片道3元(36円)で、昨年開通した時速350キロで走る高速鉄道こと新幹線で(やけに親父が感動してた)上海―杭州間だったら、片道は82元(1200円)です。
こうした安くで消費できるものあればもちろん高いものもあるわけですが、最近自分が直接買ったもので心情的に複雑になったのはハーゲンダッツのアイスでした。なんとその価格は30元(360円)で日本で売っている値段と全く変わらず、三個買ったら新幹線にも乗れることを考えるといろいろ複雑になりました。同様にコーヒーもスターバックスや喫茶店で購入すると20元(240円)かかり、こちらもコーヒー一杯で一食食えると考えると果たして買っていいものかと悩んだりします。
なお食事でもちゃんとしたところに行けばもちろん値段も上がり、中華系レストランでも20~30元は決して珍しくありません。むしろ私のように10元かそこいらで毎日食事しているほうが日本人としては珍しい部類に入るかと思います。では日本食レストランはどんなものかというと、最近自分が通っている焼肉料理店だと昼のランチは25~35元くらいでいろんなものの中から選べます。これはこれで確かに助かるものの、日本食というのだからもっと高くないのではないかと感じてしまう安さです。ただ吉野家についてはコーラとかがついて大体20元(240円)くらいで、なんか大差ないような気がしてあまり中国では食べる気がしません。
2011年4月29日金曜日
台湾に来る韓国人留学生
先日台湾に留学経験のある方と話をした際に、妙な情報を耳にしました。
「台湾に来る韓国人留学生は、九割以上と言ってもいいほどみんな統一教会なんですよ」
その話をしてくれた方はどうしてかまでは知りませんでしたが、この話を聞いてすぐ私は統一教会の反共主義が影響しているのではと返答しました。確実な根拠はありませんが、恐らくこの考え方で間違いはないと思います。
・世界基督教統一神霊協会(統一教会)
統一教会というと最近の日本では話題になることは少なくなりましたが、一時期は霊感商法といって高い壷などを売りつける違反商法が社会問題化し、一定の世代から上からはカルト教団として認知されていることが多いかと思います。
統一教会について簡単に説明すると、韓国の文鮮明氏がイエスから教示を受け、神の啓示を誤った方向に解釈した現行のキリスト教を改めて正しい教えを広めるために結成されました。結成時期をいつにするかは議論の余地がありますが文氏が戦前に啓示を受けたと主張しているのでそこからのスタートにするとそこそこ年期は積んでいるということになるのですが、文氏がまだ存命ってのかちょっと驚きました。今年で91歳だろ。
名称の統一教会というのはその名の通りに世界のキリスト教宗派を文氏の教えに統一するという教義からつけられたもので、そのせいか世界で主流のキリスト教宗派とは仲が悪く、また日本では前述の霊感商法から有名芸能人も参加した霊感商法などの社会問題を起こしたことと、オウム事件の影響も受けてあまり表では話題にしにくい存在です。
話は本題に戻して何故台湾に来る韓国人留学生に統一教会信者が多いのかですが、まず韓国は日本同様に近年中国語の需要が高まっており、中国語を学びにくる留学生数は日本人を凌いでナンバー1です。ただそうやって中国語を学びに来る韓国人の大半は大陸の方の北京とか上海に来ることが多く、こちらも日本人同様に台湾に留学するというのははっきり言ってレアな部類もいいところです。
ではそんなレアな部類の韓国人留学生がどうしてほぼみんな統一教会信者なのか、私はその理由を統一教会の反共主義が影響していると見ました。統一教会というのは単なる一信仰宗教団体にとどまらず様々な事業を起こして韓国に統一グループという準財閥団体ともいえる企業群を持っており、また政界にも日本のどっかの党同様に早くから接触を強めて相当の人脈作り上げてきたのですが、政界関係で特筆すべき点は反共主義を掲げてきたことです。
統一教会については専門的に勉強したことがないのでどういった経緯で反共主義を持つようになったかまではわからないのですが、恐らく韓国における北朝鮮の存在と、共産主義が宗教を否定したことが原因だと思います。どちらにしろ統一教会はかなり早期から反共路線を歩んで1968年には日韓で勝共連合という団体も立ち上げており、多数の信者を抱えていたことから利害が一致した日韓の資本主義陣営の政治家と強い結びつきを持っていきました。そんな統一教会と関わりの深かった議員でとりわけ有名なのとなると岸信介で、どうも彼については家族ぐるみで交流があったと思われる節があって孫の安倍晋三氏は未だに深く関わっているという噂を本当にあちこちで聞きます。
私が思うに統一教会信者は、このような反共主義路線ゆえに中国語を学ぶための留学先を敢えて共産主義の大陸にせず、資本主義の台湾にしているのではないかと思います。別に台湾だからといって何か支障があるわけでなくちゃんとした中国語を学ぶことが可能ですが、日本人だからかもしれませんが今時政治的イデオロギーで動く人もいるんだなぁと妙に関心をしました。
ちなみに私は社会学をやっていた関係で宗教関係の知識は人並み以上にあると自負しております。信仰は特にこれといったものを持ってはいませんが学校がミッション系だったのでプロテスタント系キリスト教の影響を強く受けているところがあり、日本の仏教も嫌いじゃありませんが友人とはよく「般若湯、般若湯!(゚∀゚)」などと言うことのが多いです。
統一教会はこれまであまり調べたことがなかったので今度あたり詳しい友人にレクチャーしてもらおうかなと考えていますが、以前に軽く調べた時は下記の様な文鮮明氏がキリストから啓示を受けた時の話が非常に印象に残りました。
「霊的に現れたイエス・キリストはその時、ヘブライ語なまりの韓国語で話した」
そこそこ笑いは取れると思います。まぁ吉本だったら一回こっきりのネタに終わるだろうけど。
あと明日、明後日は私用で出かけるのでブログはお休みです。でかけるったって上海に来る親父の相手だけど。
「台湾に来る韓国人留学生は、九割以上と言ってもいいほどみんな統一教会なんですよ」
その話をしてくれた方はどうしてかまでは知りませんでしたが、この話を聞いてすぐ私は統一教会の反共主義が影響しているのではと返答しました。確実な根拠はありませんが、恐らくこの考え方で間違いはないと思います。
・世界基督教統一神霊協会(統一教会)
統一教会というと最近の日本では話題になることは少なくなりましたが、一時期は霊感商法といって高い壷などを売りつける違反商法が社会問題化し、一定の世代から上からはカルト教団として認知されていることが多いかと思います。
統一教会について簡単に説明すると、韓国の文鮮明氏がイエスから教示を受け、神の啓示を誤った方向に解釈した現行のキリスト教を改めて正しい教えを広めるために結成されました。結成時期をいつにするかは議論の余地がありますが文氏が戦前に啓示を受けたと主張しているのでそこからのスタートにするとそこそこ年期は積んでいるということになるのですが、文氏がまだ存命ってのかちょっと驚きました。今年で91歳だろ。
名称の統一教会というのはその名の通りに世界のキリスト教宗派を文氏の教えに統一するという教義からつけられたもので、そのせいか世界で主流のキリスト教宗派とは仲が悪く、また日本では前述の霊感商法から有名芸能人も参加した霊感商法などの社会問題を起こしたことと、オウム事件の影響も受けてあまり表では話題にしにくい存在です。
話は本題に戻して何故台湾に来る韓国人留学生に統一教会信者が多いのかですが、まず韓国は日本同様に近年中国語の需要が高まっており、中国語を学びにくる留学生数は日本人を凌いでナンバー1です。ただそうやって中国語を学びに来る韓国人の大半は大陸の方の北京とか上海に来ることが多く、こちらも日本人同様に台湾に留学するというのははっきり言ってレアな部類もいいところです。
