突拍子もなく言いますが、テレビ局にはそろそろ明確な罰則規定が必要じゃないかとこの頃よく思います。以前の陽月秘話時代にもテレビ局の不祥事などは割と頻繁に取り上げてきましたが、そうした不祥事を改めて眺めてみるとテレビ局というのはたとえどんな不祥事を起こしても放送免許が取消されることはおろか外部から処分されることはなく、影響力の強い媒体なだけにやはり問題があるように感じます。
現在テレビ局の不祥事についてはBPOという、テレビ局関係者や有識者によって組織される委員会が視聴者からの提起やクレームを受け、問題があると判断した番組を放送したテレビ局に対して注意や勧告を行っております。しかしBPOははっきりとテレビ局を処罰することはなく勧告しかしないと宣言しており、実際にこれまで勧告を受けてきたテレビ局も本当に受けるだけで、中には反省して番組を打ち切りにすることもありますがTBSの「バンキシャ」や「朝ズバッ」に至っては何度も勧告を受けてきているにもかかわらず未だに放送が続けられております。
これまでにも何度かテレビ局の不祥事への処罰を法制化してはという声は上がってきましたが、そのたびにテレビ局側からは「報道の自由が侵される」と主張して見送られてきましたが、逆を言えばどんなことをやっても一切処罰が強制されない今の状況はどんなものかと思います。それこそTBSのように開き直ってしまえば事実上抑えが利かず、好き勝手にやられても黙ってみているしかないのではないでしょうか。
そういう意味ではこの際、法律化してもいいしBPO以外にも外郭団体を作ってテレビ局をしっかりと監視、処罰を決める団体を作っては如何でしょうか。「報道の自由」とはいいますがそれはルールあってのもので、自主規制がきちんとなされているのであれば黙ってみていられますが「バンキシャ」が続いているあたりはそれを期待することも難しく、この際作っちゃほうが早いと思います。
ではどのような不祥事にどんな処罰を与えればいいのかですが、最高罰にはもう放送免許剥奪を据えていいでしょう。というのも今の東電の不祥事を見ているとやはり独占企業は危機管理が甘いというか、どうせなんとかなるだろうという意識があるのかどうも責任というものが他の民間企業と比べて希薄です。それであれば下手なことをするのであれば一挙に廃業にしてしまえるように、また独占体質を打破するためにも放送免許剥奪は入れてもいいでしょう。
とはいえそうバンバンとテレビ局を潰していてはいろいろとややこしいので、実際にはもっと軽い処罰をいろいろ用意しておかねばなりません。まず最もポピュラーで実際によくされているものとしては「番組内での謝罪、訂正」です。これなんかは意図せずして誤報を流してしまった場合、思わぬものが映ってしまった場合などにすればいいかと思います。
次に厳しい処罰としては、これも実際に行われている「番組の打ち切り」です。これは確信犯的に誤報を流した、もしくは番組内で死傷者が出るなど安全対策を怠った際への処罰にいいでしょう。
そしてこの上に、何度も注意や勧告や処罰を受けているにもかかわらず不祥事を繰り返す、もしくは社会的に重大な影響を与えた不祥事を起こした際には、一週間とか一ヶ月間と期限を決めてそのテレビ局でのすべての番組放送禁止を盛り込むことを提案します。個人的に放送免許剥奪以外に、テレビ局が一番嫌がるのはこれだと思うし。
こんな具合で昨日からいろいろと考えつつ下調べを進めてきていたのですが、改めて調べてみるとBPOに寄せられるクレームの中には確かに「なんじゃこりゃ」と言いたくなるような妙なクレームとかが数多く、処分をきつくしろと言いながらもテレビ局側の立場も尊重しなければと少し考えを緩めました。具体的にその妙なクレームをいくつか紹介すると、深夜番組に子供が見るのに不適切な内容がある(そんな遅くまで子供を起こすな)、番組に出てくる芸人が気に入らないなど、ただでさえモンスターペアレントなどクレーマーが増えている世の中なので罰則を決めるのであれば慎重な議論を行い、何をしたらどうなるのかを明確にした上で実施すべきでしょう。
最後にテレビ番組についてちょっと一言言うと、何故かは知らないですが日曜昼過ぎに放送される「新婚さん、いらっしゃい」は中国人留学生らにやけに人気で、私の現上海在住の友人もことあるごとに「あれが見たい」と洩らします。なにか中国人と波長が合うのかわからないけど。
ただ「新婚さん、いらっしゃい」は確かに私もよく見ており、飼い犬(ペス)に子供のへその緒を食べられたなどくだらないエピソードをよく覚えています。特に予定がない日曜日などはこの「新婚さん、いらっしゃい」ともども、昨日亡くなられた児玉清氏が司会をしていた「アタック25」を続けてよく見ていました。児玉氏は元NHKアナウンサーの松平定知氏に次ぐほど話し方がきれいな方で、私自身も非常に好きな司会者だっただけに今回の訃報は非常に残念なものでした。心から、ご冥福をお祈りします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年5月18日水曜日
2011年5月16日月曜日
自虐史観の系譜について私の印象
本当は昨日の記事に合わせて書くつもりでしたが、紙幅が足らないので今回独立して書くことにしました。
・自虐史観(Wikipedia)
自虐史観というのは戦後に行われた日本の歴史教育のことを指す際に使われます。内容としては戦前の日本を世界大戦を引き起こしたとして批判的に捉える観点から語られ、一部の論者からは過剰に日本、ひいては自国を否定する内容だとして90年代頃から逆批判が起こり、しばしば論争の的となりました。
この自虐史観で強調されたのは戦前に日本が行った侵略への反省で、ある意味私なんか論争の起こった頃に教育を受けていた世代なので割かし懐かしい感覚すらあるのですが、南京大虐殺や朝鮮人強制連行、従軍慰安婦問題などは小学生時代からしつこく教えられた記憶があります。ただこうして教えられる内容はなんだか東アジアに集中してて、バターン死の更新とか東南アジア方面の話はなんだか扱いが小さかったような……。
こうした歴史教育が戦後は一貫して行われたそうですが、これについて行き過ぎだとして主に「新しい教科書をつくる会」のメンバーなどから逆批判が起こるようになり、上記の歴史事件の再検証とともに戦前の日本政府、ならびに軍人らを再評価する動きが90年代中盤から起こるようになりました。そうした逆批判論者らの意向が強く反映されたいわゆる"つくる会の教科書"が発売されるや中国や韓国は、「過去の真実をごまかし、歴史を改変した内容だ」として公式に批判し、当時はってか今も続く国際問題とまでなりました。
さてこの自虐史観ですが全部が全部語ると非常にややこしく、また議論する相手によっては余計なヒートアップを招いて論争にならなくなる可能性が高い議題です。そこでいくつかポイントを絞って実際にこの自虐史観による教育を受けた私の考えと現状を説明します。
・ポイント1、自虐史観はアメリカによる押し付けか
