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2008年4月20日日曜日

猛将列伝~島津義弘~ と日韓の歴史の違い

 多分信長の野望とかやった人ならこの人は知っていると思います。島津家の次男坊で鬼島津こと島津義弘です。ゲーム中でも、戦闘能力はどのシリーズでもトップの上杉謙信には及ばないものの最上位に食い込む高さを誇っています。

 一般に習う範囲の歴史だと関が原の決戦においての活躍がまず紹介されています。すでに西軍にとって敗色が濃厚だった頃、残った島津軍に対して東軍が攻撃を仕掛けると、なんと島津軍が逆に突撃をかけてきたといいます。本来ならば退却する戦況であるにもかかわらず、この時島津義弘は追撃を免れるためにあえて敵軍突破を採用し、見事関が原から撤退をしております。まぁ、兵士はほとんど死んだらしいけど。

 この人はこのようにとにもかくにも戦闘のエピソードが多い人です。九州での戦いから朝鮮の役までともかくいっぱい。特に朝鮮出兵では寡兵にて何度も朝鮮軍を撃退し、最終的には朝鮮軍の名将李舜臣も討ち取っており、そのあまりの活躍ぶりに朝鮮の歴史でも「シーマンズ」という名が残り、長い間恐れられたらしいです。
 ただ晩年にはボケてしまったらしいですが、家臣が「殿、戦ですぞ」と言うと、目の色変えて鎧を着けだしていたようです。最後の最後まで戦のエピソードです。

 ついでに言及しておくと、何の作品だかは忘れてしまいましたが、芥川龍之介が歴史について考察を書いており、
「朝鮮の歴史では二人の英雄が日本軍の本陣に乗り込み、朝鮮出兵中に総大将の小西行長を撃ったというように記されているが、小西行長は知っての通りにその後に起こった関が原の合戦で敗戦した後に徳川に首をはねられている。このように、二つの国で歴史を一致させるのは非常に難しい」

 と、まるで現在の教科書問題を筆頭とする日韓の歴史問題を見透かしたようなことを書いております。実際に日中についても、片方が自国の歴史で当たり前と思っている事実が無効では全然別にとられていることもあり、表ざたになっている問題などより実際にはずっと大きな誤解がそれぞれに横たわっていると思います。
 あえて私から提言するなら、それぞれのややこしい問題にならない範囲から両国の歴史を一致させていく必要があるのではないかと思います。一例を言うと、中国での革命の父である孫文は中国では一般的に「孫中山(ソンチョンシャン)」と呼ばれていますが、これは孫文が日本に亡命中に近くにあった家の苗字が「中山」さんで、それが気に入って使っていたというらしいです。こんな風に日本とのエピソードが結構あることはあまり日本人も中国人も知りません。

2008年4月19日土曜日

日本経済の効率の話

 結構この関係のネタがたまってきたので、今日あたり一気に放出しようと思います。

 さて経済効率の話ですが、要するに如何に少ないものから多くを生むかという指標のことを効率といいます。日本はGDP、生産高で見るならば世界二位ですが、果たしてその世界二位の価値を生むためにどのような効率を持っているのかを紹介します。

 まず最近何かと話題の環境問題ですが、日本は単位あたりGDPを作るのに必要なエネルギー量の少なさを表す、エネルギー効率という点では世界でもトップクラスです。簡単に調べてみたところ、ちょっと古いデータだと原子力による発電を入れると世界一位、抜くと韓国についで二位です。その要因は言うまでもなく、燃費効率の高い日本の自動車や家電製品が普及しているおかげだといわれています。実際に「不都合な真実」のアル・ゴア元副大統領もこの点で日本を誉めています。在任中は冷たかったくせに。
 以前に紹介した武田邦彦氏もこの点に着目し、日本は二酸化炭素の排出権を他国で買うようなまねをせず、国際会議などでこの効率の良い製品自体に排出権を持たせるべきだと主張しており、私もこの主張を支持します。

