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2021年4月20日火曜日

非常事態宣言に意味はあるのか?

 昨夜はあくびするだけで首が激痛に襲われるほど頭痛がしたのでブログをまた休みました。原因ははっきりしていて、うつ伏せで寝ながらたまにノーパソ弄ってるからです。絶対首とか頸椎に悪いと思いつつも、寒い日なんかはマジ快適なためよくやります。
 幸い今後は寒い日が減るのでこれからそうやって寝そべることは減るでしょうが、来年冬とかどうしようかなとか今から考えています。思い切って胡坐で座れるこたつテーブルみたいなの買ってしまおうかな。

 話は本題ですがコロナ患者が増え続けててなんかまた非常事態宣言をやろうかとかいう話になっていますが、実はそもそも、日本の非常事態宣言に意味があるのかという疑問があります。その理由というのも単純にざるだからです。
 実際に日本にはいないので非常事態宣言がどんなもんか体感で把握してないのですが、中国みたいに外出をマジで取り締まるということはせず、どちらかというと飲食店に圧力をかけるやり方が多いみたいですが、実はこれに対して疑問を持っています。

 同僚の一人が昨年末に2週間の隔離覚悟で一回帰国しているのですが、その同僚によると都内では非常事態宣言のために夜八時でどこも店を閉めていたようなのですが、そのせいで閉まる前に食事を済ますために夜7時ごろには店は超密集状態でどこも満杯だったそうです。それを見て同僚は、逆に密な状況になってて感染しやすい環境のように見えると述べ、だったら夜10時くらいまで営業して客を分散させた方がいいのではないかと話していました。

 この同僚の話の通りであれば私も同感であり、またそのような状況から察するに電車も特定のラッシュアワーで混雑が増しているのではとも思います。となると非常事態宣言はどこまで効果があるのか、少なくとも飲食店に関しては営業方法にもっと工夫がないのかなどと内心思います。

 その上で付け加えると、やはりお金の使い方を根本から間違えたのではという気がしてなりません。上記の飲食店関連だと、妙なゆるキャラに金使う暇あったらその金で出前サービスのプラットフォーム整備や業者の支援を行い、お店に来ずとも料理を注文配達できる体制をしっかり強化すればよかったのではないかと思います。実際にそういう政策も行われているかもしれませんが、そうすることによって自宅でもお店の料理を食べられ、混雑緩和につなげられるのではないかと思います。

 なんていうか非常事態宣言そのものが、「対策してますよー」的なアピールに過ぎず、中身が伴っていないです。日本人自体がそういう行動なしアピールが大好きな民族ですが、黙って手を動かす奴が一番強くて偉いんだという信条の私からすれば、そういう奴らがのさばっている限り未来はないとしか言いようがないです。

2021年4月17日土曜日

注目されるのは若いうちだけ

 今週末は約1ヶ月ぶりくらいに何も仕事せずに済む週末ですが、JBpressの記事は書かなきゃいけないというジレンマに襲われています。っていうか来月には夏の特集用の記事も書き溜めておかないといけないし、なんでこんな自分はやたらめったら働いているのだろうとたいやきくんモードに入りつつあります。

 話は本題ですが、例のゆたぽん問題について最近いろいろと報道が出ていていくつか読んだりしていますが、私自身は彼について前からあまり好ましい子供とは思っていないのと、そもそもそんなに興味のある存在でもないので中学に登校しないってんなら好きにすればという風に見てます。ただ、彼を見ていて、「ノエルもこんな子やったな」ということを毎回思い出します

ノエル(ニコニコ大百科)

 ノエルというのは元ネット配信者で、「ドローン少年」という通り名の方が有名かと思います。中学生時代からネット配信行為を行い、あたりかまわずドローンを飛ばしては墜落させたりして迷惑行為を繰り返し、2017年には建造物侵入容疑で逮捕もされました。
 2017年の逮捕以降は急激に活動をひそめてかつて運営していたブログなども閉じているのですが、かつて運営されていた頃に一回だけそのブログを訪れてみたところ、「勘違いしているな」という印象を率直に感じました。

