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2008年9月12日金曜日

人の痛みを我が物とする人たち~後編~

 昨日今日と延々データ入力作業をやってて正直しんどい上に、気合のいる記事の執筆なので、ちょっとYoutubeでスパロボの曲とか聞いてます。結構元気になるもんだ。
 そんなどうでもいいことはほっといて、早速昨日の続きです。まず最初に私の経験を話します。

 これは私の友人の話ですが、彼はインターネットのヘビーユーザーに分類されるくらい毎日ネットをして生活しており、話す話題も大体ネットで流れている情報ばかりです。そんな彼と話をしていたある日、なんかの拍子で現実に存在する某利権団体の話題になった際、その友人は非常に感情的になって激しい言葉でその団体に対する批判をまくし立て始めました。そこで一通り彼の意見を聞き終えた後、私は彼に対してこう尋ねました。

「ところで、君はその団体から直接的な被害を被った事はあるのかい?」

 別に隠す必要もないのでその団体名もこの際挙げますが、その友人が批判していたのは音楽著作権管理団体のJASRACです。友人はJASRACが汚い手段で金を儲け、アーティストなどを圧迫させているし多くの一般人を困らせているなどとあれこれ例を挙げて言うのですが、私の目からするとまるで路上で誰かによって突然殴られたかのようなほどの激しい剣幕で怒るのに奇妙さを感じ、改めてこう言いました。

「君がJASRACに怒りを覚えているのはよくわかった。しかし私にそんなことを伝えたところでどうにもならないし、具体的に君がどうしたいのかがいくら聞いても見えてこない」

 私がその友人に一番奇妙さを感じたのは、まるでその友人自体がJASRACによって被害を被っているかのように話す点でした。これはその友人に限るわけじゃないのですが、一般的に人間は、何かしらの攻撃に対する抵抗であれば、どんなことをしてもいいという前提があるような気がします。大きな例だと9.11後のアメリカの中東世界への対応、卑近な例だとモンスターペアレントに代表されるクレーマーですが、被害者という立場を得ると人はまるで免罪符を得たかのように途端に攻撃的になる気がします。

 今後はどうなるかはまだわかりませんが、少なくとも現段階でそういった感情を持つことは別におかしくはないように私は思いますし、世間も被害を受けての抵抗ならば何をしてもしょうがないというような認識を持っているように思えます。
 しかし、それが許されるはあくまで当事者の場合です。今に始まったことではありませんが、当事者でないにも関わらず、社会事件などに激しく批判する人間というのは本質的に邪悪だと私は考えています。

 特に一番それが顕著に現れたのが姉歯元建築士による強度偽装事件でした。事件が発覚するや実際に強度が偽装されたマンションに住んでいた方々などは非常に不憫でしたし、事件の関係者に対して怒る気持ちもよくわかるのですが、連日の報道ではまるで知った風な口調でコメンテーターなどが事件の関係者を非難し、またネット上でも激しい暴力的な批判が毎日のように並びたてられました。

 しかし、こうした批判が行われた結果はどうだったのでしょうか。そういった世間の批判に答える形で改正された建築基準法によって今度はなかなか建築許可が下りなくなり、土建屋を中心とした経済活動などでは目に見える形で悪影響を受けました。私は土建屋やゼネコンに対して談合問題などがあった背景から批判的ではありますが、この制度改正によって真面目に仕事を行ってきた土建屋の方々はどうなったのかと思うとこれもまた不憫に思います。
 そしてなにより、この事件では明らかに連日のパッシングが原因で姉歯元建築士の夫人は自殺に追い込まれています。

 これもちょっと以前にコメント欄などで話をしましたが、社会事件などで激しい批判が行われるために、何の罪もない犯人の近親者が学校の転校を迫られたり、仕事を退職せざるを得なくなったりと、いわゆる報道被害というものがよく発生します。特に最近だとインターネットを通して根も葉もない情報から大きな被害を被る方も現れ、問題の重大性が拡大しているようにも思えます。

 こうした背景にある心理として、「犯罪者になら何をしても許される」というような前提があるのも一つの要因ではないでしょうか。しかし昔から罪を憎んで人を憎まずという言葉があるように、社会悪などに対して個人的な怒りの感情をぶつけるべきではなく、何をどうすればその問題の対策になるのか、純粋にどの行為に対して怒りを持つのかと、私なりに言えば冷静な怒りが要求されると思います。

