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2008年1月14日月曜日

ブログタイトルについて

 よくこのブログ名がなんで「陽月秘話」と聞かれますので、今回ささっと説明します。

 もともと、自分が若い頃に使っていた号が「葉」という、私が最も好きな漢字を使っていたので当初はこれを使った言葉にしようと思っていたのですが、少し芸がないなと思い、同じ音の「陽」を当て、それに合う、音と意味の合う漢字の「月」を当て、読まなくてもいいけど、読んだら得するよという意味で「秘話」を当てて「陽月秘話」になりました。おしまい

 ……ををっ、稀勢之里が朝青龍に勝ちやがったΣ (゚Д゚;)

テレビの面白さ

 私は普段からあまりテレビ番組は見ない方です。理由はいたって簡単で、落ち着かない性格なのかどうもじっと一つのものを見る事が出来ないからです。そんな自分でも毎週見る番組はいくつかあり、「NHKニュース」とクリステルの出ている「ニュースJAPAN」を除くと、まず週末にある「動物奇想天外」や「天才志村動物園」など動物番組、そして期間中の相撲中継、あと「TVタックル」と関西ローカルでやっている「たかじんのそこまで言って委員会」などの政治番組です。

 先日、新年一発目という事で「たかじんの~委員会」が去年の総集編とばかりにスペシャル放映されてました。まぁ実際の理由は多分、レギュラーゲストの橋下徹が選挙に出るんで、撮りためた内容が使えなかっただけだと思いますが。
 その番組の中の最後で、やしきたかじん、辛坊二郎、三宅久幸、田嶋陽子の四人の対談があり、そのなかでたかじんがこの番組の視聴率が非常にいい事について、「多分、作ってないからいいんとちゃう」と言っていました。作っているとは文字通り、台本などで番組進行をあらかじめ作っておくという意味で、極端なものは「やらせ」と呼ばれる奴です。まぁ番組見ている人ならわかると思いますけど、この番組はそれこそ毎回ゲスト同士が激しく怒号を交わし、ケンカしあっているような討論番組です。司会のたかじんも他の番組ではずっとしゃべっていますが、この番組では締めの一言を言うだけです。
 たかじんが続けて言うには、みんな本音であれこれ語り合うのが、かえってこの時代に視聴者に受けているのではないかと言っていました。言われてみるとなるほど、自分の見ている番組はそんなのばかりだと思いました。同じ系列の「TVタックル」はもとより、動物番組なんて野生の本能むき出しで大好きです。そんでもって、やらせ臭いナインティナインの番組とか、「鉄腕DASH」は大嫌いです。

 以前に読んだ、というより途中で腹立って投げ捨てた北田暁大の「わらう日本のナショナリズム」という本によると、このようなやらせ……というよりはソフトに「演出」がテレビ番組に出始めたのは80年代以降で、「天才・たけしの元気が出るテレビ」からだといいます。この番組以降、視聴者は番組内容がやらせとわかっていつつも、それを考慮した上で見るようになったと北田は主張しています。これを皮肉、アイロニーの笑いといい、日本はずっとそのような価値観をもっていたとも北田は言いますが、そんなの関係ねぇ。まぁ、皮肉の笑いというのはいい点を突いていると思うけど。
 でまぁこの流れが行き着くとこまで行ってしまったのが、この前の関西テレビの「あるある大辞典」なのだと思いますが、ここに来て視聴者の回帰現象とも取れる動きが、前述のたかじんの言葉だと思います。ドラマでもトレンディドラマのように浮世離れしたものが受けなくなったりしているのも同じものだと思ってます。逆に、今なんかはドラマだと青春熱血物とかが受けるんじゃないかな。ちょっと、オチが弱いなぁ今回のネタは。