 というのもブログ(ブログ名は確か「ドローン少年ノエル」)の構成は外部の人間が作ったと思われるバナーイラストなどがちりばめられており、外部の人間の手を借りているのはほぼ間違いありませんでした。また彼自身に投げ銭というか金銭支援する大人もいたという話を聞いていたので、なんとなくそういう人たちに乗せられて。自分がとてつもなく才能があって世の中渡っていけると勘違いしているのではという風に思いました。
 そもそも中学、高校生くらいの年代というのは世の中の仕組みが分からず、それこそテレビに少し出るだけ自分は超特別な人間だと錯覚してしまいがちです。何かしら世間にその名が出たり著名人との関わりがあれば、自分の能力を勘違いしてしまい、道を誤ることにもつながりかねません。

 まぁこれは子供に限るってわけじゃなく、炎上動画とか見ていると大人でもそういう勘違いをしてしまう人は少なくないのかもしれませんが。

 話を戻すと、2017年の逮捕以降はノエルの活動はほぼ見られなくなり、現在もネット上では消息不明な状態となっています。かつてのプロフィールから計算すると今年21歳の成人となっているはずですが、仮に今再び彼が活動をしたとしても、かつてと比べると世間の耳目は集められないばかりか、前みたいな周囲を顧みない行動をとれば社会的責任が一気に降りかかってくることもあり得ます。
 そもそも彼が耳目を集めたのは、その過激な行動もそうでしょうがそれ以上に「中学生配信者」という看板があったからだと思います。単純に子供が大人に混じって何かしらそういった活動すると目立つ者で、大人の中にもそうした目立つ子供を変に支援しようという人も現れがちです。漫画界とかでも「高校生作家デビュー」という看板はよく付けられます。

 しかし成人となってしまうとそうしたアドバンテージは言うまでもなく消えるわけで、その後は単純に実力だけで勝負せざるを得なくなります。あの音楽の天才であるモーツァルトですら、成人となってすぐにスポンサーを探したところ「子供だったから昔応援してたんだよ」と、当初は結構ハブられたと聞きます。その後、モーツァルトは実力である程度はどうにかしましたが、モーツァルトほどの天才ですら「子供だったから」という下駄が当初履かされていたということを考えると、他の人はいわんやというところです。

 ここまできて最初の話に戻すと、ゆたぽんについてもやはり「子供だから」で、これから成長するにつれてその世間の注目や関心はどんどん薄れていくことになると思います。それをわかってやってるなら別にいいけど、まぁわかってないだろうし、今こうして注目されるのは必ずしもその実力によるものではないということを周りの人がちゃんと教えてあげているのか、教えてないから続けてるんだろうなという気がします。
 だからこそってわけじゃないですが、今ノエルが何してるのかが気になるわけです。よくゆたぽんのことを社会実験と呼ぶ人がいますが、その実験の洗礼たるものが同じく配信者であったノエルだと私は考えており、成人となった今になって以前の配信活動についてどう思っているのかどうかとかを個人的に聞きたいし、他の未成年配信者もそうした内容に触れるべきだと思います。

 ちなみに若い頃から注目されながらも、その実力が認められていたと思う人物にえなりかずき氏がいますが、彼の場合は泉ピン子氏との確執が伝えられ、それによって端的に言えば今干されているとも聞きます。仮に事実だとしたら、実力があっても人脈がなければどうにもならないという現実もあると言えるかもしれません(´・ω・`)

2021年4月15日木曜日

鉄の竜騎兵


 上記動画は「THE COCKPIT」というアニメ短編集に収録された「鉄の竜騎兵」という作品です。なんでこの動画を急に紹介しだしたのかと言うと、この作品のタイトルが「鉄の竜騎兵」だということをつい昨夜に知ったからです。

 元々、この作品の原作はヤマトでお馴染みの松本零士氏で、ビッグコミックで1970年代後半からちょこちょこ掲載された「戦場まんがシリーズ」の一つです。なおアニメは1993年の制作となっています。
 この作品ですが、当初はテレビ放送されたものをビデオ録画されたものを見たのではと思っていましたが、アニメ制作年から考えると、ツタヤでレンタルしてきたのを自分は見ていたのかもしれません。というのも見たのは小学校3年生頃という記憶があり、1993年だと割と年代的にも一致するからです。

