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2008年12月11日木曜日

雇用・能力開発機構の廃止について

雇用能力機構を廃止=職業訓練機能は別組織へ-政府(YAHOOニュース)

 既に今年の前半において当時の渡辺元行革相が廃止を訴えたにもかかわらず一度は流れたあの雇用・能力開発機構の廃止がとうとう政府で決められたそうです。

 話せば大分古くなりますが、この雇用・能力開発機構はかねてより何かと問題に上がっては槍玉にされていた行政法人で、最初に大きく取り上げられたのはここが運営していた、年金財源を元に作られた「私のしごと館」でした。この「わたしの仕事館」には以前に住んでいた場所から近いこともあって私も行ったことがありますが、まずなんといってもその施設の豪華さに目を見張りました。それこそ柱から装飾に至るまで一級品の材料で作られており、果たしてここまで豪華に作る必要はあったのかという疑問を持ちました。
 しかし施設内の講習で私は「マーケティングリサーチャー」を選んで受けたのですが、講習の内容は非常によく、また講師の方も私からの個人的な質問に付き合ってくれるなど熱意もあり、施設はともかくその機能においては評価するものがありました。

 しかし知っている方はわかるでしょうが、この施設の運営に毎年非常に多くの税金が投入されており、同じような内容のこちらは民間が運営している「キッザニア」は黒字を出しているのに比べると、やはり問題のある施設という結論に至ります。
 そういう背景からこれまで何度もこの「わたしの仕事館」とその運営母体の雇用・能力開発機構の廃止が取りざたされてきたのですが、天下り先を失いたくないために厚生官僚やそれを支援する族議員によってその動きは阻止されてきたのですが、どうやら今回ばかりは形だけになるかもしれませんが、廃止が本格的に行われそうです。

 実はこの雇用・能力開発機構については田原総一朗氏も私が以前に行った講演会にて言及しており、なんでも元々はエネルギー革命によって主要エネルギー源が石炭から石油に移ることによって、仕事にあぶれる大量の炭鉱労働者の再就職の支援を行う目的で作られた行政法人だったそうです。田原氏によると既に現在において元炭鉱労働者というのは皆無に等しく、雇用・能力開発機構はその役目を終えており本来ならもっと早くに廃止すべきだったと述べていましたが、言われるとおりだと私も思います。

 それが今回ようやく遡上に乗ったということで一安心なのですが、以前に知り合いの上海人から、
「日本の政治はなんに関しても決断が遅いね。中国だったら上がやるといった時には既に政策が行われているよ」
 という風に言われ、私も素直にその通りだと言い返しました。
 中国はそれこそ裁判においても死刑判決から二週間後に即執行などと、共産党一党独裁の強みとも言うべきなくらいに行政のスピードが早い国で、その分間違った政策もどんどんと行ってしてしまうという弱点も持っています。
 その分日本は議論にゆっくり時間をかけて確実に成果の期待できる政策だけを実行している……と言いたいのですが、この雇用・能力開発機構一つとっても、日本は最初に政策を作るのに延々と長い議論の時間をかける割には実行されてみるとやっぱり間違った政策だったということも珍しくなく、また間違えた政策だったとわかっても今度はそれの改善や廃止をするのにまた延々と長い議論が必要だという、きわめて不効率な政治環境といえます。

 私の意見としては、政治の世界というのは前例があるのならともかく基本的には未知の領域に対してどう対応するかということの連続で、全く議論しないというのは論外ですがたとえ長い時間議論をして政策を作ったとしても、それが正しい政策となるかどうかは常に世の中が変動する影響から確率的には非常にランダムなものだと思います。
 それならば物は試しとばかりにどんどんと小規模に政策を打ち出し、その政策の実効果や反省を元に改善を素早く加えてから大規模に実施するという方がよっぽど確実だと思います。そしてもしこれをやるとしたら何が肝心かというと、それはやはりスピードになります。

 中国などは70年代の改革開放期に「経済特区制度」を設けてシンセンにて実験的に資本主義経済を導入し、徐々にそれを他の主要都市から全国へと広げていった実績があり、また日本としても小泉内閣字に「構造改革特区制度」を設け、一部の地域限定で実験的な政策を素早く行えるようになり、私としてもこの動きを歓迎します。