学問の価値は~その二~

 前回は途中で哲学関係の事はなしてたら脱線したので、本論に戻って今日は解説します。

 さて前回は日本のアカデミズムの中では西洋の学問体系が東洋より上だという前提があるのが問題だと書きましたが、その上で前回でも示唆しましたがその学問の流行り廃りから経済的価値に左右されるのも問題だという事を書きます。

 これは特に経済学の上で顕著ですが、やはり教える内容の流行り廃りというか、その学問がどれだけ金になるのかで評価が決まりやすい傾向があります。たとえば90年代末期などではIT革命が叫ばれ、ほとんどの経済学者がIT関係に投資すべきだといって、2000年ごろにITバブルははじけました。あの時に散々適当なこといっていた学者達には首を吊ってもらいたいものです。ま、中にはまともな意見も少なくありませんでしたが。

 しかしこれなんかは一過性の流行で終わりましたが、自分が非常にもったいないと思っているのはマルクス経済学です。最近になって自分も勉強し始めたのですが、やはりなかなか奥深いものですし、哲学分野にまで新出する疎外論などは現代においても価値の高い学問だと思います。しかし全共闘の反省やらソ連の崩壊という影響を受けて、恐らく専門的にこれを学ぼうとする学部生はほとんどいなくなったと思います。実際に大学の講義でも非常に扱いの小さいものになっているのは個人的に残念ですし、私が現在苦労しているように、一般の書籍でもこれを扱った本がほとんど作られないので、えらく古い日本語と格闘しなきゃいけないのがその動きを加速させている気がします。

 そして次に信念の問題というか、まぁ森永卓郎の話です。
 元神戸新聞の記者で、NHKのワーキングプアーにも度々出演している内橋克人が誰かとの対談で語った内容ですが、ある日出版社から複数人の論文をまとめて、この格差社会でどう行き抜くかという本を出すので書いてみないかと誘われたようです。しかし内橋氏は自分はこの格差社会を批判し、是正すべきだと主張しているのに、どうしてその社会の現実を甘んじて受けるような内容が書けるかといって断ったらしいのですが、出版された本を見てみると、普段内橋氏のように格差社会を批判している学者や知識人が書いていて驚いたそうです。
 その上で、この格差自体が学者達にとっては金になる材料となっている事を指摘して、内橋氏曰く「商品化される貧困」に文字通り、学者達が一役買っていることを嘆いたそうです。

 いきなりでなんですが、森永卓郎なんてこの典型です。なにもこのようなものは経済学に限らず、政治学やら理工学においても度々あります。政治学では外交問題を書籍やテレビなどで提起して大衆の無用な不安を煽り、講演回数を増やすといった方法があり、また異論派を叩き潰したり、問題をこじれさせたりしても解説の場所を増やす事も出来ます。佐藤優などはその著作で、裁判で自分の言葉を翻した青山学院大学の袴田茂樹教授(ロシア政治専門)をよっぽど腹に据えかねているのか、自身の著作で皮肉たっぷりに「商売がうまい」と評しています。

 理工学でも韓国で起こったES細胞研究捏造などで研究費を騙し取るなどありますが、このようにして学問の価値評価というのは往々にして捻じ曲げられやすいものです。確かに評価の難しいのはわかりますが、今回私が指摘した点を留意するだけでも結構物事は変わってくるのではないかと思います。

2008年1月12日土曜日

学問の価値とは その一

 基本、自分は反権力志向です。ちっちゃな頃から反抗ばっかして、現在は自分では少し丸くなったと思っていますが、周りからはそうは思われていないらしいです。
 そこで今回はいつもマスコミばっかり叩いているから、たまにはアカデミズムを叩こうと思います。実際、腹立つ事多いし。

 これは知り合いの先生、確か関東学院でやっていたらしいですが、その先生から聞いた話です。

「やはり日本の学術会では西欧の価値観や概念の方が上だという前提が強く、戦前の時代は西欧で流行り始めた社会主義思想が最先端の学問として、当時の学者は競うように学んだそうです。もちろん凄い人たちも学んで、あらかじめ日本の概念なども全部学ぶという下積みの上でこれが一番いいとして社会主義思想を持つのですから、その後の若い人間と違って立場を改めるという事は絶対にしませんでした」