これなんか安倍元首相とか平沼赳夫氏が激しく主張していますが、戦後日本を占領したGHQが日本が二度とアメリカに歯向かわないように徹底した反軍主義、戦前否定の教育を実施したことで自虐史観が生まれたという意見ですが、これについては私は明確に否定します。
まず勘違いしてもらいたくないのは、実際にGHQが戦後直後の日本で戦前を否定する教育を推し進めたのは事実でそれについては私も異論はありません。ただGHQは占領後半になると対共産主義のために率先して日本の再軍備化を推し進める、いわゆる「右旋回」をするようになり、その過程で自衛隊の前身となる警察予備隊も生まれています。
だからといって教育内容まで当時に変わったというわけじゃないですが、肝心なのはGHQの占領は1951年で終わっていることです。その後の日本はGHQが作った憲法とはいえ、日本人自ら選挙を行い、政府を組織し、文部省で自ら教育内容を決めていきました。少なくとも私が見る限り独立回復後の日本で90年代にいたるまでアメリカが日本の教育行政を握っていたとは思えず、きっかけは確かにアメリカの指導かもしれませんがそれを維持したのはほかならぬ日本人自身で、それにもかかわらずアメリカが押し付けて日本の教育は駄目にされたというのはちょっと違うような気がします。
・ポイント2、自虐史観が日本人をだめにしたのか
これもまた上の二人組+藤原正彦氏がよく主張していますが、私としては疑問に思う意見です。そもそもの話としてそれほどまで歴史教育に影響される生徒自体多いとは思えず、いくら学校の授業で聞いたからといって日本は悪い国だ、周辺国に謝罪しなければなどと真剣に考える人間はそんなにいなかったと思います。一人や二人ならいるかもしれないけどさ。
その根拠と言っては何ですが、90年代後半から尖閣諸島や魚釣島などで領土問題が起こるや中国や韓国への日本人感情は一気に悪くなり、その変貌振りを見るとそれ以前の両国への感情は申し訳ないとかそういうもんじゃなく、ただ単に無関心だった気がします。ついでに書くとこの教育でアメリカに対しても反抗心を持たなくなったとも言われていますが、これは沖縄問題が一番影響しているように思います。基地負担などすべてを沖縄に押し付けたが故で、アメリカに対してもまた大半の日本人は無関心だっただけではないかという気がします。
・ポイント3、自虐史観は今も続いているのか
これについてはさすがに義務教育現場ではどうなっているのかまではわかりませんが、少なくとも日本全体の論調としては大分後退しているかと思います。その理由としては自虐史観では徹底的に被害国として扱われた中国や韓国と明確に領土問題になったり、中国に至ってはGDPでも抜かれるようになって主張に現実味がなくなってきたことが原因だと思います。さらについでに書くと、中国の方こそが自国の歴史をごまかそうとする気合が半端じゃないし。
またこれは私自身が高校生だった頃の感傷ですが、はっきり言って歴史を勉強していてその主義主張なんかよりこっちとしては如何に受験でポイントを稼げるか一番関心があり、こういうことに大騒ぎするのはむしろ外野の大人たちだったような気がします。
ただ振り返ってみてこの自虐史観は歴史認識として明確な間違いをいくつかしており(日本に民主主義はなかったとか、国民は軍部にだまされていたなど)、後退して個人的にはよかったなぁとは思います。その一方でつくる会らの「日本は米国などに追い込まれて戦争をした」などという後から来た主張も私は理解することが出来ず、こっちの主張も今度後退してくれればいいなぁって思ってます。
なお戦前の歴史認識としては私が今一番傾倒しているのは半藤一利氏で、半藤氏の主張のように「日本人は何も考えずに戦争に向かっていった」というのが戦前に対して最も納得できる意見です。
・自虐史観(Wikipedia)
自虐史観というのは戦後に行われた日本の歴史教育のことを指す際に使われます。内容としては戦前の日本を世界大戦を引き起こしたとして批判的に捉える観点から語られ、一部の論者からは過剰に日本、ひいては自国を否定する内容だとして90年代頃から逆批判が起こり、しばしば論争の的となりました。
この自虐史観で強調されたのは戦前に日本が行った侵略への反省で、ある意味私なんか論争の起こった頃に教育を受けていた世代なので割かし懐かしい感覚すらあるのですが、南京大虐殺や朝鮮人強制連行、従軍慰安婦問題などは小学生時代からしつこく教えられた記憶があります。ただこうして教えられる内容はなんだか東アジアに集中してて、バターン死の更新とか東南アジア方面の話はなんだか扱いが小さかったような……。
こうした歴史教育が戦後は一貫して行われたそうですが、これについて行き過ぎだとして主に「新しい教科書をつくる会」のメンバーなどから逆批判が起こるようになり、上記の歴史事件の再検証とともに戦前の日本政府、ならびに軍人らを再評価する動きが90年代中盤から起こるようになりました。そうした逆批判論者らの意向が強く反映されたいわゆる"つくる会の教科書"が発売されるや中国や韓国は、「過去の真実をごまかし、歴史を改変した内容だ」として公式に批判し、当時はってか今も続く国際問題とまでなりました。
さてこの自虐史観ですが全部が全部語ると非常にややこしく、また議論する相手によっては余計なヒートアップを招いて論争にならなくなる可能性が高い議題です。そこでいくつかポイントを絞って実際にこの自虐史観による教育を受けた私の考えと現状を説明します。
・ポイント1、自虐史観はアメリカによる押し付けか
これなんか安倍元首相とか平沼赳夫氏が激しく主張していますが、戦後日本を占領したGHQが日本が二度とアメリカに歯向かわないように徹底した反軍主義、戦前否定の教育を実施したことで自虐史観が生まれたという意見ですが、これについては私は明確に否定します。
まず勘違いしてもらいたくないのは、実際にGHQが戦後直後の日本で戦前を否定する教育を推し進めたのは事実でそれについては私も異論はありません。ただGHQは占領後半になると対共産主義のために率先して日本の再軍備化を推し進める、いわゆる「右旋回」をするようになり、その過程で自衛隊の前身となる警察予備隊も生まれています。
だからといって教育内容まで当時に変わったというわけじゃないですが、肝心なのはGHQの占領は1951年で終わっていることです。その後の日本はGHQが作った憲法とはいえ、日本人自ら選挙を行い、政府を組織し、文部省で自ら教育内容を決めていきました。少なくとも私が見る限り独立回復後の日本で90年代にいたるまでアメリカが日本の教育行政を握っていたとは思えず、きっかけは確かにアメリカの指導かもしれませんがそれを維持したのはほかならぬ日本人自身で、それにもかかわらずアメリカが押し付けて日本の教育は駄目にされたというのはちょっと違うような気がします。
・ポイント2、自虐史観が日本人をだめにしたのか
これもまた上の二人組+藤原正彦氏がよく主張していますが、私としては疑問に思う意見です。そもそもの話としてそれほどまで歴史教育に影響される生徒自体多いとは思えず、いくら学校の授業で聞いたからといって日本は悪い国だ、周辺国に謝罪しなければなどと真剣に考える人間はそんなにいなかったと思います。一人や二人ならいるかもしれないけどさ。
