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2008年11月15日土曜日

非正規雇用型社会モデル

 以前の記事のコメント欄に、日本は国としての社会保障が不十分だから企業がそれを負担してきたのに、いまや企業も社会保障に金をかけずに非正社員を多く雇用して問題があるという意見があり、ちょうど以前から用意していたネタがあるので、ここで紹介しようと思います。

 まず実現可能かどうかを別として、私は日本の被雇用者が全員、正社員ではなくなるという社会について考えてみたいと思っています。

 現在、日本の雇用状況は全体の約四割が長期雇用を前提として労働権もある程度認められている正社員ではなく、権利も立場も不安定な非正規雇用、いうなれば派遣、パート、アルバイトで占められています。かつては労働者の九割近くが正社員であったのと比べると、これは日本社会上での大きな変動と言っていい上に、社会システム上でも問題ある状況です。
 というのも、先ほどのコメント欄の意見の言う通りに日本の社会は労働者、ひいては一家の大黒柱となる戸籍上の家父長に当たる、父親や夫という立場の男性が、すべて正社員であることを前提にシステムが作られているからです。

 まず一つは戸籍制度で、これは家父長を中心に作っているので男性が誰と結婚してどの子を生むかというように、家父長に対してどのような変化があるかという具合で作られていきます。そのため、以前に問題となった離婚後90日以内の子供の戸籍問題など、いろいろややこしいものができるのです。
 次に代表的なのは税法です。日本の国家財政の取材源は直接税こと所得税ですが、これは正社員の人間の給料から直接天引きする税金で、言い換えれば正社員が減れば減るほどこの主財源の取り口が減っていくことになります。

 そして一番問題なのは、何を隠そう保険と年金制度です。
 これは両方とも正社員の場合は会社と本人の給料の折半になりますが、もし正社員でない場合は掛け金を全額丸ごと払わなくてはならず、しかも年金の場合は正社員の厚生年金と分けられ国民年金となり、将来の受給額にも差が生まれます。これも言い返すと、正社員でなければいろんな面で個人の負担が大きくなるということです。

 このように、社会保障から税体系まで何もかもが正社員の家父長がいることを前提に日本の社会システムが出来ており、逆に正社員になれないとするとこうした社会保障を受けづらくなるということです。もともと日本の社会保障政策は先進国としては非常に低いレベルにあるといわれており、最初に挙げた意見の通りに日本はその分の埋め合わせとして企業が独自に年金を設けたり、自宅購入のローンを組んであげたり、ミニマムなのだと毎年の健康診断の費用も負担してきました。
 しかし近年は企業も人件費削減の名目でこうした支出を減らしており、雇用比率も正社員の割合が年々下がったことにより社会補償問題が次第に表面化してきたと言っていいでしょう。
 なお企業が社員保障を減らした一例を上げると、標的にして申し訳ないが松下が以前に業績悪化を理由に退職社員の企業年金額を減額しています。まぁそっくりなくすわけじゃないし、実際にあの時の松下は経営状況が非常にやばかったので私も理解し、裁判にもなりましたがやはり合法と見なされました。

 今ニュースで取り上げられている問題の大半はまさにこういったシステム不全が原因として起きています。国家歳入の低下から医療問題、果てには貧困問題と、すべて現実の状況が変化しているのに社会システムがそのままなために起きております。根本的な事を言うと、こうした問題を解決する方法は二者択一で、システムに現実を合わすか現実にシステムを合わすかです。無論、後者ができるとしたらその人はいろんな意味で神様です。

 ではシステムをどう現実に合わせて変えるかですが、まず以って現実に起きている現象は非正規雇用の増加です。この変化にどう社会システムを合わすかといったら、一番多く主張されているのは企業の雇用に対して規制を設けるという案で、非正規雇用の雇用者に限界割合を設けるとか、一定の雇用期間を越えて雇用する場合は正社員にしなければならないという期間を現行の三年以上からもっと短くするなどの案が提唱されています。
 しかしこれらの意見など中国人に言わせれば「上に施策あれば、下に対策あり」で、現実にこの前中国でも労働法が改正されて一定期間後の正規雇用が厳しく義務付ける法律が出来たら、施行される直前にある企業では職員すべてを一斉に解雇し、次の日にまたすべて再雇用することで雇用義務が発生する期間を下回らせるという荒業をしてのけています。多分、今の日本の企業だったらおんなじことをする可能性があります。