 後半はおまけでつけただけで今回の内容とあまり関係はありません。肝心なのは前半部で、西欧の価値や概念が上っていうことです。考えてみると日本で哲学を教えようとする場合、必ず最初にソクラテスなどのギリシャ哲学から教えられています。それこそ自分らにちかい、というよりも東洋の孔子の儒学思想からやってもいいような気がするのですが、大体がキリスト教を終わった辺りから教えられます。また孔子はまだ教えられるだけいいですが、老子になるとそれこそ名前だけ覚えておけといわれるくらいで、無為自然とかその中身はやりませんし、後年の儒学、朱子学や陽明学なんて多分名前すら普通の高校生は哲学の時間には学ばないでしょう。そのくせ、デカルトとかフロイトはやらされるのに。

 なにも私は東洋至上主義ではないのですが、やはり日本のアカデミズムには西上東下の価値観に包まれているような気がします。多分こういったら学者連中から猛反発食らうだろうけど、それでも敢えて言わせてもらうなら、日本の学者どもは西洋の犬でしかない。
 何もこういった傾向は哲学上のみならず、経済学にまで深く浸透しています。最近流行りのアメリカの大学のMBAに始まり新自由主義経済学など、明らかに実態からかけ離れた教育が日本の大学経済学部にて行われています。その上で日本の優秀な研究者などはほとんど評価されず、ノーベル賞を取ったという事で、それまで何の賞も受けていなかった田中耕一さんがその後続々と日本で賞されたのも、彼の研究が素晴らしかったのではなく、西欧の研究者に認められたからだと言っても過言じゃないと思います。

 話は哲学に戻しますが、自分は東洋思想も決して捨てたものではないと思います。これは日ごろから言っていますが、西洋哲学は基本的に強い二項対立で語られている事が多いと思います。これはキリスト教が善と悪の二つの概念の対立を強く出しているせいだと思いますが、わかりやすい文、すこし物足りなさを感じる内容が多いです。ちょっと詳しく書くと、西欧の時間の概念は左から右へ一直線で、文明は進化しつづける事が前提です。これに対して東洋思想を代表する仏教やヒンドゥー教は時計と同じ円の循環の概念で、しばらくすればまた世界は初めからやり直すみたいに、非常に複雑でわかりにくいですが、その分深いです。
 たしか明治の誰かも西欧に行った際、その思想の浅さに呆れて、和魂洋才とばかりに技術は認めても哲学は譲るなと主張していたはずです。西洋の思想でも確かに優れたものも多く、私自身キリスト教に非常に強く影響されていますが、それをもって東洋思想を捨てるのは大間違いです。

 また日本国内にも非常に面白い考え方を持った人もいっぱいいました。たとえば江戸時代の山片蟠桃なんかはその著書の「夢の代」にて、歴史は事件が起こるその当時よりも、後年になってから明らかになる事が多いと主張しています。ダイアナさんの事故とか、ライブドア事件もそうなるのかな。

患者のたらい回しという言葉の欠陥

 今回のネタは、以前に知り合いの医者から聞いた話です。

 何もその人に限らないのですが、大抵の医者はマスコミの事を嫌っています。というのも、昨今になってようやく明らかになってきましたが、医療現場の苛酷な労働はほとんど報道しないくせに、ほんの少しの医療ミスについてはしつこいくらい報道するからです。
 私の知り合いのその医者はもう60代の歯科医ですが、他の医者の話で、なんでも完全に事実無効な医療ミスが報じられたので新聞社に文句を言いに行ったところ、その新聞社の社員は、「我々はあなた方医者より、圧倒的大多数の大衆の側につきます。だからあなた方を敵にしても怖いとは思いません」といい、一切謝罪はしなかったらしいです。

