ページ

2008年5月24日土曜日

武田邦彦氏の公開討論会に行って

 本日、午後一時半から吉祥寺で行われた、「温暖化対策とリサイクルは地球を救う ウソ?ホント?」というシンポジウムを見学しに行ってきました。主役はこのブログでも何度も取り上げている、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本で、環境省やリサイクル団体を批判している武田邦彦氏です。

 このシンポジウムは他にも数人のパネリストを揃え、それぞれが温暖化とリサイクルについて持論を展開して討論する形式でしたが、なかなか有意義で面白い内容でした。パネリスト、司会者もそれぞれの意見に対して、「それが正しいかどうかはともかく、さまざまな異論が聞けたことがよかった」と口々に述べておいり、聞いている私個人も同感でした。
 パネリストの中には現役の環境省の役人もいれば、国立研究所の研究員もおり、やはりそれぞれの立場から武田氏とは全く意見が異なる、というより、「でたらめを言うな」という言い合いもありましたが、なにも罵り合うというほどでもなかったので、よい討論の仕方をしていたと思います。

 それで、この討論をすべて一から書いていたまたえらく長くなりそうなので、いくつか気になった点だけを紹介します。
 まず全体的な内容ですが、すべてのパネリストの方の一致した意見として、「内容はともかく、武田氏の環境問題への問題提起はすばらしい」ということでした。いくつかはスタンスの違い、根拠となるデータが怪しいなどの反論はあるものの、実際に環境対策として使われているお金、そしてリサイクルの仕組みには不明瞭なものも多く、環境の名の下で無茶が通っているものもすくなくないのですが、そういった部分に光を当てた意味では武田氏の功績を皆評価していました。

 それで各パネリストの意見はというと、主役の武田氏の主張については彼の書いた本を読んでいたのでほとんどがすでに知っている内容でした。もし興味をもった方があるなら、是非本を買って手に取ってください。それにしても、テレビでも何度かこの人を見たことがあるのですが、実際に見てみると本当に喋り方がうまい。話の展開が早く、論点が結構知らないうちに変わってたりするので、学者より政治家のが向いている気がします。
 この武田氏以外だと、朝日新聞の社員である杉本裕明氏の話が一番面白くて、彼の話によると、なんでも政府の環境を守る名目としてとして集めた税金は、現段階でも余っているそうなのです。特に使い道がなく余っている横で、現在の道路特定財源を環境税に変えるといって、また余計な方向へ政府がそのお金が使うのではないかという危惧を持っていましたが、これは初耳でした。けど、なんかそうありそうです。
 さらに、現在国が立ち上げている環境対策の計画を実行することとなると、一世帯辺り四十万円もの負担を新たに強いることとなるのですが、そういったことは一切説明せずに、「環境にいいから」という意味で認めてはならないということも言っていました。これは他の話題についての武田氏の言及でしたが、政府はそれが本当に環境にいいのかどうか詳しい内実を話さずに、計画を実行する癖があるとも言っています。

 このほか一般の方の質問で、
「燃費のいい車に乗り換えることが環境にいいというが、それまで使われてきたまだ乗れる車を放り捨て、新たに車を製造会社に作らせることの方がかえって環境に悪いのでは?」
 という鋭い質問も出てきました。これについては武田氏も言及しており、白熱電球から蛍光灯に取り替えれば電気使用量は減るが、製造コストを考えるとかえってマイナスだともいっています。

 とまぁ片っ端から書いたらこんな感じなのですが、やはりテーマが環境という事なので、一部の参加者からは感情論とも取れる、やたら長いだけで面白みのない質問も数多く出てました。何もこの環境問題だけに限るわけではありませんが、どうも議論を感情論と事実論がごっちゃになって、途中で双方訳がわからなくなることが多いような気がします。もうすこし、はっきりとした事実のみに目を当てて議論はすべきだと思うのですが。
 ただ、この環境問題というのは地球科学からリサイクル関連の経済学など、幅広い知識を持って語らねばならないところ、現在各専門家がそれぞれの分野の立場だけに立ってあれこれ言うのが混乱を作る主要因だと何人かのパネリストが言っていました。実際に範囲がだだっ広いことは間違いなく、いろんなところから意見を聞き、最終的に自分で考えねばならないといって、この討論会は終わりました。