ではそんなレアな部類の韓国人留学生がどうしてほぼみんな統一教会信者なのか、私はその理由を統一教会の反共主義が影響していると見ました。統一教会というのは単なる一信仰宗教団体にとどまらず様々な事業を起こして韓国に統一グループという準財閥団体ともいえる企業群を持っており、また政界にも日本のどっかの党同様に早くから接触を強めて相当の人脈作り上げてきたのですが、政界関係で特筆すべき点は反共主義を掲げてきたことです。
統一教会については専門的に勉強したことがないのでどういった経緯で反共主義を持つようになったかまではわからないのですが、恐らく韓国における北朝鮮の存在と、共産主義が宗教を否定したことが原因だと思います。どちらにしろ統一教会はかなり早期から反共路線を歩んで1968年には日韓で勝共連合という団体も立ち上げており、多数の信者を抱えていたことから利害が一致した日韓の資本主義陣営の政治家と強い結びつきを持っていきました。そんな統一教会と関わりの深かった議員でとりわけ有名なのとなると岸信介で、どうも彼については家族ぐるみで交流があったと思われる節があって孫の安倍晋三氏は未だに深く関わっているという噂を本当にあちこちで聞きます。
私が思うに統一教会信者は、このような反共主義路線ゆえに中国語を学ぶための留学先を敢えて共産主義の大陸にせず、資本主義の台湾にしているのではないかと思います。別に台湾だからといって何か支障があるわけでなくちゃんとした中国語を学ぶことが可能ですが、日本人だからかもしれませんが今時政治的イデオロギーで動く人もいるんだなぁと妙に関心をしました。
ちなみに私は社会学をやっていた関係で宗教関係の知識は人並み以上にあると自負しております。信仰は特にこれといったものを持ってはいませんが学校がミッション系だったのでプロテスタント系キリスト教の影響を強く受けているところがあり、日本の仏教も嫌いじゃありませんが友人とはよく「般若湯、般若湯!(゚∀゚)」などと言うことのが多いです。
統一教会はこれまであまり調べたことがなかったので今度あたり詳しい友人にレクチャーしてもらおうかなと考えていますが、以前に軽く調べた時は下記の様な文鮮明氏がキリストから啓示を受けた時の話が非常に印象に残りました。
「霊的に現れたイエス・キリストはその時、ヘブライ語なまりの韓国語で話した」
そこそこ笑いは取れると思います。まぁ吉本だったら一回こっきりのネタに終わるだろうけど。
あと明日、明後日は私用で出かけるのでブログはお休みです。でかけるったって上海に来る親父の相手だけど。
2011年4月28日木曜日
各時代における庶民の生活
このごろ歴史系の記事が減っているのでちょっと補充とばかりに一本入れときます。
さて歴史漫画では大きな歴史の動きを紹介するとともによく庶民の生活風景も描かれていますが、実際のところ過去の庶民生活の実態というのはほとんどわからないそうです。基本的に歴史資料というものは大名や天皇といったビッグネームな人たちについてはいろいろまとめられているものの、一般庶民についてはその風俗から食生活まで書かれたものはまったくと言っていいほどなく、なんと江戸時代においてすらも首都であった江戸町人の生活を除けばあまりわかっていません。
そういったあまり調査が進んでいなかったという背景から、言い方は悪くなりますがこれまで社会主義思想の強い人間が結構好き勝手なことを教育現場に吹き込み、昭和に至るまで日本の一般庶民はずっと支配階級に虐げられたなどと実証もないくせに教えられてきました。特に江戸時代については幕府が厳しく統制したとして、まだ教えているのかまでは知りませんが私が小学生だった頃は名前も忘れましたが農民を統制するため五つの指針を出したとして、やれ酒を飲むなとか夜は縄を結わえだとか、実態から非常にかけ離れたことがかなり平気で教えられていました。
では現実の江戸時代の農民の生活ですが、社会保障が弱かったために飢饉が起こった時は非常に厳しかったものの、作柄が平穏だった年は当時の他国と比べても裕福な生活だったのではないかという説が近年強まっています。特にそれを強く表すエピソードとしては開国後に日本にやってきた外国公使達の記録で、イギリス人のオールコックが書いた「大君の都」では、
「我々は野蛮な民族に文明を教えるつもりでこの国にやってきたが、日本の国の住民らは上から下まで皆幸福そうに生活を送っており、これほど貧富のない国は今まで見たことがない。彼らを見ていると、我々が文明を教えて現在の彼らの生活を変えてしまうのは間違っているのではないかとすら思う時がある」
などといった内容の記述を残しております。
もっとも農民の生活も地域によって非常に差があったとされ、米所とされていた地域と本来は石高に加えない雑穀を加えて無理やり公称90万石としていた薩摩藩とでは暮らしぶりは全然違っていたでしょう。ただ全体的に言って、江戸時代の農民はこれまで教えられていた内容ほど悲惨な生活は送っていないものと私は考えております。
では江戸時代以外はどうかとなると、恐らくこの辺となるともはや全くわからないというか史料がないのが実情です。時代劇とかで庶民もいろいろと描かれるものの、まだ服装とかならともかく生活実態は史料が全くないため実証的な内容はほぼ皆無です。奈良、平安時代に至っては万葉集とか貧窮問答歌で歌われているようなものしかないように思え、そこで書かれている悲惨な暮らしぶりが一般のイメージになっているような気がします。
ただ奈良時代はともかく、平安時代の一般庶民の生活は非常に苦しかったのではないかとこちらも勝手に推量してます。何故かというと当時は平将門の乱を筆頭に反乱が相次いでおり、また菅原道真の祟りなど異常気象を連想させるような事件が数多く散見され、天候不順や平均気温の低下による飢饉が頻発していたのではないかと見ています。確証はありませんが。
個人的に一番興味があるのは鎌倉時代の生活で、地方武士を含めどんな生活が送られていたのかをいろいろ知りたいです。私は日本史全体における特別な時代というのは明治から昭和前期と、この鎌倉時代だと見ており、金と暇があれば専門的に研究をしてみたいくらいです。何故鎌倉時代が特殊な時代なのかですが、また機会があれば紹介します。
さて歴史漫画では大きな歴史の動きを紹介するとともによく庶民の生活風景も描かれていますが、実際のところ過去の庶民生活の実態というのはほとんどわからないそうです。基本的に歴史資料というものは大名や天皇といったビッグネームな人たちについてはいろいろまとめられているものの、一般庶民についてはその風俗から食生活まで書かれたものはまったくと言っていいほどなく、なんと江戸時代においてすらも首都であった江戸町人の生活を除けばあまりわかっていません。
そういったあまり調査が進んでいなかったという背景から、言い方は悪くなりますがこれまで社会主義思想の強い人間が結構好き勝手なことを教育現場に吹き込み、昭和に至るまで日本の一般庶民はずっと支配階級に虐げられたなどと実証もないくせに教えられてきました。特に江戸時代については幕府が厳しく統制したとして、まだ教えているのかまでは知りませんが私が小学生だった頃は名前も忘れましたが農民を統制するため五つの指針を出したとして、やれ酒を飲むなとか夜は縄を結わえだとか、実態から非常にかけ離れたことがかなり平気で教えられていました。
では現実の江戸時代の農民の生活ですが、社会保障が弱かったために飢饉が起こった時は非常に厳しかったものの、作柄が平穏だった年は当時の他国と比べても裕福な生活だったのではないかという説が近年強まっています。特にそれを強く表すエピソードとしては開国後に日本にやってきた外国公使達の記録で、イギリス人のオールコックが書いた「大君の都」では、