 そこで今回の話ですが、もしホテルで客室が満室だった時に新たな客が来て、しょうがないから帰ってもらったときにたらい回しという言葉はまず使われないでしょう。にも関わらず、最近問題になっている急患の病院受け入れがなかなかうまく行かないのを、何故もってたらい回しと表現するのだと、非常にその人は怒っていました。
 実際問題、夜間に急患が運ばれてきても肝心の医者自体がほとんどいません。また実際にベッドがすべて埋まっている事もほとんどざらです。そうした、病院が対応しきれない患者を断る事がどうしてたらい回しといわれて非難されるのか、これは以前から私も気にかかっていた問題でした。

 そもそもこの問題が注目されるきっかけになった妊婦の緊急搬送についても非常に問題のある報道の仕方がなされています。ごくごく一部では報じられていますが、そのような緊急搬送を受けた人間のほとんどは、出産前に行く定期検診に言っていなかったようです。定期検診とはその名の通り、妊娠の状態を見る検査の事で、この検査を通して出産予定日などを決めるのです。そして決められた出産予定日が近づくと、まぁ普通の人間なら大事に備えて入院するでしょう。
 このように、患者の側にも準備してもらわなければ産婦人科医も予定が立てられないのです。なのに急にお産だといっても、それこそ他の妊婦に構っている医者は対応できるはずがありません。ほとんどのマスコミはこの点を追究せず、緊急体勢を取っていないといっては病院を責めつづけているのが個人的にも腹立たしいです。もしそんな緊急体勢を取ったら、労働時間は飛躍的に伸び、医者が休む時間がなくなるのは明白でしょう。

 本当はあまり使うべきでない流行語ですが、このような急に病院に駆け込もうとして流産になったのはやはり一部自己責任があるでしょう。もし入院するお金がなかったというのなら、確かに問題ですが。
 だからこそこの問題を解決するには、病院の緊急受け入れ態勢の拡充や、受け入れ先を探すコーディネーターの配置よりも、妊婦への定期検診の徹底や出産前入院の費用補助の方がよっぽど安上がりで効果的であるとはっきり断言できます。

 以後は私の完全な妄想ですが、マスコミがこのような手段を紹介せずひたすらに医者の勤労に期待する方法を紹介したり、前述のように医療ミスばかりあげつらって報道するのは、ひとえに日本政府と結託しているせいかもしれません。日本政府としてはこれ以上医療費負担を大きくさせまいと2005年前後に行われた構造改革会議にて散々に医療関係の支出を抑えてきました。それによって医療現場が荒廃するのは目に見えていたのですが……いやまぁ、当時は私もそりゃ乗せられてましたよ。医者は高給で医療ミスもよく報道されているのだから、この医療費削減への反対を日本医師会がするのはどうかなぁと思ってました。
 現場の医者、前述の歯科医の方以外に私が講演を聴いた川崎市立川崎病院の医師である鈴木厚氏などはこの動きに早くから問題だと感じていたようですが、多分私以外もマスコミの医療ミス報道に乗せられて問題視しなかった人は多いのではないかと思います。逆を言えば、マスコミが医師を叩いてくれたおかげで、日本政府は大した反対運動を起こさずに費用を削減できたというわけです。

 ま、政府がマスコミの動きに乗ったか、マスコミが政府に踊らされたかはわかりません。でも一番ありそうなのは、二人揃って医者を叩こうとした、この構図が一番わかりやすいし、結果的にはそうなっています。

 最後に、医療問題がわかりやすくなる本として前述の鈴木厚氏の本を紹介します。秀和システムから出ている本で、「崩壊する日本の医療」という本です。でも本よりこの人は講演の方が絶対に面白いと思う。正直、医者より漫才師の方が向いてるくらい話がうまいし。