 じゃあどうすればいいかですが、先ほどまでの「非正規雇用を正規雇用へと変えさせる」案に対してここで私が提唱する案は、「今の正規雇用をみんな非正規雇用の立場に変える」という逆説的な荒唐無稽な案です。
 まずは最初にやるのは所得税を九割方廃止します。所得税は年収が1000万円を超える世帯(確か今の日本でこれに当たるのは5%以下)を除き一銭もかけなくします。こうすることによって所得税の算出、徴税に必要な膨大な人員と費用を削減できます。
 では代わりの財源は何にするかですが、ここで消費税を20%に上げます。大分前の記事でも書きましたが、税の三要素で見るのなら消費税は所得税より遙かにハイパフォーマンスです。もちろんこの場合は食料品などの生活必需品には課税せずにするのが条件で、いうなれば所得税と消費税の比率を逆転させる案です。

 こうして税体系を大転換しつつ社会保障についてもこの際現行の目的税にして独立して採算を図ったりずに、すべて一般会計に組み込みます。では現行の企業が負担する社会保険料や年金の掛け金はどこから持ってくるかですが、これは法人税に組み込みます。ただしこれまでのように雇用人員によって算出するのではなく、単年度の売り上げに合わせて変動するようにして、いくら社員を雇用しようと徴税額に変動が起きないようにしておきます。こうすることによって、社員の新規採用に当たって企業が新たに負担する費用は給料だけになるので、事実上現行より負担が減るので新規採用も行いやすくなります。

 そして一番肝心なのが、正社員と非正社員の区別を完全になくすことです。既に先ほどまでの税体系の変更で企業が負担する社会保障額に違いはなくなっていますので、あとは雇用期間やリストラをどうするかですが、これはこの際野球選手みたいに年俸制にしたり、3年契約みたいに雇用期間をあらかじめ双方で決めたりする制度に変えてみるというのが今の私の考えです。敢えて社員の流動性を高めることにより、後進にもチャンスを与えることが出来るので、少なくとも今の身分制のような雇用体系よりはマシなんじゃないかと思います。もちろん、この流動性を実現するには失業後の社会保障がしっかり出来ていることが最低条件ですが。

 ちょっと予想以上に話が長くなりましたが、最初にも言ったとおりに実現するかどうかは別として、正社員という概念がない世界をどうやって作り、回らせるかというのを考えるのは非常に現状を見る上で参考になる案が出てくると思います。私自身、今の日本の社会システムはもともと戦後の混乱期に作ったシステムがそのまま援用されている過ぎず、早くに現状に即したものへと変更するべきだと思います。ちょっと書ききれなかったのですが社会保障が充実することによって将来の不安がなくなり、日本人の世界的にも異様に多い貯蓄も消費へ回るので政策的にも理にかなっています。
 ちなみにイギリス人学者のロナルド・ドーア氏は戦後直後の日本に来て、「日本は社会保障が全然充実していない」と言わしめており、それが今も続いていること事態日本の社会システムが欠陥を持っている最大の証拠だと思います。

最近なくなったコールドスリープの話

 週末なので、適当な記事でもバンバン書く気力があります。というより、ここ数日は細かいニュース解説が多くてちょっと疲れ気味だったのもありますが。

 それで本題ですが、90年前後のSF作品にはよくあったのに最近はすっかり見かけなくなった話の類型として、今回タイトルに上げた「コールドスリープ」があります。これは人間を意図的に極低温状態に置くことで生命を維持したまま生体活動を停止させ、時間をおいた後で文字通り再び解凍による再蘇生をすることで、若さ(肉体年齢)を保ったまま解凍時の世界に舞い戻るという技術です。俗に言う、浦島太郎物のSF技術ですね。

 これを題材に取った歴史的に古い漫画作品というと、まず上がってくるのは手塚治虫氏の「火の鳥」の、確か未来編だったかな。この作品では宇宙船にて航行する搭乗員が通常の航行中はこのコールドスリープで眠り続け、交代で宇宙船を操作する場面が描かれています。他の作品も大体こんなパターンでこのコールドスリープを使っており、長い宇宙航行の間に年齢を重ねないための手段としてよく使われていました。
 こういったパターンに対して、より浦島太郎の話に近づけたパターンとして、過去の超技術があった時代にコールドスリープをした人間が移籍発掘などで掘り出され、何千年も後の現代に蘇るというような話もよくありました。