「我々は野蛮な民族に文明を教えるつもりでこの国にやってきたが、日本の国の住民らは上から下まで皆幸福そうに生活を送っており、これほど貧富のない国は今まで見たことがない。彼らを見ていると、我々が文明を教えて現在の彼らの生活を変えてしまうのは間違っているのではないかとすら思う時がある」
などといった内容の記述を残しております。
もっとも農民の生活も地域によって非常に差があったとされ、米所とされていた地域と本来は石高に加えない雑穀を加えて無理やり公称90万石としていた薩摩藩とでは暮らしぶりは全然違っていたでしょう。ただ全体的に言って、江戸時代の農民はこれまで教えられていた内容ほど悲惨な生活は送っていないものと私は考えております。
では江戸時代以外はどうかとなると、恐らくこの辺となるともはや全くわからないというか史料がないのが実情です。時代劇とかで庶民もいろいろと描かれるものの、まだ服装とかならともかく生活実態は史料が全くないため実証的な内容はほぼ皆無です。奈良、平安時代に至っては万葉集とか貧窮問答歌で歌われているようなものしかないように思え、そこで書かれている悲惨な暮らしぶりが一般のイメージになっているような気がします。
ただ奈良時代はともかく、平安時代の一般庶民の生活は非常に苦しかったのではないかとこちらも勝手に推量してます。何故かというと当時は平将門の乱を筆頭に反乱が相次いでおり、また菅原道真の祟りなど異常気象を連想させるような事件が数多く散見され、天候不順や平均気温の低下による飢饉が頻発していたのではないかと見ています。確証はありませんが。
個人的に一番興味があるのは鎌倉時代の生活で、地方武士を含めどんな生活が送られていたのかをいろいろ知りたいです。私は日本史全体における特別な時代というのは明治から昭和前期と、この鎌倉時代だと見ており、金と暇があれば専門的に研究をしてみたいくらいです。何故鎌倉時代が特殊な時代なのかですが、また機会があれば紹介します。
2011年4月27日水曜日
中国における今後の二世問題
なんかソニーのPSNで情報が漏洩したとニュースになってますが、実は私もPS3で登録していて、今回初めて被情報流出者の仲間入りしました。もっとも特別変な買い物とかしてたわけじゃないないし、クレジットカードも限度額を低く設定しているので不正利用されてもソニーがきちんと補償してくれるのであればあまり気になりません。プライバシーの感覚も多分ほかの人と違うだろうし。
そうした私事は置いといて本題に入りますが、今日は久々に自分で加工した情報を書きます。結論から書くと、中国の今後十年くらいにおける最大の戦いは二世問題になるのではないかと私は見ております。
二世問題とは何かというと、単純に実力や努力ではなく親の権威による世襲などによって本来その地位に相応しくない実力不足の人間が高い地位について混乱を引き起こすことです。中国のことを心配している場合でなく日本でもこの問題は政界において結構深刻ではありますが、日本の場合は安倍元首相以降の経験を経てようやく弊害に関して注目が集まるようになり、地方選挙を筆頭にこれまででは考えられない選挙戦が展開されるなどしてようやく脱却しつつあるのではないかと私は見ています。
それではどうしてこれから中国で二世問題が大きくなるのかですが、先に言っておくと現在の中国を切り盛りしている各界のリーダーたちは正真正銘、自分の実力で現在の地位を勝ち取った叩き上げによるエリートばかりです。はっきり言いますが、現在の中国エリートは日本におけるエリートとは比較にならないほど優秀な人材ばかりです。
というのも現在の中国における五十代の人間は多かれ少なかれ文化大革命期を経験しており、あの大混乱の中をあの手この手で潜り抜け、すごいのになると農村に下放された後で合法、非合法を問わず都市戸籍への復籍を果たしているのも少なくありません。下放がどれだけ凄かったか一つ例を出すと、何でも北海道より緯度が上にある遼寧省に下放されたある女性は現地に着くや、窓も扉も何もない住居をあてがわれたそうで、暖房もほとんどないマイナス何十度という世界をそこで冬を越したそうです。
実際にこっちの政治エリートも財界エリートも、羽目を外した際の汚職の度合いは日本とは比べ物にならないほどの無茶ぶりをかましますが、その実績や行動を見ているとのし上がるだけはあると思わせられる人物が数多くおります。ただそのような苦難の歴史を乗り越えたエリートたちも、しぶといのだったら今後もまだまだ頭を取り続けるでしょうが大体あと十年位したらぼつぼつ引退をし始める頃だと思います。
これはあくまで私の勝手な予想ではありますが、そうした叩き上げエリートたちの後に来るのはそれらエリートらの子弟ではないかと思います。ただでさえ中国は日本より家族的結びつきが強く、縁故採用も実態は調査してませんからわかりませんが傍目にはいろいろと多そうな気がします。ではそれらエリートの子弟らは実力があるのかといえばはっきり言って疑わしく、少なくとも現在のエリートらほどの実力は望めず、むしろ中にはどうしようもない人間も上がって来たりする可能性も少なくありません。
もちろん現在若手と呼ばれる四十台くらいの世代はIT業界を筆頭に中国でも優秀な人材は育ってはおりますが、ただでさえ人口が膨大な国ゆえ、実力不足の人間が高い地位についたりすればかなり大きな混乱を招くのではないかと思います。しかも先ほども書いたようにこちらの汚職というのは日本人の感覚からする有り得ないレベルで、この前も石油大手の中国石化の幹部が会社の金を一千万円以上使って高い酒を買ってたとしてトップが辞任する羽目となりました。実際に酒の購入費用に使われたのかちょっと怪しいですが。
私の言いたいことを簡単にまとめると、これから親の権威を笠に着た二世が政財界で幅を利かし、汚職を連発させるのではないかということです。現実にそうした事態を予想させるような事件がこのところ起こっており、去年には大学構内を飲酒運転した挙句に複数人を死傷させた二十二歳の男子学生が取り押さえられた際、「俺の親父は李剛だ!」と、公安幹部の父親の名を出したという事件がありました。もちろんいくら公安幹部の息子とはいえこんなことが許されるわけもなくこの息子にはこの前実刑判決が下りましたが、「俺の親父は李剛」というのは去年末の中国で流行語となって自分も使ってました。
またこのほかにも有名なあの人の孫が異例の年齢で軍内で将軍となったり、今もそうであるかまでは確認してませんが元総理の李鵬の息子は発電最大手の中国華能の社長をしてました。
ちなみに私は学生時、親父の勤める会社の採用面接は受けませんでした。私が受けたら親父もやり辛いだろうし、なによりも親父の後輩を中国に十年以上飛ばしてて、「おお、そんな奴もおったな」と人事部が軽くかわしたという話を聞いてたので初めからやめとこうと考えてました。ただ今の学生らに対してはただでさえ就職難の時代ゆえに、細かいことは気にせず頼れる伝手は何でもいいから使ったほうがいいと思います。自分は何でもかんでも変なプライドが邪魔して苦労することが多いですが、自分の生存を第一に考える時代に日本もなってきたのかもしれません。
そうした私事は置いといて本題に入りますが、今日は久々に自分で加工した情報を書きます。結論から書くと、中国の今後十年くらいにおける最大の戦いは二世問題になるのではないかと私は見ております。
二世問題とは何かというと、単純に実力や努力ではなく親の権威による世襲などによって本来その地位に相応しくない実力不足の人間が高い地位について混乱を引き起こすことです。中国のことを心配している場合でなく日本でもこの問題は政界において結構深刻ではありますが、日本の場合は安倍元首相以降の経験を経てようやく弊害に関して注目が集まるようになり、地方選挙を筆頭にこれまででは考えられない選挙戦が展開されるなどしてようやく脱却しつつあるのではないかと私は見ています。
