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2008年8月11日月曜日

友人とのガンダム会話

 ある日友人と、こんな話になりました。

「君は私と違って、実力はたんまりあるのに社会に対して自ら働きかけ、改善しようとしないね」
「僕は君と違って、現実の世界に興味はないもん」
「しかしだな君、これだけの実力があって何故何もしないんだ。私としては私ほど前面に立たなくとも、せっかく天が与えた君の能力なのだから、それを社会へ向けてほしいんだが」
「いや、それは君の方が間違えてるよ。君は責任感が強いから何が何でも社会に身を捧げようとしているけど、もっと自分を大事にした方がいい」
「なんていうかこの会話、「逆襲のシャア」のアムロとシャアの会話だなぁ」
「そうだね、別に狙ったわけじゃないけど」

 この場合、私がシャアで友人がアムロでした。世の中を良くするためにアクシズを落とすような行動が必要で、それを実行しようとするシャアに対し、あくまで見守るだけで自分から介入、というより巻き込まれたがらないアムロのような構図です。「Zガンダム」ではシャアもあまり介入したがらなかったけどね。

 その後、この友人はどんどんとアムロ的な性格を強化し、最期にはアムロを突き破ってシロッコ的な、「傍観者であり続けたい」という性格へと発展していきました。相変わらず面白いけど。

柔道の精神

 一昨日、テレビでオリンピック柔道の中継を見ていたところ、メダル授与のシーンで東京五輪の柔道で金メダルを取った、オランダ人のアントン・へーシンク氏が授与者をやっているところが映されました。
 今でこそオリンピックの人気種目となっている柔道ですが、もともとは東京五輪限定のゲスト種目、つまり一回こっきりの予定でした。それがこのアントン・へーシンク氏が無差別級にて本家の日本人を下し金メダルを取ったことによって、外国人でも金メダルを取れることが確認され、皮肉な話ですがこれ以後のオリンピックでも柔道が行われることが決まった要因となったと言われます。

 しかし、私はこのアントン氏が金メダルを取ったということより、決勝に勝った後の彼の取った行為に賞賛の気持ちを感じずにはいられません。アントン氏が決勝に勝った瞬間、彼の故国のオランダの関係者は喜びのあまりに彼に抱きつこうと駆け寄ってきたのですが、アントン氏は「礼に始まり礼に終わる」、柔道の敗者を辱めず純粋に技を競い合う精神からその関係者たちを制止して試合場に上がらせず、喜ぶようなそぶりは一切見せずに試合場を後にしたそうです。
 さらにその後、日本での恩師であった当時の日本柔道代表監督の下へ行き、「先生、申し訳ありませんでした」とまで言ったそうです。ここまでやらずとも……。

 私がこの話を知ったのはちょうど四年前、前回のオリンピックにて谷亮子氏が決勝に勝ったその瞬間、ガッツポーズをとって喜ぶ姿を見せたことに対して苦言を呈したコラムからでした。まぁその谷氏は一昨日負けちゃったんだけど。
 しかし、この話を思い出すにつれていろいろ考えることが出てきます。このところ、日本の柔道界では日本ルールと国際ルールとの間でせめぎ合いがよく起こっています。。昔からあり、日本人には有利(とされている?)日本ルールですが、国際柔道連盟にはすでに外国人の理事も数多く、彼らの主張する国際ルールを日本側も受け入れざるを得なくなり、このままでは本来の伝統的な柔道からかけ離れてしまうのではないかという意見が関係者たちからよく聞かれます。

 確かに、こうルールの変更がされていくことによって伝統的な柔道から離れていくという話は分かりますが、今の柔道に守るべき伝統というものが残っているのか、ここに私は疑問を呈します。というのも、試合とか見てるとこのところ勝った選手は皆ためらわずに喜ぶ姿を見せるようになっています。
 別に喜ぶなとは言いません。しかし、敗者に対しても礼を尽くす、私が愛する柔道の精神はこれです。この中心たる精神なくして、何が伝統的な柔道と言えるのでしょうか。せめて相手選手のいる試合場くらいは勝者は黙って退場すべきでしょう。