 そこで最初の話です。人間は一旦自分が被害者だと思うと、非常に攻撃的になります。これは数十年かそこらでは恐らく絶対に変わりっこない前提です。にもかかわらず今じゃ社会事件などに対するテレビの報道などでは明らかに視聴者に対して被害者意識を煽りたてるような報道ばかりします。今の三笠フーズの事件だって、焼酎を飲んで病気になったのはこいつらのせいだと言わんばかりの報道です。

 私が言いたいのは、部外者であればあくまで部外者という立場を認識して事態を見つめるべきだということです。決して報道に乗らず、自分も被害者であるように思い込んで問題の本質を外した批判を行うべきではありません。真にそういった社会問題を解決する手段は一時の激昂ではなく、継続した批判であると私は思います。なので今でも解決されない問題を常に忘れないよう、障害者自立支援法やトービン税などの問題を機会あるごとに取り上げていき、周りにも喚起していくつもりです。

 人に同情することは別に悪いことではありません。しかしあまりにも同情するあまり、自分も被害者だと思い込むようになったら話は別です。今、アメリカがアフガニスタンとイラクで苦しんでいるのはまさにこれが原因であると思います。
 こんなえらそうなことを言ってはいますが、私自身もかつてはそんな人間でありましたし、今でも完璧に切り分けられる自信はありません。しかしできないまでも心に深く刻み、忘れない心がけとして持って、明日もまた社会批判を行っていくつもりです。

2008年9月11日木曜日

人の痛みを我が物とする人たち~前編~

 前々から何度か書こうとしては匂わせるだけで終わらせてきたこのネタですが、今日あたり腹をくくって書くことにします。まず結論から言うと、被害者意識ほど暴力的な感情はないということです。

 よくインターネットを見ていると、社会悪や政治的問題などに対して義憤や公憤を通り越して、自らの私憤を吐き出すかのような強い口調で批判する記述が多く見られます。しかしそれらの記述を見る限り、どう考えてもその記述をしている人間が怒りの対象から直接的な被害を被っているようには見えませんし、怒っているのはわかるが、果たしてその怒りの対象にどうなってもらいたいのかというのもよく見えてきません。

 こういった例に一番代表的なのは中国や韓国への罵倒です。確かに私自身も政治的問題などでこの二カ国に対して腹の立つことがよくありますし、過去に書いた「東シナ海ガス田問題における日中の駆け引き」の記事のように批判したりもします。
 しかし、この二カ国へのネット上の批判は八つ当たりに近いものも多く、中には事実のはっきりしない情報を元に滅茶苦茶なくらいにこの二カ国を見下げたり、罵倒したりするものもあれば、呆れるくらいにお粗末なことを言い出したりする人までいます。

 最近に私が一番呆れたのは、北京オリンピックを前にして景観をよくするために中国は枯れた芝などに緑のペンキを撒いている、中国人はなんて遅れた連中なのだ……という記事が今年の三月だか四月くらいにあちこちで流布されていましたが、知らない人のために言っておきますが、こんなの日本でもあちこちで行われています。特に行われているのはゴルフ場などで、冬でも芝がきれいな緑色なのはこれが理由です。中国を馬鹿にした人間は、一体どんな神経をして言っているのか不思議でしょうがなかったです。

 それに続いて流布されたのは、中国で風水のために山を黄色のペンキで染めたという記事でも中国を嘲笑する記事が多く目立ちましたが、あれこれ調べてみたところ、現地の人間もペンキで山を染めた人間に呆れており、現地警察などは染めた人物を取り締まったという情報もあったので、このニュースでもって中国人全体を嘲笑するべきではない事件だと私は思いました。もしこれでいちいち馬鹿にしていたら、スイカが腐ってたか腐ってなかったかで裁判になり、八百屋へ賠償金額800円(たしかこれくらい)が申し渡された事例を元に、日本も馬鹿な国だと言われてもしょうがないじゃないですか。

 ちょっと話が脱線しましたが、このようにネット上、果てには通常の世界でも社会悪や政治問題に対して、まるで自らが実害を被っているかのような、当事者のようなやや感情的とも取れる怒りの発言がこのところ目立つようになってきたと私は思っています。
 しかし韓国を批判する人、中国を批判する人たちはなにか実際にそれらの国の人にひどい目に遭わされているのでしょうか。私の想像だと、恐らくネット上で批判している人の大半はほとんど接触らしい接触を、私のように中国人に実際にハニートラップを喰らわされた経験を持つ人なんていないでしょう。にもかかわらず、彼らはこの二カ国を憎んでいる。この構図、なにか見覚えはないでしょうか?