その根拠と言っては何ですが、90年代後半から尖閣諸島や魚釣島などで領土問題が起こるや中国や韓国への日本人感情は一気に悪くなり、その変貌振りを見るとそれ以前の両国への感情は申し訳ないとかそういうもんじゃなく、ただ単に無関心だった気がします。ついでに書くとこの教育でアメリカに対しても反抗心を持たなくなったとも言われていますが、これは沖縄問題が一番影響しているように思います。基地負担などすべてを沖縄に押し付けたが故で、アメリカに対してもまた大半の日本人は無関心だっただけではないかという気がします。
・ポイント3、自虐史観は今も続いているのか
これについてはさすがに義務教育現場ではどうなっているのかまではわかりませんが、少なくとも日本全体の論調としては大分後退しているかと思います。その理由としては自虐史観では徹底的に被害国として扱われた中国や韓国と明確に領土問題になったり、中国に至ってはGDPでも抜かれるようになって主張に現実味がなくなってきたことが原因だと思います。さらについでに書くと、中国の方こそが自国の歴史をごまかそうとする気合が半端じゃないし。
またこれは私自身が高校生だった頃の感傷ですが、はっきり言って歴史を勉強していてその主義主張なんかよりこっちとしては如何に受験でポイントを稼げるか一番関心があり、こういうことに大騒ぎするのはむしろ外野の大人たちだったような気がします。
ただ振り返ってみてこの自虐史観は歴史認識として明確な間違いをいくつかしており(日本に民主主義はなかったとか、国民は軍部にだまされていたなど)、後退して個人的にはよかったなぁとは思います。その一方でつくる会らの「日本は米国などに追い込まれて戦争をした」などという後から来た主張も私は理解することが出来ず、こっちの主張も今度後退してくれればいいなぁって思ってます。
なお戦前の歴史認識としては私が今一番傾倒しているのは半藤一利氏で、半藤氏の主張のように「日本人は何も考えずに戦争に向かっていった」というのが戦前に対して最も納得できる意見です。
2011年5月15日日曜日
私のナショナリズム遍歴
なんか今日からこっちでYahooメールが開かなくなりました。これまでにもこういうことは度々あったので恐らく一時的で、また明日には開けるかと思いますが小学生の嫌がらせのように地味に腹立ちます。その代わりと言っては何ですが先日にダウンロードできなかったとこのブログで報告した電子書籍が何故かダウンロードできるようになり、ついに「でろでろ」の7巻をパソコン上で読むことが出来ました。あまりにも感動したもんだからすぐまた8巻も買って読んでしまいましたが、世に妹キャラはたくさんいれどもこのでろでろの「日野留渦」以上の妹キャラはいないんじゃないかとよく思います。
こんなどうでもいい前文を書きながらですが、今日は私のナショナリズム遍歴を紹介しようと思います。個人的な内容かなと思って最初は見送りかけましたが、ちょうど私の青春時代が日本のナショナリズム観が戦後以降で大いに変動した時期なので書く価値があると判断しました。
私が明確にナショナリズムを初めて持ったのは、年にして13歳の中学一年生の頃でした。その頃予備校で教わった先生にいろいろ社会問題を教わって政治について興味を持ち出し、世の中が良くないことを何でもかんでも政治が悪いせいだといっちょまえに口にしていました。同時に小学生時代はなんだか不公平に感じて否定的だった天皇制も途端に肯定的になり、中二病のようになんだか右翼的な行動や価値観がかっこいいと思うようになっていきました。
当時は北朝鮮が弾道ミサイルテポドンを発射した時期で、私だけじゃなく日本中で国防について議論が盛り上がっていた頃でした。といっても盛り上がったのはまだ一部の人間にとどまり、一般市民はまだ政治については今より関心が低くて投票率も今なんかと比べると低い水準を維持してました。私はそんな低い投票率を見て、ありがちといえばありがちですがこんな日本人じゃ国が駄目になると、まぁ子供らしくストレートな感情を抱いていたのを我ながら恥ずかしく感じます。
その頃にあったもう一つの大きな事件を話すと、ちょうと「新しい教科書をつくる会」(通称つくる会)が出来、教科書の裁定を巡って大きな議論が起こっていた頃でした。これは以前に外交白書も見て確認をしていますが、ちょうどこの頃からそれまで変動のなかった韓国、中国への好感度が振れ出し、2000年代に入る頃には明確に下がり始めます。
そうした外交意識の変化以上にこのつくる会が巻き起こした騒動はいわゆる自虐史観からの脱却で、「日本はもう謝らなくていい」という言葉の元に歴史教育の改革が叫ばれるようになりました。当時の私は私立の学校にいたせいもあるでしょうが自虐史観についてはそれほど関心がなく、またつくる会の教科書も抽象的な内容が多いように思え、大学受験用として使うにはあまり価値がないと取り立てて気にはとめませんでした。
その後高校生となった私は徐々にテレビニュースなどを見るようになって知識を蓄えるようになり、右傾化の傾向にも拍車がかかっていきました。靖国神社に行ったり正月の天皇参賀にも参加したのもこの頃で、親父に菊の御紋入りのがま口(1,000円)を買ってもらったのを覚えてます。さすがに使いどころが見当たらなくて未だに引き出しの中ですが。
この頃になると政治に興味を持たない周りの生徒がたるんでいるように思え、電車の中だろうがなんだろうが頼まれてもないのに高説ぶるようになり、今見たら殴り倒したいくらいの生意気ぶりだったと思います。ただ当時の自分を唯一誉めるとしたら、誰かに師事して教えてもらうのではなくちゃんと自分から雑誌とかを読んで知識を身につけてった所です。そんな都合よくなんでもかんでも教えてくれる人はいないんだから自分で勉強しなきゃと、行動に移した点は及第点でした。またこの頃はまだ政治家になって世の中を自分が変えてやるんだ、自衛隊も強化して他国に侵略させないようにしなければとどちらかと言えばプレイヤー志向が強い時期でもありました。
それが変化したのは大学に入って以降でした。大学入学直後でこそ自分は右の人間だと明確に自認していましたが、当時は小泉内閣で徐々に格差問題が表面化していった時期でもあり、郵政改革の過程で右派の中でも意見が割れ始めていた頃でした。勘違いしてもらいたくないのは当時の私は格差拡大論者で、現時点においても当時の小泉内閣における竹中平蔵氏の政策は正しかったと考えております。ただこの格差問題で私が気になったのは、右派の政治家や論者にこの格差問題にかこつけて小泉内閣を批判して政局にしようとする人間が現れだし、先述の郵政改革が進むにつれてその傾向が激しくなっていったことです。
このあたりからそもそも右翼、左翼という構造で物事を考えていたら立ち行かないのではないと思うようになり、自分をどちらの立場において考えるのではなく政策ごとに独立して意見を持たねばならないと考えるようになりました。その結果自分を右翼、左翼とどちらにも置かなくなり、国に対する意識も何が何でも良くしなければという感覚も徐々に持てなくなっていきました。