  追伸
 「中国官僚覆面座談会」(小学館)によると、中国でも官僚は利権や天下り先を持っており、給料は低くても賄賂などによる副収入から優雅な暮らしが約束されているそうですが、日本の外務省に当たる外交部は一切利権がなく月々の給料の4,000元(60,000円)しか収入がないため、他の官僚たちからは「あいつらの国の忠誠心は本物だ」と誉めそやされているそうです。

2008年12月10日水曜日

最近の格差問題の報道について

 今見たニュースですが、これはやりすぎでしょう。

USEN「違法な安値」に20億賠償命令 有線業界2位のキャン社勝訴(YAHOOニュース)

 もともとUSENはこれまでに何度も法律を無視して処罰を受けている会社ですから、今更あまり驚きませんが。

 さて最近時事解説が少なくなってきているので、ちょっとまた短いながらもついでにやっておこうと思います。
 まず経済ですが、最近あちこちで内定取消しのニュースが急激に行われるようになってきました。こうして報道が行われるようになってきた背景には派遣社員や期間従業員などのリストラがどんどんと押し進められ、昨日にはソニーも正社員を一挙に減らすと発表するなど雇用問題が内定取消し者に限らず範囲を広げて大きくなってきたことが背景でしょう。

 特に派遣社員の場合は契約の打ち切りによって社宅から突然追い出されてしまうなど、再就職先を探そうにも探せなくなる上に大きなハンデを抱えてしまうなどといったことが派遣社員の側から主張され、会社側の要求に抵抗するためあちこちで派遣社員のみの労働組合が出来始めているという報道が目立ちます。
 労働組合とくれば今年に入り小林多喜二の蟹工船ブームが起きたり、共産党の入党者が若者を中心に一万人も増加するなどといった報道もあり、また私が聞いた話だとドイツでも若者の失業問題が増加しているらしくまたお決まりのネオナチが増えてきたとかいうニュースが出るかと思っていたら、なんと向こうでは自国出身ということもあるのかマルクスの「資本論」がブームになっているそうです。なんていうか、蟹工船とマルクスの「資本論」とを比べると、ちょっと差を感じてしまいます。ちなみに、私は「資本論」は買ったものの途中で投げました。

 ちょうどこの前読み終えた「論争 若者論」(文春新書)の中でこの蟹工船ブームについて金沢大学の仲正昌樹氏が寄稿しており、近年、何でもかんでも格差や派遣といった言葉に結び付けた現象と原因の因果論が多すぎると警鐘を鳴らしております。記事の中では今年に起きた秋葉原連続殺傷事件を例に挙げ、左翼側の知識人は知った振りをして犯人は派遣社員でその社会的構造から来る不満が今回の事件の遠因になった主張しているが、この犯人には両親のいる実家もあり、また派遣契約も最初の報道のように当時は打ち切られる予定もなく実際には追い詰められた状況とはほど遠い状況であることを指摘し、またその他の派遣社員についても、蟹工船の中で描かれているような逃げ場のない海の上で監視や暴力によって抑圧された状況にいるわけではなく、作者の小林多喜二の置かれた状況のような官憲による監視の目のない現代と蟹工船を比すのは土台からして間違っていると主張しています。

 私自身も、派遣制度の問題や格差の現状については確かに問題だとは思いますが、言われて見ると今は何でもかんでも悪いことや問題(犯罪等)が起きたら派遣や格差がすぐに原因として持ち上がってきており、いくつかはこじつけの部分もあるのではないかという気になってきました。
 先ほどの仲正氏は一部の評論家や経済学者による格差ゆえに結婚や恋愛も出来ない若者が増えているという主張に対し、子育てはともかくそういった恋愛関係まで本当に格差が影響するのかと疑問を呈し、もっと冷静にこれらの問題を分析するべきだと主張しています。