 ここで私の意見を言います。柔道の国際ルール、日本ルールのことであれこれ言い合うくらいなら、元の精神に立ち返り、根本を固めることが今柔道界に必要な改革なのではないしょうか。それこそ、あのアントン・ヘーシンク氏のように。

トリクルダウン

 アクセスカウンターのついている出張所だと、なんか昨日今日とアクセス数がやけに増えています。なんだろう、スカイ・クロラがよかったのかな、それとも韓国かな。

 そんなことはほっといて、早速今日の一発目の投稿です。前回、「格差社会を読み解く、経済学の系譜」の中で「トリクルダウン」という言葉について簡単に書きましたが、今回の記事はそれについての補則です。
 まずこのトリクルダウン、訳は文字通り「水の滴り」です。これは新自由主義者が主張している経済効果のことを指します。

 具体的にどのような効果かというと、その言葉の通りに器の水の量が多ければ下の方へと自然と滴り落ちるという意味から、所得の大きい層、つまり金持ちをどんどんさらに儲けさせることによって彼らの消費、つまりお金の使用量が増えるので、結果的には低所得層にもお金がどんどんと回り、みんなでよい生活ができるという考え方です。

 しかし結論から言うと、このトリクルダウンが現象として発生したことは歴史上、一度たりともありません。贔屓目に見ても、トリクルダウンを敢えて発生させるような政策が採られた南米諸国からお隣の韓国、そして現在の日本でも格差はどんどんと広がり、経済も見かけ上の数字しか上がらず実態としては縮小しかおこりません。それにも関わらず、新自由主義陣営は未だにトリクルダウンを絶対信条としておき、政策を作っているのですから空恐ろしいものです。

 ちなみに、前から出そうと思っていたデータですが、日本で当初所得の下位20%と上位20%のそれぞれの合計額は1984年は13倍の差だったのですが、2002年になるとこれが168倍にまで広がっています。単純にこの結果から、貧乏な人の所得と金持ちの所得の差はこの20年近くで約13倍広がったということになります。

2008年8月10日日曜日

韓国BSE騒動について

 今朝のサンデープロジェクトにて、韓国で広がっているBSE騒動をきっかけとした大統領反対デモについて詳しい報道がありました。現在、韓国ではBSEが確認されているアメリカ産牛肉を生後30ヶ月未満を条件に大統領が輸入解禁を認めたことに対して反対デモが大きく広がり、就任当初は八割以上あった大統領への支持率が今では一割強にまで下がっているようです。

 ここまではこれまでのニュースなどの報道で私は知っていたのですが、この騒動について私は、「日本以外にもBSEでここまで大騒ぎする国があったんだな」と思ってました。私はBSEは脳や脊髄といった危険部位以外を食べなければ感染する確率が全くといいくらいにない(食べても低いけど)ということを知っており、日本での感染原因となった肉骨粉は価格の安い飼料なので、高級な牛肉には使用されていないことを知っていたので、日本での騒動の際は価格の下がった高級牛肉を飽きるほど食べてました。

 事実関係を知ってれば、このBSEは感染する確率が宝くじで一等を当てる並に低く、危険部位でなければほぼ安全といっていい病気です。はっきり言えば、交通事故の確率のほうがずっと高いので、日本での騒動の際には大騒ぎし過ぎだと冷ややかな目で日本人を見ていました。そしたら案の定、これは武田邦彦氏が指摘していましたが、あまりの過熱振りに日本で感染牛を確認した女性研究者が思いつめて自殺する事件が発生した事を激しく武田氏は批判しており、私もこれに同感しています。当時はきちんと事実を報道せず、過激なことばかりしていた報道関係者に対して激しい怒りを覚えました。

