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2008年6月25日水曜日

小中学校で教えるべき内容

 去年友人のツッチーと一緒に受けていた授業にて、ある日こんな発言が出てきました。
「……というより、本当はこの日本の国民皆保険制度や年金制度の仕組みとか、小学校や中学校で教えるべきなのでは」
 この発言に、思わず私も頷きました。

 恐らく、今のようにあれこれ問題が顕在化するまで、日本の年金がどのような制度で、誰によって運用されているのかきちんと理解していたのは国民の5%にも満たなかったと思います。幸いと言うか、問題が顕在化してからはテレビ番組などがあれこれ特集を組んだので、ひとまず理解は広がったと思います。しかしその一方、今度はこっちが問題化してきた健康保険制度については、多分全体の骨格すらわからないどころか、他の国ではどのように医療制度を作っているのか比較までできる人となると皆無に近いでしょう。

 どちらも、日本の社会で生きる上では本来知っておくべき制度で、子供とはいえ早いうちにその中身を教えておくべきだと言うのが先ほどの発言です。言われてみると、なんだかんだいってこういった大事な中身は今の今まで人に教わらず、大抵自分が本などで調べた内容だとこのとき私も気がつきました。

 私が覚えている中で、小中学校で社会知識として教えられた内容と言うのはまずクレジットカードやクーリングオフといった制度が思い浮かんできました。どちらも、90年前後に自己破産者が急増したことにたいする対策でしょう。それ以外に私が教わった変り種として、株式会社の制度と株取引の中身くらいかな。

 こうして考えてみると、社会で生きていくのに必要な知識は意外と学校で教えられていない気がします。学校と言うと算数や国語を教える場所と言う定義がすぐ出てきますが、本来は社会生活に順応できるように教育する場所のはずで、算数や国語はあくまでその中のひとつの手段に過ぎません。それこそ、今も問題となっている保険や年金はもとより、銀行などの金融機関での振込み支払いのやり方、やたら細かい印鑑の使い方などなど。そして今では何よりもインターネットの使い方を教え込む必要があるでしょう。違法サイトはもとより、情報の検索の仕方、ネットショッピングの仕方、あ、あと電子マネーとかもあるな。

 このところは学問の教育レベルの問題ばかり議論されていますが、元に戻って、こうした社会訓練の分野においても教育議論というものが必要だと最近感じます。私なんて私立の中学校にいたもんだから中には世間知らずも多くて、「七福神ってなに?」って、真顔で聞いてきた友人もいました。

一家心中、大量殺人事件続発について

 昨日、千葉県柏市にて老齢の男性が一家の人間を四人も殺害する事件が起きました。男性には知的障害があり一概に心中事件とは言えないのですが、どうもこの手の一人で何人も殺害すると言う事件がこのところ続発しているように思えます。もちろん正式な統計を見たわけではなく不確実なのですが、こういった事件が表沙汰になる件数が増えているのは間違いないので、ちょっとその辺について書こうと思います。

 まず一家心中ですが、確か去年にも中学、小学生の子供と心中しようと父親が凶刃を振るった事件があり、それ以外でも何度かこういった事件がこの一年でよく起きています。また、心中とは違った一人の人間による大量殺人事件も、今回の秋葉原通り魔事件を筆頭に、主に若い世代の男性によって何件か起きています。

 こういった事件の背景について私見ながらいくつか意見を出してもらうと、いわゆる格差が目に見えてはっきりしてきたのが一つの原因になったのかと思います。これは社会学を習った人間なら誰でも知っている内容ですが、19世紀にデュルケイムというちょっぴり暗そうなフランス人が「自殺論」という本で、自殺は景気の不況期に増加すると思われがちだが、好況期にも増加する傾向があると証明しました。実際に今の日本は表向きは数年前と比べるとよっぽど景気がいいのですが、自殺者の数は一向に減少する気配はありません。