 しかし、大してチェックとかしてる訳じゃないけど、なんか最近こういったコールドスリープが出てくる話を急に見なくなった気がします。ちなみにこのコールドスリープが出てくる話というのは、そのほとんどが悲劇的な結末に終わっていることが多く、これは恐らく話の原型となっている浦島太郎の話がアンハッピーエンドで終わることが影響していると思われ、大体の話の結末は無事蘇ったものの目覚めた世界は自分の暮らしてきた世界とは大きく変わっており、そのギャップにさい悩まされるという具合になっています。一番それをストレートに書いているのは、藤崎竜氏の短編漫画作品の「WORLDS」かな。

 そういったアンハッピーエンドが多い中、唯一これに対抗したのが光原伸氏のこれまた漫画作品の「アウターゾーン」でしょう。これなんか自分より下の年齢の人にはもうほとんどわからないであろう作品でしょうが、この作品は一話完結形式の作品で、その中ででコールドスリープが出てきた回での主人公はまさにこのコールドスリープの研究者で、現在治療できない病気患者を未来の技術に託すために研究をしていたのですが、ある日同僚の研究者に騙され、自ら人体実験を申し出たことにされてコールドスリープの機械に入れられて研究の功績はおろか、恋人までも奪われてしまいました。

 そうして数十年後、眠りに入った当初はまだ不確実だった再蘇生の技術が確立されたことによって主人公も未来の世界で再び目覚め、すわ復讐とばかりにかつての同僚の前に立ちます。しかし既に年老いた元同僚は貧相な生活をしており、彼が言うには主人公がコールドスリープをした後に主人公の恋人を奪ったものの、実はあの女はスパイで、研究功績を奪われた挙句自分は罪を着せられ今はこのようなヨレヨレの生活をしている、それでもいいなら自分を殺しても構わないと言い、それを聞いた主人公も今更どうしようもないと結局何もせずに別れました。

 そうして冷静になったとはいっても、知人も何もないこの未来の世界でこれからどうして生きていこうと悩む主人公に、同じくコールドスリープから再蘇生したばかりの少女が話しかけ、スリープ以前に不治の病を抱えたがある薬品会社がその病を完治させる薬を新開発したので再蘇生し、以前の病気も治ったことを伝えます。その薬品会社というのも、主人公が生前に株式を購入していた会社で、いまや巨大な企業となっていることから、それこそ寝ている間に思わぬ財産を主人公は得ていたのです。こうした事態を受け、またもう一度やり直そうと主人公は再び生きる気力を持ち始める、というハッピーエンドで終わっています。

 作者の光原伸氏もよく自分の作品解説で述べていますが、どう考えたってアンハッピーエンドで終わる話を無理やりハッピーエンドに持ってくることを心がけていたそうです。何もこの話だけじゃなく、割とホラータッチのおどろおどろしい話が多い中、このアウターゾーンは読後が非常に気持ちよくなるハッピーエンドで必ず終わるようになっており、現在でも話作りの際に私が最も参考にする作品です。

ハリー・モットーシリーズ

 このまえ自転車に乗りながらふとこんなことを思いつきました。

・ハリー・モットーと移籍の意思
・ハリー・モットーと徹子の部屋
・ハリー・モットーと江夏の囚人
・ハリー・モットーと炎の特訓
・ハリー・モットーと不滅の巨人軍
・ハリー・モットーと阪神のプリンス(新庄)
・ハリー・モットーと球界の至宝(イチロー)

 こんなことばっか考えて運転するから、危ない乗り方になるんだろうなぁ。

2008年11月14日金曜日

カルテル連続摘発についての続報

 昨日の今日ですが、昨日書いた「カルテル連続摘発の報道について」で私は何故一斉にカルテル摘発に捜査機関が取り組んだ動機がわからないと述べましたが、今日ひょんなところからその疑問のヒントが出てきて、ある仮説が浮かんだので早速紹介します。

 そのヒントというのも、あるメキシコ人からのメールでした。この人は別に私の知り合いでも何でもないのですが彼の英文のメールにて、「値上げっつったって、お前らが理由にしている原油価格はむしろ下がっているじゃないか!」と書いていたのを見て、はっと今回の仮説に気がつきました。
 彼がこのメールを寄越した背景には、日本のあるメーカーから原油価格高騰を受けて自社製品の値上げを彼のいる会社に通知したのですが、そのメキシコ人からするとこのところは原油価格は逆に下がっており、原油価格高騰による原材料費の高騰、及びそれがしばらく続くとの予測を理由にした値上げには納得できないということをメールで伝えてきたというわけです。