 私も基本的にこの意見に同感です。たとえば内定取消しの問題についても、以前に書いた「内定取消しについて」の記事のように就職が行われる遙か以前に行われる現在の企業の採用慣行自体に問題があると睨んでいますが、この意見が正しいかどうかは別として、今日日の報道を見ているとただ内定取消しを行った企業をなじるだけの報道ばかりが目立ち、問題の根本的解決についての議論はあまり見当たりません。
 私が社会学を教わる最初に、「社会に対してウォームハートを持って問題を見つめ、クールな思考で分析せよ」と教わりましたが、まさにこの通りでしょう。

呉起と商鞅

 また史記の話ですが、前にも書いたとおりに史記は言ってしまえば「優秀なる敗者たちの物語」です。史記で紹介される人物のそのほとんどは当時としては非常に優秀な人物ばかりですが、最終的にはその才能が理解されなかったり周囲に妬みをもたれたために悲劇的な末路を辿る者ばかりです。
 その代表格ともいえるのが今日紹介する呉起と商鞅の二人で、両者はその運命から生前に行った政策までもが全く似通っているので、最近歴史の記事を書いていないのもあるのでこの機会に私からも紹介しようと思います。

 まず日本の戦国時代を題材にした本を読むとよく出てくるのが「孫呉の兵法」という言葉ですが、孫呉の孫は孫子の兵法とみんな知っていますが、後ろの呉という文字が何故入ってくるのかとなると意外に知らない人間が多いように思えます。この呉の文字こそ、ここで紹介する呉子こと本名呉起のことで、この人物は中国の戦国時代に軍略から政略に至るまで幅広く活躍した人物です。
 呉起は当初いろんなところを流浪し、一時は魏の国にて活躍をしたのですが彼の後ろ盾となっていた当時の魏王が死んだことによりその地を離れ、当時、というより戦国時代全体を通して後に中国をはじめて統一する秦に次ぐ強国だった楚に行きました。そこで呉起は戦争の指揮から内政の指導に至るまで文字通り大車輪のごとくの活躍を見せ、彼がいた時代に楚は大きく躍進しています。

 特に戦争についてのエピソードでは面白いものが多く、呉起は最高司令官にあるにもかかわらず在軍中は一平卒と同じ格好をした挙句、馬にも乗らずに徒歩で一緒に進軍していたそうで、更には負傷した兵士を見ると片っ端から自らの口で膿を吸い出すなどして兵士を鼓舞していったそうで、これを見た兵士たちも否応にも士気は高まり連戦連勝を繰り返して行ったそうです。

 そして内政面では、これははっきり言いますが当時としては非常に画期的なことに家臣の雇用において俸禄制を実施しています。
 それまでに当時の国家は家臣を召抱え場合、功績があった際に恩賞として国王は土地を与えていました。しかし与える土地にはもちろん限りがあり、一旦上げてしまうとその土地は一族に受け継がれていくのでよほどのことがない限りはその土地を再び召し上げることも出来ず、自然と土地は国王の一族だけに独占されていくようになってよほどのことがない限り外部の人間に土地を与えることはありませんでした。これに対して呉起は家臣の土地を一旦全部召し上げて、その代わりに領土で取れる小麦などの農作物を現代の給料のような形で与える方式の俸禄制に切替え、身分の世襲から才能ある人物の活発な登用など固定した環境を流動的に変えていきました。
 ちなみに、この俸禄制を日本で本格的に運用したのは織田信長が初めてです。信長はごく限られた一族の人間を除いて家臣へは俸禄で以って雇い続け、浅井、朝倉を打ち倒した後に初めて明智光秀に領国を与えています。なお信長は16世紀の人物に対して呉起は前4世紀の人物で、如何に呉起に先見性があった、もとい当時の日本の制度が遅れていたかがよくわかります。

 こうして楚は優秀な人材を揃えた上に役に立たない人物は片っ端から田舎に送って開発を行わせたために強国になりましたが、呉起の後ろ盾となっていた当時の楚王が死んだことにより、かつて土地を有していた元貴族たちがこの時に恨みを晴らさんとばかりに呉起を襲って殺してしまいました。そして呉起の死後に楚は制度を元通りに戻してしまい、横山光輝氏などは呉起の取った政策を「川面に一石を投じただけだった」と評しております。