 勘のいい人ならすぐ理解できると思いますが、これは伝え聞くところの韓国や中国の人が日本を憎むという構図と似ているように私は思います。この二カ国の人、この際若者と言った方がいいですが、自分たちが直接日本との戦争体験をしたわけでもないのにも関わらず、過去の戦争の門で日本を激しく責める、憎むという構図です。自分たちは何も日本人に銃を持って追いかけられたというわけでもないのに、軍国主義日本は悪だという認識を持ち続ける、自分たちが日本との戦争の被害者だと思い続ける。

 こうして考えると不思議なものです。日本と中国、韓国の人間はお互いに接触がないのに、何故だか互いに憎み合う。しかもそのどれもが被害者意識を持ち、やれ政治的に圧迫をかけられただの、相手国の犯罪者が日本でひどいことをしているなど、どれも抽象的で自らの体験による具体的な例がどれも欠けます。
 こうした事を言うと、じゃあお前は中国や韓国に日本が好き放題にやられても黙ってろと言いたいのか、とか、同胞がひどい目に遭わされているのに同情するなと言いたいのか、と言われそうですが、それでも敢えて私はこうした批判をする人間に対して批判を行います。

 私は何も、社会悪や政治的な問題に対して怒りを持つな、同情するなと言いたいわけではありません。しかし最初に言った通りに、怒りにはそれぞれ正しい持ち方があり、特にこうした社会的な問題に対しては被害者に同情するあまり、感情的な怒りを持つのは非常によくなく、またそれ自体がひどい暴力性を持ってしまうことに対して警告がしたいのです。
 自分とてこのブログで結構きつい表現で何かを批判することがあり、必ずしもこうして自分が言っているようにできていない所もありますが、それでも冷静に社会悪に対して怒るよう心がけています。

 多分今晩一晩、何気に帰宅したのが九時を過ぎていたので無理だろうと考えていましたが、案の定書ききれなかったので、何故この過度な被害者意識を持つことが危険なのかについては、また明日に細かく書きます。

2008年9月10日水曜日

森喜郎の変節

 このところ毎日総裁選の記事を書いていますが、今日のところでようやくひと段落つけそうです。今日は自民党総裁選の公示日に当たり、立候補者がようやく固まりました。結局最初に立候補した七人のうち、棚橋氏と山本氏は推薦人が確保できなかったのか降りることになりました。山本氏なんて総裁になった時点ですぐに選挙を行うことを約束すると言っていましたし、過去には安倍政権時に郵政選挙で離党した議員が復党する際に、この人は安倍元首相べったりかと思ったら堂々と、「今度の復党は私が考えていたものとは大きく異なります」と、はっきり安倍元首相を批判していたので、なかなか見直していた矢先だったので残念です。

 もう少し深く書くと、人によっては山本氏をテレビばっかり出てパフォーマンスばっかの人間だと批判する方もおられるようですが、私は政治家たるもの自分の考える政策を常に有権者に訴え、説明してなんぼだと思います。テレビにも取材にも出ず、じっと黙っているというのが理想の政治家像というのはどう考えても間違っているし、そんな人間らよりきちんとテレビなどに率先して出て、自分の政策を訴える政治家の方を私はずっと評価します。第一、政治活動自体一つのパフォーマンスなんだし。

 それで話は変わりますが、実はこの七人のほかにも、立候補者に名を連ねかけた人物がもう一人いたそうです。何を隠そう、野田聖子です。

野田消費者相、森氏の出馬要請を断る(YAHOOニュース)