 なぜ好況期にも自殺が増えるかと言うと、単純に言って、人間と言うのはみんなで苦労している間はそんなに不満は感じないのですが、何人かが羽振りがいいのを見ると、以前と同じ苦労をしているにもかかわらず不満が大きくなると言う、比較の心理がそうさせるようです。それこそ、2000年代初期のデフレ不況下では日本はどっちを向いても景気が悪かったのであまり大きな問題にはならなかったものの、このところは一部では景気が良くなってしまい、よくならなかった側の人間からすると前よりは幾分楽になったと言えども、なんとなく気持ちは素直になれないというような感じです。

 特に、私が警戒しているのはある言葉の変化です。それまで職に就かず職業訓練も受けない若者、つまりニートのことを「無気力な若者」と呼んでいたのが、ここ一年くらいで「現状に不満を抱く若者」という言葉に置き換わっている気がします。この言葉の変化がどういったところから来ているのか、また本当にそう変わっているのかまでは検証しませんが、なにかしらこういった気配を私は感じています。
 実際に、2004年の段階で現状を危惧する内容の記事を読んだことがあります。誰かは忘れたのですが、現在ニートとなって親の庇護下で生きている若者は将来親が年をとって庇護することができなくなった時が非常に危険だといい、その記事が出る少し前に起きた、「自分にも親にも将来がないことがわかっていたから」と言って、ニートの若者が両親を殺害した事件が今後も増えると予想していました。

 一家心中と若者の大量殺人、近いようで意外に問題の原点は近い気がします。しかしそれにしても皮肉なものと言うか、そこまで若者を追い詰めた景気の悪さが、良くなるとともに顕在化するというのも。

グッドウィル廃業のニュースについて

 このブログでも何でも取り上げてきましたが、とうとうグッドウィルが廃業することを正式に発表しました。詳しくは「グッドウィル支店長逮捕事件について(http://imogayu.blogspot.com/2008/06/blog-post_05.html)」に書いてありますが、一部不透明な動きがマスコミなどであまり議論されなかったのが残念です。

 それと、確か先週の日曜あたりの朝日新聞朝刊に、人材派遣会社が集まってできた組合が一面カラーで意見広告を出していました。内容は「長期雇用を増進させるために努力する」とか、「職の安定に寄与します」など白々しい内容が書かれていましたが、今回のこのグッドウィルの事件で摘発理由となった「二重派遣」について何も書かれていないのは正直、どうかと思いました。今回の事件でこの問題が尻切れトンボにならないことを祈っています。

2008年6月24日火曜日

新聞メディアを考える~その六、新聞社の経営~

 今日はちょっと疲労気味なので、短くまとめて、信長の野望で真田家で天下を狙いたいと思います。いやね、この前長野の真田家の居城である上田城を見てきてまたやりたくなっちゃってさ。

 さて今回は新聞社の経営についてですが、特に専門的にこの分野を学んだというわけではないので、あくまで私の理解の中の話だと了解して読んでください。
 新聞社の経営について、わかっている人はわかっていますが、その収入の半分以上は広告料です。一ヶ月当たりの新聞購読料は4000円くらいですが、これらはほとんど収入にならず、スポンサーが紙面に載せる広告料が主な収入源となっております。そのため、スポンサーである広告主を集めてくる広告代理店に新聞社は逆らえなくなっているのが今の日本のマスコミ界の最大の問題と言われ、しばしば非難される点でもありますがそれはまた今度にやるとして、とにもかくにも新聞の広告料が新聞社の生命線となっています。

 ちなみに少し話は脱線しますが、新聞社の経営というのは一般的にも非常に難しいといわれています。それこそ明治の初めの頃はいろんな人が新聞を出していましたがみんな失敗してます。一例を挙げると首相にもなった西園寺公望は主筆に幸徳秋水を迎えてやってましたが失敗し、また当時から知名度の高かった福沢諭吉も失敗してます。なおその当時の経営も購読料よりは広告費に頼る傾向が強かったようです。