それではどうしてこれから中国で二世問題が大きくなるのかですが、先に言っておくと現在の中国を切り盛りしている各界のリーダーたちは正真正銘、自分の実力で現在の地位を勝ち取った叩き上げによるエリートばかりです。はっきり言いますが、現在の中国エリートは日本におけるエリートとは比較にならないほど優秀な人材ばかりです。
というのも現在の中国における五十代の人間は多かれ少なかれ文化大革命期を経験しており、あの大混乱の中をあの手この手で潜り抜け、すごいのになると農村に下放された後で合法、非合法を問わず都市戸籍への復籍を果たしているのも少なくありません。下放がどれだけ凄かったか一つ例を出すと、何でも北海道より緯度が上にある遼寧省に下放されたある女性は現地に着くや、窓も扉も何もない住居をあてがわれたそうで、暖房もほとんどないマイナス何十度という世界をそこで冬を越したそうです。
実際にこっちの政治エリートも財界エリートも、羽目を外した際の汚職の度合いは日本とは比べ物にならないほどの無茶ぶりをかましますが、その実績や行動を見ているとのし上がるだけはあると思わせられる人物が数多くおります。ただそのような苦難の歴史を乗り越えたエリートたちも、しぶといのだったら今後もまだまだ頭を取り続けるでしょうが大体あと十年位したらぼつぼつ引退をし始める頃だと思います。
これはあくまで私の勝手な予想ではありますが、そうした叩き上げエリートたちの後に来るのはそれらエリートらの子弟ではないかと思います。ただでさえ中国は日本より家族的結びつきが強く、縁故採用も実態は調査してませんからわかりませんが傍目にはいろいろと多そうな気がします。ではそれらエリートの子弟らは実力があるのかといえばはっきり言って疑わしく、少なくとも現在のエリートらほどの実力は望めず、むしろ中にはどうしようもない人間も上がって来たりする可能性も少なくありません。
もちろん現在若手と呼ばれる四十台くらいの世代はIT業界を筆頭に中国でも優秀な人材は育ってはおりますが、ただでさえ人口が膨大な国ゆえ、実力不足の人間が高い地位についたりすればかなり大きな混乱を招くのではないかと思います。しかも先ほども書いたようにこちらの汚職というのは日本人の感覚からする有り得ないレベルで、この前も石油大手の中国石化の幹部が会社の金を一千万円以上使って高い酒を買ってたとしてトップが辞任する羽目となりました。実際に酒の購入費用に使われたのかちょっと怪しいですが。
私の言いたいことを簡単にまとめると、これから親の権威を笠に着た二世が政財界で幅を利かし、汚職を連発させるのではないかということです。現実にそうした事態を予想させるような事件がこのところ起こっており、去年には大学構内を飲酒運転した挙句に複数人を死傷させた二十二歳の男子学生が取り押さえられた際、「俺の親父は李剛だ!」と、公安幹部の父親の名を出したという事件がありました。もちろんいくら公安幹部の息子とはいえこんなことが許されるわけもなくこの息子にはこの前実刑判決が下りましたが、「俺の親父は李剛」というのは去年末の中国で流行語となって自分も使ってました。
またこのほかにも有名なあの人の孫が異例の年齢で軍内で将軍となったり、今もそうであるかまでは確認してませんが元総理の李鵬の息子は発電最大手の中国華能の社長をしてました。
ちなみに私は学生時、親父の勤める会社の採用面接は受けませんでした。私が受けたら親父もやり辛いだろうし、なによりも親父の後輩を中国に十年以上飛ばしてて、「おお、そんな奴もおったな」と人事部が軽くかわしたという話を聞いてたので初めからやめとこうと考えてました。ただ今の学生らに対してはただでさえ就職難の時代ゆえに、細かいことは気にせず頼れる伝手は何でもいいから使ったほうがいいと思います。自分は何でもかんでも変なプライドが邪魔して苦労することが多いですが、自分の生存を第一に考える時代に日本もなってきたのかもしれません。
2011年4月25日月曜日
役員報酬を受け取る時期について
今更ながらナーガがアメリアの姉だったと今日になって知って驚きました。こんなネタ書いたところで、今時わかる人はいるのだろうか。ついでに書くと昨日電子書籍で漫画(でろでろ七巻)を購入してみましたが、ファイルを全部ダウンロードし終わる前に毎回エラーが起こるので見ることが出来ませんでした。これだから国営企業のインフラは当てにならない。
ここでいう国営企業のインフラというのは中国のネット回線のことですが、日本が韓国に次いで家庭用ケーブルの通信速度が馬鹿速いという恵まれた環境にあることもありますが、中国の通信速度の遅さには生活していてつくづく辟易させられます。いちおうADSLではあるのですが一回一回検索するごとになにやら検閲をしているようなタイムラグが存在し、中国国内のサイトならともかく海外のサイトにつなげようものならかつてのISDNかそれよりも劣る速度になってしまいます。おかげで今時数メガのファイルを落とすのも難儀するのですが、こういった海外とを結ぶケーブル関係のインフラ工事は全部国営企業が握っていて、国策もあるでしょうがあまり速度向上に熱心じゃないそうです。折角だから日本もこういった中国の弱みを突くような政策とかしたらいいのに。
話は変わって日本のインフラ企業と来れば、良くも悪くも目下一番注目されているのは東電こと東京電力です。その東京電力ですが、今回の福島原発の事故を受けて先日に役員報酬を50%削減する方針だと発表したところ、各所で「この期に及んでまだ50%も受け取るつもりか」、「状況をわかっているのか」などと批判する言葉を多く見かけます。こうした批判する声について私は、批判内容はもっともだと感じる一方で本当に責任を取らねばならないのは誰なのかという点で、ちょっと疑問に感じるところがあります。ここで言う「本当に責任を取らねばならない人」というのは現社長でも管首相でもなく、以前の東電役員達のことです。
現在の株式会社方式で役員というのは会社の経営を良くする為に雇われる人たちで、大企業の役員において求められるのは今月や今年といった短期の経営改善ではなく、数年先の長期的展望に立った経営方針や実効策です。それゆえに仮に役員を三年程度勤めた上で経営が悪化したのであれば確かにその役員の責任だと言っても差し支えないですが、就任してから一年程度ではその役員の手腕を評価することはよっぽどのことをしてない限り不可能です。
比較的これのわかりやすい例と言えるのはこの前のトヨタで、現社長の豊田章男氏が就任するや否や米国でのリコール問題が起こりました。結局この問題はアメリカ側の過剰反応でトヨタ車の性能的問題ではなかったということがすでに証明されていますが、この問題が起こった当初に私の周りでは、「どう考えたって、前社長の渡辺捷昭の責任だろ」と言い合っていました。
元々このリコール問題は大事になる前からいろいろ細かい事故なりなんなりあり、そうした小さな段階での対処を怠ったがゆえに大事になってしまった事件でした。まぁ早い段階から対処してても例のGという自動車会社のせいで無理だったかもしれませんがそれはこの際置いといて、まさにそのような前段階の時期に社長をやっていたのは渡辺氏でした。ところが大事になったのは豊田氏が社長になったばかりの頃で、いわば前社長の不作為の責任を一身に受ける形で豊田氏がお詫び行脚をする羽目となったわけです。
今回の東電の事故でも、確かに事故が起きたのは先月三月です。しかしその事故が起こる前に津波対策や、今回の事故に近い不具合を起こしていたのに報告をしてこなかったのは過去の東電役員達で、こういう目で見れば真に責任が重いといえるのはどっちかということになります。
この手の議論は何も今に始まったわけじゃなく一時期流行ったヘッジファンドの頃もよく言われ、連中が会社乗っ取りをしてやってた以下のような行為についてよく批判がされていました。
1、乗っ取る会社の株式を取得する
2、その会社に役員を送り込む
3、従業員のクビ切ったり資産を売却したりして見かけ上の短期的利益を上げる