 リンクに貼ったニュース記事によると、福田首相の辞任会見の翌日に森喜郎が野田聖子に総裁選への立候補を促していたそうです。もっとも野田聖子は修行不足を理由に断ったそうですが、はっきり言ってこの森喜郎の行動に激しい怒りと呆れを私は強く感じました。というのも、先ほどにも少し触れましたが野田聖子は郵政復党組です。こんな人間が総裁選に立候補するなんて、それこそ旧利権を断ち切るために行ったあの郵政選挙とその後に行われた改革をすべて無にするような愚考です。さらに言えば、もし森喜郎が野田聖子を応援していたのならば、まず間違いなく森喜郎のいる町村派は上げ潮派の中川秀直氏が小池百合子氏らとともに派閥を出て、町村派は分裂を起こしていたでしょう。それくらい野田聖子の立候補は強いアレルギーを含んでいます。

 その森喜郎は今じゃ素知らぬ顔で麻生氏支持を表明しています。政策的に麻生氏と野田聖子は真逆ではありませんが、かといって重なるものもないでしょう。何故こうもころころと適当な支持を見せるのか、またなんで何の考えも持たずに分けのわからない行動を取るのか全く理解できません。それほど発言力が強い人間ではありませんが、今じゃ立派な自民党の老害となっています。そういえばもう一人の老害、参議院の青木氏はなんかすっかり影が薄くなったなぁ。

矢野浩二氏について

 最近中国ネタを書いてなかったので、近々またでかい連載でも始めようかと考えていた矢先、個人的に非常に興味の持てる記事に本日巡り合えました。その記事というのは今日発売の文芸春秋の最初のエッセイに、題に書いてある矢野浩二氏が寄稿している記事のことです。

 この矢野浩二氏については私は前々から知っており、その活躍に陰ながら心躍らせていた一人でした。この人の職業は俳優で、単身中国にわたっていわゆる反日ドラマ、悪い日本の軍人が中国人をいじめて最後に中国人に倒されるというドラマにおいて、日本の悪い軍人役などをやり続けている方です。

 ここで軽く解説しますが、向こうでは本当にこれでもかというくらい反日ドラマのレパートリーが豊富です。よくもまぁこんな作ったもんだと思える量に飽き足らず、本当に毎日、昼ごろとかゴールデンタイムには何かしらが放映されて、しかもよく見ると延々と再放送が繰り返されたりしてます。

 それで話は戻るのですが、この矢野氏は日本で売れなかったために中国に渡り、比較的役にも恵まれて演技活動を行ってきていたようなのですが、やはりひたすら悪い日本人の役をやり続けることに呵責を感じていたようで、あるドラマ(烈火金剛)の撮影において、自分が演じる悪い日本兵が中国兵に撃ち殺されるシーンにてアドリブ、というより自然に涙が流れたそうです。

 矢野氏が言うには日本兵も一人の人間で、異国で死ななければならないという不条理を考えたら自然に涙が出てきたそうなのですが、このドラマが実際に放映されるや、ドラマを見た中国人も日本兵も自分たちと同じ人間なのだ、家族もいれば守るものもある、そして同じように命を失うのだ、といった具合に受け止められたらしく、矢野氏のこの演技が高く評価されたそうです。
 その後は矢野氏が言うには相当に顔が売れたらしく、「君はあの恐ろしい日本兵役の人じゃないか。すごい演技だったぞ」とか「君はあの日本鬼子か」などと、タクシーなどに乗るたびに声をかけられるようになったそうです。

 この今出てきた「日本鬼子」というのは中国語における日本人への蔑称ですが、日本のホームページの中にはこの言葉を未だに中国人が日本を見下している言葉だなどと説明する人もいますが、私自身の実感だと、確かに蔑称から生まれてきた言葉ですが、今じゃ半ば冗談をやり合う際の言葉として使う方が断トツに多い気がします。私自身、中国で教室に入る際に「日本鬼子来了!(日本鬼子が来たぞっ!)」などと言ったりしましたし、さらに言えばタイでもこのような日本人の蔑称があるそうです。

 矢野氏自身も同じようで、街中で日本鬼子とよく言われるそうですが、彼自身の演技で日本兵のイメージが変わるのならば、「全然気にしていません」と答えるようにしているようです。