 そんなんで現代の新聞経営では広告が大事なので、基本的に大きなスポンサーには逆らえないとも言われております。それがたとえ、そのスポンサーとなっている会社が社会的に大きな影響を及ぼす事件を起こしたとしても、黙殺されてしまうとまで言われています。まぁ黙殺とまで行かなくとも、実際に新聞社がスポンサーにプレッシャーを受けているのは間違いなく、以前に書いた「キャノン、御手洗会長の報道について」(http://imogayu.blogspot.com/2008/01/blog-post_21.html)で書いていますが、キャノンと松下が今も問題になっている偽装請負を行っていた(行っている?)事実を朝日新聞が明らかにしたところ、現在に至るまでこの二社の広告が朝日新聞には載らなくなりました。この損失は大きく、朝日ではこれで広告収入が大きく減ったと聞いています。

 しかし、スポンサーになるのは何も会社だけではないようです。ここからがハイレアな情報になりますが、私自身が直接朝日新聞の社員から話を聞いたところ、「今の新聞社を支えているのは、大学だ」と言っていました。というのも、このご時世にもかかわらずカラーで両面広告を出してくれるのはもはや大学だけらしく、事実上大きな広告主となっているからだそうです。実際にこの時期に電車に乗ると、張られている広告にはオープンキャンパスの日程が書かれた大学の広告が目立ちます。恐らく、この情報に間違いはないでしょう。

 ただこの広告費と購読料の割合は新聞社によって多少の差があると言われています。よく言われるのは朝日新聞では広告費の割合が高いのに対して、読売新聞は逆に購読料の割合が高いとされ、それが両紙の新聞の論調に現れているといいます。朝日新聞では企業やそういったものに向けて理念を語るのに対して、読売は一般消費者目線の記事が多いなど、うなずける部分があると私も思います。
 ついでに書くと、読売新聞は公称1000万部の部数があると言っていますが、これも知ってる人には知られてると思いますが、なにも読売新聞に限らず、どの新聞社の部数の半分は「押し紙」といって、印刷された新聞屋の中におかれたまま捨てられるといいます。何故そんな無駄なことをするのかというと、一応刷ったら刷ったで広告主に対して、「この広告は1000万部も届けられています」と言えるので、広告料を引き上げられるからです。この方法はアメリカで新聞王と言われたマードック氏が考案した方法です。

 そうやって広告料をあれこれ新聞社は稼ごうとしているのですが、それでも現在の新聞社はどこも経営が苦しいと言うのは一致しているようです。聞くところによると、ある全国紙の新聞社では広告料と購読料をあわせた新聞販売事業では完全に赤字で、会社の持つ不動産事業でなんとか黒字にこぎつけているところもあるそうです。まぁ会社ってのは潰れそうで潰れないものですしね。

 ただ素人目から言わせもらうと、現代の新聞社はすべからく、企業として大きくなり過ぎていると言えます。何故そんなに社員数を増やしてここまで大規模化したのかというと、単純に報道力高めようとした結果とのことです。何でも日露戦争以降、日本の新聞は社説などの論説からスクープで紙面を埋めるようになり、情報を取るために大きく大きくなり、現在ではその祟り目となって経営を圧迫しているように思えます。
 多分、このまま何かネタが思い浮かばなければ、今度でこの連載も最期です。

2008年6月23日月曜日

大河ドラマについて

 最近カテゴリーが「社会のはなし」ばかりなので、ちょっと別のカテゴリーの補充をしておきます。ついでに近況を書くと、今日買った「ノノノノ」という漫画の二巻、めちゃくちゃ面白かったです。

 今日のYAHOOニュースで知りましたが、今年の大河ドラマ「篤姫」で、今視聴率を押し上げているのが十三代将軍徳川家定役の堺雅人らしいのですが、この人ならさもありなんと思いました。私自身この堺氏が大好きですし、四年前の大河ドラマ「新撰組!!」にて山南敬介役を演じた堺氏の演技がいまだにありありと思い出せます。つうか、出るんだったらもっと早くからだせよなぁ。