 無論、こんなミリタリーな作品を自分からみようと思うはずはなく、見るきっかけとなったのはソ連人民のてきである親父です。借りて来たシーンは全く記憶にないものの、なんか自宅でやたらご機嫌で「大人のアニメや」といいながら親父が見ていたので、自分も連れだって一緒に見ることとなりました。
 当時見た感想としてはちんぷんかんぷんもいいところで、特に冒頭で日本軍が野砲を打ち込んだところ米軍から反撃を受けて連隊が陣地ごと吹き飛ぶシーンについては、画面では壮年のおっさん二人が防空壕に潜り込み、出てきたら陣地が跡形もなく吹っ飛んでいたという風に映るので、子供の頃の私はてっきり撃ち込んだ後の野砲が暴発して周り全部吹き飛んだという風に理解していました。防空壕に潜り込む前に兵士も、撃つべきじゃないのに言わんこっちゃないなどと砲撃したことをなじるセリフがあったことも影響しています。

 また結末に関しても、まぁ救いのない結末であり、見終わった後の感想としてはあまり言い物ではありませんでした。そもそも何故敵軍に単身でバイク乗って突撃するのかそのメンタリティが当時わからず、また途中で降ろされた若い兵士も救われない結末であり、なんでこうなるんやという感想でした。
 そんな風にあまりいい印象を覚えていなかったものの、記憶には結構よく残っている作品で、昔わけわからない戦争アニメを見たというのは割と記憶していました。ただそれがどんなタイトルで、どんな媒体で作られたものなのかなどが全く分からず、テレビのスペシャル番組などで作られたものじゃないかという風に誤解していました。

 ではなんで昨夜にこの作品の正体を突き止めたのかと言うと、話せば長くなります。

 まず先日に公開された藤田信雄の記事で機嫌よくなって、彼が乗っていた零式水偵のプラモを作りたくなりました。元々、晴嵐のような水上機を一つ作ってみたいと前から思っていたことからAmazonでひたすら水上機プラモを検索してはお気に入りに入れていく作業を行っていたところ、水上機もいいけど陸上機、それも陸軍の戦闘機もまた作りたいと思っていろいろメーカーとか比較しているうちに三式飛燕のエピソードをまた読みたいと思ってWikipediaを見始めました。
 そうして飛燕のページを見ていたら末尾にこの飛燕が登場する作品として「戦場まんがシリーズ」のリンクがついており、どんな漫画やねんとリンクを辿ってみたところ、冒頭でオムニバス形式の戦記漫画で松本零士が書いており、OVA作品も出ているという記述を見て、「もしかして子供の頃に見たあのアニメもここからでは?」と、この時点でなんか妙な予感がありました。

 そうしてそのページを読み進めたところピタリと予感が的中し、まさに自分が子供の頃に見たアニメのプロットが「鉄の竜騎兵」の項目に書かれていました。思わぬところから自分の記憶をの確認再現を果たして驚きつつ、改めて確認するため動画検索をしてぶち当たったのが最初の動画でした。

 今回改めて感じたのは、子供だった頃の自分の理解力です。戦争の背景や兵器の仕組みなどが分からなかったことから冒頭に書いた誤解をしていましたが、10歳くらいの年齢だとああいう誤解をするのがかえって自然なんだなと大人の立場からみて感じます。
 よく同じ時代に放送されていた「Vガンダム」でも、子供の頃は主人公の13歳の少年が敵機をバッタバッタ撃墜するのに心躍らされたけど、大人になってみると少年兵を「使えるから」という理由でこき使いまくる主人公の周囲の大人に狂気を感じるといった感想を見ますが、これもそういった戦争という背景やルールがわからないことによる誤解の一種だと思います。少年兵の問題もまた、この点に集約されるでしょう。