 言われてみるとなるほど、例のリーマンショックのあった9月13日直前に1バレル140円台に達するピークを迎えてから原油価格はその後どんどんと下がり、現在に至っては去年前半に匹敵する1バレル50ドル台をうろつく程に、率にして実に約三分の一になるまで下がっています。しかもそれがここ二ヶ月の落ち込みで起こっているのですから、今年前半の高騰時異常の変動幅で下がっております。

 ちなみにあのリーマンショックが起きた頃に雑誌とか読んでいると、エセ経済学者とか相場屋が証券市場は下がる一方だがその分原油や金といった先物市場にお金が回ってくるようになり、逆にどんどん上がっていくといったことを知った風な口をして言ってましたが、市場にあるお金が株価の全面安によってある日突然消えてなくなったんだから私はそんなの上がるはずがないと思って見てましたが、案の定というか金の先物価格を今調べてみたら原油価格ほど極端ではないにしろ、ほぼ同じ形のグラフを作って今も下がり続けています。金に至っては貴金属買取業者がやっぱりこの下落で非常に苦しい経営を迫られており、下に貼ったニュースにあるように違法な出張買取が横行し始めているそうです。うちの近くの古本&中古ゲーム屋もリーマンショック頃から店の前にでっかく金を買い取る看板を出していたけど、多分今頃大損こいてんじゃないかな。まぁあそこはこの前に店舗改装してから店の雰囲気が気に入らなくなったし、この際潰れてもらっても構わないけど。

「貴金属出張買い取り」に注意! 群馬県内で急増中 知らぬ間に違法行為(YAHOOニュース)

 さて例の如く非常に前置きが長くなりましたが、私が今回カルテル摘発が相次いだ背景にあると思う仮説というのは、ずばり値上げです。去年から現在に至るまで昨今の原油高騰によるコスト高のため、おそらく世界中の全産業で値上げの嵐が起こっています。幸いというか日本ではガソリン代を除いて消費者レベルに至るまでその値上げが大きく反映されるものは少なかったのですが、企業間の取引ではどこもかしこも10%程度の値上げは当たり前で、以前に話を聞いた鉄鋼会社の方などは値上げの交渉が多くなり、交渉の場で担当者同士が黙り合うことも非常に増えたと話しておりました。

 ここではっきり言いますが、この値上げの嵐に乗じていくつかの企業は必要以上の値上げを行っていることでしょう。もちろん大半の企業では相当に苦労して身を切りながらわずかながらの値上げをやっていることに間違いないでしょうが、今回カルテル事件化した鉄鋼、液晶、ガラスの三産業において摘発された企業などは値上げが目立ちにくいこの機に乗じて相互に協議し、不正に一斉に値上げを行ったために今回摘発の対象となっています。ニュース記事を読んでもらえればわかりますが、摘発理由はどれも「不正な値上げ」です。

 それでこれは私の予想ですが、もし原油高があのまま続いていれば今回の摘発は見逃されていたかもしれません。
 というのも最初に挙げたメキシコ人の言う通り、現実には原油価格は下がる一方、というより底が見えないほど下落を続けていますが、原油価格が上がっていた頃に達成された企業の値上げは今もそのままの状態です。実質全産業において価格が上積みされたままでコストは高騰以前に戻っているままという、現在の状態は一部の企業にとってかなりおいしい状態といえます。しかし我ながら異様に深読みし過ぎかもと思うのですが、もしこのままの状態が続けば確かに企業間取引において一部の企業の一取引あたりの利益は大きくなるものの、価格の増大によって全体で取引件数は減り、なおかつ一次、二次加工品を扱う、原油価格の下落の恩恵を受けられない中小企業にとってすれば値上げされたままの苦しい状態が続きます。もちろん、こんな状態では全体の景気にも悪影響を及ぼしかねません。

 そういった懸念を背景に、すでに繰り返された値上げ価格を現在ではむしろ世界的に引き下げる必要性がある、という具合に国際間の政策決定者たちは認識したのかもしれません。そのためひとまず事件の証拠をすでにある程度抑えており、他の産業も目を引く大規模かつ示威的効果もある国際カルテルによる値上げ事件を一斉に処罰した、というのが今回カルテル摘発が相次いだ原因ではないかと私は考えました。