 恐らくこんなこと、日本くらいしかやらないだろうと思っていたら今の韓国です。やっぱり食の問題というのはこうして国民の神経を刺激するのだろうかと思ってみていたら、今朝の番組にて、
「韓国人は遺伝的に94%の確率でBSEに感染する」
 という言葉が飛び込んできて、文字通り面食らいました。

 事の内容はこうです。サンデープロジェクトによるとこの94%の話は韓国の国営テレビ局が報道したもので、この報道を見た韓国人は主に若者を中心として、BSE牛を食べたらほぼ間違いなく感染すると考え、現在のような激しい反対活動へと発展するきっかけとなったようです。さらに番組によると、この94%という数字はもともと、「BSE感染者の遺伝子の94%は韓国人と同じだった」という報告から来たもので、もちろんBSEは感染する確率自体低いので、食べたら皆感染するなんてこと言ってるわけじゃありません。

 それでは何故韓国国営テレビ局がこんなあからさまな捏造報道をやったかというと、なんでも国営テレビ局なので基本的に人事権は政府が握っているようなのですが、現在の経営体制はこれまで長かった韓国の革新派政権が作った人事だったので、それが気に入らないから今の保守派政権が人事に介入しようとしたのに対し、テレビ局のトップが保守派政権を転覆させるために報道したのがその理由らしいです。ある意味、すごいジャーナリズムだ。

 まぁ見る人が見たら、さすがにこれはありえないだろうと思う報道なのですが、やっぱりこうも衝撃的な事実をつけられると今の日本における環境問題みたいに信じちゃうんでしょうね。番組によると、このデモ活動の中心となっているのは10代の若者らしく、ころっと信じちゃうからこんな風なことになったんだろね。でも、何されても黙っている日本の若者よりかはまともそうな気もしないでもありません。

スカイ・クロラを見て

 実は先週、友人に誘われて公開中の映画、「スカイ・クロラ」を見にいきました。詳しい内容は現在も公開中なので言えませんが、簡単に感想だけを書いておきます。

 具体的に言うと、この作品のテーマは終わりのない日常です。このテーマはこの映画の監督をしている押井守氏が何度も扱っているテーマで、「うる星やつら ビューティフルドリーマー」という作品でも、楽しい時間である文化祭の準備が永遠に続く世界というものを書いています。

 作中に、主人公は終わらない日常ということに対して、「普段歩く道、その中の些細な変化だけでは、満足することはできないのか?」という自問をしております。実は私も、このテーマについて昔から延々と考えていた時期がありました。高校時代には非常に中途半端な形でしたが、「永遠」ということについて考える小説も一本上げています。

 極論を言ってしまうと、人間というのは何かしら目に見える形で自らを含めた周囲の変化を確認しないと、生きていけない人間だと思います。共産主義の硬直化した社会や、同じことを繰り返すサラリーマンの日常、どちらも「人間的ではない」と大抵の人は批判します。逆に、変化が目に見えてわかる子供の成長などは、非常に好感を持って受け止められます。

 ちょっと話は外れますが、ゲームジャンルのなかでRPGというものが何で高く評価されるのかといったら、それはやっぱりキャラクターがレベルが上がるなどして成長するからだと思います。スタート時からずっと同じ装備で延々と同じ敵を倒すシューティングやアクションなどは、やっぱり辛口の評価を受け安いと思います。ファミコンの、「怒」はおもしろかったけど。

 しかしその一方、激しい変化に対して人間は極度の疲労を感じるのも事実です。最近だとめまぐるしい家電製品の進歩やパソコンの新機能に対して、「この際ウィンドウズは2000でもいいじゃないか」という人もでてきた……のかな、私はそうなんだけど。歴史的な事例だと、E・フロムがドイツでナチスのようなファシスト政権が誕生したのは、第一次大戦後に急激に民主化がが行われために国民は不安を感じ、逆に硬直的で保守的な政策を採ってくれるナチスを待望したためと分析しました。

 こういう風に言ってると、変化が全くないと嫌だし、かといって変化が激しくとも嫌だという。人間って本当にわがままですね。ただこれまた極論を言うと、変化の究極点というのは、やっぱり滅亡だと私は思います。それならばまだ、少ない変化でも満足できる人間の方がすばらしいのではと思い、レトロな趣味を持ち続けていこうと心に誓う次第であります。

日本の法人税は本当に高いのか?