 それに対してもう一人の商鞅はというと、この人は紆余曲折あった後に戦国時代で常に最強国であり続けた秦に入り、最高権力者の宰相となった後に先ほどの俸禄制へと切り替えています。
 なおこの商鞅はごく初期の段階で外国人でありながら秦の宰相をやっております。このあと秦は范雎や李斯と、なかば宰相は外国人がやるものとばかりに優秀であれば誰であろうとぼんぼん秦は引き入れています。またこの商鞅は法家の祖先とも言われ、性悪説を前提にすべての人間の行動を法で以って規制しようと片っ端から細かいところまで法律を制定して行ったことで有名です。

 ここまで言えばわかると思いますが、商鞅も後ろ盾の当時の秦王が死んだ後はかねてより妬んでいた重臣らに告げ口をされて追われる身となるのですが、逃げようにも自分が作った厳しい法律によってなかなか国外へ脱出できないばかりか、こちらも自分で整備した監視網によってあっさりと捕まり、最後は牛裂きにされて死んでいます。
 しかし秦の場合は楚と違い、俸禄制などの商鞅が改革した制度を維持し続けました。改革者の商鞅自体は亡くなったものの、彼の作った制度の元でその後の秦は他国を遙かに凌駕するようになりついには中国を初めて統一するに至るのです。

2008年12月9日火曜日

一周年突破記念、これまでの秀逸記事

 このブログも今日を持ちましてとうとう公開から満一年になりました。ひとまずの目標として一年間の継続を掲げていたものの、開始当初は恐らく一年後の投稿記事数は二百件くらいあればいいかなと思っていたのが前回までの記事でなんと四百六十八件を数えるに至り、よくもまぁこれだけ書けるものだと自分でも唖然としています。このブログを始める以前に有名なきっこ氏のブログを見て、これだけの長文の記事を毎日更新しているのだから恐らく複数人で書いているだろうなと勝手に想像してましたが、案外書いてみればそれくらいどうってこともないということはわかりました。

 さて一周年ということなので、これまでの記事の中からいくつか思い入れの深い記事をここで紹介しようと思います。
 まずはなんといっても、「文化大革命とは」の連載記事でしょう。始める当初は自分の拙い知識でこんなえらいテーマを扱っていいものかと悩んでいましたが、思っていた以上に読んでくれた方から「面白い」、「こんなの、全然知らなかった」という反響を受け取り、書き終わった今でも内容面では不安を感じていますが、読んで初めて文革を知った方々に対しこの分野への知識の足がかりを作ることが出来たのだと思うと書かないよりは思い切って書いてよかったと素直に感じます。またこの連載がきっかけでリンクを結ばせてもらった「フランスの日々」のSophieさんは私が初めて知り合えた本店ブログの「Bloger」仲間で、副次的な収穫も非常に多かったのも忘れることが出来ません。

 連載記事はこの文革以外にもいくつか書いてはいますが、「失われた十年とは」についてはちょっと資料などをまた見直している最中でこのところ更新がのびのびですが、まだまだ書く内容はあると思います。また「新聞メディアを考える」では新たに面白い資料を手に入れたので、またしばらくしたら追記を書き加えていくつもりです。
 やはり連載だといくつかトピックスに分けて書くことが出来、また連載中は常に次は何を書くべきかと言う風に思考がどんどんと回るので、なんとなくですが記事の内容も洗練される気がします。

 そうした連載記事を除いた単独の記事の中で挙げるとすると、記事の質としては非常に低いながらも一番思い入れが深い記事だとこの「異能者の孤独」において他にありません。改めて読むと、別にこの記事限るわけじゃないですが句読点が非常に多くてなんか読みづらい記事になってるのですがこれにはわけがあり、実はこの記事は書いている最中はずっと手が震えていました。この内容は記事の中でも書いているように私が中学、高校時代から一貫して思い悩み続けた内容で、現在に至っても自分の信じる可能性と周囲が評価する可能性は一致しているのか、たとえ今は一致していないくとも将来評価されることはあるのかと悩み続けているテーマです。しかし悩んでいる分いつか誰かに伝えたいという軽い思いから書き始めたものの、実際に書き始めるといろいろな思いが一気に突き出て、なんとはなしに手が震え出してきたのを今でも覚えています。その分、書き終わってこうして読み返した後には言いようのない満足感があり、また友人に最近気になる記事はあったかとたずねたところ真っ先にこの「異能者の孤独」を挙げてきてくれたのでとてもうれしく思いました。