 今回の仮説は過分に私の予想が含まれており、むしろ陰謀論めいた面白おかしい話に仕立て上げた感もあります。しかしこの中で書いた事実は少なくとも現実のものであり、今後の世界経済の動きを見る上でお役に立てるのではないかと思います。特にすでに行われた値上げの問題は非常に根深く、一度上げた価格を原油が下がったからまた皆で一斉に下げ合うことなんてできるはずがないので、ボディブローのようにじわじわと長く効いてくると思います。

  今日の参考サイト
WTIリアルタイム原油価格チャート(商品先物取引ポータル)
東京金&価格チャート(岡地株式会社)

2008年11月13日木曜日

カルテル連続摘発の報道について

 今まで散々一人で騒いできたこの「ブロガー」のリンク問題ですが、昨日になってみるとなんと以前のように編集画面が戻り、私の使用ブラウザ「Opera」でもまたリンクもできるようになりました。何はともあれ、一安心です。

 それで早速今日の記事ですが、まずは直ったばかりの以下のリンク先のニュースをご覧ください。

めっき鋼板、カルテル容疑 東京地検、大手3社立件へ(asahi.com)
米司法省、液晶価格カルテルでシャープなど3社に罰金559億円(Yahooニュース)
旭硝子に制裁金140億円、EUが日欧4社のカルテル摘発(Yahooニュース)

 以上三つのニュースはこの一週間、といっても最初の鋼板カルテルの事件がちょっと前なだけで後の二つは昨日から今朝にかけて一挙に報道された事件です。
 カルテルというのは一種の談合のことで、複数の企業がある商材に対し価格競争を行わないことを互いに約束し合い、値段を吊り上げて自分たちの利益を引き上げる方法のことを指します。たとえば牛乳を買おうとしてお店に行っても、どこの牛乳屋も1000円で売っていたら消費者は1000円で買うしかありません。こういった状況を恣意的に作り出す談合のことをカルテルといい、基本的に資本主義国では市場が歪む恐れがあるのでどこも独禁法を設けて禁止しております。ま、さっき例に挙げた牛乳は酪農家の苦労している現状を知っているので、もう少し全体で価格を引き上げてもいいと私は思っています。

 それで今回明るみになったそれぞれの事件の内容を簡単に説明すると、まず最初の鋼板カルテルの事件は日鉄住金鋼板、JFE鋼板、日新製鋼、淀川製鋼所と錚々たる顔ぶれの大手金属メーカーが住宅用屋根の建材に使う「亜鉛メッキ鋼板」の値段の値上げを、これまでになんと六回も揃い踏んで行っていたということを公正取引委員会によって指摘され、東京地検によって現在捜査と立件の準備が行われています。何気にうちは朝日新聞を取っているのですが、朝日はかなり早い段階からこの事件を一面に持って来て連日報道しており、その甲斐あって後ろ二つの事件への反応もよかったと思えます。

 二つ目の液晶カルテルは日本のシャープ、韓国のLGディスプレイ、台湾の中華映管の三社がテレビや携帯電話の画面に使われる液晶パネルの価格に対して国際的にカルテルを結んでいたのを米司法省によって指摘され、三社もこれを認めて制裁金を支払うことに同意しています。

 三つ目の今朝報道されたガラスカルテルは、日本の旭硝、日本板硝子の子会社でもあるイギリスのピルキントン、フランスのサンゴバン、ベルギーのソリベールの四社が自動車用ガラスにおいて価格カルテルを行っていたということをEUの欧州委員会に指摘され、こちらも制裁金を課せられています。なお、旭硝子はEUの捜査に協力したとのことで制裁金は50%免除(それでも140億円だが)されていることから、事実上カルテルを行っていたことを認めているようです。

 こうして三つの事件を並び立てることで私の意も理解してもらえるでしょうが、一体何故この時期に立て続けに三つもカルテル事件、しかも最初の鋼板カルテルを除いた後ろ二つに至っては国を跨いだ企業同士によって行われた国際カルテルで、それらがほぼ同時期に明るみになったというあまりのタイミングの良さになにか胡散臭さを感じます。また日本国内の事件とはいえ最初の鋼板カルテルについても、こうして日本でカルテル事件が俎上に載るのは91年の包装用ラップでのカルテル以来らしくて実に17年ぶりです。17年ごしに発覚したカルテル事件が何故後ろ二つの国際カルテルと時期を同じくするのか、非常に不思議です。
 しかも後ろ二つの国際カルテルでは両方とも非常に大きい額の制裁金が対象の企業に課せられており、液晶カルテルでは三社に対して総額約560億円という米独禁法では史上二番目の高額で、ガラスカルテルでは対象の四社に対して総額約1690億円というこっちもEUの独禁法としては過去最高額の制裁金です。