4、利益を上げたということにして役員報酬を大量に受け取る
5、やることやったら退職金もらってさよならする、取得した株式も売る
6、ヘッジファンドがいなくなった会社では従業員も資産もなくなり、時間とともに経営が悪化していく
細かいところまで説明はしませんが、上記のように本来長期的観点に立って経営をしなければならない役員が単年度の評価で報酬を得てしまうことより、目先の利益を求めて逆にその企業の数年後の経営を悪化させてしまう経営を取ってしまうことがあります。実際のところどこの企業の役員も自分が役員している間を平穏無事に乗り切ることばかり考え、退任後まで考えて経営をしている人はそんなに多くないような気がします。中にはそういう立派な経営者もいるだろうけどさ。
新しく就任した役員が前役員のミスの詰め腹を切らされる例は山一證券最後の社長となった野澤正平氏を始めとして数限りなく、今回の東電の事故でも私は過去の役員らの責任が追及されない点を思うにつけ、そもそもこういった役員の報酬システム自体に問題があるような気がしてなりません。それであるならばいっそ実現性を無視するなら、役員報酬は三年後とか期間を置いたあとのその会社の業績によって算出して支払われるようなシステムにした方が面白いような気がします。
私は現在の東電役員らに全く責任がないとは言いませんし、役員というのはある程度感情をぶつけられるサンドバッグ的な役割も持っていると思います。ただ信賞必罰の原則を間違えることは後世に悪影響を及ぼすことになり、真に責任を問うべき人間を放って今の役員だけを叩いていては結局はまた同じ間違いを起こすのではないかという懸念があります。こういう風に考えるのって、私くらいなのでしょうか。
ここでいう国営企業のインフラというのは中国のネット回線のことですが、日本が韓国に次いで家庭用ケーブルの通信速度が馬鹿速いという恵まれた環境にあることもありますが、中国の通信速度の遅さには生活していてつくづく辟易させられます。いちおうADSLではあるのですが一回一回検索するごとになにやら検閲をしているようなタイムラグが存在し、中国国内のサイトならともかく海外のサイトにつなげようものならかつてのISDNかそれよりも劣る速度になってしまいます。おかげで今時数メガのファイルを落とすのも難儀するのですが、こういった海外とを結ぶケーブル関係のインフラ工事は全部国営企業が握っていて、国策もあるでしょうがあまり速度向上に熱心じゃないそうです。折角だから日本もこういった中国の弱みを突くような政策とかしたらいいのに。
話は変わって日本のインフラ企業と来れば、良くも悪くも目下一番注目されているのは東電こと東京電力です。その東京電力ですが、今回の福島原発の事故を受けて先日に役員報酬を50%削減する方針だと発表したところ、各所で「この期に及んでまだ50%も受け取るつもりか」、「状況をわかっているのか」などと批判する言葉を多く見かけます。こうした批判する声について私は、批判内容はもっともだと感じる一方で本当に責任を取らねばならないのは誰なのかという点で、ちょっと疑問に感じるところがあります。ここで言う「本当に責任を取らねばならない人」というのは現社長でも管首相でもなく、以前の東電役員達のことです。
現在の株式会社方式で役員というのは会社の経営を良くする為に雇われる人たちで、大企業の役員において求められるのは今月や今年といった短期の経営改善ではなく、数年先の長期的展望に立った経営方針や実効策です。それゆえに仮に役員を三年程度勤めた上で経営が悪化したのであれば確かにその役員の責任だと言っても差し支えないですが、就任してから一年程度ではその役員の手腕を評価することはよっぽどのことをしてない限り不可能です。
比較的これのわかりやすい例と言えるのはこの前のトヨタで、現社長の豊田章男氏が就任するや否や米国でのリコール問題が起こりました。結局この問題はアメリカ側の過剰反応でトヨタ車の性能的問題ではなかったということがすでに証明されていますが、この問題が起こった当初に私の周りでは、「どう考えたって、前社長の渡辺捷昭の責任だろ」と言い合っていました。
元々このリコール問題は大事になる前からいろいろ細かい事故なりなんなりあり、そうした小さな段階での対処を怠ったがゆえに大事になってしまった事件でした。まぁ早い段階から対処してても例のGという自動車会社のせいで無理だったかもしれませんがそれはこの際置いといて、まさにそのような前段階の時期に社長をやっていたのは渡辺氏でした。ところが大事になったのは豊田氏が社長になったばかりの頃で、いわば前社長の不作為の責任を一身に受ける形で豊田氏がお詫び行脚をする羽目となったわけです。
今回の東電の事故でも、確かに事故が起きたのは先月三月です。しかしその事故が起こる前に津波対策や、今回の事故に近い不具合を起こしていたのに報告をしてこなかったのは過去の東電役員達で、こういう目で見れば真に責任が重いといえるのはどっちかということになります。
この手の議論は何も今に始まったわけじゃなく一時期流行ったヘッジファンドの頃もよく言われ、連中が会社乗っ取りをしてやってた以下のような行為についてよく批判がされていました。
1、乗っ取る会社の株式を取得する
2、その会社に役員を送り込む
3、従業員のクビ切ったり資産を売却したりして見かけ上の短期的利益を上げる
4、利益を上げたということにして役員報酬を大量に受け取る
5、やることやったら退職金もらってさよならする、取得した株式も売る
6、ヘッジファンドがいなくなった会社では従業員も資産もなくなり、時間とともに経営が悪化していく
細かいところまで説明はしませんが、上記のように本来長期的観点に立って経営をしなければならない役員が単年度の評価で報酬を得てしまうことより、目先の利益を求めて逆にその企業の数年後の経営を悪化させてしまう経営を取ってしまうことがあります。実際のところどこの企業の役員も自分が役員している間を平穏無事に乗り切ることばかり考え、退任後まで考えて経営をしている人はそんなに多くないような気がします。中にはそういう立派な経営者もいるだろうけどさ。
新しく就任した役員が前役員のミスの詰め腹を切らされる例は山一證券最後の社長となった野澤正平氏を始めとして数限りなく、今回の東電の事故でも私は過去の役員らの責任が追及されない点を思うにつけ、そもそもこういった役員の報酬システム自体に問題があるような気がしてなりません。それであるならばいっそ実現性を無視するなら、役員報酬は三年後とか期間を置いたあとのその会社の業績によって算出して支払われるようなシステムにした方が面白いような気がします。
私は現在の東電役員らに全く責任がないとは言いませんし、役員というのはある程度感情をぶつけられるサンドバッグ的な役割も持っていると思います。ただ信賞必罰の原則を間違えることは後世に悪影響を及ぼすことになり、真に責任を問うべき人間を放って今の役員だけを叩いていては結局はまた同じ間違いを起こすのではないかという懸念があります。こういう風に考えるのって、私くらいなのでしょうか。
2011年4月24日日曜日
アメリカの大学に留学する価値
時期にして大体2005年くらいから、政財界の要人らがよくアメリカのハーバード大学の日本人留学生数が減少していると問題視する発言をよく見るようになりました。現在でも死にぞこないの自民党文教族らはそれらアメリカの大学において韓国人、中国人らと比べて日本人留学生数が減っており、日本の教育力が低下していてこのままでは両国に追いつかれるなどとよく発言しておりますが、確定的なデータも二次ソースも少ないながら、私はこの傾向がそれほど問題なのか強く疑問に感じております。