 その大河ドラマも来年は「天と地と」で、直江兼次が主役になるそうです。しかし番組の多チャンネル化に伴い、ここ数年の大河ドラマは視聴率が下がりっぱなしと言われています。それで確かこれも四年位前だったと思いますが、友人と話をしている時に、「誰が主役だったら大河ドラマも面白くなるかなぁ」と、相談しあったことがあります。
 その際に私が出したのは、
「足利尊氏役を元若乃花、弟の直義役を元貴乃花に演じさせて、兄弟間の争いを描いたらどうかな」
「視聴率は取れるけど、撮影が途中で中断になるんじゃない」
 と、言い返されました。面白そうだけど。

 そんな感じでなんだかんだと候補を挙げていったのですが、最後になって突然友人がポツリと、
「僕、甲斐宗運だったら必ず全話見るよ」
「俺も、それだったら見るわ」
 と、妙な形で決着がつきました。

私が中国語を学んだ理由

 今日は例の上海人からリクエストがあったので、中国語でお送りします。

 很多人常常问我,你为什么学习汉语……

 だめだな、なんだか文字化けする。まぁそういうわけなのでいつもどおりに日本語で書きます。
 まぁ書き出しの文の通り、周りからなぜ中国語を勉強しようと思ったのかよく聞かれます。ただその際の私の返答はいつも決まっていて、「三国志が好きだったから」の一言だけです。大抵の人は、「は?」ってな顔をして、人によっては、もっとこれから需要が増えるとか、将来を見越してとかじゃないのと余計なお世話と言い返したいようなことを言ってきます。

 時系列に沿って言うと、私は小学生の頃から「信長の野望 覇王伝」をやりこむくらいの日本史マニアでした。きっかけは当時に友達が少なく、教室にあった学級文庫の歴史漫画を学校にいる間中ずっと読んでいたからです。なんせ、友達がいないもんだからあの頃は昼休みはずっと席に座って、歴史漫画を読んでいました。なんか絵に描いたような話だな。

 そんなある日、ゴミ捨て場に捨てられていた横山光輝氏作の漫画版「三国志」の一巻と出会いました。堅そうな話だけど、歴史の話だからいっかと持ち帰って読んだのが、私の三国志との出会いでした。当初はそれほどはまらなかったのですが、当時に高校生だった姉が学校の図書館から残りの続きを毎日借りて持ってきてくれたので、全六十巻を読破することができました。もう最期の方の五丈原に至る頃にはすごいはまってて、確かその年のお年玉で「三国志Ⅲ」を買ってました。

 それ以降も中国に対して異様な親近感とともにその歴史に尊敬にも似た気持ちを持つようになっていきました。さらに言うと、今もやっている「世界丸見えテレビ」という番組では当時、レンガを食べて暮らすとかひじで釘を刺すとか、体中に針を刺すとかいうトンデモ超人ときたら、ほぼ間違いなく中国人かインド人が出てきていました。昔から今でもそうですけど、そういうわけのわからないものがとにもかくにも好きなので、子供心に見たあの番組から今でもこの二国が非常に大好きなんだと思います。

 その後、中国語を実際に学び始めましたが、別にこの分野だけに限るわけじゃないですが、私の場合やり始めの頃は非常に成長が遅い傾向があります。中国語でもそうで、最初の二年は全然上達してなかったし、留学奨学生の試験も即効で落ちてました。この辺もいつか解説したいですが、私は敢えてこのような傾向を自らに起こして、大器晩成型に能力を伸ばしています。それが見事に功を奏したのか、今では街で見かける中国人には片っ端から話しかけて、特に発音には非常に力を入れた分、発音に対して褒められることが非常に多いです。

 なので、私は中国語を学んだ理由を必ず三国志からだと答えています。別に何か物をやり始めるのに、大層な理由は必要ないと思いますし、むしろこういった単純な理由の方が人間って動くと思います。こうして文章を書くようになったのだって、昔にあった「サウンドノベルツクール」というゲームでセーブに失敗し、せっかく書こうと思ってた長い話が全部おじゃんになって、それなら紙に書こうと小説を書いたのがきっかけなんですし。