 そのほか記事中で紹介、解説される情報の質が高いものとしては、「水資源について ~浄化技術編~」と「田原総一朗氏に凝視された日」が挙がってきます。両方とも比較的レアな情報で、前者はテレビで一回放送されたきり、後者に至ってはたった一回の、しかもテレビカメラも何もない場所での講演だったのでその場の人間しか聞いていない内容です。今でも田原総一朗氏からのあの熱い視線が思い出せるよ……。
 そのほか自分でも上手くまとめられた、あまり他の人は言っていないなと思うような記事だと、「情報社会論」、「竹中平蔵の功罪~陽編陰編」といったところでしょうか。どちらもあらん限りの力を振り絞って書いた記事で、友人らから評価してもらった時にはこちらとしても非常にうれしく感じました。

 改めていくつかの記事を読み返すと、どうも記事によって文章にムラがあるような気がしてなりません。特に句読点が多すぎて返って読みづらい記事が目立つのですがこれにはわけがあり、私はもともと縦書きで小説を数多く書いて文章力を養ってきたので、どうもこのブログ記事のように横書きでタイプする文章だとどこで句読点を打つかといったリズム感がなかなかつかめずにいます。
 そんな不安定なリズム感で書き終わっていざ投稿してみてみると、自分でも不思議なくらいに読みづらい文章がアップされていてなかなか驚くことがあるのですが、いちいち修正するのも面倒なので大抵はそのままにして放っておいています。さすがにあからさまな誤字、脱字は修正するようにしていますが、これらも軽微なものだと敢えて見なかったふりをしてます。これは修正が面倒くさいというのが最大の理由ではありますが、私としては思ったこと、書きたい事を一気に短時間に一本の記事として書き上げるという行為こそがこのブログにおいて重要だと考えているので、その際に出してしまった誤字も「勢いの中でのもの」と認識しており、当時はこういう勢いで書いたんだなというのを忘れないために敢えて残しています。

 何はともあれ今日でひとまずの目標である一周年の継続を達成しました。ちょうどFC2の方でも閲覧者数が五千人を突破し、何かと記録尽くめの一日となりました。ここまで来たらもうこれ以上目標などを定める必要はないので、あともう一年とか投稿記事数千件突破とかいう具体的な目標は持ってもしょうがない気がします。
 実を言うと私は自分でも呆れるほどに飽きっぽい性格をしていて、何か一つに延々と集中して行うといったことはこれまでほとんどありませんでした。唯一の例外ともいえるのがこの文章で、これは中学時代から延々と、大学時代に一時小休止したことはありますが一貫して鍛え続けてきた分野です。このブログはその延長線上と考えるのならば、一つ前の記事の反復になりますがそうして文章を鍛え続けてきた土台の上にあるのだと思います。

どうすれば自分を変えていけるか

 以前に学校のある授業で先生から、「日本人は皆、青い鳥症候群だ」と言われた事がありました。

 この青い鳥症候群というのはそのまま童話の「青い鳥」のお話と一緒で、日本人は「あれさえあれば、自分は救われる」という風に、自分の現状で満足することはせず、何かしらに大きく期待してそれが得られれば自分は今よりずっと幸せになれるのにという幻想を持つという意味です。
 この話を聞いた当時は、確かに日本人はそうだろうけど人間全体でそんなものじゃないかという風に私は感じたのですが、最近いろいろと社会で言われている内容や議論に上がる話題を見ていると、もうちょっと違ったものではないかという風に改めてこの概念に着目し始めました。