最初のきっかけは友人から聞いた話で、何でもアメリカの大学はハーバード大学を含んで基本的に私立で、現在学生数の減少によりどこも経営難に陥っているそうです。そのためどこのアメリカの大学も授業料を得るために留学生を呼び集めているものの、ほとんどの国ではすでにアメリカの大学にはそこまで価値があるわけでないと見抜いており、まだその権威をありがたがってがっている日本人と韓国人ばかりやってきてキャンパス内もそういった留学生ばかりになっていると聞きました。
私は学術研究者でないために実際にアメリカの大学がどれほど教育、研究機関として価値があるのか推し量ることは出来ませんが、少なくとも一般レベルで日本人が根拠なくやたらとアメリカの大学を高く評価している傾向はあるように感じます。またいくつかの角度から見ると、確かにアメリカの大学について疑問に感じる点も少なくありません。
理系については全く素人もいいところなのでわかりませんが、文系科目についてははっきり言って留学する価値は少ないように思えます。現在の自然科学の王様は間違いなく経済学ですが、先年に起こったリーマンショックはまさに米国流の経済学によって引き起こされたものだといっても過言ではありません。一時期アメリカでMBAを取得するのが流行りましたが、そういったMBA取得者どもがリーマンショックを引き起こしたことを考えると戦犯もよいところです。そのせいか、このごろMBA取得を自慢する人もめっきり減ったし。
またこれ以外の文系学問についても、私の専門とする社会学ではシカゴ大学が有名ではあるものの昔はともかく今は実際にどんな教育がされているのかわかりません。よくアメリカの大学を礼賛する人で疑問に感じるのは、具体的にどういった点が日本の大学より優れているのかを誰も言及しないところです。
理系についてもあくまで素人目の意見ですが、誰も基礎学問を持っていなかった明治時代ならともかく現在の日本にはわざわざ留学せずとも世界的にも十分立派な研究環境があるように思えます。霊長類研究やES細胞については間違いなく京大が世界トップですし、またスプリング8など反則だって言いたくなるような豪華な研究設備だってうなるほどあります。もっとも航空力学についてはアメリカが上、っていうか日本では研究が制限されてますが。
明治時代はそのような研究環境をおろか学者が全く存在しなかったために海外へ留学せざるを得ませんでしたが、今の日本では主要な学問はほぼすべて国内で指導、研究することが出来ます。これは日本にいたらさも当たり前のように見えてしまいますが、最先端の研究を母国語でできるという国は実際にはほとんど存在しません。中国なんか文化大革命でそういった学者全員を殺してしまったために文革後に学生を全員海外に送って建て直しを迫られたほどで、現在においても主要な研究者は皆国内にはおらず海外で研究生活を続けております。
そういう意味では中国人がアメリカの大学に留学するのはまだ国内に研究環境がないという、いわば必要に迫られたものだということで理解できるのですが、日本人については確かに英語が出来るに越したことはないけど国内で研究が出来るというのであればわざわざ行かなくともよいのでは、というよりむしろもっと日本の大学に海外の研究者を呼び集めるような努力をしてもよいのではないかという気がします。
留学生が減ったなどと嘆く発言をする政財界の人間に対して私が一番言いたいことは、アメリカの大学に行け行け言っておきなら、そういうあんたらは国内の研究を深耕させるようなことをこれまでしてきたのかということです。特に文教族の議員はまさに教育政策を決めるキャスティングボードを握っておきながら現在問題となっているような学力低下を招いており、そうした反省もなにもせずに、「日本人が留学しなくなった」などとほざくのは肥溜めにでも首突っ込んでろと言いたくなるほど腹が立ちます。
私は留学を否定するわけでもなく行けるのであれば行くに越したことはないと思いますが、もっと日本国内の高等教育を充実させるという考えを持たずにアメリカの大学における日本人留学生数低下を懸念するというのはどこかピントがおかしいのではないかという気がします。折角ここまで日本の研究レベルを高めたのだから、舶来物をありがたがっているばかりでなく、逆に外に訴えていく努力こそが今不足しているのではないでしょうか。
最初のきっかけは友人から聞いた話で、何でもアメリカの大学はハーバード大学を含んで基本的に私立で、現在学生数の減少によりどこも経営難に陥っているそうです。そのためどこのアメリカの大学も授業料を得るために留学生を呼び集めているものの、ほとんどの国ではすでにアメリカの大学にはそこまで価値があるわけでないと見抜いており、まだその権威をありがたがってがっている日本人と韓国人ばかりやってきてキャンパス内もそういった留学生ばかりになっていると聞きました。
私は学術研究者でないために実際にアメリカの大学がどれほど教育、研究機関として価値があるのか推し量ることは出来ませんが、少なくとも一般レベルで日本人が根拠なくやたらとアメリカの大学を高く評価している傾向はあるように感じます。またいくつかの角度から見ると、確かにアメリカの大学について疑問に感じる点も少なくありません。
理系については全く素人もいいところなのでわかりませんが、文系科目についてははっきり言って留学する価値は少ないように思えます。現在の自然科学の王様は間違いなく経済学ですが、先年に起こったリーマンショックはまさに米国流の経済学によって引き起こされたものだといっても過言ではありません。一時期アメリカでMBAを取得するのが流行りましたが、そういったMBA取得者どもがリーマンショックを引き起こしたことを考えると戦犯もよいところです。そのせいか、このごろMBA取得を自慢する人もめっきり減ったし。
またこれ以外の文系学問についても、私の専門とする社会学ではシカゴ大学が有名ではあるものの昔はともかく今は実際にどんな教育がされているのかわかりません。よくアメリカの大学を礼賛する人で疑問に感じるのは、具体的にどういった点が日本の大学より優れているのかを誰も言及しないところです。
理系についてもあくまで素人目の意見ですが、誰も基礎学問を持っていなかった明治時代ならともかく現在の日本にはわざわざ留学せずとも世界的にも十分立派な研究環境があるように思えます。霊長類研究やES細胞については間違いなく京大が世界トップですし、またスプリング8など反則だって言いたくなるような豪華な研究設備だってうなるほどあります。もっとも航空力学についてはアメリカが上、っていうか日本では研究が制限されてますが。
明治時代はそのような研究環境をおろか学者が全く存在しなかったために海外へ留学せざるを得ませんでしたが、今の日本では主要な学問はほぼすべて国内で指導、研究することが出来ます。これは日本にいたらさも当たり前のように見えてしまいますが、最先端の研究を母国語でできるという国は実際にはほとんど存在しません。中国なんか文化大革命でそういった学者全員を殺してしまったために文革後に学生を全員海外に送って建て直しを迫られたほどで、現在においても主要な研究者は皆国内にはおらず海外で研究生活を続けております。
そういう意味では中国人がアメリカの大学に留学するのはまだ国内に研究環境がないという、いわば必要に迫られたものだということで理解できるのですが、日本人については確かに英語が出来るに越したことはないけど国内で研究が出来るというのであればわざわざ行かなくともよいのでは、というよりむしろもっと日本の大学に海外の研究者を呼び集めるような努力をしてもよいのではないかという気がします。
留学生が減ったなどと嘆く発言をする政財界の人間に対して私が一番言いたいことは、アメリカの大学に行け行け言っておきなら、そういうあんたらは国内の研究を深耕させるようなことをこれまでしてきたのかということです。特に文教族の議員はまさに教育政策を決めるキャスティングボードを握っておきながら現在問題となっているような学力低下を招いており、そうした反省もなにもせずに、「日本人が留学しなくなった」などとほざくのは肥溜めにでも首突っ込んでろと言いたくなるほど腹が立ちます。