 そんな感じで意外に日本はエコな国なのですが、その一方で労働時間についてはあれこれ議論の種になっております。OECD(経済協力開発機構)の調査による労働時間の国際比較を見ると、まずダントツに一人当たりの年間労働時間が高いのは韓国で2006年で2357時間働いています。そして二位はアメリカで1797時間、三位になって日本が現れ1784時間です。
 結構この話をすると周りに驚かれるのですが、日本が一番労働時間が多いと思われている人が多いようで、この三位という順位をなかなか信じてもらえません。ちなみに、韓国には韓国が調査対象に加わって以降はずっと負けており、アメリカには2000年くらいからほとんど差がなくなって2004年以降はずっと負けております。

 これを見せると、「日本人は世界で最も働き者」、というアイデンティティが揺らぐ方も多いです。まぁそんなアイデンティティなんて知ったことはないのですが、この統計にはずっと裏があるといわれております。というのも、カウントされる労働時間というのは雇用側が給料を支払うのを認めている正規の労働時間なだけで、帰宅後の作業やいわゆるサービス残業などは全く含まれていないからです。実際に日本では雇用側が提出した労働時間の平均と、労働者自身に行うインタビュー調査の平均は毎度の如く大きな隔たりがあり、決まって後者の方が多くなります。
 そのためさきほどのOECDの順位も、韓国までとは行かないまでもアメリカはまず上回っているだろうと言われています。

 そこで今日の話の味噌になりますが、生み出したGDPに対してそれをどれだけ効率よく生んだかという指標こと、「生産性」という指標があります。これはさまざまなものに対して使える指標ですが、その中の一つに労働生産性というものがあり、これは単位あたりの労働力に対してどれだけ効率よく価値を作り出したかというものがあります。
 簡単に説明すると、ピザを作るのに入ったばかりのバイトの人では一時間に十枚しか作れないのに対して、その道30年の達人は一時間に六十枚作ってしまいます。この例だと後者の達人はバイトに対して六倍も労働生産性が高いということになります。

 そこでこの労働生産性をマクロな国際比較がなされたOECDの調査によると、2004年の段階で日本は加盟国中なんと19位にランクインしています。因みにトップからはルクセンブルク、アメリカ、ノルウェーの順番になっています。
 この結果からあれこれネットで調べてみると、日経新聞などは「先進国中最低」だと報じていますが、もし日本が先進国中最低だと日本より下の韓国やロシアは先進国じゃないことになるんだけど、これはどうなのかな。はっきり言わせてもらうと、ちょっと日経さんは偏向報道になるんじゃないかな。

 それはともかくとして、とにもかくにもGDPは二位の癖に労働生産性、つまり働き方の効率は非常に悪いというのは間違いない事実です。そして先に説明した、その計測のために使われる労働時間の統計結果は現実より下回っている可能性が高いことを考慮すると、実際にはもっと低い可能性すらあります。単純に言って、日本人は非効率的に無駄に長く働いているということです。

 なぜこのような結果になるのかについてはあれこれ議論があります。効率や採算の悪い既得利権団体が多いだの、日本全体で競争が歪んでるだの、闇社会に資金が流れ過ぎだの(ロシアほどではないだろうが)。
 私から言えることは、全体での数値であるGDPを如何に上げるかということに議論を尽くすより、こういった効率を上げることのほうが意義はあるのではないか、どうすれば効率が良くなるのかを全体で行えないのかという風に思えます。それこそ、たとえGDPは下がったとしても、この効率が良くなれば国民的にはあまり好きじゃないけど今流行りのQOLことクオリティーオブライフも良くなるのではないか、また効率が上がることによってGDP自体も上がる可能性も多分に含んでいます。しかしこうした議論は未だに私はよく聞きません。

2008年4月18日金曜日

自身への評価について

 人間、国が違えば色々価値観も変わってきます。たとえば一家心中事件などは日本では同情的に報じられることが多いですが、欧米では狂気の沙汰として精神病に分類されます。これなどは日本と欧米の死生観の違いを表すもので、私もルーマニア人の友人と何度も切腹の価値観について議論を取り交わしました。ルーマニア人の彼から見ると、切腹はどう考えてもおかしい、責任の取り方にも何にもならないと常に言っており、この点に他国との死生観の違いがあることは間違いないでしょう。