障害者教育について

 先ほど確認してみたらコメント、しかも知らない人から初めて残されていたので、タイムリーでもあるので今日は障害者の教育について書こうと思います。実はこの障害者教育については以前にかなり真剣に調べた事もあり、一家言ある身です。前述の障害者自立支援法と並び、日本はこの手の対策が欧米先進国と比べると非常に遅れているとも言われております。

 まず知的障害者の場合ですが、やはり未だに偏見が強いということもあって幼児期に、「もしかしたらこの子は……」と思っても、それを誰にも相談しないまま育てていってしまう人が多いそうです。専門家によると、たとえ生後時から知的障害を負っていたとしても、生まれた直後からそういった障害者への専門的教育を施すことによってその後の発育はしない場合と比べて大きくよくなるそうなのですが、どうも未だに隠したがる人がまだ多く、五歳や六歳になってようやく相談に行っては処置が手遅れになってしまうケースが多いそうです。。
 この問題の解決方法は言うまでもなく偏見をなくすことなのですが、どうもアメリカと比べると日本では知的障害者、身体障害者双方ともに社会進出が阻まれており、こうした偏見がなかなか払拭できずにいます。

 そして近年、こうした知的障害者の生活環境はすでに紹介した自立支援法とともに、ネット上で加速している、「知的障害だからといって罪が軽減されるのはおかしい」という言論によって追い詰められております。また、各企業に雇用者数ごとにこういった障害者の方を受け入れる規定があるにもかかわらず、規定を守らなかった場合に支払う補償金を払う方が得だといって、なかなか雇用されないとも聞きます。

 さてこっから社会学的な話になりますが、身体障害者だと思考能力には問題なく、それこそデスクワークや簡単な軽作業程度なら働くことに問題はないにも関わらず、健常者と比べて就職率が非常に低くなっております。その理由はいくらでも挙げられるのですが、私が問題視しているのは学歴についてです。
 というのも、実は私の友人も障害とまで言わずとも、生まれつき体の弱い人間でして、大学に入学したものの、毎日通学するだけの体力がなく、結果的には退学せざるを得ませんでした。身体障害者、特に腕や足の障害を持つ方などは助けなしでは通学することは難しく、まして実家から離れて遠くの大学に通おうとしても、住んで生活できる借り部屋などほとんどありません。

 つまり、身体障害が原因となって高等教育の道が閉ざされ、結果的に学歴が付かず就職もままならないという構図になるのではないかと思います。本当はこういった教育面でもっと障害者に日を当てるべきだと思うのですが、現実はさにあらず、日本の大学のホームページにて障害者の入学条件、方法について説明があるサイトは本当にごくわずかです。アメリカなんかはほとんどあるのに……。

 今後もこの障害者関連のネタは書き続けていこうと思いますが、前述の友人がかつて言った、「健康な人は、病気や怪我した時の苦しみを普段は全く考えないよね」という言葉を忘れずに取り上げていこうと思います。

2008年5月23日金曜日

権力獲得のプロセスについて

 かつて北海道農学校、現在の北海道大学の前身となった場所で、かの有名なクラーク博士が、「少年よ、大志を抱け」と言いましたが、これは誤訳らしいです。
 それはともかくとして、偉くなって周りをブイブイ言わせたいという人はどの時代にもたくさんいます。しかしどうすれば偉くなるのかという、直接的な議論というものはあまり見ませんし、比較されておりません。それは恐らく、プロセスがそれとなく暗黙な了解となっているからだと思われます。