その後の過程はちょっとすっ飛ばしますが、現時点での私のナショナリズムはそれほど高くないと思います。よくこういうブログを運営していることから国のことを強く思っているのではと言われることがありますが、結局のところ国を変えても日本人が良くなるという確信が持てず、むしろ自分という個人の能力を高めるだけ高め、尋ねられたら教えるという行為を続けることの方が価値があるように今は考えています。自分への自戒を込めて書きますが、いくら政治を良くしようと政治家を変えたりしても国民が変わらない限りはなにも変わらないと思います。
最後に、ではどうしてこのブログで政治解説などをやるのかという理由ですが、以前かも書いてはいますが単純に政治や時事を勉強したくとも勉強する手段や糸口が見つからない人間、対象としては大学生向けに「こんな考え方もあるんだよ」という紹介がてら書いてます。前述の高校時代に私も苦労した思い出があり、そうした人たちへの一助になればと文章を書く趣味をかねて書き続けてます。
こんなどうでもいい前文を書きながらですが、今日は私のナショナリズム遍歴を紹介しようと思います。個人的な内容かなと思って最初は見送りかけましたが、ちょうど私の青春時代が日本のナショナリズム観が戦後以降で大いに変動した時期なので書く価値があると判断しました。
私が明確にナショナリズムを初めて持ったのは、年にして13歳の中学一年生の頃でした。その頃予備校で教わった先生にいろいろ社会問題を教わって政治について興味を持ち出し、世の中が良くないことを何でもかんでも政治が悪いせいだといっちょまえに口にしていました。同時に小学生時代はなんだか不公平に感じて否定的だった天皇制も途端に肯定的になり、中二病のようになんだか右翼的な行動や価値観がかっこいいと思うようになっていきました。
当時は北朝鮮が弾道ミサイルテポドンを発射した時期で、私だけじゃなく日本中で国防について議論が盛り上がっていた頃でした。といっても盛り上がったのはまだ一部の人間にとどまり、一般市民はまだ政治については今より関心が低くて投票率も今なんかと比べると低い水準を維持してました。私はそんな低い投票率を見て、ありがちといえばありがちですがこんな日本人じゃ国が駄目になると、まぁ子供らしくストレートな感情を抱いていたのを我ながら恥ずかしく感じます。
その頃にあったもう一つの大きな事件を話すと、ちょうと「新しい教科書をつくる会」(通称つくる会)が出来、教科書の裁定を巡って大きな議論が起こっていた頃でした。これは以前に外交白書も見て確認をしていますが、ちょうどこの頃からそれまで変動のなかった韓国、中国への好感度が振れ出し、2000年代に入る頃には明確に下がり始めます。
そうした外交意識の変化以上にこのつくる会が巻き起こした騒動はいわゆる自虐史観からの脱却で、「日本はもう謝らなくていい」という言葉の元に歴史教育の改革が叫ばれるようになりました。当時の私は私立の学校にいたせいもあるでしょうが自虐史観についてはそれほど関心がなく、またつくる会の教科書も抽象的な内容が多いように思え、大学受験用として使うにはあまり価値がないと取り立てて気にはとめませんでした。
その後高校生となった私は徐々にテレビニュースなどを見るようになって知識を蓄えるようになり、右傾化の傾向にも拍車がかかっていきました。靖国神社に行ったり正月の天皇参賀にも参加したのもこの頃で、親父に菊の御紋入りのがま口(1,000円)を買ってもらったのを覚えてます。さすがに使いどころが見当たらなくて未だに引き出しの中ですが。
この頃になると政治に興味を持たない周りの生徒がたるんでいるように思え、電車の中だろうがなんだろうが頼まれてもないのに高説ぶるようになり、今見たら殴り倒したいくらいの生意気ぶりだったと思います。ただ当時の自分を唯一誉めるとしたら、誰かに師事して教えてもらうのではなくちゃんと自分から雑誌とかを読んで知識を身につけてった所です。そんな都合よくなんでもかんでも教えてくれる人はいないんだから自分で勉強しなきゃと、行動に移した点は及第点でした。またこの頃はまだ政治家になって世の中を自分が変えてやるんだ、自衛隊も強化して他国に侵略させないようにしなければとどちらかと言えばプレイヤー志向が強い時期でもありました。
それが変化したのは大学に入って以降でした。大学入学直後でこそ自分は右の人間だと明確に自認していましたが、当時は小泉内閣で徐々に格差問題が表面化していった時期でもあり、郵政改革の過程で右派の中でも意見が割れ始めていた頃でした。勘違いしてもらいたくないのは当時の私は格差拡大論者で、現時点においても当時の小泉内閣における竹中平蔵氏の政策は正しかったと考えております。ただこの格差問題で私が気になったのは、右派の政治家や論者にこの格差問題にかこつけて小泉内閣を批判して政局にしようとする人間が現れだし、先述の郵政改革が進むにつれてその傾向が激しくなっていったことです。
このあたりからそもそも右翼、左翼という構造で物事を考えていたら立ち行かないのではないと思うようになり、自分をどちらの立場において考えるのではなく政策ごとに独立して意見を持たねばならないと考えるようになりました。その結果自分を右翼、左翼とどちらにも置かなくなり、国に対する意識も何が何でも良くしなければという感覚も徐々に持てなくなっていきました。
その後の過程はちょっとすっ飛ばしますが、現時点での私のナショナリズムはそれほど高くないと思います。よくこういうブログを運営していることから国のことを強く思っているのではと言われることがありますが、結局のところ国を変えても日本人が良くなるという確信が持てず、むしろ自分という個人の能力を高めるだけ高め、尋ねられたら教えるという行為を続けることの方が価値があるように今は考えています。自分への自戒を込めて書きますが、いくら政治を良くしようと政治家を変えたりしても国民が変わらない限りはなにも変わらないと思います。
最後に、ではどうしてこのブログで政治解説などをやるのかという理由ですが、以前かも書いてはいますが単純に政治や時事を勉強したくとも勉強する手段や糸口が見つからない人間、対象としては大学生向けに「こんな考え方もあるんだよ」という紹介がてら書いてます。前述の高校時代に私も苦労した思い出があり、そうした人たちへの一助になればと文章を書く趣味をかねて書き続けてます。
2011年5月13日金曜日
四国新聞について
最近堅い政治系の記事ばかりなので、柔らかい内容を一本投下しておきます。
さて皆さん、四国新聞というのはご存知でしょうか。香川県の地方新聞なのですが、百聞は一見に如かずなので早速下記ホームページを開いてみてください。
・四国新聞
一体この新聞の何が凄いのかというと、上部にあるニュースカテゴリー欄を見てもらえばわかりますが「スポーツ」や「天気」、「求人」といったごく一般的なカテゴリーの中になんと、堂々と「うどん」というカテゴリーが存在してます。しかも試しに開いてみると香川県内のうどん検索機能がついており、「データで探す」を選んでみると以下のようなまた随分とカオスな検索項目が出てきます。
Q、誰と?