 これがもし一つの機関による捜査で明るみになったというのなら、カルテルを一網打尽に処罰するため時期を合わせのだと解釈できますが、鋼板カルテルでは日本の公正取引委員会、液晶カルテルでは米司法省、ガラスカルテルではEUと、見事なまでに全部バラバラです。また対象となる事件がもし金融機関の手数料などのカルテル(日本の銀行なんか確信犯的にやってただろうな)であれば、昨今の金融不安の背景もありますし、公的資金を注入する代わりに国民へのガス抜きとして制裁を課して経営陣をしょっぴくみたいな話もわかりますが、今回のは老舗メーカーの工業用品ですし、この構図は当てはまるはずがありません。

 このように私としても、この一連のカルテル摘発が何故起こったのかという理由の仮説がなかなか浮かんでこないというのが正直なところです。それでも苦しいながら挙げるとしたら、何かしら国際間、というより日米欧の政府間でこうした国際カルテルを含む一連の不正に対して一斉に摘発するという密約があったのかも知れない、という仮説が出てきます。あまりのタイミングの良さに加え、国際カルテルについては捜査対象企業が国境を跨ぐということで、現地の捜査担当者同士で情報を交換し合うことが非常に重要になってきますし、何かしら相互の連携が約束されていたとしてもおかしくありません。そう考えるのならば、この仮説も挙げないよりはマシと思ってここで紹介することにしました。

 しかし上記の仮説でもまだ一向に解けない疑問が残っています。一体何故、国際間でそのようにカルテルに対して厳しく取り締まるようになったのかという動機です。言ってしまえば日本国内だけでも、あからさまなカルテル行為が行われている現場はいくらでも有り余っていますし、暗黙の了解となっているのも少なくありません。実際に立件するのが難しいというのはわかりますが、それでもなお今回このように一斉に摘発するように各国の機関が動くようになったのはどんな背景なのかが一番の疑問です。今起こっている経済危機のせいにすれば非常に私としても楽なんですが、捜査がここまで至っていることを考えると、恐らく捜査機関が手をつけ始めたのは公開捜査が今始まった鋼板カルテルを除いて最低でも去年の時点からでしょう。
 この点に関しては現状では判断に足る情報が不足していると思うので、続報があればまた何か考えてみることにします。

2008年11月12日水曜日

日中の工事現場スローガンの差異

 日本人と中国人は言うまでもなく漢字という文字を共有しています。しかし互いに違う年月を経て、中には両国で全然別の意味となってしまた漢字も少なくありません。代表的なのは「手紙」で、これは中国語では「トイレットペーパー」という意味になります。
 こうした意味の違いから、街中を歩いていても互いにぎょっとするものを見ることがあります。私の経験ではある工事作業現場にてでっかく、

「放心工程」

 と書かれているのを見て、ちょっと思考が止まったことがあります。少し記憶が曖昧で、「工程」のところが「工事」、もしくは「作業」だったかもしれませんが、どれにしても日本人からしたらそんなたるんだ態度でやっていいの? それともフラットな気持ちで行こうって意味なのかと考えてしまいます。
 実は中国語で「放心」と書くと、日本語の「安心」という意味になるのです。なのでさっきの言葉も日本語で言うなら、「安心設計」というような意味合いになるのです。

 しかしこうした作業現場の標語はよく漢字四字が使われるため、中国の方も日本に来てはよくびっくりするそうです。その中でもよく聞くのは「注意一秒、怪我一生」と、日本人なら誰でも知っている作業現場標語の王様のような言葉ですが、これを中国語に訳すと、

「もし一秒でも気を抜くことがあれば、一生俺をけなしてくれ!」

 という意味になります。中国語で「怪」という字は「責める」などという意味になるので、これを見るたびに中国人は、「さすがは技術大国日本、なんて責任感を持って仕事をしていることだろう」というように寒心するそうです。

 なまじっか日中は互いの国について知識や共有する文化が多いため、こうしたとてつもない勘違いを互いにやってしまうのかもしれません。まぁこうしたギャグ程度なら全然構わないので、むしろこうした違いをどんどんと共有していけば互いにいろいろと面白いのかもしれません。