私は留学を否定するわけでもなく行けるのであれば行くに越したことはないと思いますが、もっと日本国内の高等教育を充実させるという考えを持たずにアメリカの大学における日本人留学生数低下を懸念するというのはどこかピントがおかしいのではないかという気がします。折角ここまで日本の研究レベルを高めたのだから、舶来物をありがたがっているばかりでなく、逆に外に訴えていく努力こそが今不足しているのではないでしょうか。
2011年4月23日土曜日
FF、DQにおける印象的なオノマトペ
日本ゲーム界における二大RPGとくれば言わずもがなでFFことファイナルファンタジーシリーズと、DQことドラゴンクエストシリーズです(中にはテイルズシリーズを入れて三大RPGとするところもあるけど)。さてこの両者ですが、今ではFFが特に顕著ですがグラフィックなどを売りにすることが多くなったものの、ファミコン時代の当初はシステムはもとよりそのストーリー性ことテキストが大きく脚光を浴びました。王道とはいえどちらともなければ、日本人は現在ほどファンタジーに対する興味や知識は持たなかったかと思います。
さてそんな両シリーズのテキストなのですが、ファミコン時代はグラフィック表現での制限の多さから当時のテキストを読むにつけ開発者たちの苦心が伝わってきます。ストーリーの展開からキャラクターの状態、ゲームのシステムまで全部テキストで表現しなければならないため改めて読んでみると実によく凝られたテキストが作られているのですが、中には「なんじゃこりゃ」と言いたくなる様な妙な表現が突然眼に入ってくることがあります。以前にも紹介しましたが、ドラゴンクエスト6ではみんながみんなすべての特技を身につけるもんだから、
「スライムはこしをひくくおとし、せいけんづきをはなった」
などと深く考えてはいけないような場面も少なくありませんでした。
そんなRPGのテキストの中で、多分普通にやってりゃそんな気にしないかもしれませんがいわゆるオノマトペでいろいろと変なのが作られていることに最近気がつきました。オノマトペというのは擬声語のことで、人間の声から発生されるもの以外の音を文字表現で表す擬音語を指すのですが、いくつか例を出すと犬の鳴き声を「ワンワン」とか「Woo,Woo」と書いたり、炎が燃えることを「メラメラ」と書いたりするものです。予断ですが動物の鳴き声や雷の音は言語ごとにかなり変わるので、それぞれの言語文化を比較する上でなかなか面白い材料です。ちなみに中国語の雷のオノマトペは「ホンロンロン」で、ちょっと耳を疑います。
そこで今日はちょっと、私が知っている中でFF、DQで実際に使われている気になるオノマトペをいくつか紹介します。それでは早速、FFシリーズからいきましょう。
FFシリーズのオノマトペ
・ウボァー(ファイナルファンタジー2:ラスボスのパラメキア皇帝の断末魔)
苦しいラスボス戦(ブラッドソード使えばあっという間だけど)を終えるや否や、いきなりこんな意味不明な断末魔のテキストが開きます。多分最初に見た人たちも、感動よりあっけに取られたかと思います。
・フシュルルル(ファイナルファンタジー4:土のスカルミリョーネの吐息?)
ゴルベーザ四天王のスカルミリョーネが第二段階に変身する前に言う(放つ?)音です。一体どうすればこんな音が出るのか気になって仕方ないですが、何故だか私はこの音が気に入ってよく一人で自転車に乗っている時に意味もなく「フシュルルル」と発声することがあります。
・ファファファ(ファイナルファンタジー5:ラスボスのエクスデスの笑い声)
日本語の笑い声のオノマトペでは「わっはっは」や「ふぁっはっは」などはポピュラーに使われていますが、「ファ」の音を三連続で出すこの表現は未だかつてこのエクスデス以外には見たことがありません。比較的発声しやすいのですが促音便なしだと笑い声なのかなんなのか聞いてる人にはわからないので、実生活では使うべきではないでしょう。むしろこうしたネット上のテキストのやり取りの方が使い勝手がいいかもしれません。私は使いませんけど。
それにしてもFFシリーズのラスボスはみんななんかおかしな語がよく混ざるなぁ。
DQシリーズのオノマトペ
・うおっぷ!これはたまらん!(ドラゴンクエスト4:トルネコが「うまのふん」を鑑定した時のセリフ)
そもそも「うまのふん」というアイテムが存在すること自体をいろいろ疑わなければならないのですが、わざわざこんなテキストパターンを用意しているあたり、現在まで続くシリーズの所以かもしれません。
・フフィーッ!!フフィーッ!! ここのメシは 最高だよー!!フフィーッ!! しあわせすぎる!!(ドラゴンクエスト9のセリフらしい)
私は実際にプレイしたわけじゃないのですが、最初この「フフィー」を見てからしばらくこのセリフが頭から離れませんでした。何を以ってこんな表現が浮かんでくるんだろう、すご過ぎる。
もともと日本語は感動詞を始めとしてオノマトペに該当する言葉が数多くある言語ですが、こういうのを見ているといまだに進化し続けている気がします。特に戦後は漫画が流行したことによって「ドカーン」(爆発音)など秀逸な擬音も数多く生まれております。その中でも恐らく最高のオノマトペは手塚治虫が考案した、沈黙を表す「シーン」だと私は考えております。
最後にもう一つ、オノマトペというか会話ですがドラクエで使われている変なのを紹介すると、
・むほーそりゃないぜ!お前明日からこの俺にフルチンで生活しろってのか!(ドラゴンクエスト7)
何故こんな会話になるのか、本当によくわかりません。なおこのセリフを聞いた後にマリベルに話しかけると、「フ、フルチンですって・・・」と言ってくれます。
さてそんな両シリーズのテキストなのですが、ファミコン時代はグラフィック表現での制限の多さから当時のテキストを読むにつけ開発者たちの苦心が伝わってきます。ストーリーの展開からキャラクターの状態、ゲームのシステムまで全部テキストで表現しなければならないため改めて読んでみると実によく凝られたテキストが作られているのですが、中には「なんじゃこりゃ」と言いたくなる様な妙な表現が突然眼に入ってくることがあります。以前にも紹介しましたが、ドラゴンクエスト6ではみんながみんなすべての特技を身につけるもんだから、
「スライムはこしをひくくおとし、せいけんづきをはなった」
などと深く考えてはいけないような場面も少なくありませんでした。
そんなRPGのテキストの中で、多分普通にやってりゃそんな気にしないかもしれませんがいわゆるオノマトペでいろいろと変なのが作られていることに最近気がつきました。オノマトペというのは擬声語のことで、人間の声から発生されるもの以外の音を文字表現で表す擬音語を指すのですが、いくつか例を出すと犬の鳴き声を「ワンワン」とか「Woo,Woo」と書いたり、炎が燃えることを「メラメラ」と書いたりするものです。予断ですが動物の鳴き声や雷の音は言語ごとにかなり変わるので、それぞれの言語文化を比較する上でなかなか面白い材料です。ちなみに中国語の雷のオノマトペは「ホンロンロン」で、ちょっと耳を疑います。
そこで今日はちょっと、私が知っている中でFF、DQで実際に使われている気になるオノマトペをいくつか紹介します。それでは早速、FFシリーズからいきましょう。
FFシリーズのオノマトペ
・ウボァー(ファイナルファンタジー2:ラスボスのパラメキア皇帝の断末魔)
苦しいラスボス戦(ブラッドソード使えばあっという間だけど)を終えるや否や、いきなりこんな意味不明な断末魔のテキストが開きます。多分最初に見た人たちも、感動よりあっけに取られたかと思います。
・フシュルルル(ファイナルファンタジー4:土のスカルミリョーネの吐息?)