・子供連れで
・接待で
・大勢で
・デートで
・マニアな人と
・特定しない
Q、店のスタイルは
・一般店
・大衆セルフ
・製麺所型
・特定しない
Q、表示順位
・麺の太い順
・麺の細い順
・創業が古い順
・創業が新しい順
・1玉が大きい順
・1玉の値段が安い順
・特定しない
どんだけ検索項目充実してんだよ……(;゚д゚)
さて皆さん、四国新聞というのはご存知でしょうか。香川県の地方新聞なのですが、百聞は一見に如かずなので早速下記ホームページを開いてみてください。
・四国新聞
一体この新聞の何が凄いのかというと、上部にあるニュースカテゴリー欄を見てもらえばわかりますが「スポーツ」や「天気」、「求人」といったごく一般的なカテゴリーの中になんと、堂々と「うどん」というカテゴリーが存在してます。しかも試しに開いてみると香川県内のうどん検索機能がついており、「データで探す」を選んでみると以下のようなまた随分とカオスな検索項目が出てきます。
Q、誰と?
・子供連れで
・接待で
・大勢で
・デートで
・マニアな人と
・特定しない
Q、店のスタイルは
・一般店
・大衆セルフ
・製麺所型
・特定しない
Q、表示順位
・麺の太い順
・麺の細い順
・創業が古い順
・創業が新しい順
・1玉が大きい順
・1玉の値段が安い順
・特定しない
どんだけ検索項目充実してんだよ……(;゚д゚)
公務員給与10%削減案について
今日たまたまNHKで昼のニュースを見る機会があり、こんなニュースを目撃しました。
・公務員給与10%削減、労使交渉始まる(朝日新聞)
内容をかいつまんで話すと、管首相は震災復興に多大な予算が必要になることから国家公務員の給与を全体で10%削減することを提案したというニュースです。なお「震災対策にあたる自衛隊員らには一定の配慮」との文言から、自衛隊員への給料は削減の対象から外す方針のようです。
正直、前回の「自衛隊員の給料削減報道について」の記事を書いた二日後にこうも早くも関連するニュースというか止めを刺してくれるものが出てくるとは夢にも思っても見ませんでした。前回の記事で私は「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである。」と書いたこのJB PRESSの記事はガセである可能性が高いのではと指摘しましたが、同じ記事には「一方、総勢で7万人以上もいるとされる増税を主導する財務省のお役人が1円でも給与カットしたという話は全く聞かない。」とも書かれており、見事なくらいに本日の管首相の発言内容と真逆で、もはやガセの可能性とかそういうレベルではなくなったと言っていいでしょう。
仮にこのJB PRESSの記事が伝聞調や可能性があると言った書き方や、何故自衛隊のみが10%の削減になるのかという理由や根拠も書いていればまだ価値はありますが、こんな断言口調で書いてればもうどうしようもないでしょう。恐らくなんの根拠も確認のための取材もなく、それこそ別の誰かの妄言を信じて強気で書いたのでしょう。もしかしたらこの記事自体が妄言そのものだったのかもしれませんが。
それにしても前回の記事を書くきっかけになった、「現在の自民党への評価」の記事にコメントしてくれた「通りすがり」さんにはこのJB PRESSの記事が情報ソースなのかをコメント欄で尋ねているのですが、未だ返事がもらえておりません。もしこの記事を読んでいただけているのであれば、ぜひともご一報と現在のご感想をいただきたく思います。
・公務員給与10%削減、労使交渉始まる(朝日新聞)
内容をかいつまんで話すと、管首相は震災復興に多大な予算が必要になることから国家公務員の給与を全体で10%削減することを提案したというニュースです。なお「震災対策にあたる自衛隊員らには一定の配慮」との文言から、自衛隊員への給料は削減の対象から外す方針のようです。
正直、前回の「自衛隊員の給料削減報道について」の記事を書いた二日後にこうも早くも関連するニュースというか止めを刺してくれるものが出てくるとは夢にも思っても見ませんでした。前回の記事で私は「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである。」と書いたこのJB PRESSの記事はガセである可能性が高いのではと指摘しましたが、同じ記事には「一方、総勢で7万人以上もいるとされる増税を主導する財務省のお役人が1円でも給与カットしたという話は全く聞かない。」とも書かれており、見事なくらいに本日の管首相の発言内容と真逆で、もはやガセの可能性とかそういうレベルではなくなったと言っていいでしょう。
仮にこのJB PRESSの記事が伝聞調や可能性があると言った書き方や、何故自衛隊のみが10%の削減になるのかという理由や根拠も書いていればまだ価値はありますが、こんな断言口調で書いてればもうどうしようもないでしょう。恐らくなんの根拠も確認のための取材もなく、それこそ別の誰かの妄言を信じて強気で書いたのでしょう。もしかしたらこの記事自体が妄言そのものだったのかもしれませんが。
それにしても前回の記事を書くきっかけになった、「現在の自民党への評価」の記事にコメントしてくれた「通りすがり」さんにはこのJB PRESSの記事が情報ソースなのかをコメント欄で尋ねているのですが、未だ返事がもらえておりません。もしこの記事を読んでいただけているのであれば、ぜひともご一報と現在のご感想をいただきたく思います。
2011年5月11日水曜日
自衛隊員の給料削減報道について
昨日書いた記事に寄せられたコメントに、ちょっと気になる内容が書かれていました。
「おまけに民主は防波堤の予算やら自衛隊員の給料を下げる事までやってる分たちが悪い。こんな史上最悪の政権は早く退場するべきだろう。」
正直に言って、このコメントに書かれている自衛隊員の給料削減のニュースを私はこれまで全く聞いたことがありませんでした。日本にいる状態ならば自分が聞いたことないニュースはまず以って通常の報道はされていないと確信がありましたが、現在は居住地が中国なだけに念のためどのように報じられているのか確認をしてみようと思い早速ネットで、「自衛隊 給料 削減」で検索をかけたところ、確かにこのニュースを取り上げるブログやツイッターが数多くヒットしたのですが、一見してすぐ奇妙さを覚えました。実際に検索してみればわかるでしょうが見出しがどれも判で押したかのようにほどんど一緒で、「自衛官給料/給与10%カット/削減」と書かれており、真っ先に思いついたのは情報ソースが一緒なのではないかということでした。そこでいくつか開いてみて確認したところやはりそうで、少なくとも私が確認した限りではどこも下記サイトをネタ元として引用していました。
・菅直人首相:所得半減政策と「国民は粟を食え」(JB PRESS)
もっともこんな風に訝って考えるのは私くらいなものかとも思ったのですが、同じくJB PRESSの記事を引用しているロケットニュースの記事につけられたコメント欄を見てみると私と同じように単一ソースであることからガセではないかと懸念する方がいてちょっと驚きました。