 日本の場合、やはり商業主義的な思想が強いので、基本的にどれだけお金を持っているかがその偉さの尺度となることが多いように思えます。それを反映してか、立身出世の王道とも言えるストーリーはまずいい大学に受かり、そして一流企業に入る。そして最後にそこで社長となるか、途中で飛び出して新たに創業し、その会社を大きな会社とする、といった所でしょうか。これがいわゆる通説の範囲内の権力獲得プロセスでしょう。

 ただこれはあくまで「お金の及ぶ権力」内の話で、現実的にはやはり官僚として成功する方がサクセスストーリーとしては価値があると思われています。この場合のプロセスもまず最初はいい大学、というよりこの場合は東大限定で、しかも法学部に入る。そして上級国家公務員試験に受かり、官庁へと入る。そこで出世コースにうまいこと乗り、最後は次官というプロセスとなります。
 これでもさらに飽き足らないという野心満々の方への特別コースはというと、まず官庁に入るとこまでは先ほどのコースと一緒ですが、ある時点でそこを飛び出し、選挙へと打って出て政治家となる。そして自民党内の権力レースに勝ち、最後は総理大臣となって満願成就といったところでしょうか。

 以上までが日本の主な権力獲得のプロセスですが、やはりネックとなる条件になってくるのは若い世代の内に東大に入学するということです。霞ヶ関の官庁内の東大贔屓は言うに及ばずで、たとえ他の大学出身者が官庁に入ったとしても、その中では出世が望めないとまで言われます。
 しかし、世界の日本を見る目はというと、何はともあれ東大にさえ入れば立身出世は約束され、しかもその入学試験はまだフェアであるから、出世機会の平等はよく守られている国だと言われているようです。
 言うまでもなく、他国では未だに出身環境が物を言うことが多く、といっても日本でも数十年前と比べてその傾向は強くなってきましたが、何はともあれ日本は東大さえクリアすればいいのだからまだ平等らしいです。

 さてここで話は変わりますが、現在中国のトップ2といえば言うまでもなく、国家主席の胡錦濤氏(フーチンタオ)と首相の温家宝氏(ウェンジャーパオ)の二人ですが、実は二人とも大卒は大卒でも、理系出身です。
 この話をすると結構周りの日本人には驚かれるのですが、胡氏はもともとダムの設計士をやっており、温氏は「中国地質大学」(どうでもいいが、二年前にこの大学はえらく綺麗な寮を作っていたなぁ)の出身で、そのまま地質関係の技師だったようです。恐らく日本人からすると、なぜ大学で文系出身じゃないのに政治家をやっているのかと疑問に思うかもしれませんが、向こうは向こうで日本の経営家と政治家のほとんど、というより九割がた文系出身者だと教えると、「なぜそれで国がやっていけるんだ?」と、私自身が中国人に言われました。

 ここで結論を言うと、権力獲得のプロセスというものは決して万国共通ではなく、国ごとに意外と違うということです。さらに例を挙げると、レーニン以降のソ連では最高権力者である書記長となった者の中で大卒者はというと、なんとレーニンとゴルバチョフの二人だけしかいません。しかも新制ロシアも入れると、この前亡くなったエリツィン氏も大学を卒業していません。プーチンとメドベージェフは出てるけど。
 ソ連の場合、私も詳しくはわかりませんが、大卒という肩書き以上に共産党内のプロセスが重要視されており、そのためこのような系譜を辿ることとなったようです。

 現在日本の権力獲得プロセスはアメリカの制度に倣っているため、日本とアメリカで共通する権力獲得プロセスを、さもグローバルスタンダードかのように思い込んでいる部分があると感じます。井の中の蛙と言われないように、あくまで日本限定でこうなのだと覚えておくことが、国際世界で笑われない知識となると思います。