2008年6月21日土曜日

新聞メディアを考える~その五、新聞の個性~

 今日は私個人が今の新聞に足りないと思うものを解説します。結論から言うと、今の日本の新聞には個性がないと思います。

 皆さんはどういう時に新聞を買うのか、まずそれを考えてみてください。恐らく、普通なら何かしら求める情報を得るために買うのだと思います。しかし買った後、自分の知りたいと思う情報が必ずしもその新聞に載ってなかったという経験がないでしょうか。
 私が言いたいのは要するに、今の日本の新聞だと、求める情報と提供されている情報が必ずしも一致しないというのが最大の欠点だと思います。それこそ、スポーツ新聞の場合だとそう言う事はまずありません。野球なり競馬なり、そういった方面に詳しい情報を載せている新聞はたくさんあり、購読者もそういった情報を求めてその新聞を選んで買います。ほかにも日経新聞をはじめとする経済新聞も同じで、これも経済関係の情報なら必ず載せられているので、サラリーマンならまず必携になってきます。

 それに対し、全国紙の場合はどうでしょうか。確かに社説の論調で言うなら朝日、毎日が左寄り、読売、産経が右寄りと言われていますが、その取り扱う内容にはほとんど違いが見出せないと思います。それこそ、新聞の1~3面までに載っている記事なんて、どこも変わらないのが実情でしょう。
 私が今の新聞に対して求めたいのは、少なくとも「この分野には強いぞ」というような、個性が欲しいです。たとえばほかの新聞に比べて紙面における政治に関する記事が多いとか、他の新聞にはない小説なりエッセイの連載をやっているとか、そういったような個性です。

 現状では4コマ漫画や毎週の決められた曜日におけるエッセイが各新聞で連載されていますが、私が期待して読むのは朝日新聞夕刊におけるしりあがり寿氏による「地球防衛家の人々」くらいです。ほかにはと言われても、どっかで連載していた漫画批評のエッセイなんて、これで金がもらえるのかよと思ったほどくだらない内容で、言っちゃ何ですがほとんどの連載は読む気が起きないし、それほど価値がないと思います。

 唯一の例外は日経新聞で、ここは前に連載していた「愛の流刑地」、通称「愛ルケ」は新聞の連載小説としては近年稀に見る大ヒットを起こし、また昔から連載されている各界の著名人による「私の履歴書」など、お家芸の経済面以外でもこういったコンテンツ分野も充実しています。それを反映してか、団塊の世代の集団退職に伴って減ると思われた部数が日経の場合、ここ数年は右肩上りで増えています。
 さらに付け加えると、私のようなチャイナウォッチャーにとって現在でこそ中国経済新聞の「チャイニーズ・ドラゴン新聞」がありますが、以前は毎日中国の情報を載せていたのは日経新聞だけだったので、学者の方々はほぼ間違いなく日経新聞を読んでいました。

 以上のように、「この新聞を買うと、少なくともあの関係の情報は確認できる」、と期待できるようなコンテンツが、今の日本の新聞にとって最も足りていない点だと私は思います。私個人で期待する内容はというと、政治系や海外情報に充実した内容が欲しいところです。
 ちなみに、今回解説した内容はそのままブログの運営にも当てはまると思います。特にブログはネット上に無数にある中で固定した読者を得なければならないので、やはり期待されるコンテンツをしっかり持つことが重要になってくるでしょう。私のこの陽月秘話の場合は、

 ・ほかでは絶対にやってなさそうな情報や解説
 ・通常より、やや難しい中から上級者向けのニュース解説
 ・難しい内容でも可能な限りわかりやすく書く私の文章力

 以上の三つを柱に据えています。よく友人から、「ブログの内容が難しすぎてわからないんだけど」と言われることがありますが、決して苦に思う必要はないと思います。時たま、やりすぎたと私も難易度に対して思う時があります。
 しかし驚くくらいに今の日本のメディア界ではこういった、難しい内容の解説がないのが現状です。誰でもわかりやすい内容だけを書くのも必要でしょうが、自らの知識欲に満足できない人に向けて、今日も明日も私は書くのです。昨日は上海人に召集食らって休んだけど……。