 その逆に、国が違っても同じ見方がなされる価値観もあります。その代表的な例はずばり、「謙虚」だと私は思っています。そのルーマニア人から自己主張の激しいアメリカ人も、modify、謙虚の英語訳ですがこれは等しく美徳だと母国で見られていると言い、割とグローバルな価値観だと私は考えています。

 しかしその割に、私自身はというと自他共に認めるくらいに自信過剰な性格をプライベートで振舞っています。なにせ、普通に常日頃から自分より賢いやつはほとんどいないと言う位だし。
 ただ、言い訳をするとそれには理由があり、その理由というのも自身を過小にも過大にも評価してはならないという鉄則を持っているからです。ではなぜそんな妙な価値観を持ったのかというと、これは今まで学んだ歴史の逸話が大きく影響しています。

 歴史上、それこそ運がいいだけで権力者になったのもいれば、逆に力があるにもかかわらずほとんど評価されずに悲劇的な末路を終える人間が数多くいました。しかし中には優秀な能力を持っているにもかかわらず、自ら表舞台へ出ることを拒否し、文字通り隠者として世を去った人間もいました。
 一例を出すと日本では上杉謙信がこの例だといわれ、天下を取る実力があったにもかかわらず自ら領国をすすんで広げようとはしませんでした。また中国史ではハクイ、シュクセイという二人の兄弟が王位をお互いに譲り合い、最終的に両方とも国から出て行ったという話もあります。

 こういった話は単体で見るならばそれこそ謙虚で高潔な話だと感心するのですが、よくよく考えてみると結果的にはその謙虚っぷりに振り回されて、周りが結構不幸な目にあっていることも多いです。また細かいエピソードだと、周りから嘱望されているにもかかわらず権力の座に就かず、結果的に暗君がついてその優秀な人間までも誅殺されて国が滅ぶということまであります。

 このような逸話から私が導き出した教訓は、自らを過大評価するのはもとより、過小評価をすれば自らだけでなく周りまでも不幸にしてしまうということでした。そのため、今の自分は全く不得手な分野は人の意見を出来るだけ聞くようにして、逆に自信を持っている分野では強く前に出て意見をするように心がけています。もちろん、得意な分野ですら上には上がいるものです。もしそのような人間が出てきたら、そこは謙虚にその人の意見に従うようにしています。

 とまぁ、こんな風に考えていたらいつの間にか自信過剰な状態になっていました。しかしそれはそれで、「あいつはでかい口を叩いているが、俺だってあいつには負けない」と周りが思ってくれればそれもありかとも思っています。なぜなら、そうすることによって自分より優秀な人間が前に出てくれて、結果的に全体の幸福に繋がっていくのだと思うからです。逆に、自分と比べて大した能力もないのに自分を引きずり下ろそうという人間には、自分だけでなく周りまでも巻き込んでしまうことから絶対に負けまいと心に誓っています。

 結論を言うと、人間は能力に対して分相応に社会で役目を果たすことが、その人にとっても周りに対しても良い結果を生むのだと思います。私自身は自分を優秀かどうかははっきり言ってわかりません。しかし同じステージで出るところまで出て、はっきり敵わないと思う相手や、自分とそう大して能力に差がないと思う人間と会った時点ですっと引こうと思いますし、私自身そうなること願っています。なぜなら、なんだかんだいって権力や責任を背負い込むのは肩が重そうなので、結局のところ、私も隠者でありたいと思っているからです。