  おまけ
 昨日ネットで見た笑い話で、ある工事現場に「俺がやらねば誰がやる」というスローガンが張られていたそうですが、「誰が」の「が」の濁点が削り落とされ、「俺がやらねば誰かやる」という風に改められていたそうです。この話でひとしきり笑った後、今回の記事のネタを思い出しました。

失われた十年とは~その九、日本式経営~

 久々の連載記事だ(*゚∀゚)=3ハァハァ

 さて前回までは主に経済的に、失われた十年の間で行われた政策を中心に解説していきました。実際にこの失われた十年(最近だと一部で「失われた十五年」と言う人も出てきている)は経済学的な意味合いで使われることが多いのですが、社会学士の私からすると経済的というよりは、日本の社会史上における一大転機として取る場合の方が多いです。
 そういうわけで今回からようやくこの連載の主題である、この時代における社会的価値観の変容について解説していこうと思います。最初に一回目は、もはやほとんど話題にすら出ることがなくなった「日本式経営」です。

 先にこの後に解説するネタを紹介すると、この時代に社会の見方が一気にひっくり返ったのはこの「日本式経営」、「左翼」、「フェミニズム」、「スポーツ」といろいろあって程度も様々ですが、どちらかというと強い権威を持ったものが悉く失墜していく一方で、代わりに力をつけた権威というものはあまり多くない気がします。何かあるのならこの後の記事も非常に書きやすいのですが、

 それで日本式経営ですが、この中身というのは言ってしまえば60年代から80年代まで日本の企業で行われた雇用、経営慣行のことを指しています。具体的な中身を言うと「終身雇用」、「年功序列制」の二本柱で組む雇用体制を指しており、ちょっと細かい点を上げると「株式持合い制度」の元で企業投資を社会全体で非常に抑えて内部留保を蓄え、自社投資を繰り返すという経営方法も含まれます。もしリクエストがあるのならこの中身も詳しく解説してもいいですが、長いので今回はちょっと割愛します。

 この日本式経営もバブル崩壊までは「これが王道だ!」といわんばかりに世界でも持て囃され高く評価され、アメリカ人経済学者に至っては「ジャパンアズナンバーワン」とまで評していたのですが、バブル崩壊が起きると、「やはり日本のローカルなやり方だった」とか、「いつかこういう日が来ると思ってた」などと、特に株式へと全然投資しない閉鎖的な体制を指摘されて今度は逆に世界から批判されるようになりました。
 そこで日本人がいつもの悪い癖で、自分では正しいと思うことでさえ他人に批判されると途端に自信をなくしてしまう癖が出てしまい、この失われた十年の間に日本人の中でも日本式経営について激しく非難するものが次々と現れていきました。

 当時を回想をするにつけ思いますが、子供だった私からしてもあの時代の日本式経営への身内からの批判振りは異常過ぎるほどでした。しかも、それらの批判の大半は理論的にどこがどう問題なのかという点は無視して、どちらかといえば感情的な意見が主で、「こんな古いやり方では世界についていけない」など、他国と協調することが一番大事と言わんばかりの批判でした。
 中でも私が最も呆れるのは、子供の教育現場にすら「日本式経営は駄目だ!」ということを当時に教えていることです。これなんか私の実体験ですが、中学校の公民の時間で、「年功序列制では、実力ある社員のやる気をそいでしまうから成果主義に変えろ」とか、「終身雇用ではなく、様々な生き方にチャレンジを促すべきだ」などといった言葉を使っては、日本式経営の欠点を教えられました。さらに極端な例だと、私の友人は授業の作文にて日本式経営が駄目だということまでも書かされたそうです。

 では何故これほどまでに日本式経営は叩かれたのでしょうか。それにはいくつか考えられる理由があり、まずはなんといってもバブルで浮かれすぎた反動で、急に景気が悪くなったもんだから非常に自分らのやってきたことに対して自信をなくしてしまい、さらにこの時の日本人の後ろめいた気持ちは、物事に対して「どうすれば良くなるか」よりも、「何をしてはいけないのか」ことばかり考えるように思考を持って行ったのではないかと私は睨んでいます。そういうのも、当時のビジネス書のタイトルを思い出すと、「○○が悪い!」とか「××経営の弊害」といったタイトルばかり思い浮かび、ポジティブな本だと大抵が「欧米式△△経営」、「アメリカ人の戦略」などと海外の成功体験ばっかでした。
 こうした状況を踏まえてか、かなり昔に(2004年ごろだと思う)読んだ誰かのエッセイでは、「当時の日本人は失敗の理由ばかりを探して成功する方法を探そうとしなかった」とかかれていましたが、この意見に私も同感です。