 そう思う一つのきっかけとなったのは、最近買って読んだ「論争 若者論」(文春新書)の中で取り上げられている、秋葉原連続殺傷事件の話です。この事件の概要について詳しくここではやりませんが、何人かの評論家がこの事件の犯人はよく自分の容姿の悪さを卑下する内容をネット上の掲示板に書いており、コンプレックスのようなものを持っていたという記述をみて、いくつか思い出したことがあります。
 その思い出した内容というのも、数年前に友人が突然彼女がほしいなぁと言い出したことでした。私が何故と聞くと、真面目な友人なもんだから異性と付き合うことで自分がいろいろと成長できそうだからだと冷静に答えましたが、何もこの友人に限らず別の友人に至ればもっとストレートに、彼女が出来ることで自分も何か変われると思うからと言ってました。

 こう言われた当初は私も気づかなかったのですが今日電車に乗りながら考えていると、なんだか最近はこの手の、「○○さえあれば(得られれば)、こうじゃなかったのに(ああなれるのに)」といったフレーズの発言をよく耳にする気がします。先ほどの秋葉原連続殺傷事件の犯人も、「彼女さえいれば」というような内容の書き込みを繰り返し掲示板にしていますし、この犯人だけじゃなくともいろんなところで、「学歴さえあれば」、「正社員にさえなれれば」、「お金さえあれば」、「親友さえ出来れば」といった言葉が現実に取り巻いている気がします。中には、「顔さえよければ」、「金持ちの子供だったら」というように、自分の努力じゃどうにもならないことをあげつらって世の中を悲観するものまでおります。

 よくよく考えてみると、先ほどの青い鳥症候群というのは最初の定義ではなくこういうように、自分に今ないものが得られれば状況が劇的に変わると信じることではないかと、あんまり意味は変わっていませんが後半の「劇的に変わる」という文字が私の中で新たに加わってきました。そう考えてみると先ほどの発言はどれも、まるでジクソーパズルが完成するのにあと1ピース足りない、その1ピースであるお金であったり容姿であったりするものさえあれば、今の自分が認めたくない自分とは劇的に違う何かになれて万事の問題が解決できるんだというような意図があるのではないかと思えてきました。

 率直に言うと、こうした考えはやはり甘いと思います。たとえ彼女が出来たところでその相手に好かれるような人間でいなければすぐにその相手は去っていくでしょうし、たとえ容姿がよくなったとしても内面が汚い人間であれば誰からも好かれないままでしょうし、たとえ大金を得たとしてもお金は無尽蔵に使えるというわけではなくいつかはなくなってしまいます。
 先ほどの「論争 若者論」の寄稿者のトップバッターの赤城智弘氏に至ってはこの際戦争になれば、上も下も関係なくなると、抜け出せない格差の現況を変えるものとして戦争の勃発に期待しているような発言をしていますが、その戦争も終わってしまえばまた元の鞘に納まるのでは、少なくとも、現状を変える努力を自分でしないで外部要因に頼る人間では、どんな社会になったとしてもあまり生活状況は変わらないのではというのが私の意見です。

 人間、誰しも自分に対してコンプレックスは抱くものです。自分が好きでたまらない人間というのはいないわけではありませんが実際にいるのは非常に少なく、大抵の人間は現状にプラスアルファをした理想の自分像を自分に課しますが、そういった理想像にたどり着く人間はというとほとんどいません。
 先ほどの青い鳥症候群ではないかと私が言った人たちは、その理想の自分像への到達手段を外部要因にすべて求めている気がします。自分自身では努力も何もしないが、外で何かが動いて自分の状況が変わってくれることを願って待つという、北原白秋ではありませんがこうして文字に直して読んでみるとまさに「待ちぼうけ」です。

 私はそもそも、人間は何かを得た拍子に一挙に変わるということはありえないと思います。それこそ敗戦続きの劉備が諸葛亮を得るんだったら話は違いますけど、20年くらい生きてきた人間が彼女が出来たからといって性格から生活態度が急に変わるなんて俄かには信じがたいです。逆に、20年の積み重ねがあった末にその相手から好かれる人物となったために彼女が出来た、という風に考えるのが自然な気がします。