 いきなりですが、日本はよく法人税の高い国だといわれています。特にこれを強く主張しているのは経団連、それも経団連会長でもあるキャノンの御手洗富士夫ですが、彼の言によると日本の法人税が高いままだと、有力な企業はどんどん税負担の少ない国へと本社を移転してしまい、将来的には税収が減ってしまうからという理由で、よく政府に対して法人税の引き下げを迫っています。

 しかし、私は前からこの御手洗の主張にどこか奇妙さを感じていました。というのも、先進国中世界で一番国民の税負担率が少ないアメリカを除くと、社会福祉が充実しているヨーロッパ諸国などでは国民の税負担率は日本の倍近く、北欧に至ると実際に倍以上ある国ばかりです。国民税負担率には法人税はもとより消費税や所得税といった個人の税金も含まれるため、一概に言い切れることはないかもしれませんけど、普通に考えたら税負担率の少ない日本の方がヨーロッパ諸国より法人税は低いのではないかと考えていました。

 そうしたら案の定、昔に知り合いがくれた資料、出典は分からないのですが恐らく去年の新聞の記事で、「日本企業負担 仏独の7~8割」という見出しの記事にて、日本の企業が負担する法人税、社会保険料の合計は、フランスやドイツに比べて遙かに軽いということが説明されていました。
 具体的に数字を出すと、記事には業種別に企業負担率を比べており、自動車製造業では、

  日本  :30.4%
  ドイツ :36.9%
  フランス:41.6%

 という結果になっており、続けてエレクトロニクス産業では、

  日本  :33.3%
  ドイツ :38.1%
  フランス:49.2%

 となり、両方ともに日本は他の二カ国と比べて低いということが説明されています。
 記事にははっきりと書いていないのですが、確かの法人税単体で見るならば日本は先進国の中で高い方なのですが、同じく企業が負担する社会保険料と合算すると、他の先進国より企業の負担は低いということを暗に示しており、御手洗の主張の、現行の法人税実行率40%から30%への引き下げの議論は間違っていると主張されていました。

 さらに続けて同じ記事にて、御手洗の主張のように法人税の高い日本から企業は本当に海外へ逃げるのかという点について、経済産業省の行った「公的負担と企業行動に関するアンケート調査」にて生産拠点の海外移転を計画している企業に複数回答でその移転理由を尋ねたところ、以下の結果が出たようです。

一位、労働コスト    :84.7%
二位、海外市場の将来性 :65.1%
三位、取引先の海外移転 :47.6%
四位、その他のコスト  :42.8%
五位、税・社会保険料負担:40.2%

 という結果となり、海外移転理由の第一位はやはり労働コストで、御手洗の主張である「税・社会保険料負担」を理由に挙げているのは複数回答にもかかわらず半分にも満たないため、こっちでもまた間違っていると記事で指摘されています。さらに同じ調査で「法人実効税が30%程度まで引き下げられた場合に国内回帰を行うか」という質問に対して、「検討する」と答えたのは17.8%で、「検討しない」が69.5%となり、こちらもやはり御手洗がおかしなことを言っているという結果になりました。

 このように、別にありもしない不安を煽って自分の取り分を増やそうとする御手洗の主張にはほとほと頭にきます。そもそも御手洗のいるキャノンは株式保有比率で見たら過半数を外国人投資家、企業が持っており、事実上外資系企業と言ってもよい会社です。そんな会社のトップが日本の経団連の会長をやっているだけでもおかしいというのに、日本政府に対してこんな妙な要求をするというのもおかしなことです。