2008年5月22日木曜日

放置された医療改革

 先ほど、徳光和夫が司会をやっている「逢わせ屋」という番組を見ていました。この番組自体はくだらないシステムとやらせっぽい内容で嫌いなのですが、今日の番組で出てきた、若いときに右腕を工場で切断し、その後のリハビリの間にずっと元気付けてくれた医師と再会したいという女性の話は非常に感動的でした。

 さて、今ここで出てきたリハビリですが、皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか。大体二年前、リハビリを開始してから180日後に、これまで患者に支払われてきたこのリハビリの医療費補助を打ち切るという政府の新たな政策が始まりました。
 当時の政府の言い分はというと、リハビリという名の下に不当な医療を行う輩もおれば、本来は必要ないのに受け続け、補助だけをもらっている患者がいる。そんな不届きな輩を撲滅するために、どうせリハビリを始めてから半年経っても効果がない人には治る見込みがないはずなのだから、いっそ打ち切ってしまえというものでした。

 もちろん、この政府の言い分は頭から間違っていることは明白でしょう。リハビリというのは何も身体障害を完治させないまでも、身体の機能維持という目的で行われていることも多いからです。また半年経って効果がないから治る見込みがないというのも間違いらしく、この日限の根拠はなにもないといいます。
 この打ち切り制度が始まる直前の二年前は、それこそ毎日のようにメディアが報道し、制度の見送りが各関係者から訴えられましたが、現実はというと大山鳴動して鼠一匹動かずというか、ちょっとネットで検索を掛けてみたところ、施行状況まではわかりませんが、現在もこの制度は何も改正されずに残っているようです。

 なにもこのリハビリ制度に限るわけではないですが、私が前々から訴えている「障害者自立支援法」も、その名とは逆に障害者を追い詰め続けて施行から早や三年もの月日がたっております。このように、当初は大きく騒がれはしたものの、医療業界を取り巻く悪環境はここ数年で何も変わらないどころか、先月から始まった「後期高齢者医療制度」と、さらに悪化させるような法律までもが施行され始めてしまいました。この問題も今でこそなんやかんやと騒がれておりますが、後一ヶ月もすればみんなこの制度のことなど忘れてしまうかと思います。もちろん、そんなことはあってはならないのですが。

 しばしば、この手の問題というのはこういった事態が起こりやすいもので、一概に報道メディアが報道しないせいだとは、マスコミに厳しい私でも言い切れません。なぜなら、熱の冷めた事件などを報道しても、連中が食っていけるわけではないからです。だからこそ、なんの利益も権益もない、こうした草の根的なブログなどでこういった問題が解決されるまで訴えていかねばならないと考えております。

2008年5月21日水曜日

よい税金とは

 なんでも将来の社会保障を維持するために、財務省が出した試算によると消費税を10%以上にしなければいけないと、昨今ニュースで報道されています。しかしなんというか、官僚の出す予測で当たった試しというのはほとんどないですし、そもそも連中が出した社会保障費のピークがくるのは2050年とのことらしいですが、以前にこのブログでも取り上げた私の予測だと、少なくとも年金に限って言えば世代人口が最も膨れている1946~1948年生まれの団塊の世代が、日本人の平均寿命に当たる80歳になって死に始める2030年くらいがピークではないかという素朴な疑問がわきます。

 なのでこんなくだらない根拠で消費税を上げるなんてもってのほかですが、これに関連して、今日はちょっとよい税金とはどんな税金かをちょっと解説します。なにぶん昔に習ったことなので少し記憶があいまいですが、税金には三要素と呼ばれる要素があり、それらを列記すると、「公平性」、「均等性」、「効率性」の三つだったと思います。

 まず公平性というのは読んで字の如く、対象の集団の中で差別なく公平に取られるかどうかです。たとえば同じ収入なのにある人には低い税率が課されるが、別の人には高い税率が課されるというのは傍目にも不平等で、よい税制とは言われません。
 次の均等性というのは、単純に行って累進課税や資産税のことです。これは税の配分にも関わってきますが、集団内の人間の収入を均等化させる効果のことで、要するに勝ち逃げさせない要素のことを指しています。