そろそろ結論を言うと、現時点で私はこの自衛隊員の給料を10%削減するというこのニュースはガセの可能性が高いように感じます。理由はいくつかあり、まとめると下記のポイントが挙げられます。
1、情報源がJB PRESSしかなく、ほかのメディアが後追い報道をした跡が全くない
2、記事中に具体的な決定時期、削減の開始時期、対象者が全く書かれていない
3、にもかかわらず、「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである」と断定口調でまとめられている
4、記事中では削減の決定者が政府なのか防衛省なのかわからず、主語がぼかして書かれている
5、この時期に発表される必然性が感じられない
6、内容に強い誘導性を感じる
ざっと挙げるとこんな具合です。といっても、最初の後追い報道がないという点だけでおなかいっぱいですけど。
仮にこのニュースが本当であるならば最初に情報を出すのは政策決定者である官僚や政治家に間違いなく、この両者から発せられる情報でこの内容であればテレビや新聞といった大メディアも必ず報じているでしょう。にもかかわらずJB PRESSの記事が出てから数週間も経っているにもかかわらず関連するニュース報道は全くなく、そもそもの記事内容と比較しても何でもいいから管首相を貶めようとする匂いが感じられます。
ついでなので情報を取り扱う際の気構えというか私が注意しているポイントをこちらも挙げると、
1、情報ソースが複数あるか
2、状況から必然性を感じるか
3、誘導性がないか
大体この三点、最低でも最初の複数ソースの確認さえしておけば下手な情報を掴むことはないでしょう。
ただ複数ソースについては少し注意しなければならないことがあり、たまに同じソースからの情報をいろんなところを経由しているうちに別ソースの情報と誤解してしまうことがあります。これの代表的な例はアメリカが追っていたイラクの大量破壊兵器の情報で、何でもCIAか何かがどうもイタリアあたりでイラクには大量破壊兵器があるという情報を得て念のため確認を取った所、別のソースからも情報を得られてイラクに攻め込んだものの結局そんなものはありませんでした。後で調べてみたら、二回目の情報のソースも実は最初と同じイタリアの情報だったそうです。
二番目の状況の必然性ですが、意味はちょっと違いますが火のないところに煙は立たないというように、有り得ない状況から有り得ない物は絶対に出てきません。たとえば北海道でゴキブリが大量発生と書かれても、そもそも北海道はその気候から元々ゴキブリは生息していないのですぐガセだとわかるように、状況からおおよそ起こることが有り得ないと思われるニュースは真偽を必ず確かめる必要があります。
三番目の誘導性についてですが、これもたとえを用いるとアメを欲しがっている子供に対して「あそこに行けばアメがもらえるよ」と言うように、情報を受け取る側が如何にも欲しがる様な格好の情報や、書き手の感情が過剰に反映されているような要素です。今回のJB PRESSの記事は管首相を批判したがっている人間に対しては格好過ぎる情報で、案の定というかあちこちのブログやツイッターで取り上げられているのを見て妙に感じさせられました。
最後に民主党関連のデマですと、以前の陽月秘話でも取り上げましたが去年に「鳩山前首相がデノミを検討していた」と日経新聞のみが報じていました。この記事では「藤井財務相辞任で頓挫」と書かれており、鳩山首相だけならともかく経済政策に明るい藤井氏がこんな必然性のないことを検討するとはとても思えずデマではないかと書きましたが、案の定ほかのメディアも相手しなければ続報も全く聞こえてきませんでした。日経は経済記事以外はいいと言われていますが、こんな内容の記事にOK出すデスクもいるんだと感心させられた一件でした。
最後と書きながら今日散々後追い報道について書いたのでもう一つ付け加えですが、去年ナンバー1の報道は間違いなく朝日新聞による、厚生省の村木さんの取調べで前田元検事が証拠を改竄していたことを暴いた記事ですが、話によるとこの記事を書いたのは三十代の記者の方で、朝刊発行前はほかのメディアが後追い報道、取材をしてくれるかと不安で眠れなかったそうです。あんな凄い記事書いておきながら、やっぱり記者の方は不安に感じるようです。
「おまけに民主は防波堤の予算やら自衛隊員の給料を下げる事までやってる分たちが悪い。こんな史上最悪の政権は早く退場するべきだろう。」
正直に言って、このコメントに書かれている自衛隊員の給料削減のニュースを私はこれまで全く聞いたことがありませんでした。日本にいる状態ならば自分が聞いたことないニュースはまず以って通常の報道はされていないと確信がありましたが、現在は居住地が中国なだけに念のためどのように報じられているのか確認をしてみようと思い早速ネットで、「自衛隊 給料 削減」で検索をかけたところ、確かにこのニュースを取り上げるブログやツイッターが数多くヒットしたのですが、一見してすぐ奇妙さを覚えました。実際に検索してみればわかるでしょうが見出しがどれも判で押したかのようにほどんど一緒で、「自衛官給料/給与10%カット/削減」と書かれており、真っ先に思いついたのは情報ソースが一緒なのではないかということでした。そこでいくつか開いてみて確認したところやはりそうで、少なくとも私が確認した限りではどこも下記サイトをネタ元として引用していました。
・菅直人首相:所得半減政策と「国民は粟を食え」(JB PRESS)
もっともこんな風に訝って考えるのは私くらいなものかとも思ったのですが、同じくJB PRESSの記事を引用しているロケットニュースの記事につけられたコメント欄を見てみると私と同じように単一ソースであることからガセではないかと懸念する方がいてちょっと驚きました。
そろそろ結論を言うと、現時点で私はこの自衛隊員の給料を10%削減するというこのニュースはガセの可能性が高いように感じます。理由はいくつかあり、まとめると下記のポイントが挙げられます。
1、情報源がJB PRESSしかなく、ほかのメディアが後追い報道をした跡が全くない
2、記事中に具体的な決定時期、削減の開始時期、対象者が全く書かれていない
3、にもかかわらず、「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである」と断定口調でまとめられている
4、記事中では削減の決定者が政府なのか防衛省なのかわからず、主語がぼかして書かれている
5、この時期に発表される必然性が感じられない
6、内容に強い誘導性を感じる
ざっと挙げるとこんな具合です。といっても、最初の後追い報道がないという点だけでおなかいっぱいですけど。