2008年4月17日木曜日

後期高齢者医療制度について

 さってさて、えらくニッチな内容を取り扱うことになりました。もしかしたら間違えて書いているかもしれませんから、そのときはゴメンね。

 実は医療問題について、私は去年一年間に友人のT君(通称ツッチー)とともによくしてもらった先生から相当学んだつもりだったのですが、この後期高齢者医療制度についてはすでに成立していたにもかかわらず、全くノーマークでした。別の、廃止すると何度も言われておきながらまだ続いている障害者自立支援法等については相当深い内容まであれこれ話せるのですが、こっちは今のように施行されだしてニュースになってからわかったので、個人的には悔しい思いをしました。

 で、この後期高齢者医療制度ですが、現在把握しているところだと、これまで子供らの世帯に「扶養家族」として保険料の支払いを免除されてきた75歳以上の老人が、この制度によって新たに月々の保険料を支払わねばならなくなったのが肝のようです。しかもあざといことに、今も問題になっている月々に支給される年金から天引き、つまり支払いを拒否することが出来ないということです。

 私自身は、将来の年金や財政の観点から高齢者世代にも多少の負担を受けてもらうことが必要だとは思っていますが、今回の制度のように「75歳以上」という、社会的に弱い世代だけを狙い撃ちにするやり方は好きにはなれません。第一、このような事態を避けるために作られたのが現在も40歳以上に課せられている介護保険制度なのに、そのうえにこのような制度を作るなんてもってのほかです。
 まだこの制度も「60歳以上」、もしくは年金世帯の「65歳以上」というくくりなら私も考えますが、いかにも「死んでくれ」というようなこの年齢範囲は問題でしょう。そんなことより、早く自立支援法も廃止しないといけないのに。

評価の逆輸入

 まずは取って来たコピペから見てもらいます。これは最近ネット上で良く流行っているギャグですが、

『アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、無重力状態ではボールペンが書けないこ とを発見した。
 これではボールペンを持って行っても役に立たない。
 NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。
 その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でもどん な表面にでも書けるボールペンを開発した!!

 一方ロシアは鉛筆を使った』

 という内容なのですが、まぁ普通に見る分には面白いけど、どうも私はこの話を素直に面白がることが出来ませんでした。
 まず無重力下でのボールペンですが、他のサイトなどでもあれこれ説明されていますが、その構造から実際に使いづらくなるようです。そのため、NASAはかなり以前に無重力下でどのペンが最も使用に適しているのかを研究したというのも事実です。そしてその際、NASAが採用したのはなんと日本のサインペンだったのです。

 ボールペンというのはペン先のベアリングの回転によって中のインクを紙につけるという構造ですが、サインペンというのはペン先が繊維で出来ており、その繊維と紙の浸透圧の差によってインクをつけるという画期的な構造で、これが宇宙空間だとボールペンのようにインクが飛び出したりかけなかったりすることもなく自由に書けるということで、NASAに採用されたという経緯がありました。
 しかし先ほどのコピペを引用するならば、「一方日本はまるでサインペンを評価していなかった」とでも言うべきでしょうか。このサインペンはNASAに採用された当時、全く日本では評価されていなかったようです。私自身、今でもサインペンを愛用しておりその構造と使いやすさに毎回感動するのですが、日本人が全く評価せず、アメリカ人が評価したことによって普及したという歴史を考えると、どうにも複雑な気持ちになり、最初のコピペを見る度にも、「見るところが違うだろっ!」と、なんというかやるせなさを覚えます。

 ついでに書くと、日本はこのような評価の逆輸入とも言うべきケースが度々あります。現在の電波放送の基礎を生んだ八木秀次氏の八木アンテナは日本で全く評価されずに、アメリカなどの国が先にこれを応用し、航空機用レーダーを作ったという歴史もあります。なお二次大戦中、相手の極秘文書を奪った日本軍が捕虜に対して、「この、何度も出てくる『YAGI』というのは何なんだ?」と聞いて、相手の度肝を抜いたというエピソードすらあります。