 そういう意味ではちっちゃい子供にあれこれ戦争はどうとかこうとか教えるべきかという点について、やはり難しいという思いがします。全く教えなければそのまま無理解のままだし、かといって中途半端に教えても、物事を変な風に誤解して捉えてしまう可能性があり、アプローチの仕方が難しいです。まぁ水木しげる戦記は見せても全く問題ないでしょうが。
 私自身も軍属じゃないので戦争がどんなものかを理解しているかと言ったら無理解もいいところでしょうが、戦争は言うのとやるのとでは大きな違いがあるという点だけは肝に銘じておくようにしています。ただ自分が子供だった頃に「戦争はやったらダメ」と頭ごなしに言い続けるのもまた違うような気がして、そういう意味では案外、自分の戦闘機プラモ趣味のように、兵器というある意味感情のない中立的な道具というミリタリー趣味方面から徐々に入っていくのが意外と無難かもしれません。

2021年4月13日火曜日

日本人のコミュニティ離れ

 ペルソナ3ではないけど、人的関係の場ことコミュニティは多ければ多いほどいいと常々思います。特に学校でのクラスが社会生活の中心となりやすい小学生らに関しては、なるべく学校以外の人間関係が持てるコミュニティがあれば、じめなどが発生した場合に大きな逃げ場、支えとなりうるだけに非常に重要だとみています。
 私自身も、はっきり言うが小学校の頃のクラスメートは救いようのないクズばかりで、教師もあまりしっかりした人ではなかったことから、学校生活は楽しいものではありませんでした。ただ、塾と言うコミュニティが当時存在し、塾であった友人や知人らとは学校のクラスメートとは異なる話ができ、また中学受験という共通のストレスを抱えた者同士であったことから非常に仲良くできました。そうした点を踏まえて、小学生には通っている学校のほか、なるべくなら別の学校に通っている子と混じり合える習い事といったコミュニティを持ってもらいたいです。

 翻って大人の世界に移ると、恐らく現代日本人成人のコミュニティは家族と職場の二つしかないという人が大半じゃないかと思います。私も人のことが言えない、っていうか家族どもかなり疎遠なだけにコミュニティは職場一極かと思いきや、忙しくて最近行けないけど中国での日本人サイクリング部というコミュニティが存在し、このコミュニティには非常に多方面で助けになってもらっています。
 やはり同じ会社の人間が誰一人いない環境で、また業種や年齢の違う相手と同じ趣味で交友できることから、いろいろと学ぶことが未だに多いです。もっとも、「RX-3はほんま速くて、(大阪の)環状線で警察のパトカー一周遅れにしてやったわ」という何故追い越したというツッコミ待ちの情報はいりませんでしたが。

 このほかにもこのブログで交友している方々もコミュニティと言え、やはり職場の人間からでは得られない情報や共通の話題で盛り上がれます。こんな感じで、多すぎると交流できる時間が取れなくなる可能性もあるものの、やはり属性の違う人間が集まれるコミュニティは多いほどやはり優位でしょう。
 ただそのコミュニティですが、先ほども言った通りに現代日本人は家族と職場に極端に依存するようになっています。かつてはこれに町内会などの近所付き合いによるコミュニティもあり一部でこれは続いているものの、そういう距離的な近さによって成立するコミュニティはやはり年々減ってきている気がします。

 だからと言って代わりに何か代替となるコミュに血を作れるかと言ったらあまりそういう案もないのですが、一つ言えることとしては、やはり就労時間が長くてプライベートに余裕がなければないほど、外部コミュニティへの参加意欲は失われていく気がします。実際に何十年前に働いたわけじゃないものの、やはりネットの発達で24時間どこでもリモートワークできるようになったこと、仕事内容が昔と比べて厳しくなっていることを考慮すると、仕事以外のコミュニティに参加する暇も取れなくなってきているのがコミュニティ離れの最大の要因じゃないかと思えます。
 そういう意味では、コロナの影響であんまり聞かれなくなってきた働き方改革ですが、就労時間のコントロールをもっとしないとコミュニティを持てとかどうとか言えないのかもしれません。