仮にこのニュースが本当であるならば最初に情報を出すのは政策決定者である官僚や政治家に間違いなく、この両者から発せられる情報でこの内容であればテレビや新聞といった大メディアも必ず報じているでしょう。にもかかわらずJB PRESSの記事が出てから数週間も経っているにもかかわらず関連するニュース報道は全くなく、そもそもの記事内容と比較しても何でもいいから管首相を貶めようとする匂いが感じられます。
ついでなので情報を取り扱う際の気構えというか私が注意しているポイントをこちらも挙げると、
1、情報ソースが複数あるか
2、状況から必然性を感じるか
3、誘導性がないか
大体この三点、最低でも最初の複数ソースの確認さえしておけば下手な情報を掴むことはないでしょう。
ただ複数ソースについては少し注意しなければならないことがあり、たまに同じソースからの情報をいろんなところを経由しているうちに別ソースの情報と誤解してしまうことがあります。これの代表的な例はアメリカが追っていたイラクの大量破壊兵器の情報で、何でもCIAか何かがどうもイタリアあたりでイラクには大量破壊兵器があるという情報を得て念のため確認を取った所、別のソースからも情報を得られてイラクに攻め込んだものの結局そんなものはありませんでした。後で調べてみたら、二回目の情報のソースも実は最初と同じイタリアの情報だったそうです。
二番目の状況の必然性ですが、意味はちょっと違いますが火のないところに煙は立たないというように、有り得ない状況から有り得ない物は絶対に出てきません。たとえば北海道でゴキブリが大量発生と書かれても、そもそも北海道はその気候から元々ゴキブリは生息していないのですぐガセだとわかるように、状況からおおよそ起こることが有り得ないと思われるニュースは真偽を必ず確かめる必要があります。
三番目の誘導性についてですが、これもたとえを用いるとアメを欲しがっている子供に対して「あそこに行けばアメがもらえるよ」と言うように、情報を受け取る側が如何にも欲しがる様な格好の情報や、書き手の感情が過剰に反映されているような要素です。今回のJB PRESSの記事は管首相を批判したがっている人間に対しては格好過ぎる情報で、案の定というかあちこちのブログやツイッターで取り上げられているのを見て妙に感じさせられました。
最後に民主党関連のデマですと、以前の陽月秘話でも取り上げましたが去年に「鳩山前首相がデノミを検討していた」と日経新聞のみが報じていました。この記事では「藤井財務相辞任で頓挫」と書かれており、鳩山首相だけならともかく経済政策に明るい藤井氏がこんな必然性のないことを検討するとはとても思えずデマではないかと書きましたが、案の定ほかのメディアも相手しなければ続報も全く聞こえてきませんでした。日経は経済記事以外はいいと言われていますが、こんな内容の記事にOK出すデスクもいるんだと感心させられた一件でした。
最後と書きながら今日散々後追い報道について書いたのでもう一つ付け加えですが、去年ナンバー1の報道は間違いなく朝日新聞による、厚生省の村木さんの取調べで前田元検事が証拠を改竄していたことを暴いた記事ですが、話によるとこの記事を書いたのは三十代の記者の方で、朝刊発行前はほかのメディアが後追い報道、取材をしてくれるかと不安で眠れなかったそうです。あんな凄い記事書いておきながら、やっぱり記者の方は不安に感じるようです。
2011年5月10日火曜日
現在の自民党への評価
現在与党民主党は管首相を始めとして今回の地震の対応に問題があったと野党を初め国民からも激しく非難がなされておりますが、中国にいる分際でといくらか批判を受けること覚悟で申せば、私は今回の民主党並びに執行部の対応はそれほど悪いものではなかったと考えております。もちろん100点満点ではないものの、これだけの大惨事に対して最低限必要な対応はしてきたと思います。
惜しむらくは福島原発の事故で、これさえ早期に抑えていれば現在よりもずっと被害を軽減することが出来たでしょうが、この原発事故は政府の指導や対応に問題があったというよりは東電の対応や危機管理に問題があったと考えており、一部で東電の言いなりになった管首相が悪いという批判もありますが、首相とはいえ技術的なことにあれこれ口出しするのは私はこれもかえって問題だと考えており、東電の意見を無視してあれこれ管首相が指示していればそれこそ批判の対象だと見ております。
ただこういった災害においては天を恨んでも仕方がないというものの、感情の捌け口がどうしても必要になってきます。そういう意味では政府は理不尽といえども批判を受けねばならない立場であり、また被災者の気持ちを考えると批判をするなとも言えません。あくまで私個人として、現政府の対応はやることはやってくれたという評価をさせてもらいます。
しかしそうした被災者はともかくとして、政府を批判していて奇妙というか腹立だたしいというか、頭にくる存在として野党の自民党の存在があります。一部の批判を聞いていると今回の地震に対する民主党の対応は問題があり、もう一度政権交代をさせて自民党を与党にしなければならないという声をいくらか目にしますが(主に産経を中心に)、そんなのふざけるなと声を大にして私はいいたいです。確かに現民主党もなかなか子供手当てをあきらめないなどアホかと言いたくなるところも数多く存在しますが、それを推しても私は鳩山時代ならともかく今の自民党よりはまだ管首相の方が害が少ないと見ております。
私がどうして今回ここで自民党を批判するのかというと、やはり大メディアの報道を見ていてアレって思うところが多いからです。以前の「石原都知事への自民の許せない公認」の記事でも書きましたが、自民党は神経を疑う不謹慎極まりない発言をしたにもかかわらず片方は非公認にし、もう片方は公認にして選挙を応援しましたが、この自民党のダブルス短ダートについて私がネットを見る限り批判したメディアは存在しませんでした。またこれ以外にも政府から復興支援会議への参加、果てには大連立まで打診されているにもかかわらず今のところ自民党の谷垣総裁ははっきりとした態度を示しておりません。もちろんこれまでの政争もあれば支持者もいるのだしいくら緊急時だからと言ってホイホイ組むわけには行かないという立場はわかりますが、それにしたってここまで邪険にしなくたっていいんじゃないかという気がします。
このような谷垣氏の態度に自民贔屓の産経も業を煮やしたか、とうとうこんな記事まで書かれる始末です。
・首相「菅降ろし封じ」に自信 “クセ球”次々… 搦め捕られる谷垣執行部(産経新聞)
なかなかよくまとまっている記事なのでよければ見てもらいたいのですが、概略を話すと復興での民主党への協力に対して谷垣氏が優柔不断になかなか態度を決めないことから、管降ろしをするはずが自分が総裁を降ろされるような立場になりつつあるのではと書かれてあります。個人的に感心したのは自民党との連立を辞さないとする石破茂氏や小池百合子氏はかつて同じ新進党で活動して痛い目に遭っているだけに小沢氏とは連携を獲りたがらず、小沢一派と一緒に管首相に不信任を突きつけようにも自民党内で意見が割れるだろうと指摘している点です。私もこの考えを支持します。