 そうやって日本式経営をたたき出した後に持て囃されたのが、既にもう述べた成果主義です。まぁこれについては賛否両論いろいろあり、特に早くにこれを導入した富士通に至っては元富士通の城繁幸氏に激しく批判されており、私としてもこの成果主義がうまく機能することはほとんどないと思います。何気に最近読んだ、クロネコヤマトの生みの親の故小倉昌男氏も自著にて、とうとう個人ごとに成果を評価する制度だけは最後まで作ることが出来なかったと述べています。
 これなんか社会学やってたから私もいろいろ思うところがあり、元々社会学は本来比較し辛い、出来ない人間の心理や行動といった対象を出来るだけ現実にあった形で数値化して比較する手法を持っていますが、これは言うは安しで行なうは難しです。私が去年やった調査なんか、2ちゃんねらーは朝日新聞が嫌いなのかを測ろうと大学生に調査票配ってやりましたが、200人に配ったところで2ちゃんねるをよく閲覧するのは10人にも満たなくて、客観的に足る必要サンプル数が集まらずに断念しました。

 成果主義においても、単純な個人売上で測ろうとしてもこの数字も周りの景気の影響やらで簡単に変わりますし、一概に導入すればかえって運のいい人、リスクをとらない人ばかりが評価されて、積極的に仕事をしてリスクを抱える人などは逆に評価が下がりやすくなるので、私としてもこの成果主義には疑問を感じます。それでも当時の日本人からすると、日本式経営と対極にあることからこういった評価制度をどんどんと導入していきました。
 しかもなお悪いことに、日本式経営でも部分的に見れば非常に優れた経営方法といえる点は数多くあるのですが、この時代に標的にされて潰されていったものはほとんどがそういった優れた点で、逆に日本式経営で非常に問題な点、たとえば無駄に会議が多くて決断や動きが鈍い点は何故だかよく残ってしまい、実際に会社員の方から話を聞いたりするとまるで成果主義と日本式経営の駄目な点が見事にハイブリッドされているのが今の状況のような気がします。

 ここで話が少し変わりますが、確か96年か97年頃に「世界まる見えテレビ」という番組において、あるアメリカの企業が紹介されていました。名前は失念してしまったが、いわゆるIT系の会社で、その会社には社内に託児所から個人用のオフィスまで備えらた、社員にとっては至れり尽くせりという雇用環境で、これについて社長はこうした環境が社員のモチベーションを引き上げるのだと言い、実際にその会社は多くの利益を生み出しているとして紹介が終わりました。見終わったゲストからは、自分達が持っていたアメリカの企業イメージと全然違っていたなどと互いに感想を述べ合っていました。

 90年代後半からアメリカの多くの企業は優秀なIT系技術者を囲い込むために、かつての日本よろしく社員への好待遇を行う企業が増え始めてきていたそうです。もちろんそれは一握りのエリート社員だけで、かつての従業員は皆家族という日本式経営とは異なるものでしたが、キャノンの会長であり経団連の会長もやっている御手洗富士夫などはこうした例を挙げては知った振りをして、日本が日本式経営を捨てている頃にアメリカは日本式経営を取り込み成長し、終身雇用制を守ったキャノンやトヨタが今では日本で勝ち組なのだということを言っていますが、ここで反論させてもらうと、キャノンもトヨタも初めから正社員が少なくて非正規雇用が多かっただけに過ぎません。キャノンに至っては会長が社員は家族といいながら、偽装請負までしているのだから盗人猛々しいとはこの事でしょう。

 しかし現在の日本のSEことシステムエンジニアの現状を見る限り、先のエリート社員に高待遇を与えるというアメリカのやり方も一理ある気もします。日本でも成果主義が導入されているとは言われながらも、実際に優秀な人間は今でもかなりはじかれているように思えてならないからです。

 最後に非常に皮肉な言い方をしますが、日本は失われた十年の間に日本式経営を非難する事によって、企業が社員をリストラできる大義名分を得たのは一つの収穫だったと思えます。それまではリストラは非人道的だと非常に批判されて企業もやり辛かったのですが、成果主義の名の元で不要な人員の解雇が行えるようになり、結果的に経営を一時的に立て直すことが出来たのは事実で、そういう意味ではこうした日本式経営への一連の批判はそれ相応の役割を果たしたといえると思います。