 そういや今思い出したけど、プレミアムフライデーってあれどうなったんだ?っていうか横文字使ってる時点で腹立ちますが、何故か安倍政権は「アベノマスク」といいやたら横文字好きでおかしなネーミングセンスでした。なんか週休三日制を口にする人も出て聞きましたが、プレミアムフライデーが流行らなかった時点で根本的な間違いに早く気づけと言いたいです。具体的にどんな間違いかと言うと、妙な休暇習慣製以前にブラック企業を見せしめとしていくつか潰せってことです。

2021年4月12日月曜日

またしてもムンジェイン(メ゚皿゚)フンガー



 またいつものヤングサンデー的な隔週の自分の記事紹介ですが、またしてもムンジェインにトップを阻まれ憤懣やるかたないです。「なんでこいつは毎回俺が記事を出すタイミングに合わせてネタ投下してくんだ、地方選挙なんかこの時期にやんな馬鹿、このクソが!」などとリアルに愚痴るくらい悔しいです。
 もっとも現時点では2位ですが、朝から昼まで上の画像で3位に入っている村上和郎氏の記事が2位や3位に入り、自分の記事は4位に入っていることのが長かったです。っていうかこの「鑑識官・村上和郎シリーズ」はどっかでバズっているのか過去記事が今日はどれもランキング上位に軒並みランクインしています。ぶっちゃけ面白いから自分も毎回読んでるのですが。

 話を本題に戻すと、今回の記事は昔このブログでも取り上げた藤田信雄という、史上唯一の米国本土爆撃に成功した日本人パイロットの話です。詳細はすべて記事に書いているので今更追加して解説することはありませんが、なんでこのネタを持ってきたのかと言うと単純に仕事で忙しく、さらっとかけて確実にアクセス稼げるネタだと判断したからです。

 書いたのは二週間前ですがもうそのころは土日も数時間ずつ勤務するのが当たり前なくらい忙しい状態で、まだ先々週は清明節という中国の祝日が1日入って記事書く余裕があるからそこで一気に書き上げました。

 また記事を書くに当たって最近どこかのメディアで取り上げられてたりしないだろうかとチェックしたところ、自分は参考文献にも引用しているように1995年の「たけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人5000人伝説」というテレビ番組でその存在を知りましたが、どうやら数年前にも「奇跡体験アンビリーバボー」でも取り上げられていたものの、それ以外は活字メディアではほぼ全く取り上げられていないという感触を得ました。
 なお1995年のたけしとさんまの番組ではこのほか、鶴矢食品のネーポンという謎の飲料が出てたのを覚えています。

 いくつかのブログや参考文献に引用している豊後高田市のホームページを除くと紹介されている文献はほぼ皆無で、一応書籍も1冊出ていることを確認しているものの自分がその存在を知らなかったことから恐らくそんなに広まっていないと判断し、内容の面白さもさることながら「ネット上で活字メディアとしてほぼ取り上げられていない」という強みから、一定のアクセスは確実に稼げるという判断をしました。この辺の皮算用は重要。

 もっともアクセスが稼げる以上に、単純に私自身がいつかちゃんとした記事で紹介してみたいという欲があったことも大きいです。戦時中のエピソードとしてはこの話が二番目に好きな話であり、世の中にもっと広めたいという欲が前からありました。
 なお一番はキスカ、三番は水木しげる戦記です。キスカも前から書きたいのですが、こっちは今回の藤田信雄と違ってネット上でもかなり広まっており、レアリティという点でやや薄いということと、阿川弘之をはじめ大物作家もたくさんコラムを書いてて、自分なんかが書くべきではない、書くにしてももうチョイ実力つけてからにしようと怯んでいます。

 その実力についてですが、改めて今回この記事を出して、割と狙い通りにアクセス稼いだうえに期待通りの反応を得られたのを見て、自分もかなり実力をつけて来たなと感じました。元々、このブログでどういった記事に反応が得やすいとか、検索誘導などをJBpressで連載する前からいろいろ学んだり試してきましたが、ここにきてそういうものがかなりプラスに働いてきているように思います。
 単純な文章表現力に関しては昔から自信があったものの、最近は以前よりやや落ち込んでおり低下気味ですが、それを補うだけのネタのターゲッティング、まとめ方、投入方法が優れるようになってきている上、本来備えている幅広いネタをカバーしている能力がコラムニストとして独自の強みを持たせてきています。真面目にそんじょそこらのコラムニスト相手に負ける要素はもはやほぼないと言い切る自信すらあり、唯一恐れるはムンジェインのみと言ったところです。まぁムンジェインはコラムニストじゃないけどさ。