2008年4月15日火曜日

中国のチベット問題について

 最近やけに人から聞かれるので、このチベット問題について私の意見を載せておきます。

 人に聞かれる点は、なぜ中国はチベットを中国の領土としようとするのかで、チベットと漢族の中国は文化的にも歴史的にも背景が異なるのに、なぜ同じ中国とするのかというように聞かれますが、その回答は実は簡単で、単純に中華思想から来るものです。
 中国の中華思想はわざわざここで説明するまでもなく、漢族の文化や歴史が世界で最高だ、ひいては中国は世界で最も偉大な国だと考える思想で、まぁ隣国にとってすれば厄介この上ない代物なのですが、この世界最高という考え方のほかに、「大きいことはいいことだ」と、昔のグリコでやってたCM張りの考え方も含んでいます。今でこそ一人っ子政策の下で人口を抑制していますが、昔の中国はそれこそ生めよ増やせよで、毛沢東も人口がこのまま行くと大変なことになるといった学者に対して、「人口が多ければいいことづくめじゃないか」といって、当時から餓死者が出ていたにも関わらずに相手にしなかったくらいです。

 この考え方はそのまま領土にも当てはまり、領土はでかければでかいほどいいという考え方が未だに根強いと私は見ています。はっきり言って、恐らく素人目でもわかるくらいに、中国政府の反乱を無理やり抑え、チベットを占領し続けるコストはチベットから得られる収入やメリットと比べても遙かに高いでしょう。いわばチベットを占領することで中国は余計な出費を払っているということですが、それでも先ほどの中華思想からチベットを分離や委任統治させることはありえないでしょう。
 特に、現首席の胡錦濤氏は江沢民が香港返還によって歴史に名を残したのならば、自分は台湾を帰属させて歴史に名を残したいがために台湾に対して辛辣だと言われるくらいですから、チベットを離して領土を失ったという評価は絶対に拒否するでしょう。

 ただこのチベットに対する考え方は中国人の中でも分かれそうです。私の上海人の友人は、外国のオリンピックボイコットなどの批判についてうれしく思わず、それならばいっその事チベットなんて独立させてしまえと言っており、多分大半の日本人に近い考え方を持っているように思えます。恐らく彼に限らず、都市部に住んでいる中国人は少なからずそう思っていることでしょう。

 ただ、中国政府がチベット独立を認めない気持ちは私にも痛いほどわかります。というのも、中国国内、漢族の文化圏の中ですら分離独立の意識は未だ根強いからです。言ってしまえば広東や福建などの南方や、内陸部の人間達は反北京の意識が強いといいますし、それこそチベットの独立を認めてしまえば、一挙にこれらの地域からチベット以上に激しく独立運動を展開しているウイグル自治区の人間らは勢いづくでしょう。現政府もそれを認識し、抑えるだけでなくソフトランディングする手法を考えていないわけではないらしいです。

 と、ちょっと今日は専門的なネタを展開しました。まぁ自分の真骨頂だけど。

2008年4月13日日曜日

NTTドコモについて

 確か去年のソフトバンクが正式に携帯事業に参入してきた頃かな、
「そろそろ反撃してもいいですか ドコモ2.0」
 という、かなり挑戦的なキャッチコピーを打ってきましたが、現在の状況を見ると言うこと言った割には一人負けの様相を示してきています。

 私自身はあまり携帯に執着しない、言ってしまえばメールと電話が出来ればそれでいいので、五年前に契約した頃からずっとドコモで変わりはないのですが、なんというか宣伝で見るならば圧倒的に他者の方が上回っているように見えます。細かくは言わないけど。

 そんななので、今後ドコモが打ちそうなキャッチコピーを私なりに考えてみました。

「いい加減、本気になっちゃいますよ ドコモ3.0」
「いいんですか、怒らせて ドコモ4.0」
「もうどうなっても知りませんよ ドコモ5.0」
「お前は俺を怒らせた ドコモ6.0」
「そろそろ撤退してもいいですか ドコモ9.99」

 てな感じになっていくのかな。個人的には、なんで「ドコモ2.0」って、妙な数字をつけるのかが気になります。野球でもストレートが好きな自分はいっその事、「ドコモ改!」とか「ドコモZ」とかつけてくれたほうがうれしかったです。