ゴルベーザ四天王のスカルミリョーネが第二段階に変身する前に言う(放つ?)音です。一体どうすればこんな音が出るのか気になって仕方ないですが、何故だか私はこの音が気に入ってよく一人で自転車に乗っている時に意味もなく「フシュルルル」と発声することがあります。
・ファファファ(ファイナルファンタジー5:ラスボスのエクスデスの笑い声)
日本語の笑い声のオノマトペでは「わっはっは」や「ふぁっはっは」などはポピュラーに使われていますが、「ファ」の音を三連続で出すこの表現は未だかつてこのエクスデス以外には見たことがありません。比較的発声しやすいのですが促音便なしだと笑い声なのかなんなのか聞いてる人にはわからないので、実生活では使うべきではないでしょう。むしろこうしたネット上のテキストのやり取りの方が使い勝手がいいかもしれません。私は使いませんけど。
それにしてもFFシリーズのラスボスはみんななんかおかしな語がよく混ざるなぁ。
DQシリーズのオノマトペ
・うおっぷ!これはたまらん!(ドラゴンクエスト4:トルネコが「うまのふん」を鑑定した時のセリフ)
そもそも「うまのふん」というアイテムが存在すること自体をいろいろ疑わなければならないのですが、わざわざこんなテキストパターンを用意しているあたり、現在まで続くシリーズの所以かもしれません。
・フフィーッ!!フフィーッ!! ここのメシは 最高だよー!!フフィーッ!! しあわせすぎる!!(ドラゴンクエスト9のセリフらしい)
私は実際にプレイしたわけじゃないのですが、最初この「フフィー」を見てからしばらくこのセリフが頭から離れませんでした。何を以ってこんな表現が浮かんでくるんだろう、すご過ぎる。
もともと日本語は感動詞を始めとしてオノマトペに該当する言葉が数多くある言語ですが、こういうのを見ているといまだに進化し続けている気がします。特に戦後は漫画が流行したことによって「ドカーン」(爆発音)など秀逸な擬音も数多く生まれております。その中でも恐らく最高のオノマトペは手塚治虫が考案した、沈黙を表す「シーン」だと私は考えております。
最後にもう一つ、オノマトペというか会話ですがドラクエで使われている変なのを紹介すると、
・むほーそりゃないぜ!お前明日からこの俺にフルチンで生活しろってのか!(ドラゴンクエスト7)
何故こんな会話になるのか、本当によくわかりません。なおこのセリフを聞いた後にマリベルに話しかけると、「フ、フルチンですって・・・」と言ってくれます。
2011年4月22日金曜日
中国のアクセス禁止サイト
昨日は早くに家に帰ったのでこれまでためていた記事を一気に書いてしまおうと考えていたのですが、いざパソコンにつなげてみるや、なんとブログが開きませんでした。Yahooのホームページなどは開くのにGoo関係のページは全く開かず、ネット規制が強化されてまたもアクセス禁止を食らったのかとかなり焦りましたが、明けた本日にはこうしてまた投稿できるようになりました。恐らく何らかの意図があって、中国当局が昨日の夕方から夜までの間でいくつかのサイトがアクセス不能にしたのだと思います。こういうことがたまにあるからこの国はめんどい。
ただ今回は無事ですんだとはいえ、いつまたアクセス禁止になるかわかりません。今回の件を相談した友人にも厳しく言われましたが、そろそろ本気でレンタルサーバーを借りてそこでブログを運営することを真剣に考えたほうがいいかもしれません。その際には以前の陽月秘話の過去記事も一緒に公開すれば一石二鳥ですし、言論の自由を守るためにも屈してなんかいられません。それにしても、昨日は「この臆病者!」などと随分と中国政府を罵ったもんだ。
ところで中国のネット規制ですが、やはりここ数年で急激に拡大されてきました。知人の情報だと2008年頃のチベットの事件があってから急激に厳しくなり、その頃からYoutubeを始めとしたサイトがアクセスできなくなったようです(それ以前は出来た)。そこで今回は簡単に、私の知っている限りのアクセス禁止を受けているサイトをいくつか紹介しようと思います。前フリはいいので早速ご紹介します。
アクセスできないサイト
・Youtube
・FC2ブログ
・ニコニコ動画
・Blogger(Google社の)
・Facebook
・Twitter
細かく探せばまだまだありますが、上記関連のサイトは一切アクセスすることが出来ません。またアクセスすることは出来ても、ほとんどのサイトで画像が全く表示されません。幸いこのGooブログなら画像も表示されるので、今回採用する一員となりました。
やはりアクセスできなくて個人的に痛かったのは、これまでブログを運営していたFC2ブログとBloggerの二つと、Youtubeでした。また画像が表示されないのも地味に痛く、猫の写真が貼られたサイトに行くたびに無念の涙を呑んでおります。私が北京に留学していた頃はYoutubeも見れれば画像も問題なく表示されていたので、ほんの少し前のことなのに随分と昔のことのようにすら感じます。あまり大きな声で言えませんが、細かいことにいちいちビビッてんじゃねぇよと言いたいです。
ただ今回は無事ですんだとはいえ、いつまたアクセス禁止になるかわかりません。今回の件を相談した友人にも厳しく言われましたが、そろそろ本気でレンタルサーバーを借りてそこでブログを運営することを真剣に考えたほうがいいかもしれません。その際には以前の陽月秘話の過去記事も一緒に公開すれば一石二鳥ですし、言論の自由を守るためにも屈してなんかいられません。それにしても、昨日は「この臆病者!」などと随分と中国政府を罵ったもんだ。
ところで中国のネット規制ですが、やはりここ数年で急激に拡大されてきました。知人の情報だと2008年頃のチベットの事件があってから急激に厳しくなり、その頃からYoutubeを始めとしたサイトがアクセスできなくなったようです(それ以前は出来た)。そこで今回は簡単に、私の知っている限りのアクセス禁止を受けているサイトをいくつか紹介しようと思います。前フリはいいので早速ご紹介します。
アクセスできないサイト
・Youtube
・FC2ブログ
・ニコニコ動画
・Blogger(Google社の)
・Facebook
・Twitter
細かく探せばまだまだありますが、上記関連のサイトは一切アクセスすることが出来ません。またアクセスすることは出来ても、ほとんどのサイトで画像が全く表示されません。幸いこのGooブログなら画像も表示されるので、今回採用する一員となりました。
やはりアクセスできなくて個人的に痛かったのは、これまでブログを運営していたFC2ブログとBloggerの二つと、Youtubeでした。また画像が表示されないのも地味に痛く、猫の写真が貼られたサイトに行くたびに無念の涙を呑んでおります。私が北京に留学していた頃はYoutubeも見れれば画像も問題なく表示されていたので、ほんの少し前のことなのに随分と昔のことのようにすら感じます。あまり大きな声で言えませんが、細かいことにいちいちビビッてんじゃねぇよと言いたいです。
登録:
投稿 (Atom)