 あまり図に乗るのは良くないとは思っているものの、今回の記事も過去のブログ記事の流用できちんとアクセスを稼いでいるとから、「何故今まで俺に会って来た人間は俺を使おうと思わなかったのだろうか」という疑問を改めて強く感じます。コラムなりマニュアルを書かせたら多分自分以上の人間はそこら辺にいるとは思えず、これだけコスパ良く実力ある人材が普通に応募してきているのに門前払いしてきたぴあをはじめとするメディア企業らは何を考えていたのかと思うと同時に、自分の才能を昔から発揮させることができずもったいなくて仕方ない気持ちにさせられます。
 ちなみに文章だけじゃなくレイアウト整えるのも割と得意で、今の会社でもなんかそういう業務増えてきました。

 ただ仮に、若い頃からライターの仕事だけしていたら今の地位はなかったとも考えています。自分の最大の強みは前述の通り極端に幅広いネタこと万能さで、これはライター以外のあらゆるブラック企業で品質管理とか貿易などをやってきたこともかなり下支えになっています。まぁもっとやるべきことはあったと思うが。
 今も兼業ライターとして昼間(っていうか土日も)は全く関係ない仕事で気絶しそうなくらい働いていますが、これからライターになりたいって人は私のように、兼業であることの強みにもっと着目した方がいいと思います。ぶっちゃけ私自身も、ライター業だけだったら人生つまらないと感じていたことでしょうし。

2021年4月11日日曜日

冷戦構造における日本の好条件

 先日、このブログで上海熊さんから勧められた「物語東ドイツの歴史」を読み終えたのですが、一読して感じたことは「ホーネッカーってこういう奴やったんか」といったところでした。何故か知らないけどこの名前の音だけは知ってて、なんとなく学者かなんかだろうと思ってたら実質上の東ドイツ後半期の厳守で、割と空気の読めないおっさんだったようです。まぁルーマニアのチャウシェスクなどと違って処刑されずに済んだだけマシだったのかもしれませんが。

 そんな東ドイツの歴史についてはこの本読めばいいので詳しく書きませんが、もう一つ真面目にこの本を読み終えてしみじみ思ったのは、日本は二次大戦後に本当に幸運だったんだなってことでした。特にこの東西に分割されたドイツと比較すると明確です。
 いうまでもなく、ドイツは二次大戦後に東西に区切られて分割され、首都ベルリン市に限っては東ドイツ領内にあるものの、ベルリン市内で西側と東側で分割されるという手の入れようでした。そのためベルリン市内からは西側への逃亡が容易だったことから、往来が自由だった頃はベルリン経由での逃亡が相次ぎ、東ドイツの労働力低下が激しかったことからベルリンの壁が作られることとなりました。

 話を戻すと、そうしたドイツに比べて日本は分割されることなく、強いて言えば沖縄が米国に占領されただけでした。日本とドイツは人口や面積(日本は大半が産地であるが)などの国家数値が比較的近く、尚且つ主力産業も自動車や精密機械などで被りまくっている上、元枢軸国同士という点でも共通しています。そうしたことからソ連人民の敵であるうちの親父をはじめ無駄にドイツにシンパシーを感じている日本人も少なくないのですが、こと東西ドイツの統合前で比べるならば、日本は経済的にはかなり恵まれた環境にあったと言えます。

 単純に大きいのは市場人口で、ドイツは東西に分かれていて約半分だったのに対し、日本は同じ言語、同じ日本円を使う日本人が最初からフルパワーで活用することが出来ました。それに加え、軍事費に関しても西ドイツは文字通り共産圏に対する最前線であり米軍の支援こそあれどもある程度自前で用意しなければならなかったのに対し、日本は自衛隊への制限から軍事費も抑制され、その分を思う存分経済に回すことが出来ました。
 もっとも、昭和時代から意外と日本の軍事費は極端に低くはなかった気はしますが。