 さらに付け加えると、「税金が高いから」という理由だけで海外移転を行うような企業は、いざ日本が危機に陥った際には平気で裏切るような企業のように思えます。そんな獅子身中の虫を飼っておくくらいなら、この際どんどんと出て行ったほうが日本のためになるでしょう。そんなわけで、まずはキャノンに出て行ってもらいたいもんです。こいつらは偽装請負を朝日新聞に指摘されるや逆切れして、朝日への広告を打ち切った連中だし。

2008年8月9日土曜日

郵政民営化の是非を問う

 前回、竹中氏の評価について長々と書きましたが、肝心の郵政民営化については敢えて一緒に書きませんでした。その理由というのは単純に、あれだけ長く書いている上にまた長く書いても大変だという理由からでした。もっとも、この問題はいろいろ見る側面があるので、別個に分けて書くべきだとは初めから考えていましたが。
 そこで今回は、あの9.11選挙から三年近く経っていることもあり、おさらいの意味も込めて解説します。まずいつも通りに結論から言いますが、私は郵政民営化は必要だと、あの選挙以前からずっと考えていました。というのも、この郵政民営化は郵政事業にとどまらず、様々な問題の発信源となっていたからです。

 今回解説する上でポイントとするのは、民営化の賛成派と反対派のそれぞれの主張です。まず反対派の主張から説明しますが、やはり一番の理由に挙げていたのは「地方の切捨てになる」という点でした。民営化して利益重視の事業運営が行われると、地方の郵便局はどんどんと閉鎖されてその郵便局に頼っている地方との格差がますます広がってしまう、というような言質です。この主張は民営化の討論が行われている時点でも相当報道されていますから、多分皆覚えていると思います。

 もう一つの反対派の主張は、保険業についてでした。現在も一応続けられていますが、郵便局は簡易保険といって、審査の基準がゆるくて誰でも入りやすい保険を商品として取り扱っています。収入の低い世代などはこの保険に頼っている世帯も多く、もし民営化が実行された場合、真っ先にこの簡易保険が潰されると主張していました。
 そもそも、この民営化は簡易保険を叩き潰すために行われているというのが反対派の主張でした。彼らの言うところによると、あの悪名高き年次改革要望書(知らない人はぐぐって)によって、アメリカの保険会社を日本で儲けさせるためにこの民営化は行われたというのです。

 からくりはこうです。簡易保険がなくなることによって、無保険の世帯が大量に出てきます。そういった世帯に対してアメリカの保険会社が新たに保険商品を売って、儲けるというのが小泉政権やアメリカ政府が狙っていたというのです。保険というのはある程度先進国でなければ商売が成り立たないので、すでに成熟し切ってこれ以上のアメリカでは毛から利用がない保険会社が儲かる場所といったら、ほいほい言うことを聞いてくれる日本しかなかったというのが、標的になった理由です。その先兵として送り込まれたのが、例のアヒルで有名なアフラックとアリコです。友達が勤めておいて言うのもなんだけど。

 この反対派の主張は確かに一理あります。郵政選挙の前後、専門家たちはこの主張は非常に複雑で分かり辛いため、有権者達にはほとんど伝わらなかったのが彼らの敗戦の原因だと分析していました。しかし、私に言わせてもらうならば、報道面では選挙中、刺客候補ばかりが取り上げられて賛成派、反対派ともに政策面での主張はほとんど取り上げられず、選挙前はどちらかというと反対派の方がよく取り上げられており、「分かり辛い」という理由で伝わらなかったという指摘は当てはまらないと私は思います。むしろ、ほかの主張理由の説明に力を入れていたり、反対派の政治家の説明力不足が最大の敗戦の原因だと私は分析しています。

 これら反対派の主張に対して、賛成派はどんな主張をしていたのでしょうか。まず一番多く取り上げられていた主張は小泉元首相による、「民間にできるなら民間にやらせろ。その方がサービスもよくなる」という主張でした。別にこれだけならあまり説明することもないのですが、これに加えて選挙中に小泉元首相は、政府の財政赤字を減らすために公務員を減らさなければならなく、そのために郵便事業を民営化するのだと主張しました。これは一見、もっともらしく見えるのですが、郵便局で働いていた人間は公務員全体で見るならばそれほど多くなく、もし財政再建を目指すならばもっと大きくやらなければならないと、英字雑誌「エコノミスト」にて指摘されており、事実その通りです。