そんな優柔不断な谷垣氏が今必死になってやっているのは政府批判です。ただその中身を見ると原発事故への対応を責める内容が少なくないのですが、そもそもの話としてあんな危険な場所に原発を建てたのは原発利権にすっかり染まっていた元与党の自民党で、安全対策から何まで不備のまま放ってきた責任を忘れてどうしてこんな批判が出来るのだと聞いてて白々しく感じます。それも戦前は軍国主義を礼賛していたと未だに批判される朝日新聞と違って自民党が与党だったのはわずか二年前で、時間的にも今回の東電の事故は自民党の方が責が重いのではと個人的に思います。
はっきり言いますが、私は谷垣氏というのは正真正銘のクズだと思います。我ながらよくもここまで言い切るなとも思いますが、私はこの人を小泉政権時代から長く見ておりますが最低限の仕事も出来なければ口が軽くて余計なことを口走るわ、よくもこんな人間が議員としてやってけるなと理解が出来ない人物です。差別的だといわれるかもしれませんがそもそも私はこの人の来歴からして嫌いで、確か東大を八年かけて卒業後、七年間定職にもつかず受験勉強し続け司法試験に合格するという立派な経歴には気が遠くなります。今回の連立拒否も、最後まで悩んで小泉首相に「乗るな」と言われてやめたというほど決断が出来ない人らしいですし。
ちなみに自民党内では森元首相などの重鎮議員や石破氏らは連立に前向きと聞きます。考えもなしで連立というのはまた問題ですが、谷垣氏の「管首相の退陣と引き換え」にという条件は私は如何なものかと思うわけです。
久々にブログ(陽月秘話)を始めた当初のように攻撃的な記事になりました。あと意識はしてないもののやはり政治系の記事は書くのが早く、比較的長いのにこれも30分位で書き終わってしまいました。好きなんだなぁ、こういうの。
惜しむらくは福島原発の事故で、これさえ早期に抑えていれば現在よりもずっと被害を軽減することが出来たでしょうが、この原発事故は政府の指導や対応に問題があったというよりは東電の対応や危機管理に問題があったと考えており、一部で東電の言いなりになった管首相が悪いという批判もありますが、首相とはいえ技術的なことにあれこれ口出しするのは私はこれもかえって問題だと考えており、東電の意見を無視してあれこれ管首相が指示していればそれこそ批判の対象だと見ております。
ただこういった災害においては天を恨んでも仕方がないというものの、感情の捌け口がどうしても必要になってきます。そういう意味では政府は理不尽といえども批判を受けねばならない立場であり、また被災者の気持ちを考えると批判をするなとも言えません。あくまで私個人として、現政府の対応はやることはやってくれたという評価をさせてもらいます。
しかしそうした被災者はともかくとして、政府を批判していて奇妙というか腹立だたしいというか、頭にくる存在として野党の自民党の存在があります。一部の批判を聞いていると今回の地震に対する民主党の対応は問題があり、もう一度政権交代をさせて自民党を与党にしなければならないという声をいくらか目にしますが(主に産経を中心に)、そんなのふざけるなと声を大にして私はいいたいです。確かに現民主党もなかなか子供手当てをあきらめないなどアホかと言いたくなるところも数多く存在しますが、それを推しても私は鳩山時代ならともかく今の自民党よりはまだ管首相の方が害が少ないと見ております。
私がどうして今回ここで自民党を批判するのかというと、やはり大メディアの報道を見ていてアレって思うところが多いからです。以前の「石原都知事への自民の許せない公認」の記事でも書きましたが、自民党は神経を疑う不謹慎極まりない発言をしたにもかかわらず片方は非公認にし、もう片方は公認にして選挙を応援しましたが、この自民党のダブルス短ダートについて私がネットを見る限り批判したメディアは存在しませんでした。またこれ以外にも政府から復興支援会議への参加、果てには大連立まで打診されているにもかかわらず今のところ自民党の谷垣総裁ははっきりとした態度を示しておりません。もちろんこれまでの政争もあれば支持者もいるのだしいくら緊急時だからと言ってホイホイ組むわけには行かないという立場はわかりますが、それにしたってここまで邪険にしなくたっていいんじゃないかという気がします。
このような谷垣氏の態度に自民贔屓の産経も業を煮やしたか、とうとうこんな記事まで書かれる始末です。
・首相「菅降ろし封じ」に自信 “クセ球”次々… 搦め捕られる谷垣執行部(産経新聞)
なかなかよくまとまっている記事なのでよければ見てもらいたいのですが、概略を話すと復興での民主党への協力に対して谷垣氏が優柔不断になかなか態度を決めないことから、管降ろしをするはずが自分が総裁を降ろされるような立場になりつつあるのではと書かれてあります。個人的に感心したのは自民党との連立を辞さないとする石破茂氏や小池百合子氏はかつて同じ新進党で活動して痛い目に遭っているだけに小沢氏とは連携を獲りたがらず、小沢一派と一緒に管首相に不信任を突きつけようにも自民党内で意見が割れるだろうと指摘している点です。私もこの考えを支持します。
そんな優柔不断な谷垣氏が今必死になってやっているのは政府批判です。ただその中身を見ると原発事故への対応を責める内容が少なくないのですが、そもそもの話としてあんな危険な場所に原発を建てたのは原発利権にすっかり染まっていた元与党の自民党で、安全対策から何まで不備のまま放ってきた責任を忘れてどうしてこんな批判が出来るのだと聞いてて白々しく感じます。それも戦前は軍国主義を礼賛していたと未だに批判される朝日新聞と違って自民党が与党だったのはわずか二年前で、時間的にも今回の東電の事故は自民党の方が責が重いのではと個人的に思います。
はっきり言いますが、私は谷垣氏というのは正真正銘のクズだと思います。我ながらよくもここまで言い切るなとも思いますが、私はこの人を小泉政権時代から長く見ておりますが最低限の仕事も出来なければ口が軽くて余計なことを口走るわ、よくもこんな人間が議員としてやってけるなと理解が出来ない人物です。差別的だといわれるかもしれませんがそもそも私はこの人の来歴からして嫌いで、確か東大を八年かけて卒業後、七年間定職にもつかず受験勉強し続け司法試験に合格するという立派な経歴には気が遠くなります。今回の連立拒否も、最後まで悩んで小泉首相に「乗るな」と言われてやめたというほど決断が出来ない人らしいですし。
ちなみに自民党内では森元首相などの重鎮議員や石破氏らは連立に前向きと聞きます。考えもなしで連立というのはまた問題ですが、谷垣氏の「管首相の退陣と引き換え」にという条件は私は如何なものかと思うわけです。
久々にブログ(陽月秘話)を始めた当初のように攻撃的な記事になりました。あと意識はしてないもののやはり政治系の記事は書くのが早く、比較的長いのにこれも30分位で書き終わってしまいました。好きなんだなぁ、こういうの。
登録:
投稿 (Atom)