 こうした点を比較すると、分割されたドイツに比べると日本は同じ敗戦国でもかなり経済的に恵まれた環境にあり、この辺をドイツ人はどういう風に感じているのだろうかなどと少し気になるところです。

 またかねがね主張しているように、何故日本が戦後に高度経済成長を達成できて、バブル経済を迎えることとなったのかと言うと、日本人の努力だとか基礎教育などいろいろあげつられていますが、それ以上に何よりも大きかったのは冷戦構造による恩恵を日本が一手に受けていたため、つまり日本人の努力以上に、冷戦という世界背景という幸運が日本の経済成長を支えていたのではという風に考えています。だからこそ、冷戦構造の終了とともにバブルがはじけたという風にもついでに見ています。

 そのように考えると日本人は上記の分割されたドイツとの比較を含め、もっと冷戦構造というものをしっかり見直す必要があるのではないかという風に思います。何故かというと未だにバブル経済を懐かしんだりする声が多く、まだあの時代を清算しきっていないように見えるからです。この辺、JBpressでも今度書いてみようかなとも考えていますが、過去に引きずられ過ぎな気がします。

 さて今日も昼過ぎからずっと自宅作業だったので、これから思う存分ゲームして遊ぼうと思います。この約1ヶ月にわたり毎週末家でも仕事するのがさすがに嫌になってきました。

2021年4月10日土曜日

フジHD問題の真の論点


 関係ないけど「おばけ屋敷」と「「おはげ屋敷」はどちらが怖いのだろうとふと疑問に感じました。


 先日にも取り上げたフジHDの外資比率規制定職問題ですが、一番よくまとまっているのが上の記事だという気がします。既に報じられている通り、この問題に関して政府は黙認と言うか知ってて何の処分もせず、こうして発覚した後も「今のことじゃないから」ということで済ませる模様です。
 この結果についてはある程度読めていたのでさほども驚きはありませんが、自分が地味に本当はもっと議論すべきだと感じていた論点について、上の坂東太郎氏が指摘しています。それはどの点かとかと言うと、「1)有報などの開示書類も誤っていたわけだが、さかのぼっての訂正をしなかった」という点です。

 一歩間違えれば停波もあり得る事実について、これまでフジHDは影響波及を懸念してた知ってて公表してきませんでした。総務省のお墨付きを得た後も。これはフジHDの株主にとっては非常にリスクのある情報なだけに、経営者間で秘匿していい情報かと言ったらそうではないというのが私の見方です。それだけにたとえ停波を免れたとしても、事実把握していた当事者が現経営陣にいる場合、直ちに辞任することがこの問題の落としどころだという風に考えていました。

 しかし目下のところ、この件で誰も責任を取る気配は見られません。言っては何ですが、フジHDの株主はなめられているでしょう。ライブドア事件といい、ここの会社の株主はいろいろ話題に事欠きません。

 話は変わりますが今日中国ではアリババグループに対して独禁法違反として約3000億円の課徴金が科せられたという報道がありました。まぁ真偽については議論の余地がありますが、日本も独禁法だけは比較的よく機能していてこの手の処分も自動車業界を中心にきちんと実施されているものの、それ以外の企業処分に関しては緩いも緩いというか、何すれば犯罪に慣れるのかわからないくらい大手企業には甘いです。逆にその点に関しては、意外と中国の方がまだまともなんじゃないかと最近思うようになってきています。
 まぁライブドアは問答無用で処罰されました。

 以前からも書いているように、真面目に最近日本の法の下の平等はどうなっているのか疑問に思えてなりません。明らかな不平等が大手を振ってまかり通っており、極端なこと言うともう警察、検察、裁判所の司法機関を当てにしてはならず、必要ならば暴力的な反抗も必要になってくるのではという気にすらなっています。それこそ加藤茶がいかりや長介の車に内緒で小便かけ続けたみたいに。
 何も夢想家じゃないので完全平等な社会なんてこの世に存在するわけないと私も考えていますが、建前だけは平等ということすら最近の日本はかなぐり捨ててきているように思え、この傾向には懸念を持ってみています。