 よく両国における相手のイメージというのは歴史的なものからくるのは固定的で、一生変えることができないという人もいますが、韓国のヨン様の件もありますし、昔ならともかく今の時代なら結構くだらないことで好転したりすることも私はありうると思います。そう思うからこそ、外国人に会った際はなるべく丁寧にしていいイメージを持ってもらうようにと、私はいつも心がけています。

2008年9月9日火曜日

三笠フーズの事件について

 既にニュースなどで取り上げられていますが、食品卸売り販売会社の三笠フーズが農薬などに汚染されのりの製造といった工業用にしか本来使用が許されない「事故米」を、酒造会社などに販売していたそうです。そのおかげで今、どこの酒販売店でもリコールの嵐になってるそうですが、鹿児島県生まれのうちのお袋に言わせると、鹿児島の人間なら事故米の酒だろうと捨てるならくれと言い出すだろう、とのことです。実際、親戚見ていてそんな気がします。

 今回のニュースに始まるわけじゃないですが、こうした食品関係のはちゃめちゃっぷりは昔からだそうです。今回表に出たのも氷山の一角と言いますし、慌てるだけ損、どうせ日本人はただでさえ長命なんだから、そんなに大きく気にしてはいけないと思います。もちろんこんな不正をしている会社を許してはいけませんが、だからといって消費者が過剰に怒りを持つのはかえって危険な気がします。それこそ以前に書いた「韓国BSE騒動について」で触れているように、途中からわけのわからないほうにその怒りが向けられる可能性があります。実際、日本でもBSE騒動の際はその兆候がありました。

 ここでちょっと書きますが、私は単純に被害者意識ほど危険で手に負えない感情はないと思います。以前に教わっていた人の受け売りですが、戦争と平和というのは必ずしも対立関係にあるわけでないそうです。というのも、国や家族を守るために戦争をする、というような理由立てで戦争が引き起こされることも珍しくないそうです。実際、戦争というのはかつての日本や今の北朝鮮のように貧しい側から引き起こされることの可能性が高く、その際には富める国に対して、「あいつらのせいで自分たちが苦労しているんだ」というように、被害者意識を為政者は掻き立てて戦争にします。

 また今度にこれについて深く書きますが、くれぐれも言っておくことは被害者意識はないに越したことはないということです。社会での不正や悪巧みに対して怒りは必要です。しかし、冷静さを失った怒りというのもまた悪だということです。

首相辞任劇の政治風刺について

ロンドンの甃 「首相11号」の辞任(MSNニュース)

 リンクに貼ったニュースによると、英紙「フィナンシャルタイムズ」では日本の首相はころころと変わることから、唯一任期の長かった小泉元首相を除いて90年以後からは番号で呼ばれていたようで、今回の福田首相辞任劇も福田首相のことを「首相11号」と呼んで、
「鳥だ! 飛行機だ! いや、奈落に落ちていくのは日本の首相だ!」
 という風に書かれたそうです。表現的に非常にうまいですし、いい意味で政治風刺になっていると思います。こうした政治風刺表現は昔はそうでもなかったのですが、今じゃ日本にはまともなジャーナリストはいないのか、こうしたシニカルで面白みのある政治風刺はほとんど見られなくなりました。

 今回の辞任劇でも、辞任会見の際に福田氏が言った「あなたとは違うんです」という、中国新聞記者の質問に対して言った言葉が評判になってますが、これは言葉自体がネタにされているだけで別にジャーナリストが自ら作った表現でもなく、現段階で今回の辞任劇を言い表すうまい表現というものは未だに出てきておりません。

 さてそんな風に政治風刺のことを考えていた時、突然ちょうど一年前の出来事を思い出しました。その一年前の出来事というのも、安倍前首相の辞任劇です。
 今回の福田首相同様に臨時国会の開会直前の突然の辞任劇に当時もマスコミはあれこれ安倍氏(どうでもいいけど、テレビで見てて毎回「あべし」と、北斗の拳っぽく聞こえていたが誰も突っ込まなかったなぁ)を非難する報道ばかりで、最初に紹介したような思わずうならせるような政治風刺表現はあまり見受けられませんでした。