 ここまでなら言われりゃ誰だってわかると思いますが、今日の味噌である最後の効率性というのは実は結構ネックな部分でありながら、あまり議論されることがない内容です。
 この効率性というのは、いわゆる徴税のコストがどれだけ低いかどうかという事です。たとえば新聞の集金を想像してみてください。自動振込みにしておけば新聞屋が払うのは銀行への手数料だけで新聞代を受け取れますが、もし自動振込みでなければ集金を行う人を新聞屋は雇わなければならず、その分人件費が掛かってしまい同じ新聞代でも手元に受け取る金額は減ってしまいます。
 このように、同じ税率でも徴税コストがあるとないとで収入の大小が変わってくるのです。そして実は日本というのは、この徴税コストが高い国だといわれております。

 というのも、戦後から日本は一貫して直接税を主な収入源としています。これだと一人一人に税金額を計算、徴収を行わねばならず、また不正にごまかす人間もいちいち摘発せねばなりません。これはつまり、その分だけ国税庁の役人を雇わねばならず、また税理士なども各企業や自治体で雇わねばなりません。
 ここで言ってしまいますが、実は私は消費税を上げる事には賛成なのです。というのも、消費税や酒税のような間接税だと徴収する対象は小売店やら事業主だけなので、その分徴税コストは少なくて済むのです。事実、日本以外の国ではほとんどが間接税が主体となっており、戦前の日本もそうでした。

 最近は確かにIT化が進み以前ほどではないにしても、直接税だとやはりコストが高すぎます。なのでこの際、直接税の税率を大幅に下げる代わりに、消費税などの間接税の税率を大幅に上げるような改革をすべきだと思います。もちろん、欧米同様に食料や医療などにはその税率を課さずにです。

 以上の三つの要素を満たせば満たすほどよい税制だということになります。あえて言うならもうひとつ、「わかりやすさ」もよい税制の条件だと思います。これもまた日本ですが、非常に複雑で税理士以外には誰もわからないとまでいわれ、そのせいで知らず知らずのうちに脱税をやっていたり逆に払いすぎたりという事が毎回起こっています。こんなんでは先に言った公平性が乱れるので、やさしく単純に、それでいて公平な税制へと大改革をするのが今の日本の課題だと考えています。

2008年5月20日火曜日

松下の社名変更について

 ちょっと古いニュースですが、以前に松下電器産業がそれまでの社名を改め、自社ブランドのパナソニックに社名を変更することを発表しました。結論から言うと、この社名変更はむしろ当然すべきことだし、これで名実ともに松下は変わったような気がします。

 というのもちょっと前の90年代に松下は、当時日の出の勢いだったソニーに家電部門でコテンパンにやられてしまい、それこそ松下はもうだめなんじゃないか、やっぱり古いだけの会社だとまで揶揄されていました。そんな中、社長に就任した前社長の中村邦夫氏によって松下はドラスティックに社内組織が改革され、再び家電部門の王者に輝き、不振が続く関西経済圏の中でも強勢を保っています。

 この中村邦夫氏がやったのを具体的に言うと、古くから松下とつながりのある販売店などを一気に切ったことと、松下のOB社員に支払ってきた企業年金の額を減額したことでした。特に後者はOBから裁判まで起こされましたが、結局裁判所は経営に影響を及ぼすという松下側の意見を採用し、この減額を追認しています。
 こうした改革を行っていったせいか、2000年代前半には「幸之助精神の破壊者」とまで中村氏は言われましたが、しかしそのおかげで松下は見事復活しました。

 ここまで言えばわかると思いますが、現実的に今の松下は創業者の松下幸之助が作った会社だとは言いがたく、実質中村邦夫が作った会社だと私は考えています。そういった中で社名が変わるというのは、これからさらに過去とのつながりがたたれ新たな松下として定着するという意味合いが過分に含まれていると思います。

 それにしても、この中村氏のインパクトが強かった成果、おっさん二人と話をしているときに、
「ところで、今の社長の名前ってなんだっけ?」
 といって、そのままその日は思い出しませんでした。ゴメンね大坪さん。

2008年5月19日月曜日

黒船がこなけりゃ、徳川幕府は続いたか?