 ではどうすれば自分を変えていけるかですが、それは単純に言って努力と継続です。何かしら自分で目標なり課題なりを立てて最低でも半年、いや一年くらいの期間を設定して継続して行い、達成することによってわずかながらではありますが着実に自分という人間を変えていけると私は信じています。もちろん最初の目標設定の段階でどんなことをやるか、何を区切りにするかで成果は変わるので、中には一年やってもほとんど何も身につかないということもあり、何が何でも一年やればそれで良いというわけではありません。ですが、一ヶ月や一週間、ひどい場合は一日だけ何かをしたからといって何かが変わるということは私は絶対にありえないと思い、それならば時間がかかっても、何かしらを継続して一年くらいやり続けることの方が急がば回れではありませんが、ずっと自分に対してプラスになると思います。
 そうして積み重ねる土台があった上で、人間は舞い降りたチャンスをものにすることが出来て劇的に変わることはあると思います。先ほどの劉備の例だと、何度も負けるなり苦労はしたものの、関羽、張飛、趙雲といった武勇の将がついてくるだけの人格を養っていたという土台があったからこそ、最後の1ピースである軍師諸葛亮孔明を得て飛躍できたのです。

 よく継続は力なりとはいいますが、子供の頃から聞いてたのに20年以上生きてきてなんとなくですがその意味を少しわかってきた気がします。私が実際にそれを体験したのはやはり一年間の中国留学で、行く前こそあんなに習得の難しい中国語を覚えられるのかと不安に思っていたのですが、きちんと一年間現地で一日も休まず授業に通い続けたおかげで、あの頃の自分が目標としていたレベルには見事に達することが出来ました。

 そしてもう一つ、当初でこそ三日坊主で終わらなければいいなと言って始めたこのブログですが、今日を持ちましてようやく満一周年で、ひとまずの「一年間は書き続ける」という目標は見事に達成できました。
 記事の内容も改めていくつか読み返すと、甘かった内容のものもあれば納得して人に見せられる内容もあり、割合にこのブログには私は現状でも満足しています。

2008年12月8日月曜日

コミュニケーション力再考

 少し前に関西に行き、そこで恩師たちと会って久しぶりにあれこれ話をしたのですが、その際に多く話題になったのは若者の問題でした。
 私自身が若者に属し、恩師たちがある程度年齢の積んだ方たちだったので、お互いに思うところや見るところが違って情報交換のような形でなかなか楽しめたのですが、その話題の中で一人の恩師がこういっていました。

(先生)「私はいろいろな大学の関係者から最近よく相談を受けるのですが、このまえある大学ではせっかく正社員として就職した職場を卒業生たちの約四割が三年も持たずに退職するがどうしたらいいと聞かれたのですが、率直に言って今の若者たちに足りないのは年齢の違う人間と話すだけのコミュニケーション力が不足しているからだと思う」
(私)「いや先生、俺はそうは思いません。コミュニケーション力で物事を言い出したら範囲が非常に広くなるため、原因とかでちょっと曖昧になりますよ。ただ、その年齢の違う人と話せるかどうか、ってのは俺も気になります」

 私は以前に「日本人のコミュニケーション力とは」の記事の中で日本人の主張するコミュニケーション力には非常に中身の伴っていない曖昧なものだと主張しました。そのため先ほどの恩師の言った言葉に真っ向から反発したのですが、ただ年齢の違うものとのコミュニケーション力、と言われてちょっと思い当たる特殊な事例が思い当たり、反抗こそしたものの今もちょっと先生の言葉を再考している最中です。

 その特殊な事例というのは、まんま私のことです。
 恩師の言う現代の若者のコミュニケーション力不足の現象的なものは、共通点も多い年の近い自分たちの身の回りでだけコミュニケーションが完結するため、年齢の違う人や共通点の少ない人に対しては全くコミュニケーションが取れないというように、いわばコミュニケーションが狭い範囲にしか働かないのが問題だということです。いわれてみると確かに今の若者はそういうような点がちらほら見えるのですが、それに対して私はというと見事なまでにこれらとは真逆な経験をしてきました。というのも、同じ年齢の同学年の人間とはしょっちゅうケンカしたりで友達も少ないのですが、自分より年上や年下の相手との方がよくコミュニケーションが取れ、挙句には自分でもそういった年齢の違う相手の方が話しやすいとすら今でも思っています。