 しかしそんな中、唯一ある全国紙の新聞が冒険をしてきました。何を隠そう、朝日新聞です。

「近頃OLたちの間で、『アベする』という言葉が流行っている」

 とか言うような書き出しだったかな。
 一年前、朝日新聞は自紙の社説にて、突然予定をキャンセルする、責任を果たさないということを安倍前首相の突然の辞任劇に喩えて「アベする」という言葉が出来、この言葉がこのところあちこちで流行っているという社説を書いてきました。
 もちろん私個人の実感でもこんな「アベする」という言葉は一度も聞いたことがなく、お世辞にも流行っているとはとても言えない状況で、まず間違いなくこの社説を書いた人が自分が作った表現を大げさに書いたに過ぎないものでした。しかし朝日新聞に対して反感の強い「2ちゃんねる」などではこの社説が出るや、やれ捏造癖が出ただの、いやらしい表現だの、果てには今年のネット流行語は捏造を行うという意味の「アサヒる」だとあれこれ騒ぎになりました。

 私としては確かに表現に行き過ぎはあったものの、朝日新聞は他のジャーナリストが安倍首相の辞任劇を風刺する表現を一切行わない中で唯一挑戦してきたので、その点を考えると、表現に挑戦してこなかった他紙よりはずっと立派だと思う……一方で、確かにくだらない表現だなぁとも思っちゃいます。まぁ頑張ったけど努力が足らなかったんだねというような評価です。

 しかしこの問題は、その後何故だか場外乱闘にまで発展する事態になっていきます。
 私が憎んでやまず、毎夜北斗七星に向かって呪いを送り続ける中日新聞がこちらも社説にて、

「いや、朝日の言うとおり確かに『アベする』という言葉は流行っているぞ」

 とか言い出してきました。こちらも2ちゃんねるの方々から嫌われているだけあって、こんなこと言い出してまたあれこれ叩かれました。はっきり言って私も、だったらきちんとRODでもいいから統計調査した結果を出してみろよとか思いましたよ。朝日は行き過ぎがありましたがあくまで事態を表現しているのにとどまっているのに対して、中日は主観で分けのわからないことを言い出してきた辺り、余計始末に置けない気がします。ほんと、この新聞社は早く潰れてくれないかな。今日もまた呪おう。

 さて、何故私がこんなことを今日になって思い出したのかというと、今の状況こそまさに、朝日新聞の言う「アベする」という状況なんじゃないかなぁ、と思ったからです。首相の突然の責任放棄による辞任、状況から主役まで全く一緒なんですし、せっかく作った表現なんだから朝日新聞も再利用して、

「去年に引き続き、OLたちの間で『アベする』という言葉が流行っている」

 という風にまた社説を書いてきたら、捏造とはいえその熱意だけは認めてもいいのではと思いました。しかし一応やめるのは福田首相なのですから、

「去年の『アベする』に引き続き、OLたちの間で今年は『フクダる』という言葉が流行っている」

 という風にでもなるのでしょうか。にしても、OLばっかじゃなくてたまにはOG(オフィスジェントルマン)の間で流行ってもいい気がします。それと、「フクダる」と書くとなんとなく、「突然キャンセルする」という意味より、「オランウータンに似てくる」というような意味合いに聞こえてきそうです。もしくは、「あなたとは違うんです」と、自分を客観的に見られる人間になってきたというような意味合いでしょうか。どっちにしろ、こんな言葉が流行ることは永遠にありえないでしょう。

2008年9月8日月曜日

韓国経済ニュースについて

韓国ウォンが過去10年余りで最大の上げ、当局が介入実施のもよう(YAHOOニュース)

 前々から韓国の通貨「ウォン」が大幅に下落して、第二のアジア通貨危機が起こるのではないかと噂が流れていましたが、このニュースによるとどうやら危機感は一時的に解消され、ウォンの価格も値上がっているようです。今日の日経平均株価も先週に一気に400円位下がり、景気の先行きに不透明感が広がっていましたが今日は一転400円以上の値上がりを見せています。

 あまりこれらの激しい変動の背景などを把握はしていませんが、中国もオリンピックが終わってそろそろ世界的にも景気後退期に入るのではないかと思っているので、何かしら情報があればご提供ください。