 このブログを始めた最初の頃に、もし戊辰戦争で幕府軍が勝ったらどうなっていたのかという予想を書きましたが、今回もその系列でずばり黒船が来なくて鎖国が維持されていたら、徳川幕府の幕藩体制は続いたのかということを今日解説します。

 まず、言うまでもなく徳川幕府崩壊の最大のきっかけとなったのはペリーの黒船来航でしょう。中国の清でもそうですが、最終的に国が滅ぶきっかけとなった事件は確かに大きな事件として当時も扱われはしましたが、まさかその事件がきっかけで急速に国が滅ぶとは誰も思わなかったようです。清の場合はアヘン戦争と太平天国の乱ですが、確かにそれまで何百年も続いた王朝がある事件をきっかけに数十年後に滅ぶことになろうとは、誰も想像できなかったでしょう。

 では徳川幕府が滅ぶきっかけとなった黒船来航ですが、実はそれまでの日本はシャレにならないくらい平和でした。徳川幕府成立後、正確には江戸時代初期の島原の乱以降、日本は二百年くらい一度も戦争がないという、世界史上でも稀に見る平和を維持しました。その原動力となったのは話すと長くなりますが、徳川幕府の幕藩体制にあります。参勤交代といい身分制といい、非常に安定感のある政策でこの恒久ともいえる平和を維持しました。

 しかし黒船来航を機に欧米からの外圧を受け、日本国内で意見が分かれる中で最終的に徳川幕府は薩長に滅ぼされることになりました。ですがもし、それこそ欧米が余計なちょっかいを出さずに日本国内で完結し続けてさえいれば、それまでの政策が続くことになりこの平和は維持されたのではないかと以前に考えたことがあります。言うなれば、外圧にどう対抗するかで意見が二分したのですし、それまではずっと平和だったのだから、そっとしておいてくれればずっと良かったんじゃないかということです。
 そこで結論から言いますが、私はもし黒船が日本に来なくとも、遅かれ早かれあの時代で徳川幕府は終わったと考えます、ここまで引っ張っておいてなんですがね。

 確かに黒船の来航が徳川幕府の寿命を縮めたことに間違いはないと思います。しかし当時の時点ですでに幕藩体制には限界が見えており、徳川本家をはじめとして諸大名はほとんどすべて借金漬けの財政となってていました。また尊王攘夷論の根拠となった天皇中心論を主張する国学も力をつけ、藩政改革を断行した薩長を筆頭とする、徳川家を凌駕しかねないほどの雄藩が力をつけていたという背景があります。
 こういった背景を考慮に入れると、遅かれ早かれ徳川幕府はあの時代のうちに内乱によってなくなったと思います。実際に、財政を立て直すために密貿易までやっていた薩摩藩に対し、力でそれを取り押さえる力は当時の幕府にすでにないと老中阿部忠之は考えていたといわれ、それならば恩を売っておけとばかりに島津斉彬を藩主に据えてやったといいます。

 そういう風に考えるのならば、黒船来航は一つの時代の転換点として日本にとって非常によい契機となったのではないかと思います。結果論から言うと、その後に明治維新が行われて日本は急速に国力を伸ばすようになりましたが、逆を言うならあの時点で革命が起こらなかったら、それこそ日本はどうなっていたかわからないものです。
 それにしても、盛者必衰とは言いますが永遠の安定と平和っていうものはやっぱりないものですね。