麻生太郎のブームについて

 文章の敬体に疲れてきたので、今日あたりからフランクな文面で送ります。

 今朝関西ローカルでやっていた番組の中で青山繁晴が、「外務大臣の頃にライス国務長官とアメリカで会った際、麻生太郎は日中関係が悪くなって問題が起きないかと言われ、大丈夫、日中は1500年前から関係が悪いんだと答えた」と言って、この一件で彼は麻生の事が好きになったらしい。

 この麻生太郎はよく2ちゃんねるでも漫画の「ローゼンメイデン」を読んでいたと言われたり、漫画好きである事からすこぶる人気が高く、去年に行われた自民党総裁選でもネット上で大きな人気を呼んだことは記憶にも新しいでしょう。
 実際、私の回りでも当時に麻生氏を押す声が大きかったのだが、肝心要の私はと言うとそれほど麻生氏を現在でも評価していない。というのも、これまで様々な場所でインタビューや記事が伝えられているが、どれを見ても具体的な政策案が見えてこない。唯一言えば、文芸春秋にて相続税について一度述べた内容がなかなか面白かった程度である。

 まぁそんな評価はおいといて、一体何故麻生氏がこれほどの人気を誇るのだろうか。オタクな趣味という点では、前の官房長官の与謝野馨氏などはパソコン自作オタクで、こっちも面白いと思うのだが生憎人気は出てきていない。
 結論からぱっぱと言ってしまうと、彼なりのべらんめぇ口調のキャラクターが漫画好きという属性と相まって人気だと思われる。何も彼に限らず、2ちゃんねる内では自分たちに近い人間像の相手をやたらと好評価したがる傾向があるが、それについて以前に呼んだ記事で(確かこれも文芸春秋)、「彼らは自らを弱い存在と規定しており、強い権力者が自分らに近い人間像だと強い親近感を表す傾向にある」と述べられており、非常に特徴を掴んだ分析だったと覚えている。それゆえに、いくら漫画好きだろうと社会的に弱い存在だとあまり相手にされないのか、ゲーム関係者のオタク趣味は叩かれる傾向にある気がする。

 なんか、今日は文章にノリがないなぁ。

2008年1月10日木曜日

内閣改造が見送られた件について

 少し古いニュースですが、今年の念頭に当初は予定されていた内閣改造を見送るという福田総理の発言が報じられました。今後の国会を見る上で、この見送りには何が含まれているのか考えてみたいと思います。

 まず、当初の改造ではどのような改造が予想されていたのでしょうか。私の予想だとまず法務大臣の鳩山邦夫はとっかえられたでしょう、アルカイダの友達の友達なんだし。次に予想されるのは、行革大臣の渡辺嘉美と厚生大臣の枡添要一が挙がってきます。まず前者は行政法人の廃止を訴えてきましたが、各省庁では無回答が続出し、本来後押しするべき福田総理もこの時はまったく動きませんでした。これと薬害肝炎の問題から見ても、現在の福田総理は官僚寄りの総理とも見れる行動が続いているので、ここらで切られるかと思っていました。同様に、枡添要一も去年の公約問題でやらかしたので、意趣返しでやられるかと思っていたのですが、改造自体なくなりました。

 その他の大臣はというと可もなく不可もなくで、また次に大臣をやりたがっている議員もあまり見当たらなかったので特に予想は作りませんんでしたが、今回改造を見送ったのはやはり、支持率が関与しているのではないかと思います。
 小泉政権以降、内閣改造は党内のコントロールと支持率回復に使われるようになりましたが、今回の状況では改造しても支持率の上昇が見込めなかったのが見送られた原因だと見ています。これは書く評論かも言っていましたが、福田総理は国民が民主党がテロ特措法でごねるのを見て支持率が回復すると呼んでいたのが、肝炎問題で逆に下がるという状況に慌てたと言われています。見たところ党内の制御には困ってなさそうですし、場当たり的にやってもしょうがないということから見送られたのだと思います。