 恩師の言う通り、真にコミュニケーション力とは何かといえば、自分と共通点の少ない人間に対してどれだけ交流する力があるかどうか、という定義が最も正しく、言ってしまえば言語の通じない相手とか、思想や文化の違う相手とどれだけ深く付き合えるかというのが本来の指標になると思うのですが、現代の一般社会では「どれだけ友達がいるか」で判断することの方が多いと思います。私としてはたとえ同学年の日本人の友達が100人いる人より、一人の言葉の通じないインド人とハイタッチできるような人の方がコミュニケーション力は高いと思う(この場合、相手のインド人にも寄るが)のですが、世間ではどうもそうは行かないようです。

 私などは極端な例なのですが、このブログでも何度か書いていますが中学高校時代に周りにいた人間というのは今思い返してもあまり品行のよいとは言えない人間ばかりだったので、あえて自ら距離を置いていたのですが、先ほどの友達の数でコミュニケーション力が測られるのなら私はコミュニケーション力のない人間となってしまいます。私がよくないと思う点はまさにこの点で、言ってしまえば変な人間と大量に付き合ってもコミュニケーション力にカウントされしまう、というのは果たしてどんなものかと思います。特に最近はいじめなどに仲間はずれに合うのが怖いために加担する、といういじめの連鎖の話もよく聞きますし、友達の数とかでこうしたものを測るのは如何なものかと思います。

2008年12月7日日曜日

もしもメトロシティに、アンブレラ社があったら

 今日ちょっと貿易実務検定という資格の試験があり、試験時間まで会場には入れなかったので外で教科書片手に勉強していたら何故か、「アンブレラ社はラクーン市でバイオハザードを起こしたが、これがもしメトロシティだったら……」という一言が頭の中を駆け巡りました。もうちょっと集中して勉強すりゃいいのに……。

 アンブレラ社というのは知っている人には言わずもがなの、大ヒットゲーム「バイオハザード」の中で人間をゾンビに変える元凶となるウィルスを作った架空の製薬会社名です。ゲーム中ではアメリカのラクーン市に研究所を持ち、そこから事件の元凶となるT-ウィルスが街中にもれたことがきっかけで「バイオハザード2」では街中にゾンビが溢れ変える事態を作っています。

 もう一つの「メトロシティ」というのは別に「シムシティ」の「メトロポリス」とは関係がなく、こちらもゲーム「ファイナルファイト」に出てくる架空の都市名です。この街は未曾有の犯罪都市で、犯罪撲滅に取り組んできた元プロレスラーのマイク・ハガー市長の娘がその報復としてマフィアにさらわれる事をきっかけに、その娘を救出するために市長自ら悪人をばったばったと倒していくゲームです。
 このゲームの何がすごいかというと、前述のマイク・ハガーが市長自らマフィアの本部へ殴りこみをかけることです。ゲーム自体のアクション性もさることながら、そのぶっちゃけた設定が今でも好評のようです。

 今回私が考えたのは、もし「バイオハザード」の舞台が「ファイナルファイト」のメトロシティだったら、という仮想の話で、もし実際にそんなゲームが出るとしたらやっぱりハガーに加えて同じく使用キャラのガイとかコーディとかが街中に出てって、片っ端からゾンビを殴り倒していくゲームになっていくのだろうかと思考えると、それはそれで結構面白そうな気がしてきました。特にゾンビ相手に「ドリャー」とか言ってバックドロップとかプロレス技を次々とかける姿を想像すると、結構爽快な気もします。

 でもってボスキャラとなるとやはり「ファイナルファイト」でもおなじみのソドムとかがゾンビとか怪物になって出てくるとしたら、ますますもってやってみたいゲームです。どちらもカプコンのゲームなんで、調子に乗って作ってくれたらいいなぁと思って試験に臨みました。