 ここで話はすこし外れますが、そもそもこの郵政民営化を小泉氏がやりたがったのは自身の報復のためだと言われています。小泉氏は父親の急死によって留学を切り上げて帰ってきて衆議院選挙に臨みましたが、それまで父親を支えてきた地元の郵便局関係者の組織票約5000票が小泉氏には回らず、そっくりそのままライバルの候補者へとついてしまったらしいです。結果は5000票の差で小泉氏は落選してしまい、事実上郵政票の裏切りにあって負けたに等しかったようです。もっとも、次回の選挙で初当選を果たしたのですが、この時の怨念が小泉氏を民営化へと動かしたという説が有力です。

 さて話は本筋に戻るや唐突ですが、「財政投融資」というのは皆さんご存知でしょうか。通称「財投債」と呼ばれるものですが、この資金の元はいうなれば我々国民が郵便局に貯金しているお金です。この貯金、まさかそのまま文字通りに「貯めておかれている」と考えているわけじゃないですよね。
 実はこの貯金というのはそのまま貯められているわけじゃなく、政府の一般会計、つまり用途が示されている予算とは別に特別会計という用途が示されない形で、様々なものへと使用されてきました。その主な用途というのはこれまた悪名高き道路財政、つまり道路建設へと主に使われてきました。もちろん、使った分は返済されることが条件なのですが、今までどれだけ使われてどれだけ回収されているのか、私はまだその詳しい内実を書いた報告書等は見たことがありません。

 この財投債、貯金好きの日本人をバックに抱えてるもんだから世界でも最大級の資金量を持っており、そんなにあるもんだから政府も無駄遣いに無駄遣いを重ね、これまで何度も指摘されていたにもかかわらずとめることができずにいました。それならば問題の根をたたけとばかりに打ち出されたのが、この郵政民営化で、私も小手先の改革では効果は望めないと考えていたので、郵政民営化を支持する第一理由としていました。

 さきほどに簡易保険について専門家らが、複雑で分かりづらいと言っていたことを説明しましたが、私の目から見るとこの財投債の存在と用途の方がよっぽど分かりづらく、また問題の根が深いと思います。それで考えたら、政策討論の国民への浸透については両者条件は同じだったのではないでしょうか。

 さらに言うと、賛成派の方が反対派の主張に対してきちんと対案、対策を出していたようにも思えます。まぁ口だけかもしれませんが、簡易保険は維持することを確約し、地方郵便局維持のために後年行われる株式の公開益3兆円を維持対策費に回すことを約束したりして、それなりに賛成派は答えは出していたのですが、逆に反対派は賛成派の民営化が必要な理由に対して、ただ反対するだけで問題の解決法を何も出していなかったように思えます。

 その代表的なものが、地方の郵便局にある「特定郵便局」の局員の問題についてです。この特定郵便局の局員や局長は基本的には世襲でした。世襲なので、そこの郵便局の人の子供はなんの条件もなく公務員となり、局員などをやってました。はっきり言いますが、反対派はこの制度だと地元との結びつきが強いとか言ってましたが、これは明らかに憲法に違反した制度です。世襲で公務員になれて、給料ももらえるなんて馬鹿げています。でもってこの制度を変えないと約束する代わりに、その政治家を支える組織票となっていたのですからどんだけ間違ったことをやってるのか。この間違っている制度も民営化によって廃止するという賛成派の主張に対し、民営化反対派はなんの対案も出しませんでした。そりゃ対策出したら自分の票田をなくすんだしね。

 財投債の問題も何の対案もありませんでした。こちらは道路利権とも結びつくので、考えるわけないでしょうね。
 以上のような理由すべてを分析し、私は民営化賛成派を支持するに至りました。案の定というか、書いてて疲れました_(._.)_